縮刷版2009年12月下旬号


【12月31日】 昔買って何度か買い直してすらいるけれど、その度に埋もれていってしまう「ブラックラグーン」の手元に見あたらない巻数から、見つかったものをブックオフとかで仕入れて枕元に置いて読み返しつつレヴィはロアナプラではどうして他の格好をしないんだろう別にいつもカットジーンズじゃなくても良いじゃんとか思ったけれど、だったら他にどんな格好が良いかって聞かれるとうーん、思い浮かばないなあ。ロングスカートにミニスカートはどちらも論外。スリムジーンズならあり得るけれどもそれだと動きに影響が出そう。いっそレギンス? それはさすがに暑いだろうからやっぱり落ち着くのはカットジーンズっきゃないってことか。だったらブルマでも良いじゃんか。うん。それ良いかも。ってことで是非次は。

 そんなこんなで眠って起きたら朝だったんでむっくり置きだしコミックマーケットへと行く途中にせっかくだからと「ららぽーと船橋」にあるウェンディーズで最後のウェンディーズを食い散らかそうと徒歩で南船橋へと向かい、到着したららぽーとで店を探したが見つからない。午前8時から開いているはずだからどこかにあると想像を巡らし、確か棟と棟との間に作られている通路に面して作られたはずだと思いつき、そちらに渡ろうとしたものの、Uの字方に片方が閉じられていたため船橋に近い側からは入れない。ならばと反対側まで行って、Uの字の口が開いている側へと回ろうとして歩いても歩いても到着しない反対側に、ららぽーと船橋の巨大さって奴を思い知る。店の中を歩いていてもそう感じないのは、目移りする店の中身とか歩いている女の子たちの姿に見とれているからなんだよなあ。

 でもって反対側から最奥へととって返した時に時間は午前10時のららぽーと開店少し前。だったら間って中を突っ切った方が早いって言われそうだけれどもその時点で既に10人ばかりの行列が出来ていたから、待っていたら更に遅くなった可能性は大。歩いて歩いて歩いただけの甲斐もあって5分ばかりの待ち時間でウェンディーズのダブルにありつき、ついでにチリもくらって最後のウェンディーズを堪能する。やっぱり分厚いよなあ114グラムとかあるパテって。なるほどバーガーキングも1枚がそれくらいあるけれど、ダブルいした時の値段はウェンディーズよりも確か200円高で、それにコーヒーとかつけたらいったいどれだけの値段になってしまうのか。それに横に平べったくなっている分、かぶりついた時の触感がウェンディーズよりちょい薄い。値段でも食べ応えでも当代一だったウェンディーズを捨てる会社への避難も浮かぶけど、そんなクラシックを復活させてくれたのもその会社なだけに愛憎半ば。今はとりあえずどこかが引継再会する意欲を見せてくれることを願うしかない。バーガーキングだってよみがえったんだ。ウェンディーズだって。スワローだって(それはないない)。

 南船橋から京葉線で新木場を経由して東京ビックサイトへと到着。とりあえず企業ブースにあがったらまだ「空の境界」の原画集の「殺人考察(下)」が上下とも売っていたんで購入し、カラーの原画集第3号も買って大枚はたいてから、下へと降りて東浩紀伊さん×宇野常寛さんのコーナーでそれぞれの新刊を買ってご挨拶。Tシャツはデザインは悪くないんだけれども色が白水色うす茶色ではおじさんにちょっとキツいので遠慮。黒が欲しかったよ体型隠すには、ってそれほど今は太ってないんだけど。そうだ宇野さんも売ってた同人誌の中で仮面ライダーな場所を歩いている光景を撮られた写真に写っているよりずいぶんとスリムになっていた感じ。頑張ったのか。きっとそれはWの変身ベルトを巻くためにだな。是非に「マイマイ新子と千年の魔法」についても語り倒してくださいと遠くからお願い。若い方面に届く言葉の主なんで。

 氷川竜介さんのところでも購入してこれで打ち止めと歩いてバス停まで行き東京行きへのバスに乗り込み有川浩さんの「シアター!」(メディアワークス文庫)を読了。なあるほど。不動産会社に勤める春川司に、弟の巧から電話がかかって来て「お願い助けて−」と言われて電話を叩き切って家に帰ると、弟がいて切々と事情を聞かされた。主宰している劇団から、団員がいなくなってしまったことに、制作が立て替えていた300万円を、すぐにでも返さなければならないこと。そりゃ大変だ。

 人気がない訳ではないけれど、ももうけが出るほどでもないその劇団に、返せる金はまったくない。だったら解散するしかないと告げた司に巧はすがる。そして「…届いていたって分かったんだ。だからもうちょっと頑張りたいんだ」と言う。聞くと少し前、入団してきた女優がいて、しゃべればどんな声音でも出せる名演技を見せてくれた。調べるとレギュラーをいくつも持っている人気声優だったらしいけど、そんな彼女が巧の劇団「シアターフラッグ」を希望したのには理由があった。とても楽しい芝居をしていたから。プロとして活躍している声優が、認めてくれたと喜んだ巧は、旗揚げからの10年近くを、それなりの人気を得ながらも、爆発できなかった原因を改め、売れる劇団を目指そうとしたら反発をくらって、劇団員がやめてしまったという次第。

 やりたいことをやってきた。これからもやりたいことをしたい。けれども食べていかれない。やめるしかない? それはいやだと巧は思った。認めてくれた千歳にも悪いと思った。それ以上に、自分たちより長くプロとして食べてきた千歳に近づきたいと思った。立ちふさがる壁。金。そこで司を頼り、司は条件を出して300万円を用立てた。その条件とは、以後の経理はすべて自分が見るというもの。ここから兄弟挙げての劇団「シアターフラッグ」の壮絶にして愉快な再生ストーリーが動き出す。劇団がどういった収支で回っているのかといった情報が得られ、脚本が遅れればどんな苦労が生じるといった事情が分かって、なるほど劇団ってそうなんだって興味をかき立てられる。

 それから声優という存在の興味深さ。マイクの前でどんな声音を発することができても、動いて舞台の上で体で表現できるとは限らない。それでもファンの期待に応えられていると考える声優もいれば、それでは自分が満足できないと考える声優もいる。演技とは。そんな命題を突きつけられる。あと劇団女優という尊厳。劇団の初期から脚本家で演出家の巧を支えてきたという自負があり、舞台の上で羽田千歳よりもはるかに良い演技を見せていられるという自負もあるのに、巧を本気にさせられなかったし、売れる劇団にしようと思わせることができなかった看板女優が、どうしてなのかと巡らせる思考に、演劇仲間でありたいという希望と、プロの女優であらねばという決意との葛藤がのぞく。

 幕が開いてからも次々と起こるトラブルは、急場をどうしのげば良いのかを教えてくれるし、演技にかけるプロフェッショナルたちならではのすごみというものも見せられる。演劇とは何と素晴らしいものなのだと、強く激しく感じさせられる。のめりこみたいと思わされる。やりたいことをやり続けるにはどうすればいいのか。やりたいことで食べていくには何が必要なのか。演劇に限らず小説でも漫画での落語でも音楽でも、それをやりたいと目指し、あこがれあがき続ける人たちが大勢いる。けれども、それで食べていけるという人は決して多くない。必要なのは、やりたいことをやるために、やれることをやり抜く気構え。あるいは覚悟。それを抱いてこそ、なおかつ実行してこそ舞台を作り続け、物語を描き続けられるのだ、なんてことを教えてもらえるストーリー。ちなみに舞台を目指す声優さんの大本は沢城みゆきさんだとか。そういや舞台で沢城さんって見たことないなあ。どんな演技をするんだろ。

 そしてゼロ年代のラストを飾るべく「アニソン紅白」の見物に出かける。東京ドームは到着すると女性の山。すなわちじゃニーズ関連のカウントダウンライブが今年もあったってことでその密度は女子高と女子大と女子中学が10や20は集まったくらいの色濃さで、いったいこれでトイレなんかはどんだけの行列になってしまうのかって妙な心配も浮かんだけれどもそういう時はきっと大半の男子トイレも女性用になっていたりするんだろうなあ東京ドーム。それはさておき「アニソン紅白」の会場はしばらく前に出来ていたらしいGロッソって劇場だったんだけど何のことはない昔のジオポリスでさかのぼること何年前か、お笑いの年越しライブを見に行ってまだやせ細っていたころの鳥肌実るさんを楽しみつつ、まだまるでメジャーじゃなかった鉄拳さんの芸にお笑いしたって記憶がある。

 その時は平場だったのが今は階段状にイスがしつらえられた立派な劇場に。それなりのキャパもあってなおかつ見やすい会場はヒーローショーがなければちょっとしたライブにだって使ってよさげだったけれどもそのあたり、どういう運用になっているんだろう。JCBホールではデカ過ぎるし東京ドームはいわずもがな、って人にベストなキャパなんだけど。ちょっと興味。そんな会場で午後10時ぴったりに始まった「アニソン紅白」にはもうレジェンドとしか言いようがない面々が勢揃い。1979年の「サイボーグ009」の主題歌にも感動したけど世代的にはやっぱりあれだ、太田貴子さんが歌った「デリケートに好きして」がクリティカル。2時間かかる大学から急いで帰って夕方からの最終回をテレビの前に座って録音しながら聞いたあの日を思い出したよ懐かしい。しかし声が25年前にテレビで見ていた時のまんまだったことに驚いた。歌声も衰えず。やっぱりすごい人だったんだなあ。「ハートのSEASON」が聞きたいなあ。CD買って来ようかな。出てたっけ?

 あとはやっぱり迫力だった松本梨香さんに天晴れだったサイキックラバー。そしてMIQさんの「聖戦士ダンバイン」にたいらいさおさんの「伝説巨神イデオン」と富野アニメの名主題歌を立て続けに聞ける僥倖に心は30年近い昔へとランアウエイ。つかそんな主題歌だったんだとイデオンなんか今更ながらに思い出した。意外だったのは「創聖のアクエリオン」の主題歌を歌っていたAKINOさんが美人でスタイリッシュだったことか。大晦日で20才になったっていっていたから「アクエリオン」を歌っていた時はいったい何才だったんだ? 早熟なんだなあ。他も聞いてみたくなった。そういう効果がこういうごったまぜのイベントにはあるんだよなあ。幕間にギャグをとばしていた杉田智和さんは妙だった。豊口めぐみさんは10数年前に見たときと変わらず巨大だった。来年もあるといいなあ「アニソン紅白」。その時は是非にさらなる大御所を。そしてレジェンドたちの登場を。


【12月30日】 「15×24」の一気読みとかした反動で本が手に付かないんでアニメでも見ようかと「機動戦士ガンダム」のDVDボックスを探したけれども、貸しっぱなしで隠岐かどこかへ流れてしまったことを思い出して断念。いずれブルーレイボックスが出たら買うからその時を待ちたいものの、今時の体力で果たして出せるかが惑わしい上に出たところで今度はこちらの体力的に買えない可能性も高いのが何というか年の瀬というか。ならばと買ってあった「BLACK LAGOON」のブルーレイディスクを見たらおまけアニメが動いていなかった。紙芝居はアニメとは言わないぞコラ。レヴィの声芝居が聞けたら良いか。

 本編はテレビでもDVDでも見ているから今さらではあるんだけれど、改めて見ると漫画ではアクションと会話のテンポで畳みかけるところをアニメでは、そういった部分もしっかりと維持しつつ尺の足りない潜水艦のエピソードなんかでは、オリジナルのエピソードを付け足して心理の動きを追いかけるような描写を加えて、見る側に緊張感とそしてキャラクターへの関心を抱かせようとしている雰囲気。レヴィが敵船に乗り込み隊員たちを皆殺しにしていく場面も、駆け回らせるんじゃなくしずしずと歩かせ、ブウブウとつぶやかせたりしてロックとの一件で少し心がイってしまってる雰囲気を持たせてる。あんなのに追いかけ回されたら誰だって怖いよ、夢に見るよ。もう夢見られなくなってしまった人ばかりだけど。

 ロックを仲間に引き込むエピソードだと、傭兵部隊のEO(エクストラオーダー)に追われて川へと入り込むシーンとか、漫画だとどん詰まってすぐ引き返して空中戦だけれどアニメではやや時間をおいて沈思黙考の上での反撃って感じ。その間にいろいろと作戦を練っていたってことが伺えるけど、どちらにしてもまるで誰も慌ててないのはみんな状況が見えすぎていて、ロックが無茶を言うまでもはや二進も三進も行かないと、判断して観念していたからなのか。それともバラライカ経由で別に手を打ってあったとか。このあとアニメはロベルタ編が来て公共の敵編だったっけ、双子編は2期だっけ逆だったっけ。どっちにしたって全部買うからその勢いで3期が見られることを切望。某ヘルシングみたく間合いが飽きすぎるのもキツいんで。

 そしてコミックマーケットへと向かい、最初にやっぱり「サンデーGX」のブースへと赴いたもののクリアファイルも今さらだし、Tシャツとかもなかったんで見送ろうとしつつまあこれくらいはと前は海野がしていた小型のフラスクを買っておく。これにジャックダニエルを詰めておけば天皇杯でも高校サッカーでも安心なんだけれど、体力が落ち気味で出かける気力も減退気味で、何より懐のゆとりが欠けている身ではなかなか億劫。せいぜいが埼玉の鷲宮町あたりに出かけるのが関の山で、あとはドームで暖かいライスボウルにチアリーダーを見に行く程度。そこにバラライカ仕様のフラスクでは申し訳が立たないんで、がんばって高校サッカーの決勝くらいは見に行けるよう精神の方を鼓舞しよう。でも財布は鼓舞しようがないんだけど。鼓舞して増えるものならチアリーダーの服来て踊るのに。

 ロベルタの絵はがきをロベルタみたいなのが配っていたのをもらい、企業ブースを退散して下の西の「L」ではなく「し」のあたりで来年の日本SF大会の申し込みを完了。東京のそれも東の方んで行くのは楽なSF大会。申し込みの時に名前を書いてもまるで反応されないところに、SF界隈における認知度の薄さを改めて知らされもっと精進せねばと誓う。そこから会議棟へと上がってなにやらやってたシンポジウムを見物。学者の人がアニメのDVDが売れないとか話し、ゼビウスの人がガンダムのゲームを最初に作ったんだけどそれがZだったのが今でも心残りと開かし、パチンコの版権物が増えることにそれはそれで結構だけれどオリジナルも増えて欲しいと業界に詳しい人が話していたりして、いろ参考になった。

 つまるところは権利元へとお金が回らないとコンテンツは発生して発達して発展していかないってことでもあって、一方で権利元にお金が向かうとは限らない同人誌即売会という場でこうしたシンポジウムが持たれることの興味深さって奴に思いも及ぶ。もちろん作品を称揚したいマインドがあって、作品を心ゆくまで愛でていて、そのためには他よりも多大なお金を作品に還元していたりする人が、愛の発露として同人誌を作り作品の認知を広めようとがんばっているってことは存分に言える。一方で、そうした愛を受け止める側にたとえばパッケージは買っているのか、あるいはテレビでちゃんと見ているのか、グッズは揃えているのか、そうした振る舞いを通して作品への“対価”を支払っているのかといった問題も、あるいはあったりしそうでそうした還元的振る舞いを脇にやって、何か別のロジックで動いていたりするところに、この縮小する市場ってものの一因が、もしかしたらあったりするのだろうかと考えてもみたりするけれども、果たして。

 そんな話もしたかったけれども、話し込む訳にもいかず学者の人とは挨拶したくらいで、後ろに立ってた秘密話をしたそうな関係者に譲り、次のシンポジウムを見物。こちらは世界に向けて日本をどうアピールしていくかって辺りの話が中心で、フランスで開かれているジャパンエキスポなんかを仕掛け世界コスプレサミットを育てカワイイ大使なんてものまで作った外務省のすごい人とか、NHKでデジタルスタジアムなんかを仕掛けて今は東京芸大で教えている人とかの話をいろいろと聞く。端的に言えば若い世代に日常的なシーンから日本を象徴するコンテンツなりファッションなりを知らしめていくことで、いずれ還って来る日本へのさまざまな関心があるんだってことなんだけれども、そうした直近に数字で現れない成果って奴を、今時の単年度どころか四半期くらいのタームで結果を求めたがる事業仕分けな政権が、どうとらえているかを外務省のすごい人に尋ねたかったものの大行列が出来ていて挨拶できず。まあ今は専門が中東になってしまったんで言おうにも言えない可能性もあったけど。

 そうした施策で思い出すのは、70年代後半から80年代にかけて読んでいた「POPEYE」なんかがアメリカの文化やファッションをバンバンと紹介してあこがれを醸しだし、それが20年30年経ってある程度の世代にアメリカ文化への愛着を誘っていたりするってことで、それ以前だとロックミュージックがあったし、それ以後でもヘビメタとかヒップホップといった文化からアメリカなり英国への関心は保たれていた。ただ最近は、日本国内で流行るものがアニメや漫画は元から国産中心だったけれども、音楽もJポップで映画もテレビ局が絡んだドラマのスピンオフだのといった国産物ばかり。文学でも翻訳物はまるで売れない。せいぜいがハリーポッターくらいで、それもすでに刊行が途絶えてしまった。

 国内で生まれ国内で消費されていく中で、外への関心を育まれないまま大人になった世代は、果たして海外に対してどんな感情を持った人間になるのだろう。だからなるほど内向きな意識を尖らせた方々が増えているのかって可能性にも思いが及ぶ。そうした萎縮をぶち壊す意味でもコミケには、世界との交流を持って欲しいって話にもなったみたいだけれどもそこは基本はボランティアなだけに対応が追いつかないのが実状みたい。真に世の中はままならない。


【12月29日】 東京ビックサイトは明日行くから今日は秋葉原でも行こうかと思ったものの年末にひとりフラフラしているのも神経によろしくないと遠出を避けてご近所のツマヌダに行ったけれど別に駅前でドラエさんも誰もストリートファイトをしていなかった。おかしいなあ。最新号の「ヤングキングアワーズ」2010年2月号に掲載の漫画によると名物になってて駅の北口にあるテラスではパイロンに囲われた中でストリートファイトが繰り広げられているはずなのに。それとも南口に出たからいけなかったのかな。今度は来たに回ってみようツマヌダ。

 そんなツマヌダでは元ダイエーな建物の中にあるアニメイトで「化物語」の新譜を買おうとしたら発売延期だった上に、アニメイトと同じフロアの手前にアニブロゲーマーズも出来ててどっちで買おうかとふと迷う。もはや同じグループで品揃えもそれほど違わず本にDVDにゲームに雑貨を並べた店のどちらに客は入ったら良いんだろう。アニメイトののポイントカードは持ってないけどゲーマーズのは持ってるんでそっちで買うって手もあったけど、そうやって貯めたポイントで引き替えられる商品が最近、あんまりパッとしないんだよなあ。売れ残りで良いから並べておいてくれれば良いのに。

 まあきっとどっちに行こうが連結決算では同じ売上げって意識なんだと了解しつつ「東京マグニチュード8.0」のブルーレイディスクだけかってケロッピの絆創膏をもらい下のタリーズで九ヶしながら家に届いてた「ザ・スニーカー」の2010年2月号なかをぺらぺら。「マクロスF」の小説が今さらながらに載っているのは映画絡みか。でも「機動戦士ガンダム」絡みの小説は載らないからやっぱりそこは人気の差か。アルト×ミシェルは絵になるもんなあ。字にもなる。痔にはどうだか知らない。でもって第13回「学園小説大賞」が発表になっていて、大賞はなかったけれども優秀賞が2本あって1本が高木敦さんお「なしのすべて」になっていた。なるほどこれか。もう1本は夏村めめめ「暴走社会魔法学」でこれはどんな話かちょっと不明。あといつの間にか出来ていたU−20賞ってのを星野アギトさん「ハワイ? Vol.1」が受賞していた。20才以下大賞ってことなのか。でも普通に日日日さんとか乙一さんとか20才前でデビューしているから優れた人には別に関係ないってことなんだろう。限定されてしまったデビューがどんな将来につながるか。要観察。

 そんな「ザ・スニーカー」の201年2月号では小林恭二さんの「麻布怪談」の紹介とあとそれに併せて猫砂一平さん「末代まで!」の紹介をしているんでみなさま是非によろしゅうに。この担当も始まってからまるまる4年やって来たから紹介した本も一般書籍が24冊にライトノベル24冊と足せば結構な数になって来た。でも4年って年月は初期の頃の本を遠く記憶の彼方に押しやるのには十分すぎる時間なんでまとめたところでガイドにはなりづらいんだよなあ。まとめるなんて話もそもそも来ないし。有名人でも芸能人でもない人間の書評ってのは新聞記事といっしょで旬なうちに召し上がっていただけるのが幸い。批評みたく永遠の中に記録として位置づけるものではなくって流れる時間の中に記憶として指し示すものなのだから。

 あれば「戦略拠点32098楽園」の古本を拾おうかとブックオフを回っても見つからなかったんで帰途につく途中で通りがかりのサッカーショップでサッカーの天皇杯を見ていたら、名古屋グランパス対清水エスパルスの試合で延長に入って何度か名古屋が攻め込んでいたものの得点にならずPK戦へ。そこでイヴィチャ・オシム監督の伝統に従い見ないで店を抜け出て、部屋まで戻って結果を見たら名古屋が勝っていた。なんか久々の国立行き。みたいけれども今更って気力が湧いてこないのが歳なのか、我がジェフ千葉の陥落で興味が減退してしまっているからなのか。明日に売り切れていなかったら考えよう。女子も見たいし。

 名古屋が舞台ってこどえもはや絶対的な正しさを持ってしまう中山七里さんの「さよならドビュッシー」は、宝島社がやってるこのミステリーがすごい大賞の大賞受賞作の1つで、とある家に生まれ育ったピアニスト志望の娘がいて、その家に父親の妹の娘というからすなわち従姉妹で、インドネシアで生まれ育ったけれども例の大津波で父母が死んでしまって一足早く来ていた彼女だけが助かった少女が居候をしていて、そんな2人の少女には会社を経営し近隣に土地も持っている大金持ちの爺さんもいた。

 でもってピアニスト志望の娘が希望していた高校の音楽科に進学を控えていた矢先、体が不自由だった爺さんがバリアフリー仕様で仕立て上げた離れで火事が起こり、そこに泊まっていた孫娘2人も巻き込まれて爺さんは焼死し、1人が焼死しもう1人は生き残ったものの全身大火傷を負ってしまう。そこは最新の形成外科手術によってどうにか顔も含めて全うさを取り戻したものの、声はかすれ手足は引きつりピアノを弾こうにもなかなかに難しい状態になってしまう。とはいえ進むことになった学校ではピアノが弾けなくては退学が待っている。どうにかしないとってことで新進気鋭のピアニストが生き残った少女のコーチを買って出て、特訓を重ねて娘をどん底からはい上がらせる。

 そんなピアニスト特訓ストーリーの傍らでは、歩くのにも松葉杖が必要な少女の周囲に彼女を転ばせようとする悪巧みが起こった上に、ピアニスト志望の娘の母親が石段から転げ落ちて死んでしまうという事件が連続。焼死した祖父がピアニスト志望の娘に残した多額の財産を狙って起こしている事件なのか? といった憶測も飛び交う中で新進気鋭のピアニストが探偵役となって、起こる事件の真相へと迫る。絶望のどん底からはい上がって成功をつかむストーリーが持つ厳しさの中に輝く楽しさを味わえる上に、何が起こっていて誰が起こしていてそれはどういうことなのかってことを知れるミステリーとしてのおもしろさもある物語。超驚きって訳ではないけれど、そういう結末を知ってなるほどと読み返してみたくなくくらいの仕掛けはあるんで、初読ははい上がり成功する感動を味わい、次に仕掛けを追っていく余裕をもって楽しもう。

 でもってようやく新城カズマさんの「15×24」読み終える。徳永準がうざかった。以上。いやそれではお話にならないから語るとすると、自殺志願をネットに書き込み周囲を振り回し危険にすら陥れているにも関わらず、だだっ子のように死にたいです死んだらどうしていけないんですと喚く徳永準のくそうざったさを目の当たりにして、それでもやっぱり死ぬのは良くないと思うだけじゃなくって、死なせないぜと夜の街に飛び出し動き回るくらいの力を誰もが持たなければ今時の世の中、どんよりとしたまま底へ底へと落ちまくってしまうんじゃないのかな、ってメッセージが込められた物語、ってことなのかも。たとえ些細な前進でも、マジでジうざったい徳永の心に生まれた前向きさが広がり重なっていった果てにしか、このどよんとした空気を晴らす道はないってことで。明るくないけど暗くはさせない。

 とはいえしかし何が引っかかるってそれはやっぱり枯野透の扱いで、虐めた相手が転校していった以上の傷になっても不思議じゃないのに、徳永準にそんな心理が湧いたか否かが不明で腹立たしいが。あと秋葉原での邂逅に丸の内からの地下道に八王子からの転移に思わせぶりな秘密組織の存在等々、ちりばめられはしても解き明かされていない謎の多数も。大晦日の東京にはどんな不思議なことも起こり得るっていった主張なのかもしれないし、村上春樹さんなんかがよく使う、本質を語ろうとする上で示される一種の暗喩なのかもしれないけれどもそうした暗喩を必要とする物語か否かって判断で、この「15×24 」を青春の助け合いの物語に位置づけるかそれとも助け合われる心理から生まれたつながりがもたらす上向きにスパイラルなエネルギーの意味合いをかんじとる啓発的な文学と見るかが分かれそう。どっちなんだろう。ただ確実に言えることは、人気ナンバーワンは西満里衣。クールで気丈で眼鏡な美少女が人気じゃない訳ない、もんね。


【12月28日】 日本みたいなところからご帰還となった林トモアキさんの「ミスマルカ興国物語」最新刊を読んだらマヒロ王子も上っ面からは見えない悪辣さを見せていたものの、その親父の王様もづしてなかなかの策士でマヒロすら道具と見なしていた節がかつてはあってその道具を使いいろいろ謀を巡らそうとしたものの、親心あれば里心、ってそんな言葉はないけれど、いろいろ弱さも生まれてしまって膠着状態な模様で。一方の適正力はといえばこれこそ悪の権化めいた侵略者だったはずなのが、実は心底から実直で理想のために突き進んでしまった結果が侵略また侵略になってしまっていると判明。力で統べるか画策でまとめるか。どっちにしたって清濁合わせのまなないといけないとなると上に立つ人って大変だ。さてもどちらの道を是とするか。

 でもって本編では何故か麻雀大会がスタート。我が勇者とエミットが呼ぶ隻腕隻眼の勇者ジェスの師匠ってのが現れて、これがまた得体が知れないったらありゃしないというか、少女っぽい見かけによらず歳とってそうで前の魔王なんかも知っている様子。とにかく剣の腕前はすさまじく、あのジェスでも逃げるのがやっとな上に目が良く麻雀でもガン牌で特徴も動きもすべてつかんで臨むから、卓を囲んでいるエーデルワイスも含めたサマのプロたちであっても安易にサマは仕込めない。そんなジェスの師匠すら倒す麻雀の強敵、それは何と! といった辺りから話は旧くてそして最強の科学を使った作戦が発動したりして、もはや何でもありの状況へと突入していった先をいったいどう落とすんだろう林さん。魔王の正体も気になるけれど、巻末で大特集されているゼンラーマンの再登場にも期待だ。女子更衣室とか女性専用車両とか女子高とか宝塚とかでは敵なしの最強のヒーロー。けれどもウニで一発沈黙させられる最弱いヒーロー。見たいなあ。実写で。

 年末だからちょい前倒しで発売になった「ヤングキングアワーズ」の2010年2月号は表紙が塩野干支次郎さん「ブロッケンブラッド」のカッシュマッシュが3人そろってご登場。とってもとっても可愛らしいんだけれどこいつらなあ、みんなついているんだよなあ、でも可愛いからなあ。可愛いは正義。見た目だと源太郎ちゃんがキャリアも長くって堂に入った出で立ちで、強風にも吹き飛ばされない水着の付け方を体得しているだけのこともあるけど、としおくんのキュートな雰囲気もこれなかなかの愛らしさ。表紙で見切れてしまっているのがだから残念。本編でも今ひとと目立ってないし。

 でもノイシュバインシュタイン桜子ちゃんことクリスチーネ幸田こと守流津健一の美貌がやっぱり1番か。どんなピンチに陥っても何とかしてしまうその強運も含めて明日の芸能界を席巻。本編ではピンチに向かし倒したマッポ君とミキティーだったっけ、上半身裸のおっさん警官にネズミじゃなくってコウモリのマスコットが現れ忍者なマスコットを三つどもえのカウンター合戦を繰り広げている脇で、すっかりしっかり修学旅行も楽しみましたとさ。問題はお泊まりエピソードだったのにお風呂がなかったことか。とりあえず引っかかりが少なくなりかかってた「アワーズ」で次も読もうと勇気づけられる作品が増えるのはよいことなので次も見せてくださいその愛らしさ。たとえついていたって見えなければそれは無いものなのだ。

 「惑星のさみだれ」はビスケットハンマーが振り下ろされてそこでさみだれた見せた技がすさまじい。「それでも街は回っている」は子供がほしがる自分の部屋話。部屋はあったけれども広いとダレてしまうからとやや広めにとられたものの3畳くらいしかない廊下に机を置いてた高校時代を思い出した。成果はあったのかなかったのか。平野耕太さん「ドリフターズ」はどこへ漂流していこうとしているのか。「超人ロック」はショーン・リッペントロップが愛くるしいけどこれもやっぱり元は……。昔は滅多になくって「超人ロック」のライザがひとつの革新だったトランスなネタも今や表紙を堂々と飾る時代と思うと感慨深い。世界がそれだけ自由で混沌の状況へと入り込んでいるということか。

 知らんどる間(気がつかない間、の名古屋弁)に名古屋名物あんかけパスタの店が内幸町に出来ていたんでこれは試しと赴く。すぐ近所には既にCoCo壱番屋系統のあんかけスパチェーン「パスタデココ」もあってそっちには何度か言っているんだけれどソースが今ひとつさらりとしていてあのどっぷりかかってギラギラしていたヨコイなソーレの雰囲気が足りてない。ではこちらはと赴いた新店は、カウンターだけの店で昼時ではないにしても昼下がりなのに客がまるでいなかったのは年末だから、それともいろいろ悩ましいところがあるのか。まずは味だと定番メニューのミラカンを注文。うん。麺は太さも味も合格で、これが肝心というソースもまずまず。さらりと広がらずどろりと固まらない案配でパスタによく絡む。オリジナルなのかなあ。

 具の方は炒めが足りないか火力が弱いかでニンジンがややしゃきしゃきというかサラダ風というか。でも生って訳じゃないからちゃんと食べられ健康には良さそう。ヨコイとかだと作りおいたタマネギとかニンジンとかいった具材を注文に応じてラーメンのメンマよろしく取り出しフライパンに放り込んで暖め直していたっぽいから大量に注文があればそういう作り置きもできるんだろうけど、この入りでは注文されてから材料を炒めているみたいで、それで新鮮さはあってもヨコイあたりのこってり感は出ていないのかも。どっちもどっちかな。気になるのはその入りで、知られていないのかやっぱり首都圏では今ひとつ認知されにくい食事なのか。秋葉原にあったパスタデココも程なくして消えたしなあ。旨いのに。味噌カツなんかよりおいしいの。次があるかも分からないんでがんばってしばらく通ってみよう。次はピカタだ。


【12月27日】 とりあえず仕上げたもののステッチが今ひとつ気にいらなかったので、修繕して完成させたととりあえず安心しから眠り、起きてやっぱり実物を見ておこうと新宿ピカデリーまで行く途中、秋葉原へと寄って本多俊之さん作曲のサントラを買い込みiTunesに放り込んでiPodに転送して、それから新宿へと出て見ようとした「よなよなペンギン」は、それはそれでなかなかに良いものだったという印象を持ったけれどその割には公開5日目で、新宿ピカデリー魔の11階送りになっていたってのはあんまり人が入っていないのか、それとも最初からこんな興行規模だったのか。

 11階ってのは、狭いってわけじゃないけどそんなに広くもない120人程度のスクリーンが4つ並んだフロアで、おまけに11階なんてところにあるからエスカレーターだと到着するまでに何分かかかって、10分前から始まる入場開始時間からしばらく経ってから入ると確実に予告編の開始に間に合わない。奥にエレベーターもあるけれど、それだって降りてくるまでに時間がかかる。場所として不利な上に広さもそこそこってところが、興行としての位置づけって奴を否応なく感じさせてしまう。どうしてこんなあからさまな作りにしたのかなあ。

 そんな会場でほかに上映されていたのが「レイトン教授」の劇場版と「宇宙戦艦ヤマト 復活編」とあと「スノープリンス」。どれも公開間もない作品なのに大きなスクリーンで上映されていないってのは、やっぱり作品的にそれなりにそこそこってことなのか。「ヤマト」に関してあまあそれもやむなしって思うけれど、「レイトン教授」は作品としても悪くはなさそうでゲームだってあれだけ売れている訳で、もうちょっと広い場所でも入っていて不思議はないのに。それとも2スクリーンくらいでやっている1つが上だっただけなのか。鳴り物入りで公開された印象で映画会社的にもイチオシな「スノープリンス」がこの規模ってのは何だろうなあ、ってそりゃそうだろうなあ、「スノープリンス」だもんなあ、ぼく眠いよ。

 じゃあ「よなよなペンギン」はどうなのよって言われれば、満席にはならない状況にそれはそれでやむなしではあるけれど、見れば伝わってくる楽しさおもしろさからすればもうちょっと大きな場所で公開されていて、それを大勢の人が見ていたって不思議はないできばえだった。午後1番の上映で観客は50人くらいはいたかなあ、親子連れが大半で小さい子供を連れてみに来ていた感じ。内容はそんな客層にマッチして、可愛らしくって夢があって親の情愛が感じられて、最後にいい気持ちになれて見終わったあとで親子の会話が弾みそう。この冬のアニメで言うならそんな作品はこれくらいなだけに、もっといっぱい親子が詰めかけていたって不思議はないのにこの状況なのはやっぱりオリジナルだけあって、認知が薄いことが要因なんだろう。それが証拠にこの後の会場でほとんど誰からも「よなよなペンギン」と認知されなかったもんなあ。いやそれは単にこちらのできばえの問題なのかもしれないけれど。

 しかし今時、テレビアニメの劇場版でもなければ人気漫画のアニメ化でもない劇場オリジナルを宣伝するのって超大変。それは「マイマイ新子と千年の魔法」のスタートダッシュの失敗ぶりを見れば自明で、かつては「時をかける少女」もそんな憂き目にあいながらも口コミによって認知を広げ盛り返して注目を集めるようになり、そんな監督ならもっと見られるべきだとう意識を世の中に持たせて、次の作品「サマーウォーズ」のとりあえずの成功へと至らしめた。

 「マイマイ新子と千年の魔法」もそんな余勢を狙おうとしたんだろうけれど、テレビCMもほとんどなければ新聞メディアも公開前にほとんど取り上げなかったって印象。ふつうの映画ならともかくアニメとなるとそれなりに知られている人しか取り上げないのが新聞の悪い癖っていうか、有名じゃないと載せられないって判断が働くんだけれど、だったらどうやったら有名になるかっていうと、それは新聞に載ることだったりするというトートロジー。そんな間に他のメディアでもって認知され、広まり、流行になっていった半年1年遅れで載せるようなことをやっているから、新聞の読者離れも進むんだ。気づかないと明日はないけど、気づこうとしないんで明日どころか今日もなさそう。参ったねえ。

 じゃあ新聞以外が取り上げたかっていると、それもなかった「マイマイ新子と千年の魔法」は、結果としてアニメファンですら上映されていることを知らない(知ろうとしてないって感じもないこともないんだけれど)状況でスタートし、終わりの憂き目に遭いそうだったところをどうにかがんばってラピュタ阿佐ヶ谷を連日満席にし、来年1月9日からの再上映が可能になった。これはとっても喜ばしい。素晴らしい。ただなあ、レイトショーとして60席未満の上映環境が続いたところで、いったいどれだけの人に見てもらえるのやら。そこがどうにも引っかかる。

 熱烈なファンは通うなり遠くから駆けつけるなりするけれど、すでにアニメの良さを感じているそうした人たちよりも、むしろアニメってこんなに面白いんだということを小さい子供なり、中学生なりに知ってもらいたい作品。であるにも関わらず、そうした層がなかなか見づらい上映環境が来月も続いてしまうことになる。見られるだけまし、って言えば言えるしここから始まりなんだろうけど、そのために未来のアニメファンが見られる機会を何ヶ月も先に送ってしまうのもちょっと寂しい。都内で全日上映の環境を2週間、整えてくれる2番館が2月にも出てくれること願いたいなあ。それこそ新宿ピカデリー魔の11階で良いから。いやもともとそこだったんだけど客がさっぱりだったから終わってしまったんだよなあ。今からでも遅くないからかけ直して欲しいなあ。

 でもって「よなよなペンギン」はストーリーもしっかりとしたし、CGもピクサーやらディズニーにはおよびもしないけれども仕草なり目の動きなり表情なりをつけることで、ちゃんと動いてそこに感情があるように見せている。絵をパラパラと動かしてそこに感情を表す2Dアニメの神髄は、3Dになっても有効ってことなんだろう。良いものを見たなあと会場を後にして、ロビーの売店に行ったらペンギンコートが売っていた。しまったこれ買えば作らなくて済んだじゃんと悔いたかというと、やっぱり手で作ってこその楽しみって奴だから後悔なんてまるでない。むしろ目の部分にもボタンが付けられていたんだってことが映画を見て分かったたんで、段ボールでの自作は無理だけれども感じは似せることが出来ると考え、現地まで来た時にホビーセンターで針と糸を買って会場の更衣室でペンギンの目の部分に×印を入れ、これで画龍点晴を欠かずに済んだとひと安心。

 そしてずっぽりと頭から被って着替えていたら、横でハリウッドでリメイクされたのらくろとあとで自称した扮装に着替え中だった偉い人から暑くないですかと尋ねられ、なるほどこれは暑いかもと感じるものの下にTシャツも着ていない格好で、セーターを脱ぐわけにもいかずそのままゴー。場内ではラムちゃんとかドロンジョさまとかチュンリーとか「空中ブランコ」の看護婦さんとかビジュアル的に麗しい方々をとっくりと眺めつつ、有名な人なんだろうけれども扮装が懲りすぎていてだれだか分からない状態な人とすれ違いつつ時間を過ごして退散。前にも行ったけれども「よなよなペンギン」とはあんまり認知されなかった模様なのは、公開5日目の作品であっても誰もが知っているほど世の中に情報は広まっていない現れなのか、やっぱり衣装の出来が出来なんで分からなかったと見るべきなのか。しばらく考え反省すべきは反省して来年につなげよう。「機動戦士ガンダム」の30周年の割にはガンダム関係を見た記憶がないのは何故なんだろう。「宇宙戦艦ヤマト」はいっぱいいたのに。うーん。


【12月26日】 ぽっかーん。いやまあとりあえず紫苑の能力がコピーってことは分かったけれど、それと魂の移設ってのはまた別の話であって、そこをどうこなしたのかってあたりが今ひとつ一見しただけではやや不明。あるいは銀(イン)と黒(ヘイ)の邂逅が何かのトリガーとなって異世界へと魂を引き込んでいたりするのか、ってところでラストに出てきた棺桶に眠るあの人物は誰だったっけって話になる。誰なんだ。いやまあ見返せば思い出せるかもしれないんだけれども、疾走感のなかに困惑感が充満している現状ではそうした余裕はないのこでここは、組織から来たマダムな女がどーしてあんなにピチピチとしてムチムチとしたコスチュームを身につけていたのかについて考えよう。「機動戦士ガンダム」のセイラさんが来ていたピチピチのノーマルスーツよりも官能的なコスチューム。たぶんあの光線銃に合わせただけだな。シュレーダー博士のやりそうなこった。

 そして「おおきく振りかぶって」はオープニングが変わってモモカンがぐいっと腕組みをしてずいっとずり上がる名シーンが消えたけれども本編の方で予選に突入してノックのためにボールをもらおうとやや前屈みになった横からの姿、ベンチで縁にに脚をかけた格好を下からなめたカメラワークがこれまたピッチピッチになってるユニフォームの中を想像させて妄想させてくれる。相手チームの選手だってとまどわせているのに身近な見方がまるで動じないのは見慣れているからか、その奥に潜むオレンジを片手で握りつぶしきっとほかのいろいろなものだって握りつぶす猛女ぶりを見て恐れているからか。後者だろうなあやっぱり。

 ようやくやっと壁井ユカコさんのメディアワークス文庫初登場作「カスタムチャイルド」(アスキー・メディアワークス)を読み終える。遺伝子を自在に人間に組み込める時代を舞台に美麗になるよう天才になるよう作り出された子供が親の期待とは違うところにいて見捨てられ放り出されて育てられてそして出会った少年少女たち。ひとりは遺伝子操作が悪とみなされている教義を信じる一家に生まれていっさいの遺伝子操作を受けていないジーンプアあるいはジーンナチュラルと呼ばれる出自の少年で、劣等感と引け目とそしてもうひとつ、重要な問題に直面しながらもまっすぐに行きようとしている。

 もうひとりはオタクな親がオタク趣味前全回でアニメのキャラクターのような容貌を持たせて作り出した少女で、親の幼女少女を慈しむ溺愛に答えたいと歳をとらない遺伝子を組み込もうとして体を痛めていたりするけど、そこから逃げ出すよりもむしろ依存心を強めて離れない。そんな3人が遺伝子に関わる仕事に就きやすい学校をねらうための予備校で出会って動き出した物語は、立派な遺伝子を持っていても親の思いこみからずれて居るというだけで捨てられてしまう悲劇、ナチュラルな遺伝子を持っているからと大半に蔑まれ当人はそれが苦痛で屈辱で仕方がないという感情の複雑さ、さらに親のいいなりになることだけが役目だと思いこまされ親の頸城からはずれてしまっても別に依存対象を求めてしまう心理のやっかいさをそれぞれに浮き彫りにする。

 改造されるべきなのか。ナチュラルなままでいるべきか。それが可能になってしまった世界で迫られる選択の難しさというものを考えさせる物語。同時に企業が人間の飽くなき欲望につけ込んで巡らせる陰謀の恐ろしさも。それが果たして可能なのかといわれれば、遺伝子組み替え食品すら忌避される世にあってなかなかに難しいと思えるけれども人はもともと永遠の生、永劫の平穏を捨て、禁断の果実を食らって知恵をつけ、恥じらいを抱き競争と協調を得て進化し発展してきた生き物だ。永久の隷属を縛れる果実であっても喰らいそして目の前の利と快楽に突き進むものなのだろう。それが滅びに続く道であっても。案外にしつこいんだよ人間は。

 さらに荻野目悠樹さん「野望円舞曲」(徳間デュアル文庫)もささっと読んだら何やら重要人物らしい人が戦士していた。ずっとほとんど読んでないんで誰が誰にどんな因縁があるかは分からないんだけれども何となく妹が偉くなって兄貴もそれなりになって妹を助けようとしている一方で太守めいたおっさんが立ち上がって宇宙征服に向かってもう大変ってな宇宙の彼方から大船団がやって来てって何巴かの錯綜した状態に入っているって印象。とりあえずそんな彼方から来た船団が資源の乏しい中を生き残ろうと必死になって取り組んでいる施策のある意味残酷だけれどそれでも全うな様にこれから過密化する世界で果たして利用は可能かそれともやっぱり弱肉強食なのかを考える。やっぱり消すのが1番だもんなあ。

 ぽっかりと空いてしまった日程にこれは1度くらいは伺っておくべきなのかもと思いつつ、条件が厳しいため逡巡していたもののそこはやっぱり前向きにしておくことによって、遠からず地獄の底が抜けてしまった時にセーフティネットになるかもしれなかったりするって可能性も考慮に入れて伺おうと思いそのための準備に取り組む。まずは近所の糸屋で毛糸と毛糸針を買い秋葉原へと出てドンキホーテでペンギンのパジャマがあるのを確認。ただ前開きタイプだったので被るタイプはないかと渋谷に回り東急ハンズやロフトをみたけどあったのは寅年前の虎ばかり。ペンギンはなく戻って買い直す前に色のついた紙を3色ばかり買ってセロテープとのりも買って戻ってドンキでペンギンパジャマを確保。それから前建て部分に張り付けるために白地の多いマイメロディの全身パジャマも買って秋葉原を後にする。

 戻って毛糸を買った店でヘンケルのよく切れるはさみを買って戻ってまずは段ボールにCDで丸を書いて切り抜いて、大きすぎだと見えたんで周囲を削ってそれからドライバーで4つほど穴をあけ、色紙を両面に張ってから改めて穴をぬいてボタン用のパーツを3つ作り上げる。30分くらい。それからマイメロディのパジャマの手先部分を切り取り先端を袋状にしてからペンギンの左手に取り付け毛糸でステッチが大きく見えるような感じてで取り付けてからさあいよいよ本番。マイメロディの背中の部分をはがしとってそれをペンギンの前につけ、ステッチも大きめに縫いつけていってからそこに3つ、ボタンを取り付けひとまずどうにか形にする。

 最初の縫いつけがややざっくり過ぎたんで微調整してそれからユニクロで買ってきた青いストールをぐるりと巻いたらおおこれは。ほど遠いけれどもそうは見て見えないこともなさそうな雰囲気をどうにか作り上げる。ほぼ2時間。これくらいの時間だからこの程度の出来なのかそれともなれた人ならもっと短時間でもっと良いものを作るのか。学ばねば。ともあれできあがったものを持って年末にお出かけしたいけどおよびじゃんかったまあその時だ。しかしいったい何に見えるかなあ。そう見てもらえるかなあ。心配だけれどそうやって隙間のさらに隙間をねらって突き進むのが我が道。おかげて700の大台すら割り込む状況に逆戻りしてしまったけれどもそれだからこそがんばって目立って明日をつかむのだ。つかめないんだペンギンの手じゃあ。よなよな。


【12月25日】 そっかもう「けんぷファー」は放送がなくって「にゃんこい!」も終わっているから木曜深夜のTBSは待っていたって何も始まらないんだった。んで録画してあった「ファイト一発!充電ちゃん!!」を見たらまるで「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」に出てきたちびラムちゃんみたいな格好をした放電ちゃんがぶん殴られていろいろ漏らしてそのまま閃人になびいてまずは一幕。これでいったどれかでの充電ちゃんたちをたらし込んでいるんだって憤りも浮かぶ。やっぱ殴り方がうまいのか。バットに秘密でもあるのか。閃人が「機動戦士ガンダム」でテム・レイの代わりにアムロを殴っていたら彼も鬱屈しなかっただろうなあ。そんな訳ない。

 とはいえ女性は殴ればなびくって教えるのは、男子側からしたらどこかパラダイスだけれど女子側からすると妙にうっとうしいことかもしれず、そんなあたりからの突っ込みもはいらず終幕を迎えたことをまずは了解。架空は架空として理解。ラストにチラリと見えた黒幕っぽい存在から類推するに、2期もありそうでそちらで放電ちゃんにアレスタに漏電ちゃんお姉さま方にまとわりつかれた閃人のやれやれといった姿が見られることを期待してその時を待とう。最後まで絵は崩れずラストに向けて盛り上がったという意味では良いアニメーションでありました。

 でもって急激に関心を深めつつある「ささめきこと」も録画してあった分を見てどうしてあの学校は体操服のそれもブルマー姿で掃除をするのだろうかとひとしきり悶々。男子はうれしいが女子は……女子部の連中はうれしいのか、だから良いのかあの世界ではそれがすべての規準ではり基本なのだから。でもって降り出した雨の中をしばし図書室で急速する女子部に突きつけられる謎の言葉。解き明かした先にあったものはやっぱり体操服姿で雨の中を池で戯れるビジュアル的にも女子部的にも至福の時間なのであったという。そして次回が最終回で中身は田舎へのご旅行か。ってことはもう朱宮君は出ないのか。あの声気になるんだよなあ。オーディオコメンタリーとかあればDVD買っちゃいそうだよなあ。

 せっかくだからと買い逃していた主題歌の「悲しいほど青く/虹色ポケット」のカップリングも購入して聞き込む。ああ良い声だ。透き通るって感じじゃないけどささやくって弱さもない。強さがあってじんわりと響き渡るような声。聞いていると心を包み込まれるような気分になってふと目を上げると前に巨大な村雨純夏が立っているという。それはびっくり。でも純夏って眼鏡を外すとふつうに美人じゃないか。でもってスタイルも抜群。なのにお姉さま扱いされないのはどこかに汐以外は寄せ付けないぞオーラを発しているからなのかそれとも眼鏡が悪いのか。雰囲気だけだと読子リードマンに似てるなあ。そうか同じ倉田英之さんか、って原作漫画と「R.O.D.」は関係ないんだけど。あるいは続きが出ない代わりを似たキャラのいるこっちで代替? そういうネタもあれば愉快なんだけど、自虐も過ぎるからなしの方向で。

 宝島社から「このミステリーがすごい大賞」の大賞受賞作品が届いて太郎想史郎さんの「トギオ」を見たら表紙がTAKORASUさんだった。ちょっと驚き。少し前に宮本輝さんの「骸骨ビルの庭」も起用されてたイラストレーターの人で、東京コンテンツマーケットとかデザインフェスタなんかにずっと出ていてポストカードが人気な人だけれど、世間的にはまだまだ無名だったのが宮本さんの表紙でわっと店頭に絵が並んで今後は宝島社のでさらに広がるって感じ。その存在感にようやく出版界が気づいたってことなのか。そんな「このミス大賞」の「トギオ」はSFみたいなんだけれど、中身についてはまだ不明。もう1冊の「さよならドビュッシー」の方は音楽ミステリーっぽいんで青春の「さよならピアノソナタ」とか「船に乗れ」とはまた違った味がありそー。でも読めるのは年末年始だよなあ。すでに年末年始だけど。

 円城くんと新城さん、って書くとどこかの漫才コンビみたいなお二方の「SFマガジン」へのサイン会が開かれるとうので渋谷へ。わんさかSFのイベントとか集会なんかで見知った顔が押し寄せているかと思いきや、クリスマスの渋谷というおしゃれの極地みたいなシチュエーションと、あとはtwitterあたりで情報が出回っていただけということからSFな人の姿はまるで見えず、渋谷のおしゃれな空間をセンスオブワンダーで染め上げるようなハプニングがなくって残念といえばやや残念。いっぽうでSFっぽさのない人は割に来ていて、さいしょの20分くらいはそんなおしゃれな女の子やら美女やらご婦人やらのお相手にお二方も勤しんでおられた何て幸せな。
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 記憶では先頭にいたのはスラリと長身の美人風。リブロの中で30分くらい前から見かけて背高いなあ脚細いなあと遠巻きに観察していたら立ち読みしてたアウトドア雑誌のコーナーで真横に立っててぎょっとしたくらいだったけど、そんな人がまさかSFマガジンの列に並ぶとは。誰かのファンだったんだろうか。それともSFのファンだったけれどもSFのイベントは魑魅魍魎が伏魔殿に有象無象と思って敬遠していたのが自分たちにとってのホームグラウンドに来てくれたからこれは僥倖とやって来たんだろうか。ちょっと不明。聞けば良い? そんなこと出来ればSFなんてやってないって。

 とはいえそうした逸材がSFにはまだまだにいるってことがわかって、そういう方面を開拓していけばSF独身男の未来は明るいかというと、それは自助努力でどうぞ。ちなみにその人は終わって早々に地下1階のカフェに入ってSFマガジンをしばらく読んでいた模様。そこで声かけしてSF話が出きればSF独身男の未来は以下略だ。関連して言うならSync Futureもなるほど来ている層はパルコな感じが多めで、そうした層にとって新鮮で斬新な物語としてのSFがあり、スタイリッシュでカッティングエッジなビジョンがあるってことだとするなら、そうした層へと突き抜ける機会を増やしていくことで何か新しい動きを起こせる可能性がありかもって、6階と地下1階で感じた次第。どうしたらつなげられるかなあ。美貌のSF作家が誕生して芥川賞と日本SF新人賞と日本レコード大賞新人賞を同時受賞するくらいのことが起きれば良いのかもなあ。ありえねえ。

 関係者が拍手するなかと撤退となったんで会場から離脱。せっかくだからと円城さんの本も買わず新城さんの本も買わないで、リブロの向かいにあるバッグ屋で「低燃費少女ハイジ」の絵が描かれたエコバッグを買う。売ってたんだこんなもの。あのぶっさいくなハイジが一杯にちりばめられた素晴らしい一品。見るだけであの「ペーター」とかって叫び声が耳に浮かんでくる。中にはもらったけれども不要なおもちゃとか入れてあったけれども配る相手もいないんで持ち帰って家の中においておくとそのうちどこかに行ってしまうんだ。ブラックホール我が家。けど消失はせず質量として積み重なっていくという。崩壊も近いかなあ。


【12月24日】 だからどうした。早朝から六本木方面へと向かいミッドタウンでメタルギアの偉い人を見かけ来年の日本SF大賞にメタルギアの偉い人が来て追悼の辞を述べる機会なんてあるんだろうかと考えたけれどもそういう方面に果たして感じが向いているかどうなのか、関係者でも何でもないんでわからないのがもどかしい。「ピースウォーカー」でも実現していたら果たしてどんな物語になったのか。潜友とかいて「せんゆう」と読む損得を抜きにした相互扶助の思いがつながりあった世界はそれはそれで美しく、苛烈さを描いた筆に何か新しい輝きが加わったかもしれないなあ。忙しい人だし発売日もきっと控えているんで無理かなあ。

 ミッドタウンから戻ってオリベビル下の「ウェンディーズ」でこちらも追悼の食。さすがに3枚重ねのメガウェンディーズは食べられそうもないから見送ったけれども2枚重ねのダブルをデミグラソースとベーコンで絡めたものをモリモリ。完全に1日分のカロリーに達しているけどこれはこれで仕方がない。バンズはともかく肉の厚さに肉の旨み歯ごたえその他食感ではトップクラスでマックがいかにメガとかやってもクゥオーターパウンドとか作っても、まだまだ全然追いつけてない。けど追いつかれないままトップが消えれば残るのは……。バーガーキングに通うかな。スワローってそういえばどこいった。いや別にスワローはメガもクラシックも作ってなかったけど。

 そういやあハンバーガーってどこで最初に食べたんだろう。スワローってのが名古屋で張り切っていて「スワローハンバーガー、スワローシェーイク」って歌だか何かに乗って聞こえてきた記憶が残ってる。けどどこにあったスワローの店にいつ頃入ったのかはまるで覚えていない。覚えているのはテレビ等の下あたりに新しい地下街が出来てそこにロッテリアって店が入るってんで遠く平針から駆けつけたって記憶があるくらい、か。これも誰と行ったのかいつ頃いったのかちょっと記憶が曖昧。調べると「機動戦士ガンダム」がまさに放送中だった昭和53年11月の開業だから中学生になっていたか。だいたいそんな感じかなあ。

 マクドナルドは名古屋だと八事にあったのが家から出かけられる範囲で見た最初くらい? ジャスコ八事なんかにいくと確か地下鉄の出口のビルに入っていたっけか。でも入った記憶はないなあ。平針から原へと向かう国道153号線の当時はバイパスだった道沿いに出来たのもいつだっけ。ここはドライブスルーがあったんだっけ。でもやっぱり入ったことも使ったこともない。ドライブスルーを利用したのはどこだろう。仕事でよくいっていた岐阜か。でも岐阜で食べてたのかカツカレーバーガーだったような。これってマクドナルドじゃないよなあ。ロッテリア? かくも記憶に残らないくらいにハンバーガーとは縁がないのかそれとも記憶にとけ込んでいるのか。ラストウェンディーズもそうやって記憶の底に沈んでいくんだろうなあ。合掌。

 そのまま駆けつければラピュタ阿佐ヶ谷の「マイマイ新子と千年の魔法」のレイトショー整理券奪取に間に合ったかもしれないけれども無理かもしれないし、すでに試写も含めて4度見ているからまだ未見の人に少しでも、ひとりでも多く見てもらえればという意識もあってここは遠慮、したいけれどもここで終わるとしばらく首都圏では見られなくなりそうだからなあ、最終日くらい行くか、でも土曜日か、争奪戦激しそうなんでやっぱり遠慮して清水まで行くか、あるいは来年の春に山口あたりまで足を延ばすか。後でこの日は犬フィギュアの伝陽一郎さんが漫画家のさべあのまさんと一緒に来ていたらしくてちょっと残念。デザインフェスタとかで見かけて犬のすばらしさに話し込んで、あとで奥さんがさべあのまさんだと知って驚いたんだっけ。挨拶したかったなあ。まあまたそのうちどこかでお目にかかれるから良いか。

 クリスマスイブだからって特に夜にお出かけってのもないのか凛子も寧々さんも愛花ちゃんも。学校でのパーティーにいってプレゼント交換をしてそれでおしまい。寧々さんにはシルバーイヤリングをあげたらふつうに喜んでくれたし、愛花ちゃんもかわいい服をあげたら喜んでくれたけど、凛子はピンクウォッチに芳しくない反応。ちょっとがっかり。いやそれが作戦か。嫌と見せかけてあとでちょっぴり喜びをのぞかせてハラッとした気分をグイッと引きつける戦略か。なるほどこれがツンデレというものなのかもしれないけれど本当にいやがられてたらどうしよう。どうもならないけど。初詣でリベンジだ。かなわなければ来年だ。俺等の思いはエンドレス。それが「ラブプラス」。それこそが「ラブ売らす」なのだから。


【12月23日】 っていうか2011年の5月までってことはその夏に開催予定の「日本SF大会」が静岡になったとしてもすでに他県に出払ってしまっていることなのか「機動戦士ガンダム」等身大立像の移転話。予定では来年の夏から静岡県静岡市の葵区の東静岡駅前にどっかんと展示されるみたいで近所にはガンプラを作っているバンダイの静岡ホビーセンターもあるから場所としてはベストだし、広さもあるから近隣の迷惑にもならないし何より電車で走っている横にすっくと立つガンダムの威容があらゆる国民を鼓舞するはず。新幹線からだって見えるだろうその威容は富士山にも増して車窓のベストビューとなるだろう。

 だからこそあとちょっと、会期を延ばして静岡で開かれるSF大会のランドマークにもなってほしかったけれどもきっと他県のどこに行くかはまだまだわからないんで伏してお願いすれば夏を越えて残ってくれると信じたい。そうなればいつかのモノリス以上にあがめた手まつる対象となってSFの民が周辺にむらがりにぎやかな祭りを繰り広げてくれるだろう。でも中には堅いSF長老なんかも来ていて大声で叫んで浮かれるSFの民を諭すなり辟易とさせるかも。「ガンダムはSFではないですぢゃ」とかって感じで。楽しそうだなあ。だからやっぱり居てほしいなあ。っていうかそもそも2011年は静岡に決定したのかな。どうなのかな。

 終わったはずの話に続刊が出て何かと訝ったら、番外的な短編オムニバスだったからまあありかと思ったらさらなる続刊で、なおかつ今度は本当に続編的なストーリー。でも第1巻で敵は倒してネット内でも負ければ即座にリアルな死が訪れる恐怖のゲーム「ソードアートオンライン」でのバトルに勝利して、現実世界への帰還を見事に果たしてハッピーエンドだったストーリーに、いったいどんな続編が可能かと興味からページをめくったらなるほどそう来たか。川原礫さん「ソードアート・オンライン3 フェアリィ・ダンス」(電撃文庫)は、帰還したキリトが気がつくと最愛のアスナは意識を取り戻しておらず、なにがあったのかと呆然としていたところに彼女の親が経営する会社のスタッフがしゃしゃり出て、彼女との結婚を言い出したから堪らない。

 眠ったままの彼女をいったいどうする気なんだ。憤るキリトにもたらされた情報は、新しく始まったオンラインゲームの最終目的地点にとらわれている少女がアスナにそっくりだというもの。何かある。そう思いキリトは恐怖すべき対象だったオンラインゲームの世界へと身を没して、新しい冒険の旅をスタートさせる。SAOとは違って死ねば終わりではない世界なだけに参加者は誰もがゲーム感覚で、よく言えばのんびりとしつつ一方では死なないのだからと命が軽く見られて残酷なことも平気で行われていたりする。そんな世界にやって来たキリトは負ければ死という刹那の世界に浸っていただけあって、どんな戦いにも真剣に臨み、どんな場合も仲間を死なせないと強い志を守ろうと賢明になる。

 そんなキリトの文字通りの真剣勝負に、ゲーム感覚で挑んでいた他のプレーヤーがかなうはずもないようで、キリトはたちまちのうちに力をあげて目的の場所へと迫ろうとする。一方で本当にとらわれの身になっていたアスナも自力で脱出してゲーム世界からの帰還を目指す。ダイブした場所で繰り広げられるのはファンタジックなバトルだけれども背景にあるそれがゲームであるという事実と、一方にゲームであっても死をかけたゲームも存在していたのだという事実が反映され、現実を引きずった戦いが繰り広げられてバーチャル世界への向き合い方を考えさせる。また現実世界でも関係に微妙さの生まれたキリトこと和人と義妹との関係が、互いを知らないままネット上へと持ち込まれて別の関係に進んでいこうとしている興味深さが、続く物語へと関心を誘う。読ませる文章とそして展開の進め方はさすが。すでに6冊を上梓して衰えるどころか爆発し続ける才能が次に繰り出す物語が今から楽しみ。

 なるほどこういうタイプの話も書けるみたいだ柴村仁さんの「おーい、キソ会長」(トクマノベルズEdge)は最近大流行の生徒会物にあってやっぱり生徒会長が最強にして最美少女であるにも関わらず、出番といえばすべてが終わった時にあらわれ断罪してみせるデウスエクスマキナとうかぶち壊し屋的な立ち位置になっていてあんまり目立たないのが残念というか珍しいというか。何しろ生徒会長の丹野さん、身長は180センチくらいあって蹴りの勢いは有段者クラス。そのパワーで何人もの人を叩きのめしているだろうにも関わらず、本筋の部分ではあんまり活躍しないどころかまるで絡んでこない。ストーリーはだからキソ会長、というか本当は副会長なんだけれどもその処理能力その素直さで会長呼ばわりされていたりする少年が、クラスに起こった盗難事件を解決してみせたところから始まる学園ミステリーへと発展していく。

 体育の時間に消えた貴重品。その行方を追っている家庭でキソ君は勝村というやや不良めいた態度で知られ恐れられる少年と知り合いになっていく。なぜかキソ君にまとわりつくようになった彼は盗難事件の解決に役立ちそしてしばらく前から噂になっていた、とある焼肉屋が裏にある動物病院で出てきた死んだ動物たちの肉を使っているんじゃないかという疑惑の解決にも力を発揮し、そしてそんな事件の裏側にあったとある事件の解決へと大きく近づいていく。最初は謎さえ見えないところから浮かび上がってくる痛ましい事件と、そこに関わった人々の存在の向こう側。優しげに見える人にも恐ろしげな裏があるし怖そうに見える人にも悲しげな裏があるんだと教えられる。ミステリーとしても結構なところにありそうな感じ。とはいえだからこそ本当の会長の丹野さんが目立たないのが残念無念。某生徒会との会長対決をやらせてみたい逸材なのになあ。慎重差は何センチだ。頭脳差はどれくらいだ。つか他も含めた生徒会物でやっぱり丹野さんがナンバーワンなのか。

 萩尾望都原画展の最終日にとりあえず様子を見に行ったら、40枚限定の版画はランプトンに阿修羅王にあと1枚が完売となっていて、前に目の前で阿修羅王を買っていった人はとてもラッキーだったとお伝えしたい。僕はやっぱり原作で読むのがすきなので、そっちを楽しむとしてそれでもやっぱり本物を目に焼き付けたいと、入場してそそくさと「百億の昼と千億の夜」の前へとにじり寄ってまじまじと見入る。ああ美しい。そして凛々しい阿修羅王。これが原画とは今生の別れになるかもしれないけれど、瞼に焼き付けた阿修羅王なまなちちは永遠に煩悩として僕の一生をゆがめ続けるだろう。つか初めて「百億の昼と千億の夜」を呼んで阿修羅王に惚れてから、僕の人生はずーっとゆがみっぱなしなんだけれど。それも本望。それこそが本望。

 昨日あたりから「BLACK LAGOON」のブルーレイディスクを探して秋葉原の石丸電器とか回って見つからず、今日あたりならととらのあなやらアニメイトにそれから石丸電器とゲーマーズを見てもない。これは発売延期かと心配しつつヨドバシカメラのAkibaに寄ったら山積みってほどでなくても潤沢に用意されていたところに、もはや地場の秋葉原のオタク系ショップでは余裕を持った品揃えすら困難な感じになりかかっているのかってな心配が浮かぶ。あるいはそういう店から売れていった現れなのかもしれないけれど、それでもそういう店に来る人の要望に余裕で応えられてこその専門店。それができなくなっているところに、変化って奴を感じてしまう冬の空。帰って観ながら同じ片渕須直監督作品ということで、「マイマイ新子と千年の魔法」にも共通する「BLACK LAGOON」の物語、地元の野生少女レヴィちゃんと都会から来た少年ロックくんが港町を舞台に知り合い仲良くなっていく友情物語を楽しもう。


【12月22日】 バンダイビジュアルから届いていたコンビニ用の振り込み用紙で「true tears」のブルーレイボックスの代金を納めてあとは出荷されるのを待つばかり。ネットで募って一定個数予約があったら作るってのは昔から「たのみこむ」がやってたビジネスの手法だけれど、どちらかといえば隙間狙いのマニア商品がメインその分野に、いよいよもって大手も算入してきたというかむしろ大手であってもアニメのボックスはマニア商品の域に入って来てしまっているのか、いろいろ考えさせられることの多い師走。

 とはいえそうやって売れるだけまだ良い方で、出されても3桁に留まっていたり出されなかったりする作品もこれからは増えてきそうでそっちまで見込んで組み立てられていたモデルがガッチャンコした果て待つ、どうどうと落ちていく滝の底にあるのはいったい何だろう。って言っている紙の活字の業界の方が急速な勢いで滝壺に向かって真っ逆様に落ちて言っているんだけど。あとはどこが先に到着するかってことか。まあ見えているけど。163万部。なんだこりゃあ。だよなあ。

 もとい「true tears」のコンビニでの振り込み方式は案外に使いやすかったって印象。だいたいが今の料金収納って電話も携帯もだいたいがコンビニ利用になっているから近所へ持っていって払えば済むってのは下手したらクレジットカードを使ってネットで決済するより簡単かも。あとカードを持っていない人も利用できるって意味でも。手紙を届ける通信費とかかかるけれどもネット決済で持って行かれるシステム利用料とかと果たしてどっちが安いか。予約の人全員に手紙を出して納金がなくっても手紙ならそんなにダメージもない、のかな。1通100円で1万通なら100万円。高いかな。まあともかくあとは品物が届く日をまつばかり。雪解けの見えた3月に雪の残る富山の風景をテレビで楽しむ。なんて素敵なアニメツーリズム。同じPAワークスが作った富山観光アニメも入れておいて欲しかったなあ。

 開催の話を書いたんで載ったものを持って渋谷パルコパート1で開催中のSFマガジン創刊50周年記念イベント「Sync Future」まで行ったら、来場者が自由に欠ける雑記帳に大友活広だったっけ、そんな名前の人が鉄男を描いていた。って誰だよ大友活広って、ってそれはあれだ大友克洋さんの分身だ。だって本人よりうまいかもって感じだったし。さすがだなあ田中達之さん。あと驚いたのは前にはなかったSFパンツの初ビアで、森本晃司さんとかKEIさんあたりのデザインをTシャツだけじゃなくってパンツにもプリントして販売するらしい。履けば下半身にもSF魂がみなぎる寸法。どんな魂かは知らないけど。ワープかタイムスリップかブラックホールかトランスセクシャルか。

 会場を出て地下鉄の渋谷駅へと向かう途中の地下にある「BOOK 1st」で「鋼の錬金術師」と「おおきく振りかぶって」の最新刊を買ってレジに運んだら、まだ研修中らしい子が遠目にもなかなかで、近寄ってもなかなかだったのでまた通おう。特に名は秘すけれども全体に色白で顎とがってて黒縁のスクエアな眼鏡かけてて雰囲気はクール。でもってボブに近い長さの髪のうしろをちょんと縛っていたりして、離せば小さいけれどもややハスキーでウィスパー。慣れない雰囲気で喋る姿が実に良い。恥ずかしい本を持っていって受け持ってもらうとどんな表情を見せるか気になるところだけれど、必ずしも担当になるとは限らないからなあ。おばちゃんがニカッと笑って袋いらないねって手渡しされる刑を受ける可能性もあるし。ああ悩ましい。

 今日もきょうとて「けいおん」の1番くじを朝に2本ひいたら、「機動戦士ガンダム」の1番くじで「ハロ」を引いた強運も手伝ってか(前と話が違う)頭でっかちフィギュアの唯がもらえてあとぬいぐるみで唯をもらう。これでミニフィギュアは3人。夕方にもまた2本ひいたら今度は楽器セットでこれはもう不要でさらに大型フィギュアの律が当たって、欲しいのはミニフィギュアなんだとすっかり末端の賞呼ばわりした身を忘却している。そういうものだオタクって。あとは澪とそれから律。律をドラムに座らせたいなあ。バンドの形にしたいなあ。律だけでっかいフィギュアを立てとくか。

 それにしても秋葉原のコトブキヤ。店頭でも販売していたけれどもうすぐなくなりそうになっていたんで行列の後ろに店員がついて、列をせき止めるような形で並んでも買えないかもしれませんが良いですかと聞いてくる。そりゃあ仕方がないよねそういうことって即売会でもよくあるよねって承知しているのが秋葉原の住人なのに、店員の人は頑なにそれでもいいですねいいですねって了解を求めてくる。「時間かかんないからいいよいいよ」といっても店員は、なくなってもいいかどうかの了解を頑なに求めてまとわりついいて鬱陶しい。

 それとも何だろう、目の前でなくなったからって暴れる輩に見えているのか。そう思うとどうにも悲しくなって来た。そりゃあ風体は胡乱だけれどそんなことで暴れるような狭量ではないつもりだけれど、向こうも経験から過去にないじゃんと暴れた輩に痛い目に合わされ、ひとつ言質をとっておかなくちゃってなっていたのかも。あるいはそういう現象からそういうことがマニュアル化されているとか。でもなあ、暴れるかもしれないって意識から発せられる言葉って、どうにも心に突き刺さるんだよなあ。見下されているっていうか屈服を求められているっていうか。だから素直にはいとは言えない。それともこっちがセンシティブになり過ぎなのか。まあ年だし貧乏だしお先真っ暗なんで心の余裕がいっぱいいっぱいになってきているのかも。


【12月21日】 肌寒いどころか芯まで寒い朝を布団にくるまりながら「ささめきこと」をしばらく観賞。いよいよHDDレコーダーを整理しようとしてどうせほとんど見ていないからと消す候補に挙げて見始めたら面白くって「数話まとめて見てしまって朝が昼近くになってしまったよ。汐の天然ぶりも純花のおやじぶりも良いけど、やっぱり朱宮のいじらしさが最高。清水彩香さんの声も良いなあ。可愛いなあ。世界がヤバげになっていく。

 「機動戦士ガンダム」のアムロが安室奈美恵さんがコラボレーションしたとかいう映像は未だ見られず、テレビではひたすらアムロのそっくりさんが音楽を聴くCDのCMが流れていたりする中でいよいよ12月23日に迫った「BLACK LAGOON」のブルーレイディスク版発売。何しろ超傑作長編アニメーション映画「マイマイ新子と千年の魔法」がちょっとしたブームになっている片渕須直監督の直近の作品だから、「マイマイ新子」でそのクリエイティブワークの丹念さに気づいた人は、是非に見ておくと「マイマイ新子」に至った過程なんかが見えていろいろと参考になるかもしれないので、忘れないでショップでご確認の上ご購入のこと。

 なになに自分は「マイマイ新子と千年の魔法」のあの牧歌的でうららかな世界が気に入ったんであって「BLACK LAGOON」が好きになるかは分からないって? ご心配なく。「BLACK LAGOON」は「マイマイ新子」にもつながるとても牧歌的な作品だから見れば絶対に感じるところがあるはずだ。山口県の防府ならぬ東南アジアのタイあたりの港町が舞台。そこで出生こそ遠国ながらも移り住んで長く経ち、すっかり地元にとけこでは毎日を嬉々として楽しく生きている野性味あふれた少女レヴィが「BLACK LAGOON」のヒロイン、「マイマイ新子」で言うところの新子ちゃんだ。

 彼女はとっても物知りで哲学も文学もそらんじる船乗りのおじさんや、電気工事に強くて計算が得意なお兄さんたちといっしょに暮らしながら、街に起こる出来事と関わり立ち向かいっていく。そんなレヴィとおじさんとおにいさんの暮らしに、大都会からある時ちょっぴりひ弱そうな男の子がやって来た。最初は港町ならではのちょっぴり荒々しいところもある空気になじめなかった彼だけど、荒っぽいところはあっても根は親切なレヴィちゃんや、船乗りのおじさんやおにいさんの助けも借りてだんだんと街に馴染んでいき、そしてレヴィとの友情を育んでいく。

 つまりは「マイマイ新子と千年の魔法」で東京からやって来た貴伊子が、新子ややんちゃな友達に引っ張られて馴染んでいったようなストーリー。あと「BLACK LAGOON」では男の子はモスクワ旅館のとってもグラマーな女将さんや、近隣で手広く商売している三合会の大将に目を掛けられていろいろと引っ張り回されたり、教会に勤めているシスターのお姉さんにも癒されながら、港町の中に自分の居場所を得てそして、レヴィちゃんちといっしょに海を駆け回り、山を駆けめぐるようになていく。ここも「マイマイ新子と千年の魔法」に共通したストーリーって言えそう。

 そんなレヴィちゃんと少年の日々に、さらに外国から女中さんを連れたお金持ちの音の個々がやって来て、見せる我が儘に振りまわされたりやっぱり外国から来た少年と少女のやんちゃな双子に、子供ならではの無邪気さでイタズラを繰り出されて引っかき回されるエピソードが絡んだ「BLACK LAGOON」は聞けば聞くほどに童心に返る楽しさと、子供に対する慈しみがわいて心をほくほくとおだされる。ここまで説明すれば「BLACK LAGOON」がどれだけ「マイマイ新子と千年の魔法」を好きな人でも楽しめるアニメ化ってことが分かってもらえるかも。双子が登場するエピソードでは、「マイマイ新子と千年の魔法」で素晴らしい歌を披露しているmookiさんがエンディングを唄っているので必聴必見だ。

 なんつって。いやここまでで嘘は書いていないぞ嘘はかけらも。ただ見る角度がいろいろ違っているってだけのこと。ということはつまり見る目さえ鍛えれば「BLACK LAGOON」はしっかりそういうアニメだって見えるってことで。何より子供が子供でいられない環境が現存する事実を経たからこそ、童話ではない現実の昭和30年が描けたのだってことを片渕須直監督も話している。「マイマイ新子と千年の魔法」へと通じる部分が必ずやあるから「BLACK LAGOON」を見ずしてやっぱり「マイマイ新子と千年の魔法」は語れないって断じたい。これで売れれば監督名も世に広まって「マイマイ新子」の続映にもつなあるし。

 あとブルーレイディスク版には広江礼威さんの原作漫画で巻末に集録された魔法少女レヴィのアニメが集録されているからやっぱり注目。トカレフマカレフケレンコフ、ヘッケラーコックで見敵必殺! がたぶん聞けるのだからこれはもう買うしかない視るしかない。バラライカじゃなかったモスクワ旅館の女将もフィギュアになっていたけど、やっぱりひとつ魔法少女レヴィちゃんのフィギュアが欲しいなあ。前屈みでステッキ付き。あと両手に拳銃ソードカトラスも、ってどんな魔法少女だよ。


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