縮刷版2010年1月下旬号


【1月31日】 誰のための映画って言えばそりゃあ「Fate」ファンのための映画なんだろうけど、だったらどの「Fate」ファンのための映画かっていうとなかなかに考えあぐねてしまう劇場版「Fate/stay night」。せっかくだからと公開している劇場を調べて、千葉の京成ローザ10で上映しているこを知って予約してかけつけ見物。300人くらいのスクリーンで200人くらいは入ってたのかどうなのか。少なくともオーバー100人ってのは阿佐ヶ谷で毎晩上映されている「マイマイ新子と千年の魔法」の1回分の約倍で、それが3回上映される訳だから5倍から6倍を1日で稼いでしまって、それで封切りから1週間が経ったということは2000人。阿佐ヶ谷ラピュタでのレイトショーを5週間やって追いつく数字を、たったの1週間で稼げてしまえる勘定を考えると、やっぱりミニシアターでのレイトショーでは届ける先に限界が生じてしまってどうにも歯がゆい。

 もっとも生まれたばかりの「マイマイ新子と千年の魔法」と、ゲーム時代からテレビアニメを経ていっぱいのファンを持つ「Fate」と比べるってのはやっぱり無理か。だからこその数字なんだろうけれどもそれならそんな情熱を持ってかけつけて来るファンを満足させ得る内容だったかというと、これがどうにも答えづらいだけに悩ましい。ストーリー的にはやっぱりテレビ版を踏襲して、衛宮士郎が遠坂凛とアーチャーのペアによる戦いに巻き込まれてしまってそれから、自身もセイバーのマスターとなって聖杯戦争に参戦していくって展開なんだけれども途中で絡んでは交流し戦って越えていく相手だったイリヤとバーサーカーのペアが壁にもならずに脇扱い。おかげでイリヤと士郎との関係は描かれずあまつさえPG−12だなんて制限も納得の非道な描写を経てイリヤ脱落となってしまう。そりゃないぜ。

 それよりなによりセイバーがほとんどザコ扱い。いやザコってのは言い過ぎかもしれないけれどもメインストーリーにほとんど絡まず圧倒的な力も出さないまま士郎を守れず、さらにはそんなサーバントとしての立場すら曖昧となったまま、決戦の場に臨まず存在を希薄化させる。あるいはゲームだとセイバーもルートの1つであってそうした展開があるのかもしれないけれども、テレビ版の総集編っぽさを残した作品って雰囲気であるならもっとセイバーの存在感をアップさせ、士郎との主従を越えつつ越えられないもどかしい関係をクローズアップさせて欲しかった。そこに凛と大河と桜が絡むってのが見ていてほほえましくもうらやまし光景だったのに。

 むしろ映画は士郎とアーチャーって関係に主軸が置かれて、凛さえも脇に追いやられている風情。なるほどエロティックなシーンはないわけじゃないけれど、オープニングで踊っている「ダンスインザヴァンパイアバンド」のミナほどの色気もないんじゃどうしようもない。士郎とアーチャーについては設定としてそういった円環的な者があるって分かってはいたけれどもテレビ版に慣れた目だとやっぱりちょっと深すぎて、見ていて追いつけないところも多々あった。2人をたとえば×を間に挟んで並べる趣味のある人だったら、ああいった関係が前面に出て悪くはなかったのかもしれないけれど、そういう類のファンが押し掛けているって風でもなし。士郎のハーレムかあるいはセイバーに凛の凛々しさを楽しみにしていたんだとしたら、どこか放り出されたような気分を味わったかもしれないなあ。

 まあそれでも戦いのシーンはいっぱいあって久々にぴょんぴょんと飛んでいくセイバージャンプに 大剣を振り回しながら発するセイバー雄叫びも聞けたんでこれはこれで良し。ランサーも格好良かったしライダーも出番はちょっぴりだったけれどグラマラスでなまめかしかった。そんなシーンをシーンとして楽しみつつ1人の少年が自説を曲げず自分すら乗り越えて成長していくドラマって奴を楽しめたことが、最大の収穫だったんじゃなかろーか、なんて。なるほどどの「Fate」のファンに向けているかは判然としないかもしれないけれど、これも含めて「Fate」ってワールドを好ましく思うファンのために、新たな側面を与えたプラスアルファの作品、って考えてみても良いのかな。アーチャーにランサーのスタイリッシュさに比べると、ギルガメッシュが性格もコスチュームも俗っぽすぎたのが謎。近所のとっぽい兄ちゃんじゃんあれ。

 劇場を出て千葉中央にあるアニメイトを散策してめいびいさんて人のなんだかどうだかアムネジアとかって漫画の1巻をやっと見つけて、新刊の2巻とまとめ買いして外に出たら「せんとくん」のストラップがガチャポンにはいっていたんで、2回回したら普通に色つきのせんとくんフィギュアが出てきた。金色に塗られたバージョンが欲しかったのに。金色のせんとくんだからこれが本当のゴールドセント。強そうだね。帰って郵便局で去年買った飛行帽に組み合わせられそだと注文したゴーグルを受け取って、箱を開いたら妙に安っぽかったのに愕然としつつこれがアメリカなのかもと納得。ひと眠りして起きて葛西伸哉さんの「無刃のイエーガー」(HJ文庫)を読む。

 人類同士の大戦のさなかに産み出された機械兵器の暴走が人類を仲直りさせ、そして新たに機械と人類との戦い向かってから100年とか経った時代が舞台のSFアクション。本来ならばプロがやってる機械兵器狩りにいずれは参画するため学習と訓練に励んでいる若い生徒たちが、力に溺れ傲慢になりつつある中で、力を持たないけれども機械兵器に興味を持って観察を続ける気弱な少年を、とてつもない力を持っていてそして性格も真っ直ぐで生真面目な少女が見初めるっていったストーリー。それはそれでありがちだけれど、力無き者が生きられる優しい世界への賛歌ってメッセージが打ち出されていて心に響いた。うん良い話。続きはあるのかな。

 それから三田誠さん「レンタルマギカ 銀の騎士と魔法使い」(角川スニーカー文庫)を読んだら強敵相手の戦略が光ってこれも良かった。面白さ衰えず。新登場はニャンコ先生ってことでOK? さらに長谷敏司さん「円環少女J新世界の門」(角川スニーカー文庫)。は乱戦乱戦また乱戦のオンパレードにて、倉本きずなが迷い落ち込み立ち直っては間違いそして覚醒という怒濤の展開に、これからどうなっちゃうのか想像もつかない。遂に銃をとったきずなの最強っぷり。けれどもそれにのめりこめない惰弱っぷりが妙に歯がゆく、それでいていとおしい。人間がそんなに都合良く買われるはずないし、変わってもらっては困るのだ。そして帰結。世界は魔法を受け入れたってことなのか。もはや地獄ではないのか。だとしたらセラ・バラードの全裸も魔法使いだからと世間も受け入れるたりするのか。それは重畳。練金体系大歓迎。ただし男はいらんぞ。


【1月30日】 ネットゲームが舞台ってのは以前からずいぶんとあったけれども川原礫さんの「ソード・アート・オンライン」(電撃文庫)のヒットが加速化させたようでHJ文庫からも花房牧生さんによる「ワールドエンドライツ」って作品が登場。「SOA」ほどシリアスにシビアな世界じゃなくってごくごく普通にアクセスできて遊んで楽しめるゲーム世界が舞台になっているんだけれど、主人公の少年に限って言えばバス事故に遭遇した時に消えてしまった妹にそっくりの少女がゲームの中にいたってことで、いったい妹はどこにいて、どういう風にゲームに関わっているのかを調べようと入った先で妙な剛剣をアイテムとして与えられてしまう。

 それは魔女すら切り捨てるという剣だけれども一方にはのろいもかけられていて少年に過酷な戦い方を要求する。少年らしいキャラとそして少女のキャラといった知り合いもできてゲームを進んでそして出会った3人の魔女。どうやらゲームを作った人間らしい女性だかもそこに含まれているんだけれど結局は正体はわからず目的も見えないまま、妹の行方は薮の中へと消えてしまってさらなる冒険を余儀なくされるといった感じ。直接の人死にが出ないところは気持ちに安心できるけれども、妹の不明っぷりとあと仕掛けている人間とかその背後とかが気になって、何かとてつもない事態なんかが明らかになりそうな予感もする。少年をさそったドジなところもある女性は本当にそのままの人間なのか。まあ良いそんな辺りも含めて展開を楽しんでいこう。

 それからHJ文庫で清水文化さんの「すーぱー☆なちゅらる 1次元目 お子さまですいません」も読了、超能力が仕えるようになった世界が舞台、ってんだけれどその能力には物理法則だか何か理論めいたものがあるらしい。とはいえそんな理論がとっても難解で飛躍しているから、一般人には何がなんだか分からない。おまけに力の名前が「SNP」。すなわちスーパーナチュラルパワーってんだから何をか言わんや。日本語にしたら神通力。つまりは得体の知れない能力ってことを自称しつつ、それには理論があるんだと言って世界を納得させようとするところが面白い。そんな力を使える少年少女の間に起こるドタバタは愉快痛快。一方には人が傷つき死にすら追いやられるパワーでもあるシビアさも持っているだけにどんな展開を選びどう描いていってくれるのかを、じんわりと観察していこう。気象精霊の時代から、ずっと書き続けているよなあ、偉いなあ。

 録画したアニメがまるで見られない中でなぜかまっさきに見てしまう再放送の「おおきく振りかぶって」はたぶん見たい絵があるから見てしまうんだろうと自覚。それはだからモモカンであってそれもジャージではなくユニフォーム姿ででっかくまあるく張り出させたモモカンな訳だけれどそれがちゃんと毎回出てくるから有り難いやら嬉しいやら。そこだけ切り抜いて編集して30分ぜんぶモモカンなんて映像を作ってもらえたらブルーレイだって買ってしまいそう。っていうか総集編を出すくらいならブルーレイを出せばいいのに第1シーズン。第2シーズンのパッケージ化あたりでそういった話も出てくるのかな。本編は今いったいどこまで来たのかな。

レミーマルタンにコワントローと種類はゴージャスで蛇姫様に相応しいのじゃ  土曜日だけど仕事なんで家を出て歩いていた京成船橋駅の下にある輸入食品店に山積みにされたウイスキーボンボンを発見。「マイマイ新子と千年の魔法」の公開でちょっぴり関心も高まりつつあるアイテムながらも、製造が面倒で売っている場所がなかなかないって情報も出回っていただけに、こんな場所で出会えるってのはきっと何かの僥倖、持って阿佐ヶ谷のラピュタへ出向いてレイトショーを見た後で囓れってお達しなのかもしれないけれども今日明日とちょっと行ってる暇がないのが悩ましい。あるいは7日のロフトプラスワンでのマイマイイベントに持って行って見せびらかせって神のお告げか。箱は箱でも木箱風の箱に入っているところがちょっぴり海賊風味。食べるのもったいないけどここは2つ買ったんで、1つはガリガリと囓って酔っぱらいながらへひへひと笑って足をばたばたとさせる貴伊子の真似でもして遊ぼう。

 その京成船橋駅下ではペッパーランチと同じ系列のペッパーランチとほとんど同じだけけれどちょっぴり違うメニューを出してた店がなくなりトンカツ屋に。調べたらそのトンカツ屋も同じペッパーフードサービスの系列っぽい。去年あたりはペッパーランチのハンバーグが妙に食べたくって歩き回っていたのが近所に出来て嬉しいと思い通い詰めていたこともあっただけに、船橋への進出を喜び何度も通って食べていたのがここに来ての撤退。寂しいかっていうとそれが去年の夏あたりから一気にダイエットモードに入ってペッパーランチからも撤退していたんで、それほど寂しくはなかったりする。トンカツ屋もだからきっと行かないけれどお、メニュー次第次第では要検討、とくにメンチカツってのが好きなんで興味もあるなあ。どんな味なんだろ。

 テレビでやっていない全豪オープンの女子シングルス決勝をネットから実況で聞いていたらなるほどサービスの間にはちゃんとざわめきがおちつくんだなあ。それがテニスのマナーって奴で不必要な時に不必要な声を発しないよう観客もちゃんと教育されている。これがゴルフだとアドレスからスイングって大事な時にチロリロリンと携帯電話で撮影したりする輩も出てくるから何というかリテラシーが反作用っていうか。集中してれば聞こえませんって言うけどトップクラスのテニスプレーヤーだってサービスには静寂が必要なんだからゴルフ選手が気にしたって不思議じゃない。しかしどうしてそんな不規則行動ができてしまうんだろうなあ日本人。選ばれた人たちが集う国会が不規則発言の応酬場とかしているからそれも道理か。学校でこれじゃあ会議なんで出来ないよなあ。ヤジに怒号に反論に水掛。まねする学校がきっと出てくるぞ。っていうか真似して騒動になったことが報道されて国会が恥じ入るようなところまで考えて騒いでみせる学校とか出てこないものかなあ。疑似国会。ああでもそんな国会も当の昔に筒井康隆さんが描いていたよなあ。僕らはSFの世界に生きている。


【1月29日】 せっかくの機会だからとネットで注文しておいた「コララインとボタンの魔女」のファッションドールが届いていたのでヤマト運輸で回収。サイズは案外にこぶりだったけれども顔の造形とかがしっかりしていてアメリカな大ざっぱさがそんなに感じられず好印象。国内に残っているのが本編でも夜に出てくる星印のセーターを着たコララインのバージョンしかなく、それはそれでコミコンで販売された貴重な品らしいんだけれどもやっぱり本編で初っぱなから出まくっていた、黄色いレインコートを着たコララインとか赤にピンクのボーダーシャツを着たコララインなんかも欲しくなってネットを探したけれど見つからない。

 アメリカのアマゾンだったら在庫もいっぱいあるんだけれど日本からの注文では発送ができないみたいなんでそっちは諦め国内を漁って、かろうじてパジャマ姿のコララインのドールを見つけて発注したものの果たして本当に届くのか。期待もしつつ模様眺めを決め込みつつもう1件、3体セットを予約しているところもあったんでそっちに発注もかけておく。全部届くとパジャマがダブるけれどもまあそこはそれ、パジャマの下がどうなっているかを脱がして確かめてみるってのもひとつの楽しみだ。どうせツルリンでペタンコだろうけど。っていうかコララインっていったい何歳くらいの設定なんだろう。

 拝領を待っていると間に合わないんで幻狼ファンタジアノベルズから新しく出た柏枝真郷さんの「Replace リプレイス」ってのを読んだけれどもSFかミステリーなのかやや謎。まあでも宇宙人のストーカーに困っている銀行員が出てくるからSFか。そいういうものなのか。父親が経営していた小さい書店の息子だった主人公。けれども父親が事故で急死し後を継ぐ羽目となって頑張ってはみたものの、世の中の流れにのって経営が立ちゆかなくなって閉店を決定。それでは食うに困ると常連客から聞いた近所のビルにあるという職業紹介所に行こうとした時、出会った女性から上にある探偵事務所が所員を募集していると聞いてそちらに行ったら即面接で即採用となってしまう。

 うまくいったのかそれともハメられたのか。ともかくも適った就職先でいきなり宇宙人のストーカーをどうにかするって仕事を任されて、解決に向かおうとした先でヤクザに拉致されるピンチへと陥ってしまう。そこで発揮されたのが主人公の不思議な力。まさしくリプレイスと呼ぶに相応しい力でピンチをしのぎ、ヤクザ組織が絡んだ事件の謎を解き明かし、さらには宇宙人ストーカーの秘密も暴き立てる。そっちはSFとはまるで無関係なんだけれども特定条件で発動する異質な力が状況を変えるって部分はSFっぽいと言ってみたって良いのかな。

 キャリア警察官だったのに辞めて探偵事務所を開いた所長とか、公認会計士ってこれもこれですごい資格を持っているのにしがたない探偵事務所の経理を見ている人物とか、まだ高校生なのに盗聴にもハッキングにも通じた少年とか、一癖どころかとてつもない癖の持ち主が周囲にいたりするところも面白さのひとつ。美人だけれどあんまり目立ってなかった女性所員もそれはそれでやっぱりそれなりの力を持っていたって辺りも楽しめる。異能とはちょっと違うけど。そんな感じに幕を開けた物語がさてはてこれから続くのか。宮城さん描く絵の感じも良いだけにあとしばらくは続いていって欲しいなあ。

 そして林譲治さんの「狼は猫と狐に遊ばれる」(幻狼ファンタジアノベルズ)。ケロケロ齋藤さんって人の描くキャラクターがまたスタイリッシュなんだけれども本編の方はICPOに出向している主人公らしい男が、能力を発揮するまもなく怪我をしたり気絶をしたりする間抜けっぷりを見せてくれてて、それはコミカルに向かう前兆なのかと思ったらストーリーは割とシリアスにテロリストによる事件があって、その解決にICPOの主人公と、途中で出会ったテロリストの弟を捜している女性とのロードノベル的な展開へと向かっていく。

 乗った宇宙船がテロにあって大気圏で燃え尽きようとするスリリング過ぎる展開を、どうにかしのいだりする緊張感もあったりするけどトータルとして醸し出されるのは、システムから産み出されるイレギュラーな存在の意義って奴。その妥当性については一考が必要だけれど、そうしたアイディアをラストの1行くらいに集約させつつそこへと落ち着くために1冊まるまる小説を書いてしまってみせる作者の力業っぷりにちょっと簡単。んでもって撃たれてもどうしてテロリストは死ななかったなろうか。あとサドのお姉さまっぽいテロリストにはもっと活躍して欲しかったというか。雰囲気は悪くない作品。できればもうちょっとドラマが欲しかったかな。

 大手町にある逓信総合博物館ていぱーくで切り絵画家で去年亡くなった滝平二郎さんの遺作展がやっていたのを1ヶ月半くらい面倒がって行かなかったら、あとちょっとの2月3日で終わりってんでのぞいてみたらこれが何とも素晴らしかった。子供の頃にむさぼるように読んだ「もちもちの木」やら「花さき山」やらの原画が飾ってあって、懐かしさにどっぷりとっぷり浸ったり、「火の鳥」とか切り抜かれ描かれた少女の凛として可愛い姿に心を沸き立たせる。

 つんつり目でスレンダーで髪を後ろで縛った滝平二郎が切り抜き描く少女は、見ていると記憶のどこかに染みいっていて、ある主の「お姉ちゃん像」の原点になっているような感じ。日本のお姉ちゃんとでも言ったら良いのかな。そんなお姉ちゃんがいろいろな作品で拝める貴重な機会が身近なところで開かれていたとはちょっと不覚。最終日までにまた行ってじっくりと眺めて来よう。これだけの量が集まる機会ってしばらくないんだろうなあ。それとも個人美術館の開館とか決まっているんだろうか。散逸は勿体ないのでどこかに収蔵をよろしくお願い。ちなみに滝平二郎さんが実は「たきだいらじろう」と読むのを今更ながら知ったと白状。「もちもちの木」を読んでからかれこれ40年とか経っているのにこのザマとは。常識を常識と思わず常に調べる心がけを。


【1月28日】 目覚めると世の中はPadが入っているの入っていないのと女性の胸をまじまじと見て大騒ぎしていたりということはなくってごくごく普通にアップルが新しく発表したiPod touch LLについての品評会を繰り広げていた。ほかに言いようがないもんなあ、あのサイズにあの形。大きくなっただけっていうか。これを手にして歩いていたらどこのコンビニの検品受発注作業中かと思われるよ。あれで出来ることってiPhoneでもだいたい出来ちゃうんでしょ? だったらわざわざ買わないって。本が読める? あんな重たいものを本だって言って持ってあるくなんて。何冊何万冊も入るって? 1日にそんなに読みませんってば。せいぜいが3冊。それなら本を持っていった方が軽いって。

 そりゃあなるほど書斎に山積みにされた本があそこに全部入ってしまうっていった容量的な魅力はある。でもそれは可能性。そうなるためには山積みにされている本が全部電子化される必要があるし、それを改めて買う必要がある。だったら今の本で十分だ。改めて買い直すお金があったら新しい本を買う。それを部屋にギュウギュウ詰めにしていく。それが本の人の心意気ってものだ。本読みにはだからどうてもいいっちゃあどうでもいい。っていうか過去に現れた電子書籍がそうした蔵書家にリプレースのマシンとしてはまるで見向きもされなかったって理由も、そんなところにあったりしそう。

 これから本を作って売る人にとってはなるほど電子出版は可能性の宝庫。でもその端末が7キロ8キロもあるような巨大な端末の訳がない。ほかにもいろいろ使えます? それならだからiPhoneがあれば十分。あるいはそれこそモバイルギアのような打てるキーボードもついて容量がたっぷりあってすぐに起動してネットもサクサク使えるマシンのほうがよっぽど嬉しい。それすら不要って人が携帯電話でいろいろやってる。何でもできるってことは何もできないこと。だからiPadには興味が湧かない。たぶん湧かない。湧かないと思うんだけれどもでもあそこでアニメが1話1000円くらいで見られるってんならちょっと興味はあるかもなあ。流通を広げて変える起爆剤。そういう意味では興味があるし可能性もある。だから様子見。もうちょっと軽くなって安くなって電池が30時間は保つようになるまで。なるかなあ。

 っていうかこれの発表を受けてiPedとかiPidとかiPudとかって言ってる人ってやっぱり日本人かなあ、五十音での母音をちゃんと分かっている人。でも外国の人もそんな変格をいろいろと試していたりするのがtwitterで流れているから発音の世界で母音ってのは万国に共通なのかも。そりゃあ同じ人間で同じ口をしているんだから当然か。問題はそんなiPedとか作ったとしてそれがどんな商品かってことだよなあ、iPed。やっぱりあれか起動すると「おはようおにいちゃん」とか「おはようございますおじさま」ってダコタ・ファニングの声で言ってくれたりするんだろうか。でもって壁紙も日替わりで世界のU−10ギャルが映し出されたりするんだろうか。うーん。世界にどれだけの需要があるかに関心。

 iPidってのは割と簡単。pidっていうどこかのメーカーが作っている屋内型の洗濯物乾燥用ワイヤーってのがあって白い箱形でそこからワイヤーを引っ張り出して反対側にひっかけるという装置なんだけれど、それとiPodを合体させることで携帯型情報端末機能付き携帯型洗濯物用ワイヤー「iPid」が誕生するのだ。GPS機能を使い天気予報情報とも連動させることでいつでも最適の日照で洗濯物が干せるという優れもの。出張の時に保っていけばホテルでわざわざロープとか借りないでもビジネスホテルの部屋でメールをやりとりした後で洗濯物も干しておけるからとても便利。洗濯物がよく乾く音楽とかも流れるらしい。ちょっと良いかも。グッドデザイン。値段はいくらになるかなあ。

 ニール・ゲイマンなんでちょっぴりグロくてダークかなって覚悟はあったけれども案外に真っ直ぐに子供のうにゃうにゃを吸い上げわがままが招く恐怖って奴をたたき込む映画だった「コララインとボタンの魔女」は「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のティム・バートンじゃなくってヘンリー・セリック監督が新しく作ったストップモーションアニメーション。だけど見ているとちゃんと動くわ表情は変わるはでとてもストップモーションアニメーションに見えないことろが金の威力が作り手の根性か。ストップモーションらしさをのぞかせそれが温かみになっている合田経郎さんの「こまねこ」とはやっぱり違ってた。いやどっちも悪くはないんだけど。出来ることを突き詰められる腕と金の両立ってのはやっぱりちょっと羨ましいし素晴らしい。

 ライターやってて料理も掃除もやろうとしない両親が、自分をちっともかまってくれないとすねたコララインが夜中にドアを抜けていった先にはチキンを料理してくれたり遊んでくれたりする両親がいてこっちがいいなあと思っていたとでもなかったという展開。そこに華やかだけれどちょっぴりグロテスクさも漂うビジョンが重なりそれが自在に動いて狂乱と絢爛のビジョンを見せてくれるという、いかにもヘンリー・セリック監督らしいビジュアルに仕上がっていた。3Dバージョンはそうしたオブジェクトが立体になってて奥行きがあったりして人形アニメらしさをなお増してくれる。

 でも3D眼鏡はかけると暗くなるんだよなあ、はずすとコララインの暮らす家の中も明るいのに、かけるとどんより曇って見える。それがちょっぴり寒々しいコララインの心象と重なっているっていえば言えるのかも。とはいえテーマは大人の身勝手に子供のわがままが何をもたらすかって教訓も含んで親と子にとっても響きそうだし、何よりビジュアルが素晴らしい。日本人の上杉忠弘さんって人が描いたイメージをヘンリー・セリック監督がアニメに仕立て上げたってことらしいんだけれどそのイメージも含めて今までにない雰囲気を味わえる。アメリカでは当に公開されてフィギュアなんかも売り出されたみたいだけれど日本じゃあ遅れてようやく2月半ばに公開。フィギュアとかもまるで見あたらず盛り上がらないことこの上ないけど、作品としては素晴らしいんで公開に向けて宣伝していこう。とりあえず目をボタンに付け替えて行くといろいろ不思議な世界を見られると思うよ。柔らかい針だから痛くないってイチチチチッ。


【1月27日】 もちろん「THIS IS IT」はブルーレイディスク版を機能のうちに買ってあってあとは稼働中のプレイステーション3にぶっこんで再生するだけなんだけれど、抱え込んでいる仕事があれこれあってそっちがどうなるかって方が妙に気になって極上のエンターテインメントへと身を浸らせる心のゆとりが生まれない。だからやっぱり劇場で早送りも居眠りもできない環境で見ておくべきだったと思うけれどもこればっかりは仕方がない。っていうか今もまだ劇場でやってたっけ。やったってDVDとかブルーレイの売上には影響せずむしろこれが手に入るならと購入に回る人も多そうなだけに、気にせず上映を続行して欲しいもの。ついでに「マイマイ新子と千年の魔法」の上映も。音の綺麗な場所で見たいんだ、どちらも。

 それから「化物語」のなでこスネイクもちゃんと購入済みで「ヨドバシカメラ」で買ったらちゃんとポスターもついてきていい気分。秋葉原でも石丸電器がこれまでの主購入店だったものが品揃えの豊富さでヨドバシへと切り替わってきた感じ、ポイントもちゃんとつくし。そうやって地場はだんだんと廃れていくんだろうなあ、せいぜいが「ゲーマーズ」「アニメイト」「とらのあな」の御三家が企画する全巻揃えた時のグッズなり何なりの提供サービスが対抗できるくらい。でもそうした店がつぶれてしまうとヨドバシでは手に入らない細かい品も出てくるから困るんだ。秋葉原から専門店が消えてしまったらどこに行けばいい? ネットがある……かなあ、あって欲しいなあ。

 そんな秋葉原はふと気がつくと駅前の電気街口で日夜ガナりたてていた眼鏡屋のラップが聞こえて来なくなっていた。シャッターもおりていて移転のご案内。同じブロックの反対側の角にある石丸のテンポもずっと閉鎖中であの秋葉原をしてシャッター街ができかねないって可能性にちょっと立ちすくんでしまう。駅ビルができあがって秋葉原デパートに並ぶ店が誕生して、それからゲーマーズの向かい側にあるビルの改築が済めばあの辺りももっと賑やかになってくれるって思いたいけど、そこでだったら内を売る? って疑問もあって悩ましい。何を売ったところで売れないんだもんなあ。ユニクロとか入るのかなあ。そういや昔は秋葉原デパートにユニクロが入ってたんだった。よく買ったよなあ。あの当時はそんなに近隣に店舗もなかったし。時代は変わり秋葉原も変わる。変わらないのはこっちの境遇。むしろ悪くなっている?

 あと仕事に必要かもしれないと「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のブルーレイなんかも購入。これってティム・バートンが監督じゃないんだよね。その監督のヘンリー・セリックが新しく作った作品がまもなく後悔になるってんで予習もかねて。実はまだ見たことがないんです「ナイトメア」。てへっ。だってあれだけ流行っているものに今さら手を出す乗って恥ずかしいじゃん、そう思って10年くらいが経ってしまったけれどもここまで来たら仕方がない。ついでにジャックがはりついた帽子もかって仕事に準備。コララインのフィギュアとかもあればなお良いんだけれど探しても品切れが多いんだよなあ。代々木にあるアメトイの専門店の人に聞いたら去年のうちに売れちゃったとのこと。日本での公開が間近って時、すなわち売り時に品物がないってのは何というか残念というか。それだけメディアミックスとか組む間もない公開だったのかも。「アフロサムライ;レザレクション」はそれでもTシャツとか間に合ったけど「コラライン」には何が間に合うんだろう? 鍵とかが人気って言われたけれどそれってまた出てくるんだろうか。

 土用ったら日本じゃ7月の夏ばかりが注目を集めてそこでこそウナギは食べられるべきって印象が平賀源内先生の尽力企画力宣伝力もあって定着してしまっているんだけれど、本来的にはウナギは冬が脂がのっていて美味しいとかで、そんな冬の土用にこそウナギをたべまくるんだってことをウナギの本場の浜松が言い出したみたいで、何とこの週末に「浜松うなぎスタジアム」ってのが開催されるとか。鰻丼に蒲焼きに白焼きにひつまぶしくらいしか食い方を知らないウナギなんだけれども他にいろいろと食べ方を教えてくれるかな、行きたいけれども行ったところで値の張るウナギを食べられる訳でもないので遠くから様子を観察だ。県境を越えたところでもしも「豊橋ちくわスタジアム」ってのが開かれるんだったら出るのも安そうなんで行ってみたい気が、土地勘もあるし。磯辺揚げにおでんにあと何があったっけ、ちくわ料理。

 なるほどこういう作家だったんだ田辺青蛙さんはプラグスーツや蛙の着ぐるみやらをまとって雑踏を練り歩くパワーを一方に持ちつつも小説では丹念に端正に淡々と奇怪な様子を描写していって不思議なビジョンを醸し出す。角川ホラー文庫から出たばかりの「魂追い」は魂をおいかける能力をもった少年が鬼だという少女と出会って2人で旅に出る物語。馬の首で寝ていた少女の鬼だったけれどもとある事件を経て眠れなくなって、元通りになる道を探って少年といっしょに旅した先で、いろりおな事件を経験し、少女の幽霊なんかにもとりつかれ、河童なんかとも出会った果てにちょっぴり切ない帰結を迎える。設定のいちいちが常識をはずれて不思議なんだけれども突拍子もないって感じではなくスルリと自然に感じられるのは描く筆の訥々とした説得力がなせる技か。面白い。けどライトノベルファンでは突拍子のなさが心をぶん回される感じを与えて敬遠されそう。表紙は文倉十さんなのに。そのあたりをどっちに向かうか、考え時でもあるのかも。


【1月26日】 言うまでもなく本放送時に「機動戦士ガンダム」の「脱出」は見ていなくって、その最終回の高まりにファンがどれだけ興奮し、感動し感銘を受けて感涙したかは時間を共にしていた訳ではないので分からないと言えば分からないのだけれど、それから半年もおかず数ヶ月後にはそれなりにジグジグと外に評判がしみ出して、多少はアニメに興味を持ってた僕の所にまで届き世間に広がり、夏にはガンプラが発売となって更に大勢を巻き込み始めたことを考えると、ある意味でイベントに近い盛り上がりが1980年1月26日には全国的に見られたのだろうと想像する30年前。

 そこから始まった「機動戦士ガンダム」というアニメーションの人気がなおも続いているのはやはり過去のオリジナルの「ガンダム」のグッズやプラモデルや声優たちの頑張りによって注目が集められていたりする一方で、常に新作としてアニメ番組が提供され、新しいファンの気持ちを引っぱって来ていたからなんだけれどもそんな「ガンダム」の記念すべき30周年の年に新作のアニメが放送もされず、話題性も夏に50日間に渡ってお台場に展示された等身大立像程度。夏の終わりと共に記憶は遠のき日常の中にとけ込んでしまって、30年前のような未来につながる盛り上がりはそこからは得られなかった。

 もちろんあの喧噪の中で埋め込まれた記憶は、いつか萌芽して「ガンダム」という素材への関心を生み出し子供たちを新しいファンに仕立て上げるという可能性がない訳ではないけれど、それにはやはり新作映像としての「ガンダム」が、それもしっかりとテレビで放送されている「ガンダム」が必要なんじゃないかって気がやはりする。けれども作られた新作映像はテレビではなく、DVDとブルーレイがオリジナルでそして劇場で公開されて終わりというアダルト仕様。小中学生の子供が気軽に楽しめる仕様ではなくピンポイントでガンダムマニアは喜ばせられても遍く子供に存在を知らしめ魅力で引きつけ新たに「ガンダム」のみならずアニメのファンにする機能があるかどうかが悩ましい。

 テレビ放送がなくても「新世紀エヴァンゲリオン」はグッズが売れ菓子も売れ関連書籍も売れて、そして新しい劇場版にも客が集まる人気を維持して新しいファンを引きつけていれば言えるから、ああした生き方に向かってもはや悪くはないのかもしれないけれどもそれだけではもったいないという気も一方には浮かぶ。向かうべきは新たに世界観を作り上げ新たなファンを獲得していく戦略なのか、それともオリジナルを守り讃えつつその威光によって関心を引きながら共に還暦を迎え古希を経てそして…となるべきなのか。結論は出ず次の10年の見通しすらまるで立たないけれども、それでも絶対に忘れられることはないと信じつつ、30周年の年を祝って未来に関心をつなぐ1日1ガンダムの運動をここに終結する。さあ4月からはTV版「天地無用!」の放送15周年記念企画で秋からは」新世紀エヴァンゲリオン」放送15周年企画だ。やらないよ。

 っていうかビデオ録画で時間を自在にして見るようになってしまった昨今に、テレビ放送の共時性がもたらす興奮が果たして伝わるんだろうかという疑問も湧いて出る今日このごろ。いよいよ始まった西尾維新さん原作による「刀語」もだから深夜ではなく朝方に起きて録画を見ていたから、あのセリフあのアクションあの滑りあの突っ込みでくすっと笑いおやっと思う意識の発露を空間を超えてつなぎ合わせて全国的に不思議な空気を作り出す、って運動に参画できなかったんだけれども所々にちりばめられたおかしみを持ったセリフとか展開に、興味を引かれたんでこれはなるほど原作の持つ力であっても、改めてアニメとして提供されて提示されていくのにつきあっていこうと決意する。たいていの人の物わかりが良く妙な正義感にもあふれておらず淡々と進んで落ち着くところに落ち着く安心感、ってのが良いのかなあ。あとはとがめを演じる田村ゆかりさんの確実性か。

 たとえばこれが戸松遙さんでもきっとそれなりに勤め上げたに違いないしゆかなさんでも良い雰囲気は出せたと思うけれどもそうした面々が持つ特質とはまた違って、かっちりとして隙を残さず個性に引っ張らないで役を役として演じきっているという雰囲気。まあどこから聞いても田村ゆかりさん以外の何者でもないんだけれど、それが色ではなくって機能となっているってところにその存在の意義ってのも見えてくる。だから「なのは」の劇場アニメ化でもメインヒロインであるにも関わらず、背景となって水樹奈々さんにばかりあつまるメディアの耳目の埒外にいたんだ、ってそれは全然違う話だけど。一般メディアってのは知ってるものにしか飛びつず、そしてその知ってる範囲が恐ろしく狭いのだ。

 だって田村さんと水樹さん、アニメ作品においてどっちが主役をたくさんやってて代表作をいっぱいもっているかっていうとどちらかといえば田村さんに軍配が上がりそうで、アニメを見ている人にはそれが共通認識としてあって、なおかつ田村さんが主役の「なのは」だったらそっちがメインになって報道されて当たり前ってことになるのに、スポーツ紙かんかで報じられたのは共演の水樹さんの話が大体。紅白歌合戦に登場した声優にしてアニソン歌手っていう看板があるからこその扱いなんだろう。その位置にどうして林原めぐみさんでもなければ平野綾さんでもなく水樹奈々さんがたどり着けたのか、っていった分析はちょっとしてみたい気が。実力か。タイミングか。それともそれらの複合か。

 もっとも、紅白だからどうといった旧来的な価値観では計れない世界がアニソンなり声優さんの活躍する世界だし、それを言うならやエンターテインメントの世界のどこにも通用しなくなって来ている価値観でもあったりする訳で、それを金科玉条のごとくに掲げて、そのモノサシで見るからスポーツ紙も新聞もテレビも、世間との感覚にズレが生まれて収益的部数的に妙なことになっているんだろう。今はまだそうした価値観の方が多数だから保ってはいるけど、やがて情報が細分化され押しつけではない価値観を育んだ者たちが小さく寄り合えるようになっていけば、大量伝送によって最大公約数で旧態依然の価値観を押しつけてきた旧来型メディアも、ぐずぐずとその存在を崩していくことになるんだろうなあ。大変だなあ。他人事じゃないんだってば。


【1月25日】 そうか音楽が土橋安騎夫さんだから「フレンズ」がオープニングになっていても不思議はないよなあ「ダンスインザヴァンパイアバンド」。だったら同じく土橋さんが音楽やってた「夜桜四重奏 ヨザクラカルテット」では「ウェラムボートクラブ」がオープニングでもカッコ良かったかもって考えたけれどもビートの利いたサウンドにパンチの利いた声が乗っかった「ウェラムボートクラブ」では、ツンツンデレツンデレツンツンの世界観とはちょい違うからもうちょっと、出演者たちのしたたかさに配慮して「ラブ・イズ・Cash」あたりだったらポップな感じが出たかもなあ。しかし相変わらずエロっちいよなあオープニングのミナ様は。

 アニメの方は冒頭からアキラとミナの同衾シーンとかがあってビジュアル的には衝撃でも実質的には婆さんも婆さんなミナとガキんちょとの同衾だからとりたてて驚き慌てる必要もないのかと。そういうものだったっけ。途中でヘッドホンの電池が切れたんで見るのは後に回して環望さんによる漫画の方のスピンオフって位置づけらしい「ダイブインザヴァンパイアバンド」ってのを読んだらこっちはこっちでミナが実に麗しいボディスタイルを見せてくれていて目に喜び。まっすぐ立っているだけで前も後ろも見えちゃうってどんだけ短いんだ。世界のあらゆる女性キャラクターはこれくらいの短さにすべきだって妄論も湧いて出てきたけれど、この短さで「機動戦士ガンダム」のキシリア・ザビが立っていたら船舶事故も増えるんでやっぱり慎みが大事ってことで。グワジンとグレート・デギンとグワリブの衝突とか被害甚大だろうし。

 「ダイブ…」の方はアルフォンスん家のゴスっ子が妙にふっくらしていてそういう子でもゴスっていると可愛く見えてしまうような気がしないでもない状況に、ファッションって大事だって思ったとか思わないとか。描いている環さんはどーゆー狙いでああいったキャラにしたんだろー。ナノマシンが蠢き始めたあたりがテーマになっていてこれが裏側となって本編「ダンス…」の方のミナが追いつめられていく展開へとつながっているんだろー。ってことは本編の方にもブラジリアンなアキラが出てくるのかな、っていうかもう出てきてたっけ、1回パーッと読んだだけなんでちょっと思い出せないし、本編もそっちとは別に本アキラの過去話が中心っぽくなって来てたんでミナとの絡みでどうなっていたかがあんまり思い出せない。まっぺん(もう一度の意)読み返してみるか。みるとやっぱりミナの薄くてそれでいて丸っこいボディに目が釘付けになってしまうんだよなあ。中毒性の高い漫画だなあ。何中毒だ。

 秋葉原へと出向いて山科誠さんってバンダイの社長だった人がロングテイルライブステーションなる企業で新しく始めるサービスの話を聞く。おお。アナログ映像のデジタル化だとかネット上の映像をその映像上のイメージから検索して見つけだす技術の開発だとか、1000万が同時にアクセスしても大丈夫なネット配信の仕組みだとか配信されたデータを手持ちのBDだとかDVDだとかに焼き出すトースター事業だとかと実に盛りだくさん。全部できたらすっげえテクノロジー企業として世界に君臨できそう。できればだけど。

 会見を見聞きした限りでは、パートナー企業の発表もなく起訴となる技術の塩梅も見えず、コンテンツを配信に乗せるコンテンツホルダーも明らかにされずデジタル化を求める企業が具体的にどこなのかも教えてもらえず、これで公募増資とかされてもちょっと迷ってしまいそう。情熱にかけるってのも手で、そんな情熱が過去に「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を世に送り出してガイナックスを誕生させ、バンダイビジュアルを誕生させたって考えるとたなびきたくもなるけれど、当時と違ってあらゆる技術が世界で開発されている状況下で、果たして新しい技術が日本のベンチャーによって生み出せるのかって疑問もやっぱり浮かんでしまう。あとデジタル化事業の可能性とか。

 眠っているフィルムとかビデオなんかの映像は、アナログなんで地上デジタルに完全移行する2011年からは見られなくなっちゃうって教えてくれていたけれど、ビデオをDVDにダビングする機械とかが普通に出回っていたりする状況で、アナログテープをそのままダイレクトにデジタル化して送出する仕組みだって出ているんじゃないのって思えてしかたがない。映像化されさえすればあとはリアルタイムで変換するだけ。ちょっと良いチップだったら瞬く間にやってしまいそう。

 もちろんリマスターして音声も改められればさらに品質も高まるんだろうけれど、それにかかる費用とそこから得られる収益を見合った場合にアナログのまんまで保管しておく方が割安って考えるところだって出てくるだろう。ロングテールだからデジタル化しておいておきさえすればアプローチはあるんだって論も立ついは立つけどそうした他品種少量のビジネスでもうけられるのはアマゾンみたいに少量を超絶多大に集められるところの話で、下にぶらさがってるところは少量を時々出すだけ。お小遣いになってもビジネスとして立つって規模にはなかなか追いつかない。回収するのに何年かかる? 1500万円を500円玉貯金したらいったい何年かかるっていった「まりあほりっく」のかなこの脳味噌計算がふっと思い浮かんだぞ。

 そもそもデジタル化したら永久だなんて大昔のマック対応フォーマットの画像やら映像が見られなくなっていたり、ウィンドウズ対応ですら再生できなくなっている状況を考えればなかなか同意はしづらい。デジタル化したって保存しているメディアは劣化する。それもヘタしたらアナログより早く。そう考えるといろいろと最先端っぽいコトバがちりばめられクラウドとかって耳に響くテクノロジーもささやかれて、ふらっと身を寄せたい気持ちが浮かんだその先に、どこまでの確実性があるのかって探ってみる必要も浮かんで来る。かといって今はまだ、具体的な技術、具体的なパートナー、具体的なビジネススキーム、具体的な稼働日が出てきてないからなあ。だからしばらくは様子見。それにしても衰えない情熱には感心するしかないよなあ、山科さん。あの時にセガバンダイが誕生してたら世界はどうなっていたかなあ。

 帰りがけに「ゲーマーズ」へと立ち寄って安売りDVDなりブルーレイを漁ったけれども昨日以上の出物はなくって見送り。そりゃあ「機動戦士Zガンダム」も欲しいけれどさすがに3万5000円は払えません。そんな「ゲーマーズ」では「迷い猫オーバーラン」のアニメ映像がビートの利いた音楽とともに流れてて、これがなかかなに電波な感じで耳に強く染み残る。テンポよくにゃーにゃーにゃーにゃーって声が流れるだけって言えばそうなんだけれどその声がキャラに応じて微妙に違っていたりシチュエーションに応じて感情が異なっていたりするから次はどう出るこう来たかって感じに耳をそばだててその場から離れられない。中毒度高し。ぐつぐつにゃーにゃーにゃーにゃーぐつぐつといい「にゃー」の威力はやっっぱり恐ろしい。


【1月24日】 そうだよなあ。もしも「機動戦士ガンダム」が今時の深夜アニメ的制作ポリシーで作られていたとしたら、主人公はアムロ・レイとかじゃなくってやっぱりフラウ・ボウなりセイラさんで、オープニングではそんな彼女たちが一瞬全裸になる着替えのシーンが登場して、もちろんいろいろチラチラと見えたりして、そして女性乗組員はミニスカートの上に生脚で、宇宙に出れば無重力の中をミニスカートがひらひらとしていろいろと見えたりしたんだろうなあとトニーたけざきさんの「トニーたけざきのガンダム漫画」の最新刊なんかを読みながら強く激しく同意する。

 それで例えジオン軍でも似た状況になってキシリア・ザビがミニスカートに生脚で立っていたって良いじゃないかと思うのだ、だってまだ24歳だよ大学出たてのOLとそれほど変わらない年齢の女の子がミニスカートでちょいツンデレ気味に振る舞っている姿は想像するだけで可愛いじゃないか素晴らしいじゃないか。顔立ちだってあれは立場が険しくしているだけれリラックスできる場所では目尻も下がりほほえみも浮かべてエプロンなんてしながらお料理してたりするに違いない。そんな可愛いキシリアたんがやっぱりファーストで死んでしまったのは惜しい限り。ここは富野由悠季監督にZだけでなくファーストもリニューアルしてもらってキシリアが和平を成し遂げ生き延びる新しい宇宙世紀を描いて欲しいなあ、ってそれだと「Z」の世界が来ないじゃん。良いのだ「ZZ」だって来ないんだから。

 「Z」と言えばふらりと立ち寄った秋葉原のゲーマーズでブルーレイディスク版の「機動戦士Zガンダム」のボックスが半額とかって破格の値段で売られていて、ついつい手が出そうになったのはひとえにハマーン・カーン様への情愛がなせる技だけれどもさすがに半額でも3万5000円となるとちょっとやっぱり二の足を踏んでしまう。手を出そうとして脚を踏むとはこれいかに。それでも探すと「無限のリヴァイアス」のDVDボックスのサウンドリニューアル版って奴が45000円くらいのところを7割引って値段になってて1万3000円とちょいで買えたんでここはやっぱりと購入。ブルーレイになったところで値段は相当に高そうだし、時代から考えればブルーレイでのありがたみってのも薄そうだし、ネーヤたんのスレンダーなボディを拝めるならこれが最高のチャンスってことで。放送ん時は胸痛めつつ見ていたけれども今見たら…やっぱり痛そうだなあ。

 新曲奏界ポリフォニカが大当たり中の榊一郎さんによる初ハヤカワJA文庫「ザ・ジャグ1 汝と共に平和のあらんことを」は地球にああらしく出来た海洋都市が舞台。軌道エレベーター直下に花のように咲いたその都市は、長く続いた戦争が終わった後の世界を象徴するかのように、いっさいの争いごともない平和都市として喧伝されていたけれども、現実には様々な争いがあり、戦争の後遺症を引きずる存在によってテロやら犯罪やらも起こっていて運営する側には困りもの。さらに海底にメタンハイドレードの鉱床も発見されたとかでそれを狙って宇宙やら各国やらが主導権をとろうと躍起になってそれが原因の事件なんかも起こったりしている。

こりゃあ拙いと作られたのが、戦闘の猛者たちによる秘密部隊、通称「手品師(ザ・ジャグル)」で、普段は普通の暮らしをしていても事あれば集まりVACなる一種のロボットを駆って、戦いの渦中へと身を投じる。戦いぶりは鮮やかにして苛烈。秘密を守るという目的から敵は殲滅し一般人でも見られたとあれば消去するという噂も乱れ飛んでいる。そんな「ザ・ジャグル」たちの戦いぶりを連作形式で描いていくストーリーには、狂言回し敵に宇宙からやって来て海上都市の状況を全宇宙に発信するジャーナリストの報道士および記録士の女性2人がペアとして登場して、誰が「ザ・ジャグル」かも知らないまま存在すら秘密にされている「ザ・ジャグル」の行動記録を追って海上都市を駆け回る。

 未来が舞台ってことで、コンピュータ化されネットワーク化された世界であって不思議がないにも関わらず、現場を報道士やらが駆け回るのは、情報ネットワークに巣くった電子の虫がつながるものを汚染して改変して操作してしまう危険があるからで、それを避けるには情報の転送は、取材した現場から厳重にガードされたカプセルにして転送する必要があって、そうした生の汚染されていない情報を取るために、現場を脚で駆け回る報道士たちが必要とされるようになっていた。一方でコンピューターネットワークの汚染は戦い方にも影響をもたらしていて、操られないためにネットワークとの接続を断たれ、外部からの影響を受けないように手当を施されたVACなる4メートル弱のロボットを、操り近接格闘戦を挑む必要が生まれていた。

 そんな状況設定を置くことによってミノフスキー粒子がモビルスーツが生んだ如くにVACなるロボットを生み出しそれを駆って緊張感の中を戦いに勤しむ奴らの物語を紡ぎ上げたって感じの「ザ・ジャグル」。日常に紛れている凄腕たちが、いざ戦闘となるととてつもない腕前を発揮するってあたりは漫画にもアニメに類例も多々あるけれども、やっぱりどこか格好良い。人間ってそーゆーのにあこがれるんだよなあ。警察とは違った正義の組織として動いているって辺りは、懐かしいけど「ワイルド7」なんかも思い出してしまったよ。

 ただ「ザ・ジャグル」がどういった権限で存在を許されているのかってあたりが微妙で、とりあえずは街を守るためって大儀にのっとってはいても、それが何かによってひっくり返されないとも限らないし、そもそもが中心にある人物なりの道具でしかなかったりするかもしれない。そして状況が変わって存在が不要と見られた時に、「ワイルド7」のメンバー同様に追いつめられ切り捨てられて、排除されてしまうって展開なんかになったりする可能性はあるのかどうなのか。それでも命令だからと淡々と始末されていくのか憤りから反発を向けるのか。

 物語の中で、ザ・ジャグルの1人が仕事に取り組む動機、そしてその活動をおおっぴらにしない理由として挙げる、憎しみの連鎖が終わらない戦闘を生み出すのだったら、憎しみの対象そのものを消してしまえば良い、憎しみが外に漏れ出さないようにしてしまえば良いんだ、というロジックはなるほど正論。だけど、戦いを永遠に消してしまえるほどに人類は大人の種族ではなさそう。すべてが露見し前提が崩れ理想が葬り去られた果てに来る阿鼻叫喚を見越しつつ、その先に新しく生み出される真の平和な世界を夢見つつ、これからの展開を見守っていこう。

 このりん着やせ過ぎ。革ジャンきたらとたんにぽっこりと浮き出るその胸元を眺め美琴も黒子も心から牛乳飲もうって思ったに違いない「とある科学の超電磁砲」はオリジナルストーリーへと入ってからも相変わらず能力者と無能力者との葛藤が続いてうっとうしいやら痛いやら。っていうか無能力者が狩られもしなければ放り出されもしないで学園都市の内部に居続けられるってのにはどういう理由があるんだろう。アンチスキルは仕事だからいられるとしても無能力者がそこにいたって何にもならない。出て社会を回す仕事を始めた方が本人的にも国家的にもよっぽど有意義じゃんって思うんだけれど、そう割り切れないからこそのああいった集団が現れ暴れるんだろうなあ。っていうかこのりんいったい幾つで不良やってたんだ、中学生ん時からか。


【1月23日】 国会に代議士を送り込んでいる政党なら、国民の声を代弁する存在として認めその活動を紹介するのもマスメディアとして必要な行動だって思えないこともないけれど、それだって不偏不党という主義からすればいささか偏りが見られないこともないんで、他の政党にも目配りをして公平にその言動を紹介していく必要があるのだったりするにも関わらず、もたった1人の代議士すら誕生させられなかった政党の人間を、その政党における肩書きで登場させて、政策やら信条やらをほとんど独壇場のように語らせることに果たして国民的にどれだけの意味があり、メディア的にどれだけの正当性があるんだろうか、って考えた時にはっきりとした答えを見いだせずに心が沈み込む週末。

 そこにはもはや公共性もへったくれもなく、その政党を支持をしている、それも国会に代議士をたった1人も送り込めない程度の支持であっても、購入視聴の対象として頼らざるを得ないところにまでメディアも追い込まれているのかって思うと、そこの端っこで食べていたりする身として、未来を見る目にも霞がかかって進もうとする脚も迷いに止まってしまう。これが割に反体制派で鳴るメディアだったら、マイナーにも目を配ったカウンターカルチャー的な振る舞いってことで衆目の支持を集めたりもする。主流が目を背けるカルト的な存在から世界を驚かせるビッグネームが生まれて来たことだって、歴史の上にはいくらだってあった訳だし。

 けど、状況としては反体制に陥ってしまったものの心情的には保守本流を標榜し、いつか返り咲きたいメディアが、対象の言説との親和性にも同意しつつ、票田ならぬ読田としての活用を狙っているのが伺えてしまうだけに心が重い。いいや、しょせんは中間管理職のつぶやき程度が流されているだけ、って思えば思えないこともないけれど、そこが突破口となって代表する人間の教宣とも言えそうな言説が、堂々と開陳されるようになってしまうとも限らないからなあ。個人の主義主張にとどまらない政党としての政治活動。それを結果として支えてしまっているって自覚をメディアは持っているのかなあ。いたってどうしようもないんだろうなあ。お腹のためには。どこまて行ってしまうんだろうなあ。

 ほかにもコストの塩梅とモチベーションの状態が絡んでいたりするんだろう状況に、遠からずみんなそうなっていきかねない哀しみを覚えつつ早起きして幕張メッセの「次世代ワールドホビーフェア」に行ったら小学館の物販ブースで「BLACK LAGOON」のクリアファイルを1そろい買ってる男の子と女の子がいたんで見物。男の子は黒い半ズボンを履いて手に斧を持っていて、女の子の方は長い棒っきれみたいなものがはいった布袋を大事そうにかかえてた。くるりとまいたひもには可愛いぬいぐるみ。「次世代ワールドホビーフェア」に来るにふさわしい子供っぷりでした。でもって外で壁に貼り付けたクリアファイルのレヴィに向かって男の子は斧を投げ、女の子はBARでバラライカを蜂の巣にして遊ぶんだ。なんて子供らしい。  そんなんだったら愉快だったけれどもさすがに子供は「BLACK LAGOON」は買わないよなあ。スキットルとかも売ってなかったし、って子供が買って何入れるんだ。Tシャツくらい売っていれば来たのに「アイラブロアナプラ」とかって書いてある上品の反対な奴。そんな「次世代ワールドホビーフェア」の会場は、午前10時前で歩くのにも困難な混雑ぶり。前から賑わってはいたけれどもひときわ多いような印象だけれどこれといって何が大流行しているって状況でもないだけに、手軽に遊べて値段も安いおもちゃ方面に全般に回帰しているんだろうかってな想像も浮かぶ。

 いつもだったら巨大なブースを締めてた任天堂が割りとこぢんまりしたところで「マリオ」を紹介していた一方で、タカラトミーは「ベイブレード」に「でゅ得るマスターズ」の2枚看板を押し立て大盛況。どっちもぐるりと子供が囲んで近寄れず、近所ではカードを並べたり工具箱をつかってベイブレードを工作する子供が地べたにぺたんとしゃがみこむ。どちらも10年近く続けている商材だけれどまるで人気が衰えない。どういう仕掛けなのか、勉強することも右肩下がりが甚だしい雑誌新聞といったメディアも研究してみる必要があるのかも。やっぱ改造できるようにすることかなあ。

 もっともバンダイが一時巨大なブームを作り上げた「ハイパーヨーヨー」だってしばらくするとショボンとなって誰も見向きもしなくなったりした訳で、似たようにショボンとなりかかってもしっかり残って続いている「ベイブレード」とどこがどう違うのかってこところも研究においては必要そう。そんな「ハイパーヨーヨー」をこれで最初の流行から3回目になるんだろうか、復活させようって感じにバンダイがブースで大展開し、入場者にも配布してしまうって大盤振る舞い。会場の中ではさすがに危ないんで遊んではいけないっておふれが出ていたけれど、外では手にヨーヨーを持った子供が壁に貼ったレヴィの顔に向かってヨーヨーを……ってそれはないない。セーラー服を着たスケ番とも戦ってないし超電磁を帯びさせてもいないので期待はしないように。

 しかし今回もデモンストレーターに演技をさせて店でトリックを認定させて大会を開いてってメソッドで盛り上げていくんだろうけれど、どこまでちゃんと引っ張っていけるんだろうかそれとも2年くらいで終息させて構わないって考えなんだろうか。最初の大ブームん時から取材していてヨーヨー協会設立なんて話も紹介したりして、その時からブームをどれだけ長持ちさせるかが大切ですねって話もしていたんだけれど数年経ったらどこかに行ってしまったヨーヨー戦士。その繰り返しを今回はさせないっていうんだったらどういう仕掛けを考えているのか、ちょっと聴いてみたいところ。前はバトラーみたいだったりいかにもなアメリカーンのグループだったデモンストレーターをイケメン兄ちゃんたちに変えたあたりが新趣向? いっそだったら普遍の人気を誇る「機動戦士ガンダム」にヨーヨーをさせてこれからの30年もいっしょに盛り上がっていけばいいのに。行くぞザク、メガ粒子ヨーヨーだ、って設定も混ぜちゃって。

 そんな「機動戦士ガンダム」の30周を記念した「1日1ガンダム」活動も「脱出」が放送された30年前の1月26日をもって完了な訳でネタ探しに苦しんだ時期もない訳じゃなかったけれどもそれでも日々に1つは「ガンダム」について考えられるくらいに巷には「ガンダム」が溢れていたんだと分かって嬉しくなった。そんな「ガンダム」が今はテレビ放送もなく期待の新作も劇場とそしてOVAってのは何か寂しいなあ。「機動戦士ガンダムSEED」が見せたあれだけの女性関係における盛り上がりをしっかりとつかんでおけば「テニスの王子さま」が今もなお支持されているような感じを演出できたのに。いっそ再放送すればまたぞろ人気を作れるのかも。ボックスも出るし機会としては良いんじゃないのかなあ。可能なんだろうか。


【1月22日】 「崖の上のポニョ」ってDVD、どれだけ売れたんだっけと探したら70万本くらいは出ていた様子で、それだけ乗っかればマーケットだってちょっとは膨らむよねって気もしないでもないけれど、これがなくなる今年は果たしてどれだけの効果が見込めるんんだろうか「エヴァンゲリヲン新劇場版・破」があったところで50万本行くかそれとも行かないか。一方で5万本をアベレージに10数巻に渡って売る「機動戦士ガンダム」もテレビシリーズはなくOVAがメインって仕掛けでは認知されずに埋もれて流されていってしまいそう。それでもテレビでやるより利益は出るって言えるんだろうけど未来のファンを捨てての利益はやっぱりちょっと危なっかしい。

 厳しさを実感してなのかバンダイビジュアルが出している映像ソフトのPR誌「ビートマガジン」がいきなり8ページってペラペラになっててここまで来ているのかとやや愕然。前の分厚い冊子にぎっしり載せるだけの情報があったかって言えば悩ましいところではあるんだけれど、それでも埋めて埋められないほどではなかったのが今は8ページにわたって載せるのが精一杯。出す量が減っているってことを示すとともにかけられるお金も厳しくなっているってことを想像するにつけ、やっぱり決して明るく考えるのは難しいんじゃなかろーか。買ってないしなあそういやバンダイビジュアルのタイトルって。

 ああでも「ビートマガジン」を見たらまもなく「リーンの翼」のボックスが出てくるみたいで1巻だけ買って放り出してあったものをまとめて揃えるチャンスかもって気にもなってる。一応大好きなバイストンウェル物だし。あとは「舞−HiME」のブルーレイボックスか。本編で確かラス前あたりの1話分を見逃していたんだよなあ、っていうかDVDを最初だけ買ってあとは放り出していたんだっけ。会長さんの憎悪炸裂なシーンとかナオの「舞乙−HiME」とはまた違った悪辣ぶりとかを改めて、確かめるためにも買いそろえるのが吉ってところか。ああでもこれ買うと「乙」も買わなきゃおさらまらないから。「バジリスク 甲賀忍法帖」に回す金が……。

 ってか今いったい何を買ってたっけ「化物語」は残りそんなにないんだっけ「東京マグニチュード8.0」はあと2本だったっけ「デュラララ!」は書き下ろしが載るみたいなんで欲しいし「戦う司書」もやっぱり欲しいけれども新作ではやっぱり「ダンスインザヴァンパイアバンド」がちょっと欲しそう。本編もすごいけれどもパッケージになった時のボックスの絵柄が何というか挑戦的というか見えそうで見せていそうで心に刺さる。「ビートマガジン」といっしょにもらったリーフレットに載ってるポスタービジュアルのミナも太股にょっきりの間にちょっぴりが目にも素晴らしいんだけれどそんなチラリのイズムすら超えたビジュアルが、パッケージにはちりばめられていて心をいやしてくれそう。

 今の展開だと漫画とは違った方に行きそうで、不安もあるけどそこは新房昭之さんだけあって、きっと素晴らしくも美しいエンディングを見せてくれるだろうから、3月の発売時に心が折れて見送るってこともないんじゃないかな。ほかはそうそう「BLACK LAGOON」のブルーレイが来て積み重なっていくんだった。さらには「機動戦士ガンダムUC」……面白いのかなあ、面白いと良いなあ。「サマーウォーズ」はいつだったっけ。毎日映画コンクールまで受賞してこれでいったい何冠だ。大藤賞も電信柱がどうとかって作品に行ってしまって「マイマイ新子と千年の魔法」は未だ無冠。それとも年末公開ってことで次年度に回されたってことなのか。東京国際アニメフェアでのアワードではグランプリ、取って欲しいけど無理かもなあ。

 2勝で1分とはちょっとすごいかもしれないサッカー女子日本代表のなでしこジャパンのペルー遠征。っても強いブラジルアメリカドイツスウェーデンといったところと戦っている訳じゃないんで実力のほどがアップしているかは不明だけれど、どんな相手でもぐだぐだになってしまう男子とちがってきっちり勝ってしまうってところがなでしこ、頼もしい。選手が誰なのかって情報も届かないけどとりあえず安藤梢選手が得点をとっているところがドイツ出陣に向けてのいいはなむけ。ゴールキーパーは誰なんだろう、巨大な山根恵里奈さんとか出ているのかなあ、きっとみんな驚いているだろうなあ、男子だって驚く大きさだもんなあ。東アジア大会で見てみたい選手。岩渕真奈選手はどうしてフル代表に入って来ないんだろう? 年齢制限? ないないそんなもの。配慮かなあ学生さんだし。

 なるほどこういうのもメディアワークス文庫向きになるのかと、菱田愛日さんの「空の彼方」(アスキーメディワークス)なんかを読みつつ理解。舞台は異世界で防具を作る見せがあって、ソラって名前の女性が店主で自ら作った防具を販売していてそこに集う客がいてて構造はバリバリにファンタジーっぽおいんだけれど、これが普通のライトノベルだったら店主の女性がメインとなって動き回る話になるところを、「空の彼方」は彼女を扇の要のように位置づけながらも、展開としては店に出入りする人々が抱く思いや成し遂げようとしていることなんかを話の流れの中心に据えて、そうした人々が得た経験をソラが店に座って聴かせられるような流れでもって、全体像を作り上げている。

 ソラって店主は防具を作って売るんだけれど、その時に条件として生きて帰ってきて話を聞かせて欲しいと頼み、もしもそれをかなえてくれたら、もらった代金の3分の1を返すという。どうしてそんなことをしているのか、ってのはおいおい明らかになる彼女ととある人物との関わりで、その安否を知りたいって思いを抱きながらも、自分は分け合って家を抜けられないため、そうした形をとっている。でもってやって来たお客がアルフォンスっていう元貴族。不思議な店の不思議な店主を気にしつつ、まずは最初の任務へと出向いて箱入り娘どころか牢獄に閉じこめられているような感じに身動きがとれず、意志などまるで尊重されない少女に付き従って、護衛の任務を果たしたって話を持ち帰る。そこからソラって女性の境遇なんかも仄めかされた先に、アルフォンスがかり出される事件が起こり、ソラが過去に関わった男性が絡んでひとつの大きな事件が解決し、その先にソラが知りたかったことが判明する。

 ヒロインがいてヒーローがいるような単純な話でもないし、何本ものキャラクターが屹立している群像劇って感じでもなく、訥々と語り見せながら全体像を描いて人が人を思う気持ちを浮かび上がらせてみせるという、実に小説らしい小説って感じ。電撃文庫に決してないタイプの小説ってことでもなさそうだけれど、そこでキャラ立ってないって見過ごされるよりは、こうした一般の層にも伝わるメディアワークス文庫の中で、一般の人に読んでもらってファンタジックに見える舞台でもその上で語られる、思い深さのすばらしさを感じてもらうのが良いのかも。とりあえず解決してしまったからには同じ舞台を描くって訳にはいかないのかな。構成も工夫できるしメッセージ性もこめられる人なんでいろいろ考え世界と物語を作りだしていっていただきたいもの。注視していこう。


【1月21日】 紅茶専門店でもカフェというのかどうなのか、って根元に迫る疑問はこのさい気にしないとして「おまもりひまり」はやっぱり主人公の少年の声が野太すぎるというか大人すぎるというか、時々ハマる部分もあるんだけれど大体において弱気でヘタレな主人公って感じに聞こえないところが微妙にズレててどうも気になる。案外にそうしたズレで目線をひきつけ白やらピンクやら谷間やら双丘やら見せまくって引きずり込むって戦略があったりするのか。それはそれで正解かも。思いこみが激しく物事を冷静に考えないキャラクターってどうにも身にそぐわないなあ。

 逆に「聖痕のクウェイサー」は悲鳴やら豹変やらで目線を引っ張り込んだその先になぜだか月やら太陽が広がっていて何これいったい放送事故でも起こったの? って驚きとそれからガッカリ感を与えて見ていた人の目を背けさせそう。そりゃあ頑張ったけれども規制の壁は超えられませんでしたがその頑張りのためにパッケージを買ってくださいって意識も分からないでもないけれど、どこまで迫れるかっていう挑戦だって立派に挑戦。それを結果として最初っから捨ててしまって月日のインサートでご免するのって視聴者として突き放されているようで気がそがれる。眼鏡っ娘の声の演技とか最高に良かったし動きも表情も良く出来ているのにこれでは、なあ。まあ見るけど。レントンが美少年やってるってのも愉快だし。

 あと何を見たっけ「バカとテストと召還獣」だこれは面白い、面白いけどでもやっぱりどこまでも追求してパッケージとして買い支えていくって感じのものかっていうと迷うところ。オール秀吉のそれもアラレもない姿編とかあったら、あるいは冷徹お嬢様のイジリ芸が2連発でとどまらないで全編にわたって繰り広げられたら見入るかもしれないけれど、どこまで行っても本編のコトバ芸を抜けられなさそうって観もあるし。とりあえずウォッチ。あとはドラマの「とめはねっ!」か。ヤンキーやっぱり背が高い。日野シスターズはあれでなかなか出るとこ出てる。問題はそんな愉快な海辺のシーンが遠景かつ短小で楽しめなかったこと。パッケージ化の暁には撮りだめしてあるシーンを本編以上の長さで添えて頂戴な。それがあれば確実に売れる。ブルーレイならなお売れる。

 これからのライトノベルの新人賞にはきっと墓守がわんさか出て来るに違いない。ストレートではあんまりだからとただの墓守ではなく未来から来た墓守とか実は吸血鬼のお姫様の墓守とか生徒会長の墓守とかって時々の流行を取り入れミックスさせた墓守が1ダース、出てきて少年の家に同居してお兄ちゃまは今日はあたしの作った墓穴で眠るのあたしが土の布団をかけて静かに永遠に眠らせてあげるのって取り合いっこをするんだ。そこに幼馴染みの墓守が1万の多層世界から押し掛けてきて家から半径1万キロは墓穴ばかりになるという。ありえるか。ありえそうだなあ。

 ってことで角川スニーカー文庫に続いての墓守ライトノベルは入江君人さんって人による富士見ファンタジア文庫から出たファンタジア大賞受賞作「神様のいない日曜日」。いきなり少女が墓穴を掘る場面から始まって、これまたやっぱりダークな話かと思わせておいていきなり墓守の少女が村の人から歓待攻めに合うってコミカルさが混じってなんだそっち系かと安心させたらいきなりの大虐殺。生き続ける懊悩の中で愛する者を求めさまよう男との邂逅があって自分の本質を知るドラマがあってそして死ぬことの苦しさと優しさが、輪廻転生も永遠の安寧も奪われゆっくりと朽ちていく世界を舞台に描かれる。終わりがけに明かとなる墓守の少女を取り囲んでいた人々の真実なんかが人の正への執着の、どこか醜悪でそしてやるせなく、けれども切り捨てられない悩ましさを浮かび上がらせる。読み込めば深そう。続きとかってあり得るタイプのものなのか。そっちも注目。

 もう1本のファンタジア大賞関連の読者賞受賞作は直江ヒロトの「夏海紗音と不思議な世界」。少年がふと目をやると少女がいて彼女に連れて行かれた場所にはあり得ない海が広がっていて、学校に行けばクラスの全員が知らない人になっている。重なった世界に少女の力で引っ張り込まれたみたいで、そんな彼女が父親に反発しつつも父親の後に続くように帆船を指揮して島にあるお宝を目指すに、少年は無理矢理引っ張り込まれていく。臨むものを引きつけてしまう夏海紗音の力はどことなる涼宮ハルヒ的。それがどこまでの範囲でどれだけの規模で働くかって辺りが気になるけれどもとりあえず周辺を変える程度の力あるようで、それが働きどうにか冒険をやり遂げた果てに戻ってきた平穏な暮らしを少年はこれからも受け入れていけるのか、ってあたりに続きなんかが待っていそう。しかし帆船が舞台の物語でイラストに1枚も1カケラも帆船がないってのは有る意味すごいな。

 正直なことを言えば原田知世さんにハマったことは1度もない。映画「時をかける少女」もテレビドラマ「セーラー服と機関銃」も見ていなければCDも買っていないし写真集だって読んでいない。時代からするなら「機動戦士ガンダム」が大流行して自分の中にアニメブームが再燃してSFも漫画も読み始めてテレビだって割と見られた高校生の時代にまさに、角川映画の薬師丸ひろこさんに続くスターとして登場してメディアに大旋風を巻き起こしていたはずなのに、どうにもなびかなかったのは何だろうって考えてもちょっと思い浮かばない。

 あるいは興味が2次元の方へと向かってたとえとてつもない可愛らしさがあっても3次元ではって気持ちがあったのかもしれないけれども今となってはよく分からない。周囲に騒いでいる人がいなかったってこともあるんだろうか。それでも漫画なんかでは原田さんを取り上げた作品が読んでいた中にいろいろと現れていて、そうした人たちのイコンとして君臨し始めていたって感覚はあったから、決して気にしていなかったということでもない。もしかするとそうした偶像として祭り上げられる様を、まとめてひとつの現象として楽しんでしまっていて中心へと向かわなかったのかもしれない。うーん。アイドルと出会いハマる原理って何かちょっと考えてみたいなあ。今みたくアイドルにハマれ的行動原理がお約束的に立ち上がって来る時代になってしまうと、そうした心理の駆動の根元に迫りづらいんだよなあ。

 まあそれでも80年代イコンが目の前に現れるってのはやっぱり貴重なきかいと「やさいのようせい」だったっけ、天野喜孝さんが描いた野菜のキャラクターをCGでアニメにした作品のナレーションに原田知世さんが起用されていて、それが劇場で公開されることになったって会見を見物に行って今のもう結構な年齢になっているにも関わらず細くて可愛らしげで優しげな原田さんを見ると気持ちも和んでくる。80年代にニューカレドニアまで追いかけた人たちって今のこうした原田さんを見てどう感じているんだろう。やっぱり買っているのか「やさいのようせい」のDVDとかを。劇場に駆けつけて見るのは3Dの「やさいのようせい」の映画を。2月のおっさんたちの動きにも注目だ。


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