縮刷版2014年4月中旬号


【4月20日】 吉祥寺ではとてつもない人だかりで、前に出て正面から見ることがかなわなかった「THE NEXT GENERATION パトレイバー」に登場するパトレイバーのデッキアップがはるばる千葉県は幕張にあるQVCマリンフィールドにやって来るってんで朝から身支度をして幕張へ。午前9時ちょっと前に出て9時40分過ぎには現地にいられるっていうのは船橋に住んでいることのメリットで、これが吉祥寺とか下北沢に近い東京の西の方に住んでいると幕張まで行くのはなかなか大変。せいぜいが新浦安の東京ディズニーリゾートが限界でそれ以東となるともはや未開の荒地に近い感覚なのかもしれないなあ、幕張って、東京モーターショーも開かれなくなったし。

後藤さんなら寝かせたままだったな  とはいえ現地はしっかり開けていて、QVCマリンフィールドの周辺は球場をぐるりと取り巻くように屋台や出店がならんでなかなか賑やか。試合開始は午後なのにすでに午前10時の段階で店が開いていて、開門までの時間を食べて飲んでつぶしたり、ステージでチアリーダーが踊ったりするのを見て楽しめる。メジャーリーグの休日のボールパークってこんな雰囲気なんだろうなあ、きっと。そしてなおかつ今回はパトレイバーの登場がある。到着するとすでにキャリーカーは定位置に陣取っていて周辺で垂れ幕を下げたりモニターを設置したりとスタッフ総出で準備中。それも着々と進んで予定時刻の午前10時をちょっと回った段階で、準備も終わってそして待望のパトレイバーのデッキアップと相成った。

 吉祥寺では横の方からしか見られなかったそれがQVCマリンフィールだと真正面から前に人だかりもない状態で目の当たりに出来る。加えて立ってもすぐに元通りにはされずにずっと立っている。いやそれが当たり前というか吉祥寺でもやろうとしたことなんだけれど、交通規制もせず人だかりも抑えない中ではもしも倒れたら危ない上に道路に人が溢れかえって危険になって、速攻倒されそのまま中止になってしまった。QVCマリンフィールなら人だかりもそんなになくって真正面の下から煽り斜め前に回って幕張メッセやらQVCマリンフィールドの球場やらと重ねて見てそして遠目から人垣を透かして見たりともう好き放題。心配していた強風も吹かずにほぼ30分をそのままずっと立ち続けていてくれた。なかなか良いバランス感覚だ。

 って別に中に人が入って操縦しながら直立している訳じゃないから立ちっぱなしでも大丈夫だけれど、その偉容を見るにつけたとえコンピュータ制御であっても立ちっぱなしは辛いだろうなあ、そして倒れたら大変なことになるんだろうなあと思った。そんな大変なことが次の第二章では起こりそうで今から楽しみ。そんな場面を実寸大のパトレイバーでも再現しますとか、したらみんな見に行くだろうなあ、だってもう撮影終わっちゃったんならいらないじゃん、いやそれだと来年まで宣伝に使い回せないか、うーん、だったらすべて終わったら盛大にやろう、パトレイバーのお葬式。それともお台場の機動戦士ガンダムみたくどっかに持っていって立てるのかな。せっかくだからと払い下げを受けて警視庁が桜田門に立てるとかしたら何て粋なんだと喝采を贈るけど。湾岸署でも良いんだけれど。やらないかなあ。やらないよなあ。

 試合を見るには時間がなかったし屋外ステージでの真野恵里菜ちゃんの登場までもやっぱり時間があったんで10時半ごろには球場を退散して神保町まで出ていろいろと書き物を。TURRYSになら電源ケーブルを差せるコンセントがあるかと思ったらなくてそこでパソコンの電池がぎりぎりになるまで書いては消して貼っては削る作業をしたもののまとまらず。期限も週末に迫っているけどそれでもまだ時間はあるんでとりあえず作った大枠の中で切ったり貼ったり足したり引いたりしながら全体を整えていこう。最初から最後まで一気に書くなんてことが出来るほど、起用じゃないし才能もないんで仕方ない。でもってTURRYSを出て近所を歩いていたら靖国通りにいつの間にやら出来ていたドトールにコンセントが用意された席があったんでそこでカフェモカを飲みながらさらに書き物。大きくは進まなかったけれど何となく形は見えてきたんでこれからの5日間を頑張ってどうにか書き上げよう。締め切りっていうのは当該日の午後11時59分59秒までだよね。ね?

 時間になったんで渋谷へと回ってNHKホールへと出向いて梶浦由記さんのライブ「Yuki Kajiura LIVE vol.#11」を観る。実はツアーパンフに梶浦さんの音楽についてあれやこれや書いた文章を寄せているのだけれど、ほとんど思いつきと思いこみで書いていて、梶浦サウンドの音楽的な分析とかあんまりしていないんで、心底からのファンや音楽評論家の人たちから何をいわれるかドキドキだったりしたこの数カ月。今日でツアーも終わってパンフもとりあえず終了になるだろうから世の中に知られずひっそりと忘れ去られていってくれるだろう。Kalafinaについてもいつかどこかに書きたいけれど、書いてもKeikoさんはいつも可愛いなあって話になるだろうからそういう話は来ないだろう永遠に。

 さてライブは主に「elemantal」ってアルバムからの曲が演奏されてそのほとんどがシングルで一部のオリジナルもあったりして、既にCDは聞いていたから耳に馴染みはあったけれどあらためて生で聞くとやっぱり歌姫たちの歌声がよく響いてすばらしい。印象として身長のとっても高いKaoriのボーカルが目立っていたなあというか、ソロで歌い出したりする曲が割とあったような気がした。それをKeikoが支えるといった感じでWakanaとYuriko Kaidaはハイトーンで旋律を引っ張り上げるといった役回り。たまたまなのか今はそういう風のKaoriのボーカルをフィーチャーしたい気分なのか。分からないけれども4人の中では1番ポップでキュートな声なんで歌物を聴かせるという意味合いでは良いのかも。あと普通に喋った時のYuriko Kaidaさんの声がちょいガラガラってたのに歌うと高音が出ていたのには驚いた。本番に臨むシンガーって凄い。

 フロントバンドメンバーだけで奏でるインストゥルメンタルもあって「空の境界」から「未来福音」に使われた楽曲を演奏してくれたけれどこれには曲名はなくって番号「KK09_M−23」って楽曲ナンバーだけが振られているそうで、ずっとDVDの限定版で「空の境界」シリーズを買って付属のサウンドトラックをiTunesに落とす時に楽曲データが転がっておらず、手打ちでタイトルナンバーを入れていったことを思い出した。これを読むと同じ番号でも変奏によってaとかbとかついていたりアレンジによって添えられる言葉が違っていたりするのが分かって、どういう感じに曲を作って並べているかが分かるのだった。「未来福音」にもサントラって付いていたっけ? 買ったけどまだ開けてないんだった。あとで調べてみよう。

 印象に残ったのはビートが利いてボーカルもはっちゃける「stone cold」で何か指をつかってアクションするフリが出来ていて、それをアピールするKeikoさんが遠目にやっぱり可愛かったなあ。結局そこか。通してやっぱり独特な梶浦サウンドはポップスとかロックとかいったカテゴリーを越えたもはやひとつのジャンルと言っても良いくらい。メロディアスなのもあれば神秘的なのもありアクティブなのもあって静かなのもあってと1本のライブの中で多彩な雰囲気を感じ取れる。いったいどれだけの引き出しがあればこれほどの音楽が作れるんだろう。なおかつ今はテレビドラマ「花子とアン」のために音楽も作っていてそこではケルト風だなんて要望に応じた楽曲を作ってみせたりもしている。これだけの才能がそれでも世間いんは広く知られているとは言えない音楽状況を、どうにかしたいけれども僕の力ではどうにもならない。パンフレットに解説を寄せるくらいでそれが世間に広まり影響力を持って大勢の耳を梶浦さんへと向けさせるくらいの人間に、せめて死ぬまでにはなりたいなあ。あまりにくだらな過ぎるご用聞きとか提灯記事書きはとっとと止めて、筆を磨く鍛錬を始めるか。明日にでも。明後日から。来月になら。ダメじゃん。


【4月19日】 最初は顔だけだとか上半身だけだとかがメインで全身があんまり映らず3DCGでやるにはやっぱり限界があったのかなあと思った「シドニアの騎士」だけれど、後半に入ると学園ラブコメ(?)が進行しては学校内でいろいろと騒動を起こしたりする谷風長道を中心に、学生たちが歩いたり喋ったり着替えていたりするシーンがいっぱい描かれていてちゃんと3DCGでも手抜きはしないで動きを描こうとしていると分かって良かった。最初はギョッとした動きのちょっとしたぎくしゃく感とかもすぐに慣れ、ストーリー自体が持つSF的な面白さへと引っ張られて、ずっと画面を見続けてしまった。同じ顔がいっぱい出てきた時だけは、流石に手抜きかもと思ったけれど、あれはクローンの姉妹なんだよね、確か、だから同じ顔でなくてはならない。そういう意味でも繰り返しやすい3DCGで描いていて良かったというか。ああでも2Dでもミサカシスターズはちゃんと全員同じに描かれているか。どっちもどっち。

 「失恋探偵ももせ」の岬鷺宮さんのこれは新シリーズになるのか単発なのかは未だ判然としないけれども新作「大正空想魔術夜話 墜落乙女ジヱノサヰド」(電撃文庫)はミステリーから大正浪漫の血がしぶくちょっぴりダークなボーイ・ミーツ・ガールのストーリー。新聞社に勤める乱歩という名の主人公が最近追いかけているのは帝都を騒がす「活キ人形」という化け物たちで突然現れては人を襲って命を奪う。そんな一種の人造人間に警察でもなかなかかなわなかったところに現れたのが墜落乙女。文字通りに空へと堕ちては地上へと堕ちて活キ人形どもを踏みつぶし粉砕して退けるその戦いぶりから英雄と讃えられているかと思いきや、あまりに凄惨な戦いぶりから逆に引かれてしまって活キ人形ともども恐れられている。可愛そうになあ正義の味方なのに。

 そんな墜落乙女が現れる場面に行き会わせた少年記者の乱歩くん。現場を離れた墜落乙女を尾行し彼女の正体を確かめてしまってそのことを告げに行って逆に脅されたりもしながら、彼女の正体を開かさないことを条件に墜落乙女が現れ活キ人形たちを退治する場面い必ず居合わせ事件のルポを書けるように配慮をしてもらってそして乱歩はスクープ連発、さらには警察にいる知り合いで日本初の女性警官という人とつないで反目しあっていた墜落乙女と警察との共闘まで実現し、出世まで果たしたんだけれども好事魔多しというか彼と墜落乙女を狙った陰謀がめぐらされて2人とも悪人として警察に追われる羽目となる。

 いったいどうしたことなのか。誰が陥れようとしたのか。そして活キ人形を操る黒幕の正体は。意外な方向へと進んだ果てに浮かび上がるひとつの問いかけ。悪事を暴くために悪事を働くことは許されるか。深い命題に挑み悩んだ果てに散っていった命を嘲ることは難しいけどかといって賞揚もできない難しさ。善意が認められ讃えられる世の中が訪れることを切に願う。どうやら墜落乙女にしても活キ人形を動かす黒幕にしても背後に別の存在がいるようで、どこか魔法少女とそのマスコットの関係に近いニュアンスを含みつつ、マスコットによって能力を得た者たちによるバトルがこれからも繰り広げられていくとしたら続きも読めそう。お気に入りなお姉さま系キャラの退場は痛いけれど、次に誰か出てきてくれると期待しよう。

 あの頃はずっと仏頂面だったよなあ、なんて「がんばっていきまっしょい」の頃を思い出しながら明治座で公演中の田中麗奈さんの座長公演「きりきり舞」での舞台上で見せる表情の豊かすぎる演技に激しく感嘆。恥ずかしがる表情から苦虫をかみつぶすような表情から怒り憤る表情から悲しみに繰れる表情まで、千差万別の顔を舞台に立ている間ずっと見せてくれていてその顔だけを見ていてもまるで見飽きない。こんなにいろいろな表情が出来て、そししてもちろん声や仕草による演技もできる女優さんだったんだなあと改めて思い知らされる。最近の彼女の演技を見たのって、仕事がらみで見返した映画の「夕凪の街 桜の国」くらいで、その頃もおきゃんな女の子といった感じを仕草によって見せてくれていたけれど、そこに舞台を3時間近くやってもゆるまない表情や声の演技が加わった感じ。これを経験として乗せたら、とてもとても大きな女優さんになっていきそう。そんな予感がした舞台だった。

 諸田玲子さんの同名の時代小説を元にした舞台は、「東海道中膝栗毛」を書いた十返舎一九の娘、舞が結婚したいしたいしたいと言って誰かと恋仲になるものの、偏屈で鳴る父親が絶対に許さず、その相手の女好きなところも暴いて叩き出して追い返す。また父親に邪魔をされたと怒る舞だけれども、父親はそしらぬ顔。なおかつ家に突然やって来て居候を始めた浪人を許嫁にするとか言い出したから、舞はやってられないと憤る。そこに良い話。踊りの師匠の勘弥姉さんが出入りしている旗本の嫡男が、舞を見初め踊りの稽古を付けて欲しいと屋敷に誘い、それを受けて舞も出入りするようになってだんだんと関係を深めていく。そこにやっぱり横やりを入れてきた十返舎一九。町人の娘が武家の正妻になんかなれないのは舞だって承知していて、女中から側室へといった道を考えていたのに父親は正妻でなければ認めないと言う。

 どうしてそこまでこだわるのか。それには理由があってそして、浪人が家に転がり込んで来ていた背景にもないっていた。父の気持ち娘知らず。とはいえ口に出して説明したりすることが恥ずかしいのか照れるのか、何も言わないから話はこじれていってしまう。コミュニケーション大事。そしてやっぱり父親の思いをちゃんと受け止めようとする気持ちも。自分のことしか見えなくなると人って突っ走ってしまうからなあ。立ち止まって考えよう、相手の気持ちを。でも普段から飲んだくれている父親を信じる気持にはなれないか、いくら超絶美形の加藤雅也さんでも。格好良かったなあ、そして巧かった。あと見て存在感があったのが葛飾北斎を演じた板尾創路さん。父親に反抗して家出した舞に父親の過去を語って聞かせそして父親の娘への思いを聞かせて舞を元の鞘へと押し戻す。

 そんな北斎自身にもお栄という娘がいて、仲が良いのか悪いのか、同じ絵師でもある2人の不思議な関係ってものが板尾さんとそして栄を演じた南海キャンディーズの山崎静代さんによって繰り広げられる。反抗しているようで父親の絵の才能は認めていて、そんな父親から誉められるとやっぱり嬉しいお栄。原作では小柄な女子になっているのがまるで正反対のしずちゃんが演じてるけれど、あのぼそぼそとして辛辣ながらもしっかりと抜けるセリフ回しによって、絵には強い自負があり、父親にもしっかりと敬意があり、夫とは愛憎入り交じった複雑な関係ながらも、それでもどこかで繋がり合っている女性という役を演じきっていた。誰もがお芝居慣れして巧いセリフを見せる中で独特な存在感。それが役と実にマッチしていた。キャスティングした人に喝采。

 それにつけてもやっぱり巧かった田中麗奈さん。映画だとカットがかかれば表情はゆるめ仕草も入れないでぼーっと出来るしカメラが向いてない場所でも同じように演技を解けるけれど、舞台では出ている間はずっと何かしら演技をし続けなくてはならない。花道の方で誰かが喋っている間もそこでリアクションの表情を見せたり状況を演じたり。これからもしも公演に行く人がいたとしたら、そんな田中麗奈さんのくるくると変わり状況にしっかりとマッチした表情を堪能してくると良いと思うよ。あと忘れていけないのはお弁当。こういう芝居で幕間が35分もあるのは食事を摂ってもらうためで、誰もが食堂に行ったり客席でお弁当を広げていた。でも食堂は予約が必要そうでお弁当は開演前に売り切れる可能性が高いんで、入ったらまずお弁当を確保しよう。ちょっぴり高いけどでも仕方がない、それが観劇の醍醐味って奴だから。


【4月18日】 罪人であるなら滅びねばならない。そういうものだと教えられ受け継いできた老人たちの諦めにも似た空気が泥クジラを包み導こうとしている中で若い少年たち少女たちはどんな選択をするのか。ってあたりがとても気になって来た梅田阿比さん「クジラの子らは砂上に歌う」(秋田書店)の第2巻。突然襲ってきた敵によって仲の良かった少女は殺され泥クジラを導いていたリーダーも殺されてしまってそしていつまた敵が襲ってくるか分からない状況。銃器を持ち異能も使って攻めてくる相手に対抗できるのは数人しかいないけれど、それでまず凌ぐのかそれとも根本的なところで世界の仕組みをひっくり返すような展開へと持っていくのか。まだ見えない先がますます楽しみになって来た。次ぎはいつ出るんだろう。期して待とう。

 奈々巻かなこさんの「イーフィの植物図鑑」(秋田書店)も第2巻が出て傭兵デラマンデがただのおばさんでないことを証明してみせた。グラマラスな上に眼鏡とかかけて文系のお姉さま然としているんだけれど剣をとったら流石に伝説に傭兵だけあって、危地に陥った者たちをあっさりと助け出す。彼女に惚れられてアリオも幸せな気がするけれどもまあ、アリオ自身の趣味もあるから深くは突っ込まない。というかそういう趣味なんて言える状況じゃもうなくなっているアリオがますます植物と近づいていくエピソードが重ねられててイーフィを戸惑わせる。さらに敵の登場。さらわれるアリオをデラマンデとシドライアンは救えるか。第3巻に乞うご期待。

 そんな「イーフィの植物図鑑」、アリオと同じプラントハンターだけれど人種が違うシドライアンの複雑な立場とか描いている部分があったり、田舎町でお茶の葉を摘んでは売って暮らしている親と宮廷楽師を目指している子との愛憎入り交じった複雑な関係を描いたエピソードとか、見かけ以上に深い漫画だよなあ。もっと知られて欲しいけど、どうやったら知られるか。有名人が誉めれば一発でミリオンとかいくんだけれど、僕にはそんな力はない。まあでもこうやって書き記しておくことで、いつか少しでも兆しが見えた時に情報として参照してもらえることもあるかもしれないと、信じて言葉を連ねていこう。第2巻は巻末にお侍さんの決闘の大変さとか描かれた漫画もあって面白かった。次はいつ読めるんだろう。これも期して待とう。

 そんな「クジラの子らは砂上に歌う」と「イーフィの植物図鑑」と並んで第2巻が出ましたキャンペーンをやっている青木朋さんの「天空の玉座」(秋田書店)をせっかくだからと2冊まとめて買って読んだらこれが面白かった。中国風の宮廷劇で西太后に擬せられる太后が牛耳る宮廷に反抗しようとした将軍の勢力が一網打尽にされて一族郎党皆殺し。そんな中にあって兄は妹を出入りの師匠に託しで逃がしてしばらく、庶民の中で育った珊瑚とうい少女はすっかり町娘といった感じになっていたけれど、そこになぜか太后の娘娘が行幸するという。そしてやって来た一行は珊瑚の存在を認め宦官となって生きながらえていた兄に連れられ都へと連れて行かれるんだけれど一方で、彼女を育てた師匠は近隣の家族もろとも殺される。娘娘のそれが恐ろしさ。そして彼女に仕える珊瑚の兄も果たして一味なのかといった疑念がわき上がる。

 当初はそうとは知らない珊瑚は兄をしたい娘娘にも良く思われているだろうといった態度でいたけれど、だんだんと浮かび上がる宮廷内の勢力図。そして反抗の意志。そこに巻き込まれるというか荷担していく珊瑚はそれで良いんだけれど、彼女の兄の立場が今ひとつ見えないのが今後の展開のポイントか。見方しているようで寝返るかもしれなさそうで。過去に裏切った物はまたいつか裏切らないとも限らないという一種の法則に縛れて進むのかそれとも。ちょっと先を読んでみたくなっていた。そんな「天空の玉座」の第2巻には巻末に宦官の作り方漫画が掲載。何でもぞうさんを耳だけじゃなく顔もまとめてちょんぎってしまうとか。それが少女漫画として描かれているからなかなかというか。痛いだろうなあ。でもそうやって痛さをくぐり抜けた者は宦官としてではあっても宮廷で栄達できる。罪人としてではなく望んでそんな立場に行こうとする人がいても不思議ではないよなあ、生き残る確立が例え低くても。本当にいろいろと勉強になる漫画です。

 「小悪魔Ageha」の休刊で雑誌に余裕がないって話が語られているけれど、余裕がないのは雑誌だけでなく新聞も同様で、それはまあ会社によって体力の差も激しくあって上の方はまだ大勢の記者がいて、日々に余裕を持って仕事をしている中で新しい出会いを作り、新しい情報を探し出して少しづつ、世に広めて数年後に花開かせることが出来るんだけれど、泡沫に近いところは現場に回す人員がおらず、1人で何もかも切り盛りしなくてはいけない上に、やれウエブだ、やれ別媒体だといったところに急いだり、濃かったりする記事を書かされるから、取材に対して裏付けをとったり、補足のために情報を集めて積み重ねる余裕もなくなって、通り一遍のありきたりな記事しか書けなくなってそれが紙面を飾っては、品質の面から他と競争できず沈滞への道を辿っていく。あるいは扇情的な記事ばかりになって、狭い範囲で盛り上がってはその他大勢を離れさせる。

 それがなおいっそうの人員削減、コスト削減、ページ削減へと繋がって情報の劣化を招いていくというデフレスパイラル。どこかで止めなくちゃいけないんだけれど、こうなるともう止まらずあとは奈落の底へと落ちていくだけという、そんな途中というか、ほとんど底にたどり着きかけているところもあったりするような、そんな新聞界。それはまずいとデジタル方面で稼ごうとしたところで、こっちはこっちで月刊日刊どころか秒刊なペースで記事を出しては、それがアクセスの数なんてものよって即座に優劣を下され、扇情的で刹那的な情報しか選択されないようになって、将来に向けた育成とか蓄積とはまるで反対の方向へと突っ走る。後には何も残らない、そんな状況にある新聞界のあの辺り。もはや未来なんてなさそうだけれど、それをあると信じたい人たちが未だいて、信じることだけをやっていった果てに来るものは何か? 想像すると夜寝られなくなっちゃう。辛いなあ。

 エンターブレインで半期に1度の浜村弘一さんによるゲーム業界動向レクチャーがあったんでのぞいて来てプレイステーション4とXBOX ONEのアメリカや欧州での好調ぶりを聞く。日本だと何となく立ち上がってその後に数万台のペースでし売れておらずどうしたものかなあ、ってイメージがあるPS4だったりするけれど、欧米では対応するゲームに良いのがある上にそのゲームを遊んでいる姿をシェアして実況できる機能が大受けで、大勢がネットに自分のプレーをアップしそれを見て自分もと思う人たちが数珠繋ぎに購入に走っているという。

 僕には他人のゲームプレイを見てそれに感動したり真似したいと思う感情が乏しいからなぜって気持になるけれど、一方でニコニコ動画の「やってみた」系文化の隆盛なんかも目の当たりにして、そういうカルチャーが存在し得ることは認識してる。そしてニコ動みたいなのがない場所にそうした実況の楽しさって奴を味わえるプラットフォームが登場したらそりゃあ飛びつくだろうなあと考えた次第。ならば先行している日本でどうして、って話になるけどそこは実況を認めないゲーム会社のスタンスってのがる様子。何でかなあ。やっぱり権利処理が面倒くさいのかなあ。声だけ出せないようにしているソフトとかもあるそうだし。でも海外のこの隆盛を見てソフト会社へのリターンの凄さを知ればいずれ日本でも変わるだろう。そうなった時にどんな状況が訪れるのか。未来を諦めず希望を持って見る意味だけは感じられた。あとは自分でも試してみることだけど、高いんだよなあPS4。ネット環境も整ってないし。やっぱり様子見かなあしばらくは。


【4月17日】 ひとりの幸せを祝福するのに他の大勢が犠牲というほどのものではないけれど、どこか耐え忍び従っている姿を見るのはやっぱり寂しいものがあるなあと、甲府帰郷編に入った「花子とアン」を見ながら考える。まだ幼いながらも英語に強い関心があったはなが、ひとりその情熱を燃やし貫こうとする傍らで、妹や兄は望んでもその先に行けないという悲劇。本当に望んだのなら行けるはずだ、自分を貫けるはずだといったところで、日々の暮らしに追われ何も学べないまま、いつかその暮らしに慣れてしまい立ち上がれなくなってしまうことはよくある。そこでひとつ手を引くなり、背中を押すような言葉や態度があれば救われたかもしれないけれど、そんなに世の中は甘くないというか、垂れ下がってくる蜘蛛の糸は1本しかないというか。すがり這い上がれたはなは次にやっぱり忍従を強いられようとも、故郷のきょうだいたちとは度合いも状況も違うのだ。遍く人々に幸福は訪れないものか。難しいなあ。難しいドラマだ「花子とアン」は。

 いやまあ何とでも言えるけれども、それが美談めかして語られる芸能ニュース周りの微温ぶりが気持ち悪いというか、スタジオジブリ周辺への配慮が薄気味悪いというか。麻呂こと米林宏昌監督の新しい劇場長編アニメーション映画「思いでのマーニー」のヒロインを演じる声優さんが決まったって話だけれど、それが昨今国民的朝ドラで名を挙げた有村架純さん。いやなに人気だから起用したんですよこれで集客もばっちりですよと言えば誰もが納得する人選なんだけれど、プロデューサーの人が語るには去年に行われたオーディションに300人とか集まって、「実は1日目の1人目が有村架純さんで、麻呂さん(米林監督の愛称)とも『あっ、マーニーは見つかったな』と…」思ったとか。本当かねえ。もちろん本当にそうならそれで良いんだけれど、過去に声優に起用された俳優さんとか女優さんとかの声の演技を思い浮かべてみれば、何かそこに考えてしまいたくなるもの仕方がない。

 いっしょにもう1人のヒロインとして選ばれた高月彩良さんは、ライトノベルを実写にした映画「僕は友達が少ない」の幸村役の人で、すらりとした美人でとても可愛いのだけれど、それと声の演技とはまるで全然関係ない。というか映画を見た人ならどういうしゃべりをするかもだいたい分かっている。それで果たして声を演じられるのかって悩みは、一方で松たか子さんと神田沙也加さんを起用して大ヒットしている「アナと雪の女王」の吹き替え版での演技ぶり、歌唱ぶりを見ればより際だつ。確かにディズニーも話題性のある起用をするけど基本、実力がなければその場に立たせない。タレントだって誰だって聞けば本当にそうだったの? って驚くような声を聞かせてくれる。ジブリはどうだったか……って振り返ると、やっぱりいろいろ思いは浮かぶ。エボシ御前とか。ソフィーとか。

 まあでも万人がそれを見て違和感を抱く隙すら与えず、物語の世界へと自然に引き込みドラマを堪能させるディズニーの映画と、スタジオジブリの作品であるという意識をどこかに持たせながらその独特な世界観へと強引に見る人を引きつけようとするジブリの映画とでは、声に対する意識が作り手も違うし、見る側も違うような感じがある。別に誰が声だって関係ない、それが棒でもどうでも、絵で動くキャラクターたちが繰り広げるストーリーって奴を汲み上げれば、それでひとつのジブリワールドなんだって意識がすでに働いているような気がする。それを馴れ合いと呼ぶか高度な合意と呼ぶかは人それぞれだけれど、それで良いのか悪いのかはうん、数字って奴が如実に表しているかもしれないなあ。100億超えそうだもんなあ「アナと雪の女王」。

 とにかくいたましい。そして悲しい韓国での修学旅行性を大勢乗せた旅客船の転覆事故は、夜が明けても300人近い行方不明者がなおいて悲劇的な状況を予想させて止まない。真っ暗な船室にあって流れ込んでくる濁流に身を覆われる恐怖など想像したって絶対に及ばない。そんな恐怖をまだ年若い大勢の少年少女が味わったかもしれない可能性を考えるだけで胸が痛む。願うなら生き延びていて欲しいけれどもテレビなどに映される旅客船の転覆した上にほとんど沈んでしまった姿を見ると悲観的な思いばかりが頭をよぎって仕方がない。早くまずは何とか全員の所在を改め、無事を確かめて欲しいもの。それまでは誰も一切の嫌悪をかの国に向けることは控えるべきだとも言っておきたい。

 そんな転覆沈没事故について、韓国で出されている朝鮮日報の社説が「旅客船沈没、先進国ではあり得ない大惨事だ」で、同じく韓国紙の中央日報が「どうして大韓民国で旅客船沈没のような惨事が起きるのか」と共に国の経済発展に伴っていない国のシステムの有り様について論じているのが興味深い。朝鮮日報では「1990年代の初めから半ばにかけての時期、韓国では西海フェリー事故の他にも32人が死亡した聖水大橋崩落事故(94年)、101人が死亡した大邱地下鉄ガス爆発事故(95年)、501人が死亡した三豊百貨店崩壊事故(95年)など、後進国型の大惨事が相次いだ」と書いて「漢江の奇跡」でもって急激に回復して爆発的に発展したひずみが90年代に吹き出したような状況を指摘している。日本でも戦後間もない時期にはあったような大事故であり、これとは別に公害という状況も生みだしたけれどさすがに80年代に入って沈静化していった。韓国はそれがちょっと後までずれ込んだって感じ。

 それが2000年代に入って改善されたと思いきや、またしても起きた大惨事の理由はいったいどこにあるのか。まだまだ上に生きたいという意識の高さが犠牲を省みない心情へと流れてしまったことをたぶん、これから分析して来るんだろうなあ。中央日報は「これ以上こうした惨事は大韓民国の名前の前で許すことができない」と書いて国を挙げて再発を防ぐべきだと訴えているけど、そういう心理にどうやって至るのか、その道筋の途中に何かを仮想的とするような心理があるとそれを受けてまた騒ぎ、そんな繰り返しからプライドだけが共に肥大化して成すべき事をないがしろにしていきかねないから、ここは落ち着いて成すべき事を共にやって欲しいと願いたい。犠牲になるのが次代を担う子供たちばかりってのは悲しすぎる話だから。

 ウェブの媒体を面倒見ているデジタル部門とかうろつくようになって、日々黙々と会議している姿を見たりして、アクセス数を勘定していていそれを上げることが何より第一義なんだなあということが分かってくる。それがウエブ商売では大事なこととは思うけど、瞬間的に刹那的なアクセスだけを求めた果てに、未来に残り役立つコンテンツ資産は溜まり受け継がれるんだろうかとも考える。伝えたい、伝えなくちゃいけないという能動的な意識から紡がれたコンテンツに今、需要がなくても明日、意味が出ることもあるけどウェブ媒体ってそういう蓄積とか育成とかにはあまり向いていなさそう。かといって紙媒体でも刹那的な企画が増えて、それがまた受け入れられずに部数を落として廃刊へと至っている状況。知識を貯めて知見を伝えて未来を育てるメディアの絶滅は、国の未来を暗くするんだけれど、それも止められない流れってことなのか。暗いなあ、未来。


【4月16日】 司馬深雪とは声が似て非なるアーニャ・ヘプバーンが相変わらずにフリーダムだった「ソウルイーター ノット!」は、お姫さまな暮らしから抜け出た死武専での生活がよほど楽しかったのか、もらったお小遣いのみならず胸のブローチまでたたき売って信楽焼の狸は買うは他にもいろいろ買い込むはとアーニャ姫が大盤振る舞い。寮の部屋でつぐみの隣のベッドをとれなかった悔しさも、これで少しは鎮まったかもしれないけれど、でも時折思い出しては拗ねるんだろうなあ、そして突っかかっていってはめめちゃんの睡拳の餌食になるという。それはないか。寮長さんが早速血祭りにあげられていたけれど。

 そんな寮にいる魔女ことキムが、さっそくつぐみからお金を巻き上げていたけれども、それで踏ん切りがついたかバイトを始めてそれも3人で揃って始めたら意外やアーニャがしっかり働き者だったと。お姫さまって万能だ。キムって本編の「ソウルイーター」にも出てきたキャラなはずだけれど、読んだのがもうずいぶんと前でどういうシチュエーションでマカたちに絡んで、ストーリーの中でどんな役割を果たしたかほとんど覚えていたのだった。本当に魔女だったのか。でも別に狩られてなかったよなあ。というか漫画の「ソウルイーター」って途中で読むのが止まってしまったんだ。完結したっけ。まだ続いていたっけ。それすらも知らない。ちょっと振り替えてみるか。でも何巻まで読んでたっけ。エクスカリバーはウザくなってたっけ。それは初登場時からずっと。「ノット!」には出て来ないのかなあ。

 何か愉快そうな発表があるってんで、三鷹にあるNTTの研究所に向かう途中でプロダクションI.G.が本社に設置しているレストランの「武蔵野カンプス」でお昼ごはん。石窯でもって薪をつかって焼く本格的なナポリピッツァを食べさせてくれる店で、ちょうど3年くらい前に取材したことがあったけれど、当時から近所の奥様方とかがやって来てはお昼御飯を食べていたのが、3年経っても変わらないどころか子供連れからサラリーマンまで広い世代が昼食を摂りに来ていてなかなかの繁盛ぶりを見せていた。マルゲリータとマリネーラのピッツァがあって、それからパスタもあってサラダバーとドリンクバーもついて当時は800円だっけ、今は890円だけれどそれでも格安なことには変わりないからね。

 サラダは野菜類が豊富だし、ドリンクも種類があっていろいろと楽しめる上に、提供されるピッツァがとにかく本格的で、石窯で短時間のうちに焼かれてすぐに出されるから熱々のものを口にできる。有名なピッツァのチェーンで修行した人が焼いているんだっけ。長い船の櫂みたいな棒でピッツァを窯に入れては、頃合いを見計らって取り出す手際の良さは3年前と変わらず、スムースで職人ってのはこういうものだと思わせてくれる。これなら美味しいだろうなあとも思えてくるし。というか実際美味しいし。次は3年と言わず毎週だって通いたいけど、流石に三鷹は遠いんでまたいつか機会を見つけて食べに行こう。店内の落書きも増えていることだし。昼時だとあんまりくたびれたアニメーターは食べに降りて来ていなかったなあ。早朝過ぎるもんなあ。

 時間もあったんでそこから30分くらい歩いてNTTの武蔵野研究開発センタまで行ってそこで見たのが20メートル離れた人の声を確実に拾って伝えてくれる装置。それって別にガンマイクとか向ければ簡単に拾えるんじゃないの、って思われがちだけれどもガンマイク程度では数メートル先の声を拾うのがやっとで、20メートルも離れたところの人の声を集めるなんて出来ないし、そんな集める対象を自由に動かすことだって難しい。でもNTTのメディアインテリジェンス研究所はやってのけた。パラボラアンテナに使われているおわんを12個並べたその前にそれぞれ8個づつ、合計でだいたい100個のマイクを並べたものをフレームの上に据え付けドカンとまず置いて、そして裏側に回ってモニターの見ながらそこに映し出された20メートルくらい先にいる人間のポインターを合わせるとあら不思議、その人が喋っている声だけがヘッドホンを通じて聞こえてくる。

 ポインターをずらして横のスピーカーに合わせると、今度はそこから流れている楽曲だけがヘッドホンに鳴り響く。もちろんその間にパラボラアンテナは向きを変えていない。ずっと同じ方向を向いている。秘密はだからソフトウェアの処理技術にあるようで、パラボラの前にある音場を全体的にとらえた上でポインターで指定した場所で発せられた音だけを抽出できるようになっているとかで、リアルタイムで人の動きを追いかけ聞いていくことだけでなく、録画録音からその時の声とかを引っ張り出して聞けるから、あとでいったいあのときにどんな会話がされていたのかを聞き取ることも出来るという。ジダンがマテラッツィに頭突きした時とかマテラッツィが何言ったかをちゃんと引っ張り出せるといった具合に。そりゃ凄い。

 今は20メートルくらいだけれど精度を高めて規模を大きくして30メートルくらい先まで聞き分けられるようになれば広いサッカーのフィールドなんかでもくまなく音を追いかけ抽出して誰がどこで何を言っているかを聞けるようになるのかな。聞いてどうなるって分けでもないけど、プレー中にいったい選手たちがどんな指示をかけあっているかを調べることで、より有効なプレーが出来るようなるかもしれない。ライブの録音とかにも応用できたら面白いかも。楽器別に音を抽出してクリーンにして戻してあげることでライブCDとかの品質を上げられるといった具合に。それがライブ会場ならではの音圧音場を再現しているか、ってところは問題だけれどライブを体験したかったらライブに行けば良い、むしろライブ感がありながらクリアな音で聞きたいという人のニーズに応えることが出来るようになるかも。いやそういう理解で良いのか分からないけれど。

 それにしてもユニークなところだNTT。会見に応じた人が白衣を着ていたけれどもこれは別に普段から白衣を着ている訳じゃなく、そういう風にすることで博士感って奴を出したかったみたい。それというのもNTTグループでは来る26日と27日に幕張メッセで開かれる「ニコニコ超会議3」に「NTT超未来研究所」ってものを大々的に展開するとかで、そこではレトロフューチャーな雰囲気を醸し出しつつ最新の技術を見せることにしているとか。担当者はだから宇宙服みたいなスーツを着て過去にイメージされた未来の感じを出し、そして研究者はやっぱりこれだといった白衣で臨むことにしている。

 今日の白衣はその前哨戦。発表を聞いている方もそんな姿にその革新ぶりを感じたんじゃなかろーか。出し物を紹介するイラストもレトロフューチャー感が出ていて何か子供のころに読んだ科学雑誌や書籍や漫画の大図鑑を見ているよう。何かうそっぱちな感じがするけれど、でもそうやって展示されるものはNTTが総力を挙げて研究してきた物ばかりで、フェイクのようなイラストから受ける胡乱な気持が実際に展示されている物を見て本物だという意識に変わってNTTのユーモアにくるめて本気を見せようとする意気込みに好意を抱くんじゃなかろーか。そこまで考えての白衣であり未来スーツでありレトロイラストだとしたらなかなかの策士ぶりかも。相撲とかアイドルとかアニメとか多彩な出し物がある超会議だけれど、この意気に応えたいからNTTには是非寄ろう。

 リアルな人気はリアルの現場を見なければ分からない、ってことで新曲「ファミリーパーティー」の発売を記念したきゃりーぱみゅぱみゅの、ららぽーと豊洲での握手会って奴を見物に行く。すでにドック型の会場は人で一杯で周囲をぐるりと囲んで人垣も出来ていて背が低いと見えにくい状況の中を、隙間を狙って入り込んで待つことしばらく。「なんだこれくしょん」のテーマで登場したきゃりーぱみゅぱみゅは、銀色の衣装でキッズダンサーを4人従えステージに上がってまずは「インベーダーインベーダー」から歌って場を盛り上げる。早くから来ていたんだろう会場の前方にはライブで売られているライトなんかを持った人たちがいっぱい。いったいいつ頃から駆けつけていたんだろう。割と急に決まったイベントでも、ちゃんと来るところが熱烈なファンといった感じ。

 でもライブで目立ったのは、むしろ小さい子供を連れたお母さんとか中学生高校生くらいの女の子たち。海外だとティーンからさらに上の世代が着飾ってやって来る感じで、日本のカワイイのトップランナーって受け取られ方をしている節があるけれど、日本向けには小さい子供からお祖父さんおばあさんまで、老若男女が楽しめるアーティストっていった雰囲気で広まっている。それが戦略としてそうやっているのか、日本がネイティブな国だからたまたまそうなっているのか、分からないけれどもいずれ海外でも子供のファンとか増えだしたら面白いかも。とはいえショービズの世界にそうしたキッズが入り込む余地ってあんまりなさそうなんで、内外でプロモーションを使い分けていくってことになるのかな。日本でもライブハウスのツアーはちょっぴり大人向けにするとかありそうだし。

 さてミニライブは「インベーダーインベーダー」から始まって、新曲「ファミリーパーティー」を演ってこれはダンスも含めて今日が初見。プロモーションビデオでもロボットが出てきてたし、「クレヨンしんちゃん」で父ちゃんがロボットになるエピソードの主題歌だけあって、ダンスにもロボット風な振り付けが取り込まれていた。あとサビの部分で内側に向けて水平チョップをするような振り付けがあったような記憶。ちょっと印象に残った。最後は「もったいないとらんど」を歌ってとりあえず終了。この曲はやっぱり全部通して聞かなくちゃ分からないよなあ、その良さが。しばらく待つと私服というかずるずるっとしたパーカーか何かを羽織って登場して握手会がスタート。CDを買えば握手してもらえたけれど、たくさんいたし既にCDも買ってあるんで今日は諦め退散する。次に見るのは5月のライブかな。どんなステージにしてくれるか今から楽しみ。


【4月15日】 でもって「健全ロボ ダイミダラー」の第2話でもう主人公はヒロインの胸に飽きたようで揉んでも揉んでもリビドーだか何とか粒子だかが溜まってこない。そりゃそうだよなあ、って言うのはちょっと悔しいけれどもあれだけ頻繁に揉んでいたらいい加減、手にもなじんでただの空気枕くらいにしか思えなくなるだろう。愛し合っていたって倦怠期は訪れるものだから。そこで目線を変えて剥いでみたりずり挙げてみたりして生を見たことで何とか盛り返したようだけれど、それだって次にはすぐ飽きる。そうなった時にいったい主人公は何で煩悩を燃やすのだろう。3人いる博士の誰かか。それともさらに目線を変えて教官か。それは違う方向へと行ってしまうからここは新手の煩悩タンクの登場を待とう。しかしどうして胸なんだろう。どうせ揉むなら尻の方が高まりやすいのに。なあおい。

 「リトルウィッチアカデミア」の第2作制作よりも「WONDER!」のフィルム版制作よりも「マイマイ新子と千年の魔法」の英語版ブルーレイディスク制作よりも早く立ち上がった日本のアニメーションのキックスターターを使って世界にアピールしちゃうぜプロジェクトで、あの「四畳半神話体系」の湯浅政明監督を要して新しいアニメーションを作ったようっていう「キックハート」プロジェクトは見事に20万ドルとかを集めて制作へと至りそして完成した作品のブルーレイディスクが昨年末にも発売されていた様子。その作品の原画なんかを展示するイベントが秋葉原にある東京アニメセンターで始まったんでのぞいてきたらこれが結構良い出来だった。

 まずはイベント自体の出来。時折開かれる他のアニメのイベントで、パネルだけを並べて良しとするような物もある中で、「キックハート」のイベントではまず元ががみっちりと並べられていて湯浅さんの作品に独特の動きって奴が分かるようになっている。ぐにゃぐにゃっと変形しながらすぱすぱっとプロレス技なんかをかけるシーンとかいったいどういう頭で描いているんだろう。キャラクターの原案があったってあそこまでふくらませたり絞ったりといったデフォルメは逆に難しいけどそれをやり、そして見た時にぐっと胸に迫るような映像を作り出している。スピード感ある動きなんかは大昔に見た「タイガーマスク」のアニメのよう。それを湯浅さんならではの雰囲気の中で作り出していることが、原画やパラパラ漫画風に閉じられた原画の束から分かって面白かった。

 何枚か重ねて四角くないキャラクターの締め上げられる絵を作ったところはカメラの移動があり技の移動がありと横縦に動く時間って奴が見えた感じ。ああやってあの映像が作られているのか。あともうひとつは作品自体の出来。これも「タイガーマスク」に近い孤児院から出たプロレスラーが頑張ってお金を稼ごうとしてあんまり稼げず、それでも見栄を張って子供たちに良いところを見せたと頑張ってチャンピオンみたいな女性のレスラーに挑むといったストーリーには波だがあり人情があって感動がある。それが綺麗に整った戦でも萌え萌えしいキャラクターでもなく、劇画ともスケッチともとれそうな荒々しくて歪みふくらんだ線でもって描かれると本当に、パワーとスピードの勝負が画面の中で繰り広げられているように見えてくる。

 いわゆるアート系のアニメーションに近い絵。それが一応は商業系の中で使われているというこの奇蹟に触れられる僕たちは幸せだ。それだけに普通に商業作品としてお金を募ってもきっと出資は集まらなかっただろうなあ。だからこそのキックスターターってことで。見たアメリカ人とかの反応も聞いてみたいところだけれど、英語が分からないから仕方がない。会場ではその「キックハート」のブルーレイディスクも売ってて1枚たったの1620円(税込み)なんでみんな買おう。上映もされていてそれでまるまる見られるんだけれど、見ればその分、そして原画なんかを目の当たりにすれば余計に映像を何度も繰り返し見たくなる。メイキング映像入り。そして日本語英語の音声に英語フランス語スペイン語の字幕が出る。世界的だなあ。おまけのDVDには何と「キックハート」本編も入っているから家にブルーレイディスクプレーヤーがない人でも安心。そしてCMとか「バンパイヤン・キッズ」のパイロットフィルムとして作られた「なんちゃってバンパイヤン」も入っていたりと至れり尽くせり。買うしかない。それよりまずは見るしかないその展示を。27日まで。

 ああそうか父ちゃんがロボになってしまう映画「クレヨンしんちゃん ガチンコ! 逆襲のロボとーちゃん」の主題歌だからピコピコとしたサウンドがあってそしてプロモーション映像にもロボットが出てくるんだ、きゃりーぱみゅぱみゅの新しいシングル「ファミリーパーティー」のタイトル曲。内容も映画に会わせたものになってて見終わってこれが流れてくるのを聞くと野原一家の結束って奴がじわっと浮かんでくることになるんだろう。そんな新譜はやっぱり映画合わせで「クレヨンしんちゃん」バージョンのものも作られていて表紙が臼井義人さん、は亡くなられているから彼の表現を今に受け継ぐ人が描いたクレしん風きゃりー。頭にしっかりサメが乗っかっているところがニクい。カップリングの「Skyanty Skimpy」は跳ねるようにキラキラとした音と変幻するメロディーが特徴。踊りたくなる1曲。5月のツアーでは聞かせてくれるかな。楽しみにして待とう。

 夜になったので「THE NEXT GENERATION パトレイバー」の第一章を見に行く。押井守総監督と千葉繁さんのトーク付き。映像の方はやっぱり真野恵里菜ちゃんのお尻が可愛いのとカーシャのスレンダーなのにしっかりとある胸が素晴らしかった。そして押井さんの話では第3話での「真野が可愛い」らしくそして第4話での「カーシャがカッコイイ」。そしてこういう話を何のてらいもなく行ってしまえることが歳をとった証拠らしいと押井さんも話してた。そんな老成があの押しつけがましくなく役者が自在に演技しているようなライブ感を呼んでいるんだろう。聞けば何も絵コンテとか用意しなくて現場に入って役者の顔とか演技を見ながら撮っていくことにしているらしいし。その意味でも過去の実写作品と比較してみたいところだけれど、トリロジーボックス部屋のどこに仕舞ったっけ。休日にちょっと家捜しするか。


【4月14日】 コンピューターとプロ棋士とが戦う将棋の「電王戦」が開かれて、またしてもプロ棋士が団体戦で敗れそして成績も1勝4敗と去年より悪くなってしまったみたい。事前にソフトを渡して研究の時間をたっぷりとれるようにしてもなお、かなわないとなるともはや将棋はコンピュータが上ってことになるんだろうかと思えたりもするし、屋敷九段や森下九段といった将棋界でもトップクラスの棋士が敗れたとなるとなおのこと、コンピューターの優勢を信じるしかなくなる。すでに引退していた米長邦雄九段が挑んで負けた時とは度合いが違う。現役バリバリの九段で落ちたとはいえちょっと前までA級だった屋敷九段まで負けてしまうだからちょっとこれは拙いかもしれない。

 けれども現役のタイトルホルダーはまだ含まれず、プロ棋士の側が余力を残しているといえば言えないこともない。さすがにタイトル保持者が敗れると権威の問題も出てくるから対局に臨ませはしないだろうけれど、それに類するA級の棋士をそろえ最初から全力でつぶしに行くって覚悟を見せることによって、次くらいはまた良い戦いをしてくれるんじゃないのかなあ。ただでさえ将棋がネット中継の最良のコンテンツになっている状況を、将棋界が自ら幕引きにするとは限らない。漫画の「ちはやふる」でも最新刊ではかるたの放送がネットになってそれに食い入る人たちの姿が描かれた。シフトする視聴環境なりファンの関心に答え続けることでしか、隆昌がないのだとしたら来年もやってくれるだろう、電王戦を、それも本気の勝負って奴を。

 やっとこさ「魔法科高校の劣等生」のアニメーション版を見たら監督が小野学さんだった。「境界線上のホライゾン」の第3期はやってくれないのかなあ。まあ仕方がない同じ電撃作品だし、設定面でも「ホライゾン」に負けない密度を持った作品なだけに小野さんならきっと見て分かりやすいけど奥にも攻められるような作品に仕上げて来てくれるだろう。まだ全体として入学した達也と深雪をめぐって丁々発止が繰り広げられている段階で、二科生に差別的な生徒会のメンバーが出てきて達也に挑戦してあっさりと倒されたりしている段階で激しいバトルもなければ辰也の凄さってのもはっきりとは見えてこない。でもここから達也の本領発揮が始まり九校戦から横浜騒乱へと向かい激しいバトルなんかも演じられることになる。手に汗握るスリリングな展開、期待して見ていこう。

 それにしても不思議な質感のアニメだなあと思った「魔法科高校の劣等生」。2Dなんだろうとは思うけれども服の立体感とかレイヤーを重ねた感じは3Dにも見えたりするんだよなあ、いろいろと細工をしているんだろうかその辺り。対していよいよ始まった「不運維新ダイショーグン」は2Dも2Dといった感じがバリバリというか2Dでも動かない2Dだというかつまりはただの紙芝居に過ぎないというか。セル画じゃないけど1枚の絵を背景に乗せて揺らしたりしてちょっとした心の動揺めいた動きを表現したり、漫画みたいな集中線を重ねることで語気なんかを表現したりとおよしアニメとは縁遠い、もはや画ニメと呼ぶしかないスタイルがとられている。

 これってわざとなんだろうか、それとも緊急事態なんだろうか。1回目で緊急事態もないと思いたいけれど。でも横顔のキャラクターの口だけパクパクしているアップの下辺から差し込まれた腕が開いたり閉じたりしないでその形のまんま上下に揺れたりして何か手さばきを表現しているのを見ると、もはやそれをスタイルとして押していこうって気構えすら感じられてしまった。例えるならインドネシアの伝統芸能の影絵「ワヤン・クリ」の動きをアニメに持ち込んでみせたというか。そんな手法からいったいどんな表現が生まれてくるかを刮目して見ていこう。録画はしない。保存もしないけど。キャラでは服部霧子はもう色っぽさでは最高なんだけれど、でも絵なんだよなあ、動かない。いつかデモで見た3DCGの切り子はお尻とかプニプニして胸とかタプタプしてたのになあ。嗚呼。

 さて佐島勤さんの小説の方の「魔法科高校の劣等生13」は1年がぐるりとめぐって2年生になった達也や深雪たちが再び挑む九校戦なんだけれども軍部あたりからの横やりが入って前年と同じ競技ばかりとはいかずクロスカントリーに演習を混ぜたような危険な競技まで出てきてさあ大変。おまけに妨害者として投入されるのが人間ではなくパラサイドールと呼ばれる一種の人造人間か何かでそこに外国の法士なんかも絡んで生徒にはちょっぴり危険なことが起こりそう。もちろんそれを黙って見過ごす達也ではなく、出場する深雪に何かあったら大変って意識もこれあったのか関西に跳び裏を探って戻りひとり先陣を切ってパラサイドール撃滅に乗り出す。やっぱり強いよ司波達也。でも裏で暗躍する存在がいてそれに引きずられる日本人もいたりと達也にはいろいろ大変そう。今のところ学園ドラマで済んでいるけどまた派手に国境をまたぐドンパチとか起こるのかなあ。続きが楽しみ。

 そしてこちらは張れて完結となった鷹見一幸さんの「ご主人様は山猫姫13 大団円終劇遍」(電撃文庫)はまず半分くらいを晴凛の嫁取りというか婿取られエピソードが綴られる。帝都に戻って皇帝を補佐する仕事を続けていたけど、ミーネとそれからシャールのどちらかを嫁にする期限ってのが迫ってきて呼び出しても還ってこない晴凛を、遂にしびれをきらしたミーネとシャールがはるばる北域からかけつけ宮城に突入しては晴凛をさらい北域まで連れて帰ってさあどっちを取るんだと大騒ぎ。シムールになれば2人を嫁にできるけれどそれだと帝国を捨てることになる。困ったなあ、ってところで姿を消した軍師伏竜が現れ入れ知恵したのか晴凛自身がそう臨んだのか、最良の結末って奴でもってシムールと帝国をつなぐ存在になっていく。最初からそうで最後もそう。摩擦する文化をつなぎ導く存在の大切さって奴が改めて浮かび上がる。

 でもって後半には帝国を攻めながらも敗れた承安軍で軍師をしていて最後の激戦で死んだかに思われた崇鳳は、奴隷として彼に付き従っていたムルトという少女に助けられたものの怪我か何かがもとで記憶を失い、今はムルトをご主人様と認めて彼女がかつて王族の姫として暮らしていた場所を取り戻すための戦いに乗り出す。昔だったら自分とう存在を世に認めさせるためだけにあらゆる手練手管を使っていた人間が、今はそうした野心ではなく誰かのために何かをすることのために才能を使う。変われば変わったものだけれどもただ目的のためには手段を選ばないところは昔同様。ムルトの前ではそれは見せないけど裏では割とやっていて、それをムルトも薄々は感づいているけれど、そういうことをやらないと国は取り戻せないというシリアスな思考もあるだけに悩んでいる。そんな2人の国盗り物語が端緒についたところで本編は終わり。いったい2人はどうなった? それは想像の中で楽しもう。っていうか崇鳳、変わりすぎだろスタイルが。


【4月13日】 大野雄二さではないとしたら山下毅夫さんだろうかという想像もあり、監督の小池健さんがキャラクターデザインを勤めたこともあるから前の「LUPIN the Third 峰不二子という女」と同じ菊地成孔さんかといった想像も浮かんだけれども「Lupin the 3rd 次元大介の墓標」の音楽を手がけるのは小池健さんが前に監督をした「REDLINE」からジェイムス下地さんが起用されるとかで、斜め上方向へとぶっ飛んで期待が高まって今から上映が待ち遠しい。激しくビートの利いた音楽もあればメロウな夜をイメージさせる音楽もありそしてリズムの中にシックな雰囲気を醸し出す曲もあってと正当にして先鋭の音楽を奏でてくれた作曲家。その人が作る次元大介の音楽がスタイリッシュでないはずがない。かっこうわるいはずがない。クールなガンマンの姿を音楽によって浮かび上がらせ、スクリーンの上に見せてくれるだろう。傑作になることがこれで決まった。

 月刊入間人間かよという位に本が出ている入間人間さんの電撃文庫から出た最新刊をまだ置いて、メディアワークス文庫から先月に出た「エウロパの底から」なんてのをまず読んでみる。作家がいて最初はまあまあ人気もあって今も決して無いわけじゃないけど昔ほどではないことからどこか惰性になっていたりする。そんな境遇をかかりつけの医師にも見透かされ、何か実験台にされて脳に電流を走らされたらあら不思議、目の前に殺人の光景が見えてしまってそれをそのまま小説にして書いたら、被害者の人名もシチュエーションもまったく音じゃ井殺人事件が起こってしまったから作家も出版社も驚いた。それも1度ならず2度までも、当然に作家が疑われる。最初の被害者の家族でただ1人生き残った少女は作家のところに押し掛け犯人だろうと糾弾する。けれども作家はやっていない。では誰が。そして現れた犯人たち。さらに起こる最後の事件。いったいどうなる?

 といった展開に何か科学で説明がつきそうな展開はなく、どうして医師が作家の脳を活性化させる実験をしたら未来みたいなものが見えてしまったのかも分からないまま。でもまあ作家ってのは未来を読み社会をえぐって何かを書くお仕事な訳で、そんな類い希なる観察力って奴がちょい、未来方向に働いたって不思議はないってことなのか。うーん。そしてそんな決定づけられたような未来であっても頑張れば変えられるってことも分かった。いやそれはどうだろう、少女に刃が迫るイメージは決して少女を刃が貫くイメージとイコールではない。そんな辺りを含み置いて未来が変えられたように思いこんだだけなのか。ともあれいろいろ想像させられる物語。そして作家が書くということ、書き続ける大変さということも感じ取れる物語。こういうのをさらりと書いてくるから入間人間、ただ者じゃないんだけれど、でもベストセラーのアニメ化作品とも遠いんだよなあ。だからこういう作品が生まれるんだけど。トートロジーだ。

 そういえばと思い出して吉祥寺へと向かい「THE NEXT GENERATION パトレイバー」のために作られたパトレイバーがジャッキアップされる様を見に行ったけれども、到着した吉祥寺の駅前はすごい人混みでどこかに滞留することが出来そうもないんでひとまず裏の通りまで抜けていってそこでパレードを見物、成蹊大学だか成城大学だかのチアリーダーが別にチアリーディングすう訳でもなく歩いていく後ろ姿を見送ったり、サンバという割には着ぐるみパジャマのガチャピンたちが踊っている姿を見たりしてまだ駅前と戻ってそこでどうにかこうにかパトレイバーが輸送用の車両に横たわっている姿を発見する。でも立ち上がっていない。まあ特車2課的には寝ているだけなのがデフォルトではあるんだけれど、それで見に来ている人たちが納得するはずもないからもう1度くらい立つだろうと待つこと30分くらい? ようやく立ち上がったパトレイバーに群衆がカメラを向けていたらものの数分も経たないうちに寝かされてしまった。

 そりゃあそうだ、通りを封鎖する訳でもなく横をバスとか普通の車とかが通る駅前広場のどまんなか。そして周辺にスペースもなく見上げるように群衆がいる中で立ち上がったパトレイバーがもしも倒れるような事故が起きたら半端でない影響が出てしまう。そうでなくても信号は普通の切り替わってその度に横断歩道を渡る人たちがいて立ち止まったりしながらカメラを向けたりしてる状況は、なだれのような人の倒壊を招きかねないため警備上の理由から中止にされても仕方がない。これが本当の警視庁の持ち物でも、とりあえず偉容を見せるために立てと言われて立ったものの危険だから寝かせろと言われるだろうし。やっぱりお荷物なのかパトレイバー。でも今はそうでもこれだけの群衆にその存在が伝わったからには公開中の映画もそしてこれからの各章もわんさか人が詰めかけ大人気となることは確実。そうなれば吉祥寺駅だって東京駅前だって封鎖してパトレイバーのジャッキアップどころか降りて歩く姿だって見せてくれるようになるかも。期待しよう。「なにあれガンダム?」って通りがかる大勢が言っていたことは気にしないで。

 阿佐ヶ谷アニメストリートなんかを経由して神保町へと出て末次由紀さんの「ちはやふる」の第24巻を早くも購入、名人戦とクイーン戦が本格的に始まってそこであの若宮詩暢ちゃんが結っている頭のお団子の正体が明らかになる。スノー丸のガールフレンドのスノー姫。なるほどそれなら仕方がない。でもって名人の周防久志は誰かに電話して名人戦の中継をネットで見るように伝えているけどどうやらあんまり伝わらない様子。いったい誰と話していたんだろう。そして明らかになる周防名人の弱点とそこを攻める原田先生。というかその弱点は従来からのものなのか進行しているものなのか。千早でも気づいたんだから過去の誰かが気づかないはずもなかっただけにやっぱり進んでいるのかな、だから今年が最後と言っていたのかな。

 もう1人、クイーン戦に臨んだ猪熊遥も今回が最後といった覚悟で臨んでいる様子。強いのに。それとも桜沢翠ちゃんがいよいよ復活してくると信じているのか。見たいなあ翠ちゃんと千早の本気の対戦。でもそれで負けると詩暢と千早のクイーン戦が遠のいてしまう。ただでさえ修学旅行でクイーン戦の予選に出なかったことに詩暢ちゃんはおかんむり。そりゃそうだ、いつかクイーン戦でまたかるたしようって言っておいて逃げたんだから。そして学校で友人もおらずカルタガールを頼める人もいない詩暢ちゃん。自分は祖母の看板代わりに使われていることにも愕然として信じられなくなっている心境をまっとうに戻せるのは千早しかいない訳で、そこに向けてこれから1年を精進していくことになるんだろう。翠ちゃんも猪熊遥も蹴散らしモメ由美も逢坂恵夢も退け臨む正月の近江八幡宮こそが「ちはやふる」のクライマックスにふさわしいんだけれど、今度は受験で行けません、なんてことになりかねないからなあ。さてどうなる。そしてどうする。見守ろうその行く末を。


【4月12日】 エドワード・スミスの『マーシアン・ウォースクール』を読む。ここしばらく流行しているミリタリーSFのひとつで、6フィート3インチもの長身を活かしアナポリスから海兵隊へと進んで、東アジアや中南米なんかで活動したあと除隊し、皿洗いなんかをしながら作家への道を進んだ作者による火星が舞台の冒険戦争活劇。テラフォーミングの過程で生まれた怪物たちを相手にする、過酷な戦場に放り込まれた少年少女の兵士たちが、ひとりのリーダーの元に結束して絶望的な状況からのエクソダスを目指すという、青春と戦闘とが入り交って慟哭と歓喜をもたらすストーリーが、行き場のない鬱屈を抱えた若者たちの共感を誘い、ジョン・W・キャンベル賞にもノミネートされた、というのはちょっとだけ嘘だけど割と本当。嘘はどこかは読んだ人が考えよう。

 本当の部分でいうなら、前提としてひとりの少年にそこまで過酷な運命を強いるものか、たとえ周囲の嫌悪や嫉妬があったとしてもそれをより上の権威が許すかといったところだけど、きっと知らないところでやられているか、知られていてもそれだげ少年の才能を信じているかってことなのか。たった1人で親善大使の任を帯びて地球の士官学校から火星にある軍属学校に転入したタキオン少年は、軍属学校の生徒であると同時にクラスメートでもあった部隊の委員長が、タキオンの着任時に空港を守っていて虫のような火星の怪物に襲撃されて重傷を負ったこと、そして元々が地球人が火星の人たちに嫌われていたこともあって、転入早々に強い反発を受ける。

 その時はただの親善だと思われていたタキオンの登場。そして地球の偉いさんの関係者がクラスメートにいれば出撃も減るだろうと思っていたクラスメートたちに絶望が降りかかる。逆に出撃が多くなる。それも苛烈過ぎる出撃が。いったいどういうこと? それはタキオンの出自に秘密があった。そしてタキオンには未来がなかった。けれどもタキオンは諦めず、クラスメートたちに結束を呼びかけ、真相を話して拒絶の壁を乗り越え、度重なる過酷な戦場で冷静に先を読み、クラスメートたちを帰還へと導く実力も示してクラスをまとめあげ、一丸となって絶望からの帰還を求めあがくようになる。

 とにかくなかなかの策士なタキオン。最初の戦場からして命令の裏を読んで状況を予測し、先手を打って全滅のような事態を避け、そしてクライマックスの戦闘でも、あらかじめ自分たちへの関心とそして同情を誘うような行動を起こして、結果としてクラスメートたちを生還へと導く。それが冷徹な計算の上に成り立っているのだとしたら末恐ろしいけれど、描写ではただひたすらに、自分たちが生き延びるために何ができるかを考え、最善の道を進んでいるようになっているから、冷徹で計算高い策士のようなイメージはあんまり抱かないですむ。本心がどうなっているかはまだ分からないけれど。

 そんなタキオンでも読めなかった、マリーというクラスメートの少女の行動。かつて別のクラスにいた仲間たちが、彼女が休んでいた出撃で全滅する経験を経て、どこか厭世的になっていたことをタキオンでは察することができなかった。女心は分からない、って訳で訳ではなく、自分と同じ境遇なら、自分と同じに考えるだろうってことではないみたい。難しいなあ、人の心って。そこもどうにか乗り越え、より結束に向かったクラスだけれど、でもやっぱり過酷な状況はこれからも、そしていっそう続くんだろう。どうなるんだタキオンたちは。悲劇しかないのか、それとも火星での抵抗が火星からの反抗となって、宇宙の地図を塗り替えるようなスケールへと向かうんだろうか。「侵略教師星人ユーマ」の2冊でちょいお休みだった作者のSF心炸裂の1冊なだけに、続いて欲しいし続けるべきだけど、果たして。それはそれとしてエドワード・スミスっていったい何者なんだ。

 せっかくだからと見忘れていた「アナと雪の女王」を日本橋にできたTOHOシネマズまで見に行く。2D字幕版。いや別に松たかこさんが嫌いな訳でも神田沙也加さんの歌声に不安がある訳でもなく、ネットなんかでこの2人の歌を聴いてやっぱり抜群に巧いことは分かっていたんだけれどでもねえ、雪の女王が氷のお城を建てるシーンの歌はあの直訳感がまるまる出ている可視ではちょっと聞きたくないんだよなあ、それは松さんが悪い訳ではないし、訳詞した人だってもっと韻を踏んで格好良くしたかったと思うんだけれど、そこは英語にあるニュアンスを大きく改変することを許されなかったんだろうし、英語の歌詞に会わせて動かしている口から大きく外した言葉を乗せることは出来なかったんだろうなあ。仕方がない。

 あとはやっぱりイディナ・メンゼルというプロフェッショナルなミュージカル俳優が演じながら歌っている声を聞きたかったというか。松さんのだと歌ってはいるけど演じてはいない、って気がしないでもないんだ。まあいずれ吹き替え版も見に行くとして字幕版で見た「アナと雪の女王」はもう立派にミュージカルなアニメーションでディズニーアニメなんかを見ている人にとってはおなじみの、よく動いて楽しい映像って奴を堪能できる。2D時代もぐにょぐにょと動いてメタモルフォーゼなんかもしてといった具合にアニメーションの極地って奴を見せつけられたんだけれど、3DCGになってもそんな動きは変わらず踏襲されているから凄い。どうモデリングするかじゃないんだ、どう動かすかなんだよなあ。そこが分かっているところがさすがはアニメの王国といったところ。

 表情から仕草からデフォルメされたキャラクターの中にリアルな雰囲気を入れ込みそこにいるような感じに仕上げている。予告編で某国民的アニメーションの3DCG版の予告編が流れたんだけれど、一所懸命モデリングしました、いい質感出しましたって感じはあってもそこにドラ……じゃない国民的猫型ロボットがいるような親しみは覚えなかったんだよ。まあそれでも声が入ればぐっと親近感も高まるかとは思うけど、それについても「アナと雪の女王」はすごくって、おてんばのアナが走り回ったり驚いたり嘆いたり迷ったりする言葉の端々に、あの世代の女の子って感じがぐわっと漂う。演じている人は年輩でもそこは女優、そしてディズニーが認めた声優でもあって抜かりがない。そのあたり松たか子さんや神田沙也加さんはどう表現しているんだろう? って興味も逆に湧いてきたんでやっぱり吹き替え版も見に行かなくちゃ。

 ストーリーはしかし意外というか、それも確かに愛っちゃあ愛でそして惚れっぽい少女の瞬間の感情なんかよりも、ずっと深くそして濃い愛だよなあって思ったよ。あそこまで近くに置いておきながら出番をとられたクリストフちょっと可愛そうだけれど、姉妹の愛を邪魔する奴はトナカイに蹴られて死んでしまうから仕方がない。でもってちゃんと後でフォローもいれているからそこは王子様の存在を否定した訳じゃないってことで。南から来たハンス王子の豹変ぶりも気になるところでエルサが去った後に継ぐのはアナしかいないなら、彼女を無理にでも助けて友に姉を倒すなり退けるなりするはずなのに、王位を簒奪したからあとは全部自分がってなっていく。そんなに簡単に王権って移るのか。分からないけどそういうものだとしても性急すぎ。というかアナもエルサも性急すぎて人の言うことをあんまり聞かないからパニクって騒いだりあわてて飛び出して雪まみれになったりする。落ち着きましょうという言葉を贈りつつ、それでも幸福になれた2人の幸せを願いつつ、傑作に喝采。


【4月11日】 いろいろあって見なくちゃいけなくなったビジネスサイトの「Bizコンパス」が、一昨日の夜あたりから繋がらなくなっておかしいなあと思っていたら、その真夜中あたりにメンテナンスという案内が出て落ちた模様。でもNTTコミュニケーションズって日本でも有数の通信企業で、ネットワーク周りのシステムに関してはプロ中のプロが運営しているんだから、すぐに回復するだろうと眺めていたら昨日が過ぎて今日になってもやっぱりメンテナンスは続いていて、そのまま2日以上も落ちっぱなしなんて状況になっている。何があったのかは分からないけど、通信システムを売る会社が通信システムでトラブっているのは何かあんまり宜しくないような。お客さんに説明できないものなあ。それとも身を以て何か頑丈なシステムを構築するための実験でもしているんだろうか。ともあれ行方を見守ろう。明日もダメだとちょっとしんどい。

 ううん、ちょっと迷うというか筋からズレているというか、例のSTAP細胞の件で会見をした小保方晴子さんに対して、KMDだからたぶん日吉あたりから「オボカタさんにうかがいたいこと。」ってタイトルで呼びかけている偉い先生がいるんだけれど、その誘い方が小保方さんという人物の業績なり、逆に虚構だったかもしれない偉績について話を聞きたいというのではなく、一連の騒動の過程で浮かび上がってきた大学教育であるとかレポート作りであるとかいった要素について、それを結果として浮かび上がらせたことになった小保方さんに、どう思うのか聞きたいって言っている。でもねえ、関係ないじゃんあなたには、そして小保方さんにも。

 なるほどSTAP細胞の存在をめぐる疑念は日に日に色濃さを増してはいるけれど、未だ実在が完璧に否定されたということではないし、そこへと至る過程で明るみになった諸々も、どこか否定へのストーリーを補強するために、大げさだったり一部を切り取り見せているようなところもある。そうした周辺のゴシップについて小保方さんに聞いたところで、何か有用な答えが返ってくるとは思えない。小保方さんにとって真実はひとつしかなく、自分はそこに向かって邁進するのみだって、そう言うだけだろう。だから学校に呼んで聞くなら、そうした真実を損ないかねない周辺のゴシップを、払拭するために真実を語って欲しいということ。でも日吉の先生は違う。ひたすらに周辺のゴシップを彼女から聞きたいと呼びかけている。

 というか、もとよりそんなことを聞く気はないし、答えてもらえるとは思っていないんじゃないのかなあ。ようするに、今もっともホットな話題になっている人物を取りあげつつ、彼女の周辺に渦巻くゴシップを世に喧伝しつつ、自分が携わっている大学教育ってものの実状を語ってみたいだけ。でも、それって別に小保方さんの話を使わなくたってできること。というか自分も大学の先生なんだから、自分のところはどうかを語ってその比較を通じて、小保方さんの方面がおかしいならおかしいと言えば良い。彼女につきまとう悪印象を喧伝するだけにしかならず、翻って自分の大学教育に間違いはないとでも言いたそうなその言葉は、しばらく前に朝日新聞のウエブサイトで問題になった「ウソうだん」の小保方さんの項目に、どこか重なる居心地の悪さがある。

 悪人と決まった訳でもなく、もちろん犯罪者ですらなく、意識して何か教育システムなりデジタル時代の問題を浮かび上がらせた訳でもない人間を、その責任者のごとく勝手に祭り上げては衆人環視の中に立たせて、好奇の目で見つめ舌でもってなめ回した挙げ句に、引きずり落とすような態度を見せる。なんかとっても気持ち悪い。でも、そんなのがウケるんだろう今のウェブという世界は。あるいはウケると思っているんだろう日吉あたりのアカデミズムは。今語るべきは真実であり、そこにむけてのプロセスの是非であってパーソナリティではない。解明が進み結果が発表されるその時まで、放っておけば良いだけなんだけれど、時流に乗って何か語りたい人には惻隠の情もなければ、理路整然とした科学の探求心もないんだろう。まあどっちだって良いけれど。

 参ったなあ。お隣の国がヘイトスピーチばっかりやって来てたまらないよと書いてる記事というかコラムがあったんだけれど、そこにあげられているお隣の国への非難がこれまたヘイトスピーチの波状攻撃みたいなもので、相手が言ったらから言い返すといったレベルすら超えて対等の人間扱いすらしていない。たとえそれが誰か偉いSF作家で大学矜持の著書からの引用であっても、それを引くということ事態がそういう思想の現れ。それを公器と未だ信じられている媒体でやってしまうんだからどこか間違っているような気がしないでもない。別に相手の理不尽な物言いに耐える必要はないけれど、非難に悪罵と雑言と侮蔑で返すというのもどこかみっともない。日本人が武士道であり大和魂と信じる心理からもかけはなれているんだけれど、当人はそれが国士のたたずまいだと思ってやっているからなあ。醜いよなあ。だから離れていくなけれど。それが惨状につながっているんだけれど。やれやれ。

 1月3日に亡くなられた浜野保樹さんを偲ぶ会が六本木のアカデミーヒルズで開かれたんで様子を見に行く。なんか直接喋ったことって数回しかなくってこっちのことを認識していたかは定かではないけれど、AMDことマルチメディア。タイトル製作者連盟(当時)が立ち上がった当時からずっと様子を見ていてAMD AWARDも第1回の授賞式が新宿のNSビルで開かれた時から参加して来た人間にとっては、そんな会合をずっと支えて官庁なんかとのパイプ役にもなった人。加えてマルチメディアグランプリ(当時)にも関わり文化庁メディア芸術祭にも関わりといった具合に、デジタルをメインにエンターテインメントも含めたコンテンツの文化的地位の向上に大きく貢献した浜野さんがいたからこそ、今のコンテンツ立国を標榜できるこの国があると思うとコンテンツ好きとしては足を向けては寝られない。

 そんな人だっただけに偲ぶ会にはアニメーションからアートからデジタルコンテンツからSFから様々な人が来てはその業績を偲んでいた。だって富野由悠季さんが来ていたんだよ、そして樋口真嗣監督も。樋口さんなんて巨大な人が出てくる映画のクランクインなんかを控えて大忙しの中、それでもHの会っていうのを原恵一さん細田守さんも入れて作っているだけあって、忙しい中を縫って来ては浜野さんがいろいろな人をつないだことを今度は自分たちでやって行きましょうって挨拶してた。まさに至言。業界が違うととたんに繋がりが悪くなってしまうところがあるクリエイティブな世界をアニメ漫画アート役所大学を問わず横でつないで風通しを良くした浜野さんの偉績を、誰が継げないならみんなで継ぐしかないんだってことを改めて思わされた夜だった。

 浜野さんがコレクションしていたというか家に置いていたジャンパーやらウィンドブレーカーやら銅の鍋やらディレクターズチェアやらを抽選で大盤振る舞いしていて皮ジャンなんか当たった人はもう大正解だったんじゃなかろーか。抽選していたのは明和電機の土佐信道さん。そういうところの人脈がなかなかゴージャス、っていうか司会は中島晋也さんだったけど、CMディレクターの。八谷和彦さんはジュラシックパークのジャンパーを当ててなあ、ちょっと羨ましかった。そんな会合のとりはAMDにオラシオンとして参加していたハンズオンエンタテインメントの菊地哲榮さんが、早稲田の応援団長だった経歴を今に生かして浜野さんを讃え家族を讃えみんなを讃えるエールを放って会合を終了。なんか久しぶりに見たえど変わらない応援団ぶり。染みつくんだろうねえ。ともあれ愉快な夜だった。SFでは巽孝之さんが来られてたけどそうか2001年つながりか。広い興味の持ち主だったんだなあ。改めて合掌。


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