縮刷版2008年9月上旬号


【9月10日】 苦渋の日。忍従して追従して挙げ句に過重に臨終と。そんな未来が見えますすぐそこに。でもそれは下っ端の話で上はまるで気にせず責任は取らず居座りいけしゃあしゃあと立場を固め、すがるカンダタは蜘蛛の糸ごと地獄へと足蹴にたたき落といて自らは空へと向かり遂につかむぞ頂点を。それが資本主義民主主義貴族主義の常って奴なのさ。でも大丈夫。そうやってつかんだ頂点なんざあ世間的に見たらガラスの張り子の虎退治。気がつけばまとめてポイだポポポイのポイだ。建物ごと崩れ去る輩の断末魔を下より笑って見てやろう。でも安全ネットだけは準備怠らず。貯金貯金。

 意味わからん。いやそれより「月刊アニメージュ」の2008年10月号だ。連載の始まった「アニメのサムターン回し」……じゃなかった「アニメの鍵」ではなくって表紙の「コードギアス 反逆のルルーシュR2」に出てくる最後まで居座りそうなヒロインのC.C.の横にハミ出た胸の丘の柔らかそうな裾野がとても子供の煩悩を刺激しそう。これを見てこれが視られるんならと日曜はさっさと家に帰って午後5時の本放送をテレビの前で座って待つ子供が増えて、公園やゲームセンターから子供の姿が消えてしまったら社会現象として取り上げられて評判も呼ぶんだろーけどそーやって待っていたら繰り広げられたのが全員死亡の大虐殺、ってんだったら心に傷も追っただろーな。前週で良かったよナイト・オブ・ラウンズの瞬殺合戦。あと前々週の父さん母さんまとめてポイのシーンとかも。

 そ・れ・だ・け・な・ら・ま・だ・い・い・が。byトーマス兄弟。開いて「マクロスF」特集に続いて綴じ込まれたポスターをぺらりとめくって広がるこっちは、腰より下の背中から続いてなだからにふくらむ双の丘とそして谷間が作り出す球状で柔らかそうなフォルムが目にまぶしい。うぉっまぶしい。近寄って鼻すりよせてその柔らかさを確かめたくなったけれども残念無念にそこは紙。だかの平面で柔らかさも伝わらず香りも漂わない。なんと残酷な仕打ちであることよ。これぞ蛇の生殺し。据え膳食えぬは男の不甲斐なさって奴か。

 けど良いそれが心にいつか本物をって気持ちをわき上がらせて二次元からのエクソダスを招いて人類を少子化から救うのだ。単なるフェチを生んで一向に少子化は止まらない可能性もあるけれど。やっぱりそっちが正解か。しかしやっぱり丸いなあ。拘束衣の時も丸かったけど生の丸さもなかなか。コーネリアの丸さは多分固さも伴うんだけれどC.C.はピザばっかり食ってるんでぷにぷにっと柔らかそう。ああ煩悩。浮かぶ煩悩。耐えてテレビの中でそれが躍動してそして終末へと向かう様を楽しもう。次はいったい誰が逝く? でもってナナリーは本物か。咲世子は生きているのか。コーネリア様の顔は崩れてないか。気になるなあ。日曜日が待ち遠しいなあ。

 記事も書いたし原作者へのインタビューもやったし何よりSF者で萩尾者なら見ておくべきだと「紀伊國屋ホール」で公演中の「スタジオライフ」による「マージナル」を観劇。 砂漠編と都市編があっててっきり砂漠編が前半で都市編が後編でそれならやっぱり砂漠編から見るのが良いと認めつつ、wombとuterusの2つのチームがあって今日はどっちだったっけってのはあんまり気にせず入ったらuterusで顔立ちの派手な曽世海司さんがグリンジャ役をやっててあと可愛らしさでは一頭抜けた感じの松本慎也さんがキラをやってて何とはなしに正解。アラケン荒木健太朗さんのキラに興味がない訳じゃないけれども雌雄が同体になった中性っぽさならやっぱり松本さんかなあ、って思っただけで見たら案外にアラケンも良い感じなのかも。機会があったらそっちの砂漠編を見てみよう。

 ちなみに言っておくと都市編は砂漠編の後編ではなくどちらも1本の「マージナル」。だけど砂漠編はキラが現れグリンジャと出会いアシジンと出会い三角関係から別離へと向かいそして再会にして混乱にして再生へと向かう「マージナル」のメーンストーリーを、本編に倣い砂漠の民の目線から描き通した内容で、その意味であの長大な話を駆け足で描いたって感じがあって見ていて原作をちょっと前に読んでいなかったら、果たしてどこまで付いていけたんだろうって気になった。ちゃんと思い出せたかな。でもSF大会の帰りに難波から名古屋までの近鉄で読み返した時も随分と新しい発見があったからなあ。こんな入り組んでそして感動的な話だったんだって。

 だから舞台も感動的にちゃんと終わってキラが新しい生命の源になる未来に開かれたエンディングを堪能できる。ただし原作でもうひとつのクライマックスともいえるメイヤードの絶望とナースタースの慟哭は砂漠編には描かれない。グリンジャとアシジンとキラの関係を表とするなら、都市にあってその閉塞感にあふれた状況で、己に起こる変化を心の奥で噛みしめながらできることをやろうと差配を奮うメイヤードの悲壮感に溢れた振る舞いを描いたのが都市編ってことになりそー。つまりは裏表の関係。両方を見てはじめて「マージナル」の豊饒な世界観が理解できるって寸法。考えたなあ倉田淳さん。

 マザ・システムを護持しカンパニーに残したナースタースの思いを知ってか知らないふりをしてか、気にせず向こうもそれならそれと高飛車に振る舞う切ない関係や、新しい生命の誕生を願いキラたちを育てようとしたものの果たせず散っていくイワンたちのあがきめいたものなんかも都市編には折り込まれていそー。そんな中から生き延びようと必至になる砂漠の面々たちの生々しく荒々しい生命力とはまた違った、絶望に溢れた世界に生きる虚無感って奴がきっと感じられることだろー。地下ダムでのアシジンとメイヤードの感動的な交流も描いてあるんじゃなかろーか。あのメイヤードが自らを晒す衝撃のシーンはどう描く?

 ちなみに舞台化困難と思われていた(笑)センザイ・マスターのエネルギーを吸い取られやせ細る描写もしっかり演じられておりました。和風の坊主ってよりは西洋風の神父か牧師って風体にはなっていたけど。林勇輔さんって人の演技も良かった。グリンジャは曽世さんの彫りの深い吸血鬼みたいな容貌がマッチしてたなあ。アシジンの岩崎大さんも長身痩躯の野性味あふれた姿がピッタリ。だけどそれだけに仲原裕之さんのアシジンも気になるなあ。とりあえず都市編も曽世岩崎に松本が並ぶuterusで見るか。メイヤードは青木隆敏さんで変わらないならwombでも構わないかな。悩ましい。

 400人ほどの定員の紀伊國屋ホールはほとんど満員。それも99%は女性で男性の観客は目分量で5人くらいしかいなかった。SFなのにこの少なさ。萩尾ファンには男子も多いって聴いていたのに、やっぱり「スタジオライフ」だとちょっと行きにくい? あるいは公演後のトークショー目当てで女性のライファーがこぞって買い集めたからなのか。そのショーでは役者が本来の自分の役以外で演ってみたい役に挑戦するって趣向で早速キラの松本さんが砂漠に放逐しようとしたグリンジャに逆襲されて砂漠に死にながら死霊となってアシジンを尋ねた男をやっていた。普段は演れそうもないってのはやっぱりヒロイン向けの顔立ちだからってことか。ほかアシジンの岩崎さんはグリンジャの目を鞭で打つ男を楽しそうに演じ受けてグリンジャ役をそのまま演った曽世さんはひとりで後ろでにされ誰かに引っ張られ捨てられる演技を見せて喝采を浴びていた。ああ楽しそう。

 逆襲して曽世さんはキラとなり新しいマザのハレルヤが登場するから自分は子を産まなくても良いんだと喜ぶシーンを演て岩崎さんに抱きつきはしゃいでみせる。これまた楽しそう。こういう場面を見るとすっと役に入って演じきる役者の人たちの凄さって奴が改めてよく分かる。本編だとその本編に当たり前の演じ方になっているから気が付かないんだよなあ。そんなこんなで実は初の萩尾原作による「スタジオライフ」の舞台を堪能。いつか「ポーの一族」や「メッシュ」も見たいけれども再演は未定で次ぎは皆川博子さん「死の泉」のこれは再演? とあとソフィア・ポスムイジって人の「パサジェルカ」。ともにナチスドイツ下のドイツを舞台にした女流作家の作品で、こちらは耽美にあちらは不条理? よくは知らないけれども共に異端なホロコースト文学をどう演じるか、どう舞台に移すかを期待して公演を待とう。


【9月9日】 3番が良い。という意見が満ちあふれていて感性にいささかも世間とのズレはないんだと確信に至ったものの、ネットに溢れる嗜好というのはそれだけでやや低年齢な方向へとズレ気味だったりしている可能性もある訳で、その意味ではやっぱり世間一般の感性とは違いもあったりするのかもしれないと思いつつ、それでも良い物は良いんだと主張して、タカアンドトシが司会を務めた「お試しかっ!」における芸人の女子中学生相手のコンテストめいた番組で、最前列に座り3番をつけていた現役バリバリな女子中学生の笑顔を思い出して、秋の昼間に比べて涼しさも感じられるよーになった夜布団に顔を埋めてニマニマと笑うる。汗くさいなあ。

 んで芸人さんたちによる女子中学生相手のコントは、小島よしおさんのギャグがことごとくすべって受けてなくってやや悲惨。確かに面白くはなかったけれどもそれなりに知られた人なんだから、出てくるだけでドッカンドッカン受けてしまうのかと思いきや、冷静に見て静かに断じて寄せ付けないのは決して仕込みなんじゃなくって、素直にストレートに好悪を判定した結果ってことに違いない。同様にあれって誰だったっけ、外国風の女性に扮して「ラジバンダリ」って自分を指すコントも悲惨な評定だったけれども、大人が「受けている」って評判から「受けているんだ」と無理矢理感じて、「そうか面白いのか」と自分の気持ちを誤魔化し笑うよな贈与を女子中学生はいっさいせず、見てそれが面白いかどうかだけを真っ直ぐボタンに表現してくれている様に、空気とやらを気にして汚れ錆び付いてしまう感性に鉄槌を下されたって感慨を抱く。そうだよなあ、「ラジバンダリ」って別に面白くないもんなあ。

 そんな中にあって「オードリー」が凄かった。満点。かつてない事態。まずだいたいにおいてビジュアルが分かりやすい。アメフト上がりの春日って人が鍛え上げられた胸板をぐいっと前に張って両腕を脇にやや広げ気味にして垂らし、威張った風体であれやこれやと言うけれどももうひとりの若林は孤高の喋りを続けて、横でおいおいと行って来る春日を気にせず時にははたいて見せるその不条理一歩手前の絡みっぷりは、見ていても面白ければ聞いていてもとっても愉快。引っ張り込まれて離れなくなってしまった挙げ句に赤いボタンを押してしまった女子中学生たちが、会場の全員に達したってのもよく分かる。「タカアンドトシ」だってとれない満点をよく取ったっていうか、年期の入ったタカトシでもそれなりに点を稼げたあたりはなるほどベテランの味って奴か。ゴージャス悲惨だったなあ。「ロックの学園」の「エアギター大会」で見た時も不思議に悲惨だったけれどもこうまで受けないとは。ビジュアルじゃあないんだ。女子中学生といえども。

 「ドラえもん」を浮かべて遊ぶラジコンが出た時に、あたま上のタケコプターが2重になっていた様にリアルじゃないって突っ込みたくなったものの、それだと本体がグルグルと回ってしまって安定しないから反転するプロペラを重ねて相殺しなきゃいけないんだって教えられて、現実と空想の間にある差ってやつを痛感させられたのは遠くない昔の話。だからウィズが「エアボッツ」を土台にして創り上げた「キャラボッツ」として今月下旬にも出てくる「がんばれロボコン」のプロペラが、背中から飛び出してくる1枚じゃなくって方から生えたツインローターになっているのも仕方がないっていうか、もともそそーゆーデザインの「エアボッツ」から派生したものだから当然というか、ともかくもビジュアルが原作とは離れていたってあの「ロボコン」を飛ばして遊べるんだってことの重大さを、ここは素直に受け入れるのが大人の嗜みって奴なんだろー。

 だから同時に発売される「鉄人28号」が、背中のジェットエンジンを吹かすんじゃなくってやっぱり両肩から伸びたツインローターで空を飛んでも気にしない。気にしないったら気にしない。「玩具ショー」の時はまだモックでデザインこそしっかりしていたもののそれでは重くて飛ぶはずもなく、かといって軽い発泡スチロールにしたらデザインも歪んでしまわないかと心配したけど、「東日本玩具見本市」に出てきた「キャラボッツ」を見たら造型はまずまずでいかにも「鉄人」って雰囲気。手足の生えっぷりもリアルでそれが空を自在に飛びまわる姿を見れば、ファンでなくてもきっと嬉しくって頬がほころぶんじゃなかろーか。

 このできあがりっぷりなら空を飛ぶ系の他のロボットだったら何をやっても人気が出そう。嚆矢となったのは「マジンガーZ」だけれどジェットスクランダーじゃなくてもプロペラでも赦してもらえるのかな? 最近の作品だったらやっぱり「コードギアス 反逆のルルーシュ」から「ランスロット」が欲しいけど、空を自在に飛ぶよーになったのって「ランスロット何」だったっけ? 出過ぎで分からない。ってか出ているだけマシ。大改造なった「紅蓮聖天八極式」ってルキアーノを粉砕してヴァルキュリエ隊を殲滅した回以外にどれだけ出たんだ? 出てすぐ次とはまるでブチメカ3分間、だよなあ。

 んでもって有楽町あたりでブルーレイディスクレコーダーを物色しつつも東芝の「VARDIA」あたりがすごい勢いで値下がりしていてハイビジョンじゃねえしブルーレイディスクは「PS3」で見られるんでそっちを抑えてハードディスクの容量過多をしのぐかどうかと悩んで見せたりしたあとでガードをくぐって有楽町方面へと抜けようとしたら耳に響くコーラスの歌声。「ゴスペラーズ」かその類かを思ってみたらまだ若い4人がヒップにホップな歌を唄っててあまりの上手さと、そして何より歌声の質の良さに聞きほれて足が釘付けになる。名を「Fate」って別にSTAYなNIGHTとは無関係でセイバーもランサーもいなごくごく普通のお洒落な男性4人のユニットで、アップテンポな曲もノリノリならスローなバラードも感じが良くって演じた2曲だかを最後まで聞いてついでにCDまて買ってしまう。サインしてもらっちゃったぞ。

 調べるとそれなりにキャリアを持ってるメインボーカルのTAKAHUMIさんて人がいて、しっかりとした芯の通った声で引っ張り脇をこれはYUさんかな、やっぱり確かな音程とくっきりとした声で固めて隙を作らせない。そしてSHINまたはYUさんが底を支えてさらに長身にして端正なマスクのJOYさんが、メーンは張らないけれどもソロの部分ではしっかりとうたって雰囲気を創り上げてみせる。こりゃあちょっと凄いかも。結成が5月だからまだ半年も経ってないのにこれだけの完成度。買ったCDの声はまだどこかゆらゆらとしていたけれども自信が裏に入って前だけを見て爆発できる環境となった暁には、きっと何かやらかしてくれるんじゃなかろーか。11月29日には渋谷VUENOSでワンマンライブもあるみたい。オリジナルとかカバーとかひっくるめてどんなアクトを見せてくれるのか。日に日に上がる完成度にも興味があるんで時間があったらのぞいてそして見よう、伝説の幕開けを。


【9月8日】 そんな「スタジオジブリ・レイアウト展」の大盛況の陰でしっかりと「東京都現代美術館」では新鋭のアーティストの収拾にも余年がなかったみたいで、常設展の方へと足を向けるとそこには加藤美佳さんの巨大な人物像「カナリヤ」って作品が飾ってあってそうか遂に買ったかやっぱり買うよな見れば普通って思いつつ改めてその美しさに目を見張る。

 もう随分と前に小山登美夫ギャラリーで「加藤美佳展 カナリヤ」を見たときからのファンで、って流石にその後にどんな作品を作り続けていたかまでは追いかけてはいなかったけれども、最初にして至高の作品を生みだした実力がそうそう歪んだり衰えたりするはずもなく、今もってしっかりと現代アートの最前線を突っ走ってくれているみたい。「カナリヤ」ではない別の作品も1枚あってやっぱり何かを写したよーな雰囲気ながらも具象的な人物像とは違った味って奴で活動の幅の広さを見せてくれていた。個展がどっかであるならまた行ってみたいなあ。それよりどうして最初の頃に買っておかなかったなろう。今なら何10倍とかになっていたはずなのに。まあそういうもんだよ、貧乏性って。

 同じ会場には奈良美智さんのでっかい子供の肖像画めいたものもあって奈良さんのマスターピース的なものが集まっているっぽい所に見る目の確かさって奴を感じる。そんな奈良さんの絵が遠くに加藤さんの絵を置き、すぐ横にリキテンスタインの「ヘアリボンの少女」を置いて飾られていたりするその現代性がちょっと愉快。まるで事情を知らない人がみたらどれが1番価値のある作品って思うんだろーか、加藤さんかなあ、やっぱり、綺麗だし緻密だし。

 漫画の絵柄をでっかくそして精密に写してそれをアートと言い張ったポップアートの時代から、だいたい40年くらいは経つんだろーか、商業的な図案が持つ先進性なんかを意識しつつも、それらが巷に氾濫してはビジュアルの最先端として認知されている実状を取り入れ、権威的な美術の世界に石を投げ入れ、波紋を引き起こした「ヘアリボンの少女」に認められるコンテクストの積み重ねでもって心的な納得を得させようってロジックは無用とばかりに、体の内に染みついた漫画的でイラスト的な図案をそのままストレートに表現して、絵として仕立て上げて誰に憚ることもない時代が来ているんだなあ。奈良さんの絵って見た目は「ヘアリボンの少女」に似通ったイラストなんだけれども、その根っこは心に浮かんだ憧憬的な感情の発露でしかない。漫画的イラスト的表現が一切の言い訳無しにアートとして打ち出せる時代って奴を、ひとつの展示室で分からせる学芸員の冴えに拍手。

 ご近所じゃあ暗い場所にひっそりとおかれたガラスの電話ボックスって奴があって、中にキラキラと回るミラーボールにこりゃ何だと横を見ると映像。路地に置いておいたらどんどんと、人が入ってはヘッドホンを耳につけてそして狭い電話ボックスの中で踊り始めているではないか。そう「ひとりディスコ」。足立喜一朗さんって人の「e.e.no.24」って作品で警備の人に促されて中に入ると周りはマジックミラーでうっすら向こう側が映るもののだいたいが自分の姿になっててそこで、置いてあったヘッドホンを手に取り「iPod」から流れてくるビートのくっきりとした音楽が聞こえてくると自然と足はステップを踏み手足はグルグルと回り出す。

 なんてことはないけれどもそうしてみたくなるのはやっぱり上でキラキラ回るミラーボールの持つ催眠効果って奴なのか。けどでもこういうのってやっぱり街に置かれて楽しまれてこそのアートであって美術館の展示室にひっそりと置かれていても味気ない。中に入れるからっていっても周囲に誰も見ていないと踊る意味も半減しそーでそこが他人を巻き込むアートを集める難しさって奴か。実物は遺構として据え置き輝いていた時代を映像として示して一瞬の輝きに気持ちを向けさせ全体像を把握させてから今は使われていない電話ボックスを見させることで想像力を喚起する、って展示もありだけどもやっぱり試してみてこそ分かる楽しさ面白さって奴もあるからなあ。とりあえず展示してあるうちにまた行ってこんどは派手に踊ってみせよう盆踊り。

 いつも間にやら「隠の王」は服部さん家での最終バトルに突入していたみたいだけれども京都風な方言の女性が目も見えないのにすすっと壬晴の側によってはそれなりに体術を会得している壬晴の喉元に匕首の切っ先を突きつけ宵風を脅していたけどそんなに彼女は強いのか。戦地で働く民間人だったところを取材に来た服部柊十郎と知り合い意気投合したっていうかそうせざるを得ない状況に追い込まれたて設定があったけれども、長くいっしょにいれば多少は術を覚えるのか。服部の方は刀を振り上げ迫ってきた雷光を瞬間に撃退。伊賀の首領で灰狼衆を束ねるだけあって強いだろうとは思っていたけどここまで周囲に力を見せる機会がなかっただけに油断もしてたってことか雷光。

 最初っから服部が出ていけばすべてあっという間に片づいたかもしれないのに。いやいや風魔もあれでしたたかそう。そんなこんなで原作を飛び越え一気に向かうラストシーンは世界をリセットしようとラグラレク接続に挑んだ服部柊十郎と一季を間違って居るぞと壬晴が否定して2人を空間に沈め「隠の王」として世界に君臨する、ってんじゃあ一緒か。どうまとめるかに関心。こちらはまだラスボスが残っているだけまとまりやすいんだけれどラスボスを倒してしまって大義を失ってしまった「コードギアス 反逆のルルーシュR2」は、ルルーシュが皇帝になって世界に君臨するのは良いけどその目的に大義が見えない状況ではやってて滑稽なだけなんだよなあ。世界を救おうとした両親を消して世界を手にして何がしたいんだルルーシュ。ナナリーの存命を知りつつ道化になろうってしたんだったら分かるけれどもマジ、知らなかったみたいだし。余りのエピソードをまとめるのって大変そう。


【9月7日】 ふと目を開けると中村俊輔選手がどっかんとフリーキックを決めて1点を先取していて、やっぱりフリーキックからしか得点を奪えないんだ日本ともやもやしながら思いつつ、まどろみつつふとまた目を開ける今度は遠藤保仁選手がコロコロとまでは行かないけれども相手ゴールキーパーの動きを読んだペナルティキックを決めて2点を奪取して、直前のフリーキックからの混戦から得たPKってことでやっぱりセットプレーからしか得点を奪えないんだ日本とぼんやりしながら寝落ちしてまた目を開けると今度は中村憲剛選手が相手バーレーンのディフェンス陣が弱まった隙を狙ってどっかんとミドルを決めて3点差と大量リード。

 なるほどフォワードは奪えずとも中盤が何とかする、我らが日本代表のいつもながらの光景にやっぱり岡田サンでは例え勝っても修羅場をくぐって逃げ切るのは難しいのかもなあとそのまま深い睡眠へと入り起きたら、そこから2点を奪われていたことを知って絶対に岡田サンでは大変なことになるなあともと確信。録画を見返してほとんどが足下でのつなぎでもって前へと進めるプレーぶりに、夕べたまたまハードディスクレコーダーを整理していた時に見返した、全員が走ってゴール前に2人3人とつめかけたアジアカップ予選サウジアラビア戦との差異を覚えて遠い目になって遠くオーストリアはグラーツの仙人を思い出す。速く戻って来てくれ日本に。速く。

 ぐっと眠ってから起き出して決断。そうだ「スタジオジブリ・レイアウト展」に行こう。ってことで近所のローソンへと出向いてチケットを確保。日曜日だからきっと夕方のしか空いてないかと心配したけど普通に買えたし、現地に行ったら行列なんてまるでなくってほとんどスルーの状態。普通に楽しめる原画展とかと違ってレイアウトなんて見た目は鉛筆描きのモノクロのショボい原稿用紙が並ぶ展覧会にいくら「スタジオジブリ」の名前が冠してあったって、押し寄せる物好きもそうはいないってことなんだろー。とはいえそれでも正午からの回に入ると中はまあまあの入り。展示の前に人垣が出来るくらいには入っていたのはやっぱり「ジブリ」ブランドのご威光か、それともアニメーションってものがどう作られるのかを知れて勉強になるって感じて訪れた若い人たちが大勢いたってことなのか。

アラーキーはびしょうじょ好き、だからポニョも好き  まあ見た目はそれでもただの1枚絵。だから現実のセットに実在の人間なんかを配置するカメラワークなんかとどう違って、人間が手で描くことによって実現する現実にはあり得ないけど見た目には効果的な構図になっているんだってことまでは分からないのが残念で、そのあたりをもっと詳しく説明した本なんかを作ってくれれば後に続くアニメーター志望者にも大いに参考になったかもしれないんだけれど“天才”宮崎駿監督の感性を、ロジカルな言葉で説明するのもそれで結構難しそうだからやっぱり見て感じ、映像を見返して感じ、自分で描いて感じてそして体得していくしかないのかも。これがアメリカあたりだったら大学で1つの授業として細密な分析が施され、指導がなされそしてそれぞれのアレンジも加えられる形で次代に受け継がれていくんだろーけど。コンテンツ立国とかほざくんだったら教育の土台をもっと作らないといずれ世界に置いてけぼりにされちゃうぞ。

 手書きのナウシカのガンシップを必死で操縦するシーンの凛々しさとかに惚れつつ「もののけ姫」のエボシの絵が少ないことに落胆しつつダイダラボッチのデカさをどう見せるのかってあたりの腐心にだからあんなにデカく見えたんだと得心しつつ眼鏡っ娘とグラマーと長身スレンダーとあと覚えられないっ娘の4人組の女の子たちを横目で見つつ通り抜けてそして地下へと降りて撮影コーナーとかで遊びつつ売店でダゴン……じゃなかった半魚人のポニョを再び確保、しかもミニサイズもいっしょに。ずっと連れて歩いていたのに名古屋の実家で奪われしまってずっと寂しい思いをしていたのであった。これでまたあちらこちらに連れ回せる。ってことでそのままバスで東京駅へと出て「カウ・パレード」の牛とダゴンをご対面。とりあえずアラーキーこと荒木経惟さんの牛に挑戦させて美少女の写真も撮るアラーキーの猥雑さに染まらせたら半魚人から人間へと、変化してくれるんじゃないかと期待したけど魔力が足りなかったみたいで変化せず。

じっと見ている  それならと我らがしょこたん中川翔子さんの牛と絡ませようって思ったけれどもやっぱろ単に「丸ビル」の入り口の警備って訳ではなくってやっぱり牛そのものを警備しているとしか思えないガードマンの視線にさらされながら、大小2匹のポニョを置いて撮影するだけの勇気も浮かばなかったんだでそそくさと退散。アラーキーだって単独で佇んでいるのにさすがは今をトキメくマルチアイドル、その牛の価値も世界のアーティストたちを上回ってガードが必要なレベルにまで達しているってことなのか。

 仕方がないので連れ回って目ん玉が左右に飛び出た牛と並べて「ほうらそっくり」とやってみたり、探しても探しても見つからなかった「エルモ牛」を国際ビルの地下でよーやく発見してポストモダンなビルの薄暗い地下に置かれた派手な牛ってミスマッチぶりを楽しみつつ、近隣を回ってそれなりにゲット。コンプリートとはいかないけれどもそれなりに見られたんであとは暇を見つけて潰していこう。3回目となると始まればさあ見物だって人も増えて終末あたりの大手町丸の内有楽町に人を呼び込むきっかけになっている「カウ・パレード」。とはいえ3度目ともなると突発的な椿事って雰囲気も薄れどこか官製の上から目線が気になってちょっと鬱陶しい。アートなんだからハプニング的なものもあって不思議はないとするなら誰か勝手に「痛牛(いたうし)」とか置いて飾って受けを狙うパフォーマンスでも、あれば気持ち的には愉快なんだけど。でもあのファイバー製の牛を手に入れるのが大変か。オフィシャルショップで売ってるミニチュアを上書きしてこっそり置いて回るとか。期間もまだあることだしこれからの展開に、期待。

 ぶぁかめ、って言ってくれるエクスカリバーだったらビスマルクことナイト・オブ・ワンものこのことランスロットなんたらの前に出ていっては、スザクの「右ストレートでぶっとばす×100」のプレッシャーに潰されまっぷたつにされることなく、洞窟でエクスカリバーの武勇伝を延々と聞かされ自作の詩の朗読につきあわされ目覚めの珈琲につき合わされた挙げ句に前線へと出ないですんだのに。でもそんなエクスカリバーではなかったためににハイパー化したナイトメアと心理的ハイパー化が進んだスザクの前にようやく使ったギアスも虚しくご退場。「コードギアス 反逆のルルーシュR2」に厳かに登場してその強さを伺わせていた割には大した活躍も見せずにあっけなく退場していく姿になるほど抜かないからこそ伝家の宝刀、その強そうな感じで敵を引かせて場を収められるんであって抜いたら評価が定まってしまうものなのだってことを知る。抜いても強いのが伝家の宝刀なんだろうけど。

 それでも見せ場のあったビスマルクはまだいい。ナイト・オブ・トゥエルブのモニカ・クルシェフスキーちゃん。おかっぱに近い金髪と幼げながらもも聡明そうな顔立ちにきっと凄いんだって期待していて公式プロフィルにあるその未知数な力が発揮される時を待っていたのに遂に永遠に未知数のままで終わってしまいましたとさ。ちょっと勿体ない。いやモニカだったらちょっと前に艦隊を指揮していた姿を見せていたけどもうひとりのナイト・オブ何だっけ? たぶんドロテア・エルンストってナイト・オブ・フォーの人なんかそれがそうなんだって思わせることなく瞬間消滅。ビスマルクと肩を並べるってつまりスザクにゃ叶わないってレベルで肩を並べているってことなのか。人的資源の容赦ない無駄遣いっぷりがインフレしている終盤に、珍しく使い捨てられなかった美少女が現れそして次回。どうなるルルーシュ? そしてスザク? まあなるようになるってことで。コーネリアさえ生きていれば良いのさ僕は。


【9月6日】 したのかしていないのかどうなのか。それだけが話題になるってのも何だけれども、いくら直情径行の激しいガキで、状況を立体的に把握するのがとことん苦手で、絶対悪のヴァジュラと戦うんだとぶち上げたキノコ頭の演説に聞き入り善だと認め、そんなキノコ頭に反旗を翻したオズマに裏切り者だとくってかかっては撃退され、海賊王に俺はなるって宣言した艦長の下で、宇宙の彼方へとフォールドしていったマクロスクォーター一家に置いてけぼりにされてしまった早乙女アルトであっても、感染症のキャリアで発病しかかっているらしいシェリルを相手に、リスクの高い振る舞いはしていないだろうししないのがシェリルにとっても本意なんだと分かっている、とは思いたいけど思い込んだら純粋真っ直ぐなアルトだからなあ。真っ直ぐ突っ走っていってしまったのかなあ。

 そんな尾籠な興味は脇に置きつつ「マクロスF」はさらに転機の大盤振る舞い。ヴァジュラ相手の戦闘で激しく損耗したフロンティア船団にしのびよる崩壊の危機。かといってたどり着く星は未だ無く、おそらくは選別とパージでもやって循環を回復させる腹づもりでもあるんだろうかと想像し、実行されれば起こる混乱も激しさを増す中で崩壊の一途を辿っていく悲劇的な結末なんてやつも見えていたりするけれども、それじゃあ見ている方も納得できないし納得なんてしたくない。ギャグも交えて厳しさの中に明るさを希望を表現して来たたこれまでの展開がすべて無駄になってしまう。

宇宙のしょこたんを前にすればだ。  先遣隊よろしくアイくんを連れて宇宙を旅するランカがヴァジュラと共生できる場所を見つけ、フロンティア船団の皆を導く展開なんかを想像したいけれども、どうもヴァジュラを敵視する“永遠の17歳”ことグレイス・オコーナーが全身をピチピチスーツに包んで豊満な胸をかき抱き、陶酔気味に終末を語るよーな場面もあっただけに、更なる戦いの激化なんてものも想像できてしまうのが悩ましい。それじゃあいったいどんな結末が可能なんだ。すべてを収める機械仕掛けの花嫁の登場、といきたいけれどもランカは彼方でシェリルは衰弱。ならばと屹立するのはアルトと違って分かってて残った巨大なクラン・クランかそれとも見目麗しさだけらなら本作1の早乙女アルトか。まあ良いや。なるようになれとばかりに見ていこう残り少ない放送話数を。

 「おまえのドリルで我を突け」って叫んだんだったらその場でいろいろ吹き上がるものもあったかもしれないけれども突くのは天だと言ったそうだからやっぱりいろいろ吹き上がったかもしれない「劇場版天元突破グレンラガン」の舞台挨拶で、ニアの扮装で登場して集まった男の子達を煽った中川“しょこたん”翔子さんだけれども今日はニアかと思ったら昨日は牛と忙しかったみたいで、2年ぶりに大手町丸の内有楽町界隈で始まった「カウ・パレード」の超メインゲストとしてペイント牛を制作。それがいったいどれほどのものかと周辺を見て歩いてたどり着いたのが「丸ビル」の東京駅側の正面入り口で、つまりはあらゆる牛の最高峰にしょこたん牛が鎮座ましましているって寸法で、なるほどだからなのか背後にガードマンなんかを従えて、熱烈なしょこたんファンによる拉致を軽快しているっぽい光景が見受けられた。まあ単に丸ビルの正面入り口だから警備員が立っていただけなのかもしれないけれど。

世界のカシワも闇に沈む  でもしかし超人気とはいえアートに関しては余技なしょこたんの牛が衆人環視の煌びやかな場所に設置されて脚光を浴びている一方で、あちらこちらで大活躍して支持する若い人も多いグラフィックデザイナーの佐藤可士和さんが手がけた牛なんて休日には誰も通らない大手町にある大手町ビルの端っこの、屋根がせり出したその下で日を遮られた陰の中に誰からも注目されずひっそりと佇んでいるというこの格差。もちろんガードマンなんていやしない訳で世界でだって勝負しているデザイナーよりアイドルのしょこたんを主催者は、重用してるんじゃないかって構図も見えてしまって何だかなあって気にさせられる。世界のって意味ではアラーキーこと荒木経惟さんの牛もどっかにいるそーだけれどやっぱり警備なんてないんだろうねえ。

 んまあどれだけ世間の注目を集めるか、ってのが「カウ・パレード」の目的な訳でそれだったら世間が何かすれば目を向けメディアも記事を書くしょこたんの方を、前面に立てていろいろ喋ってもらう方がイベントの狙いにかなっているってこともいえなくもない。アートの世界やデザインの世界でのバリューじゃなくって今現在のメディア的バリューが重視されるイベントってことで。だったらそれこそジャの付く事務所のタレントなんかが1人1体をデザインしてばらまけば、集まる観客も国立競技場の何倍とかって数に行くんじゃなかろーか、ほらアートが得意なメンバーもいるし。でもそれだときっといろいろ後で利用に制約とかもかかりそうだし頼む予算もきっとないから無理ってことで。

 だったら逆に鷲宮神社の祭りにキャラクターが施された「痛御輿(いたみこし)」を投入して、何と100人を越える若い担ぎ手を集めてしまった「らき☆すた」に学んで、こなたやつかさやかがみやみゆきさんのキャラが描かれた「痛牛(いたうし)」でも並べたら? 痛いペイントが施された「痛車(いたしゃ)」に乗った若者が大手町丸の内有楽町を回って痛いペイントの施された「痛牛」を求めて回る光景に、誰もがクールジャパンの効用って奴を思い知るに違いない。そうかだったら次の「カウ・パレード」は全部をアニメキャラで彩れば良いんだ。題して「痛カウ・パレード」。これなら世界からだって客、呼べるぜ。やろうぜ外務省。やろうぜ文化庁。やろうぜ世界の三菱地所。やらねえよなあ。だったら誰かやろうぜどっかで。

 これはあるいは「痛アート(いたあーと)」のお祭りか何か? 村上隆さんが新しいアーティストを発掘するために開く、という形式をとりつつ村上隆さんが何かしでかすという行為をもってひとつの総合的なアートだって見てとれなくもなかったりする「GEISAI」が間もなく開催されるんで予定なんかを調べていたら、何と関連イベントとして「学園祭実行委員会」なんてものがいっしょに開催されるってことに気が付いた。何だこりゃ。メイド喫茶が来てアキバ系のアイドルがイベントを開いて本田透さんと竹熊健太郎さんがトークショーを開いて痛車が並んでコスプレイヤーが乱舞する。聞くだけだったらとても楽しそうなイベントかも、ライブとかだとオタ芸打ち放題っぽいし。

 これが主催がエロゲー系のメーカーとかだったら別に不思議はないんだけれども、これをアートな村上隆さん家が開くってあたりに感じる不思議な香り。オタク的表現を取り込み作品化して見せたアートで海外に打って出た“世界のMURAKAMI”がそのネームバリューをもって日本のオタクな文化を取り込んで、こういうのもあるんだぜ的プレゼンテーションを行って紹介しつつ、これを世に問う己のセンスのエッジぶりも看てもらって総合的なアートの姿を現出してみせる、そんな貪欲さって奴を感じてなるほどこれがあるから世界を相手に戦えるんだなあと妙に納得してしまう。

 それを剽窃に搾取と非難するのも結構だし、そういう気持ちを個人的にも抱かないでもないけれど、未だ相対的に上と見られる芸術のコンテクストに組み込まれることによって、オタク的表現が救われるケースってのもどうやらあるみたいなんで、ここはジャイアンよろしく振る舞ってもらってお前の物は俺の物とばかりにオタ芸を引っ張り世界の文化へと祭り上げ、例えばアヴリル・ラヴィーンのライブの最前列でPPPTを決める金髪の兄ちゃんとか、メタルなロックのライブでヘッドバンキングの代わりにオーバーアクションドルフィンを叫び行う入れ墨マッチョの集団とかを見られるようになったら日本、勝ったなって気分になれるかもしれないのでここは村上さん、頑張ってと心より、声援。


【9月5日】 チゾルム街道牛だらけ。って唄って名古屋あたりのボーイスカウトのローカルなんだろうかと過去2回、丸の内大手町有楽町あたりに大量の「牛」が出現した際のリアクションの薄さを見て感じたんだけれども僕らにとって大量の牛が発生すればそこはもうチゾルム街道であってカマタイアイユピユピエイユピエと唄いながら北へ北へと牛を追って歩きたくなるのが心情ではあるものの平日金曜日では動くに動けずご近所にある何体かの牛を眺めつつこれから対峙して歩く牛の姿の数々に思いを馳せる2008年「カウパレード」なのでありました。どこにでも出てきてすべてに精通している様子を見せなきゃならないしょこたんって大変な“職業”だなあ。とりあえず「セサミストリート」のエルモ牛が見たい。佐藤可士和牛はあんまり。

 もう良いやって見ないで録画したまま消していた「To LOVEる」を消す前に何気なく見たら「厳窟王」だった。いやまああれほど絢爛にして煌びやかなテクスチャーは使われていないけれどもどこか壁紙風のザラついたテクスチャーでもってキャラクターたちが塗られて、っていうかテクスチャーに張られて動くと模様が一緒に追随せずに張られた範囲を切り抜かれた穴のよーな感じに見て、下にある広いテクスチャーの上を行き来するよーな感じで模様が流れていくのが目新しいというか、「厳窟王」的で「モノノ化」的っていうか、実験的なんだけれどもそんな画風で繰り広げられる話が猿山の夢が舞台で登場する女の子たちのことごとくが時代劇的キャラクターとなって猿山の前に立ちふさがるというコメディで、時折場面をぶち壊すようにエイリアンどもがわんさか出てきて気分転換を図らせつつ、真打ちのララちゃん登場へと持っていく繋ぎと畳みかけの手腕に関心、あと着物を脱いでさらしとなった女の子たちの盛り上がりにも。こんな話になっていたんだ。でも別に流石に良いや。

いずれ中より巨大な蛾が現れ都庁を打ち壊すこれが丹下事務所の下克上  しばらくぶりに西新宿に行ってどっかの偉い人の市場的に段取りを踏んでも感情的な懊悩に遮られる日本的牧歌的風土に対する異論をしばし聞いた後、歩いていたら目の前に北京五輪で使われていた「鳥の巣」みたいなのがどわんと立ち上がっていて驚いた。何だありゃ。四角くなくってにょごっと先端が先細りしたややもするとアレにソレな形状のビルの壁面を覆ったガラスの上だか下だかにクロスするよう白くて細いラインが見えるそれはまさしく北京の「鳥の巣」。まああそこまで自在にクロスはしていなくってある程度の法則性は見えるんだけれどそれでも割とポストモダンな70年代的超高層ビルがあってそして前時代的な偉容をほこる東京都庁がある中にひとつ、それが立っていると驚くばかりの違和感があってなかなかに愉快。何の建物なんだろう?

 そうか東京モード学園か。あとコンピューター学園の「HAL」。名古屋じゃあもう1970年代からテレビでバンバンとCMが流されていてありゃあ何の学校だろうってややもすれば半歩引きつつ眉を顰めて眺める保守バリバリな名古屋市民なんてまるで気にせず、派手に活動してはファッションについての意識を浸透させそして80年代半ばってまだ家庭用ゲームがそろそろ出始めたくらいでパソコンなんてようやく出回り始めた時代にコンピューター専門学校を作ってそれにあろうことか「2001年宇宙の旅」に出てきたコンピュータと同じ「HAL」って名前を付けてこいつらもしかしたらデキるかも、って思わせてくれてから幾年月。バブルの荒波を越え不況も少子化も何のその。むしろ手に職を付けて即戦力として生きていける人材を生み出す場所ってことで規模を広げて名古屋にグルグルと捻れた派手なビルを建て、そして東京にモスラが成虫に生まれ変わった繭をイメージさせるビルをぶっ建て新たなる覇権を目指して進み始めた、ってことで良いのかな、最近の事情ってあんまり知らないし。谷まさるさんってどうなった。何とデザインは丹下さん所か。東京都庁と何たる違い。存命なら何と言ったか。

 あそこってそういや何が建ってたってたっけと記憶を掘り起こすとそうか朝日生命保険か。場所も良くって何度が仕事で行ったけれどもこちらは金融再編の荒波の中で事業を見直し本社を移して大手町へ。そして空いた場所に建つのは金融保険とはカタさで正反対のモードにデジタルでホスピタルな専門学校。個性感性に医療福祉がこれからの社会で何より求められていくだろうこれからの時代って奴を象徴してくれちゃってる一方で、グローバルだ金融だ何だと大風呂敷を広げては時化って大揺れの激しい場所へと出航していこうとしている船もあったりするから世間って奴は興味深い。何だかんだで麻生太郎が総理大臣になって単なる受け狙いかもしれないけれどもエンターテインメントの可能性を広げようとぶち上げる一方で、エンターテインメントの効用から視線から外す眼って奴が見つめる未来に広がるのはどんな地平か。まあ他人事。

 強いんだか弱いなかアポストリ。女だらけの異星人が日本へとやって来ては戦闘となって一触即発。そこをどうにかしのいで共存の道を歩むようになって幾年月な世界が舞台の夏海公司さん「葉桜が来た夏」の最新作「葉桜が来た夏2 星祭のロンド」(電撃文庫)は前の巻で葉桜って美少女でそして性格は強情というツンなアポストリに遺伝子を与えるパートナーとなった少年が、葉桜と2人でアポストリの普及啓蒙活動を行うために普段は閉じこめられている琵琶湖そばの居留地を出て東京に向かった所に事件。というか本来は別に起こっていたもので少年の父親でアポストリとの交渉を担う男が人間に身を偽らせ、ひそかにかくまっていた星祭ってアポストリの正体が露見し追いかけられて逃げ出して、少年の前に現れ父親に連絡を取って欲しいといって1つにまとまり大事に。

 自分の正体を言えば少年だって納得して連絡してはい終わり、ってなりそうなところを相手を慮って星祭は事情を告げず、そんな態度に何が出来るって訳でもないのに心だけは一人前を気取りたい少年は説明してくれるまでは動かないぞと突っ張ったものだから事態は泥沼に。星祭を狙って追いかけてくるアポストリハンターがいて一部日本政府にうごめくアポストリ排撃派を動かす一方でアポストリ内部の勢力争いも絡んでいくつか巴な混乱が起こった果て、少年が提案をして事態を収拾へと向かわせる。最初からそれくらいの聡明さで事に当たればこれほどの事態にはならなかったのに。

 ってもまあそれが若さの特権って奴で悩み怒り青臭いことを言ってそして打算にまみれた大人達が策謀に足をとられ身動きできなくなるのを快刀乱麻とばかりに絶ち払い、それなりに開けた未来を示すという展開に若い人たちはきっと共感を覚えるんだろう。大人から見るとまあ何ともお気楽なんだけれどもそうやって、可能性をあらかじめ狭める思考が世界を閉塞感へと追いやっているのかもしれないからここは若さに期待。それにしてもアポストリを相手に人間って結構な戦いを繰り広げられるまでになっていたんだとハンターの戦いぶりから実感。これなら追い出したいって考える輩が出てきても不思議はないけどそんなハンターの美しくも猛々しい姿が入らすととして描かれていないのは不満。きっとグレイスさんみたいに妖艶で獰猛な雰囲気を醸し出していたに違いない。いったい何を考えているんだグレイス。


【9月4日】 6畳1間に21型のちっこいテレビを入れてそれを壁際においてほとんど縦に長い方の反対側の壁に頭をくっつけ見ているからなんだろうけど、「鉄腕バーディー DECODE」の戦闘シーンがロングショットでキャラクターが小さく見えてしまってスピード感はあっても見た目の迫力に欠けているように感じてしまうのは、ひとえに貧乏でサイズに見合った画面のテレビを買えないからだったり間近で見られるように部屋に積まれてテレビへの接近を拒絶する本と段ボールの山を別の部屋へと移してスッキリとさせる甲斐性がないからだと、分かっているけどそれにしてもやっぱりもうちょっと溜めたクローズアップがあればバーディーのナイスに鍛え上げられたボディを堪能出来るんじゃないかと思った夜更け。腰からお尻のラインが何とも素晴らしい。ゴメスはどのバージョンになっても強いなあ。

 ジョゴンダ強すぎ。手にしているのがゴーレムからかすめ取った土塊か何かの剣だからといって使うガウリィは一級の剣士。なのにジョゴンダが奮う剣に押されてなかなか切り込めないのはいったいどんな理由があるんだと見ていたらどうやら体に何やら魔獣を鎧化して取り付けていたらしくってそれがホワイトタイガーマスク(嘘)の剣の一振りによって破壊され魔獣の封印がとけて闘技場に顕現。ゼロスだって気をつけろって言うくらいの強さ凄さを持っているっぽい魔獣なだけにアサシン相手に苦労しまくったリナがとうて叶うとも思えないんだけれどもそこは魔人が相手でも飲み込まれずに逆襲して叩きつぶしてきた食べかすっ娘。苦笑しつつも必殺のなんとかスレイブとやらをぶっ放して辺り一面焼け野原にして次だ次と言わんばかりに突き進んでいくんだろー。いやあ面白い。

 そう面白い。1話目はあまりにのロートルっぷりに時代が10年逆行したよーにすら感じたけれども腐れ縁的パーティーが行き当たりばったりに出会う事態をギャグも交えて片づけていく珍道中でゆるりと引き込んでそして魔法で眠らされた街を救おうとする動きとその街から奪われた魔術的な技術の奪還、さらにはそうした事態を裏で操る謎の勢力の蠢動といった要素をチラチラ見せつつ次へ次へと興味を引っ張る構成の巧みさに知らず毎週を楽しみにするよーになってしまった。流石だ老舗。だからこそ何で真夜中にって思いもますますもって募るけど。メイドさんどーなった?

 作画も安定。見せ方も上々。前屈みになって魔術を発動したリナのあれはズボンの上に履いているからアンダーウェアではないから恥ずかしくない黄色い衣装をしっかり目に焼き付けようとコマ送りにした場面なんか、同じポーズのリナを微妙にぶらし焦点の合わせたりボかしたりして、魔術の発動から来る振動に衝撃って奴を表現している。セルでの撮影だったら台の上で1枚1枚手作業で揺らしピントもズラして撮ることになるのかもしれないけれど、そこはデジタルな時代だからパソコンの上で撮影編集の作業をする際にあれやこれやエフェクトとして実験しつつ表現しているんだろー、多分。ともあれホワイトタイガーを見方につけてジョゴンダの陰謀も暴いてそれでも見えない真の敵。進む果てに現れる更なる敵に苦労しつつも打ち倒す不屈のリナの不適な笑顔を楽しもう、ってこれ全何話?

 これがその道30年の底力って奴か。スクウェア・エニックスがTOBを提案していたテクモに「信長の野望」のコーエーが経営統合を提案してそれをテクモも受諾の方向とか。発表までしたなからある程度は目算もあったよーに見えたTOBの提案だって見ていたけれどもそこはそれ、巨大過ぎる企業に飲み込まれてしまうんじゃないかってふと我に返って思案して、規模にさほど大きく差はないコーエーだったら共に歩んでいけるんじゃないかって考えそっちのディールに乗ったってことになるのかな。だったらもう世間がスクウェア・エニックスだバンダイナムコだハドソンのコナミ入りだアトラスのえっと今はどこにくっついていたっけか? ともかくいろいろ動きのあった時期にどうにかしておいたらここまで事態も切羽詰まらなかったんだろうけど、煮えてはいても煮たっていないと箸が伸びない鍋料理。そこに伸びて来たチョコボの嘴に急ぎ蓋をして煮立たせ寄せ鍋を完成させたのかも。何だつまりは当て馬かい。

 だからきっといろいろ内心に思いもあったのかもしれないけれどもコーエーが30周年を迎えた式典で、ゲーム業界を代表する団体の長として壇上に立ってスクウェア・エニックスの社長の人は証券業界から来て右も左も分からないゲーム業界のことを教えて頂いた恩人であり堅実に健全に経営していく手腕についてもあれこれ学んだ師匠だと讃えていたのはなかなかに大人。ゲーム業界の発展を常に考えゲームの地位向上に努め、もしもゲームが人に悪い者なら作らないと言ったというくらいの真面目さも持った会社なんだという言葉をそのまま受け取れば、TOB提案下でのディールであってもそれはすなわちゲーム業界の発展を意識した行為であって何ら誹られるものではないというメッセージだと理解することも可能なんだけれども果たして。

 ただしかしゲームがハリウッド化して世界規模で巨大産業化して広範囲に普及したプラットフォーム上で多大な売上を見込んで資金を投下し高品質のゲームを作って巨額のリターンを得るというインフレスパイラルなシチュエーションが強まる中で、ともにそれなりに存在感はあってもワールドワイドって意味ではどれだけのブランド力を持っているのかを問われそーな両者の統合が、世界規模への展開へと至るにはもうちょっとステップを踏む必要がありそーで、そのための資金力は整っても時間が足りずに手が届かないって可能性なんかも考えると更にもう1段のロケット噴射が必要そー。「Xbox360」に傾けて上げた北米での認知度に寄り添い技術力を叩き込んで爆発させるとか。それには袖にしなくちゃいけない物もあるだけに大変は大変だけれど30年のしたたかさって奴できっと、何か手を打ってくるんだろー。頑張れオプーナ。

 10年ぶりくらいにコーエーバンドを見てボーカルの人の声がかすれていたのが元に戻って来ているって思ったり押井守さんによく似た人がいるなって思ったらプレイステーションの人だったりといろいろ発見。そんな中で聞いたのがアップルの「iPhone」向けのコンテンツ販売サイトで書籍コンテンツを売ろうとしてもリジェクトされてしまうタイトルがあるらしいってことで、それがあまりに猥雑だったらなるほどプロバイダーとして違法の恐れがあるものは売れないと拒絶して不思議はないけれど、そうした公序良俗とかいった基準とはおそらく無関係な、当の「iPhone」を褒め称えた新書の電子版もアップ出来なかったとかどうとか。本当なんだろうか。どうなんだろうか。

 もし本当ならこれを表現物に対する“検閲”だって指摘すればすることもできない訳でなくって、商売の場所である一方で知を普及させる公共財であって欲しい“書店”が売る本と売らない本を売れるか売れないかって基準でないところで選別して良いのか? って議論に発展しかねない状況ではあるけれども一方で、プロバイダーにはすでに法律で提供するコンテンツの違法合法を判断して選別する義務みたいなものが課せられていたりする訳で、そうした義務の解釈の及ぶ範囲でいろいろと選別する動きなんてものが、今後ますます拡大するだろーネットを使ったコンテンツの流通の際に、表現の自由って奴とぶつかって煙を立てそうな予感が浮かんで心にチクチク。いずれにしても状況が不透明なんで事態が明らかになるのを待とう。自分で確かめろ? でも「iPhone」って買えないんだよ、物理的にじゃなくって経済的に。


【9月3日】 行くシリーズあれば来るシリーズあり。ってことで本がテーマのライトノベルとして一世を風靡した野村美月さん「文学少女」シリーズが「“文学少女”と神に臨む作家」(ファミ通文庫)でもって完結した後をすぐさま引き継ぐように、本に潜んだ魔術的な謎へと挑む面々が主役となった藤本圭さん「黒猫の愛読書1 隠された闇の系譜」(角川スニーカー文庫)が登場しては「文学少女」シリーズのファンのみならず、続きがなかなか出なくってファンと丸宝編集長をジリジリとさせている「R.O.D」のファンまでをもとりあえず満足させてくれそー。主人公も純朴で粗忽で黒縁眼鏡の美少女だし。

 学校では図書委員をしている紙村綴(つづり)って少女は友人もさほど作らずせいぜい1人と仲が良いくらい。でもって家に帰れば祖母がやっていながらその死去とともに閉店状態の続く古書店の奥で、敏腕編集者として忙しい母親の帰りを待ちつつ静かに本ばかり読んでいた。ところがそこに事件が勃発。図書館で学校でも指折りの美形と評判の先輩からブロンテの「嵐が丘」って名著の上を読んだんだけれど下はないのと聞かれて探すと貸し出し中。ドギマギしつつ先輩と会話し探してみますと言って別れてしばらくすると、借りていた少女が事件か自殺してしまったから驚いた。

 それだけならスルーもできたけれども調べると「嵐が丘」の下を借りた人に次々と災難が降りかかっていた。つまりは死亡。どういうこと? そう訝る綴の前に現れたのが猫目コウと名乗る青年で、本を探す探偵と名乗りながらも綴の祖母を知っていて、なおかつ綴が持っている本の“声”を聞く能力に気が付いて、調査中の事件へと引っ張り込んだ。やがてそれは「嵐が丘」をめぐる事件とも重なり、本に込められた“想い”がもたらす悲劇を暴き、魔術の本を狙う一味との戦いへと進んでいく、ってところは異能バトルに近いけれども展開の中に本の内容が大きく関わっているあたりは「文学少女」シリーズにも重なる部分。どんな話なんだろうってテーマになった本を読んでみたくなる。今後の展開でもきっとそーした本への愛情が繰り広げられていくんだろー。挙げられるタイトルに興味。

 眼鏡を外すと超絶美少女ってのはありがちだけれど、Diteさんって人の描く綴の眼鏡姿の野暮ったさを見るとなるほど黒縁眼鏡ってものがもたらすマイナス効果の大きさって奴に気づかされる。とはいえそれをマイナスと感じるのはごくごく普通の感性の人たち。そうじゃない人にとっては外すと何も見えなくなるくらいにグルグルな黒縁眼鏡をかけているってだけで、土台はともあれ興味を激しくそそられる。ぞんざいにのばした黒髪もキュート。その魅力に気づかず放っておく男子の感性が分からないけどそれで人気となったら話は成り立たないから仕方がない。本の声を聴く力が誰譲りでそれが勢力争いにどう絡みその中でどんな役割を果たすのか。そんな所も伺いながら続く展開を見ていこう。

 同じく「第12回スニーカー大賞」から優秀賞だった「黒猫の愛読書」に対してこちらは奨励賞となった「放課後の魔術師(メイガス)1 オーバーライト・ラヴ」(角川素イーカー文庫)も図書室が絡んでいるあたりがやや共通。さらには外国から飛び級してやって来たまだ若い教師ってところは「ねぎま」設定でもあるけれど、ネギくんほど若くはなくって担当する生徒たちよりは1歳上ってところがまあ許容される範囲か。そんな青年の秋津安芸が登校の途中に出会ったのが播機遥という少女。図書委員長として図書館に人を呼びた、もっと本を読んでもらいたいいとあれやこれや画策するくらいの本好きみたいだけれどその仕事の最中、図書館に現れた謎の人物にちょっかいを出されて秋津たちに救われる。

 どうやら秋津は魔術師の血を引く一族の一人で、赴任してきた学校の理事長であり姉でもある女性も含めて逃げ出した悪い奴を追いかけているらしい。ヘッドホンをかけた寡黙な美少女を一種の戦闘員にして迎え撃ったりしていく展開もあって魔術バトルの激しさって奴を楽しめる。語り手が小見出しをきっかけに遥と安芸(遥の妹)との間で入れ替わるところが読みづらい人には読みづらいかもしれないけれども、出し入れが明確でタイムラグなく話が進んでいく分、単に場面転換の一種に見えてあんまり違和感は抱かずに済みそう。

 他人より発達した能力を持っていたりする遥にどんな謎があるのかとかいった興味に答えを求めつつ、ふゆの春秋さんが描くイラストの美麗さに目を奪われつつ、腐れ縁的に関わってしまった2人によって繰り広げられる魔術的冒険譚って奴を楽しみながら読んでいけたらいいけど果たして。1、ってことは2も出るだろうなあ両方とも。新人賞でいきなりシリーズ化ってのも昨今の風潮か。もちろん応募は完璧で完結な作品だったんだと思想うけど。いきなり2巻に続くだの設定の説明をしないで終わるだのって原稿だったら没必至だし。違うの?

 パンツァー・フォー!。だから「ぱんほー!」(HJ文庫)なのかとゆうきりんさんの新刊に納得。「魔女の戴冠」に「天才魔法少女トリオが行く!」と3人寄れば姦しい本が重なっていたけどそれに加わったのがこの話。歴史がちょい違って日本はポツダム宣言受諾前に米国と早々と講話し国体を護持。その関係でロシアも連合軍もドイツを崩壊へとは追いやりきれずヒトラーこそ死去したもののどこにも占領されずに無秩序の野と化したドイツでは、武器を持ったまま野に下った兵隊達が暴れロシアとか連合国とかから進入した輩も暴れ、対抗するために国民は傭兵を雇って戦う状態が続いていた。そんな状況を報道したいとジャーナリスト希望の少年がライカを引っさげ現地入り。したのは良いけれども予想を上回る混乱に早速命の危機を覚える。

 そこにあらわれたのが1台の戦車。降り立ったのは軍人ならぬ軍服を着た美少女3人で、少年を最初は見捨てようとしたものの少年が持ってた通過代わりの金を差し出す代わりに保護を約束。ところが途中で金を落としてしまったものだから、少年は保護してもらうかわりに装填手として少女3人の戦車に乗って仕事に励む羽目となる。与えられたのは出没する幽霊戦車の探索で、ガラガラと行った先でいつものように偵察しようとしたものの、逆襲されてこれは何だといきり立ち、だったら退治してやろうと反撃に乗り出すことになる。

 天才的な勘で戦車隊を指揮する少女に圧倒的な技量で戦車を動かす少女に超絶的な腕前で百発百中を見せる少女と1芸に秀でた少女たちが3人寄った戦車は無敵。かというとやっぱりそこは戦場だけあってピンチも起こるけれども新たに加わった少年の観察力と知識が、少女たちを救い助けて勝利をもたらすことになる。戦車戦の迫力たっぷりでスリリングな描写に無法地帯となった場所で生き残るためのシビアさを突きつけられる展開と、見かけによらず奥深い物語。夢ばかり見て現実を見ない純粋真っ直ぐなジャーナリスト志望者が戦場で突きつけられた事態に何を考えどう振る舞うか、って部分も平和ボケしがちな国に生きる者たちにひとつの指針を与えてくれる。シリーズ化されるのかな。美少女3人が乗る戦車の中がどんな香りで満たされているのかって点にちょっと注目。嗅いでみたいが機会はないし。どっかの自衛隊に女性だけの戦車隊って無いのかな。無いよなあ。


【9月2日】 「辞任」の後に続く名前が違ってるんじゃねえかと、福田総理の辞任に関したニュース速報なんかを見つつスポーツ関連サイトや開けて発行された新聞の記事なんかを読んで思った人の数はきっと、札幌ドームでの日本代表選とウルグアイ代表選に集まった観客の数を100倍したくらいに達するんじゃなかろうか。だって大学生だよ。それも前日に天皇杯の試合を戦っている関係から疲れているか主力が抜けた相手だよ。なのに1点すら奪えず逆に1点を奪われて日本代表が敗北。日本の頂点を極める選手たちが格で言うなら下にJ1でその下にJ2で更に下のJFLあたりに水準を置いたチームに負けて良いはずがない。たとえ手足を縛られてたって勝つのが当然。なのに負けちゃった。負けやがった。

 選手が悪い? それは当然。相手を上回るスキルがあって体力もあるんだから普通にやれば凌駕できて不思議はないの、にそれができなかったってことはスキルも体力も出さなかったんだろう。出したくなかったかは知らないけれども出さなきゃいけない場面で出さないことはやっぱり罪だ。でもスキルや体力に並んで戦術って部分でも相手を凌駕するのが代表の、そして代表監督の任務というか使命というか義務って奴。なのに破れたってことはつまり戦術を教え込めていなかったってことの現れでもある。トップからプレス。中盤がフォロー。サイドは繰り返しの上下動。最終ラインは押し上げ全体をコンパクトに保ちながら常に動いてボールをもらい、そして出してまた動く繰り返しを続けさえすれば相手は大学生、着いて来られるはずがない。

 でも平気でプレーしてた。楽しかったなんていってる大学生もいる。オシム監督時代には守備しかさせてもらえなかったと息切れしつつ喋ったチームが、選手に入れ替えはあったたとはいえ1年で相手を逆に押さえ込んだ。成長があったか? 違う。成長していたらそこから代表選手が出てきたって不思議はない。でもいないってことはつまり彼らはそのまま。プラスアルファがあるとしたら1年前の敗戦から走る重要性を叩き込まれたことか。だから逆に代表が退化したってことになる。あるいは崩壊か。練習時代なんだから敗れたってそこで約束事が確認が出来れば良いって考えももちろんある。あるんだけれどもそうした確認ごとはなされたのか。いないだろうなあ。普通に確認ごとが達成されていたならそれなりに攻めて得点を奪えてる。少なくとも負けはしない。

 なのに無得点。きっと何にもなかったんだろう。お任せ。どうぞ。戸惑いから無秩序となった隙間を1年前に勉強させられたことを発揮して大学生たちが突いた。これがたぶん現実。そしてそのままバーレーンへと旅立っていく。まあそこは百戦錬磨の海外プレーヤーが入る代表。高いスキルを見せて勝利はつかめるだろうけれども(でもやっぱり難しい?)その後の戦い、そして何より南アフリカでの本番にいったいどれだけのことを見せられるのか。驚かせる? とんでもない。口ぽっかーんの呆然を北京同様に招くだけ、だろうやっぱり。だからやっぱりやるしかない。福田総理より先にやっておくしかなかったんだけれども今の時点では流石に無理。だからこの1カ月を乗り切って、そしてやるべきことをやれる人に後を引き継ぎやってもらうしかないんだけれども、いないなあ、誰も、というか偉い人たちの頭に浮かぶ範囲には、誰も。

 んで福田総理。お可愛そうにとしか言いようがない。大人気だった小泉総理の後を引き継いだはずなのに、度重なる失態でもってわずか1年で人気をすべて覆して反発ばかりを招き寄せ、参院選で大惨敗して衆参両院のねじれ現象なんてものを引き起こした安倍晋三前総理の体たらくがもともとの元凶。そんな悲惨な状況でいくら人心を一新したって、出す法案のすべてが否決されては進む政治も進まない。話し合えば良い? だって言うこと聞いてくれないじゃん。反対することがアイデンティティーなんて泡沫政党の自己PRみたいなことを、次には政権を担いたいって言ってる政党がやっているんだからなんともはや。後を継いだ人が何をどうしようったって無理だったんだからそこに留まる理由はない。総理が国民を投げ出した? 違うね、野党が総理と国民を放りだしたんだ。ならばもうちょっと早いところ、相手に政権を任せてお手並みを拝見するって目もあった。もしかしたら1年前にそれをやっておけばさっさとボロを出していたかもしれない。

 過半数ととってる参院からだって愛想を尽かす人が出て、晴れて両院とも与党が過半数に達する安定政権が樹立されたかもしれないけれども時すでに遅し。今にいたって果たしてどうするんだってことになるけど、どうしたって代わり映えもしなさそうって感じがこの国のどん詰まり感ばかりを色濃くさせる。そんな中で鈍く輝く赤い星。真っ直ぐ。真っ当。そう見えてしまう人が1万人とか入党してるってこの状況が、向かう先は桂望実さんが描く「平等ゲーム」のグロテスクな世界? そりゃ嫌だ。でもだからといって選べる幅の少なさにますます募る閉塞感。引きこもりたいなあ、10年くらい。

 なあにこれからは引きこもってオタク道に精進した奴の時代が来るって、ローゼン麻生太郎幹事長の総裁就任に期待する層ってのもいたりしそう。でもだ。麻生ってそんなにオタクかよ。漫画を読んでるって言われているだけじゃないのかよ。なるほど外務大臣の時代にはあれやこれや日本のコンテンツを海外に売り込む政策ってのを手がけたらしいって話はあるし、秋葉原に来て演説をしてみせる甲斐性はある。でもそれが何かコンテンツ産業の底上げに決定的な効果をもたらしたのか? 疲弊する業界に体力を蓄えさせ縮小する人材の増加につながるような教育なり発掘といった具体策を打ち出す一方で、日本のコンテンツを国が担いで世界を回るようなキャラバンを展開したのか? していたのかもしれないけれども多分に業界側の自助努力であって、せいぜいがジェトロの頑張りであって外交が外交戦略としてそうした施策を積極的に行っているようには見えない。つかその他も含めた外交全般が今ひとつ見えにくくなっているんだけど。

 コンテンツ立国、ってお題目を打ち出し有識者を集めた会合を整え著作権の問題とかに取り組み海賊版の撲滅に邁進したのは小泉総理であって、麻生幹事長だけの手柄とは言い切れない。なのに妙な期待。妙な人気。ネットで持ち上げるのはある程度のメタな観念が入っていて、俺達のことについて知っている政治家ってのを持ち上げる俺達ってどこか変だけどその変さがちょっと良いんじゃね、的な捻れた感情の集合体であってストレートな期待と取るのは危険。だけどそうした捻れた感情をすっ飛ばしてメディアはネットで麻生が人気と伝え、それを見知って人気なんだと勘違いした人がいっぱい出てきて当人たちも勘違いしたまま突っ走って頂点に立っていざ、差配を奮おうとしたら何も分からず何もできない状況が生まれやしないかって心配が今からしている。かといって真面目に粛々と取り組もうとしたって、参院があの状況では何も出来ないどん詰まり。ならばできることしかしない人をとりあえず据えてこなしていくしかないのかも。そんな重責に堪えられる人って誰かいるのかが問題だけど。朝倉啓太くらいだろうなあ。

 あっちゃこっちゃがグラグラしているこのご時世に大々的に発表会をやるんだからきっとすっげえ内容が控えているに違いないとソニー・コンピュータエンタテインメントの「PSP年末商戦戦略発表会」に行ったら何と本当に「PSP」の年末商戦の内容発表会だった。驚くことか。いやなるほど確かに綺麗になったっぽい。ぽいってのは置かれてあった現行機種と次の機種を見比べたって違いがまるで判断できなかったからで、それでも動く映像を間近で見ればきっと違いもあるんだろうけど現行機種だってこれでなかなかの映り具合。別に不満は感じてないから明るくなったことをもってさあ買おうって気にはならない。んじゃあFFだとかガンダムだとかのコラボレーションを買うかっているとそれもねえ、別にプレミアムが付くような品じゃないし。それだったらむしろもっとオタクに寄って「らき・すた」だの「ハルヒ」だのとのコラボを出してチョココロネのマーク入りとかSOS団の刻印入りって奴を出した方が1000台だって売れたんじゃなかろーか。ギアスマーク入りだって悪くはないぞ。でもって起動すると「間違っているぞ」と叫ぶんだ。

 つまりは全般に普通の新商品発表会だったってことで、前の日の「Xbox360」の値下げなんかを受けてあるいはって期待をちょっぴりしていた「PS3」の価格改定みたいな発表なんてなかった商談会。とはいえそれでも伺えたのがゲームは「モンスターハンター」を一押しでそれで引っ張って行ってもらえれば有り難いって雰囲気と、あとはやっぱりもはやゲームを楽しむ機器ってよりは、HDDレコーダーから映像をリッピングしてメモリースティックに移して「PSP」で再生して出先で楽しむライフスタイルの実現を狙っての新製品って感じ。「デジタルメディア白書」でゲームの売上にもやや陰りが見えてしまっている中で、ハードはハードとして売りたいってことならそうした新しい使い方にマッチした性能を用意しなきゃいけないって判断が働いたってことなのかなあ。でもそこではソフトも売れてロイヤルティを得られて設けたビジネスモデルは成立しない訳で、だったらハードで稼ぐしかないんだけれども1人に1台を越えることはないから難しいところ。PS3を介した遠隔地とのアドホックを実現するっていっても、それでPS3が売れまくるとは思えない。どうにもどん詰まりな中で迫る発売にさてはてどんな動きが見られるか。観察はしよう。買わないけど。

 団結かあ。苦労してたから団結だってするよなあ「なでしこジャパン」と「週刊サッカーダイジェスト」の2008年9月16日号に掲載された佐々木則夫監督へのインタビューではとにかく皆が同じ方向を向いて進もう、進もうと頑張る姿勢がチームとそれかたチームを支えるスタッフに溢れていたんだってことが見えてくる。試合時間の少なかった選手でもちゃんとしっかりトレーニングに臨んで出番に備えたこととか女子だからって引かず逃げないでちゃんとトレーニングを行ったコーチ陣のスタンスとか、どこかの男子にはまるで聞こえて来なかったことがここにちゃんと詰まってた。結果は4位。それも世界を感動させての4位。対して不協和音の響いていたチームは?

 「ファンの皆さんが試合内容にOKを出してくれているようですが、結果を出すまでが私の仕事ですから」なんて佐々木監督のこの言葉、きっと前を向いては聞けないだろう。よくぞ言ったしよくぞ書いた。そんなインタビューを読めばそんなチームにあって大言壮語で有言不実行を極めていたオランダかぶれの選手とか、いったい何を思うんだろうって考えるけど読んで変わるくらいなら大会中に変わってる。でも誰も変えられないまま時間だけを潰して結果はゼロ。さらには今現在、似た状況が最上級のカテゴリーに於いても起こりつつある。だから協会はこのインタビューと巻末の沢穂希選手のインタビューをコピーして全選手と全スタッフに配布して、すべきことは何でそのためには何を心がけるべきなのかを今一度、考え直させるべきなんだけれどそれがやれてたらとっくに変わってるし変えられてるよなあ。期待しないのが吉か。


【9月1日】 最新の「ザ・スニーカー」でマリアンヌがシャルルにZOKKONな所を見せていたけど、息子に娘なんてほっぽり出してもシャルルのために頑張っちゃうヤンキー風味なママさんでもあったとは、ちょっと予想の範囲を超えたパーソナリティの持ち主だったマリアンヌ。「コードギアス 反逆のルルーシュR2」でアーニャの目玉の中に眠ってたマリアンヌが復活してはスザクの顔に落書きしょうとして果たせず拗ねつつ、ラグナレクの接続を行う場所へと続く扉の前まで行ってC.C.ともどもその向こうにある異空間へと入り込んでマリアンヌとしての姿を顕現。ルルーシュの記憶の中では楚々として柔らかい笑顔で佇む優しい母親で、そしてお家のピンチに我が子をかばって銃弾を浴びて命を落とす娘想いの母親として描かれていたのに、現れたのはケラケラと笑ってクルクルと回って息子に説明も釈明もなく健在な所を見せつける、奔放で自分勝手で好戦的な女性だったとはいったいどういうことだと誰もが笑う。ルルーシュまた騙されたのね。

 でもって母親の死を嘆き悲しんだのにそれを俗事の如くに扱いスルーしたかに見えたシャルルまでも、マリアンヌがギアスの力で影となって存命だったことを最初っから知っていたかのように振る舞って、なおかつ遺体もどこかに保存しているってことを明かしてルルーシュをのけぞらせる。俺って確か母親が殺されるのを止めなかった父親に怒っていたんだよな。でもって妹ともども僻地へと放り出したことに憤って反抗なんて考えたんだよな。すべての原点があの夜にあった。けれどもあの夜のすべてが欺瞞だった。ナナリーの後遺症も。もしかするとルルーシュのマリアンヌに対する良い思い出も嘘なのか。家にいつかず戦争三昧な母親の飛びっぷりに子供ながら眉を顰めていた記憶を書き換えられて良き母親と思わされたとか。あれでなかなかに外面とか気にしそーだし、マリアンヌ。

 でもそれだからこそ起こった憤りからの反逆だった訳で、結果として野望を潰えさせられるとはさしものシャルルもそこまで先が読めなかったってことなのか。いやいや母親は姿こそ違えども生きてた訳だし、日本行きは安全牌を確保するための子煩悩のひとつの形。さらに日本侵攻で例え命を落としたて「Cの世界」の復活でもってすべてはひとつになれるんだって分かっててやったことな訳で、ルルーシュが憤る理由はどこにもなかった。ちゃんと説明しておけば。すべては親子間のコミュニケーションの欠如から生まれた誤解と曲解の果てのすれ違い。八つ当たりも甚だしかったその態度のせいでシャーリーは死にロロはボロ雑巾になり東京租界では1000万人が消滅した。

 ぜんぶが無駄か、無駄足か、ってなればそりゃあルルーシュだって逆ギレするよね、例え相手が最愛の母親で10年とかぶりの再会だったとしても。そうでしたかありがとうございましたぼくがまちがってましたこころをいれかえいっしょにがんばります、なんて口が裂けたって言えはしない。でもってせっかくの再登場から1話を経ずしてマリアンヌは分解消滅。シャルルもどこかへ雲散霧消。残されたルルーシュはブリタニア皇帝となってスザクをその名も「ナイトオブゼロ」に任命して2人で世界を自らの生きられる場所として平定していく覚悟を決める。

 でも出来るのか? ブリタニア皇帝の権力を持ってしてもできずギアスの力にすがったものをシャルルに比べれば粗忽者のルルーシュと、マリアンヌに比べれば融通の利かないスザクで変えていけるのか。行けないよなあ。能吏のシュナイゼルは敵方だし「黒の騎士団」も敵。ここから果たして何を成し遂げどこへと向かうのか、って所で残り1カ月になっても未だ帰着点を見せないそのストーリーのイケズっぷりに、作り手のかつてないエンターテインメントを作り出そうって意志を感じて改めて惚れ直しました。まさか場当たりってことはないよね。コーネリアがモブに下がり星刻の寿命設定はまるで無視され、アーニャなんてきっともう抜け殻として退場に違いないくらいにキャラクターの扱いがぞんざいなアニメだったけれどもマリアンヌですら瞬殺とは。残る面子でルルとスザクの他に残るのは誰だ? やっぱセシルさんだよなあ、胃袋頑丈そうだし空気とか読まなさそうだし。

 防災の日ってことであんまり高いところに登りたくなかったけれども「日本気象協会」がインターネットのサイトのリニューアルをするってんで、サンシャイン60の54階なんて9月1日にはいたくない場所で都内でもトップ3に入る場所へと駆けつける。途中「くまもと桂花ラーメン」でもって太肉丼とラーメンのセットをむさぼり食べて、ここん家の特徴でもある麺のコシの強さっていうか、芯が口にあたる固さが醸し出す味噌煮込みうどん的な美味しさを堪能してからサンシャインへと入りエレベーターで上がってそして会見。誰か「めざましテレビ」のお天気お姉さんみたいな人が来ていてそれでスポーツ紙とか芸能マスコミがいっぱい来ていたけれども、個人的にまるで知らないそのお天気お姉さん。ここまで注目を集めているってことは相当に有名な人だったのか。違うのか。どっちにしたってご近所にはいないタイプであることには違いなんで、ここは眼福であったと正直に感想を述べておこう。半井ちゃんだったらもっと嬉しかったかな。

 そんな会見の合間に池上永一さんの「テンペスト」(角川書店)を上から続けて下まで含めて一気読み。いやあ読める読めるスラスラ読める。非現実な世界を描いてもそこにある奇天烈なルールを問わず語りに読み手に納得させようって努力すらなく、共通認識の上にあるはずだって感じに叩きつけるように描いては、読み手に様々な解釈を求める昨今の一部のライトノベルとは正反対に、分かり易くって読みやすいストーリーテリング能力でもって、幕末から明治にかけて琉球を舞台に起こった出来事を、琉球ならではの習俗なり王宮ならではのしきたりめいたものも合わせて描いて、あれやれこれやと勉強させてくれる重宝さは昨今、数多ある小説でも傑出したものなんじゃなかろーか。

 王宮を守護する竜の一部が抜け出し落ちた家に生まれた少女は、嫡子をもとめた父親を落胆させて名も与えてもらえず自分で真鶴と名付けて捨てられることもなければ押し出されることもなく、兄の影に隠れてひっそりと生きていた。けど生来の才能が真鶴をその身分に落ち着かせず、女子は受けられず男子だけが受験して合格すれば琉球を預かる役人に取り立てられる試験を男装して受けていろいろあったけれども合格して、内務官僚でもトップクラスに祭り上げられ日々を忙しく過ごす羽目となる。見た目の女性っぷりから宦官だと言い張り、故に後宮にも出入り自在とばかりに出入りしては琉球の表と裏を見聞し、持ち前の才覚で難事件を解決していくものの好事魔多し。突出ぶりを叩かれ沖縄本島から八重山群島へと流刑にされてそこでマラリアに罹って一生を終える……訳がない。

 事態はあたかもペリー提督が4杯の上喜撰で本土を攻めて条約を結んだという時代。直前から頻繁に見受けられた異国の船の対処に悩み、ペリーの要求を突きつけられた琉球の王は流刑した真鶴、というか孫寧温を連れ戻そうとしたらすでに都に献上する美少女を集めていた輩に踊り手にならないかと誘われて、都に行けるなら、そして黒船の怖さを伝えられるならと話に乗って海を渡り本島に戻り都に入って国王の側室にされていたというから縷々変転。かといって国難に黙っていられる孫寧温ではなく、夜は真鶴として宮殿で側室の暮らしをし、昼間は抜け出して役所で宦官ながらも優秀な文官として差配し叱咤激励するという、その二重生活っぷりを見ているだけでも楽しいけれどもそんな中に琉球という国をどうしたいのか、そのためには身上を捧げて背かないと誓うべきか、あるいは人として求めたいことのためなら国とかいったものは無用の長物、感じないで向かうべき道を進むべきなのだって気分が語られていて、現状に甘んじない前向きな気持ちを引き起こされる。

 琉球の歴史っていう改変不可能な現実が一方にあって、中で架空の人物たちを作り出し要点に置いてあれやこれやと演じさせてそようとしても、しょせんは琉球処罰って歴史上の現実に向かうなくちゃいけない訳で、それで「シャングリ・ラ」みたいな破天荒なドラマは生み出せるのかって心配もあったけれども女性として生まれながら男性のように政治を極めたいと願う一方で、女性として男性を愛したいと想うアンビバレントな人格を持った主人公が、栄華を極め落とされ蘇り葬られそして復活してさらに敗れても衰えず朽ち果てないで生きていく、その激しくも力強い生き様そのものがひとつのドラマとして浮かび上がって全身を包む。面白いと感じさせる。

 琉球の守り神を自認しその地位をうばった真鶴をいつまでも恨み続けて、遂には琉球の最後を看取るくらいにしつこいシャーマンの諦めない生き様とか、名家の出の娘で、真鶴と同時に側室となったもののその奔放すぎる奔放さで真鶴を困惑させながら、友人としてピンチになれば真鶴を助けて共に混乱を生き抜こうと頑張る真美那って女性の存在感とか、ヒロイン以外のキャラクターたちも多彩で奥深くって執念深くって真っ直ぐ。見ていて心を引きつけられる。むしろ男性と女性の狭間に引き裂かれそうになって迷ったはてに裏目ばかりを引く真鶴の方が、よどほの粗忽者だって印象すら浮かぶ。隠し通せば通せるものを無理に出刃って破綻に至るその生き様。ルルーシュだねえ。

 「レキオス」みたいな爆裂展開はないし、「シャングリ・ラ」みたいな設定の圧巻さはないけど読ませる文体で読ませる内容を読ませるキャラクターたちを使って描ききった歴史エンターテインメントとして今年最大級の収穫かも。電撃文庫で8巻分くらいになって出てもまるで不思議はない文体と内容ってあたりに、文学とライトノベルの彼我の垣根の低減から消滅って状勢も見えてきた感じ。いっそだったら「七姫物語」を完結後はハードカバー化して出せばもっと広がった読者に届くってことか。そりゃあ興味深い。でも完結までにあと何年かかるか。そっちの方がよほどの興味。ってか何、福田総理辞任? かつてない国難が訪れているのに、国政をないがしろにして自己PRの牽制ばかりしている野党に誰だって堪忍袋を切らすよなあ。


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