縮刷版2008年月9下旬号


【9月30日】 777たあまたラッキーな数字だけれども日本人ならラッキーセブンが3つ並んでドル箱をかっぱげる7の3並び。でもアメリカ人にとってはいったいどんな風に映るんだろうかちょっと興味。ここからいつかの大恐慌みたいな未曾有の大不況へと突入していった暁には、永遠に悪魔の数字として心に刻まれいつか日本に来てパチンコ屋に入って777がぞろ目ったぞって大歓喜するパチプロな人たちの騒ぎっぷりに奇異さを覚えるどころか悪魔の数字を崇拝する輩だと、憤り怒ってマシンガンなんか乱射しちゃったりしたらそれもまた歴史に刻まれたりするのかも。777の不幸。カルチャーギャップって怖いなあ。

 しかし下げたもんだなあニューヨークダウ。率でいったら1987年のブラックマンデーの時が当時はまだ400ドルもいってなかった中での急落だったから大きいはずだけれども1万ドルを超えてしまった昨今で、下げ幅的にもうアメリカもおしまいなんじゃないかって誰もが思った2001年の9月11日の時を上回って居るんだからよほど衝撃だったんだろー、下院の金融対策の否決って奴は。そりゃあふつうは通すだろう、世の中がもういっぱいいっぱいになっている緊急の時に何かをしなきゃああっぷあっぷは確実なんだから。

 けど選挙となるとそーした大所高所からのご意見なんざあ吹き飛んでしまうのは用の東西のいずれも同じ。放漫経営で潰れた金融機関に公的資金の投入なんてまかりならんって庶民感情が吹き荒れる中ででも仕方がないんだと叫んで通じるとは思えない。でもそこは英明な国だからバランスをとって何とかするんだろー。問題はむしろそーしたバランス感覚がとことん欠如していったん走るとそっちに傾いたまんま片輪走行で走り続けてしまう日本って国。今はまあ安心だけれどアメリカの余波がめぐりめぐって日本の手足を縛ろうとした時。果たして身を賭して国のため世界のために決断できる人がいるのかどーなのか。日教組とやらを攻撃しまくるのも良いけれど、それより喫緊の問題にこそ身を賭して欲しいよどっかの元大臣さんには。しかしやっぱりどうなるのかなあ。明日のご飯は美味しいかなあ。

 んで林トモアキさんの人気シリーズ最新刊「ミスマルカ興国物語3」(角川スニーカー文庫)は魔女な人の荒くれセリフがすさまじく下品でそれからのぞく胸元の谷間がすさまじく深かったりして興味津々。阿呆な王子が阿呆にみせかけているのか本当に阿呆なのかはわからないけどとにかく帝国とやらの攻撃を退けどうにかこうにか命脈を保つストーリーなんだけれどこれまでは帝国の血気盛んな王女とか、おとなしいんだけれどきっついところも持ってる王女なんかを相手にしのいで来たのが今度は商人たちの同盟の一部が帝国に着こうとしたところから起こる争い。といっても面と向かっての戦争ではなく皇国が必要としている紋章が帝国に渡されようとするのを防ぐため、ラリーのよーなイベントに参加して1等賞を取る一種のスポーツがメーンになっている。

 まあそこはそれ、フェアで正々堂々な大会になるはずもなく主催する側は帝国に勝たせようと策略をめぐらし、皇国は切れ者メイドのエーデルワイスがしれっとした顔でもって周囲の車を蹴散らし爆破し突き進むからなかなかに拮抗。そんな合間で王子は王子なりに企みをめぐらせて帝国を妨害し、魔女っ娘や負けてばかりの武士道娘もしのいで見事にゴールへとたどり着く。ところが……ってなあたりで表向きのレースとはまた違った渦巻く権謀術数が読む人たちに国を守り民を守り財産を殖やして栄えるには半端な根性じゃあダメなんだってことを分からせる。いたいけに見えても中身はしっかりと功利主義。すなわち商売人なんだってことで。嫁にするのも覚悟がいるぞマヒロ王子。次が再びの対王女戦をお願い。

 なるほどやっぱり一部に違ってはいるけれどおおむねストーリーに沿ってランカの帰還あたりまで来た小説版「マクロスF」(角川スニーカー文庫)。違う部分といったらアルトが歌舞伎の世界でどれだけ人気があって実力もあって周囲に多大な影響を与えていたかが明らかになっている部分で例えばミシェルがどーにか真面目に生きてこられたのも、子供だった自分に姉に連れられ行った歌舞伎で圧倒的な芸を見せるまだ年端もいかない早乙女有人が見せた芸の凄まじさに打たれたからで、なのに美星学園にやって来ては芸能コースからパイロットコースへと鞍替えしてきたアルトに最初、ミシェルが憤って邪険に扱おうとしたのも無理はない。それでも見せた実力にはやっぱり一目をいかざるを得なかったんだろー。かくしてミシェルにルカにアルトというトリオが歓声。ナナセが加わりランカも混じりそしてシェリル・ノームまで参加して毎日が大騒ぎだっただろー学園パートをもっともっと見たかったなあ。

 あと生まれた瞬間から芸の道に生きることを定められ、その線に沿って鍛錬して来たアルトの中に渦巻いているジェンダーを超えた感情が露わになるって部分も面白い。もしも本当に精神から女形になるんだと決意していたんだったらどっちがどっちだなんてアイデンティティのクライシスに悩まず自分は自分だってことを貫き通しだだろー。そうではなくって自分の中に息づく女性的な思考に仕草に言葉に感性が追いつめられてポロリと出てしまうアルトではまだまだ、芸道を極めたとは言えなさそう。だからこそ小説版の方ではテレビのアニメーションとはまた違った、アルトがその至芸を存分に発揮していっさい悩まず振り返らないで前に進む姿って奴を見せてもらいたいもの。オープニングの数カットだけじゃない女形・早乙女有人の独り舞台をOVAで、是非に。そうかカナリアは徳川喜一郎が大好きなのか。あれでなかなかの趣味をしてるなあ。

 1日早い竹内まりあさんの超ベスト発売にもはやいっぱいいっぱいの8GB「iPod Nano」では入りきらないとアップルストアに出向いて16ギガの新しい「Nano」を買ってくる。やっぱり赤。レッズのファンじゃないけどでもストア限定な赤についつい引かれてしまうのは相変わらずってところか。ライブラリを認識しなくなったりと手間も結構かかったけれどもインポートが終わり竹内まりあさんのアルバムも録音が終わっていよいよ聴いた「プラスティック・ラブ」の旋律が何とも切ないなあ。山下達郎さんのライブでの歌声も格好良いけどやっぱり本家の竹内さんの歌声が心に染み渡る。そういや達郎さん、ライブがあるんだ。チケット当たらないかなあ。今回ばかりは見たいなあ。

 ってな訳で日本工業新聞時代から数えて18年と半年を勤め上げてタブロイド化を前にお役ご免と相成って、10月1日からは居場所も新たにお洒落で都会的な超特急タブロイドの方へと交換トレード。何をするのか不明だし何ができるのかもまるで分からないけど都会的センスな中身にそぐう都会的な記事をきっと書いたり探したりするんだろー。都会的。漫画とアニメとゲームと音楽とサッカーとライトノベルのことだなきっと、あと現代アートと写真とトラッドとシティポップあたりか。んまあこの15年ばかり少人数でやりくりするべく連日大量の原稿を吐き出してきた我が身なだけに、ちょっと休んで英気を養い今ふたたびのタイピングマシーンとなるべく爪を磨こうガリガリと。


【9月29日】 さよならルルーシュ阿鼻叫喚。そんな世界を巻き込んでの興奮の影にあってこちらもしっかりと感動のフィナーレが2本。「薬師寺涼子の怪奇事件簿」は涼子の祖父の代に因縁があった石動瑠璃子が自衛隊を動かし煽動しつつ涼子のそっくりさんを使って攻めて攻めて攻めまくったこの何回か。もはやこれまでって誰もが思って当然のシチュエーションでも悠然として優雅に構えつつしっかり事態を掌握し、そしてフランスメイドな2人を使って戦車を乗っ取り芝へと進撃を開始する。

 向かうものにはそのにょきっと伸びた脚でもってドロップキックにハイキック。当たる瞬間に見えればそれはそれでハッピーかもしれないけれどもそんな余裕なんてまるで与えない涼子の格闘センスはいったい何によって培われたのか。それはだから薬師寺涼子だから、ってことになるんだろーな、やっぱり。んで明らかになった石動瑠璃子の正体は! ってなことで後に重たい余韻を残しながらもとりあえずの闘争は終わりここから瑠璃子の尻馬に乗って涼子追い落としを画策した警視庁内部の面々に獰猛な涼子の爪が伸びていくのであった。

 いくら1人だって相手は涼子、薬師寺涼子なんだからもーちょっと方法を考えれば良かったのに。でもどう隠したって暴き追いつめていくだろーから無駄か。逆らわないのが吉、と。いろいろと危険もあるし面倒事も多いけれども着いていけば決して悪いことにはならないその実力と幸運が、1警視庁の1警視でいあるなんて勿体ないから田中芳樹さんにはいつか警視庁なんて卒業させて「内閣総理大臣薬師寺涼子の怪奇事件簿」ってのを書いてもらって、世界スケールでの怪奇で猟奇な事件にその蹴りを、放たせてやって欲しいもの。泉田も忙しさが世界スケールになって大変だなあ。でもきっとこなすんだろうなあ、それが泉田って奴なのだ。

 始まった時は日常に入り込んでくる非日常の唐突さにこりゃあいったいどこの日本だって訝ったけれども、毎度毎度の巻き込まれっぷりとそれをものともしない活躍っぷりに慣らされると、普通に権力闘争だけ起こってちゃあまるで闘争心も湧かなくなるってもの。だから涼子はいつも銀座でお買い物をして時間を潰し、泉田も起こる猟奇で怪奇な事件にこそ目一杯の力を発揮して平日は涼子のお供をして逃げない。やがて起こるあり得ない事件に目も覚め、そして人智を越えた困難をその強気な中にしっかり泉田への恋情をのぞかせ口とんがらかせたりする可愛らしさを持った薬師寺涼子にどっぷりと、ハマってしまっている自分に気づくのだ。あれくらいじゃあないと近くにいたって面白くない。かといっていられるとドギマギしちゃいそう。やっぱり泉田って凄いです。実写映画だと誰が主演に相応しいかなあ。

 さらに「隠の王」も最終回。服部柊十郎が消え去り一季も沈んで敵の消えてしまった後、起こした事態の重大さに心痛めて逃亡した宵風をつかまえた壬晴は、宵風に君はここに居ても良いんだ的なことを言い宵風も自分は自分としてここにいたんだと気羅によって削られ残り少なくなった命が尽きるまで、萬天の里で雲平先生の猟人の関英が暮らす家に目黒俄雨ともども引き取られてマフラーを網ながら余生を過ごしている。辛そうだけれどでも実に静かで優しげな表情は、居場所があることの素晴らしさって奴を全身で現してくれていて見ているだけで気持ちが優しくなれた。でも残された時間は余りにも……。気づいた時には遅いってことも何と無く見せてくれているその帰結から常に最善を考え向かう大切さを感じよう。

 ゆうこりんだゆうこりんだ。って一体見るのは何回目? セガのアミューズメント施設のPRん時とよくわからなかったコスプレ協会だか互助会だかの会見ん時は確実に見た記憶。でも水着は1回もないなあ。普通に見ていれば可愛らしくってそして受け答えもあれでなかなかにしっかり。人もそれなりに集まるからPRに起用する側もまだまだ使って大丈夫なタレントさんってことなんだろー。ってことでスクウェア・エニックスの100%子会社のスマイルラボがニフティと始めた「Nikotto Town」って名の新サービス。よーするにネット上の仮想空間でコミュニケーションを楽しみましょうってニフティの親玉の富士通が90年から始めた「ハビタット」の思想を営々と受け継ぎつつもなかなかどこも勝てないでいるサービスなんだけれども今回は世間が「セカンドライフ」的メタバースへと3次元CGも駆使して向かっているのとは対称的に、斜め上から見下ろしたゲーム的レイアウトの2Dの街並みを歩き回るって懐かしさ。それでいてキャラクターのデザインは割に先端言っているところが目新しい。

 あとプログラムを「FLASH」でやているところで「セカンドライフ」みたいに重たい世界をゴリゴリと進んでいくよーなことはしなくっても、あるいはメディア側にデータを置いてそれを順次読み出すよーなオンラインゲーム的な技術を使わなくてもウェブブラウザーで軽くサクサクと動いてコミュニケーションを楽しめる。携帯電話にだって展開は容易。mixiが単に言葉だけのやりとりなのにあれだけ普及したのは言葉だけの軽さってものがあったから。テクノロジーの進歩がユーザーの要求とマッチしていないなら枯れた技術の水平思考でもって使いやすさと楽しさを両立できるものを作れば良いって判断だったんだろー。それでいてmixiなんかよりは半歩進んだビジュアルコミュニケーション。あとはだから通常環境でどれだけサクサクと動くかだな。

 ゆうこりんこと小倉優子さんはそんなサービスの特別応援団として参加して中にオリジナルのキャラクターで入って町をうろうろするともうそこは原宿の竹下通りにジャニーズのメンバーが現れた時のよーで待ち受けていた他のアバターに囲まれ追いかけられて部屋の中にまで入ってこられる人気ぶり。この壁なんてとっぱらってしまったコミュニケーションの圧力に最初はちょっと臆しそうな気もするけれどもリアルじゃあまず無理な「へーイ!」ってな挨拶がネットだったらまだ可能。でもってそこから始まる関係が膨らんでいけば割に早いうちにコミュニケーション慣れしてネットだけでも快活な自分を装えそう。でもって現実での行かんともしがたさにギャップを感じて悶々とする、と。リアルのシミュレーションにはやっぱりならないかなあ。

 しかしどっちにしたって「ヴィーナス・シティ」は遠いなあ。あるいは「BOOMTOWN」とか。っていうか「ハビタット」の驚きすら今だに超えられないんだからアバターを使ったビジュアルベースのコミュニケーションで勝ち抜くことがいかに難しいかがよく分かる。というかむしろそーしたコミュニケーションを求める人はオンラインゲームの世界へと向かってしまっているんだろー。「Nikotto Town」がカジュアルゲームのコーナーを使って一種の媒介にしているのも目的を持たせて集わせることを狙ってのことか。こーゆーサービスで最大のネックは過疎化の進行。それを防ぐって面でもゲームコンテンツは効果を発揮しそー。でもやっぱりしょせんはモニターを通したコミュニケーション。全身を電脳空間にジャックインして身にはリアルで傍目にはバーチャルなコミュニケーションを体感できるよーになるにはあと何年、何十年かかるんだろー。生きているうちに入りたいなあ「ヴィーナス・シティ」に。


【9月28日】 さらに10個の段ボールをヤマト運輸に注文して昼過ぎに届くって話にならばを部屋の中の雑貨をまとめて段ボールにつめて西船橋にある倉庫へと運んだ帰りがけ。ずっと看板が出ていることには気づいていたけど入る機会のなかったミリタリー放出品を扱う「ハテナ堂」って店に始めて入ったら毛糸のワッチが1200円と目茶安で即購入。カーハートとかニューヨーク・ハット&キャップとかのワッチもあるけどたいていがアクリル素材でそれなのにお値段は3000円とかそんなもん。材質も確かなら性能だってミリタリー基準なワッチが1200円なら多分解読なんじゃなかろーか、いやあんまり放出品の店って行かないから知らないけど。

 上野のアメ横あたりにある似た店でもTシャツ1枚が5000円とかしてたよーな気が。比べてこの「ハテナ堂」はシューズもアンダーウェアもまずまずのお値段みたいでそーゆー格好が好きなら結構通っちゃいそーだけれど残念ながら着て行く場所もなさそーなんでカーゴパンツとかはパス。でもデザート仕様のミリタリーブーツはちょっと欲しいかも。材質とサイズを確かめにまた行こう。あとカモフラージュポンチョもサッカー観戦の時なんかに使えそう。ビニールのポンチョよりも軽くて丈夫? フライトジャケット系統があんまりないのは値段も高いんで仕入れてないからなのかな。あればB3のボマーとか欲しいんだけど。最近「スカイ・クロラ」づいちゃってるんで。

 でもミリタリーブーツじゃなくってかっちりとしたストレートチップも悪くないかも。京成船橋の海神駅へと歩いていく途中、なぜかボトルのホルダーにビール瓶を刺してあるTOEIのスポルティーフを店頭に並べた酒屋の道路を挟んだ向かいに気になるバッグと靴を店頭に飾った店が目にはいって入ったらこれが7月オープンのオリジナルな靴屋さんだった。「二天一流総本舗」とゆー宮本武蔵づいた店名で日本の靴メーカーとかに務めた経験のある人が独立して開いたみたいで、民家を改造したちょっぴりクラシカルな店内にはメンズだと赤茶のオイルドレザーだかが使われたストレートチップからあれはカーフだろーか、しっとりとして光沢もある濃茶のストレートチップとかが、スウェードでクレープソールを使ったウイングチップとかが並んでた。

 それらの形の良さと作りの確かさに店主の人の腕前の確かさを感じ取る。でも履いてこその靴だからなあ、それに7万8万を賭ける価値はあるのかどーなのか。チャーチとか買える値段だもんなあ。評判をちょっと探してみよー。そんなカッチリとしたメンズとは違ってレディースはパンプスが中心なんだけれども爪先とかベルトの部分とかにいろいろなデザインがあってそのどれもがなかなかにシック。でもクラシカルじゃないし、かといって先鋭的でもないデザインは選ぶ人をあれやこれやと迷わせそう。

 ドイツあたりの靴と健康の関係についての学問を修めたっぽいところがある人だけにハイヒールとかは作らずかといって踵のないスリッポンでもなく、ほんのちょっぴりだけど木だか皮の重ねだかで山状の踵が取り付けられていて履いて指に苦しくなく、かといって野暮ったくもない微妙な姿勢をちゃんと表現出来そう。中敷きもいろいろいじれて人それぞれに合わせてくれるそーで、靴にお悩みの女性は一度、立ち寄ってみては如何。1足3万強で4万弱。なあにグッチだのフェラガモだのに比べれば安い安い。土日祝日くらいしか開いてないのが難だけど西船橋なんざあそんな時でもなければ行かないから良いのか。女性風のデザインでメンズのスリッポンとか作ってくれると選び甲斐もあって面白いかな。

 でもって帰宅して段ボールを引っ張り込んでひたすらに本を箱に詰めては山と積んで積んで積みまくる途中で見つかるあれやこれや。まさか買っていたとは思わなかったのが梅津泰臣さんの画集でいったいいつ頃買ったのかの記憶がない。大張正己さんの画集はスタジオぴえろの布川さんに取材に言った帰りにあれは調布だったっけ府中だったっけ、忘れたけれども駅前のビルの本屋で買ったんだ。

 いやシチュエーションは記憶違いかもしれないけれども買ったという記憶だけは万全。けど梅津さんは……。まあ良い得したってことで。あとゆうきまさみさんの特集が掲載された「少年サンデー増刊」のスペシャルか何か。「鉄腕バーディー」の粉砕バットが登場する漫画は本掲載の後にこれに再録されてから最近まで、確か読めなかったんだよなあ。大判で最近出た本で読み返してそーいやあの時「サンデー」を買わなかったんだっけ、って思っていたらちゃんと買っていたとは。記憶ってだから面白い。面白がってる場合でもないのか。

 「アニメ批評」って雑誌の創刊準備号に創刊号とか出てきてそんなのもあったなあと遠い目。連載をもってた「電撃アニメーションマガジン」もとびとびで出ていたけれどもそうかいろいろな本を書評してたんだ。才谷ウメタロウさんのちょいエロな本が出てきたけれどもこれって今でも売ってる奴なんだろーか。エロっていえばokamaさんの「めぐりくるはる」も発見。傑作だったけれどもこの後にこれほどまでのトップクリエーターになるとはなあ。それを言うなら鬼頭莫宏さんもそーか。「ヴァンデミエールの翼」の赤と黄を発見。仕舞わずに取り置いてじっくり読もう。鬼頭さんでは「辰奈 トミコローツ戦記」ってのも発見。秋葉原の書泉タワーで確かサインをもらったんだっけ。あるあるあるある。ちょっと嬉しい。でも仕舞う。いつかそのうち本棚に並べて自在に手に取れる日が来る日を夢見ようっと。

 そんな本とかよりも驚きは散らばっていた小銭の量。ゴミに交じって1円玉5円玉10円玉50円玉100円玉に何と500円玉までがころがっていてかき集めていったら1000円2000円は楽に超えてしまった。もしかしたら1万円くらいいったかも。そんな小銭がどーゆー状態で本の山の隙間へと落ち込んでいったのか。ズボンのポケットに入れたままズボンを脱いで放り出したら転がり落ちたのか。それにしても金額大きすぎ。知らない間に増えたか。ネズミがどこかからかき集めてきたか。といってもネズミだって入れる隙間はなかったぞ。小人さんかなあ。

 とか懐かしみつつ1日まるまるかけて段ボールに詰めまくったけどもヤマトで20箱にロフトで買った宅配便用段ボールの15箱に詰めても足りず。本の山がいくらか残ってしまった。さらにDVDとかは壁際に山積みの状態。いったいどれだけの段ボールがあれば詰められるんだ。ってか段ボールで部屋はもうすでにギッシリだ。今まで入っていたのが箱詰めして整頓するとどーして膨らむんだ。謎多い部屋パズル。残る本を詰めたら倉庫に運ばなきゃ。でも体力が。軽ワゴンでも借りて積み込むか。免許はあるんだ。でも運転20年していない。困ったなあ。いっそ引っ越すか。半年くらいできっといろいろ見えて来るだろうし。未来が。滝のよーに落ちている可能性もあるけれど。うーむ。

 つきあい始めてだいたい2年。間の1年とゆー長大なブランクも「1日1ルルーシュ」をモットーに巷に漂うルルーシュの香りを探しだしては綴り世間の耳目が逃げないよーに微力ながらも頑張っていたこともあったっけ。長いよーで長かったけど今にして思えば無駄ではなかった1年を生き抜きそしてスタートした「コードギアス 反逆のルルーシュR2」がいよいよもって最終回。そして自らを魔王と宣したルルーシュが世界の憎悪を一心に受けた後に訪れた、誰もが幸福でそして慈しみを持って生きられる世界に心から良かったと思う。

 前のシリーズから営々と重ねられて着た傍若無人にして驚天動地のデスマーチからすればすべてが真っ白になって終わったって不思議ではなかった。人類のどうしよーもなさに絶望し、再生への道を選ぶ刹那的な終わり方だって考えられた。でも違った。しっかりと未来が拓かれた。そして誰もが幸せを掴んだ。途中にそりゃあ退場していった人もいっぱいいた。野望に沈んだ人もいれば希望を妨げられた人もいた。可愛そうちえば可愛そう。でも訪れた世界の真っ当さを見れば、その他の誰が望んだ世界でもダメだったことに気づく。

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだけが、というかその盟友のスザクとそしてギアスをルルーシュに与えた魔女のC.C.が組んだあのトライアングルだけが成し遂げられた温かくて優しい世界。これならユフィも喜んでいるだろう。ナナリーも納得しただろう。ひとりルルーシュだけがその世界を見ずに退場……したのかな? すがりついた触れた手からナナリーに流れ込んで着た談合のビジョン。ギアス能力者でもないナナリーになぜ記憶が? そういえばそんな描写が成田であったなあ。ってことはあるいは。だからすなわちルルーシュは。考えれば考えられるけれどもそれも1つの解釈であり、すべてを擲って恒久平和をもたらしたんだと考えることだって十分に可能。どちらかではなくどうなっているかを見ればどっちだって構わない。とりあえず今はすべてが完結したこの至福を、生きてラストを見られた幸運を喜びながらルルーシュが望み誰もが望む世界の到来に何をすべきかを考えよう。

 以下は落ち穂広い。玉城ってしぶといよなあ。千葉は戦闘スーツ姿がボディコンで見目麗しい。藤堂って本当に強いのか。よたよたで出ようとして気絶しちゃってちょっと前のめり過ぎ。プリンと17歳が裏切ったよーに見せかけたのは皇帝失脚後にその一味として追求されないよーな配慮? ヴィレッタのお腹がなかなかに良い形。ギルフォードのサングラスはギアス除け? しかしやっぱり何よりオレンジ格好世過ぎ。中からナイトメアなんて意表突きすぎ。さらに単身で生身で空を飛ぶとはどこのショウ・ザマ対バーン・バニングスだ。ギアスキャンセラーでアーニャを治したのはマリアンヌのギアスのせいでマリアンヌはいなくなっても記憶障害が残っていたってことなのか。そんな2人はオレンジ畑でいい感じ。結局あるいは誰よりも1番、得をしたのがジェレミア・ゴッドバルトだったのかも。その後の2人がどう歩み、そして世界はどうなるのか。知りたいけれども作らないだろうなあ、続編。ならばせめて小説で。


【9月27日】 斯くしてリン・ミンメイをこよなく愛する老オタクの野望は潰え“銀河の妖精”ことシェリル・ノームと“超時空シンデレラ”のランカ・リーという新たなアイドルが銀河を席巻して宇宙へとその歌声を響かせ権勢を誇る2大列強時代へと突入したのであった。「ファイアボンバー」がどこで何をしているのかは知らない。つかビルラー、本当にそんな理由でフォールドクォーツを集めるべく「マクロスギャラクシー」をグレイスたちに壟断させ、「マクロスフロンティア」の人々を危険にさらしてまでグレイスにヴァジュラネットワークを完成させようとしたのか。レオン三島だって最後の最後まで自身ありげに船をヴァジュラの母星へと向けていたけど銀河ネットワークが完成したらしたでグレイスたち、ヴァジュラを全宇宙へとフォールドさせては総攻撃の構えを取ってて「マクロスフロンティア」を受け入れるそぶりなんて欠片も見せていなかった。

 全能感だけあればあとは人類なんて不要。あるいばV型感染症に全人類を罹らせ脳内だか腸内だかに仕込んだウィルスを通してネットワークに組み入れ支配しよーとでも考えた? でもそれじゃあ人類を支配したってことにはならない。反抗する輩を踏みにじり虐げ蹂躙してこその支配って奴なのにそーゆー欲求はランカとシェリルを噛み合わせることで満たされてしまったみたい。マオ・ノームとランシェ・メイに認められなかった恨みをその子孫で晴らしたかったんだったら、テレビ番組のプロデューサーでもやってシェリルを持ち上げてから叩きつぶしランカを引っ張り上げては絶望へと追いやり場末のキャバレーかデパートの屋上で唄っている2人を遠巻きにして笑っていれば十分じゃん。銀河まで支配する必要ないじゃん。つまりはそーした動機めいたところでスケールにズレが出ていて敵ながら天晴れって感じに感情を添えることが最後までどうにも難しかった。ときどきすっぽんぽんになるビジュアルは好きだったけど。あと永遠に17歳な嬌声とか。

 それでもそこは“銀河の妖精”と“超時空シンデレラ”だけあってしっかり復活。どっこい生きてた(死ぬわきゃないわな)早乙女アルトの呼びかけに目覚めたランカがネットワークの中でくらわせたヴァーチャルびんたによってシェリルも脳が揺さぶられ、脳内ヴァジュラ菌が腸内へと行き善玉化してネットワークへと干渉。歌を志す者たちだけあって歌は頭で唄っても感動は招かない、ちゃんと腹から声を出さなきゃ響かないよってことを知ってたみたいで腹式呼吸で動かした横隔膜の振動はエーテル海をわたってヴァジュラたちを振り向かせ、グレイスの伸ばした触手を断ち切り「マクロスフロンティア」の見方となって反攻へと向かう。

 これぞ超銀河コミュニケーション。人は話せばちゃんと分かりあえるのだ、ってヴァジュラは人じゃないけれど。でも人がそれぞれに違うことを今までのV型感染症患者たちは教えなかったのか。歌を唄うことでしかその耳だか全身だかに存在を伝えられないのだとしたら人類はこれから歌を覚えて行く必要があるのか。下手だと個体認識されずにヴァジュラに潰されてしまうのか。カラオケに通わなくっちゃ。それか「Hi−kara」で鍛えるか。「ソウルイーター」の主題歌とか入ったカートリッジもあるみたいだし。

 ってな訳で大団円を迎えた「マクロスF」はやっぱり「トライアングラー」こと三角関係が最後までテーマになっていたけどどちらが勝ったかは判然とせず。っていうかアルト自体がどっちを最後に選ぶかってのもまだ分からない。とりあえずランカみたいだけど生き返ってパワフルになったシェリルを見れば普通はそっちに靡くから。それとも触発されて自分もを“超銀河藤娘”だかに変じてユニットに加わるか。センター撮れるもんなあビジュアルだけなら。それかせっかく3人になったんだからを銀河を渡り時空を越えて創世ワールドへと出向いてアクエリオンに搭乗し、3人でかの名曲「創世のアクエリオン」の合体ジャージョンを唄ってヴァジュラならぬ天翅族と戦うか。勝てちゃいそう。

 全編これ歌ってのは見ていて気分を高揚させてくれるしそんな歌にシンクロした絵も実になかなか。敬礼するアルトにランカが手を振り後ろのモニターの中からシェリルが答礼したりするシーンとか。ビートに合わせてまずかがみこんでから輝き髪浮き上がらせて背筋をのばすシェリルの力強さとか。とはいえ30分番組の中の20数分にあれだけ詰め込むともったいない歌もいっぱいあってグレイスに返す「愛、おぼえていますか」は何かとのリミックスになってて響かず「星間飛行」もテンポを他のに合わせたからかやや早回し。溜めて「キラッ」ってところでウォーッ、ってなる感動が味わえない。なのでDVD化なりブルーレイディスク化の折りにはそのあたり、しっかり唄い込んでそしてノリを間延びさせない繋ぎでもって感動のフィナーレってやつをそれこそ1時間規模で創り上げてくれたら値段が最終回だけで1万円になったって僕は買う。もしかしてそれをやるのが劇場版? いやさすがに全編これランカとシェリルのプロモーションって映像は作らないよなあ。作ったりして。もちろん見に行くけど。行っていっしょに「キラッ」やるけど。

 あまりの感動に高ぶった精神にドライブをかけて部屋の山積みの本を段ボールに詰める作業をちょっとやったら疲れ果てた。何かいろいろ出てきて愉快。たとえば大昔に買った「サイバー美少女テロメア」の写真集とか。今はどこで何してるんだっけな飯野賢治さん作「D2」のノベルティのオルゴールとか。「美鳥の日々」のハンドパペット(未使用)とか。「ゲーマーズ」謹製のぷちこ(ベルマーレのユニは着てません)とか。そのペットのほっけみりんとか。野田凪さんの手による「パンダキティ」とか。1999年に「DOB」君を表紙にしていた「美術手帖」とか。その村上さんの「東京都現代美術館」での個展を特集した2001年くらいの「美術手帖」とか。タカノ綾さん直筆サイン&僕の似顔絵入り「SPACESHIP EE」とか。

 価値があるのかないのか不明な「ビーニィベア」とか。パトリック・エムボマが「東京ヴェルディ」に来た時に作られた記念Tシャツとか。いったいいつ買ったんだっけかなアンナ・カヴァンの「ジュリアとバズーカ」にトム・リーミィの「沈黙の声」とか。内田美善さんの画集とか。萩尾望都さんのCD−ROMブックとか。巨大過ぎる「ちよ父」とか。もう部屋のどこにあったんだ。つか一体これらに幾ら使ったんだ的なガラクタの多さに呆然としつつもまあせっかく見つかったんだからを箱詰めせずに積み上げていった果て。部屋は再び魔窟ならぬ腐海へと沈み1000年の世を沈黙の中に過ごすのでありました。明日も続きを掘ろう。何が出てくるかな。あんまり出てきて欲しくないな。

 さすがだ阿智太郎。軽快だと阿智太郎。目覚めると両親は転勤で家は売られ放り出されて向かった安アパートは超豪邸。入って探検した先にあった扉を開けるとそこは魔界で三首の巨大な犬に襲われ命からがら逃げ帰ってベッドに入ったら胸元の幸薄い少女が寝ていて自分は「魔界グラマラス美女」だとJAROに怒鳴られそうな実態とギャップありまくりの仮名を名乗って町を悪の波動で混乱させる。こりゃたまらんと憤り叱りつけたその言葉が、何という偶然かそれとも阿智太郎ならではの必然か、少女を主人公の少年の妻へと誘い斯くして「魔界ヨメ!」(MF文庫J)の幕は開くのであった。テンポ良く展開嬉しく突拍子のなさも最高。ライバルとなる「魔界貧乳娘」だなんて謙遜にもほどがあある仮名を名乗った超絶グラマラス美女とのグラマラス対決とか見所もあってそしてオチも万全。この馬鹿馬鹿しさを貫き目指せ魔界のハーレム、ってなるのかどなのか。続きがあるかも知らないけれどもここは期待して待とう。悪魔に吸血鬼とくれば次は狼女か。なら合い言葉は「肉ばかり食べてんじゃなーい」か「月を見たらだめー」か。


【9月26日】 学園がありまして異能力者たちがおりまして争いまして戯れまして勝ったり負けたりいたします、なんて物語のうんざりするほど大量に溢れている昨今において異能バトルなんてもので新人賞に応募して、目新しさでもって選考をくぐり抜け受賞まで果たし、デビューへと至るケースなんてものは絶無に等しいんじゃないかって思えて来るけどそんな過去現在近未来の山とあふれる異能バトルのジャンルに切り込み、しっかりと目新しさを見せつけてくれた陸凡鳥って人の並々ならぶ書き手っぷりにしばし感嘆。

 タイトルを「七歳美郁と虚構の王」(ガガガ文庫)という作品は「第2回小学館ライトノベル大賞」の受賞作なんだけれどもまず冒頭に1999人が1999年の大晦日にひとりの男の企みによって殺害された事件があったって、清涼院流水さんみたいな猟奇で突飛な前振りを置いてそれからしばらく経った2005年をメーンの舞台に、世界が猟奇の魔手を退けてくれた「救済の女王」と讃える白雪という名の女性の画策と対峙する少年や少女の姿って奴を描く中に、異能の力がどうして育まれたのかという聞けばシリアスで恐ろしげな理由を語り、そして世界が認めるヒロインの弟でありながらも姉から邪険に扱われ刺客すら差し向けられる少年の、異能に秘められた哀しくもおぞましい正体が明かされて展開的には身を細らせ、ガジェット的には目を見張らせる。よく考えたもんだよなあ。

 未だ見えないのが「救済の女王」の企みって奴で、外木場外郎という世界が認める大悪人と戦い勝利したことから世界に認められた白雪なはずなのに、裏側ではいろいろと画策していたことが後に判明。問題はどーしてそこまであれやこれやと画策したのかって部分でもしかしたらブリタニア皇帝のシャルルみたいに、世界から優劣を廃して誰もが等しく平等に生きられる世界を作りたかったのかもしれなし、単に暇だったから暇つぶしを始めただけなのかもしれない。知らないけれど。ともあれ主要なキャストは出そろった。あとは多分続くだろーシリーズの中で白雪が外郎をつけねらう理由、そして白雪が望むことが何なのかってやつが浮かぶのを町ながら、その時が来るのを寝て待とう。寝てちゃいかんか。

 こっちも変化球度合いではナックル級。しかもニークロの。何せ異能が使えるのは女子だけで、それもいろいろもやもやと甘いことなんか考えている多感な女の子たちばかり。何しろタイトルからして「スイーツ!」(集英社スーパーダッシュ文庫)なんだから内容は押してしるべし。すっかり綺麗になった従姉妹の足とか顔とかに朝の直立を感じながらもどうにか抑えて射精、ではなく写生に行ったショウ兄ちゃんだったけど神社にたどり着いたら突然狛犬が爆発して中から女の子が飛び出してきた。いったい何? 狛犬の化身? ところが従姉妹の伊乃は驚かず慌てずそれが何かを理解し狛犬の破片で下腹部のさらに下を直撃されて昏倒したショウを家へと連れ帰る。

 気づいたショウに従姉妹の母親ですなわち叔母さんは女の子にはあることなんだと狛犬テレポーテーションな力のことをサラリと説明。何それ僕たち聞いてません、と反論しよーにも現実として起こった事態はショウをさらに危地へと引っ張り込む。女の子だけに発言する力によって町が取り込まれて交信不能。入れるのは力を持った女の子たちとそして何故かその真ん中にいる「眠り姫」から誘われているショウだけで、かくして恋するモヤモヤを異能の力に代える少女たちと煩悩と淫欲の妄想を脳やら下半身にみなぎらせながらも理性の力で押さえ込む少年の冒険は幕を開ける、と。結論。女の子の恋心を舐めちゃいけねえ。千代先輩がコンビニで買った物と取り替えたアンダーウェアをどうしたかをショウは気にしなかったのが気になる。

 受付開始の時間から10分以上もとりたてて連絡もなしに待たせられて会社も大きくなると大変だねえって血管ピリつかせて入って15分押しで始まった「レベルファイブ」の新作新戦略発表会の内容の濃さ凄さ素晴らしさにこれだけのものを仕込んでいたら30分押しだって結構だって大いに納得。今時の続編主義カジュアル万歳なゲームソフトの業界にあってオリジナルのタイトルを、それもしっかりと企画に骨の入ったオリジナルを創り上げては投入しようとする根性だけでも登壇して来た浜村弘一エンターブレイン社長じゃないけど感動もん。なおかつ「レイトン教授」シリーズを175万本も売り上げた実績が背景にあるだけに出てくるタイトルの完成度にも今から期待が入ってしまう。「イナズマイレブン」は試してないからちょっと分からない。どうなのあれ。

 「白騎士」とか鋭意制作中とかで「ドラゴンクエスト9」もチューニング中とかでそっちはひとまずおいておいて「レイトン教授と最後の時間旅行」は発売も迫っていろいろ追加情報も発表。劇場アニメーション化ですと! どこが担当するんだろう、やっぱりピーエーワークスか。声優陣は同じか。実写版も進んでるって言ってたけどでもやっぱりアニメ版が良いなあ。あと予約した人は1から3までのテーマ曲が入ったCDがもらえるとか。サウンドトラックも11月頃に出るらしーんで大好きな「レイトン教授と不思議な町」のあのテーマ、泣くようなバイオリンが美しいあのサウンドを聞き込んで秋に沈もう。

 んで「レイトン教授」を制作する際に最初の企画として上がった「多湖輝の頭の体操」のデジタルブック化にいよいよ挑戦。海外の有名なパズラーが作ったロジックでもって謎を解き明かしていくパズル物と会わせて「アタマニア」なんてブランドを冠して09年に発売してくれるらしー。脳トレとかも良いけどやっぱり鍛えるなら知性に洞察力だよ、って英国紳士も言っている。言ってたか。さらにスタジオジブリがアニメーション作画を担当する「二ノ国」とかレベルファイブ初のホラータイトル「うしろ」とか情報てんこ盛り。ゲーム性については不明ながらも「うしろ」は死に神っぽい野郎が死にたい人の命をもらう代わりに願いをかなえるってんで背後霊となって取り憑きいろいろなものを見て回り、現れる妖怪変化と戦う中で命の大切さを教えてくれるって設定が気になった。芯にちゃんと何かを持って、それでいて面白いエンターテインメントに仕上げることが出来ればゲームはやってやり甲斐のあるものになる。お手並み拝見。

 「イナズマイレブン」から飛び出した女の子ユニット「トゥエルブ」のダンスっぷりを見つつ眼鏡っ娘にとりわけ目を向けつつ後ろでキーボード引いていた看護婦さんのミニっぷりとかモンキーダンスを踊ってた緑色の女の子のメリハリっぷりにも感動しつつ最後に登場した新型ゲーム機に仰天、ってもやっぱりフェイクのモックアップ。これを仮想のプラットフォームに見立ててネット内でゲームを買って遊んで「ファミ通」も読んでってゲームポータルを構想しているらしー。あえて「ROID」なんてバーチャルコンソールを仕立て上げる必要はあるの? とは思うけれどもハッタリ効かせて注目をひかなきゃ何も始まらないのが商売ってもの。驚かせ中身を知らせ面白さを感じさせつつ徐々に引っ張り込んで行ければ芽もあるってことなんだろー。どう育つか。「Wii」の牙城を崩せるか。「亡国のザムド」ってちゃんと見られているのか。ネット配信ビジネス戦国時代はいよいよ佳境に。


【9月25日】 世界最小のカラオケって地位はいずれ脳内に埋め込まれたインプラントとなって脳に直接音楽を送り、それを受けて口の中で声帯を震わすことなく無音で唄ったふりをすると自分の脳内に響き渡るってなシステムへと至ることになるんだろーけど今はこれあ精一杯。タカラトミーが10月18日に発売する「ハイカラ」は7センチ四方の立方体に2・4インチの液晶がついててそこに現れる歌詞をヘッドセットのマイクに向かって吹き込むと、ヘッドホンから伴奏とともに聞こえてきて自分がひとりカラオケをしているよーな気分になるとゆー。部屋で男が大声でひとり唄っていたら不気味かもしれないけれど女の子たちなら可愛いか。

 でもほら今時のカラオケボックスも安いんでそっちに行った方がいいじゃんってことになるんだろーけど小学生くらいになると流石にボックスには行かせてもらえない。なら家でカラオケってことになるんだけどカートリッジは高いしかといってダウンロード配信を買うにはクレジットカードが必要。小学生ではそれは無理でその辺の層にどーやって家庭用カラオケを普及させるかってところで「ハイカラ」では何も入ってない白ロムをプリペイドカード代わりに売ってその値段分に見合った楽曲をネットからダウンロードしてもらうって仕組みを採用。これならクレジットカードは使わなくっても最初に白ロムを買う代金に楽曲代が含まれているから子供だって大丈夫だしメーカーだって取りっぱぐれることはない。考えたなあ。

 販売されるカートリッジだとオレンジレンジの「O2」とか「ソウルイーター」の主題歌とかが入ったロムがあってちょっと欲しそう。「ハヤテのごとく」の主題歌も入っていたっけか。ほかにもアニソンがあるかは分からないけどネットを活用できるんだからそっちにメジャーマイナーを問わずいろんな楽曲を置いて置いてくれたらダウンロードして来て自分だけのアニソンカラオケカセットを作って唄うぞ家で布団を被って。さすがに人前じゃあねえ。テレビCMで堂々と唄っている福田沙希さんはだから勇気があるとゆーか流石は女優とゆーか。発表会にもCMといっしょの白いドレスで出てきてくれて会話らしさを横の武井咲さんや忽那汐里さんたちと一緒に見せてくれて目の保養。できればCMと同様に「ハートのエースが出てこない」を唄い演じて欲しかったけれども破壊的な可能性を考えるとそこは遠慮しておくのが吉、か。いや実はとてつもなく巧いのかもしれないけれど。

 10月入りするからこれで終わりかと見守っていたらあと1話が残っていた「鉄腕バーディー DECODE」は、中杉さんの中のリュンカ発動によってシャラマンが塵となり果て京浜地区が大変なことに。「パシフィコ横浜」あたりで「ワールドコン」が開かれていた去年だったら日米欧のSF界隈の偉い人たちがまとめて塵になり果てたかもしれないけれど、世界滅亡への先触れになれるんだったらSF者として本望と、笑って受け入れたかそれともフィクションはフィクション、現実は現実と切り分けができない奴だと思われるのは心外と怒ったか。

 まあでもアニメーションの中ではあれが現実。大勢の人が塵となり果て殲滅のために放たれた火は東京の中心部をなぎ払った。その責のすべてはないけれども大きな部分を負っていることになぜ、千川つとむは戸惑い震えないんだろうか。リュンカじゃないと中杉さんを信じてシャラマンに預けた挙げ句のこの惨事。身内も知り合いも恐怖に怯えるような状況の糸口を作った我が身を客観視せず、自分は悪くないんだ全部バーディーがいけないんだと怒りうだうだとして閉じこもり、逃げているつとむがとてもウザったい。バーディーなんて非日常と接して何でも起こり得るんだと認めているにも関わらず、徹底したリアリストにはならず恋情が絡むと途端に目が曇って行動が鈍る。これが人間って生き物の限界なのか。それともこれこそが真の人間らしさというものなのか。

マグナムがきかねえ! 斬鉄剣でも斬れぬ! これがダゴンの力なのか!!  とはいえしかし悲劇は始まり大勢の人が死んだり消えたりしたことを、果たして千川つとむは続くだろう第2期の中でどう受け止める? 理不尽な暴力にすべてを奪われたシャマランは、怒りに己を奮い立たせて世界を消し去ろうとした。逆に世界を消し去る引き金を引いた千川つとむは、悲しみに沈み内なる怒りに閉じこもるしかないんだろうけどそれじゃああの、脳天気な中にシリアスな事情がちょっとずつ絡んで進む「鉄腕バーディ」の面白さは描けないんで、次回のとりあえずの最終回に何らかの救いがあって、千川つともの気持ちも癒されるんだと思いたいけど取り返しがつかないのもまた現実、だからなあ。それともここで発動された非常識が、地球を逆回転させてリュンカ到達前の状態へと時間を戻すか。そして始まる「鉄腕バーディー RESET」。ここから元「ヤングサンデー」版「鉄腕バーディー」がスタートする、と。ありえねえ。

 バンダイに「たまごっち」の発表会見をのぞきに行った前後に近所のコンビニで「ルパン三世カリオストロの城」バージョンのフィギュアが出てくるガチャポンを3度プレー。1度で次元大介を出してそれもクラリスからもらった宝冠付きのが出てラッキー。ウェディングドレス姿のクラリスと斬鉄剣を持ってひと味切れ味が違ってそーなポーズを見せた石川五右衛門も出て来てルパン一家の両看板が揃ってちょっと得した気分。あとは宝冠なしの次元があってそして緑ジャケットのルパンがあるはずなんだけれども峰不二子がないのは最後の攻防を描いた場面だから、か。ルパンも包帯とか巻いてるし。だったらやっぱりカリオストロ侯爵も欲しかった。次のシリーズでは是非に。出たら時計に挟んで遊ぼうっと。

 あの莫迦騒ぎからかれこれ12年といったら干支も一回り。それだけの期間をいったんは消えはしたけどそれでもしっかり蘇っては子供の暮らしのアイテムとして生き残っているからトレンドってのは分からない。「たまごっち」が並べば売れる爆発的なブームを巻き起こしておそれほど間もない時期に実に60億円もの特損を出す在庫となって経営を圧迫した様を見た身としては2004年の復活自体が半ば信じられなかったけれども、「チーフたまごっちオフィサー」だなんて何とも言えない役職を置いて生産販売マーケティングといった分野を統括させたことが奏功したか、急激な盛り上がりから陳腐化の果ての消滅といった過去のサイクルを辿る事無しに、それなりのブランドとして確立されたってことなんだろー。もう干支が一回りすれば「トミカ」「プラレール」のよーに子供が最初に遊ぶデジタル玩具として位置づけられるかそれともやっぱり「ニンテンドーDS」のよーなマシンが台頭してくるのか携帯電話が落ちて来るのか。ちょっと見物。

 まあバンダイだって手をこまねいている訳じゃなさそーでいよいよもって液晶をカラー化した「たまごっちプラスカラー」ってのを11月22日に発売するとかどーとか。カラーになったからってどーなんだ? って誰もがおも受けれどもちゃんと塗られたカラーの画面は「たまごっち」たちが暮らしている空間って奴が割に緻密に表現されてて愛でる気分も高まるってもの。平面のモノクロのドット絵じゃあ湧かなかった愛着ってやつもカラーだと不思議を浮かんでくる。見目って奴がデジタルペットでもやっぱり必要ってことなのか。でもおやじっちがカラーで描かれるとちょっとグロいかも。大口を開けて笑った歯並びとかギョッとするもんなあ。けどよりによって開発途中品のデモでおやじっちが育成中の奴が回って来なくても良いものを。そーゆー運命なのか。ってか風体を見て相応しいとあてがったのか。それは正しい。


【9月24日】 とうの昔に完成しているってことは監督を務めた高橋玄さんのページで「公開待機」って情報が載っていたこともあって何とはなしに感じていたから、今頃になって主演決定だのと騒がれるのかが何故だかよく分からなかったし、監督の人も今年の5月には完成していた映画について「映画化!」「主演決定!」・・・という文言もよく判らないと書いているけど、まあすでに周知の事実であってもそれが独自につかんだ話だか、あるいはフレッシュな話のよーに見せかけるために「明らかとなった」と書くのは新聞がよくやる手。それ自体には意外性はなくってむしろ乙一さんの「GOTH」の映画の情報が、どうしてこれほど公開間際まで制約を受けていたのかって事情の方が興味深い。

 俳優さんの事情か原作者の要望が映画館の範囲か。ハリウッドでの映画化話なんかは散々っぱら出回っていたりするからきっと製作の側に情報を制約しておきたい事情があったんだろうと思うけれども真相は不明。でも乙一さんに興味をある身としてはその原作の映画がいよいよ公開されることは喜ばしいから見に行こう。高橋さんと言えば「麻子先生の首」って小説を大昔に読んだことがあって、その後に「LADY PLASTIC」って映画も見て小嶺麗奈さんの美しさを堪能した記憶があるんだけれど、その後もしっかりいろいろ撮り続けていたみたいで重畳。その経歴の広さ深さはとても同じ歳とは思えない高橋さんがあの世界をどう映像化したのかを考えつつ、平凡過ぎる我が日々のこれから起こるかもしれない激変に心揺らしつつ、それでもやっぱり高橋さんには及ぶべくもないと思いつつ「GOTH」の公開を待ちわびよう。

 やっとこさ最終回を迎えた「一騎当千GG」で呂布奉先よさらば! に涙ぐむ。本物の左慈元放が持っていた力でもって蘇ったんだからその力が消えてしまえば土台がなくなり消えてしまうのも仕方がない。とはいえあの特徴的な素肌にブレザーなんて過激極まりない衣装の持ち主がいなくなってしまうのは寂しい限り。せめて目に焼き付けてそのグラマラスな肢体を思い出に刻みたい。とか言ってたらいよいよDVDの発売かあ。ボックスの絵に描かれた呂布の後ろ姿がまたなかなかにグラマラス。見入って触れたくなるくらいのボリュームがあるんだけれど絵なんで触れても感触は紙。そのまま立体化、なんて企画があったらついつい買ってしまうかも。そういや「週刊東洋経済」が今時な「三国志ブーム」を特集していたけれどもアニメは「恋姫無双」がやたらと目立って手「一騎当千」も「天上天下」も無視され気味。なんでやねん。

 こっちも最終回が近づいている「鉄腕バーディーDECODE」はDVDの第1巻が発売になったであります。ってすでに記憶の彼方へと飛び去り次回予告にのみ名残を残す有田しおんの口調で喋っても詮無い限り。そんな設定が果たして必要だったのかって想いもするけれども実は見逃していた第1話をみたらあるいはバーディーが有田しおんを演じていた必要性って奴が分かるかもしれないんで帰って見よう。付録のゆうきまさみさんの漫画は漫画版バーディー役者vs有田しおんの激突。どっちが勝ちかって見た目おんなじだから分からない。あと原画集は小さい割になかなかのクオリティ。画面いっぱいに広がるバーディーの肢体が見せるアクションが絵になればそりゃあ迫力な筈なんだけれど昨今のバーディー、アクションシーンがどこか引いてて「一騎当千GG」みたいな目に迫る(とはいえ何故か霞がかかる)アクションの迫力って奴をあんまり感じない気が。それともこれも第1話は凄かったのか。確かめたいであります。ほとんどケロロ軍曹だな。

 イケメンを見に行ったら「アイドリング!!!」とやらが登場したけどアイドリングストップ運動とは関係があるのか彼女たち? ありません。何かアイドルグループみたいだけれども「AKB48」とか「モーニング娘。」とかとすら区別が付かなくなっているのはそーゆーものに執着して調べて個体認識が出来るまでに入れ込むことへの執念が、薄れ始めている現れなのかそれとも執着するほどのものではないってことなのか。ちなみに「モーニング娘。」も加護ちゃん辻ちゃんが入って13人くらい? になったあたりまでかなあ。「LOVEマシーン」の頃なら完璧だった。みんないなくなってしまったなあ。

 んでイケメンと「アイドリング!!!」だ。何かいきなり10月とかに「パシフィコ横浜」で「ROBO_JAPAN2008」ってロボットを集めたイベントが開かれるってんでその記者発表会。普通にロボットとかを集めただけじゃあロボットな記者は来ても(ロボット記者じゃあないぞそんなのはまだ作られてないぞ)普通のメディアは来てくれないと、イケメンポーズで有名らしー芸人の狩野英孝さんを招いてのトークセッションを行いそれからイメージソングを歌う「アイドリング!!!」を招いてロボットを紹介してもらったりして芸能メディアにアピールしていた。カメラマンとか必死に席取り。ロボットイベントの会見にしちゃあ珍しい光景を見た感じ。

 けどそーやって上っ面だけ喧伝しても肝心のコンセプトとか展示内容とかについての詳しい説明がないのはロボットな記者にとっては足りないし届かない。そーゆー方面からイベントにアプローチするだろー本当のロボット好きに来てもらうより、広く情報の届く芸能マスコミを通じて開催を知ってもらう方が良いってことなんだけれど、それを見て集まったってロボットへの理解が深まるともあんまり思えないかならあ。まずは知ってもらうこと、だっていうけどだったら「AIBO」や「ASIMO」とかはいったい何をして来たんだ? 世の中にロボットが浸透しつつあるとはいっても所詮はやっぱり好事家たちの玩具に過ぎなかったってことなのか。アトムじゃなきゃあ届かないのか。まあオタクなイベントに中川しょこたんを読んでメディア受けを狙っているオタクな業界も似たり寄ったりなんだけど。大衆に媚びて本質から遠のいた果てに残る本質が欠落したドーナッツは波風に弱いから注意が必要。ロボットもオタクも棚上げされて梯子を外されないよう自覚せよ。

 第3巻まで来た三浦勇雄さん「聖剣の刀鍛冶」(MF文庫J)はデカい展開こそないものの帝国の意向を受けて動くジークフリートのタクラミで独立交易都市・ハウスマンに背中から刀を生やした怪物が現れ大暴れ。どうにか倒したセシリーちゃんだったけれどもいけしゃあしゃあと乗り込んできたジークフリートと一悶着。けど刀を打てる職人のルークが自分のところにいる悪魔のリサに対するちょっかいとそしてセシリーへの不遜な態度を怒りジークフリートと一触即発。そんな展開の向こう側に帝国に蠢く陰謀が浮かんできて今後の展開に不穏な影を投げかける。今はまだ平穏に見える独立交易都市や世界に波乱がもたらされるのか、それともセシリーやルークたちの活躍が世界を平穏のままに留め置くのか。次に期待。


【9月23日】 「神曲奏界ポリフォニカ」とか「さよならピアノソナタ」あたりがターニングのポイントになっていたのかそれより以前からロック小説ってひとつのジャンルだったのかは置くとしてライトノベルで音楽を扱った作品が幾つか登場の兆し。そんなひとつが四辻たかおさんってアニメの演出家らしー人の「ドラマチック・ドラマー 遊月」(一迅社文庫)って奴で何でも”麗しのクリスタル・ボイス”と讃えられながらも何故か声が出なくなってしまった歌手の母親に歌声を取り戻して欲しいと娘が始めたのが音楽を聞かせて魂を揺さぶること。自身はドラマーとして優れた腕を持っているよーで、残るメンバーを集めにモーツァルトのよーな鬘頭をした執事にして半ば用心棒のブルースを引き連れ宇宙を飛びまわる。

 生身の腕を失っても魂で音楽を奏でるキーボード奏者にボロボロの衣装を気ながらも奏でる音色は極めて美麗なフルート奏者や「第三の男」で弾かれたチターの未来形みたいな楽器を弾く謎の男なんかに話しては、音楽でもって気持ちを向かせてどうにか仲間になる。リゾートの島に住んでそこ以外では弾かないと断ったギター&ベース&タップドラムの巧者もいたけどそこでめげずに飛びまわって集まる仲間たち。それぞれに抱えた事情を解決していく物語があって、それぞれが一家言を持った音楽家たちを音楽でもって納得させる主人公の心の強さを見せるエピソードがあって読み終えると音楽って良いなあ、そして目標がある人生って本当に素晴らしいなあって思えてくる。さらに集まる仲間達がそれでも崩れそうになった時に最後のピースが加わって音楽が感性するシーンなんてホント、耳に音楽が聞こえて来るよう。そんな目に浮かび耳に聞こえるよーな強い筆致を持った作者には、これからも小説の世界で活躍してもらいたけど次作とか、決まっているのかな。期待。

 だから今さらな感じもありありとする「AERA」の麻生太郎自民党新総裁によるオタク巻き込み大作戦暴露記事。といっても世耕さんがロジカルな戦略でもって自民党の広報を仕切ろうとした話を自分で語ったり、誰かがリポートした文章に比べると、記事自体の内容は薄っぺらでちょっぴり理解のあるところを垣間見せようと、安倍晋三元総理が当選した総裁選があった2年前くらいかけてやって来たって程度。どこでどう漫画好きって話をちょろっと出して、それをどこから煽り燃やしていったって検証はなく、こういう時には必ず出てくる井上トシユキさんを引っ張り出してネット戦略やってたよねって言わせて終わり。広報戦略とかイメージ戦略の勉強にはまるで役に立たない。

 記憶で言うなら安倍さんが総裁になった2006年9月よりさらに早い時点から、羽田空港で麻生さんが「ローゼンメイデン」を読んでいた、みたいな疑惑が広まっていてそれを吶喊して確認したのが2006年6月刊行の今は無き「メカビ」の創刊号。これを一般メディアでのオーソライズと見て後は、堰を切ったよーに記事が出て行き“麻生太郎=オタクの見方”的な気分があっちこっちで蔓延していったんじゃんかろーか。06年9月の総裁選に絡めたイメージ戦略ってのはだから多分後付け。ここを起点に分析した「AERA」の記事はだからやっぱり参考になりそーもないんだけれども、ここでやっぱり気になるのが、相手に「してやったり」と思わせてしまった一般の、というかオタクな人たちの麻生太朗って人に対する前向き過ぎる反応。秋葉原で演説をしてくれて、漫画を普段から読んでいるってことを殊更に評価して、持ち上げていく空気の醸成のされ方って奴が端で見ていてどうにも居心地が悪かったし、今もどこか身が休まらない。

 なあに麻生太郎が成人向け漫画の既成に熱心な人だって情報くらいは知っているけど、それより今は政治家ってお高くとまっている人種が自分たちの目線まで下がってきて仲間意識を見せようと足掻いているだから、ここは一緒になって盛り上げてやろうぜ、祭りなんだから、ってな思考のプロセスがあっての人気だったのかもしれない。頭が欲って面白いことに飢えている面々のお遊びだったのかもしれないけれども、今って時代はそーした少数のお遊びが、メディアってフィルターで増幅されることによって世間を動かす空気となって、お遊びをお遊びと理解しょうとはしない人たちも巻き込んでいってしまう。加えてちょっぴりライティな言動が言葉を紡ぎたがる層に多いライティな人たちも巻き込み増幅されていった果て、虚構だったはずのオタク総理って像が誰も否定できない確固としたものになってしまった。

 そう遠からず誕生するだろう麻生太郎首相はけれども、「してやったり」の次にまたまたオタク好きをアピールする必要なんてない。必要なのは国政という広い場所でもってより広い層にアピールすることであってそれはおそらくは狭いところで自分の関心を守りたいオタク層の求めるものとは相反する。起こるのは“裏切り”だけれどもとより仲間になったつもりはなく、向こうが勝手に仲間意識を持ってくれてそれを周囲が面白がってただけのことだとあっさり切り捨て、突き進んでいくことになるんだろー。

 それで秋葉原が焼け野原になるとか、漫画が地表から払拭されるってな事態にはならないし、テレビからアニメが消えることもないから別にどーでも良いんだけれども一方で、政治であり経済であり外交といった生きる上で土台となる部分で何かをしでかさないとも限らない新首相を、誕生させてしまった口火になったことだけは永遠に自覚していたいもらいたいもの。10年後、あるいは50年後に秋葉原の演説を群衆が讃えたことが、あるいはインタビューを掲載した「メカビ」が何かが始まる分水嶺だったとか、何かが終わる始まりだったなんてことになったら……それはそれで歴史に立ち会えたって意味で痛快かも。どうなるのかなあ。

 店頭に並んでいた第3巻の表紙絵に描かれた、下にはみ出した胸元の丸さ柔らかそうさに惹かれて「箱館妖人無頼帖 ヒメガミ」(講談社)を第1巻からまとめて読んだらこれ面白い。って環望さんだからベテランな人ではあるんだけれども成人向けについてはあんまり触れていなかったからそこでどんなに凄まじいばかりの肢体が描かれていたかはあんまり知らない。ただそこで培われたであろう表現が割に一応は制約のあるだろー一般向けに盛り込まれた時に、見えそうで見せているけど肝心なところは見せないエロティシズムとなって香り立っては官能の触覚をくすぐってくれるのであった。

 土方歳蔵が函館五稜郭で死して後、自らを封印として妖人の跋扈を函館に留めようとはしたものの現れる妖人たちが町を襲って人々を苦しめる。そこに現れるのは体を鎧で固めた1人の剣士。名を土方彪という実は歳蔵の娘だという彼女は、ダンダラ模様の浅葱色した羽織をひっかけ剣を振るって立ち向かうんだけれどもなぜか下半身には袴とかはかずに太股剥き出しってところが実に眼に来る、ツンと来る。西洋下着なんてない時代だからきっとあれは褌かなにかか。それで寒い雪の中とか戦っちゃうんだから凄いというか。鍛え上げられた肉体って奴は違うんだろー。けど決して最強ではなく妖人に迫られ危機一髪の時に現れた鎖帷子で全身を固めたなぞの女。顔を狗か何かのマスクで覆った姿で屹立しては圧倒的な強さをみせつけ土方彪を助け、跳梁する妖人たちの前に立ちふさがる。

 ってことで始まった物語はウェスタンが函館に移ってきたような舞台の上で繰り広げられる新選組の遺志と妖人を操る組織との戦いに、ヒメガミという動物を装着して変身する少女たちの一派も絡んで白熱の様相を見せる。第3巻だと町を守っていた警察のリーダーの麗しき秘密なんかもあからさまにされてしまって目には保養、脳には驚嘆。さらに迫る危機にいったい彪は、ヒメガミはどう立ち向かうのか。露わなボディに豊満なヒップもふんだんな絵柄の向こうにある、剣と魔術の入り交じった歴史伝奇の面白さって奴を味わわせてくれる漫画って言えそう。でもやっぱり目にも麗しい肢体が嬉し過ぎる漫画だよなあ。もっともっと楽しませて欲しいけど雑誌がいろいろあるからなあ。続いてくれるかなあ。

 勝った! ジェフユナイテッド市原・千葉が勝った! 名古屋グランパスに勝った! 首位に勝った! そして自動降格圏を脱出した! あんまり嬉しかったんでご祝儀に新発売の染め付けの前掛けを買ってしまったよ。どこで着けるんだ。会社で着けるか汚れ防止とか言って。そりゃあ希望は抱いていたけれども期待としてはやっぱり薄いんじゃないかってのが実状だったチームだったのに、選手が走るよーになり相手に迫るよーになり流れるボールに足が伸びるよーになってそして集中が途切れないよーになった。オシム監督がいたころには普通にできていたことがなぜかこの1年半くらい出来なくなってしまったこと。それを就任から数ヶ月でアレックス・ミラー監督、よくぞ再び思い出させて植え付けた。優れたコーチってのはやっぱり優れているんだなあ。ミシェル選手の鬼プレスとか、本当にブラジル人選手なのかって思えて来る。タスクをこなさなきゃ出さないって厳格さがきっと浸透しているんだろー。

 深井正樹選手は完璧。走りも動きもテクニックも。そしてシュートも。惜しいところに飛び込む勢いはいつかの山岸智選手みたい。供給できさえすればあとは何とかしてくれそーな選手がいるといないとではやっぱり違う。レイナウド選手は中よく頑張ったけれども フリーに近いシュートはやっぱり決めて欲しいなあ。最後の最後で追い付かれるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ。ボスナー選手はやっぱり強いや。ほかにも皆さん頑張った。頑張りついでにもう1つ勝ちさらに1つ勝って入れ替え戦の圏内からも抜け出してもらいたいところ。それには次節、因縁の京都サンガ戦に勝つことだ。元キャプテンを潰し元ディフェンスの要を粉砕して元終盤のスピードスターなんて出せない状況に追い込むんだ。見に行きたいなあ、遠いよなあ、どうしよっかなあ。


【9月22日】 こんな小物だったのかシュナイゼル。とうかやっぱり最初から小物でしかなかったのか。意志をもたず大望を抱かず期待されれば答え望まれれば動き阻まれれば退く。何ら主体性を持っていない。向けられてくる感情を受け止め跳ね返すことでしか自分を表現できない存在でしかなかったのにも関わらず、王子という位にあってそして、向けられてくる感情を完璧なまでに理解できてしまう天才でもあったが故に祭り上げらてしまったというのが実状か。

 勝ちたい勝とう勝つんだと向かってくるルルーシュを相手にしたチェスでシュナイゼルが負けなかったのは相手の勝ちたいという意識にならば自分も勝ちたいという意識でぶつからなかったから。ルルーシュほどの読み手なら相手の勝ちたい意識を逆手に取ろうとするものだけれどそれがすっぽり抜け落ちているから通用しないではぐらかされる。幼い頃はそれでも向こうが強いと純粋に思っていたものが、ゼロとして改めて手合わせをしてその心の虚ろさに気づいたんだろー。あのシーン。ちゃんと意味があったのか。

 そして「喝采のマオ」との対決シーンの再利用。虚無に無理押ししても無駄だと理解した上で仕掛けた策がはまってキング陥落に成功したものの最後の最後で見方だったはずのクイーンが立ちふさがるとはルルーシュ、やっぱりろくな人生を歩んでないっていうか日頃の行いの悪さがここで祟ったというか。そこもしっかり読んで最終回が悲劇の邂逅とならないよー、手を打っていて欲しいんだけれども最終回だからなあ。今のままだとみんな全滅の果てに世界はラグナレクとやらに接続されて混沌へと向かいそーだからなあ。

 ニー・ギブンが沈みキーン・キッスが倒れトッド・ギネスはハイパー化の果てに爆散しジェリル・クチビは憎悪を残して消滅し、リムル・ルフトは悲しみに沈みルーザ・ルフトとビショット・ハッタの野望は潰えマーベル・フローズンは想いを残しそしてバーン・バニングスとショウ・ザマが痛み分けとなった後、シーラ・ラパーナすべてが浄化、チャム・ファウだけが波間を漂ったよーな逆カタルシスのエンディングだけは迎えて欲しくないなあ。いやこれはこれで好きななんだけれどダンバイン。まあそこはちゃんとしっかりまとめてくれると期待して待とう「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の大団円。あと1週間、生き抜くぞ。

 大河の流れも一滴からというか、塵も積もれば山となるというか、千里の堤も蟻の一穴というか。つまりはショボい仕事をショボさに倦まず完璧に積み上げてこそデカい仕事をスパイって奴は成し遂げられるんだっていうことか。派手派手しいアオリでもって知的エンターテインメントの最高峰だの、21世紀で最高のスパイ小説だのって感じで紹介されていたから、どんな世界的陰謀をスパイが孤独に耐え知能を働かせ体術を駆使して暴き突破し叩きつぶしていくのかってワクワクしながら開いた柳広司さんの「ジョーカー・ゲーム」(角川書店)。

 連作になってる短編を読み終えて印象はどれも狭くて小さい仕事と粛々とこなすスパイの苦労話って印象。スパイってものを題材にしたミステリー小説って言えば言えそうだし、たぶんそんな意図で書かれたものなんだろーけれど、むしろそんな離れた場所からスパイという存在を素材として扱ってみせたことで、どんなショボい仕事であっても崩れればそこからすべてが崩壊しかねない状況を示して、スパイって奴に求められる仕事の大変さや奥深さを感じさせてくれる。

 究極のスパイと恐れられながらも捕らえられ、脱出して復帰した結城中佐が立ち上げたのが軍隊からではなくって一般から広く人材を募ってスパイとして養成するD機関。軍の精神を叩き込まれていない胡乱な輩に国を守るスパイの仕事を任せることを軍は嫌がるけれども、結城中佐はそんな圧力などどこ吹く風と、瞬間的に見たものを覚えたりするよーな異能の持ち主達を選び出し、鍛えてスパイとして養成しようとしそして選ばれた側も強烈なプライドを背景に課題を飄々とこなしてスパイとして育ち世界へと散っていく。

 とはいえ暗殺だの爆破だのといった工作活動に勤しむ訳じゃない。スパイとおぼしき英国人の企業家宅へと出向いて隠してあるらしい軍から盗んだ秘密文書の在処を探したり、英国総領事に仕立屋となって近づきスパイかどうかを探るといった小さな仕事ばかり。憲兵を押し立て虱潰しの家宅捜索をしたり、引っ張って圧迫尋問を行えば済みそうな案件なんだけれどもそれで例えスパイと判明したところで、あるいは逆に違っていたところで状勢に大きな変化はない。

 スパイが見つかったとして処刑したらそこで終わり、スパイではなかったのならやっぱり終わりであとに手元に何も残らない。それではまったく意味がない。D機関はだから二重三重の罠を張る。企業家の家には憲兵に化けて乗り込み日本人ならという相手の思い込みを暴いて真相へと近づく。英国総領事の嫌疑も総領事の慣習を見つけそこにあった機会を糸口に真相を暴く。

 企業家は自分がスパイだということが露見したと気づかされて後々までの行動を日本によって縛られることになるし、総領事も秘密を握られいつか来るかもしれなその時まで泳がされる。一気呵成に攻め込みなんかしないし崩壊になんか追い込まない。小さいけれども確実に尻尾をつかんでピンを刺す。そんな積み重ねによって少しでも相手の陣地を奪い事を有利に運ぼうとする。スパイって格好良くなんかないんだねえ。

 だったらそどうしてそんな仕事に就いていられるのか、ってあたりが謎だけれども軍隊上がりの諜報員なら「お国のため」とかいった刷り込みが働くものがD機関では天皇の機関説について検討が重ねられるくらいに愛国心とかいったものは動機として働かない。もっとも「お国のため」といって働く者たちが、その愛国心に縛られあるいは眼を曇らされて、身動きとれず見えるものも見えなくなっていたりするのを見れば結城少佐がそういった概念に縛られないD機関を作ろうとした理由も分かる。

 分かるけれどもだからこそ働く者たちの動機、って奴が重要になって来るんだけれどもそのあたりを象徴するのがたぶんこの本の「ジョーカー・ゲーム」ってタイトルなんだろう。つまりはゲーム。プライドをかけた。熱さなんていらないし弱さなんて見苦しい。勝つ。そのためすべてのことを完璧にそつなく積み重ねる。悲哀だのといった情念も不要。スパイとはそんな存在だし、そうあるべきなんだってことを示したこれはだからやっぱり究極のスパイ小説ってことになるんだろー。

 だからライトノベルの面白さを書くより今は面白いライトノベルを書いて欲しいんだよって平坂読さんの「ラノベ部」(MF文庫J)なんか読みつつ思う秋。吹くすきま風。こーゆーのが好きそうな人たちがいるのは分かる。最初は何だこれ的扱いからでも読んでみると意外と面白くて奥深いものなんだねライトノベルってって感じられてそうかだから僕たちはライトノベルを読んでいてもいいんだってことを自虐しつつ韜晦しつつ自覚しつつ他人にも示したい気分って奴があることも分かる。SFな人たちがSFを身分格差の最下層において自虐しつつもその面白さを語り仲間うちで盛り上がっていた時代だってかつてはあった訳だし。でもなあ。やっぱり1冊の本としてそればっかり、ライトノベルのある生活オンリーってのは折角の書き手にしては勿体ない。何らかの物語にまぶしてアピールして欲しかったけど、まあここまであれだけいろいろ書いてきたんだから1冊くらいはあっても良いのかな、いややっぱりエンターテインメントを、圧倒的なエンターテインメントを。オーダー。


【9月21日】 これで良いのだ。とてつもなく壮大で遠大な戦いの幕はまだ切って落とされたばかり。ようやくにしてコマが揃い始めた段階でちょっとしたエクソダスのエピソードがあって、それは決してメインストーリーではなく、絆を確かめ合ってさあ本当の戦いはこれかだって決意を固める通過儀礼的なものでしかないんだけれどもそこでいったん、話を切ることによって中途半端なお預けをくらった気分より、もっと大きな戦いへの期待感の方が上回って心を誘ってウキウキさせてくれる。チラチラと見せられた幸せそうだったり戸惑っていたりする登場人物たちの進み始めた日常は、そんな期待感に彩りを添えていつか来る第2期の放送を、どれだけだって待とうって気にさせてくれるのだ。

 なんつって。いやしかしこれで第2期がなかったらまったくそのままに「週刊少年ジャンプ」の10週すら保たずに打ち切られて「俺たちの戦いはこれからだ!」で終わった漫画のよーだなアニメーション版「セキレイ」は、本来だったら羽化しちゃってるはずの風花を脇に置きつつ「縁の鶺鴒」こと結女の復活から懲罰部隊の駆逐を経て結の再起動へと至って一段落ってエピソードを丸くおさめてチャンチャン。MBIの本来の狙いは未だに見えず結と鴉羽の決着は付かず、焔ははだけたシャツから素晴らしいものをのぞかせいったいどうなっているんだと訝らせつつ喜ばせ鈿女は裏切りを指弾されていたもののそれが一体どーなるのかを、誰も知らずに終わってしまうことになる、いや漫画の「セキレイ」を読めばだいたいは分かるか、風花の扱いに若干の矛盾とかあるけれど。

わるいこはしずめちゃうぞ、ってしずんじゃったぞ  まあでも1クールって時間的な制約がある上に原作は未だに連載中。だから勝手なエンディングを付ける訳にもいかないってことで、ストーリー的な最初の山場までを描いて作品への興味を抱かせとりあえずは単行本を買ってちょうだいって感じに宣伝につなげるのも商売としては当然の策。そうやって儲けたお金を映像の方へと還元させて第2期って奴をやっていくサイクルがうまく回れば無理に原作と違う展開にして後を続かなくしてせっかくの盛り上がりで映像化ビジネスを行いにくい状況に、陥らずに済むって寸法か。原作と違った展開に収束させて身動き取りづらかった「鋼の錬金術師」から学んだか。とか言ってると「鋼」が原作バージョンでもって再度のアニメ化。ここまで原作が強力無比になれば何だってアリってことなのね。果たしてなれるか「セキレイ」は。すべては焔にかかってる。

 せっかくなので上映が終わる前に大画面で草薙水素のボウリングシーンを瞼に焼き付けておこうと「スカイ・クロラ」の上映箇所を探して六本木のシネマートで今日からスタートしていることを知ってとことこ六本木へ。どこにあるのか最初は分からなかったけれども「六本木ヒルズ」とかある一角とは反対だと気づいて向かいチケットだけ買ってそれから「六本木ヒルズ」へと向かいこの1週間でとてつもなく激しく有名になった「リーマン・ブラザーズ」の日本のオフィス前で記念の1枚を抑えておく。もちろんポニョといっしょに。

 入居している企業であっても外に一切看板をつけることを認めなかったはずの「六本木ヒルズ」にあって外に堂々と石碑までぶっ立てるくらい牽制を誇っていたのに今や風前の灯火。あそこまで優遇していた「六本木ヒルズ」にだって家賃取りっぱぐれるんじゃないのって心配も浮かんだけれどもそうだとしてものめり込んだ果ての自得、って奴だから仕方がない。んであの看板はいつまで出しておくんだろう? 縁起でもないんじゃないのかねえ。これ以上は下がらない、ってことで滑り止めのおまじないとして削って保っていく人とか出始めたら新しい名所になったりして。いやそれは流石にできないか、罪事だろうし硬そうだし。

 映画まで時間があったんで「森美術館」であんまり知らないフランスのアーティスト、アネット・メサジェって人の「アネット・メサジェ:聖と俗の死者たち」って展覧会を見る。海外からのアート見物に交じって地方からの東京観光組も交じった相変わらずの「美術観光」的状況だけれど無体に走り回ったりするこどもとかは流石にいないんで安心。間近に触れられそうなオブジェの山ほどある展覧会でそんなことされたらひとたまりもないからねえ。例えば天井から毛糸が何かでポートレートやらゴミ袋やらを部屋いっぱいに吊した作品なんて中に飛び込んでいってぐちゃぐちゃにしたくなる雰囲気。しだれ柳というかジャングルというか、過去の思い出が溜まった森のよーな形態が現しているのは憧憬も恐怖nもぜんぶひっくるめた人の記憶って奴をそこに現出してみせよーとしたんだろーか。

 拾ってきたのかどうやって集めたのかは知らないけれども鳥の死体とかを並べたり動物の剥製を止まり木みたいな中空のプレートの上に置いて顔にぬいぐるみの顔をかを被せたりする作品なんかは「死」って奴を見せつつそれをきれい事でもって覆い隠そうとする人間の浅はかさというか賢しらさへの糾弾か。ぬいぐるみっぽい素材を使うのが好きらしー人だけれど形態は異形でも色彩は割にパステル調で派手派手しさがないのは歳の功って奴なのか。よく若い人の展覧会で派手さばかりを追求して見た目で最初は驚かせても、中身のなさに気づくとどうでもよくなるって作品もあったりするけど、そーゆー段階を卒業して、言いたいことをはっきりとさせてそして見栄えも考えているからああいった場所におかれても、見る人に辟易とした気持ちを抱かせない、のかもしれない。

まま……。  天井から吊された人形が上がったり下がったりしている部屋なんかは仕掛けが派手で見た目も迫力。ただ言いたいことまではつかめなかったのは見方が浅いせいななのか。窓際に設えられた部屋で弧状に天井につけられたレールの下をつり下げられた人形やらぬいぐるみやらがぐるぐると回っている部屋は解体前の肉を吊してさばいていく食肉加工工場からのインスパイア? 吊されさばかれるだけの人生って奴の無意味さつまらなさってやつを突きつけそこからの脱出って奴を促しているとか。だから窓に面して開かれているのか。そこは「六本木ヒルズ」。飛び出せばきっと空だって飛べるさ数秒間だけ。

 ぐるりと回って最後についでに新しいアーティストも見せておくか的プロジェクトの「MAM PROJECT」でもってフィーチャーされた荒木珠奈さんって人の「泉」って作品が、中央にツリーを置いて天井へと伸びてから曲がり垂れ下がった枝葉が地面へと降りて、そこから中央のツリーへと向かう円環構造の上を超やら牛やら何やらかにやらが移動していく姿を再現していて、見ていてわき出てくる生命って奴を表現しているようで心に安らぐ気持ちが浮かんできた。ツリーへと向かい昇って生まれ下がって死んで再生するのか生まれ落ちたものが育ちそして母なる木へと還るのか、向きが双方あって分からなかったけれどもどっちにしたって生まれ育ち死に再生する繰り返し、って奴を白い蜜郎の儚さと温かさをもった素材で作ったことがより命の尊さってものを感じさせるよーになっている。アイディアも造型も揃った人。他にどんな作品があるのか調べてみようっと。

 降りるとアトリウムに水槽があってポニョがいっぱい泳いでた。クラゲもいっぱい泳いでた。唄っているこどもはいなかった。そろそろブームも終わり? でもって映画館で「スカイ・クロラ」。3回目。ボウリングも3回目。やっぱり腰が良い。さすがに最初の展開に眠気も湧くけど「可愛そうなんかじゃない」と草薙水素が叫ぶ場面くらいから動きも出てきてセリフも増えて目も覚めて、あとは現状に甘んじて生きる気楽さってやつを一方に示しつつ、そんな日常にもやがて膿んで逃げ出したくなる衝動の激しさって奴も感じさせ、けれどもやっぱり抜け出せない虚無感って奴も伺わせたりして今のこの、いかんとしもしがたい状況に置かれつつある我が身というよりむしろその周辺の、未来って奴に思いを馳せて心に冬を感じる。1度の失敗を2度目で重ねて3度目も。春は来るのかねえ。

 見終えるとやっぱり欲しくなるフライトジャケットでも見ようかと上野に出かけたら凄い雨でろくすっぽ店は見られず。ガード下にあるトンカツ屋さんに入ったらメンチカツと唐揚げのセットがなかなかのボリュームでかつ美味だった。メニュー的には「かつや」に似ているけれども別にチェーンではない昔からあるっぽいお店。上野にはこの18年で散々来たけど入ったことはなかったなあ。冬も近づいて来ればジャケットも欲しくなるだろうから探すついでにまた入ろう。赤いボマーを和服の上に来て編み上げのブーツを履いて会社に行っても良いんだろうか?


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