縮刷版2011年2月中旬号


【2月20日】 これは究極の真理であって、それは積み上げた本は必ず崩れ、そして何度積み直そうとも、やはり何度でも崩れ落ちるのであるという。だからといって、積まないと置けないこの暮らし。捨てれば良い? 捨てられないから本なのだ。DVDもだけれど。そんな本の山の奥から出てきたのが、佐々木倫子さんの「食卓の魔術師」って漫画で、いわゆる忘却シリーズの幕開けにあたるこの本は、人の顔を見ても覚えられない少年を主人公にしたコメディで、なるほど今の佐々木さんに通じる、妙な人たちによって繰り広げられる愉快な出来事が描かれているけれど、今だとズッコケたコミカルが前に出ている作風が、当時はむしろシュールさが前に出ていて、不思議な味わいになっていたなあと懐かしむ。どこから変わったんだろう? 「動物のお医者さん」にはまだ「食卓の魔術師」のシュールさが残っていたような。絵柄もずいぶんと変わったなあ。でもやっぱり面白い。当時からずっと面白くって今も面白い。すごいなあ。

 何度も崩れ落ちた本を直して、疲れ果てて眠って起きたら朝のテレビは通販番組ばっかり。それが午前4時とかなら良いんだけれど、午前5時台から時刻をまたいで午前6時台に入っても、にんにくパワーの宣伝番組をやっている、東京キー局六本木在住があったのにはやや驚いた。だって朝の6時台だよ、普通の人なら起きて活動を始めている時間帯に、そうした人に役立つ情報を届ける出もなく、特定の人に向けた通信販売の番組を放送するのって、やっぱりテレビとして何か間違ってはいないのか。あるいはそうした番組しか作れないんだとしたら、テレビ局も相当に体力的営業的に厳しい状況になって来ているのか。テレビ東京だって演歌の番組を流しているのにどうして六本木が、と思ったら汐留も伝子女書の通販番組をやっていた。何だこりゃ。

 スポンサーがつかないんだから、仕方がないって意見もあるだろうけど、そうやって通販番組を流している電波は、いったい誰からどういう理由で使用をを認められいるかってことを考えるなら、その通販で物を売っている会社にしか利益がもたらされない番組を、お金をもらって流して良いのか、といった懐疑は常につきまとう。あるいは夜中とか、朝も極めて早朝だったらありかもしれないけれど、午前6時台という、人が起きて何かをしはじめるというパブリックな時間に、パブリックな場所で全編これCMといったものを放送するスタンスが、果たして是なのかそれとも否なのか。パッケージ販売が目的のアニメを、だったら放送して良いのか、といった意見も甘受しつつも、アニメにはまだ、作品としてそれを楽しむ人がいる。通販番組は? それを作品として楽しめる? うーん。そういう番組もないでもないけど、でもなあ、にんにくパワーに電子辞書、だもんなあ。

 スポンサーがいさえすれば、そんな早朝にだって番組は入るのかもしれないけれど、一方で早朝にはもう、普通の人はテレビを見なくなっている、といった問題もあったりするだけに、容易に判断は難しい。それをいうなら昼間だって、夕方だって見られてないけど、朝に比べればまだ見ている人はいて、見られるための番組が放送されている。朝の、もう見られなくなっているテレビの空いた時間帯を使って、テレビ局だけが儲けるような通販番組を流すことの、是なのか非なのかという悩みについて、考えていったいどんな答えが出るのかなあ。それこそその時間だけ電波を返上するなり、預かっている電波のお代を国に戻すなりしないと、納得いかないって事態も生まれてくるのかもしれないなあ。テレビ。分水嶺に来ているなあ。

 見られない時間帯だからっていうのは言い訳で、見たくなる番組を流せば朝だって見てくれる、という意見はどうか、っていえば午前7時からの「交響詩編エウレカセブン」を1年間、朝の7時に起きて見ていたい人間として、リアルタイムで見たい番組は見たいのだって断言したい。あの頃の僕はまだ若かったけど、それ以上に次がどうなるかが気になって気になって仕方がなかったんだよ、「エウレカセブン」は、良い意味でも悪い意味でも。そしてNHKが朝の5時台に放送していた、ハルピンの氷彫刻家のドキュメンタリーなんかも、ちょっと見てみたいと思わせる番組。ハルピンにある美大出て氷彫刻を作る会社に就職して、1年で独立して自分で省の政府から仕事をもらって街角に、氷彫刻を作っている芸術家の話。プロになってまだ2年目で、住処もはっきりとしないため、今は知り合いのアパートに居候しながら、仕事を増やそうと頑張っている。

 卒業した大学にも出入りして、そこに通っている学生たちといっしょにモノ作りなんかもしているその氷彫刻家。自分には夢がある、未来があると語るその口調の熱さなんかに、そうした夢や未来を語って、どうにかなりそうな将来への期待が中国には、まだあるんだなあと思わされる。日本だといくら夢を語ろうと、未来を語ろうとまずは絶望から入り、そして閉塞感から入ってくるんだよなあ。とはいえ、熱さを語って未来をその手で切りひらこうとしている世代のすぐ下に、この成長しつづける状況の中で自らを選ばれた者だと思い始めている人たちが出ているみたい。何せ20人の定員に600人が応募してくるという狭き門。それ故の甘さか、氷彫刻家が朝からマイナス20℃のところで作業をしていると、手伝いに来ていた学生がだんだん来なくなるという。そして、氷彫刻家や仲間の卒業生とかが、奴ら90年代生まれで甘えてるって嘆いてる。

 未来が割と近くに転がっている豊かさは、向上心を殺いでいってそしてやがてすべてが浮き詰まった時、先に走っていた者だけが、ゴールのその向こうへとたどり着けるという。バブル前から出てきてバブルで一気に高みに昇って、それ以降は梯子を外され曖昧さに漂っているこの国が、中国でも再現されるのか。ちょっと見ていきたい。それにしてもハルピンの氷彫刻家、プロではあるんだけれど、頼まれて出した作品が大学の講師にアイデアもフォルムもいまいちって言われると、帰って夜通しでアイデア練って絵を描いて、すぐに見返すように作品を作ってみせるからすげえガッツ。これこそカットビングの精神って奴だ。

 論理をこねくりまわしたり、夢や希望を語ったりしたところで、それで何かが生まれる訳ではないし、自分に何かが戻ってくる訳でもない。作れる環境がないとか、作る場所がないとかいった言い訳もしない。ひたすらに作る。作り続ける。そうやって自分で何かを作ってこそ、それで相手を驚かせ、楽しませることができるんだという気持ちを抱いているから、作り続けられるんだろうし、作り続けられなきゃ、プロにはなれないし認められないって分かっているんだろう。見習いたいけど、もうこの歳では。寒いところも苦手だし、氷彫刻家にはちょっとなれそうもないし、って別に氷彫刻家にならなくてもいいから、やってみたいことがあって、やれそうなことがあったらやってみるくらいの気構えを、今年こそは持ちたいもんどえある、と言ってみるだけの体たらく。やっぱりこのまま朽ちていくのかなあ。

 早朝から横浜のワールドポーターズへと出向いて、「遊戯王」の新しい番組の制作発表会を見物。別に千葉からじゃないだろうけど、千葉出身のペナルティが応援に来ていたステージには、主題歌を高速ラップで歌うmihimaruGTなんかも来ていて、ちょっと得した気分。それよりなにより新番組のアニメが、熱くてそして格好良い。まだあんまりカードを知らない少年が、カットビングの精神でもって何かに挑もうとするってストーリーで、まずは友人をいたぶったデュエルの強い相手に向かい、無理な戦いを挑むって展開。その王道的な熱さも気に入ったけれども、ヒロインとして登場する女の子が、体操着を着ていたり、スクール水着を着ていたりする場面がいっぱい出てくる上に、短いスカート姿でローアングルから煽るシーンもあって、それを席の最前列で巨大なスクリーンで見せられた時に、もうちょっとしゃがめば見えるんじゃないか、なんて思ったけれども描かれていないものは、やっぱり描かれていないのだ。ともあれ新番組「遊戯王ZXAL」は、熱くてキュートで燃えて萌えるアニメーション。ちょっと見てみたいかも。1話だけは録画して、大画面テレビで下から見よう。高精細なら見えるかな。見えません。


【2月19日】 船に乗ってて踊ってただけだったりする「フラクタル」は、その階層が割りと分厚いこととか、目的はむしろネッサあったりするところとか微妙な進展はあったけれどもその程度。まあクレインが普段は食事とか1人でしか摂らず下着もふんどしを使ってたことが分かったり、掃除洗濯炊事といった家事の大変だけれどわいわいとやる楽しさめいたものが伝わってきたりと、身体に迫って何かを考えさせる描写はあってそれが目的だとしたら存分に役割は果たしてたって言えるのか。言えないか。それが目的ではないんだし。このスローテンポは脚本の人の趣味なのかなあ。それともラストスパートのために今はゴムを巻くときだって監督の判断か。いずれにしても残り少ない話数で世界をどう動かすか。そこにこれまでの積み上げがどうかかってくるか。見守るしかない。

 前の公演を大阪まで見に行く気力はなく、かといって名古屋の公演もショートバージョンだったらしく見に行かなかったし行けなかったけれども、いつか見たいと思っていた舞台版「千年女優」が遂に東京で公演されるってんでチケットを確保し池袋へ。あのあれだけ複雑でそして映像をマジカルに使うことで成り立っている今敏監督のアニメーションをどーやって舞台の上に出すんだと思ったらなるほどそうきたか。ストーリーについてはアニメとまるで同じで希代の女優、藤原千代子演じる女性パイロットが宇宙へと向かうシーンを見ながら源也が昔を思い出しているとそこに地震。そして現れた助手とともに銀映の撮影所が取り壊されている場所に行って収録し、そこから山の中にある藤原千代子の家に出かけると……といった流れで映像が目に浮かぶ。もうほとんどアニメ映画を覚えている身だからこそ、なおのこと映像が浮かんで仕方がない、つか先週映画館で見たばっかしだし。

 と同時にこれなら映像で見た方が十分、舞台化する意味なんてあるのかといった戸惑いも浮かぶ。しかし、ここからが舞台版の真骨頂、たったの5人しかいないあの舞台では藤原千代子を演じる女優が場面によって変化し、同時に周囲にいる役柄も時にはすり替わって見ている人を不思議にさせる。面白いのは、映画を知っている目から覚える、あれをどうやって5人で演じるのかという興味で、最初のうちはそこに無理矢理感を覚えもするけど、ほどなくではいったい誰が何を演じるか、演じられるのかといった興味に変わっていくこと。さらにほどなく誰が演じてたって関係ない、今はその舞台で女優という存在を問うストーリーが繰り広げられて、それを女優たちが演じているというシチュエーションからわき上がる女優魂といったものが浮かび上がってきて、知らず見る側を舞台へと引っ張り込んで話さず切らさず1時間半という展開をラストまで誘っていってくれる。そうした役の受け渡しを、最初は少しづつ説明的にはりつつ後ではまるでしないのは、見る側の慣れと理解を誘えば後はちゃんと考え感じてみてくれる、って算段があったのか。だとしたら考えているなあ、演出・脚本の末満健一さんという人は。

 アルフレッド・ヒッチコックのサスペンス映画「三十九夜」を元に、たったの4人が舞台上で139役を演じ分ける舞台「THE 39 STEPS」ってのがあって、日本でも高岡早紀さん石丸幹二さん今村ねずみさん浅野和之さんによって上演されたけれども、れもなるほど役の変化はめまぐるしくても高岡さん石丸さんは基本1つであとは今村さんn浅野さんお大奮闘が笑えた作品。そこに役の受け渡しはなかったけれど、舞台版「千年女優」は5人が役を受け渡して、それでもちゃんとそうだと思わせるような構成であり演出になっている。さらにその演技も。演じたTAKE IT EASYという劇団プラス1人の女優さんたちは、いったいどんな引き出しでもってあの役を演じて演じ分けているのか。誰が何を演じても演じられるようになっていたりするところもあって、なおのことその鍛錬ぶりに頭が下がる。さらにそうした複雑な展開を、途中で映画さながらに疾走するシーンを満載でもって演じきる。果てしない走りをこなしなた後で、息を切らせず段取りも間違えずにセリフに入り演技を見せる。素晴らしい。

 見れば感銘の舞台版「千年女優」は21日まで、池袋のシアターグリーンにて上演中。今敏監督のファンはもとより演劇ファンもそれから長身でスレンダーな女性がお好みの方も、行けばなかなかに深いものを味わえる。1人をのぞいて160センチ以上が4人でうち2人は170センチ。これはなかなか。そんな5人に囲まれ関西弁で説教されたら誰だって謝ってしまいそうになるところを、導いた演出の末満健一さんにも会場のどこかにいるんで拍手を。ちなみに土曜日の昼は途中に音響に手違いがあったとかで、お詫びに出てきて喋った後で楽しい即興を女優さんに演じさせてくれた。なるほど凄いよ本当にぜんぶできるんだ。だったらずっと1人でやったらどんな舞台に? それを東京公演のDVDには特典映像で是非に。あと舞台版のパンフレットには、今敏監督の日記から舞台版を見た感想とかが抜粋してあって全部知ってる監督目線の反応とか、映像にできなかった部分が舞台に反映されているといった話がいっぱい。サイトでも読めるけどまとまっているとより読みやすいので観劇前後にご購入を。

 そこに魂なるものがあってそれが壊れると命が止まるというならたとえば外部においいた人工心肺なり呼吸器なりは魂か。主体として自分が見て触り感る肉体こそが自分だとするならその中身がどうあれ自分は自分と認めるべきだっていった考え方もできるけれども、かといってそこに魂はないんだと言われるとうーん、やっぱりちょっと考えてしまうかも。それはあれだ、「銃夢」でパカンと開いた頭の中にチップが1個しかはいっていない様を見せつけられた時に感じた、そうなったときの自分という主体への懐疑と同類だ。考える主体である脳が入れ替わっているのはもはや考えていた自分ではないけれど、そう考えている自分は自分なのだから脳がチップになっていようと気にしないと思うのか、考えていた自分はもういないんだと戦慄に沈むのか。そうなってみないと分からないけどそうなる時代はまだ来てないならこうやって、フィクションの中で考えさせていくしかないんだろう。「魔法少女まどか☆マギカ」。暗いです黒いです。


【2月18日】 強風で京葉線が止まりそうになるなかを総武線で幕張本郷まで行きバスで幕張メッセへといくいつものルート。京葉線って本当に風に弱いから使うに使いづらい。そう思っていたら本当に午後には止まってしまっていた模様で、幕張メッセで開かれていたアミューズメントエキスポに、メロン熊を見に行けず嘆いている人がいっぱいいた。残念無念。新木場あたりまでなら戻って総武線に回るとか逃げ道あるけど、その先にいっさいの逃げ道がないんだよなあ、あの路線。そういう意味でも使いづらいので状況はよく見て使おうとメモ。

 到着したアミューズメントエキスポは会場がホール2つだけに狭まっていた。一時はもうちょっと広かったような記憶もあるし、秋の別のアミューズメントマシンショーには出ないコナミも出るってことでもっと盛大になっていいはずなのに、逆に狭くなっているのはそれだけ出店規模が縮小されているてことで、すなわち業界規模にもいろいろ影響が出始めているってことなんだろう。実際んところゲームセンターも、1階部分はプライズマシンでぎっしり埋めて、ほとんど景品の自動販売機と化しているところが多いし。秋葉原なんて大概そんな感じ。でもだからこそ秋葉原駅前に出来たセガの店でルフィそっくりの格好をした胸板の平たい女子店員に会える訳だけれど。どういう描写だ。

 だからアミューズメントエキスポでも注目が集まるプライズコーナーはやっぱりメロン熊が妙に目立ってた、っていうか他にもウサビッチとか来てたみたいだけれども、やっぱりあの緑色の頭にふさふさの毛並みの胴体がついた迫力の顔に、圧倒されてしまった。食べられちゃうんじゃないかってくらいの大口。その奧に見えるメッシュのその奧に何がいるかは気にしない。何もいないよ絶対に。前はぬいぐるみが中心だったけれども今回は座布団とか、頭に被る帽子みたいなのも登場。ちょっと欲しい。被りたい。被ってメロンを食いまくりたい。

 でも出てくるのは6月とか。受注して生産して店頭に、ってサイクルなんだけれどもその頃には流行も終わってしまうんじゃないのかって心配も。キャラクターの流行サイクルから出遅れるこのタイムラグが、旬を捕らえられないでアミューズメント業界の飛躍を妨げている? うーん。でも今さら「コードギアス反逆のルルーシュR2」のフィギュアとか出てるんだもんなあ。あるいはこれからコードギアスが復活していく予兆ってことか。「侵略イカ娘」のフィギュアとかあったけれどもどうなんだろう。出来は良いんだけれどブームの方は。「海月姫」のぬいぐるみも見かけたけれどもこっちは漫画と連動? 「IS」があちらこちらで人気の模様。キャラとして分かりやすいし。「魔法少女まどか☆マギカ」は見かけず。キュウベエのぬいぐるみとかそばに置いて起きたいよね。でもっていろいろかなえてもらいたいよね。後先考えず。そして後の祭りに。こわっ。

 ゲーム機では「ちゃぶ台返し」に「巨人の星」バージョンが登場。やっぱりちゃぶ台ひっくり返すんだったら星一徹さんじゃないと。そんなプロモーションに加藤精三さんが出てくれれば嬉しいけれどもさすがにお歳が。ひっくり返して腰でも痛められると。同じタイトーではパンチングなゲームも登場。こいつは是非に長島☆自演乙☆雄一郎さんに試してもらいたかった気が。見かけはどうでも拳法の達人、きっとすごい成績で答えてくれるだろうから。セガだと3Dの何かか。何だったっけ。バンダイナムコゲームスは「トリコ」とか「プリキュア」とかいったキャラ版権物が中心。それも正しい生き方か。

 まだ動いていた京葉線で東京まででてバンダイが新しく出す「大人の超合金」の第3弾となる「惑星探査機はやぶさ」の模型を見物。なるほどこういう形をしていたのかと納得の造形。後ろのノズルが時々1つ光らなかったり1つだけしか光らないのも航行中の状況を再現してのものだとか。ならば7年くらい飾った最後は大気圏突入をも再現し、盛大に火にくべ燃やしきるのもひとつの礼儀か。燃えるかな。カプセルは脱着可能。開けるときっと中からヴァジュラかエイリアンが飛び出してくるんだ。ちょっとドキドキ。値段も前のサターンV型とかスペースシャトルに比べれば半分くらい。プラモデルよりは高いけれどもしっかりとした造形は他の模型にはないんで、これを唯一にして至高と見て買う人多そう。売れれば続きも出るだろうし。次はなにかなあ。スプートニク2号ライカ犬付きとか。

 とりあえず鳴滝調を袖にするような男はもったいないお化けに取り付かれてネガティブの海に沈めば良いと思った。ジバンを着た鳴滝調をビジュアルで見たと思った。安波風化に啖呵切られたいと思った。続初にあけっぴろげになじられたいと思った。そんな女性キャラの強さ強引さにとっても引っ張られて、分厚さなんか気にせず上下巻を一気に読み切った三島浩司さんの最新SF「ダイナミックフィギュア」(ハヤカワSFシリーズJコレクション)。なるほど対話があったればこそ概念が生まれ70万も死んだけれども、その対話が別の対話も引き出し、結果としてなべてこともなき状態を取り戻させたのだからと考えるとうーむ。やはりこうなるしかなかったのかなあ。

 そもそも論から言うなら、地球にデカいリングを作られた上に、その一部を落とされ人類に心理的な忌避観を与えて何百万人も死に至らしめるような状況を作られ、さらには進撃の巨人を送り込まれて四国あたりを絶対防衛戦として戦う羽目となった最初の段階で、どうして地球になんか来たんだ手前ら、ってことになるんだけれども、いくらはた迷惑であってもそうやって来られてしまったんだからまずは仕方がない。そこから最適解を導き出す筋道としては、ああいった展開もそんなにズレていなかったのかもしれず、それを予測して描き仕込んだ卜部って科学者は、相当なタマだったといえそう。何を思いどう動きそして何故あの道を選んだのかはやっぱり謎だけど。

 キッカイを普通に北上させても、核爆弾を落とされるといった心配はさておいて、それさえ回避されれば奴らも目的を果たしてその場で止まったのかもしれないって思えなくもないけれど、その過程でどんちゃか起こってとんでもない事態になったってことも十分にある。そもそも奴らにそこに暮らしている人類とか気にするような配慮が行えたとも思えない。それを人類というささやかな存在が挑んだ戦いによって気づかせ、対話も呼んで結果としてすべてを元通りへと戻したのだとしたら、四国を舞台にした戦いも、そこから生まれた災厄も、無意味ではなく無駄でもなかったってことになるのか。

 ことほどさように歴史って難しい。結果がすべて。そこから逆算をして眺めるしかないのかな。いやいや折角至った境地、反省し自戒して未来を選ぶのが人類に課せられた使命なのだ。合い言葉は「ユー・セイ」。もしもこれが長編アニメーションになるとしたら、鳴滝調の声はやっぱり坂本真綾あんあたりになるのかな。ストレートな物言いで小悪魔的で可愛いところもあるという。司令として勇ましい啖呵を切って兵士を鼓舞する安並風化は、三石琴乃さんというよりは伊藤静さんか生天目仁美さんか、黒い方の水樹奈々かさんか「IS」で千冬姉をやってる豊口めぐみさんといったところか。まあこの超大作。アニメにも映画にもきっとならないだろうけど。なって欲しいけど。さてはて如何に。


【2月17日】 そういえばコナミに行ったついでに下のコナミショップに寄ったら「ラブプラス+」に出てきたちびキャラたちの新しいバッジが入荷していたんで、3人分がある奴じゃなくって単独のキャラのを探して長崎県の「ツシマヤマネコ」になった凛子のバッジを買う。やっぱり口はへのじだなあ。あと目が黒点。でも可愛いかわいい凛子のバッジ。着用しよう。ほかだと寧々さんのタヌキか何かになったバッジもあったけれども、寧々さんって普段からタヌキだったから別のタヌキみたいな動物だったかも。愛花のピンなピンバッジって何があったっけ、天女か何かをもっていた記憶があるけど、全部チェックしてないしなあ。ともあれ早く名古屋の発売を希望。それとももう出てたっけ。

 翻訳家タウンとして一部に知られた西葛西が実はエンターテインメント学校の街でもあったとは。というかこれからそうなるのか。4月に東京アニメ・声優専門学校ってのがオープンするらしくって、そのプレイベントとして西葛西アニメ祭(まちゅり)ってのが断続的に開かれる様子。そのメンバーが島田敏さんだったりキング・ブラッドレイでミスターXの柴田秀勝さんだったり、緑川光さん森田成一さん杉山紀彰さん水田わさびさんといったそれぞれに名前が知られた人だったりして見たい気分満載だけれど、高校生限定ってなっているからちょっと僕には近寄れない。あるいは今から高校生になれば良いんだけれどそんなに簡単に入れてくれる高校なんてあるんだろうか。いっそ入学願書を出した上で体験入学とかしてみるってのも手だけれど、声優になるにはちょっと声の調子がなあ、ごほんごほん、あーあー、イケるかも。2年学んで再来年にはデビューだ。

 北國浩二さんとのコンビでSF新人賞界のWこうじとして知られているのいないのかは知らないけれども、ちょっと前に出た北國さんの「アンリアル」に続くように、ようやく作品が出た三島浩司さんの新sかう「ダイナミックフィギュア」(ハヤカワJコレクション)をつらりつらりと読みながら、四国の香川県がだいたいあのあたりにあるんだということを、これでようやく心に意識づける。兵庫岡山あたりの向かい、瀬戸内海に面した四国でいうなら右上が香川。そんなに広くないんだなあ。んでもって高知については太平洋に面した桂浜ってイメージがあるから下中頃っていった印象がああるけれど、残る愛媛と徳島がどういう風に四国を分断していたのか、いわれてすぐに思い出せないところがちょっと情けない。普通に4分割している訳でもないけれど、かといってぐちゃぐちゃになっていることもない。高知がああなら徳島愛媛はああで……って想像をめぐらして書いた白地図は果たして正解? いや書いてないけど。

 それをいうなら山形が太平洋側にあったのか日本海側だったのかをすぐに答えられないし、福島に海があったかなかったかもちょっと分からない。茨城栃木群馬埼玉新潟長野がどんな感じで接しているのかも同様。近隣だけれど自分とかかわらない場所の記憶なんて、案外にそんなものかもしれない。中部については学校で教えられるから、愛知岐阜三重と静岡長野新潟に富山石川福井が滋賀京都あたりどどう接しているか、何とはなしに知っている。だったら能登半島は富山石川のどっちの領分? といわれて石川と即答できるかっていうと、先端に輪島があるから石川かあってちょっぴりの思考が必要なあたり、やっぱりどこか曖昧。これが全部中部州なら北海道と同様、すぐに指し示せるんだろうけどそれもどこかつまらない話だし。県民性って奴がまるで否定されてしまうことになりかねないし。だからここは香川をきっかけにして四国についてお勉強。なるほど徳島は阿波で鳴門だから和歌山寄りで、愛媛は伊予で伊達で長州に近いからあっちと。歴史で学べば何となく見えてくる。だったら道後温泉はどこ? えーと。うーんと。

 「東京ゲームショウ」あたりで絵とかみて、こいつは雰囲気があるなあと気になっていたゲームソフトの「キャサリン」が、いよいよもって発売で、妙に色気のある女性キャラクターとかスパイクだか山寺宏一さん本人だかを思い起こさせそうな男性キャラクターに惹かれて、購入しようと考えたけれど、「Xbox360」と「プレイステーション3」での同時発売ってことで、さていったいどっちを買うべきなのかって逡巡もあって、店頭で右左右と目をやりながらちょい悩む。「ベヨネッタ」だっけ、その映像品質についてハードの違いがいろいろ出ているって話があったからだけど、ああいったアクションゲームだと処理の方法で違いも出かねないものが、「キャサリン」みたいなアドベンチャーっぽいゲームだったら、そんなにハードに付加もかからないんで、映像の見た目でもってPS3がいいんじゃないかととりあえず結論。そっちを買ったけれども果たして正解か。Xbox360はそういやあしばらく動かしてないなあ。まだ動くかな。


【2月16日】 大先生がとりあえずやっぱり1番悪いってことは明白で、1人の弟子は面倒を見ず魔法を失っても知らん顔。もう1人の弟子も悪に引っ張り込まれてしまって、何人もぶったぎったりしているのに、叱らず後から悠々と現れ豆腐をもらってそのまま連れ帰ろうとする適当さ。何億人も弟子がいるならそりゃあ仕方がないとはいっても、面倒を見きれない人数の弟子を、弟子と呼べるのかというとそれはちょっと。なのでまあ、大先生にはもうちょっとしっかりして頂きたいものだけれども、しっかりしすぎるとゾンビは生まれず、事件は起こらず、そのまま話も進まなかったので先生はユルいくらいが調度良いってことで。

 そして事件はあっさりと終わったかに見えて、現れるあらたな敵のその正体は、ってことで次から豚骨スープ編。第1巻を読んだ時にはまさかそんな展開になるとは思わなかったけれども、というか7巻まで出るとは思わなかったけれども妙な人気となった上に、このアニメの出来の良さに引っ張られてグングンと勢いを伸ばしていきそう。パターンとしては「涼宮ハルヒの憂鬱」とか、「とある魔術の禁書目録」みたいな感じ? 方や角川スニーカー文庫でこなた電撃文庫、そして今回は富士見ファンタジア文庫だからあっぱり角川グループか。仕掛けがうまいのかなあ。でも成功しているものばかりじゃないけれど。どこの制作会社で誰が作るかってのも運なのかなあ。「これはゾンビですか」は良い筋をつかまえた。繋がりって大事だ。

 ニンテンドー3DSの発売も近づいてきたけど、いったいどれだけ売れるのか、どういった層に受けるのかがまだ、あんまり見当つかない1週間前。サッカーあたりだと奥行きが広がって、自分を中心に向こう側があるように感じられるから3D化に向いているのかもしれないけれど、横スクロールのアクションゲームを3D化したって、見栄えの奥行きは広がっても、そこに向かって走り込んでいける訳ではないからあんまり意味がない。超リアルに描画された高精細のCGだったら、それ自体が立体感を持つもので、無理に3D化するとその分、処理が複雑になっってかえってリアルさが損なわれてしまうって見方もあるいはできるのか。今はまだ物珍しさから評判が出ているけれど、やがて広まってきた時に世界初だと喜べるか、劇場に比べるとやっぱりと萎えるのか。そんなあたりを見極めつつ買い時を考えよう、と言いつつきっと初日にどっかに並んでる。

 「龍が如く」っていえばドンキホーテやサントリーや松屋に始まって、さまざまな企業とコラボレーションをしてきたことでも名を挙げたソフトだったりするけれど、最新作では何とストーリーに絡むような形で本格的なコラボを実現。何かと評判のワタミのグループ企業、ワタミフードサービスがやってるダイニング「わたみん家」って店が、「龍が如く OF THE END」ってゲームのサブストーリーに出てきて、クリアすると牛モツ煮込がかかった丼「俺の煮込丼」が、がゲームの中で体力回復アイテムとして使えるようになるとか。でもってそんな「俺の煮込丼」を実際の「わたみん家」でも販売するとうことで、試食会があったんで見に行って食べたらなかなかの味。牛モツっていうから臭いとかくせとかありそうなんだけれど、そこはしっかり下ごしらえがされた上に、ネギやら刻み生姜やらがかかって、さっぱりとした仕立てになっているから、俺たちだけじゃなくって女性でも、食べて悪いものじゃない。俺っ娘なら気にせず食べられる。

 ゲームの中には、「わたみん家」の社長もCGになって登場していてなかなかの似せっぷり。若さ10歳増しといったところだけれどもこのまま5年くらいが過ぎてゲームをやりなおして見たときに、そこに見える若い自分を果たして社長の人はどう思うのか。若かったって思ったところで、それはCGだったということも合わせて思い出さないと。コラボだとそういえばナムコのナンジャタウンで「マクロスF劇場版」の新作とのコラボが行われていて、ランカの顔の形をしたギョウザだのシェリルの胴体の形をしたギョウザだのスイーツだのドリンクだのが出されている模様。その数25種類とかで、全種類制覇にどれだけの費用と時間がかかるかは分からないけれども、それぞれにカードもついているみたいだし、ファンならコンプリートしてみたいところ。あとは「マクロスF」のファンがどれだけ残っているかってところか。来週にも公開ってのにまるで気分が盛りあがってない。情報も熱してない。CMもまだ見てないけどそもそもやってる? うーん。1週間で集中投下といくのかな。

 気がついたら松戸の「グッドスマイルカフェ」での「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」のコラボレーションも4月3日までに伸びていた。2月後半で終わる予定だったみたいだけれども結構、評判になっているのかな、場所が場所だけに行きづらいけれども、1度は雰囲気を見ておきたいところ、っていうか千葉方面からだとそんなにゆきづらい訳でもないんで、週末に時間があったら覗いてこよう。前はまだ「ブラックロック☆シューター」とのコラボをやってる時に行ったんだっけ、特に食事はコラボメニューではなかったけれどもランチでピカタの肉が大きく野菜もいっぱいで、結構なボリュームだったと記憶。これが「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」ならきっと第1話から登場したアレみたいなのがこんもりたっぷりと皿に盛られて……ってそれは想像したくない。まあ間もあるし1度は行こう。


【2月15日】 発表当時はまだ同時代過ぎたリアルRPGネタも15年とか経った今ではレトロフューチャーなイメージで、そんな時代をくぐった大人を懐かしませ、そんな時代を知らない子供たちを面白がらせているかというと、夜中の1時半ではあんまり子供達は見ていないよなあ。「週刊少年ジャンプ」で連載された子ども向けの漫画がどうしてアニメーションになると真夜中に放送されてしまうのか問題。

 それは単に枠取りの難しさって問題以上に、やっぱり「週刊少年ジャンプ」の読者が真夜中にアニメを見たり、真夜中のアニメを録画して見たりするハイティーンから20代30代40代あたりに引き上がりっている現れなのかもしれない。「バクマン。」だって小学生が見て嬉しいって漫画でもないもんなあ。でも小学生の時に読んでた「週刊少年ジャンプ」は面白くって今の漫画好きの源流になっている。あるいは今の子供もと思うか、それとも今はそれがと感じるか。分水嶺にあるのかもなあ。

 それはある意味で挑戦なのかもしれないなあ。「人狼 JIN−ROH」を作ってからもうしばらく名前が面には経ってなかった沖浦啓之監督がついに動いて作っているという長編劇場アニメーション「ももへの手紙」の内容は、父と半ば喧嘩別れする形になってそのまま父が死んでしまい、心にいhっかかりを覚えたまま東京から瀬戸内海の小島へと移り住んだももという少女が、手紙にあった父親の最後の言葉の続きを思案しながらくらす中で、不思議な現象に会うというストーリー。

 それは例えば「となりのトトロ」であり、「崖の上のポニョであり「かみちゅ」でもあって、過去に様々な似たビジョンも横切る作品になりそうだけれど、そう言われることも承知でこの題材を選んだというところに、沖浦監督の持つ何かがきっとそこに現れるに違いないって期待もわく。何しろ脚本も絵コンテも沖浦監督だから込められたメッセージと、それを表現するビジュアルはすべて沖浦監督の中から出たもの。いったいどいういうものなのか。見て知ってから判断するより他にない。

 そんな世界を表現するスタッフ陣がとにかく豪華で作画監督は安藤雅司さん、作画には井上俊之さんがいて井上鋭さんがいて師匠こと本田雄さんがいて、西尾鉄也さんがいて青山浩行さんもいるといった具体にそれぞれが1本の作画監督を負かされても不思議がない面々。美術監督は大野広司さんでその面々からもどこかスタジオ・ジブリが得意とする、普遍性を持ちながらも幻想の世界を漂わせた作品になりそうって予感も浮かぶ。とはいえ、というかだからこそそうしたレッテルに負けない内容にしてやるぜってメンバーたちの意気込みにも期待がかかる。2012年の公開とはまた先だけれども、きっといろいろ見せてくれるだろう。ところでこの面々がいなくて「夢みる機械」は大丈夫なのかな?

 そんな角川映画のラインアップ発表会では映画「そらのおとしものの」の発表もあったけれども配られたパンフレットの文言が何というか。「『空飛ぶパンツ』で、世界的センセーションを巻き起こし、破壊的なギャグと、行きすぎたお色気で関係各位のお叱りを受けながら、根強い人気を誇り、関連商品やイベントがめじろおしのアニメ界最終兵器」と実に特徴をとらえていて、読んだ人がそうだと納得する一方で、普通に一般の映画なんかを気にしにきていた人の目には何だこりゃいったいと映ったかもしれない。

 スクリーンにも大きくちらりと映ってたし、パンツ、飛んではなかったけれど。しかしここまで堂々と書かれてはもうパンツを飛ばすしかないようなあ、スクリーンの中でも外でも。映画の終了と同時に来場者が手にしたパンツを投げるとか、プロペラをつけて飛ばすとかするイベントが常態化したらとっても愉快。問題はそれが男子の投げるパンツばかりというところか。女子が見に来てホットなのを投げるとも思えないし。投げたら激しい争奪戦が起きそうだし。

 そうか中上健次さんが亡くなってから来年になれば20年かあ、芥川賞を受賞してから急逝するまでがだいたい16年だからもう、活躍した年月以上を過ぎてしまった勘定になるんだけれど強く記憶に残されていて、それ以上に歴史に刻まれている中上文学を映画化する動きは未だおさまらず、存命中ではほとんど最後になった作品「軽蔑」が高良健吾さんとそれから鈴木杏さんの出演でもって劇場映画化。どこまでも眉目秀麗な高良さんが過去に傷を持った男を演じ、そして可愛らしかった鈴木杏さんがポールダンサーを演じて2人が体当たりするシーンなんかもあったりして、それぞれに大きな転機となりそうな予感。

 ロードムービー的に2人がわたっていく世界の美しさも良かったし、流れる音楽の美しさも気になったけれど音楽はいったい誰が担当しているんだろう。サントラを欲しくなった作品。それよりやっぱり鈴木杏さんのエロティックな肢体かあ、見どころは。46歳で亡くなった中上さんの年齢に近づいてきたけど今もって讃えられる作家と、未だ何もないしていない自分の差異に、もだえくるしむ冬。それとも自分を貫く意気って奴を「軽蔑」を見れば得られるのかな。高良さんみたいな顔立ちでなきゃ無理だって絶望に追い込まれるのかな。

 恋とは不思議なものなのか、それとも不思議だからこそ恋なのか。もうすぐ亡くなりそうな祖父の予定されている葬式に出るため、田舎の祖父の家に滞在中の少女が家を出て歩いていると、そこに見つけた防火用水。眺めながら彼氏と電話している時、親戚の子供がそれを奪って用水路の中に投げ入れてしまった。束縛するのか最近あんまりうまくいっていない彼氏との関係。そう考えるなら指輪なんてもういらない、そのまま別れてしまうとうのも手だったけれど、どうにも未練があって収まらず、上に有刺鉄線がついたフェンスを乗り越えようとしていた時、近寄ってきた地元の男の子から声をかけられる。

 なぜか手伝ってくれる男の子と指輪を探すんだけれど見付からない。そんな過程で未練が流れつつ一方で芽ばえる不思議な感情。やがて祖父がしに葬儀となった時に、少年が指輪をもってきてくれてそれには金魚がはまってしまっていた。どういう状況。金魚の命を奪ってしまったかもしれない指輪に薄れる未練が、一方で少年への感情へとつながっていく。祖父が放したという金魚が、あるいは亡くなった祖父に代わって少女をどろどろした淵から引っ張り上げたのかもしれない。そして優しい少年に目を向けさせたのかもしれない。不思議な恋。恋の不思議。

 ファミレスでリポートを書いていた女子大生が、なぜか急にモテ始める。ウエイターが近寄ってきてメアドを聞きたいと告げ、男が近寄ってきていっしょに食事をしようといいはじめる。イケメンもなぜか彼女にご執心。さらにどこかワイルドな風貌な男が彼女に十字架を渡す。一体何。けれどもそれには理由があって、次々に暴かれていく真相、はがれていく恋心。元通りに1人に戻った少女にそれでも再び掛かる声の正体は。なるほどなかかない占いは当たるものだなあ。

 飼っていた犬がある時を境に人間のように見え始めて少女の依存を誘う。けれどもそれが行き過ぎようとした時に起こった現象が少女を踏みとどまらせる物語。誰だっていたければずっといていい高校に通う老人達のうちのひとりがかつて駆け落ちの約束をしたいと手紙をおくって待っても来なかったとう少女と再会。誰なんだというところから始まるドタバタから貫く愛の様々な形が見える物語。何でもかんでもため込む癖のある少女の彼氏がいい加減片づけてよといって片づけ初めて起こる未練、そして前の彼氏との再開が決めてとなったのか床に広がった穴の底へと貯まった自分の物に囲まれ安穏と暗し始める物語。どれもこれもが不思議なシチュエーションを介して恋心の真実へと迫り暴き立てる。

 古着で手に入れた真っ赤なコートをみて追いかけてきた中年男。言うにはポケットになにかはいっているからと言われ逃げてから見ると琥珀が1つ。高いものかと調べたけれどもたいしたことないと分かり、がっかりしながら眺めていたら飲み込んでしまい、そこから不思議な男性との邂逅が始まるという物語。これまたやっぱり不思議が絡んで恋が引き立つ。どれもこれもが読んで楽しくそして奥深い物語を集めたねむようこさんの「少年少女」(小学館、933円)。この珠玉さは大昔に読んだ吉野朔実さんの「いたいけな瞳」以来かなあ、それくらいに興味深い。ほかにどんなものを描いているのか。さかのぼって読み解こう。


【2月14日】 1929年2月14日にアメリカのシカゴで、アル・カポネが操る一団が、敵対するマフィアの密造酒倉庫を吸収して、居合わせたヒットマンたちを虐殺する事件が起こった。世に言う「聖バレンタインデーの虐殺」で、その時に現場に遅れて到着したため、生き延びたマフィアは、流れ出て赤黒く固まった血を噛みしめながら、死んだ男達のために復讐を誓い、毎年2月14日には血によく似たチョコレートを皆で味わう儀式を始めた。後にチョコレートを敵対する相手に贈り、愛にも似た憎悪を示す習慣へと変わっていったこの風習が、憎悪がとれて愛情のためにチョコレートを贈るイベントとして今に残った。だからバレンタインデーには、アル・カポネへの復讐心を思い浮かべ、志半ばで逝った男達のことを思いながら、苦いチョコを女達は贈り、男達は噛みしめよう。

 そんな大嘘を吐きたくなるくらいに甘いものとは無縁の日々。せめて物語の中だけでもラブラブを見ようと「STAR DRIVER 輝きのタクト」を録画で見たらガラス越しのキスがぶちまけられていた。恋人どうしなんだからガラス越しじゃなくたって出きるじゃん、と思ったらさっそくワタナベ・カナコ頭取から首筋の痣を突っ込まれていた。やってるのか。一方で両手に花のワコは花どもを従え遊びにカラオケにあっちこっち。ニチ・ケイトのいるカラオケ屋でも歌っていたけどそこにタクトがケイトを引っ張り込むかと思ったら、黙っていて欲しいという約束を守ってワコには告げず、そうとは知らないワコがまた歌いたいねと勧誘。ケイトは自分ことがワコに告げられないと安心して、そこで芽ばえるタクトへの愛情、となるのかどうなのか。

 でもって銀河美少年を名乗る2人組の残る1人とのバトルはあっさり。弱いなああの2人。それともタクトが強すぎる? 苦難を乗り越え成長していくドラマとはまるで無縁の展開は、有る意味で新鮮だし見ていて痛快ではあるんだけれど、あまりに形式化してしまった戦いの向こう側にあるだろう到達点が見えず、気分が盛りあがってこないところが難点か。ばれるかどうかに怯えながらもブリタニア帝国って強大な権力に挑み、これを崩壊へと向かわせるのを着地点において気持ちをハラハラさせ、ドキドキとさせた「コードギアス 反逆のルルーシュ」とはそこが決定的に違ってる。ルルーシュはムーブメントを起こしたけれど、スタドラが未だムーブメントになり切れていないのはそのあたりが要因か。かといって今更盛りあがるとも思えないなあ。様式美で魅せちょっとした成長で喜ばせてジ・エンド? それとも2期とか用意されてる? 気になるなあ。その意味ではちゃんと成功はしているんだけど。

 中国娘はやっぱりいっぱいふんどしを見せてくれているけど、あんまり霞みがかからないのはそれが男子も身につけるふんどしであって、妙なコードにひっかっていないからなのか。だとしたらこれから美少女萌えアニメは妙な霞みが画面を横切って視聴者を辟易させないよう、少女達にふんどしを履かせれば良いんじゃないかな。見た目はなるほど切れ込んだV字のアンダーウェアでも、止める部分とかちゃんとふんどしになっているという。それが色っぽいか気をそそるかはちょっと分からないけれど、「フリージング」に出てきた中国娘の場合はなかなかに見せてくれているんで悪くはない。そんな彼女と戦っても圧勝のサテライザ先輩。そこに現れた3年生たちに果たしてやっぱりボコられるのか、一気に反撃と向かうのか。本当の敵との戦いへと向かわず学園内での権力闘争に終始してしまっている辺りが気になるけれども、能登かわいいよ能登麻美子さんの奥手少女演技も冴えまくってるんで、激しいバトルに行かず純情ロマンティック展開を、維持し続けてもらっても構わない。見続けよう。

 兎月山羊さんって人の電撃小説大賞銀賞受賞作「アンチリテラルの秘数術師」(電撃文庫)をざっと読む、ライトノベルの異能バトルらしい展開と言えば言えそうなストーリー。何か大事があって崩壊した東京近郊に妹と暮らす少年が、飛び降り自殺を図った少女に寄ったらまるで無傷で生きていたりしたという事件を経て、少女が何ものかを相手に戦っているバトルに巻きこまれ、その敵に捕まる形になっていた妹の救出へと向かうという展開に、あらゆる確率を操作できる異能が絡んで展開を面白くする。すべてが分子に還元できるなら、その分子を操作することで現象までをも操作できるといった物理っぽい設定もほの見えたりするけれど、極めて希な確率の事象が起こるのをどうやって止めるとかいった部分が、さらっと流されていて万能めいて見えてしまうあたりがちょっと気になった。動かせない壁なんかを置いてそれが絶望をもたらすなり、それすらも乗り越える力を見せることで歓喜を呼ぶなりして読む人をハラハラさせていく手もあったかな。あるいは続きでそうしたより高度化して複雑化した確率計算の世界を見せてくれるのかもしれない。見守ろう。


【2月13日】 六本木でニコニコな取材があったついでに、シネマート六本木に寄って「REDLINE」のリミックスアルバムを手に入れた時に席の具合を聞いたら、余裕で空いていたので折角だからと1枚購入。これで帰って眠ってから再起動する時間を失ったけれども、比較的大きなスクリーンで「REDLINE」を見られる機会は、都内では早々なさそうなんで仕方がない。音響については最初に渋谷のシネコンで見ていたりするから、そっちの方が良いに決まってはいるんだけれど、その後が池袋のテアトルダイヤだっただけに久々の大音響。迫力たっぷりの爆音とそして可愛いソノシー・マクラーレンの「Yes!」って声が聴けてとっても良かった。次は三島からちょい伊豆半島に入った街にあるシネコンで興行があるみたいなんで行ければ行こう。でも遠いかな。

 そしてしばらく時間を過ごしてから午前0時にスタートするシネセゾン渋谷の閉館記念興行より今敏監督のオールナイト。生前に残した劇場4作品に加えてアニクリで流した「オハヨウ」も見られるとあってこれは行かねばと、発売当日の朝1番に並んで手に入れたチケット。聞けばその後すぐに売り切れ、立ち見までもが完売という人気興行だった模様。そりゃあ家で全部見ようと思えば見られるものばかりだけれど、やっぱり劇場の大きなスクリーンで見てこその映画って奴だけにはずせなかった。今敏監督的には「PERFECT BLUE」についてはあんまり大きなスクリーンで見て欲しくはなかったのかもしれないえけれど。ビデオ用だし、貧乏ビスタだし。でもやっぱり見たかったんだよあの踊り、あの歌声、CHAMの「愛の天使」がスクリーンいっぱいに映し出されるその様を。

 そして見終えてやっぱり巧なシナリオワークと場面作りが光るクリエーターだったなあという印象。意味を重ねつつ次のシーンへと持っていく手法を、どの作品でも使いながら飽きさせず引っ張っていくその力は、真夜中の一挙連続4本を見させても途中でいっさい眠らせない。もう何度も見て次に何が起こるかほとんどだいたい知っていながら、それでも次に起こるだろう展開を期待させ、見させてしまうから凄いというか。これが初見の人はたちまち魔術にとらわれ、目が離せなくなるんじゃなかろーか。あるいはまるで意味が分からなくても、印象として翻弄された気分が残ってやっぱり離れられなくなる。

 そうやってファンになった人たちが、じわりじわりと増えていった12年。その場の娯楽として以上に、芸として何が繰り出されるかを楽しみな人が増えていた矢先の逝去はやっぱりもったいない。あと5年、そして2作もあればもはや誰もが知る映画監督になれていたような気が今更ながらにしてならない。映画祭ではあんまり強くなかったし、興行でも決して上位にはこなかったけれどもそれは超大型機が飛び立つために必要な長めの助走の期間。その先に、ハマった人たちがいて気になる人たちが加わって生まれるマーケットの分厚さが興行成績にもつながる映画監督として、マッドハウスを潤わせたに違いない。などと言ってももはや詮無い。そういった状況にいち早く押し上げられなかったメディアの不明を、その末席に居るものとして恥じつつ嘆こう。でもオールナイトの立ち見が完売になるクリエーターにはなれた。それをここは喜ぼう。

 4作、並べて見てあっぱり好きなのは「千年女優」かなあ、あの騙し絵みたいに積み重なっていく展開と、ラストに示される凄まじいばかりの女優魂、そしてエンディングとしてドカンとばかりに流れる平沢進さんの「ロタティオン(LOTUS−2)」に初見からヤられてしまった記憶が強くある。初めて見たのって確か「千年女優」が文化庁メディア芸術祭を受賞して、それが興行前だったんで東京都写真美術館で開かれた、受賞作品の上映イベントでのことじゃなかったっけ。2002年3月2日。座った席の真後ろに今敏監督が座っている中で見て、見終えて感動して監督に感銘の言葉を告げさせて頂いたっけ。それだけにやっぱり深い思い入れ。でも驚天動地の展開とそして素晴らしいばかりの着地点では、「PERFECT BLUE」に気持ちがグッと傾く。誰が何が何時がどうなのかをつかませないまま、引っ張り回されたあの作品。陰惨きわまりない事件なのに、妙に爽やかなエンディングで開放感を味わったっけ。そしてやっり女優魂の凄まじさも。

 シナリオワークの完成度とシチュエーションの一般性では「東京ゴッドファーザーズ」。でもエロスでは「パプリカ」と、まあどれも素晴らしいという結論。そんな珠玉に加えて最後に「オハヨウ」を流して朝、とともに終えたオールナイトに拍手がわくのも当然か。そんな喝采を笑いながら受けてくれる今監督がいない、というのはとことん寂しいけれども、作品は語り継がれ見られ続けていってそして、次の世代から新しいクリエーターが現れてくれると期待。オールナイトにも「PERFECT BLUE」の頃はもしかしたら小学生か中学生くらいだったんじゃないか、って若い人とかたくさんいて、そんな人たちがまだ見たことがないけど見てみたいクリエーターとして、今敏監督のことを知りにやって来ていた。ノスタルジーではなく現在進行形から未来を示すクリエーティブ。だからこそ次の1作が……とまた詮無いことを考えてしまったんで話を戻す。ここから次が始まり、未来が開かれそして、僕たちは新しいクリエーターを迎えるのだ。生まれればだけど。生まれるかな?

 1作がほぼ90分という映画館的にも嬉しい尺。その中に高密度の情報と絶妙な展開を詰め込み、しっかり着地させる才にもあふれた今敏監督作品なだけに、午前0時から始まったオールナイトは休憩も含めて午前6時45分には終了。そのまま帰って2時間半だけ寝て起きて、六本木の国立新美術館へとかけつけて、今敏さんとも関わりの深い文化庁メディア芸術祭のアニメーション部門受賞者によるシンポジウムを午後1時から午後5時半までダブルヘッダーで聞く。この歳の人間にはキツい日程だけれど、これよりもっと歳のアニメーターやら漫画家が徹夜の連続にびくともしないんだから、僕が臆している場合じゃない。漫画や小説といった仕事のようなストレスはたまらない、単なる映画鑑賞にシンポジウムの聴講だし。

 でもってまずは短編アニメーションの「わからないブタ」で優秀賞を受賞した和田淳さん。若いなあ。アート系のアニメーションをやっているから、もっと年輩の職人を予想してたら普通に若い人。なのに作る作品はシュールでシニカル。その着想がどうやって出てきたのか気になったら、まずは気持ちよい動きを描きたいって気持ちが根底にあって、空にバタバタとしながら舞う人の動きが描いてみたいと思い、それなら動物の鼻息に煽られているようにしたいと考え象か豚かを選んで豚にしたという。「わからないブタ」について言うなら関係性のズレ。うまくつたわらない気持ちのもどかしさ、後ろめたさをブタを挟んで手前勝手にいろいろやってる家族を通じて描いたみたい。言われてなるほどシュールな話がそう思えてくる。話は聞いてみるものだ。

 オーラスに湯浅政明さん原恵一さん片渕須直さんという日本を支えるアニメーション監督が揃ってトーク。「四畳半神話大系」も「カラフル」も「マイマイ新子」もいずれも日本の文学が原作だけれどそれらをクリエーターが発案して映像化したんじゃなく、プロデューサー側からこれをやらないかという提案でもって映像化したもので、そこで原さんがクリエーターになったからってやりたいことができるわけじゃないけれど、そうでなくてもやってみると本当に面白いと思えることもあるんだと諭す感じにコメント。また漫画なんかだと決めのシーンなんかをそのままアニメ化してしまわなくちゃいけないと思ってやるとズレが出ることもあって、だから文学の方がかえって自由度が高いんじゃないかと片渕さんが話して、クリエーターとそれから文学を映画にしたい人たちにとっていろいろと参考になった模様。湯浅さんは簡略化とデフォルメの権化みたいに思われているけど、省略したほかのところで細かいことをやるらしく、それが凄みになっているらしい。原画と動画の話とか、プロフェッショナルな話もいっぱいあったシンポジウム。来年は誰が登場してくれるかなあ。


【2月12日】 むくっと起きたら「魔法少女まどか☆マギカ」がやっていて、第1話の妙にふわっとした感じがもはやまるで消え去って、エンディングに梶浦由記さんの作ったKarafinaの歌がかかるのに相応しい、ダーク&シニカルなアニメーションになっていた。なかなかに酷い展開だよなあ。でも価値観ってのはこんな感じにすれ違うもの。それを乗り越えて目的に向かって進めるかどうかってところが、ひとつの鍵になっていったりするのかな。魔女狩りさえやっていれば、特に大きな違いはないんだし。でもまだほかにもいろいろと仕込んである残酷陰惨展開とかあったりしそう。鬼頭莫宏さんの「ぼくらの」も大概に暗黒な展開だったけれども、それを越えて見る者にトラウマを受け付けるか。これからはちゃんと放送日に見よう。

 そしてネットを徘徊すると、エジプトのムバラク政権が倒れてた。果たしてどっちに転ぶか未定だったりしたけれども、1日でやっぱり耐えられないと判断したか。当人がってよりは軍が。タヒリール広場だっけ、集まった人の数たるや相当なもので、そんな“民意”って奴を目の当たりにして、軍部もこれ以上支えれば、とんでもないことが起こりかねないって判断したんだろう。過激化して内部の過激派と呼応して全面転覆へと至るとかいった展開。それは拙いと今の穏健なうちにちょろりと変えて、自身も含めた延命を計るっていうシナリオ。とはいえここで得た達成感って奴が民衆の中に醸成され、それが昂揚のうちに過激へと走った挙げ句に起こる大騒動。対決すれば天安門。受け入れればイラン革命。どっちにしたってなかなか大変。だからこそ今、この転換期をどう穏便に穏当に乗り切るか、ってところに中東の、そして世界の命運も掛かってくるんだろう。目を離せそうもない。

 それにしても世界って奴は広いというか、遠くエジプトでは、日々の生活というリアルな生命への問いかけに、エジプトの人たちが革命とう形で答えを出した。その一方で日本は、真夜中のテレビ番組で、見た目も可愛らしい少女たちの躍動する姿を通しながら、魂と肉体という生命の、あるいは人間存在の根源についての思索を、アニメという特殊な部類に入るエンターテインメントの形を借りて、問い直している。それのどっちが人間にとってより切実か、って言われても、それぞれに違う立場にあるだけに、どっちがどっちかは分からない。言えることは、そうした様々な思考を、あるいは行動をする人たちがこの広い地球にはいるってこと。エジプトの行動とも、日本の思索とも無関係に、生きる糧を得ようと畑を耕し、狩りをする人たちもどこかにいる。そういう世界への想像って奴を日々鍛えておかないと、独りよがりになってしまうから注意が必要。そう思い知らされた夜。

 とはいえ、そうした全方位的な価値観というものは、様々な情報を得ることによって培われるもの。1989年にテレビで天安門での騒乱を、リアルタイムで見て思ったことがあり、その年末のベルリンの壁崩壊を、やっぱり見て思ったことが積み重なって、人は世界で起こった何事かが、その後にどうなっていくかを感じ取り、そしてこれからを考えることができる。パーレビというお目出度そうな名前の国王が、圧制の果てに国民によって追い出され、ホメイニ師というストイックさと聡明さを併せ持った老師が舞い戻って、そして開けたとと思ったイランの未来が、その後に辿った様々をも含めれば、エジプトで起こっている何かが、どうなってしまうかという可能性への想像を、めぐらせることができる。けれども。

 僕なんかはPBSってアメリカの公共放送を通してながめていて、だいたいの状勢をつかめた一方で、日本の地上波のテレビは、聞くとほとんどエジプトでの騒乱を放送はせず、明け方に行われたオバマ大統領の声明も、その後のギブス報道官の会見も、どこも中継はしなかったらしい。別にのべつまくなし、タヒリール広場の様子を伝えて欲しいとはいわないけれど、中東が、あるいは世界がどう転ぶか分からない瞬間に、超大国のリーダーが何を言うのかってのは、やっぱりとても大切なこと。それを完全にスルーする日本って国の、報道の心意気ってものはいったいどこら辺にあったりするのか。

 明けて始まった水道工事会社の社長のワイドショーが、喋ってどうにかなるものでもない政治屋の鼎談をしゃかりきに放送しているこの国から、世界の動きを身に入れて、そこから何かを想像し、行動していく人が果たして生まれてくるのだろうかと、改めて不安に思えてしまう。なるほどネットは広大で、あらゆる情報にアクセスは可能になっているけれど、それはそれらを見たい、見なければという意志とそしてそれなりの時間、あるいは資金を持った大人だからできるもの。これからを担い、動いて行かなくては行けない若い人たちにとって、最大の情報の伝達装置であるテレビが何もしなければ、彼らはネット上の内輪のコミュニティが持つ楽しさから、出られず考えを深められないで、大人になってしまうかもしれない。そうした積み重ねが、いざという時に身軽に、あるいは堅実に行動するための思考をスポイルする可能性。考えると胸が痛むけれど、どうしようもないのだよなあ、現場に近くないだけに。せめて彼らの気づきに期待。そのためにネットが、情動的ではなく沈着に、事態を伝え考えさせるよう、働くことを願望。

 いやとくに美少女はラリアットしてないけれど。でも勢いがあってとても良かった電撃小説大賞金賞受賞の蝉川タカマルさんによる「青春ラリアット!!」(電撃文庫)。背丈があって力も強い肉弾少年が、壇上に挙がってアントニオ猪木もどきのマネをして告白して玉砕。そんな少女には実は思い人がいたけれど、どうにも最近彼氏の挙動がおかしい模様。誰かに脅かされている? だから彼女から手を引こうとしている? ならばチャンスだと考えるのが普通だけれど、惚れた彼女が幸せになって欲しいと願う筋肉野郎の吶喊を、有人の少年が支えようとしていたところに紛れ込んできたのが後輩少女。これがまた口が悪くて行動も猪突猛進。好きな肉弾少年を仲良くなろうとするものの、いざというときあがってしまってうまくいえず、そのまま友人少年とともに肉弾少年が好きな彼女の彼氏を助ける行動をいっしょになってとっていく。

 誰が主役ってことでもなく、誰がヒロインって感じでもなくそれぞれが主張をもって行動し、それぞれに助力があって進んでいきながら、青春というものを描き出そうとしたストーリー。肉弾少年のピシッとした考え方には好感がもてるし、そんな少年を助けて進む友人もまた格好良い。彼にもまたやっぱり人に言えない恋心があって、それが果たして成就するのか、したらしたでいろいろと問題もありそうだけれど、でも惚れてしまったものは仕方がないから応援するしかないのかも。曖昧なのは紛れ込んできた格闘技好き少女の処遇だけれどもとりあえず、肉弾少年一途でありながら友人少年と連んで遠巻きに見守る純情さを、その荒々しい口調や行動なんかに挟んで見せていって欲しいもの。思えばかなうよ恋路はいつか。いつになるかは知らないけれど。


【2月11日】 そして16年目に入っても変わらず日常は続く。小雪降るなかを秋葉原へと出向いてUDXを見てもどこにも魂とか漂っておらず会場を間違えたかと降りて信号をわたったら、ベルサールの1階部分に魂を求めて群れる人の行列が。あまりに長すぎて待つのも寒かったので横目で通り過ぎてまた今度。この会場の設えでこの季節に真冬が訪れるとは思わなかった、ってことはないだろうけどファンに我慢を強いるのはなかなかに残念。とはいえUDXでも事情は同じ。難しいなあ、この季節のイベントって。

 仕事にはせず石丸電器へと回ってアイドル館で半額のアダルトDVDを買いあさろうにも誰が誰だか分からないで断念。1本くらいはブルーレイのアダルトを持っていても悪くないかもしれないけれど、DVDで出た最初くらいのアダルトで映像の綺麗さに驚嘆しつつ、マルチアングル機能やら分岐機能あらのさて、これがいったいどう発展していくかと期待させ、結局なんにもならなかった事態に蕭然としていたから、ブルーレイだからといって別に改めて買う必要もないのかも。それとも毛穴の奧の奧まで見えるとかいうのかな。どうせボカしてるんだからやっぱり見えないのかな。
 石丸では普通に本店の上だけになりそうな新刊ソフト売り場で「宇宙ショーへようこそ」のブルーレイのリミテッド版を購入。「数々の映画祭で喝采を浴びた話題作」というアオリについてなるほど物は言い様だと日本語の自由さに感心。浴びたのは喝采だけだっていうことと裏返しの言葉だけれど、それに気づかせない勢いで押し切るのだ。というか何で喝采しかもらえなかったんだろうなあ。日本にだってあんなにたくさんの映画やらアニメの賞があるのにまるでひっかからず。うーん残念。

 それを言うなら「マイマイ新子と千年の魔法」だって、文化庁メディア芸術祭の優秀賞までどこにもかからなかた。海外ではいくつかあったかな。でもそんなもん。期待した毎日映画コンクールはアニメに与えられる枠が長編アニメと大藤賞の2つあるのに1つをわざわざ「該当作なし」にするんだもんなあ。勿体ない。宮崎駿さん押井守さんに続いて細田守監督原恵一監督とそれから湯浅政明監督あたりが順繰りに取る賞になってしまうのもいやなんで、ちゃんとした若手(でもないけど)で新しい名前をそこから送り出す気概って奴を、賞って権威が果たして欲しいもの。権威が権威化した挙げ句に市井から見放される愚だけは冒して欲しくない。1979年に「カリオストロの城」で大藤賞をとったればこそ、今の宮崎駿監督もあるのかもって意識でもって、そこから次の次の世代を送り出せ。

 「数々の文学賞で黙考を受けた問題作」というアオリで、いくつもの文学賞に出して落とされた小説を出すのはありかなしか。なんて考えつついっしょに「STAR DRIVER 輝きのタクト」のブルーレイも買ってしまう。発売直後は放送されたエピソードの、展開のあまりの進まなさとか、本当の世界とつながらない、島だけて若者たちがこちょこちょやってるだけの世界観の狭さにちょっぴり辟易として、スタイルだけではちょっと買えないって思い遠慮していたんだけれど、放送されたニチ・ケイトの歌と踊りのあまりの頑張りぶりに、こいつは応援してやらないと思い直した。アニメのパッケージを買わせる力はおまけでもなければイベントでもない。作品そのものなのだと改めて。いやあの歌と踊りが作品そのものかと言われるとアレだけど。でもなあ「かんなぎ」も部長のカラオケシーンで買うのを決意したからなあ。そういうものだ。

 とりあえずは川原礫さん「アクセルワールド」の最新第7巻から読み始めた電撃文庫新刊は、クロム・ディザスターって災禍をもたらすアイテムの発生を辿りそれがどうして生まれたかってあたりを描写。その中であの加速世界がどうやって生まれてきたかってところも語られてはいるけれど、潰さなきゃいけないくらいのハイパーなアイテムを仕込んで置いて、それが世に広まると隠そうと動くあの世界のシステムの基準が少しばかり分からない。それともまだ時期尚早だったってことなのか。うーん。奥深い。でもってハルユキはクロムディザスターの呪いを未だ振り切れず。かといって身には迫る危機。加えて親友のピンチにどう動く? 黒雪姫の活躍があんまりないけどそういう作品じゃない、弱い僕らが頑張り励まされ超えていく姿が身に同調の喜びをもたらす作品だから、これで良いのだ。


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