縮刷版2011年9月中旬号


【9月20日】 天白川だなんてスキマスイッチの「天白川を行く」って歌でくらいしか東京方面では聞かないと思っていたのが、朝からテレビがこぞって「天白川」を取り上げていたからちょっと吃驚。名古屋のはずれを流れる普通の郊外の川。とくに流れが多いわけでもなければ早いわけでもなく、しずしずと流れる横をサイクリングコースなんかがあったりするどこにでもある川なんだけれどこの何年か、郊外化が進んだ影響でもあるのか妙に大雨への適応がズレはじめていた感じ。しばらく前にもあふれたどうだという話があったけれど、今回は台風も交えた大雨によっていよいよせっぱ詰まった状態になっていたりするらしい。

 元々が名古屋商科大学の横あたりにあるため池が源流だったりする天白川だけに山奥で大雨が降って水かさが増す、なんてことはあんまり考えられないし。支流のいくつかの奧だってそんなに山につながっている訳ではない。考えられるのは途中の郊外化が普通に田んぼとかに溜まっていた水をどんどんと川へ流し込むよーになって、それが普段よりも水かさを増す原因になっていて、そして名古屋市に入ったあたりで郊外化の勢いもぐっと増して流れ込む水の量もさらに多くなってしまっていたりするってことか。元からそこが逃げ場の水。ほかに持って行きようがなければそのまま川を埋めてやがてあふれ出す。とりあえず現状はまだ大丈夫みたいだけれども降るのはこれからが本番。果たしていったいどーなることか。実家のあたりは山だけに大ジョブだとは思うけど、知っている人もいっぱい住んでる平針駅とか原駅あたりのこれからに要注意。

 しかしあんまり学習しない奴ってのはやっぱり見ていてイラつくなあ。それで驚かれるハメになったってことを、もっと早くに自覚していたらあんなにも親戚中をたらい回しにさせられることもなかったのに夏目。妖怪が見えるのは自分だけ。そして入ってきた妖怪が動き回ってもそれが家具とかに触れていないのも瞭然。なのに慌てて暴れて自分で家具を倒し食べ物を散らかしてしまって怒られる。気味悪がられる。無関心を決め込み知らん顔をしていれば通り過ぎたものを、そうできないのはやっぱり夏目が妖怪に対して一種の親愛を持っていたりするからなんだろーか。人間社会でつまはじきにされればされるほど、自分に感心を持ってくる者が気になるという悪循環。その中で独り相撲を覚えてしまった結果がいやだと思いながらも反応してしまう身体、と。難儀な奴だなあ、夏目。そんな「夏目友人帳・参」でニャンコ先生が用心棒稼業。でも相手の一つ目の妖怪もそんなに悪そうには見えなかったんだよなあ。やっぱり寂しかったんじゃないのかなあ。そこを描いて欲しかったかなあ。

 新作も出たことなでチラ読みに止めてあった藤間千歳さんの「スワロウテイル人工少女販売処」(ハヤカワ文庫JA)を読了へと追い込むためにせっせと読んでなるほどこれがセンス・オブ・ジェンダー賞となるのもよく分かった。決してライトノベルからSFへの“転身組”を歓迎するとかいった理由じゃなくって男性と、女性とそして人工妖精という存在の絡み合って別れあって生きて行かざるを得ない世界での、心理の変化と発達ってやつが見えてくる。病気で男女がくっつくと種のアトポーシスとやらが起こってしまう世界。感染者は東京が海になってしまった上に作られた人工島に集められては男性と女性とに訳へ立てられて暮らしてる。それだといろいろ処理に困るってこともあってか男性には女性の人工妖精、女性には男性の人工妖精が伴侶としてあてがわれるようにもなってたりするその世界。苦労もせずに生きていけるんだったら是非にもアトポーシスに陽性になって行って人工妖精たちと怠惰な日々を送りたいって思えてきた。

 もっともそれが怠惰で安楽と知るのはかつてを知る者たちで、それが普通の世に生まれてきた者には敢えて人間の女性を選ぶなり男性を選ぶと行った心理は働かない。普通に人工妖精を友人に育ち伴侶にして暮らし老いて朽ちていく。極めて平穏な社会。けれどもそこにも事件が起こる。人工妖精が暴れて人間の伴侶を殺す事件が連続。その犯人を捜すべくやってきた自警団の男は、等級では最下級にあたる5級の妖精を現場にひっぱりだして、ナノマシンに分解してしまった犯人の妖精の口寄せをしようとしたものの犯人の姿がつかめない。そこから刑事と人工妖精とのバディ的な活躍が始まる、かとおもったら人工妖精の揚羽は揚羽でそれが使命だとばかりに単独で犯人の割り出しにかかる。そこに人工妖精でも特殊なものを伴侶にしたいと思いこんだ少年が現れ朽ちかけた人工妖精の回復のために行動しようとした揚羽たちの前に、人工島全体をゆるがしかねない事件が起こる。

 とにかく揚羽って人工妖精の口調や態度が愉快というか「とある魔術の禁書目録」に出てくるレッサー的っていうか、有能なんだけれども口が悪くて態度もぞんざい。それでいて相手には信頼されてしまう性格を見せては読む人を楽しませる。薄幸でもなければ真摯でもないヒロイン像。にいろいろと抱え込んで上っ面を陽気にふるまう揚羽の本来の存在意義が、発揮されて起こるハードな展開にも目が引っ張られる。なるほどなあ。人間にそっくりならそれはもはや人間かもしれないという提案なんかについても考えさせられるストーリー。続編の方にも別れたはずの揚羽が登場しては縞パンを見せていたりしてまた愉快。けれどもトーンの奧には前にも増してシリアスな事件がまっていそう。読んで読み込んで週末を迎えよう。

 居合いだったら前に横浜の道場に行って真剣による居合いを見させていただいたけれどもその斬るまでの体の準備、心の準備の静謐さにやっぱりよどのことなんだなあって感想を抱いた。土塚理弘さんとみなもと悠さんののコンビが描いた「ハルポリッシュ」(秋田書店)って漫画に出てくる居合いはそのあたり、絵柄もあって静謐さと崇高さってものがやや引っ込んでいたりする気もしないでもないけれど、幼い頃から刀に慕われていたっぽい主人公の春が、刀を持ったときに見せる代わった姿なんかがやっぱり居合いも含めて刀を、真剣を扱う大変さってものを感じさせてくれる。バンブーブレードがあったりYAWARAがあったりあさひなぐがあったりと、女の子の武道漫画もいろいろあって出尽くし感もあったけれどもここに現れた居合道漫画。果たしてどこへと向かうのか。追っていこう。


【9月19日】 古い古い「聖闘士星矢」の劇場版アニメーション映画から、山内重保監督の作品を2本ばかり続けて見ようとしたら「キャシャーンSins」が映ってた。違った「キャシャーンSins」がやっぱり「星矢」だったってことで、地面をはいつくばるようなカメラ位置から斜めに傾いだ地平を見上げるようにしたところに立つ、直立というよりやや前屈みになって迫ってくるキャラクターたち。そんな戦いのシーンを支えるのは、高らかになる主題歌とかその変奏ではなく、クラシックだったりスキャットだったりと静謐な音楽で、ひらひらと舞う衣服や花びらといったものが、そこにある空気を感じさせつつ、熱さや激しさとはやや違った様式美にあふれた戦いのシーンを見せてくれる。

 繰り出される必殺技の迫力と、受けた者たちの体型をふくらませたり細めたりして顔を大きく歪める描かれ方、そして討ち果たされた姿の全身がボロボロに傷つき血が流れる悲惨さは、静謐で耽美な画面構成と対をなすようにして浮かび上がって、あれでなかなかなハードな戦いが繰り広げられているんだって印象を強く持たせる。徹底的な熱血ではなく心の奥にまで踏み込んで描いた登場人物たちの懊悩と葛藤。その果てに星矢のアテナこと城戸沙織への深い思慕の念が見え、そんんあ星矢たちへの仲間たちの信頼が見えて絆の大切さを感じさせる。

 テレビの毎回がクライマックス的な戦いに慣れた目にはきっとおそらく、不思議な世界に公開時には映ったんだろうなあ。でもそれが特徴だと分かった今は、ひとつのスタイルとして見てなかなかに意味深そう。まだ見ていない2004年の劇場版も、やっぱり似たような演出なのかな。それを見てから割に近い作品となった「キャシャーンSins」を見直すと。声が古谷徹さんで共通していることも含めていろいろと見えてくることもありそうな感じ。せっかく買ったBDだし、暇ができたら見直すか。きっとずっと暇になりそうだし。

 そうそう、そんな旧作の映画2本のエンディングに流れるクレジットを見ていたら、背景に山村浩二さんの名前があってちょっと驚き。そういえば学校を出てしばらくは椋尾篁さんが率いて窪田忠雄さんもおられたムクスタジオに所属して、商業アニメーションの背景を描いていたんだった。そんな時代の作品が、ひとつには北欧の静謐な宮殿だったり緑の沃野だったりで、もうひとつは廃墟と化したオリンポスの山だったりしたのはあるいは今のどこか世界に広く通用する絵を描いていることと通じるんだろーか。決して前には出ず、透明感を醸し出しながらもしっかりとそこに存在している窪田忠雄さんの背景を、支えた腕がどう生きているのかちょっと調べてみたくなった。

 ってことで東京都写真美術館に、記事が掲載されたばかりの新聞を持って出かけていって「マイブリッジの糸」の上映を見物。最初にノーマン・マクラレンの代表作ともいえそうな「カノン」が流れて、アルゴリズム体操じゃねえかって大勢の心をざわつかせつつ、そんなテレビ向けにデチューンされたものなんて蹴散らす動きと音楽との組み合わせっぷりが、さすがは本家にして元祖って強度を見せつけてくれた。テレビもこれを流せばより強力な後進を生み出せるのに。遊びに落として騒いでいたってそこから未来は生まれない、よねやっぱり。

 それからイシュ・パテルってやっぱり有名なアニメーション作家による「ビーズ」も見物。これも前にCAFってカナダアニメーションのフェスティバルが下北沢のトリウッドであったときに見ていたけれど、改めてみてもビーズだけを使い動かして描く人の進化と戦いの歴史は、目に強く訴える上にメッセージまでをももたらしてくれる。でもそんなメッセージをうまく活用できないんだ人類は。争いを続け開発を続けてそして。描いている風景画の中に入り込んでいく「心象風景」ってのもやっぱりCAFで見たっけか。割にオールタイムベスト的なプログラム。興味のある人は行くとよろし。

 その後に割と新しい「ワイルドライフ」ってアニメが流れて、カナダへとやってきた紳士が寒さと厳しさの中に自主性をはっきせず安易な暮らしを送りやがてやって来た冬に倒れるストーリーが繰り出され、あの地にかつて憧れやって来ては倒れた祖先を持つカナダの人たちの心に何かを訴えかける、と想像する。テクニック的にすごいという訳でもなくストーリー的に深淵って感じでもない、商業に近いところにあるアニメーションがカナダ国立映画制作庁(NFB)のお眼鏡にどーしてかなって考えるなら、それはカナダ人にとって何か琴線に引っかかる部分があるからなんだろー。北海道に行って埋もれる開拓民とか、満州で馬賊に蹴散らされる大陸雄飛の夢の後とか。

 そんな「ワイルドライフ」にプロデューサーとしてマーシー・ページさんの名前があって懐かしさにしばし。CAFがあった当時、カナダ大使館に招かれ来日していて行ってインタビューした記憶があったっけ。とにかく作品を作り続けてストックし続けることによってもたらされる、コンテンツという財産があり人材という財産があるってことを確か話してくれて、それと同じことをどーして日本ではやらないんだって不思議と苛立ちに胸を痛めた記憶がある。それこそ山村浩二さんなんて、国がいくらだって支援して作品を作ってもらうことで、世界に日本の存在かをアピールできるはずなのに、最新作の「マイブリッジの糸」はカナダが資本を出し、そして日本のNHKとポリゴンピクチュアズが入ってよーやく完成へとこぎ着けた。

 本場ともいえるカナダに山村さんの才能が認められているってことは嬉しいけれども、逆に日本でカナダほどの積極的なアプローチがないってことの方がやや残念。商業アニメーションと違って、大きく回収できるものではないけれど、決して損はしないだろープロジェクトを、タニマチ気分で支援していろいろ作ってもらえばそれこそ豊穣さも増すのに、今はそーした冒険すらできないくらいに、心が弱っているってことなのかも。ますます未来は暗くなって来るなあ。それでも朝日読売毎日あたりはちゃんと「マイブリッジの糸」を映画として抑えて紹介していたりするから、文化に理解があって未来を抑えようとしている意欲が感じられる。他は? 今が精いっぱいってことなんだろー。その先は? いずれ答えは出るだろー。

 何度見ても意味深で深淵な「マイブリッジの糸」は、エドワード・マイブリッジって写真家にして連続写真を撮って上映した映画の源流に位置する人でもあるんだけれど、そんな瞬間を切り取り動きとともに封じ込めようとした彼の活動と、東京で少女とくらす母親が流れる時間の中で、ともに育ち老いていく姿を絡めることで流れる時間の決然と在ることをひとつには知らしめられる。けれどもそうした時間は、アニメーションの中では繰り返され変容する動きの中に入れ込まれ、自在に過去から未来から過去を行き交い。場所もアメリカから日本へと動き回ってそこに封じ込められた時空間を感じさせる。

 アニメーションの本質って奴を単に絵の動きだけではなくって、そのテーマ性から感じさせようとした作品、って言えるのかもしれないしまるっきり外れているかもしれないけれど、そーした多様な解釈を許してくれるくらいに豊穣なイメージが幻想的なストーリーの中に繰り出されて、見る人たちの感情を揺さぶってくれる。1度どころか3度目だったりするんだけれどそれだけ見ても未だ新鮮で先も読めず意味も明確にはつかめない奥深さ。それでいて漂う時の流れ、空間の揺らぎはあるという不思議な作品を体験できるのは今は東京都写真美術館だけ。駆けつけるべし。それがかなわないならめぐる全国の上映会を見るべし。パラパラ漫画みたいなフリップブックを買ったんで、何度でも見直してストーリーから浮かぶメッセージなり、メッセージが見せようとしてるストーリーを確認してそしてまた行こう、写真美術館へ、あるいはどこかの劇場へ。

 上の方でこどもにスポットを当てた展覧会もやっていたんでのぞいたけれど、類す・キャロルの1枚くらいであとは子供を録るというよりポートレートをとるお勉強。せめてイリナ・イオネスコくらい置いておかなきゃ子供の写真っていわないぞ、あと荒木経惟さんの少女写真とか。出て恵比寿三越の地下で唐揚げフェアをやってたんで、試食がてらにつまみつつ弁当を買って近所で食す。本当はオクトーバーフェスタ的なサッポロビールのビール祭をのぞきたかったけれど、昼間っからひとりで飲むような甲斐性もないのであきらめる。これで独立した仕事をしている人間だったら、勝手にやってひっくりかえてそれから仕事ってことにもなるんだけれど。未来も薄暗くなって来てるしいよいよ本腰入れて脱出の算段でもするかなあ。


【9月18日】 せっかくだからと最終日の東京ゲームショウ2011の会場に行ったら人でいっぱいだった。出展社も集約されて通路も広くとられているはずの会場が、歩けないくらいに人でぎっしりだなんてしばらく前のゲームショウだったらちょっと考えられないくらい。話題のソニー・コンピュータエンタテインメントによる「PS VITA」の発表も大きな要因だろうけれど、そこだけでなくってバンダイナムコゲームスのブースではモニターを遠巻きにして人が大勢集まっていたし、「モンスターハンター」からみのコーナーも動けないくらいの人の波。ほかも割にしっかり人が集まっていたところを見るにつけ、ゲームその物への関心はまだまだ決して衰えてはいなさそう。

 それとも来た人たちのほとんどは、アルケミストっていう美少女ゲームで有名な会社が出していたブルマとスクール水着の店員さん目当てだったのか、ってそれはメインじゃなかった売っていたのは猫とかの形をしたパンで、それを買いに結構な行列ができていたところを見ると、相当に味もいけていたのかもしれない。一昨日買ったけど食べずに人にあげちゃったからなあ。まあ目当てはそんなパンを包み込む袋であり箱であったりするんだろうけれど。あの派手に美少女な箱を抱えた人を会場で何人もみかけたし。女性だって持って歩いていたし。結果的には22万人を越えて過去最高の入場を記録したそーで、日本のゲームファンはまだまだ健在、あとはゲームその物が面白くって楽しくってやりがいのあるものであり続けてくれれば。期待してますクリエーターの方々に。

 浮かんだのは押井守監督作品の「機動警察パトレイバー2」で、あれはパトレイバーっていうシリーズを通しての一方の主役ともいえる存在を背後に下げて、日本に起こるテロを描いてそれに右往左往する官僚の姿や、現場で振り回されながらも職務に賢明になる人々を描いてこの国にしのびよる腐敗なり、劣化なりを浮かび上がらせようとした、希有にして異例な作品だった。だからレイバーのファンにはいささか評判は下がったけれども大人が見ていろいろと考えさせられる映画として、世に囁かれ今なお押井監督の代表作として語り継がれていたりする。

 脚本家として知られながらも小説を書いて「機龍警察」でもってデビューした月村了衛さんによる、待望のシリーズ第2作となった「機龍警察 自爆条項」(早川書房)は、先行した文庫の方で傭兵やテロリストやロシアの元警官を、日本の警視庁に作られた特捜部が機龍兵を動かす要因として雇い、そんな彼らと彼女が日本を舞台に怒る凶悪なテロと戦う話が書かれていたけれど、今回はそうした機械たちによる戦闘を背後に引っ込め、元テロリストの過去と対峙するような戦いに、警察内のなわばり争いとそして役所間の綱引きと、果ては国家間の謀略までをも絡めた壮大なミステリーの形にしてあるところが「機動警察パトレイバー2」に通じるような気がしたり。

 外務官僚がどういう経緯からか日本に凶悪犯罪と対峙する組織が必要と警察に移りつくりあげたのが、機龍兵といわれる一種のパワードスーツを使って戦う部隊。ほかにも似たスーツをまとうSATなんかがあるけれども、この機龍兵だけは世代が違っているのか圧倒的な戦力を秘めそして謎も秘めている。そんな機龍兵に登場するのが元傭兵の日本人と、元ロシア警察刑事の男と、そしてIRFというアイルランドに本拠を置くテロ組織で「死神」との異名をとっていたライザという女性。ただでさえ組織内の身内意識が高い警察にあってそうした外様でなおかつ傭兵やテロリストという出自の人物への風当たりは強く、特捜部は常に内部から反発をくらい、外部からも畏敬の目で見られている。

 捜査を妨害され排除されようとすることも数知れず。そこを特捜部を立ち上げた沖津という警視正が切れまくる頭を使ってしのぎ、肝心の場へと特捜部を進出させていく。そこまでするのはいったい彼の日本を正しい姿にしておきたいとう信念なのか、それとも誰か別の人間の思惑を代行しているだけなのか。疑問も生まれる中で1つの事件を解決し、そこで浮かび上がった警察内とも政府内とも分からない「敵」なる存在の余韻を引っ張って幕を開けた続編が「機龍警察 自爆条項」。そこにはもっぱらライザという女性テロリストの過去が描かれ、彼女をねらう元いた組織との戦いが描かれる。まるで表情を変えない筋金入りのテロリストに見えるライザが抱いていた、かつて離してしまった手への後悔があり、何かをきっかけに変わってしまった運命があり、後に知った真実があって、そして対立から至る現在へと回帰していく運命がある。

 そんなライザのドラマの一方で、面子をかけてしのぎを削る権力、さらに上にうごめく策謀が見せられこの社会の、この国家の、この世界の奥深くて複雑でそして恐ろしげな感じをたっぷりを感じさせてくれる。体裁をハードカバーにし、作品的な看板ではあっても、世代によっては怪訝な顔をされそうなロボットアクションとしての楽しさを懐にしのばせ、人間どうしの戦いを描き、このどうしようもない社会の構造を見せ、戦いが戦いを呼び、憎しみが憎しみを招く状況を感じさせる社会派エンタテインメントに仕立て上げたのは、月村さんの意向かそれとも編集側の配慮か。分からないけれどもこれはこれで「パト2」のように広い範囲に衝撃を与え、関心を呼びそう。賞レースとかに入ってくればハードカバーにした甲斐もあるんだけれど、さてはて。

 秋葉原へと抜けて外神田にある小学校の屋上で八谷和彦さんからサインをもらう。炎天下の屋上で2日間頑張るとはさすがというか素晴らしいというか。とはいえ大変だったみたいで今日はテントを張って影をつくった模様。オープンスカイはそろそろ空を飛べるかどうか。でも完成品に近づくにつれてメーヴェっぽさが薄れていくなあ。ライト兄弟的になっていくというか。飛ぶ飛行機というのはやっぱり基本があるんだなあ。そこから秋葉原へと歩いてパンチョって店でナポリタン。渋谷と池袋にも店があるみたいだけれど秋葉原にも出来ていたみたい。

 何を食べようか考えまずは看板のナポリタン。太めの麺をやや固めに茹でたのにケチャップだけではなくちゃんとトマトソースから作ったソースを絡めてみせた味は絶品。細いスパゲティにケチャップが塗られたよーなものとは違う食べ応えってやつを感じさせてくれる。大盛りで600グラムを通常の料金でできるそーだけれど600グラムったら相当な分量。なので今回は並盛りに。次は2キロ超の特別メニューに挑戦……はしない、できないできるはずない。400でミートソースも試してみよう。


【9月17日】 アミューズメントマシンショーで踊る立体(っぽい)ミクを見たかったけれども混雑してそうな気もしたんで行かず、東京ゲームショーへと出むくのも明日にしようと諦めそのまま秋葉原方面へと出てあちらこちらを散策。いつものTシャツ屋でMARS16が作っている「魔法少女まどか☆マギカ」のTシャツに新しくさやかのバージョンが登場、といってもそれはさやか本人ではないところにTシャツ屋さんの原作が持つ残酷さへの深い了解があってデザインを見て改めて涙ぐむ。それが運命であり代償であったのだとしても自分というものに対してもっと貪欲でいて欲しかったなあ。でもデザイン的には迫力。欲しいかも。

 三雲岳人さんの新シリーズ「ストライク・ザ・ブラッド」に第2巻となる「ストライク・ザ・ブラッド 戦王の罠」(電撃文庫)が登場。訳あって人間なのに吸血鬼の本家本元ともいえる真祖って奴の4番目になってしまった古城って少年が、いやいやながらも戦う話だったけれども2巻目にして見えてきたのがハーレム展開。内に飼っている眷属たちを御すにはまだ古城の力では足りないのか、少女の血を媒介に押さえ込んでいるようだけれど第1巻に加えて第2巻でも新たに少女が“生け贄”となっては古城に血を差し出して、古城の成長に一役買う。そうやって次ぎへ次へと増えていく少女たちが12人揃ったところで最大の敵との戦いなんて奴が待っているのかどうなのか。ってか敵って誰なんだ。ともあれ長く続いてくれそうで、楽しみ。

 あっちのショップをのぞいてこっちで涼んでから秋葉原を出て新宿へ。どっちもやっぱり未だに暑い。いつものやんばるでもって沖縄名物のポーク玉子定食をかきこみそれから電車でぐるりと回って駒込から本駒込の間をゆらゆら。リンク先が違っていたり場所を勘違いしていたりして、なかなかたどり着けなかった会場へと入ったらSFファン交流会がまだ始まっていなかった。どーやらパソコンとDVD−ROMとの食い合わせが悪くて映像が上映できなかった模様。そのままとり・みきさんと鹿野司さんによる小松左京さんに関するトークが始まり廊下で座椅子に座って外の子どもたちの歓声を聞きながらまんじりとしつつ様子を眺める。

 和室にいっぱいの人で漂う熱気にクーラーも今ひとつだったりするなかを、それでも熱心に聞き入る参加者。つまりはやっぱり小松左京さんって人にはそうやって、人の興味をそそるだけの存在感があったってことなんだろう。作品の多さもあれば世間的な知名度もある。SFに触れない人でも人として人生のどこかで接触を持っていただろう存在が、先の死去を受けていっきに世間に認知を広げて興味を誘っているといった感じか。初めての参加者という人もいたからなあ、今回。

 とはいえ作家としての存在感が1990年代に入って、どれくらいあったのかと言うところで浮かぶ悩み。今も上がる数々の傑作長編群はデビュー間もない時期から一気に書かれたものが多くそして短編群もだいたいが1980年代半ばあたりまで。その後の小松さんはテレビに出て喋ってはいても、小説家として世を震撼させ多くを引き込むものをあんまり出していなかったような記憶がある。むしろ小説家として爆発していたのは筒井康隆さんで、「虚構船団」しかり「パプリカ」しかり「朝のガスパール」しかり「残像に口紅を」しかり「旅のラゴス」しかり「文学部唯野教授」しかり、時々に口に上る作品を多くえがいて文壇って所で強い強い存在感を示していた。

 一方の小松さんは「さよならジュピター」があって「首都消失」があったくらい? 最晩年の問題作ともいえる「虚無回廊」だってSFとしての凄みはあったけれども、世間が驚くといった作品とはちょっと違ってた。あれだけ精力的に海外を周りリポーターとして発言し、ゴビ砂漠でラグビーに興じていたようなエネルギッシュさは影をひそめてどこか達観というか諦観というか、そんな表情を讃えたおじいさんといった感じになってしまって小説家という部分からはやや印象を下げていた。偉大ではあっても現代ではないその存在は、だからここに来て訃報に接してもそうかといった了解は浮かんでも、悔しさといったものは浮かばなかった。

 来る時が来た、といった感じはあっても、それに強い衝撃はなかった。業界人ではなく無縁だったということもあるけれど、それを除いてもやっぱりあんまり悲嘆といった気分にはならなかった。やり尽くしてくれていた。それを存分に味わわせて貰った僕たちにとって、その存在はもはや十分過ぎたのかもしれない。すでに血となり肉となっていた存在であるが故に、物理的な意味での血肉を持った体がこの世界から消えても、いつまでも内にあり続けるという理解が、悲しさといった感情を浮かばせなかったのかもしれない。よく分からないけれど。そんな思いを感じながら時折気を失いながら見ていた3時間。暑かった。ドクターペッパーを飲んで休憩。誰もエル・プサイ・コングルゥと言ってくれない。

 会場を出て、駒込から方向を逆に秋葉原へと戻り、外神田の元小学校で開かれている千代田芸術祭を見物。屋上のマーケットは日没ってことで終わっていたけど、展示室のアンデパンダンな部屋でいっぱいに展示してある作品から、好きなものを投票する用紙を渡されたのでざっと見て回って1つ2つ3つを選ぶ。2人が向かい合った立像は1人がしゃがんでもう1人のスカートに顔を突っ込んでるような感じ。そうだったっけ。それからハローキティみたいなのが画面に見えるうすぼんやりとした具象画と、あとは壁一面にチェキサイズのセルフポートレートをはりつけた女子。コスプレっぽくってときおりのぞく肌がセクシー。分かりやすいけどまあいいや。八谷和彦さんが推薦していた土下座する男性を下から煽った絵も土下座ばやりの中で良かったけれど、人が選ぶものを選んでも意味が足りないんで別に探して以上の3点。勝てるかな。


【9月16日】 雄二が翔子とどーしてあそこまでベッタリなのかが分かった回。でも虐められそうになたっところを助けてもらったのって元を辿れば雄二が手前勝手にふるまって、上級生を怒らせたのが原因でいうなれば一人芝居みたいな雄二にどーして翔子が惚れるのか。そして雄二に安泰な暮らしを約束するのか、理不尽で納得が行かないぞ。とはいえ嫉妬深くて冷徹な上に一生を完璧なまでに縛り上げる覚悟を常々示している翔子にそのまま靡いて得られるメリットデメリットを相殺すると雄二にもいろいろ言いたいことはあるのかも。そんな「バカとテストと召還獣」は合間のDVDとかブルーレイの宣伝での秀吉がキュートだった。見るのは結局そっちかい。

 でもって買った「スター・ウォーズ」のBDボックスはやっぱり第4話から見るのがリアルタイムですべてを見てきた者の務めと言うことか。それから第5話第6話と見て第1話のカエル祭に泣き第2話のもはや覚えていない展開に悩みそして第3話のマグマバトルに熱くないのかと訝ってすべてが終わってさあ第7話を待つぞって思いをそのまま何十年も引きずるんだ。出来たところでもはや第6話の熊祭で完結してしまっている話の続きなんて気にしようもないんだけれど、それでもやっぱり「スター・ウォーズ」があるとないとでは人生の深みが違うってことで、ルーカスさんには頑張って気を変えてもらって続きを作って欲しいもの。ほら太陽が2つある世界も見つかったことだし、今度はそこでロケなんて。暑いだろうなあ。

 今日も今日とて「東京ゲームショウ」へと出むいてコナミデジタルエンタテインメントのブース前で微笑む秘書さんをキャッチ。髪こそ青いけれども眼鏡にタイトなスカートでもって微笑む姿はまさに秘書。そばにおいてあれやこれやと命じたいけれども下手すると吉原陶子さんby特急便ガールズみたいにぶん殴られるんで注意一生。いやあれば別にぶんなぐってはいなかったか。あと見かけたコンパニオンではバンダイナムコにやたらと背の高い人がいたなあ。ヒールをはいていることもあったけれどもそれでもすらりと2メートル、は大げさdめお6フィートはあった模様。どうやったらあんなになれるのか。でもやっぱり1番はラブプラスの3DSのなかにいた愛花さま。見上げると怒るんだ。何を見上げるんだ?

 ふらふらと歩いて8ホールまでたどり着いたら軒先で体操着やらブルマやらを干してる集団がいて何かと近寄ったらパン屋だった。脈絡ねえ。いやどーやらかわいいパンを売るかわいいパン屋さんってことで猫の形をしていたり、可愛い絵が描かれていたりするパンが並んで楽しそう。そして売り子さんもなぜか可愛くスクール水着を着ていてとっても目に嬉しそう。いや嬉しかったよ。せっかくだからとすぐ売り切れるらしい絵が描かれたピザのパンとそれから猫の形をしたパンなんかを買って箱詰めしてもらって昼ご飯にしようかと思ったけれどもせっかくだからと午後からの取材先へと持っていって送りものに。迷惑だったかどうだっから。箱まで美少女絵の満載なパッケージだったからなあ。そういう人だと思われたりして。そういう人だけど。そうなのか。

 せっかくだからとアミューズメントマシンショーの方にも回ってにこやかにポーズをとるトイズフィールドの巨大な奴とか、ガラスケースの中で踊る立体視っぽい初音ミクなり鏡音リンなんかを見物。いやあこれやっぱり欲しいわ。擬似的な3Dであって決して立体映像ではないんだけれど、そう見せてしまうテクノロジーとそして踊るミクさんリンちゃんの動きの良さがそこに生命を存在させているよーに感じさせる。凄いなあ。いつかNECが「魚八景」なんてものを出していた時代があってハイビジョンで録った魚の映像を流してその前に水槽っぽいのを置くだけで、本当にそこに魚がいりょうに感じさせた。はじめは誰がこんなのかうんだって訝ったけど、実物を見ると以外にしっかりしたホンモノ感があったっけ。そんな人間の物をそう感じるある種のご都合主義に頼ればこの3Dミクも立派に3Dとして認識され感激され喝采を浴びるんじゃなかろーか。20万くらいならどーだ。もっと安くできるななお結構。家に1台。欲しいなあ。

 沙村広明さんの「ハルシオン・ランチ」の第2巻が出て第1巻がどーだったか思い出せなくなっているけど何でも喰っては合成してしまう少女が身近に現れたホームレスだけれど体裁の良いおっさんとそれから若い奴でやっぱり身近に美少女がいたりする兄ちゃんとが絡んでおこるいろいろな事件はやがて若い方が美少女いっしょに大将軍のところにつかまって、少女は国を指導する大将軍に囲われるけれどもやがて起こった反乱が、大将軍をいつめていくとう展開があったんだけれどそれとは別に地球が大変に狙われていることが判明し、やがて争っていた地球は1つになって立ち向かってそしてという、身も蓋もない展開が待ち受けていた先に広がる希望が心にとっても染みたという、そんな不思議な物語。国家も同じだ。ってつければ何でも意味深に聞こえるって大将軍が言ってた。


【9月15日】 午前8時に起きて午前8時50分には幕張メッセにいられる住環境は幕張メッセでイベントがある時に実に便利だと噛みしめる朝。東京ゲームショウの受付に大行列ができているかと見たらそれほどおらずすんなりチェックインしてそして向かうは隣でやってるアミューズメントマシンショー。そこでも受付を済ませそんなに来てないプレスといっしょに開会式を見てから、中に入ってセガのブースで踊っている初音ミクとか鏡音リン・レンの“立体映像”を見物する。空間にふんわり現れるようなその映像と聞こえてくる音、そして何よりもミクやらリン・レンたちのダンスに引き込まれて流れる時間。それだけで元はとったような気になれしまうのってアミューズメントマシンショーとしてどうよ? って気にもなるけど仕方がない、可愛いしカッコイイから。

 それでも見れば高齢者が朝1番に寄ってきて夕方まで楽しんでいるというメダルゲームがあったり、競艇を楽しめる大型のアーケードゲームがあったりして“碁会所”としてのゲームセンターの存在を、よりくっきりとさせる材料はいろいろ。パチンコとかパチスロじゃあ遊び始めたらお金がかかるばっかりで、そりゃあ取り返せもするだろうけどそれにはスキルがいるし元でもいる。むしろ少ないお金で長い時間を滞在できていっぱい遊べるメダルゲームの方に、お金はないけど時間だけはある高齢者が引かれるってのもよくわかる。それこそ国とか県とか自治体が、そうした場所を奨励して補助券とか出して遊んでもらって、中に体力知力を維持できるマシンなんかも老いておけば健康増進につながって、医療費の負担を減らせるんじゃないのかなあ。道路作るより橋を架けるより簡単にできる高齢化対策。

 ぶらっと見て回ったプライズにはその昔にデザインフェスタで見た「もにまるず」がプライズになって登場してた。ほとんど個人が集まり作ってたグッズが商業へと出ていく瞬間を見るのはなかなかに嬉しい。あと既に出てはいてもまだまだ知名度として全国区にはなっていないトイズフィールドが、タイトーのブースでプライズとして登場。大塚勝俊さんって人形作家の人が作ってる熊とか兎のぬいぐるみなんだけれどそれをプライズで実によく再現していて持つのに良さそう飾るのに楽しそう。もちろんホンモノと違って自立しないし立ちもしないし手足だって曲がらないけど、そのビジュアルの可愛さフォルムの愛おしさに手早く触れたい人には人気となりそう。あるいはアミューズメント施設のケースをショーウィンドーにして世間にトイズフィールドが広まるきっかけにもなる。良いコラボレーション。盛り上がって欲しいなあ。

 そしてAMショーの会場を出てすぐそばで初めて重なって開かれることになった「東京ゲームショウ」を見物、大昔に策定されたマスコットキャラクターでピコピコハンマーを手に持ったボクメツくん(仮)が消えてスタイリッシュな何かが描かれたポスターとかがあったりグッズが売られてたりしてハイエンドな感じを出していたけど、中の方はいたってシンプルにいつもながらのゲームショー。企業が巨大なブースを出して観客を呼び込み最新のソフトを見せては喜んでもらっていたりする。とはいえ去年まで連続して巨大なブースを出していたレベルファイブの威容があんまり見あたらず、マイクロソフトなんかも隅の方にキネクトを中心とした対応ソフトを出してそれなりな感じ。横でコナミは「ラブプラス」を並べてそれなりな反響を得ていた様子で、女性なんかが3DSを振り回して楽しそうにしている姿にもしかしたら案外に、イケるんじゃないかって来もしてきた。

 そんな一般のブースを横目に勢力争いをしていたのがソニー・コンピュータエンタテインメントとグリー。ソニーは昨日発表になった「PS VITA」を80台とか持ち込んで並べていたようだけれどあんまり多すぎて近寄れず。でもこの反響はなかなかで最初に飛びつきそうな人は飛びつくような気がしてきた。最初だけ。でもその先、普通の人に買ってもらえるための何かが果たしてあるのかどうか。通信料をたんまりはらってコアなゲームを買いましてのっけて遊ぶだけの根性が、縮小気味な現状においてそうした層はニコニコ動画を見たりSNSを遊んだりしてそー。だからそういう昨日も搭載したってことなんだろうけれど、それをやるのに果たしてあのスペックは必要か。電話もかけられないハイデフなニコ動専用マシンに何万円もつぎ込むか。そんなあたりの見極めがちょっと出来てない。

 一方のグリーはいたってシンプル。とにかく大量の携帯電話向けゲームなんかを並べてついでにゲームに出てくるキャラクターのコスプレをしたコンパニオンも立たせてひとめでこんなに楽しそうなゲームがありますよってアピールしてる。そりゃあ業者さんがやって来る日に売るパッケージソフトもないグリーのブースにいって、遊んで試してみる人も少ないだろうしメーカーだってだいたい内容は分かってそー。だから初日に来場者が少ないのも当たり前で、それをあげつらって敗北だのと叫ぶのはまだちょっと早いかもって来もしないでもない。3日目4日目にどれだけの人がやってきてコンパニオンと戯れるか。勝負はそこだ。ってそれゲームと関係ねえじゃん。そんなソニーとグリーが隣同士に並んでいたところも象徴的。新旧の対決かそれとも盟主たちの共演か。その見極めもこれから必要になって来そう。果たしてどうなるゲーム業界。

 ふらっと横を見てあったコスパに入ったら「タイガー&バニー」のTシャツとか出ていたけれどもロゴが中心でキャラ絵がなくってそれはそれでスタイリッシュなんだけれど、アニメっぽくないからパスして裏に回ったら二次元コスパがアニメもアニメな「IS(インフィニットストラトス)」に出てくる男装な美少女のシャルがデカくデカくどこまでもデカくプリントされたフルグラフィックTシャツを売っていた。もう前面にでっかく顔とボディとそしてでっかい胸が。もうすぐ発売になるらしい「アイドルマスター」のアイドルたちが12人ばかり描かれたフルグラフィックTシャツだって結構なものだと思ったけれどもそれがスタリッシュに見えるくらいにストレートな美少女Tシャツだった。それを着て街を歩けばあるいはとんでもないことになりそうだけれど、Tシャツなんだから着て歩くのがやっぱり常道。なのでこの夏の陽気が続くうちに挑戦したいものである。けれどもしかし。うーん。仲間を募るか。


【9月14日】 日向まひるが暴れ回っていたようだけれど眠くて微睡んでいてよく見られず。その後「ヘブンズ・フラワー」も放送されていたようだけれど飛ばしながら見てどうにかストーリーを理解。三田佳子さん演じる科学者だかは割にトンデモな人っぽかったけれども一方で熱情家でもあったみたいでいったいどーしてあーなったとのかが分からない。DVDボックスでも出たらまとめて買って見るしかないなあ。っていうかあれだけキャッチーだった草刈民代さん演じる軍服姿でおかっぱの大臣が出てないじゃないか。もう魅力半減。それでも「私の優しくない先輩」くらいに憮然とした演技を見せる川島海荷さんがいたから良しとしよー。次はラストの2話か。どーゆー結末を迎えることやら。

 本が読めてないのは本を読む気がないからではなく読む気力がなかったりするからでその気力が取り戻される日が来るかというとしばらく来そうもない残暑の中を、えっちらおっちら東京ミッドタウンまで出かけていってソニー・コンピュータエンタテイメントジャパンによる「PSVITA」だったっけ、そんな名前の次世代携帯型ゲーム機の発表を聞く。会場を知ってあんなこぢんまりとしたところでよくやるなあ、きっとこぢんまりとした発表会にするんだなあと思っていたらとんでもなくっていつもながらの間口の広いステージセッティングでもって大勢を詰め込んでいたけど会場が開場なだけにホテルでやるよーな雄大感は出せずステージ前までカメラマンが迫る。

 同じVITAの初発表の時は東京プリンスのタワー地下にある広間を使っていたのに、より大きな実機のデモがありながらも会場はスケールダウン、ってところに何かあの会社で起こっていたりする事情があるんだろうか、昼の弁当が今半あたりからほっともっとに代わったとか。うーん。それなら青山あたりにある本社屋がまずもうちょっとこぢんまりとしたものになるだろーから、この繁忙期に開いていたところがそこしかなかったって理解にしておこー。それにしてもこぢんまり。いや発表時代はしっかりと中身もあってきわめて重要。本体価格の発表があり通信料金の発表もあってこれで買えばどうなるかって想定ができるようになった。けど無制限でもないある程度の制限があって4980円とかゆーコースに入ったとして、プラスしてゲームの購入料金なんかもかかるとしたらちょっと結構な金額が毎月のよーにとんでいきそー。

 それによってコアなゲーマーだって満足できるバリバリなゲームが遊べるんだからいーじゃん、ってな意見もでそーだけれどほかに遊ぶ要素としてあるのはSNS的なものだったり、AR的なものだったりと日常の中にちょっとした娯楽をもたらすもの。それに月額で5000円近くも払える買って言うと微妙で、だいたいが同じよーなカジュアルなゲームが出来てコミュニケーションのツールにもなって便利なiPhoneなんて、ネット絡みの機能がついている上に電話で通話ができるんだからVITAより断然に便利、っていうかもともと電話機なiPhoneと違ってゲームにネット機能を付属したVITAのユーザーが、通信料金にコンテンツ料をはらって使い倒す気満々でいるのか否か。そんなあたりの心理的な動静が、発売された暁にはちょっと注目されそう。ネット代払ってまで買い遊び倒すかそれとも。見物だなあ。

 対応ソフトについては昨日の今日では流石に「モンスターハンター」は持って来ずかわりにカプコンでも別に人気のマーベルとかと戦う格闘ゲームとか、鉄拳も入れちゃうコラボレーション格闘ゲームなんかを発表。楽しそうではあるけれどもそのためにわざわざ、ってユーザーがどれだけいるかはなかなかに灰色。その他のソフトも決定的な起爆剤になりそーなものが見あたらない。いっそだから「ファイナルファンタジー」のナンバリングをそっちで出すとか言えば気分もかわるけれど、そこまでのリスクはとれないしなあスクウェア・エニックスも。100タイトルくらいは作られていて25タイトルだかが一気に出るって言われても、そこに食指が伸びるものがどれだけあるかというと……。そこで大きくは売れなくても、費用がかかるパッケージでは売らないネット配信型だから可能ともいえるラインアップの妙な充実。そこからロングテール的に発掘され評判になるゲームが出てきたらサクセスストーリーも含めて話題になりそーなのに。そこで世界のソニーの力を結集して作るか架空のサクセスストーリーを。

 背中に背負ったガンプラが。って言葉も生まれそうな新サービスが登場。こないだ見てきたガンプラ工場で日夜つくられているガンプラことガンダムのプラモデルのボックスタートがそのまま背中にでっかくプリントされたTシャツを作ってくれるサービスをバンダイがスタート。これがなかなサイズ感でおまけに色目もくっきり出ていて、経たなガンダムコラボレーションTシャツなんかを買うよりよっぽどファン的には嬉しい限り。しばらくはMGが中心になるのかな。それだったら是非にハマーン・カーン様が乗っていたキュベレイが欲しいんだけれどいったいキュベレイの箱絵ってどんなだっただろ。見ばえならやっぱり百式か、きんきらきんだし。あと気になるのはターンA。プラモデルは格好良かったけれども箱絵もちゃんと格好良かったっけ。黒いマーク2とかも悪く無そう。そーやって選ぶ楽しみがあり、完成した物を纏う楽しみもあるサービス。気にはどのモビルスーツを背負う?


【9月13日】 ずっと田沼の中身が鏡を探す妖怪のまんまだったら、それはそれで夏目との間に艶っぽい話が繰り広げられたかというと、中身が田沼のまんまでこちらの夏目のまんまだからこそ漂う、ロージーなパフュームってことで必然、鏡の妖怪は出て行かざるを得ず生天目仁美さんのボイスも聞き納めとなってしまった「夏目友人帳・参」。夏目が学校周辺を探しても細いショートケーキ分くらいしか見つからなかった鏡のカケラが妖怪たちによって森を探してもらったら残りのほとんどが見つかった。それなら最初っから森を探せば良いものをなぜか入り込んできたトンカチ妖怪が学校を中心に暴れるものだからそっちが優先されたってことになるんだろー。でも鏡を感付くトンカチ妖怪はどーして先に森で鏡集めをしなかったんだろー。妖怪がいっぱいいたからか。謎めく。

 とても9月も10日を過ぎたとは思えない熱波の中を支度して東京ビッグサイトへ。1年ぶりくらいになる任天堂のカンファレンスがあってちょっぴり苦戦も言われるニンテンドー3DSのテコ入れ策なんかが発表されるとあっていったい、どんな策が出てくるのかと妄想。3DSを1台買うとバーチャルボーイがついてくるとか、ウルトラハンドがついてくるとかラブテスターがついてくるとか光線銃がついてくる、ってんなら昔懐かしい玩具を手に入れられる喜びに、ついつい3DSを買ってしまったかもしれない、ってそれは40以上のおっさんだけか。でもちょっと欲しいかもバーチャルボーイ。まだ普通に新品売ってた時に買っておけばよかったと後悔しているんだ、あれ。面白いんだよ案外に。

 まあ普通にソフトラインアップってことだろーと思っていたら数日前からカプコンが「モンスターハンター3G」をニンテンドー3DS向けに出すって話が伝わってたんで、世界に(国内だけだけど)冠たるモンハン人気を3DSの起爆剤にするのかなって思いつつ、今さらそれを発表されても驚きはないって思っていたら何と「モンスターハンター4」の対応が発表された。これは予想外。なるほど3DSだけに発売さられるとは限らずPSPなりヴィータなりにも発売される可能性がないって訳ではないけれど、あえてこのイベントでラストにこけら落とし風に見せるってことはそれなりに、先行するメリットを与えるんだって意識は伺える。任天堂にとってはこれだけの知名度をユーザー数を持つタイトルの参入は、普通に考えれば嬉しいし追い風になるだろー。でも。

 モンハン4ができるからって3DSを買うユーザーがどこまでいるのか、ってところがひとつの悩み。既にPSPを持っていてモンハンを楽しんでいる人のそれなりの多さがあって、それなら自分もやってみようと買う人がいて、みんながやるならとPSPも含めてモンハンに向かう人がいて、盛り上がったあちらでのとてつもない人気ぶり。その根幹を成すそれなりな数のハードウエアのインストールをPSPなみに3DSが確保していないと、とてもじゃないけれどもミリオンダブるミリオンといった化け物じみた数字は出てこない。せいぜいが持っている人たちの間でちょっとやってみようてきプレーがあって、けれどもみんなもってないならそこまでってことになりかねない恐れがある。そうならないためにも3Gを出してインストールを稼ごうってことなんだろうけれど、そこでも同じ理由でどこまで売れるのか、っていった悩みが浮かぶ。

 3DSを遊んでいる層がモンハンの核となっている層とどこまで重なるか、ってところで感じるズレが結果として乖離を呼んでしまう可能性。それはかつて「バイオハザード」のナンバリングタイトルを、プレイステーション系から任天堂のゲームキューブに移そうとした時にも起こったような記憶がある。PSに破れ散々だった任天堂が満を持して出したコンソール。そのフラッグシップタイトルにしよーとしたんだけれども任天堂のマリオだ何だを楽しむ層とバイオを楽しむ層がズレててマッチせず、それほど大きなのびを見せなかったんじゃなかろーか。だから後で他のプラットフォームに出したけれども前ほどの、超絶的な存在感は薄れカプコンに悩みをもたらして雌伏数年、「逆転裁判」や「モンスターハンターポータブル」といったタイトルの成功で大きく息を吹き返した。

 そんな過去を鑑みて果たしてプラットフォーム選びで揺らぎを見せるかどうか。もちろんああやって発表した以上はしばらくは3DSをメーンプラットフォームとしていくんだろうけれど、その後の展開次第では前の轍を踏みたくないとそそくさと天秤を向こう側へと傾けないとも限らない。いやいやもはや任天堂とソニーだなんてドメスティックな天秤は脇においてグローバルな市場で天秤棒を握るソーシャルな場、フェースブックな世界へとアプリを作って展開してく可能性だって想像するなら存分にありえる。それを想定しないでやれモンハンだ、なら任天堂だと称揚して良いのかってところが、これからしばらく論議の的になっていくんだろー。

 もちろんマリオカートにマリオテニスにマリオそのものにルイージマンションにスターフォックスといったタイトルは魅力的。それだけで任天堂単体として存分な売り上げ本数を稼ぎハードだってそれなりに収まる範囲でビジネスをやりとげるだろう。ソフトとハードをひとつのエンターテインメントとして考える、それが任天堂のコンセプトであり強みでもあるんだから。とはいえそれではゲーム全体の井戸が枯れ、ファン層が祝勝してしまう。だからやっぱりサードパーティーの存在は必要で、モンハンとかに期待するところも大きいんだろう。あとはミクとかラブプラスとか。何よりラブプラスだってある訳で、これによってニンテンドー3DSが1億台売れて世界中から熱海巡礼のマニヤが日本にやってくる、だけど。間違いなし。って今度も熱海なのか。次はいっそ那須とか東北の温泉にしないか。

 美少女仏師が諸肌見せてサラシを巻いた胸をさらして仏像を開眼すれば、後継ぎ仏師はあれやこれやとパーツを入れ替え多彩な仏像を示して依頼主をたしなめる。どっちもどっちに楽しく為になるバトルが繰り広げられた「イブニング」の「ブッシメン」はとりあえずのエピソードが終了したけどせっかく登場の美少女仏師にはこれからも登場の機会が欲しいもの。あるいは主人公が関わっているフィギュアの世界にも入ってきてその才能でもって新しいジャンルを打ち立てるとかしてくれれば、新たな創造が行われているかどーか掴みづらいフィギュアの世界にも新しい道が開けるのになあ。「イブニング」ではあと「もやしもん」がページ数少ない上にオリゼーたちの講釈があった先に及川のハイレグが1枚。これで十分。次は対抗して蛍のハイレグを。もっこり? ないないあってたまるものか。


【9月12日】 BSが見られないテレビではリアルタイムでなでしこジャパンの中国戦を見られないんでiPadから導入してある海外のテレビが見られるアプリを介して中国のCCTVで中国戦を見たら丸山桂里奈が倒れてた。ずいぶんと痛みがあったのに無理をして無理が爆発してちゃあ意味がないんだけれども、これで戻って喧騒と疲れが残るなか、なでしこリーグの試合に先発ではなく途中から出るもやもあを味わうことなく、治療に専念できると思えば案外に個人的にも気が楽というかどうというか。そして年末年始をテレビで雑誌で活躍して、そして春先から復活してコンディションを上げて五輪に間に合うようにすればもうドンピシャ? 所属した事務所も稼ぎ時に稼げて嬉しいだろうし。

 もっともそんな甘いことを許すジェフレディースのジャンボこと上村崇士監督でもないんで、怪我が治りかけた春先からは走り込みを開始し、それによってあの15分間のスピードスターを、45分は保つようにしていただければなでしこ的にも有り難いんだけれど。あれだけのスピードとあのドリブルを持っている選手はなでしこジャパンではほかにいない。だから肝心の試合となるとちゃんと呼ばれてメンバーに入っているんだけれど、そこで先発から活躍できないのはひとえに体力的な問題があったりするから。そこをどうにか底上げして、ワールドカップに間に合わせたのが上村監督。サボり気味なところを捕まえ、試合にも出さずに罰走でもって鍛え上げた。その再来をあるいは協会も期待しているのかも。ここでもうやーめた、ってなったら人気者を1人失う協会的にもよろしくなさそうだし。さてもどーなる。

 アニマックスで月末に「銀河鉄道の夜」が放送される杉井ギサブロー監督にあれこれ聞いた話を記事にして掲載。その話のほんとんどは字にはならなかったけれども猫であるという理由に、特定の誰かを描こうとはしないで、時代も地域もより普遍的にしていって極力具体性を排除し抽象的にしようとした宮沢賢治の思いを汲むなら、人間であってはいけないという思いをずっと抱きつつ、それを形にする術がなくって悩んでいたところに、ますむらひろしさんの漫画による「銀河鉄道の夜」が発売されて、これなら人間ではなく猫として普遍性を保てると感じ、そのアニメーション化に挑んだといった経緯はちゃんと伝えられた。だから単純な理由じゃないんだってこと。そこには賢治作品への深い研究心がある。

 それは杉井ギサブロー監督が目下制作中の「グスコーブドリの伝記」なんかにも現れていて。ストーリーの上で幾つか原作とは違った展開なんかが登場しそうだけれどもそこには原作を読んでどこかひっかかった部分を考え、研究者の研究なり時分自身の想像なりを加えようって意識があったりする。あるいは人によってはどーしてって気にもなるかもしれないけれど、より深くそして真っ直ぐに賢治作品を知る上で、とても重要な部分かもしれない。完成していったいどーゆー反応が出るのかちょっと楽しみだし、自己犠牲による英雄的な行為への賛辞に止まらない、とてつもなく大きくて力強い、今のこの時代を大きく包み込むようなメッセージが発せられそう。いったいいつ頃見られるのかなあ。来年にも見られると嬉しいなあ。

 あと紹介できなかったけれどもアニメーションの若い人にはもう日本なんて狭い地域で日本だけを相手にするようなことを言ってないで、世界にどんどんと飛び出していってそこで仕事をつかみ作品を世に問うくらいのことをしたらどうだってことも離してた。10人くらいでアメリカに渡ってスタジオを建てちゃうとか。それで仕事が来るかどうかはわからないけど、チャンスの結果が半端なくデカいのもあちらの国の特質。なにしろ市場が全世界なんだから。そんな市場を見つつ理解してもらえる日本だけ向いて作っていたっていつかは限界が来る。だったらといった意見をそうですねと聞ける人はなかなかいないだろうけれど、それでもそういう人が現れて欲しいもの。

 タツノコプロなんかで活躍してから、米国のディズニーで働きたいという希望をかなえるべく渡米し、レターなんかを書いて書いて書きまくってそしてプロダクツのデザインではあるけれども、アニメーションの仕事に50歳過ぎて関わった宮本貞雄さんのような前例もあったりする訳だし、実力があって向こうの希望をかなえる能力があればそれは可能。後に続く人の登場がこの内を向いて爛熟から沈滞へと向かいがちな世界を変えれくれたら。ギサブロー監督の作品もそんな尖兵になってくれないかなあ。だから見たいなあ。「グスコーブドリの伝記」を早く。そうそうやっぱりアニメは集団作業が楽しいとも。いろんあ人のアイデアが入ってそれに答えて生まれるシーンの豊穣さが好きだとも。インディペンデント・アニメーションを信念として作っているならまだしも。独善が通じる世界だからと安住している人にはやっぱり他の考え方とのふれあいを経験し、それから何をどうするかを決めても悪くはないってことを伝えておこう。

 まずはホラーのような如何ともし難いシチュエーションに封じ込まれる恐怖感があって、そこにちょっとした幸せエンドもまぶして体裁を整えているという説があって、それからSFでよくあるループものであって、あるいは人類を家畜のようにとらえる宇宙的な意志の物語でもあって、そうしたSF的な枠組みが面白いんだという説があって、そうかもしれないけれどもそれは違って、実は本質的に美少女が、あるいは美女が蹂躙される世界観は太古よりあって類例として刷り込まれていて、それをあからさまにやるんじゃなくって魔法少女という形態に乗せて、そういう枠組みからの逸脱を楽しんでいるふりをできるようにしてあるところが凄いといった説があってと、三者三様に読みどころがズレていて面白かった三省堂書店神田本店での山川賢一さんによる「魔法少女まどか☆マギカ」の評論本刊行記念トークショー。

 大森望さんがSF概評としてSF的な仕掛けを説明してなるほどそうだよねってSF者を納得させたその後で、SF者ってのはそういう理屈にはめてほくそえむけれども実は祭壇に祀られた美少女にナイフをつきさしSFの生け贄に捧げるような吾妻ひでおの漫画に書き表されているように、そうやって自分をSFの文脈に正当化したがる節があって、けれども本質はやっぱり美少女の不条理なまでの蹂躙だったりするという、森川嘉一郎さんの分析が来たのには、なるほど作戦勝ちと賞賛。そして自分自身の心に照らし合わせて納得。そうかもしれない。SFとして語ることによってあの世界の残酷さ、そして美少女の殺し合いとうエロティックなシチュエーションを、高尚なものにしようとしているのかもしれない。

 とはえい、そうした他の文脈を借りて人気のほどを分析してみせる批評家さんたちの鋭い言説を上回って、最後に山川賢一さんが喋った、時代性とか社会性とかなんてすでに確立されたジャンルを語る上で不要、その作品が放つ魅力、物語なりキャラクターなりテーマなりビジュアルなりから放たれる、正真正銘のその作品の魅力を語ることの方が、よほど真っ直ぐで正直で強く作品を理解しようと務めているって意見にも納得。時代がとか社会がとかと重ねて作品をそうした“価値”の序列に置いて安心しようとするのは、なるほど確かに作品の愛し方として弱いのかも。まあ「lain」のよーにネットワーク社会というものの登場と切り離せないタイムリーな作品もあるから一概には言えないけれど、あれとて同時代ってよりは15年くらい先を読んでいたってことを大昔に「ユリイカ」に書いた。作品そのものを語る。それがひとつのアニメ評論の形になる。賛同したい。だって僕には社会を語る目配りも哲学を踏まえた知識もないんだから。


【9月11日】 蒸す中を起き出して家を出る。日本橋で降りて前に西新宿で立ち寄った東京チカラめしで焼き牛丼を今度は単体で注文。せっかくだからと備え付けの紅生姜ではない寿司屋でよく見るガリを乗せ、混ぜて食べたらこれがとてつもなく美味だった。前は普通の牛丼みたいに生卵を混ぜたけれども、焼肉とうまく絡まず卵かけご飯に焼肉といった感じになってしまった。今回は焼いた肉の香ばしさに混ざって伝わってくるガリの甘酸っぱさがとても良い。それがタレとも重なり合って口中に至福の味を醸し出す。できればたっぷりと取ってのっけてかき混ぜて食らうのが良さそう。今度は大盛りで試してみたい。これにセットの生卵が混ざるといったいどんな味になるのだろう。挑戦してみたいけれども躊躇も。いつか時間があれば。

 JRに乗って浜松町まで出かけて「ドールショウ」を見物。いったいいつ以来のドールショウになるんだろう。前も繁盛していた記憶があるけど今回は2階から5階までのフロアをつかっての開催。そこに集う人たちも中古の人形売りはあんまりいなくって、ちゃんとしたドールをベースに服とかを売る個人出展のディーラーさんや、オリジナルの人形を作って売る造形作家の人たちなんかが体勢を占め、その周辺をメーカー系が囲んでいるといった雰囲気。とおいむかしにボークスなんかが素体を売りだし自分で人形を作る文化を創出しようとしていたけれど、それが次第に広がっていって人形をベースに創作を行う人が確実に世間に増えたってことの現れなんだろう。

 もとよりこの国は市松人形に雛人形にコケシにダルマに絡繰り人形と人形が大好きな国だから。そこに可愛らしさを盛り込んだ西洋の人形の文化が入り、加えてキャラクター人形の文化が重なればこうなることも必然だったということで。そんな見解が妥当かどうかはちょっと分からないけれど、同人誌文化の広まりは世に結構調べられているものの、ドール文化についてはあんまり参考にできる言葉が見あたらないだけに、誰か調べてくれればちょっと有り難い。全部を森川嘉一郎さんにお願いするって訳にもいかないけれど、森川さんなら徹底して調べ尽くしてくれそうな気もするなあ。いややっぱり無理かお金もかかりそうだりスーパードルフィーの作家物なんて25万円とか平気でするし。

 そんな会場に入ってとりあえずキャラホビでもお目に掛かった「MORE THAN HOMAN」って岐阜県でショップを開いているアーティストが作った人形のコーナーを見物して挨拶。やっぱり今回もヨゴシみたいな手書きの模様をつけた手作りの衣服を着せた、顔とか手足に徹底的に改造が施された人形が並んで小ぎれいな人形が連なる会場にあって異質な雰囲気。それでもキャラホビでは見られなかったあれはドルフィーだろうか、大型の人形に「MORE THAN HOMAN」ならではの衣装を着せた作品は迫力もあれば見た目もなかなか。これで安ければ家に置いておきたいんだけれども隅から隅まで1点物では高くなって当然な値段で素人さんには手が出ず。でも水江未来さんがマネキンを細胞で埋め尽くそうしている作品もそれくらいだからアートピースとしては手間暇考えればそれなりに妥当な線なのかも。これで画廊とか通せば倍だし。だからチャンスは今。

 いろいろと見て回った中で割にぷっくりとして下ぶくれ気味な和風の人形があって名前を「チハヤ」といってこれはいいねえと話して後にしてそれからしばらくして調べたら大昔に展示会を取材にいったユニバーサルプーヤンだった。あるいはどっかにいるかもなあ、って思ってはいたけれどもまさかそこだったとは。灯台もと暗し、っていうか単に自分がすっかりど忘れしていただけだけど。あの時は桜奈ちゃん人形を原宿にあるギャラリーまで見に行ったんだった。そして顔のぷっくりとしてくちびるが膨らんだ顔立ちが化粧映えするなって思ったんだ。懐かしい。挨拶すれば良かったよ、ってこっちも忘れているんだから向こうだってすっかり忘れているんだろうけれど。でもちゃんとまだ存続していてよかった。バンダイさんが扱うアートなネタって割と早く見なくなるんだ。ピューピルちゃんのぬいぐるみとか。シャムロックエアラインとか。カミロボとか。

 その点でいうならタカラトミーは腰が据わっているというか、そういうネタしかそもそも最初から取り上げないというか。ブライスなんてもう10年も経って未だに健在。ドールショウでもその衣装を作る職人さんたちがいっぱい来ていて大きな勢力になっていた。これから来そうなのがトイズフィールド。前に取り上げた大塚勝俊さんによるぬいぐるみだけれどそのカスタマイズ用の型紙なんかも配られていたように、素のままで持つのとは別に衣装を着せて楽しむ人たちも出てきてる。これが広まっていけばあるいはブライスのような10年選手となってそしてドールショウでもそのカスタマイズの腕前が競われることになるのかも。リカちゃんジェニーはいわずもがなの上に乗る人形たち。大変だけれどやりがいがありそうなお仕事です。

 「MORE THAN HOMAN」もそんな企業によるアプローチがあってあれだけのオリジナリティを多少のディチューンはあっても玩具のプロダクツベースへと持ってきたものが登場すれば世間に広まる可能性はあるのかも。とはいえ手間暇が形となって現れているものが玩具化した時に起こるエッセンスの減退はカミロボで経験しているだけに悩ましい。それでもそうした企業とスタジオとのコラボが企業からは出ない形を世に送り出すきっかけになることは確か。モンチッチでおなじみのセキグチが出してた「リトルフレンド&スモールドア」ってのは見た目は貧相なネズミのフィギュアなんだけれどもどことはなしにアンティーク風の味があってそして着せたり飾ったりすることによってどこか不思議なワールドを世界を醸し出す。童話的なネズミの家族の物語であったり、ニール・ゲイマン的なロンドンの地下世界的ビジョンであったり。

 これが企業だとネズミで貧そうなキャラにまず、オッケーがおりないだろう。すでにいくつかの実績があってそして味を持って全体をプロデュースしていけるスタジオの存在が、企業に冒険心を起こさせるという。そんな組み合わせをもっといろいろなところで見てみたいなあ。やらないかなあ「MORE THAN HOMAN」。あとキノ・ヨンタさんとか。もう見た目にキャッチーなグロテスクさ。それでいてどことなく漂う愛らしさ。家に置いておきたいけれども真夜中に動き出すんじゃないかというドキドキした感じを味わえそうなその人形は、手作りでどれこもこれもが1点物。いずれ遠からず世に出るだろうと思うと欲しくなったけれども手元不如意な上に置き場所もなく断念する。そいういう躊躇いが一攫千金を妨げているんだよなあ、タカノ綾さんがまだ2万円とかで買えた時、村上隆さんがまだ25万円くらいで買えた時を見ていて逃しているんだ。まあ仕方がない、それが我が人生。だから今回もその凄さを讃えつつ世に送り出す人たちの働きに期待。しかし本当、コワカワイイ。

 10年か。帰宅してつけたテレビに煙をたなびかせる世界貿易センタービルが映りこれはと思いNHKにチャンネルと合わせたところで2番目の機体が突っ込む場面を目撃した。リアルタイムでの一大事に興奮しつつもそれがいったいどんな影響をその後の世界に与えるのか、いろいろと考えあぐねて夜を徹しそして明けてからしばらくして起こった世界の諸々を、噛みしめて今日へと至る。身の回りに大きく変わったことはなかったし、海外旅行にも行ってないのでその影響を肌身に感じたとこはないけれども、大きな枠組みがかわっておこった世界の変化はたぶん何かの形で僕の暮らしに、さまざまな影を落とし光を与えているんだろう。それが切実な問題として見えてくるのはいつか。それとも永遠に見えないまま過ぎ去っていくのか。半年前の大震災ですら身に切実さを持って響いてこない鈍感な日々。けれども確実に及んでいるだろうその影響を考え明日のために道を紡ごう。


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