縮刷版2009年3月下旬号


【3月31日】 始まって3カ月ってことは半年の予定で折り返し地点に到達したはずの「宇宙をかける少女」なんだけれども、この期に及んで新キャラクターは続出するは展開はまだまだ転がるわと、まるで先の見えない展開の中で地球を舞台に3人娘はあっちにふらふらこっちにふらふら。原住民らしき奴らに襲われテラアブダクションの襲撃に遭い、箱を被ることなく正気をたもったいつきにほのかが、箱に取り憑かれてふらふらと歩く秋葉を止めてかろうじてセーフ。そして向かった先でワンピースを着たじじいが立ちふさがっては、ほのかに飛びかかられて首を絞められ裏切り者だと罵倒される。いったいぜんたい何者だ?

 ベンケイと逃げ出したつつじちゃんはメガネをキラリとさせて哲学的な言説をまきちらしては、まるで「うる星やつら」のメガネを気取り、さらには自ら服を脱ぎ虎縞模様のビキニなって、今度はラムちゃんを気取ってみせたりとここに来て一気に存在感をアップさせる。そんな地球を眼下にカークウッドは相変わらずの雪景色で、そこから逃げ出した人たちもいたにはいたけれども、留まって女王になる道を選んだ獅子堂ナミもいたりして、天下を2分しての闘いがいよいよ本格的に始まりそう。問題はそんな戦いのどちらにいったい理があって、そしてどうなったら最良のエンディングなのかが現時点ではまるでさっぱり見えないこと。それだけに観る楽しみもあるんだけれど、1週見逃したらついていけなさそうな予感もあって、改変期の時間移動に注意をしつつこれからの展開を眼にしっかと焼き付けて行こう。

 とりあえず迎えられた年度末。来年度末も迎えられるとは限らないというか限りなく迎えられなさそうというかともあれいろいろとありそうな新年度に向けて扉は開かれつつある年度末。気にすると夜も寝られなくなっちゃうんでむくりと起き出してはとりあえず2回目の挑戦ってことで「マクロスF」の1番くじを2枚ばかり引いてみたら、2個ともチビキャラだったんでアルトとそれからクランをもらって、これでシェリルと3つ並んであとはランカでコンプリート、か。タオルだの茶碗だのといったこれからの熱くなるシーズンにもらってうれしいモノではあったり、食事の時に毎日出会えて嬉しいモノだったりする景品が当たらないってのはまあ、それなりに運の面でどちらかといえば良い方向に傾いているって言えそうだけれど、そうやって小銭のよーに運を使ってしまうと新年度にいっさいの幸運が起こらない可能性もないでもないんで悩ましい。これででっかいクランでも当たった日にやあどうなることやら。でもちょっと欲しいなあ。でっかいもんなあ。前とかドカンと。後ろもブリンと。

 いろいろと漫画を買い込んでながめてみたり。映画になった「昴」は実は似て非なる「すぱる」だったんじゃないかって噂も広がり始めている中で、こっちはちゃんと「昴」の続きとして刊行されている曽田正人さん「MOON」の第3巻は、弟の枕もとで踊ってた話がさも美談の如くに語られイラチとなった宮本すばるを、そんなの関係ねえじゃん逃げたら負けじゃんとニコが諭してすばる大復活。舞台に立つものの今度は停電なんて事件が起こって誰も見えなくなった中、もともと見えないニコが踊りを続けてそれにぴったりを遭わせてすばるも続けて、かくして伝説の舞台が生まれたのでありました。でもってコンクールへの出場を狙って中国からの留学生と闘うストーリーへと今後は進展。1週おきの連載なだけにその辺りに決着がつくのも先なら、単行本の第4巻が出るのもしばらく先になりそう。その頃に果たして「すぱる」のことを覚えている人がいるのかどうなのか。乞うご期待。

 こちらもゆっくりと進んでいるっぽい伊藤悠さん「シュトヘル」(小学館)は、現代を漫然と生きてた須藤って楽器職人の息子がコンパで出会った少女を家に招き入れ、自作の楽器を弾かせたところ世界がぐるりとゆがんで目覚めると、須藤は素っ裸の少女の姿で首にロープをかけられ吊されていたから驚いた。ロープはすぐにちぎれたものの、周囲からは兵士がどんどんと攻めてくる。どうやらシュトヘルと呼ばれる悪霊のような存在と見なされている模様で、そんなシュトヘルを現代で家に連れ込んだ少女にどこか似ている少年が導き、闘いの場から引っ張り出して拠点へと連れ帰る。

 そして聞いたのは、モンゴルによって攻められ続ける西夏にあって、一兵卒だったすずめが生き延びて砦で朽ちていく仲間達を狼から守る内に強靱な存在となったこと、さらにモンゴルの攻勢が続く中で王子に大切な文書が託されようとしていること。現代の少年が過去の中国大陸でいきなり素っ裸の豪傑な女性になってしまったっていう、甘酸っぱさの漂う展開なんてすっ飛ぶ驚天動地で波瀾万丈な物語に巻き込まれたシュトヘルが、須藤としての記憶なんかをどうこなしながら戦乱をどうくぐり抜けていくのか、って辺りを楽しめそう。1巻じゃああんまり進んでいない展開が、2巻でぐっと進むだろうことに期待。

 ようやくやっと出た道満晴明さん「性本能と水爆戦 征服」(ワニマガジン)を買う。相変わらずに可愛らしいキャラクターたちが、唐突にあれやこれやとイタす展開の愉快さエロさでぎっしりな単行本だけに、夜も楽しく過ごせそう。それはともかくタイトルは『性本能と水爆戦 征服』なのに、最後のページにある奥付は『最後の性本能と水爆戦 征服』になっていたりするのが謎。どういう訳だ、ってきっと前に出た『最後の性本能と水爆戦』のタイトルが入り交じってしまったんだろうなあ。でもそんな間違いをするものなのか。うーんやっぱりどこかに謎があるのかも。研究研究。しかしこれで18禁じゃないってのも不思議な世界だよなあ、出版界。

 冬ですらSPレコードに届かなかったのが夏にはEPレコード並となっていろいろと迫ってくる模様に愕然。あれだけ削たり叩き出したりして整えたはずなのに、それでもぐわっと下げていかざるを得ない状況ってのはつまりどっかに引っ張る存在の引っ張り方の間違いがあったとしか思えないんだけれど、それを気にして引っ張り方を変えるとか、引っ張り手を入れ替えるっていった発想にはとうてい至りそうもないのが何というか悩ましい。夏を過ぎて冬に向かうにあたって状況が好転するようにはまったく見えないことを考えると、今度はLPレコードすら気ってセンチュリーがパークといった辺りすら見通した数字が提示されてしまいそう。もはや水準としては30年前どころか40年前といった感じ。これを繰り出してなお座し続けられる神経の太さって奴を、見てみたいものだけれどもきっと見てもあまりの太さにそれが神経だって気づかない可能性も高いよなあ。除夜とかなんてもう一生届かないんだろうなあ。クオーターパウンドも然りだよなあ。


【3月30日】 そして日本代表についての評価なんかを見ようと「エル・ゴラッソ」を買ったら、やっぱりくっきりのイマイチ感が表明されててほぼ納得。まずは後藤健生さんが「ミドルシュートが足りない」と言い「得点力アップの方策」として精度を高めることともうひとつ、「ヘディングの強いFWを1人入れること」を提案。それが得点に結びつかなくたって「競り合ってつぶれてくれるだけでも、攻撃の幅は広がったはず」で、狭い場所をすり抜けようとする小兵ばかりのフォワード陣には絶対に実現不可能。ってことで「やはり、巻誠一郎は必要なのではないか」と締めている。具体的な名前まで出しての指摘はジェフ千葉ファンに有り難さを感じさせつつ、大きな意味からの切実さを持っているような気がしてならないんだけど、どうなのよ。

 たぶん編集部に所属の熊崎敬さんは「勝ち点3を獲得したことで、南アフリカがくっきりと視界の中に浮かび上がった。だが、南アフリカでの勝利は、いまのところ想像できない」と行き詰まった現状への疑問を指摘。でもって藤井雅彦さんは「勝ち点3は予選でしか意味を成さないが、チームとしての上積みは続くモノ。そろそろW杯本大会に向けたアクションがあるべきだ」って感じに、暗に指揮官の新たな導入を示唆している。ここまではっきりと次の監督を求める論調が揃うってのもちょっと珍しいかも。その意味ではサッカージャーナリズムに進歩は見られる。変わらないのは本郷の御殿の面々ってことで。

 プロの評論家でも加部究さんが「組織として崩すため、あるいはスペースを開けるためのパス回しや動きの効率が、明らかにトップレベルから見劣りしているのに、岡田監督を筆頭に多くの関係者は、そこが日本の長所だと思いこんでいるフシがある。そしてそれは非常に危険な勘違いだ」とまで言い切っている。「技術委員会の重要かつ緊急を擁する検討課題」とまで言うその先にあるのはつまり……。ってことでやっぱりいろいろと切り替えが必要っぽいんだけれど、きっとそうはならずに6月を迎え出場決定を迎え1年後の出場を迎えた果てに4年後の奮起を期すんだろうなあ。そんな見えすぎる未来が客足を遠のかせていることに気づくべきなんだけど、本郷の御殿の面々は。

 尾形琳が目指すバレエとはつまりセンターで踊るプリマドンナに周囲かで踊る群舞の面々が近寄り、挑みかかっては回旋脚によって蹴り倒され、綺麗に先まで伸ばされた手先によって貫き倒されては死屍累々といった感じに積み重なっていく、見て激しく感じて興奮の格闘バレエであったという「RIDEBACK」最終話。江戸の仇を長崎でじゃないけど、脚を悪くして去らざるを得なかった舞台への未練を、ライドバックって自在に操れる脚を得たことで晴らそうとして周囲を巻き込み、その気にさせてはその気になり過ぎてしまった女の子ひとり失わせて、けれども当人はそれすら糧として踊りを、踊りだけを取り戻す。

 そんなストーリーには何で踊るのか? っていった一本通った考えようによっては筋はあるけどそれしかないって言えば言えそう。反乱? 革命? ぜんぶが琳の周囲で勝手に起こっている出来事。当人はそれをまるで気にしない。なるほど何が起ころうとも動ぜずひたすらに芸術に奉仕するアーティストならではのスピリッツが、溢れまくった物語だってことになる。そんな彼女の前では革命とか復讐とか独裁とかいったナイーブな精神なんてかすんでしまう。親への反発だなんって繊細も繊細。だから部長はライドバックで琳に負け、最後のシーンでも後方へと置き去りにされた挙げ句に退場を余儀なくされる。

 徹頭徹尾して尾形林という天才バレリーナの挫折から停滞、そして希望から回復を経て開放へと至る物語であって、周囲の爆発も虐殺もすべて雑事を見ればこれはこれで楽しめる物語って言えるのかも。引っ張り込まれ引きずり回される周囲には良い迷惑かもしれないけれど。たとえばロマノフ。偉そうに独裁者を気取ってみせても琳がかきまわし、外国でフリージャーナリストが動いたくらいで立場をぐらつかせ、ひっくり返され全部を失う。命までも。囲まれたくらいで撤退していくBMAの面々が本気で革命を引き起こそうとしていたとは見えないんだけれど、あの程度の喧噪でもって逃げ出さざるを得なくなる立場っていったい何だったんだ? GGPってそんな程度の組織なのか? 気にしない。だって主人公でありすべての中心に立つ琳は、立派に“復活”を遂げたんだから。

 BMAの銀髪があのあと一体どうなったもどうでもいい。軍服系な癖にやけに胸元が開いた制服を着ている女も、講師で顧問のゴブリンもどうでもいい。踊る琳。踊りを取り戻した琳。それで十分。それだけで十分の「RIDEBACK」のアニメーション版は、劇場で公開されている「昴 −すばる−」よりもはるかにとてつもなくバレエを探求したバレエアニメ作品えでありました。映画見てないけど。琳が発明した格闘バレエがこの先どう応用されていくのかが個人的な楽しみで、ベジャールが見たらきっと「ボレロ」を改編して、最初から円の台の上に周囲の群舞を全員上げつつセンターでシルヴィ・ギエムが1人蹴り落とし、1人殴り倒していった果てに累々と積み重なったダンサーを見下ろし両手を掲げて快哉を叫ぶ、スペクタクルでエクスタシーにあふれた舞台なんかが出来たらちょっと面白い。出来ねえよ。

 エデンが西むきゃ尾は東。そんな試写を舐めつつ「BLOOD」の実写劇場版のポップを眺めつつして六本木を出てから秋葉原あたりを見学。「交響詩篇エウレカセブン」のブルーレイボックスでもあったら拾うかポイントも溜まっているしなあと見渡したらどこの石丸も品切れ状況。調べるとネットも全滅みたいでいつのまにそんな人気アニメになったのかと驚きつつ、きっとやっぱり自分とは縁のないアニメーションだったんだなあとここは理解し揃えるのを諦め家のどっかに埋もれているRD−X3か何かのHDDに入れっぱなしの映像を、いつか引っ張り出して見るかそれとも一生見ないかを逡巡することにしよー。それにしてもしかしいったいどうしてこんなに人気なんだ。だったら本放送の時に散々っぱら話題にしてやれば良かったのに。僕でさえ日曜日は毎朝7時に起きて本放送のほとんどすべてをライブで見たのに。

 せっかくだからとラオックスのホビー館(ほびー・やかた)の店頭に出回っていた「マクロスF 一番くじ」のポップから購入券を抜いて2枚ほどくじを引いたら何と! 1発目でもって最も欲しいと願っていた巨大シェリル像を確保する。もう1つは見にフィギュアでこちらでもシェリルさんを確保し立体シェリルをコンプリート、ってほどでもないけどともあれ前の「コードギアス 反逆のルルーシュR2」では終ぞ手にできなかった「C.C.」フィギュアの仇を「マクロスF」で取った恰好。ふりひらとしたスカート姿な分だけ見るところもたくさんあってこれから家に飾って毎朝拝もう下から上から。とはいえしかし前に買った「黒執事」のミニフィギュアで、シークレットも含めて6体を1発で確保してしまっただけにそこで2009年の運を使い果たしたと思っていたらここにきての1発シェリルゲット。きっと2010年の運も使い果たしてしまったに違いない。あとは負債を返していく日々。ランカまで当たったら……21世紀中に幸運はもう来ないな。


【3月29日】 んまあ確かに強いかもしれないサッカー日本代表はワンタッチによるパスがちゃんと見方の足下におさまってそれを選手もしっかりコントロールして回していくものだからバスケットボールの攻撃を見ているよーなスピード感スリル感を味わえるけど、ゴール前で5人がかりで守る相手にはなかなかカットインできないバスケと同様に回してたって中に入り込めないんで得点機会はそれほどなく、かろうじてフリーキックが相手ディフェンスのナイスなアシストもあってぽこんと入って1点を奪って逃げ切り勝つには勝ったもののこれから先、すなわち本番での欧州トップモードを相手にした闘いにおいて勝利できそうな雰囲気は味わえなかったワールドカップ予選対バーレーン戦。

 これでトップで走り回る田中達也選手がケガをして中村俊輔選手が熱でも出したらいったいどうなってしまうのか。そんな偶然あり得ないっていわれそうだけれども過去に現にそんな偶然が必然かのごとくに重なったからなあ。高原直泰選手の不調って偶然もそういやあ重なったっけ。だから誰が出たってしっかりポゼッションしてサイドが前に出て誰かが受け取りトップが頑張りセカンドがケリ込むサッカーって奴を作り上げようとしていたのに、今の監督の人は戦術よりも選手ありきのサッカーでもって勝とうとして、かろうじて勝ちきれる程度のチームしか作れないからなあ。まあそれでもちゃんとしっかり切符は獲得してくれたから、あとは誰かに任せて世界を驚かせる手助けをして頂きたいもの。でないと今のどうでもいいや感が2010年7月まで続いてしまいそう。

   でもって冴木忍さん「ドラモンド家の花嫁」(角川スニーカー文庫)は第3巻「あなたの花嫁に祝福あれ」で完結。ちょっと早かったかな。大食いがたたってなかなかどこにも居着けなかった家政婦な少女ジャスミンがようやく雇われたのは、財宝ががんがんと溜まり誰にも奪われない代わりに、当主とその妻が35歳になったら死んでしまう呪いにかけられたドラモンド家。アルトゥースって若き当主にどうにか認められ働き始めたジャスミンだったけれども1食分が35人前(何か増えてるなあ)という大食らいさを今後も維持できるのかってところで壁にぶちあたる。

 ドラモンド家と親しい作家がアルトゥースとジャスミンをモデルにした喜劇を書いて上演することになったと聞いて何がどう書かれているか分からないとかけつけたアルトゥースだったけど、その劇場で昔にその地域を収めていた領主の幽霊が現れ人をさらい事故を引き起こしたって事件に巻き込まれてしまう。なおかつ劇団にいた少女から求婚を申し込まれて迷うアルトゥース。自分の本当の気持ちはどこにあるかと悩みやっぱりジャスミンと決めて告白したものの彼女はずっと美味しいものを食べて生きていたいという返事。これを拒絶と受け止めたアルトゥースは懊悩に陥るけれども一方でジャスミンも真剣な少女の思いを無碍にはできないという迷いと、そして彼女が当主の妻となったら自分は追い出され食事も満足に(35人前じゃあなあ)摂れない暮らしに陥ってしまうという悩みに苦しみもだえる羽目となる。

 そんなうだうだとした関係が一挙に収束していくクライマックス。ドラモンド家にかけられた呪いの解除といった話も浮かんでくるけど始祖にあたる女性が自分の働きぶりへの執着から魔王と契約して生まれた呪いの解除には、そうして溜め込まれた財宝の解放といった展開なんかが必要って想像も出来たけれども、案外に簡単な方法で、それが始祖の願いに果たしてかなっているかどうかも判然としない方法でもって、呪いがとかれそうだと分かってそれで良いんだったら過去にもどうにかなっていたのかもしれないなって気分でもやもや。あと35人前(最初って24人前くらいだったっけ)を喰らうジャスミンのその能力が、本筋で起こる事件に関わるんじゃなくって彼女の属性の論拠にされてしまった所がちょっと当方の思惑と外れているって印象。それがジャスミンのチャームポイントになってアルトゥースを引きつけたってんならまだしも、どちらかといえばウザがられているもんなあ。まあともあれ大団円でまとまったドラモンド家は呪いがとかれて増えなくなった財産が、ジャスミンの大食いによって食い尽くされていくのでありました、と。なるほどそれもひとつの執着の解放かも。

 アニメの方は石丸あたりの店頭で流されていたのを数秒見た程度でまるで興味をそそられなかったんだけれどもシナリオを担当した大野木寛さんが書いた小説版「ムネモシュネの娘タチ2008」(HJ文庫)を読んだらこりゃっちょっとアニメの方も見てみたいかもって思えてきた。主人公は探偵事務所を営んでいる女性で眼鏡で美人でグラマラス。頭もそれなりに切れるみたいだけれどもそれ以上に能力が凄い。どう凄いって死なない。死んでもすぐに蘇る。吸血鬼ってんじゃなく不死者って奴でユグドラシルとかい世界樹から飛んでくる胞子か何かの辺りが入りこんだ女性は不死者となってしまうとか。

 そんな体をつかって仕事にはげんでは頻繁に殺されそれでも死なないで仕事を真っ当。あんまり頻繁に殺されるあたりはやっぱり無能なのかって想像も浮かぶけれどもきっと長い時代をそんな体で生きて来たから無防備になってしまっているんだろう。でもって製薬会社を舞台にした改造人間を探し出す事件とかいろいろ解決していった短編では、そのナイスなバディを惜しげもなくさらけだして見せたりする描写とかあってアニメなんかでいったいどう表現されているのかに興味をそそられる。それ異常に興味深いのは天使なる存在と出会った際のヒロインの乱れっぷりがどう表現されているか。胞子が入った女性は節になるけど男性は天使と呼ばれ不死者の女を捜し出しては犯し喰らうだけの存在になってしまうらしい。知能とかまるでゼロな。

 でもって不死者はそんな天使が出てくると本能的に官能が理性に打ち勝って現れひたすに抱かれたくなてしまうらしい。もう叫ぶくらいに乱れる様が果たしていったいどんな絵でもって描かれているのか。それともいないのか。アニメを見てみたいけど6巻で各5800円はちょっと今のご時世で出費として痛いよなあ。どうしようかなあ。それでもナビスコカップのフクダ電子アリーナでの開幕戦がシーズンチケットで入れたんで浮いたお金にちょっぴり足せば1巻分くらいは変えるか。1巻だけ見ても楽しめるのかどうなのか。要検討。するあたりが意志の弱さか。まるで天使に出会った不死者だよなあ。面白そうなアニメを前にしたアニメ好きって奴は。

 せめて日本代表の半分くらいパスが繋がれば勝利の道も近いんだけれど残念ながら出すパスのことごとくが見方に届かないジェフユナイテッド市原・千葉はナビスコカップのホーム初戦に迎えた柏レイソル相手に1点を先取しながら攻め手に欠いて追加点を奪えないままミドル気味に放たれたシュートが入ってしまって同点に追い付かれたままゲームセット。今期をまだ未勝利のまま4月を迎えることになってしまった。ちょっとヤバいか。もちろん負けてないっていった光明はあるけど得点シーンもどちらかといえば相手のミスからのものが多くて攻めの形を作ろうにも基本の部分でミス連発な状況を改善できてない模様。パスを出すにも見ないで前に出せば誰かに届くってな雰囲気があって、どーしてそんなに焦るのか、もっと落ち着いてパスを出せばちゃんと届くんじゃないのかって思えて来たけどそれはきっとアレックス・ミラー監督だって分かっていること。指導をしても治らないところにチームとしての限界って奴も見えてくる。打開するにはやっぱり視野の広いパスの出し手が必要なんだけどなあ。あと受け手が。阿部さん羽生さんどこ行った?


【3月28日】 カポエィラという武術があってブラジルで発達して奴隷が手錠をかけられながらも戦う武術ということで、自由な脚をよく使い時には逆立ちをして脚を回旋させて敵を吹き飛ばすような技も持った武術と伝え知られ、恐れられているといった知識のどこまでが正鵠を射ているものかは不明ながらもすくなくとも巷間伝えられるカポエィラのイメージをまず理解した上で、そのカポエィラを良家のお嬢様であり絶世の美少女であるところの女子高生が制服姿のままで使い向かう敵をなぎ倒していく物語があったとしたら果たして是か非か。なおかつライトノベルであって当然のように入らすとがついてそれが「フルメタル・パニック」でおなじみの四季童子さんであったとしたら優か良か。

 答えは言うまでもないよなあ。ってことで伊吹秀明さんの最新刊にして「見目麗しき美少女が、逆立ちして闘う格闘技・カポエラで猛者を倒しまくる!」(帯より)ところの「トルネード!」(HJ文庫)はもはや読む前から傑作認定。読み終えてもなお大傑作認定が下ることは間違いがなさそーであとはれこをいつ誰が、誰の主演によって実写によって劇場映画化してくれるかってところに注目が向かいそう。強さでは無双のヒロイン七味ちゃんも最高だけれど姉でなかなかのグラマラスで才能だけなら七味より上だったらしい一味のジガンチって技とか繰り出すカポエィラシーンもビジュアル的に楽しそう。そうか倒立して頭が下に来ると目の前に下がり落ちてくる双房が視界を塞ぐのか。奥深いなあカポエィラ。というかどうして本文はずっとカポエラなんだろう。後書きで(カポエィラ)を書くならそれで通せば良かったのに。編集が分かりやすくしたからなのか。それともカポエィラとは違うスポーツということでお許しを得たのか。謎。

 六塚光さんの「レンズと悪魔」(角川スニーカー文庫)は第10巻まで来てクライマックスも近づいて、テッキちゃんの前に立ちふさがるは兄を惨殺されたと思いこんでぶち切れてしまったサクラちゃん。他人の心から像を引っ張り出して実体化させ操る魔神の力を使ってテッキを誘い出し追いつめそして遂にその力を奪い取る。命だって奪おうとしていたところをかろうじて助け上げられはしたものの、損耗激しく戦線復帰は難しそう。一方のエルバは露出の激しい衣装が大好きなセブンディの配下で鬼神の実験を続けていた元警官のフィールディングとその妹ヘンリエッタの姿をした鬼神を相手に奮闘してそして撃退。いっしょにいてやっぱり敗れ行き場のなくなったバーミッサちゃんの行く末は、ランコともどもメイド姿でクラブリー邸に居候か。

 それにしても異常性が際だってきたサクラちゃん。なるほど兄を失った悲しみは分かるけれどもそのシローが行った犯罪の数々はエルバの父親をぶち殺したり、テッキを閉じこめ火をつけては自ら片腕を切り落とすようにし向けたりと悪逆非道のオンパレード。そしてほかにも数々の非道を行った彼が父の敵と挑んできたエルバによって倒されることに妹だからってさすがに文句は挟めないって気もしないし、本人だってそのこはしっかり認めているにも関わらず、ただ倒され方がちょっとばかり派手だったってだけてぶち切れ許せないって思いヤミの力を身に纏っては、エルバやテッキのみならず犯罪を冒している面々を暗殺して歩くってのはちょっと違う。

 エルバとテッキが相手ならまだ認められても無関係な面々はたとえ犯罪者であっても逆恨みの対象ですらない。それなのに。つまりはそうした判断を下せないほどにヤミの力に染まってしまっているってことなんだろうなあサクラちゃん。ならば気にせずぶったおすのが彼女の為。なのに妙に優しく手加減しそうなエルバに果たして勝機は。そうしたエルバの中途半端さが結果として最悪の状態を招いているにも関わらず、優しさを捨てきれないエルバに愛想を尽かすかのように袂を分かったカエデとの闘いの行く末は。テッキ復活の道筋は。八眼戦争が片づくらしい次巻をまず待とう。セブンディのど派手っぷりがまた見たいぞ。バーミッサちゃんも是非に。

 夕ちゃんが夕ちゃんが夕ちゃんが夕ちゃんが。バモスの上で脇腹から血を流しながら喋っているシーンからすでに見えていたけれどもやっぱり入江の放った銃弾は夕ちゃんを貫いていたよーで田波に逃げろと言葉を託したまま沈黙。乗り上げ傾いたバモスから流れ出したガソリンにぽとりと落ちた夕のタバコの火が爆発を誘い梅崎、蘭堂たちと同じように彼女を炎で包み込む。逃げる田波を追う警官。そこに現れた黒猫&まやーず。遅すぎる。遅すぎるんだけれどもそれがおそらくやっとだったんだろうなあ。果たして逃げ切った田波は反撃ののろしをあげられるか。割り切って次の神楽のための人選まで始めた社長によって立ち上げられる新たな神楽との関係は。ってことで「ヤングキングアワーズ」2009年5月号掲載の「ジオブリーダーズ」は第2部が終了。次から第3部。ふたたびコメディ路線で突っ走った果てに5年後あたりの第4部からルガーの竜化した田波が絡みつつ幾度目かの崩壊劇が繰り広げられ以下ループ。とか。

 神保町あたりをうろついていて、知らないうちに作られていたらしい早川書房の作家ガイド本「STRANGE FICTION」をみかけてペラリペラリ。なるほど90年代に大流行した「J文学」を、2000年台も末になってハヤカワ的に作り直してみたって感じ? あとプラス「リアルフィクション」あたり。「SFマガジン」の別冊とて出るより「文藝」の別冊として並んでいる方が雰囲気的にはハマりそうだけれども、SF的な奇想が世間へと流出しては、あらゆるジャンルをからめとっている昨今、文学側からではなくって大元たるSF側から集め整え直してみるってのもアプローチとしては悪くない、か。

 執筆陣はそれでも「SFマガジン」レビューをしている人たちはおらず、ライトノベル専業と思われがちな当方も当然にして無関係で、どちらかといえばブンガクな方面で活動している面々が大半。それだけに作家ガイドがSFマガジン系の読者に引き寄せる言説で語られているのかどうなのかに興味。まあSF側ライトノベル側でこりゃあ当たり前にありきたりだと下げて見がちな小説でも、ブンガクな人だったらこれは不思議だあり得なくくらいに異常だと取りあげ熱く語るから、「SFマガジン」別冊とは言えそうしたジャンル読者向けに引っ張り上げるってアプローチではなく、広く一般にSF的奇想が流れ込んだ作品があるってことを紹介したいってベクトルで作られてただろうガイドが、書き手も含めてそうした選び方になるのもまあ当然って言えば言えるのか。どうなのか。さてはて。


【3月27日】 ってことは次は「よくわかる現代魔法7 Thunderbird」でもって雷鳥が現れこよみにつきまとう物語を紡ぐのか、それとも「よくわかる現代魔法7 Chrome」となってミラーシェードな何かに襲撃されるのか(ギブスンか)。分からないけどともかくやっと出た「よくわかる現代魔法6 Firefox!」(集英社スーパーダッシュ文庫)は、何やらどこからか送りつけられてきた携帯電話から現れたのがキツネだか何かでそいつが森下こよみにつきまとって離れない。ともあれ連れて帰ったもののそこは株式市場を混乱に落としかねない力を持ったデーモン。こよみがそれだけしかできないタライ出現の魔法をどうにかしたか、近隣のあらゆる存在をタライに変えていってしまう。

おもしろいならおもしろいでいい  銀座有楽町あたりの動く者がすべてタライとなって落っこちている様をビジュアルとして想像すると楽しいけれども、拾って持って帰って洗濯に使おうとしても近寄るだけで自分もタライになってしまうからそりゃあ無理。とはいえいつまでもそんな風にはしておけないとこよみが下した決断に、仕方がないとはいえ一抹の寂しさもつきまとう。「アンダカの怪造学」の空井伊依と雪子みたく、離別から再会へと至るような展開があったらちょっと嬉しいかも。一ノ瀬・弓子・クリスティーナがあんなに立派な胸の持ち主だったと改めて気づいた。秋葉原にあった看板は幼少時の姿を写したものだったんだよなあ。そっちが強烈に印象に残ってしまっているんだよなあ。例の文字とともに。あの看板今はどこでどうしてるんだろ?

 今回も坂崎嘉穂はクールかわいい。「わからないならわからないでいい」と言われてみたいよ。アニメ化で声は寿美菜子さんって人があてるみたい。声に聞き覚えがないけどどんな声なんだろう? 4月2日に始まる「けいおん」で琴吹紬を演じるらしんで聞いてみよう。あとはえっと「初恋限定。」って作品にも土橋りかって役で出演みたい。一気にレギュラークラスで2本がスタートとはなかなかに大活躍の声優さん? ちょっと気になる。ちなみに森下こよみは野中藍さんだからそのまんま伊吹風子か。姉原美鎖は生天目仁美さんでこれもベスト。キツそうなところがバッチリ。そして我らが一ノ瀬・弓子・クリスティーナは戸松遙さん、と。コーティみたいなツンケンかそれともナギみたいな暴れん坊か。どっちにしてもこれまたバッチリだよなあ。あと数ヶ月を期して待とう。期して良いよね?

 そして単行本となって本編(?)が完結した平野耕太さんの「ヘルシング 第10巻」(少年画報社)は、読み終えてなるほどタイトルが「アーカード」ではなくって「ヘルシング」であった意味によーやく気づく。だってアーカード、シュレディンガー准尉との戦いでもって無限に存在する相手を喰らってしまった関係で、どこにでも在りどこにもいない存在となって戦いの場から姿を消してしまうんだよ。それってつまりは最後の大隊の少佐の勝ちってことで、満足した少佐は乗り込んできたインテグラとそれからセラスの銃弾を浴びてにこやかに満足そうに死んでいく。最後に残ったって意味ではインテグラのヘルシング機関の勝利に終わった訳で、物語における最強の存在こそが主役であり、タイトルロールってことならやっぱり「ヘルシング」がタイトルになっているのが、相応しいって結論が導き出せる。なあるほど。

 いやいや小皺が寄ってウォルター化の激しいインテグラに対してお肌はピチピチで太股もムチムチなセラスの方が女性としての勝ち負けでは勝ちに与していそーな雰囲気。初っぱなから登場しているって意味でもまさしく主人公はセラスだったと言えば言えそうで、いっそだったらタイトルも「セラスちゃん」としておけばどっかの益体もない映画と混同されることもなく、可愛らしい女の子の登場する漫画と思って買ってくれる人もわんさかと出るんじゃなかろーか。でもって読んで血まみれ汗まみれで肉まみれなストーリーを心より堪能するんだ。アーカードが還ってきた部屋にドアをけ飛ばし入ってくるインテグラの白まる見せはやっぱり名シーンだよなあ。ここだけを誰かガレキで立体化してくれないかなあ。

 1億冊、ってライトノベルで初めてだっけ、角川スニーカー文庫とか富士見ファンタジア文庫とかなら行ってそうな気もしないでもないけれど、1000万部を越えるシリーズがそれほどある訳でもないんで100万200万クラスをいっぱい持ってる「電撃文庫」の方が数としては上を行っているのかもしれないなあ。記念したキャンペーンも始まるみたいで1等賞になれば「電撃文庫」を1年分、もらえるらしいってこれはライトノベル読みにとっては嬉しさいっぱい悩みがちょっぴり。悩みってのはつまり置き場所で毎月10冊14冊と出てくる文庫を1年間、もらいつづければ数は100冊をゆうに越えて150冊近くになるかもしれない。年間それくらい買ってるって人には何ともない数だけど、せいぜいが月5冊とかって人には倍以上の数が押し寄せ本棚を埋め尽くしてしまいそう。でもあれやこれやと読めるのは良い機会なんで食わず嫌いを直して読んでみたらいかが。

 何か発表会があるってんで青物横丁からパンダパン屋の前を通ってバンダイナムコゲームスの本社があるピラミッドビルへ。「お仕事タウン」ってインターネット上に架空の街をつくってそこでいろいろな職業体験が出来るって感じのサービスはつまりは電子版キッザニアってことなんだろうけれども実地にお菓子作りとか消防士とか自動車整備とかパイロットが体験できるキッザニアとは違って株式の取引とか環境についての学習とかが出来るって辺りが電子版ならではのインタラクティブ性を生かしたものって言えるのかも。もっとも子どもにとって楽しいのはやっぱり憧れる職業を実地に体験できるってことだから、案外に子どもじゃなくって大人で人にはきけない勉強をそこでしたいって人が集まったりしたらちょっと愉快。発表を「キッザニア甲子園」のオープンに合わせたのは連動しての報道に期待した? マギー審司さんは相変わらず大きな耳をしていたなあ。


【3月26日】 ってことはあと1クールは続くのか「鋼殻のレギオス」。期末も押し迫った今になってフェリがプールに行ってスクール水着で泳ぐサービスサービスエピソード。ニーナとレイフォンとの仲違いには結末が見えずグレンダンとの関係も進展してない状況で終わって半年後に再会じゃあ何の待ち遠しさもないもんなあ。いや調べてないから知らないけれど。「宇宙をかける少女」はこのまま続くみたいなんでそっちは引き続き。ほかに続きそうなのはあったっけ。「鉄腕バーディーDECODE02」がここから続いていよいよクリステラ・レビとのバトルって本筋に行ってくれれば嬉しいんだけど。

 残念というか当然というか「バーディー」は幼なじみがはっきり宇宙からの逃亡者を違法にも虐殺して回っている犯人と分かってもなお捕まえようとしないで、宇宙船へと連れ込み体力を回復させてあげる親切ぶり。でもって逃げだしつけねらっていた逃亡者たちを追いつめに走るナタルを、追うでもなしに放っておく態度がどうにも噛み合わない。千川つとむの時は中杉がリュンカと分かって抹殺すべきと訴えたのに自分の時は見て見ぬふりってのは、人間っぽくはあってもプロっぽくはない。それとも地球での千川つとむとの融合生活の中で人情って奴が移ったか。どっちにしたって懲罰もんだよなあ。ブルマ姿で連行だよなあ。

 せっかくだからとカーボン&チタンの「マジンガーZ」を見に行ったらやっぱりカーボンっぽさが前面に出ていてあんまり「マジンガー」っぽくなかった。ディテールは完璧。そのボディでもって「ジャンボマシンダー魂」みたいなのを作ってくれたら買う人だっていそうなんだけれどもカーボンな「マジンガー」はやや遠目にも脚とか腹がカーボンと分かって「超合金Z」って超絶的に頑丈な金属で出来た「マジンガー」らしさをスポイルしている。ブレストファイアーを出す胸のプレートもやっぱりカーボンっぽい素材。ザラっとした表面の雰囲気は自転車なんかにくっついている赤い反射鏡を思わせ興もぐっと醒める。

 チタンの部分も素材感を生かしたことが裏目に出て、頑丈さより軽さを追求したんですね的な雰囲気がもわもわ。チタンって頑丈って認識が一方にはあるんだけれど、その独特の質感は動じに軽さってイメージも持っていたりするだけに、眼鏡のフレームとかでチタンに接したりしている人間が見るとそうかこの「マジンガー」は大きさの割に軽さを実現しようとしたのかって方向に認識が向かってしまう。でも違うんだ。僕たちが(僕が、か)「マジンガーZ」をはじめとしたロボットに求めるのは頑丈で重厚な感じ。塗装でもなにでも塗りたくられてどでんとした雰囲気があってこそ「スーパーロボット」がそこにいるんだって気になれる。せめてカーボンな素材の表面をならしてソリッドな感じを出してくれれば良かったのに。まあそのあたり、きっと何か対処して来てくれると期待して発売を待とう。買わないけど。買えないんだけど。

 すっかりと朝日新聞の阪神支局襲撃事件に関する続報が途絶えてまるでなかったことにされているっぽい「週刊新潮」の誰だかのコラムで、深夜アニメって案外に面白いじゃんってな今さらな記事が載っててどうにも上から目線というか、いろんあ種類の作品がって案外に見ていられるって感じな内容で、誉めてもらっているんだけれど釈然としない感が漂いまくり。誉めあげている代表作として挙がっているのが「続夏目友人帳」で、人間と妖怪との狭間にあって心を砕きながらも生きてる夏目の頑張りを讃えつつ、ニャンコ先生の可愛らしさに喜ぶといった分かりやす過ぎるロジックなのも引っかかる。

 男子の欲望を満たすような萌え系美少女アニメばっかりだと思ったら、中にこんな珠玉があったんだね的スタンスは、エロマンガにだって芸術的に優れたものがあるとか、ライトノベルにも文学的に画期的なものがあるといった感じに全体から一部を分断して、自らの規範に照らして容認できるものだけを拾い、それで救い認める努力はしたからあとはどうなったって構わないよって感じに、文化の種々雑多でドロドロとした部分から上澄みだけをすくい上げ、残りを排除する方向へと流れかねないだけに注意が必要かもしれないなあ。

 そんな芸術的エロマンガだって文学的ライトノベルだって、エロマンガなりライトノベルってフトコロの拾いジャンルがあったからこそ出てきた物だし、優劣で言ってもどちらが優れているかなんて判断は人の数だけあるんだから。まあ確かにニャンコ先生は可愛いから、認めたkうなる人がいたって不思議はないけれど、それよりも柊の可愛さいじらしさに気づいていたなら、とっても良いコラムだったって誉めてたかも。結局はそこですか。最終回に柊は出てきてくれるかなあ。最後までお面はとらないのかなあ。「夏目友人帳」で欠けた部分からのぞいていた目から全体を想像するのが精一杯なのかなあ。

 2年半でようやく3冊目ってのはペースとして遅すぎだけれど間に「魂葬屋奇談」シリーズをいっぱい挟んじゃってるから仕方がない。でもキャラの立ちっぷりに展開の巧妙っぷりからもっと「オルデンベルク探偵事務所録」シリーズももっと出して欲しいようと願っていたら連続刊行とかで「ヘクセ」は上に続いて下が来月にも刊行される予定でそれなら途中で寸止めになった話の続きをすぐにでも楽しめるから一安心。とはいえ随分と前に読んで設定とかやや忘れ気味。2冊目の「ヴァンピーア」もすぐに記憶から抜けてしまっている感じで1冊目の「ヴェアヴォルフ」の含めてさらりと読み返しておくとしよう。いや北方謙三さんの大著とか高野秀行さんの小説とか面白そうな作品が山積みになっているんだけれどなかなか手が届かない。本だけ読んでいられる暮らしが早く来ないか(来たりして)。


【3月25日】 でもって「BLEACH」は過去編が終わって平子真治ほかヴァイザードたちの誕生の理由やら、裏原喜介と鉄裁が屍魂界を追放された経緯やらが分かってさあいよいよ次に展開に映るって感じになっているけど、そもそもがヴァイザードたちと一護との絡みも観ていなければ、裏原がどれだけ得体のしれない奴だったかも知らなかったんでそうかそうだったのかってな驚きはなかったりする「BLEACH」初級の僕でした。かといってここから遡って単行本を読むのは大変だし、ましてやアニメを見返すなんて至難の業。DVDなんて揃えた日にゃあいくらあっても足りやしない。こんな時に1回だけは観られてあとはペイパービューなDVDでも売られて1枚に4話収録とかで525円税込みだったら、観てみたい話数のあたりを20話分くらい買い込んで2000円くらいで済ませられたのになあ。ヴィジョネアにはだからテレビシリーズで頑張ってPPVなDVDを増やしていただきたいところ。

 しまった行き忘れていた「ロックの学園」。三浦半島の先っぽにある廃校になった高校の校舎を使ってロックな人たちが集まり、学園祭っぽいことを繰り広げるお祭りで、前回は一昨年の11月だかに開かれて取材もかねて三崎口まで電車で行って、そこからさてどうやって会場まで行こうかと思案しながら見渡すと、平べったい土地が広がっていて海っぽさの欠片もなく、あんまり半島って感じがしなかったんだけれど駅前にはマグロを売ってる店もあって、確かに半島なんだと思わせていたっけ。おそらくはずっと歩くとすとんと切れて海になってて、その先に八景島なんかがあってシーパラダイスもあったりしたんだろうけどその時はそこまでは行かず、次の回があったら散歩も兼ねて行こうとか考えていたら先週末にすでに開かれ、終わってた。ああ残念。

 それはそれとして当時も不思議に思ったその地勢。周囲がぐるりと海な割にはちょっと入ると台地になってて、大根畑に野菜畑なんかが広がっている。海辺へと行けばそこには漁港っぽい街があって、それから海水浴なんかを楽しむ観光地っぽい風景もあったりと狭い地域にさまざまな顔を持っていたりして、暮らしている人たちも漁に関連している人もいれば畑仕事をしている人もいて、研究機関に務める人、観光客を相手にする人東京横浜方面へと働きに向かう人リタイアして悠々自適な人とこれまたさまざまな種類の人たちが集まっていそう。

 それでいてゴチャついておらずおちついた雰囲気を持った三浦半島の三崎あたりをモデルにしたら、きっと一種の世界の縮図みたいな小説が書けるんじゃないかと思ったかどうかは知らないけれども、太宰治賞を前に受賞した瀬川深さんが発表した「ミサキラヂオ」(早川書房)には、そんなどこかレトロに異空間めいた「ミサキ」を舞台にいろんな人たちのいろんな暮らしや思いがつづられていて、忘れ去られた地域コミュニティの寂れつつあるようなんだけれど、それでもどちらかといえばポジティブな空気を感じさせてくれる。

 舞台となっているのは2050年頃の日本で、その頃は大不況とかを何度も経てなおそれなりな経済力を保っている国っぽいんだけれども大きく進歩した風もなく、むしろゆるやかな衰退をたどっているような雰囲気すらあるみたい。そんな日本にあって世界とか政治や経済といったものから遠く切り離されて暮らしているミサキの人たちが、新しくできたコミュニティ放送をよりどころにしながら、それぞれのささやかな思いを電波に乗せ、電波から受け取り生きていく様が描かれていく。

 土産物屋をやりながら作家業を続ける男がいたり、水産加工業なんかを手広く営みながらコミュニティ放送を立ち上げた男や、老人ホームにラブホテルを経営しながら演歌の作詞家としても活動する男とか、都会でのミュージシャン生活で疲れ家にひきこもってサンプリング音楽を作り続ける女や、学校で音楽教師をやりながら現代音楽を嗜む男やフリーターだった身を立て直して事務仕事をしながらミサキラジオでDJをする男なんかがいたりして、世代も広く種類も多彩な人たちが狭い地域に吹きだまって、それぞれに何かをしたいと思いながらもその場に留まり生きている姿が、文章の中で継ぎ目無しに綴られていく。

 突然にとんとんと語られる人物が代わっていくんだけれど、不思議と読みづらさはなく、それぞれに魅力的なエピソードがとつん、と途切れたあとに再びどう出てきてさっきのエピソードの続きはどうなるのかって興味を惹いてくれるあたりに、作家としての構成の巧みさが見え隠れ。あと散々っぱら新しいこと好きなことに挑戦してみても、富裕層がリタイアして暮らしている老人ホームの住人の方が、アニメ音楽に詳しかったり映画に詳しかったりすごいギターを弾けたりといった具合に、人間としてある種の価値を持っていたりして、経験を積み上げていく大切さって奴を何とはなしに示唆していたりする。

 強烈なメッセージもスペクタクルな展開もなくさくさくと重ねられて終わるストーリー。読み終えてああそんな暮らしも悪くないなあと思わせてくれる。架空の場所が成り立っていく中で様々な人たちが生きているって構成は、架空のテーマパークを舞台にした「ゼウスガーデン衰亡史」とか、「半島記・群島記」を書いていた頃の小林恭二さんを思わせる。未来が舞台でも未来っぽさはあんまりないから、ミサキのこぢんまりとしながら種々雑多が集っているみ様子、はやっぱりある種の社会なり世界の暗喩と見るべきなのかなあ。遅れて戻ってくるラジオの電波の謎も不明で展開に生きているって感じもないし。あのあたり、戻ってきた電波が集っていた人たちの心に決定的に響くエピソードを入れた方が超感動、って雰囲気だったんだけどなあ。

 千歳烏山で頭山ってた関係で秋葉原のUDXで明日から始まるバンダイの超合金な展示会のプレビューには行けず、噂の200万円「マジンガーZ」も観られなかったけれども報道なんかで入ってきた写真を見てちょっとこれ、誰が買うんだろうかって疑問なんかもわしわしと浮かんで首をぐるぐる。35万円とかの等身大(人間とって意味)の「機動戦士ガンダム」なり「ザク」だったらそれを部屋に置いて愛でるって意味での購入を想像できる。値段もまあ妥当。同様にこちらは等身大の「鉄腕アトム」の35万円だかも納得できる。一方で1500万円のプラチナの「ガンダム」も貴金属であり宝飾品であるって価値からそれを購入しても悪くないって人がいても不思議はないと思わせる。非売品で売られなかったけれども売れば売れたんじゃなかろーか。

 んで「マジンガーZ」。200万円。高さはジャンボマシンダーより大きいくらい。これをビニールだかで作ればいつかの「Zガンダム」じゃないけど3万円もあれば作れただろー。金属パーツを使った超合金のビッグサイズでも数十万で作れたはず。現実に「聖闘士星矢」のゴールドクロスがそんな値段で売られてた。とはいえあのサイズで金属だととてつもない重さになることは必須。だから軽いチタンで作りカーボンを使ったんだろうけれどもそのことによって金属製のロボットだからこその金属感って奴がどこかスポイルされてしまっているような気がしないでもない。カーボンならではの質感がロボットとしての硬質な感じとミスマッチ。チタンの部分も妙に軽い。高価な素材を使い薄くて軽く仕上げてみましたどうですか、ってアピールなんだろうけれどもその結果、驚くような値段になってしまってなおかつ驚けない質感の「マジンガーZ」が出来上がってしまった。それでも果たして欲しがる人はいるのか。いないのか。そんな辺りを客も集まる日に行って観てこよう。これが「アフロダイA」か「ダイアナンA」だったら買った、かな? もちミサイル発射ギミック付き。


【3月24日】 なんだ脱出可能だったら外側がコロニーなんかである必要なんかないじゃん、っていうか取り囲まれただけでエネルギーが来なくなるって言っているのにミラーもエネルギーのタンクも全部放りだした人工知能が単体で生き延びられる訳ないじゃん、っていった突っ込み所もあれやこれや浮かんだけれどもそんなことくらいはおそらく作り手だって承知しているんだろうからどんな言い訳が出て来るのかをとりあえず待とう。あと案外に弱かったなあ獅子堂評議会の長老たち。忍者服みたいなのを着ていたのにアレイダ相手にあっというまに切り伏せられてしまったぞ。次女も取り込まれてしまったし、まさに絶体絶命の中からどうやって反撃していくか。鍵は地球、ってことなのかな。

 改装していた京成船橋駅の高架下の商業施設「ネクスト船橋」が開店して朝から行列が出来ていたけどガード下なんで入り口とは反対側も開いているのにそちらには行列がなくってすんなりと中にはいって店舗を観察していた中に「Kuni’s Kitchen」って店を見つける。メニューをもらうとビーフペッパーライスとかハンバーグ目玉焼きとかペッパーステーキといった具合に「ペッパーランチ」と似通っていてこれって辞めた人が新たに立ち上げたチェーン店か何かと思ってしらべたら同じ「ペッパーフードサービス」の経営だった。まるで似通ったメニューなんだから「ペッパーランチ」で良いじゃんって思ったけれどもよくよく見るとペッパーライスのビーフを豚に変えた「とんちゃんライス」「味噌とんちゃんライス」ってメニューがあったり「豚肉野菜焼き」ってメニューがあって楽しそう。ずっと船橋に「ペッパーランチ」が出来ないものかと願っていたあけに嬉しいうれしい。早速行きたいけれども平日が続くんで今度の週末あたりに行って食べよう「100%ビーフハンバーグ目玉焼き」の230グラムを。

 みんな感じているはずだ。敷金や礼金や保証人の制度がアパートの部屋を借りるさまたげになって、若い人たちの間に“ネットカフェ難民”ってな存在を生みだしていることに。みんな分かっているはずだ。監視カメラの数を増やしたって、警察の職務質問を厳密にしたって、怒りを爆発させて切りかかってくる通り魔事件なんて防げないのだってことに。本当にやるべきなのは、制度を変えてなおかつ「ゼロゼロ物件」だなんてよりいっそうの問題を生み出すような制度も廃して、誰でも普通に簡単に部屋を持てるようにすることであり、また通り魔になるほど追いつめられてしまうような人間を生み出さない、誰にだって優しい社会を作りあげること。

 それって実に当たり前のことなんだけれど、そんな当たり前が異論暴論ととられてしまうくらいに、今時の当たり前」って奴は実効性からおおきく外れたところにあって、社会をギチギチと締め上げ息苦しいものにしている。そんな社会の欺瞞っぷりをひっぺがすような本が出た。書いたのは赤城智弘さん。前に戦争が起こればこの息詰まって如何ともしがたい世界が少しでも変わるかもしれないという、絶望と裏腹の願望を放って注目を集めフリーライターの人が、世間にはびこる欺瞞的な「当たり前」をひとつひとつ暴いていった「『当たり前』をひっぱたく」(河出書房新社)で、書いてあるのはとっても当たり前なことなのに、それが当たり前じゃないって事態がはらむ空疎さがじくじくと感じられて気分がどんよりとしてくる。

 マスコミが「報道の自由は当たり前」って言っているけど、だったらどうしてスポンサー企業の不祥事なんかはあんまり叩こうとしないのかって切り込んでいる。とっても当たり前。暖房の温度を厳守した役所に働く人たちが、寒さに耐えかねて電気ストーブを持ち込んでショートさせてしまった事件に集まる「遵守は当たり前」って批判には、どんな職場だって公務員だって人間として適切な職場環境が与えられてしかるべき。怒りを向ける矛先はそうした人間性をパージするような職場環境を是とする仕組みであって、むしろこれを発端に社会全体が快適な環境になるよう求めていくべきないかって訴えている。これまた当たり前。だけど当たり前だととられないのが今の社会で、それが自分よりも下の存在を見いだし差別することによって虚栄心を見たし溜飲を下げる格差連鎖の風潮を生みだしている。

 フリーターなり派遣社員なりに対する「努力しないのが悪い」って見解だって、「当たり前」のよーに謂われ勝ちだけれどもその裏にある不可抗力的な状況を見ていないから起こる偏見。景気変動の波をかぶって低調だった新卒採用にあぶれ、フリーターに成らざるを得なかった世代が確実にあった訳で、そん世代に向かって「努力不足だ」ってさも当たり前のように侮蔑していた今時の若い学生たちが、急激に襲ってきた未曾有の大不況で就職先がなくなってしまい、右往左往しはじめているのは何というか皮肉としかいいようがない。とはいえそれを笑うのはまったくの間違いで、こうした状況を社会が、世界がどうにか包み込んですくい上げるような動きをとってこそ、誰もが人間として当たり前に生きられる社会が訪れる。本当の「当たり前」を今つくっておかないと、それこそ戦争以外に逃げ道はなくなんだと強く考えて、何とかしなくっちゃと思い動くのが人間として当たり前、なんだけれどでもなかなかやれないんだよなあ。身動きがとれなくって。それこそ戦争みたいなドミノの最初の1倒しが起こらないと。それもやっぱり拙いよなあ。

 というわけで「マンガ大賞2009」の授賞式を見物に行って福井健太さんから伊藤計劃さんの残念な話を伝え聞いてすでにして以前から随分といろいろなことを抱えていた体みたいだっただけにいよいよ来たのかと受け止めつつ、存命ならばきっと傑作を世に問えただろうにと残念な思いにかられる。「虐殺器官」についてはやっぱりどこか足りてないんだよなあ個人的に。でもって「マンガ大賞2009」は末次由紀さんの競技カルタマンガ「ちはやふる」が受賞。1次ではまるで気づいていなかったけれども2次では1位に推しての受賞はやはり嬉しい限り。だったら前から気づいていろよと言われて了解。というか過去にいろいろあってしばらく休んでからの再開だったってこともあって、ちょっと活動を見落としていた。

 ご本人もそんな経緯を感じているから授賞式への出席は自体。寄せてもらったコメントからは「漫画を描いてきただけの2年間です。末次由紀が漫画を描く場を下さった人がいて、良い物にしようと強力してくれる人がいて、間違いをさせないために最大限の努力をしてくださった方々がいる。たくさんの思いの上で育ちました。もう私だけの作品ではないという思いで描いて来ました。マンガ大賞にえらんで頂き、多くの書店の皆さんに受け入れて頂き、ますます私だけのものではなくなりました。そう思わせてくれたたくさんの人に、有り難うございました。どれだけ言っても足りないのですが、本当に有り難うございました」と受賞した嬉しさが伝わってきて心動かされる。

 編集の人が競技カルタの大学2年の準優勝までしたという強者らしく、そんな彼女からアイディアを聞いてすぐさまやろうと決意したらしくって、1週間で単語帳にかるたを書いて覚え始めて1カ月後には畳の上に並べてとってみせたりするようになったとかで、腕前もなかなかのものになっているらしい。そこまでの熱意と研究への熱心さがあれだけのリアリティがあり迫力がある作品につながっているんだろう。そしてこれからの展開をより面白いものにしていくんだろう。「賞に大して一所懸命にマンガを描いていくことでしか、支えていただいた方々へのご恩返しは出来ない」ってことを編集の人を通じて言ってくれたらしい末次さん。ならばこそ描き続けてその感動の世界を読ませ続けて欲しい。根がわくば来年のプレゼンターとして登壇して次の人にプレートを手渡して頂きたいなあ。期待。


【3月23日】 すずりが最後に語った言葉に刺激され、逃げちゃだめだと戻ってフェーゴに琳がまたがる展開は悪くない。あそこでの躊躇が結果としてヘリコプターを襲った爆撃から琳と珠代を守った訳でストーリーにおける運命めいたものを感じさせてくれるけれども問題はすずりをデモに引っ張り込んで、結果として死なせてしまった菱田にまるで悔恨なり自責の念が見えないってことで、自分が殺してしまったにも等しいすずりの位牌にしょう子と連れだって赴き、自分を仇と誹っても不思議がない家族の前で平静としていられる心理が分からない。

 というか、そもそもがそんな心理を描いていないからこそ菱田をすずりの家族が普通に先輩として迎え入れたりする訳で、そこのあたりにやっぱり事の重大さを背景に人々の心理や行動を描くべきアニメにあって、のめり込ませない違和感を醸し出していたりする「RIDEBACK」最新話。そしていよいよ最終決戦。やっぱりスカート姿でフェーゴにまたがった琳の運命やいかに。最後くらいは盛大に見せて欲しいよなあ。何をだ。

 でもって万事快調にして完璧なエンディングを迎えた「まりあほりっく」はかなこが水泳の授業を妄想し倒したはてに夢おちと分かってげんなりしつつその後も夢の水泳授業に参加できな日々がつづくというスラップスティックがテンポ良く繰り広げられて見ていてとっても心地良い。展開が分かっている漫画のアニメ化だと次にこうなるってところをこう描いたかって差異は楽しめても展開そのものに驚けないんだけれど今回ばかりは次になんが来るのかそうかこう来たのかって感じに割にとてつもなく楽しめた。

 って原作にあったっかどうか覚えてないだけかもしれないけれど。妄想の中でのど派手な水着の百花繚乱も、現実でのスクール水着のオンパレードも良かったけれどもやっぱり最高だったのは騎馬戦で狙われた鞠也に襲いかかった衝撃の運命か。まあ中身はすでにして静珠だった訳でそれが鞠也と勘違いされたあげく水着を引きずり下ろされた結果、見えたのはつまり……。一生物のビジュアルかも。この巻だけでもDVDを買おうかなあ。買っちゃうかもなあ。

 三十路の尻は弾まない。のだとうことを知ってそれならばと観察に出たくなったけれども見ているといろいろ行けない事態を招きそうなんでここは紺野キタさんの新刊「つづきはまた明日」(幻冬舎)の記述を信じることにしておこー。母親が亡くなり父親と息子と娘の3人が暮らす藤沢家の隣に両親と娘の原田一家が越してきた。挨拶に来た母親と娘のとりわけ娘を見て藤沢家の妹の方が「お母さん」とつぶやく。ちょっと前に見たばかりの死んでしまった母親がまだ学生だった頃の姿に隣家の娘がそっくりだったのだ。  いったいどういうことなんだ、もしかして宴席か隠し子か何かだったのか、ってドロドロな展開には向かわないところが紺野さん。どうやら原田家の父親が藤沢家のなくなった母親に雰囲気顔立ちが似ていたことから起こった状況で、それを皆は何となく感じながらもとりたてて話題にはしないまま、父子家庭でちょっぴり大人びて生きる兄とまだ幼い妹の頑張りを描き、転校して戸惑いながらも馴染んでいく原田の娘の日々を描き、藤沢家の父親の妹で美容師をやっている女性と原田家の母親が仲良くなっていく様子を描きといった具合に、平凡で何気ない日常を描いてはそんな日常に生まれる心の動きを喜びや、戸惑いや悩みなんかを交えて描き上げている。

 ファンタジックな展開もないでもないけど、これはまあ一種の共同幻想みたいなもの。吉田秋生さんとも萩尾望都さんとも重なりながら、でも違う日常ストーリーの中でとってもそっくりな原田の娘と藤沢の息子がどうつながっていくのかを見つつ、2つの家族がそれぞれにどんな幸せを気づいていくのかを見守りながら藤沢の妹のお尻が自転車のサドルでポムポムと弾む様子を楽しんで行こう。紙の掲載誌を持たずウェブ上だけで連載されている漫画がこうやって単行本になって出版され、朝日新聞なんかで紹介されて売れていく構図ってそれはそれでちょっと面白いよなあ。

 MF文庫Jをわんさかと買ったもののやっぱり最初に読むのが築地俊彦さんの「けんぷファー9 2/1」ってあたりが何というか好き者というか。ってもハーフなだけあって本編とは直接つながらないで普段は男なんだけれどケンプファーになると美少女になってしまうナツルをめぐって普段からも変身してからも怜悧で強引な会長と、普段はおとなしめなのに変身すると暴れん坊になる紅音と、幼なじみでカレーばかり作ってくるやっぱりケンプファーな水琴がくんずほぐれつの唾着けバトルを演じてみせて何というかナツルに嫉妬心がメラメラと燃え上がる。選べよさったと。っていうか普通に会長で決まりなんだって思うんだけれどどうにも煮え切らないナツルは明確に敵だと分かった後も楓にぞっこんなのが分からない。全部あげても良いって言ってるんだよ会長なんて。勿体ないよなあ。ともあれ半分進んで次にはもうちょっと動きそう。アニメ化も決まったらしいんでいったいどんな展開になるのか会長の声は誰がやるのかを想像しながら続きを待とう。臓物アニマルまで商品化されたりして。


【3月22日】 見えない顔が見えないからこその魅力を感じさせるのかそれとも雪野五月さんの凛としつつもどこかに毛筋ほどの色気を漂わせる声が魅力的なのか、たぶんそんな理由が複合的に絡み合っているからこその存在感なんだろうなあと「夏目友人帳」「続夏目友人帳」の柊が出てくる話数をハードディスクレコーダーやらDVD−RAMやらから引っ張り出して見て感じている週末。妖怪が見える人たちの会合へと出向いた夏目に「胸を出せ」と迫ってぶん殴られてうごぁをうってな感じの声を出し、のけぞりぶっ倒れていく姿が何というか悲哀でなお且つ可憐といった不思議な雰囲気を醸し出していて、他ではどうだったかとついつい探して見てしまった。

 前にやっぱり名取といっしょに田舎の温泉へと出向いた時も風呂場で夏目からお湯をぶっかけられていた柊。他人の心情とかに配慮しないあまりな唐突さがいつもネックになっているよーで、集会の回でもいきなり胸を出せと迫られたら誰だって驚き慌てるだろう。でもぶん殴るとは限らないけど。普通ならえっと驚き身を引き後ろにぶっ倒れるんだろうけれど。とはいえ殴られたってへこたれないところが柊の強さというか実直さで、グロッキーな感じの声で「そらなら腕を出せ」と喘ぎつつ迫る姿に生真面目さを覚えてそこに魅力を感じてしまう。

 一つ目の鬼みたいな面で表情は伺えないけれど、そんな無表情な面が夏目のさまざまな親切や優しげな言葉を受けてぽんと抜かれて映る時、決してそうはなってないのに、目玉の回りがポッと赤く染まっているように見えてしまうのはそんな感じに心情が流れるように展開をコントロールし、きっとあの面の下ではドギマギとした表情を見せているに違いないって見ている人に感じさせているからなんだろうなあ。そんな点が巧みな「夏目友人帳」だからこそ、例えば同じ退魔系では先輩格の「百鬼夜行抄」ほどの話の複雑さがなく、むしろベタな展開なのに見ていてホッとし安心できて心地よくなれるんだろうなあ。DVDを揃えてみたくなって来たけどそのうちボックスとか出そうだし。さてどうしよう。

 遠くへと出向く気力も萎え気味なんて「東京マラソン」見物は止めて家でしばしの読書。「たたかう!ニュースキャスター」は確か夏見正隆さんって人の著作だったって記憶があるけれども水月郁見さんって人が出した「たたかう!図書委員」(朝日新聞出版)って本のあとがきを読んだら自分は前に「たたかう!ニュースキャスター」ってのを書いているって書いてあってちょっと吃驚、なんてしやしないけれども前はそのあたりを曖昧にしていたような記憶もあるんで遂にもはや隠しておく気もなくなったってことなのか。とはいえだったらどうしてこっちも夏見正隆名義にしなかったんだろう? その辺りの理由がやや気になる。それとも今は水月郁見って名前の方が世間的にはメジャーなんだろうか、ライトノベルもいっぱい出していたりするし。

 ってんで「たたかう!図書委員」はくそまじめなお下げ眼鏡の図書委員の戸田奈津子、じゃない戸田夏子が学校裏サイトあたりに罵詈雑言を書かれ衝撃を受け自殺してやると突っ走り始めたけれども、途中で遺書を書く便せんがないと二子玉川まで買いに走り靴下が汚れてしまったと渋谷へ買いに走った挙げ句に戻った学校で疲れ果てまいっかとなろうとした所に現れたのがライフル魔。生徒に向かって銃を撃つ姿を屋上から眺めてあたふたとしていた最中に金網が外れ下に転落しそうになったところを宇宙人のウィノアってのに助けられ、自分を犠牲にしてライフル魔を潰そうとしたなねって勘違いの勇気をたたえられて正義の味方になりませんかと誘われる。

 けれどもそんな単純さはすでに失ってしまっている戸田夏子。自動車メーカーの労務部長だった父親が派遣社員の本採用に前向きとなっていた矢先に不思議な事故で死に、労災どころか懲戒を喰らって退職金はもらえず借金すら押しつけられて家庭はガタガタに。そこに入りこんできたのが組合の運動家たちで父親の無念を晴らし派遣社員の未来を共に拓こうと言葉を発しては夏子の家を根城に裁判を始める。最初こそそんな活動を支持していた夏子だったけれども世間ではまるで無関心なまま妨害ばかりが増え、もはや運動のための運動でしかないといった気分に今はなっていて、もう止めたいと思っていたところに事件が起こる。殺し屋が乱入して組合員たちを全員殺害し、警察もそれを内ゲバあるいはさらわれないで残った夏子の手によるものと決めつけようとしていた。

 自動車会社が労務問題にひっかかった棘を全力で潰そうと警察を動かし政治を動かしメディアを操り殺し屋を呼び込んで少女とその母親をぶっつぶそうとする、なんて聞けば荒唐無稽でしかない設定なんだけれども殺し屋はさすがにって感じではあってもメディアを自粛に持ち込み裁判では有力弁護士の登用によって自らを有利に持ち込むってことはあってあんまり不思議じゃない。警察なり検察が己の“信念”をのみ重要視してそれで決着を計ろうとしたことも過去にはあったし今もあったりすかもしれない。

 真っ当なことが成されず、誰かが立場を守ろうとして弱者を圧迫する構図そのものは厳然としてあったりする世の中のグロテスクやら欺瞞ぶりを、多少オーバー気味ではありながらもえぐり示して見せたりするその書きっぷりはまさしく夏見節。鋭いところを突いて来る。分厚さはなく事件もあっという間に片づきはしたものの自動車会社は表面的には罰せられず、戸田家に平穏が訪れた訳でもないのが気にかかる点。ネットで糾弾の情報だけが広がっていった先に果たして主犯格のメーカーはどうなって、政治がどうなってメディアがどう開き直り、人心がどう変わってそして世界がどう動くのか。そんな辺りを想像したくなるけれども、メーカーはそのままで人心も事なかれに落ち着き戸田家もほどほどの平穏を取り戻して事もなし、って帰結になるとしたらそれはそれで虚しいよなあ。組合員は殺され損で労働問題も未解決。正義を成すのは1人じゃあやっぱり無理なんだよなあ。ってことで戦うニュースキャスターとの共闘を願う。

 もそもそと家を出て千葉へ。千葉中央へと向かうガード下に出来てたカルビ丼の見せて牛じゃなく豚カルビの丼をかっこんでから千葉へと戻り蘇我へと出てそこから徒歩で「フクダ電子アリーナ」へ。おお「ガスト」がオープンしていたぞ、「ケーズデンキ」もオープンしているのかな、既にオープンの「globo」にある「CoCo壱番屋」と合わせてフクアリ前の食事に苦労しなさそう。でも他のスタジアムに増して食い物が豊富なんだよなあフクアリって。逆にあんまりなのが「味の素スタジアム」。醒めたたこ焼き何とかならんか。

 ともあれショップも並び練習場の造成も進みスクエアではオールコートが2面もあってサッカーをする人たちがいて、フットサル場もあってとなかなかにタウンとしてまとまってきたスタジアム周辺。地平の彼方にある「埼玉スタジアム2002」とかはもとより駅からの近さではフクアリ以上の味の素よりもまとまり具合では個人的な評価で上なだけに、核となるチームにはもっと頑張ってもらいたいんだけれどちょっとまだ波に乗り切れていないようで「川崎フロンターレ」を相手に1点を先取したものの追加点を奪えず押し込まれミドルから1点を奪われ引き分けでゲームセット。上へと上がる機会を失い17位に低迷し続けている。なるほど米倉選手は巧かったけれどもどこか走りが足りない。体力が追い付いてないってのもあったかもしれないけれど、弾際への寄せる速度や意欲があと1歩足りてないように映ってしまう。もっと調子を調子を上げてくれないといずれそこから大穴が飽きそう。幸いにして自覚もあるみたいなんで今後に期待。


【3月21日】 どこの冗談から出てきた企画なんだと苦笑した記憶もあった小川雅史さんの「キン肉マンレディー」(集英社)だけれども、まとまった単行本を読んだらこれが何というかとっても面白い。コールドスリープに入ったミート君が目覚めるとそこはパラレルワールドの地球で日本で、キン肉マンはいたものの女性かしていてナイスバディで天真爛漫で明るくってミート君を超人オリンピックに出るレディーを指導しにくれた人だと大喜び。その巨大なバストでもって大歓迎して吹き飛ばしたりしつつミート君と暮らし始める。

 そこに現れたのがテリーマンガール。テリーウーマンじゃいかんのかって突っ込みはそれとして、アメリカから招かれ日本代表になったからと言う日本政府の人にうなずき出ていくけれど、せめてミート君だけは置いてくれと頼んだレディーのふくよかさに気持ちを持って行かれ、日本政府にパンチ一発お見舞いし、キン肉レディーとの友情を育み始める。ああ何て素晴らしい百合展開。その後に現れるロビンマスクなレディーもやっぱりキン肉マンに気持ちを惹かれ、そのあまりに巨大なバストに潰され埋められ敗れそうになりながらもどこか喜びの表情をのぞかせる。ああやっぱり素場らしい百合展開。

 友情でもってあらゆる超人たちを引きつけ、中心に居続けた元祖なキン肉マンとは違ってキン肉マンレディー。その天真爛漫さそのナイスバディさで世界の百合な超人レディーたちを、引っ張り引きつけ戦っていく展開になっていくんだろー。どーせだったら見目麗しいけどどこか悪辣なレディーにキン骨マンも変えてあげて、キン肉マンに愛憎が入り交じった感情をぶつけるよーにすれば百合度も深まったんだけれどそこはやっぱり昔のままなのが残念。ナイスバディばかりの超人たちに交じってひとり、ラーメンマン娘のロリっ娘ぶりはなかなかに高ポイント。薄べったい胸元をさらけ出されても堪え忍ぶ表情も気持ちをぐいっと引きつける。でも武器にはならないんだよなあ。重力を左右するくらいだもんなあキン肉マンレディーの巨大なバストは。

 いえいえ胸だけでは判断は不可能ですからとセバスチャンにつっこまれたとしたらアッシュ=アンジェラはそれならとベルトをゆるめにかかったのかどうなのか。というかセバスチャンだってあれで性別なんてきっとないような存在なんだからアッシュに合わせて体を変えるってことだって可能なんだろうかとちょっと妄想。でもってかわいこぶりっこしてシエルの回りにあらわれ甲斐甲斐しく世話をしているとアッシュがおろおろとし狼男がシエルを妻にすると言いだし夢魔もあらわれつきまとう、ってそれは「神父と悪魔」だ。そういやあ最新刊では記憶を失ってしまったオフィエルがしっかりもとに戻ったなあ。でもヴェドリックは異端と指名されてとっつかまってしまった。さてどうなる。

 って違う話は「黒執事」だった。録画を失敗してフランスで何があったか分からないのが残念だけれど女王は最愛のアルバートが死んでしまったことを悲しんでその体を接ぎ木してもらったってことでオッケー? けど歳だって結構行ってそーな女王が子ども姿ってのには何か理由があったんだろーか。プルプルは魔獣化してロンドンを火の海に。アンジェラ子飼いの犬だったから仕方がないけどあれだけ犠牲者を出しているプルプルに屋敷の仲間たちがなおも同情的なのが分からない。そこはそれ、主人の号令でもって討伐に転じるあたりは団結とれてる。料理人は銃の名人で眼鏡メイドも狙撃の盟主って明かしておいたのがここに効いてきた感じ。でもって復活したセバスチャンが執事として見せる最後の闘いの中で果たしてシエルはどうなるのか。アンダーテイカーの予言どおりになるのかな。とらえず最終回が楽しみな1本。始まる時はユルさにどうなるかって心配したけど良い感じにまとりまりそう。終わったら単行本も読んでみるか。でもってアンジェラ出てねえって怒るんだ。

 肩になにかのしかかったような重さを感じてこれおがいわゆる四十肩って奴なのか、それともやっぱり何か霊でも張りついているのか分からないけどとりあえず治療をとインドメタシンを刷り込みコンドロイチンを囓ってから家を出て「東京国際アニメフェア2009」へは向かわず大宮へ。春だ大宮だ達郎だ、って感じに3月1日から比べると随分春めいた機構の中を山下達郎さんのコンサートツアーを見に大宮ソニックホールへと向かう。実はNHKホールよりも先にとれていたんだけれど日程的には後になってしまった訳で演目的にすべてを見知ってしまっているライブに行って果たして楽しいのかっていった気分になるのか心配したけど、好きなものは何ど見たって良いってことは去年の「ポリス」で実践済み。なおかつ席もNHKホールの3階席最後列から1階の28列あたりへと“出世”してたんで、見にいくに一切の躊躇も起こらない。

 とりあえず秋葉原へと立ち寄って新刊とかチェックし佐藤道明さんが描く幽玄な雰囲気の女性が戦車の砲塔に腰掛けた表紙絵の水樹ケイさん「鋼鉄のワルキューレ  ケーニヒスティーガー In Ww2東部戦線」(学研)って本が気になって買ってみてペラペラと読んでみる。えっとなになに、第二次世界大戦の末期、ドイツがソ連へと挑んだ東部戦線で最前線にいた少年兵のレオンはソ連戦車に追いつめられて絶体絶命の状況にあった。そこに現れたのがドイツ最強の重戦車ケーニヒスティーガー。そして率いていたのは美貌の女性中尉フリーデだった……ってそりゃあどこの「ぱんほー!」ですか。

 いやまあ、ゆうきりんさんお「ぱんほー!」はちょっと歴史が違っている中で帝国崩壊後のドイツで続く戦乱を終息させようと集まった傭兵のなかにヘッツアーって軽戦車を駆る部隊があってそれが車長から操縦手から砲撃手からみな女の子たちばかりだたって設定だけれどそうした何で戦車に女性が? って意外性で誘いながらもこと戦車戦についての描写は精緻でかつ綿密で、単にどかんどかんと撃ち合うんじゃなくってどう回しどう装填しどう動きどう守るかってあたりを描き込んであったんで読んで勉強になった。「鋼鉄のワルキューレ」も同様でキングタイガーと昭和な子どもたちには知られているケーニヒスティーガって戦車をどう扱い、どう振る舞ってソ連の戦車を撃破していくかって辺りが戦記小説並の緻密さで描かれているんで自分が戦車戦の戦場に立っているような臨場感を味わえる。

 敵もスターリンに粛正されたトハチェフスキーの意志を密かに受け継ぐ戦術の天才。おまけにフリーでには将軍だった祖父たちがめぐらせたヒトラー暗殺の陰謀に加担もしくは支援したって濡れ衣そのものの嫌疑も及んでドイツの親衛隊からの追求もはいる。蹂躙され陵辱され屈辱を味わわされ、それでも気高さを失わず勇気をもって軍人としての責務を真っ当しようとするフリーデの態度を、見てどうしてそこまでって歯がゆさも感じないではいられない。生きて生き抜いてひっくり返そうとするだけのしたたかさを、フリーデもそーだしソ連のヒョードルも見せてほしかったけれどもそれが許されないくらいにソ連では苛烈な粛正がスターリンの死ぬ1953年まで残り10年近く続けられた訳で、ヒョードルには戦場を生き抜いた所で未来はなかった可能性が高い。あそこで命を散らしてあるいは本望だったかもしれない。

 ただドイツには程なくして崩壊した訳で、あそこでフリーデが意地を張らず逃走するなりしていたら、あるいは米軍の占領下で生き延びたかもしれないと思うとちょっと勿体ない。間抜けなトップが間抜けな策を繰り出しては間抜けな取り巻きがそれをさらに間抜けにして下へと押しつけすべてを崩壊へと追い込もうとしている中で、真っ当さを保って間抜けさに逆らおうとするのってなかなかに骨が折れるもの。とはいえそうやって間抜けさを受け入れた挙げ句に死んでしまっては意味がない。まるで全然意味がない。見方に後ろから撃たれて殺されるに等しいそんな死に方をするくらいならとっとと逃げだし外から間抜けさを笑えば良いんだけれども、今は上とか取り巻きが間抜けなだけあってそれさえ治れば真っ当になる可能性も考えたりするとなかなか踏み切れないもの、なんだろうなあ。とはいえしかしやっぱり死んでは花実なんて咲きはしない。今いちどフリーデには奇跡の復活をもたらし来るべきラグナロクのために再生をお願いしたいと最高神にお願い、ってそれはそれで「ヴァルハラの戦姫」だよなあ。

 さても到着した大宮は「ゲーマーズ」でガチャ回してミハエルとランカのフィギュアをゲットしてから向かいの「ソニックシティ」へと入り行列をちょっとだけ作ってから入場して「たつろーくん」が即座にソールドアウトになる様を眺めつつナイアガラレーベルの達郎ソング集を買って入って時間まで。いいよ始まった「Sparkle」は失敗もせずちゃんと声も出ていていい感じ。以後もセットリストやトークはNHKホールとほぼいっしょで「ラ・ヴィアン・ローズ」も間違えずちゃんとしっかり歌いきって完了。席も悪くなくってなかなかにしっかり聞き込めた。朝青龍のギャグは定番化しているのか。前もやってたけど「ダウンタウン」は土曜日だから良い感じにハマってた。そんなこんなで2度目でそしてたぶん打ち止め。25年で5度だからまあ悪い割合ではないよなあ。次はいつになることやら。中野はやっぱり無理だよなあ。


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