縮刷版2013年6月中旬号


【6月20日】 目覚めたら午前7時でそして始まったFIFAコンフェデレーションズカップ2013ブラジル大会のグループリーグ第2戦「日本代表対イタリア代表」は、序盤から日本が前へ前へと押し上げつつしっかりとボールをそれも素速く回してイタリアに付け入る好きを与えないまま好機を散々に演出しては、長くイタリア代表に君臨し続けている守護神のブッフォンを惑わせ選手を倒させてPKを得てそれを本田圭佑選手が今度は横へと叩き込んでまず1点。さらに中央でボールが足下に入った香川慎司選手が反転しながらボレー気味に蹴り込むとブッフォンはまるで動けずゴール隅へと入って2点目。これでもう勝ったと持ったらそこはイタリア、さにあらずピルロ選手のすばやいコーナーキックをあっさりと叩き込まれて2対1へと迫られる。

 さらにサイドを崩されて蹴り込まれたボールを内田篤人選手がオウンゴールしてしまって同点に。その後にバロテッリ選手がPKを得れば岡崎慎司選手がヘディングを決めたりして3対3の同点となってこれで引き分けでも良いんじゃないかと思った瞬間。前掛かりだった攻めての裏を付かれるようにボールを運ばれイタリア代表でも期待のジョビンコ選手に見事に決められ勝ち越され、そのまま敗戦となってコンフェデからの敗退を余儀なくされる。印象としてはまあしゃあないといったところで、あれだけ前目にかかれば後ろを取られるののまあ当然。とはいえそこを抑えておけば勝てた試合でもあった訳で、とりわけピルロ選手のコーナーキックに対する油断はちょっと見ていてだらしなかった。

 エアポケットのような瞬間をかぎ取る一流選手ならではの凄みといえば言えるんだけれど、そういう瞬間を作らないことは日本にだって可能。それが出来なかったことをまずは悔いて改めておかないと、本当に真剣勝負を余儀なくされるワールドカップの本番でも、同じことをやらかしかねないから要注意。センターバックが吉田麻也選手のほかに替えがきかないってのが問題なんだよなあ、今野泰之選手じゃやっぱり違うし栗原勇蔵選手はなかなか使わないし。水本裕貴選手とかいろいろいるとは思うんだけれどどうして試さないのかなあ。怖いんだろうなあ、やっぱり。逆に攻め手に関しては香川選手がサイドに張り出し長友選手のオーバーラップの道をふさぐようなことがなく、巧く入れ替わりながら前へ中へと攻めていってそれがチャンスを作り出した。右でも似たようなことが出来れば万々歳だけれどそれがなくとも攻め手が多かったこの試合。吟味してさらにパスワークを極めていくことでポゼッションの高いバルサみたいなサッカーだって出来るようになるかも。見守ろうその完成を。

 そうそう「攻殻機動隊ARISE」の大特集が掲載されていた「TV Bros.」ではきゃりーぱみゅぱみゅの26日に発売になる新しいアルバム「なんだこれくしょん」のレビューも載っていて、この雑誌に連載を持っている掟ポルシェさんが印象として褒めちぎっていた。「本当に本人が書いていたら舌を噛んで死にたいレベルに面白過ぎな本誌連載コラム『あたしアイドルじゃねえし!!!』も絶好調」という前振りこそ掟ポルシェさんらしい弄りだけれどことアルバムについては「キャッチーにも程があるタイトルがすべてを物語っている」と言い「これらキンキー・ポピュラーな楽曲の数々は、中田ヤスタカが本来持つ狂気の入り混じった言語センスが、きゃりーのポップ過剰アイコンと何周かの相互フィードバックを経て辿り着いたベニテングダケ・パーティー」って具合に、真正面から誉めているかどうかは分からないもののとにかく凄いものが出てきたってことは強く激しく感じられる。

 というか掟ポルシェさんも同様に凄まじい言語センス。ハローキティと草間彌生を持ち出しその間に位置づける置き方の表現が実に秀逸で、レビューとはかくありたいと思わせるけど真似出来ないなあ、僕には。そんなきゃりーぱみゅぱみゅを「MUSIC MAGAZINE」の2013年7月号ではトップ級に大特集、っていうか表紙がそもそも似顔絵のきゃりーぱみゅぱみゅだ。取り上げるんだってな驚きもありつつ編集後記を読むと1月号でも表紙を飾ったそうだから、アイドルとかアイコンといったものとは違う真っ当な音楽のシーンからも注目は集めていたんだってことをうかがわせる言葉。そして実際に記事を読むと「なんだこれくしょん」に対するレビューは自分をアイドルじゃないというきゃりーぱみゅぱみゅに違和感を感じていたレビュアーが、けれどもこれらを聴いてそうなのかもと納得してしまえるくらいの物に仕上がっているらしい。

 それでもアイドルだというんだとしたら「そりゃあ可愛いからだよね、嘘はいけない」という言葉。見栄えが良くてそれでいてアーティスト。あるいはシンガー。そういう存在だと音楽シーンが認めたってことになる。何か凄いことなのかも。もちろん「MUSIC MAGAZINE」には本人へのインタビューも掲載されてて、ライブで拍手をしようとか「つけまつける」でアクションをしようと呼びかけるのは自分がアイドルではなく、だからヒューとかパンパパンといった合いの手も拍手ももらえない中で静かになりがちなお客さんに参加意識を促して、ライブをいっしょに楽しいものにしていこうって考えから生まれたものだとか。

 なるほど確かにあれをやると開場に集中が生まれて一緒になって空間を作っているような気になれる。海外だとそれぞれが思い思いに乗ってそれが総体として賑やかな方に行くから良いんだけれど、日本ってのは突出を恥ずかしいと思ったり嫌がったりする空気があるからなあ。それを壊すにはやっぱり何かが必要だって分かってちゃんと行動する。その勘所の良さってのが今のこのポジションにきゃりーぱみゅぱみゅをいさせているのかも。「MUSIC MAGAZINE」にはあと地下音楽愛好家と海外で活動する日本人アーティストの双方から見てきゃりーぱみゅぱみゅの何が凄いか、何が受けているのかを解説した文もあってなるほどそういう傾向なのかと学べるけれど、真似られるのかというと難しい。メインがあって周囲に集った才能があってそして時代が追い風となって生まれた希有にして唯一の存在。後はどこまで高みへ登るか、世界へ広がるか。見ていきたいなあ、体力とお金の続く限り。ただお金はなあ、ヤバいもんなあ働き口。晴れの日に過去の栄光にすがる自慢話を繰り出してちゃあ周りは辟易するだけだっていうのに。分かってないんだろうなあ。分かるはずもないか。参ったなあ。

 夜になったんで新宿ピカデリーで映画「ハル」のティーチイン付き上映会。映画自体は3回目でやっぱりエンディングが素晴らしいのと2階から駆け下りてくるくるみの仕草が可愛いのとあとアップになったくるみの表情が可愛すぎるのには素直に喜んだけれど、やっぱり引っかかる部分はずっと引っかかったままで、それがティーチインで牧原亮太郎監督が話していたように、削られた部分を全部ぶっこんだら納得できるものになったかどうかもちょっと掴めなかった。ラストでの驚きに気持ちをぶっこむとどうしても導入の部分で齟齬がでるからなあ。それに理由を付けるには相当なドラマが必要。激しい葛藤に懊悩で周囲も見るに見かねるような深い深いドラマが。そしてそれを描くとトリッキーな設定自体が成立しなくなる。だから描けずそれだと分からないというジレンマ。どうやったら解決できるだろう。続編的にプレストーリーを作るしかないのかな。それをパッケージのおまけでくっつけると。やってくれないかなあ。

 おまけって意味では原画撮とそしてコンテ撮でつながれた紙芝居みたいな映像にプレアフレコをしたのがティーチイン会場で流されたんでそれを入れて欲しいかも。細谷佳正さんがまだ映画になる前の雰囲気でハルという青年の声を演じていたりして、それが本編とはまた違ったロボット側に寄せたものになっているんだとか。そこからいろいろと差配して本番の声になったという、その違いがどんな意味を持っているのかと比べてみたい気もするから。あとティーチインにはキャラクターデザインの北田勝彦さんも登壇して、コンテ撮にならざるを得ないくらいに厳しかった現場の話なんかをしてくれた。他を簡略化してメインの2人を際立たせたことでそのメインの2人を描くのが大変だったという話。

 牧原監督が終盤にヘルプに入って描いてハル大変だねと言った時に、そうだろと思ったとか。監督というのは自分がやらないうちは無茶を言うけど自分がやって気づいた時にはもう現場は七転八倒だというそんなアニメ作りの真理を垣間見たような感じ。面白かったなあ。他には脚本を担当した木皿泉さんについて、去年の4月2日に頼みに行ってそこから7月か8月か、長くいろいろ詰めてたみたいだけど、途中でもう降りるとか言われたとかどう説得しようかと会議したとかで大変だったみたい。その結果があの愛らしくも愛おしい物語に結実したのか。とはいえ収めるために削った部分もあるそうなので、機会があれば是非に見たい完全版。作られるかな。作って欲しいよなあ。出番だキックスターター。既に見た2万人が1万円づつ払えば2億できっと作ってもらえるぞ。いやだからそんなには集まらないってば。どうなんだろ。


【6月19日】 やっと見た「波打際のむろみさん」は乙姫がいっぱい出ていて嬉しかった。眼鏡っ娘最高。たとえそれが行く百歳を経た女性であっても見た目がああなら十分過ぎるターゲット。っても歩いていて乙姫と出会うことなんてないからなあ、釣り具もいかなければ堤防のアイスキャンディー屋にも出会わないし。それにしても地上に出てからこの方、大恐慌にブラックマンデーにリーマンショックと数々の不幸に巡り会っているようす。なけなしの財産もすべてそれで水の泡にして泣きついた人魚の経済団体からも袖にされ、それでも復活を目指してアイスキャンディーを売り歩く。ああ何と健気な。それで何本売れば竜宮城は再建できるんだ。むろみさんも決して乙姫を嫌ってはないみたいでいつまでも地上でグダグダやっているのが嫌みたい。それなら協力してあげればいいのに。素直になれないのもまた友情って奴で。ブルーレイディスク買おうかな。

 やっと見た「ハヤテのごとく! Cuties」はマリアさんが主役の回。なんだ彼女も随分と飛び級をしてちびっ子生徒会長って呼ばれてたんだなあ。誰だっけマッドサイエンティストの女といっしょに在学していては天才っぷりでは誰にも負けないはずのそのマッドサイエンティストを上回る成績を収めていたってんだから凄いというか。あれならハヤテにだって勉強を軽く教えられそうだけれど、それをやってしまうと桂ヒナギクさんとかの出番もなくなってしまうし。かといって取られるのは釈然としないし。乙女心って複雑ね。まだ乙女なの? ってそれをいったら激怒されるから言わない、だってまた17歳なんだから、おいおい。これでぐるっと一回りしたはずだけれどあと誰か残っていたっけ。放送もあと1回くらいだからオールスターキャストにして大団円でオッケーってことなのかな。やっぱり“本命”のヒナギクでもって収めるのかな。それでハヤテに対する位置取りも決まるってことで。ナギじゃあないよなあ、歳がやっぱり、そうするといろいろと。法律って面倒くさい。いやまだ成立も審議もされていないってば。

 いやあこれは凄い。「TV Bros.」の2013年6月22日−7月5日号は値段こそたったの240円なのに中身はといえば「攻殻機動隊ARISE」の大特集があって黄瀬和哉総監督から声優の坂本真綾さんから音楽のコーネリアスからプロデューサーの石川光久社長からいろいろな人にインタビューをしてなおかつ「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」を監督した押井守さんのコメントなんかも掲載していたりして、ちょっとしたアニメ専門誌なんかよりも濃くて深みのある記事になっている。割とアイドル誌的な様相が強くなってあとはグラビア誌的に版権イラストを大きくしがちな昨今のアニメ誌じゃあ、クリエーターサイドに寄ったインタビューなんてそこそこのサイズでしか載らなかったりするからなあ。ましてやプロデューサーなんて。

 それがこの「TV Bros.」だと石川社長のインタビューが最も大きくて見開きで載っていたりするんだから。そしてそこには黄瀬総監督と大喧嘩してそれをやると黄瀬監督は逆に発奮して凄いものを作るから勝ったと思ったとか書いてあってとぶっちゃけ過ぎ。でもそれが逆にクリエーターの人間性が垣間見えるとともに作品への期待感を煽ってくれている。巧いなあ。前にTOHOシネマズ六本木であった先行上映会でもしゃべっていたようなことを話しているけど密度は何倍もあってこれまでの「攻殻」シリーズがどういう意図をもって作られてきたかが語られそして、この「攻殻機動隊ARISE」だどういう段階を踏んで描かれていくのかも仄めかされる。気になるのは未だ主題が見えない第4章か。サスペンスでもアクションでもないとしたら……やっぱりラブコメ? 素子とバトーの? あり得ないけどでも期待。ちょっぴりと。

 そして音楽を手がけたコーネリアスへのインタビュー。音楽が分かるライターさんが行っているのか読んで実に音楽性に迫っている感じがしていろいろと勉強になる。コーネリアスがアニメを「銀河鉄道999」以降はほとんど見ておらず「攻殻機動隊」もまったく見てなくってそれで川井憲次さん菅野よう子さんといった先人たちに引きずられることなく自分なりの音楽を作れたって辺りに実は既に映画を観ている人間として、なるほどだからと思えるところがあった。それくらいに画期的な音楽。イントロからエンディングまでもう独自のビジョンって奴をそのバックに流れる音楽とともに作り出している。ちょっと驚くかも。だから期待して良いよ、と。

 しかしここまで雑誌が大特集する「攻殻機動隊ARISE」をでも、どこかの若者向けを標榜するタブロイド紙はカケラも取り上げないんだろうなあ。今や20代を中心に30代から10代まで広くヒットしている作品なのに、だからそうした層に売り込むには取り上げて必須のアイテムなのに見向きもしないスタンスって何なんだろ? 言っても詮無いけど仕方がない。若い女性が群がって劇場で涙する「言の葉の庭」だって「ハル」だってまともに扱わなかった新聞なんだから。それこそバルスってなもんだ。なあおい。

 「TV Bros.」は「攻殻機動隊ARISE」だけで終わりじゃない。7月20日に宮崎駿監督の「風立ちぬ」と同じスタートを切る大友克洋監督とその他3人のオムニバス「SHORT PIECE」に関して大友監督自身が登場していろいろと喋っている。もう漫画は描かないの……とは言ってないけど自分の作品「火要鎮」については絵巻物をやろうとして描き後半の動に対して前半は静を出来たのが成長だとかいった話をしてくれている。作るたびにちゃんと進んでいるだなあ、世界が「AKIRA」の大巨匠と認める大友さんでさえ。さらに続くページではアニメ「有頂天家族」に関して原作者のモリミーこと森見登美彦さんが登場して前にもらった大学読書人大賞の帽子を……被ってなかった。まあ普通は被って歩かないよな。

 その森見さん、いつもどおりの物静かそうな笑顔でアニメについて「ゴージャスでジューシー」と評している。どんなんだゴージャスはともかくジューシーって。それはだから見てのお楽しみってことにしておこう。他にもANIMAXが7月に放送するテレビアニメの50年を祈念する番組で出演する船越英一郎さんが喋っていたりと盛りだくさん。その番組では「鉄腕アトム」よりも5年前にテレビでそれもカラーで放送されたアニメーション「もぐらのアバンチュール」も放送されるとか。先月にあった発表会でも好評されていたけどこの数日、いかにも今明らかになりました的に話題になっているのは何なんだろ。どこかの通信社が流したのかな。まあ賑わうってのは良いことで。それで皆がアニマックスの番組を見てくれたら。

 バカを上に仰ぐと下もバカをやらなくちゃいけなくって大変というか。例のフェイスブックでもって元外交官をぶったたいては小泉信次郎議員よりたしなめられていたという総理に関して官房長官様が「個人というより職業外交官としてどうあるべきかということだ」って言って擁護したとかどうとか。でも「職業外交官として」云々を等ならなおの事、個人としてではなくってそのプレーを許した外務省であり事務方の最高責任者とも言える外務次官でありその上にあって省を代表する外務大臣でありそして、官僚たちを束ねる時の内閣総理大臣に責任の矛先を向けるべきなんじゃないのかな、記録を残していないってそれを結果的に許してしまった訳なんだし。でもそれをやってしまうと当時の内閣官房副長官にも矛先が向くか、って自分じゃん安倍ちゃん。是非も無し。

 そんな具合にまだ若い代議士にすら真正面からたしなめられて真っ当な反論を返せないでいる総理大臣をご丁寧にも擁護に回る輩がいたりするから薄気味悪いというか、まあいつものどこかの新聞の編集委員様だけど、裁判で負けたりもしたにも関わらず、それに対する自省はいまだ見せないまま、総理の思いを忖度するようにご丁寧に解説してみせたりしている。とはいえ言っていることはやっぱり同じで外交官としての仕事のミスがあったからそれを誹っているだけのこと。だったら上司を叱れよって話はめぐりめぐって当時の官房副長官にも話が及んでしまうんだけれど、当然ながらそうは行かない。一官僚に責任のすべてをおっ被せてしまっている。もしも政権が民主党だったなら責任は当時の大臣とか総理とかに振って官僚は官僚に過ぎないんだからと擁護しそうだよなあ、まったく。そんな新聞が名のある1面コラムにこう書いている。「ブログやツイッターに罪はない。品性や知性がそのまま世間に知れてしまうのが恐ろしいだけだ。やはり、小欄は手を出さないでおこう」。これって誰を非難しているの? 普通に読めば安倍ちゃんなんだけど、でもこの新聞に限って。うーん。支離滅裂が爆発してます。


【6月18日】 海洋堂から出始めた「ビブリア古書堂の事件手帖」に出てくる栞子さんの胸像をフィギュアにしたシリーズをまずは「宇宙戦艦ヤマト2199 第6章 到達!大マゼラン」のプレミアム上映会があった夜に新宿のアニメイトで2個ばかり買ったらどちらもスーツ姿の栞子さんだった。つまりはダブり。そこで100円玉も尽きたので回すのは止めてそして週が明けて秋葉原へと寄ったついでに今度はラオックスの模型とか売っている店で回したらまたスーツ姿の栞子さんが出た。こういうのって何て言うの? トリプった? 分からないけどここであきらめるのは流石に業腹と2度ばかり続けて回したら、ようやく浴衣姿の栞子さんとそれから眼鏡を手に持った栞子さんが出て初めて違う姿ってものに見えることが出来た。

シオリコストリームアターックッ!  でもコンプリートは4種類。足りない1種類を出すために、あと1回を回す気力も萎えていたのでそこでは回さず夜になってバルト9で「言の葉の庭」を見たその前に、やっぱり新宿のアニメイトへと行って回したら何と! またしてもスーツ姿の栞子さんが出た。それも続けて。つまりはダブ。そして新宿では連続して4回もスーツ姿の栞子さんが出たことになる。もはやダブりとかトリプりとかを超えた5つの栞子さん。並べるとなかなか楽しくなる。そして怖くなる。クローンが並んだ恐さってこんな感じかなあ。でもって黙して語らないまま本を読め本を読め本を読めと迫ってくる。本嫌いになる子とか出そうだよなあ、まったく。

 しかしいったいどういう配分をしているんだろうこのガチャポン。もしかしたら原型を作った海洋堂がスーツフェチなのか、だから多めに作っているのかなんて訝ったけれどもそこでもはや諦めるなんてことはできず、残った100円玉を入れて回したら何と! 浴衣の栞子さんだったという。これまた前に買ったのと合わせてダブり。仕方がないので1000円冊をもう1毎両替して100円玉にして、こうなったら出るまで回そうと意気込み100円玉を入れて回したらやっと! 紫陽花を侍らせた栞子さんが出たという。コンプリートまで回して9個。1回4000円だから3600円は果たして注ぎ込み過ぎか否か。倍以上ってのは効率ちょい悪いけれど4つで済むのが有り難いというか、まあ妥当な案配ということにしておこう。シークレットで実写版とかあったら良かったかなあ。良くないかな。どっちだよ。

 いよいよ明日発売というかすでに店頭には出回り始めている「ラスマス・フェイバー・プレゼンツ・プラチナ・ジャズ 〜アニメ・スタンダード Vol.4〜」。あのハウスの貴公子にしてアニソン好きなスウェーデンのミュージシャン&アレンジャー、ラスマス・フェイバーが日本のアニソンをジャズアレンジして収録したアルバムの第4弾がいよいよ登場とあって世間でもいったいどんな曲がどんな風にアレンジされているのかと、興味津々で待ち受けていたら何と「美少女戦士セーラームーン」でも主題歌の「ムーンライト伝説」がとてつもなく不思議で面白いアレンジにされていた。まるでフランスのシャンソンを聞く場末の劇場とかサーカスなんかも見せる見せ物小屋とかで唄われる歌のよう。唄うのも女性ではなく男性でそれが絞り出すように唄うから何か明るさ健気さ強さといった原曲が持つイメージとはまた違った、幻想的で幻惑的な雰囲気ってものが漂い流れる。

 アニメーションを通じて世界でも人気の曲なだけにYoutubeに上がった曲への反応は様々。嫌いだっていう人もいそうだけれどそういう声も含めて多くに注目を浴びそうなアレンジかも。一方で「妖怪人間ベム」なんはかもういかにもビッグバンドなジャズって感じのアレンジ。原曲自体がそういう時代に生まれたそういう曲って感じだったらかこれはもうピッタリとしか言いようがなく、どこかのビッグバンドが持ち歌にしてニューヨークのクラブあたりで演奏してもすんなり受け入れられ耳に馴染んでいってしまうんじゃなかろーか。それは「かんなぎ」の主題歌「MOTT☆派手にね!」についても「ラムのラブソング」についても言えるかな。キュートでキャッチーな楽曲を楽しげに演じると本当に楽しいという証明。アニソンがジャズになるっていうことを真正面から証明している楽曲たち。これをバックに踊りたくなる人もいるんだろうなあ。

 それは9月17日と18日には東京ミッドタウンにあるビルボード東京で拓かれるライブで見られるかもしれない光景。4枚目となって日本中に作品を待ち望んでいるファンも増え、そして人気の楽曲も多くは行ってきただけに、前に来た2回は2回とも行けたけれども、今回はチケットとるのが大変かも。発売日は頑張ってネットに張り付くか。楽曲ではあと「機動戦士ガンダムF91」から「ETERNAL WIND 〜微笑みは光る風の中〜」がやっぱり気になるかなあ、唄っても良い曲だけれど聴いても染みる良い曲なんだ。「READY!!」は旋律を聴けば思い出すアイマスの名曲。「GO! GO! MANIAC」はライブですでにお馴染みの「けいおん!!」からの1曲。これもやっぱり演奏を聞きたい曲たちだけれどでも、やっぱり昔のアルバムからも演って欲しい。それにはビルボードでは時間が足りないんで次こそは、2時間たっぷり楽しめるホールツアーを演って欲しいなあ。是非に。絶対に。

 そして局面は戦争に。紛争を過ぎて殺し殺される戦争に突入していく感じで最後の第5巻へと続くことになった芝村裕吏さんの「マージナル・オペレーション04」(星海社)は、タイで身よりのない子どもたちを傭兵として自分の支配下に引き入れ、ミャンマーと中国の国境付近へと出ることになったアラタたちが、村を取ったり取られたりする小競り合いのような紛争からまずスタート。ハキムを殺されソフィアを壊されたことに深く心を痛めもうそういう事態は起こしたくないという思いで子供たちを指揮するアラタの前に、戦いこそが認められる手段だと血気にはやった少年兵が現れこれをたしなめたり、子供を使って戦争をする非道さを指摘する日本の女性自衛官が、イトウさんから送り込まれて来てはそれしか道がない以上はそれを選ぶというアラタの言葉に、ひとまず了解して子供たちに混じって合流して戦いに身を投じたりする。

 決して誰からも誉められる仕事ではないと自認しつつ、それが行く場所に困り銃を手にとって戦うしかない子供たちにとって最善だという信念を失わないアラタの強さが、しきりに繰り返して浮かび上がってくるストーリー。かつて英語を教わった娼婦がミャンマーの監視団の1人として現れたりして、ジブリールとかジニといった少女たちとの関係に戸惑うアラタにさらなる難題を突きつける。何でそこまで奥手なんだろうアラタ。どうしたって誰もが納得するだおるに。そこの一線を越えないからこそ公平に、そして冷徹な指揮がとれてそれが勝利とはならないまでも負けず失わない戦いにつながっているのかもしれないけれど。ともあれ最後に襲った一件が、いったい状況をどう変えアラタになにを決断させるのか。急転直下に向かう第5巻が待ち遠しい。そして新シリーズも決定。コサック相手の騎兵戦だと? 楽しみだ。


【6月17日】 復刊ドットコムから届いた大野安之さんの「That’s イズミコ ベスト」を読んだらなるほど確かにベストだった。ポップでキュートなイズミコもいれば、シリアスでミステリアスなイズミコもいたり、アバンギャルドでアグレッシブなイズミコもいてと様々に描かれたイズミコたちが入ってあの傑作漫画をダイジェストとして楽しめる。初めて手にとった人には1980年代を貫いて、こんなに凄い漫画があったんだって今にして見て驚く人も大勢いるんじゃなかろうか。実際、僕の目にとって初登場となった「SFマガジン」誌上で見た「バランタインBANG BANG」とかって漫画作品は、絵も凄ければ展開も圧倒的。アメコミとも違うし少女漫画とも違うそのテイストに、いったいどこでどういう経歴を持って生まれてきた絵なんだろう話なんだろうと興味を引きつけられた。

 そしたら創刊された「劇画村塾」で大野安之さんによる「That’s イズミコ」の連載がスタート。毎号を追うように眺めてやっぱり変わらずむしろ高まっていくパワーに圧倒されたっけ。当時はまだ名古屋の平針駅前にあった本屋さんの漫画売り場に詰まれていた「劇画村塾」を、買えなかったんで立ち読みしては毎号の破天荒さを楽しんでいたし、単行本が出るようになってからはそれを追いかけていったっけ。1冊なんかは1985年の8月に北海道旅行をすることになって行きと帰りに立ち寄った東京は神田神保町にある書泉ブックマートで買ったはず。奥付からするなら多分3巻で、ここから始まったバイ・ポーラー編の何かそれまでとは違った迫力に押されまくったっけ。もう30年近く前の記憶。でも鮮明に覚えているところがこの漫画のすごさって奴、なんだろう。単行本はベストだけれどJコミに行けば全話読めるんであの時代の先端にして今なお最先端の漫画をどうぞ、堪能あれ。

 ようやくやっとポッドキャストで聴けた荻上チキさんの出演するTBSラジオでのクールジャパン特集。いきなり安倍総理の口からきゃりーぱみゅぱみゅって名前が出てくるのは画期的。それも2回も。聞いてゲスト出演していたきゃりーの美術なんかを担当している増田セバスチャンさんは、「噛んでまで言ってくれている。嬉しかった。僕たちのカルチャーが発言で出る。誇らしい」って話していたからそのこと自体はポジティブに受け止めている用だけれど、一方で「こっちに向いてもらえるという部分はいいと思うけれど、国の政策となると議論しなきゃいけない部分」とも。それは後になって番組インタビューでも話していたことで、「批評家でなくプレーヤーで自分のやってきたことを話すなら、カワイイには文脈があって、ずっと続いてきたから認められた」って感じの継続の重要性だったりする。

 いきなりこれカワイイんじゃね的なものを作り出し、持っていったところで評価はされない。「今何かを作って輸出すれば売れるんじゃなく、日本人が脈々とつないできたものを輸出すること。作ったからといって出せばバカにされる。持っているものを輸出する」と増田セバスチャンさん。「僕は闘い続けてきた。闘った結果こうなった。流行っているからお金出せばうまくいくという考えは間違った方向に行くんじゃないかな」。分かるなあ。けど国はたぶん分かっていない。そういう装置を用意してそこにお金を集めつつ、新しいものに対してバラまいて何かを作り出そうとする。だって古いもに、すでにあるものを称揚するんじゃそこに利権は作り出せないもん。だから新しく集めつつ、審査するような仕組みを作る。結果は……。何か推して知るべきというか、見えてしまうというか。だからこそ今、最先端に突っ走っていっているきゃりーぱみゅぱみゅとか増田セバスチャンさんとか漫画とかアニメには、気にせず突っ走っていって欲しいし、それを支える仕組みを作って欲しいんだ。無理かなあ。無理っぽいよなあ。

 そして松谷創一郎さんが対面かなってインタビューしたきゃりーぱみゅぱみゅ。クールジャパンって言われるのどうよと聞かれて「どうやって売っていこうかって考えて、カワイイ路線に原宿っぽさとか出たけれど、自分はグロテスクなものが好きだった」とか。本来あるもの、自分が18年培ってきたものをそのまま出す。「100%やりたいことをやる」。だから受けたってことなんだろう。そして評判といえば「海外の方はクレイジーで最高だねといってくれた。熱狂的だった。コスしてたり」と。ありのままを出してありのままが受け入れられたってこの事例を、だから政府とかは忘れるべきじゃないんだけれど、既に忘れているものなあ、自分が出来もしないゴスロリをして恥をかいてたりする担当大臣とかいたりして。

 しかし頭がいいというか自分自身を持っているきゃりーぱみゅぱみゅ。大きいお姉さんがちからも慕われていることについて「夢を見ていたいことを現実としてやってくれているから追いかけていきたいんじゃないでしょうか」と分析している。希望の体現。そして将来に対して「願望だと日本の元気になれたらいいなというのが願望ですね」とも。「まだ日本は震災があったじゃないですか。その後にデビューして全体的に沈んでいる時期で『PON PON PON』でデビューして不謹慎といわれたこともあったけれど、皆が沈んでいたりとか、悩みとか不安もたくさなるにほんだけれど、曲を聴くことでちょっとでも気持ちが明るくなったり、忘れていた楽しさがあれば。日本の元気になるのが願望。幸せになりたい。最終的になりたいのは幸せになりたい」と。気負わず自分の言葉で自分の想いをストレートに出すこのキャラクターがあれば、ぶつかっても折れずむしろ気にしないで突っ走っていってくれるだろー。期待して見ていこう。どこまで行くかを。どこまで行ってしまうのかを。

 物草純平さんって前に何書いてたっけ、って記憶を探りつつ忘れつつ読んだ「ミス・ファーブルの蟲ノ荒園」(電撃文庫、610円)が面白かった。19世紀の欧州だけどそこは巨大な蟲が跋扈していて人間に被害も出ていたり。最近アニメーションになった漫画「常住戦場ムシブギョー」的とでもいうのかな。まあ一方で蟲は死ぬと燃料にもなるから害ばかりでない。半ば共生しているという状況にあって、そんあ世界で蟲を調べ頼まれれば退治もするという少女アンリ・ファーブルが主人公。どこかで聞いた名前だなあ。それはそれとして依頼されたアンリが赴いたさきが、線路を食べるダンゴムシが突き進む平地。彼女としてはそれを殺さずどけようとしたかったものの、そこに列車が迫る。このままでは脱線転覆。かといってどける手段もない。

 どうしよう。そんなところにいたのが日本から来た武士の少年。船でフランスへと遊学に向かう途中で何か事件に巻きこまれ、逃げようとする男から何か預けられそして海に落ち、流れ着いた場所で暴れるダンゴムシとそれを退けようとする飛行装置を見た。船で撃たれたはずなのに体に傷が無くなぜか左目が痛むというその少年。手にした刀でダンゴムシの前に立ち一閃すると、前だったらまず不可能だったにも関わらず、あっさりとダンゴムシの脚を切り離してしまい、蟲は止まって少女も鉄道も救われた。そして出会ったアンリと武士の少年・秋津慧太郎。けど慧太郎はなぜか船の事件の犯人にされていた。 何でまた。けど今は動けない慧太郎はアンリの通う女子校に変装して通うことになる。男の娘登場! それだけでも存分に面白そう。

 一方でストーリーはよりシリアスに。蟲と融合してしまった人間が生まれるようにもなっていた世界で、そういう人間を差別し排斥しようとする動きもあって、それを狙うテロも起こり始め、そこに慧太郎とアンリも巻きこまれていく。蟲を愛して殺さず退けたいというアンリの心意気は良し。それがだから蟲と融合した人々を退けようとする宗教家の企みに範囲を抱かせ、彼を狙ったテロへの同意すら浮かばせる。一方で慧太郎は融合者の排斥を狙うテロに同情するアンリ。対して慧太郎は目先の殺人は放っておけないと訴えかなわなくてもそれでも敵地に飛び込んでいこうとする。

 正義だが偽善。先に差別はいけないといいつつ、蟲と融合した子供の姿に臆して偽善を問われてもいただけに、慧太郎はおおいに悩む。それぞれの立場が問われ、抱いている信念が問われるストーリー。そうした中から結局のところ、自分がどう思ったかが重要であって、世間がどう見るかではないといったことが見えてくる。そしていけないことはいけないんだという気持ちを貫く大切さが描かれ。それが「ミス・ファーブルの蟲ノ荒園」という小説の真骨頂。慧太郎の体に起こっている何か得体の知れない変化なんかもうかがいつつ、世界がどういう状況にあってどこに向かおうとしているのかを読んでいくのも楽しそうだし、男の娘として学校でもみくちゃにされる姿にも興味津々。どんな世界を見せどんなキャラクターを楽しませてくれるのか。SFFチックでファンタスティックな傑作をさあ、読もう。

 折角だから1番大きなスクリーンで上映されているうちにと新宿のバルト9で「言の派の庭」。これで試写を含めて4回目。もう展開はだいたい覚えているけれどもやっぱりユキノちゃんとタカオとの間で交わされる本音が立場とかから来る社交辞令で返され受けて現実的な地平の降りて離別したもののあきらめられず忘れられない気持ちが向かい合って改めて葛藤を吐き合い本音をぶつけあって融合していく展開の、表情からはうかがい知れない心情なんかを老いながら見るとやっぱり本当によく出来た作品だなあと思えてくる。最初は本当に唐突過ぎたけれども考えてみれば普通に生活してたって、その場では伺えない心情の急変ってあるんだよなあ。それを思い出させてくれた作品であり、気持ちをくみ取る大切さを教えてくれた作品でもあるのかも。夜からだったんで会社返りのOLさんとかいたみたいだけれど見て何を思ったか。1人で来ていたユキノちゃんくらいの髪型でパンツスーツに白いシャツで黒縁眼鏡の美人とか、いろいろ思うところがあったかなあ。でもそんなところで声がけなんざあ出来るはずもない。出来たら1人で月曜夜に映画なんか観てないよ、僕。泣けてきた。


【6月16日】 寝落ちしつつ微睡みつつ起きつつ見たサッカーのFIFAコンフェデレーションズカップのブラジル大会は日本代表がブラジル相手にコテンパンにされた様子。初っぱなから見事なポストプレーによって落とされたボールをネイマール選手がボレー一閃によって叩き込んでまず1点。以後のゴールシーンは寝ていた感じで見てないものの気がつけば3対0といった感じになっていた。

 まあそれくらいとられて不思議はないのがブラジルな訳だけれどそれでも本番のワールドカップで仮に対戦したとして、ここまで離されるのはちょっとキツい。せめて1点を奪うなり2点に抑えるなりできれば良いんだけれど、サイドがユルくてクロスあげられ放題だったり中盤でキープが出来ず押し込まれ放題ではいくら守備が堅守を誇ったところで、いずれ遠からず突破される。ゼロトップで最前線のチェックをあまりしないのなら中盤でマークを外さず自由に持たせず突破されない守備ってのをしないといけないのに、そんなに走れない選手がいてはやっぱり難しい。

 攻めについても1人本田圭佑選手がボールを持って1人2人と寄ってくるブラジルの選手をいなししっかりキープできても周囲にそれを受け取る選手がおらず我慢しているうちに戻られ守備を固められて次の矢が放てない。サイドで香川慎司選手がいくらボールを持ったって、1人で突破していけるようなユルい守備はブラジルは見せないからいずれ網につかまり突破できず、出したところでそれを受け取る選手もいない。連携がうまくいってないのかそれとも独りよがりなのか。元よりそうやって出されたボールを受け取る側の香川選手に違う役目を与えているのが問題なんだけれど、だったらそんな香川選手を使える中盤に誰がいるかというと……そこがやっぱり問題なんだろうなあ、選手選考の。あるいは先発起用の。

 けど世間では得点が奪えなかったしそれはアシストも生まれなかったことで、そういう“記録”を付けられなかった本田圭佑選手を“不発”をかいって貶める。どこを見ていたんだと。何を見ていたんだと。たった1人ブラジルの果敢な攻めに通用していた選手を上げて戦犯扱いするのが日本のスポーツジャーナリズムって奴で、それは中心選手にとって仕方がないこととはいっても、見る人が見ればやっぱり違うその論調ら売れるメディア不信は遠からずスポーツ新聞の衰退を招くだろう、っていうかすでに起こっていることなんだけど。さて次はどっちだっけイタリアだっけメキシコだっけ、タイプは違うけれどもそれぞれに強豪で守られるイタリアに勝てる感じがしなければ、果敢に攻めてくるメキシコから守りきる感じもしなかったり。せめて守備なり攻撃を整え良いところを見せないと、まだ1年あるとはいってもちょっと拙いことになるかもしれないなあ、ブラジルW杯。まあ出られるだけ良いんだけれど。贅沢はいかん贅沢は。

 もっともっとダークに寄せれば画期的な北欧ダークファンダジーになったかもしれないなあ、と思った相原あきらさんの「漆黒のエインヘリアル」(電撃文庫)。そこはライトノベルというティーンが中心のレーベルだけあって、キャラクターに若干寄せたところがあってその可愛らしさいたいけさ熱さ前向きさってものが、凄絶な設定をちょっとポップに引っ張ってしまっていたかもしれない。だから読みやすくて楽しめるんだけれど。ただストーリーは全体に凄絶。何しろ冒頭から繰り返されるのはひとつの村の大虐殺。父も母も何か特別な力によってまっぷたつにされ、妹も自分が後を付けられた形になって引き入れた敵に惨殺された少年は、その場をかろうじて生き延びてそして復讐の鬼となって仲間を引き入れ帝国に反旗を翻す。

 光の弓を使う青年に巨大な槌を振る筋肉男に冷徹さを持った少女という仲間たち。そして乗り込んだ帝国で皇帝に謁見がかないそうな方法として始まった、強い奴を決める大会に出ることになる。<追われている犯罪者がどうして大会なんぞに、ってあたりがひとつの謎。そこは出れば罪を免じられるという理由が書かれてあるけど、稀代の犯罪者も混じる出場者たちが許されたといって従順になるかというとそうはいかず、実際に参観者のひとりなんぞは枷を外されるとすぐに暴れ始める。そこは帝国側にも7人組みの凄い能力者がいて押さえつけるって設定だけれどでも大会が始まるすぐ直前、主人公たちはそんな7人のうちの3人をあっさり片づけてしまった。

 なんだ弱いじゃん。なおかつ始まった大会ではジョーカーみたいな奴が出てきてもう皆殺し絵を宣言して大会なんてものの体を成さなくなってしまう。ライトノベル的であり漫画的な異能バトルの力比べみたいな面白さの要素をひっくり返して、世界にあった秩序ってものが崩れてしまう。そんなものは最初からなく、ただひたすらに世紀末的な殺し殺されの世界観なら納得も出来るんだけれど、急にそう展開されてはいったいどこにリアルのレベルを置いていいのかがちょっと分からなくなる。

 これが最初っからダークなファンタジーで、ラグナロクに供え攻めてくる巨人と闘うオーディンの兵士たちを募るために最初っから仕組まれたバトルで、だから人間が多少虐げられても家族が引き裂かれても、世界のために仕方がないことっていう諦観ともとれる世界観があったのなら、たとえ地上でいくら残酷なことが起こっても、人間たちが蹂躙されても了解できるしそこからあがき人間としての地位を確立していこうとする展開も期待したくなる。とりあえずひとつは片づいたものの主人公に秘められた謎が明るみに出て、そして新しい仲間も得て、果たしてこれからの展開はどうなっていくのか。神の残酷さが示されてしまった以上はやはりそれと、身に爆弾を抱えたままで闘っていくことになるのか。そんな自分すらも神の企みの中で駒のように使われているだけではないのか。いろいろ興味が浮かぶだけに続くなら次巻、読んでその是非を判断してみたい。

 割と長い時間を待たされ入場の手際が気になったけれど、中のそれほど広くはない様相とそして集まった人たちの期待値を考えるなら、しっかりと順番で入れて順繰りに席を詰めていってそして開場までを落ち着いて待たせるにはそうするのが適切だったかもしれない「ちはやふる2」のブルーレイボックス購入者向けイベント。そして始まると「99 Radio servise」による1期と2期のオープニングにそれから26日に発売となるアルバムからのオリジナル1曲が披露されて浮かぶオープニングの様々なカット。続いて登場した綾瀬千早を演じる瀬戸麻沙美さんによるこれも1期と2期のエンディングの歌披露となって気分は一気にアニメーション版「ちはやふる」の世界へと引き込まれる。

 っていうか瀬戸さん歌巧すぎ。声優として活動を始めたのですらまだそれほど年季がある訳じゃないのに歌まで唄ってそれも堂々とバラードを歌い上げる実力は、極めれば相当なポジションへと行きそう。背も高いし。いやまあ背が高くて綺麗で声優としての実力もあって見目も麗しいってことなら、小林ゆう画伯も同じ業界にいるけれど、そのアクトはまった違った方面へと発展しているので別に重なることはないだろう。重なってもらっては困るし。千早としては元気でそして真摯に。ランちゃんとしては寡黙で信念があってやっぱり真面目に。そんなイメージで進んでいって欲しいなあ。

 そんな瀬戸さんの登場を受けて瑞沢高校かるた部の面々が1人をのぞいて入場しては、好きな場面を紹介したりクイズ大会をやったりと大盛り上がりだったこのイベント。1時間半くらいの予定なはずが気がついたら2時間半くらいやってたみたいで檀上の声優さんたちも、スポットが当たる中を女子は着物に袴で男子もそれに加えて羽織りまでついた姿で上がって、結構大変だったんじゃなかろーか。けどそれを苦にする姿もみせずに笑顔と陽気さで引っ張る部長こと真島太一を演じる宮野真守さん。さすがだなあ。エンターテイナーだよなあ。部長が頑張れば誰1人として不平不満を見せることなく対抗して陽気さを出し笑いも引き出していったイベントはとても楽しく、この面々が今月で放送が終わってもうサヨウナラとなるのは何か悲しいので日本テレビ放送網は1年を経ても良いから第3期を、是非に放送していただければこれ幸い。クイーン戦名人戦からその先、3年生となる面々の活躍をいつか。


【6月15日】 せっかくだからと銀座のトラヤ帽子店に行って夏に被るパナマ帽を探す。前にかぎ網のを買ってその後にも普通のを買ったりしていたけれども最近は、CA4LAとかオーバーライドとかいろいろとおしゃれな帽子屋さんも出来て、そっちに行ったら恰好良さげなのもありそうで、迷ったもののやっぱり日本人の顔かたちに合う帽子を扱っているのは銀座の老舗と思い返してのぞいた次第。んで最初は麻で編まれたオリジナルのタイプのものに目がいったもののちょっとカッチリし過ぎていた感じ。でもって横にあったフィレンツェはTesiってメーカーの剣麻草で編まれたものが、形も良ければ素材もざっくりとしていて夏にピッタリだったんでそちらの黒を選んで被って出る。いつかボルサリーノとか有名所を被りたいけど値段がやっぱり高いから無理。Tesiだってボルサやジェームスロックに供給もしているみたいだし今はこれで帽子頭を鍛えていずれ、歳とった時に帽子が似合う人間になろう。髪型的に帽子が欠かせない年齢ってことでもあるか。まだあるぞ。少しは生えてるぞ。

 ちょっと前に20巻が出たばかりのような記憶もあったけれども、末次由紀さん「ちはやふる」の単行本の第21巻が出ていて表紙が原田先生。またおっさんかと思ったものの中身はといえばこれが実に原田先生大活躍でなるほど表紙に相応しい人は他にいなかった。敢えて言うなら猪熊遙元名人? それは次の巻に期待しよう。でもって原田先生は名人戦の東日本予選に出てあの真島太一を退けた相手に向かって攻めがるたを続けて、これを破って遂に決勝へ。悪いひざを何度も使わせないようにとお弟子さんのなぜか女性陣が飛ばした札を取りに走ったりする姿にあれでも先生として尊敬されていると見るべきか、何か別に秘密があって女性陣に慕われているのかを迷う。

 いわゆる中年の魅力って奴? っていうか原田先生って何歳くらいの設定なんだろう。45年とか現役っていうから還暦あたりか。大会の役員クラスが現場のペーペーな進行に向かっていたわってやれよと言うくらいに、長くやっている人なんだろう。それでまだ名人に届かないと言う競技かるたの世界。厳しいなあ。周防名人なんか努力もしてなさそうなのに4年も名人位を維持し続けているし。現実でも直近まで名人を10数期維持した人がいたそうで、やっぱり強い人は本当に強いってことなのかも。一方でクイーン挑戦者決定戦への東日本予選では準決勝までに富士崎から桜沢翠先生とそれから山城理音も残っていたけど翠ちゃんはもめ由美に敗れ理音は猪熊元名人に敗れとともに決勝には進めず。とりわけ翠ちゃんの敗退はその活躍を晴れ舞台で見たい気もあったんで残念というより他にない。

 とはいえ勝ったもめ由美と負けた理音がともにゼーゼーと荒い息づかいをしているのは翠ちゃんの鍛え方が半端じゃなくってそれから理音のさぼりが大層なものだったって意味か。現役をしばらく退いていても部活であれだけ鍛えていれば自分だって体力はつくよなあ、翠ちゃん。なおかつ去年はクイーンに挑戦したあののもめ由美に、よく切れずに相手が息づかいを荒くするまで追い込んだ。やっぱり年の功って奴? そして始まる東西の候補者の激突で果たして勝つのはそれぞれにどちら。逢坂恵夢たんには頑張って欲しいけれども猪熊元名人にも負けて欲しくない気が。お母さんやりながら目指す遠くて高い場所へと至る道を応援してあげたいし。おっぱい大きいし。恵夢たんはどうだったっけ。

 でもって3回目となる「宇宙戦艦ヤマト2199 第6章 到達!大マゼラン」は舞台挨拶もあって出渕裕総監督とそれから沖田十三艦長を演じる菅生隆之さんがそろって登場。ガミラスじゃないのでガーレ・ガミオンと叫び出迎えることはせずに、狭い艦内でも可能なようにと編み出された脇を締める敬礼でもってお迎えしたけれど、これが1つ前の大塚明夫さんも登場した回だったら、いったいどんな風に出迎えたのかにちょっと興味。ガミラス派は手のひらを顔の横にしてガーレ・ガミオン、ガーレ・ドメルとやってそしてヤマト派は脇を締めての敬礼か。みんなガミラスやるだろうなあ、格好いいし、そもそもが総監督がガミラス派だし。

 第6章なんてもうそれが目一杯に出まくってガミラス側が戦闘に謀略に大活躍。潜入した2等ガミラスの特殊部隊も任務として戦い散ったりもして忠誠とはまた違った名誉のために生きることの意味ってやつを突きつけてくる。デスラー総統の治世下で領土拡大への前向きさは出たものの一方で社会にひずみは生まれ、差別への心が広がってそれが良心を持ったガミラスの者たちの心を痛めつける。収容所がある星での2等ガミラス人を虐げる所長に向かってフラーケンですら拳を向けようとしたからなあ。まあフラーケンだからか。ドメルの下にだって差別心を持った者はいた。だからそれなりの死に様を迎えたってところに監督なりの“公平性”ってものが流れているのかもしれない。

 翻ってヤマトにはそういうのってあんまりないものなあ、目的がただ地球のため、だからなあ。沖田艦長は持っているみたいだけど。だからドメルとも話が合うと。あの2人がそれぞれにリーダーとなってガミラスと地球を引っ張っていったらもっと違った宇宙が作られたのかも。もちろんデスラーだってただ闇雲に領土を拡大しようとしているんでなくって、何かあの星に秘密があってそれがなりふりを構ってられずに他国へ、他星へと向かわざるを得ない原動力になっているのかもしれない。それが見えないうちはやっぱりデスラーとその一派への感情移入は難しい。どうするんだろう。セレステラたちを収容所から助け出したのは気まぐれなのか優しさなのか。どこかセレステラに似た瞳を持った鶏を籠から出して絞めたのは何かの暗喩か。そこも含めて気になる最終章。どうやってでも見に行くぞ。そしてブルーレイディスクを買うぞ。ちゃんと作画されているといな。

 録画してあったのを見た「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」は何かクギミヤ・ケイのポテンシャルを引きだそうと美形オペレーターたちがいろいろ褒めそやしてはいたものの、当人はそれでいい気になってマシンを使いすぎてオーバーヒート気味であともうちょっとで蒸し焼きになるところ。もちろんオペレーターたちだって気づいていただろうけどそれを指摘すると任務が滞ると思ったのか告げず引っ張るような感じだったところに、ウルガルの下級兵士には意思がなくただ闘うだけのロボットにされている事実が重なっていったい彼ら彼女たちって何なんだって状況が浮かび上がってくる。相手も相手ならこっちもこっち。それを見て御姫様は何を思う? それでもまだ個人が意思を持って闘っていることがましだって思うのかも。誉められいい気になるのも人間な訳だし。難しい。5人はずっとあのまま無事なのか。誰か欠けてそして潜在能力がさらに爆発していくのか。気になるなあ。ってか何クールなんだこれ。


【6月14日】 そうだ鎌倉へ行こう、って思い立った訳でもなくって必要に迫られ鎌倉は鶴岡八幡宮へと行くことになって船橋から東京を経て大船で乗り換え鎌倉へ。1時間半くらいで着くからもっと行けば良いんだけれど行っても見る場所が古寺名刹の類だけではちょっと枯れた趣味でもなければ楽しめない。かといってアニメの舞台として巡礼するのも恥ずかしいのでなかなか足が向かないのであった。せめて次は江ノ島方面へと足を延ばして「ねらわれた学園」の舞台とか確認してみたかったけれども、あんなに人が他にいない江ノ島ってのもないからなあ、鎌倉なんてもう人が多すぎて商店街になった道を行きはともかく帰りは歩くのが大変だったよ。

美しい。脱がせばさらに……。  多かったのは小学生とかの遠足だか修学旅行で制服ではない私服姿で若々しさを振りまいていて目の保養にはたっぷり。それ以上に保養になったのは鎌倉に行った目的でもあるチャリティをかねた着物のショーで、40着近い着物姿でモデルさんたちが登場して踊ったり歩いたりしていた。見ればもう美しいものだと分かる着物。でも最近はやっぱりあんまり着られていないちうからこうやって、美しさに触れる機会を作るのはとっても良いこと。室内でのショーを終えたあとに表に出て、舞殿に上がって集まった観光客とか参拝客に見て貰ったのもそういう意味では着物の美をアピールするいい機会になったんじゃなかろーか。これと「ちはやふる」での着物に袴の美しさが世に広まれば一気に……なんて思ったりもしたけれど「ちはやふる」、普通に見られる時間にやってないんだよなあ、どうしてなんだと毎度の叫び声。2クールが終わった段階でいっそNHKとかが買って流せば良い視聴率を稼げると思うんだけど。「日常」みたくやらないかなあ、NHK。

 明けて仲間の声優さんたちからも続々と追悼のコメントが入った内海賢二さん。例えば「世紀末救世主伝説 北斗の拳」で内海さんが演じたラオウにケンシロウとして対決した神谷明さんとか、主役に抜擢された「マグネロボ ガ・キーン」で共演した古川登志夫さんとか、「鋼の錬金術師」でアレックス・ルイ・アームストロングとして面倒を見たエドワード・エルリック役の朴ろ美さんとか、年齢も広く性別も問わない声優さんたちから慕われ惜しまれ嘆かれている。朴さんとか本当にショックが大きかったみたい。長くやっているだけじゃなく面倒もいっぱい見てきた人な上に、特定の役だけじゃなくいろいろな役を今なお現役で勤めて現場との接触も多い人だっただけに、その死去が与えた範囲も広かったって言えるのかも。

 それにしもあの独特に野太くてそれでいて落ち着きがあってと、他の人への替えのきかないボイスはやっぱり貴重だった内海賢二さん。誰もが上げる「魔法使いサリー」でサリーちゃんちゃんのパパを演じたのはまだ29歳くらいの時だったのに、すでに完成されたあの独特な声だったし、それがより悪役方面へと強まった「新造人間キャシャーン」のブライキングボスでも36歳くらいの時。それであの声を喋りそしてずっとあの声で通してきた。そのすごさとは別に、若いうちからああした特徴的な声を持った人が最前線で強い存在感を示してこられた声優の世界ってものが、今はちょっと違っているんじゃないかって気分も浮かんで拭えない。だって見渡して内海さんがサリーちゃんのパパを演じたのと同じ年齢層で、ああいった役を演じられる声優さんって誰がいるんだろう? 美形の声はいくらでも浮かぶのに。

 決していない訳じゃなくって、少し上だと小山力也さんとか黒田崇矢さんとか低くて太くて良い声系の人はいたりする。安元洋貴さんとか三宅健太さんも30代半ばでそれなりの野太い系な声で存在感は放っている。でもそうした人が声優雑誌でメーンを張るってことがあるんだろうか、って考えた時にちょっと迷う。いやまあ昔だって神谷明さんを筆頭に、水島裕さんとか可愛い系がフィーチャーされてはいたけれど、それと同時に内海さんとか若本則夫さんとかいった特徴のある声の人を僕たちはちゃんと認識していた。玄田哲章さなってそう。「機動戦士ガンダム」のスレッガー・ロウ中尉としてその名を強く刻み込まれた。ちなみに玄田さんがドカベンの岩鬼を演じたのはまだ28歳だった頃。スレッガー中尉は31歳。若くして存在感を固めてた。

 それを言うなら「宇宙戦艦ヤマト」のデスラーなんか、伊武雅刀さんがまだ25歳の時の声。そこから変わらずあの低音美声を保っているということにはただただ驚くばかり。そうした太くて美しい低音美声の人たちが、このままでは上の世代に偏って将来、困ったことになるんじゃないかって心配が浮かんで仕方がない。まあ神谷明さんのように若い頃は溌剌美声だったものが、歳を重ねてケンシロウとかキン肉マンとかに移ることもあるので今の二枚目系にもそういう人が出るのかもしれない。それに期待するしかないのかな。ここはだからデスラー相当の山寺宏一さんとドメルの大塚明夫さん、フラーケンの中田譲治さんと来てディッツ提督の堀勝之祐、ゼーリック大将の若本則夫さんをフィーチャーした「ガミラス5」ってユニットを結成して、声では渋さと低音の魅力、キャラではおっさんの底知れ無さを前面に打ち出しメディアで大人気となってそれで、美声低音声優ブームを作って次代を拓くしかないかも。見たいなあ、そのライブ。

 そんな「宇宙戦艦ヤマト2199 第6章 到達! 大マゼラン」を上映開始から1日早い夜にプレミアムナイトとして観賞。試写に続いて2度目なんて第22話の展開に関する驚きについては随分と慣れて女子っぽいやりとりを恥ずかしがらずに見ることが出来てそれはそれで楽しかったけれど、一方で絵についてはいろいろと謎めいたところもあってどうしたものかと判断に迷った。まあすでにブルーレイディスクは買ってしまったんで今さらそれがどうなろうと関係ないんだけれど、でも流石に遠目に見た人物が黄色いアフロっぽいのには参ったかも。いったいどういう原画だったんだろう。ほかも表情が固まっているだけならまだしもペンタッチに独特さがあってこれ誰的な想像力を刺激される仕上がりになっていたけれど、まあそれも含めて1970年代アニメのリメイクだって思って飲み込もう。明日に舞台挨拶回を3度の観賞。今度は尻とそれから足の付け根の隙間からのぞく股ぐらなんかをじっくり観賞してこよう。


【6月13日】 そして気がつくとTOHOシネマズが宮崎駿監督の新作アニメーション映画「風立ちぬ」の4分にも及ぶ予告編の上映を、映画が終わった後に流すことを止めていた。そりゃそうだ。実際にどれくらいの“破壊力”を持って他の映画の余韻をぶち壊していたのか、経験していないから分からないけれどもバルト9で「言の葉の庭」の上映前に流れた予告編を見た限りに於いて、相当に優れたアニメーションであることには違いがないし、描かれている中身も関東大震災があったり美少女の喀血があったりと実に多彩。そこに重なる庵野秀明監督の声といった感じに、幾重にも爆弾を抱えたような作品を、やっぱり他の映画の後に流すのはその映画に対してのテロ行為、って言っても過言ではなかったんじゃなかろーか。だから止めて正解と。あとはだから映画が公開されてその破壊力の前に他の映画に行く人が少なくなってしまうことを心配しようTOHOシネマズ。全部「風立ちぬ」にすれば良い? ごもっとも。それが出来るのもシネコンの強みってことで。

 なんか次から次へと死んだはずの<鬼虫>が復活してくる九岡望さんの「エスケヱプ・スピヰド3」(電撃文庫)。最初に<蜻蛉>とそれから<蜂>が闘ったまではまだ戦後の余韻ってことで収まっていたけれど、そこに<蜘蛛>と<蟷螂>が加わって何か得体の知れない敵を相手にした戦いが始まる中で、保存してあったというそのこと時代も驚きだけれど、それがどうにかしたら生き返ってしまったから驚いた<蜈蚣>を引き入れ、<蜂>は奪われてしまったけれども当人はいたって元気な九曜も傘下して、<甲虫>と呼ばれる特機を相手にした戦いに臨んだ最中。そこに味方だったはずの<鬼虫>が2つばかり敵に混じって襲ってきたりして、自分たちはともかく相手はいったいどうやって<鬼虫)を復活させたんだ、生き返らせたんだってな気分も倍増しになって襲いかかる。簡単に作れないからこその<鬼虫>だし、そんな<鬼虫>が全滅するほどの激しい戦いを下手からこその平和だったんじゃなかったのか。とか。

 そこもまあ謎めいた事実があっていずれ明らかにされていくんだろう。ともあれどんどんと加わる<鬼虫>が振るう技の多彩さと、操る者たちの性格の様々ぶりをみながらその組み合わせによって敵を倒し、逆に敵に追いつめられているバトルって奴を楽しむことにしよう。9番目がリーダーって訳じゃないけど主人公ってのは「サイボーグ009」に重なるところもあるなあ。とはいえ<蜘蛛>が女性だから003って訳でもないけれど。<蟷螂>はナイフみたいに鋭いから004で<蜻蛉>は動きが素速いから002ってことでもないし。むしろ全身が武器庫ってことで<蜈蚣>が004って見方も出来そうだし。火を操ったりするのは006だけれど巨体さで005でもあるしなあ。狙撃って能力はサイボーグ戦士にはないなあ。水が得意な<鬼虫>っていたっけ。まあそんな興味も引きずりながら読んでいこう。やっぱり<蜻蛉>が立ちふさがるのかな<蜂>の前に再び。

 雨だけれどもやっぱり見ておきたいと東京ビッグサイトで始まった「東京おもちゃショー」へ。まずはバンダイのブースへと立ち寄って居並ぶプリキュアのフィギュアを眺めつつ中へと入って今のプリキュアの新アイテムなんかを見物。そうかやっぱりアニメの展開に会わせて即座に商品を出していくのか、それが出来るところがこのプロパティの強さなんだろうなあ、他の普通のアニメだと放送が終わってからようやくグッズが出てくるといった感じ。「宇宙戦艦ヤマト2199」だって放送が秋に終わってからしばらくして超合金魂とか出す予定だし、ってそれは大人の商品だから作品に感銘を受けた人なら間が空いても買うか。子供はそうじゃなくって今テレビで流れているそれが欲しいってなる。そこに応えられるよう企画開発の段階から、アニメの制作と玩具の開発が関わって共に作っていく。そして出してそして流す。そんな鉄壁の関係が崩れないうちは「プリキュア」にしても「仮面ライダー」にしてもずっと売れ続けるんだろうなあ。ずっと続けなくちゃいけない大変さはあるけれど。

 さて「宇宙戦艦ヤマト2199」の超合金魂は3万円近い値段で重量感のあるダイキャストを含んだヤマトが手に入る模様。飛びもしないし波動砲を発射もしないけれども音は鳴ったり光ったりはするみたい。まあそれで良いんだけれど。プラモデルも出るみたいでそっちは5000円もしない値段。組み立てればそれなりな大きさのヤマトが出来るみたいだったけれど、PRのためにプラモデルの箱を持っていたヤマトガールの山本令のコスプレをしたモデルさんに目が釘付けになって商品とか詳しくみていなかった。そいういうことって、あるよね。あとバンダイでは「美少女戦士セーラームーン」からセーラームーンに続いてセーラーマーキュリーが登場の予定。買うなやっぱり。

 キャラ以外では水鉄砲か。次世代ワールドホビーフェアでも見たけれど、デカいボディに水を詰めてポンプで加圧し発射するもの。結構飛ぶんだ。ルールを決めて大会も開かれる様子。でも決してTシャツを空かして書かれた文字を読むものじゃあ、ないよ。それってどこの「雨乞い部っ!」。出てエスカレーターで上に上がって辿り着いたタカラトミーのブースではやっぱり初音ミクのリカちゃんが注目か。何か全体にぼってりしていて首が汲々としていたのが気になったけれどもリカちゃんが頑張って初音ミクのコスプレをしているんだと思えばその健気さに絆されてしまう。同じリカちゃんでは会津の鉄砲娘のバージョンも登場。こっちは和装でいい感じ。人形系だとタカラトミーから「魔法少女まどか☆まぎか」のまどかとほむらの出るみたい。7月1日から受注開始だそうで気になる人は要注意。マミさんは出ないのかなあ。出して欲しいなあ。

 ほかでは学研が何か球形のモニターを出していてそこに地球儀めいた世界地図を写しだしていて気になった。聞くと専用につくった映像ではなくメルカトル図法の地図を取り込みそれを特殊なコンバータか何かでねじ曲げ球形にマッチするようにしているんだとか。平面な映像をそうやれるってことはアニメとか投射するとどんな感じになるんだろう。HDMI端子から入力できるそうなんで試してみたい気が。それ専用のゲームとか作ったら楽しめるかな、ってことはガンダムのあのアーケード用のバトルゲームか、作らないかなあ。そしてメガハウスではぬいぐるみっぽい素材のちょい大型の2×2のルービックキューブを揃えようとして揃わなかった。やっぱり難しい。ましてや映画の「ハル」に出てくる5×5など。っていうか知らないみたいだったメガハウス。一応は日本でルービックキューブを正式発売している会社なのに。これを機会にメガハウスは映画とコラボして5×5プロフェッサールービックの各面に、ハルとかくるみのお願いをプリントしたバージョンを出せば良いんじゃないかなあ。

 嗚呼。いずれそうなっていくことは自明とはいえやっぱり残念というより他はない声優の内海賢二さんの訃報。「Drスランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛でお茶の間的に広まった感もあるし、それ以前に「魔法使いサリー」のパパの声で渋さを持った人として認識もされていたし、前後して「新造人間キャシャーン」に出てきたブライキング・ボスの声でちょい悪辣さも含んだ渋い声の人だって満天下に知られた気もするし、若い人には「鋼の錬金術師」で新旧を通してアレックス・アームストロングを演じてマッチョさを聞かせたけれど、一般にはやっぱり「世紀末救世主伝説 北斗の拳」のラオウか。あの声でケンシロウを圧倒し、そして我が人生に一片の悔いなしと拳を点に突き上げ逝った男として、大勢の共感を得た。当人も果たしてそういう人生だったかというと……ううん、まだまだ仕事を続ける意欲はあったみたいだしなあ、「銀の匙 Silver Spoon」とかにも出演が決まっていたし。出れば荒川弘さんの作品でアームストロングのような野太くで明るい声を聞かせてくれたはずなのに。残念。謹んでご冥福をお祈りします。そしてやっぱりこの言葉を。ヤルッツェ・ブラッキン!


【6月12日】 もしも新海誠監督のアニメーション映画「言の葉の庭」に登場するタカオが靴職人を目指しているのではなくって、弓月光さんの漫画「甘い生活」に登場する江戸伸介のように下着職人を目指していたんだとしたら、あの新宿御苑にある雨の四阿(あずまや)でどんなことが行われたのかを想像して、何だかいろいろと楽しくなるけど、それでは新海監督の作品にはならないからなあ、どちらかっていうと園子温監督系? ちょっぴりエッチでそれでいてキュンと来る作品になるような気がする。一所懸命にブラとパンツのスケッチを描いている少年の助っ人を後ろからのぞいて「えっ」となる年上の女性。でも真面目に下着職人を目指しているという彼のために近寄り胸の形を触って分からせ、そしてベンチの上に立って腰回りとお尻の形もその手に分からせる。ううん何と官能的。イタリアあたりで実写でリメイクされる機会があったらそういう脚色なんかを加えてくれると……もはやだから「言の葉の庭」じゃないか。ならばAVで。いやそれもちょっと。

 しかし聞くとTOHOシネマズ系では、あの余韻もたっぷりに席を離れがたい「言の葉の庭」が終わった直後に、っていうか他の作品も含めて映画が上映された後に、宮崎駿監督の新作アニメーション映画「 風立ちぬ」の4分にも及ぶ長い長い予告編を上映するんだとか。あらかじめおそらくは併映の「だれかのまなざし」の上映前にそういう予告編が流れるよって告知はしてあるそうだけれど、それってつまり最初っから余韻なんざぁぶち壊してでも「風立ちぬ」の予告を流す気満々だってことでもある。嫌なら立ってかえれば良いって言うけれども、余韻というのはすぐに席を立つことじゃなくって暗かった劇場に明かりがともって周囲が何か口々に感想が言い合う中で、自分ではその作品をどう噛みしめたか、なんて考えることも含むもの。決して何かで埋めて良い時間じゃない。

 そうした貴重にして作品に含んで当然な時間を観客に与えないで、まったく別の監督のテイストも異なる作品を4分にも見せるのって、それは映画という作品への敬意を著しく欠いたものとしか言いようがないし、興業においても観客のアメニティを著しく軽視するものでもある。映画を愛する人なら絶対に思い浮かばないことで、だからこれまでやられなかったことをいったい誰が得々として思い付き、やろうとしたのかって考えると浮かぶのはあの人だけれど、うーん、分からないなあ、やりかねないってことはあっても、うーん。監督が知ったらいったい何っていうだろう。「風立ちぬ」の後に「かぐや姫の物語」の長い予告編を流されたってそれ、いったい誰の得になるってことでもあるしなあ、いくら仲間だからってともに映画を愛して作り続けた監督たちが、それを認め許すとは思えないだけに、やっぱり気になるあの人の腹づもり。さていったいどう収拾を図るのか。まあ別にTOHOシネマズで見る義理もないんで、余韻を味わいさらに近所で映画の雰囲気を味わいたい人は、上映前に予告編が流れるバルト9で「言の葉の庭」を見るのが良いかも。「どーにゃつ」の短編アニメも流れるけどね。

 「ドーハの悲劇」に雪辱なんてあり得ないのはそれが1994年の米国でのサッカーW杯という場に出ることを閉ざされた試合であって、そこで覚えた残念で無念な気持ちはたとえ1998年のフランスW杯に出場を決めたジョホールバルでの勝利を見たあとでも決して埋められることはなかった。あれはあれで別の喜び。だから日本はあの屈辱を、あの悲劇を一生覚えてそして二度と繰り返さないという強い思いを噛みしめて、過ごしていくしかないんだと思っている。当時たまたま滞在していた中国の瀋陽にあるホテルでよく映らないNHKだかの中継で、ロスタイムになってもうこれで決まったと思った瞬間、イラクのコーナーキックから短くつながれたボールがゴール前に放り込まれてそれを頭でゴールに決められた瞬間。浮かんだ思いはどれほどのものだたか。まだ日記を始めてなかったから振り返れないけれど、呆然としながら遅い夕食を摂りに食堂へと向かったことだけは覚えている。

 まあ今ほどサッカーにのめり込んでいた訳でもないから、ああまたかやっぱり出られなかったかって半ば諦観に似た気持ちもあったかもしれないけれど、4年後にW杯出場を決めてそして、出場するメンバーからカズこと三浦和良選手が外れたことから遡って思った時、やっぱり日本はドーハで負けてはいけなかったし、その負けがなにかによって埋められることはないんだと意識した。あるいはだからカズは雪辱を果たすのは自分がワールドカップに出ることしかないと止めずに今なお現役で頑張っているのかもしれない。いくらフランスに出ようと日韓大会ドイツ大会南アフリカ大会に続けて出ようとそこに自分の居場所はなかった訳だから。ブラジル大会こそはって本気で思っていたらそれこそがカズ。誰か聞いてみないかな。きっと言うに違いない。出場する気でやっていると。

 しかしやっぱり本田圭佑選手がいないと中盤に溜めが作れず攻めあぐねるサッカー日本代表。いくら最前線でハーフナー・マイク選手が頑張ったって落としたところに香川慎司選手も清武選手も誰もいないんじゃあ何の意味もない。中盤が溜めている間に押し上げそして多人数をかけて攻撃してった前のオーストラリア戦の良さがまるっと消えて中盤で持ちあぐね不用意に出したパスを奪われひたすら攻められる繰り返し。幾度となく強烈なシュートを放たれそれを川島選手がよくしのいだけれども1本、日本にとってはアンラッキーな事態があったらそのまま奪われ負けていたかもしれない。オーストラリア戦の時みたいな幾度となく攻めてとれない状況でもなかったし。だから最後に1点を奪い勝ったと喜ぶのは早計だし、それを「ドーハの悲劇」の雪辱だなんて持てはやすのも無意味、負けに等しい無様をさらした原因を掴み直していかないと、コンフェデでブラジル相手にこてんぱんにされるぞ。されれば良いんだとも思うし。

 そして公開も近づく「宇宙戦艦ヤマト2199 第6章 到達!大マゼラン」は七色星団で来るヤマトと沖田艦長を迎え撃つドメルとのプライドをかけた一騎打ちがやっぱり見物。あそこで戦力を出し惜しみせざるを得なかった理由なんかもちゃんと分かるようになっていたし、そしてあれだけの戦績を誇る名将でありながらもドメルが前のヤマトと同様に厳しい戦いを強いられるところもちゃんと描かれているからその行方にも納得できる。ああいう人なんだよやっぱり。そこから先の展開にこそ「2199」という新しい名前が付けられた意味が多いにあって観ればもう驚きの連続。それはもうさまざまなところに驚かされそうだけれども蛇足でもなく寄り道でもなく筋の上で納得できるように描かれているから大丈夫。そして辿り着いた目的地。そこでの最後の展開がいよいよ次章でもって描かれる。もう今から楽しみ。見た目にいろいろ気になるところがあったけれど、ブルーレイ発売までにはきっとスタイリッシュになっているだろう……って同時発売だったよ。まあそれもイベント性ってことで。


【6月11日】 根源となる周辺の動機という部分で、中編アニメーション映画「ハル」には未だに納得できないのだけどでも、主題歌となっている日笠陽子さんの「終わらない詩」がとても良くって、その日笠さんが声を演じている“くるみ”というキャラクターが京都の狭い路地から頭だけ出して、人形のキリンを運んできたハルを見て町屋の2階にある仕事場から離れ、階段を下りて来てガラス越しにハルの姿を見るまでの動きがとても可愛いので、これは良い映画なんじゃないかという認識へと傾いていたりする。いやほんと、映画を観た後に流れてくる「あなたのいない世界でも」「私のいない世界でも」といった歌詞は物語に描かれる離別ってものを表現していて悲しい余韻に浸った頭を落涙へと導くのだ。僕は泣かないけど。そういうシーン、そういうシチュエーション、そいういうアニメーションがあるってことできっとあと何度か見に行きそう。「ハル」。いつまでやっているんだろう。

 シーンというところでは秦基博さんによる「Rain」の長めのイントロが流れ始めたところから、ユキノとタカシの泣きながらの言葉と心のぶつけ合いが始まるシーンが何度も見たいという思いがあって、新海誠監督の映画「言の葉の庭」もやっぱり劇場に何度も見に通ってしまいそう。すでにブルーレイディスクは買ってあるから見ようと思えば何度だって見られるんだけれど、その前のシーンで部屋の中にまだいた2人がかわす言葉の、どこか表層を取り繕ったような言葉のその裏側で揺れ動き悶える心理なんかも想像して、それが一気に弾け飛ぶまでを時系列で追っていきたいという気もあって、それはやっぱり他に身動きできない劇場で見るのが1番だったりする。音響だって良いし何より画面が大きいし。

 それもバルト9の1番大きな9番スクリーンで見られる機会もそうないから、朝も早くから見に行った早朝。決して多くはないけれど数人は来ていた劇場で、揺れ動く心理を感じ取りつつ2人が近づき離れそれでも寄り添いそこからそれぞれに歩いていく姿に感じ入る。3度目ともなるとそこでなるほどそう身分を仕切ったこと、そして靴がなくても一人であるいて行けると言ってしまったことが拒絶ととられショックを与え心ふるわせたといった解釈なんかも浮かんでくる。つまりは選び抜かれた言葉が使われた映画なんだってこと。その後のほとばしる激情に飛び散る涙が印象として強すぎるだけに機微の絶妙さが薄まってしまうけれど、機会があったら2度目を見てまた3度目とかみるうちに、あそこであったなったのも当然で必然なんだって分かってくるから。だからぜひに今一度見よう、雨が降る梅雨らしいこの時期に劇場で、そして行こう、見たその足で舞台となった新宿御苑へ。そこには誰もいないけどね。

 何度か見るってことではそう、宮崎駿監督の作品だと「千と千尋の神隠し」で千尋がおにぎりを食べながら涙を流すシーンとか、油屋の上から見た彼方まで続く水の世界とかがまた見たくって何度も何度も劇場へと通ったっけ。その水がDVDだと透明感のない色になっていて激怒したのは後の話。だからまた劇場でかかる機会があるなら行きたいんだけれどあんまりリバイバル上映しないんだよなあ、宮崎作品って、何でだろ、テレビのドル箱になっているからなのか、映画は映画館で観てこそ映画なのに。そしてその後に作られた「ハウルの動く城」も「崖の上のポニョ」ももう1度見たいシーンがあんまり感じられなくって実は1度しか見ていない。むしろ「ゲド戦記」なんかは主人公が農作業をする場面の手に肉刺を作りながら働きそして食べる食事のシーンが良くって何度も劇場へと足を運んだ。

 その差を衰えと見るかキャッチなことを避ける演出作法と見るかは判断に迷うことだけれど、僕にとって劇場で見たい映画をもう作ってくれないという印象がちょっと浮かんでいた宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ。」はもしかしたら、いろいろと見たいシーンなんかを持った映画だったりするかもしれない。「言の葉の庭」の上映前に流れた4分ほどの予告編で登場する少女の動きが何かとても良くって見ていてちょっと楽しそう。飛んでくる帽子に身を乗り出して手を伸ばすシーンなんかの仕草表情はさすがに宮崎監督。そしておそらくは関東大震災で揺れる東京を描いたシーンのスペクタクルぶり。宮崎監督でしか作らないし作れないシーンがありそうで劇場で見るのが今から楽しみだったりする。最初にちょっぴり喋っていた庵野秀明監督は巧さというより声の良さで聞かせるタイプ。耳障りじゃないっていうか滲んでくるというか。そんな声がキャラクターと重なり物語にとけ込んだ時、きっと今までにないキャラクター像ってものがそこに浮かぶような気がする。それも楽しみ。試写会当たらないかなあ。

 東京ゲームショウだっけかで連載の開始を知らせる看板を見てのけぞった「ジンカン〜人の間はおもしろく生きる〜木谷高明物語業界偉人伝」(マッグガーデン)がいよいよ単行本となって登場。カードゲームのブシロードを立ち上げ大きく事業を広げそして、新日本プロレスなんかを傘下に入れてぶいぶいと言わせている木谷高明さんのこれまでの歩みってのが記されていて、読むと何か懐かしくもあり驚きもあり。ゲーマーズが出来てそれが秋葉原に進出してきてそしてデジキャラットが登場したあたりからリアルタイムで見ていたし、取材なんかを経てJASDAQへのブロッコリー株の上場なんかは現場で挨拶なんかも見ていただけに、書いてある内容自体には驚きはしなかったけれど、決して当人にとって嬉しくはない失敗の連続を、こうもあからさまに描いてしまっていることには驚いた。成功者なのにちゃんと失敗も見せてその理由を語ってる。そういう意味で学べる経営書ともなっているんじゃなかろーか。

 強く響いてきたのはそうしたところよりもむしろ吉田直さんについてのエピソード。それまで脚本を担当する人物として作中に徹底しておふざけキャラとして描かれていたあかほりさとるさんが、そのシーンだけは神妙にして真面目な顔で描かれている。きっと辛かったんだろうなあ、同じ世界にいてその活躍とその急逝を知っている人として。僕自身、吉田さんとは2003年10月31日に京王プラザホテルで開かれた日本SF作家クラブの40周年記念パーティに潜り込んだ時に会っていくらかお話をしたんだけれど、その頃から次の作品として「熱風海陸ブシロード」ってのの話を着々と進めていたんだっけ。ガイナックスが絡み山賀博之さんも絡んでの作品として大きくなりそうな予感があった。

 そして満を持して世に登場した2004年7月に吉田さんは急逝。直後の7月24日と25日に幕張メッセで東京キャラクターショーが開かれて、「熱風海陸ブシロード」の展示がされていてそこに若い女子がいっぱい集まり、口々にた「やばいよやばいよ」と言っていたって当時の日記に書いてある。本当に期待されていたコンテンツだったんだよなあ。それだけに吉田さんを失って仲間を亡くしたことへの哀しみを一方に、ビジネスとしてコンテンツとして育てられなかった悔しさをやっぱり木谷さんは引きずっているようで、そんな思いもあって当時のロゴをそのまま使い、新会社を立ち上げてそこに「ブシロード」って名前を付けた。ここにはもしかしたら凍結してある「熱風海陸ブシロード」の復活なんかを期す気持ちなんかが込められているじゃないかと思っているし、信じているけど果たして応えてくれるのか。本当に再起動を果たすのか。連載の成り行きとともに眺めていこう、その行方を。そして木谷さんの生き様を。


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