縮刷版2013年5月中旬号


【5月20日】 これが俗に言う墓穴を掘りに行くという奴か。「橋下氏、特派員協会に説明の考え 慰安婦問題、性奴隷を否定」というニュースはいろいろと舌禍で物議をかもしまくっている大阪市の橋下徹市長が有楽町にある外国特派員協会で外国のプレスを相手にいろいろと喋ることが決まったって話でここでは日本のメディアのような形にはめようとする取材はないけれど、代わりにとことんまで勉強してそして追求していく姿勢がありありで詭弁とか弄してその場限りの言い訳になんか終始しようものなら即座に言行不一致な態度を問われて厳しい言葉を書き連ねられる。そういう手でもってこれまでに幾人もの著名人が正体をさらけ出してきた。

 聞けばこれまでの一切を撤回しないで臨むらしい橋下市長が過去はそういう風だった、そして過去にはあなたたちも同じことやったなんて言おうものなら過去を清算して来た国とかは何で日本は違うんだと突っ込みそう。兵士の性コントロールの問題をだんだんとダンスだのゲームだのといった風適関連へと切り下げている言説も最初と違うだろうって言われてその曖昧で芯の通ってなさを追求されるだろう。まさに修羅場が繰り広げられること請負なのにどうしてそんな場所へ臨むのか。おそらくは日本のメディアは嫌いだというその1点をのみクリアしようとそうでない場所を望んだというだけ。勉強してればとてもじゃないけどそんな場所、行かないもんなあ。さあお立ち会い。

   気がつくと劇場アニメーション映画「ねらわれた学園」の新宿ピカデリーでの上映企画が成立になっていて、これでまた大きなスクリーンでもってウェットスーツの巨乳美少女が思わず尻餅をついたその脚の間に犬が寄って腰をすりつけるシーンとか、中学生の割に大人っぽい下着をつけている美人が崖の上から落ちそうになってスカートがまくれあがって下着が見えたかどうかってシーンとか、その美人がガーターベルト風のストッキングをはいた脚を見せつけてくれるシーンとかが観賞できることになって個人的には嬉しい限り。

 前後してブルーレイディスクなんかも発売にはなるけれど、家ではどうしても24型に満たないテレビで貧弱な機器から再生されたぼんやりとした画像しか見られないから。早く50インチくらいのテレビを間近で見られる環境に移りたいなあ、実家ならそういう環境なんだけれどいちいち新作ソフトが出るたびに帰っている訳にもいかないし。それに家で巨大なテレビで見てもやっぱり、劇場で見るような迫力って得られないんだよなあ、あののしかかってくるような巨大感、見上げるように下から舐めるキャラクターの存在感。それを家で楽しもうと思ったらどんなに巨大なモニターを立てなきゃいけないか。そう思うとやっぱり劇場って空間は素晴らしい。ネットが発達した今も存在している価値がある。

 さてドリパスの企画。数日前までは上映達成までにまだ数10枚が必要で、1日に10枚くらい売れないと企画も不成立でこれは最後の追い込みにかけるしかないかなあ、なんて半ば諦めていたんだけれど誰の提案か監督の太っ腹か、来場者に直筆のサインが入ったポスターをプレゼントすることになって一気に応募が増えたみたいで、残り10枚を瞬く間に切って数枚となってそれもクリアされて無事達成。それどころか販売の上限まで売られて123枚という所定の枚数もそのまま売り切れてしまった。すごかったなあ、この追い込みぶり。やっぱりサイン入りポスターが効いたかな、でも本当にみんな見たかったんだと思うよ、劇場で見逃した人も多かったし。

 ここで人気ぶりに気を良くしたピカデリーが、分かりましたスクリーンを大きくしましょう、1番スクリーンで500席だからあとサイン入りポスターを370枚ほど追加して書いてくださいとかってなったら、監督も手がぐだぐだになって「あいうら」の進行に影響も出そうだけれど、スケジュールもがっちり組まれたシネコンでそれもなさそう。だから売り切れたらそれがポスターをもらえる恩恵を受けられる人数だと理解して、まだの人は急ぎ申し込むのが良いけれども残り数枚、きっと売り切れるだろう。良かったなあ。次に見られる機会もないだろうからこれを一端の見納めとしてたっぷりと堪能してこよう、まくれ上がるスカートのその中を。見えたっけ? そればっかりは家でBDを回してスロー再生するのが良いのかな。うん。

 「あたしたちがチャーリー」だっけ、そんなシンプルで且つストレートなスウ一言から始まるチャーリーの怒濤の演奏が、過去において数々の伝説を打ち立ててきたことは浅田有皆さんの漫画「ウッドストック」を読めばもうたっぷりと見えてくるから何か壁にぶつかる度に、そんなチャーリーの奇跡を単行本なんかを読み返して振り返って自分もこんな場所で止まってちゃいけない、やるだけのことはやり尽くして前へと進むんだって気分を引っ張り出してこの面倒くさい世の中を生きている。でもさすがに今、チャーリーが直面しているこの状況に果たして後に伝説になんかなるような奇跡が起こるのか。

 「@バンチ」の2013年7月号に掲載された「ウッドストック」では本場のロックフェスに乗り込んでいったチャーリーが、ブンダーカマーの圧巻の演奏の直後にステージに立って臆する気持ちを押さえ込み、やれるだけのことをやり尽くすんだと臨んで繰り出した演奏の、その凄さが徐々にそして確実に観衆たちを動かしていったその矢先。とんでもない事態が起こってその軌跡に暗雲が立ちこめる。でもまあ運の良い奴らだし、何しろ主役だ。きっとまたとてつもない奇跡って奴を見せてくれると信じて来月の刊行を待とう。スウならなあに、空手でどんな障害だってうち砕いて見せるだろうさ。

 「J.G.バラードの小説が好きなの。この人はとても心地のいい終わりを書く人でね。例えば廃墟だとか、世界が結晶化して滅んでいく様子だとか。灰色の世界をきれいに描くのよ」とヒロインの少女がつぶやくライトノベルがある。「『アンドロイドは電気ガマの夢を見るの?』ナニワは映像を手繰り寄せ、思わず微笑んだ。『わたしはアンドロイドじゃない、AIシステム。それに、電気ガマじゃなくヒツジ』」とアンドロイドと少女が会話するライトノベルがある。著者近影をなぜか埋め尽くしているハヤカワ文庫SFの青背が、クリフォード・D・シマック、カート・ヴォネガット、ジョン・ヴァーリィ、ルーディ・ラッカー、ロバート・A・ハインライン、ブルース・スターリング、コードウェイナー・スミス、フィリップ・K・ディック、イアン・ワトスン、フリッツ・ライバー、ジェフ・ヌーン、マイケル・スワンイック、グレッグ・ベア、アーサー・C・クラークだったりするライトノベルがある。それが樹常楓さんの「無限のドリフター 世界は天使のもの」(電撃文庫)だ。

 分かるのは相当なSF好きだということ。これだけのSF的な要素を入れこんで描き上げようとした以上は鋭くて激しく鬱陶しいまでにSFを求めるSFの読者であってもどこか引かれる部分を持ったライトノベルになっているだろうことは間違いない。訳あって荒れ果てた地上から上空につくった都市へと人類は逃れたものの、その地上にはまだ人類が掠奪と殺戮を一部に繰り広げつつスクラップや遺物を集め利用しながら生き延びていた、そんな遠い未来が舞台。殺人鬼の異名をとり、出会う相手が危険なら手に持ったオノで容赦なく殺戮して生き延びていた少年がある日、廃墟となったショッピングモールで背中に翼の生えた少女と出会う。自分の名を持たなかった少年は天使のような少女からマサキという名をもらい、そしてしばらく2人で暮らし始める。

 バラードを愛しSF小説を愛読する少女との蜜月は、けれども長くは続かず惨劇が2人を襲う。ルーフィスという名の少女は連れ去られ、その時に負った怪我から回復したマサキは、回復してルーを探し始めて、そして10年もの月日が経つ。殺人鬼としての異名をさらに強く世間に刻んだマサキは、天空にある都市から来て何かを調査しているダグラスという男と出会い、世界の有り様を聞く。ガスマスクをして地上の何か汚れを見に取り入れない都市の生活者だったダグラスは、いずれまた都市へと戻るはずだった。しかし都市は老朽化から崩壊し、ダグラスのもとには天空の都市からルーに似た翼を持った少女が送り出されてくる。そしてマサキと少女とダグラスは、別の都市へと向かい荒野を旅するというのが、だいたいのこの小説のストーリー。

 天空に幾つか作られた都市の持つ存在の意味。地上に残された人間を襲い食い殺す白い怪物。横たわり死んだ人の上に咲く花。その花を生やしたネズミが人語を話す訳。世界の滅びた理由が明らかにされ、翼の生えた少女の秘密が示され、そして未来への希望が示されてマサキを駆り立てる。そして出会いがあり離別があり邂逅があって再開もあり離別もあってと人間のドラマもたっぷりと読める。世界が置かれた状況を描く構造があり、そこから派生した世界の生態の奇妙さがあり、そんな世界に生きる者たちに突きつけられた運命があり、そんな運命から脱却する道があってと、様々なフェーズから未来のビジョンが垣間見えるという意味で、本格的なSFを志向した作品といえそう。今は足りずともその熱情がいずれ紡ぐだろう本格の世界を期して待ち望め。


【5月19日】 入りたいような入りたくないような「ビストロ246」は、見た目それなりに可愛かったり綺麗だったり長身だったり眼鏡だったりな美少女の店員さんたちがいて、可愛いスイーツを提供してくれたりするんだけれど伝わってくる殺気が半端じゃなくって、感度の高い人にはもう入っただけで全身がビリビリと来るかもしれない。でも居続けて頼んで食べればこれが実に美味! 雰囲気の悪さが逆にスパイスとなって食べる人の甘味を鋭くさせてはその美味しさを何倍にもスケールアップさせるのであったという、そんな店、あってもすぐに潰れるか。殺しの腕に余程の自身がなければ入ろうという気すら起きないだろうから、世界最高の暗殺者の紅雪ですらようやくって感じだから。ああでもみのりちゃんなら気にせず入っていって、店員さんと平気でお友だちになってしまうかも。

 という感じにおまけ漫画「ビストロ246」も載った高橋慶一郎さんの「デストロ246」の第2巻は、ラストに近いところでそのみのりちゃんが現れて、翠と藍はもう帰ったけれども伊万里がいて苺に南天に蓮華が残ったミッションスクールの聖堂で、みんな仲良しなところを見かけて大喜びしていたけれど、その直前まで聖堂の中は一色触発の状態。翠と藍を日本へと連れてきた透野隆一の妻子を殺した毒殺者が誰なのかを探し、それが苺じゃないかと翠と藍が問いつめていた時の2人の顔と言ったらもう恐怖しか浮かばないもので、そこで嘘なんて言おうものなら言葉にふるえが滲んで即座にばれて、首を掻ききられるか眉間を撃ち抜かれるかしただろー。それとも翠と藍のプレッシャーにも動じないくらいに苺の胆力にも凄まじいものがあったのか。まあでも本業のヤクの売りさばきが順調に行っているみたいで、ヤクザと無関係そうな飲食チェーンのトップの妻子を殺しに行くような動機もなさそうだしなあ、苺も。

 だからこの探求はこれで終わりで、あとは翠と藍はそっちのチームで犯人探しのドラマを繰り広げていくことになるのかな、それともやっぱり因縁のバトルがあるのか。一方で伊万里はと言えば自分を暗殺者にした組織と同じ出の紅雪が、芳野医師のところに乗り込んで来たりしていろいろと大変そう。何しろ翠と藍の2人がかりでも翻弄されるくらいの凄腕で、世界最高峰の自称も伊達じゃなさそうなんでその目的如何では6人の誰かが殺られることになるのかも。ああでも伊万里もあれで翠と藍を相手に立ち回ってみせたから、リミッターを外せば紅雪とだって対峙できるのか。それを思うと苺と南天と蓮華はちょっとやんちゃなだけに見えるよなあ、それでも人間としての度は超えているけれど。だからやっぱり6人だけはしっかりと生き残って、そして凄腕のロシアマフィアも日本のチンピラ教師も男どもは次々と血祭りに上げられていくんだ。なんか痛快。でもやっぱり最後は6人が闘うのかな。誰が生き残るのか。ちょっとワクワク。

 今日も今日とて「デザインフェスタ」へと出むいていって普通に入場券を買って入っていろいろと見物、毎度おなじみの「和装侍系音楽集団 MYST.」が演奏している横を抜け、OTACCIMANっていうサイケなTシャツを売っているブースを訪ねて前に買ったトレーナーを着ていますと挨拶。今回も格好いいTシャツが出ていたけれど最近Tシャツ過多なんで遠慮しつつほかのブースを見て回る。「もにまるず」は少しづつ売り切れも出始めていてやっぱりの人気。美大生の作品が企業を得てバックアップも受けながらそれでも自分を貫き商品化へと邁進していって辿り着いたこのサクセスは、デザインフェスタとゆー場が守っている自己表現の“甲子園”的なイメージを如実に代弁しているんじゃなかろーか。

 もちろんそうやって商業で成功することが目的じゃない人も大勢入るし、自分という範囲で精いっぱいに作って売っている人もいるから、何が正解って訳じゃない。ただこうやって、リアルな表現をより遠くへと届けたいと願う人がいて、それがかなう場として大きな役割を果たしたって意味で、「デザインフェスタ」が続いていて、これからも続いていく価値がありそー。そういえば前にデザインフェスタに出していて、そこから企業なんかの話をもらい自分たちで会社を立ち上げいろいろと企画を成功させていったザリガニワークスの2人も、今回は2年ぶりくらいに出店してたっけ。そこにいる2人が「THE・土下座」を送り出した人だって気づいた人はいたかな。そんな人もこれからの人も並列で店を構えて表現を見せていて、それらを誰からもフラットに見てもらえる場。有名が有名を読んでいく傾向が見えてきたネット界隈とは違って、ひょんな出会いを与えてくれるリアルな場。だから僕は「デザインフェスタ」に通うんだ。

カエルノ干物じゃありません  そんなもう20回は来場数が超えている「デザインフェスタ」で、たぶん常連さんなのに今回初めて見かけた世都熾壟さんって人のカエルのがま口ポーチが見てとっても素晴らしかった。何しろ見た目がまるでカエル肌。でもよくよく見ると着物のようなテキスタイルは縮緬を買ってきて自分で色とか染めたものらしくって、黒い線なんかは自分で引いているんだとか。そうやって作り出されたカエルの模様が縮緬のざらざらっとした表面の感じと絡み合ってあのカエルみたいな雰囲気を作り出しているという。ちょっとぶら下げて街を歩きたくなったけれどもいい歳をしたおじさんには似合わなさそうなので今回はパス。でもいつか買おう。同じブースには猫の形をしたペットボトル入れもあってこれも秀逸。キャップの部分が猫のお尻に来るのが何とも。そこから中身をゴクゴク。なんかいい感じ。

シュール? でも不思議な味のぬいぐるみ  初めてでは3月だかに恵比寿で開かれたテディベアのショーで見かけた横道佑器さんがデザインフェスタに初出店。編みぐるみのような感じでどこかシュールな印象も受ける造形の動物たちのハンドマペットを作っているクリエーターで、複雑な色を使ったものもあればシンプルな1色で作ったものもあってななかなな存在感を醸し出していた。クラフトとアートの両方を行ったり来ている感じ。どっちに寄るのが正解なのか分からないけれど、ハンドマペットという特性を出すならそこに物語を乗せてストーリーの中でひとつひとつに属性を持たせるような展開があれば、単体では不思議な味わいの編みぐるみに見えているそれらに世界観が与えられ、その世界を手元に引き取るような感覚を購入希望者に持ってもらえるかもしれないなあ。それは作り手の仕事ではないとしても、誰かがそこに物語を見出していけばあるいはチームで何か世界を作っていけるかも。そういう人との出会いがあるのも「デザインフェスタ」のような場。あるいは「ドールショー」とかいった展示会。だから機会を見つけていろいろな場所で見せていって下さいな。

 しかし巨大になっていったと見えて「デザインフェスタ」は今回から上のフロアにあった割と大きなフードコートのスペースが、端っこに追いやられて狭くなって食べる場所も小さくなっていた。1階の脇へと幾つかのワゴンが移って分離されてしまった様子。それならいっそ西館屋上のスペースを使えば良いんだけれど、屋外だけに雨が降るとオペレーションも滞るから難しいか。そんな狭くなったフードコートの代わりにいっぱいのブースを入れて過去最大となったけれど、それでも追いつかないのか次回からは抽選制が採用されることになったとか。デザインフェスタで抽選とはなあ、それだけ出たいって人が増えたんだろうけれども逆に抽選になると言われたら予定も立たないんで出るのをやめて結果倍率も下がるって、そんなこともあったりするのかどうなのか。やってみないと分からないか。ともあれそこまでの大舞台になった「デザインフェスタ」が目指すのは西館だけじゃない東館も使っての拡張か、それとも厳選された表現の集合体か。いろいろな意味で岐路にあるイベントのその先を注視。いつも行くあの店が今回はないってのだけは避けて欲しいけど、どうなるんだろう。

 なんだかなあ。大阪市の橋下徹市長の一連の暴言失言に関連したコラムで「某女性議員が市民の代表を『大阪の恥』となじったのは失礼すぎます」とか書いているメディアがあったりしたんだけれど、その某女性議員に関する在りもしない事柄を書いて名誉毀損で訴えられた裁判で完敗したのは誰だっけ? って思ったときに、何だか江戸の敵を長崎で的な空気をちょっぴり感じてしまって微妙な気分がわいてくる。そのコラムでよくぞ書いたと讃えられているライターが、当該の完敗となった記事を書いた人物だってこともコラムの裏側にある諸々の意識めいたものを感じさせて、「尻馬に乗らない」と冷静に状況を見て是々非々でやりますよと言っているそのスタンスを、これこそが中立のジャーナリズムだとはすんなり受け取らせない。

 おまけにその某女性議員が国会でもって安倍総理に尋ねて否定された、ブッシュ大統領との会談で話題が出たかどうかという問題が、実は出ていたんだということに話がひっくり返っていたりするか何というか。そんな安倍総理にインタビューして、重ねてブッシュ大統領との会談でそういう話はなかったと聞き、そう書いて世に結果としての“虚偽”を振りまいて来たのも同じライターだったりするからなおいっそう、その一帯から漂う主張なりへの不思議な気分って奴も濃さを増す。まあ安倍総理に関してはこのタイミングで釘が刺されて世界的に非難を浴びるような言動を放つことは抑えられそうなんで、あとは橋下市長の言動がどうなって、それをどう伝えていくかってことになるんだろうけどここでシンパシーを寄せて来たってことは、支持していく方針を打ち出したって意味なのか。それはそれでひとつのスタンスだけれど、世間の大勢がどうではない状況でなかなかの賭けになりそーで、その賭けがもたらす結果が今は気になる、他人事だけど。うん他人事。


【5月18日】 先に富士崎に2勝を持って行かれて追いつめられた瑞沢の巻き返しなるか、ってところで始まったアニメーション「ちはやふる2」は、山城理音が綾瀬千早に怪我をさせたかもしれないという動揺から崩れていったところを糸口にしつつ、得意の攻めの気持ちを貫き千早が逆転してそのまま勝利で瑞沢1勝! と叫ぶかと思ったら疲れ果てて寝てしまった。この勝負が終えた瞬間に寝てしまうという設定はいつまで続くんだろうか。クイーン戦予選前のかるた回でも準決勝の前の試合を終えて寝てしまって相手に譲ってもらっていたからなあ。

 それは話を省略してテンポを挙げつつ真島太一の方へと関心を向ける意味で必要な作劇だったかもしれないけれど、ついてしまった癖を克服させるには何か新たなステップが必要。それを千早にどう与えるかで思案がありそう。知らず寝なくなったってことでもまあ、悪いわけではないけれど、人は成長するものだし……千早に成長……あるかなあ。そして残った西田と太一では、エロムを相手に太一が攻めの姿勢を貫き追いつきそして……。西田との札合わせもきっちりとできていたその展開は、全国大会に出るための東京予選で翔北を相手に札合わせが出来ておらず敗れたという経験を伏線としてうまく生かして乗り越えさせたといった感じ。そいういう組み立てが出来るのならあるいは千早の寝る癖にも解決の道が用意されていたりするのかも。

 しかし漫画でも緊張感があったあの決勝のラストをアニメはさらに演技と見せ方でもって実に巧みに、そして完璧に描ききった。疲れも見え始め運の無さに諦めかけながらも太一が自分を取り戻し強気になっていく心の変化を、息づかいも含めて宮野真守さんが演技していて聞いていていっしょになって考え、苦労し、乗り越えて歓喜をつかんだ気にさせられた。島村ジョーとか信乃と演じる人は同じなのに演じられた人は違うというこの不思議。声優さんの凄みって奴が存分に出ていた。音響監督さんはどこまで追い込んだんだろう。それとも自然とああなった? だとしたらやっぱり凄いんだ、宮野さんって。

 むくりと起きて東京ビッグサイトで始まったデザインフェスタへと足を向けてとりあず中に入って鎌田光司さんの「Kamaty Moon」へご挨拶。前にもみかけた木製の大きな斧があってこれがやっぱり良い出来で欲しくなったけれどもやぱり持ち歩いていると制服を着た人から声をかけられ引っ張り込まれそうなので見送る。持って帰っても使い道がないしなあ、本物の代わりにジープの後ろとかに積んでおきたい気もするけれどジープも守ってないしなあ、うーん。でも本当に良い出来。木こりのコスプレする人とか最適かも。鎌田さんのところでは豚に入れ墨が描かれたフィギュアなんかもあって他のラインアップとは違った和製な雰囲気。こういうものも作れるんだ。凄い人。もっと有名になれば良いのに。なるはずなのに。

ぐろかわいいとはこういうことだ  そしてすぐ側に来ていたくずしまきんさんのブースで「いちごちゃん」のシリーズを幾つかながめて1つ購入。腑が飛び出て脳味噌が見えている顔色と目つきの悪い女の子のフィギュア。可愛いんだこれが。グロテスクな割に。今回はほかに新しくつくったというミニチュアのソフビもあってそれが頭と胴体に別れて腹と頭から飛び出している新作の「いちごちゃん」のシリーズもあってそっちにもちょっと興味があったけど手元不如意だったんで今日はパス。でも振り返って写真とかみているとむくむくと物欲がわいてきたんで明日行ってまだあったら買うかそれともどうしようか。おなじくずしまさんのブースでは別の男性がやっぱりカエルの擬人化フィギュアも並べてたけど、別に出し巻き動物園ってシリーズも出していてこれがなかなかの出来。ぷにぷに素材で動物がう巻きのように動物にまかれているという造形。っていうかウナギもいるじゃん。まるのまんまだけれど。どこかがガチャにしそうだよなあ。種類をあとは増やすこと、か。

 その流れでいうなら以前はまだ学生さんが作っていたような感じだった「もにまるず」が本格的な企業の可愛い系アイテムとして大展開していてそれに大勢の人が群がっていた。ぷにぷにとしてかわいい動物たちのフィギュア。触った感じが実に不思議で子供にも大人気らしい。種類も増えて40種類くらいあるんだっけ、あと販売場所も東急ハンズとかに広がっていたりするからもう大出世。そういう成功へのステップを掴める場所として「デザインフェスタ」もクローズアップされて欲しいんだけれど、そう言い続けて10余年、大きいメディアが大きく取り上げたってのを未だあんまり見ないんだよなあ、ちょっと不思議。まあでも商業を目指している人ばかりじゃなく、そこでの発表を楽しんでいる人もいたりする場に眼をギラギラとさせたバイヤーがうろついてあれだこれだと引っかき回すのも不粋な話か。

 人気といえば狐の面を作って1年半くらい前に来ていた「狐神楽」と久々に対面。開場から間をおかずに人が次から次へとやって来て、カタログをみたり商品を買っていったりしていた。何か不思議。どこかで狐面のブームでも来ているんだろうか。「蛍火の杜へ」とか「伏 鉄砲娘の捕物帳」とか狐面(伏は犬面だけれど)が出てくる漫画とか増えてそういうのに興味を持った婦女子が手ごろな価格と良い造形に引かれやって来ているのかも。狐面、来てます来てます。初日は別の場所でお祭りがあってそっちに行かなくちゃいけなかったそうで、午後も早々に店仕舞いをしたみたいだけれど、日曜日はずっと出しているみたいで種類も増えそうなんで狐面に興味のある人は行くと良いかも。

 こっちも早々に引き上げて六本木へとまわりTOHOシネマズ六本木で「めめめのくらげ」のトークイベント付き上映会。美術評論家の椹木野衣さんが来て3.11以降のゴジラだといった認識からこの映画の立ち位置なんかを解説してくれて、その意味では歴史にひとつ刻まれるべき作品なんだということが分かって良かったけれどもやっぱり見た目先行な自分にとってはスクール水着と女子更衣室とKO2ちゃんのパンチラがメーン。それを2列眼右端からじっくりと堪能できて実に良かった。あと先生のハイレグな水着姿とか。そうしたビジュアル的な見どころを味わいつつ改めて主題として置かれた3・11を経た今のもやもやとした状況、そこで喘ぐこどもたちの鬱積が爆発して暴走し、けれども連帯によって浄化され再出発していく展開を現実のものとするために何ができるのか、なんてことも考えてみたり。導くなんて大袈裟で、邪魔をしないのが1番なんだろうけれど、心配という名目で自分の不安を転嫁したがる大人が多いからなあ。それが2作目のテーマになるのかな。子どもたちは逃げ切れるのかな。楽しみになって来た。

 今を取り繕うと過去の振る舞いを肯定し始めるなり、逆に否定し始めるととどこまでも遡ったり範囲を広げたりして肯定なり否定し続けて行かなくてはならなくなって、それがどこかでぶつかり合ってクラッシュを起こすと想像することは存分に可能で、だから全体を見通せる目を持つならそうした懸念が実際にならないよう、範囲を狭めてそこで議論し答を出してはい終わりとするなり、発端となった部分をなあなあで収めてあとは馬耳東風とばかりに事態が収束するのを待つ。それが理性的なり狡猾的な振る舞いという奴なんだけれども、端から遠くを見る目を持ち得ていないか、今さえ相手を論破できれば後のことなんて知ったことかと短絡してしまう性向の持ち主には、そうした深慮は働かないのか今をそのとおりだとか違うとかいって大騒ぎしては、過去に言ったこととまるで整合性がとれていないことを指摘されていろいろと面倒くさい事態に陥る。

 とある新聞の高名な1面コラムが大阪市の橋下市長の発言に対してアメリカの国務省の報道官が批判したことを挙げて「くだんの報道官は、占領時代の東京や沖縄などでの米兵の蛮行をご存じないのであろう。そんな小役人の発言に『米、橋下氏発言を非難』と大見出しをつけた朝日新聞は、いまだ占領時代の感覚から抜けきれないようである」って書いていたけど、例えばその新聞だったかそこの出身者だったかが、以前に沖縄で起こった米兵による乱暴狼藉事件に対して、そうした事件を誘発しえる要因が被害者の側にもあったんじゃないか的なことを指摘して、まさに占領時代の気分を今に引きずっていたところを見せて世間を困り顔に陥らせたんじゃなかったっけ。この瞬間に朝日の言説を批判したいがために米軍へと筆の矛先を向けてみたは良いけれど、それが次の瞬間にも続くかというと、そうはならずに国益性とか言って擁護に回る可能性はおおいにある。ありすぎる。

 だいたいが国務省の報道官を挙げて「小役人」もないもので、日本の外務省報道官のような局長級とは言えないまでも、会見の場で全権を帯び全責任を負って国務省、すなわち外交関係の全てについて受け答えする役職の人間が小役人なはずがない。だからこそ前日の新聞では「『言語道断で侮辱的』国務省報道官が橋下発言を批判」だなんて朝日と大同小異な見出しをつけてその発言を大々的に報じていたりした訳で、ここでもスタンスの齟齬がくっきりと見えてしまっている。いや違う国務省報道官であって米そのものではないとでも言いそうだけれど、それは報道官を小役人としか見なしていないからで現実的にはその言はそのまま米の言。内閣官房長官の言が内閣の言と見なされるのと同様で、だからこそたいていの新聞が国務省報道官が言ったという意味を大きくとらえてしっかりと報道した。

 同じコラムの前段がこれまたなかなかに微妙なもので、織田信長を取り上げ「比叡山焼き打ちでは、対立した僧侶ばかりか女子供までなで斬りにした。長島攻めでは、一向衆を焼き殺したというからヒトラーも真っ青である。だからといって彼の功績を全否定する史家はいない。歴史を見る眼とは、そんなものだ」なんて書いている。つまり何だい、ヒトラーも真っ青の信長の蛮行が歴史を見る眼によって全否定されなくなるのなら、ヒトラーの蛮行だって全否定されないってことなのかい? そうは言ってなくたって、そうとられてしまう可能性のある文章を書いてしまえるその神経の剛直さがなかなかなに凄まじい。翻訳されて世界に広まったらいったい何を言ってるんだと突っ込まれそうだけれど英字新聞とか出していないから翻訳されてないのが幸いというか寂しくもあるというか、むう。


【5月17日】 日付も変わりかけた頃合いを見て「攻殻機動隊ARISE border:1 Ghost Pain プレミア先行上映」のチケットを購入。告知があんまり行き渡っていなかったっぽくって急に情報が出始めたものの殺到って感じはなく、午前0時過ぎではだいたいの席を選び放題になっていたんでとりあえずやっぱり前目の席をとったけれども舞台挨拶に来るのが監督の黄瀬和哉さんに制作元となっているプロダクションI.Gの石川光久社長に脚本を書いた作家の冲方丁さんとおっさんばかり。最前列で見たところで見目麗しくも何ともないんだけれどもまあ、間近にいれば越えも聞き取りやすいってことで見上げるようになるスクリーンとか気にせずおっさんたちのアニメ談義に耳そばだてることにしよう。緊急ゲストで主演声優が来場、なんてことがあったら狂喜乱舞だけれどそれもなあ、見たって自分にどうにかなるものでもないものなあ。鈴村ぁあ。

 でもってネットを漂っていたらバルト9の方でパッケージの発売に会わせてなのかその前夜祭的に「009 RE:CYBORG」のリバイバル上映があって神山健治監督もティーチインに登場するみたいだったんで、そっちのチケットもとりあえずおさえておくけれども時間的に行けるかな。劇場ではえっと何回だっけ、2回かな、3回かな、まあそんなもんは見た映画だったけれども「虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜」とか「伏 鉄砲娘の捕物帳」とか「ねらわれた学園」とか「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」ほどに、映画館へと足繁くは通わなかったのは話がやっぱり展開が難解すぎて、その割に見せ場があんまりなくって何度も見に行ってどこに目をやれば良いのか分からなかったから、だったりする。

 「彼の声」が意味するものとか、ラストシーンの世界がどこなのとか。考えれば答えは出るけれど出して意味があるかというとそうでもないところに探求の意欲が沸かないってのも、通う意味を見いだせなかった理由か。まあそれでも復活した島村ジョーこと009がフランソワーズな003と飛行機の中で良いコトをするシーンとかあるにはあって、その媚態をくっきりと目に焼き付けたくはあるんだけれど、それだけってのもちょっと行くには引きとして弱い。すっぽんぽんでもないし。せめてもうちょっとゼロゼロナンバーサイボーグたちが揃って大活躍の大乱闘を見せてくるシーンがあれば良かったのに。ハインリッヒが両手両足を曲げてミサイルを発射するとか。まあそれでも見れば新たな発見があると期待しよう、六本木ヒルズの横を落下していくフランソワーズのスカートの奥が描かれているのかいないのか、とか。

 ふと気がつくと既に始まっている今シーズンのF1の、トップにいるドライバーがいったい誰なのか、でもってそれがどこのチームなのかまるで知らなかったりして少し愕然。例年だったらたとえフルタイムには見ていなくてもフジテレビのF1中継を真夜中に見て誰が1位になったのか、そしてどんな面子が並んでいるのかくらいは何となく知っていただろう。でも去年だっけその前からだっけ、地上波でのF1中継が無くなってしまったこととそれから、日本人ドライバーがいなくなってしまったことが決定打となってF1に関するニュースが流れる機会も関連する情報が流れる時間もめっきりと減ってしまって、それと平行して関心も薄れてしまって誰が1位だろうと知ってどうなる的な気分にどっぷり浸ってしまった。

 だから誰がどうなのかなんて知らないのも道理。おそらくは世間の大勢もそんな空気になっていたりするんだろう。日本からF1ってものの存在を半ば消し去ってしまったことについて、中継を担いつつ地上波を止めてしまったフジテレビジョンのこれは罪というのか、責任となら言っていいのか分からないけれどもその行為に対する議論はこれから繰り広げられそう。その場限りの視聴率競争でたとえ苦しくなっても、未来の視聴者を育てておくって意味合いからすれば止めるなんて言語同断なんだけれど、それが分かっていても出来ないくらいに、背に腹な事情がテレビ側にもあったりするんだろうなあ。貧すれば鈍して鈍したら貧するというデフレなスパイラル。そこから脱却できるかっていうと……難しいなあ、一斉に同じ番組を見て翌日に仲間どうしで話し合ったりして喜ぶってマインドも薄れてしまった今。

 これで再来年だかにホンダが戻ってきても、かつてのようなセナにプロストにマンセルにピケといった面々がしのぎを削っていた1980年代後半のようなムーブメントを起こせるのか、ってのが目下の興味の向かいどころ。あるいは誰も関心を寄せない中で繰り広げられるマイナースポーツに落ちたままでいってしまうのか。日本のどこかで毎週繰り広げられているフォーミュラニッポンとかツーリングカー選手権と変わらないよなあ、むしろ初音ミクの車が走っているGTの方がファン的に嬉しいかもしれなかったり。プロ野球で巨人ではなく北海道だったら日本ファムファイターズで福岡ならソフトバンクホークスが見られてうれしいってのと似た状況。いやいやF1なんだからといったところで、それを見る意味ってのを感じさせられなければムーブメントは再来せず認知すらされない可能性もあるってことを、ホンダも中継をやるだろうテレビ局も認識しておいた方が良いんじゃなかろーか。でもってどうすれば良いのかを考えてくれれば。

 千葉ローカルな環境では放送が見られないガルガンディアはもちろんヴァルヴレイヴよりも含めてこの春に始まった3大ロボットアニメで実は1番好きなんじゃないかと思えてきた「銀河機攻マジェスティックプリンス」。学校を飛び級で卒業させられてしまたザンネンファイブが宇宙の基地へとやって来て、1人1部屋を与えられたものの広すぎて1人でいるのにも慣れて無くて、誰かの部屋に集まってしまうという描写があって、一方で主人公がメカニックの人たちとの界隈に戸惑い家族というタームに不安というか拒否感めいたものを漂わせていた描写もあってだんだんと家族であり仲間といった繋がりがひとつのテーマになっているんだなあということが見えてきた。一方で敵の勢力が本能のままに戦い撃破していくらしい言動を見せていて、地球の側は遺伝子操作によて生まれてその感情が戦果を左右する状況にもなっていて感情とか本能めいたものが至高か、やっぱり人間は理性や教養が上にあってこその人間なのか、って主題も問われそう。意外に深かったそのテーマ。けど目はやっぱりタマキとかメカニックのおねえさんたちの胸に行ってしまうのだった。それも本能。あるいは煩悩。

 「確かに日本がやっったことは悪い。ここは揺るぎない事実だ。しかしアメリカやその他の国はどうなんだ?」といって世界中が「御免な」と謝るようなら地球はもっと平和だぜ、なあどこかの政令指定都市の知事さんよお。ってか世界はそもそも棚上げしてるのか? まったく反省してないのか? そうでもないんじゃないのか? 過去を悔いつつ今に波風を及ぼさないよう努力して理性を育んで、今のこの落ち着いた状況を築いてきたんじゃないのか? そこでは過去に於いて仕方がなかったという歴史修正主義的な意見は、今をも肯定しかねない論理へと転じかねない危機をはらんでいるため絶対的に厳禁。むしろ過去を総体的にでも認めるような態度は、今をも認めかねない可能性をはらむものだと言って唾棄するんじゃないのかなあ?

 自分はそうだから世界もだなんて、見えて無さを世界に向けて露わにしてそれで世界に認めて欲しいったって、むこうはどんな理不尽で無知な連中が来るんだといって警戒し、一緒にされたくないと思って当然。だから面会とか拒否するんだろうけれど、それをもって「自分たちの気に食わない相手には、一切会わない」といって批判するのは筋が違っている。だいたいが気に入らない記事を書いたり報じた新聞やテレビを会見から閉め出そうとして、さらにぶらさがりの取材すら止めてしまうんだからまるで矛盾。世間はそれを妙だと分かっているんだけれど、当人は自分を貫くことしか考えてないから自分が守られればそれで良いと思い込んで実行してしまう。怖いなあ。

 ツイッターとかでは「僕の発言が国際問題化したので、主張の視点を変える」なんてことも言っているけど、そこは変えちゃいかんだろう? なぜ国際問題化したのかを考えそれでもと無茶を招致で訴えるか、やっぱり国際的に認められないものだと反省するか、すれば良いのに他国でもとか昔はとかいった悪いところ探しに陥って自省を蔑ろにしてしまっている。ただでさえ余計なお世話の米軍への性風俗斡旋コメントが、今度はもう許せないといった度合いの米軍なり世界の軍隊への侮蔑になってしまった今、そうした自分の言いたいことだけを言う姿勢は自分が許したって世界は許さない。それを分からない阿呆ではないと思いたいんだけれど、かといって折れるとその自称カリスマまで折れてしまうと思い拳を下ろせない。吹き上がって罵倒し続けることでしか保てない自分。でもそれもいつまでも続かない。そんな果てに何が起こるか。すべてを巻きこんでの自爆的言説のまき散らしだけは止めて欲しいんだけれど、もう遅いのかも、実際。


【5月16日】 今んところ都心部ではここだけとなったけれども、品川でも始まるらしいから命脈は保たれているらしい村上隆監督の映画「めめめのくらげ」のTOHOシネマズ六本木での上映に18日、村上監督とそれから美術評論家の椹木野衣さんが登壇して、何か語ることになるってんで真夜中のネットで見物に行こうとチケットを抑える。最前列はすでに埋まっていたのは関係者なりプレスなりをそこに座らせるために抑えたのか、あるいはスクール水着の中学生かハイレグ競泳用水着の先生を真下から眺めたい人なり、KO2ちゃんが激しく格闘するシーンでのぞくパンツを真下から仰ぎ見たい人たちがさっさと抑えたのかどちらかだろう。僕はそのどっちでもなかったけれども、最善に近いところをとりあえず1枚抑えてこれで2度目の観賞が決定、今度こそは黒マント団の紅一点のマントからのぞく脚をしっかり見てこよう。デザインフェスタは1時間くらい見るだけになるのかな、くずしまきんさんのいちごちゃん、買うぞ買うぞ買うぞ。

 こちらは残り少なくなっていた「JコミFanディング」から内田美奈子さんセットを購入してのこりが2人になってそしてすぐに完売となった模様。おめでとうございます。「赤々丸」のあたりから名前は知っていてそれが「BOOM TOWN」へと至って絵柄もガラリと変わって、物語も当時の最先端を行く電脳ダイブ物をやって「ニューロマンサー」が言葉で綴り「ヴィーナスシティ」が物語として描いたビジョンって奴を楽しくて可愛いビジュアルにしてみせてくれたっけ。それこそ早川書房あたりから普通に復刊してくれたって悪くないけどなぜか未だ出ず。そんな中でJコミは前から全巻とそれから幻の30話って奴も含めて何と無料で公開してくれていた。今回はそのPDFデータを他の多くの作品と、それから出回っていない作品も含めて配付してくれるって寸法。単行本を揃えたってお釣りの来る値段でやってくれるんだから有り難いやら嬉しいやら。それで内田さんにも支援が行く。良い企画だなあ。最初は胡乱なことを始めたなあって見ていたけれど赤松健さんとJコミ、頑張るじゃん。内田さんにはだからそんな支援を次に繋げて「BOOM TOWN」の先見性をさらに膨らませた話を描いて欲しいなあ。

金麦は持ち込み禁止  「鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ」なんてシチュエーションを期待したところで、五月晴れの宿御苑にはアルコール類は持ち込み禁止だからあり得ないとして、代わりにノンアルコールのビール風飲料を缶からぐびぐびやりながら、明治のミルクチョコレートを囓る美人なんている筈もなく、そんな彼女が立ち上がって万葉集の和歌を呟き去っていくのを見て、「鳴る神の少し響みて降らずとも吾は留まらむ妹し留めば」なんて唄って引き留め、いっしょにチョコレートを囓るなんてこともあり得なかった訳だけれども、これで梅雨時になったらあるいは雨宿りをしながら板チョコを囓る美女とか現れ、池の畔のあずまやに座って物憂げな表情とか見せてくれているかも。その頃はもう「言の葉の庭」だって公開されてるし。ってことで6月の新宿御苑にちょっと期待。問題はそんな美女との対面を望む男子が100人ばかり詰めかけて、あずまやをぐるりと取り囲むことか。起こりそうだよなあ、実際に。

 香車が9四の升目に入ると発動するトラップって何だ。それが「前世からの直感」だなんてカードで無効化された上に、さらにその無効までもが「沼の邪心の呪い」でもって無効化される将棋っていったい何なんだ。もはやそれが将棋なのかどうかすら怪しくなって来るんだけれど、傍目には9×9の升目が刻まれた将棋盤の上で繰り広げられている将棋にしか見えないそのゲームを、やっている少女たちがまともであるはずがない。まあ実際にまともじゃなかったんだけれど、そんな少女たちでも大事なクラスメートだと、少年は必死になって家まで通って説得して、そして一緒に学校に行こうと呼びかけていくというのが森田季節さんによる新作ライトノベル「クラスメイト・コレクション 僕のクラスは生徒がいない」(GA文庫)のだいたいの骨子。男になるんだと勇んで高校に編入したものの、開いた教室の扉の向こう側には誰もおらず、そして扉までもが閉まってしまって出られなくなった少年が、モニター越しに話しかけてくる生徒会長の少女に命じられたのが、そのクラスにいるはずだけれど出てこない生徒たちを学校に順に連れてこいというものだった。

 家にいても単位がとれてしまう仕組みらしく、それを良いことに来なかったりする生徒も多いらしいその学校。とはいえ全員が来ないというのは流石にまずいとうことで、生徒会長は新入生の少年をクラス委員長に任命して生徒の家に行かせて学校へと誘わせる。ってことでまず赴いたその家で、ずっと部屋に引きこもっている少女と対面したら真っ黒いワンピースを着ていた。そうかただの暗い子かと近寄ったら実は白いワンピースに呪文がびっしり書いてあって、それで真っ黒に見えていただけだった。ひーっ。聞くと霊媒体質で部屋に霊が見え通学路に霊が見え学校に霊が見えてしまう性質という。それが怖くて来られなかったけれど、そこをどうにか少年が鼓舞して引っ張り出して学校のクラスに辿り着いたらそこに悪霊がっ! さらに続く生徒を迎えに行ったらそこあったのが沼だけで、いったい少女はどこにっ! ってな感じに真っ当じゃない生徒ばかりが所属してそうなそのクラス。これから先にどんな生徒が現れるのか。全員がそろうと何が起こるのか。気になる気になる。

 テレビを見てどうせまた自分のプライドだけは厳守しつつ、防衛線を徐々に下げているだけで本質的には言っていることは変わらないだろうなあと思ったから、朝のワイドショーは見てなかったけれども大阪市の橋下徹市長の一連の発言はなおも留まるところを知らず。とりわけ米軍に対して行った「風俗使ってちょうだい」発言は、現地とか軍隊からとてつもない反発を食らっているにも関わらず、それに気づかないのか気づこうという頭が働かないのか認識が違ったといった程度で、謝ろうとはせず撤回もしないで、そいうした性欲処理が軍隊には必要なんじゃないのといった持論を一切変えようとしない。あまつさえ記者あたりから突っ込まれて、大阪市の職員が性的な問題を起こしたらやっぱり風俗を勧めるのかといった問いに、そうすることもなんて答えている。そりゃあそうだよなあ、米軍では勧めて職員に勧めないのは米軍を何かとてつもない野獣か何かと見なしているのと同義。そうじゃないけど人間にある欲望を理性で抑えるのは難しいって意見を貫くなら、職員にだってそれこそ学生にだって風俗なり自慰を勧めなくちゃいけなくなる。最初が間違っているからもうずっと間違えっぱなし。そこが頭の妙さというか。謝れないプライドの高さというか。

 そこまでいうなら人間のそうした性欲を向ける対象として、例えばエロ漫画なりボーイズラブ小説なりポルノ小説なりエロゲーなりを全面的に支持して称揚してそれらの特区として大阪を認めるくらいのことをやらないと。二次元で非実在だから誰の人権を損なうって訳ではない。読んで自分と同じ性別の例えば女性なりあるいは男性が、キャラクターであっても性欲のはけ口として扱われていることに不愉快を感じる人もいるだろうから、大っぴらは拙いとしても、そこに配慮しつつ認め広めることを訴えればよくぞ言ったと喝采だって浴びるのに、逆にそうしたものは健全さを損なうからと禁止に回ろうとするんだよなあ、同じ党のもう1人のボスとか特に。まるでとれていない整合性。そして持論はそれが完璧に間違っていても改めようとしない頑なさ。そんな人間がトップに立ったらこの国はどうなるの、ってところで流石に誰もが感じて選びはしないだろうとは思うけど、普通の人はそこまで考えずテレビに出ている有名人ならと選び投票してしまう。その結果が市長という職責の付与であり、他様々な人間の国会行きだったりするからなあ。困った困った。参院選、いったいどうなるんだろう。その先の日本、どうなってしまうんだろう。


【5月15日】 第二次世界大戦時において日本軍が従軍慰安婦を擁したかどうかっていった問題に対する認識をめぐるぶつかり合いと、それが当時の常識においてどれくらい是だったか非だったかという認識をめぐるぶつかり合いは過去から続いていて、今なお騒がれていて、未来においてもやっぱり侃々諤々と論議がめぐらされることになりそうだけれど、それが国内においてどれだけ取りざたされようと、あるいは国際社会においてどれだけ眉を潜められようとも関係ないのが、「風俗に行け」と日本の政治かに言われた米軍の気持ち。軍の機関紙として古くから米軍の活躍やら問題やらを書き記してきたスターズアントストライプス紙は、「大阪市長曰く『野卑な海兵隊員には風俗に行くことをお勧めする』」ってな感じにも読める見出しでもって、橋下徹大阪市長が沖縄で米軍の司令に向かって言った言葉を取り上げ紹介しつつその可否について論じてる。

 身の下について「ご近所で抜かせましょうか」と言われたに等しい言葉に対して、中指押っ立てられて「大きなお世話だすっこんでろ!」と激昂の下に斬って捨てられなかったのは相手にまだまだ理性があってのことだろうけど、内心ではやっぱり思うところもあったからこそのああした見出しになったんだろうなあ、それを読んだ米軍の兵隊さんたちがいったい何を思うかって考えて。そりゃあ自分たちが神父さんみたく性に清廉潔白だとは思ってないだろうけど、それを内に秘めて外には格好いいところを見せたいってのが男性に限らず人間の習い性ってもの。それを無関係な奴が出てきてぶっ叩きひっぺがして、ドロドロとした内心をぶちまけようとして来たんだから腹も立つ。本来だったらその場で叩きのめされたって不思議じゃない。司令であっても軍人なんだからタレント弁護士上がりの市長なんて指先ひとつでノックアウトされたかも。

 けどそこで腹立ちを爆発させれば相手の土俵に上がったことになてしまう。だから米軍における秩序維持のための決まり事を書き記し、そして基地周辺にある性風俗が決して“健全”なものばかりでないことも説明して、だから自らを律しているんだと書いて世界に理解を求め、日本の言い分に自重を求めた。そこまで自分たちの立場を説明しているにも関わらず、さらに「兵士の性をどのようにコントロールするか。それはいつの時代にあっても軍のオペレーションとしての最重要課題」だなんてツイートに書いて、内に身を引き締めようとする方針では足りないってな感じなことを言ってのけたんだから恐れ入る。そんなに兵隊はワイルドだと言いたいのか。野獣だと思っているのか。だったら自衛隊にもそれを言えばいいのに。言わないよなあ。言えるはずないよなあ。

 ってか性衝動のコントロールが必要なのは兵隊さんに限らず、人が集まるどこ現場でも当てはまること。むしろ「政治家の性をどのようにコントロールするか。それはいつの時代にあっても政治家のオペレーションとしての最重要課題。だから市長に就任したときにもう少ししっかりとやろうと自分に言ったんだ。法律上認められているコスプレ風俗を活用してはと思って行ったら妻にばれた。売春じゃないんだけどね」って書くべきだったんだよ市長は、実際にそういう“事件”を起こしてたんだから。あるいは「学生の性をどのようにコントロールするか。それはいつの時代にあっても学校のオペレーションとしての最重要課題。だから大阪の高校を訪問したときにもう少ししっかりとやって欲しいと校長に言ったんだ。法律上認められているオナニーを毎朝義務化してはどうかと言ったら頷かれた。合法だしね」とか。

 ほかにも「女子校の性をどのようにコントロールするか。それはいつの時代にあっても百合のオペレーションとしての最重要課題。だから百合漫画の編集部を訪問した時にもう少ししっかり描いて欲しいと編集長に言ったんだ。法律上認められているズイキを活用してはどうかと言ったら拒否された。出し入れはなしだと」とか、「男子校の性をどのようにコントロールするか。それはいつの時代にあってもBLのオペレーションとしての最重要課題。だからBL小説編集部を訪問したときにもう少しみっちり描いて欲しいと編集長に言ったんだ。法律上認められているアナルビーズを活用してはどうかと言ったら拒否された。まだ青い学生には早いからと」とか、言い様はいろいろあるけれどもまあ、これも余計なお世話か。ともあれ矛先を向けるべき相手は国内にいくらだってあるのに、よりにもよって他国の軍隊を侮辱し尊厳を誹ってみせたことを世界は絶対に忘れないだろう。従軍慰安婦の認識でいくら内向けに釈明したところで、星条旗新聞から広まった日本人が自分たちを野獣に等しい存在だと見ているんだという認識を、ひっくり返せなければ国益は大きく損なわれる。どうするかなあ。どうもしないか。

 手が小さいなあ、「あいうら」のキャラクターってばそういう風に描かれているけれど、それでおさまるバランスってのがあるようであまり不思議に感じない。秘密は頭の大きさか。しかしやっぱり試験の勉強に集まっても誰1人として勉強をしない3人組。ひとりの家に行ったけれどもなぜか弟の部屋でジェンガとかしていてどういう訳かと当人の部屋をのぞいた同級生が突っ込まず無言で弟に部屋を借りる了解を求めているあたりにとてつもない秘密がありそう。マンボウが死んでいるとか。この場合はカニかなにかか。というか今もって何でカニなのかって説明がないんだよこの作品。オープニングであれだけ連呼されているのに。マルハとかニッスイとかからお金でも出ているのか、プロダクトプレースメントか、そんな節もないけれど、うーん。分かったのはだからスベスベマンジュウガニは食べちゃだめってことくらい。どんな形してたっけスベスベマンジュウガニ。

 「そなえよつねに」ってのはボーイスカウトの心がけの大きなもので、だから現役だった時もキャンプでなくてもリュックにロープやナイフやらを入れて歩いてたりしたんだけれど、昨今の取り締まりも厳しい時代だと昔みたいに刃渡りが10センチ以上はあるサバイバルナイフなんてものじゃないハンティングナイフを持ち歩いていたら、お巡りさんに捕まってしまって誰1人として集会に来られなくなってしまうかも。かといってテープでグルグル巻きにしてカバンの奥に放り込んでいてはいざって時に取り出せないし使えない。まあそういう緊急ってのが山に入って熊とか狼に出会うとかいった場合でなければ実際問題なかったりするから、テープぐるぐる巻きも仕方がないのかもしれないって、そんな昨今のボーイスカウト的な状況をなぜか鷹見一幸さんの「召還主は家出猫」(角川スニーカー文庫)から教わった。

 主人公の少年はボーイスカウト経験者で高校ではサバイバル部を作っていざというときに供えて道具を揃えたり心構えをしたりする学校生活を送っている。友人がいてその妹とも中が良かったけれどもなぜか家から失踪してしまって行方不明。カレーパンが大好きだった彼女のために兄はカレーパン断ちまでしているくらいだったんだけれど、そんな水沢瀬理奈という少女と主人公はなぜか突然の再開を果たす。自転車で走っていた時、気がつくと自分が今まで居たのとは違う世界にいてそこで巨大な恐竜めいたものが暴れている姿を目撃する。さらに終われていた3人の少女たちの中に2年前に失踪した瀬理奈がいた。どうやら現世でもずっと凝っていた魔法の技術が発達して、異世界へとやって来てしまいそこでとてつもない魔法を発揮して尊敬を集めると同時に、他国から狙われる存在になっていたらしい。

 鉄が周囲にあるとどうも魔法が使えなくなるようで、ピンチにあった3人を少年は自転車にいっしょに乗せて運び竜を振り切り、そして襲ってきた敵国の人間も捕まえては本国へと凱旋する。そこで聞いた瀬理奈の状況。居場所の無さに悩んで落ち込んでやって来たこちらの世界で活躍している彼女を家族や自分を悲しませたことについては非難しつつ、それでも頑張ってこちらの世界で活躍している姿を誉めてそして召還した瀬理奈のために、彼女が所属する国と敵対する国との戦いに参加することになる。すでにとてつもない力を持て居ると知られ、対策も講じられた瀬理奈がそれでも活躍できるように作戦を練って数万もの敵をまず撃破。けれどもそこにとてつもない兵器が現れて以下次巻ってなっていて、敵国にいったい誰がいて何を作っているのかって興味をそそられる。異世界に来ても冷静で状況を飲み込み的確に動いて居場所を得ていく少年の大人ぶりに感嘆。これこそがボーイスカウト的な「そなえよつねに」の精神の具現なのだ。自分が異世界に召還される時を思って皆も学ぼう、「そなえよつねに」の精神を。

 噂を聞きつけ銀座でやってる諸星大二郎さんの展覧会に行ったら昨日はまだ見あたらなかったサイン入りの画集が積んであったんで1冊所望。開くと展示してある作品以外にも「陋巷に在り」とか「栞と紙魚子」とかの絵が掲載されていてあの独特のフォルムと色使いを手元でじっくりと見ることができた。胸とかもろに出ている絵もあるんだけれど不思議とエロくないというかエロいんだけれど煩悩とはまた違った神々しい官能、あるいは原初的な崇拝があるというか不思議な絵。そうす「暗黒神話」も1枚あったけれども1988年に出た単行本か文庫本かの表紙に使われていた奴で1976年に連載されてた当時とかの絵とはちょっと違ってた。当時のあの線ってのもまた独特だったからなあ。ともあれ貴重な展覧会にして貴重すぎるサイン入り画集。宝にしたい。けど部屋のどこかに埋もれるんだ遠からず。


【5月14日】 それはだから建前に対する本音というより礼儀に対する失礼というか、もはや無礼の域にまで達していたりする橋下徹大阪市長の沖縄駐留米軍に対する、性欲処理に向けての地元風俗利用アピール。それは大の男たちに面と向かって「お前ら溜まってんだろ」と言ったに等しいことであり、日頃から節制を旨として自分を律してきたプライドのある多くの米兵にとっては侮辱されたにも等しい暴言と取られるだろう。性犯罪が起きるのは何も軍隊に限った話ではなくって学校でだって会社でだって社会の中のどこにだって起き得ること。その抑制を狙って社会に向けて「風俗に行け」と大っぴらによびかける人間が真っ当な社会人と言えるかどうか。普通は言えないよなあ、生徒に向かって「毎朝ちゃんとオナニーしたか」って訓辞する校長先生とか、いたら普通はクビだよなあ。

 ましてや政治家は率先して法を守るのがひとつの役目で、それ以上に人間としてのモラルにも敏感でなければならないのに、まるで反対にモラルより欲望を先んじてみせるその態度を、世界が見たらいったい日本人はどれだけ蛮人なのかと思うんじゃなかろーか。日本の兵隊さんは常に性欲を滾らせているもので、それをそらすような自分を律するための強い心も何も持っていない存在だって思われたりして。あるいはすでに思われているのか。自衛隊も海外に行ったら大変だろうなあ、下半身の面倒見られるかって現地の人から言われてお世話するぞって紹介されて。それでハイハイなんて行った日には何て思われるのか。恥ずかしいなあ。心頭滅却して食わないままに高楊枝な武士道の国ってもう、誰も思ってくれなくなるよなあ。

 フジテレビが1980年代から得意としてきた、映画をテレビ局の独自コンテンツとして作りテレビを利用して広く宣伝して大きく興行収入を稼ぎつつ、テレビ放送の時にも視聴率を稼ぐ手法は「南極物語」で制作デスクを務めた河井真也さんが後を引き継ぎ、ホイチョイプロダクションの映画なんかをプロデュースして大きく育てて世に広めた感があるし、「踊る大捜査線」のような人気番組を世に送り出して大ヒットさせた背景では、「美少女仮面ポワトリン」やら「不思議少女 ナイルなトトメス」やらを企画していたことでも知られる石原隆さんの存在を抜きにして語れなかったりするんだけれど現実、そうしたさまざまな人たちの積み上げを束ねつつ拾いつつ、大きく世の中に広めていった成果は「南極物語」では噂だとタロとジロのお世話係をしていたという亀山千広さんがまとめて持っていってしまった感じ。それをバックに常務の地位へと上り詰めてそしていよいよフジテレビジョンの社長という段にまで来てしまった。すごいなあ。

 同じ頃に常務に昇格していた人には、1980年代据えから90年代のトレンディドラマを一手に引き受けプロデュースして爆発的なヒットを呼んで、フジテレビのバラエティ大爆発時代から続いていた視聴率3冠を強固なものにした上に、時代の空気感さえ作った大多亮さんもいたりして、はたしてどっちが社長になんて話はもうしばらく前から取りざたされてはいたんだけれども見たところ、やっぱり本流のドラマを歩んだ大多さんの方に優勢かなあなんて目もあって、いくらヒットを飛ばしたところで映画はテレビ局にとっての課外授業みたいなものって雰囲気が、体質とともにあるのかなあなんて思ってた。とはいえ時代は大きく変わって、テレビ番組でヒットを飛ばせるようなものが作りづらくなっていた2000年代からさらに2010年代に入って、フジテレビって局が持つアドバンテージみたいなものが大きく下がって視聴率は2位から3位、時には4位なんて時間も招いたりしたその責任を、一身に押しつけられる形になってしまった。

 大多さんが最前線に立って指揮していた時代とはもはや大きく変わってしまった現在に、大多さんが持っていた感性がズレていたのかそれとも今をとらえてそれにチューニングするだけの勘も鈍っていて、もはや手も足も出なかったのか、あるいはそれをやりたいと思ってもお金がないとか大多さん以上に昔を引きずっているとかいった感じに、局の側に事情があってその凝り固まった状況を、大多さんをしても変えられなかったのか。分からないけれどもひとつの頂点を極めるレースは後から来て追い抜いていった感じに亀山さんがまず勝利。とはいえ前とは違って映画が当たらなくなっていて、そこにも何かズレみたいなものが見え隠れ。美味しいところは日本テレビ放送網が持っていき、スタジオジブリに細田守監督という2つの巨大なコンテンツも抱えてあとはひたすら突っ走るのみって状態を保っている。

 フジテレビだとちょっと前に「テルマエ・ロマエ」のヒットがあってもそれだけでは。「海猿」は漫画の佐藤秀峰さんから激しい勢いで怒られていながらそれに対する改善が見られずもうきっと作られることはなさそうだし、アニメーションも「ホッタラケの島」とか作ってはいたけれども細田作品ジブリ作品に並ぶ様な大きな幹になっているというとこれがどうにも。せっかく「ノイタミナ」って新しいアニメーションを育て送り出す窓を持ちながらもそこから出てきた作品が映画になってヒットするって感じにもちょっと乏しいんだよなあ、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の劇場版はどういう座組になっているんだろう、でも「サマーウォーズ」や「おおかみこどもの雨と雪」みたいにはならないか、うーん。だったら一体どうするか。何をするのか。期待しつつも冷静に、その振る舞いを見ていこう。しかし会長は留まるんだなあ、若返りったてその会長が社長になった50歳より上なんだよなあ、亀山さん。それだけは不思議。

 「イブニング」では「オールラウンダー廻」がお風呂回。長身ながらも胸にハンディキャップを抱える神谷真希の懊悩をよそに、堂々と胸をさらけ出してはその巨大さを見せつけた延岡薫が湯船で水に浮くところを見せてまず先勝、そして宴会で酔っぱらってか近寄ってきた廻の手を取り胸に推し当てただの脂肪だと言ってのけ、なおかつ引き寄せ顔を谷間に埋めさせては真希を焦らせ切れさせる。薫にとっては酔った勢いで後になってまるで覚えてないことでも、飲んでない廻にとってはリアルタイムで進む幸せ。酔わずともきっとのぼせ上がってしまっただろうなあ、でも確かに薫も大きいけれど長身でそして決して出てない訳じゃない真希もあれでなかなかのものじゃないか。どうして惹かれないんだろう。そこが男の煩悩って奴で。「CAPTAINアリス」は最終回でカナダ行き。お幸せに。「敗走記」は殺伐としているけれどもあの状況ではって話。それを紹介はしても肯定はできない現在を認識しないと間違うんだよ、某市長みたく。

 禁書目録さんが出てこないんですけど「新約とある魔術の禁書目録7」(電撃文庫)。おまけに冒頭から上条当麻さんが女子高なんかのある地域へと放り込まれて逃げまどうというドタバタ展開になっていてストーリーに詰まってラブコメに走らせでもしたのか鎌池和馬さんはと思ってページを繰ったらいきなりとんでもない事態が起きていた。そして怒り狂ったように土御門元春が走り回って暴れ回った先で雲川芹亜まで現れたりしてそのGカップをさらすでもなく目玉をえぐり出されたりして大変な目に。そして現れた上条当麻が学園都市を端って辿り着いた先にあったものは? って感じに進むんだけれどこれっていったいどこに向かっているんだろう、神の右席をぶっ倒せばひとまず終わりだった以前とは様変わりして先が見えないこの展開のどこに感情を入れて呼んでいけば良いのやら。禁書目録さんも出ないしなあ。神裂火織もどこで何をしているのやら。まあでも代わりに食蜂操祈とか出てきたし、キャラも増えてドタバタは続きそう。そんな先にあるもなんて知らなくたって別に良い。今この瞬間のドタバタを楽しもう。

 銀座で諸星大二郎さんが展覧会をやっているってんで見に行ったら「栞と紙魚子」のシリーズの表紙絵なんかが並んでいてとても可愛らしかった。いやまあ諸星さんの絵なんで眼鏡っ娘でも美少女って感じじゃないけれど、持てる知性とそして勇気を振り絞って怪物たちと戦う少女たちは総じて美しいものなのだ、なんつって。諸星さんといえばやっぱり「暗黒神話」が大好きで「週刊少年ジャンプ」の連載を呼んで単行本も買ったくらいに好きで今なお石舞台と岩舟には謎があるんだと思い込んでいるんだけれど実際の所はどうなんだ。一度くらいは見ておきたいなあ、奈良に行って。でも会場には「暗黒神話」の絵はなし。それが残念。「陋巷に在り」の表紙は並んでいたけどやっぱり好きなのかな、原作の面白さが作家にも何か影響を与えていたとか、その理由とか聞いてみたいもの。あとは「妖怪ハンター」か。まだしばらくやっているんでファンの人は行くよろし。


【5月13日】 ふと気がついたらボスニアリーグでアマル・オシム監督が率いるジェリズニチャルかリーグを優勝していたみたいでこれで2年連続でボスニアに帰還して4シーズンで3回の優勝というもはや名監督の域に達してしまった感じ。優勝できなかった年もカップ戦では優勝しているし今シーズンはそのカップ戦も決勝に残っていて2冠の可能性があったりする。ボスニアリーグが世界的なリーグのランキングで果たして日本のJ2に並んでいるのかそれ以下か、J1に近いのかどうなのか分からないけれども決してサッカーがマイナーではない国のトップリーグで、FKサラエヴォっていうユーゴスラビアがあった時代から残る名門チームもライバルとして存在している中で連覇を成し遂げ優勝回数を重ねていくのはやっぱりすごい。その指導力があればあるいはジェフユナイテッド市原・千葉も2部になんか落ちなかったのに……って考えても詮無い話だけれどでも、ここまで名監督ならやっぱり今一度、日本に帰ってきて欲しい気も。そして柏レイソルを率いるんだ。あじゃぱ。

 気がつくと東京都内の上映はTOHOシネマズ六本木での1日1回になってしまった村上隆監督の「めめめのくらげ」。あれだけ各紙にインタビュー記事も出てテレビにも結構登場していたのに広まらないのはやっぱり直前ではなくしばらく前からジワジワとその存在を知らせていく必要が映画にはあって、それが完成のギリギリぶりもあって間に合わなかったのかもしれないなあ。あとは村上さんってことでアートな作品を想像して敬遠した人がいたのかも。でも見ればわかるように主題は津波で父親を亡くし学校でもどこか疎外されている少年が立ち直り立ち上がりクラスのみんなも巻きこんで成長していくってストーリー。そこに相棒となるキャラクターとか絡んで子供が見れば結構楽しめるような内容になっている。というか子ども向けだろほとんどが。そういう層に伝わらないとやっぱり難しいんだよなあ、アニメ映画にしてもポケモンにコナンにしんちゃんにプリキュアばかりが賑わってオリジナルが壊滅って状況だし。

 あとやっぱりおたく的なガジェットもシーンも山ほどあるのに伝わっていないって部分か。KO2ちゃんなんてCGキャラクターなのによく動いてパンツとか見せてくれておまけに声が桑島法子さん。もうどストライクなのにそういう話題がなかなか上がってこない。というか知られてないんだほとんどまったく。スクール水着があって女子更衣室もあってとフックはいっぱいあるのに、それがむき出しになってなければだれも引っかからない。せめてあと2週間、あればそうしたフックを広められたのになあ。まあいいまだやっているからもう1度、見てきてスク水に萌え女子更衣室に萌えKO2ちゃんのパンチラに萌えてこよう。ほんとすごいんだKO2ちゃんの格闘シーンとか。

 あと映画では、プールに臆して入らない少年が落とされるシーンは、水に父親を奪われ夢にまで津波が出てくるくらいのトラウマになっているものを、安易に乗り越えさせ過ぎって見る人もいたりするけど、その一方で子供はキツい出来事であっても長くは引きずらず、柔軟に前向きにすべてを飲み込み乗り越えていくものなのだと見ることもできない訳じゃない。いろいろ解釈の幅はありそうだけれど、そこであっさり行かせる道を選んだことで、ひとつのことに囚われたまま、ずっと身動きがとれなくなってしまう人がいるってことを強烈に映画で再確認させるんじゃなく、葛藤や萎縮に向かわないで前へ上へと進んでいく軽やかさを感じさせられたんじゃかなろーか。何より飽きずに最後まで見られるのは良い映画だったという証拠。「めめめのくらげ」を見てその持っているさまざまなフックを感じ取り、メッセージを味わってみてはいかが。とはいえやっぱり上映が。せめてレイトショーとかあればなあ。

 神楽坂にあるeitoeikoって画廊から届いた案内に書いてあった「フットボール・エクササイズ」って新しい展覧会の概要だけ聞くとちょっと面白そう。「テルスターと呼ばれる白黒サッカーボールの発明とミニマリスムの登場が重なった60年代をヒントに」っていった惹句からモノトーンの作品なんかを転じするみたいでそれがいったいどんな作品となっているのか、「画布に姿を借りた正方形の闘技場でくり広げられる、創造と破壊の円環を織りなす飽くなきオウガバトル」ってな感じの文章からじゃあまるで分からないところがちょっと良い。最初っからそれと分かっている作品より何だこれって見て驚いて、そして意味とかを考えてそれでも分からないけど何か良いじゃんって思う方がいっぱい楽しめて嬉しいから。

 参加しているのはVOCA展に作品が並んでいたらしい江川純太さんにGil Kunoさんって人に内山聡さんんいニッポリーニさんの4人。このうち名前をどこかで見たことがあるのって江川さんくらいかなあ、他はどういうのを作っているのかすら知らないけれども、それもまた新たな何かを知る面白さがありそう。期間は18日から6月15日まで。東西線の神楽坂駅から新潮社のある通りを上って裏手に入った住宅街に画廊はあるんで、時間を見繕ってのぞいてこよう。しかし最近のサッカーボールって球を追求しなおかつ空気抵抗にも配慮して、継ぎ目をどんどんと無くしていて、もう20面の白黒のサッカーボールってあんまり作られてないし、ゲームでも使われてないんだよなあ。それが持つモノトーンで先鋭的ながら、過去のものという意味合いから滲む懐かしさって奴が作品とかから感じられるのかなあ。それも楽しみ。

 平服っていうのは「平清盛」で平氏が来ていたような服のことだっけどうだっけ。分からないからネットで調べて白いシャツに黒いネクタイならスーツの色があんまり黒くなくても大丈夫そうだったんで、白いシャツを買い黒いネクタイも仕入れて身繕いをしてセルリアン東急で開かれていたヤマグチノボルさんのお別れの回に行って献花してくる。広い会場でまだ時間も早かったからなのか人もそれほどはおらずじっくりと祭壇の上に飾られた顔を見て、それから周囲に飾られた書籍の表紙絵なんかを見てこういう人がこういう話を書いていたんだと改めて思い偲ぶ。もちろん面識はないしネット上の交流もなくただの読者でしかなかったけれど、それでもやっぱり読んでいろいろ得られたものは多くある。そのことへの感謝を献花して手を合わせて捧げてきた。脇には各人からのメッセージ。それぞれに強い想いがしたためてあって慕われ悼まれていたんだなあとこれも改めて思う。新しいものはもう読めないけれど、書かれたものがたくさんある。それを受け継いでいくことが僕たちの役目、なのだろう。だからどれも絶版にはしないでね。

 12巻まで来てこれで終わる可能性も感じていたけれど、続いてくれてそれも嬉しい続き方になっていて良かった鷹見一幸さんによる「ご主人様は山猫姫」(電撃文庫)。ついに南から責め上がってきた承安軍を撃退し、皇帝を奉じて都へと入って全権を掌握した北域王の青凛や伏龍たち。そこで2人を超信頼して白紙委任状を渡す皇帝の凄まじくも素晴らしい聡明さに頭が下がったけれど、そんな皇帝ですら自在にならない悪が都には巣くっていてそれをどういんかしないことには立ちゆかないし、仮にその場はしのいでもいずれ悪さを仕掛けてくる、ってことで伏龍が立ち上がって仕組んだその計画とは。自らが似たような感じになる可能性をも踏まえて身を処断するその覚悟、聡明すぎる皇帝の姿に打たれ自分も何かしなくちゃと思ったからなのかもしれないなあ。一方でライバルだった沢樹は承安から逃亡の途中に奴隷の少女共々海へとドボン。でもそこで悪は滅びたとしたくないからこその続行で、彼がいったいどうなって、そして何を目指して来るのかって辺りをこれからの展開で楽しみたい。良い奴になってくれると嬉しいんだけれど、果たして。


【5月12日】 だからエロムはその手をやめろ。なんてことを太一が言えるかというとその手で作ったお椀がいったい何を意味するものなのか、分からないからただの不思議な行動だって思ったかもしれないテレビアニメーション「ちはやふる2」における瑞沢と富士崎の競技かるた高校選手権団体決勝戦。もちろんエロムのその手は桜沢翠センセイのFカップとやらを想定しての動きなんだけれど、座っているところを見る限り翠ちゃん、そんなに巨大に見えないんだよなあ。やっぱり大江奏ちゃんのが巨大過ぎるからなのか。でも隣に座ったクイーンと比べると大きさは一目瞭然。それがたとえ20年もの年の差だとしても、奏ちゃんという同年代の巨大な見本もあったりするから一概には年の差とはいえない。だったら何の差か。だからそれを考えるアニメじゃないんだってば、「ちはやふる2」は。

 じゃあ何を考えるアニメかっていうと、もちろん競技かるたの奥深さについて考えるアニメってことで、耳が良く読手のおばあちゃんの言葉を細かいニュアンスまで聞き分けられる山城理音選手がリードしていたと思ったけれど、気を入れ直した千早が攻めて攻め抜く気持ちを取り戻して、一気に差を詰めていく感じ。机くんと兄ちゃんは負けてしまったけれど、西田は相変わらずの勝負に関する知識の豊富さでこれから差を詰めていくだろうし、太一も翠ちゃんの胸が気になるエロムを相手に持ち前の冷静さを取り戻し、ここからの逆転が始まるのだ、っていうのはすでに連載でも明らかなこと。誰もが知ってる結論だけれど、それを分かって見逃せないように組み立てていく情動の流れの作り方、見せ場の出し方が巧いんだよなあ、このアニメ。漫画原作で地味な競技かるたをアニメにして楽しめるものにする技術の詰まった1作。アニメを目指す人は見て損なし。見てるだろうけど当然に。

 なんか東京タワーの下にある樺太犬のタロとかジロとかの像が、東京五輪招致をPRする花壇に作り替えられるんで即座に出て行かなくちゃならないなんて話が飛んでいたんで記事を見たら、なるほどそんな感じに東京五輪招致の花壇を作ることになったから南極観測隊にくっついていって現地に置き去りにされた15頭の樺太犬を偲んでつくられた像は5月15日にも撤去することになったって話が載っていた。これじゃあただでさえ居丈高で評判のわるい東京五輪の招致委員会に、怒りの矛先が向くよなあと思って書いた記者の人のツイートとか調べたら、どうやら話の順序が違っているようで、一概に招致委だけを責めることは出来なさそう、っていうか半ばとばっちり? かもしれないんでちょっと身を半歩ほど引き考えた。

 東京新聞なんかも後追いで記事を出していたのを読むと、どうやら樺太犬の像の撤去ってのは、東京タワーの改装めいたものが計画されて去年あたりから言われていたことらしい。そこに東京五輪の招致に協力する意味合いもあって、そのシンボルマークがデザインされた花壇なんかを作るって話が浮上して、開催地決定まで100日っていう時期を目指して花壇が作られることになって、それで急ぎ撤去してくれって話になったんだけれど、どうも招致委員会のマークがそのまま使えるようではなく、作られるのはただの花壇になりそうって展開に落ち着いていた。ってことは別に急ぎ移転する必要もないんじゃないの? って思うけれどもきっと工事の手配も済んでお金も動いていたりして、止めるに止められない段階に来ていたりするんだろう。そういうものだ、お役所仕事って。東京タワーは役所じゃないけど。

 想像するなら東京五輪の招致に便乗しようとした東京タワーの勇み足? に見えないこともないけれど、それをどこからも言われずに積極的に動くこともあるかというと、あるともないとも言えないだけに、招致委の側とやっても良いかい良いんじゃね的なやりとりがあって、動いてたけど騒動になりかかったんで招致委側がオレ知らねって脇を向いたかどうかなんって、想像もふわりと浮かんでしまう。これまたお役所仕事っぽいし。どっちにしても今のままなら樺太犬の像は撤去されて行き場を失う状況。全国的にはタロとジロの生き残って帰ってきた話が広く伝わっているけれど、15頭が均等に並ぶ東京タワーの下にある碑はむしろ現地に人間に都合で置き去りにされて、命を失わざるを得なかった樺太犬たちへの鎮魂のモニュメント。お墓であり国の科学の発展のために命を散らした犬にとっての靖国でもあったりする。それを急ぎ撤去ということになって愛国者たちは何を思う? そうでなくても心があればやっぱり不思議と思うもの。そして五輪の開催地を決める人たちには心がある。そこに棹さすような好意はだから、今は慎むべきなんじゃないのかなあ。

 せっかくだからと撤去されるかもしれないその前に見ておこうと東京タワーへと行ったら、知ってか知らずか大勢の人が来て像の前で記念写真をとっていた。御成門なり芝公園なりから歩いて東京タワーにやって来た人が真っ先に目に入るのは実はこの像。そして見上げると、東京タワーがあるロケーションは子供連れの人たちが記念撮影をするのに絶好のスポットになっている。樺太犬の悲劇は知らなくても、タロとジロの帰還の感動は知っているし、それも知らなくても、可愛いワンちゃんたちの像として子供の受けは悪くない。目的とはなっていなくても必要なものであってしかるべきだと見れば分かるのに、それを不要と判断したのは、不要と判断したい気持ちがきっと判断する側にあったからなんだろうなあ、その代わりに何を起きたいかという意図も。そこの思考のめぐらせ方が知りたい。50年も経っていらないという結論に至ったその思考のめぐらせ方を。

 と、そんな東京タワー見物をする前に秋葉原方面を散策して神田まつりを見物。メイドさんがビラを配っているその周りに、ふんどししめた男衆とか法被を着たお年寄りとかいたりする光景を、観光に来た外国人は何と思ったかちょっと知りたい。それが日本だと思ったかな。でもって担がれている御輿をいったい何だと思ったのかな。ホワッツダット? ダッツイズ……ゴッドライド? って疑問系なのは何でだ。いや英語で御輿を何というか知らないし。でもってアーツ千代田3331に寄って若いアニメーション作家が集うANIME SAKKA ZAKKAの展覧会最終日を見物。キムハケンさんの作品で大友龍三郎さんが1人で様々な声をあてている「MAZE KING」をもう1度じっくりと見る。そうか男に女の子にゲイにガイだけじゃなくって犬も当てていたのか。多彩だなあ。というかよく頼んでやってもらったものだ。せっかくだからと小谷野萌さんの作品が入ったDVDを購入。水江未来さんのゴールデンヂャケットがかかってなかったんで尋ねたら故障していたとか。あとで直して出したみたいでひと安心。あれはいずれ「WONDER」で獲得したアカデミー賞授賞式に着ていくものだから。うん。

 世界遺産を見た。違った世界遺産を名前に関したシンガーを見た。けどそこでは村上“ポンタ”秀一さんとそして斉藤ノブさんという日本のドラム界とパーカッション界を雲の高みへと引っ張り上げて降ろさない2人がセッションバトルするという音楽的に世界遺産級の出来事が繰り広げられたのだからまさしく世界遺産を見たって言って言い過ぎじゃない。なおかつギターは松原正樹さんだ。すげえなあ。そんなすげえ面々をバックに従えて歌えるっていう幸せを一方に、プレッシャーにならないんだろうかとも思えるえれどもそれを越えていくだけのパワーと、そして何よりパワフルな歌声を持っているんだろう。ジャンクフジヤマ。そのライブが東京はSHIBUYA−AXであったんで見物に行く。最前列。間近でみられてうれしいかっていわれれば、アイドルでもなく美少女でもないカーリーヘアを延ばした眼鏡のおっさんでしかないジャンクフジヤさんだけれど、その体から発せられる声を間近で聞けること、そしてポンタさんのドラミングを目の前で見られることに優る音楽体験ってそうはない。だから最前列。とても良かった。ちょっと恥ずかしかったけど。

 CDはだいたい聞いているんで流れる音楽はほとんど知ってていっしょに口パクくらい出来るほど。中でも東芝のエレベーターのCMに使われて東京スカイツリーの開業に絡めてよく流されていた「あの空のむこうがわへ」はやっぱり代表となる曲らしくってアンコール前の本編が終了する最後にきちんとやってくれて盛り上がった。やっぱり良い曲。そして巧い歌。歌が巧いってのは何より重要だよなあ、ライブで聞く上で。ほかの曲だと女性シンガーとかけあ8「122」だっけ、これがまた気持ち良い。CDに入っているライブバージョンが好きなんだけれどそれを目の前で再現してくれた。あと「シェダル」にカップリングの「魅惑の唇」も最高。ほかにも……って語り始めれば切りがないくらいにどれもがジャンクフジヤマな世界をそこに形作って聞く人の耳を捉えている。

 なるほど声質が山下達郎さんっぽくって、そしてサウンドの作りも達郎さんに近づけているところがあるように聞こえないでもないけれど、それでも達郎さんとはまた違った声の太さがあり張りもあり、そして何より達郎さんにだって負けてない音楽への健気さがある。それがあればたとえいろいろ言われたって、本人の力とそしてその歌声でどこまでだって突き抜けていけるんじゃなかろーか、それこそあの空のむこうがわへだって。近くにまた東芝のCMに使われる曲があるそうで、そしてテレビ東京の番組のエンディングをやるって言ってたから、着実にメジャーへのステップを上がっているって言えそう。その勢いで紅白歌合戦も、って思うけれどもそれよりやっぱり今のライブの規模をあげることかな、目指せ渋谷公会堂、そしてNHKホール。その日は決して遠くない、と思いたい。


【5月11日】 何か薄いかなあって思ったら700ページしかなかったよ、川上稔さんの「境界線上のホライゾン6<上>」(電撃文庫)は。いやいや700ページなら立派以上に今月のライトノベルで最長なんだけれども、普段から800ページとか多いと1000ページすら越えてくるホライゾンにとって700ページは標準以下。手に取ってなんだ片手で持てるじゃんと買った人は思い、書店員は何だカバーかけられるじゃんと思ってそのいつにない薄さ軽さを実感したんじゃなかろーか。とはいえやっぱり700ページのボリュームには新たな展開がギッシリと詰まっていて、読み終えるまでには数時間は覚悟。とりわけ今回は言葉を使ってやりとりする部分が多くって、ドカンとかズドンとかいった派手な戦闘の勝敗だけを追って読むようなことが出来ないからなおいっそう、読み終えるまでに時間がかかる。

 もうそれこそ丁々発止のやりとりで、相手の言葉の不備をつかまえ逆転に持っていくような展開もあるから、それを読み逃したらまるで意味がない。まずは冒頭からトーリとホライゾンが止まっている天幕に、いっしょに浅間とミトツダイラと喜美がいたりすることを、使節としてやってきたミトツダイラの母親にどうやって知られないようにするかって話があって、けれども向こうは頭も回れば勘も鋭くごまかそうとするミトツダイラの言葉を捉えて、裏側にある何かを暴こうと攻めてくる。一方で六護式仏蘭西の名代としての立場から今後について話し合う時に、本多・正純とのやりとりの裏をかき上をいこうとするから気が抜けない。戦えば圧倒的な戦力にもなるミトツダイラの母親を相手に、よくもまあ若い武蔵の要人たちが互角の勝負をしているもんだと恐れ入る。だからここまで生き延びてこられたんだろうけれど。

 それで終わらず1巻の終わりにかけては、そこに毛利・輝元が来て北条・氏直も入って協力するか戦争するかって話し合いがもたれている。虚栄でヤンキーな毛利・輝元の背伸びしたように強気で攻めてくる態度には胸がキュンとするものがあるけれど、そうした攻めへの受けを間違えれば戦争の、それも武蔵にとって不利な戦争へといたるところをどうにしのぎかわしていくか、ってあたりの展開がまたスリリング。それ以前にも白鷺城を落とされた織田の重臣、滝川一益が最後の見せ場となる戦いを前にして、真田十勇士の筧・十三らと相手にやりとりする場面も、双方に後がない状態でそれでも精一杯に自分を見せようとしてぶつかり合うなかで、合一できる部分を求めていく流れが読んでいていろいろと勉強になる。交渉ってのはこうすれば良いんだって。

 そんな意味ある言葉のやりとりも楽しめれば、ノリキがいよいよ動き出す決意も読めるし豊臣の十本槍にいるキメちゃんとアンジーの凄さとか、新たに現れた蜂須賀・小六の戦いぶりとかも見られてキャラ的に広がりが出てきた。口絵ではキメちゃんとアンジーの水着とかもみられてドカンだったりスラリだったりと武蔵のテクノヘクセンにも似たバランス。でもこっちは金が利口で黒が天然なんだよなあ、そこが逆か。いっしょに竹中・半兵衛も水着になっててこれもなかなかグラマラス。あれでどうして体が弱いのか。天才に見えて常にプレッシャーをかかえて胃が弱っているんだろうなあ。あとはやっぱり不破・光治のお尻か。いやあ丸い。そしてやわらかそうなそれを叩くなんて佐々・成正、贅沢過ぎるぜまったくもう。ともあれお楽しみもたっぷりで展開もドキドキな新章。続きはいつだ。それはいったい何ページだ。たとえ2000ページあったって読むし読み込む。だから安心して書いてくださいどこまでも。

   感じたところを書いておくなら、川口順子参院環境委員長が中国を訪問して要人が会ってくれそうだといって帰国を延ばして、参議院の委員会に出られなかったことをもってして、委員長を解任されなければなかったとはあまり思っていない。国会という場で委員会を開くチャンスはまだ先にあっても、中国の要人と会える機会はそれと比べてやっぱり少ないと考えるなら、見比べてそっちを選んで国会にはちょっとごめんなさいと謝っておけば、それは国会を軽視したことにはならないし、むしろ何らかのプラスアルファが得られたかもしれないと前向きに捉えておいた方が、ひいては日本という国のためになるんじゃなかろーか。そこで何も得られなかったとしても、会ってみなければ分からなかったこと。ならば会って何がいけない? そういうことだ。

 面倒くさいのは、そうした是々非々から判断している訳じゃなく、自民党の政治家がやることなすことすべてプラスととらえ崇め奉る一方で、民主党がやることなすことすべてポン酢と見なして非難し罵倒する口の多いこと。同じ事を鳩山由起夫元総理がやったらいったい何を言う? 現実に鳩山訪中に関して自民党とその支持者たちは口を極めて罵った。媚中だと。朝貢だと。ならば川口委員長はどうして媚中にならないのか。朝貢にならないのか。会ってくれそうもなかった人が会ってくれると言われて、そこに留まり国会の仕事をすっぽかす態度をまずは媚中の類を非難し、言いなりになっていると誹ってそれでもなお、得られたものがあったんだから良しとしようと段階を踏んで了解するなんてこともしないで、国益だなんて言葉を掲げられると、そうだ国益なんだ従わない奴らは非国民だ的な視線を浴びせ罵声を投げつけ非難する。なんてダブルスタンダード。

 分かる人はそうした二枚舌っぷりをとうの昔に感じているはずで、だから二枚舌しか見せられないメディアに対しては商業的に厳しい鉄槌が下されているのはまあ良いとして、それでも世間に散見される意見にやっぱり安倍ちゃんは正義、それ以外は悪だなんて二分論からすべてをとらえ、安倍ちゃん側に立つ川口委員長は正義、非難する野党は悪だなんてことを中身も見ないで吠えたてる。面白いのはそうやって崇め奉った安倍ちゃんから、TPP不参加という重要な梯子を外されそしてまた、村山談話見直しという梯子まで外されてなお安倍ちゃんにすがり、決して非難に回ろうとしないその不思議さ滑稽さ。世界が見たら何と思う? って世界はそこまで一般の動静になんか注意してない、たあ言ってそれをひっくり返す宰相の存在を「やれやれ」と思っているだけだろう。上を見下されてなお下はその上を持ち上げそして全体が見下されるというこの構図。よく耐えるよなあ。いつまで耐える気なんだろう。滅びるまで? カンベンしてくれ。

 せっかくなので東京国際フォーラムで梶浦由記さんの20周年記念も兼ねた1夜限りのライブ「Yuki Kajiura Live#10 Kaji Fes2013」を見せてもらった。3時間くらいかなあと思っていたら実に5時間。というか途中に20分の休憩を抜いても予定の演奏が終わった時点ですでに午後の8時となって、そこからアンコールを入れたら確実に5時間以上はやってたライブに、まずは演奏し続けたバンドの人とそれからやっぱり大半を一線で演奏ち続けた梶浦さんに喝采。よくもまあ続くもの。夏フェスとかアニソンのフェスだって長いっちゃあ長いけど、出る人が変わればバンドも替わるもので対してこちらは同じメンバーがずっと出ずっぱりになるからきっといろいろ大変だっただろう、トイレとかどうしようかとか。どうしたんだろ。

 さてライブ。まずは梶浦さんが見つけ育てて5年が経ったKalafinaから始まって幾つか知られた曲をやりつつ懐かしくも嬉しい「あんなに一緒だったのに」も唄ってくれてSeaSaw時代からのファンは大喜び。20周年ってことで石川智晶さんも混ぜて復活、なんて期待もあったけどそれはさすがになく、いつか見られる日があればとそちらに想いを繋いでおく。そして今のユニットとなるFICTION JUNCTIONとなって4人の歌姫が並んでみたり、YUUKAとして最初期のFICTION JUNCTIONのフロントを務めた南里侑香さんも出たりASUKAさんとか唄ったりオペラの人とか外国の人とか唄ったりして総勢何人くらいが唄ったっけ、おそらくは歌姫だけで10人越えてた面々が、唄い唄い唄うサウンドは透き通って分厚く高潔で熱血というもうとてつもない音の空間ってやつを体験させてくれた。あの音像、仮にブルーレイディスクとかで出ても、大画面で5.1Chとかで見て聞かないと味わえないね。それがライブの良さって奴で。

 唄われる曲のことごとくを知っているんだけれど、別に懐メロバンドでもなく現役にして現在進行形の音楽ユニット。だから今なお新曲がどんどんと作られ名曲もどんどんと貯まってしまっているため、5時間を越えるくらい演ったところでどこか物足りないと感じさせてしまう。あれもないこれもないそれもないといった具合。それは梶浦さんも話していたことで、そんな気分がもしも存分に満たされるくらいのライブになるとするならば、それこそ野外で昼過ぎから夜まで続く8時間くらいのフェスをやるしかないんだけれど、それだとバンドメンバー、確実に死ぬな。替えが利かなさそうだもんなああの鉄壁のメンバーは。なおかつ誰もが超売れっ子。そんな面々を集めあれだけの音楽を作らせてしまう梶浦さんの才気にあらためて恐れ入る。

 聞いた曲では「NOIR」とかやっぱり懐かしい。当時は誰と知らずにサウンドトラックCDを買ったよなあ、そして聞き込んだんだっけ。あとはアニメを好きで観ていた「舞−HiME」に「舞乙−HiME」とか「NOIR」の再来と面白がって見ていた「MADRAX」とか主題歌がやたらと格好いい「セイクリッドセブン」とか真夜中に斧持った少女が歩くビジュアル(いたんだよそういうキャラが)が不思議に楽しかった「.hack//sign」とか。ほとんど見てなかったけど「パンドラハーツ」も「ツバサクロニクル」もやったっけ。もちろん「魔法少女まどか☆マギカ」に「Fate/Zero」という2010年代に入って必ずベスト10に入ってくるアニメ作品からの曲も。ティロフィナーレーって叫んだよ心の中でおもわず。

 そんな凄まじいばかりのヒットメーカーである割には梶浦さん、メディアでの露出があんまりないのはどうしてなんだろう、決して出ないって訳じゃなくって自分だってインタビューしたしツイッターだってやっているし陽気で明るくて前向きで。でも世間じゃあよく知らない、というか知らせようとしない。それはひとりくらい有名ならそればっかりが有名であればどうにかなるんじゃないかって意識がメディアの側にあって、いつも同じ人だけ出してそれが結果としていっそうの有名化を生んでしまうというスパイラル。その外側にたくさんいる同じくらい実力があったり人気があったりする人が、有名じゃないからと取り上げられない理不尽が、ずっと続いているからなんだろー。それがメディアをつまらなくしているって、気づけば良いんだけれど気づかないんだメディアって。勿体ないなあ。

 まあ仕方がない。そうやって世間から乖離した結果、見捨てられていくだけだろうから。そうならないように気を付けて日々、感性をアップデートしていこー。ほかに楽曲ではXenosagaの関連曲とか流れていろいろと思い出す。ってうかゲームそのものは遊んでないのに曲は強く耳に残っているというのがちょっと不思議。おそらくは当時はゲームが今と違ってエンターテインメントの最前線に位置していて、テレビでCMなんかも結構流れてそれと一緒に曲も聴いて耳に刷り込まれていたんだろう。今はテレビでゲームのCMが流れても多くがソーシャルでそこに音楽なんてものは存在しない。もはや「サクラ大戦」とかのようなゲームから人気楽曲へって時代でもないんだけれど、それも何か寂しい話。まあでも梶浦さんにはアニメに映画にテレビにといくらだって広いフィールドが待っている。そこで活躍してどんどん曲を書いてそしてライブも見せてくれて気がつけば30年、なんてことになっていると嬉しい限り。だからこちらも応援し続けよう。


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