縮刷版2011年10月中旬号


【10月20日】 変わらない日々なんてないけれど、劇的に変わることもそんなにない。去年から今年、今年から来年とそれほど変わらない日常の中で、少しづつ自分が変わり、他人が変わり社会が変わって世界も変わっていく。そうやって時は過ぎていく。それが人間なんだと受け止められる人はいいけれど、若いうちにはそんなちょっとした変化でも、自分を否定され存在を蔑ろにされる恐怖を覚えてしまいがち。勉強ができなくなったからといって絶望したり、運動が学校で1番だったのそんな才能が集まった中ではがただの凡庸だと気づいて諦めたり。

 高校生になって最初の夏休み集まった3人もそんな、ちょっとづつ変わり日常に不安を感じていたようだ。壁井ユカコの「サマーサイダー」(文藝春秋)という小説で、進学者が少なくなって他校に統合され、使われなくなった出身中学校に残された備品を海外に寄付するため、整理と清掃に駆り出された少女と2人の少年。その1人は中学時代に背の高さでバレーボールのエースとして活躍していたけれど、スポーツ推薦で進んだ学校では横並びの1人だったと分かってしまい、やる気を失って夏休み前から部活に出なくなった。

 もう1人の男子は、中学時代から虚弱に見え、また神経質なところがあって多くから腫れ物に触るような感じで接されていた。中学を出てもその傾向は増すばかり。けれどもなぜかバレーボールの元エースと、そして1人の女子とは関係が良く、その3人だけが結局は残って夏休みの体育館で備品の掃除に勤しんでいる。女子については時に大きな変化はなし。それでも変わってしまった周囲の中で、自分自身の居場所の不安を感じて見せる戸惑いがあった。そして過去、1年ほど前に経験したことも彼女の心に傷となって、日々を不安にさsている。

 そんな3人の青春を、描いた小説かと思っていた物語はやがて、中学校の3年生の1学期だけ担任をしたアオハルと読んで青春と書く教師との関係と、その後を描く物語へと進んでいって人間の中に混じった異形との関わりを描き、劇的な変化を求める心の痛ましさを描く物語となって読む人に戦慄を与える。そこまでして劇的な変化を臨むなら、むしろ平凡でも素押しづつ変わっていく日常に安住しべきでは。そんな思索をめぐせたくなってくる。市川春子という、人と異形との関わりを優しく描く漫画家の表紙絵や挿し絵を得た物語にある意味相応しく、また似つかわしくないテーマを持った物語。読み終えて残るのは日々をどう生きるのかという気持ちへの懐疑。どう生きる?

 朝も早くからお台場へと向かい青海にある日本科学未来館で既確認球形飛行体を見る。既にっていうのはネットで話題になっていて、テレビにも登場しているからだけれども改めてみるとなるほどこれは自在に飛ぶ、そして素速く飛ぶ。ぎゅいんと上がっては人の上をぶりぶり回ってすとんと戻る。落ちそうな気配もなくぶつかりそうな雰囲気もない。操縦が巧いってこともあるんだろうけれど、うまくあやつってもそうはいかないのがラジコン機。なのに意図した機動をすいすいと飛んでいくのはそれだけ安定性を持って飛ばせるくらいの技術と、熟成があったってことなんだろう。恐るべし防衛省。

 そう防衛省。この球形飛行体のを開発したのは防衛省ってことでそこの技術者がひとりでいろいろ工夫してつくったのがこれ。球形の中にプロペラがあってそれの動きで上下左右をやっているみたいだけれどもほかに舵とか見えないところが工夫のしどころ。だから地面に落ちてごろごろと転がっていってもどこかが壊れることはなく、そのまま上へと上がってまた動き回ることができる。これでスパイも万全、ってそういう意図で開発したのか、したんだろうなあとは思うけれどもむしろ玩具として転用して欲しい感じも。NASAの技術が使われたおもちゃ、みたいに防衛省の技術が盛り込まれたおもちゃってことで子供たちには大受けしそう。そして発売日にはアジアや欧米やアフリカや宇宙からスパイたちが買いに並ぶんだ。

 玩具に転用可能な技術はほかにもいろいろ。電気通信大学がもちこんでいたベーゴマは回してから上に装置を近付けると電磁石でもってぐいぐいぐいっと回転数が上がっていつまでも回り続ける。がちゃんとあたって弱まるとその勢いが転送されてしたのモニターに数字となって現れ×印なんかが出て来たりして、こりゃいけねえと電磁石でもって加速して戦線復帰、さあバトル。これならいつまでだって楽しんでいられるけれども問題はコントローラーの重さか、中にコマの衝撃をフィードバックさせる装置もはいっているからか、妙に重たくいつまでも持っているのがなかなか辛い。軽くできるっていうからいずれそうなって、次世代ベイブレードとかいって奴になったらちょっと楽しいかも。でも勝負が一発じゃなく持久力になってしまうなあ。24時間ベイブレードマラソン。

 やっぱり電通大からは木の穴に指を入れて虫をほじくりだすってゲーム。シリコンっぽい感触の穴にいれると周囲からもごもごっと何かが飛び出して来て指を押す。がんばって奥まで延ばしてタッチするとやがて虫が段々と上がってくるような感覚が指先につたわり、そして最後は切り株を模したような表面に虫が映し出されて何をとったかが分かる。うんまあちょっと楽しいかも。感触がごつごつっとしているのが子供には大変そうだけれどもそれが逆に大人のナニにはいろいろ聞いて。何とか千匹って奴? いやそういう転用は。でもあるいはそういった転用も。技術って本当に、面白いものですねえ。ほかにも前に文化庁メディア芸術祭で見た、数字にあわせて倒れていくドミノだとか、モニターの上にコースターをおくとその間がつながって関係性をひょうげんする装置だとか、いろいろ玩具や遊びに転用できそう。そういうのをいち早く取り入れ商品化するアイデア、ってのが玩具メーカーにはあるかな、あるから元気なんだよな、ゲームは? うーん。未来のエンターテインメントを見に行こう、デジタルコンテンツエキスポ絶賛開催中。


【10月19日】 歳でもないし病気でもないのに優勝した監督がその年でお役ご免になるという奇跡というか奇天烈な状況が起こるのもそれが味噌の国だからこその絢爛志向、普段はいくら地味でもいいけど出すときにはきっちりと出して盛大に祝う結婚式やら棟上げの風習を守るんだったら中日ドラゴンズも節目の勝利なりにはそれこそ監督が金色のユニフォームを着て百式ばりに踊るべきだった、って判断を上が下してそれができない監督にお引き取りを願ったってことになるんだろう。ってことは来年から就任の高木守道監督は、毎日が結納結婚式とばかりに中が見えるバスを連ねて選手たちを送り迎えして、広小路通りを歩く名古屋の人たちにファンサービスをしてくれる、と思いたいけど、果たして。

 10日ほど前から始めた川上稔「境界線上のホライゾン」の既刊全部読みもようやく今月刊行の4中を読み終えて一段落、次は12月発売とかでそれまでいったい大久保長安ちゃんのツッコミに、本多・正純がどう答えるのかってところが気になって夜も寝られないって訳でもないけどでもやっぱりちょっと気になる。あとウルキアガが姉ならぬ伊達・成実ちゃんをしっかりゲットしてみせるかどうかにも。本人にはその気がないようだけれどそんな何の気知らずが逆にフラグになるという高級プレー。点蔵があれほどまでの玉の輿に乗っかった割にはやや真っ当だけれどそれでもやっぱり羨ましい。労働者のノリキだってバケツマッチョのペルソナ君だってあれでいろいろありそうだし。そんなんばっかん中で頑張ってる方だよ本多・正純。さすがは薄いだけのことはる。なあ。

 昨晩あたりから盛り上がっていたとうか約1社だけ吹き上がっていた平野復興大臣をめぐるあれやこれやは素直に文脈をとらえ感情を伺えば、状況を軽微に見てしまって逃げずに命を失った友人への悲しみと慈しみを含んだ言葉だと理解もできるし実際、ほかはそうやって理解を示して大きく扱わず、ただそれでもやっぱり他の人の感情も考え誤解されて伝わる可能性も鑑みて、注意した方がいいと窘めるに留まっているのに約1紙だけがこれはもはや人間として許し難い暴言だ的ニュアンスで報じていたりするのはつまり、書いた側に理解力も読解力も人間の気持ちを忖度する感情もないんだってことを、満天下に喧伝してしまっているのに他ならないのにそのことにまるで気づかず、我のみが正義といったドン・キホーテ的ひとり立ち。その蛮勇はたぶんやっぱり世間から眉を顰められ、そして嫌悪から忌避へと進んで行くことになるんだろう。たまらんなあ。

 ちょっと前にあんまりひとつのことにこだわり吹き上がると、後で引っ込みがつかず大変な目に合うってことを経験しているにも関わらず、まるで曲げないこのスタンスの根源がいったいどこにあるのかって想像しても及びもつかない4万キロの彼方の情勢。一方でやっぱり4万キロの彼方にあるオレンジ色のニクい奴が、なぜか今回の発言についていかがなもんだろうかと懐疑は示しつつもその情感をしっかりくみ取り理解を示し、評論家の人にもそんな言葉狩りみたいなことばかりやってると、誰も真っ当に発言しなくなるぞって発してもらっているから不思議というか。閣内一致どころかまるで正反対のスタンスはつまり、本丸の一部のみが突出して先鋭化して吹き上がっているのに周辺でも、いろいろ考えていたりすることの現れなんだろう。とはいえメインが吹き上がっていると全部吹き上がっていると思われるのも当然。その結果が忌避となてダメージを受ける大きさも半端ないから結果はあんまり揺るがない。参ったなあ。

 いやあ凄かった深かった濃かったアニメーション版「ちはやふる」。原作でだって小学生だった千早と太一と新との関係を描いて小学生ならではの純粋に楽しそうなことに向かって突っ走りたい一方で、芽ばえてきた自意識が馴れ合ったり耽溺したりする気持ちを抑えて複雑な行動をとらせたりする状況を、感じさせてくれていたけれどもアニメーションだとそれがセリフも載って目と耳から入ってきて、小学生らしいベタな友情とその一方でのクールぶった体面が、まずは漂ってけれどもそんなものをぶちこわし、悲しいことには目一杯に悲しむ純粋さが勝ってみなが嘆き騒ぐ様が、くっきりと描かれていて感動し、涙した。こんなアニメが今ほかにあるだろうか、っていうかどうしてこれが深夜も午前1時とかにやってなくっちゃいけないんだ。子供が見ればいろいろ思いつつかるたに興味を示すようになって「ヒカルの碁」みたいなブームが起こって不思議はないのに。マッチングしないアニメと世間。悲しいなあ。

 ともあれこれで小学生編が終わって次ぎからは、見た目は麗しいんだけれど中身は無駄もいっぱいな千早の頑張れかるた部創設編がスタート。いったいどういう段取りでメンバーが集っていったのか、単行本を読み返せばすぐに分かるんだけれどもう一杯の部屋からは発掘しようにも最初の頃の本が出てこない。机くんと肉まんくんって最初っからすぐに加わったんだっけ、大江さんってどういう感じに入っていったんだっけ、そして太一はどうしてイケメンの癖にカルタ部に加わったんだっけ、すっかり忘れているんでそのあたりアニメ版を見て思い出そう。あとはやっぱりクイーンの登場か。あのイケズな雰囲気を誰がどんな声で演じるか。もう気になって気になって仕方がないよ。


【10月18日】 とうわけで引き続き延々と川上稔さんの「境界線上のホライゾン」を読む日々。1の上下と2の上下、そして3の上中下をやっと読み終えどうにかこうにか武藏に起こったことを理解して、そしてようやく先月に出た4の上巻で何が起こっているのかということを理解できるようになった。そうか負けたっぽいのか、そして東北へと向かおうとしているのか。出てくる相手も最初みたいに何とかすれば勝てる相手じゃなくなって、苦心惨憺の果てにどうにか別の条件で引き分けられるといった感じ。それでさらに強いP.A.ODAだっけ、そんなのが出てきてどーすんだって思うけれどもそこでどーにかするのが主人公チーム。最初っからスキル高そうな連中がそろってたし、何とかしていってくれるんだろー、っていうかどーして梅組、そしてあの年代にああも多士済々が集ったのか、そこに何か理由はあるのか、末世だから、ってことなのかなあ、やっぱ。

 貧従士とそれから貧副会長に加えて里見からも貧が加わり貧的には充実してきた感もあるけどそれを揶揄る総長兼会長も、そこに冷たいツッコミを入れるホライゾンも出張中で寂しい武藏に迫る不穏な影。陰に真田の面々が破壊工作を繰り広げ、陽に2年生の委員長たちが反旗を翻してきたのがようやく読み始めた最新刊の4の中。中心となってる眼鏡の大久保さんだっけ、なかなかに策士っぽいけどそんな策が果たしてもっと策士でもっと薄い副会長に通るのか。ネシンバラだかって書記がいればさらにつっこめたかもしれないけれどもアクシデントでぴょん吉になってたりするからまったくもって役立たず、そんな感じに人員を配置して状況を必然へと漏っていくところもこの作品のうまさかなあ。ちゃんと考えプロットもきっちりと立てて書いているんだったら凄い。っていうか思いつきでいっきに書き上げなんて出来ないだろうあの分量、あの複雑さ。成田良悟さんだったらやってのけるかな。すごいんだ成田さんは。

 駅に張り出してある夕刊紙の宣伝文句に何やらグリコ森永犯にされたという作家が激怒しているってニュースがあって、そういうことをちゃんと調べて書いているのかと思って電車に乗って見上げたら、中吊りの「週刊文春」がそのことを明日発売の雑誌で報じることが分かった。つまりは早売りの週刊紙なりを手に入れてそこに掲載されているトピックをニュースに仕立てたって感じ。直前の巨人の沢村投手が日本テレビの森さんとかってアナウンサーと“破局”したって週刊紙報道を、そのまま新聞がネットに「分かった」とかって書いて乗せたらまるで正反対で大恥をかいたことも記憶に新しいのに、週刊紙ネタの紹介をまたやってしまうってところは何というか不可思議というか。

 今はまだ脚で情報を稼ぐだけの余力もある週刊紙が記事にしたことを、そのまま新聞が「週刊紙が報じた」と書いて載せたものが朝のワイドショーで張り出されて司会者やコメンテーターの雑談のネタにされ、そうやって波及力の大きなテレビで見た人たちがネットなんかで噂をしたのが大きく広まって人口に膾炙される。その時点で知った気になてしまている大勢の人たちは、敢えて週刊紙なんか買うこともなく結果として週刊紙の売り上げは下がり、取材にかけられるお金は減って脚で稼ぐ記事が載らなくなり、それを転載していた新聞の情報も細り、それを紹介していたテレビも細ってネットでの紹介も細っていくという暗黒スパイラルに、既に陥りかけているおとをもっとメディアはいろいろ考えた方が良いような気がしてた。でもやらないんだよなあ。やれないっていうか。金、ないんだ、どこも。

 仕事で大泉学園まで行ったんでついでに東映アニメーションギャラリーを見物、入り口で毎日15枚ほど配布されるという映画のフィルムしおりがまだあったんで見たらたぶん「ハートキャッチプリキュア」の何かだったんで1枚頂戴する。展示はそれにあわせたかのようにプリキュアづくしだったけれどもメーンは「スウィートプリキュア」で絵コンテだとかシナリオだとか原画なんかがあってあとはセルに起こした画面なんかが飾ってあった。セルなんて存在しないから誰かがつくたのかな。それともただの印刷だったか。奥の方には人気の「ハトプリ」から赤青黄色の人形が。でも紫のキュアムーンライトはおらず。いたらあの長い足の下にもぐって見上げて色とか見たかったのに、って何の色香は言わないよ。まだしばらくは続くみたいなんで近くまで行ったらお立ち寄りを、ってあそこまで行く人って近所から映画を見に行く人くらいかなあ、やっぱり。

 しかし何というか前は埼玉あたりで発明された永久機関もどきを夢のエネルギー源とかいって大々的に紹介して眉につばを付けられたというのに、今度は岡山あたりで世界最古のシュメール文字が発見されたという記事を堂々と載っけていたりするどこかの新聞。いわゆるペトログラフという奴で、それが夢とか浪漫の範疇ならともかく学術的にいったいどういう位置づけにあるかくらいはそういう方面に興味を持っている人なら何とはなしにしっていて、日本にイエスキリストのお墓があるんです的なニュアンスでもってそうですかといった反応を示し、夢のある話ですなあといったトピック的に扱うなり学術的にみていかがなものかと相手にしないのが常道。それが何と「世界最古の文字『シュメール文字』ではないかと見られる刻印が美作市東谷上の袴ヶ仙山頂近くの巨岩でみつかり、研究者らが現地を調査した」と書いてしまっていたから腰が抜けた。

 研究者たってそういうペトログラフを研究している人たちであっていわゆる権威筋とはちょっと違いそう。なおかつ「『シュメール文字』によく似た形の」と書いてなるほどそういう風に見られても不思議はないかもなあ的ニュアンスで流しておくのが普通なところを「ではないかと見られる」なんて書いてしまっているから救いようがないというか阿フォローのしようもないというか。そう書くなら日本にどうしてシュメール文字があるのかといった論理を筋道立てて説明し、まだ文字がなかったと歴史的には言われている日本にどうして文字が存在したのかを説明するのが科学的な新聞ってものだろー。科学部だってあるんだし。

 それがそういう説明もなければペトログラフがどういうものかも説明なしで、向こうの言い分をそのまま載せていたりするところに書いた側、そして通した側、載せた側のいろいろなところに不思議さを見いだしたくなってしまう。誰か言ってあげなかったのかなあ。それとも新しい歴史の教科書じゃあ古代に文字は存在していて日本人はユダヤ人が起源なのか。そのうち本当に「東北で震災にあった古い民家の天井から、日本書紀や古事記とも違う歴史が書かれた本が発見された。これによると東北には独自に栄えた文明があり、アジアと貿易を行い、アラハバキという神を信仰していたという」って記事が堂々載っちゃったりするかもしれないぞ。参ったなあ。


【10月17日】 ふと気が付くと銀座のミキモトギャラリーで山村浩二さんの「マイブリッジの糸」を中心にした展覧会が開かれていたんでのぞいた日曜日、普段は絶対に立ち入らないミキモトのフロアには何かあれは婚約指輪か結婚指輪でもお求めのカップルがやって来ていたり、おそらくは中国韓国台湾といったあたりから来ている旅行客が入ってなかなかの賑わい。養殖によって真珠を広く大勢の手が届く範囲へと持ってきたのが日本のそれも御木本幸吉さんってことで、本家ともいえる場所に真珠を買い求めに来る人の多さも何とはなしに分かる。とはいえ最近は国内ではなく東南アジアでの生産も多いとか。そこから日本に来て加工され戻っていく真珠を媒介に生まれるのはどんな出会いか。どっちにしたって関係ないけど、おそらくもはや一生涯。

 さて展覧会の方はといえばやっぱり入場して目に飛び込んでくるのが壁一面に張られた「マイブリッジの糸」の原画たち。時計に人間の体がついた2人がついたりはなれたりする場面や、海の底へと時計が落ちていく場面、ボートの顔と家の顔の2人が付いては離れていく場面の原画が縦に並べられていて、1枚1枚がすべてちゃんと手で描かれていることが確かめられる。海なんて黒で塗られている様だけれどその濃淡の散り具合が1枚1枚違っていて、sれを並べた時に果たして連続するのだろうかって気になったけれども絵になるとそうした違いが揺らぎとなって海の水の柔らかさ奥深さをちゃんと表現しているから不思議なもの。時計は文字盤がずっと違っているけどそれを映像で見るとやっぱり時の揺らぎとなって表現されるんだろう。そんな辺りを確かめにまた映像が見てみたい。

 久々に見た「頭山」は「マイブリッジの糸」とか「カフカ田舎医者」とは違って案外に輪郭線がしっかりした作品だったんだなあ。キャラクターが立っているっていうか。その見やすさとそれからストーリーの分かりやすさ、さらに音楽が日本的な浪曲ってところで海外でも大きく受けた理由もそれとなく見えてきた。「カフカ」は原作が海外だからなお結構。けど「マイブリッジの糸」はオリジナルでそして抽象的で難解なところもあるから1回のメタモルフォーゼを楽しむだけだとやっぱりどこかに残し漏らした感じが残る。それで選ぶとなるとやっぱり分かりやすい方に流れてしまうところが、今のところ海外で大きな賞に輝いていない理由なのかも。まだ他のを見てないから知らないけど。残るアニメーション映画祭だと来年のザグレブか広島か。アカデミー賞短編にノミネートされれば良いんだけれど果たして。22日には山村浩二さんが現れトークイベントを開く予定。のぞいてみるか。ちゃんとした格好で。

 まだ全然全裸になっていない葵・トーリが果たして何話で脱ぎ散らすかが目下の興味といったら大嘘で、だってそんなの誰が見たいかってのが正直な気持ちでむしろだからやっぱり最初の「1」を全部アニメにするなら、本多・正純がトーリによって思いっきり引きずりおろされるシーンこそがひとつのクライマックスになるんじゃなかろーか。イラスト的にもあれは良かった。たとえペッタンコでも下は下として存在することを教えてくれた。有り難う。誰に感謝しているんだ。そんなアニメーション版「境界線上のホライゾン」の第3話は後悔通りになかなか入れないトーリの姿を遠くから眺める賢姉の視線が何ともうるるん調。あれをその表情に描けるアニメの人って凄いとしか言いようがない。あとアデーレちゃんの中身が割に可愛かった。まだ鎧はつけてないんだな。東とか唐突な出番だけれど果たしてついてこられるのか。来られなくたって原作を読めばなるほどという重なり具合がメディアミックスとして成功を誘うのか。その辺ちょっと研究課題。

舟越桂さんが彫刻にしたくなるくらい切れ味抜群な顔立ち  ミステリマガジンでお仕事させてもらってる縁もあってお呼ばれしていたこともあって、せっかくだからと明治記念会館で開かれた「第1回アガサクリスティー賞」の贈賞式に行ったけれどもせっかくだから仕事にしようと本業の方で入ってしまうこの精神的な余裕のなさがいつまでたってもやりたいことのためにやりぬく勇気を持てずにいる優柔不断さにもつながっているのか。会長な人が普通に聴講に来ていて質問とかした後でペーペーが質問なんてできないって黙してしまったくらいの体たらくだし。そこでズバッと「『奥ノ細道・オブ・ザ・デッド』はぬとぬとが足りん!」と言って会場を引かせることが出来てこそのレジスタンスだったのに。この小心が結局何者にもなれない愚昧な者としてピングドラムを追い続ける運命へと叩き込むんだ。

 さてまずはアガサ・クリスティーの孫という人がよちよち歩き、なんてしてないしてない、だってクリスティーなんて前世紀から息をしていた人でその孫もけっこうな年齢になってて、貫禄たっぷりだったけれどもやっぱり大好きなおばあちゃんについて話すのは楽しそう。どんな作品が好きだったかとか、クリスティーが世界中で人気なのはやっぱりキャラクターがちゃんと立ってて謎解きばかりに腐心されてないで生き生きとした人物たちによるドラマがちゃんとあるからだよね、ってなことを喋ってくれて基本とはいえやっぱり基本は踏まえてこその永久に語られるエンターテインメントになるんだなあと改めて理解。変化球とかばかりじゃあやっぱりそのときは受けても後に続かないってことで。

 だったら森晶麿さんの受賞作「黒猫の遊歩あるいは美学講座」はどんなかというとペダンティックな感じはあるけど読んでなかなか楽しいらしい。森博嗣さんタイプか御子柴岳人タイプかは分からないけど大学教授がいろいろ解決する話。それが美学でペダンティックとなるとさぞやいろいろ蘊蓄も多く言い回しもたっぷりで読んでいてあれやこれやと引きずって言ってくれそう。開くのが楽しみだけれどやっぱり今は「境界線上のホライゾン」があって手が出ないんで週末にも。しかし受賞の連絡を受けた場所が秋葉原のメイド喫茶ってのはなかなかない経験だよなあ。その場でメイドさんたちに一斉に「おめでとうございますご主人様!」って言ってもらえれば電話向こうの連絡した人にも感動が伝わったのに。そしてその後に即座にオムライスに「OMEDETOU!」って書いてもらうんだケチャップで。それを写メして感動を伝えるんだ。取り消しになったりして。


【10月16日】 ここんところずっと「境界線上のホライゾン」を読んでいて分厚い1の2冊から2の2冊を読み切り3の1を読み終えたところでだいたい1週間。その間放送されたアニメーションも録画はしてあってもなかなか見られずいったい何が起こっているのかあさっぱり分からない。かろうじて「真剣で私に恋しなさい」だけは見たけどあれは特に話が進むってものでもないしなあ。あんまりお色気も少なかったんで後回しでも良かったかも。ほかにノイタミナの新作とかあるんだけど前のクールのだって1本も見てないのに新作まで手が回らない状況。

 そんな中でもアニメ版の「境界線上のホライゾン」は小説を読んで整理できた展開と人員を確かめるために見ていくことになるんだろう。見返して1話のあのオリオトライ・真喜子を追いかけていた面々がようやく理解できたし2話の本多・正純のぺったのな割に腰つきがとっても丸ットしていた感じに脳天やられてしまったし。なんとなく感じて本を読んでそれからアニメを見てまた本を読む。メディアミックスにおけるアニメ化の効果って大きいと実感。ところで思ったんだけれどオリオトライ・真喜子ってもしかして武藏の中で1番くらいに強くない? 戦える身分じゃないとしても戦ってあちらこちらに勝ってる生徒会の面々を軽く捻ってしまう訳だし。つくづく武藏て大変。以上。

 アニメを見られないどころか本もまるで読めないくらいに停滞している「境界線上のホライゾン」読破週間。きっと今の政治の停滞とか外交の沈滞とか経済の脆弱も政治家や外交官や経営者が「境界線上のホライゾン」を読みふけっていて他に手が回らないからなんじゃないかと想像。そして読み終えれば本多・正純をはじめ登場してくる政治関係の者たちの力強くも崇高な振る舞いに感化され、他国とのギリギリの考証の中で最大限の利益を手に入れ、激しいバトルの中でも相手より確実に速く土下座をする技を繰り出して政治外交経済においてこの国を、より高みへと引っ張り上げてくれるんじゃないだろうか。もちろん全裸で。いやそこは感化される場所がちょっと違うぞ。見たくないぞ皺だの弛みだのは。丸川珠ちゃんとかならちょっと見たいか。むう。

 「輪廻のラグランジェ」の発表会に申し込み忘れていたんで無理に入り込むのを遠慮しつつ、それならビックサイトで開催されている「レベルファイブワールド」の状況を見ておこうとお台場にいったついでに先週に続いて「まんパク」を見物。あのロックのロッキングオンがなぜか主催している食の博覧会な訳だけれどもどうやらロックフェスとかに出展してる出店をそこだけ抜き出してきたって感じ。その割には中身充実で多種に富んでてお客もそこそこ。やっぱり食は強いってことか。そして先週は食べられなかった長崎Wポーク丼をまず食べる。生姜焼きに目玉焼きにキャベツにご飯のそのしたに焼き豚っぽいのが入っている感じの丼はまあ生姜焼き丼っぽい味がした。そういうものだよ丼って。

 それから岡山の名物らしいひるぜん焼きそばってのも食べる。鶏肉が入っているのが特徴か。まあ焼きそばだな。横手焼きそばよりは麺がさっぱりしているといったところか。どうしてホルモンうどんは来なかったんだろう。あれはなかなかに凄い食べ物なのに。お台場にあった国技館からも消えてしまって東京で今、食べられそうなところがないんだ。期待するなら来年早々の東京ドームでの「ふるさと祭」か。去年行って食べたけどなかなかの味のが来てたっけ。そういやあの博覧会も大混雑だった。やっぱり食は強いなあ。福島とかからの屋台は何が来るんだろう。ちょっと期待。そこにいろいろ言う奴が出てきたらそれこそ小倉さん激怒だぞ、って小倉さんが宣伝してたのは去年だっけ、今年もやるんだっけ。

 30分ほどで抜けて「レベルファイブワールド」に入ったらなかなかに盛況。どのゲームにもしっかりと行列がついてみんなやりこんでいた。「イナズマイレブン」には女性も見えたりしたしそんな女性を狙ったキャバクラ、じゃなかった何かそういうゲームも出すみたい。そこで女性ファンを確保しつつ「ダンボール戦記」に「イナズマイレブン」あたりで子供もしっかり獲得し、「レイトン教授」シリーズで大人もそれなりに抱き込んでと全方位にタイトルを供給できているところがこの盛況と安定感につながっているのかもしれないなあ。何か美少女が飛行機にのっておしりを挙げながらかっとんでいくビジュアル的に嬉しいゲームも出るみたいだし。これで「二ノ国」がさらにメジャーになり「機動戦士ガンダムAGE」の人気に火が着けば盤石か。すごい会社になったもんだよレベルファイブ。

 単独のソフトだけでイベントが出来るゲーム会社っていったら任天堂があってあとはスクウェア・エニックスがあったくらいでそんなスクウェア・エニックスはかつて単独でイベントを開いたことがあったんだけれど、その後似たようなのを開いたって記憶がない。「ドラゴンクエスト」に「ファイナルファンタジー」という2枚看板を持ち、それに加えて関連するタイトルを持ち新作のタイトルをいろいろと持って全方位を狙おうとしていた感じがあったけれどもやっぱりどこか先鋭さが出てしまったのか、あるいは2枚看板が強すぎたのが他がなかなか育たないままラインがしぼられていったって印象。今だと果たしてレベルファイブくらいの規模のを開いてそれなりにお客を集められるか、っていったら「ドラゴンクエスト」1本で十分かもしれないけれどそれだとやぱり限られるし……。レベルファイブがそうなならい可能性はゼロではないけど、そのあたりを日野社長がしっかり勘案して誰が欲しがるソフトかを考え送り出している感じがあるからしばらくは大丈夫、かな。来年も同じイベントを開けるか。そこに注目。

 たぶんほんとど見たことがない「Rio RainbouwGate!」ってアニメのイベントがあったんで見に行ったら井上喜久子さんの「17歳です」「おいおい」を生で見られた。多分2度目。これで寿命は3年くらい伸びたかな。もっともっと伸びたかな。そんなに有名とは言えなさそうな作品だけれど出ている声優さんは井上麻里奈さんや竹達彩奈さんや清水香里さんや井上喜久子さんといったなかなかに著名なところ。映像も最終巻に入る特別編が流れたけれどもしっかりちゃんと作られていて面白い。ぬいぐみの頑張る姿なんて最後にちょっとうるっと来た。そんな作品のイベントに割にたくさん人が来ていたのは作品のファンだからなのかそれとも声優さんの追いかけなのか。そのあたりがちょっと分からないけどそれでもちゃんと気にしている人がいるという状況に、作品が作られ届けられた意味もあるのだろー。虚空に投げられている訳じゃないんだ。どっかの新聞と違って。大間違いやってもそれを世間はスルー、だもんなあ。


【10月15日】 言ってしまえば過去から現在に至るまでただの1本たりとも「ドラゴンクエスト」を遊んだことはなくって、かろうじでモンスターを合成させて遊ぶ奴をゲームボーイか何かで遊んだことがあるくらいだけれどもそれと「ドラゴンクエスト」とはやっぱり別物。パーティを組んで冒険の旅に出ていろいろ探して謎を解いてバトルもしてそれでエンディングにたどり着いて味わう感慨って奴は、実際にプレーしたことがないからまるで分からない。だからこそそうしたものをリアルタイムで経験して体感して来た人たちが持つ共通のある種の感情って奴が、時に羨ましく思えたりもする。

 六本木ヒルズで始まっている「誕生25周年記念 ドラゴンクエスト展」って奴は内覧会で前にのぞいたけれどもそれはあくまで関係者向け。一般の人たちがどういう反応を示しているのか、そもそもお客さんが来ているのかを確かめに見にいったら何と普通にいっぱい入ってて、なおかつ誰もがニコニコと楽しそうな顔をして。パネルの展示を見たり竜王の城でもって竜王相手に戦いを挑んでた。傍目にはとくにIT技術が駆使されてみないただの学芸会的イベントなんだけれど、ゲームの世界で体感して感動を味わっていくそのプロセスであり、クライマックスに当たるイベントを実際に体験できるそのアトラクションとあって、誰もが何か嬉しそうで楽しそうな顔をしていたのが印象に残った。

 決して物量で攻める展示ではないし必ず勝利するアトラクションに深みはない。それでもいっしょになって呪文をとなえ武器をふるって竜王を倒すそのプロセス自体に、記憶に刷り込まれている何かが刺激されてついつい嬉しさがわき上がるみたい。やっぱりそれはリアルタイムに「ドラゴンクエスト」をプレーして、ゲームをクリアする苦労を味わうと同時に手に入れるために大行列をしたり、長くまったりする苦労も味わったことが血肉のレベルにしみこんで、ゲームの記憶とともに甦って感動と感涙を誘うんだろう。50歳近い僕等が「ウルトラマン」絡みの音楽に心が刺激されるのと似た現象。それがあの呪文やすぎやまこういちさんのテーマ曲には秘められているんだろう。

 なおかつ今もってリアルタイムに積み重ねられているのが「ドラゴンクエスト」の凄いところで、1975年とかに生まれて最初のゲームを10代で遊んだ人の子供が7歳とかになって遊び始めていたりして、そこから20年経った2031年あたりにもやっぱり「ドラゴンクエスト」はなおいっそうの魂レベルにしみいった、ゲームとなって君臨しているに違いない。ちょっと羨ましい。そして見渡して今、そうなる可能性のあるゲームって果たしてあるのか。ゲーム以外でこれからの30年を残り記憶を甦らせるアニメや映画が果たしてあるのか。ないからこそ妙な昔の漫画の実写ドラマが作られる、ってこともありそうだけれどもそれは違う、やっぱり作ってこそ後に残るわけで作り育む面倒が、目先のもうけのために厭われてしまっていることが問題なんだろう。これは未来を奪う所業。だから改めて欲しいんだけれどもう引き返せないところに来ているからなあ、作り手も遊び手も、新しいものに挑む受け入れるという気風の減退という現象は。

 せっかくだからと「メタボリズムの未来建築展」というのも見たらかつてSFの中に見た未来都市のイメージがそこにあった。どこか無機的なんだけれども冷たくはなく増殖していくような感じの都市。中空に浮かび会場に広がる未来都市。小説とか漫画とかアニメの中に描かれた未来の都市のイメージって奴はあるいは1960年頃に大流行したそうしたメタボリズムって建築運動から生まれてきたビジョンに影響されているのかもしれないし、逆にSFとかのビジョンがそうしたメタボリズムの造形に影響を与えているのかもしれない。分からないから図録を買って研究してみたくなったけれども4800円もする上に分厚くって家にとても入りそうもないからパス。こういう時って狭い部屋に住んでいる貧乏な自分が悲しい。もっとお金持ちになりたいけれどもこれから益々貧乏化が進むだろうからなあ、無責任が常態化しているあの場所への下がる信頼が招く離反によって。

 有名どころでは黒川紀章さんが銀座に作った中銀ビルのカプセル住居なんかが知られて手、1つのユニットにベッドからデスクからシャワーから詰め込んだ形はまるで昨今のカプセルほてる。あれで落ちついて住めるのか、って思うけれども都市のウイークデーをそこに暮らして終末に郊外の広い家に帰るようなライフスタイルを送る場所としたら、あれほど最適な空間はないかもしれない。毎日を2時間かけて通うなんて時間も資源も無駄だよなあ、やっぱり。でもってそんなカプセルの1つが六本木通りに置いてあって眺めたらやっぱり結構狭い感じ。ハーフナー・マイクだと脚が壁から突き出そう。でも今の自分の部屋を思うと空間があるだけ凄いかも。1つくれないかなあ。でもすぐに本で埋まるんだ。

 ビジョンとしてすごいのは開発から繁栄を経て衰退へとたどる都市の空間を勘案しあ上で新陳代謝がされるように空間を考えているっていうことか。ひとつひとつは雑多でもそれがトータルでまとまった時にひとつのまとまりって奴を見せる。そんな思想が実行されていればきっと西新宿の風景も違ったものになっただろうし、品川駅の南側に広がるあのビル群の1つ1つも適当ならトータルで見ると吐き気がしてくるような適当さも、なんとかなったかもしれない。まるでバラバラなんだよビルの形も雰囲気も。そしてそれらが連携もしていない。なおかつ伝統もないからどこか空虚。そんな場所にいたらきっと気持ちも荒むよなあ。いたことないから知らないけれど。

 でも現代の日本で新宿も東京湾も築地もそうしたメタボリズムが実現したところがないってあたりに、理論と実践との間にあるだろうどうしようもない壁なんかも見る。まとめて開発するだけの資本も理論もなかったってことになるんだろうなあ、政府が音頭をとって何かしようとした時には狂乱物価とオイルショックでそうした大規模開発の機運も廃れてしまっていたし。せいぜいが東京オリンピックの施設か。代々木の競技場はやっぱりすごい設計だよなあ。47年も昔のものななに未だあれだけの広さを持った屋内競技場とか出てきてないもんなあ。美しくて機能的。それをオリンピックめがけて一気に作り上げたパワーがあの時代の日本にはあったんだ。今は。ちょっとやっぱり悲しくなって来た。

 珍しい品だと沖縄で開かれた海洋博のシンボルになってたアクアポリスが。海上都市って触れ込みだったんだけれど傍目にはでっかいヘリポートにしか見えなかった、あれ。会場からぶったつあれのどこに住居とか空間があったんだ。そもそも何を目的にしてたんだ。それが分からなかったから海洋博の間もそんなに評判を呼ばず、終わってからは長い間店晒しにされた挙げ句に保管もされず最後は売り飛ばされて鉄くずになってしまったんだよなあ。そういうところに日本の至らなさって奴が見えるけど、一方でそこまでの論議を巻き起こすものにできなかったところに、もはや日本があの時代にはもうグランドビジョンを描いて感動を残せる建築を、作れる状況にはなかったってことかもしれないなあ。1980年代以降に作られた日本の建築で100年残したいものを挙げよ。うーん。うーん。

 さても久々のアストロホールは時東あみさんのライブ以来だっけ、覚えてないけど前に来たこともあるような400人ほどのキャパのライブハウスを満杯にして佐咲紗花さんのライブを見物する。もちろん普通にチケットを買って。全日本アニソングランプリで優勝するところを見てその後に個別にインタビューもして、苦心と決意なんかを聞いてお正月に新聞記事にしてからかれこれ2年弱。声優さんが歌う方が圧倒的に人気を得やすいアニソンの最近の状況にあってシンガーとしての実力のみで幾つかの作品で歌を歌う一方で、ライブなんかもこまめに開いてアニソンのカバーなんかを披露してその実力を見せてファンを引きつけて来た。

 そしてこれだけのキャパを満杯にして結構な値段のチケットを売りさばき、ライブを開くに至ったそのサクセスは、もうそれだけでドラマになるんだけれども世間って奴は有名になったものしか有名にしたくないというトートロジー、メジャーなメディアに未だはっきり出ることないまま来ているってのがどうにも個人的に歯がゆくて仕方がない。アルバムも出ることだしまた取り上げたいけど今度はこちらが身動きのとれない状況だからなあ。それでもまだ紙面があるうちに何とかしたいもの。声かけてくれないかなあ。

 しかし改めて聞くとやっぱりすごいなあ、その実力。アニソンのイベントなんかに出て数曲歌ってその雰囲気はつかんではいたんだけれどもほとんと3時間をびっちり歌い詰めで歌うライブでのパフォーマンスを見ると、あらためてそのパワフルでありハイトーンであるボーカルの凄みって奴が伝わってくる。もちろん歌唱力も。なるほどアニソングランプリで優勝しただけのことはある。なおかつどのカバーもそもまま歌うんじゃなくって、しっかり自分のものにしているところがやっぱり実力って奴なんだろー。すごかったなあ、バラードバージョンの「創聖のアクエリオン」とか。あとヒャダインさんとやった2曲も楽しいたのしい。コミカルもしっとりもロックもできるシンガー。アニソンシーンのそれもマイナー側にいつまでも、置いてちゃ世界に申し開きが立たないのでテレビも新聞も今がチャンスと一気に行って押し出すべし。


【10月14日】 秋の園遊会に現れた沢穂希選手のアップに首すじがのぞいた着物姿の意外に似合っていた姿に、そうかなるほど日本人としての佇まいを極めたような容姿を持った沢選手に、日本人としての衣装が合うのは当然と感じた秋、深まる。っていうか半年前の4月あたりで一体誰が日本の女子サッカー選手が園遊会に呼ばれてそれも最前列で今上陛下よりお言葉を賜るなんて想像できたか。あるいは北京五輪でメダルの1つでも獲得していれば、呼ばれたかもしれないけれどもそれでも列は後方、ムーブメントなんて起こらなかっただろう。やっぱりすごい世界一。そしてそこへのステップを苦闘しながら進み北京での4位など人の心に道標を刻んできた、その結果が大きく現れブームとして爆発したってことなんだろう。讃えたい。お相撲さんは優勝すれば呼んでもらえる訳でそれだけの、認知度をまだ得てないってことも噛みしめつつ。

 既に100冊を超えている藤原カムイさんの漫画は1冊目からもうスタイリッシュでエキセントリックだったけれども、最新刊らしい「RECORD(アース・スター エンターテイメント、800円)もやっぱり凄まじくスタイリッシュでエキセントリック。タイトルから分かるように音楽が題材にはなっているけれど、それと記憶を重ね合わせて描く世界は人間の記憶がレコードの音盤に刻まれれていくようなちょっぴり切なさを感じさせる始まりに見せておいて、一気に宇宙全体の記憶と関わり針飛びの如くに時間が繰り返される展開へと向かってその中で終末を防ごうとする奴らの動きって奴が描かれる。はっきり言ってスケールでか過ぎ。

 もうオンボロになっていまった第一世代のiPadもちゃんとiOS5にアップデートできるってんでパソコンにつなげてソフトを入れて同期させようとしてエラーが出たりしてつないでつけてリセットされて上書きしてとあれやこれやっていたら夜になってしまったよ。iTunesくらいだったらこんなにもかからないしパソコンのOSだってアップデートにこれほどまではかからない。まるっと根こそぎ入れ替え移し替える方法って奴がきっとネックになっているんだろうけど、それにしてもちょっと大変。それだからこそより快適な環境がそこに出来上がるともいえるけど。ってどこがどう変わったのかさっぱり分からないんだけど。早くなってもないしなあ。謎。

 何がどうすごいってマジック2が店頭して、2位のチームが破れ自分たちが勝てばその場で優勝が決まってしまうという天王山的な試合で今年入団のドラフト1位のルーキーを、初登板初先発させそれもジャイアンツ戦という伝統の一戦でもって投げさせるだけならまだ可愛い。その試合で1回に1点を奪われ2回に5点を奪われながらも変えず打席に送り打たせそしてまた3回に1点を追加されても変えないで4回まで投げさせ、そこを0点に抑えきったところで交代させるという、傍目には晒しているとしか思えない起用法を平気にやってしまってみせるとおろが落合監督、流石というより他にない。

 1回2回の不安定なところで変えてしまってはそれまでの選手だったとなりかねない。けど3回を出会い頭の1発に抑えさせ、4回を0点で切り抜けさせたところでひとつ生まれたマウンド度胸。大観衆の中で投げる力をここで得たことが、すぐに始まるクライマックスシリーズと、その後の日本シリーズでもって生きてくる。貴重な左腕であるが故に使っておきたかったんだろうけれど、いきなり本番のピンチでぶつけるよりはまだ、余裕があるこの一戦でもって試してみたんじゃなかろーか。そしてそれはきっと成功しただろう。自信になったことだろう。

 だからやっぱり恐ろしい落合采配。この凄さをどーして中日ドラゴンズは今年限りで切ってしまうのかなあ。その凄さが言葉で伝わり理解できるようになった時、誰もがスタジアムで見ておきたいと思えるチームになったんだろうけれど、今のメディアにはそーした奥深さは期待できないし、ファンにも奥深さを求める気持ちがなかなか芽ばえない。どちらが先ってことになるけどどちらも一緒に同じ方向を向かないと、そろそろキツくなっていくような気がしてならないなあ、野球。でもこれで平日に東京ドームに4万とか集めてしまうところが野球の人気って奴。週1のサッカーですらもう4万人、入らなくなっているもんなあ、それは赤の自業自得? でもやっぱり何とかしてもらいたい。あそこが元気じゃないとみんな沈んで見えるから。

 親も同然の親分がちょっとばかりしくじって、下手をすれば警察のやっかいになる羽目になりそうな一件を、どうにかそらすために子分が身代わりとなって罪を引き受け罰をうけ、何年間か刑務所に入って出所するとそれなりな地位を与えられ、上からは覚え目出度く下からも慕われるという、傍目から見たら理不尽極まりない事が、それでも通用してしまうのが反社会的なアンダーグラウンドの世界って奴で、そんな世界を瓦解させようと警察はやっきとなって取り締まりを行い、そして世間もそうした警察の姿勢を支持して身代わりだとかいった行為を義理人情の範疇ではなく、臆病で不正直なものとして糾弾していたりする。

 従ってそれとまるっきり同じような事柄を、日の当たる世間に属する組織が堂々と行うなんてことがあるはずないというのは自明の理。あるとしたらそれは日の当たる側にいるようで、実は反社会的なアンダーグラウンドの世界に属していると自ら認めてしまうことに他ならない訳で、けれどもそんな組織が組織として、大っぴらに大手を振って偉そうな顔をして存在しているなんてことは絶対に有り得ない、あってはいけない、あるはずがない。だからつまり何かそれを類推させる状況があったとしても、それはつまりそういうことなんだと理解するのが正しいんだろう。

 だいたいが反社会的なアンダーグラウンドの世界でだって、あまりの理不尽はちょっと違うんじゃあありませんかと身内の反発を食らい下克上が起こるもの。上が卑怯では下が命なんて張れるはずもない訳で、それすら全うできないなんてことがあるはずない。あったとしたらアンダーグラウンドであっても兵隊から兄貴から若頭あたりまでが三行半を叩きつけ、組をおん出るだろう。でなきゃ筋が通らない。やっぱりそのまま、そのとおりのことがあったんだったと理解するのが正しいんだろう。うん。まったく。


【10月13日】 世田谷で弦巻といった地名の位置を調べて、まず想像したのは、ちょっと歩けば行き当たる砧に広がる東宝のスタジオで、かつてぶいぶいっと言わせていたあの背びれがびらびらな怪獣王が、夜中にちょっとスタジオを抜け出して、環八を渡り世田谷通りを歩いて散歩していた途中で、ちょっぴり疲れてホッ、とため息をついた場所がそこだったんじゃないのかな、ってこと。というのも都市伝説として環八を渡る怪獣王が目撃される話が広まっていて、それだったら近所を散策しているってことも十分あり得ると思った次第。あるいは縄張りを主張しようと用を足したとか。それならそこだけ線量が高いってことも納得できる。

 それは冗句としても、そこだけにしか出てこない放射線量のそれも特異な出方を鑑みるならそこだけなのだという理由をまずは想像してみるというのが常道。先走ってほらみたことかと言い募りたい学者のおっさんもいたりしたし、騒動にのっかるようにどこもかしこも危ないと、日頃はまるで逆の原発大賛成論陣を張ってたりする目ん玉の中のニクいオレンジ色が囃したりしてもはやそれは確定事項のようになっていたけど、やっぱりこりゃヘンだと思って調べた人もちゃんといたようで、その結果はやっぱり違った原因だったという事の次第。まさか床下からキュリー夫妻の研究施設が発見されるとは! ってのもまた冗句だけれどそれくらいの意外性を持った展開へと進んでいく。

 もちろんそんなアブナイものがかれこれ数十年は出続けていた、ってことの方が問題で誰もそれに気づかないまま周辺で暮らしていたものが、昨今のナーバスに世界を量りたがる人たちのお陰で明るみに出て万々歳って言えるのかもしれない。間違えましたと落ち込まずむしろ世界にはまだまだアブナイところがあるのだということを、見つけて誇ってもらいたいけど一方で、何でもかんでもそうじゃないかと騒ぎ煽る人たちの、やっぱり少なからずいたりすることの方にも目を向けておきたいところ。そこにあって当然と天下の学者先生が広言してしまうんだから何というか。冷静さと聡明さ。それをなくしてはたぶんこれからは生き抜けない。そのための言葉を探したい。発したい。でもやっぱり怪獣王が原因だった方が浪漫はあったかな。ガオ。

 朝方に届いたガンプリのTシャツ。そりゃなんだという人に説明するならガンダムのガンプラの箱絵が背中にプリントされたTシャツのことで、ちょい前からプレミアムバンダイってところが受注を初めていて何と100種類ものガンダムの絵柄から選んでTシャツとかタオルとかタペストリーにプリントしてもらえるんだとか。その大きさたるやまさに背中全面といったところ。胸に小さくとかに比べて目立つこと請け負いなんだけれどもそれよりやっぱりメーンのガンダムだけじゃなく、キュベレイだの何だのといっった様々なモビルスーツがラインアップされていることが嬉しい。探せばよりマイナもあるけどここはハマーン・カーン様に経緯を表してキュベレイを頼み、あとシド・ミード様への経緯を込めてターンAを頼んで待つこと約1カ月。届いた背中のプリントはやはりデカかった。季節がら着られる機会も少なそうだけれどもこの週末あたり、天気を見て着てあるいて見よう。ひげひげと石ぶけないように。

 それをもって見せびらかしつつ全日本模型ホビーショーを見物。ガンプラの主流は今や「機動戦士ガンダムAGE」と「機動戦士ガンダムUC」になっているもようでAGEでは敵アンノウンエネミーのスタイリッシュな奴が並んで強そう。むしろこっちを応援したくなるよなあ。パトレイバーのグリフォンみたいで。格好いいは正義。UCは小説版の最後の方に出てきたらしいスキマが赤じゃなくって緑色に輝くバージョンで背中に2本でっかいチューブもつけていた。ありゃなんだ。拘束具か。分からないけどきっとそのうちOVAにも出てくるんだろうからそれまで待とう。買ってはあるけど2話3話、まだ見てないんだよなあ、っていいているうちに4話の上映か。見てから見るか。見てから見るか。っていっしょだ。OVAと映画のどっとが先ってことで。それより部屋のどこ行った?

 バンダイでは宇宙服のプラモデルにつづいて科学シリーズとして「しんかい6500」を出してくる模様。これをもって海に行って沈めてみたいと思う人の数。いや沈めるというより沈んで流れてどこかに行ってしまいそう。いっそマブチの水中モーターでもつけて釣り竿から糸を引っ張り走らせて楽しむか。まるで違うものになりそう。「しんかい6500」はハセガワからも出るもようでこちらはバンダイのよりやあ小さめ。値段も2100円と半分以下だから手軽にかって組み立ててみるならこちらか。それともバンダイは得意の接着剤いらずになっているのか。どうだったっけ。それはそれで悩ましい。いっそ両方とも買って組み立ててどっちがより深く沈むかを確かめたいものである(やめなさい)。

 バンダイといったら超巨大な東京スカイツリーのプラモデルが間もなく発売ってことだけれどもそれよりすごいスカイツリーを発見。何と真鍮製で大きさは500分の1と、バンダイの700分の1よりもさらに巨大になっている。前にウィズってところが出した貯金箱が確かそのサイズだったっけ、1メートルを超える巨大なタワーがすべて真鍮でできているのはなかなかの壮観で、こいつをもって振り回せば確実に幾人かはスカイツリーよりもさらに高い処へと送れそう。送ってはいけません。値段は634メートルにちなんで 63万4000円。語呂合わせだけれども聞くと予算オーバーらしんでむしろお買得か。問題は置く場所だけれどまあそれはショーウインドーでも床の間でもどこでもピッタリ、頼には「粋」と「雅」に輝くスカイツリーを眺めて楽しもう。枕元において揺れて朝、顔面にめり込んでいるスカイツリーを味わうってのも……それだけは避けたいものである。


【10月12日】 キャラクターを並べて属性なんかを紹介しつつ、世界観もしっかり抑えてみえたアニメーション版の「境界線上のホライゾン」で整理もできたんで、久々に小説版を引っ張り出して読んだらまるっきり内容を忘れてた。いや第1部あたりはちゃんと読んでいたけど、それ以降はあまりの分厚さに腕が持ち上がらない現象が起きて敬遠していたんだっけ。それでいて日々本が数冊づつ積み上がっていく我が部屋にあってちゃんとしっかり確認できる辺りはその巨大さが、部屋の奥とかにいかせないよう働いたんだろうなあ。下手に床に置いておいたら乗り上げて天上に頭ぶつけそうだし。それくらい分厚いってことで。

 それにしてもあれだけのキャラクターをよくぞ使い切ってみせるというか。あれだけのキャラクターがいるからこそそれぞれに見せ場を用意していくため、あれだけの分厚さになるっていうか。脇で踊ってるカレーな奴もスライムくんもちゃんと良い場面が用意されている。ましてやメーンに連なる面々はそれぞれがそれぞれの力を発揮して戦い勝利を得ていく。そのカタルシスが何段階にも渡って積み上がっていくんだからもうこれは読み始めたら手が止まらないってのも分かる気が。なおかつそんな奴らの上を、あの馬鹿のトーリがどういくのかって興味だって引っ張られるからたまらない。そしてそんな期待に違わない馬鹿っぷりを見せてくれるんだから凄い奴。そして書いた川上稔さんも凄い人。

 第1話のかけっこで弓を引いてた浅間があんなに凄い弓の名人だったとは。そして第2話で胸を貸して触られたミトツダイラがあれほどまでに果敢だったとは。驚きはまるで目立ってない眼鏡の少女の従師か。最後の決戦でもってその属性が最大限に生かされるんだから凄いというか。「あいたあーーーー」を聞かないともう始まらず終わらないこの物語でアデレード・バルフェットは永遠に大砲の弾を全身で受け止め続けることになるんだろう。そんな動けず守るだけの従師がちゃんと活躍できる場面を用意してのけるんだから書く方も書く方。それをストーリーの中で必然として描く。他の誰も同様に。どんな頭をしているのかのぞいてみたい聞いてみたい。

 ふと気が付いたらメディアファクトリーが角川グループホールディングスに買収されることになってて仰天。まあなるほど本体のリクルートがインターネットの台頭によって起こった情報発信のフラット化および川上化なんかの影響を受けて、脚で稼いで情報を集めてまとめて発信していたメリットを大きく損なわれしまい事業面でいろいろ大変だったりするときに、たとえそれなりな収益が出ていたとしても本業への貢献度って意味では微細な出版社を持っている意味をあまり感ぜず、良い値段で売れる時期に売って本業の建て直しに使いたいと思っても当然。そんな事情がまずあって手放すという挙に出たんだろー。

 そして売り先はとなると音羽一橋といったグループはすでにそれなりの量を抱えてそれらをどう集約していくかって段階にあって、今さら新しい出版社なんか傘下に必要としていない。秋田書店少年画報社はそのこじんまりとした筋肉質をどう維持していくかが大切なんでやっぱり手は出せない。新興では幻冬舎とか角川春樹事務所とかあるけど幻冬舎にとってそんな大きなところを合併するメリットも体力も今はやっぱりないっぽい。そう考えた時に浮かぶのは過去にSSコミュニケーションズだとかアスキーだとかエンターブレインを次々と傘下に入れていった角川グループしか残らなかったって考えるのが流れとしては真っ当か。

 そして持ち込まれたかあるいは目を付けていたらそういう状態になったのか。話がまとまってそして11月にも立ち上がるだろうグループの外観図はやっぱりライトノベルって呼ばれる分野での圧倒的なパワーぶりか。電撃文庫ってアスキー・メディアワークスのレーベルがあってそして本体の角川スニーカー文庫に傘下の富士見書房の富士見ファンタジア文庫が並んでそこにメディアファクトリーから誕生して一気に業界でもトップ3に入るレーベルに育ったMF文庫Jが加わり、それからエンターブレインのファミ通文庫が続いてトップ5を独占するよーな状況が現出する。食い合わないのか、って行った意味ではすでに競争が続いている市場な訳でそれが同じ形で続くだけ。バックヤードが一緒になれば無駄も減って収益が逆に増すってことだって考えられる。

 違うとしたらあのMF文庫Jに独特のラブコメ感性が角川な人たちと相容れるのか、ってあたりでどうして当たるのか分からないのにいつの間にやら大ヒットな作品が多々あったりするMF文庫Jのラインアップ作りに、それちょい違うんじゃねーの的意見を飯田橋あたりからつぶやくことでスポイルされる良さってものがあったらちょっと不味い。僕にだったらその良さが分かるかというとまるで分からないんだけれどそれでも売れているって現実が何かあるって感じさせる。それを消さないための方策って奴を、すでにファミ通文庫に対して行っているようにMF文庫Jにも行えたら、ともに発展してけるんじゃなかろーか。あと問題があるとしたらメディアファクトリーの自在なアニメ作りの戦略が、角川に集約されるかってあたりけれどこちらはやっぱり自在な座組でヒットを生むアスキー・メディアワークスの手法が使えそうか。そう見るとやっぱり心配なのはむしろ本体か。アニメも目立ってないしレーベルも……。お膝元のレーベルを何とかしよーよ井上社長。

 面白いことが起きるとしたら「灼眼のシャナvsゼロの使い魔vsとらドラ!vs緋弾のアリア」って4番組がコラボレーションした劇場映画が作られたりするよーな状況か。そんなくんずほぐれつのワールドに、あとアニエーゼ・サンクティスやらアスタロッテちゃんやらも参入して聞こえて来るはどれもこれも釘宮ボイス。それを聞き分けられるかどーかでくぎゅうへの入れ込み度ってのも分かりそー。いっそスクウェア・エニックスが本業回帰を決断して出版部門を角川グループホールディングスに売り渡したらそこにアルフォンス・エルリックや「隠の王」の美晴やらも加わり分厚さを増すんだけど。さらに富士見書房の真っ当化で弾が枯れてたアダルティの追加を目的に、キルタイムコミュニケーションズも買ったらもはや角川グループ、二次元ドリーム文庫まで加えて資格なしになりそーだなー。案外にあったりして。


【10月11日】 実は身長が2メートル近くあったという豊臣秀頼を軟弱なマザコンと見て良いかって悩みは昔からあったみたいだけれども、何時の頃からひ弱なうらなりのお坊ちゃんっといったイメージがついてしまってそれが定番化していた昨今、挑むように森岡浩之さんが「夢のまた夢 決戦!大坂の陣」(朝日新聞出版)という小説を書いて偉丈夫な上に聡明な豊臣秀頼像って奴を打ち出してきた。

 その聡明さはまんまアーヴの軍人たちにも当てはまりそうだけれどもアーヴにだって愚鈍な奴はいたからなあ、2代目とか、いやあれはあれで奸智が働いてたってことか、ともあれ久々の森岡さんの新刊、ってだけでも楽しむよりほかないであろ。とはいえそれが何かの歴史の資料を下に再構築されたものなのか、願望なのかってところは悩ましいところで最初は歴史の再評価めいて進んでた時代小説が、途中からちょっとずつズレていく感じになっていく。あの有名な国家安康君臣豊楽の銘についてのいちゃもんが梵鐘ではない別の何かについて当てられていてあれれそれってそうだったっけって調べたくなって調べてやっぱり違うと思っていたら何とさらに意外な人物まで出てきてなるほどこれは時代小説とはちょっと違うかもって思えてくる。

 というかSF作家の森岡浩之さんが書いているんだからそうあって当然。そしてラストで見えるそのビジョンから、次に何を主題にそれを書いてくるのかって興味が及ぶけど、そういう予定ってあるのかな。ともあれ読んで爽快な秀頼像。現実がそーだったら今の日本ってどーなってたんだろ。それこと日日日さんの「大奥のサクラ」みたいなことになっていたかな。それはそれとして星界シリーズどうなってるん?

 今週はちゃんとのってた「もやしもん」に登場した西野円とはいった誰? 樹慶蔵教授がやたらとおしているところをみるときっと、武藤葵のミス農大への疑義から端を発した農大落としに結城蛍が挑み及川さんまで挑んで樹ゼミがぐっちゃんぐっちゃんとなていることに、きっといろいろ思いを抱いてさらにぐっっちゃんぐっちゃんにしようと画策したに違いない。けど初登場な上にセーラー服ってところが謎。大学生なのか予備校生なのかそれとも高校生なのか。それでミス農大の資格はあるのか、っていうなら蛍だって資格があるか微妙だけれど可愛いから別に良いのだ。うん良いのだ。
BR>  「ブッシメン!」も載ってて吉祥天女があるいは弁財天かもしれない可能性なんかが浮かび上がってそれをおじさんに相談しているけれど、あいかわらずのらりくらりと交わして答えないおじさん。でも実は勘付いているっぽいところにあれで若くして独立して仏師として活動して来ただけの技量はあるってことなんだろう。一方でフィギュアメーカーでのお仕事も継続中。なるほど見えない下着の仲間でちゃんと作るのがファンサービス。そしてそれは普通では絶対に見えないけれども無理に壊せば見えるってところに、ファンの覚悟を求めるプロフェッショナルの仕事ぶりって奴を感じる、ってそーゆーものなのか、家のフィギュアも壊してみるか。

 「のりりん」も載ってて「おせん」も載ってて「ミスター味っ子」もあって個人的にはフルラインアップに近いって印象。おせんでは屋台に絡んだ頑張りは出てくるけれどもちょっと料理に絡んだ蘊蓄が少ないような。でも官僚の兄ちゃんを追って東北からやってきた姉ちゃんが眼鏡っ娘な上になかなかのグラマラスでおまけに気丈でとっても良いのでその姿だけで十分。「のりりん」は小さい人向けの自転車の話が面白い。26インチ相当の650Cってなるほどそんなには作られていないのか。650っていったらランドナーでBだもんなあ、普通。でも日本人じゃなくても170センチに届かない人っている訳で、そんな人が乗れるロードが世界にあんまり広まっていないのはちょっと不思議。それへの啓発としてこの漫画が機能していけば、ってことか。

 45分とか90分のカセットテープを何度も繰り返して聞き込むことによって知らず歌を隅々まで覚えてしまったのが僕の車の中における音楽体験で、今みたくiPodにガンガンと詰め込むんだけれど詰め込んでも聞きやしない状況と比べてどちらがより豊かなのかを考えた時に、あるいは前者の方がよっぽど音楽に深く親しんでいたかもしれないと思ってみたりする昨今。だからもし今も車があったらやっぱりCDプレーヤーで1枚を何度も聞いていたりするんだろうかって考えるけれど、一方でラジオのFMをのんびりときいて知らない曲も知ってる曲も関係なしに楽しんでいたりする可能性なんかもあるんじゃないかと考える。いずれにしても何か聞くことだけは確か。そこだけは電車とは違う。

 豊田通商とイーライセンスが何か共同で会社を立ち上げて始めるのはネットを使って音楽を車に配信する事業らしいけれどもそのテクニカルな部分は別にして思想的な部分でシェフって呼ばれる有名人なんかがセレクトした音楽をまずはラジオのDJっぽく流して楽しんで貰いそしてそこから自分でお気に入りを作っていってそのシーンでそんな曲が流れるように鍛え上げていけるんだとか。やがて車に乗ってスイッチを入れるだけで海辺に快適な曲や夜の街にグッドな曲なんかが自動的に流れてくるようになる、ってのはちょっと魅力的。あとはそのマッチング具合がどれだけ自分の気持ちを映したものになているかとか、曲数がどれだけあるかっってことになるんだけれどそのあたり、ジャスラックに対抗してできたイーライセンスだけあって、それなりにため込んだノウハウもあるんだろー。機器については専用端末を使うかスマートフォンを使うか。選べるんだけれどどっちもどっちか。iPadが使えれば言うことないんだけれど。っていうかその前に車載らないと。それが1番難しい。


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