縮刷版2015年11月下旬号


【11月30日】 それはひとつにはS級ヒーローへの絶対的な信頼っていうものがあって、けれどもそんなS級のヒーローたちが次から次へと挑んで倒されていったような相手が、C級のヒーローによってあっさりと倒されてしまったから、本当にS級だったのかと疑ってみたくなったというのがひとつの心理。でもその場合はだったら真のS級というのはどういう存在か、っていった懐疑も浮かぶんだけれど、その現場に現れなかったS級がまだいる以上はそれこそが本当のS級なんだと信じる人もいかもしれない。でもそれではジェノスも含めた結構なS級が信頼を失ってしまう訳で、サイタマが自分は本当は弱いんだけれどS級A級が頑張ってくれたおかげで、C級の自分でも倒せたと言ったことで世間もそれならS級はやっぱり凄かったんだと、とりあえずは納得したってのが「ワンパンマン」の昨日の放送分から見える構図か。

 分からないのは市民のそういった心理じゃなく、ヒーロー協会までもがサイタマの実力を過小評価し続けていることで、彼らが認定するからにはしっかりと力を持ったS級が、あっさりと倒されていった状況において、たった1発のパンチで敵を沈めてしまったサイタマが圧倒的な実力者であることは一目瞭然だろう。アマイマスクだってたぶんその映像を見せられて、それが合成でも冗談でもないと気付いただろうけれど、なぜかヒーロー協会は一気にS級にはあげずにC級1位からB級最下位へと引き上げただけで、なかなか実力を認めようとしない。それもやっぱり彼らにS級たるものといったバイアスがあるんだろうか。ちょっと謎。でも次は予言の婆さんが命を落とすくらいの凄まじい敵。それを相手に活躍する場誰だって認めるかというと……。ヒーローは孤独だ。でもそれを気にしないサイタマ。強いなあ。体も。心も。

 死なない人間なんているはずがないから、誰だっていつかは亡くなるんだろうけれど、こんなに急だとちょっと驚いてしまった漫画家の水木しげるさんの訃報。後になってちょっと前に家で倒れて頭を打って状態が悪くなって、それでも回復していたようだけれどもやっぱり無理が出たみたいだったと聞いて、何もなければ100歳くらいまではちゃんと普通に存命だった可能性も高いなあと思ったものの、雑誌の連載を降りたりしていたからそこに衰えの影があって、それが家での事故を呼んだのかもしれない。いずれにしても93歳は大往生。3歳年上のやなせたかしさんは2年前に94歳で亡くなっているからそれには及ばなかったものの、戦後の日本に漫画という大きな財産を残した方だということは一緒。その生涯を讃えつつご冥福をお祈りしたい。合掌。

 それにしても偉大な人だった水木しげるさん。この人の「ゲゲゲの鬼太郎」がなければ妖怪という存在がこうも僕達の生活に身近な存在とはならず、ただ恐怖の対象ではなく愛着も抱けるような普遍的な存在にはならなかっただろう。「妖怪ウォッチ」だって生まれなかったに違いないし、京極夏彦さんが「百鬼夜行」シリーズとかを書いて大ヒットすることもなかっただろう。その意味では日本のコンテンツであり文化であり意識においてとてつもない影響を残した人で、それが現代においてどういう雰囲気を創り出しているかを、検証してみても面白いかもしれない。八百万の神々という概念はあっても、あらゆる事象に何か得たいの知れない何者かの影あるという意識、それは人間の心が生んだ闇の側面でもあるといった解釈を、水木さんがいなかったら日本人は抱いていなかっただろうから。

 それにしても2015年は1月にねずみ男の声を演じた大塚周夫さんが亡くなり、10月に「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌を歌った熊倉一雄さんが亡くなってと作品に関する方が相次いで旅立たれた。そして作者ご自身も。いずれも高齢ではあったけれど、それでも忘れられず21世紀にまで名が伝わり活動が残った方々の相次ぐ訃報は、確実にひとつの時代、20世紀であり昭和でありといったものの終焉を意味しているんだろう。心配なのはそうやって、昭和が消えて戦中戦前が消えてしまうことで、あの時代を美化しようとしている輩の跳梁跋扈。今までは水木しげるさんが戦争へと実際に行って戦ったことを漫画に描き言葉に紡いで来たから、僕達はその過酷さを知ることが出来た。

 何よりご本人の失われた左腕が、戦争というものの過酷さを如実に語り、戦争がどれだけ愚行なのかという意識への実感を与えていたけれど、その身と言葉で説得力を持って語れる人たちが去り、消えていった果てに自分たちは悪くないという歪んだプライドだけを肥大化させ、きれい事を言う輩が反証のもはや存在していない状況を良いことに、勝手を言い出さないとも限らない。というか今だって言いまくっている。水木しげるさんの一喝が消え、残るは今上天皇のご心境を汲むくらいしか道がなくなっているんだけれど、それだって知らん顔をする人たちだからなあ。どうなってしまうんだろう。この国は。間違った方向に行きそうな時は、あの世から水木しげるさんが百鬼夜行を送り込んで無茶を糾して欲しいけれど。お願いできますか、先生。

 どう考えても地球が勝てそうな雰囲気はなくって、粛正者が倍々ゲームで送り込んでくる艦隊にいつしか押され突破されては恒星を刺激され、降り注ぐ放射線やら熱によって地球は火の玉となって地表から生命は失われ、かろうじてシェルターに逃げた人類だけが助けられては宇宙を彷徨う民になるという未来が見えてしまう鷹見一幸さん「宇宙軍士官学校 −前哨− 9」(ハヤカワ文庫JA)。それでも有坂恵一たちが優れた戦いぶりを見せて上位の種族に地球人類の聡明さを感じてもらい、ただ宇宙を彷徨うだけの存在にはならず、住める場所をあてがわれてはそこで生きていくことになるんだろうけれろ、それだって有意な存在であることを永遠に示し続けなくてはならない立場な訳で、内に落伍者は退けられて一部が残り地球人類らしさってのは失われていくんだろう。それが進化であり進歩というなら滅びる道を選ぶべきか? 違うんだろうなあ。生きること。生き続けること。それでしか未来はない。若い士官が故郷で合った、滅びを受け入れようと叫ぶ同級生を廃した展開から、そんなメッセージが放たれるだろうことを想像する。完結まであと少し。地球は、人類はどうなるのか? 刊行を待ちたい。

 かたや「すすめ!!パイレーツ」に登場して千葉パイレーツに入団し、素晴らしい投球で大活躍を見せた沢村真、こなた「ストップ!!ひばりくん」の主人公としてその小悪魔的なキャラクターを満天下に見せてくれた大空ひばりを目の前にして、そこにナニかが付いてようといなかろうとも美しい者は美しいし、格好いい者は格好いいのだということを強く実感させられた、米澤嘉博記念図書館での江口寿史さんによる展覧会。リベストギャラリー創で開かれていたものとはまた違った作品を並べつつ、今日までの日程では主に「ストップ!!ひばりくん」を描いていた頃の江口さんの画風なり特徴を、雑誌連載とかコマ割りとかスケッチとかを添えつつ解説していあって、どういう時代背景でどういう絵を描きそれがどういう波及をしていったかが分かるようになっていた。ボックスを使ってコマ分けするようにそうした項目を並べた展示は、立体化された図録であり時点のよう。それこそスキャンして3D化してコンピューターの中にバーチャルで再現しいくらい。あるいはそれが未来のデジタル百科事典になるのかもしれないなあと思わせた。

 そんな展示に混じって飾られていたひばりくんと沢村の漫画の原画は、先に登場した沢村が男装の美少女、というボーダーな存在を世に示して興奮を誘いそしてひばりくんが女装の美少年というこれもまたボーダーな存在を主役として世に送りだして、異性装なり性的マイノリティなりといった存在が公然となっていく道を作り出した。読んでいた当時はそこまでの意義を感じていたとは言えなかったけれど、ああいった存在を近しい者としてすり込まれた身にはどこかの市会議員のような同性愛者への侮蔑とかいった感覚はまるで浮かばず、それだって何だってあって良いって感覚が自然と身についていた。今という時代をもしかしたら開いた作品群であり、それを感じさせる原画だったのかも。漫画史のみならず社会風俗史にも残る展示がさらりと行われてしまう展覧会。次は何が登場するのかな。また行こう。


【11月29日】 時間を遡ればいったんはリセットされるけど、そこから改めて進んでいく時間という牢獄の中で、いろいろと抜け道を見つけなければならないという苦労が、重ねられた果てにループする時間から抜け出して、最善の道をつかむ物語なら割とあって、読み終えたときの解放感に浸れるループ物の話は、読んでとても面白いのだけれど、綾崎隼さんの「君の時計と嘘の塔 第一幕」(講談社タイガ、660円)は、ループするのが1人ではなく2人な上に、戻るたびにちょっとずつ条件が厳しくなるというか、状況が悲惨さを増しているようで、元通りからのリスタートというタイムループにおけるループ者の優位性を発揮できないところが目新しく、カタルシスを味わえるだろうという楽観をまるで抱けない。

 小学校の頃、花火を横から見ればやっぱり丸いのかを証明するために、花火大会の夜に高校に忍び込んで撮影して帰ろうとした時に自身が起きた。逃げだそうとして何かを踏み、父親からもらった古い時計を無くしてしまったものの無事に帰った綜士という少年は、通っていた小学校で自分より上を行っていそうな少女が気に入らなくて、泥棒という冤罪を着せ、そのことへの後悔を引きずったまま高校生となってその少女と同じ学校に通い始める。家が近所だから繋がりはあっても会話はせず、少女が陸上部の走り高跳びで有望視され、少年は何もしないで日々を送っていたときに、写真部にいた一騎という少年から誘われ写真部に入って遅れた青春を送りはじめる。ところが。

 気がつくと一騎が消えていた。というか元からそういう生徒はいないことになっていた。何が起こった? 訝る綜士のところに、なぜか医学部に何度も合格しながら留年を続けている20歳の高校生、千歳が近寄ってきてそれは時間のループが起きているからだと説く。世に拗ねて母親にも反抗を続けている綜士にとって、そういう助言も最初はただ疎ましく思えただけだっものの、話を聞くうちにどうやら5年前に体験したあの地震が、記録的には観測されていなくて幻だったことを知り、そして地震の影響で時間がずれた地域があったことを教わって、この町、その高校を中心に何かが起こっているかもしれないと感じるようになって2人で調査に乗り出す。

 一騎といういなくなった少年を探すことからはじめたその前に、雛美という少女が現れ、自分も時間をループしているんだと訴える。その原因は恋人の大学院生の死。それに直面すて何度も時間を戻り、止めようと思っても止まらず違う形で彼氏は死んでしまう。なおかつループする度に、雛美は家族をひとり、またひとりと失っていた。単なる元通りではないループ。そして止められないループを綜士、千歳、雛美はどうやって止めようとするのか。綜士にとっての“きっかけ”が訪れ、それまでの1カ月の経験をどうにか後に繋げようとして自宅の階下に降り立った綜士は、とても重要な欠落を知って愕然とする。その先、いったいどうやってループを止めるのか。失敗して戻ればまた何かを失うのか。そんな可能性も漂う中で、抜け道を探り全貌を解き明かしていく展開が楽しみ。本当に世界は生きているのか。答えを待とう。

 ガンバ大阪のパトリック選手に対する種差別的なツイートが、浦和レッズのサポーターを自称する人間によって行われたとされる一件で、誰であれそういった発言が公然と行われてしまう状況への絶望的な気分を覚えつつ、そうした差別敵発言を行ったのは朝鮮だというさらなる差別を重ねてのけた言説が、割と散見される状況に愕然としつつ、ここでどういう対応が行われれば、無根拠の偏見から来る人種を含むあらゆる事柄における差別的な意識が改善されるのだろうと考えたけれど、まるでまったくまとまらない。浦和レッズのサポーターらしき人物を挙げて糾弾し、総括させつつその人物をイケニエに仕立てて、差別的発言には社会的な制裁が伴われると訴えたところで、在日なり朝鮮なりといった方向への差別が止むとも思えないだけに、どうにもこうにも息苦しい。

 こういう時だけマスコミも騒ぎ立てるんじゃなく、日頃から社会的な地位のある人が公然を行った差別的で侮蔑的な発言を、やれやれまたかと流さずその都度あげて糾弾していれば、社会にも言葉を選ぶ空気、意識を改める姿勢が生まれたのかと考えても、そういう風には思えないだけに悩ましい。いい大人による同性愛者への差別とか平気で飛び出すし。50年前の老人でもあるまいし。というか今の70歳だって1970年には25歳で、サブカルにだってアングラにだって触れる機会もあっただろう。それなのにマイノリティへの理解がまるで及ばない。そしてもっと若い世代が何かマイノリティへの差別的意識を自分のアイデンティティにしてしまっている。本気で信じているのか、そう信じたがっているのか分からないけれど、そういう観念をひっくり返して裏側から客観的に眺めるマインドを持たないのか。持てないのか。ともあれ嫌な空気はどんどんと濃さを増し、それを政治が裏打ちをしてこの国の意識としていく。やれやれ。

 えっと2.5Dで観てスタークラブで観て日比谷野外音楽堂で観てWWWで観たから今回が5回目になるのか「カラスは真っ白」がいよいよ渋谷のCLUB QUATTROに登場。規模的には日比谷の野音は別にすればワンマンでは最大規模。そこがぎっしりの人で埋まってメンバーのシミズコウヘイさんとかヤギヌマカナさんとか感慨深げだったのは、デビューして間もなく札幌で開いたライブで「ハイスピード無鉄砲」を演奏していた時に聴いていたのは2人とか3人とか。それがこの数年間でじわりじわりとファンを広げて少なくとも、ライブハウスの規模ならそれなりに埋めてみせる人気を得るに至った訳で、当人たちの努力のたまものであり音楽性がすべてあるとはいえ、やっぱり嬉しかったという感じ。アーティストってやっぱりそういうものなんだろうなあ。だからこそライブ会場が減ってしまう2016年問題は慎重に、真剣に考えないといけないんだけれど。

 そんなライブはヤギヌマカナさんがギターをVOXからリッケンバッカーに持ち替え、シミズコウヘイさんもギターをテレキャスターにしてサウンドによりいっそうの厚みを加えつつヨシヤマ・G・ジュンさんから春に引き継いだベースのオチ・ザ・ファンクさんもファンキーさを前面に出すようになってリズム感のある演奏を聴かせてくれて、それにマッチした雰囲気になった「カラスは真っ白」の今にベストな布陣になっていた。タイヘイさんのドラムはいわずもがなのファンキーっぷり。巧いし速いし確かだし。こんな凄いミュージシャンがひとつのバンドに集まっているのって奇跡だけれど、そんな面子を引き付けて止まない魅力がヤギヌマカナさんの作る楽曲にあり、そしてボーカルにあるんだろう。ボイスはともかくその楽曲、本当に凄いものなあ、どれもこれも。

 活動期間が重なって楽曲が増えてくると、やっぱり過去に聴いた楽曲が懐かしの定番と位置づけられて新しい曲を聴くのがおろそかになってしまいがちなんだけれど、「カラスは真っ白」についていうなら新しい楽曲もすぐにスタンダードになってしまうくらいに個性的。最新アルバムの「ヒズムリアリズム」とか「フジンショータイム」とかもはやなくてはならない楽曲になっている。ダンスチューンとしても。そして「せいじゃくのこうしん」。これが凄かった。多分この曲でさいしょはオチ・ザ・ファンクさんとシミズコウヘイさんだけがバックに残り向かい合って演奏したその前でヤギヌマカナさんがスローにメロウな歌を唄う背後から光が差してある種の神々しさを醸し出してた。

 そして途中に戻ってきたタイヘイさんのドラムが重なりリズムが乗って浮揚感がわき上がって感情も沸き立つ楽曲に仕上がってひとつの幕。この凄みのあるアンサンブルを目の当たりにしたくて、またライブへ行ってしまいそう。やってくれるかなあ。一期一会だからこの場限り? だとしたら次に何を見せてくれるか分からないライブにやっぱり行くしか内。次はTEMPRA KIDZと東京女子流という異色のスリーメン。どんなライブになるんだろう。楽曲も狭くなるだろうけれど「せいじゃくのこうしん」、演ってくれないかなあ。あと個人的に好きな「アセトアルデットヒート」とそして因縁の「ハイスピード無鉄砲」。それもアルバムのオリジナルアレンジで。ヨシヤマ・G・ジュンさんの最後のライブでもアンコールに演ってこれが原点って思っただけに。行くいかないかなあ、やっぱり。


【11月28日】 口の悪いバンダービルトのお嬢様が登場してヘイヴィア・ウィンチェルと会話をしていたけれどもどうしてあんな口調になったのか。いろいろと謎が多い「ヘヴィーオブジェクト」は南極に何かの気配で行ったもののオブジェクトはなさそうで、クウェンサーとヘイヴィアの2人が斥候よろしく出かけていっては赤ちゃんペンギンが頑張る姿を応援し、そしてお姫様の援護射撃で敵基地の装備を潰して一件落着に見えたものの何かが水面下で蠢いている様子。いったい何が……ってところで以下次回、となるはずが総集編らしい。まあいいや。そうやって休みつつだんだんと視聴者をあのワールドの沼へと填めていってくれれば。

 文庫本で読めばもうちょっと緊迫感のある中を綱渡りのようにして巨大なオブジェクトを人間が倒していくスリルって奴を味わえるんだけれど、アニメーションでそれをやっても地味になるだけなんで小が大に挑む快感って奴を前面に出しつつ美少女のエリートやボリューミーな隊長、そして正体不明のおほほといった女性の影をまぶして楽しませる展開で、どうにかこうにかファンを保ちつつある。そうするうちに大味でも小が大を倒して回る快感、でもそれが出世とならず次にまたしても危機が訪れ、それをどうやって乗り越えていくかっていう興味を得られるようになていく。麻薬のようなアニメ化も。今回はないけどおほほが次に出る時は、その全貌が掴める時。どういう反応があるか楽しみだ。

 淡島世理に近寄られ腕を掴まれ胸を押しつけられたらそりゃあ誰だって我を失うだろうけれど、それをやるようなタイプに見えなかった堅物がそれでもやってしまうところにセプター4もいよいよ追い詰められているのかって印象が浮かぶ。それは赤のクランの叫舞羅もいっしょか。あれだげ精鋭を揃えながらも突破されドレスデン石版を奪われて、待ちには異能の持ち主が溢れはじめている状況を作ってしまった責任を、どうにか果たさないといけないと考えているというか。だったら世理にはデフォルトで胸をはだけて街を歩いJUNGLEの面々を引き集めて欲しいけれど、束になった雑魚を倒しても真相は掴めないからやっぱり無意味か。武器は使える場所で最大限の効果を狙って。次はどこで使って暮れるかな。「K RETURN OF KING」。

 幕張メッセでレナウンのバーゲンがあるんでセーターでも買いにと出向いたら右にアイマスだかデレマスのイベントに来てグッズを買いに向かう人の列が見え、左にチャン・グンソクさんのライブに来て夕方の会場を待つ女性たちのメッセを囲むようにして座り込む姿が見えてといろいろ多士済々。ビッグサイトはこういったライブにあんまり向いてないだけに、稼働率が落ちたと言われながらも幕張メッセが未だそれなりな地位を保っていられるのかも。でもビッグサイトが東京オリンピックの準備に入って展示会が流れてきたら、そういったライブも開かれなくなるのかなあ。パシフィコ横浜のホールってライブとかやってたっけ。まあともかくレナウンのバーゲンでとっくりセーターを3色くらい買って退散。ついでに三井アウトレットパークでダナーの珍しいスウェードのブーツを拾って今年のボーナス商戦を終える。早いし少ないけど、どれだけもらえるか分からないし。仕方が無い。宝くじ当たらないかなあ。

 天気も良いけど遠出する気力もないので家にこもって読書など。まずは芝村裕吏さんによる熊本弁美少女が登場する小説「セルフ・クラフト・ワールド −1−」(ハヤカワ文庫JA)なんかをつらつらと。MMORPGめいたバーチャルワールドに生きるというか存在するNPC、つまりは誰かに操作されている訳ではないAIによって生み出され動かされているキャラクターの少女エリスが主体となって紡がれていく感じの話なんだけれど、ゲームでNPCといったら自分で思考なんてせず意志も持たず感情なんてもってのほか。プログラムに従って反応を返すだけの存在なはずなのに、このエリスは妙に人間らしいというか人間そのもののように感情めいたものをもって、アクセスしてきたGENZってプレーヤーを相手に恋情めいたものを抱き怒り拗ねたりもすれば自分が死んでしまうことを怖がったりもする。

 それらが主観的な筆で描かれている以上はそういう存在とこのゲームが存在する世界、あるいは時代ではそうなっているとしか考えるしかないんだけれど、どういう回路がそれを成り立たせているかは不明。とはいえそうした自立し自律したAIの存在が、ゲームの中の世界を舞台に進化していく生物めいた存在を生みだし育んでいて、その発展が人類の思考だけでは到達不可能なテクノロジーのブレイクスルーを呼んでいるような感じがあって、ならばAIが自律し感情を持って動いていても不思議はないのかもしれないと思わせる。そしてそうしたゲーム世界が存在することが、世界にとってもおおきな意味を持っていてそこでの情報戦がリアルな世界での国々の存亡すら左右する事態になっていて、それが企まれている状況を調べ打破するためにGENZというプレーヤーはやって来たらしい。

 ゲーム内が全てというエリスにとってはGENZは精悍な男に見えるようだけれど現実世界では70歳とかの老人で生物だか何かの研究でしられた学者だったけれども引退して、今はゲーム内で繁殖するチクワというかオームの種類や生態なんかを研究しているらしい。それがゲーム内ではひとりの男としてエリスという少女から関心を抱かれ迫られる。当人にとっては嬉しいのかどうなのか、ただのキャラクターじゃんという思いがだんだんと剥がれてきて、エリスの生死に一喜一憂するようになる当たりに人間のそれらしく見える存在にたいする心理が垣間見える。言ってしまえばチョロいというか。エリスがGENZの仕草にフラグを立てていってしまうのを自分でチョロいと自虐するけど、そういうキャラに感情を見いだしてしまう人間だって結構チョロいかも。

 つまりはだんだんと垣根が見えなくなっている現実と仮想世界の狭間で、人間がAI化しAIが人間化していくようなパラダイムの変換を、目の当たりにして見せようとしている作品であり、そうした状況が世界全体を左右する可能性があることを感じさせる作品でもある「セルフ・クラフト・ワールド −1−」。それがなぜか熊本弁で綴られる、っていうか芝村さんがかつて「ガンパレードマーチ」を作ったアルファシステムズがあるのは熊本なんで、精通はしていると思うんだけれど敢えてやっぱり熊本弁で女の子が喋ると、そこにツンデレ感とはまた違った愛着めいたものが浮かんでしまうのが面白い。放言が醸し出す素朴さめいたものへの同情? とはいえエリス自身が素朴な訳ではなく、それが放言というスキンを通すとそう感じられてしまうところにも、人間のチョロさって奴が感じられる。

 AIが自分たちをそうだと認識しつつバーチャルな世界で生きているって雰囲気は、前に呼んだ松葉屋根なつみさんの「歌う峰のアリエス」にも漂っていて、それもサーバー内で起こった事件への対処が、現実世界を変えることにつながるようなビジョンが描かれていた。それに加えて「セルフ・クラフト・ワールド −1−」はアーティフィシャルライフってかつて呼ばれて、コンピューターの中で生命体めいたものを増殖させようってプロジェクトを思い出させる描写があって、一時のブームで終わったそれが続いていたらどうなるか、ってビジョンを見せてくれる。話はまだ終わっておらず、進化の兆しが見えたゲーム世界が今度はリアル世界へと進出しそう。エリスの実体化なんてのもあるのかな。3部作の次は2。楽しみだし、結末がどこに向かうかも大いに楽しみ。刊行を期して待とう。


【11月27日】 相手が出したいと思った時に、自分たちも出たいと思えば出れば良いだけであって、出られないからといってもう出ないと言って「卒業」を唱えるのはテレビへの登場を待ち望むファンには寂しい話だし、せっかくの機会を狭めることにもなって戦略として正しいのかな、って気もしないでもないももいろクローバーZの紅白歌合戦卒業宣言。でもそこはファンと向き合いファンに対して一生懸命にやって来た彼女たちだから、これもより多くのファンに向かって自分たちを見せられるようにするためのステップなんだと理解し、そしてファンもそうだと理解していることなのかもしれないから、あとは紅白歌合戦という場を使わないでも存分に、活躍していけるところを見せてくれればそれで良いと理解しよう。でも去年の4人を今年は5人で歌いたかったという願いは永遠に叶わないのは残念だなあ。それが達成されていたら今回限りで卒業していたかな。

 しかし分からない今度の紅白歌合戦。シングルヒットがあったかというと難しいけれどもハロウィンにかけて「Crazy Party Night 〜パンプキンの逆襲〜」がそれなりにヘビーローテーションになったきゃりーぱみゅぱみゅが落選。ヒットがなくても出ているアーティストだっていっぱいいるのを考えるなら、今を象徴するポップカルチャーのアイコンとして出演させても別に不思議はなかったんだけれど、そういう方面に展開する誰かを用意することもなく落ちてしまった。アイドルというフォーマットでももいろクローバーZもいないだけに、新登場のμ’sがカバーすることになるんだけれどもファンは知っていても世間はだれも知らない声優ユニットが、あちらこちらに出て来て応援とかしたってファンは見ないし食いつかないだろう。

 そういう役回りを求められるAKB48だって昔に較べて知っている人は減っちゃっているし、今人気の松井珠理奈さんがいるSKE48も指原莉乃さんがいるHKT48も今回は落選。乃木坂48って誰がいたっけ、生駒里奈さんってまだいたっけかといった当たりで、どいういう演出をするのかがちょっと見えないのだった。つまりは男子のアイドルファンを濃いAKB48に限定してしまった一方で、女性のアイドルファンはジャニーズ一辺倒。いったいどれだけのグループが出るんだと数えるのもおっくうになるくらい、多くのグループが代わる代わるに出場する。年越しカウントダウンライブもやってる中で忙しいけど、それも含めて食いつくファンの多さが人気を支えているんだろう。ただやっぱり片翼な感じ。AKBとジャニーズにすがる構図ってネット当たりじゃ次代をにらんでどうなんと言われはじめていることだけれど、そこに落ち着いてしまうところにNHKの先行きへの不穏を感じてしまう。

 BUMP OF CHIKENとかSEKAI NO OWARIとかも集客はあるしゲスの極み乙女とか旬だけれどサカナクションは出ないしBUMPといっしょに「血海戦線」を演ってたUNISON SQUARE GARDENなんてかすりもしなかった。どっちかというとOPよりEDの方が注目を集めた感じもするだけに、UNISONには出て激しいベースワークを見せて欲しかった気がするなあ。でも仕方が無いのでそれはカウントダウンTVに任そう。出てくれるかな。きゃりーぱみゅぱみゅもそっちには出るかな。紅白に出ないんじゃあ年末年始は引っ込んでいようってなっても良いけれど、稼ぎ時には出てそれなりな存在感を見せておいた方がやっぱり来年にはつながるし。BABYMETALはテレビには出ないでいく方針か。いずれにしても見ないかなあ、いやいややっぱりPerfumeのパフォーマンスが気になるから見てしまうかなあ。

 アフリカ西部の砂漠は砂というより岩だらけだろうし、そこを行く人が「アラビアのロレンス」に出て来たようなタイプのターバンをしているはずもないから見る人が見ればちょっと不思議に感じたかもしれない「ルパン三世」だけれど、それよりやっぱり気になったのはちっちゃくて薄べったい体つきの子供も、年齢を重ねれば立派にぼよよーんとなって谷間も出来るってこと。石川五エ門が単独で人斬りとして参加した独裁者暗殺の仕事でいっしょになった少女が長じて狙われているのを察知して、かつて敵として対峙し頃し損なったスナイパーの仕業とみて反撃に出たけれど……って展開は、まあだいたい予想通りの結末になったもののそこはいい男だけあって感じよいエンディングを迎えさせてくれた。途中、五エ門がいっぱい斬っていたけどルパンと違って五エ門は殺人オッケーか。この「ルパン三世」はルパンも殺人してたっけ? まあ良いけど来週はレベッカも再登場。ちょっと楽しそう。

 第19回の文化庁メディア芸術祭が発表されたんで見物に。さてもアニメーション部門で誰が取るんだろうか、画期的な制作体制で臨んだ「楽園追放 expelled from paradise」か、原恵一監督が作画の凄さをたっぷり盛り込んで仕立て上げ、海外でも賞を総なめにした「百日紅 〜Miss HOKUSAI〜」か、やっぱり強い細田守監督の「バケモノの子」かなんて期待してふたを開けたらそうした商業アニメーションがことごとく選から漏れていわゆるアート系の短編アニメーションがほとんどを占めていた。唯一、長編アニメーション映画として岩井俊二監督の「花とアリス殺人事件」が入ったけれども専門ではない岩井さんが「Airy Me」の久野遙子さんを起用し路とスコープという技術も多様して作った実験要素の強い作品。商業として楽しませつつ最先端を見せる作品という感じではないだけに、どういう判断が働いたんだろうかと首をかしげる。

 もちろん短編アニメーションが受賞して悪いわけじゃないけれど、それも含みつつ商業アニメーションも並べて選ぶ時に、それぞれに基準を置きつつどれだけ画期的かを考えてみて商業が落ちるってことはないというのがひとつの実感。とくに「百日紅」と「楽園追放」は優れてさまざまな可能性って奴を見せてくれた作品だっただけに、どうして受賞しなかったんだろうという気がしてしまう。「百日紅」はそれでも「バケモノの子」と並んで審査委員会推薦作になっていたから応募はあったんだろうけれど、「楽園追放」はあるいは応募しなかったのかな。取れないという判断から商業作品が抜けるのは寂しいので、気にせずどんどんと行って欲しいなあ。そうやって挑んで審査委員もこれはと気を改めてそっちにシフトしたくなってくれれば面白いのだけれど。それはそれとして幸洋子さんの「ズドラーストヴィチェ!」が審査委員会推薦作に入っていたのは僥倖。あちこちで受賞しているだけにここでもその面白さが認められたか。しかしあのおっちゃんの声をやっていた人を推薦したのが片渕須直さんだったとは。いやあ良い味出してた。

 変化って奴はエンターテインメント部門にもあって、去年に「Ingress」が受賞したようにその時々の最先端のテクノロジーを使いつつ、未来のビジョンを見せてくれるような作品が受賞する傾向が強かったのが今回は何と演劇作品が受賞。「ヒゲの未亡人」という音楽ユニットなんかで活躍していた岸野雄一さんが手掛けた「正しい数の数え方」は人形劇もあれば演劇もありアニメーションもあって音楽もつくという複合的なメディアを使った音楽演劇。なおかつ観客の反応が進行に影響するということで、アナログなインタラクティブ性がひとつのメディア芸術として認められたっていう感じ。あとは審査委員が世代として地下芸術の世界で有名な岸野雄一さんの登場に湧いたってこともあるのかな。2月の展示会では何とその演劇を再演してくれるそうなんで、毎日でも通って見たいところ。毎日違うものが演じられる事になる訳だから。どんなかなあ。面白いかなあ。


【11月26日】 女優の原節子さんが亡くなった。2015年9月5日だから3カ月近くも前に亡くなっていたことが分かって、追悼の言葉が一気に広がる様に、すでに表舞台に出なくなって50年以上が経つ人であるにも関わらず、未だに思われ偲ばれ慕われ憧れられられている存在だったのだと改めて強く思う。50歳くらいの僕らの世代では生まれた頃にはすでに引退状態で、その活動はスクリーンの上でしか見ることができなかった。というか映画館でそうした映画がかかる機会もそれほどなく、テレビで放送される映画の出演者として見るくらいだったけれど、それでも日本人にしてはエキゾチックな顔立ちは後継の銀幕アイドルと言えそうな吉永小百合さんとはまた違った輝きを持っていると感じさせるに十分のものだった。

 小津安二郎監督の映画での、笠智衆さんとの共演などから漂う大人の女性としての魅力。これが若い頃だったら、いったいどれだけの眩しさだったんだろうと同時代を生き、活躍に触れただろう世代の人たちのことを羨ましく思う。僕らにはその後の吉永小百合さんにも例えられる、憧れ慕い偲んで悼む女優があまりいないのだった。山口百恵さんはやっぱり歌手だし、薬師丸ひろ子さんも映画にずっと出続けている女優という感じではないし、今なお主演が多い吉永小百合さんともやっぱり違う。出れば確実に主演で、そして世代を超えてもそれが続く人ってもう、残ってないのだろうか。広末涼子さん上野樹里さん能年玲奈さん等々。時に話題になってもその後も続く人気と実力を、示し続けられる女優がいないのが、もしかしたら映画もドラマも含めた今の衰退を、表しているのかもしれない。石原さとみさんんならあるいは。「シン・ゴジラ」を待とう。

 さて、1962年に「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」に出たのが最後の映画出演で、1963年に小津安二郎監督が亡くなってからはもう、表舞台にすら出てくることがなくなってしまった原節子さんを、それでも何とはなしに知っていた僕らの世代からさらに下ったところで、知る人たちがいるのは少し驚きだったし、半ば当然でもあった。今敏監督による「千年女優」という映画が、引退して姿を消した女優の半生を振り返るという形式で、女優というものが持つ業、あるいは魂というものを往時の映画業界の有り様とともに蘇らせた。それを見た多くは戦前戦中戦後と世代を超えて活躍した女優がいたこと、けれどもいろいろと難しいことにも当たり、プライベートにも悩みを抱え、そして表舞台からすっと姿を消したことをフィクションとして感じつつ、そのモデルとなった女優がいたことを調べるなり聞くなりして知って、それが原節子さんだということにたどり着いていた。

 もちろん「千年女優」には、ほかに高峰秀子さんや田中絹代さんといった女優さんたちのエッセンスも鏤められているけれど、千代子のモチーフとなった突然に引退して長く表舞台から姿を消した女優というのは、原節子さんをおいて他にない。そんな経歴の女優がいると「千年女優」を通じて知って、いったいどんな人だったんだろうと、遡って作品を観た人もいるかもしれないし、いないかもしれないけれどもその訃報に際して、今敏監督の「千年女優」をちょっと見返してみたいと思った人が、案外に多かったのも世代を繋げるように原節子さんという存在が、今敏監督の中をくぐり抜けて長編アニメーション映画の中に焼き付けられ、それを大勢が見ていて訃報を受けて思い出されたからだろう。そんな今敏監督も今は亡い。存命だったら何を語ってくれたろうか。

 外国人なら小津安二郎監督という希有の存在を通して原節子さんを知っていたという人も多く居そうで、そうした人からの弔意もいろいろと入っているけれど、世代的に小津監督と触れていなさそうな世代には、今敏監督の「千年女優」と通して存在も知られているみたい。「パシフィックリム」のギレルモ・デル・トロ監督がツイートで原節子さんのことを、「千年女優」に影響を与えた監督だと評していたのがそうした方面からの影響を感じさせる。ギレルモ・デル・トロ監督なら普通に小津監督も見ていそうだけれど、彼のファンに説明するなら「千年女優」の千代子のモデルというのがやっぱり通じやすいかもしれない。ギレルモ・デル・トロ監督自身、今敏監督が好きそうで先月あたりに「千年女優」や「PERFECTBLUE」について触れるツイートをしていた。他にも今敏監督を知る外国人監督も多いことを今さらながりに感じ取り、改めてその不在が強く悔やまれる。天国で今敏監督は原節子さんに会えただろうか。会ったら何を言うだろうか。「私はこの映画を何十回も見たのです」。どうだろう。

 どうして政府は立ち上がらないのか。警察は市民の安全を守ろうとしないのか。総理はその口で言論を弾圧すべきではないと訴えないのか。札幌の学校で非常勤の講師をしていた元朝日新聞の記者の人が、かつて従軍慰安婦の報道に関わったということで誹謗中傷を浴び、攻撃も受けて学校に居づらくなっているという。いくら思想の側で言論の自由を守るべきだと訴えても、経済の側で警備の費用がかかるしクレームもあって業務に支障が出るからといって、その綱引きが経済側に傾いて余計に居場所を失いかっけていたところに、韓国の大学から話があってそちらに招聘されることになったという、そんな話が伝わっている。そちらなら流石に安全は確保されるだろうけれど、でもこれで良いのか。どこかの国より言論の自由が進んでいると訴えているこの国で、こういう事態が起こって良いのか。良い筈がない。政府は、内閣は言論が妨げられる国だと日本が思われないために、率先してその立場を護るべきなのに知らん顔。一切の支援を行おうとしない。

 元記者の人が朝日新聞で報じたことに虚偽はなく、誇張もなくましてや捏造もないことは、当人が明らかにしていてそれを「捏造」めいた言い回しで糾弾していた新聞記者が、過去に自分たちの会社がしでかしていたことを調べもしないでインタビューに行って、鮮やかにノックアウトされている。瑕疵はなく非難されるいわれもないと分かったのに、一人歩きした「捏造」というレッテルを真に受けて突貫する面々が多く現れ、学校に居られなくしてしまった。「捏造」扱いした新聞はだから、大きく紙面を使ってそのレッテルを白紙にすべきなのに、今回の韓国行きの報を受けても「捏造」と指摘されていたという話しか書かず、当人がそれを否定して裁判を起こしているという話しか書かず、客観的に「捏造」ではないことをいわない。そして政府も官憲も根拠のないレッテルでひとりの人間が言論活動をこの国で行えなくなったことに何の危機感もしめさない。なるほど言論の自由がない国だと外国から言われる訳だけれど、それを当然として受け流して恥じないこの国を担う人々が、向かおうとしている世界がとても恐ろしい。どうなってしまうんだろう、この国は。

 エロい思いも含めてすべてをさらけ出して生きて行けたら樂だろうけど、それで引かれるのが普通の社会って奴で、何を言ってもそこに裏はなく影もないと分かってもらえるには、やっぱり社会が変わる必要があるんだろうなあと慶野由志さんの「正直バカはラブコメほど甘くない青春に挑む」(ダッシュエックス文庫)なんかを読みながら思ったり。同級生とぶつかって胸を揉んでもそれを嬉しいと言ってしまって見下されず、むしろ正直な奴だと別の女子からはちょっかいをかけられ、エロい攻撃も浴びてそれをガン見してしまう行為を笑われつつ喜ばれもする少年が、手に入れたのが人の嘘を見抜く力を持った鏡とそれに付帯した付喪神。普通ならとてもじゃないけど嘘がやましくて持てない鏡を持って少年は、学校で怒っている不思議な事件に挑む。正直が世界を救う話。正直であれと教えられる話だけれど、目の前にエロい少女が現れ迫ってくれたらそりゃあ正直に生きようって気にもなるよなあ。現実は違う。だから欲望を包み隠して生きるしかない。厳しいなあ、現実。


【11月25日】 サウザーひとり髪の毛が短いという不思議な5人組ユニット「南斗DE5MEN」がついにデビューしたので見てみたら、歌っていたのが大事MANブラザーズだったというか、今さらだけれどやっぱり耳に刺さる歌というか。誰がどの役を担当しているかを探求するのも面倒だけれどとりあえず、サウザーを演じる銀河万丈さんの銀河万丈さん的というかサウザー的で心に響いた。あとやっぱりユダが何かユダ的というか演じた谷山紀章さんがGRANDOREDOのボーカルだけあってやっぱりロックというか。でもほかは何か窮屈そう。もうちょっと激しいビートの歌とか歌わせてあげれば良かったのに。「愛を取りもどせ」とか。ってそれじゃあ北斗を讃える歌になってしまうか。そんな「DD北斗の拳2+いちご味」。本編ではユリアがあたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたを言いまくっていた。凄いぞ堀江由衣さん。編集なしだって。どんなアフレコ現場だったんだろう。ちょっと知りたい。

 今日で終わりだってんで吉祥寺にあるリベストギャラリー創へと回って上條淳士さんの展覧会「LIVE」展をさっと見る。いろいろと懐かしいというか、「TO−Y」でもって爆発していた頃のあのスタイリッシュにして情熱的な絵がいっぱいに飾ってあって、ひとつの時代、ロックがあってニューロマンティックなムーブメントが起こってパンクも混じってといった音楽シーンを確実にとらえ、そこに生きるシンガーたちの生態を描いていたんだよなあ、なんてことを思い出した。どういう出だしでどういう展開でどういう結末だったか、もうすっかり忘れてしまているけれども格好いい話だったことは何となく覚えている。このスタイリッシュさが「ウッドストック」にも?がっているんだと思うけれど、それから後に描かれている、クールでスタイリッシュでエネルギッシュな音楽漫画ってあまり聞かないなあ。何かあったっけ。

 「TO−Y」自体は1987年からの連載だけれど、上條さんのデビューは1983年で「週刊少年サンデー増刊号」で短編の読み切りを書いて僕達の目の前に現れたんじゃなかったっけか。思ったのはどうだろう、「ストップ! ひばりくん」以降の江口寿史さんから続くクール系の絵でちょっとしたシュールなギャグを描く人、って感じだったけれど「ZINGY」あたりからストーリーを描くようになって、そして週刊少年サンデーで連載された「TO−Y」で一気に人気もスタイルも爆発した、ってことになるのかな。初期のギャグ漫画も実は好きで、そういう部分が「TO−Y」にも時々現れるから、緊迫した展開の中でちょっとしたおかしみも醸し出していたんだって、そんな記憶があるけど本当かどうかは知らない。もうすぐ出る復刻版、やっぱり読まないといけないかな。

 というかあの頃の少年サンデーって本当に絵が巧くて面白い漫画家が多かった。岡崎つぐおさん細野不二彦さん島本和彦さん三鷹公一さん中津賢也さん安永航一郎さんゆうきまさみさん……。本当に多士済々。それが起爆剤となって80年代を引っ張っていたんだけれど90年代、だんだんと衰えそして2000年代、長期連載以外はそれなりに話題になっても長続きしないというか、一瞬の花火で終わるというか。それを改めに入った新しい編集長だったけれど、今のところ手腕は響いてこないなあ。それともこれからか。長期連載を潰して何かを立ち上げるのか。見ていきたいけど見て分かるほど今のサンデーを知らないのだった。そのあたり、解説してくれるような情報が出るのを気にしていこう。

 そうか出るのか「ゼロの使い魔」の続刊が。書いていたヤマグチノボルさんの夭逝によって完結を見ないままだったシリーズだけれど、病床にて紡がれたそのストーリーを受けて誰かが続きを書き上げて、MF文庫Jから来年2月にいよいよ21巻として刊行されるみたい。ありがたいし嬉しいけれども気になるのはやっぱり誰が書くのか、ってところで盟友ともいえる桑島由一さんを挙げる人もいたりするけど、続刊に際してクリエイターから寄せられたコメントの中に桑島さんも入っているから、あるいは客観的な立場にいるのかもしれない。そこには長谷敏司さんもいたりして結構な作家が応援しているってことは、そうではない誰かが書いているって可能性が高いんだけれど桑島さんとか、寄せたコメントも意味深なんであるいはブラフで実は……って可能性も期待しちゃったりしているけれども真相はいかに。ともあれ続く展開を待とう。そして完結した暁には献杯しつつ喜ぼう。

 MF文庫Jでは第11回MF文庫Jライトノベル新人賞で最優秀賞を受賞したという方波見咲さんの「ギルド<白き盾>の夜明譚」ってのを読んだらうん、まずまず面白かったというか、冒険者のギルドに加わったのが経理に長けた兄ちゃんで、貧乏な割に金遣いの荒い集団を叩き直して黒字でありつつしっかり強いチームに育て上げる、企業経営ライトノベルの一種かなって思ったら、案外に真面目にバトルもしつつ、それを極力生かせるような兵站を組んでみせつつやっぱり肝心なのは金ではなくって気持ちなんだって教えてくれる、感動と感銘がもらえる内容になっていた。

 騎士を養成する学校を放逐されて、それならと傭兵を目指して新大陸に来たレイ・ブラウン。憧れていた<白き盾>ってギルドに誘われ、伝説の傭兵の血を引く少女に引っ張られて雇われることになったものの、あてがわれたのは経営や兵站を担当する運営職だった。なんだそりゃ、って当人は憤るものの実はレイ・ブラウンにはあらゆる状況下でも見事に兵站を整えてみせる才能があって、同じ学校に通っていた、何でも1番をとっていた少女でもその部門では叶わなかったというからなかなかなもの。当人はいじめられるくらいなら完璧に整えてやるって意気込みだっただけなんだけれど、それだけの才能は<白き盾>でもやっぱりしっかりと発揮され、超絶的な力を持ったストライカータイプの傭兵が3人いて、摩眼の能力を封印された少女がいて、赤字続きで仕事もろくすっぽない傭兵団にどうにか仕事を回し、危険な怪物をかり出す仕事すら請け負ってみせる。

 その際に繰り出した手腕が緊縮財政ではなくメンバーの入れ替えでもなく、複数の仕事のとりまとめによるスケールメリットの探求であり、安心して預けてもらうための保険の運用。結果、凄腕の傭兵たちのフルパワーが活かされ、団長の少女の能力も発揮されつつ、借金にならない程度に仕事をこなしてみせる。リストラするのは簡単だけれど、それが縮小になっては意味が無い。最高のメンバーを活かすために何ができるか。そんな工夫の必要性を感が瀬刺せてくれる物語。でもやっぱり今の風潮じゃあ才能があっても大飯食らいは必要とされていないんだよなあ。世知辛い。

 分かっていなかったのか、酒がやっぱり悪かったのか。地方紙でそれなりな地位にいる人が自分を隠してTwitterで暴言を繰り出しては、弁護士さんに正体を突き止められて大炎上。あとで酒を飲んでいたのが悪かったって謝ったけれど、それで済ませて良いはずもなく、会社は職を解いて懲罰的な人事を行った模様。何か論争をするならまだしも真正面からの罵倒をどうして50歳を過ぎた大人がやらかしてしまうのか。匿名だっていう安易さなのか、酒が心のたがを外したのか。それでもやっぱり出るような言葉じゃないってことは、当人にそうした方面の資質ってのがあったんだろう。それでよく新聞社勤めが出来たものだと思うけど、別の会社にも匿名どころか会社の看板を背負って罵詈雑言やら誹謗中傷をまき散らす人もいたりするから、本来なら常に謙虚であるべき立場への意識なんて、関係ないってことなんだろうなあ。やれやれ。


【11月24日】 2度目を見た「ガールズ&パンツァー劇場版」についてやっぱり書けることは何もないんだけれども、ちょっとだけ触れるならあんな感じの知波単学園が、立派に学校艦として存在し続けていられるのに、大洗学園がテレビシリーズで廃校を迫られたのはやっぱり戦車道が存在していなかったから、ってことになるのかなあ。それだけ日本において戦車道の持つ地位は高いと。それとも意外に好かれているのか、知波単学園のあの戦法が日本の政治家なり官僚に。それはあり得る話だけれど、国内でもあんな感じならワールドカップとかなった時に世界でちょっと戦えるとは思えないだけに、早い内にどうにかした方が良いんじゃなかろーか。ああでも映画を経て大きく進歩しただろうから、次に戦えばそれなりに整った戦法を見せてくれるかもしれない。アンツィオ高校はちょっと無理だ。あのノリと勢いが変わるとはとても思えないから。それもまたアンツィオらしいけど。

 あと、2度目でどういう順番で戦車が倒されていったかがだいたい確認できて、その際にどれがどういう感じに役立ったりしたのか、誰がどういう感じにがんばったのかも見えてそうした設定をよくもまあ考えに考え、はめこんでいったもんだと感心することしきり。ちゃんとその場面にマッチしたキャラクターであり戦車。そうした配置をドラマに載せて繰り出すというパズルみたいな脚本を、よくまあ仕上げたものだよなあ。そこには個々の戦車の性能なんかも考えに入れなくてはいけない訳で、コンピューターを使ってもシミュレーションに凄い時間がかかりそう。そういう物理的なシミュレーションではなく、そこに相応しいよう、それでもちょっぴりの嘘もまぜ、けれどもあり得なくはないような絵を作っていく。大変だったと想像する。ラストバトルなんてどこまで計算して作ったんだろう。キーとなるあの乗り物の始動から移動の距離まで計算に入れて戦車3台のバトルを組んだとしたら凄いけど。次に見る時に確かめてみよう。

 シャープのHD/BDレコーダーのインデックスにけだるそうな顔をした女の子が映っていたんでこれは面白いのかもと、撮ってはあったけど見ていなかったアニメーション「対魔導学園35試験小隊」のそのエピソードを見たらデザインチャイルドが出ていて精神的に禁書目録の木原並に無茶苦茶だったけれどもそのうちの1人は感情めいたものを持っていて、それで研究所を逃げ出したものの見つかって戻されようとしていていろいろと大変なことになっていると分かった。でもって主人公と入ったホテルで何かを始めようとしている感じ。履いている黒いのが見えたりしてもうエロいんだけれどそれを淡々と漫然とのびろとやろうとしている仕草がまたエロい。果たして2人は結ばれるのか、ってそれはさすがにアニメだからないか、深夜でも。見かけによらず個々のキャラクターの過去とかハードでシリアスなんで遡って見返そう。

 ネットキュレーション界の偉い人が出てくる会見があったんで見物に。といってもその偉い人はモデレーターとしてトークイベントに参加していたくらいで、メーンはREADYFORっていうクラウドファンディングが募った、ちょっと夢のあるプロジェクトを支援しちゃいますっていう企画に選出されたプロジェクトが決まったという発表会見。そのプロジェクトとはクライシスマッパーズ・ジャパンってところが立ち上げようとしている、全国各地にドローン基地を作りドローンパイロットも要請しては、災害時とか緊急時にドローンを発進させて被災地を空撮していち早くマッピングを行えるようにする「ドローンバード」計画。そういうのって上から人工衛星が空撮しているから必要ないじゃんって言われそうだけれど、被災地がいつも好天な訳じゃなく雲とかかかったらもう何も映らない。そういう時にドローンだったら雲の下を飛んでは被災地をしっかり撮影し、データを集められるという寸法。

 そうして集まったデータをマッピングする部隊なんかも揃えておけば、どんな時でもドローンがいってあらゆる場所を撮影し、即座にマッピング行って二次災害なんかの発生を防ぐこともできる。とても社会的に意義があり、そして全世界的な広がりもあるプロジェクトを選んだセンスはさすがにキュレーションの偉い人、ってその人だけじゃないだろうけど。でもなかなか面白い。応募すれば最初の基地が作られるという伊豆大島の名産品がもらえるコースもあるみたいなんで応募してみるかなあ、自分でドローンを操縦するとかマッピングするとかいったことは出来そうもないから。300万円出せば基地のネーミングライツ権がもらえそうそうだけれど、そうやって買った権利に「超平和バスターズ」とか付ける訳にもいかないし。「トレーシー島」とかも。だからそれは偉い人に任せよう。伊豆大島の名産品って何があったっけ。あんこ椿? くさやの干物?

 そうした会見とは別に、このREADYFORってクラウドファンディングで目標金額を達成したプロジェクトの中から、社会的なインパクトがあったりこれを讃えることで後進が励まされるようなプロジェクトを表彰する「READYFOR OF THE YEAR 2015」ってのも発表されて、大賞に鈴木美穂さんという日本テレビの放送記者が、仕事とは別に立ち上げていた日本に英国にあるというマギーズセンターを作ろうというプロジェクトが輝いていた。この鈴木さん、入社して3年目に乳がんが見つかって闘病生活に入り、今は復職もしているけれどもそんな日々の中でマギーズセンターのことを知り、是非に日本にもあったらと思い誘致を目指したとか。テレビの人なんだからそこで訴えれば即座に達成、なんてこともありそうだけれど、公私のけじめはきっちりとつけ、テレビを使わないで募ったところ、それでもやぱり意気に感じて支援を申し出る人がいっぱい出て、2000万円以上の資金を調達できた。

 これに加えた資金でもって、来年にも豊洲に日本で初のマギーズセンターが出来るとか。がんに不安を覚える患者やそんな患者を支える家族、仲間達が集い前向きに生きるための力をもたらす空間。終末を安らかに迎えさせようとするホスピスとはまた違った、生きるための力を与えてくれる場所が日本の各地にできたら、不安に怯えそのまま閉じこもり自らを貶めてしまうような哀しい出来事もなくなり、そして社会にやっぱりあるだろういらぬ偏見が消えて、排除ではなく同情でもなく、ともに生きようとする雰囲気が醸成されちえくんじゃなかろうか。それこそ政府がお題目に掲げる一億総活躍社会とやらの中で、そうした社会的弱者とみられのけ者にされがちながん患者をも取り込んで、出来ることをやってもらい出来ないことは補って、共に生きていくような社会が出来れば最高なんだけれど、政府の頭にある一億総活躍社会とやらは、使える者は使い切ろう、えもそうでないものは……って感じだからなあ。なので是非、喧伝されて豊洲に限らず日本中にマギーズセンターが出来ていくことを願おう。キャッチーな人材でもあるし、きっと大丈夫だろう。がんばれとエール。

 その記述において歴史をまるっと否定してみたりする一方で、科学的にありもしない神話を歴史に位置づけようとしたりしてもう無茶苦茶だと言われ続けた歴史とか公民といった教科書が、そこに掲載されちえる地図においても無茶苦茶だったことが地理学の研究者によってまとめられ、学会で発表されたそうでちょっとした話題に。何がどうとか面倒だから紹介しないけれども、そのレジュメにおいて「正直、結果に失望を禁じ得ない」とまで書かれ、「『ないはずの島が描画されている』『独立国が独立していない』など、とても国民の税金を用いて生徒に見せられるものになっていない地図や教科書」だと言われてしまっては、税金でもって買われ教育に使われることにこれは拙いと異論も出そう。「特に、自由社と育鵬社の歴史教科書には地図の誤りが非常に多い」とまで名指しされている教科書は、間違っているカ所が似通っているという成り立ちに絡む指摘もあって、苦笑したけどどっちにしてもこれはやっぱり拙い。改められるかどうなのか。指摘したのが中国研究で鳴る大学だからって批判も出そうだけれど、いやいやその中国研究は国策でもって戦前に立ち上げられた学校から始まっているもので、大学が建っている場所は陸軍の師団があった場所だと言えば引っ込めるかな。さてもさても。


【11月23日】 続々と登場してきたA級ヒーローたちを寄せ付けないで倒してく深海王だけれどきっと、サイタマにパンチ1発で腹に風穴を開けられ退けられるんだろうなあという展開は見えている。でもそこに至るまでに積み重ねられていく、凄い奴らが束になって挑んでも叶わない絶望感って奴が、実にあっさりとしたサイタマの1発を際立たせてひとつの感嘆であり定番の美ってものを感じさせてくれるに違いないと思うと、たとえ1週目で決着がつかなくてもそれだけ期待も膨らんでくる。隕石を少しは止めたかに見えたジェノスの火力でも叶わなかったってのがやや以外。本気だせばどんんあS級よりも強そうなのに、サイタマを除いて。でもやられてしまうのは相手が水使いだからか。そんな当たりも気にして来週を待とう。フブキもタツマキもなかなか活躍しないなあ。

 そうか倉敷蔵人はラストサムライこと絢辻海斗が復帰して万全の体調で再び奥義を見せてくれるのを待っていたんだなあと分かって少し見直した「落第騎士の英雄譚」。絢辻さんの卑怯な戦いをも退けつつ、絢辻さんの家の問題にも足を突っ込み倉敷蔵人に挑んだ黒鉄一輝がラストサムライにも届こうとする奥義を見せてひとまず勝利。とはいえ相手もまだまだ何かを秘めていそうで、次の戦いで逢ったらいったいどんな激しいバトルが繰り広げられるのか、ってあたりで興味をつなぐ。でも絢辻さんは大会には出ずその剣術が見られることはこのクールではもうないのかな。原作は読んでなかったりするんで展開とか分からないけれど、弱者の下克上的な楽しみはありそうなんで読んでみるか、これを機会に。

 もう数えることは諦めたけれども何十回目かの文学フリマへとモノレールを乗り継ぎ流通センターへ。しばらく待って入って早速行列が出来ていたブースがあったけれども何かは不明。ウエブで人気のエッセイか何かだったんだろうか。とりあえず大橋崇行さんとか沼田友さんのところに寄って挨拶をしたり全日本中高年SFなんだかんだなところでSFファンジンの平井和正さん追悼号を買ったりして時間を過ごす。1冊、エキセントリクウさんというもう歳は結構行っていながら可愛らしい表紙絵とライトノベルチックな内容の作品を書いている人がいたんで「ピエロとロボット」というのを購入。音楽をずっとやっていた人らしいけれどそういう人って文章巧いことが多いから読む前だけれどちょっと期待。BOX−AIRの人たちが固まったブースの前とか行ったりきたりしてナンにタンドリーチキンが挟んであるのを食べたりして時間を過ごして1時間ちょっとで退散。来ている人に知っている人がいなかったけれど、出足は遅くても午後からちゃんと人が来るのが文学フリマって感じなんでそれなりに賑わったことだろう。次は来年5月か。誰に会えるかなあ。

 がんばった知波単学園の戦場での勇姿を少しでも感じ取りたいと、文学フリマの帰りに九段下まで行って靖国神社の遊就館に展示してある九七式中戦車(チハ)を見て来ようと思って境内に入ったら警察官がいっぱいいて、マスコミがわんさかいて警察犬が歩いてた。何かトイレで爆発があったらしい。それも結構拝殿から近い場所。警備とか巡回とかしていなかったのかなあ。でも大事にはならずとりあえずは安心。でもまたってこともあるしこれから大変だろう。そして遊就館はだいたい20年ぶりくらいの訪問? 新しい展示室とかあったりして、戊辰戦争あたりから第二次世界大戦の終わりあたりまでの日本の戦争と戦闘の歴史なんてのをひととおり見ることができた。そこに感動とか同意とかするかどうかは別に、戦って亡くなった人がいることへの哀悼と、この国の何かを形作っていることへの関心はやっぱり浮かぶ。どう捉えどう教えるか。どう活かしどう導くか。問われるのはだから人ってことで。

 展示についてはそうか撮影禁止だったか。前はそうでもなかったような。少なくとも兵器あたりは良かったような気もするけれど、桜花にしたって回天にしたってそれは特攻兵器で人の生死がまとわりついているものだし、戦車も戦闘機もやっぱりどこかに人の死ってものが感じ取れる。記念とかいって安易に見たり楽しんだりする物ではないのだけれど、でもやっぱりあの茶色と緑と黄色の不思議な迷彩に塗られたチハこと九七式中戦車を見ると、これがよくもまあ時速30キロとか40キロでかっとんでいくもんだといった思いにかられる。見るからに小型のチハでそうなんだから、シャーマンだのティガーだのマウスだのエレファントだのといった兵器がいったい、戦場でどれだけの怪物に見えたのか、ってことを思うと「ガールズ&パンツァー劇場版」を見る目も少しは変わってくるかなあ。でもあれはまた違うものだから。すごいカーボンで加工され、ドリフトだって可能なスーパー戦車。実戦に配備されていたらきっとすごい戦果を上げてただろうなあ。いやいや死なないんだから戦果はともにゼロか。でもってフラッグ車倒せば勝ち負けが決まるという世界に。現実もそうなれば良いのに。

 生きていたのかKAエスマ文庫、っていうか何か前に出たのがアニメーション化されるみたいで、「中二病でも恋がしたい」とか「境界の彼方」とかに続いてちゃんとしっかりオリジナルを生み出す場所にはなっているって感じ。今回のもあるいはアニメ化されるだろうかと思ったけれど、その門倉みさきさんって人が書いた「ロボット・ハート・アップデート 〜サンタクロースの友達〜」は印象として結構ハードでシリアスな中身もあって京アニがアニメで得意とする萌えとか含んだ展開にはちょっとならないかもしれない。それを言うなら「境界の彼方」だって原作はハードな部分があったけれど、アニメ化ではそうした部分も含みつつ少年と少女の関係に集約して一本の筋を作り上げてみせたから、これも改編とかすれば何とかなるのかもしれない。果たして。

 さてそんな「ロボット・ハート・アップデート」はとある島があってそこには祈石とうい人の思いを受けて発電する特殊な鉱石を胸に納めたロボットたちがいて、人間もいて共存のためのテスト的なことを行っていたりする。主人公の少年は大きな電気店とかに勤めながらロボットの少女をパートナーにして生活をしていたけれど、そんな島にロボットを取り締まりたくて仕方が無い警察庁のお偉いさんを父親に持った少女が特別警察官になるための試験をかねて赴任してきたり、その島でロボットも含め数々の発明をして来た社長の娘が現れ空飛ぶ箒に乗って大暴れしたあとで家電店で働くことになったりとくんずほぐれつ。とはいえ少年とその警察官候補の少女が近づくとか、社長令嬢のじゃじゃ馬がくっつくといった感じにはならず、もっぱらロボットのスノウという少女と少年との関係を基本に進んでいく。

 それは信頼がどうやったら崩れ、そしてどうやったら取り戻せるかと言うこと。ロボットが祈石という命綱にご主人からの愛情なりを注いでもらて発電し、命脈を保っているということはつまりそうした愛情を与えてくれるご主人に対して、親愛をしめすことが一種プログラミングされているだけで、それは感情とか愛情といったものではなく、一種の反射に近いといったいわれ方をされて、少年は迷いを抱くようになってスノウにそれまでのような心からの親愛を覚えての充電が出来なくなる。やがて滞るようにもなっていくんだけれど、それを知ってスノウは、あるいはロボットたちは自分たちの思いが本物なのか、それとも一種のプログラミングかを迷うになる。人間の迷いとロボットの戸惑い。それらがぶつかりあって行き違った先に悲劇が生まれる可能性があったけれど、自体はどうにか片付いて、新しいロボットと人間の歩みが始まることになる、っていった感じかな。本当のところは不明だけれど、でも人間だって記憶や経験から目上に媚びたりするのも生存本能から来る一種のプログラムで、そこにロボットとの違いなんてあるのかどうか。そう考えた時に自ずと結末も見えてくるってことで。どっちだって良いんだよ。好きならば。ってことで。

 そして気がつくとジェフユナイテッド市原・千葉がカマターレ讃岐に敗れ、ほかのすぐ上のチームもそろって敗れたにもかかわらず、J2のプレーオフ圏内から転げ落ちて9位に沈んで来年のJ1昇格が完全になくなった。これで7年ものJ2暮らしが画定。資金もあるし選手層だってそれなりだし、何よりフクダ電子アリーナという最高の舞台も用意してもらってのこの体たらくって、いったい何が悪いんだろうなあ。チーム編成を取り仕切るGMの不在か、監督の力量か、選手自身の意志の弱さか。諸々の複合がこの低迷を招いていると思うんだけれど、それを断ち切るための道が見えないってところがどうにも痛い。いったいどうすれば良いんだろう。すごい選手? すごい監督? すごいGM? そのどれもなんだろうなあ。せめて来年こそは開幕からダッシュして圧倒的な差を付けJ1自動昇格と行って欲しいんだけれど。誰か来てくれないかなあ。アマル・オシム監督とか。そして本田圭佑選手とか。


【11月22日】 今日も今日とてデザインフェスタへ。気がついたら4階のホール入り口まで開場前に人を挙げて開場時間とともにホール内へと入れるようにしてあった。外に並ばせても行列が出来るだけでコミックマーケットみたいにブロックごとに順繰りに入れていくシステムもなければ人員もいないから、入れるところまで入れるようにしてあるんだろうか。そして開場と同時にダッシュ! は危ないからやってないけどどれでも早足で中に入っていく人たちが大勢。それだけお目当てのブースがあるってことで、のぞいたらさっそく長い行列が出来ていた。最後尾には最後尾の札。だからどこのコミケだと。そういう風になって来たのかそれともまだ一部なのか。ともあれきっとデザインフェスタでしか売らないし、手に入らないものが増えたってことと、それでも何か満足を得られるだけの販売をこなせる場に、デザインフェスタがなったってことなんだろう。

 興味深いのは基本、デザインフェスタは自分たちの物以外の二次創作的な版権物は禁止で、パロディ同人誌的なものを買い求めるのは不可能だしそういうことを求めて来る人も少ない。ってことはつまり純粋に創作を買いに来る人たちで、それも漫画ではなくイラストだったりポストカードだったりアクセサリーだったりといったグッズ類。それを買って誰に見せて自慢できる訳でもないけれど、買わずにはいられない何かがあるってことで、そういう物が増えていることを創作の広がりと喜びたいものの、それがデザインフェスタという場に限られていることは世間が、大量生産の人気キャラを求めるのではなく、少量生産でも自分だけのものを欲しいという風に変わっている現れなのか、世間がそういう大勢にアピールするものを見いだす目を曇らせて、人気キャラやら人気タレントと、自分たちの価値基準だけで思い込んでいるものに縋って新しい物を拾い上げる感覚を失っているからなのか。そのどっちもなんだろう。

 そんな中で今回もみかけた「もにまるず」ってブースはかれこれ遡ること2010年5月だから5年半前に見かけてぷにぷにっとした素材でもって動物のキャラクターを作ってて、見て可愛く触って楽しい玩具だと思い記事にしたんだけれど当時はまだ、美大生のベンチャーっぽい乗りだったのがこれを本業と決めてしっかりと作り込み、種類も増やし素材のグレードアップも図りながら事業化をしていった感じ。今ではあの「リラックマ」とか漫画でアニメの「七つの大罪」ともコラボレーションしたものを作って売っているということは、しっかりひとつのタレントとして認められているってことなんだろう。でもそういうコラボに頼らなくても「もにまるず」という単体でしっかりと認められている。

 それは「モンヂャック」という何も入らないカエルみたいなポーチも同様。そのデザインその雰囲気が作品でありグッズとして立っているからコラボに負けないで生き残る。そういう芯が強くて背骨の入った“作品”が、もっといっぱい生まれてくればデザインフェスタも楽しくなるし、世間もキャラだ何だと振り回されないでアイデアを競い合い、それに成果がついてくる世の中になるんだろう。そういう時代よ来たれ、って思うけれどやっぱりまだまだキャラが強いからなあ。メディアの力が根強いように。そこがぶち壊れるまであとどれくらい? たぶんそういう変わり目にあるんだろう。たとえ大手のメディアが取材に来なくても、そこに良い物を見つけて行列を作るファンたちの支援が根を張り枝葉を伸ばして大樹、とまではいかないけど一本立ちしていく、その屹立が林を作り森となって世界を覆う時を夢みて通い続けよう、デザインフェスタに。

 さてロシアから来たバレリアさんが手作りしているスマホケースとか売ってたDolly Houseは今日もファンシーな女の子たちが並んでいてやっぱりkawaiiの国境はないみたい。あと昨日も前を通りかかって、フライトジャケットが並んでいて何だおると気になっていた「SHARMYWORLD」っていうブースに寄ってよく見たら何とモチーフがエジプトだった。ミリタリー×エジプト。そんな意外な組み合わせがまた格好良くって背中に黒地の上に黒でアンクが加工されていたり、胸の所にトライアングルとそしてホルスの目がプリントされていたりして、それがスタイリッシュな上にちょっぴりのエキゾチックさも醸し出していた。伺うとベースにしているのはアルファとかいったミリタリーではなくワークウエアで、それだけに頑丈で暖かさも抜群。それらにプリントしたりリベットを売ったりワッペンを貼って加工し、格好良く見せている。価格もお手頃だけにこれからの季節、1枚あると良さそうだけれど女性向け、なのかなあ。ちょっと聞かなかった。またいつかどこかで見たら着てみよう。

 もう1回「ガールズ&パンツァー劇場版」を見に行こうと思ったものの、体も冷えて来たんで帰ってつらつらと読書など。秋月煌介さんという人の「天牢都市<セフィロト>」(MF文庫J)は世界観がまずなかなかで、天空に浮かぶ10層からなる半球の島々には高低差があって最上層には天使が暮らし貴族や宗教や産業といった棲み分けなんかも出来ていた時代。移動は難しい中で最下層から自力で飛行機を作って上へと行こうとした少年と少女がいたけれど、途中で落ちて割と下目の街で生きることになってしばらく。その血筋から世界の本質に干渉しその在り方を<<再定戯>>する力“定戯式”という特殊な力を持っていたカイルという名の少年は、何でも屋といいつつ酒場の用心棒ともいいつつ雑用係をしながら日々を暮らしていた、そんなある日。

 お使いに出た先でカイルは空から落ちてきた少女を拾った。怪我もさせずに助けた少女はヴィータとなのり記憶喪失だと言い張ったものの、そこに現れた謎の男が襲ってきたのをカイルはかろうじて撃退し、ヴィータを世話になっている酒場へと連れ帰ってそこの女主人の所で働いてもらうことにする。天真爛漫で疑うことをしらないヴィータと下層の街で生きながらえてきたカイルとでは住む世界がまるで違っていたけれど、それでも頼られ世話をするうちに芽生えた情。それはヴィータを追って上層から貴族の男が現れ、ヴィータを連れ帰ってしまったあとも残ってカイルを突き動かす。

 移動が困難なように設定された階層的な社会に生まれるある種の差別。それをどうにかしようと発明された昇降装置に対する反発が招いた悲劇があり、それを憤る男の慟哭もあって世界が平等になることの難しさを感じさせる。けれども別れていたままでは埋まる溝も埋まらない。動かなければ何も始まらないんだというビジョンをカイルとそしてリアという少女の言動から示し、ヴィータという少女が学び知ったことからも示して世界にひとつの未来というものを与えてみせる。もっとも本当にそれで何かが変わったのかはまだ分からない。ヴィータは止まり世界は膠着状態にあるけれど、でもきっと動いていくと信じたい。続きがあればそういう世界が描かれるのかな。他に幾つかある都市をめぐる物語とともに。期待して待とう。

 大阪市民でもなければ大阪府民でもないから、直接は関係ないとはいっても大阪における維新系の知事であり市長の継続は、その直接的な行政手腕というよりは、維新的な体勢がそうと思いたがる敵を定めては罵倒しつつそれに呼応する人たちの溜飲を下げさせ支持を得て勢力を伸ばし、そういう分断が聞かなくなると新たな敵を作ってそれに周囲を見方に引き入れ支持を継続させていくちう、まるで焼き畑を続けている手法がひとつ、世間のスタンダードとなって各地でそうした分断からの差別の連鎖が起こり、人心が荒れてコミュニティが崩れ、あとに焼け野原しか残らないようになるのがどうにも厄介で面倒で恐ろしい。社会が不穏になるとそうした手法ってとても効いてくるんだけれど、そうはさせないために必要な国の施策がやっぱり弱者を分離し、中流と思いたがっている人たちの同意を誘って貶めさせ、溜飲を下げさせ支持を継続していく感じのところあがるからなあ。大阪の全国化はだから避けられず、日本の荒廃もまた必然、と。せめて名古屋だけは徳川宗春よろしく明るくて楽しい空気を作り続けていって欲しいけれど。僕が帰る頃までは。


【11月21日】 やっぱり当たりを引いてしまう癖が抜けないクウェンサーとヘイビアが発見してしまった0・5世代オブジェクトがそれでもオブジェクトならではの火力でもって迫る中を逃げることなくここで倒せば大丈夫とばかりに挑むものの、やっぱり太刀打ちできそうもないなかでどうにかこうにか活路を見いだし見事に勝利。でもそうやって人間単位でオブジェクトを破壊すればするほど、そういう輩も増えて騎士道だった戦争が再び泥沼に向かいかねないという懸念は評議員じゃなくても抱くよなあ。実際に小説版の方も混沌の度合いが進んで世界を股にかけるスパイめいたものまで出て来た。爽快な大逆転のドラマもどんどんと複雑委なっているけれど、それでも最後に来るカタルシスに向けてちょっとづずでも全身していくクウェンサーとヘイヴィアの戦いを、楽しんで行けそう、アニメでも小説でも。

 途中までどうにもこうにも抜けの多かった展開に見るのを予想かと思い始めていた「ルパン三世」だったけれど、先週のちょっとした騒動と良い今週のとある古城を舞台にした切なさいっぱいの話といい、ルパン三世っぽさが出て来てこれで見ていけるっていう気分も盛り上がった。とある貴族が襲われ令嬢ごと虐殺されたという伝説が伝わるお城で今も幽霊が現れると聞きつつ乗り込み貴族が残したお宝探し。そこで出会った少女はいったい……っていう展開の最後に来た、予想された展開に涙がにじむ。よくがんばったね。哀しいけれどもそれが運命。今はだから安らかに。そして来週以降、いったいどんな展開になるのか。撒かれた伏線めいたものは回収されるのか。見ていこう最後まで。

 行列が増えたなあ、というのがデザインフェスタvol.42へと出向いて眺めた感想で、あちらこちらのサークルで朝1番から長い列が出来ては最後尾に「最後尾」と書かれた札を持って順に送っていくようになっていたりして、ここはどこのコミケなんだ壁際大手なんだといったビジョンが現れる。午後に入っても行列が伸びているブースもあったし、入場していく人の波もまるで途切れず駅からずっと続いている。15年くらいはデザインフェスタに通っているけれど、これまでにない賑わいぶりでもしかしたら前回あたりから少し、シフトチェンジが起こっているのかもしれないなあ、なんて思ったりもしたけれどそうなる理由も見つからない。テレビで紹介されたとか? 雑誌で特集が組まれたとか? そういう話も聞かないんだよなあ。でも行列は事実。それだけ人がマスプロではない何かを求めたがるようになっているのかなあ。

 書く場所がスマホ系の媒体ってこともあってもっぱらスマホケースみたいなのを探して歩いた今回のデザインフェスタで、まず見つけたのがDolly Houseっていうkawaii系のグッズ屋さん。チョコとかドーナツとかクッキーとかの模型をスマホの表面にデコって可愛らしくみせた品々があったけれども、パターンとしては他にもあって原宿可愛い系に入ってきた新手かなあと思ってみたら座っている人が外国人女性。そしてかたわらにた男性が言うにはロシアで売ってるブランドで、今回はロシアからの参加だってことで、そういう文化が遠くロシアにまで及んでいるんだと分かって驚いた。サイトとかショップで売ってるそうで人気もあるけど、そういうkawaiiの本場日本での反応はといえば、近寄る人も結構いてちゃんと受け入れられていたみたい。ちなみに傍らにいた男性もロシア人っぽい顔立ちだったけれどハーフらしくて日本語が流ちょう。気になった人は近寄っていろいろ聞いてみよう。

 スマートフォン関係で興味深かったのは、あと和装小物なんかを手掛けている職人さんが手作りをしながらモダンさも感じさせる袋類を出していた鳥越乃芝山ってブースで、スマホとかタブレットなんかが入る大小さまざまな袋があって、それぞれに和装の柄が描かれていて着物にもカジュアルにも合いそう。なおかつ巾着みたいな作りではなく、サイドにパイピング処理がしてあって型崩れをせず、中にも衝撃が吸収されるような素材が入れてあるからぶつけてもほぼほぼ安心。きゅっと口を絞るんじゃなくちょっとだけ閉じては紐を絡め縛ってぶら下げるような使い方。持っても下げても小粋さが醸し出される。日本の人に限らず外国から来た人のお土産にも使えそう。別に見かけた友禅の技法とつかって金蒔絵だの螺鈿だのの細工を施しコーティングした数万円のスマホケースともども、日本の伝統技術を活用した品々をこういう機会にお試しあれ。

 デザインフェスタから回ってTOHOシネマズ日本橋にて「ガールズ&パンツァー劇場版」を舞台挨拶付きで見て、そして見終わった感想はといえば。まず素晴らしかったのが、西絹代を筆頭とした知波単学園の面々で、決して性能面においてドイツのティーガーやアメリカのシャーマンに叶うものではない九五式軽戦車や九七式中戦車を操り、縦横無尽に走り回って敵を引き付け敵を囲い込み敵から引いては敵に向かって突き進む戦いぶりでプラウダ学園もサンダース大学附属高校も軽く粉砕しては、新たに始まった秋のトーナメント戦を勝ち進む。その美貌その面立ちからも分かるように常に冷静沈着にして勇猛果敢な西絹代。ダージリンが英国仕込みの格言を呟くならばこちらは和漢の古書より引いて言葉を並べて配下の生徒たちを落ち着かせ、兵法より引いた作戦を駆使してどんな強大な相手も撃滅していく。

 そんな知波単学園を相手にして、いよいよ大洗女子学園も年貢の納め時、もしも負ければ大洗女子学園から西住みほが引き抜かれることも覚悟しなくてはいけないといった場面で、新たに大洗女子学園に加わったのが、新キャラクターとして登場してくる島田愛里寿ちゃん。戦車の神様として名高い島田豊作にちなんだその名字からも分かるように、西住流とは対を成す戦車道の家元の家系に連なる少女でありながら、共にボコられぐまを愛するみほを尊敬し、大洗へと入っては副長として新たに発見された戦車に乗り込み、模型部に所属する戦車好きたちを配下に九番目の車両を動かし戦線に加わる。

 その流方において西住流とぶつかるところもあったけれど、敬愛するみほのためと引いてみほを立てつつ戦いに挑んでサンダースを破りアンツィオ高校を退けプラウダ学園……は知波単に翻弄されてすでにおらず、黒森峰にはまほが知らない西住×島田のコンビネーションで挑んでこれを撃破し決勝へと駒を進める。そこで相まみえた2人の間に浮かぶ因縁。それは現代から遡ること200年、本流として戦車道における覇道を進む西住流が君臨していた江戸時代に生まれたひとりの天才戦車乗りが、道場戦法と堕した戦車道より抜けて立ち上げた西流戦車法の流れを汲む真剣戦車術こそが本流と身に刻み、お家再興を願う西絹代の正道も邪道も併せ呑んだだ戦いぶりに大洗女子学園の仲間は次々に倒れ、傷つき再起不能になっていく。

 残るはみほと愛里寿のみ。正道を受け継ぐ2人は果たして西絹代を倒して戦車道に光を取り戻せるのか?という話ではまったくなかったというか、いったいどういう話だと言えばいいのか。何も言えないけれどもとりあえず、言えることは本格的な戦車戦をよくもまあ、アニメーションであれだけ緻密に描いたなあってことと、そして強さだけでなく優しさも振りまいた西住みほの戦いぶりは、決してお人好しではなくって多くの人に感動を与え感銘を与えていたってこと。だからこそああいう場面でああなるというか。それが何かは劇場で見て確かめよう。それからもうひとつ。サンダース大学附属高校のアリアはやっぱりたかしと一緒にはなれていないみたい。告白すら出来てないのかも。強気に見えて結構繊細なキャラなのかも。ケイなんかの方がよっぽど強気だけれど、言ってふられてもそうかと笑えるがさつささもあるからなあ。アリサも苦労が絶えなさそうで。


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