縮刷版2008年6月中旬号


【6月20日】 脆いものだな吉田カバンといえども、って中にラップトップのパソコン2台とデジタル一眼レフに換えのレンズ1台とあとストロボも入れ「東京おもちゃショー2008」の会場でもらった各社のパンフレットも詰め込みさらに、読まなきゃいけない新刊本も何冊か振り込んであとは「iPod nano」に精神が高ぶった時に抑えるラベンダーのアロマが入った瓶に財布に傘に書類に時東ぁみにぃと平野綾さんのCDを買った時にもらえるブロマイドにまだ当選番号を確認していない宝くじといった具合にあれやこれやと放り込んでいりゃあ幾ら頑丈に縫いつけてあったって肩ひもが根っこからぶっちぎれて当然。たまたまハンドルを手に持ってた時なんで落っこちはしなかったけれどもいざ手に提げるとなると重量感に細腕もきすむ。こんな重量を支えてたんだからちぎれたって仕方がないってもんだ。つかよくこんな重たい物を毎日運んで体に影響が出なかったもんだ。いや突かれやすかったんだけど。それは歳? ごもっとも。

 とはいえ昔買った「クランプラー」のカメラバッグじゃあカメラは綺麗に収まりPCも専用のスロットに放り込めても他に入れられるスペースが小さすぎる。本とかはまだ入っても新刊の文庫を10冊買った日にゃあとてもじゃないけど収まらないしDVDならなお入らない。手に提げて持って歩くのも何なんでここは修繕に出したいけれども昔の家内制手工業だった時代と違って今やオサレカバンの大メーカー。安っぽいカバンのストラップがほつれたくらいじゃあ受けてもくれないしだいたいがどこに持っていったら良いかも分からない、ってかどこで買ったんだっけ、記憶も飛んでる中高年。まあ良いそろそろくたくた感も広がって来たところなんでここは同じポーターのタンカーのダッフルの上から2番目のサイズので、確かあったカーキのバージョンのを探して買って夏っぽさを出そう。夏に黒いでっかいダッフルってのもやっぱり暑苦しいからなあ。冬はじゃあどうする? それまでに手に針と糸で繕うか。それとも修理に出すか。手紙と一緒に送りつけて。

 そして最終回の鐘が鳴ってアニメーション版「紅」は伝説となる。って言うには超絶的な盛り上がりも驚愕的な展開もなくごくごく普通のエンディング。でもそこが良い。異能バトルに階層社会裏社会もくんぐほぐれつの小説版の展開にどこまで現代社会のいけるリアルさって奴を入れ込んでレベルを引きずり下ろすっていうか、フェイズを変えてそれでいて面白いものにするかって所に監督スタッフ一同の腐心があった作品が最後の最後で超能力(ちょうのう・りき)発動によるイヤボーン展開となっては元も子もない訳で、腕に埋め込まれた崩月流の角って設定すら実ははなはだ異色になり過ぎていたものを最後まで抑えそして抑え切らせて、場を治める一種の核兵器的な抑止力としつつ、その力すらも今では余計なものだったと紅真九郎に言わせて、強すぎる権力を当たり前のように感じ頂き続ける九鳳院を牽制。最愛の人を結果として死なせてしまったことに疑念を抱きながらも、家名のために超然とあり続けようとしていた蓮丈の心に楔を打ち込み、広げそして妥当な範囲内での解放へと至らせる。

 父親に逆らい息子を厭い現状への懐疑を散々っぱら口にして来た蓮丈のキャラクター的伏線もそんな所に生きてきて、当主は俺だ的にすべてを決めて紫を抱き寄せ娘として扱うよーになった後はとりあえず安心、しぶとい父親は押さえ込み家名にすがる息子も真九郎に破れて天狗の鼻が折れたところを踏みつけ遠ざけそして自分が当主として、本格的に事態の打開に挑んでいくことになりそー。何だやっぱり良い奴だったんだ。自分の居場所を失いかけてる本妻がこの後にどう出るか、息子と君でひとつ反乱でもってことになるのもストーリーとしては考えられるけれどもそこは一緒に浄化されて蓮丈の良き妻となって紫の成長を目を細めて見守る……なんてことはないな、でも権力を掌握した蓮丈には就いて行かざるを得ないんだろうけど。そこだけは打算的。変わらない。

 あれだけの腕前を発揮できるんだったら最初に息子と戦った時だっていなせたはずなんだろーけど真九郎、できなかったのはそれだけ崩月の技を使うのに躊躇してたってことなのか。一緒に学び成長して来て好意も寄せてる夕乃さんの立場がないなあ、彼女は絶対的に逃れられない運命から崩月流を学びそれを身につけているのに。全否定されたってこと? でもちゃんとメールは打っていたから憎悪嫌悪はしていないっぽい。じゃあなんだ。うーん微妙。銀子も立場的には夕乃と並列? メール同着だったし。そんな真九郎の技を見ただけでとりあえず修得してしまった弥生さんもなかなかの使い手だったってことか。だったら最初にリン・チェンシンを……ってのもそこはそれ、流儀じゃない技をあっさりと見せるほど愚かではなかったってことか。

 そんな感じに弥生sあんが繰り出す、ちょいタイミングを外してふらりふらりと迫る軟かい拳法を最初の1突きはともかく2度3度とリン・チェンシンが食らっている理由がちょっと分からない。あれだけの格闘技の天才なら見て受けてすぐに学んで反撃したって悪くないのに。そこはやっぱり弥生さんが相当な使い手だったってことか。だからだったらアパートでも……って辺りのバランスだけは最後まで気になった「紅」。でもストーリー的にも演出的にも絵的にも、ベストを越えるくらいのクオリティで最初っから最後までを好きなく楽しませてくれた。原作と違いすぎるってのも原作と同じだったら本を読めばそれで良い、でも新しいものはアニメだけでしか見られないっていった考え方をすればこれはこれで素晴らしい。音楽も最高。縁起も最上。だからこのメンバーでもう1本、続きをって気もして来たけれども流石に裏十三家が大活躍する超能力戦争を、今さら繰り広げる訳にはいかないもんなあ。だからこれでおしまい。ありがとうと関係者にお辞儀。OVAとかあったらちょっと嬉しい。

 ああ水本裕貴選手。その木訥な風貌とひたむき過ぎるプレーぶりから真面目さナンバーワンだと思いガンバ大阪に移籍したのもその真面目さから選手に対して今ひとつケアのなっていないチーム事情に不安を覚え自分のサッカー選手としての将来も鑑み断腸の思いで決断したに違いないって感じていたのに行ったガンバで試合に出られないからってあっさりと移籍。出られないってまだ始まって半年で慣れない4バックに溶け込もうとしている最中でここから頑張りひとつスキルを身につけるころによってどんな場合でも対応可能なスーパーディフェンダーが生まれるって期待もあったんだけれどそういう状況が我慢ならないくらいに自分を今時点でもってスーパーディフェンダーだと思い込んでしまっていたのだとしたらちょっと寂しい。

 ガンバで勝てない人間が代表争いに勝てるのか? いやまあそこは代表でキャプテンだったディフェンダーさえ試合で使わなかった監督が率いるチームなんで何とも言えないけれども歳もいった選手とちがってまだまだひよっこ。ここからだって十分に逆転の目はあるはずなのに、それすら我慢できない所に何か特別な事情でもあったと想像するしかないのかな、単に我が儘だって見るべきなのかな。ともあれ移籍先も決まったみたいでボランチに知り合いの佐藤勇人選手もいて溶け込むことだけは大丈夫そう。加藤久監督も選手の戦術ガチってよりは選手の適正を見つつ組み立てるっぽい人そうだし、何より提携しているグルノーブルにはあの祖母井さんがGMでいるんでそっちへと引っ張ってもらおうなんてしたいるんだとしたら木訥そうにみえてなかなかにしたたか。というかそうじゃなきゃあビーチバレーの浅尾美和選手との浪漫話なんて出やしないか。つまりは人間、顔じゃないってことで。ああ羨ましい。


【6月19日】 でもってようやく鎌谷悠紀さんによる漫画原作の方の「隠の王」(スクウェア・エニックス)を刊行されてる8巻まで読了。放送終了まで読まないつもりでいたけれども清水の家で起こった事態がいささか唐突だって感じた上に最強なはずの母ちゃん当主がああもあっさりと叔父に斬られてしまう状況が納得いかなかったことに加えて、雷鳴と雷光の仲直りがあんまりにあっさりし過ぎてて間に積み上がってはドロドロと煮えたぎっていた感情がするりと解消されてしまった状況に、あんまり理解が及ばなかったんで確かめる意味もこめて一気に買って一気に読んでなるほどと了解。

 叔父はじわりじわりと雷光も引き込み仲間を焚きつけそして一気に迫ろうとしたもののそこはそれ、当主の正論っぷりに仲間も引こうとした時に正々堂々を脱ぎ捨て恨みだけで突っ走ってはまだ若い雷光を襲い、守ろうとして母親の当主は斬られてしまったという段取り。それでも叔父が刀を振るいはじめた時に自らも抜刀すべきじゃなかったのかって不思議は浮かぶけれども、叔父の卑怯っぷりを読みたくないくらいに純粋に清水の家の教えを信じ、家門の人たちを信じてしまっていたってことなんだろー。そうした経緯を聞かされれば雷鳴の雷光への怒りも沈むってもので。少年君の犠牲もあったし。

 ってことでそこまで終わったテレビアニメはこれから甲賀編へとやっぱり行くのかな。若くてぴっちぴちなキャラクターもいっぱい出てきて楽しそうだけれども声とか誰がやるのかに関心、眼鏡の委員長とかとりあえず。あとは黒岡野しじまちゃんかあ、ひょこひょこと歩く姿が何か不思議でそれでもって可愛らしい。そんな動きも含めた単純なのに巧みな線が見えてくるこのあたりから、鎌谷悠紀さんって漫画家の凄さがだんだんと感じられて来た。あとはやっぱりストーリーか。甲賀編も8巻までには片が付いていよいよ現れる強大な敵を相手に萬天はどう戦うのか。でもって壬晴と宵風はどーなるのか。アニメがどこまで行くのか分からないけど漫画としての続きをもはや見ないで済ますことは出来なさそう。アニメがきっかけて買わなきゃいけなくなったシリーズが「ソウルイーター」に続いてまた増えた。これって出版社の思うつぼ。だけどやっぱり出来が良くなきゃ買わないからそこんところは間違えないよーに。

 漫画ばっかり読んでいては仕事にならないと若王子ラムネさんって人の「吉祥!GOOD☆LOOKS」(ガガガ文庫)を読む。うーん斬新、なのかどーなのかが迷いどころではあるけれども、弱小野球部を新米のマネージャーが奮闘して立て直していくってライトノベルの分野でも最近結構あたったりするスポーツ系ストーリーに、占いやらオカルトな要素を加えさらに主人公の少女を二重人格的にしてしまったてんこ盛りっぷりが妙におかしい。幼いころから虐められてた反動を魔法と占いの研究にぶつけてどうにかマスターした少女が、その修行の完成を目指し最初に出会った人の言うことを聞くってことで入ってしまったのが弱小野球部。そこで強豪チームと戦う羽目になり、選手のひとりひとりを占い打順を決め、撃つ球の何球目かをラッキーナンバーから決めつつ裏ではあれこれ魔術を繰り出し相手の選手やその家族を呪い浮き足立たせるといった展開のエスカレーションぶりが、読んでいてせり上がるよーな楽しさを感じさせてくれる。

 さすがに「撲殺天子ドクロちゃん」的な超絶無比の爆裂っぷりは感じさせてくれない一方で、野球そのもののテクニックを突きつめ戦術をめぐらせ勝利をつかむんだって最近のスポーツ物にありがちな、分析と描写の緻密さからも外れていたりするところが、読んでいて宙ぶらりんな感じを覚えさせてくれるけれど、バリエーションの豊富な占いの様とそれに従い校庭に池をつくり、試合中にベンチの側で穴を掘るシチュエーションも思い浮かべればそれでなかなかに壮絶。異常さを味わいつつ登場人物たちが前へと向かい目的へと進む行動の格好良さを感じつつ、その原動力となって眼鏡をとればやんちゃさ炸裂、かければ静かだけれどやっぱり行動は妙な主人公のあたるちゃんのキャラっぷりを堪能するのが、ここは適切ってことだと認めよー。とりあえず次に期待。しておくか。

 でもって「東京おもちゃショー2008」へと早朝からえっちらおっちら出向く。前日もやっぱり「東京ビッグサイト」で開催中の「ヘルス&フィットネスジャパン2008」に見物に行ったばかりの連日連夜は厳しいけれども楽しいんだから仕方がない。というかだから「東京おもちゃショー」は1階の1番良い場所にあったタカラトミーのブースから見物、「ヤッターあんこう」って何? そんなのいたっけか。「ヤッターキング」はいつ出るんだ。いろいろ楽しそう。アニメは最近どーなんだ。でもってパスタを作る「パスタパスタ」ってのに注目。スパゲティを作るマシンなら普通に売られているけれどもこいつはマカロニだとかラビオリだとかいった小さ目のパスタをちょろちょろっと作れる便利なマシン。作りさっとゆでてトマトソースに絡めるなり、サラダにするなりにして食べれば気持ちはイタリアーン、健康で明るいラテンな日々をきっと送れることだろー。暗くてじめじめとした会社生活に乱れ気味な働く女性の支持を集めるか。

 あとはどこだったっけ、いっぱり有りすぎて覚え切れないけれどもとりあえずバンダイの「5秒スタジアム」のブースに高橋晋平さんはいなかった。お疲れ? 連日の発明ぶりとメディアへの露出ぶりではパンクしたって仕方がない。まさか近所に歩いていた「5秒マン」の中に入ってた? それはないとか。早い回復を祈念いたします。さらに「イケメンバンク」。西川史子さんって実は良く知らない美人女医さん、って言われる人もイケメンを従え登壇して行ったデモンストレーションが「結局はお金よね」って結論へと果たして落ちついて良かったのか。そりゃあイケメンを育てられてお金も貯められるって内容は最後にお金が残ることに間違いないけど、加えて夢も得られるってゆー部分がある。それをとっぱらってお金に収斂させるその口振りに西川さんの夢を売るアイドルたちとは違ったリアルな世界でも活動している人ならではのリアリティを感じてしまう。何というプラグマティズム、って意味あってたっけ。

 コクヨのヨコクのコクヨの関連会社が何でまた。いやまあそれでもペンテルとかも玩具を作っていたりするから不思議はないのか、ってことで「東京おもちゃショー」で見た商品でも1番くらいに関心して心に残ったのがコクヨS&Tって会社が作ってる「ワミー」って一種の平面方ブロックで、平べったくって細長くって柔らかいピースの四隅のスナップをはめ込んでいくだけでいろいろな形を作れてしまうのが素晴らしい。ボールだってハンドバッグだってお手の物。ペンギンみたいな動物系も花飾りのようなファンシー系も思うままで工夫次第でどんな形だって作れてしまいそう。

 そんな自在さに想像力と創造力を喚起され、やってみたいって気を起こさせてくれた久々の玩具。人気のキャラクターをこれで作ればメディアなんかの食いつきも多そうなんだけれど、それをライセンス料を払ってまで自前でやるのは小さい所帯の玩具チームにはちょっと無理。なので腕に覚えのある造形家にはこれで人気の「ガ」で始まり「ム」で終わるロボットとか、それに出てくる「ザ」で次が「ク」なロボットなんかを「ワミー」で付くって展示して、そっち方面への認知度を上げてやって頂きたいものだと懇願。それくらいに広まって欲しい商品なんだよなあ。


【6月18日】 7冠の獲得を見たのは記憶だと西新宿の住友ビルだかそのあたりの前庭で行われていた大盤解説の場所で、解説に登壇していたのは誰だったっけ、忘れたけれどもともかく大盤を使ってあれやこれや手を進めている間にすでに対局は投了したみたいで、実はすでにといった感じで羽生善治さんの王将位獲得が明かされて晴れて天下無双にして前代未聞の7冠制覇が成し遂げられた。それからちょっと経って三重県に行った時にあれは何戦だったんだろう、時期的には名人戦? か何かが鳥羽のホテルで開かれていてそこでも大盤解説が開かれていて、のぞいて次の1手予想に参加してついでに7冠の揮毫が入った扇子を買ったっけ。今ではもう作れない扇子だから結構貴重なものかもしれないけれども相変わらずに部屋のどこにあるのか分からない。

 そんな当時ですでに16世の中原誠さんの後に連なる17世名人は谷川浩司さんじゃなくって羽生さんに行くんじゃないかって言われていたのに名人位を長くは守れず失い17世の称号は谷川さんが獲得。ならばと18世を期待してたらそっちは前名人の森内俊之さんが資格をとってしまってもうしばらく羽生さんには名人に縁がないのかなあ、大看板の竜王も逃して長いしなあって諦めていたら何と今年の挑戦者となり、そして4勝2敗の悪くない成績で5期目となる名人位を獲得して晴れて19世の永世名人の資格を得てしまった。取る時ってのはあっけなく取るもんだなあ。

 それにしても19世。なかなかに興味深い数字かも。これが18世だとブルボン王朝でルイ18世が大変な目にあった過去もあってあんまり縁起もよろしくないから19世に廻ったってのも決して悪くはない。割り切れない素数ってのも良い。素数ならだったら17だってそーなんだけれど17と19じゃあ19の方がシャープな感じ? まあ結果としてデビュー当時から応援している羽生さんが取った数字だから他にも増して良い風に見えてしまうだけなんだろうけど。これが20世なら20を2でも4でも5でも割り切れるって讃えたし、21なら21世紀に最初で最後の永世名人だって讃えたんじゃなかろーか。何ていい加減な。

 実を言うなら22世が良かたったって気分があって、それは名字の似ている(いっしょだよ、読み方以外は)サッカーの羽生直剛選手のジェフユナイテッド市原・千葉での背番号だったから。でもそこまで行くには19、20、21の永世名人を誰かが獲得しないと始まらない。もっとも羽生さんを押しのけて活躍できそうな若手の人が渡辺明竜王しかいないってのが目下の問題点。近い世代で名人位に就いていた人も佐藤康光さんが2期で丸山忠久さんが2期なんで、あと3期づつ足りないし渡辺竜王に至っては名人位の挑戦争いができるA級ですらない。上がって勝ち抜き挑戦して5期を抜くまで何年かかるか。そして佐藤さん丸山さんが名人位に就いて3期を重ねるのに何年かかるか。

 最短を考慮したって10年以上も先の話で、その間に羽生名人が名人にならないはずがないからここはやっぱり19世になるしかなかったんだと見よう。20世はしかし誰だろうなあ、やっぱり佐藤さんかなあ、棋聖戦で羽生名人を退けられれば可能性は高そう。負けたらちょっとそろそろ息切れかな。戻って羽生名人は竜王位があと1回で永世竜王か。こっちは1世を是非にあげたいなあ。それには渡辺竜王の防衛を阻止しなきゃ。今期がチャンス。本気のタイトル戦での渡辺vs羽生が見たいなあ。今年は見られるかなあ。まずはトーナメントで深浦康市王位を撃破だ。

 少女な価値がまるでないんじゃないか「クリスタルブレイズ」の最終兵器。男共を安心させて引き寄せるとか、女たちを同情させて引っ張り込むとかいった活動に役立つ幼い少女の形態をとっとと脱ぎ捨てでっかいキチン質の外殻を持った怪物へと変形。質量保存の法則に従うならばきっと少女は滅茶苦茶なでぶちんか、それか怪物は中身のぺらっぺらな張りぼてだったってことになるんだろうけどそんな可能性は微塵も見せず、巨獣は巨獣として闊歩してはたいした伏線もなく指輪をはめた見方を攻撃。デルモ軍団も女ボスまでも叩きつぶして研究者のボスへと迫る。いったいぜんたいどーなってるんだ。これなら少女じゃなくても怪物を用意しておけば良かったんじゃないのか。あるいは少女が研究者のボスとは血縁関係にあって慕う怪物化した少女にボスは抱きつかれバラバラにされて死ぬとかいった悲劇でも想定しているのか、いないよなあ、「クリブレ」だもんなあ。

 裏切ったはずの先生はあっさりと元の鞘におさまりすたこら退散。ナースのせっかくの戦闘装備も発揮されることなく最終回へと向かいそう。発動した核関連施設の自爆装置を止めて研究者の野望を砕いて一時のヒーローにはなるんだろうけど、お偉い人たちの不興を買ったことは事実でそれで仕切ってたポリリンちゃんはどこかへと行ってしまった模様。そんな町に残ってシュウたちが元のよーな探偵稼業に打ち込めるとも思えないし、サラだってそろそろヤバそうで後に切り札として残る可能性もちょっと見えない。誰も徳をせずかといって正義も貫き通せなかった後の虚無感って奴ばかりが漂い、マナミもアヤカも絶望の縁へと引っ張って、暗くドンヨリと終わってしまったとしたらそれはそれで世紀に残るユニークなアニメーションになるかもなあ。どんな結末、見せてくれるんだろう。ここまで来たんだから見守ろう、最後まで、しっかりと。

 凄まじいばかりの怨念というか激しいばかりの憎悪というか、もはや意志としてオタクと呼ばれる層の排撃を狙っているとしか思えない言葉が朝のキオスクあたりに溢れかえっていて気が滅入るというか目が腐れる。なるほど宮崎勤死刑囚はアニメも漫画も嫌いではなくビデオも集めていた「オタク」の一種だったかもしれないけれども、それと犯した事件との間にいったいどんな関係があったのか。オタクだからこそ犯した事件だという証拠もなければ確信もなくむしろ個人的な心性にこそ理由を探るべきだといった論調が一般化している中にあって、誤解どころか曲解も甚だしい「『オタク犯罪』に楔は打てるか 宮崎死刑囚執行」なんて見出しをひねりだしては、新聞の1面トップ記事に張り付けてみせる。

 これが老人の凝り固まって融通の利かない心情に働きかけたいと旧来からあるメディアに掲載されたのならまだ分からないでもないけれど、何と使われたのは20歳代とか30歳代といったサブカルチャーに浸り現代のライトなオタクに近い完成を持った若者層に、新聞ってメディアを売り込んでいきたいって意図をもって作られた新聞の1面。そこに挑発的というよりもはや不協和音に満ちた叫声でしかない言葉を並べて平気でいられる人間と、並べさせて堂々としている人間たちにもしも道を歩いていてばったりあったら、きっと全身から放たれる負の情念に撃たれその場にへたりこんでしまうだろー。

 そこん家とは親戚なメディアにも「秋葉原無差別殺傷事件 “記念撮影”する傍観者たち」って記事が載って秋葉原に集うオタク的な人間の不思議さをことさらに強調しようってトーンに溢れていたりして、でも例えば同じ事が渋谷であったらやっぱり通行人は携帯電話で撮影しただろーし原宿だって池袋だって巣鴨でだって同様のことが起こったはず。ドラマとか漫画とかの中にそーした無関心な若者の無遠慮な様が描かれているのも見たことがあって、もはやオタクとは無縁に若い層の特質、いや若い層に限らず日本人に気質として浸透しかかっていることでもあって、そうした心性をやれ特ダネだとか衝撃映像だとかいった煽りでもって放映しては称揚しているテレビメディアが育て蔓延らせているってことを糾弾すべきなのに、「『アキバに集まってくる若者はアニメやゲームといったメディアで死体を見慣れている。しかもアキバという“劇場”で起きたから、リアリティーに乏しく、虚構の出来事のように思えたのでは』と話す」と書いて秋葉原だけを、オタクたちだけを特殊化する。

 そんな訳あるかい。見慣れてなんかいるかい。ホラー映画と戦争映画が好きな奴らの方がよっぽど見慣れているけど現実の死体をみればやっぱり戸惑い立ちすくむ。あまりに非日常的な事が起こりすぎて頭がパニックの果てに虚ろになってこれは現実じゃないと逃避の果てに、日常の延長のような振る舞いをしたがるって可能性はあったかもしれない。それだけ秋葉原での事件が凄まじかったってことで、秋葉原に来る人の属性に由来する行動とは言えそうもない。にも関わらず、そうした可能性を微塵も考えないで誘導して糾弾する。憎んでいるのか、憎めと言われているのかは分からないけど大変な所にメディアとして立っているよーな雰囲気が伺える。

 まあ幸いにして「オタク犯罪」と書いて平気なメディアも、事件から目を背ける若者を断じたメディアも4万キロの彼方にありそーなんで、道とか廊下とかエレベーターでばったり出会う機会もなさそー。心配なのはこうして戸惑いと憤りしか生み出さない見出しを堂々と張り付けてしまって果たして売れるのかって部分で、それとも売れないからこその攻撃と転向かって感じもしないでもないけれど、どっちにしたってどうなったって4万キロの彼方での他人事、関係ないっちゃーないんだけれどバタフライ効果って奴は地球の裏の裏からだって届くからなあ。毛布でも被って津波の通り過ぎるのを待ちたいけれど、できるかな。

 オー、ラッキー。歩いていたらアソビットシティで「こどものじかん」の第1巻の初回限定のボックス用ランドセルが付いた奴が1980円で出ていてこいつは実用に使えるかも、って買ってしまったけれどもあの小さいランドセルを背負って秋葉原なんて歩いた日にゃあ胡乱な奴だと制服に寄られ囲まれるのが落ちなんでやらない。かといって会社に持っていくのも大変だし。だいいちパソコン入らないし。ここは既に購入済みの1本を永久保存としつつ今回の1本を取りだしランドセルの中に揃えている「こどものじかん」のDVDを放り込んで本来のボックスとして活用させて頂くことにしよー。あと何個かあったけれども小物入れとして買っておくべきか。


【6月17日】 そして地方では削られた公共工事費が目的とした工事が行われず、受注に期待していた土建屋さんは資金繰りに行き詰まって破産し一家逃離散の憂き目を見るその一方で、老朽化した橋は直されず堤防は積み上げられず道路は補修されないまま起こった集中豪雨によって、橋は流され堤防は切れ道路は陥没して下流の村落に水が流れ込み救出は遅れ人命に損害が出てしまったという、そんな事態が朝倉総理の小児科医を増やすという決断の陰で起こり得るんだという可能性も、決してないとはいえない状況に触れないままで、いたずらに成果ばかりをうたいあげる単純さを諸手を挙げて歓迎してしまう心性への疑念は抱いてしかるべき。というかそういった可能性も伺わせてこそ政治というものが持つ意味、総理という立場における決断の重要性って奴を世に問い分からせることが出来るってものだろー。「CHANGE」の話。

 だから来週とか再来週に補正予算の組み替えが受けた影響によって一家離散の目に遭ったり、災害事故による被害によって大変な境遇においこまれた子供が現れ朝倉総理の前に立って涙を流し、それが朝倉総理の心を惑乱させるなんて展開があってそれを小事と切り捨て大事に挑む為政者としての気合いって奴を見せてくれるなり、あらゆる問題のすべてを解決してみせる超人的善人の凄みってものを見せてくれなければ単なる幼稚な良い人ごっこに終わってしまうと思うんだけれどそうしたものを伏線に埋め込み回収するような余裕もあんまり見えないしなあ。

 場当たりの正義って奴を振りかざしてそれが解決すればとりあえずは良しってカタルシスに酔わせる程度が精一杯。2話目だかに出てきて陳情の果てに総理の気持ちよさを讃えた泉谷しげるさんだって、その後に何か凄い役柄で再登場するかと思ったのに今のところ出てきてないから。確か出てきてないよね。つまりはやっぱり単なるおやじに過ぎなかった。そんな相手の言うことを聞いて気持ちをすっきりさせただけで、結局は役に当てなかった無様さが美談になってしまっているこのすり替えを、続けていてはいずれ底も割れるってもの。永劫の喝采を浴びたいのならここからが勝負と思い短い難題も遠い命題もともに咀嚼し、時には英断決断の類を蛮勇も振るいつつ行い突き進む、大総理の姿ってやつを描き出して欲しいんだけれど、無理だよなあ、トレンディなドラマには、やっぱり。

 そしてどえりゃあ(名古屋弁でとてつもないの意)早起きをして総武線から中央線快速を乗り継いで新宿へと向かい、タイトーのゲームセンターで開かれたスクウェア・エニックスの「ロードオブヴァーミリオン」ってカードゲーム機の発表会を見物。和田洋一社長も出てくる会見だけに、例の秋葉原での事件に関連して使われた武器が登場するゲームを出している会社のトップとして何を思うのか、なんて聞く所も出てくるかって思ったけれどもそこはゲーム業界を主戦場とするメディアの寄り集まり。ちゃんとゲームの無関係性を理解し、敢えて無茶して聞く人もおらず平穏な空気のまんまで無事にテープカットを終了する。ああ眠かった。

 そりゃあなるほどゲームの中に出ているって言われりゃあ出ているかもしれないけれど、それが森羅万象をひっくり返すような万能の武器って訳でもない。見てこれかと思い買って凶行に及んだとはとてもじゃないけど言えない状況を、どーしてメディアはわざわざ引っ張り出したのか、って所に何か陰謀めいたものを感じたくもなるけれど、おそらくはきっと書いた共同あたりの記者が、過去に楽しんでプレーした際の記憶に残っていた名前が秋葉原で振るわれたナイフと一致したことを、半分は自慢したい気持ちも込めてそれがいろいろ想像を惹起するとは思わず、ついつい引き合いに出してしまったって所なんじゃないかと勝手に想像しているけれども果たして。記者なんて万能でもなければ全能でもないただの人間。弾みと拍子で突っ走ってはけつまずいて泣きを見るものなのだ。迷惑な話ではあるけれど。

 とはいえこれはやっぱり何かの共振めいたものを感じざるを得ないなあ。新宿から戻り半分眠りこけていた机に響く共同のピーコから聞こえてきたMの死刑執行の報。既に確定してしまった以上はいつか来るものが来たということになるし、犯した罪に対して現状の法制度では妥当とも言える判決ではあったんだろーけど、このタイミングというものにあるいは意図があるのかないのか、そこが知りたくって仕方がない。もっとも「たまたま」だなんて事を言う法相なり、それを支える完了の真意って奴が外には決して漏れては来ない。だから想像するより他にない。まず幼女が好きなオタクだからこそ冒した凶行であったという、そんな記憶を当然のよーに死刑執行に絡めて盛り上がる過去をほじくりかえす報道の中から惹起させつつ、そこに秋葉原での事件を重ね凶行に及んだ人物のパーソナリティにもやっぱりオタク的な要素が見えることを漂わせ、関連づけて世論のそうしたカテゴリーにいる人物に対して、ネガティブな感情を改めて抱かせる。

 さらに今まさに国会あたりで議論されている、そうした人物を生み出しかねないんだと引き合いに出される児童ポルノへの規制強化の動きを世論の面から支え盛り上げ成立させるのみならず、人々の頭に眠っている過去のうち、記憶の真実からは離れて濁った情報を改めて引っ張り出させてはやっぱり強力無比な規制が必要といった感情を煽り立て、真っ当な神経では認める訳にはいかない思想信条の自由であり表現の自由といった部分に踏み込み、規制する動きまでをも支持させる、といった意図なんてものをそこに感じてみたくなる。そこまでの深慮遠謀を巡らせられるほどの叡智が政治行政の世界にいるともちょっと思えず、単に上っ面の単純な牽制でしかないのかもしれないけれど、もしかするととんでもない怪物が日本を掌握して動かし始めているのかもしれず、そんな相手に立ち向かうだけの力も快勝もないままに潰え滅び去っていくだけなのかと身も震える。寒い時代になったものだ。合掌。

 日本で1番の玩具は何かを決める賞なんてあって当然と思っていたら、これがなかったと知って吃驚。まあ業界団体がやろうにも会員のメーカーの間にたってあれだこれだと白黒着けるのもはばかられるっていった感情もあったんだろーけど、半ば外様として金融界から来て今はバンダイナムコホールディングスの社長に納まっている協会長にはそーした内部のしがらみよりも大事なことがあったんだろー。ってことで第1回目の「日本おもちゃ大賞」って奴が決まって、5つの部門から1つづつ、その年で最高って玩具が選ばれた。記憶だとトミカのでっかいのと超小型のスロットカーとセガトイズのアンパンマンレジスターがあってそして、バンダイのテレビにつなぐ200倍の顕微鏡と、あとはご存じ「∞(むげん)プチプチ」が受賞した。

 話題性と売れた数じゃあ「∞プチプチ」がダントツなんで、もしも5部門の大賞からその上を決める賞があったらこれが輝いていたんじゃなかろーか。会長がバンダイで受賞もバンダイじゃあお手盛りと見られちゃうからなかったかな。でも審査委員長の北原照尚さんもお墨付きを出すくらいに公明正大な投票で決まったらしーこの賞。信じてあげるに吝かじゃないし「∞プチプチ」だったら人気知名度売れ行きから大賞の大賞になったとしても認めて構わないんじゃなかろーか。インパクトあったからなあ。「萌えプチ」には負けるけど。

 興味深かったのは今年の8月くらいまでに出ればとりあえずノミネートも可能ってことで、バンダイの顕微鏡のようにそんな中からの受賞も実際にあったみたい。まあ1年先に出るかどうかってゲームに期待賞みたいなのを与えて、発売されたらパッケージにその旨を貼ってもらって宣伝に役立ててもらうといった類のゲームの賞もあったりするんで、未発売でも賞を出して悪い訳じゃない。っていうかゲーム性とはまるで無縁のプロモーションビデオ段階で期待もへったくれもないのに賞が出てしまうゲームに比べれば、すでに商品として固まっていて製品としても体験可能な品物が、賞をもらうのに何の不思議も異論もない。

 個人的にはまあ顕微鏡よりはタカラトミーの二則歩行ロボットが住所うするのがイノベーション・トイとしては相応しいって気もしないでもないけれど、すでにメディアに露出して人気も高く、洞爺湖サミットじゃあおみやげとして配れるとかどーとかっていった「アイソボット」が今さら取るより、新しい玩具に輝いた方が玩具市場全体の活性化って意味では効果もありそー。そこらあたりにはちょっぴりの差配があってもまあ、ゆるせるかな。でも買わない。買ってカメラの縁に家の中を動き回る得体の知れない無視が映ったら恐ろしいんで。カサカサ。ゴソゴソ。


【6月16日】 紅真九郎と黎星刻と皆本光一の共通点に心当たりがある皆々様におかれましては、幸せなアニメーション視聴環境が続くものだと強い共感。まあ真九郎の場合は向こうはどうだか分からないけど当人的には守ってあげたい妹的な感情だろーし、皆本ははなっから子供扱いしては、掛けられた暗示で大人に見えてしまうチルドレンたちの媚態にドギマギしてしまう程度の関心具合。子供のまんまのチルドレンにはいささかの興味もございませんって顔してる。でも星刻は違う。もちろん表向きには臣下でも下の下に近い場所にいる武官であって恐れ多さも桁違い。好ましく思う感情なんておくびにも出さない。けれどもそうした表面的な態度の下に滾った熱い感情は、身分を理解しながらも命を賭して貫きたいっていった強さ、激しさに溢れてる。

 対して天子も同様にひげ面の中年男なんて袖にして星刻の元へと駆け寄りたい気持ちに満々。顔だって赤らめちゃって可愛さ炸裂なんだけれども事態はそんな二人を別々の場所におしこめ、かたや囲われ奪われようとしている可愛い虜囚、そしてこなた天子を奪還しようと宦官たちに従い、ナイトメアを駆って「黒の騎士団」を追いつめようとしていて、その間にあるのは一触即発の危機だったりする、かと思ったらそこは知恵は回れどしょせんはシュナイゼルに手玉にとられるだけの間抜けな宦官たち。星刻ら反乱を起こした一味を捕らえルルーシュたちを追いつめようと考えたところに慢心も生まれて来週あたりにつけ込まれ、星刻も含めた一大合衆国連合なんてものが誕生してはシュナイゼルたちブリタニア帝国を退ける展開へと向かうんだろう。そうでなくちゃあ話が進まないし。

 それにしても天子。素晴らしすぎだぞ天子。すっかりご無沙汰で今いったいどんな感じにエリア11を統治しているのかローマイヤーさんに毎朝毎晩虐められているのかと心配になってしまいくらいに出番が少ないナナリーに代わって、すっかり星刻同様に世間の人たちを夢中にさせてしまってる。「黒の騎士団」の船に乗せられ膝をかかえてうずくまっているその姿の何という美しさ。この場面がポスターにはいって自販機で売られるようになったら絶対に買う、もう買う、たとえ100回に1回しか出てこなくっても100回買う。それくらいの可愛らしさでルルーシュに迫れば彼だって人の子、何とかしてあげたいって思って日本より中華連邦の再生に全力を傾けることになるんじゃなかろーか。ナナリー? 誰だそいつはってなもんだ。そんな天子はいったいいつまで出ていてくれるのかなあ。悲劇にはならないことだけを願いたいなあ。

 だから出すなら「ツンデレバンク」だろうと突っ込みたくなり、実際に突っ込んでおいたけれども開発の側にそれだけの思い入れがないから今はとりあえず仕方がない。思いはむしろ女性において発揮された恰好で、あのバンダイからその名も「イケメンバンク」なる商品が登場。説明によれば「500円硬貨を投入すると、イケメンとのドキドキのストーリーが始まります」って代物で、つまりは貯金箱ってことで声が聞きたかったらどんどんとお金を入れていけ、100枚たまればクリアーだってことでホストに貢ぐ感じで声を聞き、ゲームを楽しんだ上にしっかり手元に5万円も残るとゆー内容に、歌舞伎町あたりからホストの死活問題だって反抗の声でも果たして起こるかな。それはそれでちょっと愉快。ちなみに貯金箱も5日間、放っておくと中のイケメンさんがどこかへと旅だってしまうそーなんでご用心。発売は9月とまだ先なんで、楽しみたい人はボーナスのうち5万円を今から500円玉に変えて手元に置いておくこと。使ったらダメだよ。

 ツンデレバンクだったらもう端的にくぎみー釘宮理恵さんだってことで声は確定なんだろうけど、イケメンな場合はタイプも多けりゃ幅も広いんで悩みどころ。最初に5人のタイプから選べるそーで「クールなモデル」「明るい芸人のたまご」「優しいお坊ちゃま」「年下のスポーツマン」「包容力のある年上」がいたりして、かわいいな」「ホント最高の女の子だ」「なでなでしてあげるよ」「最近キレイになった」「キスしたい……」「抱きしめてもいい?」とか言ってくれるらしい。ああ背筋ゾクゾク。んでもってどんな声になるかってところが肝心なんだけれどもそれは「東京おもちゃショー2008」での発表までお預けらしいんで個人的にあれこれと予想。「クールなモデル」は子安武人さんか。「明るい芸人のたまご」は神谷浩史さんあたり? コミカルな役も出来そうだし。「絶望したっ」って叫ばれたらついつい入れたくなっちゃう。阪口大助さんでも良いのかな。でも甘えられるとけ飛ばしたいってS(エス)な心もくすぐりそう。それだとお金は貯まらないから悩ましい。

 「優しいお坊ちゃま」はうーん、いっぱい居過ぎて分からない。ルルーシュじゃない「マクロスF」のルカを演じる福山潤さんでも良いし、「おおきく振りかぶって」で三橋を演じた代永翼でさんも面白そう。「年下のスポーツマン」はうーん、「おおふり」の田島を演じた下野紘さん、とか? 女声が演じる場合もあるけど貯金箱で女性ユーザー相手ではなあ。斎賀みつきさんなら大丈夫か。「隠の王」の壬晴を演じるくぎみーでもまあそそられる女性がいるかも。「包容力のある年上」はやっぱり大川透さん? 中田譲治さんでは年上過ぎるか。郷里大輔さんも以下同文。指摘で井上和彦さんってのもあってこれはなるほどクールなだけじゃなくってちょい、甘さも含んだ大人の猫なで声って意味では「DARKER THAN BLACK」のノーベンバー11の例もあるだけになかなかなはまり具合かも。諏訪部順一さんは甘いけど軽いか。「隠の王」の雷光もちょい軽すぎるんだよなあ。そんな軽さが一気に雷鳴との仲直りを不自然に思わせないんだけど、ってあんまい誉めてない。

 1週間の区切りを終えて秋葉原の事件の被害者を悼む献花台は「ソフマップ」の前の歩道から、中央通りを挟んだ旧日通本社の跡地で進められる建設工事の現場前の歩道へと移転。昨日までとはうって変わって取り囲むテレビカメラは1台も見えずスチルカメラの人もなく、もはやすっかりメディア的な関心を失ってしまったって感じ。昨日と今日とで何が変わるっていったら彼らの内のバリューなだけで事件の重さに変化はない。むしろこれから取り調べも始まり事件が意味するものも見えてくるってことなんだろうけど、世はすでに関心を東北へと向けそして遠からず洞爺湖へと向けて行ってしまい、後には騒がれささくれだったオタクへのネガティブな関心ばかりが残されて、当方の身をチクチクと苛むことになるんだろー。

 あるいは7月末の49日辺りが混雑の次の山場になるのかなあ。ここらあたりで法要とか営まれては偉い人とか遺族とかも来て合同慰霊祭なんて行われる可能性もありそー。一般人にはあんまり関係ないんだろーけど。あとは新盆となる8月のお盆に合わせて灯籠流し、は無理だけれども提灯をかざして送ってあげるお祭りとか行われたりするのかな。ってお盆って東京では世界屈指の漫画祭りが繰り広げられている最中で、そこから流れて来ては手にハルヒだのこなただの両儀式だのといったキャラクターが描かれたり提灯を持って、秋葉原を詣でる人とか出てきそう。悼む気持ちに上下ないけどやるなら普通の人には迷惑をかけず、火の始末には徹底注意をお願いしたいところ。

 関連するなら「東京・秋葉原殺傷:発生1週間 ホコ天が消えて、活気も消えた 嘆く電器店主」 って記事で「漫画のキャラクターの衣装に銀髪のカツラをかぶ」った恰好をして献花に来てそして聞かれて「『ホコ天という囲いの中でエネルギーを発散していたのに、これからは街の周辺で過激な行動が起きるんじゃないか』と批判」した人のよーなスタンスで臨めば、いかがなものか感じが醸し出されるんじゃないかってこと。ホコテンはそもそも囲いじゃなくって広く一般の人が集まり散策する場所。何かを発散する場所では全然ない。なのにそこを発散する場所と思い込んだ人たちが無茶をした結果がテレビのいらぬ関心を引き寄せえ、そしていろいろ悩ましい事態へと至ってしまった。だからこそ自重して身を律し発言すべきところを「過激な行動が起こるんじゃないか」って脅しめいたことを言うのは逆効果。他では発散できない鬱屈した精神の持ち主たちが集まり、小さく爆発していたホコテンなんてなくして正解、なのにそれを逆恨みする暗い奴らですよって印象を世間に与えかねない。

 いや待て、あるいはそーした印象を導き出したいがためにこーした発言を引っ張り出したのかこの新聞記事は。オタクは暗くてじめじめしていて秋葉原のような場所で徒党を組んでしか発散できない胡乱な奴。でもって追い出されようとすると逆恨みをして脅し文句を口にする危ない奴。記事から浮かぶそんなイメージが広まってはもはや歩行者天国の再会どころか再び秋葉原をオタクにとっても安心して楽しめる街にしよう、なんて動きも雲散霧消し、清潔でそして薄っぺらい商業地へと堕していってしまう。それを画策したい奴らがいて、そこに1枚乗って動いているメディアがいるって構図? 分からないけどともかくあんまりよろしくない記事。なので取り上げられた人にはそんな高飛車で威圧的な態度なんてまるでないのに、そう受け止められて迷惑だよってアピールをしてもらいたいんだけどさてはて。


【6月15日】 そして日本は見事に2010年の「FIFAワールドカップ南アフリカ大会」への出場を決め……違ったまだ3次予選の突破が決まっただけなのに、息切れ感も出始めていて次に果たしてどうなるの? って不安の方がまだまだ残っていたりするのは3次予選ですらどこかに不安を抱かせる戦い方をしてしまうサッカーの日本代表が、最終予選に居並ぶアジアの強豪相手にどれだけの戦いぶりを見せられるのか、未だ判然としていない所にあるんだろー。セットプレーはなるほど連続して決まっているけどそれが最終予選の相手にも通用するのか。しないとなったらやっぱり崩して抜け出して奪わなきゃいけないんだけれど、サイドじゃ持ったらゴリゴリとやるプレーヤーが重用されてばかりでどん詰まり。それでも3次予選なら突破できても最終予選の厳しい守備では跳ね返されて奪われカウンターから失点なんて場面も目に浮かぶ。もうはっきりくっきりブルーレイ画質で目に浮かぶ。

 別にドリブルで切れ込んでも良いけど奪われる前にフォローの選手に渡してそれから走り込んで受け取る動きがないからそこまで。それともドリブルで切れ込んだところでお役目は果たしたってことなのか。違うだろう。ひとり中村俊輔選手がパス出しをしては走り受け取りまた見渡してって動きをやって形を作っているけれど、他に動く選手もいなければせっかくの視野の広さもパスの正確さも意味がない。そして中村俊輔選手がいなくなったらって最悪の場合だって想定した時にすべてが沈滞して瓦解していく羽目となる。そうしたくないからこその積み上げをやって来たのになあ。それがスイスとの戦いで、エジプトとの戦いでようやく出てきたのになあ。ほんの半年ちょっと前のことだったんだよなあ。まあ仕方がない、それが日本の選んだ道って奴だ、くっきりを瞼に刻んで最終予選を見据えそこで起こる出来事を受け止めよう。

 またもや「What ’bout my star?」(空耳で聞け)な回だった「仮面のメイドガイ」は、揺れてこすれると先端は黒くなってしまうものなのかどうなのかって命題を投げかけてくれたんだけれどこればっかりは回答不能。コガラシだってきっと応えられない質問なだけにここはフブキさんに実践してもらいたいけど、それで黒くなっても困るしなあ。いや黒いかどうかってのは実はあんまり気にならないんだけれど。黒くないのだって見たことないから本当にそれが黒いか黒過ぎるのかなんて判断できなのだ。とはいえ進まない話にいったい遺産相続の件はどーなったんだと思っていたら、次週には少しばかり話が動きそう。前に出てきた双子だかのメイド忍者も出てきていろいろやりそうだけれどそれでどこまで進むか、それともやっぱり「What ’bout my star?」な話に収斂するのか。通すならそれで貫き通せ。

 真夜中にようやくやっと購入済みだった劇場版「空の境界 俯瞰風景」のDVDを見る。絵柄もストーリーも全然違うんだけれど静けさの中で観念的な言葉の応酬が繰り広げられるってところに、押井守さんの「迷宮物件」だの「ご先祖様万々歳」だの「機動警察パトレイバー The MOVIE2」だの「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」って作品をを思い出してしまったのは僕がとてつもなく歳を食ってしまっている証拠か。音楽も別に川井憲次さんじゃないんだけれど梶浦由紀さんの凛として心をざわつかせる旋律が、川井さんとどこか重なって聞こえてしまうんだよなあ、刷り込まれているなあ。でも一部は溝口肇さんにも聞こえたりするんだけど。やっぱり刷り込まれ過ぎだよなあ。お話はだから割に単純で、鬱屈の果てに拡散した精神に引っ張られて起こる悲劇を潰す美少女戦士、って感じだけれども底冷えしてどこかにいじらしさも漂わせるヒロインの雰囲気に、やっぱり惹かれる人も多いんだろー。絵の確かさと戦闘シーンの格好良さは流石に一級品。次は出たらさっさと見よう。ハーゲンダッツが食いたくなって来た。

ワンルームでひとり食うのが乙なんだけれど不可能なのだ座る場所がないのだ  ってんで恵比寿ガーデンプレイスに行ったついでにコンビニでハーゲンダッツのストロベリーとボルヴィックを買って昼食代わりに一服。これって原作にあったんだっけ、もう随分と前に読んだものなんでその辺りのディティール、すっかり頭から抜け落ちてしまっているよ。協賛ってんならハーゲンダッツは日本法人にサントリーが出資してるし、ボルヴィックはキリンビバレッジが出してるものだから2つが一緒に並ぶなんてこはあり得ないからやっぱり誰かの趣味なんだろう。ガーデンプレイスには風車がぐるぐると廻って夏の空に映えていた。風を感じて空を見上げているとうざったい奴らの偉大な存在に対する献身ぶりが滑稽に思えて仕方が無く、ここからどこか遠くへと遁走したくなって来たけど流石に飛ぶのははばかられるのでぐっと堪えて前を向く。どっかに行きたいなあ。

 恵比寿へはだから森山大道さんの展覧会を見に行ったのでありまして、デビューしたてのまだ荒れてもブレてもない写真から始まって「プロヴォーク」あたりで見せた都市の持つ強さや猥雑さ、そこに生きる人たちの奔流のように滾るエネルギーを瞬間に切り取るような写真へと至り今へと続く写真家としての仕事っぷりが、一望に俯瞰できて圧倒される。街撮りじゃあボケはさせずにひたすらにスナップして歩く荒木経惟さんの方に僕の好みも寄っているけど、森山さんのは選ばれる対象もその切り取り方もとにかく恰好良くってスタイリッシュ。こんな写真が仕事でも撮れれば最高って思わせてくれるんだけれど、手にカメラを持って街とかビルとか車を撮ってもまるで似ないのは腕の差か機材の差かプリントの差か。対象を引き寄せ刻み込む力の差。まあそんな所なんだろうなあ。

 大昔に買って家のどこかに眠っている「ヒステリックグラマー」から出た3冊のうちの1冊の、街に人まで含めて写されている写真集に入っていた作品も展示してあって懐かしい雰囲気。あれはだいたい1995年とかそんなもので、写っている風景も現代と割に近いはずなんだけれどよくよく見ると看板が「三菱銀行」だったりして、今はもはや存在しないそんな固有名詞にたった10数年の間に日本が被った大激変の凄さって奴を改めて噛みしめる。当時もバブルが弾けて景気は左前な感じに低迷を続けていたけれど、それでもいつか戻るだろう期待もあったし、そうでなくっても真面目に生きていればいつか良いこともあるんじゃないかって期待は抱けた。

それでも秋葉原は続いていく  それがどうだ。就職したくでもできず日雇いで派遣されて稼げる金は雀の涙。10年後どころか3年後だって描けない袋小路の中で心は荒み、体は縮こまってそのまま消え去るか逆に反動で大爆発して大暴走へと突き進む。モラルは消え去り矜持は失われ金でプライドを売り渡して恥じない輩が跋扈し高みへと出世していく。そして訪れる10年後にこの写真を見て何を再び思うんだろうか。そもそも10年後は迎えられるんだろうか。時の記憶を刻み込んで後生に伝える写真の凄みって奴を感じさせられた展覧会。続く「ハワイ」展に写し出された今も変わらずスピリチュアルな楽しさと明るさに溢れたハワイの光景が、モノクロなのに極彩色で目に輝いて心を誘う。ハワイに行きたいなあ。それが無理なら常磐ハワイアンセンターでも。ああ常磐にすら行く資金がない。困ったなあ。

 そんな恵比寿から渋谷へと出て副都心線とやらに乗って池袋へ。何だかすっげえ混雑ぶり。池袋なら別に地下鉄に乗らなくたって地上を山手線で走った方が楽だし早いって気もするけれどもやっぱり初物に弱いのが江戸っ子って奴なんだろー。副都心線の渋谷駅のホームはやたらと巨大だったけれどこれは東急東横線の入線を考えての設計かな。池袋からは丸の内線で後楽園に出て「嵐」のコンサートを見ようと押し寄せたりチケットを求めて佇むジャニーズファンの女の子たちの模様を眺めそして総武線に乗り換え秋葉原へ。路線から見下ろす中央通りは歩行者天国が中止になって人はおらずかといって日曜日なので車も走らず静かな感じ。ちょっと不思議。

 電車を降りるとそれでも歩道に人がいっぱいで、早速向かった「ソフマップ」前にはつめかけた献花の人たちとそれを想像通りに取り囲むテレビカメラやスチルカメラでごったがえしていてやっぱり献花台には近寄れず。1週間って節目だからと予想はしていたけれどもやっぱり感は拭えない。恵比寿でアフリカとかイラクとかの最前線で戦争の悲惨さを撮りタイで少年少女がエイズに冒され苦しんでいる様を撮った写真や映像を見たばかりなだけに、誰もが集う場所で誰もが考えつく映像を撮っている彼ら彼女たちのスクラムを組んでの“報道”ぶりに余計に不思議な印象を抱く。

 志を抱き高い競争率をくぐり抜けて今の場所へとたどり着いた人たちだけに、それがやりたい訳でもないんだろうけどやらないといけないと思い込んでいる上が未だに蔓延っている以上、徒党を組んでの金太郎飴な仕事ぶりはやっぱりなくならないんだろうなあ。そして外には飽きられ中には腐れ総体として朽ち果てる、と。東北の地震でも崩壊した温泉の上空を夕方のニュースに合わせて同時に飛ぶヘリが数機。絵として欲しいのは分かるけれどもきっと下では救出を求める人の声に耳を傾けようとする人たちの心にいろいろと浮かんだに違いない。秋葉原のモラルをどの口が糾弾できるのか。悩みは尽きない。ハーゲンダッツ買って帰ろう。


【6月14日】 ようやくやっと見たアニメーション版「紅」はリン・チェンシン相手に強そうに見えた犬塚弥生さんが何やら耳元で囁かれた途端に弱々しくなってしまって袋叩きの憂き目に。またまたダメっ子になってしまいましたとさ。紅香の弟子なのに。かくいう柔沢紅香だって下っ端相手には強いところを見せていたのに、リン・チェンシンが追いかけてたどり着くとちょっぴり苦戦となって女中さんを犠牲にしてしまう羽目に。そして奥の院では竜士までもが拳をふるって紅香を追いつめる。

 いくら教わったからといって弟子が師匠をそうそうに飛び越せないのは、紅真九郎が崩月法泉にたぶん絶対に勝てないのと同様なはずなんだけれども油断もしてたし戦闘も重ねて付かれていたのか圧倒できないまま、竜士は紫を連れて更に奥へと逃げていき、紅香は真九郎をつれて一端退散。弥生も拾って逃げ出す算段をしていたんだけれど、そこは向こう見ずで無鉄砲さが残った真九郎だけあって、紅香を置いてひとりふたたび九鳳院の巨大な屋敷へと向かっていく。ようやくやっとヒーローらしくなって来た。

 火力膂力のどれをとっても随一な紅香があっけなく破れ退散するあたりにこのアニメーション版のリアルの線って奴が見えるというか、あまりにひとりをスーパーマンにしてしまっては、あるいは全員が超人だったとしたらそれはそれで迫力は出ても、今さら感も同時に浮かんでその他大勢の作品と一緒くたにされてしまう。それを承知で超人ばかりにしつつ別の方面、すなわち白見せまくりな演出でもって大勢を引きつける「一騎当千」みたいな作品もあるか悪いわけじゃないんだけれどもそればっかりでも食傷してしまうから……すいませんご馳走はどれだけ食べても別腹です。「とらのあな」に流れるプロモをまじまじと見つめてしまいます。

 そんな特別はそうはないからここはあくまで人間という範囲で誰しもを留め、そして戦っている最中にひとり腕から謎の角を付きだして、崩月流の奥義を究めた真九郎が唯一の超人として立ち上がり、敵を粉砕しつつ恐怖の対象とされ、存在に悩んだりするととろをそれでもお前が好きだとかいって紅が寄り添い抱きしめて、大団円へと向かう展開からきっと超人バトルの乱戦から逆転に告ぐ逆転で勝利をつかむっていった、割とよくある話とはまた違った感動も浮かぶんじゃなかろーか。そうなるって保証はないけど。リン・チェンシンはしかし凄まじい強さ残酷さ。表情とかも可愛いのに恐ろしい。この体技と「図書館戦争」に出演中の双子の柴崎の頭脳が合わされば、世界でも最強のキャラクターになりそー。是非に合体を。パーキングエリアでカレーライスを食べてる紅香に庶民を感じた人大勢。そこら辺りが「紅」が醸し出すリアルさのリアルさたる所以って奴で。

 5億だとか何とか言われた豪勢過ぎるプロモーション費用でもって、どかんどかんと爆音を鳴り響かせて創刊された講談社の「KING」があっけなく休刊とか。それでも2年は良く保った方で、創刊号からして終末感が漂い出ていたその惨状に3カ月はさすがに体面もあるから無理でも、半年で休刊へと至るかと想像していたらあれやこれやと特集面で色を着け、内容なんかにも工夫をこらして保たせようって努力を重ねてここまで引っ張って来た。それもすべてが無駄だったってことなんだけど。毎月出るもんだけに雑誌って売れないと半端じゃないくらいの赤が出るって聞いていて、それが2年も重なればきっと被った損も宣伝費用なんて追い越していそうな想像も可能。漫画雑誌だったらそれでも単行本で取り戻す手はあるけれど、普通の雑誌ではそれも無理だからなあ。

 気が付くとこれまた鳴り物が秋葉原池袋といった一部方面で高らかに鳴り響いていた「メカビ」も続きが出ないままで休刊に。極端には売れていなかったってことはなさそうだし、値段もそれなりだったから損は出ていなかったか出ていても「KING」の1号分より少ないんじゃないのって想像なんかもしてみるけれども、それでも休刊ってのは何だろう、1誌「KING」だけが休刊になっちゃあ目立ってしまって、立ち上げた人の責任問題とかになってしまうのを薄め例えば紙代の値上がりだとか景気の減速だとかいった理由を織り交ぜ、構造的なリストラクチャリングを行う一環として全面的な見直しを行った、なんて理由を付けていたりするのかな。趣味の多様化に対応、ってんならまさしく多様化された趣味の狭いセグメントを衝いた「メカビ」なんて最たる好例だったのに。おかげでオタク記者座談会に出る機会を永遠に失ってしまったよ。そもそも認知されていないんだけど。寂しいなあ。

 まあ偉い人が音頭を取って喇叭を吹き鳴らして立ち上げたプロジェクトが、途中で(あるいは最初っから)無理だと判明して日々血が大量に吹き出る状況に陥ったとしても、それを指摘して責任を問えば偉い人の体面を潰してしまいかねないからと、言わず下っ端は粛々と従い続け、じりじりと体力をすり減らし続けるって事態は過去にもよくあること。偉い人だって潰されたくない体面があって、無理でも維持し続けては下に向かい打開策を要求し、従って下も無理に無理を重ねた挙げ句にブランドすら汚してしまうような真似を平気で行ってしまって、崩壊に至るって事態もたまにある。最近だったら「船場吉兆」の一件なんかが一例。出版社だとジュニアの趣味が屋台骨を揺らした中央公論が似た状況だったのかな。新聞は知らない。知りたくもない。

 でもねえ、いくら平目の如くに上を見て頑張ったって、事が起これば切り捨てられるのは下っ端だけで、偉い人は責任なんてとらずに居座り似たようなことを繰り返すってこともまた世の常だ。「KING」の音頭をとった偉い人だってやっぱりずっと居続けては次のプロジェクトに乗り出すことになるんだろー。まあほらあそこはそもそもが同族企業でなおかつ非公開。社会に対する責任とかってそれほどない訳で、働く人たちもそんな上の振る舞いに着いていけるか、着いてはいかず横目で見つつ己が道を突き進んで売上利益に貢献できれば問題はない。これが公正中立を重んじられ、社会に対する責任も重大な場所で起こったらゆゆしき問題なんだけれども幸いにしてそうした状況は、閉じられた目には入らずふさがれた耳にも聞こえて来ないから一安心。世界に残る良心って奴の有り難さを噛みしめ今を生きていこう。おや今ガリッと音がした。

 いやあイタリア。強いのか弱いのかイタリア。弱い訳じゃないんだけれども得点を奪えない症候群は続いているみたいで「EURO2008」での対ルーマニア戦でも1点を返すのがやっとでブッフォン選手のPKストップが無ければ対オランダ戦と同様に負けて晴れ舞台から退場って憂き目に遭っていた。ルカ・トーニ選手にボールも集まり落としもあればシュートもあって今にも入りそうな感じがあるんだけれど決まらないのが不遇なサイクルの常って奴。デルピエロ選手でもカッサーノ選手でも割れず奪えないままかろうじて引き分けを維持したけれども次のフランス戦で勝ってそんでもってオランダとルーマニアの行方次第ではフランスとイタリアの優勝候補とやらが共に退場って事態にもなりかねない。こんな時にこそ頼れるスーペル・ピッポがいれば巧妙にディフェンスラインをくぐり抜け、得点を決めてくれたものを。得点力不足はどこもいっしょだなあ。オランダを除いて。

 そのオランダは凄まじい破壊力。いつもだったら内部から崩壊していくところが今回は長老選手がいないためかまとまりも良さそうで、そんなチームを率いる偉大な監督の存在もあって一体感をもって臨んでいるみたい。あとはやっぱりタレントの多さか、アリエン・ロッベン選手にルート・ファン・ニステルローイ選手にロビン・ファン・ペルシ選手にピエール・ファン・ホーイドンク選手……はいないけれどもエドウィン・ファン・デル・サール選手にラファエル・ファン・デル・ファールト選手とファンファンファンなメンバーも揃えて相手を粉砕。マジックじゃないディルク・カイト選手もいたっけか。そんなメンバーが織りなす攻撃はイタリアに続いてフランスのディフェンスを縦横無尽に千切りまくって4点を奪い勝利しグループリーグ突破を決めた。そんな得点の場面を半分くらい眠りながら見てたんで実はほとんど生では見てないんだけれどもいずれにしても凄い奴ら。調子が続けば優勝だってありえるかな。ここでルーマニア相手にメンバーを緩くし敗れたらイタリアとフランスにとっては大事。せいぜいが真剣勝負を求めていくことになるんだろーけどオランダ人、イタリアとフランスは好きだったっけ。


【6月13日】 総支給額の7分の1が所得税でとられ14分の1が厚生年金保険料でとられ40分の1が健康保険料でとられあと諸々で総支給額の4分の1が最初っから抜かれた手取り額が「封仙娘娘追宝録」の作者の人の名前を想起させる実状にこれで不惑も厄年も過ぎた名ばかりとはいえそれなりな場所にいる人間なのかとじっと手を見てため息をつき同じ大手町なら1000万様とか中外様ならさてはてどれくらいに達するとか、築地ならどうとか竹橋ですらもうちょいとか想って気力に萎えも出てきたけれどももらえるだけでも有り難いと無理にも自分を納得させ、いずれ来るだろう終末に備えて貯蓄へと回す大半から少しばかりを抜き出し銀座の「トラヤ」でパナマ帽をあつらえる。安い奴。ボルサリーノとか高額なのもあるけど2年で汗が染みて茶気ってくるパナマに金はかけられないってここは虚勢。いつかは被れる日が来るか。来そうもないな。魂までも売り渡してしまった挙げ句の未来なんて。

 21世紀で最高の映画だってば「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」。DVDが発売になってコンプリートエディションの方の特典映像に我が原作者の滝本竜彦さんが登場しては劇場版を大絶賛。上がってきたシナリオの上っ面だけキャラクターを撫でて青春の成長ストーリーに入れ込もうとしていた製作側の考え方に対して、違う全然違うまるで違うとダメ出しを続けたが為に映画化まで随分とかかったくらいに思い入れのある原作。だから完成したといってもダメならダメだとはっきり言うなり最初っから逃げてばっくれて出て来ないだろうところをしっかりと出て、訥々とながらも喋る大絶賛しているって部分に、原作と違う、キャラクターが違うと言って映画を見なかった人たちは敬意を払って、レンタルでも構わないから1度映画を見ておいた方が良いとここは断言しておこー。3度見てそれでもDVDを買った人間もいる程だし。レンタルってコンプリートエディションもあるのかな。なければインタビューが見たければ買うこった。石丸電器あたりだと5000円切ってるし。

 特典映像では北村拓司監督のインタビューもなかなかの見どころで、前にインタビューでも聞いたことだけれどもあのチェーンソー男は、山本陽介に倒された訳では決してないってことを改めて喋ってくれていた。だったらあのシーンは何なんだよって疑問を抱く人もいそーだけれど、それはつまりはチェーンソー男は絵理ちゃんにとっての心の壁であって、それが消えたのは絵理ちゃんが壁を乗り越え闇を払えるくらいに快復したからで、そこに陽介の介入が効果を発揮したって意味はあってもだからといって陽介の、今に満足せずかといって踏み出す勇気も抱けないままだらだらと、流されながら生きている自分に嫌気がさして逃げ出したい退場したいと思う気持ちは完全には払えていない。彼には彼のチェーンソー男が残っていて、それを越えない限りはどん詰まりの突堤の先っぽに留まって、振る雪を見上げながら月より現れるチェーンソー男を待ち続けるしかない。束の間のハッピーエンドの向こうにあるのは長い幸福かそれとも別離か。踏み出す決意をだから迫られているんだってことをどん詰まりの突堤に感じて明日に自転車を漕ぐ。後ろに乗ってくれる絵理ちゃんを探し出す方が先なんだけど。

 あとはやっぱり絵理ちゃんを演じた関めぐみさんのアクションを撮影したシーンのメイキングが最高。ホントに泳いでたんだプールとかで。なるほど圧倒的にスピーディーな殺陣のシーンとか名場面のひとつって言えそうな振り回されるチェーンソーの刃に片手を乗せて側転するシーンはスタントの人が演じてるみたいだけれども遊園地でふわっと中空に駆け上がるシーンは機械でワイヤーを引っ張る技術でもって思いっきり引っ張り上げられているし、木刀を手にチェーンソー男と刃を交えるシーンもしっかり関さんが担当。ぱしっぱしっと決まるシーンなだけに振り回すスピードだけでなく、ピタリと止める力の両方が必要なんだけれどもそれがいちいち恰好良く決まるから素晴らしい。ここまでやってくれるんだったら他の監督もアクションシーンに使いたくなる筈。美少女剣士の登場する漫画とかゲームとかライトノベルのドラマ化映画化を考えている人は是非に起用をご検討のことを。

 それにしてもどういう訳だかライトノベルは先月あたりから美少女剣士の大量出現。死神と並んでトレンドになっているのは行き詰まりを感じてしまっている世界が死を望んでいるからか、男性諸子が女の子にぶった切られたいってマゾヒスティックな願いに沈んでいるからなのか。発売になったGA文庫の新刊なんて新シリーズっぽい4冊のうちの3冊で表紙の美少女が手に武器を持っている。まずは舞阪洸さんの「サムライガード 警護寮から来た少女」(GA文庫)は長い黒髪の少女がセーラー服姿で手に日本刀をかざして佇んでいる表紙で、やっぱり黒髪の美少女が腰から抜刀しようとしている表紙絵の富士見ファンタジア文庫から出たばかりの「狗牙絶ちの劔1 ―刀と鞘の物語―」なんかと重なるっていうか短期間にこういうのばかり書くくらいに美少女剣士が大好きっていうか。「狗牙絶ちの劔」は体に刀が入り込んでしまった少年が巻き込まれていくって話だったけれどもこっちは設定自体にある工夫。

 徳川幕府が明治維新でひっくり返らず続いて迎えた21世紀には将軍家がまだ残っていて、土岐川清海は実は徳川将軍家に連なり20数番目の継承権も持っていたけど20数番目ではまだそれほど重要視されていなかったものが何故か10番台後半の人たちに事故が相次ぎ気が付くと20番以内に入ってしまっていた。これは大事と急に護衛がつけられることになって現れたのが手に日本刀のサムライ少女、愛生愛香。生真面目なのか真面目な振りして冗談好きなのか分からない不思議なキャラクターぶりの一方で剣の腕は天心無明流の免許総伝と凄まじく、現れ始めた刺客を共に警護にやって来たこっちは小柄の忍者な毬藻も使って撃退していく果てに浮かぶ妙な陰謀。清海を都心から遠ざけ蝦夷地にある完全警護の学校へと送り込もうとする企みの狙いが排斥なのかそれとも保護なのかが見えない中で以下続刊とはうーん、ちょっと世知辛い。せめて1つは謎の解明とカタルシスが欲しかった。

 将軍家に連なる者と知ってか知らずか清海にラブレターを送り一方的に懸想を見せる雪乃って学園きっての美少女の振るまいも謎といえば謎。裏があるのかそれともないのか。無いのだとしたら理由は何だ。そうした含みもあれば興味をさらに不覚抱けたのになあ。清海も妙に大人っぽくって愛香を武家の頭領然として扱うし雪乃の積極的なアプローチにもデレっとはしないで毅然と振る舞う。類型にあんまり当てはまらないキャラって所には好感が持てるけれども類型から足りない情報を埋めて想像してキャラクターを見ていく技が使えないんでつかみ所のなさもちょっぴりわき上がる。まあ巻を重ねていけばその辺も埋まってより強いキャラとなって美少女剣士や忍者も従え活躍してくれると期待しよー。雪乃はいったいどうするんだ着いていくのか蝦夷は青春動物園へ、ってそれは「ズウ」だ。

 んでもってこっちは西洋風の剣を持ったメイド服の美少女が表紙の神野オキナさん「ぷりんせす・そーど1 戦うサツキとプリンセス」(GA文庫)。いやこの場合は美少女かって所も実は微妙だったりするんだけれどもともあれ異世界から来たお姫様と戦士風の少女ジリオラが、肥満体をダイエットしたら途端に見目麗しくなってしまった五月って少年を騎士に抜擢。現れた敵と戦うべく戦士風の少女が五月にキスをするとジリオラは身を剣と変え、そして五月は美少女へと変わってしまったから驚いたというか面白いというか。だから剣を振るう表紙の少女は少女なんだ前に尻尾(尾じゃないじゃん)は付いてないんだと信じたいけど真相は描いたイラストの人だけが知る。個人的には尻尾はついていないと思いたい。

 さても実は大の男嫌いだった剣に変化する能力を持つ武騎人のジリオラは男性姿の五月とキスをしても気がのらないのか強い武器にはなれない。ならばと現れた腐女子の同級生が五月を完璧に女装させ、そして魔法で中身も変えて臨んだ戦いは、いろいろなペナルティもちらつかされてどっちに転ぶか、いやむしろ転んで欲しいって気持ちに駆られながら手に汗握って展開を楽しんでいける。変身場面で流れ込んで来る情報を通じて説明された国と国との争いを騎士と武騎人のペアに代理させるって設定は殺伐とした国家間の戦争を個々のパーソナリティに収斂させてコミカルな展開の中で消化できるメリットもあるけど、代理された挙げ句に破れて酷い目に遭う国民もいるって想像を働かせるとあんまりいい加減にも戦えなさそう。むしろ1人に背負わされた責任の重さが戦いをスポーツではない真剣勝負、それもとてつもない重大な勝負に高めているって見ることも出来るだけに女装は嫌だ男は嫌いだって騒いでペアにならない五月とジリオラの煮え切らない態度にもツッコミを入れたくなる。良いじゃん五月ちゃん、そっちに固まったって。むしろ固まって欲しいと願いつつ期待しつつ続きを待とう。

 でもって剣でも刀でもない釘バットを手にした少女が表紙の中里融司さん「サティスティック・エージェント」(GA文庫)も仕入れてこれだけ武器が多彩なら手にモップの……それは「メイド刑事」で既に登場しているか、ならば手にゴルフクラブの美少女ゴルファー戦士とか手におたまの美少女主婦戦士とかが主役のライトノベルってのも遠からず出てくるかもなあなんて想像しながら購入した「アニメイト」を出て通りがかった秋葉原は「ソフマップ」前の献花台の周囲には今もってテレビカメラがわんさかといて取り囲んではいないけれども献花した人にインタビューを続けてた。いったい今に及んで何を聞きたいんだろう。ナイフの販売禁止とか歩行者天国の中止とか、ファクトがあればその反応をそこでとれるから便利って考えもあるのか。街を歩いてもカメラをかついだ人がうろうろ。初七日を迎える土曜日もきっといっぱいのカメラが待機するんだろー。既にやって来たらしー麻生太郎に刺激を受けて立ち寄る偉い人とか、初七日を節目に訪れるかもしれない遺族とかを待ち受けて。


【6月12日】 「くふふー」って笑い声の妙な粘っこさが耳についてはなれない「狂乱家族日記」の死神3番。ですぅーって喋りもふくめてどこかお仕事っぽ雰囲気がときどき落ちては心底よりの叫びになったりするあたりの演技に冴えを見る。森永理科さん巧い人になったなあ、たぶん「月蝕歌劇団」での何かの公演で見ていたりするのかもしれないんだけれども最近はすっかり声の人。それも「怪物王女」のフランシスカの「フガ」から「瀬戸の花嫁」の銭形巡まで幅広い演技をこなせる人になっていた。でもって「くふふーっ」。怖いよ底冷えするような笑い声だよ。でも素顔は絵なだけあって割に可愛い。これがあれなら「BLACK LAGOON」のバラライカ姉御なんて凄すぎるけど姉御は姉御で色っぽいんだよなあ。人はだから見かけ以外の何かが重要。死神3番には仮面の裏に押し込められた淋しい気持ちがにじみ出る所に愛を感じて惚れて差し上げよう。残る話数でもまた出てくれるかな。

 アッキーナもご登場の予定だった大型イベントが中止になって「メタルギアソリッド4」が発売となった秋葉原に予想されたような発売を記念する賑やかさはなく、どこのショップも店頭に品々を並べてアピールする通常の新発売って雰囲気。あいにくの雨で出店も作れず呼び込みもなくって、そんな光景を中央通りのソフマップにはられたスネークが静かに見下ろしていた。何せ主人公が銃器とか持っちゃって戦うってイメージがあるゲーム。ゲスさで鳴るタブロイドとかがこんなタイトルを秋葉原で売るなんて不謹慎だの何だとの騒ぎ立てるかもって心配したけど、知ってる人は知ってるとーりにスネークは撃っても麻酔弾でナイフは電撃を出せる奴。それで眠らせしびれさせ、潜入していくってキャラクターだからなぞらえよーとすると無理が出る。だからどこのメディアもゲームの内容からイベントの中止を連携させては語っていない。

 でもそこは無理を承知で騒ぐのが習い性なメディアなんで何をしてくるのか不安もいっぱい。普段は公序良俗から外れたネタを飛ばしてる癖に妙にかしこまって良い子ぶって、ちょうどアソビットシティの前に花束も手向けられているってこともあってそんな場所で不謹慎だ何だと言い出しかねないから悩ましい。歩行者天国は中止になるみたいだけれども表現にまでいちゃものが及んで街がさっぱりすっきりになってしまっては相手の思うつぼ。幸いにしてそーした事態にはまだ至ってないのはそれだけ表現に及ぶ規制の難しさを誰もが認識しているからで、その辺りがこれからも考えられ続けていって欲しいけれども世の中って広く一般の考えから乖離した所で意見が作られていく傾向があるからなあ。マスコミの脳内とか霞ヶ関の奥の院とか。でもってそれがオーソライズされてしまう恐ろしさ。まだまだ注意が必要かも。こんな不思議な質問も飛び出して来てるし。

 いやいやこれは違う、まさか世間に名のあるメディアに所属している人間ならば脳味噌に皺がまるでなくって周囲の空気がまるで読めないド阿呆ってことは絶対にあるはずはなく、従って阿呆のふりをしているんだとここは理解するのが正しいんじゃなかろーか。そうでなければ秋葉原での殺傷事件で使われたナイフはゲームにも出てくるんですって前に振った上で、だからゲームは取り締まるべきだなんて具合に、あからさまで裏側がはるか銀河の彼方まで透けて見えるよーな誘導っぷりを行っては、世間のあれやこれやな評判を呼ぶような質問を作って、世間のあらゆる人が見るネットの上にさらして答えを求めるなんて背筋に紙ヤスリをかけられてから、練りわさびを唐辛子も込みで刷り込まれるくらいにひりひりとしてぞくぞくっとする自虐的な真似をできるはずがない。

 だから言うなら質問が求めているのはあまりにあからさまな過ぎる設問のあからさまぶりを読みとって、あからさまだと指摘してくれるような人たちの存在であり、ダガーナイフなるものがゲームに出てきたことと秋葉原で殺傷事件が起こったことの非関連性をロジカルに説明して、ゲームは規制すべきだなんて方向へと質問を持っていく非合理的な誘導を行うメディアのあからさまっぷりを指摘して、そんなメディアには注意した方が良いよってことを示唆してくれる人たちだ。そんな人たちがこんなにもいるんだってことを、自らを下げて阿呆な質問を行ってみせることで証明しようとしているに違いない。何て自己犠牲の精神に満ちたメディアなんだろう。素晴らしい。美しい。作った人たちに感謝の頬ずりをして差し上げたいけれども僕の普段いる場所からは4万キロも彼方なんでちょっと無理。だからここは心からすっばらしい質問をありがとうって感謝の投げキッスを贈ることにしよー。ちゅっ。

 秋葉原で飯を食って経済を支えるつもりになる活動の一環として今日もきょうとて路地裏の「マンモスカレー」でチキン煮込みトンカツトッピングの大盛りカレーをかき込む。なるほど前に言った時もルーが「CoCo壱番屋」っぽいなと思ったけれどもチキン煮込みってメニューの存在がさらにそんな印象を強めてくれる感じ。脱CoCoの人の店なのかな。最初の時はやや味が担当というか奥が浅い印象もあったけれども開店から1カ月以上が過ぎたからか煮込みも出来ててしっかりとした味になっていた。これなら通っても大丈夫かな。ハンバーグとかメンチカツとかウィンナーのトッピングを試しにまた行こう。「キッチンジロー」はいつ復活するんだろー。

 でもって「ソフマップ」前の献花台は「メタルギアソリッド4」の発売状況を見た朝方にはカメラもなくって存分にお祈りできたけれど、夕刻となるとワイドショー向けの映像が欲しいのかまたぞろ戻ってきては接写中。なかなかに頑張るというか執念が奥深いというか、そこまでして張りついたって新しい要素なんて出るわけはないんだけれどもニュース性ではなくって場をつなぐ背景としてそういう絵が必要だって思い込んでしまっているんだろー。無意味を意味のあるものと感じて走っても世間はとうに無意味さに気づいて飽きている。乖離がやがて行き着くのは決定的な別離。それを現場が分かっていないとは思えないんだけどなあ。分かってないのかなあ。阿呆のふりをしていないんだとしたら阿呆きわまりない設問をネットに挙げて平気の平左な4万キロの彼方にあるメディアも同様に。

 だめだまるでサイドを使おうって意識がないのはサイドに人がいなかいかってよりは中央で溜めて両サイドに振る役割を担える人材がいないからで欧州でも注目の本田圭佑選手がいて、後半には水野晃樹選手もはいって両翼は固まったってのに中央で持ってドリブルとかしているうちにサイドのフリーの選手にマークがついて渡ったところで前へと突破できず戻すばかりの繰り返し。水野選手も本田選手もサイドで決定的な仕事を見せられないまま五輪代表のカメルーンを相手の壮行試合はスコアレスのドローに終わる。中央からのシュートもそういやあほとんどなかったよなあ。森本貴幸選手ちょっと動きすぎ。肝心な時にいやしない。今のままだと中央の硬い相手には苦戦しそーな予感もばりばりなんだけれどもそれをだったら壊す手だてがあるかっていうと……。巨大な平山相太選手頼みに戻るってのもしゃくなだけに決定的な仕事ができるフォワードと、サイドに決定的な仕事をさせられる中盤の登場なり熟成に期待をして北京へと送り出したい。女子はまあそこそこ安心か。アテネに続いて北京も女高男低で流れるのか。


【6月11日】 追われているのにせっかく逃げ込んだ隠れ家から出ちゃあ追っ手に見つかり後をつけられるか、さらわれて人質にされるのがオチだからやめておけやめさせろって心で何度も叫んだのにあの我が儘娘のマナカに届くはずもなく、周囲にも聞こえず外に出ては薬局で薬を買った帰りに見つかり拉致されそしてシュウとサラをピンチに陥れる「クリスタルブレイズ」。アクションとかテンポは今までになく良かったしお上の言うことには諾々と従い次の再起を狙うポリリンちゃんのドライさも大人っぽかったんだけれどすべてをあり得ないガキの言動がぶちkを明日。その意味ではガキをまさしくガキとして描く脚本演出の人の観察力描写力造形力表現力は素晴らしい、かもしれない。

 追っ手のバンを狙撃したのが瞬間で最初は誰だか分からなかったけれども見返してポリリンちゃんかなって認識。先生は誘われて研究に執着し始めたように見えるけれどもそこはすべてをかみ分けてあの歳まで来た人だから見方のふりをしていろいろと仕込んでる、って信じたいけどそうしたお約束をぶっこわす造形力の持ち主だからなあ。本当に寝返ったのかも、あの素敵なナースを捨てて。次は少女兵器の再登場。眼鏡のジャーナリストはご退場となったのと悟道洋にアヤカとマナミも実験台にされて雲散霧消ってことにはさすがにないよなあ。そこまで突きつめればそれはそれで凄いんだけど。「フルメタル・パニック」はダナン復活でお下げをひっつかまれて上体を引き起こされたテッサが痛そう。殴られ鼻の下に赤いラップが張り付けられていたのは鼻血の描写? 実に記号的。寝ぼけても強いマオの艶姿にクルツがカメラもってないと残念がる気持ち、分かりますわかります。

 一線があるならやはり犯罪は犯罪で、とりわけ殺人はそれが事故であれ間接的なものであれ踏み越えてたどり着いてはいけない絶対領域。成した者にはどんな言い訳も発する権利はなく、ただ法と良心に従って裁きを受けるべきだっていう基本的なスタンスに立つならば、講談社のX文庫ホワイトハートから刊行された真名月由美さんって新人の「電脳遊戯」(講談社)はちょっぴり厳しいスタンスで臨んでしまいたくなりそうなストーリー。路地裏から何者かに追われるように飛び出してきた少年が車に跳ねられて死亡。親は探偵に何があったのかを調査するように頼み、探偵はとりあえず断るものの気になって葬儀の場へ行きそこで同級生たちの中にひとり冷めた表情をした少女がいるのに気づく。

 一方でその少女は親しかった友人が怪我を負ったというので病院を尋ねると何やら奇妙な頼みを受け、言うとおりにした直後に先輩の姿が病院から消え、そして少女は自分が何やらゲームのようなものにプレーヤーとして参加する事態になったことを知る。ネットに行動を規定する言葉を記すと対象はその言葉どおりに行動し、その途中に化け物か何かに襲われることになってそれをかわせば次に言葉を発する権利が他の者へと回るというデスゲーム。参加者はそんな殺し合いに関わるのを面倒がってパスを続けているけれど、中に執拗に少女を狙うプレーヤーがいて恐怖に怯えていた時、探偵がやって来て少女を助けてゲームの謎の解明へと乗り出す。

 それはそれで良いんだけれども問題は、探偵が関わるきっかけとなった少年の死に少女が関わっていたという部分。少女の知人がいじめを受けて死んだその原因を作ったのが跳ねられ死んだ少年で、少女は恨みから怪物を操る力をそちらに向けてしまっていたらしい。法律的に裁ける話ではないし心情的にも少女にそれなりの理はあるけれど、だからといって超えてはいけない線を超えてしまっている訳で、そんなヒロインにヒロイン面されてもっていう懐疑も起こるけれどもがんじがらめでどうしようもないこの現状、ふと持った力が使えると分かった時に、倫理の範囲を踏み越えて突っ走ってしまうこともあるのかもしれない。思考し抑制し最善を探る。大事なんだけれども抑制しすぎた果てに抑圧されて潰されるのが今だからなあ。悩ましい。

 朝方の秋葉原はまだそれなりにカメラマンとか残っているにはいるけれどもソフマップ前の献花台に張りつくように横とか裏側にいたカメラマンはさすがにいろいろ言われたからか脇へと避けて下がって待機中。それでも目につくお悔やみに来た人にはマイクを向けたり囲んだりって状況はまだ続いているようで、喧噪が残る明日あたりまでは似たような状況が続きそう。あとはやっぱり日曜日か、1週間目の。そんな交差点からヨドバシカメラ方面へとやや行った場所にある献花場にも線香がくべられるようになって通りがかる人とかがこっちはカメラを気にせず黙祷してた。前を歩いていた高校生高中学生だかの3人組がそのまま通り過ぎるかと思ったらすっと止まって手を合わせたのには少し吃驚。ちゃんと感じてるってことが分かって嬉しくなる。そういう姿をこそ静かに伝えれば良いのにメディアも。

 ようやくやっと見た「神様のパズル」の劇場映画版。喋った市原隼人がまんま「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」の演技と重なったりして幅のなさは変わらずだけれど、そんな自然体がでっかいスクリーンの2時間ちょっとの画面に実に溶け込んでる。テレビドラマだと小さい画面の中で叫んでいるだけの不良なんだけれども映画だとじっくりキャラクターを見せつつ引っ張り込めるから、見た目の軽さ簡単さの裏側にある重さ確かさが見えて来るんだろー。面白い役者だなあ、市原隼人って。んで映画はまったくもってエンターテインメント青春物理パニックアクション映画の傑作って感じ。あの物理用語が満載な小難しい内容をよくぞ娯楽映画に仕上げたもんだ。あと主人公を秀才の兄と凡才の弟に分けて間抜けさ故の純粋さが谷村美月の演じる天才少女を動かし引っ張り、最後は引き留める原動力になっているんだってことをしっかり描き出したところも喝采。どこからアイディアがわいたんだろう? 脚本の人。

 これが凡庸な物理学生のまんまだったら果たしてここまでのパワーでもって鬱屈して神経質な天才少女を動かせたか? 引き留められたか? られたんだろうけどどこか展開も平板になってしまったかもしれない。小説なら地の文に会話で読ませられるけれども映画は人が出る。その人が平板ではスクリーンに目は引きつけられないってことで。アインシュタインを引っ張り出して寿司のエピソードを混ぜ込み、主人公が寿司屋のアルバイターだってことと関連させてそしてラストにつなげる構成の妙。拍手するより他にない。さすがはNAKA雅MURAさん。ってよくは知らないんだけれども大昔に見た「大怪獣東京に現る」には感動した記憶が。あれは98年の夏か。名古屋で開かれたSF大会へ出るために帰省する電車に乗る前に松竹の試写室で見たんだっけ。なにもかもみな懐かしい。

 谷村美月さんはもうとてつもなく素晴らしい肢体をご披露してくれちゃっていて、体にぴったりのジャージも避ければその下に着たラウンドネック気味の白いTシャツもなかなかにその下の丸っこい二つのふくらみってやつを感じさせてくれる。これこそがキモ。映画の核。上から谷間を不可したショットなり床に寝転がって裾のがまろび出ているショットなりを塚って宣伝すればかけるけるマニアもわんさかいそうなんだけれどもポスターは映画では見せない普通の格好。どこのカマトトかって感じでこれで客を引きつけようってのがそもそもの間違いだってことを宣伝側は知るべきだろー。さっさと作り替えて張り直せ。って訳でそろそろアクセスも400万。アルファと持ち上げられる訳でもなけりゃブログとして評判になっている訳でもないサイトによくもまあこれだけの人が来ててくれたものだと感謝。12年くらいやってても別に有名にもなれなけりゃ金持ちにもなれてないけどそれでこそ記録される平凡な小市民の日常に後生、時代って奴を見出す上での史料って価値も出るってもんだ。今後もだからしとしとと劇的なことなんてない日常をしたためつづって残していこう。とかいってるととんでもない激震が起こるんだ。そういうもんだ世界って。


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