縮刷版2008年5月下旬号


【5月31日】 身の丈でおそらくは3メートルくらいはあるだろう幼い女の子のひざにだっこされるという、羨ましくもねたましい快楽的な環境に幼少時代を過ごして来たんだからミハエル・ブランが女性に対して甘くそしてどこか依存しているような性格に育っても当然か。ジゴロを気取って女性をとっかえひっかえしているのは、そんな甘さを隠して自分を強い人間に見せようとしているだけのこと。家に帰れば巨大なクラン人形に埋め尽くされた部屋の中でその膝に、埋まって眠っているに違いない。

 っていうか「マクロスF」、クランは小さい時から大きかった(何か矛盾)のにミハエルはずっと小さいままだったのか。一部は血が入っていそうだけれども純ゼントラーディではなさそうなミハエルが、どーしてクランと幼なじみなんだろう。そういうゼントラーディーとマイクローンが分け隔てなく暮らしている場所も船団にはあるってことなのか。立ち上がったら毎日まる見えなんだけれども見えたと騒げば仕返しはストンピングだからきっとミハエルも鍛えられて育ったに違いない。

 でもって画期的プロモーション方法とは街頭でのティッシュ配りかランカ・リー。おお目新しい、ってそりゃあ他に誰もやらないからだ。ネットを使おうとするとすぐにハッキング? あの陰険野郎の仕業に違いないけどどーしてそこまでイジワルするんだろう? でもってバジュラの捕獲にこだわるんだろう? 近くに巣らしきものが見つかったからとS.M.Sに回収命令。そこに割り込む謎の期待。前にアルトを助けたのか邪魔をしたのか分からないブレラ・スターンが向かうクランを邪魔して撃墜。そしてアルトと格闘戦の果てにどうにか見方を撃って軍法会議にかけら果てに自害したジェシカの記憶を克服したミハエルの狙撃で撃退されつつ、手にしたヴァリス、じゃない何とか砲でもって巣を消却する。

 そんなブレラに出動を要請したのは誰なんだろう? 女性の声だったけれどもあそこで指令を出せるってことはきっとフロンティアの中に入り込んでブレらを動かしている一味がいるってことなんだろー。壊れた機体が整備されて再出動して来たのならなおのこと、何者かが入り込んではバジュラを使った何かを画策しているってことでその目的はいったい何だ。怪しいのは誰なんだ。やっぱりグレイス・オコナーか。何をあんなに探ってるんだ。どっちにしたってエリック西島ではなかったレオン・三島もたいして大物ではないってことか。いろいろと謎も浮かびつつでも見たいのは爆裂するシェリル・ノーム。ってことで次回はゼロな場所で大暴れ。してくれる?

見上げれば憧れのカード。易くて深い娯楽だから小学生にはぴったりなんだろうカードゲーム  「軍曹喫茶」とやらにも心誘われたもののそこは仕事と「幕張メッセ」で開かれていたカードゲーム「デュエル・マスターズ」の大会を見物に言ったらどっかで見たことがある人がいて労働の尊さとゆーやつに気が付かされた。あるいはワーキングプア問題の浸透について。うーん。会場は朝っぱらから傘の大行列で発売から6年は経つにも関わらずしっかりと根を下ろした人気になってる「デュエル・マスターズ」の繁盛ぶりに、こいつを最初に手がけたタカラ時代の偉い人の先見性とあとはしっかりと人気を継続させて来た小学館とかの努力ぶりに頭が下がる。最新の決算でも64億円とか稼いでいるし。

 開発したウィザーズ・オブ・ザ・コーストへのロイヤリティも発生するんで儲けは自前のカードよりは多分薄いんだろうけど、それでも量があれば無問題。ここに来て伸びてきているってもの好感触で、「幕張メッセ」を身動きとれないくらいに埋め尽くした子供たちの姿を見るにつけ、今年もそれなりの売上は維持して行きう。移り気な子供達によくぞここまで浸透させたもの。割に年輩の子供っていうか中学生っぽい人もいたのは“卒業”しないでずっと「デュエル・マスターズ」を遊んで来たってことなのか。

 本来だったら兄貴分というかほとんど祖父に近い厳格さを持った「マジック:ザ・ギャザリング」へとステップアップするのが筋でそーゆー狙いも「デュエル・マスターズ」は持っているはずなんだろうけれど、あの膨大なカードと壮大な内容と絶大な世界的人気ぶりにいきなり中学生が飛び込むってのも勇気がいるからなあ、いやプレーして出来ない訳じゃないんだけれど周囲に同行の士がいないとやっぱりちょっぴり行きにくい。そこをだったら「アクエリアンエイジ」や「ディメンションゼロ」や「ヴァイスシュバルツ」が拾っていたりするのかな。いずれにしても男ばっかりってのはなあ。女の子ってカードゲームに興味ないのかなあ。女性デュエリストが主役の漫画でもあれば浸透したのかなあ、ってそれは立野真琴さん「カードの王様」か。連載そういやどうなったんだろう?

 職場へと戻る電車で「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の岩佐まもるさんによるノベライズ。ルルーシュが目覚めロロを取り込み反逆を始めるテレビのストーリーを表とするならこっちはナナリーがブラックリベリオンの際に何をしていてそのあとどうやって暮らしていたかを描いた裏の流れを追ってあってテレビで感じた不満や懐疑を埋める手助けになっている。捕らえられた扇や藤堂といった「黒の騎士団」の主要メンバーがとっとと処刑されなかった訳とか。んまあ皇帝のご意志ってことで片づけられてはいるけれど、おかげて第2部がちゃんとスタートできた。ルルーシュとカレンとC.C.だけじゃあどうしたって太刀打ちできないし。でもってそのC.C.がどうやってオレンジ君の襲撃から抜け出したかも。海を泳いだ? ご名答。すっぽんぽんで泳いで上がってきたとか。途中で鮫に囓られかけたとか。コーネリアについては消息不明。シュナイゼルの副官カノンもご登場、ってこんなキャラだったっけ。

 さらに長谷敏司さん「円環少女」の最新刊「裏切りの天秤」(角川スニーカー文庫)も一気読了、敵は幾千ありとてもってそんなにあったらやっぱり悪鬼の武原仁といえども苦戦は必死。攻めてくる神聖騎士団を相手にクビにされた公館の手助けもおおっぴらには受けられない中で、騎士団に追われる身になっていた神音体系の魔法遣いのエレオノール・ナガンとか、銀座シネパトス公館の専任係官で「魔獣使い」の神和瑞希とかのサポートもこれありでさらに我らが鴉木メイゼルの電撃炸裂もあって強大な敵を相手に踏みとどまる。

 でもやっぱりピンチは続くものの、そんな危機にあって引かず向かっていく仁の振る舞いに、一度は壊れかけていたきずなやメイゼルとの家族のような関係が立ち直り、収斂へと向かっていく展開に涙。でも選ばれたのはきずなでメイゼルじゃなかった所が後々ネックになるんだろうか。素っ裸魔導師のゼラ・バラードも素っ裸で大活躍だけれどもイラストはなし。残念。騎士団を出てぼろアパートに暮らし近所の惣菜屋でエプロンつけてアルバイトして、おみやげにコロッケとメンチカツをもらって食べてたエレオノール・ナガンのつましさに涙も滲む1巻でありました。


【5月30日】 なるほどリアルのレベルを極限まで高めて、極力異形を出さないように案配してあるのだとしたら超人出まくりな第2巻の「ギロチン」とか第3巻の「醜悪祭」のアニメーション化は無理かも知れないなあ「紅」。裏番組ちょい手前の「図書館戦争」から声だけ先乗りしていた中の人の沢城みゆきさんに続いて、外の人の柴崎までもが乱入して来ては手下を引き連れ五月雨荘へとご到着。じゃないあれはリン・チェンシンだと分かってはいるけど、原作の三つ編みだかお下げだかをつけた感じとまるで違ったストレートなさらさらヘアに、普段は清楚ながらも事あれば内心の黒さをのぞかせるキャラクターは柴崎の分身としか思えない。リン・チェンシンさんにはだから是非に眼鏡をかけて頂き紅真九郎の地声を重ねてもらってご登場へと至って頂ければ、なおも混乱が激しくなって愉快かも。

 いやだからリアルさの問題だ。登場して来る超人を除けば人類最強とも唄われていた武藤環がただの大学生になっていたのはどういうことか。廊下を土足であがって来た九鳳院からの使いに立ち向かい、さあ岩をも砕くその腕を振るうのかと思ったらヘロヘロパンチで絡め取られて固められてギブアップ。そこは戦闘禁止の非武装地帯だって協約めいたものも五月雨荘にはなさそうで、闇絵さんが諭して止めようとする描写もない。あれでなかなか謎めいたところがあって、原作じゃあ真九郎が切彦ちゃんから受けた陰腹みたいな傷を一目で見抜いた慧眼の持ち主なんだけれども、こっちじゃあただの不思議ちゃん(やや年増)でしかないのかなあ、ミュージカルの回で弥生の素性をまるで知らなさそうだったしなあ。

 これで行くと九鳳院が大財閥なのは悪くないとしても、崩月が裏十三家とやらで人間離れした力を持った一家で当然にして夕乃も本気を出せば、真九郎どころか弥生を凄絶な笑みを浮かべて軽くあしらったリン・チェンシンすら軽くひねってしまうくらいの戦闘能力の持ち主かもしれないって設定もチャラか。昔から続く街道場で夕乃はそこの跡取りだから、普通の人よりは強い程度だけれど突出している訳でもないのかもしれない。人間たちのレベルにすべてを押さえつつその中で露わにされる強大な力への畏怖を見せ、けれども超人ではないから決して越えられない壁ではないと感じさせる。そして紫は刷り込まれた恐怖から来る怯えを払い、抑えつけようとする力から抜け出そうとあがき、真九郎は絶大な力への恐怖を好きな人のために乗り越え、立ち向かって行こうと覚悟する展開を見せて納得感を出す、と。超人出まくりな設定だと、無駄な自信とか奢りがあふれ出して弱さを覆って繊細な心理描写が不可能になりかねないからなあ。武藤環に大暴れされちゃあ謎が増えすぎてバランスが取れなくなるってことで。

 いやでもそれだと真九郎の腕から生えた奴の説明がつかないか。これまでのストーリーであれだけが今のところ唯一の異形。出せばヤクザだって軽くひねるくらいのパワーを生み出したものが崩月の家に関係していることは明白だから、それを伝える崩月家はやっぱり超人の家系で夕乃もやっぱり超人と見ておくべきなんだろう。でもそれならそんな描写が欲しいなあ。道場じゃあ夕乃さん、真九郎相手に息が上がってたし。あれはそれとも最愛の人とくんずほぐれつした興奮からの息づかいか。ともあれ連れ去られた紫が抜けて広くなった部屋を片づけ片づけ掃除し掃除する真九郎。このままひとり四畳半で悶々と過ごしながら朽ちていく少年の日常を描いて残りを潰すかそれともやっぱり最後あたりで超人の技を爆発させ、リン・チェンシンも蓮丈も、すべてを粉砕して進むスペクタクルのカタルシスって奴を見せてくれるのか。残る1カ月を見ていこう。

 「to LOVEる」で「クリスタルブレイズ」じゃあ気取ろうとして使いっぱしりにしかなっていない虚勢っぷりが実に声質に相応しい感じを出してる三木眞一郎さんが、ロケットな国からやって来たお調子者の軟派野郎をやっぱりぴったりの声質で演じてた。ああ愉快。そりゃあ時には芯に強そうなものを持っている人間とかも演じたりするし、今では懐かしい「VIRUS」なんかじゃあ徹底して硬派でハードで寡黙なサージなんてものも演じていたりしたけれど、本質は「ジオブリーダーズ 魍魎遊撃隊」でひょんなことから化猫退治が専門の警備会社に入ってしまった何の取り柄もない青年の田波洋一。情けない声で「こんな会社、辞めてやるー」って叫びながら強いおねえさんたちに引っ張り回されるキャラクターにぴったりってことなんだ。

 いやいやああ見えて田波洋一、揉まれる中でどんどんと成長していったようで「ヤングキングアワーズ」の最新号の2008年7月号じゃあ弱気を燃せる蘭堂さんやへろへろになってる姫萩さんやルガーの竜の来訪を願う梅崎なんかを横目にひとり、囲むハウンドやら警察を相手に渡り合い入江とも渡り合って今の神楽総合警備を前の神楽みたいな崩壊へとは導かず、包囲を抜け出し生き残ろうって奮闘してる。知らないうちに誰よりも強いキャラクターになっていた。ニヒルな二枚目に見えて実は単なる虚勢で中身はヘナヘナな軟派野郎でしかない、ように見えて実はやっぱり芯は強かったり強くなる気概は持っていて、展開の中で成長していき最後に大逆転するキャラクター。そんな奥深い性格を演じるだけの深さをつまり三木眞一郎って声優は持っているんだとここは理解、して良いのか単なるお調子者でしかないのか。今ふたたび「ジオブリーダーズ」アニメ化でもって覚醒した田波をどう演じるかに注目したいけれども3度はさすがにないか、アニメ化。ようやく飯塚雅弓さんもたっぷり喋る機会が来たのに。まや。セリフ多すぎ。これまでの合計を軽く越えちゃった。

 ドクターペッパー大好きでぬいぐるみに囲まれ熊のはいった下着とパジャマを身につけ過ごす探偵の大活躍ぶりを久々に堪能しつつ品川でセガの新作ゲームの発表会。ゲームだけじゃあもうなかなかなんでマンガもアニメーションもいっしょにやりますって2008年の今になって言われてもなあって気もしないでもないけれど、ゲームが出るより先にアニメがスタートする、それも7月にゃあ始まるってゆー段取りの速さはセガのプロパティの作品にしては珍しいってことか、「シャニングティアーズクロスウインド」だってゲームが先だし「サクラ大戦」だって同様だったし。

 そんな「ワールド・ディストラクション」は「クロノクロス」だったっけ、そんな辺りを作ったクリエーターが参加する作品で、何でも獣人に支配された世界を相手に立ち上がった人間が「世界撲滅委員会」なんてものを組織し全部をチャラにしてしまおうってストーリーになるらしい。撲滅とはまた勇ましい単語を引っ張り出して来たもんだ。違法コピー撲滅運動を思い出したよゲームなだけに。それはさておき「ワールド・ディストラクション」。勧善懲悪でもなければ悪による世界の支配といった二元論すら越えたちゃぶ台返しの大展開になるとかどうとか。緻密なCGの映像を見せておいてゲームは「ニンテンドーDS」向けの2Dキャラ。ドット職人大集合のクオリティではあるけれど、リアルな3Dキャラが普通になってしまった時代に、最新作のグラフィックが2Dっぽいドット絵ってゆーこの状況を、やっぱりゲームはグラフィックじゃなく本質であるゲーム性だと認めるべきなのか、易きに逃げているだけでゲームの発展においては退化でしかないと嘆くべきなのか。

 ドラゴンクエスト」の最新作が「DS」で発売されるって発表の時にはまあ「ドラクエ」なんで元々が「ファミコン」なんで別に回帰しただけじゃんって感じたけれど、最新鋭の作品までもが「DS」でそれなりなグラフィックで登場して来てしまうこの現実を、「PS」「PS2」でもってグラフィックの限界に挑戦して来たクリエーターの人たちがどう受け止めているのかに興味。まあキャラの成分は美麗なアニメ版の方で補給することにしておこー。そんなアニメを手がけるのが「プロダクションIG」で(ちょっと作りすぎじゃないか)、声に坂本真綾さんとか大御所の古谷徹さんも出演するとあっては期待できそー。ゲーム版には市川由衣さっも出演するとかで発表会には来ていたけれどもビジュアルだったらアニメ版の小林ゆうさんを久々に生で見たかった。スタイルだけなら超ゴージャスだもんなあ。ゆう。


【5月29日】 ふと思い返してずっと録画してはあったものの1回目くらいしか見ていなかったアニメーションの「To LOVEる」の最新回を見たら、くしゃみで男の子から女の子へと性別が変わるキャラクターが出ていてこりゃあ愉快と前週を見返したら、ここからのご登場だったんだと判明。こんなに美味しいキャラが出ているんだったら来週からリアルタイムで見よう、って今晩からじゃん、でもって「紅」と重なってるじゃん、無理じゃん、でもそれなら録画してすぐに視聴だ午前3時のアニメ三昧だ。不惑を超えて厄年も終わった人間にすることじゃあねえな。おまけに「紅」は主人公が7歳の美少女(口達者)だ。まったくもって世も末だ。自分で言うな。

 ところで当該の性別変換キャラのレンちゃんにしれリンちゃん。女の子になる自分を嫌がり「男らしさ」を探求しまくってある辺りから類推するに、生まれた時は男の子だったってことで女々しい自分が嫌だと鍛え上げているのかな、小さい頃は女装させられいじられてたことへの反発心なんかもこれありで。でも逆に女の子だからこそ憧れる男の子らしさってものもあるし、女の子だったからこそ男の子に中身がなっても服は女の子のままだったってことも考えられない訳じゃない。うーん分からないけど分からないんだから分かるまで、やっぱり見続けるしかないよなあ。

 それにしても前の「BLACK CAT」と言い矢吹健太郎さん、深夜に放送される作品が多いのは何であろう。どっちも「週刊少年ジャンプ」で連載で、絵柄も内容も大きなお友達向けってことでもないのに。なるほど「BLACK CAT」は連載が終わってからのアニメ化だったからビジネスモデルからやや外れていたかもしれない。でも「To LOVEる」は現役。お色気はあるけどそれだったら「ウィングマン」の時代でもあった訳で真夜中に押しやる理由にはならない。ハードさだったら「ソウルイーター」の方が血とか出まくる分、「BLACK CAT」より上かも。なのに矢吹作品は共に真夜中ってのは何だろう、それだけ「ジャンプ」の読者層が広がって、真夜中のアニメでも見る人が増えているってことなのか。夕方に玩具メーカーとかつけて高い金を払って枠を買うより、真夜中に放送して単行本お売上が伸びればそれでペイできるって考え方もあるしなあ。アニメビジネスは複雑怪奇。

 いやあすごいもんだよコンピュータ。喋る鹿もいるかもしれない奈良は東大寺にあって三月堂の名で親しまれている「法華堂」に1200年とか安置されてる「国宝 不空羂索観音立像」は、3メートルちょいある巨体の頭のその上に置かれた宝冠に最大の特徴があって80センチほどの大きさの中に30センチに満たない小さな阿弥陀如来が額のマークよろしくついていて、その周囲には翡翠に水晶にあれやこれやな宝玉が、籠みたくなった冠の周囲にちりばめられてて派手さ豪華さで田の追随を許さない、っていうか他にこんなの見たことない。あるとしたらトルコのトプカプ宮殿にあったとかいう王冠だったかスルタン用のターバンだったかに巨大な宝石がちりばめられていたものくらい。時代もはるかに昔の道具だって発達していない時期に、緻密な細工と空前の美意識でもって作られた法華堂の宝冠の方がもしかしたら人類史的美術史的な価値は高いかも。

 そんな貴重な宝冠だからこそ見るのは当然にして遠くからに限られる。おまけに頭上に輝いているから下から見上げたって細かいところは見られない上に天井に近いから暗さも加わり細部なんかはまるで不明。だからなんだろう、そんな素晴らしい宝物があるってことが喧伝されないまま東大寺っちゃあ大仏殿か南大門か鹿が闊歩する春日山か、お水取りがある二月堂ってあたりをメーンに見て回られて地味な三月堂は素通りされてしまう不人気スポットになっているような気がする。小学校の時の修学旅行でもそうだよなあ、二月堂は見たけど三月堂ってまるで記憶にないもんなあ。でもこれからは違う。東京は上野の国立科学博物館にある「TNM&TOPPAN ミュージアムシアター」ってところが公開を始めるバーチャルリアリティの映像だと、240インチとかある巨大なスクリーンいっぱいに、この宝冠が本物以上のリアルさでもって3DCGによるバーチャルリアリティ映像化されて映し出されるからもう眼前にあるかのような巨大さで、宝玉のひとつひとつから突き出た棹みたいなものの1本1本までを確認できる。

 中央につけられた小さな阿弥陀如来だって剥げつつも一部に残った金箔らしき風合いも含めて超絶リアルに再現されている。こんなの実物じゃあ絶対に分からない。だって今はもう写真撮影すら禁止されているんだから。なおかつVRのすごいところで宝冠の裏側へとぐるりと回ってそこにあるあれやこれやを確認できる。面白いのは明治時代に修理された時、これはどういう修理がなされたかってことが背後にある六角形のプレートに刻み込まれたってことで、国宝にもなろうってものにそんな断り書きを、たとえ宝玉の数が薄かったんで後ろから前へと集めて見栄えをよくしただの、刺さっている棒が足らなかったんで追加しただのって資料的にも意味のある文章だとはいえ、刻んでしまって良いのかって心配したけどこれが最初っからついてたプレートなのかも分からないみたいで、説明書きとして後からペタンと張られた可能性もあるみたいなんで判断は保留。でも後者だとしても勇気のいる話ではある。人間国宝の背中に「莫迦」って張り紙を張るのとは訳が違うんだ。

 そんなこんなで本物以上に本物らしい宝冠をこの東京で楽しめる機会はそうはないのでお近くの方は是非。「シーグラフ」でも上映されて大評判だったらしーんで、CG関係の人も見ておくといろいろ勉強になるのかな。そんな会場の横では「薬師寺展」なんてものが大々的に開かれていたけど見所は奈良から運んでこられた金銅の月光菩薩と日光菩薩の両立像と東院にある聖観音菩薩立像と絵の吉祥天くらい。そんな合間をつないで小さい展示で埋められているんだけれどはるばる奈良にいかなきゃ見られず、行っても背中側には回ってみられない国宝の立像がそろって来ている訳だから、1500円ならまあ安いって言っても良いのかも。混雑ぶりさえなければなあ。そんなことをしてたら何やらものものしい雰囲気が漂い始めてテレビカメラにスチルカメラを持ったプレスも玄関口に大集合。そこを見終わってシアターの方へと移動してみていたら何と天皇皇后両陛下がご見学に折られたみたいで歓声があがってた。閉館後のガラリと空いたところでじっくりと観音様や菩薩様をごらんになられたんだろうなあ。羨ましいです。

 でもって桜庭一樹さんの「荒野」(文藝春秋社刊)が発売されていたのを見て買ってつらりつらり。ファミ通文庫版の「荒野の恋 第1部」が刊行された時に「恋に目覚めた荒野はこれからどうなるのか。悠也との関係が愛へと進んでいくのか。おそらくは2年という時間を間において再び巡り合うことになる2人が、2年の間に積んだ経験とともに向かい合い、ぶつかり合う中から答えは生まれてくるのだろう。それはいったいどんな形になるのか。それが嬉しい形でも、逆に悲しい形でも、自分を持った荒野や悠也が自分で考え決めたこと。だから臆さず前を向いて、来るべき第二部の登場を待とう」って感想を抱き程なく発売された第2部で告白して来た別の少年を袖にして悠也への感情を育んでいよいよ第3部で決着がついて「荒野の恋」が完成するのかな、って見ていたけれどもファミ通文庫では第3部は出なかった。

 理由とか知らないけれども2部が出てから直木賞を取るまでの間に間は存分にあって出して出せない時間でもなかっただけにきっといろいろあったんだと想像。それでもちゃんと最後まで書ききってみせたところに桜庭さんの本作品への想いってものが感じられて嬉しくなる。後書きとかは流石にないけどホームページなんかではちゃんと2部まで文庫で読んだ人への謝辞も好評されてるし。ここまで言われたんなら2部まで買って3部も読みたいのに1600円とかするんだ困ったって悩んだ中学生も、お小遣いを必死にためて読むなり学校の図書館に入れてもらうなりして読んで差し上げてくださいな。ただ、「荒野の恋」から「の恋」が取れてしまったことがあるいは関係あるのか、書き下ろされた第3部によってこの話が荒野と悠也の結末を待つ青春ラブストーリーとはちょっと違って、荒野って少女の目から見た大人の女っていう存在が持つ生々しさを描きつついつかは大人の女になっていく荒野の覚醒に道筋をつける情念のストーリーになっている点が気にかかった。

 最初から意図していたことなのかそれとも「の恋」がとれたことによって生まれたシフトなのか。荒野ちゃんに幸せになって欲しかっただけにその辺が語られないまま終わる展開にはちょっぴり残念さも浮かぶけれどもまあ、義母も含めた女のしたたかさ生々しさって奴を感じ学んだ荒野だけに、未だ純粋な悠也なんて手玉にとられてしまうに違いない。つまりは荒野にとってハッピーな展開がまっているんだと想像してページを置こう。置いて本を読んでいたコーヒーショップで真横の席を見たら何故か「戦闘美少女の精神分析」の斎藤環さんがいて、どっかの編集と打ち合わせをしていた。文庫か新書の打ち合わせ? 分からないけどしかし千葉の船橋なんてまるで業界とは縁遠い場所で見る有名人に心も震える。きっと斎藤さんの勤務地が近かったか何かだったんだろう。それにしても当方は相手が誰かを知ってて、相手はこっちをまるで個体認識していないシチュエーションというのはなかなかに愉しいもの。これぞ無名の醍醐味って奴で。でもなあ、過去に数度はすれ違っているのになあ、印象薄かったんだなあ。頑張ろう。


【5月28日】 なんとなく始まってしまって何となく勝ち抜けては南アフリカでいつかの再来のような目にあって涙にくれる道筋が見えてしまったこともあってか埼玉に3万人すら集まらない状況が起こってしまっている男子の代表に比べるとアジア最強にして世界でもトップをねらえそうな雰囲気が漂い始めた女子代表。気が付くと「AFCアジアカップ」がベトナムの旧サイゴンなホーチミン市で今日にも始まるみたいで「エル・ゴラッソ」なんかにもメンバーの一覧とか最近の状況なんかが掲載されてて見るとメンバーに知らない名前がちらりほらり。とくに常磐木学園から参加の熊谷紗希さんと後藤三知さんの2人は現役高校生で1990年生まれでピチピチで、出場があるかは分からないけどしばらく世代交代が進んでなかった女子代表に大きな変化をもたらしそう。

 すでに東アジア大会からトップ下あたりが定位置だった沢穂希選手をボランチに下げていつかの中田英寿さんみたくボール奪取から攻撃展開へとつなぐ重要な役割を果たさせていて、そのパートナーにまだ二十歳の阪口夢穂選手を配し左に宮間あや選手、右に安藤梢選手をおいた両翼のスピードも高めた布陣を採用したりと過去の上田さん大橋さんとは違った傾向が見えてきた。トップこそ大野忍選手に荒川恵理子選手とベテラン(という歳でもないけれど)が固めてはいるけれど、高校生の代表入りを促すくらいだからきっとそこにも逸材の起用なんかを画策しているんだろー。欧州に移籍した山口麻美さんなんかは入ってくるのかな、選考段階で入っていたのが抜けたのは海外でのプレーに配慮したからなのかな、またあの顔を見てみたいなあ、日本で。

 本気出したのは車の運転くらいか「クリスタルブレイズ」の冴羽もどき。銃撃戦をする訳でもなく逃げ出しては来たもののすでに改造されてしまった眼鏡なジャーナリストを連れて帰って居場所をつかまれ来週以降が大変そう。ヒロインのサラは寝たきりのまんまでやっぱり落ち着いていられないマナミがさても無茶をするかと心配したけど流石に諭されたのかサラのところでのお喋りに終始。アヤカはネットでガラス女のサイトが消されていることに気づいたけれどもそれはすなわちネットを支配できる勢力の存在を示してて、地下の巨大施設を運営できる権力ぶりも加わって一介の探偵ごときにどうこう出来る相手じゃなさそうって空気がわき上がる。お仕事だとしつこく言って逃げてる探偵に活躍の舞台はなさそうで、このままなら市場最弱のヒーローと寝たきりのヒロインが何もしないまま一巻の終わりとなるかつてないストーリーを拝めそうだけれどもそれは流石にないよなあ。ガラスにされたジャーナリストがすっぽんぽんだったのと、スカート姿の敵の女性を背負い投げした時にちらりと見えたのが最大の見所か。次回もそんなサービスをいっぱい下さいな。犬でも亀でも良いぞ。

 「その口でメシを食う前に『サー』と言え! このウジ虫め」「サー、イエッサー」「ふざけるな! 大盛りを食え! タマゴ落としたか!」「さー、イエッサー」「じっくりかわいがってやる! 泣いたり笑ったり出来なくしてやる! さっさと食え」「サー、イエッサー」「貴様らは厳しいおれを嫌う。だが憎めば、それだけ学ぶ。おれは俺は厳しいが公平だ。人種差別は許さん。オタク、腐女子、エロゲーマーを俺は見下さん。すべて平等に価値がない」「サー、イエッサー」「ちゃんと食え、ヒレ肉」「サー、イエッサー」。なんて会話と食事が楽しめるんだろうか「軍曹喫茶」では。バラバラな時間に食事だなんてことも不可能。満席になった時点で現れた軍曹ちゃんが罵倒を浴びせつつプレートを出していっせいに食わせそして5分で終わらせそれから「本日をもって貴様らはウジ虫を卒業する」「サー、イエッサー」ってなるのかな。楽しそうだなあ。どうせだったら胸板も分厚く腕なんて丸太ん棒な本物がブーツで床板踏みならしながら罵倒しながら接客してくれる喫茶もあれば良いのになあ。兄貴不足な昨今、罵詈雑言に身を震わせて居住まいを正したい若者もいそーだし。31日にオープンか。遠巻きにしつつ様子を見よう。

 猫連れて犬連れて鳥まで連れて龍族の秘密を目指すブレーメン音楽隊または桃太郎の鬼退治ツアーって感じも出てきた花田一三六さんの「創世の契約」シリーズ第4巻「巡歴者」(中央公論新社)は開明的で革新的な教皇が暗殺されて次に就任した保守的な教皇に追われ騎士団長は身のピンチ。折良く新聞記者として龍族に接し人族の居留地を出たのか出させられたのか謎めいた経験をしてそれから傭兵部隊に入り一国を立ち上げるところまで行きながらも教皇暗殺のとばっちりで全部おじゃんになってそこも出たレスティが龍族の謎を尋ねて旅に向かうってことで一緒にくっついて、まずは龍族に関する研究というタブーに振れた犬族の女性学者を訪ね巻き込まれていたピンチを救い出し、そして龍族に会ったと触れて歩く珍しい鳥族を巻き込んで龍族の大山脈へと向かう途中。王家と教会との間にバトルが始まりいよいよ事態は大混乱の様相を呈してきた。

 どうして多用な種族がいるのか、背後にあるいは科学的な遺伝子操作なんてものも絡んでいるのか、大陸があるのはどこか遠い星の上なのかっていったSFにも近そうな設定をほのめかせながらもファンタジックな展開で進んできたストーリー。ここまで来てもまだまだ見えてこない真実の姿に、最終巻らしー次巻でいったいどんな大どんでん替えしなり大展開なりが待っているのか、刊行が今からとっても楽しみ。第1巻でレスティが関わった猫族と人族の混血の少年が改めて登場して重要な役割を果たす辺り、考えられてた伏線がほかにもあってピースをかみあわせてすっげえ世界を見せてくれる予感もしてる。龍族って原初の人足で大陸にまんべんなく住人を行き渡らせるためにさまざまな種族を作ってそれから欠けたパーツとして人族を送り出したのかなあ。想像してみるのも楽しいなあ。犬族の学者先生は丸顔系の犬がベースらしくて美人じゃないけど愛らしい。イラストを描いた人の工夫っぷりに喝采。


【5月27日】 面白いなあ「ソウルイーター」。あの固そうで柔らかそうな奇怪な絵をそのテイストをまんま行かして動く絵にするだけでも凄いけれどそんな凄さを回を幾ら重ねたって劣化させないスタッフの頑張りぶりに拍手喝采。作画陣の個性なんてものとは無縁に毎度まいど同じテイストの絵が続くってのは腕に覚えのある人にとってやり甲斐があるのかどうかは分からないけど与えられたミッションをこなす中で例えば動きなり、タイミングといったところで放たれる個性ってものもきっとあったりするんだろう。それが「ソウルイーター」で発揮されているのかまでは知らないけれど。少なくともオープニングは凄まじい動きをしているもんなあ特に椿ちゃん。リズとパティのトンプソン姉妹はあんまり出てこないなあ。単行本だといよいよ3巻に来週あたりから突入か。ってことはもうちょっとしたら魔女メドゥーサとのバトルも始まるんで活躍の場も増えるかな。

 んで「モノクロームファクター」。早合点して突っ走って何も言わない相手の言葉を聞いたと勘違いした果てに相手が自分の意のままの存在とは違っているからと相手の責任を糾弾しつつ拒絶する手前勝手な我が儘人間の醜悪さにため息。そりゃあ最後に謝罪をさせはしたけど今度は別のキャラクターにマイノリティなセクシャリティへの違和感を激しく表明させたりしてみせるシナリオは仮に原作のままなんだとしてもやっぱり今時の空気とは違うよなあ。それにしてもバーテンな恰好の時はまるでぺったんこなのに化け物化して海から上がってくるととってもグラマラスになっているのは何だろう、華麗なる成長って奴か、違うか。敵の正体も見えず直接のバトルも始まらない中で局地戦ばかりが続く展開にも飽きて来たんでそろそろ大きな物語を。

   いよいよ体重も増加が激しく膝に痛みが出始めたので去年買ったものの半年くらいほったらかしてあったエアロバイクを掘り起こしてぐるぐるぐるぐると漕いでみたら疲れ果てた。体力の限界by千代の富士。でもここで引き締めておかないと延々と横に広がるばかりなんで我慢して耐えて毎日漕ごう10キロ200キロカロリー分を。んでもって運動の後はビールが美味い、唐揚げが美味しいてやってしまったら一緒だな。困ったなあ。やっぱり岡田斗司夫さんみたく痩せることを目的化して過程を可視化させるしかないのかなあ、っても見てもらって喜んでもらえるなりいじってもらえる人種でもないし。いっそ別方面へのチェンジを図る方が衆目に応えられていいのかも。禿頭とか。異性装とか。どっちも無理だな今んところ。でもヤバさも極まっているんで爆発も遠くないのかも。前線から遠い楽観主義のお花畑があふれ出し、屋上奥を重ねるような所業の果てに来るものや如何に。

 ネットの界隈で知られた人の訃報が飛び交っているのを遠巻きに見つつ多分面識はないしすれ違ってもいない人ながらも遺され積み上げられた大量のテキストなんかを見るにつけ、記録が可視化され共有化されてしまうネットな社会の不思議さというか興味深さって奴を感じてみたりする今日このごろ。それとあと面識はなくても何とはなしにつながっている人の多さにもネットってものが持つ特性なんかを見て、「終わりの街の終わり」のような世界だったらこーしたネットを介しての記憶ってものもやっぱり記憶としてとらえられ、なおかつサーバー上に削除されずに記録が残り読まれ続けているうちは、新たな記憶への接触者を生み出しそれが終わりの街へと流れた魂を永続的にそこに留め置くのだろうかとも考えてみたりする。そうなのだとしたらゆるやかながらも確固たる連関を生み出すネットってのはこれでやっぱり凄い物ってことになるんだけれども逆に大量の関係性と新たな出会いに流され過去へと置き去りにされ、埋没してしまうってこともあるんだとしたらそれはそれで何だか切ない。自分ならどんな現象が起こるのか、って想像もするけれどもそれを見ることはないんで気にせず日々を積み上げて行こう。

 パラグアイはもう見たし日本代表は今度見るんではるばる彼方の畑にそびえるスタジアムまで行くくらいならDVDの1本でも買った方がきっと心の健康のためにも良いんじゃないかって思ってしまうところに、そーした感情を越えて引きつけるだけのミリキって奴の乏しさがあったりするんだろーなー岡田ジャパン。略して岡ジャパ。案の定に前半こそトップに入った巻誠一郎選手にあてつつサイドで中村俊輔選手が頑張り散らしもらい走って守る大活躍を見せてリズムを作り出していたものが、後半に投入されたルマンな松井大輔選手がサイドで縦に勝負するんじゃなくって何故か中央で真横に勝負する蟹ドリブル。壁に当たったかのよーに攻撃の足がとまっては奪われ反撃される状況で前戦はただ孤立しサイドからの突破もなくなって点を奪えるよーな空気が雲散する。同点引き分けから是が非でも得点が欲しい時にこれじゃあきっと思い通りにはならないよなあ。それとも中盤をまごつかせることで守備に徹するといった意識を周知されたのか。そんな試合を現地で見ていたらさぞや虚ろな気分になっただろーなー。行った人はご苦労様でした。

 そんな明確過ぎる理由が観客動員数の3万人割れを引き起こしているのにトップの人は前戦に達ながらも前線から気持ちは遠のいている模様で何が原因なのか精査する必要があるとか温かいことを言ってくれちゃている。見えてしまったんだよもうこの先が、仮に南アフリカに行けたってそこまでなんだよこのままじゃ、ってのが理由の大きなところで加えてタイトルったって所詮は内輪なカップ戦だけに気持ちをなかなか真剣にできなかったってこともある。3次でも予選ならそりゃあ応援するしかないんだけれどそれとて徒労感がどこかに引っかかっているからなあ。だからやっぱりビジョンを示すべきなんだけれどそれをやってしまうと現状のビジョンの薄さの責任って奴を感じさせられる羽目になるから知らんぷりを通すんだろー。賀那覇選手のドーピング問題で無知から無理を通した後は無責任を決め込んで今なお無視し続ける無能な輩と良い何だかガタガタと劣化が進んでいるよなあサッカー界。貧すれば鈍するけど富んでも腐敗するんだなあ、組織って。


【5月26日】 そしてやっと見た「コードギアス 反逆のルルーシュR2」にぶほっ。100万着の衣装をいったいどこで集めたんだよそれだけならまだ良いけれども明らかに男性用と女性用が違うだろう過去に出てきたゼロは中身はともあれ男性用だった訳でそこの違いくらいいくら記号化されてしまったからといって分けて考えろよとか突っ込んでいたら突っ込みだけで30分が終わってしまった。何という超展開。そして始まるディアスポラな果てに来るイスラエル建国はいったい何年後? 超展開なだけに数週間後には船を仕立てて再来しては待ち受けるナイトオブラウンズを蹴散らし列島に合衆国日本の旗を掲げることになるんだろー。

 いやそれだとまた攻められて終わりか。最終目標をブリタニアの破壊に置くならここは100万人で一気に本国攻めってのもありか。でもって虫けらの如くにブリタニア以外を見ている眼鏡っ娘ニーナ(欧州連合をなぜ攻めないのって言ってのけた声音の氷のよーに冷たいことよ)が手に原爆水爆中性子爆弾を抱えてゼロに吶喊、となるんだ。でも100万人もいるからなあ、どのゼロを仇と思っているんだろう、いっそ玉木をゼロとしてニーナに差し出して彼女の恨みを浄化してしまえば後に尾をひかなくって良いんだけど。ハイパーニーナになって悪意ばかりをまき散らされては見ていてちょっぴり痛ましいから。

 白髪眼鏡くんの底知れなさが発動していた「隠の王」は相変わらず恰好良い「VELTPUNCH」のオープニングで始まりツインボーカルの女声のウィスパーさに背筋振るわせ買ってすでに「iTunes」に叩き込んであるCDからの音源を聞き直してまた感動。「タワーレコード」に発注した過去のカタログが1つ滞っているのかなかなか届かない謎もまあ、この1枚があればしばらくは飢えないで済むと楽観視しつつ本編を見て相変わらず突拍子もない展開だなあ日本は忍者ばかりなんだなあと感嘆しつつツインテールの少女はどこに行ったんだと訝りつつ置鮎な風魔のこれまたやっぱり底知れない感じに今後の展開を思案しつつ見終わって睡眠。モナコじゃ中島ジュニアがポイントかあ、6位までしかつかない昔だったら関係ないんだけどそんな時代でも中島父だって完走は数度の難コース。そこで今は確か8位まで付く順位に食い込んだんだからここは堂々のポイント獲得と讃えよう。やっぱり三河の峠を走って鍛えたのかな。

 死神に乖離性同一性障害が重なり合っている上にどうやら「いあいあ」と叫ぶとぬちょぬちょとした得体のしれない輩が地底から現れる例の神話もシンクロニシティしている感じでまずはこれがシリーズ2作目になる諸口正巳さん「フジミさん大焔上」(C・NOVELS)は300年ぶりとかに発見されてしまった異神殺しの力を受け継ぐ不死身、というな割には人間と同じくらいの寿命で死んでしまうんだけれど物理的な力なら例えトラックに跳ねられようとタイヤに踏まれようとも無傷で立ち上がってしまう富士見功さんが、日本にしろしめす神々より指令をうけて全国各地に巣くい悪さをなす異神を退治して歩く羽目になってひとつ、敵を倒して次に向かった街でもやっぱり得体の知れない輩が蠢いていて富士見さんを襲う。

 カミキリムシみたいな虫なんだけれどもそれを末端にした本体はとてつもない存在っぽく、神に成り代わって神となってしまって理(ことわり)をひっくり返してしまって神の使いである富士見さんや、その富士見さんを興味からかあるいは別の理由からか追い回す城田って医師を追いつめてしまい絶対絶命。そこはそれ、神の使いでもそれなりに格の高い存在が現れ急場をしのぎ、不死身ならではのパワーでもって富士見さんが敵を倒してこれにて一件落着。救おうとした少女がどうなったから一読では分からなかったけれども前の街が一部で済んだ破壊がここでは記憶からも歴史からも抹消されてしまうくらいの事態になっていたんで案外にとんでもない被害が出たのかも。それすら認識されないんだけれど。次で終わりみたいでさてもどれだけの凶悪な異神があらわれ破壊の限りを尽くすのか。元ネタとか知らないけれどもそのスペクタクルさに振れると本家も読んでみたくなるなあ。んでもって暗さに心を焼かれて暗黒へと引きずり込まれるんだ。いあいあ。

 さらに重ねて黒史郎さん「黒水村」(一迅社文庫)なんて読んだ日にゃあ手足が逆さまになって地べたをはいずりまわるような違和感と恐怖感に苛まれること確実か。できの悪い問題児ばかりが補習を受けることになっておとなしめの女性担任の伝か何かで連れてこられたのが田舎も超田舎にある「庫宇治村」。そこで生徒たちは携帯電話の電波は届かず電気すら届いているのかあやしいすり鉢みたいな穴の中にある村で、老人たちに混じって畑仕事を手伝うことになる。まっ赤な実がなる木を世話する仕事なんだけれど見たこともないその果実が村では主食になっている模様で、一行にはそれをつかった料理しか出てこず、あまりの臭いの強烈さに誰も箸をつけようとしなかった中をひとり、小太りな少年だけが美味い美味いと食べて食べて食べ続けていたら突如起こった悶絶。病院へと運ばれていってしまった。

 何か妙。買い出しに出かけた先生と少女は事故にあって先生は戻ってきたものの怪我をしたまま。少女は生存していたものの気が付くととんでもない姿になっていた。そして始まる恐怖の饗宴。浴びてはいけないと諭された黒い雨が持つ恐るべき力が判明し、そして果物を食べ続けることによって起こる恐ろしい変化が明らかになり、村そのものの正体が見えて来るなかで逃げられない恐怖とどうやって戦い、どうやって生き延びるのかってサバイバルな展開が繰り広げられる。

 いやあ怖い。こりゃあ怖い。ビジュアル的にも怖いけれども根元としてある老いやら身体改変といったものへの恐怖が背筋を駆け上っては実をぞくぞくと振るわせる。もともとが「幽」とかで活躍しているホラー作家な人なだけにライトノベルの土俵に上がってもキャラを強く打ち出しながら本質の“恐怖”に手抜きがない。個人的には杉井光さん「死図眼のイタカ」と並んで新レーベルのスタートの7冊でトップに来る面白さだったかも。そういう声って少なそうだけどひっかかった少数はここから「フジミさん」を読み原点へと辿りそして真夜中に庭で「いあいあ」と叫ぶ立派なネクロノミカーンとなるのでありました。浸透しているんだなあ「クトゥルー」って。ラブクラフト全集でも買いそろえて勉強しなおそうかなあ。


【5月25日】 そういやもう1冊、死神物があったと思い出して掘り起こして早矢塚かつやさんの「死神ナッツと絶交デイズ」(MF文庫J)を読んだらこりゃあすげえや観測問題物じゃんか。真夜中の学校に忘れ物を取りに行ったホローって少年が見たのは自分は死神だって名乗ったウォルナッツという少女。とはいっても人の魂を手にしたソウルなんとかって喋るでっかい鎌で刈りとるようなパワフルさはなくって、夜中にホローと一緒に好物のポテトチップスを囓りながら、可能性についての議論なんかをしてたりする。

 ちなみにポテチはうすしおかのりしお限定。コンソメ味とかピザチーズ味とかってのは邪道も邪道らしーんだけれど、そのコダワリの理由はシャナがメロンパンを大好物にしているのと同様にちょっと分からない。味付きはカロリーが余分で太るからか。だいたいがポテチっていうけど袋に入ったカルビー&コイケヤタイプか、筒に重ねられたナビスコ&プリングルタイプかもちょとっと不明だけれども巻末にサンタクロースよろしく巨大な袋を背負って、20袋ばかりのポテチを持ち歩くホローくんの描写があるからいわゆる袋入りのジャガイモを切って揚げたタイプのポテチなんだろー。そういうポテチってそういやサッカーか野球のカードがおまけについた奴しか最近食べてないよなあ。

 いやそれはどうでもよくって問題はウォルナッツ。見た目はセーラー服におかっぱ頭の15、6歳といった感じの大人しそうな女の子なんだけれど、口調はややぞんざいな男の子風。でもってホローを相手に大人びた口をきいてはホローが直面している同級生の詩夏が席替えの時に見せた予知の力への驚きについて、あれやこれは思考を巡らしてみせている。なんか全然死神っぽくないけど実際にその後も死神っぽく鎌を振るったりすることはなく、川を流されようとしている段ボール箱を拾い上げたもののひっくり返って流さ直した段ボール箱をホローが拾い直したのをきっかけに、知り合いになった「ぜっこーだ」が口癖の夜空という少女と、それから詩夏のどちらかがトラックに跳ねられ死んでしまう未来のどちらを選ぶのか迫り、どちらかを選ばなくちゃいけない理由を語り、そしてどちらでもな未来を選べる可能性について思索しては迷い悩むホローを導く。

 昔からの知り合いだった夜空がトラックに跳ねられる場面をずっと予知していて、助けたいと思いながらもできず夜空が死に詩夏が生き残って悲しみに暮れる世界と、そんな詩夏が身代わりになって死んでしまい、夜空だけが生き残って悲嘆に喘ぐ世界のどちらかをどうあっても選ばなくちゃいけないなんて哀しすぎると憤るホロー。確定していない未来ならば変えられるはずだと思い込み、じっさいに改変に成功したかに見えてやっぱりどうしようもなくなってしまい、その結果多数から2つに、そして1つに未来が確定してしまってもはやこれまでって諦めの空気が流れ出す。

 そんな絶望の縁から巡らされるナッツとホローの推理と思考と行動は、果たして消えてしまった未来を呼び戻せるのか。一直線のリニアでしかなくそして後戻りも不可能な現実の時空間に生きている人間からすれば、過去に戻って未来を選び直したいなんって虫が良すぎる願いであり、また展開であって読むに値しないって見方もあるんだけれども、フィクションだからこそ後悔とやり直しを繰り返して成長していく姿を描けるってもの。ここでこの物語を読むことであるいは、かけがえのない時間をどう生きるかを考え直してその結果、満足のいく未来をつかむことが出来るのだとしたら、十分に読む価値はあるって考え方もできる。観測問題についての解釈が妥当かは理系じゃないんで分からないけど、同じ月だけでもわさっと出てきた死神物にあって異色にして新鮮でそして感動も大きな佳作って言えそう。それにしてもウォルナッツって何者だったんだろう。世界が迷った時に現れる不気味な泡? 口調はちょいそれに似てるかな。

 そうかやっぱりこのアニメーションはコガラシの上腕二頭筋の発達具合こそが見所ではまるで全然なかったのか。分かっていたけどでも新登場して来たどこかの外国人なお兄さまがひたすらゲットを狙うのが富士原なえかのたわたにたゆたい揺れ動いてははね回る部分だったりするあたりにこのアニメ、見所は女性の大胸筋から大筋が省かれたものだったんだってことが改めて満天下に示された。あるいはフブキさんの揺れも跳ねもそんなにはしないけれども着やせしているその服の下に抑えつけられた部分なんかが大きくて激しい見所だったってことがアニメーション版「仮面のメイドガイ」の最新版で満天下に示された。だいたいがオープニングからして揺れまくり見せまくりだもんなあ。

 しかし現実に果たしてそんなに揺れ動くものなのかと千駄ヶ谷あたりで開かれているバレーボールの国際試合でも見に行こうかと思ったものの安い席の遠い距離からではいくら双眼鏡で眺めたところで確認は難しいと断念。代わりに陽気と梅雨前の蒸し暑さから薄着の人の増え始めた表参道へと出向いて布越しに見たり大きく開いた胸元から薔薇の花でも差せそうだけれど棘だけはとっておかないと大変なことになってしまう柔らかそうな谷間を眺めたりしつつ「青山ブックセンター本店」で開かれた「文学賞メッタ斬り」の新刊発行を記念するトヨザキ社長と大森望さんのコンビが「早稲田文学」を編集する市川眞人さんを返り討ちにするかそれとも枕を並べて討ち死にするか、その行方が注目された座談会を見物に行って最前列で観覧する。真正面に短パンから突き出されたトヨザキ社長の脚がつるつるだった。すべすべだった。お手入れしてるのかな。

 座談会じゃあ読むところが少なくなってるんでもうちょいコラムとか増やして下さいな、「メッタ斬り文学大賞」を自分が事務局になるから充実させましょう、なんて要望なんかが市川さんから出されてて、なるほど毎年1冊じゃあ内容も間延びしたものになるって印象からこれは結構な話と受け止めつつ、ではならいったいどんな改革が「メッタ斬り文学賞」に対して行われるのか、会場内にわんさかといたらしい作家さん批評家さんも巻き込んで「全米批評家協会賞」みたいな感じの賞になるのか、って辺りが今後の展開として示唆された。こりゃ面白そう。質疑応答じゃあ佐々木敦さんとかブルボン小林さんな長島有さんとか発言していたんで、そんな人たちが参加すればきっと熱く激しい文学賞になるんじゃなかろーか。でもひとりの作家やひとつの作品を3万字とかって分量でゴリゴリと筋肉を使い語る批評家さんたちだけに、寄せられる選評なんかとてつもない分量のものになってしまうかも。所収した次の「メッタ斬り」はだから全10巻ってことで。

 それだとでも3万字くらい使って批評をやって欲しいんですって市川さんがお願い奉っていたけど、使う筋肉が違うし未読の人に面白さを伝える書評の権能と既読の人に子細に分析して差し上げる権能とでは違いがあって、使う筋肉もまるで違うから自分にゃあできないしやりたくもないって反論していたトヨザキ社長が、中心に居ながら参加しないってことにもなりかねないんでせめてひとり3000字にしておかないと。それでも原稿用紙に7枚半。人が1日に書く量じゃないよなあ、って自分が言うことでもないか。まあお手並み拝見。どっちにしたってライトノベル出身者ではなく、ライトノベルそのものが取り上げられ、持ち上げられるってことはなさそーなんで、自分からは遠い文芸批評フィールドで起こっている面白そうな出来事と受け止めつつ眺めつつ、起こる様々な事態を観察させて頂こう。

 とはいえ眺め楽しむのにもある程度、そっち世界の事情を知っておいた方が良さそうで、その意味で今回の座談会では文芸批評の世界に漂っているらしい「ダブル田中問題」について気付けたのが大きな収穫。なんだそのダブル田中ってのはつまりは田中哲弥さんと田中啓文さんの2人じゃあどちらがより強烈なギャグを言うか、激烈な作品を発表するかってことなのか? っていうとまるで違う。田中和生さんって「群像新人賞」の審査員になった人? とあと最近の小説家たちの座談会に批評家として唯一呼ばれたってことはすなわち今のトップってことになるかもしれない田中弥生さんの2人の文芸批評家が、その突出ぶりな割にいろいろと言われているか逆に言われなさ過ぎているのは何故だろう? ってことらしい。ふーん。

 そういえば「ゼロ年代」とかって題字が踊ってた「小説トリッパー」の目次に、最近の流行作家に対するインタビューの聞き手として和生と弥生って名前の田中さんがズラズラズラっと並んでて、SFではすでに存在しているけど文芸ではちょっと珍しいかもしれない夫婦文芸批評ユニットが誕生していたのかって思ったことがあったっけ。その時はそんな程度の印象だったけれども、そんなに同業の人たちによって関心を持たれている2人だったとはちょっと知らなかった。まあ一介のライターあたりには及びもつかない場所にあって活躍しているご両人。すれ違うことも永久になさそうだけれどそこまで関心を持たれているってことはきっとこの先、何かしてくれそうな予感もあるんで今後の活動には注意をはらって眺めていくことにしよー。文芸批評ってしかし凄い世界だなあ。くわばらくわばらクワバタオハラ。


【5月24日】 シェリル・ノームはパンツをはいてない。トップアイドルだからファンサービスではいてないように見せているけれど本当ははいてるんですよ? だからぬか喜びするのはやめてください、などという人気上昇策を弄するまでもなく、正真正銘、はいてない。だからといってパンツはかない連盟とかに加入しているわけではないし、パンツはかないセラピーとかにハマってもいない。いつも身につけていないのではなく今日このときたまたまはいていないだけであって、確率で言えば射手座が午後九時に見られなくなるくらいのめずらしいできごとなのである。本当だ。

 本当か? 知らないけれどもともかくシェリル・ノームがパンツをはかずに走り回った後半戦。「マクロスフロンティア」を見入る目はいつそれが露わになるかを期待して画面に釘付けになったけれども所詮はアニメーションだ、人の手による絵の連続だ、描かれていないものが映るはずもなく虚しさに打ちひしがれながら午前2時半のリモコンを手にした消灯へと至る。無念。

 というわけでギャラクシーへと帰還するきっかけを失ってしまってフロンティアに止まっているシェリルがアルトやミハエルやルカが通う美星学園へとやって来ては大暴れする学園ラブコメストーリー。ってかそれより直前に前の学校を退学させられたランカ・リーが芸能コースへと転校して来てひとつこれから何かが起こるかもって思わせておいたにも関わらず、そんな出会いをささやか過ぎる過去へと放り込むくらいにインパクトのある登場を見せたシェリルがルカの世話するパワードスーツだかのサムソンを着込んで腕力の調整に挑戦しては卵を次々と粉砕して顔面卵白卵黄まみれとなってシャワー行き。何て素晴らしいビジュアルがって期待したもののそこはテレビだけあって肝心な場所は湯気で隠れタオルで覆われ見せてはもらえずややガッカリ、まあいいやくっきり鮮やかなブルーレイディスクだったらしっかり写っていると信じて待とう、だから描かれていないものは見えないんだってばよ。

 そんなシャワー室から得たいの知れない緑の生き物がシェリルのパンツを被って逃走。シャワー室へと入れ違いに入ってきた美少女は誰? って行ってもきっと設定もないだろうからいずれ再登場を期待するとして盗られた瞬間のシェリルの叫びはとても大人しくかいがいしい高良みゆきさんと同じ人とは信じられない迫力で、それを聞いて盗品の素性に気づいた男共のゼロ仮面を追い回すアッシュフォード学園の面々も顔負けな奮闘が始まったもののそんな上を行くのが銀河の歌姫シェリル・ノーム。はいてないにも関わらずワンピーススタがで裾を少しばかりたくしあげ、動きやすい恰好となって走りそして格納庫から整備の終わったサムソンを奪い着込んで追いかけたものの動かし方が勉強不足で止まらない。

 ひょいと片足あげた姿で廊下を突進。なぜ見えない? 壁に背中からぶつかり大衝撃。なぜまくれ上がらない? それはだからアニメだからと答えるに留めつつやがて到着した屋上で、ひらひらと舞うパンツに手を伸ばしてつかんだ時にはパワードスーツは落下し本人だけが中空にあって自由落下へと向かう。絶体絶命。現れるアルト。支え持ち上げ空を飛ぶ。やっぱりさっぱり見えないなあ。

 そしてやっぱりなお約束。だけど航宙科パイロット養成コースって何なんだ、空を飛ぶのか、飛んでギャラクシーを目指したいってことになるのかな、それともバルキリーを操り操縦桿代わりの鞭をふるって「あたしの歌を聴けーっ!」って叫びデカルチャーな阿鼻叫喚を引き起こす、と。ありえそうなだけに面白いけどさてはて。そんなこんなで楽しめたエピソード。人参娘な歌を人参頭で唄うランカのドサ回りっぷりが哀しいけれどもそこからスター街道は始まるのだ。

 かぶり物を脱ぐ瞬間の顔が凄まじいことになっていたけどその絵の1枚を抜いて作画がどうしたとかいう人たちのなかななかぶりが昨今のネット的言論空間の雰囲気を如実に反映している感じがあって興味深い。アニメなんだから映像なんだから一瞬の崩れとか一瞬の踏ん張りが残像となって目の奥に刺激を与え、トータルとしての動きなり表情を引き立たせるんだってことを考えてみることもきっととっても大事なんだろうなあ。かといってその効果を定量的に分析して活字媒体なりで論評するのってとっても難しいんだよなあ。アニメーターって報われないお仕事です。

 そりゃあなるほどその情報から存在を知って奮闘に涙し遺志を知って死に走るんじゃなく生にこだわり続けようって思う人もいるかもしれないけれどもでも、北京五輪出場って感動を補則する美談として感じ涙の量をちょっぴり増やして泣きつつ明日にはさっぱり忘れてしまう可能性もあるだけに昨今のテレビメディアなんかを中心とした取り上げ方には何か心配を覚えてしまう。実際に昨日のあの瞬間を越えた今日になってどれだけの情報が行き交っているかを考えるとすでに過去に消費されてしまった雰囲気もあるし。でも本はいよいよ発売で、ここから彼女の遺志は広く伝えられ多くの人に知られ逃げ出したくなる人の心を支える役目を果たすべきなのだ。

 その本「明日もまた生きていこう」(マガジンハウス)は4月に21歳でなくなられたバレーボール全日本女子元代表の横山友美佳さんの手記。長身と高い技術で将来を期待されながらも小児癌の一種が高校生の時に見つかり闘病。バレーボールを断念せざるを得なくなっても大学へは進み教育に情熱を傾けようとした矢先に再発が分かり、激しい苦痛に悩みながらも闘病して完治にこぎ着けたと思ったら三度の再発。入院。おそらくは感じていたんだろう先行きを思い、捨てざるを得なかったバレーボールや教育への情熱や友人たちとの楽しい時間を思いながら「命を捨てるくらなら、私にください!!」と昨今の多発する自殺を鑑みて綴った後書きの叫びが心にとても痛い。「いつか自分も元気になって、逆の立場として誰かを助けてあげられる人間になりたいとずっと思っています」と書いて2週間後に死去。「今という瞬間を大事に生きてください」という言葉が広まって、そして永遠に生き続けて欲しいと切に願う。合掌。

 丸善でそんな本を買い(1冊しか置いてなかったのはなぜだろう)秋葉原へと回り散歩しつつ石丸で今日がイベントというキャナァーリ倶楽部のライブだか何だかのDVDをイベント限定ってことで店頭で購入したものの整理番号の遅さもあってイベントはパスして帰宅し眠りそしてサッカー日本代表がコートジボアール代表と戦うキリンカップを見て前半だけは凄かったけれども20分過ぎで終わってあとはだらだらだらだらな試合っぷりに来日翌日に試合して中1日で移動も含めて試合に臨んだコートジボアール代表を見習えと叱咤したくもなったけれども勝てば官軍なお国柄だけにきっと何のおとがめもなくすいすいすーだらだったと進んでいくんだろう。そして向かえる挫折の時。せめて南アフリカで迎えたいけどそれだと改革が2年遅れるって考えもあるしなあ。悩ましい。急用十分なパラグアイ相手じゃあさらに酷いことになったりするのかな。マテ茶飲んでる奴らだしなあ。


【5月23日】 悪の女帝との戦いはまだ始まったばかりだ。頑張れ僕らの真九郎。負けるな僕らの紅真九郎(片山先生のこれからの活躍にご期待下さい)。ってな集英社の看板漫画誌「少年ジャンプ」の10週目くらいに起こったりする現象によく似た事態に直面して、しばし呆然とさせられいったい果たして続きは読めるのかって悩みにもだえてから1カ月が経ち登場して来た「紅 公式ファンブック」(集英社スーパーダッシュ文庫)。終わりの方にまるでディオのスタンド「ザ・ワールド」か、ロロ・ランペルージのギアスでも喰らったかのような感慨を味わうことになる短い話が載っててそうか、それは良かったねえってホッとしつつもでもここって1番くらいの感動と興奮の場面なんじゃないのかねって気にも囚われ、喜怒哀楽の渾然一体となった感情に内側から押し上げられて爆発しそうになったけれどもカバーを外した表紙に描かれた紫の笑顔がとてつもなしに可愛かったんで、すべてを赦し認めて受け入れることにする。少女の笑顔に勝てる奴など世界のどこにもいるもんか。

  キャストによる座談会では例の第6話の収録時についてのエピソードが披露されてて改めて爆笑。新谷良子さんの歌に関して誰もが聞きつつ涙を流したらしい。爆笑で。そんな顔してスタジオの外に出てこられた日にゃあいったい中で何が起こったのか、虐めでもあったのかって思うよなあ。でもってアニメーションの方の「紅」は第8話まで来ていよいよ紫の所在が九鳳院の家に露見して先遣隊が襲来。見た目はただのサラリーマンに崩月流の戦鬼がたとえ素手でも負けるはずないのに何発も殴られてしまったのは不意だったからなのか、極力暴力は使いたくなかったからなのか。でも紫が傍らにいた訳じゃあないからなあ。でもってラストにリン・チェンシンが部下を引き連れ登場。ほんの一瞬だけ見せる酷薄な笑顔が実に凄まじい。あの一瞬を作画するだけでもそうとうな労力とそして技術が使われていそう。それくらいに良い表情。表情ではあと布団に眠る紫の顔が抜群。そーゆーきめの細かさがこの作品をパッケージで手元に置いておきたいって思わせるんだろーなー。クオリティ重要。さても「マクロスフロンティア」は大丈夫か、そろそろサテライトの力も尽きかけていないか。うーん。不安だけど愉快。

 「ニッパツ三ツ沢競技場」のVIPな観覧席から下に伸びる階段を杖もつかず手もひかれずにしっかりと、2本の脚を踏みしめ歩み降りて来た姿をみれば運動能力の面で一般の人に比べて多大なハンディがあるとは見受けられず、そして加筆もあってよりいっそう充実が図られた木村元彦さんの「オシムの言葉」(集英社文庫)の書き加えられた新章で、独立成ったコソボへと取材に赴く木村さんにかつてコソボ出身のアルバニア人としてセルビア・モンテネグロ代表に加わり今はコソボのサッカー連盟で会長を務める男の代表での活躍ぶりをたちどころに記憶から引っ張り出したエピソードを読めばその脳細胞にいささかの衰えも生じていないことが伺える。

 体も健全で頭脳も万全。伝わってくる多くの人々との会話ぶりからその言語にいささかの師匠も生まれていないことを鑑みるならイビチャ・オシムはもはや一切の支障なく最前線へと復帰し立てるようになっていると見るのが妥当だろう。そりゃあ激しい運動とか多大なストレスは健康に影響を及ぼしそうだけれども60歳を越えた人間だったらそれは誰も同じ事。世界には70歳になんなんとする指導者だっているなかで、知力体力において同年齢の健常人と遜色ない人間を捕まえてもはや再起不能の如く言うのはどこか違っているような気がするんだけれどもそこは我らが川淵三郎キャプテン、相手を慮り過ぎているのか新刊なった「論スポ」でもって彼らが玉木正之さんのインタビューに答えてこう言っている。

 「かなり良くなって、杖を使わなくても歩けるようにはなったけど、左手にまだ麻痺が残っているので、今後の現場復帰は無理でしょう」。続けてサッカーの仕事はできるよねって言っているからオシムにサッカーに関わっていて欲しいって気持ちはあるみたいだけれども右手の麻痺が監督の仕事に果たしてどれくらいの影響を及ぼすのか、というか及ぼさないのかを推察している節がないのが気にかかる。右手が動かなくて無理なら車椅子のコーチはあり得ないのか。そんなことはなくってサッカーにも、アメリカンフットボールにも確か車椅子に乗って指揮を取る監督なりヘッドコーチがいるしいたんじゃなかったっけ。

 そりゃあ実施はして見せられはしないけれども練習メニューを組んで練習を指揮して敵を研究し戦術を練って采配を振るい交替を見極める。椅子に座ってでも出来るしスタンドから眺めながらだってやろうと思えばできる。やればできるってことを敢えて想定しないのは体への気遣いなんだろうけれども是非に必要な、そしてかけがえのない迅ジアだったらその状態を鑑みつつ、どう現場に入っていってもらうかを知恵を絞って考えるだろう。でもそれがないのはつまりやっぱり戻って来て欲しくないって気持ちの表れなのか。だとしたら勿体ないし、才能はあっても下半身不随とか半身麻痺とかになっている優れた人材がいつかは頂点を目指して頑張る気持ちをスポイルしてしまうことになる。

 体ではなく能力。そこをこそ問題にしてだから今は岡田武史監督なんだと言ってくれればいろいろ異論も挟めたのに、それをしないとろこに腹の読めない曖昧さが漂う。そんなことしていると万全な医療体制、支援体制を整えピッチ脇にリフトを置いて自在に動かし頭上から拡声器なり無線通信でコーチングする仕組みを整えた有力国がかっさらって行ってしまうぞ。老人医療の可能性を形として見せロボット技術の素晴らしさをアピールする場としてだって活用できるんだからここは広く自動車メーカー情報機器メーカー医療機器メーカー音響機器メーカーなどとタイアップして、オシム復帰プロジェクトって奴を動かし転がしていけば世界からだって讃えられるのになあ。見たいなあ、パワードスーツに入ってピッチを縦横無尽に飛びまわるオシムの姿。身長いったい何メートルになるんだろう?

 「おおきく振りかぶって」はコールドゲームで埼玉に勝利。焦らず慌てない三橋ってのも始めて見たなあ、でも阿部を攻略って見抜かれて果たして戦えるのか、っても次の次の相手だからそこまで相手が保つとは限らないか、三橋ん達は勝ち抜くでしょう決勝までは、主役あんだし。んで「怪物王女」は時間ループのSFチックなエピソード。脱出出来なかったチームはつまり過去に埋もれたって多次元解釈でOK? 令裡さんは1シーンだけ見せてくれてた黒だった。「しおんの王」は最終巻で美少女版の歩が復活、ってそこじゃないだろ見所は。

 名人との対戦に臨んでしおんがつきつけられたのは勝つためには情を捨てられるかって命題。そしてそれを決然とやってのけたのが名人だった訳だけどしおんは違って皆といっしょに戦うことで強くなる道を選び体得してみせた。そりゃそうだよなあ。羽生善治さんだってどう見たって非情さとは正反対だし、渡辺明竜王だって家族持ちで人も良さそうだし。この完結具合ならアニメーション版のDVDの購入も再会して良いかな。「ハチワンダイバー」ばかりがもてはやされるけれども女流って存在を世に問い知らしめた意味でも大きな功績を持つ漫画だったって印象。女流で活躍して揉まれ痛みを感じて退き迷った人が原作なだけはある。連載中もアニメ化の時もそういえばほとんど出て来なかったような印象があるなあかとりまさるさん。やっぱり遠慮しているのかな、それともメディアが遠慮してしまっているとか。これだけの原作を出せるんだからその創造力は未だ健在。次は今ふたたびの「とんでもポリス」の再投入で少女小説に返り咲き。はさすがにないか。


【5月22日】 でもってそんな杉井光さんの「死図眼のイタカ」(一迅社文庫)は4つ子の少女たちに囲まれ養子として迎え入れられた家に暮らす少年の回りでしばらく前から不穏な殺人事件が発生。少女がバラバラにされて積み上げられたりする陰惨な事件に怯えながらも暮らしていたところにひとりの少女が現れる。普段はごくごく普通に見えるのに、別の時には目つきも鋭く行動も激しくまるで死に神のような感じで街を動き回って何やらやっている。すなわち二重人格の少女は組織に属して妖怪変化の類を狩る存在で、街に巣くう何かを退治しに来たのだった。

 程なく少年の周囲にも起こってしまった殺人事件が少年を巻き込みそして驚きの結末へと連れて行く。その結末は残酷極まりなくってそこまでする権利がどこにある? って思えなくもないけれど代わりに失われる命もあってそれが10数年おきに繰り返されるのなら、ここで断ち切られることの方が重要だってことなんだろー。電撃文庫では割に普通っぽい話が続いていたけれども少女の巫女が生け贄として火あぶりにされたり、引きこもりの美少女探偵が犯罪に手を染めたりとシビアさシリアスさを含んだ話を書いてきた人だけあって容赦ない。新レーベルの中でも異色さで抜けていそうな感じがあって、だからあんまり評判を呼ばないかもしれないけれど、型にはまってないって意味では1番くらいに好きかも。続く……のかな?

 眠り起きると午前3時35分で「UEFAチャンピオンズリーグ」の決勝戦「マンチェスターユナイテッドvsチェルシー」の試合がモスクワでスタート。朴智星がベンチからも外れていたりとややサプライズもあったけれども前線にクリスティアーノ・ロナウドとカルロス・テベスとウェイン・ルーニーを並べてオーウェン・ハーグリーブスにポール・スコールズらが後ろを固めリオ・ファーディナンドが最後列を仕切るといった具合に超ベスト布陣。対してチェルシーは日本に来ないでビッグイヤーに賭けたディディエ・ドログバをトップにフランク・ランパードとかクロード・マケレレといったこっちも名前が知られている選手がずらりと揃って見応えたっぷり。オールドトラフォードでやってもスタンフォードブリッジでやっても満席は確実な上に欧州のタイトルまでつく試合とあってモスクワでだって満席かな、って思ったけれどもそれほどではなかった模様。でもまあ一杯。アブラモビッチのお膝元ってこともあるし。

 そんなアブラモビッチの息がかかりまくったチェルシーが勝てば物語としては決まるけれども流石はマンチェスター・ユナイテッド。奪い返せばロナウドにテベスだけでシュートにまで持っていくスピードと正確さでもってチェルシーゴールを脅かし、そして顔面に怪我を負ったスコールズまでもが頑張って鋭い返しを送りそれがクロスへとつながってロナウドの高い打点からのヘッドを呼んで先取点。その後もテベスの低いヘッドとかあと半歩で合ってた滑り込みとかあって決まっていたらそこで試合も終わったかもしれないんだけれども流石は不死身のチェコ代表ゴールキーパー、ペトル・チェフ選手。真正面からのを2度も防いだりして追加を許さず、逆にチェルシーがランパードの得点でもって追い付き延長戦へと突入し、そこでも決まらずPK戦へと突入。やっぱりなロナウドのPK外しでもはやこれまで、いつかのバルセロナ戦と同様に戦犯扱いされるのかと心配したら、最後の最後でジョン・テリーが軸足を滑らせゴールを外してサドンデス。そこからニコラ・アネルカが外してマンチェスター・ユナイテッドが9年ぶりというビッグイヤーにたどり着いた。おめでとう。

 守備を固めての凡戦ではなく隙があったらすぐに得点を積み重ねられそうな緊張感ある試合で流石に欧州トップモードは内容面でもちゃんとしたものを見せてくれた。まあどっちもイングランドのチームだったってこともあるんだろー、これが片方がイタリアだっったらちょっとは違った堅い試合になっていたかも。PK戦では解説の清水秀彦さんがしきりに助走が短い、短いと角度をつけられないからキーパーに止められてしまうって主張していたら案の定。短い助走のアネルカはファン・デル・サールに止められてしまっていたけどでもその前に、テリーが軸足を滑らしているのを見ると意気込んでステップは踏めないって思ったとしても仕方がない。必要なのはだからキーパーを最後まで見据えて反対側に蹴る遠藤保仁式のコロコロPKだったってことか、あれをチェフとかエトヴィン・ファン・デル・サールに決めたら気持ち良いだろうなあ。だからガンバ大阪にはAFCのチャンピオンズリーグを抜けてFIFAクラブワールドカップの舞台に立ってマンチェスター・ユナイテッドを相手にPK戦までもつれ込む戦いを是非に繰り広げてくださいな。チケットは発売されたら即買いだな。

 んで志麻友紀さんの「神父と悪魔 惑乱の魔女」(ビーズログ文庫)は不良な癖に実力ありまくりな神父にして悪魔払いのヴェドリックに魔女の魔手。天使のオフィエルに人狼のサーシャに夢の世界から引っ張り出された少年姿の夢魔のデニスと戯れているその様を羨ましく思ったのか魔女の中でも実力者のアスタロッテがちょっかいをかけて来て、悪魔のアンシャール以外はヴェドリックもオフィエルもサーシャもデニスもみんな女の子の姿にされてしまってそして夜明け前までに魔女を捕まえなければずっとその姿のままでいなくちゃいけなくなってしまった。別にそのまんまでも良いじゃん可愛いんだからってヴェドリックとかデニスについては思ったし、オフィエルにしても天使だから美人でおまけに巨乳をあってヴェドリックからはそのまんまでいろよとからかわれるけど、当のヴェドリックはやっぱり神父の方がいろいろ良いってことでアスタロッテに挑戦する。

 自分の命すらかけて魔女をこらしめようって挑むあたりのヴェドリックの、強さというよりは刹那的な心理状態が気になる部分。過去なり前世なりにいろいろあったっぽいキャラクターなだけにその享楽的に見える正確の裏にぽっかりとあいた虚無がいったいどこから来たのか、いずれ展開の中で明らかにされていくことになるんだろー。アスタロッテも諦めていないみたいだし。けどしかしどーして動物の類とかじゃんくって女の子だったんだろう。男ばっかりがわいわいやってる様が魔女として気に入らなかったのかな、でもアンシャールだって女の姿で溶け込んでいる訳だし別にそのまま混じれば良いだけじゃん。お話が楽しくなるから? ごもっとも。ならばビジュアル面でももーちょっと、女の子化したヴェドリックを着衣ではなくきわどい姿で描いたイラストとかが欲しかったなあ。サーシャは結構、筋肉質メイドはメイドガイだけで十分っす。

 んまあぶっちゃけ「Number」だよなあ、ってな感じで読んだ「RONSPO」。その昔に存在した「スポーツYha!」の編集長だった本郷陽一さんが休刊を経て至福2年ほどの後に立ち上げた「本格スポーツ議論マガジン」なんだけれども議論ってよりは多くはやっぱりスポーツ選手のインタビュー。ほかに北京五輪の問題なんかも扱っていたりはするけれど、そーゆースポーツを取り巻く政治的経済的な環境に関する話ってのは時として政治的な匂いをもった主義主張へと収斂しがちで、肌合いが合えば良いけど合わないととことん鬱陶しさがまとわりつく内容になってしまうから注意が必要。あの金子達仁さんがあの玉木正之さんとオシムを腐し、北京五輪について論じそして玉木さんが川淵三郎・日本サッカー協会キャプテンにインタビューしてるって所からも何と話に主義の匂いが感じられるから、合うと感じた人だけが手に取るのが精神的にも衛生的に良いかも。論ずべきオシムを論じられる木村さん宇都宮さん西部さん杉山さんあたりと縁遠そうだし。

 1軍で一切の活躍を見せていない北海道日本ハムファイターズの新人、中田翔選手に堂々を数ページも割いてインタビューしているのはそれが経済的には正しくてもスポーツ的にはどうよって印象。ジャニーズが騒いで視聴率を稼ぐバレーボールや暴言の類を吐かせて盛り上げるTBSの亀田番組をスタンスに置いてどれほどの違いあるんだろう。むしろ最新の「Number」の方がヴォルカ鹿児島の元選手で公式戦266ゴールって前人未踏の記録をうち立てた西眞一さんを吉崎エイジーニョさんが取り上げたルポが載っててよっぽどスポーツ的。「RONSPO」にはそーした知られざる、けれども大切なスポーツの心意気って奴を拾っていって欲しいんだけどなあ。商売にならないからなあ。クラスターの小さい水って奴の広告も載っていたりするし。それでも「Number」1誌よりはバリエーションが広がるのは悪くないんで大丈夫な感じに続いていって欲しいもの。とりあえず様子見てます。


【5月21日】 誰が誰やら。午前11時前に大行列が出来ることで噂の秋葉原にあるドン・キホーテ前からすでに整理券をもらったか人波も引いた時間帯に秋葉原へとやって来て、「とらのあな」と「アニメイト」の前でまだしっかり「空の境界」の劇場版DVD第1作が特典突きで販売されている様に結構たくさん作ったんだなあ期待かけられているんだなあと羨ましがりつつ到着したドンキホーテの上にある「AKB48劇場」。オープン時に取材の案内が来ていたけれど行けなかったら知らず人気になってしまったこの場所に、始めて入ったら柱が邪魔だった。ってかステージ真正面にぶっとい2本の柱があって観客の人、大丈夫なんだろうかって心配したけどそこは張られた鏡の効果もあるのか、苦難を乗り越えてこそのファンだというのか自然に受け入れられているみたい。温かいねえ。

 でもってチームBとやらの20人が登場しては7月からファミリー劇場で始まる「電波少年」ならぬ「AKB48ネ申(ねもうす)テレビ」の発表会。ずらり並んだユニフォーム姿の女の子たちは踊りも歌も見せてはくれなかったけれど、その迫力はなかなかなものでこれが大音響ときらめく光の中で唄い踊る姿を眼前に見せられれば、これは良い物だって感動してまた来ようって気持ちになる人がいっぱい出ても不思議はないかも。まあ行かないけど。僕は「キャナァーリ倶楽部」で十分だ、って最近あんまり見てないなあ。右端にいた一番背の大きそうな秋元才加さんってスタイルも良いしビジュアルもなかなかで目立っていたけどソロな活躍もしているのかな。左端には「M−1」に出た2人もいたからここから生まれて来ている新鋭もいたりするのか。これを機会にちょっと観察してみようかな。幾人か気になった娘もいたし。でも誰が誰なのか分からない。

 そうか主人公は二重人格の乖離性同一性障害で仕事は死神で手に鎌とかじゃなく日本刀をぶら下げた美少女なんだけれども実は少年、ってのが絶対ではなくても勝利に必要な条件なんだなライトノベルは、っていまさら気づくことでもないのかもしれないけれどもほぼ同時期に投入された10冊近くでそんな設定が重複他出のジェットストリーム。書いた作家はそれが好きだと書いた訳で安易と諭す訳にもいかなし、作った編集の人もそれがマーケット的にマッチしているとの考えだから職業人としては妥当な判断。とはいえこうも重なるとはさすがに想定できなかったんだろう。シンクロニシティ。あとはイラストの強さが決め手になるんだろう。おやおやタイトルを隠されるといったいどれがどれだか分からない。まあ白バックに女性キャラってのはこれもお約束みたいなものだからなあ。

 手に日本刀の美少女っちゃあすでに読んでた舞阪洸さんの「狗牙絶ちの劔1」(富士見ファンタジア文庫)なんかが灼眼のシャナちゃんよろしく封絶の空間みたいなところで悪鬼羅刹の類を切り刻む美少女の姿がなぜか見えてしまって巻き込まれていく少年の話を書いていたりしたけれど、ってそれ自体もこちらは花を背負った少女が見えてしまった少年が花を蝕む虫を倒す力を発動させて戦いに参加してく「僕がなめたいのは君」(ガガガ文庫)って桜こうさんの作品と重なっていたりしたけれど、いよいよ登場の一迅社文庫でゲームシナリオの世界で活躍している人をデビューさせる最近の傾向を反映させてか実力を認められてのスカウトか、分からないけど登場して来た魁さんって「CLANNAD」の「藤林杏」シナリオを担当したらしい人の「死神のキョウ」(一迅社文庫)もやっぱり表紙が日本刀を鞘から抜こうとしている制服美少女。左腰の鞘から生えた束に右手を添えるポーズに違いもないけど表情が「狗牙絶ち」はやや厳しめなのが「キョウ」は笑顔といった具合に差があって、選ぶんならどっちと問いかける。んでも「狗牙絶ち」の娘も強面に見えて案外にドジっ娘だからなあ、見た目で人は選ばないのが吉。

 普段はぶっきらぼうなんだけれど優しいところもあって今日も子猫を助けようとて木に登ったところを突然現れた少女が手にした日本刀で木の根本をずんばらり。一刀両断のもとに切り倒された木から転げ落ちた少年が見上げた中空にはスカートからのぞかせた両足の奥に縞々なあれをのぞかせた少女が浮かんでいてこれは眼福、と思ったかは置いて置いていきなりの超常現象に戸惑うものの少女が少年の正しい寿命を守るために不意な事故で死ぬのを防ごうとやって来た死神だと知り、そんな少女につきまとわれるドタバタとした学園生活がスタートする、ってのが「死神のキョウ」のストーリー。何かどこかで見たような。

 うん、ぶっきらぼうな割にお節介なあたりはなるほどそうか岡崎智也で突っかかるような口調と態度だけれど内心にはほのかに恋心ってのは藤林杏。でもって智也、じゃなかった笹倉恭也とつるんで時々いらぬちょっかいをかけては恭也にぞんざいな扱いを受ける御柱克己は春原陽平で恭也を慕う従姉妹の笹倉桃子は設定にややズレがあるけど天然さでは陽平の妹の芽衣ちゃん辺り? まあ違う話なんで全部が完璧に重なる訳ではないにしても、そう感じさせるあたりにファンを喜ばせ取り込もうっていう前向きの意欲を感じて取れる、というべきか、うむ。

 死神の少女が周囲の記憶を操作しては同級生として学校に入り込んでそして起こるドタバタ部分は面白いけどそれがどうして死神である必要があるんだろうとかいった感覚にとらわれたりしながら流していった途中から、悲劇が起こってそして死神は寿命を違えることは出来ないんだって残酷な掟が明かされたりしてひとつの命を延ばせば生まれてこない命があるんだって厳しいけれども至極真っ当な主張がなされて納得させられてしまったものの、一方で恭也の過去の事故からの存命に関わる疑問が浮かんでいったい何が起こったのかが浮かび上がってきておいおいさっきの掟はいったい何だったんだよってな気分も漂い始めて身をもだえさせる。

 寿命は死神の責任において伸ばせるのかそれとも無理なのか。運命は変えてしまえるものなのかそれとも受け入れるべきものなのか。別れを不可避のものとして悲しみの中に再生を目指すのが真っ当だし、これは劇場版の「CLANNAD」でも智也と古河渚の関係がそう描かれていたっけか。小説はそこら辺でどう受け止めれば良いのかを悩ませる感じがあるんだけれどまあそこはそれ、主人公が悩みつつ生き延びヒロインが悲しみつつ止まれば新たな物語も生まれるってことでハッピーエンドなら世はこともなしってエンターテインメントの王道を、選んだと受け止めるべきなんだろー。たぶん。

 でもってあれはHJ文庫だったっけ、「AKUMAで少女」って読むも愉快なトランスセクシャルストーリーを書いてくれちゃっているわかつきひかるさんが参画して来た「ふたかた」(一迅社文庫)はやっぱりなトランスストーリー。しばらくまえに双子の姉が交通事故で死んでしまってそしてふと気が付くと自分がセーラー服を着て学校に通っていたから驚いた。どうやら姉の霊に憑かれて体をのっとられてしまっていたらしいんだけれど周囲はそれを信じずショックから乖離性同一性障害が起こっているんだって判断しつつ、ショックも大きかったんだから仕方がないと触れ回って温かく見守ることにする。少年にとっては迷惑なことこの上ないけど霊になった姉は好機とばかりに学校に通い、そして自分が心を寄せていた少年との再会を夢見つつ学校で行われるミスコンテストに出場するんだと張り切る。

 とはいえ中身は少年だからどうしたものかと少年の方は四苦八苦。周囲の妙な理解もあって、ライバルの少女の静かな方から身につけていたパットを体温の残ったそのままの暖かさで手渡しされたり、別の賑やかなライバルからは激しい攻撃を受けたりしながら、幼なじみの少女の突っ込みやらお世話やらを身に感じつつ、妾宅だからか家に寄りつかず面倒も見てくれない父親との確執を覚えつつ物語は進んでいく。

 蘇った姉が利口なのか高飛車なのか天然なのかおばかなのか、妙な剛胆さを見せることもあれば好きだった男の子との一件では盲信に近い所も見せたりとキャラクターがやや多彩。そんな恋する対象になってた男の子の正体がまたいけすかないっていうか、当人に罪はないんだけれども姉との関係において救いがなくってちょっと可愛そうになる。まあその意味では期待値の真ん中に収斂されていくような形式ぶりを感じないで済むといったら済むってことで、とりあえずは女装少年の戸惑いながらも目覚めていく? 日常って奴を楽しもう。しかし世界にはそんなに乖離性同一性障害の人っているのかなあ、とか思い手にしたMF文庫Jの星家なこさんの「フレンズ×ナイフ」(MF文庫J)の帯に「二重人格×天然」の文字。杉井光さんの一迅社参戦の「死図眼のイタカ」にもそんなヒロイン。世界にはそれなりにいるらしい。死神の日本刀少女と同じくらいの確率で。


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