縮刷版2010年9月中旬号


【9月20日】 まず思ったのはどうして「機龍警察」の続編じゃないのかってことだけれど、読み始めてすぐにこれはこれでと思いそして読み終えてから、むしろこっちの続きなり、世界を同じくした別のエピソードが読みたいと強く願った月村了衛さんの「機忍兵 零牙」(ハヤカワ文庫JA)。何やら世界を脅かす一味<無限王朝>が暗躍していて、それで1つの国が滅ぼされ、若君がその姉と連れだって山奥にある国へと逃げ延びようとした時に現れた強力な敵。国を滅ぼした勢力にあって使い手中の使い手と黙される6人衆のメンバーで、もはやこれまでと諦めた時に1人の男が颯爽と現れる。名を光牙。世界の敵と戦うことを使命に帯びた面々が、忍者として立ち特殊な能力を駆使して無限王朝が放つ刺客達と激しいバトルを繰り広げる。

 いわゆる忍法帳って趣らしく、作者の人が敬愛する山田風太郎さんの世界を取り入れているっぽいところがあるけれど、繰り出される忍法は電子を駆使して電気を発生させたり重なり合った次元をくぐり抜けて矢を放ったりとサイエンティフィック。そうした異能のさらに裏をとるような手を敵も見せたりして戦いは激しさを増すけれども、そんな中から強い気持ちが抜け出し正義が勝っていく様に、心よりの喝采を送りたくなってくる。こうじゃなくっちゃ痛快娯楽作品は。アニメで見たいなあ、「バジリスク 甲賀忍法帳」みたいなスタイリッシュな絵柄で。

 敵の仕込みの周到さにも戦慄だけれど、世界を裏から操っていそうな彼らが、小さい国にまで網を張り巡らせる手間を厭わないってところに、それほどまでして倒さなければならない相手なのかとといった、機忍兵たちの凄みって奴も伺える。そうまで憎しみ合って対峙する勢力ってのはいったい何と何で、彼らをそれぞれに扱う存在っていったい何なのか。ゾロアスター教とかでいう二元論的存在なのか、もっと根元に位置する何かなのか。そうした設定も興味深いし、機忍兵になる者のは異世界から来た時に残った記憶めいたものがあるってところが、彼ら彼女たちが置かれた世界の秘密につながっていそうで、その辺りを空かすような続きお描いて欲しいけれども、これはこれでまとまっているんで別の戦いに移ってもいいのかな、山風も滅多に続編は書かなかった訳だし。ひとり機忍兵の少女が繰り出す蛍光の秘密が分からなかったんだけれど、触れれば確実に死ぬ光ってやっぱり放射能か何かなの? そこだけが気になる。読み返してヒントを探ろう。

 愛知県らしいからきっと舞台は愛知県安城市辺りなんんだろうかと考えた飛鳥井千砂さんの「チョコレートの町」(双葉社)。名古屋市からちょっと離れた場所にあって全国規模の菓子メーカーの工場なんかがあるのって安城市くらいしか見付からないんだけど、他にも探せばあったのかな。ともあれそんな“ご当地”小説として見逃せなかった「チョコレートの町」は、実家を出て大学を東京で過ごしてそのまま首都圏で不動産販売会社に就職した青年が、実家のそばにある営業所の店長が起こした女性問題による不祥事をカバーするため、店長の資格もあって実家にも近いからと抜擢されて臨時の店長として出戻るように着任する。

 どうにも田舎が苦手で、近所にあるチョコレート工場から漂ってくる甘い香りも大嫌いになってしまっていた主人公。とはいえ仕事だからと戻った田舎で、かつての同級生や彼女と再会したり、父母兄と改めて会話する中で、だんだんと田舎の人間関係や光景が気になっていく。とはいえ地元べったりになれないところは、チョコレート工場が地元の印刷会社に出していた仕事を打ち切った時、地元から強い反発が起こったもののそこに割って入って窘めようとしたあたりに出ている様子。古くからのしがらみを気にしつつ、縛られない客観性をそこに入れ込むことで、田舎ってところのこれでなかなかに理不尽な面も描いて見せようとしたのかも。

 読んで例えば実家に暮らして、近所の工場なり役場に仕事に通って5時過ぎには集魚うして、そのまま午後6時には家に帰ってご飯食べてから飲みに出かけたり、寝たり遊んだりする暮らしが楽で良いなあと妙に思えてしまったのは、都会で朝から夜遅くまでいろいろなことをやってもやっても何の足しにもなっていないような気がしてならないからか。書いても読んだといってもらえるわけでもないし、喜んでもらえたって話も聞かないし。歳も歳だし心が弱っていたりして、親子関係親戚関係の鬱陶しさより気楽さを選びたいという気持ちが起こっていたりするのかなあ。人生ちょっと考えないと。もっとも主人公はそれでも都会を選び彼女を選んで戻っていく。その時に帰るとはいわず戻るだけで帰るのは故郷と認めるあたりにちょっぴりの変化。これくらいの気持ちになれるのがやっぱり1番良いんだろうなあ。

 そうかそんなの女子に人気があったのかアニメーション版「四畳半神話体系」は。中野でDVDとブルーレイディスクの発売を記念するイベントが開かれたんで除いたら、観客の9割9分が女性でとてもじゃないけどアニメのそれも別にネオがロマンスしていないアニメのイベントだとは思えなかった。いったい何が人気なんだって気になったけれども浅沼晋太郎さん人気か原作者の森見登美彦さん人気か、小津役の吉野裕行さん人気か司会のサンキュー・タツオさん人気か判然とせず。ただ雰囲気ではどうやら浅沼さん演じる「私」と吉野さん演じる「小津」との間に通うもやもやとしてふわふわとした情動めいたものを捉えて感じ入る面々が大勢いそうってことでつまりはそういった人たちがわんさと集まったイベントだった模様。ブルーレイとかDVDを買ってる場所もおそらくは池袋が中心に違いない。うん。

 そしてイベントは浅沼さん吉野さんが喋る合間にAR三兄弟が仕掛けたニコニコ動画風弾幕が映像に被る仕掛けが炸裂しすぎてサーバーが飛んだりもしてなかなかに愉快。画面に弾幕が映らなくなってからはトークが冴えて例えば坂本真綾さんがどんな感じに演技していたかというとすっと来てクールに演じてすっと帰っていったりとか、浅沼さんは第1話のナレーションを1回とってから次の第2話の時にもう1度取り直したとかいった話に人となり、作品となりが見えてこれはやっぱり詳しく見ないと行けないアニメなのかもって気づかされた。実はほとんど見ていないのであります。何か湯浅監督は「バラ色のキャンパスライフ」って浅沼さんのセリフにとてつもなく執心していたそうで何十回となくリテイクを出したとか。その成果がいかほどのものでどれくらいの効果を上げているものなのか。それも確かめないとなあ。かるたもつくし買うかブルーレイ。でもお金が。お金持ちになりたい。


【9月19日】 いよいよ復活間近ということでキュアムーンライトの覚醒を確かめるべく見た「ハートキャッチプリキュア」だったけど今週はお預け。毅然としつつもどこか未練を残していじいじしていた雰囲気のクール眼鏡が、自分もプリキュアに戻れるかもしれないと言われて、顔つきこそクールなままだったけれど、どことはなしに浮き足だっていたように見えたのは気のせいか。そしていよいよ覚醒の来週。普段から大人びた雰囲気があるのが余計にお姉さんっぽくなって顔つきも明るくなって声音も今までの押さえたトーンをかなぐり捨てて、叫び笑ってくれることと期待。しかし憧れのイケメンの中身がアレだったとは。っていうかあの婆さん旦那にそっくりのイケメンを侍らせいったい何をしてたんだ。

 合間に見たCMに驚愕。いや津波が襲ってくる場面がトラウマになるとかいったことではなく、「瞬足」っていう商品と津波との相性があんなに悪いのに組み合わせて使っていることに驚いた。「津波だ大変だ」「大丈夫だ俺たちには『瞬足』がある」「速いぞこれなら逃げられそうだ」「『瞬足』はコーナーならもっと速いぞ」「本当だコーナーで一気に逃げ切るぞ」「曲がれ走れ曲がれ走れ」「おお目の前に津波が」「コーナーを回ったから体が津波に向かっていたぞ」「ダメじゃん」「ザッパーン」。非対称にしてカーブのそれも確か左に曲がっていくカーブに特化したソールの構造になっている物を、まっすぐ逃げることが必定な津波の恐怖を避けるアイテムとして見せられてもなあ。

 「津波だ」「『瞬足』をはいている俺たちなら逃げ切れるぞ」「コーナーに強いからな」「さあ走れ」「どうして横に走るんだ」「コーナーを作るためさ。円周を描くように走れば『瞬速』の機能が最高に発揮されるだ」「それは凄い。でも」「何だい」「まっすぐ走ったほうが速くないかい」「ザッパーン」。蛇行しようにも左曲がりは良くても右曲がりでダウンするなら一緒のこと。やっぱりあんまり向いてない。いっそこれなら新しく登場するキュアムーンライトにスポンサーパワーで無理矢理履かせて、ご老体をカバーできる速さを持った商品だってアピールした方が売れるのに。「ムーンライトはどうしていつも斜めに走るの」「コーナーに強いからよ」「でも間に合わないよ」「ぎゃふん」。やっぱりいっしょか。学校では人気でタカラトミーアーツあたりがキャラクターグッズ化も進めている「瞬足」。もっと巧い宣伝方法はないものか。「バトルアスリーテス大運動会」への登場か。

 せっかくだからと新宿まで出向いて「Kalafina」のタワーレコードでのインストアライブを枠の外から見物。なかなかに美声。wakanaは相変わらずのうまさだしkeikoもちゃんと下を支え、それから前回はちょいボリュームが下がっていたhikaruの声もちゃんと響いて3人3様の声がタワレコの中に響き渡る。どんな場所でも崩れないコーラスワーク。これだけの音楽を奏でられるグループってそうはいないはずだけれども、世間的にはまだまだ認知されていないのは淋しいなあ。やっぱりCMとかで使って欲しいけど、今の時代にCMで音楽が売れるとも限らないし。かといってKalafinaを48人に増やしますじゃあ意味ないし。2010年の音楽プロモーションって難しい。やっぱり地味にライブを重ねパフォーマンスを示してファンを増やしていくのが良いってことなんだろうなあ。

 転戦して千葉へ。ジェフユナイテッド市原・千葉と柏レイソルとの通称「千葉ダービー」に臨むもあえなく粉砕。なるほどスコアこそ2対3と拮抗しているように見えるけれどもやっているサッカーが違いすぎてとてもじゃないけどこのまま一緒に上に上がったところで、柏は食らいつけてもジェフ千葉はそのまま叩きつぶされ逆戻りってパターンになるのが必至。だってパスがつなげないんだもん。パスサッカーを標榜しながらもらった選手が周囲を探して誰もいなくて戻すケースが続出。でもって出してもそのパスが弱くて見方に届く前にかっさらあれて反撃。選手達のテクニックの問題ってことも言えるかもしないけれど、それをカバーするために連携でもって位置取りを確認し、相手がいない場所へと走ってもらい出した方も相手のいない場所へと走って受け取る動きをしなくちゃいけないはずなのに、そうした練習を普段からあんまり重ねてないのか、まるでほとんど出来ていない。

 たまにサイドから上げるクロスはオーバー気味にファーすら超えて遙か彼方へ。そこに背丈の高い選手がいればまだ落とせるんだけれど背丈の高い選手は今はロシアでベルミコーヒーを飲んでいる。だったらニアに速いクロスを入れて飛び込むとかすればいいのにそんな選手は前線にはおらず相手キーパーに阻まれ反撃。そして失点。そんな光景がこの1ヶ月くらいに出てきたのなら良いけれど、ほとんど去年の今の時点、監督が就任した辺りからづっと続いているんだから飽きもするし呆れもする。何をどうしたいのかというビジョンを示さず、結果も伴っていない現状を見ればもはやこのままでは、来年を戦う力すら付けられないって分かりそうなものなんだけれどそこは親方日の丸らしく誰も責任をとろうとしない。かくして監督は居座りジェフィの首だけが飛んでジェフ千葉は来年もJ2の今度は底辺をさまようのであた。

 白バックに美少女のアップでタイトルが「不動カリンは動かない」だったらMF文庫Jと思ってラブコメだと感じてそういうファンが買ったかもしれないけれども、森田季節さんの新刊はタイトルが「不動カリンは一切動ぜず」で、版元はハヤカワ文庫JAで、ふぁ吉田ヨシツギのファンシーな表紙で少女2人が友情と信心を深め戦う話。ラブコメなんかじゃ全然ない。ラブはいっぱいあるけれど。何やら病気が流行って誰かの遺伝子を体内に取り込めなくなり性交が難しくなってしまった時代を経て、人は心で語り合うことが出来るようになったという。

 人どころかあらゆる森羅万象ともつながれるんじゃないの、ってあたりを検討課題としながら生まれた宗教なんかがあったりして、それがいろいろ騒動を起こしてやや未来。少女が神様とつながり森羅万象を身に抱きながら、友情を求めて戦いに挑む展開が繰り広げられる。SFでもありファンタジーでもあり自己啓発でもあって、心が誰かと繋がり世界と繋がる素晴らしさを感じさせつつ、己を確かに持って生きていく大切さを感じさせるストーリーになっている。言語的な感覚は何とは成しに神林長平さんが思い出され、あと少女が森羅万象とつながり導かれていく周辺で、欲望のために森羅万象を求める輩がうごめき少女を追いつめる流れが、これもでタイプは違うんだけれど諸星大二郎さん「暗黒神話」なんかを思い出してしまった。それは特殊な反応だろうけれど、ともあれ設定が複雑な上に主題も強烈、なのにトーンはふんわかとしたふしぎな作品。読み込めばいろいろな面で示唆を得られそう。


【9月18日】 寝落ちして起きたら朝だった。疲れてんのかどうなのか。録画してあった「黒執事2」を見たら終わってた。そういう解決か。これって原作と違ってる? っていうか前のテレビシリーズがそもそも原作終わってないときに終わらせたんでまるで違う風になっていたんだっけ。だから続編はまるっきりオリジナルってことになるんだっけ。それはそれで一興。ファンは2つの「黒執事」を楽しめるってことになる。それともテレビがもはやファンにとってのオリジナルで漫画はまるで別物ってことになる? それも本末転倒だけれどメディアの力って得てしてそいういうものだからなあ。「けいおん!」だって原作にアニメの感涙を期待するとまるで違っていたりするし。「隠の王」は漫画の方がどんどん面白くなっているのでアニメで動く宵手に感涙した人も読み続けるのが一興かと。

 せっかくだからともう1度見ておこうと東京都現代美術館まで行って「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」。10時過ぎに着くとすでに5分待ちの札が出ていて入り口付近に行列。中に入っても最初にあるアリエッティの部屋を囲んで人がいっぱいでよく見られない。最初に大物を持って来ると得てして後が使えるという構図。かといってあそこにあれがないと映画みたいな感動が味わえないからなあ。仕方がない。ただし迂回路もしっかり取ってあったところが計算か。そのスロープを上がって廻ってワインのビンを過ぎてから、内覧会で見逃していた水場の手前にある通路を通ったら黒くて艶々としたのが3匹ほどへばりついていた。おまけにうさうさと動いてた。やるなあ種田陽平さん。見逃しそうなところにしっかり見るとアレなものを置く。見逃したって後悔しないけど見たい人なら見てにやにや。楽しめますいろいろと。

 大混雑の食堂を抜けてやっぱり人がへばりついていたお父さんの部屋の前から迂回してアリエッティのステンドグラスに挨拶。これも一種の迂回路か。のぞき窓から見る巨大な靴の間は1番奥にあって小さい3角形の窓の意味が判明。これ子供が顔をちょうどつっこめるサイズなんだ。2人ばかりがへばりついてずっと見ている姿が何ともおかしい。女の子がへばりついている姿を後ろから眺めていたかったけれどもそれをやってしまうといろいろ悩ましいんですぐに退散。草の生えた場所に行ったら前にあった撮影スポットが消えていた。滞留して動かなくなることに配慮したのかな。代わりに外にパネルを置いてそこを撮影スポットにしていた。まあ仕方がない。

 1階段へと降りて種田さんの仕事の即席を振り返る展示。あんまり誰も見ていないけど種田さんがスクリーンで語っていた展覧会の作り方については見ている人多数。やっぱりどうやって作ったか気になったんだ。それくらい作りこみが素晴らしい展覧会。できれば永久保存して欲しいけれどもそれには費用もかかるしなあ。かといって他に移して興行しようにも東京都現代美術館のあのスペースにカスタマイズされているものをどうやって運ぶのか。天井までだって結構な高さがないと難しいし。いっそ幕張メッセの第9第10ホールを使って1年くらい展示する? でもあの殺風景な空間に仮小屋よろしく外側をさらして置かれているのも興ざめだし。一期一会と考えるのが良いのかもなあ。

 1階でもアリエッティ関連の展示はまあ人気。麻呂監督が描いたっぽいアリエッティのスケッチなんかには結構人がたかっていたけど不思議だったのは天下の宮崎駿監督が描いたイメージボードに見入る人がそんなにいないってこと。宮崎監督だよ、宮さんだよ、それが手に鉛筆だか持ってアリエッティの暮らす空間を描きアリエッティまで描いて世界観を説明している。その空間の捉え方はちゃんと立体として空間を描き中にクラス人たちの姿を描いてまるでそこに世界があるように感じさせる。人の表情の描写はほんとに丸描いてちょんな感じなのにとっても豊。ちょっとした線の運びやポーズの付け方によって人が生きて動いているように、息づいているように見せる筆さばきを目の当たりにできるっていうのに、そういう所にあんまり興味が向かわないのは人がそうした原図ではなく、完成されたアニメーションとして作品を楽しんでいるからなんだろう。ジブリと着けば宮さんだろうと誰だろうと関係ないってこと? 今はだんだんそういう空気も出始めているからなあ。鈴木敏夫さんが描いた文字だってジブリなんだかと喜びTシャツを買うんだもの。妙な時代になったなあ。

 会場を出てとりあえず大量の女子高生達が向かっていった常設展とやらを見に行ったら女子高生達が現代美術に親しんでいた。男子もいたけど9割女子って布陣はたまたま見学のコースとしてそういう割り振りになったのか、それとも女子が多い学校なのか。僕の高校3年時のクラスは文系で女子30人に男子15人あだったけれどもそれより高い女子比率。羨ましいけど積極的に現代美術に親しむ女子に比べてやや引っ込み事案な男子の姿を見るとやっぱり、数って結構立ち居振る舞いに重要なんだと思えてきた。それとも徒党を組もうと今の草食な男子共では女子のパワーにかなうわけがない? それもそれであり得そう。頑張れ男子。

 そんな常設店ではスローで再生されている映像で、まっすぐな道を走るトラックから人が箱乗り状になってそして窓から天井へと上がり立ってそして戻るまでを捉えた作品がナイス。まっすぐだからカーブでハンドルを切る必要がないとはいえ、でこぼことか踏んだらハンドルとられて回転、転倒とかあり得るだけに勇気がいっただろうなあ。でもって地平線の彼方まで続く道ってのが目にもなかなかに奥深い。いずれあそこに到達するんだろうと思ってもなかなか到達しないもどかしさ。あそこまで行ったら見るのを止めて他に移ろうと思うんだけれど次にまたあそこまでって興味が芽生えて目を離せない牽引力。人間ってやっぱり遠くへ生きたい生き物なんです。よく町並みを走る映像を延々と流す映像がケーブルとかで放送されているけれど、アメリカの大平原を延々とまっすぐ走るだけの映像ってのもあるいは需要があるのかも。見終わるまでに8時間。その間に風景は一切変化せず、とか。

 せっかくだからと上野に廻って国立西洋美術館で「カポディモンテ美術館展」ってのも見る。げーじつの秋。まあ行ったのは中吊りで広告されていたグイド・レーニって人が描いた「アタランテとヒッポメネス」って作品で振り向きながらリンゴを拾おうとするアタランテの胸元とかに興味が行ってそれを目の当たりにしたいって不純さ丸出しの動機からだったりするんだけれど、実際に見たアタランテはその健脚でもって何人もの求愛者たちを退けてきたアスリートいしてはな体格的なゆるみっぷり。これでアスリートと言ったら何ですか円盤投げですか砲丸投げですかハンマー投げですかって返されそうな雰囲気すら漂っていたけれど、描かれた当時にモデルとなる美女ってのがおそらうはそういったふくよかさでもって選ばれていたんだろうから仕方がない。ヒッポメネスは逆に極めて痩身。男子の美はギリシャ彫刻の時代から変わってないみたい。でも肝心な箇所は布に隠れて見えなかった。いったいどれだけのデカさが求められていたんだろう、当時の男子の基準では。

 出ると上野駅の前に消防車やら救急車が大量に行列。駅で何やら事故があったみたいで早速ロープが張られてた。おろくが出たか。スルーして浜松町へと行ってラーメンつけめん僕イケメンな「大つけめん博」を見物。六厘舎にはすげえ行列で近寄らず、くじら軒とかってところで辛みのあるつけ麺をほおばりそこから東京駅へと戻って丸の内の丸善で綿矢りささんのサイン会。エレベーターから登場した綿矢さんは髪を巻き貝のように上へとアップにしていて大人びた雰囲気にこれはいったい誰ななと驚き。まあ歳だって17歳な訳じゃないから変化していて当然なんだろうけれど、パブリックに定着してしまったイメージを覆すのって用意じゃないからなあ。これから露出を増やせばそういうイメージも流布されるんだろうけれど、あんまり出そうにもないしなあ。だから貴重な機会。サインを左手で描く人だったと初めて知る。左利きの人に描かれた自分の名前。これもこれで貴重かも。そろそろ読まないと。新刊。


【9月17日】 今日も今日とて「東京ゲームショウ2010」へと出向いて煉獄の七姉妹の華麗なる殺戮っぷりを見ようとしたらいなかった。代わりにTシャツ姿でカットジーンズを履いて前をちょい半開きにして中に履いているものがちょっぴりとのぞいた「BLACK LAGOON」のレヴィ的スタイルな女の子たちが水鉄砲を両手ではなく片手に持って水の掛けあっこをやっていた。それはそれでなるほど目にグッと来るものがあったんだけれどやっぱり見たかったなあ煉獄の七姉妹のガーターベルトでニーソックスを吊った絶対領域の周辺を。後ろの痛車も代わっていたけど裏側を見たらちゃんと「うみねこの鳴く頃に」だったから、日替わりで車の向きを入れ替えコンパニオンも服を替えて登場ってことになるのかな。だったら明日は煉獄の七姉妹か。行こうかな。どうしようかな。

 場内の風景としてブースなんかを撮影することがあるんだけれど近寄ってきた兄ちゃんがモニターが写っちゃだめだといって来たんでぷち切れ金剛、ブースにあんな巨大なモニターをぶら下げて、それも両脇に置いてガンガンと映像を流しているのにそれを撮らないでブースをどうやって押さえるんだよこのへっぽこめっぽこと尋ねてみたけど答えなんてある訳ないよな、言われたとおりに言ってるだけだし。つまりは言ってる方に無理があるってことなんだけれども、そういった可能性を鑑みずおふれを出して後は杓子定規に守らせて、プレゼンテーションという最大の機会を逸してしまっているところがどうにもこうにも。本気で撮るなら彼方から望遠でだって狙える場所に掲げて撮影するなもないもんだけれど。やってみせるこに意味があるってだけのアリバイづくりでしかないんだろうなあ。ハンマー持った撲滅君の姿は消えても業界まだまだいろいろだ。

 昨日はスラリとタイトなスーツ姿だったセガのマフィアなおねいさんが今日は腹を出したせくしぃなスーツ姿で立っていたんで激写。でも何のゲームだったかまるで覚えていない。ベヨネッタ様みたいなインパクトのあるビジュアルじゃないとやっぱりゲームまで印象が向かないなあ。コーエーテクモはやっぱりスタイリッシュ。でも全員がスタイリッシュ過ぎてだれがだれとか区別がつかない。これを見分けられる眼力があってこそモテの世界に足を踏み入れ成功できるんだろう、男子として。無理だ。まったく同じに見えるアニメーションのキャラを見分ける眼力も、現実では通用しないってこった。アニメだと髪の色が違ったりするから分からないこともないんだけれど。美人が3人集まれば髪を青赤緑に塗り分けることを法律として提案したい。ちなみに1人にはアホ毛を付けるようにとも。

 ブシロードのブースでは巨大なカードゲームを誰も居ない中で頑張っている社員に拍手。そりゃあそうだよ平日だもん観客なんている訳ない。でもそうやって業者の集まる時に頑張る姿が店への導入へとつながるのだ。ゲームに比べて安いしね。売れないと箱ごと余るけど。カードゲーム。コスパでは昨日に続いて「serial experiments lain」のTシャツの残して置いた玲音の黒バージョンを確保してミッションコンプリート。でも3種類で絵柄が2種類しかないのはやっぱり淋しいんでここは熊パジャマlainか熊帽子lainの顔がでっかくプリントされた奴を出して欲しいと遠くにお願い。マグカップに使われるDJlainも悪くないけど。ウエザーブレイクを全種類とか出してくれたら讃えるけれど。でも全種類を買う気力体力は……。

 そういやあ復刊ドットコムから小中千昭さんによる「lain」のシナリオ集「scenario experiments lain  the series」がいよいよもって復刊になるとかで早速注文。もちろん当時買ってはあるんだけれども当然の如くに家のどこかに埋もれてしまって出てきません。小中さんにサインを頂いたはずなんだけどなあ。掘り返すか。鶴嘴持って。ちなみに復刊バージョンには特別セットってのがあってセル画が付くのもあるんで当然そっちを注文。2部。出来れば熊帽子lainのアップが欲しいけれどもそういう時に限ってNAVIのアップが来たりするんだ。その時は壁にかけて毎朝「はろー、なび」って呼びかけよう。3日に1度は返事してくれたりしないかな。もう1枚はやっぱり熊パジャマlain。それもベッドの上で壁にもたれてぐったりしている奴。でも望みは果たされず天空を割ってのぞくお父さんの顔が来たりするんだ。それはそれで癒される、かな。ともあれ楽しみ。

 それにしてもどうして今頃になって「lain」なんだろうなあ、だって12年も昔のアニメだよ、それも決して視聴率が良かった訳じゃなく、「新世紀エヴァンゲリオン」のようなムーブメントを起こした訳でもない。同じとしには「トライガン」があったり「カウボーイビバップ」もあったりして、「トライガン」は漫画の原作もずっと人気で映画にもなってフィギュアも出たし「ビバップ」は本当かどうか未だ判然としないけれどもハリウッドとかで実写映画化の企画が進んでいる。「lain」は細々。ロンドローブの廉価版が出たりブルーレイディスクのBOXが出たりと愛蔵版的扱いでの人気はあってもそれは限定的なもの。一部好事家がコレクションとして求める範囲に留まっている。

 なのにこうしてコスパからTシャツは出るし、復刊ドットコムからシナリオ集が復刊ドットコムされるし、あの「ユリイカ」が月末発行の号でキャラクターデザインをした安倍吉俊さんの特集を組んで、中で「lain」についての紹介なんかも乗せていたりする、らしい。その理由はいったい何なのか。どうして今「lain」なのか、ってことを考えたいけれどもなかなか理由が思い浮かばないんでそこは「ユリイカ」の特集を読んで現代に通じる「lain」の先見性、そして「lain」からの12年が指し示すこれからの12年の変化を想像してみよう、ってそりゃあ先週20枚の原稿にして出した。載るのか?

 あー。カメラバッグからカメラを引っ張り出そうとレンズの先を持ち上げたらレンズの先のリングがぱっかり取れて外れてしまって衝撃。前にもそういやあ外れかかったのを瞬間接着剤で張り付けごまかして使っていたけれど、やっぱりそう長くは保たないってことなのか。フラッシュもバウスンが出来ないようになってしまっていろいろと仕事に不都合が出てきたんで、ペンタックスギャラリーへと行ってフラッシュを修理に放り込み、その足でマップカメラへと行って純正は無理だからシグマのフラッシュを買い、タムロンから出ていた17−50ミリのF2・8って奴を買ってK7に取り付ける。明るくなったから嬉しい。でも出費は痛い。せっかくだからととれたシグマの17−70ミリの取れたリングを接着剤でくっつけたらくっついた。なあんだ。でもいつ取れるか分からないからやっぱり予備としてしまってあるK10にくっつけ、戻ってきたフラッシュとセットにしてしまっておこう。教訓。お小遣いが入ると何かが壊れる。


【9月16日】 土砂降りの中をえっちらおっちら幕張メッセへと出かけて「東京ゲームショウ2010」。たぶん第1回目からほとんど全部見ているけれどもいつにも増してブースの間だが広いなあ、とか7ホール8ホールがステージと飲食店しかないってのもまた淋しい話だよな、とか思ったら頑張って出展しているところに申し訳ないんでこっそり言う。こっそりでもないか。けどでもやっぱり一時の隆盛ぶりから見るとやっぱりどこか静けさが漂い殺気が薄れている雰囲気。ここに最終兵器のAKB48なりSKE48でもぶっこめば、狙って3日前から現地にたたずむファンがいたりして熱気も漂うんだろうけれど、それもなさそうで雨に冷えた会場を静かにクールに見て回る。

 とりあえず目に入ったコナミデジタルエンタテインメントのブースはプラスチックのケースを山と積み上げ棚とか壁にしていた。節約したのか演出なのか。ぐるりと廻ってラブプラスのアーケードゲームがあってメダルゲームがあって4gamersの有名な怖い顔をした人とかが歩いていてコンパニオンがいてマイクロソフトのキネクト対応ソフトがあってコンパニオンが踊っててウイイレの新しいのがあってコパ・リベルタドーレスが入っていたりしてキャッスルヴァニアがあって悪魔城と比べたかったけれども悪魔城あんまり知らないんでどうでも良くって……といった感じに全体像を把握。戻ってキネクトを見たけど1分も見てこれは僕には無理だと確信する。

 だってゲームの前で踊るとか、飛ぶとか体を傾けるなんて我が家のスペースでは絶対に無理。30センチ四方のスペースらないのに軽く1メートルとか必要なキネクトを遊ぶなんて不可能に近いどころか完全に不可能。なおかつ飛べば横の本とかDVDとかが確実に崩れ落ちる。埋もれて身動きがとれなくなる。まだ死にたくないからキネクトはパス。一方のソニー・コンピュータエンタテインメントがプレイステーション3用に出す「ムーブ」だったら、手首の返しとかだけで反応を拾ってもらえそうなんで狭い我が家でも安心。でもそれだったら既にWiiがあるんだよなあ。最近まるで遊んでないけど。遊びたくなるゲーム、出て来ないかなあ。

 あったと言えばアトラスから出る何だろう、あれは「カウボーイビバップ」のスパイクみたいなやさぐれた探偵みたいな野郎が出てくるゲームで、アニメシーンの雰囲気も良ければ3D部分のアニメっぽさも十分で、ちょっとプレーしてみたくなったけれどもいったいどんな名前の何ってタイトルだったんだろう。明日また言って見てこよう。撮り逃したコンパニオンもたくさんいるし。その代表格は「うみねこの鳴く頃に」の煉獄の七姉妹の勢揃いシーン。1人1人だったら何枚かとってあのレオタードの上にジャケットを羽織っているような隠微なコスチュームを楽しんだけれども、やっぱり七人が揃ってこその煉獄の七姉妹だからなあ。朝1番なら全員いるかなあ。

 ざっと見たコンパニオンではコーエーテクモがビジュアル的に素晴らしかったと断言。スタイルも良ければ顔立ちもなかなか。コスプレじゃなくってコーエーテクモのお揃いのユニフォームだったけれども、外部に惑わされないで内面の美がにじみ出してくる感じが目に刺さってつぶれかけた。普段見慣れていないものを見るとそうなる。あとはあれはセガだったっけ、歩いていたらやたらと背の高い白人女性が立ってパンフレットを配っていた。何のゲームなんだ。っていうか何かのキャラクターのコスプレか。ちょっと不明。でもスタイルは抜群なので行って見つけたら見るように。見ればどれだけゴージャスかが分かるはずだから。

 ソニー・コンピュータエンタテインメントジャパンのブースで苦心の末に会見場に入り込んだけれどもそこで2時間も拘束されるとは予想外。「ムーブ」を見せられ3Dを見せられプレゼンテーションを聞かされて、それはそれぞれに趣もあったけれどもそのために値段とかを事前発表しないでじらす戦略がどこまで有効かって辺りは検討の余地はありそう。ただ3Dの映像の上映は見てもらってナンボのアイテムなだけにやって正解だったし、潜り込んで見る価値もあった。凄かったのはやっぱり「グランツーリスモ5」と「みんなのゴルフ5」か。GTは元が実車のまんまなんだけれどもそれに奥行きが出てレース場にいるような感じになれる。ゴルフはコースの奥へ奥へとボールを打ち込んでいく醍醐味を実感できる。

 出るのはいつになるのか不明だし、出たって対応テレビがなければ宝の持ち腐れだけれども、そうやって見て感じて凄いと思った気持ちが、次に買うテレビを3Dにさせると思うと連鎖は怖い。河野弘プレジデントが「3Dの牽引役はゲーム」って言っていたけれど、それは決して法螺でもなければ誇張でもなく、見て凄くって遊んで楽しい3Dのゲームは、劇場で見れば見られる映画と違って家だけでの体験として貴重さがあって、それをやるために3Dセットを買う人ってが確実に出てくることをしっかりと予想している。ゲームが牽引役となって3Dテレビが売れ、ゲーム機が普及してその上で再生できる3Dブルーレイが増えていく。核にあるのはプレイステーション3。高性能をぶち込んでいろいろと対応できるようにした意味が5年経ってちゃんと出てきたって言えそう。オーバースペックだの何だのと言われなじられ去っていった偉い人たちも、今頃きっとほくそ笑んでいるだろうなあ。草葉の陰ではないけれど。まだ活躍しているけれど。どこで? それは知らない。

 ソニーの会見が長引いてブースを見る時間を稼いでいたら日本ゲーム大賞を見ている余裕がなくなって退散。帰って内容を確かめたら任天堂の「NewスーパーマリオブラザーズWii」が大賞を取っていた。優秀賞の11本中でも3本が任天堂。で1本がポケモン。どちらも「東京ゲームショウ」には出ていないのにゲームとしてはしっかり売って浸透しているところが任天堂の凄いところなんだろう、いろいろな意味で。他のタイトルではコナミデジタルエンタテインメントから入ったのが「ラブプラス」だけというのが何というか時代というか。バンダイナムコゲームスから1本も入っていないのもやっぱりというか現代というか。

 セガからは「ベヨネッタ」が入り「龍が如く 伝説を継ぐもの」が入ってエッジが聞いたオシャレさとは違うセガが見えてきた。スクウェア・エニックスはやっぱり「FF」「ドラクエ」の2本柱の会社なんだなあ。レベルファイブは「イナズマイレブン」が入って「レイトン教授」ではない柱を立てた模様。これに「二ノ国」を加えられるか。加わったらもう本格的にハイパーパブリッシャーの仲間入り。2000年代になってもゲームでドリームを作れたんだってところにゲームの沈滞を産業サイクルだからやむなしと見なす人は何かを見いだすべきなんじゃなかろーか。大事なのは社長がイケメンってこと? それもあるけどそうでもない。アイデア、なんだろうなあやっぱり。ともあれ「二ノ国」に今は注目。いつ出るんだったっけ?


【9月15日】 敬老の日、ではなくなってしまっていたけど、この日あたりを涼しさの基準に見ていたら、案の定というか昨日とはうって変わっての涼しさに、着ていこうとした麻のジャケット&カーゴパンツではもはや間に合わなくなって来たって体感。でも面倒だからそれで出る。向かうは彼方の自由が丘。途中にあれやこれや読む。まず春川みかげさん「織田信奈の野望 第4巻」(GA文庫)は、織田信長の生涯にとっての一つの山場というか桶狭間に続くくらいの危機で、そして豊臣秀吉にとっては墨俣築城に続くくらいの大きなステップボートになった朝倉討伐における「金ヶ崎の退き口」を、武将たちが美少女化されたこちらのキャラクターたちがどう凌ぐかっていった内容。

 ほんとにもう最初から最後まで危機また危機のオンパレードで、武将が女の子になってていて、これは萌えだ何だってな楽しみなんかはもはや超越した戦国バトルの激しさを存分に浴びられる。あげくに豊臣秀吉に成り代わった相良良晴が、爆発し四散し信奈までもが杉谷善住坊に撃たれて負傷という状況。いい年な筈なのに未だ妖艶でナイスバディで怪しげな術を使う松永弾正久秀が、そんな信長を籠絡しようとする一方で、額の広い美少女の明智十兵衛光秀と信長との間に恋をめぐった諍いの種みたいたものが蒔かれてはてさてこの先どうなるか。そもそも良晴の命運は? といった読ませどころもたっぷりあって最後までページをめくらされる。

 奥州では伊達が独眼流改め邪気眼流を名乗って中二病的黙示録的妄想をまき散らし、甲斐では武田信玄がやっぱり美少女な姿態をさらし、おまけに美幼女の勝頼までをも侍らせこちらはおっさんの山本勘助を籠絡する。本当は美少女の浅井長政は、信奈の弟ながらも女装してお市と名乗って長政の所に嫁ぎ、中むつまじさを見せていたものの家のためだと身を翻して越前へと戻り信奈と対決の姿勢。ズレていくようでしっかりと歴史を踏襲していくなかでやっぱり信奈は良晴をめぐって光秀との間に蒔かれた種が実り爆発して、本能寺にて命脈を断たれるのか。楽しみだけれどちょっとハードな展開が続きすぎたんでここらでいっぱいのおっぱ……もとい美少女武将たちによる可愛い日常とやらを読ませて息を抜かせて欲しい。抜くのは息だけ? それは聞かないのが武士の情け。姫武将ならなおさら。

 でもってあわむら赤光さんは寄り道をしたもののその凄まじい設定から続きが待たれて仕方がなかったりする「あるいは現在進行形の黒歴史 殺戮天使が俺の嫁?」から元に戻って「無限のリンケージ」(GA文庫)の第4巻を読了、次は侍か。それも例の親バカファイターをもいなしてしまうくらいの強さを持った侍にして、ロバート・キーガンが戦いの師匠と仰ぐ天才格闘美少女の兄弟子という存在を相手に、戦わざるを得ないロバートとそのパートナーのサクヤは頑張るが……ってな感じに、こちらもシリアスさたっぷりに進んでいく。裏でいろいろと画策されていた条件闘争を知ったら果たしてロバート、どれだけの慚愧に苦しむだろう? でもどうしてそれを言って最後まで殺す気持で挑ませなかったんだろう? そこがちょっと分からない。

 もっとも、それをやってしまったら何かが壊れてしあまうと遠慮して、やっぱり1からコツコツの道を選んだのか。うーん。ともあれ仇敵の登場に怨敵とも言えそうな存在の登場と大きく進んだストーリー。いよいよ佳境を迎えるリーグでロバートはどんな栄誉に浴し、その結果どれだけの人を助けられるのか。楽しみだけれど次はこっちかそれとも「あるいは現在進行形の黒歴史 殺戮天使が俺の嫁?」か。まあどっちも楽しいんでどっちでもOK、とか言ってたらまるで違う話が違うレーベルから出たりしたら、ちょっとひっくり返るかも。GAでそれはないかなあ。あとロバートの主君のお姫様って案外に騒々しい性格だったんだなあ。

 自由が丘で仕事をこなしてから転戦して、浅草へと向かい玩具メーカーによるクリスマス商戦の見本市を見物したらやのまんから「クドわふたー」がジグソーパズルになっていた。どういう時代だ。そういう時代か。同じやのまんからはビッグベンとエンパイアステートビルとピサの斜塔の立体パズルが登場。球体のパズルだって出しているんだから立方体なんてお茶の子だろうけれど、丸いパズルとちがって出っ張りとかあるんでそのあたりの処理が面倒そう。「東京スカイツリー」は出るのかな。平面では出すみたいだけれども立体のが欲しいよな。

 一足早く立体ではナノブロックでもってカワダがスカイツリーのブロックセットを発売予定。1700ピースを汲み上げ52センチものスカイツリーを作ったら、ペンタックスから出るナノブロックが表面に張られたコンパクトデジタルカメラに取り付けスカイツリーの中を見上げる写真とやらを作って遊びましょう。横には出来ないカメラになりそうだけれど。見渡してあと眼に入ったのはメガハウスのゴム弾鉄砲の玩具か。割りばしとかを重ねて縛って作った輪ゴム鉄砲を玩具メーカーが作るとこんな感じになりまっせ、って品で短銃もあればその上にかぶせるタイプの6連発銃もあってなかなかの迫力。でもってちゃんとまっすぐ飛んでいくんだ。指鉄砲に輪ゴムとは違うなあ、さすが。これとNERFとを戦わせたら勝つのはいったいどっちだろう。飛んでくるスポンジの弾丸を輪ゴムで落とし輪ゴムの弾丸をスポンジの弾丸で絡め取る、なんて戦いを見せたら結構イケるかも。無理だって。

 ぬとぬとぐちゃぐちゃな宇宙人がいっぱい出てくるけれど、どこかグロテスクさとは縁遠いユーモラスな雰囲気になっているのがかまたきみこさんの新刊「きらきらDUST」(朝日新聞出版)。表紙までもがきらきらしていて良い感じ。でもしっかりグロい宇宙人が写っていたりする。やるなあ。そんなグギャグギャとした宇宙人たちがいっぱい乗った探査船が地球の上空で拾ったのは肉片がからみついた木材など。肉片を分析してそこから人間を再生したら女の子が出てきたけれど、彼女が見せる旺盛な好奇心に種としての興味を抱いた宇宙人たちは、少女を地球へと下ろして自分のルーツ探しをさせる。

 当然ながら宇宙から来たとは言わずほのめかしても信じてもらえず、少女は家出少女っぽいシチュエーションの中で良い人たちと出会って自分のルーツに迫っていく。そして分かった意外過ぎる事実。そして肉片が宇宙に蒔かれた理由。そこで一気にファンタジックになるっぽいけどもご安心、宇宙にはいろいろな生命がいることが敷衍してのSFとして成りたっているから。ビジュアルの面白さディテールの興味深さで引っ張ってくれて、そして人間たちの優しさにも気づかせてくれる物語。ほかに真っ黒なリネンの服ばかりを作る女性を手助けする男性の話や、死者でありながら発明に勤しみ不死の発明を成し遂げた人物が、現世の科学者にささやこうとしながらも止められる話なんかを収録。「てんから」の時も思ったけれども、諸星大二郎的不条理っぽさ、萩尾望都的センスオブワンダーを綺麗で優しい物語に包んで見せてくれる希有な漫画家かもしれないなあ。今後にも大注目。


【9月14日】 夜はともかく昼間は8月45日。夏の日中の気温の高さについては散々っぱら言われたけれど、9月になっても残る暑さについてはあんまり言われなくないからどれくらい意外なことなのかが分からない。気分で計ろうにもあんまり覚えてないからなあ、やっぱり言うなら1987年に教育実習に行った9月くらいか、あの年も14日くらいまでは暑かったけれども夜は打ち上げとなって栄町に出かけて割に涼しいと感じたっけ。いっしょに実習やった人たちはちゃんと真っ当に先生になれたんだろうか。っていうか今からだって免許はあるんだから先生やっても良いんだよな。昔の免許なんで更新不要。70歳になったって教えられます。流石に70歳だと知識も古くなるって? いやいや2000年前のこととか教えるのに古いも新しいもありません。枯葉マークとかやっぱり必要になるのかなあ?

 ちはやふるる。それはつまり末次由紀さんの漫画「ちはやふる」の第10巻を読むことを端的に言い表した言葉であって他に間違えようはないはずなんだけれども「俺さっきちはやふるったんだ」「あたし今からちはやふるるの」と町中で言ったところで果たして通じるかって辺りを考えると、やっぱりまだまだ露出が必要なのかもしれない。可愛らしい女の子が腕降り肩降り踊ってみせる「LISUMO」だかのCMのバックに、携帯で見られる漫画とか何かとして出たところで、それがどいう内容なのかが伝わっている訳じゃないからなあ。だからやっぱり早い時期の何かが欲しいところだけど、一方で何かが起こった時のギャップに著しく悩みそうな作品でもあるからなあ。「大奥」とかどうしたら良いのか。いや悪くもないんだろうけどでもやっぱり。うーん。

 ともあれ漫画の「ちはやふる」第10巻はだいたいがかるた中。かるたの漫画でかるた中の何がおかしいかって言われそうだけれどもそればっかりじゃない超絶美人なんだけれどもかるたに夢中な無駄美人の千早のあわてふためきっぷりを見たり、そんな千早が気になって仕方がない超絶美形なんだけれども他に目もくれないまつげくんこと太一の朴念仁ぶりに涙するのがこの漫画。それがそうした幕間の息抜きがまるでないまま、連戦連戦の内容でそれも某「ドカベン」とかみたく1球で10ページ1打者で1話とかってペースじゃなく、次から次へと対戦相手が変わりつつこちらの対戦者も変わるものだから、誰が何でどうなのかを追っていくだけでかなり疲れ果ててしまう。

 そんな合間にも机くんが組み立てたオーダー表に新人がいきなりの乱入を見せてしまったり、太一に憧れの新人部員がいきなりデビューを果たしてみたりと人間ドラマもああったりするからさらに濃密。かるたが団体競技で決して1人では勝てない上に、かるたは個人競技で最後は目の前の札を取ることこそが絶対だっていった真理なんかも突きつけられて、見た目は華やかで内実は激しいかるたの、それ異常の奥深さって奴を教えてくれる巻になっている。いやあ厳しい。

 でもそんな厳しさを超えないとあのキング、あのクイーンには近づけないのかどうする千早、そしてまつげにめがね。そういやあ表紙が太一に眼鏡の新の男子2人になっていたのは、まるで男子な無駄美人の千早ではもはや客にも限界があると、一気にボーイズがどうってな色を打ち出そうとするタクラミが現れて来たものか。うーん。それも一興。でもやっぱり味わわせて欲しい。期待して見ていこう。それにしてもなあ、あれだけ美男美女が揃って居て、明確なか彼女持ち彼氏持ちがあの2人だけなのか。その意味でもやっぱり無駄美人漫画であり、無駄美少年なんだなあ「ちはやふる」。銀河美少年が聞いたら泣くよきっと。ってか銀河美少年って何なんだ。

 ふと気が付くと民主党の代表選が終わっていて管総理が圧勝で続投していた。面白みって意味では欠けるけれどもそれが世の中の雰囲気ってものなんだろうなあ。けどでもいったいどこまで政策においての判断があっったのか。内実においての選択があったのか。空気も立派な評価軸、って言えば言ってしまえるんだろうけれど、それが向かう先にあるのは空気ではないってことはやっぱり感じておくべきだろう、誰しもが。ともあれ続投。そしていったいどうなる小沢陣営。間を飛んだだけだった鳩山由起夫前総理とかもはやこれまで感が出そうだよなあ。そして小沢一郎さん本人。黙ってこのまま引っ込むとも思えないだけに、次の1手がちょっと凄そう。それはやっぱり割ってくっついて代表に? そこまで見据えた上じゃないと迂闊なことは言えないなあ、メディアも議員も。

 栗山千明さんを見に行く。違った栗山千明さんが登場してライトノベルの新人に賞を下賜する式典を見に行く。それも本来的には違っているけど世間的なイメージではやっぱり栗山さんが認知度でトップで、そんな彼女が絡んだ賞なら彼女がすべてをしきり決めて賞も与え賜うものだってことになってしまうから仕方がない。従って賞の序列も栗山千明賞がトップであって次に大賞があって金賞優秀賞と続いていく、ってことなのか。そうかもなあ。いやそうじゃないけど。そうなっってしまいそう。うーん。まあいいか、最初でそれだけ注目を集められたものやっぱり栗山さんがいてことだった訳だし。「この栗山千明が選んだライトノベルがすごい!! 大賞」。こうして幕を開けました。違うって。

 でもまさか5人にちゃんと花束を贈呈する役割を果たして頂けるとは思わなんだ。あとちゃんとそれぞれの作品にコメントを出して頂けるとも思わなんだ。自分の名前が冠された大間九郎さんの「ファンダ・メンダ・マウス」にのみ言及し、あとは壇上から微笑んでいるだけかと思ったら、30分くらいの間だを喋りほほえみ立ち手渡し、歩き並んで写真に収まっていた。さすがはプロフェッショナル。そしてライトノベル読み。これだけの逸材は他になかなかいそうもないから来年もやっぱり栗山千明さんを特別選考員にして、栗山さんから「お読み」と与えられた原稿を読んで捧げつつ栗山さんが「これよ」といったものから順に賞を付けていく、その下働きをする栄誉に浴せるものと信じたい。栗山さんが目の当たりにできるとあれば、応募だってきっと増えそうだから。今年が700通なら次は一気に倍の1400通。読む人大変だなあ。最終選考は候補作だけ読めば良いから安心だなあ。そうなの?

 そして並んだ受賞者は若いっぽい。そうでもなさそうな人がいてもとりあえず僕よりは確実に若いっぽい。そして前向き。書いても次が書けるかと懊悩するより先に、書いて次を出さないと、他の書きたいものも書けないってくらいの前向きさでもって、授賞式に臨んでいる。もらってそれがゴールじゃなく、もらってそれはスタートなんだってことを肌身で感じている。この意識の持ちようが、作家として書き続ける上で重要だし、中身を保つ上でも大切になってくる。それが出来ている人たちによって紡がれる次の作品は、やっぱりきっと面白いものになっているだろう。何時出るか、何が出るかは分からないけれどお出ることだけは決まっているならその時を、息を潜めつつ胸高鳴らせてまとう。んで、いつまで待てば良い?


【9月13日】 相手をさして「緑虫」とかって誹謗でしかない文言が書かれた段幕を掲げていた人たちに向かって、弱さの結果をほのめかしたものでしかない言葉を掲げてどうしていろいろ言われるのか、分からないといった気分もあるけれどもまあお互いに綺麗な言葉でやりとりをしながら高め合うって美しい光景の方が、気分も良いし未来も明るいのでなるたけ貶めるような表現は避けて行こうって思うこのごろ。とはいえ現実問題としてJ2において果たしてダービーが成立するのか、といったところに監視t「サッカー批評」の第48号とか見ると、あるいは難しいかもしれないなあって思いも漂う。

 海江田哲朗さんが書いたその記事の何が衝撃って試合の前に整列した東京ヴェルディの選手達の後ろに観客が1人もいないってこと。それが何の試合なのかは分からないけど、看板とか見ると公式戦だよなって検討はついて、けれどもバックスタンドの下も上も観客を入れられないくらいに人が入らなくなって来ている状況が、その1枚の写真から伺えてどうにももの悲しくなる。1993年にJリーグが始まってしばらくは、どの試合もプラチナとなって観客が入りきれないほど詰めかけた東京ヴェルディにしては淋しすぎる光景。別にサッカー全体が衰えている訳じゃない。同じ味の素スタジアムを本拠地とするFC東京が試合をしたなら、上はともかく下はちゃんと客が入るだろう。

 その違いがどうして生まれてしまったのかを今更言っても詮無いことだけれども、それでもどん底からはい上がろうとすがった新しい経営者たちが、いったい何をしでかしたのかってことが記事には書かれてあって、その熱情とは正反対のどたばたぶりがどうして起こってしまったのかといった疑問が浮かんで消えない。衰退していく過程で起こるならまだしも、もう後がない背水の陣ってところでどうしてこうした混乱が起こるのか。それをどうして誰も止められなかったのか。わんさかいて口は達者なOBたちもいるにも関わらず、そうした迷走に気づき止められないところに、もうここまでかもしれないって空気がわき起こる。

 今のままでは借りにとしま園に誰かが新しいスタジアムを作って東京ヴェルディを誘致したところで、味スタのバックスタンドを埋められないでどうして3万人のスタジアムでやっていけるのかって問題にぶち当たる。やっぱり使われないスタンドの両脇で、そこですら2階まで人がいっぱいにならないサポーターたちが頑張って応援を繰り広げ、選手達を鼓舞する状況が続くだけ。それより3年先まで保つのかっていった切実さの方が先に立つ。日テレ・ベレーザを応援して来た身として兄貴分の動勢は気になるところだけれどここに来て未だ見えない未来図に、果たしてどうなってしまうと呻吟。とか言いつつジェフユナイテッド市原・千葉も相当にヤバいんだけれど、4位でそして3位のチームは1試合少なく実質の価値点差は4。これを逆転してさらに上を目指せるか? そんあ状況になる以前に何とか手を打って欲しかった。ポポビッチポポビッチと100回唱えればどうにかなるかな。なるならとっくになっているよなあ。茫然。

 そんな「サッカー批評」で、かつて中田英寿選手といっしょにU−17に出場した選手たちを追いかける連載があって、それなりに名を挙げながらもプロでは活躍できずプロにすら入れなかった選手もいたりして、けれどもそれぞれが自分の道を見つけて進んでいるって内容の末尾辺りに、今の中田選手が「旅人」の傍ら繰り広げている例の「TAKE ACTION FOUNDATION」と日本サッカー協会との関係について、興味深い記述がが。読めばなるほどそういうこともあったのかもと思えてしまうけれども、本当のところは不明。つまりは例の甲府での試合に絡んで、慣例をすっ飛ばして実施をごり推ししたことで、犬飼会長への支持がぐっと減り、小倉純二新会長が誕生した会長戦での撤退につながったって話になっている。

 もちろん慣例無視が時に前進を生むことがあるのは承知している。今の日本サッカー協会に感じられるあまりな慣例重視が結果として新しいことをスポイルし、前進につながるようなアグレッシブさをもたらしていない感じがあることも見えている。その辺りは毀誉褒貶あれど川淵三郎チェアマンがいた頃に、「DREAM」と習字してから新しい試作として打ち出した、女子サッカーのなでしこジャパンの強化だったり、プリンスリーグの創設といった辺りを結果として見ているだけに、前例踏襲ばかりが良いとは限らないと分かっている。

 けれども果たして「TAKE ACTION FOUNDATION」の甲府でのプロジェクトが、お国自慢の興行として瞬間の盛り上がりに繋がった意外に、どれだけの効果をもたらしたのかを考えた時、決して革新と進歩をもたらすものではなかったといった空気が、割に漂いがちになる。それがごり押ししたと言われる犬飼会長への批判も止むなしといった所だったのかも。とはいえ問題はそうした犬飼会長の所作以上に、あの才能が興行にもまれてサッカーのためにほとんど役だっていない所にありそう。じゃあ他の役に立っているのかというとこれも……。そんなあたりも含めていよいよ何か新たな動きでもあってくれるとありがたいんだけれど、またぞろ名球会ならぬ名蹴会とやらが青年将校な会議所あたりを引っ張り込んで、妙な動きを画策し始めているからなあ。サッカー協会が主軸となってちゃんと遇しつつ結果を見せつつやれば誰もそんな方へはいかないのに。バブル後の停滞以上にヤバい空気。困ったなあ。

 まさか21世紀にもなって「キャッツ・アイ」の新作を読めるようになるなんて。まさか21世紀にもなって「サイバーブルー」や「花の慶次」の新作を読めるようになるなんて。どっちも「週刊少年ジャンプ」誌上で連載がスタートしたのをリアルタイムに見ていた漫画。それが30年とか20年の時を超えて蘇ってくるんだから息が長いというか、息長くさせられているというか。例の「週刊コミックバンチ」の一時休刊を受けて新たに編集元だったコアミックスが立ち上げる「コミックゼノン」の創刊ラインアップが判明。「エンジェルハート」や「コンシェルジェ」がシリーズを新たにして続く上に、原哲夫さん北条司さんのプロパティが作画を別に迎える形でスタートして、昔ながらのファンを懐かしがらせてくれそう。

 とはいえ懐かしがらせるだけでは着いてくるのはそんな人たちだけ。新しいファン層を巻き込むには単なる続きじゃなくって「キャッツ・アイ」なら「キャッツ・アイ」のコンセプトを今にマッチする形で蘇らせ提案していく必要がありそう。もちろん森三中みたいな面々が現れ「キャッツ・アイ」がもしも横に広がってしまったら的パロディをやる必要はなくって、鮮やかな手口で盗みをはたきつつその目的としているものに近づいていくドラマって奴を、見せてくれるってこと。技術も何もかも進んだ現代に生半可な怪盗ではすぐに捕まってしまう。その辺り、21世紀仕様の「キャッツ・アイ」って奴をどこまで描いてくれるのか。期待しつつ不安がりつつスタートをまとう。あとはやっぱり原さん描く「織田三郎信長」かな。慶次より伊達政宗より佐々木道誉より傾いた男、織田信長を「傾け」がテーマの雑誌でどう描く? 見物だねえ。


【9月12日】 南井大介さんの「小さい魔女と空飛ぶ狐」を読んでしまって空戦について刺激されてしまったんで前に買ってあったブルーレイディスクの「スカイ・クロラ」を掘り出して明け方まで見てしまう。やっぱり大好きだよ僕はこの「スカイ・クロラ」ってアニメーション映画が。冒頭のへし折られた燐寸を気にする草薙水素の姿からやって来た函南優一に水素と何か因縁があるんじゃないかと匂わせつつ、情報としては小出しにしていってやがて永遠とは言え繰り返されていたりする生について感じさせ考えさせるようにしているあたりの、絵と展開とセリフとの絡み合いにまるで無駄がない。

 本筋には絡まないドライブインの老人やオーナー夫婦も一般人って視点から函南たちキルドレや、戦っているロストックの面々の浮き上がりっぷりを見せる作用を果たしてる。迫力はなく派手さもなく漫然と過ぎて終わってまた始まるループのような展開を、また押井だとか引きこもりとかいって嫌う人がいるのも仕方がないけれど、そうした部分を見せつつちゃんと整備士のおばちゃん娼館のご婦人方に基地の男見学の客といった一般の人たちを配置することによってちゃんと外側があって、そうしたところに行こうとしてもいけないあがきを見せ、やがてあがきさえも曖昧さの中に埋もれてしまう悲しさを描いている。良い映画。また劇場で見たいなあ。

 そういやあ「スカイ・クロラ」には声で「このライトノベルがすごい! 大賞」の特別審査員としている栗山千明さんが出ていたんだと見ながら気が付いた。あの風貌でいつも無口な姉御を想定されるけれども、喋ればふつうに激情も見せるお嬢さん、って感じの役柄。常に冷静で淡々として縁に絶望をはらんだ菊池凛子さんの声との対比もあってなかなかに聞かせる。選んだ人偉いなあと改めて。まあ最近は男装してバンドやったりおかっぱに眼鏡で「げんろんちょりー」とか発したりとコメディエンヌなところもバリバリ全開。その分トゲトゲ付きの鉄球を振り回す激しさが減ってはいるけどそれも、今という年齢ならば何でも挑戦して悪くない。やがて年を重ねて落ち着きが出てきた時にまた、増すだろう凄みにマッチした役ってのを演じていけばそれはそれで幅広く末永い女優としての活躍も、期待できるんじゃなかろーか。目指せ21世紀の入江たか子、ってそれって化猫やるってこと?

 ぽつりぽつりとネット上にも「このライトノベルがすごい! 大賞」の受賞作についての感想なんかも出始めて、まあいろいろ毀誉褒貶あって面白いというか興味深いというか誰が選んだんだというかそれを言うなら鏡を見ろとかいろいろ声もありそうだけれど、ともあれ悪評不評でも評判になることがまずは大事。その意味でそれなりな滑り出しを見せてくれたんじゃなかろーか。個人的に一押しな栗山千明さんが一押し(何か違う)の大間九郎さん「ファンダ・メンダ・マウス」を、栗山さん推しだからという理由ではなく読んでダークでブラックでキッチュでハードでグロテスクな内容も含めてしっかり了解して頂いている人が多くて安心。「僕たちは監視されている」については実はやっぱり怖くてまだ刊行版を読んでないけど世界設定に関する部分、己のプライバシーと病的な輩の暴発とをトレードオフできるか否かといった部分であんまりつっこみが入ってないところを見ると、ちゃんと了解できる内容になっていたんだろう、たぶん。

 おかもと(仮)さんの「伝説兄妹」はやっぱりなあ、あの強欲すぎる兄貴への悪評不評がバンバンといった予想どおりの講評を散見。それでもぶっとばしていくパワーがあってまあそれなりに読まれていっているみたい。木野裕喜さん「暴走少女と妄想少年」はライトノベルっぽい読まれ方。ライトノベルだから当たり前か。そして大泉貴さん「ランジーン×コード」。あの複雑にして重層的で観念的な設定をみなさんよくちゃんと理解して読んでるなあと感心、って感心している場合じゃないけど読んで読み込んで探って理解してそしてまた読み進める苦しさと楽しさって奴を、このすらすらすいすいな時代に求めても悪くないんじゃないってことで。さてもいったこれらの5作を書いたのはどんな人たちか。取り上げるテレビとか出て来ないかなあ。来ないよなあ。
 テレビでやっていたんでそろそろ行っておくかと千葉県在住の利便性を生かして千葉市美術館で開催中の「田中一村展」へと向かう。さすがに今日の今日という「日曜美術館」での紹介日だけあって来る人も多かったけれども千葉市美術館なんで人垣で絵が見られないってことはないのがありがたい。でもって入って驚いたのは、田中一村と言えばなあの奄美大島の極彩色に見える絵よりも多く、それこそ10代の頃に神童と呼ばれながら描いていた絵から屏風絵襖絵軸絵といった日本画の基本中も基本な絵ばかりが7割以上を占めていたってこと。そのどれもがディテール彩色供に完璧なまでの腕前で、基礎として絵がとてつもなく巧い人だったんだなってことが伺える。

 イメージとして50歳までぼんくらで、奄美大島に渡って一念発起して絵を描き初めてそれがプリミティブな雰囲気でもって80年代の日本に受け入れられ、バブルの中で評価ばかり高まっていっていつしか凄い画家扱いにされたってな感じがあるけど実のところはまるで全然違ってた。アンリ・ルソー的素人の日曜画家業が生み出す情念と妄想の産物ではなく、それこそ30年もの日本画の下地をしっかり持ち、対象を性格にとらえた上で日本画的なデフォルメの中に落としこみ、かつ屏風や軸といったものの中に治めるようにレイアウトもしっかりと考え抜いて描いてみせる、プロフェッショナルとしての奄美大島の作品群。なるほどプロとして活躍しながら都会暮らしに愛想を尽かしてタヒチへと渡り島を描いたゴーギャンに例える文脈もよく分かる。むしろゴーギャンよりもプロフェッショナルかもしれない。

 あとこれも意外だったのはテレビとか画集なんかで見ると目に刺さるように鮮やかな色彩が、顔料を中心とした日本画でもって本物は描かれているためそれほど極彩色には見えない点。原色を多用し彩度でコントラストを付けるようというよりちょっとした明度の違いを使って画面に奥行きを持たせ色彩を感じさせるようにしてあるところも、多用した色の塗り重ねで描く油絵とは違った、濃淡を大事にする日本画の特徴と言っても良いのかも、って日本画がそうなのかはよく知らないけれど。東京芸大の日本画として田中一村の大後輩にあたる村上隆さんが絶賛しているのも、たぶん最近の画壇的な文脈の中で位置づけつつ自分もそれの乗っかって見せるといったものではなく、純粋に日本画の業として優れたものだってことなのかもしれないなあ、これも読んでないんで知らないけれど。どうなんしょ。


【9月11日】 逃げてばかりも居られないんで20枚ばかりをぐおっと仕上げて送り4枚も仕上げて送ってあとは野となれ麻美子となれ。目覚めてまるで暑さの途切れない中を電車を乗り継ぎ松戸まで出向いて「グッドスマイルカフェ」とやらを見物に行く。前にバンダイミュージアムなんかがあった側とは反対の、普通にビルとか家なんかが並ぶ郊外の駅前風景ん中を5分ほど歩いて見つけたカフェはビルの1階を改装したっぽい作りでとくに大がかりな仕掛けはなくって、秋葉原にある「ガンダムカフェ」ほどのコンセプチュアルさは無し。テーブルが並んでカウンターがあってって作りだけなら普通にカフェって感じだけれど、反対側に棚があってフィギュアが並んでいたりするところがかろうじてグッドスマイルカンパニーって感じを醸し出している。

 奥にスクリーンがあってそこではアニメーション版「ブラック★ロックシューター」を上映中。大きいスクリーンで見るとやっぱり動きとかは迫力あるなあ。でもやっぱりちょっとカクカクしている。急須が薬缶なシーンは見なかった。んで注文。ランチってことで2種類あったもう1つは忘れたけれどもとりあえず肉だ肉ってことでポークピカタをライスで注文、五穀米とは身体に優しくサラダも山盛りでなかなかの分量。そして肉も2枚とボリュームがあってアイスコーヒーも付いて900円ならたとえ松戸でも悪くない。デパートだったら1500円くらいはとって不思議じゃない分量。そしてクオリティ。こと食事にかけてはグッドスマイルカフェ、合格っす。カウンターにはTシャツとかが並んで販売中。白地に青い星が抜かれたTシャツはそうかアニメの中でマトが来ていた奴だったんだなあ。それもちょっとだけ販売中。お求めの方は是非に松戸へ。遠いけど。

 外を歩くと夏の日差しで今日は9月11日などではなく8月42日に違いないと確信。それはだからきっと夏への扉を閉め忘れているからに違いないとハインラインに会ったら文句を言おうと思ったけれど、考えてみれば夏への扉を探しているのはハインラインではなくって猫のピート。だからハインラインに文句を言ってもそれは猫のピートに言ってくれって返されそう。おまけに猫なだけに扉を探して開けることは出来ても、扉を閉めることはできないんだよなあ。だって見たことないもん、がりがりと扉を開けて入ってきた猫が扉をそっと閉めるところなんで。かくしてピートによって開け放たれた夏への扉は開きっぱなしとなったまま、温度はぐんぐんと上がっていつまでもいつまでも夏が続いてピートを喜ばせるのでありました。冬への扉を開く猫、どっかにいないもんかなあ。

 ってそうか9月11日か。あれからだから9年か。記憶だともっと涼しい中をより冷気が漂うような間隔でもってテレビを見ていたんじゃなかったっけ。もう何事が起こったかって感じで世界がこのまま終わるんじゃないかとすら思ったけれども世界は終わらないまでも緩やかに何かを変えていっている。ようやくもってイラクからアメリカ軍は兵を引いたけれども完璧なまでの秩序を作り上げた訳じゃないから10年も経たずにきっと何か起こりそう。アフガニスタンはむしろこれからが正念場。大きくは揺らいではいないものの少しづつほころび少しづつ壊れそして組み変わっていく世界の向かう先にいったい何があるのかを、予想することなんてできはしない。だいたいがこの日本だって明日にはどうなることか。足下の我が身だって……。来年の10年目。どんな状況で迎えているんだろうなあ。見つめ直す時期に来ているのかもしれないなあ。

 タイミングを合わせたのかそれとも偶然なのか。示唆的で風刺的な内容を本がなぜかライトノベルのレーベルから登場。女の子たちの飛行機づくりを描いた『ピクシーワークス』からかれこれ何年、南井大介さんの『小さな魔女と空飛ぶ狐』(電撃文庫)は2つの大国の狭間にあって内乱に揺れる国を支援しようと大国がそれぞれに軍隊を送って交戦中。そんなベトナムとも一時のアフガニスタンとも言えそうな状況の中で方や大学を飛び級で出た16歳の少女が天才的頭脳をひらめかせては戦争に勝てる兵器を作ると息巻き乗り込んできて、夜間戦闘にとてつもなく才能を発揮した飛行気乗りの青年を引っ張り込んで振り回す。こなたそんな飛行気乗りに兄を落とされた娘が見守る中で狂気にとりつかれたまま30年を無為に過ごしていた科学者が娘の涙を見て急に復活して、やっぱりとてつもない兵器を付くって戦場へと持ち込む。

 かくして始まる天才どうしのプライドをかけた兵器開発競争。けれどもそんな狭間で人は死んでいく。やがて起こったテロが大国どうしの代理戦争から対象国の抹消へと発展していく中で、天才少女科学者にはひとつの劇的な変化が起こっていた。科学の無謬性をどこまでも信じて外を見ようとしない態度が非難されることはあったし、科学は無謬出はなく科学は確かに人を殺めるけれども、より少数の死でもって治めて世界を救うといった納得のさせかたで科学を戦争に使うことを認めてしまう科学者もいる。でもって後で後悔するんだけれど。そんな科学と戦争との関わりを改めて思い出させてくれる風刺的なストーリーが『小さな魔女と空飛ぶ狐』には描かれる。

 これが時雨沢恵一さんの『アリソン』だったら劇的な発見でもって戦争が終わったんだけれど、人間たちがうごめく複雑な世界でそうそう戦争はなくならない。そんな世界とこれから対峙して少女科学者はいったいどういう風に折り合いをつけていくのか。その若さその才能、そしてその立場故に、敵国の狂気の科学者のように大人で老人で逃げてそのまま余生に入ることはきっと難しい。やがて成長して心に棚をつくり折り合いをつけながら発明に勤しみ生きていくことになるのかそれとも。現代にそうした兵器開発を進める科学者たちの心理って奴を、ちょっとかいま見たくなって来た。まあ核兵器以上の発明は起こってないから、呵責もそれほどのものではないんだろうけれど。

 キャラクターに関しては誰もが最高。本当は戦うのが嫌いで夜間戦闘なら人の死ぬ様を目の前で見なくても済むからって消極的な理由でそっちに行って名を挙げてしまったパイロットの青年しかり、その彼を幼い頃から知ってて家来のようにこき使ってきた主家のお嬢さまで今は軍隊での上司にあたっているにも関わらず、自分のことを「リード姉様と呼べ」と液体窒素より冷たい声で命じたりしつつ、持ち込まれる縁談を全部断っていたりするシャイな性格の少佐殿しかり、それぞれに屹立して迫ってくる上にこちらは美少女あちらはおっさんながらもともに天才ならではの我が儘独尊ぶりをまき散らす2人の科学者が何より強烈。そんなキャラたちにちゃんと戦う理由を保たせ逡巡する理由を与えて戦争と科学の関係について考えさせる。面白さと巧みさと強さを持った作品。続いて大佐になったリード姉様の叱咤とか美少女天才科学者の暴走とか、そんな狭間であわてふためく天才パイロットの話とか読みたいけれど、続かないよなあ、やっぱり。

 ラジオに栗山千明さんが出演して「『このライトノベルがすごい!!』大賞」(略称「こラすごい」)について語っていたとかどうとか。帯にも堂々の栗山印で5冊の中でも目立ち具合が半端じゃないあたり、もはや「このライトノベルがすごい! 大賞」は栗山千明賞こそが最高賞であって全体もすべて栗山さんが決めているんじゃないかといった概念が知れ渡っていってしまっている様子。本当のところはどうなんだ? よく知らない。選考会で玉座にクレオパトラ然と鎮座まします栗山さんの前で、平身低頭するヒラ選考員から候補作が掲げられ、それを一瞥して「没」「全没」と液体窒素よりも冷たい声で言われてさらに平伏する中で、唯一「ファンダ・メンダ・マウス」を見た時だけ、「看板娘ですっ」と豹変したどこかの同場主の如くに優しい声で「諾」と言って、それで全選考を終えたといった話が本当なのかどうなのか。選考員にあったら聞いてみよう。


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