縮刷版2014年11月上旬号


【11月10日】 結果として捻挫とかもあったことが分かって羽生結弦選手はやっぱり滑らなかった方が良かったような気もするけれど、そうでなくても脳震盪を起こした直後の人間はいったい頭の中がどうなっているか分からないからCTでもMRIでも脳波検査でも何でもして、とりあえず様子を見るのがスポーツ選手に限らず当たり前の処置方法。でもそれが守られないどころか滑って素晴らしいと讃えられてしまう空気が一部にあることはやっぱり「キグチコヘイハテキノタマニアタリマシタガシンデモラッパヲクチカラハナシマセンデシタ」と教科書でもって讃えられたお国柄。なおかつそうした修身の心が復活の兆しにある雰囲気で、讃えつつ皆もさあやれと煽る声が是認されそうなだけに鬱陶しい。

 せめて科学の進化したスポーツの世界ではそれは拙い、それはダメだと言って戦うくらいの姿勢を見せて欲しかったけど、世間的に影響力のある野球の世界で新しい監督に就任した人間が、血まみれでも立って滑った羽生選手を讃えお前らも血まみれになってでも打席に立つんだ守備に付くんだといわんばかりのスタンスを、見せて平然としているから何というか面倒くさいというか。そんな監督を起用した球団のオーナー企業からしてもしかして、エイギョウハコキャクノキョヒニアイマシタガシンデモトグチ殻離れませんでしたといった態度を讃えて、収益を挙げようとしているのだとしたらこれはなかなか厳しい話だけれど、本当のところはどうなんだろうなあ。羽生選手の頑張りが修身の教科書に載って流布される世界が来る前に、どうにかしたいものだけれど。どうにもならなさそうだけど。やれやれだ。

 並んでいたのはウルトラマンギンガとウルトラマンビクトリーとウルトラマンティがとウルトラマンダイナとウルトラマンガイアとウルトラマンコスモスとウルトラマンネクサスとウルトラマンマックスとウルトラマンメビウスとウルトラマンゼロだったらしいけれどもどれがどれだと1体として分からないとこころに平成以降の、とうより21世紀に入ってのウルトラマンに対する僕の無関心さが現れていると言えるけどでも、それだけの数のウルトラマンが21世紀に入ってもしっかりと生まれ人気を獲得しているところにキャラクターとしての確かさだけは感じてみたりする、秋。

 何でも最新作の「ウルトラマンギンガS」が劇場映画になるそうで、その発表会があって横浜方面へと出かけていってそこに登場したのが前記のウルトラマンたち。どれがどれかは分からなかったけれど、見ればそれがウルトラマンだと分かるのはやっぱり基本となるデザインのアイデンティティが確立しているからなんだろう。興味深いのはこのうちの1人、ウルトラマンゼロだけがウルトラセブンからウルトラマンタロウへと連なる系譜のデザインなんだけれど、それも含めてウルトラマンと思ってしまうところに円谷プロダクションの、あの異形のウルトラセブンすら含めて早い内から兄弟にしてしまった効果ってのが出ている感じ。あそこでこれは違うと外してたら、「ウルトラセブン」の持つ雰囲気が好きなウルトラファンをパージして一緒に盛り上がる機会を手放してしまっただろうから。

 そしてデザイン的なバリエーションもこれでちょっと増えたというか。ぜんぶが全部、初代から連なるあのデザインだとやっぱりどこかに限界が生まれて、こうなったら仮面さえ被っていれば、バイクに乗っていれば、もはやバイクでなうても何でもありだな「仮面ライダー」シリーズみたいなデザインの拡散が生まれてしまったかもしれない。有る程度幅がありながら、それでいて限定される中で工夫がこらされていった結果、並べばどれもがウルトラシリーズの血を引くものだって分かるようになった。デザインから探るヒーローの系譜を考える上で、ちょっと踏まえておくべきことなのかも。研究課題。

 さて肝心の「劇場版ウルトラマンギンガS」と言えば、監督に坂本浩一さんを迎えたことでアクションとかいっぱい楽しめそう。特に女性陣を振り回したそうで、どんなアクションが見られるか? とりわけ最上もがさんのセクシーな衣装から繰り出されるアクションに期待したくなる。そして地底人の身から晴れて隊員へと昇格しそうな小池里奈さん演じるサクヤが、最初にどんな登場をするのかも。これは隊長役の大浦龍宇一さんが教えてくれたポイント。あとちょっとだけ年輩者には、ウルトラマンコスモスに変身する春野ムサシを演じた杉浦太陽さんの登場か。主演のウルトラマンギンガに変身する礼堂ヒカルを演じる根岸拓哉さんが憧れたウルトラマンを演じた人でありプライベートでもシリアということで、出て欲しいなあと言っていたら出演が決まったらしい。

 それを喜びそして出演も喜び、子供に自慢できると語る杉浦太陽さん。本放送ではいろいろあったのに、ウルトラマンに出演したことは財産だと思っていてくれるのは嬉しいところだし、出演した人にそう思わせるくらいにウルトラマンのシリーズが長く続いてきた意義ってのがあるんだろう。それはもしかしたらスーパー戦隊ヒーローより仮面ライダーシリーズよりも大きいのかな。分からないけどこの続きっぷりからするに、同じかそれ以上の価値をそこに感じている人も少なくないんじゃなかろうか。さてもどんな変身を見せてくれるか。そしてどんなアクションが見られるか。最上もがさんはやっぱりセクシーなのか。60分と短いけれどそれだけ詰まった映画らしいんで劇場で観よう、大人だけれど。

 そんな映画に音楽を寄せるTHE ALFEEの高見沢俊彦さんが登場して、見せてくれた音楽集に絡んだDVDに大注目。それこそ庵野秀明さんじゃないけれど、高見沢さんが生身でもって巨大化して怪獣を相手に戦いそして必殺「タカミウム光線」を放って相手の怪獣を仕留めてた。その巨大感その戦闘っぷりは流石、円谷の特撮チームといったところ。演じる側になるほど庵野さんのような特撮ならではの動きを自分でもしっかりを演じるという意識がちょっと及んでいなかったんで、見た目ややぎこちなさもあったけれどそれでもやっぱり楽しそうだし、見た回りを羨ましがらせてた。隊員たちは演技派するけど自分たちがスーツに入って戦う訳じゃないからなあ。それが出来た高見沢さんを羨ましく思って自分もと思うのも当然か。次は誰も彼もが巨大化をして戦う映画が出来るかも。最上もがさんとかそうならないかなあ。そしてキングギドラに組み敷かれる、って会田誠さんかよ。ちょっと見たいかも。

 せっかくだからと「日本アニメ(ーター)見本市」の第1回目作品「龍の歯医者」を振り返る番組を見物しに行ったものの果たして終電に間に合うかというギリギリの時間。なおかつ第1回目は山寺宏一さん林原めぐみさんからのコメントがあってカラーの庵野秀明代表取締役社長の飛び入りもあって、前半がそれでとられてアニメーション監督の鶴巻和哉さんと作画監督の亀田祥倫さんさんのトークが始まったのが30分過ぎくらいからだったんで、そこからどこまで行くのかちょっとドキドキ。なおかつ監督は舞城王太郎さんということでそちらの話も含めて聞くことになったので情報量が多かったけど、でもそれぞれにポイントは聞けたし、氷川竜介さんによって何をどう見れば良いのか、あるいはそういう場合はこう描くのかってポイントが解説されたのでアニメーションを志す人にはいろいろと勉強になったんじゃなかろうか。

 そして見るだけの人も、どういう人が何を考え作っていてそしてどういう風に描いているかが分かって興味をそそられたんじゃないだろうか。つまりはそういう番組。アニメーション雑誌がやっぱり売上を気にしてイラストと声優さんへとシフトせざるを得ない状況で、クリエーター側に立って情報を伝え啓蒙する番組。そのスタンスをずっと続けて欲しいしそれがあってこそアニメ制作とアニメ解説の両輪となるのではなかろうか。とか思ったけどすでに時間も尽きたのでご挨拶もせずに退散して電車に飛び乗ったらちゃんとまだあった。家に帰れる。レギュラー出演者の方々は毎週大変だろうなあ。ニコニコ生放送のスタッフも。頑張れ日本のアニメーションの未来のために。

 そんな番組を通して見た印象では氷川さんの出番の満を持して感というかここで真打ち登場感がなかなかだった。女性アナと出演者の対話で進む間にはあんまり絡まないのかな。やっぱりアニメマエストロ的な位置取りだったでありました。猫派と犬派って聞く必要があるんだろうか。謎だけれどそこがまあ、ニコニコらしいってところで。あと最後にアニメとは、って聞くコーナーがあって鶴巻さんが「アニメはアニメ」と出してそれに亀田さんが「右に同じ」な矢印で答えるやりとりがあってなかなか最高。そういう稚気とそして思いが伝わることで、アニメのクリエーターを志す人が増えると番組をやる意味もあるんだろう。そして次回予告に笑った笑った。今回はサザエさん風で良かったのかな。でもって映像がなくってどんなアニメかまるで分からないのだった。自転車かあ。弱虫ペダルとは違うんだろうなあ。楽しみだ。


【11月9日】 デザインフェスタではあと「弥生道/塚原重義」のブースに寄って静岡で開かれている「美少女の美術史展」の開場で上映されているアニメーション「女生徒」のDVDを購入、これで3枚目。お青森に続いて静岡で開かれた後、石見へと回って終わる展覧会の終了までは、こうしたデザインフェスタの会場くらいでしか販売しないそうなんでとりあえず、回溜めておいて布教用に配るために買ったんだけれど肝心の配る相手がいないというのが最大のネックか、何せ友達少ないんで。まあでも無理に押しつけてでも見てもらうことにしよう、あれは良いものだから、映像も音楽も、そして遊佐未森さんのナレーションも。

 デザインフェスタでは「くらにしき」というオリジナルのキャラクターも拝見、岡山県の倉敷市の非公認キャラクターだそうで、倉敷に多いらしい蔵をモチーフにしつつ「錦」がしこ名につくお相撲さんをイメージして、蔵がお相撲さんになったデザインになっている。考えついてまだ2カ月とか。そのわりにはグッズもぎっしりと揃えていたところに本気が見えた。エプロンなんてもうそのまま商品にしてしまいたいくらいだけれど、でも果たして「ふなっしー」みたいな世界的ゆるキャラになるだろうか。そのためにはやっぱり着ぐるみが必要だけれど作りたくてもあれ、高いんだよねえ。「ヒャッハー!」の代わりに何って叫ぶか知りたいなあ。「ハッケヨーイ!」かな。それをかけるのは行司の方か。

 デザインフェスタに行ったらこれを聴かないとやっぱり行った気にならない「和装侍系音楽集団 MYST.」のライブももちろん見たけど今回は端っこではあっても角じゃない並びの中程なんで聴きに来た人の集まる場所がちょっと狭かった。そこはよりぐっとシンガーへと近づいて聞けたからいいのか。「俺が介錯つかまつり候」は何でもフィリピンで人気があるとかで、意味は分からなくても英題にあるらしい「HARAKIRI」に引かれつつそのサウンドとその歌声に引かれているのかもしれない。いつもどおりに「夢を見る間に抱きしめて」で終わって3曲、聞き出すと誰も離れないのはやっぱり音楽に力があるからなんだろうなあ。一度でいいからメジャーな場で聴かせてみたいなあ大勢に。時代劇系アニソンの音楽にならないかなあ。

 こんなに薄い「境界線上のホライゾン」が「境界線上のホライゾン」であるはずがないという声がわんさか起こっていたりする「境界線上のホライゾン ガールズトーク 狼と魂」は手にとっても手首が痛くならない薄さでやっぱりちょっと違うんじゃないかと訝ったけれども380ページ超ってのは普通のライトノベルなら厚い方な訳でそれすら薄いと思わせてしまう「境界線上のホライゾン」はやっぱり普段が分厚すぎるということで、うん。そんな外伝的な「ガールズトーク 狼と魂」は葵・トーリを筆頭としたメンバーたちがまだ中学3年生だった頃のお話で、三河の地へと辿り着いた一行を何か怪異が襲って来たのをその中学3年生だったネイト・ミトツダイラと浅間・智が主に解決するという展開。

 立派にその世代にだって生徒会長はいただろうし総長連合もいたはずなんだけれど、指示みたいなのは飛ばしてもキャラクターとしては登場して来ず活躍も聞こえてこない。桶狭間の戦いから尾を引いているらしい問題を解決したのは主にミトツダイラでサポートに浅間・智といった具合に中学3年生の2人で、それで良いのかと思いもしたけどこの2人に限って言うなら浅間・智は浅間神社の跡取りでそれなりな実績もあるしミトツダイラは武蔵の騎士筆頭っていうことで襲名もしているから生徒会、総長連合とは関係なく活動して良いって立場なんだろうし、それも怪異が原因の事件なら2人が率先して解決に向かうのも仕方がない、ってことでそんな展開になったんだろう。でもやっぱり気になる歴代生徒会長。本当に無能だったのかなあ。無能を装いつつ下の世代に実績をつなげていってそれが、トーリたちの時代に結実したって言えるのかもしれないなあ。いつかそんな話を。それによってトーリたちの活躍に正当な背景を。

 日本橋あたりでちょっとだけ仕事をしてから、昼ご飯でも食べようと歩いていたらカレー屋があったところの「えびラーメン」とやらの店が出来ていて、いい匂いが漂って来たんで入って食べたら海老そのものは別に入っていなかった、っておそらくはスープに相当な海老が使われているようでその香りが強烈に入っていて美味しかった。ラーメン自体はどちらかといえば札幌風の味噌ラーメンって感じ。濃厚さに魚介類の味も混ざったその内容で果たしてどれだけ世間を渡っていけるのか。前のカレー屋は1度食べたけれどこれといってパンチが効いてなかったものなあ、だから潰れたのかと出て見上げたら2階に移ってた。まだやる気か。いやまあでもきっと味も建て直しているだろうからいつか入ってみようっと。

 せっかくだからと代々木第一体育館へと向かってきゃりーぱみゅぱみゅのアリーナツアー最終日を見物。戸田から始まったホールツアーも見てはいたけどあっちは新譜の「ピカピカふぁんたじん」をプロモーションするって感じとあと、子供たちもでも来て楽しめる公民館的な雰囲気を味わってもらうといった感じで短い中に凝縮して旬のきゃりーぱみゅぱみゅを伝えるプログラムだったって今にしての印象。これがアリーナツアーとなると巨大なステージを組んでそして左右から中央の舞台まで行ける円形の花道を造り仕掛けもいっぱいに盛り込んだ上に昔の曲とか人気の曲も織り交ぜ聞かせる内容で、ひとつの集大成でありショーってものを見せてくれたって印象。きゃりーぱみゅぱみゅの現在地っていうか、そんな感じかなあ。

 それをやりとげたことで感極まったのか、アンコールで最後の曲に行く前に涙ぐんで声を詰まらせいろいろと嫌なこともあったし、グループでもなくアイドルでもないのに1人で大きなアリーナを満杯に出来るだろうかって不安もあって悩んでいたけどそれも最終日にこれだけ大勢の人が来て見てくれて吹っ切れたって感じなことを話してた。引退って訳じゃないけどツアーの次の予定とか発表になってないし、新曲なんかも今回は披露されなくって次の活動が実はあんまり良く見えていなかったりする。それだけに先への不安も漂っていたけど、前向きな気持ちを表明してくれたことできっと何か、新しいことを始めてくれるだろうって期待も浮かんできた。懸案だったイリュージョンも成功して早着換えも完璧に終わり、「ファッションモンスター」ではお尻まで見えそうな太腿にょっきりの衣装で歌ってくれた。そんな姿を見ればきっとこれからも、何か楽しませてくれるんじゃないかって期待が浮かんでくるけれど果たして。次に会えるのはいつかなあ、どこでかなあ。待とうその日を。ファンクラブ会員として。


【11月8日】 曇天で気温も低かったけれど、夕方からのイベントに合うようにとコートは着ず、タートルネックの上にイラスト入りのパーカーだけを羽織って、まずは今日が初日のデザインフェスタへ。携帯回りで何か面白いものはないかといった目で主に回ったけれど、まずはMATAってブースの名前で出していた人のiPhoneケースが目に飛び込んできて、近寄って見て驚いた。実に色とりどり。その上にどこかレトロな模様のもあれば、アメリカンな雰囲気のイラストもあったりしてと、バリエーションに富んだそれらは、海外の布地なんかを扱っているところから仕入れてきては、1枚1枚、使えそうなところをとってそれをiPhoneのハードケースに張ったものだとか。

 なおかつ上からコーティングも施してあって、手触りはしっかりとつるつる。はじめっからそれがイラストとして描いてあるような、プリントしてあるような気になってくる。でも1つとして同じ物はないその貴重ぶり。聞くとデザインフェスタは初めてで、東北の方で作り始めてイベントに出したり、ネットで依頼を受けて作っていたりするそうで、これを機会にあちらこちらのイベントで売っていきたいとか。もうとにかく美しくって格好いい。残念ながらiPhoneを使ってないから買えなかったけれど、もしも使っていたらら1つといわず2つ3つかって着換えさえたい気すら起こった。

 布張りのiPhoneケースといえば「noo−noo−non’s」ってブースも出していたけれど、ここは別にニットのポーチ風のiPhoneケースを出していて、ざっくりと編まれた袋なんかに入れて歩くと保護にもなるし、持ち歩いても楽しそう。別に外に見えなければいけない、ってものでもないからなあ。その意味ではリバティってところが出していたiPhone入れに使えるポーチなんかも良さそう。ストラップがついていてぶら下げられるんだけれど、それを長く連結っせることでたすきがけにして持ち歩ける。便利で楽しくそして優しいデザイン。こういう商品が出てくるからデザインフェスタって面白い。

 それを言うならどこだっけ、水滴がついたように見えるiPhoneケースを出していたところもあって、遠目にみると水がかかってしまったようで電子機器に水なんて! って驚いて近づくとこれが樹脂でそれっぽく作られたものだったという。巧いなあ、でもって格好いい。こういうアイディアもやっぱり1点1点手作りして、ひとつとして同じものがないけれどもそこに価値を見いだせる人が集まるデザインフェスタだからこそ、作って出せるし探して買える。一期一会の一点物。その面白さはリアルな場でのリアルなマテリアルでしか味わえないんだよ、デジタルでは不可能なんだよ。

 造形でもってケースを加工している人もいたけれど、造形師のそのやまあざらしさんって人が出していたiPhoneの音量を増幅して聞かせる台がなかなか良かった。見た目はアルミダイキャスト風だけれど、実はキャストで抜いて色塗って金属風に仕上げたもの。重厚感があって音も良さそうだけれど実際に、素材にいろいろと工夫を凝らして音がよく響くようにしてあるらしい。詳しくは内緒。でもただ形だけ真似たって訳でもないし、音を聞きながら操作もできるように差込を浅くするような配慮もしてある。作りながら考えて改良していった模様。サイズがころころと変わるiPhoneでありスマホに対応できるよう、差込口の幅を広げたこともそんなユーザーサイドに立った発想か。だからおれ、iPhone6plusでも使えます。

 ほかにもキノコのランプの相変わらずの格好良さを眺めたり、こちらはパンのランプだけれど造形ではなく本物のパンの中身をくりぬき外側をコーティングして腐らないようにした上で、LEDランプを仕込んでぼーっと光るようにしたものとかに感動したデザインフェスタ。パンはしかし最初は型どりしたのを色を塗って仕上げているかと思ったら、本物だったというから本当に驚いた。そういうことが可能なんだ。LEDの登場で熱とか気にせずいろいろなものを光らせられるようになったのが、今のこうした作品の登場を招いているんだとしたらうん、これもノーベル賞の恩恵ってことになるのかも。いや恩恵があったからこそノーベル賞が与えられたんだけれど。

 懐かしさを覚えつつ忘れ去られていることの哀しさと憤りから、もうちょっとだけ世間に知られて欲しいといった思いから、かつての音源なりテレビ主演の映像なりが動画投稿サイトにアップロードされているおんを探して、個人のツイッターなりソーシャルメディアで紹介してみせたりする行為が果たして、法律の上でどうなるかといった部分について詳細な知識を持ち合わせている訳ではないけれど、それがアップロードされている状況はおそらく違法であって、つまりはそういう状況にある動画を紹介することには、やっぱり少しの後ろめたさを覚えるというのが、人としてたいていの感情であって、けれどもそれを多くに広めて何か広告を得ようって訳ではなく、見せて購読料を稼ごうって訳でもない純粋な個人による発信を、世間は違法コンテンツを広めるなんてと非難に回ることはそれほどないだろう、一般的な社会通念として。

 もちろん個人だってだからオッケーなんだと胸を張って堂々と、違法アップロードされている映像なり音源を紹介して良いかというと法律的にはともかく、倫理的仁義的にいろいろと心にハードルを感じるというのが実際のところ。そんな疚しさと前向きさの入り混じった挑戦ともいえる行為を例えば、企業がどうどうと何のてらいもなくやっていいかというとこれはもう話が違ってくる。だってそれで何か対価を得るんだから。PVに対する広告なりトラフィックにたいする支払いなりを得る以上は、その根元に盗品があって良いはずがない。

 だって盗まれた絵画彫刻の類を展示して入館料を稼げる美術館なんてないでしょ? それといっしょ。けれどもそういう当たり前の感覚を、今のネット界隈のそれなりに名の知れた企業のトップ辺りに立とうとしている人たちが、持ち合わせてないのはいったいどういうことなんだろう。ゆとり教育とやらの弊害? それともアクセスこそ正義の価値観? 分からないけどでも、やっぱり誰にも教わってないってことがあるんだろうなあ、そういうことのいけなさを。もの心付いてこのかた、ネットが存在していたような世代、そこまでいかなくても、中高生あたりでネットを見始めた世代には、そこにあるものはオープンでフリーなものだという感覚が脳内に染みついてしまっているんだろう。

 テレビから録画して配ることも、雑誌から切り抜いて配ることも物理的に難しくまたどこかにヤバさも感じられたけれど、ネットにあるならコピーして貼るのもリンクを張るのも自由自在、というかそれがネットの良さであり面白さだと思い育ってきた世代に、それにも良いのと悪いのがあるんだなって考えはきっとお呼びも寄らないものなんだろう、だって教えてもらってないし、叱られもしてないし。だから平気でやってしまう。

 今はまた、そこにアクセス数があれば正義だという環境も加わって、何でもかんでも引っぱってきては載せてアクセス稼いで万歳な人が出て来ているといった感じ。それを当然と語ってしまって、事情を知る真っ当な人から文句を言われ、気づくかというと何が悪いと開き直る。あるいは気づかないまま行ってしまう。そんなバイラル界が生まれ育とうとしている未来に真っ当な自分で探して掘って書いて流すコンテンツアグリゲーターは生まれ育つのか。育たないよなあ。お金回らないし回さないし。そしてパクりパクられの同じネタがグルグル回るネット界ができあがる、と。やれやれだ。

 さても時間になったんで代々木第一体育館へと回ってきゃりーぱみゅぱみゅのアリーナツアーの東京ファイナル。すでに1回幕張メッセで見ているから、ライブの構成とかは分かっていたけどでもやっぱり良い曲は何度聞いても良いものだ。聞くと速着換えなんかミスも出た開場があったみたいだけれど、東京は幕張と同様にちゃんと巧くいって綺麗に衣装が替わってくれた。練習したのかな。でもってやっぱり「ファッションモンスター」の衣装はエロい。短いスカートの下にスパッツめいたものは吐いているけどでも、にょっきりと伸びる脚がどうにもエロいのだった。間近で真下から見たらどんな感じだろうか。でも遠巻きでもやっぱりエロいので今晩はそれを思い出しながら眠るとしよう。首4の字とかかけられたいなあ。


【11月7日】 motsuさんだよなあ、って思ったのは朝方に「妖怪ウォッチ」の再放送がやっていて、そこで最近流行っているとかいう「ゲラゲラボーのうた」を聴いて、響く男性ラッパーの声があの、田村ゆかりさんの名曲「You & Me」で叫んでいる男性ラッパーの声と同じだったから。いつかのアニサマで見て伝説の横浜アリーナでの大合唱とかもブルーレイディスクで見返して、そしてアニサマで再会してmotsuさんというラッパーという名と声を刻んだ耳と身に違いはないと思って調べたら、やっぱりそうらしかったという。一応プロフィルは秘密みたいだけれど、そもそも「ゲラゲラボーのうた」の作詞がmotsuさんって時点で、これはもう決まり。あの売れ行きだと結構な収入にもなっているんだろう。すごい人になってしまったなあ。

 だって今や国民的歌謡。番組を見てないから実感はないけれど、普通一般の子供がいる家あたりだとそれこそ「ちびまる子ちゃん」の「おどるポンポコリン」が大流行した時に匹敵するくらいの、アニソンが家庭に入りこんで一般化している状況だと感じているんじゃなかろうか。まあフジテレビで夕方に放送されて桁違いの視聴率に視聴者数を叩き出していた番組と比べると、浸透の度合いも狭いだろうけど今という個性化の時代にここまで多くを惹きつけているのは、むしろ逆にすごいかもしてない。このまま行けば紅白歌合戦への出場も間違いないって意見もよく分かる。ゲーム原作のアニメの主題歌で大丈夫? って思わないでもないけどアニソンが普通に出ている時代だ、きっと大丈夫だろう。

 そこで見る夢は、いつもだったら水樹奈々さんだったりするアニソン枠が今年は田村ゆかりさんになって、いろいろなメドレーを歌った最後に「You & Me」と歌ってそこにfeat.motsuって感じにmotsuさんが絡んでラップを披露し、チェッケラッチョと締めたその流れでキング・クリームソーダに加わって、「ゲラゲラボーのうた」とかを披露し始めるって演出的な流れ。世間がアニソンでは水樹さんしか知らない状況をこれで田村ゆかり姫もいるんだと分からせられる上に、「ゲラゲラボーのうた」もしっかりとかけられmotsuさんも紹介できる。見て楽しくファンとして嬉しいこの流れが実現するかというと……無理かなあ、やっぱり。世間は水樹さんしか知らないものなあ、ほっちゃんとか出てくれないかなあ。

 とりあえず気になるのは所ジョージさんがまた、バズ・ライトイヤーの声を演じてくれるかってところでストーリー自体が感動的なものになるのは分かり切っているんで、あとはちゃんと完成するかどうかってところにかかってくるんだろう「トイ・ストーリー4」。というかいったん決着をつけたストーリーの続きをどうやって描くんだろう。まあそういうところは脚本の巧みなハリウッドだけに、しっかりとつなげてまとめてくるだろう。というか僕、「トイ・ストーリー」は2まで見てたけど3はまだ見てなかったよ。これを機会に見てみるか。でもって泣くんだろうなあ、所ジョージさんのその木訥なバズの声に。唐沢寿明が巧いのは分かってるし。三ツ矢雄二さんもちゃんと出てくれるかな。

 一方で「スター・ウォーズ」も最新作のタイトルが発表になってて何か「STAR WARS:The force awakens」ってのになる見たい。英語不得意なんで意味が分からず調べたら「スター・ウォーズ フォースの目覚め」ってことらしいけどとりあえず第6章でイォークたちとともに革命に成功して悪の皇帝を倒したあとの世界を描くストーリーになっているなら、フォースの目覚めはルーク・スカイウォーカーからもたらされるってことになるのかな。でもレイアはハン・ソロと結婚する訳で置いていかれたルークはたったひとりで引きこもりになって生涯を隠者としてまっとうするんだっけ違ったっけ。そんなスピンオフ作品が公式で出ていたかは知らないけれど、復活したジェダイからフォースが生まれたその果てに起こる騒乱か何かを、描いていくことになるのかな。いずれにしても楽しみ。やっぱりケニー・ベイカーがR2−D2に入るんだろうか。

 天気も今ひとつだったんで行けなかった早川書房は1階のクリスティーで営まれているPKD酒場だけれどうん、行くならやっぱり肉体を鍛え上げた上でスパッツいっちょうになって肩口に白い鳩を抱えてはいって行きたいなあ、上気した声で「ホッ! ハッ!」とか叫びながら。いやそれをやると流石に変態扱いされるか。だったら神田駅あたりからずっとバク転でもって早川書房まで行ってドアを蹴破って入っていくとか。それも迷惑か。あんまり楽しそうな格好ではいけないなあ。というか映像っていうとやっぱり「ブレードランナー」が浮かんでしまうフィリップ・K・ディック作品。「トータルリコール」ででぶちんのおばさんの顔が割れていくシーンとか名場面だけれどちょっと真似できないし。他に何かあったかなあ、PKDコスプレ。

 地上波で放送されていた「ファッション通信」はなぜか欠かさず見ていたなあ、メンズというよりレディースが多くてブランドもパリミラノロンドンニューヨークといった海外が中心だったけれど、そんな中に出てくる老舗のオートクチュールからまだ若いプレタポルテまで、さまざまなコレクションを見てブランドの名前を覚えていったっけ。どれもまだ若かったけれどもそれも四半世紀とか過ぎて超大御所になっていったし、中堅だったデザイナーがメジャーのオートクチュールをデザインするようになったりと進化も楽しめた。でも地上波の放送がなくなってBSジャパンに移ってからは見る機会もなくなって、解説に出ていた大内順子さんの明快な解説を聞くこともなくなっていた、その大内さんが死去、80歳。日本のファッションジャーナリストの草分けであり、なお第一人者だった方の訃報を受けてこれから、何を頼りにしていけば良いんだろう。ファッションってまだまだ求められているんだろうか。久々に見たくなって来た「ファッション通信」。ネットで流さないかなあ。

 「YES!」って内心叫んでしまったソノシー・マクラーレンのイエローラインでのゴールシーン。あそこを観たいと何度劇場に通ったことか。でもいつか終わってしまう上映が再び行われるとあって満を持して抽選に応募し見事に当たってバルト9という素晴らしい舞台で今日、何度目かになる「YES!」を観ることができたよ。「REDLINE」。その監督の小池健さんが「Lupin The Third 次元大介の墓標」で監督をして、そのブルーレイディスクがもうすぐ出るってんで記念に「REDLINE」と合わせての上映会。最初に「次元大介」が流れて劇場に前に観て堪能したそのクールでハードなルパンと次元の関係が、やっぱり最初の「ルパン三世」のそれもおおすみ正秋さんが演出していた時代をリスペクトしたものだって石井克人さんから聞かされて、やっぱりなあと思ったという。でも実はそれって3話くらいまでしかないんだよね、後は宮さんが入って後半がらりと変えてしまったという、そんな昔話。

 何で石井克人さんがいたかというと、実は「次元大介」でもアドバイザー的に関わっていたからで、音楽のジェイムズ下地さんも交えてトークイベントがあったあと、抽選会があってすぐ隣の人にソノシーと峰不二子のイラストが描かれた色紙があたったけれども来ていなかったという。勿体ない。きっと一生を悔いるだろう。っていうか欲しかったよソノシー。でもいい僕のソノシーはやっぱり大きなスクリーンで満面の笑みを浮かべて「YES!」と叫ぶところだから。そんな「REDLINE」を大きなスクリーンで観たのはいつ以来になるんだろうなあ、今回はフィルム上映ってこともあって柔らかい色調でもって観る身を包み込んでくれた。そして何よりデカい画面でデカい音響で観て聞くその爆音、その疾走。迫力たっぷりのカーアクションに心掻き乱されるラブシーンが眼前に迫り全身に覆い被さってくるその感動は、劇場でなければ味わえない。次もまたあるか分からないけれど、機会ある限り頑張って通おう。そして叫ぶのだ「YES!」と心の中で、ソノシーといっしょに。


【11月6日】 前のをすっかり忘れていて、どこがどう書き換えられて書き足されているのか分からなかったけれど、月村了衛さんの「機龍警察[完全版](早川書房)を改めて読んで、最初から本当に警察の大変さ、組織のどうしようもなさって奴を描いていて、その中で本当の正義のために苦闘する者たちを描いていたんだなあ、ってことが改めて分かって来た。沖津って特捜部長のその筋金入りの正義感。他の組織とは馴れ合わず縄張り争いなんて無駄なこともしないで冷静に、時に冷徹に現場を指揮して部下を動かし、捜査を勧めていくその態度の、根っこにいったい何があるのかが、ますます知りたくなって来た。

 同時に、そんな警察の内部で沖津たちとは違って、日本という国をどうにかしてしまいたいと画策する勢力の存在が、改めて分かってきたことも。千葉で突入するという情報を上に漏らしたのは誰か分かっているけど、そこから先、誰がわざと現場が失敗するかもしれない状況を作り出そうとしたのか。単純に沖津を失脚させたいだけならまだしも、事件を起こさせたい、成功させたいって意識すら見えるその中心にいる者は、あるいはある物は何なのかはまだ、シリーズを重ねていっても見えてこない。

 一所懸命に迫ってはいても、追いつけないその敵の存在は果たして、沖津を排除にかかるのか、それとも取り込むのか。果てに沖津はいったいどういう態度をとるのか。「ワイルド7」の草波隊長のような、権力の内部で獅子身中の虫となって、仲間を全部見捨ててでも正義の刃を研ごうとするなら、それはそれで凄まじい正義感だけど、それだと機龍警察の面々に「魔像の十字路」のような最後が舞っているからちょっと心配。姿は八百みたいにドラグーンの中で逆さ吊りになって死に、ユーリは盾となって立ちふさがって仲間を逃がしつつ立ち往生。そしてライザはひとり逃げ延びるものの、ヘリコプターから身を投げ花を咲かせる、と。そんな悲劇にこの国を誘うのか、それとも敵を暴いて引きずり出すのか。続きが早く読みたい。短編集の次、長編が出るのはいつだろう。

 噂には聞いていたけど、実物を見ていなかった蒲田の東急ストアの屋上にある観覧車を確かめに蒲田へ。途中天下一品でサービス定食を食べて、ラーメンのスープのこってり具合に満足してから、屋上へと上がるとちょっぴりの小雨の中でもしっかりと観覧車が回り、子供連れが来て楽しんでいた。外国人の姿が見えなかったのは、鎌谷まだこうしたイベント的に楽しいものがあるってことを知らないからなのか。お台場とかだと本当にいろいろな場所にいて、親子連れとかで歩き回って楽しんでいるから。観光スポットになるならそういうところに情報が行かないと。でも地元の人がちょっとした憩いの場として利用するなら、今のような静かな感じが良いのかな。

 運営しているナムコにとっては、木馬を置いたりしてアミューズメント事業を始めた創業の地でもある蒲田だから、観覧車の再建にある種の思い入れもあったんだろうけれど、一方でリアルな場所でリアルな体験をすることを、少なくない人が求め始めているという昨今に、時代遅れが何周か回った時代の中にあって、格好悪くないものとして屋上の観覧車ってものが位置づけられるようになって、それに載って楽しむことが大人にはゆとりとなり、子供にもフレッシュな体験となって刻まれるようになっている。そんな状況を見越してあるいは、今という時代に屋上観覧車を作ることを、運営の側にも、テナント主の側にも決断させたのかもしれない。決して高い物ではないけれど、乗ると遠くまで見えそう。今日は乗らなかったけどいつか乗ろう。そんな屋上のテーブルで雨の中、書類を広げて会議していたあの人たちは、いったいどこの会社の人なんだろう。気になった。ワイルドだなあ。

 ついにというかあの世界的建築家の磯崎新さんも、物言い始めた新国立競技場問題。とりあえずあの場所に相応しいかどうかは別にして、当初のザハ・ハディド案については評価しているようで、そのダイナミックなフォルムを気にいっていたようだけれど、それが改正されて現れたデザインは「まるで列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿」だと、最大限の罵倒を投げかけているのが面白いとうか、半ば当然というか。似てまるで違う物になっているもの。あんなスタジアムが作られたらそれこそ東京は「粗大ゴミ」を抱え込むことになるって磯崎さん。厳しいけれども確かに妥協した折衷案みたいなものを、これからの半世紀に東京の、というか日本のスタジアムのシンボル的な物として残すのは、どうかって気がしないでもない。

 だから磯崎さんは、場所に相応しくないならないで、ザハ・ハディドにもう1度あの場所にマッチしたデザインをしてもらうのが良いんじゃないかって言っている。デザインそのものを採用するんじゃなく、デザインした人の才能を採用しようよっていう案は、なるほどひとつのアイディアであって、それで例えば計画が遅れたとしても、半世紀に及ぶ禍根を残すよりは、ずっと良いって気がしないでもない。じゃあ開会式はどこでやるんだ、って話で、それを二重橋の皇居前広場でやってしまえばってアイディアがまた凄まじい。スペースは十分で、そこに仮設のスタンドを建てて皇居を仰ぎ、江戸城をのぞきつつ行う開会式のスペクタクルは、妙に近代近代したスタジアムよりよほどすごいものになるだろう。問題は宮内庁が許すかだけど。

 まあ許さないだろうし、国立競技場の案自体も改訂されたどん亀が作られ、あそこに鎮座ましますんだろうなあ。別に建築オタクでもないから、作られたスタジアムが使いやすければそれはそれで十分って思うんだろうけれど、でも生まれる1年前に建てられた前の国立競技場の美しさなんかを今に思い、今も立つ代々木体育館の斬新さなんかを今に感じるに付け、すごい建築をそこに作って永遠に語り継がれるようにして欲しいって気もやっぱりある。中途半端はやっぱり良くないってことに、偉い人が気づいてくれればいいんだけれど、とてつもなく偉い磯崎さんが言っても、槇文彦さな言っても誰も聞かない世界ではどうしようもない。安藤忠雄さんが言ったら……言わないか、当事者で、そして語らず逃げている感じだし。やれやれ。

 たぶん、JOCが言っていることが本当で、そこにちゃんと話を聞いて状況を理解していれば、敵の敵は味方だという意識でもって水泳選手を持ち上げつつ、韓国非難の言葉を吐いてあとで無様なことにならなくても済んだんじゃないのかな、って思わないでもないけれど、とにかくひとつのことしか見えない目なのか、そのひとつのことだけやっていればちやほやされる環境なのか、韓国憎しを根本において、そこに逆らう者はすべて正義認定してしまっている。その結果が何ともいえない空虚感って奴を漂わせてしまう事態をもたらしている。どうするんだ? って言ってもあの国ならやりかねないから、って言葉でもって貫き通すんだろう。それが“社是”だから、どこかの何かと似て。やっぱりやれやれ。


【11月5日】 弥永和子さんと聞いてすぐにあああの声だと思い出せるくらいの声優マニアではないけれど、「装甲騎兵ボトムズ」でファンタム・レディことフィアナを演じていた人だと聞くとあの萌えとは一線を画したおちつきのある凛として知性も漂う声を演じられる人だなあといった思い出が浮かぶ。アニメーションというより洋画の吹き替えが似合う人というか。実際にシガニー・ウィーバーのような理知と強靱を併せ持ったような声を演じたりして評判を取っていた声優さんが死去。惜しいし残念というより他にない。ご主人は真田さんを演じた大塚芳和さんで、その落胆が気にかかるけれど今も現役でなおかつ油も乗った演技を見せているだけに、その想いを引き継いで良い演技を聞かせていってくださいとお願いしつつ、弥永さんに合掌。

 やっと見た「弱虫ペダル」は御堂筋くんがインターハイ2日目の敗北ですっかりやる気をなくして自転車漕いで京都まで帰ろうとしているところに現れた小野田坂道。ぴったりと寄り添い何を聞くかと思ったら量産型って知っている御堂筋くんはアニメが好きなのといった話で当然「キモッ」と振り切ろうとするものの離れずそれなら競争して負けたら何でも話すと行って始まる短いレースの途中、御堂筋は小野田が笑いながら漕いでいることに気づいて自分もかつて笑顔で自転車を漕ぎながら母親が入院していた病院へ通っていたことを思い出す。そして……。

 ちょっと良い話。そして胸に響く話。忘れ居てた走る理由を思い出した御堂筋が最後の日にいったいどんな走りを見せるのかが気になるし、そんな御堂筋を目覚めさせた小野田がどれだけの走りを見せつけるのかにも興味が及ぶ。もちろん王者・箱根学園にも、ってところに現れた広島呉南工業高校のメンバーたち。どれだけのアクシデントがあっても6人全員が残ってくる幸運なのか悪運なのかをひっさげ挑みつつ寒咲幹ちゃんの胸を揉み……はしなかったけれどもその大きさをしっかりとクローズアップする引き立て役を演じてくれた。ありがとう。もう良いからしっかり噛ませ犬を演じて小野田と真波山岳との勝負を盛り上げてやって下さいな、ってそうなるんだろうか、どうなるんだろうか。

 せっかくだからと吉祥寺まで出向いて蔵みたいなギャラリーで「手塚治虫の美女画展」ってのを見る。といっても直筆なのは3枚だけであとは複製されたもの。それでも筆致はくっきりと出て写植もちゃんと張ってあったりするから見ても違いは分からないし、むしろ古いものよりも色味がちゃんと出ていて手塚治虫さんの絵の凄さって奴が伝わってくる。とはいえやっぱり直筆には直筆なりの良さもあって塗りの濃淡なんかが見えてああこれは神様が塗った後なんだなあと思えてくると涙が出てきた。アシスタントが塗ったかもしれないけれど。線もしゃっと引かれて女性のラインの艶めかしいことたるや。好きで描いてたんだろうってことが分かって良かった。とくにおっぱいとか。乳首なんかも。

 聖人君子でヒューマニズムの手塚治虫には珍しい美女画か、っていうと作品を読んでいればエロティックな絵も描けば残酷な漫画も描く手塚治虫さんには珍しくもない、むしろおとなしめの綺麗な美女画っていった感じ。だって「やけっぱちのマリア」とかって生殖の話とかバンバン出てきてエロいし「きりひと賛歌」にも「MW」にも陵辱とかの場面は出てくる。そういうシーンを見れば「奇子」のエロティックなラインはまだ普通に見えてしまうくらい。つまりはそれくらいの漫画家だったてことで、これを機会にそうした方面での凄さって奴を改めて世に見せる展覧会をもっと大きな規模で開催して欲しいかもと思った次第。引き出しから発見されたというエロさ炸裂の絵なんかもいっしょに飾って。今回のは違うよね?

 吉祥寺ではCoCo壱番屋に入って最近お気に入りの海の幸を混ぜつつ上にはトンカツという海と山とがごちゃごちゃになったトッピング。まあでも夜にほとんど食べないようにしたんで昼はガッツリと食べないと体が持たないんでカロリーは気にせず値段もなまり気にしないで書き込む。これでレシートをもらい応募すれば7通目くらいになるんだろうかSKE48への投票は。当たれば公演が見られたりポスターがもらえたりいっしょにカレーが食べられたりするんだろうけれど、そんな幸運はまずないだろうから参加することに意義がある的な動きでとりあえず期限ぎりぎりまで機会を見つけて食べ続けよう。でも毎回同じトッピングってのもなあ、トンカツかハンバーグかメンチカツかチキンカツかエビカツがビーフカツでソーセージだったりチキン煮込みだったり野菜だったり海の幸だったり。それでも掛ければバリエーションになるけれど何とはなしに挑んでないものが多い気がする。そういうものだよなあ、好きっていうのは。明日こそ違うのに。納豆? はちょっと遠慮。

 京都大学に警察の人が入りこんで学生たちに見つかって学校側にも事が知れていろいろと聞かれてそして自治権への挑戦だといったコメントが出たりして大騒動になってたりするけれど、それで取りざたされたのが東大ポポロ事件という劇団の公演に警察の人が紛れ込んだか何かした事件であって、学校内に警察の人が立ち入っては捕まり監禁された愛知大学事件についてはなかなか触れられなかったというところに、田舎の私立大学の全国区的な知名度の無さというものを感じてみたりする秋も半ば。この事件を撮影して写真という者が持つジャーナリスティックな要素に気づいてプロへと歩み傑作を物にした東松照明という写真家がいるのに、世間ではまるで知られてないんだよなあ、愛知大学。薬師岳の遭難ですら話題にならないし。これでよく地方私大壊滅の危機をしのいでいると思うけど、それなりなブランド力は地方ではあるからまだ持っているのかも。いずれヨナクと天野純希が出た学校として讃えられると良いけれど。酒見賢一さんは最近あんまり聞かないし。


【11月4日】 あ……ありのまま今起こった事を話すぜ!「11月に入ったと思ったらもう4日になっていた』。な……何を言っているのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからない。頭がどうにかなりそうだ。催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わってるぜ……。って叫びだし択なったカレンダー。振り返って何をやっていたかというと東京ヴェルディの超電磁砲を見てKalafinaを見て横浜トリエンナーレを見て神保町ブックフェスティバルなんかを見て原稿を仕上げてぐっすりと寝たりしているから、しっかり堪能はしているんだけれどそれでも3日があっという間に過ぎて、11月の残りが少なくなっているというのはやっぱり速すぎる。どこかで調整しないと次の締め切り次の次の締め切りが……。寝ないで頑張るしかないかなあ。10時間は寝過ぎだよなあ。

 そんな朝から呼ばれて飛び出て久々にホテルオークラ別館へ。昔は記者発表とか業界団体ののパーティなんかに呼ばれて行っていたけれど、最近はとんとご無沙汰で入り口からどうやって上に上がるか忘れてしまっていたのをどうにか思い出して、会見場へと入ってリリースとか読んでどうやらアマゾンとローソンが連携を深めるって発表だと理解する。でもこれまでだってアマゾンで注文した物をローソンで受け取れなかったっけ、って思ったら今回はその受取までの時間を大きく短縮するというものだった、ひとつは。ロッピーに打ち込んで引換券みたいなのをプリントしなくて済むという、それだけで1分とか慣れないと2分とられていたからなあ、あと番号とか控えておくのが面倒で出直して来たりってことがロッピーの場合はあったりする。それがなくなるだけで利用してみようって気も少しわいてくる。近所にローソンがないのが最大のネックだけれど。

 もうひとつはまだ静岡だけだけれど、ロッピーの端末でもってアマゾンの商品を注文してローソンで受け取れるようにするってもので、電話を使ってオペレーターを話して商品を探しても良いし、店頭にあるQRコード入りの商品カードを使って入力して商品を選んでもいい。いずれにしてもパソコンとかスマートフォンとかネットを使う環境にない人がアマゾンから商品を買えるにようになるってことで高齢者には嬉しい話しだし、学生だって便利になる。あともうひとつ、アマゾンを使ってクレジットカードで決済をしたくないって人もこれは結構使いで出があるってことらしい。僕なんか平気でアマゾンからマーケットプレイスも含めて利用していたりするけれど、心配な人にはそれが心配らしくクレジットカード情報をどこかに送りたくないという。

 店頭ならクレジットカードはいらないし現金で決済できるし商品だって数日後に同じ場所で受け取れる。漏れる心配なし。そういう人向けに結構利用されていきそう。問題は静岡だけってことでいずれ全国に広がって、それを使う人が増えたらロッピーの端末の前にオペレーターとの対話を待つおじいちゃんのばあちゃん学生さんにオンラインショッピング嫌いが行列を作ってロッピーの利用をせき止めそう。今でも端末空くのを待つのが面倒って感じもあるだけに、そんなあたりをどうするか。どうにかオンラインで注文した人を端末の前から引き離したのに、新しい利用者が増えては意味がないから。いっそアマゾン専用端末を置くとかするとか。それか台数を増やすとか。いずれにしても利用を見ながらだろうなあ。どんな利用がどれだけあるんだろうか。気になる。アマゾンのジャスパー・チャン社長の10数年前とまるで変わらない姿と同様に。玉塚さんは老けておっさんになったというのに。まさかデジタルでできているのかジャスパー・チャンさん。

 そうか東北に行くのか吉祥天女像。薬師寺にあって国宝とされている有り難い絵画で薬師寺ですら公開時期が限られているそれが、仙台市博物館で春から初夏にかけて開かれる展覧会に出展されてはその期間中、ずっと見られるようになるらしい。前にも薬師寺の展覧会で東京国立博物館なんかに出向いたことはあったそうだけれど、東北という震災を経て復興に向かい苦闘を続けるその土地に、癒しをもたらし亡くなられた方への弔いをもたらす吉祥天女像のお出ましは、きっと多くの人の歓待を受けるに違いない。そうでなくても東北では初の披露なだけに誰も見たいって思うだろうなあ、東京とかに比べれ薬師寺はやっぱり行きづらいし。他にも国宝の「聖観世音菩薩立像」とか重要文化財の「地蔵菩薩立像」「弥勒菩薩像」等々がお出ましになるみたい。東京にいるけれどこれはちょっと見に行きたいかも。震災からこっち足を踏み入れていないけど、こういう機会にやっぱり見ておこう、その土地の過去と今、そして未来を。

 ネーミングが何かおっさんくさいというか直木賞という制度自体がおっさんくさいというか、そんな制度を権威のようにあがめて高校生たちが何も候補作を読んで自分たちの直木賞なんて決めなくってもって思うんだけれど、でもやっぱり何かするには権威にすがるのが1番手っ取り早い方法だから仕方がない、ってことで始まるらしい高校生直木賞は今年の夏と来年早々の冬の候補作を並べて高校生が投票して討論も行い自分たちの直木賞とやらを決めるみたい。それはまあ悪い話じゃないけれど、そもそもが候補作としてあがってくる夏冬合わせて10数作は、編集者のおじさんおばさんが選んでこれはおじいさんおばあさんも含んだ選考委員に受けるんじゃないのって感覚から残したものがだいたい。それを10代の高校生が読んで選んで面白いの? ってのが率直な感想だったりする。

 それよりも高校生の彼女たち彼らにとって直木賞なる権威にあげるに相応しい、そして権威を破壊する可能性すらある本を選んでぶつけるのが、イベントとしても楽しければ意義だってあるんじゃないのかなあ。フランスには高校生ゴンクール賞ってのがあって高校生が選んでいるのが元ネタだそうだけれどそれは純文学というエンターテインメントとはちょい違ったカテゴリーの作品が候補で、なおかつ第1次の候補作から選ぶってことで選択肢の幅もある。対して高校生直木賞はエンターテインメントという特定の年齢層にはヒットしそうだけれど敷衍させるには難もあるカテゴリーでもって割と上の年齢層に受けそうな本が並ぶことになる。読んで楽しくもない本を読まなきゃいけない高校生。嬉しいのかなあ。大学読書人大賞はこの点、自由に大学生が選んで並べて投票して上位を選んで議論して選ぶから割と彼らの今の気分が反映されやすい。時にライトノベルとか上がったり評論挙がって大学生がって言われるけれど、でもそれが大学生なんだよ今の。だったら高校生はなおのこと、高校生であって欲しいんだけれどこれでは……。とりあえず米澤穂信さんが残ることを祈ろう。

 眠たい横で中国人が大きな声で喋っているのを密漁の相談かと揶揄したり、台風が来たらどうぞ中国漁船は沈んでくださいと嘲ったりする言葉を、それなりに名のある人たちが公とも言えそうな場で平気で放流してしまえる空気が僕は嫌だ。なるほど実態は密漁かもしれないけれど、それは確定ではなく、日中漁業共同委員会の了解の枠内で操業しているだけかもしれない状況で、未だ政府は動かず官憲も動いていない事案に対して、頭から犯罪と決めつけ、犯罪者は死んでも良いと平気でつぶやいて、それにやんやの喝采が起こる言説的な空間ができてしまっていることが、僕にはどうにも恐ろしい。そんな空間を言葉を生業にしている人たち、人に何かを伝えることを仕事にしている人たちが使って平気な状況が、僕にはどうにも悲しくて仕方がない。何かことがあったらそんな言葉たちに引かれ煽られ、本当に虐殺が起きて不思議はない。そんな空気が漂い始めているのにどうして今なお罵倒を、嘲笑を吐いて煽れるのかが分からない。本当に分からない。分からない。


【11月3日】 世田谷ナンバーに変えられそうになった品川区民が「品川というブランドがー」と言っていたって話を聞いてそんなに凄いんだろうか品川区、って思っていたら何か昨日はマンホールの蓋がドドドンドンと爆発によって空中へと吹き上げられ、さすがは品川区連日が特効にあふれたテーマパークなんだと理解。そして今日は今日で羽田空港への進入が海側からだけだと滞るってんで、都心部を抜けてジェット旅客機が着陸するルートってのが作られそうで、渋谷から目黒区あたりを飛んでそして品川区の上空で500メートルって東京スカイツリーより低い場所を飛ぶ可能性も出たみたい。

 さすがは品川区、子供たちが大好きなジェット旅客機を間近にながめられる環境が整ってこれでパイロットになろうって子供も増えるんじゃないかと思ったという、そんな連休最終日。っていうか、さすがに時期が限られるとはいえこれはちょっと拙そうで、上空1000メートルあたりを飛んでいたって結構な轟音が響いていたのを田舎に住んでいた時に見知っていたんでそれが東京スカイツリーより低いところを飛ばれたら、結構な騒音が響いてくるんじゃないかってまずは考える。

 なおかつ墜落とかが起こってしまった時の被害の甚大ぶり。まあそれくらいの高度だったらまだ安定して本当に危ないのは空港に近づいた時とあとは離陸の時だから、ナーヴァスになる必要もないとは思うけれどもやっぱり上空を金属と肉体のカタマリに行き来されるのってちょっと気持ちとして落ち着かない。ああでもブランド区たる品川はそうしたテクノロジーのカタマリを文化の象徴として歓迎して見上げ讃えるのかも。是非に羽根の下に品川で始まる機体番号をプリントして誇って欲しいとか言ったりして。言わないか。

 プログラムに過ぎない人格に優劣なんかを見て30はいたメイドのアンドロイドたちから自分に愛を抱く1体だけを選んで残して放逐してしまった男の鬼畜ぶりに少し憤ったけれど、そんな彼でも残された1体と、そして放逐しながらもまだ彼を主人として認めながら必死で働きオイルを買って生きながらえていたアリスと呼ばれるアンドロイドの間に自分を愛する気持ちの差なんてなかったんだと気付いて連れ戻そうと動いたからとりあえず緩そう。

 それすらもプログラミングに過ぎないと言えば言えるんだけれど、そこに情愛があると感じられればそれは立派に人と何ら遜色のない情愛で、あとはだからそれを受け止め相手を愛する気持ちを生み育んでいえば良いだけのこと。そこからアンドロイドと人間の間に理解が生まれ感情が行き交い親しみが沸いて同じ感情を持った存在として、並んで生きていけるようになるのだから。なんてことを考えさせれらた伊吹契さん「アリス・エクス・マキナ02 囚獄のトロンプイユ」はいなくなった1体のアリスを探して欲しいと女性が探偵事務所に依頼に来て、金に強欲な探偵は引き受けたもののその助手が働く羽目となる。

 まだ若い新米の助手はアリスのことならアリスがよく知ると考え駅でアリスを相手に聞き込みを繰り返す。怪しまれながらもだんだんと手がかりめいたものを掴みそれをもとに調査していった先にあったのが、とある富豪とアリスたちとの関係で、そして乗り込んでいった若い探偵助手の前にアリスという存在をただ愛玩用のロボットとしては見ない心性の在処が浮かび、探偵助手自身もアリスへの感情をだんだんと育てていく。前巻で行方知れずとなった1体の、不幸な生い立ちを持ち幸せな出会いを経ながら悲しい離別を経て過去を自分の手で始末にいったアリスの物語から直接ではなく間接的につながった物語。果てに再び見えたそのアリスの行方から、いったいどんな悲劇が紡がれるか。それとも幸せは見つかるか。03が待ち遠しい。

 仕上げる原稿があったんで日本橋に出て上島珈琲店でちゃかちゃかを仕上げてから京橋を経て銀座へとむかう途中のらんぷ亭で「ハンバー牛」というライスのハンバーグがのり牛丼の頭が乗って目玉焼きも乗った子供大好きなご飯をかきこみ、銀座では広島のアンテナショップに入って「ゆかり」ってふりかけがペンに入ったタイプのものを探したら売り切れていた。人気だなあ。かといって広島カープのかつを買うほど財布もお腹の余裕もないんで遠目に眺めてから、有楽町線で永田町で折り返して神保町へと出てブックフェスティバルをざっと眺める。特に昨日と変わりなし。留萌から来ていたあのゆるキャラは何だっただろう。今日ここにいるってことはゆるキャラグランプリには呼ばれていなかったってことになるのかなあ。でも多くが言ってたってことか。まるで出雲だゆるキャラグランプリ。ゆるキャラ無月と呼ぼう開催月を。

 でもって成長していく物語に描かれる高校2年生ってものについて考えようと誉田哲也さんの「武士道セブンティーン」とかあずまきよひこさん「あずまんが大王」の小学館から再編集されて絵柄も直されて出た2年生編なんかをペラペラ。出会いがあって交流が始まって緊張もあって山場を越えて親しくなってそして始まる友情の季節、ってのが1年生にあるとしたらその流れとなる2年生ってのはいろいろと楽しくもあり難しくもある年、なのかも。慣れた関係が続いていってそれが惰性からいささかの軋轢も生んだり友情とは違う恋情が入りこんで関係にヒビが入ったり。一方でさらに強まる友情もあったりしてとパターン化されない流れの中で、どうやって描くかに誰もが苦労する、ってことになるのかな。

 なにしろ事件が少ないからなあ、2年生って。入学式からオリエンテーションを経てすべてが初となる1年生、受験があって退部もあって卒業という山場も控えた3年生の間にはさまる2年生は、行事面では1年生の繰り返しになって新鮮味がなく、大きなイベントも少なくってどこに変化を捉えて描いて良いかが見えてこない。部活をやっていれば中心になるんだけれど、責任もあって自由きままには振る舞えない2年生の苦労を描くとどうしても厳しく辛いものになってしまう。そんな2年生を先達達はどう描いてドラマに仕立て上げてきたのか。そしてその物語はどう描いているのか、ってあたりを比べつつ重ねながらちょっと考えていこう、その紹介の仕方を。他にもあるかなあ2年生物。多すぎてもバラけるんであと1つくらい。「ちはやふる」とか「けいおん!」とか。


【11月2日】 新潮文庫nexから怒濤の新刊攻勢でお金の尽きかける中をどうにか拾った里見蘭さんの「大神兄弟探偵社」(新潮文庫nex)を読んでみた。神楽坂で茶室の傍ら探偵やってる双子が主人公という設定に、今どきのライトノベルと一般文芸との境界線上に良くあるゆるゆるとした日常の事件を解決していくストーリーか、それとも東京の街に潜む非日常的な妖異に挑むストーリーかと思ったら、ハードボイルドにサスペンスでアクションだったのでちょっと驚いた。というか面白かった。

 彼女の姉が20億円もの絵画の盗難に巻き込まれて犯人扱いされているというという青年が、探偵を訪ねて行って冤罪を晴らして欲しいと頼んだら、3000万円を要求されてそれは払えないとなって、だっただら事務員として仕事をしろと言われてそのまま働き始めるという展開の先、政財界を牛耳って暗躍する悪徳画商がいてマフィアを相手に弾丸飛び交う激戦があってヘリコプターが東京上空を舞い高層ビルの外壁を伝って侵入するアクションがあって、そして最後に伝説の茶の湯の神秘が炸裂してた。いったいどういう話だ。

 だからそういう話としか。探偵自身も茶会を開くけれどもその祖母が家元で何かとてつもない秘密を秘めていそう。あるいはとてつもなく長い時間を経て構築され、洗練された茶の湯という作法そのものが、人に懺悔を促し浄化を進める一種の神事として屹立しているのかもしれない。それは作法を知る者にとってはプレッシャーであり、知らない者にも癒しと導きを与えるという。よく分からないけどそんなことも感じさせられる1冊。探偵に調査を依頼する青年の逃げ出した父親が10数年もどこで何をしていて、そして唐突に現れ再会を果たす展開とか走り過ぎな感じもあったけど、そういう突拍子のなさもひとつの魅力。探偵があって茶の湯があってといったレイヤーが今後の事件でどういう働きを見せるのか。そんな楽しみも感じながら続きを読んでいきたい。続くかな。

 「一国の首相の口からこんな発言が軽々しく飛び出すことに驚く」のがちょっと遅いよ毎日新聞さん、って思わないでもないけれども全国紙の1画がこうして社説でもって国会という公中の公な場でもって根拠もなしにメディアを“捏造”という最大限の侮辱的な言葉で誹謗中傷したことに、きっちりと反論して攻め立てるは重要なんでどしどしとやって欲しいもの。「首相は『発言を本人に確かめるのは当然』と言う。その通りである」と書いてだったら会見を設定しろ、というのはちょっと僕とは違って、自民党総裁特別補佐を自認する人間が行ったブリーフィングで出た首相の言葉とやらをそう信じて何が問題か、それが捏造なら喋った特別補佐とやらを糺すなり解任すべきと思うけどでも、段取りとして当人の確認が必要と考えるならその仕組みを整えることも悪くない。

 ただし言葉の力を強く分かって会見の場を仕切った小泉純一郎元首相とは器が違いすぎるから、下手に会見なんかをやり始めたらボロが出て自滅していくだけ。それが分かっているから表には出ずフェイスブックだなんて一方的に言葉を発信する場でだけ何か言い続けるんだろう。それすらもボロボロで、朝日が社説で問い毎日が同調し愛媛新聞まで乗ってきた捏造という言われ無き中傷への懐疑にまるで触れることなく、民主党の枝野幹事長がJR系の労働組合から献金を受けていたことを上げ、何とかのひとつ覚えみたいにJR系の労組は革マル派とつながっていてその革マル派は殺人を犯していると繰り返して、相手のイメージをダウンさせようって口激を続けている。

 おいおいそれほどまでにヤバい集団なら、一国の首相がどうしてすぐさま内閣に指示して官僚を動かし是正に回ろうとしないんだ。警察公安その他が動いて正常化を図ろうとしないんだ。でもそうはしてないのは公的な調査としてそういう事実がないことになっている訳で、だから今なおしっかりと公然の組織としてJR労組は存在している、そんな集団に殺人犯との関係があるんだろうとフェイスブックで書く方が、よっぽど犯罪的だと思うんだけれど枝野幹事長を攻撃して、自分の側近の“捏造”を忘れたい人間にはそういう配慮は働かないんだろうなあ。配慮しているかどうかすら怪しい。ひたすらに敵を攻撃したいという、そんな妄執しかないのかも。そんな妄執によって動かされる日本。いよいよヤバくなって来た。それを礼賛するメディアも含めて。

 知ったのは舟越桂さんの作品が表紙に使われていた「コルシア書店の仲間たち」からで、読んでそのイタリア生活を描いたエッセイとも、イタリアで繰り広げられる家族や仲間との交流を描いた文学とも言えそうな文章に引かれて「ミラノ、霧の風景」や「ユルスナールの靴」といった作品を単行本で揃え読んでいってさあ、これからといったところで訃報に接して愕然とした記憶がある須賀敦子さんの生涯を振り返る展覧会が、神奈川近代文学館というところで開かれていると知ってはるばる横浜へ。秋の連休の中日だけあって幸せそうなカップルだとか家族連れだとか、教会に結婚式の下見に来ている婚約者たちとかハッピーオーラが溢れる中を歩くのも悲しいものがあったけれども仕方がない、それがソロアーティストの人生って奴で。

 港が見える丘公園だか何かの階段を上まで上るだけで脚が動かなくなる体力の無さを嘆きつつ辿り着いた文学館には、須賀さんのまだ兵庫県に住んでいた頃の写真や東京へと出てきて学生をしていた頃の写真なんかが飾られ戦前戦後にちょっぴり良いところのお嬢様たちがどんな暮らしぶりをしていたのかが伺えた。中原淳一に吉屋信子といった少女趣味もやっぱりしっかり根付いていたんだなあ。そういうものによって形成された人格が文学芸術と結びついてああいった世界観を作り上げた。今はBLに腐って作られる人格が30年50年経ってどんな文化を世に送り出すのか。それはそれで大いに楽しみだけど、振り返って回顧展とかやられて、BL雑誌や腐同人誌とかが並ぶというのも何か想像するにげっへっへだなあ。「三浦しをんの世界展」とかどんな感じになるのかなあ。

 山を下ってみなとみらい線にまた乗って、赤レンガ倉庫へと行って「横浜ふるさとフェア2014」の会場へと入ってあみたん娘さんが売ってたブラックコロッケを食べ別のところで烏賊飯を囓り戻ってブラウンコロッケ(味噌入り)を囓ってから新港ピアへと歩いていって明日が最終日らしい「横浜トリエンナーレ」を観たけれどもううん、バッタがパシフィコ横浜にとりついていたり、銀色のボールが港に浮かんでいた時代と比べると街全体で大騒ぎしている感じがなくなり、そして会場も展示場にぎっしろとアートが埋まって観て楽しく触れて愉快な感じってのが下がって、それぞれに吟味されじっくりと味わうといった雰囲気になっていた、ような気がした。

 でもやっぱりあの喧騒の中にいろいろと驚きの作品があった時代と比べると、伝わってくるパワーってのが何か足りないような気がしたというか、横浜美術館へと回って観た作品はトリエンナーレならではの若いこれからの作品もないでもなかったけれど、あそこが所蔵している写真とかコレクションとかを添えて埋めましたって感じもあってお祭り感にやや足りなかったというか、そんな感じ。パシフィコ横浜の広い展示スペースを使ってやっていたころなんて、区切られたブースに驚きの作家がいたりして、それこそGEISAIとかデザインフェスタを回っているような身近な新鮮さがあったものなあ。今はこれ凄いでしょって飾ってあるだけというか。フツーの美術展というか。

 去年に観て回ったあいちトリエンナーレが名古屋市美術館に納屋橋のボウリング場跡地に長者町一帯、そして岡崎一帯と愛知県美術館を使い広く派手に行われつつ、それぞれの会場を活かした作品を展示しメッセージ性も失っていなかったのと比べると、トリエンナーレの走りがこうして停滞気味になっていくのは、愛知県人としては良くもあるけど美術好きとしては少し残念。まあでも定着すれば権威化されて成長が止まるのが文化の常。移ろい変わって行く中で新しい物が生まれていくと思いつつ横浜のこれまでを讃え愛知のこれからに期待したいけど、果たして。

 神保町のブックフェアをのぞいて早川書房で早瀬耕さんのサイン入りの新刊を買い本の雑誌ブースで早川謹製のユービックTシャツを着た大森望さんがサンリオSF文庫総解説にサインを入れるいろいろと積み重なった濃さを間近に眺めて家に帰ると「On Your Mark」のブルーレイディスクが届いてた。速っ。勘違いして2014年10月末の契印有効だからと慌てて宮崎駿作品集のBDボックスを買いに走って封入の葉書から購入証を切り取り送ったのが先週のこと。それを受けて作り始めて届くのは年末か来年かと思っていただけに、この速さは驚きだけれどそもそもが購入証なんてものを封入しておいた段階で、作る気満々だったって言えなくもなくって準備していたものをさっそく、配布しているってだけのことなのかも。覚悟決めてやってたんだなあ。ともかく嬉しい1本。あとはこれも収まるボックスが欲しいけど、それは流石に無理かジブリの資力を持ってしても。


【11月1日】 カーモンカーモン(ドンドンドン)、カーモンカーモン(ドンドンドン)カモンヴェベルディ(ドンドンドドンドン)カモンヴェルディ(ドンドンドドンドン)。ってお馴染みのハーフタイム以降。ゴール裏へと東京ヴェルディの選手たちが攻めてくる時に歌うチャントに乗って登場したのが佐天涙さんだというその理由は分からなかったけれどもJリーグの「東京ヴェルディ対コンサドーレ札幌」による「とある科学の超電磁砲」とのコラボレーションマッチ、フリーキックで登場するのが御坂美琴で指にコインを持ちさあレールガンを放つわよといった面構えには納得した。とはいえあればっかりはセリエAがブンデスリーガのトップゴールキーパーだって止められないどころか、経たに受けたら全身が粉砕されてしまう。

 止められるのは上条当麻だけ? ってでも超能力でも魔術でも、それそのものでない、それが起点となった物理現象は分解できなんだったっけ。やっぱり当麻も粉々か。でもってインデックスから「とうまとうまお腹がすいたよどらやき食べたいよとうまとうまとうま」って粉砕されてもなおピクピクと動く頭をガリガリと囓られるんだ。不幸だーっ。まあそんな感じにいろいろと楽しめたコラボレーション。表にキャラクターの立て看板が並びフラッグとかTシャツといったコラボレーショングッズも売られ近隣の立川あたりから来たショップも並んでちょっとした地域振興になっている。

 肝心のヴェルディサポたちがどこまでこのコラボを受け入れているかは分からないけどでも、そういうことを謂っていられる状況でもないのが味の素スタジアムの2階席をまるで使わなくなってしまった観客状況。そこでしっかりと新しいファン層を掴みに行っている施策は個人的には正しいと思うんで、これ1回で切れずにどんどんと続けていって欲しいもの。どうせだったら立川あたりから「ガッチャマンクラウド」を持ってきてそして稲城市からは「甘城ブリリアントパーク」を。それこそ調布市がFC東京とLIXILディアーズしか応援しないなら味の素スタジアムを飛び出て甘城ブリリアントパークにあるスタジアムに移転したって良いじゃないか、なあおい。でもまだあったっけあのスタジアム。

 困ったなあ。なるほど前支局長の一件は、日ごろの言動もあって狙い打ちにされたって主張して、それが世間的には通りそうな空気がある。もちろんそれ以前に公権力への批判に刑事裁判でもって応えることの拙さってものもあって、争う余地はあるけれど、アジア大会における水泳選手の盗みの一件は監視カメラに映像があって日本側の関係者も確認して、状況から判断して犯人だとほぼ確定した上で、将来を思い恩情でもって罪には問わず放免して帰国させ、そして日本の関係者も相手の恩情を理解した上で永久追放という処分は課さなかったという経緯があるにも関わらず、今になって異論を唱え始めた当事者の言辞を拾ってそれに味方し、韓国非難の論陣を張るのはやっぱりどうにも筋が悪い。

 敵を敵として非難し続けるのはまだ分かる。この場合は韓国であって自分のところの人間が酷い目にあっていることに対して潔白を主張し続けるのは誰にだって理解される。たとえそれが言論としていささか下品な言葉だったとしても、やはり言論として守られるべきだという理屈で応援するにやぶさかでないといった声は右だけでなく左にもある。でもそうした非難を補完する材料として、いかにも筋の悪い話を添えてしまうのは結果としてただ韓国が憎いだけ、韓国が鬱陶しいだけ、韓国を貶めたいだけなんだって周囲に思わせかねない。これってちょっと拙いんじゃないのかなあ。ただでさえ落ち目の度合いも激しさを増しているって時に。

 「いまの韓国では、さもありなん、と思わせる素地はある」ってたとえ他の件で司法に濃淡が出ていたとしても、それと同質のものとして取りあげるに相応しい案件ではないんだけれど、そういう自制がもはや書き手には効かないんだろう。敵の敵はすべて味方。そんな感じ。これで弁明会見とやらの前に録画されてた監視カメラの映像が明らかにされて誰がどうしていたかが一目瞭然となってどうあがいても弁明は無理だと判明してもなお、作為があった合成だ謀略だといって騒ぎ立て続けるんだろうか。しないだろうなあ、手のひらを返して叩くんだ、スポーツマンシップに背く行為だって。ただ自分たちの嫌韓の材料にされて持ち上げられ、振り回される若者が可哀想。そうなってからこそ「世間知らずの若者」の若気の至り、自省して立ち直れと応援すべきなのに。やれやれだ。心底からやれやれだ。

 そして観終わった東京国際フォーラムのKalafinaは何を聞いてもベストに思えるくらいに豊富な楽曲からセレクトされた楽曲が流れて聞けて素晴らしい。例えばあれがないとかこれがないってなると不満に思うリスナーもいたりするアーティストの場合もあったりして、それはそれでパブリックなイメージが固まって熱いファンを持っている現れでもあるんだけれど、Kalafinaの場合は例えば「oblivious」がなくても「Sprinter」をやらなくっても他に多々ある知られた楽曲を並べ存分に聞かせてくれる。

 そんな中にふっと久々に混じる「イヴの時間」のエンディングに流れ幸せな気持ちにさせてくれた「I have a dream」とかしんみりとして光りが差してくる感じ。対局にこれも必ずやるとは限らない「うつくしさ」が入ってアカペラに近く声が響くWakanaにKeikoにHikaruの3人のそれぞれの声の良さ、ハーモニーの素晴らしさを感じさせてくれる。何をやってもその声の良さその歌のうまさそのハーモニーの美しさに聞き入ってしまうという、それがKalafina。だから新曲という「Believe」を聴いてもやっぱり聞き入ってしまったし、ベストアルバムに新曲として入った「Hevenly Blue」も同様にその声そのハーモニーで引きずり込んでしまう。

 そんなグループが他にあるだろうか。楽曲をもちろん聴きにいってて「音楽」とか奏でられると嬉しくなって指を1本立てたりするけどもしそれがなくっても、やっぱりハードな曲では腕を振りメロディアスな曲では重なる声、ソロで響く声の朗々と流れ空間を作り満たす感じに浸るだろう。そんなグループがいったい他にどこにあるだろうか。考えると凄いこと。そんなグループがえっとかれこれ6年とか7年とか活動し続けていながらどうして紅白に出ないとか、レコード大賞をとらないのかといった疑問はあるけど、それはそれ、商業とも重なったところで動く音楽の世界とはまた違う、音楽そのものの世界での成功がKalafinaにはあり音楽として認め慕うファンがいる。

 だから東京国際フォーラムが満場の客を集め日本武道館も同様にいっぱいになる。それがKalafina。そしてKalafinaという音楽。印象としてそして今どんどんと声に厚みも出ていて例えばHikaruは表現力が豊かさを増してソロで歌手としていけそうな感じ。Keikoもただ低音で支えるだけでなく寄り添うだけでなくって「アレルヤ」のように前面に出てハイトーンのWakanaに艶めかしさを備え始めたHikaruを従え舞台の中央に屹立する。Wakanaは声にますます磨きがかかって天空を貫き雲上から降る声を奏でる。まさに奏でられる声。そんな3人の強みと凄みの融合。それがKalafina。Kalafinaというworld。素晴らしかった。

 アンコールに応えて歌った最後の「アレルヤ」の中、Wakanaが涙ぐんでいたのは何か感極まったのか、よりそったKeikoが良いこと言ったのか。そこの理由をいつか聞いてみたいなあ。これで終わりってことはないからきっと思うところがあったんだろう。そんなKalafinaは次はたぶん日本武道館。どんどんとチケットが取りづらくなっているけど頑張って2日間、通う。赤い日は赤いダッフルコートを着ていくつもりだけれど青い日は何を着ていけば良いのかな。全員が紺のブレザーで揃えるとか。ネイビーのピーコートにするとか。青い海パン……は冬なんでちょっと寒いんで遠慮。でも両日でどんなセットリストになって、そしてどんな演出になって、さらにどんな衣装でWakanaにKeikoにHikaruが出てくるかが気になる。いけなくってもDVD、出して欲しいなあ。


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