縮刷版2014年6月中旬号


【6月20日】 そして午前5時にまた起きて家を出て電車に乗ったら満席だった。午前5時26分に船橋駅を出るお茶の水行きの電車が満席って、そんなに早くからみんな働いているのか。それで午後3時には仕事が終わって家に帰って家族と食事してから娯楽に出かける生活だったら、アメリカの地方に暮らすワーカーみたいだけれども残念ながらここは日本、残業もきっちりとやって午後7時とかまで会社にいてそれから帰るなり1杯ひっかけるなりして家に着くのが午後9時で、お風呂に入って眠ってまた起きてという繰り返しの生活からいったい何が生まれるんだろう。

 有意義な発想とか。家族の豊かな関係とか。そういう小さいけれども大切な要素が日々の忙しさの中で奪われて、すり減っていってしまった果てが、今の誰もがギスギスとしてゆとりを保たない生活であり、性格になっていたりするのかなあ。その上にブラック総理ときっと10年後に呼ばれるだろう安倍ちゃんは、もう残業代は払わないぞ、でも成果を出さないと家には帰さないとって制度を取り入れようとしている。成果なんて客観的な判断基準が形成されにくいものを拠り所に評価されるとあっては、とにかく数をこなすしかないと今まで以上に早く家を出る人が増えて、始発から壮絶なラッシュが始まったりしたりして。本当にそうなりかねいから恐ろしい。誰か止めろよもういい加減。

 とか思いながら到着した新宿はバルト9のシアター6に入って、サッカーのFIFAワールドカップ2014ブラジル大会の日本代表対ギリシャ代表のパブリックビューイングを見物。半袖のレプリカを来てショートパンツから細長い足をにょっきり伸ばした美人さんとかいっぱいいるのを見るにつけ、サッカーの日本代表というものが持つブランド力の高さって奴を、激しく思い知らされたけれどもそれも強さが伴ってこそ。でもってギリシャ戦でそうした強さを今度はちゃんと見せられるかが最大の懸案になっていたんだけれど、そこはやっぱりザッケローニ監督だけあって、先発メンバーこそ香川真司選手を外して大久保嘉人選手を入れたり、カードを1枚もらっているディフェンスの森重勝人選手を外して今野泰幸選手をいれたりと、多少いじってはみたもののそれで大きく戦術が変わる訳でもない。

 というかそもそも戦術なんて足下でボールをつなぎつつ、動いてもらってまた出していく繰り返ししかない訳で、ギリシャ戦ではよく動く岡崎慎司選手が左サイドに入ったおかげて後方との連携が取れるようになって、長友佑都選手が前に行けるようにはなったくらいで、それでも決定的な機会が作れた訳ではない。右のサイドはボールが回らず大久保選手は中に来たりしてもらいミドルシュートを放ってゴールマウスにボールを入れるものの、当然のようにキーパーに阻まれ得点には繋がらない。あまつさえギリシャがイエローカード2枚で中盤の底にいる選手が退場となり、1人少ない10人になっても攻め方が変わった感じはなしに、同じように回してはもらって切り込み出しては受けて放り込む繰り返し。より守備を固めたギリシャの高い守備陣を越えられるはずもなく、時間ばかりがただ過ぎていく。

 ギリシャの方はといえば、次の試合でコートジボワールに勝てば決勝トーナメントに進めるとあって無理せず、得点を奪われないようにしつつ時折攻め上がるといった感じで裏に隙を作らせない。そんな中でもカウンターを見せたり、コーナーキックを取っては危険な攻撃を見せるから日本代表がすべてを一気に押し上げ総攻撃する訳にもいかず、膠着状態のまま試合は終了のホイッスルを聞くことに。それで日本は勝ち点1を獲得したものの、次のコロンビア戦で勝った上にギリシャがコートジボワールに勝つなり引き分けるなりして、その得点にいろいろなケースがあって、ようやく日本が決勝トーナメントへと出場できる。結構厳しい条件。そして自分たちだけではどうしようもない条件に果たして平静な気持ちで臨むことができるのか。そこんところの弱さ頑なさが初戦の苦戦にも繋がっているだけにちょっと難しいだろうなあ。

 こうなると考えなくてはいけないのが次の日本代表をどうしていくか、といったところでまずは監督選びがあるんだけれど、かねてから日本サッカー協会が執心していたスペインサッカーについては、スペイン代表が2試合を終えて早々とグループリーグでの敗退を決めてしまって、もはや世界の趨勢とは成り得ない。いやそれは慣れてないジエゴ・コスタをワントップに据えたからで、従来どおりのセスクを入れたゼロトップからフェルナンド・トレスを入れるプレーまでをやっていれば負けなかったかもという意見も出そうだけれど、日本にはセスクもトーレスもいない訳で、それでスペイン流を志向したって始まらない。だいたいが足下でトラップしたボールが浮いたり弾かれたりするようじゃあ、ポゼッションなんて無理だよなあ。

 いやゼロトップはイタリア人のスパレッティ監督が始めたもので、ザッケローニの路線を引き継ぎイタリア流を貫くといって呼んで本田圭佑選手を前に置くゼロトップ作戦をやれば、南アフリカ大会同様に勝てると言う人も出て来そう。でも次のワールドカップに本田選手は多分いない。だからちょっと無理だろう。そもそもが選手のやりたいサッカーなんてものが幻想だった訳で、足下でつなぎつつ楽して前に押し出してはちょっとしたタイミングで動いて得点を奪うなんてこと、世界レベルの守備力を持った相手にはまるで通用しないとこれで分かった。日本は俊敏さを活かしながら走り回ってはパスを受け取りパスを出しつつ誰かが前へと突っ込めば、その後をカバーする繰り返しによって前に圧力をかけ、サイドも有効に使い中もしっかり突き抜けていく圧力を、運動量によって生み出すことが大事なんじゃないか。それが日本らしいサッカーなんじゃないか。そう思えてくる。

 それをやろうとしたけど意志半ばで病気となって身を引いたのがオシム監督。でもって岡田武史監督はベースになった運動量を受け継ぎながら、守備に固いチームを作ってとりあえずワールドカップで好成績を残して見せた。ここで改めてオシム的な走り動き守り奪い守り走り出し獲るサッカーをめざせば良かったんだけれど、自我の強いタレントさんを尊び過ぎる監督が来てしまってそしてこの愁嘆場。それを残念と思うなら今一度、日本人が出来るサッカーとは何かを考え、それが出来る選手たちをネームバリューに頼らず選んで鍛え上げ、そしてアジアカップからワールドカップ予選へと臨ませていくべきなんじゃないのか。だとしたら誰が良いか、ってところでオシム監督以外浮かばないけど、年齢的にも体力的にも難しい。ヴェンゲル監督はアーセナルとの契約を更新した。スパレッティだってマンチーニだって有名どころはゴロゴロいるけど来てくれるかどうか分からない。そんな中で、果たして協会は誰を連れてきてくれるのか、そしてどんなサッカーを作り上げようとしているのか。それが明らかにされる時を今は待ちたい。その前の25日のコロンビア戦を精一杯に戦ってくれることを願いつつ。

 期待もしていなかったんで落胆もせずに電車で秋葉原へと出て、マイクロソフトの新しい家庭用ゲーム機「Xbox One」の日本での取り組みを発表する会見を見物、じっくり近寄って形を見たけど、何か東芝のハードディスクレコーダー「RD−X5」みたいな形だった。つまりは家電っぽいというか。それは「プレイステーション4」にも言えることで、無理にデザインを凝るよりはシンプルで使いやすくそして性能がいいことがゲーム機にも求められている現れってことなのかどうなのか。「Xbox」も「Xbox360」も結構挑戦的なデザインだっただけに、マイクロソフトの態度がちょっと気になった。性能面はよく分からないけどひとつ、アニメ「サイコパス」をテーマにしたゲームが専用ソフトとして出るって聞いて試してみたくなった。もう早いとか綺麗とかいったことでゲームをやりたい歳でもない、遊んで面白そうなものが遊べることが重要と考えるなら、これはひとつのアドバンテージかもしれない。とはいえもはや家にゲーム機など置く場所もないので買わないんだけれど。広い部屋に住みたいなあ。

 ハフィントンポストが「東京国立博物館の『国立故宮博物院』展ポスターに台湾が抗議、『展覧会中止も』」だなんて感じに上野の東京国立博物館で魔もなく開幕するはずだった「特別展『台北 國立故宮博物院−神品至宝−』」って展覧会の公式ポスターから、正式名称にはある「國立」って文字が抜けていることを台湾総督府が知って開催させないぞって言ってきているなんて話を書いているけどハフィントンポストだって間抜けじゃないんだから、何とはなしに“事情”を知っているんじゃないのかなあ。つまりは台湾がらみの案件に「国立」と付けられない訳を。

 そもそもが不思議な展覧会。主催には「東京国立博物館、國立故宮博物院、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社、産経新聞社、フジテレビジョン、朝日新聞社、毎日新聞社、東京新聞」で主要メディアがずらりと名前を連ねている。普通ないよねこんなの。展覧会ってのが新聞の拡販とかPRのために開くものだとしたら、それをみんなでやるのなんて意味がない。でもこうなってしまっている。そしてそれについての各社の報じ方がまた不思議。朝日は「質量共に世界最高峰、中国文明の粋を集めた『台北故宮博物院 神品至宝』展が24日、東京・上野の東京国立博物館で開幕する。歴代皇帝がめでた品々が一堂に会し、その姿を初めて見せる」って書いて手、冒頭のタイトル名から「國立」を外している。自分のところの主催の展覧会を最初から省略するって一体何? 絶対にあり得ない。

 読売もトピックスとして「中国歴代皇帝のコレクションを収蔵する台北の故宮博物院から、代表的な作品を紹介する特別展『台北 故宮博物院 ―神品至宝―』(読売新聞社など主催)が、いよいよ6月24日(火)から東京・上野の東京国立博物館で開幕します。この特別展はアジアでは初の開催となります」とやっぱり最初っから「國立」を入れてない。毎日に至っては「台北・故宮博物院の特別展『神品至宝』(毎日新聞社など主催)が24日から、東京・上野の東京国立博物館で開かれる。同院の約70万点の収蔵品の中から、門外不出とされた『翠玉白菜(すいぎょくはくさい)』をはじめ186作品を展示し、中華文明の神髄に迫る」と正式名称すら入れてない。

 自分ところが主催のイベントがあって報じて欲しいという時、たいてい「正式名称を入れてね」って言うじゃない。それがこの場合は反故。何でかって。台湾を「国」というと怒られるから。どこに。どこでしょう。1社単独なりグループでは肩入れしていると思われる。だから全メディアが相乗り。でもって「國立」と付けると台湾を国といったなと怒られ報道ビザが召し上げられる。だから入れない。そんなところじゃないかなあ。ってことくらいハフィントンポストだって知ってるだろうに。ってか同じ屋根にいるんだから朝日に聞いてくれば良いのに、どうして「國立」って記事に入れないのって。もしかして知っててイジっているんだったらハフィントンポストも人が悪いし、知らずに突っ込んだんだとしたら果たしてどういう折り合いを付けてくるか。ちょっと成り行きに注目。


【6月19日】 何かあったらググって見るのが習い性になっているのは、ネットを長くやってて流れてくる驚くような話の真偽に今ひとつ、自信が持てない中でそれを不用意に拡散して、恥をかいたり誰かを困らせたり怒らせたりすることがないようにしたいという、小心者ゆえの防衛本能が働いてのこと。でもってやっぱり流れてきた、声優さんとか歌手とかが愛用している「響声破笛丸料」が販売終了になって困っているニュースについて、本当なのとまず調べて、とりあえず言われているエスエス製薬の商品が販売終了になっていることはわかった。でも。

 引き合いのある商品を製薬会社があっさり販売終了にするんだろうかって不思議と、それから薬品によくある製造元と販売元が違っているという例から、この「響声破笛丸料」もエスエス製薬ではない違う会社の製品だったんじゃないかと思い調べたら、やっぱりそうで大阪にあるカーヤって漢方の薬屋さんが製造元になっていた。なので、このカーヤとそして製品名を追ってみたらなんと! 全く同じ名前で成分も一緒のが北日本製薬からこの6月から販売開始されていることが判明、つまりは販売窓口となる会社が変わっていただけだった。なあんだ。でもネットじゃあ今もなんで販売中しにしたんだって声が怨嗟のように起こってる。

 人気のある歌手や声優さんが叫んでいるだけに今のままだとエスエス製薬に向かって販売終了ケシカランと言い出す向きだって出てこないとは限らない。なのでせめて発信力があって影響力も強い有名どころには、北日本製薬から出ている「響声破笛丸料」を試してもらってこれ同じぢゃんとか言ってもらいたいものだけれど、そういう義理も役割もないから難しい。受けて騒ぐ方も少しは立ち止まって考えて、調べるとかして欲しかったけどちょっと前だと販売再開すらわからなかったからこれも仕方がない。ともあれ品物はあるということで、ここにお知らせしてちょっとの火消しに努めてみる次第。自分で試せれば良いけど別に、声のお仕事じゃないもんなあ。通常で飲むと美声になるのかなあ。

 下品とか下衆といったレベルを超えて人として問題がある東京都議会での女性議員に対する野次。その差別的な言葉は発せられたが最後、こういうことに厳格な国では即座に批判され発言者はその責任を問われて公職なら失いそうでなくても真っ当な場所にいられないくらいに追い込まれる。日本でだってサッカー場なら差別的な発言ひとつが大問題となって選手だったら出場停止、サポーターだったら出入り禁止が科せられあまりに酷ければ試合そのものが無観客試合といった具合に厳しい処断の対象となる。なのに都議会は動きが鈍い。誰がいったか分からない。本当に言ったかも聞こえていないとのらりくらりかわしている。

 でも、そうやって済んだ時代ではもはやない。そのことを議会の偉い人たちも年を食った人たちも、しっかりと分かった方が良いし分からないと後、とんでもないことになるんだけれどあの界隈だけは、旧態依然とした時間が流れているから聞く耳もなければ、なぜそれが問題なのかも理解出来ないんだろう。そして何とはなしにおとがめもなく流れていっては、世界に開かれた場所で似たような失態を見せて大恥をかくことになる。そう考えればやっぱり今、ここで分かっている人たちがどうにかしないといけないんだけれど、そのために頑張って欲しい首長に果たしてどこまでの危機意識があるのか。そいういう話が聞こえて来ないもんなあ。困ったものですまったくもう。

 ワールドカップに入ったんでサッカー専門紙の「エルゴラッソ」をまたぞろ買い始めたら、一平くんの連載みたいなのが始まっていた。何でも遠くブラジルの地へと飛んでいるみたいで、体表も代表に合わせて青に変えてみたりとやりたい放題。でもしかし愛媛のキャラクターで本来は焼き肉屋だか何かのキャラクターがブラジルに行く意味は、ってあたりできっと「エルゴラッソ」ならではの勝算があるんだろう、誰か派遣した記者だか見物に行った社長だかに着ぐるみを持たせて、それを着せて歩かせネタにすると同時に、宣伝してるってことで対価を得るとか。いや純粋にコンテンツとして一平くんがブラジルに行くことの面白さでもって対価を得られているのかもしれない。そのあたりが気になるんで、これからの連載も読んでいこう。ジェフ千葉がJ2に落ちてなければ記事を読むためにずっと買っていたんだけどなあ。

 そんなジェフ千葉のJ2暮らしをオシムさんもお怒りのようで、メディアに登場した折にジェフ千葉のことについてあれだけお金をかけてて何でずっとJ2なのって嘆いていた。だったら誰か寄越してよ、ご本人は無理でもボスニアリーグでそれなりな成果を出している息子さんとか、セレッソを解任された教え子とか。まあ無理な訳じゃないだろうけど肝心のチームにそれを受け入れる土壌がないのが困りもの。ポゼッションをやろうとしては守備がガタガタで守れず奪われ点をとれずに負ける試合が続いてた。ようやく立ち直る様子は見せ始めているけどそれもいつまで続くやら。終わってみればプレーオフ圏外だなんて屈辱を味わうくらいならセレッソ大阪や京都パープルサンガじゃないけど、早めに決断をして欲しいもの。でもやっぱり無理だろうなあ、この何年かの動きを見ていると。再来年こそは。

 土日はきっと落胆と倦怠で寝ているだろうからと今日ににしすがも創造舎で始まった「ANIME SAKKA ZAKKA RETURN」のチームZの出し物を見物に行く。観客は2人くらい。コーヒーを飲みつつまずは池亜佐美さんによる「USALULLABY」が始まって巨大な生き物だかに向かってうごめく小さなウサギみたいな生き物のずるずるとした姿を堪能。それからいよりさきさんって人のこれは初めて見る「太った鳥の話」を見ながら動きと変幻の面白さに水江未来さんの作品に重なる部分をちょっと感じる。キム・ハケンさん「MAZE KING」はやっぱり大友龍太郎さんの声が良い。犬まで全部やっているんだから。話はダークでドリーミー。何が起こっているのか。何度もやっぱり見てしまう。あの男は金曜日には何をするんだっけ。

 そして久保雄太郎さん。日本のライアン・ラーキンと勝手に見ているアニメーション作家が東京藝大院の修了展に出してた「00:08」はコップを手にして口元に運んでまた置く8秒間の動きを軸にして間が入って少しづつ秒間が拡大しては派手に爆発して飛び回りそして収束するという流れの鮮やかさを楽しめる。巧いなあ。巧すぎる。ところで修了後に何をしているんだろう久保雄太郎さん。学生の間は見てもらえても大人になると見てもらえないっていうのは沼田友さん「荒波」の中で誰か叫んでいたっけか。作品作れているんだろうか。続くししやまざきさん「ああ/良い」は修了展で在校生の作品として見たっけか。京都で展覧会までするクリエーターがまだ院生。これからが怖い。そして相変わらずに面白い。金太郎飴売ってたけれどどこを切ってもししやまざき。美味しいのかなあ。口の中で動き回り出したりしないかなあ。

 高旗将雄さんの「DISCO THE ONI」はどこかで見たことあるけどどこだったっけ、前のアーツ千代田3331でやった「ANIME SAKKA ZAKKA2」の時だったっけ、フェナキストスコープな感じに円盤が回転して鬼が踊ったりするという作品。これは楽しい。技術的にどういう風なのかは良く分からない。最後が村本咲さんで「晩ごはんの時刻」。去年に東京藝大院を出た人だから見たことがなかったけれど、夕暮れ時の不思議な感じを幻想的なキャラクターでありビジュアルでもって語ってくれていた。動きも面白いなあ。もう世に出ている人なんだろうけどどこで何をしているんだろう。ちょっと気になる。っていうかやっぱり世に出てそれで食べていけるほど甘くはない世界で、こうやって未だに集まり作品を持ち寄り活動しつつアピールしていくアニメーション作家さんたちは凄い。見ることで応援したいけど僕が見たって何の宣伝にもならないからなあ。せめて土日は理科実験室が一杯になることを願おう。


【6月18日】 朝からダニエル・キイス死去の報。「アルジャーノンに花束を」が名作として突きつけられて読んで名作と思ったことと、そんな名作の書き手が送り出してきた「24人のビリー・ミリガン」というノンフィクションが気になって読んだのと、あと同じ乖離性同一性障害っていうか多重人格を小説で書いた「5番目のサリー」を読んだくらいで決して良い読者ではなかったけれども、SF者的には「アルジャーノン」1冊でもう完璧無比に至高な作家として位置づけられていただけに、その死はやっぱり惜しまれる。自分がお利口になるのは良いけれど、それが阿呆に戻っていく時の気分ってやっぱり怖かったのか、諦めるしかなかったのか。読んだばかりの樹常楓さん「シェーガー」(電撃文庫)でも自分が壊れていくのに耐えられない女性が、自ら死を選んでしまっていたからなあ。認知症とかが問題になっている時代、改めて読み返して感じたい、いつか来るかもしれない衰えと老いの時を。合掌。

 なんかいろいろと試合があったみたいでブラジルがメキシコに引き分けていたりしたけど、酷い咳で寝たり寝られなかったりする中であんまり見られずじっくり見たのは朝にあった韓国対ロシアの試合。アルシャビン選手とかテクニシャンがいた時代とはちょっと代わったのかそれともイタリア生まれのカペッロ監督の趣味なのか、ロシアがガッチリ守ってそれこそハーフラインの内側の自陣に11人の選手が全部入って守るような形でもって韓国にスピードのある攻撃をさせず、サイドに持ち込まれても2人どころか3人くらいで寄せて囲んでボールを前へと運ばせない。

 そこで奪ってカウンターかというと今度は韓国がざっと引いてやっぱり自陣に11人が入るような守備でもってロシアに分厚い攻撃をさせない。守っては奪い攻めては守られ攻められては守るような繰り返しは、ともすれば退屈になりがちなんだけれどロシアも韓国もタスクとしてしっかりとプレーしている感じがあってグダグダにならないところが流石はワールドカップというか、カペッロ監督とホンミョンボ監督の対決というか。守備的だったという意味合いではコートジボワール戦での日本代表にも重なる部分があるけれど、そっちは守りつつ攻めたい気分があってどっちつかずの状態を、最後に突かれて敗れた感じ。メリハリであり役割でありタスクであり自覚といったものが、彼我の間にはあったような気がしてならない。

 あと調子の見極めも韓国代表ははやかった。エースと目されたパクチュヨン選手がどうにもマッチしないと見て、後半に入って早めにイグノ選手と交代させたらこれが大当たり。攻め込むのも得意だけれどキックにも良い物があるらしく、ゴールからちょい離れた場所から蹴ったボールがぐーんと伸びてキーパーがパンチングかキャッチか瞬間、迷ったかもしれないところでその手をはじいてゴールイン。待望の先制点を韓国が得る。とはいえロシアもそれで攻め気が出たかグングンと前に出てはゴール前の混戦で韓国のクリアボールが詰めてた選手に当たり落ちるという“偶然”もあってそれを拾われ押し込まれて同点に。運に左右された部分もあるけどあそこまで押し込んでいたからこその得点な訳でやっぱり前に出なければ点は取れないって見本を見せてくれた。

 そこからはまた一進一退の攻防といった感じだけれど、無駄に時間を潰すような行動はなくともに向かい合って守り攻め守られ攻められる繰り返しの中で試合終了のホイッスルが鳴った。印象として見応えのあった試合。寄せの素早さと守りの強さを共に見せつつ今の調子って奴を図ることが出来た。これで次に韓国はアルジェリアと当たるのか、ベルギーに惜しくも敗れたものの沖縄にいたこともあるキーパーが守るチームでちょっと興味があるだけにどんな試合になるか見てみたい気分。23日の明け方4時とかそんな当たりか。起きていられるかな。でもってロシアはグループHで第一候補のベルギーが相手だけれど同じ欧州として負けられないだろうなあ、というか抜けるためには必勝な相手。それはベルギーも一緒か。好試合が続きそうなグループかも。
 日本代表が活躍できないのはブラジル先住民の呪い説ってのを勝手に考えて見る。アディダスが今回のワールドカップ2014ブラジル大会を前に発売した「バトルコレクション」ってシリーズは何でも先住民の戦士が戦いの時に顔に施したペイントがモチーフになっているそうで、勇猛果敢だった先住民の戦士にあやかり戦いでも勝つぞといった思いが込められているんだとか。でもって日本だとアディダスと契約している香川真司選手や内田篤人選手なんが履いて居るんだけれど、肝心の先住民たちの魂って奴は果たしてワールドカップを応援してくれているかというとこれが正反対だったりする。

 2000年代に入って急速に進んだ森林伐採で居住地区を追われ、かといって予定にあった居留区は作られず、都市に来てスラムに入ってもワールドカップや五輪に関わる都市開発でもって追い出される。憤った先住民がワールドカップ反対のデモに加わり手に槍を持ち弓矢を持って挑んだなんて話も伝わっている。それを聞くにつけ戦士たちはむしろワールドカップに呪いをかけているんじゃないかなんて思える。香川選手が躍動できなかったのも内田選手がゴールを決められないものそれが理由。じゃあ他の着用者は、ってことでロッベン選手がプロモーションには登場しているらしいけれど、スペイン戦では履いてなかったんだよなあ。ベンゼマ選手も途中で履き替えているみたいだし。やっぱり呪いか文様の。着用を止めたらどうなるだろう。そんな度胸はないかスポンサー様のご威光に逆らってまで。それは日本代表全体に言えることだけど。外せないもんなあ主力選手を。

 ディアギレフ、っていうとやっぱりニジンスキーとセットで語られるけれども蜜月だった時期はそんなに長くないんだよなあ、バレエ・リュスにとって。だから国立新美術館で始まった「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」に展示してある衣装も、すべてにニジンスキーが絡んでいる訳ではないけれど、初期の衣装なんかはこれはニジンスキーが着ていたものなんだろうかと思うとちょっと心がグッと来る。偉大なバレエダンサーの残り香みたいなものが漂っているような気がして。100年近く経っているからそんなことはないんだけれど、でもこうやって時間を終えてその雰囲気に出会えるっていうのは滅多にないこと。バレエ好きなら行って損はない展覧会かも。

 あと衣装のデザイナーも。本当に奔放。いわゆるバレエの衣装といった文脈を遠く離れて民族的だったり芸術的だったりする衣装が並んでこれで本当にバレエを踊ったのかと訝りたくなる。むしろテーマパークのアトラクション的といった感じ。というかおそらくはディアギレフがバレエ・リュスで志向したのって、いわゆるクラシカルなバレエではなく新しい音楽と新しいファッションで世の中をアッと言わせる新しいバレエ。それは見てやっぱり楽しくならなきゃいけないし、見ている人をグッと引き込まなくちゃいけない訳で、アトラクション的になって不思議はないのかも。とにかく多彩。そして奔放。今ですらあり得ないデザインを当時よくやったなあと感心しつつ、今ならこういう演目を許して時代に反旗を翻すような興行師って誰かいるかと考えてみたくなった。いるかなあ、暗黒舞踏でも小劇団でもない……市川猿之介ってことになるんだろうなあ、伝統の歌舞伎に新しさを盛り込んだ。でももう古典になりつつあるし。誰なんだろうなあ。出よディアギレフ。。

 せっかくだからと大学読書人大賞の授賞式に行って伊坂幸太郎さんの実物を見る。スリムだった。自分の誕生日に会えて嬉しいと参加していたファンというワセミスの女子が涙ぐむくらいに格好良かった。作家になればああいった熱烈なファンが出来ると思うと作家になりたいと思ったけれど作家になったからといって誰も彼もが熱烈なファンを得られるとは限らないとも思った。痩せよう。そんな伊坂さんは作品は構造とストーリーであってテーマとかあんまり考えないといっていた。それが読んで面白いものを書くのに必要なことなんだろうなあ。だからテーマは何と聞かれると戸惑うそうだけれど、そうはいいつつ作品に時々の社会的な問題とかが絡んでくるからやっぱり面白い。考えるきかっかけを投げかけてくれる、それも面白さの中に、そういう作家なんだろうと思ってこれから読んでいこう。実は数冊しか読んでないんだ。


【6月17日】 まさか御堂筋君が新開隼人に勝ってしまうとは「弱虫ペダル」のスプリント勝負、あれだけいかにも自分は強いといった面もちで走っていた新開だけど、兎をえぐって染みこんだ気弱さが出てしまったのか、本当に御堂筋が強すぎたのか。いずれにしてもこれで気落ちした箱根学園がズルズルと下がって、代わりに小野田坂道が田所先輩を伴い合流してきた総北学園が京都伏見とバトルを演じることになるのかな。どっちにしたってたかだか2日目。より過酷な3日目が終わった時にゴールラインを切るのは主役の小野田坂道が最高の姿を見せてくれると信じよう、って単行本読めばすぐ分かるんだけれど今は読まない、「ハイキュー!」と一緒で。6月中にインターハイの決着つくのかな。

 「Walker47」って聞いて最初は47NEWSをやってる共同通信とKADOKAWAが組んで地域ニュースをこまめに拾い集めて提供してくサービスでも始めるのかと思ったら、地域に編集長を置いて細かい地域ニュースを拾い集めて提供していくものだったようでまず、その地域編集長ってそれで食えていけるのか、それともボランティアなのかが気になった。そりゃあ自分の出した話題が全国の誰かに知られるのって、モチベーションとしては嬉しいけれど、それだけで長くそして正確で、何より誰もが欲しがる情報を提供していくのは難しい。そういう人気の情報ってのにアクセスするには自分の時間も体力も相当に費やす必要があるから。最初はボランティアで出来てもだんだんとキツくなる。ウエブ日記とかブログが長続きしないもの、そんなモチベーションがどこかで途切れてしまうからだったりする。

 発表とか見るとこの「walker47」で1200人いる地域編集長になるのは地域のタウン誌とか団体とかで活動する人たちで、だったら情報とかへのアクセスは他の普通の人よりはあって不思議はなさそう。ただタウン誌はタウン誌で情報を集めてそれを展開して収益を得ている訳で、それを無償で「walker47」に出すのかそれともアクセス分の対価が得られるのかってあたりに興味が移る。精一杯に書いて出したらそっちにばかりアクセスが集まって、自分たちの媒体がやせ細っていったら意味がない。そのあたりどういう契約なりがあってどういう関係で運営されていって、そして共に発展するのか片方が食ってしまうのか。あくまでも片手間に月5000円とかいう支援金の範囲内で活動して、それで対価に見合った情報だけを出していくのか。それでどんなコンテンツが集まるのか。しばらく様子を見たいなあ。

 テレビの下衆化化ってのは今に始まった話ではないけれど、朝のワイドショーから昼のバラエティーまで含めて普通に主婦とかが見る時間の番組までもが、マッチョでワイルドでエキサイティングでエロティックなものになっていたとは。ってのはワールドカップ2014ブラジル大会の日本代表選に絡んでいろいろ放送された話題が、どうにも居心地が悪かったから。たとえば朝のワイドショーでは、日本代表の試合が行われている時に、応援していなかった人を捕まえどうして応援しないのかを尋ねて歩いたとか。そんなにいけないことなのか。わざわざ聞かれることなのか。それを言うなら聞いて回っているリポーターだって応援してないじゃん、って突っ込みも早速入っていたようだけれど、個人個人の好みといったものを忖度しないで、趣味嗜好を押しつけてくるテレビの横暴さが改めて世に喧伝されてしまった感じ。

 あるいはお昼のバラエティで、日本代表戦が見られるスポーツバーに司会者と総合演出ディレクターが行って、試合の勝敗の行方で総合演出ディレクターが妻と離婚するという賭を広言して、そして自分の夜の営みがどうとかいった話を流してしまったこと。深夜番組だったら別にそういう展開があっても不思議はないけれど、真っ昼間の番組で妻との性交渉の話を堂々として、それを生放送ならまだしもVTRとして流してしまえる思考はいった何なのか。あまりに下品だと普通なら引っ込めるんだろうけれど、背に腹は変えられなかったのか、それともそれが普通だと思っているのか。後者なら頭が昼の番組にまるで切り替わってないってことで、視聴率が震わないのもよく分かる。場をわきまえず相手を見ないで自意識だけが垂れ流される番組が嫌われるのも当然。その結果が視聴率の低落へと繋がっているんだろうなあ。じゃあ改めるかっていうと、有効な手だてを思いつけないでいるテレビ界の明日は、って下品な上に無知を垂れ流して悦に入ってる新聞界隈が言える話でもないか。はあ。

 まだ始まってもいないのにはや敵のとんでもなさに怖じ気づきつつある鷹見一幸さんの「宇宙軍士官学校−前哨−5」(ハヤカワ文庫JA)は粛清者という文明を持った人類を遅い滅ぼす種族の送りこんだ偵察機が発見され、早急の迎撃が求められながらもとりあえず宇宙軍ではなく連邦軍の面子を立てようとして送りこんだ迎撃艦隊がなぜか1機ではなく2機いた偵察機のこれも異例の攻撃によって破壊されてしまうという展開。地球文明のリフトアップを手掛けた教導者たちでも驚く状況ながらそれでも倒さなければ先はないと、かつて宇宙軍の士官候補学校にいて有坂恵一を争いながら指揮官の資質に欠けると追い出されたリーが、実は戦闘機乗りとしては恵一なんか足下にも及ばない卓越うりで1機を迎撃し、そして残りも駆けつけた恵一率いる艦船がどうにか退け一安心。

 したもののいずれ来る粛清者の今までにないだろう激しい攻撃に地球人類をさらに高みへと押し上げる必要があると判断し、教導者は自分たちより高次元の人類のもとへと恵一たちを送りこもうとする。とはいえ相手は簡単に手を貸してくれる訳ではない。生き残るに相応しい種族か否かを問われるだろう試練がこれから始まりそうで、そこでは士官候補生の教官候補として訓練され、そして士官候補生を迎えて模擬戦を繰り返していた時なんてお呼びもしない激しい日々がまっていそう。それをこなしてようやく始まる粛清者との戦いで、それがいったいどこまで続くのかって考えると相当に長大なシリーズになりそう。とはいえ「前哨」とついているからには「俺たちの戦いはこれからだ」って辺りでいったん終わるのかな。どちらでも良いけどとにかく人をマネジメントすること、相手を見くびらず自分を過大にも過小にも評価しないで冷静に事に当たることを学べる啓発の書としても読んでいけるシリーズ。もっと人気になって良いはずなのになあ。ビジネス書として偉いレビュアーさんが紹介すれば良いのになあ。


【6月16日】 今の日本代表に必要なのは何より自信を取り戻すことであってそのために日本サッカー協会とザッケローニ監督は、全選手を集めて「劇場版 ゆうとくんがいく」の上映会を開くべきなんじゃなかろうか。長友佑都選手をモデルにしたあの映画ではリーグカップの初戦でゆうとくんが所属するチームは、相手にとてつもない選手が登場してゆうとくんのパスもドリブルもことごとく跳ね返して来たことで敗戦し、ゆうとくんは責任を感じて放浪の旅に出てしまう。

 チームを放り出していったいどこへといった意見は当然。でも傷心の時にまともな思考なんてあり得ない。そして自暴自棄になった時だからこそ、新しい出会い、新しい体験が大きな成長をもたらすことになる。そして修行の果てにゆうとくんはカップ戦の2試合目に復帰して、そこで大活躍を見せ相手のとてつもない選手すら越えてしまってチームを勝利に、カップ戦の優勝に導く。見て日本代表選手もそこに描かれたようにまずは、自分を取り戻すための修行を行うべきだろう。

 それはもうとてつもない修行なだけにすぐに出来るかは分からないけれど、とりあえず日本サッカー協会は実現のために人数分の赤ちゃんとその美しい母親と、そして彼らを追いかけ回す数の犬やら猫やら動物やらを投入し、さらに近所に配るための牛乳の巨大な缶を持ち込むべきだ。もっともそれだけでは足りない。必要なのは修行を実行させるかつてのファンタジスタ。「ゆうとくんがいく」だと場所がイタリアってことであの偉大なファンタジスタが名を変えて登場していたけれど、そこはブラジル、だったらあのファンタジスタに頼めば良い、Jリーグを隆盛へと導き日本代表を率いてW杯ドイツ大会出場を成し遂げたジーコを。え? それだけは勘弁?  確かになあ。そうかもなあ。

 特に見ていなかったけどフランス代表とえっとどことだっけ、ジャマイカだっけ、それすらも印象に残らないくらいに特徴があんまりなかったけれども、とりあえずベンゼマが凄いことだけはだいたい分かったので、これからのワールドカップブラジル大会のフランスが関わる試合ではちょっと目を向けていこう。ナスリ選手がいろいろあって出られなかったこの大会、劣ればデシャン監督だっていろいろと言われただろうけれども、チームの和を乱すこともあるし代表でマンチェスターシティでのパフォーマンスを見せられないこともあって選ばなかった辺り、やっぱり代表チームというものをよく分かっている。スターを並べたってチームにはならないってことで、その正反対をやってしまって失敗したのがコートジボワール戦の日本代表だたっといったところか。

 過程で何か言われるとそれは監督にすべてかかってくる、でも結果で何か言われるなら責任は選手にもあると言えるとかんがえての所業だとしたら案外に肝の据わっていないイタリア人だったってことになるかなあ。その点でしっかりと当時のスーパースターだった中村俊輔選手を外したトルシェ監督は肝が据わってたけれど、それでもトルコ戦で中田英寿選手を引っ込めようとして、ダバディだか人間力だかからそれで負けたらとんでもないことになると言われて外せなかったこともあるからやっぱり監督ってそうとうにキツい仕事なんだろうなあ、デシャンくらいに自分がスターならそれも出来るってことなのかも。日本もだから何を言っても通るスター監督を招けば良いんだけれど、それで呼んでくるのが何かを言ってもそれが当たっているとは限らないスターだったりしたからなあ。次の監督はいったい誰になるのかなあ。

 そうそうコートジボワール戦が終わったあとでTOHOシネマズを出て六本木あたりを歩いていても誰も騒がず誰も踊っていなかった。2002年の時は毎日がお祭り騒ぎだったけれども遠い異国で開かれているワールドカップの空気を持ち込んでバカ騒ぎする場所でもないってことを、そこに居る人は肌身で感じていたんだろう。そういう意味では渋谷がバカ騒ぎをして良い場所のように思われてしまった理由がちょっと知りたい。2002年で一種勝利を祝う聖地めいた扱いをされてしまったのがずっと尾を引いていたんだろうか。でもそれは六本木も同じ。渋谷だけが新鮮なトレンドに現れずいつまでも過去を引きずっているところに、昨今言われるような渋谷の最先端からロートルへの立場変化があるってことなんだろうなあ。ダサいことが平気で行われてしまうというか、ダサいことが平気な人が集まってしまう場所というか。これで駅ビルとかが綺麗になって何か変わるんだろうか。堕ちて澱み濁ってしまった空気を変えられるか。ちょっと見ていきたい。

 主人公でもなければ超活躍するヒロインでもないキャラクターを表紙に使ってもまるでピンと来ない人間だけれど世間はそれでもやっぱり美少女が表紙だからと選んでライトノベルを勝っていくものなのか、それともそうした方が良いと編集者が思いこんでいるのか。分からないけれどもとりあえず今回はあんまり活躍しなかった安須ユミコという少女を表紙どころか口絵の冒頭と次のページに使い裏表紙にまで使っていたりする川原礫さんの「絶対ナル孤独者<アイソレータ>1 −咀嚼者 The Biter−」(電撃文庫)はかつて父母と姉を侵入者によって殺害され、ひとり助かった空木ミノルという少年が主人公。

 親戚のおねえさんに引き取られ母親のように愛され育ったけれどもある時、外にいた時に宇宙から来た何かが体内に入ったことで運命が変わった。それまでも近所をランニングしていたけれども急にタイムが伸びた。そしてそんなミノルの姿を見かけた中学校も高校も同じながら交流がなかった陸上部の少女が話しかけて来て、そんな最中に自転車に突っ込まれながらミノルの体に傷ひとつ突かなかった。何があったんだろう。そして学校で陸上部の男子生徒がミノルに少女とどういう仲なんだと因縁をふっかけられ腹を殴られた時、またしてもミノルの体は痛まなかった。むしろ殴った方の手が痛んだ。

 固くなる。何も寄せ付けなくなる。そんな能力が芽生えてしまったミノルだけれど、ヒーローになるよりひっそり静かに暮らしたいと考えていた。けれども事件が起こってしまった。何か得体の知れない力を持ってしまったミノルとは別の誰かが、陸上部の少女を襲いそれを見たミノルは助けに入って力を震う。そこに現れた安須ユミコたち。空から落ちてきた何かによって変わった者たちがいること、衝動にとらわれ暴走する者がいて、理性を保ったまま力を振るえる者がいたりする状況でミノルは最初、力を悪用している側だと思われるもののやがて了解を得て、仲間にならないかと誘われる。

 だが断る。目立ちたくない。静かに行きたい。そんな思いで誘いに背を向けたミノルを逃げていた襲撃者が襲い、そしてミノルや否応なく戦いの場へと引きずり込まれていく。彼の能力がどういう由来のものなのか、それを考えるといたたまれないものがあるけれど、言うなれば自分のトラウマなり後悔なりを力に変えて過去を振り払うチャンスでもある。ネガティブからポジティブへと思考を変えていくきっかけも与えてくれる物語。そしてやっぱり異能バトルでもある物語。いったいどんな能力者たちが現れるのか、それにただ固くなるだけの力をどう使ってミノルは立ち向かっていくのか、ユミコとの関係は。いろいろ興味を残して以下次巻。ちょっと楽しみ。何より力の源泉となっている存在の目的は。正体は。SF的な大仕掛けも期待したいなあ。


【6月15日】 続いてやっぱり富士見L文庫から登場の小竹清彦さんによる「バー・コントレイルの相談事」は、ふらりと入ったバーでバーテンさんから話しかけられ顔見知りになり、そして常連さんでも初見さんでも構わず来店するお客さんと仲良くなって友人知人が増えていくという展開が、人見知りで出不精で胡乱で友人知人がまるでおらず、結婚式にもお誕生会にも招かれない僕にはファンタジーでありSFだったけど、そういう部分を脇に置けば話はとっても面白い。

 会社で上司にハメられたOLさんが、かねてから看板だけ見て気になったバーに入って気持ちを晴らそうとしてバーテンさんから勇気をもらい、立ち直るというエピソードからまず開幕。そして足繁く通うようになってそこに来る人たちのちょっとした疑問や悩みなんかを、バーテンさんがアドバイスしたり各自が解決ししていく。特に事件といったものではなくって、近所にあるフライ屋さんの向かいにアメリカンなフライ屋が出来て商売あがったりになりかかったところで勝負を仕掛けて勝利するとか、持ち込まれた古いボトルの形からそれがいつ作られたどんなお酒があてるといったもの。、ミステリというよりは蘊蓄の開陳といった感じで読んでいくうちにいろいろと勉強になる。

 もちろんお酒に関する知識は豊富で、カクテルの種類からその飲み口、どんな時に飲んだら良いかといったノウハウを得られて自分でも試してみたくなってくる。そんな展開の中から、主人公のOLさんの死んでしまった父親が、かつてバーテンをやっていて彼女に飲ませたかったカクテルがあって、それを探す話が混じって来る。OLさんの父母は離婚していて彼女は手広く商売をしている母親の方に引き取られてけれどもいったいどういう理由から離婚したのか、OLさんは気後れしてなかなか聞けなかった。けれども父親が残したカクテルを探すという名目で、母親を向かい合い話し合ってわだかまりを解き、そしてバーテンさんへの関心も深まっていくといった日常系お悩み解決ストーリーが繰り広げられていく。

 いったい父親が彼女に飲ませたかったのはどういうカクテルなのか。そして今の彼女に飲ませたいカクテルは。そこにどんな意図が。そういう部分も含めて学べるところが結構あるし、お酒を使って人の心を掴むのに役立ちそうだけれど、ひたすらに酒に一直線なコントレイルのマスターの心だけは掴むのは難しそう。こういうのをまさしく朴念仁というんだろうなあ。読み終えれば自分でもふらりとバーの扉を開けてみたくなるけど、でもやっぱり怖いなあ、誰がいるか分からない場所に行くのって。バーテンさんも怖いかもしれないし。だから出来ないんだ友人知人。ちょっと反省。ちょっとだけかい。

 まどろみの中でウルグアイが勝っているなあと思っていたら、いつのまにかコスタリカが逆転していた。先行してもひっくり返されるのはそういえばスペインとオランダの試合でも見たばかりだったっけ。だから日本も先制したからといって安心できないと心配していたら案の定、というかほとんど必然といった感じに逆転されて負けてしまったワールドカップ2014ブラジル大会のグループリーグ初戦となったコートジボワール戦。ネットを眺めていてTOHOシネマズ六本木でパブリックビューイングの席が空いているのに気づいて申し込んで朝速くからイタリア対イングランド戦もみないで駆けつける。

 すぐ横のシアターで日経新聞が応募したパブリックビューイングの人たちが列をなしているのを見つつ、そこよりは狭いけれども臨場感のあるシアターでもって見た試合。ゆっくりとした展開からやがて前に押し出した日本代表が本題圭佑選手のゴールで1点を上げると、これで一気に攻められるんじゃないか、相手も焦ってそのまま逃げ切れるんじゃないかなんて予想が浮かんだけれども甘かった。得点シーン以外はだいたいにおいて本田選手が目立たず、トップに入った大迫勇也選手が絡むシーンもほとんどなく、香川真司選手もボールを持っては奪われたりするシーンが結構あって前にボールが落ち着かない。これえはどれだけ飛び出す機会を岡崎慎二選手が狙ったところで、そこにボールは来ず決定機は作れない。

 そうこうしているうちに相手は秘密兵器にしてネオジオング級の迫力を持つドログバ選手が入ってきて、途端に前へとプレッシャーがかかるようになってたちどころに2点を奪って日本を逆転。相手にとっての右側からのクロスがフリーで打たれ、それをやっぱり飛び込んだ選手がフリー気味で叩き込む展開に流石だなあと感嘆したけどそれ以前に、そこへとボールを持って行かれる途中で中盤のパスミスだの奪われるシーンだのがあったことが気になった。頑張れない。そして繋げない。頑張り繋ぐサッカーを標榜しているチームがそれでは勝てるはずがない。

 短いパスではまともに通らないなら裏に走って長いパスを受けるような戦い方に返ればいいのにそういうシフトチェンジをまるでやろうとしない選手たち。だからといって選手交代でどうにかしようにも、基本が同じプレースタイルを遂行できる選手ばかりが裏と表のような関係で揃っているから変わり様がない。実際に長谷部誠選手に代わって遠藤保人選手が入ったところで中盤の持ちが良くなってもプレスが聞かなくなって相手に蹂躙され、そして大迫選手に代わって大久保嘉人選手が入ったところで前にボールがいかないから活躍する余地はない。

 これは拙いと本田選手を前に挙げて大久保選手をサイドに開かせようとしたけど今度は選手が言うことを聞かない。たまりかねて香川選手を引っ込め柿谷陽一郎選手を入れたけれど特段に変化は起こらない。状況を変えるならトップに巨大な選手を入れてサイドからクロスを入れるなり、後ろからロングボールを蹴り込むなりしてそれを拾うようなプレーをすればいいのに、トップに入れる大きな選手がチームにいない。仕方がなく最後の最後で吉田麻也選手を前に出したけれどもそれでもやっぱり中盤からボールが前に飛ばない。飛ばそうとしない。それでパワープレーなんか出来るはずがない。決定的なチャンスを作れないままタイムアップ。かくして初戦を落としてこれでグループリーグの突破がとてつもなく厳しくなって来た。

 同じシフトチェンジではコートジボワールはドログバ選手という前に突破出来てボールもキープできる選手を入れたことで雰囲気が変わった。孤軍奮闘のヤヤ・トゥーレ選手が生き返り全体の動きが良くなってそして飛び込みからの2ゴールへと繋がった。ああいう秘密兵器的な存在がいない日本代表は、これからの試合も苦労するんだろうなあ、ギリシャ相手に壁にぶちあたったり、コロンビアを相手に蹂躙されたり。目に見えるようだ。

 それにしても本田選手、一瞬だけみせた輝きはその一瞬に止まりあとは全体に動きも悪ければパスの精度も悪かった。前に出しているんだけれど見方に届かない。何かそこにいるなあと感じて出しているだけって感じ。もしかしてはっきりと見えていないんだろうか、ただ青いユニフォームみたいなのがあると思って蹴っているだけなんじゃないのか。そう思わせるくらいに緩いプレーが頻発してた。よく視力は大丈夫なのかって言われるけれど、本当に最近はそう思えてきた。フリーキックも昔ほど前に飛ばず、選手の壁にぶち当てるシーンが増えているような気がするんだよなあ。あるいはふかしすぎるとか。

 一方で香川選手もボールを持てない。ドリブルにいっては止められパスを出しては奪われと決定的な仕事ができなかった。やっぱりコンディションか。親善試合でいくら良いパフォーマンスを見せられたってやっぱり格下相手の親善試合。そこに相手の本気はなかったってことで。そんなこんあで問題点も見えて来たけどだからといって、それを修正するために違う選手を起用するおとが不可能なのが今回の日本代表。次もせいぜいが遠藤選手を最初から入れるとか、トップを柿谷選手にするとかいった変化しか加えて来ないんだろうなあ、そういうメンバーしか選んでないから。どうしてそうなった。分からないけれどもそれしかないならそうするしかない。次こそは。せめて勝ち点を。1なりとも。

 にしすがも創造舎で開かれていたANIME SAKKA ZAKKAのチームSのプログラムを、眼鏡の美少女がひとり見ている理科実験室に紛れ込んで見て小谷野萌さんの「Mrs.KABAGOdZILLA ミセス・カバゴジラ」はやっぱり凄いなあと感嘆しつつ見終わって会場を出て阿佐ヶ谷へと向かったものの時間があったんで阿佐ヶ谷アニメストリートをちょっとだけ見学。日曜日ってこともあってか人がいっぱい来ていたよ。最初は数週間で閑散とするかなあと思っていたけど案外に、人が来るのはそれだけ個々のブースが頑張って出し物を考えているからなのか。「僕らはみんな河合荘」のメニューが食べられる店とかちょっと入ってみたかったし。

 けど御飯は遠慮して何かコーヒーを飲みながら映像が見られる店へと入って「攻殻機動隊ARISE Border2 Ghost Wisper」を見たら椅子が振動して音声が耳元から聞こえてきた。何か4DX。ってそこまでではないけど映画館で見るより臨場感があったなあ、作品自体はもう既に劇場で何度も観ていたけれど、くっきりとした音声と大きめの映像で劇場のぼんやりとした空間では見えづらかった草薙素子の表情なんかがよく見えた。きっと自宅のテレビが60インチくらいだと同じような感覚を味わえるんだろうけど、そういう日が来るのは何年後やら。作品の方は月末に第3作の公開も迫っているんで復習にもなった。今回も初日にかけつけるぞ。舞台挨拶はどこかであるのかな。

 実はそれほど良い鑑賞者ではないんだけれどずっと気になる作品ではあった「カレイドスター」のブルーレイボックスが発売になったのを記念して阿佐ヶ谷ロフトで佐藤順一監督と追崎史敏作画監督を招いてのイベントが開かれたんで見物に行く。結論から言えば「カレイドスター」の見所はユーロの乳首が黒かったということで、それだけではないけれどもそれだけだったような気もしないでもない。いやどうだろう。いろいろと話はあったけれども10年が経ってなおこうして話題に挙がるのみならず、見て新しいファンが入ってくるということが不思議であり異常でありそして嬉しいこと。終わったら過去に流され見向きもされない風潮がアニメ全体に漂っている中で、過去のものであってもHDでなくっても良い作品は良い物だと認められ振り返られ蘇らされることがあり得る。そう思えば作り手も頑張るあろうし見る僕らだって新作ばかり追いかける暮らしから過去の名作に目を向ける暮らしへと、頭を切り換えられそうな気がする。それで稼ぎたい会社、そして食べて行かなくてはいけないクリエーターにはあんまり嬉しい話ではないのかな、でも過去の作品を振り返ることで気づいてもらってそれが今の、そしてこれからの仕事に繋がるという考え方もある。だからやっぱり温故知新で良いのかも。次は何が再評価の波に乗ってくるかなあ。


【6月14日】 目覚めたような眠っているような目で見ていたテレビで、ワールドカップ2014ブラジル大会のカメルーン対メキシコ戦がやっていて、メキシコの選手たちの動きの素早さに、日本だってこれくらいやればパワーとスピードのアフリカ勢に勝てるかもなあと思ったけどそれが出来ないから日本はメキシコにはなれないのだった。そしてしばらく微睡んだあとに始まったスペインとオランダの試合に、やっぱりオランダもスペイン相手に粉砕されるんだろうなあと気楽に構えていたら、逆にスペインがオランダに粉砕されていた。何が一体あったんだ。単純に見るならオランダが最初に守備をガッチリと固めてスペインが得意なハーフラインから前の相手陣における自在なパス回しを封じ、ポゼッションさせないようにしたことで、攻撃のテンポをつかめず試合に入っていけなかったことがあるような。

 でもってそんな状況をバルセロナだったら1人平気で打破していたメッシの代わりになりそうな選手がスペイン代表にはおらず、トップに入った形のジエゴ・コスタ選手は純粋なセンターフォワードいった感じでポストになろうとしたり裏に走ろうとしたものの、そこになかなかボールが届かずひとり孤立してしまった感じ。だったらいっそセスク選手をゼロトップ気味に置いて戦った2012年のEUROだっけか、それを再現すればよかったのに先発陣にはセスク選手は名を連ねず、かといってポスト役だったら最適なフェルナンド・トーレス選手も使わない戦い方では、いったい何をどうしたいのか、他の選手もわからかなったんじゃなかろうか。だから混乱して攻めあぐねた間をオランダに抜けられてしまったという、そんな感じ。

 バックパス気味のボールを足下で動かそうとしてファンペルシ選手に詰められ奪われ得点されそしてもう1点をロッベン選手がカシージャス選手を半ば翻弄するようにして交わして奪い5対1という、EURO2012でもワールドカップ2010南アフリカ大会でもあり得ないスペインの惨敗を見せられることになってしまった。前半はともかく中盤からはポゼッションも出来ていたけどやっぱり攪乱したり飛び出したりする選手の不在がバルセロナ的な攻撃を行わせず、そして馴染んでないジエゴ・コスタ選手の強引な起用がリズムも奪ってしまたっといった所か。これで予選リーグ突破がちょい、厳しくなったけれども残るペルーとオーストラリアに勝てばまだ目はある訳で、デル・ボスケ監督がどんな修正をしてくるか、そして誰を先発として並べてくるかに今から関心。ジエゴ・コスタ選手と心中気味に行くのかなあ。彼を使えるような中盤を後ろに置くような形で。さてはて。

 どこら辺を狙ってものか、掴みあぐねているところがあるけれどもとりあえず、ライトノベルからの持ち上がり層と、それから一般文芸として「ビブリア古書堂の事件手帖」なんかを意識している層を呼び込んで、キャラクター性と読みやすさで売りたいんだろうなあと見た富士見書房の新レーベル「富士見L文庫」が立ち上がったんで、まずは5冊をまとめて買って、その中からミステリ色が濃かった柏枝真郷さんの「貴族デザイナーの華麗な事件簿 ロンドンの魔女」を読んだらこれがめっぽう面白かった。時代は19世紀末のロンドンで、貴族の4男坊ながらも爵位を継ぐようなことはせず、過去にいろいろあってファッションデザイナーになったエドガーという青年が、ジェレミーという名の若者が運営しているテーラーに入り浸りつつ、ロンドンを脅かす人体発火事件に挑むという話。

 今とはちょっと違う服飾に関する造詣が深くって、当時はどんなファッションがあってドレスコードとして定められていて、それから逸脱することはどういうことかって話があって、今の何でもありとは違ったファッションの風景て奴を想像できる。タイに柄が入っていたり色がついていたってダメだなんて、どんな時代だったんだろう。だからこそ自由な発想のエドガーの出番もあるってことなんだけれど。そんなエドガーのあちらこちらかで見聞して培った博識と、未来を予見する斬新なセンス、それから急死した父親から受け継いだ形の仕立屋という仕事に真摯な態度で向かい合い、元よりの才能でもって顧客が喜ぶ服を作るジェレミーの人間性が、ロンドンを騒がせる人が突然発火する事件の解決に大きく役立つ。

 人体発火といってもオカルトとかホラーではなく立派にひとつの殺人事件。その裏にどういう仕掛けがあるのかってことを、物語では正しい考証でもってその時代のその場所ならではの理由を提示してみせる。なおかつそうしたことがなぜ起こり得たのかを推理させ、ある結論へとたどり着かせる。未解決のままでロンドンっ子たちが今なお引きずる切り裂きジャックの話題がもたらした事象が、誰を得させるのかといった辺りからの考察。そして何がいったい目的だったのかという結論から遡って分かる、事件の真相を示す諸材料。よく読んでいけばあるいはたどり着けたかもしれない犯人像だけれど、そうでなくても貴族の令嬢と成金に近い資産家との恋愛なりが成就されづらい世情を知り、テクノロジーが生み出す利便性と危険性の狭間を知って感嘆できる。当時を生きる者たちの様々な思いが描かれ絡み合って転がっていく展開を読むだけで十分に得るものもあるだろう。ミステリだけれどファッションであり、時代であって恋愛でもある小説。お楽しみあれ。

 映画館で見た競泳用水着の女子の姿に引きずられて、「スイートプールサイド」って映画を見に行く。舞台挨拶付き。押見修造さんの漫画が原作になった映画は青春のぐちゃぐちゃを描いて世に鳴る漫画家の作品だけあって、見ると気恥ずかしくなるくらいに青春の懊悩って奴があふれ出して来るストーリーで、それを主演した須賀健太さんって俳優の人が凄まじくも素晴らしい演技でもって体言して見せてくれていた。毛深い水泳女子の悩みを毛の生えない少年が見聞きし、その毛を沿ってあげるという話。あり得るか、って言われれば迷うシチュエーションだけれど、悩みに目がまっすぐになって周囲が見えない若者にあって不思議はないかもしれない。そういうものだよ青春って。

 毛の生えない少年と、毛深い少女のどっちが心に痛いのかっていうのは難しい問題で、男はいつか生えてくると思えば安楽になれるけれど、女でずっと毛深いというのはやっぱり相当にキツイかも。ホルモンのバランスであって長じれば女性ホルモンが勝って毛も薄くなるとは思うけれど、今まさに見える場所がもじゃもじゃっていうのはからかいの対象にもなりやすいだけに、相当に心に痛いかも。ともあれそんな2人が毛にまつわる悩みを秘め合い、交わし合う姿が初々しくてキモくもある青春映画。その懊悩を須賀健太さんが心底からの演技で見せてくれるのが見所のひとつだけれど、でもやっぱり気になるのは毛深い女の子の方を演じた刈谷友衣子さん。真面目なんだけれどそれ故に一途で、自分の悩みを晴らすためにそれを知った少年を追い込み追いつめていくナチュラルな悪魔っぷりが怖くもあって愛おしくもあった。

 もし自分があんな風に迫られたらどうしてあげるのか。手も震えそうになりながら剃ってあげるのか。こればかりは当事者になってみないと分からないかなあ。須賀健太さんはどういう気持ちで剃ったんだろう。そんな須賀さん、舞台挨拶には水着の短パンで登場して割れた腹筋を見せてくれた。演技していた時とは違って明るくて楽しそうな青年。それが映画では……。役者って凄いなあ。刈谷友衣子さんは残念なが体調を崩しているそうで欠席。代わりって訳じゃないけど須賀健太さん演じる少年になぜか惚れてる同級生を演じた荒井萌さんが登壇してくれた。可愛いじゃないか。どうして彼女から少年は逃げるんだ。そこがやっぱり視野狭窄になりがちな思春期の少年の思い込みって奴で。見れば見入ってしまうくらいに引きつけられる展開、そしてビジュアル。見終わって大人には自分はどうだったかと振り返らせ、今まさに生えてたり生えてなかったりする少年少女にはどうすれば良いのかを考えさせるだろう。だから行こう劇場へ。


【6月13日】 何か「超合金 超合体!YF(よにも・ふしぎ)ロボット 藤子不二雄Aキャラクターズ」ってのが出るそうでそれは藤子不二雄Aさんが生み出してきた漫画のキャラクターの超合金が、合体してひとつ大きなロボットになるというもの。見たら両足は忍者ハットリくんと怪物くんで、胴体は「魔太郎がくる!!」の浦見魔太郎、顔は「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造、見るからに不気味さを発するその胴体から伸びる右腕はプロゴルファー猿で手には猿が木を削って作った頑丈そうなドライバー、左腕は「まんが道」で藤子不二雄Aさんが自分をモデルにして描いた満賀道雄で、真っ白な原稿用紙を盾に持っていたという、そんな夢を見た。「超合金 超合体! SF(すこし・ふしぎ)ロボット 藤子・F・不二雄キャラクターズ」を出すならそっちも出して欲しいなあ、平等に、それがFもAもない「藤子不二雄」で育った僕らの思いなのだから。

 目覚めたらワールドカップ2014ブラジル大会が開幕していて、クロアチアがブラジルを相手に1点をリードしていた。なんだブラジル弱いのか。いやいやどうやらオウンゴールだったみたいで、それからしばらくしてブラジルの若きエース、ネイマール選手がやや遠目からグラウンダーで打ったシュートが、キーパーの伸ばした手の先を抜けつつゴールポストにしっかり当たってゴールイン。あの距離からあのタイミングでもってあの角度で打てるのは技術か、それとも偶然か。分からないけれどもこの試合のこの1撃でもってネイマール選手、今ブラジル大会の主役へと一気に躍り出た。

 その後にフレッジ選手がクロアチアのゴール前で倒されたPKも、ネイマール選手がゴールキーパーの手をかすめながらきっちりと決めてブラジルが1点リード。このPKを与えた西村主審の判断が正しかったかどうか、議論も起こっているけどVTRで観る限り相手のディフェンスはフレッジ選手の肩とか腕に手をかけ引っ張っている。それが倒れるくらいの強さかどうかは迷うところであって、触れられたんで倒れてみせたように見えないこともないけれど、とられて仕方のないプレーだったことは間違いはなく、負けたクロアチア以外はあから冷静に事態を受け止めているみたい。むしろ審判批判を堂々とやったクロアチアの監督に処分が下るかも。オシムは何というかなあ、セルビアほどにはボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアって対立はしてないような気がするけれど。

 しかし驚いたのはその後で、いかにもイケメンなオスカルって名の選手が放ったシュート、ディフェンダーと並びながらもゴールへと向かいドリブルしながらさあ蹴る、って予備動作をほとんど見せずに爪先でちょんとけり出したボールが、相手キーパーの届かない場所へとまっすぐ転がり突き刺さった。あれでもう1呼吸を置いたらキーパーも動いて止めていただろうから、オスカル選手の判断の速さが得点に結びついたと言えそう。あそこであれが出来るところが、ブラジルのサッカー選手の経験値の高さなんだろう。そういえば2002年お日韓大会でトルコを相手に戦ったブラジルのロナウド選手が、ゴール前に侵入してはトゥーキックでゴールキーパーのリュシュトゥ・レチベル選手からゴールを奪ったっけ。その時はフットサルからのテクニックの流用が言われたけれど、それも含めてボールを蹴り、得点を奪う動きが体に染みついているんだろうなあ、ブラジルのサッカー選手たちには。

 それにしてもクロアチアの選手も含めてパスがすごい速いのに、それをしっかり受け止められる場所に誰もが走り込んでは、足下にピタリと治めてそこから次の攻撃へと繋げている。日本代表の試合を1・5倍くらいの早回しで見ているようでもあるけれど、でも日本代表だとパスが繋がらず足下でボールが収まらないから、早回ししてもああいうテンポにはならない。途切れ止まってしまう。クロスのスピードだって段違い。そんな試合を見てしまったあとで果たして日本代表の試合を見て何を思うかってところだけれど、不思議と日本が試合をすると、相手もそのグダグダなペースに巻き込んでは圧倒的な格差を見せない試合にしてしまうところがジャパン・マジック。呪術師ならぬ陰陽師が何か呪(しゅ)でもかけているに違いない。ただやっぱり見比べれば違いすぎるそのクオリティは、プレミアの試合なんかとJリーグの試合でも感じるところなあけに格差は案外に広がっていたりするのかも。アジアの帝王然としていたら取り残されていくかもなあ。他に台頭してこないから今は安心だけど、中央アジアとか抜けてきたらヤバいかも。

 そんな浮かれ騒いでいるスタジアムから出るとブラジルではワールドカップの開催に反対する人たちと官憲との小競り合いが続いて収束する気配を見せていない。何もスタジアムの場所に限らず経済発展を見越して一気に進められただろう開発に伴って済む場所を追い出されたり狭められたりする先住民の怒りが、都市へと向かい手に弓矢をとらせて官憲へと立ち向かわせているようだけれど、そんな対立が一方に有りながらも日本代表の何人かは、先住民の戦士が顔に施した化粧からインスパイアされたカラーリングが施されたスパイクなんかを契約しているアディダスなんかから提供してもらった模様。現地の人に敬意を表しているってことなんだろうけど、当の先住民たちはワールドカップのお陰で酷く暮らしにくくなっている。そんな状況を果たしてスパイクを足にする日本代表の選手たちは知っているんだろうか。彼らの犠牲の上に自分たちが立っていることを知っていたら普通ははけないよなあ。でも履いてしまう。そこに昨今のワールドカップがはらむ巨大化して儲かる者だけが儲かり他は損をさせられる構図がある。何とも虚しい話。日本人選手には荷担して欲しくないけれど、それに気づけるほど視野が広い訳でもないからなあ。残念。

 与党の側にいながらも決してゴリゴリの右派ではなくってそれなりに首相の態度とは距離感を置いて平和の遵守に邁進していたはずの公明党がここに来てゴロリと寝返り自民党というか政府が進める戦争への道まっしぐら的な改革に乗っかる方針を見せたとか。そこまでして政権にしがみつきたいのか、っていう訝りも浮かぶ一方で政府関係者が恫喝のごとくにもらした創価学会との裏腹な関係を公然にしてしまうぜって話に恐れをなしたか言うことを聞いてしまったって構図が見えてどうにもこうにも気味が悪い。口先だけの介入でありまた宗教団体が政治団体を持って活動することは憲法でだって禁止されていない。信教の自由だし結社の自由。そこは揺らがない。ただやっぱり一枚岩だとその信条に政治まで引きずられるんじゃないかって懸念を周辺に与えかねないんで分離の体裁は取り繕って居たのが、そこを突かれて反論もできないまま軍門に下ったという感じ。弱いなあ。でも他に逆らえる勢力もないのが実際で、このままやりたい放題にやられてしまった挙げ句、世界に刃を向けたままはしごを外されないとも限らないあけに不安がもくもく。そういう懸念を首相とか分かってないのかなあ、分かってないんだろうなあ、手前のプライドが満たされる快感にのみ酔いしれて。小さいなあ。


【6月12日】 「境界線上のホライゾン7<下>」(電撃文庫)ではあと初めて葵・トーリの父ちゃんが姿を現し喋ったんじゃなかろうか。武神を使った戦闘で里見・義康を相手に戦い敗れた小西・行長が、落ちた房総半島を歩いていて大久保・長安と九鬼・嘉隆との交渉が気になって足を取られた時に現れひょいっと小西・行長を立たせてすぐに消えていった中年男。仲間を連れていて「先生」と呼ばれていたけどいったい何をしていたのか。そしてどこに行こうとしていたのか。そもそもどうして武蔵には帰らないのか。分からないけど怖い母ちゃんがいるからなのか。それもあるかもなあ。そんな小野・忠明が以前に里見家の正木・時茂を相手に刀を振るっていたことも判明。世間って広いようで狭いけど、そんあ小野・忠明を凄いと思ってた正木・時茂がその息子が葵・トーリであり葵・喜美であると知って浮かんだ心情、いかばかりか。滅茶苦茶な家だと思ったろうなあ。実際滅茶苦茶だし。

 いつからだ? いつからめめちゃんはシャウラ・ゴーゴの手に落ちていたんだ? 忘れっぽいのは最初から立ったし寝るとすごい拳法を使うのも最初から、だったように記憶しているけれど、でもああも忘れっぽかったかというとちょっと。昼に聞いたつぐみの飼い犬が死んでしまった話を夜に忘れているなんてことは流石になかったような。だから知らずいつの間にやらシャウラの洗脳が忍び込んでいたんだろうなあ。でもってアーニャお姫さまと分かってしまってつぐみとの間に距離は出来るかどうなのか。あんなに中が良かった3人があっとう間にバラバラになってしまった「ソウルイーターノット!」はいよいよシャウラ戦となってエターナルフェザー先輩も立ち上がる見たいだけれどキムはどうするのかなあ。やっぱりバレたら拙いもんなあ。ってことで見逃せない今後の展開。最後まで追っていこう。

 「無限のドリフター」の著者近影にハヤカワの青背を並べてSFへの傾注ぶりを見せていた樹常楓さんの震撼「シェーガー」(電撃文庫)を読んだら今度は著者近影で「爆発した切符」だの「ブロントメク!」だの「エンパイア・スター」だの「この狂乱するサーカス」だのといった感じにサンリオSF文庫の割とレアなところが並んでた。買えて良かったというべきか。他にも「バドティーズ大先生のラブ・コーラス」「愛しき人類」「夢幻会社」「イースターワインに到着」といったところがずらり。僕だって実物をあんまり見たことがないようなのが並んでいる辺りいったいどれくらい張り込んだのかが気になる。神保町の専門店でも数千円とかついてるもんなあ、というかそもそも置いてないか。このレア物シリーズを次も続けるならば樹常楓さん、次は集英社ワールドSFシリーズをきっとずらりと並べてくれるに違いない。それが挑むということだから。続けるとうことだから。幾らかかっても。うん。

 そんな「シェーガー」は滅びかけた世界で不老となった男が世界を救う力を持った少女を導く「無限のドリフター」と同様にやっぱりSF心に溢れた物語。といってもバラードのような退廃的な雰囲気を世界には持ち込まず。もうちょっと分かりやすい状況の上で少年が復讐心を燃やして世界を動かす権力に挑むというアクションSFになっている。何でも世界では大きな政府が消えてしまって7割近い都市を企業が運営し、そして他の都市を政府が運営しているようでそんな政府運営の都市のひとつでテロが起こり、主人公の少年・羽柴レッドはいっしょに連れていたガールフレンドを目の前で砂に変えられてしまう。それどこか街のほとんどがそれで壊滅し、わずかに残った少年を含めた生存者もビリジウムという物質がもたらした破壊の副作用でいつ死ぬかもしれない状況にあった。

 体力を奪われ神経をむしばまれ記憶すら失っていくようなその症状。一緒に入院していた少女は消えていく自分を恐れて自殺してしまった。レッドもいつその後を追うかもしれない状況にあったけれど、そこに救いの手が伸びた。柊カイエという名の少女が持ってきた「シェーガー」というテクノロジーを使って生き延びないかと持ちかけてきた。最新型の強化骨格。それを身につけることで体内に残留したビリジウムの力を引き出しどんな兵士にも負けない強大なパワーを生み出す。モルモットとしてその処置を受け、ビリジウム症の進行を遅らせる薬も大量のもらったレッドは「ゴースト」というコードネームを受けてビリジウムテロの真相を探り自分の彼女を、あるいは他の面々は家族を奪った敵に復讐しようとする。そして追いつめた犯人らしき男。その彼の口から明かされた事件の真相にレッドは憤り迷いそして苦しむ。

 金のためには、収益のためには人命ですらあっさりと切り捨てるような企業の論理の醜さが浮かび上がってくる展開は、まだそこまでは言ってないけれども労働者を切り捨て駒のように扱い使えなくなったら切り捨てる現実の世界の延長を映しているようでとても気になる。いつかそういう世界が訪れる可能性。と言うより既に訪れているかもしれない想像に苛まれ生きているのが辛くなる。一方で幻覚のように失った者たちにつきまとわれてそちらがわに誘われる日々。生きている意味なんてないのか。死んだ方が楽になれるんじゃないのか。そんな誘惑に人はうち勝てるのか。勝てるとしたら何が必要なのか。復讐か。他人の幸福か。自分が生きて生き延びることによって救われる何かがあるという使命感か。考えさせられる。ガジェットとしての「シェーガー」が持つ謎。ビリジウムというものの謎などを含め明らかにされる今後があるなら、そこで世界を支配する財閥を相手にしたさらに激しい戦いも見られるのかも。そうでなくても完結した物語として少年の決断を讃えたい。

 うんなるほど。ebook japanが何か漫画のキャラクターでもって日本代表に追加招集するなら誰? って企画をやっていたようで堂々、選ばれた選手が発表になっていたけどやっぱりというかゴールキーパーには「ゲゲゲの鬼太郎」からぬりかべが選ばれた。そうだよなあ、立っていたら絶対突破できないもんなあ。移動が大変そうだけど。でもってディフェンスは「進撃の巨人」から巨人さま。突破不能。しようものなら食われるか踏みつぶされる。ボールはすべて跳ね返される。これ最強。でも裸だからレッドカードで退場かな。ミッドフィルダーは面白くない大空翼くん。ぬりかべとか巨人に匹敵するパフォーマンスは出せるのか? 出せるかも。それが翼くんだから。そしてフォワードには「ONE PIECE」からサンジ。あのキック力で蹴られたボールは火を噴いてゴールに突き刺さる。でも女子をキーパーにすると途端に手を出せなくなる弱点が。そこを衝かれないためにも2番手の田中俊彦を是非に招集。「トシ、サッカー好きか?」と聞かれて好きだとしか言えないサッカー莫迦なだけに怪獣でも妖怪でも美少女であっても突破していってくれるだろう。今幾つになるんだろう。

 せっかくだからと「THE NEXT GENERATION パトレイバー 第二章」を観てその後で押井守総監督と東北新社の宮下俊プロデューサー、そしてプロダクションI.G.の石川光久社長によるトークを聞いてIGが押井さんのキャリアに果たして役割は税金の拠出だということを知る。つまりは他にいろいろと人気タイトルを作っては儲けたお金を押井作品に注ぎ込んで綺羅星のように居並ぶ作品を作ってもらっているということで、それを称して「押井税」と言うらしい。よくファンが好きな作品に注ぎ込むお金を「ヤマト税」「マクロス税」「ガンダム税」とかいってそういうニュアンスも押井さんの場合ない訳ではないけれど、いくらファンが望んだところで作品が出てこなければ意味がない。そこの部分で税として押井さんにお金を回すプロデューサーがいることが、やっぱり重要なんだろう。

 どうしてそこまで石川さんが押井さんにお金を注ぎ込むかは傍目には判然としない部分もあるけれど、例えば「METHOD」というムックに語られているように「機動警察パトレイバーTHE MOVIE2」でもって押井さんが押し進めたレイアウトシステムなんかは今のアニメで主流になり、というかCGを使ったアニメではかっちりレイアウトを決めてモデルを撮影していくようにもなっていたりする訳で、アニメの進化において結構な意味を持っているそれを押井さんが先行して導入し、実現した。あるいは「攻殻機動隊」のシリーズで黄瀬和哉さんを作画スタッフとして起用していたらそれが「攻殻機動隊 ARISE」のシリーズで総監督となっていたりと才能の発掘にも結構貢献していたりする。神山健二監督もそうか。そんな結果をしっかり呼ぶからこその税。払って終わりじゃなく見返りがあると考え投資しているんだろう。今はだから「THE GARM WARS」か何かか。どういう関わり方をしているか分からないけどきっと帰ってくる何かがあるんだろう。でもやっぱり使い道は今度こそアニメーション映画にして欲しいなあ。「スカイ・クロラ」からこっち観られてないし。10回は見に行くくらい好きな映画だったのにその後がないのはもったいなさ過ぎる。だから次こそは。次っていつだろう。


【6月11日】 2020年の東京五輪に関して施設の見直しなんかが舛添要一東京都知事から出てきたようで、とりあえず江戸川区にある葛西臨海公園の一部を取り崩してのカヌー・スラローム競技会場が見直し候補に挙がっている模様。なるほど25年前は埋め立て地だった場所が今一度、リセットされるだけだという意見もあるにはあるけどバブル全盛で潤っていた時代に丁寧に作られ、25年かけて育ててきた自然とそして集まるようになった野鳥が、五輪によるリセット後に果たして元通りになるのかどうか、っていうとこれは難しいとしか言いようがない。そんな予算は都にだって区にだってないだろうし、周辺環境の悪化もあって離れていく野鳥が戻ってくるという保証もない。かといってカヌー・スラロームの競技場で残したところでいったいどれだけの利用がある? って考えると最初から無茶な計画だった。

 だから見直しも当然あってしかるべき、なんだけれどもいったん決まった計画をひっくり返すことの難しさって奴は、国立競技場の立て替えの一件なんかからもひしひしと伝わってくるだけに、果たして都知事の一存でもって計画を変えられるのか、自然に配慮しますけれどもやっぱり場所はここですって妥協案に落ち着くのかってあたりが、これからのポイントになるんだろうなあ。まあ取り壊しが始まって建て直しだけは必至な国立競技場とは違って、カヌー・スラロームの競技場なら山奥だけれど都内にない訳じゃないから、やりやすいことは確か。計画に参画していただろうゼネコンなんかには迷惑な話かもしれないけれど、そこも事前の取引とかかぶちまけられれば引かなくちゃいけなくなるだろうし、自然に優しくない企業ってレッテルも付けられたくないだろうし。あるいは代わりの餌が与えられるか。まるで無関係な場所が開発されたりして、夢の島とか。それも面白いけれど。

 それにしても国立競技場は厄介さが増しているというか、最初の案からしてあまりに巨大過ぎる上に、周辺の施設なんかをぶっつぶし道路すらまたいで建設しなくちゃならないから無理過ぎるだろうと思っていたけど、それを通してしまった以上はそのまま作るのかと思ったら、環境に配慮しましたといって高さをちょっぴり低くして来た。でも75メートルが70メートルになったからって、いったいどれだけの人が「ああ低くなったねえ見晴らし良くなったねえ」って思うのか。18メートルのガンダムの首がとれたってガンダムはガンダム、でっかいなあと思うだろう。その5倍6倍はある高さを低いと思うなんて人はいない。ごまかしにも程があるけど、それでごまかせると思っている推進派の脳内が見てみたい。分かってやっているんだろうけど。

 つまりは誰も彼もが後戻りが利かない状況に追い込まれてしまっていることが問題で、だからその巨大さはともかく形としては斬新きわまりなかったザハって建築家の案が、まるで違った形になってもそれっぽいからザハの案だという取り繕いでもって推進される。巨大なアーチを渡してそこに競技場をぶら下げる案はどうなった。まるで自転車競技のヘルメットみたいに奇妙だけれど、それはそれで洗練された形が改悪され、亀の甲羅が蓋のように競技場に乗っかるだけのデザインに成り下がっていた。それをザハって建築家は私の作品だって胸を張って言えるのか。言いたくないだろうなあ。でも言うんだろうなあ。そこにやっぱり何かしらの暗黒がある。その暗黒に絡め取られて表参道に巨大なビルを建てなかった安藤忠雄さんも口が利けなくなっている。恐ろしい世界。とはいえやっぱり無理筋過ぎる計画が、どこまで推進され得るか。そんな辺りも見ていきたい。どっちにしたって千葉県民には関係ない話だけれど。

 1000ページだって何のその、あっという間に読み終えた川上稔さんの「境界線上のホライゾン7<下>」(電撃文庫)がやっぱり濃くて凄くて面白かった。とりあえず新キャラ登場は石田三成麾下の島・左近。その登場場面も衝撃的ならビジュアルも画期的。そして戦いぶりも驚異的とあってこれからの戦いで武蔵の側も相当な苦戦を強いられるかも。何しろあのネイト・ミトツダイラを相手に互角に戦ってみせたんだから。そこはそれ、鬼武丸っていう正体を聞けばびっくりな機動殻のサジェスチョンもあったからなんだけれど、相当に癖もあり強力なその鬼武丸を使いこなす島・左近、そしてそんな島・左近を鼓舞して導く鬼武丸の組み合わせが成長した暁には、ネイトでも本多・二代ですらも苦戦は必至かもしれない。まあでも関ヶ原で退場する聖符記述があるんだけれど。関ヶ原、描かれるかなあ。

 あと驚きはクリスティーナこと長岡夫人の可愛らしさか。自爆は絶対と決めて長岡・忠興の呼びかけはもとより友人の巴御前の説得にも応じず体に爆弾巻き付け歩き、庭木にも家の壁にも爆弾を張り巡らせては自動で爆発するようセットし就寝するその覚悟。相当に頑固者かと思ったら実は……ってところを見せてくれて、なんだそうだったのかと心が安らぐ。ある意味で北条・氏直に近い頑迷さと純真さがあるかなあ、本心はノリキに惚れててその前に敗れることで襲名から逃れ得た北条・氏直と同様に、長岡夫人にも良い未来が開かれていると嬉しいかなあ。さてどうなる。あとはやっぱり丹羽・長秀か。久方ぶりの登場は雷獣でドカンドカンとは行かず、歌と舞でもって武蔵勢を追いつめるけどそこに立ちふさがる徹夜でハイな白魔女と愉快な仲間たち。丹羽・長秀をおばさん呼ばわりとは恐れ多いけれども実際、歳とかずいぶんと上だろうし、でも無理に可愛い格好ははしてないような、表紙を見る限り。うーん。趣味は人それぞれだし。長岡・忠興とかネイトパパとか。

 「もやしもん」の連載が移ってからあんまり買わなくなっていた「イブニング」では載っていたら読む漫画の筆頭だった「おせん 真っ当を受け継ぎ繋ぐ。」がこれにて終幕。前の無印「おせん」の頃からかれこれ15年、よく続いたなあと思うのは途中で連載が途切れ掲載誌も変わったりした“事件”があったりしたからで、そこで断筆とはいかなかったところに作者のきくち正太さんの作品への愛着があったんだろうと想像する。これだけ愉快で確かな仲間たち、いなくさせるには勿体ないものなあ。でもそれもここまで、一升庵で働くグリコさんはからっきし成長はしなかったけれども実家の旅館を継ぐ決意を固め、珍品堂で働く真子さんとの関係も決めて旅立っていくその瞬間を、終わとして作品は閉幕。一升庵はそのまま残りおせんさんの若さと気っぷのよさも永遠に語り継がれていくことになるだろう。良い漫画だったなあ、けどおせんさん自身の幸せはどこにあったんだろうなあ。そこだけがやっぱり気になるなあ。

 笑わせてくれるというか竹田某、ネットに出回る修学旅行でやって来た生徒から死に損ないと言われて憤った長崎の被爆者への誹謗に近い言説を、そのまま受けて彼は原爆投下の時に違う場所にいたから被爆者じゃないとやってしまって、すぐさま入市被爆者というカテゴリーがあって、当該の語り部は2週間以内に爆心地に入っているからそのカテゴリーに該当すると諭され前言撤回、するかと思ったらそれは引っ込めず、確かにそういう存在もあるんだと言いつくろいつつ、けれどもしかし直接原爆の投下を見たわけじゃないのにお金をとって話をするのはいかがなものかと言い抜ける。

 おいおいだったら皇族であったことなんて父親も含めて1ミリ秒もない人間が、どうして皇族然とした言動をコメントしてお金をもらっているんだ。自分ではそうではないと言いつつ、周囲がそういうことを咎めもせずに受け入れそうなんじゃないか的空気をまとい、世に出ている時点で自分もその言説の片棒を担いでる訳で、それだったら何歳かの時に戦争を見て長崎も見た人間の方がよっぽどお金を取って長崎のことを語るに相応しい資格を持っている。もちろん、その知見に価値があれば体験の有無なんて関係なくって、聞いてためになると思えばお金を払うし無駄だと思えば払わない。その判断の上で果たして長崎の語り部はどうだったのか、明治天皇の玄孫はどうだったのかを考えてみるのが適切だろう。さてどうなのか。

 さらに竹田某、当該の語り部は英国で逮捕されたこともあるプロ市民だなんて思わせかねない文章を書いてしまっているけど、当該の語り部は逮捕なんかされておらず、誹謗中傷と取られる可能性もあるにも関わらず、釈明するそぶりを見せない。困ったものです。ただ竹田某の指摘する、修学旅行生だから長崎の被爆者から話を聞かなくちゃいけない、っていう教育の在り方の是非はちょっと考えてみたいところ。何とはなしにそういう過去があったことを聞いて、自分でいろいろ調べて気づき愕然とするのが良いんだけれど、無理に聞かせないと自分で調べず何も知らないまま育ってしまうのが現実なだけに難しい。要不要かといえば知るのは必要なことで、それを自虐的だどうして反米に向かわないのかと憤るだけでは、あの戦争の惨禍をまた繰り返しかねないだけに要注意。そういう意識が竹田某にあるのかどうか。ただただ自分たちは正しかったと言って喝采を浴びたいだけなのか。そんな辺りも見極めないと。

 最速上映でもって舞台挨拶の中継付きで「聖闘士星矢 Legend of Sanctuary」を観た。今日ほど自分が蟹座でよかったと思った日はない。だってデスマスク戦が映画で最大の見せ場だから。デスマスクが誰よりもカッコよかったから。漫画でもテレビでも常に噛ませ犬だった巨蟹宮のデスマスク。そのあまりの卑怯さ不甲斐なさに蟹座の人間として憤りを感じつつそれが自分の星座だと思い打ちのめされて四半世紀。トラウマを抱えて中年となった男たちに今、ここに蘇ったデスマスク が歓喜の声を挙げさせる。そうだ俺たちは中年だ。だからどうしたそれがどうした。見れば了解のそのバトル。聞けばば喝采のその言葉。世界に対して蟹座の意地を見せつける。ブロンズもゴールドもアテナさえも喰らうその存在感に蟹座として喝采を贈るのだ。しょぼくれながらも虚勢を張った中年って意味では虎徹すら思わせるその雰囲気。そっちのファンだって引きつけそう。だから見よ、「聖闘士星矢 Legend of Sanctuary」を。そしてしっかと目に刻め! その脇毛を!

 というのは本気の言葉だけれど、全体にやっぱり駆け足過ぎるなあ。アテナを16年もほったらかして教皇何やってたん? とかアテナを守護して敵に回る星矢たちブロンズ聖闘士たちをサンクチュアリはそもそもどうして認めて黄金闘士たちに育てさせたん? とかいった辺りが分からないからなあ。設定があるかどうかも分からない。みんなそういうもんだと見ていると思うけどそうでない一見さんにはどう映るか。気にしないかなあ。ギャグはまあ楽しい。そういう作品的な世界観なんだと理解すれば宜しいだけで。それが「聖闘士星矢」という作品性とマッチしているかというと謎だけど。最後にひとつ。アフロディーテ……。うぷぷ……。ともあれ楽しい映画なのでまた行こう。蟹座の栄光、この俺のプライドが炸裂するシーンを味わいに。


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