縮刷版2009年2月中旬号


【2月20日】 1980年代だったら不思議じゃないけど21世紀もずいぶんと経った2009年にふくやまけいこさんが巻頭カラーを飾る漫画雑誌が存在してることへの驚きがまつひとつ。でもって今の時点でもまったくの衰えも違和感も覚えずにそんな漫画を読んでしまえることへの驚きを噛みしめながら頂戴した「コミックリュウ」の2009年4月号をペラペラ。絵柄は可愛らしさが究極のところで安定してるしストーリーもほのぼのとして「ひみつの階段」を読んでいるかの様。これだけの現役感があるなら他でも十分に活躍できそうって気もしないでもない。

 けれども「リュウ」って題字を持った雑誌だからこそ味わえる感慨ってのもあるからそこはそうと割り切って、楽しませて頂くことにしよう。「大正野球娘。」も単行本が出て伊藤伸平さんのギャグ冴え渡りやや熱血な原作にヌけた感じを与えて絶妙なコラボぶり。そんな漫画のままにアニメになったら別の意味で興味深かったけどマニアはついてもファンは逃げるから仕方がない、か。だったら伊藤版「キューティーハニー」を是非にアニメに。「楽勝ハイパードール」の再アニメ化でも嬉しいなっと。

 幕張でAOUが開かれてるってんで寒い中をかけつけ散策。昨日も観た「リラックマ」がこっちにもいた。歩いてきたのかな。大変そう。あと動く豆しばもいた。デカかった。ゲーム関係ではブロックを積み上げる奇妙なアーケードゲームがセガにあってちょっと興味。子供向けライドにドライブゲームを乗っけたゲーム機もあってバンダイナムコゲームスの偉い人が見物に来ていた。社長になったばかりだし気にもなるのかな。

 プライズ関係では水着姿のクランクランがいい感じ。あとカレンも。けどやっぱり注目はタイトーから出るドロンジョか、もちろん劇場版の。むちっとした感じが再現されてる。投入は4月頃。それまで保つかな人気が。タツノコ関連では旧作のキャシャーンにガッチャマンのケンとジョーのフィギュアが。デザインは何と久里一平さん。筋骨隆々とした絵柄になっているのを絶妙に完璧に再現してあってファンでなくても欲しくなる。吉田3兄弟の1人として、吉田竜夫さんから受け継がれるタツノコテイストを神髄から再現できる人なんだなあ、やっぱり。

 名古屋駅の西口から走っている通りはその名も太閤通だし、生涯の盟友・蜂須賀小六と出会った橋は同じ愛知県内の矢作川にかかる橋。生地だし故郷だし織田信長に取り立てられた土地だし馬印にしていた瓢箪をマークに借りて作られた銘菓「千なり」を売っている両口屋是清だって名古屋のメーカー。つまりは愛知県であり名古屋市こそが豊臣秀吉を祭り上げるに相応しい土地であるにも関わらず、太閤さんといえばわしらのもんじゃと大阪の人たちによって囲い込まれ、返してもらえなくなってからかれこれだいたい400年が経ったのか。三河の徳川家康も江戸にとられて帰ってきても駿府あたりで留まってるし、織田信長も名古屋ってよりは岐阜だったり、安土だったり死んだ京都の方でこそ輝く感じがあって、哀れ名古屋に愛知はただただ3英傑の生地としてのみ、立場を主張できる程度に留まっている。

 もっとも裏返して考えるなら、そうした象徴を仰がなくっても適当にやって来れた裕福な土地柄だったってことの現れで、尾張徳川家によって無風のまんま300年を過ごし、幕末維新も政府軍を素通りさせては戦火を浴びずに混乱をやり過ごし、取り立てて賑わいはしなかったけれども廃れもしないまま、大いなる田舎としてのんびりまったりを過ごして来られた名古屋という土地には、戦う武士を束ねる徳川家もいらなければ、江戸の武士たちに手前ら何するものぞと町人たちが結束する象徴としての豊臣家も必要なかったんだろー。今頃になって3英傑は我らが産だと訴え祭りを開き行列を繰り広げたところで、しょせんは上っ面の権威だけを求める行為でしかない。数百年の時間を心の拠り所にして来た大阪にこそ、やっぱり太閤秀吉は相応しいってことになるだろー。

 ってことで万城目学さんの「プリンセス・トヨトミ」(文藝春秋、1571円)は、その名も通りに豊臣家にまつわる物語を大阪を舞台に描いた作品。東京の会計検査院から大阪府の検査にやって来た3人。副長こと“鬼の松平”を筆頭に、ぼんやりとしているけれど妙なところで冴えた勘を示すものの、それくらいしか取り柄のない鳥居という男と、あと見た目は外国人といった雰囲気ながらも喋れば日本語で大阪弁すら話してしまうゲーンズブール旭は、大阪府庁に陣取っては帳簿を調べ出納を探り、気になった箇所には出かけていって予算が適切に使われているかを調べていった。そんな中で気になったのがOJOという名の社団法人。最初は鳥居と旭が連れ立って尋ねていったものの誰もおらず、結局誰とも会えずに帰朝しようとした時に、松平だけが父親の墓参りを理由に大阪に留まっては、OJOについて調査を続行する。

 東京に戻った鳥居と旭も気になって調べてみたところ、普通だったら3年5年といった間に監査が繰り返されるはずにも関わらず、そのOJOについては何と過去35年間も調査が入っていなかった。いったい何があったのか。実はそんな35年前に大阪で不思議な光景を目にしていた松元は、それとの関わりも気にしつつOJOの謎を探求。その果てに大阪という地が拠り所にしている存在が浮かび上がり、太閤秀吉の御代より受け継がれる反徳川、反東京的なスピリッツが浮かび上がっては大阪に生まれ育つ男たちの神髄といったものを描き出し、且つ大阪女の度量って奴も見せつける。

 今時の中央に流され気味な世間にあって地方の底力をアピールした作品として話題性は十分。ぜそれをつづけるのか? ってあたりにややふわふわとした感じがないでもないけれど、「鹿男あをによし」みたく日本を天変地異から護るじゃあ、ぶっとびすぎていると思い眉を顰めてしまうかもしれないのが普通の読者って奴。大阪の閉鎖地から世界を変えた「日本アパッチ族」のようなスケールアップするスペクタクルもないし、「吉里吉里人」に代表される地方の反乱といったポリティカルなフィクションとしてのスケールにもやや欠けるけど、SFや文学やライトノベルに慣れている一部の読者に向けてフルチューンをするよりは、現行のシステムで可能な範囲で護り続けることこそに意味あるのだという考えのもと、組み上げたのがああいった形になったとも考えられそう。ヘンテコ性が行き過ぎず一般性をやや超えたところに少しの不思議を見せつつ現代のモヤモヤを晴らす作品、ってことで普通に面白いものが読みたい人に受けるかも

 。地元にあってストーリーに関わる中学生の少年で、けれども自分は女の子になりたいとセーラー服を着て学校に通っては暴力団の組長の息子に虐められ、幼なじみの少女から護られていたりする真田大輔って少年の独特なキャラクターが、ストーリーの本筋に大きく関わっているようには見えないのが目下のひっかかりどころ。単純にいじめられっこで少女に護られているって設定ではいけないのか、どうせ少年を少女にするなら「プリンセス・トヨトミ」って設定そのものに絡めるって手はなかったのか、とか想像したけどやりすぎると複雑になって分かりづらくなるから、ここはラストにすべてが開かされる際に、都合の良い聞き役になるべく少年をそういう属性にしておいたって考え方で受け止めることにしつつ、他に意味がないかを読み直しながら考えよー。映画化とかするとしたらゲーンズブール旭っを誰に演じさせるかを考えたい。日本語ペラペラで関西弁もいけるというキャラ。いるかなあ。

 奥田英朗が帰ってきた。そりゃあ小説をガンガンと発表しては直木賞なんかを受賞して大活躍する奥田英朗はずっといる。でもここで言う奥田英朗とは違う。コラムニスト。それも毒があってユーモアがあって笑えて泣けてひっくり返れるコラムを書いてくれる「モノモノしい話」の奥田英朗であり、そんなコラムをまとめた「B型陳情団」の作者である奥田英朗が本当に超絶的に久しぶりに現れた。「ナンバー」の2009年3月5日号に掲載された「どちらとも言えません」ってタイトルのコラムは、スポーツをこネタにしてあれやこれやつづるコラムっぽいんだけれど思いこみをドカンとぶつけて説教臭さを匂わせたりするよーな「ナンバー」っぽさはまるでなく、それこそ「MONOマガジン」を読んでいるよーな錯覚に陥るくらいに切れ味があって鋭さがあってお笑いに溢れていたりする内容のものに仕上がっている。

 何しろテーマが“悪役万歳”だ。相撲であれやこれや話題になっている朝青龍の乱暴ぶりについてそれで世間の耳目が集まるんなら悪いことなんかじゃないとつづり、昨今あんまりお客さんが入らなくなっているプロ野球でも誰かが悪役になって世間を刺激したら良いんじゃないかって論旨で引っ張りそこに、何と中日ドラゴンズの落合監督を出しては閑古鳥が鳴く横浜スタジアムでのベイスターズ戦に向けて「ベイスターズってもしかしてプロ?」「勝つ気あるの?」「ま、どうでもいけどさ」「横浜先生はいいヴァカンスだね、ははは」といったことを言って欲しいと広告代理店の密使が落合監督にお願いしたらどうなるか、なんてことを堂々と書いてしまっている。

 そりゃあ誰だって思うことだけどそれを言ったらプロ野球界から鋭い突っ込みが入れ替えされて、雑誌として立場もヤバくなるんじゃないかって懸念もないでもない。けどそこは直木賞作家という肩書きを持つに至った奥田さん。悪口がもたらす効能ってのを枕にしつつ言いたいことをぶちまけてみせたってもはや文句なんて言えやしない。免罪符をもらい何をしたって大丈夫ってお墨付きを得た奥田英朗さんが、マイナーな雑誌で明日に挑戦するよーな気持ちで書いていたことだって今ならフリーハンドで書いてそれで飯が食える。ならばやらない手はないってこともあったのか、20年近くを経てよみがえった奥田英朗の真の魅力は昔にも増した鋭さがあって楽しめそう。隔週だからほぼ1カ月に1本。それでもこの21世紀に読める「B型陳情団」として各回を首を長くして待ちわびよう。まさか1回で中止なんてことはないよね?


【2月19日】 ハイクオリティCDの見た目じゃなくって聴き耳の凄さは「攻殻機動隊2.0」のサウンドトラックの響き具合鳴り具合で実感していたんでこりゃあきっとベースの1音、ギターの1弦まで微細な音が鳴り渡るんじゃないかと期待もあった「はっぴぃえんど」のHQCDによる「はっぴぃえんど(ゆでめん)」とそれから「風街ろまん」の発売が鈴木茂メンバーの逮捕によって発売当日に出荷停止で回収と相成った事態を受けて出動した秋葉原にて、すでに出荷されていた分が売られているのを発見。ここを逃すと起訴されるにしろ不起訴になるにしろ、確定するまで半年1年はお目にかかれない可能性もない訳じゃないんで即座に確保する。えっと何枚目になるんだ「風街ろまん」。

 ぜんぶ抑えている訳じゃないけど80年代に再発されてたLPと、RCAのが続々とCDになった辺りでのCD版と、それからエイベックスだから出たブリスターパック入りって取扱の鬱陶しいボックスに入っている版を持っているからきっと4枚目くらいになるんだろうなあ。細野さんの顔もだから4つ目、か。んで聴いた感想は……ちょっと分からないか、元々が最小限の音をリズムとメロディでもって巧みに組み合わせた上に響く声を載せて趣のある歌詞を流すコラボレーションの妙が素晴らしかったバンドなんで、隠れていた音が見えて来たりそれがぐわっと広がったりする驚きってのは少なさそう。何よりLPがまだある時代に今ほど頻繁に音楽を浴びない中で隅々まで味わい尽くした音楽だから、そこに新たな発見ってのを得るのにはまた相当な訓練も必要そう。とはいえ敢えて出すからにはそれなりの理由もあるはずで、聞きこむことによって何か見えるものもあるんじゃないかと期待したい。

 偉くないんでノミネートとかにもまったく関わっていない東京国際アニメフェアの「アニメアワード2009」が決まって下馬評なんてものがあったかは知らないけれども1等賞の「アニメーション・オブ・ジ・イヤー」は宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」が受賞。2008年で1番観られた映画ってこともあるからアニメとして賞をもらうことに何の異論もないんだけれども一方でテレビ作品としてムーブメントを巻き起こした作品があるにも関わらず、その上をいってしまうところにはやっぱりどこか不思議さが感じられてならない。っていうかこの賞、映画強すぎ。過去に観ると3部門から最優秀賞を出した2回目を別にすれば「機動戦士ガンダムSEED」が2004年に受賞しただけ。「鋼の錬金術師」は映画では受賞したけど本編ではとらず他にも並ぶのは映画だけ。メジャーであっても深夜であってもテレビアニメはなかなか取れないってのはテレビアニメの数の多さを考えると何か不自然って気もしないでもない。

 「電脳コイル」は2007年の作品だから別として2008年で言うなら「マクロスF」とか「コードギアス 反逆のルルーシュR2」とかいろいろと沸き立ち数字も出した作品があったけれどもそちらはテレビ部門の優秀作品賞に留まってグランプリには輝かず。監督としても谷口吾郎監督は賞をとらず監督賞には当然のよーに宮崎駿監督が座り原作賞も同様。せめて原作くらいは「スカイクロラ」に上げてもいいような気がしないでもないけれど、「スカイクロラ」が獲得したのはあの風体としてとっても不思議なキャラクターへの賞として西尾鉄也さんが受賞してた。うーん。脚本賞が大河内一楼さんなのはせめてもの良心って雰囲気だけれど、それにしても映画ばかりが持ち上げられて何のアニメ大国だって気がしてならない「アニメアワード」。宮崎作品なき2009年はだったら誰が取るのかなあ。「エウレカ」……って事は流石にないか。「空の境界」7部作の完結に対してあげて欲しいよなあ。

 つらつらと見返す「空を見上げる少女の瞳に映る世界」はそうかいったん片づいた後の世界で溢れる力に目の眩んだ奴らが戦いを激化させたものだから、それを治めるために少女の力が必要だけれどなかなか腰を上げない少女を待ち事引っ張り上げようとして柱が打ち込まれ地面が持ち上げられ、そのせいで大勢の家が潰れ人も潰されてしまったと。ってことはつまりユメミの逡巡が大勢の人の命を奪ってしまったってことに端から見ると見えてしまうだけに何だか釈然としない。自分にだって生きる権利はあるけれど、それで大勢が死んだと分かった時のユメミが果たして正気でいられるのか。そういう所には突っ込まないのが優しさって奴か。走るスズメは可愛いなあ。もしかしてこのアニメで1番強いのはスズメかもしれないなあ。

 「鉄腕バーディーDECODE02」は子供バーディーの恰好がほとんど裸エプロンというか、ローライズのパンツと胸周りを隠す布を前垂れだけてつなげた感じで背中とお尻の半分くらいが見えまくり。もしもその恰好を大人になったバーディーがしていたらいろいろ観てはいけないものを観てしまった気分になってしまいそう。あるいはコスプレをする人がいたら大変なことになってしまいそうだけれど子供だし、アニメなんでそーしたプルプル感はあんまり観に迫ってこないんで安心か。次週はいよいよセントラルタワーのテロ。ヴァイオリン逝く? ともあれバーディーはどう作られた? 的展開は長い漫画の連載を読んでいる時には良い生き抜き箸休めになったけれどもそんなに長くないアニメでこれを3話4話とかやってしまうとスペクタクルな本編が進まないので来週くらいでひとまず。というより本編が極めて個人的な復讐譚なだけに身近な辺りでの話で埋め尽くしても構わないのか。クリステラ・レビとの決戦はだから「鉄腕バーディーDECODE03」で。是非に。

 せっかくだしこれを逃すと次はいつになるか分からないかもしれないと劇場で「空の境界 第5章 矛盾螺旋」を観てみる。チンピラに回し蹴り入れた両儀式が着物の開いた裾をさっと併せる場面にちらりとのぞく内股を、大きなスクリーンで観られたのがとても良かった。というのはさておき、椅子に座り動けずリモコンも操作できない状態で噛みしめながら観てこそつかめる全体像というのもあるところが、映画向けに作られた作品ならではの面白さ。テレビだと飽きっぽさを催さないような詰め込みがあるかあるいは見逃しても大丈夫なゆるさが作らがちで、その意味では「矛盾螺旋」はちゃんと “映画”なのだなあと理解。レイトショーで50人くらいははいっていたか。ほかの章より値段が高いのに倍くらい入っているのはそれだけ劇場で観たがる人が多い章だったということなんだろー。関係ないけどロビーで流れている「罪とか罰とか」の予告編で1日署長になった挨拶をする時に成海璃子さんのスカートがまくれあがる瞬間にだけ目が釘付けになってしまう自分が情けない。そのためだけに映画に行ってしまいそうだ。DVDも買ってしまいそうだ。ああ情けない。


【2月18日】 せっかくだからと夜の新宿テアトルで見たのは「空の境界 第三章『痛覚残留』」。これまで公開された6本の中じゃあバイオレンスな描写が1番たっぷりで、淫靡さもあったりするだけにデカい画面で見たらどれほどのものかって期待というか興味もあったけれど、家の中でそこそれって感じに自在にリモコン操作が出来ない劇場で、大勢の観客の間に入ってああきっとこの人もこれにいろいろ思っているんだと想像しながら見るのは精神的に力がいるものと判明。ピンク映画を劇場で見られる人たちにちょっと敬意がわいてきた。それともピンク映画はそういう人たちが集まっているという前提で上映されては、暗い劇場内にコミュニケーションを発生させる装置として機能しているんだろーか。ストリップは皆で盛り上がるイベントだからちょっと違うし。船橋にあるストリップ劇場もそういやあまだ入ったことがないなあ。1度くらいは覗いてみた方が良いかなあ。

 DVDを持っているんで幾度かは見返しているんだけれどストーリーが脳に焼き付かないお年頃なんで改めて見るといろいろと発見もあって良い体験。けどすぐに忘れてしまうんだ。最初に河原で両儀式が浅上藤乃に会った時にどーして途中で退治するのを止めたのか。最後の場面で無痛症に戻ってしまったという場面との繋がりでいうなら異能さがその時に失われていたってことなのか。それはどういう条件で発動したり止まったりするんだ。うーん。まあいいやあそこで式が両断してたらラストのバトルはなかった訳だし。そのバトルももっと派手に戦っていたって記憶があったけれども絡みはそんなに多くはなかったか。ぐるぐるぐるっって回転があったりしたのは「矛盾螺旋」の方で動きだけならそっちが細かいけれど、場所が廊下だけに広がりは「痛覚残留」の方かなあ。「俯瞰風景」の飛翔感がやっぱり1番好きかなあ。ってなことを確認するのに1回1000円が安いか高いか。家で見るよりデカく見られるってメリットもあるから安いと見るか。「矛盾螺旋」を見たいけど曜日がなあ。それよりかはあと1回くらいは「忘却録音」を劇場で見ておくかなあ、鮮花キックとか鮮花キックとか鮮花キックとか。

   劇場で見た記憶がないってのはつまり、それほど作品として興味がなかったってことなんだろう劇場アニメーション版「AKIRA」。近い年だと「幻魔大戦」だって「カムイの剣」だって「メガゾーン23」だって「レンズマン」だって「風の谷のナウシカ」だってちゃんと劇場で見ていたにも関わらず、時の話題作とも言えるはずだった「AKIRA」に対してどこか気が引けてしまっていたのは、1988年って公開時期がちょうど卒論だの就職活動だの教育実習だのと忙しくって、わざわざ劇場まで見に行く気が失せていたこともあったりする一方で、漫画として描かれていた原作が放っていたあの輝きとは、また違うものになっているんじゃないかって懸念が、劇場へと向かわせる脚を留めてしまっていたんだろーか。それとも芸能山城組の音楽が妙にプリミティグで、気持ちを堰き止めてしまっていたからなのか。今となってはどうにも思い出せないなあ

 それを言うなら「王立宇宙軍 オネアミスの翼」だって劇場では見ていなかったりするけど名古屋あたりで公開されたんだっけ? まるで全然記憶にない。んまあ80年代末から90年代頭くらいは見ていたアニメはそんなに数なく、せいぜいが「きんぎょ注意報」に「セーラームーン」に「赤ずきんチャチャ」といった辺り。マニアが見たがる作品ってことだと「天地無用」のテレビシリーズが始まるあたりで、劇場版だと「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」あたりまでがアニメに関しての気分が希薄化していた時期。ここでもしもハマっていたら東京に来ていたってこともあってノメり込みすぎて人生を埋めていたかもしれないし、何者かになっていたかもしれない。こればっかりは振り返ってみても分からないけどともかく「AKIRA」あたりが今にして思えば、空白へとつながる分水嶺になっていたって印象。そう考えると別の意味やら角度から“影響”を被った作品ってことになるのかもしれないなあ。

 そんな「AKIRA」がブルーレイディスクになったってことでパイオニアの目黒にあるショールームですっげえ環境の中で見られる機会があったんでいそいそと駆けつける。家でだってブルーれーは見られるし、DVD版は絵コンテがついたバージョンを既に持っているから作品自体はいつでもみられる。新宿テアトルでだって近く上映かが行われるけど、このパイオニアのショールーム、もしかしたら来年にはもう存在しないショールーム? さすがにそれは性急だけれど、プラズマテレビを辞めておそらくはAVからも身を引きカーナビカーオーディオへと特化するって方向性から推察するなら、そうした製品を体験させるショールームも不必要になるってことでやっぱり見ておくのも悪くない。実際に並んだ機材は高級そうでプロジェクターも実に精細。椅子をのぞけば映画館にいるよーな感覚で「AKIRA」を観ることができた。家でこれだけの環境、なかなか作れないもんなあ。おそらくは一生作れないんじゃないのかなあ。残念。

 んで改めて観た劇場アニメーション「AKIRA」はなるほど、当時観ていたらやっぱり抱いた感想は「よく描いたなあ」ってことだったかなあ、CGなんてまだない時代にビルから街からバイクから爆発から崩壊から機械から、何から何までを緻密に描いてそしてしっかり動かしている。CGを使えば簡単に得られる効果だって当時はきっと描く時と撮影する時にいろいろと工夫をしたんだろー。その仕上がり具合を観れば日本人はもとより 外国人だって驚き簡単したんだろーことは想像に難しくない。ラストにむくむくと膨れあがっていく鉄雄とか、漫画だって大変そうだったのにアニメじゃあ動かさなくちゃいけないから超大変。あのあたりを手がけた人が後にすごいアニメーターになってパルムをやっぱりむくむくとさせたのもよく分かる。ってそうだったっけ? 違ったっけ?

 ただストーリーに関しては、すでに完結している漫画版を読んで知ってしまっているだけに単純すぎるなあって印象。当時に見てもアキラって存在の存在性に気づいていただけに象徴性が際だった劇場版には反発を抱いたかもしれないなあ。漫画版とかまるで知らないで今回のブルーレイディスク版をいきなり見る若い人ってどんな感想を抱くんだろう? そのブルーレイディスクは何か192khzとかって高音域まで含めて24bitで収録された高音質が特徴とかで、再生できる環境にあればそれこそ自然の中に響く耳に聞こえない音までが再生されるとか。大容量様々ってことで。

 そこで来場していた佐藤さんっ人が尋ねていたのが、元が確かデジタル録音されているはずの「AKIRA」の音源はすでにして高音域がカットされているはずで、それをマスターに使っている以上は192khzまで引っ張り上げたところで本来持っていたアナログな部分は現れないんじゃないのか、だとしたらそこまでして高音質にこだわる意味ってどこにあるのか、ってことでなるほどそういう可能性もあるのかと理解はしたけど、当の山城さんがその辺りをどう答えているのかが不明なところに謎がありそう。高音質だ生音だって言葉がPRの重要な部分に使われている作品なだけに気になるなあ。90年代以降のデジタルが本流になった時代の音楽って高音質にする意義はどこにあるんだろうかも同様に気になる。どうなんだろう?


【2月17日】 強いんだったらニャンコ先生、「百鬼夜行抄」の青嵐みたいに斑の姿になって一気にガブリとやってしまえば良いものを、近寄られけ飛ばされるまで分からなかったってことは案外に見かけ倒しで弱いのか、それとも呪われると能力を制限される仁義になっているのか。でも約束したって違える鬼が相手なんだからそこは気にしなくたって良いのに。ああだから最後にガブリとやれたのか。ちょびひげ妖怪もニャンコ先生相手に一歩も引かないところを見ると見てくれはヘンでも中身は力のある妖怪か、あるいは神様に近い存在なのか。ラストにチラリと委員長。相変わらず扱いが寂しいねえ「続夏目友人帳」。最近偽レイコの出番が少ないぞ。

 7話にしてようやく配置が見えてきたのはやっぱり遅すぎか。断片をつなぎ合わせネットから推測を拾い集めて全体像を浮かび上がらせる思考作業が最近どーにも億劫とゆーか、しづらくなっているのは情熱が衰え欠けているからか、或いは単純に歳を取りすぎたからなのか。まあそれにも増して1話から断片を散りばめ過ぎな割に設定を見せない作りになっていたから仕方がないかも「宇宙をかける少女」。でもネルヴァル本体の登場にクサンチッペって妙な名前の女声のコロニー出現もあってレオパルドが単騎ではなく銀河コロニー大戦か何かの正義側で、悪のコロニー相手に戦うために仲間を集めてたんだって、要約しすぎるとそんな構図が見えて整理がしやすくなった。

 獅子堂の一族はそんなレオパルドを助けネルヴァル相手に戦うことを宿命づけられて、神楽だかって人の思いを受けつつ権力に戦闘力に頭脳を行かして秋葉を支えてネルヴァルに挑む、と。いやそれだとナミの役割が何もないよなあ、秋葉はモデルとして活躍してたって憧れていたけどそれも止めて引きこもり気味。別人格が黒っぽいところに秘密もありそーで、5人姉妹から出る裏切りの星としてネルヴァルに付いては秋葉と対峙するって展開か。あっさり捕まった割には高嶺、とっとろ逃げだし圧倒的な戦闘力で仮面女アレイダを相手に大立ち回り。すべてが秋葉をレオパルドに出会わせネルヴァルをおびき寄せるための作戦か。そもそも最初に家出を促すような見合い話を持ち出したのもそうやって宇宙に叩き出し、レオパルドに出会わせるために仕組んだことだったのか。生徒会の面々の立ち位置も不明だしまだまだ設定掘りで楽しめそう。その傍らでお話はまるで進まないってなったらそれもそれで嫌だなあ。これ全何話だったっけ?

 おお辞めた中川昭一財務相。酒だろうが風邪薬だろうが醜態を晒してしまったことには違いがなく、それにいかなる理由がつこうとも責任を感じて退任するのは方向性として仕方がない。問題はこれが国内的国際的に何かすっげえ影響を与えるかっていうとまるで微動だにしないことくらいで麻生首相の支持率は低空飛行を続け、かといって解散総選挙となるよーな状況は目下の景気大切なうちではあり得ず膠着状態。景気対策がぐらりと変わるでもなくマーケットが大混乱に陥るわけでもない当たりに、日本という国の政治というファクターにおける個々人の政治家の資質ってのがまるで空(くう)になっている雰囲気が浮かび上がる。かといって総体としての政治となるとやっぱり世間は動くし。問題はだからどこにも責任の所在がないのにカタマリとして動いていたりするってことか。頭がなけりゃあ潰せない。かといって知恵も回らない。そんな状態が過去にも続きこれからも続く。どこに向かっているのやら。

 そろろそ近づいてきた「東京国際アニメフェア2009」はちょっぴりいつもより1週間くらい早い感じでなおかつ1カ月くらい後ろに押してきた「東京国際マラソン」が日曜日の「東京ビッグサイト」を占拠してしまう関係で、水曜日木曜日を業者日に金曜日土曜日が一般公開日って曜日だけならやや変則の開催になっている。けど金曜日の20日は春分の日で休日だから金曜土曜が一般公開日でも別にあんまり影響はなさそう。それも考えつつマラソンと、アニメフェアって石原慎太郎都知事肝いりのイベントが並んで開かれお互いにアピールし合えるって一石二鳥がねらえそうなのも主催者としては有り難いって判断か。とはえい3万4万の人が西館(にし・やかた)にエントリーにつめかけエキスポを見て、10万人とかって人が東館(ひがし・やかた)に集まりアニメを楽しみ声優に叫びコスプレにまみれているのを見るのはなかなかにしんどそう。んまあ西はマラソンのコスプレイヤーが集まっていると見なせば気にもならないか。西の人が東のコスプレをどう思うかは知らない。知ったこっちゃない。

 展示やイベント関係も発表になっててとりあえずはやっぱり30周年ってことで「機動戦士ガンダム」の関連ブースがデカく出そう。去年も見かけた「アフレコ!」ってゲーム機を持ち出して「ガンダム」のアフレコを楽しめるコーナーを作ったりするみたいだけれどこれ、おっさんと若い人じゃあ選ぶタイトルにくっきりと差が出るんだよなあ、おっさは無印を選び若い人は「DESTINY」とかにする、って感じ。いつまでも無印が偉いと思うなよ、ってことで。ステージイベントだと「ボイス玉手箱3!」が今年も開催とかで賢雄さんぱくろみさんを司会に山ちゃん17歳ほりゆい等々が出演する、ってあるけどやっぱり見たがる人も多いんだろうなあ。声優さん関連だと20日に連動企画として渋谷で「声優フェスタ春〜声の大饗宴」が開催の予定でこちらは17歳さんだけじゃなく、重鎮中堅に若手等々がぎっしりと出演の模様。チケットは……発売中か、6300円は高いけどちょっとのぞいてみたい気も。場所は渋谷のC.C.Lemonホール。田中敦子さんも出るのか。

 あり得ない話をしよう。あり得ないんだから驚くこともないし憤ることもない。例えばチョコレート会社があったとして、ご多分に漏れず不景気で売上は下がっている上に昨今の原材料費の高騰もあって、これまでの100円で12粒は中に入れられなくなったから、10粒に減らしてお客さんの了解も得た。120円に値上げされても困るし世間がそんな状況だからお客さんもまあ納得。それで走り始めてまあ何ヶ月も経っていないけどやっぱり経営が厳しいからと会社がすこし辞めて欲しいと社員にお願いし、数人が辞めていくことになったところ、これがチョコレート工場で機械を操作している人たちばかりだったからちょっと困った。

 3台ある機械の1台が動かせなくなって生産量が減ってしまう。それなら辞めてもらうのを待つなり人を雇い直してでも機械を動かすのが、普通に真っ当な会社なんだけれどももはや切羽詰まった経営者は、だったらチョコレートを8粒に減らせば良いと言い出した。値段はもちろん100円のまま。物価高でもなく作れる量が減ったから中に入れる数を減らすという、そんな客を舐め切った商売が例え100年に1度の不景気だからって、この世界に存在するはずもないし、宇宙にだって存在せず、もしも無量大数にひとつでもあったとしたらそれは歴史の教科書に掲載されたって不思議じゃない事態。だから最初に断っていたよーにこれはあり得ない話。絶対にぜったいにあり得ない話ということですぐに忘れてしまうことをお勧めしよー。あり得ないあり得ない


【2月16日】 テロリストが固めるまっただ中にワンピース姿で突っ込んでいく姉貴も姉貴なら、怪しげな出所のライドバックを駆って暴走しては、警察車両に発煙筒を投げ込み悦に入る弟の阿呆さ加減も大概過ぎる「RIDEBACK」。常識に反抗したいお年頃なんだろうけれども、やって良いこととやれば面白いことと、やってはやっぱり拙いことの区別くらいはつけておくべきなのもまた常識。それを分からず突っ走っては巻き込まれ、あたふたとする阿呆な輩にどうして育ってしまったのかを見せてくれないと、大学にライドバックの部があってはまりこんでいった姉貴ならまだしも、普通の学生やっている弟がとんでもない事件に巻き込まれてしまう偶然がどうにも納得できない。

 けどまあそのおかげで謎のライドバック少女が自ら警察の前に姿をさらしてはとっつかまってそして世界を統べる組織だかの監視下におかれるような展開へと、進んでいく訳だから仕方がないというかやむを得ないというか。ストーリーの都合に勝る人格など存在しないのがアニメーションって奴なのだ。そうなのか? んでもって「まりあほりっく」は前週から引き続いてのブラ盗難事件が見事に解決したと想ったら、さらに新たな事件が起こってトゥー・ビー・コンティニュー。そうやって場を繋いでいく考えか。桐奈々美さんの愚直なまでの真面目っぷりが光った回でもあり、また稲森弓弦さんみたく聖人君子に見えても心には妬みも嫉みも生まれるんだということを分からせてくれた回。邪念しかない宮前かなこにはきっと見ても理解の及ばないエピソードだったかも。

 死神デューンのあのへちゃむくれた顔って美麗な顔の下にあった土台じゃなくって、美麗な顔を覆っていたマスクだったのかと驚いた「キャシャーンSins」。んでもまあ観念と象徴に溢れた作品だからどっちがどっちってことでなく、それ以前に明確な区別すらなくってそう描きたいからそう描いてあるってだけの使い分けだったりするかもしれないから分からない。出てきたルナが本物で、咲いている花が生きている花なのかも含めて。前週に生き延びたいという願いと死ねない苦しみが交錯したエピソードが描かれたと想ったら、今週は死というものが持つ醜さがルナによってあからさまにされるエピソード。ならば人は生きるべきか死ぬべきか。どっちなんだと迷ったところでルナとキャシャーンが対峙して、そして人それぞれにある思いって奴の大切さが浮かび上がって来るのかな。ちびっこルナは可愛いけれども目つきが凶悪。本物のルナなのか?

 んまあ誰が見たって酔っぱらっているって雰囲気で、それを風邪薬を飲み過ぎたから意識が朦朧としてしまったなんていったらちょっと多く呑むだけでそんなに影響が出る風邪薬なんて規制しなきゃいけないって声が起こって、製薬業界の方面に迷惑をかけるってことにまるで配慮が及んでいない辺りに、とりあえずその場さえ治めれば事足れりってゆー身勝手さも伺えて鬱陶しさが倍になる。引退の時に打ってもらった針のことを喋ってそのギリギリっぷりを切々と訴えたら、鍼灸師の界隈から針ってそんなに危険なものじゃねえぞゴラって怒られたかつての江川卓さんをちょっと思い出したけど、一国を代表してG7の場に臨んでいる大臣であり、国の行政を司る政府の一員でもある大臣が言ってしまうのはやっぱり拙いよなあ。医薬品業界を所管している桝添厚生労働大臣はどーして怒らないんだろう? 明日あたりにまたいろいろ動くかな。

 それってどこのアマル・オシムさんなんだとジェフユナイテッド市原・千葉が監督のアレックス・ミラーさんの次男でスコットランドのレンジャーズでユースのコーチを務めるグレッグ・ミラーさんをコーチに迎えた話を聞いて思った人約1万5000人。そして岡田武士サンが日本代表監督を更迭された代わりにジェフ千葉からアレックスの方のミラー監督が引っこ抜かれて、コーチのグレッグが千葉の監督に就任するとゆー道筋がくっきりと見えてきたって思った人約3万3000人。アマルさんのコーチ就任をイビチャ・オシム監督はあまり乗り気じゃなくって祖母井さんを叱ったのを祖母井さんはそれでもイビチャ・オシム監督が抜ける可能性を勘案しつつ、継続性に配慮し就任させたとゆー。対するにアレックスのミラー監督はグレッグコーチの就任についてどんなスタンスだったんだろー。でもってジェフ千葉の経営陣にはどんな思惑があったんだろー。そこを聞いてみないことにはちょっと意味の重さを量れない。願うリポート。

 そんでもって親子鷹な体制が新たに整ったジェフ千葉がお披露目される世界3大カップ戦のひとつ「ちばぎんカップ」はチケット完売御礼との報。ああ良かった買っておいて。ただしメインスタンド中央でもややホーム側なんで黄色のどっちを応援するかは見せないで、心静かに見守ることにしよー。沖縄での横浜FC戦はいまいちだったみたいだけれども、巻誠一郎選手も合流して連携もとれはじめた1週間後の22日辺りには、きっとキレのある当たりっぷりを見せてくれるだろー。気になるのはだからやっぱりお天気か。土曜日あたりの5月にも勝るかとゆー気候から一変して月曜日は冷え込みもきつく風もびゅうびゅう。これが続けば沖縄で暖まった体に寒さから来る無理が重なってけが人続出、なんてことになってしまう。しょせんはプレシーズンマッチなんでその1週間後の開幕にすべての照準を合わせて、安全に乗り切ってやって欲しいもの。まあ勝って悪いことはないんでそのあたり、文字通りに適当に。


【2月15日】 空に浮かぶ雲というか目玉みたいなものと戦っているんだけれど相手は強大。ピカッと輝くなかですべてが破壊されると察知し、地下へと逃げ出しては電車だか、エレベーターだかトロッコみたいなもので別の基地だかへと逃走している途中、2匹の猫を受け取り今度はエレベーターでいっしょに移動するんだけれど猫はカレーだが、はちみつだかにまみれてぐっちゃぐや。でもプクプクとして可愛いなあと思っていたら基地に到着。着ているジャージはそんな猫の汁まみれになっているんだけれど、そのまま呼び出されて何かアニメの製作発表があるからお前も出ろと監督の人に言われる。

 その監督は「アリーテ姫」の片渕須直さんらしいと思っているんだけれど顔が本人かどうかは不明、というか思い出すとプロダクトデザインの深澤直人さんらしいとも見えるんだけれど、誰なのか分からないまま着ているジャージの着こなしとかを指摘され、靴下の中に入れていた裾をひっぱり出して、フレアー気味な裾を引きずり会場に到着すると、そこはアニメではなくサッカーのたぶん水戸ホーリーホックか何かのファン感謝デーだか入団発表の会場で、グラウンドに並んだ選手たちの隅っこに付いて市長さんだかの演説を聞いたあと、選手たちにくっついて握手をしていくあたりで混濁。

 気づくと海岸べりを歩いていて、錆びた巨大な客船らしいものが停泊し、ものすごい勢いで船が水面を切り返して進み、先端に天守閣らしいものをくっつけた観光船も現れては、金の鯱船に代わるものだと誰かに説明しているあたりが記憶の最後だったりして最初の、何者かと戦う話はどうなってしまったんだと思い返したところで夜が明ける。夢。脈絡なくわき上がる意識を映像にして次々に見せているだけで、それぞれの風景は夢を見ている個人に関わりがあるんだろーけど連続したストーリーにはなてちない。あるいはひとつひとつを分析することでどうしてそのビジョンがわき上がり、つながっていったのかを探ることも可能だけれど、そんな奇異な夢よりも横たわる現実の方が奇妙で馬鹿馬鹿しくって異常なんで、そちらをまずどうにか片づけないことには、夢に逃げて耽溺し続ける日々が続きそー。どうにかならんか現実。

 何かになりたいと思ってやって来た東京で、何にもなれないまま時間だけがいたずらに過ぎていく。何かになろうとする努力なんてまるでしていないのに、自分だけにはふとした拍子で出会いとか、チャンスとかがやって来るんじゃないかと思いたがる。そんなことなんて絶対にないのに、気づかないふりをして自分をごまかし、代わり映えのしない毎日を今日も明日も繰り返す。

 どうにもならない毎日を、どうにかしたいとすら思わない奴らのどうしようもない人生に触れれば変われるか。それともやっぱり同じままなのか。2006年の文藝賞を「公園」で受賞した萩世いをらさんが「東京借景」(河出書房新社)に書いた、2つの東京での暮らしぶりをまずは見て、そこから考えてみるのも悪くない。まずは「さようなら風景よ、サヨナラ」。海外放浪から戻って暮らすアパートの家賃を溜めて大家からにらまれ、飲み屋で知り合った禿げの男か子供の面倒を見てくれくれと頼まれ、何週間かを過ごしてからアパートに戻ると大家は死んでいた。

 禿が絡んだ事件に巻き込まる訳でもなく、ブータンで知り合った女が訪ねてきてもいい仲になんてなりはしない。劇的なことなんて望まなければ起こらない現実の残酷なまでの平穏さに、絶えられないと思えたらまだ救いはあるけれど、それはそれで気楽なものだと諦めてしまっているようだったらこの先やっぱり何も起こらず、誰とも出会えないままで一生を潰していくんだろー。表題作の「東京借景」も同様の話。故郷で教員だった男と東京のパチンコ屋で再開した元生徒が、酔っぱらってふらふらな先生の姿にめぐらせる過去の賑やかさに何かを感じられれば、生き直すことは難しくない。逆なら未来はその先生。何者にもなれずに朽ちていくだけだ。

 実際のところ、本を読んだくらで変われるんだったら誰だってとっくに変われているのもやっぱり事実。小説を読んだ自分の中にあるべき道を思い浮かべて満足して、今日も昨日と同じ日常を繰り返すことになるのだろう。なるほど読んで変われるかと問いかけつつどうせ変われない役立たずの野郎なんだな手前は、って分からせてくれるという意味でとてもとても役に立つ東京暮らしの新バイブル。読んで自らの役立たずぶりを噛みしめながら今日も明日も明後日も、来年も10年後もやっぱり変わらない日々を送っていたりするんだろうなあ。劇的なことって本当に起こらないよなあ。会社が潰れるとか潰れかけるとか潰れ果てるとか。

 ネガティブスパイラルに陥り始めたんで気を取り直して読書。高瀬美恵さん「魔女の戴冠2」はすでにして第1巻でヒロインの兄がヤクザ組織に入っていてはぬれぎぬを着せられ身内に惨殺されるってゆー陰惨な出来事が事の発端になってたりして、学園を舞台にした魔女の卵たちによるユルユルなファンタジーだなんていった幻想は吹っ飛んでいたけれども2巻に入るとダークさに拍車がかかってもう全体が真っ黒くろすけ。ヒロインの兄が殺されるきっかけになった事件の犯人をつきとめる過程でヒロインの友達の兄が関わっていると分かりその友達にまで討伐の手が及ぶ黒展開。さらにヒロインが都会へと呼ばれ向かう途中で起こった列車転覆事故の最中に乗客たちが皆殺しにあってしまう。

 犯人は誰かといったあたりから過去に<災厄>と恐れられた魔法使いの存在が再び浮かび上がりその弟子だったという青年に対して不安が浮かぶ一方で、真犯人であった魔法使いの弟子筋が集まり良からぬ組織を立ち上げ世間を大混乱へと陥れるべくあれこれ陰謀をめぐらせる。頼みの女教皇は歳を重ねて判断に迷いというか狂いが生じて役立たず。だいたいがもともとが権力欲しさに幼い姉を刺し殺してしまうくらいの黒さを持った人なだけに、タガがはずれた今となってはもはや全世界を黒に染めるくらいのことはやってのけそう。そんな渦中に出かけていったヒロインの運命やいかに。動揺すると治癒魔法すら使えない役立たずではあるんだけれど、魔法がきかないって取り柄もあるみたいだし、そのあたりが鍵となって物語の中心に躍り出ていくことになるんだろー。次で完結。どうまとめるか。人畜無害過ぎる留年ねえさんことオル公には元気で居て欲しいなあ。

 家にいたらひたすらに眠っては悪夢にうなされそうだったんでむっくり起きだし、何か食いたいなあとふと思った「あんかけスパ」を今はもうここだけになってしまった虎ノ門にある「パスタデココ」まで食いに行き、ヨコイともそーれともユウゼンともサヴァランともチロルとも違うけれどもこれはこれで立派にあんかけスパだと納得しつつピカタにソーセージ盛りをむしゃむしゃ。かき込んでから三田線で神保町へと向かい三省堂書店を散策していると、本日午後2時より芥川賞作家の津村記久子さんのサイン会があるって張り紙が出ていて、そりゃあ欲しいかもと思ったらすでに配布は終了とのことで残念至極と諦めつつ、文芸誌でもない某誌で評論でもない短い紹介をさせてもらった程度の、縁とも言えない縁ではお声がけなどもってのほかと場を下がり、珈琲屋で時間を潰してから会場に行くと長蛇の列に向かって、眼鏡っ娘の津村さんがせっせとサインを書いているお姿を遠巻きに見られてひとまず満足。場を下がり「群青学舎」の第4巻など買って読みつつ帰って寝たら真夜中だった。悪夢の一週間がまた始まる。


【2月14日】 フィギュアといったら浅田真央より綾波レイだという政府見解も出たようで何よりなバレンタインデーをバレンタインデー的イベントとはまるで無縁な集会に出向く。何しろ相手はフィギュアなんで笑いもしなけりゃ手作りチョコだってくれやしない。けどそんな即物的で刹那的な情動とは違った、1方向にだけ向けた永遠の存在感って奴を放って狭いながらも苦しい我が家を満たしてくれる。だからフィギュアは止められない、って感じな人が日本にはまだまだたくさんいるようで、到着した午前9時の段階ですでに数千人といった感じの行列が「秋葉原UDX」から橋を渡って秋葉原駅前へと伸びていて、ここから入場を待つ人にはなかなかの苦行が待っていそうだと同情しつつお仕事だからと会場内に入って「ワンホビ9」ってイベントに出展されてるグッドスマイルカンパニーの商品群をチェックする。

 まずはやっぱり「figma」ってことでひととおり見物。とりわけ新商品の所にならんでいたあれはディズニーの「ファイアーボール」から生まれたドロッセルちゃんだっけ、その「figma」が並んでいてなかなかの無表情っぷりに高飛車っぽさを感じて跪きたくなる。番組見てないんでそんな性格なのかは知らないけど。んで頭の両側から俗にツインテールと呼ばれる髪が飛び出している風体がそっくりだねえと言われた「初音ミク」の柊かがみバージョンも隣に並んでいたのはタイプを比べてみてよって配慮? でも目は反対側に立った鶴屋さんへと向かってしまうあたりがヘン者好きの真骨頂って奴で。ちゅるやさんまだ見ていないなあ。

 同じコンパクトサイズのアクションフィギュアって点では先行していたリボルテックだけど、ロボットが得意ってイメージがあった間隙を付くよーにキャラものを充実させて一気にマーケットを作ってしまった感じがある「figma」。とはいえそこは海洋堂も負けてはいないってことで同じグッドスマイルカンパニーが販売を扱っているって縁もあってか会場内には「リボルテック」のシリーズも並んでハルヒのギタリストバージョンなんか同じ衣装で同じ恰好をして並んでて、さて買うならどっちって問いかけを放っていた。買うならどっちもってのがファン的な身からの答えとしては当然だけれど、造型者にってはどっちがどっち、なのかちょっと興味。顔は「リボルテック」? ポージングは「figma」? どうなんだろう。宮脇専務も歩いていたけどとてもとても聴けません。

 会場にはあとグッスマな商品として人気の「ねんどろいど」も勢揃い。お正月に「らき☆すた」の“聖地”として評判になっている埼玉県鷲宮町の鷲宮神社で売られてた、限定バージョンの「らき☆すた」の「ねんどろいどぷち」もあってあれから随分と経ってしまった日付を思い、遠くに着たもんだなあと懐かしむ、ってまだ1カ月半だぜ? いやいや1カ月半もあれば会社は傾き会社は潰れかけ会社は人がいなくなり会社は経営者が無能をさらけ出しそして会社が会社とは言えない状況へと簡単に陥るものなのだよ。どこの話しって自動車とか電機とかって世界的大企業の話、だと思いたいけど、さてはてうんたら。

 それにしてもすごい人手。ささっと駆け抜けてそれから上の「東京アニメセンター」で「ランカ☆リー」のカレーって訳の分からない商品を購入してから一服して、会場前を通りかかるとイベントが始まった関係で入場列をさばけず、待機している人が朝と変わらないくらいいておまけに陽気はまるでゴールデンウイークといった感じで降り注いで、待っている人たちがなかなかに大変そうな顔をしていた。冬だと思って厚着もしてきたらこの陽気。ダイエットにはなったけれども熱中症がでていたら主催者ちょっと大変だったかも。何しろ2月と言えば本当は、海洋堂が中心となって開催するフィギュア界では最大のイベント「ワンダーフェスティバル」が開かれていてしかるべき。それが例のエスカレーターの事後の余波で、とりあえず延期するって言ってしまってから後、いくつものイベントが「東京ビッグサイト」で開かれたにも関わらず「ワンフェス」の再開だけは明らかにされていない。

 当事者のひとつ、ってことでいろいろと残っている問題があるんだろうかそれとも主催している人たちのモチベーションがやや下がってしまっているのか。分からないけど前にリセットされた時は、主催者のモチベーションに参加者や来場者の気持ちがやや追い付いていないんで、いちどなくしてみてその必然性って奴を考え直して欲しいって意図が確かあってそうして再開されてから、どこまでかは分からないけど意欲も高まり同じ方向を向いてフィギュアを盛り上げて行こうって空気が出来たよーな気がする。でも今回の中止はそうした事情とはまったく別のところで起こってて、意欲だけではきっとどうしようもないんだろー。

 なるほど11日にメガハウスが開いた「メガホビEXPO」や、今回の「ワンホビ9」みたく商業ブースが場所を移して秋葉原に登場したって感じのイベントがあれば、別にわざわざ数時間の行列を待って入場しなくたって近場で買い物できるじゃん、って思われるだろーけれど、悩ましいのはやっぱり半年後の「ワンフェス」に向けてガレージキットを作ろうとしていた個人のモデラーが、発表の場をなくしてしまったことだろー、たぶん。仕事や学業の合間にこつこつと造型して型を取ってレジンキャストを流し込んで抜き出して、組み立てて色を塗ってガレージキットに仕立て上げ、どうだこんなの作ったぜって世間にお披露目していた場を取りあげられたことで受ける気持ちのダメージってのは結構デカそう。

 且つ今回は1年後の復活すら果たしてあるのかって雰囲気。「トレジャーフェスタ」みたいなディーラー参加のイベントもあるにはあるけど、来る人の数も違いすぎるイベントでは全力を出してもどこまで認められるのか、って気持ちが先に立ってなかなかのめり込めなさそう。ないならないで自分たちで立ち上げる、なんて情熱もあっては欲しいけれどもこのご時世にそれを押しつけるのもなかなか酷なものがある。ヌルい買い手としては企業が良い物をつくってくれているなら個人のモデラーはそんなに気にならないってことになるかもしれないけれど、そんな個人のモデラーが切磋琢磨した果てに、買って嬉しい企業のマスプロダクツが生まれているってことも忘れちゃいけない。

 いきなり大リーガーとして生まれてくる選手なんていないし、リーガ・エスパニョーラのトップチームでデビューする選手もいない。少年野球があって学生の野球があってそこで切磋琢磨して抜け出た人が認められてマイナーリーグには入りさらにはい上がって大リーガーになる訳だし、カンテラで養成されプリマベーラで経験を積み2部リーグとかで実戦にでてそして1部のチームで結果を出せる選手になれる。裾野のない頂点なんてあり得ない。けど今はそんな裾野がぎゅっと狭められてしまっている状況は、星ほどの数の人たちが競い合って来た中から生まれた造形力でもって世界のトップを走り続ける日本のホビー産業にだって遠くない将来、きっと影響を与えるだろー。そこんところを考えて、裾野を整える方向へと誰もが向かって欲しいんだけれど果たしてそうなってくれるかなあ。守り続けるって意味の大切さを、10年後あたりに後悔とともに噛みしめたくないよなあ。

 歩いていたら販売している人がいたんでようやくやっと「ビッグイシュー」の111号を買う。何しろあの滅多なことでは書かない作家の滝本竜彦さんがショートショートながらも最新の小説を寄せているとゆーのだから読まないわけにはいかない、ってことで早速読んだ「クリアライト」。なるほど懊悩はなおも深く今をどう生きるのかについて悩み考えているのだなあ。僕も取り換えられる物なら脳を取り換えたいよ。部屋も片づけたいよ。

 そんな滝本さんを含め8人の作家がショートストーリーを寄せた号。他のメンバーは芥川賞の青山七恵さんに織田作之介賞の西加奈子さんに角川ホラー大賞で直木賞候補の恒川光太郎さんにすばる文学賞で芥川賞候補の中島たい子さんに時代小説剣豪小説のホープと黙される多田容子さんに角川学園小説大賞の米澤穂信さんに最新の芥川賞の津村記久子と凄すぎるメンバー。滝本さんだって学園小説大賞の出な訳で遜色はないんだけれども現時点での活動ぶりからするとやや、遅れを取っている気味なんでこれを機会に一気呵成と巻き返し、完結させた本を1冊のみならず2冊5冊と出しては再び戦線へと戻ってきて頂きたいと伏してお願い。ちなみにこれ、月15日発売ってことは津村さんの芥川賞受賞1作目とは言えるのか。言えないか。発表日だったし。


【2月13日】 存在せよ。偏在して。永遠に。それは不可能。形があるから崩れるし、つながっていないから行き詰まる。だったら。形なんてなくしてまえばいい。つながりあえばいい。デジタルネットワーク。この時代になって生まれ育ち、遠からずいずれとてつもなく広がっていく、デジタルのネットという大海に身を移すことによって少女たちは、永遠に存在し、そしてどこにでも偏在していられるようになる。

 ってことを言われて、はいそうですかってネットに身を沈ませられるのかっていうと、技術が追い付いていない現時点では難しいけど、齊藤慶さんって「TAMARA2010」とゆー猫が出てくるモノクロなアニメを作った人が書き下ろした小説「バギー・イン・ザ・ドールハウス さかしまの世界 上下」(講談社、上下各1400円)を読んで、そこに描かれた近い未来のビジョンを目の当たりにすると、来るべきそんな時代にだったらあるいはネットに耽溺するのも悪くないねって思えてくる。現実もおそらくは今よりさらに鬱陶しくなっているだろうから。

 ワームと呼ばれるわずか2ミリという極小のカメラが数十兆個もばらまかれては、あらゆる人々の動態を捉え、把握し記録できるようになっている日本。「こどもをまもる」という合い言葉の前にプライバシーへの配慮は退けられ、もはやどこにも死角なんて存在しなくなった世界であるにも関わらず、駆け出しのアイドルだった13歳の少女が全身をメッタ刺しにされ、歯を抜かれて死んでいる姿が発見された。調べると犯人も映らず刺された場面も残っていない。突然に現れた死体。けれども厳然として存在する死体を作ったのは誰なのか?

 ワームの導入を推進した警視庁は沽券に関わると、特殊分署内に零局が作られアイドル殺害の捜査に専任することになったが局長の女性は体調不良で即入院し、採用からまだ2年というキャリアでもないのに警視になっている夏目銀之介が、署長の娘でモデルのような体型をして天才的な記憶力を持ちたいていの言葉を話せる麻野玲子とともに事件の調査に乗り出すが、そこに浮かび上がったのが「ブルームズベリ」という謎めいた言葉であり組織であり、そして1888年にロンドンで起こった切り裂きジャックの事件。被害に遭いながらも生き残ったというバギー・タデマという名の金髪の少女があるときは包帯姿で、またある時はドールハウスに生きる人形として現実と非現実との狭間に現れ銀之介を導き、迷わせながら真相へと誘っていく。

 ワームが作られた意味。死んでいないジャックの行方。リアルでは行き詰まりしか見えない世界にあって可能性をどこかに求めようとする少女たちの心を掴んだか、リアルな存在を永遠に偏在するものへと変えようとする動きが始まって、この国の将来に絶大なる影響を及ぼそうとする。実を言うならそこまで行き詰まっているとも思えなんだけれど、舞台となっている2013年はあるいはとてつもなくギュウギュウとした空気に溢れていたりするかも。1888年のロンドンでナイフによって“解放”したジャックが125年の未来に振るう魔術から、銀之介は少女たちを救えるのかそれとも?

 ともすれば衒学的になりがちなジャックに魔術といったガジェットの詰まった物語を、特徴のあるキャラクターたちによってすっきりと描いてあるから読んでいて筋を追いやすい。キャラではやっぱり玲子かなあ、演じるなら誰が適任かちょっと考えてしまう。スタイル抜群。天才。口調はぞんざい。でもって年齢はほとんどチャイルド。しほの涼? 細過ぎか。現実が虚構に融け出す場面なんかもあって、人によっては小難しくしがちで、どっちがどっちだか分からなくなるんだけど齊藤さんに限っては、まるで目で見ているような感じに状況を追っていけるから安心して現世へと戻ってこれる。途中、玲子と田舎で質素に暮らす場面とかはずっとそっちにいた方が良いじゃんって思えるけれど。ちょっと羨ましかったぞ。ともあれ異色作にして傑作。ジャック物としてもアイドル物としてもネット物としても読めて楽しめる幻惑のエンターテインメント。今年も面白い小説がたくさん読めるなあ。

 普通に夕方とか週末の午前中にやっていれば普通に見られて普通だったねと普通な気分になれるものが、何故か深夜の午前1時半前後とかの放映で、見ている人はより過激なエロス&バイオレンスなり徹底してのマイナー志向成りを求めている所に普通過ぎるラブコメが投入されては、きっと見ている方もどうして良いのか分からないんじゃなかろーか。これを思えばやっぱり普通っぽかった「To LOVEる」だって、いろいろお色気が混じってて楽しかったし、最終回は「うる星やつら 完結編」なみのハードさがあって堪能できた。「明日のよいち」に果たしてそれは期待が可能なのか。

 とはいえ週末午前とかも小学生の3人組がPafumeの妹分と同じ事務所つながりで喧伝されては唄い踊るオープニングのインパクトで引っ張り込んでいたりする作品があるだけに、朴念仁の武道少年による勘違いアクションコメディ程度ではちょっと太刀打ちできそーもない。ってことはもはやこういう作品って存在する意味すらないのか? いやいや漫画はちゃんと出ていてファンもいるってことはどこかにニーズはあるってこと。それがアニメになると途端にミスマッチが起こってしまうってことはつまりアニメ化そのものが間違いか。でも見ている分には楽しいし。うーん。

 別に終わりじゃないけれどもやや繰り上がるみたいなんで日替わり上映会に入る直前の「空の境界 第六章 忘却録音」をテアトル新宿で見物、こりゃあ前の第5章で映画的に面白いからと興味を持った人がいきなり見たって遠くへ投げっぱなしビルロビンソンだよなあ、人間風車な。いきなり鮮花が媚び売ってそして両儀式を引き連れ学園を闊歩。その理由が説明されるのが話を見ていった後だったりするんで何が起こって何しに来ているのかが分からない。いや原作を読んでいる人にはだいたいのことは見えているんだけれどこれ1本を単独の映画として見ると最後まで、何が起こって何をしたのかが見えて来ないんじゃなかろーか。まあそれでもハッハッと息継ぎをして喜ぶシェルティの可愛さと、鮮花の必殺かかと落としが見られるんで十分に満足可能なはずだけど。そうじゃない? だったら橙子さんの谷間も付けよう、一瞬だけど。

 これをこなして遠からず「第七章 殺人考察<下>」が上映されてイベントとしての「空の境界 劇場版」は幕。DVDの発売までを入れても2009年中にはきっと方が付きそうでプロジェクトが明るみに出てから足かけ3年くらいになるのかな、当時としても人気はあったけれどもどちらかといえばカルトな部類に入っていた作品を、それぞれ1章づつ映画にしてオリジナルビデオではなく劇場公開してみせるって大冒険がここに至って大成功の範疇に収まる成果を上げた理由を考察していく必要があるんだろうなあ。テレビアニメは作っても見られずDVDも売れないって状況。かといってOVAにしたところで数万本を稼ぐのがやっとってなかで5章あたりまでで50万本を売り上げてしまい、劇場もだいたいが満席というこの事態を果たして再現できるものなのか、それともこれ限りのものなのか。

 妄想するなら1章づつを公開してもしっかりとリピーターを獲得できる作品であったという点がまつひとつと、そうやって公開された作品の出来がなかなかで知らない人も呼び込めたってところがひとつ。そうなってくるとイベントとしてのぞいてみたいって人も増え、来場者数も膨らみなおの人気を集めて盛り上がる。そんな頃にはDVDも出てそれで見た人が劇場にも行ってみようかって気分になって通い始めたらもう逃げられない、って感じ? こうなったら最終章は劇場で見てみたいって思うもんなあ。ついでにレイトショー上映のこれまでの章も見ておこうかな。あの第五章をデカい画面で見るとさらに違って見えるのかな。

 けどしかしこれと過去に似た現象を探すとした、らやっぱり劇場版の「機動戦士ガンダム」辺りまで遡らないといけないのかなあ、「宇宙戦艦ヤマト」は期待に応えて続編作って玉砕の繰り返しだからちょっと違うし。そうだ「ガンダム」はパッケージから入るって回路がまだなかったからニュアンスにやっぱり違いが見られるか。現在だと「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」もそんなイベント性を醸し出したいんだろうけど、いかんせん作品の投入が追い付いてないからどこか散発的。選択した上で集中する。それが今時の成功の秘訣って奴か。なんとなく立ち上げてからかき集め、それで盛り上げようとしても自力がないんで盛り上がらないままコストばかりが増え、カバーするために何かを立ち上げる繰り返しじゃあ成長どころか現状維持だって無理だよなあ。別にどこの会社のことって訳じゃないけど。4万キロくらい離れてたりする。


【2月12日】 だんだんと自力を発揮してきたカペラがいよいよ有田しおんのマネージャーに成り上がってはサイン会を見張り、グラビア撮影を見張り、きっとバッタを貪るテレビの収録も見守っては、雑巾絞り汁入り珈琲を飲ませられなかった変わりに仕事でイジり倒していたりする様が愉快だけれどもそれがバーディーだったら嫌がらせだと憤るところを、つとむだけになっている中身ではそっちの方が重大事で少々のハードな仕事なんて鬱陶しくはあっても嫌なものではないらしく、引きつりながらも粛々とこなしている辺りがやっぱり愉快。アイドルは3日やったらやめられないものなのだなあ。

 絵としては車椅子に乗った女の子の顔がくるくると変わる場面に感心。ちょい瞬きしたり口を歪めたりするところが挟み込まれていたりして、見ていると本当に人間が感情を込めて喋っているような感じがわいてくる。戦闘シーンでの溜めとかもあってこちらもスピード感に加えて重量感が出ていたような印象。拳銃で撃たれたって平気なバーディーが肉体的になかなか厳しそうな様子を見せるのは、ともにすごい肉体を者たちが繰り広げる肉弾戦ってことだからなのか。状況をすべて勘案した上で組み立てられているとしたらこれはなかなかな作画力(さくが・ちから)。遡ってどんな感じになっているかを確かめたいけど撮り溜められたアニメも多いんでいずれ出てくるDVDに任せよう。

 そんな撮り溜められた中から「空を見上げて世界が少女の瞳に映る」、ではなく「空を見上げる少女の瞳に映る世界」は魔導国での戦いも終わったのか地上はとりたてて大過なく3人組は普通に巫女のアルバイトや遊園地がよい。ウルトラな顔をした巨大な猫みたいな着ぐるみではなく「ヌイグルメン!」的に言うならヌイグルミに抱きつくスズメの可愛らしさが炸裂していたりイチコとユメミも加えた3人がテコテコと走る子供時代の映像でコテンとつまづき転ぶスズメの幼気さが炸裂していたりと見所たっぷり。とはいえそんな平穏そうな世界の上ではやっぱりどうやらムントたちにいろいろピンチが迫っている様子。超えられない壁を超えてここから再び何かが始まっていくんだろう。OVAからそろそろ離れて誰も見たことがないオリジナルな展開へと向かうのか。というかそろそろ買ってあるOVAの第2巻を見ないといけないか。どこに埋もれているんだろう。

 出ていたことに気がついてレコード屋に行って「空を見上げる少女の瞳に映る世界」のオープニングが入ったeufoniusのCD「アネモイ」を購入、相変わらずアクロバティックな戦慄を可愛らしくも清々しい声で唄うものだなあ。せっかくだからとしばらくぶりにeufoniusのサイトをチェックすると何と、2月21日に愛知県は頭脳明晰な若人たちが集まることで有名だけれど僕とはまったく無関係だったりする東海高校と東海中学が開催する「サタデープログラム」ってのにeufoniusが登場するらしくって、名古屋にいたら駆けつけたいものだなあと思いながらほかの講座を見たらこれが何と! 亀井静香さん京極夏彦さん堤幸彦さん池上彰さん原恵一さん石川雅之さん鉄ドル木村裕子さんといった面々の講座が同じ時間に重なっているではありませんか!!

 どれをひとつとっても満杯の客が呼べそうなメンバーをこうまで並べていったい何を考えているのかって気にもなるけど朝からとか昼からに読んでも客が集まらないから昼過ぎに、並べてみせたら重なってしまったってことなのか。まあ世界に亀井静香が気になり池上さんが「こどもニュース」のお父さんとして大好きで、京極堤のコンビは最強と思い「もやしもん」はすべてを限定版で持っていて「クレヨンしんちゃん」のオトナ帝国と戦国に涙し鉄オタでなおかつeufoniusのファンなんて人間が、僕のほかには18人くらいしか日本にはいなさそうだから別に重なっていても構わないのかな。いやあしかし迷うよなあ。行きたいなあ。行かないけど。

 せっかくだからと2月22日に開かれるらしい超時空なイベントの入場チケットが当たるらしいスタンプラリーを試してみようと、東京アニメセンターでまずポスターを買ってスタンプ台紙をもらいその場でやっぱり超時空関係の品物じゃあないとダメなのかなと、クラン・クランが艶めかしくも幼げに描かれたマグカップを購入してまず1個、スタンプをもらってそれから近所にあるファミリーマートへ出かけていったけれども特段に超時空な商品が見あたらない。もしかして入り口にあるガチャポンを買わないといけないのかなって思って訪ねたら何と店にある何を買ってもスタンプがもらえるらしい。30円のチョコでもいいのか。だったらみんな2つあるコンビニを周りあとは本かバッジか何かをアニメセンターで買って数百円で治めて抽選に向かうよなあ。ラリーに参加している他の店にはあんまり恩恵もなさそうな気がしたけれど、秋葉原に集う奴らはどっかで何かを買い物していたりする訳で、そのついでにスタンプがもらえるんだったら調度いいって判断も働くからあんまり心配することもないのか。問題は転売目的で大量にスタンプ台紙を集めて抽選に臨みチケットを当てている人たちがいるかどうかか。いるのかなあ。

 ファミリーマートを出たあとはアニメイトに立ち寄って、齊藤慶さんってあんまり知らない人が欠いた「バギー・イン・ザ・ドールハウス」(講談社)って46版のミステリーめいた上下巻の小説を確保。斉藤環さんが帯に文章を寄せているってことはそーした精神にあれやこれやありそうな人とか出てくる小説ってことなのか、それとも戦闘する少女がいっぱい出てくるのか。とりあえず3つ集まったんで東京アニメセンターへと戻り抽選。遠くにガランガランとなるベルの音に当たりが入っていることを確認しつつ順番を待って弾いたら白玉だった。つまりは外れ。空くじありの外れで何も手に入らず。あっけない敗北に肩も落ちるけれども何しろ2月22日は「世界3大カップ戦」と名高い「ちばぎんカップ」が柏は「日立柏サッカー場」で繰り広げられる日だったんでどっちにしたって行けないんだったからまあいいや。良い経験をさせてもらえたと感謝。でも「ランカリーのカリー」は買いに行きたいなあ。14日から東京アニメセンターで発売でーす。


【2月11日】 「ポートレート・オブ・パイレーツ」から2月とかに発売になるニコ・ロビンの新色版が届くのはいつになるんだろうって思いながら見て回った「メガホビ」の会場では、やっぱり「クイーンズブレイド」のフィギュアになかなかの迫力があってこれがまんま発売されたら買って眺めているだけで何かイケナイ気持ちになってしまいそう。片足を上げていたりするから縞々な奴が中身のぷくっとしたふくらみも含めてしっかり見えていたりする派手さぶり。ほかもやっぱり見えていたり谷間が深かったりするフィギュアがずらりと並んだ部屋に暮らせたら、毎日がきっと明るく愉快な気持ちになれるんだろう。自分ひとりで暮らしている限りは。アニメーションもなかなかの見えっぷりだけれどこれはそのまま放送されるのか、それとも「一騎当千」みたいに湯気とか煙とかが漂うのか。

 見える、って意味では「RD潜脳調査室」のミナモとホロンのフィギュアもなっかなかの見えっぷり。普通のキャラクターの3倍はありそうな立派な太股によってはちきれんばかりにふくらんだスカートの奥にのぞいているのが有り難い。本編ってそいういうのあんまり見えた記憶がないからなあ。描かれない絵は存在しないけれども立体でそれは不可能なのだ。フィギュアはぷくぷくとしているキャラクターのぷくぷくぶりが見事に再現されているからぷくぷくなマニアには一生物のコレクションになりそう。触れると柔らかいとなお良いけれどもそればっかりは。

 んで深見真さんの「硝煙の向こう側に彼女」(エンターブレイン)は銃器の描写がやっぱり細かくファンとかマニアは読んで納得、そうでない人もリアルな雰囲気の中でシリアスに繰り広げられるテロとの戦いって奴を堪能できる。渋谷で起こった自爆テロ。そこで友人を失った科捜研の女警官はキャリアの男に壊れ対テロの特捜チームを組織しテロの真相究明に挑む。銃器の知識を駆使してたどり着いた犯人への手がかり。ところがその手がかりが捜査の過程で射殺され、あまつさえ撃ったのは主人公の女警官ではないかと疑われる。

 日本が対テロ戦争に間接的でも参画したことで日本が舞台になったテロが頻発するようになったという設定が、意味するのは現状のマッチョな主張が蔓延り始めた風潮への牽制。起こってみなければ分からないかもしれない状況だけれど起こった時にはもう遅いんだということを知れるという意味を持つ。とはいえしかし日本とか世界でテロは起こるのに世界を引っ張るアメリカで911に匹敵するテロがその後に起こらないのは何故なのか? って辺りからかぎ取れる裏の動き、すなわち本国での何事かの画策のために世界で起こるテロが利用されているといった類推の、信憑性とか考えると背筋になかなか冷たいものが走る。

 大きな設定の中にあて内なる小競り合いめいたものもよく描かれていて、日本って国が持つあっちに流されこっちに引っ張られする主体なき卑小さが見えてウンザリさせられる。かといって耳障りの良い声でもってリーダーシップとか叫ばれた挙げ句に、訪れる統率された社会ってのも鬱陶しいものがあるからなあ。平和と安全をどうやって成しえるべきなのか。人間がぜんぶ優しくなればそれも可能だけれどもそんなこと、あり得ないのも現実という奴だからなあ。悩ましい。キャラクターの配置も行われてここから続きとか描かれていくのかな。喧噪に溢れた社会がその先にどうなっていくのかを見せてくれて、そんな社会にすべきじゃないって意見を支える礎になって欲しいもの。お願いしますよこの先を。

 18歳とかであんな絵を描いていたんだとちばてつやさんの凄さに驚いた「文化庁メディア芸術祭」での漫画部門受賞者シンポジウム。ちばさんが何かを受賞したんじゃなくって審査員の主査として登壇して「マエストロ」で優秀賞を受賞したさそうあきらさんと対談みたいなことをしたんだけれど、音楽を絵にする難しさって話からさそうさんの作品を讃えつつ、自分も初期に描いていたんだと言って持ち出したのが「ママのバイオリン」。とはいえ引き揚げ者でもって音楽になんてそんなに興味がなかったから、描いたバイオリンがどう見てもギターかウクレレって感じになっていたりして、弦の下に丸い穴が開いていたりして弦も6本くらいあるように見えたりする。ネットで何でも調べられない時代に漫画家って大変だったと改めて思い知った次第。

 あと「ママのバイオリン」を描いている途中で缶詰にされた講談社の別館だかで弟のちばあきおさんが編集者を羽交い締めにしたところで、このやろうと電気あんまをかけたら暴れたかしてガラスに突っ込み大ケガ。描けなくなってしまったところをトキワ荘にいた石森章太郎さんと赤塚不二夫さんが代筆したらしくって、審査員に入っていた藤本由香里さんがその石森版「ママのバイオリン」の付録冊子を持って来て見せてくれた。なるほど少女のキャラがちばさん風じゃなくって石森さん風。それがそのまま復刻されていたら嬉しかったんだけれどちばさんが復刻するのはどうやら描き直しが入っているみたいなんで、幻の超合作を見たければその付録を探すしかなさそう。まずないんだろうけれど。オークションだと1万5000円とか2万円かあ。藤本さんはどこで探したのかなあ。

 しかしいつ行ってもロビーに入った途端に飲食の香り漂う美術館ってのものもなあ、まるで食堂に入ったような雰囲気に、心を落ち着かせて美術でも鑑賞しようかって気もぐっと減退してしまう。さすがに展示室に入るとそーした匂いも漂っては来ないようになっているけど、展示室を出ると充満するビーフシチューだかデミグラスソースだかの香りにまみれると、脳内に満ちあふれた美への探求心が途端に胃袋へと下がって食欲に変わってしまう。まあでもそもそもが巨大な貸画廊でしかない巨大なガラスのカボチャ館。有り難がって行くよりも何かを食べにいくかたわらで、あれやこれやの美術らしきものを味わえるアート喫茶くらいの気分でいくのがこれは正しいのかもしれないなあ。3月4日から始まる「アートファイル2009」がとりあえず面白そうなんで行くか、昼飯食いがてら。

 届いた「SFが読みたい2009年版」は拍子の早川さんのジーンズに包まれたヒップが丸くてなかなかのキュート。腰もきゅいっと括れているプロポーションの良さに実在するならその趣味志向も含めて惚れてしまいそう。とはいえライトノベルなんざぁといった雰囲気もあるから1時間で叱られ放り出されるのがオチなんで、出会わないのが吉ってことで。ベストなアンケートは相変わらずの外しっぷり。いやちゃんと流石に「新世界より」は入れておいたんだけれどそれ以外はライトノベルでも特色のある奴を並べて意表と取ろうとしたらそれ以上に意表を取り巻くって居る人が大勢いたんで中途半端に沈んでしまったよ。漫画ならいざしらずアニメにノンフィクションに雑誌を入れるのは流石に気が引けるもんなあ。来年もそんな中途半端さで見逃されがちな秀作を文字にして定着させる仕事に専心しよう。来年もお呼びがかかればだけど。


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