縮刷版2010年4月下旬号


【4月30日】 誰に何を言われようともそこはアウェーで、それもバルセロナ以外のチームには世界屈指のアウェーになり得るカンプノウ、ちょっとでも隙を見せれば怒濤の応援がバルセロナの背中を押し、逆にアウェーのチームを萎縮させて身動きをとれなくさせるだけに、用心に用心を重ねて試合に臨むってことは別に誰に恥じる話でもなく、むしろ当然過ぎる所行だけれど、それでどうにかなるかというとならないのがバルセロナ。クビをすくめていたって誘い出されて空いた透き間にねじ込まれ、得点を奪われこれはと浮き足だったところを更につけ込まれて追加点を許し、哀れ自滅の道を歩んでいくことになる。

 それがカンプノウであり、それこそがバルセロナなんだけれども対するこちらもモウリーニョ、世界屈指の戦術家にして宇宙屈指のリアリストは何のためらいもなく恥じ入るふりすら見せずに自分のチーム、インテルミラノに徹底して守備を固めさせ、バルセロナを動かすメッシをマークさせて仕事ほとんどさせないようにし、得点どころか得点につながるチャンスすらを一切与えない。インテルにとって2点を奪われ1点も奪えなければ負ける試合。そして屈指のアウェーでは相手に1点でも先取されれば、相手の選手にもスタジアムにも勢いが生まれ、それがインテル側にうろたえを生んで決壊を招きかねないだけにわずかな隙すら与えようとず、時にはカードが出るくらいのハードな守備も見せてはバルセロナを押さえこむ。

 あの守備に徹する試合で慣らすイタリアで、トップに君臨するインテルが本気で守備を固めて奪える得点なんてないのが普通。けれどもそこはカンプノウでそれがバルセロナだとやっぱり違うのか、フォワードのエトゥすら下がって固める守備の間を巧みに縫って、後半に入って幾度となくチャンスを作り出してみせるから何というか凄まじいというか。そして遂に1点を奪いさらに1点という勢いも生まれ、浮き足立ちかねないところをモウリーニョ、手綱を締めて緩みを許さずそのまま守備を固めさせ、追加得点を許さないまま1対0の完封を許しながらも初戦との合計で勝利して、見事にチャンピオンズリーグ決勝の舞台へとインテルを導いた。いやあ緊張した。

 結果だけみればインテルの勝ち。けれどもやっぱりあの固められた守備からでも得点を奪い幾度となくチャンスを作ってしまったバルセロナにも、見るべきところが多かった。とりわけJ2でもって固い守備に向かっては、何も繰り出せずいたずらにボールを回すばかりで攻め手を欠いて油断したところをつけ込まれ、カウンターを喰らい得点を奪われ破れたり、引き分けに持ち込まれたりするケースのとてつもなく多い我らがジェフユナイテッド市原・千葉にとって、どうしたら攻撃の手を出せるのかってところをバルセロナに学んで欲しいもの。だけれども問題はあの固い守備を目前にしてもキープできシュートも打てて浮き球のパスなんかをドンぴしゃで出せるメッシが、ジェフ千葉にはいないんだよなあ。やっぱり無理か。せめて走り込み落としたところを突っ込んでいけるような前向きさを、すべての選手が持って欲しいんだけれどなあ。

 すげえものを見た流れで、明け方にかけて放送されてた「ベストヒットUSA」なんかも見てしまい、30年くらい経っているのに変わらない番組の雰囲気と、DJを務める小林克也さんのしゃべりの流ちょうさに気分が一気に中学高校の頃へと引き戻される。今聞いている洋楽の大半は、この番組で聞かされビデオクリップを見させられたものがほとんど。逆に言うならこの番組を見なくなってから、洋楽への興味が大きく薄れてまるで聞かなくなってしまい、今ではだれがUSAのチャートの上位を占めているのかまるで分からなくなっている。90年代に入ってヒップホップが隆盛を極めて聞いていてあんまり楽しくなかったってこともあるんだけれど、久々に見た番組で紹介されたチャートに添えられた楽曲が、案外にロックしてたりメロディアスだったりしたのにちょっぴり驚き、そしてまた聞いてみても良いかなって思わされた。

 ほんの数節しかかからないビデオクリップから、特徴のすべてを把握するのは難しいけれど、Trainってバンドのがなかなか楽しげだったり、アイドル出身らしいけれども音楽性は高そうなクリス・アレンが、日本で言うアイドルなんかとはやっぱり違った確かさを持っていたりしたって印象。あとこれは日本でも存分に流行っているレディー・ガガが、向こうでもとんでもなく流行っていたりして、AKBなんとかの写真集なんか目じゃないアンダーウエアな恰好で、同じスタイルのダンサーを何人も従えて監獄みたいなところでダンスしているビデオクリップなんかに、やってることの半端なさを感じてやっぱり彼我のエンターテインメント業界は、本気度と本物度が違うって強く激しく考えさせられる。映画も音楽もたいしてどころはまるで代表作のない女優の一挙手一投足がスポーツ新聞のトップになる国、だもんなあ。何なんだろう、あれ。

 番組ではあとホットメニューってことでモーション・シティ・サウンドトラックってバンドが取り上げられていて、もじゃもじゃ頭でデカい顔をして黒縁眼鏡をかけたボーカルを筆頭に、どのメンバーからもロックなスタイリッシュさが漂ってこないビジュアルのダサっとした感じに対して、繰り出されるサウンドの突き抜け具合とかボーカルの声の心地よさから漂ってくるギャップが滅茶苦茶面白くって、ちょっと詳しく聞いてみたくなってきた。3月くらいに来日してライブをやっていたみたいで、行ってみたかったと今になって思うけれどもまああの音楽性なら2年くらい経ってから、人気をバックにまた来て演ってくれそうなんでその時に行こう。

 こういう新しい出会いが毎週あって、タイムマシーンのように古い時代のヒット曲との出会いもあって、それが1年2年と積み重なって、いろいろなバンドを聞いてそこから派生してさらにいろいろな音楽を聞いていった、80年代のマイ洋楽ブームがあったんだよなあ、今にして振り返れば。流行なり紹介といったピンポイントでしか情報になかなか接することができず、話題なものにだけ話題が集注して、あとは野となれ山となれって感じが色濃いネットと違って、編集されてそれなりの尺を持って強制的に情報を押しつけられるテレビ番組のこれが良いところなんだけれども、21世紀も10年が経った今の時点でメインはBS放送で、で地上波もあるにはあるけど明け方に追いやられてしまっているところに、知識なり教養として洋楽を普及啓蒙していく感性も、支える体力も世の中にはないのが残念というか、ちょっぴり拙いというか。もはやどうしようもないのかなあ。

 「ヤングキングアワーズ」の2010年6月号を買ったら「それでも町は廻っている」がアニメ化決定になっていた。ふうん。割と初期の頃だったら、商店街を舞台にドタバタを基本にしつつ時折シュールな話もあって楽しい雰囲気にあふれてて、それが絵として動くのに期待も浮かんだんだけれど、最近ちょっぴりシュールなネタに寄ってる感じで、そればっかりが重なると見ていて思い気分にさせられそう。どんな辺りをどんな雰囲気で、誰が作るかってあたりで、見るかのめり込むかを考えそう。あとアニメ化ではないけれど「ブロッケンブラッド」がシーズン6入りしてて、ドラマCDも出るって発表があってこっちは期待できそうな印象。

 釘宮理恵さんがノイシュヴァインシュタイン桜子で、羽生源太郎が井上麻里奈さんで深野としおが小林ゆうさん。なんかとってもよく分かる。麻里奈さんは「けんぷファー」でも女装男子ではないけど男子女子を双方やっていたし。それより期待は四方田礼奈の三石琴乃さんか。桜子の母親と組んで「魔法のポケベル・エンジェル」を演じるエピソードでホワイティ・レナとなって、変身とそして必殺技の雄叫びをセーラームーンよろしく演じてもらいたいんだけれど、そこまでドラマは行くのかなあ。期待。しかしやっぱりノイシュヴァンシュタイン桜子ちゃんは可愛いなあ、源ちゃんもとしおも麗しいなあ、みんなこれでついているんだからなあ。何がとは聞かないのがエチケット。

 平野耕太さんの静かにひっそりと続いている連載「ドリフターズ」に動き。その名もオッパイメガネ……ではなくオルミーヌが出てきてビジュアル的に盛り上げてくれる上に、物語も得体の知れない敵が見えて転がりだした。セラス・ヴィクトリアに比べて背のやや高い分だけ、オッパイメガネのオッパイぶりが減殺されてしまうんだけれど、それでもこれまでの男ばかりの登場に、ダウナーな気分だっただけに一気に盛り返していってくれそう。期待だ。あと「超人ロック」がちゃんと連載されていて、男言葉のバニーがあわてふためいていた。何者だったっけ。21世紀も10年が経って「超人ロック」が連載されていることはやっぱり驚くべきことなんだろうなあ。でもって「超人ロック」が連載されている雑誌がちゃんと続いていることも、やっぱり奇跡に近い話なんだろなあ。「コズミックゲーム」また読みたいなあ。


【4月29日】 砂海の鯨は大切に。じゃない鯨だって襲ってくるなた戦うし、生きるために獲ることもあるけどそれはあくまで生きるため。必要以上には獲らないしましてやスポーツのために殺すなんてこともしない。けれど遠い昔に遠い地球からその星にやって来ては、すでにいた人間そっくりの先住民と同化はしないで建物をつくってその中で暮らし続けて幾星霜。やがて地球からの子孫は心をアンドロイドのような作業体(ヒルコ))に映して戦う仕組みを作りだし、建物の中からヒルコを操り砂海に住む鯨と戦って遊ぶようになっていた。

 迷惑を被ったのは元からの先住民のとりわけ鯨を捕って暮らしている民族たったけれどもそれで反乱を起こすには至らず、絶滅に追い込まれるほどではなかったみたいでまあそれなりに船団を組み、時にはスポーツとしてやってくるヒルコとも協力しながら鯨を捕っていたというのが大樹連司さんの「星灼のイサナトリ」という物語の背景。そしてストーリーはずっと使ってきてほとんど一心同体だったヒルコをある事故で失った少年が、その事故の責任を問われ軍隊に入れられそうになったところを嫌がり逃げだし外に出て、鯨と捕鯨船団が戦う場面に行き会わせ、拾われたついでに獲られた鯨の中からなぜか現れた少女とともに船団であたらしい暮らしを始める。

 ところが少年はなにやら都市から持ち出していたらしくそれを追いかける舞台が編成されて少年を追いつめていったその先、少年は鯨から出てきた謎めいた少女の謎すぎる特質を知り、そしてとてつもない凶暴な鯨との戦いを経て自分の居場所を見つけていく。どこか琉球めいた風俗が持ち込まれ捕鯨という日本の海洋文化もそこに乗せられ、対比として発達した文明による娯楽としての捕鯨が示され伝統か文明化ってな対立軸から自分は世界どどう向き合うべきなのかって教えられる。

 加えて捕鯨の際に使われる捕鯨鎧って名前もそのまんまな生態メカ的パワードスーツのガジェットや、人間が意識を映して戦いに用いるヒルコっていう生体アンドロイドのガジェットなんかもあったりして、設定面からも物語面からもいろいろと小説で描かれている世界を楽しめる。軸はやっぱり鯨から現れたいさなって少女の正体ってことになるのかな。この先がいったどうなって、帰結に何が待っているのか。舞台となっている星そのものに影響が及ぶ展開なんかも待っているのか。興味も深々。楽しみつつ先を待とう。

 日本サツカー協会の2010年度補正予算が決定した。南アフリカでのワールドカップ後に行われる日本代表の新監督人事に関連した予算の積み増しで、これによると新たに白馬1頭の購入費(約2億3000万円)と厩務員の人件費(約3000万円)が盛り込まれ、岡田武史監督の後任に元ドイツ代表で、浦和レッドダイヤモンズの監督も務めたブッフバルト氏の就任が決定していることを示した。白馬はオスの7歳馬でJRAでの勝利経験もあるホワイトベッセルで、普段はブッフバルト新監督がリーグの試合を視察にスタジアムを訪れたり、代表の試合でスタジアム入りする際に乗馬用として使われる見込み。

 サッカー日本代表の次期監督にブッフバルト氏の就任が内定したことで、代表の試合が行われる国立競技場や日産スタジアム、埼玉スタジアムなどでは、ブッフバルト氏が騎乗して来る白馬を収容するための厩舎を建設する必要が出てきた。各スタジアムでは以前にもジーコ監督がひとりでできるようにとキャッシングのマシンが据え付けられたり、オシム監督が立ったまま歩けるよう天井が約1メートル高くされたことがあるが、白馬用の厩舎建設には、つないでおく杭や敷いておく藁、飲料用の吸水施設なども含まれるため、以前の改装よりも多額の費用がかかる見込み。日本サツカー協会では補正予算で、各スタジアムに1億円づつを補填するための費用も計上している。

 日本サツカー協会ではまた、ブッフバルト氏の代表監督就任に向け、シンボルマークを従来からの八咫烏の下に白馬を配したデザインに改める検討に入った。八咫烏は1931年から使われている伝統的なマスコットだが、足が3本しかないため安定性に欠けるといった意見が、守備の安定性を求めるブッフバルト氏から上がることを想定し、白馬を配することでよりいっそうの安定感を出すことにした。一方でブッフバルト氏が好む3バックを象徴するものと、八咫烏の3本足をとらえ向きもあって、決定にはしばらく時間がかかりそう。このため日本サツカー協会では、カラッペとカララにくわえて新たに「白馬どーじ」の着ぐるみマスコット発注を、現時点では見送った。

 北海道の牧場筋によると、子馬の競り市で白馬の落札額が急騰し始めた。買っているのはJリーガーで、ブッフバルト監督の就任が確実視される中、白馬を持つことで監督の歓心を買おうとしたものと見られ、ワールドカップ明けからは各クラブの練習場に、白馬で通う選手の姿が増えそうだ。ただ現時点で以前にブッフバルト氏が白馬で乗り込んだ浦和駒場スタジアムにしか白馬の停馬施設はなく、クラブでは選手がのってきた白馬を止める駐馬場を作る必要に迫られそうだ。サッカー日本代表監督の就任が経済にアタエル影響では、以前にオシム監督が就任した際に、身長を2メートルに見せかけようと各選手が大きめのスーツを作って背広銘柄が賑わったことがあったが、中に2人入る必要があるため2人で1着で済んでしまい、背広銘柄はすぎに下落した。またストイコビッチ氏の監督就任が噂された際には、水戸の納豆メーカー株が急騰した。

 ブッフバルト氏の日本代表監督就任に、思わぬところから異論が起こって日本サツカー協会が対応に苦慮している。異論を出してきたのは日本サツカー協会の犬飼会長の出身企業でもある自動車メーカーで、理由はブッフバルト氏の就任で車を白馬に切り替える人が一般層にも広がって、車が売れなくなって経営に影響が出る可能性があるからとのこと。一方で環境に優しい車の開発を進めている自動車メーカーでは、動力源が白馬ならガソリンがいらず、排出ガスの削減につながるといった研究結果から、今回のブッフバルト氏就任を好機と見て、エンジンの代わりに白馬を搭載した、文字通りの1馬力カーの開発にも着手した。

 とまあ内というか事ほど左様にブッフバルト氏の日本代表監督就任は白馬的に影響が大きいので、ここは是非にも遠慮して頂きたいところだけれどきっと既定路線として進んでいってしまうんだろうなあ。どうしたものかなあ。どうしようもないなあ。どうしてこんな風になってしまったんだろう? っていうかずっとこんな風だからあんなことになっていってしまったんだろうなあ。長沼岡野が協会に健在ならば……。仮にブッフバルト氏でなかったとしたら誰になるんだろう、やっぱりピクシー? それはそれで合宿に必ず納豆が出るから関西の選手が誰1人やって来なくなりそう。ガンバ大阪とか。サンフレッチェ広島当たりは納豆どうなんだろう? 水戸ホーリーホックなら納豆万全? ガンバの選手を水戸と入れ替え1年鍛えて代表入り、ってのはどうだ。

 とてつもなく脱力してなんにもやる気が起こらないんで「BLEACH」の漫画版を一気に読んで魂に活力を入れる。とりあえずストーリー的にはルキアが来て帰って助けて織姫がさらわれて助けに行って藍染がやってきて十三隊が迎え撃ってってストーリーだと判明。それを44巻かけてやってしまうところが週刊少年漫画のなせる技って奴かなあ。25巻でも「鋼の錬金術師」はあっちいってこっちいって墜ちて上がってって感じにいろいろストーリーがあって陰惨な過去なんかも証されそして怒濤のクライマックスへと向かっているからなあ。どっちが良いかっていうと質が違うということか。44巻まで来ても「BLEACH」はこれでまだまだテンション下がってないし先も全然見えてないし。空座町での決戦後はやっぱり王族特務とのバトルなんてものがあるのかな。実はそれが諸悪の根元だってことになったりするのかな。どっちにしたってあと10年は楽しめそう。でもってその頃にようやく「ONE PIECE」は折り返し地点を過ぎているのであった。「こち亀」はさらに倍率ドンだけど。


【4月28日】 たぶんとっても素晴らしい。修学旅行にありがちなことを子細漏らさず拾い上げ、それをありそうな動きにプラスアルファのコミカルさもまぶして描ききってある。見ていてああそうだねえと思いつつ、それでもちょっとこれはねえって気分に笑える映像と演出。「けいおん!!」の修学旅行エピソードはそんな完成度を持っている。けどでもだからといって永遠に保存しておきたい映像なのか、永遠に心に刻まれる素晴らしさなのかってところでちょっと立ち止まる。驚きの向こう側に気持ちを持っていって離れなくしてしまうポイントが、どうにもこうにもつかめない。

 これが漫画の「究極超人あーる」だったら、のっけからたわばさんのVサインがあって鳥坂先輩のバイクによるおいかけがあって、バスガイドさんによる挑戦的な言動があってそれをするりと見事にかわしていくR・田中一郎のおかしさがあった。こんな修学旅行だったら是非に行ってみたいと思わせた。そして絶対に得られない面白さでもあると同時に思わせ、架空だからこその世界に迷い込み酔いしれる楽しさを感じさせてくれた。何度でも繰り返して読んだ。「けいおん!!」の修学旅行編にあったそんな破天荒さはたぶん1カ所、生徒たちといっしょになって寝ている佐和ちゃんのシーンくらいで、あとは修学旅行という日常が淡々と描かれていた程度。それはよかったねといった感想の向こうに連れて行ってはくれなかった。

 枕投げを率先して仕掛ける紬のお嬢様な風体をしてどこか天然に底が抜けてる破天荒ぶりも、なるほど見ていておかしいかった。ちょと前の回で見せた、亀の水槽の前で唯といっしょにくりりと回って亀を梓に紹介してみせる動きも、とってもおかしかったけれど、それがブルーレイディスクを買う決定打になるかというと何とも……。確かなものを作っているねえという賞賛から買うということだってそりゃあ可能だけれど、そこへと至らしめる何かがあとほんのちょっぴり足りてない気がするんだよなあ、「けいおん!!」もそしてその前の「けいおん!」も。それが何かって言われると困るけれどもとりあえず、修学旅行ならお風呂は見せて欲しかった。そして眼鏡のままで入って曇る眼鏡にあたふたする和(のどか)が見たかった。それさえあれば……。買ったねその巻は。うん。

 公開も間近の「いばらの王」の予告編を学生に作らせるイベントがあったんでお茶の水のデジタルハリウッドまで行って見物。まずは本当に使われている予告編がながされたあとで20人ほどの候補者がつくった予告編が流れたけれども総じてどれも本当の予告編に引き面れているというか、構成こそかえてあっても使ってある絵とか言葉なんかはほとんど代わらずあとはテンポで見せるかどうかといったところで勝敗が決まってしまった感じ。選考にあたった片山一良監督ももっとはっちゃけたのが来るかと思ったらまとまったものが多かったのが意外だったという所感。そんな中では関西弁でのあんまり関係ないコメントを切迫した絵に乗っけてみせた作品なんかが異色だったけれども、それだってフロムAとかだっけ、そういうCMに使われていたりする手法だからなあ。

 どうせだったら手作りでフィギュアを付くって冷蔵庫で凍らせてから叩き割って近所のバラ園へと持っていってバラの棘にまみれさせ、鴉につつかせ中身とか見えかかったところを縫い合わせてみせるような実写映像とか、「空の境界」で使われたマナーCMみたいな感じにクレイアニメを作ってしまうとか、紙芝居で予告をやっている姿を誰かに撮影させるとかいった技もあって良かった気もしないでもないけれど、案外にそういうのもあった中から世間体に配慮して、真っ当だった20本が最終選考に残ってしまったのかもしれない。場所はデジタルハリウッド、将来はクリエーターになりたい人たちが集まる場所なだけに、もしかしたらこれで誰かに認められるかもしれないって思うと、早々無茶は出来ないよなあ、やっぱり。

 そんなこんなで1番が決まった後で行われたトークショーで制作したサンライズの内田健二社長と片山監督がひとしきりトーク。前にインタビューして聞いた話に輪を掛けて、現場に苦労を強いたけれどもしれは未来のため進歩のために必要だったんだよって前向きで挑戦的な話しが聞けて、妥協しないからこそクリエーターはクリエーターであり続けられるんだという思いを改めて強く抱く。あと宮崎駿監督ではなく押井守監督から、絵コンテをつっかえされ捨てられることがあったとしても、その時に自分が描きたいものを描いていくのが1番なんだと教わった話しなんかも。それで飯が食えなくなるのは拙いけれども才能さえあれば誰かが見ているもの。そこに向かってひたすら自分を高めていくことでしか、クリエーターは成長できないし世に出ていけないってことなんだろう。そんな才能が結実した「いばらの王 King of Thorn」は5月1日公開。見た目は2Dっぽいのにそこに恐ろしいばかりの3Dの細工が潜んでいるので映画館のでっかいスクリーンでしっかと見よ。僕もまた見よう。

 あとは最近気になった作品ってことで内田社長が飛浩隆さんの「グラン・ヴァカンス」を挙げていたのが耳に強く残ったかな。何せ普通だったらこれに飛びつくかっていう「いばらの王」を挙げて映画にしてしまったプロデューサー。SF的にはとてつもなく有名でも世間一般には未だそれほど知られているとは言えない飛さんのワールドをサンライズのパワーでもってアニメーション化して世に送り出してくれるなんてことがあったら、最近一気に爆発してきた冲方丁さんに負けない人気と知名度を、得られるかもしれないって思ったけれども「いばらの王」だって3年近くをかけていたりする訳だから、これから飛さんの作品がアニメになっても見られるのは3年か4年先。うーんそれはちょっと遠すぎる。手っ取り早くテレビで来年にどうだ。何をテレビにすれば良いんだ。

 初の2巻以上物になったと本人大喜びなのかどうかまでは知らないけれども原作のファンとしてはあの小説が、こんなにキュートでコミカルでそれでいて凛として居住まいを正される青春コミックに仕上がっていていそれがまだまだ楽しめるってことにとっても喜んでいる尾崎あきらさんによる「武士道シックスティーン」第2巻。「しおんの王」の安藤慈朗さんによる漫画も青年誌の方で続いていてあっちは眼鏡をかけた磯山香織が決然としたたたずまいを見せてくれていてそれはそれで良いんだけれども、女子高生っぽさも漂わせつつ有り体の女子高生とはちょっぴりズレた侍っぷりを見せてくれる尾崎さんの版の方が、楽しませる漫画として読む人には受けるような感じがある。どっちが人気かは人それぞれ。ともあれどっちもまだ描かれていて一端の離別から和解を経て理解へと至る青春の道が、示されていくと思うととっても楽しみ。映画の方も公開中になったことだし、これを機会にもっともっと広まって、テレビアニメ化とかになってくれると嬉しいなあ。どっち版? それはまた新たなクリエーターの元でってことで。


【4月27日】 ならば中国的には、書画にて山水の如く料理を描けば見目明快な上に加わる赴きもあって来店増大商売繁盛、になるかどうかというとやっぱり蝋細工のサンプルにはかなわないかな、絵で描かれた食い物に美味いと思えるだけの創造力が、やっぱり人間にはちょっと足りない。そこに「孤高のグルメ」宜しく物語を乗せてやらないと、文脈として美味さを理解できないところがあるからなあ。ってことで「閃光のナイトレイド」。いつも肉まんを喰らっている中華料理屋(中国で中華料理屋ならただの料理屋じゃないかという疑問はさておいて)の娘が、危急存亡の事態とニッポンちょーのーりき一味の2人が経営する写真屋に突貫。聞けば近所の定食屋が日本で出始めた蝋細工のサンプルを並べて客の視線を誘い舌まで誘って中華料理屋の客を奪っているという。

 2Dのテレビより3Dの方に人気が集まるのはいつも同じ。絵よりサンプルの持つ“本物っぽさ”に客は引き寄せられて、味より見栄えに飛びついていく。このままでは肉まんが食えなくなると思ったか写真屋の2人が1人は乗り気、もう1人は嫌々ながらそれでも向かって料理を撮って壁に飾るまでを描いたストーリーの合間に、猫が暴れていろいろあって偽スパイクもふらりと横切りなにやら画策。お嬢様は「“お”3時」と超お嬢様言葉でお茶に行ったりして、戦時下をややはずれた平穏な上海の街が描かれる。そんな町並みに闊歩する軍人たち。嫌だねえとつぶやく写真屋の若い衆。でも戦争なんてもう結構、このまま平和が続けば良いなあなんて思えた時代が、あの頃の上海租界にあったんだろうか。

 日本でいうなら大正デモクラシーなり昭和元禄、しばらく起こらない戦争に心がそれを当然と思っている時代ならまだしも、朝鮮だ満州だ南方だと日本の意識が向かう一方で、列強もアジアを目指して着々と地歩を固めている時代に平和がいいねえ、軍人は嫌いだって思える感性を、誰もが抱いていたなら成り立つシチュエーションだけれど、そうでもなくってそれが当然と思えていた時代に、敢えてそう喋らせるのはやっぱり何かの作り手の意図があるんだと考えるべき、なんだろう。それを声高に叫べば偽善が漂う。未来なり異世界に置き換えて叫ばせれば、偽善も結構だけれどうそうでない現実を踏まえた歴史の上でメッセージをどう滲ませるか、ってあたりに物語の楽しさ厳しさが関わってきそう。要注目。しかしモノクロ写真でどうしてサンプルに勝てるんだ。それもまた不思議。念でも込めたか?

 いやあすごい。凄まじい。本当ならすごいことだけれどネットの大海に散らばる体験談なんかから類推するに、多分に本当っぽいからやっぱり凄いとしかいいようがない斎樹真琴さん描く「サキモノ!?」(講談社)の世界。朝からテレコール。もうひたすらにテレコールして商品先物取引に投資してくれそうなお客のリストを作り出す。作れなければ昼飯抜きで電話を続けそれでもとれなければイスを取り上げられて立って電話をかけ続ける。足はむくみ脳は血がたりずやがてへたり込んだ女性社員は膝が床でこすれて血が滲んでも手に受話器を持って電話をかけ続ける。

 労働基準法がどうとかいった常識的な意見に対して、それが商売の厳しさってもんだろう? って情に依拠する見解も出そうな昨今の経済事情、それくらいやってこそ人間も会社も成長するって言葉についつい納得させられそうになるけれど、そうやって売っているのが素晴らしく人間の暮らしに役に立つ商品だったら誇りも持てるしやる気も出る。でもここで売っている商品ではなく先物取引、形を持たない投資の勧誘でそれは絶対に儲かるものではありえない。というより誰かが損をするから誰かが得をするゼロサムの世界。いやいや、先物だからレバレッジも聞かせて大もうけもあるがとてつもない損を誰かが被ることもある世界で、そこに人を引きずり込む訳だから電話する側にはさまざまな感情が渦巻く。

 損をする場所に金なんで出す訳はないから、損もするけど儲かると声をかける。儲かるもんだと気持ちを持っていかせてそして金を出させて後は……。それでも先物の会社はちゃんと儲かる。手数料が入るから。損をさせてもさらにお金を出させて売り買いさせればさらに手数料が入ってくる。どっちにころんでもフトコロはいたまない会社。そして痛むのは顧客。それを知っていながら顧客を誘い続けなくては行けない電話をかけ続ける心が果たして真っ当でいられるか。いられないからこそ入社して早々にぞくぞくと人が退社していく。途中で採用した人たちもその日のうちに飛び出しやがて来なくなる。

 もっともそうは簡単に抜けられそうもない世界。退職したいと言い出す女性を言葉巧みに誘い出し、現れたら怒鳴りそのまま電話につけさけテレコールを続けさせるテクニックの凄まじさたるや。人の迷いや願望のカケラでも見つけたら逃さずつかんで引っ張り出してデカくして、おのれが望む方向へと引っ張っていく投資勧誘のテクニックに、見れば同じ事をされて自分だったらどうするんだろう? ってついつい考えてしまう。近づかないのが正解、会社にも、投資の話にも、っていった警鐘を鳴らす物語かっていうとそうでもないところが「サキモノ!?」の面白さ。

 楠って係長が主人公の新人女性にお風呂で語って聞かせた話では、前に勤めていた航空会社はカウンターで欠航を女性が何度も何度も謝っていても上司がそこに出ていくことはない、けれども先物の会社では部下と顧客の間にはいって上司がちゃんと謝る、そんな姿は初めてみたという。そりゃあ部下の不始末が自分の成績にも関わってくるなら頭だって下げるだろうけど、そうした打算すら働かない年功序列の硬直ぶりが航空会社の崩壊につながった例を間近に見ているだけに、それよりはやっぱり自分が頑張りさえすれば、稼げて上司に誉められる仕事の方が良いかもね、って思えて来てしまう気持ちが既に揺さぶられているから要注意。結局の所人生も投資も自己責任。そのための材料として読むのが良いのかもしれないなあ。

 そんな航空会社の崩壊を描いた「墜ちた翼 ドキュメントJAL再生」って本で著者の大鹿靖明さんが最後に叫ぶ言葉が耳にガンガンと響く。「JALの次はメディアである」。朝日新聞出版から出た本に朝日の「AERA」に所属していその前は経済部でライブドア関連の本なんかを書いていた敏腕記者がこう書くからには、その危機感は韜晦でなんかでも冗談なんかでもなく真実そのものなのだろう。それにしても朝日新聞、自分のところで出した本で自分のところの人に書かせた本でもって「『いずれはそうなる』と予想されたことなのに、タカをくくってきたツケが回ってきた」と経営ぶりに苦言を呈させ「競争環境の変化についていけていないという点でも、メディアはJALに似通っている」と記させなんて、よっぽど鷹揚なのかそれとも真剣に向き合い始めているのか。「新聞が消える」って本も出してたし。ちょっぴり羨ましい。うらやましがってる場合じゃないけど。


【4月26日】 そんなことはもう10年以上も前から起こっていることだと経験なり体験なりを元に言い続けていたことで、何を今更って感じではあるけれども護送船団として守られ体面もたって表に状況が出づらい日本よりも、ドライでドラスティックな北米の方で事態が顕在化して問題化した新聞の衰滅。その状況をニューヨークタイムズなんかで活躍したアレックス・S・ジョーンズって人が書いた「新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか」(朝日新聞出版)って本が出たんで読んだらやっぱり書いてあった10年以上前からの経験則。

 「新聞にとって『刈り取り』は以下のように進行するだろう。最初の数年、業界標準の二〇%の利益率は、ニュース部門の人員−とくにもっとも経験豊かな、したがって給料も高いと思われる記者−を解雇することにより、かえって高まるかもしれない。ニュースの紙面を減らし、記者の医療保険や他の恩典をなくし、帳簿上の規模を縮小する。取材のための出張をキンしして経費を節減し、残った記者たちに複数の記事を書かせてクビにした記者の穴を埋め合わせ、紙面は安いシンジケートのニュースや通信社のニュースを多用して埋め、広告主や読者の怒りを買うような報道を控え、運営費を可能な限り切り詰める」(227ページ〜228ページ)。

 ベテランってのは金ももらうけれどもそれに見合った質の高さを持った記事を書く。逆に言うなら残ったベテランではない人たちが書くものには厚さが足りない上にそんなペラペラな厚さをさらに何枚にも下ろすから、それこそ向こう側が透き通って見えてしまいそうな内容の記事しか紙面には載らなくなる。かくして「新聞はまだ発行され、そのニュース欄はニュースのように見える文章で埋まる。しかし生きものだった事業は、基本的に行ける屍となるだろう。そのうちに、読者は購読をやめ、広告主もどこかよそへ行ってしまうが、驚くほど長いあいだ、単なる慣性と権威ある地方紙のよしみによって、それは存在し続ける。そしてあの最後の運動がゆっくりと進み、避けがたい最期が目前に迫る」(228ページ)ことになる。

 さらに言うなら問題は「最期」が目前に迫っているどころかとおに過ぎ去っていて、それでもゾンビの如くにゆらゆらと経っているから始末に負えないといったところ。にも関わらず新聞でございと体面ばかりを保ち、その影響力を未だに通じるなり利用してもらえる権力たちの周辺で行使しようとするからどこかねじ曲がって偏った内容の記事ばかりが載ってそれに浮かれ喜ぶ政治行政を巻き込んで、この国をどんどんと坂の下へと転げ落ちさせていく。商業としてダメならダメと割り切って潰せるアメリカの方がまだ、影響を最小限に止められるって意味でましかもしれない。あちらはあちらで超ローカルな範囲に絞った運営に活路を見いだし、国とか惑わさず民衆とか過たないから。

 ともあれもう遅すぎるかもしれないけれども数々の処方箋が盛り込まれた本であることは確か。四六サイズにぎっしりと活字が詰め込まれていて読み応えも十分。有り体のことしか書いてなくってそれが世間をまるで動かさず危機感すら与えないメディア問題を扱った新書とかに比べれば、具体的に役にも立ちそうだけれどこれを役立てていこうって経営者がいるならとっくにいたはず。何しろ10年以上も前から誰もがそうなると予見し、指摘し続けながらも微動だにしなかったメディアなのだから。やっぱりもうダメなのかもしれないなあ。処方箋として有効な超ローカル化なんかも、中途半端な全国紙には無理みたいだし。困ったなあ。

 連載では遂にダダンがボヨヨンボヨヨンしていた「ONE PIECE」はこのまましばらくルフィとエースの過去編が続いてボア・ハンコックとはしばしのお別れになるのかな。それにしてもどこかで見たことあるような顔したダダン。どこかで誰かとつながるのかそれとも。そして気になり始めて単行本まで追いかけ始めた「BLEACH」は一護や織姫やチャドたちの力についての言及が。何を望む? その果てに来るものは? そもそも藍染は何を目指しているのか。案外にその行為こそが正しいのかもしれないなあ。命じられたままに非道をやろうとしてしま護廷十三隊なのだから。テレビはそろそろ「仮面の軍勢」のご登場? 矢胴丸リサの足がたっぷり見られる時は近い。期して待とうその瞬間を。

 秋葉原をざっとのぞくと「ガンダムカフェ」には平日なのにしっかり行列。1時間は待つみたいでお昼時ともなればさらにいっぱいの人が押し掛けていそう。入れるのはいつになるやら。隣のショップはすきすきだったけれどもハロマキならぬハロールは未だ入荷せず。アムロが1つ1つ手作りしているに違いない。あと名セリフクッキーだっけ、それもなかった、残念。ガンプラ焼きは午前11時からの販売で買えず。待てば大丈夫そうだったけれども15分前にまた通ったら数名の列ができていたから、11時にはさらに伸びて5分10分待ちくらいにはなっていたかも。それでも買えるんだからまだ良いか。いずれ再び挑戦だ。

 そんな並びを横目に見てアニメイトで「今日の早川さん」のドラマCDを購入。ゴージャスな声優。でもまだ聞いてない。聞いて果たしてどこまで小説とか理解できるか分からないし。そんなこんなで夜。見新田舛成孝二監督による初の劇場長編アニメーション「宇宙ショーへようこそ」はなかなかに良作だった。夏休みに少年たちに起こった出来事を描いた作品。始まりはゆったりとして否かの夏休み感があふれててはいても驚きはなかったけれども途中から始まる大冒険が目に新しいビジョンをもたらし気持ちに感動をもたらしてくれる。

 繰り出されるビジョンは漫画で連載で「銀河鉄道999」を読んでいた時のような次はこれか、そして次はこれかといった驚きに似た感じ。直裁的な説教はなく現代の風刺もとくにないけど設定に生命のビジュアルの目新しさは存分にある。okamaさん的グロ可愛いクリーチャーたち炸裂。子どもが見ても大丈夫? ってのが心配だけれどあのポニョを見て可愛いというんだからきっと大丈夫。見終わってちょっとした冒険に出たくなる気持ちを抱かされ、そしてお互いに素直になって相手を認め合う気持ちの大切さに気づかされることだろう。傑作。とりあえずポチは出てきたけれども1号だけで2号から28号は出てなかった。残念。ってそういう話しじゃないってば。


【4月25日】 去年の冬頃だかに神宮外苑にあるワタリウム美術館で見て一目ぼれ。冬だし体パンパンなんで斬られないことを承知で買った、Tシャツをリサイクルして切り張りしてまったく新しいデザインのTシャツを作り出すという「EBD」ってブランドのサイトが新しくなっていて、そこん家が今までに作ったコレクションが一覧になっていて眺めてあれも欲しいこれも欲しいもっと欲しいもっともっと欲しいとわく物欲。だってどれも恰好良いんだもん。とくに126番のプリンス。これ着てプリンスのライブとか行ければ最高だけれどプリンス、来ないんだよなあ日本になかなか。ってか来たことあったっけ。

 もっともそんな欲求の一方で、一向に引っ込まない腹回りを指どころか手のひらでぎゅっとつまみつつ、これを何とかしないと夏のTシャツシーズンに向けてせっかく持ってる114番だったっけ、どれかある我が家のコレクションが日の光に当たる機会もなさそうって弱気にどっぷり。浸るかと思いきや夜中になればなったで外は走らず酒に走って、油まみれのつまみを貪り、雀の涙も涸れ果てかけている夏の天恵に浮かぶストレスの解消に走ってますます膨らむ腹回り。果たしてTシャツが日の目を見る時は訪れるのか。ワールドカップに備えて日本代表のユニフォームのそれもゴムたすきことテックフィット版も買ってしまったからなあ。頑張ろうあと3キロ。いや2キロ。せめて1キロ。弱気だやっぱり。

 さてお茶の水に向かうかと家を出て立ち寄った神田神保町には村上春樹さんの「1Q84 BOOK3」の第3刷が出回り始めていたんだけれど、どこか造本が妙というか手に取ると全体につぶれているような感じがする。背がななめに傾いで下の表紙がやや左につきでている感触で、上から見ると平行四辺形になっているんだけれどこれって単なる気のせいか。でも近所の書店でみかける第3刷が軒並みそうなっているように思えるだよなあ。2刷ではそんな感じが全然しないだけにやっぱり気のせいではないような気がするんだけれど気の迷い? それとも。

 そしてやって来た明治大学はリバティタワー2階での「大学読書人大賞2010」は、大学の教室に集う兄ちゃんたちの率の多さに文学少女なんて幻想だって現実を一気に知らされ立ちすくむ。病院の屋上で宮沢賢治を呼んでる美少女なんてもなぁ存在しないし図書館で本をつまみ食いしているお下げでセーラー服の先輩なんてものも存在しねぇんだこの世には。いや図書館の本をつまみ食いする人間は普通いませんが。とはいえだんだんと人も集まり始めると女子の割合も増えてだいたい3割くらいは女子になったかそれとも女子と見せかけた担当編集者たちが集ったのか。どっちにしたって厄年過ぎにして無名無存在感な書評者には縁遠い方々ってことで遠巻きにしつつひっそりと待つ開幕。

 そして始まった「大学読書人大賞」は例年どおりに最終決戦に残った5作品について、それぞれを推薦した大学の人が前に出てその良さをひとしきり語ったあとで、それぞれについてディスカッションが入るという段取り。まずは伊坂幸太郎さんの「あるキング」についてプレゼンテーションが始まって、読みやすいのが大事で大学生は読みやすくなくちゃ読まないとかって話が出てきてそういうもんかと思ったり、キャラが立ってるって話にキャラが立ってない小説ってどんなんだとか思ったしもしたけれど、逆にいうなら読みやすくてキャラが立っていれば読んでもらえるってことで、読まれてなんぼの小説家にとってはいろいろ参考になる言葉ではあったかもしれない。

 これはマクベスだ、っていう説も飛び出しそういうものかとシェイクスピアに無教養な当方、やや引きかけるもそれでも読みやすいから良いんだって言葉に説得されかかる。今回もコメンテーターとして参加の永江朗さんは「すばらしいプレゼン。シェイクスピアとの関連を分析して位置づけている。面倒くさいと思う人にも、そうでないよみやすいと説得力で語っている」とプレゼンの内容をくみ取って評価してた。そして大物中の大物ともいえる村上春樹さんの「1Q84」についてのプレゼン。主題は「愛」。年齢を重ねて生まれる愛に対して経験はなくとも親の愛をもらって育った記憶があるなら分かるだろ? とかいった感じの言葉が繰り出されたような。

 永江さんは「難しい課題に挑んだねえ。100万人以上の人がそれぞれの1Q84観をもっているのに、敢えて提示してみせるなんては蛮勇。おまけに未完だった訳で大外れになっていくかもしれないのに、すごいこと。はずれになっていたかもしれないのに、愛の1点で切り込んだ。若くないとできないよ。愛について悶々としているんだねえ」と評してた。大学の壇上で愛を叫ぶ。そりゃ蛮勇。でも羨ましい勇気。欲しいなあ、そんな勇気。もらって誰にどうするって当てもないけれど。

 そして有川浩さんの「植物図鑑」。巧いプレゼン。繰り出される「言葉」についてスポットを浴びせ「誰かと関係を作る上でコミュニケーションは必須。そのための言葉を探してみよう」と呼びかける。て語って永江さんから「これも愛の話しだけれど『1Q84』とは対称的。植物を媒介にして言葉を交わし、愛や大切な者を見つけていくのは文学にとって根元」との表。米澤穂信さん「ボトルネック」。プレゼンの言葉がボトルネック気味。ホームからの出場に緊張した? でもその分初々しい感じ。大切なのは自分自身を変えること。それで突破していけという主張。必要なのは想像力だとも。そういう話しなんだと興味。

 トリは最近アニメーションも始まった「四畳半神話体系」の作者でもある森見登美彦さんのしばらく前に出て文庫化された「夜は短し歩けよ乙女」のプレゼンテーション。慶応ボーイが出てきて言葉巧みにプレゼンテーション。美文調でリズム感のある言葉を取り上げこれは言葉を咀嚼する小説で、言葉を咀嚼することで日常と幻想の境界が溶けていくって話してた。昔は結構こういう小説もあったんだけどね。永江さん曰わく「すごいわ。乗り移ってるね。文章のリズムも。京都の言葉が慶応の言葉に変換されてる」。

 その勢いは討論会でも発揮され、割に大学生の生き方論へとズレていきがちだったディスカッションでも、作品を根底にしてそこにある主張を繰り広げて見事に1位に。本文でつづられる森見的な自嘲自虐にして韜晦気味の言葉を等々と朗読したのもゴールデンウィーク目前の、天気も最高な日曜日に何でまた大学の教室で本について語ってなきゃあいけねえんだ的ルサンチマンを刺激し、共感を誘った一因かも知れない。問題はそうやって森見的自虐を語っているのが、その立場だけで多くの羨望を誘う慶応ボーイだってことなんだけれど。お前様に森見的鬱屈の何が分かる? といった反論も招きそうだけれどもそこはそれ、日曜日に本について語っているというか語らざるを得ない身の上を斟酌し、同志と認めるのが優しさってものだよなあ。

 そして結果は1位が森見さんで2位が有川さん、3位に村上さんがハイって4位が伊坂さん、5位は何だろうプレゼンの初々しさディスカッションでの青春語りがさすがに堪えたか米澤さんという結果に。どれがとってもおかしくないなかで、それでもやっぱり大学生の青春って奴がふんだんに盛り込まれている森見さんが受賞したってあたりがいかにも大学読書人大賞らしいって言えば言えるのか。むしろ今さらじゃなくってとっくに読んでいろよ感もしたけれど、そんな森見作品ですらなかなか読まれ得ないのが昨今の文学事情って奴らしいからなかなか。ハードカバーでは初版がそれこそ万の桁に乗らない本もわんさか出ている中で赤貧の大学生に読めっていくのも酷な話。いっそだったらパソコンソフトのアカデミーパックじゃないけれど、ハードカバーの刊行と同時に大学生協向けに学生専用として文庫版をハードカバーと一緒に出して売るって手も、あるいはあったりするのかも。なんてことを去年の1位もその前の1位もともに文庫が獲得したことなんかからも類推。さあてどうする出版社。

 とりあえず2年連続で受賞者が授賞式に来られなかった状況からは脱しそうでそのあたりは参加者も喜びそう。JPICが支援はしているけれども基本は大学生の手弁当。それでちゃんと運営がされて賞まで決まっていくんだからなかなかよくやっている。そんな苦労が報われるのは受賞者の喜ぶ顔が見られた時。授賞式には受賞者を取り囲んで非モテの教祖とすがる文学少年文学少女が歓喜し感涙姿を拝めそう。そんな文学少年と文学少女の間に果てしない川が流れ底知れぬ谷が走っていることは言わないのが親切というもので。お茶の水からは秋葉原経由で帰宅。途中バッタ屋で「ONE PIECE」の解除区女帝、ボア・ハンコックのクッションを780円で入手。文学少女とも美人編集者とも知り合えぬ我が身を慰撫しつつ抱いて寝る。枕に滲んでいるのは汗なのです。涙なのではないのです。


【4月24日】 大手町の地下鉄半蔵門線駅そばに並んでいるガチャポンに「ONEPIECE」の「王家七武海」メンバーが勢ぞろいしたマスコットが入ったんで回してみる。もちろん海賊女帝ボア・ハンコック狙いだけれどもいきなり黒ひげマーシャル・D・ティーチが2つ出て震撼する。旬な男な訳だけれどもビジュアルがなあ、ちょっぴりなあ、いや声は好きなんだよ声は、でもやっぱりなあ、悪役だしなあ、これから先どんな“活躍”を見せてくれるんだろう? シリュウとか加わってとんでもない勢力になっているみたいだけれど。それこそ白ひげ海賊団なんかよりも凄まじいくらいに。毎週の「週刊少年ジャンプ」から目が離せない。

 そうはいいつつ海侠のジンベエが出て鷹の目ミホークも出てバーソロミュー・くまも出てそしてボア・ハンコックもちゃんと2つでて1つは飾り1つは身に付けてその美しさを肌身で感じたいけどしょせんはフィギュアだからなあ。リアルなハンコックはいないかなあ。サイズだけなら叶姉妹妹あたりなんだけれど。いやあれは凄かった。本当にほんとうに凄かった。さらにドンキホーテ・ドフラミンゴも出て残るは七武海最弱の烙印をおされかかっているゲッコー・モリヤか。欲しいかなあ。でも揃えたいしなあ。できればクロコダイルも入れて8人の七武海にして欲しかった気も。ともあれあと1つを頑張って取ろう。また黒ひげだよ。って可能性87%。

 やっぱり営業しているところを見ておかないと文字になんか出来ないと早起き(それほどでもない)をして総武線に揺られて秋葉原へと降り立ち駆けつけた「ガンダムカフェ」にはすでにあれやこれやの列。始発が動くかどうかって時間からすでに行列ができはじめて入らし食って午前8時半のオープンで200人ばかりが並んでいて、そこから順繰りに入っていって中でジャブローブレンドなんかをたしなんでいるうちに行列はさらに伸びて午前9時半ごろでガード下をたどって交差点をわたったUDX敷地まで伸びていた。まあそれでも「魂ネイション」時みたくUDXをぐるりと囲むほどではなかったけれど、昼前あたりになるとそれこそ3時間待ちとかになっていたそうなんでやっぱり人気には凄まじいものがあった模様。

 誕生前から秋葉原の名物になってしまっていたガンプラ焼きは別に行列があってテイクアウトで買えるみたいでせっかくだからと列に並んで待つこと15分ほどで無事購入。チーズベーコンな奴は食べるとお好み焼き大阪焼きって雰囲気があるのに対して小豆のはそのまま鯛焼きといった風情。中身によってこうも違うのだったらなかに他のをいれれば例えば大判焼きになったり回天焼きになったり太鼓饅頭になったりするのかも、ってそれみんないっしょじゃん。チーズベーコンがつまりは異例ってことで。鯛焼き屋でも確か最近そういうのを売っていたからどんな味なのか試してみよう。

 ずっと秋葉原名物になっているシャアな人も購入していて嬉しそう。別のシャアもいてこっちはララア連れで2人で挨拶こんにちわ。お土産売り場も列が出来ててさぞやハロマキ、ではなくハロールも大人気かと思いきや、間に合わなくってまだ売ってなくって買えなかった。ファーストではアムロの手作りだったからそれを真似て全部手作りしている関係で間に合わなかったのか。だから量産型が出てくる「SEED」にしておけばよかったのに、色変わるけど。「UC」に出てくるのも量産型? どんな色してたっけ? まあおそらくは来週には登場すだろうからその辺りを狙って行って食いまくろう。両端のこっとが自分で向こうは誰かって感じで食うってのがやっぱりラブリーだけれどそんな相手はいないしなあ。ロールケーキを囓る美少女の顔ってどんなだろう。

 知らない間に小学館の「サンデー超」なんてところで連載が始まっていた田中光久さんって人の「イエロードラゴンがあらわれた!」(小学館)がちょっぴり気になって読んでみたら何と! 面白いじゃあないですか! 割にやっぱり少年誌チューンではあるんだけれど、ニュアンスのどこかにSF漫画っぽさも滲んでいろいろと味わえて読み返したくなってくる。主人公は天才魔法使いを自称している兄ちゃんで、自分の力を示そうと最強の霊獣、黄龍を呼び出そうとしたんだけれど現れたのは巨大な卵、でもって割れて出てきたのがちんちくりんな女の子。何だこりゃ? と問いかけたら彼女こそが黄龍だと言うではないか。どういうことだ? 訪ねたら龍は変態を重ねて行く生物で今はそういう時期なのだそうで、それでも龍らしさを見せようと体内で生成されたエネルギーを口から吐き出した。それは……。

 といった感じに意外性を繰り出しひょいっと外して楽しませる部分が多々あって、愉快で心地よい時間を過ごさせてくれる物語。新たに召還した赤龍の驚きのスタイリング。龍を退治するためにやって来たドラゴンスレイヤーの吃驚な中身。どこかお約束めいているけれど、そんな展開をテンポ良く描いてあってそれも可愛く巧みな絵柄で子どもっぽさを感じず、かといって小難しさも感じない、極上の時間って奴を与えてくれる。主人公の魔法使いがぞっこんな女性のグラマラスさも見た目にOK。そんな彼女のバニー姿も出てきてヤッホー。でもその正体は……。小学館のサンデーコミックスとは思えないシンプルな表紙も、ちょっぴり違った層が手にとって面白がってくれそうう。続刊が楽しみだけれどところで「サンデー超」っていつ出てる? 何載ってる? あといつから小学館のコミックスって税込み440円に値上がりした?

 こっちはれっきとした「週刊少年サンデー」に連載らしいひらかわあやさん「國崎出雲の事情」第1巻。歌舞伎の家に生まれた少年が女形の役に嫌気が差して飛び出しバルキリーに乗って攻めてくるヴァジュラと戦うって話、ではなくって母親とともに家は飛び出したものの母親が旅行に出かけて戻ってこないんで仕方なく父親の歌舞伎役者の家に行ったら嫌だった女形の役をやらされる羽目になってしまったってストーリー。女形なんで女装はいっぱいでてくるけれどもそれは歌舞伎役者としての血であったり、傾きあけた屋号を支えたいという使命感であったりと、いろいろな事情が重なってのもので一応のところは本意ではないってあたりが特徴か。それでもやっぱり身に染みた血って奴もあるんだろうなあ、いずれそれが発露して女形にどっぷりのめり込んでいくことになって、そうじゃないのになぜなんだって葛藤に揺れる心が見られたらちょっと面白いかも。

 出雲が家を出ている間に弟子入りした女形の加賀斗は割に女装が好きっぽいけど少年じゃないからあんまりそういう方面の興味は引かないか。でも女装すると美人ってのはやっぱり見ていて目に麗しい。こういう設定の話が「サンデー」に乗るのって時代にジャストじゃんって言いたくなる人もいそうだけれども「サンデー」といえばかつて幼馴染みの少女のために2人で芸能界で活躍できるよう少年が女装してペアを組んでアイドル活動に勤しんでいた「ティンクル×2 アイドル☆スター」って傑作漫画が連載されていからある種伝統でもあったりする。というか「うる星やつら」にだって竜之介のフィアンセの潮渡渚って立派過ぎる女装少年が出てきたし、「らんま1/2」なんて男子が女子にくるくる変わってしまうトランスセクシャルストーリーだった訳でその意味でもある種の伝統を持った媒体で、「岡崎出雲の事情」はそれをしっかと受け止め受け継いでいる作品ってことになるんだろー。流行に乗ったとかそういうものじゃないってことで。しかし加賀斗は出雲の活躍にそんなに嫉妬しないんだなあ。どうしてだろう?


【4月23日】 午前1時に欧州トップモード「4−2−3−1」で杉山茂樹さん大喜び。まあ使う人によってはただの前掛かりなだけのザル守備布陣になるけれど。治められないちびっこ弱体フォワードをトップに置いたら、そこにおらずにサイドに流れて攻撃を詰まらせクロスを入れても誰にも届かず、得点を奪えないまま業を煮やしてセンターバックが上がりっぱなしになった裏をつかれて放り込まれて走り負け、競り負けて得点を奪われまくって敗退という、6月の南アフリカで繰り広げられそうな参上が今から予想できてしまったよ。4月33日になったらまた違うロッベンスナイデルファンペルシなんてところがうっちーを蹂躙するシーンが浮かぶだろうなあ。そんな日はありません。

 首都圏の名古屋人を刮目せよ。来る5月13日より19日まで、東京しは渋谷にある東急百貨店本店と東横店にて「大なごや祭in渋谷」が開催されるとの報あり。名古屋のシンボルにして名古屋港にも浮かんでいたりした金の鯱の実物大模型がやって来て、そのビッグぶり金ぴかぶりを東京に住まう三河武士の末裔どもに見せつけるというから痛快無比。徳川宗春の改革を笑い弾き圧した江戸には生まれなかった絢爛ぶりに酔えよ踊れよ、って別に金の奴が来るとは限らないからそこまで行ってはおかしいか。ウェディング美堂あたりがそれならと完璧なレプリカを作ってみせればかっこいいのに。まだあるのが名古屋清水口ロレックスが安い美宝堂。

 あとは現在再建中というて本丸御殿の襖絵なんかも来たりして尾張徳川の絢爛無比な様を見せつけてくれればこれ幸い。地味だ暗いと莫迦にすんなよ名古屋を江戸のちゃきちゃきたち。でもって喰らうのだ名古屋のゴージャスな食い物を。決してどらやきではない両口屋是清の千なりに、伊勢の名物赤福餅を中と外を入れ替えた訳ではない熱田名物きよめ餅、東京には世界の山ちゃんばかりが来ているけれども名古屋じゃこっちがオーソリティーな手羽先の風来坊、ハヤシもあるでよが全世界的な流行語にもなったらしいカレーのオリエンタルがやって来て、名古屋名物の凄みって奴を見せつけてくれる。なにがどう凄いのかは知らないけど。

 そしてヨコイ。あんかけスパゲティのヨコイがはるばる名古屋から東京へとやって来ては、似非なあんかけスパのチェーンに勝り油ギトギトのぶっとい麺にタマネギピーマンウインナーがてんこ盛りとなったその上にピリ辛ソースがどっぷりかかった、本家本元のあんかけスパって奴を見せつけるからそのつもりでな。何か偉そうだな。あとは銀座にもある矢場とんに東京でも知られているひつまぶしか。中には元名古屋人でも20年とか離れていると知らなかった物もやってくる様子。「名古屋まるは食堂名物エビフライ」ってそんなに名古屋の名物だったっけ。「和食処松屋の味噌カツいなり」なんて豊橋方面に4年も通っていて触れたことがなかったぞ、そっちだったら菜めし田楽にヤマサの竹輪だろう。

 「大名古屋食堂ア・テロルの中京オムライス」ってどこが中京なんだろう? 卵が名古屋コーチンか何か? 鶏もやっぱり名古屋コーチン? 知らないけれども見た目のオシャレ具合があんまり名古屋っぽくないんだよなあ、これだったらむしろやっぱり天下の剣、登れば力つき息絶える人も続々な喫茶マウンテンこそ東京へと紹介するに相応しいんだけれど、それで渋谷に死屍累々ではやっぱり名古屋の印象を崩すからなあ。ああでも見て東京モンの胃袋の弱さを笑いつつ、豪快に甘口抹茶小倉スパを食べ尽くす名古屋人の姿に婦女子も憧れ迫ってくるなんて光景も悪く無いなあ。寄ってくるのかそういうアンデッドグルメな兄ちゃんに。ともあれ期待の「大なごや祭in渋谷」。ただしこれだけは突っ返したい。「名古屋ことば自販機=飲料を買うと河村たかし名古屋市長の音声メッセージが流れます」。いらんがや。どうせだったら天野鎮雄さんか山田昌さんにしといてちょーよ。

 シルヴィ・ギエムだったらなあ、というのがとりあえずの感想。彼女だったら踊る姿はクラシックならとても凛としていてモダンだったらどこまでも力強く、止まった写真になっていても見てそこにこめられたテクニックの素晴らしさ踊りへの理解の深さが伝わってくる。どこまでも真っ直ぐに伸びた足、それこそ手先の指先の1ミクロまで神経が行き届いているかのような完璧なポージングは誰の目にもシルヴィ・ギエムという不世出のバレリーナの凄さって奴を見せつけることだろう。そんな合間にヌード写真が10枚ほどだけ挟まれていたって納得できるし、たった10枚ほどのヌード写真から発せられる鍛え上げられた肉体の素晴らしさって奴に、とてつもない感動を与えられるだろうから。

 だから幻冬舎にはギャランティを1億円を積んでもシルヴィ・ギエムの写真集を出して欲しい、出してくれれば値段が1万円だって3万円くらいだって出しても良いって思っているけど出たのは日本のどこかのバレリーナ。なるほど名前は有名みたいだけれども果たしてバレリーナとして世界的に見てどれくらいの位置づけになるのかというと、想像をめぐらしてもうーんと考えてしまうくらいだったりするだけに、そんな人の舞台を中心とした写真集を出して果たしてバレエのファンは買って見るんだろうかといった懐疑が浮かぶ。

 違うよあればヌードが目当てなんだっていうけれど、2冊組になっている写真集の1冊の方で10枚とか20枚といった程度しか掲載されていない上に、上半身だけとかいったものが大半でフルになっているのは数枚しかない。それこそ広告として掲載されたものが最も素晴らしくって最も美しいんで、あれだけ見ておけば十分ってのが率直なところ。あれより良いものがいっぱいあるって思って買った人に待っているのは、舞台の上で何かしているダンサーの写真ばかりってことになる。それもまた経験だけれど、そうした経験ばかりさせて果たして出版に未来があるのか。羊頭狗肉も適当なところにしておかないとこの出版不況の将来においていろいろ困ったことになるんじゃないのかなあ、なんてことを買った人間が言っても説得力ないか。次が榊原郁恵でも広末涼子でも大橋のぞみでも買うぞ多分絶対に。

 そして吉祥寺に行きヨドバシカメラの上の万豚記で豚バラ青菜炒飯を食ってから、吉祥寺バウスシアターで「マイマイ新子と千年の魔法」のDVD化発売の発表を見物。最初に新宿ピカデリーで見たきりだった福田麻由子さんの顔を久々に見て、11月から5カ月の間に10歳くらい歳をとったんじゃないかという成長ぶりに驚く、ってのは嘘だけど、でもちょっぴり大人感が増したような。それもそのはずで、前は中学生だったのが今回はれっきとした高校生になっての登場。その壁は万里の長城よりも長くて高く、超えたことによって1枚まとうオーラーが増したような印象を受けたとかどうとか。まああれだ、世辞って奴だ。

 でも前に新宿ピカデリーでも感じたように、喋る内容の大人ぶりは変わっていなくて、当時も誰かと離ればなれになっても心はつながっているんだという話をしてくれたけれど、今回も「いっしょにいられない環境になったら、それまでの関係とは何かが変わってしまう。毎日当たり前のように話していたことが、とても貴重だったんだって私は高校に入学して感じました。年上の人は、もっといろいろそうした経験をしているんだと思います。そういう友だちや仲のいい人たち、大切な人のことを持った時に、この映画はすごくジンと来ます」と自らの経験を踏まえて話してくれて、映画の良さをわかりやすく共感を呼ぶように伝えてくれた。頭良い人なんだなあ。これからの女優人生に大いに期待が持ててきた。

 こういう話がさらに広まれば、世間ももっと早く注目したんだろうけれども、そういう話しが広まりづらいのが昨今って奴。マイナーな新聞がわんさか書いても世間は素通りしてしまう状況から、よくぞ踏ん張って上映の連続を成し遂げDVDの発売までやって来たもんだ。結果として僕は何もできなかったに等しいし、今だって何の貢献もしていなさそうで、現場をのぞいてもどこの誰だって風情だけれど、そうした存在感の希薄さも、あちらこちらに出没するのに好都合だと思えば別に気にすることでもないのかも。いるぜいるぜって思われるよりは、いたんだあのときと後で気づかれる方が楽しいし。永遠に気づかれない可能性もあるけれど。まあそれでもそにに居あわせたという自分の中に溜まる記録と経験を糧にして、これからもゲンバを訪れ続けよう。さてと次は何を盛り上げようか。


【4月22日】 見る見るといって結局劇場では見なかったりした「AVATOR」のブルーレイディスクが出ていたんで買ったらDVDがついてきた。いらねえ。わざわざブルーレイを買う人ってのはそれなりに画質にもこだわりがある人で、良い画質で見たいがためにそいつを選んで買う訳であって、おまけにDVDがついているからってそれをわざわざパソコンに入れて再生したり、車の中のカーナビ兼DVDプレーヤーに入れて再生して見るなんてことは多分しない、というか絶対にしそうもない。どうせだったらUMDでもつけてくれたら手持ちのPSPにぶっこんで、電車の中とかで見るのになあ。つまりは訳がわからない。

 ちょっと前に秋葉原の海外製DVDショップで見かけたあれは「崖の上のポニョ」のブルーレイディスクだったっけ、それにも確かDVD版がついていた。だからたぶんブルーレイを普及させようとするタクラミが海外のパッケージメーカーにはあって、今はたとえばブルーレイディスクのプレーヤーを持っていなくても、いずれ買うかもしれない人が、その日のために“おまけ”としてブルーレイも入手しつつ、しばらくはDVDを見て楽しみたいっていった需要を狙って、そういうパッケージを出しているのかもしれない。妙に画質にうるさかったりする日本人なら想像ができない、ブルーレイがあるのにDVDを見る人ってユーザーの想定とは真逆の発想。それが果たして北米とかで成功しているのかどうなのか。まあどっちでも良いんだけど。どうせしばらく見ないし。見てないディスクが山ほどあるし。

 土砂降りなのはきっと等身大立像展示の最終日に台風を招き寄せたなにがしかのパワーが、今回も春に似合わない寒波を引き寄せ黒雲をわき上がらせて強い風雨をもたらしたからに違いない。それはいったいどんなパワーだ。御大の怒りか。いやでも別に怒ることはないか、自分が生みだしたファーストな「機動戦士ガンダム」がいつまでもいつまでもいつまでもネタにされて世の中を循環しているんだから。24日に秋葉原の前は確か石丸電器の携帯館があったガード下にオープンする「ガンダムカフェ」とやらのお披露目があったんで見物に行ったけれど、内装からメニューからコンセプトがすべてとことんまでファーストガンダム。メニューにはシャアがいてグフがあってギレンがいたりしてといった具合に、ファーストを知っている人には涙なくしては食べられないものばかりが供させる。

 ジャブローコーヒーなんていかにもありそうなブランド。それはジャブローが南米にあってなにかコーヒーの産地っぽい場所だって感づける古い世代だったら直結してピンと来て、飲んでみたいと思う品物かもしれない品物だけれど、今時の「機動戦士ガンダムSEED」とか「機動戦士ガンダム00」とか見てガンダムのファンになった世代には、それがいったいなんだか分かるんだろうか。なるほどお土産品にはハロもいる。ハロマキならぬハロールってロールケーキになって売られてる。1日限定86個は多いのか少ないけれども、その愛らしさにちょっと食べてみたくなる。いや愛らしいのに食べるってのはどこか倒錯しているか。でも食べない訳にはいかないよなあ、生ものだし。

ピンクほすい"  そんなハロは「SEED」にだって出てきて、ラクス・クラインなんかといっしょに画面に映って、シリーズを通した重要なマスコットになっている。2000年以降のガンダムファンでもそれがなにかは分かるだろう。でも見て思う。色が違う。なんで黄緑色? それはファーストの世代には“当然”でも、新しい世代には違和感をもって受け止められる。あるいは疎外感。自分たちだってガンダムのファンのはずなのに、この店には自分たちが好きなガンダムが見えないと。おじいちゃんおばあちゃんたちだけが喜ぶ巣鴨か浅草みたいな場所になってしまっていると、ってそりゃあ言い過ぎ? でもやっぱりどこかに寂しさを覚えるんじゃないんだろうか。

 そりゃあ1番最初に人気が出て、今もしっかりとした人気を維持しているプロパティなんだから、ファーストがいっぱいに持ち上げられるのは分かるけれども、それだけだったからじゃないから「ガンダム」は30年も続くプロパティに育っていった。「新機動戦機ガンダムW」があったり「機動戦士ガンダムSEED」があったり「機動戦士ガンダム00」があったりして、その都度に新しいファンを獲得して盛りあがって存在感を堅持して来た。それがここのところちょっと途切れてしまっている。今だってなるほど「ガンダムUC」を出して新しさを出そうとしているけれども、やっぱりファーストの継承であってそれを知らないととことんまでは楽しめない。そしてテレビじゃない。よほどじゃなければ新しいファンはひっかけられない。

 そんな合間にメディアに載る情報は、相も変わらずおじいちゃんおばあちゃん世代が懐かしがってほくそ笑むファーストの話題ばかり。立像はその最たるものだったし、カフェだってそう。もしもそこに例えば「SEED」のアスラン・ザラだかキラ・ヤマトなスタッフがいてラクスだか偽ラクスだかのコスプレイヤーなウエイターウエートレスがいたら、「SEED」世代のとりわけ女子が連日おしかけすっげえ賑わいになるだろう。「00」の刹那やらロックオンやらの関連アイテム関連メニューが並んでも同様。そういやってちょい前をちょこちょこと刺激することで、ファーストが30年のプロパティになったように「SEED」や「00」も陰にかくれず地に埋もれず、立派な柱となって未来を支える。

 まあでもそれだと一過性に終わってしまわないこともないからまずは安定、って意味でファーストを前面に打ち出しつつ、時限的に他のプロパティものぞかせていく方が長期的には良いのかも。ハロールだって今は黄緑色だけれども遠くない時期にストロベリークリームをつかったピンクの「SEED」版が作られるとかどうとか。いつか「ゲーマーズ」が時限的にブラックゲマゲマ団に占拠されて「ブラックゲーマーズ」になったように(例え古すぎ)、この「ガンダムカフェ」だって8月のひとときは「ガンダムSEEDカフェ」なり「ガンダム00カフェ」となって、お台場に集まり今なおアスランキラ刹那ロックオン五飛と喜ぶ美少女たちが、立ち寄り楽しめる店になっても悪くはない。そんな店内はさぞや賑やかなことだろうなあ。絶対に入れないなあ。

 北野勇作さんがメイドの絶対領域について考察を繰り広げているメディアワークス文庫の新作を読もうとして手に取って、表紙に映し出されたガーターベルトによって彩られたメイドの絶対領域に艶めかしさに目を奪われて、そこから1歩も進めず未読のまま。なんと罪作りな表紙なんだという感想はおそらく全国的に発生して、店頭で手に取り絶対量域のまぶしさを存分に堪能してそして平台に返してそのまま帰宅してしまう人も大量に出そう。もしもライトノベルを志向するんだったらやっぱり豊富なイラストで絶対量域を3ページに1回は登場させて、これは買わずにはいられないと思わせるしかなかったかも。それを誰が書くかが問題だけれど。奥さんか。どんな絵を描く人なだっけ。


【4月21日】 見るからに貴公子然とした長身痩躯で金髪碧眼の兄ちゃんの口から、「プラネテス」とか「ノエイン」とか「ファンタジックチルドレン」って言葉が出てくるとやっぱり世界は広いなあっていうか、そんな世界の隅々にまで日本のアニメが浸透している凄さを感じる春の1日。スウェーデンから来日して今は本職本業を発揮して、各地のクラブを回ってDJなんかをやっているラスマス・フェイバーってアーティストがいるんだけれど、その人が去年あたりに出したアニメ音楽をジャズでやってしまった「プラチナ・ジャズ アニメ・スタンダードVol.1」ってアルバムについてあれやこれやと喋ってた。つまりは今時の西洋音楽って動きが少なく、ドンドンドンドンってなモノトーンか、ありきらちの3コードのロックが中心で転調したりひっくり返ったりするようなことはない。

 それが日本のアニソンは途中で曲調は変わるは、サビは壮大でメロディアスだわと聞いていてもう耳に残る残る。そのメロディアスさが50年代60年代のジャズにも似ているってことが元はジャズピアニストでもあるラスマス・フェイバーの興味を引きつけ、日本のプロデュースの元にアニメを50曲とか100曲とか選曲した中から、ジャズにできそうな曲とかジャズにしたい曲なんかをピックアップしてアルバムに仕立て上げたのが例の「プラチナ・ジャズ アニメ・スタンダードVol.1」。もう冒頭から「涼宮ハルヒの憂鬱」の「ハレ晴れユカイ」がダンスビートからポップチューンへと変えられ流れ、そして「魔法先生ネギま!」の主題歌「ハッピーマテリアル」がとことんポップな曲調からムーディーな「キャラバン」っぽい曲調へと変えられ繰り出される。本歌を知らないで聴いたら絶対これって最初からジャズだよねってジャズな人が思うだろうし、演奏したスウェーデンのジャズメンたちもそう思ったとか。

 ネットなんかで流れている演奏ぶりを見るともうほんとにジャズのコンサートって感じ。そして繰り出されるのがアニソンなんだけどジャズって空気の心地よさが、遠くスウェーデンで一夜限り演じられただけってのがどうにもこうにも残念で、同じ事を是非に日本でもやって欲しいんだけれどそれにはやっぱり「プラチナ・ジャズ アニメ・スタンダードVol.1」が売れることが大切なんで、ここにこうして紹介することで、よりいっそうのブレークを生んで、第2弾が出てベストセラーになってこれなら客も集まるってことで呼び屋が判断してブッキングしてライブツアーが行われるようになれば幸いなんだけれども果たして。

 何人もトップジャズメンを連れてきてのジャパンツアーは無理でも、日本で編成して演奏されることくらいならやっても良いかな。でもあのメンバーだからあの音が出たんだろうしなあ。ツアーそのものが無理ならせめてアルバムの第2弾は是非にお願いしたいところ。聞くとやっぱりいれたかったけど入らなかった曲も多いそうで、例えば「アイモ」とかも入れたかったとか。もっとも既に「マクロスF」では「星間飛行」が入っているから遠慮したのかな。あとは「ファンタジックチルドレン」の主題歌「Voyage」。作品自体も大好きそうだし是非にここで1発奏でてブレークさせて、出ないブルーレイディスクの発売へと至ってくれれば最高なんだけれど。一緒に「ノエイン」も。頼むぞラスマス・フェイバー。受けろよバンダイビジュアル。

 自民党、脱党相次ぎ、微塵党。お粗末。けどでもしかしやっぱりもうだめだよなあ、中にいたって出来ないことが、外にいって泡沫集めてできるかってーの、今の党首が嫌なら自分がなりかわればいいだけのこと、それがやれないのはつまりは実力がないからで、なのに外に出て微塵の粒になったところで、何の足しにもなりはしない。塵も積もれば山となる? そりゃあ積もればなるけど積もるだけの塵すらないのに山どころか、陸地だってできやしない。あとは漂い散って消滅の憂き目。それともワンクッションおいておおきな恒星へと引っ張ってもらうのを待つとか? それもまたみっともない話だよなあ。微塵でも目に入ったら痛い? つまりは単なる目障りになりたいだけ? 夢のない話。ともあれ何がどうなったところでどうにもならないこの先に、末は最悪の一党独裁? いったんの微塵を強力に吸い寄せ恒星として輝かせる核を見つけるしかないのかなあ。美人過ぎる何とかとか。うーん。

 まあ安定、というか何というか。浅沼広太さんの「王ディション」(集英社スーパー奪取文庫)は裏の世界の王様をオーディションするってストーリーで16歳まで普通だった少年が、誕生日とともに王様選びの候補となって戦いに身を投じるんだけれど、別に血で血を争うって感じじゃなくってピザの配達とか何かをやってポイントを稼いでいくって感じ。それでも裏で暗躍する輩もいて、いろいろとハードな出来事も。そこを持てる能力でもって突破して行き、幼い頃に知り合った少女から慕われなおかつ王候補だったはずなんだけれども敗れ去った男装の女性にも言い寄られ、両手に花だか毒茸みたいな状況となってきっとまた次に誰かが現れ戦いを挑まれ、そして倒してハーレム増殖って感じになっていくのかな。とりあえず喋るアルパカが可愛い。自動車と同じ速度で走るそうだアルパカ。そんなアルパカな。意味不明。

 亀を眺める表情とか、後ろであれやこれややってる面子の動きとか、妙に細かいところに気は遣われているけれどもストーリー自体は淡々として、派手さもなければ動きも少なく、のんべんだらりと律の飽きっぽさ炸裂なエピソードをやって30分持たせるという神業だった「けいおん!!」。これを例えばブルーレイディスクで見たからって、霞がとれてのポロリがある訳でもなく、動きが3倍の滑らかさになるって訳でもないんで、買う意味が果たしてあるんだろうかって悩むけれどもまあそこはそれ、信者の目にしか見えない何かが隠されていて、それがブルーレイを買うことによってよりいっそう顕在化して信者を満足させるようになっているんだろうなあ。60分の1コマに描かれたチラリとか(ありません)。ドラムの練習ん時のスティックが響く音とか、フレットを押さえ切れていないギターの音とか音響の懲りっぷりはさすがに凄い。あと佐和ちゃん役のでじこ、じゃなかった真田アサミが弾んでいるのも聞いてて楽しい。もっと邪悪な佐和ちゃんも見たいなあ。


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