縮刷版2013年5月下旬号


【5月31日】 阿呆、なんだろうなあ某都知事。サンクトペテルブルクでの2020年五輪招致に向けたプレゼンテーションで東京をアピールするのに、言うにことかいて「東京の街では男性でも女性でも、昼でも夜でも安心に歩ける」だなんてぶち挙げた。つまりはこれってイスタンブールとか他の立候補した都市ってのは、昼も夜も誰も彼もが安心して出歩けない街だってこと? 良さをアピールする言葉でそうした部分を訴えることが、どれだけ他の都市を侮蔑し見下していることになるのかを、まるで考えてない言葉に聞いているIOCの関係者たちはいったい何て独善的な奴なんだって思ったんじゃなかろーか。あるいは尊大とか。会場が沸いたとか笑いが漏れたってのはつまり憤りと失笑なり苦笑だったんだろー。

 アメリカ人だってイギリス人だってフランス人だってドイツ人だって、決して自分たちの都市が治安が完璧なまでに良いとは思ってないだろうけれど、暗にそれを指摘されるような高飛車な態度を喜んで受け入れるはずがない。「財布を落としても必ず戻ってくる」って言葉も同様。すなわち他国はそうしたことがあり得ないくらいに人の心が歪んでいるんだと攻め立てるような言葉で、聞いていて決して良い気持ちはしないだろう。日本でだって「世田谷は東京でもっとも治安が良い」ってアピールしたら「んじゃ練馬は治安が悪いのか」とか他の区や地域なんかが怒るだろう。つまりはそういう意味合いのことを、世界レベルでやってしまって得々としているその精神に、何か人間として大切なものをどこかに捨てて埋めて燃やして灰にしてまき散らしてしまったような印象を受ける。

 他国を下げて自分を浮いたように見せかける言葉ってのはそれだけで比較に当たってオリンピックのスピリッツから外れるってことを、あのイスラム国に対する差別的発言で問題になった時、どうして理解しなかったんだろうなあ。理解する頭がないってことなんだろうなあ。現実問題、東京の治安が世界に比べて割と良いことは確かだし、財布が落ちても戻ってくることはないでもない。だったら世界がそうした東京を見本にして、1964年に東京五輪を行ったことで近代化が進み治安の健全化が進み人心にゆとりが生まれたことを引き合いに、他国が「東京の奇跡を再現するのは我々だ」って訴えれば、東京が何を言ってももう勝てない。自分たちがなし得てきたことを誇るなら、それを他国がなし得ようとすることを妨げられる訳ないからね。お金がある? 余計なお世話だって言われそう。つか財政が汲々な時になに自慢してるんだってこれは都民が怒りそう。考えなくても浮かぶ異論。けどそれを当人と周囲だけが気づかない。参ったねえ。まあ都民じゃないから関係ないけど。

 全世界的に難民が発生しているっぽい「安彦良和アニメーション原画集[機動戦士ガンダム]」は親戚との会合から帰りがけのときわ書房船橋本店であっさりと手に入れられたけど、見るとアマゾンなんかは注文済みの人には順次発送となっているようで、これから買おうとする人にはとりあえず登録しておいて、買えるときになったら案内がいくって状況になっている。これってつまりは相当後じゃないと手に入らないってことだよなあ、発送の予定が来た人だってあるいはKONOZAMAになる可能性だってない訳じゃない、かもしれない。リアルな店頭でリアルに見て買う、それがやっぱり最強ってこと。とはいえ店頭ですら見かけないって報告も聞こえ始めたこの1冊。ときわ書房船橋本店には2冊あってそおうちの1冊を買ったけれど、今日の夜にも果たして残っているのかどうか。あったら買っちゃおうかなあ、そしてバラしてトレスして練習するんだアニメーターになるための。

 朝方にTOHOシネマズ六本木へと立ち寄って「言の葉の庭」のブルーレイディスクを購入してついでにサイン会の整理券も確保。「機動戦士ガンダムUC」とか「宇宙戦艦ヤマト2199」みたく即日完売だなんてことになるとは思えないけれど、でもやっぱり映画を観たら欲しくなるだろうその内容を勘案すると、朝から回っている上映を観た人が順繰りに買っていって夕方にはもう残っていないなんてこともあるから、買えるときに買っておくのが良いってことで。それは「安彦良和アニメーション原画集」も同様。見つけたら確保。それが欲しいものを確実に入手する鉄則。どうしようかなあ「ONE PIECE」のZバージョンのロビンのフィギュア。パルコだとまだ予約できるんだ……。迷わないって言ったばかりで。いやまあ時々の勢いって奴で。

 物販ではあとはポスターを2枚。1枚はメーンビジュアルに使われているような森の中のあずまやで2人が向かい合っている遠景で、そしてもう1枚がタワーレコードの渋谷で開かれている「新海誠展」でみた、タカオがいてユカリが立っている姿が割と大きく描かれている絵で傘をさしたユカリのパンツスーツのすらっとした具合が実に良いのだ。スカート姿よりも体のラインが見えて。それが大人の魅力って奴? 分からないけど。あとはパンフレット。結構細かい。そして解説が奥深い。似て非なる作品。それはジブリっぽかった「星を追う子供」も「秒速5センチメートル」みたいな「言の葉の庭」も同様。入り口を近づけてあるけれども出口が違うっていう解説は、世にはびこるそれっぽいじゃん的感想を抑えちょっと待てと踏みとどまらせて、何かそこに意図はないのかと考えさせるきっかけをくれる。必読。

 そして「言の葉の庭」。試写会に続いて2回目で、あの予告なんかにも出てくるタカオって少年の叫びにいたった内奥が理解できたような気がした。それを言ってしまった気恥ずかしさにふと気がついて憤ってしまったのと、これからの岐路を突き放すようにみせて未練なく送り出してあげたいという優しさと、そんな様々な感情が浮き上がって渦巻き押さえ込もうとして抑えきれないでいたところいに、対象が現れ感情がギュッと収束して一気に吹き出した。それがあの悲痛さと怒りとちょっぴりの強さがこもった叫びになったんじゃないのかなあ。まあ人それぞれに解釈があるからもっと単純にフられた怒りが爆発しただけなのかもしれないけれど、まだ子供だし。というかユキノの方だって大人だけれどそれでもまだどこか子供。少年から観れば15歳も上だけど40歳50歳の世界から観れば27歳なんて。だから諭すようで逃げるようで媚びるようで。それがもうどうでもよくなってあの涙につながる。花澤香菜さんの声はだから試写の時はやや幼く感じたけれど、実はまだ子供なユキノの心情を実によく現していてこれがベストだと感じた。これはひとつの発見だった。

 そしてタカオとユキノの、そんな2つの思いがぶつかりあったシーンだからこそ、観る人から建前とか上辺といったものはぎ取って純粋に自分ってものを感じさせ、そしてどうするんだろう、どうしたんだろうって思いへと至らせる。1度では関係性にやや驚いてちょっと戸惑い流してみてしまうかもしれない。だから1度目はまず驚きそして2度目にいったいどういう“手順”が踏まれてあの階段のあの滂沱につながるのかを、感じ考えてみると良いんじゃないかな。新海誠監督の「言の葉の庭」。ブルーレイディスクも売っているけどでも、あの雨あの森が放つしっとりとして生々しさを持った空気感と、あの肉体あの表情から漂ってくる生であり性といったものの肌触り、そして言葉たちに込められた情感は大きなスクリーンで最高の音響でこそ伝わってくるんじゃなかろーか。だから行こう劇場へ。僕もいくぞ劇場に。


【5月30日】 例えば。クラリス・ド・カリオストロすなわちクラリス姫はまだ16歳で日本でいうところの18歳未満にあたっているにも関わらず、立派な成人男子が逃げようとする彼女を車で追い回しては拉致して塔の上にある部屋に監禁。あまつさえ幾度となく殴りつけ最後には薬で意思を奪って無理矢理にでも婚姻関係を結ぼうとするそれは甚だしくも性的な虐待に当たる行為でもし、今度いろいろ論議されている法律が通ったらそうした表現を存分に供えた宮崎駿監督の傑作「ルパン三世カリオストロの城」はどうなってしまうかと、考えればクールジャパンだ宮崎アニメだと騒いでいる国がとてもじゃないけれど法律の成立なんて出来るはずがないと思いたい。

 それを言うなら銀熊賞でアカデミー賞の「千と千尋の神隠し」だってまだ幼い少女を借金の方に遊郭に売り飛ばして下働きをさせるという児童虐待すら含んだ内容。でもそんなの架空の童話には幾らでもあるし昔の実話だって開けばいくらだって例があるけどそうしたものすら遡ってダメというのか今回の法律。だから通ればおそらくは「カリオストロの城」も「千と千尋」も封印となって、残っているフィルムはすべてずたずたに切り刻んで廃棄すべきだなんてことを奴らは言いかねない。それがひとつの目的のためには周囲の一切を無視する輩の心理。そこに割って入って突き崩すにはだから上からの圧力しかないんだけれど、でもなあ、サーヤから言ってもらう訳にはいかないもんなあ。

 「無限のドリフター 世界は天使のもの」(電撃文庫)ではもはや保たせるのもギリギリになっていた空中都市がこちらでは現役バリバリに、異能を持った少年少女が集まる学園になっていたりするむらさきゆきやさん「浮遊学園のアリス&シャーリー1」(オーバーラップ文庫)は、幻想を実体化させるような異能を新たに発動させて、その学園都市に編入することになった柾貴という少年が主人公。すでに以前から強い力を発揮していて、先に学園都市に入学していたシャーリーという幼なじみで明るくパワフルな少女と再会し、さあ学園生活だってところで柾貴は悪巧みをするような声を聞き、その主に咎められて襲われそうになっていたところを、トランプだのグリフォンだのを操る少女に付けられる。

 彼女はアリス。学園でもきっての高いレベルの持ち主で、シャーリーとパートナーをくんで彼女が校則違反社を取り締まる規律委員会で活動していたんもの始終起こす喧嘩で解消となっていたその間に、アリスと出会った柾貴が誘われアリスとパートナーを組むことになる。とはいえパワーのシャーリーにボリュームのアリスといった攻撃に適した力は自分にはないという柾貴。そして学園では先に柾貴を襲ったのと連なる襲撃者が現れるようになって3人を走り回らせる。実はやっぱり最強クラスという、けれども攻撃には向かない柾貴の能力とはどんなものなのか。そんな力でも学園最強の2人の危機を助けられたのはなぜなのか。つまりは組み合わせの妙ってことで。そんな知恵比べとそして明るさ爆発のシャーリー、鬱屈したところのあるアリスという3人のキャラクターの個性が面白い作品。続きが待ち遠しい。

 「魔法少女まどか☆マギカ」を手がけたシナリオライターの虚淵玄さんが原案・シリーズ構成・脚本を務めてるってことで話題沸騰ののテレビアニメ「翠星のガルガンティア」で、第6話の脚本を担当した海法紀光あんがアニメの前日譚として書いた小説「翠星のガルガンディア 少年と巨人」(ニトロプラス)が登場、っても普通の本屋じゃなかなかお目にかかれない一種の自主流通本だけに、果たしてSFマガジンで紹介するのが適切か迷うもののこれ単体でも結構面白い「成長の儀式」に通じる作品と読めるから構わないって判断して紹介に向けて心づもりをしておこう。テレビだと何とかって宇宙生命体との戦闘中に転移事故に巻きこまれ、滅亡したはずの地球へと飛ばされたマシンキャリバー乗りの少年のレドが、まだパイロットになるずっと前、それこそ学校に入って学んでいる時代を描いたストーリー。そこで宇宙を旅する人類銀河同盟がどんな運営になっていて、そしてどういう風にチェインバーみたなマシンキャリバーに乗るまでに至ったか、ってあたり書かれている。

 宇宙を渡りながら敵と戦う以上は人類銀河同盟に余裕なんてなくってちょっと至らないことがあればおそらくは処分され再処理へと回される。そんな苛烈な環境でひとまず適性を認められ学校に入って訓練を受けるようになった以上はレドもひとかどのものだったんだろうけれど、どういう経緯からか試験を純粋に点数稼ぎだとは思えず、テストの途中で仮想空間ながらも老人を救おうとして敵に攻撃されて殺されたことを引きずり、それでも付けるべきだったか、点数のため自分が生きるために見捨てるべきだったかを葛藤する。そんなレドを心配する同級生の少女がいたり、劣等生を自認しつつレドを助ける病弱な少年がいたりと、学園ドラマ的な雰囲気も見せる展開。けどやっぱり最後は卒業試験があってそこでの勝利で将来の道をつかむか否かが決まる中で、レドはいったいどういう自分を選ぶのか、ってあたりに境遇がもたらす性格ってものが見えてくる。アニメの背景が理解する一助であり、過酷な宇宙で“成長の儀式”に臨む少年少女の生き方を見るSF小説として楽しもう。  喚ばれて渋谷公会堂にてきゃりーぱみゅぱみゅのワールドツアー最終日を見物、いやあやっぱり素晴らしいなあボーカルもダンスもMCも舞台構成も。すでにZeppでは見てたけれどもそれより広いホールであっても関係無しに空間を盛り上げ観客を引きつけ歌に乗せて踊らせる。そして感動をもたらす。いったいどういう存在なんだ。ダンサーは大勢引き連れてはいるけれどもメーンはやっぱりたった1人。それで2時間半とかをきっちりと踊りそして楽しませるってのは並大抵のことじゃなお。なおかつそれがデビューからまだ2年の20歳の女の子がやってしまってことで、このすごさを他に例えるとしたら……思い浮かばないくらいに凄い。AKB48だってももいろクローバーZだってグループだもんなあ。アニソンではピンはいっぱいいるけれど。アニメそのもののファンも来てくれるライブとは違うからなあ、きゃりーぱみゅぱみゅの場合。

 なおかつ今度はホールを中心に全国を回るツアーを敢行するとか。ライブハウスだってキャパが2000人くらいにはなるからホールとそれほど変わらないところもあるけれど、NHKホールなんて入っていたり名古屋の国際会議場センチュリーホールとかもあったりとキャパ3000人なんかも混じってきて、果たしてどれだけ埋められるのか、心配ないとは思うけれどもやや心配。まあアルバムも出るし下期にかけて人気もさらに高まるだろうから、それを追い風にソールドアウトを続けていけばさらに大きなアリーナで、なんてこともあったりするかも。ちょっと期待して見に行こう。山下達郎さんもプレオーダーに全滅したことだしここは関東を中心に追いかけてみるか、伊勢原に市川にNHKホールに大宮あたりかな。名古屋も生きたいなあ、って言ってたら達郎2次か、当たらないとは思うけれども申し込んでダブったらどっち行く? 迷うなあ。


【5月29日】 そして高村透さんの「逃げろ。」(メディアワークス文庫)も読み通してみたけどこれが1番、今度出る「くじらの潮をたたえる日」(早川書房)に雰囲気的アプローチ的に近いかもしれない。何か隕石が落ちてくるから逃げろとだけ言って政府もニュースも沈黙。それを受けた主人公は、それでも会社に行ったらたいして来ていなくて守衛の人がいて中に入ったら知り合いがいて、そしてどこかへ向かおうってことになって出ようとしたら守衛の人が自分を虐める上司を殺してた。だんだんと外れ始める理性のたが。あるいは一般的な常識。守衛の人はそれでもいたって真面目に実直にその後の暮らしを送ろうとするけれど、主人公が会社で会った同僚は法律も何もかもが無効となった世界で、暴力を奮い弱肉強食の中を生き抜こうとする。

 主人公はといえば別のやはり同僚だった女性が暴動の中で死亡したのを見つつ、広がる横暴から離れて都会を出て、とあるケアハウスのような場所へとたどり着くとそこにはシステムが停止してしまって医療から外れてしまった人たちが集まり、生きたりあるいは最後の生を送ろうとしていた。やはり老人が多いけれどもなかには病弱な少女もいて主人公は彼女の世話をしながら混乱の中で静寂を見せ始めた世界を感じ始める。そこに現れた暴虐ぶりをむき出しにした元同僚。もはや人間としての尊厳すら振り払って暴力の限りを尽くし、破壊し殺していく彼から逃れて主人公は果てしない逃亡へと向かう。

 どこかSF的ではあるけれども、本当に隕石が落ちてくるかどうかは不明。そういう意味ではパニック小説とはちょっと違って、枠組みが外れてしまい底が抜けてしまった時に人間が見せる本来の獣性と、それでも保とうとする理性との対立って奴を浮かび上がらせようとした、一種の観念小説のような印象も漂う。食中毒を起こした責任を問われ左遷され、倉庫に送られそれから店舗に戻され下っ端としてこき使われる59歳のサラリーマンの、異常事態に混乱を来した精神が見た幻想と妄想の世界を描いたような「くじらの潮をたたえる日」とでは、そういう面が似通っているけれど、人が殺され人が死んでいく事態は空想とか幻想とか妄想からはやっぱり外れている。だからやっぱり観念的でもあり現実的でもある中で人間の意味を問おうとした文学、なのかもしれない。こんなのも書けて「金星で待っている」も書けて「バンク コンプライアンス部内部犯罪調査室」も書ける高村透さんって、いったい何者? それがまずは注目の的。

 ガンダムだガンダムだお台場にあるホテルにガンダムの部屋がまた新しく出来るってんで見物に行ったらそこには南米ジャブロー基地が広がっていた。シュー。いやそれだけでは何ことか分からないだろうから説明すると、ホテルパシフィックメリディアンが去年から近所にガンダムの立像が再び出来たことにも関連して、幾つかの部屋をガンダム仕様にしたところなかなかの好評でスペシャルルームはほぼ満室、というか1室しかないからずっと人が泊まっていて、それからスタンダードな部屋も8割近い稼働率を誇ってたりしたのを受けて1年の予定だったものをさらに伸ばし、その上で今度はジャブローを舞台にしたエピソードを取り入れた新しい部屋を作って6月からオープンする、というもの。んで何でまたジャブローなんだろ?

 想像するならジャブローってのが地球を舞台にしたエピソードで、宇宙の無機質さとは違った雰囲気を作りやすかったのかもしれないし、近くに森もあって密林みたいな雰囲気を窓から楽しめるのを受けたのかもしれない。分からないけれどもでも入るとそこには迷彩の内装があってズゴックにジムが爪をぶち込んでいるシーンが壁画になっていてプラモデルも飾ってあってウッディ・マルデン大尉とマチルダさんの婚姻を想像したシーンのパネルもあってそのウッディ大尉のセリフがシャワールームの壁に書いてあったりと、ジャブローならではのエピソードによった仕掛けが満載。ジャブローから乗り込んでくるスレッガー・ロウ中尉の等身大パネルが飾ってあって後ろにその時のセリフがかき込んであったりといろいろと多彩。懐かしさを噛みしめながら一晩を過ごすことができる。

 さらにはキッカとカツとレツが探したジオンの仕掛けた爆弾が、部屋の中に幾つか仕掛けられていて探す楽しみもある。おまけに目覚まし時計の音があのアラートでありブライトさんの声。とはいえ鈴置洋孝さんはもういないため成田剣さんが吹き込んだみたいで食事の用意があると告げられる。さすがに「なにやってんの」「弾幕薄いよ」って夜になって男子を女子に向かわせるような声は出してくれないけれど。これでもし泊まっていた朝に扉を開けて成田さんがブライトさんのような恰好をして地声でもって起こしてくれたら最高かも、って思うけれどもそれは流石になさそう。いやサンライズが企画してサプライズありの宿泊プランを立ててそういうのをやればあるいは実現するかも。お風呂入っているとズゴックが振ってくるとか。それは勘弁。評判なら続く展開も考えているそうで、いったいどこのシーンが再現されることになるんだろう。ランバ・ラルと出会った砂漠かマ・クベのギャンを倒したテキサスコロニーか。難民を乗せたホワイトベースで無関係な人が部屋にいて、食事の時もおかずを何点か奪われる、なんてプランがあったら楽しい…かも…しれない…。うーん。

 歴史に残る日なのかもしれない。歴史に刻まれる日なのかもしれない。自民党と公明党と維新の会による表現規制を趣旨とした法律の国会提出は、ずっと続く何かしらの規制をしたい勢力の蠢動と、そしてそうした勢力の先の衆議院選挙での一気の台頭を考えるなら、来るべきものが予定どおりに来たといった感じではあるけれど、一方でまさか憲法を無視してまで表現を規制し、冤罪も簡単に生み出せそうな穴だらけの法律を、大の大人たちが真剣に国会で成立させようとしていたとはちょと思えず、そのあまりのドアホウぶりに人間として何か間違ってやしないかと思い、苦笑しそれから絶望を感じて立ちすくむ。とはいえ考えるならそうしたドアホウどもが国会の場で法律を作る権限を得たのも、有権者たる僕たちもまたドアホウだったってことなんだろうけれど。いや参ったね。

 けれども、少なくともそれがいったい何をもたらすかを考える脳味噌くらいは持っていて、際では多少の逡巡もあるだろうと信じていただけに、ここまでのドアホウぶりを見せつけられると流石に仰天する。自分たちがマヌケだったと慚愧の念に囚われる。彼らには元よりそれが憲法に反するとか、人類としていささか道理を外れているといったことを考える頭なんて無かった。言われたことを言われたようにやるだけだった。じゃあ誰がやっているんだろう? というところで実のところは中心なんてなく、なんとなくそうなったという意識が総体となってそうならねばという脅迫観念に推され動いているだけだったりする。だって誰も得をしないじゃん。自分たちだっていつアゲられるか分からないじゃん。なのにやる。もうドアホウとかマヌケといったレベルですらない、その空虚ぶり。そうやって国はどんどんと坂道を転げ落ちていく。行く先は? だからめなくては。止められるのか? 分からないけど止めなくては。考えたい。動きたい。

 日本食を世界に広めることのどこがクールジャパンなんだろうとか、考えるだけ無駄だけれどもしかしやっぱり脱力してしまった「食の伝道師」制度。だって別に言われなくたって海外に雄飛したい日本食レストランはどんどんと出ていってはそこで本格的な日本食を食べさせ評判にんっている。一方で日本の食材を使えないような場合もそれぞれにアレンジを加えカリフォルニアロールを作ったり、アクションでもって鉄板で肉をやくステーキレストランを展開したりしてそれぞれに日本というものを海外に受け入れられる形で持って行っている。そこにどうしてまた新たに国がプッシュして日本食を展開しなくちゃいけないんだ。食ってのは文化のとりわけ娯楽とは対極にあって非常に土着的なもの。そこに踏み込んでくるような奴らを鬱陶しがりこそすれ受け入れるなんてことはあり得ないのに。きっとだから日本というものを固有に感じてそれを妙に誇りに思って世界に伝道というよりむしろ布教し折伏したい人がいたんだろう、戦略を考えたメンバーの中に。それは誰? きっと一方で国の活力だった表現を規制したい人たちだ。そういう政治が行われている。そんな国に生きている。困ったねえ。本当に困ったことだねえ。


【5月28日】 いろいろ読んでおかなくてはと、高村透さんの「金星で待っている」(メディアワークス文庫)を開いたら終わりまで一気読み。いやあこれは面白い、っていうかすぐに映画化すべきんじゃないかと、それとも舞台化でも。何しろテーマが演劇で、主人公の森下大樹は劇団の主宰者にして演出補助、略称エンポ。ほかに制作もこなせば会計装置等々もこなす雑用で、それで主宰ってのはつまりはまあお飾りというか、ほかにシーナという脚本家がいて演出家でもあって天才的なところがあって、劇団の立ち上げから中心的に動き回って業界でもそれなりに名前が知られるようになっている。けれどもスランプなのか書けなくなった。ヒモみたいに女性のところに転がり込んでは出てこない毎日が続いていた。だからエンポはたったひとりで、新しい劇団員候補のオーディションを行うことになった。

 そしたら現れたのが金星人。でも別にSFじゃない。住所電話メールその他はちゃんと書いているのに、なぜか名前だけを金星人といって譲らない。それではちょっと難しいかもと思いつつも、実際にエチュードすなわち即興劇をやらせてみたらこれが巧い、とてつもなく巧くってこれはもう採用するほかなったけれども、迷ったエンポはシーナの住処へと行って相談して、やっぱり採用ということになってそれで劇団は次の公演に向かって動き始める。とはいえもうずっと下がり気味の劇団は、メンバーが揃って練習することもなくなり、脚本も出来上がらず次の公演が行えるかどうかの岐路にあった。だからといって奮起もせず、どこかフェードアウト気味になっていたところに新しく加わった金星人が、強い言葉で叱咤し奮起を促し、メンバーはどうにかこうにか動き始める。それでも。

 シーナの脚本は上がらずエンポが脚本も演出も行うようになってちょっとひともめ。シーナの才能にずっと引っ張ってこられたエンポには自分に自信がまるでなく、才能が無いとも自覚していて、何より前に実際に演出した芝居がとことんまで酷評されて逡巡していた。そこはかつて自分の芝居を見たとことがあって、だからオーディションを受けたんだという金星人の不思議な励ましがあり、前に舞台を手伝ってあげた小劇団がその後解散して、その主宰の人が移った先で人気劇団の副代表をやっていてその人がエンポのことを激しく尊敬していて褒め称え、舞台も手伝ってくれることになってどうにかこうにか動き出す。それでも離別があって、それを乗り越えようとしたものの、続いて大きな壁があってと次から次へと起こるアクシデント。いったい舞台の幕は開くのか。そしてその未来は。スリリングな展開が待っている。

 演劇に携わっていたこともあるらしい作者ならではの文字通りの演劇の舞台裏を見せてくれる作品。演技に迷う女優がいて才能に悩む青年がいて、スランプに直面してあがく青年もいて道に迷い諦めてしまう青年もいてと、様々な人生がそこに描かれていて、演劇というものに取り組むことの大変さってものを見せてくれる。けれども誰もが少しずつ持っているやる気なり、才能なりが重なったり関係し会ったりしてどうにかこうにか回っていくことで、ひとつの舞台が出来上がって幕も開き、そして皆の明日が開けていく展開は苦労に直面してもそれを突破しようと言う勇気を与えてくれる。ひとり道を外れてしまった彼だけが残念だけれど、それもひとつの支えになっていると思いたい。そうでなければ救われない。

 タイトルになっている金星人が、主役というよりどこか脇でサポート役めいた存在になっているのがやや残念で、もっと際だつかと持ったらそうはならず、最後の最後で弱さも見せてしまっているところがキャラの配置として妥当かと悩んだけれど、別に彼女の為の物語ではなく、むしろエンポための物語、そして演劇というフィールドに生きる大勢のための物語なんだと思えば、そうした群像の1つとして諒解し総体として楽しんでいける。個人的には地球座だっけ、そんな小劇団で主宰をしていた女性のエンポへの惚れっぷりが見ていて何か微笑ましい。1人をそれだけ納得させられるくらいに才能があるはずなのに、どうして自信を持てないのかなあ、そういうものなんだろうなあ、人間って。もしも映画にするなら金星人は誰になる? 剛力さん? はちょっと若いか、もっとハキハキした人で。シーナは松田龍平さん? ダレた役が似合いそうなんだよなあ、彼。

 どうせだからとやっぱり高村透さんの「バンク! −コンプライアンス部内部犯罪調査室 」(メディアワークス文庫)も読んだらこれがとてつもなく面白くって、さっさと映画化すべきなんじゃないかと思った。とはいえ「金星で待っている」とはまるで違った金融経済エンターテインメントなこの作品、例えるならどうだろう、池井戸潤さんとか垣根涼介さんといった企業小説の書き手の作品に近いかな、あるいは高殿円さんの「トッカン」シリーズ。切れ者の男性の先輩がいて、それに付き従う新人の女性がいてという構図はあと有川浩さんの「図書館戦争」にも重なりそうな部分があるかも、ってことはヒット間違いなしじゃん、でもあんまり知られてないにはシリーズ化されてない。もったいないなあメディアワークス文庫。「くじらの潮をたたえる日」(早川書房)も出ることだし、もう1度、振り返ってシリーズ化と映像化に取り組んでみてはどうだろう。

 場所は大手都市銀行で、合併もあって社内のコンプライアンス強化って頭取の意向もあって作られたのがコンプライアンス部のそれも内部で行われる法律違反を摘発する内部犯罪調査室。そこに配属された新人の有村麻美って女性行員がつくことになった八代という先輩が壊滅的なファッションセンスの持ち主で、いったい何が描かれているのか分からないネクタイをして歩いては周囲をギョッとさせている。とはいえ仕事ではとてつもない切れ者で、行内で行われているコンプライアンス違反の芽をまるで見逃さず、クレームの電話からでもそこにある不思議な部分を決してそういうこともあるさと流さないで突き詰めて、実際に行われている犯罪を見つけだしてしまう。そういう意味では歴としたミステリー小説でもあるのかな。

 とはいえ本部に詰めて思索を廻らせ現場に支持する立場から、各地域にある支社の行員たちからは激しく嫌われていることもあってなかなか大変。それでも清廉で実直でなおかつ論理的な態度と言葉で納得させ、説得して動かす流れから見える正義を尊ぶ態度には、読んでいて自分たちもこうあらねばって思わされる。もっともそこは公的性は帯びていても私企業に過ぎない銀行で、権力闘争も激しい中で必ずしも正義がまかり通るとは限らない。様々な思惑もあって振りまわされる中で行く手を封じられてしまうこともあれば、八代のことを激しくライバル視する監査部の一度食いついたら話さない亀のような男が絡んできて、彼なりの正義というかむしろ悪魔の所業に近い振る舞い、すなわち悪い部分を根こそぎ切り捨てそれで良し、別に新だって構わないというスタンスでの妨害も入って望む形に事態を収められないこともある。怖いねえ、勢力争いに権力闘争。

 それでもかつて自身が自分の正義を裏切って、同僚を追いやってしまった苦い記憶を持って今の仕事に取り組んでいることもあって曲げず、諦めないで立ち向かおうとする姿に触れれば誰もがそうありたいと願うことになりそう。上司がいない間に専務のところにいって判子をもらい調査へと乗りだしさらに現場でブラフもかませて支店ぐるみで悪事をやってる支店長を、部員たちがそれぞれに持てる力を発揮して追いつめていくその展開。いやあ格好いい。とはいえそうやって摘発した悪事も別に咎められることなく済まされ、現場の人たちも大過なく過ごす一方で、告発した女性行員はそのまま無期限の休職にされてしまうという理不尽には憤るばかり。そしてそれが銀行という、日本の企業の体質という以上は晴れる先が見えないというジレンマに陥りかねない。そこが1つ1つの脱税を摘発すればドラマになる「トッカン!」と違って難しいところかなあ。でもやっぱり必要なんだよこういう話。是非にドラマ化を。そうなると八代には誰が適役なんだろう。右京さんな水谷豊をぐっと若くした感じ。誰が良いかなあ。

 あれでやっぱり背筋はぐいっと鍛え上げられていそうな延岡薫さんの後ろ姿が表紙になった「イブニング」に掲載の「オールラウンダー廻」では、夜にはしゃぎすぎた反動もあってまんじりと眠れなかった廻が朝の露天風呂にいったら途中で女子風呂に変わってそこに入ってきたのが神谷真希。そりゃあ廻も驚いたけれども見てどんな気分を味わったのか、まあ立つことは立ったみたいだけれども、薫に腕をつかまれ胸に推し当てられた時みたいなへべれけになるくらいの衝撃は受けなかったみたいだなあ、真希ではやっぱり仕方がないのかもなあ。でもって「少女ファイト」は全日本に呼ばれて朝練にのぞんで受けたボールがとことん凄まじくって全身を撃ち抜かれへし折られるような気分を味わった大石練。そりゃあ相手は遊んでいるようでも全日本、五輪をめぐる騒動なんかで非難され塗炭の苦しみを味わってきた筋金入りだけにプレーにもそれが籠もっていたってことなんだろう。そこにたどり着けるか練は。真理みたく。隆子は何か悩んでいるなあ。そして学を頼ろうと。その学は学校で大変そうだけれど果たしてくぐり抜けてたどり着けるか頂点へ。面白さがどんどん増していくなあ。

 道を歩いていて田村ゆかりさんの新しいライブのブルーレイディスクが打っていて、それだけならああ可愛いねで済むところだったんだけれどゲーマーズの特典がクッションにしなだれかかってミニスカートから脚をのぞかせている田村さんと、そしてスカート姿で脚を揃えて座った正面から撮影された田村さんの2枚がもらえて同じブロマイドも付くとなったら、そりゃあ買うしかないでしょうってなもんだ。それがホモサピエンスの義務ってもんだ。大袈裟な。でもライブでの田村さんの歌声の響き具合とそして可愛らしさは映像で見てこそのもの。スペクタクルな雰囲気では水樹奈々さんとはちょっと室が違うかもしれないけれど、眺めてほんわかと楽しいキラキラな空間にいられるような気分を味わえるって意味で、買っておいて損はないんじゃなかろーか。ってのはまあ言い訳だけど。ともあれ良いポスターだ。これを飾る場所があればなあ。大きい部屋に住みたいなあ。


【5月27日】 ずるいなあ、と思ったのはセルバルア・ゼータ所長の扱いで、キャラクター紹介のイラストなんかを見ればその冷徹そうな美形男子の風貌に、世の男子は震え上がり女子は目を輝かせそうなものなんだけれど、口絵にはそんなキャラクター紹介とは違ったボディラインを持った人物が描かれていて、これがそうなんじゃないかと訝らせつつ、そんなはずあるかと思わせたりもする。そして本文に入ってやっぱりなんだ普通に美形男子なんだと安心半分、残念半分の気持ちで読んでいった先に明かされたその秘密! でもってその後はだいたいそっちに寄った姿で闊歩していて、婦女子のある種のガッカリを誘いながらも男子の興奮を引きつけたりするその手管に、「グルア監獄 蒼穹に響く銃声と終焉の月」(中央公論新社)を書いた九条菜月さんへの賢さと、狡さなんかを覚えたりした、今日この頃。

 歳は20代に入っていても、血統から割と幼さなく見られたりするクロアという名の軍人が、借金を返してもらったことと引き替えに、自分をこき使っている中佐から命じられて、軍が管理するグルア監獄という場所が妙にお金を使いまくっているから調べて来いと言われて潜入する。そこは行った人間はもはや戻ってこられないという軍人の墓場、さぞや酷いところかと思ったら、働いている人たちは規律には適当でも仕事にはしっかり取り組んでいて、それも囚人たちを虐めるようなことはしないでごくごく普通にやっている。その理由がセルバルア・ゼータ所長の鬼のような統率ぶりで、騒動を起こすような看守がいたらそれこそ吊して何日も放っておくという厳しさ。お陰で前はあった囚人の迫害による死亡事故とかもなくなり、看守たちは日々を真面目に仕事に取り組んでいた。ただし寮は汚れで埋もれていたけれど。

 そんな場所で命じられた以上は金の行方を探らなくてはならないと、クロアは正体を隠して一等兵の新兵ながらも下手を打ってグルア行きとなったという身分で、下っ端から始めて見かけはドジっ娘ながらも剛力の持ち主で囚人たちから恐れられているカルディナ・バシュレ一等兵や、他の仲間たちと日々の仕事をこなしながら、所長の謎に迫っていく。とはいえまだ何も明らかにされず、ひとつ所長の持っている不思議な生態とそれから性格が見えてきた程度。何か隠していそうだけれどそれが明らかにされるのは次の巻になるのかな。今回はだから所長がクロアの歓迎も兼ねて実施した模擬戦闘でのクロアの戦いぶり。監獄を襲撃する側に模せられたクロアら4人がアイディアによって難攻不落の監獄と、そして誰よりも強いゼータ所長を相手に挑む。その結果は? 読んでのお楽しみということで。しかしゼータ署長、やっぱりずるいキャラだよなあ。惚れちゃいそうだよ。どっちに? どっちにも。

 やっと見た「ちはやふる2」は、、いよいよ始まる個人戦を前に綾瀬千早の指に謎の痛みが。行った先の病院の女医さんが何というかいかにも女医さん然とした人でいったいこんなところにこんな美人さんを出して勿体なくないの、なんて思ったもののその辺りは描く人の思いやりってことで。その前に団体戦に出場した学校が会場を出る場面で漫画では、明石第一女子の逢坂恵夢は唇を噛みしめ悔しさを全開にしていたのに対してアニメーションでは、、うつむき加減で黙っていたのはそういう気分にそこではなっているんじゃないかという演出側の判断か。漫画が文字通りのコミカルさで楽しませるのと違って、映像となったアニメーションはリアルのレベルをひとつに統一してその中で心情を自然に描いて行かなくちゃいけないから、ってことなんだろうか。しかし無防備に寝ていた太一。その上にまたがることなく邪魔もしないで横たわる千早。良い関係だねえ。勿体ないとも言えるけど。そして翌朝の個人戦、始まった試合は決勝まで描いて2期に幕、って感じになるのかな。3期もあると良いな。

 涙しか出てこない。大阪市北区で母子が餓死したまま数カ月間をおかれ発見されたとの報にまず、愕然としてどうしてもっと早く誰かが何とか出来なかったんだろうかという哀しみと憤りに囚われたけれどもその続報として、母親がもっと子供に食べさせてあげたかったというメモを残していたことが伝えられ、横で冷たくなっていく子供を思い母親が動けなくなった体で悔恨と情愛をまじえた筆をとって、そして自らも息絶えていったことを思ってさらに哀しみがつのる。保護は求めなかったのか。求めたけれども受け入れられなかったのか。働けなかったとしたらなぜなのか。それでなお保護を断られるのはどういう理由か。浮かぶさまざまな疑問の予想される答は幾つかあるけれどもだからといってその結果、命が失われたことには変わりがない。

 もっと敷居を低く、そして入り口を入りやすくさえしておけば、失われなかったかもしれない2つの命。あるいはすでに様々な場所で失われている、保護を得られず活路を見いだせないまま死にいたり、あるいは自ら死へと至らしめた少なくない命たち。その結果、誰かが楽をしようと誰かが高笑いしようと関係ないじゃないか。それで僕たちが傷つく訳じゃない。被害を被るものでもない。そうやって広くあまねく保護の網を行き渡らせることで、救われる命があることの方を喜びたい気持ち。それがなぜか通らない。一般にもあまり受け入れられないで、ひたすら門戸を狭めようとしている社会、そして政治、さらにはメディアがある。これをどうにかしないことには、誰にとっても住みづらい世の中が来ることは間違いないんだけれど、普遍に命を愛し人を愛し世界を愛する気持ちを持つどころか、逆に自分以外のすべてを憎むような空気が世間を覆い始めている。どうしたものか。どうしたものであるか。迷いつつ悩み、けれども開きたいと願い、だからといって立ちすくみ……。今はただ2人に瞑目しつつ可能なことを考え、動く。そう思う。

 そんな哀しみを自分の統べる市で発生させておいてその主張ははるばる東京まで出てむごたらしい言い訳をひたすら延べては失笑を買うばかり。米軍が性犯罪を起こすのは性エネルギーが溜まっているからでそれを近所の風俗で抜いてくることの何が悪いと吠え、建前なんて大嫌いとばかりに本音をぶつけすぎては米国の不興を買い、それでも四の五のいっていたらさらに大目玉を食らいそうだったんでやっと謝罪した人間が、かつて自分が顧問弁護士を務めていた飛田新地はあれば料理組合で、料亭の集まりだなんて建前ばかりを振りかざして、逃げようとしていたから呆れるばかり。それこそ真っ向からの建前であって、実態は現在に連なる赤線であることは誰もが了解事項なのに、それを知らぬ存ぜぬで押し通そうとするから笑われる。外国人だってちょっと教えてもらえばそれがどれほどの欺瞞が分かろうというもの。片方では本音上等な癖に都合が悪くなると建前賛成となるそのフラつきを、見て支持しようとする人が……いるから怖いんだよなあ、この国って。何でだろ。


【5月26日】 そういやあしばらく前から話は流れていたけど藤川桂介さんの代表作とも言える伝奇ファンタジー「宇宙皇子」が7月にいよいよ復刊だそうで、立派なサイトも出来て当たらしイラストレーターも若菜等さんという人に決まって何となくイメージも見えてきた。前がカドカワノベルズからの刊行で入らすトレーターがいのまたむつみさんという組み合わせで、その美麗にして耽美な宇宙皇子イメージは大勢の若い読者を引きつけ女性ファンも引き寄せた。メディアミックスも激しくされて一大ムーブメントを作りあげた、その展開は今のライトノベルなり女性向けティーンズノベルの原型的な意味合いも持っていた。カドカワノベルズでは先に栗本薫さんの「魔界水滸伝」シリーズが永井豪さんのイラストで刊行されていたから、小説と漫画イラストとの組み合わせに違和感はなかったんだろうなあ。だから出来たひとつのスタイル。それが角川スニーカー文庫なりへと流れライトノベルへとつながっていった、ってのもひとつの歴史。

 けれども再刊にするに当たってそうした展開はどうも意識から外れて、本格的に物語の力でティーンの読者に売っていくって意識になっている感じ。若菜等さんの描くイラストはアニメ的でもなければ漫画的でもなくって、いわゆるライトノベルの表紙絵からは大きく外れている。むしろ童話に近い雰囲気で、それを見てかつてのいのまたむつみさんで読んだ人はいろいろ違和感を覚えることは確実だろうけど、新しくこれから読もうという人にとって、ライトノベル的な雰囲気とは違った童話であり神話であるような雰囲気を持ったデザインなら臆することなく手に取れそう。長い長い物語のいったいどこまで再刊されるのか分からないけれど、20世紀のある時期を作った作品がこうして21世紀に甦るのは嬉しい限り。どういう広がり方をしていくかも含めて様子を眺めて行こう。

 そろそろ何とかしないといけないと近所のVELOCHEに入って午前中から選評をいじる。まあだいたいの順位はつけたけれども個人の好みと一般の好みの乖離も割とあるだけに、どれが本当に面白いのかは他の意見を聞いてみないと分からないんですべては当日。でもって2時間くらいいじってからとことこと歩いて京成の船橋競馬場駅から京成新京成を乗り継ぎ新津田沼まで行って前にあるビルに入っているコミックジュンク堂津田沼店に行ったら何と! 来月でもって閉店ということになっていた。いやあ残念。あれだけのフロアにギッシリの漫画とアニメの関連書籍を並べている店って東京の東側では他になかった。なるほどときわ書房船橋本店にも漫画の新刊はしっかり置いてあるしライトノベルも並んでいるけど、売れなくなったりカタログ落ちしているような奴はどんどんと帰されて割と新しめのものしか残ってない。まあそれが普通の本屋さんだよね。

 でもコミックジュンク堂津田店はそうした品切れ増刷未定になっているような本まで含めてしっかりと棚にストックしてあって、ちょっと前のを読みたいなあと思っていけばたいてい買うことができた。むしろ新刊ですぐに売り切れるものの方を探すのが大変だったというか。サブカル系とか大御所系の漫画もしっかり場所をとって並べてあって、そうした人たちに関する何かを書かなきゃいけないような時には、行くと割と手に入ったりもしたんだけれど、それもいよいよ終わってしまいそう。あそこであれだけの場所を維持できるほど、漫画の売り上げがあったとは思えないし、建物自体がいろいろと改装もあったりするのかな、そこは分からないけど仕方がない。昔だって漫画を探しに神保町の書泉に行くなり渋谷の今はなき東急文化会館とか、これは建物はあるけど店はなくなった109の中にあったコミック専門店なんかをのぞいて探していたし、最近でも秋葉原の書泉タワーなんかが割としっかり揃えてる。あとはもちろん池袋のジュンク堂とそして新宿の紀伊國屋。行けば見つかるとは思うけど、でもふらりと行けた近所の店がなくなるのはやっぱり残念。もうあまり日もないけど行って何冊か、ここにしかストックしてなさそうな漫画でも買うかなあ。

 とか言いつつ買ったのはいよいよ再スタートした麻宮紀亜さんの「彼女のカレラ」の新章第1巻、ではなくこれまでのプレイボーイコミックにも収録されていなかった短編がはいった0巻だけど。そうか麗華はこうやって免許をとったのか、とか愛華ちゃんはやっぱり可愛いなあ、とかぱるこ先生って昔は普通だったんだ、とかいろいろ。でもやっぱり面白いなあ、人と車の関係がちゃんと描かれていて。そんな面白い漫画を切ったあたりにプレイボーイなり集英社の漫画への腰の入りようも見え隠れ? たまたま媒体が会わなかったんだろうなあ、これがグランドジャンプとか他の媒体だったら。まあ良いそれでも再スタートしたんだからあとは意図を全うできるくらいに続いてくれたら。バーズってでもいろいろ異動の激しい媒体だよなあ、そこが不安。

 クライシス・ギアなるものが発明されてそれを使えば誰でも不慮のアクシデントから身を守れるようになった時代。銀行強盗の放つ弾丸ですら行員さんがクライシス・ギアを発動させて跳ね返せるようにはなっていたけれど、相手が特別な能力者の場合そうしたガードも長くは保たない。そこで必要とされるのがクライシス・ギアを武器に変えて戦うことが出来るような10万人に1人といわれる能力者たち。主人公の九重慎もそうした能力者として政府が作った特防に所属して、エージェントとして何か事件があれば出むいて行って、手に刀のような武器を発生させて戦っていた。そんな設定の三上康明さんによる「クライシス・ギア 緋剣のエージェント 九重慎」(集英社スーパーダッシュ文庫)は、過去に家族を殺され妹も失った慎が、依頼され警備に出むいた先で出会ったある財閥の令嬢がその妹にそっくりでびっくり。もちろん別人だとは思ったものの、惹かざるを得なかったところに、財閥の後継者たちを根こそぎ惨殺した「セブン」なる能力者が現れ激しい戦いを繰り広げ、そして味方の犠牲もあって慎と令嬢の緋扇紗々良はどうにか屋敷を脱出する。

 どうして彼女とその財閥は狙われたのか。「セブン」なる的の目的は。どうやら緋扇に激しい憎しみを感じているような彼の行動に、けれども政府も他の財閥も動かずただただ追いつめられていくだけの慎と紗々良。せめて少女を守って欲しいと慎は財閥の党首が入院している病院に直談判に行くものの、そこでエージェントでもトップクラスの男に倒され行く手を阻まれ、一方で紗々良は「セブン」との対決を決めてひとり屋敷に戻る。慎は妹に似た少女を今度は守ることが出来るのか。成長していくエージェントとしての力を使いそして少女の支えも得て挑む決戦の行方、そして今後の対決が楽しみなシリーズ第1巻。寮に住んでる賑やかなお姉さんの正体はまあ、予想がついたけれどもね。でも彼女、普段ちゃんと仕事してたんだろーか。


【5月25日】 木曜日くらいに従姉の娘さんが渋谷あたりでコンサートに出るとかいうんで着ていく服を物色しに銀座の無印良品に出たけど、松坂屋の地下2階にある無印良品に目当てのMUJI LABOから出ているオーガニックリネンのジャケットとパンツは欲しいサイズが見あたらず、そのまま歩いて有楽町の方の無印に寄ったらやっぱり見あたらず。サイズの大きいには全部売り切れになっているようでこれはやっぱり出遅れたかもと諦めつつ、池袋に回って西武百貨店に入っている方の無印良品を見たらやっぱりなくってもうダメだとJRで秋葉原に回ろうとしてふとパルコにも無印が入っていたことを思い出し、寄ったらそこにはちゃんとサイズが揃ってたんで購入、これでボーナス前の散財を終える。いやそんな。

 でも「超攻速ガルビオン」のBDボックスが出るし「BLACK LAGOON」のBDボックスも出るしそろそろ「うる星やつら」のBDボックスの2も出てくるんそっちにお金が取られそう。あと前に買ってしまった近藤智美さんの絵の分も埋めなきゃいけないし。昔割り当てでもらった生命保険会社の株がそろそろ当時のお金に換えた場合にもらえた金額と近づいてきたんで、アベノミクスもこの辺りと見切りをつけて売ればそれなりに埋められそうだけれど、人間上を見れば欲がないのかもうちょっと、もうちょっとと思っていたりする一方で、大幅な暴落とか見えたりして気持ちはあっちこっち。コンピューターの自動売買みたく設定した価格で見切れれば良いんだけれど人間、そういう訳にはなかなかいかないんだよなあ、だからこそ株価も人間くさくファンダメンタルズを無視して上下するんだけど。

 そんな池袋ではジュンク堂へと寄っていよいよ刊行となった河出書房新社のロバート・F・ヤング短編集「たんぽぽ娘」と高村透さんって人の電撃文庫から出ていた「理想の彼女のつくりかた」で買い逃していた3巻を購入してこれでとりあえず高村さんの既刊はそろったかな、いや何でも早川書房から6月に「くじらの潮をたたえる日」っていう一般小説が出るみたいでそれが何というか幻想的であって妄想的でもあるけれども虚無的には至らず現実的に回帰しては人間の挫折から葛藤を経て快復へと至る道筋を描いた感動のストーリーになっているそうなんで、そんな凄い作家がいったいこれまでに何を書いていたのかを知っておきたいと思った次第。ってそうか「逃げろ。」って作品が何か隕石が落ちてくるからって設定で、吉野朔実さんの短編オムニバス「いたいけな瞳」に収録された1本に雰囲気重なるなあって思った人だった。思い出した。

 いやまだ出てないけれども「くじらの潮をたたえる日」ってのは相当に凄そうで、早川書房のサイトにある紹介には「定年間近で食中毒騒動の責任を押しつけられ、左遷されたわたし。問題の店舗の再生に、同じ境遇の“やっさん”と“三塁手”とともに挑む! すべての会社員に熱いエールをおくる感動のエンタメ」なんて書かれているけどとんでもない、ストレートにそうか企業で挫折した人がそこからの再挑戦を目指すという、垣根涼介さんとか池井戸潤さんとかが描いていそうなカテゴリーの小説家と思って手にとったら、繰り出されてくるどこか不条理でシュールな展開に何この幻想小説って思って迷ってしまいそう。でもたぶん想像するならそれは異様な事態に直面して衝撃を受け、迷い漂って彷徨う人間の乖離してしまった精神が感じ取った非日常にしか思えない日常を捉え活写したもの。一方で現実を実は雁字搦めにしてしまっている妙なルールみたいなものが、吾に還った目にはただひたすらに奇妙なものに見えてしまうという心理を描いたものとして考えるなら、どこか不条理でシュールに見えるのも当然かも、ほら見渡せば何て不条理なこの世界! 何でシュールなこの現実!

 という訳でいろいろと物議をかもし評判も呼んでは新しい時代の村上春樹さんかもと言われるかもしれない高村透さん「くじらの潮をたたえる日」の発売を今は待ちつつ、池袋からJRに乗って秋葉原へと回ってK−BOOKSで「翠星のガルガンディア」のノベライズを海法紀光さんが手がけたものを買ってふと見ると。ビブリア古書堂の栞子さんが描かれた文庫があってもう新刊が出たのかと思い手にとったら違ってた。それは「栞子さんん本棚 ビブリア古書堂のセレクトブック」というアンソロジーで、中を開くと小説「ビブリア古書堂の事件手帖」で触れられていた作品なんかが短編はそのまま、長編は1章だけとかの抄訳でもって掲載されているというものだった。中にはあの「たんぽぽ娘」も。長く長く目に触れられることはなく、古書価ばかり上がっていてファンをやきもきさせていたものが、ようやく河出から出て大勢の目に触れられると思った矢先にこの展開。これは困った。そして迷った。

 僕「河出書房新社からロバート・F・ヤングの『たんぽぽ娘』が出たと思ったら、角川文庫からその短編が掲載された『栞子さんの本棚 ビブリア古書堂セレクトブック』が出たんですけど、どっち買ったら良いんでしょう?」。栞子さん「胸の大きいのはどっち?」僕「はいっ!」。という訳で胸で選んで角川文庫の「栞子さんの本棚」だけ買って「たんぽぽ娘」を読んだことにしたい、って思ったのも後の祭りで直前にすでに河出の奇想コレクションを買っていたのだったという。まさかここに来て「たんぽぽ娘」がだぶつくなんて。でも見たら「栞子さんの本棚 ビブリア古書堂セレクトブック」に収録の「たんぽぽ娘」は井上一夫さんの訳で昭和48年の創元推理文庫「年刊日本SF傑作選2」からの採録で、河出の方は伊藤典夫さんの担当だからそれぞれに違うテイストを味わえる。

 ちなみに角川文庫「栞子さんの本棚」に所収の解題では、「ビブリア古書堂の事件手帖」を書いた三上延さんが「たんぽぽ娘」について河出書房新社の奇想コレクションより刊行の短編集「たんぽぽ娘」が出たことについても触れているので、「ビブリア古書堂の事件手帖」で存在を知って「栞子さんの本棚」で「たんぽぽ娘」を読んでみて、ヤングっていうSF作家がいるんだと思ったらそのまま出ている河出へと手を伸ばしてみるのが良いのかも。そういう流れがすぐに作れるって現代がむしろ嬉しいかも。さらに言うなら「栞子さんの本棚」には「氷」や「アサイラム・ピース」で知られるアンナ・カヴァンの「ジュリアとバズーカ」もサンリオSF文庫から採録してあって、なおかつこの短編は文遊社から刊行の「ジュリアとバズーカ」というアンナ・カヴァンの短編集にも同じ千葉薫さん訳で収録されているので、アンナ・カヴァンという希有な作家についても一気に学べるという好機。「アサイラム・ピース」もまだ店頭にあるし。これで「氷」もバジリコ版が増刷となればなあ。いずれにしても今ってすごい時期なのかも。

 秋葉原ではUDXで開かれていたメガホビEXPOをざっと眺めてアルターから出る「境界線上のホライゾン」の鹿角のフィギュアに感動。重力制御を使いあれは道路だかを剥がして楯だか槍だかに変えて操る姿を着物の裾やら袂を翻すように体を捻ったポーズとともに再現している。キャラクター単体ではそれほど興味がなかったけれどもこの完成度ならやっぱり買っておくしかないか。あとどこだったっけ、ホライゾン関連では本多・二代の展示もあってこちらは屹立した姿をその丸いお尻とともにやっぱり見事に再現している。絵で描くとボリュームでもフィギュアにすると結構バランスが難しいホライゾンのキャラをよくまこれだけ完璧に再現してくるものだと、日本のフィギュア造形力に感嘆。ズボンを引きずり降ろされた本多・正純も出るしこれでフアナさんとかアルカブス・クルスをフル展開した立花嫁とかも出ればなあ。無理かなあ。個人的にはあと北条・氏直も欲しいかな。


【5月24日】 枚試合出て打席に立ってヒットを打ちまくっている訳でもなければ、投手としてローテーションに入ってすでに何勝か稼いでいる訳でもない。打率は3割くらいあってもそれは打数が40程度と少ないからで、200打数近く達している人たちが残している3割とは比べる意味がないし、投手としては23日が1軍戦では初登板で、2失点をまずまずの成績は残したものの、結局勝敗は付かなかった。打者としても投手としても現段階ではまるで並以下。そんな選手をどうして北海道日本ファムファイターズが大切にするかといえば、客を呼べる選手だからであって、球団経営にとっては客が来さえすれば勝敗なんてまるで関係ない、とは言わないまでも重要度はちょっと下がる。23日でいうなら負けなかった訳だから、それはそれでひとつの立派な貢献だったと言えなくもない。

 ただメディアはそうもいかないはずで、スポーツ選手としてみせるべき成績の部分で並以下ならそう書いて叱咤するのがスポーツジャーナリズムってもの。けど一緒になって二刀流と騒いだ挙げ句に、虻蜂取らずのどっちつかずになったまま、大谷翔平選手が打者でも投手でもそこそこのままで現役を終えてしまって、いったいどう責任を取るのか。取らないよなあ、彼らもまた新聞なり雑誌が売れればそれで良いんだから。かくして日本にスポーツジャーナリズムは育たず、そこで揉まれ鍛えられて上に行く選手も現れないまま、地盤沈下の一途を辿ってそしてメディアも衰退へと向かうと。いやでも見る人は中継なんかでちゃんとしたものを見て目を肥やしているから、衰退するのは無駄な騒ぎだけを繰り返すメディアだけだったりして。その兆しはもうすでに。困ったねえ。

 原作がいわゆるエロゲーって奴で、見た目も実際も少年少女たちが出てきてはあれやこれやとくんずほぐれつする中で、いろいろなストーリーが展開していくことになっているらしいんだけれど、そんなゲームを原作にして、ゲームのシナリオライターを務める佐藤心さんが執筆した小説版「波間の国のファウスト :EINSATZ 天空のスリーピングビューティー」(講談社BOX)を読むと、原作にそんなきゃぴきゃぴとしてぬちゃぬちゃとした描写があるなんてまるで信じられないくらいに、硬派でストレートな金融経済小説になっていた。それは真山仁さんとか池井戸潤さんとか黒木亮さんが書いていても不思議じゃないくらいに、経済や産業や金融といった部分のディテールもしっかりしていれば、企業買収をめぐるやりとりなんかも興味深くって、それでいてライトノベル的な要素を持っていてキャラクターたちへと関心を引きつける。

 ってことは金融経済小説として現段階で最強か? まあ本当に金融を知っている人が読めばいろいろ考えるところもあるかもしれないけれど、2年ほど日銀で金融を担当した程度の人間には、そうした粗よりむしろ難しい話をよくまとめ、エンターテインメントに仕上げているように見える。だから安心して手にとって良い、金融経済小説ファンもライトノベル的な小説のファンも。エロゲーのファンはそうした描写が皆無なのがちょっと残念かも。でもたとえ直裁的な描写は無でも登場するキャラクターの雰囲気や属性、添えられたイラストなんかからいろいろと妄想するのもひとつの方法。そうやって楽しんで楽しめそうな要素は満載だからやっぱり心配しなくて良い、と。世界屈指のファンドを育てた奇行の目立つ男の振るまいが例えば仲間たちに向くと思った時に浮かぶ汗と油にまみれたシチュエーション。ああ尻が痛くなる。いやそっちじゃないってば。

 舞台はゲームと同じ直島経済特区とか言うところでゲームよりは少し前の時代、ソフトウエア事業から世に出て買収を繰り返して屈指の規模となったユーライアスって会社があったけれども、大元のソフトウエア事業が儲からない中でクロノスという巨大ファンドからは主要となっている炭素繊維の部門を強化して、不採算のソフトウェア事業は売り払わないかと提案されている。とはいえ創業者の林康臣にとってはソフト事業への思い入れがあり、またにかつて一緒にソフト事業を切り盛りした韓国人実業家の高容夏がそれで成功して韓国に財閥を築き、なおかつ大統領の地位にまで上り詰めたのを見て、ソフト事業を斬り捨てることが彼に負けたと認めることだと思い、売却を決断できないままクロノスの方からは見切りを付けられそうになっていた。そんな彼には実は切り札めいたものがあって、名字は違うものの実は康臣の娘という乾朱光(いぬい・すぴか)によって運営されている投資部門がとてつもない利益を上げていた。そんな朱光に誘いがかかる。クロノスの投資戦略事業部門を強化するための人材募集への。

 クロノスの方はこれも渚坂白亜という若い女性がハゲタカと喚ばれるトップとなっていて、なおいっそうの地位固めを計ろうとしていた。パートナーの募集もその一環で、他に世界からケビン・ポールソンという大手のファンドを首になったあと、独力で始めた投資会社が軌道にのってそこそこの成果を上げていた青年や、彼が務めていた会社の元取締役というボブ・ダイヤモンドらも集まり、さあ面接かと思ったらクロノスのハゲタカからは違う条件を突きつけられた。1年で1億ドルに30%のリターンを乗っけるテストを受けろ、それができれば自分の後継者に選ばれるという。プロでも難しいその運用を受けて立とうとしたケビンやボブ、朱光たちだったけれど、その中にはクロノスの美しいハゲタカを追い落とそうとする身内の策謀を受けた者もいたりして、誰が味方で誰が敵なのか分からないような戦いが始まる。一方では朱光の父親を経営する企業を買収しようとする動きもあって、それを邪魔する勢力の乱入もあったりと、マネーをぶつけ合うような激しいバトルが繰り広げられる。

 金融用語は頻発するし、レバレッジをきかせるとか裁定取引が美しいとかいった話はそうした金融経済に馴染んでない人にはなかなか理解しづらいかもしれないけれど、気にせず一種の異能の技なんだと思いつつ読めば、そこに能力を駆使した男たち女たちの戦いとして読んで読めないことはないし、読んでいるうちに何と無く見えてくるから不思議なもの。そうした勉強の一環として読むのもあるいはありかも。へタレなケビンが兄へのコンプレックスに沈み、再開した兄にして屈指の運用能力を持つ世界的な大富豪、ピーター・エリクソンから追いつめられながら、一念発起して爆発していくシーンもあれば、クロノスとエリクソンの買収攻勢によって、瀬戸際に追いつめられた康臣が、最後の手段を使って大逆転へと持っていくシーンもあってとスリリングな金融経済バトルを楽しめる。それは本当に真山仁さん池井戸潤さんの小説を読んでいるよう。良く書いたよなあ、こんなのを佐藤心さんは。

 とはいえ諦めないのが康臣で、そこで自分の娘の朱光がずっと抱いて取り組んでいた事業を、親だからといって突き崩すような残酷もあったりして、ケビンとピーターの間に繰り広げられる確執めいたものの含めて人間のドラマとしても読める部分が多々。そうやって得られたひとつの結果はなるほど落ち着くところに落ち着いたものと言えるけど、失われた朱光の尊厳と野望に対して何もフォローがないまま進んでいるのが気になるところ。いずれ逆転へと乗り出すことになるんだろうけれど、それは今出ている2年後を描いたちうゲームには出てこない。となれば別に小説としての続編が出たりする? 実はそっちに期待。もしも書かれるんだったら追いかけていこう。ケビンの発起の影に隠れて存在が薄くなってしまったツカサの活躍も見たいなあ。怯えて逃げるタマでもないだろうからなあ。

 ふと気がつくと出版エージェントのボイルドエッグズが実施していたボイルドエッグズ新人賞の受賞作品に対する入札に結果が出ていて2人いたうちの尾崎英子さんによる「あしみじおじさん」が文藝春秋の応札を受けて出版が決まっていたおめでとう。幾つか応募があったってことはそれだけ魅力のある作品だったってことなんだろう。もう1つの鈴木多郎さん「バージン・ロードをまっしぐら」には応札がなかったけどきっと版元の肌合いが会わなかったってことできっとそれ以外のところから関心を持たれブラッシュアップの果てに出版されることになると信じたい。いろいろな編集者が著名な作家を抱えて独立してエージェントみたいなことを始めているけど、ここん家はまるっきりの新人を発掘して育てて売り込むところまでやっているのが他とはちょっと違うところ。リスクもあるけどそれだけやりがいもあるってことで過去に三浦しをんさんを見出し、新人賞からは万城目学さんを送りだしたボイルドエッグズならではの目利きに、出版社の編集者が持つノウハウや勘が加わって生まれるビッグバンに何か期待したくなる。どんな感じになるかなあ。今から楽しみ。

 ギロッポンの夜は美人連れのカップルが多くて胸に痛い。なおかつそんな美人連れのカップルが「攻殻機動隊ARISE」の第1作となる「border.1 Ghost Pain」の先行上映にすすっと入ってきたりするのを見るとアニメおたくじゃない層に届いている作品なんだなあってことが分かって嬉しさ半分、そっち側に行けそうもないわが身を嘆く悲しさ半分といったところ。まあ悩んだところでしょうがない、とりあえず「攻殻機動隊 ARISE」だ、率直に言うなら素晴らしい作品だった。まず挙げるなら音楽。コーネリアスは天才。透き通って突き抜ける音楽を寄せて、サスペンスの物語に暑さや泥臭さや怖さとは違った興味と惑いと驚きを与えて観る人を引きつける。ビートを連ねるでもなく低音を響かせる音楽でもない軽やかでいて耳奥まで届くサウンドが、これまでにない新しい攻殻って像をを浮かび上がらせる。

 そして「攻殻機動隊ARISE」は声が良い。「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」」の小さい素子以来となる草薙素子役に抜擢された坂本真綾さんが、まだ若くて迷いを持ち情動にも起伏の激しさがある草薙素子をしっかりと聞かせてくれるし、荒牧にバトーにトグサといった面々は、「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」から「S.A.C」シリーズを通じて聞き慣れた雰囲気を残しつつ、それぞれにどこか初々しさもあるような声で聞く人を違和感なく引きつける。タチコマならぬあれはなんだっけ、その声も可愛らしい。しかしいろんな声を出す人だよなあ。あとはやっぱりストーリー。凄い。公安9課のできる前、陸軍に半ば飼われている素子の過去が示され、今が語られるストーリーを副流的に描きつつ、素子の周囲に起こる事件をメーンとして描いてそこで、犯人を追い詰めて行くサスペンスを繰り出してくる。これが実に複雑で多層的でまさに攻殻って感じ。諜報の世界の凄みって奴を見せつけられる。

 あと挙げるとしたらやっぱり絵がいいことと動きもいいことか。どうよとおもわせた前髪パッツンな素子が実に可愛らしい。それでいて戦う時はちょっとだけゴリラに。後の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」で多脚戦車と戦う時の素子を思い出させる凄いアクションを見せてくれる。荒牧は策士だけど正義の人って感じで、賢そうで凛として、上司にしたくなる。裏切らないからなあ。それに比べると陸軍での素子の女性の上司はもう策士。そのパーソナリティが実に良い。お前を守るためといいつつ組織を守るためとかいって私を守るためとも言ってのけるその冷徹ぶり! 最高です。ビジュアル的にも常にはだけたシャツから見えるもはや谷間すら超えた乳はシリーズを通して最高クラスの目の保養。見ていて顔を埋めたくなる。やるときっと撃たれるけど、彼女なりその部下たちに。

 畳みかけるようにめくるめくように展開が進むんで、見ていて分かりづらいところもあるけれど、最後になってちゃんと状況を説明して、それが無理な解説にならずにちゃんとストーリーの中で聞かせてくれるから、ポカーンとして劇場を後にすることもない。そんなあたりは冲方丁さんの脚本の妙って奴なのかな。いずれにしても見て損はなくむしろ見なければ損といったくらいの作品。個人的には物語としてシリーズで1番好きかもしれない。石川光久社長によると第1話はサスペンスで第2話はアクションだそうで、そして第3話はすごいことになっているらしいけどなんだろう、まさかラブコメか? それはないか。素子がパンくわえて公安9課に走り込もうとすると廊下でバトーとぶつかりバトーが吹っ飛んでいくとかいった。でもって第4話は日常系。オフィスでチョココロネをどっちから食べるかで議論して1日が終わるという。それちょっと見たいかも。


【5月23日】 ふと気がつくときゃりーぱみゅぱみゅの新作アルバム「なんだこれくしょん」が発売されることになっていて、最近は「キミに100%」から「にんじゃりばんばん」から「インベーダーインベーダー」とほとんど1カ月おきくらいにシングルも出していたからそろそろかもと予感はしていたけれども、こうやって収録される曲目を見るとシングル曲があってタイアップ曲があってとほとんどが見知った曲、というか否応なしにテレビなんかで見知らされている曲が多いってことで、つまりはそれだけ露出が多いってことを現していたりする。すごいねえ。AKB48はあれだけ売れている割にはほとんど知らないのに。まあ訳あってちょっと動静を観察してたってこともあるけれど。何だ訳って。アルバムにはタイトルになっている「なんだこれくしょん」って曲も入っているけどこれは知らないけどどんな曲? ちょっと楽しみ。

 印象として学校に行きたくない女の子が体温計をキュッキュする「おねだり44℃」とか、待ってましたとばかりに原宿に駆け付けようとする女の子がモチーフの「ぎりぎりセーフ」とかって曲が入っていた「ぱみゅぱみゅレボリューション」で見せてくれていた、原宿好きな10代の女の子の日常と心境と、そんな女の子の目から見えた世界の不思議を唄っていた感じからちょい抜けて、キャラクターとして立ち上がってきた不思議さを自ら発信して広めていく段階に来たって雰囲気。同世代なりちょい下世代の共感を誘って盛り上がってきた人気の、その先を行くっていうかやや上を行くっていうか、醸成されて来た特異で独特なキャラクター性を楽曲とともにくっきりと見せてひとつのワールドを作ってるような気がするんだけれど、それが共感して来た人たちを振り落としてしまわないかがひとつの懸念だったりする。

 一方でキャラクター性を面白がって興味を抱いた人たちを呼び込み、そうして盛り上がる人気を当てにする層も引っ張り込んで広がっていく可能性もある訳で、どちらが音楽業界ってところにとって正しいのかが、今回のアルバムの売れ行きで見定められるかもしれない。それは当人のこれからの活動にも関わってきそうだけれどまあ、当人はやりたいことをやっていてそれを周囲がやらせてみてるだけであって、それが今はああいった特異性を打ち出し世間を驚かせる方向に向いているだけで、いずれ再び自分の心情なり日常を垣間見せる方向へとシフトしていくかもしれない。同世代的な共感を誘っているだけでは10代から20代へと移る段階でどうしてもズレが出てしまい、離脱を生みつつ参集を招かない中で埋没してしまう恐れがあるってのは、タイプは違うけど尾崎豊さんでも見ていたからなあ。そうならないためにもこの時期をキャラ性で抜け、そして回帰してくるプロセスを描いてやっているんだとしたら……やっぱりちょっと凄いかも。どうなんだろ。

 気がついたら「アニメミライ2014」に参加するアニメーション制作会社と監督の名前が発表になっていた。2013年が「リトルウィッチアカデミア」の爆発的な評判で一気に注目を集めたプロジェクトだったりするけれど、本来はアニメーション制作の“現場”をそこに作り出して若手を集めてベテランといっしょに仕事をさせてアニメ作りの作業フローとそれから具体的なノウハウを“伝授”してもらうためのもの。生まれてくるものが素晴らしくってそれが商売になったからといって、他ももそうした方向性で臨まなくちゃいけない、ってことは全然ない。2年目に作られた白組による「しらんぷり」って絵本のような絵が動く作品も、テクニカル面でのすごさでも内容の現代性でも過去最上級だったりするけれど、それが評判を呼んだってことはなかったりして、それはそれで残念だけれど現場に何かが残ればそれで良いし、きっと残っているだろう。今回もそうなってくれれば善哉。

 とはいえ居並ぶ面々を見れば、作品そのものにも期待をせざるを得ないってのが正直なところ。まずは吉浦裕康さん。いわずとしれた「ペイル・コクーン」であり「イヴの時間」の人ですでに「サカサマのパテマ」って作品も作りあげて待機していたりするけれど、今回は「リトルウィッチアカデミア」を作ったトリガーに山本寛監督のオース、「009 RE:CYBORG」を手がけたCGスタジオのサンジゲンとそれからライデンフィルムにフィギュアのグッドスマイルカンパニーなんかも参画しているウルトラスーパーピクチャーズを拠点に「アルモニ」とゆー作品を作るらしい。いったいどんな内容だろう。元よりCGを制作環境に取り入れつつストーリー性も持った作品を作ることで名を挙げた吉浦さんだけに注目したいところ。それから「謎の彼女X」とか「宇宙兄弟」なんかを手がけている渡辺歩監督がA1−Picturesでもって「大きい一年生と小さな二年生」を作っているのにも注目。もとは「ドラえもん」映画でも知られた人だけに子供が見て喜べる作品になるのかな。

 そしてその「ドラえもん」を手がけているシンエイ動画から今井一暁監督によって「パロルと未来島(仮)」という作品が登場。なんかこれも内容的にワクワクとさせられそう。原画とかスタッフ的な仕事が多かった今井監督にとっては初めてくらいの大仕事になるのかな? そういう意味でも楽しみ。そんな面子の中ではベテラン中のベテランとも言えそうなのが恩田尚之監督でもうずっと前からAICの作品なんかでキャラクターデザインも行ったり作画監督をしたりして名は広く知られていたし、最近でも劇場版「ベルセルク」で総作画監督を務めてその独特なテイストをベルセルクという中世的な雰囲気を持った作品の中で見せつけてくれていたけれど、いよいよ監督として「カゼノソラノシタ(仮)」とゆー作品を手がけるらしー。

 ずっと絵描きさんだった人に監督とか出来るのか? って疑問がわいて当然だけれど、アニメミライでは前にスーパーアニメーターの黄瀬和哉さんが初監督作品として「たんすわらし」を手がけてその腕前に誰もが驚いたってことがあった。そして黄瀬さんは満を持して「攻殻機動隊 ARISE」でもって本格的に商業作品の監督を務めることになって、程なく劇場にてそのすごさを満天下に示す模様。恩田さんもだから作画の人でありながら作品の監督も務まるんだということを見せてくれると思いたいけれど、しかしいったいどーゆーテイストになるのかまるで想像がつかないなあ、「ソルビアンカ」とか「アーミテージ」とかってアメリカンなテイストが入った絵なのかそれとも黄瀬さんの「たんすわらし」みたいに変えてくるのか。明らかになるまでにはまだちょい時間があるけれど、そんな想像もしながら情報が出てくるのを待ちたい。またリポーターとか作るのかな。

 ふと気がつくとプロスキーヤーの三浦雄一郎さんがチョモランマの登頂に成功していた御歳80歳にして。すでに70歳の時に上って当時のギネス世界記録に最高齢での登頂を認められていたんだけれどその後、70半ばの人が登ってそれをギネスに認めさせたのがしゃくにさわったかあるいは負けん気を刺激したか。もう誰もその歳でチョモランマどころか高尾山にだって登らないだろうって歳でもって挑んでこうして成功させてしまったからにはしばらく記録は残りそうだけれどこの高齢化社会、90歳でだって頑健な人が現れ毎年のようにそこからチョモランマ登頂記録を書き換えていかないとも限らないだけに三浦さんも自分で自分の記録を追い越すような挑戦を、続けてもらえればとこれは冗談でなく思ってたり。なおかつそこからスキーで滑降とかやってくれた最高かも。三浦さんというとやっぱりスキーなんだよなあ、チョモランマの急斜面を滑り転がり降りていく。

 話したことにしましょうと言われ、話したこととして公表したならそれは話したことなんだよ。ましてや首脳会談という場でアメリカ合衆国の大統領を相手に話したことにしたならもう、それは事実として刻まれてしまうものなんだよ。後になって話してませんでしたと言ったところでそれはまったく通用しないし、逆に何でだったらその時に話したことにしようと同意したのか、その場しのぎの嘘をついたのかってことになるんだよ。なのに平気であれは嘘でしたってことを語ってしまえる日本の総理大臣っていったい何なんだろうなあ、それでいて突っ込まれるといや嘘じゃありませんと言い訳して、なのに別の場所ではやっぱり嘘でしたと言いつくろい、親派のメディアも使ってそういう方向性に持っていこうとする。いったいどっちなんだって。嘘なら嘘で嘘でしたと訂正して外交的にもそうでしたと言えば良いのに言わず内向きに、自分を守りたい時だけ嘘でしたって言いつくろう。なんか見ていてみっともない。そんな人を戴いて動いている、この国の未来やいかに。


【5月22日】 多分導入されればテレビに向かってまずは右手を体の前に斜めに立て、次に左手を体の前に斜めに立てて「エーックスーッ!」と唸りつつ、両手を合わせてまっすぐに立って「オーン!」と叫ぶことによって、音声入力による起動を行おうとする人が続出するんじゃないかなあ、マイクロソフトの新型家庭用ゲーム機「Xbox One」。アメリカの方でどーやら発表されたみたいだけれど、機能的にはソニー・コンピュータエンタテインメントの「PS4」に及んでなさそうな上に筐体がデカくていったいどこのビデオデッキですか的な。狭い日本の家庭環境とかまるで考えてなさそうだけれどまあ、アメリカの会社だから仕方がないし小さいからって「Wii U」が売れているかっていうと……。つまりはゲームの面白さ。キネクト内臓でいろいろ遊んだり触ったりできるなら、それが活かせる遊びというかライフスタイルを、提案できればこの日本でも浸透していけるんじゃなかろーか。あとはだから価格かなあ、4万円なら考えるかなあ。

 公開がだんたんと迫ってきて、新宿御苑に雨が降る日にいったいどんな風景が見られるかが楽しみになって来た、新海誠さんの新作アニメーション映画「言の葉の庭」に関する展覧会が、渋谷にあるタワーレコードで始まったってんで見物に行く。8階にあるフロアで500円の有料で行わていて、中に入ると新作だけじゃなく「星を追う子ども」とか「秒速5センチメートル」とか「雲の向こう、約束の場所」とか「ほしのこえ」といった、過去からこれまでの作品に関するパネル展示もあって眺めていて何となく懐かしくなって来た。2002年から10数年をよくここまで突っ走って走り抜いて来たよなあ。そして作品のクオリティは落ちるどころかますます尖ってきている。そんなクリエーターを振り返られるって意味で、こぢんまりとはしていてもそれなりに楽しめる展覧会になっているんじゃなかろーか。

 それぞれにキャラクターのデザインもちょっとづつ違っているけど、描かれる風景なんかはだいたいが揃って新海調。そして空の色から街の様子まで新海さんならではのテイストが出ていて、そこに色濃く作家性ってものを感じさせられる。ジブリが何をつくってもジブリっぽくなるのと同じというか、それを新海さんという1人の個性で貫いているところがユニークかもしれない。新作については絵コンテとかあってキャラクターを指定した原画なんかもあって、あの独特の色使い輝き具合なんかがどういう指示によって作られているかが分かったけれど、人物の光が当たる部分にハイライトとしてつけられる緑色が、どういうアイディアから生まれてきたかは不明。新宿御苑の初夏の緑の中で繰り広げられる映像にマッチしたテイストを出そうとしたのかな。ショップコーナーもあって過去作品のパッケージとか本とか漫画なんかも売られてて、ポストカードもあったけれど今回はパス。タワレコ2階のカフェでは作品にちなんでオムライスが食べられるそうだけれどやっぱりね、手作りが良いよねあの人の。

 なんかいきなり朝日新聞出版から出た橘ぱんさんの「クロウ 簒奪の執行者」はつまり平野耕太さんの「ドリフターズ」だねっていきなり言ってしまうのも何なんだけれど、冒頭から堂々と長井新九郎すなわち後の斉藤道三が、実家を飛び出しさまよっていたところを何か胸の薄い少女に招かれ霧の向こうにいったら、そこが戦国とはまるで違った西洋というか中世みたいな世界。でもって北方にある国が攻めてきては次々と諸王国を撃破していく中で、父王を殺され後継ぎの兄も奪われた王女の姉妹がいて、その妹の方と戦場で出会った新九郎は彼女を自分の女にすると言っては最初に出会って戦い敗れた黒騎士を名乗る男の元を離れ、王女や仲間の騎士たちを救い出しては砦へと連れ帰り、そして砦を落としに迫って来た黒騎士たちと対峙する。

 どうやらその世界では異世界から召喚される人たちを“執行者”と読んでいて、黒騎士もそんな1人らしいってことはつまりいったい誰なのか、ってのはおっつけ分かるんだけれど、だとしたら浮かクロウと黒騎士ののっぴきならない関係。先に生きたクロウは知らずとも向こうは知ってて不思議はないんじゃないかって思わないでもないけれど、まだ若い頃の九郎を果たして黒騎士は名前も含めて知っていたのかが、これからの興味の置き所になりそう。どっちにしたって越えなきゃいけない壁として、若かろうと老けていようと戦うんだろなあ、黒騎士って男は。であるか。

 届いた「ちはやふる2」のブルーレイボックス上巻に封入されていた、発売記念イベントの応募葉書に書いてあったアンケートを記入しながらいろいろと考える。「ちはやふる2」で好きなシーンはどこかってあって、考えればたとえば大江奏ちゃんがテンパって来た千早に向かって降り出した雨を上げて歌を詠んで落ち着かせるシーンとか、逢坂恵夢たんが決勝の相手を間違えて着席したシーンでのジャージの正座姿とか、挙げればいくらだって思い浮かぶけれどもとりあえず葉書にはクイーンの若宮詩暢ちゃんが近江神宮の階段を上る新の背中に手を差し伸べ、振り返った新から「誰?」と聞かれて泣くシーンが可愛かったんで挙げておく。珍しく殊勝だったもんなあ。

 好きなキャラクターはでも逢坂恵夢たん。当然。眼鏡っ娘だし。いや本当は桜沢翠先生とか挙げたかったんだけれどもそれだとちょっと趣味が偏り過ぎるんで。どういう趣味なんだ。最近はちょっとづつ花野菫にも興味が出てきた。やんちゃなところが引っ込み真面目で一途なところが出てきてそれが、藩めぐみさんの声ともマッチして実に良いキャラクターになって来たから。あとは大江奏ちゃんかなあ、とくに胸が、とりわけ胸が。そこだけか? そこもだよ。百人一首で好きな歌という問いは迷ったけど、なぜか浮かんだ崇徳院の「瀬をはやみ岩にせかかる滝川のわれても末に逢わんとぞ思う」に。「ちはやふる」でどこで出てきたか覚えてないけどでも、語られる意志の強さが何か心に突き刺さる。崇徳院のその後を知ればさらに。どう思いどう生きてそして没したのか。会えたら聞いてみたいなあ、歌に込めた思いを、それが今なと語り継がれていることへの感慨を。

 噂としてすでに通信会社とか、外食チェーンなんかに買収が打診されたとか打診したって話が数カ月前に流れていたから、「週刊ダイヤモンド」に記事として書かれて急に浮上したって驚くってことはなかったけれども、具体名として牛丼屋さんとか展開している外食チェーンの名前が明るみに出たのはちょっと驚いた。んでもって思ったのはやっぱりどうして外食チェーン? ってところ。だって彼ら、新聞なんかグループに持ったところで何のメリットもないじゃん、それを使って宣伝がバンバンと打てる訳でもないし、そこから収益を得られる訳でもない。新聞を持つ名誉って意味でもほかの主要な全国紙とは違って言ってしまえば大阪と東京をテリトリーにして、あとはおまけのように部数を出して、体面を保っているという程度で、全国津々浦々にその威光を届けさせるなんてことはできやしない。沖縄なんて逆に総すかんだろうなあ、悪口ばかり書かれてるし。

 大阪と東京ならそれでも数百万に届けられるといったところで、その相手は極めて特異な指向を持った人たちで、そういう人とマッチするかというとどこかチューニングが合わなさそう。そんな、何もメリットが提案できなさそうな相手に買収を打診する方も方だって思うけれど、逆に考えるならそういう相手しか打診できなかったくらいに手詰まりだったとも言えそうで、ますますもって未来への不安も大きくつのる。もはや後はなく、そして打診した側は背水がもはや背水を越えて片足を泥水に突っ込み始めている状況。もうなりふり構ってられないと、二束三文で売り払ってしまった先はいったいどんなところになるんだろう。IT企業? 無理無理リアルにコストをかけて利益が出るような体質にない。外食チェーン? だからメリットを提供できないんだってば。うーん。お隣の国のお金持ち、なんてことになったらなあ、どうするんだ論調変えるのか? 変えるだろうなあコロリと。それが処世の常だから。

 だってもう連日の嫌悪炸裂技。伝統ある1面コラムで台湾の女性ゴルファーがかつて日本に来て他国で稼がせてもらってますからと謙虚に振る舞ったことを枕にして、ある在日韓国人が生活保護を不正に受給していたことが露見して逮捕されたことを紹介しつつ、日本国籍を持たないながらも生活保護を受給している人には韓国籍と朝鮮籍が多いと書いている。いやでも逮捕されたのは何も在日の韓国人だからという理由ではなくって、他に仕事で稼ぎながらもそれを隠していたことが分かって詐欺に問われたってことで、それが在日であろうとヤのつく商売であろうと関係ない。なのにその後に外国籍の生活保護の需給状況を並べて書いて、いかにもそういう人たちが不正受給しているんじゃないかってな印象を植え付けようとしている。枕に台湾人の“謙虚さ”を振ったことでなおのこと悪印象を与えようとしている。なんかとっても居心地が悪い。

 だいたいが台湾人のプロゴルファーが日本に来て、「よそさまの国だから」なんて態度心情を見せながらプレーせざるを得なかった状況の方が、他の国の人なり物なりを容易に受け入れないこの国の不寛容さを如実に現していたりする訳で、なのにそうした排外的な空気感を非難するんじゃなく、心苦しい思いをさせたねって申し訳なく思うんでもなく、ただひたすらに謙虚歓迎ってな感じに上から目線で言ったりするその口振りが、誰だって受け入れ実力があれば認める世界の傾向からは逆行しているように見えるのに、そうしたことに気づいている様子はない。これで外国に行ったら旅の恥はといった感じに振る舞ったとしたら、もう何をか況やだけど、まさかやってないだろうなあ。

 韓国籍や朝鮮籍の人たちが、なぜ外国籍でありながらも生活保護を受けられるのかということに関する歴史的な経緯なんかに触れることもなく、あるいは思い及ぶこともなしにただひつらにそうしたことは間違っていると仄めかすのも、やっぱり不寛容さの現れとも言えるしそれ以前に知識と想像力にどこか偏りなりが見えるとも言えそう。まあひとつのことを糾弾するためにあらゆる材料をつなぎあわせて持ってきては、どこかにほころびを生んで支離滅裂になるのは今に始まったことではない。今日も今日とて安倍総理が96の背番号をつけたユニフォームを着たことや、731と番号が書かれた練習機に乗ったことを韓国の新聞とかが「『右傾化』攻撃の材料にする。『ぼやき漫才』ではない。れっきとした韓国一流紙のコラムや社説である」といって論っているけれど、そう書かれた場所も日本の新聞のコラムだったりするこの状態。ぼやき漫才じゃなく真っ向からの非難というなら数日前のあれは何だったってことになるけれど、覚えてないとでも言うのかな。一流紙じゃないから、って言ったらそれはそれで。うーん。ゼンショーさんもう1度。


【5月21日】 連れの女を泣かされたんだ、男として怒って当然だ、ってのはちょい短絡かもしれないけれども、わざわざやて来てくれたお客さんに、店の事情とは重ならないところがあるからといって、拒絶の言葉を向けてそれがたとえやんわりとしたものだったとしても、結果として相手を泣かせてしまったという時点でもう、誰かを相手にした商売をしている者としてどうなんだろうと、大勢から思われてしまって仕方がないし、そういう人に向かって連れを泣かされた人が、自分が無名であろうと有名であろうと怒りをぶつけて爆発させても、自制が聞かないと咎めだてるような心理を僕は持たない。結果として大騒ぎになってしまったけれど、これが特に発言力を持たない人だったら、文字通りに泣き寝入りになってしまった訳で、それでは泣かされた人の心も救われないし、泣かせた側の意識も改まらない。泣かせた時点でもういけなかった。そう思って考え直して再起をかけるのが、今は必要なことなんじゃなかろーか。うん。

 「オズの魔法使い」でドロシーが、カンザスにある家ごと竜巻によって吹き上げられてオズの国へと連れて行かれてしまったという導入部を読んで、子供の時は何て大袈裟なんだろうって思ったこともあったけれども、長じるに連れてアメリカで発生する竜巻が、ただ細長い空気の渦ってだけじゃなくって巨大な風の柱となって一帯を包み込んで吹き上げるものだと分かって来て、これならドロシーじゃなくても家ごと吹き上げられることだってあり得ると思うようになった。オクラホマで今回発生した竜巻はまた巨大さがひときわなようで、映像なんかを見ると「天空の城ラピュタ」に出てきてラピュタを取り囲んだ竜の巣みたいな巨大さで土地を走りすぎていった感じ。アメリカの人は体感として何年かごとに、あるいは毎年のように発生するこうした巨大な竜巻を見て育っているから、「オズの魔法使い」の話もそれがひとつには魔法の国への道であり、あるいは死への扉として認識しながら読んで、うんうんと頷いていたんだろうなあ。国が違えば感じ方も違うという、ひとつの例。

 そしてふと気がつくとジェフユナイテッド市原千葉がJ2で3位にいたりして、一時は10あたりの中段をうろうろしていてやっぱりそこが定位置なんだねって世間には思わせておいて、するりするりと上がって見せる辺りに今年はちょっと違うぞといった雰囲気を、醸し出そうとしているのかもしれないけれどもそんなことはすでに前にもやっていて、そこからガクンと落ちていったりした訳だから今回も一時の好調に過ぎなくて、強いところとやって大敗したり、アウェーでやっぱり内弁慶なところを見せて敗れたりして勝ち点を積み重ねられず、中段へと落ちそこからはい上がってもやっぱり3位までにしか届かなくってプレーオフへと回りそして、引き分けでもオッケーという温い勝負を落として上がれないという屈辱をきっと味わうんだ、この秋にも。まあそうなると噂の前後期制とか関係ないんで、気にせずにいられるかっていうといられませんてば、やっぱりJ1でそういう話題に参加したいよなあ、できるかなあ、どうかなあ。自信ないや。

 ヨドバシカメラしかない。とおまけのいろいろと眺めて選んでかけつけたヨドバシカメラで買った「009 RE:CYBORG」のブルーレイディスクの豪華版。狙いはもちろんショップ別特典のうちヨドバシカメラだけにつくフランソワーズのイラストがいっぱいクリアファイルで、輸送機からダイブする時に着ていたスーツと、ゼロゼロナンバーサイボーグにとって制服とも言える長いマフラーがセットになった戦闘服と、そして輸送機の中で洗面所にいて悩む島村ジョーを全身を使い慰めた時に身に着けていたアンダーウェアの3つのポーズが描かれていて、見ればもうその素晴らしいボディラインに心が浮き立つのであったという。他を見てもここまで003のフランソワーズをフィーチャーした特典を付けるところがないだけに、世間的には一拓になるんじゃないかって心配も浮かんだけれど、夜にあったパッケージの販売を祈念してのトークセッション付きリバイバル上映会に駆け付けていたのは、半分とかあるいはそれ以上が女性のファンで、フランソワーズよりもむしろ普通のジョーであり、ジェットといった美形キャラを美形声優も含めて応援しているって感じ。だから特典ではジョーとジェットが描かれたHMVか、ジェットが空を行くNEO WING、そしてジョーを演じた宮野真守さんのメッセージ入りカードがつくタワーレコード辺りが人気となるのかな。張々湖好きはどこ行きゃいいんだ。

 しかし豪華過ぎる豪華版の特典は、ストーリー上に散りばめられた謎とか映画の上では説明がなかった事柄の詳細な設定なんかを記したブックレットがあったり、セルルックで3DCGの映像を作り動かしてなおかつそれを立体視としての3D映像にするという、画期的であり革新的な映像作りについての説明が載ったブックレットがあったりして、作品世界から制作状況まで含めていろいろ知れそう。知ってどうするんだという意見もありそうだけれど、そこから新しいアニメーションの見方が育まれ、意見が発生してそれがひいては日本という国がこれから作り出すアニメーションの質的技術的向上につながっていくと、思えば読んで学ぶ意味もありそー。あとやっぱり見物は映画の「009 RE:CYBORG」でリーダーシップを争ってか何かして仲違いしていたジョーとジェットが、どういうシチュエーションからどういう経緯を経てああなったのかが記されているらしい漫画の収録。石森プロダクションのシュガー佐藤さんが描く、石ノ森章太郎さんに似た絵柄の漫画によって綴られたそれは、石ノ森ワールドから神山健治世界へとつながる道筋にもなっていて、映画を深く知る意味でも読んでおく必要がありそう、って買ったんだから読めば良い? でも怖くって、男たちが喧嘩している姿って何かとげとげしくって。そうなのか? だから読めば良いんだよ。

 そして久々に見た「009 RE:CYBORG」はやっぱりあんまり分からなかったなあ、世界がどうしてああも急に「彼の声」とやらに突き動かされて滅びの方向へと舵を切ろうとしたのかが。それが人間に潜在的に備わっていた滅亡への因子の発動だったという見方も出来ない訳じゃないけれど、それならばそれが発動した理由ってのもやっぱりないと物足りない、増えすぎてもはや未来がないとか、暴れすぎて鉄槌が下って因子を発動させられたとか。あるいは神という存在が外部に集合的無意識として存在する何かだとしてそれが放つメッセージが人間の中にある滅亡への憧憬を受け取り続けてそして一定のレベルを越えてしまったのかもしれない。分からないけどまあ、そんな解釈をする“余地”がいっぱいあるってのもまた楽しいもの。正解なんて求めずそういうこともあるとして、ならば今度はどうしてそこにゼロゼロナンバーサイボーグが歯止めをかける存在として屹立し得たのか、神が滅びに向かうならまたサイボーグたちも滅ぼされるんじゃないのか、そうでないのは何故なのかって考える楽しみも出てきた。

 彼らは特別なのか。何故に特別なのか。熱心だから? 前向きだから? その割には最初のうちで島村ジョーは操られて滅びようとしていたよなあ、どうしてだ、どうして彼は「彼の声」に選ばれた? 積み重なる謎。それを解き明かしに人は劇場へと通ったのだ、だから今日のリバイバル上映で何度も見たという人が多かったんだ、なんてことも思ったり。これからは存分にパッケージで見てブックレットを読んで想像できそー。やらないけど。劇場で見てその場限りのあれこれをめぐらせるのが良いんだよ。映画であと気になったのは冒頭の上海にあるビル群が崩れ落ちるシーンが、棒倒しのようで綺麗すぎるかなあという印象。3.11の時の貿易センタービルの倒壊とか、下が崩れ上が落ちつつグシャリと潰れ途中で粉々に粉砕されて飛び散っていったっけ。鋼材を組み重ねてつくられた高層ビルってのはそうなるものだと思うけれど、それを作画するのはコンピュータを使っても難しいかもしれないなあ。特撮なら作りあげて壊してそれを撮れば1発だし。ってその1発のためのテストがあり制作がありそして1発勝負があるんだけれど。

 ほかはやっぱりフランソワーズのボディか。柔らかそうなんだけれどあの年月を老化もせずに過ごしてきた彼女の肉体が肉であるはずがない。脂肪ですらない。だから柔らかいはずがない。なんて連想も浮かんでしまう。どうなんだろう。触りたい。けど難しいならやっぱり想像するかない。どうしたらフランソワーズは柔らかいまま長い歳月を過ごせたのか。それもまた「神の声」を聞いたジョーが望んだことなのか。だとしたら奥手に見えてあれで結構、やり手だね、島村ジョー。ともあれ何度目かを通して見てラストに描かれた平和そうに見える世界も、その外ではやっぱり紛争が続きゼロゼロナンバーサイボーグたちにも前にも増しての試練がのしかかっている。古巣はもはや守ってくれない。基地は破壊された。いったいどうする。どうやって戦う。まずは金から。そこで始まる大泥棒。軍産複合体に忍び込んではその金をかすめとってばらまく活躍が、描かれ世間はやんやと喝采を贈るのだったという、そんな続編が作られたどうしよう。せめて今回の活躍が極端に少なかったピュンマとグレート・ブリテンをもっと描いてやって欲しいなあ、お堀は潜って軽々突破とか、カメレオンばりに変身してラクラク潜入とか。でも美味しいところは加速装置1発でジョーが持っていくんだ。そりゃジェットも拗ねるよな、うん。


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