縮刷版2012年4月中旬号


【4月20日】 おまけのスプーンなんてアルミニウムな感じにくすんでいるのかと思ったら、そこは燕三条の品だけあってピッカピカのぎんぎらぎん。「大蝦夷農業高校」の購買部にこんなものが売ってるなんて、聞いたらフランス料理店とかがこぞって買い付けに来るんじゃないかってくらいのクオリティを持った銀メッキのスプーンを、おまけにつけてしまうなんてさすがはマンガ大賞2012受賞作。まあその分お値段も数百円増しになっているんだけれど、そんな値段でも欲しい逸品。1つといわず2つ3つと買って家族で楽しんでみてはな荒川弘さん「銀の匙 Silver Spoon」(小学館)第3巻。

 ストーリーの方では丸い丸いタマゴちゃんがぐっとスリムになってどえりゃー美女に。でもまたすぐにタマゴに逆戻り。どうしたものか。食べさせなきゃいいのか。だったら八軒の兄貴の作った料理を加えれば。何をつくっても不味くさせてしまうその腕にかかればタマゴだって。いやいや食らいつくしてしまうか。勝負しょうぶ。あとは八軒が育てている豚の豚丼がいよいよ出荷となって考えているところ多し。育てたものが殺され肉になってしまうことを畜産に関わる人たちは、直面して考えていたりしてそれを漫画で描いて読む人にも考えさせることで、いったいどんな常道を読者の若い人たちに起こすのか。命は尊いかそれとも食べてしまえば一緒という達観か。職業と向き合うこととだけでなく、それが命を扱う職業だったことによるた影響が、生まれて来るこれからの動静をちょい、見てみたい。

 会期も押し迫っているからと、パルコで開かれている小畑友紀さんの原画展を見て回る。「僕等がいた」をメーンにカラー原画を並べた展覧会は使われている色の優しさと、あと描かれているキャラクターの笑顔の良さが響いて見ていてとっても幸せな気持になってくる。未読だから漫画がどんな風に展開されているのかは分からないけれども、自然の中を舞台に描かれたラブストーリーらしいってことでその限られた時間における切々とした関係が、清らかに美しく描かれているって感じなんだろー。同じよーに北海道っぽい場所が舞台になった「銀の匙 Silver Spoon」とはまた違った青春の物語。読むときっとそこにずっと留まっていたって思えてくるんだろーなー。でも残念なが現実は「銀の匙」の方。あるいは置いてきた気持を取り戻したいと大人たちが読んでいたりするのかな。

 「わからないブタ」もさっぱり分からない作品だたけれども、何とはなしに家族の断絶めいたものが伺われて現代性って奴を感じさせてはくれていた。これがベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した「グレートラビット」になると、分からなさは「わからないブタ」以上。ふとった坊やが腹に巨大なボールだかタマゴめいたものを入れ、誰かの手によって念みたいなものを浴びてから歩き始めてイタチだかが出てきて、腹がへこんで服を脱いで靴を入れ、後ろへと放り投げるとそこでは同じように腹に巨大なボールを入れた人間が並んでいては前に立つウサギ頭の妙な男から腹に念を入れてもらっているといった具合。ほかにもいろいろ出ては来るけど意味があるのかないのか、それもやっぱり分からない。グレートラビットってどれなんだ。。

 分からないけれども連環するようなモチーフと奇妙な格好の登場人物たち、そしてそれぞれに動きの連続性を見ているだけで引き込まれてしまうその不思議さ。抽象ではなく具象によって描かれた絵の確かさと、そうした絵を動かしてみせる技術の巧みさによって見る人を引きつけるアニメーション世界って奴を、そこにくっきりと描き上げることに成功している。和田淳さんというアニメーション作家の持つ絵でもストーリーでもキャラクターでも同様の、確固とした作家性がだから評価されての銀熊受賞だったんだろう。加藤久仁生さんの「つみきの家」のように、叙情性がってノスタルジックなストーリーが評価される一方で、作家性が評価される人も生まれているおの国。先行して技術と物語のともに世界に名を知られる山村浩二さんんおような人がいて、続く後進たちのこれからに期待。イメージフォーラムでは和田さんの特集上映もやるみたいなで行って分からなさに頭を捻り、動きのぶよぶよ感に取り込まれよう。

 4月28日からのイメージフォーラム・フェスティバル2012ではそんな和田さんの「グレートラビット」が日本初上陸するのに加えて内外の名作短編作品がいっぱい上映される模様。日本からだとヴェネチア国際映画祭に出品された水江未来さんの「MODERN NUMBER2」とかあって和田さんの緊張とはまた違った、リズムに会わせて変幻するオブジェクトの面白さって奴を見せてくれるし、やっぱりベルリンで特別表彰を受けた平林勇監督の「663114」も上映されて、こちらは311に目覚めた蝉が受けるあれやこれやが66年後にどういう影響を及ぼすかを見せて日本のおかれた境遇って奴をつきつける。メッセージ性の強さで多くに響いたんだろうなあ。そんなにグロい未来にはならないと思うけれど。

 寺嶋真里さんという人の「つつがなき遊戯の秘蹟(final version)」は楳図かずおさんと古賀新一さんのワールドを映像にしたような雰囲気。というか御茶漬海苔さんが出ているからやっぱり元は漫画のホラーか。コオロギと人形と理科教師と小人と暗黒舞踏とゴシックの饗宴。底を流れる水のように続く映像から誰もが目を離せない、かもしれない。これも日本からの石田尚志さん「光の絵巻」はテレビの砂の嵐に時々電波が混じったりして妙なものが映るような感じの映像がだいたい16分とか。流れる水が変幻したり微粒子が踊ったりするのをずっと見るのはなかなかに大変だけれど、見続けることでその奥に何かが立ち現れてくる、かもしれないし目がグルグルしてくるかもしれない。忍耐。海外からではマーチン・プリーズの「イーグルマン・スタッグ」ってのがあったけれどもこれ、どうやって描いているんだろう。スチロールを削ってつなげて動かしてるのかCGなのか。調べてみたい。

 マーティン・アーノルド監督の「アローン アンディー・ハーディーの無駄な人生」はミッキー・ルーニーが主演しジュディ・ガーランドも競演していた人気シリーズのモノクロ映画から、いろいろな場面を取り出し少し動かしては戻しまた動かすことによってしゃっくりのような時間をそこに現出させて、グッとひきつけては進まない展開に苛立たせつつ、繰り返すことによってそのシチュエーションの心理的な奥底をって奴を考えさせ感じさせるような作品。リズムがあって葛藤があってストーリーがあって。もはや映像というよりは一種のメディアアートに近い作品って言えそう。試写で最後にみたのがレイ・レイって中国の人の「私の、私の」でゲームみたいな絵を動かして綴る服を奪われた男の追跡劇。そして出会った女性とはうまくいったのか。ストーリーがあってビジュアルが特徴的でサウンドもぴったり。そんなクリエーターが出て生きているんだなあ、中国からは。それの含めた中国作品だけを見せるプログラムがイメージフォーラム・フェスティバル2012にはある模様。選んで行こう、5月3日の午後8時から、ってことになるのかな。


【4月19日】 チームUってAとKとBと4より上も下もないけどそれでも選抜隊、おまけに地球を守る任務まで背負わされて大変だったみたいだけれども知識と技術を総動員してパワードスーツまで作ってしまうんだからなかなかのもの。そして操縦をして怪獣に立ち向かい倒す勇気も持っている。もうそれだけでAだのKだのBだの4を上舞っていいんじゃないかと思った「ウルトラマンサーガ」は、とりあえず秋元才加さんの姉御っぷりがとっても目に付いた。もうピンでこの感じで女優としてやっていけそう。薄い胸板も男勝りな生活として位置づければSPECにだって出られるんじゃなかろーか。

 あとは眼鏡の小林香菜さん。普段はそうでもないみたいだけれどもこれをきかっけにずっと眼鏡でそしてホットパンツをデフォルトにしてくれれば応援しちゃう投票はしないし握手会にも行けないけれども心から応援することになりそー。さてはて。といった具合にあんまりAKB48っぽさを感じさせない女子軍団をメインにして、脇に現れたウルトラマンたちのあるいは倒され、あるいは頑張りながらも及ばず、あるいは逃げ出したい気分を抱えながらも最後のピンチにはちゃんと前向きに立ち向かうことで、逃げない勇気ってものを見る人たちに与えたんじゃなかろーか。

 最後に上空からの映像となって東北が切り取られたのもあきらめない姿へのエール。展開はギャグもあって子供向きだけれども純粋な子供たちに心を燃やしてもらって未来を開いてもらえれば。決して今の空気に諦めへこたれ他者を虐げて溜飲を下げるようにはなって欲しくないから。恥ずかしすぎるよなあ、そんな態度を大の大人あちが見せている乗って。女子だって子供だって頑張っているのに大人の男たちが頑張らないのは何とも。そして頑張りどころを間違えているのもどうにも。焦らず憎まずへこたれず。そんな気持にさせてくれるウルトラマン映画でありました。それにしてもやっぱり秋元才加さん、立派な胸板だったなあ、板っていうな板って。

 1990年の2月に東京方面に出てきたときに部屋を探そうとして、その家賃の高さに脳天がひっくりかえった。流行の中央線沿いならワンルームで8万円とか10万円とか覚悟しておかないとまず借りられず、西武池袋線や新宿線沿線でも事情は同様。山手線内なんてさらに高くておそらく手取りが20万円そこそこの人間には、まず借りられそうもなかった。せいぜいが千葉方面ということで東京から30分はかかりそうな市川船橋あたりで、ようやくまあまあなところを見つけたけれどもそれでも7万円は近かった。

 いったいこの値段で学生なんかはどうやって仕送りを受けて暮らしているんだろうと不思議にも思ったけれども、それよりこのまま地価が下がらなかったらワンルームですら10万円は覚悟の世の中になっていたかもしれないと、ふり返るとあの時代に日銀の三重野康総裁が、物価の番人を自尊してバブルを叩きつぶしたことを有り難く思う気持ちがやっぱり強い。マンションなんてきっと東京から30分でも2LDKで5000万円とかそんなものになって、都内だと1億円出しても買えるかどうかって状況になったんじゃなかろーか。ってかほぼそうなりかけていたし、1990年頃って。

 こう言えるのも、バブルが崩壊したことによって別段、自分が大きな損害を被っていないからで、株はやっぱり仕事が仕事だったんで買ってなかったし、資産は田舎なんでもとより首都圏の地価上昇の影響は受けていなかった。会社の収益が伸び悩んで給料もあがらずむしろ昨今は下がり気味なのは痛いといえば痛いけれども、それでも20年前よりはもらっていたりする訳で、当時よりも下がったアパートの家賃からすればむしろ過ごし安さは増している。

 だいたいが収益だって経済環境の影響ってよりは、無茶苦茶な論をぶちまけては世間の一部から賞賛を浴びても、大半からそっぽを向かれた結果が大。間違いなんて平気とぶっ飛ばしてはまるで自省も自重もしないんだから、落ちぶれて当然といえば当然な訳で、その責任を20年も前の日銀総裁の金融政策に求めるのは間違っている、絶対に。せめてそのことを自覚さえしてくれればいいんだけれど、見てみないふりは続いているからなあ、まるで変わる風はなくむしろたどる泥沼への道。先にあるのはただどうどうと流れ落ちる瀧だったという、筒井康隆さんの漫画も笑えない事態がすぐそこにまで来ていたり。むうう。

 バブル崩壊にともなうあれやこれや。地価が下がって銀行なんかに不良債権が山と生まれて、その処理に右往左往したっていうのも、株価が下がって投資していたお金がふっとんで、その始末に右顧左眄したっていうのも、本来の業務とは無縁の部分で大いに儲けようとしたから起こったものであって、土地を転がし株で儲けるといった思想をいったんリセットさせ、本業へと回帰させようとしたって意味では、日銀の政策は悪いものではなかった。銀行員が20代で1000万円とか、やっぱりあっちゃならんだろう。てかテレビ局は今でも20代で1000万円? 公務員よりそっちの方があれこれだ、免許業種なんだし。

 なるほど金融の引き締めがやや強圧過ぎて行き過ぎが出てしまったこともあるけれども、その後に15年とかほとんど金利がゼロの時代が続いているにも関わらず、経済を成長させられないのはもはや金融政策だけの問題ではない。産業を振興させるにあたってどこかにネックを起こしてしまっている国の政策の問題であり、見極め融資をして伸ばし回収するサイクルに回帰しようとしない金融機関の怠慢であったりするんじゃなかろーか。今時のITベンチャーが生まれたのなんて、世界経済がずっと悪かった時期だったはず。それで欧米にはあれだけの企業が生まれて日本には。この差をやっぱり直視すべきだろー。

 という訳で三重野康・元日銀総裁が亡くなって出てくる論調は毀誉褒貶、というかネガティブに寄ったものが多く、バブルを潰しすぎたことへの怨嗟めいたものもあったりするけれども、それからいったいどれだけの年月を日本は重ねてきたのかを、考えないと「失われた20年」と括って一緒くたにして責任を回避する政府であったり、企業であったり個々人と大差ないことになってしまう。ソフトランディングをさせれば良かったなんて言ったって、そんなことが出来る状況にはなかったバブル期の狂騒は、あのまま続けば都心にマンションなんて誰も買えない値段まで、はねあがっては更なる恐慌を今に来していたんじゃなかろーか。

 ってなことを当時、日銀とかを担当していて様子を見ていた目から思ったりもするんだけれど、そうした経緯を知らずあるいは無視して悪し様な意見を左に聞いて右に受け流して是とするネット論壇、ネガティブな見解ばかりが増幅されては穏当で健全で実効性のある施策へと至らない状況に、これからも揉まれさらなる不穏へと向かっていくことになるんだろう。ポーツマス条約後の日本がたどった道を思い出しつつ、三重野総裁を悼み送ろう。石神井に日銀が持ってたグラウンドでそういえば一緒にソフトボールをしたよなあ。

 十三代目石川五ェ門の登場となった「LUPIN the Third 峰不二子という女」はまあそれなりにスリリングでハートウォーミングな部分もあったルパンらしいエピソード。ルパンは出てこなかったけれどもファーストのルパンでまだ知り合っていないルパンと五ェ門がここで出会っちゃやっぱり拙い。次元と出会ったルパンがあれこれ画策しているところにこの一件で深い仲になったと思いこんだ五ェ門が、ルパンと次元の敵として現れはメルセデスベンツのSSKをまっぷたつにしてこそ始まる腐れ縁ってことで、その前哨となる出会いが今回は描かれていたと理解するのが良いのかな。話題の乳首は最後にちょろり。でもあんまり嬉しくない。これなら裏の「めだかボックス」でもってめだかちゃんがいっぱい見せてくれた白の方が嬉しいなあ。人間って不思議。


【4月18日】 うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! ー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー! うー! にゃー!

 すいません這い寄られました。近所の書店でアニメ化作品のコーナーができててそこで流されていたアニメの番宣のあれやこれやを紹介するバックがアニメ版「這いよれ! ニャル子さん」のオープニングからかけ声の部分だけを抜き出してつなげたもので、ただひたすらに「うー!」「にゃー!」という叫びが続いてそしれ「れっつにゃー」という締めの言葉もついてまた繰り返されるそのサウンドに、すぐさま耳奥が汚染され脳までヤられてその場を離れても頭の中をただひたすらに「うー!」「にゃー!」という声が響き渡る状態になってしまった。これが這い寄られるということか。恐るべしニャルラトホテプ、闇に棲む者にして大いなる使者にして暗きもの。やがてその呪文の染み渡ったこの国で手に名状しがたいバールのようなものを持った群衆が口々に「うー!」「にゃー!」と叫びながら立ち上がり国会を取り囲む日が訪れるだろう。特に目的はないけれど。

 良かったよミズギーズの発明者が男子を相手にしてなくて。だってもしもそれが男子だったら競泳用でもスクールでも、トランクスなんて緩いものではなくってスパッツタイプにしてもビキニタイプにしても、もっこしとさせたものを身につけた奴らが現れそれらを強調しては暴れ回ってはね回って見る目をじっとりと弱らせる。脚だってきっともっさりとした毛ずねが生えてて振りまわして切る風にそわそわと靡いて見る人の心を挫けさせるんだ。けど幸いにして舞阪さんの「競泳戦隊ミズギーズ」(ガガガ文庫)で水着姿で戦隊ヒーローとして活躍するのは女子高生。それも競泳用だからしっかりとハイレグで体にピッタリとしていて胸なんかもっこりと、って本当は体に密着するからそれはなくなるはずなんだけれど、ものともしない質量を持った2人については持ち上がるパワーが水着を前方へと押し出しなおかつ、地球の重力の影響で上下に振動もするらしい。見たいなあ。そんな様。

 相内さんって人なんかクラスにまで水着姿で登場してはこちらは薄いながらもむしろそれが特徴を醸し出す格好で、授業を受けているというからもう吃驚。脱げばいいのに、ってそれが無理だからいっそそのままでというのが合理的な彼女の態度で、けれども新しく水着を着せられ力をもらった代わりに水着を脱げなくなったヒロインは、どうしたものかと逡巡しているのが第1巻での出来事。そして迎えた第2巻では競泳水着に対抗してスクール水着の戦隊も登場。今はまだ人数も少なく活動の幅も制約を受けているようだけれど、1人また1人と引き込んで勢ぞろいした暁には、それはそれで見応えのあるスク水姿で教室に現れては、競泳水着のハイレグをさらす相内を脅かす存在に……ならないかさすがに、あの鉄の心臓はさしものスク水戦隊でも持ってはいなさそうだし。

 まだ若い貴公子然とした容姿容貌ながらも博識で目利きで書画骨董を見極め裏にはる名事件を解決したりする話とかあったりするし、まだ妙齢の女性なのに古書に詳しくやっぱり古書にまつわる疑惑を解き明かしてみせたりする話とかもあったりするけれども、現実問題やっぱりこういう世界って経験が何より物を言う。つまりは関わってきた年数ってことで若い娘なんかよりも歳を重ねた老人の方が、書画骨董なり古書の類に関する真偽を見極め謎を解くのみならず、関わる人たちの心までをも読んで裏にある怨念も因縁もすべて鮮やかに解決してみせる、って話の方が読んでいて説得力があるものだと、やまあき道屯さんって人の「明治骨董奇譚 ゆめじい」(小学館)を読みながら思ったり。

 時は明治も終わりごろ、京都でも目利きと言われる骨董店主の老人は孫の娘を側において店番なんかをしながらも、彼女が未熟さを発揮してクズを掴まされたりしてもそれをさらりと流してみせて目を鍛えさせつつ、一方で裏にうごめく企みめいたものの尻尾をつかんでぎゅっと握って自分の儲けへと結びつける。尼寺から出た骨董については娘が菊の御紋があるから高貴なものだと引き取った皿を真っ赤な偽者と後で断じつつ、同じ場所で引き取った江戸時代の雛人形についてはショーウインドーに置いて見せつつ、あれやこれやと虚報を流して胡散くさげな客を相手にそれを掴ませそして人形にかかっているらしい呪いめいたものに、客を巻きこんでは困らせる。

 そして返品はさせるものの客が前に企んだ皿のすり替えを糾弾して黙らせ返金はせずにしこたま儲ける。とはいえ雛人形の方は何度も見に来ていた小僧に2厘とあとは働き払いで渡してしまう。小僧にとって人形は死んだ母親にそっくりで、母親の顔を知らない幼い妹に見せて寂しさを埋め合わせる。と同時に人形にこもった念を少年の母親を思う気持ちに沿わせてあげて共に言い夢を見させる。なかなかの策士。そして人情家。こういうのはだからやっぱり歳の功って奴なんだろうなあ。土佐と関わる刀についていた思いを沈めた時もそれを買わせて儲けつつ、転売させるより思いが叶う場所へと置かせたりする策を廻らせ、秘蔵の石が消えたと訴えた目利きを自称する若旦那にはその罪を白状させて尻尾を掴む。どれもこれも白面の貴公子がやるよりこの爺さんがやった方が確かっぽい。

 孫娘がかつて学校でいっしょだった少女がお金持ちな風体で帰ってきて、孫娘に取り入ろうとする話しでもその恩返しの裏側にある本心を暴き立ててつつ追い込むことはしないで自ら処遇を判断させる。厳しいけれども温情も見せたりするところが、ただひたすらn糾弾をして孫をがっかりはさせず、それでも現実の厳しさを教える教育者的キャラクター。とはいえ相場で儲けた男の後妻におさまった若い女の企みを、暴いて追い込みはしたものの敵も去る者、最後に再び娑婆へともどってちろりと見せるその舌が、狙うは自分を追い込んだ骨董屋の爺さんか。宝石商を語った孫娘の友人なんて目じゃない本当の悪を相手にさてはて爺さん、どんな叡智を発揮する? 2巻なんかもあるみたいで先が楽しみ。百目になってしまった乳母だけは、報われないのが残念だったよなあ、でもそれも先走った罪への罰。虚心坦懐にして他人を恨まず自分を律して生きるのだ。しかし何であいつらばかり。そして自分はウインドーサイドに。いらいらいらいら。いかん沸々と怨みが。くわばらくわばら。


【4月17日】 何やらお台場にまたしても18メートルの奴が立ったみたいだけれども、書く場を持たない流浪の窓際ライターに、浅草方面から内覧の案内が回ってくるほど世界は優しくないようで、パタっと止まった情報にアキバレンジャーのお披露目に行けず、今回もお台場には行けず行かないままメディアで伝わってくる情報なんかを見つつ、そうかコアファイターもあるのか、ア・バオア・クーの模型もあるのかって感心しながら、いずれオープンしたら見に行くぞ、ハム焼きは今回もちゃんとあるのな、なんてことを考えながらグッと拳を握る4月も半ば過ぎ。

 お台場にはいろいろとファッション関係の店もオープンしたそうで、行けばいろいろ買いたくなるけど買って着ていく場所もないのが窓際ライター、実入りも少ないだけにしばらくはウインドーショッピングの日々が続きそう。けどこの賑わいは果たして昔からあるデックス東京ビーチとか、アクアシティお台場とかに良い影響があるのかそれとも客を取り合って全部が共倒れとなるのか。そんなに遠くない場所にあるヴィーナスフォートがアジア諸国からの来店客でまあそれなりの賑わいを見せているようで、オタクも加わって渾然一体となった繁盛を見せればお台場も20年目にしてようやく浮かばれるかも。都市博開催中止決定から17年。

 心がくすぐられるような勇ましい言説に賛意を示していっとき、ぐっと溜飲を下げてもその後に付帯してくるだろう、さまざまなコストをも含めて受け入れなくったいけなくなった段階に至って、いろいろ思ったところでもはやや取り返しがつかなくなって、これまでに積み上げたベットを没収されるのは勿体ないと更に積み増し、やがてすべてがパンクしてしまうという過去を経て、なおも同じ未来を選ぼうとするところが、この国らしいというか何というか。領有権を主張して国際的に実効支配を認めさせつつ、それを背景にちょっかいは出させても侵攻までには至らせない綱渡りながら、コスト的に低い方策でもってどうにかやってきているところにもって、強圧的な態度を見せれば周囲だってやっぱり頑なさを増すだろう。

 そこで直接の喧嘩は起こらなくても、別にいろいろ起こって結果、損なわれるものがあるとしたら何というか藪蛇というか。コンニャクみたいにぬらぬらと乗り切れないものなのかなあ。乗り切れないのが外交だとしてもそれをやり切るのが日本だと思っていたんだけれど。ともあれ東京都が買収した暁には、派出所が出来て警視庁から警備のお巡りさんが派遣されて、それをモデルに「こちら魚釣島鰹節工場跡派出所」という漫画が描かれることになるのかな。あるいは新宿署の生活安全課にいるあの人が、警視庁から管内だろってことで派遣されて、ひとり昔からある灯台を守りながら、迫る本土と香港と台湾の中華マフィアと戦う「魚釣鮫」という小説が書かれる、と。それでも勝ちそうだな、鮫島。

 「人狼 JIN−ROH」の上映があるから池袋に行こうかと思ったけれども時間が足りずにパス。溝口肇さんが手がけたサウンドトラックは「ハーフインチデザート」から溝口さんのファンをやっている僕が選んで溝口さんのベストに入るくらいの出来なだけに、それが大きな劇場でもって大きな音量で流れるのを聞けるチャンスを逃したのはちょっと惜しかった。でもまあキネか大森でもって「イノセント」といっしょに上映するイベントがありそうなのでそっちで聴こう。どうして同時期の押井原案アニメな「ブラッド・ザ・ラストバンパイア」じゃないのかな。映画館で上映するにはやっぱり短いか? だったら「ラスト・ブラッド」を。一緒にするなって怒られる?

 「宇宙戦艦ヤマト2199」の上映とトークショーはさっさと売り切れたみたいでそっちにも行けず、だったらと秋葉原の旧ラオックス「ザ・コンピュータ館」の地下に出来たワンフェスカフェで開かれた。オタク大賞の月刊バージョンを見物に。先週のぞこうとして満席で退散した「ウルトラマンサーガ」の時と比べると、ゆったりとした空間の中でカツカレーなんかを食べて待つことしばらく、始まったイベントはロフトプラスワンなんかでいつも開かれているような、密度の濃いものではなくって昨今のオタク絡みのトピックを、宮昌太郎さん東海村原八さん前田“第一書記”久さん藤津亮太さんが選び喋っていくという、緩やかな内容でなるほどあるあるってな感じに耳にしつつ、こうして日記を討っていたりする春の夜。外は雨が降っている。

 巨大なしずちゃんこと山崎静代選手の頭がおかしいのかどうなのかが揉めていた一件、なぜか「週刊朝日」が猫ひろし選手のカンボジア代表問題に躍起にならない代わりに過去の検査の内容を、おそらくは医師の倫理に関わる守秘義務に違反するような形で公表しては先週今週と続けて突っ込んでいたりして、そんなに朝日はしずちゃんに、危険な場所に行って欲しくはないのか、誰かしずちゃんに惚れている記者でもるのかなんて想像すら浮かんだけれども大阪で、ボクシング連盟だか何かが会見をしてしっかりとした検査結果を発表して、まるで何にもなかったと発表して梯子を外された週刊朝日が来週、いったいどんな鉄砲玉を撃ってくるのかどうなのか。やってくるのが週刊誌なんだよなあ、でもネタはあるのか、というかそもそもどうしてそこまで。やっぱり謎だ。


【4月16日】 究極的にはカンボジアの陸上競技連盟が下した判断を尊重すべきであって、そのプロセスに、何か日本人側がカンボジア人に対して恥ずかしくなるような介入があったとしても、それをやった日本人を恥ずかしく感じ、自分にも当てはめて恥じ入る気持ちを抱きながらも、そういう結論を出したカンボジアの側を、あれやこれや言うのはやっぱり避けた方が良いような気がしないでもないロンドン五輪代表問題。何か迂遠な言い方だけれど、この一件が今現在においてどんな影響を表すのか、掴みづらいってことがあって判断に迷っていたりする訳で、数年が経って日本人がカンボジアのために頑張ってくれたとなれば、それはそれで好結果だし、日本人がカンボジア人の横っ面を金でひっぱたいて、プライドが傷つけられたという人がいるなら、それはそれで戒めとしなければならないんだろー。

 とはいえ現在においても、カンボジアで最も速いマラソンの記録を持っている選手が、最新のマラソンでもってさらに速いタイムを出して国内最高記録を打ち立ててしまった以上はそれが、陸連と対立している選手だからという理由だけで選ばないのは、やっぱり傍目には不思議に映ってしまう。あるいは対立の原因が、選手側に多くあるっていうのなら分からないでもないけれど、そういう声もそれほど届いて来ないだけに、なかなか判断が難しい。仮に五輪に出たってたいした記録ではなく、その他大勢の中に埋もれるだけなら、広告塔としてカンボジアへの注目を喚起してくれる存在を送り出したいという思惑にも、理解が及ばない訳ではないけれど、一方に記録ではなく参加することに意義があって、その意義を広く国民で分かち合うことこそがオリンピックの精神だ、って話もあったりしそうでさらにやっぱりややこしい。まったくもってややこしいので考えないで、今はやっぱり結果を尊重したいけれど、さてどうなる。

 長崎大では小学生の女の子が現れては「おじいちゃんが危篤なんです、かけつけてあげたいんです、タクシー代を貸してくれませんか」って頼んでくれるそうで、そうやって頼まれること自体にひとつの価値を見出して、ご褒美なりご祝儀なりを差し上げて良いって考えてしまう人種もまあ世界にはいたりしそうだけれども現実、それがまったくの虚偽に基づくものだったら、やっぱり詐欺だと言われ非難され、あるいは捕まって懲らしめられたりするのも当然だったりするんだろー。果たしてどんな小学生なのか。三つ編みで眼鏡でランドセルを背負っていて片方にはリコーダーが刺さっていて、靴下は白でスカート姿で炉端にしゃがみ込んでシクシクと泣いているところに近寄ると、上目遣いで涙を溜めた目で訴え言葉を紡いでくるんだろうか、なんかそれだとやっぱりご褒美だご祝儀だって気にもなる。うーん。見てみたい。捕まってそれが小学生に見せかけた44歳とかだったらひっくり返るかも。成り行きに興味。

 名人戦が始まったので週刊将棋を買ってみる。既に森内俊之名人が羽生善治二冠を相手に第一局を戦って勝利していることは分かっていたけど、去年あたりはずっと調子が悪くて勝率で何割だっけ、3割とかどうとかとても現役の名人とは思えない戦いぶりをしていただけに、上り調子の羽生二冠に勢いで押されそのまま4連敗なんてこともあるいは想像に登ってた。それを退け勝ったことで防衛に弾みがつくかというと週刊将棋によれば「敗れた羽生には、さほど落胆は見られなかった」とか。前の対戦で出たのと同じ手順で負けた方を持ってその負けを探るように指したことによって何かを掴んだ心理的なメリットを、むしろ尊んで次に繋げる考えなんだろーか。第二局は新潟県で開催。今回は「ハチワンダイバー」の柴田ヨクサルさんに「3月のライオン」の羽海野チカさんが見学に訪れたそうで漫画家に増えている将棋者で対局場も賑やかになって来た。次は誰がのぞくかな。「ひらけ駒」の南Q太さんあたりかな。

 DeNAなんかが移転するとかで渋谷の東急文化会館後に立つヒカリエってビルへの注目なんかが集まって来てはいるけれど、傍目にもあの面が大きくとられた直方体が不揃いに重なった建物は、周囲に並ぶまだ小さくて昭和モダンな風情を残したビル群とのマッチングがとことん悪くて、どうにもこうにも見苦しい景観を作り出している。例えるならその形状は合体ロボットの足だけっていう感じ? 顔とか胸とかならある装飾が欠片もない実用本位って風情がヒカリエの全体像からは漂って来る。そんな醜悪さの責任がヒカリエ側にあるのか、周囲の風景にあるのかは判断に迷うところではあるけれど、開発が未だ進みそうもない周辺から浮き上がった建物を建てる方にやっぱり過剰な自意識を感じてその先走りを諌めたくなる。とはいえ最初は六本木ヒルズにもツクリモノ感を覚えたのが、街並みが揃い木々が並ぶにつれて馴染んでは来た感じ。渋谷も開発が進めばあるいは近未来がそこに出現するのか、それとも品川のように不揃いなビルが並ぶ醜悪さが再現されるだけなのか。見ていこう。

 むしろグリューエルとグリュンヒルデのセレニティ王家に宇宙船への密航マニュアルが存在しているんじゃないかと思った「モーレツ宇宙海賊」は、病気で隔離されてしまった弁天丸のクルーがいない間でも海賊の仕事をしないと私掠船免状を剥奪されてしまうらしくて茉莉香が女学院のヨット部員たちを誘い弁天丸へと乗り込んで、さあいよいよ出航ってことになったけれども思いっきりカスタマイズされててクルーごとにチューニングされている弁天丸はちょっとやそっとじゃ動かない。それを隠しカメラで見ていたクルーが慌ててマニュアルを作ったものの、跳躍まではさすがにマニュアルをそろえていなかったようで茉莉香の判断でもってエンジンの片方だけ使った跳躍を、敢行して見事に成功、これなら弁天丸のクルーはもういらない? とはいえそこはお嬢さんたち、荒事なんかが起こったらどうするか、ってのは来週以降の見どころになるのかな。それはそうとサイボーグでも病気になって隔離されなきゃいけないんだろーか。やや不思議。


【4月15日】 デジャー・ソリスのビキニアーマー姿に惚れ込んだ「ジョン・カーター」のクレジットを眺めていたら共同脚本にマーク・アンドリュースという名前を発見。あれは2005年の東京国際映画祭の時期だったか、来日してピクサーの最新短編「ワンマンバンド」の上映を行って一緒にティーチインを行ったマーク・アンドリュースに、なぜかインタビューすることになってアークヒルズにあるホテルに行って、いろいろ話を聞いたんだっけ。アクション映画が大好きだって言ってて絵も描くのが大好きで、自分で漫画の同人誌なんかも作っていたのをもらった記憶が確かある。逆にこっちからは「フリクリ」の絵コンテとか「BLACK LAGOON」と「ピルグリムイェーガー」の漫画なんかをあげたんだっけか。

 あれから7年。こんな大きな作品に名前を出すようになっていたとは。あまつさえ次のピクサーの映画「メリダとおそろしの森」では監督までしているとか。いやあ出世も出世、大出世。ブラッド・バード監督の「アイアンジャイアント」で絵コンテなんかを確か描いてそれから、バードに呼ばれて「Mr.インクレディブル」でストーリー作りに協力して、そしてアンドリュー・ヒメネズといっしょに監督した「ワンマンバンド」でアカデミー賞の短編アニメーション部門にノミネート。好きだ好きだといっているだけじゃなくって、ちゃんとそれを形にしては認めさせ、ピクサーやディズニーの中で着々とポジションをつかんで来た。素晴らしいとしか言いようがない。

 短編を任せて技術的な検証を行うと同時に、ストーリーテリングや演出の能力も探る伝統を持ったピクサーの、懐の深さも羨ましいけど、ちゃんと結果を見せてなければそんな温情もまったく無意味。得たチャンスを「ワンマンバンド」で物にして、「ジョン・カーター」を経て掴んだ長編アニメーションの監督で、いったいどんな仕事を見せているのか。前の監督が何かあって降板したあとを引き受けた関係もあって、どこまでそのカラーが出ているか分からないけど同じようにブラッド・バードが誰かの途中を引き継いで監督した「レミーのおいしいレストラン」はアカデミー賞で長編アニメーション部門を獲得し、ゴールデングローブ賞やアニー賞も獲得してブラッド・バードの名を天下にとどろかせた。同じようなキャリアをマーク・アンドリュースも積んで重ねていくのかどうか。公開が待ち遠しいなあ。顔はチンクシャだけど意志を持ったお姫さまが冒険する話ってことだから、片渕須直監督の「アリーテ姫」みたいな作品になっているのかなあ。

 カレーが美味しそうだった「アクセルワールド」の第2話は、黒雪姫に誘われ加速世界へと身を投じたものの、言いつけを聞かずに自分だけでゲーム世界に入ってしまってそこでアッシュローラーというデュエルアバターにこてんぱんにやられたハルユキくん。そのことを食堂で黒雪姫に告げ、けらけらと笑われているハルユキの前に置かれていた大盛りのカレーが何というか実にほかほかとして美味しそうに見えたんだけれど、そんな向かい合う2人の関係を聞かれた黒雪姫が、私はハルユキに振られたんだと言って驚嘆を読んだ空間で、果たしてハルユキは最後までカレーを食べきったのか。喉も通らないのが普通だけれどもそれでは勿体ないと黒雪姫も叱るだろうから、別bらとして食べきったんだとそこは思いこもう。

 それはそれとして2回目となったアッシュローラー戦をハルユキは果たして勝ちきったのか。言葉で説明はあっても明解な勝利のVサインを見せてはいなかったのが小説から知っている人でなく、アニメから「アクセルワールド」に入った人にどう移ったか気になった。手を抜いてるとか。でもまだうまくハルユキが盛っている必殺技を見せず、それでいて必殺技とかアバターの外見とかは本人の心理が大きく関わってくるといった説明を入れてただの雑魚めいた存在にハルユキのシルバークロウを見せかけているのが何か巧い。やがて明らかにされるその能力、そして戦いぶりからあんな雑魚に見えて案外にといた溜飲を下げつつ、それでもまだまだ及ばない世界があると知って頑張ろうという気にさせる。そんな展開をアニメが初見の人は楽しんでいけるんだ。ちょっと羨ましい。すでに全巻読んでいる人にはあのヒャッハーなアッシュローラーが本当はどうなのかを知っていてほくそ笑むことができるけど、それも聞いての驚きがもう味わえないってことだしなあ。一長一短。ともあれアニメでは是非にそんなアッシュローラーのリアル割れまで行って欲しいもの。それには何期アニメを重ねれば良いんだろ。

 F−Clan文庫から出ている遠沢志希さんの「神殺しのリュシア」をやっと読む。18歳な割に子供っぽいリュシアという名の少女は、なぜか不死身の体を持っていて、その体質を買われて傭兵の部隊に所属しては、野卑な隊長の下卑た戦いで斬り込み役をやらされていたりする。少年だ子供だと思って手を抜くようなら切り伏せられるし、慌てて手傷を負わせても死なない体で怖い物なしに突っ込んできて切り伏せられる。やっかいな相手。だからこと傭兵の隊長は怪我をして教会に拾われ地得たリュシアをさっさと探して引き取りに来たし、リュシアもそんな体質が教会に知れると異端と咎められないかと思い教会を後にして傭兵の部隊に合流して戦いに身を投じ治す。

 もともとはリュシアが生まれ育った国で、守護していた竜がいなくなって国が衰退し始めたことをきっかけに、竜がいないのは隣国の不信心が招いたものだという理由が立って始められた戦争。とはいえ相手もなかなかなもので、逆に責め立てられてはじり貧になっていた。そうなると今度は竜が復活すれば戦いも勝てるといった本末転倒も起こって、いずれにしても滅びの道をまっしぐら。そんな戦いの中でリュシアはまたしても傷つくものの、彼女を楯にしようとした隊長も戦いで切り伏せられ、傭兵部隊はリュシアに暇を出して教会の守護隊に斡旋する。行く当てのないリュシアはその親切を受けるものの、やがて薬草を採りにでた場所で狼に襲われ、リュシアが死なない体質であることが若くて優秀な神官のユアンに知られてしまう。

 どうして彼女は死なないのか。そしてどうして竜は復活しないのか。そんな無関係に思える事象が重なって、リュシアは己が運命を犠牲にして世界を救う覚悟を迫られる。受け入れようとするリュシア。けれどもそれで本当に世界は救われるのか。少女を犠牲にして救われる世界にいったいどんな意味があるのか。迷うユアンに悩むリュシアの心から、生まれた世界への慈しみが結果として世界を救うことになる。なるほど鮮やかなクライマックス。そしてエピローグ。人を信じて生きる事、命を尊んで生きる事の大切さって奴が浮かび上がってくる。それにしても7年前に止まってしまっていたリュシアの成長が、一気に進んでしまった果てに現れたボディを果たしてユアンはどう思ったんだろう。前の方が良かったか。それとも今か。迷わされるよなあ、世界の命運よりもずっと強く、そして激しく。どっちが良いかなあ。

 横浜市開港記念館まで「武道館にて。」というタイトルのメモ帳を買いにいったついでに中身がちゃんと書かれたアレスレア・レナルズの「武道館にて。」を買って鷲尾直広さんによる表紙絵のお尻を堪能してから適当に館内をみて古い施設を親しんだあとは参加者じゃいから企画なんて見ないで横浜美術館へと行ってマックス・エルンストの展覧会。シュールな系列ではパウル・クレーやサルバドール・ダリやタンギーや、マグリットやピカソやブラックといった面々に名は比較され得るものの総じてそうした面々に比べて印象が薄いのは、これという決定的な作品的特徴があんまりなくってこうだって語るのが何か難しいアーティストだったからなんだろうなあ、ってのを見て眺めた作品からも感じた。巧いし面白いんだけれど印象に強く残らない、っていうか。でもたぶん重要なアーティストなんだろう。初期に描かれた「偶像」って作品が女性のばっくを描いてこれもお尻の丸みがとっても良かった。そんなところを強調されてもなあ。ともあれエルンストをまとまって見られる貴重な展覧会。足を運んでみてはいかが。


【4月14日】 しゃなあなしに変身しては魔装少女となってパンツ見せながら戦って、挙げ句に素っ裸になって周辺から思いっきり引かれ警察にもお世話になった割に歩くん、明くる朝に学校へ行くと大勢からやんやの喝采でスターになって人気者になっていたとは世の中まったく訳が分からない。サラスバティがひとり歩のお尻に惚れ惚れとしてその画像をネットにアップしまくるのは理解できないでもないけれど、そんな彼女の特殊な感性に他の大勢が追従するとは限らない訳だしなあ。まあ何か巨大なイカめいたメガロをやっつけたのは歩な訳だし、なりが異常でもそれだけ活躍したってことを認められたんだとここは見ておくのが吉かもしれない「これはゾンビですか? オブ・ザ・デッド」第2話。快調です。

 そして「エウレカセブンAO」は、沖縄が独立しているか中立になっているのかは不明ながらも日本とは離れた位置にあって、中国の支配下にも置かれておらずフィリピンあたりに駐留しているんだっけ、アメリカからも睨みを聞かされた火薬庫みたいな場所になっている割には、暮らしている人たちは普通っぽい沖縄の暮らしをしていて風景もとっても平和そう。そこに起こったスカブコーラルの登場と、そしてモンスターだか何かによる破壊。平和な日常が暴威によってあっさりと覆される様を見るのは、あれから1年が経っているとはいってもやっぱり辛いものがあって気が沈む。さっきまで普通に会話していた人たちがその暴威によって存在を消されてしまうこの理不尽。たとえフィクションとはいえ想起されるあの事態を、これからもきっと幾度となく味わっていくことになるんだろう。そういう意味では心に深い何かを残した東日本大震災。

 アオってんだっけ、レントンみたいな子供がナルってホットパンツ姿でお腹が大きく見えている女の子と連れだって、あれはナマケモノ探しか何かしていたところに現れた不良たち。そして運んでいた積み荷からこぼれおちた緑青色のブレスレットが、何かいろいろ秘密をもってて発動して、それで見かけはまるで普通なのになぜかガイジン呼ばわりされているアオを変えていくのが、来週以降ってことになっていそう。なんだエウレカ役が今度は男なのかよ、って気持ちもちょっとは浮かんだけれども元がああいったキャラで萌えとか皆無だったエウレカが、少年側になろうと気持ちにはあんまり衝撃はない。むしろナルがこれからちゃんと出てくれるのか、タルホさん顔負けの露出を披露し続けてくれるのか。重要なのはそっちだな。しかしいったいどういう世界で何を相手に誰が戦っているのか。アオの手を引いていた青髪の少女は何者なのか。そして「交響詩篇エウレカセブン」との関係は。いろいろ奥深いところがありそうで楽しめそう。早起きしない代わりに夜遅いけどそれでも頑張ってリアルタイムで追いかけよう。

 そして見に行った109シネマズ木場での「ジョン・カーター」でも、ナルに負けじとお腹が冷えそうな女性が登場。とはいえ体型体格は正反対でがっちりとしていて頑健で強靱で意志もしっかり通っていそうでとっても惚れ惚れ。そんな女性が「火星のプリンセス」ではたおやかに描かれた絶世の美女、デジャー・ソリスだと聞かされて衝撃に目も眩む日本人のエドガー・ライス・バロウズ愛読者たちも、相当な規模に及んでいるようだけれども、ディックあたりから海外SFに入ってバロウズにはあんまり遡っていない身には、そうした思い入れもあんまりないのでむしろ良いじゃんパワフルなデジャー・ソリス、ビキニアーマーなんて日本のファンタジーでしか見ないような格好を平気でしては、大胆にもしゃがんだりして太ももの内奥とか、丸いお尻とか見せてくれちゃってて最高じゃんと思い堪能したのでありました。断固支持。あるいは本家フラゼッタ調が帰って来たんだと思えばこれほどピッタリのデジャー・ソリスもないんじゃなかろーか。

 そんな「ジョン・カーター」は、成立した時代あたりから考えるにやっぱり南軍と北軍とネイティブアメリカンとの三つどもえってのがモチーフにされていたりするんだろうかどうなのか。地球での描写にもそんなあたりが垣間見えたりするけれども、現代だけあってバルスームって惑星に飛ばされたジョン・カーターが最初に出会う、首を妙に長く伸ばしたウィレム・デフォー、ではなくデフォーが声を当てているのみならず、2・8メートルもの竹馬めいたものに乗って演技もして眼差しなんかも見せていたりする、タルス・タルカス率いるサーク族は、それぞれにコミュニティを持ちプライドを持った種族として描かれ、デジャー・ソリスが王女として所属しているヘリウムの民も、それを蹂躙しようとしているサブ・サン皇帝率いるゾダンガの民も、どれが悪でも絶対の正義でもない存在となって栄え、対立して戦いながらもバルスームの未来をいろいろと考えていたりする。

 そんな間にあって部外者のジョン・カーターは、デジャー・ソリスが言う正義にもサブ・サンが示す権勢欲にも、同意も反意も示さず彼ら彼女たちの決めることであって平和を願うならばそれに従って行動しろといった旨、告げるところが実にクール。大義を背負って第三世界に乱入しては、コミュニティも何もかも破壊して住民たちに脅威を与える大国の姿を間近に見てきている昨今にあって、そういうスタンスの是非って奴がそういう大国の中にあるスタジオから放たれるっていうのは、とても興味深い出来事かも。それこそがやっぱり媚びず阿らないクリエーターの魂って奴なのか。世界で商売する上でのテクニックってことなのか。それでも最後は星全体の話となって立ち上がったジョン・カーターの戦いぶりがまた圧巻。スタローンやシュワルツェネッガーみたいな超絶肉体派でもないけどテイラー・キッチュ、適度に絞れてなおかつ厚みもある肉体をふるって、群がる敵を切り伏せ吹き飛ばす。格好いいなあ。でもデジャー・ソリスが剣を振るった方が強かったりするんだけれど。そこがまた良いなあ。

 総じて印象として面白くって楽しめてビキニアーマーは最高だったりした「ジョン・カーター」が、どーしてアメリカでは不入りだったのかはうーん、分からないけれども内容が今ひとつ伝わらなかった、というには原作の知名度を考えるとちょっと当てはまらなそう。それとも日本でパルプフィクションが野田大元帥の尽力でおおくのSFファンに植え付けられているようには、アメリカの人には「火星のプリンセス」ってマーベルとかDCのコミックほどにはやっぱり知られていないってことなのかも。ちょっと残念。とはいえ海外では評判も悪くはなさそうで、トータルでそれなりに稼げたんだったらまあ次でもうちょっとマーケケティングも見直しつつ、やってみるかって話にもなってそれで再びのビキニアーマーにお目にかかれるかもしれないんで、やっている間にあと1度くらい、見に行ってデジャー・ソリスの太ももとお尻と大立ち回りを楽しんで来よう。それとやっぱりポチかわいよポチ。ポチじゃないけど。


【4月13日】 何やらソニーあたりで発表会があった模様で、リッジ平井こと平井一夫社長が出てきてあれやれこやとこれからの、ソニーが取るべき戦略なんかを喋ったみたいだけれども相変わらずというかやっぱりというか、具体的なビジョンもすがりたくなる夢も語らず、1万人を削減するとか次世代機に向けてまるで投資もしている風が見えないゲームと、ニコンやキャノンにとうてい及ばないデジタルカメラと、所詮はキャリアの下請けに成らざるを得ないモバイル辺りに注力すると発表しては、オーディオにビジュアルなソニーへの愛着を深く強く示していた層からの、激しいガッカリ感を誘っている。

 なるほどデジカメを含むデジタルイメージングに関して言うなら、かつてCCDを手がけたりしてトップを走り、またベーカムを放送用機器の標準なんかにしてきた実績があるにはあるけど、デジタルへと切り替わろうとしているこの時期に、うまく波にのれたかどうかってあたりが悩ましところ。というより放送という業態そのものが、思いっきり衰退へと向かっているなかで、劇場で見るような高品質な映像を作るのと、ネットを介してさっさと見られる軽い映像を作るのの二極に文化してくなかで、そのどちらもキャッチアップできないような気がしてる。映画やドラマの撮影の現場でもREDカメラが幅を利かせ始めているように聞くしなあ。

 モバイルやらタブレットに関してはもはや死に体、ソニータブレットなんて出したは良いけど誰も使っていなければ、これから使おうという気すらおきない状況に、いったいどう後始末を着けるのかってところだけが注目ポイントになっている。読書端末のソニーリーダーも日本のコンテンツ囲い込みにうまく乗れたかどうなのか。アマゾンの到来とともに出版業界もろとも粉砕されるだけなのか。どっちいしたってデカいビジネスにはならないよなあ。そしてゲーム。CELLを引っさげ10年の計で臨んだグラフィカルとネットワークをともに自在に扱うコンピュータエンターテインメントの分野だったのに、道半ばで担当者を飛ばしてその後に、未来を見せるビジョンを描かないまま、手先だけのバージョンアップに等しいPSVitaを投入してはやっぱり羽ばたけずにいる。

 それが将来のメディアプラットフォームになり得るかというと、そこはディストリビューションのチャネルと共に構築していったiPodでありiPadでありiPohneの独壇場、今から新たなコンテンツプラットフォームを築くだけの体力能力が、今のソニーに果たしてあるのかどうなのか。映画と音楽を自前でグループに持ってしまった不幸がここにどうしてもあったりするんだよなあ、だったらメジャーどうしで固まれれば良いんだけれど、そうもいかないのは歴史が証明していたり。アップルに先に行かれHuluとかクランチロールのよーなオープンのプラットフォームにかっさらわれ、リアルタイムではニコニコ生放送がフットワークの軽さで面白いコンテンツを作って全方位に発するなかで、ソニーならではのアドバンテージを握れる分野がまるで見えない。どうするよ?

 ふと目覚めると北朝鮮が人工衛星と自称する弾道ミサイルと一部に報じられていたアスロックが発射され、海中へと没して魚雷となって推進を果たして、見事に実験は成功した模様。というのは冗談にしても打ち上げて間もなく四散したというのはつまりは失敗した訳で、それを果たしてあそこまで世界に大公開しておいてどう言い訳するのかと思ったら、言い訳もしないで失敗したと認めてしまったから世界がまた驚いた。あの国で失敗はすなわち死な訳で、今頃はロケットの打ち上げ責任者もまとめていろいろされていたりして、昨日まで出てきた人とは違う人が現れメディアも戸惑っているのかと思ったのに、どうもちゃんと事情を説明しているらしい。どうしてしまったんだ。

 実はあれで金正恩第一書記は真面目で実直で、失敗したなら失敗したとちゃんと正直に言うことで世界の信頼を得ようとしていたりするのかも。というかこの明かな失敗を失敗と正しく認めることによって、過去の栄誉はそれはそれで正しいことなんだという証明を間接的に果たそうとしたとか。3歳で銃を撃ち9歳で的に当て6歳で馬にも乗れるようになってプロの騎手の技量を上回り車の運転も自在で朝鮮戦争に関する論文を16歳で発表した英才はすべて事実。バスケットボールでプロを上回るだけの技量も持っていることも事実。そうやって逆に神格化を進めるためにあのロケットを用意し打ち上げ木っ端微塵にしたんだとしたらなかなか恐るべき指導者なのかも金正恩第一書記は、ってそれは流石にないかなあ。

 とても悲惨な事件が京都の祇園でおこってその原因に運転手の持病が果たして関連していたかどうかがこれから取りざたされることになりそうだけれど、現時点ではまだはっきりしたことが分かってないこともあって読売新聞は、1面ではそうした病気のことを見出しには書かず、社会面でかろうじて「持病」と示してあとは本文で説明する自重を見せている。ヒドラジンでは先走って準備中なところを急に作動してしまい爆発して100人近くが死んだ、それも焼死が多かった事故を引っ張りヒドラジンを積んだミサイルとやらが爆発したら大変だ、なんて書いて苦笑を誘ったりしていたけれど(打ち上げの時はみんな安全地帯に待避するさ)、この件については納得の行くスタンスを示している。さすが世界一新聞。

 対して朝日毎日は「てんかんの持病」とか「てんかんの疑い」といった具合に1面で具体的に「てんかん」という言葉を出してそれがあった可能性を示唆している。それだけでてんかんへの偏見を助長しかねない恐れがあるといった意見もあるけれど、状況として疑いがかけられていたり、事実として持病をもっていたことはある訳で、その意味では手探りながらも状況を説明したいという意図はある。問題なのはどこかの目玉の飛び出る新聞で、1面でもってあろうことか「てんかんの運転手」なんて書いていやがるからもう何というかどうしようもないというか。

 それがそうだと確かめたのか。事実だと確認できたのか。警察ですら判断しきれていないことを、そして影響力の大きいことをやってしまえるこのスタンスに、確信があるならまだ分からないでもないけれど、おそらくはそうした意識なんてないまま短絡的に言葉を並べてみせただけ。書いた人間も整理も校閲もその意味を知ってか知らずかスルーしてしまうこの状態が、つまりは多々の瑕疵を生んでは評判へのダメージを招いているということに、気づいているなら良いんだけれども気づいていないんだろうなあ、やっぱり。かくして愁眉を誘い敬遠を招いて待つは終末の時。さあてどこに行こう。


【4月12日】 そうかあれはママンだったのか。「ラーゼフォン」でママンを演じ音楽を作った橋本一子さんが「LUPIN the Therd 峰不二子という女」のオープニングで菊池成孔さんの奏でる音楽に合わせて「新・嵐が丘」って主題歌の歌詞をつぶやいている。沢城みゆきさんが演じる峰不二子とはちょっと違って艶があって深みがあって重みのあるその声を最初はそれでも峰不二子かなあって思っていたけど、よくよく見たオープニングのところにあった名前で橋本一子さんだと判明、アニメに関わるのっていったいいつ以来になるんだろう、ああでも劇場版の「ラーゼフォン 多元変奏曲」にも出演していたからそれ以来ってことになるのかな、オープニングとか出たら買わないと。

 そしてアニメーションの本編には次元大介が登場、既にして第1期の「ルパン三世」からルパンの相棒になっていた次元がまだ一匹狼の用心棒をしていた時代に既に峰不二子と関わっていたとは。互いに名を知る存在。それが共に日本人だってのは日本の漫画が原作だから良いとして、そうした設定からなるほどそこで騙され籠絡された経験が、後の峰不二子嫌いに繋がって居るんだと思えたりもするのが面白い。けど薬程度で籠絡されるとは情けないなあ次元、というかあるいはチチョリーナの思惑も知っていて、彼女の望みを叶えるために357マグナムを不二子に預けたのかな、ああでも向こうも撃ってくると思ったら弾が入ってなかったのに気づいていないところがやっぱりただの唐変木か。まあそれでこそ次元大介らしい。

 でもって声は小林清志さん、番組も終わりに近づくに連れて良い感じの声になっては来たものの、全盛期からずっとの声で次元大介を聞いてきた人たちにはやっぱり、年齢に相応の雰囲気というものが出てしまっていてそれが若い次元と果たしてマッチするのかとうところで、剽軽さのない殺し屋だった頃の次元とマッチしているという意見も一方に聞きながら、それでもやっぱり野心に燃えた若いガンマンという雰囲気とは、相対しているっていった意見も出そうで自分もそれに与しそう。かといって、代わりが務まりそうな人がいないところがやっぱり偉大さのなせる技で、例えば藤原啓治さんだとちょっぴり野卑た感じが次元の無垢さとは相容れないし、大塚明夫さんだと太さが響いて軽さが飛んでしまう。渋くて強くて艶があって凛々しくて。いたぞこの人ならぴったりだ。若山玄蔵さん。って小林さんより年上だよ。うーん。だから週間のペースで次元声をもっと甦らせてくれると小林さんを信じて見続けよう。

 ママンで思い出して調べたら何とあのファーストアルバムに確かあたる「ichiko」のCDが中古ながらも販売されているのが判明したので引き取る。ずっとずっと昔に「SFマガジン」の音楽レビューコーナーで、あれはもしかしたら今岡清編集長が自分で筆を取って眠るための音楽といって紹介していたのを読んで、これはと興味を持ってアナログ盤を買ったか借りたかして聴いてそのままずっと聴きいったんだけれど、CDも発売されてそれがあっという間か知らない間に廃盤になって幾年月、ついぞ巡り会わずあるいは存在すら幻じゃないかと思っていただけにこれは発見、そしてプレミアムも無茶苦茶ではなかったんで(倍に届かないくらい)有り難く購入、聴けば夜もぐっすり眠れそうだけれどもそれで筆も進まなくなる可能性も本を読めなくなる可能性もありそうだなあ、まあ仕方がない、ママンのためだ、許して世界。

 西八王子にある萌え寺として有名な了法寺にはときどきメイドさんがいたりして目を楽しませてくれるけれども、寺だけあって神仏に仕える巫女さんは流石に置いてない。それが矜持ってもののはずなんだけれど蒲原二郎さんの「祟りのゆかりちゃん」(幻冬舎)に登場する常照寺には何と巫女さんがいる、というか主人公の由加里が住職によって巫女さんの格好をさせられては、掃除をしたり物販を担当したりといろいろこき使われている。理由は就職できなかったから。周囲では親のコネとかをつかって大企業に入っていったりするのに自分はひとつも受からず、仕方なしにゼミの先生を頼ったところ寺の仕事を紹介された。行くといたのは美坊主で、イケメンで元外資系金融機関のトレーダーで大金を稼いでリタイアし、実家の寺を継いだらしいけれどもそれだけあって強欲で、性格もキツくて自分は六本木のキャバいお姉ちゃんたちに愛想を売りつつ、由加里のことはただのバイトとこき使う。ああ哀れ。

 そんな由加里にさらなるピンチが。寺にずっとあったという祟りが封じられた碑をなぜか住職が持ってきた護身用具とは名ばかりの手榴弾で吹き飛ばしてしまったからたまらない。現れいでた祟りに取り憑かれた由加里は一生男性に恵まれない身となってしまう。とはいえそれは可愛そうと、当人は縁切り観音から縁結び観音へと無理矢理変えられてしまったご本尊が夢に現れ、108ある煩悩の数だけ人を救えば呪いは解けるとアドバイス。そして寺には観音様の導きによって悩みをかかえた人たちが現れるようになっては、住職の知り合いらしい若い葬儀社の社長とか、謎めいたキムさんという男の手助けも借りてどうにかこうにか解決していく。しかし謎だぞキムさんは。借りてきたといって自動車を乗り回してはその場に捨てたり、買ってきたという割にはあつらえたように潜入先の企業の制服だったり。いったいどうやって。それってだから。気にしないのが1番か。

 はるばるブラジルから住職の祖父でかつては闇のブローカーめいたこともしていたらしい老人を訪ねてきた女性の願いをかなえてあげようとする場面では、住職が車を出して熱海まで飛ばしてみせたあたりにキツく当たっても実は住職、由加里のことが気になっているのかどうなのか。そんな興味を引きずりながらもそこはやっぱり呪いもあってまだまだ結ばれそうもない2人。だいたいが悪党たちに囲まれた時に1番パワーを発揮していたのが由加里自身。かつて祖父に鍛えられたという武道の腕をふるって向かってくる悪い奴らを蹴飛ばし殴り倒してみせたその活躍に、惚れない男が今までどーしていなかったのか。勿体ないより他にないけど強いからって好かれるよりは、か弱いからって面倒を見てくれた方が女性にとっては嬉しいのかなあ、分からない。ともあれまだまだ続きそうな珍道中の行方のためにも続刊を希望。それにしてもブラッディカオスといい由加里といい、強い女性物が多いなあ。

 青山方面でハーレーのエンジンをスーパーリアリズムでもって描く牧田愛さんの個展が始まっていたんで画廊くにまつまでいって見物。アートフェア東京2012でも見ていたけれども改めて見てもやっぱりあのクロームメッキのピカピカ感をちゃんと筆でもって描いていたりして凄いというか素晴らしいというか。筆の置き方色の選び方を考えないとあのピカピカ感は出ない訳でどーやって勉強したのか、突き詰めたのか、そのあたりが重要になって来るんだろー。ただ光るだけじゃなくってパイプとかのぐにゃぐにゃとした感じも含めてバイクのエンジンが好きそうな牧田さん。ただストレートにそっくりに描くだけじゃなく、真ん中に鏡を置いて線対称にしたような作品もあったりしてモチーフの深化と進化が現れていてそれが今後どういう方向に行くのか興味。あるいは巨大さを突き詰めていくのかな。22日まで。


【4月11日】 「タッチ」から26年後ってそりゃあ読みたいさ、でも読んで良いものなのかという迷いもあってなかなか受け入れがたいあだち充さんの「ゲッサン」で予定されている新連載、甲子園で優勝したかどうかを境にすっぱり終わってしまって浅倉南がどうなって、上杉達也がどうなったのかを誰も知らないままでいるなかで、ふくらませた想像もあったんだろうけれどもそれが当人によって現実のものとされてしまうことを、喜びたいけど夢が壊されかねない恐怖もあって悩ましい。

 いっそ死んだはずの上杉達也は脳損傷のまま冷凍保存されていて、そこにいったんはプロへと行ったものの、40代も半ばになって肉体の衰えた上杉達也が、自らの脳を克也の若い肉体に移植した上でタカスで若返ってきたとかごまかして、戦列に復帰しつつ浮き名を流して南にどつかれるという展開に、なったら愉快だけれどなるはずもないか。少なくともあだち漫画集大成的にあれやこれやぶっこむようなことだけは避けて。ミズシマ・マツモト効果は出ないから、誰が誰だか分からなくなるし。うん。

 ヒドラ人ってあれでしょ宮崎駿監督の漫画版「風の谷のナウシカ」に出てきて皇弟だか誰かを守っていた巨大な緑色の生物たち。初期に登場する巨神兵ほどのインパクトはないしだいたいがアニメーション映画「風の谷のナウシカ」は見ても漫画までは読んでいない国民のほぼ9割くらいだったりする現状では、北朝鮮がロケットにこのヒドラ人を積むからって聞いてもそれがいったいどれくらい恐ろしいことなのか、誰もピンと来ないかも。いやああれは恐ろしいぞ、デカいし強いし、って実はそんなに覚えてないんだ「風の谷のナウシカ」の中盤以降。そもそもどういう終わり方をしたんだっけ。そんな意味も含めて読み返してみたいけれども1万円お愛蔵版、部屋のどこに行ったかなあ。

 いや違ったヒドラジンだ。燃料に使われるもので劇薬で毒性も強い層だけれどもそれって聞くとロケットの燃料としては日本ではもうあんまり使われてないけど、中国とかロシアのロケットなんかには使われて、あとアリアンロケットなんかにも使われているのかな、危険性を鑑みて第1段には使わず大気圏の外で粉みじんになる2段目以降の推進剤なんかに使われているって話もあったりして、いずれにしてもまあ珍しいものではないんだけれどもそれが昨今のイロメガネとやらを通すと悪鬼羅刹の如き国がわざわざ猛毒を選んで燃料に積んでいるような想像すら与えかねない表現になっているから妙というか。

 遡れば福島第一原発の中にも投入されていたりするこの物質。そんなことはおくびにも出さずに報道してはすぐさまネット界隈から珍しくもないし落ちてきたって拡散されて危険性はいかほどってな意見を食らって撃沈。そんな牽強付会に針小棒大の繰り返しを積み重ねてなお、存続できるメディアの不思議さって奴はあるけれども、震災以降の実に一方に偏って何者かに与するかのような報道ぶりって奴がボディーブローのように効いてきて、そこに重なるこうした仕儀もやがてダメージとなっていきなりのノックアウトとはいかなくても、テクニカルノックアウトに陥る可能性は決して低くないよなあ、でもそうなるのは体力腕力の弱い方からなんだけど。それどこだ、どこなんだ。

 いやあ面白かったと一田和樹さんの「キリスト・ゲーム」(講談社ノベルズ)はブラッディカオスって綽名で呼ばれる女性エージェントがもう最高に格好いい。180センチはあろうかという長身は決して頭でっかちではなくすらりとした9等身。モデルばりの美貌を餅ながらも頬に酷い傷があってそれだけで他者を寄せ付けそうにない上に、口を開けばオタクもサブカルもライトノベルすらも否定してかかる悪口雑言、上司を上司とも思わず我が儘勝手に振る舞いながらもしっかり活躍して成果を上げる。すっくと立って手に拳銃、方にRPGだかをひっかけ群がる群衆相手に仁王立ちする姿の何という格好良さよ。もしもこれが映像化されたとして、日本にはそんなスタイリッシュでクールでワイルドな演技を出来る女優がいやしねえ。身長だけなら「南海キャンディーズ」のしずちゃんだけど顔が、スタイルが……。敢えて言うなら冨永愛さんか、彼女なら雰囲気だけなら、でも啖呵は、傷は。若いところで源崎トモエさんとかどうだろう。

 んでもってどんな話かというと「キリスト・ゲーム」、ネット上に何かコミュニティめいたものができてそれによって誰かのために自殺する人たちが世間に溢れて大変なことになっているという。それこそ世評に埋もれながらも好きな人がいるというアニメをもっと布教させたいなあ、という思いが伝われば、そのDVDを抱えて飛び降りる女子がいたりするという具合。それがアニメの宣伝になるかというと何か信仰めいたものをそこに見て、敬遠されかねないと思うしだいたいがもはやキリストゲームそのものが、社会問題化していてそれがどういう目的のもとに行われたのかどーでも良くなっている。

 むしろ日本の治安にとって不穏な存在となったこのゲームを、どうにかするべく政府にあって警察とか、経済産業省とかから集められた人たちが、日本のサイバーセキュリティに関する問題に取り組むセクションに、半ば島流しにされたキャリア官僚に指令が下る。実は当人、すでにキリストゲームで参加者に指示を与えるグループの一員にもなっていたりして、状況はそれなりに知ってはいたもののいざ壊滅させるとなると、それがふわふわとした意識の集合体めいたものだっただけに困難を感じる。中心なき社会。責任回避の連鎖から生まれる集合意識。どうしようもないと思っていたところにパートナーとしてそのブラッディカオスがあてがわれたから驚いた。

 いくら無意識の集合だからといってもあり得ないといって聞きいれない。むしろもとt別の何か悪意めいたものがあるとかいってオカルトめいた話を持ってくる。ネットのプロフェッショナルとしてそれなりに名も知られ、自負もあるキャリア官僚にはとうてい貴入れられない話だったけれどもそれが大きく事情が変わってきて、それこそその身すら巻きこんだスペクタクルへと突入する。あり得るか否か。あり得るかもしれないしそうでもないかもしれないけれども、例えあり得ないとしても人が耳から言葉を聞いて理解する存在である以上、何かそこにあっても不思議はないといった意見も浮かぶ。その積み重ねによって生まれる悪事。いったい何が目的なのか。どこへ向かっているのか。そんな興味をかき立てられるエンディング。となるとこれからもまだまだブラッディカオスの大活躍を拝めそう。あの風体でいったいどんなプライベートをおくっているのか。そんなところも読んでみたい見てみたい。


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