縮刷版2008年8月上旬号


【8月10日】 そう考えるとグレイスって決して悪人でもなかったのかな、ってことが「マクロスF」でミシェルが見つけてクラン・クランに分析を依頼した薬の正体が判明して浮かんだけれども、不治の病の進行が薬によって例え対症療法の範囲でしかないとしても抑えられていたとは言っても、ゼントラーディが駐留していた星でもって何もさせないまま葬り去って悲劇のヒロインに祭り上げようと企んでいた訳だから、やっぱり利用するだけ利用したらあとは使い捨てる意欲バリバリだったってことなのか。うーん。いやしかしあの場にランカ・リーがミシェルに連れられてやって来なかったとした、果たしてらどんな展開になっていたのか。暴れる偽カムジンを相手に放たれる反応弾。星を巻き込む紛争の中で引き起こされた破壊兵器の発動によってやっぱり星もろとも消滅か。なんだグレイスって悪人だ。

 いやいやあれで昔はノームってシェリルと同じ名字を持つ(というか後でシェリルが名字をもらったのか、養女か何かになって)マオ・ノームの研究室で、シェリルが罹っている感染症についての研究を行っていた訳で、そこで見知った何かを世に問うべく身を擬体に置き換えて活動しているって可能性も大。単に見つけた発見を独り占めして後生に名を残したいってな感じの私欲とか、名誉欲の類だったら分かりやすいんだけれども、そんなちっぽけなことを理由にしているとは思えないくらいに事は大仕掛け。ゼーレよろしく何かを画策している一味もあったりするけれども、そこに諾々と従っているだけの玉にも見えないってことは悪を成す以上にもたらしたい善を、心に背負って進む茨の道って奴か、やっぱり単なる使いっ走りか。クリアすべきミッションの見えない展開は興味深いけど、関心のつなぎとめに一苦労。まあそこはアイドルの興隆から衰滅そして復活へと至って欲しいストーリーが引っ張っていってくれると期待をしながら、残るだいたい7話とか8話ってところを見ていこう。新オープニングは本当に脱いでいるのかそれとも第1話のライブシーンと同じ全身タイツに映し出されたオーグメンテッドリアリティなのか。

 ちょっぴり涼しくなったとはいっても所詮は夏。裸で寝てたって風邪もひかない家にいては脳も焼けると、起き出し荷物を抱えて電車に乗って秋葉原の「ヨドバシカメラ」にある「VELOCHE」で少しばかり仕事をしようとしたけれども、これまでの暑さに溶け始めた脳にまっとうな日本語を引っ張り出す余裕もなく1時間ほどで退散。それでも片理誠さんの「屍竜戦記」の続きみたいな「全てを詛う詩」(トクマノベルズEdge)ってのを読みはしたけれども、最初の「屍竜戦記」が一種のファーストコンタクト物的な壮大さを持って未来に至るビジョンを示してくれたのと比べると、宗教の異なる国どうしが対立する世界で政治権力と宗教権力が表で裏で争う渦中に巻き込まれた若者たちが、これまた己の信じる道とそして他人を想う心の狭間で揺れ動いては悲劇へと向かい突き進んでいく展開そのものに、あれやこれやと状勢を読み解き展開を推察したくなる関心を惹かれたり、謎めいた事件の理由を探りたくなる興味を歓喜されたりはしても、こと竜が100年に1度の頻度で蘇っては人間を相手に暴虐の限りを尽くすという世界設定そのものと関わるエピソードにやや欠けて、読み終えて悲劇への寂寥感は浮かんでも、提示されるビジョンに眼を見晴らされるよーなことはなかった。その意味で微妙。もっと竜を。

 出て散策。木谷社長が秋葉原のUDXにいたっぽい。んでもって前庭に屋台が出てたんでフランクフルトを100円で購入。やっすいなあ。国立競技場だと250円のフランクを勝っても細くて柔らかくってそして美味しくないのがここん家は太くて粗挽きでそしてあつあつ。コンビニのセブンイレブンで買うような味だった、ってどっかのコンビニの出張だったのか? 側の「AKB48劇場」から降りてきて食べてるような人はいなかったけれども公演の終了後には占拠されたのか。確認はせずにうろついて「あきばおー」あたりでDVD−RAMを購入。そろそろ家のハードディスクレコーダーから移動させないと中が足りなくなって来た。でも移したところで見ないんだよなあ、移す前すら見てないのに、「シゴフミ」とか録画はしたけど結局1話み見てないよ。あとは最近の「狂乱家族日記」とか。どーなったんだろう。どこまで進んでいるんだろう。どうして人気があるんだろう。「アンダカの怪造学」の方が面白いのに。

 そう「アンダカの怪造学」(角川スニーカー文庫)は第9巻「ハッピーサマーソウル」でもって侍少女の戦橋舞弓にもすさまじい運命が。もとより禁忌の怪造こと「物造」をやってそして死んだ母親とは違って、怪造そのものには才能が無かったこともあり関わらず、もっぱら剣でもって戦ってきた少女だったけれどもその割に人間離れした強さがあって、そしてとてつもない力を秘めている魔法の刀「朧武籠」をたったひとり操れる存在でもあったりして、きっと何かあるんだと思わせていたらやっぱりあったってこと。ひとつ間違えば哀しい運命が待ち受けていて1億人が落涙した志田桐涼女ちゃんの最期にも並ぶ場面なんかが想像されたけれども、そこはやっぱり主要キャラのひとりだけあって、前にも増しての存在感を持つよーになってそしていよいよ迎える魔王との戦いに切り札の1つとして立ち向かうことになるのかな。彼女と言い間宮血影といい仕込んであった伏線がここでひとつに合わさり発動するってのは、つまり最初っから考えて練り上げて書いていたってことか。だとしたらすごいぞ日日日さん。まさか応募時から構想していた? それはさすがに気づかなかった。通った筋に必然としてキャラクターが現れ集まり活躍を見せそして大きな世界を描いて収斂へと向かうスケール感がある点が、暴走ぶっとばし気味な「狂乱家族日記」よりも僕が「アンダカ」を好きな理由か。無城鬼京に踏み込まれた風呂場での表情がなかなかに愛くるしい、っていうか一色触発の緊張感。バンダナ外すとあんな顔をしてたんだ。

 一眠りしたらルルーシュが苦戦していてカレンが復活してナイトオブテンがあっさりと退場。もう瞬間に沸騰してしまったよ。これだけの武器を搭載させられるんだったらスザクとかにも積んであげれば良いのにプリン伯爵。それともベースとなるラクシャータの輻射波動装置がなければ改良は施せなかったとか。あとあの伸びて発射してつかむ腕はジオングっぽかった。でもってナイトオブテンが周囲に侍らせていた美少女軍団もカレンが瞬殺。可愛かっただけに可愛そう。キューエル、って叫んでいたけどキューエル卿のご親戚? どっちにしたってもういない。でもってダールトンの息子も瞬殺の憂き目に。最初に操られ最期もほとんど見せ場もないまま巻き添えっぽく死亡とは。しょせんは2世のザコだったってことか。それを思えばギルフォードはまだマシか、一応は主役を助けての爆発四散だった訳だし。でも本人はあれをルルーシュではなくコーネリアだと思い込んでいたんだよなあ。知らないってことは幸せだ。そのコーネリア。やっぱり前の軍服姿ん時よりバストが膨らんでいる気が。改めて言うけど着やせするタイプだったんだ。でもって爆発するフレイヤ。光って終息して終わり。ショボ、って思ったら東京租界の上の建物が根こそぎ消えて土台に大穴が開いていた。日本人どころかブリタニア人の方が多く死んでいないかあの武器で。惨状を見てそれでも成功とガッツポーズを取れたらニーナも本物になれるのに、本物の怪物に。おおナナリー! でもきっと……。だって近所にシャルルが来てたんだから。ナナリーを本国へとさらったV.V.から力を奪ったシャルルが、さ。

 でもって日本五輪代表。これで見なくて済むよーになると思うと清々する、って言ったら怒られる? でもこれほどまでに未来に期待をもてないチームもなかったなあ、どの選手をとっても2年後の南アフリカでレギュラーを張っているとか、その先の6年後のブラジルで王様になっている可能性が見えないんだよなあ、これがアテネの時だったらまだトゥーリオ選手がいたし、阿部勇樹選手がいたし大久保嘉人選手がいて平山相太選手もいた。平山選手はその後にぐわっと伸び悩んだけれどもFC東京でトップ下働きをしているうちに得点感覚が戻ってきたみたい。すばしっこい羽生直剛選手をビット代わりに使いボールを集めさせてはドカン、って攻撃がこれから見られるかも。もとい北京五輪代表だ、本田圭佑選手は蹴っても走らず香川慎司選手は攻めても戻らず李忠成選手は打てもせず。内田篤人選手オーバーラップに頑張っていたけど入れたクロスが今ひとつ。ここに昨日クオリティの巻誠一郎選手がいたら決めてたか? っていうとちょいタイミング遅くて周囲を固められてた可能性が大だし。水本裕貴選手はまあ普通にディフェンダーとして大過なく過ごしていくことでありましょう。あれだけサイドがザルじゃあ凌ぎきれないよって擁護。かくして終わった北京の夏。オランダ戦? 相手は勝たなきゃ上がないんで本気で来そう。そこにぶつけるなら本気を出せる面々を。そんなのがいれば、だけど。今さら呼べないオーバーエージなら近所にいる澤穂希選手を読んでボランチに入れたらあるいは気合いも入るかな。


【8月9日】 新宿に集まって唯一無比のピクチャーたちを楽しむ人たちを後目に帰って、本家本元にして唯一無比の北京オリンピックの開会式をライブでながめた自分には反骨精神など存在しないと確信。そりゃあアンチ・アンブッシュマーケティングだなんてお題目を掲げては、便乗しようって面々を悪の権化のよーなスタンスでもって徹底的に排除に回るスポンサー企業のいささか頑なすぎる態度が、お祭りとして雰囲気を楽しみつつあらゆる方面へと楽しさが波及して経済も動けばそれはそれで世界平和なオリンピック・スピリッツにもかなっているんじゃないの? って気持ちにそぐわず苦々しさを覚えていたりもして、決して便乗ではなくタイミングが一致しちているだけの架空スポーツの祭典を大いに支持したくなる気持ちに嘘も偽りもない。とはいえすでに見た土鳩たちの狂乱ならば、未だ見ぬ黄河文明5000年の伝統が炸裂する様って奴をリアルタイムで見る方がよりプライオリティ的に高いってのも好奇心旺盛な人間の態度として仕方がない。うん仕方がない。

 けしかしこんなに長いとさすがに飽きるなあ。いやチャン・イーモウ監督が仕切った開会式の式典そのものはそれほど長いって感じなかったんだけれど、いよいよもって始まった選手の入場行進がとにもかくにも長かった。先頭のギリシアが入ってから最後の中国までいったいどれくらの時間がかかったんだろう? 204カ国の登場が1国平均で1分としても204分で3時間半近くに及ぶし、30秒でも102分で1時間半超。間をとって2時間半でもやっぱり長い。

 映画だったらそこにストーリーもあるから起承転結の流れを追いつつ気分を盛り上げられるけれども、入場行進は究極的には同じ登場の繰り返し。楽しみがあるとしたら出てくる選手たちの衣装がどうとか、中にどんな可愛い選手がいるかとか、おやまあこんな国があったんだってな驚きくらいでそれも常にあるとは限らないから見ていてなかなかに厳しいものがある。見目でいうならアフガニスタンから唯一人出てきた女子の選手が妙に可愛らしかった記憶があるけど調べても誰だかは不明。ちょっと前にイタリアで行方不明になったアフガンの女子選手と同じ人? 女性が前面に出ることへの外からの反目に内からの躊躇がやっぱり未だにあるんだろう。

 入場が終わって聖火になってからは割にスムーズで気移りもせず。でもいつかのモハメド・アリさんとかをはじめとした感動の土砂崩れみたいな人生とは違って李寧さんってそんなに昔でもない時期に活躍した中国的には凄いんだけれど世界的にはダレソレ的な人でなおかつビジュアル的にもほとんど中年のむっくり体型では、見ていても妙に心が沈む。そんな人でも流石に体操の金メダリストだけあってつり下げられて手にトーチを持ちながらも通称「鳥の巣」なオリンピックのスタジアムの屋根に設えられた360度ビジョンの前を、文字通りのエアーランニングするだけの体力筋力精神力を持っていたことには素直に感動。普通だったら途中でへばるかトーチを落とすのに。そんあ李寧さんのトーチから点火された火が聖火台へと飛び周囲も含めて大爆発。いやあ凄かった。

 チャン・イーモウ監督の演出も冴えてはいたけれどもそれを手伝った蔡國強さんってアーティストの花火の爆発させっぷりが今回は演出を上回って凄かった。天安門の上から中空を1歩1歩歩いてくる巨人の足跡を花火で再現してみせたあたりからタイミングに合わせての打ち上げとそしてクライマックスの大放出。どれだけを仕込みどんな順番で浮かび爆発するまでのタイムラグも計算しつつ完璧なまでに打ち上げ爆発させてみせてくれた。さすがはアジアが誇る現代アーティストのトップを行く人。世界を爆発させまくって来た蔡国強さんだけのことはある。この人材にかなうだけのパフォーマンスを2016年に東京で見せられるのかって所が、たぶんこれからの論議の話題になるんだろー。

 日本で行われた直近の98年「長野冬季五輪」の時は「劇団四季」の浅利慶太さんが総合演出を担当して、新井満さんがプロデューサーを担ってといった具合にいかにも体制ニッポンな雰囲気が事前には感じられて見せかけだけの張りぼてのよーな開会式になるんじゃないのって苦笑をもって眺めていたら、いざ行われてみれば静謐な中に力強さも秘めた日本らしさが割と出ていて、見ていて面白かったりしたけれども冬だからこその「ゆく年くる年」的な演出であって、夏に静かにやっても気持ちは浮かれない。やっぱり派手にドドンパと祭りをぶちかますのが正解なんだけれども歴史の長さで倍な中国にあれだけやられた後では、例え誰が何をやったところでショボくなる。

 日本を代表する演劇人ってことで浅利さんに続きそうな人だと野田秀樹さんが上げられそうだけれども、外連味あっぷりの舞台を作ることで定評の野田さんであっても所詮は限られた空間の中をどう見せるかって舞台の人だから、周辺の地域も含めた巨大な空間にどれだけの仕掛けをほどこせるのか手腕についてはなかなかに未知数なところがある。蜷川幸雄さんも同様。叱られて泣き出す出演者たち、って姿をそのまま見せれば面白いけど流石にねえ。映画界? 人がいない。トップって挙げられるのが宮崎駿監督だけどやっぱりアニメーションの職人であって、自分で修正の手を入れられないイベントのプロデュースを行うとも思えない。

 押井守さん? 戦車とか飛行機とかガンガンとばして愉快なものを見せてはくれそうだけれどきっと途中で出てきた誰かが1時間くらいモノローグをはじめて観客を辟易とさせるんだ。それか飯を食い始めるとか。犬が100匹くらい出てきて動き回るとか。それはちょっと見てみたい。ってことでここは日本らしさといかがわしさを醸し出せるアーティストが最適とばかりに、8年後には作品が100億円くらいで取引されていそうな村上隆さんがご指名を浴びて巨大なスタジアムの中に巨大な「DOB君」と巨大な「KO2ちゃん」と巨大な「マイ・ロンサム・カウボーイ」を闊歩させては、300人の合唱団がいっせいに「もえー」と叫んで場を盛り上げる開会式を見せてくれるんだろう、ってそりゃあ「東京オンリーピック」だってばよ。巨大バルーンのDOB君を東京上空に挙げられたらそれはそれでアーティストとしては本望だろうけど。谷中のバスハウスに浮かんだバルーンもここまで膨らみましたって言えるし。

 あるいはハリウッドでの初監督作品「ミッドナイト・ミート・トレイン」が不穏な動きの中で公開されたもののそのままお蔵入りにされよーとしている北村龍平監督に総合演出を依頼するってのはどーだろー。ワイヤーにつられ飛びまわるロングコートの男たちが右手に銃、左手に刀でチャンバラをしたした果てに吹き出る血しぶきがグランウドを染めて赤い海へと帰るのだ。うーんとってもヱヴァンゲリヲン。そうだ庵野秀明監督でも悪くないかも。ありとあらゆる特撮&アニメのガジェットが出まくってOTAKUでHENTAIなニッポンって奴を世界にきっと見せてくれるだろー。スペクタクル演出は樋口慎嗣さんに依頼だ。ああ何か東京オリンピックを開催して欲しくなって来たぞ。

 鹿島を相手にした崖っぷちな戦いを「フクダ電子アリーナ」へと見に行く途中で京成の千葉中央駅に立ち寄り2回目の「スカイ・クロラ」。やっぱりボウリングでの草薙水素のクイッと入る腰が最高。あれでスペアとれないのはきっとわざと真っ直ぐ投げているからなんだろー。土岐野をウザがらせて引き下がらせて函南と2人っきりになる作戦か。なるほど結構あれで純情な人なんだね。あのレストランでのシーンからあとはずっと口紅を薄くひくよーになった草薙水素だけれどそれって倦んでぐるぐると回りながら退場を画策していた弱い気持ちを引っ込め、ユーヒチの“遺言”を受けて少しづつでも変えていこうって決意をした現れってやつか。

 つまりは現状に留まり言われたことを疑いもせずにこなしてそれで良しって子供から、責任と義務を意識し進む大人になろうとしたっていう。森博嗣さんによる最新の単行本「スカイ・イクリプス」(中央公論新社)に収録の短編に示唆された、原作での悲劇的な結末が回避される可能性をアニメとして先取りしてそこに登場人物たちの、というか草薙水素らキルドレたちの現状に甘んじない前向きさを見せようとしたのだとしたら、やって来た新しいパイロットに向かい草薙水素が「待っていた」と言ったのも、もう繰り返さないぞっていう意志の現れだったんだと理解できる。

同じ赤いチームを応援しないで黄色いチームに勝たせてくれたぞ鹿より犬が好きなのだなポニョ  同じことの繰り返しに倦んでいたんだとしたら、あそこで見せる顔はもっと荒み退廃さに溢れていたはず。そうじゃなくってしっかりと前を向き相手を見据えて言葉をつむぐ。あそこから「スカイ・クロラ」の停滞して繰り返されていくだけの世界は終わり、モラトリアムという美辞を隠れ蓑にした子供たちの逃避は終わって前へと、未来へと動き出す。としたら続編はやっぱりないよなあ。かといって退廃感の漂う以前のエピソードを今さらアニメにするのも押井さん的にははばかられるか。勿体ないけどここは唯一無比の1本と「スカイ・クロラ」を受け止め見続けよう、ってこれも一種のモラトリアム? 所詮は受けての一瞬の快楽にしか映画はならないのか。

 そして出来たての「フクダ電子アリーナ」前のモールに入るとまだテナントの入っていないスペースに運動ゲームが幾つかあって早速「ストラックアウト」もどきをやってみたら投げても投げてもボールが的へと届かない。体力落ちたなあ。んでもってトスバッティングをやっても球がバットにあたらない。これはまあ昔から。ゴルフのアプローチはボールが浮かび上がらない。何故? ってしばらく打ってこれはちょんと浮かすんじゃなくって思いっきり打ってネットに跳ね返らせて漏斗状の的に叩き込むものだと理解したけど土岐既に遅し。サッカーとテニスもあって面白そうだったんで今度来た時に遊んでみよう。ついでに爆弾ハンバーグとやらも試食。大きい? 気がしなかったのはお腹がすいていたから。ちょい値段高いなあ。美味しいけれど。今度はやっぱりオープンしていた「CoCo壱番屋」で体験だ。スタジアムグルメから遠のきそう。

 そして対鹿島アントラーズ戦。ぎちっと固めて得点を赦さない間にボスナー選手のキャノンが炸裂してまず1点。相手が1人減った中でセットプレーを奪い巻誠一郎選手が叩き込みそしてもう1本を叩き込んで3点。この間にゴールラインを割ったんだじゃないかって逡巡していた隙をつかれて入れられたクロスを本山選手に決められたけれど1点差を2点差に広げて相手の意欲をやや削ぎつつしっかり固めて逃げ切り快勝。久々にこんな貴用い試合を見た感じ。とりあえず良いクロスをあげれば巻選手はちゃんと決めることが判明したし良いクロスも入れられるよーに成ってきた。新外国人のミシェウ選手はキープがうまくてパスも出せるから中盤に溜を作って巻選手を張り出せられる。サイドの上がりも加えられると良いことずくめ。この勢いで勝ち上がれば降格圏の脱出も夢ではないんだけれども勝ってもまだ同点で最下位は変わらないからなあ。前半のツケが大きすぎたがまあ良い残りも半分近くはあるからここからジリジリと勝ち点を重ねて10月くらいに脱出と洒落込みたい。降格が決まってたりするのだけは勘弁ね。


【8月8日】 どこから引っ張り出して来るのか分からないけどスペイン留学中に覚えた言葉だったら過去にだって使っていて不思議はないから最近になって使い始めたってことはきっと最近聴いたか覚えたかしてこりゃ良いわって使い始めたのかもしれない「パタタ・カリエンテ」って言葉の意味は“熱いじゃがいも”ってことらしく、手にしても熱くて持てないから隣に回してしまうという無責任主義を言い表しているとかでこれを金子達仁さんは昨日のサッカー北京五輪代表が見せたプレーの無責任に渡してあとは任せた的態度の横溢を指摘する際に用いている。まあそう言われたって仕方がない。

 前半こそ結構な率で攻め込んではゴール前にボールを運んでチャンスを作ってこれが続けばいつかは決まるかもって思えたんだけれども、1点を奪われてから後はもうとにかく後はお任せの高熱じゃがいも。渡されたってそりゃあアチチだってすぐに渡して一息ついて水でも飲んで模様眺めをしているうちに反撃されては守りきれずに押し込まれてしまう繰り返し。「スポーツニッポン」の2008年8月8日号で金子さんが前日のサッカー女子北京五輪代表が最後に見せた不屈っぷりを上げその軸となった澤穂希選手が最後にペナルティエリアへと突っ込んでいった責任感とは正反対に、男子の五輪代表で王様であるべき本田圭佑選手が試合の終わりにセンターサークル付近で王様っぷりを見せていたことを並べていた。ごもっとも。確かにごもっとも。

 言い換えるなら熱いジャガイモにご本人がなって辺りの敵選手を退け押し込んでの澤選手の奮闘。見れば周囲の日本人選手だって支えようって気になるけれどもそうしたリーダーに圭佑選手はなれなかった。いやひとり圭佑選手に責任を被せるのはやや酷で、皆がそんなお任せプレーを重ねていたからこその無得点な訳だけれども、大会前に散々っぱらビッグにマウスをオープンさせてはハリケーンなワードをマシンガンしてたケースケだ。言に責任を求められても仕方がない。プレッシャーをバネに出来るタイプだったら良かったんだけれどそれが出来るんなら名古屋グランパスで早くに大活躍をしてタイトルの1つでも取ってたよなあ。まあ仕方がない。続く試合をともに勝利し1次リーグの突破を期待。あと金子さんがどんなワードを引っ張って来て例えるのかにも。

 そうそう女子はなるほど凄かった。前半は相手の放り込みから早いプレッシャーにおたおたっとして中盤を制圧されて前へと運べないままに押し込まれて得点を奪われる悪い出来。早くにオープンに展開したくっても持ち替え周りを見ているうちに迫られ奪われてしまう繰り返しのうちに心も落ち込んでいってしまったんだろー。とはいえそこは幾度となく崖っぷちを経験してははい上がったなでしこジャパンの面々たち。PKで1点を返してからも攻めて攻め込み同点へと追い付いては次のトーナメント入りへの希望をつなげた。ああ良かった。

 近賀ゆかり選手のゴール前でのスルーってミスはミスでそれも重大なミスだけれども、あそこで蹴れば当たってオウンゴールになってしまうかもって判断をしてのスルーであって、例え結果は間違っていたとしてもいろいろ考えてプレー出来るくらいの冷静さはあったってことだから、これを糧に次での結果を期待。中盤は澤選手をやや前目にしてもっとボールを散らせる選手を欲しいところ、ってことで贔屓の加藤與恵選手の御出馬をと、江橋よしのり先生の安藤梢選手好きにちょっと対抗。あとは当たりに強い荒川恵理子選手の先発も欲しいなあ。アメリカ慣れなら山口麻美選手がいたらって思ったけれども選ばれなかったってことはどこかに抜けがまだあるのかなあ。

 ユーリかわいいよユーリ。たとえ中身が……であっても。ってイケナイ趣味へと向かいそうな気持ちをぐっとこらえて杉井光さんの「さよならピアノソナタ」(電撃文庫)の第3巻。一迅社文庫でも連続のラインアップだったりして電撃でも複数のシリーズを走らせてといよいよ興が乗ってきた感じの杉井さん。このままドライブしていって欲しいけれどもやっぱり個人的には「ピアノソナタ」か「神様のメモ帳」シリーズが好きだなあ。誰も自分のことをわかってくれないんだ、って落ち込みの中で、才能のある面々に囲まれてわいわいと騒ぎながら自分の曖昧になりがちな価値を探って引き出されて前向きな気持ちになれるシチュエーションって奴に、きっと憧れているからかも、ってそれはあんまり健全とは言えない精神状態だ。

 んで「ピアノソナタ」はいよいよ近づく体育祭に文化祭の中で、主人公のナオミ少年が所属する民音としてのひとつライブをぶちかまそうってことになる一方で、メンバーの一人になっている、かつて天才ピアニスト少女と讃えられながらも心が凍ってしまって指を止めてしまって、今はピアノは休養中の蛯原真冬を訪ねて、こちらも天才少年バイオリニストと讃えられるジュリアンが真冬の父親で世界的な指揮者のエビチリこと蛯原千里に連れられ来日。かねてよりの知り合いらしい真冬とのつながりを見せては、音楽評論家の息子で真冬から関心を持たれているナオミ少年を刺激して悶々とさせる。君は真冬の何なのって聞かれて答えられない小心っぷりに自分でも幻滅すれば真冬にも飽きられそうだとなお鬱屈。ユーリの登場が刺激になったか真冬も指が治ってレコーディングからコンサートへと復帰していく話が持ち上がり、自分はいったい何なんだって滅滅としていく。贅沢にも。

 いやもうほんとに贅沢な話で。真冬についてはツンケンしつつも中身はベタベタ。気づいていないのはナオミ少年だけっていったシチュエーションに手前はいったい何様だって蹴りを入れてコブラツイストに固めて葬り去りたくなるけれども、もうひとりのユーリについてもこれでやっぱり狙いは同じ。昔っから真冬と同じ人を好きになるんだよって目の前で言われてそうか好きな作曲家やミュージシャンの趣味が似てるのかって解釈をする唐変木ぶり、鈍感ぶりをさてはていったいどう料理してやれば良いのやら。だから中身は……なんだけれども天才だしきっとお金持ちだし何より可愛くって麗しい。さらに言うならバンドの仲間の先輩と同級生のともに女子からもくんずほぐれつ。そんな環境にあって自分は何者? って悩む方がやっぱりおかしいんだけれども、当人ってのは案外に気づかないものなんだよなあ。いや僕の場合は本当にまったく何もないんだけれど。この夏だって誰ともどこにも行ってないし。そんなこんなでクライマックスちょい前で寸止めをくらったこの巻の、続きはライブかそれともその後か。分からないけれども続いてくれると信じて待とう、でも「メモ帳」もお忘れなく。

 さあさいよいよ開幕ってことで気合いを入れようと神保町のミズノのショップまで出かけて北京五輪代表関連ウェアを見繕う。前回のアテネん時は手持ちのサッカー代表のユニフォームとか、ユニクロが安く作った花柄のTシャツなんかを着て気分を出していたけど今回はそーした事前の盛り上がりがまるで皆無で、グッズ関係も乏しい上に唯一見繕えるサッカーが弱くてユニフォームを着る気になれないのが辛いところ。ならばと期待もかかる野球のユニフォームでも揃えようと、ショップに向かい眺めて前回の背番号3「NAGASHIMA」に続き、監督シリーズとして背番号77「HOSHINO」を買って着込んでしばらく闊歩することにする。

 ダルビッシュじゃああまりにも見目が違いすぎて石とか投げられそうなんで遠慮。千葉ってことで里崎西岡でも悪くはなかったけれどもやっぱり名古屋な人間ってことで。サッカーはおそらくは来週中で敗退が決まり着る機会もなくなりそーだけれど野球なら、うまくして決勝まで行けば23日くらいまでは着られる計算。これで予選で敗れたりしたら珍しくオーセンティックで買ったユニフォームの3万円が無用の長物になる可能性もあるんで、星野ジャパンには是が非に決勝まで進んで僕に「日本SF大会」の場で代表ユニフォームを着て闊歩させてくれたまえ。大阪だから星野でも歩いていて大丈夫だよねえ。4年前の岐阜では確か「NAGASHIMA」を着て歩いたんだっけ。成長してないなあ自分。

 そうかもう24年か。そしてそしてちょうど10年か。24年の方は漫画家のかがみあきらさんが没してからの年月で、ちょっと前に暑中お見舞いをもらい宛名の直筆のかがみさんっぽさに歓喜していたのも束の間、1カ月碁くらいに発売になった「漫画ブリッコ」の追悼文で亡くなられたことを知ってぐわっと落ち込み暑さの中に悶々としていたことをおぼろげながらも覚えてる。あの夏は暑かった、んだよなあ。さらにしばらく経って後悔された劇場版の「超時空要塞マクロス 愛、おぼえてますか」のクレジットにその名前を見つけて複雑な気持ちになったんだっけ。どんなデザインを手がけたんだろう。そして今また「マクロスF」の放送中。デザインはここに流れて来ているんだろうか。存命ならどんな感じかで関わって来てたんだろうか。考えると切なくなる。

 そして10年は将棋の村山聖9段。こちらは新聞で比較的早い段階に知ったんだった。やっぱり残念さに落ち込んだっけ。存命なら果たして今みたく羽生善治さんのほとんど独走って状況に変化を与えていたんだろうか。いやでもあの刹那的な生き様があっての凄みでもあったと考えられなくもないだけに存命ならどうって考えるのは意味がない。何より壮絶な闘いぶりで世代を越えたインパクトを与え感動を招き10年経った今もその棋譜は多くの棋士たちを見入らせているという。それこそが棋士の本望。それなりに勝ってたって後に残る棋譜を生みだしてこその将棋指しって奴でそれをわずかな現役の、そして存命の間になしとげた村山9段には追悼よりも今だ”現役”としての賞賛を贈る方が適切かもしれないなあ。


【8月7日】 書きたかったことは世にインターセックスと呼ばれる男性とも女性とも分けられない人たちがいてそれも結構な割合で生まれていて、なのに既成の男性であるか女性であるかといった二者択一の概念に体なり心をあてはめようとして戸惑い悩み苦しんでいるんだってことなんじゃないかって思った帚木蓬生さんの「インターセックス」(集英社、1900円)。だからリゾートに立てられて産婦人科なり不妊治療といった女性のためになる医療を中心に性適合手術なんかも請け負う病院を舞台に起こる不思議な事件とその真相をめぐるひとりの医師のミステリー的な探求ってのはあくまでエンターテインメントの装いでもってこの論を世に問う方便。いつものミステリーだと興味をそそられ手にした人たちが、繰り広げられる論陣を読んでそうかそういうものなのかと気づくことが著者の思いにかなっていたりするのかもしれない。

 市立病院に勤務する翔子はもっぱら産婦人科医とし働きながら女性と男性との違いがもたらす医療的な差異について研究して実践していた。たとえば薬の投与をどうするかといった部分も体重が違えばホルモンの分泌も異なる男性と女性を同じ知見で診断していいのかといった部分で女性に適切な分量なり適合する薬品を選び投与する必要があるといった研究で国内外から評価を受けていた。もうひとつカウンセリング的な仕事もしていてそれは見た目が女性なのに染色体は男性とかその逆、内分泌器官に問題があってホルモンバランスが通常とは違って男性なのに女性っぽく見えてしまったりその逆だったり染色体そのものに異常があって形態に変化を与えてしまうといった状況下にある人の相談にのって、より良い方向へと導いてあげるといったものだった。

 たとえば染色体では女性なんだけれどホルモン分泌が阻害されてて体つきが男性っぽくなっていて生殖器にも違いが見られる場合に両親あたりは断固手術で体を男性女性のどちらかに合わせる方がその子のために幸せだって考えるけれども当の本人はそれが幸せなことなのか、衆目にさらされ痛い手術を受けてそれでも完全にはなれない自分を嫌に感じそうした親を恨み世間を嘆くようにはならないか、だったらそのままで良いじゃないかといったサジェスチョンを与えてより気持ちが快適な方へと導くといった仕事をしていたけれども世間には未だに男か女かのどちらかしかいないという概念が根強く、その壁を壊しインターセックスをそれもひとつの状態なんだと認めてもらおうと頑張っていた。

 一方でリゾートに立つ高級産婦人科病院の院長の岸川は生まれたばかりの赤ん坊の形態に異常が見られたならば即座に手術を施し形を合わせてしまう方が親にとっても子にとっても幸せではないのかという考えの持ち主で、最初はだから翔子と同じ患者をめぐり対立するものの翔子の聡明さに触れ自説を保留して翔子を医師をして迎え入れて翔子の望むような治療を施させる。患者からの評価は最高。働く医師たちの仕事っぷりも実に素晴らしく、そして誰もが生き生きとして自分たちの職務に取り組んでいる。そんな環境を信念でもって作り出した岸川ってとっても良い奴じゃん、って思わせておいて実はってところがミステリー的要素なんだけれども、その実はってところにもやっぱり前向きな医療への思いがあったりするから憎めないというか、戸惑わされるというか。

 そっちのミステリー的には“本筋”となっている部分に本題の「インターセックス」がまるで絡んでいないってところも、だから主張は新井祥の漫画「性別が、ない!」(ぶんか社)とか「中性風呂へようこそ」(双葉社)なんかに似て、2つしかない選択肢では分類できない、多彩で多様な性が存在しているんだからそれをまずは知り、良ければ認めていこうじゃないかってことだと感じる理由になっていたりする。ラストに提示されたある種の“神々しさ”がすべてを収めたって所は出来すぎな感じもするけれど、それを神話的な存在と見るんじゃなくって、偏見を乗り越え自分を確立した存在への敬意であり振り返った我が身の恥ずかしさだと見ればまあ、あり得ない話でもないのかも。とにかくいろいろと勉強になる本。性は2つじゃないし3つでもない。ひとりひとりがひとつの性。それを知り認め受け止めるための導きになればこれ幸い。

 ゴンゴロゴンゴロ。とりあえずアメリアの親父すげえ。けどリナの姉貴の方がやっぱり凄いんだろうなあ。とか思いつつ「スレイヤーズR」。ゴンゴロゴンゴロ。巨大な球を山上へと担ぎ上げる風習が残る村に入って3つの集落の球転がしレースに引っ張り込まれるという展開。ゴンゴロゴンゴロ。そして予想どーりの結末へと至るんだけれどそれはそれで予定調和的に楽しいってところが何とも悩ましい。これを夜中にやられたって新しいファンはつかないぞ。ゴンゴロゴンゴロ。「鉄腕バーディDECODE」もお話は手堅くまとまっていて絵も美麗で動きも的確ではあるんだけれども今ひとつ盛り上がらないのは本筋ってところから外れたお楽しみ回な割に爆裂さが足りておらずかといってキャラクターの内面を積み上げ次ぎへとつなげる狙いにもどこか及んでいないから、なのか。アクションシーンも止めてコマ送りでもると迫力なんだけれどもそれが映像として動いた時に早すぎて残像としても残らず外連味が伝わって来づらいんだよなあ。巧いと凄いは違うってことで。りおんなんてもう何話も出てきてないのから次回予告のりおん喋りがそろそろ誰だかわかりにくくなって来た。あの設定は本当に必要だったのか。必要ならばそれを見せてくれるエピソードを、ってあと何話あるんだろうこのシリーズ。それで間に合うのかな。

 エコが良いんだ! って全身どころかタイトルからして主張している「環境超人エコガインダー」の製作発表会を見物。環境破壊を企む「エコクラッシャー」から使わされた「ムダーナ」と「ハカイス」の悪巧みを未来から来たヒーロー「エコガインダー」が粉砕するて特撮ヒーロー物語。どうにも教育番組的でなおかつ環境省がお墨付きまで与えているからそうとうに教育的雰囲気が溢れた番組になっているんじゃないかって心配も浮かぶけれども今日日の教育番組ってNHK教育なんかを見れば伝わってくるよーに相当にシュールでアバンギャルド。キッズステーションでもそれは同様みたいでムダーナ様はボンデージにへそ見せ衣装と自らクールビズを実践はしつつも手に鞭のゴージャスさでもって悪の限りを尽くし、その子分もインチキくさい扮装でもって立ち回っては環境破壊を繰り返す模様。「AKB48」から悪役抜擢となった秋元才加さんの悪女っぷりを楽しみつつ、特撮ヒーロー物のお約束的な勧善懲悪のドラマって奴を見て学び実践へと写していくことによってより環境に優しい世界が生まれるってことになれば面白いんだけれど。肝心の特撮がどーなっているかは不明。ムダーナ様もハイキックで戦闘とかしてくれるのかな。

 本文はぜえんぶ同人誌即売会なり即売会。日本最大のとか金土日で数十万人が来るとかいった固有名詞を類推できる言葉はあるけど本文での具体的な指摘はなし。ちなみに日本映画エンジェル大賞受賞時の企画案も「東京即売会襲撃(仮)」だったのにいよいよもって本となって発売されたタイトルは「コミケ襲撃」(サンクチュアリ出版)で奥付も当然ながら「コミケ襲撃」で英題も「THE ATTACK OF COMIC MARKET」ってのはつまり明らかに夏と冬に「東京ビッグサイト」を舞台に行われる世界最大の同人誌即売会を差してそこを舞台に展開した物語だってことで、だったら本文も全部そうすればよりクッキリと場の風景も見えて来るのに、そうはなっていないあたりにどんな配慮なり綱引きなり思惑があったのだろうと想像がもわもわ。

 本当はそうはしたくない逡巡を抱きつつも“わかりやすさ” と“キャッチィさ”を選んでそうタイトルを付けたのだ、って判断なのか。でも専用サイトにはある「※ 本作品はフィクションであり、作品中に登場する『コミケ』は、実在のコミックマーケット(コミケ、コミケット)とは無関係です」「※『コミックマーケット』『コミケット』『コミケ』は、有限会社コミケットの登録商標です」という言葉は本には入っていないからなあ。それとも見落としているのか。カバー裏にも帯の折り返しにも見えないけれどサイトにあるならそれで良いということなのか。うむう。そりゃあ話は面白い。秋口ぎぐるさんで川上亮さんだけあって文章も会話もキャラクターも立っている。客観視して同人誌即売会って場をそう見てそうしたくなる人たちがいるというのも分かる。それをネタに書いてみたくなるって気持ちにも理解は及ぶ。

 無防備に見えるなら奪ってしえば良い。そういうのが売れるならそれをプロジェクトとしてやってしまえばいい。そこでそう装うのは稼いで学費の足しにするため。分からないでもないけれどもあの場あの空間への何ていうかある種の敬意めいたニュアンスが背後に下がって、お金を稼ぐのに利用できる空間なんだといったニュアンスが前面へと出てそれをフックに話を転がし面白がらせているところが悩ましい。ひとりあの場を極端なまでに敬愛するキャラクターもいないでもないけれど、その極端さが暑さを醸し出しているのが何とも。だいたいが数組が何分かおきに連続して襲撃してればすぐさま見つかり囲まれ抑えられるのではないのか。斜め上へと向かい爆裂していく展開を面白いと感じつつ、その面白がり方にあの空間への自虐的なダメ萌えマインドというよりは、あのノリへの加虐的な苦笑をより後方より客観視して見つけてしまい、どうしたものかと立ち止まる。そんな感覚が浮かぶ本。さてもどんな評判を招くか。映画化とかされるとしたらどうあの喧噪を再現するのか。映画にはさすがにまんまのタイトルは使いづらいだろうなあ。


【8月6日】 白いあごひげに黒縁眼鏡のおじいさんが2CV転がしている番組を録画しながらブルーレイディスクで見た「イノセンス」は、HDMI接続も何にもしていないからクオリティの程は不明ながらもまあくっきりと見えたっぽい。黒いところがざらりって潰れていることもないし音声もAVアンプからステレオのヘッドホンケーブルでワイヤレスヘッドホンを介してインチキなサラウンド機能を回転させて聴いてもちゃんと音がくっきり聞こえて雰囲気だけは楽しめる。PS3からの出力が弱いのかそういう仕様なのか出力が小さい感じでアンプの方でボリュームアップしないと響いてこないのが難だけれどもそれで音が割れる感じもないからまあ気にしない。

 んで内容は……前に見たときと同じかなあ、理屈っぽいっていうか理屈しか無い感じ。捕まって脅されて働かされてた女の子が必死で助けを求めていたのを見るなり説教かよバドー。それだけ頭が人形方向へと振れてしまっている現れか。今見ても絵は綺麗。ちょっと前に見た「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL2.0」がいくらデジタルを加えて手直ししてあるっていったって、最初っからデジタルの親和性を盛り込み描かれたビジョンなんかにはかなわない、とりわけやっぱりバドーが雑貨屋で銃を乱射するシーンあたりとか。そんなビジュアルショックに対してストーリー的なカタルシスがなくバドーの地味な捜査物、って印象がやっぱり最後まで拭えない。これじゃあやっぱりカップルとかは見に行かないよなあ。んじゃあ「イノセンス」はどうかっていうとまだキャラに可愛げがあるし声が有名人、ってところに見える可能性としての一般性。だけど現実は?

 ってことで押井守監督には次に是非に「スカイクロラ・ウィッチーズ」ってのの監督をお願いしたいところ。いやなにそんなタイトルを想起させる画像をどっかで見た記憶があって浮かんだビジョンだけれど最近(ずっと)どうにも忘れっぽいのでどこにあったのか忘れてしまってやや残念。ともあれタイトルを見ればもはや瞭然のストーリー。草薙水素がロストック社製の飛行脚こと「ストライカー・ユニット 散香」を脚部に装着してブルルルルンとエンジンを回し空に舞い上がってはラウテルン社製飛行脚を填めて向かってくる敵を相手に空戦を演じるってストーリー。これなら軽く「イノセンス」の10倍は観客を集め「スカイ・クロラ」の倍にだって迫れるんじゃないかって皮算用。もちろん萌えになんてシフトしないで絵はあのまんまで音楽も川井憲次さんの重厚なのをそのまんま。だからこそ生まれる不思議なビジョンって奴にきっと誰もが驚くんじゃなかろーか。

 でもなあ。ひとり草薙水素がパンツじゃないから恥ずかしくない何かを露わに空を飛んではパンツじゃないんだけれども心の眼には一般的な観念に照らし合わせてラッキーにハッピーなものと捉えられるだろうそれらが見えたと観客を喜ばせたとしても、周囲が函南に土岐野に湯田川に篠田ではキルドレなんですね毛こそ生えてはいないだろーけど飛行脚から絶対領域を経てそこに纏われたトランクスなりブリーフに見えてトランクスでもブリーフでもないものが、それでもやっぱり一般的な観念にマッチしたものに見えてしまって多くの観客をゲンナリとさせてしまいそー。且つトランクスに見えてトランクスではない何かを纏った誰かの後方より水平飛行をする彼の姿をとらえたショットで、隙間より天狐空幻の好物がちらちらと見えてしまう可能性があるのがなかなかな難敵。描き手のテクニックが求められそう。

 あるいはラウテルンのパイロットとして出撃して来るティーチャは大人の男って言うくらいだから確実にすね毛もじゃもじゃで、そんなのが画面にデカデカと映し出された日には映画館から飛び出ししゃがみ込む輩も出てきてしまいそー。かといって「ストライクウィッチーズ」の設定のままに、飛行は女子限定とすると登場できるのが草薙水素と三ツ矢翠だけになってしまってちょっと寂しい。ああいやしかしキルドレって設定を活かせば、女子向けに少年たちがブリーフなりトランクスなりに見えてブリーフでもトランクスでもない何かを露わに空を飛ぶって設定が、昨今の趣味の広がりとそのカミングアウトの一般化もあって十分に商業的に通用するかもしれない。

 少年が趣味ではなくても麗しい美青年たちのアンダーウェアもくっきり姿を求める乙女もいるかもしれないし、ハイエイジが好みで筋肉質ですね毛もびっちりな姿に官能を抱く乙女だっているかも。和風なメンズTバックをお好みの大和撫子だってあるいは。そう考えれば案外に行けるかもしれない「スカイクロラ・ウィッチーズ」。それで1本が無理なら西尾鉄也さんには紙芝居で良いからそんなストーリーを作って「スカイ・クロラ」の映像特典に入れてくださいとお願い。それだけで確実にパッケージの売上は3倍に伸びるから。たぶん。でもって漫画化は萩尾望都さんにお願いだ、ってそれは流石に無理かもしれないけれども何かポプラ社が出しているPR誌の「asta」の2008年9月号をピラピラ見ていたらどっかで見たことのある男子たちが上半身も露わに並んでポーズを取っている写真があって、そこに添えて萩尾望都さんが文章をよせモデルが着けているビーズのデザインとそれから写真のコラージュもご本人が手がけているとあって驚いた。

 登場している役者は例の男性ばかりの「劇団スタジオライフ」の曽世海司さんと松本慎也さんと岩崎大さんで、なるほど前から萩尾さんの原作を舞台にして演じてはいたけれども単に原作を提供するだけに留まらなかった萩尾さん、観劇に行き役者さんとも交流を深めてそしてここにこうしてモデルとして起用した連載までするくらいになっていたみたい。そんな衰えるどころかますます健在な耽美魂でもって上半身こそ軍服飛行服ながらも下半身は脚を露わにして飛行脚をはめて空を飛んでは空中で撃たれ落ちようとする僚機によりそい涙を流す美少年たちを描いてくれたら新たな境地が開けるかも。でもってその漫画を原作に「劇団スタジオライフ」が舞台化に踏みきり、「紀伊國屋ホール」なりを下半身に独特なビジュアルの男の子たちが駆け回るなりつり下げられて宙を舞うなりといった光景が出現するのだ。ああ耽美。

 結構前から知ってはいたヴィジョネアって会社のペイ・パー・ビューDVDを取り扱うサイトがいよいよアマゾンジャパンに登場したみたいでどんな展開へと向かうのかにちょっと注目。DVDボックスとかって買ってみたのは良いけれども見ないか見て1回であとは棚に積まれてほこりを被っている例が多々あったりして、だったら1回分だけ見られればあとはいいやって気も浮かぶけれどもレンタルで借りるとなるとそれも面倒。それにいつふっと見たくなるかもしれないとなるとパッケージとして手元に置いておきたいかも、ってあれこれ注文をつけたくなった人にとってPPV方式のDVDは嬉しい逸品。とりあえず500円とか1000円とか2000円とかで買って置いて1話とか2話とか数話をその値段で見た後で、続きが見たいと思ったら1話100円とか3話250円とか様々ながらもそんなに高くはない料金でもって携帯電話かパソコンからパスワードを購入。それをDVDプレーヤーにぶち込むとこれは不思議、ロックがはずれて見られなかった話数が1週間なりの限定だけれど再生されるよーになる。

 どうせ見たって1回か2回。これをパッケージとして買えばたったの1回であっても見るのに2000円とかアニメだったら5000円とかかかってしまうのが、PPVだと10分の1とかの値段で済んでしまう。見たくなったらまた購入。3回も見れば満腹だろーからパッケージの値段を超えることはまずない。なあるほど。いつでも見られる状態においておきたいって願望を抱くマニアはパッケージを買うだろうけどレンタルで済ませている人に、レンタル店にいかなくても1枚手元に置いておけばあとはお好きな時にネットでパスワード購入、再生ってルートを選べるって寸法。そんなDVDをヴィジョネアではこれまではコンビニなんかで販売していたけれどもいよいよ各社からのコンテンツも集まってきたよーで、似たデザインでもって統一感を出してラインアップし販売するコーナーを立ち上げることになったのが今回。パッケージが売れない時代に安くても良いから見てもらえる機会を増やしたいコンテンツ会社の思惑ってのも背景にはあるんだろー。

 見るとドラマとかグラビアとかに混じってアニメの「半分の月がのぼる空」とか「しにがみのバラッド。」とかもあって、DVDを買えば1万円とか超えてしまうものが初期費用は525円であとは1話105円くらいだったけ、6話を全部見たってDVDの1本分より安い値段でネット配信とは段違いのクオリティで見られるんだから躊躇していたファンにはちょっと嬉しいかも。まあ「バラッド。」は趣味の範囲外で「半月」は最初のDVDを揃えたから良いんだけれども「UGアルティメットガール」にはちょっと気持ちがそそられる。変身してしばらくすると服が溶けていくという内容だったっけ。放送中は気恥ずかしさに正視できず放映終了後はパッケージに手を伸ばすのもはばかられたけれどもこれならちょろりと仕入れてそして数話見て大丈夫なら残りを見るなりするって段取りを踏めそう。今は40タイトルだけれどすぐに増えていくみたいなんでアニメ中心にラインアップをながめて揃い始めたらご注文、といきますか。


【8月5日】 なので「スカイ・クロラ」のサウンドトラックでも聴いて映画の中で繰り広げられた架空の王国におけるどん詰まりの恋愛って奴を思い出そうと「iPod」で再生したら繰り返し同じ曲が流れて川井憲次さんも引き出しが減ったのかって思いも浮かんだけれども収録されている21曲の中で7曲っていうから3分の1も「メインテーマ」って奴の変奏になっているから繰り返し同じ曲が流れているなって感じてしまうのも仕方がない。ちゃんと合間にはフーコとかミズキといったキャラクターに割り当てられた曲も入っているし割に勇ましげな曲とか歌入りの主題歌だかもちゃんと入っているからご安心。でもやっぱり耳に染みこむメインテーマ。「攻殻機動隊」の音楽っていうと耳に「あーがーまえばーくわっしーめーよいにけり」って歌しか思い浮かばないのと一緒だね。

 実は「イノセンス」でもやっぱりこの「あーがーまえばー」が流れていたんじゃないのかね、って記憶も模造されていたんだけれど大人になれない子供の世界に留まって言われたことだけをひたすらにやり続けてそれで足れりと治まる子供にちょっと似て、大人というか人間に似ながらも人間とは違う存在であるもののだったらどうして人間に似すぎているのかその境界線をどこに置くのか等々を考えさせられる人形が重要なモチーフになっている「イノセンス」を見返してみるかと家を探してもDVDを買ってないから見つからず、だったらここはブルーレイディスクでもってショップに行って並んでいた缶入りの「イノセンス」を見つけてこんなだったっけ、って逡巡しつつもあるんだからこれで良いんだろうと買って帰って流したら全然違ってた。かといって思い出せないところにやっぱり「あーがーまえばー」の強烈さが脳に与えた影響の大きさって奴を自覚する。んで「あーがーまえばー」ってどんな意味?

 そうだ「イノセンス」のブルーレイディスクだ。これってそういえばブルーレイ市場がどーとか言われる遥か以前に半分くらいベンチマーク的なタイトルとして発売されたんじゃなかったっけ。その時はそりゃあ「プレイステーション3」は持っていたけど今ほど市場が確固たるものになるって確信がなかったのと、DVDも買わなかったくらいに「イノセンス」への思い入れが足りなかったことから確か見送ったんだっけ。値段も8000超とか偉く高かったみたいだけれどもそれが「スカイ・クロラ」でサウンドに凝りまくった押井さんが徹底してサウンドに力を入れたバージョンにしようってことで作ったのが今回の「アブソリュート・エディション」って奴ってことになるみたい。事情は詳しくは知らないけれど。

 んまあ家にそーしたサラウンド環境もなければHDMI再生の環境もないんで凄さって奴は実感できなかったけれども1年半立たずにサウンドも上がれば映像のクオリティだって上がってるっぽいバージョンが出てしまいくらいに日進月歩の技術的進歩が見られるブルーレイ。なので例え規格は1本に統一されたとしても今のバージョンで買うべきなのかって悩みをこの「アブソリュート・エディション」って奴は世間に植え付けてしまった。「マクロスF」のバージョンが上がってどうなるって気もしないんでそれは無視だけれども「攻殻機動隊2・0」とかだと出てすぐ買うべきかって悩みそう。泥人形の草薙素子にちょっとだけ色味が射すとか。やそれはないな、すでに技術的に可能なのにあの色、あの質感にしたってこは確信犯ってことだから。こればっかりは昔のDVDやらLDやらビデオカセットやらを見返し僕の素子はこっちだって思いこみつつ舐めつつ見よう永遠に。でもきっと買うんだ2・0のBDも。

 買わずに置いてあった「スカイ・イクリプス」(中央公論新社)とかも買って読んで最後の短編に原作の「スカイ・クロラ」で起こったある種の悲劇的結末も回避される可能性のあることにホッと安心感を覚えつつ歩いた丸善の「OAZO丸の内店」の店頭でとてつもなく素晴らしくビジュアル系化された桜庭一樹さんのお姿が表紙になったムックをながめて、遥か彼方へと行ってしまって叫ぶ声すら届きもせず、遠くより仰ぎ見るのがマイナーにして弱小にして特殊な書評家たる我が身にとって分相応になってしまった直木賞作家の栄達を祈りつつ、追いすがろうにも及ばない我が身のショボさに嘆息しつつ4階へと上がって「小田部洋一展」とやらを見物。「アルプスの少女ハイジ」なんかのキャラとか作った天下無双のアニメーターで、世が世でなくても宮崎駿さんとか高畑勲さんと並ぶ評判と知名度を取って不思議のない人の確か去年もやってた展覧会兼即売会が今年も開かれていた模様で、会場に近づくと入り口の椅子で髭のおじさんが居眠りしてた、って小田部さん本人じゃん。

 去年もそーだったけれども会期中は割に会場に脚を運ばれているみたいで頼めばもしかしたらサインとかしてもらえたりするのかな? 分からないけどアニドゥから出たばかりの14700円とかする高額の作品集を買えばあるいはサインにイラストもつけてくれたりしたらちょっと嬉しいかも。何を描く? って聞かれて悩みそう。ヒルダ、は悪くないけどアニメと小田部さんの案では表情に随分な開きがあるしなあ。でもハイジじゃあ月並みだし。いっそだったら最近ずっとカバンのポケットに放り込んでジロリと天空を睨ませている例の半魚人を出して「これ描いて」って頼んだら描いてくれるかな。「自分は美しい女の子しか描きたくないのです」って言われて宮さんお得意の離れ目デカ口なキャラは描くのを拒否したりして。夜にNHKで宮さんの経歴を振り返っていたけど「となりのトトロ」のメイに婆ちゃんに「千と千尋の神隠し」の千尋と宮さん結構女の子を不思議な感じに描いているからなあ。小田部さんと美意識が違う、のかな。そのあたり女の子キャラを誰がどう描くのかって綱引きがあったのかどーかがちょっと知りたい。高畑さん? 絵は描かない人だから彼の趣味ってことはないよねメイに千尋に半魚人。


【8月4日】 小学4年生だから歳は10歳か。誕生日プレゼントだってことでクラスの誰かから同じクラスになっていたというか実験的にされされていた双子の弟と巻を前後してもらった「天才バカボン」の何巻だっただろう、記憶にないけどそれを小学校に持っていったら小林とかいう名字でビニールパイプを手に持ち人を殴るのが趣味みたいだった男の音楽教師に見つかり没収されて、学年末には返してもらえるだろうからと教室の机の中に入っているのを見つけながらも放っておいたら学年末になって尋ねると捨てたとか言われて怒り心頭となったものの、文句を言うのも面倒だって思って諦めた記憶がこれは模造じゃなくって割に正確な記憶として残っていたりする。恨みって奴は尾を引くねやっぱり。

 そんな時代の赤塚不二夫さんは漫画家としてもテレビアニメの「天才バカボン」の原作者としてもスーパーでハイパーな存在だったけれども漫画家としてはもうしばらく後の、何故か父親が一時期毎週のように買って帰ってきていた「週刊文春」に連載されてた「ギャグゲリラ」あたりをピークというかほとんど最後として自分の中の第1線からは消え去って、代わりにこれはずっと以前からだったけれどもやっぱり「ブラックジャック」に「三つ目がとおる」の手塚治虫さんは凄いとか、「ドラえもん」ではなく「魔太郎がくる」の藤子不二雄さんは面白いとか、「銀河鉄道999」の松本零士さんはやっぱり素晴らしいとかいった感慨にとらわれ引っ張られてSF漫画にSFアニメとそしてジュブナイルSFから日本SFへと引きずられて今へといたるカルチャーロード。だから残る影響力としてはあんまり多くないんだけれどもギャグの破天荒さって奴から他の漫画家へと伝わった影響の幾分かは、吾妻ひでおさんとかとり・みきさんといった後のギャグ漫画家を経て身に届いている訳でやっぱりその訃報を悼むに吝かではないのである。合掌。手塚石森藤子赤塚。みんな逝ってしまったんだなあ。

 んまあ縁起物だと劇場版「スカイ・クロラ」の表紙になってる中公文庫版の「スカイ・クロラ」シリーズを初動時の丸抜きで「劇場映画化」だか書いてあるカラー帯付きばかりで5冊とも購入。ハードカバー版は持っているけどすでに見えないんで読みたかったら買うしかないのだ。鶴田謙二さん版の表紙絵がついたノベルズ版はまだ手に入るのかな。んで読み返したら「スカイ・クロラ」はエンディングが違ってた、っていうかこっちが本家で正解なんだけれど、本家だとある意味生き続けることに倦み疲れ逝きまた生まれ生きて倦んでいく連環が主人公達の主観としてではなく全景として提示されていて、半歩引いた場所から読者は生きるってことの面倒さを感じ取らされつつ、フィクションの中の他人事として受け流していく。

 これが映画版の方では、生きることに倦んだ者がそれでも生きざるを得ない寂寥感と、生きる意味を諦めた者がけれども死を持って生き切る方へと転んでいくこのすれ違いって奴が、登場人物たちを主体として描かれていた感じ。それを見てこのどうしようもなく下らない日常を、それでも生きて行かなくてはいけない現実の人たちは、数時間の映画で繰り広げられる物語に接して瞬間の幻想に浸った後、提示されたすれ違う生き様にこのまま生き続けて訪れる連続に更に倦みつつ耐えていくべきなのか、英雄を気取り跳ねては散り去るべきなのか、ってなことを考えることになるのだろう。結末に納得できず原作と違えたものにした、って意図もそんなところにあるのかな。

 いつか見た光景が繰り返されて、そして行き着く先は前に同じ破綻から崩壊、そして責任の所在の曖昧なままの散華を経て、再び繰り返される負け戦という道筋へと向かう想像をしたくなくてもしなくちゃいけない状況が一方にあったとして、それでも座して日常をやり過ごすべきなのか。それとも「スカイ・クロラ」で言うところのティーチャーへと挑み鼓舞しつつ散るか撃つかを選ぶべきなのか。どうせ10年の先には満身創痍も確実なシチュエーションが想起できたとして、そんなものに関わり合って時間を過ごすくらいなら、これからの10年を何かを賭けてその先に残る死ぬまでの20年の糧とすべきなのかもしれない。んじゃあその残る20年で何をやるかって聞かれると何があるのかな。田舎で読書三昧とか。アイドル声優になってイベントで腐女子にキャアキャア言われとか。何てまた夢物語を。

 絵的なことは「ユナイテッドシネマ豊洲」で売ってた誠文堂新光社から出ていた設定画集で見えていたけど、企画からスタッフ集めからキャスティングといった具体的な制作に関する話については分かっていないことが多いと転がっていた押井守さんの「他力本願 仕事で負けない7つの力」(幻冬舎、1600円)って本を読んで、あれやこれやを理解。まず笹岡が女性になっていたことで子供たちを包容する母性として必要だったってことがあり、ユーヒチたちが最初にいる場所がアイルランドで移動した先はポーランドだってことが見えてそうかだから移動先の夜の光景が「アヴァロン」で見た光景にそっくりなんだと納得。でもって草薙水素に選ばれた菊地凛子さんとは初対面でいきなりやってみないと言って口説いたって話を聞いて、運命には偶然ってものがあるんだって少しばかりの希望を抱く。

 まあもちろん菊地さんはアカデミー賞にもノミネートされるくらいの役者で、過去に経験もあったしキャスティングにあたってそうした経歴が宣伝にもつながるって下心も幾らかはあっての起用だった訳で、素人がいきなり主役に抜擢されたのとは訳が違う。とはいえ終盤に描かれる映像制作会社を辞めた押井さんがCMチェックの会社を経て教師の路を探ろうとして行けずぼんやりしていた所に見かけたタツノコプロの求人に応募し経験もないのにアニメの世界に入り最初は編集だったのが経験もまるでないのに演出へと行ってそこで笹川ひろしさんから認められ、ほどなく30分アニメのコンテを切るまで行ってしまったってゆー過去の話を目にすると、何とかしようとしさえすれば何とかなるものなのかもしれないって、これまた希望みたいなものも浮かんでくる。

 これももちろん学生時代の自主映画の経験に見まくった映画や読みまくった本の蓄積もあってのものだろうから倣うにはハードルも高いけど、10年後に責任を負うとはなかなか考えづらい面々の思いつきに付き合い引っ張られて時間を潰すくらいなら、今あるスキルを使える場所を探し潜り込む算段って奴をして悪いこともない、かもしれないけれどもそもそもどんなスキルがあるんだ。貯金はあるけど。もとい「他力本願」ではあとキャラの特性とかスカイウォーカーサウンドが作る音響の凄さなんかにも触れられていて、あの分厚くって重厚で練りに練られた音響がそーやって出来たのかってことが分かって勉強になる。本気はやっぱりアメリカにはかなわないのだなあ。

 「他力本願」には「うる星やつら」についての話もあって、初監督作品だった「うる星やつら オンリー・ユー」を試写で見て絶望して、それが翌年の「ビューティフルドリーマー」での自分出しまくりな無茶っぷりにつながった話が改めて披露されている。原作の高橋留美子さんが「オンリー・ユー」を気に入っているって話も書いてあったけれども、根が監督である押井さんはファンムービーとして既存のキャラを動かし見せ場を作ってファンと原作者を喜ばせる映画は自分の映画じゃないって自意識が昔から強かった、ってことみたい。「スカイ・クロラ」はだったら原作付きじゃないのかって話もあるけれど、原作が好きでそして思いを注ぎ改変も加えつつ商業として守るべき線は守った作品として、納得が得られるものになっているから気にはとめていない模様。

 原作者の森博嗣さんは劇場版の「スカイクロラ」にどれくらい納得しているのかな。逆に「ビューティフルドリーマー」ではしたい放題されてしまった原作者の高橋留美子さんは納得していないみたい。勘違いしていたけれど松屋銀座でやってる「高橋留美子展」に展示してあった高橋さんが描いた劇場版のポスター原画は当然ながら「オンリー・ユー」であって「ビューティフルドリーマー」ではありません。ラムちゃんバックにエルとあたるが描かれているアレ。ってか「ビューティフルドリーマー」は逆さに落ちるアニメのラムちゃんがポスターだったから高橋さんが描いたものがあるはずがない。小学館から出た劇場版のムックには何か寄せていたのかな。発売された当時に買ったんだけれども覚えていない。どいういうコメントを寄せていたかも。気になるなあ。

 そんな「高橋留美子展」は限定品の瀬戸物はマグカップも絵皿も消えてカップ&ソーサーの「らんま1/2」が少し残っている程度。B全ポスターも2種類とも消滅。買っておいて良かったぁ。「PIYOPIYOエプロン」は素手になく残念だけれど使う場所もないんでまあ良いか。期間中に出来ればまた行き見られなかった新作アニメを見て来よう。入り口の3分アニメは見られてそれで思ったのが諸星あたるが「るーみっくわーるど」では最強のキャラなんだってこと。ラムの雷に打たれても犬夜叉の剣に切られても女乱馬に気孔を放たれても次の場面で大復活して女の子をナンパしまくるあの生命力にかなうキャラクターなんてないもんなあ。今時のなよっとしてツンデレられることが至上の喜びともだえる男子キャラなど論外。強烈で強力な男子キャラを世に問うべく、今こそ諸星あたるの復活を望みたい。


【8月2日】 医は剣術、とは限らないけれども剣術すなわち剣道の極意を得た者に通じる、泰然自若として己を客観視しつつ修羅場には率先して剣を頂き突き進む剣士のパーソナリティは、冷静さが求められ同時に英断も必要とされる医者の世界でも常に求められているもの。なのでこれから医療を受けようとしている人は、担当したお医者さんに剣道は何段くらいで医鷲旗を過去に獲得した経験があるかどうかを尋ねて見ると良い。でも医鷲旗って本当にあるのかな、主要な大学の医学部が持つ剣道部が全国大会で得られる優勝旗のことなんだけれど、そんなの聞いたことがない。でも関東の理工系の大学だけで作るサッカーの大会もあったから、医大の剣道大会だってあって不思議じゃない、のかな。

 そんな医鷲旗を争う医者の卵たちを描いたのが海堂尊さんの「ひかりの剣」(文藝春秋刊、1600円)って本。時代は1988年頃というからバブルまっただ中で未来も薔薇色な世の中。とはいえ舞台となっている医大の世界は、近く医者の削減が行われる可能性もあって一方に将来の医者不足とそれに伴う医療サービスの低下が懸念され、もう一方には入学定員の削減で入ってくる学生が減り、剣道を嗜んでいた新入生も減って部の力が落ち医鷲旗の獲得も難しくなるんじゃないかって懸念もあって、現場にはあれやこれやのもやもやが漂っている。それでも目指すは医鷲旗と、どこの剣道部でも部員たちが日々の鍛錬に励んでいる。

 そんな一人が東城大学の速水晃一。えっ、と思えた人は海堂さんの作品のたぶんファン。後に「ジェネラル・ルージュ」と異名を取るほどに救命救急医療の現場で指揮をとって活躍する医師だけれども、当時はそこそこに強いながらも達観には及んでいない学生剣士。医鷲旗には決勝で敗れて手が届かず、今年こそはと6年生なのに居残った前園先輩も擁した陣容で夏の大会を目指している。もう一人が帝華大学の清川吾郎、ってのも多分聞いたことのある名前らしくって、生殖医療について書かれた「ジーン・ワルツ」の登場人物が彼。グチ医者田口のシリーズじゃないから詳しく読んでいないんだけれど、やっぱりそれなりの傑物として名を轟かせているんだったっけ、読んでみよう、この後で。

 ちなみに田口は速水と同級生なんで、「ひかりの剣」にも登場しては速水と同じ実習班に入って手術に立ち会い、噴き出す血を見て卒倒したりと今につながる脳天気さを見せている。現場ではプロの意識を説く渡海って医師に、それでも患者のことを考えてあげたらって反論したりする純粋さを見せていたりとこれも今につながる人格を見せてくれる、って渡海医師? やっぱり聞いたことのある名前ってことになるんだろー。そして高階権太。1988年に東城大学で起こった事件を描いた「ブラックペアン1988」の当事者たちだ。「チーム・バチスタの栄光」から続くシリーズでも、狸親父な役柄を見せてストーリーに絡む高階が、帝華大の助手から東城大の講師となり佐伯外科に入って渡海医師も交えいろいろと活躍するこの「 ブラックペアン1988」の裏側で、というか学生の方で平行して進んでいたストーリーを描いたのがこの「ひかりの剣」ってことになる。何だ吃驚。

 ってな背景を知っていれば、スピンオフ作品として一種のオールスターキャスト的に楽しめるけど知らなくたって若くて悩める剣士たちが、ひとつ目的を持ちライバルを相手に鎬を削りながらも鍛錬し、剣士の極意をつかみ医師としての心構えも得ながら成長していく青春スポーツ小説の佳作として大いに楽しめる。強いんだけれど責任感がやや上滑りして杓子定規になっていた速水は、思いも寄らない相手に敗れたことで自らを諫め、高階顧問のつかみ所がないんだけれども極めて適切な指導のもとに内面を鍛え技も鍛えて強くなる。ライバルの清川はもとより高いプライドと並々ならぬ才能が、どこか剣道と真正面から相対することを邪魔していたけれども、そんな気持ちを見透かされ、追いつめられた果てに気合いを入れ直して修行しやっぱり強くなり、そして医鷲旗をかけた闘いの場へと歩を進める。

 本当の剣で人を刻んで命を救う医術と、偽物の剣で相手を叩いて架空の命を奪う剣術。裏表のような関係が重ね合わさった所に医者として、というより人として必要な情熱と冷静、畏敬と英断といったものが育まれ培われていく、ってなことを言いたかったのかまではつかめないけれどもそういった医術と剣術の関わりみたいなものについて考えさせられ、剣術を極めた医者に看てもらいたいなあと思わせてくれることは確か。なるほど誉田哲也さんが「武士道セブンティーン」で論を繰り広げたよーに、剣道は武術であり武士道であってスポーツとは似て違いものなのだ。ちょっとやってみたくなったなあ。

 けど始めるには歳だし何より夏場はあの匂いが、ね。「仮面のメイドガイ」でも夏場に洗わないままの面をつけさせ気絶した敵を打ち倒す富士原なえかの卑怯っぷりが描かれていたっけか、って剣道家なのに卑怯とは! やっぱり剣道は奥が深い。いずれにしても「ひかりの剣」は剣道小説として青春スポーツ小説として純粋に楽しめるエンターテインメント。帝華大の薬学部に入って剣道部のマネージャーになった朝比奈ひかりってキャラクターの存在感も気になるところだけれど、彼女って他のシリーズに顔、出してたっけ。もしかして彼女を売り出すための小説だった? だからタイトルも「光」じゃなくって「ひかりの剣」になっている、とか。海堂作品をサルベージだ。

 くーちゃんふるふる。ってもチワワじゃなくって「セキレイ」のナンバー108草野ことくーちゃんは実体化した眼鏡の幽霊こと松の姿を最初はフルフル。その震えっぷりと目のぐるぐるっぷりをうぐぐって声も含めてちゃんと重ねてあるところに作りの丁寧さが伺える。喋っているキャラの口しか動かないのは今時ねえ、だよねえ。んで月海登場。丸見え、って見えてないじゃん見せてくれなきゃ原作のままに、ってそれをやると今だと放送が難しいのか、そんなこともないんだろうけど。焔はあれで自分も焼けちゃうのか自分の火で。難儀な性格。でも単行本では無事に羽化して体調は整ったみたいだから連載の方ではしっかりと最高な力を発揮してくれているんだろう。でないと服切るたんびに燃えちゃって大変だから。ってか携帯電話より先に燃えるものがあるだろう。とかいろいろ。眠い。

カンカン照りでさすがにひからびかけてます。でも水をかけると復活します。  眠って起きて「絶対可憐チルドレン」とか見ている間もなく飛び出し午前10時に「東京ビッグサイト」前まで到着してさて「ワンダーフェスティバル2008夏」に入る行列の最後尾はどこら辺かと歩き始めて歩き始めて歩き続けたけれどもまだ見えない。いつもだったら「メガウェブ」の観覧車あたりが臨める辺りで止まって最後尾に合流できるんだけれどそこすら超えてお花畑がある一体も抜けて「東京テレポート」駅から「ヴィーナスタウン」へと入る導線を横切ってさらに後方へと歩いてフジテレビを斜め前に見る辺りまで歩かされてよーやく最後尾の看板に合流できた。臨海線では駅を1つ分をまるまる歩かされた感じ。これだったら「国際展示場」で降りないで乗り過ごしてくださいって案内をしていてくれた方がよほどか楽なんだけれどそーゆーのって面倒だから仕方がない、まあ歩くのも「ワンフェス」のうちってことで。でも例年より多いよなあ、それとも行列の並べ方で後手を踏んだとか?

 「コミックマーケット」だったら整列要因を大道員してビッグサイトへのアプローチに何列もの待機列を作ってしゃがませ待たせるから結構な人数をそこでさばけるんだけれど横4人くらいであとはずっと後ろまで並べる「ワンフェス」方式だとどこまでもどこまでも続いていってしまうもの、なのかも。あるいは中でその頃に起こっていた事故の影響で入場がずれて行列が伸びすぎてしまったとか。入ってから周囲など見ないでブースの間を歩いていた時に4階へと上がるのには支持に従ってくださいってアナウンスがあってそれはそうだよなあと感じて見たら西館の最下層から4階へと一気に上がるエスカレーターが止まってた。

 だいたいが東館(ひがし・やかた)で開かれていたのが今回は西館(にし・やかた)で開かれていて、それも4階の「コミケ」だと企業ブースなんかが入っている場所も使って拡大展開されていた関係で、一気に上がるエスカレーターが使えたら便利なんだけれども「コミケ」だと事故のリスクを下げるためか使わせず、導線を外の階段へと持っていっていたっけ。その経験を活用していたのかと思ったらどうやら最初はエスカレーターは動いていたのが止まって人が転がる事故が起こったために利用停止となったらしい。見ると警察官が現場検証をして周囲をテレビカメラやスチルカメラが囲んでた。4階で売られてる傑作を求める人たちが我先にと走って起こった事故とかだったら「ワンフェス」って場に集まる性向の人たちに向く厳しい目とかも出て来そうで、バッシングへの心配も浮かんだけれどもそうした事態があったとは聞こえてこず、みな整然として粛々とエスカレターに載っていたら突然に止まったらしー。ってか当該のエスカレーターの最前列にいた岡田斗司夫さんが証言しているんだから間違いない。

 載せすぎだ、ってことはなかった模様でだいたいが1段に3人4人と詰め込めるはずなんてもとより無い。それで壊れたエスカレーターに何か問題が合った可能性があるだけに、責任の所在をめぐっては慎重な議論が求められそう。ただリスクを最小限にと考えるんだったら最初から使用を控え、外を回すって手もあっただけに突っ込まれる要因を与えてしまったことはなかなかに無念。東館が使えなかった所に規模が拡大して西の4階まで使った開催になっていたって事情も重なっての事故でもあるし。心配なのが同じ会場を使って2週間後に行われる「コミケ」への影響か。西館の大エスカレーターは使わずとも会場内のエスカレーターは動かし走らないでと呼びかける通常のオペレーションで十分だとは思うけれども、動いているから止まれば事故るんだって言われると止めなくてはならず、為に止まって階段となったエスカレーターを歩けばそれはそれでまた別のリスクになりかねないからなあ。

 そのあたり、過去のオペレーションの成果を踏まえ今回の事故が特殊だったのかを勘案しつつそして粛々と安全に「コミケ」が開かれてくれるだろうとこを願おう。人が集まればリスクは増えるけれども、だから人に集まるなとは言えないし、主催する人たちに集まるようなイベントも開くなって言ったら本末転倒も甚だしい。そこに人がいっぱい集まるよってと口にすれば、それが人を集めてリスクを増して事故を生み出す要因になるんだから、人が集まるイベントが行われるなんて口にするなといった遠距離ミサイルのよーなご意見も開陳される世の中。それだけに事故はこういう理由で起こり、だからこういうシチュエーションでは起こらないのだってことを誰もが理解し、認識として共有するよー主催者にも来場者にもメディアにもメディアウォッチャーにもお願いしたいところ。まあ東浩紀さんじゃないけど人って自分の意見を補強する意見以外は優れていたって真っ当だって目に入らない生き物らしーんで、やっぱり謂われのない喧噪に巻き込まれる可能性も皆無じゃないんだけど。困ったなあ。

 場内ではC.C.のお尻を追いかけてあちらこちら。んまあいたことはいたけれどもこれといって特徴的なものはおらずバニーのカレンの多さに人気はそっちにシフトしているんだと思いつつ結局は何も買わずに後にする。いや「DARKER THAN BLACK」の銀(イン)ちゃんが仮面を持ったガレージキットは欲しかったけれども買って作る技術も置いておく場所も既にないんだよう。超大昔に買ったフォトンとかスポールさんとかだって未だに作っていないのに。鎌田光司さんとか周辺の造型系な島は今回も人気。キャラクターだけじゃなくってこーした分野ももっと増えると日本の造型もより裾のが広がるのに。おやこれはモモーイのミニ四駆じゃないか。こんなのも出しているんだ。流石は未だにオタク目線。高みへと上ってしまって下々に啓示を与えてくれる神と化したしょこたんではあれこれしがらみも多くてこーいった企画も難しくなっているんだろうなあ。

 熱にうなされながら豊洲へと回って「ららぽーと豊洲」にある「ユナイテッドシネマズ」で「スカイ・クロラ」。犬が元気な映画だった。ってかすでに読んだ原作の大半を忘れているからストーリーとかキャラクター設定がどれくらい改変されているのか分からないけれども単行本で出た当時に読んで感じたどこか虚ろな空気感、永遠に生きなくてはいけない子供に浮かぶ幻の中を漂っているような感情って奴がまなざしのどこか曖昧な西尾鉄也さん描くキャラクターたちの中に潜んでいて、そんなキャラクターたちが諦めにもにた雰囲気の中を飛び闘い食べ飲み遊んでまた飛ぶ繰り返しに倦む感情すらなくして日々を流していく様って奴が、伝わってきて日々を追われるように死へと向かい突き進むだけの毎日を送る身として羨ましさを覚えつつもしそんな立場になって時を重ねた場合に果たして何を思うのか、ってな考えも浮かんで迷い惑う。

 時々はハッとして殺して欲しいと願ったり子供を産んだり敵を求めて挑んだりするんだけれどやっぱり変わらないその人生。どういう仕組みになっているのか曖昧ながらもかけがえのない生を精一杯に生きることこそが人生だ、なんて説教の通用しない境遇にあるキルドレたちの様を一種の反面教師にこの限りこそあれ進歩もあり得る生をどうやって生き切るのか、ってことを思わされたりもする。でもやっぱり死なずに子供でいる方が楽だよなあ。子供じみた奴らのガキっぽい上昇志向に翻弄されて学級報みたいなものを作っては届かないと地団駄を踏む未来なんてものを想像しては暗くなる昨今。とりあえず草薙水素は胸板が平べった過ぎ。あれで脱ぐと凄いのか。ボーリングのシーンで投げた瞬間にひねられた腰のラインは艶めかしかったけど。くいっ、ってね。犬が画面に映らないのに左右で鳴いている音響の凝りっぷりにも拍手。そういうものがいる基地でそういうものに見守られている安心感、みたいなのが漂うんだよねえ。


【8月2日】 だめだすっかり忘れているよパインサラダの持ってた意味を。でもそのシーンだけはちゃんと覚えていて主要なキャラクターの唐突な退場って奴がもたらす悲しさを「機動戦士ガンダム」のマチルダさんとかリュウさんスレッガー中尉なんかに続く形で植え付けられたっけ。だからまたかと身構えつつもまたかいなってやや食傷気味にもなっていたのがそこは百戦錬磨の河森正治さん。「マクロスF」ではスカッと肩を空かしてとりあえずは存命の方向でもって行ってくれた。ってことはこれまでいなくなったのはピクシー小隊の誰かさんだけ? 既に名前も覚えてないほど印象の薄い人だったからそれもまあ致しなし。あとはだから記憶に残るキャラに与えられるかもしれない過酷な運命の到来を怯えつつ身構えつつ待ちつつ先を見ていこう。最後まで肩空かされっぱなしでも別に良いんだけれど。逆にオール退場ってことになったらそれはそれで嫌かもなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュR2」がそうなりかかっているだけに。アニメが暗いのはいけないと思います。

 ああそうだ一人シェリル・ノームだけはちょっと雲行きが怪しげ。与えられている謎の薬を飲まずミシェルに分析を託して外を闊歩して対峙したグレイスに腕力でも情報力でも勝てそうもないシェリルがいったいどんなダメージを被るのか。次週予告だと打ちひしがれているから首とか何とか言われたのか。ランカ・リーより歌下手とか、ってそれは言われれば確かにダメージでかいわ。そんなこんなで話の進み具合は相変わらずに快調なんだけれども劇的な場面がちょっと前まで相次いでいただけにここ何週間かはどうにも展開がまどっろこしいというかせせこましいというか。なるほどバジュラがせーちょーする生き物だって分かった点は驚きかもしれないけれどもあって不思議じゃないことだし、ビルラー氏が指輪にしていてシェリルもイヤリングにしていた謎の石の正体も明らかになって展開に弾みも付いたんだけれどそれらを語る語り口があんまり劇的じゃないのが見ていて感動と感涙の中に驚きを味わうってことがしづらい要因か。劇的な場面であって不思議はないランカのファーストライブもほほとんどが歌だけでバックは別の絵、だもんなあ。まあランカの運命にとってファーストライブなんて重要じゃないってことの現れか。起こるだろう決戦での歌爆発歌津波歌雪崩な展開に今から期待。そんな展開あるのかな。

 上田桃子さんは桃っぽいなあとしゃがんでグリーンの芝目を読む後ろ姿に頬を染めつつ不動裕理選手が最後をボギーとしながらも首位でホールアウトした様にこのまま行ってくれよと応援しつつ上がりの3ホールを連続でボギーにしてしまった上田選手に踏みとどまって宮里藍選手も交えて不動選手を追いかけて追い抜いて英国のリンクスにその名を刻んでくれよと期待しつつ眠り起きてからとりあえず秋葉原へ。明いてる店で探したけれども「ワンダーフェスティバル2008夏」のカタログは売り切れになっていたんで午前11時に本家の「ホビーロビー」が開店するまで近所を歩き回って時間を過ごし「ファミリーマート」で今日の「JリーグvsKリーグ」なオールスター選とやらのチケットを自由席なら2000円で行かなくたってムダにはならないと認めて抑えてから戻り「ホビーロビー」で無事カタログを確保。西館(にし・やかた)の開催なんだ今回は。

 んで銀座線から表参道で千代田線へと乗り換え原宿のクエストホールでやってるスクウェア・エニックスのプライベートショーを見物。「ファイナルファンタジー13」関連の映像がいっぱい流れていたけれどもどれがどれだか区別が付かず。ただしかしやっぱり長年の経験とそして賭けたお金の大きさもあってかフルCGのキャラクターたちの表情も仕草もとてつもなく豊になっている。男はある意味で理想の男たちだし女の一切の隙がない美少女。それが実写に遜色のないクオリティでもって画面に立ち現れるんだから注ぎ込める感情って奴にも際限がなさそー。美少女キャラクターなら男の子たちは2Dであってもフィギュアのよーな3Dのキャラであっても感情を入れ込む訓練が出来ているから、「FF」シリーズの美少女がリアルに近づいたからといってそこに気持ちを移すよーなことにはあんまりならないんじゃなかろーか。

 一方でここまでの格好良さで迫ってくる3Dの男性キャラって過去にあんまりなかっただけに見て驚き心を入れ込み捉えられる女の子たちって案外いたりするのかな、会場にゲームのイベントにしては女性が異常に多くってもしかしたら半数は女性だったって感じもあって、そっち方面の支持を集めて芳しいとは言えないゲームソフトの市場で地歩を固め市場を広げて行く可能性なんかも伺えた。こーゆーのって前はネオロマンスってな名称を作ったコーエーもそれなりに強かったんだけれど「FF」クオリティの作品を作り育てるリソースを持った会社ってのはなかなか無いだけに、3Dキャラの容姿端麗っぷりで女性のゲームファンを引っ張り込んだスクウェア・エニックスがなおいっそうの底堅さって奴を作り固めていく可能性も割とありそー。「ドラゴンクエスト」だって発売もそれほど遠くないのに「FF」でも着々と裾野広げ。賢いなあ。

 発表だとあと「アドベントチルドレン」のブルーレイ発売が2009年3月にあるとかどーとか。DVDとUMDで340万本とか滅茶苦茶に売れたタイトルだけどより親和性の高いブルーレイでおまけも増やして発売されるとなると買う人も多そう。考えてみればスタジオジブリのどのアニメDVDだって340万本も売れてたかどーか。アニメーション映画としてのクオリティで対比すればアニメ隙な人の頭に疑問符も浮かぶ作品が、どのアニメ作品よりも売れてしまったこの現実って奴をアニメな人たちって深刻に受け止め考えたんだろーか。分からないけれどもそれと同じ事態が再び訪れる可能性の低くない来春に何を成すべきで成さないべきかを考えないと未来はない、とまでは言わないけれども業界としての明るさはどんどんと削がれていく。合い言葉は「アドベントチルドレンに負けるな」。いやしかい数ではやっぱり難しいか、世界で1番売れたブルーレイディスクになってしまうのか。

史上初のオールスター日韓リーグ戦で日本が敗れた原因はこの子の呪い、か?  前日に寄った「ラフォーレ原宿」にまた寄って子供たちが遊ぶ「スペースインベーダー」を眺めていたら使い方の分からない親子連れがいたんでレバーを操作し発射ボタンを押すだけですと実演していた最中にミサイルをくらって爆発。やっぱり僕は「スペースインベーダー」が苦手なんだ。過去に1面クリアは1回のみって面目躍如、いやそれは面目躍如って言わないから。それから「SFは絵だねえ」「スペオペは最高だねえ」な野田昌宏さんの偉績をしのびつつ堺三保さんが話す場を前半だけ見てから灼熱の中を歩いて「国立霞ヶ関競技場」へと入って「JOMOカップ」とやらを見物。去年までの形式とは違って日本は監督が決めた選抜ってことで全チームから選手が出ておらず、最初は中にジェフユナイテッド市原・千葉の選手がひとりも入っていなかったこともあって行くのを躊躇っていたけれどもこういう形式の試合って初めてでどんな雰囲気になるのか興味が浮かび、そしてジェフ千葉から巻誠一郎選手が選ばれたこともあってまあ見て置いても悪くはないと納得させて駆けつける。

 場所はアウェイサイドのホームゾーン。ゴール裏の目分量だと4分の1くらいがJリーグの応援用に割かれ緩衝地帯を挟んで5分の3くらいがKリーグ用になっていたから昨今の情勢に鑑みいろいろ起こるかもしれないと心配したけどそーゆーのをあんまり持ち込まないのがスポーツ世界の良い風習。敵としてのブーイングはあっても耳に触る非スポーツ的なメッセージとかアピールは見ていた範囲ではなくむしろまったりとした空気の中で単なる花試合には終わらない、スピードもあればテクニックも上って感じの両チームによるスピーディーな激突を最初から最後まで楽しむことができた。当たりも強いしスライディングだってしっかりやってしっかり削る。オールスターにありがちななあなあ感の欠片もない試合は試合としてとても面白く、これが見られるんだったら日韓のリーグ激突って奴も悪くはないかもって思わされたところに洗脳の兆しが見えていたのであったとさ。いや本当に試合は面白かったんだよ。

 最初の得点はKリーグ側ですごいフリーキックを楢崎正剛選手が弾いたところに詰められ得点。後ろに弾けばそーゆー心配もなかったんだろうけどまずもって止めただけでも凄いもの。あとはだからゴール前に選手を入れてしまったディフェンスの網目の緩さを確認する必要があるんだろー。Jリーグ側はPKを外し逆にKリーグにPKを叩き込まれ別にスピーディーな攻撃からフリーになったKリーグの選手に得点を決められ万事窮すの3点差。ここからとりあえず返してはみたもののたったの1点では追いつけるはずもない。惜敗ではなくむしろ惨敗って言った方が良いくらいの結果をプライドでは上だと感じてたJの選手たちはどう思ったか。鄭大世選手はアグレッシブなのは良いんだけれども飛び込み過ぎてヨンセン選手に良い感じで入りそうなボールを手前でヘディングとかしてゴールの外へとはじき飛ばしてしまうから、ヨンセン選手としても活躍できる隙がない。それでもヘッドで落とし見方に渡すポスト的なプレーは流石ヨンセン選手。貢献も出来て得点も烏ばれるフォワードの存在があるからそ名古屋グランパス、リーグでそれなりに順位を確保出来ているんだろー。最終的に観客は2万8000人以上。新聞だと3万80000枚は売れているってあったのに1万人も違うのは何だろー? 来なかった人たちがいたとして何で見に行かなかったんだろー。試合内容が良かっただけに勿体ないもったいない。


【8月1日】 浜崎あゆみさんの「ランジェリーSEXY」記事目的で「フライデー」の2008年8月15日号を買ったら平野綾さんが水着姿で踊ってた、いや逆……でもないか、まあ確かに見たかったのは浜崎さんだけれどグラビアは前に新聞なんかに掲載されてたものといっしょで別カットとかないんで出っ張りも谷間もそのまんま。ご立派であることには違いはないから保存性がより高まったって部分で誌面掲載は意味があるのかしれないと購入を納得。それより平野綾さんだ。

 あの「フライデー」にご登場。それもグラビアで。アイドル声優さんって過去にもやっぱりいたけれどもこーして何ページも使って水着姿とかが紹介される人っていたかっていうとそんなに記憶がない。見てなるほど顔立ちは声優さんでは極上って水準なんだろうけれどもスリムな姿態にとんろとしたまなざしの下にポツンと泣きぼくろってのはある種の嗜好を刺激してマニアとかを生みだしそー。絶世の美女でも絶好の美少女でもない存在。それがいつまで求められるのか。見てみたいし次に続く人が出るかにも興味。小林ゆうさんならスタイルだけなら抜群なんだけどなあ。

 そんな「フライデー」に先だっての桑田真澄さんと清原和博選手の対決話。感動的友情話、ではあるんだけれどもしかしちょい前まで大リーガーに近いところにいた投手が、この何年かをずっと2軍で停滞している打者と対戦して、感動以外のスポーツ的な何かをそこから得られるのかと考えた時に、清原選手の選手としての限界って奴もうっすらと見えて来て妙に切ない。記事で清原選手が言うには「桑田が全力で、あれだけの球を投げ込んでくれたから……。自分の中で消えかかっていた火がもう一度、点いてくるのを実感したよ」ってことだけれども、それはつまりもう火が消えかかっていたってことの現れだとは言えないか。

 1軍を目指す寸前で桑田さんと対決するんだって決めていたとも言っているから、対決の時にはったらもう燃えてバリバリで、現役を引退した桑田なんぞ何する物ぞって意気込みを秘めているのが普通の思考。それがすでにして弱気なのが引っかかる。「心技体のところで言うたらあとはもう“心”しか残ってへん。そんで、どんだけ勝負できるか、そういうところやね」って言うけど、プロ中のプロなんだから体は故障で難しくっても打つ技術くらいは保っていて欲しいよって気持ち。一流って言われるアスリートが高齢になっても活躍できる最大の要因は覚えた技術の確かさなんだから。ともあれひとつの儀式を終えて男・清原はラストロードへと繰り出した。待つのは奈落かそれとも。見守ろう最後まで。

 ちゃんと「西洋骨董洋菓子店」が録画出来たかどうかを確かめる気力もないままに、起き出して早朝から電車を乗り継ぎ原宿へ。スリムでスレンダーな原宿ガアルがいっぱい歩いている様に、オフィスが近所にあったらさぞや毎日眼福に溺れられるんだろうと想像するもののそんな中にみすぼらしい1丁羅で汗も染みた香りを振りまき歩いていたら、蔑まれ嫌がられ遠ざけられ心にダメージを負うのも必至なんでオフィスが華美な場所でなくてよかったと悔い改める。神保町とかならなお身にマッチしたんだけどなあ。秋葉原だったら逆に沈み過ぎるか。普通過ぎて。

 んで原宿では「ラフォーレ原宿」が同じ30周年を迎えたタイトーの「スペースインベーダー」とコラボレーションをするってんで見物に。若者ファションの最先端を行く場所でゲームのレジェンドがいったい何をコラボなんて出来るんだろうって疑問もあるけど、30年経って「スペースインベーダー」はクールのアイコンの筆頭格に成っていたりする訳で、それがデザインされたファッションアイテムもなるほどとってもクールなものばかり。伝統って奴の強さを今一度思い知らされる。その意味では「パックマン」も同じくらいのクールさか。この2つに匹敵するゲーム的アイコンってないもんなあ、「マリオ」は具象的過ぎるし「スライム」は鳥山さんだし。

 でもってずらずらずらっと見せられたコラボレーションのアイテムでは、ベレー帽とネクタイにインベーダーのワンポイントあしらわれた製品がとってもシック。女性用だから帽子は被るのは無理そうだけれど、ネクタイだったら細身のタイだと思えば男性が締めても悪くはなさそう。純粋に男性向けではスリッポンがなかなかに派手。赤とか青、だったっけ、ともかくそんな地に白いインベーダーがベラベラベラっとちりばめられたデザインは遠目には市松模様に見えて近くに見ればエレクトロニック。そんな空気を感じさせる。

 あと本来は女性向けで長澤まさみさんとか宮崎あおいさんが愛用している「ニニータ」ってブランドから男性用のパーカーも登場。黒字に赤いインベーダーか、花柄模様のインベーダーが染め抜かれていてシンプルなのに主張がある。でもどういうコーディネートをすれば良いんだろう。同じものは女性用もあってあと女性用にはショーツも用意。スクエアなカットの奴だから見た目も嫌らしくはないけれどもそのあれはお尻? それとも前? にインベーダーが張りつくデザインを見て僕もインベーダーになりたいと思う男子が続出しそー。夜中にちょこちょこっと動けば身もだえも肌と肌。妄想だなあ。それにしても「ニニータ」はセガトイズが4年くらい前に輸入をしていた「ドリームペッツ」も並べて売っているんだなあ。「COREDO」にあったタカラのショップで発売記念のイベントが開かれ少し買った記憶が。原宿あたりで人気再燃となってくれれば家にあるそれらも……ってどこに行ったんだ? 埋もれてしまったか?

 コラボ商品にはTシャツもいろいろあったけれどもデザイン面で気になったのは前じゃなくってサイドにインベーダーがあしらわれた製品。飾られている状態では見えないけれども立体になっている人間が着れば脇から腰のラインでインベーダーが踊る感じで艶めかしそう。「ヘルムートラング」では斜めに太くはいったストライプの大きめのバッグに1点、インベーダーがあしらわれたものが登場。黒を基調にモノトーンの衣類が多いブランドにして赤いデザインとは如何に? って尋ねたらこの秋冬あたりには赤があしらわれたものが出てくるらしい。黒に紅白のバックもそれはそれでアバンギャルド。あしらわれたインベーダーのマークがなおいっそうのシャープさを醸し出す、って言ったら言い過ぎ?  まあそれがあるからこそのあのデザインって言えるんだろー。

 四角いクリスタルの中にインベーダーが見えるストーンとかアクセサリー類もいろいろ。ショップは見学しなかったけれどもインベーダーがちりばめられたハットもあって、これは日常に被ると派手お洒落。欲しいけれどもきっと高いんだろーなー。そんな感じに35ブランドの55アイテムが勢揃いした「ラフォーレ原宿」。どのショップに何があるかはパンフレットでも、階段下の看板でも分かるよーになっているところがコラボの本気度って奴を示している。入り口には筐体のインベーダー。フリープレーだそーだけれども1人で満点に迫る強者は出るか? 僕は過去に1面をクリアしたのが1度だけの強者なので遠慮します、恥ずかしいから。

日本一地下の高い場所に来られてポニョ満足  回って銀座の「博品館トイパーク」に出来た36メートルものスロットレーシング場を見物。前に横浜の都筑区にあるショッピングセンターの上に巨大なレーシング場を作ってスロットカー事業に乗り出した、ウィズって「たまごっち」を企画した会社の承認するコースってことで、狭い中にも入り組んでバンクもあれば直線もあったりと巧みなコースセッティングがなされていて遊べば楽しそう。だけどあれって大人がカーブとかでこざかしさを発揮する横を子供が勘と思い切りの良さでガンガンと走って抜き去っていくものだから、試すのは遠慮して見物に留める。でも楽しそう。

 ってな感じに後ろ髪を引かれつつ場内をめぐって流れる「崖の上のポニョ」の音楽にあるいはとぬいぐるみの売り場を探したら、すでに登場していたポニョ関連のグッズの中にこれはダゴンかインスマスって感じの第2段階ポニョを発見、即購入。ちょい前にローソンのサイトで見つけて注文しよーとしたら既に売り切れで注文できず、世の中には奇特な趣味の人もいっぱいいるもんだと思いつつ諦めていただけに出会えたのは嬉しい。サイズや形からすれば多分同じものだろー。なるほど目玉がぎょろりと異形だけれど、これで眺めているとなかなかに可愛らしく見えて来る……のです……たぶん。

 ご近所の福家書店でほしのあきさんのサイン入りの最新写真集を買って歳とか無関係な細さを体感、はできないから目で視感。2度ばかり記者会見で見たことがあるけれども当時と変わらない佇まいはプロ意識のなせる技かそれとも何か秘密があるのか。そんな眼福に染まりつつ適当に切り上げ秋葉原の通り魔事件について哲学社会学の泰斗が語る場へと知識を補いに赴いたら海老天の有る無しは重要か無用かって議論が繰り広げられていた。そりゃあ海老天が重要だよ無いと天丼が美味しくないよ……違ったエビデンスだ。

 ようするに犯人に感覚的に同意できるって人がいっぱいいるじゃんといった言葉に対して、だったら具体的な証拠を示せといった意見が他方にあって、それは社会学的実証主義に測れば致し方のないことなのかもしれないけれども、感覚の適合不適合からまず語ってみるレスポンスの早い批評が不可能になるんじゃないのっていった反論もあって悩ましいとか何とか。あと言説空間として見逃せないネット上に現れている反応なり共感が、旧来型のメディアなりに依拠している人には見えずエビデンスとして理解されていないギャップについても指摘があって、旧来型のメディアに属して旧弊な言説の造成に荷担はしていないけれども傍目で見て苦々しく感じている身として、忸怩たる思いも覚える。

 でも見たいものに適合した意見しか見ず、言いたいことを補強する意見しか受け容れないのが昨今の言説空間であって、そうした俺様的な主張の集合から純化を経て立ち上がった純粋真っ直ぐのバリアーで固められた言説空間にはもはや穴を開け、多様性を容認する気持ちを注入して言説空間の間にブリッジをかけることすら困難になっている状況もこれまたあるだけに、多様性を認容して誰もがそんな多様性の中で居場所を持ち生きられる、包摂を旨とする社会構造の到来こそが事件をなかなか起こさせないよーにするひとつの方策ではあっても、実現には時間も手間もかかりそう。

 少なくとも民主的な意見のぶつけ合いでは言いたいことを言い合うだけで平行線。それを多数決で決定するのもナンセンス。ならばと己の信じる最善を周囲に触れ回り認めさせ認めてくれるネットワークを広げた先に意志決定に重要な役割を持った存在へと迫り意見を認めさせる方法が、迂遠だし民主的でもないけれども有効なんだっていったスタンスも宮台真司さんの見解に重ねて開陳されててなるほどと納得しつつ、そうしたエリート的なネットワークからさらに弾かれた者にもはや行き場所なんて存在し得ないといったパラドキシカルなシチュエーションが東浩紀さん辺りから指摘されて袋小路に陥って、肝心要の秋葉原事件の容疑者がなぜにあそこまでの行動を取ってしまったのか、って部分に迫らない。

 なるほど承認されなかった不満もあるだろう。けどだからといって孤独は悪いものでもないし、それは嫌だと切れたからといって、車で人を跳ねて殺しナイフで人を刺して殺してしまうまでの行動爆発へと直結してしまった所に今もって理解が及ばない。これが心に不安定さを持った過去の事件の人々だったら納得は出来ないけれども理解はできる。そうしたかった、そうせざるを彼らの内的には得なかった、といった感じに。でも今回は違うし八王子だって違う。直前まで普通に社会に溶け込んで生きていた。会話も成り立っていた。通常だったら人を殺めることが持つ意味ってのも理解が及ぶ人種だったと見なされて不思議じゃないのに、爆発して大勢の人を殺めてしまった。

 どうしてなんだ。どうしてそれを行うことがもたらす哀しみの感情の惹起へと思いを至らせられなかったのか。理解が出来ないような人種でもない、とは思うんだけれどそうはならなかったこの不思議。それとも今時の普通に見える人の中には人を殺めることが持つ意味に理解を及ばせ行動を自制する力を発揮するだけの感情操作のスキルが欠けているのか。そうだとしたら何がそうさせてしまったのか、って辺りを考えて欲しかったけれども阻害された果てに爆発へと至るプロセスの分析に話が傾いて、現代に起こっているかもしれない感情操作機能の劇的変化めいたものへの想像は膨らませられなかった。その片は洋泉社から出たらしームックには書かれてあるのかな。探して読んでみよう。

 ともあれニート論壇的な搾取され抑圧される存在が生み出されている現状の経済産業構造では秋葉原事件の容疑者はどうしても生まれて来てしまうものなのか、それとも出さずに済むのかといった辺りの議論から雨宮処凛さんの登壇となって、見るとかつてのミニスカ右翼的なスタンスが一変して、労働の側に立って闘争を仕掛ける存在になっていた。そうなってからの本人確認は今回が初めてだったけれど、以前の触れれば切れそうな雰囲気が変わって、意見も言えば相手の意見も聞いて議論し話を進める聡明で落ち着いた人になっていた。

 なるほど人って変われるんだなあ。それとも歳の功って奴なのか。そんな雨宮さんを思うと僕なんて……って自分の悪いところ探しの言語ゲームが起こってダメ人間的テンプレートへと自らを押し込み、その立場でおって語り動くのが筋だといった自己認識に陥っては語り動いて暴発する可能性んもない訳じゃないんで自省し自制。だけど最近本当にマジ切れそーな状況が周囲で動いているから気持ちも休まらない。成算よりも覚えの目出度さ。その結果積み重なった死体の上にいったい何を積む気なのか。積む気なんてないって言うんだったらよほど周囲も足下も見えていない現れだけれど、それでとばっちりを食らうのは常に下っ端。かくして竹槍を手にした分隊と現代装備で固めた師団との闘いの火蓋が間もなく切って落とされる。


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