縮刷版2014年5月上旬号


【5月10日】 そして将棋名人戦は第3局が行われて羽生善治三冠が森内俊之名人・竜王に勝ってこれで3連勝。さすがに羽生さんだけあってここからの4連敗はなく久々の名人復位もほぼ見えたとは思いたいけれど、でも2008年の竜王戦で当時の渡辺明竜王に羽生名人が挑んだ対局では羽生さんが3連勝してから4連敗するという珍しいケースもあったんで、まだまだ安心とは言えないかも。名人せんでは逆の立場で羽生名人が森内さんの挑戦を受けて3連敗してから3連勝したものの、最終局を落として名人位を奪われているから今度はそうなってもその逆を、やって奪取してくれたらリベンジになって面白い。復位すればその時以来か。っていうか羽生三冠、その時も含めて7期連続で名人戦に臨んでいるんだよなあ、それだけでもやっぱり凄いこと。でも物足りないと思われる。やっぱりタダモノじゃないんだなあ。

 なんかポール・マッカートニーが国立競技場だけでなく日本武道館でも公演をやるとかいう話で国立はきゃりーぱみゅぱみゅと重なっているんで無理だからこっちはどうかと値段を調べたら何と! アリーナ席が10万円でS席でも8万円、A席は3万円でB席ってたぶん相当上の方でも4万円とか取るその値段にひっくり返る。こりゃ無理だ、絶対に無理だ。1500円ってリーズナブルな席も用意されているけどそれは25歳以下限定だからその倍はいってる人間が入れる場所じゃない。どうしてこんな値段になったんだろうなあ。まあでも東京ドームとは入れる人間の数が6分の1くらいだからドームでアリーナが1万6000円なら6倍の10万円になっても不思議はないってことなのか。B席だってドームに比べればアリーナ並の近さな訳だし。そんな東京ドームのアリーナで1度、見ているから今回はパス。行きたい人はいってくれ。集まるかなあ。集まるんだろうなあ。

 そうか「花子とアン」で九州の炭坑王こと嘉納伝助を演じている吉田鋼太郎さんはシェイクスピア劇のベテランで蜷川幸夫さんなんかの舞台で数々のシェイクスピア劇を演じている名優か。そんな人がシェイクスピアに戯れる女学生たちを前にして無学をさらけだし野卑なところを隠さない、反シェイクスピア的な九州の炭坑王を演じるというこの転倒。現場がいっしょだった訳ではないだろうけど乙女たちが演じるシェイクスピアを見て吉田さんが何を考えたのかがちょっと気になる。まあでも野卑な人も市井の人も強欲な人も含めて登場するのがシェイクスピアでそこで培われた演じるスキルが野卑だけれどここか知性に憧れもあり恐怖心も抱いている嘉納伝助という男を、どう醸し出していくのかがこれからの見所か。早速九州で一悶着ありそうだし。来週も楽しみ。それにしても白鳥かをるこ様は相変わらず元気そうだこと。ごきげんよう。

 そんな「花子とアン」で流麗にして可憐な音楽を奏でている梶浦由記さんの記事がおしゃれなタブロイド紙に出たんだけれども売れてないのかまるで世間的に話題になっていないのが寂しい限り。ネットに上がるのも遅いしなあ。まあ仕方がない。最近になってキャラクターも増えて感情の起伏も出てきたのかそれに合わせるかのように音楽も多彩さが出てきた感じだけれど、初期にはやっぱりケルトな感じで鳴り響くバグパイプのような音色が耳に残った。あれはイーリアンパイプといってバグパイプの一種だけれどもうちょっと柔らかい音色になるという楽器。ずっと使いたいと思い暖めていたところに音響の人からケルト音楽を提案されてそれならばと持ち出したらしい。

 とはいえちょっぴり強めのそのサウンドが遠く甲府にありながらも夢見がちな花子という少女の気持ちを表現していて見ている人の心に明るさを与えた。ともすれば「おしん」になりがちな田舎の苦労、学校に進んでからの心労もああいった強い音楽があれば明るくなる。そこがカナダのプリンスエドワード島になる。そんな意図もあってケルトを提案されたらしい。一方で柳原蓮子さま。最初のとっつきにくさからずいぶんと角がとれて明るく笑うようになたけれどもやっぱり芯には筋金が入っているような華族のお姫さまにして後の女主人。その強さを表現するために梶浦さんはハンマーダルシマーって弦を叩いて音を出す楽器を投入したらしい。なるほど弦楽器のようでいてベインと響くあの音は、蓮子さまという存在の強さを実にぴったりを現している。

 そうやって音楽で心情を奏でそして情景を奏でることによって豊穣さを増すドラマの世界。BGMってこれだから面白い。梶浦さんといえばFiction Junctionで歌姫をつかって歌曲のようなポップスのようでもある独特の世界を築いているし、Kalafinaをプロデュースして独特の歌の世界観を作り出しているけれど、それとは違ったBGMでも「魔法少女まどか☆マギカ」に「空の境界」なんかを手掛けて深淵さに溢れた音楽空間を作りだしている。「花子とアン」はそれらとも違った独特の世界。異国情緒があって感情的でカラフルで深淵。そんな音楽が詰まったサウンドトラックが6月に発売されるそうなんで買って聞き込んで心を飛ばそう、「花子とアン」の世界へと。

 油断していると上映が終わってしまいかねないんでここいらで観ておこうと新宿ピカデリーへと行って「たまこラブストーリー」。実を言うなら1ミリ秒もテレビの「たまこマーケット」を観たことがなくって誰がどういう感じに出ていてどういうストーリーなのかまるで知らなかったんだけれど、映画を見てそういった人間関係も家族や家業の背景もちゃんと入ってきて、その上で誰が誰を好きで気にしていてそれでいて一方通行だったり気づかれていなかったりといったモヤモヤとした青春の恋愛状況ってのがちゃんと分かってハラハラしたりドキドキしたりできた。つまりはこれ1本でちゃんと立派に成立している青春ラブストーリー。だから劇場に予想を超えて女性の観客が訪れていたんだろうなあ、娘を連れた母親とかも来ていたし、レリゴーとか歌わないのに。

 簡単にいうなら幼なじみの少女と少年の簡単そうで複雑な関係が大学進学という契機で動こうとするといった話。男の子の方は女の子をとっても意識しているけれど改めて言い出すには気恥ずかしい。一方で映像をやりたいと大学は住んでる京都から東京へと進もうとしていてそれも含めてちゃんと言わないと想っているけど言い出せない。そんな男の子の感情に対して割と鈍感なのが女の子。意識はあるんだろうけど今までの関係が良いなあって何となく想っていたりするところに落ちてきた雷のような言葉に動転してしまう。なんかある。あるいはあると良いなあと思える関係。そこからどう持っていくかってところで順々と意識の揺れなんかを描いているところが女性に感慨を与えるんだろう。そして男にも迷う自分への叱咤をもたらす。どちらが観ても良い映画。だからこんなに人が来る。

 京都アニメーションだけあって描写は的確。人間の仕草も動きもそして背景も。舞台となっている商店街はまだまだちゃんとお客さんがいて店もそれなりに繁盛していて良い感じ。地方ではちょっとシャッター街化しそうな場所だけど京都ってロケーションがしっかりと保たせている感じ。ああいう雰囲気、昔は普通にあったんだよなあ、そして今は……。そんな回顧と今後への展望なんかをくれる上に、それでも襲いかかってくる後継者問題ってものもちゃんと見せている。たまこは餅屋を継ぐけどもち蔵はどうするか、ってところでラストのセリフが利いてくるのかそれとも自分を貫くのか。そんなところも気になった。ともあれ良い映画。というかちゃんと映画。シネリフでもなく映画の作法も知らないけれど映画館で観てこその映画だとは想ったし、そう想った人も多いからこそ満席が続いているんだろう。あと1回くらいは劇場で観ておきたいかな。

 ロバート・キャパが明日までってんで東京都写真美術館へと出向いてキャパ展。人気だなあ。横浜美術館の時よりいっぱいな感じなのは会場がそれほど広くないのとあと閉幕が迫っていたからか。展示してあったのは初期から第二次世界大戦にスペイン内戦ときて日本から中国を観てそしてインドシナに至る概説的なものでその生涯と作品を振り返ることが出来たけれど、横浜の時みたいにはスペイン内戦の途中で死去したゲルダ・タローとの共同的な作業から生まれた作品については飾ってなかったのは目的が違っていたからか。それでも1枚、ゲルダがベッドに横たわる写真があってその関係性は見て取れた。彼女がずっと生きていたら後のキャパはどうなっていただろう。興味をそそられる。そんな世界線の物語はないものか。最後に使っていたというニコンSもあったけど頑丈そうなカメラだなあ。ライカで世に出てニコンで去る。今はずっとニコンなんだろうか戦場カメラマン。それともキャノン? iPhoneだったりして。そんな世界線も想像してみる。「iPhoneでグッドバイ」じゃあ様にならないなあ、しかし。


【5月9日】 明けてスポーツ新聞とかが昨日のサッカー女子日本代表ことなでしこジャパンとニュージーランド女子代表の試合を報じているんだけれど、試合に後半41分ってことは残り5分もない状況から出たというだけで楢本光選手を大フィーチャー。日刊スポーツなんて「本来のボランチではなく右MFで登場、わずか50秒後に菅沢が決勝ゴールを決める幸運ぶり」って書いていて、出場して即活躍したかのような誘導っぷりを見せているけど、菅沢優衣香選手はセットプレーから宮間あや選手のキックをヘディングで押し込んだんであって、楢本選手は得点とはとりあえず関係ない。

 にも関わらず得点を決めた菅沢選手なんてまるで及ばない取り上げっぷりはつまり、その容姿をもって世間受けすると判断したおっさんメディアのゲスな下心が炸裂しているだけのことであって、そこにスポーツをスポーツとして伝える姿勢は微塵もない。なるほど先発に入った吉良知香選手はそれなりに存在感を発揮したみたいだけれど、「今回の大阪合宿には普段から愛用する、運気をもたらしてくれる所属先浦和のチームカラーのサッカーボール形ピアスを持参。お気に入りの入浴剤も持ち込んで出番に備えた」ってこれもスポーツとは関係のない報道。同じことを男子の代表で書けるかって想像したら分かるように、女子だからこそのオヤジ目線しかそこにはない。

 こんなどうでも良い情報に何行も割くくらいだったら、どうして菅沢選手のことをもっと報じない? 巨大な山根恵里奈選手がどんな具合だったかを伝えようとしたない? 今まのなでしこジャパンでは出ていなかった選手が点を取った。これからのなでしこジャパンで守護神への道をしっかりと固めているゴールキーパーがいる。だったらそっちに目を向けるのがスポーツ紙として当然なのに、まるで眼中にないのはあらかじめ作られたストーリーの上、スターシステムでもって特定選手を持ち上げ話題を作ってそこに乗っかりすがろうとするマッチポンプ的体質が、未だ蔓延り抜け切れていないからだろう。専門誌だとちゃんと菅澤選手のゴールを報じ山根選手の成長を報じている。もちろん楢本選手や吉良選手の代表入りも。そしてチームがどういう状況にあってどこを目指しているかも。

 そうした専門誌が速報性を持ったネットを活用し、専門的な目を持ったライターを揃えて試合を詳細に、そして分かりやすく伝えるようになった時にスポーツ紙がすべきことは媒体力を活かして、もっともっと広範囲にスポーツの魅力を伝え、そして新しい選手の力を紹介していくことなのに、彼らの頭にあるのはスポーツとは無関係な要素であっても、それがトピックなら乗っかり、なければ無理矢理に卑俗な話題を作って煽ろうとすることだけ。実力と噛み合わなかったらさっさと次に移っていく、そんな焼き畑農業みたない報道がいったい何を招いたか。野球は衰えサッカーのJリーグは視聴率が取れずラグビーなんて世界から置いてけぼりにされた。でも変わらないスポーツ紙がどうなっているかは、数字が証明しているって言えるだろう。オリンピックを待たずに消えるところも出てきたりするかもなあ。

 メディアの衰退は出版社にも及んでいるのか、もとよりそういう体質だったのか。長く日本に滞在して有力メディアの日本支局長なんかを歴任したヘンリー・ストークスって人が書いたという本で、翻訳に当たった人間が勝手というか持論をそこに乗せて出しては原著者からそれは違うと言われて、すいません私が勝手に付け加えましたと告白したとか。それ自体も大変面倒な話で、もとより自分がそういう言説の持ち主であることは知れ渡っているので、今さら何を言っても世間はああまたかと思うだけ、でも外国人で日本に通じた人がそれを言ったとしたら、ちょっとは世間も振り向いてくれるかもっていった下心がそこにあった様子。浮かぶのはそこまでして売りたいかって呆れで、持論ならそれを訴え続けるのが持論だろうに、他人の口を借りて言わせてそれで正義と言えるのか? 同じ主張を持つ人からだって非難されても仕方がない。

 不思議なのはそんな事態を原著者とそれから翻訳者も含めて取材して報じた話に、今度は出版社がそれは違うと言い出したこと。おいおい当人たちが膝詰めで認めた話をどうして版元が否定する? 自分たちは関わっていません中身については当人たちがやったことで間に入った編集者も知らない話しでしたと逃げるのも大概だけれど、それでも知らないところで行われた捏造を気づかず、編集者が通してしまったとしても不思議はない。だからすいませんでしたと誤り絶版回収しますと行くのが普通なんだけれど、そうしたくない事情でもあるんだろうか。売れているからなんだろうなあ。でもやっぱり捏造でヘイトな感情を自信ではなく他人の権威を借りて発して受けたことを、手柄のように認めるのは版元として恥ずかしい。信頼性のためにも毅然とした態度で臨んで欲しいんだけれど、そういう矜持はもはやないのか、それとももともとなかったのか。出方を注視。

 昨日の今日で3Dプリンター規制を言い出すとは国家公安委員長、何を考えているんだって言われたって不思議はないけれど、どういう文脈で聞かれてどういう言い回してそう発言したのか定かではないんで、その真意についてはもうちょっと、続報を待った方が良いのかも。ただ3Dプリンターがいくら手元にあったところで、そして設計図がダウンロードできたところで、材料費はかかるし使うのだって結構手間だし、出来上がったところで肝心の実弾が手元になければ銃なんてあって何の役にも立たない。それこそ近所のスーパーで売っている果物ナイフの方がよっぽど危険で、それを手にした人によってストーカー被害で殺傷されている人の数を思えば、そっちをまず規制するのが筋だろうって話に向かっても当然だろう。それもまた困る話だけれど。

 だいたいが拳銃なんてNC旋盤があれば作れてしまうもので、それを管理監督しているかとうとトレースはしていても具体的に工場で何が作られているかまで管理している官庁も官憲もいないだろう。でも作られないのはそれが手間だしお金にもならないか。ましてや3Dプリンターだなんて投資コストもあれば運用コストも個人単位では面倒な代物を使って拳銃をわざわざ作り、そしてどこかから苦労して弾丸を取り寄せ銃として使う人がいったいどれだけいるのか。いるかもしれいないという可能性ならナイフだって自動車だって同じ事。でもナイフが売られず自動車が作られない社会の不便を考えた時に規制にならないように、3Dプリンターが規制されて被る社会の不便さをここはまず考えてもらい、一方で訴えていくことで巧い運用の方法って奴ができあがれば良いんだけれど。何でも規制したがる阿呆がいるからなあ、それを自分の点数稼ぎに使おうとする政治家も、そこにのっかり煽るメディアも。どうしようもない社会。


【5月8日】 そして発表になった「信長協奏曲」のアニメ化ドラマ化映画化一挙推進プロジェクト。ドラマと映画はやっぱり小栗旬さんが主演で、現代からタイムスリップするサブローとそして織田信長の両方を1人2役で演じるみたい。同じ顔をしているんだからそりゃあ当然だし、2人がいっしょに並ぶ場面ってだいたい本物がマスクを被っているから、誰か別の長身の役者さんでもおいておけばそれなりな絵にはなるから大丈夫だろう。

 気弱で純粋な本物の信長もどこかボーッとしていながらもやるときにはやるサブローも、両方演じられそうなところも良さげ。周囲を固める役者が誰になるかまだ分からないけれど、フジテレビなだけにそれなりな役者をちゃんと集めて、ドラマとして見られるものにしてくれるだろう、たぶん、おそらく、きっと。というか、そんな小栗旬さんがハマり役だと思えるくらいに、一緒に動いているアニメーション化の方の先行きが想像つかない。

 フジテレビのサイトによれば「7月から放送されるテレビアニメの『信長協奏曲』は、今回の『フジテレビ開局55周年プロジェクト』のためだけに新設される新たなアニメ枠で放送される」そうで、なおかつ「アニメ制作は、過去にドラマ、バラエティ、スポーツなど、さまざまな番組のCGなどを担当してきた、フジテレビ・CG事業部が総力をあげて行う」とか。つまりは普通のアニメーション制作会社は使わないってことで、3DCGのアニメーションに実績のあるサンジゲンとかポリゴン・ピクチュアズとかデジタル・フロンティアといったところも絡まない。だからどんな絵になるのかまるでビジョンが浮かばない。

 フジテレビによると「映像は、実際に役者が演じた実写映像をトレースするロトスコープ技法と、最新のCG技術を融合させた新感覚のアニメーションとなっている。これまで、さまざまな番組を制作することによって蓄積してきたCG技術の粋を結集して制作される」ってあるんだけれど、そんなフジテレビがいわゆるアニメーションをフルCGで制作したことがあったかって考えた時に、早々「テレビアニメ『信長協奏曲』が、今回の超大型プロジェクトの先陣を切り、プロジェクトの成功に花を添える」って言ってしまって良いんだろうかと考えてしまう。

 なるほどロトスコープは人の動きを絵によって再現できるけど、そのまんま絵にしてしまうとどこかにヌルヌルとした不気味さが漂う。一方でCGのキャラクターは、モーションピクチャーのままだとやっぱり動きに違和感が出る。そうしたあたりを手つけで直して、絵として見て感じの良い絵に仕上げるのがアニメーターという人たちの役割で、例えばウォルト・ディズニースタジオとかピクサーなんかでも、CGでモデリングされた絵を動かす時に、アニメーター的な感覚を持った人が見て直して違和感がない動きに仕立て上げる。結果が見てスムースに動き、それでいてちゃんとアニメ的なデフォルメもあって違和感なく感じられる映像。アニメーターって凄い人たちだよまったく。

 日本でもサンジゲンが手掛けた「009 RE:CYBORG」では、3Dでモデリングした絵をセルルックへと変換するのとは別に、動きとか見え方とか表情なんかを細かく直して、そのシーンのその角度で見て違和感がないものへと作り込んだ。本当に細かい作業を経てできあがった作品だからこそ、「009 RE:CYBORG」は2Dかと見まがうくらいの映像になったんだけれど、それでもやっぱり動きのどこかにぎこちなさが漂った。揺れがないというか余白が見えないというか。

 ノウハウを持つプロフェッショナルが作ってもなお及ばない日本のフルCGアニメーションを、VFXとかタイトルバックとかしか手掛けたことのないCGのチームが作っていったいどこまで「アナと雪の女王」に近づけるだろう。アニメーター的な感覚を持ったスタッフはそこにちゃんと入っているんだろうか。いろいろ気になって仕方がない。まあそこは堂々と満天下に向かい「なお、アニメ制作は、アニメーション制作プロダクションが担当するのが一般的で、今回のようにテレビ局が単独でシリーズ全話の制作を行うのは、史上初となる」って喧伝しているんだから、他に頼らなくても大丈夫だって自信があるんだろう。だったら結構、お手並み拝見と行こうじゃないか。たとえ出てきたものが杏梨ルネでも驚かないから。呆れるだけで。

 作品に“罪”があるんであって掲載する雑誌には“罪”はないっていう言葉もなるほど理屈で、ひとつの作品が問題を起こして世間から叩かれ、掲載されている雑誌もろとも消滅すべきだって議論が一方で高まったとしても、他の作品がその煽りをくらって世に出なくなるようなことはやっぱり避けるべきだって意見に与したいという気持ちはあある。とはいえそれで問題を起こした作品が延命を図られ存在し続けるのだとしたらやっぱりそこには掲載する側の判断なりスタンスってのがある訳で、一種共犯関係として“罪”を被って“罰”を受けるのも当然だしそれだけの責任もあるんだという意見も捨てがたい。

 事前にここまで問題点を指摘されているのなら、もう少し状況を詰めて“罰”が無関係な作品に及ばないような方策を取って欲しいという気持ちはあるけれど、もはや引き返せないとばかりに突っ走っているところがあるからなあ、週刊ビッグコミックスピリッツ。いったいどうなってしまうことやら。岡崎つぐおさんがツイートしてたように宗教団体に配慮し「ジャスティ」の連載をうち切った程のナイーブさが、今回はどうして発揮されないんだろう。それとも彼らにとって怖いのは宗教団体であり大御所の原作者ってことで昔も今も同じ体質だってことなのか。どうなることやら。

 どうやらなでしこジャパンは2対1でニュージーランドに勝利したみたいで最初の得点は後方から来たボールをうまくトラップした高瀬愛実選手がキーパーを気にせず蹴り込んでまず1点。そして2点目はジェフユナイテッド市原・千葉レディースから招集された菅沢優衣香選手が決めて同点に追い付いていたニュージーランドを突き放した。1対1で引き分けるよりやっぱり勝った方が嬉しいし、それがジェフレディースの選手だったってところで本番での起用にも期待がもてそう。同じジェフレディースから招集の巨大な山根恵里奈選手も1点をとられたけれど勝てばそれで良し。ポカとかないしキックはハーフラインまで飛ぶその機動力を活かせば本番でもちゃんとゴールを守る場所に立てるだろう。そして来年のワールドカップも再来年の五輪も。期待して見守ろう。

 バンダイナムコホールディングスの決算説明会が秋葉原であったんで散歩がてら聞きにいったらアナリストの人からしつこく「妖怪ウォッチ」について聞かれてた。曰く「ポケモンに匹敵する人気ぶり」だそうだけれど子供が周辺にいない身にはまるでそんな実感がなく、メダルとやらが売れに売れて生産が間に合わずレア化しているなんて話があってそれをSNSのガチャといっしょくたにしてニコニコの偉いおっさんが吠えてたって話も聞いてそこまで話題として浸透していたのかと知る。おっさんのは需要と供給のギャップを無理に射幸心と結びつけた筋の悪い良いっぷりだけれど現実、子供が欲しい時に品物がないっていうのは残念な話。かといって生産を増やしすぎるとブームを外して在庫に苦しむ例も過去に数多あるから無理は言えない。その辺の塩梅をどう見ているか、そしてどこまで伸びるのか。取引とは無関係な場所からコンテンツの栄枯盛衰の一例として眺めていこう。


【5月7日】 何で今さらとは思わないでもないけれど、あの「ホットロード」が今さらも今さらに劇場映画になって公開されるんだからもっと最近の「バクマン。」がたとえ原作の漫画が終わっていたってそれを元にしたテレビアニメーションも終わっていたとして、劇場映画になって悪いってことはないし、むしろ今の方がいったん終わった旬をもう1回作れるってことで作品的には美味しいかもしれない。時代背景だって別に大きく川っている訳じゃなさそうだし。

 ってことで大場つぐみさん原作で小畑健さん作画の漫画「バクマン。」が実写映画かされてい2015年に公開。高校生が好きな娘にふさわしい立場になりたいって一念発起し漫画の世界で頂点目指そうとする話で、主演が25歳の佐藤健さんと20歳の神木隆之介さん。まあぎりぎりかなあ、でも鈴木亮平さんみたいに30歳で高校生で変態仮面を演じたりする人もいるからそれに比べればむしろどっちも高校生に見えすぎるかも。人によっては天然タイプのサイコーを佐藤さんが演じて策士タイプのシュージンを神木さんが演じることに、これは違うと言っている人が多いのがちょっと気になった。茶髪でヘッドフォンつけてサイコーを説得し世間を籠絡するシュージンは年長の佐藤さんの方が雰囲気に合っそうだし、純真で漫画と彼女一筋なサイコーは神木さんにピッタリって思わないこともない。

 ただ神木さんって子役時代からの印象で純真を期待されているけれど、役者として見れば結構演技派で喋りも快活。その演技力を活かすとするならシュージンでむしろハマってるって言えなくもない。まあそこはきっと監督の大根仁さんも含めていろいろ考えた上でのキャスティングだろうから、完成して公開されるのを見てから判断しよう。ところで連載、途中まで読んでいたんだけれど「バクマン。」って最後どうなったんだっけ、アニメ化されて声優になってもらえてサイコー、彼女に振り向いてもらえたんだっけ。ジャンプ漫画って最後を知らない作品が案外に多いなあ。「北斗の拳」も「ドラゴンボール」も「BLEACH」も。まだ終わってないけど「BLEACH」。

 しかし驚いたなあ鈴木亮平さったのか「花子とアン」ではながアルバイトに出た出版社に出入りしている印刷会社の二代目だかは。長身なのはともかくスーツ姿はスリムで顔も結構絞れてる。映画「HK/変態仮面」の頃はもうちょっとゴツい体格だったような気がするし、実写版「ガッチャマン」のころはさらにゴツくて農村に帰りたいとダダをこねる気のいい大男って雰囲気が全身から漂っていたけどどこでどうやって絞ったか、しっかりとモダンな印刷会社のボンボンって感じに身を修めてきた。脱げばきっと腹筋割れてて筋肉しっかりなボディなんだけど、でもパワフルさではない俊敏さを感じさせる肉体になっているんだろう。見せる機会はなさそうだけれど。役に合わせて体を変えるデニーロ俳優の日本版。次はどんな役に挑戦するか。追いかけたいなあ。でもまだ「HK」見てないけれど。

 こっちは本当なんだろうか正式な情報が出回っていないから分からないけれど、石井あゆみさんの漫画「信長協奏曲」がテレビアニメになりテレビドラマになってそして実写映画にもなるってことで、アニメはともかくドラマと実写に漫画原作ならこの人で万全な小栗旬さんがキャスティングされていた。まあ何を演じてもそれらしく見せてしまえる役者なんで、どこか茫洋としながらもやることはやる「信長協奏曲」の信長にはピッタリって言えるかも。それだけにやっぱり「HK/変態仮面」も自身でやって欲しかったなあ、鈴木亮平さんではやっぱり顔立ちがゴツ過ぎた、あれが小栗さんならなおいっそうギャップが引き立ったのに。本人も後悔しているかな。

 それにしても多くなったなあ、タイムスリップしたらそこは戦国とかって設定が。いっそだったら女子高生がタイムスリップしたらそこは戦国で自分は織田信奈として祭り上げられ、そこに男子高校生がタイムスリップして来て相良良晴ならぬ羽柴藤吉郎秀吉として仕えることになり、そんな2人のところに現代からタイムスリップしてきた料理人がシェフのケンとして戦国にあって本格的な西洋料理を食わせて現代から来た2人を満足させつつ、そんな一行をやっぱり現代からタイムスリップして来た守山駐屯地所属の自衛隊員がスナイパーとして守るという「織田信奈の協奏曲はシェフでスナイパー」って映画でも作ればまとめて消化できるのに。敵はもちろん現代からタイムスリップして来た自衛隊の部隊まるまる。是非に企画化を。

 せっかくだからと最終日の「江口寿史キングオブポップ(予告編)展」を見に吉祥寺へ。そんなに混んではおらず初日よりむしろ人が少なくじっくりと台の上に並べられた漫画の原稿だとか壁に貼られたポスター系の仕事だとかを見ることができた。すぐに売り切れるかと思った40万円の原画は11枚あったうちの6枚が売れたものの5枚はまだ売れ残っていた模様。江口寿史さんの原画が売られることなんて滅多にあるものじゃないから、見れば買いだと思うんだけれど周辺に割と最近の絵を1万円2万円で印刷したものとか、それが額装された4万円のものだとかが並んで遜色のないクオリティを見せていると、手描きの絵とかは稚拙に見えてしまうんだろうか。そこが味なのに。

 2000年代初頭のものはそれでもペンで描いた原画をコピーした上からコピックとかで色を塗ったりしていた作品があって原画を見ればホワイトを入れたりして陰影をつけた後が分かって原画として見る意味があるけれど、2013年とか14年とかのごくごく最近の仕事ではたぶんペン画はあってもそれを取り込んだ上にフォトショップで彩色とかして出力しているから、タッチは出ても色のむらとか塗る過程とかってのは原画にすら出てこない、っていうかもはや原画はコンピュータの上のデータとしてしか存在しない。

 そうなると原画も出力も変わらないからなあ、価値として。それらと手描きで手塗りの原画とどっちが素晴らしいのか、って話になるともはや趣味の世界になってしまう、作家への愛があるとか描かれたモチーフに入れ込んでいるとか。その意味では今回は割と雑誌のグラビア仕事っぽい絵が多かった原画を買うのは、江口寿史さんってアーティストへの愛ってことになる訳で、僕なんかは愛はあるけれどもでもそれは漫画家としての江口さんへの愛であり漫画作品を通しての愛であって、だから「ストップ! ひばりくん」がモチーフに描かれた原画は50万円以上出して買っても、今回のにはちょっと手が出せなかった。そういう人が多かったかどうなのか。あそこに1枚でも「ひばりくん」がいたら買っていたかなあ、借金してでも。ウォーホルのシルクスクリーン作品以上に見えにくくなって来た、デジタル時代の作品の価値。考えたい。

 せっかく吉祥寺まで行ったんだからと「コミックゼノン」を出しているコアミックスが展開している「カフェゼノン」に久々に寄ったらちゃんとお客さんが入っていた。吉祥寺駅から西荻窪方面にちょい歩くガード下は決して人が流れる場所じゃなく、苦戦するかもと思っていたけど雰囲気が良いのとメニューが充実していることもあってか近所のママさんとか働く女性とかが訪れランチなんかを食べていた。そのあたりは先月に寄ったプロダクションI.G.が運営する「武蔵野カンプス」と一緒か、ユーフォーテーブルが運営する「ユーフォーテーブル・カフェ」はどんな層が昼時とかに来ているんだろう? ちょっと言ってみたくなった。

 武蔵野カンプスでもカフェゼノンでも、運営元が色を出しすぎずあからさまにアニメとか漫画がモチーフのカフェって体裁をとらなかったことも良いのかもしれない。それがあるとファンには嬉しくても、そうでない人には例えこれだけ世の中に漫画やアニメが大流行していても、どこかマニアックさを感じさせてしまうから。カフェゼノンにはなるほど「北斗の拳」のケンシロウは立っているけど、もはやケンシロウはポップカルチャーのアイコンだし、いて格好いいとは思われても、マニアっぽさは感じさせない存在になっているから大丈夫、なのかも。そんなカフェではランチプレートを所望。サーモンフライの上にクリームがのりそこにイカの塩辛が乗っていて、これが絶妙なおいしさを醸し出していた。おすすめ。また行こうそのうちに。どうせ窓外だし。


【5月6日】 目覚まし替わりに朝のワイドショーを見ていたら、何か今日がゴールデンウィークの最終日だって頓珍漢なことを言っていた。だって5月6日は普通の日じゃん、そして5月5日の子供の日は月曜日だったじゃん、だから5月6日が休日になるはずないじゃん。そう思ったけれども何か世界は大きく変わっていたようで、5月6日は火曜日なのに休日ってことになっていみたいで、仕事に出る必要性を失ってしまったのでとりあえず日課の「花子とアン」を見て、富山先生が逢い引きをしていたその表情が急に若返っているのを確認し、蓮さまが前と違って軽やかに喋るようになったのを喜び、終わらないどんでん返しを持って明日につなごうとするNHKのいけずぶりに拳を握って、それからどこに行くあてもないまま家を出る。

 とはいえ行く場所なんてないから、とりあえず地下鉄に乗ってそうだ吉祥寺に行こうと決めて吉祥寺にあるリベストギャラリー創で江口寿史さんの展覧会を見ようとしたら、すでに長い行列が出来ていたんで入るのを諦めて退散する。初日に見ていたから良いっていえば良いんだけれど、機会があればもう1回くらい見たかったなあ。最終日は平日なんでちょっとのぞいてくるか。せっかく吉祥寺まで行って手ぶらで帰るのもしゃくなんで、アーケードの入り口付近にある靴屋さんで前にも買ったK−SWISSのエヴァンゲリオン仕様から今度は黒いのを購入する。これって別にトウジが乗ってた奴じゃなく、初号機ってことになっているみたい。何でだろ。まあいいやあとは紫と白を買えばコンプリートだけれどそこまでの余裕もないんで今回はこれまで。とかいいつつ月末にふらりと行ってまだサイズとかあったら買ってたりして。そういうものだ、執着って。

 これで完結。というのはちょっと寂しいけれども良い終わり方をしていたからやっぱり完結で良いのかもしれない越谷オサムさんの「いとみち三の糸」(新潮社)。高校に入って一念発起、引っ込み思案の自分を直したいとメイド喫茶で働き始めた相馬いと。濃い津軽弁も抜けずおどおどしながらも子持ちと漫画家志望の2人の先輩メイドに引っ張られ、ばば譲りの三味線にも支えられて次第に居場所をつかみ自分をつかんで成長していく。2年生になって写真部の活動も始めそこに入ってきた元相撲部という巨体の後輩にちょっと気を向けたりもした『いとみに二の糸』に続き、受験を控えた三年生になった話が第3巻となるこの『いとみち三の糸』。進路に悩み恋心に引かれ後輩に手を焼くももの、後輩には当たって砕けずどうにか導くことに成功し、進路の方も自分のやりたいことを見つけたようで、あと恋心にもどうにか道をつけさて受験ってところでいろいろ壁が。まずは学力の。そして風邪とか。

 さてどうなる? ってあたりからの大逆転ぶりは奇跡を超えて感動を呼ぶ。嬉しいなあ。そして自分と同じような境遇で、けれども自分とは違う後輩も現れその成長にも興味を残し完結へ。円環のように受け継がれていく人生は、そのまま読者にも伝わり広がる。引っ込み思案でも良いじゃないか、まずは頑張ってみること、迷っていたってそれも人生、何かやりたいものをやってみるのが突破する道。そんな気持ちにさせてくれる。2011年3月11日の東日本大震災を経て越谷さんに思い浮かんだだろうことも登場人物を通して乗せられた物語からは、東北の、そして日本の力にひとりひとりがなっていければと思わされる。

 物語は終わってしまったけれど、劇中のフィクションとして登場したのが漫画「いとみち」。それがフィクションに終わらず本当に漫画とかになってくれたら、あるいはドラマにアニメになってくれたら嬉しいな。でもドラマだと三味線が大変かあ、ただでさえ超名人級の腕前で、加えてヴァン・ヘイレンだのビーチボーイズだのを織り交ぜ津軽三味線を弾くばばをいったい誰がやる? その記号にしか聞こえない言葉をどうやって発する? そして「三の糸」のあのシーンをいったい誰に頼む? 当人に? 実現したら超胸熱。流石にないだろうけれど。そもそもがいとの演奏だって再現するのは大変。でもだからこそ見てみたいなあ、動く「いとみち」シリーズを。同じように高校の3年間を3冊で描いた誉田哲也さんの「武士道シックスティーン」からの3部作も映画1本で終わってしまって残念だっただけに、こっちは3作、ちゃんとそろえて映画にドラマに漫画にアニメになれば良いのに。いやすべきだろ。動け企画屋。そして満足させろ映像屋。

 もはや愚劣すら通り過ぎて、知能の存在すら疑われるような話かもしれない、都立高校で毎日新聞の記事が試験に使われたことに対する某紙の攻撃。校長先生と記者との間でいったいどういうやりとりがあったかを、ネット上で全部さらけ出しているんだけれど、読むと言っていることが矛盾だらけで無茶苦茶で、これを満天下に晒して果たして精神的に大丈夫なのかと心配してしまう。「東京都八王子市の都立松が谷高校の『政治・経済』の学期末試験で、安倍晋三首相が昨年12月に靖国神社に参拝したことを批判的に報じた毎日新聞の紙面を添付し、意見や説明などを求める出題をしていた問題が波紋を広げている」って書いているけど、だったら靖国参拝を好意的に報じた自分のところの紙面を添付し、意見や説明を求めた試験があっても「議論が分かれている問題で、一方の批判的記事だけを載せて、生徒に問うのは誘導的なものがあるのではないかと聞いているんです」とやり玉に挙げるのか? 問題にすらしなかっただろう。

 つまるところ公平性なんてものを金科玉条のように掲げて、毎日新聞には公平性がなくそれを使う学校にも公平性がないなんてロジックで攻撃すれば、それは自分のところの主義主張ですら公平を欠くものであって、授業に使われることなんてもってのほかだって言っているようなもの。もとより他に比べて「モノを言う新聞」だなんて喧伝しているくらいだし、主義主張が特定の方向に偏っていることは存分に自覚しているだろう。そんな新聞がどこかの授業で使われてしまった可能性を想起して、たちどころに調べあげて糾弾するのが今すべきことのような気がするんだけれど、そんなスタンスはまるで見せずに毎日新聞を使った学校だけをやり玉に挙げ、無理筋なロジックを振り回す。

 なんという身勝手さ。そして身びいきぶり。自分の主張は公平で正論だけれど他人の主張は変更で誤謬にまみれているだなんて、本気で思っているとしたらもはやそこに知性といったものは存在しない。以前はそれでも右寄りなら右寄りでしっかりとした論拠の上に言葉を構築していたんだけれど、今は言いたいことを言うためには途中のロジックが曲がっていようが、牽強付会が著しかろうが、贔屓の引きずり倒しになろうが、ダブルスタンダードにまみれようが、そんなの関係ねって顔をするようになってしまった。そこに加えてネット向けに釣り見出しを横行させ、読んだ人を辟易とさせつつそれでも数字が取れたとほくそ笑む。いったい後に何が残るのか。信頼を売り渡し安心を削り罵倒と蔑視にまみれた言葉で特定勢力からの関心だけを得て、後にどれだけの読者が残るのか。考えれば分かりそうなものだけれど考えないから分からない。そして……。明日はどこだ。


【5月5日】 ミラノダービーってことでテレビ中継までしたのにフジテレビ、A.C.ミランの本田圭佑選手が出場しなくて煽りに煽った日本人対決は成立しなかった模様。インテルミラノの長友佑都選手は先発フル出場したのにスポーツメディアは本田が出場をしなかったことを重大ニュースかのように扱っていて、これも日本のスポーツマスコミがスポーツという基準で記事を書いていないことが分かる好例として後世に語り継がれることになるだろう。だってインテルだよ、名門だよ、そこのサイドだなんて日本人が普通は務めることができないくらいに激しい上下動が求められ屈強な守備と迅速な攻撃を求められるポジションに、170センチしかない日本人が入ってレギュラーを獲得しているんだからこれは凄いこと。なのにまるで格下扱いなのは、日本人が得点に絡まない選手を認めようとしない悪弊を未だに引きずっているからなんだろうなあ。

 とはいえ長友選手が出ても負けてしまったからあんまり大きいことも言えないかインテル。もはやチャンピオンズリーグへの出場は無理にしても欧州リーグへの出場には引っかかっている訳で、ここで勝って勝ち点を上乗せして逃げ切りたかったところを足踏み。チーム的にはちょと痛いかも。対してA.C.ミランもチャンピオンズリーグはもはや無理で欧州リーグも残り試合を全部勝って予選からの出場がぎりぎり果たせるかといったところだっただけに、ここでの勝利は必至だったと言えそう。そういう試合に出場させてもらえない本田選手はやっぱりまだまだ信頼されていないってことなんだろうなあ、チャンピオンズリーグの決勝で出場させてもらえなかったパク・チソン選手と同様に。これが3点をリードした試合だったら出ていたかな。まあ仕方がない。残る試合に出られるかどうか。そこが今の本田選手の位置を現している。注目必須。

 そんな試合が終わろうかとしている時間にグラグラと揺れ始めてガタガタと鳴り始めてこれは大きいと思ったら東京で深度5とう報。ってことはどこか遠くで、たとえば最近地震が頻発している岐阜あたりでマグニチュード5くらいの大きな地震でもあったかと続報を待ったら何か伊豆大島あたりを震源とした関東限定の地震だったみたいで、1番揺れたのが東京というから今度は首都圏直下型地震への心配ってのが浮かび上がる。まあ今回は深さ160キロとかいったものだったからそう不安がることもなさそうだけれど、それでも揺れるのは心境にあんまり良くないから、できれば揺れないで欲しいもの。しかしテレビでは朝のワイドショーが東京で震度5とかで全国中継で大騒ぎしていたのには辟易。自分たちの足下で起こったことが全国でも起こっているとは限らないというのに。見放されるはずだよまったく。

 最後にドカンドカンと動きがあって次回を期待させたんじゃないかな、テレビアニメーション版「魔法科高校の劣等生」は2科生が何やら不満を訴えたのを生徒会長がなだめ落ち着かせて八方丸く収まりそうなところでゲリラ戦がスタート。いったい誰が何を狙ってそんなことをしたのかって部分はこれから明らかになるとして、戦略級の魔法士が通う学校で何か不穏なことが起きそうだって時点で軍隊とかから人員が派遣されて鎮圧へと向かって良さそうな気がしないでもなかった。だって師匠はそんな司馬達也の周辺を頼まれもしないで洗って不穏な輩をすでに割り出していた訳だし。その情報力があれば計画だって筒抜けになっていて不思議はないんだけれど、こうして起こってしまったってことは分からなかったか、達也に心配するような事態は起こらないと踏んだかどちらかなんだろうなあ。しかし怖いよ司馬深雪。あの妹がいてよく大勢の同級生の女子たちと友人って意味でもつき合っていられるなあと達也の剛胆さに改めて驚いた夜でした。次回は派手にアクションがありそうで楽しみたのしみ。

 昔だったら意外な有名人が出ていて吃驚ってな興味から通って並んで買っていたけれど、今回は事前にカタログとか見てもそうした文学界的な有名人が降臨するってことがなく、これは絶対に買わなくちゃって意識がちょっぴり乏しかったものの、それでも青山ブックセンターで開かれた第1回目から通っている身でもあるし、行けば新しい発見もあるかもしれなってことで、「花子をアン」の蓮さま×はなちゃんカップルに萌えた後で家を出て、電車を乗り継ぎモノレールにも乗って流通センターへと出向いて「文学フリマ」を見物。入ってすぐさま大行列が出来るブースが見あたらなかったあたりに今回の、どこか熱量が抑制されていたっぽさを感じたけれども、個々に見ればそれぞれに熱心で面白く興味深い本がいっぱい出ていていろいろ収穫もあった。

 例えば「演劇と○○をつなぐ<メディア>」って触れ込みで立ち上がろうごしている「gekipon」ってところが出していた冊子は、講談社の漫画誌「イブニング」で連載されている松浦だるまさんの「累 −かさね−」って漫画について劇作家の黒田圭さんとそれから女子マンガ研究家という小田真琴さんが文章を寄せていて、あんまり美少女ではにあ娘が母親の残した魔法の口紅を使って相手からその顔を奪って舞台に立つような内容の漫画についてそれぞれの立場から論じている。連載で最初の方を読んだあたりだと、主人公の美醜に対するいじめが酷くそこからの脱出口として口紅を使い顔を奪い渡り歩いていくような物語に見えたけれども連載はいったん顔を奪っても翌日には戻ってしまうシンデレラ的な立場にあって、顔を奪い舞台に立つことと自分が役者として成長していくことの矛盾に苦しんでいるような感じになっているらしい。

 そんな漫画について劇作家の黒田さんはこれからどうなるかって心配をしていたし、小田さんは漫画読みとして過去あった演劇漫画なりとの比較をしつつ「累 −かさね−」が持つ独特の構造について言及していた。単行本は目にはとめていたけれど、最初の美醜を元にしたいじめの構図がどうにも苦手で、実は読み込んでいなかったんで、こうした示唆を元に読んでその作品の意味ってものを改めて考えてみたくなった。「イブニング」も「もやしもん」とか連載していたころは買っていたんだけどなあ、「さよならタマちゃん」とかも終わってちょと読むところがなくなっていたんだよなあ、また買い始めるか。あと文学フリマでは紀尾井町文学OB会で「桜坂絵理珠と十三番目の魔女」を書いた大橋崇行さんに挨拶。何かいろいろ書いているらしい。年末あたりに成果が出るそうなんで期待。文学フリマで見かけて買ったりしていた「たたかえっ! 憲法9条ちゃん」はさらに発売延期とか。過激で鳴るNMG文庫ですら後込みするのか他に事情があるのか。分からないけど頑張れノーベル平和賞を憲法9条が受賞したりしたら一気に売れるから。

 ほしおさなえさんのところで活版のカードを買ったり派手なシャツを着た大森さんが歩いているのを遠目に見たりしつつ1時間半ほどいて退散して天王洲アイルからりんかい線で国際展示場駅まで行って東京ビッグサイトでコミティアをさっと眺める。沼田友さんとかirodoriとかがアニメ部を作って頑張っていた。コミケくらいの規模になってしまうと追いかけられないけれどコミティアくらいの規模だとその中で独自にオリジナルアニメを作っている人たちがまとまって存在感を出していけるから良いのかも。「エロマンガ・スタディーズ」の文庫を買って永山薫さんのサインをもらってそこも退散。ドールズ・パーティーとかものぞきたかったけれど手持ち不如意なんでそのまま帰って寝て起きたらくだらない記事が出ていて頭が融けた。

 田村ゆかりさんのコンサートでラジオを投げた野郎は実年齢を公表されてぶちきれたんだというストーリー。なんにも分かってないか、分かっているふりをしている阿呆がサブカルをいじると悲惨なことになるだろうという好例で、そもそもゆかりんが実年齢を明かしたからぶち切れた、なんて話を全体に敷衍し“王国民”とはそういうものだとミスリードしかねない怖さを感じていたらとても書けない。というか王国民ならそういう虚勢も含めて楽しんでいた訳で、けれどもそういうノリに入り込めない人間が混じり別の鬱憤もあってか暴走した一件を捉えて、虚勢への悪意、王国民への偏見を助長しかねない論調を作り上げてしまったことに悪意すら感じる。こりゃあ王国民は怒って当然。大人だからそういう外野の分かってないノリをも含めてニヤニヤ楽しめる人もいるけれど、でもやっぱり買ってな思い込みで語られては迷惑だろうなあ。さてどうなる。どうにもならないか、影響力ないし。


【5月4日】 前半を0対1で折り返してもうこれまでかと思ったら、3日の試合でジェフユナイテッド市原・千葉が後半にさらに1点を奪われながらも3点返して勝利をもぎ取った様子。とはいえ順位はそれでも15位でプレーオフ圏内の6位までは順位的にちょっと遠くて今年もダメだ感はまだ色濃く残って払拭できそうもない。とはいえ6位までの勝ち点差はわずかに4というのも一方では希望になっていて、ここから負けずに勝ち点をひたすら積み重ねていけば、夏ごろにはどうにか上を目指せるくらいの雰囲気は出てくるんじゃなかろうか。せめてい3位くらいに付けていてくれたら、気分はもっと楽になるんだけれど。

 それでも実際に上に行けるかは別だってのは、過去2年間の戦績が証明しているし、上に行って戦えるかどうかってのは、先に行かれた徳島FCの苦闘ぶりが何かを示唆している。湘南ベルマーレみたいに圧倒的な勝ちっぷりで上に上がっても、それは同様なだけにさて、今年を無理して上がるかそれともじっくり戦力戦術を整える方向で動くかは、監督とチームの判断ってことになるんだろう。すぐに上に上がれてそして存分に上でも戦えるようになるなんて、よほど戦力を整え最高の監督を引っ張って来なければ無理だろうから。お金を使えば出来るかな。ワールドカップも過ぎたあたりで誰か来てくれないかな。ザッケローニ監督と、それからシドニーFCを退団したデル・ピエロ選手あたりとか。

 そんなふがいない男子とは違って、女子のジェフユナイテッド市原・千葉レディースはあの日テレ・ベレーザ相手に勝利をしたみたいで、なでしこジャパンにも選ばれたフォワードの菅澤優衣香が得点を決めて2対1でベレーザを突き放した様子。ゴールキーパーの巨大な山根恵里奈選手も出場しての勝利だから、きっと頑張って止めまくったんだろう。しかしなんかあっさりベレーザに勝利したなんて書いているけど、10数年前だったらちょっと考えられなかったほどの快挙なんだよなあ、これって。いつだったかまだなでしこリーグかL・リーグと呼ばれていた時代に、よみうりランドにある東京ヴェルディの練習場で行われたベレーザとの公式戦(そういう場所で昔は開かれていたんだよ)を見に行ったことがあったけれど、6点くらい奪われジェフは何もできずベレーザにこてんぱんにされていた。

 見ているとテクニックでも運動量でも、1人1人はちょっとの差でしかないように見えた。でもそんな差が11人分となると積み重なって大きなものとなって、相手にまるで歯が立たなかった。選手たちもそれを自覚してか悔しそうな顔を見せていたような記憶があるけれど、かといって相手は当時絶対的な女王だったチームな訳で、一朝一夕で超えられるとはちょっと思わなかったし、たとえ十倍の時間をかけても、相手も先を行く訳で追い付くのも難しいって感じていた。それがこの数年で大きく代わった。INAC神戸レオネッサが出来て移籍する選手が続出して、ベレーザが戦力ダウンしたってこともあるけれど、一方で少なかった巧い選手が強かったベレーザに集まっていた時代が変わって、結構いる巧い選手たちがいろいろなチームに分散して、そこでさらに成長して全体のレベルが上がっている。そんな印象を受ける。

 そんな変化が浦和レッズ・レディースやベガルタ仙台レディースといった、10年前にあっても弱小だったか存在すらしていなかったチームも上位進出を呼んでいるし、ジェフレディースの健闘にも繋がっている。とはいえジェフも浦和も仙台だって湯ノ郷だって安心はできない。INAC神戸レオネッサは選手を海外に出してしまって今ちょっと停滞しているけれど、もとより選手層の分厚いチームなだけに建て直してくるだろう。伊賀FCくノ一だって負けない試合をしている。今は2部のチャレンジリーグにいるスペランツァFC大阪高槻だって、丸山佳里奈選手を押し立て上に戻ろうと頑張っている。油断すれば逆転される緊張感。それは10数年前の女子サッカーにはなかったものだ。

 シドニー五輪を逃してリーグから抜けるチームが続出し、存続すら危ぶまれ、みなが不安を抱えてサッカーをしていた。戦力差もあって強いところと弱いところの差もあり過ぎて、それを試合と呼んで良いのか迷う気持ちも少なからずあった。それでもサッカーをしたいという選手たちが諦めず、逃げないでサッカーに向かっていった時代から、たった10年で女子の代表はワールドカップでの優勝を果たし、ロンドン五輪での銀メダルを獲得した。リーグ全体の底上げも実現して将来有望な選手がどんどんと出てきて、女子U−17の世界制覇なんてものも達成された。変われるんだよ日本のスポーツは。成長できるんだよ実行しさえすれば。それを証明してみせた。

 だからラグビーだって野球だって世界を相手に戦えるようになると思うんだけれど、問題は実行する人も組織もないってことか。1980年代の男子に1990年代から2000年代の女子と、どん底を味わった中から再生を遂げたサッカーみたいに、ラグビーも野球も世界から置いてきぼりにされ、ファンから見放されないと改革しようって気にはならないんだろうなあ。どうなるんだろう? 2019年ラグビーW杯は。その前にある2015年のW杯での成績が気になるか。たとえ出場できたって、やっぱり大差を付けられ負ける試合が続出すれば、そこから4年後に向けて盛り上げて行こうって気にならないものなあ。何か秘策はあるんだろうか。そこはラグビーならではの有力外国人選手のジャパン入りか。それで勝ってもなあ。お手並み拝見。サッカーはとりあえず男子のW杯での予選突破、そして女子のW杯での連覇を目標に頑張ろう。出場は……出来るよね、うん。

 せっかくだからと原宿まで出向いてきゃりーぱみゅぱみゅが「バービーアワード」ってのを受賞する様を見物する。そうかきゃりーぱみゅぱみゅにとってバービーは“師匠”かファッションであり存在の。まあそれもリップサービスではあるんだけれど、リカちゃんとは違って自在に時代のファッションをまとってきたバービーは女の子の憧れとしてのアイコンであって、その後継を担うきゃりーぱみゅぱみゅにとってはやっぱり学ぶべきところがある存在なんだろう。一方でそうした後継であり実践者としてのアイコンに、バービーもすがる意味を見いだしてのコラボレーションとなったってことなんだろう。この先「PONPONPON」の衣装をまとったバービーなんかが登場するそうで、あくまでもサンプルなのかそれとも世界的に発売されるかは分からないけれど、ちょっと見てみたい気がするなあ。ブライスのきゃりーぱみゅぱみゅ仕様はちょっと遠くなったかな。

 「“性被害”訴えながら“性産業”担う『中国』『韓国』の現実」ってはもはや人として書いてはいけないレベルの記事が新聞の看板の下に公開されるというこの現実は本当に現実なんだろうか。それともどこか不条理の世界に迷い込んでしまったのだろうか。まず確証として、中国・韓国系が他国に勝りアメリカ合衆国における性的産業を担っているといえるのか。増えているといった言葉がではいったい数字としてどれだけの割合となっているのか。圧倒的多数を占める現地資本の隙間で1%が2%と“倍増”したなんて程度の話を、大げさに書いている可能性はないのか。その辺りをはっきりさせないで、風聞に過ぎない話を材料として選び叩きに使う態度が卑怯きわまりない。

 よしんば多勢になりつつあるとしても、そうした事業を営む者への非難を、かつて性的な搾取を受ける被害にあったと訴える韓国の人たちに向けるのはやっぱり愚劣。それは、原爆に苦しんだ人たちがそれを海外に向けて訴えてたら、お前たちは原発を爆発させて放射能をまき散らしているではないかと言われるようなものだから。もっともここん家はもしそんなことを言われても、爆発させたのは民主党の総理大臣だから悪いのは民主党であって日本は関係ありませんとか、平気で言ってのけそうだからなあ。いずれにしても真っ当な思考と倫理観からは生まれ得ないロジックを、満天下に広言して恥じない人間がいて、それを載せて心の痛まない新聞があるというこの現実に、憤り立ち上がろうと考える真っ当な思考の持ち主が見あたらない悲しさよ。それともあまりに弱小過ぎて気づかれていないだけなのか。それもまた悲しい話。どっちにしたって未来はないよなあ。


【5月3日】 それをスポーツとするならば、勝ち負けをもって成績としてその積み重ねによって序列を決め、強ければ上に行き、弱ければ下に落ち、それでも勝てば上に戻れるような仕組みの上で、誰もが競技に参加して戦うのが筋ってものでそうした状況こそがスポーツとしての公平性を担保し、信頼を得て権威としても機能していくようになる。一方でそれを親睦とするならば、好きな仲間どうしが集まって組織をつくって内輪で競い合って成績を決めようとも、誰のとがめ立てをうける言われもない。問題はだから親睦団体といった面構えをしながらも、東京六大学野球がスポーツマスコミによって学生スポーツにおける権威として持ち上げられ、最強といった雰囲気でもって語られていたりすることで、その評判と実態のズレをどうして誰も問題にしないまま、コウモリのような立場で存在し続けていられるのかって辺りに、この国のある意味では美徳でそしてある意味では悪徳ともいった心理が見て取れる。

 71連敗もするような、飛び抜けて弱小なチームがそこにあるということは、そのチームとの対戦において投手でも打者でも通常より高い成績を残せるということになる訳で、それでリーグとしての通算成績を出されたところで、いったいどう判断すべきなのかにちょっと迷う。あくまでそのリーグとしての話に止まるなら良いんだけれど、世間はそんな言葉は悪いけれどもお荷物をかかえたリーグの成績を他の真っ当なリーグなり、プロ野球なりの成績なんかと見比べて、勝利数だの打率だの本塁打数だのから選手としての優劣を判断してしまう。本当のプロが見ればその辺りを割り引いて判断するかもしれない。でも世評といったものを受けてしまって、そうした判断に迷いなりを生じさせないでいられるか。目利きがいくら頑張っても世評だけを気にする上役が認めなければ、あるいはメディアがはやし立てればそれが通ってしまう。

 実はゲタを履かされているんだと、認めそういう口調でメディアが語るなんてことがあるとは思えず、むしろ弱くても東大野球部が東京六大学野球に所属し続けていることを“文武両道”などという言葉で正当化しようとしているくらい。そこがどうにも気持ち悪い。これがアメリカなんかだと、NCAA(全米大学体育協会)って団体があって大学におけるスポーツを統括していて、様々な競技においてリーグが機能して強ければ上に言って弱ければ下に落ちるような公平性が担保されていて、その序列でもってスポーツとしての名門か否かを推し量れる。日本ではどうだろう。野球に限らずラグビーでも内輪のグループが幾つかあってそこでの強豪争いに終始している。陸上の長距離にいたっては関東の強豪ばかりがドメスティックな大会にかまけて選手を育てられず、かつての王国が瓦解しはじめている。それを問題視するどころかメディアは美談でもって飾りもてはやしてよりローカル色を増そうとばかりしている。

 せいぜいがサッカーくらいだろうか、強さでもって組織化されているのって。だから或いは世界に繋がる階段がそこに見え、頑張って登ろうという気になってそして世界に近づいていけるのかもしれない。対して野球は。そしてラグビーは。その辺りから変えていかないと本当の強さなんて得られないと思うんだけれど、それを言い出すメディアはないし大学スポーツ関係者も存在しない。結果何が起こるかは、すでに起こってる状況を見れば瞭然か。これで明日の新聞あたりで東大の71連敗がなにか学生スポーツにおける美談めいた語られ方をしていた日には、もはや日本のスポーツメディアが立ち直る術はなく、そして日本のスポーツが真っ当に向かう可能性も大きく後退したと言えるかも。どうせそうなると分かってはいても、やっぱり寂しいものがある。せめてサッカーだけは世界に繋がる階段を維持して欲しいなあ。

 これも玉木正之さんの指摘ではスポーツ的な思考から外れている国立競技場の建て直し。すでに決定しているのかそれともまだ紆余曲折があるのか、分からないけれどもとりあえずは取り壊しから建て直しへと向かう予定の中でJリーグの2部に所属している東京ヴェルディが国立で最後の試合をするってんで見物に行く。思い起こせばJリーグが立ち上がって最初の試合が国立でのヴェルディと横浜マリノスの試合だった訳で「ここから始まった」とヴェルディが自認し「聖地」と考え立て直しの前にそこで試合したいと考えたのも当然か。あと知らないうちに新宿区がヴェルディのホームタウンか何かになってて国立競技場もホーム扱いになっていたってこともあるし。

 そんな試合なだけに勝ちたかっただろうなあ、って想像はたっぷり浮かんだけれども今日は相手が悪かった。FC岐阜。監督はヴェルディで名をはせそして国立を「聖地」と崇めるラモス瑠偉さん。本気で選手を叱咤し恥ずかしい試合を見せるなと鼓舞してモチベーションもたっぷりで緊張すらあったようで、ちょっとミスもあったけれどそれでも1点を奪いそのままヴェルディを押し切って勝利を決めてしまった。それでも決して誉めちぎりはせず「聖地」に果たしてふさわしい試合だったのかを問いかけるところは監督としての厳しさがあり、選手にはもっとやれるはずだという信頼があるんだろう。けっこう良い監督じゃないか。まあヴェルディ時代も監督として確かチームをJ1へと押し上げていた訳だし、モチベーターとしての才能はたっぷりありそう。ならば今の頬って置いても試合を作れる日本代表の選手たちを鼓舞する日本代表監督になっても良いような気もするけれど、そういう人脈的な流れでもないんだろうなあ。ビーチサッカーでは結果を出している訳だし1度くらい任せてみたい気もするなあ。

 竹内佑さんの「キルぐみ3」(ガガガ文庫)をやっと読む。バトルまたバトル。凄絶な果てに光明が射した帰結にただひたすら感嘆する。何かを纏うことで変われる可能性、けれども差し出す代償、その板挟みから自分を考え進む必要って奴が伝わってきた。そして時間の外で待ち受けているきぐるみの秘密も明らかに。なるほど理念なき技術の発展の愚かしさに人は気づくべきなのかもしれない。結構な分厚さはあったけれど、そこに詰め込まれた展開の早さとキャラクターの多さから鑑みるにあと数巻は予定していたのを巻いてまとめたといったところか。急ぎ足になってしまってせっかく図鑑的にきぐるみとクラスメートを並べても、出落ちのようにいなくなってしまうキャラもいて勿体ない。クラスメートとの共闘のあたりはもうちょっとページを使って描き、ゆえに離別の辛さといったものも深くなるようにして欲しい気もしたけれど、それこそ作者も望んでいたことだろう。けど結果はこれで一応の完結って感じ。残念な気分もあるけれど、ともあれ感慨の帰結を迎えられたことをまずは喜びたい。通して読み返したいなあ。どこに仕舞ったっけ。


【5月2日】 近賀ゆかり選手が呼べないのはちょっと痛いかなあ、とは思ったけれどもサイドバックをここで誰かがカバーできれば大きく戦力も分厚くなるから、選ばれた選手には頑張って欲しいといいたいサッカーの女子日本代表ことなでしこジャパン。来年のワールドカップの予選も兼ねた女子アジア杯に出場するメンバーが決まったみたいで我らが巨大な山根恵里奈選手もしっかり選ばれその巨大な身長でもってゴールを守るのみならず、ボールを相手ゴールに直接叩き込むようなダンクシュートを見せてくれるんじゃなかろうか。いやさすがにそこまでは。

 他にゴールキーパーは海掘あゆみ選手、福本美穂選手といつもどおりの面々で割って入るのは大変だろうけれど、アルガルベカップで初戦と決勝に確か使ってもらえたのはその活躍を佐々木則夫監督が信じているから。それに答えて是非に出場して勝利をつかみ連覇のかかったワールドカップの出場権を掴んでくれと平にお願い。ジェフ千葉がらみじゃ他に明るい話題もないだけに。ジェフといえば同じなでしこジャパンにフォワードの菅沢優衣香選手が選ばれていてこれはちょっと期待かも。去年からジェフレディースに所属しているんだけれど今年は試合でゴールを決めているような感じもあってその活躍が気になっていた。

 出場すれば最後列からの山根選手の叱咤も受けて得点してくれると信じているけど、それには不動のエースの大儀見優季選手をまず超えなくちゃいけないし、スーパーサブ的なスピードが期待できる丸山佳里奈選手も選ばれているから出場までが大変そう。高瀬愛実選手もいるからなあ。そこに割って入れれば来年の本番にだって呼んでもらえるだろう。まずはだから出場を。それがダメでも戻ったリーグ戦での活躍を期待。猶本光選手に吉良知夏選手と高畑志帆選手、乗松瑠華選手と浦和レッズレディースも結構選ばれている。調子が良いチームから呼ばれるのは半ば当然。となればジェフレディースも頑張って来年の本戦にもっと選手を送り込もう。

 ぼんやりと見るにはなかなかグッドなアニメーション版「僕らはみんな河合荘」。劇的なことが起こるってよりはアパートでの住人たちのやりとりからそこはかと浮かぶ面白さを楽しむドタバタコメディ的な作品だったけれど、それがアニメーションになると動いてエロさを感じさせつつ喋って健気さを醸し出すんでメリハリが利いて見ていて飽きない。麻弓さんの肉感たっぷりなビジュアルとか漫画だとやっぱり平べったいんだけれどアニメだと奥行きが出るんだよなあ。宇佐和成の存在感の無さは漫画に負けないどころか漫画を超えている感じすらあるけど、そこにいて河合荘の女子たちを動かすための装置みたいなものだから、自意識なんて見せずにひたすら観察者として美少女たちを見続け時折ちょっかいを出してはリアクションを引き出していってくださいな。

 アイルトン・セナが亡くなってから20年が経ったという。あのレースはまだフジテレビが地上波でテレビ中継していて、放送が始まったらなぜかレースではなくアナウンサーとか解説の今宮さんとかが神妙な顔をしてセナが事故を起こしてそして亡くなったって告げたんだよなあ。その場面も何度も放送されてカーブを曲がってきたセナが壁に激突して動かなくなるシーンが目に焼き付いた。それを知れたのも地上波でF1が放送されていたからでえ、今みたいにF1の中継がどこかへ行ってしまった時代だと、知らないうちに何か起こって気づかないうちにちょっとだけ騒がれ、そして忘れ去られていったかもしれない。

 だって今誰がF1のトップか知らないし、去年のチャンピオンが誰だったか言えないもん。5人とかレーサーの名前を挙げろって言われても言えないもん。地上波で放送されていた頃は完全生中継ではなくても何とはなしに見てレーサーの名前を覚えて行けたし、それで興味も持っていった。ネットとかなく検索もできない時代だったのに今以上に知識をそれも大勢が持っていた。地上波から放送が消えて幾年月。知らずF1は日本人の関心の埒外へ置かれるようになってしまった。アイルトン・セナの後で知られているのってせいぜいがミハエル・シューマッハーくらいなんじゃなかろうか。

 もう誰もが見て楽しむ時代じゃない、見たい人が観れば良い、それでお金を払ってくれればって意見もあるけれど、そういう態度がもたらす未来は縮小均衡だろう。地上波で再三度外視して放送し、ファンを育て盛り上げることで数年後に大もうけできるコンテンツにできるしF1はやって来た。そういう考えが今はもはや成立しなくなっているのかなあ。だとしたらテレビってどうなってしまうんだろう。くだらないバラエティが最低視聴率とっても放送し続ける意味がまるで分からないだけに、テレビの未来を考えるとちょっと暗くなってくる。それが自分の生活に何か関わりがある訳じゃないけれど、でもやっぱりテレビにはもうちょっとメディアの王様でいて欲しいもの。その力でもっといろいろ世の中に新しい何かを送り出して欲しいもの。なんだけど……。無理かなあ。

 やあ面白い。これは面白い。八田モンキーさんて未だ知らない作家さんが書いた「メイド喫茶ひろしま」(ぽにきゃんBOOKS)がとっても面白い傑作だったよ。広島でCB400FOURを駆って暴れ回っていた多麻って名前の少女が、広島から状況して池袋で喫茶店を経営していた祖父が倒れたと聞いてバイクで東京へとかけつけ、病床の祖父を見舞いそして祖父の大事にしていた店を代わってきりもりすることになったけれど、経営なんてまるで知らない多麻。そこに通りかかって彼女に何やら興味を持ったか好意を抱いた葉月って名前の優等生っぽい少女が、副店長になって経営を担当して収益のために店をメイド喫茶に変えてしまった。

 驚いたけれどそこは明るく破天荒な性格の多麻は、葉月が良いというならとそれを止めず自分もメイド服を着て店に立っては前のまんまの態度で接客したらなぜか大受け。美味しいお好み焼きも出して評判をとってどうにか店を機動に乗せる。場所が場所だけにちょっかい出してくる大人もいたけれど、元が広島で大暴れしていた多麻だけあって叩きのめしてとりあえず店は順風満帆かと思われたけど、そこに大きな問題が発生する。でもそこは持ち前の突破力で突き抜けていく多麻。池袋きってのキャバクラ嬢と呼ばれながらもワケアリな咲夜も引き入れ問題も解決していく痛快さがたまらない。経営数字とかヤクザの縄張りとか割とリアルも絡んで突拍子にならない所も良い。

  1巻ってことはきっとまだまだ続くんだろうけれど、とりあえず池袋は味方につけたようなんで、次は他の地域なりから多麻を狙って侵略とかあってそれを撃退するストーリーへと繋がっていくのかな。パワーでは多麻がいてそしてワケありなだけに彼女に負けないパワフルさを誇る咲夜がいて、頭脳では葉月がいてあと誰だっけ店員もひとりいて広島にいる高利貸しにも信頼してもらっていて、そこに新たな仲間が加わり迫る敵を倒していくような痛快娯楽ストーリーが読めれば本望。あとは祖父の銀一が復活しては咲夜を喜ばしてあげたいなあ、多麻も喜ぶだろうけど銀一のためにと身を削ったのかふくらませたかした咲夜の方が思い入れも深いだろうから。削ったんだろうか? そこが気になる。

 牽強付会というかご都合主義というべきか。東大の先生が米軍の関連した組織から研究費用をもらっていたって記事がドカドカととある新聞の1面トップで書かれていて、東大はそうした軍事に関する研究を先の大戦の反省も踏まえてか自粛することにしていたんだけれど、それを破ってケシカランと憤る記事かと呼んだら違って、軍事関連を忌避する東大こそかケシカラン、それに反旗を翻した先生エラいといった具合にアサッテな方向へと筆が飛んでいた。おいおいそれじゃあ研究費用を出していたのが中国人民解放軍でもイラン空軍でも軍事研究を嫌がる東大こそがケシカランとお前ら書いたのか。それこそ売国的所業だと叩きまくったんじゃないのか。

 ようするに日本の軍事増強に役立たない東大を非国民扱いしたいがために、米軍の軍事研究への参画を正当化しようとしただけであってそこに公平な視点なんてありゃしない。読めばそんなことは誰でも分かるんだけれど当人たちは言いたいことさえ言えればそこにロジックがあろうとなかろうとお構いなしってんだから、もう読者は呆れ戸惑い諦めるって寸法。その結果が惨憺たる現状な訳だけれど、それで改まる頭でもないからなあ。反日チンパンジーなんて非道な見出しを昨日まで掲げ、そしてこっそり直しても記事は直さない頓珍漢ぶりを晒していたりするし。参ったなあ。


【5月1日】 せっかくだからと吉祥寺にあるリベストギャラリー創で始まった江口寿史さんの展覧会、「キングオブポップ(予告編)展」をのぞいて、最先端のポップカルチャーがどんなんかを確かめて来ようとたどり着いた吉祥寺駅前のアーケードを歩いていたら、入り口付近にある靴屋さんで何か見慣れた色彩の靴がずらり。紫に赤。もしやと思い近づいたらあの「新世紀エヴァンゲリオン」をモチーフにしてK−SWISSで作られたシューズが、初号機弐号機四号機に零号機も含めて並んでいておまけに値段がだいたい半額の5000円とあって、これは引き取らねばと近寄って、とりあえずカメラも持ってるアスカ仕様の赤いシューズから26・5センチを引っ張り出して購入する。中身もちゃんと本物。ポストカードか何かも入っていた。

 原宿にあるエヴァストアなんかではずっと見かけていた品で、松屋銀座とかで開かれたエヴァンゲリオン展でも確か売られていたような気がするけれど、そんなに数があるはずもなくだいたい売り切れになっていたんじゃないかと思ったら、こんなところに在庫が集められてのたたき売り、って程の値段でもないけれど手頃な価格になっての登場に、ショップで買わずにおいて良かったと密かにガッツポーズ。これなら2種類だって買えちゃうなあ、とは思ったもののさすがにそこまで余裕がないのでもうひとつ買うならこれって思った黒いのは諦める。ってかエヴァならどうして紫じゃないんだって言われそうだけれど、あれはあまりにエヴァ過ぎてなかなか履く機会がないんだよなあ、赤なら今でも赤い靴とか履いているから慣れている。紫の靴っていったい何色のパンツに合わせれば良いんだろう。シャツは何色にしたら良いんだろう。それをいろいろ考えるのも一興か。迷うなあ。

 そして到着したリベストギャラリー創は人がいっぱいて、絵とかゆっくり見られる状況ではなかったけれどもオープン早々ではまあこんなもの、明日とかになれば一段落してもうちょっと空いていそうな気がするし、一昨年の江口寿史さんの展覧会も割とゆっくりと見られたことを思えばそうなる可能性もないでもないけれど、連休中はそれでもやっぱり混むかもしれない。見て感動したのが40万円という値段がつけられた原画群で、中に雑誌「ヴァラエティ」向けに書かれたっぽい映画「キャバレー」を思わせる絵があって、野村宏伸さん薬師丸ひろ子さん原田知世さんとあとだれだろう、男子の4人が描かれていてこれはモチーフも素晴らしいと思ったけれど40万円は出せずに断念。一昨年に「ストップ! ひばりくん」が描かれた原画を55万円だかで買ってしまっているから仕方がない。今年はその時に買えなかった人に譲ろう。

 黄色い傘をさした少女の絵とかも良かったけれど、目の前で売れていったりすでに赤いポッチの売却済みシールが貼ってあったりと快調な出足。おそらく今日中に原画は売り切れるだろう。他にも飾ってある原画は「ひばりくん」の表紙だとか「すすめパイレーツ」のシーンだとか「パパリンコ物語」の何かとかいろいろあって眼福眼福。それから新たに描き下ろしたような線画とかがあって、それにコンピュータ上で彩色された原画もあってこれらはシートだと2万円、額がついていたら4万円とかで売られていてちょっと欲しくなったけれど、靴を買ったばかりだしやっぱり断念、っていうかコンピュータ上で彩色されて出力された絵にもはや原画も複製画もないよなあ、この場合は鉛筆か何かで辺りをとった一種の下書きが原画ってことになるけれど、それに価値を見いだすか取り込まれ彩色されたものを完成品として価値づけるか。アニメの原画と映像になった作品とのどっちを取るかみたいな感じ。それがデジタル時代って奴なんだろう。そう考えれば“本物”が4万円で入るならそっちが良いって気もしてきた。どうしようかなあ。7日までやってるし考えよう。

 新しくNEWSYって会社が立ち上がったみたいで、何かハフィントンポストみたいな新しいニュースサイトを独立して運営していく会社なんだろうかとサイトを見たらちょっと違っていたというか正反対だったというか挑戦的だったというか革命的過ぎるというか。サイトにある言葉によると「私たちのミッションは、従来の広告やPRといった枠にとどまらない『ニュース』をつくること。自社メディアとして、ニュースサイトを運営する。ニュースの視点で、企業のコンテンツを編集する。 そして、ニュースになることから逆算して、商品やブランドのあり方を考える。ニュースという切り口で、コミュニケーションを新しく」ってあってつまりは広告的PR的な何かを広告的PR的ではないやり口で行うってことでそれはつまり話題になることでそうやって話題を発信することこそが「ニュース」だって言っている感じ。まあそう言えないこともないけれど。

 今どきそんなカマトトぶったことなんて言えないだろ、ニュースと呼ばれる情報だって誰かの作為が溢れていたり自社の宣伝意図が盛り込まれていたりして中立なんてものはとうになくなっているんだろ、って突っ込まれればまさにその通りなんだけれど、それでもそうした作為を衣の下に隠して体面だけでも保っていたものがもはやこのメディア環境の悪化で背に腹は変えられないとばかりに、大手のメディアが提灯記事専門部隊なんかを作って企業からお金をもらってせっせと提灯記事を量産して掲載していたりするから他人のことなんて言えない。むしろもっとエレガンスに、企業のことも考えつつユーザーの理恵金いなるような良質のコミュニケーションを実現してくれるNEWSYの方こそが、世間に求められているのかもしれない。時代が変わり意識が変わり。そこに巧くのれるかが成功と収入の鍵なんだろうなあ。あやかりたいなあ。

 懐かしいなあ、嬉しいなあ。ライトノベルなんて言葉がまだ一般的じゃなかった1990年代の半ば過ぎに、電撃文庫に登場しては話題をさらった新木伸さんの「星くず英雄伝」ってスペースオペラがあったんだけれど、9巻が出てそこから完結しないまま重版未定の実質絶版状態に追い込まれてしまっていた。後に新木伸さんは「GJ部」がヒットしてアニメ化作家の仲間入りをしたんだけれど、復活する気配がなくって長く幻のシリーズとなっていた「星くず英雄伝」が何と、ぽにきゃんBOOKSから同じ平井久司さんのイラストでもって復刻再刊を成し遂げた。続きもちゃんと出るというからこれは僥倖、そもそもが面白さでは群を抜いていたはずなのに、どうして出なくなったのかというあたりは新木さんのブログなんかに説明があっていろいろと大変だった様子。編集との相性ってやっぱりあるんだなあ。それで続きが出なくなるってことも。

 でもいったん引いたことによって体制が持ち直し、メンタルも建て直されそして時代がぐるりと巡って、あまりにラノベ過ぎる小説が多い中で改めて読んで面白いスペースオペラが求められていた様子で、編集のつぼにハマって世に再び問われることになった。受ける側も今あんまりない楽しくて明るくてそして深いスペースオペラをきっと待ち望んでいたんじゃなかろうか。それは「ミニスカ宇宙海賊」の成功なんかが証明している。あとはだからちゃんとぽにきゃんBOOKSがちゃんと続いてくれるか、って辺りだけれどそれは流石にちょっと見えない。面白い作品もあるけれどどうしたものかってものもあるし。アニメ化が決まったってあったけれどその作品もどうしたものかって思えるし。つまりそういう思想が未だ根強いラノベの世界で、果たして「星くず英雄伝」は受け入れられるのか。過去のファンだけでなく新しいファンを獲得できるのか。評判をちょっと見ていこう。個人的にはただひたすらに応援するから。


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