縮刷版2013年2月下旬号


【2月28日】 オーディドラマってのがすでに流通しているとは知らず、店頭で見つけた角川ホラー文庫の1冊「キリノセカイ1」が何かとっても面白くって、この先が知りたいけれども果たしてオーディオドラマを聞くべきなのか、それとも本として刊行されるのを待つべきなのか、ちょっと悩ましいところ。テレビで漫画やライトノベルを原作にしたアニメーションとかが始まって、それを見て面白くって続きが気になって、当然のように先が描かれている漫画やライトノベルを買って読んでしまおうって気になることがあり、実際に買い込んでしまうこともあるけれどそうやってあらかじめ先を知ってしまって見るよりは、未だどうなるかを知らず見た方がアニメも絶対に面白い。だからたいていは我慢するんだけれど、それでも読んでしまう物もあるからなあ。今回はオーディオドラマで書店に行かなくても品切れを気にしなくても手に入れられるし。どうしよう。

 そんな平沼正樹さんによる原作で、小説を湖山真さんが担当した「キリノセカイ1..キオクの鍵」(角川ホラー文庫)は8年前にどこからかわいてきた霧によって覆われてしまった東京が舞台。霧といってもサイレントヒルのように異形の存在が跋扈する街に東京はなっておらず、その霧に入ると全身が溶けたりバラバラになったりすることもない。濃霧な時もあればうっすらと向こうが見える時もあったりと状態もバラバラ。そもそも水っぽくないけれど、それでも濃霧が視界を遮るおとは茶飯事で、それによって飛行機が墜落する事故も起きたいりする。その事故によって脳外科医の妻を失った元刑事の仙堂が主人公。事故の前日には自身も追っていた事件の犯人に撃たれて脚を負傷し、また人質にとられていた子供を撃ってしまって責任をとって刑事を辞めて、今はタクシーの運転手をしていた。そんなある日。

 走っていたところに横転したトラックがあって、そして逃げ出したらしい1人の女性と少女を見かける。少女は仙堂のコートを借りて逃げ、負傷していた女性は仙堂が連れてその場を離れたものの事故現場で銃を向けてきた警備員らしい男が追いかけてきて、その彼から逃げようとしたのかそれとも自らを始末しようとしたのか、女は撃たれて海に消え、仙堂は鳴り響く異音の中をその場から離れてそして東京タワーへと行くと、そこにはさっき別れた少女がいた。死んだはずの妻にどことなく似た面影を持った少女が。彼女はフィフス。とある実験のために作られた人工的な存在。そして海に落ちた女性も。さらに街には同じような存在がいて、少女はそれらと会うことを目的にしていた。聞くといずれ狂うことになるらしく、既に狂ったものも出始めていただけに急ぐ仙堂の前に、彼がかつて撃ってその後、意識不明の状態が続いていた男が現れた。狂ったように兄の仲間達を惨殺した後に。

 いったい何が目的でフィフスたちは作られたのか。仙堂の妻が死んだ飛行機事故で死んだという元都知事は本当に死んだのか、その後をついだ現職の都知事が行方不明になってそして現れ奇妙なことを言い始めたのは何なのか。テクノロジーの産物でありそうな霧の正体とその目的、人工的に生み出されたフィフスをはじめとした存在の意味、等々の謎を追いかけることによってこれからの展開は進んでいきそう。そもそも仙堂の妻は本当に死んでいるのか。彼の元同僚で心臓の悪い娘を持った刑事の存在なんかも絡んできて、様々な思惑が交錯するなかで進んでいきそうなストーリー。そして現れるのは科学的に世界を脅かそうとする悪巧みか、それともオカルト的に世界を陥れようとする妄執か。そんな当たりを知りたかったら続きとなるオーディオドラマを聞けば良いんだけれど、聞いてしまうと本を開く楽しみがなくなるからなあ。さあどうする。とりあえず2巻が出るまでは我慢だ。

 月刊ヤングキングがまだ買えてないけどヤングキングアワーズを買って読んだらちゃんと「ドリフターズ」が載っていた。それが普通なんだって。戦いに勝って一休み中のドリフターズご一行。信長はドワーフに鉄砲を作らせ豊久はドワーフと戦闘訓練い余念がない、そんなところに現れたサンジェルミご一行。うち2人が豊久たちに挑んだけれどもヒゲの爺さん好きにポニテで片目を髪に隠した美少年好きの2人だったらしく現れたハンニバルとそして那須与一にメロメロとなって戦いはまず一段落。そしてサンジェルミからの提案によって世界が大きく動き出すのかどうなのか。分からないけれどもとりあえずオルミーヌをもっと出せ。見たいんだオルミーヌ。「ナポレオン 獅子の時代」は戦いが続き「球場ラヴァーズ」はミッキーが和服でも美人だった。美少女とは言ってない。言えるはずもない。大井昌和さんの「機動帝国オービタリア」は逆行でパンツ店ながら説教するルーズソックスの女子に萌え。少年の目覚と本格的な戦いはこれからだ。次号に期待。

 何か大手新聞にハッピーに科学するところが出している死んだ人も存命な人もひっくるめてその言葉をテレパシーか降霊かなにかして聞き出し言葉にする「言霊」のシリーズってのの広告がでっかく出ているって話が週刊誌に載っていてこれはいったいいかがな物かなんて話になっていたけどでもなあ、そんなの今さらじゃん、もうずっと前から新聞紙上を飾っているじゃん、ああでもそれは超大手紙でもなければ元大手紙でもなかったりするから週刊誌がニュースにするに足りるバリューではなかったけれど、最近になって本当の意味での大手紙に出るようになってこれはやっぱり社会に対して影響も大きいからってようやう週刊誌が記事にしたのかもしれないなあ。まあそれも当然か。ちなみに週刊誌によればそうした本の広告が載った回数はこの1月以降だかで以前からずっと掲載していた準らしい大手紙がやっぱり最高。何しろ当該の週刊誌の広告が載ったページを手前にめくるとその、「言霊」シリーズの広告がでっかく載っていたりするんだから凄いというか、空気を読んでいないというか。こういうのって普通配慮するんだろうけれど、無理だよなあ、今さら日付を言えますなんて言えないし、お財布の事情もあるだろうから。結局のところすべてはそこに。貧すれば。それが全体にも及び始めたということの現れがこの週刊誌の記事ってことになるんだろう。未来よ……。

 何か久々の劇団スタジオライフ。前に見たのは「マージナル」の時? それともそのあと何か見てたっけ。「アドルフに告ぐ」はそういえば行ったっけ。萩尾望都作品では実は「11人いる!」はまだ見てなかったりするんだけれどそれでいきなり「続・11人いる! 東の地平 西の永遠」を見ても分かるのは原作の漫画をだいたい頭に叩き込んでいるからで、そして劇団の見せてくれたお芝居がとても良くそのストーリーを舞台上に再現していてくれたから。国に帰ったマヤ王バセスカだったけれども国は疲弊し大臣のバパは隣星に戦争を仕掛けてその上で和平を結んで上手に出ようと企んでる。だから起こしたひとつの事件。そこに絡む様々な陰謀によって王様は犯人に仕立て上げられ追われる身になってしまう……という展開に前の「11人いる!」で一緒に宇宙大学を目指したタダとフロルも絡むストーリーがほとんどそのままの形で綴られるから、漫画の内容を思い出しつつそういえばああだった、それがどう描かれるって感じに見ていけた。

 もしも舞台として見るのが初の「続・11人いる! 東の地平 西の永遠」でもちゃんと分かるようになっているから安心。その上で描かれる国のために頑張るということの様々な顔、そして国のために何かを犠牲にしなくてはならない時に選ぶ道の大変さが、にじんできて自分だったらどうしたか、どこでそうやったら間違えずに済んだのかなんて考えてしまうことになるだろー。ちょっとしたすれ違い。ちょっとした行き違い。ちょっとした考えの違い。それらがしだいにズレて幅を広げて大きく違っていってしまって産まれる悲劇を避けるために何をすべきか。いろいろな岐路に差し掛かっているこの状況下にあって見られるべき内容なのかもしれない。そして読まれるべき漫画なのかもしれない。よく舞台化してくれたなあ。

 初日はマールスチームってことでタダを「風が強く吹いている」の舞台で王子を演じた松本慎也さんが演じてフロルは客演の内藤大希さんが担当。ユピテルチームの及川健さんならそうなるかなあと予想がつく演技とは違う明るくて血気盛んな漫画の性格そのままって感じのフロルを見せてくれた。タダはユピテルでは山本芳樹さんでその肉体表現に優れた演技でタダをどう演じるのかもちょっと興味。見に行こうかなあそっちのチームも。王様は堀川剛史さんでこれがなかなかにハマり役。威厳はあるけどどこかに血気を残しそれでも少しは成長している王様の姿を見せてくれた。これがユピテルチームだとベテランの曽世海児さんになるのか。曽世さんはマールスで西の使節団の1人で四世の叔父さんを演じてた。連日の出演になるのか大変だけれど走り抜けてくださいな。

 可愛かったのは四世の妹のチュチュでこれは関戸浩一さんという人が演じてた。表情仕草とも極めて女の子、それもちょっぴり強気な。他のスタジオライフの芝居でそういう役をやっていたかすぐには出てこないけれどもなかなかの看板女優っぷりを結構な長さで見せてくれるんで注目。そしてバパ大臣。倉本徹さんの演技はどこまでも本格的でそれでいてコミカルなところもあって、信念でもって悪をなすバパ大臣の忠義の果てって奴を見せてくれた。巧いなあ。あとやっぱり忘れていけないのは上に髪を逆立てたパンクロッカーのような役の人。それが何かはまだ言わないけど演じた笠原浩夫さんはその長身に加えた長髪でもって抜群の存在感を放ってくれていた。まんま劇団新感線の舞台に立ってたって不思議はなさそうなパンクぶり。それを萩尾作品の中で見られるとは。堪能あれ。そんなこんなで見た初日から続く千秋楽まで結構長期にわたって演じられる舞台。名古屋から大阪だっけ、亀有なんかも含め回るその芝居を機会があれば今一度、見に行こう絶対に行こう。


【2月27日】 あれがそうか「全国高等学校クイズ選手権大会」だったのか、夏頃にテレビで有名高校の高校生たちが教科書から百科事典から丸暗記したような頭でもって出題されるクイズに答えて先に10点だっけ、とったら勝ち抜けみたいなことをやっていていやあ良く知っているなあと思いつつ、これに参加できる高校生も限られるんだろうなあと感じていたら案の定、そうした知識偏重の高校生クイズにいろいろ意見が起こっていた様子。講談社文庫のPR紙「IN POCKET」の2013年2月号に「双月高校、クイズ日和」の文庫版を出した青柳碧人さんが、文庫版で解説を担当して高校生クイズでは立ち上げの時から司会をしていた福留功男さんと対談していて昨今の、知識偏重がエンターテイメントとしての面白さと摩擦を起こしていることが話されていて、そして福留さんの口からしばらくして変わる可能性があるってことが話題に上っていた。

 もともとが「大陸横断ウルトラクイズ」の延長線みたいに始まったイベントだけあって、初期の頃は知力だけでなく体力とそして時の運も入れた出題がとられていたとか。それこそ砂丘から走っていってボタンを押すとかいろいろな工夫があって、アトラクション的な楽しさがあったけれどもそれが多分、途中であまりに大げさになってしまった反省に立ったんだろうか、あるいは芸人たちをしばき倒すようなテレビ番組が増えてきて、それとの差別化も図る意味もあったんだろうか、クイズとは知性のバトルであるといった方向へと引き戻そうとしてそれが行き過ぎて、今のそれこそ決勝はスタジオで机に座って速度すらなく単純に知識を競うという、ペーパーテスト的なイベントになってしまった。開成が3連覇しているのもむべなるかな。

 それもそれでいろいろ学べて面白いんだけれど、テレビ番組として果たして面白いのかどうなのか、ってあたりでいろいろと論議も起こっている模様。とりわけ初期に立ち上げに関わった福留さんも、その番組を見て育った青柳さんも、やっぱり誰もが参加できてそして意外性のある展開も見込めて感動も得られる昔ながらの「全国高等学校クイズ選手権大会」に、戻って欲しいと心で思っていたんだろう。そんな思いを青柳さんは小説に書き、読んだ福留さんもそんな思いを抱いていたら、社内でそうした見解が浮かんできて、どうにかなるって可能性が出てきたみたい。さあどうなるか。分からないけれども期待したい。あとひとつ、残念なのは「大陸横断ウルトラクイズ」は今のこのご時世では、ギネス級の費用もかかるだけあって復活は難しいとのこと。「だから『ウルトラクイズ』の役割は、小説というかたちで青柳さんが受け継いでください。私はこの続編を読みたい。はみ出し者の登場人物たちが、この後どう成長していくのか見届けたい」と福留さんが語っている。ならば書くしかないね青柳さん。期待して待とう。

 そんな青柳碧人さんの「ヘンたて 幹館大学ヘンな建物研究会」に続くシリーズ第2作「ヘンたて2 サンタクロースは煙突を使わない」(ハヤカワ文庫JA)はやっぱりヘンな建物のオンパレード。とりわけ第2話に出てきた、いよいよもって就職すると決めた上梨田先輩が受験したゴルフのパターを作っている会社で繰り広げられたパターゴルフによる試験がヘン過ぎて、それでいてあったら楽しいと思わせてくれた。これは是非に映像によって見てみたい。ちょっとしたクエストより面白いシーンを見せてくれそうだし。っていうかここの会社の社員たちは、日ごろいったいどんな感じに仕事をしているんだろう。やっぱりフロアごとにパターでゴルフをしているんだろうか。楽しそうだなあ。いやそれも仕事になると大変か。

 それから「ヘンたて」ならではのヘンな建物という意味では第1話の、水槽がいっぱいあって魚が中を泳いでいる別荘のエピソードが面白い上に心にジンワリときた。迷路のように作られた壁が全部水槽という建物。作った時は宝石店の経営もうまくいってそんなものを作れたんだけれど、代替わりして不景気になってそれを維持できなくなった息子が、、別荘に込めた父親のメッセージの解釈をヘンたてたちに求めてきた。楽器輸入商として成功した弟とは疎遠になって援助は言い出せない葛藤。そして水槽のそっちことっちに落ちている宝石。散りばめられたヒントから浮かび上がってくる愛情あふれたメッセージがとても心地良い。決して悲劇の結末として現れる教訓のような展開にはせず、発端も殺人のような所から始めたりしないで、誰も死なず誰も傷つかずむしろ前向きになれるようなエンディングでまとめ上げて見せるのは作者のカラーといったところか。大学生が行く先々で殺人にばかり遭っているなんてあり得ないし。

 第3話の卵形の建物はなかなか凄いけれど、出てきた農村の少女が前向きでエネルギッシュで凄かった。あの子がいれば村も安心。ラストのサンタクロース物。好かれているねえヒロインは。決して分厚くもなく入り組んでもいないけれど不思議な建物を読ませてくれて、それをただ解説するだけじゃなく、それらが舞台になって描かれるドラマをちゃんと感じさせてくれる短編たち。そこが多分、一般の青春と友情のストーリーを読みたい人たちに人気となっているんだろう。続いて欲しいなあ売れて欲しいなあ、そうすれば他の社会的で先鋭的な作品群にも忠もうが集まるから。目指せ「千葉県立海中高校」の映像化。アニメでも実写でも。

 ファミ通えんため大賞で特別賞を受賞した是鐘リュウジさんの「ルクソ・ソリスの探偵軍師」を読んだら探偵物ではなかったよ。なるほど主人公は探偵として活躍していた羽澄悠って少年だけれどなぜか拉致され気がつくと孤島にあって学生たちが異能を使って生徒会長の座をかけ争う戦いに巻きこまれてしまったという、それも女装で。なんでかって可愛いからってこともあるんだろうけれど、ラストに1つオチもあってああそれならと思わせてくれるから安心、じゃないよ大変なことだよ。悠をさらったのは直前まで会長だったものの戦いに敗れて今はリーダーが1人とあと、喧嘩っぱやいシスターにフランクフルトばかり食べる剣豪少女の2人だけ。その戦力で戦って勝たないといけない中に放り込まれた悠はアイディアとひらめきでもって戦いを勝利に導く。世にある軍師みたいな冴えまくりの作戦を出す訳でもなく下が言うことを行くわけでもなくって窮地からの大逆転のようなドラマは味わえないけど、必死になって戦う少女や少年たちの姿がなかなかに可愛らしくって面白い。あとオチも。どうするんだろうなあこの後。生えてこなかったら力もなくなるものなのかなあ?

 でもってこちらは優秀賞の水城水城さんによる「サイコメ1」(ファミ通文庫)は未成年の殺人者ばかりが集められた学校に入れられてしまった少年の物語。何でいれられたかっていうと最愛の妹をバカにする奴ら脅かす奴らを守ろうとするうちに滅茶苦茶強くなってしまって二つ名まで幾つももらってしまった挙げ句に12人もの不良たちに絡まれ脅されてしまってそれをやっぱりあっさり撃退。意気軒昂と家に帰ったらその12人が惨殺されたという話が伝わり少年が犯人にされてしまったどうしよう。そして捕まり映された先が殺人者たちが集められるという学校。そこでも屈指のスコアを誇ると勘違いされ教員からは目の敵にされ周囲からも怯えられ。そんな最中に彼に近づく少女あり。名は氷河煉子。稀なる巨乳の持ち主で、そしで美貌……かは分からない。なぜってガスマスクをはめていたから。シュコー。

 そんな少女につきまとわれ、クラスメートでも爪を研いでばかりで6人殺したという少女、生来のドジっ娘でそのドジが巡り巡って何人もの人を殺してしまったという少女たちとつるむようになったものの少年には何故か魔手が伸び、殺人者ばかりの学校にあって何人もの生徒たちが少年を襲うようにし向けられる。いったい何が目的だ。そもそも少年が殺していない12人は誰が殺したのか。っていった辺りで明らかになる学校の正体、そしてガスマスクの少女の正体。殺人という人間のたがが外れてしまう行為に踏み込める人間、踏み込めない人間の境目を感じさせつつ案外に、あっさりと超えられてしまいそうなその壁も感じさせてゾクっとさせる。っていうか主人公強すぎ、素手で12人の猛者を叩きのめせるってどんなチートだ、余程妹が可愛かったのか、そんあ妹までもが何かに気がつき行動を起こす様子。いったい何を。そんなあたりが次の巻で明らかにされそうだけれどでも、やっぱり見どころは氷河煉子の谷間かなあ、くっきりしていて、山も高くって。シュコー。


【2月26日】 たぶん稲城でそして読売ランドかなあ、というイメージは浮かんだけれどもあれで読売ランドはAKB48とかの握手会なんかもあって万単位で人が訪れることもあるし、休日ともなれば小田急側からバスでえっちら渋滞をかいくぐって坂道を登っていくとか、京王側からゴンドラで揺られてジャイアンツ球場を見下ろしながら辿り着くとかしてやって来る人たちで、中は結構な賑わいを見せているから経営的にはまあ堅調に推移しているんじゃなかろうか。だから東京西部にある甘城市は稲城市ではなく、「甘城ブリリアントパーク」は単独でそれとして存在するテーマパーク。その経営は火の車ですらなく消し炭と化しかけていて、2週間後までにあと10万人、来場者を集めなければ取りつぶされてゴルフ場か何かにされてしまうという瀬戸際にあった。

 そんな甘城ブリリアントパークの窮地を救ってくれと、頼まれたというか脅されたのが可児江西也という高校生。割と見目はよくってそれもそのはずの経歴があって、頭も良く運動神経も抜群ながら性格それに見合って俺様気質。だから友人もおらず便所でカレーパンを囓るような日々を続けていた彼に、行為を向けてきた転校生の美少女がいた。好意ではなく行為。それはスカートのどこかから出したマスケット銃を脳天に突きつけ脅すこと。一緒に来い。そして甘城ブリリアントパークを救え。どういうことだ、一介の高校生にどうしてそれを頼むのだ、というかいったいどこからマスケット銃を出した。浮かぶ謎。けれども狼狽えるなんてことの出来ない高飛車な西也は、千斗いすずという名の少女にくっついて、甘城ブリリアントパークにやって来てそして聞かされる。

 ここは魔法のテーマパークだと。そして来場者を喜ばせることで得られたエナジーで、パークの支配人をしている少女のラティファ・フルーランザにかかった呪いをどうにかしのいでいること。もしもパークがなくなればラティファはどこかのテーマパークに移って働かなくてはならないこと。けれども病弱で目の見えない彼女にそういう仕事があるかどうか分からないこと。つまり……。そんな少女の危機がひとつと、何より期待をされたことに対してやれないと逃げ出すなんて出来ない性格の可児江西也は、支配人代行となって甘城ブリリアントパークの立て直しに乗り出すことにする。というのが「フルメタルパニック」の賀東招二による「甘城ブリリアントパーク」(富士見ファンタジア文庫)のストーリー。どこか経営小説めいた要素を持ってボロボロになった企業なり施設なりを、天才的なアイディアで立て直すという展開は他にも割とある。

 けど、そこはライトノベルのレーベルから出た「フルメタルパニック」の作者による本だけあって、普通の細腕テーマパーク繁盛ストーリーには向かわない。見渡してそこかしこにいる着ぐるみのキャストたちには中の人などいないものが含まれている。どういうことかとそういうこと。魔法の国からやってきた人たちで、そんな姿で楽しませてあげてはエナジーをもらい存在を保っていた。それが今はも寂れてしまって先の見えないパークにあって、少なくないキャストたちがやさぐれてしまい、諦めてしまって日々の掃除もお客を楽しませる気持ちも欠けていた。これをどうやって立て直すか。発奮させる。そのためにはキャストのリーダーのボン太くん、じゃないモッフルに協力を仰がなくてはいけない。諦めているようでそれでもラティファのために真剣なモッフルを動かし、他のキャストたちのやる気を引き出していく過程は、それはそれで企業の立て直し小説を見るようだけれど対象が中の人などいな着ぐるみという点にライトノベルらしさが垣間見える。

 それぞれが千斗いすずも含めてキャラが被っていると議論するシーンとか、そういう読者を楽しませるくすぐりも多々。これは企業小説にはちょっとない。一方でシリアスさもあっていくら奇蹟が起こっても、10万人には達しようもないだろうと言われたその数字を達成する手法に、ファンタジーとかティーン向けの小説とかではあまり持ち出さない技があってさすがは世界を巡る戦いを描いた賀東招二さんならではって感じさせる。それは十字架。背負って生きるのは高校生にはなかなに厳しい話だけれど、そこに現れた本当の敵の招待と、その繰り出してくるだろう卑劣で卑怯な手を考えた時、少々のダーティさも飲み込んで戦っていく必要があるんだと、可児江西也たちに味方したい気持ちを納得させる。互いに正体を明かしてぶつかることになるだろうこれからの展開では、あるいは血で血を争う抗争なんてものもあたりするのか、そこはライトに過ごすのか。ネタも握られ次の手段を打ちにくいところに繰り出される難題もありそうで、それにどう挑みどう突破していくのかを楽しめそう。次は何とどうやって戦うのかな。西也はいつその過去を埋めて今に羽ばたくのかな。待とう続きを。

 酒に漬けた米を撒いておくとそれを食べた雀が酔っぱらって飛べなくなって一網打尽に出来るってのは何で読んだんだっけ、落語か何かで聞いたんだっけ、覚えてないけど実際に試した訳じゃないから本当にそうなるかは分からない。ただ実際にそうやって獲って良いのかっておと、そして獲って良い場所があるのかってことも考えると実際に試すのは止した方が良さそうだし、都会の雀を捕まえたところで食べるのだって大変そう。味だったら「イブニング」に連載の「山賊ダイアリー リアル猟師奮闘記」が最新エピソードでもって、子供が美味しいといっているからたぶん美味しいんだろうけれども捕まえて毟って焼くのも結構面倒そうだしなあ。だから雀は焼鳥屋で食べるに限るかというとどうも味が違うらいし。だからやっぱりちょっぴり憧れる猟師生活に引っ張られ猟師になってしまう人もいるのかなあ。リアル山賊ダイアリー。ちなみに冒頭、ぐいっと曲げた竹を話して雀と一気に打って動けなくさせる猟法は禁止されているとか。これも何かで前に読んだけど、やっぱり「冒険手帳」か何かだったのかなあ。

 そのクールジャパンは僕たちが了解しているコンテンツ戦略とはちょっと違うんじゃなかろーか。日本の美、日本の風情を世界にも知ってもらいましょうという一種の文化輸出戦略であって、そんなことはもう何十年も前からやられていただろうし、民間レベルでは別に政府の助けなんかなくても、ファッションはパリを目指し食も各地に入り込んでは日本食レストランとか作って繁盛して来た。それでは足りない、だから何を出していくのか、世界で新しく注目されている漫画なり、アニメーションなりといったコンテンツを出していって世界に知ってもらおう、買って貰うというのがクールジャパンだったはずなのに、安倍政権でクールジャパン担当大臣になった人が立ち上げたのは、どこか旧態依然とした日本の文化の輸出促進。だからメンバーにはファッションデザイナーがいて、茶人がいて、フードサービスの偉い人がいたりして、僕たちの了解しているクールジャパンから見てちょっぴり違った雰囲気を醸し出している。

 角川歴彦さん秋元康さん依田巽さんの名はあるけれど、秋元さんはAKB48という手駒を抱えた身でそれで政策に携わったときに利益誘導と言われる可能性があるし、そのメソッドが1つだけで通る世界でもない。シンガポールでどうなってる? 上海では? そこの検証もまだ見てないのにいきなり引っ張るってしまって良いんだろうか。それから依田さんは海外に知り合いはいてもコンテンツに関して経営者ではあってもクリエーターではない。そんな人が日本のいったい何を外に向かって発信していこうとしているのか、そこがちょっと掴めないのに多分ずっとコンテンツ戦略会議の面子として入っていたという経歴を買われ、名を挙げられ入ったんだとしたらちょっと先行きに不安を感じてしまう。レコード会社だって映画会社だって決してその名の下で大きく躍進したって訳じゃないものなあ。立て直しはしたけれど。その意味では経営者なんだろう、プロフェッショナルの。

 角川さんにしたって商売として海外にどこまで漫画やアニメや小説を売れているのか。台湾とかを含めてアジアには進出してすごい勢いを見せているらしいけれど、それを自分の会社のことだけでなく、出版なりコンテンツの業界に方法論を敷衍して市場を広げ企業に還元していくだけの強引さ大らかさを出せるのか。出してくれれば良いけれど、小泉潤一郎政権下から10年近く、コンテンツ関連の諮問機関に入っていろいろ施策を打ち出して来て、結果として得られたのは海外市場への華麗なる進出ではなく、むしろ市場の崩壊から撤退へと至る道だった訳で、その原因を探り手直しした上で前に進み始める力を出せる人をやっぱり、上に据えて旗を振らせるべきなんじゃないのかなあ。期待薄。むしろ食にファッションといった自分たちでどうにか出来ているところが、余計な口出しをされて萎縮しないか心配。どうなるんだろうクールジャパン。言葉も含めてぐずぐずになっていくのかなあ。


【2月25日】 エヴァンジェリン山本も谷間をくっきりにして出番も多くなって中の人もきっとお喜びでありましょう。あるいは出番のまるで少なかった中の人を楽しませるために出番を増やし、そのキャラクターからギャグ混じりに行かざるを得なかったんだろうか「絶園のテンペスト」は真広と吉野との邂逅はあっても殴り合いにはならず穏当に出会い確かめ合うと言った風情。そういうものなのか。一方で葉風は愛華の死の真相に未だ近づけない状況を打破するためにとんでもない魔法を使うと宣言する。大丈夫なのか。それが再びの白骨化を意味するとなるとちょっと不安。でもあのヒロインをそうそう使い捨てるはずもないから何か良い結果が出ると信じて状況を見守ろう。エヴァンジェリン山本もだから負けずにサービスサービスゥ。

 あれはピクサーの短編「ワンマンバンド」が東京国際映画祭で上映された時だからだいたい2005年の10月26日とかそんなもんに、来日していたマーク・アンドリュース監督にインタビューしてやたらとアクション好きな陽気な兄ちゃんだと思った記憶があって、その時はだったらと手元に持ってた新刊の「BLACK LAGOON」の第2巻と、あと折角だからと近所で買っていった「フリクリ」の絵コンテか何かをお土産に置いていって代わりにマークが作ったという同人誌というか漫画をもらったんじゃなかったっけ。その漫画は誰か漫画の研究をしている人にあげたように覚えているけど、もし今も持っていたらちょっと自慢出来たかもしれないなあと、アカデミー賞でのアニメーション部門でマーク・アンドリュース監督とブレンダ・チャップマン監督が、オスカーを「メリダとおそろしの森」で獲得したってニュースを見ながらちょっぴり残念に持ったりした朝。

 「ワンマンバンド」の監督としてインタビューした時にすでにそんな大物になる片鱗があった、って訳ではなくって普通に野心的な若い監督だった「ワンマンバンド」の時代。ブラッド・バード監督の「アイアンジャイアント」なんかでストーリーボードを手がける仕事をして、買われてピクサーに移ってストーリーとかを担当していたけれど、ピクサーではまるぜ全然無名だった彼が自分の存在と才能を社内に示すために、アンドリュー・ヒメネズとの共同監督で作りあげたのが「ワンマンバンド」という作品で、それはどこか中世的な雰囲気を持った広場で音楽を奏でる者たちが競争し合う様を、その時代的雰囲気を保ちつつ楽しくおかしく描いてあって、「ルクソーJr」に始まる数あるピクサーの短編でも、ちょっと違った雰囲気を感じた。

 短いけれど完璧なストーリーテリングは、それを作りあげる期間の半分とかそれ以上を脚本作りに使ったらしいって話からも理解できて、それだけのことをして練り上げた脚本だからこそ、見て面白いものが出来上がるんだ、逆に言うならキャラクターとかアクションとかで先走っても、そこにストーリーがなければ迫って来るものはないんだってことを感じ取った。現実、脚本を何稿にもわたって練り上げその上で絵を作り動きをつけていくなんて作業を日本のアニメスタジオが出来るかとうと構造的にも金銭的にも難しいところ。脚本はあくまで下地でその上に付ける絵と動きこそが醍醐味って思っている人たちもいるだろうし、そうした演出面での差配が実際に面白みを出していることも事実だからアメリカ的な脚本重視の姿勢に諸手をあげて賛成する訳ではない。

 それでも、より練り上げれば完璧さを増すのもまた脚本というものが持つ特徴で、そこにたっぷりと時間とお金をかけられるアメリカの凄みって奴が、世界を多うアメリカのアニメーションの大成功って奴を導き出しているって言えるのかも。「メリダとおそろしの森」もそうした、脚本の練り上げと映像とが結びついたところに、世界を感嘆させる映画が出来上がってそして今回のオスカーに結びついた。日本ではあんまり評判は挙がらなかったけれど、世界ではそれなりな収益を確保して2012年のアニメーションではトップの成績。それが結果としてのオスカーに結びついたんじゃなかろーか。

 興味深かったのは共同監督というか実際には途中降板の形となったブレンダ・チャップマン監督もちゃんと授賞式の会場に現れては、マーク・アンドリュース監督とともにインタビューに答えていたことで、マーク・アンドリュース監督が作品の舞台となったケルト地方の恰好をして世間を笑わせている一方で、ブレンダ・チャップマン監督は途中降板に追い込まれながらも作品的には自分の思い描いていたものが出来上がって、そしてオスカーまでもらえたことをどうやら喜んでいる様子だった。でなきゃ降ろされてこんな場所には出てこないだろうし、共同監督の名前だって外すだろうね。

 そうしたブレンダ・チャップマン監督の意識をちゃんと受け継ぎつつ、世界が楽しめるエンターテインメントに仕上げてみせたマーク・アンドリュース監督の才能って奴も今回の一件で認められそう。興行的には大失敗だったけれど、見ると案外に面白かった「ジョン・カーター」のストーリーにだって絡んでいたマーク・アンドリュース監督が、いつかアクションをやりたい、って話してた7年ちょっと前のことを覚えているのかは分からないけれど、こうやってオスカーをピクサーにもたらした腕を買ってピクサーなり親会社のディズニーには、「ジョン・カーター」にも負けない派手なアクションを作らせてやって下さいな。ディズニーによる実写版「BLACK LAGOON」とか見たいなあ。

 折角だからと閉店も近い旧石丸なエディオンの秋葉原店へと寄って「メリダとおそろしの森」の3Dブルーレイディスクと普通のブルーレイディスクとあと何か特典ディスクなんかがセットになったパッケージを購入。声はやっぱり大島優子さんのままなのか。いや別に大島さんの声は嫌いじゃなくってむしろ巧いとすら思っていて、「ねらわれた学園」で渡辺麻友さんが見せた演技と並んでさすがはAKB48、芸達者なところを見せてくれていると感心したくらいだけれどそうじゃない、先入観や偏見で聞いていたり、それらが邪魔して映画に行かずパッケージも買っていない人に対して一般の声優さんが演じたバージョンも入っていれば親切かなあ、なんて思ったりもしていたり。それは無理な話だからやっぱり大島さんで聞くしかないんだけれど。

 ほかに折角だからと7巻まで自宅にあることが分かったOVA版「ヘルシング」の9巻と10巻のDVDも3割引で購入。これに8巻を足せばコンプリートってことになる。何年かかったこの完結に。最初に下北沢タウンホールで線画の混じった上映会に参加しお詫びの原画コピーをもらって帰った記憶が今もありあり。それでも諦めず止まらず完結にこぎ着けたジェネオンと少年画報社に拍手。1度くらいは通して見るか。エディオンはこれで移転してパッケージの販売を止めてしまうみたいで、石丸ソフト1とかがあった時代からいろいろお世話になっていた身には寂しい限り。邦画とか買い逃すとリアルテンポではまずお目にかかれない中を、割と古いものまでちゃんと置いていてくれた店だった。でももうパッケージ販売をリアル店舗でする時代ではないのかもしれないなあ、特典付きを目当てにした専門ショップに来る客以外は。寂しさを噛みしめつつ。もう何枚か何か買っておくか。

 とある新聞記事でとある記者が、鳩山元総理が総理在任中に右往左往したせいで、とある公務員が振りまわされて忙しくなった挙げ句にガンにかったて亡くなったのは立派な戦死で、その死の責任を鳩山元総理はとるべきだと吠えていた。だったらその会社では在職中に過労がおそらくは原因の心臓発作で記者が死んだことに誰か上司なりが責任をとったのか。処断されたのか。あるいは心労が重なって休職し、果ては止めていくような記者が出ていることに誰か責任を感じて自らの身を処したのか。してないだろう。それなのに外にはその因果関係すら明確ではない一件を理由に鳩山元総理を罵倒してみせ、内には下をいたわる声もなければ気構えも見せずにただ上の気に入るような論陣を張ってみせる。何という傲慢。何という無礼。それで偉くなれるんだから不思議というか、それで偉くなってしまえるんだから結果は見てのご覧じろというか。いずれにしても許せない言葉。その身に、その組織にいずれ傲慢の結果が襲いかかるだろう。すでに襲われているって? 参ったなあ。だから他人事じゃないんだってば。


【2月24日】 そして目覚めると朝だったので、今日も今日とて秋葉原UDXで開催中の東京工芸大学の卒業制作展を見物に行く、といってもメインはやっぱりアニメーション。シアターではない部屋で開かれる研究室ごとの上映会では、セレクションに入らなかった作品も上映されるんでいったいなにが入るか入らないかの差としてあるのか、確認する上でもやっぱり見て置いた方が良いと思ったのだった。というのはまあ理由付けで、図録に載っていた、眼鏡っ娘がバトルしているっぽいアニメーションというよりアニメな感じの坂野太河さんって人の「言弾ウォークライ」って作品が、ちょっと見てみたかっただけなんだけれど。

 とはいえそれは渡辺由美さんの研究室に所属している作品で、その前にまずは世界的に知られるアニメーション作家でもある古川タクさんの研究室の作品を鑑賞、やっぱり凄いなあ、6本中の4本がセレクション上映に入っているんだから。1本は昨日も見た安藤栄美さんの「LAGUNA<干潟>」で改めて見て色彩だけでなくフォルムについてもしっかりしたものがると確認、魚とか陰影だけでちゃんと立体感を出して魚っぽく見えるようにしてあるし、人間もそういう感じにちゃんと見える。それでいて幻想というか不条理な中に動く映像を紡ぎ出す。作家として1本通ったものがる。この人はきっと世に出て行くだろう。でもどこか既視感はあるけれど。

 でもってこれも昨日見た佐藤千尋さんって人の「さとうのちひろ」を改めて見て、これもこれで面白い試みだと感じさせられた。シンプルな線で美麗でもないキャラクターたちによる不条理な日常を綴るって面では和田淳さんの系譜に連なる作品。でもどこかが違ってる。画面を漫画のようにコマ割りしつつそれを繋げず、それぞれに時系列をバラバラにした絵を描き、順繰りに動かしていって抜けた毛が人形でそれが前転してつままれ餃子の具になる作品とか、女の子がロウソクを触ったりリボンを触ったりしてもまっ赤になれないのを両側から赤い服を着た少女たちが支えそれでまっ赤になったのがつままれショートケーキの上におかれ苺になるという作品。

 どれも不条理だけれど見ていると展開に引き込まれ、次はどこが動くんだと注目させられる。その辺が巧さか。1枚1枚をすべて描いているのかコマごとに描いて合成しているのか、分からないけれども全部を1枚で描いて並べて動きを見せるのも方法なら、そこに描かれるものが動いて面白さを感じさせるのも方法。手法の凄さを誇る以前に見てどう感じさせるか、ってところに注力したという意味で、例えデジタルが使われ省力化が図られていたとしても、立派にアニメーションだと言って言えるんじゃなかろーか。どうやって作られたかは知らないけど。

 ともあれそんな具合に優秀そうな作品が並んだ古川研究室に続いて上映された渡辺研究室の作品は、技術を見せるというより物語を感じさせる話が割に多かったような。寒河江舞夢さんって人の「うちゅう人くん、地球へいく」は宇宙人が来てUFOを電灯に見せて買われていった家で子供がサンタクロースに喜ぶ姿を見て戻って同じようなことを子供たちにするってストーリーがほのぼの。買ったUFO型の蛍光灯が消えてしまったあの家はいったいどうしたんだって思いも浮かぶけれどもまあ、珍しいことが起こったと納得してもらおう。杉本万里子さんの「草の少年」は岩石ばかりの土地に生きる少年がいじめられ閉じこめられた洞穴を抜けた先に草原を見つける。それは現実かそれとも幻か。分からないけれども草原を踏んだ時の感触が心地よさそうだった。

 森秀一さんの「antique」は未来的な衣装を着た美少女が猫と戯れる話しでビジュアルがアニメ的でぼくらとは親和性が高く、そしてストーリーがやっぱり良い。セレクションにこれは選ばれていた中村友里奈さん「Phantasmagoria」は図書館で本を開いてこぼれでる本の世界の描写が目を引いた。これは技巧的にも優れた作品でセレクションに選ばれたって意味もなるほど分かる。全部手で描いて重ねていったのかなあ、でもデジタルアニメーションとも書いてあるし。技法が先立つように見えるとやっぱりその辺が気になってしまうのは、見た目が動けば良いって意見とは矛盾だけれど、巧い作品だけにやっぱり気になる。図録の画像がなかなかで見たかった「言弾ウォークライ」は眼鏡っ娘出てこねーじゃんという懐疑はそれとして、線画でキャラをしっかり動かしていたのに好感。アニメーター向きの人なのかなあ?

 ってな感じでいろいろ見て面白がってからのぞいた映像学科の上映会は……やっぱり実写って貧乏学生には限界があるのかもなあ、とか思ったり。中には大金かけて作っているのもあったのかな。そんなこんなで会場を出て東京アニメセンターに立ち寄り劇場では手を出さなかった劇場版「とある魔術の禁書目録 エンデュミオンの奇蹟」の関連グッズから原作者の鎌池和馬さんが何かショートショートを書いているという下敷きとあと、キャラクターの設定画がのっているという下敷きを確保。聞くと劇場では品切れなところも出ているそうなんで暇があるなら秋葉原に出てみるというのも良いかも。それともアニメイトとかに行けば売っているのかな、池袋も新宿もでっかいアニメイトがあるんで見てそっちに流れた方が正解かも。そしてショートショートは大概に酷い話だった。さすが鎌池さんキャラに愛などない。厳しい世界に叩き込んで修行させる。偉いなあ。それで懲りないインデックスも凄いけど。記憶力はあっても学習能力は皆無なのだ。

 乃木坂へと回ってざくっと国立新美術館で五美大展をのぞいたら、ちょっと前には絵の下なんかに置かれていたメッセージ帳とかが撤去されていた。見た目すっきりで美術館っぽさは出たけれども、メッセージ帳や名刺でもって学生とのコミュニケーションを可能にすることで、将来の仕事とかにつながることもあっただけに学生的には果たして良いことだったのか。あそこは別にそうしたビジネスの場じゃなくって展覧会をする場だよ、って言い訳も立つんだろうけれども手間でコレクションなんかしていない、頼まれればお金をとって貸し出す国立の貸画廊なんだからお客さまがやりたいようにやらせるべきなんじゃないのって気分も浮かぶ。いやまあ撤去が美術館側からの申し出なのか主催している側の要望なのかは分からないけれど、ふんわりとして学生の卒展らしい雰囲気が殺がれてしまったのも事実。そういう人はだからGEISAIとかデザインフェスタに出ろっておとなのかなあ、固いなあ。

 そして六本木シネマートで文化庁メディア芸術祭の功労賞を受賞したメカデザイナー、大河原邦男さんを招いての上映会とトークセッションを見物、最初はタツノコシリーズで「科学忍者隊ガッチャマン」とか「宇宙の騎士テッカマン」とか「ヤッターマン」とか「ゼンダマン」とか「逆転イッパツマン」とか続いたあとにタツノコ50周年を記念して作られた「一発必中! デバンダー」のまるまる上映があって見たら面白かった。本当に面白かった。無理に昔を懐かしむような描写をいれずあくまで正義の味方にされちゃった少年が必死になって戦うってストーリーでそれにゾロメカが絡み格好いいメカが絡んでは戦いの場面を作りあげる。ギャグはすべらず戦闘シーンは格好良く。最高潮のタツノコが甦ったって感じでこれはDVDを欲しくなった。BDがセットの本は知らないうちに出て品切れかあ、増刷すれば良いのに角川、大河原さんの受賞を祝して。

 そして日本サンライズパートへと移って「無敵鋼人ダイターン3」とか「無敵ロボトライダーG7」とか「超力ロボ ガラット」とか「熱血! アイアンリーガー」とか「銀河漂流バイファム」とか「青き流星 SPTレイズナー」とか「勇者王ガオガガイガー」とか続いたあとに本命の「機動戦士ガンダム」が来て「ガンダム大地に立つ」をまるまる上映、いやあやっぱりスタイリッシュだガンダムは。口のないデザインの持つメカっぽさをこれで大河原さんはどう作り出したなろう。でも他の作品に登場する表情豊かなメカたちもそれでしっかりとキャラになってる。そうキャラになるから慕われる。そうでないロボットが多すぎるってことがあるいは、大河原さんの受賞によって改めて顕在化して来たのかも。いくらロボット物が下火とはいえ作られてもそのロボットが人気にならない理由、ってのはあるいはそこにあるのかも。「ガンダム」見返したくなって来たなあ、DVDは貸したっきり帰ってこないしなあ、BDはまだかなあ。


【2月23日】 目覚めるとすでに午前7時15分前だったんで、これはいけないと慌てて飛び出し総武線を待つのもまどろっこしいんで快速に乗って東京まで出て、そこから地下鉄丸の内線に乗り換えたら8時10分前には池袋の東武百貨店の下まで来ていた早かった。でもすでにエレベーター前には長蛇の列で、係員が今日のチケットはすでに完売です今から前売り券を持っていっても座席指定券には交換できませんとアナウンス。いったいどんな人気なんだよ劇場版「とある魔術の禁書目録 エンデュミオンの奇蹟」。やぱpり10万3000冊配れるという劇場特典の冊子が気になっての来場か、それともグッズが目当てなのか、いずれにしてもそこに並んでいた人の顔立ちから推測される年齢が、「宇宙戦艦ヤマト2199」の半分以下かもしれなかったことにひとつ勉強。そういう層に支えられているんだ、禁書って。逆にヤマトもああいう世代に支えられての人気ってことになるけれど。見てもらえるかなあ、テレビ放送。

 待つこと暫くでエレベーターも動き出して順繰りに劇場へ。そこでグッズを買うなら行列で、チケットを発券するのも行列だったけれども既に事前にネットで買って発見も済ませてあったんでスルリと劇場に入ってもぎりの所で冊子をもらって任務完了、いやそれが目的って訳では全然ないんだけれども、もらえるはずのものが品切れになってしまうってのはやっぱり悲しい。だから初日の1番に駆け付ける意味ってのもあるってことで。内容はまだ読んでないけど映画の前日譚めいたものか。ってことは宇宙エレベーターが急に姿を現した理由ってのも書いてあるのかなあ。だってそういうテクノロジーって小説読んでいてもアニメを見ていてもまるで出ていなかったじゃん。そもそも宇宙に行くということ自体が皆無ではないけれどもメインに描写されることはなく、巨大で目立つ宇宙エレベーターなんてものが取りざたされたこともない。それが急に何故?

 ってところで完全記憶のインデックスが宇宙エレベーターのことをまるで気付いていなかったって最初のふりを、普通に実はあったんですというストレートな意味でとらえて良いのか、それとも何かどこかで因果律が歪んで、そういうものがあって良い世界にすり替わっていて上条当麻はそれに引きずり込まれてしまったけれど、記憶能力の高いインデックスにはそうしたすり替わりが効かなかったと見るべきなのか。エンディングを抜けて現在の小説版の展開において宇宙エレベーターについての存在が不確かなのも、あるいはそうした因果律の修正が行われて最初のように存在しなかった時間線へと戻ってしまったと思うべきなのか。まあ想像するのは自由だけれどそれだとイマジンブレーカーこと幻想殺しを使える上条当麻に模造記憶が刷り込まれたり、逆にそれが事後もしっかり残っていたりする説明ができないからなあ。単純にやっぱり最初からありましたと思いこむのが吉なのかも。それだとやっぱりローラ=スチュワートとアレイスター=クロウリーとの会話に意味がなくなるか。考えよう、あと何度か見ることで。

 しかしやっぱり「とある魔術の禁書目録」を読んであとアニメの「とある科学の超電磁砲」とかも見ておかないと誰がいったい何やっているか分からないって意味ではファンムービーなのかもしれないなあ。見てそこから原作に入っていくにはちょっと1時間半は短すぎる。テレビ版だとこれでストーリーをなぞっているから確認の意味で入っていけるし「超電磁砲」はスピンオフの漫画が原作だけれどそこに出てくるキャラを遡り経歴を確認していくような入り方が出来る。映画ではそれで初めてシリーズに触れる人にはまずインデックスってどうして上条当麻ん家に居候しているの? ってあたりから説明が必要になるだろうし上条当麻にはいったいどんな能力があってそしてロン毛の煙草兄ちゃんといったいどういう関係で「にゃー」が口癖の土御門って何者でその彼がねーちんと呼ぶ女性はどうしてジーンズの片足だけをカットしてシャツの裾をくくり臍を出して恥ずかしげもなく歩いているのか、なんてことも説明してあげないとその全体像が掴めないし、面白さも多分全部は伝わらない。

 あのビリビリを発する少女は誰だとか頭に花飾りを付けている娘は何者なのだとかも知らないとまるで不明。いきなり車いすで現れファミレスのテーブルにぶち降りる少女は……ただの変態です、だから気にしないで下さいで良いのかな、それは可愛そうか、ってかどうしていきなり空中に? それは瞬間移動の能力が。何でそんな能力が? そこが学園都市だから。等々、設定としての了解事項が他の作品にも比して多すぎる。それが面白さの土台でもあるんだけに裂けて通るのは難しい。じゃあ知らない人は見ないで良いか、っていうとこれでなかなかアクションシーンはしっかり動くし、設定にもいろいろ細かいところがありそうで楽しめる。それが作品世界に根ざしたものであっても、むしろそうであるからこそ構築された劇場版ならではの設定から全体の設定を理解し探り遡り読み込んでつかんでいく、その糸口になるような気がする。だからやっぱり見ておいた方が良い。それもでっかい劇場で。見上げればそこに尻もいっぱい現れるから。

 そう尻。インデックスの尻にアリサの尻にシャットアウラって少女の尻があちらことらで炸裂するのがこの劇場版「とある魔術の禁書目録 エンデュミオンの奇蹟」って映画で、それを巨大なスクリーンで見上げるように拝むのもまた最高の鑑賞法。家のテレビでは遠くの24インチ程度ではただの線にしか見えないから。あとはヒロインのアリサって子のライブシーンで、彼女がストリートでのシンガーからオーディションで合格していきなりアイドルになってしまう八艘飛びぶりが何とも不思議な話だけれど、それは本人的に人前で唄えればあとはどんな恰好でもオッケーってことなのかと理解。その上で踊りながら唄うシーンの楽しさを、ライブ会場にいるような感覚で味わえるのはやっぱり劇場ってことになる。「マクロスF」とかのライブシーンに比べキャラと歌とのシンクロ具合に詰めが足りないかなあ、カメラワークも工夫が……って意見もありそうだけれどまあそこはそれ、パッケージ化の際に再編集してPVっぽく仕上げてもらえれば良いってことで。してくれるかなあ。

 神裂火織の超活躍とか姫神秋沙の瞬間芸とかそれに添えられた吹寄制理さんのワンポイントとかも楽しみ堪能してから劇場を出て、パンフレットだけ買ってそして東武の中で行われていた大鹿児島展でラーメンを食べ薩摩揚げを買って退散。「虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜」の上映は手にした薩摩揚げがいたむ可能性も考えつつ、既に何度も見ているので新しい人に1人でも多く見てもらえればってことで遠慮して、秋葉原へと回りUDXで開かれている東京工芸大学の芸術関連のコースが集まって開かれる卒業制作展を見物する。主にアニメーション。その前にちらっとのぞいた東京アニメセンターに劇場版「とある魔術の禁書目録 エンデュミオンの奇蹟」のグッズが並んでた。なんだ行列しなくても買えるじゃん。今日は手持ちが不如意で見送ったけれど、種類も結構あるので買い逃した分とか気になった奴を明日また見て買い込むか。展示の方は基本がスチルのパネルなんで映画を思い出す人には良いかも。原画とかも欲しかったなあ。

 そして卒展。シアターではなく会場にしつらえられた上映室でセレクションプログラムの1と2を見る。まず始まったS1から平川侑樹さんって人の「Candle night」は実写と3DCGを合成した作品で女性が買ってきた可愛い人形型のキャンドルが萌えるロウソクに寄ろうとしては離され棚に飾られ不満顔。いっしょに並んだ可愛いキャラ系ロウソクとともにいつか燃やされる日を待っていいて、そしてようやく訪れたその人も連れて行ってはもらえず必死で街を歩いてキャンドルパーティの場所へとたどり着く。いや君は可愛いから愛されているから棚に残されたんだよ、燃やしたくないから棚に飾ったんだよって言ってやりたい親の心子知らずなロウソク人形。でもやっぱり本能として燃やされてなんぼってものがあるのかも。よく頑張った。映像は巧みで動きとか可愛い。CMでマスコットキャラが動いたりするような感じ。そういう系のヴィジュアルを手がけていく人になるのかな。

 それから気になったのがクレイっぽい人形っぽいアニメーション作品で、浅井愛弓さんと須藤万里恵さんによる「お皿に水を、心に愛を」。少女が転校してきたクラスにいたのがなぜか河童でいつもひとりでキュウリを食べててそんな河童が帰りがけ、土手で倒れているのを見て少女はペットボトルの水をかけてあげるとあら不思議、しぼみかけていた顔がポンと元のまあるい形になる。そのシーンの面白さがまず良かった。それからことあるごとにお皿に水をかけてと迫る河童にちょっと鬱陶しさを感じてバケツの水をぶっかけてしまう少女。でも考え直してちょっぴり後悔。そして向かった土手で出会って仲良くなるという展開はイジメの問題、友情の問題、その押しつけの面倒さ、けれどもつながっていられる素晴らしさってものを味わわせてくれる。動きとして造形として完璧か、って言われるとそこはまだまだか。学んで鍛えていけばそのストーリーテリングと相まってひとつの形になるかも。

 その意味では大学院にいる森田志穂さんの「一杯の珈琲から」はストーリーに造形の凄みも加わった逸品。まずは始まるシャッターの絵にまた余計なものを映して時間を稼ごうとしているのかな、すぐに喫茶店の店内から始めれば良いのにな、なんて思ったけれどもこの前振りが後から効いてくる。むしろ世界観を示す大きな鍵になっている。ひとり静かにミルを引きネルドリップで珈琲を入れるマスター。そこにだんだんとお客さんが集まってきて店内は賑やかさを見せる。小説を書いたり絵を描いたり。そんなお客さんたちを眺めるマスターに手渡される絵もあって、素晴らしい交流があって1日が終わってまた明日、と思ったらそこで残酷な運命を見せられる。周辺がシャッターだった訳が分かってくる。思い出の喧噪。その終焉。寂しくて切なくて、けれどもそれが時代なんだと思わせ引かれる幕。ありがちといえばありがちだけれど、それが響くストーリー。レトロな喫茶店の風景を醸し出す美術も良いし、絵を動かして見せるパートもなかなか。確かな腕の作家としていろいろ作って行けそうな感じだけれど、どういう道に進むんだろう? 覚えておきたいその名前。

 覚えておきたいといえばセレクションプログラムの2に入っている安藤栄美さんの「LAGUNA<干潟>」がちょっと凄くていわゆる水彩の画を連ねて動きを作り出す自主制作の短編アニメーションにはよくあるテイストなんだけれども水辺にうごめくカニがいたりして、そこに青い髪をした女性がいて憂愁って感じを醸し出しているんだけれどその女性が動こうとすると引っ張られ、振り向くと自分の髪がつながった女性がいて引っ張り合っても動けないなかからいったいどうするか? って興味を誘ってエンディングへと持っていく、その流れの不条理なんだけれどもストーリーを感じさせる構成と、あとやっぱりゆらぎ流れる絵柄が見ていてとっても心地よかった。「つみきのいえ」の加藤久仁生さんが作っている「情景」のシリーズに重なるテイスト。そういう方面へと向かうアニメーション作家になるのかな。去年見た小谷野萌さんとも通じるテイストってことは小谷野さんみたく東京藝大の大学院とかに向かうのかな。また見たい1作。なので明日もUDXへ忍び込もう。


【2月22日】 らしさって意味で言うなら1番、スタジオのらしさを持っているのがゴンゾで「青の6号」の頃からデジタルとアニメーションの融合というか混在に挑んで融和させたり、シームレスにしたりといったチャレンジに一気に向かわずそれぞれが、独自の主張を持って並立するスタイリッシュで革新的な映像って奴を見せてくれたたんだけれど、「アニメミライ2013」って若手アニメーターを育成するために文化庁がお金を出して、それを受けたスタジオが企画を持ち込み合格すれば作るプロジェクトの1つとして津売り上げた「龍 −RYO−」は幕末が舞台の時代物ってこともあって、空を飛ぶレトロな飛行機が出ることも海に潜る曲線的な潜水艦が出ることもなく、そういったものがデジタルで作られアニメ的なキャラに添えられ描かれ存在を主張するって感じにはなっていなかった。

 むしろキャラクターのドラマを見せるってことの方が本道なようで、薩英戦争で両親を失った少年が大久保利通に拾われ武芸を教えられる中で土佐から来た坂本龍馬に認められ、引っ張っていかれる中で戦いを知り己を知っていくという成長のストーリーが、まだ推さない少年の表情を描く映像の中に繰り広げられていて、その可愛らしさといじらしさと強さと激しさに見て惹かれる人もいっぱい出そう。これがメインのゴンゾだったらアクションも豊富にキャラクターも大勢出てきて賑やかな映像になるんだろうけれど、そこは少数精鋭が時間の期限を切られた中で挑む映像だけあって、最小限の登場人物とセットの中でメインのキャラクターたちが目一杯に動き暴れる内容に特化して作られていた。

 その意味ではパイロットなんだろうけれども手がけた人たちには武士の戦いに幕末の京都や長崎の空気感、そしてシャモを見たり絞めたりする描写から絵的なものも、生命に対する考え方も学んだんじゃなかろーか。久々に姿を見た気がする社長の石川真一郎さんも普段は商業の中で絵が得ないテーマに挑み実験できていたことを「アニメミライのおかげ」と喜んでいたし、劇場にかかる作品を作ったことで得られた若手の成長にも喜んでいた。何かテレビシリーズに関わっていたクリエーターが「龍 −RYO−」に参加してそしてテレビシリーズに戻ったら、4カ月の間でまるで別人に成長していたとか。そんな人の育成に、確実につながっている「アニメミライ」なだけにもっともっと多くの参加があってそして、人の輩出につながっていって欲しいもの。種は確実に撒かれている。

 同じことは「アルヴ・レズル」を手がけたZEXCSってスタジオの川崎とも子プロデューサーもはなしていて「ここから始まる」ってことを話してた。まだ23歳らしい吉原達也監督をはじめ若手が集い全力を出して作られたという作品は既に原作が山口優さんという日本SF新人賞を受賞した作家の手によって講談社BOXから発売されているんだけれど、映像はその第1章的な部分、出会いと最初の戦いって奴が描かれていて原作を読んでない人間はもちろん、読んだ人でも当然のように続きがどう描かれるのかってのを知りたくなる。人間がカプセルにはいって生活しながらネットにアクセスして情報を自在にやりとりできるようになった未来、義理の妹がそうしたカプセルに入ったまま、流行っていたゲームに起こった事故で精神を持っていかれてしまったことに憤り、何があったのかを確かめようと妹の住んでいた部屋に向かった兄の前にその妹がどこからか逃げ出してきて素っ裸に白衣だけ着た姿で現れる。

 その過程は文字で読んでもエロいけれども映像は実際に描かれているだけあってエロさがスパークル。でもいわゆる萌え絵とは違ってどこかスタイリッシュに描かれたキャラの影が斜線になっていたりと独特さが漂っていてそれがエロさを奥に引っ込め爽やかさと危うさを醸し出す。面白いアイディア。誰がどういう経緯でそういう絵にしたんだろうか。メイキングなんかがあったらちょっと知りたい。声は福山潤さんに喜多村英梨さんと一流どころが揃いそして敵のウォードッグを操るプロテクターを着けたスタイリッシュな挑発黒髪の少女を日笠陽子さんが演じてる。劇場版「とある魔術の禁書目録 エンデュミオンの奇蹟」で上条冬麻の前に立ちふさがるシャットアウラ=セクウェンツィアと何かキャラが被ってた。ああいうキャラにはああいう声、ってやっぱり思うんだろうなあ、それともああいう声だからこそのああいうキャラ? そういう特徴も強みなんだろう日笠さんの。ちなみに日笠さんはトリガーが手がけた「リトルウィッチアカデミア」にも出演していて役は金髪の高飛車な魔女っ娘。これもこれで。

 そんな「リトルウィッチアカデミア」は1本のまとまった作品でありまた一種のプロローグとしてこれからのテレビシリーズ化なんかを多いに期待したいし絶対にそうなって欲しいと思わせる1本。とあるテーマパークみたいなところでシャイニィシャリオって魔女の繰り出す派手な魔法に憧れた少女アッコが、魔女の学校に入って繰り広げる大騒動。父母の代から魔女ではない彼女は勉強に興味が持てず箒に乗ってもそらを飛べないどちらかといえば劣等生。それでもシャイニィシャリオに憧れだけは持っていていつかなりたいそうなりたいと叫んでも周囲はむしろそうした派手さを嫌って余計に冷たい目で見る。もちろんいじめられているって訳では泣くって眼鏡の子とか暗めの子とかが脇について友達だし、他の面々からも笑われながら親しまれて学校生活を送っていた、そんなある日。授業でダンジョンに入り宝物をとってくるよう言われた生徒の1人が、深く潜った先でとんでもないものを目覚めさせてしまう。

 そうして起こるスペクタクルをア、クションも魔女ならではの空を飛行するシーンもどれもこれも完璧以上の絵で描き出す。もう1本のOVA作品といって良い出来でこれを巨大なスクリーンで見られるんならと「アニメミライ2013」の上映劇場に足繁く通ってしまいそう。いずれDVDも作られるんだろうけれどその保証もないならやっぱり見られるときに見ておくしかないんで。何よりやっぱり巨大な画面で見たいんで。聞くと使った枚数は1万7000枚とか。やっぱりどこのOVAだ。なおかつただ枚数を使っただけじゃなく、そのきっかけがあり日常があって転換があり引きがあってとシナリオも世界観もしっかりしていて、これからの展開にすごくすごく興味を持たせる。過去の作品でクリエーターはともかく作品としての“その後”につながったものがまだないだけに、これは是非に実現して欲しいもの。シャイニィシャリオとは何者か。その杖を動かせるアッコの真実とは。見たいよう。見られるためにも劇場へ行って浴びせよう、喝采を。

デジタローグの江並直美さんが文化庁メディア芸術祭の功労賞を受賞した、その記念シンポジウムがあるってんで国立新美術館へと出むいて時間があったんで5美大展をあれこれ除いたら「はくさい君」がいた。タキタサキさんが描くキャラクターがエッチングの森の中にいるという作品は背景のリアルさと1人ぽつねんと佇むはくさい君のキャらっぽさのミスマッチ的マッチングが実にユニーク。だから東京都現代美術館の人も認めて関心を示していたりするんだろう。しかしデザインフェスタではお馴染みでもこうして美術館で見るとなるほどアートなんだなあ。造形としてキャラとして展開していくはくさい君もいればこうしてミスマッチの中にはびこっていくはくさい君もいるってことで、それらを総体してひとつの現象として語れる日が来た時に、タキタサキさんというアーティストの存在は世間にぐっと広まっていたりするんだろう。そんな日は来るのか。

 同じ部屋では吉田仁美さんって、どこかで聞いたことがるような名前の人の作品があってもちろん声優俳優ではなく普通に画学生の吉田仁美さんでその描くミノタウロスが悶えているような作品がちょっと凄かった。あちらこちらで賞もとってる人みたいなんでいずれ世にぐぐっと出てくることになるんだろう。さらに同じ部屋には石川真衣さんって人の作品もあってこちらは割にキャラを立てたイラスト的で耽美にクラシカルな絵を描く人で表紙絵とかに使われることもあったりしそうな雰囲気。あるいは自ら物語をつけて絵本とかにするとか。他にもいっぱい絵があってもその版画の部屋はちょっと面白かった。とはいえ山と部屋もあり作品おある5美大展だけに探すのも大変かも。2階はだから全部歩け。1回では武蔵野美大の楠康平さんという人にちょっと引かれた。昔「モーションコミック」にアニメーターが描いたような線の漫画がのっていたけどそんな感じに動きを持った絵を漫画的にならべた作品の絵柄にキュンと来た。どういう方向に進むんだろうか。アニメーションか絵画が漫画か。気にしていこう気にとめて。

 そして始まった江並直美さんを語るシンポジウムでは社員として働きクリエーターとしてもつき合いのあった「ジャングルパーク」の松本玄人さんが割と中心となってどういう人だったかを語りそれにボイジャーの萩野正昭さんがCD−ROMタイトルなんかを作り始めてから常に戦ってきた人だったといったことを添えて人となりを浮かび上がらせる。松本勇吾さんは前にAMDで新人賞にあたる江並直美賞を受賞してたりするんだけれどインタフェースのデザイナーでもある松本さんはそれほど江並さんが作ったCD−ROMタイトルの素晴らしく凄まじいインタフェースを知っているんだろうか。というか会場に来た人のたぶんほとんどが知らないだろうその技を、見て欲しかったけれど再生できる環境がないんだとか。まあ国立新美術館はメディアアートの常設館じゃないただの貸し画廊だから仕方がない。本当だったら東京都写真美術館あたりが積極的にやる必要がるんだけれどそういうタイプでもないしなあ、プリント集めには熱心でもデジタルメディアには及び腰、っていうか追いついていないっていうか。

 それでも今、こうしてその名前が取りざたされるのは嬉しい限りで、フロッケ展なんかについて語られもして若手クリエーターを集め世に送り出す一方でデジタルタイトルのデジタルならではの見せ方にもこだわって世に問うた人、ってことが広まればその偉績を探して眺め後に続こうって人も出てくるだろう。でもやっぱり見て欲しいなあ、その作品群を。今、もしも江並さんが最前線でバリバリやっていたらどうなっていたか、という点については「どうして江並さんがいないんだ」といった登壇者からの言葉に言い表されていて、きっとインタフェースでもシステムでもデザインでも、他に類のないものを見せて大評判をとっていただろう。ネットのブラウジングすら変わっていたかも、あるいはタブレット端末とか携帯電話とかも。そしており大きなプロジェクトを回して世界にその名をとどろかせていたかも。想像するだけで楽しくなるけど想像するしかないってのはまた残念。だからこそ。その心意気を嗣いで広め語ることをもっとしていこう。1996年2月にパブリッシャーズフロントの立ち上げをこの目で見た者として、見たことだけは語り継いでいこう。


【2月21日】 置いておくと自動的に部屋を掃除してくれるとか、パスタをアルデンテに茹でることができるとか、水蒸気が出て部屋が潤うとか氷を入れるとかき氷が出来上がるとかいった様々な便利機能も盛り込まれるんじゃないかと、そんなことは別に言われてなかったソニー・コンピュータエンタテインメントによる「プレイステーション4」の発表が、日本ではなくニューヨーク発であったみたいで、朝からネットを開いてその情報を見物したけど結局のところ「絵が綺麗になったねえ」という感想ぐらいしか抱けなかったのは過去、「プレイステーション」から「プレイステーション2」へと進化した時に、ものすごくグラフィック面での進化があって、それが見せてくれたひとつの夢、すなわち実写映画の世界に入り込んで自在に動き回れるようになるんだという夢が、12年とかいった年月を経てどうにかこうにかかなうかもしれない段階に、辿り着いたんだなあって思ってしまったからなのかも。

 どちらかといえば確認であって、それ故に驚きを得るというのにとはちょっと遠く、少しばかりの達成感が得られたって程度。なおかつそうして美麗になったグラフィックを使い繰り広げられているゲームが、相変わらずのFPSなガンシューティングであったりファンタスティックなRPGであったりとこれまでの領域を超えておらず、そのバリエーションの中で面白さを感じストーリーの目新しさを感じるくらいしか出来そうもないなあ、って思ってしまったところに、今回の「プレイステーション4」の発表を、超ポジティブに受け止められない理由がありそう。とはいえ決してネガティブではなく、より美麗なゲームがより手軽に楽しめるんだったらこれはこれで重畳、途中でセーブしなくても止めたところからスタートできるならゲーム機によっこらせっと覚悟を決めて向かう必要もなく、手軽に始めて手軽に追われてと傍らに寄り添うような感覚で楽しめそうなのは嬉しい。これは結構大事なことかも。

 これで手にしたPS Vitaとかタブレット端末あたりからもシームレスに操作が可能なら、そうしたものを外部に持ち出しプレーした上でそこからクラウド上に進行データを送りそれを自宅で取り出すなるし、端末から直接ゲーム機に送ることによって間をおかず同じゲームに浸れるようになるんだけれど、その辺りはどうなっていたっけ。アメリカだったらまだ広い自宅でたっぷりの時間を使い、大好きなFPSなりレーシングなりを楽しめるんだけれど、日本は移動の時間が長かったりソーシャルゲームが人気だったりで家でわざわざコンソール機を立ち上げゲームに向かうだけの時間も気構えも取れなくなってる。そうした心理に誘いかけるような仕組みが整っているのかどうか。そんな辺りから「プレイステーション4」が売れる上でのひとつの道が見えてきそう。「Wii U」もだから3DSとの連動をもっとやれば良かったのになあ。ダウンロード販売のソフトも増えているんだからクラウドだって出来ると思うんだ。それとも既にやってたっけ。

 あとやっぱり、ジャンルのバリエーションではなくってゲームそのものの面白さって奴を感じさせ、これは体験しておかなくっちゃと思わせるようなゲームがあんまりプレゼンテーションでは見られなかったことも食指が伸びなかった一員か。1つ、何だっけ「The Witness」ってゲームは古城あたりを舞台に進んでいく道をパズル的に造っていく内容にちょっと興味をそそられたけれど、それもパズルゲームをグラフィカルにしただけといえばいえるのか。いっそその上を球体を転がしてバランスをとりつつ進むようにすれば……ってそれは「コロコロカーヴィ」だよ、「ゲームボーイ」にバランスをとるセンサーを取り付け傾きとかを感知させながらゲーム内の球体を転がしていったっけ。加速度センサーとか内蔵しているVitaとかをコントローラに使えば再現可能な気もするけれど。ともあれそうした操作性でのアイディアなり、内容面でのアイディアに目新しさを覚えさせるゲームが果たしてあったか。そんな辺りも昨今の、僕的なゲームへの関心の後退って奴の要員があるのかも。

 これがそれこそ15年とか昔は作る物にアイディアをぶち込み世界観に目新しさを追求して世の中を驚かせよう、そして感動させようって作り手に溢れていた。亡くなった飯野賢治さんなんてそんな1人の筆頭で、「Dの食卓」や「エネミー・ゼロ」といったアクションアドベンチャーなゲームにも、グラフィックの追求だけでなく残酷さとか、迫り来る恐怖との戦いとかいった要素をぶち込んで「ファミリーコンピュータ」時代にはない、そして映画の焼き映しでもないゲームだからこその世界って奴をそこに作り出そうとしていた。「リアルサウンド 風のリグレット」なんてグラフィックがなくって声だけなんだぜ、それで引っ張っていって連れて行こうってんだから凄まじい限り。なおかつそこに描かれるドラマは、今となってはあんまり覚えてないけど結構感動的で、聞こう、そして遊ぼうって気にさせてくれた。むしろ今だとPC用のエロゲーにあるようなチャレンジが、コンソール機の上で試されていたんだ。あるいは今のゲームのゲーム的な部分での先端は、バリエーションの追求になってしまったコンソールでもなく、携帯型でもなくってエロゲーの方にあったりするのかも。シナリオでもシステムでも挑んでいるものなあ、エロゲー。

 そんな飯野さんとはあまり面識はなくって1度、大手町のビルの地下で大勢居る中に混じって飲んだこととそれからスーパーワープって会社が何か発表会を開いたときに行って300万本RPGとかリアルサウンド2とかって新作ソフトの話を聞いたことがあったくらいか。いやいや1999年12月23日に秋葉原のメッセサンオーで「D2」が発売された朝に飯野さんが1人1人に手渡しで豪華得点付きのバージョンを売るからってことで駆け付け並んで購入し、飯野さんにサインをもらい握手もしてもらったことがるって日記に書いてあった。そんなこともやっていたんだ飯野さん。コワモテで狷介に見えるけれどもあれでなかなか純粋で繊細な人っぽく、だからこそ「プレイステーション」のイベントでそこへの不満をあからさまに示して「セガサターン」への乗換を発表し、さらに「リアルサウンド」なんて視覚が不自由でも遊べて内容に感動できてシステム的にも新しいゲームを作れたんだろう。その純粋さでこの時代に新しさと驚きを感じさせてくれるゲームを送り出して欲しかった。まだ42歳。惜しまれる。合唱。

 去るクリエーターもいれば世に新しく現れるクリエーターもいるってことで、アニメーションにおけるそんな新しいクリエーターの発掘と育成を目指した「若手アニメーター育成プロジェクト」の3回目の成果発表となる「アニメミライ2013」の完成披露試写があって、見物にいったらどれもれもが凄くて素晴らしかった。個人的には1回目のプロダクションI.G.による「たんすわらし」がベストで、次いでテレコムアニメーションフィルムの「おぢいさんのランプ」が今持ってワンツーフィニッシュを決めているんだけれど、そうした単品での完成度に並びそうな作品として今回、マッドハウスから「デス・ビリヤード」ってのが加わってきて結構デッドヒートしている。見て泣ける、って作品ではなくむしろ短いなかにアクションがあり哲学があって人間性を抉る辛辣さもあるシニカルでテクニカルな作品なんだけれど、それはそれで今敏監督を抱え何作品も送り出したマッドハウスならでは。そして今敏監督好きな人間としてはそんなテイストを持った作品を推さないではいられない。当然だね。

 そんな「デス・ビリヤード」はどこかにあるバーが舞台でそこに老人がやってくると先に1人の青年がいて2人でウイスキーを飲みタバコを吹かしていたらバーテンがゲームをしなさいと持ちかけてくる。いったい何? ってあたりでだいたい想像が付くけれどもそこで繰り広げられることになるのがビリヤード。先に若い方が調子に乗ってペラペラ喋りながら自分が巧いってところを見せつけるんだけれどそこは老人、年の功なのか青年よりもはるかに凄腕なところを見せてゲームをリードし生死がかかっているらしいゲームの敗者になりそうな若者を焦られる。そこから起こるアクションとそして人生についての壮絶な吐露。そこからは産まれながらに勝者がいるという泣き言でありひとつの真理が浮かび合って見る人を悩ませる。超えられるのか沈むのか。終わったその先も気になるけれどそれは想像する楽しさがあるって意味で続編が欲しいってことじゃないので悪しからず。バーテンの傍らにいた女の喋りとか表情も良かったなあ。声は瀬戸麻沙美さんかあ、ランちゃんとも千早とも違った蓮っ葉なところを聞かせてくれた。広い演技が出来る人なんだなあ。残る3本の紹介はまた明日。寝てじっくりと噛みしめながらその面白さと、どこまで届くのかって可能性を考えたい。


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