縮刷版2014年1月上旬号


【1月10日】 20年前の昔だったらそんな3人がそんなところに出ることなんてなかったのに、今はそこにしか出ないってところがその間におけるスタジオジブリって会社とそして、スタジオジブリを率いる宮崎駿監督と高畑勲監督と鈴木敏夫プロデューサーの社会的な認知のとてつもない変化を現していると言えそうな。格でいうなら総合誌の中でもトップにありそうな「文藝春秋」の最新号でこの3人が対談していてそもそもが集まって喋ることのなかった3人を、集めてしまえるところにその媒体としてのバリューがあるし、且つそうした3人を出すことを重要と考えるくらいに「文藝春秋」にとってのバリューが生まれ育ったってことになる。

 20年前だったらせいぜいが「アニメージュ」か「ニュータイプ」あたりか。「もののけ姫」を作っている頃の鈴木敏夫さんは割と普通にメディアに出ていて僕が頼んでも音楽を録音しているスタジオでもって2時間3時間くらい話につきあってくれた。とっても楽しかったけれども今はそんな誰も知らない工業新聞に出てなんかくれないだろう。絶対に。でもってデカいメディアでデカいことを吹いては周囲をドキドキさせる。それもあっての評判だから仕方がないんだけれどでも、やっぱりもうちょっとだけ真剣に、この後にいったいどうなるんだろうスタジオジブリって話をしてくれると嬉しいなあ。それこそ設立からずっと追いかけてきた人間として、それが知りたいんだよ心から。

 そんな対談でもやっぱり話題に出ていた宮崎監督の引退宣言で誰だっけ高畑さんか鈴木さんのどちらかが、長編アニメーションからの引退でしょと念押ししつつまた撮るでしょうとか言って絡んでいたけどそこは宮さん、今は頭が空っぽの状態でアイデアめいたものが浮かんでも、それを活字に書き留めようとする気が起きないとかって話してた。だから趣味の漫画ばかり描いているとも。どこかで鈴木さんの憶測としてまた撮るかもね、なんて話をしたのがさも復活とばかりに取り上げられ広まっていたけれど、そんな煽りも誘いも我関せずに己を貫くのところがやっぱり宮さん。今はだからその漫画を完成させて僕たちに読ませてくださいな。そのうち何か浮かんできたら、作れば良いだけなんだし。うん。

 テレビがくだらな過ぎるのは今に始まった話ではないけれども昨日だっけ、横浜で捕まった取調中に逃走した容疑者の話を昨日だけでなく今日もしつこくワイドショーとか夕方のニュースでしつこく取り上げていたりする。でもすでに捕まった訳で何かしでかした凶悪事件の犯人が今も野放しで歩いている訳ではない。だから注意歓喜として取り上げる必要はなく、あとは粛々と警察の取り調べなりを受けて容疑が事実かが判断され、有罪無罪の判決が出てそれに従うことになるだけで、当事者以外には何の意味ももたなくなっている。

 なのに何が面白いのか延々と取り上げているそのニュース。見て面白くないものを見せられた視聴者がどうするか。チャンネルを変えるかテレビを消すだけだろう。だから今の惨状がある。なのに気づかず同じことを繰り返す。頭が良い人たちが集まって作られた組織でどうしてそんなことが起こっているんだろう。不思議過ぎる。どうせ追いかけるなら既に捕まった容疑者ではなく未だ捕まっていない凶悪事件の容疑者であって今いったい何をしているのか、どこにいそうなのかを調査し報道することによって視聴者に注意を喚起できるし、何か新しい手がかりが得られて犯人逮捕に繋がるかもしれない。でもやらない。他がやらないから。そんなところなんだろうなあ。そして共倒れへ。それが日本のメディア。

 まあ新聞だってくだらなさは似たり寄ったり。ただひたすらに任天堂を悪し様に言ってアクセスを稼ぎたいってさもしさ炸裂の根性から書かれたとしか思えないような記事が平気で載っては。大多数の顰蹙を回ながらも当人たちだけがアクセス来たぞと悦に入っていたりする。それで失った信頼はアクセスの増加じゃあ絶対に取り戻せないんだけれど、目先のあぶくにすら及ばない銭、これは「ぜに」というよりもはや「せん」とよぶ方が正しいようなはした金を取りにいって、未来を捨てるようなことを平気でやるからたまらない。それだけせっぱ詰まっている現れなんだろうなあ。だってもう他にやれることないし。

 既にして夕刊は半分くらいなくしてしまったし、人も削りに削って最小限。それで事件とか報道できるはずがなく、通信社に頼りけれども独自だと言い出す偉い人に従って人を裂いて虻蜂取らず。顰蹙を買うのを承知で煽り記事を書いてアクセス稼いで目先にかけても、未来は真っ暗という状態では誰もやる気は起きないよ。持てはやされるのは右側に寄り過ぎたようなものばかりで、それもそうした方面に受けても紙にはつながりそうもない。一時の快楽のために未来を捨てるという意味では同じ。でも止められないんだもう誰にも。どっかの全国紙がいよいよ夕刊を止めるとかいった噂も出始めているけれど、それはまだそれだけの余裕がある証拠。その分を充実に回して来たらもはや対抗できない。それもまた運命って奴か。滅びへの。黙示録的な。

 大手町にある紀伊國屋でちょっと前からDVDやBDの7割引から5割引セールが始まっていて、そこから7割引きという値段につられて綾瀬はるかさんの「ICHI」のDVDを拾ったんだけれど特殊な映画の評論家な人によればボロっちいのを着ていて綾瀬さん、揺れたり揺れたり揺れたりするような姿は終ぞ見せてくれなかったとか。それじゃあ綾瀬はるかさん主演の意味ねーじゃん。企画した奴ちょっと出てこい。まあ仕方がない、想像の中に揺れるそれらを見ることにしよう。ついでに「軽蔑」って高良健吾さんと鈴木杏さんが出ている映画のDVDも買ったけれどこれは鈴木杏さんのいろいろが見られる映画だったっけ。そこにだけ期待。

 そんなワゴンにあった7割引の「FREEDOM」のBDボックスは誰かに買われていった用で善哉。3DCGのモデリングによる2Dライクなアニメの歴史を語る上で先駆的な作品だから。あと意外に面白い。もっと評価されても言いんだけれどなあ。あと代わりに前にはなかった「TO」のDVDのディレクターズカット2枚組みとあと「EX MACHINA」の豪華版DVDボックスが5割引くらいで出ていた。これはこれで3DCGモデリングによるアニメライクではあっても2Dっぽさとは違うキャラによる映像への模索として抑えてはおきたいのだけれど、ううん、ちょっと迷う、ストーリー的に。って前に確か「EX MACHINA」ってどっかで買ったような記憶があるんだけれど。どこだったっけ。どこにあるんだっけ。


【1月9日】 トモちゃんと話して決めたんだ、って言ったらそれこそ三日月夜空だけれど、それをはるばるミランの地で言っても周囲のサッカー記者やらスポーツ記者には何がなにやら分からないだろうから、「リトル・ホンダと相談して決めた」って方が世間には伝わりやすいか本田圭佑選手のACミラン入団会見。フィオレンティーナからも誘いがあったようだけれど過去に中田英寿選手も所属したことがあって目新しさに欠ける上にやっぱりビッグクラブかというと上にユヴェントスがあってミランとインテルの2チームがあって西にローマがある以上、やっぱりどこか2線3線といった雰囲気が浮かんでしまう。決してそうではないとしても、1度潰れているから名前だけの継承って感じもあったりするし。

 その点ACミランならば日本人の誰だって知っているイタリアのチームで優勝回数だって結構あってイタリアでもトップのチームって感じがありあり。今でこそリーグ戦では中段に低迷しているけれどもチャンピオンズリーグにはしっかり残ってこの先を狙っていたりする。本田選手は残念ながら出られないけれどもその分、リーグ戦要員として出場する機会も増えそうでそこで普段どおりに中盤から後列まで下がり守備をしてそして前戦へと出てボールを送る縦横無尽の走りっぷりを見せれば、存在感は見せられるし勝利にだって貢献できるんじゃなかろーか。何より実行できないことは口には出してこなかった有言実行型ビッグマウス。それがわざわざ10番を背負ったってことはミランにポジションを得る気満々ってことなんだろう。デビューがいつになるか分からないけどまずは注目。もうバレージはいないから頭をぶつけてリタイアすることもないし。

 たったの6票、1・1%とはしかしまるで入らなかったも同然だったと言えそうな野球殿堂への野茂英雄さんへの投票数。5%なければ来年も候補には残れないそうだからこれでもう競技者としての候補から外れて次に機会があるとしたら指導者となってそして引退してからしばらく後、ってことになるんだろうけどそういう風にアメリカで指導者になるようには見えないだけに、日本人初の野球殿堂入りは次の誰か、おそらくはイチロー選手までお預けになってしまった。残念だけれどでも、その成績を考えれば仕方がないってところだろー。

 日本人的な感覚でいうならはるばる海の向こうへと旅立ちその衝撃的な投球すたいるで強打者たちを討って取り、大和魂ここにありといった所を見せてくれた先駆者だけれどそんな海外からの挑戦者なんてメジャーリーグには過去現在そして未来といくらだっている。問題はそこでどれだけの活躍をしたかであってその水準に123勝の野茂英雄投手は達していなかったってだけのことなんだろうなあ。ストライキで弱っていたメジャーリーグに颯爽と現れ注目を集めて盛り上げた功績、ってのも別に野茂投手に限った話しではない訳だし。

 義理より人情より実績。その意味ではフェアな場所だと言えるメジャーリーグでさてイチロー選手はどこまで自分の成績を高めて文句無しの殿堂入りを果たせるか。とりあえず3000本安打は欲しいけれど今の去就が不安定な状態ではちょっと難しそうだよなあ。せめて1番でレギュラーで出られる球団があれば良いんだけれど、40歳で安打数も減っている選手をそこに置けるほどメジャーリーグの選手層は薄くない。守備固めの要因として奧にも年俸が高すぎる。じゃあ。それもまたシビアな話。だったらいっそ日米でのピートローズ越えだけでも果たせるように、日本に戻って3年5年とやってくれた方がいいような。判断するのはイチロー選手。さても一体どこに行く?

 埼玉県にある鷲宮神社の2014年正月三が日の参拝客は47万人だったそうでこれで4年連続同じ数字。ちょっと作ってるかな、という気もしないでもないけれども2日目の午後にですら長蛇の列が鳥居の前に並んだところを見ると、案外に去年なみには来ていると言えそう。あるいは増えていたのだとしても警備とかの問題もあってそれ以上の参拝客は危険というならだいたいこのあたりを上限として発表するのが適切って判断があったのかも。別に大晦日から元日にかけて盛大なカウントダウンイベントがあった訳でもないし、駐車場の出店にこの三が日限りの物品が出ていた訳でもないのにちゃんと来るのはつまり、それだけ鷲宮神社への初詣が少なくない人たちに習慣化された現れなんだろうなあ、うん。

 あるいはここで減ったとなったら積み上げてきた評判がガラガラと崩れて一気に崩壊へと向かう可能性を懸念し、数字を上積みして平年並みといった状況を作り出している可能性もないでもないけど、それでもアニメの「らき☆すた」が放送される前の9万人から3倍4倍と増えたことは確か。そうした人たちがしっかりと定着して、そして東武沿線など周辺の開発も進めば増えることはあっても減ることはなしに、ある程度の数字の安定も見込めることになりそー。そこへと至るブースターとしてアニメーションがあったのだとしたらこれは面白い現象。神社とアニメの歴史に残して良いような気すらする。来年はどうなるか。増えるか減るか。その数字がひとつの分水嶺になるのかな。僕は行く。お札返さないといけないし。

 ぽにきゃんBOOKSはちゃんと続きも出たようで、深見真さんの「キャノン・フィストはひとりぼっち1」(ポニーキャニオン、620円)が戦列に加わり以後、それなりに名を知られた作家さんも登場してくれるんだろうと思うけれど、どういうラインアップなのか分からないから何とも言えない。ただこの「キャノン・フィストはひとりぼっち1」を出したことでひとつレーベルの意味は果たしたかもしれない。これはファミ通文庫でどこか道半ばにして終わったようなところもあった「僕の学校の暗殺部」の変奏あるいは別確度からの再演とも言えそうなストーリー。人類に密かに危機が及んでいて、それを相手に特殊な能力を持った少年少女が先頭に立って、そんな人類の敵と戦いを繰り広げている。

 敵とは人間の記憶をすする「M・E」と呼ばれるバケモノたちで、捕まえた人間の脳に針のようなものを突き刺し記憶をすい尽くしては人間を“白紙化”してしまう。そうなるともはや生きていることすら困難になるというから恐ろしい。そんな敵と戦う能力を持った人間がいて、心に抱えた忘れたい記憶を強く持っている者がその気持ちによって感情記憶合金を発動させ、全身を待とう鎧や敵を砕く武器に変えて「M・E」を倒していた。主人公の雪弥という少年は、過去に両親をとある少年によって惨殺され、今は伯父夫婦の家に世話になってそこの娘と含めた4人で暮らしている。そんな少年がある出会った「M・E」の存在。義妹となった姪が襲われそうになった時、雪弥の学校に転校してきた、彼にだけ見える角を持った少女が「バイオレンスをあげる」といって雪也に力を渡す。

 そうして「M・E」と戦う組織の一員となった雪也は、以前からそのメンバーとして戦っている首抜聖弓という大男や、双翅彩火らとともに「M・E」と戦うことになるんだけれど、全力でボコボコにする「キャノン・フィスト」という能力を発動させて戦って敵を倒す代償が、あるいはあるかもしれないという可能性が仄めかされ、これからの展開にひとつ影を落とす。強敵として現れた、人間の姿をした「M・E」というまるで「僕の学校の暗殺部」に出てきたいるか人間たちのような、倫理を持たず人をただ惨殺することに快楽を、というよりもはやそうした感情すら抱かず人の記憶を暗い殺して回っている奴らを相手にした戦いも、その先にある誰がそうでそうじゃないのか? といった疑心暗鬼の中に雪也や人類を陥れて将来を不安にする。いるか人間たちとの戦いが永劫を予測させたように「M・E」との戦いも同様。それだけにどこまで続くのか? なんて心配も浮かぶけれども「1」とある以上は「2」「3」と続いてくれると信じよう。


【1月8日】 当然だけれどその名前を知ったのは劇場版「機動戦士ガンダム」の主題歌として世に出た「砂の十字架」からで、アリスで大人気だった谷村新司さんが作詞作曲をした作品を本人ではなく名前もそれまで聞いたことがない人が唄っていて、聞いたらこれがとてつもなく巧かった。もとより良い声の人と巧い人が大好きな耳にズバッとハマってその後、「機動戦士ガンダム」の劇場版で2作続けて井上大輔さんが担当したけどこれは違うなあ、やっぱり最初の人の方が良かったよなあと思わせるきっかけになった。やしきたかじんさん。1月3日に亡くなっていたことが判明。すでに井上さんも亡くなられていて、これで劇場版3部作の主題歌を唄った方もそしてテレビ版「翔べ!ガンダム」「永遠にアムロ」を唄った池田鴻さんも含めて、ファーストシリーズの主題歌を担当した全て人がいなくなってしまった。

 テレビでその姿を見たのもたぶん「砂の十字架」に関連してテレビ出演した時が最初。それがどういう印象だったのか、はっきりとは覚えてないけれども切々として浪々と唄うその歌声はやっぱり強く耳に残った。後にそのやしきたかじんさんが「やっぱ好きやねん」「あんた」「ICIZU」といった名曲の数々を世に出し、アニソンというジャンルではなくムードを持ったフォークの世界で名のある人なんだと気づいたけれど、そこからも大きく離れてテレビにラジオに登場しては、歯に衣着せない言動でもって大人気となるとはちょっと思わなかったなあ。テレビ番組も「たかじんnoばぁ〜」あたりは見ていたけれど、いつの間にか東京ではテレビで見ることはなくなってしまった。伝わってくるのは歌声ではなくどちらかといえば過激な言動。それも割とライティーな。その面からはあんまり関心を向ける人では僕の中ではなくなってしまった。

 亡くなってしまった今も最近のそうした縦横無尽な言動を評価したいという気はなくて、時に過激でだからこそ耳障りの良い、けれども何かを虐げていたり誰かを傷つけているような言説が妙に流行ってしまうような風潮を、作った根本にいる人かもしれないなあとも思えて素直には悲しめない。ただ歌手としてのその凄さはとてつもなく認識していて、もっと唄ってくれたら、どんどんと唄ってくれたら良かったのになあ、テレビでその歌声を聴きたかったなあ、ライブもやって欲しかったなあという気持ちは尽きない。あとやっぱり「砂の十字架」をまた唄って欲しかったなあという思いも。きっとライブでもずっと唄っていなかったんだろうなあ。

 というのも本人、発売の頃にあったゴタゴタであんまり気に入ってなかったようで、汚点とすら言っていらしい。けれどもその存在の素晴らしさを、後のヒット作に先駆け世の中に、というか僕たちに教えてくれたのはまさに「砂の十字架」。だから嫌って欲しくなかったし唄っても欲しかった。そんなこと知るかと言われそうだけど、というかもう言えないけれどもそれでも許してあげて欲しかった。「砂の十字架」という楽曲を。もしもガンダムの音楽を集めたコンピュレーションとかが作られるなら、収録してやって欲しいなあ、そしてガンダムの音楽を今、一所懸命に聞いている人たちにこれほどまでに凄いシンガーがいたんだと、知って欲しいなあ。井上大輔さんも含めて。改めてその功績をたたえて。合唱。

 その世界では、魔法学校に通う少女は13歳になると魔法陣を使って猫を呼びだし永遠のパートナーにする。でも、13歳なんてまだまだ子供。自分に不安もあれば世界に憧れもあって、猫を呼びだしても良いのかと悩み、呼びだした猫が自分の好みではないと迷う。街で慕われている魔法使いのおばあさんと、パートナーの黒猫との関係に憧れている少女は、自分もそうなりたいと思っていたけど、呼びだして出てきたのは格好良くないいつもダルそうにしている猫。勝手にお菓子は食べるはげっぷはするはとどこか下品で、とてもじゃないけどおばあちゃんと猫との関係のようにはなれはしない。

 自分に自信を持てずうつむき気味に歩いている少女が呼びだした猫は、そんな少女をいたわらず逆に罵倒して鍛え直そうとする猫。それって全然楽しくない。より自分がダメなんじゃないかと思えてしまう。間違えて呼びだしてしまった猫が、ぷるぷると怯え本当は呼びだされたんじゃないと知って泣き出してしまうのに、それを迷惑そうに思っていた少女。自分とは無関係なんだという態度はそのまま、自分は誰かに必要されているんだろうかという迷いを引き起こして悩ませる。そんな猫たちとのつき合いの中で少女たちは知り、読者は知る。自分に欠けているものを、呼びだした猫たちが見せてくれているのだということに。

 13歳という、大人に少し近づいてはいてもまだまだ子供という少女たちの思春期ならではの揺れ動く心をさらけ出し、そして成長していくための道筋を、実は猫たちが作ってくれていた。自分勝手を改め、自分自身を見つめ直す機会を経て少女たちは少しだけ、大人になって世界を知ってそして自分の本当にやりたいことに近づいていく。さまざまな猫たちと少女たちとの関係を描く漫画であると同時に、少女たちの揺れ動く心情と、それを乗り越えた先にあるだろう充実した日々を描いた漫画。現実のこの世界に生きていて、猫を呼び出せない少女たちは、ここから想像するだろう。自分にはどんな猫が現れてくれるのかと。そして考えるだろう。自分に欠けている何を埋めなくてはいけないのだと。四宮しのさんの「魔女と猫の話」(少年画報社)とはそんな漫画。面白いのでマンガ大賞に推したいのだけれど、でも誰も読んでないだろうなあ、まあエントリーだけでも。

 藤谷治さんの「世界でいちばん美しい」(小学館)をうんとこやっとこ読み終えるというか、読み流すというか、せった君と呼ばれて街でも慕われている男性が、何か火事にあって大変だという場面から始まって、そこから時間は遡って話はそのせった君がまだ小学生だった頃、島崎哲という名の同級生の少年がいて彼が火事で死んだらしいせった君と出会い、いっしょに音楽を始めることになるんだけれども、祖父が音楽家でもある哲は幼い頃からピアノをやっていたのに対し、せった君は知性に偏りがあるというか勉強があんまり得意ではなく、学校でもどちらかといえば敬遠されていたのを哲が見かねて家に連れて行き、自分がピアノを弾いて聞かせたらそれを3回、耳にしただけでせった君はまるっと弾いてしまった。哲は前に練習してたんだと言い張ったけどそうではなく、やって来た哲の母親が3度ばかり弾いたちょっと難しい楽曲も、せった君は耳で聞いただけで弾いてしまった。

 これは才能だ。そう感じて哲の母親はせった君の母親にピアノを進めるように言い、それを受けてせった君は音楽にのめりこんでどんどんと巧くなっていく。一方の哲はピアノからチェロへと転向したけどやっぱりうまくなれず、音楽大学の付属高校にも落ちてしまい芸大への道を結果的に諦める、ってあたりは同じ作者の「船に乗れ」にも描かれたことだったっけ、ある意味で自伝的な。そんな凡才と実は天才との間の友情と相克でもって話を作ってくれればすんごいドラマになったかもしれないけれど、そういう作為を嫌うのか藤谷さんはせった君が地方政治家の父親に止められピアノの道も諦めさせられ、それでも近所にあるレストランでピアノを弾いていたりしたところに彼女が出来て、そんな彼女を妄執していたかつての知り合いの乱入で大変な事態が起こるといった方向へと持っていってしまう。

 その後半部分がどうにも息苦しく、妄執していた男のストーカー気味の自分勝手な論理の醜悪さがせった君の純真で無垢に音楽と向き合う態度とマッチせず、対比にもならないで物語から感動とかカタルシスといったものを奪ってしまう。せった君自身の音楽を続けたいのに音楽を売ろうとはしないその曖昧さも、読んでいていったいどうしたいんだといった苛立ちを惹起する。とはいえうまくいったり感動的だったり劇的だったりすることばかりが人生ではない。誰にだって事情はあって思いはあって、思い込みかもしれないけれどもそれに突き動かされて生きている。そんな姿を様々な確度から描いた中に唯一、せった君の音楽に対する熱情だけが際だって汚されないまま立ち上がり、響いてそして消えていく。周りはいったい何をしていたんだろう。そして自分は何をしたかったんだろう。そう問いつめられるような物語。とってもいびつだけれど、それだけに心に刺さる。ご一読を。


【1月7日】 ようやくやっと見た「生徒会役員共」が凄まじい作画だった。3DCGによるモデリングでもってキャラクターを動かし、スクランブル交差点をすれ違わせ回り込みちびっ子の頭上に3DCGでモデリングされたサインを出してくるくる回したり動かしたりするというゴージャスぶり。2Dっぽく見える部分も手抜きとかなくしっかりと崩れないで美少女たちの学園での日常って奴を描き出している。ただし下ネタづくしだけれど。そこんところは前にやってた普通の「生徒会役員共」といっしょ。むしろ臆面もなくなりリミッターも外れてヤバいセリフにヤバい描写が増えているような気すらする.

 小見川千明さん演じる柔道娘が空手少女と戦った時にその空手少女が思いっきり脚をとか上げて回し蹴りをして、いったい周りは何が破れてしまうと思ったのか。あまつさえ言ってしまったのか。お兄さんまるで分からない。それから科学少女が実験室でもってばらまいたモザイクのかかった棒状のものがいったい何なのかも。さらに言うならそんな科学少女が切ったスイッチがいったい何を止めるものでどこにあるのかも。子供が尋ねても一切合切沈黙するしかないそんな描写を、真夜中とはいえ大きく繰り広げてしまうその突っ走りぶりにこれはもうこの2014年冬季の最大のアニメーションだと確信した。あとはどこまで突っ走るかだけれど、途中で関係者一同逮捕とかされたら困るなあ、それくらいにヤバいんだ。

 ようやくやっと見た「となりの関くん」は花澤香菜さんの独演会ぶりが素晴らしかった。喋りの巧い人だってことは既にして「物語」シリーズにおける最近の撫子ちゃんの媚態っぷり豹変っぷりで分かっていたけど、「となりの関くん」ではそわそわとしながら驚きつつ焦りホッとしてそして焦ったりもする情動を、声高ではなく内心に込める感じで表現していてその声を追いかけているだけで一緒になってとなりの関くんに焦ったり驚いたりする気持ちを味わえた。普通だったら隣でそんな風に思われたら、バツの悪い思いをするものだけれどそこは関くん、何の焦りも浮かべずむしろ嬉々として消しゴムを使ったドミノ倒しを仕上げてみせた。大物だよなあ。つかどこに仕舞ったんだあの消しゴムとかを一瞬で。今はまだ机に仕舞える範囲だけれどだんだんとエスカレートしていくからそれをどう表現し、隣で花澤香菜さんがどう驚くかを楽しんで行こう。10分って尺がちょうどいいなあ、これ。

 「鴨川ホルモー」が京都に集う学生たちに長く伝わる裏の対決って奴を描いて若い熱さを感じさせ、本屋大賞とかにノミネートされて評判となりそして「鹿男あをによし」は奈良に来た教員が体験する不思議な出来事が、日本の命運と絡むスケール感で驚かせて直木賞にノミネートされて、その名前を一気にメジャーへと押し上げ「プリンセス・トヨトミ」で大阪という場所に誰もが感じている、自主独立というか唯我独尊というか我が儘勝手というか、とにかくどこか不思議な雰囲気を過去からの経緯も交えて描いて歴史を力業で捏造して、やっぱり直木賞にノミネートされてさらにメジャーな作家へと上っていった万城目学さんにしては、何故かそうした賞争いに絡まず失敗作なのかな? ってことすら思わせたのが「偉大なるしゅららぼん」という作品だった。

 決して面白くない訳ではなかったけれど、京都の闇とか奈良と鹿島を繋ぐ地脈とか、大阪に伝わる裏の国家といった大きすぎる嘘を楽しませてくれたこれまでの作品と違って、琵琶湖というひとつの地域の周辺で起こる旧家の小競り合いがメインとあって、読む人にどこか地味さを感じさせてしまったのかもしれない。ところが、実写映画となったらこんなに面白い作品だったのかと改めて気づかされたからちょっと驚いた。3月に公開となる映画「偉大なる、しゅららぼん」は、物語の舞台となる琵琶湖畔にそびえるあの彦根城をロケーションに取り込んで、そこに人が暮らしているという展開を映像によって示すことで、文字で読むよりも大げさな感じをそこに醸し出し、けれどもやっているのはやっぱり琵琶湖の周辺での勢力争いという小ささ、滑稽さを感じさせることで、そこはかとないおかしさを観る人に与える。

 そんなちょっぴりの虚勢というものを、日の出家という勢力争いの一方に屹立する家の跡取り息子を演じた濱田岳さんという役者が、体型から喋り口調から見事に体言していてとても良かった。面白かった。「軍師官兵衛」に出ていて官兵衛の配下として活躍することになる役者さんだけれど、それより先にこの作品でさらに存在感を高めそう。憎たらしいけど憎めない。嫌らしいけど嫌いになれない。そんな坊ちゃん。赤い学生服を着て似合うのは彼と岡田将生さんくらいだろう。そう、岡田さんも濱田さんにお供として扱われる分家の息子を演じているんだけれど、その一般人ぶりが濱田さんとの絡みによって際だちお互いをお互いで高め合っていた。配役の勝利。そして演技の勝利かも。あとは深田恭子さんの赤いジャージ姿が勇ましかったかなあ、胸とかやっぱり大きいなあ。

 スペクタクルはないでもないけど、やっぱり日常に現れるちょっぴりの不思議がくすっとしたおかしさを感じさせ、そしてたいしたことでもないのに思いっきり背伸びしている姿が、頑張っているなあという賞賛と、でもやっぱりたいしたことないよねっていう苦笑を同時に感じさせて、微笑みの中に観ていたくなる映画。お城の周りや市街地をを赤いジャージの娘が馬に乗っている姿が、別にクローズアップでもなく普通の風景として中距離から遠距離で撮られている、そのカメラアングルが日常に交じった滑稽さって奴を現している。そういう意図で撮ったんだとしたら巧いなあ、監督もカメラマンも。

 ストーリーはまあ観てのお楽しみということで、原作読んでいるならだいたいそのままということで、ラストあたりでは自分は自分でいたいという気持ちの健気さ、自分を奪われてしまうことへの恐怖がキャラクターたちによって語られ演技から滲み出てきて、ついつい涙も浮かんでくる。姉思いで自分も大事。そんな普通の少年がつきつけられた巨大な力、けれどもある意味ではたいしたこのない力を相手に、何を考えどう振る舞おうとしたのか。叫びだしたかっただろう気持ちを、強い精神力と高いプライドで押し隠して生きてきた少年のその寂しさを、濱田岳さんという役者さんはものの見事に演じきった。映画祭があるなら主演男優賞をあげたいくらいだけれど、世間はやっぱり岡田将生さんか渡辺大さんに向かうんだろうなあ。あるいは村上弘明さん。格好良すぎるよ。ほかでは貫地谷しほりさんが気っ風の良い娘さんで頼もしかった。劇場公開されたらまた行こう、映画『偉大なる、しゅららぼん』。大人でかじゃなくって、高校生とか中学生とかが観ても楽しめるんじゃないかなあ。うん。

 そもそもが航空自衛隊のトップであって陸上自衛隊の運用とかにいったいどれだけ精通しているんだという疑問もあるし、まあ同じ組織だからだいたいのところは抑えていたとしても東京都知事がどういう権限で自衛隊を運用できるんだという疑問もあって言ってることにこりゃ無茶だろうという突っ込みが浮かんで浮かびまくって仕方がない田母神俊雄さん。何か事態があった時に求められるのは事態の全貌を速やかに把握した上で適切な対処をまずは自前の組織で行えるなら行い、無理なら迅速に国と計って自衛隊の派遣なりを求めることであって、そうした段取りをすっ飛ばして国が運営している組織を引っ張り出そうとしている越権ぶりを、どうして誰も憤らないのかと右側で支持する人たちの気持ちを探ってみたくなる。大会社を辞めた元取締役が町内会長になっておいおい祭があるんで寄付とかしてくれないかと元の職場に頼んで来られたって迷惑だよね、普通は。

 東京都知事なんだから東京という自治体にとって、そして何よりそこに暮らす都民にとって今、最善の行政をすることが求められている訳で、いざという時の備えはそれとして喫緊の課題、例えば老朽化している首都高だとか鉄道網だとかいったもののリニューアルなり開発が進むだろう地域の段取り付けなり高齢化が進む都民への福祉成り支援の充実でありこれも進む少子化への対応なりを言ってこそ、都民だってこの人を推したいと思うはずなんだけれどでも、それなら何も言わない石原慎太郎氏があんなに連続して当選するはずもなかったからなあ、有名なら入れる、そんな態度が彼をのさばらせ今またしゃしゃり出させてしまった。何とかしたいけれども僕、都民じゃないんだよなあ、だからどうなっても良いって訳じゃないけれど、隣が無様になればそのしわ寄せは周辺に及ぶから。さてどれだけの得票を集めるか。ちょっと見物。


【1月6日】 そういや「軍師官兵衛」で織田信長が桶狭間の合戦に臨むにあたって熱田神宮にお参りした時の格好がもうフル武装。兜は脱いでいたけど全身を鎧に固めて腰には刀。それを参拝のあとに抜きはなっては軍勢を鼓舞するとやっぱりフル武装の軍勢も同時に叫ぶといった感じにもう、神社に刀も矢でも鉄砲でも持ち込み放題になっていた。ちょっと前に鷲宮神社に集まるコスプレの人たちが刀とか槍とか持っているのはケシカランと憤っていた人がいたけど、そういうのが不浄ってされるのって仏閣であって神社はむしろ刀も矢もご神体になっていたりする。場違いな格好で騒ぐなっていう意見はもっともだけれど、武器は不浄だなんてあったら矛盾も出てくる言説を堂々と開陳して自分が嫌いなもの観たくないものを誹るのは、やっぱり違うんじゃなかろーか。ってか黒田官兵衛、神主が野武士と刀持って戦ってたぜ。為にしたいがための牽強付会気味な無理ロジックには要注意。

 徳間書店に放り出されて漂流中だった日本SF大賞が、スポンサーは不明ながらも仕組みを変えて継続するようでまずは善哉。内輪の投票によって候補作が決まっていたものが、今回からは一般からエントリーを受け付けそれを日本SF作家クラブの会員が投票によって絞り5編にして、そこから選考委員が選ぶといった形になっていた。すでにエントリーは締め切られ、実に様々な作品が集まったというか、どうせライトノベルとかあんまりエントリーもないだろうから名前だけでも知って欲しいと放り込んだというか。もっともこの後に投票する日本SF作家クラブの人たちのスタンスとか、読んでる範囲とか認知している範囲とか、何となく見えてしまっているんで出てくる5編もだいたい予想が付くんだけれど、そこに何かとてつもないものが交じってくれたら嬉しいかな。

 そんな日本SF大賞でどれが最終候補として上がってくるかを予想するなら、推薦の多さで長谷敏司さん「BEATLESS」、野崎まどさん「know」、酉島伝法さん「皆勤の徒」、大森望さん編の書き下ろし短編集<NOVA>シリーズあたりが鉄板で、そこに映画館での上映もテレビシリーズとしても完結した「宇宙戦艦ヤマト2199」が加わり東浩紀さん「クリュセの魚」あたりが絡むかといったところかな。藤井大洋さんももしかしたら上がってきそうな気がするけれども、それだとやっぱり界隈過ぎるというか、日本SF作家クラブに所属している人たちってそんなところしか読んでないの? 観てないの? って言われるだろうことは確実。そこでも敢えて選んでくるか、もっと違うところに手を伸ばしてくるかで日本SF作家クラブの会員の人たちのSFに向き合う“態度”がちょっぴり垣間見える。その意味では面白い試みかも。試されているんだよ皆様方。

 今日から大手町に開いた読売新聞の立て直したばかりの新社屋に潜り込んで3階にある箱根駅伝のギャラリーを見学。昔はそうか別に関東学連って訳じゃなくって全国的全世界的な冒険を意図していたのか。それがどうしてあんな関東ローカルに成り下がったんだろう。なおかつ人気だけは全国区というこの矛盾が日本の陸上の発展を歪めているとしたら寂しい話だけれど、でも昔は瀬古利彦選手みたいに箱根で活躍してマラソンでもエースになった人材が出たからなあ、単純に選手の質が全体的に盛り下がっているってことなのか。箱根に出た方が人気があるっていうけど宗兄弟だって中山竹通選手だって箱根は走ってないし女子のマラソン選手は誰も箱根を走れない。それでいて人気は全国的。五輪で活躍しマラソンで活躍すれば自然と有名になれるんだと分かればそっちに行く人もいるかもなあ。でも目先の人気に走るから今の惨状。結局は選手次第ってことか。

 そんな読売新聞内の箱根駅伝のギャラリーには、瀬古選手の靴とか昔のユニフォームとか展示してあって箱根駅伝ファンは楽しいかも。大手町の風景をバックにゴールに貼られたテープを前にして記念撮影したり時速22キロくらいで選手たちが走る時の風圧を体験できる装置もあったりとアトラクション的な楽しさもある。あとは地面に貼られた大手町から箱根までの空撮図。上に乗ってだいたい5歩で歩ける距離だけれどこれを走るとなると。いやあ本当に遠い距離を行って帰ってくるんだなあと実感できる。最後の坂道とか翠の良を観るとホント大変そうだもん。そんな山を登って名を挙げた柏原竜二選手がパネル2面で大きく紹介されていたり。顔立ちとか見ると本当にストイックそうなアスリート。まさかその中身が……だったとは、当時誰も知る由がなかったのであったという。人は見かけが0割。

 美少女剣士の無駄遣いも甚だしいけどでも、そこで情けをかけて生き残らせては話が続かない。だからバッサリ。そしてじっとりとこれからを描いていくことになるんだろう松山剛さんの「白銀のソードブレイカー 聖剣破壊の少女」が、間もなく電撃文庫で刊行されてはいろいろ話題になりそうな予感。百剣のレベンスと異名を取る凄腕の剣士が雇われ警備についたのは、古来より世界の平穏を守護すると言われる剣聖たちのうちの1人が暮らす屋敷。剣聖とはかつて地上に現れ7人の女性に渡された聖剣を使う者たちで時代の時々に現れてはその剣を振るい権力者を退け民を守る存在として崇められてきた。今もそうした剣聖たちがいるんだけれど、誰が挑んでも圧倒的にかなわない筈のそんな剣聖が、やって来た1人の少女によって倒されてしまったからレベンスは驚いた。

 なおかつレベンスがエルザという名らしい少女が持っていた巨大な剣に触れると、かつて彼が暮らしていた村を襲った光る眼をした虐殺魔の姿が見えた。父母を殺し妹も手にかけたその存在を少女は剣魔と読んでいた。ずっとその虐殺魔を探していたレベンスは少女が何か手がかりを知っているのではと思い行方を追って、剣聖たちが暮らす場所を尋ねては先回りして少女を捕まえようとするものの、剣を持たせたらとてつもない強さを誇る少女に時に敗れてしまう。それでもどうにか同道するようになった行く先々に現れる剣聖たちは誰もが領民から慕われ崇められていた存在。いなくなったら果てしない混乱と虐殺が起こるかもしれないと知りつつエルザは剣聖を殺していく。何故? 何のために? 平和に仇なすエルザの謎と過去を探るレベンスの旅と戦いを描いたストーリー。世界は混沌に向かうのか。その先に平穏は訪れるのか。続くなら読んでいきたい。続くかな?

 何というか何にもならないというか。いわゆる少子化について女性が働きに出るのがいけないといった論法に仮に与したとして、そうした状況を支えるために「男性はちゃんと収入を得て妻子をやしなわねばならぬ」のだと新聞紙上で正論とぶちまけている偉い女性の先生がいるんだけれど問題は、その収入をちゃんと得させる社会になってないってこにある訳で、正社員を減らして派遣へシフトし雇い止めとか行って働き手にとっては収入の増加であり企業にとっては人件費の増加を抑制しようとする動きがなお強まっている状況を改善し、広くあまねく誰もが生活に必要な収入を得られるよう政策で何とかするって提言を、しているかというとそういう意見はまるでなし。少子化は女性が子供を産まないから起こるんであって女性が子供を産めば解決するんですとしか言ってない言葉を、言う方も言う方なら有り難く頂いて載せるメディアもメディアといった感じ。読んで誰だってそりゃねーわと思うし、そんなメディア必要ねーよと思うだろう。というか必要とされなくなって来ているんだけれど。

 困ってしまうのはこんな御仁が先だってとある日本国でとりあえず1番くらいにお偉いお方の猛プッシュでもって、あのNHKの経営委員に就いてしまったりしたことで、一緒にゼロ戦百ちゃんも入ったりして何を言い出すか、そして何をしでかすかってあたりですでに世間の大いなる感心を買っていたりする。そんな状況下で放たれたこの大いなる空論が、NHK内でも乱舞されたらいっだいどーなってしまうのか、って辺りはさすがにNHK、学会程には厳密ではないにしてもそれなりに根拠のある言論しか番組にしないし放送もしないだろう。ただそうでない、正しく論じることだけが求められる場所は言いたいことがすべてで理屈はあってもなくても許される。媒体的にも読者的にも。だからこれからもすんごい意見が飛び出しては世間を呆然とさせてくれるだろう。まるで生きたびっくり箱。読めば笑いは広がり経営は傾き。ふう。


【1月5日】 体調がやっぱり整わないので遠出は避けて、昨日買ってきた湯島天神のお守りを田舎に送る段取りだけ付けてから電車とバスで新しく出来たイオンモール幕張新都心を見物に行く。幕張本郷駅からさて何に乗っていこうかと見ると経由するバスの路線が出来ていたけど発車時刻まで間があったんで、前にそれで行ったように海浜幕張駅行きに乗って運転免許センター前で降りて徒歩でモールへ。これだと巨大なモールの1番海浜幕張寄りから入ることになるんで歩いて通り抜けるだけでその全体像を把握し易いのだった。が。

 そんな全体像を把握するために歩かされる距離が半端じゃなかった。メインのモールが有るんだけれどもそこの隅から反対側の隅が見えない。なるほど廊下が曲がっているンで見通すことは不可能なんだけれどそれでも途中で屈曲した部分まですら見てとてつもない距離がある。そこからさらに倍近い距離を歩いてようやく辿り着いたグランドモールの隅。そして廊下を渡った場所にあるペットモールというのを抜けてようやくとりあえずの目的にしていた東映ヒーローワールドってアミューズメント施設があるファミリーモールにたどり着ける。

 その距離いったいどれだけか。ふと見ると運転免許センターへとバスが向かう道はとうに幕張本郷の方えと向かっていて車窓からは見慣れない光景が広がっている。京葉線はもしかしたら海浜幕張よりも新習志野の方が近いんじゃないかとすら思わせる雰囲気。それはないと思うけどでも海浜幕張まで歩くのとそうたいして違わない距離を歩けばたどり着けそうで、いっそやっぱりそこに駅の1つでも作った方が良いんじゃないかとすら思わせる。越谷レイクタウンみたいに。まあでもあそこはイオンモール以外に住宅もあれば学校もあって利用も多そう。周辺の開発が進んで利用役が見込めるようになればJRも、そういう判断をしてくれるかもしれないなあ、でも建設費は地元持ちになるんだけれど。

 そしてそこが執着ではなく見るとさらに奧にスポーツ関連の用品とかが集まっているらしいアクティブモールなるものが。そこへと繋がる廊下かみると東京湾が見えて対岸に蘇我か市原か木更津あたりの工場群が見えた。思えば遠くに来たもんだ。いや単に海岸べりにあるってだけのことなんだけれどもそれでもやっぱり僻地感は募る。でも蘇我にある巨大なモールに比べて首都圏に全然近いこの場所が、蘇我みたいには開発されないで今まで放っておかれたことの方が不思議。それだけ需要が見込めなかったんだろうけれども何が変わってこの建設へと至ったんだろう。その勝算は。ナゴヤドームのイオンモールが年末ながらも大混雑って感じじゃなかったのを見るにつけ、今の繁盛が未来にどうなるか、ってところも含めてちょっと様子を見たいところ。

 そんなイオンモール幕張新都心の果たして集客装置になれるのか、ってところで期待のかかる東映ヒーローワールドは、入ってなるほど居並ぶ仮面ライダーとスーパー戦隊ヒーローの像にファン魂はうなるけれど、ミュージアムとしてとてつもなく充実しているってことはなくメインはやっぱり子供たちで、乗り物だとか遊具だとかいったもので遊ばせつつ、場内をぐるぐると回って腕にはめたブレスレットにエナジーを溜めていく遊びをした後で、最後に高い場所に上がってチャレンジをして終わりといった流れになっている。これがなかなか大変で、1周ぐるりと回って腕輪にチャージしただけではなかなかポイントはたまらない。

 かといって連続して装置に腕輪をくっつけてもチャージはできない。30秒だか1分だかの間隔が必要になっていて、だから同じ場所をしばらく経ってから尋ねてチャージする必要もあったりして、それが場内を巡る楽しみでありまた必要性を与えてあっさり終わらないようにしている。いれば場内で飲食もしたりアトラクションにも乗りたくなるもの。そうやって稼いだ先でグッズコーナーで古いのから新しいフィギュアとかグッズを買わせてさらにかっぱぐという戦法。考えたなあ東映とそしてバンダイナムコグループは。まあでも仮面ライダー新1号がサイクロンに乗った姿で飾ってあったりして古手のファンでも見て懐かしめる場所であることは確か。ミュージアムのコーナーは展示の入れ替えもあるだろうから時を見て、通って眺めて遊んで帰って来るのも楽しいかも。V3とか見たいけどいつか入ってくれるかな。

 さてそこからが戻るのがまた大変というのがこのイオンモール幕張新都心という奴で、もしかしたらゾンビに襲われ逃げ込んでもこれだけのデカさならゾンビが侵入してから反対側にたどり着くまで3日3晩から果ては1週間くらいかかるかもしれないでその間に、昼間で動かなくなったところを撃退するとか防備を固めるとか逃げ出すとかいったことが割と出来てしまいそう。大きすぎるってのも問題だね。これだけ大きいモールっていうとどこだっけ、昔アメリカに行った時によったオーランドのモールがデカかったって記憶があるけどイオンモール幕張新都心とどちらが大きいんだろう。そんな巨大なアメリカでもゾンビはモールを襲って人々を全滅させてしまうから、やっぱり大きさは関係ないのかな。教えてゾンビが得意な人。

 さすがに徒歩で駅まで行くのも大変なんでグランドモールの中程から出ているバスで海浜幕張駅へ。そこにある三井アウトレットパークが実にこぢんまりとしたものに見えてきた。あれで結構な数の店が出ているんだけどなあ、まあでもスポーツとかファッションといった、カテゴリーが絞られた店が集まっているからそういう用途をもって行く分にはこっちの方が便利かも。折角だからとニューバランスとかアディダスでランニングシューズを見たけど買ってもきっと走らないから今日はパス、と言い続けて何年くらい。その間に原回りは倍にふくらみ体重計の針は回り続ける。この辺でせき止めないといけないけれど、と思い続けてやっぱり何年。そうやって人は丸くなっていくのであった。

 見たよNHK大河ドラマの「軍師官兵衛」。有岡城に謀反を起こした荒木村重を説得しに行ったまでは良かったけれども捕まって土牢に幽閉されてしまった。ここから1年、幽閉された官兵衛の日々を描くドラマが繰り広げられるらしいんだけれどだいたいが真っ暗で、そしてほとんど寝ている官兵衛をいったいどうやって描くんだろう。これなら動かないハシビロコウの方がまだそのぎょろ目を楽しめるだけマシだよなあ、それとも荒木村重が何週間に1回か搭乗して官兵衛といちゃいちゃするんだろうか、そして腐った目をした女子たちを楽しませるんだろうか、なんちゃって。

 そんなドラマではないんだけれどでも、生涯の全体を通して官兵衛が軍師として活躍するのってそうはないんだよなあ、秀吉の家臣になる前は田舎大名の配下でどうにかこうにか主君の立身出世を助けようとする下働き。それで主君を織田方に付けたものの裏切って立ち話。そこは才能を見込まれ居残ったんだけれども途中で1年に渡り幽閉されてしまって子を信長に切られそうになって竹中半兵衛に助けてもらう。その半兵衛が死んでやっと目が出た黒田官兵衛は、秀吉の中国攻めに献策をして名を立てるけれど、秀吉が死んだあとは石田三成と対峙しして徳川家康方について関ヶ原の戦いを乗りきりどうにかこうにか命脈を保つ。それが1番大事とはいえ武勲とか忠義といったものから外れたドライさがありそうな生涯を、いったいどうやって描いていくんだろう。やっぱり生き抜くことが大事ってことなのかな、文字通りに生き抜いて戦後まで行くもんああ、黒田家福岡藩。


【1月4日】 熱があるのか咳が出るのか調子が良くないのでひたすらに眠り起きたら朝。体調はやっぱり芳しくなく遠出するのも憚られ、ましてや高校サッカー選手権の観戦だなんて寒風にさらされる状態もたまらないと遠慮して都内を散策することに。とりあえず昨日の11時頃に行ったら長蛇の列だった湯島天神を再訪問。三が日を過ぎて時間も午前10時だったせいかあんまり参拝客もおらず行列に並ぶことなくすーっと拝殿の前まで行けたんで、そこでお賽銭を投げてからお守りを買う。別に僕が受験って訳じゃなくって弟の子供が大學受験ってことでそのお守り。でも遠く名古屋にまで御利益が及ぶものなのか。太宰府から京都に雷を落とすくらいに強い神様だから名古屋東京間なんてひとっ飛びか。

 だんだんと増えてきた受験生たちを横目に参道を出て途中にあった大阪焼の店で2枚500円のを買って貪り食って朝食。そこからさてどこに行こうかと考えたけれど秋葉原に行っても何か買う余裕はなく、原宿に行ったところで綺麗なカップルとか縁遠い美少女たちを眺めるのも虚しいんで、日比谷へと出てそこから歩いて有楽町まで行って昨日あったとう新幹線沿線の火災現場を見物。おおなるほどここはまさしくいつも通るパチンコ屋とゲームセンターの入った建物。丸焼けって感じじゃないけど中はしっかり焼けているようで現場検証が入ってた。気になっていたラーメン屋さんは健在で営業する気満々。さらに現場に近いコンビニエンスストアも営業していたけれど、その隣のマツモトキヨシは閉まってた。ここが防火扉になったのかな。1番遠い果物屋は閉まっていたけど土曜日だからか。週明けにまた見に行こう、ラーメン屋も寄れたら寄ろう、別に美味いって訳じゃないけど。

 いろいろな場所で福袋も出ていたけれど買う金もなく、銀座を通り抜けて京橋あたりにあるカフェでしばらく読書とか原稿書きとか。なぜか野崎まどさんを読み返す羽目になったけれども何度読んでもやっぱり面白いなあ、と。世間的には「know」でようやく知られて日本SF大賞が今年から始めた一般からのエントリー受付でも幾人かが応募していたりするけれど、それ以前に書かれた作品でも存分にSF界隈で戦えるんじゃないかって思えてきた。どれかを言うとネタを割ってしまう可能性もあるから言わないけど。「独創短編シリーズ 野崎まど劇場」ではないよ、これはその存在自体が「凄まじく・不思議」な意味でのSFだから。そんな日本SF大賞はほかに酉島伝法さん「皆勤の徒」と長谷敏司さん「BEATLESS」、そして大森望編<NOVA>シリーズが人気みたい。この辺に1作加えて最終選考となるかどうか。でも見るとやっぱりSF界隈が読んでそうな本って印象かなあ、もっと突飛なところから入れて来ないとオープン化した意味ないよなあ。

 んで読んだ大泉貴さん「東京スピリット・イエーガー1 異世界の幻獣、覚醒の狩人」(このライトノベルがすご! 文庫)はネットゲームと絡めた異能バトルってところがちょっと前に出た上智一麻さんの「仮想領域のエリュシュオン 001 シンクロ・インフィニティ」(MF文庫J)と重なる部分もあったけれど、「仮想領域のエリュシュオン」が純粋にネットゲームの中が舞台でそこに生まれるバグと戦う話が「東京スピリット・イェーガー」は現実世界に重なってファンタスティックな世界の侵略めいたもがあって、それに少年少女ほかネットゲームで実力を試された者たちが武器を与えられ、魔法の力を持たされて挑むというストーリー。ゲームそのものとは直接的な繋がりはなくって現実世界に重なるように異世界があって、そこを舞台にゲーム的な戦いをする、って感じかな。

 だから普通の人は怪物が現れ暴れた時にその存在を知覚するけれども、イエーガーと呼ばれる選ばれた戦士たちによって怪物が倒されると何も覚えておらず、被害は例えばゴブリンが暴れても猿が暴れたことになり、建物などへの被害もガス爆発があったとか事故があったってことに置き換えられる。ただし、なくなってしまう訳ではなく戦いで命が失われれば戻ってくることはない。それでかつて1人、飛行機の中に現れた怪物と戦い倒したものの命を失い、その代わりに飛行機を救った青年は還ってこなかった。そんな過去が登場人物たちに後に絡むという話も踏まえつつ、ストーリーはそうした世界があることを知った少年が、かつてそうした世界で戦っていた少女に誘われ引っ張り込まれて前線に立つという展開。

 ただし少女は過去に悲しい出来事を経験して今は魔法が使えなくなって、戦いの現場から脚を遠ざけていた。もっとも、そこに現れた少年の半ば挑発もあってか少女は再び戦いの場に身を投じ、スライムに服とか溶かされたりしつつも少年の覚醒めいた力の発動を受けて助けられたりして戦いの勘を取り戻していく。そして現れた強大な敵。さすがにかなわずもはやこれまでと思われた時に、少年との間に一種の共鳴が起こって敵を倒してそして少女は戦線に復帰するという快復のストーリーも絡んでくる。少女は学校では委員長然として生真面目なのに実は中二病気質で、技名に凝ったものを考え出しては少年に与えようとしたりする二面性も。少年はなぜか居眠りが多く過眠症も疑われていたりする暗めの生徒だけれど、少女との出会いが病気の原因とも繋がって新しい居場所を得る。そうして始まった戦いの行方は。そして地球の運命は。手軽に読めて奥深さもあって楽しめるシリーズになりそう。巧妙な書き手になったなあ、大泉貴さん。

 せっかくだからと日本橋の丸善に行って1万円の福袋(1万2800円のペリカンの万年筆とか手帖とかブックカバーとかスマホスタンドとか双眼鏡入り)を買うかどうか悩んで止め本の売り場で木村元彦さんによる「オシムの言葉」の文庫版でなおかつ増補改訂版を買う。ちょっと前に「Number」に掲載されていた、オシムさんがボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会の正常化委員会委員長として成し遂げた業績についての1文が加わっていて、ああだから文藝春秋からの刊行なんだと理解する。前は集英社だったから。内容事態はだいたい「Number」のものと一緒だったけれども改めて読んでもその偉績に頭が下がる思い。戦争という悲劇を経て疑心暗鬼が未だ残っていることから3人のサッカー協会会長が順繰りに就任していたことが、FIFAとUEFAに咎め立てられ国際試合から排除されそうになった、というのが第1幕。けどそれはやっぱりサッカー的に良くないだろうとブラッター氏、プラティニ氏というサッカー界の頂点2人から直々に声がかかってオシムさんが正常化委員会のトップに引っ張り出された。

 そこから始まる活躍は本文を読んでのお楽しみ、というかこれは楽しんで良い話ではなく、戦争という悲劇が残したとてつもないわだだまりとどうやって解いたらいいのか、というところで過去に冒した諸々を見過ごしむしろ忘れようとして逃げ切ろうとしている日本にとって、真摯に耳を傾けるべき警句に満ちたシリアスな話になっている。何しろ1万人近い人たちが虐殺されたりもした事件を経ての今。たとえ謝罪があって和解があったとしても遺恨は残り、そしてそんな遺恨が反意を招いて暴発しないとも限らない。さらにもう1つの勢力もやっぱり強い主張を持っている。どこかを立てれば2つが憤るような難しさの中で誰もが納得の行く落としどころをどう見つけるか。見つけたとして誰が提示すれば通るのか、ってところで引っ張り出されたのがオシムさん。それは過去に特定の勢力に阿らず偏らないまま生き、その姿勢を見せ続けたからこそ誰もが認めざるを得ないと考えられたからなんだろう。

 それでも遺恨は残る。けれどもそこに旧ユーゴスラヴィア時代にオシムさんが成し遂げた数々の偉業が周囲の理解を誘ってどうにかこうにか収まっていく。険悪になれば持ち前のユーモアで場を和らげ、それでも聞くべきところは真摯に聞いて最善へと導こうとするそのタフでフェアなネゴシエーターぶり。ただただ感心するより他にない。もしもオシムさんがそこにいなかったら? ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会はまとまらず国際試合から排除されそしてワールドカップ2014ブラジル大会に出場することもかなわなかっただろう。

 なるほど僕たちは2007年にオシムさんを日本代表監督から手放すことになって彼がやろうとしていた日本サッカーの成長を見損なってしまったけれど、でもその結果として療養のために欧州に戻ったオシムさんをFIFAとUEFAは引っ張り出せた。そしてボスニア・ヘルツェゴビナがW杯出場を成し遂げサッカーの歴史に新しい1ページが加わった。だから良いのだ。これで良いのだと今は思う。そりゃあ見たかったけど、オシム監督が成熟させた日本代表のサッカーを。でもそれは遠藤選手が今なお主力としてピッチに立ち続けていることに繋がっているかもと思えば良いのかも。あそこで他の誰かだったら、走らず動かず視野を広げないまま埋もれていったかもしれない訳で。ともあれ凄い人。ジェフサポ的には増補されていない文庫になる前の部分を読むのは懐かしくてそして今を思って悲しくなるので読みたくはないのだけれど、でも読まないと明日へと進めないなら読まないといけないけないのかも。というか今の経営陣とか真っ先に読めやゴラ。的な。


【1月3日】 慶応大学が帝京大学に粉砕されるラグビーの大学選手権を見ていたらら記憶がすーっと薄まってそして微睡みの中に見た夢は、平針小学校という名古屋にある小学校の横でなぜか拳銃を持った殺し屋に追われている僕が横にあった河に飛び込み潜ってどうにかこうにか相手をやり過ごしてから近所にある雑貨屋へと逃げ込んで、そこで店員なんかをやっていたところに美少女のアンドロイドの殺し屋がやって来たんで手にした拳銃うで額を何発か撃ち、固い引き金を頑張って引いて全弾を撃ち尽くしてから起き出す可能性を考慮して両腕を根本からノコギリで切り離したんだけれどそれでも不安なんで別の拳銃で耳穴から脳内を撃って留めをさしてもない復活の不安に怯えているという内容。まるで繋がらず意味もないけどいったい何がこんな夢を見せたんだろう。アンドロイドでも尋ねてきて欲しいという願望? 分からないけれどでもアンドロイドでも来て欲しいなあと思う正月。

 これで実家にいればまだ賑やかだったかもしれないけれど、それだと帰宅が3日すなわち今日になりそうな感じもあってその場合、例の有楽町での火災による新幹線の普通に巻きこまれて駅で大変な目にあった可能性もあるから1日の帰宅で良かったのかも。今日あたりを移動の予定日にあてていた人たちはきっと大変だろうなあ、何しろ東京ドームで行われるアメリカンフットボールの日本一を決めるライスボウルに出場する学生代表の関西学院が、一部の控え選手とかスタッフとか応援の人たちなんかが新幹線で足止めをくらって東京ドームまでたどり着けるかどうか悩ましいところ。選手たちはいるから試合は出来るんだろうけれど、晴れの舞台に全員をそろって挑みたいという心理はあるもので、それを叶えるために試合開始時間を遅らせるとかすればなかなかの心意気、なんだけれど果たしてどうしたんだろう。まあでもオービック・シーガルズが勝つよなあ、社会人圧倒的だもんここんところ。

 甥が何か大學受験らしいんで湯島天神でお札か破魔矢でも買おうかと向かったらすごい行列だったんで諦める。良いのか? まあ自分じゃないし。神頼みや良くないし。何のこっちゃ。松の内が明けたらちょっと行って来よう。でもって湯島から歩いて上野へと回って不忍池にある弁天様にお参り。学芸とかの女神さまだから祈ればいっぱいお仕事とか来るかなあ、去年は珍しく文庫の解説とか文庫の帯とかのお仕事があったけれどもそういうのが来るのってオリンピックの頻度とだいたい一緒であんまり仕事といった感じがしないのだった。せめて1クールに1本くらいあればもうちょっと世間に存在感を覚えてもらえるんだろうけれど、メーンとしているライトノベルにはそうした解説の場ってのがないからなあ、まあ仕方がない、仕事でなくても読みたい時に読むのが僕のポリシーなんで、今日も明日も面白いものを読み続ける。自腹でな。

 そんな1冊として読んだ入間人間さんの「僕の小規模な自殺」(メディアワークス文庫、530円)は、未来から来たというニワトリがある大学生に対して彼が良く知る女の子、熊谷藍が3年後に病気で死んでしまうと予言するところから始まって、だったらどうやって防ぐのかと大学生は、その熊谷藍を病気にならないよう、健康でいさせるためにランニングをさせたり食事制限をさせたり空手道場へと連れて行ったりするというからちょっとおかしいというか、入間人間らしいというか。まあでも何か明確な敵だったら、彼女に寄り添い守れな良いんだけれど病気では空手が黒帯になったところで直接的には防ぎようがないものなあ。もっともそんな空手の訓練が後で藍とか大学生を救うんだけれど。

 実は特段ガールフレンドという訳でもなく、知り合い程度な割に藍は大学生の言うことを聞いて、近所をランニングしては脇腹の痛みに四苦八苦したり、空手道場で初心者として懸命になったりする。そんなところが藍はもしかして大学生に気があるんじゃないかと思わせるけれど、どうにもそういう深い関係にはいかず、藍は空手道場にいたイケメンの男とつき合い食事に行ったりデートに行ったりする。それでも食事が用意してあると電話を受ければ大学生のアパートにやって来て、ちょっとした用事で留守だった大学生の作った食事をペロリと平らげ帰っていくというから、何というか八方美人というか。そんな藍のために大学生は未来から送り込まれてきた刺客ともいうべき犬と戦い、蛇に脅されそして遂に熊まで相手にすることになる。

 そうまでして藍を守っていったい何が起こるのか、というところが実はミソ。藍は救われる。けれども世界は逆に大ダメージを受ける。藍以外の大勢が死んでしまう。もちろん大学生も。もしも歴史どおりに藍が死ねば、大学生も含めて人類はダメージを受けることなく生き続けて繁栄する。そんな未来を知ってなお、藍を密かに思っていて、本来だったら彼女とくっつくはずだった男は、彼女を運命に差し出すことを厭わない。数年の逢瀬を楽しみそして自分がたすかるという我が侭さ。でもそれが普通の態度。けれども大学生は藍を救おうとする。世界も自分もなげうって。「人類vs彼女。」という帯の文句がそこに大きくかかって来て読者の判断を試す。どっち? 彼女? 人類? 彼女といっても自分のものになってくれる訳ではないところもポイントだけれど、それでもやっぱり藍を選ぶ男気の方を、讃えたくなるなあ、それくらいに可愛いんだ、藍って。

 上野でモネとはいいながらもモネとその辺りを集めた展覧会を見てから、茅場町のVELOCHEでぼんやりと暇をもてあましていたら、ツイッターに浜野保樹さんが亡くなられたとの報。そんな歳でもあるまいし、いったいどうしてとは思いつつ脳梗塞とかいった情報にやっぱり怖いなあと思うと同時に、浜野さんが日本のニューメディアでありマルチメディアでありデジタルコンテンツでありエンターテインメントの界隈に果たしてきた役割を思うと、その急な訃報がひたすらに惜しまれてならない。今でこそ何万人もの観客が集まり大にぎわいの文化庁メディア芸術祭が、まだ始まったばかりの頃から審査員というか実行委員として頑張って、世の中が認めようとしなかった漫画でありアニメーションでありゲームでありメディアアートといったものを、表彰の俎上に乗せて評価し芸術として認めさせてきた。

 その積み重ねの上に今のクールジャパンという、これは内側からというより外側からのコンテンツへの敬意があるとしたら21世紀の今のこのコンテンツにとって幸せな状況を生みだした1人ってことになる。別に国に認められなくたってアーティストはクリエーターは勝手にやるだけだって意見もあるけれど、でもやっぱり認められれば嬉しいってことを随分と前にメディア芸術祭で賞をとった堀井雄二さんが話していた。後進の励みにもなっただろうし新しいコンテンツも生まれただろうし、日本というものがそうした先端の文化に抱く寛容さを見せることで、世界に文化国家という認識を与えて来た。それだけのことをやり続けてきたこの20余年。ようやく花開いてさあこれから世界に打って出るぞって時にいなくなってはいけない方、なんだけれど……。ともあれ今はご冥福を祈りつつ、その偉業を讃えたい。今度の文化庁メディア芸術祭でこれまでの貢献を讃えられないものかどうか。文化庁には考えて欲しいけど。果たして。


【1月2日】 夢は見たけど忘れたから見ていないも同然な初夢をやり過ごして、午前6時に起床し埼玉県は久喜市にある鷲宮神社へ。例の「らき☆すた」によって大人気となってかれこれ6年とか7年になってその頃から、参拝を続けて来たけれども毎年元旦とかになると行列が鳥居を出て道路をはるばる何百メートルとかいった長さで伸びていたりすることもあるんで、朝早くにいくのがここのところ習慣づいていた。まあ元旦だけで2日目以降はそんなことはないと思いつつ、用心に越したことはないとやっぱり早朝に出て電車を乗り継ぎ辿り着いたのは午前8時少し前。参道に行列はなくすんなりとお参りしてから午前8時スタートとなていた富福銭をちょっとだけ並んで拝領し、おみくじを引いてお札を買って鷲宮神社での参拝を終える。なんだこのスムースさ。来年も2日目以降に来ようかな。

 いつもはイラストとかが描かれた絵馬が下がっている場所が半分くらい、おみくじを結ぶ場所になっていたんで絵馬が鈴なりになっているという光景は見られず。これは大晦日を持って役目を終えた絵馬を回収して治めた後で、新しい絵馬が並ぶまではまだ数が少ないことへの配慮だと思われるんで、月日が過ぎればだんだんと、痛い絵馬で埋まっていくことになるんだろう。そんな絵馬で知った「らき☆すた」が始まって10年という年月。アニメーションが放送されてからはまだそんなに経ってはないけど、それでも7年とか8年とか。その間にいろいろと盛り上がって参拝客が10倍に膨らみ、ずっと維持を続けながらも突出してそうした条件が目立つということもなくなり、風景の中にすーっと溶け込んだっていった感じがしてる。

 とはいえ決して隠れているという訳でもなく、気になる程度には見えるけれども気にするほどではない日常。そんな混ざり具合がひとつの成熟ってものを感じさせる。この後いったいどうなるんだろう。衰退だろうか。それとも溶け込んだまま慕われ定着し伸びたり戻ったりしていくんだろうか。いわゆる“萌え興し”であり“聖地巡礼”の成功例の、その後のケースとしてちょっと注目したいところ。もちろん今なお支えてくれている地元の商工会の面々の尽力があってこその“日常化”ってことも十分に理解している。何もなしに人気が続き盛り上がりが続くってことはあり得ないから。ただそうした尽力を受け入れ共に育てていこうとする心理が衰えてもやっぱり先はない。そうした意識を誰もが自然に持ち得るようになったのか、まだまだこれからなのか。他の地域ではそういう関係性は築かれているんだろうか、やっぱり鷲宮が特別なのか。メルクマールであり分水嶺であり羅針盤でもある鷲宮ケース。見守りたいし可能な限りは通い続けよう。

 聞くと午後には行列が鳥居の外まで延びていたそうで、やっぱり早く行って良かった鷲宮神社。やっぱり来年も早めに行くか。でもって東武線を乗り継ぎ牛田まで出て、そこから京成に乗り換えていつもの中山法華経寺へ。別に日蓮宗でもないんだけれども、近くにあるお寺で1番大きいってことで行ってみたらこれがなかなかに賑わっていて、以来毎年のように初詣はこの来てお参りしている。それからここにある鬼子母神さまが、厄よけに良いと聞いて本厄だったあたりから前後して3年、通ってお札を収めてご祈祷してもらったら健康とかに問題もなく過ごせたんで、もう外すに外せなくなってしまった。いやまあ健康に被害はなくても会社は傾き結果として潰れてしまったし、今はその大家がひたすらに傾きを強化してピサの斜塔も抜いてしまったみたいだけれど、こっちの健康には関係がないので、別に知ったこっちゃないのだった。

 調べるとこの法華経寺、日蓮が滞在したお寺ってことで、真筆という「立正安国論」が国宝として保管されているらしく、その意味では結構な名刹。とはいえ中は荘厳ではなく庶民的で境内では猿まわしなんかもあってお正月のお寺、って気分を味わわせてくれる。2日目ってことでいつもなら参道を挟んで伸びている屋台がちょっと少なかったという印象。あとそれでも朝まだ10時頃だったんで参道まで延びる行列もなく、本殿はすっとお参りが出来たし鬼子母神の方もお札を収める人たちの行列は外まで伸びていたけれど、普通にお参りするのは行列もなくスムース。ご祈祷の声を前に聞きつつ頭を垂れて、鬼子母神さまにお祈りをしていろいろと仕事が入って名前が売れて欲しいなあとお願いする。傾いてる会社はそのまま横にゴロンとなってくれれば踏ん切りもついて良いんだけれど、妙なところでねばり強いからなあ、まあ崩れる時は一気に行くだろうしからその時はその時だ。

 境内で猿まわしを見たのはこれで何度目くらいだろう、去年もいてたしかお捻りを上げたからしばらく続いていることは確か。来ているのは太郎次郎一座で大昔にテレビで人気になった太郎と次郎のコンビで知られる村崎太郎さんが作った会社の人ってことになるのかな。しばらく途絶えていた周防の猿まわしを復活させた「周防猿まわしの会」を今は出て東京を拠点に猿まわしとか芸人の派遣なんかをやっている様子。来ていた人が誰だったかは分からなかったけど、猿が声援にこたえて腕を上げたりお捻りをもらいたいと土下座をしたり仕草がとても決まっていたのは、しっかりと調教が出来ている現れか。伝統芸能であると同時に現代ならではの興業としても成り立つようなシステムを、ちゃんと作りだしたってことになるのかな。素晴らしいなあ。そしてよく頑張った。僭越だけれど拍手喝采を送りたい。お捻りもちょっとだけ出した。四角いのは無理だから1番大きい丸いのを。

 もはや歌舞伎をそういう人がいないように、猿まわしもその芸人という響きいに含まれていた裏側の意味合いなんかが、今はもうほとんど取りざたされることもなく、普通に日常、って訳ではないけれどもこうした晴れやかな場所で、芸を見せて喝采を浴びる年中の光景になった感じ。でもふとした弾みで今は外側に向かっている醜い言葉が、行き場をなくして今度また内側に向かった時に、その先に立たされないとも限らない。人は下らないプライドでも守りたいと思い自分以外のどこかにはけ口を見つけてそこに醜い言葉を向けたくなる性質をなかなかなくせないものだから。

 でもそれを教育で、あるいは情操によって埋めてきたのがこの近代、そして現代に至ってさらに続く未来のために言葉を操り情念を不当に滾らせない道を、作って行かなくちゃいけないんだとこの正月に改めて思ったんだけれど、そんな思いを吹き飛ばすかのように特定とはいえ新聞紙上で狭い場所に矛先を向けて、手前のプライドだけを慰撫してたりする所があるから嫌になる。それがいったい、国民の生活向上にどんな意味がある? 世界の安寧に何の効果を現す? むしろそちらを願う大半の心は離れているのに、狭いところから大きく響く喝采だけを聞いて隘路を進む。そのどん詰まりの行き先に届いた果てに来るものは? それも考えてみたけれどあんまり明るくはならなかった。来年もちゃんと法華経寺で猿まわしを見ながら笑って楽しんでいられると良いけれど。

 時間もまだ早かったんで、総武線で両国まで行って江戸東京博物館で大浮世絵展を見たら結構な人が来ていた。みんなそんなに浮世絵が好きなのか? まあ正月ってことで行く場所も限られる中で、2日から営業を始めたこういう施設に人が集まるのも仕方がないってことなのか。見渡すと外国からの人も多々。やっぱる浮世絵は良いよねえ、って意識。でもって「ウタマロー」と叫びたい? その意味は知らない。喜多川歌麿もいれば東州斎写楽もいたりとオールスターキャストな展示はさすが江戸。葛飾北斎もいたしちょっと前にネットとかで騒がれていた、北斎の娘の応為の肉筆画もあった。巧いなあ、父ちゃんより巧いかも。応為といえば名前はお栄で杉浦日奈子さんの漫画「百日紅」の主人公として父親を助けつつ自分でも絵を描いていたっけか。可愛いけれども苦労人。でも才人。そんな人をこそ主人公にしたドラマが見たいんだけれど、やってくれないかなあNHK。

 ともあれ場内は沢山の展示物。そりゃあ海外にだっていっぱり流れたけれどその生産地に残ってないはずがないからね。ちゃんと気がついて集めて揃えたからこそこうして展示も出来るって訳で、散逸が心配されるアニメ漫画等々もちゃんとどこかに保存してあると信じたいけど、浮世絵はひとつの最終形態だから保存されてもセル画とか原画とか漫画の原稿はあくまでプロセスだからなあ、いや漫画の原稿はまだ最終に近いか。でもやっぱり保存となると山は高そう。そういうのを早くどうにかしないといけないのに、政治は相変わらず自尊心だけを満たす方向に走りがち。それで日本を取り戻す、というか自分のプライドを取り戻している間に足元では様々なものが削られ失われていく。それを見て見ないふりをする政治と、そんな政治に喝采をする人たち。気がついたら依って立つ足元が薄っぺらで小さくなっていたりして。いやもうなっているけど気づいていないふりをしているだけか。日本を売り渡す。結局そこか。それが狙いか。


【1月1日】 っていうか極めてプライベートなことを公共の電波を使って言って良いのかって意見も出そうだったAKB48の大島優子さんの卒業宣言、でもすでにして映像付きでアニソンは唄われるは声量が絞られて聞こえないはふなっしーはヒャッハーッ! と暴れ回るはくまもんはあおりを食らって弾かれるは、綾瀬はるかは噛みまくるは鉄拳は出番を削られるは北三陸なんてありもしない場所からのライブ中継をしてみせるはと散々っぱらわがまま勝手がまかり通っていたNHK紅白歌合戦。そのグループの中心メンバーがいなくなるというのはプライベートではあってもオフィシャルなものだからああいった場で喋って構わないという意見に今は傾いている。

 とはいえ他が他だっただけに随分と埋もれてしまった感じ。晴れ舞台の紅白での発表という、かつてだったら絶好なはずのタイミングが今回の紅白ではただの1トピックに成り下がったというその門出が、果たして将来にどんな影響を与えるか。見守りたいところではあるなあ、「安堂ロイド」での二重人格の女性科学者役はとっても巧みで怖くすらあった。演技は出来るし声優だって「メリダとおそろしの森」でちゃんとした物を聞かせてくれた。だから役者としては立って行けそうだけど、それもけっきょくのところは役次第。どんな演技をしてもらいたいか、それにどう答えていけるのか、ってことになるんだろう。さてはてどんな役者になっていくのか。前田敦子の突拍子もなさを超えるのか。気にしていこう。

 そのまま見ていたカウントダウンTVできゃりーぱみゅぱみゅが紅白とは違ってすっきりとした衣装でもって「にんじゃりばんばん」「つけまつける」「もったいないとらんど」なんかを披露。やっぱり1番2番のあとにくる転換の部分があるなしであの曲の印象ってガラッと変わるよなあ、ちょっぴりの切なさと優しさをそこで感じさせて、でもと切り返してまた元のがちゃがちゃとして賑やかな世界へと戻っていく、あの感じを全部味わってこその歌なんだと思うんだけれどテレビって阿呆なのかサビしかやらない、CMとかで使われている。それってもう歌への冒涜に他ならないんだけれど平気でやってしまいそれもアーティスト側が受け入れてしまうところに音楽の、共倒れ化への道筋が見えるよう。でも年末年始はそれでもいっぱい、音楽番組があるから有り難い。

 今はディーヴァ系もいれば若いアイドルユニットもいてカントリーもいる。アメリカとかイギリスで新人アーティストを発掘するオーディション番組が盛んなようでそこから出てきた人も結構な数いるみたい。それらがだいたいにおいて巧いというのが向こうのエンターテインメントの水準って奴だから見ても聞いても安心できる。巧くて幅広い、そんな欧米の音楽シーンを見ずして音楽なんて語れないかな、って思ったら、ちょっと見なきゃって気も起きてきた。映画見てないし洋楽番組見てなかったら知らなかったけど、映画「ムーラン・ルージュ」でクリスティーナ・アギレラやPINKが参加してた「レディ・マーマレード」とか素晴らしかったもんなあ。頑張って遅れを取り戻すのを今年の目標にしよう。

 何だろうねえ、アメリカ政府が安倍晋三総理の靖国参拝に当たって早々に出した「失望した」ってコメントを巡っていやこれはもうちょっと程度の軽い物でそれが証拠に過去に何度も出されているものだから難しく考えなくて良いよとか、日本語では「失望」って仮翻訳されていてもそれはあくまで仮翻訳に過ぎなくって「がっかり」程度のニュアンスなんだよとか言ってみたりする勢力が割といたりするけれど、どっちにしたってアメリカ政府が好ましくは思ってないってことは確かな訳でそこでニュアンスを探って角の立ち具合を検証するのははっきりいってばかばかしい。

 なおかつ「失望」って意味に捉えたとしてもそれは靖国参拝そのものではなく、それによって起こった周辺諸国との軋轢に失望したってことなんだよ、だから靖国参拝にあんまり異論はないんだよ的な解釈を繰り出す人もいたりするけどこれだって、靖国参拝という事態がそんな混乱を巻き起こした訳で結果に失望したならその原因にだって失望しているのは明白。けどそう言いたくない人たちっていったい何とたかったってるんだろう。結局のところそうやって言葉を弄んで本質から目を遠ざけようとするスタンスが、不興を買っているんだからもうちょっと、意味を掴んでその上でイエスかノーかをはっきりすれば良いのに。

 久しぶりに元旦を地元で過ごしたんで近所にある針名神社と秋葉山に初詣。針名神社はもう昔っからある神社なんだけれど氏神様って感じでもなく割に広い土地を持ってて参道も本殿も立派なのは何か結構な由緒があるんだろうか。調べてないけどそうでなくても近隣に増えた住宅からわんさと人が集まり夜とか昼とかすごい行列ができているのにはちょっと驚き。昔は本当に地元の人しか来なかったものなあ。まあ鷲宮神社みたいにはならないからその意味では安心だけど。秋葉山はその昔に織田信長が桶狭間の合戦に行く途中に戦勝を祈願したとかいう逸話もあってなかなかの由緒だけれどそんなに派手な訳じゃない。相撲部屋が名古屋場所で宿舎にしてたけどそれも去年までみたい。でもやっぱり変わらない信心は田舎ならではってことなのか。

 そうか天皇杯は横浜F・マリノスが勝ったのか、Jリーグを翌年に控えた天皇杯で優勝したことはあっても、J開幕以降はずっと勝てなかっただけに古くからチームに関わっている人たちは感無量だろうなあ、たとえばゴールキーパーコーチの松永成立さんとか、自分が手にしてから後、ずっととれなかったタイトルに再び巡り会えたってことになるだけに、これで喜び終わりじゃなく、来年以降も掴み続ける大切さって方向でチームを鼓舞していくことになるんだろー。そうなるとなかなか厄介なチームになりそうだけれどでもジェフユナイテッド市原・千葉はJ2なんで関係ないのだった。せめて天皇杯で当たれれば。広島は中島浩司さんに出て欲しかったけれど流石に緊迫したゲームにそうした場面はなし。残念だけれどそんな試合にベンチ入りしてみせたってことをもってその偉大さを讃えたい。本当にほんとうにお疲れさまでした。


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