縮刷版2008年7月下旬号


【7月31日】 表紙絵とかカラーイラストの多かった「高橋留美子展」に比べると日本橋三越で3日まで開催中の「永遠のベルサイユのばら展」は名場面とかストーリーにとって重要な場面の原稿が写植もそのまんまに展示してあるリアル系。やや色も褪せつつあるけれどもそれでもくっきりとした線で描かれたブルボン王朝末期の絢爛たる王室の様子からそこに生きたマリー・アントワネット王妃にオスカル、フェルゼンといった面々の美しくて凛々しくて勇ましそうで優しげな様までが、何十年かの時間を経て今に提示されては当時を見て感動に涙した人たちの感動を引き起こし感涙を誘っている模様。

 僕はといえばアニメを見ていた世代でもないし漫画もほとんど未読で宝塚に至ってはテレビでちらりと見た程度だから「高橋留美子展」のよーな同時代を過ごして耽溺した物に見えられる感涙といったものは浮かばなかったけれども人気絶頂の中で池田理代子さんって漫画家が1枚いちまいを原稿用紙にペンで刻み込んでいった力の凄さって奴にはストレートに感動させられた。初期は絵柄もややポップで構成もオーソドックスなのが回を重ねるごとにキャラクターの切れ味が増し見せ方もドラマチックになって行く辺りは描いていてそうせざるを得ないくらいに感動の物語を作りだしてしまったが故の必然的な変化でもあるんだろう。

 あるいは定式的なコマ割から場面の迫力をより見せようとして様々なテクニックを駆使するよう、漫画の表現スタイルが変化していった時代の先頭を走っていた作品であるが故の様変わりでもあるんだろう。高橋さんもキャラの雰囲気は最初と最後で違っているけど表現は最初っからあまり大きな変化はなし。その意味でやや先達の池田さんの展覧会を見て漫画表現について考える意義はありそー。展示では白いドレスを着たオスカルって珍しいけどなかなかに麗しい場面がコーナーとしてピックアップされていて逆な耽美さを漂わせていた。文化服装学院がそのドレスを紙じゃなくってちゃんと布で際限したのも展示してあって、着たがる人とかいそうだけれどオスカル相手に張り合える人ってなかなかいないだけに挑戦には勇気がいりそー。天海祐希さんが着たら似合うかなあ。

 遊ばないのか遊ぶ金がないのか。きっとそのどっちもなんだろうなあ最近の若者たちのレジャーが細っているってことの理由は。遠い昔にあらゆることをビジネスチェックしろとかいった指令が下ってた某所において、エンターテインメント産業の市場規模とかを引っ張る上で大変にお世話になっていた社会経済生産性本部の「レジャー白書」の最新刊が登場。その特別レポートで爺さん婆さんたちが参加者の5割以上を占める分野ってのがわしわしと増えていることが明らかに。10年前ならまだ4割を切ってたゴルフの練習場もコースもともに50代の参加者が5割6割を超える水準。囲碁は「ヒカルの碁」なんかもあったからかやや下がったけれどもそれでも6割を超えたままだし、将棋も34%が10年で47%とシニア化予備軍の範疇までやって来ている。「ハチワンダイバー」を見て巨乳でメイド服の受け師さんが対戦相手にいるかも、なんて期待から入って来てくれる人がいればあるいは持ち直すかもしれないけれども現実、そんな娘は将棋の世界におりません。羽生善治さんの長駆の活躍も子供の将棋人口を増やせなかったと思うと、事はなかなかに厄介なのかもしれない。

 競輪競艇オーレースといったギャンブルも参加人口における50代以上のシェア5割以上でシニア化決定。競馬は中央も地方も4割以上の予備軍入り。10年前は中央競馬は32%で地方競馬は29%と高齢者の参加はメインじゃなかった。それが10年で一気に高齢化。オグリキャップの大活躍から始まった90年頃の中央競馬の一大ブームで入ってきた層の上の方はそのまま歳を取り、そして中頃は離れ下からは競馬に入って来なくなっている、ってことなのか。競馬に使うお金もないってんならもはや格差社会も凄い所に来ているって言えそう。そんな状況を示すデータも。余暇消費の年代別のこの10年の推移って奴を調べたデータによると、スポーツに趣味・創作に娯楽に観光・行楽をあわせた4部門合計の消費額の全年齢平均は97年が46万5090円で07年は46万3120円とほぼ横這い。これを年代別に見ると50代は47万4820円が54万1820円に増え団塊シニアの60代は46万8980円が56万1800円と10万円近くも増えている。余裕があるんだなあ。羨ましいなあ。

 対して10代。10年前に50万8970円だった支出が07年には17万8050円にまで激減してる。どういうことだ? 20代は45万3010円が07年は17万8050円に。想像するに10代は父親母親が子供の娯楽にかけるお金を出せなくなったことに加えて、子供も調査の範疇に入る娯楽にお金を使わないで例えば携帯電話でのコミュニケーションとか、インターネットでのやりとりとかに時間とそれからお金を使ってレジャーにも行楽にも行かなくなっているってことなんだろー。もうひとつ。余暇の種目をどれだけ経験しているかっていった調査でかつての10代は21種目ほどを体験していたのが10年後の07年は15種目ちょいと6種目も減ってしまった。

 何でも見てやろうやってやろうの進取の気風が下がって、絞り好きなものを狙ってとことんやるって傾向が現れているんだろうけれど、全体にレジャー支出が減り体験も細る中で過ごした子供が将来において爆発的にレジャー支出を増やし、遊びをあれこれ試そうって考えるかというとなかなかに微妙。詰まるところは大人は昔取った杵柄を衰え死ぬまで続けるけれども、子供は遊ばず遊んでもしょぼしょぼ。新しいものを試したりすることもないなかで流行らないものは廃り衰え消えていくという、そんな積み重ねが内容的にも市場的にも決して豊ではないレジャー環境をもたらすんじゃないかって不安が浮かぶ。フィギュアスケートを試したいって思ってもスケートリンクが存在しない。スキーをしたいって考えても近場にスキー場がない。そんな現実が既に到来しているからなあ。今はまだ若井ゲームもやがてシニア化が進んだりしてしまうのかも。よほど興味を引きつけるレジャーを生みだし提供していかないと生き残れないってことなんだろうなあ。聖地巡礼をだから自治体も商工会もコンテンツホルダーも一体になって事業化するとかいった試みなんかも重要になって来るんだろうなあ。

 遅ればせながら、って1日だけだけれども「ヤングキングアワーズ」の2008年9月号。表紙のエクセル先輩の収まり具合の良さそうな胸が目にまぶしい。でも中のエルガーちゃんの突き出されたヒップもなかなかにキュート。あんなに悲惨な暮らしをしていて食べるものだって苦労していそーなのに体型も美貌も変わらない彼女たちこそが実はアンドロイドじゃないかって思いすら浮かぶ。いやエクセルもエルガーラも単純に頑健なだけなんだろーけれど。「ジオブリーダーズ」はまやの冒険がスタート。元に戻って来れるのか。「ドボガン天国」はマコさんのアンダーウェアな姿が色っぽい。けど絵柄が絵柄なんでそれなりって所で。「コンビニDMZ」はタイムスリップでもしたのか。「ヘルシング」はまた載ってないなあ。「新逆八犬伝アウトカラーズ」は犬化してもあんまりエロくなかった。残念。新犬は出てくるのかな。エロいといいな。「惑星のさみだれ」はエスカレーションが進みさてはて戦えるのかどうなるのか。「それでも町は廻っている」は思わせぶりな設定が。もっと脳天気な奴らのバカ騒ぎを見たいよう。


【7月30日】 「髭男爵」を見に行ったら高橋留美子さんが現れた、いや逆だ。読売新聞社様が大主催なされるっていったことなど無関係、それこそ30年来のファンであるなら行かねばならぬとメディアグループの壁を突き破って「松屋銀座」は「高橋留美子展」のオープニングへと駆けつけるエレベーターの中でいっしょになった小柄で眼鏡の女性がすなわち高橋留美子さんだったことにまず感涙。過去にファンだった人と出会えるってのが嬉しい商売ではあるけれど、この感涙は去年にあのもーさま萩尾望都さんに出会いインタビューまでしてしまったこととか「機動戦士ガンダム」のアムロ&シャアの中の人たちに揃ってインタビューしたのと並ぶぐらいの生涯的快挙。持ってこのままお墓に行っても大丈夫ぐらいの陣容に、さらにオタク的人生の原点にあたる女神様が加わった訳ですでに随分と前にご尊顔だけは排している新井素子さんと並んで、80年代に青春を生きたオタク女神2柱のコンプリート達成と、ここは素直に純粋に喜んでも罰は当たらないだろー。生きてて良かった。

ラムちゃん響子さんに会いたいと願い生きて20余年。旅は続くよ果てしなく  そんな「高橋留美子展」はまずもってポスターが素晴らしい。走る「らんま1/2」のパンダおやじの前を逆さになってちょい半身で前を見たラムちゃんのポーズというか、スレンダーなのに柔らかい曲線を帯びたヒップや平べったいけど微妙に丸くてそそられたりするお腹をはじめとした全身の描線と、そしてやっぱりその顔立ちがとてつもなく素晴らしくって数あるラムちゃんの絵の中からこれを選んで組み合わせたデザイナーの人の感性に心よりの喝采を贈り頭を垂れたくなる。
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 でもってもう1種類はテニスをする「めぞん一刻」の音無響子さんが前面にフィーチャーされたデザインで、テニスウェアの短いスコートから伸びた膝をゆるく曲げて後ろに下がりつつボールを打ち返す響子さんのボディラインのとりわけお尻のラインもなまめかしくってその今のアダルト向け漫画のあからさまな描線とはまるで違ってシンプルながらも、露出はそれなりにあってなおかつにじみ出すようなセクシャル感がある絵に当時の僕も含めた若い人たちは、クラクラっと来てしまったんじゃんじゃなかろーか。ラムちゃんなんてほとんど水着だもんなあ。ああいやでもセーラー服を着たラムちゃんも嫌いじゃないよ。

 でもって始まったセレモニーでこの展覧会が30年の画業でほとんど始めての個展だって聞いて意外性。デビューした時代はともかく80年代の後半から90年代の前半なんて割にいろいろと手塚治虫さんを漫画関係の原画展とか開かれていたような来もしたんだけれどもそういう場所に入り込むには現役感も強かった高橋さん。というより未だ漫画でトップを走り続けている人だけに回顧よのーな場所へと出るのも忍ばれたってことなのかそれとも単純に明快にシャイだから広い場所に出るのもはばかられたってことなのか。でもしばらくの交渉もあってか30年目にしてようやくかなった展覧会は待たせた期間の長さに比例して溜まった作品の数も多ければ素晴らしさも大きくって入って現れる「うる星やつら」の絵の数々から始まって「めぞん一刻」「らんま1/2」「犬夜叉」と続くメーン連載とあと「ファイヤートリッパー」や「人魚の森」やら何やらといった短編作品にさらに「1ポンドの福音」等々へと続く絵のどれもが目にして美しく、感じて素晴らしいパワーを秘めている。見ているだけで至福の瞬間。いつまでだっていたくなる。とりわけ「うる星やつら2 オンリーユー」のポスター原画前には永遠にだって佇んでいた。それをご本人が喜ぶかはちょっと謎だけど。

 メーンはそーしたカラーイラストになっているけど「うる星やつら」のラストにくりひろげられた諸星あたるとラムちゃんの鬼ごっこシーンを描いた原稿なんかがあったり「めぞん一刻」のやっぱりラストで文金高島田だか白無垢だかに身を包んだ響子さんが描かれた原稿なんかも飾ってあったりしてその美麗さ貴重さに顔をガラスケースに近づけ見入る人多数。つかず離れず逃げれば追いかけ追いかけられれば逃げても心底では捕まえてって願う男女の微妙な気持ちってやつが供に凝縮されたシーンを見て、いろいろと思いを浮かべたい人がいっぱいいるんだろー。そーした男子と女子の間に通う普遍の感情を描き込んだからこそ「うる星やつら」も「めぞん一刻」も歴史に残り心に刻まれる大傑作になったのだ、なんてのは今思いついただけの戯れ言だけれど案外にそうだったりもするのかな。ともあれすごい量。そして凄まじいばかりの質。るーみっくわーるどに今も生きていると信じている人なら行って損なし、というより行かなきゃ一生の悔い。東浩紀さんなんて朝1番に出かけて飾られたラムちゃんたちに跪かなきゃ嘘だよ。今日はいなかったけれどもあるいは明日には。他にもカミングアウトした有名人が駆けつけ涙を流す光景が会期中に見られるかも。

 んで「髭男爵」。またの名を「ルネーッサーンス!」。何をしに来たかといえばこれは高橋留美子さんの側のカミングアウトで最近お気に入りの芸人として展覧会の第1号の観覧者となるべくおまけにに預かったとか。いつものワイングラスをかち合わせる芸とか見せてくれて前に新宿の小さいライブハウスでいっぱい出てきた中で目の当たりにしてその芸風に惹かれた身としてはこうしてどんどんと大きな場所に出ていって去年は敗者復活戦で落ちた「M1グランプリ」にも決勝に残り優勝、とは行かないまでもまあそれなりの座をつかんでやって欲しい物。きっと高橋留美子さんも漫画に登場させて応援してくれるだろールネーッサーンス! そんな「髭男爵」を見たライブでやっぱり目立ってた「流れ星」は「漫才新人大賞」で大賞なしの中を優秀賞を獲得した模様。どんどんと世に出てくるこの勢いで吉本支配なお笑い界をルネーッサーンス、はい流れ星。

 そしてグッズ売り場へ。図録は展示してあるカラーのイラストが満載になっててそれも1ページに1枚の割合なんで大きくってファンなら垂涎の1冊かも。他に画集も山ほど出ているんだろーけれど(出てたっけ?)、これだけクオリティの高いカラーのイラストがまとまった冊子てのはそんなになかったよーに記憶している。絶対に買いの1冊。2100円なら安いやすい。でもってポスター。ラムちゃんの逆さに響子さんの後じさりが描かれたそれぞれのポスターはサイズもデカい上に値段も700円と目茶安。スタイリッシュなデザインに落とし込まれたヒロイン2人の美しさを間近にでっかく楽しみたいなら買わない手はない。もちろん買った。でも飾る場所なんてないのだ。困ったなあ。

 あとはイベント限定品の中から絵皿を「ラムちゃん」「響子さん」で1枚つづ。同じ絵柄でマグカップとかカップ&ソーサーもあったけれども使わないものなら絵の大きい方が良いから絵皿をセレクト。女らんまと犬夜叉はどうしようかなあ。さらにキューピーラムちゃん。イベント用に髪がピンクの奴。さらにジグゾーパズル。そしてラムちゃんがラベルに描かれた日本酒を1本。締めていくらだ1万円は超してるなあ。でも仕方がない、他ならぬ高橋留美子さんでラムちゃんで響子さんだから。他にもクッションだの虎模様のタオルマフラーだのTシャツだの満載のグッズ売り場に1日居れば財布の中身もすっからかんになること確実。問題はそれらをやっぱり置く場所がないってことなんだけれどそれでも買うのがファンって奴の哀しい性。諦め従おう本能に。

 悪事を企み他人を騙し金に汚く食にもこだわる人間たちに比べれば、契約に従い食事を運べば仕事はちゃんとこなしてくれたり自分の思うがままに生きている妖精たちの方がよっぽど善良に見えてしまう。というか元より妖精は己にまっすぐな存在なんだけれどもそれを誤解して人間たちは災いをなすだの何だのと鬱陶しがって排除しようとする。双方にある無理解と誤解をどう解きほぐして妖精と人間の間をつなげて供によき隣人として暮らしていけるようにするのかを、考えると結構面倒そうだけれどもそんな面倒を請け負う存在がなければさっそう、無理解と誤解は悲劇を招く。だから「善き隣人にまつわる相談センター」は作られたんだし人間の常識も妖精の常識も通用しない破天荒な奴らがそこに集められたんだろー。

 ってことで「マイフェアSISTER」(ファミ通文庫)に続くファミ通文庫で執筆の竹岡葉月さん「オトナリサンライク」(ファミ通文庫)は仲間に騙されるような形で窃盗の罪を着せられた少年キーチに更正プログラムとして与えられたのが妖精の引き起こす問題について相談にのる「善き隣人にまつわる相談センター」での下働き。訪ねるといたのはやる気のなさそうな事務員の女性にメイド服姿なのに無愛想の少女に姫と呼ばれる貴族ながらも衣装は男装という少女にそして子供としか見えないような姿態ながらもこれでやっぱり年齢不明、なのに一応は所長という女性。どうにも微妙な奴らに囲まれ果たしてうまく仕事がこなしていけるのか、って訝り逃げ出したくなったもののそこは負けず嫌いのチーキだけあって、可愛らしい顔立ちを活かして女装して女性を口説く妖精をおびき寄せたり靴屋と契約しながら拗ねてサボタージュしてしまった妖精を説得したりと仕事にそれなりに取り組んでいく。

 そして出会ったかつて自分を騙して官憲に売り渡し逃げた男。見習いというより下働きのような扱いに呆れ誤ってくれた男に赦しを与えて妖精相手の仕事からおさらばしようと考えたのかどうなのか。迷い惑う感情を隠して進んでいくエピソードのクライマックスに、妖精たちの人間に比べればよほど真っ当で純情で勤勉だって印象が浮かび上がる。だからキーチも居座りそして始めた妖精相手の相談業務。「神楽総合警備」の菊島社長みたく小さいまんまの所長に負けず得体のしれないディアナ所長の秘密なんかも気になるところだし、マウザーこそ振り回さないけど梅崎真紀さんみたく男装して格好つけるルシアナ姫に蘭東栄子ちゃんみたく切れ者っぽさはないけど案外に腹黒そーな事務員のアニーにそして桜木高見ちゃんとも姫萩夕さんとも違って寡黙さではまやっぽいメイド姿のメアリといった面々に、囲まれ巻き込まれていくキーチが「こんな事務所やめてやるう」と叫ぶかそれともそうはいいつつ最後まで諦めない田波洋一みたく居座るか、気にしつつ続きを眺めていこう。続きは出るのかな。


【7月29日】 最新号の「アニメスタイル」が出ていたので買う。違った「動画王」だ。それも違うぞ本当は「GAZO」だ。いやいや「アニメーションRE」だ。うーん他にも「月刊ニュータイプ」の大人っぽい人向けのとかがあったように記憶しているけれども消えてしまった物を今さら問うても仕方がない。ともあれ幾たびかの挑戦を経ながらもなかなかに定着しないハイエイジ向けにキャラクター寄りとかではなくってもっと作画寄りになったアニメーションの雑誌というかムックというか、その名も「アニメージュオリジナル」ってのが出るってんで書店で探して見つけたそれは表紙がどことなく地味だった。

 いやモチーフは「機動戦士ガンダム00」だからちゃんとしてるんだけれど、題字の回りがちょい暗めで店頭なんかでそれがそれだといった主張が足りない。まあ目立って一気に立ち上がっては立ちくらみして転倒入院退場となるのも縁起が悪いんで、ひっそりと静かに始まるのが似合っているのかもしれない。ひっそり過ぎて何時の間にやら見あたらなくなってしまっても問題だけど。「アニメーションRE」って結局何号出たんだっけ。「アニメスタイル」も期待していたのにいつも間にか出なくなったなあ。「GAZO」。徳間書店から出ていたのか角川書店から発行だったのかすら記憶にない。いやそれは大げさだけど。

 記事ではやっぱり「マクロスF」のいっぱい掲載されてる原画が楽しい。あの「超時空シンデレラ、ランカちゃん!」がゼントラーディの部隊を前に宇宙デビューするシーンをしっかり追いかけ掲載してくれちゃっているから、テレビじゃ止めつつ見なくちゃいけなかったその手の動き、その髪の浮き沈み、その表情の変わりっぷりをモノクロながらもしっかり1枚いちまい確認できる。手のひらを前に向けて下へと顔の横へと下ろしていく部分でかかっていたのはどんな歌詞だったっけ。そこでぱくぱくと握った記憶があるけど原画でもちゃんとそうなっているみたい。

 それから「キラッ」の場面。そうか別にあたりを取って星の散らす位置なんかを指定していたんだ。タイミングばっちりに湧いた感動もちゃんと作り手の計算の上に成り立っていたんだ。すべてが人間の手によって作られるアニメーションのそれが凄みで奥深さって奴で。これだけの絵を描ける人を揃えていてどうして最近はちょい動きにダイナミズムが欠けているんだろう。ドラマ的な問題? それとも夏バテ? 今週こそは。いやしかし今週も……信じよう、サテライトのがんばりを……「キスダム」……祈ろう、サテライトに奇蹟の到来を。

 あとはやっぱり「紅 −Kurenai−」の松尾衛監督へのインタビューか。プレスコだから演技が、っていった辺りをあまりにも幾度と無く聞かれたらしくってそれについての答えは別にアフレコでもやろうと思えばできる、大変だけど、って感じになっているのが面白い。でもそんな大変なことがプレスコだったら出来てしまうんだからやっぱり意味を持っての利用なんだろう。あと遠景を多用して劇を進めた効果とか、ひとり紫がアパートにいる時は寒色めいているのが真九郎が学校とかから戻ってくると暖色も入って明るさが出て嬉しがる紫の心境をそこに映しているって辺りも興味深かった。見ているうちは自然にそれが見えて意識しなくても感じていたりするんだろうことの裏にもいろいろ人間の手になる細工があるってことで。アニメって深いなあ。

 気持ち的にはあのライトノベル的にはごくごく普通な異能バトルの設定をどうして、現実世界的に納得できるリアルさへと引き下げたのかって辺りとそれを遂行する上での留意点みたいなのも知りたかったけれど、そういった物語的脚本的な部分だったら取り上げるメディアは他にある、こちとら大人のアニメに堕した人に向けて作画作劇音響といったテクニカルな部分を開陳するのがお役目だ、って辺りを意識してこういった内容のインタビューになったのかも。それならそれで仕方がない。変更された原作について原作の人に聞いて感想を求めるってのもテクニカルな方面からアニメを見たい人にはあんまり興味のそそられる題材じゃなさそうだし。そっちはそういうもんだと理解。

 「紅」関連で掲載されている紫がシャンプーされている原画の連続は場面はもっと大きな絵で見たかった。あとこれは闇絵さん? それか夕乃に向かって「へたー」と叫ぼうとして真九郎に口を押さえられながらじたばたする原画も大きく。顔とか手足の動きがどうなっているか。見てトレースして中を割って練習すれば絵とかうまくなるかなあ。備えあれば憂いなし。食いっぱぐれそうになった時にアニメの動画を描くためにも「アニメージュオリジナル」にいいぱい掲載の原画で練習。練習帳もつけてくれたら次号も買うぞ。「鉄腕バーディーDECODE」のりょーちもさん描くバーディの裸体ラフ。ゆうきまさみさんとはまるで表情が違うんだけれどボディのラインはこっちの方が艶めかしいなあ。その艶めかしさをアニメの方にもいっぱい盛り込んで頂けたら重畳。

 「20代中盤〜30代全般(ママ)の、学生時代にライトノベルを読んで育ち、ライトノベルそのものに対しては親しみを抱いているものの、世に氾濫する『美少女モノ』では物足りないと感じている世代。また、中心ターゲット層よりも下の世代に対しても、『萌え』ブーム以降の受け皿として、その後に読むべきレーベルとしての役割を担えると考える」っていったい何のアジテーションかと思ったら、日販週報に掲載されてた 「幻狼ファンタジアノベルズ」って幻冬舎から新しく創刊されるライトノベル系ノベルズの想定ターゲットについての文章。って何かいライトノベルには「美少女モノ」しかなくって買う人もそれが目的で、「萌え」ばっかりを追いかけているって認識なのかい。

 もう10年になる「ブギーポップ」の登場辺りからすでに「美少女モノ」とか「萌え」といった本流から外れた作品が現れ、ライトノベルの幅や厚みを増して今の隆盛へとつながったって思えば思えるんだけれども、どうして売れているのかって聞かれてそうしたことを説明するより「美少女がいっぱいで萌え萌えだから」と言う方が簡単というか、そういう説明じゃないと世間って納得してくれない所があるから仕方がない。実を言うなら3周くらい回ってひねられ裏返された「美少女が萌え萌え」な作品がメタ的に書かれ、そうした思考的実験を直感でファンたちは理解しているんだろうけど、そうした所作は傍目から見れば「美少女に萌え萌え」にしか映らないだろうから。それとも本当に今の若い人って「美少女が萌え萌え」だから読んでいるのか。だとしたら作家の苦労も編集の呻吟もなかなかに報われないものだなあ。

 まあ仕方がない、世間がそうした認識になっているならそうじゃないのを出すしかないと幻冬舎が打ち出したのが「幻狼ファンタジアノベルズ」って訳で、居並ぶラインアップもSF的伝奇的ファンタジー的ライトノベル的に興味をそそられる人たちがわんさか。高瀬彼方さんの傑作「天魔の羅刹兵」も再刊なるみたいで「ガンダム」ブーム真っ盛りな中でのこれを安彦良和さんなり誰かが漫画にして、そしてアニメ化されたらちょっと嬉しいかもしれない。実写も悪くないかも、ってそれは流石に金がかかりすぎるか。ノベルズって体裁では中央公論新社の「C・NOVELS」とか、徳間書店の「トクマノベルズEdge」辺りと重なるのかな。両者ともなかなかに強力で、とりわけ「C・NOVELS」は第4回大賞の入賞3作がどれも面白かったし装丁も美しかったんで1頭抜けって感じ。追う「Edge」からも片理誠さんが「屍竜戦記」って凄いシリーズを立ち上げた。深見真さんの「ヤングガンカルナバル」も人気。そこに食い込めるのかそれとも「ジグザグノベルズ」のように膝を屈するのか。見守ろう。見守りたい。けどでもしかしそんなの揃えるお金はどこにもない。一迅社文庫アイリスとか創刊されたばかりのライトノベルの新レーベルを追いかけるだけ精一杯。なのにまた。それもノベルズ。きゅう。真のライトノベル評論家は高等遊民にしかなれないお仕事なのかもなあ。


【7月28日】 見られないくらいにたくさんのアニメーションがテレビで放送されてそれらが何ヶ月後かにはパッケージソフトになって市場に出回ってくる関係で、もはやこれ以上は買えないって財政的な緊急事態に陥ることがままあって、それでも最初は初回限定版とかはとりあえず抑えておこうと初日の前日の早売りを頑張って拾い上げていたものの余りの数の多さは他のファンの財布も圧迫していると見えて売れる作品と売れない作品との格差もくっきりと見え始め、初回限定を銘打って早期の完売を見込みながらも売れ残ってはいつまでも何年も棚に存在し続け挙げ句に7割引きのワゴンセール行きとなる作品なんかも出たりして、巨大なぬいぐるみとかがついたケースが日に焼けたのか保管の間に潰れたのか、ちょっぴりやつれた雰囲気を店頭で醸し出していて哀れを誘う。

 グッズとか興味がない訳じゃないしこのまま処分されるのも何だか可愛そうだとは思いながらも、必要のない限定グッズがついたDVDをこれ以上置くスペースなんて我が家にはないと見送っているのが現状。それにもはや初回限定と言われてもどうせずっと残るんだから慌てて買う必要もないんじゃないかと気をそらし、後回しにしていたら甘かった「ef」。ちゃんと4巻目までは発売日前後に買っていたんだけども5巻6巻を後回しにしていたらいつも間にやら初回限定のパッケージが消えてやんの。行きつけの石丸電器は万世橋のそばの店舗も線路端の店もその他も全滅でポップなパッケージの通常版に置き換わっていて入手できず。「ゲーマーズ」もダメで「ヨドバシカメラ」にも置いてなくって探してとりあえず「アニメイト」でもって6巻目の初回版だけ確保。まず一安心。

 これなら残る第5巻も池袋にならあるかもと回ってとりあえず「とらのあな」に寄ったら、ここん家は同人誌が中心らしくってDVDは新譜が中心。ならばと「アニメイト」に向かう途中で開店して間もない「アニブロゲーマーズ」に寄ったら残っていた第5巻を無事発見、これでコンプリート、助かった。これに懲りてこれからはちゃんと頑張って買うべきものは買っておこう。っても新作で買い始めたのって「紅」だけだし「マクロスF」はグッズとか付かないし、あれこれ付いてる「レンタルマギカ」のアストラルグリモアはずっと売れ残っているしなあ。背焼けしたのがワゴンに並ぶ日も遠くないのかなあ。

 それにしても「アニブロゲーマーズ」。前の「ゲーマーズ」がサンシャイン通りに近いビルにあったのとは逆に地下におりていく感じで狭いのかなって心配したら案外な広さ。新宿の2フロアを足したのよりももしかしたら広いのか。品揃えもまずまずでブルーレイ関係も揃ってて、おまけに「アニメイト」との共同店舗ってことでDVDを入れるビニルのスリーブもくれたんで行く用事があったらなるたけここん家を利用しよう。「ef」といっしょにブルーレイで出た「時をかける少女」も買って開いてフィルムを見たら千秋でやんの、キャラなら悪くはないかもしれないけれども欲しいのはやっぱり真琴なんだよう、あるいは妹ちゃん。そんな池袋の「アニブロゲーマーズ」については発売まもないもりしげさんの「フダンシズム 腐男子主義」第2巻にリポートが上がっているんでまだの人は参考に。しかしこの漫画も奥が深い。「てんみこ」小説が途中で「みこてん」に変わることの恐ろしさ、って奴を未だ理解できない身として読み込み学んで高めねば。

 熟女、っていったら20代後半の人たちに怒られること大必至ではあるものの10代前半からはてはひとケタ台だって大活躍するアニメの世界で27歳28歳はもはや神話の領域にも匹敵するくらいの未踏の地。そこに至った女性たちが見せて魅せるさまざまから匂い立つ色香って奴は免疫のない若い人たちにとっては劇薬も同然の衝撃となって、脳髄に良い意味でも悪い意味でもトラウマめいたものを残しそう。まずは「コードギアス 反逆のルルーシュR2」に登場のコーネリア殿下は椅子に座った格好で足を縛られ片手を後ろでに回されもうう片方の腕は情報よりつり下げられる格好。傍目には挙手しているようにも見えるポーズでは否応なしに胸を張らされその胸より垂れ膨らんだ双房も隠されず包まれないまま衆目へとさらけ出されて、何とも艶めかしいビジョンを繰り出す。軍服では厚みのある記事に抑えられていたのか妹のユーフェミアに比べて劣る胸板っぷりだったのに。これが着やせするということかそれとも1年の隠遁がホルモンに働いて肉を肉として押し上げたのか。カレンの7連コンボもそりゃあ迫力だったけれどもこのビジョンには水着のヴィレッタだってかなわない。ってかどこに行ったんだヴィレッタ。扇は何食わぬ顔で戻って来たっていうのに。もしかして落下時に頭を打ってまた千草化?

 そして薬師寺涼子。歳の頃ならコーネリア様とほぼ同じながらもやること言うこと子供っぽい、っていうか我が儘勝手で周囲に働く人たちもきっと大変だろうけれどもそこを何も厭わず付き従っては静かにフォローしていく泉田くんの優しさって奴に、あの「ドラよけお涼」も惹かれハマってしまったんだろう。それにしてもあの傍若無人ぶりは我が儘娘の代表格ともいえそうな「ゼロの使い魔」のルイズすら上回って世の男性諸子に強いインパクトをもたらしそう。未知の生命体を作り出してしまった研究者を始末するよう命じられ、マンションを訪れたヤクザを問答無用で蹴り倒したシーンのピーンと伸びた脚の何という強さ美しさ。回し蹴りなんて派手さはないけどその1瞬で相手を蹴り倒して残心を決めてみせる動きには瞬間に発揮される凄まじいばかりの強さって奴が伺える、とか何とか。単にコサックダンスみたいなポーズが面白かっただけって話もあるけれど。

 それにしてもちゃんと靴は脱ぐんだなあ。ヒールだとやっぱり蹴り辛いか。ってことは蹴る気満々で侵入したってことかお涼さん。その強さ恐ろしさに若造だって靡きます。そしてこっちは本当にイージュー超えっていうか、そんな年齢へと達しながらもあどけなさを残して死に神の宵風までをも篭絡してしまった関英さんの雲平先生を相手に老眼になっちゃったー、って唸るシーンがまた妙に実感もこもった言葉で胸に響いた。中の人にとってもそれって結構に切実な問題だったりするのかな。幼かった月野うさぎも老眼を気にするお年頃。なるほど歳を取ったもんだ。そんな「隠の王」は連載とはちょっと違った方向へとシフト中。政府派遣の特殊部隊との対決ではなく宵風と壬晴の手に手を取り合った逃避行を負う海狼衆にすがる萬天の忍者たち、って構図? そんな中から若い2人がどんな路を選びそして何が起こるのかってあたりがアニメーション版ではメインになっていくんだろう。でもってこの場合はよいて×みはるなの? それともみはる×よいてが正しいの? 「フダンシズム」を読んで考えよう。

 北乃きいさんがスカート姿で回し蹴りをするのだ。もう1度言う。北乃きいさんがスカート姿で回し蹴りをするのだ。つまりはそういうことだ。どういうことか? 気づかないなら映画になって11月に公開予定の「ラブファイト」を見ればいい。もう冒頭からそれはそれなりにそうだったりするビジュアルでもって僕たちを歓喜の渦へと引っ張り込んでくれるから。けどしかしそれで喜んでいたらとんでもないことになるから気をつけろ。血反吐が飛び散り肉が潰れ汗が飛び散って骨がきしむ。そんな描写の連続に見ている身は縮み心は冷え、果たしてこのまま見ていても良いのかって恐怖が身をさいなむ。

 まきの・えりさんが10年以上も前に発表した小説「聖母少女」(ケイエスエス出版、上下各1300円)が原作になったこの映画の主題はボクシング。そして弱さを克服して進む勇気。北乃きいさんによるスカート姿での回し蹴りも実は恐怖の象徴、悪鬼の如くに迫る心傷の一つに過ぎない。だからどういうことなのだ? 実はよく分からない。10年も前に読んだ原作をあんまり覚えていないから、そういう話だったのかって映画を見ても本当にそういう話だったのかが思い出せない。「ちーちゃんは悠久の向こう」から「ダイブ」なんかを経ていつも弱々しげな男子役が似合うようになってしまった林遣都さんが演じる、やっぱりというかいつも女の子に守ってもらってばかりだった少年が己の不甲斐なさを克服しようとボクシングを始めるというのが基本線。

 そしてそんな姿を見て林遣都さんを幼稚園のころから守って来た、北乃きいさん演じる可愛らしそうに見えて実は凶暴な女の子もボクシングを始めたことでどこまでもつきまとってくるその女の子の影に男の子は、辟易として告白してくれた別の彼女に走ったりどうして追いかけて来るんだと切れたりしていたんだけれど、実は心のどこかにあったお互いのお互いに対する意識が浮かび上がっていく。「聖母少女」ってそんな話だったっけ。やっぱり思い出せないけれども映画公開と同時に文庫として再刊されるみたいなんで読んで改めて確かめよう。買ったKSS版は部屋のどこにあるのかなあ。

 映画は林遣都さんメーンで進む超克のドラマがあって、それから北乃きいさんメーンにちょい代わって自分を鍛えていくドラマが挟まって、あとジムの会長で元日本チャンピオンだった男を演じる大沢たかおさんと、今はあんまり売れていない女優を演じる桜井幸子さんのかつてお互いを好き合いながらもすれ違ってしまった挙げ句に、今は離ればなれになりなってしまったものの心の奥底ではそれぞれに意識から消せないでいるもどかしいカップルのもどかしさ満載な話も重なって、1人に絞ってストーリーを追っていけない悩ましさがあるけれども、それぞれに進むそれぞれが自分を偽って生きていて、何かが邪魔してなかなか素直になれないことが生み出す悲喜こもごもって奴を描いていくことによって、もっと人間素直に生きようよって気にさせられ、それでもなかなか素直になれない人間に、だったら強くなって自分に自身を持てるようになればもっと素直に生きられるはずだから、ボクシングでも始めてみたらどうよって気持ちを引き起こさせる。

 クライマックスから向かうラストシーンは壮絶にして凄絶。過去にいろいろなキスシーンって奴を見て来たけれどもこれほどまでに凄いキスシーンって奴は初めて見た。映画史に残る、かも。ともあれいろいろ見所もあって、引っかけられそうなビジュアルもあってそれでいてしっかりと熱さの伝わってくる作品。公開されたらまた行こう。林遣都さんを大好きな女の子のそのどこか微妙で根は可愛らしい大好きっぷりも見物だけれどもやっぱり目玉はあの場面。今度は目をしっかりと見開いて、じっと見守り網膜に刻もう。北乃きいさんが上段の回し蹴りをするシーンを。


【7月27日】 ってんで「セキレイ」。良く動くなあ。草野ことくーちゃんのくるくると変わる表情なんて最高なくらいに動いてくれちゃってて、見ていてどんな場面にも隙がない。発売された第7巻を過ぎて話はどんどんと陰惨な方へと向かう可能性を見せ始めてはいるけれど、とっかかりは異能の力を持った美少女たちがひとり男のもとへと集まるハーレム設定。またかよって飽きそうな所もたっぷりあるのを動きと展開の快活さでもって見せて魅せまくってくれる。原作を選んでありきたりと思わずアニメーションへと仕立て上げた企画の人をちょっと見直す。このまま話が曲がらず進んでくれればDVDだってあるいはって思えたけれども湯気で見えない部分が見えてもそれほど吃驚しないだろうことを想えば録画のままで十分かもしれないなあ。いやまあその辺がおいおいに。

 でもって秋葉原へと避暑を兼ねて原稿を打ちに行ったついでに流した秋葉原の「UDX」にあるカレー屋の「アキバ海岸」がいきなり「セキレイカレー屋」とやらになっていた。出されるのは「セキレイ」に倣って特大超絶大盛りカレーのみ、だったらお腹もパンクしちゃうし店だって大変だろうけれど、その辺は大行列が建物を出たエスカレーター方面までつながっていたんで並べず入れず未確認。救急車が近寄って来る雰囲気もなかったんだんでまあそれなりの分量のカレーだったんだろう。それとも「セキレイ」ファンはあの超大盛りを食べきるだけの体力の持ち主ばかりなのか。胃袋鍛えて出直そう。

 入り口に立っていたのは結たんの扮装をした店員さん。巫女さんをアレンジした感じってことになるんだろーけどその裾の丈の短さとか、手にはめた格闘用グローブの勇ましさなんかを見たら氏神様の神田明神なんかちょっといろいろ言っちゃいそう。なぜって何だか不思議に届いた神田明神監修の「巫女さん入門 初級編」(朝日新聞出版)とやらの冒頭に、秋葉原界隈を歩くコスプレの巫女さんの金髪っぷりにショックを受けて、どうにかしなくちゃいけないって書いてあってやっぱり本家にはいろいろと鬱憤が溜まっていたんだと気づいた次第。本には本当の巫女さんの立ち居振る舞いから学んでおくべき教養まで広く詳しく書いてあって、読めば巫女さん検定にだってそのまま合格できちゃいそう。巫女さんコスプレの人はだから読んで所作を学んでそれから秋葉原に立てば神田明神様もきっとお赦しに……なるのかな?

 昨日の49日にも朝方に立ち寄ってお参りした献花台の周辺は、今日も午前中について言うなら静かなもので、事件発生直後の数日間、びったりと張りついてカメラを構え続けたメディアもすでに興味関心を失ったかのよう。そういや逮捕された犯人のその後もあんまり報じられず、話題は八王子で起こった書店員の刺殺傷事件へとシフトしてそちらばかりが取り上げられている。新しい話題を追うのがメディアの宿命とは言え、起こってしまったことがまたもや起こってしまった現状に潜む得体の知れない乾いて虚ろな情念を、常に読み解き考え再発を防止する方策を探り続けるのもまた世論を導くメディアの役割。それを払い瞬間の話題性をのみ追いかけ食い尽くしては次へと向かう貪欲さの果てに、あるのは人心よりの乖離であり信頼の喪失。既にそんな傾向も見え隠れしている中で迎えた秋葉原に置かれた献花台の最後の1日を、問わないメディアに対して浮かぶ絶望もまた深そう。嗚呼。

 それでも人の心は廃れないと見えて、3人組の小学生がためらいもなく並んで献花台に手を合わせている姿に感じ入る。他にも通りがかる大勢が次々に手を合わせていく様は、歩行者天国こそ消えているものの路地はどこも雑踏に戻り、居並ぶショップの1軒1軒が人を大勢集めて50日前の騒動をまるで感じさせないように見えて、決して埋まらない何かがあるんだってことを世の中に突きつけ、それを秋葉原に集う誰もが感じている現れだって考えられそう。取り締まるべきはナイフの所持の有無だけけではなくってナイフを、包丁を持たせて振るわせる何か圧力めいたもの。それを生み出す要因を解き突きつめて除く努力をこそメディアもすべきところが、権力機構へと探索の手が近づくにつれて遠慮も生まれて尻窄み気味。相手が弱者になりがちな食品偽装なんて、1つが見つかったら次から次へと競争のように暴き立てていくのがメディアの習い性なのに、教員採用の口利き問題の場合は事態がメディアの人間へと波及したとたん、後が続かないんだから不思議というかやっぱりというか。

 県庁に地銀と並んで地域における権力の要が新聞社なりテレビ局っていうのは日本全国津々浦々まで行き渡った共通認識みたいなもの。その1角で起こったことが他で起こっていないと考えるのが土台無理な話ってもので、一つひとつひっぺがしていけばいろいろと見つかるだろう話なんだけれども食品偽装と違ってまるで後が続かない。県紙に限らず大手のメディアだってそれは同様。広がる付き合いの中でいろいろと口をきくことだってあって不思議はないんだけれども、浮かぶ話は欠片もない。本当にまるで全然浮かんでこない。

 公務員採用の可否を云々するような事態はないなから続かなくって当然とか、言って言えないこともないだろうけどだったらテレビ局のような免許業種はどうなんだ? 系列というつながりで関係は深いからいろいろと口も入れやすい。でも一方で公正たるべき報道機関でありかつ国民の財産である電波を預かり、情報を伝える使命を負った公共財でもあるからこそ、放送局ってのは国による許認可によって運営が認められていて新しい参入も制限される中で収益を確保している。そこに対していろいろと口を入れるのは果たして適正か否か。難しい問題だけれどもそのあたりを考え出したら奥も深いし幅も広いんで、ここは気づかなかった振りをするのが心に安心。こうして乖離はなおも進む。

 逃避。「第4回C・NOVELS大賞」でもって特別賞を獲得した天堂里砂さんの「紺碧のサリフィーラ」は、かつて海の底に沈んだ謎の国があって12年に1度の月蝕の夜に浮上するって伝説がある世界で地図に例えるならば南米みたいな場所から船でその謎の大陸シェインを見に行きたいと訴えるサリフって1人の若者がいた所から物語はスタート。理由を話せば子供みたいだと小馬鹿にされる類のもので、話を聞いたワディムって船長もあり得ないと断るものの頼んだサリフの浮世離れした振る舞いが危なっかしく見えた上に、自身もかつて謎の大陸シェインに憧れた過去があってサリフを船に乗せて連れて行く約束をする。そこに現れたのがまずは追っ手としてサリフを探していた船。知らぬ存ぜぬを通してお引き取りを願うものの今度はサリフがかつて海を漂っていた所を助けて養子に迎えた義父が率いる船と、義兄が船長を務める船に挟まれ捕縛されてしまう。

 サリフの冒険もここまでか? といったところがサリフは自分はやっぱりシェインに帰りたいんだと訴え父や兄のもとから去る。一方に王族と対立する教会が権威を高めようと巡らす陰謀もあって、シェインと深く関わるサリフを巻き込んではシェインの謎へと迫る物語が繰り広げられる。果てに現れたシェインの驚くべき秘密。祝福されて永遠を得たのでは決してない残酷な様が明かとなって、欲をかいて突っ走れば下る罰も凄まじいものになるって警告を与えられる。愛していながらも一方に罪を感じて言葉をつむげず、悩み逃げ出す人間の、ある意味で弱さだけれども別の意味では優しさでもある心の機微が感じられ、難題に直面した時に自分だったらどうするんだろうってことを考えさせられる。儚くも残酷で優しくも強靱な人の心を感じられるファンタジーの秀作。これを書いてしまえる作者の前途はとっても有望、かも。

 さらに「第4回C・NOVELS大賞」で大賞を晴れて獲得した夏目翠さんって人の「翡翠の封印」。北方より出て国を作って50年ほどのヴェルマを率いる若き王・テオのもとに300年の歴史を誇りながらも周辺国との軋轢に苦慮していた国に生まれた王女セラが妃として嫁ぐ。本当だったら神殿に入って一生を過ごしながら、その能力を活かし続けるはずだったのに急に訪れた還俗とも言えそうなお輿入れ。もっともそれを拒絶することなく粛々と従ったセラだったけれども、嫁いだ先でテオの病弱な姉に出会い手をとった瞬間に“視えて”しまった事実を元にテオに言葉を与えたところ、セラの力を知らず生い立ちも知らないテオは激しく立腹してセラから遠ざかっていってしまう。

 すわ破談か? そうはならずセラは城にあって腫れ物に触るような扱いを受けながらも時を過ごす羽目になりそうだったところを、ミリィという快活な侍女が側についてセラを元気付け、セラが持つ薬草の知識や見立ての力をヴェルマの国民のために役立ててもらおうと働きかけ、セラもその提案に乗って国民たちから敬われるようになっていく。ひとりテオだけはセラを認めようとはせず、セラもテオを起こらせてしまった理由にしばらく経ってから気づいて後悔し、許しを請おうとしたものの出会う機会がなかなかなくって平行線が続きそうだったその時、ヴェルマを襲った危機が2人を近づけそして運命に挑もうとする人々の戦いが幕を開ける。行き違いから生まれてしまった冷え冷えとした関係が埋まらないもどかしさがあり、そんなもどかしさを越えて手を取り合った所に生まれる温かさのある物語。理解し認め合う大切さって奴をここから学ぼう。今回は3本とも傑作なC・NOVELS大賞。凄い賞になったなあ。


【7月26日】 ポルナレフ式に言うなら「あ……ありのまま今、起こった事を話すぜ! 『おれは<マクロスF>の第16話[ランカ・アタック]を見ていたと思ったらいつのまにか<超時空要塞マクロス>の第11話[ファースト・コンタクト」を見ていた』。な……なにを言ってるのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……動画崩壊だとか止め絵口パクオンリーだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」って感じか「マクロF」の第16話。前週あたりからそりゃあちょい動きにぎくしゃくってした所が見えてはいたんだけれどもグレイスの復活とシェリルの落剥、そしてビルラー氏の登場といったエピソードやら引きやらに興味をつながれ楽しみにしながら見たのがこれか。

 絵の1枚1枚が崩れ去っているってことはない。けど動かない。キャラクターの4人が並んでいたりする場面で動いているのは喋っている1人のキャラクターの口だけだったり、遠景が1枚映し出されてそれが何秒も変わらなかったり。だから見ていて紙芝居っぽさが滲んでくる。戦闘シーンだってせっかくの音楽とのシンクロって「マクロス」ならではの特色を出そうとしているのに、過去の例えばシェリルとランカがステージを挟んでデュオしている場面でアルトがバジュラに飛び込んでルカを助けたシーンなり、第1話でのシェリルの歌をバックにバジュラとの最初の戦闘を行ったりしたシーンなりのドライブ感、高揚感があんまりない。もしかすると軍歌にされてしまったランカの歌を戦闘場面で使う事への嫌悪感って奴を、あんまりシンクロさせず気持ちよさを出さないことで感じさせようとした、なんてことはないよねえやっぱり。だからどうも見ていて入り込めない。

 展開もなんか不思議で奇妙。病院でやや回復気味だったシェリルが山の上だかのベンチでひとりうずくまってギュウギュウやってたりする場面なんて、まずどうやって抜け出したかが分からないし、治りかけていた体調は誰によって崩されたのかってあたりもなくって唐突感が否めない上に、アルトに見つかるまで誰にも見つからなかったってのが何より不自然。それともずっと隠れていてアルトが近づいてきたらベンチの下から這いだしうずくまってみせたとか? そんなに殊勝なタマでもない。でもってマクロスクォーターのブリッジまでいきなり上がってみせた場面で、ワイルダー艦長が許可した覚えはないぞと糺した時に挟み込まれたのが確かキスされて喜ぶ警備兵の顔。そんな莫迦な。規律も志気も緩みっぱなしの新統合軍でもあるまいし、警備こそが本業みたいなもので、見かけこそアバウトでも仕事にかけては一流揃いのSMSのメンバーに、例えアイドルであってもキスされたぐらいで道を譲る警備部員がいたらそれこそ企業の存在に関わりかねない。

 つまりはあり得ないシチュエーション。でもあってしまう。ギャグとしちゃあ面白いけどギャグとかでかわす場面でももないのに、堂々とやってしまうところにどこかこれまでとは違った制作工程上の何かがあったのかもって想像も浮かぶ。せっかくブルーレイディスク(BD)版の第1巻が目茶売れして、良い物を作れば高くても買ってもらえるんだって証明をしてみせた当日翌日翌々日あたりの放送がこれじゃあ言行不一致も甚だしい。来週もどこか絵的に妙にヤバそうだし、ここは1週2週を休んでも初期の、それから肝心な場面で見せるような圧倒的な動きと展開と演出を見せてやって欲しいんだけれど、無理だよなあ、残りも少なくなって来ているし。ならばせめてパッケージでは精一杯の努力を是非に。

 ひたすらに読書る夏。まずは渡海奈穂さんって人の「失恋竜と契約の花嫁」(ビーズログ文庫)から。魔法の力があるらしいと認められて学校に行ったけど、見込み無しと放校されてしまったスウェナって少女は自宅に戻っても病弱の父に義母の間であんまりしっくりこない日々。せめてお役に立ちたいと森に薬草を採りにいったら迷ってしまってお腹がすいて、たどり着いた場所でドラゴンが眠りながらも抱えていた珠を食べてしまうと衰えていた体調は快復。そして帰って義母とかにいじいじされていたところにやって来た男が、皿を差し出し食べた珠を出せと迫ってきた。こりゃ何者だ。どうやら竜にしてメリル公爵という存在らしく、排泄できないんだったらスウェナを殺して珠を取り出すと脅すと自分を虐めていはずの母親が身を投げ出してスウェナをかばおうとした。

 頼りなくふがいない娘を鍛えようと世話を焼きすぎた果てに生まれた行き違い。それが危機に瀕して心の底をさらけ出した展開の後で、スウェナは竜の化身のメリルと連れだって、メリルがかつて心をよせながらも永遠の命を得て森に隠れてしまった魔女に珠を取り出す方法を聞こうと旅に出る。ドジっ娘のドタバタになりがちな所を置かれた境遇にややシリアスさを出して走らせず、かといって悲惨な境遇にはおかず家族ってものの大切さを醸し出し、また他人を思う気持ちが実は大きな鍵になっていたことを浮かび上がらせ自分勝手ではない態度の素晴らしさってものを分からせてくれる物語。さっぱりとしてあっさりとしながらもいろいろと心に残るファンタジーって言えそう。

 でもって高丘しづるさんの「王女修行、はじめます」(ビーズログ文庫)と続きの「王女修行、きわめます」(ビーズログ文庫)をまとめ読み。母親の女王が治め伯父の宰相が支える国で、王太子となりながらもあんまり構われずむしろ引きこもり気味に城で暮らした関係で、他人の心の機微という奴をあんまり知らずに育ってしまったエリーザベト。そんな彼女がとある街で乱暴者に絡まれていた所に通りがかって助けた傭兵のセットは、貴族の所領の森に忍び込んでは密漁を繰り返す集団の出身で、頭脳明晰な美少年アルともどもエリーザベトを支えつつ、街で起こっている貴重な種族の生き残りばかりをさらって売る人身売買の陰謀を暴いてみせたのが前巻「はじめます」。つまりは世間の様を見知って王女って立場についての自覚が生まれたエリーザベトだった訳だけれど、第2作目ではそれぞれに別れて活動し始めたセットとアルが再びエリーザベトの元に参集してひとつの事件に挑む。

 王都から囲われている娼婦とか止むに止まれぬ犯罪を冒した犯罪者を別の場所に逃がすことを生業にしていた「逃がし屋」と、その「逃がし屋」が人の移動に使っていた「運び屋」を捕らえることを傭兵としてセットは依頼され引き受け「運び屋」を捕まえたもののそれが知人。おまけにどうやら国の統治にはいろいろと綻びが出ているようで、たとえそれが悪いことであっても一概に悪いと切って捨てるのがはばかられる状況に至っていた。王太子として国の立場を踏まなければいけないはずのエリーザベトだったけれども一方に、自分にしか出来ないことをやるのが王女でもあると感じて懊悩、しているはずなんだけれどもとにかく融通が利かない上に大食らいでなおかつ武術の腕もなかなかという異色のヒロイン。悩んだ顔とか見せてくれないあたりにヒロインとして心を寄せていいのか躊躇われる。いやそういった鉄面皮が好きな人もいるんだろうけれど。

 判明した「逃がし屋」の正体までもが関わりの深い相手だったことでセットの方は実に懊悩。そして駆け出し己の正義を貫こうと必死になるセットやアルたちの姿を目の当たりにして、言葉足らずで人の心の機微にも疎かったエリーザベトにも何のためにどう振る舞えば良いのかって知識が生まれ、感情が育まれてはセットを運命の女かもしれないと引きつけて止まない笑顔の質を磨いていく。聡明に見えて足下で生まれている綻びに気づかない女王に宰相ってのが改革を目指すエリーザベトやセットたちの敵対勢力になるかというと、単にそこまで気が回らなかっただけって感じで敵対はしないまま改善によって進んでいこうとしていある辺りの展開が妙にほのぼの。それでうまくいけば良いんだけれどもいずれは道を譲らなくてはいけない女王に宰相。果たしてその時までにエリーザベトの王女修行が間に合っているかが注目だけれど、進歩はまだまだごくわずか。一気に進めるにはやっぱり恋って奴が必要なのか。でも恋より食い物へと靡きそうな性格がそうそう容易く改まるとも思えないし。次は「王女修行、おわります」となるか否か。

 一迅社アイリス文庫からも和泉桂さんの「葬月記」をぺらぺら。皇帝の逝去を受けて跡継ぎを誰にするかを皇帝の死霊か何かに聞くべく反魂の力を持った「銀鱗の沙術士」を探して砂漠を越えた武官の真雷と女官の莉莉。一途で真面目で皇帝に忠誠を誓っている真雷に比べると、莉莉は女官な割に妙に快活でざっくばらんなところがあるけれども、そんな取り合わせの2人がどうにか沙術士を見つけだすと彼は不死の呪いがかけられていて、自分を殺してくれたら頼みを聞くと言い出した。呪いを解くには真雷の命が必要らしく迫られる二者択一。でもそこは愚直な真雷だけあって言うことを聞いて命を差し出す約束をして沙術士のサイリを都へと連れて行く。そして起こったひと騒動。なるほどだからそんな感じだったと驚かされつつ納得させられる。あと真雷の隠されている凄さにも。トップに見えて実はサイリが1番下っ端だったかもしれないなあ。続きは出るのかな。

 言い合う2人のどっちが正しくってどっちが間違っているかを決めるのって結構難しい。それぞれに立場があって理由があって目的があって信念があって、それらにのっとり自らを正いと任じて訴える。だからぶつかり合う訳だけれどそのままだったらいつまでたっても平行線で折り合わない。どうするか。裁判で決めるのが人間界のルールって奴で、言い分を聞いて間を引っ張りこのあたりでどうですかってな感じに切り分ける。話し合いで解決すればそれで和解となるし、そういかなければ裁判って制度にのっとり強制的に切り分ける。ともあれそうした感じにとりあえずは治められるんだけれど、人間界ならまだしもこれが妖怪変化の世界となるとどんなルールで裁けば良いのか。鬼太郎にでも頼むのか。それは無理。求められるのは強力無比な闇の力を供にもって衝突寸前でにらみ合う奴らの間に立って、公明正大に裁いて見せる調停人の存在。そんな存在が生まれるまでを描いたのが第4回C・NOVELS大賞で特別賞を受賞した木下祥さんの「マルゴの調停人」(中央公論新社)だ。

 彼女からつまらない夢のない奴って言われて落ち込みながらもとりあえずアルゼンチンに単身赴任している父親に会いにいった高校生の西村賢斗。飛行機の中で有名バイオリニストの息子という少年イサと知り合い、会話が弾んでそしてアルゼンチンで別れてすぐ。息子が来たのに仕事に忙しい父親の目を離れてアルゼンチンの街を散策していた時に、ギャングに絡まれさらわれそうになったイサを見つけた賢斗が助けようとしたらイサがギャングの1人を事故のように見えながらも殺してしまったから大変。いきり立ったギャングはイサの関係者による説明を受けたボスの説得にも応じず、復讐のためにさらったイサと賢斗を殺害しようとした所に現れた謎の生き物たちがギャングを食べてしまったから賢斗は驚いた。

 いったいイサは何者だ? どうやら吸血鬼の血が4分の1入ったクオーターで佐々木という謎めいた男の庇護のもとにあって、そして佐々木は助けた賢斗にあなたは妖怪変化たち、すなわち被造物(クレアトゥーラ)たちの諍いを治める調停者たる能力があると告げて仲間に引っ張り込もうとする。もっとも父親がギャングに襲われ奪われた宝石がクレアトゥーラたちの儀式に使われていたことを見つけ、襲わせたのが佐々木やイサたちだったのではと疑い不審がり、また人を殺すことを厭わないクレアトゥーラやイサや佐々木たちの態度にも疑問を覚えて賢斗は足を踏み出さない。一方で自分はいったい何がしたいのか、何が出来るのかを悩み調停者としての能力を認められたことを喜ぶ心もあったりと、青春にありがちな将来への悩みは自分への不信、そして隠されているかもしれない能力への憧憬が入り交じったストーリーが繰り広げられる。

 そんな果てに調停者として踏み出す覚悟を決めた賢斗。相変わらず人間とは違った規範で動いているイサや佐々木やクレアトゥーラへの疑念は持っているものの、それでもいっしょに歩むことでつかむだろう賢斗の自分への自信って奴が、読む人にも生きる前向きさを与えてくれそー。正義の決して単純ではないことや、合理性では割り切れない人間の心理の複雑さ、それらをぜんぶひっくるめて誰もが納得できる答えを出す難しさと素晴らしさって奴を教えてくれるホラーっていうのかファンタジーっていうのか。アルゼンチンのブエノスアイレスって舞台も珍しくジャンルも変わったストーリーの書き手が今後に紡ぐだろう展開に期待。


【7月25日】 というか「プレイステーション3」ってブルーレイディスクの再生機としてとっても優れているんじゃなかろーかと思った「マクロスF」第1巻のブルーレイディスク版再生時。画質についてはHDMI端子で出力していない関係もあって(接続するとテレビの入力をリモコンでチェンジしなきゃいけないのが面倒)AV出力にしてあるんで差が分からないんだけれども操作性についてはレスポンスが素早くって見ていてとっても快適。○のボタンをおせばピタリととまってそこから方向ボタンでコマ送りしていけるし逆もまた自在。1・5倍の再生モードとかもあって飛ばし見たい時とかに利用できる。メニュー画面への移行もスムース。サクサク動く。

 似たことはもちろん手持ちの東芝製HD/DVDプレーヤーでも出来るんだけれどリモコンの電池が脆弱になっているのか仕様なのか反応が鈍く時々無反応の時もあったりする。DVDを見るのもだから本当は「PS3」の方が良いんだけれど何しろあの高性能。つまりは高出力で電気代もバカにならないうえに熱量も高くって夏場の部屋のクーラーが効かない状況には暖房器具にも等しいんであんまり使いたくはない。ブルーレイは現状再生できるマシンがこれ1台なんで使わざるを得ないんだけれど改めて使うと本当に楽チン。タイトルそのもののブルーレイ化も進んでいるんで使用頻度も増えて来そう。だから東芝がさっさとブルーレイディスク対応のレコーダーを出せば良いんだよ。CEATECあたりまでには出して来てくれないかなあ。

 そんな「マクロスF」の第1巻の出荷枚数をバンダイビジュアルが正式発表。10万枚とは「機動戦士ガンダムSEED」あたりを抜けているのかも。その内訳がまた驚きでDVDの4万5000枚に対してBDが4万5000枚。ちょっぴりまだDVDが多いけれども普及の台数から比べればこの比率はやっぱり驚くに値する。それもこれもBDで見たい画質って奴を追求し、BDで聞きたい音質って奴を追い求めた結果の勝利って奴か。今はまだDVDより少なくっても再生できるハードの普及によってBDが上回って来るんだろー。問題はこの後にBDで見たい画質なアニメがあるかってことか。あったっけ? 「紅」はDVDで買っちゃってるしなあ。「ストライク・ウィッチーズ」はBDだとパンツみたいだけれどパンツじゃない何かがより鮮明に皺までくっきり見えて、それからパンツじゃない何かの下に履いているものがちょっぴりはみ出ているのまで見えるってんならどうするかこうするか。そこまで込み入った作画がしてあったとしたら誉めて差し上げるぞ作った人たち。

 「スポルティーバ」に我らがイビチャ・オシム監督への木村元彦さんによるインタビューが掲載されていて熟読。もっぱらEURO2008における各国のパフォーマンスについてだけれど旋風を巻き起こしたロシアの采配を振るったヒディンク監督についてベテランでも不要なら外す英断って奴が勝利を招き寄せたって話をし、クロアチアの躍進を誉めつつもあそこで負けたことが若い監督にとっては良い方向に働くんじゃないかと諭したりとやっぱりなかなかの慧眼ぶり。フランスとイタリアの凋落については周知の世代交代の不備を言っているくらいだから良いとして、オランダについてはファン・ペルーシの投入といった事例を具体的な敗因としてあげるくらいに試合を入れ込んで見ていたことが伺えた。つまりはしっかり快復してるってことで。

 ポリバレントってことばかりが言われがちだけれどもオシム監督が求めるのはスペシャルな才能の持ち主であっても汗をかき、あらゆる局面に対応できる柔軟性を持てってことでウェイン・ルーニーがあれだけ走ることを引き合いに遠藤保仁選手の天才は認めつつだからこそもうちょっと発したらと周囲に諭す人材の存在を訴える。ヤットを叱咤できる存在……トゥーリオ選手? でもトゥーリオだとまた怒鳴ってやがるとしか思われないからなあ、最近は。でもってロシアのアルシャビン選手の活躍ぶりなんかも見据えつつ、小さいけれども“道をつくれる選手”ってことで上げたのが水野晃樹選手と羽生直剛選手と工藤浩平選手。「全部千葉ばっか」って感じに木村さんにも突っ込まれていたけれど、それだけ認めていたからこその抜擢だったし叱咤だったってことになる。

 羽生選手がいるといないとでFC東京の攻撃が変わるらしいって巷間聞くし、工藤選手は周囲に優れた選手がいればひと味違うとアレックス・ミラー監督も認めて岡田さんに推薦したとか。水野選手はスタメンにはいれずパフォーマンスを落としてしまった上に怪我で出遅れる可能性もあるけれどもここは我慢しオシム監督の言を守って復活に努めて欲しいところ。それさえかなえば3人が揃い踏みして日本代表入り、なんてことも想像しちゃうけれどもそれだと小さ過ぎるよなあ。せめて水野選手には入って欲しいもの。それがあればとりあえずは豪州を破ったU−23の五輪代表だって更に前へのスピードが上がりクロスの精度が高まり勝利をより確実に出来るだろーから。女子は見られなかったけれども安藤梢選手? のクロスが良かった模様。近賀ゆかり選手も男前だし永里優希選手のスピードも相変わらず。本大会でもきっと何かやってくれるだろー。しかしピチピチなナイキのユニフォームは豪州のナイスなバディの代表選手たちをさらに美的に見せてくれてたみたい。生で見たかったなあ。今度来るアルゼンチン代表は確かアディダスなんだよなあ。

 書店で宇野常寛さんの「ゼロ年代の想像力」(早川書房、1800円)を買う。先達への無遠慮で無意味な煽りを引っ込めて、状況論と作品論に絞り論拠を精査し論調を整え歴史を吟味し隙間を隙を埋めて書き記す形状へと改めることによって、この10年を振り返り俯瞰した上で現在を探り未来を伺う上で意味を持った批評に仕上がったって印象。最初っから普通に書いていればああも言われないものをそうしなかったのも煽りかまして目立って客を引きつける「宇野常寛力by東浩紀」を最大限に発揮するための戦略だったってことか。そうしたやり口は好みじゃないけど結果が伴っているからまあ良しと感じておこう。どのくらい刷ったのかな。批評で1万部とかいったら凄いかも。東浩紀さんと桜坂洋さんの「キャラクターズ」(新潮社)を部数で抜いていたらなお愉快だけどさてはて。

 んで杉井光さんの一迅社文庫第2弾となる「さくらファミリア!」はキリスト教物? イスカリオテのユダの生まれ変わりだか末裔だかが暮らす家にはキリストの生まれ変わりだか何かの神の子らしい双子の姉妹が居候してついでにそんな双子が前にいた教会のシスターでついでに大天使ガブエルの転生だかそのまんまのが黒い車で乱入して来てさらに幼女化してしまったサタンまでもが暮らしていたりする大騒動。どうやらユダの生まれ変わりには親譲りの借金が科せられているようで双子の姉妹にもガブリエルにも同様に借金があって本物のユダがキリストを売った代わりにもらった30枚の銀貨を元手に始めた金貸しが貸し元で取り立てに来るという状況の中で同居ラブコメが繰り広げられる異様なシチュエーションながらも読んで愉快なのかキャラの立ち方がしっかりしているからなのか。続きも読もう。

 さらに築地俊彦さんの「けんぷファー8」(MF文庫J)は臓物アニマル大好きな沙倉楓の本性なのか裏性なのかは不明ながらも別人格にして悪辣きわまりない性格が現れまずはナツルを誘い操り生徒会長の三郷雫を誘惑させようとしたもののうまくいかないと思ったら今度はナツルの抹殺に。頭が良くってケンプファーどうしの喧嘩にのらずまとめ対抗しよーとしている雫を邪魔と感じて仲間に引っ張り込もうとする楓の企みは、ケンプファーのバトルロイヤルの果てに何かを現出させようって何処かの勢力の魂胆を代弁しているものなのかそれとも楓自身が世界を統べる存在なのか。少なくともケンプファーではなさそうだけれどしかしそれなら一体? 人格を沈めている時が単に猫を被っているだけなのかそれとも本当に悪辣な性格が沈んでいるのか不明なところもあって今後も同じ学校で出くわすだろう展開の中でどうバトルが繰り広げられるかに興味津々。ナツルもいい加減に楓オンリーから卒業しないと大変なことになりそー。雫で良いじゃん美人だし頭良いしナイスバディだし。


【7月24日】 だからファスナーが付いているのはどういう訳なんだ謎の小動物。引っ張り下げると中からむみょむにょと人間が出てくるマジックショウでも見られたら愉快だけれども、そこまでの展開には至らずバトルの最中にマジックなアイテムを出すくらい。封じられているのか自らを封じているのか。そんな小動物が戦車を狙うと分かって偽の戦車を作り暴れておびき寄せようとするリナたちの企みに乗って、小動物に加えて小動物を正義と認めたアメリアまでもがリナたちに向かって総攻撃。迎え撃って始まる魔法バトルの果てに街は滅茶苦茶。なるほどやっぱりリナ・インバースは最悪の魔導師だった「スレイヤーズR」は1話完結のギャグ展開を進めつつ、今シリーズの設定を小出しにして繋げていく手法がそろそろはまってきた感じ。楽しんでさあまた次が気になる引きを最後まで続けていった果てに現れるのはどんなスペクタクルか。信じているのでずっとショートコントで終わらせるなんてことは止めてね絶対にお願いだから。

 起き出して「東京ビッグサイト」で開かれているシーフードの展示会に行ってマグロでも食べようとしたらマグロのコラーゲンだけを食べてしまう。プルプルしていて寒天とかゼリーって食感だけれど噛むとひろがるマグロ風な海産物の香りがマグロのコラーゲンだってことを示してる。薄切りにしてシーフードサラダにしても寿司のタネにしてもオッケー。そんでもって食べればお肌はプルプルになれるんだったら嬉しいけれども問題は値段か。トロより高いってことはないよなあ。でもって散策していて鯨のステーキ。食べたらなるほど鯨の味だ懐かしい。昔はもっと硬くて噛むのに一苦労だった記憶があるけどそこん家は柔らかかった。良い部署なのかビールを飲ませて肉を柔らかくしているのか。そんなことはない。焼きサーモンとかも試食。美味。土用なんで鰻を探したけれども会場が広くて見つけられず。焼いたら匂いが籠もるから遠慮した?

 んでもって蒲鉾組合のコーナーで天下のモンドセレクションを世界で初めて受賞した蒲鉾っていうか薩摩揚げっぽい練り物を発見。年輩の人には「バターココナッツ」だに燦然と輝くメダルでモンドセレクションっちゃあお菓子だか食品の王様を選ぶ賞だって認知があったけれどもちょい下がるとそういう意識ってあまりなかったものが昨今、サントリーがプレミアムモルツが最高金賞を受賞したことをテレビCMで散々に流し、もとよりの権威をやっぱり権威と印象づけることによって自らの権威を引っ張り上げる意図でもって、モンドセレクションっちゃあお菓子のアカデミー賞くらいに権威もあるものだってことを世に印象づけてくれたお陰で、これから受賞する他の食品にとっても良い目標になったみたい。ただあんまり欧州には練り物を食べる習慣がなく通関から審査に至るプロセスで製造元も相当な苦労があった模様。それでも狙い受賞したかまいちの頑張りに拍手。

つんつんしたいのは君の方だよコンパニョン!  でもって向かいで開催中の「ワイヤレスジャパン2008」に入って何はともあれ真っ直ぐに芸者東京エンターテインメントのブースへと駆けつけ「電脳フィギュア ARis」のデモンストレーションを見続ける。ひたすらにしっかりと見続ける。欲しくなる。すでに巷間に広まっているようにウェブカメラでキューブを映すとモニター内にはそのキューブの上に美少女メイドさんがCGでもって描かれ現れては、立ったり歩き回ったりするっていう「オーグメンテッドリアリティ(拡張現実、AR)」を使ったデスクトップアクセサリー。バーチャルなキャラクターをパソコン内で成長させるだけのものなら昔懐かしい「偽春菜」から幾つも存在しているけれど、ここん家はウェブカメラでとらえているキューブの周囲に専用の棒を差し出しモニター内に現れているメイドさんを突っつく動作をするとメイドさんが反応を返すってところ。マウスでカーソルを会わせてつつけば反応するってことでも興奮だったのが、そこには見えないけれどもいるかもしれないキャラを”実際”につっつけるって所に、更なる興奮の源が潜んでる。

 たとえ物理的な感触はなくっても、そこは魔法世界の住人だからなくて当然。だけれどもマジックアイテム(ただの棒、というかはウェブカメラを介してパソコンで映すと棒の先のコードを元に指先が生成されるアイテム)を使えば触れられるってところの神秘性&ファンタジー性を楽しめるってところに、単にメイドさんが刺激を受けて脱いだり唄ったりする以上の官能の要素が潜んでいそう。ヘッドマウンテッドディスプレーでモニターの画面を全部自分の視界にしてしまえば、見えるものはすべて現実、つまりは電脳フィギュアも現実となる訳で、そーした世界が行き着いた果てが「電脳コイル」のようなビジョン。社長の人もそーした世界への1歩として作ってみたってことを離しているよーだし、単にお遊びだとは思わずここからいろいろと応用をコンテンツ的にもハード環境的にも突きつめていくことが必要そー。でもやっぱり世間じゃキワモノ扱いだよなあ。ネット媒体の祭りとは対称的に紙の新聞じゃあほぼ無視だもんなあ。

 何か「カウボーイ・ビバップ」の実写版をFOXが製作するって話が出てきて大丈夫かと思いつつどうせまた企画倒れに終わるんだろうと考えつつそれでも「スピードレーサー」のように完成するのもあったしと思い直しつつ配役あたりに及ぶ感心。キアヌ・リーブスをスパイクにって声もあがっているけど細身な割にはどこか野卑たキャラクターをキアヌが演じられるかどうなのか。かといってジュード・ロウでは飄々とした感じが出るかが未定でそれが得意なジョニー・デップでは性格が歪みすぎて違うものになってしまいそう。って見るとキアヌが1番普通っぽい。相棒のジェットはキアヌと「マトリックス」で共演したモーファイス役のローレンス・フィッシュバーンか。でもってフェイ・バレンタインは東洋風を入れてヴィッキー・チャオあたりってことで。エドが1番難しい。子役なのかオトコノコにしてしまうのかあれやこれやと悩みそう。「チャーリートチョコレート工場」の子役のジュリア・ウィンターはどうだろう、って見てないから実は知らない。どうなのよ。アインは……どれでも良いか。

 初ブルーレイ、ではないけれども新発売のテレビシリーズでは初めて買った「マクロスF」のブルーレイの第1巻は4月の放送版に加えて昨年末に放送された特別番組の映像とそれにさらに2つをミックスさせた最長バージョン「ヤックデカルチャー」エディションも収録されている大盤振る舞い。って根は同じ「マクロスF」に違いはないんだけれどもあれやこれやと継ぎ足された映像がテレビ放送では見えなくかったキャラクターの関係性とか展開なんかを埋め合わせ、それでいてテンポが崩れるような無理もなしにしっかりと第1話って奴を創り上げてくれている。良かったのはアルトが飛ばした紙飛行機をEXギアを着たままで丁寧に折っている場面があることか。あの力の入れ具合の難しそうな外骨格。シェリルだってタマゴをつまむのに苦労していたあれでさらさらと紙飛行機を折る場面でアルトの優れた腕前って奴を見せている。なおかつ折られているのがシェリルのコンサートのポスター。嫌ってたんだなあ最初は。というかまるで縁の無かった存在だったシェリルが今や惚れられて惚れない不思議な関係に。こんな運命に出会ってみたいぞ無理だなやっぱり。


【7月23日】 とか言いつつ毎週録画直後に見ている「一騎当千」第3期。やっぱり霞がかかるのは致し方ないとしても裸ブレザーな呂布の大復活とゆー一大イベントがストーリー上にあるんで次がいったいどうなるかって興味に惹かれて見ていける。死んだのが蘇るなんてスーパーにナチュラルなスプラッタがあって不思議じゃないくらいに異能のバトルが繰り広げられる物語なんだけれども新キャラの孫健が子曰わくだか何だか前置きして生きている内が華なのよ、死んだらはいそれまでよってなことを喋っていたからリアルに生きている人間で、呂布とは他人のそら似か何かって所に落ち着くのかそれともやっぱり復活組なのか。下に霞がかかる中で先っぽを見せないまま谷間くらいはのぞかせてくれる作品から裸ブレザーが消えるのは流石に惜しいのでこのままの登場を是非に願う。

 でもって早朝から電車に乗って伊勢丹まで出向いてアマゾンが400万ドルとバイオニックジェミニーよりはややお安い値段で落札した「吟遊詩人ビードルの物語」が展示されるってイベントを見物に行く。ちょうど今日が最終巻「ハリー・ポッターと死の秘宝」の発売日ってことで、途中の書店のことごとくが早売り状態。紀伊国屋書店新宿本店なんて地下のエスカレーター脇まで出張って地下鉄丸の内線の改札口付近から出てきたり入っていったりする流れに向かってアピールタイム。なるほどそこの途中に本屋はないから地上まで行くのが面倒な人には便利かも。いっそだったら駅の中の「KIOSK」で売ればって想ってもあの分厚さあの値段のものを売ると大変だからそれはさすがにって感じ。手渡されても荷物だし。

 でもここまでして売る本もこれが最後ってことになると想うとイベント好きには寂しい話だし、書店業界にとってはリアルに厳しい話。いくら話題の直木賞受賞作が出たからって受賞直後に特設ブースを設置して全国の書店がせーのって感じに売る現象は起こらない。300万部のベストセラーが出たとしてもそれが初日に200万部を売ってのベストセラーとなることも絶対にない。ゲーム業界では割に普通にある発売日行列、発売日イベントが書籍の分野で「ハリポタ」以外に起こらないのはつまり本が長く売ってもらえる文化的事物として認知されている現れであって、イベント的に一気に売って一過性のブームになってそれで終わりなゲーム業界的体質に染まらずに済んでいるんだと健全性を喜ぶげきなのかもしれないけれども、一方で「ドラクエ」があり「FF」があり最近じゃあ「モンハン」があってとミリオン連発なゲーム業界の勢いの反比例に書籍の業界が陥っているんじゃないかとも言える。

 そりゃあ「ハリポタ」ほどの規模で展開できる商材はそうそう簡単には現れない。「ハリポタ」以前にだって無かった訳でそれを来年再来年から作り出せって言われても無理な話。だた「ハリポタ」ほどの規模は無理でもポイントとしてイベント色を出せるようなシリーズなり、ベストセラーって奴を作り出せてこそ書店も活性化するし何より「ハリポタ」の狭間だと如実に落ちる書籍の売上を維持・上昇させるためにも必要なこと。そこにうまく入り込めたシリーズ成り書籍が次代の市場を支えそして富ももたらすのだ。何があるかなあ。「ダレンシャン」でも「ライラ」でも崩せず届かなかった「ハリポタ」の牙城に次に納まる本。「スレイヤーズ」とか? 「グイン」とか?

 「吟遊詩人ビードルの物語」の観覧は日本に来た時に続いて2度目なんで珍しくはないけれどもテレビ的にはそれをどう驚きの感じを込めて見せるのかってあたりが重要なみたいで、当初の予定にはなかった「ビードル」展示コーナーの除幕式典前15分を独占したフジテレビによる生中継では、スタート前に現場のディレクターがどうカメラを振って何を聞くのかってのを試行錯誤している様が間近に見られて、朝早くから読んで置いて最初は1社独占のお守りかよって感情を抑えてくれた。向こうにとっては当方なんざあ眼のはるか彼方24億8000万光年にあってなおかつサイズはナノレベルって存在感でしかないんだけれどもそこは同じ目ん玉組。静かに見ておくのが最下層にいる身としての礼儀だ敬う気持ちって奴だ奴隷根性って奴だ。いやそう言ってられるのすら今のうちか。読売=日テレなんかが急ぐメディアコングロマリット化の時流に逆らい目ん玉から出たがってるって見る見方も外野では取りざたされているし。どうなるのかねえ。どうにもらなないかなってもどうにもなっていないよりなおどうにかなり過ぎって可能性が強いんだけど。意味わかんね。

 それにしても除幕式がこの後にあるって言ってるその横で幕を外されたガラスケースを眺める事もたちがいる状況にテレビ局にいるコメンテーターか誰かからしっかりとツッコミがはいたのには笑った。そりゃそうだ。ケーキカットする前のケーキが小分けされて配られ食べられているようなもんだし、ってこりゃあんまり適切な例えじゃないか。トンネルの開通を促す最後の爆破の前の中継ですでに開いた大穴の向こうから誰かが手を振っているようなもの、ってんなら近いか。バージンクライシスのビデオの前説ですでに出たり戻ったりなオタノシミの場面が流れているようなもの、ってのは何というかどうというか。警告。すいませんごめんなさい謹慎します。

 ともあれイベントはつつがなく終わり松岡佑子さんはこれにてとりあえずのお役ご免。まあ軽装版とかの発売とかで手も入れるだろうし改訂版とか出す可能性だってない訳じゃないけど、本筋の仕事は約10年でもって最終巻の刊行ど同時に完結と相成った。ご苦労様です。そりゃあいろいろ毀誉褒貶あるけど最初に目を付け依頼し日本じゃ誰も知らない時に出して売ったバイタリティは本物。その本物さがあったからこその今があるんだと認めるならば、後からあれこれ茶化すよりもだったら他に何か出来ることはないのかって探し実行する方が世界のためにより有意義。それが出来ればスイスに住んで毎日をお気楽極楽に過ごせるんだと想うと自分でも何かしたくなるけどでもやっぱり無理だ、だって英語読めないもん。将来有望な日本人作家の女衒でも出来ないかなあ。

 そう考えつついろいろと読む夏。一迅社文庫アイリスから出た表紙の可愛げな志麻友紀さんって人の「パステルと空飛ぶキャンディ」は母親が亡くなり修道院に預けられてたパステルって少女が誰かなぞの男性から支援を受ける身となって街の学校に通い始めるって一種の足長おじさんストーリー。修道院で育ってお菓子作りが上手な上に屈託がまるでなく屈折した気持ちがいっさいなく、家柄を鼻にかけたがる少女が現れて孤児院暗しの親不知とか何とか言ってもそれは知ってるけどだから何って感じに憤りも哀しみもせずに受け流す態度が実に爽やか。他人の悩みに引っ張り込まれて悩まされることの面倒くささを味わうことがないって部分にまず惹かれた。

 でもって同室となったエリザベスって美少女のパステルへの耽溺ぶりも可愛らしくっていじらしくって心がキュン。でもって舞踏会の夜にエリザベスによく似た王子様が現れパステルをダンスに誘った後に起こる騒動の過程でようやく空飛ぶ魔法が使われなおかつパステルだか王子様だかを取り巻く謎めいた設定も浮かび上がって物語を大きく動かしそう。そこでピタリと終わって後は次巻ってのが小憎らしいけどそれ故に読んでみなきゃって強く思わされる。屈託のなさが崩れて悩むパステルが見られるのか、その明るさがあらゆるしがらみを解きほぐし壁を打ち壊して世界を変えるのか、いろいろと想像できる展開の向こうに待つ足長おじさんの正体なんかも含めてこれからの展開を心待ちに待とう。それにしてもプリンスって誰なんだ。やっぱりさらしで抑えている口か。


【7月22日】 白黒要素だか何か録画をし忘れたような気がするけれどもまあいっか。んで「ワールド・デストラクション」は相変わらず良く動く割にお話は未だ深みへといたらず、設定の上っ面を撫でている感じで取り付けない。世界に獣人が溢れていて人間が虐げられている理由だとか、そんな人間にあってひとり主人公のモルテだけが「世界撲滅委員会」を名乗って闊歩している一方で、それを敵とつけ狙う「世界救済委員会」が存在する理由だとか気にすれば気になることがいっぱいあるけど、気にするから気になるんであって気にしなければ気にならないって菊島雄佳社長の有り難いお告げもあるんでここは気にせず見続ける。オープニングだと現実世界と裏表っぽい雰囲気も見え隠れするけど果たしてバーチャル世界の闘争へと帰結するのかそれとも。クマクマと頑張る古谷徹さんの偉大さに拍手。口癖になって「アムロいクマーす」とか言い出したらそりゃあギャグだ。いやギャグ以下だ。

 眠いけど起き出して秋葉原へと向かい「AKIHABARAゲーマーズ本店」の増床リニューアルを見物。初春にはまだ欠片も見えなかった建物があれよあれよという間に立ち上がっては半年くらいでビルになり、そして宝田無線のオフィスも取り込む形で現在の本店ビルとくっつきひとつに見えるよーになって完工。中に入るとゲーム系の方は割にこぢんまりとしたフロアが3階まで続いてその上に宝田無線の頭を越えて前からあるビルと床を繋げたコミックフロアが登場。そりゃあ向かいの「K−BOOKS」にはかなわないかもしれないけれども駅前では相当規模の書籍売り場になっているから、わざわざ「アニメイト」まで歩くのが面倒な時にはこっちで買うのも悪くはなさそう。ってかそもそも「アニメイト」のメンバーズカードなんて持ってないんだけど。ライトノベル系の文庫がどれだけ入っているかは確認してなかったけどコミックフロアに置いてあったっけ?

 そして5階は乙女な人たちに向けたゲームやらが並ぶフロアで入ると美形なイケメンの美男子がわんさといたりしてもやーんな気分。でもってひとつ上のフィギュア関係のフロアには「figma」が割に並んでいたりして「涼宮ハルヒ」系を揃えるのには便利そう。並んで「ハレ晴れユカイ」を踊っているディスプレーもなかなか。他のフィギュア関係のディスプレーも目に青葉。その上のプラモデル部屋には「コードギアス 反逆のルルーシュ」関係のナイトメアも揃っていて購入に便利そう。でも買っても作る時間もなければ作る場所もないし飾っておく場所なんて当然ないのがプラモデルの辛いところ。「機動戦士ガンダム」のMGの「RX78−2」のバージョン2.0はどうしよう? 買うけど作らない可能性が大。「新世紀エヴァンゲリオン初号機パーフェクトグレード」と同じ運命か。

 んでもって8階でグランドオープンのイベントを見物。「ルーンエンジェル隊」の揃い踏み、とは最近あんまりいかないのがなかなかになかなかな所でアプリコットにナノナノにアニスにリリィがいたけどテキーラさんはおらずカルーアさんも見えないところが何というかやっぱりなかなか。まあちょっと前に「EXILE」のアニメ「エグザムライ」の完成披露試写会でお顔は拝見できたから個人的には良いんだけれども全員が揃ってこその団結、ってイメージもある集団から1人だけ別に忙しいんだろうけど姿が見えないってのはちょっと寂しいものがある。真ん中じゃないってこともあるけどそれなら「らき☆すた」はどうなんだ。いやあれはもはやかがみとつかさがメインの作品か。個人的にはみゆきさんさえ居ればオッケーな訳だし。これで「涼宮ハルヒ」が再起動した時に果たして勢揃いはあるんだろうか。後藤邑子さん茅原実里さんがいればオッケー? それはそれで寂しいなあ。

 ってことで1階で新譜の「RIOT GIRL」を買ってポスターももらったけれども貼る場所なんてないしなあ。らさにご近所で「EXILE」の新譜で「エグザムライ」のDVDも入っている「EXILE ENTERTAINMENT BEST」とやらも購入。ほとんど聞いたこともなければ聞き込んで熱烈なファンになろうって気持ちもそんなにはないけど改めて収録されているDVDを見た後で音楽も聞いて格好良かったらちょっと考えよう。前に出た「CHATY」なベストも買って聞いて踊るか「Choo Choo TRAIN」。でもあれは人数そろえて1列に並んでタイミングをずらしながらぐるぐると回らないと気分が出ないんだよなあ、ってそれは「ZOO」バージョンだ。「EXILE」ってどんな踊りを見せてたんだっけ。

 痛いし苦しいし辛いし嘆かわしい。今時の高校生(たぶん中学生も)ってこんなに必死に苦労して居場所って奴を得ようとしているのかと思うとどうにも不気味でそしてやりきれない。無視されているだけだったら最長で3年を過ぎればさっさと別の場所へと移っていけるし、それでも嫌ならドロップアウトしたって構わない。というより以前にそんな状況に陥りそうなコミュニケーションに難を抱えた人にはどこかから救いの手だって伸びるものだったはずなのに、最近は1度決まってしまった序列は変わらない上に、無視されるならまだしもその序列でもって上から下へと肉体的精神的なプレッシャーが加えられ、のっぴきならない状態へと陥ってしまうものらしい。地獄と呼んで跳び出し飛び降りてはこの地上からドロップアウトする人の結構な数いたりするのも当然か。

 だから田中ロミオさんの「AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜」(ガガガ文庫)にまず提示される高校生活の曰わく言い難い難しさって奴に、あっけらかんとした青春とやらが繰り広げられていたりする非日常のカタマリのような小説なりライトノベルなり漫画なりに惹かれ耽溺する人の多さって奴も伺える。同時にそんな非現実を非現実として見極めて、この如何ともしがたい現実をパワーでもって打ち破っていく方法って奴もあるかもしれないんだってことを教えられる。主人公の佐藤一郎は中学時代の過去を卒業と同時に埋めてごくごく普通の高校生として進学しては大過なくデビューを飾ってまず安心。このまま普通の自分を貫き過去を知られずにいけば真っ当に3年間を送れるだろうと考えていたけれども、教科書を忘れて取りに侵入した真夜中の学校でマントを着けて手に杖を持った少女を見かけたことから立場は一変。自らを魔女として振る舞い謎のアイテムを探して歩くことを生業と訴え、学校にもそんな魔女の格好で出て来ては佐藤一郎とだけ喋る不思議な少女につきまとわれ、佐藤一郎も佐藤良子というらしい少女と供にクラスで浮いた存在となってしまう。

 いや違う。佐藤一郎のクラスには同様に自分を戦士と思い込み武士だと信じ込んではそう喋り振る舞う奴らが何と15人も集められていた。だから最大勢力な筈でそのリーダーともなれば佐藤一郎、クラスのトップに立って一般人を下に見下ろす日々が始められたかというとそうはならず、自分を戦士と妄想する人たちにとって一般人はコミュニケーションの相手として埒外にあるらしくって攻め立てられれば反論も出来ないまま口をつぐんで引っ込むだけ。だからクラスは美男美女のエリート集団を筆頭に普通の人たちが仕切る感じとなっていて、佐藤一郎は魔女だと言い張る佐藤良子とともに不思議の筆頭、というか下の下と見なされ虐げられる羽目となる。

 そんな佐藤良子。はじめはクラスから薄気味悪がられていただけだったのがやがて激しい攻撃が及ぶようになっていく。でも佐藤良子は普通に振る舞おうとはしないでひたすらに魔女のマントを被り続けて佐藤一郎を頼りし続ける。なぜなら同族だから。たぶんそれが理由だったんだろうけれども同時に命取りにもなった模様で、佐藤一郎の過去を暴くと脅して手を引かせ、佐藤良子を孤立させようとする動きの果てに絶体絶命の事態へと至る。どうすれば良い? どうしようもない! そうなのか。それで良いのか。本当にそれで心が落ち着くのか。

 究極に近い選択の果てにこれは違うと立ち上がって身を繕い、進みはじめた佐藤一郎の格好良さにまず惚れる。傍目にはやっぱりキモいと思われるのかもしれないけれども心に感じた相手を救い出すのになりふりなんて構っちゃいられない。たとえ今は痛いと思っていた過去の自分であっても、それは自分自身以外の何者でもない。隠したっていつかはばれるし露わになる。そんな自分をさらけ出すことでつっかえていた気持ちも晴れ、苦しさも消えて気持ちが前へと向き始める。自分を偽ってはいけない。自分をさらけ出してそれで認められてこその人生。そう信じて立ち振る舞って失敗する可能性だってない訳じゃないだけに、だからみんなも自分をさらけ出そうとは言いづらいけど物語に示された突き破り突き進む格好良さに感化され、足を引っ張り踏みつぶす格好悪さに目を覚ます人の大勢増えればきっと世界も変わるはず。その最初の石となって波紋を広げる礎になって欲しい1冊。偽る痛さに苦しむ者に田中ロミオの福音を。

 なんか北乃“キットカット”きいさんが登場してそれから「ちーちゃんは悠久の向こう」の林遣都さんもヤワい男の役で出演する「ラブファイト」って映画の案内が届いたんで眺めていたら原作がまきの・えりさんって人の「聖母少女」(ケイエスエス出版、上下各1300円)だったんで意外さに仰天。だって10年も前の本だよこれ。でもってその後に文庫化もされないまま作家の人は作家としては休業状態になっているみたいなのに一体どーゆー流れでこの本が映画化されようってことになったのか、状況を聞いてみたくなったけれどもまあきっとその鮮やかな表紙絵に目を引かれた人が買って愛読していつか映画化を、って思って10年の雌伏を経てようやくって所なんだと自在に想像。それだけ想われての映画化ならきっと本編に負けない楽しさって奴を見せてくれることだと信じよう。北乃きぃさんのボクサー姿も楽しみ。遣都くんのボクサー姿は……やっぱり貧弱? それとも鍛えられている?


【7月21日】 血を吐き苦しむところを関英さんに介抱される宵風に向かって壬晴が「このエロいぬーっ!」と手にした杖を振り回しながら電撃を浴びせかけるその裏で、才人に向かってルイズがぼそぼそと喋っている奇怪きわまりない時間が2週間連続で現出してしまう千葉テレビの不思議空間へとようこそ。さすがに関英役の三石琴乃さんとアニエス役の根谷美智子さんの混交は起こらないけど。それにしても釘宮理恵さん、売れっ子とはいえ同じ声優さんが共に主役のアニメーションが同時刻に流れてしまうのって事務所的大丈夫なんだろうか。んまあそこは俳優と違って変化の効く身。広がる演技の幅の素晴らしさを讃えられても世の中の都合でもって裏表にガチ合わされただけのくぎみーに言葉が及ぶ類の話でもないんだろー。だいたいW録してるし。けどでもやっぱり不思議な時空。「隠の王」がテレビ東京だから「ハヤテのごとく」は無理でもTBSで「ひだまりスケッチ×365」なら重ねられてなおいっそうの混乱を起こせそう。来週も千葉テレビの日曜深夜はやっぱり混交か。録画時間に注意、と。

 んで「薬師寺涼子の怪奇事件簿」は「ドラよけ」から「ドラよせ」へとご出世あそばされた涼子さんの泉田くんへの一途な思いが水面下でジグジグと爆裂。それがどこまでリアルなものなのかそれとも単なる悪戯心の一環なのかはテレビ版の3話だけじゃあ伺えないけど、威張っているようでしっかりと仕草や態度に気持ちを滲ませるいじらしさ。それそこだ一気に押し倒せって叫びたくなってもそこは可憐でいたい乙女心のなせる技、相手にどう言わせるかに腐心していた間に警報が鳴って警備員がおしかけ事態を冷めさせてしまう。ちょっと可愛そうかも涼子さん。しかしデジタルカメラすら粉砕してしまう妖気を引き寄せてしまうくらいに妖しい体質だったとは。そんな涼子の周囲にいながら大病もせず大過なく日々を過ごせてしまえる泉田こそが実はこのシリーズで最強の存在かも。「ドラまた」を側に置いてずっと生きてるガウリィとどっちが強いかな。ガウリィはバカなだけで泉田は鈍感なだけなんだけれどもそれであれだけ惚れられるならなりたいものだねバカで鈍感な男って奴に。

 目覚めるとやや涼しげだったんで読書でもしようと家を出る。家ん中は流石に暑いから家を出て地下鉄とかあちらこちらで読むことにしる。冷房が壊れているからなんかじゃないぞ冷房を使わないように気をつけているだけだぞと言い訳。これがクールビズって奴だチームマイナス6%だ。どこがチームだ。そもそもがこの3日間をずっとひとりで過ごした厄年越え。喋った言葉と言えば「TOHOシネマズ市川コルトンプラザ」での「ポニョ1枚」と最近割に好いている頃合いを見て良く行く船橋のラーメン屋「無限大」でつけ面を頼んだ時に出汁をきかれて「かつおで」って答えた時と、それから目黒で入ったウェンディーズで「ダブルチーズバーガー1つとアイスコーヒー」と言った時くらい。それで過ごせてしまうんだからもしもリタイアなんぞした日には1カ月に喋った時間は延べ10分とかって事態に陥りそう。雀40にして囀り忘れる。ちょっと拙いなあ。

 たどりついた竹橋は「東京国立近代美術館」でカルロ・ザウリって人の展覧会を見学。まるで知らなかった陶芸家の人だけれども、作られるものは壷とか皿といった器ってよりは形態に特徴的な彫刻って感じ。得たいフォルムを作り出すために選んだ素材が土でありそれを焼く窯だったってだけで、根は金属を叩いたり大理石を刻んだり木を削ったりするアートとしての彫刻と変わりない。日本だとこういう人ってまずは工芸家として世に出て「東京国立近代美術館」でも西にある「工芸館」でもって展示され知られるケースが多くって、彫刻家だとか芸術家ってところから知られ世に出るってことはあんまりない。美大があり指導教官がいて展覧会があり画壇があってその枠組みをこそが真実といったシステムが今なお根強く残っている中で、工芸造型をアウトサイダーではなく同じアートとして認め得るか否か、ってところがちょい気になる昨今。バウハウスはアートになっているってのに。

 昔はそれでもシンプルな壷とか皿をかを作っていたカルロ・ザウリだったから、根はやっぱり陶芸の人なのかも。それが時代を経て陶器っていうかこの場合は陶器から磁器にちょい近づいたストーンウェアってジャンルでもって球体を作ったり、どろっと流れうねるフォルムをもったオブジェを作ったりと自在化していったのは道具としての器から土の自在性を焼結によって固着させる、柔と剛とが裏表になった表現に惹かれいろいろと試してみたくなったからなんだろー。木で掘っても石に刻んでもこれだけの自在性はたぶん出せないしましてやCGでモニターの中に作ろうとしたらいったいどれだけの計算が必要か。ハンドグローブで架空の物体をさわれるようなインターフェースを作ったところで、ちょっとしが歪みや引っかかり、そして焼く過程で生まれる伸縮がもたらす形態はきっと生み出せない。そこが人智でもって統べるべき芸術の範疇からかけ離れているってことでアートからオミットされるのか、あらゆる変化も受け入れて生まれたものをこそ神意と認めてアートであると受け入れるのか。悩ましいけど悩まずに見て感じる何かがあればそれがアートな気持ちって奴だとここは考え置くことにしよー。

 常設展の展示室にある休憩コーナーで皇居を眺めつつしばらく読書してから「東京都現代美術館」を出て竹橋方面へと下るとパレスサイドビルの前で日章旗が踊ってた。皇居も側なだけあって日章旗が踊って不思議はない場所だけれどもそれだけにどっちを向いて振っていたのかってことが気になった。内堀通りに添って立つビルの皇居方面に斜めに切られた玄関口からT字路を越えお堀端に沿ってまっすぐ千鳥が淵公園へと伸ばした線は途中で北の丸公園をかすめて吹上御所を通過する。皇居もすぐそば。かくもデリケートな場所にて行動する以上は背中に皇居を仰ぐ形で玄関口を向き日の丸を掲げるなんてことはあり得ない。眼を皇居へと向け尻はビルへと突き出しこの国を脅かす者への叛意を示し、国を支える存在への敬意を示そうとしていたんだと思うけれども本当はどうだったのかは未確認。次に見かけたら要確認。

 共立女子とかあるブロックを抜けても休日なんで麗しさには見(まみ)えられず。神保町まで出て地下鉄で目黒へと抜けて久方ぶりに「東京都庭園美術館」へと向かい19日から始まっていた舟越桂さんの展覧会を見る。旧朝香宮邸宅ってアール・デコの邸宅と庭を公園にした場所を使って繰り広げられる展覧会は、想像していたとおりに旧来のモダンさが漂う空間に舟越さんの素材こそ木ってとっても親近感のあるものが使われていながらも、刻み上げられたそれらは両性具有の姿態と異常に伸びた首をもった人形たち。巧妙にあてられた光りに浮かび上がって日常さとはすでに縁遠い宮様のお屋敷の空間を、さらに異質なものへと変えている。とはいえぶつかりあっている感じはなし。西村画廊とかいった単なる四角い部屋に置かれただけの彫刻では感じられなかった生命感、存在感て奴がそれぞれの彫刻に与えられて、より見る者へと迫って来る感じが浮かび上がる。

 ずいぶんと懐かしい禿頭で眼鏡をかけたおっさんの半身が置かれた書庫みたいな場所は、そこにその人物がずっと居続けて声をかければ返事をしそうな雰囲気。女性の裸体の半身像「言葉をつかむ手」なんかはバスルームに置かれてあって、入り口から眺めるようになっていて、裸の女性がいたって不思議のない場所でありながらも裸の女性なんって見られるはずもない場所にそんな女性が自分をさらしている姿を、やや遠巻きに見つめるこちらの内心にムクムクと劣情というか不思議な情動が持ち上がってきて、彫刻から目を離せなくなる。配っていたリーフレットを見るといろいろと置き場所を考えたみたいだけれどもバスルームで大正解。置いてみて空間に浮かび上がったその空気に舟越さんもきっと快哉を叫んだんじゃなかろーか。かつてヴェネチアに出展した時に、台座と半身像の間に長い板を挟み込んで空間に存在感を確立させた時のよーな。

 80年代後半のまだ普通に人物の上半身を作っていた時代のものから、肩に屋根とか生え始めた時代のものもあってそして前に腕が振り子のように来て今のスフィンクスへと至る作品をざっと眺められる展覧会は、この間に舟越さんに訪れた創作に対するスタンスの変遷なんかも確認できて興味深い。なるほどただ単に似姿としての半身像を作り続けるのって、クリエーターとして退屈だろうけれども一種の完成した姿としてファンは確実に獲得できる。父親の舟越保武さんはそれでずっとやって来た。病気で半身を冒されても不自由な手でこねあげようとしたのはやっぱり完璧さを持つ人物のフォルム。でも息子の桂さんの方は敢えて完璧さを持つフォルムを崩して試行錯誤を重ねていった。バランスを微妙にくずして肩をいからせ、髪をとがらせ体をドーム上にして前に手をつけた。異形。だけれどもその不完全なバランスが逆に心を引きつけ離さない。

 刻み込んで作り出す完璧を越えてそこに足し加えて引き延ばして創り上げるアンバランスの美。その現時点での到達点がペニスをぶらさげならが垂れ下がるバストを持って硬い尻を突き出すスフィンクスなのだとしたら、さらにこの先にもっと違った新しい形って奴を見せてくれることになるんだろー。肩に屋根が突き出た時は実験程度に思っていたのが胸に腕がついて仰天した時の驚きを、今度はどんな挑戦によって見せてくれるんだろー? これからも舟越桂からは目が離せない。見知った20年近く前だったらドローイングだって買えたんだけと今はドローイングも高いんだよなあ。やっぱり気にいった時にアートって抑えておくべきなんだよなあ。北川宏人さんが欲しいなあ。でもやっぱり既に高いんだよなあ。

 「飛び出す絵本ライトノベル」ってのがいよいよもって登場とは。ゆうきりんさん「司書とハサミと短い鉛筆」(電撃文庫)は家に父親が集めた本がいっぱいあるのになぜか読書が大嫌いっていう少年が、図書館に迷い込んでしまった時に1冊の本を手にして出会う不思議を描いた物語。開くと中から美少女がすっぽんぽんで飛び出してきては世界に本からの影響が及んでいろいろと事件が起こっているって告げる。飛び出してきた少女に服を着せるには飛び出す絵本の細工を自分で着くって服とかを着せ食べ物なんかの仕掛けもつくって折り込んであげなくっちゃいけないとか。先だって三村美衣さんのコレクションで海外の飛び出す絵本を見せてもらった時に開くと糸が引っ張られてその回転する勢いで取り付けられた円盤なんかがくるくると回る仕掛けを見たばかりだけれどもそんな仕掛けを入れ込むことで武器とか道具とかも作れるとか。でもって未だ知ろうとの主人公がネットなんかも参考にしつつ工作に励んで自分の所の少女を強くしていく成長ぶりがひとつの妙味。あと仕掛けによって敵と戦う所とかも。実物を知らないと理解のちょっと及ばないところもあるだけに電撃さんには次巻にそんな仕掛けの1つでも折り込んでいただければ重畳。だけど高くなる厚くなる。大変だあ。


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