縮刷版2011年月3中旬号


【3月20日】 強いのか強いんだろうけどその肝心の強さが初っぱなから拒絶されているんだからあとは腕力に頼るしかなくなって、それが妨害されて振るえなかったらいくら神の右席だって強さは発揮されないものらいし前方のヴェントちゃん。いわゆる天罰術式こそがその絶対的な強さの秘密であって、単に敵意を向けさせるだけ、それこそ関心を向けさせ違和感を覚えさせさえすれば勝ちな訳で、その段階ですでに技を無効にされてしまっては、もう後がないってことで上条当麻にぶん殴られて舌を出して昏倒。そこまで酷くぶん殴るとは当麻もちょっとレディーに容赦がないけど、「とある魔術の禁書目録」では過去にもそうやって神裂やアニエーゼやオリアナをぶん殴ってぶっ飛ばして来ているんだから、相手がヴェントだからって、というかむしろヴェントだからこそ、一切の遠慮は無しってことで。

 見かけはちびっこだけれどあれで、なかなかにしっかりとしたボディラインをもっているらしいヴェントが激しくアクションする場面はなかなかに見どころだったけれども、本当に着痩せするタイプなのか単にそう見せているだけで実態はやっぱり薄いのかは、はがしてみなければ分からないとはいえはがすシーンも過去にはなかったしこれからもなさそうなんで真相はいずれやがてそのうちに。というかそんなヴェントをたすけに来た後方のアックアの雰囲気が、まるで原作のイラストと違うのはどういう訳だ。原作じゃあそれこそちょっぴり鍛え上げられたマッチョさと、ゴルフシャツみたいなものを来たダサさが合わさって不思議な雰囲気を醸し出していた。格好良い訳じゃあないのに強いというそのギャップが良かったのに、アニメに出てきたアックアはスリムで美形の中年男。これでは単に格好良くって強い人になってしまって楽しめない。

 もちろんそうした改変は、というかバージョンアップは吹寄制理なんかの場合には前向きに働いていて、美しさが増している上に大きさも形もアップしていて、大星覇祭の時にクラスでびしょぬれになったのを着替えていたシーンなんかは見て永遠に保存すべきと感動し感涙にむせたほど。その素晴らしさは他にも黄泉川とかにも発揮されているし、別の角度からではミーシャでサーシャ・クロイツェフなんかにも発揮されていたりするんだけれど男のキャラクターの場合は何というか、見てあんまり嬉しくないのが残念というか、それがアックアだからあんまり面白くないというか。まあでもそうでなくっちゃ第3期があった場合に第2王女のクーデターに察そうと駆けつけ第3王女を救う場面とかに、どこのおっさんが来たんだって反応しか得られないんで仕方がない。むしろこれを機会にアックアが、より強さを増してそれを倒す神裂たち天草十字教の面々の結束ぶりが際だって見えれば、隠れ巨乳を噂の五和も満足というか五和を見る目が満足というか。それが描かれるのはいつになるのかなあ。

 そうかサーシャちゃんの声をやっていたのがあの熊本アクターズスクールから来た地味なテラサキという設定の寺崎裕香さんだったのかと「ニコニコニーコ」を池袋で見ながらアニメのキャラと、本人との差異って奴を噛みしめてみたり。まあ当たり前だけれど。それをキャラクター補正でもって本人までをも讃えてもてはやして良いのか否か、という永遠のテーマも提案されたりするところあがって、声優を志す人とか声優に興味がある人とか、すでに声優業界に足をつっこでいる人たちにとっていろいろ突き刺さるところも多そうなストーリー、ってのはすでにゲネプロを見た時から分かっていたんだけれど、全編を通して見てもやっぱりそうした厳しくも優しい提言があって、面白かったし為になった。それでもやっぱり志したい人の向こうにこそ、栄光があるんだということも分かった。

 声優志望という役をやってる明坂聡美さんが声優になってしまったニーコさんと会話する場面で、どうして声優にありたいのかといった問答があってそれはだから喜んで欲しいからだと外向きな意見を言うニーコさんに、自分の声でキャラクターを演じたらという内向きの意見をぶつける明坂さんの相反する関係に、どちらがプロでありどちらがファンなのか、といったものを感じてみる。これは多分声優に限らずあらゆる表現活動にいえそうなことで、なぜその道を目指すのか、とちった部分で大勢が活躍しているその輪に自分も交じりたい、というような考え方では務まらないといった意見も別方向から繰り出されて、あこがれとか希望とかを持ってはいても踏み出せない人たちの胸をえぐる。それが背中を押せればきっと、未来は開けるんだろうけれども果たして。

 明坂さんがニーコに指導する形で繰り出した、頭に「N」を付けてタメをつくり表現したいところは強調して最後にすーっと息を抜く芝居が声優には必要って意見は果たして正しいのか否か。ちょっと気になったけれども聞いて聞こえてくる部分があるってことはそれはそれで正解なんだろうなあ。そんな指導を受ける前と受けた後でガラリと演技を変えて見せたニーコさんが見事。声の特徴以上にやっぱり持っているものがあったからこそのリボーン役であり、その後の活躍があったんだろう。けどでもやっぱり目に飛び込んでくるのは吉田仁美さんのボンデージな衣装だろうなあ。もう目に毒なくらいにガンガン来る。突き刺さる。恥ずかしげもなく、といったら失礼だけれどそうした意見が出ても不思議のない格好で、舞台を駆け回り動き回る吉田さん、ウクレレもつま弾いて見せて歌も張り出していた吉田さんを見るためだけでも価値がある舞台って言えそう。

 あとはやぱりチャン・リーメイさんか。声優事務所の社長役でボディコンシャスなスーツ姿で登場してはタイトスカートからストッキングに包まれた足をにょっきり見せて座って立って踊ってみせる姿に目は釘付け。見えそうな感じなのにはっきりとは見えないその演技には感心するばかりだけれど、あるいは角度によってはしっかり奧まで見えていたのかどうなのか。それを確かめる意味でもやっぱりもう1度くらい現地に見に行きたいものである。ちょっとアックア風。稲村優奈さんは純真に残酷な人気声優さんって役を本気で演じて感動。言いづらいセリフだってあるのに言って世間をぎょっとさせる。覚悟もあっただろうし、葛藤もあっただろうけれどもそれでも言ってのけた芝居の向こうに、大きく脱皮したプロフェッショナルの姿が現れると思いたい。アプリコット・桜葉に並ぶ大役を。

 「蒼穹のカルマ」シリーズが大爆笑のうちに続刊中の橘公司さんがシリーズを外れているのかそれともスピンオフなのか、判然とはしないけれども独立はしている「デート・ア・ライブ」(富士見ファンタジア文庫)を買って読んだらあり得なさ炸裂の展開だった。少年が主人公。まず朝からパンツ見せながら妹が起こしに来る。学校に行けば寡黙な美少女がいる。そして空から美少女精霊が降ってきてその精霊に気にされる。精霊と戦う組織に引っ張られるとそこには! って驚きの展開が待っていて、それのどれもが羨ましい。もはや妄想でしかないんだけれど、これこそが妄想する心地よさだってことを強く教えてくれる。読んで良かったと思わされる。それだけに止まらず、美少女精霊と恋仲になれと命令され、ギャルゲーで勉強させられ、いい仲になって喫茶店でパフェを食べ福引きをしてそこに横恋慕が入りそして……。ああ楽しい。鳶一とかいった聞いた名のキャラクターも登場。あるいはやっぱり関係あるのかな。楽しみに見守ろう。「カルマ」も宜しく。


【3月19日】 日本が沈没するだの原発が爆発するだの大型バスがガス爆発するだの……ってそれはないけど、おどろおどろしい見出しが踊る夕刊紙の大概さには呆れもするけれど、それが人を誑かして誘い交わせて驚かせ、明日には綺麗さっぱり忘れさせる夕刊紙の役割だから仕方がない。けれども天下国家を論じてはばかりのない高級週刊紙を自認するどころか、超高級だと満天下に叫んだって叫び足りない朝日新聞の「AERA」までもが、大概すぎる記事を載せてしまうのは、いかがなものかって曖昧さの中に非難を混ぜた言葉ではもはや足りないくらい、世界に対して害悪ではなかろーか。

 何しろ表紙にでかでかと「放射能がくる」。それが被さるのが放射能をおそらく皮膚の寄せ付けないための防毒マスク。それだけやらなきゃよれない猛毒が放射能だって印象を強烈に植え付けている。そして第1特集が「『原発』爆発」。表紙の見出しにでっかく踊らせた上に「『最悪』の事態なら『チェルノブイリ』に」って記事を並べて、世界が震撼し大勢が犠牲になり今もなく苦しむ人たちが大勢いる、20世紀でも最悪に属する事態と並べて、今回の福島第1原発の事故を語ろうとしている。それだけ読むと、今にも福島第1原発が臨界大爆発を起こして、日本のあちらこちらに放射能をばらまくんじゃないかって思えてくる。そう思わせたいんだろうから、そうしたんだろうけれど。

 でも、軽水炉型の日本の福島第1原発にある原子炉が、どうなればチェルノブイリみたいな大爆発を起こすのか、っていった説明がまるでない。欲しいのはそこであり、気になるのはそこ。そうした手順があって、なるほどこいつはヤバいと思えてくる。あるいは大丈夫かもと分かってくるのに、「AERA」が書くのは、「『炉心融解が起きたとしても、さすがに臨界だけは起きない』と見ている。山下教授も、そう考える一人だ。しかし、その『臨界』の可能性までも現実のものとなった」。という文章のみ。そしてそう書く論拠が、東電の担当者が臨界の可能性がゼロではないと認めたかららしい。そうなの? そんなんであれだけの事故が日本でも起こり得る説明にしちゃって良いの?

 もはや取材源の秘匿だのといてるレベルではない、それが世界の命運すら左右しかねない情報であるにも関わらず、実名でもなくポジションもない関係者が喋った言葉を持ち出してる。誰だよ関係者って。ナショナルジオグラフィックがスリーマイル原発の事故と、それからチェルノブイリ原発の事故を並べて、どういう手順で事故が起こったのかを詳細に書いた上で、日本では果たして起こり得るのか、最悪の事態になった場合にいったい何が起こるのかを説明している。別の報道でもない科学雑誌がその分かりやすさ。なのに大勢に見られ大勢に影響力を持っている雑誌が論拠もなく、ひたすらに扇情的な言葉を並べ傾向を示して煽りまくる。そししてそれが煽りだと、もう大勢の人が気が付いている。こうした温度の差、認識の差は遠からず、マスメディアに強烈なしっぺ返しとなって戻ってくることだろう。「AERA」もいよいよ分岐点か。でもってそうではないとあるところは、とっくに折り返して今やゴール間近という。困ったなあ。津波と違っててんでんに高台に逃げる訳にもいかないしなあ。

 そんなひとつが徳島県だかでマラソン大会が行われるのは公序良俗に、とまでは言わないけれども不謹慎だと書いた、世界最大規模の新聞社だったりして、徳島別に停電と関係ないじゃん、むしろ電気使わないじゃん、それで応援できちゃったりするじゃん、最高じゃんって万人が考えるところをひとり、錦の御旗を掲げて立ちふさがったりしてみせるから滑稽というか。おまけにそんな新聞社が傘下に抱える球団が、こともあろうに開幕戦をもう間もなく、それもナイターでもって行おうとして、総すかんを食らっていたりするから笑えない。そうした本社の妙な判断が出る前に、正義感から不謹慎諌めるべしって飛ばしてみたのかもしれないけれど、それがそれで滑稽なら、本社の判断もさらに滑稽という2重の滑稽さを打ち出して、もはや年度末世紀末終末の様相を醸し出している。

 あるいは本社が野球を敢行するぜって決まってから、そりゃあ拙いけど面と向かって言えないから、近所で開かれるマラソンにちょい申し訳ないけれど、言い訳代わりになってもらって、それを批判することで野球の開催も批判した、内部告発的な記事だったのかも、って思えなくもなかったけれど、載った日付的に考えると徳島のは野球の前。だからやっぱり純真な正義感がそこで発露されて空回りし、その後に邪悪な商売っ気が発動されて今度は大暴走したけみたい。あっちに爆発こっちに暴発。それでもない平気の平左で政局を作り出そうと暗躍していたりするさまが。これも露わにされてしまっているところに将来の、遠くない時代に日本より先に沈没してしまう可能性を示してみたり。やっぱり困ったなあ。

 野球が駄目ならもっとコンパクトに遊べるものを。ってことで日本プロ野球連盟ならぬ日本プロ野球盤連盟は19日、開幕戦をナイターで行うことを強く激しく決定。戦う2チームの監督同士が自転車を漕いで発電した光で野球盤を照らす中、選手達が守備と打撃に別れて野球盤を囲み、試合を行う予定ってことになった。もっとも流石に現役を引退して長い監督達では、ペダルを漕いでも光量が不足気味になってしまうため、暗いと余計に見づらい「消える魔球」は禁止とする方針だとか。まあ妥当かな。ってそんな連盟も競技もないってば。あれば良いのに。

 だったらこっちだ。日本プロ野球拳連盟は19日、開幕戦はナイターで行わず、白昼堂々と衆人環視の満天下で行うと決定した。これまでは競技の性格から人目を忍び、専ら夜にこっそりと行われていたものだったあg、逼迫する電力需要と、余震による屋内開催の危険性に鑑みつつ、こうした競技があるんだってことを、世間に対してPRする意味もかねて、昼日中に開催することにしたらしい。ちなみに選手は全員男性見れば立派なボディとそして一部に男性女性も問わず驚くことになりそうだ、ってやっぱりそんな連盟も競技もありません。でもあればいいのに。日本女子プロ野球拳とかあったら毎日通っちゃう。


【3月18日】 経済産業相も文部科学相も揃っていかがなものかと良いながらも現時点で引くところを見せないプロ野球のセントラルリーグの開幕戦ナイター問題。もちろん野球がその時期に開催されて大勢を励ましてくれるだろうことへの期待は大きいし、ドームなり神宮が昨今の電力受給の中で十分に開催に対応できるんだったら異論はないけれども、小さい芝居小屋なら多くて100人の観客を、いざという時には誘導すれば済む話だけれど数万人規模がぎっしり詰まった会場で、もしものことが起こった場合にいくら自己責任を観客にお願いしていたとはいえ、それでもやっぱり驚き慌てる人たちが出て、何か起こらないとも限らないのが悩ましいところ。

 それすらも織り込んでやるならやると明言すれば行く方にだって覚悟が生まれるだろうけれども、曖昧さの中に挙行しようとするからやっぱりどこかに齟齬が出る。不謹慎だのどうだのといった議論にくるめるのは他に及びかけないだけに慎重にしたいところで、折り合いを探るとしたらやっぱりどこか別の地域でやるなり、昼間に開くなりするのが良いんだろうなあ。首都圏だったら神宮もあるし横浜もあるし。それとも東京ドームには何か秘密があって、電力を自力でまかなえたりするんだろうか。地下にグルグルと回す歯車のようなものがあって、むち打つワンマンマンの下でジャビットたちがタービンを回して発電を行っているとか。あるいは5万人の観客が立ち上がってジャンプすることで、床から発電されるようになっているとか。それならまるで異論はないんだけれど。どうだろう?

 あの少「週刊年ジャンプ」が最新号を休刊うるということで、震災に伴う物資不足や物流の混乱はいよいよもって相当な範囲に及んできたって感じ。部数が部数だけに調達する用紙も半端でないなら運ぶコストも超大変。それだけに出すなら出すで相当な覚悟と準備がいったんだろうけれど、先週の今週ではそれもままならないと様子を見たってことなんだろー。判断としては多分正しい。これが新聞ならページを減らすとかいった手段が執れるけれども、雑誌ではなかなかそういうフレキシブルな対応も難しいし。

 とはいえ用紙不足はいずれ新聞なんかにも関わってくるだろうし、サテライトで東北印刷なんかをやっていたところは、工場の稼働があるのかどうかで影響も被りそう。東京から運ぶったってこんどは交通が。それでも届けるんだっていう意気込みがあるのは結構だけれど、そうやって届く情報が1日遅れな上に、現地の人にとっては今まさに身に被っている危機って奴を煽られ気味に紙面で見せられ嬉しいか、ってことになる。スポーツ紙なんかほとんど芸能ニュース感覚で社会事象を扱ってて、もう煽りたっぷりに原発の事故のことなんか伝えている。爆発だとか。決死隊だとか。そんなことより長友選手がバイエルンミュンヘンとの試合で日本を思う言葉を発表したことの方を、1面に持ってきてでっかく印刷すれば、それを壁に貼って自分を鼓舞することだって出来たのに。

 そんな使い道はネットとかでは無理だろうし、刻々と流れるテレビやデバイドがあって近づけないデジタルとは違って、いつでもアクセスして情報を取り出せるのも紙メディアの役割でありひとつのメリット。そんなあたり立ち位置を認識し、求められる情報をデイリーに届けることをすれば新聞だってまだまだ生き残っていけるだろうし、認められることにもなる。だから問題は何を伝えるか、どこに伝えるか、ってこと。あるいは半日成り、1日成りを紙というメディアに刻みつけていくことによって、積み重なる記録としての意味もある。新聞。電子だって記録は溜まるけれど、その保存性が完璧ではないのはHDDクラッシュを何度も喰らっている身には自明。紙はあれで長持ちするのだ。近代の紙はそうでもないけど。とはいえそうやって記録された情報がバイアスかかりまくりだったり刹那的過ぎたりしてはあんまり意味無いしなあ。それこそ時代を切り取り刻む覚悟って奴を感じてないといけないのかもなあ。難しいけど。難し過ぎるけど。

 萩尾望都さんの「シリーズここではない★どこか」の第3巻「春の小川」(小学館)が発売されて、読んだ表題作がSFとファンタジーと嘆美の萩尾さんには異色に見える生々しさで胸に迫る。それがあの絵柄で描かれているから余計にぐっとくる。かつて厳しかった母が病気に。一時帰宅した家で息子と添い寝して迎えた朝。息子が目を覚ましも母は…。突然の離別。ぽっかりと空いた空間を埋められない息子。なのに父には前から別の女性がいたらしい。その女性がまた良い人。だからといって折り合えない息子は近所の川に咲く桜の下で着物姿で佇む母を見る。

 そんな「春の小川」という短編は、早いこともあれば遅いこともあって、けれども1人では生きていない人には、誰にでも必ず訪れる“その時”を迎え、そしてそれからを生きていくために必要な心をどう形作っていくのかを静かに、津々と描き伝えていこうとしている物語って言えそう。かつて同じ「シリーズここではない★どこか」のシリーズにとして、1ページに上下2コマで河川敷の柳の下に佇む女性が赤ん坊を、子供を、少年を、青年を、壮年をずっと見守り続ける「柳の木」(『山へ行く』所収)ってのも描いていた萩尾さんだけれど、これとある意味で対をなして、家族を、肉親を描き離別を、永訣を描いた作品だとも言える。こういうのが還暦を過ぎてなお描ける萩尾さんって、やっぱり、凄いなあ。素晴らしいなあ。


【3月17日】 企業が商売っ気を出したくないからCMを引いてしまった代わりにACのCMを流すといったい、テレビ局にはどんなメリットがあるんだろうかって考えたけれどもそれを流せば企業のCMを流したことになって、テレビ局はお金はもらえて企業は宣伝は出来なかったけれどもとりあえず妙な勘ぐりは避けられるっていった逃げ道になっているのかそれとも違うのか。勘ぐりは避けられたところで企業が宣伝できなかったことには変わりなく、それでお金だけもらっているとしたらテレビ局も何か妙な立ち位置になるだけに、そのあたりちょっと気になるところ。

 無理に流さなくっていいなら無理に場違いのACなんて流さなくって、情報でも流しておけばいいのにそうはしなくちゃいけない理由があるのかな、あるんだろうなあ。どうせ流すんだったら最近のじゃなくたって、16年前の阪神淡路大震災の時に作った水出てるよとかみんな仲良くとかいった、被災地の人に役立つCMを復活させて流せば今だって役だつんだけれど。あるいは見て麗しいのとか。随分と前に栗山千明さんが出ていたACのCMなんか、あのクールな面立ちが画面に映るだけで目も輝いて心も躍ってドキドキワクワクしてくるのになあ。でも元気いっぱいになるって感じでもないか。そりゃあ仕方がない、栗山千明さんなんだから。それだけで納得しなきゃ。ね。

 いやでも最近の栗山さん、随分と面立ちも変わったみたいで池袋に出向いた先で売ってた「ビッグイシュー」の表紙に登場していた栗山さんは、髪こそロングのままだったけれども黒いストレートではもはやなく、ウェーブがかかって茶色になってて大人の雰囲気って奴を漂わせていた。でもあの眼差しあの口元あの顎のとがり具合は依然として栗山さん。それで認識され得るんだからほかにいろいろやっても別に、イメージがどうとか言われないんじゃなかろーか。実際に「GSワンダーランド」だと男に化けてるバンドマンとかやってたし、「鴨川ホルモー」だと大木凡人ちゃんに似てるから凡ちゃんって呼ばれるマッシュルームに黒縁眼鏡の根暗少女をやっていた。暗いのはいっしょだけれどダークと根暗はちょっと違う。それを両方やれてしまう幅広さ。これを引っさげ普通っぷりの中に染みる存在感って奴を、これから見せてくれたら嬉しい限り。音楽活動も始めたし、未来の栄光に向かってさあダッシュだ。

 そんでもってシアターグリーンへと行って今日から始まる「ニコニコミュージカル」の第3弾「ニコニコニーコ」のゲネプロを冒頭だけ見物。このいろいろ中止になってしまうご時世、東京国際アニメフェアもアニメコンテンツエキスポも共に中止が決まってしまった中で、シンディ・ローパーが公演を続行して日本に勇気を与え、世界に安全を伝える役割を担ってくれているのと同様に、ニコニコ動画もそこを発信源として、世界に向かって日本の元気を伝えようとして公演を予定どおりに挙行。これでつまらなかったらまったくもって大変だったところだけど、「ニコニコニーコ」ははっきり言って面白いというか、とてつもなく面白いという、もう無茶苦茶に面白い舞台に仕上がっていそうで、これはたとえ今がどうでも見ておくべきだと強く思った。それだけに途中退席は後ろ髪を引かれる思い。後ろにはまだ髪はあるんだよ。

 何が凄いって声優さんたちがほとんど全員という舞台で声優さんの業界に関するあれやこれやの話を声優さん自身に言わせてしまうという脚本。そしてそれらを嬉々として演じる声優さんたち。あるいは感じていたりすること、考えていたりすることを、楽しい展開の中で思いっきり吐き出せるヨロコビって奴を、感じているんだとしたら皆さん相当にマゾヒスティックって言えるかも。そんな倒錯じみた気分に浸れるってことがひとつと、あとは何より出演している皆さんが素晴らしい。例えば声優事務所の女社長を演じるチャン・リーメイさんはタイトスカートから伸ばした足を何度も組み替え目に見えそうで見えなさそうで見えるかも知れないそれを想像させてくれる。冒頭から出ている宇宙人の少女を演じる庄子裕衣さんはボリューム満点な谷間と山とが素晴らしい。

 声優事務所のトップの稲村優奈さんはキツいことを無邪気に言ってしまう天真爛漫っぷりが素晴らしい。それがあるいは地だとしたら、ちょっと遠慮したくなるような性格付けがされている。それから声優を志望するとはいいながら特に何もしていない、アニメと声優の雑誌を読んで過ごす女の子を演じる明坂聡美さん。コタツに突っ込みながらときどき見える生足が妙に色っぽい。そこに落っこちてくる宇宙人の女性。演じる吉田仁美さんは冒頭で軍服っぽいタイトな制服を着てボディラインをほのめかし、そしてラバースーツみたいな衣装となってボディラインをくっきりをみせる。もう目に毒。おまけに演じるあのシーン。よくやった。よくやらせた。

 誰もが芸達者。そして歌も演技も素晴らしい。声優だから、っていった先入観を吹き飛ばし、そのまま舞台女優として活躍できそうな強さ巧さって奴を見せてくれる。こういうところにもっと出ていくべきなんだよなあ、声優さんたちもきっと。そんなメンバーの中にあってニーコさんはあの独特な声を響かせ巧みな演技で全体をぐっと持ち上げる。それはなるほど地に近くって、インタビューした時のニーコさんと寸分違わないけれど、そんな地がそのまま舞台映えする演技となっているところかあの才能の面白さであり素晴らしさ。それを引っ張り出して舞台に乗せて作品に仕立て上げた、演出と脚本と音楽の湯澤幸一郎さんが、とにかく凄いってことになるんだろー。いやあ良い舞台。ネットでも半分くらいまで見たけれど、あとはやっぱり劇場で見たい。生で見たい。チラリが見たい。見たい見たい見たいから日曜日あたりに行くことにする。予定もすべて吹っ飛んだし、これで徐々にだけど貯まりつつあるストレスを吹き飛ばして来ようっと。

 そうか、島田開八段の天童市って東北は山形県にあるんだよなあ、やっぱり地震、大変だったのかな。どんな苦境に陥っても淡々と過ごしているように見えながら、内心では熱く激しい思いをかかえて葛藤し懊悩して生きている、地元に誇りと愛着を抱いている島田八段の気持ちとともに激励されるのは、たぶん良いことじゃないのかな。だから羽海野チカさんも、マンガ大賞2011の受賞に寄せたイラストとは別の1枚に、被災地の人に向けて島田八段が花を差しだそうとしているイラストを寄せたんだろう。見ていて和む。そしてホッとする。それは架空のキャラクターだけれど、いれば絶対にいっしょに苦悩してくれるだろう島田八段の優しさは、そのまま描いている羽海野チカさんの優しさでもある。見て安心を感じよう。そして被災地にいない人たちは心に激励を浮かべよう。「3月のライオン」。今もなお連載中。


【3月16日】 人間とあやかしの間に生まれた曖昧な立場故に愛されず、戦いを強いられ戦い続けてそして逝った少女の乾いた哀しみが響いた「ダブルブリッド」に始まって、知性を欠きながら生きる少女の苛烈さが泣ける「ソウル・アンダーテイカー」を経て、異星人との不気味で不思議な興隆を描いた「ぐらシャチ」まで。異能バトルやファーストコンタクトといったよくある主題に見えながらも、そんな中に不気味で不思議な空気を持ち込んで読む人をハッとさせて来た中村恵里加さんが新しく始めたこれはシリーズなのかは分からないけど、「ひがえりグラディエーター」(電撃文庫)って本が出て、読んだらこれまたありきたりに見える設定の中に不気味で不穏な空気が漂っていた。

 少年が突然に現れた少女に誘われ、現実とは別の世界で一種のゲームとして行われている戦いの闘士にさせられて、現れる敵と戦わされるという展開。まあありがちといえばありがちだけれど、そこは鬱々とした設定を絡ませることで世に鳴り響く中村さん。待つのはとてつもない事態だたりするから読んで楽しいラブコメかと思ったら違ってた、騙されたって怒らないように。かつて幼い頃に妹が行方不明となった後も、忘れられずその妹の誕生日に妹へのプレゼントを買って贈り続けている優しい兄が主人公の少年。それが突然に連れて行かれた異世界で、ゲームの駒にさせられいきなり銃やナイフを取れと言われたからたまらない。

 戦えない。戦いたくない。戦う理由がない。おまけにそこに現れた練習相手に仰天。とても傷つけられないと自らの脚を銃で撃つ。痛くないのか。なぜ自分を銃で撃てるのか。それは体に入れられた生体マシンの力で体が強化され、再生能力が高められているから。殺し合いではなくあくまでゲームの駒。そして勝てばお小遣いがもらえるというメリットもあるから、別にそのままやっても悪いものではないんだけれど、相手は生身の人間。傷つけるには覚悟がいる。切れば血が出るし叩けば潰れる。時には内臓すらはみ出させ、手足を失ってしまくりあの怪我を負わされることもある。それほどの痛さはなくても気持ちはよくない。傷つける方だって同様。けれどもそんな感情を越えていかなくてはいけない不条理が、「ひがえりグラディエーター」には染みている。

 何かのために戦うなんて正義に寄りかかれない。けれども少年は戦うことを受け入れる。幼い少女を相手にナイフを取って倒す。負けたくないという思い。自分を駒としてながらも信じる異世界の幼女の願いに答えたい思い。そして頂点へと行く理由。消えてしまった妹の影を感じて追いかけていこうと決めた少年と、それから妹の失踪に心を痛めていた優しいはずの少女なんかとの関係も考えながら、この先どうなっていくのか、そして優しい妹思いだった少年の心は、戦いの繰り返される中でいったいどうなっていってしまうのか。そんな読みどころもありそう。ゲームの駒として少年を連れてきたマスターの少女の、なぜか笑顔を見せられず目も強くはつぶれない無表情っぷりの原因なんかにも興味をそそられる。多そうな仕掛け。変幻していきそうな展開。それらの行方を確かめるには話が続けられること。今度はちゃんと出してくれ。

ボクと契約しないと丸坊主になっちゃうよ  京成本線の動き方を見てみようと上野まで乗っていこうとして駅でふと見た「QB House」って低価格理髪店チェーンの看板が、前よりもちょっぴり不気味なものに映って見えることに気が付いた。理由は自明。そんな人も結構増えているみたいで、これでお客さんが減ったら何という風評被害だと、「魔法少女まどか☆マギカ」のクリエーターたちにクレームを言ってもいけないことはないんじゃないか、って気がして来た。いっそだったらクリエーターの人たちには放送終了後に揃って散髪してそこが安全無事なところを広く見て貰ったら良いのでは。でもってそんな作業の途中で理容師がささやく言葉に心を震わせるのだ。「ボクと契約しないと虎刈りにしちゃうよ」。ぶるぶる。

 見ると地震の影響で閉店になっている店も多いみたい。あれだけ線路のそばにいっぱいあったらそういう店も出てくるよなあ。だったら。震災地域で避難所暮らしが長くなると身だしなみを整えるのが難しくなる。そこでとQB Houseで仕事がなくなってしまっている理容師達を組織して、散髪隊を作って被災地に送り込むとかいった貢献はありそう。そこでんな反応が起きるかで、東北地区における「まどか☆マギカ」の浸透度って奴が伺えるってものだ。QBが来たよ。QBが契約を求めてきたよと子供たちが遠巻きにして騒ぐとか。

 アメリカンフットボールの花形ポジションだったクオーターバックに成りたいというスポーツ選手が、このところ急激に減っていることが全米スポーツ局の調べで分かった。ケーブルテレビで放送が始まった日本のアニメ「MADOKA☆MAGICA」を見た子どもたちの間で、QB(日本名キュウベエ)というキャラクターが示す言動から、恐怖が広がりQBとうイニシアルへの拒否感が広まったためと見られる。なんて報道がいつか海の向こうから伝わってきたりして。それだけの影響力を発揮できると良いんだけれど、売り込む機会でもあった東京国際アニメフェアは中止だしなあ。これからの広がり方にちょっと関心。

 到着した上野ではヨドバシカメラで懐中電灯とかラジオとかに群がる大勢の人、人、人。けどちょっと足をガードしたの店に向けるとそこでLEDライトを搭載した3000円はする懐中電灯が1000円とかで売っていて、手回し式で携帯電話に充電も出来るラジオも売っていた。場所が場所だけにミリタリー系のライトを売ってる店も多数。そんな可能性を考えないで、家電だからと量販店に向かってしまうところが何というか人間の、想像力の限界って奴なのかもしれないなあ。いや探せばもっと意外なところに意外なものが眠っているのかもしれないけれど。そういう裏をかく行動って奴を楽しみながら、この日々を送っていこう。でないと気分、滅入っちゃうよ。

 アニメフェア中止ってことで、それなら我が家にある山ほどの明けてないDVDボックスとかブルーレイボックスを次々と見ていくひとりアニメフェアでも開こうか、とか思ったけれどもそれをやってる時間に揺れたら両脇の品々が、って思うとちょっと恐々。しかし本当に見てないなあ。でもって見たいボックスがまた出てくる。バンダイビジュアルから6月24日に「機動戦士ガンダム/第08MS小隊」のDVDボックスが出る模様。1万5750円。監督が神田武幸さんで途中から飯田馬之介さんという、すでに2人とも鬼籍に入られた方々の作品ということで、これはやっぱり見て置いた方がいいのかな。ファースト信者というか面倒くさがりで、OVAガンダムは実はほとんど見てないのだ。

 「機動戦士ガンダム/第08小隊」はアニソンのイベントで米倉千尋さんが登場して「嵐の中で輝いて」を歌うと途端に会場が盛りあがる、あの空気感から相当に知られた作品だってことは分かってるけど、なかなか踏み切る機会がなかった。値段も値段だしちょっと手を出してみようかな。あと5月27日には「機動戦士ガンダム0083」もDVDボックスが登場の予定。これも1万5750円。さらに内容は分からないけどやっぱり見ておくか、この機会だし。その前に見てない「無限のリヴァイアス」と「アウトロースター」と「エンジェルリンクス」と「ガサラキ」と「ビッグオー」と「ラーゼフォン」と「かみちゅ」と「ROD」と「マクロスゼロ」を見ておかないと。多すぎ。


【3月15日】 そして何事もなくホワイトデーは過ぎ去って、手元にはチョコレートも残らず誰かにあげて喜ばれる嬉しさも残らず、こうしてシーズンは過ぎてやがて迎える誕生日を、果たして無事に迎えられるのだろうかとうのが目下の思案のしどころか。いや迎えるけど。とはいえ今のこの状況が長引くと、普段の生活では感じられなかった違和感がいろいろと貯まってきてしまいそう。それが抜け毛につながったところでもはや何の問題もないけれど、肥満につながりかかっているのがちょっとした問題か、ってそれは自業自得ではあるんだけれども、でも他に楽しみがないと、手近な方へと向かってしまうものなのだ。

 食べるものなんてないじゃん、といえばいえるけれどもそれは食事の部分であって、お菓子とかは山と残って食べて欲しそうな顔してる。パンが売り切れたらケーキを食べれば良いんじゃない、ってな感じのことも実際に起こっているらしく、店頭に並んで残ったケーキを空腹の赴くままに食べれば待っているのはさらなる肥満。これではいざというとき隙間を縫って逃げられなくなるんで、ここはしばらく意を決して、がんばって食べない努力をしてみよう、夜食はおにぎり1個まで、って食べなきゃ良いんだよ食べなきゃ、でも食べないと明日食べられるか分からないし……。ほんと、コンビニから食料消えるの速くなったよなあ。

 速いのは乾電池も同様で、電車に乗れるかどうか分からないからと、速くから秋葉原に出て散歩がてらにヨドバシカメラをのぞいたら、開店ど同時にほとんど乾電池の類が売り切れになってしまった様子。それは単1あたりをメインに単2単3にまで及んでいるらしく、それを入れる懐中電灯もラジオも同様に完売御礼。あと煮炊きにつかうガスコンロなんかも売り切れていたりする様に、1日であって3時間、それも夕方になるとは限らない計画停電のためにそんなに買い占めたところで、余って使わなくなるだけだよ、っていいたくなったけれどもやっぱりいざというときの不安も頭をよぎったんで、ヨドバシを出て近所のメディア専門店の店頭に並んでいた、充電式のLED懐中電灯って奴をネタだと思って買ってみる。

 電池不要の優れもの、っていうか充電式な訳で、電球なんかをはめこんでおくソケットに差して充電しておき、普段はランプとして使いつついざというときは取り外してスイッチを入れて、懐中電灯として使えるというからこれはアイデア。なるほど「トレンドたまご」で紹介されたってのもよくわかる。とはいえ問題はいちいち天井のランプのソケットに差し込んでおいて、いざというときに暗闇の中を手探りでフードを外して電球ランプを取り出すのも危険極まりない。ならばとクリップ式のレフライトを買ってきて、そこに差し込んで家で手元を照らすランプとして普段は使い、いざという時はそれを外して使うことにする。これなら暗い仕事場(玄関先だけど)でも本が読める。字もかける。でもきっとネットばかり眺めているんだろうなあ。情報が欲しくて。

 それにしても続々続々といろいろなイベントが中止になっていって、仕方がないとはいえそれをネタにして記事を書いている身としてはいささか先がヤバくなって来た感じ。目先だとマンガ大賞2011の授賞式がなくなって、AMD Awardの授賞式もなくなってどちらも扱おうと思えば大きく扱える話が飛んでしまった。とはいえマンガ大賞2011に関してはしっかりと発表はやってくれそうで、そこに示されるだろう未来への希望と、それから受賞作品を含めた漫画が持っている世の中の理不尽を付き、不安を取り除いて未来に希望を与え、ひとりぼっちに思っている人には仲間がいるんだと教え、がんばってさえいればいつか絶対に良いことがあるんだと教えるメッセージ性を、そこから醸し出せていければこれ幸い。漫画なんかというけれど、漫画だからこそ伝えられる熱さが、強さがあるんだ、絶対に。

 とはいえ会場が固定されていると流石にいろいろ辛いのか、先週に始まったあずまきよひこさんの作品を並べた「よつばと10年1日展」は土日の臨時休業と、月曜日の休みを挟んで再開はせずそのまま終幕へ。ダンボーの無事は確認されたけれどもやっぱり、遠くから来るだろう人のことを考えたり、場所のことを考えると人を集めるイベントってのはこの時期に開きにくい模様。会場自体が責任を感じて中止を求めているケースもあって、東京ビッグサイトのイベントなんかはそれで軒並み中止へ。あとお台場で20日に開かれる予定だった、痛車のイベントもさすがにこのご時世、ガソリンを使って何かをするには大変だった模様でやっぱり中止になっていた。あの明るい様を見れば絶対に、元気を与えられると思ったんだけどなあ。残念。

 そんな中でとりあえず、ニコニコ動画が新しいチャレンジとして始めたニコニコミュージカルの第3弾「ニコニコニーコ」は今のところは公演が行われる模様。主演するのは「家庭教師ヒットマンREBORN!」でリボーンを演じてたニーコさんで、不思議な声とカラフルなファッションの持ち主としてなかなかの人気を持っているんだけれど、そんな不思議なキャラクターから醸し出されるパワーこそがこのご時世に、ぜったい必要といった心意気もあったんだろう。ブログで「被災されている方達のことも考えて。自分がやれることはやって。大変な時やからこそ、ちょっとでも日本のみんなを元気にしたいです」って話してそれをやる意義を語ってた。一理。声優さんもいっぱい出る舞台だけの楽しくって見応えもありそうなんだけれども、時期が時期だけにお客さんは来てくれるか。でもネットで生中継してそのポイントが今回の震災のために寄付されるんで、遠出が苦手な人はそっちで観て楽しんで、寄付もすれば万々歳。でもやっぱり行ってみるのが楽しいかも。あの存在感は生じゃないとね。


【3月14日】 宇宙人まで絡んだ展開にいよいよ大きく動き出すかと期待したものの「STAR DRIVER 輝きのタクト」の放送は日曜日にはなかった模様。とはいえ夜にはしっかりと「フリージング」は放送されて、我らがサテライザー先輩が姉思いのアオイ・カズヤの言動に嫉妬の炎をモヤモヤとさせつつそれでも何も知らず感じないままサテライザー先輩を追いかけるカズヤの朴念仁ぶりに、しっかりしやがれと活を入れたくなったけれども局面はそんな間を与えないで、パンドラたちを飲み込んだノヴァが瞬間異動してはサテライザーたちがいるエリアへと侵入。加えてノヴァに飲み込まれたはずのパンドラたちが意志を奪われ手駒として、現れ一気に迫ってくる。でも衣装はあんまり替わってない。やっぱり見えないと、ね。

 そしてカズヤの姉で優れたパンドラだったアオイ・カズハの末路が明かとなり、さらにはパンドラの大元となった人物の姿も登場、その何かを狙って迫る敵となったパンドラたちを果たしてサテライザーたちは迎え撃てるのか? ってところで以下は次回。力では多分圧倒的な敵パンドラに立ち向かえるとは思えないんだけれど、そこは愛の力でもってアオイ・カズハを守って潜在能力を爆発させて、どうにかしてしまうんだろう。それが我らがサテライザーっておとで。しかしアオイ・カズヤといい「IS」の織斑一花といい「フラクタル」のクレインといい、女性の扱い方を知らず気持ちもくめない朴念仁ばかりが登場しているなあ、今期のアニメ。「輝きのタクト」のツナシ・タクトにもそんな気があったっけ。流行とはいえちょっぴり頼りない感じ。この難局を気持ちで乗り切るためにも、アニメには「天元突破グレンラガン」のカミナくらいの破天荒さと強引さを持った奴が出てきて欲しいなあ。いるのかな。この春からのアニメには。

 この速度にあのアルバイト君のツイートによる呼びかけが効果を発揮したのか、それとも自主的に動いた結果なのかは分からないけれども、やっぱり速かったファーストリテイリングは「東北地方太平洋沖地震の被害に対する支援」としてグループから3億円と全世界の従業員から1億円、そして創業者の柳井正さんが10億円という個人からのお金を拠出して募金すると発表。さらにヒートテックをはじめ衣料を7億円部持っていくということで、その総額は実に21億円にも昇るという。これはちょっと凄い額。加えて全世界に店舗ネットワークを持つファーストリテイリングとして、募金箱を置いて義捐金を募るというから世界各地でこの状況に心を痛めている人たちの、心遣いをこれで受け入れられる。支援はしたいけれども仕組みがないのがこういう場合の問題で、そこを組織で受け止められるところが大きな強み。感謝したい。

 さてと外に出たらJR船橋駅が閉まってた。まさか本気でロックアウトにかかるとは。周辺の京成電鉄だってがんばって大勢のお客さんを乗せて千葉から東京へと向かって走っているのに、自前で電気を調達できるJRが真っ先に総武線の全線運休を決め込むとは、ちょっと予想がつかなかったよ驚いた。停電が始まってしまった時の影響が大きいならその影響を最初っから除いてしまおう、すなわち動かさなければ良いんだという発想はもちろんありだし、ほかの地域でがんばっているんだからせめてここくらいは我慢してという態度も分からないでもない。とはいえ首都圏へと向かう大動脈をギュッとしめあげ、脇だけを開いた状態にしてしまうってのはあまり健康によろしくない。なぜできないのかといった猜疑も生む。そのあたり、今は乗り手の理解に頼ってもいずれ反動も来るだろうことを予想して、しっかりと対応できる体制を整えておいて欲しいと願おう。でもやっぱりやりすぎだよなあ。

 こんな時こそ千葉動労が私労働者の見方ですとばかりにしまいこんであったディーゼル機関車を持ち出して、客車に連結しては千葉からお茶の水へと走らせ何往復もするくらいのところを見せれば、やっぱり彼らは見方なんだという賛同もいっぱい上がったんじゃなかろうか。あるいはばんえつ線から時々千葉も走るC52を引っ張ってきたって良い。日頃見られないSLがここぞとばかりに走って電気無き時代を人はこうやって動いていたんだという歴史を、大勢に目の当たりにさせてさあこれからどちらを選びますかと問いかける、啓蒙普及にんだってなるんだから。それくらいの意気って奴を見せてくれたらJR東日本、誉めて差し上げてもよくってよ。しかし明日以降、本当に移動が大変になるよなあ。東葉高速鉄道と東西線が普通に動いているのがとりあえずの僥倖か。

 目がチリチリとかゆくなって来たんで薬局へと丸の内線の大手町駅に「プリキュアオールスターズDX3」のデカいポスターが張り出されていた。両脇にはそれまでの普通のポスターも張り出されていて、歴代のプリキュアたちの顔が真ん中のポスターに加えて両脇ということで通常の3倍増し。その鈴なりっぷりは停電の中で懐中電灯を向けて見えたら、ちょっとぎょえーってなるかも。そんな映画の方はこのご時世ながらもしっかり週末に公開してくれそうな雰囲気。これを記念してサイトの方でキャラクター投票なんてものが開かれていて、好きなプリキュアとかコンビを組みたいプリキュアとかを聞いてる。

 好きなのはもちろんキュアムーンライトでお姉さまとしていろいろ導いてくれそうな予感がするから。あるいはコンビを組みたいプリキュアとしても挙げられそう。理由は「冷たい眼差しでじろっと見て、冷たい声で叱ってくれそう」だからとか。コンビだったらキュアサンシャインも結構良さそうで、あの元気さいっぱいの笑顔で引っ張っていってくれたらもうどこまでだって付いて行っちゃいそう。自分がなりたい? って聞かれて答えるのも恥ずかしいけど、ここは歴史に敬意を表明してキュアブラックかなあ。でもパートナーにしたい妖精となるとちょっと思い浮かばない。誰でもいっしょに見えてしまう。これがキュウベエだったら「僕と契約してプリキュアになろうよ」と言われた瞬間にけっ飛ばして丸めて放り出してしまうんだけれど。とはいえ流石に歳も歳なんでアンケートには答えない、っていうか答えようとしたら年齢の数字にいちゃもんがついた。悪かったなあ。まあ良い、あとはがんばって親子連れのふりをして、劇場にがんばって見に行こう。行けるかな。


【3月13日】 夜もやっぱりまんじりとはせず、危急の時に飛び起きれるようにとやや上体を起こしながら、うとうとと過ごしてとりあえず、目覚の朝を迎えていろいろとチェック。状況が明らかになるにつれて東北が、ますます大変さが増していることに愕然しつつ、チェックしたメールからハンゲームを運営しているNHH JAPANからの案内で、ミュージシャンのGACKTさんが震災の被災者を救援するためのプロジェクト「SHOW YOUR HERAT!!」を立ち上げたことを知る。GACKTさんも素早いし、仕組みなんかで協力を申し出たハンゲームも速い。個人ですべてをクリエイトしているアーティストならではだし、動きの速いネットの世界で勝負している企業ならでは。讃えたい。

 こうした、確実に実行され得るものとしての募金情報とかかだったら良いけれど、本当かどうかは不明ながらも、本当だったらちょっと気になる話というのが、広まって来た時に果たしてどうするか、ってところが目下の思案どころ。例えば、市原の工場火災で化学物質が混じった雨が降るといった情報が、割と速い時間からめぐっていたけれども、後になってどうやらデマらしいと判明。目に飛び込んで来た状況を見て、そうなる可能性って奴を心配して、先取りしていろいろと呼びかけていた善意が途中で、既成事実と化して流れてしまった可能性もあるけれど、結果から見れば、一種の流言となって不安を煽っただけになってしまった。善意が最初にあったのなら何ともやるせない話だし、最初っから不安を煽るためだったら情けない話。そのどちらにも振れるだけに判断に迷う。

 そうしたどちらとも言えない話を、時に近親者に関係者がいるといった話として、流して何かしようと呼びかける人も割といたりして、これまた判断が難しかったりするところ。とりあえずそうだそうだと得心して、情報を回す人も大勢いるだけに、結果として誤解があった時に、取り返しがつかないことだって起こり得る。命に関わる希求のことなら、善は急げとばかりに応じて悪いことではない。それがガセだったら、最初に流した人が罰せられるなり、呪われるかすれば良いだけのことだから。でも、そうでない妙な善意が、善意だからと蔓延し、それを微塵も疑わないで右から左へと回す人の多さが、それを可能とする便利なツールが出てきたメリットを感じさせる一方で、デメリットも生みだしていたりする。何とも悩ましい。

 ユニクロでバイトしている身だと断り、店舗に余ってるヒートテックを送れば良いと思うんで、偉い人に分かるようにネット情報を広めて欲しいって呼びかけがあって、それにそうだそうだと応じて流す人がいっぱいいたけど、呼びかけるのならどこの店の誰で、上司に言ったけれども受け入れられないから、ここで呼びかけましたとやれば、信憑性も増したし応じる声も多かったかも。そうした行動を、厭う企業じゃファーストリテイリングは多分ないし、厭えば柳井正さんへの注目も結果としてぐっと下がる。ちゃんと考えてくれるだろう。あるいはそうした内部からの呼びかけとやった方が、関心を集められるからと誰かがそう身分を偽って、善意として行動したのあとしても、それをやるならまずはファーストリテイリングのHPから問い合わせ先にメールすれば、聞きいれてくれるんじゃないかと思う。

 もちろん、広い方面からのつぶやきが事を迅速に動かす力を持っているから、そっちを先にやったという意見も認めるにやぶさかではないけれど、すべてがそれになってしまうとどこかで、情動なり扇情へと用途が傾き、どこか熱気故の息苦しさって奴を醸し出さないとも限らない。誰もが善意なんだからと情報を右から左へとやっていく中で、善意の名を借りて流言飛語を波及させる筋道、誰もがよかれと思って妙な扇動に荷担してしまう可能性が、こうした中から生まれてしまうんじゃないのかという不安も漂う。逆らえない空気がこれに加わると、正しい論も有耶無耶にされてしまう。

 どこそこの募金は詐欺だから気をつけろというつぶやきも、やたらと見かけるようになってきた。本当にそうなのかもしれないけれど、それだったらさっさと通報して、その場から立ち去らせるのが1番。ただただ猜疑心ばかりをあおり立て、真っ当な街頭募金をすら疑いの目で見られるようにしてしまわないか、ってな不安もこれまた浮かぶ。それとは別に、例の日本ユニセフ協会が、募金の25%抜いてフトコロに入れるから気をつけましょうって言う人が一杯いたりして、けれどもそれはあくまで最大値であって、こういう事態にそこまでするとも思えない。また、効率よく募金を集めて寄付する組織体として、その効率性と信頼性への担保として、幾分かを拠出しつつそれ以上をしっかり現場に届けられるから、抜かれることも決して悪くはないといった理解も、ここでは出来るかもしれない。

 もちろん今は、企業が事業の傍らで、効率よく集めて寄付する仕組みを運営しているから、そちらを使えば良いってことも言える。ただ、日頃の主義主張が気にいらないからといって、その役目までをも全否定しては、せっかくの善意もしょげてしまう。難しいのはそうした一連の警告が本当に警告として効いている場合もあるってことで、そうした良い方に転ぶ可能性を信じ、リスクも踏まえてまずはすべてを受け入れる気持ちを見せつるのが良いのか、一方で疑い考えてから動くべきなのか、ってあたりで迷っていたりする昨今。とりあえずやりたいことがあったなら、それを出来るところでするのが、今は一番良さそう。素早かったGACKTさんのところとか、使ってみようかな。ガンダム好きな人ってことにも共感を持てるし。そういえば西川貴教さんもいち早く呼びかけていたっけか。ガンプラのPRやってた人。ガンダム好きに動きが速いのは、やっぱり番組を見て、人々が争い猜疑心が渦巻く世界の辛さを感じ、誰もが分かり合う大切さを学び心に刻んで来たからか。

長生きだなあこの羊たち  どこかに遠出して戻れなくなるのも不安なんで、近場の船橋西武の屋上へと上がって羊と戯れる。そうこのデパートの屋上には確実に20年前から羊がいるのだ。まだ普通に経済記者をやっていたころは、土日が休みだったしあんまりイベントにも出歩かなかったんで、昼間は近所を散策して、遠出してもららぽーとくらいで、だいたいが船橋西武の屋上で、羊を身ながらぼんやりしていたんだっけか。どうして今はこんなにあちこち出かけているんだろう、それで情報はとれて仕事にはなっても、一方で何か忘れてしまったことはないんだろうか、なんてことも考えたけれどもこればっかりは仕方がない。ただせっかくの機会でもあるし、あの頃の物とかあんまり買わず、遠くにいかないけれども気分はゆったりとしていられた暮らしを、思い出してみるのも良いのかも。

 西武では三省堂書店で末次由紀さんの「ちはやふる」(講談社)の第12巻を購入、クイーンが激痩せして可愛らしさを取り戻していたけれど、いけずさは相変わらずだった。新と知り合いなのか彼女。そして雷をバックにびしょぬれになりながら千早にプレッシャー。確かに恐いわ。そんな千早たちは外国人チームとクイズ王チームを順調にくぐり抜けていく全国大会。その果てに栄光はあるのか。気になるなあ。

 もう1冊は去年の12月に出ていたという河田惠昭さんの「津波災害−滅災社会を築く」(岩波新書)を購入。このタイミングで出したということは、きっといろいろ機具するところがあったんだろう。それが評判になっていれば、あるいは防げはしなくても減らせたかもしれない被害。すこし切なくなって来た。もはや起こってしまったことへの備えにはならないけれど、れからも起こり得ることへの備えを得るために読もう。瞬時に迫る津波には、誰彼に構わず自分が生き残ることを誰もが心に刻んで行動しよ、という教えを今に伝える「津波てんでんこ」という言葉が胸に響く。


【3月12日】 東西線とか動き始めても妙典までだったり、都営新宿線が動いていても本八幡間ででそこから先の京成も、JRも動いていないんでは帰りようがないんで止まって、送られてくる共同通信とかAPとかの写真を眺めつつ、テレビでニュースを見ながら過ごす夜から夜更けから夜明けまで。湾内に固まって立っているような集落とか、海岸線のほとんど端の方で並んでいたりする住宅とかが軒並み津波で持っていかれてしまった印象に、過去幾度となく津波に襲われた地域であるにも関わらず、どうしてといった疑問も浮かぶけれども、リアス式の海岸の湾奧は、一方で良い漁港でもあるだろうからそうした生業を居住地に当てはめつつ、津波のリスクも経験として積みかさねて、暮らしているのかもしれない。気仙沼とかで最前線で仕事をしていたサンドウィッチマンの2人が、即座に山へと避難して助かったところにも、あるいは地域に根ざした経験が生かされていたと思えなくもない。

 仙台市という政令指定都市でありながら海岸線のあの場所であれだけの被害が出てしまったという状況は、あるいは居住地の拡大といったものが自然の牽制を越えてしまったところまで、行ってしまったのかそれとも予想を遙かに超えた高さの津波になすすべもなかったのか。起こってしまったことを悔いても時間を元に戻すことはでないけれども、そうした予想外の事態ですら、予想に入れて動くことでしか身は救えないのだとしたら、やはりあの場にいてあのような事態に直面した時に、どうすれば良かったのかを少し時間をおいて考えてみようと思う。とはいえ地域によっては3階建ての最上階にいたって水に飲まれてしまった様子。それよりも高い建物の屋上でやっとしのげるくらいの津波を、輪中の水家ではないけれどその時のためにとしのげる高所を、そういう可能性をわずかでも持った場所には備えておくしかないのかも。走って10キロメートルは逃げられないのだから。

 帰宅した人たちからのネット報告でやれ本棚が倒れただの本があふれ出しただの本で足の踏み場もなといといった言葉にどれだけ本が好きな人たちなんだと言いつつ自分もそうだと思いつつ、日本人が活字離れをしているなんてこの界隈に限っては嘘だよなあと実感しつつそんな人たちが圧倒的多数じゃない状況も噛みしめつつさて、自分の家はどうなっているかを心配したところでどうしようもないから都内で他のいろいろが、どうなっているかを想像してとりあえず前に行ったばかりのあずまきよひこさん作「よつばと!」の日めくりカレンダー10周年記念展覧会に、すっくと立っていたあのダンボーが地震をどう耐え抜いたのかが気になってつぶやいたところ、その現場にいて横でダンボーを支えていたという人が出現。ハンムラビの加護があればなるほどダンボーだって大丈夫だったに違いない。横のよつばはどうだったんだろう。あとあのパネル。10年分をちぎって貼った手作りパネルは壁に取り付けたあっただけだけど、それなりに年期の入ったビルだけに、その後どうなったかがやや心配。週明けにまたのぞいてくるか。

 そんなことをしているうちにちょい眠り、明けてテレビを見たら日差しの下で今なお水が残っている地域がたくさんあるのにちょっと驚き。時間帯として満潮だったりもしたんだけれど、普段は満潮だからって水なんて来ない地域にこうして貯まっている状況は、やっぱり自然に大きな変化が訪れたんだってことを目の当たりに見せてくれる。三陸沖での地震の後に、中越方面でも地震があったり茨城沖で地震があったりといった余震なり新しい地震が続くのも、きっと自然の大きな何かがそこに関わっていたりするんだろう。さすがにニュージーランドまでもがといった大きなことは素人なんで言えないけれど、それこそバタフライ効果の如くにひとつのそよぎがとてつもない大風を生み出すカオス的な繋がりが、幾重にも折り重なって形作られているこの地球なだけに、今回の地震がどんな意味を持ち、そしてこれからどんな影響を与えていくのか、ってところを見られる限りは見てそして、その先に起こる悲劇は遮り、喜びは受け入れる糧にしたいけれどもやっぱり素人では分からない。これを見て何かを感じた若い人に、だから未来を感じ作り出す道へと、進んでいって欲しいもの。今は絶望でも、そこからだって希望は生み出せると信じて進め。

 ようやく帰って家の惨状と直面する決意が出来たんで大手町から淡路町まで出向いてそこから都営地下鉄新宿線で本八幡へ。京成にするかJRにするか逡巡して、京成は駅が小さいから外で待たされるかもと思ってJRにしたらホームにこそあがれたけれどもそこで待たされた。次に来るのが平井にいて、その次は信濃町という状況。どれだけ離れているんだよ。でも動いているのはやっぱり有り難い。広い範囲を点検して復旧させなきゃいけないJRはやっぱり大変だ。そんなこんなでやって来た千葉行きにぎゅうぎゅうしながら乗って船橋へ。駅で蕎麦を喰らい腹を温めてからさあ決戦だと部屋の扉を開いて萎える。やっぱり。玄関というか台所にすらあふれ出して積み上げてあった本は崩れ落ち、部屋は部屋で積み上げてあった本やらDVDやらの壁も崩れ落ちてやっぱり脚の踏み場もない。本棚は倒れていなかったけれどもそれは本棚の前に本を詰め込んだダンボール箱が、もはや壁というよりブロックの状態で積み上げられているから、倒れるに倒れられなかったとうだけのこと。その代わり、箱の上に積んであった様々なものまで崩れ落ちて惨状に輪をかける。

 でもまあそれも自業自得と思い1つはがして載せ治し、2つ手に取り積み直してどうにかこうにか前の状態を再現。ということはふたたび起こればただ崩れるだけという状況に変化はなく、あるいは起こるかもしれない余震に備えてしばらくは浅い眠りの中で頭を守り体を守りながら寝る日々が続きそう。昼間だったから良かったけれど家にいたらきっととんでもないことになっていたよなあ、やっぱり。そして立て直した環境でテレビとか見ていたら福島の原発がさらにいろいろなことに。まあすでに核分裂は止めてあるんであとは冷やすだけのところが冷えないんで問題になっているだけだから、どうやって冷やすかを考えれば良いと思っていたら冷やす過程で爆発とか起こって見た目はなかなかにダイナミック。その見た目とそして恐怖感から爆発だ臨海だメルトダウンだと言いたくなる気持ちも分からないでもないけれど、どうなればどうなってどうなるという段取りを、ある程度踏まえれば見えてくるものもあるんだと、ここは理解して状況を眺めて考えよう。ほらそうなった。でも本当に。そこのあたりのリレーションシップを、もっと作っていくことが必要ななろうな。信じよう。信じられたいのなら。


【3月11日】 録画されているのは「フラクタル」と「放浪息子」と「I.S」と「夢喰いメリー」。その中から朝に起きて真っ先に見たりするのが「フラクタル」ではなく「I.S」だって辺りに己の俗物っぷりを妙に噛みしめていたりするけれど、でもやっぱり分かりやすい面白さだから仕方がない。みんなで旅行に出かけて起こるドキドキタイム。温泉こそないけれども代わりに妙なウサギ耳をした巨乳の女性科学者が現れて、その変態っぷりを遺憾なく発揮していたりするからもう見入らずにはいられない。篠ノ之束ってつまりは箒の姉なんだけれどISの開発者ってすげえ天才でありながらも、妹大好きでそれ以外はほとんど眼中に入らないというわがままぶり。でもって世界から逃げているのに突然現れては、箒に専用機を持ってきた上に妙な仕掛けまで施して世界を混乱に陥れる。

 過去にもそんなことをしでかしたことを、おそらくは織斑千冬も世界も知っているんだろうけれど、それでも相手は天才だけあって捕まえられず閉じこめられないまま自由勝手に振る舞っている束が新たに持ち込んだこの難題に、箒とそれから一花はいったいどうやって対応するんだろう? これがあの第1話の冒頭で繰り広げられたスピーディーでスタイリッシュな戦いの場面につながるのかな。そこで終わったとして続く展開があるかっていうと、原作もほとんど進んでないから良いんだけれど、これだけの高性能さを見せて尻切れってのも勿体ないんで、原作が進めば再びアニメ化も、ってことになるのかな。それにしても女性リポーターのキャラクターを初めて演じるといって水樹奈々さんはニュースになるのに、ウサ耳巨乳シスコン変態女性科学者を田村ゆかりさんが初めて演じても、まるでニュースにならないのは不公平、だよなあ。そうか?

 でもって「フラクタル」も見たらフリュネ1万2464号とかフリュネ8348号とかいったクローンたちが現れては潰されていく悲しい展開にフリュネは遺憾を覚えます。なおかつ捕まったクレインを助けて治療までしたフリュネクローンが燃えさかる炎の中に消えていこうとしている。ここに来て急に動いていそして一気に動きまくって衝撃を与えてくれるけれど、これがせめて3話くらいからだったらもう1山くらいの展開を、持ってこれたのにって思いもしないでもない。今のままではコナンがラナをたすけに最初にインダストリアに潜り込んで、そこですべて解決してしまうような段取りにしかならない。そこから逃げだし砂漠を越えてラオ博士と出会いハイハーバーまで行きそこでも一悶着あって再びインドストリアからギガント落としへと向かうダイナミズムを得られないまま、終息してしまいそう。それとも続編、あるいは映画なんてものが用意されていたりするのか。ないよなあ。まあ良い残る話数に集中。評価はその後だ。

 夏の風物詩となって定着してきたアニメロサマーライブが今年もやっぱり開かれるってことで、文化放送で開かれる発表会へと赴くと片寄好之さんに編成局長って肩書きがついていた。去年ももうついていたかもしれないけれどもそれにしても15年ほど前に、文化放送がまだ四谷にあったころに会見とかがあって行ってA&Gすなわちアニメとゲームの番組を作っている部門のトップとして現れて、賑やかそうに話していたことを多分何となく記憶している。当時も羽振りこそ良かったけれども決してメインストーリームにあったとは思えないA&G。そこのトップだった人が今は文化放送の番組を仕切るメインストームもメインストリームに君臨していたるするって事実が、この15年の間に起こった文化的パラダイムシフトを示していたりするんだろー。でもってそうした分野に15年も前から着目して、抱え育ててきた文化放送の先見性の高さにもただただ関心するばかり。そいういう処に今から追いつこうたって無理だよなあ。新聞とかが。

 さても今年のアニメロは「RAINBOW」をテーマに選んで7年目ってことを色で現すとともに、虹みたいに夢を持った架け橋になりたいといった意味をそこに込めて、いろいろ展開するらし、っても出てくるメンバーはJAMプロジェクトのほかはMay’nさんとか茅原実里さんとか、黒崎真音さんとか麻生夏子さんといったあたりがまずは上がって、そしてこれから順繰りに発表が積みかさねられていくことになるんだろう。今は少なくっても最終的には20人とか何十人かが登場して、4時間5時間を引っ張り盛り上げるイベントになるアニメロサマー。その賑わいにF1ドライバーの片山右京さんが感動して、初音ミクがボディに描かれたレースチームの面倒を見ることを決めたくらいだから相当なもの。一般の人すら動かす熱気が7年目っていう“節目”に果たしてどんな爆発ぶりを見せるのか。行ってみたいけどでも、やっぱり長時間に及ぶんだよなあ、歳も歳だしなあ、どうしうよう。

 さてこれで夜には若手アニメーター育成プロジェクトの上映に行けるぞと思って仕事場に戻ったら、何か地震だということでテレビを見ていたら東京でも揺れる揺れる揺れる揺れる揺れる揺れる揺れる。揺れて崩れてデスクの周辺は大変なことになった。それは過去に感じたことのない揺れ。とはいえ、免震構造を持ったビルの12階にいるからこその揺れであって、あるいは案外にたいしたことがないのかとテレビを見ていたら、東北地方ではさらに激しい揺れがあり、なおかつとてつもない津波が次々に押し寄せていて目を覆う。ちょっと前まで普通に車が走っていた場所に水が被り、まるで安全地帯だった高架の道路のすぐはしにも水が迫ってケタには流れてきた船がゴンゴンと当たる惨状。あるいはこのままでは橋桁ごと流されてしまうと心配したものの、どうにか凌いで上いた人は無事だった模様。

 とはいえそれほどまでの高さに及んだ津波は、川を上り土手を越えて畠にまで流れ込んで大勢の民家を押し流していった。そこにあるいは人がいたらと思うと居たたまれない。帰るに帰れない状況の中で伝わる情報はさらに大変さを増し、原発が冷却しづらくなっているとか大勢の方が亡くなったとかいった報にあの揺れは、半端なものではなかったのだと改めて知る。何しろマグニチュード8・8は日本における観測史上で最大。それが海の上で起こったからこそ家屋の倒壊はなかったものの、かわりに大津波が押し寄せ海岸を中心に大きな被害を出してしまった。あの速度で迫る津波をいったいどうしのげば良かったのか。東京湾の最奥とはいえ海のそばに暮らす身として少し心配してしまう。たぶん家に帰れば本や棚が崩れ落ちて大変なことになっているんだろうけれど、それも命があっての物だねということで、帰宅できれば片づけながらこの事態がどうなるのか、そして何が出来るのかを考えよう。


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