縮刷版2012年6月中旬号


【6月20日】 もはや船橋市が舞台であるというだけで傑作に違いないのだけれども、それを書いたのが深見真さんということで大傑作だと読む前からも読んだあとも断じたい「シークレット・ハニー 1.船橋から愛をこめて」(富士見ファンタジア文庫)は、とりたてて西武船橋店の屋上に何頭かでずっと佇み続けている羊たちも出てこなければ、駅前の290円だかのラーメン屋さんも出てこず、もちろん若松劇場も登場してはくれないけれど、駅前にあって文化の殿堂となっているときわ書房船橋本店ならぬみのり書房が実物そのままの偉容で登場。その緻密な描写から類推するにきっと例のミリタリー好きで肉体をとことんまで鍛え、時々は海外に銃を撃ちにいったりもする格闘系店員さんにもモデルがいては、居座って立ち読みばかりする客やら万引する客を懲らしめているに違いない。要注意。

 あとは海老川って名前くらいだけれど他はおっつけ登場してくるものとして続刊に期待をしつつまずは第1巻。船橋海老川高校に通う主人公はどういう訳かその学校に長く存在する危機管理を旨とした部活に入ってはあらゆる危機を想定した訓練に実地で挑んではケガばかりしているというか。その日も中世の騎士よろしく自転車にまたがり馬上槍の模型を構えてぶつかり合うような体験をしていたら間に危険だからと同級生の女子が現れ避けようとして大転倒。両方から女子を串刺しにしたらスプラッタだけれどそういう展開にもならずその場は収拾し、家に帰ったらそこにアメリカから来た美少女がいきなりホームステイしていたという。何だそりゃ。

 でもって妙に日本の漫画とアニメに詳しくてそれに描かれていたような男子と女子の同居シチュエーションばかりを真似ては主人公に迫ってくるけど慣れていないのか上っ面だけなのか男子をなかなか落とせないという展開。いったい何が目的だ。そしてなおかつバイトに行けばそこにも新しいバイトとしてロシアから来た美少女が現れいっしょに作業を始めている最中になぜかいきなりつなぎのような服の前を開けては体を見せたりしてくる。どういう幸運だ。けどあんまりそれを幸運とは受け止めないでさらりと流す主人公。日曜日ともなれば通って6時間かけて復習をして残り2時間をDVDなんか見たりして凄く漫画喫茶にも中国から来たっぽい店員さんがいたりして、周辺に連続する外国人の登場を訝りながらもそこで芽ばえる恋もなし。漫然と生きようとしていたけれどもそれを天が許さなかった。

 というわけで始まる少年をめぐるあれやこれや。彼に隠されているっぽい秘密なんかをめぐってアメリカとロシアと中国の諜報機関の凄腕でなおかつ美少女たちがバトルをしたり共闘したりと大騒ぎ。軍用ヘリとか空を飛んでは少年が乗った車を追いつめたりもする派手なアクションも展開されて、もしもこれが実写化されたら船橋上空をそんなものが行き交うのかと想像したら楽しくなるけどうるさくもなるから悲喜こもごも。ともあれそんなこんなで自分が特異点めいた存在だと知った少年を、守るかのごとく3人の凄腕エージェントが取り囲んださらに外側に、自分を明かせないいたいけな少女もいたりと何角にもなった関係が、これから繰り広げられていくのであったという。しかしいったどんな秘密があるんだ主人公。どうして彼の存亡が世界の危機につながるんだ。それは何と。スパイ者がSFになって広がった可能性。その想像力を上回る展開を繰り出してくれるだろうことを期待。

 という具合に危険がいっぱいの船橋にやって来てあれやこれやと騒ごうとすると、凄腕エージェントにこてんぱんにされるんで、あんまり来ないで欲しいんだけれど、来たがる人が多そうで、今度の日曜日は朝から結構賑やかそう。そこに総理本人がお国入りしている分けではなくって、何かを直接的に近い形で訴えかけることなんかできないにも関わらず、選挙区だからとやってきてはデモンストレーションを行う人たちの、何というか意識の根っこに、そこで騒げば選挙権を持っている人たちが喧噪に対してあんまりよろしくない感情を抱くようになって、そこでそのデモンストレーションが誰を狙ったものなのかをアピールすることで、そうか奴が悪いんだといった感情の横滑りを起こさせて、次の選挙でぼっこぼっこな状況にさせようっていう迂遠な戦略なんかを感じ取ってしまって、あんまり賛成したくないなって気分が個人的にはもんわり。事件を起こした犯人の実家にいってでてこいゴルァ! と騒ぐようなもの? 違うというけど周辺をにぎわせて対象への悪感情を煽るって意味では似通ってる。でもきっとそうした思考は回らないんだろうなあ。造反有理愛国無罪ですべてをぶっ壊していった紅衛兵の過去もある。そして歴史は繰り返される。悲劇でも喜劇でもなくシュールな現実として。

 しかし凄いな大阪は、児童文学館だかをぶっつ潰したりワッハ上方を棚上げしたり文楽を叩き出したりフィルの財政を縮小させたりブラスの運営から手を引こうと言い出したりと、あれも潰すこれも潰すと潰すことばっかりが喧伝されては文化不毛ってイメージを世界的にアピールしている。もちろん大阪は文化のカタマリみたいな土地で漫才落語に文楽に音楽にその他諸々がそこから生まれて全国に広がっていたりもするし、強いリーダーシップを今も持ち得ていたりするんだけれどもそうしたことがもたらす印象としての効能に、まるで頓着しないでただ功利の面から切るだの潰すだのと言っているところにどういう経験からそう言ってしまえるのか、ちょっと心理面を知りたくなる。音楽と図画工作が苦手な子供だったとか。

 まあそうでもなくって単純に、切ってもそれほど世間から文句が出ないところ、やりやすいところから手を付けているってだけのことで含みも何もないんだろう。あったらそもそも出来ないだろうし、やるなら相当に持論を持って理論を固めて文化に集う口の達者な面々を相手に、対話し論破し納得させては事を進めるだろうから。それがないから言ってしまって騒がれあとでこっそり撤回してみせたりとかするんだ。フィルは結局9割くらいの予算がついた訳だし。それを温情って形にして今をしのげばいい顔できる訳だし。しかし一報で革新的な首長ともてはやされた名古屋の市長からはそうしたあれもこれもそれもどれも潰すといった話が聞こえて来ないのは、そこが文化不毛の名古屋だからか、潰すものがないというか。あるいは生まれ育った町だもの、どれもこれも認知していて潰せば反発も出ると理解しているのかな。そこが大阪みたいに出身だけれど遠く離れて舞い戻って踏み台にしている人と違うのかな。どっちが良いんだろう、暮らしにとって、地方にとって。


【6月19日】 そうか1対4だったかなでしこジャパンの対アメリカ戦、っても昔はそんなのが普通だったから別に驚くことではなくって、そこから相手の攻撃を分析してそうはならないようにして来た結果が昨今のアメリカ戦での互角ってな戦績につながっていた。向こうが何かを変えてきたってこともあっただろうし、センターバックに岩清水梓選手がおらずどこかディフェンスラインが中途半端だったような気もするんでそのあたりを分析して、引き締めれば無用に得点を重ねられることはないんじゃなかろーか。ちょっぴり生まれていたゆるみもこれでグッと引き締められるだろうし、まだ万全とはいえなかった澤穂希選手もだんだんと調子を上げていくだろー。岩渕真奈選手も故障から復帰すればアメリカも予想していない戦力なる、かもしれないしならないかもしれないけれどもまあ、いろいろ楽しめそうなことは事実。勝とうと負けようと未来がありそう。それがなでしこジャパンの面白さであり、強さかなあ。

 イタリアがトーナメントに上れるかクロアチアとスペインが噂どおりに2対2のドローで両者勝ち抜けと決め込むか、いろいろと憶測も乱れ飛んだEUROのグループリーグ最終節をまるで放送しようとしないTBSはもげろ。八百長めいたことを防ぐために2つの試合をともに同じ時間から始めようとして、深夜から早朝になってしまう関係もあって放送に二の足を踏んだのかそれとも、トピック的に大きな試合はWOWOWに譲ったかしたんだろうけれども注目度の高い試合をみすみす放送しないってのはやっぱりメディアとしての死を招く。あるいは深夜にスポンサーもつかない中で放送するよりは、有料でもって放送する方が折り合いもついて良いんじゃないかって思っているのかもしれないけれど、だったらどうしてこれまで大したことのないカードも放送したのか。何かズレて来ているなあ。

 そんなイタリア代表の試合を朝のワイドショーでダイジェストで見たら、堅守に加えて激しい攻撃を見せて2点を奪う大活躍を見せていた。こりゃあ強いんじゃないかイタリア。あの悪童として名高いカッサーノ選手が素晴らしい活躍を見せ、同様に悪童ぶりが話題となっているバロテッリ選手が凄まじいまでのハイキックを見せてゴールにボールを叩き込んで、相手を完膚無きまでにねじ伏せていた。ゴール直後にバロテッリ選手が何か叫んでいたのを、仲間の選手が近寄り口を塞ぐようにして止めていたのは何だろう、相手を侮辱する言葉かそれとも自分への反感に挑むような言葉を吐いていたのか、分からないけれども想像するにあれはきっと「我こそがホーリーなり」と叫んで、突拍子もないバイシクルシュートの凄さをアピールしてたんだろう。けどイタリアでホーリーといえば王子のトッティ選手を始め、多くの選手が我こそわと見なす憧れの選手。それを独り占めしては後々居心地が悪いと止めたのかも。っていうか誰がホーリーって。翼くん。ああなるほど。

 やっとこさ見た「Fate/Zero」の最新話でいよいよもって衛宮切嗣が令呪を2つも一気につかってセイバーに向かい聖杯をぶっこわせと命令。なんだそりゃあお前さんは聖杯で何かをかなえるために戦っていたんじゃないかという突っ込みに、より多くの人を救う方法なんてないんだからそのために聖杯を使うのは無理だって教えもあって何かぶっこわれてしまった様子。そして起こる大火から逃れた士郎が後に復活するセイバーをサーバントとしていっしょに朝ご飯を食べるようになるまであと10年だったっけ。改めてあのほのぼのとした日常が描かれた「Fate/Stay Night」を見返したくなってきた。ちゃんとDVDを買いそろえてあるからいつだって見られるんだけれど、気合いとか入りそうなんでもうちょっと落ちついてから見返そう。その前に「Fate/Zero」でセイバーは切嗣のサーバントとなった過程とかちゃんと見返しておかないと。どうしてああも嫌われているんだろう。アインツベルンに比べてちびで不細工だったから? 可愛そうになあアーサー王。

 何か共同通信の原稿を写して配信していたことが露見した一件で、時事通信の社長の人がその職を退いたそうで、何という潔さって驚くとともに、そうした行為がメディアにとってとてつもなく大変なことだったんでことを改めて、世間に知らしめたんじゃないかと理解。とはいえ普通だったら、現場のミスに対して上司が責任を問われ感触に追いやられたりするもので、この場合だったら編集局長あたりが更迭されるなりして幕引きが図られるものだ。それが今回は、社長という最高責任者が、異動ではなく辞任という形で職を離れて責任ととった。何か別に理由もあるんじゃないかって邪推したくもなる。

 とはいえ自分たちが自分たちの名前で提供している情報が、他からのパクリだったということを一度やってしまったら、もはやすべてがそうかもしれないと思われても仕方がない。その影響は絶大。それこそ存在に関わる問題だ。だから今回、信頼は損なったけれども個人の資質に還元して、幕引きを図って多くが咎めるようなことはしないという、一般的な方法はとらず、最高責任者が最高の責任をとることで、心底よりの反省って奴を満天下にしめして汚名を雪いだんだろー。こうした責任の取り方が業界のスタンダードになると、っていうか本来はスタンダードでなくちゃいけないんだけれど、昨今ちょい後退しがちだったそれが一気に巻き戻されたことで、もう絶対に他紙からの剽窃とかはもう出来なくなるし、あり得ないくらいの誤報でだってやっぱり最高責任者の出処進退が必要とされそう。ってことで身に覚えのある人たちはどうするか。気にしないんだろうなあ、してたらとっくにどうにかしてるだろうから。


【6月18日】 田中理恵さんは世界に4人くらいはいるそうで、今だと筆頭なのが体操でロンドン五輪出場を決めた美貌のアスリート、田中理恵さんが世間的な印象でのトップに来るけれども、それ以前はずっと僕的にも世間的にもラクス・クラインでミーア・キャンベルな声優の田中理恵さんが、ずっと印象のトップを走ってたんじゃなかろーか。あとは音響の田中理恵さんとヴァイオリニストの田中理恵さんだけれど、裏方にクラシック畑の人では世に問われる機会も声優さんと体操選手に比べてやや落ちるから、ずっと気にする必要はなかったし。それともすごいヴァイオリニストとなってすべてをひっくり返すくらいの人にこれからなったりするのかな。

 そんな田中理恵さんが久々に田中理恵さん界隈における田中理恵さん度でもって大きく前進するきっかけが。あの声優の山寺宏一さんとの入籍が発表されたみたいで世界の山ちゃん、バズーカ山寺の声優界隈のみならず一般層にも広まっている認知度に引っ張られて田中理恵さんの印象もこれでいっきに大きく広まったんじゃなかろーか。声優稼業でいうなら「ハヤテのごとく!」のマリアさんとか、これから放送が始まる「境界線上のホライゾン」の第2期でのファナさんとか、いろいろ役はあってもアイドル声優としてステージ上で唄って踊るような立場では既にないだけに、安定した実力派としてジリジリと活動していく段階にあったけれども、今回のこの騒動で、注目が集まり写真集も出すくらいの見た目の良さも活かせるようにと、舞台にテレビに引っ張りだこ、なんてこともあったりしたら興味深いけど、さてはて。

 ああ怖かった。でもほっとした。一肇さんが書いて安倍吉俊さんがイラストを寄せている「フェノメノ 美鶴木夜石は怖がらない」(星海社FICTIONS)は大学に進学した1人の青年が、身の回りに怒るオカルトで怪談な出来事を謎めいた少女とともに解決してくストーリー、って書くとほのぼのとして明るく楽しそうだけれども少女は夜石という名前でネットのオカルトサイト界隈では人間ではないだの見ると死ぬだの実在していないだのといった噂が一人歩きするくらいの奇妙な人。そもそもが少年も実在するかどうか知らなかったけれども、安いからと借りた家で起こる何者かに追いつめられていくような事件の解決に、黒夜が現れたことでその感性や知識に惹かれていくことになる。

 美貌の持ち主だけれど身辺には無頓着らしくそれこそ1カ月は風呂に入らず近くによれば臭気が漂い倒れて寝かされたベッドの枕にも酸っぱいに追いが染みつくほど。おまけに吐く。もう突然吐くから少年もどうしたものかと思ったけれども、とりあえず少年の家をめぐっておこった七から六、五、四、三、二といった具合にカウントダウンが刻まれていく事件について、同じ大学いいる小柄だけれどグラマなお姉さんたちによるひとまずの解決のその奥にある、本当の可能性って奴を暴き教えることで本物さって奴を発揮して、少年をそちらの方へと引っ張り込んでいく。

 止せばいいのに廃病院で以前に夜石といっしょに歩いた人たちが、精神をこわされ入院してしまった事件の真相を明かして夜石のぬれぎぬを晴らそうとしては、その病院に置いてあった子供の生きたいという強い思いを綴ったノートを持ち出してしまい、そのノートを媒介にして集まるさまざまな思念に絡め取られて生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い込まれる。すぐにノートを捨てれば良かったのに、自分が病気に苦しんだ経験から子供の生きたいという思いが込められたノートを捨てられず手元においてさらなる不幸に見まわれる主人公。もっともそんな頑なさが人間に興味を持たない夜石に彼への興味を抱かせ、少年がずっと縛り付けられていた襖の向こう側にある何かから解き放つ役目を果たすんだから、人間やっぱり自分を偽らずまっすぎに生きるべきなのかも。それで祟られては世話ないけれど。

 なるほど自分の内にある恐怖心が自分を突き動かす可能性から、本当に何者かの思念が潜んで人を脅かす可能性、ネットという集合的無意識を集めやすいメディアの台頭が事態をより複雑化して大きくもしたりする可能性なんかに言及されて、この現代を安閑とは生きていられなくするけれども見ようとしてのぞきこむから見られるんであって、見ようとしなければ見られず通り過ぎることもある。その塩梅をよく感じた上でさて、その先へと進むべきかそれともここに留まるべきかを選べばいい。さあどうする? 個人的には興味はあっても経験に乏しい分野だけに見えてしまう切実さって奴は分からないけど、巻きこまれる恐さを思うとやっぱり行かないのが良いのかなあ。でも夜石とかグラマなクリシュナさんとかに出会えて仲良くなれるなら、って欲望も。どうしたものかなあ。

 珍しく本屋に寄ったら「レ・ブルー黒書 フランス代表はなぜ崩壊したか」(ヴァンサン・デュリュック著、結城麻里訳、講談社)って本とそれから「ラ・ロハ スペイン代表の秘密」(ミゲル・アンヘル・ディアス著、木村浩嗣訳、ソル・メディア)って本が並んでいたんでまとめて購入。前者は言うまでもなく2010年の南アフリカでのワールドカプで練習のボイコットなんて事態が起こったフランス代表について、なんでまたそんなことが起こったのかをルポした本で噂には聞いていたけれどもあの頃のレ・ブルーのぐだぐだっぷりが読めば分かりそうになっている。外から見ているだけだとドメネク監督の独裁に周囲がついていけなかったってことになるけど、そんな監督を放置したのは協会だし、監督がどうであれボイコットなんて愚かな挙に出たのは選手たち。それらの関係性から繙いて、組織って奴がどういう力学で動いているのか、そして踏み間違うとどうなるのかってのを教えてくれそうな気がする。

 後者はそんなレ・ブルーの逆で2010年のワールドカップで優勝し、今やっているEUROでも好調なスペイン代表のラ・ロハについて書かれた本で無敵艦隊なんて言われながらも長く勝利できなかったスペイン代表が、ここに来て一気にブレイクした理由、って奴にきっと迫っていると思う。成功した組織ってのはやっぱりどこかに理由があるんだろう、それが単に監督のおかげなのか優れた選手がひとり引っ張ったからなのか、クラブでの日々の積み重ねが集合体としての代表にも好影響を与えているのか、読めばたぶん分かるだろうからそれを取り入れ日本代表も、クラブと代表の強化を通じて世界に冠たるサッカー大国になっていけば良いんだけれど、監督の選び方から運営のされ方から、むしろ前者な感じもするんだよなあサムライジャパンは。そしてそれが表に出てくることはない。フランスはよく書かせたよなあ。それを協会の広報長が日本に紹介する物としてベストと推すんだもんなあ。自省して前進する。だからきっと立ち直るよレ・ブルーは。

 九岡望さんの「エスケヱプ・スピヰド2」(電撃文庫)が既に面白かった第1巻の500倍ほど面白くなっている気がしたので読むように。激しい戦闘の中で最終兵器的に生み出された鬼虫って呼ばれる人間と機械を一体化させたような兵器の中でも最強といわれた蜻蛉を相手に、復活した九曜および蜂の鬼虫が戦う話がメーンだった第1巻から話は一気に広がって、国なり世界が置かれた状態がほの見える中で、死んだと思われていたもののしっかり生き残っていた蜘蛛に蟷螂といった鬼虫たちが現れ、謎の勢力も姿を見せて新しいバトルが始まる。あれで任務には真面目な鬼虫たちは、生真面目な九曜もその連れの少女もいじりはしても対抗するようなことにはならず、共に現れた謎めいた敵へと向かうから気分としては心地良い。裏切りとか陰謀ってやっぱり胸苦しいからね。その敵が何者で何を狙っているのか。九曜と少女が出合ったロボット近衛兵と妙に偉そうな少女の謎とも絡み提示される国をめぐる争いの行方は。次巻が楽しみ。


【6月17日】 午前の1時まで放送されていたNHKのFMでの「アニソン三昧」は、ラストに何とANIMAXが主催している全日本アニソングランプリで、一昨年にグランプリを受賞した河野マリナさんが唄ったアニメ「Aチャンネル」の主題歌が流れて何というか不思議というか、圧倒的に知名度のあるアニメではないし圧倒的に人気を持った人でもないけれど、声優さんではなくってアニソンの歌手としてデビューして活動している人が、ラストにこうして来るっていうのはアニソンというジャンルを唄うシンガーへのリスペクトって奴が、あるいは作り手側にあったのかもって想像が浮かんで嬉しくなった。もちろん声優さんで唄って巧い人は沢山いるけれど、そうした知名度がまるでないところから歌だけで、歌声だけで世に出て頑張っているアニソン歌手の人はやっぱり応援したくなる。

 アニソングランプリで審査委員長を務めているアニソン歌手の水木一郎さんにとっても、自分の所から出てきた自分と同じアニソン歌手としての後輩が、こうやって活躍していってくれるのはやっぱり嬉しいことなんだろうなあ、番組に出ずっぱりで生歌だって披露してお疲れのところでも関係なく、河野さんの曲のあとにそうした出自をちゃんと紹介していたくらいだし。同時に佐咲紗花さんの名前も挙げていたあたりがやっぱり可愛い教え子たち、っていったところか。そういやNHKのEテレに移って始まったアニメ「日常」のエンディングを唄っているのが佐咲さん。夕方に放送があってそれからラジオに出演した模様で、水木さんにも語ってもらえてこれで一気にブレイク、といってくれるかな。ライブでの躍動感も良かったけども、っとやっぱりアニメで聞きたいその歌声。期待だ。

 そんな楽曲をすぐ聴きたいと思っても、ソニーらしくiTunesからのダウンロードは無理っぽいとかどうとか。海外では何かソニーでもiTunes向けの提供を行っているらしいんだけれど、日本国内に限っては頑なにそれを行わない無策っぷりがだんだんと、己の首を絞めているってことに気付いているのかいないのか。気付いているんだろうけれども前線から遠のいた楽観主義者どもの巣が、そうした悲痛な叫びから耳を話して認めようとしないんだろうなあ、阿呆らしい。なおかつ音楽業界ではダウンロードについて違法にアップロードされたものを落としても、やっぱり罪に問うとかいった法案を作って成立させようとしているとか。アップロードを取り締まれないならダウンロードを取り締まれば良いとはまた無茶苦茶だけれど、その無茶が通ると思っているところがいつかCCCDなりの導入で通った道、食らった反発が音楽の低迷を招いた経験を忘れたかのように、今をやり過ごせればあとはどうにかなるとの勢いで突っ走る。

 でもCCCDでレコードの売上は別に回復はしなかった。むしろ反発から敬遠を浴びて音楽を聞こうっていう気をそいでしまって、それから数年経った今、音楽なんて別に聞かなくて良いんだって感じの気分を世間に広めてしまっている、そんなきっかけになったような気がする。もとより生活に必需でないものを、それでも聴くことによって得られる喜びなり、共通の話題としてのフック成りといった役割が、決して人生において必須ではないことに気付かせてしまった訳で、そこからどうにかしてまた音楽を聴いてもらいたいと思ったところで、かつて音楽を必須として育った層以外は、そんな気分をそもそも働かせる回路がない。

 だからかつて音楽を聴いていた層に認知されている懐かしのグループとか、それがキャラクターグッズと化しているアイドルユニットなり男性グループなりアニソンなりのCDだけが売れて、新しく世に出てきて今の世代にアピールしていきたい層がことごとく討ち死にって様相を見せる。このまま10年20年たって残っているのは1980年代90年代に世に出た人たちや、アニメと共に育っていったアニソン歌手ばかりってことになりかねない。まあアニソンが流行るのは悪いことではないけれど、そればっかりではやっぱり音楽の彩りが淡いものになってしまう。それから世間が、音楽そのものが持つ素晴らしさを伝えようという努力を怠っていることも、衰退の原因としてありそう。新聞を開いたところで音楽に関する情報なんてほとんど載らないし、スポーツ新聞に至っては芸能としての話題はあっても、音楽そのものについてのレビューなんてまず載らない。

 雑誌もまあ似たようなもので、有名なアイドルなりアーティストなりのグラビアとゴシップは載ってもそこから音楽へとアクセスするための情報はない。最大のアピール場だったテレビも音楽番組はかつてほどなく登場するのは一握りのグループとか事務所とか。それでどうやって音楽にアクセスすればいい? どうやって音楽の凄さを知ればいい? ただでさえ聴く習慣を失い欠けている人に情報が届かないんじゃあもう、何をやったって無駄じゃないかとすら思えてくる。そこに乗っかるダウンロード規制。ちょっとでも聞きたいという意欲を持っていたはずのリスナーがそれで根こそぎ刈り取られる。自ら出口を潰すような愚行を、それでも本当に必要なことだと信じているのか音楽業界の人たちは。
 違うな、音楽を作っている人たちは多分そうは思っていない。レコードを作ってる企業がそう思っているだけ。だから取り締まる。音楽そのもののことなんてどうだって良いんだ企業は。売れさえすれば。それが良いことに、本当に聞かれているかどうかは無関係に、、売れたからといて栄光の2ミリオンというタイトルを与えるに吝かではない。その所業を聞いて過去、一所懸命に唄ってミリオン2ミリオンを達成したアーティストは何を思う? スポイルされた感情を噛みしめるだろうなあ。自分たちの音楽は、音楽その物は必要とされているのか、聴かせようと思われているのだろうかって迷うだろうなあ、惑うだろうなあ。ミュージシャンやアーティストたちの見方になっているようで、実は後ろから撃っているレコード会社。そんな構図が見えて仕方がない。

 まあでもそんな間隙を縫うように、ネットからネット発の音楽が生まれて広まり始めているのは救いか。決してレコード協会なんかの統計には出てこないインディーズの作品だけれど、それがネットのコミュニティの中で賑わい聞かれてなおかつCDとして売れていたりする。アップロードされてすぐにだって聞けるものなのに、それをちゃんとCDとして、作品として聞きたいっていう人はネットをハブにして生まれ育っている訳で、そうした人たちの思考なり嗜好をもっと考え取り入れることによって、より大きな音楽業界って奴も、この閉塞感を打開するような道を見いだせるんじゃないかって思えるけれども事態はむしろ逆、合法だろうと違法だろうとまずは聞かせてそこから収益化の道を探る手段を自ら狭めてしまうんだから……。やっぱりもうダメなのかもしれないなあ、音楽業界の大きいところは。

 全SFに告げる。範乃秋晴さんの「特異領域の特異点2 非科学的な神の証明」(電撃文庫)を否が応でも読むように。だって凄いんだから、とてつもないんだから。とある科学者の超実験でもって地球から50億人もの人間が消えてしまう事件が起こった、その代償として人類は何でも自在に取り出すことが可能なマテリアルロウって力を得て、以前にもまして裕福な暮らしを送れるようになっていた。そんな世界に生きる大学生の一之瀬賢悟は天才でもあって全巻では超天才の科学者を見つけだしては世界に再度、特異領域特異点という実験を起こそうとしている別の科学者のタクラミを阻止しつつ、地表から消えた50億人もの人っちがいったいどこにいるのか、といった謎を解明。どうやら意識だけが外側にいってしまった様子でそれを知った賢悟は失った家族を取り戻せる可能性についての探求に乗り出す。

 そんな第1巻からこっち、大学に復帰した賢悟はかつてマテリアルロウを発見した科学者たちに与えられたものと同じ賞を受容して世界を救う天才として認められ、あっちこっちから引っ張りだこになるもののそんな彼の天才を、というより天才といったものに対して対抗意識を燃やす勢力があってそれが新たなに始めた実験が、あろうことか世界を救うどころかとてつもない危機へと陥れる。大勢の頭脳をつないで人為的に天才を生み出そうとするその実験で、使われている理論は実は人間を幽霊へと変えてしまう可能性があった。そして幽霊と化した人間は周辺のあらゆるものを透明にして無に帰してしまう。それを押さえつけることで成り立っていた実験だったけれども押さえ込みがきかなくなって爆発的に広がった世界の幽霊化の現象を、賢悟たちはどうにかくい止めようとして智慧を搾る。

 そんな賢悟を始め奇矯な実験をする者たちを追いつめ、斬り捨てる侍のような男も絡んできて事態はいささか複雑化。けれども最後にその侍の正体も判明して賢悟は心おきなく敵へと立ち向かう。さらに仲間で自分を凡才とおもっている青年が高い計算能力のすべてを出し尽くして賢悟を助けて地球を救う、その方法たるやもう驚天動地のスケールでいったいこんな地球の救い方なんてものがあったのかと驚かされること必定。人間の進化を実現するためにとられた方策も人間の死と生を活用したとてつもないものだったけれども、そんなアイデアの上にさらにとてつもないアイデアが重ねられて繰り出される終末から再生のビジョンにはただただ圧倒されるばかり。科学としてどうとかいうんじゃなくって理屈としてどうかって点でこの理屈のパワーには誰だって息を飲むだろう。かくして救われた地球でまたいったいどんな物語が繰り出されるのか。続くだろう第3巻でのさらなる驚天動地なアイデアの奔流を楽しみたい。


【6月16日】 という訳で新宿はバルト9のシアター9なんてこの劇場でも屈指の大きな箱で上映されるってんで「虹色ほたる〜永遠の夏休み」を朝も早くの8時45分から観賞に行く。6回目。ちなみにバルト9では3回目だけれど1回目の舞台挨拶がある回でもこんなに大きな箱ではなかった。どうなってるんだ。それは終わって出て判明、胸からスタッフパスを下げた人がいて次回上映の案内が「愛と誠」になっていて、見渡すとロビーにあったポスターも全部が「愛と誠」になっていた。

 たぶん今日が初日で舞台挨拶でも予定されていたんだろう、そのために1番の箱を用意して午後からの上映に備えつつ空いた初回を「虹色ほたる〜永遠の夏休み〜」に回した、と。怪我の功名。でも明日からも少し小さいとはいえ200人規模のシアターで上映が続く。15日で上映が終わってしまったかのように思われているけれども実は続いている新宿バルト9、さすがは元新宿東映会館、お膝元、東映アニメーション渾身の1作を、上映してこその興業魂って奴で。頑張れ。あと1度くらいは行けるかなあ。

 6回目だから感想はすでに言い尽くしている感もあるけれど、大きな画面だとよりくっきりと見えたこととして冒頭、ユウタがバスを降りてダムへと向かい歩いていく途中で、カーブを見ていた横顔で目が潤むように揺れていたことがよく分かった。そりゃあまあそうだ。通りたいはずもないだろう。だからあそこをそのまま通らず、カーブを曲がって車が来そうな危険も省みないで、道路を渡って山側に移ったんだろう。それが終わりごろでは、父親と同じようなバイクを運転してカーブを通り過ぎる。たぶん。それは過ぎた時間が恐怖や怒りや悲しみを乗り越えさせたからなのか、もっと大きな出合いのためにそうした感情をねじ伏せたからなのか。いずれにしても頑張ったんだなあ、ユウタも。もちろんさえ子も。

 あと、大きな画面だとユウタがケンゾーとさえ子に連れられて行ったほたる見物の場面がとっても広がりがあって美しい。中央にふり返るように立つケンゾーの格好良さ、その上を煌めくように淡い光を出して舞うほたるたちの、切なくも頑張って輝く姿が見る方へと降るように迫ってきてあの空間にいっしょにいるような感覚を味わえる。テレビの小さな画面ではこれは無理。60インチのテレビだろうとそれは同様、だって見ている人の頭より画面の上部が下なんだから。バスを降りたユウタが眺める渓谷を挟んでの山々の雄大さも同様。それを感じられるのは大きなスクリーンだけなんだ。やっぱり映画は映画館で。

 場内は30人くらいはいたかなあ、ネットの上で名前を見る人もいたかもしれないけれども、聞いたり聞かれたりするような勇気は誰も持ち合わせていないのでその場で交流が始まることなく、セイバーを背負ったまんまで会場を出てせっかくだからと角川シネマに「図書館戦争 革命のつばさ」の初日の様子を見に行ったら、ちょうと午前11時15分から上映があるって分かったんでその場でチケットを買い観賞、前の方とかまだ余ってたからどうかなあと思ったら、始まってみたらこれがなかなかに盛況で、広い方のシネマ1のほとんどが埋まってた。その後に2回続けて舞台挨拶があってそっちはとっくに完売。けどそれ以外はガラガラになるのが通例だけれど「図書館戦争」は違った。それだけ作品が好きな人が多いって現れなんだろう。

 見て思ったのは、案外に女性のファンが多かったってことで、主人公の笠原郁やその友人でいろいろと企んでいる柴崎麻子を見に来たってよりはおそらくは、堂上教官とか手塚光とか小牧幹久とか玄田隊長とか稲嶺元司令といった、熱血だったり純粋だったり冷徹だったり剛胆だったり鉄壁だったりする兄さんおじさんおじいさんといった男たちの、凛々しくて猛々しくて時々弱くて、けれどもやっぱり強靱な様って奴に、触れたいって思った人が案外に多くいて、それが「図書館戦争」という作品の、ファン層を形作っていたりするからなのかも。原作がいわゆるライトノベル読者の男性を超えて、一般小説として大きく広がっているのも、恋して戦う笠原や暗躍する柴崎といった女性への共感以上に、男たちの格好良さに惹かれた女性層が多かったから、なんだろーなあ。

 実際、映画「図書館戦争 革命のつばさ」でも男性陣はそれぞれに活躍していて、堂上教官は相変わらず怒ってばっかりで笠原郁を怯えさせているけれども、そこはかとない優しさを見せつつ自らが撃たれても郁たちを逃がそうと体を張ってぶっ倒れる。稲嶺元司令は侵入して来たメディア良化隊の銃口にもひるまず冷静に、そして冷徹に、なおかつ激情を押し殺すように拳銃を向けて牽制して、かくまっていた作家で表現が規制されそうになっている当麻や郁、堂上教官たちを家から逃がす。いやあ格好いい。問答無用に撃たれたって不思議はないのに、そしてそういう過去を持っているのに。人間、かくあらねば。ありたいものだ。無理かなあ、約30発を防弾チョッキの上からとはいえくらってそれからすぐに復帰してくる玄田隊長みたいな真似は。あれは特別。超特別。

 しかし描かれているテーマはとても重要で、そして現在的だった「図書館戦争 革命のつばさ」。もとよりメディア良化法のもとに、不穏当な表現が本も映像も含めて取り締まられ、焼却されたり封印されている時代にそうした権力と唯一、図書館法というものをバックに戦う力を有した図書隊を描いた物語だから、表現の自由に対する弾圧めいたものがまず描かれ、それへの憤りが主題として描かれていって、この何年か、どうにもジリジリと狭まりつつある表現の自由への関心を呼び起こしている。でも直近、より激しくてそして強烈な自由への侵害が、現場は別にして立法行政の現場でさして議論もされないまま、行われようとしていて、おぞましくも醜悪だった「図書館戦争」のメディア良化法下の日本、なんて架空のビジョンが、すぐそこに現実の物として迫りつつあったりするだけに、エンターテインメントだからと楽しんでばかりもいられない。

 映画に描かれた、テロに内容が利用されたからといって書いた作家から執筆する権利を奪おうとする動きってのは、法律の上ではさすがにないけれども現実、事件がおこってそこで何かの参考にされたかもしれない作品ってのが、常にあげつらわれては世の中的に排除されようとしていたりする。そうした動きを助長するのが同じメディアってところがどうにも胸苦しくも不気味な光景で、片方を叩くことで自らを延命させようとするその分断に、のっかり分断を続けた挙げ句に気がつくと、足下しかない断崖絶壁の上に立ちすくんでは根っこを折られ、全滅させられるのを待つばかりになっている。そんな未来を予言させるような映画をけれども、というよりだからなのかメディアはまるで紹介しようとしない。金曜日に恒例の新聞の映画紹介コーナーにただの1紙も取り上げていない。

 アニメーションだから? ライトノベル系だから? でも見られてる。客も入っているのにこの扱いはつまり主題なんて関係なく、有名な女優に俳優がオシャレでスタイリッシュな物なら読者に受けると考えている、頭のカタい上役共の媚態の現れであって自分たちが育ってきたメディア環境のなかでそれが良いと思わされてきたものを引きずって、今の良いものをまるで発掘しようとしなくなった冒険心、探求心、講師金の涸渇の現れでもあったりする。片方で斬新なものへの攻撃が続き、片方で旧来的な物ばかりが祭りあげられ根がどんどんと細くなっていくメディア状況。現実においつけなくなった時、自らを守り高めようとして良化の名のもとに検閲と制約を自らに許してそこに既得権益を築こうとし始めないとも限らない、この状況に風穴を開ける意味でも絶対に、「図書館戦争 革命のつばさ」は見られて欲しいし、当たってほしい。既存のメディアがあてにならないなら、僕たちが何とかするしかない。ってことでこの映画の魅力の要点を上げよう。

 それは笠原キック。絶対に笠原キック。何といっても笠原キックが1番の観賞ポイントであることを、見た人なら分かってくれるだろう。終盤になって逃げる作家の当麻に迫るピンチに現れた笠原郁、駆け込んできてはそのままジャンプしてまずはドロップキックをお見舞いし、それから飛び上がってのローリングソバットを決めてさらにハイキックからの回し蹴りなんかも決めてたようなそんな感じで、メディア良化隊の屈強な男どもをねじふせ叩きのめそうとしてまあ結局は、多勢に無勢で押さえつけられはするんだけれどそこに現れたあれは笑う正論、小牧幹久の助けもあって脱出に成功、そして大使館へと向かう途中のカーチェイスとなるんだけれどそのアクションもなかなかのもの、実写でやったら迫力出るだろうなあ、というかそれなら笠原郁も実写にしないと。25歳くらいで背があってキックが出来る女優、って誰かいるかなあ、ただ強いだけじゃなくって、堂上教官相手に顔を赤らめドギマギできる純情さって奴も出せるような。いないなあ。

 というのは半ば本気で、半ば上段であってより重要なこととしてはやっぱり表現者の側もまた、そうした表現規制に対してどういう立場で望むべきかってことを、教えてくれている作品だってことだろう。ここでは当麻って作家にスポットを当て、彼がただ好きなエンターテインメントを書いてきて、けれどもテロに利用されてやり玉に挙げられて、表現を規制されそうになって、最初はどうして自分がと驚き、戦いのリーダーにさせられることに抵抗感を示す、小心者めいた描き方をしていたりする。けれども、自分に限らずあらゆる表現が現場で弾圧されていることを知り、そうした弾圧と図書隊員だけでなく、書店員や本好きの一般人が戦っていることを知って、戦わず逃げることで規制の網を細かくし、広くし強くしてしまった自分が恥ずかしいと思わせることで、今を避けて逃げてすり抜けて安全圏に身をおいている表現者たちへの、未来は決して安泰ではないんだぞと諭している。

 ここで言う表現者とは何も作家を始め、大手のメディアで活動している人たちだけの話ではない。同人誌というものが生まれ、コミックマーケットのような大規模な即売会が現れ、表現する場が広がっていた上に、ネットというメディアが現れ、誰だって自在に表現したものを広く伝播できるようになった。そこではさまざまな新しい、そして挑戦的な表現も行われ、時に世を動かしそうな事態も起こっていたりするけれど、そうしたものを根こそぎ規制するような法律なり動きが、今まさに出来上がろうとしてたりする状況は、「図書館戦争 革命のつばさ」の過激に銃弾が飛び交うような世界にも負けず、きゅうくつで鬱陶しい未来の到来を予感させる。問題はだから遠くの話ではなく、極めて身近な問題だということを、改めて知って己の立ち位置を見極め、何をすべきかを考える、そんな時に来ているのかもしれない。見渡せよ。そして耳を澄ませよ。縛る鎖の迫る様、表現を踏みつぶす靴音との響く音に注意せよ。


【6月15日】 昨日の東京おもちゃショーをふり返りながら、目の前で水木一郎さんが唄う「マジンガーZ」を一生のうちにあと何回、聞けるだろうなあ、って1度だって聞いたことのない人も大勢いるなかで贅沢なため息かもしれないけれども、やっぱり目の前で見ると本当に本当に格好いいんだ。あんな大人になれればいいなって、こっちも既に十分大人なんだけれどもやりたいことをやり続けられたまま、大人になって老いていくのってやっぱりとっても羨ましい。ささきいさおさんも同様に「宇宙戦艦ヤマト」を唄ってなお最前線でファンたちを引っ張っていってくれている。こういう息の長さ、永遠性もアニメソングってものの強みなんだろうなあ。今のポップスにそれがあるかなあ。ないからおまけで売るようになってしまったのかなあ。

 アニメソングといえば朝の「とくダネ」だかにあのラスマス・フェイバー先生が出演していたのを見て仰天。何事かってそれはだからアニソンをジャズにアレンジした「プラチナジャズ」ってものがあるって紹介で、先だってのビルボード東京でのライブから「GO!GO!MANIAC!!」とか「創聖のアクエリオン」とか「はじめてのチュウ」とかがいったいどういう風にジャズになっているかを原曲と合わせて紹介していた。なるほどこうすれば一聴瞭然に違いが分かる。放送した側にも本気でラスマス先生と「プラチナジャズ」の凄さを伝えたいって意欲があったんだろうなあ。いい番組だった。

 思い返せば2年とちょっと前にアニソンでジャズやっている人がいて人気なんだよ取材しないって言われて数ヶ月前に出たそのアルバムとかネットでの演奏を見てこりゃすげえと思い来日していたラスマス・フェイバーさんに話を聴いて記事にしたんだっけ。その時はまだ第2弾の発売すら決まっていなかったんだけれど元がやっぱり良い作品だったからだろー、第2弾も決まっておまけに年明けのビルボード東京での来日まで実現してこれは嬉しいなあ、でもこれが最後かもしれないなあと諦め欠けていたら何と第3弾まで出た上に、2度目の来日公演まで実現してしまったからもう歓喜。それだけ聴いて凄い素晴らしいと思った人が多かったって現れで、そうした一気呵成の広がりにちょっとでも貢献できたとしたら嬉しいんだけれど、あんまりないよなあ、反響あんまりなかったし、ってそれは媒体力の問題か。

 でもこうやってテレビで紹介されてネットで知らなかった人たちにまで届いている様子を見るにつけ、やっぱりテレビって凄いなあと思うし楽曲自体もやっぱり本当に素晴らしいんだと再確認した次第。これできっと第4弾も実現するだろーし今度はホールツアーあんてのも実現してくれたらさらに嬉しい。ジャズに相応しい箱ってどっかあるかなあ、東京ジャズに合わせて東京国際フォーラムでやってくれたらこんなに嬉しいことはないよなあ。あるいはBUNKAMURAのオーチャードか。サントリーホールか。夢は広がる。そして実現性も高まる。見守ろう。そして売れても頑張ってチケットを確保して駆けつけよう。

 しかしやっぱり自分は2年早いなあ、いろいろなものを取り上げるのが。それで誰コレ? 何ソレ? 的な反応を上から浴びて無意味な奴だと思われ追い出されてしまう繰り返し。2年後になて売れてから取り上げた方がそりゃあ受けはいいからライター的にはそっちの路線を獲るべきなんだろうけれど、でもそれっておもしろい? 売れてないけど売れるのを取り上げ紹介してこそメディアってもんじゃない? という考えもこの不景気ではあんまり通用しなさそう。かくしてメディアには同じ人たちばかりが登場して似たような紙面や誌面が並ぶという。新しい者は現れず育たずそして2年後、何もない荒野が広がっているという。どうにかしたいけど、どうにもならないなあ。

   割と普通だったかなあ「戦国コレクション」の松永弾正久秀の回。そもそもが海外の在日大使館の大使が借金で困ってヤクザに脅され大、使館の敷地内にカジノを設置するっていう展開が荒唐無稽な上に、そうしたカジノに人も大勢来ていればきっとすぐに露見するだろうという可能性への言及が、あんまりないのに引っかかってあり得なくてもおもしろければ良いという気分にはあんまり向かわなかった。出入りしていて松永久秀とカジノの男とのバトルで間に立った社長さんとか人が良さそうであんな場所に出入りしてそうには見えなかったし。それとも久秀の仲間だったんだっけ。常連みたいだったから事前に送り込む時間なんてなかったから違うか。そんなあたりも悩ましいところ。

 ポーカーに興じているその裏で、部下たちが金庫から金を盗み出せるようにするために、ちゃんと警報機を切るためのエピソードを入れていたのは段取りとしては真っ当か。でも見せ金として出した通帳が「こども銀行」になっていて、印鑑がただのスタンプになっているのをどーして相手は気付かなかったのかってのも謎のポイントか。あるいは松永弾正久秀、戦国武将ならではの幻術とか使ってその場をすり抜けたか。とまあいろいろあっても見ている間は楽しかった「戦国コレクション」。こういう回もあり意味不明な回もあって構成されるもろもろが、クリエーティブの面白さって奴を味わわせてくれるからテレビシリーズってたまらない。次はいよいよ前田慶次か。前田利家とか出てきてないのにどーすんだろ。眼鏡っ娘も出てくるみたいだし、楽しみにして待とう、放送を。

 ああ捕まったか高橋容疑者。川崎から逃げ出して横浜から小田原熱海と逃げているのかと思ったらもう目と鼻の先の蒲田で漫画喫茶に入っていたとはもう逃げられないから見つけて欲しいと言わんばかり。それこそ首に懸賞金1000万円とでもかけて歩いて1番乗りの人に進呈するくらいの勢いだったみたいだけれども今回の場合は漫画喫茶の店員さんに贈られるのか警察が見つけたからといって差し止められるのか。駅にもいっぱい警察官がいるだろう中を川崎からどうやって蒲田まで行ったかにも興味、徒歩で多摩川を渡河したとか? 新幹線の橋の下をもぐるように渡ったとか? 分からないけどともあれこれで一旦の決着、長かった事件にひとつの結末がついてさあ、残るは刑の執行か、これがまた難しい問題をはらんでいそう。連合赤軍のように獄死を待つってスタンスになるのかなあ、それも悩ましい状況だろうなあ、難しいなあ、制度って。


【6月14日】 宗教の皮を被って麻薬をバラまく奇妙奇天烈な教団とか、無骨な銭形銭形にぞっこんな美声年のオスカー警部補とか、峰不二子と真正面ヤっちゃっている銭形警部とかってちょい、見てこれはどうしたものかなあって思ったシチュエーションなりキャラクターの行動が、間のエピソードを経てここまで大きな意味を、そして深い意味をもってくるとは気がつかなかっただけに脚本の人も、いったいどうしたものかって言われていた時はきっとウシシとほくそ笑んでいたんだろうなあ。「LUPIN The Third 峰不二子という女」。ポルトガルとデンマークの決死のバトルを裏でちょい見ながら眺めたエピソード。奇天烈な教団を裏で操っていた科学者たちの流を汲んだフクロウの怪人たちが暗躍しては、銭形のとっつぁんにぞっこんなオスカーを誑かして道を踏み誤らせる。

 そんなオスカーは峰不二子と銭形との一件がずっと頭にひっかかっていてその場に行けない、というより向こうにその気がない銭形相手には絶対に行けるはずのない事実をずっと噛みしめ悲しみを覚えていただけに、峰不二子なる女が世界からいなくなるなら何だってするっていったところまで追いつめられてしまった模様で、自らを不二子と偽りドロボウとなって盗みを繰り返し、挙げ句に人まで殺めてしまってもう戻れないところまで来てしまったのに愛は盲目、そのことに気付かないままさらに暴走を続けてそして、そこで自分がかつて何で銭形に魅了されたのかを思い出してようやく我に返ってそして過ちを雪ごうと爆弾を抱えて川へと身を投げる。

 果たして散ったのか。それとも。走馬燈のようなシーンでドレスに身を包んで銭形に好まれそうな姿で空を行き、銭形に手を差し伸べたオスカーが最後に手を握れなかったところが気になった。まだまだ利用価値ありと引きずり戻されたか、フクロウ共に。そんなオスカーが不二子の化けて盗みを働いていた場面ではしっかり胸とか盛っててこれがなかなかに麗しい。裏返すなら平べったくたって麗しく漏れるってことで世に数多ある麗しいそれらも一皮むけたらって可能性を考えておかなくちゃいけないかも、いやまあ描けばそうなる絵なんだけれど。一方で不二子はひきこもってブルブルと震えて回復の兆しが見えず。ニュースを聞いてなおいっそう闇に落ち込んでたりするだけにそこからどうはい上がってあの快活でしたたかな不二子が甦ってくるのか。それは誰を相手に何を成し遂げた瞬間か。結末に興味津々。それはルパンか。五エ門か。

 そんな裏側で死闘が続いていたっぽいEURO2012のポルトガル対デンマーク。ポルトガルがまず1点を叩き込めばベントナーってデンマークのエースが取り返したりしているうちに気がつくと2対1でポルトガルがリードする展開に。前半が終わって後半になってさあ一気にポルトガルが行くかと思ったら、エースなはずのクリスティアーノ・ロナウド選手が今ひとつで1人でもってゴールキーパーと1対1になっても外すありさま。こりゃあリードしきれないなあと心配していたら右サイドからのクロスをゴール前でベントナー選手に叩き込まれて同点に追いつかれて、前節の敗戦に続いて今回も引き分けで勝ち点を1つしか積み上げられないのかと、全ポルトガル国民が絶望に打ちひしがれたその時。

 途中後退で入ったヴァレラ選手が救う。サイドから入ってきたボールを空振りしつつも保持してそして、ゴール前でもって振り向きざまに1点を叩き込んでリード。そして終了。勝ち点3を積み上げ得失点差でデンマークの上に来て、未だ勝点のないオランダを最下位に見て6点のドイツを追う感じとなった。次にオランダに勝てれば多分、抜けられそうだけれどデンマークがドイツにかったらややこしいなあ。いずれにしたって負けられはしない戦いになりそう。一方でオランダは調子の悪さが出ているようすでドイツを相手に2点を奪われファン・ペルシの1点を奪っただけで敗れ去った。アーセナルでは抜群の得点力を誇るファン・ペルシが頑張ってはいても周辺は。ロッベンもスナイデルも名前だけってことなのか。このオランダなら一昨年の日本代表ならワールドカップで勝てたかも。ともあれ苦しくなったのは事実で続くポルトガル戦を絶対勝利で乗りきり大量得点の上で他の模様を眺めることになりそう。まあ無理だろうけど。ブラジルまでに復活できるか。それ以前に予選を抜けられるか。

 スギちゃんだスギちゃんに会えるとワクワクして東京おもちゃショーのタカラトミーの発表会にいったらスギちゃんがさらにワイルドになっていた。スリムで長身で顔立ちは濃くなってギャグが「そんなの関係ねえ」だった、ってそりゃ小島よしおさんじゃん。タカラトミーが発売するリモコンのボクシング玩具の発表会見で世界チャンピオンに挑戦する役として最初、スギちゃんがブッキングされていたんだけれどどうも朝方に体調不良が極まったみたいでそれで急きょ、小島さんに呼び出しがかかってパンツ1ちょうで東京ビッグサイトまで来たみたい。それはさすがにないか。

 でも基本、パンツ1ちょうあればどうにか仕事が出来るから凄いよなあ、スギちゃんはあれで袖のないデニムのベストに半ズボンが必要な訳だし。そして「そんなの関係ねえ」をやれば誰もがパッを思い出す。1発屋ってのはそれだけでやっぱり財産なんだよなあ。けど突然に呼びだされても、ちゃんと盛り上げて変える小島さん、芸人だねえ、「そんなの関係ねえ」の1発だけって思われがちだけれど、テレビ東京でやってる朝の「おはスタ」に出てたりと仕事も有る様子。減ったって言ってはみたもののそこは芸人の口芸ってことで、今も生き残ったその子供たちへの分かりやすさをこれからも、続けて10年後も体調不良の1発屋芸人に代わって登壇して欲しい。体型もそのままに。

 その直前にはバンダイでもって「DX超合金魂マジンガーZ」って奴の発表会を見物、だっって我らがアニキ、水木一郎さんが出てきて唄ってくれるんだからこれはもう迷わずに行くしかない、ってことで待って占めたセンターから、登壇してきた水木のアニキの「マジンガーZ」に関連した歌を3曲、メドレーながらも真ん前で聞いて生きていて良かったと喜悦に浸る。しかし歳が歳なのに代わらぬ歌声、そして伸び。今なお歌い続けているからでそれは一方で「マジンガーZ」って作品とその主題歌が、今なお歌われてほしいくらいに人気だってことでもある。そんな楽曲がほかにいったい幾つある、って考えると先人の偉大さに頭が下がり、後続の僕等が生み出せない何かって奴に思いが及ぶ。情熱かなあ。魂かなあ。それを見つけることがこれからの40年を日本がなおコンテンツの中心として世界と戦っていく上で必要なことなんだろーなー。

 それにしても3万6750円とは高いなあ「DX超合金魂マジンガーZ」。今までのより何倍もデカいし表面を外すとエンディングに出てきたように内部構造までぎっしりとみっちりと再現されていて楽しみどころは満載。永井豪さんも話していたように、最初にやらいたかった発声とか発光のギミックも仕込まれてなおかつ超合金ならではの重量感があるならこれくらいは当然とは思うけれども、昨今の不景気でお財布が寂しくなっているマジンガーZ世代のお父さんたちにはなかなかキツそう。それでもタバコも酒も我慢して買いに走るか超合金。かつて買ってもらえなかった悲しみを晴らすのはここだと突き進むか。どれくらい売れるかに要注目。そして誰が買うかにも。次にDX超合金魂が出るとしたら何になるのかなあ。初音ミクかなあ。ないない。


【6月13日】 「RIDE ON TIME」や「クリスマスイブ」が入るのは当然としてやっぱり「SPRKLE」は入って欲しいし「黙想」や「FUTARI」や「MUSIC BOOK」も入って欲しいなあ、ってなると年代が偏りがちになるからまあ仕方がないとしても有り体に、アルバムから人気の2曲3曲をぶっこぬいてずらり並べる本当の意味でのベスト版じゃあ我らが山下達郎、ちょっと面白くないって気もするんでライブでもやらないような意外な曲とか集めてみせてくれたらちょっと嬉しいんだけれど果たしていったい、どんなベストアルバムになるのかなあ、9月26日発売の山下達郎ベスト盤

 あとはやっぱり「MRONING GLORY」かなあ。そして「LOVE SPACE」。マイベストを作るならきっと入ってきそうだけれど、果たして。でもその前に注目は映画館でもって達郎のライブを観る「PERFORMANCE 1984−2012」か。前にJOYで試験的にやったこともあるみたいだけれども今回は本宅的なロードショー的規模でもって全国的に展開する模様で年代も長いから今のどっしりとして安定感のある達郎さんのライブパフォーマンスだけでなく、1980年代後半の声ものりのりだった時代のライブもきっとありそう。今の若い人では知らないあの歌声とそしてバックバンドの凄みって奴を、劇場の素晴らしい音響の中で体験できるだろー。でもクラッカーは禁止だな。さすがにな。

 僕が達郎さんのライブを観たのは1985年だっけ86年だっけのちょうど「ON THE STREET CONER」でCDのジャケットになってたセットのを2列目で見たんだっけ。曖昧だけれどそんな時代に間近で聞いた声にまた、映像とともに出会えるんだったらこれは僥倖、行くしかないしそれも何度だって行くしかない。名古屋ではこの後に2度ほど行ったんだっけ、場所は今はなき愛知県勤労会館。達郎さんといえば必ずここを使っていたってことはきっと良い会場だったんだろうなあ。それを潰してしまう。もったいないなあ。ところで劇場で見るライブ、いったい何時間になるのかなあ、本番さながらに3時間でもついていくよ。

 そういやあ愛知県勤労会館での達郎さんのライブで僕は村田和人さんのコーラスを聴いていたんだっけ。たぶんそうだと思うけれどもそうした裏方仕事とは別に既にデビューしていた村田さんが大好きで、「また明日」から「ひとかけらの夏」「MAY CREW」「ときて「ShowDown」「Boy’s Life」までのムーンレコード時代の5枚を買ったか前半は借りたかしてずっと何度も聞き込んでいたっけか。当時はまだCDじゃなくってLPレコードだった、そんな時代は1枚のアルバムを本当によく聞き込んだ。だから本当に耳に覚えているようで今回、SHM−CDで再発された5枚をどうしてもたまらずまとめ買いして聞いてみて、ああやっぱり覚えているよちゃんとしっかり覚えているなあと確認して悦に入る。音楽ってそういうものだったんだよなあ。

 やっぱり隙なのはマクセルのカセットか何かのCMソングに使われていた「一本の音楽」でその高らかに響き澄み渡る声は、プロデューサーだった達郎さんのせいもあるのかまんま達郎的なシティポップ感がばんばんと漂い聞けばすぐに目の前が夏になる。晴れ渡る。そして同じ「ひとかけらの夏」から「So Long,Mrs.」って曲がやっぱり強く印象に残っている。当時はまだ学生だったのに「ネクタイが似合わない、髪は今も長いし、学生にみられるよ、僕は変わらない」って一節が、そういう人生も悪くないなあと思わせてくれたら案の定、ネクタイなんか締めず(本当は締めてる人が多いんだけれど)髪も長い(禿げてるけど)胡乱な人間に育ったよ。そのほかの曲も本当に良い物ばかり。けどそんな村田さんも第一線でバリバリというよりライブ活動を中心に講師もやってアルバムも出すといった感じ。でも生き残っているってのはやっぱりあの時代に鮮烈な歌声を浴びた人が多くファンとして残っているってことなんだろう。一度でも輝いた才能には終わりはない。輝きたいなあ。

 「民間企業の労働者の年収が減少傾向にあるなか、支給額に上限がない“青天井”に市民から不満の声があがりそうだ」とどっかの自治体でもって公務員が年間に400万円とかの残業代をもらっていることを不思議がっているメディアがあって、おいおいそんなに長時間の残業をさせるなんでどこの非道な自治体だって働かせすぎを非難する記事かと思いきや、働いた分をしっかりもらっていることは働いた分も打ち切られてしまってもらえない民間に比べてお花畑じゃないかって公務員の給与のもらい過ぎを非難する記事だった。なんだそりゃ。

 そこは働いても働いても残業代を打ち切られてそれでも仕事があるからただ働きするサービス残業をしている民間にこそ、労働基準法に違反しているって非難すべきものなのに、それを基本と考え公務員を非難するのはつまり労働基準法に違反するサービス残業を公務員もすべきだって満天下に向かい言ってしまっている。もう阿呆かと。戯けかと。それでよく天下の公器だのと名乗っていられるなあと題字を見たら……そんなポン酢な記事が出るのもしゃあなしか。死んでない人を死んだと言ってた所だし。

 しかし書く人間の未熟はそれとして、上で記事を見る人たちがこりゃあちょっと論旨が拙いんじゃないかと止めるなり、趣旨を変えるなりするのが普通だけれど、公務員を批判するという“大義”のためには何が何でも公務員側に瑕疵があると言わなくちゃいけないっていう考えから、視野が狭くなっているのかそうしたところへの配慮がまるっと欠けてしまう。あるいは知っててスルーしているのか。だとしたらなお悲惨。けど読めば普通に真っ当な人だったらそ、りゃあいくらなんでも牽強付会が過ぎるし視野狭窄も甚だしいと気付いて、こりゃあ阿呆だ戯けだと感じ取るはず。そうした蓄積が積もり積もってボディーブローどころか多臓器不全に陥りかけているってのが現況で、その先はだからどうなるかというと……。どうしたものかなあ。

 そして見てみた「LAST BLOOD + C THE VANPIRE」って映画では工藤夕貴さんの声をした小夜と実写でスパッツを履いた小夜と音無小夜とそして更衣小夜が出てきては刀を振りまわして斬り合いを演じては誰が本当の小夜なのかを決めるバトルロイヤル映画だった。嘘だけど。そんな感じに数ある小夜ちゃんだけれど劇場版の「BLOOD−C The Last Dark」に出てきた小夜ちゃんは、テレビ版の「BLOOD−C」ではおとなしめの眼鏡っ娘だったのがすっかり吹っ切れて冒頭から地下鉄の中を歩いては怪物を切りすて追いかけ最後は串刺しにして打ち倒すという、「BLOOD」に多分お約束なシーンって奴を見せてくれた。確か「LAST VANPIRE」でも「LAST BLOOD」でも地下鉄のシーンはあったよなあ。その名残って奴なのか。

 そんな事件で知り合った少女と仲間らしい青年2人に連れられいった先でサーラットなる反政府とまではいかないけれども裏で画策する党派に挑む組織って奴と知り合い仲間にはならないまでもいっしょに活動し始めた小夜は、文人という青年を追ってこれを殺そうと画策する。相手は知事すら抱き込むような巨大企業。その権力と監視網をもってすれば青年のサークルめいたサーラットが、いくらやっぱり大企業の経営者を見方につけたところですぐに居所を割られ攻撃を受けるはずなのに、って浮かんだ疑問も最後にどうにか回収されてそれなら自在に行動できても不思議はないと納得。あと役立たずに見える眼鏡っ娘のお嬢さんがどうしてサーラットに参加しているのかって点も、過去があり才能があると分かってこれも納得。分からないとイラつくけれどもそのへんへの目配りがある点が映画として真っ当だって印象をもたらす。映像的にはさすがの一言。よく動く。飛び跳ねてもスカートの奥に白いのが見えないのはきっと履いてないからだろー。そしてお風呂では双球を堂々とさらしてくれていて青少年は目が釘付け。それを見にいくだけでも価値があるかも。絵だけどね。


【6月12日】 やっとこさ見た「Fate/Zero」で遂にライダーが逝っていた。まあ予想はしていたけれどもああも格好良く潔く逝かれると人間、死に際って奴は大事にしたいものだと思えるけれども奴らはもう何度も死んでは英霊として甦って聖杯戦争とか戦っていたりするんで死に際を綺麗に見せることだけに血道をかけているといっても等しいから、1度しか死がない人間がそうやって冷静に迎えることなんで出来ないわな、やっぱり。でもってアーチャーなギルガメッシュも居候の優男然としていた時から一変し、なおかつ夜の庭園で酒を酌み交わした時よりも真面目になっててそこはやっぱりライダーへの敬意を払っていた模様。そして全力でぶちのめす、と。格好いいなあやっぱり。そしてウェイバー・ベルベットと対峙して彼がライダーの臣としてすべてを見極め語り継ぐ役目があるから死ねないと継げると「忠道大義である」といってやっぱりその意に敬意を払う。真摯な者には真摯に向き合う、それが王って奴なんだなあ。見習いたい、無理だけど。

   ついに明かとなったドラマ版「トッカン 特別国税徴収官」のキャストを見て感じたことはただひとつ、これは本気だ日本テレビ放送網。主演のぐー子役にはすでに井上真央さんが決まっていたけどその相方になって彼女をぐー子ぐー子と叱咤する鏡トッカンが流行の二枚目俳優とかではなく、ましてや芸人芸能人の類ではなくって北村和夫さんのDNAを科学的にも演技的にも継承しているだろー北村有起哉さんが担当。ちょい面長な顔立ちは厳しく冷徹に叱咤する鏡のイメージと比べ木訥過ぎやしないかって気もしないでもないけれど、数ある出演作で見せた演技で極めて高い評判を得ている人なだけにきっと完璧なまでにドラマとしての鏡トッカンを演じてくれるに違いない。

 というかそれ以外のキャストにもずらりと演技巧者がそろって芸人の類が立ち入る余地がない。スイーツ好きな署長さんは劇作家でもある岩松了さんだし統括官の2人もテレビや映画や舞台で活躍する演技派たち。ぐー子がライバル視するとゆーかむこうがいろいろキツくあたってくるエリートな同期生には木南晴香さんでぐー子とお友だちになったかもしれないという女性は美波さんと今が旬の女優さんたちが並ぶ。そしてぐー子が挑む銀座のクラブのママには若村麻由美さんが。井上さんに先立つこと14年前のNHKは朝の連続テレビ小説でヒロインを演じた大先輩がここでも新米徴税官のぐー子の前に立ちふさがる。はたして勝つのはどっちだ? ってのはストーリー的に分かってはいてもこの対決、見物だぜ。

 ぐー子の父親の塩見省三さんも演劇集団円に所蔵するプロフェッショナル的な人。ぐー子が先輩を仰ぐ女性には鈴木砂羽さんというブルーリボン新人賞受賞の女優さんとあってもうこれは演技力だけで万人を納得させられる人を敢えて選んだとしか思えない。そんなドラマを率いるチーフプロデューサーはあの超絶視聴率を叩き出した「家政婦のミタ」に関わりその前にも「女王の教室」を手がけて日本テレビの漫画ドラマじゃない方のドラマでもって満天下にその存在感を見せつけた人らしいから、これはもう面白くならないはずがない。どっかのお台場なテレビ局がワイルドらしい旬ではあっても旬だけだってこと以外に配役する必然のない人を持ってきたりするのと比べてドラマを本気で世間に売れる御テンツにしようって気構えが見えるこの姿勢が、番組表で右端に追いやられた番外地を後目に視聴率三冠をテレビ朝日と競い合う原動力になっているんだろうなあ。見直した。そして見ようと思ったドラマ「トッカン」。んで何日から何時から。

 なんかまた「フィギュア萌え族」な人が放言したとかしないとかいった話が流れてきているけれども今回は、オタクが例の心斎橋での通り魔事件に絡んでいるかもって見解に驚いたというよりは、むしろ大阪に土地勘もあるはずの人が心斎橋の大丸近辺と、オタクショップが並ぶ日本橋でも南よりの地域とを「近い」と言ったとかどうとかって話の方に驚いた。というよりちょっと哀れになった。何度か行った大阪で歩いたこともある心斎橋から日本橋はまず増したに降りてから行くとしたら、間に難波とか千日前とかあったりして結構な繁華街を超えていかなくっちゃならず余程日本橋に行きたいって気持がなければたどり着けない遠隔地。そしてまず横に抜けるとなると道頓堀の繁華街があって新宿歌舞伎町もかくやと思わせる町中を抜けていくからやっぱり日本橋にはたどり着けない。

 東京で言うならそれこそ秋葉原から銀座へと行くような距離感であるにも関わらず、読売新聞の大阪社会部でそのチームありと唄われた黒田清さん率いる黒田軍団の番頭格として、活躍したと交換言われている人が大阪の地理すら間違えて喋ってしまうというこの一件。オタクならやりかねないというのはそれは一種の思想であってそういう主張を唱える人が存在し続けることは避けられそうもないけれど、分かっているはずの地理を間違えてしまうのはもはや人間としての思考力なり認知力の方に何か良くないことが起こっているんじゃないかと想像するに難くない。だから哀れであり、あるいは悲しむべきことなんだけれども当人、それに気付いているのかなあ、誰か教えてあげれば良いのになあ。

 東京おもちゃショー2012前に恒例の東京おもちゃ大賞をのぞいてみたらプリキュアとフォーゼとスーパー戦隊が部門での大賞をとっていた。プリキュアはガールズトイで戦隊はキャラクタートイでフォーゼはベストセラー。昨今の人気キャラクターを見ればまあそれも分かるってものだけれどそんなバンダイが得意とするキャラクターではないイノベーティブなトイ部門でも顔にiPhoneをはめこんで遊ぶ犬のロボットで受賞していたりしたのは意外というか、いろいろ頑張って新しいプロパティを育てようとしているというか。でも前にBD−01とかいった猫のロボットを作ったりフロッグスタイルって小さいカエルのフィギュアを作ったり無限プチプチとか作ったりしていたこともあるから企画力はちゃんとある、問題はそれを長く長く続けていけないってことなのか。フロッグスタイルもすっかり下火だよなあ。

 それと比べるとタカラトミーはプラレールでもって受賞してエポック社もシルバニアファミリーで特別賞を受賞してと半世紀四半世紀なんて長い時間をかけて育ててきたプロパティで評価されるところもあった。キャラクターでも毎年代わるライダープリキュア戦隊ではなくアンパンマンで大賞まではいかなくても入賞を果たしていた企業がいくつか。こっちも四半世紀は経ってたっけ。生んで育って定着した時に生まれる広がりって奴を、いったん作ればあとはどうにかなるものだとも教えてくれるけれどもそこまでいくのがやっぱり大変、なんだよなあ。しかしシルバニアファミリー、日本生まれにしてはあの可愛らしさで世界に広がっているというからやっぱり凄い。あと10年も経てばキティくらいに知られるかな。上回ってしまうかな。ちょっと楽しみ。


【6月11日】 余程の用件でもなければ立つこともない、東京から遠く離れた大阪の繁華街に、その日たまたまライブがあるからと赴いてそして、その時間にたまたま車を降りて歩いていた路上で通り魔に遭遇するという、この“偶然”をいったいどう思えば良いんだろう。そこに事件を起こす意志があった以上は、対極的に見れば誰にも等しくそうした被害に遭う可能性があったってことにもなるけれど、当事者なり関係者からすればやっぱりどうして自分がといった巡り合わせの不幸に、愕然として蕭然として呆然としてしまうものだろう。いついかなることがその身に起こるかもしれないという可能性への想像力。抱いてはおきたいけれどもそれが現実のものになることはやはり避けたいもの。平穏に生きていられる幸せを、今一度噛みしめたくなる、そんな夜だった。

 しかしスペイン代表は代表になってもバルセロナと代わらないサッカーをやっているなあ、いや違うか、メッシだけがいないバルセロナのサッカーって感じか、ボールを蹴るとその先に選手が立っていて足下でボールをもらってはすぐにパス。するとその先にはすでに申し合わせたように選手が立っていて、やっぱり足下でボールをもらって蹴るとそこにはといった繰り返し。誰もいないところにけり出すとそこに人が走り込んできて受けてドリブルして蹴った先に人が走り込むような、ボールと人とがダイナミックに動くサッカーとはまるで真逆の、そこだけ見ればボールだけが動いているよういしか見えないサッカーでもってイタリア代表のゴール前へと迫っていく。もちろん受けるには事前にそこに動いている必要があるんだけれど、どこかに誰かがいるだろうという想像力と、そこに正確に素速くけり出す技術の集合が、スピーディーでダイナミックな印象とは反対のモダンでクールなサッカーって奴をそこに描き出す。

 とはいえイタリアもさるもので、チャンピオンズリーグでバルセロナと当たってずっと守りっぱなしになりがちなクラブチームとは違って出所を攻めに行き、受ける場所へと迫っては激しい辺りでボールをカットし、奪ってそしてカウンター気味に前へと持っていってバロッテリやらカッサーノやらに預けて得点を狙わせる、堅守堅守なイタリアにあるまじき堅守速攻ぶりを見せてくれていてスペインを相手にひるまない。ディ・ナターレ選手が入った後半にはそんな中から1点を奪いさあカテナチオかと思わせながらもそこはワールドカップで勝ちその前のEUROでも勝ったスペイン代表だけあって、セスク・ファブレガス選手が1点を取り返して同点のまま試合終了。勝ち点を分けあう形になってさても残る試合でクロアチアを相手に粉砕といくかそこはバルカン魂でもってクロアチアがフランコなスペインに一矢報いるか。あるいはムソリーニなイタリア相手に積年のもやもやを晴らすか。という訳でクロアチアの出来不出来が台風の目となりそうなグループC。残るのはやっぱりイタリアとスペインか。発憤したアイルランドか。

 つええな、クウェンサーとヘイヴィアは相変わらずの運の強さと度胸の良さを繰り出しては、左遷去れた南の島でも北の地でも南米の基地でもめぐらされる陰謀をついつい知ってしまっては黙っていられず暴きたて、見事にひっくり返してみせたりするもののそれ以上に国の敏感な部分に触れてしまって果てしない左遷の道をたどってたどり着いた先がもといた場所。これでベイビーマグナムを操るエリートのお姫さまもホッと安心だろうけれども彼らのことだからきっとまたしてもいろいろ難題を持ち込んでは突破しつつ、国を揺るがし世界を揺るがす事態を招いてしまうんだろうなあ。ってことで鎌池和馬さんによる「ヘヴィーオブジェクト 第三世代への道」(電撃文庫)はまずは南の島でクウェンサーがオブジェクトの設計士という天才だけどネジがとれかかった女性と出会い会話し陰謀に触れ暴こうとしたら実はといった意外性たっぷりの展開に驚嘆。そして落下したステルス機に積まれていた荷物を回収する仕事を通じて、国を売ろうと企む輩のいたりする戦場から遠く離れた上層部の腐敗っぷりって奴を見せてくれる。

 戦争は戦場だけで行われているようで決してそうではないという現実。戦略を決める国もいればその国を動かす経済を担う人たちもいて国民なんてものもいたりする。そうした人たちがさまざまな角度から絡んで行われる総体としての戦争って奴を、改めて浮かび上がらせてくれた最新刊。そして2人が属する国家に関わる王族の、あるお姫さまと別のおっさんとの後継争いという事態に巻きこまれてしまうエピソードでは、相手が消えれば自分に有利だからと暗殺しておしまいだなんて単純明快にして愚鈍な真似はせず、堂々たるべきオブジェクトどうしの対決がそうはならないように、お姫さまの側のオブジェクトを操縦するエリートを排除し、お姫さまを守る舞台を全滅させてお姫さま自身がハリボテのオブジェクトに乗らなくてはいけないように、何年もかけてし向ける遠大で周到な準備の必要性って奴を示してみせる。なるほどこれなら文句も言えないよなあ。不満は言えても。

 けどそんな周到な準備すらひっくり返すのが、あの強大で核兵器すら跳ね返すと言われるオブジェクトを破壊しまくってきたクウェンサーとヘイヴィアの2人組み。別に周到さへの対抗措置を練ってきた輩がめぐらせた陰謀に引っかかりながらも排除されず、生き残ってはその場に居合わせなおかつ重要な役割を果たすんだから、お姫さまのためにと頑張ってきたナイトたちも形無しといったところだろー。これは痛快。でもそこに至るまでに普通だったら何回死んでいることか。やっぱり2人とも相当な才能の持ち主だし、相当な運の持ち主なんだろーなー。だからきっと戻ってもクウェンサーは第一世代に乗り続けるお姫さまを守って世界に平和をもたらしてくれるんじゃなかろーか。ヘイヴィアはヘイヴィアで晴れて武功を立てて家督をついでは敵対するバンダービルト家の令嬢と結ばれる、と。結ばれたがってたっけそういやヘイヴィア。

 ギャラクシー賞っていうのはだからギャラクティカマグナムを出せるようになったとかギャラクシアンをクリアしたとかいった時にもらえるものではなくって、放送批評懇談会だっけ、そんなところがもっとも放送文化に貢献した番組とか個人なんかを選んで毎年表彰しているという、たとえるなら放送界の日本アカデミー賞ともいえる最高の賞なんだけれどそのトロフィーに触れる機会があるかっていうと、日本アカデミー賞のトロフィーなんかに触れないのと同様に普通の人には滅多に訪れることなない。そこをけれども「ミューコミプラス+」での活躍でもってDJパーソナリティ賞を受賞したニッポン放送の吉田尚記アナウンサーは、秋葉原の街頭にてトロフィーに触れちゃうぞ会なんてものを実施。100人くらいが集まっては触ったり歓談したり乾杯したりの大にぎわいを見せていた。

 昨日くらいに呼びかけて果たしていったいどれくらいが詰まるのかが興味があって見にいったら、楽に100人とかが着ては並んで次々にトロフィーを持ったりしていてちょっと吃驚。年代もこれは10代から20代といったところでラジオを聞く人が減って高年齢のメディアになりつつあるなんって言われているけどなかなかどうして、オールナイトニッポンを中学生や高校生が聴いていた時代と代わらずしっかりと若い層に刺さるメディアとしての人気ぶりを見せていた。やっぱりこれは日頃からそうしたリスナーに呼びかけTwitterも使い対話なんかもしている吉田アナとミューコミプラス+って番組ならではの成果ってことなんだろうけれど、やれば掘れるリスナー層がいるってことの証明であってラジオに関わる人たち、あるいはメディアに携わる人は、あの場面に居合わせこういう交流があるんだってことを身をもってしるべきだったけれどもそんな酔狂は自分くらいってことで。うーん。しばらくは吉田アナのひとり勝ちが続くのかな。


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