縮刷版2008年3月上旬号


【3月10日】 せっかくだからと「プレイステーション3」を再起動させようとしたらリモコンの電池が切れてたみたいで本体からのびるケーブルにつないでボタンを押してもまるで動かずスリットに入れたまんまのゲームソフトも出てこないから動くかどうかが確認不能。それでもしばらくしたら暖まって来たのかリモコンに光がともって本体の操作も可能になったんでソフトを出して代わりにブルーレイディスク版「パプリカ」を放り込んで鑑賞したけど画面が小さいのとHDMIで接続していなのといろいろあってDVDとの明確な違いは分からない。まあそれでも暗い場面になっても何が描かれているかくらいは分かったところを見るとこれがブルーレイならではのメリットだったりするのかも。「ブレードランナー」で試してみたいけれどDVDのセットを買って今さらブルーレイもないからなあ。HDDVD版の箱でも買ってみるか。

 んで「パプリカ」はこれでえっと3回目か4回目の鑑賞か。劇場でだけで6回くらいは見た「千年女優」に3回の「東京ゴッドファーザーズ」に比べると少ないけれどもちょっと間にオールナイトで見たばかりなんでストーリーが頭に入ってて、あああの場面の千葉先生がちょっぴり可愛らしかったっけ、ってなことを思いだしつつそんあ場面を追いかけ再生して見て行けた。インデックスで区切られ簡単に頭出しを出来る機能でもちゃんと1番の名場面、パプリカの着ぐるみをはいで中から千葉敦子を引っ張り出すシーンにダイレクトにアクセスできるようになってて実に素晴らしい。おまけの絵コンテに原画なんかを並べて再生する場面でもそこのシーンがしっかり抜き出されていたのは、作り手側にもあそこが強く印象に残るはずだって確信があったからなんだろー。

 ただやっぱり絵コンテで流すとめりっと入り込んでぐりぐりっと胸元へ手が走るシーンは断片的で、痛みなのか会館なのか分からないけど体を上下にのたうち回らせる動きは絵コンテからは分からない。原画を流してそういう動きが作られたんだと分かってなるほどコンテはあくまで設計図、そこからどう動かせば”らしい”動きに見えるのかってことを、考え実行するアニメーターの凄さって奴を思い知らされる。あの動きにあの表情。そして弾力。本当に見ていて官能をそそられたもんなあ。何度も繰り返し見ちゃいそう。あとはクライマックスの裸な千葉敦子の成長と巨大化。でも劇場で見た迫力はさすがに21型のテレビじゃあ感じられず残念。巨大なテレビを買うか劇場での再上映を待ってまた見よう。

 「俗・さよなら絶望先生」は何か最近単行本で読んだよーなネタが動いて有り難いようなどうでも良いような。「ありじゃね」。過去にそんなのあったっけって思い出しながら見るのが楽しかったんだけど。でもまあこーゆーのも「ありじゃね」ってことで。んで「レンタルマギカ」は伊庭いつきに敵登場。可愛い少年でそれでいて穂波の先生で協会からの監視役って言いつつ何やら腹に一物を持っていそう。いつきの眼帯に細工して封印を出来ないよーにしてしまっていた。どーするいつき。つか何が起こるのか。そんなスペクタクルへと至る前のいつきといっしょにラーメン食べてるアディリシアさんがとっても可愛らしかった。選ぶならやっぱりアディだよなあ。でも箒にまたがっている穂波もあれでなかなかの可愛らしさ。迷うよなあ。「みなみけおかわり」。重く静かに進行せよって枷でもかかっているのか。跳ねないなあ。もう終わりだから別に「いいんじゃね」。

 13回のうちの1回を休んでいるから12回目の観覧になった「デジタルメディア協会(AMD)」の出している「AMD Award」は去年までの音楽賞だとかビジュアル賞だとかいった部門賞が消えてクリエーターの個人にスポットが当たらなくなってて、企業の名前に隠れてなかなか浮かばれないクリエーターたちの功績にスポットをあてて盛り上げようって意図から始まったはずの賞も、13回を数えて変節を遂げているのだなあと慨嘆する。そもそもが「マルチメディア・タイトル製作者連盟」って名前で個別にコンテンツを作っているクリエーターが集まり発足した団体。「AMD Award」もアメリカのアカデミー賞を燃して映画会社だのテレビ局だのは表彰しないでクリエーター個人、著作権者個人を選んで表彰してはその業績をたたえそして、次代のコンテンツ作りに役立てて欲しいって意志からスタートした。企業がでかかろうとネットワークが太かろうと流れるコンテンツがあってこそのビジネス。その中心にあるクリエーターを讃えようって意欲が強くあって、その趣旨に参道した大勢のクリエーターたちが集まった。

 それがどーだろう。デジタルメディア協会って名前を変えた辺りから変節がはじまり理事長が代わってなおいっそうの変化が始まったみたい。模様替えされた「AMD Award」はもうひとつのデジタル関係の表彰制度として長く歴史を刻んできた「デジタルコンテンツ協会(DcAJ)」のデジタルコンテンツグランプリがどこか沈滞気味の中で、ネットや放送を参加に収める総務省をバックにコンテンツ業界を称揚する賞って感じにとって代わってなろうって意欲がみなぎっている印象。受賞するのも企業ばかりで個人はAMDを創設した1人、デジタローグの江並直美さんの業績をたたえて作られた新鋭クリエーターの表彰制度くらいのもの。だいたいが「恋空」プロジェクトの受賞で「魔法のiらんど」の社長とスターツ出版の書籍出版チームと映画「恋空」製作委員会のエグゼクティブ・プロデューサーが受賞の対象で、肝心の原作者である美嘉さんの名前がかすってさえいないのはどーゆー了見だ。

 ネットに乗るのも本になるのも映画になるのもすべて原作があってのもの。その中心にあって最も讃えられるべき個人が受賞の対象にはなっておらず、表彰式ではプラットフォームに過ぎない「魔法のiらんど」の社長が賞状をもらって得々としてた。それとも何だろー、「恋空」ってのは架空の作者を立てつつ内実は「魔法のiらんど」が内製したコンテンツでそれを出版し映画にして広げていっただけってことなのか。まさかねえ。ちゃんとしっかり原作者はいるよねえ。だったら受賞は原作者をこそ中心にすべきなのに企業の名前ばかりがならぶ。もはやクリエーター主導だった創設時の面影はみじんもない。そりゃあクリエーター個人を讃える賞あったら文化庁のメディア芸術祭が今は担っているけれど、最初に意思表示をして多士済々が集まったAMDのこれほどまでの変化はやっぱり居心地が悪い。

 何か公募の賞も出来ててメディアミックス展開が出来るコンテンツを募り表彰するってもので総務省あたりが推進しているマルチユースのコンテンツ作りを増やそうって施策に沿ったものだそーだけれども、これって意味があるのかなあ、3つの部門に5とか7とかの企業(企業なんだよなあ)が名を連ねて表彰されてちゃ権威もなにもあったもんじゃない。権威ってよりはいわゆる名を立てて世間のアピールするための手段として位置づけているとしたらやっぱり「AMD Award」は初期の理念とは大きく代わってしまったってことなんだろう。パーティーの場になるとさらにNTTドコモだのソフトバンクだのってところが理事長殿とトップとの直談判によって新しく入る羽目になりましたって挨拶してやがる。鬱陶しいったらありゃしない。

 そりゃあ大企業が会員になってくれて財務が充実して規模が安定して発言力が増してイベントとか打てるよーになるのは悪いことじゃあないけれど、理念とかそっちのけで頼まれたから入りました何やってるところか知りませんでしたってんじゃあ、創設した人たちの苦労も浮かばれない。かくいう理事長だって創設時から関わっていたんだからどんな団体か知ってたはず。それを大きく変えたのはつまり総務省ってバックを持った団体のトップとして収まり、そこを拠点に業界団体を組織していく醍醐味って奴を感じたからなんだろー。

 早速パーティーの会場で、デジタルコンテンツのイベントを開きたいだとか、ネットとかを中心にしたコンテンツに推奨マークをつけてそのレーティングなんかを直接じゃないけれど指揮して行きいたとか構想を話してくれちゃって、すでに山ほどのイベントがあって「コ・フェスタ」への集約も大変な中でご苦労なことだねえと思いまた、自由な発想からコンテンツを生み出していた人たちの団体だったものが、不自由な枠組みを自ら課して行政の意志を代弁する団体へとまるっきり180度、変貌を遂げようとしているのはどうにも微妙な成り行きだって感じてしまう。レーティングそのものを悪いはとはいわない。これだけ巷にコンテンツが溢れ出している状況で、そして誰もが簡単にアクセスできるよーになっている状況で、公序良俗の意地は重要な問題だけれどそれをAMDではやって欲しくなかった。官憲のプレッシャーから出版が不能になった五味彬さんのヌード写真集「Yellows」をCD−ROMならどうだってことで作って出したデジタローグの江並直美さんが立ち上げに関わった団体、なんだから。守るより戦って欲しかったけれどもそれも今は昔の話。みんな歳もとる訳だ。なんだか涙が出てきたよ。

 んでもって「月刊ニュータイプ」の2008年4月号は「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の特集。ヴィレッタさんが学校の先生ってどーゆーこと。んでもってカレンが奴隷なバニーガールって。ニーナが天才少女って。いや前から天才だったけれどもどこか自身満々な恰好で立っている。コーネリア総督は行方不明っぽいしシュナイゼルとか出てくるかどーか不明な中でルルーシュだけは以前として学生服の姿でヴィレッタとかの前をうろちょろしている。いったい何が起こったのか。もしかして巨大なパラダイムシフトが起こって学園ゲリオン的妄想な世界が現実化してヴィレッタ先生が誕生したのか。うーん謎。謎だけれども遠からず始まるんだからそっちを楽しみにして待とう。「1日1ルルーシュ」の決意も残り20日とちょっと。頑張ろう。でも時々忘れて後から足してたりしちゃったりして。


【3月9日】 学生時代のマリアさんの仕草に引かれた「ハヤテのごとく」。ってでもマリアさんてまだ17歳だから学生の時ってそんなに昔じゃないよなあ、んでもそうか卒業は13歳だからつまりは動画研究部の撮った映像に映っていたマリアさんはそんなに小さかったのか、その割には今とあんまり変わってないような、などと年齢にまつわる謎を残して「ハヤテの如く」の3人娘は去っていく。この番組っていったいいつまで続くんだろう。なぜか不思議と全部残さず録画出来ているんだけどまず見返すこともなさそう。ハヤテの女装と女神装とマリアさんのぶちキレ場面だけ抜いて編集し直すか。そういや「D.Gray−man」も何故か全部録画出来ているんだよなあ。まず見ないのに。でもいつか見返すかもと思うと捨てられない。それが部屋が狭くなる理由かも。

 んでもって南青山あたりで開かれている展覧会をのぞこうとして閉まっていたのに愕然としつつ地下鉄で新宿へと回って今敏さんの展覧会をのぞく。4回目。もはやまた来たか状態だけれど行くたびになにか品物が増えているので仕方がない。目当ての「パーフェクトブルー」のカット袋はキャラクターとかしっかり写ったちゃんとしている場面の箱はすでにはけててそれでもなおかつお求めになりたがる僕みたいな胡乱な人間のためにと背景とかモブキャラとかが描かれたカットまでをも引っ張り出して配布中。それ単体では美麗さも見目麗しさもないけれどもどんな場面がどう描かれていっているのかを知る上では役に立つんで、「パプリカ」の未購入だったブルーレイディスク版を購入してカット袋も有り難く頂戴する。何だこの分厚さは。

 場面しか描かれていないコンテじゃあ絶対に分からない人の動き。世の中はコンテ本とかコンテのおまけとか流行っているけどアニメーションが止まった絵の集合体だって分かるのって最終的な映像を止めつつ見るか、でなければ原画動画の類を1枚1枚見ていくことによってのみ。コンテはあくまで設計段階で具体的にどう動かしたかを確認する意味からももらって損になるもんじゃあないとは思うものの、メーンじゃないキャラクターたちの絵ってのはやっぱり華がないからなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」でブリタニア皇帝だけが出るよりもさらに華がない。でもこれも勉強。既に3つも未麻ちゃんの良いところをもらっているんだから未麻のドラマがクランクアップしてカメラマンも見学者もそろっておめでとうという場面で微笑むルミちゃんの姿にこの後の急展開を創造して作品世界へとはまりこもう。ドラマ「ダブルバインド」のお姉さんも1枚だけ入ってたし。さすがに残る日程ではもう行けそうもないけど時間があればダメ押しにもう1度行くか。どうしようか。

 帰宅してテレビでJリーグの「川崎フロンターレvs東京ヴェルディ戦」をちらりちらり。やっぱり気になる山岸智選手は左サイドあたりを主戦場にしてコンビネーションからパスを出したり走り込んでもらってクロスを入れたりとしっかり活躍していたけれども問題はそーしたボールに絡める場面以外でいくらフリーランニングをしても、中央で頑張るフッキ選手あたりが1人で全部やろうとしてしまっては自爆を繰り返してしまった点。右サイドも森勇介選手とも絡めないまま残る2人のチョン・テセ選手とジュニーニョ選手もやっぱりいけいけドンドンでは、前がかりになった挙げ句に中盤を蹂躙されてそして両サイドにはるヴェルディの廣山望選手や飯尾一樹選手にいいようにやられてしまうのがオチ。事実そーなりかけていたのをどうにか前半途中から盛り返してはみたものの、後半に入るに従い中盤を制圧されて押し込まれた挙げ句にPKを献上、そして同点に追いつかれてしまった。勿体ないなあ。

 まあそれでも走りの質も守備への貢献も解説の人に評価はされていたみたいでこれで山岸智選手って存在の意味も分かってもらえただろーとひとり納得。意味を分かってもらえようとも意義を感じてもらえないと意味がないってところだけは要改善か、んでもそれを改善されては向かう時にジェフユナイテッド市原・千葉が蹂躙されてしまうからそれまでは勘弁を。ジェフ千葉から移籍の羽生直剛選手はアシストを決め運動量も見せて評価されてたしガンバ大阪の水本裕貴選手も守備で巻誠一郎選手を完封、んでもって京都サンガの佐藤勇人選手もボランチで守備をしっかりとしていたみたいで皆さんしっかりチームのために働いていた。そんな4人とあと残った巻選手の所属する5チームがことごく引き分けに終わったってのはどーなんだろー、守備面で貢献したってことか攻撃面で貢献しきれなかったってことか貢献したからこその引き分けなのか。続く第2節でのそれぞれの活躍に期待だ。

 えっと最初に見たのがいつかはまるで覚えてないけど土曜日だかの昼間に中京テレビで放送されるようになった全日本プロレスの中継に登場しては、毒グモことアーニー・ラッドを確かパートナーにして吠えつつ大暴れしていた記憶があって、その時のまさにキングコングといわんばかりの風貌と暴れっぷりと、んでもってそんな巨体に見合わない身軽さでもってこいつはいったい誰だと思わせてくれてからほどなくして全日本のトップレスラーになったブルーザー・ブロディが、プエルトリコで刺されて亡くなってもう20年近く経つんだよなあと、奥さんだったバーバラ・グーディッシュと友人のラリー・マティシクが書いた「ブルーザー・ブロディ 私の、知的反逆児」(東邦出版)を読みつつ振り返る。訃報を知ったのは前の会社で静岡へと出張して整備工場を取材した帰りに乗った新幹線の駅で買った東京スポーツを読んだ時だったっけ。手が震えたよなあ。寂しくって。

 今に至るまで最強の外国人レスラーは誰かと聞かれたらたぶんトップにあげるのがブルーザー・ブロディで、続くのはスタン・ハンセンにアンドレ・ザ・ジャイアントの巨人たちでそして“美獣”ハーリー・レイスに“貴公子”リック・フレアーの新旧(といっても当時の話)NWAチャンピオンとバーン・ガニアにニック・ボックウィンクルのAWAチャンピオンたちが並ぶといった感じ。さらにブッチャーにジミー・スヌーカにフリッツ・フォン・エリックの息子たちにバロン・フォン・ラシクやらキラー・カール・クラップやらといったアイアンクロー系の怪人たち等々、ブロディあたりといっしょに見た記憶のあるレスラーたちばかりが思いに浮かぶ。

 つまるところは僕のプロレスというものの記憶はブロディとジャイアント馬場とジャンボ鶴田を核に存在しているって現れで、だからこそブロディがナンバーワンなんだと即答することになる。だからプロレスの流派は全日派。ちょっと経って長州の大活躍とかあって日本人同士の戦いとかで盛り上がって新日本が注目されたけれど、ハンセンとアンドレがいたから見ていた程度で2人が抜けた後にはあんまり興味はなくなってしまった。ブロディも立ったみたいだけれどほとんど記憶にないや。本によれば猪木の馬場とは違ってビジネスの面で今ひとつだった体質に嫌気してすぐに降りたみたい。そんなところにもお財布だけはしっかりしてレスラーへの敬意も怠らなかったジャイアント馬場の凄さって奴が見えて来る。馬場が生きていれば今のこのプロレスの惨状はどーなていたか。WWEとも渡り合って日本に帝国を築き上げていたかNWAともども衰退していたか。そこにブロディが存命だったらどんな存在になっていたか。いろいろ懐かしさとともに考えさせられてしまった1冊。改めて合掌。


【3月8日】 まずはありがとうと御礼から入るべきだろう。2年の間にわたって日本の女子サッカーリーグを支援してくれたということに。アテネ五輪に出たとはいってもやっぱり今ひとつ知名度は伸びず、運営も苦境に陥るところの少なくなかった女子サッカーを財政面から支えて2年間を引っ張り、ワールドカップとそして北京五輪の出場という成果に何かしらの貢献をしてくれたモックという会社を、ここで悪し様に言うことなんてちょっとできない。2002年頃の試合ったってよみうりランドの横にある東京ヴェルディの練習場とかで開かれていた草にやや毛の生えた程度のリーグ運営に比べると、ここ何年かはスタジアムはしっかりした場所にあって行きやすかったし、開幕前を飾るカップ戦と、そしてオールスターっていう、過去にはなかった楽しみだって与えてくれた。そんな支援にはひとりの女子サッカーファンとしてただただ感謝するより他にない。

 ないんだけれどもでもやっぱり、この時期に契約を1年残して撤退してしまうってことには勘定として納得がいかない。それだけ経営が厳しかったのかもしれない。社内で女子サッカーが大好きでひとりで頑張って担当していた人もいなくなってしまった。やる意味を見いだせなくなったのかもしれない。上場している会社だったはずだから、株主の利益に反するよーなことをし続けるのは難しいって判断が働いたのかもしれない。でも、だったらどーしてこの間際って時期に撤退なんてことになったのか。もっと前だったら、そして新しいスポンサーが決まっていたらスーパーカップだって中止にしなくて済んだのかもしれない。あるいは担当していた人がいなくなってしまったのは、撤退が決まりかけていたからなのかもしれないけれど、それだとしたら結構な早い時期から後ろ向きにになっている姿は見えていた。早く身を引くことを決め、変わりを探して欲しいと協会に委ねていたら、間際でのドタバタなんて起こらなかっただろー。

 それとも協会はすでに知っていて手を打たなかったのか。だとしたらどーゆー了見なんだ。問題なんてないといいながらも問題があったと矛盾した理由で審判員に暇を出したりする行為を非難せず撤回もさせずによしよしと認めるトップの人だけにサッカーという素材を最高のエンターテインメントとして定着させ、楽しんでもらえるよーなものにしようって意欲だけは存分にある。そんな意欲をこれから爆発的な拡大も見込める女子サッカーに注ぎ込んだら将来だって決して暗くはないのにそーゆー肝心なところでとりたてて暴言ではなく助言を発して事態の収拾に載りだしたって話は聞かない。お願いしますと企業を回って支援を求めに行ったって話も以下同文。今こそ立つべき時なのに。どっかの旅人がスポンサーとして連れてきた時には諸手をあげて歓迎し、旅人の当時はまだ残っていた知名度に乗っかりアピールもしたっていうのに。まあ機を見るに敏で危ない場所へとは近づかないのが長生きの秘訣って奴だろー。あやかりたいもんだなあ。

 とはいえ現実問題、なでしこスーパーカップは中止になってオールスターの開催も危ぶまれるくらいに事態は逼迫しているよーで、リーグそのものの運営にだってこれまで流れて来ていた幾ばくかの支援が消えれば経営に関わってくるチームだって少なくなさそー。当てにしていたものが消えてしまうことでもたらされる驚きは観客以上でなおかつ切実。そこで力つきて倒れるチームが出てくればせっかく盛り上がった機運に水を差しかねない。だから臨みたいのは喫緊にリーグに冠を付けられるよーな規模と意識をもったスポンサーを見つけて来いってことでそれが出来なければリーグに口を出す資格なんてないんだと偉い人に断言。コナミとかやってくれないかなあ。バンダイナムコも腐女子に知名度広げられるチャンスと考え如何。

 ここぞとばかりの桜庭一樹さんムーブメントにエンターブレインと並んで本拠地とも言える富士見書房も乗らない手はないってことかタイミングがたまたま重なっただけなのか、あの衝撃の問題作「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」のコミック版が上下一気に刊行。杉基イクラさんの絵は立体感もあって影もついてて文庫版のどこかファンタジックな印象の表紙絵とはまた違った、んでもって対象に本来はなりそーな少女読者が好む絵柄ともまた違った印象で媒体も媒体だけあってどこに向かって届いてたのか分からないところがあったけれども、1枚とてつもない看板がついて出るもののすべてに注目が集まるよーになったこのタイミングでの刊行によって、読みたい人たちによって読まれ感じ取られてそしてその凄みを改めて知らしめることになるんだろー。「ダヴィンチ」の大森望さんじゃないけど「文藝」一挙掲載から純文学誌へと回れば芥川賞を川上未英子さんと競い合っていたかもなあ。あるいは長編でもって三島由紀夫賞を佐藤友哉さんと争っていたかも。そんな人たちがそれぞれに賞を獲得できたって意味で今のこのストーリーも悪くないのかも。次は泉鏡花賞あたりかな。

 業界人としては特に呼ばれもしていないパーティに本業の取材ということで潜り込んでも業界の内輪にはまるで近寄れない虚ろさに打たれながら帰って眠って早起きをして「東京キャラクターストリート」の本当のオープニングを見物に行く。東京駅八重洲口の地下にオープンしたキャラクターグッズの専門店の商店街で到着すると開店の1時間前ですでにそれなりな行列が。スヌーピーやらケロロ軍曹やらラフちゃんやらが並んだくす玉割りを見物してから開店後のストリートに入ると綺羅星のごとく輝くアニメのキャラクターやらハローキティやスヌーピーといった定番キャラに負けないくらいの賑わいをミニカーの「トミカ」が見せていた。

 午前10時の開店早々で入場まで45分待ちとかって行列で、それだけ待っても入りたいだけの魅力が「トミカ」って製品にあるってところが面白かった。あれだけの歴史を持っていれば人気も世代を越えて定着しているし、何より物語に連動して親しみを抱くアニメとかのキャラクターと違って幼い頭でも、直感として触れてみたくなるミニカーの強烈な存在感に引っ張られていってしまうんだろー。工房があってオリジナルカラーの「トミカ」を作ってくれるアトラクションもあって個人としては興味がないけどすべて持っているって熱烈な「トミカ」ファンの経済アナリストさんには避けられない興味の対象になっている見たい。行くって言ってはいたけど忙しい中、面も割れているのにどーやって。んまあ割れていたってお構いなしに、むしろ積極的に情報を流布させ自分の求める物を探し当てようって考えもあるのかもしれないけれど。しかしやっぱり「トミカ」は凄い。「チョロQ」も頑張れ。

 TBSのショップはそれなりに空いてたんで「コードギアス 反逆のルルーシュ」のフィギュアがはいった玩具菓子だかフィギュア箱だかを買おうか迷ったけれども持って帰ってスザクのルルーシュしか出てこなかった時の落胆度合いも凄いんでちょっと手を出せず。確率的にはそんな奇妙な事態はなさそーだけれど何が起こるか分からないし。まあ時間をおいて身を整えてから箱へとしずしずと手を伸ばしてみることいんしよー。C.C.出ろって100辺くらい唱えたらかなうかなあ。


【3月7日】 美人ほど浮かぶ場所はないって原則は間違っていなかった大和田秀樹さん「ぶっちぎりCA」(角川書店)の第2巻は、冨士航空と対立する大日本航空のキャビンアテンダント、朝倉春香が登場しては細身の体と泣きぼくろのある顔でもってヤンキーでスケバンでブッチギリなCAの花園ひなこを相手に一歩も引かずにタイマン勝負。顔でだって若さでだって優っているんだけれど相手は何しろ鬼夜便悪天断人な花園ひなこだけあって、大食い勝負でも送り込んだ大食いタレントの臨時職員は返り討ちにされてしまう。

 2人乗りのハーレーにフェアレディZで挑んだショウアップ(出動)勝負も細身の体にぴったりとした衣装をまといミニスカートからすらりと伸びた脚でアクセルブレーキクラッチを操作しフェアレディを圧巻のスピードで走らせてもマニキュアをまかれ屋根を飛ばされ最後はハーレーともども海の中。負けはしないけど勝てもしないのは何だかちょっぴり可愛そうだけれども相手が花園ひなこじゃあ仕方がない。もう出て来ないのかなあ。出てきて欲しいなあ美人だし。

 難敵をまずは退けた花園ひなこに、それならと挑んだのが「教授(プロフェッサー)」とあだ名されるテロリスト。よれた風貌を改め美貌のCAになりすましたもののあっさりと見抜かれ肋をえぐられ顔をへこまされて機内に沈む。ファンデーションはどこのを使っているんだと花園ひなこから美貌の秘訣を聞かれるくらいの化けっぷりなんだけれどもそれを自覚していなかったのが嫌味な奴だと花園ひなこの逆鱗に触れたんだろーか。確かに美人だったもんなあ。下着もちゃんと美人に似つかわしいものだったんだろーか。見て違っていたら心の傷になるんで見られなくってとりあえず幸い。

 またぞろ言わなきゃいけないような事態になって来たのかなあ。曰わく「戦線から遠退くと、楽観主義が現実に取って代る。 そして最高意志決定の場では、現実なるものはしばしば存在しない。戦争に敗けている時は特にそうだ」。見栄えがどうとか体裁がどうとかいって議論をしているんだけれども肝心の商売はもはや水面下へと沈んだ泥船を浮かび上がらせようと無理矢理に素材を削って軽くしてはみたもののその分だけ弱くなって価値はさがっ、てそう遠くない時期に粉々に粉砕されては水底へと沈没していくことは自明の理。

 少なくとも現場にいれはひしひしと実感する、そんな危機感や不安感を分からないのか分かりたくないのか意志を決定する場にいる人たちは、まるでなかったことのように見逃しては勇ましい文言ばかりを繰り出し戦線をより泥沼の戦場へと送り出す。「創」の最新号の新聞特集を読んであまりに実態とかけはなれた美辞麗句のオンパレードに絶望を通り越して呆然とした人もそれなりにいるんじゃなかろーか。戦争にはもはや負けるしかないシチュエーションで、巨大な仮想敵を作りそれと対峙しているふりをして手前を大きく見せようとしてはいるんだけれどそんな下心なんぞ世間はお見通し。自作自演の位置取り合戦に飽きた目は見放しそして来る次代に銀行業界並の再編を業界にもたらすことになるんだろー。生き残れるかって? 無理無理無理無理。

 えらくよく動くなあと感心して見たらGAINAXが参画していた「ロザリオとバンパイア」の第10話は演出に絵コンテが板垣伸さんって人であの「十兵衛ちゃん2 シベリア柳生の逆襲」の第7話「斬られて落ちて消えていた」でもって崖から落下しながらの殺陣シーンを描ききって演出しきった速度の魔人。それだけに「ロザリオとバンパイア」でもひまわり畑の下から現れる化け物相手に萌香ですら圧倒されがちな激しくも凄まじい戦いが描かれていてアンダーウェアが見えて嬉しいって以上の迫力と、そしてちょっぴりの悲しみを感じさせるドラマを見せてくれた。懐かしい場所を守りたいって意志は誰にだってあるものなのだ。

 原画に今石洋之さんの名前もあって迫力とスタイリッシュと速度の渾然一体となった神にもなぞらえられそうなエピソード。最初は単なるお色気妖怪ラブコメかって思わせたのに、回を重ねるにしたがって目に写る白かったり縞だったりするアンダーウェアのビジュアルの奥にうごめく、寂しさを埋めたい苦しみから抜け出したいって人間だろーと妖怪だろーと等しく感じることが描かれたドラマが見えてきて目が離せない。お花畑な女の子のドタバタコメディに見えて仲間が敵になり命の不安が身を苛む葛藤と恐怖のドラマを見せてくれるよーになった「キューティハニー THE LIVE」にも共通する意外性。どんな陳腐に見える作品でも評価は見終わるまで下せないってことで。「コードギアス 反逆のルルーシュ」もたく1回でオッケーなんて作品は希なのだ。


【3月6日】 よんきゅっぱ。よんきゅっぱ。4980円ととってもお買い得なHDDVDプレーヤーがアマゾンに出てたんで早速購入、在庫切れから復活して届いた「Xbox360」用のHDDVDプレーヤーは形もシンプルなら接続も簡単。これで自宅にしっかりとある「Xbox360」と繋げばハイクオリティな画像のアニメーションが見られるはずなんだけれど残念にもHDMIだかS端子だか光だかなケーブルで接続していないため映像は通常とそれほど変わらず。んでもまあDVDよりは少しは真っ当な画像が見られるかもしれず、これから続々と値下がってくれると期待も膨らむHDDVDのタイトルを拾って集めて試してみよー。

 ちなみに「ブルーレイ」についても「プレイステーション3」があるから環境は整っているんだけれどやっぱりAVケーブルでの接続なんでスペックの無駄遣い。早くでっかい部屋に移って43型とか巨大な画面でハイビジョン画質の映像を見たいものだよ、アダルトとか。きっと毛穴までくっきりと見えてしまうんだろうなあ。んでもってモザイクについてもやっぱりくっきりとブロックだけが目に届く、と。かつてビデオからDVDへとメディアが変わった時にAVのモザイクまでもがくっきり見えすぎ、目を細めても追いつかなかったっけ、それがハイビジョンレベルで繰り返されると。技術の進歩も悩ましいなあ。家のどこに行ったっけ「桃艶かぐや姫」。

 東京駅の下にでっかいキャラクターの街が出来たってんで内覧会を見物。大丸の下あたりに前からあったキャラクター商店街がでっかくなってリニューアルオープンするもので、行くとこれは前からあったフジテレビのお店がでっかくなって戻って来てた。ラフちゃんとかいて楽しそう、ってかこのキャラクターって出来てそろそろ10年くらいになるんだっけ、もはや記憶にも届かないけど何かの番組のキャラクターだったんだっけ。元ネタは消えてもちゃんと残って孝行してる。偉いなあ。その期間以上にお台場に君臨している人はもっと偉いんだけど。助けて偉い人。地上は大変なんですってば。

 しかしそんなフジテレビに軒を並べてTBSのショップがありテレビ朝日のショップがありテレビ東京のショップもあって日本テレビのショップもあったりと民放キー局のキャラクターショップが揃い踏み。やや外れてNHKのキャラクターショップもあって通路に面して「どーもくん」とかが屹立していたりして、もはやテレビ局初のオリジナルキャラクターが半端じゃないくらいに著名になっているんだってこを実感させられる。全国に届くメディアを使って広められるんだから出発点からして違うんだけれど、それだけで通じるほどキャラクターの世界って甘くはない。継続していく根性があってこその今って感じだ「どーもくん」も「ラフちゃん」も。「めざましテレビ」はあとちょっとかな。

 TBSなんかも自社キャラを置いていたみたいだけれどもショップで目立ったのはやっぱり「機動戦士ガンダム」と「大怪獣バトル」とあと「コードギアス 反逆のルルーシュ」の箱入りフィギュア。ってつまりはバンダイ関連製品ばっかってことか。テレビはメディアでそこに番組が載ってスポンサーがついて商売するって昔ながらの構図がちゃんと生きているってことなのか。バラエティ番組からキャラクターを出すのもあんまり得意そうじゃないから仕方がないか。テレビ東京はやっぱりアニメが多かった。テレビ朝日は入ってないから不明。やっぱり戦隊物とかあるんだろーな、ってことはここもバンダイか。タカラトミーの「ヤッターマン」は日テレショップに出て来るかな。

 んまあタカラトミーはこれも前からあった「トミカショップ」を巨大にしてオープンさせたんでそっちで十分。プラス関連会社のキディランドが「スヌーピータウン」を開いているんで多方面からお客さんをねらえそう。トミカショップは行くと120の定番に加えてトミーテックの絶版車シリーズなんかもあってよりどりみどり。行くと子供が離れそうになくなるんでお父さんとか周囲を通る時にはよほどの覚悟が必要かも。その場でオリジナルカラーのトミカを汲み上げてくれるサービスもやっているんで良いおみやげにはなりそー。これで八重洲口いん「ポケモンショップ」も残っていれば子供も便利だったんだけどそっちは今は浜松町か。パパはアキバでオタクを探してそれから浜松町へと子供を連れて「ポケモン」をゲットし戻り渡橋駅でトミカを漁ってご帰還、と。銀座も新宿もいらねえなあ。

 今日もきょうとて今敏さんの展覧会へと行ってカット袋を確保、物販は平沢進さんによる「パプリカ」のサウンドトラックとあと平沢さんがいろいろなアニメとかに寄せた楽曲を集めたベスト盤。これはお得だ聞き応えもありそーだ。んでまた来たなビームを浴びつつ頂戴したカット袋を確認、1000番台を越えたシーンは未麻に向かってバーチャルな未麻が自分こそが本当の未麻で汚れたあんたは違うのよ、とか何とか言ってるシーンだから写っているのはつまりは偽物、だけれども偽物故に優雅で柔和な表情をしている。ある意味で本物のアイドルの絵ってことになりそー。これも家宝物だ。何度か通いもらうたびにどこが来るか分からないガチャポン感覚がちょっぴり癖になって来た。まだ1箱くらいはありそーで、場面的に後になるか前になるか分からないけどでもまあ乗りかかった船なんで、あと1回くらいは行って何かを買ってもらおうカット袋。CHAM来い毛ボーン来い。

 これは何と言いましょうか土砂降りで床上浸水になったもののようやく水が引いたと思ったら裏庭が崩れて来たとでも申しましょうかナチスドイツの占領が終わって解放されたと思ったらソビエト連邦だったとでも例えられましょうか新風舎の自費出版部門が文芸社へと買われてくとゆードナドナな事態を外野としてはとくに何の感慨も抱く隙なんてないくらいにワンダーな出来事と受け止めてこれから起こる出来事を思って天に祈りを捧げている次第。それでも自分の本が出せるならとみんな行くのかなあ。日日日さんにはなれなかったけれども山田悠介さんに続けると願っているのかなあ。映画はそれなりに人、入っているもんなあ。でも大半は闇へ。そんな中から頑張りによって救われていく本もあるのは僥倖。続くか後に。


【3月5日】 想像はできても実感は不可能な“女”ってものお生き方なり生き様なりって奴があるとしてそいつが多分いっぱいに溢れていそうな川上未映子さんの「乳と卵」(文藝春秋、1143円)って奴はだから当人の32歳とはとってもまるで全然まったく思えないくらいにスラリとスリムで綺麗な顔立ちに対する男の下心たっぷりな目線なんかがなくっても、ちゃんと女性に読者を獲得して読まれていくしそんな物語が書ける人なんだからこれから5年10年が経ってもちゃんと、いずかの椅子に突っ込んで自爆してからこっち帰ってこないパンクな受賞者とは違って現役の第1戦で活躍してくれているんじゃなかろーか。

 何でまた思い立って39歳くらいの母親が豊胸手術をしたいって考えたのか、そこへと至る心理って奴がつかみづらいところはあるけれどもまあ仕事が仕事なんで見栄えを気にしていたしかたなし。けれどもそんな“女”であることを前面に出そうとして豊胸手術まで踏み切ろうとする母親の痴態が小学6年生の娘にはたまらない。自分もそろそろ生理が来て胸がふくらんで好きな男の子も出来てって感じに“女”の階段をのぼりはじめたこともあって、否応なしに“女”を意識せざるをえず、そんなところに痴態にまみれた母親の姿を見せつけられては正直いってたまらない。グレはしなくても憮然としてそして最後に大暴れ。そして固まる地面は去って後にひっかきまわされた挙げ句に母にはなれず娘にもなれない曖昧さに宙ぶらりんとなった妹が残り立ちすくむ。

 3人3様の“女”って奴が見える感じでいろんな世代から支持を集めそうな予感、もちろん女性の世代ってことになるけれど。もう1つ入っている受賞第1作の短編って奴もまた何とも中途半端な年齢に来た女の人いんは切なさ炸裂ってなりそーな話で、ガキじゃないけど干上がってもいない世代の女が自分を良く見せようというか自分自身が良く見えたいって意識に凝り固まって振る舞った挙げ句に未来なんか来るんだろうかと不安に震えるガキに弾かれ吹き飛ばされるって展開の、尽くそうとも親切にしようともあるいは怒ろうとしても相手にされない世代の虚しさって奴がにんわりと染みて来る。でも男だとそんな実感、たぶん得られないんだろうなあ。そこまで過剰に自意識をひけらかすまえに引きこもってしまうんで。

 ラップといったら小林克也&ザ・ナンバーワンバンドが残したアルバム「もも」に収録されている「うわさのカム・トゥ・ハワイ」を聞いたのがたぶん最初くらいでそのあとは吉幾三の「おら東京さ行ぐだ」が続きそしてRUN D.M.C.辺りからMCハマーを最後にあんまり気にしなくなっていたジャンルなんでそこでいったいどんな進化があってポップス的にどんな影響を与えクラブ的にどんなシーンを演出したのかもまるで知らないか知っていたって微々たるものなんだけれどもそれでも本間文子さんって人の書いた「ラフ」(エンターブレイン、1500円)って話を読むと、ラップってものが単に言葉をリズムに乗せて調子よく叫ぶばかりのものじゃなくって言葉は選ばなくちゃいけないし、それが身にしみこんだものでもなくちゃいけないってことが見えて来て、つまりは実に大変そうな世界なのに主人公の女性はそこで何とか上がろうって懸命になっている姿に喝采を贈りたくなって来る。

 父親はスペイン人で母親は日本人というハーフのラフラは父がどっかに行ってしまって母親と日本で暮らしていたところに母親が再婚して娘ができて居場所をなくしてしまって追いつめられていろいろやった挙げ句に家を出る。ラップが好きで最初は聞いていたのがマイクを回され叫ぶようになってそしてアルバムも1枚出すくらいの半分はプロってところまで来たんだけれど後が続かず宙ぶらりん。デモテープを作ってレコード会社に持っていっても担当は受け取りながらなかなか打ち合わせを進めてくれず、かといってよそにもっていきたいというとうちですからと引き留める。それを振り払えないところがラフラの未練というか弱さというか人間っぽさなんだけれどもそんな生真面目さが壁になってか、金になりそうなアイドルの書いた言葉に大人のテイストを入れて作品へと仕立て上げるお仕事が回ってきても、担当者を満足させられるようなものへと仕立て上げられない。

 そうこうしているうちに喉にポリープがみつかり手術しなくちゃいけなくなってMCの全国大会への出場はキャンセル。金を集めるためにかけたくもない実家に電話をしては金はもらえず嫌味だけを受け取り迷っていたところに助けもあって手術はしたけど未来は見えない。そこにやって来た妹は、ラフラを純粋に姉だと信じて慕うもののラフラにはそんな妹をこの世界から抹殺しようと考え実行にすら移した過去があって思い悩む。どうしたものか。どうすればいいのか。そしてたどり着いた場所からラフラは再生への第1歩をつかんでいく、といった感じでラップがファッションに置き換えられても女性の悩みを越えていく成長物語として読めなくもなさそーだけれどそこはやっぱり言葉が心底からの気持ちを表し怒りも悲しみも載せて歌える分野なだけに他の表現豊富とは違った生の言葉の応酬があって言葉で語る意義って奴を感じさせてくれる。

 「リトルモア」の募集した新人賞か何かから出たのは数年前という作家がなぜにエンターブレインのそれもビーズログ文庫編集部からって気もしたけれどもそれを文庫ではなくハードカバーに仕立て上げ、大竹伸朗さんのピッタリな作品を見つけて装丁にしたあたりにセンスと戦略を感じる。「乳と卵」と動揺に今を生きてる女たちに響きそうな1冊。そして才能のあるなしを悩んで迷っている男女をとわない人間たちに届いて欲しい1冊。目立つんで見かけたら手にしてそのままレジへ、唄いながらラップを。わしらがの、ハワイへの。

 「フルメタルパニック」を見たらテッサがおどおどとしながら相良宗介の部屋へとあがりこんでは本質を露わにしたようこるんみたく物静かに奥ゆかしくしていてルルーシュの部屋へと上がり込んでは寝転がりピザを届けてもらってかっくらう「コードギアス 反逆のルルーシュ」のC.C.とはえらい違いと思いつつもあるいはテッサだって歳をへればC.C.みたく傍若無人な性格に変貌を遂げるのかもしれないと思い女って奴の恐ろしさに身震い。とりあえずテッサを宗介の部屋でみつけた千鳥かなめの拳が宗介の肋をまとめて粉砕するだろう可能性に1テッサ。1テッサは3マオで5かなめくらい? でもかなめもがに股で歩いたり凶悪なセリフを儚ければあれでなかなか。うーん2かなめくらいにしておいてあげよう。


【3月4日】 「よっ」だか「ぎょっ」だか聞き取れなかったけれども「破天荒遊戯」でセラティードによって森に置いてけぼりにされるって分かった瞬間の子供ラゼルの表情と上げた声がとっても破天荒。今の見かけの可愛らしさとはまるで違った少年みたいな恰好で、背もちっちゃいラゼルちゃんの必死に夜の森を歩く姿にセラティードも心ワクワクさせて見入ったことだろー。まるで未有たんを見守る森羅様のよーに。

 全10話ってことで来週で終わりみたいだけれどもこれだと単に3人組が旅をしていただけの話で背景にあるいろいろな設定はまるで不明。知るにはやっぱり単行本を読まなくっちゃいけないんだろーけど漫画だとラゼルの空元気っぽいけど芯は1本通ってるっぽい声が聞こえて来ないからなあ。アニメーションを見終わった今ならそれでも感じ取れるかな。つかまるで気が付かなかったけどラゼルって「バンブーブレード」の二刀流のキャリー西川といっしょじゃん。小林沙苗おそるべし。

 んな「バンブーブレード」はアニメオリジナルの展開になってシナイダーファンを広言してブレイバー好きな珠姫とは対立している鈴木鈴ちゃんが剣道の対戦相手として登場。自分が正義を信じるんだと思い込めば別に動揺する必要なんてないんだけれどもシナイダーが好きだと言って譲らない凛の態度になぜか妙に卑屈になって焦ってしまう心理がちょっと分からない。正義への懐疑って訳でもなさそーだし。赦せない相手に怒りから放った突きを勝てそうにもないと思った相手に放つほど珠姫って心の弱い娘だとは思えないんだよなー。んでもまあそこがアニメオリジナルってことでこちらも残り話数が少なくなる中でどこに落ちるかに注目。ミヤミヤって漫画でも礼美のストーキングを克服できるの? こっちもそろそろ読んでみるか。

 今日も今日とて近くまで言ったついでに新宿の歯医者で開かれている今敏さんの展覧会を見物に行く、というか物販を買って「パーフェクトブルー」のカット袋をもらいに行く。すでにDVDは買ってしまっているしブルーレイは置いてないんで何を買おうか悩みそうだったけれどもケイオスニユオンから平沢進さんのCDが入荷していて未購入だった「妄想代理人」のサウンドトラックとそれから「パプリカ」のTシャツを買って3000円以上にしてカット袋のおみやげを確保する。

 ミーマニアだとか脚本家だとかカメラマンだとか社長だとかいったおっさんオンパレードなシーンだとやっぱり何というか気持ちにひび割れが出来てしまうんでどれが出るかとドキドキだったけど、渡される際に外の袋に張り付けてあるコンテから未麻が描かれている場面だとは判明。あとはいったいどの場面の未麻なんだろうと今日も変わらずカウンターに入って筒井康隆さんとバーテンを、じゃない主として構えて来る人にサインをしていた今敏さんに尋ねて後半の方のシーンだと判明。会場を出て調べて未麻がクライマックスのバーチャル未麻とのおっかけっこに行く寸前のマンションの中のシーンじゃないかと当たりを付ける。

 カット番号では968とそれから971。1袋で2つってのは同じ素材で2つのシーンを撮ったってことなのかな? 1枚のセルに顔が全部描かれている未麻もあるけど多くはのっぺらぼうでつるつるな頭になっている顔があってそれから髪の毛があって目があって、口があってとパーツごとにばらばらで、それらを重ね合わせてそして取り替えていって1つのシーンを撮影していくんだと思うとその作業の大変さに思いがいたってアニメ作りの凄さを実感する。そんなパーツをすべて描いた人たちも人たちだ。

 昔だったらそーした動画をパーツごとに描いてそれをセルにトレスして彩色してって作業があったんだろーけど、デジタルで素材も作り撮影もするよーになった今っていったいどーゆー仕組みになっているんだろー。やっぱりカットごとに原画があって中を割った動画があてそれがパーツ分けされててそれらにそってスキャンが行われてデジタルの上で彩色され重ねられ撮影されるんだろーか。 分からないけどそうではなかった時代の記憶を確認する意味で貴重なカット袋だし、絵コンテでは分からない動きの微妙さを目の当たりにできるって意味でも貴重なカット袋。出来ればさらに集めたいけどあと一体何が残っていたっけか、「パプリカ」のサウンドトラックがまだだったかな、お蔵出しもまだまだあるのかな、部屋のどこかを掘ると僕も「パーフェクトブルー」のTシャツが出てくるはずなんだけれど一体どこにしまい込んだんだろー。見つかるのは5年後くらいかなあ。

 沖縄な話には散々なツッコミが入っていたけどこっちは誰も突っ込まないのが不思議だなあと自称の全国紙の偉いさんを辞めて討って出ようとしながら知事選を途中で降りて市井に戻ってそして今はまた自称の全国紙で客員の編集員をしながらも書くブログへの反論で会社のことは誹るなって妙なことを言っては謎の心理だと更に突っ込まれているお父さんが新しく起こしたエントリーをながめながら首をかしげる。曰わく「錯乱したか、二負ティー」は何故に音引きが入るのかって古くからのニフティユーザーだったらまずやらないはずの間違いを、古手のニフティユーザーなんだからこれくらい言っても良いよねって書いたエントリーでやらかしタイトルにまでしている点に筆者の錯乱を見てみたり。

 んでもって内容がまた錯乱気味で言うにはニフティのトップページからニュースのカテゴリーとしての「政治」が消えてしまったのが腹立たしいと言って「ネタの項目に台湾総統選が入っていたりする。『政治』はついにネットニュースの分類項目に該当しない扱いになってしまったのか」と指摘し「この分類がいまの社会を象徴するものであると判断したのだろうが、自ら『格』を貶めてしまった」なんて書いている。いやあすごいなあ。ここまで前のそれも近い所しか見られない人だっとは。沖縄の話で見えてはいたけどしかし凄い近視眼ぶり。

 んじゃあ聞くけどそんな言葉をつづっているサイトのトップページでどんな記事が踊っている? 巨大なバストでは穴をくぐれず無罪になった女優の話だったり青森の美人市議の話だったりじゃないの? でもって飾られている写真はほとんどが水着の女の子たちじゃないの? それは新聞社が運営するサイトの「格」として正しいの? 世界的なソフトウェア企業と共同で運営している本家だってトップは家族間のいさかいから起こった殺人事件の公判のライブ。世界で起こっている事件の足下にも及ばない些末な話を人数をかけ手間暇かけて報道している。それってオピニオンをリードすべき新聞の「格」にそぐうものなの? 商売でやってるポータルサイトにいちゃもんつくけるなら、公器と称して営む事業の看板を掲げた手前ん所のサイトの綱紀をまずは糺せっての。自分が使いづらくなったからそれであれこれいちゃもんをつける、それが看板背負って客員ながらも編集委員を気取れる世界に僕も住みたい。どこに行けばあるんだろう?


【3月3日】 灯りをつけましょ。しょんぼりに。秋田冒険王先生っ。漫画王だったっけ。いやどっちでもいいけれど冒険王と漫画王のペアならともかく冬月のワンペアってのはちょっといくら何でも衝撃だよなあ「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」をテーマにしたウエハーチョコのおまけのカード。最初に近所のコンビニで3枚買ってうち1枚が冬月でもう1枚がゲンドウでもう1枚もろくなもんじゃなかったのに、さらに追加で買った3枚のうちの1枚が冬月たぁ幾ら何でもやりすぎた、じゃないやられ過ぎ。爺好きなら嬉しくもあろうけれども当方、未だその域へとは達しておらず苦み走ったその面構えをステレオで眺めながらどうしたもんかと雛人形につぶやく桃の節句。これが仮に「コードギアス 反逆のルルーシュ」のカードだったら誰が2枚並んだくらいの衝撃かなあ、皇帝陛下じゃあちょっとインパクトあり過ぎだし。オレンジ君? バトレイさん? まあその辺りか。

 設定を紡げる人だってことは「レヴィアタンの恋人」(ガガガ文庫)で見えてはいたけどストーリーも紡げる人だってことを「とある飛行士への追憶」(ガガガ文庫)でも照明してくれた犬村小六。2分された帝国と皇国のうちで皇国が帝国領に出島のよーに持っている領地が占領されかかってそこで暮らす貴族のお姫様がピンチに。皇太子のお嫁さんになって皇后になることが決まっているお姫様だっただけに何とかして助けなきゃってことで出島あたりで仕事をしている傭兵の飛行士に白羽の矢が立ち、偵察機にお姫様を乗せて皇国まで何とか脱出させろと命令された。かつて幼い頃にすれ違ったことがある美少女が成長してお姫様になったこともあって助けたいという思いを傭兵は持っていたけど、当のお姫様にはそんな記憶はなく、それどころか当時の活発だった面影も消えて、運命に載せられて動くことを心を殺して受け入れてしまう、弱く儚い少女になってしまっていた。

 決められた路線の延長として皇太子との結婚を予定されていることも脱出にあんまり気を載らせなかった模様だけれど、そうも行ってられない軍隊は傭兵の青年にお姫様を預けて皇国へと飛ばさせ青年もお姫様を後部座席に乗せてはひたすらに皇国を目指す。ところが阿呆な皇太子のバレバレな電信が目的を相手に露見させてしまって迫る敵。かわしていたもののやがて迫って来た本格的な敵を前にした時に、お姫様は自分の成すべき事を自覚しそして過去に忘れ去って来た皇国における差別的な考えへの懐疑を改めて蘇らせては未来へと目を向ける。身分違いの2人の逃避行ってあたりは伊東京一さん「バード・ハート・ビート」(ファミ通文庫)にも重なる設定ながらも伊東さんのが割に活発なお姫様だったのに対して「とある飛行士」の方はとことんお姫様。それでもとある事情から制度への懐疑を抱いていたのが逃避行をきっかけに大きくふくらんでお姫様を変えたあたりの設定なり展開は、冒険の物語がメーンに立ってた「バード・ハート・ビート」とは違った切々とした情感を与えてくれる。単純ながらも漂う淡さと醸し出される前向きさが心に響くストーリー。

 例えばというか現実にはあり得ないんで例えにもならないんだけれど1億歩譲って例えばの話、とある漫画週刊誌があってあんまり売れてなくって経営も危なっかしくって年度末になって決算で赤字になりそうなんだけれどもどうしても黒字にしておきたいってことでそれには支出を減らさなくちゃいけないから、支出につながる紙代を節約しようと漫画週刊誌のページを減らすことにして、連載中の漫画を1本2本間引きして、掲載しないことで総ページ数を減らしてなおかつ値段は従来の据え置きのままで発売したとしたらそれを許した編集長は売れない漫画誌を作った角でとっとと更迭されて当然だろうし、経営している人もパブリックな製品であるが故に再販価格といった制度に守られているにも関わらず、値段を同じで中身を削った雑誌を作るという、それこそ詐欺にも匹敵する行為に及んでしまったことを罪深い事態だと覚えて即座に腹を切るなり、頭を丸めるなりして世間に陳謝して当然だろう。じっさい詐欺だし。

 だからいくらなんでも公に向けて公器たるべき印刷物を作り刊行している媒体がそーゆー所業に打って出るなんてことはありえず、編集長もえらい人もとりたてておとがめなんか受けることもなく世間は進んでいくことになる。例えどこかでありそーになってたら真っ当な神経を持っている人が羽交い締めにして止め、権限を持つ上もゆゆしき事態だと判断して抜本的な施策に打って出ても当然だろーけど何度も言うよーにそんな詐欺紛いのことがこの高尚さにあふれた文化的国家・日本で起こり得るはずはないからここに記された事態はサイエンスフィクションなりファンタジーといったレベルのことだと感じて忘れていただければこれ幸い。支払いができそうもないからって部品を仕入れず組み付けないまま自動車なんかを値段据え置きで出荷したらそれこそ詐欺も詐欺だって大騒ぎになるもんなあ。つまりはそれだけの事態なんだよなあ。分かってる? いやだから架空の事態なんで分かる必要もないんだってば。てば。

 さあ来た羽生2冠の名人挑戦はいつ以来? 03年に今の森内俊之名人から奪取したものの5期目を迎える時に森内名人に奪い返され、05年に再挑戦したもののことでは敗退。そして森内名人が羽生2冠より先に永世名人の資格を獲得してしまうって“ハプニング”もあったけれども2人が棋界の頂点付近を走っていることには違いなく、今ふたたびの対戦がめぐってきてさてはて羽生2冠は奪取に成功して19世なだらも永世名人の資格を得て、久々に棋界のタイトルの竜王と並んだ、というよりやっぱり伝統ではこっちが上な名人位を掴むことができるのか。あの7冠の快挙をリアルタイムで見ていて凄まじい盛り上がりぶりに触れていただけに、やっぱりな羽生名人の誕生でもって将棋の世界に今ふたたびのムーブメントを起こして欲しいって気持ちがやや勝つか。将棋が話題になれば「ハチワンダイバー」にも注目があつまり巨大な胸をしたメイド姿の少女将棋差しがテレビで映画で谷間をさらしてくれるんだけど。そのためにも応援するぞ羽生2冠。FC東京の羽生直剛選手ともどもに。


【3月2日】 「サッカーは戦争だ」などとオシムが聞いたらだったら本当の戦争に行って来いと言って嘲笑しそうな言説を垂れ流す輩とか、科学的な論理から得られる確信が勝利したことを表裏一体な歴史認識の世界に持ち込み敵の論理を非科学的だと誹る言葉のそれ事態が非科学的な様への自覚が欠片もない輩とかが跋扈し始めた薄気味悪さは、そのまま衰退へと転がる兆候なのかもって最近特に思い始めた春うらら。

 そう主張しておけばライト的あるいはインナーサークル的さらにはサリーマン的に尊ばれ、いい気分を味わえるんだろーけれども、広く見渡した時に通用しない可能性があることへの想像力の希薄化はやがてじわじわと身を蝕んで、身動きのとれない状況へと追い込むんだってことは90年代に世間の空気が、左から右へとシフトした様を見れば明らかなんだけれどもそれを己のことだと感じ取れないくらい、意識が凝り固まっているんだろー。まあ分かっていれば上ばっかり見た施策がああも連発されるはずはないんだろーけど。ああ絶望。

 んまあ絶望したって40歳で1900万円とか何とかいった収入になるはずもなく、それどころか25歳で700万円とかって段階ですでに追い抜かれているらしいこの目ん玉内の格差社会に絶望以前の徒労感を覚えてもはやまかせておいてもうだつは上がらないってことを確信しつつも、外は未だに寒風吹きすさぶシチュエーション。身を粉にしつつ身を丸めて耐えつつしょびしょびと未来への仕込みをするしかないんだろー、ってことで今日も今日とてひたすらに読書。成田良悟さんの池袋が舞台になったシリーズの最新作「デュラララ4」(電撃文庫)はセルティちゃんが必死に稼いだ金が白バイに追われる過程でどこかに紛失。残念がってシクシクと泣くセルティちゃんの健気さに胸打たれる。顔もないのにどーやって泣いているかまでは知らない。

 普通の人間たちに混じって1人妖怪変化だったセルティちゃんだったはずなのに気が付くと周囲は魑魅魍魎が跳梁跋扈。片手でベンチをつかみ振り回し街頭を引っこ抜き放り投げる腕力を持った平和島静雄の最強ぶりは代わらないとしても、身に妖刀を仕込んだ少女 が加わりさらにどうやら全うじゃない出自を持った殺人鬼までが参入。折原臨也の妹で双子の姉妹のどっちもどっちな破天荒ぶりもこれありで、そんな新たな顔ぶれがこれまでのダラーズに黄巾賊に罪歌の三つどもえやら「バッカーノ!」から続く謎のパワーを内に抱いた製薬会社の悪巧みやらと絡んでは、おそらく何やら今ふたたびのきな臭い展開へと突入していくことになりそーで楽しみ。しかし何故にクルリは体操着?

 ちょいと前に立ち寄った渋谷の「リブロ」で手に取りみかけて気にはいったけれどもアマゾンで探せばもうちょっと安いかと逃したJulia Fullerton−Battenって写真家の作品集「TEENAGE STORIES」が見つからないんでこりゃあリアルで買うしかないとひょこひょこと渋谷へ。街を歩く女の子たちの細さにたまには秋葉原ばかりじゃなくって渋谷で目の保養も必要とか思いつつも近寄れずさわれない存在はガラスケースの中に鎮座ましますフィギュアよりも遠い存在。ならばどちらを取るべきかって神学的な悩みにも苛まれながらスペイン坂を登ってリブロに言ったらIKKOさんがどんだけしてた。

 例の「美客革命」って本のお渡し会であの歳のあの性別にして異様に細くて綺麗な脚がどーやって作られたかってのを解説した本らしく是非に参考にしたいと思うものの長さで負けている時点でもはや論外。せめて細さでもって思うものの昨今の食糧事情がそれを許さない。歩くかもーちょっと。交通費も削られっぱなしだし、ってもう7年くらい請求したことないんだけど。鬱陶しいし根ほり葉ほり聞かれて。そんなIKKOさんの笑顔をお米に見つけた「TEENAGE STORIES」を早速購入。写真家のサイトの「Projects」項内「Teenage Stories」に掲載のすべての作品が載っている訳じゃないことに気づいてやや愕然とはしたものの、他のプロジェクトも網羅したとりあえずの代表的作品集になっているんで見ればその人となりが分かりそう。

 って英語もフランス語も読めないんでプロフィルとかビブリオとかが分からないのが残念至極。「TEENAGE STORIES」ってプロジェクトは日本の東武ワールドスクエアみたいなミニチュアの街を闊歩する女の子たちを撮影したシリーズなんだけれども、まずどこにそんな場所があって何のために運営されているのかがちょっと不明。博物館? 遊園地? でもミニチュアな場所に立つ大きな女の子ってビジュアルは、無垢な少女って存在の無垢故の傍若無人さを現してるよーでなかなかに愉快。世界を破壊するのはいつも少女の傲岸不遜さなのだ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」だってきっかけはC.C.にユフィと少女(C.C.は見かけは少女だし)の振る舞いにあった訳だし。

 森やら街やらプールやら空港やらに出入りして佇んだりする少女のシリーズは可愛らしさを感じさせつつもシチュエーションから対極的な得体の知れ無さもにじみ出させていたりして見てまず目を引かれそして背をのけぞらせたくなった。こいつら一体何考えているんだろう? っていうか。そんな少女が増幅したかのよーに1つの場所にうごめくシリーズもあるみたいで写真集には1点2点しか掲載されてないけど印象としては案内嬢が増幅していたやなぎみわさんのシリーズに近いかも。あれは都市における女性の役割の画一的で模倣的な様をカリカチュアライズしたかのよーな雰囲気があったけれどもジュリアの場合はもっと単純に集団としての少女たちの異形ぶりって辺りにフォーカスか。サイトだと制服姿の少女達の集団ってのもあって日本の学生服の集団ってのは外国人にはこーゆー不思議さを持ってみられているんだろうと改めて理解。あるいは集団の美って奴も見ているのかな。聞いてみたいけどどこの誰って情報すらも読めない浅学非才。日本で展覧会とか開かれるよーなら駆けつけ日本語の図録を買おう。あるのかそんなイベントが。


【3月1日】 見たのが1998年の3月6日だから、その意味でも本当に10年なんだなあと感慨に浸りつつ「パーフェクトブルー」でアニメーション監督になってから10年が経ったのを記念した今敏さんの展覧会「十年の土産」を見物に新宿へ。すでに花輪もいっぱいに寄せられた会場は、およそアニメーション関連のイベントとは思えないくらいにスタイリッシュでスリムな男女がわんさか。今監督のファン層って奴の分布度合いがいかに他と違っているかを改めて確認させられる。そーいや池袋の文芸坐でもって開かれたオールナイトの上映かも、細身な美少女とかカップルとかがいっぱいいたもんなあ。キリリとして自分を持って世界に対峙する女性のヒロインが多い映画の影響か。どっちにしたって当方とは永遠に無縁の層だろーけど。

 会場は「パーフェクトブルー」から「千年女優」に「東京ゴッドファーザーズ」「パプリカ」と流れた映画に関連したイラストなんかが展示中。DVDのパッケージだとかポスターとか、著書とかサウンドトラックのジャケット向けなんかに描かれたイラストが出力されて張り出してあって3万5000円とかで売られてて、欲しくなったけれども飾る場所がないんでひとまずは見送り。「千年女優」のボックス用の大判のものになると11万円とかしてたけれども、その値段でも買って飾れば見栄えは抜群。変化する千代子の姿を隅々まで見たいんだったらやっぱり買うしかなんだろーなー。しかし隅々まで本当に細かいねえ。

 その細かさの原点になる鉛筆描きの原図なんかも展示してあったけれども、ディテールはしっかりとして細工も細々。よくぞそれらを全体のバランスを崩さずに描ききれるものだと執念の強さに感嘆する。それが絵描きの本能だとはいえこれだけ精緻な人はそうはいない。そんな精緻さで作られた世界を動かすスタッフもやっぱり同様に偏執的なマインドを持った人たちばかりなんだろー。凄い作品ばかりが出来る訳だよ。あまりの凄さに外国人のファンも多いみたいでオールナイトでも、展覧会でも外国からの人が来場していた。こーして広がっていった人気がいつかアカデミー賞へと、パルムドールへと金熊へとつながると良いなあ。いくら日本にお洒落で熱烈なファンがいたって世間じゃあ看板の有無がやっぱりいろいろ物を言うんだ残念にも。あの凄さを少しでも多くの人に知ってもらうためにも次こそは狙いたいなあビッグタイトル。次が何かは知らないけれど。

 映画の公開とかに絡んで駅なんかに張られた巨大な「パーフェクトブルー」のイラストなんかもあって、落ち葉を背景に寝る霧越未麻の耽美な表情に今一度惹かれて10年前を懐かしむ。並んでいた中にトレーディングカードの原図ってのもあったけれどもそんな商品、出てたんだ。Tシャツとかは買ったけどトレカまでは抑えてなかった。せっかくだからと再リリースされた「パーフェクトブルー」のDVDの豪華特典付きを購入。CHAMの衣装を着た未麻がジグソーパズルのよーに割れて中から向き大の未麻がのぞくこれも淫靡なイラスト。出力じゃなくってポスターとして欲しかった。

 でも会場では別にビッグなおまけが。オールナイトでも予告していたよーにスタジオに補完してあった「パーフェクトブルー」の動画セル画背景を、カット袋ごとプレゼントするって企画で3000円以上の購入者に一袋、ついて来たカット袋を近所「VELOCHE」で開けたらカット538の、未麻の部屋に現れたバーチャル未麻が後じさりながらベランダの方へと向かう3秒分くらいのシーンがまるごと入ってた。バーチャルだから衣装はCHAM。そりゃ本当はステージで乱舞するCHAMが欲しかったけれどもこれでも十分にアイドルらしさが出ているし、全編においても重要なシーンだからもらって嬉しくないはずがない。いやあ良かった。この特典はいったいいつまであるんだろー。別の日に行ったらまた1袋もらえるかな、それまでにはきっと売り切れか。ストリップ小屋のシーンとかあったら凄いかも。仮に同じ試みが「コードギアス 反逆のルルーシュ」であったらどこが欲しかったかなあ、オープニングのC.C.の尻、か。うんそうだやっぱり。

 興味深かったのはベッドの上でバーチャル未麻が後じさるところを見ている未麻がセルにはバーチャル未麻とは別に描かれていた点で画面だと記憶だけど一緒に描かれていたんだけれどもきっと撮影ではベランダの方へと首を振る未麻と後じさるバーチャル未が重ね合わされて撮られたんだろー。バーチャルな未麻て画面じゃ質感も違ってて同じ空間にいるよーには見えなかった。後じさるバーチャル未麻の姿を黒抜きしたセルが別にあるのはそんな質感を作るためにバーチャル未麻だけ別に撮って加工した上で重ねたせい? 分からないんで今一度、DVDで見直してみよー「パーフェクト・ブルー」。10年って月日に大勢が成した事実と僕が何も成しえなかった現状を痛感しつつ。

 出て新宿駅へと歩く途中で立ち寄った紀伊国屋書店のDVD売り場で「パーフェクト・ブルー」が流れていて見入る。すでにもらったカット538のシーンは終わってしまっていたみたいで実物で確認はできなかったけれども、同じ部屋が何度も出てくるシーンでこのゴチャっとした感じが同様に描かれたカット袋に入っていた背景なんかを見つつ今一度の精緻さに感嘆。そうそう劇場で「パーフェクト・ブルー」を見たのはDVD売り場から出た隣のビルのとてつもなく小さな映画館だった、松竹の。今は工事中でビルごと存在しておらず、ここにも10年って月日の重なった分厚さを思い知る。向かいのさくらやで売ってるゲーム機は「プレイステーション3」だもんなあ、当時はまだ「プレイステーション」が売られていたんだよなあ。栄枯盛衰。

 そんな栄枯盛衰の模様をITライターとして有名な西田宗千佳さんがつづった「美学vs実利」(講談社)って本が出ていたんで早速に読む。ほとんどリアルタイムで僕も見てきたことなんでことさらに新しい話ってのはなかったんだけど、段階を踏んで「プレイステーション」が成長して「プレイステーション2」で爆発したものの「プレイステーションポータブル」でひずみが生まれ、「プレイステーション3」で失速へと至るプロセスってものを、改めて振り返ることが出来て勉強になった。印象として浮かぶのは主役となっている久多良木健さんって人の持つ、テクノロジーをベースに未来を見つめる目の広さと見つめる地平の遠大さ。当時は夢物語でも未来には実用化される可能性なんかを勘案しつつ、それに向かっていろいろと、手を打ちマシンを作り上げていくビジョンってものがあったからこそ未来を先取り出来たんだろー。

 思い出すのはちょうどDVDレコーダーが出始めた頃にインタビューして聞かされたハードディスクドライブの有用性。DVDなんかにちまちま録画するよりもこれからはどんどんとデカくなるハードディスクの方が主流になるんだって話してた。当方的にはパッケージ化して手元に置いておきたいアニメファン的な感性からやや異論はあったし、ハードディスクがどれほどのものになるのかつかめなかったんだけど、08年の世界ではテラバイト級のハードディスクレコーダーも出回り、地上波のアナログだったら1年くらい好きな番組をとり続けたって余るくらいの容量がすでに実現されている。だいたいがアニメファンでもなければ普通の人が見たい番組なんて限られているし見られる時間だって限られているだよね。昔あった「クリップオン」とか「コクーン」ですら十分過ぎるところにさらに巨大なハードディスクを備えたマシンが出さえすれば、DVDとかに録画する機能なんてなくたって実はオッケーかもって最近になって思えてきたことを、6年とか7年とか前に察知していた。パッケージにして保存? ネットからいつだってダウンロードできれば入らないよねえ。って、そんな将来を見通していたやっぱり凄い人だったんだよ久多良木さん。

 問題はそんな発想を具体的な商品に落とすだけの生産性やら技術力の進歩が追いつかなかったって所で、構想は遠大で理解できても、足踏みしている現実に嫌気した心が反発へと向かった挙げ句に離反を招いて「プレイステーション3」は、というか「プレイステーション2」のブロードバンド接続構想あたりから衰退の芽が見え始めていた。そこで現実を踏まえたマーケティングへとシフトできればまだ良かったんだろうけれど、過去の成功体験が全般に浸透し、一方でソニー本体でのヒット商品の少なさがゲームに過大な期待を抱かせ巨額の投資と壮大な口舌をもたらした挙げ句、伴わない結果によって一気にネガティブな存在へと至らしめたって印象。こんな今こそ冷静に、出来ることをやりつつ未来のビジョンを語り求心力を保つべきだったの、に悪化する情勢はそうした夢を許さなかった。

 かくして久多良木さんは中枢から去り、あとには既にあるものを売ることには長けても未来のビジョンを語る口を持ち合わせていない人たちがトップに座って差配しているから悩ましい。これはこれで今を収めるには最適な人選なんだろうけれど、続く未来ってものがなくなってしまっているのが気分として残念。幸いにして置きみやげとしての「プレイステーション3」はあるんで、これを核に可能なことを早々に実現することが、この1年は無様でもこれからの3年でひっくり返す上で大切なんだけれども、それを引っ張る人が果たしているのかいないのか。いないから問題なんだよなあ。かといって復帰の芽とかはなさそーだし。これでネットワークが発達してその上で遊びが行われるようになって、ハードとしての「Wii」とかもシュリンクしはじめたらゲーム市場は全滅だぜ。きっと狙ってる企業とかあるぜ。任天堂は何か考えているのかなあ。考えているなら聞きたいなあ。そんな京都に行くだけの費用が多分今だと出ないのだ、貧乏過ぎて、お洒落なタブロイドすら値上げした上に紙質をダウンするような事態にもなっていたりする程に。1ページ1ニュースとか言うんだったら橋下知事のスナップめいた写真なんぞデカく載せるなっての、そんな写真で喜べるかっての、もうダメかもしれんなあ、ソニーのこと言ってる場合じゃねえなあ。


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