縮刷版2010年1月上旬号


【1月10日】不遇な境遇に喘いでいるのは何か祖霊に対してイケナイことでもしたからなのかと、反省をこめつつ不遇をヒトガタにこめてうち払う気分を出そうと、上野にある東京国立博物館に「土偶展」を見に行く。上野駅の山側の改札前にある東京文化会館にやたらと女子高生っぽいのが溜まってたんで何かと見たら東京都関連の発表会が合った模様で、ブラブラッバンな女子高生(といっても男子も混じってはいたけれど)が楽器を持って記念撮影に応じていたり、ベンチに座ってたこ焼きとか食べていたりする様はは実に青春。下にストッキングもスパッツも着けない生脚でこの冬空に闊歩できる元気ぶりは、もはや女子高生は違う生物なのかもって思いすら感じさせる。特殊な血流循環装置でも体内に備えているのか。触れて温度を確かめてみたいものだけれどそれは不味いので体温検査用のサーモグラフィに通してみたい。

 でもって「土偶展」の会場では奇遇にも誰かと出会うってこともなくひとり静かにあれやこれやを見物。意外だったのは土偶といったらこれって感じに引き合いに出されて夜に始まった「ケロロ軍曹」の再放送にも現れた遮光器土偶が国宝ではなかったってことだけど、プレートとかみていると国宝になっている土偶は紀元前2000年から3000年といった古さなのに対して遮光器土偶はは紀元前数百年といったところで、新しさもあって国宝になっていないのかそれとも国宝にするには甘い部分があるのか興味が湧く。もしかしたらさらに昔に作られたもののレプリカだとか。でもそれだって2000年以上も昔のものの訳だし貴重っちゃあ貴重なもの。どうして宝になれないんだ遮光器土偶よ。目つきが悪いからなのかなあ。膝を抱えてしゃがみ込んでる土偶は国宝。いじめられっ子の元祖ってことでの国宝指定?

前半の勢い続けばあるいは…  会場の外ではエポック社が出してた土偶のミニチュアが入ったガチャガチャを3回やってら3つとも埴輪だったというこの不遇。嫌いなわけじゃないけどでもやっぱり土偶を見に来て埴輪ってのはなあ。それもはに丸じゃなくってムンクな奴とあとひんべえ。つまりは馬だ。デカいんだけれどでもやっぱり土偶が欲しかった。また行こう。庭を猫が走っていった姿を見てこの寒空に猫も元気と感心し、動物園の前あたりで繰り広げられた雑伎団の椅子タワーをしゃがみこんで見上げるあれはきっと吹奏楽の演奏会に来ていたっぽいスカート姿の女子高生のしゃがみ込んでいるからこそなビジュアルを遠目で見つつ上野を離れて西新井大師へ。

 初の来訪で大師線ってのの仕組みの面白さを堪能しつつ屋台で最近「イブニング」のおせんで読んだばかりの横手焼きそばってのを悔いつつ中国から来たシャーピンって餃子の具が入った肉まんをぎゅうぎゅうにおさえて平べったくして焼いたような食い物を食って我らがジェフユナイテッド市原・千葉の昇格を祈念するための黄色い達磨を買って初日に片目を入れて残りはシーズン末の昇格決定時に入れようと思いつつおみくじを引いたら中吉だった。帰りがけに地元の船橋大神宮でもひいたらやっぱり中吉で、それもまったく同じ文言が書かれてあったのは弘法大師も天照大神も同じところからおみくじを仕入れているってことなのか。まさか表裏一体だったとか。家移りはともかく転職は悪くないみたい。否応なしに放り出される可能性のフォーナインぶりを勘案しつつ今から準備運動をしておくか。まずはペン習字からだ。

 上野から西新井太子へと向かって戻る途中でせっかくだからと押上でおりて「東京スカイツリー」を真下から見物。まずは線路の下をくぐり抜ける形で向こう側からで降りるとマンション横から出て正面にどっかん。実物の「機動戦士ガンダム」等身大立像を見たときもその大きさに驚いたけれどもそれとは比べものにならないほどの質量高さがそびえたっていくってのは近隣の人にしてみればなかなかのプレッシャーに違いない。っていうか普通のマンション街に駅への降り口は開いているってのはもしもオープンした後で果たして喧噪に見回れないかと心配。まあ反対側の方が直接タワーに近づける道になるから混むこともないんだろうけれど、それまでは見物に来る大人や子供でにぎわいそう。線路越しに撮れるってのもビジュアル的に良いし。

 やっとここさ冲方丁さん「天地明察」(角川書店)を読み終える。とくにスラッシュで区切られた文章とかない。なんだ普通に書けば書けるじゃん。内容も算術に感心を抱いた碁打ちの若者が、そのまま測量天文暦にも興味を広げて日本初の日本オリジナルの暦を作り上げるまでを描いた歴史小説で、何かを成し遂げた場面が描かれるプロローグからそれが成し遂げられるまでを描く本編へと入っていく展開から普通に読めてそしてグイグイと引っ張り込まれていく。名を安井算哲という江戸時代の囲碁家元に生まれた2代目は、2代目とはいえ遅く生まれたために養子に入った義兄の算知が全般的に家業を継いでいる感じの中で、どことなく中途半端な身分のまま碁で使えつつも算術に興味を持って渋川春海なんて名前もひねり出しては、あちこちに出歩いて回っている。

 その日も渋谷道玄坂にある神社に算額を見に行ったら、小難しい数学の問題が書かれた算額があっという間に解かれてしまって吃驚仰天。誰がいったいとそこにいた女性に聞くと関さんという士だとかで、誰だそれはと憧れ探して尋ね歩いてたどり着いた関さんがよく来るという算術の塾で再び女性と再会して、それが後に和算の開祖で有名になる関孝和という人物だと知ってむらむらと挑戦意欲が湧いて出て、本業の碁の仕事もしながら関に出す問題を考えたもののようやくにして完成させた春海の問題に関は即座に答えを出す。もっともそれは解答というより逡巡の果ての無回答で、すなわち問題に誤謬があったと知って春海をもだえさせ、再挑戦を期させるもののそんな算哲に酒井忠清から北極星を測量して来いという仕事が入って全国を行脚しどうにか成し遂げる。

 戻ると今度は会津藩主の保科正之から命が下る。それは狂い始めた800年前の暦に変わって新しい暦を作れというもので、本来なら朝廷が担っている暦道に幕府が挑むだけでも面倒なのに、弱冠30才にも満たない春海に下った指令に悩みつつ関との勝負に迷いつつ家業の囲碁で台頭する若手の挑戦意欲に困りつつ、自分を奮い立たせて暦の製作という大事業に挑んでいく。大局を見て打つ囲碁の世界が北極星を天元になぞらえ、宇宙を法則によって解き明かそうとする暦道と重ね、算術の発達という歴史の動きとも絡めて浮かび上がらせた江戸時代の科学にかける男たちの情熱を描いたストーリーは、それ1本でザ・プロジェクト的な感動を呼ぶ。

 興味深いのは最初は若い力でまっすぐに押していた春海も、年をとって世の理が決して正論だけでは動いていないことに気づいて、どこをどう動かせば何が起こるかということも含めて理解していったこと。囲碁の如くに布石を打ってそれを生かして自分の願いを叶えようとしてみせるその働きぶりまでをも含めて、人が作り暮らしている社会と厳然とした法則で動いているこの宇宙全体を描き出そうとしてみせた物語とも言えそう。「ばいばい、アース」も良かったし「カオスレギオン」も大好きだけれど、こうしたストレートに見えていろいろと布石がちりばめられそれが意味を持って1本の物語へとまとめあげられる本格的な小説も書いて書けるんだってことを冲方丁さん。次にもこうした物語らしい物語を書いてくれるかな。


【1月9日】 見た見た。アニメーションになった「デュラララ!!」は、成田良悟さんの原作の持つ喧噪の裏に潜む不穏な空気をヤスダスズヒトさんのイラストも含めてしっかりと再現していた上に、アニメっていう動いて音がでるメディアの属性をしっかり生かして溢れ出るエネルギーなりにじみ出る不気味さって奴を加えて描き出してあって見ていてぐいぐいっと引っ張り込まれて気がつくとそこは池袋ってな気分になれた。丸の内線を出て妙な顔面のある左右に分かれた通路を抜けて上りと下りが並んだエスカレータを上がって広がるあの町並み、そして目に入るサンシャイン60! 池袋の再現度もとてつもなく高い上に現実の池袋にはない風景も交えてあって行って見比べたくなった。

 1番気になるのが露西亜寿司。どのあたりに位置するんだろう? 聖地巡礼地図とかあったら愉快だけれどそれを見て歩いていたらでっかいサイモンにビラとか渡され引っ張り込まれた高い寿司ネタ食わされお勘定が払えず平和島静雄に引っ張って行かれて自動販売機といっしょに天高く放り投げられるからやっぱり遠慮しとこう。1巻とか読んだのなんてもうずいぶんと前なんでストーリーとか登場人物とか忘れかけていたけれど、とりあえずの1話は導入で竜ヶ崎帝人が紀田正臣やら遊馬崎ウォーカーと狩沢絵理華やらサイモンやらと出会った顔見せ的なストーリーだったんで、見ながらそうだったいたいたこんな奴らと記憶を掘り起こすのに役立った。良くできていたなあホロのPOP。欲しいなあ。

 でもってラストにチラリとすれ違ったのが1巻の中心となる彼女か。ちょど出たばかりの小説版っていうかつまりは本家の「デュラララ!!×7」(電撃文庫)だと冒頭のエピソードに出てきては矢霧誠二をその気にさせつつその姉にして弟を文字通りに溺愛している矢霧波江のちょっかいを受けたりしているけれど、その口から発せられた言葉にこいつも単なる被害者なんてもんじゃねえ裏がありそうだって見えてきた。っていうかそんな奴らばっかりじゃん、サイモンだって凄腕エージェントの何でも屋なヴァローナをあしらう凄腕だし、粟楠会の赤平だってただのやくざって以上に過去にいろいろあったみたい。とにかくみんな最強にして最凶。力比べをしたらいったい誰が勝つんだろう?

 そんな彼らのとある1日が様々な角度から描かれては、平和島静雄を狙うとある企みがついえたってのが第7巻。浮かんできたのは深い事情をしらないで、上っ面だけで結びついたシロウトたちの危険で無謀な振る舞いで、普段から関わっていればそれが絶対にちょっかいを出してはいけない相手だと知っていて普通な静雄や粟楠茜やサイモンやヴァローナやセルティたちを、向こうに回して挑んでは滅んでいく。これが小説だから最強で最凶な奴らがギュッと締めてくれているんだけれど現実にそうしたコワい面々はおらずいても今や同類気味。そんな中にシロウトが入り込んでは、人情もなければ仁義もなしに薬を売ったり人を攫ったりと、悪いことを悪とも思わず繰り広げる。

 たががはずれ底が抜けてしまったリアルな現実の社会が、入り込んできた感じもある小説世界の池袋が、そうした現実に飲み込まれていくのかそれとも現実を超える奴らが現れ大暴れしてチンケな現実を撃退し、その勢いでリアルな現実をも変えていってくれるのか。期待もしたくなるけれどもそういう訳にはいかないからなあ、セルティはともかくとして静雄は池袋で自販機を投げていないしサイモンはチラシを配っていないし園原杏里は罪歌を振るってないし赤林青崎みたいな仁義を持った奴らもいない。いるのは折原臨也を10周りくらい小さくした策謀家と、希薄なつながりでつるんで快楽に走るダラーズの成れの果てだもんなあ。それが池袋に限らず日本全土に広がりつつある。参ったなあ。

 見た見た。「おおきく振りかぶって」のアニメ再放送ではモモカンがでっかい胸元をぎゅっと抱きしめるシーンがいっぱいあってその腕になりたいって強く思った。そういやあ大昔の「東京国際アニメフェア」でこの「おお振り」とそれから成田さんの「バッカーノ!」が連続でアニメ化を発表されたんだっけどうだったっけ。アニプレックスって会社がハイエンドな作品を作っているなって印象を世間に与え始めた頃だったけれどもその後に「空の境界」なんかを作って認知度を高めそして「化物語」で衆目を集めて今や人気も実力も実績までをも兼ね備えたアニメ会社になってしまった。こんなことなら白川隆三さんが立ち上げたばかりのSPE・ビジュアルワークスに、もっとつながりをつくっておいて隙あらば潜り込んでおくんだったなあ。「はれときどきぶた」のアニメ化の記事をでっかく書いた時代が懐かしい。今じゃあ見向きもされないもんなあ。

 早朝に目が覚めたんで総武線と東西線と中央線を乗り継いでやっとこうんとこ等ピュア阿佐ヶ谷へと向かい「マイマイ新子と千年の魔法」のリバイバルレイトショーの初日整理券を確保する。9時45分くらいで13番だから出足としてはまずまずといったところ。さすがにその時間で完売とはならなかったしなってもらっては会社帰りに見たい人に見てもらえないというちょっぴり本末転倒な状況が続いてしまうんで痛し痒し。まあ初日ってことで待ってた人が詰めかけたってことでこの後は普通に夕方に買えてそして連日満席とう状況が続いてくれることを願いたいもの。その勢いで大藤信郎賞とかとったらすごいんだけれど大藤賞にノミネートされ得る公開時期だったんだろうか、っていうかもう決まってたりするんだろうか大藤賞、「サマーウォーズ」とか「よなよなペンギン」とかに。まさか「宇宙戦艦ヤ(以下略)」に……。ぶるぶる。

 人心地をつけに阿佐ヶ谷駅前にあるバーガーキングでダブルワッパーチーズとやらをむさぼり食ったらこれがなかなかに分厚かった。あと野菜がシャキシャキでウェンディーズも悪くはなかったけれどもさすがにバーガーの王って感じがした。ウェンディーズ亡き今もこれでしばらくは戦えそう。あとは値段か。肉が分厚いハンバーガーではマクドナルドがアメリカなハンバーガーを4種類ばかり作って売り始めていてその先行が秋葉原周辺でもあってとりあえず昭和通にある店で「ニューヨーク」てのを購入。分厚いパテにパンって感じがするバンズに野菜がしっかりあってベーコンも挟まっている感じはサンドイッチといった風。これがテキサスになると肉が強化されていかにもなカントリー。でもってハワイだと卵が挟まりロコモコ風になるんだとか。カリフォルニアってのもあるんだけれど別にアボガドは挟まってないよなあ、どんなだろう。秋葉周辺に固まっているみたいなんで3連休中に回ってみるか。

 横浜へと回って束芋さんの展覧会を見て青林堂な漫画の人がイメージを訥々と描きつつ並べてシュールな感じを出しましたって雰囲気でそれはそれで趣があるけどもっと密度の濃いのが束芋さんって印象があったんで、北斎漫画をさらにシンプルにしてシュールさを増した風な最近のはちょっとなかなかに難しいかも。戻って時間をつぶしてそして阿佐ヶ谷。20日ぶりくらいになる「マイマイ新子と千年の魔法」は赤いダッフル姿で最前列で見て5回目ってことで展開に驚きはなかったけれどもスクリーンが近かった分、細かい表情なんかが見られて良かった。牛車をよける貴伊子の顔とかやっぱり面白いねえ。

 終映後は片渕須直監督のご挨拶。ブルーレイ化は決まってないのかどうなのか。決めろよエイベックスもしくは松竹。どこかのおしゃれなタブロイド誌の記者が2009年のベストに「マイマイ新子」を上げていたとの記事を紹介。ふーん。ちなみに現場では読み上げられなかったけれども2位は「サマーウォーズ」で3位は「ATOM」だ。誰だその記者。顔が見たい。毎朝見てるってそりゃあ大変。


【1月8日】 夜のニュースで「アフロサムライ:レザレクション」が明日から公開って話が出ていて公開だったらしてるじゃんと思ったらいよいよ全国的な公開が始まるって話でそれにタイミングを合わせて原作者の岡崎能士さんが登場して、「アフロサムライ」が生まれた経緯とか米国でどんな感じに受け止められているかってことを話してた。だいたいが伺ったことだけれどもそれを書いた記事ではやっぱり届く範囲が狭いのが、テレビだと一気に広がるからなかなかというかやっぱりというか。マスメディアってものはそれだからこそマスメディアって名乗っていられるんだろうなあ。

 とはいえ夜中のニュース1本でどこまで動員できるかっていうのも謎で、その意味でも9日以降の評判具合を見たいところ。もしも同じ時間に同じ分量で「マイマイ新子と千年の魔法」のことが紹介されたらどれくらいの動員を運べるんだろうかってのも興味があって仕方がないけど、問題はそうやって紹介しようにも劇場が関東近隣では少なすぎるってこと。せいぜいが那須であとは清水では東京から通えるもんじゃない。

 前に上映してくれたラピュタ阿佐ヶ谷でも9日から今度は3週間の長期に渡って上映さが始まるけれど、午後8時50分からという夜のレイトショーの1回では、見られる層も限られる上にやっぱり朝からの整理券配布では、ふらりといって見るなんてことも難しそう。昼間かあるいは夕方に、1回なり2回でも上映してくれるシネコンなりが2つ3つ出ればうれしいんだけれど、そのためにはテレビで紹介される必要があって、テレビで紹介されるためにはシネコンでの上映が始まる必要があってと堂々巡り。ここにだから上映すんだという映画館の決断があれば、だから紹介するんだというメディアの決断があれば変わるんだけれどなあ。そうもいかないのが今って時代の気分に流されやすい状況なんだよなあ。難しい。

 「機動戦士ガンダム」で弟妹を抱えて危ない仕事をした挙げ句に死んでしまったミハル・ラトキエの扱いがどうしても気に入らないように子供たちが理不尽に死んでいく「ぼくらの」を苦手にしていて完結した今も手にとっていないけれどもそんな鬼頭莫宏さんが「イブニング」で始めた新シリーズ「のりりん」はほんわかとしたタイトルにマッチして内容もとってものりりんといった感じ。自転車嫌いの車野郎が自転車を小馬鹿にしていたらぶつけそうになってさあ大変。そこをひらりとかわした少女はけれども自転車のリムに罅がいっちゃったかもと言って野郎を家まで引っ張って、そこでも自転車嫌いをわめく野郎に少女の母親が暴挙ともいえる振る舞いに出て野郎を自転車にまたがらせる。

 レースとかいった展開にはなっておらず蘊蓄もあるけどそれほどでもない展開がこれからどう自転車と絡んでいくのかがちょっと不明で、自動車野郎が今さら自転車に目覚めてレースを目指す話でもなさそうだけれど、かといって街乗り専門ってことにもならなさそう。案外にメッセンジャーにでもなるのかな、でも田舎っぽい場所でメッセンジャーの需要なんかもなさそうだし。その意味でも先が注目される漫画。いきなりバトルとか始まって人がばんばん死んでいったりしたら困るなあ。そんな「イブニング」では「もやしもん」で長谷川さんがかわいげのあるところを見せていた。化粧を落とすとあんなに幼い顔になるのか。でも飲んだらやっぱり怖いんです。

 新春にサッカー雑誌も出ていたんで買って今シーズンの戦力でも確認するかと目次を遠目に眺めてはたと気づく。J1チームの布陣予想。それってつまりは我らがジェフユナイテッド市原・千葉は掲載されていないっていうことか。もちろんそういうことで、晴れて昇格を果たした湘南ベルマーレもベガルタ仙台もセレッソ大阪も掲載されていながら、古豪で一瞬だけ強豪でもあったジェフ千葉はカケラもない。

 同じ千葉県に本拠地を置く柏レイソルも当然なし。なしなしなし尽くしというこの仕打ちを酷いを酷すぎると叫びたくなるけれども、叫んだところでJ2がJ1に変わるなどということは断じてない。これがつまりは降格という奴の悲しくも痛ましい現実なのだと深く激しく思い知らされる。きっと東京ヴェルディも京都サンガもヴィッセル神戸も同じ思いを味わったんだろうなあ。ヴェルディは未だに味わい続けているけれど。

 とはいえ悲しんでばかりいると星になってしまうので気を取り直して戦力を自力で分析、おお知らないうちに割に選手がそろってきているではないですか。とりあえずジュビロ磐田から村井慎二選手の復帰が手薄だったサイドの強化になるかなあ、青木良太選手が悪いって訳じゃないんだけれどもオーバーラップのところでどうしても不満が残っていたんだよなあ、あとクロスの精度。それは誰が入っても同様だったけれどもここに村井選手が復帰すれば右と左のどちらに入ってもそれなりのボールを期待できそう。それでこそトップに入る巻誠一郎選手も生きるってもんだ。巻選手が残るかどうかはちょっと分かってないけれど。

 あとは名古屋グランパスからの山口慶選手の加入か。ずっと名前は見ていてどれくらいかはともかくそれくらいはやれそうだって印象はあるから中央に入って工藤浩平選手のサポートなんかをしてくれれば前目でこそ活躍できる工藤選手も生きるってもの。そしてトップには林丈統選手が復帰。スピード系のフォワードとして活躍してくれた新居辰基選手が出ていってしまった後だけに、戻って来てくれるのは有り難い。オシム監督の時はサブが中心だったけれども今はそういう使い方をしている余裕なんてないから、青木孝太選手と比べられつつ経験を買われて出場機会を得てくれそう。あとは抜けたミシェウ選手やボスナー選手の替わりに使えるフォワードを取ってくることか。あるいはボスナー選手の代わりになるアジア枠の誰か。キューウェルケーヒルヴィドガってすごい名前は無理でも誰かオーストラリアにいないかなあ。身長だけならギャレット環境相でも良いぞ。


【1月7日】 去年が「機動戦士ガンダム」の30周年なら今年は「パックマン」の30周年ということでバンダイナムコグループではパックマンの等身大立像をナムコに由来の大田区蒲田駅前に立てることになったんだけれどパックマンの等身大っていったいどれくらいって検討から始まってバナナやブドウを丸飲みするんだから40センチくらいはあるんじゃないか説とか画面そのままに2センチくらいじゃないか論とか出たけれどもそこはそれガンダムが18メートルで目立ったんだからパックマンは30メートルくらいにしようってことで直径30メートルの球体が鎌田駅の前にこれから建設が始められて夏には完成してお披露目として周辺のビルを食い尽くしてみせるといった話が出ているかどうかってのはちょっと分からないけどそんなパックマンを見に行く人はいるのかなあサークルKサンクスで発売される饅頭食べながら。

 原田宇陀児さんってどうやって読むのか考えるより目次見ろって話だけれども見てなかなかな難しさを持つ名前ってそれだけで衆目を引きつけられてうらやましいって本名なのか違うのか。そんな原田さん、と名字だけになるととたんに普通になってしまうからやっぱりフルネームで呼ぶべきななかもしれないし5文字を全部入れてはじめてペンネームなのかもしれない原田宇陀児さんが書いたオリジナル小説の「風に乗りて歩むもの」(ガガガ文庫)はそのタイトルにピンと来る人ならすぐに分かるだろうイアイアな邪神物って印象がまず先に立ってそして冒頭でたった1両だけが走らされたジェットコースターにさしのべられる巨大な手のようなものを見た娼婦の描写から幕を開けた物語は、3人の少女が早朝のジェットコースターに1人の少女の父親がオーナーという役得から試し乗りすることになって、乗って回って帰ってきたら1人だけいなくなっていたという。

 どこかで消えたのかそれとも最初から乗っていなかったのか。ロジカルな推理が始まろうとしていたところに土地の言い伝えに詳しい男がそれはイタカの仕業だと叫びだして事件に異質さを紛れ込ませる。風に乗ってやって来てはつまみあげて放り出す邪神だか何かが現れたのか。近代化が進み迷信の類がすべて排除された国に見えてアメリカってところはあれで田舎町に行けば割に古くからの迷信なんかが残ってそして信じられていたりする。欧州からつれてこられた神々に魔人たちからネイティブアメリカンが信奉していた精励から新しく創作された異形の邪神までがごっちゃになって人に恐怖を与えていたりする。新大陸に新しく生まれた国家でも、というかそういう何もなかった場所だからこそたとえ対象恐怖であってもそういった精神的な存在へと心を寄せたいと思うようになったのか、割に結構信じられているっぽい。

 消えた少女もそんな超常現象に巻き込まれたのかそれとも、って謎解きに誰か探偵が挑むって展開にはいかず3人の少女のうちの1人で東洋人風の“グラニット”と呼ばれている娘が家に帰されることになってそれを現場に現れた刑事とは古い知り合いらしいタクシードライバーで探偵のボガードっていかにもな名前の男が運んでいくことになるんだけれどそこに立ちふさがる様々な怪異。誰も運転していないタンクローリーに襲われたりしてますます怪異の存在なんかがクローズアップされてくるんだけれど果たしてそういうものなのか、それともって辺りに迷わされて連れて行かれたエンディングで、明らかになる真相にある種の奇想の炸裂を見せられ深い戦慄を味わわされる。ボギーと逃避行する少女の存在ってのは何か他の作品とリンクしているのかな。妙にキャラが立っている上にエピローグんところで妙に目立ってその後まで書かれていたりするし。

 撮ろうとしたはずの「バカとテストと召還獣」はとれていなかったけれども気づいていなかった「おまもりひまり」が撮れていたんで見て何か主人公の少年の声が妙におっさんくさくてマッチしてないなあと第1印象で思ったけれども、見ていればまあ慣れないことないかとずっと見ていたけれども最後までおっさんぽい声だった、ってそれはだから声優の人の問題ではなく絵柄との相性の問題なんだけれどもまあ24話くらい見れば慣れるだろうから気を長くして待とう、って2クールもやんないよなあ。でもって剣を振り回す少女とベッドにしのびこんで来る猫娘も最初は一致しなかったのは頭が惚けていたからなのか、ベッドのシーンは暗がりで神の色にシャドウがかかって色で確認できなかったからなのか。ちゃんと夜に夜色をつけるのは彩色として良い仕事なんだけれども一方でキャラのアイコンとなっている神の色を1話でまだ誰が誰かを把握できていない段階で、いろいろいじるってのはなかなかに見る側を惑わせそう、ってそれはだから惚けてたこっちの責任か。

 まあ見ていて絵はちゃんと動くし見せてもらえる谷間も激しく多そうでうれしそう。ストーリーは邪悪な存在が逆恨みで狙ってくるのをおまもりひまりが頑張って撃退していくって展開で、そうした果てにきっといろいろハーレムができあがっては主人公をウハウハにさせようとしたら何か支障があってやっぱり闘わなくっちゃいけないんだってことになっていくんだろう、そういうものだよこういうのって。でもたかが魔物封じの末裔1人が消えたって世界的には何の意味があるんだろう。御恩奉公以上に切実さで守るんだって展開があるいはあってそうした意識と排除したい勢力との存在をかけたバトルへと発展していけばスケールもデカくなるんだけれどそうしたバトルに押されて谷間とか減るのも勘弁なんでここはヌルく学園ラブコメハーレム風味をだらだらとやっていってくれても良いんじゃないの。せっかくだから見ていこう。今期はあと何があったっけ「デュラララ」「おおかみかくし」あたりか。日曜深夜は「まりあほりっく」と「ダンスウイゥヴァンパイアなんとか」と「ひまわり」じゃなかった「はなまる幼稚園」か。うーん。何かの終わりが見えて来ているような気がしてきた。


【1月6日】 静岡市が発表したみたいで例のお台場に立ってた全高18メートルの「機動戦士ガンダム」の等身大立像が、東静岡の駅前に夏にもおっ立てられることになったみたいで、新幹線からだって望める場所に屹立するガンダムに、新幹線に載っている外国のスパイはいったい日本にはどんな兵器があるんだと驚き慌てて国に打電して、対抗のロボット開発に勤しむことになるんだろう。なりません。

 いつまで立っているかは不明だけれど、予定だと来年の5月くらいまでだったっけ、それならばもうちょっとだけのばして来年にも東静岡で開催される「日本SF大会」の時まで立たせていてくれたら、全国から集まるSFな人たちがただ立っているだけではつまらないと、知恵を出し合い技術を持ち寄りSFの魂を注入して動かし歩かせてみせるだろうから是非にそれまでの据え置きを静岡の偉い人たちや、ガンダムの偉い人たちに嘆願したいところ。言いませんから言わせませんから「ガンダムはSFなんかじゃない」なんて。

 チンチンと鉦を鳴らし、ドンドンと太鼓を叩いて街を練り歩くからちんどん屋と呼ばれているってことくらいはは知っていても、明治大正のころには、東西屋とかひろめやといった名で呼ばれていたと知る人はそうはいない。いるわけがない。っていうか東西屋ってのはどこから来たんだ、とざいとーざい。そこからだって。ひろめやってのはお披露目から? まあそれも含めてチンドン屋については見た目のインパクトが強すぎて、知られていないことが実はとってもたくさんある。

 だいたいが未だにちんどん屋が東京には20組くらいいるなんてどれくらいの人が知っている? 年に1回富山で全日本チンドンコンクールなるものが開かれていて、今年も4月に開催されると知ったら驚く人も大勢いるに違いない。静岡の大道芸フェスティバルは知っていてもチンドンコンクールは知らないよなあ。どんなことをやっているんだろう。見てみたい。素人コンクールもあるんだとか。出てみたい。

 っていうか未だにチンドン屋なんて必要なの? ってのが多くの人の心情だろう。だって街中を見渡せばテレビモニターに映像を流すデジタルサイネージが普及してあっちこっちで動く映像を発信してる。最近なんて動く電車にだってテレビが付いているんだからびっくりだ。動き回る人にだって位置情報を参考にして携帯電話からダイレクトに近場の広告を伝える仕組みが発達してる。そんな時代にごくごく狭い範囲でそんなに長くはない時間(人間だから活動限界があるのだ)しか稼働できないチンドン屋に価値なんてあるのと思われて当然だろう。

 けれども、ちんどん屋はしぶとく生き残っては、街頭に明るい音楽と賑やかな口上を運んでいる。それはなぜ? 1992年にロックボーカリストからちんどん屋に弟子入りし、今はフリーの立場で活動する大場ひろみさんが聞き書きした「チンドン 聞き書きちんどん屋物語」(バジリコ)って本を読めば、チンドン屋が持っている、っていうかチンドン屋だからこそ放てる魅力があるんだってことが見えてくる。

 掲載されているのは盛期をちんどんに生きた親方たちへのインタビュー。そりゃあ厳し修行の時代もあったし、大変な営業の日々もあったけれども、誰かを喜ばせる日々の楽しさ、何よりチンドン屋だからこそ出来る、音楽と口上で衆目を引きつける喜びって奴がそこにあった。そうした雰囲気を親方たちへのインタビューから感じ取れば、チンドン屋が廃れるどころかプロのミュージシャンすら引っ張り込んで、今もどんどんと輪を広げている理由も分かる。あのじゃがたらにいた人が参加してチンドン屋の音楽をひっぱいっていたなんて、本を読むまで知らなかったよ驚いた。

 そりゃあ伝えられる範囲は狭いかもしれないけれど、その場で目にした人には強い印象を深い思い出と共に与えられる。それがリアルでダイレクトなコミュニケーションをサウンドとパフォーマンスによって伝えるチンドン屋ならではの影響力。ただ垂れ流されるだけの映像や、文字からそういったものは感じられない。だからこそチンドン屋が今も求められるのだろうなあ。もちろん古い写真から懐かしさに浸り、充実した辞典ら知識を得るのってのだけでも十分。でも、先人たちの生き様に感じる何かがあったなら、ちんどん屋の道に進んで富山のコンクールに出て全国1位を目指してみるのも人生にとって相当に面白そうだ。やってみるかいチンドン屋?

 ようやくシリアスな雰囲気も出てきた「キディ・ガーランド」はエクレールとリュミエールが今何をやっているかってのが明かされてそこにアスクールとク・フィーユの見習いコンビもESメンバーとして赴くことになったって展開に現れたおっさんの声が若本ってことはつまり生きていたのかシュバリエ長官。だったらあのタマの声が若本なのはどういうことだ。どうせ出すんだからちょっと前から使って意外性を出しつつ節約しようとしたとか。それとも2人分もらっているんだろうか若本。なら山ちゃんが1人10役くらいやるディズニー映画では10人分もらっているんだろうか。謎。興味。

 実は割と見ていた前の「キディ・グレイド」なんだけれども途中でエクレールとリュミエールが反乱を起こした側についた辺りから展開を追いきれなくなってラストがどーなったのかをあんまり覚えていない。時間の止まった惑星にとどまって2人で星の爆発を防ぐってエンディングだっったのかシュバリエ長官に生き延びる余地があったのか、ってことだけれども「キディ・ガーランド」ではそうした事件は25年ほど前に起こっていたことで、「キディ・グレイド」の事件は50年も昔のことだからたぶんすべてが決着した後にいろいろあったのが時間のとまった惑星の事件なんだろう。まあでもキャラクターを振り返る意味でも「キディ・グレイド」を見てみるってのも悪くないからボックス買うか、って劇場版3部作のDVD持ってたじゃん自分。見返すか。どこにあったっけ。

 雑誌とかで読めないんでまるでノーチェックだった松浦聡彦さん「原宿たけのこ交番」は、小学館の携帯コミックサイト「モバMAN」に連載作品の単行本で、11月12月と2巻まで登場。中身はテコンドーくらいしか取り柄のない新米警察官の青年が、スカウトされ女装をさせられ原宿にある女性ばかりの交番に配属されるというストーリー。小学館で女装というと高校生が女装して幼なじみの女の子とペアを組んで芸能界にデビューする遠山光さんの「ティンクルティンクルアイドルスター」ってのが昔あったけど、「原宿たけのこ交番」はラテックス性の胸部パーツを身に着けて触感までをも再現して乗り込むという展開で、そこにいるお色気交番長やオタ眼鏡婦警や関西婦警や真面目婦警らの、女性どうしって気安さから出る日常なんかを目の当たりにしつつ起こる事件を解決したりと業務に励む。

 絵が巧いし女性もきれいだしモバイルってことだからなのかお色気シーンもいっぱいあって、先っぽまでちゃんと描かれていて楽しめる「原宿たけのこ交番」。こんな話があったなんて店頭で単行本を見るまで気づかなかったけれど、「モバMAN」とか集英社のサイトとか紙を持たない漫画雑誌が増えてる感じで、案外に浸透してきているのかも。劇場中心にアニメ化される「ブレイクブレイド」も12月まで放送されてた「にゃんこい」も、その前にアニメ化されてた「ヒャッコ」もネットオンリーのフレックスコミックが元だったか。大手新興を問わず紙をスキップしてネットで見せるなり単行本で売るなりしつつ稼いでアニメ化でさらに売るってモデルの将来や如何に。


【1月5日】 すでに初夢の時期は過ぎているけど年もあけて間もないうちの強烈過ぎる夢だから、あるいは何かの未来を暗示しているのかそれとも昼間の記憶が定着せずにあふれ出るくらいに脳の機能が弱っているのか。SF方面で評論とかやっている牧真司さんが何故か現れ僕と2人で鳩山由起夫首相にインタビューに行くという夢。組み合わせも奇天烈なら展開も異常だけれど思い当たる節がないでもないのは昼間に届いた年賀状に牧紀子さん真司さんの名前を見ていて、それからテレビで鳩山首相の年頭所感なんかも見ていたからで、それらが頭の中でミックスされて湧いて出たのがこの夢って言えば言えなくもなさそう。なぜそれを見たのかってところはフロイト先生じゃないから分からないけれど。

 なおかつ夢には続きがあって、途中からカメラ撮影に入ると取材していた相手が鳩山首相ではなくって何故かグラマラスな美人になっていて、その彼女がいろいろなポーズを決めるところを手持ちの一眼レフで必死になって写そうとするんだけれど、シャッターがうまくおりなかったり、降りても連写が利かずに良いタイミングを逃したり、フラッシュが光らなくって画面が暗かったりと苦闘に苛立つ中で目が覚めるといった案配。まあこれも普段からカメラを使っていて、撮れなかったどうしようって不安が溜まっていたのが発露しただけなんだろうけれどもどうして鳩山取材のタイミングで出てきたのかまではユング先生じゃないからやっぱり分からない。まあ手近なところの不安が湧いて出ただけで、これからもっと大きな不安が迫ろうとしている現状でも、案外にそれを不安には思っていないって現れなのかもしれないんで、いっそそれを真に受けてスパッと縁を切るとか出来れば良いけどそれを考え出すと夢に見るどころか眠れなくなってしまうからなあ。悩ましい。

 そんなこんなでさわやかに目覚めた朝に録画してあった「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」を見ようとしたら、間違えて「けいおん」の新シリーズが録画されていた。あるいは「けいおんのヴァルキュリア」って新番組。新シリーズだからこれまでとは舞台がちょっと変わって高校とかじゃなく田舎の砦になっていて、手にする楽器もギブソンのレスポールではなく軍隊ラッパになった唯が戦争の終わった後にわざわざ志願して砦に向かう途中、通りがかった街のガラス屋さんのショーウィンドー奥からにらむ澪に出会ってすたこらさっさ。でもって街に出たら出たで水掛祭りに遭遇してびしょぬれになった所を、やって来た澪に叱咤されそれでも迷子になってしまって水辺で喇叭を吹いたら澪がトランペットで答えてくれて無事に合流。そして向かった砦には紬じゃなくってなぜか「らき☆すた」のみゆきさんがいたという。こりゃいったいどんな初夢だ?

 A1であって京都アニメーションじゃないから絵が似ているのはキャラクターデザインの人のきっと趣味か何かなんだろうけれども、シリアスなはずの世界観の中に女の子たちばかりがよりあってのほほんと楽隊なんかを結成できていたりするシチュエーションはやっぱり「けいおん」っぽさを感じないではいられない。リアルとコミカルの境目がちょっと曖昧になっているっていうか、悪魔すなわち超兵器の存在なんかを伺わせるシリアスな設定を背後に持っているにも関わらず、展開はどことなくゆったりとしているそのギャップがいざシリアス設定が前面に現れた時に、果たしてリアリティとなって見る人に迫って来るのかどうかがちょっと心配になってしまう。というかそうしたシリアスが立ち上がるよーな話なんだろーか。「けいおん」よろしく砦の楽隊の日常で埋め尽くされていくんだろうか。先の見えないオリジナルなだけに楽しめそう。

 メディアワークス文庫賞を受賞してメディアワークス文庫から出た有馬カオルさんの「太陽のあくび」(アスキー・メディアワークス、620円)を読んだら愛媛ミカンの新種をテレビ通販で売るために奮闘する高校生のがんばりと、テレビ通販でわかりやすい衣類やバッグではなく食品を売るのに苦労するバイヤーのお姉さんの話で、つまりは異能者たちによるバトルもなければ妹が下着姿で迫ってくるような展開もなく、これを「電撃大賞」に応募しようとした作者の心境についてすごく考えてみたくなった。

 とはいえ「太陽のあくび」で受賞した席で有馬さん、TV通販の会社で働いていることを明かしながら執筆して応募するにあたっては、新設のメディアワークス文庫賞を狙っていたとも話してくれたんで、大人が読んで読める話を書いたからといって電撃を避けようって気ではなかったみたい。結果は大勝利。そして内容もきわめて良質。あとはどう読者に届けるかなんだけど、振興のレーベルのそれもまったく知らない新人に手を取る人って今や少数派だからなあ。読めば分かるんだけれどそこまでが大変。これって通販番組で食品をどうやって売るかに似ているね。食わなきゃ旨さが分からないから。でも食品はカメラに向かって旨そうに食うって戦略が可能だからまだ良いか。小説尾場合は人前で面白そうに読んでみせる? 面白そうに読むってどんな感じだ。今度「王様のブランチ」でそういうことを誰かやってみせて欲しいよなあ。あるいはテレビ向けに本を面白そうに読む書評家って奴が登場するとか。

 メディアワークス文庫から出ていたやっぱりメディアワークス文庫賞を受賞した野崎まどさんの「[映]アムリタ」(アスキー・メディアワークス、530円)ってのを読んだら「涼宮ハルヒの憂鬱」のキョンが芸大に進学して俳優をやってたところを、時々お茶目さも見せるけれども基本は寡黙な長門有希が監督をする映画に出演するってことになる話で、常識はずれのボケを見せる長門につっこむキョンがとっても愉快だったりして、そん和気藹々とした雰囲気の自主映画制作ストーリーだったものが話が進みにつれでだんだんととさわやかさがはがれていって、ちょっと意外な方向へと転がっていく。

 それは映画というものが持つ魔術的なパワー、すなわち見た人をいかようにでも変容させられる映像の魔力を極限まで突き詰めたらどうなるのかって話で、ただの天才映画監督だった長門(違うって)の見かけのあどけなさ美しさの裏側に潜む、とんでもない魔性も浮かび上がって来ては読む人にミステリアスでホラーでSFなビジョンを見せてくれる。なるほどなあ。やっぱり電撃大賞にはどうかってシチュエーションだけれど、それでもとてつもなく読ませる話をすくい上げられるようになったのは電撃、ちょっと大きいかも。あとはメディアワークス文庫としての浸透力をどうやって高めていくかか。売れ行きどうなんだろうなあ。

 今出ている「ぴあ」の映画見たよコーナーに僕が出ていて「アフロサムライ:レザレクション」を激誉めしている姿を発見。これが例え「機動戦士Zガンダム」の劇場版で激賞しただろうけれど、「アフロ」の場合はやっぱり過去に見たことのないビジョンを示してくれたってところが高得点の理由。それだけの価値はあるんで上映が続いているうちにまた見に行こう。ちなみに同じ号の「ぴあ」にはゲームライターで裏では芥川賞なんかも受賞しているブルボン小林先生も載っているらしいんだけど、どんな顔でどの映画をどう誉めているのかがちょっと分からない。走ってコンビニで確認したいけど寒いからまた明日。バッハッハイ。


【1月4日】 靴下を履いて寝たり、ジッポのオイル懐炉を働かせて腹とか背中を暖め下半身の血の巡りを良くしたからなのかそれとも休日に入って寝ている時間が長くなったのが効果を発揮したからか、尻穴のそばに出来ていたドーム状の突起が小さくなったような印象で触れても痛まずどうやら峠は越した模様。薬が効いたって感じはあんまりないからやっぱり普段の養生が必要なんだろう。とはいえ完全に消えたわけではなさそうで触れれば手に丸みはあってふとした弾みで血が溜まって飛び出して来そうな様子。なのでここは寝るときも下半身を冷やさないようにして血の巡りを保ちこの冬を乗り切ろう。って風呂の湯沸かし器を直せば早いんだけれど人、入れられないんだよなあ、本の山で通り抜けられなくって。困ったなあ。

 積み残しのメディアワークス文庫から古橋秀之さんの「龍盤七朝 ケルベロス 壱」を読んだら「機動戦士ガンダム」のドズルよりも「北斗の拳」の」ラオウより強そうなおっさんが出ていた。気迫だけで周囲の人が吹き飛ぶどころか毒気に当てられ死んでしまうというくらいの迷惑さ。その上、手にした槍というかほとんど柱みたなものを投げると、投げた当人の覇気か何かも一緒に飛んでいってはそこにいる何百って人々を吹き飛ばし、街をまるまる吹き飛ばすくらいのすさまじい攻撃力を見せる。もう立って息をするだけで死ぬ人が出るすごさで、例えるなら近寄っただけで倒れる人がわんさかと出る覇気の持ち主の赤髪シャンクスとかに存在感で匹敵し、手にした長刀を一閃すれば砦が切り裂かれる白ひげとかにパワーで匹敵するかも。「ONEPIECE」の世界に生まれたらすぐに四皇か七武海だな。

 そんなすさまじい王者に挑むのは飄々とした兄ちゃん。とはいえ手にした武器を投げれば100歩を飛んで人を吹き飛ばすくらいの力の持ち主で、かつて戦場で出会った4人の男たちを手下になれと諭したものの戦場で出会ったのが例のラオウより強そうな男で、投げたヒョウはあっさりと跳ね返されて攻撃を返され4人は死んで自分ひとりが生き残り、それを抱えながらも表面だけは飄々と生きている。そんな彼のところに飛び込んできたガキが1人。ぼろぼろの風体でただの浮浪児かと思いきや、なにやら分け有りのアイテムを持っていたから驚いた。兄ちゃんも最初はそれを単なる広い物と思ったか、あるいは真物であっても持ち続けることに意味はないと考えたか、売り払って金にかえてガキを追い払おうとしたもののそのガキが半端ではない強さを持っていて、なおかつおそって来る輩もいたからこれは困った。

 観念してそれをよりどころにしてさあ旅に出ようと画策した時にやって来たのが、当のラオウより強そうな王者。腕を破壊され仲間だった鐘突の男は目をやられてさらに街を吹き飛ばされる被害を追いながらも生き延びた3人は、いよいよもって天下を目指し街の敵討ちを目指して立ち上がるという、もうとてつもなくパワフルでスケールのでかい物語が始まりそうな予感をさせて終わるんだけれど、同じ世界を舞台にした秋山瑞人さんの作品が1巻で止まっていたりする昨今の情勢を鑑みるに、果たしてこれで古橋さんのシリーズがちゃんと続いていってくれるのか、そこに秋山さんのシリーズも乗っかってさらに輪を広げてくれるのか、やっぱり秋山さんに引きずられてシュリンクへと向かってしまうのか、興味深いけれども出来れば2人まとめて一気に話を広げていってもらいたいもの。ケルベロスっていうからにはもう1つの頭があるんだろうなあ。三つどもえ。それは誰。楽しみ。

 積み残しのメディアワークス文庫から渡瀬草一郎さんの「陰陽ノ京」シリーズに面ナウ「陰陽ノ京 月風譚 黒方の鬼」を読んだらキャラクターに関しては前のを引っ張ってちゃんと陰陽ノ京だった。といっても主人公は賀茂忠行の子で賀茂保憲の弟にあたる保胤ではなくって保憲の息子の光榮を主人公に当てた上にキャラ立ちっぽいシチュエーションを取らないで、方術バトルに人情と政略を絡めた話になているってあたりが一般層も取り込みたいメディアワークス文庫ならではの書きっぷりっていったところか。

 その光栄が保憲から命じられたのは藤原実頼を狙った呪詛を解明して実頼を救うって仕事。ライバルともいえそうな住吉兼良にも話がいっしょに持ち込まれたものの事情を勘案して仕事を受けず、とりあえずは光榮がひとりで解明に向かってどうにかつかんだ状況は、実頼がかつて助けた女性から生まれた娘がいて、彼女が何か鍵を握っていそうだということ。やがて呪詛の原因となっていそうな鬼を撃退して一件落着かと思われた矢先に、さらなる呪詛が現れ皆を危地へと陥れようとしたその時……といった展開の派手さもあって結構しっかりちゃんと読ませる。つまりは光榮と清良との裏表な関係が意味するとことって奴で人によっては×で2人の間をつないでいろいろと妄想を働かせそう。電撃文庫版だとそこは保胤と伯家の娘だけれど男性名の時継ってツンデレちゃんとの関係やら、晴明の息子の安部吉平と時継の従者で男装の美少女、貴年とのおしゃまでまっとうな関係に流れてしまうからなあ。シリーズを通してやっぱり光榮と清良の腐れ縁的な話にするのか、伯家の娘も出してくるのか。出して欲しいけれどもこのままでも良いような感じ。両方描いてくれたらなお結構。

 積み残しのメディアワークス文庫から杉井光さんの新刊「すべての愛がゆるされる島」を読む。愛し合っている2人だけが開ける孤島の教会の扉にまつわる謎ときに、現在と過去と現実と虚構とを重ねて描いていく構成の妙があって、割と薄い本なのに読み応えを感じさせてくれる。愛の様々な形を羅列して肯定していくような話を想像していただけに、そのあたりではちょっと気がそがれたけれども謎解きの部分はなかかなの興味深さ。世に幾つも伝わる奇蹟ってのもあるいはそうした偶然なり必然が絡んでいたりするのかもしれないなあ。歴史のいたずらをどこにも入ららない島の奇妙な設定に当てるあたりとか面白みもあるけど、それがSFかどうかは曖昧模糊。しかし杉井光さん、活動が幅広いなあ次はどんな設定の物語を書いてくれるかなあ。


【1月3日】 目覚めたら死ぬほど寒いというか、死んだら寒さなんて感じられないんだけれどその瀬戸際まで追い込まれそうな寒さの中を、それでも時間を浪費することが出来ない性分と「機動戦士ガンダム」のレーザーディスクを見返しながらダラダラと過ごす寝正月にしてしまうことはせず、むっくりと置きてさてどこへ行こうかを呻吟し、西新井太師なんてのも浮かんだけれどiPhoneとか持ってないんで、行っても無駄だと即却下。かといって高校サッカーでは芸がないんで、ここはやっぱり毎年恒例の「ライスボウル」へと出向いて若いチアリーダーのエネルギッシュな躍動から今年1年を乗り切るパワーをもらって来ようかと決めかけてふと考える。

 双眼鏡がない。あるにはあったんだけれどそれはしばらく前に接眼レンズがはずれて使えなくなって捨ててしまった。それが行方不明になっていた時代に買ったもうちょっと倍率の高い奴もここ1年2年は見かけてない。つまりはクローズアップでチアリーダーを観察するのに必要な道具を持たない状態で、行かなくてはならないこの慚愧に、耐えられそうもないと行く気もみるまに減退してしまう。

 だがしかし、欲望は倦怠に勝るもので、多分そのあたりにならと見当を付けて掘り返した本の山の下から、見事にビクセンの高倍率の双眼鏡を発見。これがあればどんな場所だって歩いていけると喜び勇んで鞄に入れて、本も何冊か持って家を出て秋葉原経由で水道橋へと向かう。秋葉原ではヤマダ電器の特売か何かで出ていたNECのノートパソコンをわんさ抱えた中国か台湾の人たちがいっぱいいたけど、あれってそうした国で売れるものなんだろうか。ただのノートパソコンなのに。

 IBMが中国に代われたりネットブックの多くが台湾のメーカーで作られていたりって感じに、パソコンなんて日本よりもアジアの国々で買った方があるいは安いんじゃないのってこのご時世に、NECを買い占めるってことの意味がちょっと分からない。それとも取り付けられているCPUを直列させると、何かものすごいマシンになったりするとか? PS3じゃあるまいしそれはないか。多分ブランドとして確立されたものがあるんだろうなあ、日本ではもう過去でも、大陸とかではNECってブランドに。

前半の勢い続けばあるいは…  そこから2駅を乗って到着した水道橋でチケットを買い、左側の社会人コーナーには目もやらずにひたすらに大学生側のスタンドを目指して歩く。なぜって理由はだからチアリーダーを見に来たのであって、それが見られる場所は1塁側のスタンドの前の方だって決まっているから。えっと社会人にだってチアリーダーはいるんですけど、って意見があるのは承知。でも違うんだ、社会人のチアリーダーと大学生のチアリーダーって。

 まずスタイル。社会人は細くて長身で出るとことはちゃんと出ていてとっても美麗。大学生は縦はそこそこで横にも時々あったりする上に、脚とかとっても頑丈そうで、踏みしめれば大地にさまざまな恩恵を与えられそう。どすこい。そして顔立ち。幾多のオーディションを経て選び抜かれてメンバーとなっただけあって、誰もが整った容色をしていて、それをさらに化粧で整えた輝きにあふれているのが社会人のチアリーダー。対して大学生側は大学生から集めてきたような容貌ばかり、ってそれ当たり前じゃん大学生のチアリーダーなんだから。

 つまりは見た目雰囲気のすべてにおいて社会人に軍配が上がる。上がるけれどもそうした社会人のチアリーダーが見せる演技は、どちらかといえばダンス・エンターテインメントの領域に入ってしまっていて、見ていて麗しくはあるけれども心に響いてくるものがあるかどうかといった部分で、ちょっと考えさせられる。対して大学生のチアリーダーはそれが仕事というよりもそれが大学生としての人生といった緊張感が誰からも漂っていて、見るほどに声援を送ってあげたくなる。声援を送るチアリーダーが声援もらってどうすんねん、って意見はあるけれどもそうした相互の声援の中から醸し出される場の雰囲気が、とっても心にすがすがしいのだ。

 なんつって。単に頑丈そうな脚が好きとか若けりゃ若いにこしたことがないとかスカート姿なんでその下に履いている物がたとえスパッツなりアンダースコートでも見えれば妙にうれしいとかって意見も実はあったりなかったりするかもしたりしれなかったりするんだけど。どっちやねん。という訳でよく分からない人には分からない趣味を発揮して、1塁側に陣取りチアリーダーの練習を眺めやや背の高い人はスカート丈が相対的に短めになってしまって、立っているだけで下がのぞいてしまうなあとか思いつつ、始まった試合の行方を見てその攻防のすごさにぐぐっと引っ張り込まれる。

 今年の出場は関西でも老舗のチームでありながら、長く全国の舞台から遠ざかっていた関西大学とそして社会人を勝ち抜いた鹿島ディアーズってチーム。前半こそ関大がタッチダウンを奪い、トライフォーポイントを決めフィールドゴールも2本ばかり奪ってリードをし、それに食らいつこうとしても鹿島はなかなか攻撃の脚が伸びず、押し込んでセイフティって今までにあんまり見たことがない、ラグビーだったらスクラムトライみたいな押し込みでもって2点を返すのがやっと。このまま関大が押し切るのかと思った後半になって、いよいよ社会人の本領発揮というか勢いをつけて守備陣を吹き飛ばし進む鹿島のランが出始めて、関大がじりじりとゴールに迫られそしてトライやフィールドゴールなんかを奪われて、遂に同点にまで追いつかれる。

まさにラストのフィールドゴールが蹴られた瞬間。斜めに走る軌跡がボールか  ここでもしも関大があの時のフィールドゴールをトライにしておけば、って後悔も生まれるんだけど後に立たないのが後悔ってもので、同点にされてなおも攻撃する鹿島が残り時間も少なくなった中で、ゴール近いところまでボールを運んで、ここからならいつだってフィールドゴールを決めて突き放せるってなった段階で、関大の敗北はほぼ決定していた。そして、残り4秒という劇的な時間から鹿島がフィールドゴールを見事に決めて3点を加えて、関大を突き放して勝利を飾って今年のライスボウルは幕を閉じた。残念ではあったけど関大、後半にほとんどゲインできなかった状況から見れば、この敗北も仕方がないことなのかもしれない。

 あのままもしも同点で終わった場合は、延長とかになってたんだっけ、トライの数とかで決めたんだっけ、そういった部分があったのなら何が何でも死守すべきだったのに、第1Qの時みたいな守備が出来なくなっていた時点で、勝利の目は消えてしまっていたんだろう。残念。まあ良いたっぷりとチアリーダーは拝めたし、敵のタイムアウトの時に見せてくれた「うる星やつら」の「ラムのラブソング」にあわせて踊ってハートマークを3つ作ったりするチアは、とっても可愛らしくって、楽曲の懐かしさとともに正月三が日を締めくくり、これから始まる暗黒と背徳の1年というか多分1年も持たない数ヶ月を、乗り切る勇気を与えてくれた。ありがとう関大のチアリーダー。たとえ太くてもたとえ上下に分かれた衣装からのぞく腹が段になっていても僕はあなた達を心から応援します。いやあはみ出るものなんだなあ。腹。

 丸の内線で東京まで出て丸善をざっとなめてから通りがかった服屋さんで福袋をみかけてついつい買ってしまったら、中身はピンクのワイシャツと黒いベルトとプラチナのネクタイと茶系のマフラーとアスコットタイが入ってた、ってそういうのが入っていると知って買ったものだけれども、考えてみればワイシャツなんざあもう何年も来てないし、ネクタイだって月に1度も締めやしない暮らしが続いていて、必要なさそうなものばかりだけれどそれでも買ってしまうのが、福袋なのだとしか言いようがない。何というか。ああでも状況が状況だけにワイシャツにネクタイが必要になるかもしれないなあ。初対面の人には見た目がやっぱり肝心だろうし。ピンクのワイシャツにプラチナの対で見た目も何もないけどね。履歴書とか買い込んでおいた方が良いかなあ。


【1月2日】 3が日もあっという間に過ぎてしまいそうになったんで、ちょっとは仕事に役立つことをしようと早起きして京成で押上まで行き、そこから東武伊勢崎線とやらに乗り換え鷲宮へと向かう。途中の押上で目に入った巨大なタワーは新東京タワーとやらの基盤か。相当な高さになる割には上海のテレビ塔みたく(実は建設途中のを93年秋に見ているのです)基盤がどっしりとしておらず、ひょろりとしてすらりと長い塔になりそうで、傍目にはいつ倒れてくるんじゃないかって不安も招きそうな雰囲気。でも近づくと直径が100メートルとかあって実はぶっといとか。

住民票より戸籍を買ってそこに名前を載せたい人の数  もっと近寄って見たかったけれども急ぐんで地下から東武に乗り換えそこかからまずは栗橋行きで春日部あたりまで走り乗り換えて久喜へ。そこから各駅停車でひとつ行った先にある鷲宮に到着したのはだいたい9時40分くらいで、時間的には家を出てから2時間くらいかかったって勘定。いつもはJRで西船橋から武蔵野線に乗り換え南浦和から新浦和までちょい歩いて東武に乗り換えるルートをたどっていたけど、どっちが早いかっていうとどっちもどっちといったところ。今日は奇跡的にほとんど待ち時間がなかったから同等だったけれど、これで間に時間を挟むとやっぱり船橋あたりからだとJRで南浦和に行くのが1番賢かったかも。来年はそっちに戻そう。

 でもって到着した鷲宮神社では真っ先に300円で住民票を購入。人はそんなに並んでなかったけれどとぎれるって感じでもないのは2日目だからかな。初日はもっといたのかも。でも駐車場だけじゃなくって鳥居の下にも店を広げて看板持った人が呼び込みやっていたのはなかなかの大盤振る舞いっぷり。前の住民票でも確か、その収益は町の整備なんかに還元されて街路灯が新しくなったんで、今回もいろいろと計画があっていっぱい売りたかったのかも。まあ3が日でとぎれることもなさそうなんで、半年くらいかけて売っていっていただければ春先になってまた行った時に買い足すんで宜しく町長。

 参拝は15分ほど並べば可能な感じなのは2日目だからなのと早朝だったのが大きかった模様。並ぶ巫女さんから福銭の入った袋を拝領しておみくじをひいてまたしてもの小吉に今年を閉じこもって行きようと決意。そして厄除けと方位除けのお守りを買い天照大神のお札もいただいてこれで部屋に明るさも射すと期待したもののしょせんは我が部屋、堆くつもった本に日の光が届くはずもないのであった。片づけろよ。屋台では地元の人がやってた店デサーターアンダギーをもらい朝飯代わりにかきこみ、高市からはフランクフルトの長いのを買ってむさぼり食ってから少し散策。ツンダレソースとやらもポスターを見かけたけれども買っても使う機会がなさそうなんで遠慮して、埼玉新聞が出してたブースで「らき☆すた」のかがみとこなたが新聞を読んでいる特別製ねんどろいどの予約をする。こんなの作ったんだ埼玉新聞。

 前も確かTシャツなんかを作って売っていたけどそういうことを新聞社がやってしまうってくらいに「らき☆すた」が、埼玉のキャラクターとして認知されてきているとうか認知させたがっている人を生み出すくらいの存在になっていることにまず驚き。そして47clubっていうどちらかといえば地域の特産品を取り扱っている地方新聞社の合同サイトでこういったオタクなアイテムが売られているって状況が、割と普通におもえるくらいに地域にとってキャラクターが大きな意味を持っているんだってことが見えて感慨。もちろんいわゆる地域密着のゆるキャラなんかも一方にはあって愛されていたりするけれど、昔からあるそうしたマスコットとは違った所で勝負できるようになって来ている状況、そしてそれらが一過性ではない熱烈なリピーターを生んでいるって状況をもっと世間も認め、取り入れ利用しようとすればさらに面白いアイテムが出てきて楽しませてくれそうな気がするなあ。とりあえず信濃毎日新聞あたりに東方物を。静岡新聞は「機動戦士ガンダム」の立像到来記念グッズを。

看板だけでは1ヶ月も持たないところをここは!?  そんな地方新聞社の集まりに自称とか準とかつきそうな全国紙が混じっていたりする謎については深く考えないようにして、早々に鷲宮を後にしてさてどこに行こうかと考えて、時間もあるんで八王子とやらに出来た“萌え寺”とやらを見物しておくのも一興と調べて了法寺だと確認。どうやって行けば良いのか探ってとりあえず東武で久喜まで行って宇都宮線から新宿湘南ラインへと入って新宿まで行き中央線で高尾山へと向かう電車に乗るかどうかを考えたものの、久喜で都合良く半蔵門線経由の電車に乗れてそして座れたんでそれで新越谷まで戻ってJRに乗り換え、武蔵野線で西国分寺まで行ってから中央本線に乗り換え立川まで行き高尾山方面へと向かう電車で西八王子まで行ったら2時間かかった。まあそんなもんだよなあ、東京ほとんど縦走してるし。

 さぞや沿道にも萌え看板がいっぱいかと思いきや案内もなく静かなもので、銀杏の香り漂う街路を歩いて5分ほど。到着した了法寺はまさしく“萌え寺”でありました。といってもとりあえずデカい看板が1枚あって、そこかしこの案内表示にカワイイ弁財天か何かのキャラクターが描かれているって程度なんだけれど、それだけでも人が関心を寄せるってのが昨今の情勢。なおかつそうやって向いてもらった人たちを飽きさせないよう、冥土カフェの1発に終わらずグッズを作って並べて売り、9日には餅つき大会なんかも開いてまたしても人を引きつけ楽しんでもらおうとする継続性を持っているところが、この寺が単なる便乗ではない何かをやろうとしているんだって感じさせ、人を集めることにつながっているような印象を抱く。今時の世知辛い世の中。大人の嘘も醜さも苦手にしている若くて頭の良いオタクが、単なる便乗に振り回されるってことはないもんなあ。秋葉原のドンキ上に集まる人たちはどうだか知らないけれど。まああれはあれで振り回される苦楽を味わうという一種のパフォーマンスを誰もが認識してたりするんだろうけど。でなきゃあそこまで着いてはいかないよね。よね。

 意気軒昂と感心して派手なTシャツを1枚購入。どこで着るんだ。まあどこかで着よう。駅まで戻って電車を乗り継ぎ家へと向かう途中は日日日と書いてあきらと読む日日日さんの「みにくいあひるの恋」の第2巻を読んで読み込んでなあるほど。恋をしたら死んでしまう病気が蔓延して何とか免疫も生まれた状況下で、それでも免疫ができずに恋をしたら死んでしまう体質を受け継いだ少女が、恋しい気持ちを抱きながらもそれをいえない苦しさにもだえていたりする一方で、恋をされた相手は少女がそうした病気であることを知らず、すでに遺伝病は解決されたものと思いこみ、けれども弱そうな少女に心底の親切から優しくしてしまうから少女にとってはたまらない。

 少年には血のつながらない少女が妹として迎えられ、後に結婚する許嫁となる制度をもとにした妹もいたりして、そんな妹から堂々と愛されていたりする状況もあってそんな幸福を自分がぶちこわしてしまう恐怖、恋の病であることを告げれば確実に気を引けるけれども、恋が成就すれば自分は死んでしまうという悲しみも背負ってどうにもできないもどかしさ、そして何よりそれで死んでしまえば少年は一生を悔いて生きることになってしまうのではという懸念が少女をさらに迷わせ苛む。ならば病気を治すしかないと赴いた先で、与えられた特効薬の何ともいえない残酷さ。さらには少年に気づかれてしまうという大失態が、事態をさらに複雑にして少女を惑わせ妹を振り回し、少年自身も苦しませる。八方ふさがりの中で果たして解決の道は示されるのか。示して欲しいけれども日日日さんだからなあ、残酷エンドだってありそうだなあ。せめて吟ちゃんだけは存命を。あの娘のぞんざいさが好きだ好きだ大好きだ。


【1月1日】 たとえCSとかで年越し「機動戦士ガンダム」特集があったって見られないしそもそも今年はそうした特番がやってないんで「アニソン紅白」から帰宅してとっとと寝て起きたら良い時間。これでは遠く鷲宮神社は間に合わないし、元旦は行っても大行列だからと遠慮して近所の中山法華寺まで出向いてねこ焼きを食べてたこを触る……じゃなかったたこ焼きを食べてねこを触る。ここん家は参道の途中に猫がいてそれがまるまるとしていてふかふかとしていてとっても上手そう、じゃなかったとっても暖かそうで、おまけに慣れているから触っても逃げないんで、おーいよしよしと近づいていって触れて楽しむのが正月の恒例にここんとこ数年間はなっている。

 初詣が神社ではなく寺なのは、ここん家にある鬼子母神が厄除けによさそうなのを見て厄年に入った年から3年連続でお参りして、お祓いをしてもらってお札をもらって帰ってきたことがきっかけになっていて、その御利益もあってか厄年の最中に会社は傾きかけて賞与は減って仕事は忙しさを増して髪の毛は抜けて彼女は出来ず部屋は狭くなり体は太くなって足は臭くなったけど、それでも潰れはせずゼロにもならず同僚みたいに死なずには住み丸坊主ではなく彼氏もできず部屋に未だ居場所はあって体重も100キロは超えずに住んで足は臭素と化すまでには行かなかった。

 つまりはどうにか厄年を超えたってことで、後は良くなるばかりかと思ったら、会社の傾き具合はピサを追い越し賞与は20年前に近づいてもはや瀬戸際まで来ているだけにここはしつこくお参りしておかないと、4月は迎えられそうもないと思い今年もしっかりかけつけては、お参りをしてお守りを買って我が身を守ろうとしている状況。今年はさらに鬼子母神をモチーフにしたキャラクターのハンカチも登場したんでそれも購入。身につけているときっと子供が食べたく…じゃなかった人に愛を施しそれが我が身に帰ってくる幸せを得られるようになるに違いない。願わくは春を超えて無事にそれなりなところに落ち着いていることだけれどその前に怒濤の嵐が来そうな雰囲気もないようなあるような状況だからなあ。鷲宮神社でも強くお参りしておこうかなあ。

 恒例となったイイダコ入りのたこ焼きも食べたけれども昔みたいに脚も頭もまとめて1つが入ってはおらず頭が3つに脚が3つの分割モデル。それとも昔っからそういう風だったっけ。ちょっと舌に自信がないけど去年からセパレートになったなとしたらやっぱり不況が影響していたりするのかなあ。初詣の人も午前中とはいえ昼に近い時間でそんなにおらず大行列が出来ていなかったし。不況だから神様仏様に祈る人が増えるっていうのは間違いで、不況ともなるとそうした場所に出ていくことすら億劫になるっていうか、神も仏もいないのかと嘆き落ち込み引きこもる人が増えるっておいうのか、ともかく初詣も減るものなのだという分析があるいは、どこかから出ていたりするのかな。その辺も鷲宮神社で改めて調べてみたいところでもある。あそこはあそこで別の要素があるんだけど。っていうかこの3年はそれだけが要素になっているんだけど。

 駅前のマクドナルドでチキンタツタを食いながら三雲岳斗さん「ダンタリアンの書架」の第4巻なんかをつとつと。匂いで感情まで見分けてしまう調香師さんが出てくるエピソードで、びっくりして硬直してしまったところをジャコウネコにガリガリとよじ登られるダリアンの姿を絵にして見たくなった。あと火事になって燃えてしまった屋敷でジャコウネコがどうなってしまったかも。やっぱり丸焼け? だったらさぞやいい匂いで燃えたんだろうなあ、とか。そういうものではないんだけれど。最終エピソードの焚書官が出てくる話で新たに現れた無限の顔を持つミスリルがヒューイとダリアンの話に絡んで来るかにも、ってそういう話って既にあったっけ、読んではいても記憶からこぼれ落ちていってしまうな。僕も脳内にダンタリアンの書架が欲しい。

 こっちは飼い猫を触ってから戻って家でサッカー天皇杯の「ガンバ大阪対名古屋グランパス」を見たら名古屋が大阪に粉砕されていた。いやあ。前半まではちゃんと行っていたんだけれど後半の2点目を遠藤選手に決められたのがちょっと痛かった。あそこでディフェンスが半歩前に出ていたら? やっぱり止められなかったかなあ。それでも同点い老津ければあるいは流れを引き戻せたかもしれないけれど、多分アレックスの半端なタックルにも動ぜずにボールを運んだガンバのカウンターがグサリと決まって3点目を奪って万事休すといったところ。あそこでディレイできていれば3点目は与えずに済んだかもしれないのに。そんなミスの重なり合いが名古屋を天皇杯から遠ざけACLからも遠ざけてしまったんだろうなあ。いくら厳格なピクシーでもそうした緩みを引き締められるだけのカリスマは、まだ備わっていないのかも。闘莉王選手をちゃんと御していけるかな。やや心配。かといって御大にアドバイザーなんかされるのも嫌なんで、ジェフ千葉は今のうちにちゃんとルートを取り戻して、御大から何か学んでおかないと10年をJ2で過ごすことになるぞ。10年で済むのかって? ごもっともごもっとも。


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