縮刷版2008年4月中旬号


【4月20日】 寝ずに「仮面のメイドガイ」とあと裏番組で再放送中の「トップランナー」の「パヒューム」回。箭内道彦さんが喋ってた。前に「ロックの学園」で話を聞いた時にリリー・フランキーさんみたいと言ったらそれは嫌かもと話していたけど普通の人にはもしかしたら区別が付かないかも。キャラ的にどっちが早かったんだろう? 踊る「パヒューム」を見守る観客から腕があんまり上がらないのが見やすい。アルバムのおまけのDVDは低いステージの周囲で腕が上がるもんだからパフォーマンスが見られない。カメラもそこんところ考えて録れよって感じ。

 地下アイドル系から来ると熱烈なファンがいてライブとかイベントでフリをつけて応援してくれて、見ていて清々しいんだけれどそれがメジャーへと向かう途中にご新規さんを迎えた時に、どこか壁となってしまいそうな感じがあって悩む。自分たちのものであって欲しい気持ちが一方にはあるけれど、新規さんに入りづらいってイメージを与えてしまうのも困りもの。時東ぁみさんなんかもたぶんその辺りのボーダーにあってあと半歩、踏み出せばメジャーへと迎えるものがやっぱり未だにイベント専用アイドルって段階に止まっている。それで回っていければ幸いなんだけれども時代は移り気だしなあ。そういやしばらく見てないなあぁみにぃ。

 「パヒューム」についてはオリコン上位は半端じゃないんでここでホールからアリーナへと進出すればステージも高くなってライブの雰囲気も一般から来たアーティストと変わらなくなるんだろー。見てみたいな本気で仕込まれた武道館あたりでのショウ。前座が「カプセル」だったらさらに凄い。そうだ「メイドガイ」は百合女登場。なのに知らん顔してくっつけようとするメイドガイ。愛があれば性の差なんて。次回は富士宮家と学校だけの微温的空気に敵が登場の予定で本気のバトルモードに入ったメイドガイが見られるかな。フブキさんも戦うのかな。原作読むのは放送が終わってからにしようっと。これ全何話だったっけ。2クールなら途中で読むかも。

 ちょい寝てそれから起きて渋谷へと向かい「シネクイント」で午前10時半から「うた魂」のイベント付き上映。主演の夏帆さんとゴリさんと部長とピアノ伴奏の子が揃って挨拶。ゴリさんも亜希子さんも共に高田純次さんががとにかくとてつもなく誉めていたって話してた。それも例の心のこもっていないおべっか芸ではない口調で。何がいったい琴線に触れたんだろー。夏帆さんは距離も遠かったんだで美貌は今ひとつ拝めず。ライティングの関係もあってあんまり美麗には見えなかった。最前列を取るべきだったか。しかし挨拶が終わるととっとと出ていく奴らも一杯いたなあ。ゴリさんのファンか。違うって。そういうイベント付き上映会の見方って、好きにはなれないけれども理解はできる。同日に何カ所もあれば梯子したくなるもんだ。

 んで本編。見るのは2回目。試写で気になったマイクの見切れはなくなっていた。消したか。冒頭近くの屋上で浮かれた夏帆が頭の回りに浮かべてから殴り捨てたテロップが屋根の上を跳ねていく様が愉快だった。鏡から鮭が出てくるシーンと含めてギャグ仕様。でもそーしたギャグが中盤から青春となって熱血が混じって挫折から復活へとたどる真面目さに溢れた展開になっていくからこそラストの合唱シーンでの感動がある。徹頭徹尾をコメディで軽くテンポ良くいったらそれはもはや「うた魂」ではないのだ。楽しかったねって映画館は出られても良かった泣いた心が澄んだ唄いたくなった、って感想は出てこない。これはこれで良いのだ。他にはありえないのだと言っておこう。さすがにラストで「あなたに」を一緒に唄う客はいなかったなあ。歌える上映会ってないのかなあ。

 舞台挨拶の司会をやったのが誰だかっていうシネマアナリスト。何だシネマアナリストって。映画の値付けでもするのか。アナリストだから単に作品の善し悪しだけじゃなくってファンダメンタルズな部分つまりプロデューサーの属性だとか配給会社の力量だとか上映館の設備だとか出資者の状況なんかも含めて1本の映画を総合的に評価するのか。しまんせんて。映画パーソナリティと同義語で中身は映画評論家とか映画ライターとかと変わるもんじゃあないんだろう。映画感想家はたったひとりの称号だから別ね。でもまあ何となく高級そうに聞こえるシネマアナリスト。ならばこっちもライトノベルアナリストとかブックアナリストとか名乗るか。評論の人の評論が好きな方はだからアナリストアナリストってことになるのかな。途端に頭が悪そうになるなあ。

 隣のパルコの1へと回り地下にある洋書屋でリチャード・カーンって人の西洋パンチラ写真集が出ているのを眺めつつ買わず半蔵門線で神保町へと回って古本屋など散歩。昨日の「SFファン交流会」では話題にも出なかったスーザン・C・ピートリィって人が80年頃に「SFマガジン」に発表していた草原と吸血鬼がどうこうしたって短編が読み返したくなって掲載されてる80年から81年の「SFマガジン」3冊を拾う。1050円ならやすいか。いや実家に帰ればこのあたりはあるんだけれども当然のよーにはすぐに出てこないのであった。んでこのピートリィ、80年12月に死去している人で生前の発表はこの3作品だけだった模様。トム・リーミイはあとでちくま書房から文庫が出たけどピートリィは遂に本にはならなかったんだっけ。今でも覚えている人ってどくらいいるんだろう?

 翻訳家の山岸真さんによればローカスから短編集が豪華版か何かで出ているとかでそこにアーシュラ・K・ル=グウィンにヴォンダ・マッキンタイアにケイト・ウィルヘルムって女傑の3重鎮が序文を寄せているとか。なるほどそれだけ関心を抱かれ注目をされていた作家だって現れなのかもしれないけれど、シルバーヴァーグとかハリスンとかヴァンスとかって方々の話題は上っても日本で本の出てない人では出版の候補にも挙がらないからなあ。序文も含めて翻訳されたら1万円だって買うかも。それだけの価値がるかどうか? この3人の序文が付いているってだけで1つの価値だよ。

 古本屋ではずらっと並んだバックナンバーで自分がいつ頃の「リーダーズストーリー」で掲載には至らなかったものの欄外に選評として紹介されていたかを確認したら1994年12月号に載っていた。このころはまだ東芝の「ルポ」で書いてたんだっけ。マックを買ってそれで打ち出した1本があと1回、欄外の選評で紹介されたかな。記憶だと都合で4編くらい送って2編が欄外だから打率は悪くなかったけれども本編の掲載とは至らなかったところに限界が。暇が出来たらまた書いてみるか。ってか普通「SFマガジン」読んでたら1度くらいは送るもんじゃないのか「リーダーズストーリー」。

 んでもって「コードギアス 反逆のルルーシュR2」は電波状況が酷かったけれども見るに支障はなくC.C.が中に入っていたこととか自分がバニーをやらあれたことに気づいたカレンがあたふたしたりとか見所いろいろ。でもやっぱりロロの正体って奴が気になる部分か、その能力は時を止めるのか相手を止めるのか、記憶を操るくらいなら科学の延長でも時はさすがに止められないからなあ、でも心を読むのも非科学的か、なら良いのか。やたらと兄弟であることにこだわるところにロロの出自の秘密も見えそう。孤独だったのか。そう思わされているのか。次週はいよいよ公開処刑。あれだけ並んで順に撃たれてもきっと玉城だけは生き残るんだそういう奴だ。千葉さんだけは助けてお願い。


【4月19日】 片腕がなくって目つきが剣呑で服装は野宿続きだから汚れててきっと匂いなんかも大変なんだろーけれども、それでも座っている上から見下ろしたタンクトップの大きく開いた胸元からのぞく双房とその谷間から立ち上る香気には、いかな職務に忠実な店員であっても目を逸らし、頬を赤らめてしまうものなのだろー道家大輔さんの「どろろ梵」の第2巻。憑かれた猫の怨霊の力でもって名古屋で8人とか吹っ飛ばしてしまった少女の梵が出会った百鬼丸と連れだって始めた退魔の旅程。その途中に立ち寄った店で食事を摂ったものの先立つ金のなさからまずは梵が逃げだし残った百鬼丸が、見せた技こそがこの谷間フラッシュ。百鬼丸に谷間って? って訝る人はだからこれは「どろろ」じゃなくって「どろろ梵」だとまずは知ろう。500年を経て現代に蘇った百鬼丸のナイスな体を堪能できるから。

 田舎の山に生えた巨木を切り倒そうとした人たちが次々に頭をすっぱり切り割られて死ぬ事件がおこってこれは妖怪だと感じて向かう百鬼丸と逃げずに憑いていく梵の関係はそうだよまさしく昔の百鬼丸とどろろの関係、だからタイトルも「どろろ梵」なのか。あの頃は百鬼丸の腕に生えてる刀を狙うって名分があったけれども今回は、人を殺してしまったかもしれないという怯えからすがる相手が百鬼丸しかいないって依存が理由。その違いはどれだけの意味を持っているのかは判然とはしないけれども、置いて行かれたどろろが後に妖怪へと墜ちて百鬼丸を倒し転生へと至らしめたことからあるいは、百鬼丸もそしてどろろも導く存在として機能するのかもしれない。そうじゃないかもしれないけれど。

 そしてたどり着いた村で怨霊と戦う百鬼丸。ああ恰好良い。美しい。でも逆襲されて大変。そこに突っ込む梵。なるほどそういう役割か。さらに続く幽霊電車の事件。とらわれた梵を助け出して逆に乗り込みさあいよいよ戦いだってところで第3巻へ。姉御肌だねえ百鬼丸。間に赤ん坊を拾って育てると言って頑張るんだけれども探しに来た親を求めて帰っていこうとする赤ん坊に、いつかの捨てられた自分を思いだして刃を奮うどろろに見える悲しさと恐ろしさ。猫ちゃんの機転でどうにか救われたけど(猫ちゃんいい奴じゃん)でも、決してなりたくて妖怪になったんじゃなく悲しみの果て、絶望の縁から妖怪に成らざるを得なかったどろろの心理が伺え、これを誰が一体どう埋めていくのか興味をそそられる。赤ん坊に乳を含ませるどろろは可愛らしいけどエロくはないし、グロい描写はそれなりにあっても百鬼丸、梵ちゃんにどエロい場面はまるでなし。でもタンクトップから突き出た胸の丸みとか、間接的な中にエロスはかいま見えるからそれを味わいつつ繰り広げられる情念と妄執のドラマを楽しんで行くことにしよー。

 生い立ちが仄めかされる中で心理がどのように積み上げられそしてどう動くかをちゃんと感じさせてくれる「紅」の凄さを見た後だと「マクロスF」、ストレート過ぎるというか簡単過ぎる心のどこかテンプレートにはまったような形状と動きがどうにも気にかかる。たとえば女形のガキ。家の後を継ぐのが嫌とか学校で常にライバルに負けているのが気に入らないとかいった鬱憤をもやもやとさせてそれで世界と戦う一味に三角したいとホザくぶっとびぶり。もうちょっと手前の立場と能力を考えて口を聞けって説教してやりたくなるけど誰もそれを言い出さない周囲も含めて居心地が悪い。ひとりそんなガキっぷりを最初は非難したライバルも1夜が明けて特に何か新しい能力なりを見せた訳でもないの女形のガキを良く来たなって笑顔で受け入れる。そんなに簡単なものなのか船団を守る仕事って。反発から和解、抵抗から突破とそして成長のドラマで感動させるには説明が足りなさすぎる。せめてあと3話4話、もやもやさせたまんまでも良かったんじゃなかろーか。女形でどれくらいなのかすらまだ見せてないんだから。

 っていうかとてつもない危機に瀕していながら軍が適当で警備会社に尻を任せているのってどうなんだ。軍よりもさらに高度な密命を帯びた特殊部隊の一種かと思ったらそうでもなさそう。そんなバランスの揺れが気にかかる。船団が非道く脅かされる危機にありながらも時間外になったからと大統領の娘の部下を相手に事に及ぶ野郎もどこか不真面目。軍ってのはそんなにユルい所なのか。総じてプロフェッショナルの姿が見えない世界で書き割りのような立場で演技をしてみせる登場人物たち。戦闘シーンの派手さ鮮やかさが素晴らしいだけにどうしてもそっちとのギャップが気にかかる。見てくれだけなら「ブラスレイター」とか「クリスタルブレイズ」だって負けてないしキャラの切実さなり愉快さならそっちの方が真っ当なぐらい。まあ明確な敵が見えてきたら一致団結、戦いへと向かい仲間の死とかを乗り越え進むドラマも見られるんだと期待を残して続きを見よう。

 なるほどナイスバディ。だけど腹筋はぼっこぼこ。そんなパルメに手を出すとは勇気あるよなあ、でもケリを喰らって吹っ飛ばされたから自業自得だ「月刊サンデーGX」の2008年5月号掲載、高橋慶太郎さん「ヨルムンガンド」のアール。あれだけの白兵戦ぶりを見せるんだから筋肉だって野獣のように鍛え上げられ削ぎ出されたものになっているとは想像でkたけれども、初水着なパルメはシンディ・クロフォードな顔にリサ・ライオンの体って感じで触れば指先とかから血が出そう。そんなパルメの後ろ姿をイラストにするか否かは未定ながらもテレフォンカードの絵柄にしてみせよーとする「月刊サンデーGX」編集部、偉いぞ。横にはみ出しているのは脂肪かそれとも筋肉か。つかんで確かめようとした瞬間に死ぬ、ね、確実に。

 そういや「マンガ大賞」を特集してある「ダ・ヴィンチ」を呼んだら1人しか推してない作品にこの「ヨルムンガンド」が。何故だ? 何故に誰も推してない? ってかその1人は自分だったりする訳だけども例えマンガ読みにはその殺伐とした空気があんまり感銘を与えなくても、作り笑顔で世界に武器を売りさばくココ・ヘクマティアルの孤独さと、それを慕い集まった私兵たちの格好良さを、断固支持して向かう先がたとえ死地でも応援し続けるぞ一所懸命。「BLACK LAGOON」はロベルタの誘い受けからの反撃が。流石だ。でもって網膜に浮かぶ額に穴を開けた亡霊の正体も判明。それはロベルタに残る良心か。捨ててロベルタはどこへと向かう。「ワイルダネス」載ってねえ。単行本の作業中?

 そして出ていた単行本の「ヨルムンガンド」第4巻は南アフリカの中華街から脱出してそして元女優の武器商人のおばさんを相手にした起死回生のホームラン。相手もなかなかだったけれども本場を知るココの敵ではなかったか、いやそれでも相手としては未だ存命、いつか再びその笑顔の裏側にある好奇心でココに牙をむいてくるだろー。もっともココだって笑顔の裏には好奇心じゃない生きるか死ぬかのギリギリを渡り歩く勝負師の顔を持っている。もちろんそして死ぬ気なんて絶対にない注意深さも。そんな相手に果たしてかなうか元女優。またのお越しを楽しみに。巻末にはこれまたパルメの水着姿。水に浮くってことはつまり中は筋肉ではなく脂肪なのか。あれでプヨプヨなのか。触りたいけどそれはすなわち死。見るに留めよう。


【4月18日】 銀子派か、夕乃派かと尋ねられれば多分やっぱり眼鏡娘な銀子の、真九郎が心配なのに対面している場面では顔や仕草には出さないけれども背を向けると出てきて扉の隙間からそっと覗いて、けれども決してそこから出ようとしないいたいけさいじらしさも捨てがたいけど年上の夕乃の姉さん的にベタベタと迫って押しつぶそうとする積極性も悪くない。とは言え謎めいているのか単に不気味なだけなのか分からない闇絵もこれはこれで素晴らしい一方で、ジャージ姿がデフォルトで寝転がって尻をかきつつ昼メロを見て7歳児を相手に男の話で盛り上がる環のあけっぴろげな性格も気が楽そう。ああ迷う。

 そんな奴らに何か言ってやりたいと内心でくすぶらせながらも健気にアパートの前でしゃがんで見張り続ける弥生の忠実さにも惹かれるものがたっぷり。とはいえやっぱり紅香の自信たっぷりな妖艶さもまた捨てがたく、そして何より大金持ちの娘にしては歪みねじ曲がっていない純粋さを持つ紫もまた素晴らしかったりするってことでそんな面々に囲まれながらもヘラヘラと、何をしたいのか見せないままただ生きている真九郎の優柔不断な癖に背伸びをしようとして踏み外す阿呆さ加減が絶対的に悪いという結論へと至る。ほんとばか。いやらしい。ってつぶやく銀子がやっぱり1番なのかなあ。アニメーション版「紅」。

 給仕と行って球児だよと答える野球部員との会話で7歳児の他愛のない会話につきあう球児の優しさがなかなか。後の電車で優先席のおばあさんを追い出す不良との違いがぐっと引き立つ。そんな不良を相手にキレる紫がヘラヘラと謝るだけの真九郎をなじり非難する場面でただ怒鳴っているだけでは世間知らずのお姫様だって眉を顰めさせるだろうところに紫の、出生の秘密とそして見てきた自分を削って生きる女の惨めさを示して紫がどうしてああまで卑屈な生き方を嫌っていたのかを分からせる展開が絶妙だった。おばあさんのお礼も交えて紫のスタンスこそが真っ当と導く展開とか、夕乃と真九郎が脇に紫を立たせて会話している内容に紫が自分の邪魔っ子扱いされたことを感じてしょぼくれていくシーンとか、心の動きって奴がちゃんとしっかり見えてくる。巧いなあ。

 演技も相変わらずに絶妙で理科室で解剖人形を見て驚き慌てる紫のあたふたとした声音とか夕乃から走って逃げながら電話する紫の「しばしまてっ」とか喋る可愛らしさとかいったいどうやって出しているんだろうって録音の場面を見たくなる。プレスコだから目の前に映像が出ている訳じゃないからやっぱり舞台の上で演技している感じになっているんだろうか、でもそれだと録れないよなあ、内面で場面を想起しつつ出しているのかなあ、興味深い。しゃがみ込んで携帯電話の何を試して「よし」とか言った弥生さんの嬉しそうな声も良かった。ゲームでキャラがレベルアップでもしたのかな。その後でアパートを真夜中に出ていく紫をみて「えっ」とか「ああっ」と喋って終わりな大久保藍子さんに拍手。

 いっそだったら誰も邪魔の出来ない槍ヶ岳から西穂高の縦走ルートを、屈強な山男たちが手にトーチを持ってリレーすればいくら何だって普通の反対派は邪魔できないんじゃないかと思った北京五輪の聖火リレーで善光寺が出発点を辞退した一件。でも敵も去る者、本場のアルプスで鍛えた面々を送り込んでは逆方向から縦走して中間地点で激しいバトルへと突入し1人また1人と谷底へ落ちていくって凄惨な場面が繰り広げられそうだから悩ましい。いや山で会ったら誰もが仲間だ山男、笑顔で挨拶をしながらすれ違うだけだと信じたい。まあ絶対にそんなコースは採らないけど。

 むしろだったらスタジアムの中で400メートルトラックをぐるぐると回る聖火リレーにしちゃえば誰も邪魔できない。スケートリンクの中をぐるぐる回っても同様。それがリレーか? って言われりゃ違うかもしれないけれども既にして真っ当なコースを走ってないんだからあとは何をしたって大丈夫。世界に長野をアピールするくらいの気構えで名所旧跡名産品を巡り見せるくらいのことをしなきゃあ勿体ない。妻籠から馬籠をとことこと、歩いて越える聖火リレー。合間に木曽路はすべて山の中だと言った島崎藤村の「夜明け前」を糸口に「破戒」へとつなげて紹介すれば、日本もそういう国だったんだってことが世界にバレて議論の火口になるかも。弾圧ってのは銃によるものだけじゃあ、ない。

 しかしすごいなジャッキー・チェン。「聖火奪う者にはカンフーお見舞い」だなんて言って自分が聖火ランナーとして走る前に立ちふさがる者には蛇拳酔拳猿拳の限りを尽くして迎え撃つ、とは言ってないけどまあともかくカンフーで立ち向かうって断言してる。ビルの上から落ちたって死なない超人を相手に並の活動家ではとても勝てないだろーから、ここは世界に蔓延る国境なき記者団とやらは人脈の限りを尽くして世界から猛者を集めてジャッキーを倒すしかなさそー。北米からはWWA辺りの筋肉モリモリなプロレスラー、南米から華麗な脚技のカポイェラ使い、ロシアから必殺のサンボマスター、英国からはここが元祖とボクサーを呼びあとはアフリカからマサイの戦士も呼んで5段構えでジャッキーを迎え撃つ、と。その場面を撮影して映画にすれば「死亡遊技」だって超えられる。だったら北米からはプロバスケットボール選手が良いかなあ、ジャバーなみに長身の、ってことはNBA最長身選手、って言ったら……ヤオミンか、そりゃ駄目だ。やっぱここはシャックに頑張ってもらおう。

 まさか顔に泥を塗るとは。それも自分から塗ってみせるとは。テレビの業界って奴は実に奇々怪々。何でも早ければ7月から「アナログ放送終わります」ってテロップがテレビ画面に常時掲出されることになりそーで、完全移行3年後までそれが続くってことが朝日新聞1紙だけに報じられている。勇み足かどうなのかは不明だし、その後の反響の大きさを見ると余りの反対の多さにしばらくは見送られるって公算もありそーだけれど、それはそれとしてまだ3年も先の事を今から宣伝しなきゃいけないテレビ業界の必死さって奴がうかがえて笑えて来る。お上が決めたことだから逆らえないってこともあるんだろーけど、それがもたらすメリット、デメリットを勘案したら、軽々に諾々と受けられる話しでもないのに一切の逡巡もなくやってしまう所が恐ろしい。「靖国 YASUKUNI」の上映中止問題なんかよりも根深くそして不気味な問題なんだけど、そういうことには騒がないんだよなあ、テレビのお偉いキャスターたちは。

 それよりドラマでもアニメーションでも1つの映像作品として手がけ、作り放送している人たちが作品の顔に傷をつけられるようなテロップを入れられ、本当に平気でいられるのかに興味。そんなテロップをいれられるくらいなら放送させないって怒る監督とか出そうというか出て欲しい。それともテロップが入ってないDVDが売れて良いとか考えているのか? それならそれで単に宣伝場所として使われているんだと感じてテレビ屋たちは怒らなきゃ。50年かけて創り上げてきたメディアとしての矜持。新聞の紙面も映画館のスクリーンもかなわないメディアの王様としての地位を自ら汚すような真似をどうして出来るのか。商売優先の思想がどっぷりと染みて、もはやメディアとしての感性なんて存在しなくなっているのか。そんなものは最初っからなかったのか。分からないなあ。分かるはずもないか、同じ歳で倍以上のお給料をもらっている人たちの感性なんか。

 そういやフジテレビの緊縮ぶりが昨今あちこちで話題になってて、記者の取材にハイヤーが使えず夜回りも電車とタクシーになったとか。天下のフジテレビでそんな訳があるはずないって思うけれども、でも最近のテレビってどんどんと報道の役割を軽くしているだけにあって不思議のない話。でも米国とかだってニュースがあってこその信頼だってスタンスは崩してない。例えそれが仮構のものでも、報道への信頼性って奴は未だブランドへの安心感につながっているし、暴走しかねない力への自制としても機能していたりする。まあそんな報道が無茶するのがこの国だったりするからやっぱり顔に傷とか入れて平気なのかも。かくしてドラマは海外のドラマしか見られずアニメはネットで流し見されニュースもやっぱり海外のものばかりが尊ばれる、と。テロップはつまりそんな時代へのカウントダウンな訳だ。


【4月17日】 しいなの日。誰の日だ。誠か。玉依か。和夫か悦三郎か。誰なんだ。いやしかし日日日さんで最初の映像化が「ちーちゃんは悠久の向こう」だったのにも驚いたけれどもアニメーション化が「狂乱家族日記」だったってのにもやや意外、バックの大きさじゃあグループご本尊な角川書店の角川スニーカー文庫から出ている「アンダカの怪造学」があるし映像化に力を入れてるいって意味ではメディアファクトリーのMF文庫Jから刊行の「蟲と眼球」シリーズなんかもあってあとは映像ビジネスからやや引き気味ながらも伝統の徳間書店から「ギロチンマシン中村奈々子」シリーズも出しているのにエンターブレインのファミ通文庫が最初のアニメ化になるとはなあ。

 まあ出ている巻数の多さは好評の現れでもあるり「吉永さん家のガーゴイル」とか「ぺとぺとさん」とかをいち早くアニメ化したレーベルでもあるからそこでトップ張ってる作品を、アニメ化しないって手もないってことで始まったアニメーション版「狂乱家族日記」はのっけから猫娘が突っ走り意味不明な中をどーやら魔神の復活阻止に向けたなごやか家族計画が発動して大勢が集められて1つ家族になるってゆー、疑似家族物だと分からせつつも集まって来た奴らは、猫娘にライオンにくらげに戦闘兵器といった具合なカオスぶり。そんな1巻目を読んで、滝本竜彦さんの「NHKにようこそ」で主人公たちが作るゲームの主人公に属性を山と着けて受けを狙おうとしてあざとさが分厚くまとわりいてしまった不格好さが痛々しかったことをふと思い出し、どうしたもんかと悩んだ記憶が蘇る。

 をそういやあ名取なずなさんの「サンプル家族」って作品も昔あったなあ、なんてことも思い返しつつそれを上回るキャラクター選びの突拍子のなさと展開の唐突さに、凝りすぎで気を張りすぎだってやや引いて、後の展開を遠巻きに眺めていたけれどもカマしてみせつつ設定を詰めてドラマを混ぜていく手が効いたみたいでこのベストセラー。ならばアニメ化をきっかけに今1度読み直してみるのも良いかと思ってはいるけど果たして。真っ当に見える少女の背中が傷だらけ、ってのもなるほど癒しなキャラだと見せかけて裏側にいろいろと仕込んで後につなげる思考のめぐらせ方が行き届いているからあれだけのシリーズを走らせながら、どれもひと癖ふた癖あって何かひっかかる物になっているんだろー。これが成功すれば次くらいに「アンダカ」もアニメ化してくれるかな。

 「アニメの監督が作品制作を通じて自らのテーマを追求するというのはメディアが振りまいた誤解」であって「一度やったことには興味はありません」と「週刊SPA」の2008年4月22日号で断言してるってことは「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の谷口悟朗監督、いつかの「無限のリヴァイアス」あたりからずっと決断なんとかとやらを貫きこの圧迫感に苛まれそうな時代をサヴァなんとかしていく若者たちを描き続けて来たんだなんて見方ももしかすると違っていたりするんだろうか。まあ自信がそうは言っていても思考のメソッドとして心の深奥に積み重ねられたものはそうそう変わるもんじゃないんでそれが共通項としてにじみ出ているんだってことを言うのが批評って奴だからそれはそれでありなのかも。どうでしょう。バンダナしてないなあ。

 視聴率についてはあれやこれやそれやどれや言われているけどそもそもが日曜日の午後5時だなんてアニメを見る習慣の誰も盛っていない時間帯に移動させてすぐに素晴らしい数字なんてとれるはずがない。っていうかそれ以前の番組がどれくらいの視聴率をとっていたんだとてっていたとしてだったら実際にどれだけの人がテレビを見ていたんだ見ていない人の方が多かったんじゃないのかって統計のマジックの裏なんかも気にしたくなる。

 現実において話題の広がり方は半端じゃなくそれだけ気にされているってことの現れで、生でなくても録画して見ている人の多さなんかも計算できる仕組みが出てくればその影響力の大きさもつかめるんだろうけれど、視聴率のそれもビデオリサーチによるサンプル調査っていった仕組みしかもたず、それを絶対視しなければ商売ができない構造が建前上出来上がってしまっている放送界広告界において、実は違うんだなんて言ったところで通るはずも認められるはずない。法律って奴ぁそれが悪法だからって逆らっては罰せられるものなのだ。

 現場の人だってそんなことは先刻承知だろうからたとえ3%が2%になったところでDVDは売れるしブルーレイ・ディスクだって売れるのも確実と、踏んで支え作り流し続けるんだろー。むしろここから底上げして5%くらいまで持っていければそれはハイターゲットな所を越えたムーブメントが生まれた現れってことで、そんな関心も抱かせられながら次回第3話の放送を待つのであった。土曜の朝7時の視聴率の低さが録画視聴者の多さと裏腹だったかまでは知らない。今再放送したらどんな評判を得られるのかなあ。それならむしろ「ゼーガペイン」を再放送してもらいたいなあ。


【4月16日】 しまった先を越されたインドだかパキスタンだかで行わることになっていた「北京五輪」の聖火リレーで本番に先立って抗議のために誰かが勝手に聖火を灯してリレーのコースをそのまま走ったとか。最後は捕まってしまったみたいだけれども別に誰に迷惑をかけている訳でもない行動を、逮捕するとはなかなか厳しい国だよなあ。きっと笑いが足りなかったんだ。なので日本ではいつ頃だっけ、長野あたりで聖火リレーが行われるのに先立って、誰かが牛の角にたいまつを灯してそれをゆるゆると引っ張り会場となっている善光寺へとお参りしてやって頂きたいもの。さすがに数十頭の牛の頭にたいまつを灯すと倶利伽羅峠になってしまうから1頭に抑えておくのが吉かと。米国には聖火リレーと偽ってヒューマントーチを呼んできて全身を燃やしてもらいながらコースを走らせるってのをやってもらいたかったよなあ。

 しまった福原京とは気づかなかったぞ平清盛が1180年に神戸市辺りに造営したものの半年保たずに平安京へと差し戻された都だったりするんだけれどもその年代からすれば遷都800年に当たる1980年にイベントとかが行われていなければ次の区切りは2080年の遷都900年。70年以上も先の話しなんで「せんとくん」なんてキャラクターは作られていないだろうと見るのが普通なのに、例の阪神淡路大震災からの復興を願って05年に地元が中心となったイベントが開かれて、その時に福原遷都の過去を尊び「セントくん」なんてキャラクターが既に作られていたんだとか。よくもまあ平安京を後目にそんなものを作れたものだけれどもそこは平清盛の偉績にかこつけたイベント。都の貴族に逆らうくらいは朝飯前ってことだから平安遷都におもねらないものよく分かる。しかしここまで同じ名前だと福原京よりは大きく真っ当な平城京が「せんとくん」を横取りするのもみっともないんで、新しく名前を募ってそれでせっかくの記念行事を祝おうではないか。「へいじょうきゅん」で、決定。

 朝起きて録画したアニメーションを見ていたら「シティハンター」が混じってた。新作やってたんだ。声が神谷明さんから三木眞一郎さんに代わってて拳銃もコルトのパイソンではなくS&WのM29になっていたりと随所に改変が見られていたけどどこかやさぐれた探偵が美少女の助手を使いながらも都会で起こる事件に挑む家庭で得たいの知れない女性を抱え込んでしまっておおわらわ。軽薄に振る舞おうとしながらも内実の真面目さでもって強敵へと突っ込んでいく……ってな感じのストーリーは「シティハンター」以外の何者でもないしキャラクターの顔もちょっと現代風にはなっていたけど冴羽リョウそのものだったからきっとこれは「シティハンター」の舞台だけを未来に写した新作なんだと理解する。タイトルもそういえば変わっていたなあ。「クリスタルブレイズ」。なるほど「エンジェルハート」みたいなものか。せめてもっこりだけは残しておいて欲しかったなあ。嘘っぱち。

 未だ山手線の内側はアニメーションとかゲームとかのキャラクターショップにゲームショップにフィギュアのショップが建ち並んで駅前にはメイドさんも立ちビラをくばっているけれど、外側は徐々にオサレに侵食されているみたいでTXことつくばエクスプレスの秋葉原駅の上に新しく阪急鉄道が作ったビルは地下1階から地上6階までが商業エリアになっててオサレな飲食店とか「無印良品」とか「ブックファースト」とかが入って真っ当な文化とファッション食事を秋葉原でだって楽しめるって評判になりつつ秋葉原の従来からのイメージを侵食しそー。

 既にして「ヨドバシカメラ」の「Akibaマルチメディア館」が陳列の豊富さと賑やかさでもって秋葉原の家電店のイメージを覆しているし、24日にはTXの上のビルとは道路を挟んだ向かいに「チョムチョム秋葉原」ってビルが出来てそこにもオサレな飲食店が入るみたい。閉鎖されたワシントンホテルがこれで小ぎれいなファッションビルに立ち代わったらもはや山手線の外側は別世界。そこからの清風が山手線を超え、内側をオサレに侵食していく日もあるいは遠くないのかもしれない。秋葉原駅の閉鎖された駅ビルの跡がどーなるかにもよりそーだね。

 8月29日を永遠に繰り返す、ってのも一種のループもの? でも時そのものがしゃっくりするんじゃなくって1人の少女の記憶がその日から先にすすまず寝て覚めると今日も明日も明後日も同じ8月29日だと認識してしまうってんだからループとはちょっと違うかな。そんな少女が出てくる中尾寛さんの「ストレイジ・オーバー」(GA文庫)は記憶使いって記憶を操る能力をもった奴らの物語。しばらく帰ってこない父親にいつものことだと感じつつ、8月29日を3年間も繰り返している妹を思い悩んでいる少年のところに高子という女子高生から連絡が来る。少年の父親はどこに行った? どうやら少女は少年の父親と同じ組織に所属してたらしくて失そうした少年の父親にずいぶんと世話になっていて疾走が心配で仕方がない。

 けれども少年には寝耳に水の話しばかり。問うと少年の父親は記憶を操る仕事をしていたらしくって、妹が記憶を8月29日より先へと持っていけないことにも、その仕事が何らかの影響を及ぼしているのだと知る。妹に仕掛けられたものを突きつめるために少年は高子やその仲間たちと一緒に記憶使いの仕事を始める。実は少年にも力はずっと備わっていたが、父親の暗示か何かで封印されていたものをどうにか発掘。とはいえ未だエキスパートには及ばない記憶を呼んで書き換える力を、抱いた猫を見つめながら訓練する様が傍目にはちょっと可笑しい。良い迷惑だっていうか猫的に。とりあえず解決はしておらず少年は敵らしき存在を知ってさあどうしようかってことになってて、少女はいつもは暴れるばかりだったのが現状を早く理解する術を身につけおとなしくし始めた。これから何が起こるのか。そこは読んでのお楽しみってことで。イラストがなかなかに美麗でシリアス。好みです。
BR>
【4月15日】 だってそれだと2094年の平安遷都1300年に作られるキャラクターの名前に「せんとくん」を使えなくなるじゃないかと心配がメラメラ。例の坊主が鹿の角を頭に生やした平城遷都1300年のキャラクターの名前が決定。遷都なだけに「せんとくん」だなんて付いてしまって安易さに笑うけれどもそーゆーのがマスになりやすいのが投票の世界って奴でそれだったら別に募集なんかしなくても良かったんだろーけど、プロセスを踏むのが日本の風習だから仕方がない。でも都だったらやっぱり1番長い平安京をさしおいて無印「せんとくん」を奈良が名乗るのは烏滸がましいよなあ、せめて「しかせんとくん」とかにしてくれないと。ってことは平安京は「きつねせんとくん」か。そりゃあ「鹿男あおによし」の読み過ぎだ。

 江戸開闢だと2003年に400周年が終わっているから「かいびゃくくん」なんて名前のキャラクターが跋扈してぬらりひょんだか何だかな印象を振りまきまくるってこともないけど1616年に開祖家康が没して2016年が400年目となるからそこでキャラクターが作られ名前が募集されて「しんだいえやすくん」なんて名前がマスを集めるってこともあるのかな。あるはずねえ。それで言うなら08年は三菱財閥を作った岩崎弥之助の没年か。記念して「みつびしくん」なんて作るかねえ、でもって三菱鉛筆と弘乳舎が文句を言う、と。スリーダイヤを使ったのは後の2社の方が早いのだ。

 そういやあ伊賀市で忍者風なキャラクターの名前を募集していたけれど決定したんだっけ? わかりやすさだったらやっぱり「にんじゃくん」とかになっていそうだけどそれだと甲賀がやっぱりキャラクターを決めようとした時に重なるからと起こりそう。かといって「いがにんじゃくん」じゃあ長いしなあ。2010年2月号では「SFマガジン」が創刊50周年を迎えるけれどもそれを記念するキャラクターが「SFくん」じゃあやっぱり2009年に創刊30周年の「SFアドベンチャー」が作るキャラクターと重なりそう。命名って難しい。ところで「SFアドベンチャー」、創刊30周年くらいは出しましょうよ「SFジャパン」の名を変えて。

 んでもって見た「ブラスなんとか」は変身バイク乗りがどツボにはまった挙げ句に暴走してそして爆発、炎上。そうかもう退場か。でもって本当の主役がようやくお出ましな模様。その力は白衣の眼鏡女からもらったものなのか、だとしたら眼鏡女の目的は、ってあたりから話しが膨らんで行きそう。融合体を追うチームのマドンナだっけマチルダだっけ、違うアマンダだアマンダ・ウェルナーの体にぴったりした衣装から見えるお尻とかのラインのリアルさに画の力はしっかり持ったアニメなんだと再認識。とはいえ世界観的な想像の付きやさをこえて魅せてくれるキャラクターとかアクションが、今のところあんまり感じられないのが迷い所。録画はしておくけど次はちゃんと見るかなあ。アマンダの動静しだいかなあ。声は「BLACK LAGOON」のエダと一緒かあ、とてもそうは聞こえない、プロだなあ。

 さらにようやく名前を覚えた「モノクローム・ファクター」は喋らなければ美人な帽子の白髪なのに「ふふっ」と諏訪部声で喋って背筋がぞぞぞっ。その着いてぴったりと引っ付いた関係性に溺れる女子とかいるのかもしれないけれども傍目にはやっぱり何というか気味の危うさが漂っていて正視できない。漫画だと声とか自在に脳内で合成できるからこんなことはないんだけれど。影の世界から魔物だかを引っ張り出してくる敵の存在なんかも見えたりしてストーリー的には盛り上がりそうだけれどもこっちも見ていて楽しいキャラのいなさが先行きの視聴マインドを妨げそう。これで白銀が中身まで美少女だったら嬉しいのになあ。でもって声はやっぱり諏訪部と。ヘルマフロディーーート(と髭男爵的かけ声で)。

 そんな「モノクローム・ファクター」の空廼カイリさんによる「マザーキーパー」(マッグガーデン)を表紙の美少女たち(2巻と3巻についてだけど)に惹かれて一気読み。滅亡の縁から立ち直った人類が巨大なドームを作り都市を築いてどうにか快適な生活を送れるようになった時代が舞台なんだけれども、ご多分に漏れずドームの外にはあぶれた面子がいたりして、差別に憤ってはドームをぶっ壊してやろうとレジスタンスを組織する。主人公のリカルナもそんなひとりというか腕利きの戦士だったけれども侵入したマザーコンピュータのそばで現れた戦闘員に倒され絶命。したはずが目覚めるとまるで無事。どうしたんだと尋ねるとサイボーグとして蘇り、「マザー」ををレジスタンスから守る仕事を押しつけられた。

 昨日の見方は今日の敵、そんなのできないって断ろうとしたけれども侵入してきたレジスタンスと戦う羽目となり、それが成長していた自分の妹だと知らされてあれから10年が経ったことに気づいて愕然。さらにマザーキーパーでもないのにサイボーグ手術を受けている男との戦いもあって、世界をこれ以上悪化させないためも「マザー」を守らなくちゃいけないって気分へと至る。「マザー」ってのがまた意外な姿をしていたり、リカルナを手術したジムって医者だか科学者だか権力者が男口調で喋る割には胸元がぱっくりあいた衣装と短いタイトスカート姿で肢体を存分に拝ませてくれたりして読者的には目の保養。且つ強敵の登場や同僚マザーキーパーのシャルのピンチといった出来事がとりあえずは先への興味をそそってくれる。寡黙で戦闘にはあまり出ないリントが元死刑囚という謎にも答えは出ていないんで、ここは期待をしつつ4巻目が出るのを待とう。しかしやっぱりエロいなジム。

 なぜかHDDレコーダーに残したまんまにしてある「コードギアス 反逆のルルーシュ」の第1話を見返しておさらい。冒頭で崖を上るスザクとルルーシュを見つめる和服姿のC.C.が映っている絵が流れるってことはスザクの家に居候していたって過去は別にブリタニア皇帝によって植え付けられた架空の記憶ではないってことか、あと「R2」の第2話でナナリーのこともマリアンヌのことも忘れてしまうって言っていたのも裏返せばそれらは元からの記憶って訳でどこまでが偽りでどこまでが真実なのかが最後にどんでん返し的に明らかになって全部が皇帝の戯れでした、ってことにはならないはずだとまずは理解。でも本当のところはよく分からない。鎌倉だか湘南だかのスザクの家にいたC.C.が捉えられカプセルに入れられ運ばれよーとしていた経緯も含めて明らかにして欲しいものだな今後の展開だ。アーサーどこいった。


【4月14日】 東京駅に11番ホームがないのはそれは地上から約2200メートルほど上空に浮かんでいるからだけの話でだから女性が男性に「11番ホームで会いましょう」と言ったら男性は気球を仕立てるなり飛行機を借りるなりしてそこへとたどり着く必要があるんだけれどもそーやって頑張って上がった東京駅の上空にもしも11番ホームが見つからなかったその時は、籐真千歳さんって人の「θ(シータ) 11番ホームの妖精」(電撃文庫、590円)を読んでどうやったらそこに辿り着けるのかを勉強した方が良い。なになに「高密度次元圧縮交通(C.D.)」に乗って鏡状門を抜けるだけ? なんだ簡単、っておいおいそのC.D.って奴にはいったいどこに行ったら乗れるんだ?

 それはもうちょっと時間を待たなくちゃならないみたいだけれども先取りをした「θ」の世界では、日本だけが保有するあらゆる場所を鏡みたいなものを抜けて繋げられる技術が発達していてそれで世界中を鉄道みたいな交通機関が結んでいて、T.Bと名乗っている少女はそんなC.D.の会社で「東京駅11番ホーム」だけを担当する駅員としてたったひとり、とうか狼の義経だけをかたわらに置いて上空2200メートルの駅に務めていた、もう150年も。彼女の体は機械。とある事情で肉体を損傷しとある事情で永遠の命を保障される身となって、そしてとある事情から敢えて「11番ホーム」の駅員として東京駅に立っていた。

 そこに起こったいくつかの危機。まずはC.D.の技術を海外に持ち出そうとする技術者の逃亡に直面してどうしようかと迷った挙げ句に認めようとしてそしていろいろあって一件落着無罪放免。そこで作用した力が単に見目麗しい駅員ではないT.B.の存在感って奴をしらっと示唆する。さらに送り込まれてきたデータを中に満載した貨車が圧縮されて単分子結合した窒素の槍でもって貫かれ爆発四散する事態に巻き込まれ、やってきた美少女に見えて実は出生にいろいろと曰わくのあった十三月の暴走を止めて更に送り込まれてきた敵の放った窒素の槍をどうにかしかしようと奮闘する。その際にT.Bが世界を結ぶ鏡状門の存在とも大きく関わっていることも示唆されて、そんな大切な事柄を脇に国家間の勢力争いを繰り広げようとする輩の卑小さって奴が浮かんで目先の利益に走れば失うものも大きいんだってことを思い知らされる。

 っていうかそんなに大事なことを知らないで暴走する輩が同じ組織にだっていたりするんだから分からない。150年って時間がいつしかその重大さを薄れさせてしまったのかよほどの機密事項なんで下っ端風情では知らなかったからなのか。ともあれそんな鏡状門ってガジェットの存在と、それが創り上げた世界の有り様、国家観の勢力図が驚きのビジョンを与えてくれるSFの傑作。半島などアジアの中央だの北だのにある大国だのが日本を狙い謀略を仕掛けてくるって描写はちょいライティーだったりするけれども、1国が技術を独占して150年も経てばそーした地勢的なシチュエーションが訪れてたって不思議じゃない。

 ビーズログ文庫から出ている「エパタイユカラ」って小説も同様だけれど未来に起こる何かがもたらすアジア状勢のパワーバランスの変化を考えてみる訓練として受け止めれば、賛成であっても反対であってもあんまり気にせず読めるだろー。自らの想いとそれから与えられた立場によって、永遠に近い再会までの時間を永遠に生き続けることになってるT.Bがこれから先に出会う事件はどんなだろう。そして何を考えさせてくれるんだろう。期待しながら先を待とう。発明大好きな美女の西晒湖涼子の阿呆天才っぷりにも注目。泣くなよパラシュートを落としたぐらいで。

 夏緑さんの「くろかの」は科学部だったけれどもこっちは化学実験部。白鳥士郎さんって始めて名前を聞く人の「らじかるエレメンツ」(GA文庫)は岐阜県にある高校の化学実験部で部長を務める嶋谷鉄太郎が保育器からの幼なじみで生徒会長をやってる梁瀬アルミって少女から突きつけられたのは部室明け渡しの厳命。部員で副会長で175センチとかの身長に好奇心旺盛というか傍若無人な正確を持った笠松卯卵を筆頭に、花火を作って教室を吹き飛ばしたりする実験の数々を行い迷惑をかけたことがひとつは理由になってお取りつぶしのピンチにあった。もちろんひとつの理由であってもうひとつはアルミの複雑な感情。まああれだ。靴のマルトミって奴だ。「女の子って女の子ってフクザツね」。羨ましいで鉄太郎。

 ともあれ虚勢からデレられない感情をぶつけられて部室明け渡しを命じられた化学実験部に与えられたのは全国に名の通るよーな活動をするってこと。そこは100年を誇る化学実験部なだけに過去のリポートをひっくり返せば使えそうなネタだってありそうだけれども今ですらそーなのに過去はさらに凄まじかった模様で毒ガスを作りヤバい実験を繰り返し、直前だってキャトルミューティションの実験と称して山野に牛の死体を山積みしたとか。これはさすがにマネ出来ない、ならば別の方法でと鉄太郎たちはスポーツチャンバラの世界大会で優勝する方を選ぶ。すでに化学でも実験でもないんだけれど。

 そーして突入した頑張れベアーズな日々は子供にもあっさり敗れる挫折を経て、ファッキンが合い言葉の鬼軍曹によって鍛えられてそして望んだ世界大会。といっても開催場所が名古屋市千種区ってところがローカルっていうか耳になじみがあるっていうか、まあそんな感じにマイナーだからこそのねらえた優勝なんだけれどもそこでやっぱり立ちふさがったアルミの陰謀。果たして鉄太郎たちは化学実験部を守れるか、ってストーリーをメーンにしつつ下心なんかはなくても人が悲しんでいたり起こっていたり迷っていたり虚勢を張っていたりするのを自然に受け入れ理解し癒す生真面目さを持った鉄太郎によって誘われ導かれていく面々の様子に、先入観とか色眼鏡って奴のみっともなさを強く強く感じさせられる。

 真似すりゃ生徒会長も長身の美人も自分のもの? いやいやそもそも真似って発想自体が下心。時に鈍感過ぎて人を迷わせたりはしてもそれでも真っ当に策謀なしに生きていけば両手に花だってありえるってことで。イラストに最初はぎょっとしたけどこれもこれでなかなか感じ出てるんじゃないかな、卯卵とか。「皮をむく」とか聞いただけで鼻血を出す婦女子な荒廃の丹波凛ってキャラクターもなかなかな存在感。もっともそんな彼女の内面を描いた項もあって集団の中に居場所を確保しなきゃいけない切迫感にからえて身を偽り、そしてそのまま偽り続けた姿を真の自分と思い込むなり思い込もうとしてしまう現代のコミュニケーションの難しさって奴を感じさせられる。自分は自分なら良いじゃん、とはならないんだよなあ、実際は。それは経験としてもよく分かる。居場所を作るためにキャラを仕立てる面倒さが嫌だからソロ活動ばっかりしているもんなあ、でも実はそんなキャラなんて求められてないんだけれど。マッピングな世界にキャラを仕立てて居場所を探そうとする今時の人たちが自意識過剰を改めるきっかけにもなるかな、なって欲しいな。

 自意識過剰ったら本谷有希子さんの「ほんたにちゃん」(太田出版)の主人公もまた凄まじい。っていうか痛々しい。都会に出てきて7万5000円の部屋に住んで15万円の仕送りをもらって通っているのは写真の専門学校で理由がHIROMIXみたいになりたいからとかいったそんな感じ。そうすれば関心を持ってくれるかもって暗くて無口なキャラクターを装い誘われても騒ぎ出すことはないままおどおどとしつつ生きている。実家で読んでた漫画は「幽々白書」だの「すごいよ!マサルさん」だの「白鳥麗子でごさいます」なのに誰かが来た時のことを考え過ぎちゃって「ザ・ワールド・イズ・マイン」とか「鉄コン筋クリート」なんかを並べちゃってる痛々さ。分かってはいるんだけれどもでもどこかに自分が違うんだって思い込みたいところがあって未だに自分を出せずにいる。それが自分なんだと思い込もうとしてる。

 でもそんなことは他人からはきっとお見通し。気になったのかそれともからかおうと想ったのかは分からないけど飲み会で誘ってきたイラストレーターがいてお洒落なバーで何とかぼろを出さないでいたもののくすぐられる自意識があったのかモデルにしたいってイラストレーターの最初の誘いを断ったのに、自分から連絡をとってモデルになりたいと言って出かけていってそしてそこでも怖さからヌードにはなれない話しを危機に来ただけだからと臆し挑発されてそれならと受けたものの流石に隠しきれるものではなかったか、キューブリックだのビートルズだのアンダーワールドだの視てもなければ聞いてもいない映画や音楽の話を振られて受け答えをしてそして突きつけられた「救いようがないね」の言葉。全部ばれていた。見透かされていた。

 唖然とし呆然としつつもそこでどうにかふっきれたのか、ふっきれなければ壊れてしまうと想ったのか、再び乗り込み大暴れをしてそしてたどり着いたひとつの境地。天然になりたかったんだ。綾波レイになるなんて間違ってたんだ。ぶわーっと浮かんで来る過去の所業の痛々しさ。でも今だったら痛々しさに耐えられるかもしれない。痛々しさで死んだ人間なんていないよ、ってのはどうだろう、耐えきれずに沈没していく人も過去にはいたし主人公だってそうなりかかった訳だから迷うところではあるけれど、痛々しさに気づいただけでもひとつの進歩。さてそこからいったいどう立ち直っていったのか。結果が今の本谷有希子さんだとしたらなるほどはっちゃけてる訳だ。キャラを作り仮面を被りポジションを求めて徘徊している都会の諸子よ、読んでいったん絶望し、そして復活を遂げるのだ。まあ歳とりゃあ自然にメッキも剥げるけどね。


【4月13日】 まだ最下位じゃないけど得点数の差でしかなくって実質最下位、新潟と同時に。開幕前は攻撃も波状的だったし守備にいたっては完璧で勝てはしないでも負けないまま中段くらいに食らいついていってくれると思っていたんだけれども落ち着きがないサイドではやっぱり負担が大きかったか。あとはデニス・マルケスが凄すぎたってことで。でもストヤノフ選手だったら見事に抑えきっただろうなあ。高さで跳ね返すタイプでも技で押さえ込むタイプじゃないから、エディ・ボスナー選手は。攻撃は後半に青木孝太がサイドに回ってからが凄かった。切れ込んで何本もクロス。正確性が出ればもうちょっと得点率も上がるんだけど。

 巻誠一郎選手は1点目でもシュートしポストには当たったものの跳ね返ったところを坂本選手が押し込んでの得点だし、2点目もファーに入って飛んできたボールを落としたところをあれやこれやあって新居選手にわたりゴールと、どちらも最後の場面でちゃんとボールに絡んでる。これでクロスが正確だったり本数が増えてくればもっと得点も増えるんだけれど昨日の後半みたいに圧倒的な攻めを見せてもなかなか入らないようだとやっぱり苦しいか。ともあれ怪我からの復帰組の体力アップと連携強化を図って前半戦の途中からでも巻き返しを期待したいところ。期待できなきゃ墜ちるだけなんだ。嗚呼。しかしピクシー、遂に首位か。棚ぼたじゃなく勝ち続けての首位だもん、凄いなあ、これがカリスマて奴か、岡田さんにちょっぴり分けてあげたいなあ。

 そしてまた繰り返して見てしまった「紅」は武藤環のジャージのズボンがずり下がり気味でお腹がちょっぴりのぞいているのが妙にリアル。引っ張り降ろせばさらに下がってご開帳。でもそれをされて恥ずかしがるタマでもなさそうだからなあ、環。あとはプレスコがもたらすキャラクターの声音の深遠さ、か。プロフェッショナルだから前に絵があるアフレコでだってキャラクターの内面をつかみ取って絵にあった演技を見せてくれるんだろうけれどもここで「絵に合わせる」という意識が、とっぱらわれた時にどんな変化が起こるのかってことを「紅」のプレスコは多分見せてくれている。

 それがより深く内面を咀嚼して声として表現しなくちゃいけない関係で、演技としての声に深みや厚みが出ていたりするのか、それとも前に映し出された絵ではなく近隣にいる生身の声優を演劇的な相手役と認めつつ演技をする関係から沸き立つ生身感なのかはプロじゃないから分からないけれども、ひとつひとつの声にどこか言い得ぬ感情の波動がこもっているようには感じられ、それが聞いて描いた絵描きたちによって表情や仕草として表され重ねられた時に、画面全体に奥行きのようなものが生まれ生々しさのようなものが漂うのだって、言って良いのかどうかのか。

 プレスコって知っちゃってる今ではもはや真っ白な頭で考えられないだけに悩ましい。実際に演技をしている人とかが結果をどう捉え(どっちだって同じとプロなら言うだろうけど同時にプロならではの微妙な差異って奴も感じていたりするのかも)、また現場で聞いている音響監督の人とかどう感じているのか知りたいなあ。あと次回予告を何で村松健さんに演ってもらったかも。80年代にはニューエイジていうかイージーリスニングでは超人気のピアニストだったんだぜ、マスクも良くって溝口肇さん以上に知られてた。あんな飄々とした声をしてたんだ。アニメーションでは前にやった「スケッチブック」も良かったけれど「紅」も劇盤、良いよなあ。出たら買おう。

 んで「ライトノベルフェスティバル」へと出向いて遠くで「狼と香辛料」の人が喋っているのを見つつ「SFマガジン」向けの原稿とてちてち。秋葉原にあるいつも「文学フリマ」なんかをやってる開場を仕切っての開催は最初は廊下でやってるっぽい印象もあったけれども入り口は仕切られて人通りもないからすぐにどっかのホールでやっているような感覚に。ゲスト部屋もやっぱり衝立で仕切られた一角だったけれども名もない民間人には無縁なので隙間からちらちら。袴姿に刀を持った人はいったい何のコスプレだったんだろう。とりあえず途中まで原稿を仕上げてそれからぼくらな人とご飯して帰って「ブラックロッド」「ブラッドジャケット」「ブライトライツ・ホーリーランド」の3部作が新刊書店では何か手に入りにくくなっているって話を聞いて寒い時代だと震えつつも10年経てばそういうこともあるなと思いつつじっと手を見る。老けたなあ、誰も彼も。

 さらに原稿をてとてとと打ってとりあえず仕上げてから椅子の撤収を手伝いそのまま引き上げる。帰りがけに夏緑さんの「くろかの」(HJ文庫)を読んだら結構面白い。科学こそが真実と信じる少年、阿寒望が科学部の先輩に部員が足りないからと勧誘に行かされた学問運動共にスーパーながらも不気味なところがあった闇暗魔夜を追いかけ山奥まで行くとそこに現れたのは侵略者の宇宙人。そんなのいる訳ねえと科学的に思いながらも現れた宇宙人に浴びせかけられたガスで望は記憶こそ高校生のまま赤ん坊の姿に。宇宙人から逃げ切ったものの望はそのまま魔夜の実家の病院と連れていかれてお世話を受ける羽目となる。

 前世は黒魔術使いの女ドラキュラ伯爵だと信じ自らも魔術を使う魔夜の不気味さに怯えつつもどこか可愛いところを持った魔夜に関心を抱く赤ん坊姿の望。とりあえずはその姿で魔夜に学校へと連れて行かれると女子たちが騒ぎ出して可愛い可愛いと望を取り合うものだから魔夜が嫉妬の暗い炎を燃やしてそれを望が慌てて止める。そして始まった暗黒女子高生と赤ん坊高校生との奇妙な関係は科学をむやみに信奉する望に対して世の中には不思議なこともあるんだって事実が次々に突きつけられ、そんな中で哀しい少女や可愛そうな人たちの思いや未練が昇華されるエピソードが挟まれ涙を誘われつつ最後に来るのは宇宙人とのバトル。科学こそ絶対な考えを捨ててオカルトであっても可能性を信じた望の思いが窮地に最善をもたらす。なあるほど。とりあえずまとまったかのように見えて残された強烈な引きが再び美人だけれど奥手な不気味少女の過激な想いの爆発を招き、巻き込まれた望の右往左往を引き起こしつつ楽しませてくれると信じたい。とりあえず赤ん坊になりたいなあ。なって魔夜といっしょに……。できれば赤ん坊的食事も……。

 そして「コードギアス 反逆のルルーシュR2」はゼロ復活。でも仮面の形が前と違う。っていうかどうしてあんな急場に被ってマントもまとえるんだ。C.C.がこの時のために夜なべして作って手元にしまっておいたのか。準備が良いなあ。それだけ奪還できると確信していたのか。餌に食いつくって分かっていながらみすみす逃す皇帝たちってちょっと間が抜けてる? それともこれも泳がせているだけ? 2度ばかりカレンが紅蓮のコックピットにまたがった恰好でこっちにお尻を向けている場面があってなかなかの迫力。壁から現れ輻射波動を発動させるシーンの前屈みっぷりもなかなか。でもバニー姿もきっと今回が見納め、か。ゼロよ頼むから女子の制服、もっと考えておくれなさい。あっでもオープニングの千葉さん結構なピタピタぶりだからそれはそれで楽しめるのか。

 んで三蔵法師は目が赤かった。寝不足? 違います。さらにやって来たロロ。迎え撃つシンクイにやっぱり何かが起こるのか。そんな間抜けか。というかロロってどんなことが出来る子なんだ。次回予告じゃあまた戯れあっているけれどもこれは現在進行形の話しなのかそれとも回想での戯れなのか。そんな興味を山と残して次回へと引っ張るスタッフのいけず。でもだからこそ面白い。これで神根島での出来事はほぼ解決。あのあとカレンがどうして1年を過ごしたかまでは分からなかったけれどもまあいろいろやってたってことで、C.C.はあれだ、浮かんで泳ぎながら中華連邦に渡って準備を整えたんだ。途中で溺れても復活してまた泳ぎ出せる便利な体。魚につつかれるのは痛いかな。残るはコーネリアの行く先か。ギルフォードが名を出すと従う士官も多かったってことは未だに威光は残っているのか。でなきゃギルフォードが生き残っているはずもないからなあ。来週が楽しみ。最終回まで毎週楽しみ。日曜に家を出られなくなりそうだ。


【4月12日】 「マクロスなんとか」はつまり「マクロスF」なんだけれども「7」とか「2」とかいろいろあるんで混乱するといけないのでとりあえず常に最新のものを「なんとか」と表して放送が終わってから正式に「F」の称号を授与することに内定。2話までのところでは1話で散々っぱら見せてくれていた街とかコンサートでの「オーグメンテッド・リアリティ(AR=拡張現実)」のガジェットがややひっこんでバルキリーによる戦闘シーンの緻密さへとシフト。武装強化されたロイ・フォッカー(違う)の載るスカルリーダーの機体がなかなかに派手派手しかったけどその割には敵を破壊するまでには至らず、この先の戦闘がちょっぴり思いやられる。やっぱり辿るはフォッカーの道、か。

 泊まってるホテルではシェリルさんが荷物をひっくり返して大騒ぎ。飛ぶ下着にホットパンツにあれやこれやとそんなに無造作に引っ張り出せるくらいに無造作にトランクへと詰め込んでいたのか。ずぼらな奴。それがステージではガラリと変わってしまうところが何というかトップアイドルというか。そして出会ったシェリルとランカ。間には「S.M.S」の本部から安全地域へと叩き出されたアルトがはいって右に左に引っ張られる展開へとなるんだろう。この果報者。でもきっと化粧すると3人で1番のお姫様なんだ。何という理不尽。敵の正体が判然とせず歌でもって戦えるのかがちょっと不明。人型なのか違うのか。何を狙って船団を襲うのか。ストーリーの見えなさとシェリルのずぼらさが気に入ったんでちょっと見続けて行こう。だからせめて最後まで踏ん張ってくれよサテライト。「キスダム」の作り直しを待ってあげるから。

 ようやくやっと2話までを見た「紅」があまりに素晴らしかったのでDVDを買おうかと迷う。どっかのお嬢様で7歳で庶民のアパートに連れてこられた紫って娘が仰向けになってジャージのズボンを履くシーン。寝転がって上体を起こした恰好で、ひざを曲げ爪先からズボンに両足を通すとひざ上まではするりといっても、床面についているお尻の部分でつっかえる。そんな時には爪先を床につけたまま上体を寝かせて肩から頭も床に押しつけて、ブリッジをするような恰好でお尻を浮かせてズボンを一気に引き上げる。そうだよ、子供はそうやってズボンを履くんだよ。何という観察力。何という描写力。洗面台に上がって水浴びしようとしている仕草も歩き回る姿もじっつによく人を、というか子供を観察して絵にしてる。

 感情の動きもみっちりと描写。連れてこられたアパートの主が学校へと行ってしまってひとり残されれば普通は寂しいんだけれどもそれを言い切れず主は行ってしまってひとり寂しさの中で部屋を出て、強がりながらも泣きじゃくってしまうその態度。世間知らず故にもらった牛乳を当然と受け止めていたら怒られ最初は訳が分からなかったけれども説明されて納得して素直に謝るその潔さ。良いところでしっかりと教育を受けて来た子供なんだってところがどこを切っても溢れてきそうなキャラクターに創り上げられている。実にいそう。だからそうか、我が儘でも手前勝手に見えてもあんまり気持ちをささくれ立たせないんだ。

 態度だけでなく心理まで含めた演出ぶり。ダークな雰囲気も保って緻密に織り上げられたそんな本編と、まるであわないポップなオープニングとエンディングもまた素晴らしい。良いセンス。松尾衛監督、侮りがたし。そういや「RED GARDEN」も絵のクオリティはともかく雰囲気だけはあったよなあ。見返したくなったけれども録画はなし。かといってあの巨大なDVDボックスを今さら買うのも部屋が狭くなるしなあ。どうしようかなあ。声は紫役の子が「おねがいマイメロディ」の琴ちゃんみたいな天真爛漫さとはまた違った純粋無垢で聡明って役を見事に演じきっている。紅真九郎を男の子声で演じる沢城みゆきさんといい天才の共演は見ていて気持ちが良いなあ。ジャージな体育系のおねいさんは真田アサミさんか。こっちも大人っぽさ出てきたなあ。

 そんな沢城さんの天才ぶりは「図書館戦争」でもいかんなく発揮されていた模様。あの、美貌で深淵な柴崎をしっかりと演じきっている。真九郎とは同じにまるで聞こえない。一方の笠原郁はそのまんま南夏奈って感じに猪突猛進の純粋まっすぐ大女。そんな2人が部屋で喋る場面で何事も胸に一物あるような態度を取る柴崎に対して郁が「きっちりしなさいっ!」と怒ると答えて柴崎が「アサコわるくないよ」と関内マリア太郎の声で答える漫才があったら是非に見てみたい。小説みたく基本はハードな展開を写したままだったら無理だろうけど今のどっかにコミカルさを残した演出だったらやっても全然ハマりそー。やらないだろーけど。

 なるほど郁と堂上との反発しながらもだんだんと惹かれていくって展開をコメディ調に思いっきり描くことで、本当だったらメディア規制との戦いだなんて重たく激しい内容でもってどんよりとしてしまうところを明るく見ていて楽しいものへと引き上げている。そんな楽しさの合間に見せつけられる、言論がいったん規制されてしまうとそれの尻馬にのって規制の強化を狙う輩が現れ果てにとんでもない事態へと向かうんだって恐ろしい世界の到来を対比のように激しく感じて、これはいけないと昨今ますます強さを増す言論規制の動きに対して立ち向かおうって気持ちを大きくする。なるほど考えたねえ演出の人。

 って言っても本当のところはどうなんだろう、実にタイムリーな話題ではあるんだけれども作者の人にとってはそうした社会性を保った主題は実はそんなに重要じゃなくって、自衛隊員のラブコメをやってみたかったんでいろいろ背景を作ってみたのがあれだった、って考え方も出来そうだし。これだけ言論の不自由が取りざたされる中にストライクな本を出しても、規制に反対をする一団の会合に呼ばれて話したなんてことも聞かないし。巻き込まれると確かに複雑だもんなあ。

 まあ当人はそうは思っていなくても、こうしてテレビって場でアニメ化されて広く一般へと伝えられることになれば意図はともかく表向きには主題になってる言論規制との戦いが、クローズアップされてそして筆で戦うヒロインとして引っ張り出されては笠原郁のコスプレでもってデモの戦闘に立たされることになるから覚悟しておいた方が良いのかも。違うんですラブコメやりたかったんですって言ったらガッカリする人もいるかもね、って同調への圧力が過ぎるのも昨今の悪しき風潮か。作品と作者はとりあえず切り離して今ここにある「図書館戦争」のテーマを受け止め各々の立場で戦うかどうかを判断するのだ。図書隊の方が美人が多そうだから正義? それもありかも。でも柴崎は怖いぞう。

 それにしても不穏さを増す表現規制の動き。テレビの内容についてあれやこれや言うBPOがテレビ局に向かって男児のフリチンをテレビ番組で映すのは“児童ポルノ”に悪用される恐れがあるから放送するなとか言っているんだけれども、児童ポルノってのはそこに虐待され搾取される児童があってこそのものであって、それを防ぐために規制をしようってのが一連の運動の大原則。テレビから抜いた映像としてそれを見て楽しみたい人の間に流布されよーが、元に被害者が存在していない以上は、規制されるべき児童ポルノと言うのはちょっと違うよーな気がする。

 なのにテレビで公に配信されたものであっても子供の映像だったら児童ポルノにあたるんだ、なんて誤った認識がこの一件で強く植え付けられてしまう可能性があるだけに悩ましい。被害者の有無なんて関係ない、人にそんな情動を催させるものが児童ポルノなのだとしたら、あからさまにセクシャルな意図をもって描かれた絵ならなおのこと児童ポルノじゃないかって意見がまかりとおって、見送られそうな絵などの創作物にも再び規制の手がのびかけない。

 テレビが放送を見送るくらい子供の映像は児童ポルノなんだとしたら、家で撮った家族の入浴写真だって海での水着写真だってそれこそ児童ポルノに当たるんだって意見だって成り立つ訳で、それで単純所持の規制が始まった暁に起こることはつまりはあらゆる人がその身に取り締まられるべきものを保持していて、いつでも捜査の対象にされかねないという夜警社会。そんな時代の到来を招くような意見を、たとえ表現の正常化を求める団体とはいえ表現の自由のために守るべきは守ろうとする団体が、深く考えもしないで口に出してしまえる所に想像力の限界って奴を感じて身が震える。

 それとも何かの意図を持っての発言か、タイミングもタイミングだし。敢えて言うなら別に子供のフルチンをテレビが映す必要はないけどそれは公序良俗の範疇であって、児童ポルノという言葉で括られるものではない。安易な言葉の誤用が招く拡大解釈の可能性。そこにこそ注意を喚起しておかないと知らず世界のあらゆる表現が何らかの足かせを法によってかけられる時代がやって来る。「図書館戦争」のようにカウンター的な勢力が生まれ拮抗するならまだ良いけれど、現実にはなし崩しにされ蹂躙されていくばかり。そうならないためにも気を付けろ、言葉の真意に、タイミングに。


【4月11日】 ちょっとだけ日本に立ち寄ったダライ・ラマ14世に安倍前総理の奥さんの昭恵さんが会って話をしたとか。これが本当のダライ・ラマ奥様インタビュー。どうです奥さんラマを味わわれたご感想はそうですねビンテージな割にはとってもみずみずしくって弾力もありそうで血の気もたっぷりでパワーを与えてくれそうでしたありがとうございますそれではまた。製品が新しくなるたびに軽くなったラーマだけどこっちのラマはなかなか立場が軽くならないから大変。責任を背負って生きるのって大変だ。

 最近はそういやあ見なくなったなああの「ラーマ奥様インタビュー」のテレビCM。奥様って存在が希薄化しているってことがあるのか他に理由があるのか。調べたら日本リーバがユニリーバになって発売されてた「ラーマ」は、今は日本リーバにも出資していた豊年製油が巡り巡っていろいろなところと合併して出来たJ−オイルミルズが、ブランドごと買っていたみたい。健康関連でやや逆風気味なだけにマーガリンのCMも出来ないんだろうなあ。だからこそここは旬なダライ・ラマを起用した奥様インタビューを。中国への気兼ねがあるならパンチェン・ラマでも良いんじゃない(良い訳ない)。

 国立代々木第一体育館から日本武道館って出世ぶりも勇ましかったけれども今度は「さいたまスーパーアリーナ」の2Daysとはまた張り込んだもんだなあ「アニメロサマーライブ2008」。ロックフェスの「フジロック」とか「サマーソニック」あたりだったら2日3日とやって客も集まるものなんだけれども「フラワートラヴェリンバンド」の復活とか「セックスピストルズ」の伝説になりそーな来日ってファクターを噛ませるほどに長い歴史なんてもたないアニソン界。

 けれども現代を最前線でもって引っ張るアーティストたちが出ればファンも集まるってことなのか。まあいくら伝説だからって堀江美都子さんやささきいさおさんや水木一郎さんは現役のまんま伝説になった人たちで、これからも活躍してくれそーでもはやこれが見納め的な感慨でもって動員する伝説バンドとは違うからなあ。子門正人さん町田嘉人さんあたりが混じっていたらちょっと見てみたいかも。あとは克美しげるさんか。それは無理か。

 日時は8月30日と31日だから夏休みの終わりを飾って行くことになりそー。宿題はちゃんと終わらせよう。夏は同じ週がえっと「キャラホビ2008」だったっけ、んでもってその前が「コミックマーケット」と「コードギアスvs機動戦士ガンダム00」のコラボイベントとさらにTBSのアニメフェスタも重なってアニメな人たちの右往左往が見られそう。しかしぶつけるかねえ、「ギアス」も「00」も一応はTBSだって放送しているんだろうに。そんなにMBSが気になるか。東京と大阪の“アニメ力(ぢから)”を比べるって意味でもどっちに多く集まるかを注目したいところ。

 もうちょっと前が「ワンダーフェスティバル」か。んでもって「日本SF大会」は「コミケ」と「キャラホビ」「アニサマ」の間、と。ああ大変。海の向こうじゃ「北京五輪」が開かれているっていうのに日本じゃ「東京オンリーピック」だって開かれているのにオタクの関心はまるでそっちへと向かいそうもありません。熱くなりそうだなあ、今年の夏も。財布は逆に寒さが募る。「DAICON」どーしよーかなあ、予約はしてあるんだけれど行くのもだんだんと面倒になって来た。岸和田って遠いのか?

 それにしても「北京五輪」では聖火リレーが大変なことになっていて傍目には興味深い事態だけれども、あまりに戦闘的で方式としてもありきたりな妨害行為は見ているとだんだんと不気味な気分になって来る。人が怒っている姿って共感や同意をだんだんと誘わなくなって来るんだよなあ。もうちょっと何か愉快でなおかつ効果的なアピールの方法ってないんだろうか。直接妨害するんじゃなくって皆が待ち受けている中をパンダの着ぐるみでもまとってフェイクのトーチを掲げて周囲をチャイナドレスの屈強な男共に囲われながら走って皆を唖然とさせるとか。むちゃくちゃ巨大なトーチを30人ぐらいで掲げてあっちへふらふらこっちへふらふらしながら観客をびくびくさせるとか。

 だいたいが攻撃するからその神聖が担保されるんであって、聖火リレーって儀式そのものを相対化して無力化するようなバカなマネをしてやればもはや誰も聖火リレーなんてものに有り難みを感じなくなるんだけど。日本では是非にメイドガイたちに守られたフェイクな聖火リレーって奴を見せて頂きたいもの。秋葉原あたりでこれが本物の聖火リレーだって打ち出しアキバっぽい聖火リレーをやってくれれば買い物に来ているアジアの人にも愉快な気分を与えられるのになあ。

 しかし1年も経つと状況も変わったのかそれだけ世間に浸透したのか「月刊アニメージュ」に「月刊ニュータイプ」に「アニメディア」のアニメ誌3誌がともに「コードギアス 反逆のルルーシュR2」を表紙にフィーチャー。女の子向けのアニメ誌ってことで評判なのかどーなのかまでは分からないけど続いているからには評判っぽい「PASH」も同様に「ギアス」が表紙で特集も巻頭といった感じに揃い踏み。前だとそこに1つくらいは「絶対可憐チルドレン」だの「ソウルイーター」だのが混ざってたはずなんだけれどもやっぱり今の最先端をどこも見逃せなかったってことなんだろー。

 「ギアス」マニアとしてはある意味で嬉しいけれども、見て素晴らしいアニメはこれだけじゃないって気もするだけに別の意味では残念。子供だって読むアニメ誌なんだから子供が楽しいアニメが取り上げられるべきって考え方もできるし、それなら「ソウルイーター」が入っていても不思議じゃなかった。テレビ東京系はそれとも無理なのかな、ネット数が少ないから届いていないと判断されてしまうのかな。うーん。あとは10月発売号で「機動戦士ガンダム00」の続きが全誌を制覇するかに注目。そこまで続くか今の人気が。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る