縮刷版2009年7月上旬号


【7月10日】 誕生日に「機動戦士ガンダム」の18メートルもある等身大模型が立ち上がるとはよほど「ガンダム」に生きる人生が運命づけられているというか何とか。まあそれほど「ガンダム」に使ったお金は多くはなくって、レーザーディスクにDVDのボックスを会わせたところで20万円は行ってないし、雑誌の類も「ガンダム」で買ったことは初期の「アニメック」を除けばほとんどない。「ガンプラ」に至っては出た頃に1つとその再発が出た時に2つとあとはMGの「マーク2」を買った程度だから、足したって1万円に届くかどうか。その意味では金銭的な部分での依存はない。だからやっぱり人生において受けた影響ってところに「ガンダム」の大きさはあるんだろう。

 アニメを見るようになりSFにのめり込むようになった挙げ句の現在地点。もしも「ガンダム」が無かったら果たしてどうなっていたか。「ヤマト」に「コナン」でも十分過ぎるくらいの影響はあったけれども、今ほどの強さで関心を寄せるようなことはなかったに違いない。お金ではなく時間。そして人生。それを奪った「ガンダム」にだから返せとは言わないけれども、ちょっぴり押しつけましさも出てきたその存在感に辟易とさせられないで、果たしてこれからの30年を過ごせるか。続くようなら3年5年で綺麗さっぱり「ガンダム」から脚を洗って萌えに耽溺した人生に、シフトしているような気がする、って既に半分以上はそっちだけれど。萌え。

   誕生日にアニメ雑誌の新刊が出るとはよほどアニメに生きる人生が運命づけられているというか何とか。とりあえず「月刊アニメージュ」の2009年8月号をペラペラ。安彦良和さんが「メディア芸術総合センター(仮)」とか児童ポルノ禁止法案なんかについて言及しつつ自主規制のヤバさなんかを訴えている。あとそうした鬱陶しさを一方に持つ行政が果たしてあらゆるメディア芸術を分け隔てなく扱えるのかという懐疑なんかも明らかに。ごもっとも。だからこそ懐疑を払拭するようなアプローチを行い行政に“目覚めて”もらわないと100年経っても何も生まれないような気がするなあ。そんな安彦さんのイラストには「メディア芸術総合センター(仮)」とともにお台場に立つ等身大ガンダムが。マルシー? ある訳ないじゃん。

 普通の記事とかいろいろあるけど注目は新番組で「夏のあらし」の第2期が決定の模様。肝心要の海水浴に温泉の回をまだやってないもんなあ、そこをやらずして何がアニメぞ。期待しよう。いつから放送だろう? でもって我らが成田良吾さんの「デュラララ!!」がアニメ化でスタッフは「バッカーノ!」と共通。キャラクターはエナミカツミさんと並んで成田作品を支えるヤスダスズヒトさん。ツンツンデレデレなアニメでも見たあのスタイリッシュなキャラが成田節の上に乗ってどう動くのかに注目。セルティちゃをどう会話させるかも。普通にワープロで筆談かなあ。吹き出し付けるとかしないかなあ。声優さんとか付くのかなあ。

 ライトノベルではいよいよもって山形石雄さんの「戦う司書」シリーズもアニメ化、と。ハミュッツ・メセタのいやらしくも立派な谷間もしっかりのぞくカット1枚から期待もぐんぐんと膨らむ。ミレポックが強そう。ノロティちゃんも立派そうだけれど原作での行く末が行く末だっただけに、どう扱われるかが気になるなあ。しかしアニマックスとBS11とバンダイチャンネルってのは哀しいなあ。集英社スーパーダッシュ文庫系は「アキカン」に「現代魔法」とそんなのばっかり。見られないとDVDに手が伸びにくいんだよなあ。でも買うかなあやっぱり。そんな期待に答えてくれるクオリティになってくれることを兎に角期待。超期待。

 奥田英朗さんの「空中ブランコ」は「モノノ怪」の中村健治さんが監督なだけに幻想と狂気の入り交じった不思議なビジョンを見せてくれると期待大。「聖剣の刀鍛冶」はセシリーの胸元に注目、か。肩当てはガムテープでは留めてないよね、ってそれは「ライトノベルフェスティバル」のコスプレの人だった。続編系では「DARKER THAN BLACK 流星の双子」がどうなるかってところか。偽C.C.のアンバーはもう出ないんだろうか。キャラでは蘇芳・パヴリチェンコってのが登場の様子。能力者? 対価は? って辺りの設定を思いだしつつ放送開始を待とう。これは10月だからすぐだよなあ。その時期にいったいどうなっているかは神だって知らないけど。

 「DARKER…」は「月刊ニュータイプ」2009年8月号の方が詳しい感じで、蘇芳のほかにターニャ・アクロワって豊満とペーチャって「絶対可憐チルドレン」から借りてきたよーなモモンガだかムササビとかが紹介されている。あとニカにサーシャにエレーナ。見るととっても愉快なコメディっぽい作品。でもそういう話だったっけ? フェイクかやっぱり。まあ「東京マグニチュード8.0」の紹介が小さい男の子のカワイイ日常って感じの紹介になってて原作とまるで違うんで、コンセプトを合わせてそういう版権を頼んだだけだと推察。本当は恐い「DARKER THAN BLACK」。だと良いな。

 DVDやブルーレイの発売情報もいろいろあって割と欲しそうなのが目白押し。「シャングリ・ラ」は迷っていたけどどうやらテレビでは間引かれている白いのとかが見えていそうなんでちょっと興味。村田蓮爾さんの絵のは買うのが習い性になっているからなあ。迷う迷う。「BLEACH」は破面とのバトルあたりからテレビで追いかけ始めただけなんだけれど、その破天荒さに興味がそそられ5周年記念の1話から63話までを詰めたボックスに関心が増大中。2万9400円は安いよねえ。1年分以上ある訳だし。ジャケットの朽木ルキアがなかなかだし。「東のエデン」はおまけが多そうなんで早めに拾おう。でもってルルーシュに「空の境界」も出たりするから大変だ7月。「サイボーグ009」も出るんだよなあ。金ないぞ。どこからか引っ張って来なくっちゃ。totoか。LOTOか。

 白川道さんといえばコワモテっぽい雰囲気を勝手に抱いていたけれど、最新刊として出た「最も遠い銀河」(幻冬舎)を読み始めたらこれがもうむっちゃくっちゃに面白い。上巻だけ読んであまりの面白さに下巻をそのまま引き継いで、夜が更けるのも忘れて2時間くらいで読み終えてしまったくらいの面白さ。今年のエンターテインメントのベストに確実に挙がってくるんじゃなかろーか。曖昧模糊として仄めかしばかりの「1Q84」よりも面白いって言う人がいたって不思議じゃない。むしろ支持する。それくらいに面白いのだこの小説は。

 小樽港で死体が上がる。ぐるぐる巻きで重しを付けられ沈められた死体。けど殺された形跡はなし。若い女性。身元を特定できそうなのは半分にカットされたテッポウユリのペンダント。けれども誰か結局分からず迷宮入り。ところが何年か後。捜査に関わり定年を迎えた壮年の男がテレビを見ていて、人気ジュエリーデザイナーが半分にカットしたテッポウユリのペンダントを作った思い出を話す姿を目の当たりにする。これだ。聞きに行くものの誰だかは分からない。誰なんだ? それは新進気鋭の建築家。最愛の女性を白血病で亡くし、思い出深い小樽で眠りたいという彼女の願いをかなえてあげた。死体遺棄ではあっても殺人ではない。そして男は彼女の遺志を受け付いて、建築家として名を成すもののそこに過去の因縁がふりかかる。

 最愛の女性が覚醒剤に溺れて寿命を縮めた原因を作ったアメリカから男が帰ってきた。レジャー企画開発会社の御曹司。売春組織で知り合った女を薬漬けにしたのが彼だった。半ば仇と思いつつ黙していた建築家は復讐の念を燃やす。かつて新宿で共に不良をやっていた男も出所して来て復讐に噛もうとするものの、そこにやっかいな事件が起こる。建築家にも身辺に捜査の手が迫る。さらに、ライバルで友人でもあった若手建築家との間に亀裂が生まれる。いったいどこに帰結する? 底辺からはい上がろうとして足掻く男と、刑事としての執念もあって死体の女の身元を確かめたいと飛びまわる老人の動きがクロスした果てに浮かぶは悲劇か、それとも悪の帝王の誕生か。

 読み終えればどちらかというと一抹の寂しさも覚えそうになる物語だけれども、それもまた人生だ。道はだから過たずに生きるべきだと確信する。かといって誤ってもそれを悔いて改めれば再帰も可能な世をこそ尊ぶべきとも考える。徹底しての悪が存在しないところがこの物語の不思議だけれども現実的な所。死体遺棄をした建築家は愛人の願いを叶えようとしただけ。仲間だった男は怨みを晴らそうとしただけ。原因を作った御曹司だって直接には何も手を下していない。追い込んではみたもののそこには殺意も悪意もない。むしろ歪んでいても好意に近い感情があったような気さえする。

 悪をなそうとしなくも、攻め手と受け手が自然に悪と善に別れてしまって、そして誰かが不幸になってしまうこの現実の世界の複雑さ。ほんのささいなきっかけから、すべてが間違ったところへと向かっていってしまう難しさ。どこをどうすれば良かったのかを振り返ってみても、どうしようもないところがなおさらもの悲しい。だからこそ精一杯に生きるしかないのだと知ろう。映画化かドラマ化して欲しい物語。美男子でクールな建築家の桐生は玉木宏さんが良いかなあ。桐生のライバルで貴族の血を引く葛城は谷原章介さんあたり。まばゆいドラマになりそう。美里と茜は栗山千明さんの二役なんかが良さげ。うーん期待が湧いてきた。


【7月9日】 眼鏡でも人工の眼でも良いから視覚をデジタル処理してそこにさまざまな情報を付加して現実を拡張するような「AR(拡張現実)」が発達した未来において存在するあらゆる物が広告と化し著作物と化して見る人に押しつけがましくも情報をぶつけてくるようになったとしたらきっと、浦安あたりのテーマパークに行けば黒くて耳の大きな動物が現れたら視覚に「(C)Disny」を被せられてくるんだろうかと考える。それをいうなら今だって胸から看板に同じ文言を書いてぶら下げておけば良いものだろうけれど、それだとあまりにもビジュアル的によろしくないからやっていない。たぶんひっくり返すと脚の裏にそう書いてあったりするのかもしれない。

 何よりそこまでするのかという思いが見る側に広がって、嫌悪の気分をかきたて忌避感を生みかねないから権利者もそうした場面で拡張現実に無理矢理クレジットを重ねるような真似はしないだろう。そうやって知らせなくても誰だってそれがディズニーの権利下にあるものだって知っているから。けれどもしかしどこかに立つらしい巨大な像がそんな近未来にも存在していたら、眼鏡なりデジタル化された眼球を通した映像には確実にクレジットが重なって来るに違いない。権利だといって強制的に入れ込んで来るに違いない。それによって彼らが何を得るというものではないし、主張することが認知度のアップにつながわる訳でもない。むしろ逆効果なのかもしれないけれども、それでも主張すべきは主張し続けるといった主張のための主張とも言うべき態度を押し通す。何と夢のない話しだろう。夢じゃあ飯は食えないとでも言うのか。夢なき人たちの作る夢の話に夢を見られないまま夢だったはずの未来が枯れて錆びていく。寒い時代だと思わんか?

 そんなARのごく至近の未来はカタログ雑誌をパソコンの上につけたカメラでとらえると、画面に現れるカタログの上に服とかが立体的になって浮かび上がって見えて立体感を味わえる。場合によっては実物では静止画なモデルがパソコンの中では動いて回っていろいろな角度から服を見せてくれるなんてことも。アニメ雑誌なんかでこれを使って画面の中に映し出された雑誌のキャラが動いて喋ったりするような仕掛けを入れ込めば、買って視て楽しみパソコンを通してさらに楽しみついでにDVDとかの宣伝なんかにもつなげちゃうような、拡張したサービスってのも可能になるかもしれないなあ。問題はカメラで向こう側から映すと画面では雑誌がひっくり返ってしまうことだけど。いっそヘッドマウント型のカメラを付けて見るか。うーん。

 といった「AR」なんかも出ていた「東京国際ブックフェア」に行こうと布団に入って眠ってしまったお陰で「青い花」を見忘れた。けれどもまあどうせ花が青かったりする作品だから見過ごしておこう。それで良いのか。ってことで泥のように眠ってから「東京国際ブックフェア」へと出向いて、まずはとりあえずセガのブースで本が払い出されるゲーム機を見物。その昔に大人気となった「甲虫王者ムシキング」の流れを汲むキッズカードゲーム機なんだけれどもカードではどうしてもキャラクター物とぶつかり合って競争になってしまって栄枯盛衰も激しかったと見えて、そちらからシフトして「りるぷりっ」みたいなキャラ物を進める一方で、カードを本にしたものを出してきた。

 本ってのは文字通りの本で表紙裏にバーコードが書いてある本をぶっこむと、その内容に関連した昔話や童話なんかが画面に出てきたり、簡単なゲームをやって楽しんだりできるという。置く場所もゲームセンターなんかよりは書店の児童書売り場を狙っていて、だからブックフェアでの出展と相成った模様。見ると書店の児童書売り場って、ピアノが鳴る本とかがあったり積み木が転がしてあったりして、子供をつなぎ止めようとしているんだけれど放っておくと散らかってしまって後が大変。キッズカードゲーム機の延長みたいなこのゲーム機だと置いておけば座ってゲームを楽しんで、後に放り出されるものは特になし。ゲームの間はお母さんとかもちょい目を離してお買い物って洒落込める。

 絵本は10種類なんだけれどもそれぞれに飛び出す絵本があったりシールブックがあったりしてトータルでは30種類になるから桃太郎のスリーカード、なんて悲惨な目似合う確率はぐっと減らされるんでご安心。カードが1枚で100円とか200円ってよりは絵本が1冊で200円なら気分もちょいトク? とはいえやっぱり子供向け。中にハルヒとか交じっていたら遊ぶだろうけどそれはなさそうだし。むしろ大きなお友達には「リルぷりっ!」の方が楽しいかも。DSみたいに2画面あってどっちもタッチすると振動ぶるぶる。そんでもって女の子を着替えさせて踊らせる「ラブベリ」みたいなゲームを楽しむ内容は、仕様として画面に出てくる女の子たちに触れなければ遊べないから堂々とタッチを楽しめる、けどそもそもがそんなゲーム機を大きなお友達が正々堂々と遊べるかってあたりにまずは大きな関門が。「ラブベリ」ですら遠慮気味だったからなあ。そこを乗り越えてこその神ってことで。頑張ろう。

 あと「ちゃお」で描いている漫画家さんたちがオリジナルのイラストを寄せたカードゲーム機なんてものもあって楽しそう。連載漫画のまんまだといかにもキャラクターしてしまうけれどもこれはオリジナルだからそれぞれの作家さんのまだ見たことがないキャラクターを楽しめる。内容は何だったっけ、漫画家になっていく家庭を楽しむストーリーだったっけ。それもまた初物っぽくて良し。稼働はまだ先なんで出てくるのを待とう。どうせだったらエロな雑誌で描いている人たちのオリジナルなキャラによる同種のゲーム機ってのが見てみたいけど流石に町中には置けないよなあ。かといって18禁のゲームコーナーなんてあり得ないし。夢は夢として留め置こう。

 ぐるりと回って国書刊行会あたりを眺めつつ角川グループパブリッシングでとっても偉い人から「つばさ文庫」の「涼宮ハルヒの憂鬱」を勧められてやっぱり買わないといかんかなあ、「スレイヤーズ」の別バージョンとか「レギオス」の別バージョンもあるしなあ、とか考えつつ戻って河出書房新社のワゴンセールを漁っていたら福山庸治さんの「マドモアゼルモーツァルト」を見つけてラッキー。今はもうない「九龍コミックス」から出ていたものでその時に買ったかどうか覚えてないけど手元にすぐにない状況は如何ともしがたいとここに購入、半額だから1400円+税。レジへと運んで支払って、ゆりかもめに乗って戻る途中で等身大の権利表記を遠くに眺めつつ戻って本を開いて驚いた。サイン入りだった。そういうのが出てしまっているから「東京国際ブックフェア」は面白い。「ノイタミナ」の枠でアニメ化も決まった「空中ブランコ」と同じシリーズの「インザプール」のTシャツセットが今年も文藝春秋のブースで売られてた。売れてないのか?


【7月8日】 用事で「東京ビッグサイト」へと出向いた帰りにゆりかもめに乗って新橋方面へと向かう途中、「船の科学館駅」から前方の森から半身を出してそびえ立っている「機動戦士ガンダム」の立像が確認できた。前に行った5月の半ばはまだ半身までしかできておらず、海側から見て脚らしきものが立ち始めているのが見えたくらいでゆりかもめの下を走るバスからはかけらも見えなかったが、全部が出来上がるとさすがに18メートルはそれなりの高さらしく、上からは確実に上半身が見えたし下からだって頭くらいは見えるようになっているのではないだろうか。

 とはいえあそこは公共の場であって普通に自然を楽しみたかった都民もきっと多かったはず。出来上がりつつある途中はまだ静寂が保たれていても出来上がってからは、というより既に周囲は人垣ができて、心地よさげだった草原もすっかりと土が見えて雨の降る日などは足下に苦労しそう。それより風光明媚だった場所に、たとえ40日ほどとはいえ得体の知れないロボットが立って周囲を睥睨することに、知らない人や無関心な人は忌避感を覚えても決して不思議はないし、理解もできる。考えてみよう。いきなり代々木公園にSMAPの巨大な像が建ったら男子はきっと異論を唱えて忌避しただろう。

 ここからは一般論になるが、国民的ではあっても全国民的ではあり得ないもの。それを公共の場に置くことの意味を今いちど、考えた時に決して特定企業に権利が属するキャラクターであって紹介にはある種の許諾が必要とは法的にはたとえまっすぐでも、おおっぴらに言えることではないはずだ。そこにできた何かを商売にする訳ではなく、そこに何かができたことを伝える人たちに向かって利用は権利に触れるものであり権利者に絶対的に従うべきだとは、面と向かって言って良いものではないはずだ。建物の中には商標権があるものも少なくないが、その建物にまつわるニュースを報じる時に権利表記を入れろといって果たして通用するか否か。法的にではなく一般的に。それを考えた時にとるべき行動はおのずと決まってくる。ここまでは一般論であって、お台場の「ガンダム」立像は関係ない。関係はないがだからこそ、今いちどの思考をめぐらせるてみる必要はあるとだけ言っておこう。

 でもって文具関連の展示会を「東京ビッグサイト」では見物。主催しているリード・エグジビジョンに恒例の大人数によるテープカットは見られなかったけれども同じ主催者なんで明日の「東京国際ブックフェア」でも30人規模のテープカットは見られそう。見てどうってことはないけどね。会場ではギフト関連だか何かが集まったコーナーにあった巨大なぬいぐるみ群に目が釘付け。HANSAってオーストラリアだかの玩具メーカーが作っているぬいぐるみで、巨大な上に首なんか振っていたりお腹なんか膨らませたりして生きているかのような印象を与えてくれる。かといって模型や剥製のようなリアルさはなく、顔立ちとか体型はやっぱりぬいぐるみ的。リアルさと可愛らしさを併せ持った品物として、子供の教育用なんかとして世界各地で広く人気になっているらしい。

 でも日本にはこれが初お目見え。割にデカめのブースの中にはシロクマもいれば普通のクマもいてシベリアンハスキーがいてオオカミがいてウサギがいてコンドルがいてイタチにネコにイノシシにほかあらゆる動物たちがいては大小さまざまなボディでもってお出迎えしてくれる。キリンなんて3メートルはありそう。日本の家にゃあ絶対に収容不可能だけれど、アメリカの大きな家なんかだと入って子供達を喜ばせそう。聞くとあのマイケル・ジャクソンの贔屓だったそうで家の中にこれらのどれかがいたりする可能性があるらしい。あるいは一部屋がまるまる動物たちでいっぱい? あり得るかもなあ。マイケルのことだし。

 通路側には恐竜なんかも並んでお出迎え。本物なんて見たことは誰もないから想像でもって色とか肌とか作られているんだろうけどどれもいい出来。でもってやっぱり可愛らしい。首とか動いて来る人たちをお出迎えしているけれども動物と違ってペット変わりにする訳にもいかないこいつらは、普段はどこで何をしているんだろう。ちょっと興味。これも聞いた話だけれど社長の人はなぜか中国を忌避しているようで工場はフィリピンに置き繊維はすべて日本から取り寄せ作っているらしい。販売先も中国とインドは未だに行っていないとか。市場を考えコストを考えたら決して邪険にはできない国を、利用しないポリシーとは。聞けばこういうことが好きなメディアに恰好の答えを用意してくれちえる、かな。分からないけど。

 バンダイナムコグループの会社でSEEDS(シーズ)ってところも出ていたんで「機動戦士ガンダムSEED」との関係を聞くもやっぱり無関係、そりゃそうだ、15年とか昔からある会社なんだから。でもってメカニカルエレクトロニカルなことをやっているそうで、最近だと銀座の街並みを再現したジオラマなんかの一部を作り、昔なんかだとはいずり回るネコロボットとか「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破」でもって一気に有名になった「ワンダースワン」とかを手がけていたとかどうとか。そういや映画の影響って中古市場価格に現れてたっけ。100万円とかついているなら考えるけど。家の奴。

 そんな会社がないで文具インテリア系のイベントに出ていたかというとLEDがろうそくのようにチラチラと揺れ動いて光るデバイスを作って電飾用に売り込もうとしていたからと、アクリルパネルを支えるビスみたいな中にLEDを仕込んで光らせパネルの縁に反射して外縁が光って浮かび上がるような看板なんかを展示していたから。アイディアを勝負に結びつけようとしていたけれども来週の日本おもちゃショーでもない会場で果たしてバンダイの看板は通用したのか。まあ品物本位なら看板なんか関係無しに注目されそうな商品だったんで成果もきっとあったと想像しよう。偉い人はもしかしてガンダムの落成の前に寄って見物するのかな。

 梨屋アリエって人の「スノウ・ティアーズ」(角川書店)を一読。不思議ちゃんってよりは不思議体質で不思議を招き寄せる力のある君枝って娘が、心に語りかけてくるトルソーを拾ったら、自分は完璧な存在なんだと達観していた癖に、君枝に顔や手足を付けたらそれで感覚が広がってしまったらしく、元のトルソーに戻るのを嫌がってたんで捨てに行ったりする話とかがあって、自分のことを理解してくれていたはずの幼なじみの陸ってのが、大学で東京に出て彼女をつくって同棲しはじめたのを地元でながめていたら、影におっこちてしまって糸をたぐり寄せたら陸が現れ、引き留めようって心が働いたのか繭に包まれ小さい陸たちになってしまって、それでも枕カバーに棲む小人に引き取られ東京へ戻っていってしまって、後に残されて寂しがったりする話も。

 10歳以上上の人と結婚して、最初は何とかうまくいっていたけどどこかにすれ違いが生まれてしまったところに哀しい情報が入ってきて、動揺しているうちに夫が本当にいるのかがあやふやになったりする話もあったりと、現実と幻想とがシームレスにつながって気持ちを酩酊させる短編が連作的に並んでいたりする物語。あんまりハッピーエンドて感じじゃなくって、寂しい心を埋めようとする気持ちが見せる幻が連なっていった果てに寂しさに埋もれてしまうようなところがあるけれども、考えようによってはそれも人生。アンアッピーでもどうにか乗り越え、時には幻想に逃げ込んででも生きる力をここから得よう。やっぱり幻想の世界に落ち込み彷徨う梨木香歩さん「f植物園の巣穴」に似てはいるけど、よりファンタジー要素は強いかな。さらに白川道さん「最も遠い銀河」(幻冬舎)を読み始める。最初の50ページで傑作と判断。今は上巻を半分。大傑作と断定。じっくり読もう。噛みしめて読もう。


【7月7日】 尾籠な話になるが、「機動戦士ガンダム」が放送された30年前の時点で果たしてボーイズラブ的な同人誌は作られていたのだろうかどうなのだろうか。「宇宙戦艦ヤマト」のブームが同人誌の世界を活性化させ、「海のトリトン」のファンクラブから今のやおいシーンを彩る作家に評論家も生まれて来たと伝え聞くだけに、より時代が下がった「ガンダム」において女性キャラクターではなく男性キャラクターに関心を寄せ、且つ男性キャラクターどうしの関係を描いてみせた創作物が生まれていて不思議はない。

 例えばシャアならアムロとの関係。どちらが攻受の前後に収まるかは不明ながらも、今ほど直感的でかつロジカルに前後を振り分けてみせる文化が発達していなかった当時、双方がともに互いを攻めつつ受けていたかもしれないという想像が浮かぶ。リュウとブライト。何となくイメージはできるものの逆転の美学もあり得るだけに即決はむずかしい。ランバ・ラルとドズル・ザビ。限定された範囲で多大なる好感を招きそう。ともあれそうした振り分け寄り添わせる活動が、どれだけの規模で展開され、どのような多士済々が関わっていたのかを現在において知る術が果たしてあるのか、それともないのか。研究してみたいテーマがまた1つできた。

 というか差していたのが差されるような入れ替わりってボーイズラブ的にありえるんだろうかというのが慣れてない読者にとっての迷い点だった神楽坂あおさん「制服を着たインモラル」(角川書店)。少年いつも通学中にみかけてずっと心を寄せていた花梨さんに中学も卒業という段になってようやく告白。そして付き合い始めたものの体でもって迫ろうとした時に花梨さんから拒絶されてしまってこれで終わりかと思いきや、高校が始まった朝に髪をショートにした花梨さんが家の前に現れて、少年に自分の秘密を明かす。それは……。

 つまりは「まりあほりっく」の鞠也みたく家のしきたりによって中学卒業まで女の子の恰好をしていたってことで、けれどもずっと女の子の恰好をしている鞠也と違って花梨は男に戻って空手部に入って体を鍛えようとしながらも、自分を好いてくれた少年とは男同士の友人として付き合おうとする。とはいえ女の子だから好きになった花梨が男に戻って果たして好きだった感情をどこにやったら良いか分からない少年は、かといって嫌いにもなれないまま悶々としているうちに芽生える情動。そして生まれる関係だけれど男でいたい花梨にはちょい苦痛なところもあったりして、飛び出し別れの兆しになったところで今度は少年が女装して花梨を助け、花梨から迫られたりもするというから話がちょっとややこしい。

 こういう巧守入れ替わるような自在さは認められるのかって悩みも浮かぶけど、理想が混ざり込んだフィクションとは違って現実の世界で好きだから攻めたいという感情が、好かれたいから受けても構わない感情へと転じる可能性がないでもない、のかもしれない。少年は根はノーマルだった訳で、それが女の子の代替としての花梨に向かって打ちのめされてしまった時、価値観に転倒が起こって相手の強靱な男性性の主張に撃たれて内心の女性性が喚起され、自分が好意の受け手になって構わない、そのためには身も変えるしかないといった方向へと傾くことがあったりするのかもしれない。知らないけど。ともあれ不思議なストーリー。インモラルだけれど明るく楽しい青春コメディ。読んで自分の立ち位置がどこなのかを考えてみるのも悪くない。

 ショートチャイナからにょっきりと膝上までのストッキングをはいた脚を伸ばして蹴りを放つキャラクターがオープニングに現れた時点で視聴決定にしてDVDだかブルーレイだかの購入決定、とまではまだいかないけれどもとりあえず見ようとは思った「CANNAN」。チュンソフトが出しててセガが売ってたんだっけなゲームのサブシナリオとして書かれたものらしい奈須きのこさんの原作に、お馴染みの武内崇さんがキャラを描いた作品は「空の境界」の荘厳さとはまた違った喧噪さに溢れて賑やかそう。

 そりゃあ中華風の祭りの絵が押井守さんの「イノセンス」に及んではいないけれども映画とテレビアニメじゃあ密度に差があって当然だし、異国の祭りが醸し出す非日常が顕現したかのような不気味さを絵の派手さとは対照的に動きの静けさで見せて醸し出した「イノセンス」と同じアプローチを見せる必要はない。ひたすらにお祭り気分の中に現れる異形。それらが繋がりあい重なり合って次第に現実から遠く離れた非日常が現れ出てくるような展開に、なっていくならそれはそれで面白いんじゃなかろーか。カナンって娘と銀塩カメラの少女との関係とかアニメから見始めた人には説明不足なところも多々あるけれども、それもおいおい明らかにってことで。ヘリコプターで威張り倒してたショートチャイナのお姉さんの恰好も態度もまた素晴らしい。やっぱりDVDもしくはブルーレイ購入決定か。

 という訳でザクッと整理。4月スタートで買い始めたのは「夏のあらし」でこれは4本で完結と短期戦。「神曲奏界ポリフォニカ クリムゾンレッド」だったか何かは前のような事件性がないんでちょっと躊躇。「東のエデン」はこれはブルーレイでの購入を覚悟。それくらいか。いやいや「涼宮ハルヒの湯鬱」があったなあ、これはいったいどんな販売形態になるんだ、やっぱり前と似たよーなパッケージか、でもって2話収録の12本とか13本か、前は単独だった「朝比奈みくるの大冒険」と「サムデイインザレイン」はどうなるんだ、等々。ちょっと面倒。でも多分買う。「シャングリ・ラ」……12巻ではなあ、1年後なんて何も想像できないからなあ。

 でもって「CANNAN」に「化物語」あたりが7月スタートの購入候補。「 うみものがたり」はスルー。「大正野球娘。」は伊藤伸平版だったらあるいは……ってそれはないからやっぱり見送りか。って考えると何がいったい買うDVDで何が全然買わないDVDなのかって線引きも少しは見えて来る。ぶっちゃけそれは趣味でしかないんだけれどもショートチャイナからにょっきりのぞくニーソックスの脚が良いだとか、ストーリーに気合いが入っているとかキャラに1人でも良いのがいるとか主題歌が珍しいとかいった“何か”があることが大事っぽい。原作のまんまの展開では原作読めば事足れり、スポンサーはそれで稼いでチャラにしてって気分も浮かんでパッケージには手が伸びない。うーん。やっぱりちょと曖昧か。

 丹下桜さん復活、の意義にどれだけの価値があるのか今ひとつ判然としないのは別にしばらく引退気味だったってことをあんまり知らなかったからで、小西寛子さんの復帰って話があったらそっちの方がたぶん上になりそうだけれども、同じよーに丹下さんも声優業からはほとんど足を洗っていたって聞いた今ではむしろやっぱり丹下さんの復帰の方がインパクトとしてでかいかも。何せ「カードキャプターさくら」の桜の帰還って訳だから。丹下さんの出演作品としても代表作だし日本のアニメーションの歴史においても結構な位置を占める作品。その主役が消えていたっていうのは「ごぞんじ月光仮面くん」の主役が半ば消えていたってことにも匹敵する驚きだ。いや月光仮面くんは復帰したけど。アスカとして。

 何せ50時間とか吹き込んだそうだから相当なベテランじゃないと声に変化も出せなかったんだろう。同じく起用された声優さんが皆口裕子さんだったってあたりに、ベテランならではの機微が求められたってことが伺える。その作品は「ラブプラス」。アニメじゃなくってゲームソフト。コナミデジタルエンタテインメントが9月3日に発売するソフトで、3人いる女の子のうちの1人と仲良くなるのがまずもっての目標になっている。それってどこの「ときめきメモリアル」? って意見はごもっとも。ただしそうやって何時間かを告白タイムまで費やした後、それで終わって次の攻略とはらなないで、1年いんも及ぶおつきあいの時間がこのゲームには待っている。

 告白は前座。見初めた相手と会話をしたりメールをやりとりしたりデートしたり登下校しながら仲を深めていくってのがこの「ラブプラス」の主眼になっている。経過する時間は実時間と同様。朝に目覚めて登校して会話して下校して日曜にデートしてクリスマスにプレゼントを交換してお正月に初詣してバレンタインにチョコをもらってってな感じに、リアルタイムでくり広げられるイベントに毎日毎日付き合っていくことが求められる。まるで「ニンテンドッグス」。あるいは「どこでもいっしょ」。もしくは「たまごっち」。そんなコミュニケーションゲームを究極まで突き詰め女子高生をキャラいんしたのがこの「ラブプラス」ってことになる。恋愛シミュレーションゲームなどでは断じてないのだ。

 1年も果たして付き合ってられるのかって気もしないでもないけれど、現実世界においてそれこそ半世紀近くも無縁な人間だっていたりする昨今、1年2年をゲームの彼女に耽溺したって悪いことなんて何もない。心を埋めてくれるDS彼女をポケットに入れて連れて歩いて世話をし面倒を見て時には声も投げかける。それによって育まれる関係を、リセットして中古ソフトとして売り飛ばそうなんて思う人がいたらそいつは鬼だね。中古にゲームを出される心配もなくパッケージとして長く持ってもらえるタイトルっていった、ビジネス的な効果も期待できそうなシステムだなあ。

 キャラは3Dがトゥーンシェードで2次元みたいになっていて、それでいてしっかり動くしくるくると回る。コナミデジタルで美少女ゲームでトゥーンシェードと聞くとあの「ときめきメモリアル3」のドリームが思い浮かばれるけれども、そこは技術も発達した21世紀。出てくるキャラはどれも2Dのキャラに負けないくらいに可愛くて、それでいて仕草は3Dならではのキューティーさ。過去だったら家庭用ゲームでだってむずかしかったそんな描写がDSの上で実現できるんだから技術も進んだ、テクノロジーも発達した。これでアダルティなゲームもできたら……って考えるのは不謹慎。むしろ女性版なんかがあって男性キャラと付き合い続ける1年間、ってゲームを胸か鞄に入れて持ち歩く、現実離れした女子の登場って奴を想像する方が確実かも。そっちはそっちでDS彼氏の面倒を見て、こちらはこちらでDS彼女の世話にかまけて、そうして男女は出会わず添い遂げないまま世界は滅亡の一途を辿るのであった。亡国のゲームか「ラブプラス」って。


【7月6日】 聖誕祭も謝肉祭も復活祭もなかった。盆も正月もやっぱりなかった。およそ祭りといったものが「機動戦士ガンダム」にはまるで登場しなかった。祭りが宗教的なものと関連している以上、宇宙世紀0079から0080年の時代において、聖誕祭謝肉祭復活祭と関わるキリスト教はすでに存在しておらず、盆に正月といった仏教神道の類も廃れていたというのだろうか。それをいうならおよそ宗教めいた言辞も物体も「ガンダム」には登場しなかった。神にすらまったくといっていいほど言及されなかった。なぜだろう?

 宗教的なものは世界における倫理を規定するのに効果がある。来歴なり信条なりをキャラクターに付与する上でも役に立つ。同じ富野喜幸監督作品の「聖戦士ダンバイン」が登場人物の、例えばアメリカから来たマーベルやトッドといった面々に宗教への依存を付与してアメリカ人らしさを演じさせていたようなことが可能になる。何より「ダンバイン」には聖の文字がタイトルに使われている。俗に対する聖の存在が超越者の存在をあの世界において認めている。けれども「ガンダム」にはそうした宗教への言及はなかった。神への祈りも見られなかった。

 人間本位。宇宙という場所に出ればなるほど、人間の想像を超えた雄大さに神秘への傾倒が強まると人は言う。けれども、隙間の1つで生命が存在できない世界では、すべてが人智によって規定される。奇蹟などという曖昧さになんて頼れない。だから神より人が尊ばれる。というより人のみが存在のすべてを象徴する。故に「ガンダム」には宗教は不要で、祭りも登場しなかった、と考えることは果たして可能なのだろうか。そもそも本当に「ガンダム」に祭りも宗教も現れていなかったのか。いつか全編を見返す時があったら、その時はじっくりと検証し、そして宗教的権威がおらず信仰的な依存が存在しない世界で人は、何にすがって生きているのかを考えてみたい。

 祭りって良いなあ。祇園宵山に行ってみたいなあ。と思わせてくれる物語が登場。京都物の元祖にして万城目学さんと双璧を成している森見登美彦さんの「宵山万華鏡」(集英社)は、祭りって奴が表層として持つ非日常性と、そして祭りが深層として意味する異界と現界との交錯って奴をとっぷりと感じさせてくれる。まずはバレエ教室に通う姉妹が祇園宵山の中で離ればなれになりそうになったところを、どうにか相手を見つけるって話。姉にはぐれた妹は大入道に出会い、赤い着物を着た女の子たちに出会い、彼女たちに手を引かれてどこかに行こうとしていたいところを、探しに来た姉にしがみつかれ引き留められる。何やらホラーの雰囲気。

 ところが、続く連作でもってとある青年が元同級生の骨董屋にハメられ、祇園祭りの中に設えられた架空の祭りに引っ張り込まれて怖がらせられる話が描かれ、なあんだすべては人間の仕業なのかと思わされる。そんな偽の祭りを裏方から支えた面々の奮闘記もあって、青春って良いものだよなあとほくそ笑んだのも束の間、現実に女の子が消えてしまった話があって、そんな女の子の親や関わった人たちが繰り返される宵山の中を生きている話があって、祭りはやっぱり祭りであって単なるイベントではなく、現世と異世界とが重なり、つながる時なのだってことを思わせてそしてフィナーレへ。間違えてしまえばとんでもないことが起こる祭りの怖さを覚えさせ、そんな祭りでもしっかりとこなせばとっても面白いものだと感じさせる物語がそこに立ち上がる。恐いけど面白いから祭りは素晴らしく、そして誰しもを引きつけるのだ。

 バレエ教室に通う姉妹が見た巨大で丸々とした金魚、その名も「超金魚」のビジュアルなんかを想像するととってもポニョっぽい。でも歩かないでゴロゴロとしているからポニョほど可愛くはなさそう、って半魚人のポニョはあれで結構なビジュアルなんだけど。学校の屋上に巨大な城をぶったてて人を驚かせるような話は、成原博士がやって来て大暴れした「究極超人あーる」のラストエピソードにどこか似ているかなあ。日常に非日常を持ち込んで大騒ぎする、その楽しさに実行した側も巻き込まれてしまった側もいつしかハマってしまう展開が、そんな世界にどうあっても入り込めない読者の気持ちを煽り立てて、「あーる」という作品をエバーグリーンの存在にしてしまったっけ。「宵山万華鏡」もそんな青春への憧憬を誘いつつ、過ぎていく現実を生きさせる1冊になるか、むしろ祭りの不可思議さで人を幻惑して、永遠に非日常へと留め置く1冊になるのか。すべては読んだ人の気持ち次第ってことで。

 始まったみたいだけれども新番組の「かなめも」は、新聞販売店が舞台ってことでどうにも身に近すぎて見る気が起こらず。見ればたぶん面白い作品なんだろうけれど、現実の販売店が決して健康なばかりじゃないってことを感じ取ってしまっている人たちにとって、拡張とかいったいどうやっているんだろうか、集金なんてしっかりできているんだろうか、予備紙の問題なんてどう対処しているんだろうか、ってな感じのダークサイドがにわにわと浮かんでしまって、明るく健全でちょっぴりセンチなアニメをアニメだからって以上に、作品をバーチャルなものに感じさせてしまうのだ。でもまあ録画だけはしておこう。

 でもって「咲 −Saki−」はエトペンが相変わらずに窮屈そう。でもってまるで人間じゃないみたいな空気に溶け込む技でもって、龍門渕透華に2度までもフリこませたステルスモモがいよいよ登場。でもなあ、人じゃなくって卓上の牌の流れだけを注目して見ていりゃあ、フリテン見逃すなんてことは普通はないよなあ。それとも触れたもののすべてが見えなくなってしまうってことか。だったらロンしたって気づかれないんじゃないのか等々。考えることはいろいろあるけど深く考えないのがアニメってことで。咲と天江衣と福路美穂子のバトルはいったいいつから始まるんだろう。おっと「絶望先生」も始まっていたけど相変わらず絶望先生だった。おしまい。

 でもってテレビをザッピングしてたらテニスのウィンブルドンが凄まじいことになっていた。何だよ11ゲームズオールとかって。普通だったらタイブレークで7対6が最高だったりするものなんだけれど、最終セットはそれがなくって2セットアップなところまでとことんやり抜くことになっていたみたい。でもって見ていたらフェデラーもロディックもサービスゲームを完璧にキープしてみせていた。エースで半分くらいのポイントを稼ぐし、リターンされてラリーになってもなぜかやっぱりサービス側がポイントを重ねてゲームを落とさない。ラリーになればあとはイーブンかと思うんだけれどそうでもないのか。テニスやったことがないんでちょっと分からない。

 テニスがラリーになってからの技量比べとミスの誘い合いだとするならば、エースでもって1発でポイントが決まる男子テニスってのはもはやテニスじゃないって声も出そうだけれども、それでも上位ではないところでは明確な力の差が出るから不思議なもの。でもって極めた2人の、エースの取り合いから時にラリーになってもしっかりキープする戦いの中に、わずかな差を見いだしてポイントを奪う戦いはとてつもなくスリリング。いつどちらがミスするか、いつどちらに流れが傾くか、それはいったいどんな挙動から始まるんだといった興味がわいて、画面に目が釘付けにさせられる。現地で見ていたら興奮もなお凄まじいものだっただろう。これもまたテニスであり、且つ最先端のテニスなのだと理解するところから、フェデラーの次を伺う動きが始まるなろう。

 でもってフェデラーの次って誰なんだ。錦織選手が5年くらい鍛えられればあの域に近づくのか。それもちょっとなあ。ナダルの復活にロディックの安定で3強時代が続くのか。でもフェデラーがサンプラスを抜いたように、サンプラスだってアガシを退けアガシはレンドルにベッカーを乗り越えた。レンドルはマッケンローを打ち破りマッケンローはボルグを沈めて……といった具合に、時代の象徴は常にあってそして次代の新星も常にある。フェデラー超えもいつか誰かがやってくれるだろう。それもそんなに遠くない時代に。いったいどんなプレーを見せてくれるのかを楽しみにして待とう。もはやすべてがエースというとんでもないテニスがくり広げられるとしても。


【7月5日】 SFのドラマなどではよくある展開だが、「機動戦士ガンダム」の中でホワイトベースの面々が航行中に霧に巻き込まれて気がつくとそこは……といった展開が仮にあったとしたら、どんな場所があり得るのかを考えたとしてやはりひとつには未来の世界がありそう。そこは1年戦争で連邦軍が敗れ去った世界で、地球の人たちが虐げられている中で、カツとレツとキッカがレジスタンスのリーダーとなって奮闘していす姿を目の当たりにして、励ましつつ何が原因だったのかを知って過去へと戻り原因を取り除いた結果、果たして苦境に蟻ながらも逞しさを増していた3人組は果たしてどうなったのかというパラドックスについて考えさせるような物語が想像できる。

 ギャグならばパラレルワールドで戦争なんて起こらずそれぞれが成長もしないままアムロはニートの引きこもりでカツとフラウ・ボウは健康なカップルをサイド7で続けていて、ミライは出自を隠して事務員として働きブライトは生意気な下士官でリュウを良いコンビを組んでいて、ギレンはデギンの会社でいつか会長を追い落としてやると息巻き、そんな会社にスチャラカ社員として潜入していたシャアは会長のデギンと仲良くなってよく釣りに出かけるという、その平和ぶりを目の当たりにして羨ましがりつつも平和が人を堕落させる可能性も示唆してなやませるという物語。セイラは銀河の歌姫として活躍中と。

 1年も続くストーリーだったらそうした息抜きの回もあったかもしれないけれども、ニュータイプという存在を除けば科学の裏付けがないことはあまり描かれなかった「機動戦士ガンダム」において、戦艦が1隻まるごとタイムスリップするような展開を持ち込むことはあのストーリー、あの雰囲気ではやはり無理だったと考えるのが普通か。いやいや時間旅行も瞬間移動も量子論の世界では十分に可能だったりする訳で、そうした科学を取り入れた上で同じストーリーを語り直すような21世紀の「機動戦士ガンダム」というものがあり得たら、あるいはホワイトベースを飼ってアムロが宇宙海賊の王様を目指して旅をしながら剣豪のシャアや料理人のカイや天気使いのセイラや歴史学者のララアを仲間に引き入れギレンドズルキシリアの宇宙海軍大将を相手に戦いを挑む話が…流石にないかそれだけは。

 という訳で「ONEPIECE」はバーソロミュー・くまに吹き飛ばされたルフィが空を飛んで飛ばされた果てにとある島へと到着。マタンゴ状態のところを助けられキノコを抜かれた果てに絶対に抜けないキノコまで引っこ抜かれようとしていた処にこいつが男だと分かってさあどうなる? ってところでまずは終わり。アマゾン・リリーとの邂逅を経てエース救出へと向かうストーリーがここからくり広げられていくんだろうけどその間、人生バラ色ライダースはずっとサウザンドサニー号を守っているおんか。黄猿も青キジの白ひげ海賊団との戦いに招集されたからレイリーはコーティング作業に専念できるんだろうけれど。ルフィ以外の面々も飛ばされた先でそれぞれにドラマをくり広げ、それが描かれていくのかな。だとしたら再結集は3年先か5年先か。ゾロとベローナとの間に何か芽生えるものはあるのか。終わるまで死ねないなあ。ということはあと10年は死ねないか。

 いやあしかし10年はキツいかもなあ。天気が良いんでネイキッドロフトあたりに行こうかと家を出たものの、日本橋でマガジン向けのラインアップ整理をしてから外へと出たらどこかでベローナのネガティブホローを喰らったらしくていろいろとモヤモヤとしたものが浮かんで新宿行きを断念。「ソームギョーム」といった呪文のような言葉が頭の奥底から染み出てきてプレッシャーとなって全身をこわばらせて足を前へと踏み出させる気持ちを阻害する。今は縁遠くったっていつかは迫る楢山の緑。過去にはあくまで幻想の中にそびえていたそれが、現実となって提示されようとしている現況では誰の足をも地面へと張りつかせ、手足を縮こまらせている。今には見かけの浮上をしてもそれは荷下ろしをした船が浮き上がるようなもの。漕ぎ手も操り手も消えた船にはやがて迷い流されそして沈む道しか残されていないのに。このネガティブホローはなかなかに強力だなあ。

 精神にゆとりをと菊地秀行さんの「ミーくんの番長日記」(朝日ノベルズ)を一気読みして陽気さの中に我を取り戻そうと人力。夢枕獏さんが「闇狩り師」に「黄石公の犬」で帰還すれば、伝奇ノベルズの双璧ともいえる菊地さんは異世界ファンタジーへと新たな旅立ちを宣言したって感じか。2メートルを超える長身で番長として成らす光徳は、現れた姫に勇者と呼ばれ異世界へと引っ張り込まれてそこで大冒険をくり広げる。次から次へと現れる敵に味方に神たちを退けた果てに現れた真相は、まあ何というか異世界ファンタジーの掟破りみたいなものなんだけれども、後書きなんかで本格的な異世界ファンタジーを書きたいって宣言していたりするところを見ると、まずは小手調べ的に描いたこれがあったから、何かを始めてみたいって気になったのかも。その意味で作家生活におけるメルクマールになる1冊、なのかどうなのか。でもきっと異世界ファンタジーを描いても触手がぐちょぐちょでバイオレンスにエロスが交じった物になるんだ菊地さんのことだから。

 この週末はサッカーも見られず。ジェフ千葉は遠く大分だから到底行けず、かろうじて勝利したみたいで順位も上がって自動降格圏を脱出したみたいでそれは善哉だけれど大分はシャムスカ監督解任の話しも出ていて、いつ他人事にならないかもしれないと要観察。でも今の戦力と財政で1部残留は現実的に無理だろうからここは来期の2部からの昇格を見据えたチーム作りに、チームも向かいサポーターも納得して見守るのが良いって気もしないでもないよなあ。ペトロビッチを残留させたサンフレッチェ広島の絶好調ぶりとか見るとそう思う。日曜は駒場ではベレーザとレッズレディースの対決もあったみたいだけど気が向かわず。味の素スタジアムでのヴェルディ東京も失念。名古屋ではグランパスが巻弟のロスタイム投入ロスタイム得点で勝利したみたい。これも運なら運を持った兄弟ってことで。ツインでの活躍を見たいけどそれは誠一郎に名古屋に行けってこと? それは拙い。ダヴィ残留でケネディ参戦により居場所を失った祐樹が千葉入り。これ正解。そして2人でセンターバック。何でやねん。


【7月4日】 「機動戦士ガンダム」に出てきた動物といったら南米はジャブローに飛ぶあれは何だろう、フラミンゴか何かか、南米にフラミンゴはいないのか、それとテキサスコロニーを走るバッファローか、牛だったか、ともかく印象に残る動物といったものはあまり出てこなかったし、ペットとしての動物に至っては皆無だった。ギレン・ザビが膝上に猫を乗せて可愛がっていても絵として違和感はないもののそうしたスノッブさとは無縁の合理主義者でもあって動物とはやはり相いれない。何より人間の為のコロニーで動物はよほどの有用性がなければ無駄でしかないから宇宙で動物が登場しなかったというのも分かる。するとテキサスコロニーの牛はやはり食用か。

 地上では北米に中央アジアと自然の豊かな土地を通りながら動物と戦うなり動物を捕まえるといった描写は少なかった。食料が足りなくなったといって手に銃を持ったホワイトベースのクルーが、近隣に狩猟に出かけるシーンがあっても不思議はない気もするが、避難民を乗せていて食料が涸渇気味だった時は、ジオンから逃亡中だったためそれをするほどの余裕もなく、また避難民を預けてからは軍の指揮下に入り補給も得られるようになったため無理に野生動物と関わる必要もなくなったという理解もなりたつ。あるいは地球から人が宇宙へと出かけなくてはならないくらいに人類にあふれかえった地表では、野生動物もおおきく現象して北米でも中央アジアでもお目にかかれないくらいになっていたということか。今一度見直してそうした環境や自然があの時代にどうなっているのかを考えてみるのも面白いかもしれない。

 それにしても関西は何という野生の王国。しばらく前に京都の鴨川でオオサンショウウオが見つかったってニュースがあったけれども今日あたりは兵庫県の神戸市辺りの川にイノシシの子供のウリ坊が8匹とか歩き回って世間をにぎわしているらしい。住宅街の中を流れる側溝に近い川の底をはい回っている姿はとっても可愛らしいけれど、聞くと神戸って海とは反対側はすぎに山で結構イノシシとか出るそうで、だから川にイノシシが出るくらいは別に不思議はないらしいんだけれどもウリ坊ってビジュアルがビジュアルなだけにどこか助けてあげなきゃって気を起こさせる。ニュースとして取りあげられ可愛そうだよって感情を喚起させて、どうして助けてあげないんだって憤りを行政とかへと向けさせる。

 でもなあ、助けて山へと話せばこんどは成長して獣となって人里へ現れては畑を荒らし人間に被害を与えたりもするなかなかに危険な動物。かといって山へと話さないでどこかで飼うには普通すぎる動物って立ち位置なだけに行政当局も手を出すのにどこか逡巡している節がある。だから野生動物だから手出しは失敬だと静観を決め込んでいるんだろう。そのうちどばっと雨が降って増水してウリ坊もどこかへと行ってしまったこりゃ残念だけれど自然が相手じゃ仕方がない……ってな筋書きでも考えているのかな。とはいえ日数が経つと神戸の野生っぷりを知らない東京あたりのメディアが騒いで何で助けないんだって言い出しそうなだけにここが判断のしどころか。さてもどうなる。

 那須あたりでは日本SF大会が開かれているようでアメリカではロサンゼルスでアニメエキスポが進行中。でもってパリではジャパンエキスポと日本のオタクが炸裂しているイベントが日米欧の3極で盛大にくり広げられているというのにそのどれにも行けない我が身の財布の寂しさよ。額面で「ユラニアの少年」で手取りが「モンゴールの復活」だなんてそれで在京にして全国を自認する存在か。残酷地獄と長く言われては来たけれどもここに来て残酷ばかりが過酷に冷酷さを増してきたって感じ。いずれ遠からずいろいろありそう。それはそれとしてロスでは「モーニング娘。」が唄い踊りパリでは「AKB48」が大騒ぎしているってゆーのに本家の日本ではPefumeくらいは出ないのか、出ないわな、キューティーパイですら出ないもんなあ。ちょっと残念。っていうか情けないぞ日本。来年こそは呼ぶのだキャナァーリ倶楽部でも。

 那須を夢見つつ起きたら午後も遅くてどうにもならないんでひたすらに読書、ってことで小仙波さんの「鬼灰買いの左平治」(講談社BOX)って本を買う。正しくは「鬼灰買いの左平冶数えで十七、水の衣を織り成して千歳の綾を解きほぐす」って長ったらしいタイトルがついているんだけれど書評とかで紹介する時もやっぱり全部書かないといけないのかなあ。内容は伝奇小説で鬼を斬る一党があって率いる200歳はいっているのに見かけはエプロンドレス姿をした幼女がいて、そいつが斬った鬼の灰を集めに来て広い売る鬼灰買いの少年が一応の主人公。

 けれどもストーリーはデザイナーやらモデルの志望者が集まる服飾系の高校に通う小箱って少女がメインになってて、彼女が左平治って屋号みたな名前でやってる灰買いの仕事を隠して山本胎児って名前で転校して来た出会い、いっしょになって服を作ることになる。実は胎児には思惑があって学校でもピカ一の人気を誇る生徒で親がデザイナーという有力家系に生まれた好男子がいるんだけれども、彼の家が作る服に妙なものが混じり始めて世の中に害悪を成しつつあって、鬼を斬る一党が動き始めているのと歩調を合わせつつやや先回りして事を収めようとしていたらしい。

 手っ取り早く人気者に近づくんだったら校内のファッション大会で一等を取るのが早道ってことで胎児は小箱とペアになって服を作り始める。そんな展開でデザイナーの仕事とかパターンナーの重要さとか、ファッションの世界についてのいろいろが分かるよーになっているのが面白いところか。作者はファッション業界の人か何か? そんででもって鬼を狩る一党の幼女姿だった頭目に変化も見られて、彼女が今後さらに小箱に絡んでくるのかそれとも小箱から離れたところで物語が進むのかって辺りに関心。鬼の灰で織る布とか胎児が目指す仕事がデザイナーって辺りから、小箱の学校がしばらくは物語の舞台になるのかな。それにしても講談社BOXは毎月刊行だったはずの定金伸治「四方世界の王」がさっぱり出ないのだが。どうなっておるのだ。

 でもって「SF本の雑誌」なんかも買う。これって雑誌なのか。1500円とゆー値段はなかなかで、再録とかが中心なんで既視感のある記事も多くて果たしてどうかとも思ったけれども、立ち読みが大半だったし買った分もすでに家のどこかにある訳でもないので、こうしてまとまったものとして考えるとお買い得かもしれない。あとは「SFマガジン」で繰り返された論争がまとまれば面白いんだが。それはきっとないだろうなあ。いろんな人がいろんな事を書いていたっけ。サイファイハリー。オールタイムベストは伊藤計劃が格段に高いなあ。小川一水は妙に低いなあ。オールタイムもつまりは選ぶ時代の風を絶対的に避けられないものなのだよなあ。

 でもって鷹見一幸さんの「ご主人様は山猫姫 辺境駆け出し英雄編」(電撃文庫)なんかも読む。面白いなあ。もとは野蛮とみなされた遊牧民族のお姫さまを皇帝に差し出す前に教育しましょってお話だったみたいだったのにすぐさま政治の話になって戦略の展開になってとエスカレーション。最新刊では辺境の遊牧民族に取り囲まれた帝国の最果ての街で少年は英雄になれるのかってのがストーリーの中心になっている。そこで知恵をめぐらせピンポイントで武術の技巧も送り込んでどうにか凌ぐものの、政治はことのほか腐敗していて悪者にされた上に中枢では汚職も進んだ帝国が、総攻撃してくる遊牧民族に果たして勝てそうもないだけに今後が気になる。ああでも腐敗がそれでこそげ落ちるから構わないのか。角川スニーカー文庫でやってる「会長の切り札」も学校の攻防で戦略知略が冴え渡るって展開の面白さを見せてくれていたりする鷹見さん。常にあっと驚かせる逆転の手札を用意しないといけないだけに大変そうだけど、結果が伴っていたりするところがちょっと凄い。これからも期待してます。銀河乞食軍団の方はまだ買ってないや。


【7月3日】 シリアスでリアルを追求するドラマだからやっぱり、目がぐるぐると回るというのはいささかの躊躇いを生むようで、雑誌「Spoon」の2009年8月号「女子アニメ特集」で「東のエデン」の神山健治監督と対談した、キャラクター原案を担当した漫画家の羽海野チカさんが自分の絵柄そのままに目がぐるぐるっとなったカットを見て不思議な気持ちになったと告白している。もしも唐突な命令を受けた「機動戦士ガンダム」のアムロが目をグルグルさせて驚いてみせたら、シリアスな戦闘のどこかに緩みが入って気持ちの高ぶりを押さえ込んだだろう。

 ただシリアスでリアルといっても「東のエデン」は設定自体にどこか人を食ったところがあって、現実離れした中で人が大仰に驚き大仰に怒り大仰に慌てながらも大仰に正義を貫き通していこうとする、メタフィジカルな部分もどこかに交じった一種のファンタジーだといった見方も決してできない訳ではない。対して「ガンダム」は現実という意味でのリアルを未来に延長させた世界であって、何かの象徴として存在している世界とは違う。だから目もぐるぐるとはならないし、裸の胸にモザイクもかからなかった。

 とはいえ時代は下がって今やアニメを見る行為そのものがどこか客観的な場所からアニメを見ている自分を楽しむメタ的なものとなっていたりする。物語の中から語られている心理を汲み取るのではなく、描かれているビジュアルから語られる何かを一瞬にして感じ取って整理し評価することが恒常化してしまっている状況では、「ガンダム」が戦いの中で汗をかき、目を飛び出させても言いたかったメッセージはちゃんと伝わるといった判断も可能。「宇宙をかける少女」のネルヴァルが顔面を蒼白にさせたようなビジュアルが挟まったように、ギレンが額に汗をたらりと垂らすようなビジュアルが交じった21世紀場ンの「機動戦士ガンダム」が、これから先に出てきても不思議はないし、それをもって20世紀と同じ様な感動と、それ以上の楽しみを得られる時代が今なのかもしれない。

 そんな「Spoon」には細田守監督の最新作「サマーウォーズ」に関する情報も満載。あまりにたっぷりなので映画をまっさらな状態で見たい人は読まない方が吉かも。すでに見てしまった身だと婆ちゃんの感動的な場面なんかが思い出されて泣けてくる。とはいえそんあ婆さんのモデルの1人にトウキョウトラッシュで現代美術の応援をしている山口裕美さんがいるって聞くと、年齢とか年輪とかの差がちょい浮かんでうーむな気分。まあつまりはそれだけ婆さんが凄すぎるってことなんだけれど。あと桜庭ななみさんのインタビューもあってどんな人が先輩をどう演じているのかが分かって面白い。学校での媚態に最後の決戦での気の張り型。新人がいっしょけんめいに演じた成果をスクリーンでとくとご覧じろ。あと1ヶ月。我慢だ我慢だ。

 いやもう伊藤伸平さんによる漫画版がギャグっぷりユルめっぷりトバしっぷりで天井を突き抜けていて、そっちのタイミングに慣れた脳で見るとこれってちょいヌルいんじゃないかって思えてしまうけれども神楽坂淳さんの「大正野球娘。」は元来、モダンの風が吹き始めながらもまだまだ3歩下がって席を同じゅうせずな明治の色が濃く残った大正に、女性なんてと男に言われたお嬢がそれはないだろうと一念発起、仲間を集めて男がプレーしていた野球で勝負を挑むっていう逆転のストーリー。その原点へと立ち返ればアニメーション版「大正野球娘。」はそんな原作の空気をしっかり引きつつ、動きとか声音とかでアニメとしての面白さも見せてくれる良作に仕上がっているんじゃなかろーか、うん。

 と言うわけで始まった「大正野球娘。」はいきなり小梅の妄想から入っておやおや洋食屋のオヤジにしてはシルクハットとはモダンだねえと驚いたら夢だったというオチから入って着物姿で走って学校へと行く途中に流れるは「東京節」ったらぎっちょんちょんでぱいのぱいのぱい。陽気な気分になった処で学校に到着して駆け込もうとしたところを老女教師に捕まりはしたないとお説教。未だそういう世界観だと分からせて置いて巨大な金髪の先生が走り抜けていく絵を見せ時代の変化を漂わせ、そしてお嬢な小笠原晶子による野球やりませんか宣言へとつながっていく流れはスムースで見ていてストレスがない。無さ過ぎるのがだから人によっては真夜中らしくないって風に映るのか。

 でもってお嬢にお近づきになりたい娘も集まったけれども男子の前近代的な野球っぷりを見てこりゃあ無理だと逃げ出す3人。残った小梅もさあ止めよう今止めようとしたものの、タイミングを外して言い出せないところに現れたのが宗谷雪。実はこいつが一番の曲者で道具を用立てもはや誰も引っ込めないところまで煽っていくからご注目を。川島乃枝は漫画版の方がマッドサイエンティスト入っているなあ。今はまだまるで本領を見せてないけどこちらでもきっといろいろ“発明”してくれると信じよう。そして遠くから眺める巴御前。いったい何がしたいのか。でもって何が目当てなのかはおいおい明らかになるだろうかたお楽しみに。作家志望のたまちゃんは声が広橋涼さんか。「バンブーブレード」のたまちゃんといっしょだ。でもタイプは正反対っぽい。どんな声を出すんだろう? 藤林杏とも違うしなあ。

 シールブックの誘惑に負けて(嘘)買ってしまったよDVDで「崖の上のポニョ」を。どんなシールが入っているかなと、冊子になったシールブックをめくるとちゃんと半魚人のポニョの絵も4枚ばかり載っていて、決して作った人たちに嫌われているんじゃないんだと安心。でも縫いぐるみはあんまり数出てないだよなあ。もしかして今では貴重品か。アニメの本編はとりあえずリサがベッドに足を乗せてひっくり返っている場面とそれから、波に乗ってポニョが宗介を追いかけるシーンを確認。リサはやっぱりエロっちい。羨ましいぞ長嶋一茂、ってそれは声だけか。

 でもって海のシーンは手で描いているという1点で凄いとは想わせるけれども、壮大さ壮絶さにはやや足りていないような気がするのは見たのがパソコンという小さい画面だったからなのか、やっぱりアニメイトが足りていなかったからなのか。劇場で見た後ではもっと長かったと思ってたんだよなあ。自在な変化も音楽にシンクロしてそれこそディズニーの「ファンタジア」のような荘厳さを見せていたような記憶がいつの間にかねつ造されてた。やっぱり劇場で繰り返し見るんだった。そしてバケツを抱えて半魚人のポニョ登場。かわいいねえ。その姿でもリサは女の子って認識しているんだよなあ。目が遠い? でも普通に運転はしているし。もしかしてそう描かれているけどリサたちには普通の人間に見えていた、とか。研究のし甲斐があるDVD。週末にじっくりと見よう。

 でも「ポニョ」を買っただけでは手ぬぐいはもらえないと判明。かといってブルーレイディスクの「ポニョはこうして生まれた」は見あたらなかったんで、まだ買ってなかった「ショートショート」を買って百瀬ヨシユキさんと中田ヤスタカさんが組んだ「ポータブル空港」「Space Station No.9」「空飛ぶ都市計画」の3部作を見る。モダン。真鍋博さんが星新一さんの文庫とかに付けたようなイラストを進化させたようなスタイリッシュでモダンな未来のビジョンがカラーになり動いて音までついて見られるこの3本はジブリって事を離れて日本のアニメを使ったビデオクリップとして最高の領域にあるんじゃなかろーか。今でこそPafumeのプロデューサとして名を知られている中田さんを、当時からしっかりフォローし映像を作ってみせた先見性もなかなか。才は才を知るって奴か。「テレポテーション」をアニメ付きで見たかったかも。良い曲なんだこれ。


【7月2日】 振り返ると「機動戦士ガンダム」は笑いの要素がまるでなかったアニメだったような気がする。言動としてのボケもなく仕草としてのおかしみもなく、メタのような構造を解体してみせることによるほくそ笑みもないまま、ただただストレートにドラマが紡がれていった。あの世界観であのストーリーなら致し方ないという気ももちろんする。アムロとセイラが漫才をするような状況が起こり得るとは思えない。アムロのこめかみに水滴状の汗が張りつく絵が描けるとも思えないし、ましてや涙が振り子のように垂れ下がるとは思えない。そういう世界なのだ。

 ただ、キャラクターとして緊張を緩ませ展開に不確定な未来をもたらすトリックスターくらいなら現れても面白かったような気がしないでもない。「ガンダム」でそこに近いキャラクターといえばスレッガー・ロウということになるのだろうけれど、混ぜっ返しの妙味は見せても最後はナイスな2枚目で終わって価値観の転倒を見せるほどには至らなかった。幼いが故の間抜けをカツ、レツ、キッカの子供に割り振ってあったのもわざわざ笑いを入れ込む必要をなくす方向に働いたかもしれない。

 今ならどうだろう。「交響詩篇エウレカセブン」ではレントンのおつかいの会があり、「コードギアス 反逆のルルーシュ」なら学園祭やラブアタックのようなイベントが息抜きに働いた。「鋼の錬金術師」は半分がギャグ仕様のような気すらする。頂戴なストーリーを持った作品は、もはやギャグ抜きでは成立しない時代になったのか。それともギャグなどなくてもドラマで引きつけキャラクターや動きで見せて完結まで持たせる手法があり得るのか。テレビをつければお笑いがあふれお笑い芸人が跋扈する現在。ボケも突っ込みも不必要な世界の存在が可能かを、少し考えてみたくなって来た。

 それはお笑いがただ単純に笑って時間を楽しみたいというところから離れて、芸人なり事務所なりテレビ局なりといった笑いに関わる構造全体を俯瞰しつつ、そこに笑っている自分も入れ込んで、すべてをネタとして認識してさまざまな方面から客観的に分析しつつ、そこを起点にさまざまな方面へと議論を展開していくような存在へと変化してきているから、なのかもしれないとロフトプラスワンで開かれた「おわライター」なラリー遠田さんらによるトークショーを聞きながら考える。放送されるお笑いの量も増加していれば、それについて語る機会も増えている状況では、なぜそこで笑わせるのかという必然を持たせなくても、笑わせようとしていることの理由やそれがもたらす効果までをも受けてが想像し分析して、納得できる理由を見つけてくれる、といったところか。だから出しやすいし、出しても混乱を来さないのかもしれない。

 トークショーではとにかく出る出るお笑いに関する分析なり考え方が。ネタがどう面白いのかってところに留まらず、どう見せたのか、それはどうしてそうしたのか、そこまでどうやってきたのかといった分析が立て板に水と出てきては、それを聞いている側もうんうんと理解している感じがある。それだけお笑いに対するリテラシーが確立しているってことで、だからこそ個々人の絶対基準による面白さから外れているものでも、相対基準の中で価値が見いだされて賞揚されて存在を保ってこのお笑いの横溢を支えているのだろう。

 そんな状況が良いか悪いかっていった是々非々ではなくって、そうなってしまっている以上はそんな状況を楽しむのがやっぱり1番。その意味でもいろいろな見方を教えてもらえた愉快なイベントではありました。ダイノジの大谷さんも含めて何が喋られたかは面倒だからパス。とりあえず芸人たるものブログを持ったなら折角のチャンスを踏んで身辺雑記などせずバカを晒して盛り上げろ、ってことか。あるいは身辺雑記も徹底して貫き通せってことか。こちらもこちらで参考になるお言葉。

 会場では例の「PLANETS」のお笑い特集号が売られていたんで最後の1冊を確保。売っていたあの格好いい人がもしかして編集長の人? 近くに美人がいっぱいいてとってもとっても羨ましかったです、うん。いや本当だし。つか編集の人として現在にこの企画を取り上げラリー遠田さんに書かせ「ノンスタイル」を巻頭インタビューに持ってこさせるセンスはやっぱり流石なもの。そしてメジャーなところで制約を受けながら出すんじゃなくって、マイナーなミニコミの範囲ながらもチープな感じは排除ししっかり中身で戦ってみせるあたりの位置取りも、今というこの時代にとっても頭の良いやり方な気がする。

 何でも格好いい系雑誌の「スタジオボイス」が休刊だそうで、あれだけやり放題な雑誌でも保たない時代にそれ以上のやり放題を好き放題にやって、それなりの部数を確保できている「PLANETS」のモデルって、やっぱりひとつの参考になりそー。とはいえかつては「スタジオボイス」も「クイックジャパン」もそうだった。それが今は……な訳なんで「PLANETS」の今後がどうなるのか、どうもならないのかはちょっと注目していきたい。できれば売り子の近辺にいた美麗な方々とふれ合いたい。嘘です。

 ううん。冬にブルーレイディスクが出るならそっちを待とうって気にもなるけど、家でリサが帰って来ない夫に苛立って、グダグダとのたうち回っている姿を間近で見たいって気もあるんで目下のところは買うかどうかを逡巡中な「崖の上のポニョ」のDVD。最近のジブリアニメには珍しく劇場にも1度しか行ってなかったりして、見ればいろいろと発見もあるんだろうけれども逆に1度くらいで十分って思ってしまったのも事実なんで、DVDを今すぐ買ってもあんまり見なさそう。ならばブルーレイディスクを待つのがやっぱり筋かなあ。

 どうせだったら過去のジブリ作品もまとめてブルーレイにして、「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」「豚」「魔女」「もののけ」「千尋」「ハウル」とそして「ポニョ」をまとめてパヤパヤ箱にして売ればそれなりに売れるんじゃないのかなあ。値段がいくらになるのかちょっと恐いけど。でもこれだと「火垂」「ぽんぽこ」「おもひで」「山田」の高畑作品と「耳」「恩返し」「ゲド」といった他の監督の作品が浮かばれない。かといってまとめてブルーレイ化ではお金が。なので月に数枚づつをじっくりブルーレイ化して出していってやって下さいな。それにしても何故に久石宮崎のライブにドキュメンタリーを先にブルーレイで出すんだろう? 宮崎ドキュメントは分量が2枚で助かるけど。

 でもって「鉄腕バーディーDECODE02」のDVDの第6巻を購入。これで全部だったっけ、始まったのが1月で終わったのが3月末っていうアニメがそれから3ヶ月で出そろってしまうってところのスピードはいったい何なんだ。ひと月に2枚とか出た時もあったからなあ。月1では途中で気分が弱って購入しなくなる人を想定して、気がまだ張っているうちに一気に買わせようってパッケージ会社の戦略か。それとも稼げるうちに稼いでおかなきゃやがて不景気風も強まって買ってもらえなくなるって判断か。ともあれちょっと珍しい。まあ何だかんだ行ったって「02」だもんなあ、デカい話にいかず地球で幼なじみとこちょこちょやってたってだけの。ここを中休みにして是非に次のシリーズへとつながって欲しいところ。その時はカペラの帰還を。できれば事務服で。似合ってたし。


【7月1日】 劇場公開に会わせて「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビ版が一気に放送されるのなら、30周年を迎えた「機動戦士ガンダム」もテレビの地上波で一気に放送されてバリュー的には不思議はないと思うのだが、CSなどではそんな動きはあってもテレビではまるで動きを見ないのは、エヴァと違って43話もある重さがネックになっているのか、それともテレビ局を渡り歩いた番組を今どこが流すべきなのか逡巡しているからなのか、単純に「エヴァ」ほど視聴率が取れないといった判断なのか。

 3話づつを流しても連続で半月、集に5日なら3週間はかかってしまう「ガンダム」では、間延びしてイベント感が出せないというのもひとつの理屈。3話づつでも8日間、中日をとっても10日で終わらせられる「エヴァ」なら劇場公開と連動した展開としてファンにも出し手にも認められる。とはいえしかし「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」「新世紀エヴァンゲリオン」が戦後の3大ムーブメントアニメだとして、「ヤマト」「エヴァ」では新作が公開されるかされているのに、市場としてもっとも巨大な「ガンダム」で総集編の「00」ではない新作の劇場もテレビシリーズもないというのは、改めて思うとやっぱり寂しいものがある。せめてだから「ガンダムUC」の広がりに期待したいところだが、いったいどんな展開を持って来る気なんだろう。待とうその時を。

 河合克敏さんの「とめはねっ!」の新刊第5巻を買って読む。ヤンキーとギャルの先輩2人は前には争っていたのか。それを収めて見方に引き入れた眼鏡部長がやっぱり最強。蕎麦屋の娘のアプローチにも動ぜずガチャピン君は書の修行。でもってその蕎麦屋に柔道娘がバイトで乗り込んできてさあ大変というところで巻の終わり。ラブコメって感じが濃くなり書の争いが少なくなて来た感じ。やっぱり題材が地味過ぎるのか。でもNHKのドラマは近いし。盛り上がれと期待。でもって「鉄腕バーディーなんとか」の新刊。REVOLUTIONだったっけ。どうでも良いから普通に続刊にして欲しかった。強化舞台に千明登場。そして敵は宇宙より来る。ご町内異星人バトルが枠星間戦争へとエスカレートしていくのを果たしてどう収めるか。見物ですゆうきまさみさん。

 このまま本当にエンドレスで「エンドレスエイト」が繰り返されたら神認定。でもそれは流石にやらないか。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q」が一転してモノクロ映像で石坂浩二のナレーションが流れる中を、帰ってきたウルトラマンに変身したというウィンドブレーカー姿の庵野秀明監督が現れ、ミニチュアの新第三東京市を破壊していく展開で終わるくらいにあり得ない。ありえなったらありえない。ただでも1回で済ませば済ませられそうなループ話をさらに引っ張るところには、繰り返されていることが分かってしまう恐怖って奴を、見ている人にも感じさせることに大いに貢献しているから、これはこれでありなんじゃないかって気もして来た。とはいえあと1回くらいだろうなあ。

 夏休みが終わらないといいな話って意味では「夏のあらし」も同じみたいなんだけれども、あちらはあくまで一夏の経験値。いずれ終わる夏とそして永久の別れって奴を、流れてくる寂しさ哀しさって中に感じさせつつ、今を謳歌する素晴らしさって奴を味わってもらう作品だから、永遠に繰り返される夏休みへの憧憬を、半ばパロって見せている「エンドレスエイト」とは思想が違うとだけは言えそう。というか涼宮ハルヒはあの繰り返される夏のどこが心地良いんだろう。むしろ夏が終わって学校で出会って思い出を振り返りながら新しい交流を喜ぶ方へと向かうんじゃないのかって思えなくもないけれども、一方に激変なんかも想定できるのが不確定な未来。だったら確定した瞬間を繰り返す方が傷つかなくて済むって気持ちが、きっとハルヒの中には強くあったりするんだろう。あれでなかなかに繊細なんだねえ、ハルヒ。

 前のと比べるとストーリー展開だけでなくって細部に違いもあるんだろうか。つまりは使い回しとかはないってことなんだろうか。浴衣の色は。長門が買ったお面の種類は。金魚の模様は。ハルヒの表情は。探せば違いがあってそれなりにちゃんと作っているんだバンクじゃないんだってことが分かりかもしれないけれども繰り返されることに意味があるなら別にまるまるバンクでも良いしその方がより恐ろしさも染み出そう。じっくり見直してみるか。そんな裏でやってた「はじめの一歩」は沖縄の頑丈な漁師を相手にデンプシーロールが通用しなくなりそうってエピソード。これっていったいいつぐらいに「週刊少年マガジン」で読んだんだろう。先にさらに山ほどのエピソードもある作品だけにあと10年は戦えそうだなあ。無理っぽいのは「BLEACH」か。大人の事情。大変だねえ。

 「ザ・スニーカー」の最新号にはそんな「涼宮ハルヒの憂鬱」に関する過去記事なんかをまとめた冊子が付録で登場。今が大いに瞬なだけに売れてくれれば仕事している身として善哉。ちなみに今回の紹介は梨木香歩さん「f植物園の巣穴」(朝日新聞出版)。まあまた狭いところを狙って来た感じだけれども梨木さんが好きだという編集の方がおられたようでセレクト。読むと本当に頭をねろんねろんに引っかき回される幻想小説です。でもって「角川スニーカー大賞」も発表。最終候補の5本が大賞優秀賞に奨励賞3本と全部入賞とはなかなかに剛毅。それだけ粒もそろっていたという現れか。4000通とかとんでもない本数が集まる賞もあるけれど、「スニ大」にも良い人が揃って来たってことなのか。大賞作品はやく読んでみたい。「pixiv連動企画」だって? Youtubeニコ動への素早い展開といい角川書店、ネットへの感性が尖りまくってるねえ。それが収益に結びつくのがこうしたコンテンツの良いところ。新聞は……。

 でもって「第14回スニーカー大賞」で優秀賞の九重一木さん「ガジェット 無限舞台BLACK&WHITE」(角川スニーカー文庫)を一読。いわゆるタロット系異能バトルではあるんだけれど世界を見下ろす神様がいてその気分で滅びるも存続するも自在な世界で神様を楽しませるために生み出された異能の力の持ち主たちが、出会ったり戦ったりするってストーリーの、誰が正義の味方で誰が悪の手先といった分け方がまずなく、着地点が見えないなかを少年が異能の力を持った少女と出会い、その妹らしき少女も絡み、従姉妹で小学生の少女も絡んで来ては衝動を爆発させて人を殺める存在との戦いに巻き込まれていく。説明もなく少女がいきなり少年と出会い、妙な力を見せ行きつけの古本屋の女性が謎のボードゲームを渡したりと、セオリーに沿った書き方をしていないところが特徴といえば特徴か。そんな外しがちょい読み難さにつながっている感もあるけれど、配置が見えて展開が想像できるようになれば気にならなくなるんでここはとりあえず読み切って、次に起こる何かがどう転がるのかを考えてみるのが良さそう。「きゅむ? きゅわわわわわわわわあっ…」はまたしかし画期的な唸り声だねえ。


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