縮刷版2015年12月中旬号


【12月20日】 気がつくと第70回の毎日映画コンクールのノミネート作品が決まっていて、アニメーション部門では原恵一監督の「百日紅 〜Miss HOKUSAI」と細田守監督「バケモノの子」、そして長井龍雪監督の「心が叫びたがってるんだ」といった劇場長編アニメーションのメインどころがだいたい入って良い感じ。どこかの文化庁メディア芸術祭では本賞からはずれて審査委員会推薦作品になっていたりしただけに、別の場所で名前を挙げられそれはそれでしっかりと価値のあったものだといった認識が広まれば、メディア芸術祭のちょっぴりアーティスティックな作品ともども世の中に広がって、アニメーションの多様性を知ってもらえるだろう。そうなると良いけれど。

 個人的には原監督の「百日紅 〜Miss HOKUSAI」を推したいところだけれど、新鋭ながらもすごく心に響くストーリーを紡ぎ上げた「心が叫びたがってるんだ」の長井監督に是非に受賞して欲しいところ。日本アカデミー賞が今から勝手に推測するなら「バケモノの子」に行きそうなだけに、こういう場所で名前をしっかりと認められて次につながることになって欲しい。あとは「リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード」か。映像としての楽しさとストーリーとしての強さがマッチしていた作品だった。クラウドファンディングから生まれたって経緯はこの際関係ないだろうから、純粋に映像として、アニメーションとして審査され吟味されると面白いかな。

 3部作が2部作に止まってしまった伊藤計劃さんの原作では、牧原亮太郎監督の「屍者の帝国」ではなくマイケル・アリアス監督となかむらたかし監督による「ハーモニー」が入ったのは、映画ファン的には迷うところもあるかもしれないけれど、僕としてはストーリーが気に入って声優さんも可愛かった「ハーモニー」が入って嬉しいかな。いろいろと行き詰まっている世界が次へと向かうために選ぶべきか否定すべきかを迷わせるビジョンってのも見せてくれていたし。意外なところで「きつね憑き」って作品が入っているのが気になった。これ、佐藤美代さんの東京藝大院終了作品だよね。よく変幻する絵としんみりくるストーリーがとても良かった。何か取らないかなあ。去年の小野ハナさん「澱みの騒ぎ」に続いての大藤信郎賞とか、ちょっと期待しちゃったり。

 SFな人にまるで関心を抱かれなかったようで、日本SF大賞の候補にかすりもしなかったら、全力で全日本SF大賞の候補に推すことにした「螺旋時空のラビリンス」(集英社オレンジ文庫)を書いた辻村七子さんの新作が登場。その名も「宝石商リチャード氏の謎鑑定」(集英社オレンジ文庫)が今度は直木賞級だったと言っても言い過ぎではないけれど、いきなり文庫のキャラクターノベルが直木賞候補にもなるはずはなく、これもまた人知れず本読みたちの間では見過ごされてくのかと思うと悔しくて仕方が無いので、これまた超直木賞の候補に並べて読んでおくべき1冊だと、喧伝したところで影響力のない身ではいかんとともしがたいのだったという。むん。

 まあしかたがない。でもあるいはこれはプロな本読みには届かなくても、面白い文庫ミステリを探して読んで愛でている人たちには評判となって、それこそ「ビブリア古書堂の事件手帳」とか「珈琲店タレーランの事件簿」とか「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」なんかに続くような大人気作品になるかもしれない。それらに似た要素は備えていて、そしてそれらに負けない面白さって奴を備えている作品だから。まずは本作、SFではなくファンタジーでもないお店&お仕事ミステリ。タイトルにあるとおりにリチャード氏という宝石商が登場する作品だけれど、主人公はそんなリチャード氏が夜の公園で酔っ払いに絡まれていたところを助けた中田正義という大学生。名前のとおりに正義感が強くて、リチャード氏を交番へと連れて行ってタクシーに乗せるまで面堂を観る。

 そんなリチャード氏を見て正義が驚いたことがまずひとつ。超美しい。女性ではなく男性だけれどそうした性別も超越した美しさ。例えるならそこにあるだけで輝きを放ち、人を感嘆せしめる”宝石”といったところ。そのリチャード氏が宝石商だと知った正義は、自分が実家から持ち出して冷蔵庫にしまっておいた、ある宝石を見て欲しいと頼み、そこから2人の関係が始まっていく。ある特別な生業をしていた正義の祖母が、後悔を噛みしめながら持っていたピンク・サファイア。それを持ってリチャード氏を尋ね、ダイヤモンドではないから鑑定ではなく鑑別を頼んでしばらく。再開したリチャード氏は、それが盗品ではないかと言い当てた。

 背後にあった複雑な歴史。そして事情。子を思い生きるためにした仕事でも他人が不幸になる。そんな後悔を背負って受け継がれたピンク・サファイアの”正体”を確かめに、正義はリチャード氏と神戸に向かいそこで知る。悲劇はなく出会いがあって幸福が生まれていたことを。もちろん正義の祖母がしでかしたことは“正義”ではない。義を訴えても正ではないという矛盾を知って、自分はいったいどう生きるべきなのかを考えるエピソードになっている。そんな導入のエピソードを経て、正義の真面目さと一途さを感じ取ったリチャード氏は、自分が銀座に開いた店の店員として正義を雇い、そして正義はその店に持ち込まれる仕事に付き合いながら宝石絡みの問題に向き合っていくことになる。

 どれもが一筋縄ではいかない問題。自分の嗜好を噛みしめながら、それでも普通に憧れる女性。好きな女の子のために格好をつけたいと虚勢を張る男性。悲劇的な過去を引きずる老人。そんな人たちが持ち込んでくる案件は、純粋というより単純な正義しか持ち合わせていなかった正義を戸惑わせる。物わかりがよく全体を見通せるリチャード氏の冷静というか冷徹なアドバイスの方が全体をまるくすんなりと治める方に適切かも知れないと思わせる。けれども実直で正直だからこそつい漏らしてしまう迂闊な言動が、逆に彼ら彼女たちの迷いを晴らすこともある。そこから浮かぶのは人間の生き方。その多彩で多様で多面的な有り様だ。

 地球上に生まれ、育ち砕けながら世界に散っていったどの宝石にも、ひとつとして同じ物はない。そして地球上に生まれ、育った人間にも同じ人はいない。ひとりひとりが違っていいる。LGBTというカテゴリーひとつとっても、中身は様々だし同じような属性でもそれぞれに考え方は違っている。そんな多彩で多様で多面的な人間に、既存の価値観や憶測で縛らず、分かりきったようなことを言わないで、それぞれの人間の思いを汲みとって、迷いも感じて上から諫めず下から媚びもしないで、まっすぐに向き合って認め、背中をそっと押す。そうすることの大切さといったものが、描かれるエピソードたち、登場する人間たちから浮かんで来る。自分は自分で良い。自分は自分だからこそ良い。そう思わされる物語だ。

 一方で、美貌のリチャード氏と正義クンとの間に浮かぶもろもろの雰囲気にも興味が及ぶ。正義は可愛いけど鉱物について語り始めると眉間にしわが寄って来ることから、高校時代にゴルゴ谷本と呼ばれていた谷本さんという大学の同級生の女子に好意を抱いている。でも言えずにいるうちに誤解が生まれる。なにしろストレートで朴念仁な正義はリチャード氏に綺麗を連発。当人の思いは宝石に対する賞賛にも等しくて純粋なものでも、傍目には、あるいは相手からはどう思われるかが分かってない。そして漂うそんな雰囲気。リチャード氏が乗るジャガーを借りて谷本さんをデートに誘いたいという正義の頼みをすげなく断り、2度と口にするなとばかりに黙り込むリチャード氏とか見ていると、もしかしたらといった雰囲気も浮かぶ。でも真意は不明。そこにさらなる興味が浮かぶ。

 そういった方面への関心を強く誘いつつ、人に人それぞれの生き方を押しつけではなく自ら考え感じられるようなエピソードを重ねつつ、宝石についての知識も与えてくれる辻村七子さんの「宝石商リチャード氏の謎鑑定」。これで店じまいかと思わせながらもしっかりと続いて、この先にまだ展開を重ねていけそうで、次にどんな宝石がどんな物語とともに現れるかを今は楽しみにして待ちたい。しかし鉱物が大好きで鉱物について話していると目つきが怖くなるゴルゴ谷本というキャラクターがまた楽しそう。誤解のまま正義のことを“理解”して応援までしているけれど、それがどういう興味によるものかも知りたいところ。正義にはいい迷惑だけれど。ミネラルショーにも行く谷本さんが好きなのは、等軸晶系ではダイヤモンドよりパイライトだとか。そういう彼女って、いるとやっぱり土日は鉱物掘りかな。それとも地層見学かな。

 そしてしりあがり寿さんがゲストとして登壇した深田晃司監督の「さようなら」を新宿武蔵野館で見る。東京国際映画祭に続いて2回目なんでだいたいの展開を知って見ると、登場人物にだんだんと積み重なっていく寂寥感や苦悶や諦観といったものが見て取れて、それがあんな行動をとらせたり、言葉を話させたりしたたんだなあと感じながら、終末へと向かう世界を生きる人間に漂うさまざまな心情ってやつに近づけた気がした。あとやっぱりSFとしても一級品だなあと。ジェミノイドFってアンドロイドが演技しているって部分に、そういう次代が到来したんだというリアルSF感もあるけれど、そうではなくって物語的にも、すべての原発の同時爆発によって散らばった放射能で汚染された日本からの難民という部分で、ひとつの未来のビジョンを示してる。

 例えるなら大地震の来ない柔らかい「日本沈没」。そこでパニックとかにならず、整然と、達観もしつつ運命を探る人々の姿に四季があって栄枯盛衰なんかを感じたりして生きてきた、日本列島に暮らす人のなるようになるといった心情が感じられる。日本列島が沈むまでだった「日本沈没」のその先、世界を流離う日本民族のディアスポラな有様を小松左京さんは描こうとして描かずに終わった。映画「さようなら」はちょっとだけ先を仄めかしつつ、そこからも零れてしまった人たちの悔しさや寂しさを感じさせる。かといって権力に縋りたいと願い、 巻かれ従い媚びるのも何か違う。終末をどう生きる?逃げても良いし、逃げなくてもそれは間違っていない。生きたいところで生きて、死にたいところで死ぬことが出来れば人はそれで幸せなのかもしれないなあと、静かに朽ちていった女を見ながら想った。ただ彼女にはアンドロイドがいた。友人であり自分の鏡がいるといないとの差はあるか? そう思うとやっぱり人は1人で孤独にすべてを生きて、死んでいくのは難しい生き物なのかもしれないとも思うのだ。

 「スター・ウォーズ」を観るより「さようなら」と言っていたしりあがり寿さんが映画から感じたのは、歴史年表としてまざまな王朝があるいは長く、あるいは短い時間で勃興しては隆盛を経て滅び次の王朝が立っていく、それが東西で重なってそれぞれに異なる時間ってやつを示しているのが、映画からも感じ取れたなあっておと。ターニャっていう主人公の女性のそれほど長くはない生涯があって、ずっと生きて動き続けるアンドロイドがあって、100年に1度咲くという竹の花があってそれぞれに違う時間を生きている。登場人物もそれぞれに生まれ育ち生きて死ぬ、そんな異なる時間をそれぞれが生きている、そんな人間達によって作られているこの世界を俯瞰して思うことができる映画、ってことなのかもしれない。あと終末への覚悟も。ああやって死んでいくのかと観て思えば死ぬのも怖くはなくなるか? それは分からないけれども少なくとも、客観する視座は得た。それをどう強めていくかが残り少ないこれからの人生で、大きな意味を持ってきそう。その面でも今、この映画を観た価値はあったし、多くに観て欲しいとも思う。何よりSFなんだから、SFは観に行こうよと。うん。


【12月19日】 超党派の議員が寄り集まって「MANGAナショナル・センター」構想をぶち上げたっていう報道を嬉しいと思う一方で、なんだかなあとも思ってしまうのは、過去において同種の計画に対して罵倒に誓い言葉を浴びせかけ、計画をぶっ潰した勢力に言論として与していた部分も無きにしも非ずだったからで、そうした過去を清算もせずいけしゃあしゃあと「2009年の麻生政権時代、補正予算で『国立メディア芸術総合センター』計画に建設費117億円が計上されたが、鳩山政権下で『むだ遣い』として中止された」と書いてこられると、おいおいその前の麻生政権下で「むだ遣い」だと言って政権叩きの材料に仕立てて政権ごと葬り去ったのはどこの誰なんだって言いたくもなる。

 もちろん計画として完璧ではなくって、まずは器を作りましょうって雰囲気もあったりしたけれど、決してそれだけじゃなくてアーカイブとかの機能も備え海外から来る観光客に見てもらえる恒久の施設にしようっていった考え方もあった。文化庁がやってるメディア芸術祭にあれだけの来場者があるのに、あくまでも展覧会であって時限的であってそこにアーカイブ機能はなく、展示期間が終わればそのままもとに戻され、ケースによっては散逸してしまうこともあった。それはもったいないし問題も多いってことで、恒久の施設をまず建てて、そこに様々な機能を持たせていこうという考え方だってあっただろう。

 でも潰された。ハコ物がまずあってその中にいろいろ作るだろう構想がハコ物だけしかないようにねじ曲げられて伝えられ、そんなものいらない、そんなことを打ち出す政権もいらないといった政権叩きの具にされて吹き飛ばされた。仮にハコ物だけしかなかったとしても、そこにいろいろと参画することでいい物にできたはず。そのために里中満智子さんや浜野保樹さんといった人たちが会見を開いて、今必要なのは保存状態が悪化する漫画原稿の収拾とか、海外に売られていってしまうセル画原画等の散逸防止だって訴え、そうしたものを強化することで国立メディア芸術綜合センター構想をベストなものにしていこうとしていた。でも伝わらなかった。あるいは伝えようとしないまま、政権叩きの具にしてまとめて潰してしまった。政治も。メディアも。さらには業界までも。

 一部にはアーカイブ機能より先にクリエイターの待遇改善をっていった声もあったけど、それは産業構造の問題であって国が出張って何かするより業界全体がそれに向けて動くしかない。テレビ局が波料を取り過ぎるのが問題なのか広告代理店がそうした枠の確保のためにいっぱいお金をとってしまうことが問題なのか制作現場の効率が悪すぎるのか狭い市場に向けてしか作っていないのかそれを良しとする風潮が受け手の側にもあるのか等々。そうしたもつれをひとつひとつ改善していかなければ何も変わらないし、それは国が何かしてどうなるものでもない。

 というか、国はそれでも若手アニメーターの育成事業とかにお金を出して、次代につながるクリエイターを育ててもらおうとしている。それすらも仕組みが伴っていないというなら、ちゃんと効果が上がるような仕組みに変えれば良いだけじゃないかと思うのだけれど、それもまた役所の論理に業界の論理がそれぞれにぶつかり合っている。どちらが悪いってものでもない。要は運用であってそれは国立メディア芸術総合センター構想にも言えたことだったんだけれど、そこに話が及ばなかった。それが残念で仕方が無いけれどそれを言っても始まらない。改めて復活した「MANGAナショナル・センター」構想には、是非に実現して欲しいと思いたい。

 ハコ物と言われそればかりがクローズアップされてしまったことの反省も踏まえ、アーカイブ構想をメインに訴えたところは巧いし、庵野秀明監督に応援の言葉をもらったりしていてる点も、プレゼンテーションとしての巧みさを感じる。結局はハコ物が必要になるんだろうけれど、それは必然の結果であって目的ではないといった空気を作れればひとつは乗り切れる。ただ、中身が本当にちゃんと運用されるのか、この6年間の間に頑張って独力で資料等の散逸を防いできた明治大学とか、自分たちの力でやろうと所沢での施設建設をぶち上げたKADOKAWAとかと奪い合いにならないか、なんてことも含め見ていく必要がありそう。というか、麻生政権下での自民党への逆風状況ではあれだけ罵倒したのに、安倍政権下での同様の構想に翼賛めいた態度を見せる議員さんとか、前みたいに「国営漫画喫茶」とか言って罵倒しないメディアの態度にどこか寒いものも感じざるを得ない。そこまで弱くなったのかメディア。そして個々の議員たち。この一件ではプラスに出ても別の件ではマイナスに働きかけないことも、合わせ含み置いておく必要がありそうだなあ。

 今日の引退もあるかもと思うと、やっぱり駆けつけざるをえない西が丘サッカー場。女子サッカーの皇后杯の準々決勝にINAC神戸レオネッサが挙がってきていてASエルフェン佐山と対戦することになっていて、チケットを見たらメインスタジアムに入れるチケットはすでに完売。それでもゴール裏とバックスタンドに入れるチケットはあったんでコンビニで手に都営三田線で本蓮沼まで行って入った競技場はメインもバックもほとんどびっしりとなっていて、澤選手への関心の高さってものを見せていた。その試合で発表になった来場者数は3666人で、300人も入ればやっとの時代だった女子サッカーの時代を知る者としては驚きつつもここまで来たのかといった感慨にむせぶ。全日本女子サッカー選手権大会の決勝だって1500人入ればやっとだったんだよなあ、昔は。

 INACが攻めるサイドのゴールラインに陣取るテレビカメラやスチルカメラの数も女子サッカーにはあり得ない数。それが澤選手ひとりに向かっているということを、喜びつつもやっぱり次代のスター選手を作り得ていない状況への不安もちょっとつのる。あとINACというチームにも。だって澤選手まだまだ中心選手じゃん、中盤の底に構えては相手の攻撃が来るような場所に陣取り飛んでくるボールは引き付けドリブルしてくる選手には体ごとぶつかって攻撃を止め、パスもカットしてそこから自分たちの攻撃へとつなげていく。

 まさに八面六臂の大活躍。でもそんな澤選手がひとり走って頑張っているのってどうなんだろう。他に優れた選手がいっぱいいて、周囲に走ってはもらいそこから攻めていけばもっと点だってとれただろう。でも前半に奪った2点だけで後半は無得点。センターから送ってもそれをトップが治められず、サイドに出てもトップがボールをさばけない攻撃ではエルフェンだってそんなに恐れず急がないで対処できる。危ない場面がほとんどないまま終わった後半。というか前半だって1点はどこか不用意なところがあってのゴールだったし、もう1点もミドルが決まったという感じで、崩されまくっての完璧なゴールってのは見られなかった。代表元代表がいながらもその試合ぶりが、そのまま日本代表の出来に?がるとは思いたくないけれど、でもやっぱり不安も浮かぶ。澤選手にもうちょっといて欲しい気になってくる。

 そうしたい気持ちは本人にだってあるんだろうけれど、それでもやっぱり自分が理想とし、かつて実現できていたプレーに及ばなくなってきているという自覚が、引退を決めさせたんだとしたらそれを止める権利は他の誰にもない。だから後を継ぐ人たちはそのプレーぶりを間近に感じ、目の当たりにすることで自分たちに足りていないものを考えていく必要があるだろう。献身でありパワーであり技術。それらをトータルで持ち得た人たちが集まり競いあいつつ協力し合って作るプレーこそ勝利をもたらす。そのための道を今、体を張って示している澤穂希選手に感謝しつつ、残る試合もこれが本当の最後と全力を振り絞って、お手本を示して頂ければこれ幸い。残念ならがジェフレディースは負けて参戦できないけれど、残る4チームで最高のパフォーマンスを見せて澤選手を送り出して差し上げてくださいな。

 普通は顔から火が出るか、尻に冷や水を注ぎ込まれたような気がしてその場に立って居づらくなるものだろうけれど、そういう感じはまるで見せずに堂々と、言論の自由のために戦った偉大なジャーナリストでありますといった感じに立ち続け、背伸びまでしていられる神経の太さには、ただただ感嘆するしかない。そんな人に踏み台まで与え演説のテラスまで与えている媒体にも。でもいくらそうやって自分たちが背伸びしてみせたって、見ている人は見ているし知っている人は知っている。それが嘘だったってことを。そしてとても品が良いとは言えないものであったことを。読売新聞1面の編集手帳。12月18日付けに「証券街のうわさ話として男女関係をにおわせたコラムには同業の身で一片の共感も覚えない」。その程度の記事。それでも権力が刑事事件としてそれを訴え書き手を拘束するのは間違っていると言わなくてはいけないコラムニストの苦虫を噛みつぶしたい心根を汲まないことには、またきっと同じ事をやらかして、今度こそ報道の自由という口ぶりの罵詈雑言を咎められ、世間からそっぽをむかれるだろう。って言って分かる相手でもなし。やれやれ。


【12月18日】 スペースオペラファンとそうでない人へ。長月渋一さんの「アウトロー×レイヴン」(電撃文庫)を今すぐ読もう。2015年12月という「スター・ウォーズ」の最新作が公開された年月に相応しいスペースオペラとして、そして2015年に刊行されたライトノベルの最高傑作のひとつとして、これをこのタイミングで読み逃してはもったいないし、後で読んでも一生をそう思って過ごすことになだろうから。内容はといえばまだ半人前の少年が、己を知って宇宙を知って大きく明日へと1歩を踏み出す物語。読み始めてハラハラとし、読みながらイライラともするけれど、読み進めればドキドキとして、そして読み終えてニコニコとなるはず。こんなに泥臭くてカッコいいヒーローがいたのかと喜び、素晴らしい作品を読めて幸せだったと嬉しい気持ちになれだろう。

 地球から訳あって逃れてきた兄と妹。兄のジンは伝説の賞金稼ぎにして獣人でスーツが似合うヴォーガという男の下で賞金稼ぎの修行中。その血筋から発症しやすい難病に罹っている妹の治療費を稼ぎつつ、そういう才能があるらしい妹が発明する武器やら秘密道具やらを手に持ち身にまとって賞金稼ぎとしての仕事に臨むものの、半人前と言われると激高して我を失ってしまう性格から失敗めいたことを繰り返し、ヴォーガから認めて貰ってスーツの着用を許される身になれないままでいる。ある星でお姫様のSPになりすまし、救国の英雄とたたえられた将軍に化けていた帝国のスパイを捕まえようとしていた時も、ジンは半人前だと言われ激高し、しくじりかけてヴォーガに救われ半人前ぶりをさらけ出す。

 そして早く一人前になりたい、一旗揚げて一人前と認められたいという思い出突っ走ってしまうジンの厄介な性格が、そのごも散々っぱら炸裂しては事態を面倒な方向へと向かわせる。先の事件で知り合ったお姫様が、一方で科学的な技術や知識を持っていてトンデモナイ武器が存在していることを知ってそれをどうにか廃棄させようと企んだ一件が、お姫様の誘拐事件という形で世間に伝わった時も、これを解決すればヴォーガも認めてくれるんじゃないか、賞金があれば妹の治療費も稼げるんじゃないかといった思いにとらわれジンはノリノリ。なぜかヴォーガは乗り気ではなく、ジンはひとりでと突っ走り、その先で自分が地球を逃げ出す理由となった仇敵に出会う。奴の狙いは1光年の範囲をを吹き飛ばし、そこにいた生命をこね混ぜてあらたな星の生成の材料にしてしまおうとする恐ろしい爆弾だった。

 自分がかつて対峙して、家族の犠牲もあってどうにか逃げ出すことができ、そしてヴォーガの登場もあって捕らえて宇宙を永遠に彷徨う流刑にされたはずの仇敵に会い、ジンの怒りもマックスとなってヴォーガの諫めも効かず突っ走り、またしても半人前ぶりをさらけ出すジンの言動ははっきりって見苦しいし鬱陶しい。ヴォーガだって見放したくなるその言動に、読み手の思いも重なってくるだろう。どうしてもうちょっと冷静になれないんだ。自分をわきまえないんだと。もっとも、そうやって臆していたら宇宙はいったいどうなただろう。とてつもない悲劇に陥ったのではないのか。

 そう思った時、ひとつの悲劇を乗り越えながらも、それを経験することで自分を知り、他人を慈しむ心を知ったジンが半人前からようやく前へと進み始めたジンにちょっぴりの共感あ湧く。まだちょっぴりだけれど。<どこまでも強くそして紳士でさらに優しさも持った賞金稼ぎヴォーガの格好良さに惹かれもするけど、そんな彼に呑まれ真似してもジンはヴォーガにはなれはしない。半端でも半人前でもジンはジン。拙く幼いところもあり過ぎるけど、ヴォーガにはない情熱が最後は宇宙を魔の手から救ったのだ。だから良し。そう思うしかないし、そう思ってこれからの人生を歩み続けるしかないのだ。ジンは。

 いろいろと散りばめられた伏線も回収し、出て来た人たちも使い倒して構成された物語。挫折と苦闘のドラマもあれば、宇宙規模の超兵器なんて美味しい設定もあって壮大にして壮麗な物語になっている。スケール感といい主人公の青臭いけれも前向きな熱血ぶりは、高千穂遙さんの「クラッシャージョウ」シリーズを読んだ時の感触に似ているかもしれないなあ。つまりはそこまでの傑作ってことで。青春に迷い自分に不甲斐なさを感じながら突っ張って、それでも壁にぶつかって苛立っている若い人には、読んでジンへの同族意識に背を向けるか共感を覚えて共に歩むか、いずれにしても良い刺激を与えそう。改めて言う。今すぐ手に取って開き読め。

 しかしこれだけの面白さであっても「アウトロー×レイヴン」が日本SF大賞の候補になることはないんだろうなあ。あれだけの凄みがあっても辻村七子さんの「螺旋時空のラビリンス」はやっぱり日本SF大賞の候補に入らなかった。読んでいる人がいてこれは凄いとエントリーしたところで、そこで上がった作品をながめて最終的なエントリーへの投票をする人たちは日本SF作家クラブの人たちに限られていて、そしてその中でもおそらくは小説作品をメインで読んでいる人たちに絞られてしまう。そうなった時に、身近に手に取りやすかったり、普段から接しているであろう早川書房であったり東京創元社であったり徳間書店といったSFになじみのあるところが出している、SF作家として何となく見知っていたり直接知っていて作品も分かるだろう人たちの作品に流れるというのがだいたい自然だ。

 ああこの人のこの作品なら読んでいるなあ、ってことでエントリーに上がったものから選んで投票する。あるいはこの人なら分かっているから読んでみるかと改めて手に取りうんオッケーと投票する。たとえエントリーに並んでいても今まで聞いたことがない作家のまだ読んでいなかった作品を、わざわざ手に取り読んでみておおこれは凄いやっぱりこれを推すしかないと動いてくれる人がいったいどれだけいるのか。そんな時間もきっとないだろう。そもそこそこに至るまで見聞きもしなかった作品が日本SF大賞の候補に相応しなんて思えない、なんて考えて最初から手にしない人がいるのかどうかまでは分からないけれど、その時点で未だ見ぬ才能ってのは大きなハンディキャップを負っている。これが新人でも早川なら、あるいは創元なら版元への関心から触れる機会もあるだろう。そこへと至らないライトノベルなり漫画なり映像なり周辺小説を、これを機会に読んでみようと思うような導線も時間もない状況で、投票され候補に挙がるような事態が起こるはずがない。

 もちろんこうやって候補に挙がった高山羽根子さんの「うどん キツネつきの」(東京創元社)や水玉螢之丞さん「SFまで10000光年」(早川書房)や牧野修さん「月世界小説」(早川書房)や谷甲州産「コロンビア・ゼロ:新・航空宇宙軍史」(早川書房)や荒巻義雄さん「定本荒巻義雄メタSF全集」(彩流社)や森岡浩之さん「突変」(徳間書店)が候補として相応しくないということはない。どれも獲得して不思議はないさくひんだけれど、同時に他の数多のエントリー作品と比べて突出したものかどうかといったところで、異論を挟みたくなる余地もある。そうしたものと比べ吟味した上で、やっぱりこっちが良いと投票した人がいったいどれだけいるのか。他は読まずにこっちは読んでいたから、知っているからと投票されたものが上位に来やすい状況がそこにある以上は、やっぱり本当に心底からのSFのチャンピオンを決める賞になっているかを判断するのは、悩ましい気がしてならない。

 かといって、マンガ大賞のようにある程度まで絞り込んだエントリー作品を、投票する人は全部読んでから順位を決めて投票し、その上で上位作品を改めて選考委員たちが言葉を尽くして検討し、吟味した上で決定しろなんてことは言えないしなあ。そんな時間も余裕もないだろうから。漫画はまださっと読めるところがあるけれど、小説は大変だし映像作品なんてものも入ると時間はさらにとられるから。そうはいかない以上、これは今のシステムで、SFの界隈にいる人たちがその関心の埒内にあるものから一等賞を選ぶ賞なんだという認識で、見て了解するしかないんだろう。あとはその作品が僕の内的な評価で高い作品と比べてどうかってことを、僕自身が判断すればいい。そう思おう。っておとで「螺旋時空のラビリンス」を僕のSF大賞に。佳作としてオキシタケヒコさん「並の手紙が響く時」を。

 何も言えないけれども「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」は37年前にワクワクとしながら中日シネラマ劇場に行って、そして観たまだ無印だったころの「スター・ウォーズ」と同等の感動というものを僕に与えてくれた。ああこれだ。ああこれもだ。そしてこれからどうなるんだ。そんな期待に今は胸がわくわくしている。しばらく間があくけれど、それでも2年くらいなら前のペーストそれほど変わらない。「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」から「スター・ウォーズ/ジェダイの帰還」へと?がっていく中でだんだんと下がっていったテンション、そして「スター・ウォーズ/ファントム・メナス」から続く3部作がどうにも無意味でしかなかった僕の思いが今回ばかりは尻上がりに良くなって、そして感動と感涙のエンディングを迎えさせてくれると信じて、これからの展開を追っていこう。エピソード9はいったいいつだろう。2020年だろうか。生き続ける希望が湧いた。


【12月17日】 呼応したのか同時多発なのか。伝説の名選手、ミア・ハムが退いた後のアメリカの女子サッカー界を背負って大活躍を続けていたアビー・ワンバック選手が引退し合いを戦って競技の第一線から退いたそうで、その情報はたぶん前から流れていただろうからアメリカのリーグでチームメイトとして戦い、代表としては2011年のワールドカップであり2012年のロンドンオリンピックであり、そして2015年のワールドカップといった檜舞台でサッカー女子日本代表のなでしこジャパンに所属してぶつかった澤穂希選手にとっては、ひとつ目標であり壁でありライバルであり友人といった存在が、欠けてしまったことで気が抜けてしまったのかもしれないなあ。

 いやそれはあくまでも類推で、ワンバック選手がどうなろうとも頑張る気持ちがあったけれども、昨今のプレーを感じつつこれから始まるリオデジャネイロ五輪に向けた予選であり、その後のINAC神戸レオネッサに所属してのリーグ戦といった場所で、自分自身がプレーし続けるイメージがもう湧かなくなっていたのかもしれない。傍目には十分にプレーできる気もするけれど、全盛期のあの守備あの攻撃を知っているとそれが8割の状態ではやっぱり自分も満足できないし、世間だって並の選手と見て喜ぶ訳にはいかない。そんなせめぎ合いの中で、引退を決めたのかもしれないなあ。引退を発表する会見を見ていた訳じゃないけれど、心と体が一致しなくなっているとか言ったとか。そこを自分の限界と見て潔く引きあとは後輩達に委ねたと。そして迎える大阪でのリオ五輪予選。答えて後輩たちはどんな戦いを見せるのか。頑張って欲しいなあ。澤さんのためにも。いややっぱり自分たちのために。そういう気持ちで澤さんたちも戦い道を切り開いてきたのだから。前を向け。足を出せ。

 サッカーといえばイングランドのプレミアリーグに属するチェルシーを率いるモウリーニョ監督が解任されたとかで、昨シーズンは優勝を果たしてさすがはモウリーニョ監督っっところを見せたのに、そのままの力を維持できなかったのか2015年から2016年のシーズンはここまでで4勝9敗3分ともう低迷というしかない成績になっている。どんな戦力だってある程度は勝たせてしまうはずの名勝であり、そんなマジックなて使わなくても誰が監督してもそれなりに勝ててしまう戦力であるはずなのにどうしてこうなったのか。見てないから分からないけれどもやっぱりどこかで歯車がズレてしまっていたんだろうなあ。選手層なり采配なりに。だからこそのエレベーターぶり。それを思うと優勝はFAカップくらいだけれどもリーグ戦では恒にチャンピオンズリーグに出られる位置につけ、そこから決勝トーナメントまで必ず上がるヴェンゲル監督とアーセナルは、偉大過ぎるチームだよなあ。でも優勝が少ないから評価されない。勝負って厳しい。

 最近だとB級グルメだとかご当地グルメだとかってのが流行らしくて、イベントにいくとそうしたグルメを束ねてし出しするシンジケートでも機能しているのか、各地からさまざまなご当地屋台がやって来ては焼きそばうったり唐揚げ売ったり牛タン売ったりしているけれど、それはそれで美味しいから嬉しいもののイベントによってはそうじゃない、もっとそのイベントらしいものを食べたいという気分が働くもの、ってことでドワンゴが来年の1月末に開催する「闘会議2016」では前回はなかったフードコートがお目見え居ては、ゲームのイベントらしくゲームのRPGの世界に出てくるような摩訶不思議な食べ物を販売する見込み。例えば「薬草」。朝の袋に入れられたその緑の葉っぱを食べればきっと勇気百倍になるかというと、おそらくはただの生野菜なんで健康には良くてもすぐには元気は出ない。でもそこは偽薬効果って奴であの会場、あの雰囲気の中で食べれば何か、気分的にも薬草を口にしたような気分になれるんじゃないのかな。なれないかな。食べれば分かるか。

 それはポーションも同様だろうけれど、リラックスできそうなハーブを入れたり体を温めてくれるハーブを入れたりすることで、心とか体に効く飲みものってのは出来そう。ポーションほど速効はないけれど、これもまあプラシーボって奴で。食べ物では「毒の沼地カレー」なんてものが登場するらしいけれど、何が毒で何が沼地なのか。カレーなんてもよとりスパイスがびんびんと効いて毒みたいなものだし、どろりとした形状は沼地みたいなもの。それを敢えて「毒の沼地」と呼ぶからには何か中にしこまれているのかな、「庖丁人味平」のブラックカレー的な何かが。それはちょっと食べたいかも。「火土風水エレメンタルうどん」ってのも登場するみたいだけれど、毒々しい色がいったい何で、エレメンタルがいったい何かはまるで不明。食べるしかないか。「魔女風オーク煮込み」っていったい何を煮込んでいるのか。「オーデンソード」…ちび太に任せた。

 おでんと言えば「おそ松さん」の六つ子のおでんが登場するのが来年3月に東京ビッグサイトで開かれる「AnimeJapan2016」ってイベント。3回目の開催にして初のフードパークってのが設置されるみたいで、そこではご当地グルメの屋台とかを並べるんじゃなく、アニメーションとかキャラクターに関連したフードメニューを揃えて販売するみたい。六つ子のおでんもそうだし、「血界戦線」でレオとネジがよく食べていたジャック&ロケッツのハンバーガーもそう。あとは「銀の匙 SilverSpoon」とか「七つの大罪」あたりから、関連メニューが用意されてそれを食べて楽しめるみたい。ハンバーガーはちょっと食べてみたいけど、具材は何なんだろう。ヘルサレムズロットの得体の知れない生物の肉とかだったらちょっと。これも食べてのお楽しみか。おでんは争奪戦になりそうだなあ。

 権力が報道機関に対してその言動が気に入らないからといって拘束して刑事事件として裁こうとする行儀の悪さはやっぱり批難されるべきだったようで、韓国であった新聞記者にたいする裁判はとりあえず無罪の判決が出て韓国の司法も上に阿らずそれなりな判断を下せる力があったようす。一方で事実無根だという認識が書き手にあったことも公然とされてしまったから、そこに民事といった形での名誉毀損の訴えが出た場合に果たしてどういう司法判断が下るのか。そもそもそういう裁判が可能か分からないけれど、相手が誰であれ行って良いことと悪いことがあるといった認識だけは、持ち続けないと今度は別の場所でトンデモないことをやらかしかねないから注意が必要。報道機関は何を書いても罰せられないんだって免罪符にはならないのだから。というかこれが日本国内で、最高権力者を揶揄する言説がばらまかれたとしてそれも認めるべきだって権力者は言い、お追従メディアもうなずけるのか。反政府だ反日だと騒ぎ圧力をかけて訂正を求めたりしないのか。そういう二枚腰がありかねないところがこの先、ちょっと気になっている。どうなるかなあ。


【12月16日】 再販売価格維持制度が適用されていて、税制面でも特別視されていて、郵便で送る時は料金が安く、外資に買収とかされにくいように資本移動で制限かかえられている新聞社が、その上にまた軽減税率の適用を受けるのってどれだけいいとこ取りなのよ、って話が当然出ていて、それだけあるならもう必要ないんじゃないのって声も飛び交っているけれど、新聞業界が研究者にまとめさせた意見によれば、そうした数々の優遇措置がとられているということはすなわち、新聞がそれだけ世の中にとって大事なものだという現れで、だから軽減税率が適用されるのも、ロジックとして当然じゃないかといった結論になっていて、すごい言い分だなあと思ったというか、どうしたものかというか。

 あるかないかというなら軽減税率はあってくれた方が良く、それは新聞に限らず知識を広く伝える役割を担っているメディア全般に適用されてくれれば万々歳なんだけれど、そういう風にはなっていない中での突出ぶりに、ロビイ活動の成果めいたものがチラついてしまっている状況に冠して、今回ばかりは世間の呆れっぷりが凄まじく、消費税引き上げ反対とか一方で言いながら、自分ところだけいけしゃあしゃあとといったニュアンスで捉えられ、実行されれば少なくない反発を暗いそう。月々で100円とか値上げされないからと購読を維持する人より、なんだそれはと憤りから購読を取りやめる人の方が多く出そうな空気も漂っている。これじゃあ元も子もないけれど、それでも縋らざるを得ないくらいに経営が痛んでいるのか。でもその後にくるさらなる悪化を想像できない訳でもないんだろうし。それとも出来ないんだろうか。ううむ。

 存在自体は2000年ごろには気付いていたか、1990年代にすでに認知していたか定かではないけれど、決定的に意識したのは2002年のFIFAワールドカップ日韓大会を受けたサッカー熱の渦中、女子サッカーというものへも興味の範囲を広げていく状況下で、日本にはいないけれども海外で活躍している女子選手がいると知ったあたりから。日テレ・ベレーザを中心に試合を見に行くようになった中で、まだ見ぬその凄い選手が日本へと戻り、代表に名を連ねて悲願とも言える2004年のアテネ五輪のサッカー競技出場に向けた戦いを始める中で、強くその名前を感じるようになった。

 澤穂希。圧倒的なテクニックを誇り運動量でもって試合を駆動させるそのプレーが、まずは2003年の女子ワールドカップ予選の中で輝きを見せ、日本の女子サッカーに澤選手がいるんだということを、世の中にもだんだんと知らしめていった。そして2004年。ここで出場を逃せば、日本の女子サッカーが潰れてしまうんじゃないかといった危機感すら漂う中で、澤選手はセントラル方式となったアテネ五輪予選の中で輝きを放ち、そして2004年4月24日の準決勝、北朝鮮戦で日本が勝利すればアテネ五輪出場が決まるという試合を見事に勝利して、レジェンドへの道を踏み出した。聞けばそうとうな怪我で動く事なんて不可能に近かったのに、しっかりと出場をして見方を鼓舞し、相手を脅かし手勝利への道を拓いた。

 ここで一気に爆発した女子サッカーブームは、「なでしこジャパン」という愛称とも相まって日本中に知れ渡り、中心選手としての澤選手への関心も大きく高まった。それこそ国民的な存在と言えるくらいに。閑散としていた女子サッカーのリーグ戦には1000人を超える人が集まるようになり、今のなでしこリーグの盛況へと至る道を作った。怪我を癒やして臨んだアテネ五輪でも、しっかりと存在感を見せつけ、そして2008年の北京五輪や2011年のワールドカップ、2012年のロンドン五輪といった主要な大会にしっかりと名を連ねて中心的な役割を果たし、世界最高峰の選手としての称号も受けて日本の女子サッカーの地位を大きく高めた。

 レスリングの吉田沙保里選手が五輪3連覇という偉業を成し遂げ、柔道の谷亮子選手も連覇を成し遂げているから、女子アスリートの中で1度の銀メダルを圧倒的な実績とは言えないけれど、チームスポーツで力も性格も違う仲間を引っ張り、好成績を収めさせ続けたという意味合いでは、他にはない偉業と言って良いだろう。日本の女性アスリートの中でも屈指の存在として、永遠に語り継がれていくことだろう。ただそのためには、女子サッカーが斜陽となってはいけない。かつて東洋の魔女と恐れられたバレーボールが、いったんの低迷をかこっていた時に、魔女たちの名前はだんだんと記憶から薄れていった。知られているのは白井貴子さんくらい? そうなってしまう。

 そうならないためになでしこジャパンは、世界の檜舞台でこれからもそれなりの輝きを放ち続けなくてはならない。もっともそのためには選手たちが後をちゃんと引き継ぐのが必須だけれど、その偉大すぎる名前、及び確かすぎる実績を次ぐ選手がいるのか? といったところで澤選手と中盤を構成してなでしこジャパンを引っ張った加藤與恵選手はすでに退き、フォワードとして活躍した大谷未央選手も荒川理恵子選手も一線を退いたか、あるいは退きつつある。ひとり大儀見優季の突出があるくらい。もっともっと迫力と、そして根性を持った選手が出てこないとかつての偉業もかすんで生きかねない状況で、引退を決めた澤選手の後を私こそがと発憤し、継ごうとする選手に出て来て欲しい。そこに強く期待する。とりあえず長い間お疲れ様でした。

 「ファイナルファンタジー」の世界を生み出した坂口博信さんはもうスクウェアにはいないし、「バイオハザード」を送り出した三上真司さんもカプコンには残ってないし、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の中裕司さんもセガから離れ「バーチャファイター」の鈴木裕さんもやっぱりセガには残っていない。1990年代にゲーム界を引っ張り日本のゲームを世界へと広めた立役者たちのことごとくがそのタイトルから遠ざかっている中で、残り同じタイトルを手掛け続けている「ドラゴンクエスト」の堀井雄二さんと「スーパーマリオブラザーズ」の宮本茂さん、そして「信長の野望」のシブサワコウさんの持続力ってのを改めて凄いなあと思ったりしたのは、そうした居残り組のひとりだった「メタルギアソリッド」の小島秀夫三監督が、遂にコナミを離れてしまったから。

 すでに春先からいろいろと言われてはいたけれど、それでもちゃんと最新作は出て世界中でしっかりとしたセールスを上げているのを見るにつけ、まだまだコナミは小島監督を必要としているのかなあ、なんて思ってもいただけにここに来ての大きな動きはやっぱりちょっとした衝撃をもたらす。もはやコナミというゲーム会社に「メタルギアソリッド」はいらないのか、っていうとそうでもなくて、「メタルギアオンライン」とか出しているし新作だって出てくる見通し。そこにだったら思想の中心となる小島監督は必要ないのか、ってところが問題で、坂口さんがいなくても「FF」は作られ三上さんはいないけど「バイオハザード」はちゃんと出ている状況を鑑みるに、ゲーム性というものはある程度、維持され得るってことかもしれない。

 ただ「ファイナルファンタジー」にあった坂口さんの思想といったものが残っているかというと、それは難しいところ。そして「メタルギア」の場合は世界情勢と言ったものに対する認識において、小島監督が創造した設定が大きく行かされていたし、そうした中で人がどう生き抜いていくかというドラマにおいても、小島監督の物語は結構な濃度を保っていた。それが切れるか、あるいは本人ではないところから作り出される。それは「メタルギアソリッド」になり得るのか。それを「メタルギアソリッド」として認め得るのか、といったところが今後の注目点になっていくんだろう。あるいはもはやコナミという会社が「メタルギアソリッド」を、あるいはコンソールゲームというものを、さらにはゲームそのものを必要としない会社になっている可能性もある。そこの見極めも今度は必要になってくるだろう。どこへ行くコナミ。そして何を作る小島監督。新し時代が始まった。


【12月15日】 今度は花か。東京駅のあの壁面を緻密に計って何をどう映したらどう見えるかを計算した上で行って、圧倒的なリアリティをそこに感じさせたプロジェクションマッピングを仕掛けたネイキッド。新江ノ島水族館では泳ぐ魚たちの前にスクリーンを置いて、現在の相模湾を再現した水槽の前に古今の相模湾の映像を重ねては、時間や空間といったものを拡張してみせた。リアルなオブジェクトなり空間を、デジタルの力、映像の力でもって拡張して高めていくというネイキッドの技が、今度注ぎ込まれるのは花。その名も「フラワーズ・バイ・ネイキッド」って展覧会が来年の1月から2月にかけて、東京は日本橋の日本橋三井ホールで開かれるそうで、そこに展示される作品の試験展示があったんで見てきたら、これがまた今までにない変わったものだった。

 見かけは高さ6メートルほどの円柱というか、鼓のように上下にストリングスが貼られたものに囲まれた空間。その中に立ってアクションをすると、周囲からプロジェクターによってたんぽぽの綿毛の映像が当てられ、それがぶわっと浮き上がり漂い拡散していく。とても綺麗。試験展示では一色しかなくサウンドも単一だったけれど、実際の展示では複数のセンサーが置かれそれに対する複数の反応が容易されているとのこと。色も音も違った反応が、あちらこちらで広がって重ね合わさっていく。そうやって登場したビジョンは一期一会のもの。それを生み出しているのが自分ということが、居て楽しく試して嬉しい展覧会にしていそう。

 興味深いのはそのストリングスの素材で、白くて半透明で光を透かす。相模湾大水槽で使ったスクリーンのような1枚のシートではなく、ストリングスで隙間もたっぷりの壁面が作られていることとも合わさって、投影された映像が中からも外からも見えるようになっている。見られる場所を限らせず、狭めないで広がりを作るという工夫。水槽とスクリーンを分けざるを得なかった新江ノ島水族館の相模湾大水槽の展示から、ちょっと進んだ感じとでも言えそう。後にスクリーンを置かず水槽とその中を泳ぐ魚に直接映像を当てたデジタル工房もあったけれど、あれって魚にどんあ影響があったんだろう。それは今にいたる興味だけれど、ネイキッドの相模湾大水槽での展示も、スクリーンがもっと透明に近かったら、見えるビジョンはもうちょっと違ったものになったんだろうなあ。

 しかしデジタルでもって何でも描けるのが今の時代。VRと呼ばれる仮想現実の世界に人を没入させることで、現実から大きくかけ離れた体験ってやつを与えることが出来るけれど、ネイキッドは東京駅にしても新江ノ島水族館にしても、現実の上に仮想を重ねて現実を拡張させる方向を目指している。あるいは仮想に現実でもって肉感を与えるというか。そうした融合、デジタルとアナログの垣根をとっぱらって生まれる今までにないビジョンってものを、探求したのが今回の展示だってことになるのかも。ちなみに「フラワーズ・バイ・ネイキッド」、作品のアイデアはまだまだあって、この展覧会が成功したら次に花のテーマパークのようなものを作りたいって代表の村松亮太郎さんは話してた。花といえば違うデジタル工房が、人間の動きに花園が反応して上下する作品を作っていたけど、それとはまた違ったアプローチで見せる花と映像の融合、現実と仮想の渾然が人の視覚に何を見せ、人の思考にどんな刺激を与えてくれるか。それを確かめるためにも、行くしかないかな、展覧会の本番に。

 そして明らかになったイラストでは、ルフィとゾロがジェダイローブをまとっているけど誰に扮しているかは不明。ルフィという固有の存在がルークでもアナキンでも誰でも「スター・ウォーズ」世界の誰かに扮してしまって、キャラクターのコンフリクトが起こってしまうことをどちらも嫌がり、あくまでもジェダイの格好をしているだけのルフィであり、相棒としてのゾロってことにしたのかも。「ONEPIECE」のファンにも「スター・ウォーズ」のファンにもキャラクターが誰かになるのはやっぱり不評だろうし。そこを気に出来るのならそもそもこうしたコラボレーションをやらなきゃ良いのに、ってのは言いっこなしだよおとっつぁん。

 というか、マリンフォード決戦があった2010年頃なら人気も最高潮だった「ONEPIECE」だったら、新作映画の公開によって再び注目を集め始めている「スター・ウォーズ」とコラボレーションしても、ほぼ同格と誰もが認めてエールを贈り合うようなイメージを感じ取れただろうけれど、今って修行の2年を経て魚人島を経て新世界編へと入って以降、人気もどこかぎこちなく、展開もまるで核が見えなくなってしまって前ほどの国民的な人気ってのが衰えている印象。展開時代にわくわくしないというか。ジョーカーことドフラミンゴとの決戦だって倒してだからどうなの? って思ったものなあ、クロコダイルやゲッコーモリアを倒した時のようなカタルシスがないっていうか。それはつまり展開が今ひとつなのか、それとも実力が落ちてきているのか。

 だからこうやってコラボって言うと“何様”といった批難が起こる。もしもこれが「妖怪ウォッチ」だったら、ああ縋っているなあ媚びているなあと思いつつ笑って楽しめたかも。それが潮目ってものなんだろうなあ、コンテンツ人気の。でも大人たちは「ONEPIECE」を持ち出しては世界の「スター・ウォーズ」とまだまだ同格だと思いたがっている。それしか見えないのか、それしか見ようとしないのか。そういう大人たちが仕切っているうちは日本のコンテンツが世界に打って出るとか無理かもしれないなあ。自分たちの勘違いから来るベストを持って行ったって、世間はそれは何? って思うというか。まあ仕方が無い、それでも「ONEPIECE」の人気がそれなりにある今、それで育った世代に「スター・ウォーズ」への関心が育まれることを喜ぼう。ナミが奴隷のレイアでニコ・ロビンが逃げ出した時のレイアってのは逆が良かったかなあ。

 いやしかしこれが「キャラクターバトルクラブ」から「貝社員」でもって「スター・ウォーズ」応援映像とか作られた日にはウザさも炸裂しただろうから「ONEPIECE」で良かったのかも。いるいるいるよね貝社員、イライラするよね貝社員とかって前振りからアサリのルークが帝国打倒の戦いとかあっさり投げ出しタトゥーインに帰ってしまい、トリガイのレイアは若い兵士を次から次へと食いまくって女王様気取り、そしてホラ貝のハン・ソロは俺昔素手でデス・スターぶっ壊したんだぜとホラを吹きまくり、それにハイ貝のチューバッカが「ハイハイ」とだけ頷いてもり立てる。カモ貝のC−3POは「ここを真っ直ぐいけば出口、かもしれないっすねえ」と適当なことばかり言い、ミル貝のR2−D2は無言でネットにアクセスして自分に関するSNSの投稿を検索中と役立たず。そこに現れたカキのダース・ベイダーはトルーパーの当たりまくりで人望ゼロ。そんな姿を描いた予告編でも流れた日には……ちょっと見たいかな、まあ無理だけど。でもそれくらいやって欲しかったよなあ。

 どっちに決まっても日本に今までにちょっとないタイプのスタジアムになりそうでそれは楽しみな新しい国立競技場。誰って明らかにされていないけれども伊東豊雄さんと隈研吾さんという日本を代表する建築家が手掛けているようで、決定して作られればどちらにとっても人生をかけた代表作のひとつってことになるのかな。どちらがどうかは判然としないけれど、神宮の森をしっかりと保ちつつ森の中にふっと浮かび上がるような雰囲気でもってスタジアムを置き、そこに迷い込んだような感覚でスタジアムに自分の身を寄せていきそう。どちらも木なんかもいっぱい使われていて日本人好みな上に見てくれも有機的で温かみがあって居心地良さそう。違いは全体を木で包むか、柱を気にして全体を支えるかといたところ。いずれにしてもコンクリートに囲まれている感じはない。どうしてこういうスタジアムが過去に作られなかったか、っていうとやっぱり値段か。共に1400億円超だものなあ。そう簡単には作れない。だからこそどちらかをしっかり作りきって見せて欲しい、日本の建築美って奴を。

 やっと見た「攻殻機動隊」スピンオフ企画の「紅殻のパンドラ」は、1990年代OVAテイストっていうかお気楽で適当な雰囲気の中で、アクションも楽しく美少女も可愛いビジュアルを店ながら物語が進んでいくといった感じが見ていて懐かしいけれど、劇場で公開するにはちょっと深みが足りなかったっていうか。まあ1月かららしいテレビシリーズの前打ちみたいなものだから、一種顔見せ興行的にキャラを見せ、設定を分からせる意味でも公開したかったのかも。ウザルさんというかサヘルのどうにも怪しそうな風体にまるで気付かない七転福音もお天気だけれど、それを騙している良心に呵責がまるでなさそうなクラリオンがちょっとイケズ。っていうかアンドロイドだからそういう心ってのはまるでないのか。全身義体の福音とはそこが決定的に違うところ。そんな2人が出会って暮らすようになって起こる騒動、ってのを描くのかな。まあ放送が始まったら見ていこう。しかし森田順平さん。「3年B組金八先生」のカンカンが今や声優界の名バイプレーヤー。不思議な生き物を楽しく演じてた。こっちの方が水に合っていたんだろう。歳関係なく活躍できるし。


【12月14日】 お姫様とキスしたくらいで不純異性交遊だと文句を言われて収監され、隔離されるとはまた凄い世界だ「落第騎士の英雄譚」。それが黒鉄一輝だからって理由もあるんだろうけれど、それほどまでに魔法にかけては無能でも、剣士としてはそれなりな腕前を持った彼を隔離しなきゃいけない理由って何なんだ。隠されている訳でもなくって学校に通いそれなりな成績も収めて目立ち始めている彼を、今さら排除したって世間は見て見なかったふりをする訳でもなし。そこまでの政財界的黒幕っていうなら妹の方をもうちょっと強く鍛えて世に送りだすくらいのことはしただろうに。あっさりと東堂刀華に負けていたものなあ。それでお咎め無しなんだから不思議というか、親ばかというか。でもこれで一輝が刀華に勝てば誰も文句は言わなくなった。まあ勝つだろうけど問題は、そんな勝負の際に刀華がどれだけパンツを見せてくれるかってことかなあ。珠雫戦ではほとんど見せてくれなかったものなあ。乞うご期待。嫌なアニメーションの見方だなあ。

 そして「ワンパンマン」はインベーダーの船に潜入というか堂々と乗り込んでいったサイタマが、どうやら手下では最強の3人のうちの1人をそれと気付かず撃破し、さらにもう1人も相手がどれだけ威嚇しようともまるで気付かずあっさり石つぶてでもって粉砕してしまったというからいったいどれだけ強いんだ。残って地上で戦ってている1人だって他のヒーローが3人がかりで苦戦しているようだけれど、サイタマだったらパンチ1発で中の玉ごと砕いてしまったかもしれないなあ。とはいえサイタマでは一斉掃射の敵母船からの攻撃をすべて跳ね返すことは出来なかっただろうから、あそこに戦慄のタツマキが残っていたのは僥倖かも。降ってくる砲弾をすべて捕まえひっくり返して母艦へと返却。並の念動力ではないよなあ。それとも別の法則でも利用しているのか。サイタマとガチで戦ったらどっちが強いんだろう……サイタマか、やっぱり。

 日本では初公開は1978年だけれど全米での封切りは1977年で、それから20年経って始まった漫画が「ONEPIECE」ってことは立場的には子供も子供。這いつくばって仰ぎ見ながら畏れ多いと思いながらも今なお最先端を突っ走ってる「スター・ウォーズ」を敬い尊ぶならまだしも、エールだなんて同輩か後輩みたいな物言いをするなんていったい何様だ、って議論を呼び起こしそうなこの一件。「12月18日から『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』上映劇場にて、ルフィが『スター・ウォーズ』へエールを贈るスペシャル映像の上映が決定しました!」って言うけどどうせ傍若無人な態度でおっすおら悟空、じゃなかった俺ルフィ、海賊王に俺はなるけどあんたらも宇宙王を目指すんだって? 頑張れよといった上から目線のものになるんだろう。聞いて長年「スター・ウォーズ」を追いかけてきたファンの怒りを買いそう。ただでさえ新章に入って意味が分からなくなっていることもあって、ここからいよいよ凋落が始まっていくのかもなあ。いい加減話進めろよ。「BLEACH」ともども。

 本当に「平清盛」と並んだのか、お上に配慮してそういう風にしておいてもらったのかは分からないけれどもNHK大河ドラマの「花燃ゆ」が平均視聴率12・0%で史上最低タイを記録したとか。今の誰もテレビを見なくなっている時代に12・0%なら立派りっぱと言い訳されそうだけれど、NHK連続テレビ小説が20%をはるかに超える高視聴率をだいたいキープしている状況と比べると、やっぱり今回の大河には問題が山積だったってことなんだろう。というかそもそもヒロインって何者なんだ? 吉田松陰の妹で群馬県例の奥さんといったことくらいしかフックがない人を無理矢理持ち出したものの、人物が人物なんで幕末やら明治維新に無理矢理絡ませる訳にもいかず、そうこうしているうちに尊皇攘夷で志士たちが死に戊辰戦争が起こって明治維新も過ぎていくのを、遠く萩だかの大奥で、見聞きしたといった超展開にするしかなかった。

 他の大河ドラマが半年1年かけて描くところをドラマにすらしないその態度で、いったい誰が見ようって気になるだろう。そして最後は余生を過ごした山口県の防府へとヒロインたちを向かわせることなく、群馬県で終わらせてしまっていったいどこの国が舞台になった大河ドラマなんだと見ていた人を戸惑わせる。防府では終焉の地を当て込んで記念館まで作ったらしいけど、結局そこは描かれないまま。知らない人は群馬県の人の記念館がどうして山口県にあるのって思うかも知れない。たかがテレビドラマをあてこんで予算を使う市も市だけれど、その可能性を最初に仄めかしていたNHKも悪いよなあ。っていうか山口へと戻らなくてNHK的に良かったの? 山口を地盤にしている偉い人のために作ったんじゃないの? そんな人に媚びながらも肝心なところを作らず山口県民の怒りを買ったNHK。その怒りはやがてNHKを支配する総理へも向かって足下が揺らぐ、なんてことになったらちょっとユニークだけれど、果たして。

 知らぬは娘ばかりなり。読んで少し残酷に思ったけれど、それでも貫き通す平和と正義を愛する心があればたとえ苦しい状況でも、生き抜いていけるんだろうと思わせてくれた寺田海月さんん「黄昏街の殺さない暗殺者」(電撃文庫)。2人組の殺し屋として活動していたものの相棒が殺され今は1人となったレヴン。仕事にしくじり倒れていたところを黄昏街にクッキー店を開いて庶民にお菓子の味を広めようとしている貴族令嬢に助けられ、そして彼女を護衛するという仕事を請け負うことになる。条件は殺さないこと。お嬢様が小麦の取引相手にしていた農夫が殺される事件もあって物騒なだけに身にも危険が及んでいそうだけれど、そうした時でも相手を殺して退けることはお嬢様の主義が許さなかった。殺すのは得意なレヴンは苦労するけれど、それでもどうにかお嬢様を守って一緒に学校に行き、お嬢様のように成り上がりではない貴族の令息からちょっかいを出されても暴れないで過ごしていたけれど、そこにいろいろな厄介ごとが持ち上がる。

 麻薬の横行。それを使うと体が変容してとてつもないパワーを発揮するようになるけれど、多くがそのまま廃人となってしまうような薬をめぐって街に不穏さが漂っていた。なおかつその薬をめぐる一件はレヴンの相棒だった男が殺された一件にも関わっている様子。自分がもしかしたら殺されていたかもしれないという贖罪の意識もあって相棒の敵討ちにのめり込んでいくレヴンの前に浮かんで来たのは、お嬢様とも関わりがとてつもなく深い場所と、深い人物たちによる裏切りとも言える振る舞いだった。フワフワとして誰も不幸にならないまま進んでいくのが普通のライトノベルにあって、お嬢様が信頼しているメイドや彼女に付き従っている騎士や彼女を認めてクッキー店を任せた父親といった存在に、影があり裏があるような展開はちょっと以外。それを知って普通は愕然とするか呆然とするのがお嬢様らしさなんだけれど、そうした人たちの行く末を案じつつも自分は信念を曲げない強さが、敵討ちに血眼になっていたレヴンを落ち着かせ、事態を収拾へと向かわせる。驚きの展開と一安心の結末の、その先にまだドラマはあるのだろうか。読んでみたいお嬢様の成功譚。父はなくとも娘は育つのだから。


【12月13日】 目覚めたら小雨模様だったけれどもとりあえず、止んでいたみたいだったんで徒歩で家から南船橋にある「ららぽーとTOKYO−BAY」の中にあるTOHOシネマズららぽーと船橋まで行って、「ガールズ&パンツァー 劇場版」を観る。たぶん3回目。TCXのとてつもなく巨大なスクリーンを前から3列目で見ると、戦車が路面を走るのを真下から捉えたようなシーンとか、本当に自分の上を戦車が走っていくような感じがあり、ほかも戦車が真横と走って行くような迫力を味わえてなかなかなもの。プレゼントのフィルムは既に昨日で品切れになっていたみたいだけれど、他の劇場に行くよりもやっぱり映画館ならではの大スクリーンと大音響で観られる方が嬉しいし楽しい。もう1回くらい同じ環境で観たいけれど、いつまでやっているんだろう。

 しかし改めて観ると継続高校のミカって鬱陶しいというかご託が多いというか、文句ばかりというか皮肉がたっぷりというか、混ぜ返すばかりだけれどもやる時にはちゃんとやって巨大な砲塔を守っていたチームをほとんど撃破してしまう。退場としては早い方だったけれどしっかり活躍。印象も残せた。あとはだから次の作品で何かしくれたら嬉しいんだけれど、次はないしなあ、でもって出て来ても半分以上は混ぜ返すばかりだろうしなあ。そして知波単学園の西隊長はあれでしっかり胸に谷間があるんだというか、シャツからのぞくその谷間。前屈みになって欲しかった。戦車戦の機微はようやく分かって来たけれど、最後のシーンで島田亜理寿が一瞬、歩く熊を見て撃つのを躊躇ったからこその勝利だとフックを入れることで、大学選抜が決して弱いんじゃないと分からせているのは良いかも。あそこで西住みみほを沈めても残ったまほに撃たれたかどうか、ってのはちょっと分からない。でも何とか凌いでまほも撃破したかもなあ、亜理寿なら。

 ヒロインが逝きライバルが逝くっていったい、どんな展開なんだとそのライトノベルっぽくなさに驚いたけれども逢巳花堂さん「一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア」(電撃文庫)、元ネタに「水滸伝」を置いているならそうした人物の入れ替わりが頻繁にあっても不思議はないのかもしれないなあ。って実はそれほど「水滸伝」、くわしくないんだけれど。横山光輝さんの漫画版「水滸伝」も実は読んでない。まあ108人の英雄英傑が梁山泊に集って、何かドでかいことをしでかす話、ってくらいは知っているけど、この「一〇八星伝」で英雄英傑の代わりに出てくるのは空から落ちてきた星を体内に宿して異能の力を発動させた108人の乙女たち。それは力を暴走させることもあってそれによって5万人が暮らす都市が1つ、吹き飛んだこともあって宋帝国は、というよりそこに巣くうあらゆる存在の天命を予言できる天命の巫女は、108人の仙姑と呼ばれる戦姫たちをすべて殺せを皇帝を通じて天下に命じる。

 そうして組織された部隊にいて、ひとつの隊を任されている燕青っていう少年が主人公。影を操る刀を振るって戦っているんだけれどそんな彼を付け狙う仮面の人々がいた。いったいどうして自分が付け狙われるのか。身に覚えはなかったけれどもそれは燕青の過去に理由があったかもしれなかった。というのも燕青はしばらく前、108番目の星が落ちてきたという場所に居あわせて事故に遭ったか何かして、倒れ記憶を失っていた。もちろん身元は判然としていてずっとその国で軍人として働いていたことは分かっていたけど、元の職場に戻るということはなくそのまま戦姫たちを狩る舞台に配属となった。自分を解法してくれた少女の姉も同じ舞台にいて、共に仙姑を相手にしようとしていたけれどもそこに立ちふさがる仮面の存在。正体はもしかしたら最初に都市を破壊した戦姫か? そんな想像の元に動いた燕青たちの前に立ちふさがったのは意外な者たちだった。

 燕青の過去。やっていた仕事のその非道さ。近くにいた当時の仲間たち。知らず起こった悲劇的な戦いの結末。そして……。めまぐるしい展開の中にヒロインが逝きライバルたちも逝ってしまたけれども物語はまだ序盤、108人いるという仙姑たちが集まり天下に向かって、というより国を支配し自分の思うがままにしている予言の巫女を倒すために反旗をひるがえすってことになるんだろう。記憶を失っていた燕青が、過去に仲間だった者たちを屠り、過去にその親を殺した娘の側にいたりする矛楯に当人の心理がまるで揺れ動かないのが気になるし、後悔しないのか、葛藤はないのかと訝りたくもなるけれど、今は今だと割り切る強さが持ち味ってことで。その身に他に秘密はあるのか。108番目の仙姑とは。そんなあたりの謎を知りに続きを追っていこう。

 今度の松山剛さんは執事&お嬢様。ただし執事のベルンハルトは元戦闘ロボットであらゆる電子器機を操る異能の力を振るって恐れられた存在で、そしてお嬢様は戦争をやめさせようと最前線に立って運動しカリスマと崇められる存在。そんな2人を中心に進む「機動執事 −とある軍事ロボットの再就職(セカンドライフ)−」(電撃文庫)は初心(ウブ)なだけあってカッコいい執事に恋心を抱くお嬢様だけれど、そんなお嬢様のポッとなったりそわそわする仕草心情を、一種の病気か何かとしか判断しない朴念仁。お嬢様の友人の家に執事としてやって来たロボットで、かつてベルンハルトとも戦場を共にした顔見知りだったこともあって彼に言う。「馬に蹴られろ」と。そこでベルンハルトが本当に馬に蹴られに行ったかまでは不明だけれど、そんな2人を狙う勢力が現れ、お嬢様に危機が迫った時にベルンハルトが本当の力を発揮して立ち上がる。2人の結ばれそうもない恋路の行方、戦争をどうにかしたいという思いの成就など気になる続きは出るかどうか。待とう期して。

 そしてサッカーのクラブワールドカップ2015でサンフレッチェ広島がアフリカのマゼンベを藪手ベスト4へと駒を進めて南米代表のリバープレートと戦うことになったみたい。アフリカ王者のそれも黒人選手で固めたフィジカルもスピードもあるチームを相手によくもまあ走りきって3点も奪って勝利できたもの。J1のチャンピオンシップの激闘からまだ間もないうちの2試合を、ターンオーバーとか使いながら乗り切っては来たけれど、次は休養も十分の南米王者。ここを突破して決勝に駒を進めようやく、かつての浦和レッズやガンバ大阪が通ってきた道の前へと出られる。がんばって欲しいなあ。しかし同じような走って勝つチームだったジェフユナイテッド市原・千葉がJ2から這い上がれないのにサンフレッチェは落ちてもすぐに挙がって優勝し、そしてこうして世界の檜舞台に立っている。どこで間違えたんだろうジェフ。オシムが引き抜かれたことは仕方が無いとしてアマルのその後にきっと間違いがあったんだろうなあ。などと過去を数えても意味はない。来年こそはまず昇格。そして残留して上へ。願おう。星に。


【12月12日】 総理大臣秘書の服が透けて見えたくらいであとは淡島世理ちゃんもとくに見せてはくれてなかったんで「K RETURN OF KING」は見たらとっておかずにすぐ消したけれどもストーリー的にはドレスデン石版から能力が放出されて世界が覚醒。いろいろと不思議な力を使えるようになったんだけれどそれで世界が一気に壊滅することもなく、普通に日常が保たれているのは単純にうまく使いこなすには時間がかかるからなのか、それとも王と呼ばれる人たちだけが強い力を発揮できるだけなのか。分からないけどそのあたりも含めてラストバトルでいろいろ明らかになるんだろう。伏見はあれでやっぱりツンデレさん。しっかりと青のクランのことを考えていたようで。でも相手は五條スクナ。jランカー。勝てるかなあ。ってかスクナって本当に男の子? そこが気になる。そこだけが。

 なぜそこでポールダンスを? と言ったところでサービスだからとしか言い様がない「ヘヴィーオブジェクト」のフローレイティアさん。というか貴族のお嬢様にして政略的な価値も高くて誰からも結婚を求められるくらいの箱入りが、戦場の最前線に立って指揮を執るわ、年末のパーティーの余興としてポールダンスを覚えるわともう底が抜けてしまったようで家族は果たしてどう思っているのか。心配になるけどそれでクウェンサーとヘイヴィアの仕事の効率が上がるんだから良いってことで。お姫様の能率は下がらないのかちょっと心配。あとそうしたパーティーではフローレイティアさん、どんな格好でポールダンスをしているんだろう。素足でやるのが正しいと言っていたからにはやっぱり露出はばっちりか。バニーみたいな格好なのか。いつか見たい。櫻子さんと並んでのポールダンスパーティーを。

 すぐに書く用事は無いけれどもいずれ何かの足しになるかもと思って秋葉原UDXシアターで開かれた「龍が如く 極」の完成披露とそして「龍が如く6」の制作を伝える会見へ。柔道家の篠原信一さんが見られるって興味もあったけれども現れた篠原さんはなるほど大きなボディに当意即妙の受け答えで、自分を癒やし系とか言ってイヤミにならないその爽やかさを感じさせ、なるほどこれなら今まさに旬の人気者になれるなあと思わせる。でもゲームの中でちょっとがんばったというか固かったというか。戦えば強いんだろうけれども本人が操作している訳じゃないからなあ。そのあたり、やってみないと分からないか。やってみるかなあ、「極」。

 っていうかこれ、最初の「龍が如く」のリメイクなんだなあ。思い返せば2005年の8月23日に、今はもうない新宿コマ劇場の上かどこかにあったキャバレーで開かれた発表会見を見て、そのゲームが持つ不思議な魅力に興味を抱いたのって。「シェンムー」の自由度を歌舞伎町って空間に当てはめただけ、って発表された瞬間は思ったし、歌舞伎町を舞台にしたヤクザの抗争という大人に向けたストーリーと、そしていろいろな見せで遊んだり買ったりできる遊び心がぶつかりあって、楽しめるものになるのかって気がしたなっけ。でも結果はごらんの通り。10年が続いてそしてさらに10年続くだろうタイトルになって行った。

 やっぱり濃密なヤクザの抗争、そして人情の物語だけでは人は気疲れしてしまうし、バトルだけでもいつかどこかに飽きが出てしまう。途中に息抜きとして楽しめるミニゲームとかをふんだんに入れ、遊んだり寄り道もしつつ本筋へと戻っていけるようなゆとりを持たせたことがこのゲームを単に物語を消化させるだけじゃない、やって楽しく浸って深いものにしたんじゃなかろうか。グラフィックについては当時も決して最先端とはいえなかったし、今もその表情の作り込みは凄くても動きとかが人間そっくりという訳ではない。でもそれなら人間が演じる映画の方を見る。それなりに似ていながらもゲームのキャラクターとして自分たちの意識の下にあって、操作すれば動いてくれるという感じがあって、そこに自分を添えていけるのかもしれない。どうなんだろう。それはだから最新作の「龍が如く6」をプレーしてみるしかないのかな。進化したグラフィックや豊富な遊びがどれだけゲームに自分を引き入れてくれるかを確かめに。

 総理がその財布でどれだけ自分を褒め称えている内容の本を買おうとうん、たぶん自由なんだろうし自在でもあるんだけれどそうやって、本を買って貰っただろう人が総理に対する異論を封じ込めようとして先頭に立って旗を振るのを、よしよしと眺めているというのはやっぱり何か構図として不安定で不均衡。はっきり言うなら気持ち悪い。というかモノカキとして褒めて買ってもらったからまた褒めるというそのスタンスに、居心地が悪くならないのかと思わないでもないけれど、そうやって共生しながら生きていくのも生物としての本能めいたものなんだろうから仕方がばい。無頼じゃお腹も空くだろうし。問題はだからそういう構図があるんだよ、ってことをちゃんと世間も認識しながら状況を適切に判断すること。いっしょに活動している人たちも、隣のあいつはタラフク食ってるって分かってもない、その意気や良しと応援し続けられるか考えた方が良いと思うよ。俺もタラフク食いたいから褒め称える、ってなるんだろうけれど。うーん。

 通州事件とか、出しちゃいけない話だろうと思うけれども彼らは相手を悪く言うためなら、自分たちが悪かったことなんて知らないふりをするか、本当に知らずに表面だけ見てこんなに殺害されたんだから相手が悪いとだけ言い募り、それを世界の記憶遺産にしようとか言い出したみたい。でも通州事件って、その中身を突き詰めていくとそうとうにヤバい話がゴロゴロしていて、そもそもどうして満州でもない中国の奥も奥、北京のすぐそばにあった都市に日本軍とか日本人がいて、そして冀東防共自治政府なんてものが運営されていたのはどうしてなの、って調べてみれば浮かぶ日本が行っていた諸々の所業。それがすべてか別の恨みがあったかは定かではないけれど、決して単純なものではないことくらいは分かるあろう。

 それを掘ればなるほど起こされてもやむを得ないといった判断も出てくる一件を、まるで当方に非は無しと今さらながらに持ち出したって、簡単に却下されるのがオチなんだけれど、言い出す彼らはそれも招致、ただたくさんの日本人が殺されたという表層の事実のみが知れ渡り、印象づけられれば良いと思っているんだろう。実際に調べもせずに酷い非道だといった声ばかりが拡散していく。募る反感。それは向こうの反感をも生んで泥の投げ合いが始まりそして……。考えるほどに嫌になる。というより赦しとかいった日本人が美徳としていた意識はいったいどこに行った。謙譲の心はどこに捨てた。それこそ大和魂の根幹でもあるものをかなぐり捨てて、相手をのみ非難する人たちが愛国だとか叫ぶこの滑稽極まりない構図を、当然と感じて喝采を贈る人たちの増殖していく状況がとにかく気持ち悪い。爆破されたからといって汚物を投げ込むとかもうみっともないというか。それで勝った気になれるという心性が分からない。どこへ行ったんだろうなあ大和魂。耐えて忍んでひっそりと咲く花への慈しみ。


【12月11日】 1976年の放送ってことは「サントリーゴールド900」のテレビCMで野坂昭如さんが唄っていた時に僕はまだ小学生で、それで野坂昭如さんという誰かがいることとそしてソクラテスやらプラトンやらニーチェやらサルトルといった哲学者たちが存在することを知ったような記憶がある。もちろんそれ以前になにかで感じていたかもしれないけれど、やっぱりテレビというマスメディアで話題となるCMというものがもつ伝播力は半端ない。その影響力ってものを知らず感じないまま浴びたことによって僕達の世代が得た知識なり感覚ってのは、結構大きいものがあったんじゃないのかなあ。今はもうテレビを見ないしCMは飛ばすし話題になるCMから知見というものが得られる感じもない。

 そして狭いネットの中で自分のためだけの、ってことは広がりがなく誤配もない知識や情報だけを浴びてどんどんと知見を狭くしていく。なるほど視野が狭くて騙されても気付かず突っ走って自爆する人間が大勢でる訳だ。そういう狭い知性をそのバイタリティで改めて粉砕して欲しかったけれども野坂昭如さん、死去。テレビCMからほどなくして作家としての存在も知り新潮文庫の100冊に多分入っていただろう「アメリカひじき・火垂るの墓」とか読んでその作品に触れたっけ。でもどこか辛気くさい「火垂るの墓」よりは米軍が配って歩いた得体の知れない食べ物か何かが出て来た「アメリカひじき」の方が面白そうだったなあ。ああいうひょろっとした情景から浮かぶ戦後の風景、そして日本人の心情って奴を、描ける作家だったんだと今にして思う。他の作品はどうだったんだろう。読んでみようかな。せめて晩年の「文壇」くらいは。合掌。

 分かったようで犀川創平、死んだのが母親の真賀田四季博士ではなく娘の方だと気付いてそれなら真賀田四季博士はどこに行ったと考えをめぐらせ、儀同世津子が島に来た時にすれ違ったという犀川ゼミの面々に、女性が2人いたという話しからそこに真賀田未来と名乗っていた人物が含まれたとやっと分かったものの後の祭り。というか普通に冴えた時の犀川なら、ゼミにいる1人は女性らしくても、もう1人の国枝桃子は見ても男性にしか見えないだろうはずなのに、どうしてもう1人女性が混じっていたんだと感づいてそこに何か意味を見いだそうとしただろう。鈍っていたのか眠っていたのか。でも身は逃がしたものの感覚は追いついてネットの中で相手に興味を持たれたもよう。これが最終巻でのハウステンボスみたいな場所での最下位に?がるんだっけ。よく覚えてないのだった。そんな「すべてがFになる」。あと1回で何が描かれるんだろう。楽しみ。

 大平晋也さんだ大平晋也さんだ。どう見ても大平晋也さんが手掛けたとしか思えないアニメーションがいきなり登場して吹いた「ルパン三世」だけれど崩してあっても骨格は遺してゆれながらもスピードは持たせてアクションシーンを描いてあって、どこか異形で異能の持ち主のような人物の戦いぶりって奴を描ききっていたって感じ。そんな「ルパン三世」はレベッカがなぜかMI6に捕まり号門とか受けている割には薬程度でそれでも吐かないのはレベッカが強かったからなのかMI6がふがいないからなのか。でもルパンが相手にするのは難しいと判断して内輪もめを誘ったんだからやっぱりそれなりの実力があるんだろうなあ。耐えたレベッカが偉いってことで。そしてなにやら呈示された謎。解き明かした先には何が。それで大きく話が動く訳でもないけれど、これまで出て来たニクスとかも含めたキャラクター大集合の上で大団円って奴を、見せてくれればとりあえず良いってことで。って何話なんだろうこのシリーズ。もう1クールあるみたいだからさらに続くか大混乱。

 朝から松山ケンイチさんが話題なようで、あの「珍遊記」を松山さんが主演で映像化するって話でそれこそ全裸でフルチンな感じすらある役柄を、イケメン極まりない松山さんがどう演じるのかってところに世間の興味は向かっているけど、過去にクラウザーさんとか演じ「ど根性ガエル」のヒロシなんかも演じて2・5次元は慣れているから、漫画から出て来たそのまんまの姿を見せてくれると思いたい、ってさすがに「珍遊記」が漫画そのまんまだと放送できないか。どういったメイクになるのかなあ。しかしこういう突飛な2・5次元って昔は小栗旬さんって相場が決まっていたのに、最近はルパン三世にしても信長協奏曲の信長にしても普通に人間のキャラクターってところが寂しい感じ。ハーロックなって声だけだったし。

 昔はそれこそ「荒川アンダーザブリッジ」の村長なんて演じて河童の着ぐるみでロケ中を過ごしてみせた。相方の山田孝之さんも巻き込まれて星の顔で過ごしてた。そんな変態ぶりを最近、見せない間に鈴木亮平さんが「変態仮面」を演じ「俺物語」も演じてみせた。そして松山ケンイチさん。山田孝之さんはウシジマくんやら飯場の兄ちゃんやらを演じてそれでも変態っぷりを見せている。ひとり孤高のイケメンいんあった小栗旬さんに、今一度何か突拍子もない役を演じてもらいたいもの。何が良いかなあ。流行っている漫画なら「ワンパンマン」のサイタマをその頭髪全剃り落とす覚悟で演じるとか。「テラフォーマーズ」でも地球からの方じゃ無くって火星のミュータントの方を演じるとか。すれば多少は見直すけれども、そういう機会もないかなあ。

 小川哲さんのハヤカワSFコンテスト大賞受賞作「ユートロニカのこちら側」(ハヤカワSFシリーズJコレクション)をつらつらと。なるほど選考委員がこれはSFなのかどうなのか、ってところを考えたのも分かるように世界を構成するシステムといった基本的な設定部分で、科学的な進捗を伺わせる雰囲気はあっても、それ自体が物語を駆動するというよりはその上なり周辺なり過去なりで人々がどういう影響を受けてどう変わりどうなろうとしているのか、ってのを様々な角度から、あるいは様々な部分をつまむようにして描いた感じで、そうしたシステムそのものを問おうとはしていない。ある意味で隔靴掻痒というか、目の見えない人が象を撫でて部分を答える感じでそこから象そのものが暴れ回る姿は浮かんでこない。

 もちろん科学的な想像力なりの上にひとつの世界観を構築し、社会なんかを描いて見せつつそこに生きる人々が、どういう風になるかを描いていくこともひとつのSF的な思索だとは言えるけれどもダイナミックな仕掛けといった部分ではちょっと食い足りない部分もありそう。それがああいった感想に?がっているんだろう。つまりは人間のあらゆる感覚やら言動やらを管理して記録する仕組みがあって、それさえ受け入れればお金だってもらえて良い暮らしができるようになりますよ、っていう楽園がこの世界に存在するとして、そこで生きるということはどういうことか、そこで生きているとどういう風になるのか、そこに入るということは人間としてどうなるということなのか、ってことろを連作的な短編でもって指摘している。それらのトータルから想像できる世界の有り様もあるし、人間としての意味合いってのもあるけれど、でもやっぱり人はだからどうなんだ、そしてどうなるんだという展開を読みたいもの。そこへと至る道筋を、用意できたらこの作家はさらに大きくなれるかもしれない。どうするのかなあ。編集者の力量を注視。


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