縮刷版2010年6月中旬号


【6月20日】 そして明けた世間は惜敗を伝える報道に一色で、相撲賭博はいったいどこいった感がみっちり。まあ週明けには理事会が開かれてそれでヌルい対応なんかが出されてまたぞろ盛りあがっていくんだろうけど、その後に控える日本とデンマークの決勝トーナメント進出を賭けた1戦に向けた報道がヒートアップする中で、掠れ薄れてうやむやにされてしまう可能性もあったりなかったりしていそう。さすがにそれはないかなあ、野球賭博だし、裏とか闇が1枚噛んだ。

 重要なのはそこんところでいくら何十人かが手を挙げやりましたって言ったところで、それが部屋で稽古が暇な時にちょっと仲間内でカブだのチンチロリンだのやってお駄賃のチョコレートを行ったり来たりさせたところで、世間はお怒りにはならないしメディアにだって怒り非難するだけの度量はない。大昔の新聞記者の自伝なんかだと記者クラブに置いてあった雀卓囲んで昼間っから麻雀やって「勝った」「負けた」とやってた話が書かれてある。それが単なる「勝ち負け」ではないことは多くが承知。さすがに今はなくても、そうした経験の全員が皆無ではない状況で身内でキャンディーを食べたり食べさせたりする行為を大上段から非難するのはなかなか辛い。いけないこではあるけれど。

 あるいは夏と春に西の方角で開かれる丸坊主共が球を投げたり棒を振ったりして金剛石を回したりする行事に関して、枠が決まってその下に名前が並ぶような儀式の果てにグミが出たり入ったりするような話とか。悩ましいのはそうしたあっては拙いことは承知で、それでもあったりする行為までもが一緒くたにされて語られてしまっている状況で、それが意図されてのことなのかそれとも本気で全部をまとめて包んでハイサヨウナラとさせたいのか、分からないからどこに向かって突き進んでいるのか予想に困り、判断に迷う。

 本気だとしたらそれはいつか身内にも跳ね返ってくること。なるほど官房なんとかに関して言われてもなしの礫を決め込む度量をもってすれば、そうしたブーメランも除けられるけど、世間はそうした首の引っ込めぶりをちゃんと見ていて帳面に減点を着けていく。もはやマイナスにすらなっているかもしれない点数はやがて引っ込めた首を胴体ごとちょんぎり墓穴へと放り込んでいくだろう。本気でないとしたら問題はだから一緒くたにして情報を出している両国方面にあってそれで一緒くたにしてささいなことですと逃げようとしているのだとしたらこれも甘い。

 チョコレートやキャンディーやグミだって甘いけれどもやりとりしたってそれまで咎めるお上はいない。動いているってことはつまり……。その重大さを認めつつ情状も酌量してもらいつつ事態を繙いていかないと、うやむやが手足を縛り達磨さんにようにしてしまって土俵になんて誰も立てなくしてしまうぞ。ああいや転んでも起きあがる達磨さんどうしの闘いならいつまでたっても決着が付かないからそれを狙っていたりするのか。うーん。意外に知恵物がいるな両国。ともあれ今週の動静ですべてが決まり未来も決まる。メディアも含めて。

 見上げると曇天だけれど雨は降ってなかったんで支度をして「幕張メッセ」で開催中の「次世代ワールドホビーフェア」に行ったら、間違えて「旧世代ワールドホビーフェア」に紛れ込んでしまった。だって。あっちで賑わっているのはヨーヨーで、こっちではベーゴマに興じる子供たちがいて、振り向くとビー玉を転がして遊ぶ子供がいる。やや離れたところではおはじきを転がしぶつけ合って楽しむ子供達。カルタみたいな絵の描かれたカードをやりとする子供たちもいる。射的もある。デジタルでマルチメディアで3Dな21世紀も10年代に入った日本の光景とはとても思えない。

 思えないけれどもこれが現実。そして人気の最先端ってところに遊びってものの本質って奴が、やっぱり潜んでいたりするんだろう。そうした遊びの面白さを、便利さによって引き出すのがテクノロジーであってそれがデジタルであってもマルチメディアであっても3Dであっても同じこと。デジタルであること、3Dであることが優先されて語られる場所に子供達を引きつける遊びなんて生まれないのだってことを、多分ちゃんと任天堂は知っているんだろうけれど、メディアは気づいてないからテクノロジーやハードが前面に立って語られる。そして見逃し置いて行かれたりするのだ。っていうかすでに置いていかれたりするんだけれど。デジタルだ電子だと行ってそこに流される物に違いがあるはずないのにね。

 けどそうした旧世代ワールドにあって見えないのがメンコ。これも昭和の子供にとっては遊びの中心だったんだけれど、どこかの会社がそれを今に復活させようと挑んだどころでやっぱり復活しなかった。遊びそのものにダイナミズムがないのとあと、ヨーヨーやベーゴマみたいにメカニカルな部分で進化を促し楽しみを引っ張る出す工夫って奴がしづらいのかもしれないけれど、一方ではメンコってものが昔も遊びは一種の儀式であって、目的はそこに描かれたものを集め揃えることだったりした。そうした行為はトレーディングカードゲームに生かされている訳で、これも遊びの本質、楽しみの本質が変わらないってことそ示しているって言えそう。こうして見ると次に来そうな遊びも見えてくる? でも他に何かあったっけ? ケンケンパ? そりゃちょっと。ジターリングでないことだけは確かだけど。

 歩いていたらチーバくんが現れた。真っ赤な巨体を揺すってあらわれ愛想を振りまいていったチーバくんはエスカレータでプレナ幕張の3階に上がっていったはずなのに、降りてアウトレットモールの中にあるくとそこに先回りされていた。双子か? それともワープか? 謎に満ちたチーバくん。しばらく追いかけ写真を撮りながらその人気ぶりを確認する。子供とか寄ってくるもんなあ。そして耳を引っ張り舌を引っ張りたしなめられるのでありました。いつかのケロロ軍曹といっしょだ。子供だって やっぱりそれに“中の人”がいるって分かっているんだね。

 それにしても思えば登場した時は色といいその形の無理っぽさといい、ゆるさ以前の適当さも漂っいたチーバくんだったけど、時が過ぎて露出が増えるにつれて存在感を増して今ではすっかり千葉県の象徴となってしまった。それはせんとくんにも言えることで、人間、慣れればどんなものにだって親しみを込められるのだと思い知る。せっかくだからとTシャツも購入。そしてドリームズ・カム・トゥルーの歌に合わせて踊る小学生を見てから退散。9月の国体の開会式ではきっと極上のほほえみに包まれたチーバくんが見られることだろう。行こうかな開会式。


【6月19日】 同じ千葉だしカラーも同じ黄色だからって常磐線と内房線を間違えるのはやっぱりスコットランド暮らしが長かったからなのか水野晃樹選手。セルティックから期限付きってことで日本に帰ってきて所属することになったチームが出身のジェフユナイテッド市原千葉ではなくって柏レイソル。同じJ2に所属して昇格を争っているチームに入るってのはジェフ千葉との間によほどのことがあったのか、それとも柏レイソルからよほどの物がもらえるのかって勘ぐりたくもなって来るけど、それもまあプロの世界だ契約だ、仕方がないと認めつつそれなら分かった粉砕だってことで迎え撃つから覚悟しろ。粉砕される可能性もあるけれど。あるかなあ。

 ただしかしシーズン開始から半年が経って日本の開幕に合わせての移籍ではなくって、欧州がこれからシーズンを始めるって時にいないって辺りが本気で海外からの帰還を目指していそうでちょっとガッカリ。チャンスがなくたってそれを切り開いてつかんでこその将来性。パクチソンもイヨンピョもパクチュヨンもチャドゥリもイソンヨンもそれをやって欧州のチームで居場所を得た。セルティックだったらまさにキ・ソンヨンがそれなりな活躍を見せて水野が未だつかめないでいるレギュラーの座を一時であってもちゃんとつかんだ。それに倣えば水野にだってチャンスがなかった訳ではないけど、それをつかめなかったってことはやっぱりそこに留まってしまう選手でしかなかった、ってことなのかなあ。そうだとは思いたくないよなあ。うーん。ともあれ日本でどんなうごきを見せるかに注目。

 「PLANETS」が引っ越してきたかのよーなクロスレビューが登場していた「月刊サイゾー」の2010年7月号。それを始めた理由を自分の1ページも与えられているコーナーでもって説明してしまう勿体なさはそれとして、同じクロスレビューでも漫画を評価するのとCDを評価するのとドラマを評価するのとアニメを評価することの、かける時間の長さに対する書ける量の塩梅なんかが気になってしまう梅雨の朝。2時間を超える映画に見れば結構な長さのテレビシリーズを担当させられるのって大変だよなあ、やっぱり。それで気づいた「デュラララ!」に描かれた状況の零年代っぷり。なるほど今ならTwitterが当時は掲示板だったんだよなあ。懐かしい。けどそうしたガジェットの古さを超えて楽しめる要素ってのが原作にあるからこそ、アニメも成立し得る訳でひとえにアニメのスタッフが頑張ったってやるのはちょっとちがうんじゃないか、って気もしてる。でなきゃみんなあんなにのめり込まないってば。

 そんな「月刊サイゾー」でももっと驚いたのが裏表紙に堂々登場の谷口崇さんのDVD発売広告。出るんだ。っていうか出すんだ。何度か見ていてそのシュールさその得体の知れなさに興奮しつつ怯えたりもした作品群。それがDVDとなって綺麗な画像で家のテレビに映し出されて果たして貴方は正気でいられるか。いっしょに踊り出したりはしないか。興味も覚えるけれども今はワールドカップに毎日が忙しいんで見るのはその後。それにしても谷口崇さん、前に東京国際アニメフェアで見かけて進路とか伺っていたんだけれど、その後はどうなっていたんだろう? フリーでやり始めたんだろうかそれとも。発売前だったら取材とかしていろいろ聞き出したんだけれど、発売されちゃったんでまあ良いかな。

 どんな仕事も厳しいけれどもSEの厳しさって奴は半端を超えて凄まじい、ってのは大学4年の時だったっけ、就職してからだっけ、1つ2つ上の人たちが集まった飲み会の場でもってシステムエンジニアになったらし先輩の人が持ってたタイムカードの時間が9時から5時までっていう世間の常識を外れてとんでもないことになっていたのを見た時から何となく知ってはいたけど、その時間が単なる待機の延長なのかどうなのか、って辺りまでは踏み込んでいなくって、長いだけで密度薄いだけちゃうんかとか、傍目から舐めて見ていたりもしたけれども待機とぶら下がりに時間ばかりとられて中身は薄いブンヤ稼業とはまるでちがうというか正反対だった模様。

 夏海公司さんって「葉桜が来た夏」が感動のうちにフィナーレを向かえた作家の人がどういう理由からか書いた「すぐなれる!SE 2週間でわかる?SE入門」(電撃文庫、590円)によればその密度は鉄よりも固くそして長さは万里の長城よりも長いといって過言ではなさそう、体感的には。就職難の中でどうにかありつけたSEの仕事。お客さんの声に答える感動を僕も味わいたいですなんてお花畑の頭で行った会社にいたのはおっさん社長とスパルタな上司のお嬢ちゃん。いきなりコンフィグ書いて来いっていってそりゃ何ってところから始めようとしたらすかさずググレバカ。こりゃ痛い。けど痛がってばかりもいられない状況が次から次へと降りかかり、もうダメだ逃げだそうとしていた矢先に降って湧いた仕事で得られたちょっとした自信、そしてお礼が彼にSEとしての道を歩ませる。騙されているとも知らないで。

 いや騙されているかどうかはわからないし、あるいは上司のお嬢ちゃんがちょっとしたスキを見せるふりして相手に自信を持たせてずっと居着かせこき使おうと考えただけかもしれない、仕事先もグルになって困った状況を演出しただけかもしれないけれど、そこまでいろいろ画策している暇もなさそな貧乏所帯、でもって社長の安請け合いが頻発する組織。次から次へと降りかかる案件をばったばったとこなしながら桜坂洋、ではなかった桜坂工平は立派なSEとなってマグロのように会社で寝泊まりする兄ちゃんとなり果てるのでありました。ってそうなるのか? でも上司がオタクなおっさんじゃなく、ベッキーみたいな小さくてかわいくて転載で口が悪いけど根は悪くない娘ってのはポイント高いよなあ。そんな会社があったら今からだって転職しちゃうぞ。でもってググレバカと言われて泣いて飛び出して逃げちゃうぞ。

 たぶんもうきっと中村俊輔選手を代表で見ることもこれでなくなってしまうんだろうなあ、オランダという強い相手にワールドカップという場で対戦できたことを置きみやげに去っていってしまうんだろうなあ、なんて思わせてくれた日本代表対オランダ代表選。1点をリードされた後半途中で入ってさあアップテンポで攻めるぞって時に1人、悠長にボールを持って走ってどんずまりになってしまう繰り返しを演じてしまうとこに、変わってしまっている状況にそぐえない資質って奴が見えてしまって最後感を醸し出す。相手が相手ならあるいは、って思えなくもないけれど、逃げ切りに入ってプレッシャーもさほどキツくないオランダを相手に突き進めないんだから仕方がない。世代がちがうってことを周囲に分からせつつこれでお役ご免となっていくんだろう。ありがとう俊輔、って次のデンマーク戦でいきなり先発してたらどうしよう。ところで内田篤人って選手は落選したの? 見ないんだけど。情報も聞かないんだけど。もしかして亡命したとか?


【6月18日】 あの1点が決まっていたら? という仮定の無意味さは分かっているけど、でもやっぱり思ってしまう、アルゼンチン戦で韓国代表の選手が、パク・チソンから多分出たボールをしっかり相手のゴールに決め手2対2の同点に追いついていたら、前掛かりになるより守備をしっかりと意識して、アルゼンチンの攻撃をしのいで引き分けのままで試合を終えて勝ち点1を確保したかもしれないってことを。

 もっとも、メッシのいないバルセロナと称されるスペイン代表が、スイスの固い守備陣を切り裂けなかった原因に、メッシの不在があったとしたら、そのメッシを擁するアルゼンチン代表は、どんな強固な守備だってメッシ1人の力で打開できるってことになる訳で、実際にゴール前からひょいと浮かして、左から来た選手にボールを渡してそれを中に折り返させた技なんて、どれだけ守備を固めてたって守れやしなかっただろうから、やっぱり韓国の敗戦はやむを得なかったってことで。

 でもって始まったナイジェリアとギリシャの闘いは、守りに定評のあるギリシャがフリーキックを頭上に逃して決められ1点をリードされたところから、しっかりと攻撃をしかけて見せて2点を奪って見事に勝利。1戦目を韓国に敗れた分を取り返し、これで次にアルゼンチンと引き分けるなりすれば韓国がナイジェリアと引き分けるかした時に、得失点差で上に抜けていけそう。韓国はさてもナイジェリアに勝てるかどうか。そこがアジア的には注目か。日本も加わって欲しいけれどもそれはオランダ戦の結果待ち。

 しかしギリシャはレーハーゲル監督の下で同じことをやり続けるなあ。調子が悪かった時もあるけどそれでもしっかり結果を出してワールドカップに出場して来たから素晴らしい。継続の意味ってやつを強く感じる。一方で見てはないけどフランスはけちょんけちょん。タレントを揃えながらも無得点ってところに病巣の深さって奴が見受けられる。こちらもドメネク監督が長く指揮し続けているけれど、ユーロ2008の敗北を受けてもなお任せ続けた結果がそのまま現れたって言えそう。これはこれで継続の無意味さって奴を強く噛みしめられる。日本はどっちを選ぶべき?

 壁井ユカコさんの「五龍世界」(ポプラ社)はかわいい少女に見えた龍人の正体とそれから性格の悪さが明らかになった一方で、悪人に見えた神父だか牧師だかがこれはこれで悲惨な過去を背負った善人で、使命感を負って龍人をとらえようと旅していたことが判明。けれども聞き分けのない少女が先走っては多くを不幸にし、師匠も不興にするような所業に出てしまた辺りに運命のままならなさって奴を感じさせられる。まあでも半分は寿命みたいなものだし、龍人もあれで稚気が走っただけって言えなくもない。人間の常識や情実とは無縁に育ったんだからそれも仕方がない。そうした部分も含めてこれからの展開があったなら、追いつめおいかけ更正されるなり調伏するなりするドラマが楽しめそうだけれども、続くのかな?

 おお「ラブプラス+」が「ファミ通」とか電撃のゲーム雑誌の表紙になっているぞ。来週の発売だからタイミングとしてはバッチリなんだけれど、こうしてゲーム雑誌でストレートフラッシュをとれるゲームになるとは去年の今頃に、ゲームの構想が明らかになった時にいったいどれだけの人が思ったのか。なるほど革新性って奴は意外なところから生まれてくるものなのだなあ。まあそれでも発売間際もゲーム誌で表紙に取り上げるところは多くあったし、発売直後からも一気にわき上がっていたから世間にもちゃんと、良い物を見分ける目があったってことで。問題は一般のメディアがまるで疎いってことだけど。Jな事務所が絡んだりする作品はわんさか持ち上げても、中身を持った作品をしっかりレビューし流行らせる機能はまるで果たさない、っていうか果たせないんだからなあ。むしろ足を引っ張るくらい。滅びは近いかもしれないなあ。

 すでに滅びてる? って事態も勃発。ジャーナリストの江川紹子さんがいつも出演しているTBSの「サンデーモーニング」から下ろされかかっているという話。番組にコメンテーターとして出て政治社会について役割を担っていたんだけれど番組だから途中に挟み込まれるコーナーにも立ち会って、例の張本勲さんが大沢啓治親分といっしょにスポーツに“渇”を入れるコーナーでもって岩隈投手のピッチングに張本さんが「渇!」とやったところにファンとして異論の「えーっ」を言ったところ、それが張本さんにとって苦手だったみたい。

 江川さんの同席を張本さんはむずがった模様で、TBSは江川さんにしばしの休養というけど傍目には実質的な外しとしか思えない行動に打って出て、それに対してコーナーを分ければといった提案を江川さんがしたものの、張本さんの以降は同じ番組に出たくないということらしくそれならばと江川さんが休養の道を選ばざるを得なくなった模様。もちろん情報は確実ではなく、あるいは張本さんの方が大きく気にはしていなくても、TBSが気を遣いに使って江川さんを外そうとしたとか、逆にTBSはいくら尽力したけど張本さんがテコでも動かなかったとかいった可能性はないでもない。江川さんに当人は自覚していない落ち度があった可能性もないでもない。

 いずれにしてもテレビ局が出演者のプライオリティを勘案して、出演者を選ぶこと自体に間違いはなく、視聴者層を推定し視聴率を考えた上で張本さんをとったのらなら、それはそれで認められないことはない。ただし、そうした事態へといたったプロセスが、あからさまにされ得るという状況への配慮がまるで見えないことがこの一件ではとてつもなく問題だ。以前だったら情報は内輪に止められて密室の中で取引が行われ、結果としての休養という事実が伝えられるのみで、後にそこに胡乱な空気をかぎつけた週刊誌が話題にするなり、力関係かバリューを勘案して話題にしないなりといった判断が行われた。

 けれども今は、個人が情報を即座に発信し、それを半端でない人間が閲覧すりことが可能。刑事事件の取り調べではなかなか実現しないプロセスの可視化が行われている状況と言え、そうしたプロセスから人は何が正しくて何が間違っているのか、誰が至っていて誰が至っていないのかを判断できる。この場合はどこに矛先が向かうかも、おおよその予想がつくにもかかわらず、そうしたことへの配慮もなしにヤってしまった放送局の対応に、不用意さが覚えられて仕方がない。まあそうした配慮が出来る局なら過、去に幾らも問題を起こしてBPOとかからいろいろ言われることもない訳で、体質として漂っていることがここでも浮かび上がっただけ、って捉え方もあるいあ出来るのかも。予想を超えての大事化に果たしでどう出るTBS、そして張本さん。


【6月17日】 だからデル・ボスケ監督は早売りで「Number」の週刊文春6月25日増刊号、ワールドカップ特集版を買って日本語をスペイン語に直してもらって読んでおくべきだった。そうすればスイスがどんな守り方をしてスペインのパスサッカーに付け入る隙を与えず、逆にカウンターで得点を奪って逃げ切るかを承知できた。承知した上でそれならばと対応を練って攻撃に厚みを加え得点を奪い、相手のミスを誘って追加点をさらに奪って逃げ切ることが出来た。

 それなのに。ああそれなのにまさに「Number」でジョゼ・モウリーニョ監督が「スペイン黄金の中盤、その攻略法を教えよう」と指摘している通りの守り方をスイスにされて得点を奪えず、逆に奪われて敗戦の憂き目に。分かっているけど止められないパスサッカー。そして分かっているけどやられてしまうスペインサッカーという無様を見せてしまった。初戦を落としてグループリーグを抜けられたチームは、32チームになったフランス大会から過去3大会でわずかに3チーム。そこにスペインは加わることができるか。チリとホンジュラスを撃破できるか。うーん。現代の無敵艦隊は喜望峰に散るってしまうのか。

 モウリーニョは言っている。「スペインはポゼッションを保って攻めてくる。彼ら相手にボールを回されるのは、ある意味仕方がないことだ。しかし自分たちが中盤と最終ラインの間を狭く、コンパクトに保っていれば、彼らは前がかりにになる。両サイドバックも上がり、どこかでバランスを崩す瞬間が生まれる。その時に、手数をかけずに素早くゴール前まで持ち込むこと。どんなチームにとってもスペインに勝つのは至難の業だ。しかしその方法はある」。実際にあった。スペインはスイス相手に圧倒的にボールを支配し完璧なまでにパスを回してゴール前まで迫っても得点を奪えなかった。逆にカウンターから混戦となった中を奪われた。そして敗れた。

 アンチサッカーだって? 守るだけでは点は取れないかもしれないけれど守っていれば勝ち点は奪える。それがグループリーグに必須ならそうするまでのこと。モウリーニョはだからチャンピオンズリーグのバルセロナとの第2戦でそれをやった。けれども決勝ではしっかり得点も奪ってみせた。スイスが次に決勝トーナメントでスペインと当たったとしたら? 同じように守りはしても同じようなカウンターだけを狙いはしまい。それがサッカーの戦い方。それもサッカーの立派な戦い方であってアンチではない。日本代表のカメルーン相手の闘い方も、だからアンチサッカーではない。そう思いたいのはワールドカップのグループリーグを認めない人だ。すべてに決戦を求めたいなら甲子園での高校野球の如くにすべてをトーナメントにしたらいい。違うかい?

 グループリーグに相応しいサッカーをやってスイスは勝ち、グループリーグに相応しくないサッカーをやってしまってスペインを負けた。どちらもアンチサッカーではないし、それでもアンチというならスペインの方がグループリーグのサッカーに対してアンチを貫いたって言えるだろう。それでもそれこそがサッカーというのなら信念が違うというわけで、認めつつ眺めつつもこちらはこちらでグループリーグに勝ち点を奪うサッカーをこそサッカーと任じて次のスイスの闘いぶりを見守り、そして日本代表のオランダを相手にした闘い方を見守ろう。俊輔をトップ下で矢野をトップで左松井に右本田、とか見てみたいなあ。ボランチは長谷部に稲本という感じで。

 「うちラムだっちゃ」。うん、確かにラムちゃん以外の何者でもない。虎縞のビキニに碧い髪。テンちゃんを引き連れたその艶めかしくもビリビリきそうなボディは「うる星やつら」のラムちゃんだとしか言い様がないけれども、だったらこっちのラムちゃんはラムちゃんなのか。虎縞ビキニもテンちゃんもいっしょだけれども髪が違う。赤。何故に紅? それはきっと燃える阪神タイガース魂って奴を表したんだろうかそれとも借金で真っ紅になりかねない台所事情を表したんだろうか、分からないけど普段は見られない真っ紅な髪をしたラムちゃんも、みればやっぱりしっかりと「うちラムだっちゃ」。そのとおり。紅鬼でも碧鬼でもラムちゃんはラムちゃんなのだとそのスタイルから認識し、共に愛でて慈しもう、コトブキヤからいよいよ発売となった「阪神タイガースラムちゃん」を。

 買ってみた「AiR」。同人誌とは違うんだぜイエイッ的拳突き上げ風アジテーションとか、電子書籍だ新しいぜウワオ的ヘッドバンキング風メッセージが冒頭に置かれて、先人達が積み上げ健闘を重ね探ってきた電子書籍であったりインディペンデントによる出版とかへの、ささやかでもいいからあって欲しかったシンパシーのちょっぴり至っていない雰囲気に、妙な気分を沸き立てたくなったものの、現実問題としてそれほど大きく広まっていなかった作家もしくはクリエーター側が、機能としての出版社を通さないで商業出版を、それも電子で行うといった取り組みから伺える今後の可能性については、やっぱり見知っておかなくちゃいけないのかもしれない。AppStoreには合同会社で登録しているけれど、それは方便と見なすかそうせざるを得ない現状を訝るか。答えはだから結果として出てくるものがいわゆる大きな版元とは違うものであるかってことから見定めよう。読めるインタフェースのサクサク度はどの電子書籍よりもラクラクでなかなか。後は中身だ。

 そろそろ次の号に向けた一般書籍を査読にかかろうと壁井ユカコさんがポプラ社から出した「五龍世界」ってのを読み始めたらこれがなかなかにキャッチー。家族に捨てられ道士に預けられるというかほとんど押しつけられた少女が最初は強がりそして泣いてしまう場面の悲しさをひょいとこえて成長し、すっかりたくましくなっている様に人間の強さって奴をまず見てそれから、そんな家に新たにやって来た龍人の少女がやっぱり最初はおそるおそるとしつつ蝗爆弾が入った餃子を食べてポロポロと泣き、それから家に暮らすようになっておねしょをしてこっそり布団を運ぼうとしてる場面をみつかりうろたえたりする様の可愛さに微笑めて、このささやかな幸せが続いていってくれれば嬉しいって思わせるんだけれどまだ冒頭。紆余曲折なんかもあったりしてドラマが繰り広げられていくことになるんだろう。その果てに差し込む光明、そして誰もが幸せになっているエンディングを期待しつつそろそろと読んでいこう。傑作かな?


【6月16日】 第2巻が出たと思ったらもう第3巻だなんていったい安永航一郎さんに何が起こっているんだ? ってことはなくって今まで出ていなかったものがまとめてようやく出ただけなんだけど、それにしたって2000年代も10年と半年になって安永さんの新刊を読んでいられるこの幸福。そしてデビューしたあたりからと絵柄も中身もまるで変わらず衰えていないその奇跡を、噛みしめていられることを心から喜びたい。もちろん島本和彦さんも細野不二彦さんも。

 この人たちは今はもうない「増刊少年サンデー」で初めて読んだ人たちで、島本さんの「風の戦士ダン」は原作付きではありながらも登場するキャラクターの理不尽に近い熱さ強さと、そして状況が読めない女性キャラのかわいらしさといった、今の島本さんに通じるっていうか、まんま島本さんって感じの内容でもって、忍者の世界の厳しさなんてものが激しいタッチで描かれてあって楽しめた。細野さんは言わずと知れた「さすがの猿飛」で、ポニーテールの少女の可愛らしさを改めて認知させてくれた上、にデブだけれどもやるときはやるヒーロー像って奴を示して、世のイケメンではない男子に夢と希望を与えた。未だに希望だけだけど。それは自分のせいだけど。うん。

 まさに多士済々が未来の漫画界を自分が担うと、意気込み競い合っていた「増刊少年サンデー」でも、異彩を放っていたのが安永さんだった。「県立地球防衛軍」は熱さもと激しさとも対極のヌけた軽さを描きながらも、その中にオタク心をくすぐるガジェットなり展開を放り込んで、10代SF特撮漫画マニアの心をぐわっと鷲掴みにした。あとは女性キャラの可愛さか。バラダギ今どこで何してる? 初見は第1話じゃなくってしいたけヨーグルトの回だったけれどもその1作で、学園的日常に紛れ込んだ地球防衛軍って異質な奴らの繰り広げるひきんなドタバタに引っ張り込まれた。思えばゆうきまさみさんの「究極超人あーる」にも通じるエッセンスだったよなあ。それが「サンデー」的強さだったのに、今は……。

 そして「陸軍中野予備校」を経てあれやこれやと怪作を出し続けては「巨乳ハンター」だの「火星人刑事」だのといった設定のバカバカしさとのぞかせるエロスとで世の男子を歳も問わずに引き込みながらしばしの沈黙。単行本も出ず新作に触れられる機会もない中で始まった「青空にとおく酒浸り」、って最初は違うタイトルみたいだったけれどもともかく始まった新作で、マイクロマシンに冒された少女の大活躍が描かれる、と見せかけ実は非道な親父の暴れっぷりにシフトしつつ、それでもちゃんとしっかり異能の力の無駄遣いっぷりを描いてくれている安永さん。第3巻も最高にバカバカしくってエロくってハイテンションのまま読み終えられたしまだまだ読みたい気分にさせられた。

 何より火星人啓治の再来が長く新刊を待ちわびるマニアに強い希望を抱かせた。なるほど中身は元男であっても今は完璧なまでに美女のマルセイユ。それが年甲斐もなくけれども似合っているセーラー服姿で火星人刑事となって、臍から下を丸出しにしてカポイェラもかくやとおもわせる足技でもって戦い抜く。何という眼福。何という重畳。これが現代の最高のアニメーションによって動いたら、って希望もわくけどそのためにはやはり本家「火星人刑事」がしっかりすぐさま読める環境にならないと。まず売ってない。部屋のどこかにはあるんだろうけど出てこない。残念無念。探すがブックオフ。

 もっとも具合も宜しく今は電子書籍の時代。印刷製本配本返本という手間を経ずともデータ化して配信すれば手に届くし返本もなし。なので版元あるいは作家あるいは新しく版元を希望する会社はすぐさま「火星人刑事」と「巨乳ハンター」のデータ化に取りかかって、iPad向けでもPC向けでも良いから配本するのだ。そしてAPPStoreから盛大にリジェクトされて世のデンシショセキでシュッパンカクメイな人たちの間で話題となって、その身に注目を浴びてその名を天下に知らしめるのだ。っててリジェクトされたら読めないじゃん。

 ってか電子書籍元年って世間、騒ぎすぎ。そりゃあiPadが出てプラットフォームとして話題になって、そこに向けて発売された京極夏彦さんの「死ねばいいのに」が売れたってデンシショセキな界隈が盛りあがっているけれど、話題になっている場所で話題性を持った作家の最新刊が、話題の値段で出て来たってことでまずはメディアが飛びつき大騒ぎして、そこに普通の人が情報を知ったと飛びついているだけのこと。盆か正月にバーゲンやっているようなもので、そりゃあ数字は重ねるさ。でもどれくらいが読んでいる? どれくらいが読み切っている? 流行っているから買ってはみたけど使わない大型冷蔵庫、あるいは飼ってはみたけど捨ててしまうウーパールーパー、そんな感じでしかないんじゃない?

 電子書籍革命ってのは、今までの大量印刷大量配本大量宣伝のサイクルから外れてもすぐれた作品なり作家が電子メディアの足の軽さで提供され、電子メディアの話題性の広がり方に乗って賑わいそれなりに名を挙げてみせるってことが起こってこそのもの、なんじゃないのかなあ。あるいは昔にひっそりと出ていたものにスポットが集まり、人気が再燃して盛りあがるって状況。そうした状況が起こってこないうちは、断じて革命だなんて呼びたくない。電子化されていようといなかろうと、新刊が新刊書店で売れたってそれは革命じゃない。

 あるいは電子書籍が始まったこと自体を革命と呼びたいんだったら、ボイジャーが活動を始めた18年くらい昔なり、電子書店パピレスが立ち上がった15年前なりを革命と読んで今はそうした土台の上に状況が顕在化しただけ、よく言えば進歩であり悪く言うなら尻馬に乗っているだけの祭りにすぎない。とはいえそうしたメジャーだったり声の大きな人だったりが騒いだところにそれを目ざとく、って自分では思っても10年遅れで気づいた鈍重なメディアが取り上げ盛り上げていくなかで、メジャーはさらにメジャーとなり声の大きな人だけが潤って、本当に恩恵を受けて欲しい人たちの所には何も届かないって状況は、電子書籍に限らず起こっていたりすること。その繰り返しを見つつ10年後、どうなっているかを想像しつつ暗澹としつつ静かに電子書店パピレスで式貴士を買い矢野徹を買って読もう。


【6月15日】 そしてスポーツ新聞は本田圭佑の1面ストレート。あるいは1面緑一色。「サマーウォーズ」の流れて最近ハマってる花札ではそうした色なり傾向で一気通巻って役がないから例えられない。まあともかく本田本田本田本田本田本田でちょっぴり阪神もまじりながらも、本田という言葉がこれだけ連呼された時ってアイルトン・セナとアラン・プロストが競り合ってホンダエンジンががF1を制した時代以来かも、ってその時は別に本田の名前は踊らなかったか。だから本田技研工業にとっても初の事態にこれはやっぱり何か差し上げた方が良いのかも。

 そうすればきっとこれは拙いと今はどこだったっけ、どこかで頑張っている豊田陽平を名古屋グランパスが戻して鍛え上げて代表に送り込んで、豊田豊田豊田豊田豊田のストレートを達成に向かうだろうし、マツダも松田なんとかって選手を捜してサンフレッチェに入れて鍛えて代表に送り込むだろう。三菱……はさすがにキツいから浦和って名字の選手をレッズに入れる計画を着々と進行。残るサッカーチームを持っている自動車メーカーでは、日産がどこかで日産という選手を……これもありえない。かといって横浜ではFCと区別がつかない。困ったなあ。ってことで今から有望なサッカー遺伝子を持った子供を作らせて、名を水平線とつけてもらって15年後、中学生で代表入りした彼はニックネームを「スカイライン」として大活躍するのであった。そんな時代まで残っていてくれ、スカイライン。

 まあ本田が1面になること自体にメディア的な発想から文句は言いようがないけれど、そこに加えてどうしてそうなったのか、ってあたりにまで踏み込んであることがこれからのサッカー眼を育成し、サッカーへの興味を育ててそしてメディアともども成長していくために不可欠なんだろう。それが果たして出来ていたかは読み通していないので不明。読む方も昔と違って阿呆ではないので、いたずらにスターを持ち上げ両腕に巻いた時計の効果とかゴリラみたいな顔が効いたとかって情緒や周辺から語っているだけでは、見放され見捨てられるんで要注意。でも両腕に時計を巻くのって流行るかもしれないなあ。いっそ両足にも。夏にはそんな兄ちゃん姉ちゃんが渋谷原宿にあふれ出す。

 凄い人だったんだなあと改めて、横井軍平さんについて書かれた評伝なんかを読みながらしみじみ。マジックハンドもどっかで遊んだし、のぞき見のスコープも家で遊んだ。のぞきになんて使えないよあのぎゅいーんと伸びる時の音の大きさでは。はめ込んでいくパズルにテンビリオン。そしてゲーム&ウォッチ。遊びの面白さでもって遊べる物ばかりが並んだその生涯の成果から、性能のすごさだけが喧伝されがちな今の風潮への警句って奴が見えて来る。コントローラーを使わない遊びが可能? 全身を動かしたかったら走れば良い。っていうか家に全身を振り回せる場所なんてないぞ。そもそもDDRのPS版だって広げられなかったんだ。そんな状況に送り込んで何をさせたいんだろう?

 3DS。見た目に驚きはあってもそれがどこまで遊び方の奥深さにつながっているのか。どこまでの高精細な平面に映し出される3DCGのグラフィックスの方が、奥行きもあって立体っぽい。それを上回ってクリアな立体という意味での3D映像を携帯型で見せられるのかどうなのか。あるいは単なる機能でありサービスって割り切っているのなら、そんあちょっぴりのサービス映像を見せるために使われる能力を、ほかに振り向けた方がいろいろ遊びの幅も広がるんじゃなかろーか。3Dに見えることと3Dであることの違い。それがたぶんバーチャルボーイにはあったと思う。覚えてないけど。

 まあそこはそれ、「枯れた技術の水平思考」が息づく任天堂が、単におまけの3D映像を見せて喜ばせることに留まっているはずがない。見えることの意味を超えてそうであることの意義って奴を持ったタイトルを打ち出しては、ゲームの世界に新しい地平を切り開いていってくれると信じたいし、信じなければ横井軍平さんの遺伝子も途切れてしまうってもの。そのことを覚え思いながら、ご大層な新技術とやらの発表騒動を遠く横で眺めつつ、部屋を掘っていたら現れたワンダースワンのきゅいーんって起動音とか聞きつつ、電池1本で20時間楽しめる、それこそ成田からシアトルへと跳んで戻ってもまだ動くゲーム機の素晴らしさを味わいつつ未来を想像しよう。

 歩兵銃ではなあ。あるいはニューナンブ。そこから引かれて2月の日数では、いくら宝くじで3000円とあと300円が当たったところで蛙の面に水木一郎、夏の暑さにも似たパワーに押されてしまって後に何も残らない、っていうかすでに残ってないんだけど、999.9の眼鏡に梶浦由記にiPad、あと「R.O.D」のブルーレイボックスとか。ここに他のフィギュアなんかも加わっていたら、いったいどれだけのポイントを削られたか。そうでなくても更新料とかあって削られる予定のこの夏に、とてつもない僥倖とか降って湧かないかって期待もあるけど、どっかの極楽出版社と違って平静もたんまりな上に早期がたんまりと得られて、そこでレジスタンスを気取って振る舞ったらさらに印税とっぷりって身にはなれそうもないし。totoの再開、いつだったっけ。


【6月14日】 てか何で名人が表紙なんだ末次由紀さんの「ちはやふる」の第9巻。確かにイケメン系かもしれないけれど性格を問われて「機動戦士ガンダム」でシャアとアムロが同じ画面で会話する以上の7分割で「性格悪いのに」って言われるようなキャラクター。アイス食べ過ぎでぷっくりしてしまった京女らしく偉い先生の世話にはらならんと婉曲的に行ってのけるクイーンにすら「性格悪い」って思われているってどれだけだ? 帯に隠れて見えないけれどもちゃんと鯛焼きも持っている。クイーンが表紙の時ってスノウ丸とか持ってたっけ? 掘り返してみないと分からないけど多分普通に美人だったんじゃなかったっけ。

 いずれにしたって女子なら見栄えも良い少女向けコミックスにひげ面ではないにしても性格悪そうで目つきは眠そうな名人。売れるのか。売れてるか。実際に闘えばすごいし名人。鍵はその耳。言葉の違いで明らかに最初の1字だけで次がわかってしまう札とは別に、その次がどうなっていくのか文字だけでは分からないけど、音にして聞けば分かってしまうというからすごい耳。それは何だろう、読手が言葉に込める気持ちってやつと些細な息づかいなり抑揚なりからつかんでしまう、ってことなのか。そりゃあ人間だもの、文字ではなくって言葉を発するときにその意味性を抜いて発するなんてできはしない。そしてその意味性がささいな違いを生んで名人の明晰な耳に届くという感じ。

 ただしそれには名人自身も言葉が持つ意味性が音にどんな些細な違いをもたらすのかを感じ取れなきゃいけない。っていうか感じるだけでももう遅い。いっしょになって同じ札を身ながら同じ言葉を意味性も存分に意識しながら発しているっていう感じか。やってやれないことでもなさそうだけれどやるにはとっても大変そう。でもそれをやらないと新も太一も上には行けないんだよなあ。千早はまだ自己管理の甘いクイーンがでぶでぶになって動けなくなったところを狙うって手があるから。そのためにはスノウ丸を今月は大福来月はプリン再来月は羊羹でその次はロールケーキのおまけにして、クイーンを太りに太らせるしかない。でも太りすぎて覆い被さられて札が見えなくなってしまう恐怖も……。真っ当に耳を良くして速度を上げよう、千早。後輩ちゃんは成長するのかな?

 夜にコンビニエンスストアで見かけた時は手元に200円しかなくってへルシア緑茶を買ってしまって明日また来ようと思って出かけた浅の書店に「少年ガンガン」7月号は1冊もなし。もしかして発売日を間違えたのかと思って別の書店に行ったらやっぱりなし。「少年ジャンプ」ならルフィの顔でわんさか積まれているのに、その積まれ具合がいつもよりデカいなあ、別にエースなんて死んでないのになあと不思議に感じて眺め回して見つけた張り紙「少年ガンガン品切れ入荷未定」。うわお。そんなに売れるものだったのか。そりゃあ売れるとは思っていたけど単行本で買う人もおおから雑誌はちょい多目に刷っておけば大丈夫じゃなかったのか。そうでもなかったみたいでやっぱりみんな一足早く読みたかったんだ「鋼の錬金術師」の最終話を。

 まあラス前の先月号を買って最終話に備えていた人間が言えることではないけれど、ここで読めないってことはつまり単行本の発売まで興味が引き延ばされたってことで、ほかに見たいこと知りたいことがいっぱいありすぎるこの状況下で、無理にその他大勢の感動を味わうよりも満を持しての登場から、感動を存分に味わい倒す方が良いって考えるのがここは吉ってことで。いっそだったらアニメの最終話でラストを知るって方が良いのかなあ。あと何週? でもそこで倒されたホムンクルスが空に向かって「おじいさま私は失敗しましたおゆるしを」と絶叫、そして揺れる大地にあわてて外に出て見上げると、空は闇に覆われ星に代わって幾億幾兆もの目玉が瞬きそして家弓家正が「我こそは宇宙ホムンクルスの王である!」と叫びエルリックたちを圧倒。それでも立ち上がったエルリック一行は空を見上げて指を指し「俺たちの闘いはこれからだ」と叫んで後ろに「バーン!」の文字という、そんな最終話だったらテレビを放り投げそうだなあ。それもそれで愉快なり。

 中村俊輔選手を外す。本田圭佑選手を入れる。岡崎慎司選手をワントップで使わない。阿部勇樹選手をセンターバックでもサイドバックでもなくアンカーとして起用する。内田篤人選手の存在を失念する。それだけだ。たったそれだけのことができてればこの2年くらいを圧勝圧勝の連続で日本代表は底上げされ、その間に新しい選手もどんどんと試せて4年後のFIFAワールドカップ20104ブラジル大会に強い気持ちで臨める選手たちをいっぱい蓄えられただろう。けれども岡田武史監督がやって来たことは、そうした当たり前を拒絶し動けない中村選手をサイドに置き、守れない内田選手をサイドバックに置き、ポストに向かない岡崎選手をワントップに据えて守備と展開に特別な阿部選手を高さに競れないセンターバックなり、展開に向かないサイドバックに置いてチームを淀ませることだった。

 それは徹底していた。寸前までは誰もがそんな布陣でいくことになるって予想していたのに、あと2週間という瀬戸際になって一気にひっくり返してしまった理由が今は知りたい。とてつもなく知りたい。考えれば素人にだって思いつくこと、代表監督なら自在にできることをやってこなかったのはやろうとする気がなかったからなのか、それともやりたくてもやらせてもらえなかったからなのか。やらせてもらえなかったとしたらそれはとてつもなく根深い問題だし、やる気がなかったのだったらそれも問題。そのおかげで2年の熟成を未来への貯金をふいにした。ここから4年後のピッチにいったい誰が立っているのか。岡崎選手に本田選手に長友選手とあと出ていなかったけれども森本選手くらい。経験は引き継がれずまっさらな状態でブラジルの熱狂に放り込まれた選手たちは本当に戦えるのか。

 そこはまあ、阿部選手だって長谷部誠選手だって頑張っているから大丈夫なのかもしれないけれど、そんな2人だって4年前には候補に名を連ねていた名人たち。代表にだって呼ばれた経験もあったもあったけれども岡田武史監督の下でそうした未来を託せそうな若い選手たちがどれだけ生まれたか。間際になってひっくり返したことでつかんだカメルーン戦の勝利は勝利として喜べても、そこへといたった過程が不明瞭で不鮮明な現在、諸手をあげて歓迎する気にはなかなかなれない。そこはそれ、その試合に勝ちさえすれば途中なんてどうだって良いのがワールドカップなんだって言えば言えないこともないけど、そこで勝てたのにだってやっぱり過去がある。経過がある。突然変異では決してない。次は果たしてそれがあるのか。だからこそ問われなければならない。誰が岡田監督を縛ったのか。何が岡田監督を変えたのか。それが明らかにされない内は未来は決してやって来ない。


【6月13日】 MI6より重大な使命を帯びて潜入したジェームズ・ボンドは日本代表のゴールを護った川島選手を無理矢理にでもかっさらい、ジョン・ブル魂を植え付け顔を整形し色を白くし髪を金髪に変え目も青く染め、飲むのはギネスで喰うのはフィッシュ&チップスといった具合に嗜好も変え、強引にも英国人に仕立て上げてイングランド代表のゴールマウスに立たせようと画策したもののそこは日本も忍者の国だけあって、キャンプ地に迫るボンドを寄せ付けずボンドは任務を果たせず帰国の途に。

 そのままイングランド代表はグリーンにジェームズというゴールキーパーを擁してFIFAワールドカップ2010南アフリカ大会に臨むこととなって、そして初戦に迎え撃った米国から放たれた、強いもののとくにひねりもないシュートを後方へ逸らすという予想されたミスを冒して1点を献上。先に奪った1点に上乗せを出来ずそのまま引き分けに終わるという悲しくも面白い試合を演じてしまった。みんなそうかもって分かっていながらそうなってしまうというこの自体が、何故起こるのかと苦笑も浮かぶけれども守備は崩壊サイドは機能せず慣れないワントップフォワードはボールを治められず得点を奪えないまま負けると分かっていながらそんな試合ばかりをしているチームが極東にあるからなあ。他山の石。反面教師。

 それにしてもゴールキーパーに恵まれない国というか地域だなあイングランド。川口がいて楢崎がいて川島がいて西川がいて林がいて菅野がいてその他大勢がいたりする一方でまるでフォワードに恵まれない日本とは実に対照的だけれど、それがお国柄って奴なんだろう、どんな理由からそんなお国柄になっているかは知らないけれど。とはいえそのままではサッカーを生んだ国として良いはずもないんでおそらくはFA、イングランドのサッカー協会は遠からず中学生や高校生で身長が190センチ以上はあって肉弾戦を厭わず、動体視力も完璧でなおかつ手のひらが大きい子供を全国から選抜にかかるに違いない。

 でもってそうやって発掘されたた有望な子供たちを、どこかのトレーニングセンターへと集めてゴールキーパーとして育て上げる「ジョン・ブル スーパー少年プロジェクト」って奴を遠からず発足させることになるだろう。手本は意外にも日本。中澤祐二選手に負けない巨大さを持ったゴールキーパーを発掘して育成したんだから、日本は「なでしこ スーパー少女プロジェクト」って企画から。いっそそれなら当の発掘された彼女をさらって髪を切り胸をさらしでまき金髪にして、目にコンタクトを入れて英国代表ゴールキーパーに仕立て上げるって方が手っ取り早いか、川島ほど面も割れてないし。生やすのだけは女の情けで遠慮して差し上げて。

 今日も今日とてJCBホールへと行ったら、今日も今日とて「東方神起3/5」がライブをやるみたいで、すっげえ数の女の子たちが詰めかけていて周辺にぎっしり。立ち上るフィトンチッドだかフラノボイドにも似た女の子エアに気持ちも若返ったかというとたちこめる熱気とそれから梅雨前の湿った陽気に打たれてそんなに回春とはならなかったけれども、それかでの数の女の子を見る機会なんてあとは「嵐」とかジャニーズ系のライブが行われる時のドーム周辺くらいしかないんで僥倖ではあったと納得、っていうかつまりそれくらいの動員力があるってことか東方神起。なのに活動休止してしまうってところに将来の勿体なさより今の益体なさを厭う人が多いってことなのか。でも旬なうちにどうにかしておきたいって気持ちも分からないでもないからなあ。それはそれとしてライブをやった3人ってSMAPに例えるとどれくらい級? 香取稲垣木村みたいなもの? 残りの2人がライブをやったら東京ドームを満杯にできる?

 そして開場したJCBホールは今日も満杯。機能の「Kalafina」に続いて今日はそのプロデューサーでもある梶浦由記さん率いるユニット「FictionJunction」のライブがあって、是非に見ておきたいとチケットを1枚、ちゃんと買っておいたら、ライブアルバムの発売に関連して梶浦さんに取材した関係で誘われてそっちで入ってしまって結局、1枚使わないチケットが出来たんでこれは一生の宝としよう。ライブの終わりに今後の予定を発表しなかった「FictionJunction」。もしかしてこのまま……ってことはなくってちゃんと音楽を書いてそして再びライブに戻るって言ってはいたけど、あるいはもしかしたら……なんてことも絶対に絶対にないとまでは言い切れないのがこの業界。その意味でも何かを記念するチケットとして取り置いておくのも無意味ではないかも。ここから一気にステップアップして武道館から東京ドームでライブをやっていくことになった、分水嶺のライブだったってことだと嬉しい。

 でも報道とか関係者の席って見やすさはともかくそこにいると居たたまれない気分になることもあるんで痛し痒し。周囲がいっせいに手を振りまわしたり拍手をしている時に腕組みをして脚も組んで微動だにしないってのは何だかとっても辛いもの。じゃあ動けばって言われても隣近所が拍手すらしないでステージを見ている中で動くのも、別の意味で気遣いが必要で、そんな頭に神経をとられてライブに全面的にのめりこむってことがしづらい。おまけにMCの間に携帯電話を開いてメールを打って送信し、それから音楽が始まって暗い中で着信で携帯電話を光らせた上に、取り出して開いてメールのチェックまでする人間とかいて唖然呆然。それが認められている階級の人だったとか? そうだとしても最後列ならまだしもバルコニー席の最前列で当然ながら後ろからは丸見えで、なおかつ後ろにはちゃんとお金をはらって来た一般のファンがいる。その人たちの前で携帯電話を開く行為が何をもたらすかくらい分かるだろうに。何かがやっぱり壊れているのかもしれないなあ。とりあえず携帯メール野郎には足が一生臭くなる呪いを。

 そして「FictionJunction」のライブは歌手のユニットとしてスタイルが前面に出ている「Kalafina」とは違って梶浦さんがこれまでに手がけた梶浦サウンドを4人の歌姫の声を借りて紡ぎだしていくっていった雰囲気で、歌われる歌もなるほど上手いし格好いいしかわいいんだけれど「Kalafina」のようなキャラクター性が出ているって感じではなかった。なるほどだから「Kalafina」の3人で1番キャラクター性が声に出ているHikaruが歌姫には参加していないのかもって思ったけれども正解かどうかは不明。もちろんKeikoにだってWakanaにだって個性はあるけどそうした個性を演技ではなく歌唱の正確性へと回してみたのが「FictionJunction」ってことなのかも。うーん何言っているか分からないけどともかくやっぱり梶浦サウンドは良いってことで。

 いわゆる「機動戦士ガンダムSEED」系統の楽曲はなくってアニメの主題歌として使われた様々な楽曲や「Noir」とか「舞乙−HiME」のサントラなんかからの曲もあってそれはそれで懐かしさなんかが湧いてきた。結構な年月を梶浦ファンやってたんだなあ、自分。それでいてライブは初ってところがちょっと情けない。サッカー方面は割に出歩いても音楽方面の探索をちょっとおろそかにしていた。反省。いろいろ頑張って行ってみよう。Kalafinaが出る夏フェストか、どうだろう。香港? 行きたいけどなあ、達郎さんのコンサート前では身動きとれないなあ。

 ともあれ終了したFictionJunctionのライブはこれはこれで人間の声の凄さとそれが重ねて奏でられるハーモニーの素晴らしさを感じさせ、かつそうした声を音程によって揺らし引き上げ弾けさせる梶浦さんの楽曲の見事さも感じさせたって印象。1度でも見れば人間のできることの多彩さ奥深さを感じられただろー。あと梶浦さんの幅の広さも。この勢いで大河ドラマの音楽とかやれば全国区でのファンが増え、ライブも日本武道館へとのぼり自伝評伝の類がわんさか出るんだけど。もしかしてしばらくのライブのお休みは何かビッグな仕事の依頼でも入っている? それだと嬉しいんだけどなあ。


【6月12日】 気が付くとスカラベの玉転がしは終わっていて、旅人が今さらながらにサッカーの事なんか喋っておいおいお前さん、いる場所が違いませんかすぐにキャンプ地に行ってユニフォームに着替えて、遠藤保仁から背番号7を引き継いでピッチに入りませんかってテレビに向かって言ってみたけど聞こえるはずなし。聞いていればとっくにそうやっているだろうけど、そうはならない旅人はだからもはや旅人でしかないんだなあ。んでどこをどう旅して来たの? それが今ひとつ見えないのに旅人を名乗ってしまえる心理の強さと、そういう肩書きみたいな人だと取り上げられるメディアの結託ぶりがやっぱりいつまでも引っかかる。サッカーの人はサッカーへ。いつでもいいから是非にお願いしたいと呟いてみたけどやっぱり聞こえないんだろうなあ、旅人には。

 でもって見たぞ南アフリカ対メキシコはシュートが強烈な上にちゃんと枠に跳ぶ。それが普通? っていうけど日本代表が蹴るシュートのいったいどれだけが強くて、なおかつ枠に跳んでいる? サッカーがゴールにボールを入れる競技である以上、最低限として打ったシュートはゴールにつながる枠の中に跳ぶことが必要。それをキーパーがそらすなり弾いたところを押し込むかしてゴールが決まって得点になって、初めて勝利に近づけるんだけれど、日本代表はいまだに宇宙開発をメーンとしてゴールの枠に跳ばすのもそれが強烈なのも今ひとつ。本田圭佑選手のシュートはそれでも近いものがあるけれど、大久保嘉人選手とか、蹴る割にはあんまり枠に跳んでないんだよなあ。けど南アフリカはほとんどが枠の内。そしてとてつもなく強烈。1発決まったあともたびたびそんなシーンを見せてくれてそのまま追加点まで行ってしまうんじゃないかって期待をさせる。

 結果は及ばず逆にメキシコも高いポゼッションから中に入れてしっかりゴールを奪い一対1の同点のまま引き分けたけれど、見ていてどちらもパスが速くてなおかつトラップかしっかりしてて、弾いてボールを奪われるってことがない。あとちゃんと走ってるね。日本代表だとこれがパスをもらった瞬間に浮かすなり離すなりして奪われそして、攻撃をくらって防戦一方。攻めてもトラップをミスするかパスをそらすかする繰り返し。その間にがっちり守備を固めてしまえばどんな攻撃だって怖さはない。動き回って相手を引き剥がす動きもなし。なおかつシュートは宇宙開発。恐れなんて抱かないよなあ。その分を攻撃に回せば奪える点数もたくさん。かくして日本代表は奪われ奪えず敗れ去っていくという構図が今からくっきりと見えてしまって気も萎える。全敗確実? まあそんな感じ。

 これで韓国がギリシアに勝ってしまった日には日本が受けるプレッシャーも凄まじいもになる……って案じていたら夜の試合で監督がギリシアを2対0で軽く撃破。強いなあ。さらに北朝鮮まで勝ってしまった日には……。ああワールドカップを見るのが億劫になって来た。それでも見なきゃいけないとテレビの中継に目を凝らし、地上波は出来るだけ録画しようと決めた矢先に、フランスとウルグアイの試合を録画し忘れた。まあでもこちらは南アフリカとメキシコの試合よりも降着して動かず0対0で終わったみたいなんで、録画してなくってもリアルタイムでも見ていそうにもないんで良しってことで。アルゼンチンの試合とイングランドの試合は頑張って見よう、録画もしよう。

 とか言ってる矢先にアルゼンチンの試合はリアルタイムでは見逃したけれど、これは当然にして仕方がない、だって「karafina」のライブにいっていたんだから。いやもうそこはJCBホールでライブというよりコンサートって雰囲気か。先々週の横浜ブリッツではまだO−EASTめいたスタンディングによるライブの雰囲気が漂っていたけど、人数もぐっと増えて規模もデカくなるJCBホールはアリーナを椅子にしてひしめきあわないようにして、イントロから入った「RED MOON」では全員が着座していてお客さんって感じで、これで果たして一体感が出るんだろうかと心配したら2曲目の「テトテトメトメ」で腕をぐるぐる回したりする必要性から立ち上がった観客が、3曲目の「fantasia」で盛りあがってそしてMCへと入り、ステージと観客席の間がつながり空気が暖まってあとは一気呵成の盛り上がり。横浜ブリッツに負けない一体感をブリッツに倍する人数で醸し出すことができていた。

 これができればあとはどれだけ規模が大きくなったって大丈夫、それこそ代々木体育館から横浜アリーナから日本武道館へと倍倍々と大きくなっても、そのパフォーマンスそのMC、そして何よりその歌声で来た人を魅了し引きずり込んでしまうだろう。うん。但しその前に超えようC.C.Lemonホール。12月にやるんだよ渋谷公会堂。ライブの殿堂ではやったけれどもロックの殿堂音楽の殿堂に登場はこの先の大ブレイクなんてものを予感してしまう。それこそ「Perfume」くらいの爆発を見せて欲しいし見せられるって思っているんだけれどどうだろう。ただなあ、テレビで1発でつかめるキャラって感じじゃないんだよなあ、むしろライブで10曲15曲と聞いてもらってその凄みが分かってもらえるユニット。だからテレビよりもライブを大事にして欲しいんだけれどそ、のライブに規模を求めるんだったらテレビも必要。ジレンマだけれどそこを割に簡単に乗り越えられると思うよ、実力あるんだから。

 レコードで聞かせてくれるハーモニーは完璧だけれど、そうしたレコーディングの差配でどうにかなってしまっているだけでしょ? 思われてしまいかねないKalafina。けれども1度ライブに来れば、その歌声は正真正銘に人間から発せられて、なおかつそのコーラスが多重録音なんかではなくその場その瞬間にWakanaにKeikoにHikaruが喉から発してるものだって目の当たりにできる。是非にテレビで何曲か歌わせてみたいって思わせて、それを見た人がライブに行ってみたいと思わせるグループ。だからこそ糸口となるライブにはいっぱい来て欲しい。もっと知って欲しい。

 ほんとうは今のツアーが2daysとかあったり、場所もあと4カ所くらいあれば世にKalafinaのライブ的な凄さを分かってもらえる人も増えるんだけれど、まだそういう段階でもあるんで仕方がない。どうやったら知ってもらえるかに腐心し言葉で何とか魅力を伝えようと思っているけれど、歌を言葉で表すのって大変だからなあ、全部格好いいんだ、では意味ないし。ああでもひとつ言えるのは「音楽」とい曲はライブで広がりが増して厚みも増えて聞き応え抜群。こんなに大勢で盛り上がれる曲なんだってCDではあんまり感じ取れなかったのが、ライブの場でもってライブアレンジで演奏されて強く感じられるようになって来た。

 これがDVDとかに入って流れれば、見たい聞きたい踊りたい、って人が一気に増えるかも。撮影していた映像はいつごろにどんな形で世に出るんだろう? 期待して待つとして問題はだから今だ。どうやったらKalafinaを広く激しく知ってもらえるか。水樹奈々さんより目立てるか。目立たせれば良い。ってことでそのために出来ることをしよう、こうやってKalafinaはライブを見ろと日記に書いて。そうだ今日は日記の日だとHikaruも言っていた。ともかくJCBホールは未来に向けたステップボードになったし、きっと年末のC.C.Lemonホールもそんなステップボードになっていってくれるはず。だから行く。行って聞く。チケット争奪のためにファンクラブ入っておいた方がいいかな?


【6月11日】 モザンビークでもなくシエラレオネでもなくコートジボワールではありえずコンゴザイールソマリアジブチローデシアでもない、FIFAランキングで軽く倍は下に位置する、アフリカ最弱とも噂されるジンバブエを相手にした日本代表のほんとうにほんとうなラストマッチが開かれたみたいで、さぞや得点をバンバンと奪って気持ちよくカメルーン戦を向かえられるようになったかと思いきや、今までに誰も試したことのない本田圭佑選手のワントップなんて布陣を試しては0点に押さえられる体たらく。試してもいないことをいきなりやって、何とかなると思っているとしたら甘いんだけれど、それが何とかなりそうに思えたジンバブエ相手でも何いともならなかった訳だから、もはや救いようもない。救う気もない。

 ならばと岡崎慎二選手を入れて、中村俊輔選手や内田篤人選手も混ぜた、ちょっと前の最強布陣で臨んでも、これまたやっぱり1点も奪えなかったりするこの日本代表を、いったいどうやって応援したら良いんだって迷える子羊が大量発生中。行く先は底の見えない崖の上でそこから羊は1匹羊は2匹と転落し、やがて日本から代表を応援する人は誰もいなくなるという光景が、何となくどころかくっきりと見えてきたワールドカップ開幕日。南アフリカとメキシコの闘いから始まって1カ月にわたる期間中、いったいどれだけのジャーナリストが強盗に遭い拉致されるかってところに興味が向かってしまう。スポニチだっけ、莫迦まるだしてデスクの言いつけを聞かずひとり出歩きジョギングをしてみました話を、ミニコラムに堂々と書いていたもんなあ、やんちゃが格好いいのは高校生までだぜ。

 白ひげもデカいけどジンベエもデカそうだったメガハウスの「ONE PIECE」フィギュアのポートレートオブパイレーツシリーズ。ボア・ハンコックなんて売り切れ続出で手に入りそうもないけれど、そうした美女シリーズではない白ひげジンベエといった海賊の面々にも人気があるみたいで、売り出されればきっと即座に完売ってことになりそうな予感。とりわけ今まさに白ひげ危機一髪で、その生き様の凄みに憧れ購入するおっさんとかいたりしそう。でも負けるんだけれど白ひげ。一方で買った黒ひげとかルフィの爺ちゃんのガープとかも出てきそう。勢いで赤犬黄猿の大将も出して欲しいところだけれど、今ひとつ赤犬って好きになれないんだよなあ、クロコダイルですら恰好良いのに赤犬がカッコウ良く見えなくって、それなのに最強っていう世界観。だからきっといろいろ深読みができて展開が入り組んで面白いんだろう「ONE PIECE」は。

 そんなメガハウスの展示会をざっと見渡し、プリキュアの新しいやつのフィギュアとか出ていたのはそれとして、背後に張ってあったポスターがキャシャーンsinsだと改めて気づく。馬越さんのセンスかやっぱり。それから「銀魂」で銀さんに沖田土方のフィギュアも出そうだけれど、映画で全然活躍していなかった彼らが人気ってことはつまり映画って人気を度外視したキャラクター配置だったってことなんだなあとこれも今更気づく。だって見たこと無いんだもん「銀魂」。あとはやっぱり「マクロスF」か。あのクラン・クランがデカく戻って背中にバーニアだか背負ったアーマードタイプが登場。それ全体のボリューム感もある上に、クラン本人のボリューム感もなかなかあって部屋に飾ってなめ回すように見たくなりそう。置く部屋なんてないけど。胸元もいいけどお尻も丸くてとっても最高な逸品。欲しい。でも高い。でも欲しい。買うな多分絶対確実に。

 ふとした拍子に読みたくなって「ニルヴァーナ」とか買ってみた「超人ロック」だけれど、やっぱり傑作は「コズミックゲーム」なのに現行、書店で単行本を見る機会も少なくなって読みたいときに読めない悲しさを味わっていたら何と、ネット向けに電子書籍をずいぶんと大昔から販売している電子書店パピレスが、iPad向けに始めた「電子貸本Renta!」だったっけ、そこに言ったらあるわあるはの作画グループ「超人ロック」が全部そろって提供中。貸本ってことでダウンロード販売している訳ではなく、100円とか払って開くとちゃんと最後まで見られるようになっているってサービスの携帯。レンタルなら48時間で見られなくなってしまうけれど、何枚かチケットをまとめて払えば永久に見られるようなメニューもあって、それが「超人ロック」だと3チケットすなわち300円で見放題になってる。

 40年とか昔の作品にその金は、っていう人もいるだろうけど、単行本で買えばやっぱりそれなりにする「超人ロック」の初期索引が、鮮明な画像でカラーも含めて300円で見られておまけに部屋を狭くしない。買うしかないとチケットをまとめ買いしてそれからアクセスして借りも借りたり6冊分。「ライザ」も「新世界戦隊」も含めつつ「ニンバスと負の世界」に「この世界に愛を」に「ジュナンの子」ときて「コズミックゲーム」まで来る4作品。それがいつでも見ようと思えば見られる環境になったってのは何というか有りがたいというか未来的というか超人ロック風というか。「SFファンとそうでない人へ」向けて「超人ロック」が描かれた時代には、夢物語でしかなったことがこうして現実になっているのに、SF読みとして感慨を覚えつつSFがこれからも未来を想起していけるんだろうかという悩みも浮かんでモワモワ。ともあれ見られるようになった「超人ロック」をしばらくの間楽しもう。いつか星雲賞もあげたいなあ。SF大賞だって。それくらいの作品なのに。っていうか今も現役なんだ。改めて吃驚。


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