縮刷版2008年月中旬号


【7月20日】 潔さに喝采。一部「乳」が「乳」そのものになっていた場面とかあったけれども多くにおいてモロなる露出を堅持しては見る者の目を潤わせてくれた「セキレイ」を夏の夜の輝かしい夢と讃えたい。これに比べると「一騎当千」は……。同じUFHでの放送ながらも間にどんな判断の違いがあるんだろう。ストーリーはまあ順調に単行本のエピソードを消化中。電撃姉妹のマスターも現れ弁当を横から食いつつ時に真っ当な所も見せては草野ことくーちゃんの救出に一役買う。そして増えた皆人のセキレイは次週にも増えてハーレムアニメの様相を呈した先に待つバトルロイヤル展開まで果たしてアニメーション版は進むのか。適当なところでケリをつけようにもグッドな場面であんまり思い浮かばないんだよなあ。何回の予定なんだろう。1クールで2期3期と続くのか。

 3期目といえば制作が決まった「BLACK LAGOON」の原画展が開かれてるってんではるばる早起きをして池袋の「アニメイト」に行くと客があんまりいなかった。ビッチと役立たずどもがくんずほぐれつする淫靡な作品なだけに午前中から徘徊するファンもあんまりいないってことか。会場では写植の貼られた原稿がまんま展示してあって目にも鮮やかに引かれた線に感嘆。あとカラーのイラストも何点かあって下着姿になったエダとかまくれあがった裾とか気にせず後ろ姿を見せるシェンホアとかに惚れ。シェンホアもあれでしっかりとひも状ながらも履いているのだなあ。横で体育座りするソーヤーは相変わらずのゴスっぷり。ここにロットンも加われば3バカも完成だけれどロットンといっしょにされるとシェンホアはもとよりソーヤーだって迷惑か。ちゃんと仕事はしてるし。ロットンって謎。やっぱり謎。

 カットジーンズ姿のレヴィも後ろからのカットがカラーで上がってて丸いお尻が目にもくっきり。肉付きが良いのか中身はそれとも筋肉なのか。今のバラライカとアフガニスタンで大尉をやってたソーフィアとそしてまだ幼い頃の金髪少女のバラライカ=ソーフィアが同じレイアウトに入ったイラストも飾ってあってその変遷ぶりが楽しめる。女って変われば変わるものなのだ。っていうかバラライカの姉御が変わりすぎているだけなんだろうけど。それにしもて漫画だと少女時代はもとより大尉の時代の絵だってかつてそうだったらしいってダッチか誰かの説明に添えられた絵があった程度。一方でアニメ版だと少女時代は描かれても大尉ん時ってそんなに描かれていなかったような。表紙にはしづらく口絵にも入れづらいけどファンが喜ぶ絵って奴を良く知っている広江礼威さんに感謝。子供時代のレヴィのカラーイラストもあったけどやっぱり目つき、悪いなあ。

 レヴィの肩の刺青なんかを再現した模様がついたタンブラーとかも打ってたけど使う機会もなさそうなんでパス。あとちびっこメイドが登場するテレホンカードもあったけれどちびっこメイドの立ち姿にゃあ用はない。たとえスパッツでも派手にカポィエラを舞っているところだったら良かったのに。あと商品だとレヴィの入れ墨の紋様が入ったTシャツとかソードカトラスが染め抜かれたTシャツとかもあったけれども普通のレヴィのイラストが描かれた1枚を購入。そりゃあ本当はシェンホアの使う巨大なナイフの2丁を揃いで欲しかったけれども持ち歩くだけで呼び止められて留置場行きは確実な代物だし、何より非売品だったみたいで買えず。あれがあれば芝刈りん時とか便利そうなんだけどねえ。芝以外の者……じゃない物も刈れちゃいそうだし。

 んでジュンク堂に寄ったら「一迅社文庫アイリス」なんてものが並んでいて死にそうになる。すでにして創刊済みの一迅社文庫も3冊ばかり出た上でのアイリス7冊。全部がぜんぶファンタジーとかSFといった感じじゃないんでとりあえずのお仕事用には見捨てて良いのも混じっているけど(「LOVELESS」のノベライズとか)それでもミステリーとか青春といった内容のものだって混じっていたりする訳で、後々の比較のためには眺めておきたいものだけれどもすでにして財産は尽き果て補完するスペースすら存在しない身で新たな創刊は衣食住のすべてにおいて死活問題になりかねない。今やもしかするとオールジャンルオールレーベルのライトノベルを読破し紹介できる人なんていたらその人が買うお金と読む時間と保管するスペースのどれをおいてもたっぷり持ってることをもって、世界で1番のお金持ち書評家って言えるのかもしれない。幻冬舎がノベルズ創刊? ますます貧乏も募りそう。

 ってかそっちより先に読まなきゃいけない物もたくさんあるってことで深見真さんの二次元ドリーム文庫ではなくガガガ文庫から何故か出ている「武林クロスロード」(ガガガ文庫)の第3巻はもはや名前も覚えきれないくらいにわんさか出てきた女傑たちの一大バトルが海洋国でもって繰り広げられては手足がとれると武器になる一族の生き残りの少女が探し求める母親が6分割されて武器にされた1つをようやく手に入れるまでが描かれる。持っていたのが男子と珍しかったけれどもそこは女傑たちのバトルがメーンなだけあって細工もしてあった上に弱かった。男は嫌いなのか深見さん。陥れられる褐色の大将軍だったかがちょっと綺麗。あと足がナイフになってる海軍の大将だかも。そんな魅力たっぷりの女武侠の津波のような登場をラストのイラスト&解説でもって俯瞰できる貴重な1冊。でもまた増えるんだよなあ。

 そんな武侠がこっちはもうちょっと普通に活躍してくれるのかもって買った森福都さんの「肉屏風の密室」(光文社)は予想に反しっていくか連載されてた雑誌からすれば当然にしてミステリーなお話でタイトルから想像してみた酒池肉林な雰囲気はあんまりなくってやや残念。でもこれはこれとして面白い。暗行御史だったら朝鮮だけれど本家の宋代の中国では巡按御史ってのが水戸黄門よろしく印籠ならぬいろいろと証明する道具をもって全国を巡り官僚の腐敗を不正を暴いてた。そんな巡按御史として見かけは15歳くらいだけれども実は25歳くらいという童顔の男が見かけは優男ながらも拳法の使い手とそれから見かけも豪快なら中身も豪傑の男を連れ、さらに軽業師の女も供にして諸国を巡りながら不正を暴き謎めいた事件を解決して歩く。ってことはそうか「十八面の骸子」と同じシリーズか。

 「黄鶏帖」って何やら貴重な書をめぐるお話なんかでもそれを持ってる老人が死体で発見された事件を解決した果てに現れた死の真相が傍目には異様でもそうせざるを得ないくらいに追い込まれていたし思いも強かったんだっていった敬意があるから納得可能。猩々緋って赤い染料だか何かが絡んだエピソードもそうした色の定着やら剥落なんかが大きな鍵になっていたりして歴史や文化への造型が謎解きと絡んで来る展開に勉強も驚嘆もさせられる。何よりタイトルになっている「肉屏風」ってのが凄まじい。そんなの本当にあったのかって思いたくなるけどあったとしたら雅を通り越してなかなかに中国の貴人たちもローマに負けず劣らない趣味の持ち主だったと言えそう。逆になかったのだとしたら想像した作家のビジョンに敬服。なおかつそんな肉屏風の中で起こった刺殺事件の解かれた真相たるや! これを映像化した時にいったい誰がどうやって撮るのか、それを人がどう見るのかがとっても気になる。美しいのか。それを美しいと見る趣味の人には美しく見えるのか。いずれにしても夏にはちょっと見たくないかも。汗と肉の饗宴なだけに。


【7月19日】 3人がかりでも足すら止められないとは「フローレンシアの猟犬」はやっぱり伊達じゃない、ってか止めにかかった3人がシェンホアにソーヤーにロットンでは役者が不足してた? いやいやあれでシェンホア、虚淵玄さんのノベライズによれば不利を承知で敢えて高い踵をつけたまんまで戦っているほどにそれなりの強さを誇っていたりする訳で、それを寄せ付けず投げられた刀なんて口にくわえて噛み割るほどのパワフルさはまさしく生けるターミネーター、そんな相手にソーヤーごときが近寄れるはずもなくチェーンソーのチェーンは千切られそして助けに入ったロットンをモーゼルの1発も撃たせず前蹴り一閃で後方へと吹き飛ばす。

 むしろその場で撃たれず腹をぶち抜かれないでコテンとこけただけのロットンの不思議な運の良さが目立つくらい? そんな感じに「BLACK LAGOON」の最新エピソードはロベルタのキレっぷりが際だちもはや留めようの無いところまで行ってしまった模様。一方で米兵たちに救出されながらもガルシア坊ちゃん、相手が自分の父親を暗殺した一味だと即座に知って助けられた安堵感と憎むべき相手に囲まれた怒りをない交ぜにした感情を渦巻かせる。そこで正体を明かすか足を引っ張りロベルタに勝たせるか任務への献身ぶりと正義への忠誠ぶりを認め理解しロベルタと供に引き上げるか。ますますもって1カ月後が楽しみ。次回もちゃんと載るか。折り込み特集に見開かれたレヴィの衣装格好の素晴らしさに喝采。原画展に行けば見られるのか?

 次回は載らないどころかこれで終わりか島本和彦さんの「新吼えろペン」は斜め遙か上へと向かった超展開の果てにパクリだろうとインスパイアだろうと描いて描いて描き続けることにこそ価値があるというか何というかまあそんな説得力の超強いメッセージに押し切られた怒濤のエンディング。次のタイトルは何だろう。「萌えよペン」だったらある意味愉快。高橋慶太郎さん「ヨルムンガンド」はマオさん大活躍。良い人そうに見えるけれどもやっぱりそこは武器商人の護衛部隊の1員だけあって生き残るためには容赦ない。でもってスケアクロウの事務所でショコラーデちゃんはハンダづけの最中。何を作っているんだか。事態は未だ深刻な中でココ・ヘクマティアルの才知がはどう発揮されるってことでこれも次号が楽しみ。お休みなく載ってるんでこちらは安心。して良いのかな。

 熱気を抜くためにせめて窓くらいは開けられるよーにと窓際の荷物を箱に詰めて倉庫へと運び崩れて積み重なっていた文庫本もやっぱり詰めて倉庫に叩き込んでから天気も良すぎる中をやっぱり初日に見ないといけないと本八幡から下総中山方面へと歩いて向かった「TOHOシネマズ市川コルトンプラザ」。出来たときには「ヴァージンシネマズ」だったはずで何度か映画を見た記憶はあるんだけれども何を見たのか覚えていないのは歳のせいか。ジブリアニメだと本八幡にまだ場末感の漂う劇場があった時代に小さい小屋で「ホーホケキョ となりの山田くん」を見たっけか、あそこがなくなって駅から歩いて1分の映画館が近所から消えてやや面倒ではあったものの音響も悪けりゃ椅子もギシギシな小屋だっただけに仕方がない。大劇場に貼ってあった山一証券の広告が入った緞帳がどこに行ったかだけは気になるなあ。

 でもって「TOHOシネマズ市川コルトンプラザ」で見たのはたぶん劇場アニメ「瀬戸の花嫁・序」って作品で、瀬戸内海の崖の上にある祖父母の家に暮らしていた幼い満潮永澄は、海から上がってきたまだ人魚ってよりは魚に近い形をしていた頃の瀬戸燦って女の子とをキスをしてしまって2人の間に幼いながらも恋心が芽生えたものの、人間との接触は拙いと憤る親父に幼くたって恋は恋だと理解を示す母親も参戦して起こる大騒動。それでもやっぱりまだまだ幼すぎるってことでとりあえずは引き離され、すべて夢だと片づけらて迎えたエンディング。そして東京へと引っ越した長じて永澄が帰省した際に見つけた人魚の女の子があの時の魚の子で供に消されてしまっていた記憶の中に残っていたお互いの思い出に刺激され、歩み寄っては親の反対を押し切り許嫁となって東京へと向かいそして爆裂のドラマがスタートするって「瀬戸の花嫁」本編へとつながっていく、前日譚といった感じに劇場版ならではのオリジナルエピソードを楽しめた。そうか燦ちゃんて昔は「ポニョ」って名前だったんだ。

 大嘘です。もちろん作品は「崖の上のポニョ」でありまして、4年ぶりという宮崎駿監督の作品だけあって寄せられる期待も大津波級だったし実際に浴びせられた衝撃も大潮の様相。たっぷりの感動って奴を全身で堪能して参りましたとさ。とにかくよく動かしているもんだと感心。海の上でマグロ渡りをしているポニョの疾走感と下で支えるマグロみたいな波みたいな魚の変化を同じ画面で表現している凄さもあれば、そんなポニョに追いかけられながらあれた海辺の道を突き進むリサの駆る軽自動車のともすれば横滑りしそうな感じを必死で押さえて進む様のスリルさもあってと、決して平板にせず単純にしない動きの中でそれっぽさを見せるアニメーションならではの妙技って奴をとことんまで味わうことが出来た。晴れた場面での運転もそれでなかなかのスピード感。100人に99人が「カリオストロの城」のクラリスと大公一味とルパンのチェイスを思い浮かべたんじゃなかろーか。

 時々半魚人になって人間に戻る顔の変化とかも愉快。モーフィングだと間がしっかりと埋まってしまってぐにゃんと変わるだろーところを、手描きで枚数をかけてないのかパッと見で半魚人なのが次の絵ではにゅごっと人間の女の子の顔とそして手足に変化してしまう変わらせっぷりが魔法のようにハマってる。夫が航海から戻らず部屋でうだうだとするリサの表情や仕草も感情が見え隠れしてとてもいじらしい。背景でも人でも隅々まで動きへの配慮を怠らない宮崎アニメのこれぞ神髄って奴を堪能させてくれる。絵コンテ本よりは原画集で作画監督の修正と宮さんの要求がどう入っているかが分かる本が見たいもの。柿崎さんまた作らないかなあ。

 ストーリーはとても単純だけれど所々に仕込まれた暗喩的なものが気持ちに引っかかりを残す。見つかった車に乗っていないリサ。もしかして? そして暗いトンネル。その向こうは? 考えるんなら嵐によって「ひまわり園」は水没してしまい、逃げ遅れたおばあちゃんたちも助けに行ったリサも供にまとめて皆彼岸へと連れて行かれてしまって、だからこそ残される宗介への頑張りに誰もが期待したのかも、って思わせられたし案外にそうしたいつか訪れる離別への覚悟を促すメッセージめいたものがあったのかもしれないけれども、それをやってしまったら娯楽にはならないんでラストはみんな戻れて良かったね、ってハッピーエンドにおさまった、と。

 実はちょっぴりダークでシリアスなバージョンってのが実はあって「裏ポニョ」とかって感じに世に流れて来たらちょっと面白いけどそれをやらないのもまたジブリ。暗喩に留め大人には悟らせ、子供にはちょっぴり怖さを感じさせつつハッピーエンドで有り難みを覚えさせ、老人への敬意を抱かせちょっぴり変わった子でも分け隔てなく理解し愛する気持ちの大切さってやつを感じさせる作品に仕上がっているって言えそう。その意味では完璧な仕上がり。駿さん未だ衰えず。声はベテラン女優を並べた演技は婆さんズが素晴らしい。元気いっぱいの山口智子も悪くない。所ジョージは最初はちょい妙だったけれどもあれで家弓家正さんとかだったらフジモトの威張りすぎが目立ってしまってダメだったかも。気負っているんだけれどちょっと至らないお父さん、って感じがあってまあ良かった。それにしても宗介はどうして母親をリサと呼ぶんだろう。そこに込められた理由はちょっと知りたい。「月刊アニメージュ」とかには書いてあったっけ。


【7月18日】 ぷっぷぷぷぷ真夏のディズニーランド、群がる人波蒸れ蒸れにょー、とろける暑さでディズニーランド、どろりまとわりつく汗。なんて軽快に唄っていたらDG(ディズニー・ガーディアンズ)が何処からともなくやって来ては頭上を黒装束のティンカーベルに抑えられ両脇をこれは普通に黒いミッキーマウスとミニーマウスに抱えられて背中を黒いプーさんに押されて連行されて小一時間ほど他のキャラに関連した歌は唄ってはいけないと説教される幻を見るくらいにどろりと汗もまとわりつ暑さの中を舞浜駅から「東京ディズニーランド」へと向かいプレスパスをもらって入場していったいどこで記者会見が行われるのかを探すもののフロリダは言ったことがあっても東京は記憶じゃあこれが2度目でいずれも取材で滞在は延べ1時間では分からないと地図をひっくり返してこっちの方だと辺りをつけてどうにかこうにかたどり着いたハワイアンな場所。

 そこでむれむれなエントランスから中へと入って知らなんどる間に(名古屋弁で知らないうちの意)ミッキー、プーさんに続く人気キャラクターになっていた「スティッチ」があちゃらこちゃらに出没して繰り広げるらしいキャンペーンの発表を聞いたあとは「魅惑のチキルーム:スティッチ・ プレゼンツ“アロハ・エ・コモ・マイ”」ってアトラクションを見物。ポリネシアっぽい部屋の中のあちらこちらに天井からつり下げられた止まり木があってそこに鳥とかがとまっていたのを装飾かと思っていたらそれがメーンなキャストだったんで驚いた。

 なおかつ部屋にあるさまざまものが連動してシンクロして動き唄う仕組みはいったいどうやって制御しているのか。音響なんかの設計も含めて見かけの裏側に相当なハイテクが使われていそうだけれどもディズニーだけあって中の人と同様に裏の仕掛けなんてないんですねえ、ってな感じに聞いても教えてはくれないんだろうなあ。日本産なのか海外酸なのかは知りたいところ。「ディズニーワールド」のあるフロリダは近所にケープナナベラルもあってロケット産業が盛んでハイテク産業も集中してたりしてスピンオフしてアトラクション用のロボットを作ってる会社もいっぱいあったからそういう方面からの技術提供でもあるのかな。あるいはアナハイムにあるエレクトロニクス会社が作っているとか、ってそりゃあ順序が逆か。ディズニーランドで使われているロボット技術やハイテク技術がやがて軍事に転用されてそれがアナハイムエレクトロニクスとなってモビルスーツの生産に乗り出すことになったんだから、ってそんな歴史があったのか? ないってば。

 中に人でも入っているんじゃないかと思ったほどに生々しかったスティッチの動きを見た後にこちらは中に人が入っているに違いないけど中に人なんていないスティッチが走り回る姿を見つつ心の中で(ドアラ……)って思いつつ眺め写真をとってそれから「東京ディズニーランド」を満喫、といきたかったけれどもどろりどろりと汗もしたたるなかを1人でうろつく場所でもないんで即退散していろいろやってから今度は本当の秋葉原。交差点の献花台は事件から49日が過ぎた27日には撤去されるみたいなんでまだの人は3連休の間かその後の1週間のうちに行っていろいろと考えておこう。

 火事にあったらしかった「キッチンジロー」は復活していてご祝儀にと入って食べて出てから「BLACK LAGOON」祭りに参加、ってもつまりはガガガ文庫から出た虚淵玄さんの小説版とあと広江礼威さんの原作漫画の「BLACK LAGOON」の第8巻を買っただけってことだけれどもそこにアニメーションの第3期の制作が決まったなんて話もあって大喝采。っても原作の方はロベルタと米軍との戦闘にコロンビアが絡みバラライカが突入を図るストーリーが延々と続いているだけで12話の1クールをそればかりで埋め尽くされそうな予感。見所は毎回あるんだけれどもたまにはお気楽極楽な話もないと息が詰まってしまうんだよなあ。

 なので1話から3話あたりは是非に虚淵さんによる小説版のアニメーション化を希望。だってレヴィが。もうレヴィが。すっげえレヴィが。見たいねえ。あとバラライカの過去話とかもあるし。アニメーション版だといろいろと見目麗しかった少女のソーフィアちゃんがアフガニスタンでどんな感じになっていたかが書かれてて、それがどうしてあんな見目とそして心になっていったのかも示唆されてて読み逃せない。バラライカに限らず癖のある奴らの大集合しているロアナプラ、あの陽気にキレてるシェンホアもただのですだよ姉ちゃんではなくって未だ見せない本気のあるってことが見えて今後の活躍にも期待がかかる。いや本当にそういう設定なのかは知らないけれど。

 張もやっぱりいろいろと過去がありそうだけれど小説版の方では戦闘よりも組織力での勝利を得る場面が愉快。手広くやっているんだなあ三合会。一方の漫画版の第8巻では過去にやっぱりバラライカと1戦交えていてそれで痛み分けをしていた過去が明らかになってあの戦争フリークを相手によくも生きて帰ったものだとその実力に感嘆。レヴィだってロベルタだって本気のバラライカにゃあ勝てなさそうなのに。ボスにもなる奴らはそれだけの物を持っているってことか。そんな2人を相手に下請けっぽいことはしつつも商売開いてとして普通に立ち回っているダッチの正体と本気の強さがますます気になる。漫画版ではあとシェンホアん家に居候してるロットンとソーヤーが手に武器を取り復活。な割に相変わらずポーズは決めてもモーゼルは撃たないロットンって本当にちゃんと強いのか。生き残っているんだから強さはあるんだろうけれど。

 んでもって「黒水村」が面白かった黒史郎さんが本業? な一般小説として書いた「100KBを追いかけろ」(講談社)も読了。都市伝説物? 夜の道路を時速100キロで走っては交通違反する車を転覆させて制裁を下す婆さんが出るって噂がひろまった街に、かつて家族を何者かによって惨殺された女性が帰ってきて、演劇でもってその100KBを演じることになったとかつての仲間に告げた。その仲間とは女性の家族が惨殺された夜に女性といっしょに遊んでいてバイクの事故を起こした2人の少年、というか今はアルバイトをしている2人の男性で、何とそのうちの1人の親戚が交通事故にあってその周辺で100KBが現れたといった証言が出て怪談が実害をもって顕在化。皆で100KBの正体を探る活動をスタートさせる。

 交通事故の多発と残された家族の哀しみめいたものを折り込みつつ、交通問題に警鐘を鳴らしながらも家族を失った女性が快復し、事故でバイク乗りの夢を諦めた男が復活していく前向きな青春ストーリーも盛り込まれ、それでいてしっかり都市伝説の謎にも迫る総合痛快エンターテインメントって言えそう。それにしてもいったい演劇の舞台でどーやって100KBを演じようとしたんだろう。走ったって狭い舞台じゃすぐに行き止まり。かといって立ち止まって足踏みしているだけでは疾走感は出ないしなあ。あとこういう都市伝説って日本だけのものなのかな、車社会のアメリカなんかにはないのかな、あったらやっぱり100MB(マイルババア)ってことになるのかな、違う100MGM(100マイルグランマ)か。日本より60キロはスピード出てるなあ。やっぱり肉食ってると速くなるのかなあ。


【7月17日】 いきなりの2話からでもそこは最初に「少年サンデー」の増刊に載った時から20年以上は見ている人間なんですんなりと世界に溶け込めるかと楽観していたら何だいったい何が起こっているんだ「鉄腕バーディー DECODE」はバーディーが別にアイドルみたいな活動をしていてしゃべり方もおかしなことになっている。そんなに宇宙刑事って給料が安いのか、物価が高騰する地球のそれも日本で暮らすにはアルバイトでもしないとやっていけないのか。だったらもうちょっと楽に稼げて目立たない仕事だってあるはずなのによりによってグラビア系とはうーん、そんな設定が活かされる展開があることを願おう。実は新版の巻末に掲載されている単行本のおまけ漫画のよーにすべてがお芝居だったってオチとか。それはないない。

 あとはだいだい同じか。犯罪者をおっかけている時に千川つとむをぶっつぶしてしまって体が治るまで心をバーディーに寄生させている、と。でもって犯罪者は逃げ回っているってことみたいだけれども別にいろいろと入り込んでて何やらブツの取り合いもしているところがやっぱり違うか。早く1話のDVDが出ないかな。千川つとむってもっと諦めが早くって何事にも納得しちゃってあとはダラダラな感じかと見ていたけれどもこっちは割に喧しい。もっと悟れよって突っ込みたいけどいざ自分がそんな状態になったとしたら……嬉しく思うよなあ、何せとりあえずはアイドルだもんなあ。

 動きは悪くないし絵もきれい。だけどもーちょっとパンチが足りない。物理的なって意味じゃなくって画面からぬおっと突き出てくるような迫力のこと。引きが多いっていうか全体を俯瞰するには悪くないんだけれども戦闘のシーンでカメラにぶわっと迫って来る絵のあと1枚、デカいのがあればより迫られる感じもあるような気もしないでもない。ってかそういう絵がみたいだけなんだけど。何より音楽。戦闘シーンのあの楽観的な音楽は何なんだろう、危機迫るって感じがまるでしないのはやっぱりこれはすべてお芝居です、だから心理の奥底は所詮は芝居って感情がいっぱいでシリアスさなんて欠片もないんですってことを著しているのか。いないよな。まあともあれとりあえずバーディーは可愛いんでこれからも見よう。見ているうちに次の連載場所も決まるだろうし。決まるよな?

 でもって大塚明夫が鬱陶しい。違う大塚明夫が演じるインスペクターとやらがもうとてつもなく鬱陶しいんだけれどもどうも鬱陶しさには裏があるっぽいんで次も気になる「スレイヤーズR」は、湖の向こうへとさらわれたペットを探しに行ったらキメラにされてて犯人には後ろ盾がいそうなんだけれどもリナ・インバースの前には貴族も王様も無関係。お姫様だって実際に顎でつかっている奴なんで貴族の後ろ盾なんざあ障子紙にもならないと、叩きつぶしてぶちのめしては大塚明夫に渡してこれで大団円。ギャグがありどんでん返し(たいしたこともないけど)ありお笑いありの楽しい30分を過ごせる作りになっているだけに真夜中に大人に向けて放送するのはやっぱり無理がある。これを懐かしいねえとは思っても最新だって思う大人はいないんじゃない? まあちょろりと小出しにされた情報をつなげていった先に大きな事件も浮かび上がるのがこの番組。ゼロスも未だ見えないしここは見続けているのが正解か。食堂のテーブルで仰向けから起きあがる際のリナがなかなかに色っぽい。黄色く塗られていなかったのは影だから?

 平八郎が良い。というか平八郎を出せる作家の腕前が凄いんだなあと大西科学さんの「晴れた空にくじら 浮船乗りと少女」(GA文庫)を読みつつ感嘆。時代は不明ながらも実在の歴史で重ねるならば日露戦争が始まる前のそこは奉天、ってか当時からそんな名前だったっけ、満州事変で東北部を奪って審陽の名前を変えたんだっけ、軍閥が占拠する前はずっと奉天だったんだっけかな大陸奥地のその都市の、とある運送屋の事務所の屋根で昼寝を決め込んでいた雪平のところにクニって女の子がたずねてくる。使っていた捕鯨船「峰越丸(ほうえつまる)」が壊れたんで船が欲しいという頼み。そりゃあだめだめ、雪平の務める会社は「かもた運輸」という運送屋だから船くらいあるけど商売道具だから貸せないし、そもそも部品が壊れていて動かせない。それでもまあこれも縁だとエンジニアの槍次を連れてクウの言う船を見て、修理できれば修理しようと山へ向かう。船で山? そこがだから普通の歴史と違ってる。船といっても空を飛ぶ船。そして空には浮鯨って巨大な生物が時々ながら行き交う世界で人はその鯨が浮かぶ時に使っている浮珠ってある種の器官を取り出し船に組み込むことで浮力を得て、船を浮かべて運送に使ったり戦争にも使ったりしていた。

 クニはそんな鯨を捕まえる捕鯨船の乗組員だったけれども戦争の煽りか、襲ってきた戦闘用の襲撃鯱船に落とされ仲間は行方不明。仇をとるぞと雪平のいる運送屋をたずね船を借りるか奪うかしようとしたものの、既に壊れていたその船ではどうしようもないと分かり雪平の提案を受け入れ沈んだ「峰越丸」をを街まで運んで、残った浮珠を雪平たちの運送屋の船「かもた丸」に積み替えようと画策。そして登場したのが平八郎って訳だ。誰だそりゃ。牛だそりゃ。浮く船といっても引っ張る時にはその質量が問題となって、ちょっとやそっとの力じゃなかなか加速し始めない。それにあんまり浮き上がらせると転覆してしまう恐れもあるから、地面すれすれに浮いている場所を保たなくてはいかず仲間を上に載せたりしてバランスをとった関係で引っ張るのが雪平ひとり。だから動かなかったところにクウがいずこからともなく牛を連れてきてくれた。それが平八郎。

 べろべろと雪平をなめまわした牛を使ってさあ「峰越丸」を引っ張らせるぞと思ったものの、牛やらうしやらウシと呼んでは動かなかったその牛を、せっかくだからと名付けて呼んだら動き出した。牛にも機嫌があるのだろう。だから平八郎。頑張った平八郎は船を運んでどうにか修理の場につける。そこに現れたのがロシア兵。船を徴用しようと押し掛けてきたからもういけない、逃げだそうと急ぎ換装を済ませた「かもた丸」変じて「峰越(みねこし)」に平八郎を乗せるの無理だと置いていこうと言った雪平に、どこか残念そうな顔をするクニがどうにもいじらしい、かわいらしい。ひょんなことから知り合っただけのただの牛でもいっしょに何かをやるとそこに生まれる関係性。平八郎がそんな感情を抱くとは思えないけど人間として、少女として生き物に抱くそんな感情を平八郎を出すことで感じさせてくれる作者の筆致がなかなかに巧みと思う。

 割れば浮力が消えるという浮珠をどれだけ積んでどう扱えば浮かび進んで降りられるのか。そんな描写もあって乗り物好きメカ好き科学好きな人でもいろいろと楽しめるし、そうした操船操舵のテクニックを駆使したバトルの描写もスリリング。けど切迫した状況ながらも慌てないのか慌てる神経を持っていないのか、泰然として自若とばかりに飄々と動いてどうにかこうにか切り抜けていく雪平のキャラクターと、彼を中心にして描かれ進んでいく物語は読んでいてとても気持ちに温かい。戦況はよりハードになって哀しい場面とかも想定できそうだけれども、それでもきっと雪平と槍次とクニとそして平八郎の愉快な一座は、危機を切り抜け仇も討ちつつより大きな物語、それは国家観の争いなのかそれとも浮鯨の謎そのものに迫る壮大なものになるのかは分からないけど、感動のストーリーって奴をそこに積み上げていってくれるだろう。それにしてもだ。鴨田運輸のおやじはいったいどこに行ったんだ?

 信じられないとは思うけれども周囲に長く仕えて冷静沈着さでは他に類をみない重鎮が疑いを目を向けているのを無碍にして優しいだの何だのと耳をふさいだ挙げ句に仲間割れ。そして招いた他国の侵攻とゆー自体をうけてのうのうと生きていられるグレンも実は案外に性根のぶっとい野郎なのかもとちょっぴり思ってしまった「戦場のエミリー」(スーパーダッシュ文庫)は前の「花園のエミリー」で急転直下しエミリーが王位継承権を放棄することでおさまりかけた事態がさらに混乱を極めた中で起こった内乱、そして侵攻。白銀の甲冑をまとい降り立つ美女ヴェルヘルミーネの楚々として剛胆な様に惚れて彼女にだったら蹂躙されても良いかもね、って諦めかけたところに我らがエミリーがかけつけ卑猥な言葉をまき散らす。その勢いでミーネちゃんをも引っ張り込んであんなこととかこんなこととか、やってくれる日を楽しみにしたいところだけれども重要なキャラだって殺す時には殺す八薙玉造さん。ミーネちゃんもその美しい顔を血に染め目をむいた死体となって戦場に転がることになるんだろー。さても迫る王国の危機に我らがエミリー、どう立ち向かう? ますます快調のシリーズの今後をおったのしみにー。

 そして「攻殻機動隊2.0」。草薙素子が泥人形みたくなっていた。そりゃあおそらくは3DCGでだって「戦場のヴァルキュリア」のごとくなタッチのキャラクターだって作れてしまえるだろうしそれより以前にプレイステーション向けに出た「攻殻機動隊」のゲームに出てくる可愛らしくも原作に近いプロポーションの素子だって作れてしまう中であえてべったべたにベタな泥人形みたいな質感で動きも精気が感じられない3Dの素子を作って冒頭での名場面を演じさせたってことにきっと何か意味があるんだろうしなければただのイジワルだ。人間そっくりだって偽体は偽体だしそこに入っているゴーストが情報に生じたノイズでない可能性なんてない。そんな輩が跋扈ししたり顔で人間そっくりなことをやっている薄気味悪さをあの冒頭の薄気味悪い素子で表現してみせた、なんて考えるのは無理だろうけど自分ではそう思っておかないとどうにもやりきれない。大好きなシーンだったんだよあそこは。

 思い返せばもう大昔に宮原照夫さん家に取材に行って「攻殻機動隊」をアニメ映画化しているって聞かされてから幾星霜、恵比須ガーデンホールで行われた完成披露の試写にも行って音響が最低な中で初見し感動して押井守さんの高みに1段上がる様を目の当たりにし、そしてビルボードのビデオチャートで1位をとった凱旋とか銘打たれた形でインターナショナル版が日本で公開されることになってあの村上隆さんが宣伝プロデューサーだかを買って出たんだったっけ? そのトークショーに行き五反田のイマジカの立派な試写室でほとんど1人って状況でそのバージョンの試写を見てさらにうろ覚えだけれどもたぶん新宿の伊勢丹裏のテアトル新宿で公開版も見たんだったっけどうだったっけ。

 さらに言うならアメリカに行った際にビデオで英語版の「攻殻機動隊」を買い日本で見返しDVDはLPジャケットサイズのはさすがに買わなかったけれどもその後に出た絵コンテ付きのも買って持ってるくらいの人間に向けてさあどうです新しくなりましたって出してきた「2.0」の冒頭の素子が泥人形とはなるほど常にいろいろと画策しては飄々と裏切ってみせる押井さんらしい所業と感じ入るより他にない。人形遣いの声についてはボディにマッチしてるって印象だしだいたいが発せられてハマーン様だと思えるくらいの凛とした声に反発なんて抱けるはずがない。レプカも嫌いじゃないけど。その意味では是非にパッケージとして買って見て見返して聞きまくりたい声だけれどもその際に出てくる冒頭が泥人形。ああ泥人形。まあいいやそれも運命だ。「攻殻機動隊」にゴーストを奪われた者の宿命なんだと理解して付いていきそして来る「攻殻機動隊3.0」で更に裏切りの所業を味わう日の訪れることを待ち続けよう。きっとオール立体映画になっているい違いないから。でもって手を伸ばせば届きそうな目の前を豊満な素子が墜ちていく姿を見られるに違いない。


【7月16日】 何か真夜中にミラウー・キャオが喋ってるなあと思ったら「フルメタル・パニック」のアニメーションの第2部だった。「重戦機エルガイム」ん時と変わらない声。ってかこういう性格が出るような声の持ち主って最近の若手と呼ばれる人だといったい誰がいるんだろう。可愛い声とか格好良い声とかだといっぱいわんさか山に束となっているみたいだけれども若くして老人の声を出すとか、素っ頓狂な声を出すとか耳にしたらもう絶対に忘れられない声を出すとかいった人っての名前がパッとは思いつかない。

 ここで言いたいのは今は二枚目でも後に演技で特徴のある声に転じるってことじゃなく、メーンでそれを売りにしてそれが支持され半世紀とか続けていけそうな人の存在。代表するなら鬼太郎の目玉おやじを演じてる田の中勇さんで調べると36歳とかそんな時からずーっとあの声で目玉おやじを演じ続けている「アンパンマン」のバイキンマンが有名だけど中尾隆聖さんもずっとあんな感じで特徴のあるキャラを演じ続けて何十年? 「ブラック魔王」の大塚周夫さんだって「うる星やつら」の校長を絵に田西村知道さんだってあんな感じを続けまくって未だに現役。衰えないどころか出番をますます増やしてる。

 そんなことを現在から30年の後まで続けられるくらいの癖がある若手なり中堅っているのかな。阪口大助さんとか割に演っているけどでもどっちかといえばやんちゃな少年のバリエーション。それ1本で何だっていける性格役者って感じでもない。このまま癖のあるベテランが起用され続けたままで過ぎた30年後はどうなるんだろう? 全部山寺宏一さんが引き受ける? まあそれもあるけどでもやっぱり幅があってのキャラクターな訳で唄って踊れてCDも売れる二枚目ばかりを揃える脇で50年を背負って立つ性格声優って奴を生み出すような動きがあれば、面白いことになるんだけれどもさてはて。

 ってことで「フルメタル・パニック! The Second Raid」はチャイナドレスでの後方回転の時に見えたヒップな感じが良かった虐殺姉妹の妹のこれはいったい誰だっけ? って原作を頭の中で思い返しつつ思い出せないままで30分。ちょっと前に放送していた「一騎当千」の新しいのがやっぱり相変わらず白い霞によって画面の半分を埋め尽くされる悲劇に見舞われていてジクジクと苛立っていた目にまたもや、霞みたいなのがかかったけれどもこっちはそうした配慮とは違ったバイオレンスな描写への規制だから仕方がない。それを別に売りにしている訳でもなくってそれが見られるならDVDを買うってものでもないからね。

 逆に言えば「一騎当千」はこれでシリーズを通しきっていったい誰が嬉しがるんだろう? それで売れるものといったら原作ぐらい? 本編のDVDを買ってもらえないテレビ放送なんて意味もないどころかむしろ損な気もするけれど。それともやっぱり見たいって思わせてくれるくらいに過激なシーンの白塗りって奴がこれからわんさかと出てきてもうダメだこれは本編を見ないと我慢できないって感じにオトコノコを刺激してくれるのかな。だったらそれはそれで期待大。影の向こうに飛び散る汗とか汗みたなのとかの香りまで漂うな濃密な描写って奴を待とうじゃないか。さあやってみろ。おお裸ブレザー。

 お仕事な読書で葛西伸哉さんの「サヴァイブドファイブ」(GA文庫)はどちらかといえば苦手な部類の物語、かも。そりゃあ「バトルロワイアル」の頃はそういう身内で殺し合い、みたいな感じのテーマも新しかったし設定の異様さも人目を引く要因になったけれども地球に2000万人くらいのドーム都市が1つ残ってて、そこから月に残っているといわれる都市へとあがれる人を選ぶ15年に1度のイベントが行われるってんで、15歳から29歳の誰でもから希望する5人がひと組で参加するって設定にはやっぱりどこかぎくしゃくする。有害物質の混じった雨が割れたドームから降り注ぐ退廃的なイメージもあるけれどもそれでもIDカードさえ持っていれば何不自由なく暮らせる場所を捨てて、参加した誰ひとりとして戻って来ないというイベントに参加したがる心理がなかなかつかみにくい。

 実は全員が月へと移住できるんだっていった噂が蔓延しているって話もあるけどそうした噂が真実かどうかってことを賭けるにはちょっと様子の見えないイベント。もしかしたら逆に全員が間引きのように虐殺されるかもしれないって可能性を天秤にかけ、それでも挑戦する価値のあるイベントだと納得するまでの大変さをすっ飛ばして仲間5人がピクニック感覚で参加しては大変な目にあったと嘆きのたうちまわる姿の見苦しさがまず目に入って、そこでページを繰る手が止まってしまった。とりあえず先がまだある展開で、設定そのものに大きな謎なんかもあるかもしれないんでその辺りへの期待を抱き、参加する者たちの心理の歪みっぷりへの言及も期待しながら続刊の出るのを待とう。最後まで絶望しかないってのも嫌だなあ。怖いなあ。

 という訳で「アニマックス」が10周年を迎えるってで開かれた宴会に行ったら巨大な知花くららさんが歩いていた。どれくらい巨大かというとそれはもはや見上げるほどの大きさで大きなビルを一またぎどころか小石ほどに感じて爪先でけ飛ばすくらいの巨大さに、ひれ伏して見上げた人たちは世にも素晴らしいものが見えたというか見えないと言うか。大嘘です。プロフィルなんかだと173センチだから僕とそれほど変わらないはずなんだけれどもスラリと伸びた長身を足下まで覆ったスカートの下のヒールなんかも加えた高さはおそらく6尺3寸。でもって前にも立派に張り出したボディから放たれるエネルギッシュなパワーは周囲に集まったお父さんたちの目を見張らせ、恐れ多さに臆させていた。何と大げさな。でもいわゆるゴージャスな方々って感じではなくエミー賞を中継するアニマックスとの兄弟チャンネルの番組に出るって宣伝のための来訪で、スターに出会える仕事とはいえテレビのゲストに出て笑顔をふりまくことに躊躇なんてないところに、人柄の良さも伺えるんだけれども本当に良いかは知らない。喋る機会なんてないんだよう。

 そんな「アニマックス」で現在絶賛放送中のハーモニー処理頻出アニメこと「ウルトラヴァイオレット コード044」に続くオリジナルアニメーションの発表が。タイトルは「KUROZUKA」。つまりは夢枕獏さんの長編「黒塚」を原作に野口賢さん絵によるコミックが刊行されている「KUROZUKA」を荒木哲郎さんが監督して映像化することになっているらしい、ってこのあたりは10日売りのアニメ雑誌に掲載済みか。映像なんかの上映もなくってどうなることかは分からないけど「ウルトラヴァイオレット」の派手さからすれば相当に動いてそれなりに楽しめる作品になっているだろうことは確実。CSなんで見られないけど評判を聞きつつパッケージを買うかどうかを考えよう。「ウルトラヴァイオレット」はDVDなりブルーレイを買った方が良いんだろうか。1話だけならなかなかだったんだけど。


【7月15日】 何はともあれ「鹿男あをによし」のDVDボックスをまず確保。発売は明日だから店頭に入るのは今日だと目星をつけて1番に出かけて購入した際に棚に並んでいたのが1本だからもしかしてこれが最後で出遅れたのかと心配したけど、棚にはまだまだ並んでいたから明日の発売日を信じて駆けつけても間に合いそう。というかテレビドラマ的には視聴率が今ひとつだったって評判のこのドラマのDVDがいったいどれだけ売れるんだろうかというのが目下の興味。一方で作品に対する評判はことのほか高くって、このギャップって奴がいったいどこにあるのかって考えた時に例えば第1話のスローな展開を見て切った人はいっぱいいたけど、耐えて見続けた上澄みのような人たちが、熱烈な歓迎をもって言葉を発信し続けた結果が聞こえてくる高い評判につながっているってことなのかもしれない。前作から引き続いて期待じゅうぶんに見続けている人と、日曜の午後になんて何が放送されたって見ないよって人のギャップが「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の超低視聴率につながっているのとちょっぴり似ているかも。

 視聴率といったら例の「CHANGE」が最終回に瞬間で30%を超えただの平均でも27%とかに達して08年のドラマでナンバーワンを獲得しただのと話題になっていたけれども、これまで散々にポジティブな意見を言ってきた身として語るならば最終回は最低回。あり得ないけどあって欲しい展開のことごとくを積み重ねてきて喜ばせて来てくれたものが、最終回ではあり得てそれがだから? といった展開に収まってしまっていて驚きも感動もまるでない。テレビに向かってひとりで釈明する? そんなもの佐藤栄作首相がとっくにやってる。まああれは新聞記者を叩き出して結果としてテレビが残ってしまっただけのことなんだけれども、首相がやってやれないことでもなければやって驚きを誘うものでもない。まさにだからどうした。それで出てきた施策が衆議院の解散ってのも芸がない。身内の恥を理由に解散すれば選挙で勝てるはずもないから解散したくなって意識があるのは分かるけど、そんな時でも対抗する政党から不信任案が出て対抗策として嫌々ながらも解散するって手段はとれる。潔さを見せて政権を確保するって手も想像のうち。だから別に驚かない。驚けない。

 あそこで寺尾聡さんが演じる前官房長官が実は心底では木村拓哉さん演じる朝倉総理の政治姿勢を強く支持していて、初期に深津絵理に語ったように政治をクリーンにすることが自分の使命だと思いながらも政権の泥沼にはまってしまって身動きがとれなくなっていた所に現れた朝倉総理を好機と見て、彼の理想であり自らの理想でもある政治の浄化を実現するために自らは悪役となり虐める側に回って結果として耐えて凌いだ朝倉を持ち上げ、解散しても朝倉とクリーンな政治家たちだけは生き残って自らは敗残するなり、最初っから出ずに老兵とばかりに永田町を去っていくという、そんな姿を見せる「泣いた赤鬼」作戦を取れば展開としてもひねりがあったし、見ている側の気持ちもスカッとしたはず。なのにやっぱりただの普通の悪徳政治家で終わらせて、どこまでも朝倉総理と対決していくスタンスを残している。もしかして「CHANGE2」への色気があったのか。だからライバルとして残さざるを得なかったのか。だとしても、というかだとしたらそれこそ凡庸。逆転のさらに裏を言って斜めに飛翔する「コードギアス 反逆のルルーシュR2」のシナリオを勉強して来いと強く言いたい。

 その点で「鹿男あをによし」のシナリオも完璧とは言い難かったけれども1冊しかない原作を元にいろいろと伸ばさざるを得なかった関係から、ところどころ間延びして見えたのも仕方がない。それでもしっかりと逆転に継ぐ逆転の展開に、喋る鹿だのマイ鹿だのといった滑稽な設定を加味することで見ている側に不思議な感覚を与えることに成功した。そんな引っかかりが“気になる作品”として「鹿男あをによし」の存在感を放送終了から3カ月以上が経ってもしっかりと視聴者に保持させ、また見てみたいって気を興させてDVDの購入へと至らせているんだとしたらちょっと面白い。その時ばかりの瞬間芸でスポンサー様を満足させて足れりと見るか、そのときは今ひとつでもコンテンツとして長く気にされ売れる作品を作っておくか。メディアが多様化し視聴スタイルが多角化する中でマスに向かいひとつの作品を出して衆目を集めるスタイルが難しくなっている現状で、とるべきは作品そのものの質のアップ。「鹿男あをによし」はだからそうした未来を先取りした作品って言えるのかも。先取りし過ぎて気づかれず埋もれ雲散無性になりかねない心配もあるけど幸いにして「鹿男あをによし」は乗り越えたみたいなんで、あとはどこまで人気を維持し、万城目学さんの作品は変わってるといった評判を得て映画に続く「鴨川ホルモー」のテレビドラマ化へとつながっていったら面白いんだけど、さてはて。

 ついでじゃないけど最終巻となった「CLANNAD」のDVDを買ってコンプリート完了。さらに「紅」のDVDも購入。ブックレットに掲載のキャラクターの輪郭にシャギーがかかっているように見えるのは印刷の問題か素材の問題か編集の問題か見る目の問題か。内容についてはすでにテレビで見ているから今さらだし、DVDだから見える部分が増える類のものでもないんであとは特典だか何かのオーディオコメンタリーだったかプレスコの秘密だったかを楽しんで、そして作品への理解の度合いを深めよう。DVDを買いまくって「秋葉原電気まつり」の抽選券が5枚に達したんでカウンターに言ってアッキーナこと南明奈さんおクリアファイルを確保。もちろん水着バージョンの方。細いし薄いし水着姿でほしのあきさんとかみたく驚けるタイプじゃないんだけれども、ガリガリとは違った細さが妙に気持ちをそそる。小倉優子さんの水着姿をポスターで見た時も妙なつるり感があったけれどもあれにちょい似て、それでいて健康さでやや強いのがアッキーナって感じ? 難しいけどとにかく気になるタレントです。2度見たんでとりあえず生は十分。水着の生を見られるんなら別だけど。そんな機会は終ぞないなあ。

 せいぜいが杏(あん)さんってモデルで女優な人の姿態を間近に拝むくらいか、水着じゃないけれどスラリとしてなかなかに眼福。でもそこにたどり着くまでの手間が面倒。「コ・フェスタ」っていって日本で開催されているあれやこれやなコンテンツ関連の展示会とかイベントを、ひとつの旗印のもとでやったら世界に向けたアピールになるかもって考えた経済産業省の音頭取りなんかで去年生まれたイベントなんだけれども、冠を被せたくらいで注目度が一気に高まるなんて世の中そんなに甘くはない。世間にインパクトをそれほど残さないまま過ぎたものの始めた以上はさらに続けると今年も15のオフィシャルイベントを「コ・フェスタ」の旗印のもとに束ねて9月末から1カ月くらいにわたって開催することになって、そのイメージキャラクターに杏さんが選ばれ「コ・フェスタ」の開催を伝える会見に登場したって訳。去年もイメージキャラクターになって今年はメーンキャラクターとなる役所広司さんも登壇。こちらは相変わらずに格好良い。毒にも薬にもならない格好良さだけど。

 でも別にジャニーズの人なんかとは違って数百人からメディアが詰めかける訳でもない発表会。なおかつ出展者向けの説明会を兼ねている訳でもなくって純粋に、プレスに向かって「コ・フェスタ」の開催を伝える発表会なのに会場まで行くと受付がなくって別の場所に設えられていると教えられて地階から戻り建物の外に出て冷房もない中を通用口に並ばされ、それか裏口を通って会場に案内されて開場から15分も過ぎてようやく中に入れてもらえるという段取り。ファンを集めたお披露目の取材って場合にありながら記者がサブ扱いって感じに訝るカメラマンの人もいたりしてピリっとしたムードも漂ったけれども、それが単なる経験不足だったら理解は示せても、前年に続いての開催ってことで経験不足は言い訳にならないと考えるとやっぱりどこか至らない。

 仕切り回すスタッフの数のやたらと多くみかけたけれどそこまで手間暇かけなきゃいけない発表会か。やって来る「コ・フェスタ」のオフィシャルイベントからの代表者をアテンドするのが最優先事項だったのか。今からこれだけの手間のかけっぷりだと本番でも鬱陶しい式次第を与えられそう。面倒だなあ。そもそもが屋上屋を重ねたような「コ・フェスタ」としての活動に、これだけの人数と手間暇をかけられメーンとなるべきイベントにいったいどれだけのサポートがあるんだろうか。あれば良いけどなければそれは屋上に屋根を作ること、そのことが目的であってまとめることから生まれる効果ってのは二の次だったってことになる。そう勘ぐられないためにも個々のイベントサポートし、連携も促し情報発信も行うひたむきさって奴を見せやって頂きたいもの。だけどでも。お手並み拝見とここは行こう。

 “奇蹟の復活”と呼んでは間違いだ。際限のないテクニックと音楽性の持ち主達が勢揃いして生まれながらも時代が求めず埋もれ散っていっただけの奴らが、30余年を経て時代の求めに応じるというか、時代なんか求めてなくてもやりたいことをやるからついて来やがれとばかりに活動を再開した、いわば必然としての復活でありまた必然としての高い演奏に高い発声にとてつもなく高い音楽性だったのだ。7月15日の午後9時40分頃にあの「フラワー・トラヴェリン・バンド」が原宿にあるライブハウスの「クロコダイル」で演奏を行ったこと自体、そしてそのまるで衰えを知らないどころか30余年も前より高まりなおかつ現段階ですら他の追随を許さないくらいのハイテンションな演奏を繰り広げたこと自体を“奇蹟”と呼ぶのはだから絶対に間違っている。奇蹟なのはそんな場所に居合わせられた自分に訪れた運命のこと。たいしたポジションでもない場所でろくでもないことをしていただけの自分でもこういう幸せを得られるんだと思うとホント、人生ってこれでなかなかに素晴らしいものらしい。

 それにしても全員がオーバー60歳だというのに「フラワー・トラヴェリン・バンド」のメンバーたちが見せた演奏も、ボーカルのジョー山中さんの声も一切の妥協が見えない素晴らしさ、凄まじさ。あの山下達郎さんだって「ラブスペース」の時は声を下げるっていうのにジョーさんはインタビューの時も自信満々に語っていたとおりに昔ながらの3オクターブのハイトーンをしっかり出しては、あの名曲を朗々と歌い上げた。明日も同じ「クロコダイル」で復活の顔見せライブが行われるからセットリストについては詳細には言わないけれども、昔ながらのファン、そして「フラワー・トラヴェリン・バンド」ならこうじゃなくっちゃと誰もが口にするナンバーをしっかりと、そして完璧に演じてみせるはずだからご安心。どっかのロートルバンドが金儲けに再結成した様に喜んでそして絶望を味わった経験のある人も臆さず恐れずに行くが良い。「ポリス」だって吃驚したけど驚きはそれ以上。「ポリス」なんて小僧に思えるくらいの凄まじい演奏を、ボーカルを聞かせてくれるだろー。

 凄いのは「ポリス」の再結成ライブみたく“懐メロ”でもって楽しませるのとはまるで違って完全なる新曲を完璧なる演奏でもって聴かせてくれること、か。普通だったらそーゆーのってノれない空気読めてないって眉をひそめて身を引きがちになるんだろうけどこれは「フラワー・トラヴェリン・バンド」。並じゃない。上ですらなく特上すら上回る伝説のバンドだ。どこでも聞いたことのないサウンドでもって初めて耳にするような歌声を聞かせてくれる。現在においても過去においてもこんな音楽を演ってるバンドなんて存在しないしするはずもない。間近で聞いていた近田春夫さんも何とか言って驚き誉めてたくらいのサウンドを耳に出来るのは明日の「クロコダイル」かフジロックか9月17日にポニーキャニオンから発売される新しいアルバム。行くしかないし買うしかないし聞いたらやっぱり誉めるしかない。

 そんな新旧織り交ぜての“復活”を、近田さんが真横で踊り椅子の上に立って「イエー」と叫び斜め前で「頭脳警察」のPANTAさんが体をゆすり「フラワー・トラヴェリン・バンド」を世に送り出し後に日本の音楽業界を支えた折田育造さんもいる空間で、聴けた我が身の奇蹟はまさしく奇蹟だと改めて強く感じた次第。とにかく圧巻のパフォーマンス。石間秀機さんの不思議なギターに30余年も触れていなかったとは思えない小林ジュンさんのベースにどんどこどんもしっかりキてた和田ジョージさんのドラムにプラスワンが消えた篠原信彦さんのキーボード、そして突き抜けまくったジョー山中さんのボーカルを、21世紀に耳にできるという奇蹟を全世界の音楽好きロック好きは喜ぼう。イエーーーッ!


【7月14日】 あの割にシリアス系でお洒落な絵柄で繰り広げられるのが謎の宗教による人類ミイラ化計画と白蛇巨大化プロジェクトっていったオカルティックな展開との、妙なギャップがとっても気になる「薬師寺涼子の事件簿」。たぶん小説で読めばすんなりと普通に読めてありえねーとか思いながらも楽しんでしまうんだろうけれども、絵となって動くとそのビジュアルがビジュアルとして目に真っ先に入って来るものだから、圧力に押されて身が縮こまってしまう感じ。まあ顔見せのエピソードってことで次からはもうちょっと展開にリアルさを持たせつつちょっぴりオカルトって雰囲気の事件を傍若無人さでもって「ドラまた」じゃなかった「ドラよけお涼」が解決していく展開を、期待しながら見ていきこう。ドラゴンとドラキュラを寄せ付けない2人。どっちが強いんだろうなあ、リナと涼子。

 でもって「隠の王」。撃たれたはずの相澤虹一が即復活で顔まで怖くなって大暴れ。その理由まで一気に説明されるのかと思ったけれども黒岡野しじまも含めて正体については開かされず。原作だとあの場所でもってしじまって正体をばらしてしまって普段はお好み焼き屋にいながらどうやって学生をやっていたんだ、その正体なりに次元を簡単に移動して複数の場所に存在できるのかって疑問を抱かせたんだけれどもここでは不明なまま。とりあえず片づいて続くこれからの展開の中でなんで生き返ったんだって虹一への問いかけも含めて明らかにされるんだろー。原作ってそういやあ傘ってのが出てきて萬天に総攻撃ってあたりまで進んでいたけどアニメーションは残り2カ月半、だいたい8話くらいの中でどこまで進めてどこに着地させるのか。それ次第では第2期なんかへの期待からDVDを買おうって気になるかな。ならないか。同じのを見ても仕方がないし。かといって森羅万象に無理矢理決着をつけてしまうのも違和感が。原作が続いている作品のアニメ化って難しいなあ。

 いつの間にやら刊行が決まっていたのをようやく知った分冊百科の「マクロス・クロニクル」。いったいどれだけあるんだろうかな「超時空要塞マクロス」を総ざらえして紹介していく分冊百科ってことになっているけど、創刊号として掲げられている号の表紙に並んだのが「超時空要塞マクロス」のリン・ミンメイに「マクロス7」のミレーヌ・ジーナスとそして「マクロスF」のランカ・リー。つまりは時空を揺るがす歌姫ってことになるんだろーけどそれだとつまりはシェリル・ノームは「マクロスF」ではメーンの歌姫ではないってこれは証明になってしまうのか。熱気バサラは姫じゃないからいなくっても仕方ないけどシェリルはあれだけの人気なのに脇へと落ちてしまうのか。ちょっと可愛そうだけれどもアルトから心配されずグレイスからも三行半気味。ここからきっと墜ちて流れてショッピングセンターで徳川さんといっしょに演歌でも唄う余生を送るのか。うーんやっぱり復活を。

 そんな「マクロスF」もそれで出るブルーレイディスクではいよいよ「FREEDOM」がボックスでまとめて11月11日に登場の模様。DVDで買おうかどーしよーか迷いながらもついに1枚も買ってなかったりした「FREEDOM」。3次元CGの立体感が2Dっぽい塗りとなかなかに巧みにマッチした不思議な映像がずっと気になっていたけれども、それがより高密度な映像を再現可能なブルーレイで出るならこれはもはや買うしかない、のかな。値段も2万1000円とボックスだとは言え目茶安。30年前の作品で何度もパッケージ化されてる「無敵超人ザンボット3」のメモリアルボックスだってDVDなのに1万8900円はする中で、ついこの前まで出ていたオリジナル作品がより高品質になって値段が下がるなんて普通考えたらあり得ない。それもこれも英語とフランス語の字幕もついたインターナショナルなマーケット向けってことで相当数のイニシアルが期待できるからなんだろー。これが標準になってくれれば嬉しいんだけれども「セキレイ」が世界標準な作品になるとは思えないからなあ。いやしかしあるいは。

 こっちはアジア標準になるのか「エグザムライ」。大人気なボーカルダンスユニットの「エグザイル」がアニメになったって話を聞いて、ファンが喜ぶ程度の楽しさはあってもアニメーションとしてどうなのよって気でいたけれども、灼熱の都心部にあって地下深くに設えられてるってこともあるのか涼しさの行き渡った「JCBホール」でもって行われた「エグザムライ」の完成披露試写会に集まった、1500人はいただろー女の子たちの集団に背中を押されて見た作品は、案外に真っ当で動きについては過不足無し。見終わるとそこはかとない正義を貫く大切さって気持ちが浮かんで来るから面白い。舞台は六本木で時代は近未来っぽいんだけれども描かれているのは江戸風の街で、キャラクターも着物の武士や町人たち。街の中央にそびえたつ城に暮らす実力者たちに牛耳られていて美女は連れ去られ生け贄にされてしまう魔の都市になっていたのを、見かねて強い男たちがいろいろな所から集まって来る。

 平野綾さんが中の人をやってる少女がさらわれもはや危機一髪。そこに現れずらりと並ぶは「エグザイル」のメンバーがモデルになったキャラクターたち。彼らが手に武器を持って見せる大立ち回りの動きはとっても圧巻で、最前列のプレス席から見上げる形で今ひとつ把握はできなかったけれども正面から見れば相当な迫力で迫って来そう。そりゃあたしかに「エグザイル」ってスターが正義の味方になって美少女を助けて何処へともなく去っていくなんて、当たり前過ぎるストーリーで熱烈なファンが格好良いです素敵ですって言って楽しむくらいが関の山じゃないかって思われても仕方がない節がある。よくあるファンムービー、って奴だ。

 でもそうした外野からのナナメの目線が、画面狭しと繰り広げられる男たちの頑張りと張り切りに知らず心を引っ張られ、終わり頃には格好良い奴らの格好良さにすっかり参ってしまっている自分がいた。この「エグザムライ」、別に前に作られた実写版「エグザムライ」とも言えるプロモーションビデオといっしょにDVDに収録されて、7月末に発売されるベストアルバムに付くみたいなんで買って見ようという気が今は満々。縁遠かった「エグザイル」と自分とをアニメが結んだ縁。それが世界を相手に広がった時に「エグザイル」もより幅広いファンを獲得しているのかも。でも集まったスタイリッシュな女の子たちはアニメをどんな気分で見たのかなあ。僕たちのアイドルの平野綾さんが出てきた時も可愛いって声とくすって笑いが混じっていたし。そこを超えていった時に平野さんも世間に希なる国民的アイドル声優の座をつかむ?

 少なくとも親と子の「エグザイル」にはなるのかも。夏休みといったらキャラクター関連のイベントが常連だった「東京ドームシティ」で、この夏に繰り広げられるのは何と「エグザイル」のアトラクション。カフェができたりプリクラが出来たり観覧車のゴンドラがパッケージされたりしてあの見た目に夏っぽさが炸裂している男たちが夏の「東京ドームシティ」を染めあげる。お台場じゃあフジテレビ関係がわんさかと賑わい浦安ではネズミやアヒルが踊り回る夏に文京区では「エグザイル」。ヒップホップなパフォーマー。髭面で日焼けした男たち。ある意味で実験的である革命的だけれどもこれを乗り越えた暁に、親だけでなく子供も愛する「エグザイル」へと変貌をとげて夏休み明けの学校で「チューチュートレイン」を踊る子供たちってのが、都下を中心に大発生するのかな。しないよなあ。でもちょっと興味深い。少なくとも上映会に集まったスタイリッシュな女の子たちは一杯来そう。それを見に行くだけでも眼福な夏。通うか。


【7月13日】 ただの押し掛け居候型美少女ハーレムストーリーかと思ったら案外に結構いろいろ設定も深いっぽい「セキレイ」。アパートを叩き出された少年とその愛人、じゃなかったセキレイと呼ばれるとある会社によって作られたバトル少女を引き取ったのはオンボロアパートの未亡人管理人さん、ってそれだと音無響子さんだ。こっちは未亡人かどうかは分からないけどとにかく美人が1人いて、優しそうだけれども内心に般若を秘めてるところもある謎の女性で少年とペアになって羽化した結た自分をセキレイだ何だと言ってもあんまり驚かない所を見ると、どうやらセキレイ計画に曰わく因縁があるらしい。ってことでネットとかで調べたらやっぱりそうだった。

 でもっていっしょに暮らしている輩もやっぱりいろいろあって、それらがこれからドロドロ絡んで見かけはハーレムながらも血で血を争う悲惨な展開も待っていて、なおかつ主人公の親族も絡んだ壮大な設定も背後にあっていろいろと楽しませてくれそーなんで単行本も揃えて買ってしまったよ。アニメ化を企む版元の思惑に乗ってしまったのは「ソウルイーター」に「隠の王」に続いて今年3シリーズ目。全部スクウェア・エニックスじゃん。良い原作を揃えているって現れか。もしかしたら「少年サンデー」とかより上に行くんじゃないか「ガンガン」一味。「ドラクエ」だけって言われていたのも今は昔。編集に良い人が入ったのかなあ。あっちこっちに大所を奪われまくっても本家が今ではやっぱり1番強いもんなああ。

 戻ってアニメについて言うなら問題は原作の漫画に描かれているストーリーが未だ完結していないなかで、アニメ化されて果たしてどんなラストを迎えるか、ってところか。「バンブーブレード」みたいな途中からのオリジナル展開を選ぶのか、「鉄腕バーディー」みたく設定を借りた別のストーリーへと向かうのか。今んところは単行本のまんまみたいなんで適当なところで切り上げ第2部へ、って展開か?

 原作ほどには露出もないけど見た目の良さは大事な場面で画面にもわーっと霞がかかる「一騎当千」よりも上なんで、こちらはしっかり撮って残していこう、って思ったら設定ミスでラストの5分が切れていた。エンディングの途中だから本編は見られたけれども次回予告が……買うかDVD、ってこれは買うのか? どうしてだ? 「一騎当千」は買わないのに? そこはそれ、本編でちゃんと見せようって努力を買ってのものだねだ。最初っから霞を流して誤魔化す弱虫に払う金なんて1銭たりとも存在しないのだ。パッケージメーカーはだから覚悟と理念をもって放送コードに挑むべし。それでパクられても心意気だけは買ってあげる。差し入れにだって行ってあげる。

 もはや身動きもとれなくなって来た玄関口から本を箱に詰め込んで倉庫へと移動。させようとして床を漁っていたら本の間にいつか飛ばされ行方不明になっていた「エアエッジ」のデータ通信カードのアンテナ部分の根本をおさえるキャップが挟まっていたのを発見。こういうこともあるから掃除は重要。でも1万円札とかは出てこなかった。飛ばしてないものが出るほど魔法な家じゃないってことで。欲しいなあ万札。でもって倉庫へと近づいたところでここんところ倉庫に行くたびに目撃している散歩猫を今日も発見する。

 一匹でぶらぶらと歩いているんじゃなくって飼い主が紐をつけて散歩させている猫のことで、普通だったら暴れて逃げ出すはずなのに、ペルシャの血でも入っているのかふわふわな毛並みの茶色い猫は逃げようとせずのんびりと、途中にしゃがみ込んだりしながらその辺を歩いてる。これなら散歩も可能。ってか止まりすぎて飼い主が疲れてしまうかも。ちょっと楽しそう。いつかやってみたいけど倉庫借りなきゃいけない狭くて小さな部屋で猫なんて飼えるのはいつの日か。引っ越せば良い? でも倉庫代を含めたって月々の部屋代はおそらく吉祥寺あたりのワンルームマンションに及ばない。それが精一杯の給料を厄年過ぎてようやくもらえる身に猫なんて犬なんて自動車なんてメイドなんて……。青春を返せ。

 覚悟、完了。J2行き。そりゃあ残ってくれるんだったらこんなに嬉しいことはないbyアムロレイなんだけれども1つ上のコンサドーレ札幌相手に3点を奪われ負けるチームがこのあといくら頑張ったところで降格圏内を脱するのはなかなかにして無理。去年はそれでもアマル・オシム監督による奇蹟の6連勝だか何かがあって踏みとどまれたけれども今はそうした奇蹟が起こる余地ってのがまるで見えない。選手層が薄い。テクニックが至らない。得点力が欠けている。だから勝てない。そして守備もまとまらない。失点力が減らないから得点を奪われ引き分けられずに勝ち点を伸ばせない。そしてそのまま最下位疾走、J2行き。証明終わり。冷たい方程式。

 実は可能性は見えている。コンサドーレが相手の試合でも後半にしきりにサイドを崩して中央にクロスを挙げてレイナウド選手なり巻誠一郎選手に当てていた。中央からのボールも巻選手がすらして後続の選手に送っていた。でもそれがあと半歩、というか数ミリのところで得点に結びつかないこの不幸。いやそれは大した問題ではなくむしろそうした攻めを前半から出来ず失点してから追いかけて前が係りになってしまって失点を積み重ねてしまう方が問題なんだ。前半なんてどれだけサイドの攻め上がりがあった? サイドバックが相手ゴールラインぎりぎりからクロスをあげた? そうした切れ込んでの攻めがないからまるで相手に危険な感じを与えられない。

 もしも。そうもしもせめて水野晃樹選手が残っていたなら右サイドから攻め上がってはどんぴしゃりのクロスを入れるなり、コーナーキックでも見方の頭に当てる正確なボールを送っただろう。今はコーナーキックも相手のディフェンスめがけて蹴り込んでいるんじゃないかと思えるくらいに見方の選手に当たらない。工藤浩平選手のコーナーキックから得点が生まれたシーンを終ぞ見たことがない。にも関わらず使い続けなくてはいけないこの現実、この残念。フリーキックだって当たれば八卦なボスナー選手の1発が決まったのを1度見ただけでその前も後も得点シーンを見た記憶がない。他に蹴る人はいないのか? いないんだよなあ。

 例えば左のサイドバックを根本裕一選手にして工藤選手も下村東美選手も下げて斉藤大輔選手のワンボランチにして2列目の左に青木孝太選手で右に谷澤達也選手を置いて中央に中島浩司選手と新居辰則選手を並べ、トップに巻選手を置いてみたりすれば何か少なくともボールは前へ前へと右へ左へと動きそう。今はもうバックラインからなかなか前に進まずサイドに送って詰められ戻して反対側に送って詰められ戻す繰り返し。見ていて本当に気持ちがささくれる。全力疾走でサイドから追い越す選手のいなさぶり。羽生直剛選手みたいに中央を斜めに横切りボールに触れて走り込んできた選手に渡してさらに走り込んで受けるラン&ガンな攻撃が、まるで見られない状況でいたずらに放り込んだところで当たらないし当たっても走り込んでフォローする選手がいない。それがこの何試合か続いているのに手を打てないのはやっぱり選手層に不安があるからなんだろうなあ、アクレック・ミラー監督も。

 1点目はゴール前の混戦を押し込まれた不幸な1点で、2点目はちょい開けてしまった所を叩き込まれたミドル。3点目はオフサイドと思い足を緩めたところを叩き込まれた。事故と言えば言えるし怠慢と言えば言える失点だから直せば直る。でも得点は? ボスナー選手のキックがバーに跳ね返されたりレイナウド選手のヘッドをゴールキーパーがファインセーブしたり、巻選手のシュートが正面に行ってしまったりと不幸もあったけど、それが事故みたいな得点につながらないのはやっぱり2の矢3の矢のプレッシャーをかけられていないから、なのかも。でもってそんな常に前へって意識を醸成するのに残りの月数は少なすぎる。

 だからもうJ2は覚悟した。せっかくの新しく「フクダ電子アリーナ」の側に出来る練習場もJ2のチームが使うことになるんだけれども例え落ちても来年に上がればJ2の練習場は数ヶ月で済む。だから今から精神力だけは培って、落ちてもすぐにあがれるよーに準備を怠るな。落ちても行くからホームには。アウェイは水戸なら行ってみたいなな、「走れホーリーホック」の歌とダンスを1度は笠松でこの目で見てみたかったし。ずっとJ2にいれば何度だって見られる? ジェットスフィーンと共演も愉快? うーんちょっと心が揺れる。


【7月12日】 ミシェルどこ行った? って目を凝らして何度か見返してようやくバルキリーが撃墜された直後にシートが射出されて、シェリルとはちょい違う角度で放り出されたミシェルをちゃんとルカが背後にカバーし拾い上げていた光景を確認。生きていたからきっと今後もしっかりと出演してはメガハウスよりフィギュア化も近いクラン・クランとのベタベタなラブコメを演じてくれると期待。一方でシェリルはアルトの関心がランカへと傾く様を眺めつつ気持ちを揺らしていたところに、復活の腹黒マネージャーことグレイス・オコーナーの企みに翻弄されそう。あの崩壊の惑星からどーやって還ってきたとか追求されるかどうかは未定ながらも落ち目のシェリルに三行半を突きつけ、バジュラのクイーンと判明したランカを抱え盛り上げる方向へと傾いていくのかどうなのか。というかランカのコンサートは行われるのか。シェリルのライブもありそうだし、アルトを巡りスターの座を争ってどんな修羅場が演じられるやら。でも1番の美人はアルトなんだよなあ、やっぱり。

 そこん所ばかりに注目してたんでバックで起こってた戦争については未確認の部分が多数。爆撃でもって死んだのはララミア? でもそれがどんな格好をした人だったか思い出せない。娘を気にしていたカナリアもどうにかなったのか? その辺も要確認。赤いバルキリーのブレラはいよいよしっかり「マクロスギャラクシー」の軍人だと判明。でもギャラクシー船団ってバジュラに襲われ壊滅したんじゃなかったっけ? いや違う襲われたけれどメーンはどこに行ったか分からないんだったけ? 思い出せないけれどもともあれそこからやって来ているブレラはグレイスとつながっていて、グレイスもつまりは軍関係の人間か、そうでなくてもいろいろ企みを巡らせている人物だと分かってあとはいったい何を目的に動いているのか、人類とバジュラのかみ合わせならその目的は人類の完全勝利かそれとも共倒れの果てのグレイスみたいな電脳化機械化された新人類の台頭か。次回にはその辺も明らかになるみたいなんでこれまた見逃せない。5分遅れとか微妙なズレを今回は起きていたことでクリアできたけれども次回はいったいどうだった? 起きて見るしかないなあ、そうしたい数少ない作品でもあるし。

 でもって「次世代ワールドホビーフェア」へと駆けつけ美少女のさらに小さい子たちがダンスしたりバトンを回したりする姿を見物。いやだから目的はそれではなくっていろいろと登場してくる新製品の品定めにいった訳だけれども、本が「コロコロコミック」発の玩具なんかを紹介していた関係から、男の子がメーンの玩具が中心だったひところに比べて女の子でも楽しめる玩具なんかも結構出ていて、集まって来る中にも女の子の数が結構増えているから否応なしに目に入るってことだととりあえず弁明を。トイレなんかにも行列が出来てて待ちきれないとお父さんが娘を連れて男子トイレの個室の前に並ぶものだから、小さい女の子たちが見ていたりする中で用を足さなくちゃいけない状況が頻出して何というか恥ずかしいというか喜ばしいというか微妙な感慨に襲われる。振り向く訳には当然いかないけれどもそれでも隅っこからチラチラと見えていたりするんだろうかと考えただけで縮むというか広がるというか。何はともあれ悩ましい。

 そんな会場でざっと目についたのはバンダイナムコゲームスが準備しているっぽい「Wii」対応のゲーム。要はCGで登場してくる少女のキャラクターに合わせてリモコンのコントローラーを手に持ち踊るってゲームなんだけれども「アイドルマスター」で培った3Dなのに2Dっぽさを残した美少女のCGキャラクターがダンスする愛らしさって奴がそっちにも存分に行かされていて、画面を眺めているだけでも楽しい上に前で踊っている子も見られる楽しさがあって熱烈なファンとか生み出しそう。ちょいヤバいけど。だったらいっそこれの「アイマス」版を出して踊る天海春香や高槻やよいに合わせてファンの男子も踊ってその一所懸命ぶりが認められるとキャラクターから手を振ってもらえたり、愛想笑いをしてもらえるよーなゲームを作れば熱烈な「アイマス」ファンも飛びつくんじゃなかろーか。あるいはいっしょにダンスってよりは歌に合わせてオタ芸を打って、その激しさでもって相手の好感度が上がりさらにゲームを奥深く進められるとか。コンサートの会場ではその熱さが逆に周囲にひんしゅくとなってしまうジレンマに陥っているオタ芸だけれど、だったら家で思う存分やれば良いってことで。作らないかな。作らないよな。

 あとは剣玉にベーゴマか。言わずと知れた「ヤッターマン」のケンダマチックと「ベイブレード」の新バージョンで剣玉は子供が遊び方すら分からずこねくり回しているその横で、お父さん世代がちゃかちゃかとお皿に玉を次々に載せていたりして世代間に蔓延る知識のギャップって奴を見せつけられた気分。昔だったら子供でも普通に剣玉、誰に教わることもなく遊んでたのになあ。これが断絶って奴か。「ベイブレード」は周囲のリングが金属製になってて当たる時の迫力が何倍増に。こっちは割に普通に子供達が遊んでいたけど前の流行を記憶しているとは思えないからそれなりに続いていた中で遊んでいた記憶が製品の投入によって刺激されたと見るべきか。地道にでも続けておけばいつか復活する時もある、だから諦めないで頑張りましょうって玩具メーカーへの教訓。次はジターリングの復活だ。

芸人にしか見えないし何の芸なのかも不明なのに効果はあるのかないのか  原宿方面へと出かける用事があって面倒だからと表参道で降りて歩いていたら頭にメロンパンとかクロワッサンを載せた全身繋ぎの奇妙な奴らがうろうろしていて不思議というか鬱陶しいとうか面白いというか。つまりはマクドナルドのベーカリーの宣伝に何十人だかをかり出し揃いの衣装を着せて目立つ場所を練り歩かせるってPR。おなじ場所でそういえば前にあれはお菓子か何かだったっけ、それのPRを行う車を表参道ヒルズの前のパーキングにずらり駐車して目立たせようってしていたけれども背景にされてしまう表参道ヒルズからは何やってんだ的な異論もあって結構鬱陶しかった模様。でも別にたまたま表参道ヒルズの前の路上なだけでヒルズに何か断る必要があるのか、ってあたりが気になった。今回も表参道ヒルズは借景にされてしまうとクレームをつけたのかな。でも表参道の全部が使われてた訳だから異論なんて差し挟みようがないような。もっともそれだけやった効果がいかほどかは不明。そもそもがマックがベーカリーをやるって知っていなければ何のことだか検討もつかないし。今後にどんな情報の輪が広がっていくかに注目。効果があるなら次は別のところが別のことをしてくれるかも。「ストライクウィッチーズ」の宣伝にあの格好で表参道を練り歩く、と。捕まる?

 王の力は人を孤独にするっていうか、強すぎる異形の力は暴走の果てに人を孤独から絶望に追いやるって怖さは「コードギアス 反逆のルルーシュ」のマオしかり、ユーフェミアを暴走させてしまったルルーシュ本人なりを見ていて存分に伺えるだけに佐竹彬さんの「カクレヒメ」(電撃文庫)に登場して来る感覚拡大症だかに冒された少年少女もいずれは行き過ぎた感覚の拡張が周囲を辟易とさせ当人をボロボロにして不幸な結果へと至る可能性なんかも想像して、読む前はちょい気も重かったけれどもそうした暴走の果ての悲劇みたいなのは未だ描かれておらず、周囲からやや浮いた力を持った少年少女がその力を社会のため正義のために役立てられて承認を得られるそれなりにまとまった展開になっていたんで気分が落ち込むことは裂けられた。ただしそんなにうまく事が運ぶのか、って疑問は浮かんだけれど。

 主人公の少年は手足の触覚を外部へと広げて壁の中とか土の中なんかに手足を伸ばしてそこにある何かを知る能力があったけれども周囲にはあまり知られておらず普通に学生として暮らしてた。そんなある時、乗り合わせたバスがトンネル内に閉じこめられる事故が起こって少年は持っていた力で緊急電話の断線箇所を確かめ修理してもらって救出を早めたことが乗り合わせていた女医の目にとまり近所の病院へと引っ張られる。そこで少年は顔をゴーグルで覆った少女と邂逅。その少女も少年と似た感覚拡張の病を持っていて周囲に疑心を振りまいていたけれども少年には気を向け気を許し、何となく仲良くなっていった矢先に事件。町にある建物に爆弾が仕掛けられたといった話に少年の透過の能力が役立つと警察から呼び出され、向かった先で爆弾騒ぎをダミーにした陰謀に絡め取られ、そして少女に登場と相成っていく。

 力だけでなく家柄にもヒミツがありそうな少女だけれどそっち方面はあまり触れられず持っていた力が自体をどうにか解決に導く展開は読んでいて分かり易くって良いけれどもともすれば分かりやすすぎて力の暴走が招く崩壊の機器、なんてシリアスな設定へとは向かわないところにドラマ性の淡泊さを覚えたり。難敵なはずの敵もどこか場当たり的。そこのあたりを重層的にしてしっかりと描き込んでいけば説得力を持った話に出来るかもしれないんで作者の人には更なる研鑽をお願いしたいところ。

 電撃文庫では三木遊泳さって新鋭の「ゼペットの娘たち」(電撃文庫)が異色の1冊。精巧なロボットを創り上げる力を持ちながらも作ったロボットが売れず借金を抱え路頭に迷い欠けて都に出て一旗あげようってしている少年が、女の子タイプのロボットとそれから天才故に子供の頃に作ってしまった犬型のロボットを連れて町へとあがっていろいろな人と出会い苦労しながらも作ったロボットたちの面倒を見るって話に自我を持ったロボットたちの人の為になりたいって心意気と、それを無碍にする人間の低い心根なんかが描かれていて優しさの大切さって奴を教えられる。少年よりも広く天才ロボット職人と認められている人の実は女性って設定があんまり目立ってないのが個人的に残念。次があれば見た目とは裏腹な可愛らしさを見せてやって差し上げて。


【7月11日】 おっとしまった「鉄腕バーディー」のテレビアニメーション版の第1話を撮り忘れていたことに今ごろ気づいても襲いんだけれど1話ならDVDなら最初のエピソードなんで買ってすぐに確認できるんで中を見落とすのよりも気分的にはずっと楽。ただしDVDを買わなくちゃいけないって制約はあるけれど。「バーディー」。漫画としては旧版からずっと読んでて大好きなんだけれどもアニメ版は三石琴乃さんの声で出た前のOVA版もまだ見たことがないんだった。ぬるいファン。それだけ原作の強烈さが前に立ってて他のメディアへの展開って奴を気分が許さなかったってこともあるのかな。でも新版のアニメは衣装もなかなかに露出が高いんで見てみたい気が。やっぱり買うかなDVD。描き下ろしの漫画とか描き下ろしのパッケージとか付けばなお嬉しいなあ。

 それから「ストライクウィチーズ」はやっぱりヤマグチノボルさんが書いている「スオムスいらん子中隊」シリーズとは違って片方の眼にアイパッチをはめた少女とかが主役になってイングランド、ではなくブリタニアあたりを根城に戦う話になっているみたい。スオムスはメッタにネウロイの攻めてこない辺境だからこそいらない子たちの戦場になったんだけれどブリタニアはどうなんだろう。文章では読んでいたけれども飛行脚で空を飛び魔法の力でバリアを張ってネウロイを迎撃するビジュアルはなかなかの迫力。加えて見えるしのぞくあれやこれや。白はさすがに少ないけれどもブルマっぽい群青もあれば縞々もあって目に青葉。とはいえこれらは絶対的にアンダーウェアではなく体操着か水着か何かなんだろうと思うと気分も萎えるかっていうとそんなことは絶対にないのだ。目はそれをそれと認識すればすべてそれに映るのだ。思いこめそれと。苺は流石にないなあ。

 しまった「To LOVEる」を撮り逃してしまって替わりに「ひだまりスケッチ×365」ののんべんだらりとした絵が入ってた。まあいいや録画したけど1度も見返していない「ToLOVEる」をここで全消去してハードディスクに余裕を作ろう。流石に3カ月以上も経ったところで見逃すとDVDの発売なんて1年先で我慢して見るのもはばかられるんで縁のなかった作品と内心で位置づけよう。「BLACK CAT」ほど毎回見たいって気力も起きなかったし。「BLACK CAT」で起きている方が不思議だよ。いやあれは1期目のオープニングが格好良かったんだよ。

 評判の散々な「西洋骨董洋菓子店」だけどそんなに酷いものなのか。原作あんまり読んでないしよしながふみさんには「大奥」の設定の凄みをのぞけば入れ込んでいる訳でもないんでぶらーんと見てまあそれなりに漫画な感じが出ているキャラクターが藤原三木宮野の渋く甘く可愛い声が入り乱れて絡み合う様を聞いているだけでも結構愉快。そんな平べったくって白っぽい漫画のコマに描かれている感じが残るキャラクターが、実写っぽくってリアルな3次元CGのぐりぐりした背景に重なって不思議な感じを醸し出している。

 これも1話を逃したけれども絵として凄いんで見ていきたい「魔法遣いに大切なこと ソラの夏」の、こちらはおそらくは実写の写真をベースにして、まさか写真をまんま取り込んでやしないだろうから加工しつつリアルさを残した背景に良く動くキャラが乗った映像と似通いつつもやや違う雰囲気を比べてみると面白い。前の「魔法遣いに大切なこと」が絵的にもストーリー的にも今ひとつだっただけにこの変化は大きな誤算。良い意味で。だからDVDは欲しいけれども余力があるかなあ。なんて感情の万円、ではなく蔓延が世間のパッケージビジネスの衰退を招くのであった。

 そうなのだ。僕ごときの中途半端な人間に、是非にでも万円を買わせるくらいのパワーがなくてアニメビジネスが回ると思わない方が良いのだ。とか言いつつしっかり作品的には微妙さもふんわりと漂っていた「レンタルマギカ」のDVDをおまけ目当てに買ってる人間だからなあ、何がフックになるのか自分でもよく分からない。「ガラスの艦隊」も揃えてるってことはやっぱりおまけが重要なのか。そういや「レンタルマギカ」、初回限定版が7巻でいきなりパッケージデザインを変えたのは何故? 箱入りがビニールケース入りになって並べるとどうしても揃わない。統一感重要。だけどきっと事情もあったんだろう。デカいからおけないとかいった声があったとか。箱の紙よりビニールケースの方がやすいとか。世界は謎に満ちている。

 つらっと浅草橋で開かれていた「メガハウス」のホビー関連の展示会をのぞいたらランバ・ラル大尉とドズル・ザビ中将がぶっとい胴体に分厚い胸板でもって天下を睥睨していた。偉そうぶりではどっちもどっちなんだけれど階級が段違いのは家格の差、か。でもラルだってジオン・ズム・ダイクンの周囲にいた人だから家柄は良いのか。どさ回りの理由って何だったっけ、「ガンダムオリジン」をそろそろ読まないといけないかなあ。でもって「ドアラ」も発見。割と良い出来。本物のあの剽軽さがフォルムに実に良く現れている。やんちゃでもなくかといって鈍重でもない微妙な線。耳の毛なんかもしっかり再現されてて触るとふわふわしてる、のか? ペット用品のメーカーも、コアラに着せる用のドアラユニフォームとか出せば良いのに、ってどこのコアラに着せるんだ。

 「コードギアス 反逆のルルーシュR2」関連だとコーネリア様の「グロースター」がフィギュア化。だけど発売が9月ってもうすぐ終わってしまうじゃないか。その頃にコーネリア様って生きてるの? とりあえず登場はあったけどちゃんと活躍しているの? それよりも「ドキドキ ギアス占い」の方がちょっと微妙かも。発売が9月って既にシャーリーは大変なことになってるじゃないか。咲世子さんだってこんなメイドの格好じゃないし。あっちの忍者な格好で出して欲しいもの。カレンのバニーは良い仕事。ジェレミアもちゃんとギアスキャンセラーをつけている。偉いなあ。んでアーニャは? ジノは? ナイト・オブ・ラウンズは無視かあ。やっぱり脇役なんだなあ彼ら。すでに脇っぽさ炸裂だし。

 レム・コールハースがお台場に立つフジテレビジョンの本社屋を見て磯崎新さんに言ったという。「おい、磯崎、あそこに君の都庁が建っているじゃないか。コンペには負けたんじゃなかったのかい?」。答えて磯崎さん。「え?……ああ……、違うんだ。あれは丹下さんの仕事なんだよ(笑)」。イイハナシダナア。いつかだったか91年の「東京ステーションギャラリー」だったかで磯崎さんの展覧会を見た時にそこにあった今は丹下健三さんの案が実現した形で新宿にそびえ立っている東京都庁の磯崎さんのコンペ案は、横に四角い建物の上に球体の会議室がのっかったなかなかなのデザイン。どこか荘厳で尊大な丹下さんの都庁に比べて親しみやすさもあって良いんじゃないのって思った人も多かったみたいだけれども残念にも選ばれずお蔵入り。それからしばらくしてフジテレビがお台場に立てた新社屋を見たら横長の建物の上に球体の展望室がついていた、その外観にこれって磯崎さんの案じゃないって思った記憶が今もある。

 実際は建つ前にフジテレビがお台場に立てる新社屋の案って奴が出回っていて、それを丹下さんが手がけるって分かっていたこともあっただけに完成した姿を眺め、そして磯崎さんの案を思い出しつつ丹下さんはこれをどういう心境で設計したのか、いつか聞きたいものだと思っていたけどもはや叶わず。しかしコールハースがそれを指摘するぐらいに磯崎さんの東京都庁のコンペ案って世界的に知られていたし話題にもなったいたんだなあ、ってことが松本剛さんの「磯崎新の『都庁』 戦後日本最大のコンペ」(文藝春秋、2190円)って本に書かれてる。先生と弟子の対決、ってテーマだけれど過去にここまで明確に書かれたのってないから大いに貴重。コールハースのコメントみたいなのも出てくるし。

 丹下さんといえば権威の象徴、みたいな捉え方がされがちだけれど権威ってよりは日本という国を建築からデザインする信念を燃やしていたのが受け入れられず、アラブあたりで仕事をして還ってきたら高度経済成長とバブルで理念の抜けた巨大建築ばかりを任されてしまって伽藍堂の虚像みたくとらえられてしまった節があるとか。だから勝ってもやっぱり気持ちにどこか虚ろなところがあって、それが磯崎案を”再利用”することにつながった? とまでは書かれてないけどそうした祭り上げられてしまった権威を遠目で見つつ、己が建築の信念を通して走り続ける磯崎さんには、丹下さんを継いだ形にはからずもなってしまっていた黒川紀章さんとも違った格好良さがつきまとう。安藤忠雄さんもどこか権威が見え隠れするなかで高邁さに斬新さに先鋭さを残す磯崎さん。最近はどんなの作っているんだろう?


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