縮刷版2010年12月中旬号


【12月20日】 おとな銀行頭取ことワタナベ・カナコの授業中のエロス全開トークにも振り向かず授業を投げないジャージ教師のイシノ・ヒトミがあるいは「STAR DRIVER 輝きのタクト」世界で最強の女性なんじゃないかと思えて仕方ないけど、そんなワタナベ・カナコが手にグローブをはめると学生のチャンピオンクラスだって3発で沈めてしまうんだからやっぱり最強はそっちか。とはいえ殺さずに倒す自身がないと揺るぎない声で大見得切った割には本番で銀河美少年相手に殴られ敗れ去っていたりするからやっぱり口だけなのかそれともホンダ・ジョージが弱すぎるのか。

 つか胸から剣は出しても手に部品を取り付けコークスクリューブローなんていったいいつできた技なんだ? 過去に出しもしない技をいきなり出すとは卑怯極まりないけれど、それが真剣勝負って奴だから仕方がないってことで。敗れた頭取はもうリーダーにはなれないみたいだけれども、前に負けたプロフェッサー・グリーンは依然としてちゃんと懐疑に出ていたりするから、頭取も別に頭取としての立場は変わらないまま懐疑で立派な脚を見せてくれると期待しよう。来週はスカーレットキスの逆襲か。でもページェントって確かザメクの力を取り込もうとして粉々になったんじゃなかったっけ。もはや戦う道具すらないスカーレットキスはいったいなにを武器に? やっぱり唇? 羨ましいなあ。ガラス越しじゃないのを1発、もらったばかりだってのに。

 昼行灯という奴がキャラクターとして気になっていて、例えば「機動警察パトレイバー」の後藤隊長なんかがその具体例で、普段は何をやっているか分からないけれどもいざという時に切れ者っぷりを見せて状況をひっくり返す。そしてついでに女性の関心までもかっさらっていくという憎々しさもその身になってみたら実に楽しげ。他人を驚かせることが大好きな人種だったら1度はそうありたいと憧れる。できればそうあり続けたいと願わせる。あとはやっぱり中村主水か。普段は冴えない婿殿が夜になったら凄腕の殺し屋仕事人。嫁姑に虐げられているのはちょっと釈然としないけれども、それでも愛されていればこその家族な訳で愛されたこともない身にはやっぱり羨ましい。

 そしてここに登場した最新の昼行灯が三浦良さんの「銀の河のガーディアン」シリーズに出てくるカンって男。魔法を良く使う帝国が敵対していた同盟を吸収して宇宙の大半を支配してからしばらく。それでも起こる氾濫を鎮圧するべく作られた部隊があって、皇帝の養女となった少女のラリエナが頑張っていたところに送り込まれてきたセーヤという美少女と見まがうばかりの美少年。機甲杖って一種のロボットを操り起こった事件をまず解決して一段落したところに、今度は本格化する氾濫を専門に鎮圧する部隊が作られることになってそこにラリエナとセーヤも送り込まれた先で出合ったのが、前の事件でちょっとばかり縁があったカンという男。魔法を使えない同盟の出ながら艦長の重責を担っていたところに才能の片鱗が見えていたけど、部隊の隊長となってからもみかけの肥満体と諧謔的な物言いの裏で冷静な対応を行い策を巡らし戦いを有利な方へと引っ張っていく。

 圧巻がすべて片づいた後にとるひとつの態度で、そのことによってささくれ立ちかけた場をピタリと治めた上に、支配されてもそれが強圧的ではなく、笑っていられるようなおだやかなものなら支配だって受け入れて構わないんじゃないか的なメッセージを世に発していて、魔法が使える側と使えない側に産まれつつあった疑心暗鬼をも権勢してみせる。それを咄嗟の判断で完璧に行えてしまう逸材ぶり。これでヤン・ウェンリーみたいに見てくれが良かったら人気も出るんだろうけれど、いかにも中間管理職然として上司にもみ手も辞さず、おまけにぷっくり太めの中年男では人気も出そうもない。これで可愛いといってくれるファンとかいたりすれば別なんだけれど。補佐官の魔法使いとの××な関係とかってのを想像してみたりするような。いやいやカンには多分美人の奥さんがいるんだよな。勿体ないやら羨ましいやらあやかりたいやらすがりたいやら。できればシリーズを通してその昼行灯っぷりを見せて面白さの要となっていって下さいな。

 ふと気が付いたらアメリカンフットボールのジャパンボウルでオービッツ・シーガルズが松下電工インパルスを破ってジャパンボウルで勝利し社会人日本1に輝いていた。前に川崎で見たときにはラスト1秒で同点に追いつきタイブレークの中で勝利し決勝のジャパンボウルに駒を進めてきたシーガルズ。強いって訳ではなさそうだったんだけれどそれでも決勝で何度も優勝しているインパルスをそれも第4クオーターで逆転してみせたらしいところを聞くと、案外に後半に強いタイプなのかもしれないなあ。川崎の時も最後になってパスがバンバンと決まり始めたし。相手が疲れてプレッシャーをかけづらくなったところでスピードのあるパスが生きるってタイプなのかな。ともあれこれでライスボウルはオービッツ・シーガルズと甲子園ボウルで勝った立命館との対戦。前にこのカードってあったっけ? チームとしては両方見ているけれども激突するのは初めてだったけ? 分からないけどともあれ言ってその大逆転癖が次ぎも現れるのかを確認だ。でも座るのは立命館側だけど、チアリーダーはやっぱり若い方が、ね。


【12月19日】 ヤー、チャイカってそんな言葉を宇宙から発して女性の憧れとなった人類初の女性宇宙飛行士がいたけれども、その意味は別に「私はカモメ」ではなくって単なるコードネームとしての「チャイカ」をつぶやき「こちらチャイカ」といったのが、チェーホフの戯曲のタイトルなんかと混同されて、ロマンティックに翻訳されて世に伝わってしまったってことが真相とか。今なら報道にも即座にネットとかでつっこみが入るんだろうけど、そうでもな時代は新聞やらテレビで伝えられることがすべてだった訳でそうした誤解もきっと今になって振り返れば、きっと山ほどあるんだろうなあ。

 んで榊一郎さんの「棺姫のチャイカ」(富士見ファンタジア文庫)は別に「コフィンプリセンス、チャイカ」の誤訳ではなくってそのまま榊さんの新シリーズのタイトルで、ジャンゴよろしく棺を担いで歩き回るお姫さまを、戦闘に優れながらも戦争がなくなり路頭に迷い欠けていた兄妹が助けて大暴れするってストーリー。目標を失って日々を無為に過ごし働いたら負けと思っている兄に対して妹は無言でその枕元に大槌を振り下ろして起こそうとするのか、永遠に眠らそうとするのか分からないけど世話をやく、そんな暮らしの中で食料に難渋し、山菜を取りに行った先で出合ったのがそんな棺桶少女。何者かに追われているのを助けて連れ帰り、そのまま雇い主となって少女がほしがる何かがある屋敷へと突入。そして見つけたものは、少女にとっても世界にとっても重大なものだった。

 冒頭でどうやらその頃には彼女は八つ裂きされたようだけど的扱いを受けていたお姫さまのチャイカが、どうして当時の姿そのままで棺を担いで歩いているのか、そんな棺からどうしていろいろなものを取り出してみせるのかといった疑問には明確な応えは出ず、またお姫さまが求め世間もやっぱり追い求める秘密の品物が秘める力と、それを集めた時に起こるかもしれない出来事が何なのかを、探っていくストーリーを楽しめそう。戦いの場を手にした兄と妹の奮戦ぶりも興味深いし、とりわけ天然はいりまくりな妹の方の暴れっぷり兄好きっぷりにも興味津々。いずれ兄を剥製にして永遠に愛でようと考えている妹がどんな態度を見せるのか、その関係に果たしてチャイカ姫は割ってはいるのか。人間関係も楽しみつつ続きを待とう。榊さんのことだからきっと1月おきくらいには出るんだろう。出て欲しい。出せ。

 ふらりと秋葉原に出かけたのが運の尽きというか資力の最後というか、コトブキヤに入ってようやく発売になった「ミサカ盛り」を1BOX買ったら5000円超でこれはなかなかの出費となって財布を絞り、幕張メッセで開催中のジャンプフェスタに行く気が急速に減退する。代わりに神保町までとことこと歩いて新刊書などを見物。早売りの見せて「AERA」の最新号を買ったら東浩紀さんのことを佐々木俊尚さんが書いていた。なるほど最近の東さんに接して東さんの主張を聞いて、そのつき合い先から話を聞いていってその通りに作ったらこうなるというお手本のような記事。そこには何の誤謬もなくまた書かれた当人にも決して悪い気持ちはしない記事だけれど、読む人の果たしてあらゆる層を響かせられるかというとこれがまた難しい。なぜって人間は1面だけでは語れないから。

 さまざまな面があってそうした面によっては激しい対立を招き批判も呼び込でいるんだけれど、そうした面について語らずにおくことで実にシンプルで現状に異を唱え前に進み続ける先駆者としての姿って奴を、記事では描き出している。なるほどこれが佐々木俊尚的ジャーナリズムって奴なんだろう。個人的には、10年以上ずっとのその姿を見続けている東浩紀さんって人物を描くのに、そういう書き方が適切だったのかっていった懐疑も浮かぶけれども、そうでない人に今を見せるって意味での窓口的案内的な役目はしっかり果たしているって意味で、十分な記事だってことも言えそう。とりあえず読んでみて、多くがどんな感想を抱くのか、そしてその書きっぷりを是とするのは否とするのか、ちょっと反応を見てみたい。

 神保町を歩いていたらワゴンセールをいつもやってる古本位置に「SFマガジン」が大量に出ていたんで、中から1992年の7月号から9月号を探して購入。柾悟郎さんの「ヴィーナス・シティ」が連載されていた号で、もちろん家のどこかにあるはずだし、単行本だって文庫本だって持っているはずだけれども、案の定出てこないんで今読むにはこれしかないと購入した次第。世の中にこれだけ体感型オンラインゲームの物語が蔓延っているのに、その源流とも言えそうな上に、ネットの奥の奥底まで見据えた作品は今もってあんまり存在しない。なのに再刊されず店頭で手に取ることのできない理不尽さを、どう考えて居るんだと版元あたりを問いただしたいけれども仕方がない。これと「BOOM TOWN」を合わせて枕にして北國浩二さんの「アンリアル」を紹介することで、いまいちどの認知が両作品に起こることを期待しよう。

 あれだけ血が出れば普通は即死じゃないかと姫神の姿に仰天しつつ「とある魔術の禁書目録2」を見てから寮を追い出され学校を退学になったミルキィホームズたちのそれからが描かれた「探偵オペラ ミルキィホームズ」を見たらアルセーヌ様がぶち切れていた。生徒会長のアンリエットとしてもぶち切れ金剛炸裂で部屋中に飾ってあったミルキィホームズの表彰状やらトロフィーを蹴散らし、その上で最後の手段として我が身を犠牲にしてでもミルキィホームズの復活を遂げさせようと打って出る。

 あんなに部屋に関連グッズを飾っているあたり、どれだけミルキィホームズ好きなんだって言いたくもなるけれど、怪盗としての矜持はすなわち好敵手としての探偵がいてこそ成り立つもの。その敬意としてのグッズであり、だからこその復活支援であって、優れた探偵なき世に己の存在価値はないと思ったのなら、命をかけることだって不思議はない。そんな怪盗と探偵の関係をくっきり見せつつしっかりギャグも交えつつ、最後はアルセーヌ様の立派すぎる後ろ姿でまとめて最終決戦へと至らしめるこの盛り上がりっぷりがなかなか最高。よくぞまとめたものだと感心。果たして決戦の行方は。そしてアルセーヌ様の運命は。続編が作られるとしたら、なべて世はこともなく終わり日常が戻った中で、再戦といくのかそれとも新たな敵がミルキィホームズの前に現れるのか、どっちにしたって見たいぞ続編。それはそれとしてアルセーヌ様のあのナイスなバディってやっぱり、単なる幻惑のトイズが見せている幻で、本体はアンリエットさんのサイズなんだよね?


【12月18日】 朝、本屋さんに行きますと、常々とてもすぐれたライトノベル本格SFを書く大樹連司さんの新しい本が出ているのを見つけました。何でも「お嬢さまのメイドくん」(一迅社文庫)というタイトルで、本格SFにしてはとてつもなく冒険的なタイトルを付けたものだとその勇気に感心しつつ、いったいどんな世界を見せてくれるのかとわくわくしながらページを繰りまして、繰りまして、繰りまして、繰りましたところでいったいわたしはどの地平に立っているのかと、ふと当たりを見渡しそれから再びページを繰りまして、繰りまして、繰りましてそしてそっとページをとじたのでありました。タニグチリウイチ、45歳、アラウンドフィフティに突入した独身ライトノベル書評家でございます。

 いやまあだから「星灼のイサナトリ」とか「ほうかごのロケッティア」とかいった作品を読んでからそうした傾向のものを期待していると肩すかしを食らうという意味で、そこをMF文庫J化した地平だと思って見直せばこれはこれで立派に範疇に収まるものだという認識を、きっと誰もが抱くこと間違いなし。むしろMF文庫Jにすらない全裸女生徒の堂々たる名乗りを拝める分、革新的で画期的で先鋭的だと言えるけれどもアニメ化されればどうせ光が横から射し込み前から煙りがたなびいて、何も見えなくなるから関係ないんだブツブツ。まあ口絵にチラリと載ってて拝めるからそれはそれで嬉しいんだけれど。あとはフィギュア化を願おう。心底から願おう。

 そして問題の早矢塚かつやさん「名門校の女子生徒会長がアブドゥル=アルハザードのネクロノミコンを読んだら」(一迅社文庫)は名門校の女子生徒会長がアブドゥル=アルハザードのネクロノミコンを読んだおかげで少年は名門校の女子生徒会長とキスできましたという話で名門校の女子生徒会長とキスしたかったらアブドゥル=アルハザードのネクロノミコンを探して名門校の女子生徒会長に読ませておくと良いって教訓が得られたけれどどこに行けば買えるんだアブドゥル=アルハザードのネクロノミコンって。禁書目録の頭の中には入っていたっけ。それとも「それ町」の姉ちゃんの古道具屋に行けば売っていたっけ。

 まあタイトルのヤラせっぷりはさておいて、普通の古い魔導書に従って女子生徒会長が得体の知れない敵と戦う話で、妙な名前の刀を集めたりする当たりに「刀語」の雰囲気なんかも感じられちゃったりまんま頂いている感を味わったりできつつ、生徒会長のいつも空腹をかかえておなかをぎゅるるるるるっと鳴らしていたりする粗忽さなんてものも楽しみつつ少年がなんとかキュアだかのコスプレをさせられ幼女から憧れられたりするシチュエーションの喜ぶべきか戸惑うべきかを悩んだりもできたりと、フックがいっぱいあって楽しい1冊。テンポも良好会話も絶妙。そして繋がる次への展開、と思いたいけれどもここん家って1発芸の文庫が多いからなあ、シリーズ長引かせて儲けようって腹はないのか? 言うほど売れてませんって市丸ギンが言ってた。そうですか。そうなのか?

 六塚光「アースライト・ウォーズ 割れぬ少女と蝉の王」(一迅社文庫)も読み終えたら蝉神様どうしのバトルに巻き込まれた人類が右往左往する話だった。まあありかも。とはいえしかし人殺しては拙いかな。でも殺されそうになったんだから良いのか。良くないよなあ。健康的には。健康の問題か? うーん。そんな感じにいろいろと考えさせられる物語。こじんてきには田舎の儀式なんだから放っておけば良いじゃん的印象なんだけれども19年と21年が公約数となる年なだけに起こる出来事も大変そうで、放っておいたら地球だって滅びてしまったかもしれないから仕方がないってことで。朝目覚めると手からビームサーベルが生えていた。なんてありなのか。まありかも。

 「東京インターナショナルミュージックマーケット(TIM)」ってイベントで元気そうなその演奏スタイルと楽曲とあとテナーサックの眼鏡っぷりに興味を持ってチケットを買ってかけつけた関内ホールでの「東京ブラススタイル」のライブはマニアックな客層というよりはブラスバンド好きなおじさんとかおばさんとか、彼女たちが学校訪問とかで関わった子供たちとかその親なんかが詰めかけファミリーコンサートのよう。いわゆるアニソンライブとはまるで違った空気に居住まいを正したけれども当方、とりたててアニソンライブに行って飛ぶような活動はしていないんで別に怯えることはないのか。

 まずは帝京高校のブラスバンドが出てきて演奏してまあ学生さんといった感じでにっこり。帝京には全然興味ないけど。高校サッカーの全国に今度は出てたっけ。そして本家の東京ブラススタイルが登場。緞帳が上がる前にベースの平野なつきさんとトランペットの2人いる方の1人「風の谷のナウシカ」のテーマ(安田成美の歌とは違う)をアンサンブルして見せて、ウッドベース(というか電子ウッドベース)の完璧なまでの弾きっぷりとトランペットの鮮やかさでもって耳になじんだ旋律をアンサンブルのアレンジでもって聞かせてくれてちょっと驚く。すげえじゃん。

 でもって幕があいて11人が並んで演奏演奏また演奏。TIMでも遠目に見えたもう1人のトランペットのが片手でトランペットを持って腰に出を当て「どうだっ!」って顔でもって吹く姿を5列目センターから見られて身が引き締まる思い。合間にMCも混ぜつつ休憩の後に新しく結成された横浜ブラススタイルの演奏なんかも挟みつつ繰り広げられたライブは3時間半とかに及んだけれど、長いって感じはまるでしないで鳴り響く楽器のアンサンブルに間近で耳を傾けその重なりから生まれる楽曲の良さに身を震わせながら、良い時間を過ごすことができた。ブラスバンド最高。東京ブラススタイル最高。あとはちゃんとウェブサイトのドメイン取り直してベースを再開させること。

 MCは最初期から残っている4人のうちのアルトサックスでソプラノサックスの石川恵美さんがだいたい担当。唯一の眼鏡っ娘のテナーサックスの井口久美子さんも最初期からのメンバーだけれどとりたてて喋りはなし。演奏の巧さについて言及できる耳なんて持ってないけど、バリトンサックスを抱えて吹き鳴らすましゅさんの演奏にとっても安定感があったように思えた。気を抜くとヌけた感じになってしまう重低音をちゃんと制御し響かせる。あの細い体のどこにそんなパワーが。あと最後列に下がって目立ってなかったドラムのちいたさんが安定感抜群のドラミングを常に披露。これまた細いのによくやる。いつかどこかのジャズバンドでドラム叩いてたりするとかあるのかな。

 女子が金管やったりするのはクォーター・フラッシュのリンディ・ロスあたりでは物珍しさ感もあったけれども、今ではクラシックにもジャズにもスカにもいっぱいいるからいずれ自分もって気持ちなってやれてる感じ。東京ブラススタイルみたいなグループの活躍なんかもそんな希望を与えてくれているんだろうなあ。だから子分として募った横浜ブラススタイルにも応募者がいっぱいあったみたいで、そんな中から選抜されたメンバーだけにソプラノサックスとか巧かったけれどもこれは男の子。別に女子だけってこだわりはないみたいだし、それでもって分け隔てするのも妙な話ってことにるんだろうけど、プレーヤー希望の人によってはあれって感じもうけるのか、いずれ超えてやるって発憤するのか。そんな横浜ブラススタイルはトランペット隊が目茶巧かったんだけれどどういう子たちなんだろう? 今後に期待。やがてトップ昇格とかあるのか。投票で順位を付けるのか。ってそれは違うグループだ。


【12月17日】 そうか歩鳥でも水着の下に何かはくのか。どういう経緯からか紺先輩と海に行った歩鳥だったけれどもはしゃいでコケて浮き輪を破り、雨に打たれ大波に現れ水着の上は引き剥がされ、何か見えそうになっていたところ紺先輩が手で押さえて見えないようにしながらも、はみでたそれはそれなりに丸くて目になかなか。でもって下は水着とは違った横が細いひもになったものが残されていて、これが水着でないというならやっぱり下履きか何かかと理解したけど真相は不明。あるいは単なる見間違いか。

 短編オムニバスみたいな流れて進んだそんな「それでも町は廻っている」のアニメーション版は、紺先輩ん家ですっかり居眠りしている歩鳥の唐突さとかあったけれども、一方でたっつんを上から見下ろすレイアウトが多くあって、それなりに発達した部分を見下ろすことによって映る谷間をしっかりと観測。原作ではどうなっていたかまるで覚えていないけれども、ときおり見られるガラスの床越しのしゃがんだ姿勢等々、アニメーションならではの工夫されたレイアウトが多々あるところが、単に絵を動かしました的アニメとの違いってやつを見る。だからといってブルーレイディスクを買うとは限らないんだけど。

 買ったのはだから「涼宮ハルヒの消失」の劇場版という奴で、アマゾンだったら缶ケースだか付くみたいだたけれどもあっても邪魔だし特別感もないんで無視して普通にヨドバシで購入したらシートがついてきて短冊が張り付いていた。これであなたも長門&キョンごっこ。いっしょに「ブラック★ロックシューター」のブルーレイとDVDが同梱されててfigmaだかねんどろいどだかがついてるゴージャス版も購入したけど4000円しないとはなんと太っ腹。普通のアニメDVDもそれくらいの値段なら有り難いけどそうもいかないのがこの世の常って奴で。だからワゴンに「空中ブランコ」が出されてしまうという。

 うろついて「涼宮ハルヒの憂鬱」1番くじを2枚引いたけれども古泉の水着のキュンキャラという微妙なものが出て喜んで良いのか悪いのか。あとはストラップだったんで長門を確保。これにキョンが加わればとりあえずコンプリートか。あんまり嬉しくないけれど。でもって歩いていて見つけた「ハートキャッチプリキュア」のボイスドロップのガチャポンを2回回してキュアムーンライトと集合を確保。とはいえムーンライトのうちに大手町で確保済みだし同日にキュアサンシャインも2個も確保。さらに大手町に出て回してキュアムーンライトが出た日には、いくら好きでもちょっと食傷とか思ってもう1度ひいたら待望のキュアブロッサムが出た。

 キャラクター的には優先順位が低いんだけれどこのボイスドロップに関してはちょっと欲しい度沸騰点。というのも喋る声が「わたし、堪忍袋の緒が切れました」で、こいつを例えば1000人が手に持って一斉に鳴らせば相当に可愛らしくも勇ましいシュプレヒコールになるんじゃなかろーか。例えばメトロポリタンを舞台に行われるマラソンの時に登場して来る王様に向かって1000人が「堪忍袋の緒が切れました」と叫ばせるとか、すればアピールになるかもしれないけれども逆に「きもー」と返されるかもしれないから悩ましい。でも口で言うより柔らかい抗議はできそうなんで是非に1000人に出して貰って一斉に鳴らす場なんてものを作ってもらいたいもの。7回回してようやくだからあるいはレアかもしれないけれど。

 秋葉原ではそういえば「BLACK LAGOON」のレヴィのフィギュアの002なんてものを買ったけれども前に買ったアミューズメント向けフィギュアの001のレヴィよりちょい黄色さが増しているのかそれとも違うのか。一緒に並んでいた003のグレーテルとペアにして使うみたいだからBARを突きつけられてちょい怒りが増したってことなのか。どっちにしたってアミューズメントの景品ではまずとれないんでこうして出回るのは有り難い。たしか次はロベルタだったっけ。その勢いでバラライカを出しシェンホアを出しくそ尼を出して雪緒ちゃんも出してついでにソーヤーなんかも出してもらえれば女子ほぼコンプリート。問題はグレーテルが本当に女の子かどうか分からないことだけど。フィギュアだけど覗いて見たって生えてるかどうか分からないんだよ。

 メディアワークス文庫から「19歳 −ナインティーン−」ってアンソロジーが出ていて何で19歳なんだろうってまず思ったけれどもティーンがよく読むライトノベルの上限をとりあえず高校生までとして、それから上の世代に向けてライトノベルの次に読むものとして提案したメディアワークス文庫として、そうした層に届く作品をってことで出入りの作家に声をかけ、作品を寄せてもらってアンソロジーを作ったってことなのか、どうなのか。でも橋本紡さんの「十九になるわたしたちへ」はこれから進路を決めようって高校生を一方に置き、かつて高校から大学へといって順風満帆に見えた男性が親の死去という事態に進路変更を余儀なくされ、教師となって一方の主人公を相手に説教をしているという対比を描いた内容で、現役の高校生あたりが読んで迷いを払い今を頑張るなり、どうせいっしょなんだからと諦めるなりする為に役立ちそうな内容。

 むしろライトノベル世代にこそ必要とされていそうだけれども、そういう当たり前の小説って日常的には読まれないからなあ。だからライトノベル世代がちょい背伸びして手を取るメディアワークス文庫び入れるってのは正しいのかも。内容的には描写を重ねて3人いる登場人物をそれぞれの角度から描いてみてあったりするところがテクニカル。そして浮かび上がってくる今をどう生き、未来をどう生きるのかを考えさせる内容も。なるほどこれが橋本紡か。っていうか新作はメディアワークスでは久しぶり? 「半分の月が昇る空」の完全版もほとんど書き直しみたいなものだったからそうでもないのか。他に柴村仁さん紅玉いづきさん入間人間さんに綾崎隼さんが寄稿。入間さんとかもう滅茶苦茶な書きっぷりだけれど面白いのかな。かな。


【12月16日】 もらったところで齋藤智裕さんの「KAGEROU」の最初の発行部数にも及ばない額面で、手取りはさらに下がる状況ではマイナスだった数字を埋めることすら能わず、冬にあってフトコロ暖まるはずのシーズンに身動きのとれないままこの年末を、引きこもって過ごすことになりそうな予感はおそらく的中率100%。ついでに言うなら忘年会に招かれない率99%で、クリスマスに誰かとあれこれするだろう率絶対零%。やっぱり今年も寂しい夜になるっぽい。

 敢えていうなら凛子か寧々さんか愛花ちゃんとのイブイブの邂逅があるかもしれないけれども、それだってメタレベルでは楽しめても、リアルレベルでは落胆と苦笑を誘うだけ。こうして過ぎ去った旧年から新年に入ったところで、新年会に招かれない率101%だったりする孤独な都会暮らしの中で、精一杯に自分を磨いて来年の年末くらいはクリスマスをどうにかしている率3%くらいにまで確率を上げたいものだが果たして。無理だって。

 スナイデルがつないでるとかいった駄洒落も発する気力もないまま、微睡みの中でインテルがFIFAクラブワールドカップで勝っているらしい様子をチラ見。スナイデルが名古屋人だったらスナイドルって名前になったかな、あるいは大阪人ならスナイデマンネンになったかも、でもそれってフィンランド人っぽいかもとか浮かんだしょうもない駄洒落ではとうてい「KAGEROU」には叶わないと、己がセンスの無さに絶望したけどそれ以前の身体的要望的経済的格差があり過ぎると思うと、絶望する資格すらないんだとかえってスッキリ。ぐっすりねむって朝を迎える。

 そして立ち寄った丸善の丸の内本店には他で品切れの「KAGEROU」がたくさん積み上げてあって難民の憩いの場になっていたかというとあんまり。まあ普通の会社では仕事が始まっている時間帯で丸の内に来る人もあんまりいなさそうだったんで、ひるどきとか夕刻に果たしてどうなったかを確認しておく必要があったかも。もっとも平積みといっても何面もとって山と積み上げるドン・キホーテな圧縮陳列は行ってないからそんなに余裕はないのかも。それでもやっぱりあったのは1刷。シールが張っていない2刷3刷4刷とかもやっぱり探して手に入れておくべきなのか。

 そんな「KAGEROU」について大森望さんが何か喋るってんで文化放送まで行って下の喫茶店でインターネットのラジオで「大竹まことのゴールデンラジオ」を」聞く。べっ、べつに出待ちしたんじゃないからねっ! って言い訳なんてせず別に同じ文化放送にある会場でアニソンイベントの発表会があったんで、その待機がてら聞いてただけなんだけれど登場した大森さんの話はおおむね発売されたばかりの「週刊新潮」で見聞きしているんで、評価については驚く部分はとくになし。例え方としてダメなんだけれど好感が持てて作者が好きになるような作品というのは言い得て妙だし、シリアスに自殺の問題を描きながらも齋藤智裕さんが大所からご高説を垂れるんじゃなく、身体の価値について卑俗に語って「お笑いにしている」ところが良いんじゃないかと大森さん。「そこは誉めてあげるべき。駄目だけど笑っちゃう」。当人がそれを意図したのかはともかくとして、広まるきっかけにはなるんじゃなかろーか。

 一方のトヨザキ社長は荒川啓強さんの番組で「KAGEROU」について苦言諫言。「比喩が陳腐。村上春樹の比喩は上手。比喩があれば小説っぽくなると思っている人が多い。確かに比喩は異化効果を招く。物としての新鮮さを呼ぶ。けれども、手垢まみれの比喩だと、かえって稚拙さが浮かぶ。幼稚だと思われる。そんな新人が陥りがちなところが出ている」といったことをトヨザキ社長。ひとつの小説として見る見方としては実に真正面からとらえてる。「人物造形が薄い。類型を遣うことは良いけれど、素晴らしいエンターテイメント作家は物語の中で素晴らしい人物造形を行う」とも。

 新人だから、といったエクスキューズを付けることも可能だろうけどそこに依らず、大森さんが「巧い下手と面白い面白くないというのは別。ポプラ社は何10万人にも届く小説を選んだ」といった言い方で選んだ側の立場を斟酌したようなスタンスも特にとらずに、純粋に1本の小説として斬り結ぼうとしているところに人柄が出ている。ただ映像化すると、監督と役者が肉付けするから良くなるかも知れないといった意見には疑問符。だってあれだよ。あれするんだよ。あれを映像化するといったいどう見えるのか。見てみたい気もするけれども見たらすごい気もする。まあそうなったらなったで柳下毅一郎さんの出番だから、そっちに評価をゆだねよう。案外に凄くなったりして。

 文化放送の上にあるホールでアニメロライブが2月に上海で開かれるって会見を聞いて、行ってみたいけれども値段も張るし悩ましいと思いつつ3月にはかのロッキング・オンまでもがアニソンのライブに参入するって話にロッキング・オンが大好きなジブリのアニソンばっかりかかったりしたらヤだなあとか思いつつ新宿に回って不足していたポーク玉子定食成分を補完してバルト9へと向かってアニマックスが来年1月から放送するマーベル原作のアニメーション「ウルヴァリン」を見て小山力也さんの声は相変わらず格好良いなあと声フェチ的に納得しつつお話はいつの時代のどこの国のお話ですか的想像力を刺激されつつそういああアニメ版「アイアンマン」もそんな感じだったなあと思い出しつつ年末に賑わう新宿を後にする。冬来たりなば春遠からじ。


【12月15日】 いつかはどこかが達成するとは思っていたけど、まさかアフリカ代表のマゼンベが、南米チームを相手にやってのけるとは思わなかった「FIFAクラブワールドカップ」。あれで欧州のチームはときどき不思議な負け方をするものだけれど、南米チームは負けるにしても最後まで全力で立ち向かうから相手にとってはなかなか手強い。それがアフリカのチームを相手に1点も奪えず逆に2点を奪われ敗北。やっぱりあの座ったままで飛び跳ねるゴールキーパーの魔術にひっかかってしまったのだろうか。惑わされるもんなあ。あのダンス。

 朝からワイドショーをあっちに回し、こっちに回しながら水嶋ヒロならぬ齋藤智裕さんの小説「KAGEROU」(ポプラ社)についての報道を見て誰がコメントしているかを確認していたら、多分日本テレビの「スッキリ!」と、多分TBSの「朝ズバッ!」の両方でほぼ同じ時間に大森望さんが登場して、おおむねウェブの方に出しているのと同じコメントを出していたけどTBSの方ではコーナー前のCM入り直前にチラリと見せるディーザーみたない部分で、賞のレベルにどうとかいった言葉がチラリと出ていたのが妙に耳に残る。CM開けもそれで行くかとおもったら普通に誉めてるかそうでないのか曖昧な大森さん流コメントが。その当たり、ワイドショーもワイドショーで優しさを持った場所なんだなあ。とか。

 でもって近所にあるときわ書房船橋本店に行ったら店頭にポスターが貼られてなかなかにゴージャス。でも中は山積みではなく平積みの2面くらいで誰かが群がっている風もなく、買っていく人の姿も見えず。電車に乗っても同様に別に読んでいる人はない。誰もが読んでいる「週刊少年ジャンプ」ほどには売れてないってことなのか。とはいえ大手町にある紀伊国屋書店では初回の入荷分が完売。産業の中心であり金融の中心でありメディアも集う日本の中心地で「KAGEROU」が良く読まれていることが、これからの日本の経済や言論にどのような影響を与えるのか。そもそも「KAGEROU」を愛する日本の経済や原論とは如何なるものなのか。調べてみたいし、観察していきたいものである。

 いよいよな日だということで、もしかしたらあるいはという可能性なんかも鑑みつつ、例のあのとてつもなく素晴らしいなのはとフェイトのタペストリーが入れられている劇場版「リリカルなのは」のゲーマーズ特製ブルーレイボックスを買いに秋葉原へ。売れると分で作ったものの、山積みとなっているはかなさはあるものの、既に値下がりが始まっている「二ノ国」とは違って定価での販売はいっさい曲げない強行派。まあそれでもお布施だとブルーレイボックスを買い、まだ残っていたトートバックとかも貰って店を出る。タペストリーは持っていることに意義があると考え飾りはしないでおこう。既にはんに……じゃない田村ゆかりさんのタペストリーが枕元で微笑んでくれているし。にか。

 店を出て入り口でまだやってた「涼宮ハルヒの憂鬱」の一番くじを2回。前日に4回引いてキュンキャラ2つにキーホルダーにみくるちゃんグッズをもらってはいたものの、デカいフィギュアはまだ出ず悲しい思いをしていたから、どうにか出ないかと引いたらラッキー、サンタの格好をした朝比奈みくるのデカいフィギュアを見事にゲットした。本当はハルヒが欲しかったんだけれど仕方がないし、みくるちゃんでも十分に嬉しいから良しとしよう。でもまだ売っているから頑張ろう。もうひとつはキュンキャラでこれで3つ。開くと浴衣のみくるちゃんで、浴衣のハルヒに水着のみくるをすでに持っていたからだぶりはなし。どっかの「俺妹」のスイングフィギュアで同じのが連続5回とか出たのとは大違いだ。とりあえず長門がまだ出てないんで頑張って引こう、あと5回くらい。

 何が恐ろしいって日本ペンクラブを筆頭に、東京弁護士会やら出版界の偉い人やら有名な漫画家やら法律家やらがこぞって反対の意見を表明し、出版社がこぞってその問題点を指摘し、なおかつ日本国総理までもが懸念を表明した事案がたいした検討期間もなしに採決され、可決されてしまうというこの国の、というか東京都という自治体の不思議さ恐ろしさ。言っている主体は副知事様が言う様なデマゴーグではありえず、もしもそれらをデマゴーグと斬って捨てるならば一方で作家として立脚している副知事様は、そんなデマゴーグからデマゴギーを出している1人って矛盾すら生まれるけれども、そういうことも含めて矛盾も混乱も包んで捨てて、青少年健全育成条例の改正案が15日午後、東京都議会によって可決された。

 なるほど個々に頑張って止めようとした人がいたことは認めるけれども、総体として党がその条例案の可決に賛成したことには変わりなく、将来においてこの街が、この国が変質を遂げるなり漫画が、アニメーションが衰退していった場合に彼らは、彼女たちは、そうした変質衰退を招いた張本人として、長く歴史に刻まれることになるだろう。それくらい重たい決断をしたんだということを、集団の中でも頑張ったなどという言い訳で逃げるようなことはしないで欲しいし、させるつもりもない。それが辛いならば、これからの時間も留まらず、内部にあってひっくり返す努力というものを見せて欲しいとただ願う。決断できる立場にいたのはあなた達だけ。そして決断したのもあなた達なのだから。選んだのは……都民じゃないんだ僕。

 さてもいったいどうなっていると、帰りがけにときわ書房船橋本店を除いたら「KAGEROU」が売り切れで近日入荷予約受付中になっていたよ吃驚だ。1日も経てばそれなりに情報も出回って沈静化するんじゃないのって見ていた人もいるかもしれないけれど、大多数にとってネットでの評判なんていうものは対岸のさらに奥地の線香花火、気にするまでもない些事で、むしろテレビやら新聞やらの報道でもって存在を知り興味を抱いて手を伸ばしてみようと思うみたい。そんな人たちが帰りがけに買っていった結果が紀伊国屋書店の品切れでありときわ書房の品切れ。そして煽られた渇望感がさらなる読者を積んでミリオンダブるミリオンへと押し上げる。村上春樹さんの「1Q84」の時を上回る初速っぷり。あるいは世紀の1冊が、今から生まれようとしているのかもしれない。


【12月14日】 無双の剣士の師匠がひょうきん過ぎて笑った「無限のリンケージ5」(GA文庫)は奴隷にされた国民を救い出すため競技バトルの世界に身を投じた騎士とお姫様が、仲間を得て頂点へと上り詰めて敵らしき存在を倒して国民をその手に取り戻すというクライマックスを描いて完結。さまざまな機能を発揮するリングを開発する超天才の天才ぶりって奴もいかんなく発揮されてて、傍目にはとにかく嫌な奴ぽいけど認めた相手にはとことん親身だし、まだ認めていない相手にも暴言の中に叱咤を込める優しさめいたものがあって妙に好感を抱く。でも実際に会ったら嫌な奴なんだろうなあブリュックナー。

 我らが朴念仁のラーベルトもお姫様の暴虐に諫言をしてひっくり返して正々堂々のバトルを見せてミウラちゃんを退け、親ばかディナス・バーギャンもうち倒してのナンバーワン。そしてけれども戦いはまだ続いたりしてこれから先だって続編を描いて行けそうだけれど、50万人の国民救出というシリアスな設定をなくしてしまって単なる戦いの物語にしてしまってはやっぱりトーンが下がってしまうから仕方がない。朴念仁なラーベルトの戦いではない恋路の方も気になるけれども、まあそっちはそっちで収まるところに収まったんだろう。それにしても恐ろしいなあディナス・バーギャン。もとい仮面の戦士バナイス・ディーギャン。その執念にはたとえ騎士として覚醒したラーベルトでもやっぱりかなわない。

 いわずとしれた「這いよれ! ニャル子さん」で一世を風靡し一斉に痛罵され遂にアニメ化なんて栄光の座に辿りついた逢空万太さんが息抜きかそれともさらなる収入を狙ってか書き表した「深山さんちのベルテイン」(GA文庫)がとてつもなく興味深そうな話だったのでこれは絶対に売れると確信。そして是非のアニメーションかを誓願。その名もコタローって少年が暮らす家は、母親が類い希なる科学者らしく乞われて今は海外に赴任中。しばらく開ける家に置いておく息子のコタローの世話をさせる目的で、類い希なる科学の力を使って1台ロボットを置いていった。それがベルテイン。そしてコタローはロボットのベルテインにことある事に迫られる羽目となる。

 なぜなら、コタローは女の子になりたい男の子という奴で、そして見た目もとてつもなく可愛らしくって、隣に住んでいる幼なじみの少女からも嫉妬を浴びるくらいになってしまっている。同じく幼なじみの少年を始め、周囲からはそうした性向をちゃんと認められて、高校にも女の子の服で学校に通っているけれど、幼なじみの少女と同様、母親もそんなコタローを認めていないらしく、少年として男の子として目覚めるようにと、よこしたのがベルテインだった。とはいえベルテインは普段は小さい人形のような姿で、かいがいしくコタローの身の回りの世話を焼き、自分がレンコン好きだからとレンコン中心の料理を作り、幼なじみの女の子の家で飼われている犬をお供に散歩したり、コタローの学校にお弁当を届けたりしている。

 ところが、ある程度家事をこなしてエネルギーが貯まったかどうかすると、変身して人間と同じ見た目のサイズと質感を持った美少女となって、コタローに夜の伽をしようと迫る。もちろんそれにも耐えてコタローは、自分の女の子になりたい気持ちを貫こうとする。一人称も僕ではなくわたし。そこのところが見た目ばかりが女の子だけど中身は普通という男の娘ブームとは一線を画して、複雑な人間の心理のひとつの形ともいえる状態を、内面からちゃんと描いてあって身を糺される。そういう意味ではシリアスなんだけれども、ベルテインのちょこちょことしたかわいらしさや、番長的な立場で挑んでは撃退され迫ってはほほえみ返され敗北続きの先輩ほかキャラクターの強さがあって、楽しみながら複雑な人間心理へと迫っていける。とっても意義深い物語。こういうのも書けたんだなあ。

 例のあれが届いているっぽかったんで引き返して回収して早速読んでなるほど。とりあえず年末年始の忘年会や新年会では、胸にハンドルをつけてぐるぐると回しながら少女に告白する芸が流行するかもなあ、とか思ったりもしたけれども、そいうした妙に不思議なビジョンすらも含めてぎこちない表現が続くなかに、無駄に失われることがなく、誰かに繋がれていく命の大切さって奴をのぞかせているところがあるいは人の共感を誘い、高見からではなく同じ高さからのメッセージとなって、多くを動かすことになるのかもしれない。ならないかもしれない。どっちなんだ。

 物語の構造としてはとても単純で人が迷いから覚悟を得て再生し、そして幸福に向かうというストーリー。とはいえ「東京上空いらっしゃいませ」とか「椿山課長の七日間」とか「カラフル」といった、レベルという面でのファンタジックさ漂う先行作とは違って一応、リアルに足を着ける中で可能性としてのファンタジーを描いている。そこからにじむ優しさ、心地よさに感じ入るところがあったなら、当事者だったら今を嘆かず、そうでないなら周囲に理解を向け、優しさを振りまいて救い導き、未来のために何かをつないでいこう。なんてね。


【12月13日】 東京ミネラルショーに行った途中に、池袋サンシャインシティの地下にあるMETHODってファッションショップで見かけた火拳のエースのスカジャンが、滅茶苦茶に格好良かったけれども、燃える炎を現したように袖が赤い奴は人気で、どんどんと売り切れてしまった模様。白のも上々の滑り出しだったみたいで、今更ながらに火拳人気のすごさって奴に感じ入る。彼がいたからこそマリンフォードのラストバトルはあれだけ盛りあがって、初版300万部とかって驚異の数字を叩き出すに至ったんだろうなあ。それが今では……。いやまだ単行本は出てないけれども、海底深くで軟体動物相手にバトルじゃ盛りあがらなくっても仕方ないよなあ。

 そんなスカジャンは次にルフィとエースとそれからこれはシャンクスか? 3人衆が背中で踊っている奴と、それから我らがナミさまが、艶めかしくも麗しい姿で立った絵柄の奴が出る様子。本当はニコ・ロビンやボア・ハンコックのが欲しいんだけれど、やっぱりメインヒロインはナミってことになるんだろう。仕方がない。そんな姐さんが背中に踊った鯔背なスカジャンを来て、町を闊歩してえもんだぜよ。どこの方言だ。でも本当にデザイン的に格好良いのは「NARUTO」をモチーフにした、風神雷神のスカジャンなんだけど。伝統と近代の融合。外国人には絶対大受け、なんだけどなあ。

 マンティコールのヨウ・マリノは妹思いだし、おとな銀行頭取のワタナベ・カナコは平和を愛し、夫の子たちを愛する博愛主義者。つまりは良い人ばかりな綺羅星十字団の計画を、理由も尋ねずただ邪魔をするツナシ・タクトってもしかして悪い奴? でもってそんなタクトを上から目線で助けたりするシンドウ・スガタも、やっぱり平和を愛さない悪い奴? って感じに関係性が揺らいできた観がある「STAR DRIVER 輝きのタクト」最新エピソード。結局のことろ綺羅星十字団が何を目論んでいて、その結果何が起こるのかってところを明示せず、ただ胡散くさげな風体と言動だけを鏤めているから未だにつかみ所を持てないまま、そろそろ飽き始めたファンが、見放しかけているって分水嶺にあるのかな、今は。

 日死の巫女とやらが歌う歌も、前の気多の巫女みたいな深遠さとは無縁のポップ調。それでもサビの部分で背筋がゾクッとするところが、物語における歌の意味性って奴をしっかりここまで刷り込まれている現れだったりしそうだし、その歌もあれで割に心に響く旋律が使われていたりするから、流石クリエーター、ちゃんと考えているってものらしい。とはいえやっぱり観てない今後の展開。ひたすらにサイバディを潰しバッヂを返してそして誰も乗らなくなったじゃあ話が続かない。このあたりで目的を明示し、ステップを明らかにしてそれをどうこなすのか、そこでタクトたちがどう立ちはだかるのかってところを示してもらえれば、次はそうなるって興味を抱きやすいんだけれど。さてはて。

 前に見たのは日本でも希有な試みで、あまりに希有すぎて1度の開催でなくなってしまったアダルトグッズの専門イベントに招かれ、アダルトフィギュアの開発に関連して一家言を呈していた姿を見た時で、テレビに出ている姿そのままに長髪を靡かせ、サングラスをかけてつかみどころのない言葉を発して世間を煙に巻いていたみうらじゅんさんが、今度は間近も1メートル以内のところから見られそうとあって出かけた月島カフェ。イマジカって現像所の親玉がやってるCSチャンネルで、みうらさんが料理番組を持っているってことらしく、その2ndシーズンが始まるんで制作発表をかねた取材があったんで、行ったらたくさん人がいた。こんなに人気者だったんだみうらじゅんさん。

 料理なんてしたことのないおっさんが、勢いでもってあらゆる料理を味見もしないで作り上げ、そして自らは食べずゲストに食べさせるという、内容の面でも画期的すぎる料理番組。豚カツをつくれば塩をふりすぎ、しょっぱい豚カツができあがってしまうんだけれど、不思議と大失敗はなくちゃんとそれなりのものを作り上げ、田口トモロヲさんや山田五郎さんやスチャダラパーや高見澤俊彦さんといった面々を、それなりに満足させてしまうところがみうらじゅんさんの面白さ。人柄もあるんだどうけれど、やっぱり軽妙にして洒脱なところが味にも反映されるんだろうなあ。お手製のイカのショウガ焼きは食べられなかったから、本当に美味しいかは知らない。

 死ぬ前に食べたい料理はと聞かれて、イカのショウガ焼きと応えるところにある種のこだわりが見えたみうらじゅんさん。やっぱり出た海老蔵さんにどんな料理を作ってあげたいかって問いにも、海老料理とはいわずにしっかりイカのショウガ焼きと応えるところが反射神経の良さって言うか、面白さの権化というか。1人で家でオムライスを作った時に、どうしてチキンライスの部分と卵焼きの部分を会わせる必要があるんだろう? 的な深淵に迫る疑問を発したあたりも流石というか。別々に食べたって胃袋に入ればいっしょだもんなあ。でも作り上げるまでが料理であり、卵焼きでくるまれてことのオムライスだから仕方がない。それに家で1人でだって卵をさくっと割ってチキンライスを食べるのも、決して悪くはないから別に良いのだ。寂しいけれどそれでも良いのだ。

 決まったわけではないとはいえ、決まりかけてしまっている状況において次に到来が想像されるのが、規制などまかりならぬと出版社が東京都に向かって振り上げた拳が、角度をかえて規制の枠組みを超えることまかりならぬとクリエーター側に向かってふりおろされるだろう事態。商業として活動している以上は、例え出しても売り場を制限されて大きく展開できず、売り上げを得られないようなものを作ることは歓迎できない、それなら売れる範囲のものにして欲しいと言って、あれやこれやと制約を付けてくるのも、ある種の必然だと言える。出版は言論であって闘争でもあって一緒になって戦って、頑固な規制などフンサイだと叫んで突っ走る人が生まれ得ない訳ではないけれど、そうやって戦ったところですぐに事態がひっくり返る訳ではないなら、目先の果実をもぎに行きたくなるのも人情、仕方がない。

 仕方がないんだけれどもそこはそれ、やっぱり戦っていって欲しいというのがある種の願いで、最初は七面倒くさいこともあるんだろうけど、多くがいっせいに壁に打ち当たっていけば、いかな強固な壁とていつまでも耐えられるものではない。憲法というものを見ながら戦って勝てる戦いを繰り広げることによって、最終的に得られる果実の大きさを、噛みしめたいという思いもあってこれも当然。そこに出版社が向かっていけるよう、ユーザーは本を買い、悪事に荷担している奴らだと悪評をまくプロパガンダに乗らず、戦いに関わる者たちを心で支えていく覚悟を持つのが、ひとつの道でもあるんだろー。でもそこで出版社が日和見したら? それもまた商売として認め許しつつ、戦う著者を応援するだけだとここは理解しておこー。できるところができることをやる。その積み重ねだけが何かを成し遂げる。


【12月12日】 何の日という訳でもない。とりあえずオリアナさんがエロ過ぎ。上条当麻に殴り飛ばされ地べたに仰向けに倒れた場面とか、羽織っただけのジャケットに前のファスナーを下げたパンツのどこからも、アンダーウェアがのぞいていないってところにオリアナさんの主義めいたものを感じてみたけど、もしかしたらアンダーウェアは見せていけない規制なんてものがかかっているのを逆手に取って、だったら着せなきゃいいんだって判断からああいった絵になってしまっていたりするのか。なるほど見えてない。そしてアンダーウェア以上にキケンなパーツも見せてない。それでいてあのエロさ。真夜中の目が覚醒する。

 でもって「ミルキィホームズ」はシリアス展開。途中にギャグっぽい表情は挟まっても基本シリアスにミルキィホームズたちの能力がまるで発揮されないままアルセーヌ様をいらだたせまくり、G4の小衣ちゃんまで危ない目に会わせながらもまた今度といった雰囲気で屋根裏部屋に帰ろうとしたら、生徒会長が現れ部屋を爆破し退学の通告をミルキィホームズたちにたたきつける。もういられない。そして迷った路頭でいったいどんな暮らしを送るのか。ギャグだのパロディだのといった撒き餌で引きつけたファンに意外と心理描写も描けるぞってところを見せつつ、基本は多分シリアスなゲームへと引きずり込んで楽しませる戦略か。それともやっぱりギャグ満載か。残る展開に注目。

 泥のようにねむって起きて池袋へと向かい「バトルスピリッツ」とやらのイベントを見物にいったら人人人の波。イベントなんかがある会場へと入るための行列なんてものまで出来ていたのには驚いたけれどいつに間にそんな人気が出たのやら。子ども向けのトレーディングカードゲームといったらやっぱり「遊戯王デュエルモンスターズ」が先行で、これを引き取ってタカラトミーがマジック:ザ・ギャザリングのウィザーズ・オブ・コーストと組んで作っている「デュエルマスタスターズ」が1番人気になっていたって記憶があったけれどもそんな隙間にしっかりと、バンダイの「バトスピ」が割って入っていたってことなのか。カードダスとか販売経路が多彩なのが買ってる理由? それともアニメーション化のお陰? 要研究。

 ついでだからと東京ミネラルショーによったけれどもミネラル麦茶は売ってなかった当然だ。いわゆる貴石化石鉱物その他を持ち寄り販売するイベントで、入ると水晶にアメジストに翡翠の諸々といった石があったりアンモナイトや恐竜の化石があったりと、その筋が大好きな人にはたまらないイベントになっていたけどそれらがただの石っころに見えてしまう人にはどうしてそんなに人が群がっているのか、分からないに違いない。それくらいに趣味っていろいろあるもので、漫画に興味がない人が観たらコミックマーケットも、そして世間で起こっている騒動もまるで無縁に思えてしまうんだろうなあ。それが身近なものだと接続させる手法なり、身近でなくてもいずれ身近になるかもしれない可能性への想像力を、喚起させるしかないのだろう。それが教育って奴なんだけれど。

 会場を歩いていたらたぶん漫画評論の人がいたっぽいけど外れたら恥ずかしいので遠巻きに眺めつつ1つフロアを上がって散策していたら例の透明標本が出ていた。化石宝石の中に標本。でも考えてみればアンモナイトや三葉虫だって一種の標本、それが石に入っているってものであって透明標本はかわりに何か液体の中に使っているんだと考えれば、一緒に出ていたって不思議はない、と思うけれどもやっぱり生ものは珍しい。でも人は大ぜい。聞くともう3回目だそうでそれなりに知られ親しまれ認められているってことなんだろう。

 というか、模型の集まりのワンダーフェスティバルにいて、オシャレが集うデザインフェスタにいて、化石貴石のミネラルショーにいてと、どこにいても不思議なんだけれどもどこにいても不思議じゃないという、そんな不思議さいっぱいの透明標本。それがつまり、新しさって奴なんだろうなあ。ジャンルにとらわれないという。そんな透明標本で、看板のタツノオトシゴが10万円もしたのにはちょっと驚き。昔はもうちょい安かったんだけど。人気なのは値が上がるのか。昔買っておけばそれなりな値段で売れたかなあ。売らないけど。これだけブームになってくると、いつか誰か人体を透明標本にするようなミステリーとか描きそう。気にしていよう。

 劇場版「BLEACH 地獄篇」を観た幕張へとまた出向いて今日は「マジック:ザ・ギャザリング」の世界大会を見物。日本人に見えてアジアからの観客とかってそれだけ世界的になって来ているってことなんだろうなあ。中国が本気でやり始めればカードの売り上げも10倍とかにすぐいってしまいそうだし。問題はコピーが出回ることだろうけど、コピーじゃ大会に出られないから一種のステータスとして本物が売れて本物が遊ばれるようになっていく可能性も。つまりはそんなプレミアム感が、今の中国で商売をする上で大事ってことなのかも。とはいえアニメみたいな映像だと、観られりゃそれで良いってことになってしまうからパッケージは売りづらいかもなあ。難しい。

 そういや「BLEACH」の劇場版の前に観た予告編で「相棒」の劇場版第2弾が紹介されていたけれど、やたらとハードでデカい話にになってて一体そもそも「相棒」って、そんなにデカい話だったのかと驚く。だって警察上層部を狙ったテロに立ち向かうんだぜ。そんなのただの刑事の出る幕じゃない。けど出ていって頑張って叫んでた。あの冷静沈着な水谷豊さん演じる刑事が叫ぶくらいだから余程重大事なんだろう。それでテレビの人は満足なのか。違うのか。うーん。ちょっと観てみたくなったけれども今さら感があるしなあ。劇場版だけでも観てくるか。


【12月11日】 そうかC.C.Lemonの音響は、1階の隅っこに限らず全体に歌声が聞きづらい状態にあったのか。Kalafinaライブ。もともとが東京オリンピックの重量挙げの会場として作られたというか、それがこけら落としだった会場でやっぱり、音楽ってのも難しいものがあるのかなあ。ロックの殿堂とかになったと言われたってロックだから歌声を聞くというよりサウンドを全身で浴びるのがメイン。だから爆音とどろかせて雰囲気を盛り上げれば歌声なんて消し飛んでいても問題ない、ってことなのか。それともやっぱり単にサウンドプロデュースの問題か。2日目はどーだったんだろうか。2日目もhikaruの髪の毛は落っこちたんだろうか。

 そんなKalafinaのライブでは、「Sprinter」が演じられて聞くと「空の境界 第5章 矛盾螺旋」がまた観たくなった。激しく捻転する時間軸の中から何が起こっているのかをつかんでいく醍醐味。そして、ようやく理解した上で魔術師とのラストバトルへと突入し、そこで繰り広げられる激しいアクションに目を見開いてからすべてが終わった後に流れるあの、激しい内容を思い出させてくれるようなサウンドに浸って内容を振り返るのが好きなんだ。25日から池袋のテアトルダイヤで一挙上映があるから行って観てくるか、ってDVD全部持っているからいつでも観られるだけれど、寝っ転がって家で観るのと、暗闇で集中して観るのとでは、やっぱり余韻が違うんだ。そういうものだよ映画って。とはいえ時間はあっても心と財布に余裕がなあ。この円高状態でも年収が10万ドルに届かないんじゃなあ。不惑も厄年もとっくに過ぎているっていうのに。参ったなあ。

 それでも何かやっぱり得ておきたいと、劇場版「BLEACH 地獄篇」をシネプレックス幕張まで見に行って入場時に限定エピソード入りの小冊子をもらって読んだら、前にジャンプに載ってた奴だった。まあそんなものだ。そして観た映画の見どころはやっぱりルキアか。地獄でぐっちゃんぐっちゃんにされてから没してはい上がって来た時に見せてくれた、珠のような肌とか柔らかそうな体表のラインとかがとっても見目麗しかった。一瞬で消えてしまったけれど。っていうか、つまりあそこまで行く過程でルキアはやっぱり逝っちゃってるってことだよなあ。一瞬でそうなるにしてもやっぱりそれなりな苦痛もあったりした訳で、それを観る人に感じさせないで逝ってまだ戻ってきて、さらに平生へと戻されてしまったりする展開に地獄って案外にチョロいんじゃない? って思わせたりしないかとちょっと心配。恋次も石田も、自分たちが吊され骨に皮みたいな状況にされていたのを振り返って怯えていた風もないし。

 遊子の胸から生えてた鎖のその後とか、よく理由も分からない展開もあったけれどもそれはおそらくは地獄をも統べる王として、黒崎一護が認められたってことの現れなのかも。何しろ「その者、黄金の仮面を被りて、クシャナーダの野に降り立つべし」だもんなあ、まるで王蟲を統べるナウシカ状態。そんな一護の特殊性について、単に一心の子だからといった理由以上の何かが潜んでいて、それがウェコムンドでのウルキオラ戦での大暴走を生み、且つそれが原因で引きずり込まれた地獄での戦いでも獄卒たちを従え君臨するような立場に押し上げたんだと思うんだけれど、それが語られる時は果たして来るんだろうか。来ても5年後とか10年後? その時まで「週刊少年ジャンプ」ってあるのかなあ。

 だってもはや性描写とか以前に反社会的だの反法規的だの暴力的だの扇情的だといった、曖昧模糊とした理由でもって漫画が子ども向けに売られなくなってしまう状況がすぐそこに来てしまいそうな訳で、そうなった時に海軍相手に海賊が徒党を組んで突っ込み、刑罰を受けようとしている人間を救い出そうだなんて反社会的も甚だしい漫画が載っている「週刊少年ジャンプ」が、普通に売られることなんてもはやあり得るはずもない。だからといって手を入れれば面白さは減じて売れなくなってしまう。どっちしにたって10年後はない訳で、だから集英社も含めた出版社が声を挙げ、どうにかしたいと言い出すってのも当然の流れなのかもしれない。

 ただ、それが都のやってる事業にダメージを与えるだけの限定的な効果しか生まないって可能性があるのがちょっぴり悩ましいところ。一時の体面はつぶせたとしても、その場において事業を予定していたアニメーション制作会社なり、アニメクリエーターなりの糊口をふさいでしまうといった影響ももたらす。その分を別にカバーするような機会をちゃんとそれぞれに作れれば良いんだけれど、個々にそれも入場者限定で行うようなイベントばかりになっては、広い場所で新たな出合いを生むような効果は得られず、勢い蛸壺化からシュリンクへと進んでしまう可能性もないでもない。平場でそろって見せる意義、ってのは確実にあった訳でそれを憎い相手のショバだからと、けっ飛ばしてしまうってのもどこか淋しい話。うまい解決策はないものかと探っているけどなかなか見えないなあ。「東京キャラクターショー」ってのをまた復活してもらうかなあ。ただし、その時にはお前は八つ裂きになっているだろうがな。

 って決めぜりふももう聴けなくなるのかと、「刀語」第十二夜なんかを観つつ思う冬の煎餅布団。撃たれてあんなに血が出ているのに、とがめが事切れるまでが長すぎるとか、現れた家鳴将軍家御側人十一人衆が、ことごとく雑魚だったとかいったテンポの配分の歪みなんかも含めて面白い作られ方。一気呵成に加速していく感じもあって、更けていく夜に目を覚まさせる効果はあったかも。ずっと主役を張ってきたはずの田村ゆかりさんが、あの場で退場となってそして最後にしゃしゃりでてきたのが否定姫の戸松遥さんだってところに何だろう、前代から現代へのヒロインの禅譲が行われたと観るべきか、それとも手の届かない高みへとゆかり姫が駆け上がったと観るべきか。いずれにしても今際のゆかり姫の声の演技は素晴らしかった。あとボンクラに見えて感情を露わにし感情を殺して城に乗り込みそしてボンクラに回帰していく鑢七花役の細谷佳正さんも。見どころと同時に聞き所の多い作品。BDが出そろったらまた見返してそうした変遷も確認し直そう。ただし、その時に俺は八つ裂きになっているだろうがな。


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