縮刷版2010年月中旬号


【1月20日】 チチ眼鏡とデコ眼鏡のどちらがよりビジュアルとして強力かって考えてみてやっぱりチチ眼鏡だろうって迫る弾力の凄まじさを思って納得しかかってみたものの、「BLACK LAGOON」の最新エピソードに登場してはイエローフラッグの前でひったくりにあってひっくり返っているスレンダーなデコ眼鏡のどことなくキュートな様を見てしまうとこっちもこっちで捨てがたいって思えて迷ったり悩んだり。ひったくられた衝撃で負ったデコの傷に絆創膏をはった表情がまた良いんだよ。

 とはいえ久々の登場と相成った偽札ガールのジェーンの前に張り出し後ろにつきだしたボディの迫力はやっぱり凄まじく、その上にベニーを相手に見せる媚び媚びな仕草言動の艶めかしさもとてつもなくって、見ているだけで世界がピンク色に染まって来たけどここから先に一波乱が起こりそうなんで、ピンクが真っ赤に染まる心配もしておいた方がよさそう。それにしえも1カケラもレヴィが出ていないってのはどういう了見だ。それでも「BLACK LAGOON」なのか。まあ前のエピソードの途中から存在感、薄れまくっていたもんなあ。このまま出なかったりしたらそれはそれですごいよなあ。

でもって「ヨルムンガンド」はチェキータさん大活躍だけど敵の黒坂ってのもチェキータさんがいなければ確実に兄貴を殺っていただろうから腕前としてはなかなか。武器をふるった時の姿なんてもう全身にパワーがみなぎっていたからなあ、ってそれは高橋慶太郎さんの描きっぷりのおかげか。黒坂の猫っ顔が妙に可愛い。その顔に容赦なく脚の裏で蹴りを入れるチェキータさんも麗しい。倒れたところに即座に拳銃打ち込む判断力の凄まじいばかりの早さ的確さにも感動。そんなチェキータさんがいる場所に黒坂はともかくあとは普通っぽい戦闘員しか送り込まないのは相手をなめているからなのか、それとも他に狙いがあるからなのか。ココの方に戦力を集め過ぎていたからなのか。だとしたらココも大変そう。誰か死ぬかな。大丈夫だろうなあ、誰1人とったって半端ないチームだし。

 なるほどク・フィーユはあれでたったの7歳でそれまではカプセルか何かの中で培養されていたってことらしいけどそれでも年齢では7歳ってことはやっぱりすっぽんぽんとかなったらイケナイ法律にひっかかってしまうんだろうかそれとも見た目が優先されるんだろうか。20歳過ぎてたって見た目がアレならダメって言いがかりも出ていたりする以上はその逆も真なりって思えなくもないけれど、感情によっていろいろと操作できそうな見た目とは違って確たる年齢って基準があってそれにひっかかっている以上はやっぱりダメなんだろうなあ、残念、ってそういう描写はまるでないんだけれど「キディ・ガーランド」。

 アスクールの過去も明らかになってどうやら普通ではなさそうで、来週は敵の親玉なんかとも因縁がありそーなところを見せてて話としては何か面白くなって来たけど、1クールが過ぎて1ヶ月が経っての加速ってのもなかなかに贅沢な作りをしているよなあ。動きは相変わらず最高レベルなところが何というか感慨深いというか。とはいえ残りの話数も少なくなって来るなかでこれからぶわっと風呂敷を広げてそして畳み直せるのかって心配も浮かぶ。敵にうごめく能力者を倒すのだって一苦労なのに。でもって話の帰結をノーブルズの復活阻止へと持っていくための段取りもそんなに見えていないのに。どうまとめあげるのかって外野的興味も刺激しながら残りを見守っていこう。チョコ爆弾って分子手錠にもなったんだ。

 80日もあれば今だといったい世界を何周できるのかって考え、80日で世界を一周する話がSFとして存在し得た時代があったと思うと技術の進歩のすごさって奴を大いに感じさせられるけれど、80時間で世界を移動するような話を描いたところでそれはパズルのような慌ただしさを覚えさせても、新しい発見とか道への好奇心を招くよーな話には絶対にならなかっただろうから、技術の進歩が物語の可能性を殺いでしまった可能性があるって言えば言えたりするのかも。なんてことを北沢大輔さんの新しいシリーズ「一天四海のマーガレット」(集英社スーパーダッシュ文庫)をめくりながら思ったり。

 借金まみれの貴族の青年が主人公の物語。年金はちゃんと出るんだから借金は返せなくても日々の暮らしに困窮することはないはずなのに、なぜか腹を空かせてうめいている主人公。法律の勉強をするために本とか買い込んで食べ物にまでお金が回らなかったみたいで、そのおかげで学校には合格できても日々の食事にも事欠き、祖父の代から残る借金も未だにまるで返せないでいたそんな矢先。家が爆発して地下から棺桶みたいなのが見つかって、そこに美少女が眠っていたのを見て驚いた。こりゃ誰だ。目覚めた少女はいくつかの作業を経て主人公を主人と認めてしまった模様。でもって2人して爆破犯だと疑われて収容された警察で、少女は特有の能力を発揮して少年を助け出し、警察に負われる身となってしまう。

 そこにさしのべられた手が、地下から発見された少女と関わりの深いパーツを集めてくれば犯歴も消すって組織の誘いかけ。法律の道に進みこちらはちゃんとした貴族の少女との仲を保ちたいと考えた主人公は言われたとおりに世界へと飛び出し少女のパーツを集めるたびに出る。パリとかインドとかって場所で起こるドタバタの愉快さもあるけれど、少女の正体がいったい何で集められたパーツは何のためののものなのか、ってあたりに興味が及ぶ。でもまずは1冊のみ。続くとしたらどこへと向かい何が起こってそして少女をどうしてしまうのか。待ち遠しいのでどんどん書こう。

 もうとてつもない大昔の「東京国際アニメフェア」でクリエーターが個人で出展できるコーナーにいたところを見かけたロマのフ比嘉さんがその後にいろいろと作品を作りプロフェッショナルなアニメにも関わってから立ち上げた会社が設立からほぼ2年を迎えたんでお祝いをするってことになって新宿3丁目のお祝い会場へと出かけていったら「機動戦士ガンダム」の会社の偉い人がいて、次はいっしょにやるのかなって伺ったらそうではないけど個人クリエーターが持つ力量ってものに興味があってやって来たらしい。放っておいても人材が集まりそうな大メジャーであっても新し息吹には敏感なところにこの先細罹感が漂う業界にあっていろいろ期待できそう。ライバルなアニプレックスとかも「センコロール」を取り上げ劇場公開とかしているから、老舗もうかうかしてられないって所もあったのかも。

 さらに「lain」を作った偉い人なんかも来ていて「lain」をカバーガールにしている身としては是非にひれ伏さねばとご挨拶。何でもブルーレイ化の作業を進めているそーで、あの乾いてクールな世界がクリアな映像でもって見られるよーになると思うと今から興奮で夜も眠れなくなっちゃいそう。勢いで「灰羽連盟」もお願いしたいところだけれどいろいろとクリアしなくちゃいけないこともあるっぽい。技術が進歩するってことは決して便利なだけじゃないのだ。でも見たいのでクリアしてやって下さいな。「ヘルシング」はあといったいどれくらい経てば完結するんだろうかってところにも興味。下北沢タウンホールでの衝撃的な絵コンテ撮上映からいったい何年? 記憶が薄れるくらいの長さを持ちこたえなおも続いて欲しいって期待を誘うタイトルを、作り続けるパワフルさに脱帽。その間に会社名がどれだけ変わってもちゃんと作り続けて来たことにも。


【1月19日】 やっぱり立つ見出しは「機動戦士ガンダム」のドズル・ザビでも「機動戦士Zガンダム」のバスク・オムでもなく「キン肉マン」のロビンマスクが圧倒的な感じの郷里大輔さんの訃報だけれども分からないのはやっぱりなぜ今に、ってところでそれなりの年齢に行った人に起こりやすい壮年性の鬱かあるいはもっと身近な厭世観が働いたのか、判断もつかないし多分永遠に明らかにはならないんだろう。それでももったいないという言葉を発して後に続く人なんて出ないように願いこれからの「ONEPIECE」でのジンベエの、声の変化を見守っていこう。本編はしかしすごいところまで来ているなあ。ルフィ対ガープ。適う分けないじゃん爺ちゃんに。どう打破させるんだろう。白ひげ対ガープか。それともここは麦わら海賊団の面々の再結集か。仲間のみんなでうち破ってこその「ONEPIECE」。そこをルフィとインペルダウンの面々でうち破ってはやっぱり拙いし面白くないからね。

 存在の醸し出す面白さと、見せるリアクションから感じられる楽しさがたぶん神髄なのだろう三島衛里子さんの「高校球児ザワさん」(講談社)は、高校の野球部に1人だけいる女子選手のザワさんこと戸澤を主役にした漫画なんだけれど、そこで戸澤が苦労しつつも頑張りを見せるストーリーだと、普通に「クロス・ゲーム」になってしまうところをこの漫画ではザワさんに、自らの思考とか感情とかを現せさせないで、その振る舞いを描き発する言葉を客観的にとらえるように描くことで、男子の中に混じっているザワさんという存在の不思議っぷりって奴を浮かび上がらせ、そうした存在が気になって仕方がない男の子とか一部の女の子たちの関心を誘っている。意図してやっているなら巧みな芸。そうでないななら天才的な作劇力。素晴らしい。

 バッティングセンターでのザワさんは、野球部の男子らしい人に混じってマネージャーっぽい雰囲気を醸し出して、店番をしている男共から「私を甲子園に連れてって」系の女だって感じの戯れ言を言われていたりして、そんなことを言う男共にいったいどれだけの信念があるんだって突っ込めば突っ込めるんだけれどそうしたことを思わせながらも話はいよいよザワさんが、グラブをはめて140キロと1番早いボールが来る打席に立って、バットをしっかり構えるそんな姿に男共はザワさんの野球に関する経験の深さを知って「ホームランだな」「ホームランっすね」と会話するという、その流れから女性が野球部という男社会の中でどう見られているかって状況を浮かび上がらせ、けれどもそんな境遇でザワさんという主人公が本気で野球に取り組んでいることを分からせる。

 そんな一方で用具の手入れから日々の練習からしっかりとやって、監督やコーチに認められて公式戦ではない試合につれていってもらえ、出してもらえることをやっかむ男子の選手の愚痴をつづり、そんな選手がクラスで用具の手入れはしっかりやっても脇の手入れは甘いんだって言葉を発したその瞬間に、ザワさんが目を見開き顔を赤らめ振り向く描写を入れることで、こと野球にかけては男女の差など無関係とばかりに取り組んでいても、決して女子を捨てているって訳ではなくってしっかりと恥じらいを感じているんだってことを示してみせる。スライディングパンツを履いて出かけた練習試合が終わったあと、更衣室で着替えのパンツを探して見つからないところを相手校の女子マネージャーから指摘され、顔を真っ赤にして謙遜してみせる姿にも、女子っぽさがにじんで見える。

 主張させず訴えさせない描写によって周囲からザワさんていう野球部にたったひとりの女子選手の存在が持つ意味って奴を感じさせ、それがどうして異質に感じられてしまうんだろうかっていった心情の源を考えさせるテクニカルさに溢れたストーリー作り、ネーム作りコンテ作りが光る漫画。体力にしても体つきにしても生理にしてもどうしようもない差異がある上に規則として出場の可否にも差が付けられている男子と女子の違いって奴を、あからさまではなくってそれとなく浮かび上がらせることに成功していて、なおかつそうした状況を真っ向否定するって訳ではなくって厳然とした事実として屹立させ、その上に何が可能で何が不可能でだからどうしたらいいんだろうかと思考させることにも成功しているすごい漫画。なるほどこれが「マンガ大賞2010」に輝いても不思議はないけれど、それでヒットしてドラマ化とかなったらきっとヒロインを演じる人は大変だろうなあ、主張できず意志を見せられず存在だけでその意味を見せつける演技。誰なら出来るだろう。誰ならぴったりハマるだろう。

 理事会とか通らなきゃ女の子たちを呼び込んでオートレースのレーサーに仕立て上げて走らせて人気を獲得するなんてプロジェクトは始められるはずもなく、始めた以上はその効果を確実なものとするために一枚岩となってレーサーの育成に努めPRにも邁進し、不満を抱く選手たちにも自重を促してどうにか話をまとめあげるってのが普通に思える事の推移なんだけれども、色川地球王さんって人のトクマ・ノベルズEdge新人賞受賞作「レーシング・ガールズ」(トクマ・ノベルズEdge)の世界では、推進者にそれほどの権限はなく理事会もむしろ逆の方面で一枚岩になっていて、鳴り物入りで始めた事業をつぶしに回ろうとしているってのは一体どういうことなのか。それはだからそうしう組織なんでここまで衰えてしまったって暗に示唆しているってことなのか。

 売れないアイドルを何年も続けた果てに、ようやくスクール水着姿で堂々と振る舞う姿を「キャプテン」と呼ばれ慕われるようになった主人公の女の子。そこまで来たならいよいよこれからって事務所だって考えて当然なところを、なぜか金と引き替えにオートレースの団体に売り飛ばされてしまってそこで女の子をオートレーサーにするってプロジェクトに引っ張り込まれる。でもって事務所は新しい「キャプテン」候補を育成し始めたってんだから謎というかちぐはぐというか。それで最初っからヒロインのオートレーサーとしての資質を見抜いていたってんなら話は分かるけれど、どうにもこうにも行き当たりばったりな感じ。結果は虻蜂取らずで事務所はパーってのはなるほど欲をかいたり定見を失えば、ろくな末路はないってことを暗に示唆しているってことなのか。

 でもって入った学校は鬼教官が竹刀を振り回してオートレーサー候補たちをしごきたおす。何か信念を持っての行為ってことならそれも分かるけれども「あねチャリ」の恐竜とは違って信念よりもむしろしごくことが目的って振る舞いに、見ていてどうにも釈然としない上にせっかく立ち上げたプロジェクトが、相次ぐメンバーの脱落によって瓦解しかかっている状況も見えてそれをどうして理事会とかが許しているんだ、もったいないじゃないかって疑問も浮かぶけれどもそれもだから暗に示唆して以下省略。そうこうしているうちに九州出身のオートレースファンのちびっこなのにダイナマイトなボディの持ち主と、幼い頃からロードレースで活躍していたバイク乗りの少女がどうにか残って元アイドルのヒロインといっしょに選手を目指す物のそこに壁。

 選手会が認めないと言いだし乗り越えるには勝負だと言って最低クラスとはいえ男子のベテラン選手にまだ研修を終えたばかりの女の子が勝てと要求する。何とまあ理不尽な。体力云々よりも経験の差すら認めないその傲慢さって奴がどうにも腹立たしいけれど、それもだから暗に示唆がどうしたこうしたで考えるのが何か面倒くさくなって来た。元アイドルのヒロインが現役レーサーでもあった少女すら驚かせる才能の持ち主だってことらしいけど、その原因はどこにあったかが分からないまま話は頑張った少女がどうにかこうにか生き残り、ナイスバディの口八丁もあってプロジェクトは存続し、さあこれから女子オートレーサーによる戦いが始まるってことになりそう。果たして続きは出るのかな。出るなら是非にヒロインのすごさの秘密を。元アイドルだから気力があるとかってだけでもいい。キレたら現れる本能がすごいからってだけではないところをおしえてちょ。


【1月18日】 喜劇王のチャップリンには日本人の秘書がついていた。トリビアとしてよく持ち出される事実だが、その秘書が誰でどんな生涯を送り、そして後の世にどれだけの功績を残したのかまで知る人は多くない。高野虎市というその日本人秘書がいなかったら、チャップリンは4度も来日するくらいの日本びいきになることはなかったし、アカデミー賞特別賞を受賞した式典で、黒柳徹子と出会ったチャップリンが、懐かしさから「ジャパン…」と言って涙ぐむような事態も起こらなかった。あるいは高野を通して大勢の日本の映画人がチャップリンと出会い、いろいろなことを学んで日本へと持ち帰り、映画の発展に貢献することもなかった。

 それくらいの影響力と貢献度を持ちながらも、高野虎市の事績は最近まで、チャップリンの側近に日本人がいたというどこか郷土愛をくすぐられるトリビアとして語られるトピックでしかなかった。大野裕之さんという人が著した「チャップリンの影 日本人秘書高野虎市」(講談社)という本でつづられる高野虎市の生涯は、世界への雄飛を願って米国へと渡った青年が、運転手の募集に応じて出会ったチャップリンから認められ、秘書として家のことを全面的に取り仕切るようになっていったストーリーが、高野虎市の勤勉さと実直さとそしてチャップリンのことを心底から思う心理とともの書かれてあって、こういう日本人が、というよりこういう人間がかつてはいたのかといった驚きと憧れにとらわれる。

 仕事にまじめで映画のことを誰よりも思ったチャップリンの実像が浮かび上がる描写はそのまま、そんなチャップリンのクリエーターならではの気むずかしさすら超えて近寄れる人物としての高野虎市を見せてくれる。もちろんただ言いなりになって行動していただけではそこまでの信頼は得られない。日本に来日した時のこと。いわゆる515事件の渦中に中心人物として巻き込まれ、犬養首相ともども暗殺される危機にあったチャップリンにまずは宮城へと一礼させて極右の目を緩ませ、実際に事件が起こった時もよけいな情報を入れて不安にさせるようなことはせずにチャップリンを守り抜いた。

 もっとも犬養首相との5月15日の会談を直前になって気まぐれからキャンセルしたのはチャップリン自身。そこに何かの勘が働いたということもなく高野虎市の機転が働いたということもなく、あくまでも気分が働いただけなんだけれどもそういう辺りに天才の、人知を超えた異能って奴が垣間見えて面白い。実直でも勤勉でもそこまでの振る舞いはできないから。そんな高野虎市もチャップリンの新しい愛人の不興を買ったことを嫌気して離れ日本に戻るものの武士の商法を地でいくように事業に失敗。それでもチャップリンやアメリカとの関係は切れず紹介したりアメリカで苦労する人たちを支えたりして生涯を過ごして広島に没する。残された膨大なサイン入りのポートレートは映画史にもチャップリンのプロフィルにとっても重要なもの。それが埋もれてしまっていた不幸を嘆きつつ、掘り出され紹介され本にまとまりあの天才の天才ぶりと、それを支えた日本人の勤勉実直ぶりに触れられることを喜びたい。

 ドズル・ザビ中将墜つ。ニュースで声優の郷里大輔さんが死亡したって話が出回り始めてその惹句が「キン肉マン」のロビンマスク役ってなっていたんだけれど気分としてはやっぱり「機動戦士ガンダム」のドズル・ザビ役か、あるいは「機動戦士Zガンダム」のバスク・オム役ってのが郷里さんの声質ともマッチして記憶に強く残ってしまっている。ドズルの時はまだ名前が違っていたんだけどその後の改名で一気に役が広がったってあたりはギレン・ザビを演じていた田中崇さん転じて銀河万丈さんとも重なるところがあるなあ。最近でも「ONEPIECE」で海侠のジンベエを演じててこれはインペルダウンから海軍本部へと続く流れの中でずっとで続ける重要な役で後をいったいどうするのか、ってところが気になるけれどもともあれご冥福をお祈りしたい。合掌。それにしてもなぜ。

 「マンガ大賞2010」の最終決戦に臨む10本が発表になっててこっちから挙げた5本の中から市川春子さんの「虫と歌 市川春子短編集」と西炯子さん「娚の一生」が残っていてまずは善哉。さすがにもりしげさんの「フダンシズム」は挙がらず御徒町鳩さん「みどりのまきば」も来ず河井遙さん「チルヒ」は他に河井さんの作品が多く刊行されたからなのかやっぱり入らず残念無念。でもきっと「みどりのまきば」は続刊があればきっと入って不思議はないんじゃないのかな、それくらいに面白くって興味深い漫画。「フダンシズム」は「このマンガがすごい」に入ってこないと認知されなさそうなんでそっちで頑張って欲しいなあ、関わってないだけに何とも言えないのがやっぱり残念。

 でもって残った10本のうちの残り8本についてもまあ納得、っていうか「バクマン。」は当然来ると思っていたし「アオイホノオ」も推すかどうかを迷ったものでどうせ誰か入れると思って除外した。それは「海月姫」にも言えることで来るだろうと思っていたらやっぱり来たからもしもこれらを普通に入れていたら5本のうちの5本が残ってしまった。それじゃあこういう機会を通じて存在を少しでも知ってもらうっていうノミネートの面白みがないから外したという次第。その他も気になっていた「高校球児ザワさん」が入り「モテキ」が入ってそれから2年連続の「宇宙兄弟」が来たけど果たして残れるかな。「テルマエ・ロマエ」は意外な1本。こういう出会いがあるから面白いんだ。「アイアムアヒーロー」はまったくの予想外。どんな話だろう? 読んでみようっていうか読まないと投票できないんだよ大変だフトコロが。

 そして完結した「戦う司書」シリーズは「戦う司書と世界の力」で巨大過ぎる胸元をあらわにしたハミュッツ=メセタの色っぽさったらもうあらゆるライトノベルのヒロインを凌駕して脳天に突き刺さるくらいの衝撃を与えてくれるんだけれど、そんな色っぽさとは無縁に戦いの方は進んでルルタ=クーザンクーナをまずどうにかし、そしてその先に待ち受けるラスボスを相手に仮装臓腑での戦いが進む一方で現世でも平行するかのように戦いが進んでそしてすべてに決着がもたらされる。なるほどつまりはどこで何が起こったにしてもそれが後々にさまざまな影響をもたらすってことを誰もがかみしめるべきってことか。ふとした何気ない優しさが世界を救うことだってあるのだ。イレイアさんの最強ぶりにも懐かしい方々にもお目にかかれて素晴らしい完結。そして始まるブルーレイディスクのリリースとともに寄せられる短編をこれからじっくりしっかり味わって行こう。しかしデカいなハミュッツのそれ。


【1月17日】 飛び起きて「とある科学の超電磁砲」も見ないまま幕張メッセへと向かい「東京オートサロン」を見物。本館のホールのだいたいを使った展示規模は「東京モーターショー」と同規模な上に隙間が目立ってなおかつ人もまばらだったら「モーターショー」と比べて展示されてる車は床をびっちりと覆い、来場している人もその隙間にギュウギュウといった感じで、雰囲気としては「モーターショー」の10倍は賑わっていた。20倍? 100倍と言っても実は言い過ぎじゃなかったりして。それくらいに人、いなかったもんなあ「モーターショー」。

 そりゃあ2週間近くやってる「モーターショー」とは人の集中度合いも違うとはいえ週末ですらそれほどの混雑ではなかった訳だし、出展者の勢いだって今回の方が上。それもこれもゴージャスでエロティックなコンパニオンを堂々と繰り出し間近に寄らせて写真を撮らせるサービスを「東京オートサロン」がやったから、ではなくってやっぱり車をどう見せどう感じてもらうかってところで「東京オートサロン」の方が来場者の気持ちをちゃんと捕らえていたからだろー。

 発売される車に車としての魅力がない。デザインはどこかで見たことのある感じで雰囲気ものっぺり。内装も画一的。MPVだか何だかしらないけれどもボテンとしたボディの中に8人とか詰め込んでドライブに出かけるための車はあっても乗ってデザインを自慢して走りを楽しめる車らしい車ってのにとんとお目にかかれない。最近はさらにエコだの何あのといった走りともすタイルとも無関係のウリばかり。そりゃあそれも大事だけれどもそれで車を買うくらいなら買わずに済まして歩くか電車で移動するか、よりスタイルと走りを体感できて自慢も出来る自転車の方へと向かうって。100万あれば最高級が買えるんだもん自転車。

 まあそれは極端過ぎるとしても車に乗りたいって気持ちを誘わないメーカーによる車に乗ってよって誘ってくれない展示会に行って何が楽しいの? ってこと。それが「東京オートサロン」だと一変して車を飾るとこんなに楽しいって気分にさせてくれるし、車をイジるとこんなに走りが良くなるかもって思わせてくれる。没個性な車が自分だけのオリジナルに変えられる。それだったら車に乗ってみようかな、って人が集まっての大にぎわい。「モーターショー」では味わえない楽しさがそこにあるってことなんだろー、間近で見られるコンパニオンの麗しさってのも加えてあるし。

 昔はそれだけでステータスだったし、見栄の発露にもつながっていたし、何よりライフスタイルの中で遊びでも仕事でも移動の手段として不可欠だった車。今でも都心部以外ではそうした位置づけは失われていないんだけれど、それにしては没個性過ぎて割高感があってどうにも釈然としない感にとらわれる。そこに再び今度は個性でもっていろいろと発露音形を変えられる見栄なり自己満足って要素を加味させることで、車を人生にマストなアイテムへと引き戻せるてことを、あるいは見せてくれているのかもしれない。横に誰かを乗せてどこかに行って何かするって目的のための車が、横に誰も乗ってくれないし乗せられないなら自分にとって快適な空間をそこに作り上げる方へと向かっているってこともあるのかな。草食系男子あるいは男おひとり様のための車デコレート術とかって本、作れるかな。

 新車を買わなくたってパーツを組み込み塗装やデカールで飾り内装を整えることで、新車では得られない楽しさを感じられるなってことが認識されて来たってことなのかも。それにしても昔はメーカーなんて出てなかったのに今はトヨタ日産本田スバルといったメーカーが堂々の出展なんだから驚きっていうか、メーカーだってそっち方面での需要が少なくない数あるんだってことを認識している現れか。いっそだったらバンダイナムコゲームスあたりとコラボして、「機動戦士ガンダム」をモチーフにした車とか出せば良いのに色はトリコロールでサウンドはすべてガンダム関係。6速でアクセル踏むと「いきまーす」って声が流れ180キロを超えるとGファイターを操縦するセイラさんがGの強さに発するうめき声が流れるんだ。

 なんてことを思いつつ散策していたタカラトミーで中野腐女子シスターズの人が登場してチョロQを宣伝している場面に出くわす、っていうかそれが目的で行ったんだけれど、まりるんこと原田まりるって名前に聞き覚えがあるようなないような感じで調べたらやっぱり旧名原田まりさんな人あった。レースクイーンオブジイヤーなんてゴージャスさの最先端にいた人だったけれど何があったかトレカゲームの宣伝みたいなことをしていて、会見なんかですれ違ったことがあったんだけれどそこで見初められたか調子を取り戻したかで、オタク方面への造詣を生かしたユニットへと迎え入れられたってことなのか。2005年あたりだとまたオタク知識は芸能方面では禁忌っぽかったからなあ。それが今では「ガンダム芸人」で食えるんだから素晴らしいというか。熱い時代だと思わんか。

 気がついたら佐藤勇人選手がジェフユナイテッド市原・千葉に復帰していて背番号も昔と同じ7でこれで3年前だかに買った勇人最後の年のユニフォームをまた着て歩けるって喜んだものの当時は黄色に並んでカラーになってた緑が青にすりかわっていった時期だったのが今年から再びというか全面的に緑が復活して黄色と緑のエキサイティングにショッキングなカラーリングになった模様。千葉がホームタウンにはいったこともあて海をイメージしたとか何とかいった青にはどういう言い訳を着けるのかって疑問はさておJ2からの再起を期すって意味でも昔のカラーリングに戻すってのは良いのかも。でもこの頃ってそんなに強くなかったんだよなあ。それを言うなら強かったのって数年だから別に気にすることもないのかワハハハハ。笑い事じゃあい。さて何番のユニを買おうかな。やっぱり再び勇人かな。

 ようやくやっと渡辺祥智さんの「CARAT!」(マッグガーデン)という漫画に気づいて発売されたばかりの2巻と、近所には売ってなかった1巻を揃えて読んだら絵柄も展開もツボにハマった気に入った。眠りにつく王子を目覚めさせる女王の候補に選ばれた魔法使いの少女2人が、王子をかけて闘えと言われたものの仲良しなんで戦えないから地上で誰か代理を見つけて闘わせるようと画策。そうして選ばれた1人は眼鏡にお下げの風貌から学校で委員長とあだ名されるカノンだったけど、理知的な見かけと裏腹にがさつで勉強もできない普通娘で、それがゴミ捨て場でペンダントを拾うと中から少女が出てきて候補代理に選ばれたから戦えと言われ変身の力を与えたと言われ、呪文を思い浮かばないカノンが唱えたその呪文、それは。

 「肉うどん」という好物の名をそのままとった何とも間抜けな呪文で割に可愛らしくも凛々しいスタイル(胸元がとりわけ)の魔女っ娘に変身したカノンの前に、もう1人の女王さま候補がつれてきたのはアルトという名の子。の風貌はとても可愛いんだけれども敵ということでカノンはこれまた好物らしい「皿うどん」の呪文とともにステッキを取り出しアルトを相手に戦いを挑んで勝利する。そのファンタジックさとは対局を行く物理的破壊力を持った必殺技の正体は。

 ってな感じに外しの面白さ気の抜けっぷりでつないでいって見せる展開が、とてつもなく間抜けで素晴らしかった「CARAT!」。新たに現れる敵もおバカで第3の女王様候補もとんまでそんな展開をぐだぐだだと嘆く女王もやっぱりトンデモな感じで笑いが満載。それを絵の巧さ綺麗さ可愛らしさがで引きつけるから読んでいて目にうれしく脳に楽しく笑いでひきつる腹に痛い秀作。西炯子さんにどこか通じる面白さ、って感じか。それにしてもカノン。ステッキを使って放つコーディネートな技の呪文が天ぷらそばってあんたいったいどれだけ麺類好きなんだ。ってかそれから先の呪文は出てこず戦いはだいたい殴るか蹴るかの肉弾戦にいくってのもどうなのよ。ああ愉快。2巻で終わりってのは勿体ないけど続けるとよけいにグダグダになるから仕方ないか。ドラマCD聴いてみたかったなあ。雪野五月さんが叫ぶ「肉うどん」「皿うどん」「天ぷらそば」の呪文を。


【1月16日】 やっぱりというか40歳からきっと上の世代にとって「テキサス」とはハンバーガーよりも先に勝野洋であってその連想からテキサスバーガーの次はさかのぼってジーパンバーガーが出るとか後に下がってスコッチバーガーに行くとかその流れでラガーバーガーとかスニーカーバーガーとかボギーバーガーとかがあっても良いんじゃないかと思う模様。ボスゴリ殿下山さんチョーさんボンバーガーはニックネームがあっても新人殉職系じゃないから除外、って最後はだいたい殉職して行くんだけれど。太陽に皆殺し。

 さすがにスニーカーバーガーになるとパテはゴムみたいに固くってそれを食べながらみんな涙を流して夕日に向かって校庭を走りそうだしラガーバーガーだと食い過ぎてとてもじゃないけどアイドルのイメージなんて失ってしまう代わりにボインちゃん(死語)とおつきあいできるって役得はありそうだけれどどっちしたってあんまり。ボギーバーガーはバンダナ巻きそうだしスコッチバーガーはアルコールで頭が涅槃にトんでしまいそう。ジーパンは1口食べるごとに「なんじゃこりゃあ」と叫ぶ。うるさいのなんのって。

 更にさかのぼってマカロニバーガーとかってなるとマカロニグラタンのコロッケがサンドしてあるイタリアンな感じのハンバーガーってイメージも可能でこれはこれで美味しそう。コンビーフと丸ごとトマトを挟んであったりするってのは時代がさらに遡りすぎ? ロッキーバーガー。これはいつか本当に出来そうだけれどテキサスの肉にニューヨークのBLT風にハワイのロコモコカリフォルニアの青い空とかと比べると今ひとつロッキーから連想する食材が思い浮かばない。やっぱりハクトウワシか。バッファーローか。バッファローはあれでなかなか美味いんだけど。確か食べたなサウスダコタで。

 いやいやそれより先に出るのはこいつだミルウォーキーバーガー。ウィスコンシン州の都市でドイツ系の住民が多いことからソーセージがイメージされるらしいけれどもだからといって挟まれるのはソーセージでもなければ、この土地が舞台になった「あらいぐまラスカル」にちなんだアライグマの肉でもなくってもちろんミルウォーキー・ブルワーズの本拠地の名前にもなってるミラー・パークのミラーが意味するビールの酵母がたっぷりはいったバンズが特徴でもない。すなわちミルウォーキーでとある方面から世界中に根強いフリークを生んでいるジェフリー・ダーマーという人にちなんだハンバーガーで素材に使われているのは以下自粛。美味しいかどうかも以下不明。やっぱり腿肉だろうか肩肉だろうか尻の肉が美味いんだろうか。

 アナハイムバーガーってなるとやっぱりパテは黒いネズミの肉かそれとも青い服を着たアヒルの肉かはたまか黄色い熊の肉か。黄色い熊だとハチミツたっぷり効いてて美味しそう。でも日本だとやっぱり「機動戦士ガンダム」のアナハイムエレクトロニクスにちなんでモビルスーツの破片が入った固くてシャキシャキとしたハンバーガーになるんだろうなあ、食えませんそんなの。ってことで九段の北の丸公園へと行ったついでに九段下にあるマクドナルドで噂のテキサスバーガーを初食、うーん、先週に先行販売していたニューヨークの方が僕は好きかも。バンズがパンって感じで中に野菜がたっぷりはいってマスタードも効いてた。食べるとサラダサンドって感じでそれでいて肉もしっかり。決してカロリーが低いわけじゃないけど健康って方面に良さげな感じがあった。

 カリフォルニアは食べられなかったけれどもワインソースってことですっきりしてパンチもありそうな感じって気がするしハワイはロコモコだからデミグラス系の月見バーガーと思えばOK。これがテキサスになると肉は厚いけれどもそれだけって感じであとの具材にも特徴があるって風じゃない、っていうか何が入っているのか今ひとつ感じられない。ベーコンみたいなのが入っていたけど紙切れみたいでほかにはフライドオニオン? でも水分をすってシャビシャビ。サクサクって食感を与えてくれない。そして味。塩っ気がキツくて全体に大味。これを喜ぶんだったらむしろ朝マックに出てくるマックグリドルの方がソーセージっぽいパテもホットケーキみたいなバンズも特徴があって個人的には好きかも。クオーターパウンダーは迫力が今は無きウェンディーズにもバーガーキングにも負けてるし。ってことでテキサスは以降様子見。次はニューヨークが来るんだっけ。出たらそっちを食べに通おう。でもカロリーは変わらないんだよなあ。食べ過ぎに要注意。

 北の丸公園には科学技術館で開催されてたハンドメイドバイシクルフェアってのを見物に行ったもので大昔に「サイクルスポーツ」を広げるたびに載ってる広告とかに感激し、いつか話が手にもって思いながらもいく年月、何時の間にやらロード全盛となってしまって完成車もごくごく1部から出ている程度でオーダーも少なくなってしまったランドナーやらすスポルティーフやらを今も作っている工房が、出ているって知って見にいったらあったよ憧れの東叡社。「TOEI」のロゴで知られる工房でここに頼んでフレームを作ってもらってから、欲しいパーツを集めて完成させられればなんて考えていたら甘かった。

 というのも座っていた人の話だと、ここん家はフレームなんてパーツが適切に稼働するように取り付けられる媒体って位置づけを旨としている感じがあって使いたいパーツを持ってきて、それから走るときのポジションをしっかり決めた上でフレームを作るんでパーツがなければ話にならない。そりゃそうだ。ホイール1つをとったって昔みたいなインチから今の700Cだの650Bだのといった規格に代わってブレーキ位置ひとつ決めるのにもそこから考えなくちゃいけないし、そのブレーキだってカンティブレーキがマウンテンバイク用になって太すぎるタイヤになら合うけどやや細身ではデカ過ぎる。かといってサイドブルはロード用。だからセンタープルを使うってことになるけどこれも今と昔では形が違う。どっちを使うかでダボの位置も変えなきゃいけない。

 ディレイラーだって使うものによってエンドパーツが変わってくるしフリーホイールだって昔ながらの5段の固定を持ってくるのか今ならではのカセット式8段になるのかでシートステイとチェーンステイをつなげた三角の右と左の間の幅がたぶん変わってくるだろう。そこまで考えた上で全体を作った上になおかつ東叡社ではフロントフォークからのびるフロントキャリアを支える斜めのステイをフレームのダウンチューブの斜めの角度と平行にしたり、マッドガードを支えるステイの角度をフロントのとリアでバランスよく見えるようにするためにマッドガードの取り付け位置を考え、長さに問題があればどうしても短めになるフロント用のパーツを使わずにリアのマッドガードを流用して切って使うといった具合。

 ドロップハンドルだってライディングのポジションを決めて取り付ける角度を決めてみて、真横に走るバーからくるりと羊の角みたいに回ったその先っぽが、真横に走るバーより手前に飛び出るようならカットして見栄えを良くするんだとか。そこまで要求を出せばしっかり答えてくれるけれど、それだけの要求を出すにはパーツを集めそれがトータルで使えるものかを考えポジションもどこそこでどういった走りをするからそういうポジションが適切だといったことを自分で訴えなければならない。つまりは昨日今日の自転車乗りでは不可能。まずは1台て訳にはいかなさそうだけれどだったらいつかと思っても、昨今のランドナー事情を考えるとクラシックなパーツはどんどんと埋もれてクロスバイクのものを応用していかなくっちゃいけなくなって、ますます組み上げが難しくなっていく。もはや永遠の憧れで終わりそう。

 でもまあ見た目がストレートに走りに影響する訳じゃないって言えば言えそうだし、昔乗ってた適当過ぎる自転車だって走れば結構な速度で走れたから、ロールスロイスやフェラーリを気取って注文を出すとか、床の間に飾る芸術品を作り上げるって考えはきっぱりと捨てて、シルクでもARAYAでもエンペラーでも市販系でランドナーを復刻しているところがあるんで、そこのをまず買い乗り込んでいくのが健康にもフトコロにも良さそう。あるいは昔のをどこかで買ってそれを直し直ししながら乗るとか。ルネエルスでユーレーかサンプレックスでマファックでTAでブルックスとかな自転車、落ちてないかなあ。日米富士のダイヤモンドでも構わないぞ。


【1月15日】 なるほどピアノを弾くシーンとか鍵盤の上をすべる手がとてつもなくリアルに見えたよ「のだめカンタービレ フィナーレ」は、冒頭を見ただけどぎゃぽーっとばかりに服を脱ぎ捨てたのだめの、背中越しに見えたふくらみがなかなかの色っぽさ。彼女もちゃんと彼女なんだって分かったけれども、触ってうれしいものかっていうとどうなんだろう、千秋に聞いてみるしかないな、触ったんだろうし、触ったのかな。ワイヤレスヘッドホンの電池が充電切れになってたんで再生して全部見るのは止たけれども、なかなかのテンションだからこれで最後まで走ればきっと絶対確実に劇場実写版は抜けるだろう。誰も死なないってのも見ていて安心。今千秋さんはだからいつも皆殺しにする訳じゃないんだってば。

 そんな今千秋さんが「デ・ジ・キャラットにょ」をやっていた時代も今は昔の荻窪あたりから新中野方面へと引っ越したアニメスタジオに取材に行ったらなかなかきれいなビルだったけど、通りまで出ないとコンビニとかないのはちょっと不便か。前はそりゃあ通りに面してあったんで本屋も飲み屋もコンビニもファストフードも寄り放題の行き放題。ボウリングだって出来たってのは嘘だけど、今は時間の不規則なアニメの人が夜中にちょいっと買いに行ったり食べに行くのに大変そう。ならばと午前に出てきて夕方に終えてびっちりと仕事を完成させて夕食は自宅でっていったライフスタイルになれば、健康にも作品にも好影響が出るかっていうと、そうじゃないのがアニメ作りの世界ってものだろうから悩ましいやら難しいやら。新しい器から生まれる作品やいかに。とりあえず「マイマイ新子と千年の魔法」のブルーレイ化を頼む。

 これで赴いたことのあるアニメスタジオは上井草と東小金井と国分寺が2つと武蔵境とあとどこだ。上井草も「ボトムズ」とかではあっても本家本元の「機動戦士ガンダム」絡みで取材をしたことは実はないんだよなあ。っていうかそういう話がまるで回ってこないのはメディアとしての弱さかこちらの押し足りなさか。どっちもだな。東小金井も最近はとんとご無沙汰なのはやっぱりメディアとしての弱さがありそう。屋上の化石はどうなっているんだろう。同じく東小金井にあるはなまる幼稚園にはまだ行ったことはないけど果たしてどんなところなんだろう、屋上に使徒とか立っているのかな、受付のおねえさんはバニー姿で空を飛ぶのかな。

 妄想はできてもロジカルな思考が出来ず本が読めない中を、とりあえずやっぱり読んでおくかと鴨志田一さん「さくら荘のペットな彼女」(電撃文庫)を読む。癖のある奴ばかりが集められた寮にただ猫が捨てられないからと学生寮を追い出されてやって来た主人公の少年が、アニメを作らせたら超天才の先輩女性とか、その脚本を書いてなかなかだけれど女にモテモテの男とか、部屋から出てこないけどプログラマーとして凄腕と期待されている男なんかの間で自分には何もないんだと悶々としているところにやって来た少女がこれまた天才アーティスト。絵を描けば世界が認めて引っ張りだこな彼女だけれど何を思ったか漫画家になるんだと漫画を描くんだけれどこれがどうにも面白くない。

 描く以外は日常の生活にも困るくらいの生活不能者で、何しろ服を着るのも面倒がる性格で、すっぽんぽんで少年に着るものを選んでもらうは食事は作らせるはともう大変。そんな間から立ったフラグが2人をくっつけるのかというと、そんな彼女の発揮する天才ぶりに少年はやっぱり自分の普通っぷりを深く知って迷い寮を出ていくと告げる。天才に異能者の大バーゲンなライトノベルな中で、普通が取り柄で居場所がなくなるってのはどうにもやるせないけれど、現実だって天才でなくても目標を決めて努力し成果を上げている人が周囲にいるなかで、自分に自信を持てず迷っている人も大勢居るはず。そんな人に自分は今何をするべきか、どうあるべきかを考えさせて自分は自分として頑張っていくんだという気持ちにさせるストーリー、って言えば言えるかな。それだけにトーンとしてはやや地味か。デビューの決まった天才アーティストのましろがこれから見せる活躍と、それに振り回される少年の将来が描かれていく可能性に期待。

 そうそうハセガワケイスケさんの「天穹のカムイ」(電撃文庫)も読んでいたんだった。富士見ファンタジア文庫から出ている「蒼穹のカルマ」と対をなす物語、では全然なくって、極度なシスコンのお姉ちゃんが妹との時間を大事にしたいために異世界から現れる怪物を手っ取り早く倒そうとし、そんな強さを見込まれ異世界へと引っ張り込まれて魔人を倒せとか神様になってくれとかいった頼みをされても、そんなこと知らんと袖にするような超絶エゴイスト娘は出てこない。繰り広げられるのは、何かと闘っている国の橋頭堡的な島に暮らす少年が、兵器のような少女と出会いその少女の力を移植されるような感じに異形へと変じて暴れ回るようなストーリー。平和な日常の狭間に浮かぶ苛烈な世界と、そこにいきなり放り込まれた少年の迷い、そして絶望にも似た帰結が描かれカタルシスとは逆のざらりとした感情を与えてくれる不思議な話。細部についてはもう1度読んで考えよう。

 茶野隆行選手も帰ってきてこれでジェフユナイテッド市原・千葉には村井慎二選手と茶野選手のベテランによる確かな守備力攻撃力ができあがった上に、山口慶選手の速度に高卒2選手の高さも加わって相当なチーム力を潜在的に持ったといえそう。問題はそんなチーム力を試合の中でしっかりと駆動させられるだけの戦術を提示できるかってところなんだけれど、それが出来てたら去年だってそこそこの戦力を持っていたチームを、2部には落とさなかったよなあ江尻篤彦監督は。だからその意味で不安はあるけどそこでそれなりなところに行けなかったら上も早々に見切りをつけて次なる選択をするだろうって思って果たして良いのかな。それが誰かは知らないけれど、とりあえず大分トリニータの後半戦にすっげえ戦いを見せた監督な人、希望。きっと唾をつけているに違いないって信じたいけど他にも引っ張られそうだしなあ。注目注目。

 付き合いは1997年に「たまぴっち」が出た時からだからもう10年以上もウィルコムっていうか当時はまだDDIポケットだったPHSとつきあっていることになって、その間に4台のPHSとそれから3つのデータカードを使っているんだけれどもいよいよ世間的にPHSもヤバいみたいで、ウィルコムが産業再生機構を使って再建に乗り出す模様。それが果たしてどういう結果を招くかはまだ見えないけれど、PHS通話はやっぱり今ひとつだと衰退し、データカード系だけになるのかそれともむしろそっちはイーモバイル的な3Gの大容量へとシフトし、PHSは音の良さと電磁波の少なさと基地局拡大の簡易さを使って通話とあとはtwitterみたいな軽いコミュニケーションのツールとして残っていくのか。様子見はするけどそろそろやっぱり切り替え時なんこかもしれないなあ。有機ELなiPhoneの登場がひとつの山か。


【1月14日】 こんな夢を見た。体育館らしい場所でソフトボールをしている。僕はキャッチャーでピッチャーは女の子だけれど誰という知り合いではない。ボールを投げてくるのをキャッチャーミットで受け止め、それを返球しようとしたら相手まで届かず、ワンバウンドしたボールを相手がキャッチするようなことになってしまい、周囲に対して気恥ずかしい思いに腕を回して調子の悪さを訴えるものの、それが見透かされていると分かっていて気恥ずかしさばかりが募る。

 さらに続いて、ピッチャーが別の女の子に代わって、その子は車椅子に乗っている。投げるボールはキャッチャーの僕までちゃんと届くけれど、今度は僕がそのボールをキャッチできなくてぽろぽろとこぼして、さらに恥ずかしさに身もだえる。投げた瞬間にボールが構えたキャッチャーミットの陰にはいって見えなくなる。それからピッチャーの後ろのライトが明るすぎてボールが見えなくなる。消して欲しいといってライトを消してもらうと、今度は暗くてボールが見えなくなる。また着けるとやっぱり明るすぎてボールを見失う。こんな夢の意味するところは何か。やっぱり焦りだろうなあ。認めて欲しいという自己顕示欲と、認められるだけの才能がないっていう嘆きが入り交じって起こる。自信ってのはどうやったら持てるんだろう? 金かなあやっぱ。

 そういや「機動戦士ガンダム」に火星って出てきたっけ木星は社リア・ブルとかが言ったりパプティマス・シロッコが担当してたりしたけど火星までジオンとか脚を伸ばしてたっけと調べるのも億劫なんでまあそのうちに。でも火星SFを書く書く書く書くと宣言しておいでなすった東浩紀さんでも果たして萩尾望都さんの「スター・レッド」を超えるビジョンを提示してくれるのか。あれは火星って土地が持つ神秘とか人類と超人類との諍いとか官僚機構の申し子の融通の利かなさとかいった地球レベル惑星レベルの話の上に、銀河を包括する組織があってそこが企むはかりごとなんてものが打ち出されたりして、とてつもないスケール感を読んだあとに覚えさせてくれたその先に、未来の可能性なんてものを見せてくれていた。

 なおかつそんな壮大な話が萩尾さんの美麗なキャラクターでもって描かれるんだからもう最高。12月に拓かれていた「萩尾望都原画展」でも「百億の昼と千億の夜」の阿修羅王と並んで星・ペンタ・トゥパールの原画の前に釘付けになってその美しさそのりりしさに見入ってしまったほど。絵はがきも買ったしもしも扉絵のセイを写した版画があったらイメージスケッチ的な阿修羅王は見送ったけれどもそっちは買ってしまったに違いない。個人としての思い入れの深さとそして星雲賞受賞というSFファンも認めた内容を果たしてどうやって超えて来てくれるのか。ファーストコンタクト的になるのか宇宙開拓史な話になるのか分からないけど「スター・レッド」はどちらも包摂している上にさらにビジュアルが乗ってきた。勝てるかな。勝つにはだから表紙絵に扉絵に口絵にイラストを萩尾さんにお願いすれば良いんだ。それなら勝てる。大勝利間違いなし。だけどSF大賞の選考の席上でもしも敵対していたらお願いしづらいかも。どうなんだろう。

 いくら半年先だからって前回のジーコ監督の時も想定はしつつさすがに出せなかった「0勝3敗」なんて予想を出すだけじゃなくってそれで1冊のムックを作ってしまった辰巳出版。関わった人への“粛正”に懸念も浮かぶけれども今のこの情報網が発達した時代にそんなことをやったら見向きもされなくなるからやらないかっていうと、それでもやってしまうからこその日本サッカー協会なんだろうなあ。そんな「0勝3敗」はとにかく岡田武史ノーが基本スタンスで、オシム監督と比べてどうだったとかいったことから現実問題として技術的なポイントからサッカーを説明できておらず将来性も見せられていないってことを理由にもうけちょんけんちょんにされていて、最後には辞めるべきって断じられてしまっている。

 冒頭ではお杉な杉山茂樹さんと六川亨さんと中山淳さんが対談していてロジカルに岡田監督がどうだって話をしていてどれにも納得。巻末の方では六川則夫さんが田村修一さんと岡田監督擁護っぽい割り当てで話をしているように見えるんだけれど、読むと何のことはない六川さん、前のフランスの時に持ち上がりで望んで3敗した悔しさもあるだろうし、今も突然割り当てられて川淵前会長の翼下で働かされているって立場への登場めいたスタンスからもう岡田で良いよ岡田さんにやってもらうすかないよてな投げやりっぽさがのぞくコメントになっている。

 そんな対談で六川さんは対オシム監督としての岡田監督と川淵前会長のラインを挙げつつ「カメラマンの僕ですら知っている情報や事実を、サッカー担当の記者連中も知っているはずなのに、なんで表に出さないんだていうことですよ」っていろいろあっただろうこと仄めかしている。スタジアムに出入りして写真を撮らなきゃ仕事にならない六川さんがここまが言ってしまって後が怖そうだけれどそこはそれ「岡田擁護をしたんだ」と突っ張って突破していくのかな。

 お杉さんの対談では岡田監督というか今の日本代表スタッフのマネジメント能力の欠如を闘莉王選手が怪我をしながら代表合宿に来てオシム監督から怪我して出来ないんなら来るな他のやつ呼べなくなったじゃねえかと叱られた話なんかを引き合いに、そういうことが出来ない今の代表って感じな流れて紹介してる。オシムなら選手も特権意識は絶対に持てなかっただろうからきっと今もピリピリしてたに違いない。オシム監督の薫陶を受けてるストイコビッチ監督の闘莉王選手の操縦法にも興味が湧いてきた。ともあれすごいムックだけれどこれがまた的中率高そうなだけにその後に来る荒野が怖いなあ。荒野で住めばいいけどブラックホールかもしれないしなあ。

 東京国立博物館へと出向いて洛中洛外図屏風の1つがVRコンテンツになったって取材をしつつ実物を見てどこまで引き延ばしてもしっかりと描かれていることに、元の屏風のすごさって奴を思い知る。それこそ1メートル四方にのばしてもそんなにボケてない人の顔は、本物では1センチ四方にすら入ってしまう小ささで描かれている。それが2000人とかも描かれているんだから何というか凄まじく細かい仕事を、屏風ではやり遂げられていたりするんだから、そりゃあ重要文化財にもなる訳だ。今だと遠目に見えればそれで言いってチョンチョンと描いて誤魔化すところを人の顔から食事をつまんでいる重箱の模様から着物の細かい柄までしっかり描かれているんだからすごいすごい。実物で見たってくすんで埋没しているしだいいち双眼鏡で見なきゃ見えないそれがデジタル技術でくっきり間近に見えるようになる。それを凸版印刷みたなところがやっている。面白いなあこの世界。


【1月13日】 まさかあの「キスダム」でもあるまいし、映画として公開された「マイマイ新子と千年の魔法」がもしかしたらDVDもブルーレイも出ないままになるかもしれないって朗報の反対らしい情報が、にじみ出して来ている西高東低冬型天気。これをドカンと吹き飛ばすには南から湿った温かい風を運んでくる台風の登場でも願うより他ないんだけれどもこの冬空にそうした季節はずれの風なんてものが吹くはずもない。だとすればあとはしっかり地に足を着けたPRしかないんだけれども近所で動かせるメディアの影響力の乏しさってのを、とてつもなく実感しているだけに動きようもない。

 むしろ今なら「キスダム」の方があの水樹奈々さんも出演していたアニメだってことで世間にPRすれば評判になってそれは見たい是非見たいって声も起こってとどまっていたDVDのリリースが始まりブルーレイディスクだって出てしまうかもしれない。だったらそんな流れに乗っかるように「マイマイ新子と千年の魔法」も出演声優に「水○奈○」と書いておくことによって、紅白歌合戦からこっち一般に知れ渡ってしまった水樹奈々さんに関心を持った人が、そうか出ているのかと思って「マイマイ新子」に手を伸ばしてくれるかもしれない、って思ったけれどもさすがにそれは無理筋か。しかし時の運ってあるんだなあ。主演も数々こなして歌も歌って圧倒的な人気を誇った林原めぐみさより田村ゆかりさんより平野綾さんよりも水樹さんが紅白に先に出るんだから。

 それはさておき目下の問題は「マイマイ新子と千年の魔法」をいかにしてパッケージ販売まで持っていくか、それも出来ればブルーレイディスクの販売までたどり着かせるかってことで、手っ取り早いのは賞でもとってもらって広く喧伝してもらうことなんだけれどほとんどの映画祭やらブルーリボンやらはすでに決定して「サマーウォーズ」がばく進中。年末公開ってタイミングもあって「マイマイ新子」はそうしたレースに乗れなかった。乗れそうなのは3月の「東京アニメアワード」あたりか、あとはノミネートは終わっている「毎日映画コンクール」だけれど毎日にはノミネートしているのかなあ「マイマイ新子」。まさに大藤信郎賞にふさわしい作品って思うんだけれど。かつて「ルパン三世 カリオストロの城」が受賞して世間に存在を認めてもらい、片渕須直監督も上映に関わった「セロ弾きのゴーシュ」もとった賞なだけに。

 パッケージだけならバンダイビジュアルが「true tears」のブルーレイディスク化でとった事前申し込みによる一定枚数確保とそして入金確認後のパッケージ化って奴もやってやれないことはないか。見ている人の数からすれば頑張れば3000枚4000枚はいけそう。それをやって採算が出るって数字でもなさそうだけれどギャザリングの仕組みも着けて2000枚なら1万円で1万枚に達すれば5000円くらいで出せるとか何とかすれば人も集まり資金も集まり発売も可能になる、ってのはちょっと甘いか、似た仕組みをとった叶姉妹のアニメDVDとやらがどんな道をたどったかも考えると。やっぱりだから賞によるメジャー化とそれにともなう凱旋公開の多角化が必須。阿佐ヶ谷での人気がそうした呼び水になれば良いんだけれど。阿佐ヶ谷。もう1度行っておこうかな。

 大学ラグビーの決勝の観衆が1万7569人とかってニュースも昨日あたりに漂っていて、そりゃあ帝京大と東海大の組み合わせじゃあ卒業生は来ないよって言われているけどそう言われるのってつまりラグビーの試合そのものじゃなくって、大学の人気が観客動員につながっているのが大学ラグビーの実状なんだってことだよな。長くそういうものだったって言えばほかに返しようもないんだけれど、そうした対抗戦ではない試合、すなわちワールドカップってものの開催が決まっている現状で大学の名前が動員を左右しているような具合が続けば、いざって時にちょっと困ったことになるって心配も浮かんでくる。

 調べたらアメフトの関大と鹿島のライスボウルは3万5742人も来ていたそうで、東京ドームって環境の良さとチアリーダーが拝めるビジュアル的なメリットを置いても、アメフトそのものを楽しみたい人が学校会社に関わらずそれなりにいるって雰囲気を感じさせてくれる。同じ大学日本一を決める大会ってことで比較できそうな甲子園ボウルだって2万5000人も来たそうだし。それに比べても少ないってのは言うほどラグビーって人気ないのか、やっぱり大学対抗って意識が強すぎるのか。

 まあそれでもオールブラックスとワラビーズの試合が満員だったことを思えば、最高峰の試合は見たいって人もいたりするんだろうからそんな辺りを見せるようにするのがラグビーにとって必要そう。例えあんまり知られていない国でもワールドカップに出る以上はそれなりの実力を持ったチームってことで、ワールドカップがが来た時だってそんなに恥をかかないかもって予想もあるけど果たして。とか言ってる一方で、サッカーも代表選にすら客が入らなくなって来てるし、あんまりラグビーの心配をしている場合でもなさそう。天皇杯ナビスコカップはチームを問わず客が入るがそれも10年の下地があってのことで、そうした気持ちが代表選にもつながるような気分を状勢していかないと、両輪の片方がはずれてどこかへと迷走していってしまう可能性なんかも浮かぶ。代表に選ばれた平山相太選手にはだから世間の耳目を一身に集めてもらって、再びの人気を呼び込んでもらおう。得点とれなくたって道化にはなるんだ彼ってキャラクター。うらやましいなあ。

 やっと「聖痕のシークァーサー」って新作アニメを見たけど別に沖縄なトロピカルムードの中で水着の美少女がシークァーサーを嗜むアニメでもなく、ソーキそばもサーターアンダギーもキングシーサーも出てこなかったけれど代わりに巨大な何かが揺れていたり美少年が美少女にむしゃぶりついてた。良いアニメだ。違う「聖痕のクェーサー」だった。妙に唐突な上に展開も虐めとか嫌げにあって鬱っぽそうな上にエロをにじませビジュアル面で目を引こうって算段なんかもあるみたなだけにそんな企みに乗るもんかと思いながらも揺れる何かについつい目を奪われてしまうのできっと見続けることになるんだろう。「機動戦士ガンダム00」も揺れがもっとあったら毎週確実に見ていたなあ。寒い時代だと思います。

 やっと「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」の第2話を見たけど「けいおん」なコミカルさに「戦場のヴァルキュリア」のシリアスさが混じった「けいおんのヴァルキュリア」度は濃さを増す上に、コミカルな場面でシリアスな音響を入れてみたり設定をのぞかせたりしてどの辺りにリアルのレベルを置けば良いのかが分からない。難しいなあ。とりあえず鬱なエンドだけは勘弁。さらに「キディ・ガーランド」の最新エピソードを見たけどだから何だってんだ。まあきっと何かの布石ってことになるんだけれどそれを1話の中で示さずどこかでドカンと見せるから唐突感が否めず、毎回のエピソードが浮いたまんまぶつ切れになってしまうんだ。連続アニメなら連続して欲しいもの。でもそれだと見逃すと見なくなる人もいたりするから悩ましい。やっぱり寒い時代だなあ。

 ABCの六本木で火星SFについての話を聞いたあとでいろいろあって駆けつけた円筒形をした城の男に東部な人があれやらこれやらねちらねちらを尋ねる姿を目の当たりにする。なるほど理詰めの尋問ってこうするんだと勉強になる。まあそのうちにいろいろと話題にもなるだろうけどだから何って来もするんで彼方より様子見。っていうか端緒となった場にいたような記憶もあるけれど、そこから何がどう始まってどう周りどう巡ってどうまとまったのかがまるで分からない。そういうものだとしたらそれが余所にはあって此処にはないのかって懐疑も浮かぶけれどもそれが甲斐性であり才能って奴なのだろう。まあ良いや。どうにでもなっておくんなまし。


【1月12日】 丸の内なんてオフィス街の総本山みたいなところで武将の甲冑なんてものを並べる「大甲冑展」ってのが開かれると聞いて見物に行く。大甲冑ってんだからきっと八薙玉造さんの「鉄球姫エミリー」に出てきたエミリーが来ている甲冑がずらりと並べられていて、そんでもってエミリーの鉄球ぶん回しの実演なんかもあって人が100万人くらい肉片になるイベントかというとそうではなくって(当たり前)、ごくごく普通に大河ドラマなんかに出てくる武将たちが身につけている甲冑を展示するってイベントで、行くと丸武産業って鹿児島県は薩摩川内市って父親の出身地にある会社が手がけた甲冑が、丸ビルの1階にずらりと勢揃いてなかなかに荘厳。何でも本当に大河ドラマに甲冑を提供している会社らしくって、見た目もリアルなら細工も美麗でアンティークのくすんだ実物なんかを見るよりも、よほど甲冑の美しさを楽しめる展示になっていた。

 やっぱり目に入ったのは、三日月が兜にとりつけられた伊達政宗の甲冑だけれど、眺めていて気にいったのは源義経がまとっていたという甲冑で、戦国時代の武将の兜がのきなみ奇をてらって飾りがデカく派手になっているのに対して、義経あたりの兜は五月飾りにあるように両側に開いて額のくわがたも逆ハの字型をしていて、いかにも兜って感じ。刀というより太刀を下げてすっくと立てば義経になった気分でいられて、美女で鳴る静御前にも言い寄られてウハウハってことになれるかというと、史実では義経は出っ歯な兄ちゃんで、決して国広富之さんみたいな美形ではなかったとのこと。そんな男に言い寄る静御前たるや。すべてが史実にのっとった大河ドラマってのを見てみたいけど見て楽しいかというと別の話だよなあ。

背中で輝くクリスタル、俺の家紋が世を照らす  会場にいた丸武産業の人に聞いたらだいたい武将ので100万から300万といったところでそれでも買う人がいるってんだから世の中はまさしく戦国ブーム。買っていったいどうするんだろう。家で着て家族で武将ごっことかするのかな。値段で1番高いのが大友宗麟の甲冑だとかでなるほど具足の継ぎ目が鎖になっていたりと細工も細やかな上に、金とか使われていてなかなかに雅やか。そんな派手なのをまとって戦場でねらい打ちに逢わないかとも思ったけれども宗麟ってどんな戦場に立ったんだっけ。本当に戦場に立つような武将は本多忠勝のみたく鎧は全般に黒が貴重。目立たず強そうな感じを出しつつ兜くらいはおしゃれに飾ってみせるというのが本格的な戦国武将のたしなみだったってことなのかな。だとしたら秀吉は派手すぎ。放射状にひろがるあの板は飾りとしても重たそう。それともダイターン3の必殺技を本当に出していた名残だったりするのかな。だとしたら秀吉が天下を取っても不思議はないか。

 そんな甲冑を扱う丸武産業でも、若い人の間に広まる戦国ブームをキャッチアップすべく新しいブランドを立ち上げとかで、あのクリスタルガラスのスワロフスキーでもって上杉謙信や織田信長や直江兼続といった武将の家紋を背中に描いたカットソーなんかを制作。1つが4万から5万6000円と高額だけれど、スワロフスキーの輝きと地のカシミヤ混のカットソーの黒とがコントラストになってなかなかに格好良い逸品で、着れば背中に武将の魂がきらきら輝き世にパワーを訴えるという、心底からの快楽を味わえる。売ってた人もかっこいい兄ちゃんに可愛らしいお姉さんでほだされて買ってしまいそうになったけれどもさすがに値段かこれではと踏みとどまる。EBDのパッチワークTシャツが限界だよなあ。でもちょっと欲しいかも。三つ葉葵とか作ってくれたら背中に紋所背負って諸国を漫遊して歩くんだ。

 見ていてやっぱり甲冑って「機動戦士ガンダム」に似ているなあとか思いつつ退散して野菜サラダを山盛り食べて健康1番電話は2番で3時のおやつは文明堂。名古屋的にはおやつだったらポポポイのポイ、お口へポイの白黒抹茶小豆珈琲柚桜な青柳ういろうでもあるんだけれどそれとは別にポポポイのポイってなりそうな予感を与えてくれそうな話がNHKのクローズアップ現代で繰り広げられていたんで見ながら考える。つまりは新聞の現在と未来って話で費用を抑えて報道の質を上げなくっちゃってことで毎日新聞なんかが行っている地方紙との連携なんかが紹介されてて、既にして石川県にある北國新聞にも足を運んであまねく地域から情報を集めるためのネットワークを構築中ってところにブランド力の強さなんてものを見たりする。

 一方で大手町にある会社では手持ちの情報を広く配布するために端末を増やすなりしてネットへの展開を広める戦略を強化中。なるほどそれも一理あるけど一方で肝心の情報の方が細くなり薄くなってはいくら出口を広げようとも受け取る側にはうれしくない。濃い情報があふれ出てくることが大事な訳なんだけれどその両立が難しい状況でどうするか。悩みどころってのは放り出しているようでも存外に正しい感覚なのかもしれないなあ。どうしたら良いんだろう? アメリカなんかじゃジャーナリズムがないと選挙の投票率も下がるし権力の暴走も怒るからジャーナリズムは必要だって結論まで行ってはいるんだけれど、そうした所で現在の新聞が必要とされているかって話にダイレクトには結びつかないのが日本の場合だったりするから難しい。

 それはジャーナリズムが持つ正しさ潔癖さがビジネスとしての新聞が示すスタンスと乖離してしやしないかって問題ともつながっていて、そうした乖離はなぜ生まれたのかそれは商業上の必要性かそれがジャーナリズムに支障を来しているならジャーナリズムを成立され且つ商業として成り立つ道はあるのか、ってことを考えた時にこれといった明快な答えがなかなか繰り出しづらかったりする。そもそもジャーナリズムを求める読者はいるのかどうなのか。デイリーに繰り出される情報さえあれば十分って人もいて、そこに向かって情報をばら巻きつつ一方でジャーナリズムが必要とされる分野に向けて、ジャーナリズムが発揮されて間違いが是正されるのが理想と言えば理想なんだけれども、そうしたジャーナリズムすら成立し得ないってのが昨今の経済情勢であり、また受け手側のリテラシーの後退にあったりする。

 ならばやぱりアメリカみたくNPOと寄付と政策によってジャーナリズムを維持するより他にないのか。それが健全で有効に機能するにはどうした条件なり態度が必要なのか。考えるべきことはなかなかに多そう。ジャーナリズムにはとても敬意を払っているアメリカですら、ニューヨーク・タイムズに所属して911の報道でピューリッツァー賞を受賞した記者までリストラしなきゃならないほど、ジャーナリズムが求められづらくなってたいりするだけに、国のため人のため世界のためにジャーナリズムは絶対的に必要なんだと求める層がまずあって、それを提供する機能が存在して、そうした機能を必要と認め支えるスポンサーが出てくることが何よりも必要なんだろー。出てくるかなあ。出そうもないからこその今の衰退なのかなあ。


【1月11日】 なんだ2期じゃないのか「まりあほりっく」。そりゃあそうだ2期なんてやったら直後の「ダンスインザヴァンパイアバンド」やら曜日は違うけど新作の「ひだまりスケッチ×☆☆☆」と仕事が重なっててんてこ舞いになってしまう。でもそれくらいのことを余裕でやりかねないところもまた新房昭之監督なだけに、ちょっと見てみたかった気も。っていうかどうして今さら「まりあほりっく」の再放送なんだろう? いやまあ悪くない作品なんで何度見たって面白いんだけれどそれにしたって、なあ。

 DVDとか売りたいってもう出きってる作品だし、単行本だってこれを放送したからってまとめて売れるもんじゃない。あるいは「ダンスインザヴァンパイアバンド」と合わせ技1本で1時間の枠を版元のメディアファクトリーが確保していて、そこに間に合わせる作品がなかったんで同じ新房作品の「まりあほりっく」を突っ込んだとかそういうことなのか。うーん。どっちにしても深夜の「ケロロ軍曹」の再放送ともども新作が枠を埋められない時代が本格的に来たってことか。アニメやばいかも。もうとっくにやばかったって? それもそうかも。

 そんな「ダンスインザヴァンパイアバンド」のアニメーション版はまるで単行本とか未見だった人間にとって何というか新鮮。吸血鬼のいるいないってのをディベートだとか情報の出し合いとかでジャッジする番組ってのをでっち上げ、そこで吸血鬼の存在とか特徴なんかを語らせながら微妙に登場人物を紹介しつつ肝心要のお姫様って奴をばいんと出してそして、彼女が何者で何を狙っているのかを最後に見せてこういう話なんだと分からせる手際がなかなかに巧妙。最初は何が起こったか分からなかったけど、見ているうちにそうなんだって見えて来てきっと本編とは違って居るんだろうと思えて来た。

 なんで本編じゃどうなっているんだろうと早速単行本を買って読んでみたらもっとゆっくりとして直裁的な展開で、これをやったら冒頭の1話2話が飛んでしまうところを1話の中にエンターテインメント的にしてまとめあげてみせた監督の人の腕前に、もう心よりひれ伏すより他にない。原作に思い入れが深かったらそれはないんじゃないかって怒るかな。でも結果としてお台場に「機動戦士ガンダム」の等身大立像が、じゃなかった東京湾に人工島が出来て吸血鬼たちが暮らすバンドが出来たって漫画と同じ展開になれば別に言うことはないから良いのかな。ちゃんと眼鏡っ娘委員長が出てくれれば個人的にはOK。エロいんだこの人。

 っていうかすべてにおいてエロいな原作は。冒頭から姫さんがすっぽんぽんのぽぽぽんで子作りがなかなかに厳しい年齢ならではのスリムというより平べったいボディを惜しげもなくさらしてくれちゃっていて、見る人が見ればもう最高に素晴らしいビジュアルなんだけれどもこれをさすがにテレビでやるのは難しいのか、それとも声の悠木碧さんが前に演じた「紅」の紫と同様にそういう世代なんだからと、今後の展開で普通に見せてしまうのか。見せたらちょっと大変なことになりそうだけれど。

 そりゃあ見かけはなるほど紫くらいでも実年齢はおそらくとてつもなくご高齢。それはもうアグネスなんとかってよりもはるかに年上の方だという理解を求めていけば、見せようとも見せまくろうと関係ないって言えば言えるけれども言って通じるほど世界は甘くないからなあ。だからきっとそういう方面は自粛の方向で。ならばと他の面々の立派に素晴らしい姿態をたっぷりと拝ませてくれるかな。環望さんならではの丸みを帯びたヒップがテレビ画面をいっぱいに踊ることを期待だ期待だ期待だ。

 羽野チカさんの推薦文とあとは見た目の絵柄に雰囲気があったんで、鳥野しのって人の「オハナホロホロ」(祥伝社)を読んだら面白かったよとっても。性愛方面でちょい関係のあった女性2人の1人が家を出て、戻ってきたら子連れになってて女性2人に子1人の同居生活が始まるって設定だけれどそこにのっけから男性が1人も混じっているところがちょっと不思議。最初は2人だけの暮らしから見せるのが普通なんだろうけどその狭間で困り悩む子供の姿は描いて楽しいもんじゃない。ならその子を担当する親切な部外者って奴を置いておくことで2人の女性の関係を、より集中して描けるんだろうって判断があったのかな。分からないけど。

 展開は母親になった女性の母親って割には自在に出かけて時には遊び回る奔放さがやれやれって気を抱かせるけど、現実の世界にだって子供がいようと自分の思いや衝動を優先させる母親って割にいる。自己責任を果たしてないとかもっと母親らしくしろとか子を放っておいてとか言って嫌うこともできるけど、子も作り男も愛しつつ別れ元彼女に感心を抱きつつ自分の欲に素直な生き方って奴を、真っ向否定するのも堅苦しいっていうか子を持つってのはそんなに雁字搦めなのかって道徳的主張に異論を唱えたい気も浮かんでどれが正解なのかを迷う。

 部屋に出入りしている見栄えの良い男性も無害の第三者て訳ではさそうで、女性2人に関わっていたりするだけに表向きには笑顔があふれて、その深層では重苦しい部分を引きずっていて、けれどもそうした葛藤を越えてみんなで生きていく生き方って奴をこれから描いていってくれるのだろうと期待。というかそうした割にべったりとした誰かとの関係ってやつがほとんどどころか完全に皆無な日々を20年も送り続けている身としては、誰かが傍らにいて新しい人もやってくるような暮らしがちょっぴりうらやましい。でもそういう暮らしを選るにはやっぱり部屋がそれなりじゃないといけないからなあ。1人すら暮らせない部屋ではなあ。マンション売ってないかな中古で貯金で買えるくらいの。

 あと「オハナホロホロ」ではやっぱり摩耶さんって人のビジュアルが最高。翻訳家って仕事もスリムでロングヘアで知的で眼鏡かけててそれなりにグラマラスで、住んでる場所もなかなかな人がいたらそりゃあ知り合いたいけどいないもんだよなあ、現実にはそんな人。もちろんいたって知り合う勇気も甲斐性もないんだけれど。漫画ではあと河合克敏さんの「とめはねっ!」の最新刊が出ていたんで購入、大阪ではお好み焼き定食にちゃんとご飯がついてくるそうな。別に普通じゃんって思うけれども大阪じゃないところでは違うのか。焼きそばだってご飯といっしょに食べると美味しいんだぞ。お好み焼きならおかず感がもっと強いような気がするけれどなあ。ドラマ版の再放送も録画できたんでお下げの部長とその姉だか妹の違いを見比べよう。


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