縮刷版2014年6月下旬号


【6月30日】 少女は戦い、そして少年はただ見守るだけなのか? そんな関係性が登場するライトノベルが相次ぎ登場して、今までの少女にどこかすがっているだけの少年とは違った姿を見せてくれている。1冊は「鉄球姫エミリー」の八薙玉造さんによる「焦焔の街の英雄少女」(MF文庫J)。どこか異世界より現れ世界を壊滅へと追い込もうとしていた剋獣を相手に、そんな剋獣を倒す力を持った剣を扱う能力を持った人類が幾人か誕生。そのうちの1人で焔を扱う烈火の剣皇は紅地杏という少女で、品川に剋獣が現れた時も颯爽と登場しては味方を救い敵を鎮めてカメラに向かって大見得を切る。もっとも。

 そんな紅地杏の本性はどこまでもメンタルが豆腐な少女。ドヤ顔で喋ったことも恥ずかしければ凶暴な剋獣を相手に戦ったのも実は恐怖心に駆られながらのこと。それを普段はまるで外には出さないけれど、幼なじみの少年、黄塚光義にだけは明かして普段から彼の部屋に入りこんでは口をこぼし泣き言を言って心のバランスをとっている。それでもいざ事あれば出向いていって剋獣を相手に傷つきながら剣を振るう紅地杏を前に、黄塚光義は心を痛めていた。彼女がそんな立場になってしまった理由から来る責任感。そして幼なじみという立場。恐怖に怯え痛みにうめきながらも戦う彼女への後悔とも慚愧とも言えそうな気持ちを抱きながら、黄塚光義は紅地杏の行き場のない迷いや悩みを受け止めてあげようと頑張っていた。

 けれども災厄は色濃さを増す。五帝と呼ばれる剋獣の王の登場が紅地杏の活躍で無事だった関東を崩壊の危機へと陥れる。そして起こった奇跡とも、あるいは災厄とも言えそうな出来事。その果てに起こったひとつの事件が豆腐メンタルの英雄と優しい隣人との関係を大きく変えようとする。英雄なおに心がいつも折れそうな少女というキャラクターのいじらしさと可愛らしさを存分に味わっていたら、とんでもない事態が起こってさあどうなるといった所。五帝もまだ残りはいそうでそして剣皇も揃ってないところを見ると話はさらにスケールを増していきそう。ただの仲間ではなさそうな剣皇たちの関係も含めて今後が気になるけれど、ちゃんと続いてくれるかな。

 そしてもう1冊は深山ユーキさんってあんまり知らない人による「終焉世界の救世候補生1 動乱胎動」(オーバーラップ文庫)。こちらも世界は災厄獣ってのに襲われていて人類の大半が死滅。そんな中で人類は空と大地を閉ざして災厄獣の襲来を防いでいたけどそれでもやって来る災厄獣を相手にする時は、「獣の因子」というものを持った少女だけが操れ、それ以外は逆に食われてしまう「神触装甲」を身にまとって戦いの場に身を投じていた。そんな少女の1人で、かつせ世界を救った救世主が自ら運営する救世主育成のための塾に所属しているヒジリ=ルギウスが出撃した先で出会ったのはナンバーズ3に分類される強靱な災厄獣。今まで戦ったことの相手に苦戦していた彼女は、バイクに乗って駆けつけてきた1人の少年にその場で指導を受けて剣技を覚えてナンバーズ3を倒してしまう。

 少年の名は蔵内嶺路。かつて世界を救った救世主の蔵内亜久里と名字を同じくする彼はそのまま救世主塾で先生となってヒジリや戸松ノア、霧崎咲羽といった生徒たちを教え始める。「神触装甲」を身にまとうことができるはずがない男性が、なぜか災厄獣に詳しく戦い方も知っていて、それが実に的確だったりするからヒジリは訝る。やがて彼と塾長の関係を知っても、それでも残る謎。さらにナンバーズ5という2段階をすっ飛ばして現れた凶暴きわまりない災厄獣の襲来はヒジリたちを危地に陥れる。そこに現れた謎の「神触装甲」使い。いったい誰、ってのはまあ予想の範囲だけれどどうして彼がという部分と、そして元英雄の亜久里が申し訳なさそうにしていたるする部分から、純粋な気持ちと家名へのプレッシャーを原動力に戦っているヒジリたちとは違った戦いの理由、そして戦う相手の謎が浮かび上がってくる。世界は救われるのか。それは誰が救うのか。ヒジリの運命は。いろいろと気になるシリーズ。これも速く続きが読みたい。

 なんか茫洋としながらテレビを見ていたらオランダとメキシコが戦っていて途中までメキシコが勝っていたみたいだけれど、ちょっとだけ目をそらして録画直後の「魔法科高校の劣等生」を再生してたらオランダが同点に追い付いていた。いったい何があったんだ。おまけにそれだけでは足りないと見たかファンハール監督は前線にフンテラールって背の高い選手を入れつつサイドからロッベンのしつこい攻撃なんかをさせて相手を押し込みそして、アディショナルタイムになってロッベンの決してスピーディではないけど近寄りがたいドリブルをゴールラインまで走らせてしまったのみならず、そこから内へと向かわせさらにペナルティーエリアへの侵入を許し、なおかつそこで切り返しをさせてしまってたまらずメキシコ、脚をひっかけPKをオランダに献上してしまった。

ゼッコーチョー!  決まれば逆転でそしてもうほぼ絶対に同点に追い付くのは無理な時間帯でのPKを、フンテラールがしっかりと決めてそのままオランダが逃げ切りベスト8へとコマを進めた。なんだメキシコ弱いじゃん、ってことはなくってやっぱりアグレッシブでパワフルなサッカーを決して大きくもない体格の選手たちが演じてみせて似たような体格の日本にとっての道を見せてくれた。ただ背丈は似ていても脚の太さや胸板の分厚さといった体幹の感じはまるで違っているのが日本とメキシコ。そりゃあルチャリブレの国でありミルマスカラスの国、食べてる物も人種も違って筋肉が太くなり肉体も分厚くなっていくんだろう。そんな国を日本と同一視して監督もメキシコ人を呼ぼうとは日本サッカー協会も安易だよなあ、呼ぶなら背丈ではなく俊敏性でもってオランダの動きを取り入れられるような監督を呼ぶべきだろうに。まあ聞いちゃいないけど。アギレ監督に落ち着くのかなあ。2億数千万円で他に呼べるような気もするけどなあ。

 ももいろクローバーZが間近に見られる発表会があったんで見物に行ってそしてセーラムーンのミュージカルに出演しているメンバーの中にあってセーラージュピターを演じる高橋ユウさんの長身ぶりとそれからViViとのコラボとして登場したトリンドル玲奈さんの細さにため息をもらしつつしばし眺めてそして会場を早めに飛び出し歩いていたら、何か愉快な歌を唄っている5人組がいたんでしばらく見物、というか誰も見ていないんで1人で見始めると途中で抜けられないのだった申し訳なくて。いやでもそういう気持ちが逆にそこにいたいと思わせるようになるくらいに愉快な五人組。名をパドリスタというらしいユニットで、オープニングとそしてエンディングを締めてた「ゼッコーチョー」って曲がとりわけ良くって見入ってしまった。

 有名かっていうと今はまだそうではないけど、各地で活動しては追っかけみたいなファンもいるようだし、何より歌が巧くて良い曲なのが最高。見れば誰もが気に入るだろうそんな彼らは何でも来年の3月31日に代々木第二体育館を抑えてライブか何かをやることになっているとか。9カ月先にいったいあれだけのキャパを埋められるだけのグループになっているのか、っていうかキャパいったいどれだけだ。円形だけれど入れれば決行は入りそう。そんな中で輪になって踊り「ゼッコーチョー」と歌う彼らをちょっと見てみたい気持ち。その時にいったい自分が何をやっているか分からないけど、時間があれば、そしてチケットが余っていれば見に行こう。ソールドアウトで入れなかったらそれはそれで素晴らしいことだよなあ。まさにゼッコーチョー。さてどうなる。


【6月29日】 辛口甘口どっちもございの映画批評ポータル「ロッテントマト」で公開から3週間近く経っても好評価90%を維持しているってことだけで、映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は相当に面白いんだってことが伺えるけど、実際に日本でも先行上映が始まったみいで、劇場で観た人たちのだいたいがやっぱり「面白い」と言ってくれているようで一安心。原作が刊行された国だけあって、あの桜坂洋さんが描いたなかなかにテクニカルな設定で、そして切なくもあって哀しくもあるストーリーがハリウッドライクなストーリーに変えられてしまっていたことが、素直に受け入れられるか心配したけどこれはこれで良いものだっていった声が割に多いのが嬉しい。

 何より心配された主人公の年齢設定。まだ少年で初年兵のキリヤ・ケイジが50を過ぎたおっさんのトム・クルーズになっていて、最初その配役が届いた時に誰もが一体全体どうしたことかと思ったけれど、戦場から遠くはなれた場所でカッコつけてたPRマンという設定にして、それでも戦況がにっちもさっちも行かなくなって最前線に突っ込まれようとして大慌て、にやけてごまかそうとし、それが利かないと見るや逃げようとしたけど逃げられないまま、初年兵の部隊に放り込まれて最初の戦闘へと向かうあたりのトム・クルーズの怯えて逃げまどう演技は、常にスーパースターでスーパーヒーローだった彼にしては珍しいと評判になったみたいだし、そんな演技もできるんだと驚かれた様子。

 なおかつそんな軟弱トムが、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」を読んだ人なら分かる設定を経ることによって、どんどんと精悍になり自身を得て強くなっていくのが見えるのが面白い。小説だと「強くなった」で済む描写も、実写では人間が演じなくちゃいけない訳で、それをちゃんとトム・クルーズは演じきっている。逆にいうなら最初っから歴戦のリタ・ヴラタスキが最初はどんな感じだったのかも見てみたいところ。そういうスピンオフとか作られたら見に行きたいなあ。可愛かったのかなあ。ともあれそんなトム・クルーズがひとつの見所。

 なおかつただ強くなっていくだけじゃなく、その過程で得る経験によって生まれ育まれる感情が、トム・クルーズを悩ませ苦しませているような設定がちゃんとあるところも、この映画なり設定がただバッドエンドからのコンティニューを繰り返して経験値を積み重ね、攻略本なんかも参考にしてラスボス相手に勝利して、ヒャッハーとなるだけでは止まらない深さを持っていることを示している。何度も出会い何度も目の前で死んでいく彼女を見続けることは果たして人間の心に耐えられるのか。なるほどリセットすればまた現れるけどそれは同じ時間を過ごした彼女ではない。そんな経験を何回何十回何百回と強いられ人がまともでいられるか。そんな苦悩もちゃんと描かれ演じられている。だから考える。世界は安易にリセットして良いものじゃないってことを。

 戦闘描写の迫力とラスボスへと迫るスリリングさ。そんな展開を経てそしてラストに待っているのは、寂寥感ならぬ達成感だけでもない嬉しさというのが、原作を敢えて変えてまでハリウッドがこだわった映画ならではのストーリーにはある。映画館を出て心地良い気分で街をこれなら歩けるだろう。それが是か非かは分からない。嫌なことを忘れてしまうのが良いとも限らないけどそこはそれ、そういうのが見たい人はいっぱいあるそういう映画を、あるいは物語を見たり読んだりすれば良い。これは、この映画はああ良かった楽しかった、そんな気分にさせてくれる映画として受け止めよう。これなら続きもありそうだし。それはより苛烈な戦いになったりするのかな。それを乗り越えて笑顔でラストを迎えられた時、トム・クルーズはいったいどれだけの勇者になっていたりするのかな。片手で月とか割っちゃったりして。

 しかしライトノベル作品がハリウッドでもってトム・クルーズ主演で映画化されて世界的なヒットを見せるこの時代、一方ではライトノベル出身の作家による小説を元にした映画が世界4大映画祭らしいモスクワ国際映画祭でグランプリにあたる金賞を受賞したりすることに、ライトノベル好きとしては喜んで良いんだろうけれど、それで世間の注目がライトノベルに集まるかというとどうなんだろうなあ、大文化部様は相変わらずにそうしたポップカルチャーを本流とはとらえず、囲い隔離しながらおそるおそる紹介しているだけだし。普通に日曜日の書評欄でライトノベルに1本、柱が立つくらいのことは起こらないのか。起こらないんだろうなあ。それが権威主義って奴で。ああつまらない。いやそんなことよりハリウッド映画とモスクワ映画祭金賞映画の原作者2人について、どう捉えたら良いかがここでは気になるところなんだけど、どうしよう。

 悪魔って呼ぶと間違いらしくて、世間では「存在証明不可能型生命体」って呼ばれているそいつがいたりする美術館。入り口で受付をやっている鷹栖晶は昼間はぐうたらと寝ているだけで、ファンらしい女子高生の女の子が年間パスを持って通ってきて知らんぷり。けど呼ばれると途端に背筋をしゃんと伸ばしては、悪魔とやらがいる部屋へと降りていく。そこで見るのは背中にナイフを刺された姿で親友の音井が倒れている姿。といってもその謎を解くのが本筋ではまったくないのが、栗原ちひろさんによる「悪魔交渉人1 ファウスト機関」(富士見L文庫)という小説だ。

 なぜならその倒れている音井こそが“悪魔”で、エジプト旅行に鷹栖と行った時に乗っていたバスがテロリストに襲われ、そこで死んだ音井に取りついたまま日本に戻ってきた 。世界でも希なる悪魔をそばに侍らせた鷹栖は、霊能者の団体やら悪魔払いの一派やらに狙われつきまとわれることになるけど、そこに手をさしのべたのが今いる美術館を隠れみのにしたある団体。そこで鷹栖は音井にとりついた悪魔の手助けも借りながら、世に現れる悪魔との交渉に臨む仕事をしていた。それが本業。

 誰にも頼れなかった時代、世間的に名前の売れていた五能という霊能者を尋ねて行った鷹栖は、五能を師匠に学び異能を御する力をどうにか身につける。そして悪魔を通して過去を見て今を見て真実に迫る能力を活かして、リサイクルショップに持ち込まれたという砂岩か何かで作られ、中に人間が入って寝たままになっている壺の正体を探ろうとする。そして浮かび上がったのが太平洋戦争の渦中で日本が行っていたらしい悪魔の研究。その秘密を狙って壺に手を出していた暴力組織の襲撃も受け、命すら奪われながらも鷹栖は悪魔によって何度も蘇生させられながら敵の正体へと迫っていく。

 師と仰いでいた五能はどこまでも潔癖で清廉で、鷹栖にも優しく日本のために働いているような男だった。そう見えたけれども彼だって人間、その本性にはさまざまな感情が渦巻いていた。鷹栖という男を前にして清廉を装っていた五能が、けれども衰えつつある自分の能力を自覚し、それでもより高みを目指そうとしていたその本性を知るにつけ、人間というもののおろかだけれど熱い姿といったものが見えてくる。一方で親友だと思っていた音井が、共に同じ事故にあいテロリストの襲撃も受けて命を奪われそうになった時に明かした鷹栖への感情もまた、人間の奥底に渦巻くさまざまな感情を表していて表面だけではなかなか人は見れないものだと知らしめる。

 だからといって人は醜くく汚いものなのか、それとも切羽詰まれば誰だって自分を1番に考えるもので、そうでない時にはやっぱり他人に優しく世界を慈しむ存在なのか。悪魔はそうではないと囁き人の心を掻き乱すけれど、鷹栖は折れず曲がらない。その信じる心を崩すことなく、エジプトから帰ってもそのまま悪魔に憑かれた音井とつきあい続け、そしてその本性を知ったあとも五能を尊敬し続けるだろう。そういう人間に人はなるべきか否か、って問題も突きつけられる物語。もちろん襲ってくる敵が誰で何を目的にしていて、どういう手口で襲ってくるのかを予測し敵を追いつめ、挙げ句に真相へと迫るサスペンスとしても楽しめる。完全に敵となった五能を相手とした戦い。音井に取りついた悪魔とそれを御する鷹栖を狙って来る勢力との戦い。いろいろな戦いの果てに鷹栖が目指すものは。平和か安寧か。読んでいこうこの続きを。

 というわけで横浜アリーナでSCANDALのアリーナツアー。大阪城ホールで1日やって横浜では2日間の最終日はWOWOWの生中継も入っていたからかMC抑えめで楽曲中心にぶっ飛ばしてギュッと締まった感じ。おかげでアンコール入れても2時間ちょっとで終わってしまって午後4時スタートで外にでて午後6時過ぎという何とも健全なライブになったけれど中身は濃かったからむしろ嬉しいか。いつかの東京国際フォーラムはMCが長くてそれはそれで愉快だったけどドライブ感は緩かったし。

 晴れ舞台ってこともあって登場シーンからもうフリフリでヒラヒラな衣装でどこのプリンセス・プリンセスかと思った。彼女たちもアイドルっぽい時代はそんな衣装着てたからなあ。でも中身はロックサウンドでぶっ飛ばす。だいたい聴いたことある曲がメインで割と早めに「DOLL」もやって珍しくタオルを買ったんで一緒になって振り回したら腕が吊った。歳だ。いやでも見渡すと似たような歳の人もいれば若い女性もいっぱいでそして男子がわんさか。広い世代に人気が広まりつつある様子。そうでなければアリーナ2daysは埋まらないよね。もう中野サンプラザだととれないかなあチケット。

 衣装替えがあって登場したHARUNAの肩に巨大な毛玉が乗っていたのがご愛敬。右肩がそれでふさがっていて右方向からだと顔が見づらかったかも。そんな衣装で名曲「ハルカ」を歌ってくれたのが嬉しかったなあ、名曲なんだよこれは。アカペラでのサビの歌い出しからメロディアスなメインメロディへと流れる歌を聴いていると切なくて優しくなれる。いったいこれのどこが『豆腐小僧』なんだとはちょっと思う。挿入歌だか何かだったんだ。

 最近はそんなアニソン系をあんまりやってなかったけど、遂にポケモンの映画で主題歌を歌うことになったようでライブで披露。なかなかにロックだったししっかりとSCANDALだった。MAMIのギターが響いてたような。本当はもっとMAMIのボーカル曲も聴いていたかったけれど、WOWOWを通して一見さんにも認知度を広めるチャンスってことでHARUNAをメインにベースのTOMOMIの可愛いボイスによる歌も交えたSCANDALショウケースといった感じだった。

 だったら誰よりもビジュアルに優れたドラムのRINAをもっとフィーチャーすれば良いんだけれどドラムなだけに前に出られないのだった。普通だったらそういう機会も作ってRINAがドラムソロやってみせたりするんだけれどそれもなくずっと後ろで叩きっぱなし。勿体ないけどでも良いそこが彼女の居場所だから。そこで叩く凄い腕前のドラムにこそ注目すべきだから。もらったチラシだとそんなRINAのドラムクリニックとかあるみたい。あの美少女がとてつもないドラムを叩く様を間近で見たいなあ。いやでもそういう歳でもないし立場でもないから。ライブで遠巻きに眺めるのが良いってことで。

 ってな感じで終わったライブはうん、やっぱり最高。だいたい5年くらいだっけ、おっかけて来たけどこうやって横浜アリーナを2日間、埋められるくらいにはなった。じゃあ次は、ってなってより巨大は箱を制覇していくって感じでもないしロックバンドでギターバンドはそれなりな箱で身近に聴いていたいという気もやっぱりする。それだとキャパが足りないという悩みもあるだけに難しいところ。事務所がどういう展開をさせていくのかちょっと気になる。アリーナ常連にするかドームも目指すか。でも解散だけはないかなあ、本人たち、やる気満々だから。それが嬉しい。見返してやってくれ、最初に見下した奴らを、そして突き進んでくれ、どこまでもどこまでも。ハルカな彼方まで。


【6月28日】 これで3作連続となったTOHOシネマズ川崎での「攻殻機動隊ARISE」シリーズの舞台挨拶付き上映の出席。東京都内でもやることはやるけど、やっぱり時間的に1番のを見たいというのがファンの心理であり、オタクの沽券。それほど遠くもないってことで、今回も「攻殻機動隊ARISE border:3 Ghost Tears」の初日を川崎まで見に行って、とりあえずやっぱりブルーレイディスクの劇場限定版を買ったらフィルムが珍しく草薙素子だった。過去2枚は何だったか忘れたけれど素子ではなかったよなあ、キャラですらなかったような。ゴリラ女みたいな顔をしたアップなだけにちょっと嬉しい、やっぱり素子はこうでなくっちゃ。

 その意味で言うなら、今回の「border:3」の素子は何かふにゃふにゃ。彼氏ができたみたいで、それが義体技師らしくって心も奪われ体もなめ回されるように診られて、とてもじゃないけどゴリラ以上のパワーと鋼鉄の意志を持った凄腕の女エージェントには見えはしない。過去にない素子なだけに演じる坂本真綾さんも、脚本を読んで一度閉じたというくらいで、いったいどう演じれば良いのかを考え、相手役を務める鈴木達央さんがどう出るかで考えようと思ったとか。その鈴木さんもやっぱり今までない素子を相手に、どういう男を演じるか迷いつつ、最初は色気前回でいったら流石に止められたとか。けどやっぱり漂う色気と、そして素子に近づき3週間という最長不到の交際期間を保ているだけの才気ってやつを見せてくれていた。なるほど素子もトロけるはずだよ。

 そんなイチャイチャの一方で、国内ではテロ組織が何かを狙ってあちらこちらで爆破事件を繰り返す。爆弾が持ち込まれた形跡もない不思議なテロであり指示しているのもちょっとあり得ない存在。それだけに素子も気がかりで動いてそして見えてくる。彼女の過去とそして現在が。いろいろと入り組んだ展開なだけにもうちょっと見返して全体像を把握し人間関係を理解する必要がありそう。あれはいったい誰なんだとか。あとはやっぱり素子の姿態か。裸はもちろんのこと、今までになく生脚なんか見せてくれちゃっているし。それもそのはず、この「border:3」は総監督だけじゃなく監督も務めた黄瀬和哉さんが「脚を描きたい」という希望を出したところから脚本が出来上がっていったとか。

 あと素子の愛。そんなものどう描くかってことを受けて脚本の冲方丁さんが苦吟の果てに書き上げたシナリオは、脚はもちろんいっぱい出ている上にその脚に役割が与えられテロという事件が描かれ、その中心として動く男が描かれ、彼が師と仰ぎ見る存在が描かれて、それが素子と重なってくる。軍にいた経歴も持つ彼女がまっとうな仕事だけをしてきた訳じゃないってことが、改めて突きつけられるエピソード。だからこそ今を愛情に生きたいと溺れたのかなあ。その相手がまさか。入り組んでいるのか仕組まれているのか。あと見所はトグサの存在。もう1人のメンバーを自分たちと同じタイプの人材にしようと思っていたところに現れた、自分の目で見て考える刑事。それは素子やバトーたちには見えなくなってしまったものを、見ることができる男だった。なるほど自分にはないタイプ。むしろ過去に捨ててきたタイプ。だからこそ入れたのか。そして完成した公安9課。その最初の戦いが次の「border:4」ってことか。あの少女が敵になるのか。その正体は。9月早々にも上映開始。見に行くぞ頑張って。たぶん川崎に。そのついでにまた三島まで脚を伸ばすか。

 というわけで川崎まで来たんだからと、ちょっとだけ足を伸ばして、三島で今日から始まった「新海誠展 −きみはこの世界の、はんぶん。−」ってのを見に行くことにする。とりあえず東神奈川まで出てそこから新横浜へと回って新幹線でびゅわーん。1時半くらいには到着して駅から徒歩3分という「大岡信ことば館」を探しあぐねて南口に行ったりしながら、それでもたどり着いた会場には結構な数の人が来ていた。静岡県からだろうか東京からも来ているんだろうか。印象としては大学生とか高校生。Z会の会員なのか新海さんの作品がぐさりと届く層なのか。どっちにしても三島まで来てたってことで。それだけの魅力が新海作品にはあるし、何より展示が三島まで見に行くだけの価値を持った充実したものになっている。

 展示内容としては、ちょうど去年あたりに公開されてた「言の葉の庭」とそれからこれはずいぶん前になる「秒速5センチメートル」、ほとんどデビュー作といって良い「彼女と彼女の猫」とそれから会場となっている「大岡信ことば館」を運営しているZ会のプロモーションを兼ねた映像「クロスロード」に関連した展示がメインといった感じ。レイアウト画に原画に新海さんの指示が入った修正画に色の付いた完成画を並べて展示してあったり、絵コンテを展示してあって、どうやってあの画面が作られあの映像が作られたのかって過程が分かる。「ほしのこえ」と「星を追う子ども」はポスターがあったかな。全部やったら会場じゃ入りきれないし、見切れないんで作品を絞ったのは良い判断。次は東京都現代美術館あたりで全作品をフィーチャーした展示をやって欲しいなあ。やるべきだよなあ。

 そんな展示で新海さんが筆を取って描いた修正画を見ると、とりあえず新海さん目茶絵がうまくってまんま原画だってできそうな感じ。でもって「言の葉の庭」なんかだと、キャラクターの表情とか位置関係なんかを結構、新海さんが指示しているんだなあと分かって面白かった。ひとつのクライマックスとも言える、四阿(あずまや)で少年が女性の靴のサイズを測る場面では、女性の視線は見下ろす感じにとかあって、主従関係をそこで見せたいとかいった指示が書かれていたっけか。対等ではあり得ないという意識がきっと女性にはあってついそういう視線になったのかな。それがクライマックスでひっくり返ると。その本当のクライマックス、階段で見せるユキノさんの表情も展示されていて、最後の見せ場なのでと熱く指示を飛ばしてた。その成果があの顔なんだなあ。いい顔だもんなあ。泣き顔だけど。泣き顔だからこそ。

 もちろん会場になってるZ会が出てくる「クロスロード」関係の展示もいっぱい。120秒バージョンの映像で東京に合格発表を見に行く少女が、そこだけ唯一のギャグ顔で行ってきますと固い口調で言う場面の原画とかあって、なんか可愛い感じがよく出ていた。リュックに取り付けられていたクマのチェーンのはね具合なんかも細かく描かれているんだなあ。そういう小さいディテールの集合がひとつの画面にリアリティと動きを与えるんだろう。「クロスロード」については、光の加減を重ねていく指示なんかを治めた映像が上映されてて、平板な絵に奥行きと輝きが付け加わっていく過程が分かって面白かった。ああやってあのキラキラとしてみずみずしい映像は作られているのか。「クロスロード」ではビデオコンテってのも上映されていたけど、時々絵じゃなくて実写になっていた。最近はそうなのか。声を当てているのは新海さんだろうか。ちょっとぶっきらぼう。ちょっと懐かしい。

 上映コーナーってのもあって、そこでは「言の葉の庭『秒速5センチメートル」「彼女と彼女の猫」「クロスロード」の15秒30秒120秒のバージョンがループで上映中。大人1000円の入場料で入って先の2本見るだけでも2時間近くあるし、そこから展示も見ていけば3時間とか4時間とか過ごせそう。ロビーでも「言の葉の庭」「秒速5センチメートル」「星を追う子ども」のメイキングみたいなのを上映していて、これも見れば6時間なコースかな。つまりはそれだけ充実の展示だから三島まで行く価値はあるってこと。グッズもあったけどクリアファイルとかはなくすポストカードも使わないんで今回はパンフレットだけ。1080円。新海さんへのインタビューとか加納新太さんとの対談とかもあるんで絶対に買い。3つセットの缶バッジ小にギャグ顔少女があったんで、大も合わせて買って会場を後にする。時間があったらまた来たいし、新海さん登場のセミナーもあるんで是非見たいんだけれど、遠いしその時になったら考えよう。IZU PHOTO MUSEUMの展覧会に重ねて行くか。何がやるんだっけIZU PHOTO。

 分かっていないというか分かろうともしないというか。例の東京都議会での女性議員に対するセクハラ野次について、自民党の議員が自分が放ったと認めて陳謝していたりするんだけれど、そういう事件に対して何だよ自民党以外の党だって散々セクハラ発言をしているじゃないかと言い、そして自民党ばかりがセクハラ野次を飛ばすような体質だと朝日新聞が批判しているけど、それは独善的じゃないかと言うコラムを編集のとっても偉い人が書いていた新聞があったりした。なるほど野次は民主党ばかりじゃない。でも問題はああやって自民党の議員が野次を行ったことであり、そして議会という場が野次だったりセクハラ言葉だったりの非公式発言で埋め尽くされるみっともない場になっていること。それを非難するのがジャーナリズムとして真っ先にすべきことだろう。

 なのにコラムでは、具体的な事例も挙げずに民主もやっていたと話をそらし、朝日新聞は独善的だと持っていく。そんなに自民党の見方がしたいのかねえ。そして自民党の罪を薄めたいのかねえ。翼賛的な態度としては正しいけれど、そういう状況ではないのは自民党が1番良く知っている。自分たちに降りかかる火の粉を余所にそらしてホッとするなんてできないし、やったら批判はさらに強まる。だからそういう言い訳をしようとはしないのに、ご用聞きでございとばかりにやって来ては勝手な応援をして自民党の代弁をしようとする。良い迷惑だろうなあ。贔屓の引き倒しも大概にしてくれと思うだろうなあ。そんなことをやっていたら、いずれ捨てられたって不思議はないけど、そういう思考も及ばないほど自民党に擦り寄ることが第一義になって思考もそれに凝り固まっているのかも。世間の思いと逆を言っても。そりゃあ見向きもされなくなる訳だよなあ。参ったなあ。


【6月27日】 何というか胸熱というか、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」の日本公開が迫る中で、いよいよもってトム・クルーズが来日しては大阪から福岡、そして東京を回るプレミアを行って、そしてやって来た完成披露試写会で、原作者の桜坂洋さんも登場しては主演のトム・クルーズと並んで壇上に立ったりしたとか。日本の小説家で未だかつてハリウッドで原作が映画化されたって話はあんまり聞かない上に、あの世界的スターのトム・クルーズが主演だという話に至っては前代未聞。そんな画期的な経験を、ずっと読んでたライトノベルの世界から出てきた桜坂洋さんがやってのけたというんだから、ライトノベル読みとしてはただただ嬉しく誇らしい。

 別にハリウッドで原作が映画になったから小説として優れているって訳ではないし、主演がトム・クルーズだから偉いって話でもない。日本国内で何十万部も売れてしっかりと支持され映画化もされている作家の方が、人気という意味でも認知度という意味でも上を行って悪くはない。ただそれと比べてハリウッドが劣る訳でもないのもまた事実。つまりは日本で人気の作家が持ち上げられるなら、世界で知られた作家も同じくらいに評判にされて欲しいって思いなんだけれど、残念ながら日本のメディアは有名だから有名なんだというトートロジー的思考に捕らわれ、新しい価値をなかなか認めようとはしない。

 トム・クルーズが朝のワイドショーに出てたって、原作の桜坂洋さんの名前には触れられず、映画のテーマになっていることすらトム・クルーズが考えたのかって聞かれる始末。映画なんだからそんな訳はないだろう、って普通の頭で考えれば分かりそうなものだけれど、そういう頭の持ち主が全員とは限らないのもテレビの世界。なおいっそう原作者の影は遠のいてしまう。せめて公開される近辺では、もう少しくらい原作者の名前がフィーチャーされて、それこそ直木賞受賞作家とかノーベル文学賞候補作家くらいの知名度を獲得して欲しいものだけれど……。期待しないで見守ろう。これで続編が発売されてアメリカで100万部とか一挙に売って、ハリー・ポッターの原作者くらいに一攫千金を果たしたら、メディアも放ってはおかないんだろうけど。出るのかなあ、続編。

 何か始まったって聞いたんで、東京ソラマチまで行って「風立ちぬ 原画展」を見る。原画展とか言う割にアニメーションの原画はなくって、宮崎駿監督のイメージボードとかキャラクターのイメージ画、そしてそれから起こされたキャラクターの設定画なんかが絵としてはメインで、あとは背景美術なんかが展示してあった。セルが重ねてあるものもあったけれど、そこにキャラは乗ってない。これのどこが原画展だって思ったけれど、アニメーションでいうフィルムを作る上での素材としての「原画」ではなく、アニメに関連した設定画やらイメージボードなんかも含めた、実画としての「原画」が飾ってあるんだと言われればなるほどその通り。マニアックな用語では通用しない一般性が、あるいはスタジオジブリにはあったりするのかもしれない。

 なぜか原画用紙に描かれたキャラクターの設定画は、鉛筆の線が迷い無く走ってしっかりとしたキャラの絵になっていて、描いた人の巧さを感じさせる。宮さんなのか誰か別の人なのか。表情ひとつとっても多彩だし、立ち姿から醸し出される動きってやつも抜群。ただ絵を描くんじゃなくアニメーションとしての絵を描く人ならではの線って奴なのかも。あとはCa60っていう3枚翼が3段についた巨大な飛行艇を描いたイメージ画で、これを手掛ける原画マンに向けた言葉として神経質になるな、これはなんだと思わせろといった指示があって、正確さではなくてその雰囲気を大事にすることが、絵として見て面白く迫力のある絵になるんだって言っているようで興味深かった。

 飛行機のエンジンを描くのも遠目には省略して良いと言っていたり、複葉機の上下の羽根にとおされたワイヤーは省略しろと言っていたりと、見かけの正しさではなく動かしてどう見えるか、絵としてそれっぽいかを求めている感じ。アニメーターとして何枚も同じ絵を描く大変さを知りつつ、映像としてそれがどう見えるかを考え描いて来た人ならではのノウハウって奴なんだろうなあ。そういうことを仕事を通じて教わったジブリの人たちが、これからどういう監督になっていくのか興味あるけど、そういう人材はあそこにいるんだろうか。麿さんとかはそんなひとりだけれどどういう指示を出しているんだろうか。「思い出のマーニー」のメイキングが今から気になる。もちろん映画も。

 ショップにはジブリグッズが山積みだったけれど、東京ソラマチは中に「どんぐり共和国」もあるんで別にそこで買わなくてもといった感じ。でも中型のメイちゃんのぬいぐるみはちょっと欲しかったかなあ。映像ソフトもあって、中には出たばかりのブルーレイの「風立ちぬ」もあったけれど今はボックスの様子見。出たら即座に欲しいけれど「ON YOUR MARK」の問題もあるし、悩むところではある。ただジャケットが得体の知れないシルエットじゃなくポスターなんだよなあ、BDボックスは。それだけでも貴重。だから発売中には是非に抑えておきたい。気になる「千と千尋の神隠し」については、場内で上映されていて見たら何かあんまり赤くなかった。目が慣れてしまっているだけなのか、モニターに相当な調整があったのか、本当に赤くないのか判然としないだけに、専門家のジャッジを待ちたいところ。それを見てから買っても良いかな、BDボックス。

 そしてイランも韓国もグループリーグでの敗退が決まってワールドカップ2014ブラジル大会ではアジアから出た4チームすべての敗退が決まってしまった。残念なのはどこのチームも1勝すらできなかったことでこれをもって即座にアジアのレベルが低いと言えるかどうかは難しいけれど、世間にそう見なされても不思議はなくこれから果たして味淡くが4つも必要なのかどうかって議論が繰り広げられそう。むしろ6つ出てチリにアルゼンチンにブラジルにコロンビアにウルグアイが残った南米代表の枠を増やせとか、4つ出て3つ残った北中米の枠を4にしてオセアニアはアジアと大陸間プレーオフをしてそれで合わせて4つにしろとか、そんな話も起こってきそう。5つ出て2つ残ったアフリカだってもうちょっと枠が欲しいだろうに。

 だから日本代表は是が非でも1つくらいは勝たなきゃいけなかったんだけれど、そういうサッカーをしていなかったからなあ、勝つことを目指してすらいなかった。これで枠が減って否が応でも勝つためのサッカーを志さなくちゃいけなくなったら興味深いけど、日本サッカー協会の偉い人が勝つためのサッカー、モウリーニョ監督みたいなサッカーはやらないとか言っちゃってるし。案外に危機はさっさとやって来るかも。アジアカップで惨敗とかしたらどうするんだろうなあ。監督についてはアギーレだのペケルマンだの名前は挙がっているけど本当に日本代表に相応しい監督なのか。本田圭佑選手らの言う「自分たちのサッカー」を否定しその上でオシムさんの言う「日本人らしいサッカー」すら否定しそうな面子だし。まだまだサッカー界の動きからは目が離せない。もちろんこれからが本番のワールドカップも。オランダ優勝するかなあ。


【6月26日】 前のツアーは散々応募しても青森ですらも当たらなくって悔しい思いをした山下達郎さんのツアー「Maniac Tour 〜PERFORMANCE 2014〜」がなぜか今回は5つ試しに応募してみて3つも当たるという僥倖。ポール・マッカートニーだってザ・ローリングストーンズだってボブ・ディランだって当たったのに山下達郎さんには当たらないくらいのプラチナチケットだっただけに、純粋に嬉しいとともにどういう仕掛けになっていたのかちょっと気になる。何か前回外してごめんなさい令でも発動したのか、それとも運気が巡ってきたのか。誕生日も近いし、40台最後の。

 普段はあんまりやらない楽曲をやるツアーだから敬遠した人が多かったのか。いやいや達郎ファンにカギってマニアックな楽曲なんて存在しない、すべてが達郎、だから何が演奏されても行く訳で、だから応募も凄くて外れた人もツイッターの報告なんか見ると結構いる。その中での当選ってことはだから単純にくじ運が良かったんだろう。それが証拠にももいろクローバーZの日産スタジアムは一般募集の二次でやっぱり外れてた。競争率も高かったんだろうけど規模もでかい日産で外れてキャパがそれほどでもない達郎さんで3つも通る。だから運しかないってことで。中野サンプラザは外れたけれどNHKと多摩パルテノン、そしてなぜか名古屋のセンチュリー。行くぞ。だって本人しか入れないようになっているから。ああそれで転売目当てが減って競争率が下がったのかな。ずっとそうだったら良かったのに。当たっていかない人なんていないよ普通。

 やっぱりなあ、と思ったスポーツニッポンでのイビチャ・オシムさんによるワールドカップ2014ブラジル大会での日本代表とコロンビア代表との試合を受けての提言記事。最終戦だけあって総括として「日本人選手のすぐれた部分を生かした『日本らしいサッカー』を進めるという方向性は間違っていない」と言っているんだけれど、気になるのはオシムさんが「日本らしい」とは言っても本田圭佑選手とかが使う「自分たちの」という言葉を使ってないこと。そんなオシムさんが言う「日本らしいサッカー」とは「組織性や勤勉性、俊敏性、献身性など日本の長所を生かしたスタイル」のことであって「まだ完成していない」って言葉で締めているんだけれど、このどれひとつでも本田選手や香川真司選手が目指した「自分たちのサッカー」に当てはまるかというと、あまり当てはまらないような気がする。

 組織性があったらもっと連動して人が連なりパスも回った。献身性があれば前線で大迫選手だけを孤立させないで全員がプレスに行ってそして奪われたら全員が戻って守備をした。勤勉性。それがあったら通らないパスを遠そうとしたりゆっくりとしたパス回しを繰り返して奪われるような事態は起こらなかっただろう。俊敏性というなら瞬間に良い動きだしを見せる選手がいないでもなかったけれど、それだって継続されるようなことではない。オシムさんが言う俊敏性とは献身性や勤勉性とセットになって誰もが自分に出来る最大限のことのために走り回ること。でも「自分たちのサッカー」は止まってパスを受けたら誰かに出すといった繰り返し。そこに誰かが誰かをカバーしながら攻めていくような連動はなかった。

 見ていればそれくらいオシムさんも分かっていただろう。本田選手や香川選手ら主力選手がいう「自分たちのサッカー」がオシムさんの目指す「日本らしいサッカー」とは相容れないものだって。でもそこには触れないのはオシムさんが日本代表への敬意を忘れないからであって、自分を引き継いだ岡田武史監督が苦戦を続けていた間もそれを間違っているとは1度も言わなかったし、日本代表としてしっかりやっていると激励していた。そういう配慮が出来るくらいの頭の良さを持っている人が、「自分たちのサッカー」という流行語を使わず「日本らしいサッカー」にこだわり使い続ける意味。それはつまり提言であって日本はそうした方が良いって示唆。汲んで日本のサッカー界がそういう方向に行ければ良いけれど、認めたくないサッカー界はスターの言いなりになって「自分たちのサッカー」を突き詰めていくんだろうなあ。そしてまたしても玉砕と。そうならないためにも次の監督には真っ当な知恵者が欲しいところだけれど。アギーレさんってどんな人なんだろう。

 鹿児島県で今もモクモクと噴煙を吹き続ける活火山の桜島が巨大爆発を起こして、そこから流れ出る火砕流で川内原発が潰れたら大変だっていうニュースが流れていたけど、錦江湾から薩摩半島をほとんど横切るようにして川内原発まで届く火砕流が起こる噴火なんて起こった日には、原発が壊れる前に南九州全域が噴煙で埋まって滅びてしまう。だから鹿児島に住んでいる人が火砕流に備えて原発対策をって言うんなら、その前に桜島対策をって言わないといけないんじゃないかとふと思ったけれど、そういう話になっているんだろうか。鹿児島ではない北九州とかの人が原発のとばっちりを受けたくないって言っているならまだ分かるけど、それは南九州の全滅よりも自分たちの生活が怖いといった話でもあるからなあ。人って自分のことになるとセンシティブになるもので。まあしゃあないか。

 劇場版「空の境界 第一章 俯瞰風景」のDVDを買い「oblivious」を聞いてファンになって幾年月。ライブはいつかのO−EASTくらいからだったけれどもそれでも世に知る人ぞ知る3人組だったKalafinaが遂に日本武道館までたどり着いた。その歌声そのハーモニーの絶妙をあの大きな会場でどこまで響かせられるのかが懸案だけれど今日のTOKYO DOME CITY HALLを聴いているとWakanaもKeikoもHikaruも皆しっかりと声が強くなり高さ音色を維持しつつ太くなって遠くまではるか遠くまで響かせられるようになっているように感じた。鍛えたか筋トレか。

 ともあれ歌声は大丈夫。そしてファンの数はもはや武道館のキャパですら超えている。土台を作りファンを広げつつ声質を高め活動の場を広げてきたKalafinaのひとつの到達点が日本武道館では見られるだろう。これは絶対に行かなくてはいけない。ファンでなくても見て置かなくてはいけない。他に類を見ない3人組のボーカルユニットが奏でるその音楽を耳に聴き、その音場を体で味わうことできっと、絶対に日本の音楽シーンの明日を明後日をつかめるはずだから。

 それはそれとして今日のライブは7月に出るベストアルバム合わせか良い曲懐かしい曲をいっぱいやってくれたなあ。「oblivious」も良いけれどその前のインスト前の「dolce」だっけ、ライブで演るのは始めてだったみたいだけれどKeikoさんの悶えるようなスキャットが最後に響いて耳に残った。太くて低くてそして響く声。進化している。Wakanaさんはもう澄んだ声がどこまで澄み切って天上の至福。正確な音程と底知れない発声でもって誰も彼もの耳を釘付けにする。そしてHikaru。もとよりキャラ性が出ている声だったけれど艶っぽさというか演じているような抑揚が滲んで聴く人に迫るような感じだった。あとやっぱり声量が増していたような気がした。

 あれは「destination unknown」だったっけ、是永巧一さんのギターがハマってたなあ。そして新曲という「heavenly blue」は格好いいアニソン感が出ていた。迫力だった。そんな感じのライブ。割と近くでそれでいて容積はたっぷりのTOKYO DOME CITY HOLLの良さが感じられた。この何倍もある日本武道館だけれどステージに向かい見下ろすような配置は似ている。きっとやってくれるだろう。そして次へのステップを刻むだろう。それはどこなんだろうなあ。さいたまスーパーアリーナか東京ドームか。さすがに歌声を聞かせるグループには広すぎるか。やでもさいたまスーパーアリーナならアニソンフェスで立ってるし大丈夫。行けよ行け。待っているから。


【6月25日】 送りこまれれば3年生きられない死の谷で生まれ落ち、なぜか死なずに成長すらした少年ヒノ=セレスが、持てる重力を操る力を老師によって導かれ伸ばされては、支配侯によって操られた姉を救い惑星の民を救おうとするお姫さまのリューンや、老師を支えていた機械化生命体のレイコらとともに惑星を抜け出し、向かった先は学術機関が集まった惑星アンダーツリー。宇宙船でひとときの平穏を味わいつつ、リューンと彼女に仕えるミカとの間に挟まれもみくちゃにされかかっていたセレスの前に事件が起こる。同じ宇宙船に乗り合わせいてたアマージュ人のルセラン大使と、大使を連れだしたアンダーツリーの学士で研究者のソフィーアを狙って、帝国の要人暗殺部隊が送りこまれて来た。

 アマージュ人は人類が流浪の果てにたどり着いた惑星で、猛毒の待機や恐るべき動植物から身を守るような手法を編み出し、生態形のスーツを身にまとうことで生き延びていた一族。強さも半端なく帝国の侵略を数百にで撃退したこともある。そのアマージュ人が、ソフィーアの目論む過酷な惑星を改造する計画によって、増えては拙いと考えた帝国の攻撃。受けようにも相手はなかなの強さだった、そこに飛び込んで大使を救いソフィーアを救ったのがセレスたち。もっとも、レイコはアマージュ人のルーツを知りかつて自分たち機械生命体が犯した罪を思い出して逃げ出してしまう。その罪とは……。

 いにしえより活動を続けて人類を追いつめる支配侯。その能力は機械化生命体すら操り人類への反旗を翻させては禍根を残した。今はその贖罪として支配侯に立ち向かっていながら、やっぱり過去に向き合えない弱さをルセラン大使は諫め諭す。そして星すら滅ぼしかねない強大な力を持ってしまったセレスもまた、自分の強さをどう扱うべきか悩みながら、それでも誰もが幸せになれる道を造るために降るおうと決意して、そして月を振り回す以上のとんでもない技を繰り出す。宇宙に散らばった人類の過去に迫り、支配侯の恐るべき企みを暴き、宇宙を新しい時代に誘おうとするドラマとともに、超絶的な技を駆使したバトルも楽しめるスペースオペラ。次はいったいどんな技を見せてくれるのか。支配侯の魔手はどう繰り出されてくるのか。宇宙が平穏に満たされる日は来るのか。続きが楽しみ。続くかな。

 弱いから負けた。言ってしまえばそれだけなんだけれど、本当に誰もサッカーの日本代表を弱いと思っていなかったんだろうか。海外の代表と試合をしたってどこか煮え切らない試合で快勝といった感じにはならず、ワールドカップのアジア予選も途中で息継ぎをしながらの突破となって、世界最速で抜け出したジーコジャパンの時と比べて頭抜けた感じがあまりなかった。そしてコンフェデレーションズカップ。勇んでブラジルまで行ったはいいけれども、ブラジルに破れイタリアに破れメキシコに破れと3連敗は最低最悪の結果だったにも関わらず、イタリア戦で頑張ったことをもって、何か期待できるんじゃないかと持ち上げた。本番ではきっとやってくれるだろうという期待で溢れかえった。

 とんでもない。守備が今ひとつ。そして攻撃も相手が本気を出せばまるでダメ。そんなことは1年も前に分かり切っていたはずなのに、パスを回してポゼッションを高めつつ切れ込んだり送ったりしながらゴール前に達する攻撃が、しっかりと守りそして攻撃に転じるチームを相手にまるで歯が立たないことなんて分かっていた。それなのに、まだ連携がとれていないから、これから熟成すれば大丈夫といった楽観的な見方ばかりが横溢しては、もはやこれではダメだ、ザッケローニ監督では日本代表は強くならない、あるいは本田圭佑や香川真司といった面々が中心では、走れず守れず勝ちきれないチームで終わってしまうといった声はほとんど出てこなかった。

 まだ1年あると思えばあるいはといった期待も出来たかもしれない。でも今年に入ってからの本田も香川もチームでほとんど試合に出られず、出ても大活躍はできないまま、チームはともに今シーズンのチャンピオンズリーグを逃すというていたらく。とてもじゃないけどまとまっていなかったチームでなお、試合に出られないって一体どういうことなのか。つまりはその程度のタレントであったにも関わらず、何かやってくれる、出れば確実に仕事をしてくれるという期待ばかりがふくらんだ。見せてないことを見せられるという錯覚。でも見せていないことは出来ないことでしかなかった。それが露呈した。FIFAワールドカップ2014ブラジル大会という“本番”で。つまりはだからそれだけのこと。でも未だに錯覚が続いている。本当はもっと出来たはずだという。

 いったい何が出来たというんだろう。1試合のみならず3試合、守る相手に迫ってはボールを回して時折パスを出しサイドから切れ込もうとしては止められ、中心を走り抜ける味方にパスしようとして奪われ、カウンターを浴びるような繰り返し。選手こそ多少は入れ替わっても、基本的なスタイルには変化が無く、ただフォワードがよく動くとか、中盤に前への圧力があるといったパラメーター上の微調整が行われただけで、戦術面が決定的に違ったということはない。2人のフォワードを前後に置いて縦パスからの突破を狙う訳でもなければ、サイドに比重をかけて引っぱりつつ逆サイドへと回してクロスを入れ、そこに2人3人と飛び込んでいく訳でもない。回しては蹴り込み飛び込んでは奪われる繰り返し。得点は奪えないままカウンターを浴びて失点を重ねる展開を、コートジボワール戦で見せそしてコロンビア戦でも見せてしまった。

 いったい何がやりたかったんだろう。「自分たちのサッカー」なり「自分たちがやりたいサッカー」というものが選手たちの口からずっと出ていた。それっていったいどういうサッカーだったんだろう。いつものように回して奪われるだけのサッカーだったんだろうか。それでいつか突破できると考えたんだろうか。考えたんだとしたらなかなかにポジティブ。でもいつかは無期限ではなく、そして訪れた期限にいつかはやって来なかった。そして勝てなかった。勝たなければ無意味という訳では決してないけれど、勝たなければいけない試合がワールドカップという大舞台。そこで勝てないサッカーを「自分たちのサッカー」だと口にするのをどうして誰も止めようとしなかったのか。監督は糺そうとしなかったのか。出来なかったのか。それは何故。気になって仕方がない。

 点を取るサッカーをやるといいながら、グループリーグを通じて2点ではどんな口がそういったのかと誰もが気になる。コンフェデでだってイタリアから3点とっても4点奪われ負けていたし、ブラジルからは奪えずメキシコからも1点どまり。真っ当な国が真っ当に勝負をしてきたら何もできない選手たちだと監督も世間も、そして選手たち自身もなぜ気づかなかったのか。気づいていながら気づかないふりをしていたのか。分からないけれどもすべては終わった。点はとれなかった。自分たちやりたいサッカーは、プレーしていて自分たちが嬉しく楽しく大好きなサッカーでしかなかった。勝てるサッカーではなかった。そして日本がめざすサッカーでもなかった。そう思う。

 規律に基づいた献身性、小柄な体格を活かしての俊敏性、そして多様なポジションでも対応可能な応用性。日本人に特徴的なこうした能力を活用することこそが日本人のサッカー、日本人がやるべきサッカーというものではなかったのか。そりゃあ体力はいる。そして頭脳も必要とされるけれど、それを覚えれば、教われば絶対に試合で発揮できるだけの知恵と体力を持っている。だからそこを伸ばして行けば良かったんだけれど、そうはならずに特定の選手が自分にとっての理想とする形を求め、それに周囲が合わせるような試合運びが、日本のサッカーと誤解されてしまった。混同されてしまった。挙げ句の失態に日本のサッカー界は、そして選手は今一度、認識を改め臨む必要があるだろう。どうすべきかと。誰に学ぶべきかと。

 でもそれが出来ない。出来たら8年前にやっている。いや、やろうとしたけど道半ばで費えた。それでも4年前に可能性は見えた。あとは進むだけだったのに道を違えて来しまった。攻撃が楽しければ良い。点を奪われても奪い返せば良い。楽しくても負けるし奪われても奪い返せるとは限らないという事実に目をつぶって来てしまった結果がこの、ワールドカップのグループリーグでの惨敗となった。もう間違えてはいけない。惑わされてはいけない。やりたいこととやれることの違いから目をそらしてはいけない。やれることとやらなくてはいけないことを突き詰めていかなければならない。その上にやりたいことが乗せられるかを考えていかなくてはらなない。次のステップで。誰が導く? そこが心配だ。そこが何よりも心配だ。どうなるのかなあ、監督選び。

確かにそうだよなあ、KADOKAWAとの合併が近いドワンゴの川上量生さんがインタビューに答えて「ネットはオールドメディアが圧勝」って言っている話。「日経さんがずば抜けていると思いますよ。あとは朝日新聞社。あらゆるネット系のメディアの中で、実際に勝っているのがこの2社だと思うのです。しかも、みなさんが思っている以上に、他と差がついていますね」だとか「日経新聞と朝日新聞が、どこのネットメディアに負けるというのですか。このメディアには、ブランドとコンテンツ力、そして収益力があるのですから」だとかいった具合に朝日新聞と日本経済新聞を持ち上げに持ち上げている。それこそ何か言われるのが怖いんじゃない勝って勘ぐられるほど。でもね。

 資本力をバックに人材を集めてそうした人材でもって真っ当に取材した内容を、キャップなりデスクなり管理職なり校閲といった部門で真っ当な精査を受けた上で、真っ当に発信されるのが大手と呼ばれるメディアの特徴であり利点。そうした記事の質と量が結果としてどこの場においても勝利するという、当たり前のことを言っているだけであってそこには褒めそやしといったニュアンスは微塵もない。適当にネットから集めてぺたぺたと張り付ける情報は情報として意味はあっても、それ以上の価値は生まない。ましてや思いこみと思い入れを作文して、特定勢力に媚びつつ煽るだけの似非コラムなんぞどれだけ並べても、評判を上回る悪評を稼ぐだけで数字は立っても価値はないということであるんだけれど、そういうことを分かってないんだろうなあ、某紙。だからむしろ積極的にそっちに走ってオールドメディアとしての価値を毀損しまくる。どうしたものかなあ。どうしようもないんだけれど。

 風流夢譚事件のトラウマを引きずる雑誌が皇室タブーを避けたがるのは分からないでもないし、メディア批判をメディアが嫌がるニュアンスも分からないでもない。とはいえ皇室に対する揶揄ではなく同情に傾いた話であり、他誌などで周知の話を皇室とはいえ避けていられる時代でもないだろうから、そちらについては議論の余地が大いにある。メディア批判をメディアでやる意味は、それが偏向報道とやらによって歪んで伝わった本質、すなわちAKB48というもの、握手会というものの意義であり、価値が正しく世に伝わって欲しいという思いを本筋にして執られた筆なら、絶対に必要だと思うけれど、そうだったのかどうなのか。そこが気になるんだよなあ、某一件。

 ただ事件から間も空いて、選抜総選挙も行われた今に改めて繰り広げる必要があるのかどうか、すでに是正もされている問題ではないのかといった感触もなくはない。もっと旬な、そして広く求められる言説を是非に読んでみたいという思いもあるだけに、1点にこだわって領分を失うというのはちょと勿体ない気がしないでもない。腐っても淀んでも100万以上に届く場所でのその言説を、使えば何か変えられるものがあるはず。他に出来ることは他にまかせてその筆力を、その思想をもっといろいろふるって欲しいという思いは強いけど、でもやっぱり退くのかなあ、そうでなくても退かせてしまうか。残念至極。


【6月24日】 まどろみの中で何となくスペインとオーストラリアが戦っていたようだけれどもどういう風に試合が進んで誰が点を取りどっちが買ったかまるで記憶に残らないまま寝たり起きたり。結果を見ればさすがにスペインが負け続けるのは拙いと思ったか張り切ったようで、ビジャにフェルナンド・トーレスにマタといった有名どころがそろって得点して3対0で勝利していた。っていうか先発がちゃんとフェルナンド・トーレスで、セスク・ファブレガスも途中からだけど入ったメンバーでしっかり勝ってしまえるんだから最初からこのメンバーだったら普通に予選も突破できたような気がしないでもない。

 とはいえ初戦のオランダは5バックで前線の3人に行って来いなサッカーをやっていたからスペインでも崩しきるのは大変だったかなあ。あそこで守りつつポゼッションを保てれば引き分けて次に勝ちそしてってことになったかも。相手に自分たちのサッカーをやらせてもらえなかった時に、それでも勝つために何をするかってことが必要なんだろうなあ、それが出来なかったのがギリシャ戦の日本ってことになるんだろうけれど。スペインはきっと監督も変わって選手も入れ替わってくるんだろうけれど、果たしてどんなサッカーを築いてくるんだろう。ゴールキーパーもカシージャスの長い時代が終わって次へ。とりあえずEURO2014でのスペイン代表に注目。出られるのかな?

 そんなスペインの不甲斐なさに助けられたかオランダに負けてもチリはグループリーグを突破。サモラノくらいしか名前を知らないチリ代表だったけれども世代も変わってバルセロナで活躍するアレクシス・サンチェスとかバレンシアのエドゥアルド・バルガスといったスペインに拠点を置いて欧州最先端を経験している選手がいたりするみたい。そう言う選手がいるとやっぱり強いよなあ、って日本代表もドイツにいっぱいいたりするけど、あそこって選手の個性が伸ばされ輝かされるようなリーグって感じがしないんだよなあ、だから戻ってきても埋没してしまう、と。内田篤人選手みたいにサッカーへの理解を深めて戻って来られれば良いけれど、システムに従って淡々とやっているだけでは個人としては伸びないだろうなあ。スペインでレギュラーを張る日本人選手が今いちど、登場する時は来るか。

 そのうちに目もさえてきたんで「弱虫ペダル」を見たら御堂筋くんが盛んに箱根学園を煽っていた。部長の人もそれに引っ張られてメンバーを捨てて追走を始めたかと思ったけれども、そこは王者だけあってメンバーを信じているからこその追走。ちゃんと後から付いてきてくれるし、それくらいの力がなければメンバーになんか選んでいないという確信があるんだろう。シリアスな京都伏見にクールな箱根学園。でもそんな2校を上回って信頼と友情を脚に乗せて迫ってくるのが総北学園。まるで今回は登場しなかったけれども田所と小野田が合流して6人となったチームが上りでもってジリジリと迫って来ているに違いない。次にはそんな総北が加わった三つどもえのレースが見られるか、っていつまで放送続くんだ。もう6月も終わるというのに。

 でもって再び沈没して気が付くとブラジル対カメルーン、クロアチア対メキシコというどちらも半ば消化試合的なカードが始まっていてダレた試合になるかなあと思ったけれどもそこはやっぱりひのき舞台、とりわけ開催国のブラジルは自分の技を世界に見せるショーケースとばかりに躍動を続けてカメルーンを4対1で一蹴していた。注目のネイマールはこの試合でも2得点。最初の得点は目が開いていたんで見られたけれどもゴール前から打ってそれが相手の足下をすり抜けていくような軌道をとってまっすぐゴールに。相手の動きを見越して低めをわざと打ったのだとしたら何という冷静。日本人だとあそこで正直に打ってはディフェンスに当てるかゴールの上を越していくんだよなあ。どうしてネイマールみたいなシュートが打てるようになるのか。それが生まれ育っていく過程での経験なんだろうなあ。

 「オトナロイドで〜す」「コドモロイドで〜す」「安堂ロイドでございます」。なんてコントでもやってくれたら観客だってわんさか来るかなあなんて思った日本科学未来館で25日かたスタートするアンドロイド展のお披露目会。石黒浩さんって雰囲気がGACKT的にロボットな感じの教授が作ったアンドロイドだそうで表情なんかが人間そっくりに動く上に喋るとちゃんと日本語のようなスムースな言葉を喋る。技術自体は前からあるようなもので表情がぐっと人間に近づいてもはや見分けがつかないとか、受け答えがオートになっててチューリングテストだって合格できるといったことはない。喋るときの唇の動きも画一的で、テープに合わせて口パクしているようにすら見える。その意味ではSFとかで人間そっくりなアンドロイドを見ている目には物足りない。

 ただ一般の人の前に人間そっくりで喋りも達者なアンドロイドが登場することで、日本の技術がここまで進んでいるってことは示せそう。それからそういう展示を通して集まる膨大なデータが、アンドロイドの高度化にも大きく貢献するとか。積み重ねられた実証実験がさらに組み込まれたアンドロイドが登場してきた暁には、そこにいたってアンドロイドと気づかないようなことも起こったりするのかな。あとは立って歩いて踊って座ってといった動作面か。そっちは二足歩行ロボットの研究が進んでいることが貢献してくるだろう。聞くとやっぱり日本のロボット技術は世界一ぃぃぃぃ。ASIMOとかに積み重ねられた経験は余所の国が追いつけるものではないらしいから。もしもソニーがAIBOを今も続けていたら、数万円でペットそっくりのロボットだって作っていたかもなあ。継続大事。それがないからソニーは沈んだんじゃなかろーか。まだしがみついてはいるけれど。

 これは良い。面白い。ツカサさんって小学館のガガガ文庫や講談社ラノベ文庫なんかで書いている人が富士見ファンタジア文庫に初登場して出した「国家魔導最終兵器少女アーク・ロウ」(富士見ファンタジア文庫、580円)はエルファレスという小国から魔導に優れたフレアリアという国にある魔道学院に留学したエルクという少年が主人公。出立に当たっては父母や妹に見送られ長兄からも期待され次兄からは皮肉を言われて来たけれど、今となっては軍事的に発達してしまったエルファレスが魔導にだけ頼って時代遅れになりつつある中で、どこか不安定な立場に置かれていて、異国人が大嫌いらしい教師からも嫌みをいわれる毎日だった。

 それでも大貴族のルビーレッド家に連なるミラに次ぐ序列2番目の位置は確保し、学校ではそれなりにやっていたエルクだったけれどもある夕暮れ、歩いていた街で同級生のミラが、ひとりの女性剣士と対峙しているところに行き会わせる。ミラが護送していた何かを奪おうとして襲ったらしく、魔術の力をうち消す何かを持った剣士にミラはかなわず追いつめられていく。そこに飛び込んだエルクも歯が立たず、ミラが殺されそうになったその時、運んでいた荷らしい箱の中から声が聞こえ、開いた箱の中から現れた少女がエルクと契約を交わして見方となって戦い始める。その圧倒的なパワーで。

 それはエルファレスが持つという最強兵器の虚神ですらうち破るという力を持った虚人。本来だったらミラと交わすはずだった契約を横取りするような形となってエルクは剣士の少女を退けたものの、やがて本格的に始まったエルファレスによるフレアリアの侵攻にエルクはスピネルという名が付けられた虚人をパートナーに、フレアリアに味方する形で祖国を相手に戦う決意をする。その身分に秘密があるエルクにとって、エルファレスとの戦いは半ば骨肉の争いとも言えるもの。残した妹や家族のことも気になりながらそれでも、というかそれ故にエルクはエルファレスを絶対にうち破ろうとする。そのプロフィール設定の妙味があり、本来だったら味方であるはずの側に裏切り者がいて侵攻が始まろうとしていたりする謀略の仕掛けがありといった具合に、複雑で多層的な人間関係の上に成り立つドラマを楽しめる。

 スピネルという虚人はエルクとひっついていないと魔力が供給されないため、裸でベッドに潜り込んできたりピタリと寄り添ったりとキュートだけれど旗から見れば結構エロス。とりわけどこか気があるミラなり、エルクにとっては幼なじみにあたる少女なりの気持ちは揺れ動くけれどもそんなミラと幼なじみとの間にも、エルクをめぐる火花とかが散っていきそう。さらにエルクがその本来の身分をもって決断したことの先に、さらなる恋の火花が散りそうな問題があって先が気になるというか、いったいどんな相手なんだとうか。そんな関係性を噛みしめながらも本筋として祖国を相手に異国に身を置き仲間を集めながら戦わなくてはいけないエルクの冒険というかドラマにも興味が尽きない。虚神を操りフレアリアを襲った双子の少女を説得して味方に付けられるのか、とか。そこを乗り越えても先に現れる強敵を倒していけるのか。さらには本当の敵を相手にやっぱり強さを貫けるのか。クライマックスのその時まで、応援していこう。だからちゃんと続いてよ。


【6月23日】 丁々発止とかなく淡々と進んでいく九校戦。若者たちの激突があって切磋琢磨があって成長とかあって友情なんかもあるのが普通の高校生たちによる試合の風景って奴で、例えば「ハイキュー!」なんかでも音駒を迎えた烏野高校のバレーボールの練習試合でも、相手のセッターのやる気があるのかないのか分からないまでも資質を活かしたトスワークと、それによる攻撃を浴びつつ我らが日向翔陽くんはただ飛んで見ずに打ち抜いていたスタイルを変えてじっくりと見つつ相手の隙を狙ってスパイクを打つように変わっていった。アウトにはなったけど次にはきっととんでもない技を見せて成長って奴を感じさせ、インターハイ本戦での音駒との戦いに因縁を繋いでいくんだろう。

 でも「魔法科高校の劣等生」ではライバル同士のバトルなんてなくってサーフボードみたいなので水流を走っていくレースでは何かじゃまがはいって選手同士が接触しては、その原因を確かめに司波達也が乗り出したりしつつ、鉄砲でもって標的を四散させる競技でも選手の圧倒的な技量がパーフェクトを出す様を淡々と解説していったりといった具合に、そのに選手間の競争心や友情のありとりっといったものはない。小説でもそうだったのかどうかは覚えてないけれど、アニメはアニメで状況を見つつその説明を聞きながら世界を理解し、そして進んでいく展開を眺めながらも核にあるのは達也と深雪の関係性で、そのふわふわとしたやりとりに火照る気持ちを燃やすか鎮めるかするのが正しい見方だったりするのかも。あれはあれで楽しいし。

 そんなアニメを再生しつつFIFAワールドカップ2014ブラジル大会はグループリーグの2戦目が淡々と進んでいたようで、ベルギー対ロシアなんて2002年にはるばる静岡県はエコパスタジアムまで見に行ったような組み合わせの試合があったりして懐かしみつつ華の無さに微睡みつつ、終了に気づかないまま次の韓国対アルジェリア戦を見て、何か韓国が追い込まれているなあと思いつつやっぱり微睡んで気づいたら4点を奪われながら、それでも2点を返していたりと頑張っていた。日本より得点力はあるんだなあ。でも負けてはやっぱり拙いか、イランにも韓国にもまだ決勝トーナメント進出の可能性はあるとはいえ、条件は結構厳しかったりしてこれで日本ともども討ち死にとなって既に敗退が決まっているオーストラリアも含めてアジア勢が揃ってグループリーグ突破を果たせなかったとしたら、次の枠取りにも影響とか出てきそう。

 果たして4チームで良いのか、3チームとあとは大陸間予選に回すべきではないのか等々。その煽りをこれから弱体化も懸念される我らが日本代表が喰らったらかなわないからなあ。もちろん弱くなるって保証はないけど、強くなるって展望もあんまり見えないんだ、それくらいにこの4年で選手層が底上げされたって感じがしない。五輪代表だって入ってきそうもないしなあ。あるいは噂に上っているストイコビッチが代表監督として就任したら、精力的にJリーグを回って当たらしタレントの発掘とかしてくれるかもしれないけれど、あれで完成された選手を並べたがる性格もありそうなだけに、オシムのように大学生の戦いまで回って選手を見るようなことはしないかも。とりあえう田中マルクス闘莉王の復帰があるのかな、あと楢崎正剛、しそて中村直志……はないかそこは憲剛か。実績で選手を言いなりにさせられる監督ではあっても、戦術面でどこまで引き出しはあるか。それはザッケローニ監督も一緒だって? そうかもなあ、だったらピクシーでも良いか。

 そのザッケローニ監督が、日本サッカー協会の原博美専務理事と話してパワープレーは日本に合わないから止めた方が良いんじゃないかといわれながらも、残り2分になったらやるかもしれないと言ったとかどうとか。パワープレーをやるくらいなら最初っから背の高い豊田陽平なりハーフナー・マイクを読んでおけという意見は十分だし僕もそう思う。でも呼ばなかったからメンバーに豊田もハーフナーも入っていない。これが現実。そして絶対に1点が欲しい場面で可能性を天秤にかけてパワープレーが必要だと感じた時に、それを監督が選択していけないということもない。これが事実でそこに使える要因が吉田麻也しかいなければ、前線へと上げてパワープレーをさせるのは戦術として間違っていない。戦略として武器兵站をミスした責任は後で追うとしても、目の前の闘いを生き延びるための戦術を指揮官が採って何が悪い。それを止めようとする専務理事が分かってないとしか言いようがない。

 練習をしておらず成功の確率が低いっていう意見もあるけれど、あれで子供の頃からサッカー漬けになって来た選手たちで、そして日頃から所属クラブで行っているサッカーでも、最後の最後で得点が欲しいとなってパワープレーに出るってことを、やっていたって不思議はない。そうでなくても体力に優れたアスリートたちが、やれといわれてやれないはずもないと思う訳で、だから問題はやれといわれながらもやろうとしはしない選手たちにあると言っても言い過ぎではない。自分たちのサッカーを貫きたいとか言ったところで、パスは回せずドリブルでの侵入もできない状況で何が自分たちのやりたいサッカーだ。それは絵に描いた餅でしかない。やるべきなのは自分たちがやらなければいけないサッカーで、そのひとつとしてパワープレーを選べるなら選んで悪くはないんだけれど、何故かやらないんだよなあ、やったら負けとでも思っているんだろうか。まあどっちにしたってコロンビア戦ですべてが決まる。どうするか。どうなるか。そのときは刻々と迫っている。

 朝方になってポルトガルとアメリカの試合が始まったけれど、最初は押し込まれていたように見えながらもアメリカがちゃんと相手陣に攻めるようになってしっかりと噛み合った試合になった。1点を奪われながら2点を奪って逆転したアメリカが、このまま逃げ切り決勝トーナメント進出を決めるかと思ったらアディショナルタイムに追い付かれて2対2で引き分けに。これで同じグループにあるドイツやガーナも含めてどこでも決勝トーナメントに行ける可能性が残ってしまった。得失点差でポルトガルに分が悪いのは変わらないけど、それでも可能性があれば頑張るだろう。ガーナもドイツもアメリカも同様。そんな死闘が見られるグループリーグ最終戦2試合が、仕組み的に同じ時間に繰り広げられて全部を見られないのがちょっと残念。TBSとNHKを切り替えながら選手の気持ちも想像しながら当日は見よう、27日午前0時40分からの放送を。

 吉田秋生さんの漫画でマンガ大賞を受賞した「海街diary」が映画化されることは既に発表になっていたけど、いよいよキャストが決まってきたそうで綾瀬はるかさん長澤まさみさん夏帆さん広瀬すずさんという4人が4姉妹を演じることになった模様。気になるのは3女を演じる夏帆さんで、なぜなら3女は女子サッカーの荒川理恵子さんばりのアフロヘアのキャラクター。それをそのまま演じれば夏帆さんもってことになるけど、あの顔立ちでアフロが果たして似合うのか、似合いそうだなあ、いやでもやっぱり女優さん、やってくれるのかどうなのか、ってあたりが気になる。まあアフロでなくてもそのお調子者的なキャラは3女にピッタリだから、髪型でなく雰囲気でもって演じてくれれば十分。信金務めで不倫バリバリの2女を演じる長澤まさみさんもキツめの雰囲気が合うかなあ。看護士の長女は包容力の綾瀬さんでバッチリ。4女の広瀬さんはあんまり知らないけど、16歳という年齢とその面立ちから家族の元を離れて3姉妹の元に身を寄せる少女をきっと見事に演じてくれているだろう。公開はまだ先だけれど期待して良さそうな漫画原作実写映画。こういうのが増えてくれば良いんだけれどなあ。「ルパン三世」はどんな感じに仕上がっているかなあ。

 そして気が付いたらジェフユナイテッド市原・千葉の鈴木淳監督が解任されていた。まあしゃあなしだ、J2が今年も続いているんだけれど今の時点で12位で、最近の試合では北九州に負けていたりしてとてもじゃないけど終盤で昇格を争うプレーオフ圏内にたどり着けるとは思えない。本来だったらそれ以上の自動昇格を争って不思議はないチームでありそれだけのお金もかけている。でも選手の質が悪いのか指導者の手腕が足りていないのかここまでなかなか勝ち点を積み重ねられないでいる。変えることが正しいかどうかは分からないけど変えて変わるならそっちにかけたいという気持ちがあって不思議はない状況。だからこその今の決断に至ったんだろう。問題は後任だけれど今のシーズンなら欧州で次を待ってる監督とかいっぱいいそう。オシムさんの人脈でも何で良いから活かして誰か持ってきてよ、ストイコビッチ監督はちょっと遠慮するけれど。ザッケローニ監督でも良いかな。来てくれるかな。


【6月22日】 呼ばれないのは呼ばれる立場に未だ達していないからだと理解し研鑽を誓いつつ居眠りして起きたらFIFAワールドカップ2014ブラジル大会のアルゼンチン対イラン戦。いやもうイランの守備が凄くってアルゼンチンが攻めても攻めもそのことごとくを跳ね返す。サイドから入れても追い付いたディフェンスが足を伸ばして入れさせず、入ってもセンターバックが背を伸ばしてはじき飛ばす。正面からの突破も寄せて囲んで入れさせず、ミドルシュートにもコースに入ってボールをゴール前まで届かせない。そして前半はそうしてしのぎつつ、時折だけれど前に出てはカウンターを見せたりもして決して引きこもっている訳じゃないことを見せてまずは前半終了。緊張感を持ったまま試合は後半へと突入する。

 そこでもしっかりとした守備を見せつつだんだんと、前へと圧力も見せ始めたのは相手がちょっと疲れて攻めあぐねたところを見てのことなのか、そうやって疲れた相手にプレッシャーをかけるための戦術的なものなのか。イラン代表を率いるのは名古屋グランパスでも監督を務めたこともあるカルロス・ケイロスでマンチェスター・ユナイテッドではサー・アレックス・ファーガソン監督の下で働きポルトガル代表も率いレアル・マドリードの監督にもなっていた時代があった。今は流れてイランだけれどもそのイラン、アジア予選の日本とは違うグループを1位で抜けて失点が2、韓国すら上回ったとうから相当な手練れで、そんなチームを欧州にいたイランにルーツを持つ若手を呼び寄せ作り上げたのがケイロスってことになる。だからチームを知り尽くしているし、信頼も厚い、のかな。

 そこまでは分からないけど闇雲に攻めるだけのチームに守備の意識を取り入れ攻撃の組織も作り上げた結果が、あのメッシが居るアルゼンチンを相手に試合終了寸前まで0対0という試合を演じさせた。得点機会だって何度かあったけれどそれは相手のキーパーがうまくさばいて無得点。決まっていればとも思ったけれどもそこはやっぱり勝負のあやってものなんだろう。そして後半アディショナルタイム、もうこのまま終了かと思われた一瞬を、やっぱり流石はリオネル・メッシがゴールからちょい離れた場所でボールをもらい囲まれる前に左足一閃! それが決まって決勝点となってアルゼンチンが2連勝を決めてグループリーグを1抜けした。凄いなあやっぱり。

 ただ余すところ無くその才能を見せたかというとドリブルは冴えずパスも決定機を生み出せないまま相手の気のゆるみを瞬間、見逃さなかっただけでそれも凄いとは言えるけど、超絶的とはちょっと思えなかったところに1人ですべてを決定づけたディエゴ・マラドーナとの違いって奴をやっぱり見てしまう。プレスも緩く走るのもそれほどなかった時代のファンタジスタと比べるのは違うと言われそうだけれどでも、今にマラドーナがいればやっぱり1人で5人を引き連れゆうゆうとかわしてゴールを決めてしまったような気がする。寄せられればゴールを奪えないメッシとはそこが違う、って思うのはノスタルジーに浸り過ぎか。いやでもやっぱり。そこはマラドーナが良く知っているだろう。ゴール寸前に試合会場を後にしてしまったようだけれど、見たところでそれが自分を超えたとは、絶対に思わなかっただろうなあ。だからこそのマラドーナなんだけれど。

 イランはまだグループリーグでの敗退が決まった訳じゃないんで最後のボスニア・ヘルツェゴビナ戦を勝利しつつアルゼンチンとナイジェリアの試合の行方を見ることになるんだろう。ボスニア・ヘルツェゴビナも決して弱かった訳じゃないけれど、あと1歩が及ばずアルゼンチンにもナイジェリアにも破れてしまった。国としての初出場を3連敗で去りたくないからイラン相手に頑張ってくるかそれとも次を見据えて強化に移るか。そのあたりの塩梅も含めて注目したいグループ。そしてドイツとガーナのボアテング対決はまどろみの中で2対2で終わった様子でどちらの天狗が勝ったかはグループリーグを共に抜けた決勝トーナメントで再戦するかにかかってくるんだけれど、それにはまずはアメリカとポルトガルの試合の行方を見ないことには。ポルトガルが勝って混戦に拍車をかけるかアメリカが勝って1抜けをしつつポルトガルをたたき落とすか。明朝の試合の行方を待て。

 そんな試合の行方を眺めていたら何やらブラジル方面からサッカー日本代表が練習を中止して緊急会見をするとの報。いったい何があったんだ、ザッケローニ監督が解任されて最後の試合を誰か別の人が監督するのか、っていってもチームにそんな資格も才気もありそうな人はいないから専務理事の原博美さんが自分で率いて激しくジャンプでも見せてくれるのかと思ったら、そのままずばりに練習を中止するということを会見しただけだった。なあんだ。いやでも試合まであとわずか、連携も今ひとつでパワープレイだなんて新しいことも始めて時間も惜しいのに何で中止をするんだ、それほど体が疲れているのかと心配したら理由を聞いてさらにぎゃふん、心が疲れているから休むんだって。心ねえ。

 もう先に望みがないなら心が折れてたって不思議はないし仕方がない。でも次にコロンビアに勝てば、勝ちさえすれば上に行ける可能性がある状況で心なんかを弱らせている暇も糸瓜もないだろうに。そんな状況で折れる心だからクラブチームでも自分を出せずアピールも出来ないままサブに追いやられてしまうんじゃないのか。まあそれは選手の多大なるプレッシャーを知らない外野の暴言でしかないんだけれど、でもプロなんだから、それで食べている人たちなんだから、そして瀬戸際なんて散々に経験しているんだからこのくらいで心が弱ったなんてことを言ってほしくなかった。がっかりしたファンも多いんじゃなかろうか。

 それともコロンビアに油断させるための戦略で、実はホテルの中できっちりと練習をしてたしるすとか。そういう腹芸を使えるようになれば日本も未来は明るいけれど、あの雰囲気だと本当に心が淀んで身動き出来ない状況にあるんだろうなあ。オシムだったら何を言ってどう鼓舞し、そして最終戦に臨ませただろう。比べてしまうのは悪いけど、比べざるを得ない。やっぱり間違ったんだよ日本代表は最初から。あるいはコンフェデレーションズカップで惨敗を喫した時から。あれから進歩をすれば良いとか言っていたサッカー評論家は前に出て、何が進歩したから今回はこうなったかを語って欲しい。あるいはアルゼンチンを相手に初陣を飾った時から何が変わったかを。進歩した? 衰えたんじゃない? それも含めて4年間を総括した先にだけ、次の4年間があるのだから。あるかなあ。

 ぼんやりとしていたら腐男塾、じゃなかった今は風男塾から武器屋桃太郎こと喜屋武ちあきさんが脱退だか卒業を発表していた。他に誰がメンバーか知らなくても1人だけ知っていた中心が抜けてグループは大丈夫なのか。心配になるけれどもそんな喜屋武さんだって一般の人から見れば誰それといったところでせいぜいが、アニメに詳しいタレントさんといった扱い。せめてそうした方面で露出を増やして認知度を上げつつグループを引っ張っていってくれれば良かったんだけれど、中野腐女シスターズが半ばネタとして始めたようなところがある男装ユニットが活動の中心となり、そして中野風女シスターズと名前を変え風男塾と名前を変えて一般メディアが引かないように配慮した辺りで逆に圧力が下がってしまったような感じがあって飛び抜けられなかった。

 何でかなあ。ももいろクローバーZだってZになった後もサンシャインあたりの噴水広場で歌っていたのに、今じゃ日産スタジアムだって国立競技場だって満杯にしてしまう。そこにどんな戦略の差があったんだろう。あるいはファンへのアプローチというか。考えても分からないけれど、それをいうならAKB48だって5年前はようやく知る人ぞ知るグループだったのが今や国民の誰でも知っていなくちゃいけないような知名度になってしまった。長く続けたこともある。けどどこかで一般が知るようになるポイントがある。そこを掴めば上に行け、逃せばマイナーなまま。そうしたブレイクポイントをつかめるタレントが喜屋武さんだっただけに抜けるのは惜しいけど、その年齢を考えるならやっぱり潮時かもと思ってしまったり。ひとりでも頑張って言って欲しいけど、その前に今一度、中野腐女シスターズとしてステージに立って欲しいなあ。

 家にいても仕方がないので外に出て秋葉原当たりを散策してたらベルサールでXbox Oneのイベントがやってたんでのぞいてゲームソフトを見物。ギュウギュウ詰めでなくって試遊にも余裕があるくらいの人気度合いで良いのかって思わなくもないけれど、今どきの家庭用ゲーム機なんてこんなものかと思えばまあ入っている方だと言って言えなくもないのかそうでもないのか。アメリカでは莫迦売れしているらしいプレイステーション4だって日本じゃあ青息吐息だもんなあ、あれだけゲーム好きだった日本人はいったいどこに行ってしまったんだろう。他にやることがなかった時代と今とでは違うってことか。漫画よりテレビより読書よりゲームだった四半世紀前と違ってラインとかネットとかチャットとかあるものなあ。コミュニケーションが時間つぶし。ゲームも時間つぶしならどっちを取る、といった感じ? でもって時間つぶしのゲームを人生と勘違いした人たちが今ゲームを作っていて間違っているという感じ? そこのあたりを見極めないとゲームの未来も見えてこないか。どうなるんだろうXbox One。Tシャツもらったんで売れて欲しいけど。


【6月21日】 イタリアがコスタリカと戦っていたようだけれどよく覚えていないうちにイタリアが破れてコスタリカが24年ぶりとかそんなくらいいに決勝トーナメントへと駒を進めてイタリアは最後の試合に突破をかけるもののイングランドともどもグループリーグ敗退となる可能性もあったりと色々破天荒なことが起こるFIFAワールドカップ2014ブラジル大会。とはいえ弱いところが勝つってことはなかなかあり得ず純粋にコスタリカは強くイタリアは弱かったってことだと理解するのがこれは正しい。そしてコートジボワールに破れ相手が10人のギリシャに引き分けた日本もやっぱり弱かったということで。

 そもそもが走らず相手のディフェンス前でちゃらちゃらボール回しているだけで勝てる訳ないよなあ、やっぱり。ってかみんな本当に走っているもん。ボールを持った瞬間に周囲が前を向いて走り出し、そこへとボールを送った選手がまた走り出す。空いたスペースは他の誰かが埋めて反撃を許さない。けど奪われカウンターを喰らいそうになったらいっせいに戻って守りを固める。そんな丁々発止がスピーディーに繰り広げられているはずの現代サッカーで、悠然とボールを持っては相手が前に8人9人10人とかいるところでボールを回して得点できる訳がない。だから時々つっかけては、ファウルをもらってフリーキックで得点するか、ゴールラインを割らせてもらったコーナーキックからの得点しかなかった。

 スペインが超ポゼッションから得点を奪えたのは、圧倒的なトラップのテクニックがあって弾かずボールを奪われないでいたからで、そこから瞬時の判断で飛び込んだり切れ込んだりする選手がいて、そんな選手の足下とかにピタリとボールが出たから。熟練の技と連携があってこその強さだったんだけれど、それが今回は出なかったから敗れ去った。いわんや日本なんかがポゼッションの部分だけ真似たところで得点な奪えるはずがない。そのことをきっと思い知ったらさあ、次に一体何を求めるか。やっぱり優勝する国のサッカーになるのかなあ。ブラジルかアルゼンチンか。コスタリカだったらさあどうする。真似しようとは考えないんだろうなあ。普通に頑張る。それが1番だと知りながら。疲れるし。大変だし。

 これも微睡みながら見ていたフランスとスイスの試合はちょっと居眠りして目を開けるとフランスが得点を積み重ねていて最後に圧勝した様子。内紛から瓦解してグループリーグで去った南アフリカ大会とは大違いの結束力と攻撃力は、やっぱりナスリを外しリベリーが怪我で外れ悪童のイメージがあったベンゼマがちゃんと言うことを聞いて仕事をするデシャン監督の指導力と構想力に依るものなんだろうなあ。ドメネク監督の後でちゃんとこういう仕事をする監督が国内から出てくるところがサッカー先進国たる所以。もとより才能にあふれた選手たちが出てくる国だけにそれをまとめ上げさえできれば成績はちゃんと残せる。

 これで優勝でもしたらデシャン監督、さらに次のワールドカップをめざすんだろうか、クラブチームに戻ってチャンピオンズリーグをめざすんだろうか。マルセイユはビエルサ監督と合意したしユヴェントスはコンテが続けるからEURO2016まで代表監督を務めることになるのかな。日本には来てくれそうもないよな。ホンジュラスとエクアドルの試合はなんかやってなかあという感じ。エクアドルが勝ったみたいだけれどフランスに次いでどこがグループリーグを抜けるかまだ決まってないだけにエクアドルとしても次のフランス戦で勝つのが絶対条件になるのかな。それでスイスがホンジュラスに勝てば勝ち点で並ぶしエクアドルが負けてもホンジュラスが勝てば勝ち点で3チームが並ぶのかどうなのか。いろいろ面白いグループE。

 目も覚めてきたんで家を抜けてとりあえず東京国立近代美術館へと出向いて「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である ヤゲオ財団コレクションより」って展覧会を見る。かけた保険が総額幾らだとかいった尾籠な話題を押しだし煽り上等なタイトルでもっていかにも世界のすっげえお宝が集まってますよ的な雰囲気を醸し出しているけれど、入って見ると並んでいるのはきわめて真っ当に、そして良質の美術作品でそのセンスの良さってのに感嘆すら漏れた。でもそれを良質のコレクションだから来てねといったって誰も興味を持たないから、ああしたタイトルでそこにマーク・クインのえびぞりツインテール(怪獣の方)少女の像とかメインビジュアルに据えて感心を誘っているんだろう。それでやって来て見てファンになってくれれば良いっていうのもひとつの判断。成功すると良いなあ。

 そんな展覧会で目に付いたのは中国系のアーティストたちの作品。結構出ていたサンユウ(常玉)なんてほとんど知らなかった人。中国系にありがちな中華風の絵とかではく文化大革命とか天安門事件とかを警句にしたような絵でもなく、割と純粋に絵画を具象抽象含めて探求している感じ。それがどれも品が良い。中でもこれは具象の「アヒルとボート」って絵は、池だかに浮かぶボートの脇を、ドットのように5×12で整列する小さなアヒルが泳いでいて、風景を描きつつナチュラルなゆらぎとはちょっと外した整頓されたモチーフを置いて、違和感あるいは人工を感じさせていた。普通に雑多にアヒルが泳いでいたらただの絵として通り過ぎたかも。そういう外しが光ってた。

 こちらは台湾の黄銘昌(ホワン・ミンチャン)ってアーティストによる「一方心田」とかって絵は、細かい筆致で台湾だろう自然の風景を描いて目に響いた。奄美大島を拠点に自然を描き続けた田中一村のジャングルの絵が、より細密になった感じというか。とにかく凄い密度。そして細かさ。見ればだれでも圧倒されるだろう。そんな紹介もあれば、これは有名なマーク・ロスコの画面が3分割されたような絵と、杉本博司さんの水平線写真を近くに置いて似たようなモチーフがそこにあるってことを見せていた。ちょっと良い展示。ほかにもちょっと前に個展があったフランシス・ベーコンの絵や、アンゼルム・キーファーといったところもあって現代絵画の粋が揃っているという感じ。さらに時代が今に近づいて、ロン・ミュエクのリアル系フィギュアとかアンドレアス・グルスキーのファッションショーやクラブの写真とかもあってリアルを写しそこに現代の表層を切り取って見せてくれていた。

 ゲルハルト・リヒターによるリアルなんだけれどそれをちょっとズラしたような絵とかは、現実が横ずれしているような違和感を見る人に与えて足下が本当に確かなのかを感じさせようとしたんだろうか。数も揃ってて好きな人には嬉しい展示かも。しかしやっぱり気になったデイヴィッド・ホックニーの裸男の絵。何でも美術学校を出る時の卒業制作らしいんだけれど、本来は論文だかエッセイだかを書かなくちゃいけないところを自分は絵描きだからと絵だけを描いて、そしてその絵の素晴らしさで納得させたんだとか。だからタイトルも「学位のための人物画」。マッチョというかゲイかもしれない男性の裸体が描かれているんだけれど、その胸に乳首があったかなかったかが目下の思案どころ。わざと塗りつぶしたのかそれとも。本物を見てどうだったのかを考えよう。

 時間になったんで開場を出て竹橋から新宿三丁目へと回ってバルト9で「LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標」を鑑賞、舞台挨拶付きはとれなかったけれど初日を見られたんでこれはこれでオッケーってことで。そして作品は最初のテレビシリーズの前半、大隅正秋さんが手掛けたエピソードなんかを彷彿とさせるハードボイルドでクールな次元大介とルパン三世による盗みと戦い、そして峰不二子を巻き込んでの丁々発止が繰り広げられていてファーストファンとして大いに楽しめた。決して馴れ合わず惚れっぽいけど抜け目はないルパンと不二子の関係とか、見ていて実に痛快。最後に得をしたのはルパンか不二子か。どっちもだけれどそれぞれに得るものがあってそしてルパンの方にクールさが感じられる展開ってのはやっぱり格好いいなあ。ああでなくっちゃルパンって男は。

 そして次元。そのプライドだとかこだわりだとかってよりはむしろガンマンとしての腕前って方面に力が入っていたって感じ。タイトルにこそ次元の名前は出ているけれどもストーリーでは別に主役って感じではなくって追いつめられ追い込まれた果て、やっぱりルパン三世の頭脳が回転してそして反撃へと向かうといった展開は典型的な「ルパン三世」のシリーズと言えるんじゃないのかな。こちらでは監督の小池健さんがキャラクターを描いた「Lupin The Third 峰不二子という女」が山本沙夜さんを監督にして岡田麿里さんを脚本に迎えてシリーズを解体して峰不二子というキャラの存在に迫る独特さを持っていたのと比べると、割と普通に「ルパン三世」としてテレビシリーズに組み入れられそうな感じ。だからつまらないってことでなく、むしろ面白いってことだけれど、画期的ではないって辺りが妥当な評価か。

 キャラクターに関してはルパンも次元も格好いいけどやっぱり峰不二子がエロかった。すっぽんぽんも出てきたし。おっぱいは張りがあったし。そんなおっぱいを後ろからルパン三世がもみもみするところとか弾力があるように見ているだけで感じられたし。そこのところの絵のクオリティは最高だった。弾力重要。そして声は「峰不二子という女」とも同様だけれどどこか病的なところもあったその頃とは違って不二子ははつらつとして女泥棒を演じてくれていた。危険になれば媚態でルパン三世を誘いだし、そして隙をみつけてちゃっかりと仕事もするという。ルパンはもう栗田貫一さんによるルパンの物まねじゃなくルパンそのもの。この声で過去のスペシャルとかも吹き替えて欲しいなあ。そして次元大介。小林清志さんはフルスロットルで次元大介を演じていた。老いもなく衰えもない次元そのもの。その声が聞けただけでも十分なのに、何か後を予感させる引きが。続くかな。続いて欲しいな。そしてそこでも聞きたい次元大介の声を。期待しちゃって良いのかな。


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