縮刷版2008年月中旬号


【2月20日】 どこのMLB(メジャーリーグベースボール)がシーズン中にオールスターと銘打ってメジャーリーグ代表と日本のプロ野球代表とを戦わせるかと考えればその価値を、最初は小さな子供の「ベーブ・ルースとカール・ハッベルの対決が見たい」という当初から始まったにしろ70余年、積み上げてきて相当に重たい物にしたMLBが、切り替えて日本のプロ野球を相手に戦うことなんてあり得ないし、アメリカの野球ファンだって望んでいないことは子供だって考えつく。そんなことをすればスポンサーにも多大な悪影響があるってことを、リーグもそしてスポンサー自身も知っている。だからあり得ずせめて代わりにってことで、シーズン前の何年かに1度、日米対抗野球なんてものが開かれる。これもまあ半分はMLBもプロモーションだったりするんだろけれど。

 97年からインターリーグが始まったけれど、すべての球団と対戦する訳じゃないからやっぱりオールスターは貴重な“夢の対決”の実現の場。それ以上に時を経て歴史を積み重ね、殿堂入りとまではいかないけれども出場することが多大な名誉となっているオールスターの価値を、損なうかどーかは別にして異なった価値のものへと代えることは天地がひっくり返ってもあり得ない。欧州に比べて伝統が足りない伝統が欲しいときっと思っているだろー国だけに、たとえ1世紀に足りない伝統でも、というよりだからこそ守り育んでいこうと考えているんじゃんかろーか。

 50年以上続くNBA(全米プロバスケットボール協会)だって、やっぱり積み重ねられて来た価値を損なう真似はしない。まあNBAだと日本どころか欧州にだって相手になるリーグがないってこともあるだろーけど。翻って日本。野球で言うならNPB(日本プロ野球機構)のオールスターゲームが昨今、試合数が多くて一発勝負のお祭り感が薄れてちょっとってなっているものの、そこは職業野球対抗東西対抗戦の時代からなら70年、セパ2リーグ制になって以降ですらNBA並に50年以上の歴史と伝統を守って日本球界だけで開かれ続けている。とりわけ日本の場合はメジャーリーグよりも交流戦が始まったのが遅くてごく最近だから、日本シリーズかオープン戦以外では見られなかった異なるリーグ間の対決、すなわち巨人時代の桑田選手と西武時代の清原選手の対決なんていう“夢”がかなう場所(かなったっけ?)として重宝されたし交流戦が始まった今でも、やっぱり中休みの採点としてそれなりの面目を保っている。

 おそらくはこれからも、シーズンまっただ中で異国のリーグと試合なんてするはずはなく、やったらそれは愚挙として更なる野球離れにスポンサー離れを引き起こすことになるだろー。それなのに。サッカーはそんな真似に出る。これを果たしてどう捉えたら良いのかってことはMLBやNBAやNPBなんかを見れば、本来だったらあまりポジティブには評価しない方が良さそうで、せっかく重ねてきた伝統をさらに重ねて強固なものにして欲しいって考え方も出来る。可能ならばそうあって欲しいという気もする。

 するんだけれどもぐるりと世界のリーグを見渡して、サッカー界にオールスターなんて概念はあんまりないってのが気にかかる。長く野球のオールスターを開催して来た日本ならではのお国柄で、JFL時代から東西対抗形式でのオールスターが行われて来た経緯はあるんだろーけれど、Jリーグ発足から15年弱が経って、チームが1年をかけてリーグを戦い勝ち抜くことを応援するよーになった大勢のファンの心情なんかを考えると、込めておくべき気合いをいったん抜いて、普段は反目し合っているチームでも同じ東軍あるいは西軍となった時に、呉越同舟然として応援せざるを得ない状況ってのも何だか錯誤的、ではあるかもしれない。

 だいたいが、同一ディビジョンで1年のうちに最低でも2試合は同じチームと試合するサッカーで“夢の対決”なんてものはあり得ない訳だし、そもそもが別に日本代表ってこれまた大きなブランドと価値を持った“夢のチーム”が存在しているシチュエーションで、オールスターとは言え半々に仕切られたチームどうしが“夢のチーム”を標榜したって届かない。いやそこは日本代表では不可能な外国人選手が入るって意見もあるけれども、規定か何かで全員を外国人選手にすることはなかったりする訳で、どこかに中途半端感が漂っている。いっそ止めてしまうのが世界標準とやらには合致するんだろーけれども、それだと短いとはいえ10余年の歴史を重ねてきたものが途切れてしまうのは何だか寂しい。

 って考えるとたとえ人数は半分に減っても、その分だけ精鋭が集まる外国人選手も交えてのリーグ代表って奴が、異国のリーグ代表って奴と戦う試合もあるいはありなんじゃないかって思えて来るけど、それが興味深いかどーかはまた別の話で、少なくとも日本のサッカーファンは応援しているチームの選手がオールスターに選ばれ戦うよりは、ナショナルチームの代表に選ばれ活躍することの方を嬉しがるんじゃなかろーか。ただし日本に来ている韓国人選手の場合は、普段だとリーグ間の交流がなく、ナショナルチームに戻れば同じチームとなって対決の機会もない同国人どうしの戦いが見られるってことになって、それはそれで興味深い感じはある。それを韓国のサッカーファンが望んでいるかどうかはちょっと分からないけれど。

 詰まるところはどこに価値を見出せば良いのか曖昧なまま、決まってしまったオールスターの日韓対抗戦化をいったい誰が望みどんな価値を感じ取ったのか、聞いてみたいけどどこかに出るかな、「サカマガ」「サカダイ」あたりはどんな論評をしているかな。いずれにしても決まってしまったことなんで、そこに楽しみを見出す努力をとりあえずしよう。あの究極の可愛らしさでもって名古屋グランパスエイトのグランパスくん一家が乗り込み、アジアに燦然とその可愛らしさビームをまき散らしては平和と安寧に寄与するとか。パルちゃんが韓国のリーグのマスコットをすべて粉砕するとか。ジェフィとユニティでは勝てないなあ。まあいくら価値が見えないっていってもどこかの旅人、というか旅人を御輿に担ぎ上げている方々の環境サミット便乗狙いが透けて見えておぞましい環境問題提起とやらを目的にした親善試合とやらよりは1万倍は価値がありそーだけど。

 決定した訳ではないけれど、代表選のそれも本番がある日に開いて誰の共感を集められると思っているんだろーか。というかサッカーの試合で何の環境問題を提起するってゆーんだ。昼間に一切の照明を使わず冷房もいれずユニフォームに化繊はつかわずボールも天然ゴムでスパイクは綿製といった天然印なスタイルで試合をするのか。移動には全員が自転車を使うのか。全員が背中にソーラーパネルを背負って発電しながらサッカーするのか。サッカーの試合で訴えるにはちょっと難しそう。もちろん直接的ではなくって間接的に、人間として集めた注目を利用してアピールするってことも可能だけれど、いくら当人的には純粋な気持ちの発露であっても、その行動全般の仕込まれっぷりからそこに誰も純粋なものを感じられなくなっていて、向かう気持ちも憧憬から嘲弄へとシフトしている旅人だけに、得られる効果も期待が薄い。むしろ本当に広く問題意識を訴えたいなら、今からでも遅くないから復帰し代表に選ばれアウェーの地へと乗り込み試合に勝って、そこで環境の大切さを語ることだと思うんだけれど。やらないよなあ。周囲もそれだと儲けられないし。

 メイド服を脱いでパンツルック(死後)で眼鏡もはずし髪をおろして戦うロベルタの活躍が見たいって思って珍しく買った「サンデーGX」だけれどもロベルタの出番は今ひとつ。凄みは見せつつ次号に期待ってところか。代わりにロットン・ザ・ウィザード。やっぱり目立つことしか考えてないけれど目立とうとして目立てずソーヤーに囮代わりにされている。銃を相手にチェーンソーでよく戦うよなあソーヤー。んでも前もダッチのドックであのレヴィあエダを相手に引けを取らなかったんだからやっぱり相当な使い手か。さらにはでっすだよ姉ちゃんも加わったチームの強いだろうことは想像に難くないけどここまでキャラが立ってしまうと誰が脱落するって緊張感が薄れてややもすればコメディになってしまう可能性もあるから悩ましいところ。コミカルな部分とか時にのぞいてもシリアスさを垣間見せて関係性の緊張感だけは保ち続けた「コードギアス 反逆のルルーシュ」みたく立て直せるか。ロベルタあたりを生け贄にして後味感の悪さを出して締めそうな気もするなあ。ココ・ヘクマティアルはやっぱりやり手だなあ。


【2月19日】 問題はだから澤穂希さんって不世出の女子サッカー選手を、トップ下なんて象徴的な位置じゃなくボランチというかレジスタの位置まで下げて実質的なゲームメイクをさせられるかどうかって判断を大橋浩司監督ではできなかったってことで、それがトップ下あたりに迫っても相手ディフェンスに囲まれ自由にプレーできず、窮屈な印象につながっていたんだけれど佐々木監督はボランチの看板だった加藤(酒井)與恵選手を下げて、澤選手にしてサイドに攻撃力と高さを持った安藤梢選手、その下にサイドバック勝負では先行してた近賀ゆかり選手の両テクニシャンを併用する策に出て攻撃力を大幅に高めた。坂口夢穂選手もどちらかといえば攻撃的だし宮間あや選手も同様。それだけに守備陣は大変だったんじゃなかろーか。

 危険察知能力の高かった加藤與恵選手が抜けてロングボールの得意だった宮本ともみ選手も代表から外れて心配だった守備力は、奪われた得点なんかから見てやっぱりな感じだったけれども、取られよーとも取り返せば勝てるのがサッカーの試合ってことで最後の最後で澤選手がとっても素晴らしい仕事をしてくれた。前線で当たっては潰され疲弊して消えることがなかった効果もあったのかな? でもこの澤選手の身の処し方って日本代表だった時代とか、海外のチームにいた時代とかに誰もがそうなって欲しいと臨んだもの本人の聞き分けが今ひとつで及ばず、結果使う場所がないと外され挙げ句に早々とした引退へと至ってしまった旅人にこそ辿って欲しかったもの。長の不遇から、自分の頑張りが自分だけじゃなくチームだけじゃなくすべての女子サッカー選手に影響を与えるんだって自覚を得た「なでしこジャパン」の面々には、きっとたっぷりあるんだろー。ともあれ祝・勝利。続く試合も粉砕だ。

 おそまきながら見て何だこれだけの映像が作れるんだったらずっと作ってくれよと感じた「レンタルマギカ」。みかんちゃん危機一髪なエピソードで実家にとらわれおそらくは生け贄っぽくされそうにされているみかんを救出に向かった伊庭いつきに穂波・高瀬・アンブラーのご一行が殺生石みたいのが転がる原っぱで浮かび上がる怨霊だか何かを相手に戦うシーン。箒にまたがった穂波の脚がスリムでしゃきっとしていてお尻もきゅっとしまってて、戦うお姫様って雰囲気を感じさせてくれた上に実際のバトルでも視点の移動が急激に行われて近寄り離れそして回り込むといった動きが出ていてこりゃあいったいどう動いているんだとHDDを止めてスロー再生してコマ送りして確認してしまった。

 過去になかったよそんなこと、いやあったけどそれは箒にまたがった穂波が急降下する場面でどーしてスカートがまくれ上がらないかを確認した初回くらい。動きそのものを見たくなったのは初めてで、それだけ気合いが入っていたってことでだからこそどーして過去にこれだけの気合いが入らなかったんだって気分も湧いてくる。アディをちゃんと見たいよう。前後編だけに来週もちゃんとしてると期待したいものだけど。まあ過去で言うなら動きそのものよりもその場面をどう見せるかって部分からいろいろ考えさせられる所があったんで、そんなベクトルが動きが良くなって以降も続いたらあんまり意味がないんだけど。少なくともみかんちゃん危機一髪なシーンはすべてがうまくかみあっていた。だからこそこの流れが続いて欲しいんだけどさてはて。

 でもって「バンブーブレード」。シナイダー好きの美少女登場。誰? というか高校生っぽい2人が遊園地のヒーローショーのクイズ大会に2人も揃って出場なんて。でもって2人が飛び抜けるなんて。大人げない。って大人じゃないけどまだ。それから「君が主で執事が俺で」。森羅様が遊ぶ生後4カ月(推定)のパンダが可愛かった。でもってそんなパンダと戯れる森羅様がもっと可愛らしかった。見れば卒倒の可愛らしさ。でもしかしどこから手に入れたんだパンダの赤ちゃん。でもって九鬼揚羽。額の十文字は何だろう? スタイルは抜群なだけに気になる。九鬼家の証? 小十郎が入院して錬が面倒を見始めて危機があって救われて、それでほだされファーストキスを捧げる揚羽。だったらこれまでどーして一緒にやって来た小十郎には捧げられなかったんだろう。それだけ錬が恰好良い? 違うよなあ。隣の芝生はって奴か。来週はそれが原因のバトルが勃発か。何だかんだ言って毎週ちゃんと見ているなあ。南斗星さんは強いのに可愛らしいなあ。

 そろそろ「コードギアス 反逆のルルーシュ」の総集編みたいなDVDが発売されているかと寄った店にはまだ、バンダイビジュアルの製品は並んでおらず代わりにもう出ていた「CLANNAD」の第3巻を購入、ボックス付きとはまた重たいなあ、んでもひとでと戯れる風子はなかなかの鬱陶しさ、じゃない可愛らしさ。自身の不幸をまるで不幸とは感じず自由に漂い多くに呼びかけるそのアグレッシブさを見るにつけ、病んだ姿で援助交際を誘うような話なんかじゃあ絶対ないって思えてくる。思いつきを言葉にするなら歴史と状況、時間軸と空間軸を含めた全体の把握がまず必要ってことを人は知るべきだろー。ついでに「しおんの王」の第2巻も購入。歩ちゃんが襲われるシーンだけ見られば良いって1巻だけで止めようって思っていたんだけれどジャケットで大きめのセーターから肩をはだけあせ脚をのぞかせる歩の憂い漂う姿が何とも悩ましくってついつい手が伸びていまった。これで……なんだから世界って奴は理不尽だと二階堂沙織も思ってんじゃなかろーか。いや沙織は沙織ででっかいんだけど。やっぱり傷つくのはしおんか。丸いし。薄いし。

 「マンガ大賞」の2次選考の締め切りが迫って来たんで遅蒔きながらよしながふみさんの「フラワー・オブ・ライフ」を読む。なるほど確かに良い話ではあるけれど、ことほどさらに現代的って感じはないなあ。学校でのたわむれが続く群像劇。とりあえず金髪青年のまっすぐさを軸にあれやこれや起こるって感じではあるけれど、決して1人が主役を張ってる訳じゃなくってあれやこれやと感じ考える少年少女のエピソードが挟まれ重ねられながら進んでいくって感じ。とりたてて何かを決定するとか断定するとかってこともなし。そりゃそうだ、高校生活なんてたいていは自然に始まり自然に終わるものでことほどさらにそこで何かを意識するってもんじゃないから。

 その意味では吉野朔実さんの「少年は荒野をめざす」の方が誰もがサヴァイブしてたんじゃないかなあ。1本びしっと筋が通ってたし。ともあれ「月下の一群」から「恋愛的瞬間」あたりまでの吉野朔実さんをほぼリアルタイムに読めた我が身に感謝。そういうのがないからこそ1人で3本も入ってしまうのかなあ、ってことで「きのう何食べた」。ゲイな人たちの話って意味では今市子さんよりはすっきりしてるか。話も絵柄も。周囲がみんな理解のある人たちで良かったね的フラワー空間が心地良い良い。「岳」。板子一枚下に死のある空間が舞台なだけにより生ってものの大切さが際だつっていうか。吉田秋生さんの何だっけ。女子サッカー選手が出ているってことでマル。絵が半分くらい「ハナコ月記」なのは何というか時代というか。候補作、あと何を読めば良かったんだ。金が幾らあっても足りないぜ。ってDVD1枚分で結構揃えられちゃうんだけど。本って安いよなあ。


【2月18日】 んまあなるほど交替した選手が突破してあげたクロスを交替したフォワードが決めれば采配的中ってことになるけどそんなものは対症療法であって原因となってる選手の動きの停滞を、どう活性化させて人が走りボールも動いて相手を崩しゴールに至らしめるってゆー本来的な目的を、見失って騒いでもきっとろくなことにはならないってみんな思っているんだろー。でも目先の勝利をこそ命題とせざるを得ないメディアにゃあそんな意見は届かず礼賛ばかりが並ぶこの始末。オシムがアジアカップですら捨てて守備の構築を行った挙にならって走り崩して迫る練習て奴をしてくれれば別に苦戦したって納得してあげられるのに、訳の分からない加地亮選手を左で使って停滞させ、前目の山岸選手あたりとの連携をまるでできなくして停滞を招いていたんじゃあ世話はない。それとも何か思いがあってのあの采配だったんだろーか。それが見えるのはまだ先なんだろーか。それならそれで見続けなくちゃあいけないけれども出口のないトンネルを真夜中に向かって沈んでいく感覚だけは払拭できないんだよなあ。どうしたものかなあ。

 なるほどNHKでやってる「アニクリ」に今敏監督が寄せている「オハヨウ」は、土曜夜の文芸坐でのオールナイトで監督自身が言ってたよーに「パーフェクトブルー」の未麻の部屋がだいたいそのまんまのサイズで今に蘇っている感じになっていて、それが10年前の手書きによる貧乏ビスタなサイズに徹底的に詰め込んだ物とは違った最新のデジタル技術によって描画されているからリアリティは10倍増しで動きの良さも3倍増し(どちらも目分量)。でもだからといって本質的な今敏監督のレイアウトワークと凝り性と、そしてキャラクターの造形力の根っこに変化はない。つまりはやっぱり10年前から今敏さんは凄かったってことで。これを見るとますます最新の技術でもって「パーフェクトブルー」を再アニメ化して欲しいって気持ちもつのるよなあ、「パプリカ」とかの動きで見たいよ「愛の天使」のダンスシーンを。

 買った「ワンダーフェスティバル」のカタログ兼入場チケットの後ろの広告ページをちらりちらりと見て「コードギアス 反逆のルルーシュ」関連を探して見つけたのはシャーリーとカレンばかりで肝心のC.C.が今ひとつ。ない訳じゃあないけどC.C.らしさを最大限に発揮できるあのお尻を存分に堪能させてくれそーな造型についてはちらっと見ただけでは発見できず。会場をぐるりと見て回ればきっと1つ2つじゃあ効かないC.C.のお尻、じゃなかったお尻の立派なC.C.もあるんだろーけど残念なことにこの日は「フクダ電子アリーナ」でサッカーの「ちばぎんカップ」があるんで会場にいられて11時半くらいまで。その間にぐるりと回って探すのは多分不可能なんで後々の「モデルグラフィックス」に載るだろーリポートをとりあえず待とう。メガハウスが商品として出したC.C.はしゃがみポーズなんでお尻の張り出しが今ひとつ。その意味でもバンプレストが夏とかに出す立像のプライズを何としてでもゲットするぞ。どこに行けば取れるんだろー。

 その「ワンフェス」のカタログの冒頭で岡部淳也さんが語ってて、その肩書きが「円谷プロダクション副社長」になっててちょっと驚き、ってまあリリースとかには載ってたんだけれどもずっと昔から「ワンフェス」の現場で作品を見せてきた人が、そんな「ワンフェス」参加者たちの憧れの的であり敬うべき存在でもある円谷プロの副社長にして製作本部長として、これから作られる円谷作品の総責任者的な役割と担うなんて端からみればこれ以上はないシンデレラストーリーって見られそー。だって円谷だよ、ウルトラマンだよ、その担当者だよ。どちらかといえばインディーズに近い空気を持った作品をビルドアップで作り続けていた人がメジャーもメジャーの総責任者に収まるなんて、アメリカであってそうはない。このサクセスストーリーを是非に聞きに赴きたいところだけれどもきっと忙しいんだろーなー、上海だ香港だ神戸だ大阪だって急がしそーだし。というかそんな生活を見知ってからですら10年以上続けてるなんていったいどんな体力してるんだ。同じ年なだけにちょっと気になる。健康の秘訣。やっぱり何でも徹底してやり尽くすことかなあ。あやかりたいなあ。

 関係から言えば「フレイアになりたい」(集英社スーパーダッシュ文庫)の風間瞳と若菜ミサキにちょっと似ていて型やガサツで乱暴者ながら奥底には優しさを持っていて、こなたお嬢様然としつつも芯には強靱さを持って世間を睥睨する。そんな2人の少女が超常的な能力を使い起こる事件に挑むって展開も重なるところがあるけれど、「フレイアになりたい」の風間瞳は手足をもがれてくっつけられた半ゾンビで若菜ミサキは脳に抱えた障害によって性格も言動も突き抜けまくってる。それを思えば砂浦俊一さんの「シアンとマゼンダ」(集英社スーパーダッシュ文庫、620円)に登場する2人は性格的にも言動的にもいたって真っ当な部類にあるんで、突拍子もない事態に突拍子もない行動でもって返した瞳やミサキに呆然とした人でも、2人の少女の冒険話として安心して読めそー。

 一人はボクっ子な少女の爽条藍姫で祖父より自分たちが剣でもって人についた悪霊だか何かを退ける力を持っているんだと聞かされながらも使うことなく中学生に。自分ではその悪霊の類を見ることができず突こうにも突けなかったってこともあるけど、そうした力をあんまり見せびらかすものでもなかったってことみたい。けれども転校してきて同級生となった、片方の眼が義眼になっててそこにカラーのコンタクトレンズを入れている秋泉真朱という少女と出会って一転。片方の眼を失ったかわりに「妖視」という眼には見えない思念やもやもやとしたものを見る力を得た真朱の導きもあって、藍姫は陰神を退ける「つきはらい」の能力を発揮せざるを得なくなる。まずはファストフード店。電波ゆんゆんな男に人質にされて立てこもられる中で、男に「陰神」を見た真朱は藍姫に突かせてその場を収める。

 ところがさらに事件が連続。藍姫が子供の頃に慕っていた年上の少女を悲劇が襲い、そしてその背後とさらにはファストフード店での事件の背後に何やら画策している存在がいるってことが浮かび上がる。立ち上がり赴こうとして起こる危機。そして藍姫は精一杯に剣をふるい真朱も力を存分に発揮して街にうごめく悪意を祓う。自分の信じたいものに対して徹底的に信じ抜こうとする藍姫の猪突猛進な思考が時に鬱陶しくも思えて来るけれど、そんな純真さがあってこそおそらくは発揮される「つきはらい」の力。一方で世界の悪意を否応なしに感じ続けさせられ、見させられ続ける真朱の心理はきっと痛みに溢れてて、表向きでは毅然としてても内心ではいろいろと苦しんでいるんだろー。そんな対照的な2人がペアを組みつつ始めた退魔の果てに、あるのは2人そろっての超越かそれとも誤解の果ての対立か。そんな揺れ動く心理なんかも踏まえつつ期待して続きを読んでいこう。それにしても多いな剣道少女物。ブームなのかやっぱり。


【2月17日】 そうそう今敏さんと小黒祐一郎さんとのトークショーで登場するなり今敏さんが、「パーフェクトブルー」のブルーレイディスク版発売を記念したイベントの日に東芝がHDDVDの撤退を発表するという奇縁について話してて、えっそうなのってニュースとかを見たらどーやら本当に撤退の様子。スタート時点からあんまりタイトルが揃っていなかった上に途中から雪崩を打つよーにブルレイのタイトルが出始めたあたりでこりゃあもはや巻き返しは難しいって見えて来たけど、使ってるHDDレコーダーが東芝なだけに新しいマシンを買うと否応なしにHDDVDのドライブがついて来ることになって、それで敗北となったら目も当てられないんで新型への更新を迷っていたところにこの“朗報”。ほっとした。

 幾らなんでもこれからHDDVDを搭載するってことはなさそーで、いずれブルーレイ搭載版の東芝製HDDレコーダーが出てきてくれれば晴れてアップデートも可能になるけど、こーなってくると一方で現行のHDDVD搭載方のHDDレコーダーが目茶安くなるって期待も浮かんで迷うところ。ブルーレイに関しては「プレイステーション3」があるしそもそも5・1チャンネルでもハイビジョンテレビでもないんで「ブルーレイ」にしたところでそんなに有り難みはない。「PS3」で1本だけブルーレイのタイトルを見たけどそんなに凄さは感じなかったなあ。環境大事。かといって整備は無理だけど。

 むしろDVDをソフト的にくっきり見せるアップコンが整備されてさえいればDVDで十分って気もしてて、安価に地上デジタル付きで600GB程度のHDDが搭載されてる機種なら安ければHDDVD搭載型でも構わないから買って取り置いておけば故障時のバックアップも効くかなあって思ったんだけど秋葉原あたりじゃあまだ600GBのVARDIAのHDDVDドライブ搭載機種で9万円弱だからそんなに安くなった気はしない。もうちょっと待てば投げ売りが出てくるかなあ。やっぱりブルーレイ搭載型が出るまで待つべきかなあ。いずれにしても置き場所が無いんだけど。広い部屋が欲しいなあ。

 その「パーフェクトブルー」をDVDを買った時からでも5年以上は経ってて久々に見てやっぱり「CHAM」のステージシーンはとっても最高、売り出し中のアイドルがあっちこっちのステージを回って懸命に売り込もうとしている雰囲気がとっても出てるし何より唄ってる歌と踊ってる踊りがいかにも売り出し中のアイドルっぽい。この何年か時東ぁみさんとかのイベントで亀戸だとか豊洲だとかに出没しまくってたんだけど日差しも遮れない屋外でステージに1人、バックバンドもない中を喋って踊って歌って笑って握手するアイドルがいて、それを見守り踊り叫ぶファンがいるって現実の構図が映画ん中にちゃんと再現されていた。

 っていうか昔っからそーだった訳でそれをリアルに描いてみせた所にやっぱり価値がある。まあ「CHAM」のファンみたくどこか斜に構えつつ心を傾ける“大人”のアイドルオタクは最近はあんまりなくって、実直に対象にのめりこんで見せ、そしてそんなことをしている自分をメタレベルで愛でてみせたりする真っ直ぐなんだけれどちょっと複雑なファンが多くなっているよーな雰囲気、っていうかそれは自分がそーなだけであって他はメタレベルな所はなくってストレートに純粋にファンなのかもしれないけれど、ともあれ時代は変わって意識も変わって、それでも共通の心理を感じさせるものが「パーフェクトブルー」の「CHAM」のライブシーンには溢れてた。10年経つといろいろなものが見えて来るよーになるなー。それを制作時にやってしまった「パーフェクトブルー」のチームは凄いなあ。

 んで久々に聞いた「愛の天使」はやっぱり良い歌。「あまり売れてなさそうな感じでお願いします」と楽曲の人、っていうか幾見雅博さんに頼んだそーで今井希子さんの歌詞ともども今敏さんを満足させるものが上がってきたそーだけれどもあのシーンであのキャラクターたちが唄う歌としてってだけじゃく、アイドル向けの楽曲としても音楽的にも歌詞的にもベストな部類に入るんじゃなかろーか。むしろ今に復活させて時東ぁみさんとかに唄わせたいなあ、バックに2人くらいのダンサーを入れれば「CHAM」復活。見たいよなあ。見てみたいよなあ。無理なら「コードギアス 反逆のルルーシュ」の企画盤でC.C.をセンターにカレンとシャーリーが両サイドを固めて唄う「愛の天使」を収録してくれたら玉抜いても良い。センターをコーネリアで両サイドがユフィにヴィレッタってのも絵的に愉快だ。

 それはさておき霧越未麻が抜けたあとの「CHAM」が唄う「1人でも平気」もビートが利いた良い曲で強さがあってアイドルが1段、ステップを上がって覚悟を決めて頑張るって雰囲気が欲出てる。三井誠さんって人の作曲かあ。これと「思い出に抱かれて」の3曲が「CHAM」の楽曲で映画を見て改めて聞き直したいって思った人もいそーだけれど発売元のアイノックスレコードは今はなく、サウンドトラックも劇中劇「ダブルバインド」のドラマを収録したCD3枚も入手はおそらく困難。それどころか映画を製作したレックスエンタテインメントだって今はない。新橋にあった東京事務所でプロデューサーだった人に取材したのもそうか10年前か。今頃どこで何をしているんだろー石原さん。

 まあもともとが寿精版印刷ってサントリーの製品のラベル印刷を手がけている印刷会社が創業50周年辺りでひとつ、事業を広げようって設立したのがレックスエンタテインメントでそこが何だろう、大阪ってことで企画の岡本晃一さんや原作の竹内義和さんとも面識があったんだろーか、分からないけど「パーフェクトブルー」の企画を頼まれたか頼んだかしてアニメ化することになってそれがめぐりめぐって今敏さんの所に監督話として到来して、そして始まる「パーフェクトブルー戦記」。いやあまさしく戦記だよ。

 そいでもって紆余曲折はあったけれども完成した作品が今敏さんの名を天下に知らしめ続く「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」から「妄想代理人」を経て「パプリカ」へと至って何を作っても期待される監督へとその地位を押し上げた。その意味で言うならレックスエンタテインメントは死して(死んだの?)今敏監督を残した。ついでに「パーフェクトブルー」のサントラも残してくれたけれどもこれが今は聴けないのは悲しいので「ブルーレイ」発売を契機にどっかで復刻と行ってはくれないかなあ、まあ持ってるから僕的には良いんだけれどもやっぱり掘り返さずに聴きたいしね。


【2月16日】 ようやく見た「鹿男あをによし」の大和杯編クライマックスはバンブーブレードの珠ちゃん以上の強さで堀田イトがまずは大阪を相手に5人を抜き去る圧倒的な勝利を収めたその後に、待つ狐率いる京都を相手にこっちはキャプテンが1人を倒したものの怪我で棄権で共倒れ。そして始まった4人を相手の勝負に途中、ぜいぜいと息を切らせてヤバい場面もあったけれども一切の打算を抜いて飛び出た小川先生の叱咤に答えて堀田イト復活。更に何でも言うことを聞いてやるって小川の心底よりの頼みを聞き入れ「高くつきますよ」を言ったイトの何と凛々しいことか。あの表情だけあればもうこのシリーズは十分って気にさせられた。あと京都の女狐と仲良さげにしていた小川先生を「小川」と呼び捨てにした綾瀬はるかの突っ込みっぷりも。

 ダメダメなチームが頑張って勝利をつかむ話であるよーに、剣道部が頑張っているって話が学校の中を伝わり生徒たちが1人また1人と体育館に集まりそしてだんだんと増えていく応援をバックに堀田イトが勝ち進んでく場面の実に心躍らされることか。そんな空気を遠くからでも感じれば、誰だって腰を浮かさして駆けつけずにはいられない。それが証拠に記録係として職員室を一切離れなかった主任までもがかけつけ激励しタオルと救急箱を差し出し勝利の瞬間に大騒ぎする、それはそれでお約束ではあるんだけれども積み重ねられていく不安を塗り固め勝利をつかむプロセスに、暖められた心がいっきに爆発する快楽って奴を前にしたらお約束なんてものはまるで関係ないのだ。楽しかったなあ。なのに非情な鹿。どうなるニッポン、どうなる小川先生。剣道シーンが良かっただけにもう出ないってことになって視聴率が下がるのがちょっと心配。

 そういや乗ってた山手線で近くに立ってた女子2人が「鹿男みてる?」とか話し出して「自分たちは奈良女学院みたいに、堀田イトが出て来る前の奈良女みたいにぽんぽん負ける」とかって話してたのが聞こえてきた。剣道少女なのか。剣道少女ってそんなにいるのか「バンブーブレード」に「鹿男あをによし」に「武士道シックスティーン」と剣道がテーマのエンターテインメントが増えているのもそのせいなのか。「あの剣道のシーンの吹き替えは有名な学校がやっているんだよ」って話もしてたから、まあ剣道についての知識もちゃんと持っている娘さんたちなんだろー。「あんまり上手くなかったけど補欠がやってたからかなあ」とも。なあるほど、見る人が見てもそんなに迫力があった訳じゃなかったのか。アニメの「バンブーブレード」だと演出でスピード感も迫力も出せるけれども実写じゃあその辺りは相当に工夫が必要なんだろーなー、「武士道シックスティーン」が映画化される時にもそのあたりの注意が必要なのかなあ、なると良いってレベルだけど、ならないかなあ、ンメェェェェェン。

 剣道少女が出てくるっぽいライトノベルが砂浦俊一さんの著作で出ていたみたいだけれどもまずは手にしたアサウラさんの「ベン・トー」(集英社スーパーダッシュ文庫)を先に一読、アサウラやってくれたな。銃への果てしないコダワリぶりが目について気を損なっていた過去の2作とまるで違った今度の話はテーマが弁当、それも半額に割り引かれた瞬間を狙って争う奴らの戦いの物語。貧乏学生の少年がふと入ったスーパーで見かけた半額弁当を手に取ろうとした瞬間、始まったバトルによって少年は壁際まで吹き飛ばされる。いったい何が起こっているのか。気になった少年は知り合ったライトノベル研究会の少女と共に半額弁当争奪戦へと入り込み、同じ学校で半額弁当の争奪を目的として活動している同好会に所属する少女と知り合う。

 半額弁当の争奪ってありそーでなかったモチーフを選び、そこに1つ目的に向かって正真正銘に命を燃やす奴らの戦いを描き挙げたアイディアの勝利、そして紬挙げたストーリー手リングの勝利ともいえそーな物語。少年と知り合いさいしょはおずおずと弁当争奪戦に加わっている少女のちょっぴりやおいな趣味と言い、その少女に気持ちを寄せる少年とは同級生の少女の気に入らないから怒ると宣言して少年に平手を喰らわせ蹴りを浴びせる傍若無人ぶりといい、キャラクターも立ってて心惹かれる。今ひとつうしろに引っ込んでる感じがある“氷結の魔人”の異名を取る少女だけれど少年を導き諭す導師としての役目をまずは果たしてさあこれから、始まるだろー本当の戦いの中でどんな戦いっぷりを見せるのか、過去にあるらし因縁の決着は、ってな興味もあって今から続刊が楽しみ。とりあえず傑作。来たなアサウラ。

 ファン交から二次会を途中で切れて池袋へ。「新文芸座」にて「今敏オールナイト」のイベントを見物、そりゃあ上映される「パーフェクトブルー」も「東京ゴッドファーザーズ」も「パプリカ」も、劇場で見たしDVDだって買ってもっているけどほとんど10年前に新宿の紀伊国屋書店の裏側にあった小さい映画館で見てからこっち、「パーフェクトブルー」を大きなスクリーンで見たことがなかったんでこれは絶好の機会と行かずにいられなかった。んでもって10年ぶりのスクリーンでの「パーフェクトブルー」は確かに昨今のアニメから見れば動かないし緻密さにも及ばないけどさすがは今監督、ディテールの正確さにかけては比類なく女性の肉体なんてもう完璧に人間の女性の体つきって感じに描かれていて、昔っから今に至るまで変わらずリアルさを追求していたことに改めて驚き関心する。

 シナリオの見事さも3本共通でそれぞれが2時間もない作品なのに起伏に富んでて意外性があってけれども1本ちゃんと筋が通ってて、大団円へといたったあとに気の利いたラストシーンが用意してあるってところに映画ってメディアへのこだわりが見える。引きずらせずにさあ現実へとお帰りなさいちょっぴりの喜びを抱いてって感じに送り出してくれるこの快楽。人によってはこの調和性がまとまりすぎだって感じるかもしれないけれども何度も繰り返し見て思うそーした予定された調和の諸相も、1回だけ見て感慨を得たい大勢の映画ファンにはあんまり気にならずむしろちょうど良い塩梅。謎で引っかけリピーターを巻き込み話題を広げて稼ぐなんてことはせずに、一期一会の娯楽として映画を例えアニメーションであったも考えているってことなんだろー。

 とはいえ繰り返し見たってディテールの細かさとか場面の繋ぎの巧みさとか、盛り込まれた伏線とか示された暗喩なんてものが見つけられてそれはそれで楽しい。初心者でもリピーターでもそれぞれに楽しませられる要素を持った神懸かり的な映画、それが今敏作品ってことになるんだろーけど、その割には興行では御大あたりにずいぶんと差を付けられてしまうんだよなー、宣伝くらいはあざとく大勢を巻き込むよーなことをすべきなのか。ともあれ久々の、おそらくはパンテオンで東京ファンタを見た時以来のオールナイトでもまだ朝まで健康でいられたところに自分の体力も未だ衰えていないと確信。しばらく遠慮していたけれど楽しそうなプログラムも多いんでここはしばらく通ってみるか、プログラム次第だけど、「新文芸座」だと「コッポラナイト」とか面白そうだけど眠りそう、「地獄の黙示録」で、プレイメイツのダンスシーンが終わったら速攻で。「コードギアス 反逆のルルーシュ」の全話一挙上映だったらしっかり起きていそうだけど1晩じゃあ終わらないからなあ。


【2月15日】 悲しみを堪えようとしたり、疚しさを隠そうとした時に人の目は泳ぐ。というか目が泳ぐとそこに何か心の裏側を見てしまうのが人間という奴で、アニメーション版「CLANNAD」の場合はテニスボールが当たった古河渚を医務室へとかついでいった岡崎朋也を見た椋が涙をこぼす横で、杏が最初はちらりと目を泳がせてそれから泣き始めたところに、椋のためを思って朋也を椋に近づけようとしながら自信も朋也のことが気になっていて、けれども妹思いの姉を続けなくてはならないという葛藤がせめぎ合った様がにじんでたんだけどそれで良いのか解釈といて。つか全体に表情の付け方が抜群だたちょなあ、この回は。

 ちょっぴりかもしれないけれど心寄せていたかもしれない坂上智代が、目の前で朋也のああいった行動を見て調子を崩してテニスの試合に敗れ、生徒会長に立候補しないで終わる可能性なんかも考えたけれども、そこは本当にやりことを持っての行動だけあって、負けず衰えないまま勝ち抜き生徒会長の選挙にも勝った模様。とはいえそれで演劇部を立ち上げたところで、協力してくれた藤林姉妹は果たして居残ってくれるんだろーか。辛いしなあ。でもそこは渚との友情を取るのか。一ノ瀬ことみも関心はあったみたいでお弁当を作っては家に持ってきたけど、まあこれは誰よりも幼なじみってことだと理解。風子の出番が増えて来たなあ、復活の予兆か。

 C.C.は尻である。というのが天地開闢以来の真理だけれども「コードギアス 反逆のルルーシュ」を題材にしたプライズをいよいよ投入するバンプレストが「アミューズメント・エキスポ」に展示していた新型プライズの中にあった、組み立て式フィギュアのC.C.はややのけぞり気味でピザを食いつつ上を見上げたポーズのお尻がしっかり丸くて割れていて、よくぞここまで真理を理解してくれたと版権を題字にする社風に強い感謝を抱く。拘束衣姿だから背中より広がる布きれが、後ろ姿でのC.C.のお尻をやや覆い隠してしまうんだけれど途中に入るスリットからのぞくお尻はしっかり丸く、横から見ればさらに丸くてすべすべで、触りたくなったけれどもガラスの中では手も足も出ない。こうなれば取るしかないけど苦手なんだよフィギュア系のキャッチって。

 そんな「アミューズメント・エキスポ」ではマイナス25度のクレーンゲーム機が個人的にはヒット。中にアイスクリームとかアイスキャンディーを積み上げキャッチできるから、フィギュアとかに飽きている人にはちょっとした新鮮な気持ちを与えてくれるかも。って100円じゃあ1本の値段と釣り合わない気もしないでもないか、投資して見合った感じがいだけるかどうかって辺りを分かれ目とすると、300円入れて2本はとれるくらいな感じがちょうど良い。それが無理なら時間を楽しむ料金も含めて500円で2本くらい。1本250円は高いけどでもまあゲーセンの遊びってのはそーゆーもんだってことで。氷点下だと他に何を入れられるかなあ、トロの刺身か松阪牛が入っていたら張り付いてやるぞ。

 でもってスクウェア・エニックスが唐突にカードをマシンに読みとらせて遊ぶタイプの業務用ゲーム機を展示。名付けて「ロードオブヴァーミリオン」は特徴があるかっていうっとこれまでのファンタジー系カードゲーム風業務用ゲーム機に増してどうって感じはないんだけれどもやっぱりほら、「ファイナルファンタジー」のスクウェア・エニックスだけあって画像は美麗だしきっとシステムもいろいろ凝っているに違いない。「アクエリアンエイジ」みたいくカードゲームでの知名度を呼び込むってことが出来ないけれどもそこはまあ、スクエニ自体の知名度でもってユーザーを引っ張り込めるんじゃなかろーか。知らないけれど。

 すぐ隣ではグループ会社のタイトーが向かし懐かしい「侍スピリッツ」とか「キングオブファイター」とかってSNK系のゲームを今の感じにして出していた。やっぱり愉快なゲームだけれどこれもまあ、安定した評判で底をささえるってことになるんだろー。ブース全体が「スペースインベーダー・で彩られてた割にはインベーダー関連の展示は見えなかったけれどもいずれ出て来るのかな、ホログラムを使った3Dインベーダーとか、数十メートル四方のフィールドに本当に人間が出てきて手に持ったボールをぶつけてくるのを避けながらぶつけかえす超立体リアル系インベーダーとか。中学校の頃にそんな遊びを土手でやったっけ。泥玉ぶつけながら。懐かしい。痛かったけど。

 「話題賞」ってよくわからないなあ。それは何がどう話題になっていたかの説明がないからで、去年だったら「フラガール」が話題賞をとってるんだけれど最優秀作品賞もとっていたりする訳で、何もとれそうもないけど注目をしておきたい作品に贈与するって性質のものでもなさそーで、だから「キサラギ」が日本アカデミー賞の話題賞の作品部門を獲得したことには、きっと受賞に匹敵するだけの話題性がそこにあったって判断されたからなんだろー。だからその話題が何かってのが知りたい。オタクを現代の社会にさらした功績? 旬の小栗旬さんを起用したこと? 俳優部門の話題賞がガッキーだから並んで現代を代表する若手男優に女優って組み合わせを買ってのことかとひとまず理解。でも心底ではエンディングのダンスが素晴らしかったからだと思う。あれは本当に良いものだ。


【2月14日】 何とかの日ってことだけど何にもない。というかもうずっと何にもないからきっと何とかの日なんてものは存在しないんだろう。それなのにデパートの店頭にコンビニエンスストアの棚に何とかの日に関連した品物が並んでいる。それはきっと僕の生きている次元とは違った次元が重なって見えるだけの幻に違いない。多層構造の社会がリアルに見えてしまうくらいに超能力も発達して来たってことか。この調子だといつか隣にウェディングドレスを着た美少女とかが立って指輪を交換してくれたりするに違いない。あるいは家に帰ると「コードギアス 反逆のルルーシュ」のC.C.みたいなのがベッドで寝ながらピザを囓っている姿に行き会えるかもしれない。末期だなあ。

 そうかそうだよなあやっぱり放送ミスかあるいはフィルムが間に合わず急遽総集編か何かをでっちあげたと思うよなあ「レンタルマギカ」は伊庭いつきの所にゲーティアのダフネが訪ねてきてアディはどこに行ったって聴くシチュエーションから始まってこれって前に見たよなあと記憶を頼りに前週分を見たら確かに同じフィルムだったけどでも前回は坊主頭のオズワルドが壺を持って逃げ出す場面から始まっていて今回はいつきの修行シーンが先にあったんで違うぞと理解。でも1発で気づかないくらいによく似てた、っていうか同じフィルムの使い回しだよなあ、どう見ても。

 まあそこを抜けて見ていったらやっぱり違ってて、あっちではいつきとアディがオズワルドの呼び出したソロモンの魔人を調伏するエピソードだったのがこっちではダフネと隻蓮とがオズワルドの残したゴタゴタをどうにか解決するエピソードが繰り広げられて、そしてアストラルとゲーティアをつけねらう地下組織の存在が浮かび上がる。でも残る回数が回数なんでそーしたデカい話にはいかずちょこまかと周辺の退魔話を進めつつアディと穂波とのいつきをめぐる恋の鞘当て合戦が繰り広げられるだけなんだろーな、まあそれもそれで楽しいけれど、アディの水着とかまた見たいなあ。

 「ポリス」は2日目が美味しいとインド人も言っていた、かどーかは知らないけれどもアリーナ席を買ってあった2日目の「東京ドーム」での「ポリス」のワールドツアーに潜入、2階席の壁際から見下ろしていた時とは違って肉眼でスティングの顔がわかってステージ上の3面マルチスクリーンも見られる位置で、さすがに高い金を出しただけの価値はある。おみやげはパンフレットじゃなくってTシャツだったけれども外で1枚4000円くらいでツアー関連シャツが売られているのを思うと、これと何やら仕えそうもないパスとがおみやげについて3万円は差し引いて2万5000円くらいってことになるんだろーか。

 それでほぼ正面からスティングが見られアンディ・サマーズが見られスチュワート・コープランドのドラミングが見られるんなら全然安い。「クラブワールドカップ」のカテゴリー1でカカとかガットゥーゾを見た時より価値もありそーでなおかつ安い。安すぎるなあ。ってだんだんと値段の感覚が分からなくなって来たぞ。日本代表の凡戦がカテゴリー1で8000円。高すぎる。ああ良かったまだ正常だ。

 音は遠くで鳴り響いていた前日と違ってほぼ正面に向かって右のスピーカー列が下がっていてスティングのベースに合わせて低周波が飛んでくる。ああ僕は今スティングの出す空気の振動を浴びているんだと思うと何というか幸せというか絶頂というか。生きてて良かった。聞くと前日はアリーナ席で聞いていても前半分くらい音がくぐもっていたそーだけど、今日は最初っからクリアなサウンドが響いていてボーカルも何を唄っているかがちゃんと分かったくらいで、1日できっとそれなりに音響を整えたんだと理解。何よりスティングの歌声が前日にも増して響いてたのが良かった。2日続けて来た甲斐があった。流石に「ロクサーヌ」の部分で甲高い声を出さなかったけれども「見つめていたい」ではハイトーンに挑んでたんで未だに頑張れば出せるんだと賞賛。大阪から中2日でやや衰えていたのが昨日で戻ったんだろー。だから「ポリス」は2日目が美味しいってことで。

 曲順は変わらずアンコール数も同じ。「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」の時に「ドゥドゥドゥ!」とスティングが歌って観客席が「デ・ダダダ」と唄い返す掛け合いが続いたのが大きな違いかな、ってか昨日ってそーゆー掛け合いってあったっけ、すでに1日前ですら記憶が抜けている。それだけ感動して見てたんだなあ、昨日は。これとあと「ウォーキング・イン・ザ・ムーン」だかで「イエーオ」とかいった掛け合いがあったりしてアリーナ席だから気兼ねなく声が出せてスティングと一緒に歌えたって想いに感激もひとしお。国家を前半中盤とリレーで唄う不敬っぷりをさらいた「ケミストリー」なんかと一緒に「埼玉スタジアム2002」で「君が代」を唄うよにはるかに感動できる。もちろん「君が代」だって立派な歌手が経緯を込めて唄ってくれているのと一緒に唄うんだったら感動も出来るんだけど。そこんところをサッカーの代表の興行を担う所は考えた方が良いんじゃなかろーか。

 というわけで終了。もうこれで一生分の「ポリス」運は使い果たしてしまっただろーなー、というかもうおそらくは絶対に生では見ることのかなわないトリオのみによる「ポリス」の演奏。改めて生きてて良かったと健康に感謝。つぶれずに保った会社にも感謝。その裏であれやこれやとやっていたのが今頃になってそれやこれやと噴出して来ているのは自業自得とは言えかなわないけど。今年は今のところ他のライブとかに行く予定はなく、去年だって考えてみれば時東ぁみさんの「オンエアイースト」だかのライブに行ったのが唯一だったりする訳で、眼鏡っ娘アイドルとパンクおやじ’sなライブの両方に胸躍らせて通う自分がサブカルなのかオタクなのか、自分自身で判断に迷ったりする今日この頃。 ということなら次はオタク成分の吸収の番ってことになるのかな、「ギャラクシーエンジェル」の「ルーンエンジェル隊」のライブに行くのかな。ぁみにぃのライブは春はないのかな。


【2月13日】 届いたアンケートの結果って奴を見て愕然とする。バンダイネットワークスがネットを使った調査会社といっしょにやってる子供のリサーチサービスで、テーマはバレンタインデー。つまりはチョコレートを買うの? 作るの? 誰に贈るの? って小中学生の女の子たちに聞いたものだけれど回答した人たちの実に7割が贈る相手に「女の子」ってのを挙げていた。男の子じゃないのか? 男の子にチョコをあげて告白する日じゃないのか? どうも違うみたいであげる相手の2番目は「お父さん」で3番目も「強大」で、4番目に確か男子、5番目に片思いの相手と“告白”の儀式性は後回し。クラスのみんなでワイワイとチョコを交換しあって突っつきながら過ごす日ってことになっている、みたい。

 興味深いのは買うか、作るかって設問でこれも7割くらいが作るって答えてた。スーパーとかデパートで材料を買い込んでせっせと作って学校とかに持っていく。何しろバレンタインデーだから普段は禁止のお菓子だって無礼講然として持っていける。んでもってわたしこんなのつくったんだわたしはこんなのとみせびらかして輪になって、食べっこしているその外で男子たちはおこぼれが回って来ないかを横目でチラチラ眺めているという、何ともわびしくかつ痛々しい日にバレンタインデーがなっていたとは、そーした現場から離れて30年以上経つ身にはまるで分からなかった。昔だったらちょっぴりドキドキで迎えた男の子たちも、今はほんのかすかに残った期待を抱きつつ、半ば諦めの境地でこの日を過ごしているんだろーなー。ご愁傷様。

 そんな中でもしもチョコが回ってきたとしても、これまた義理か本命かに苦しむことになるんだろーけどご安心、見分け方があって本命には手紙だとかカードをつけるって女の子たちが全体の半分くらいいたから何かついていればそれは本命の脈ありと、思って良いのかもしれない。ああそうだカードがなくても中学生くらいの女の子はプレゼントとか、メールでの伝言っていったものがおまけにつくそうなんでそれらがあったらやっぱり本命の脈ありと、期待してその後のリアクションを待つまり自らアクションを仕掛けるんだ。んでもって何勘違いしてるんだこのガキと誹られ落ち込みもう一生女の子なんてと2次元にシフトし10年後に立派なオタクのできあがり、と。未来は明るいのか暗いのか。「コードギアス 反逆のルルーシュ」のギアスがあれば「リウイチが命じる、チョコを寄こせ」って命令するのに。それもそれでむなしいけれど。

 ホールトマトの種ってやつをあらかじめ抜き取るべきかきにせず使うべきかと迷った青春時代。トマトスパゲッティを作る時なんかに缶詰からホールトマトとトマトジュースを鍋へとうつしてじゃきじゃきやってた時に思ったことだけれども最近はレンジの脇とかに本が積み上がって料理がしづらく、かつ冷蔵庫も停止したまま本の山に埋もれて取り出せない状況で、あんまりまともな料理をしなくなっていただけあって橋本紡さんの3月発売予定の新刊「九つの、物語」(集英社)なんかを読むと出てくる料理のメニューの豊富さと、そこから漂って来る旨そうな匂いにつられてついついまた料理を始めたくなって来る。

 女子大生の主人公が兄の部屋にいるとそこに兄が入ってきて、はいるなって言っただろってちょっぴり怒る。驚く主人公。だって兄は……ってところから始まる物語は一方に日本のちょっと前の文学なんかをモチーフにおいてそこに描かれる人間関係なんかになぞらえ、兄に負い目を抱き母に憎しみを抱き父に諦めを抱いている主人公が彼氏を得て、近づき、ちょっぴり離れて迷ったりしながらそれでも兄の助けなんかも借りて再生していくって感じに続いていく。野村美月さんの「文学少女」シリーズだと1冊に1話だけれどこれは9話で井伏鱒二に田山花袋といった知ってて懐かしい文学がちりばめられてて、読むとそっちもちょっぴり読んでみたくなる。

 もうひとつのモチーフが料理で女の子とは2また3また平気な兄なんだけれど何故か料理が得意で妹にも出会うなり腹減ったか何か食べるかと料理をしてあげる。トマトスパだったり小包籠だったり素麺のフォーだったりパエリアだったりと実に多彩。そしてそれらの材料選びから調理方法までが書かれてあってこれまた自分で作ってみたくなる。鍵はそれが食べてみたくなるってことじゃなく、作ってみたくなるってところで悩んでいたり、困っていたりしている人のために何かしてあげたくなるって気持ちがあった時、それをどう表現するかに迷った場合にひとつのコミュニケーションの手段として、料理ってものが有効そうって思わせてくれる。食べることも楽しいけれど食べさせることはもっと楽しい。だって食べさせるのは相手がいて初めて成立すること、孤独なままでは不可能なことだから。

 バレンタインでみんながチョコを作り合い、食べあうってのもまあ、そんなコミュニケーションの方法として料理と食事が意味を持っているからで、1人でだって生きてはいけるけど1人じゃあやっぱり寂しいかもしれないってことに、料理を通して気づかせてくれてだったらどうしようかと思わせてくれる。唐突な非日常が平凡な日常に起こって、それでも平凡な暮らしが続いているけどそれまでの日常とはやっぱり違ってすこづつ変わっていくっていう、昔っから得意として来たモチーフをぐっとつきつめより鮮明にした感じがある「九つの、物語」。非日常の進入を唐突って思う純な文学の人だっていそうだけれど、幽霊が生きている人を導く話ってのは映画にだってなっているしスピリチュアルな事柄が人を代えるなんてことも割とある。それを思えば特段に非日常的だって言うこともなさそう。なにより浮かび上がる空気がふんわりとしてあまやか。匂い立つっていうかそんな読中感読後感をちょっぴりのスパイスも利かされながら、楽しむのが良さそう。スパゲッティゆでてみるか。

 えっともう記憶はまるで定かじゃないけど「ドゥドゥドウ・デ・ダダダ」の日本語歌詞って奴が作られたんだっておとは家の台所の柱にぶら下げられてたラジオから流れてきた番組で聞いていた。あれは80年だからまだ中学生だたっけ、そんなバンドがいるってことを認識しつつやがて始まった「ベストヒットUSA」だとかで「シンクロニシティ2」のど派手なプロモーションビデオだの大ヒットした「見つめていたい」のビデオだのを重ねてみながらファンになっていた、その時にはもはや解散へと向かって来日もなかった「ポリス」が蘇った、でもって日本にやって来るとあっちゃあ行かない訳にはいかないと、余っていた最低ランクの席を買ってかけつけた「東京ドーム」は2階席も最後列の1塁側でちょっと行くとすぐ外野って位置だけれどもステージは見通せてモニターも見える。これがアリーナ席でも両端だったらドラムを叩くスチュワート・コープランドが見えなくなったかもしれないと思うと、むしろ遠くからステージをまるまる眺められる位置で良かったかもしれない。

 んでもって音響もややくぐもるけれども元がドラムにベースにギターというシンプルな構成だからあんまりかさならず、何よりしっかりスティングのボーカルが響いて往年の「ポリス」って奴を存分に堪能できた。ハイトーンボイスにつまって切り下げるところがあったけれどもまあ、山下達郎さんが今は「ラブスペース」を元のキーで歌えないのと同様なんで気にしない。スティングのベースはえらく古くて塗装がボロボロになっていたけどいつから使っている奴なんだろー。スチュワートは神。もう神。上からだとドラムセットから後ろのパーカッションブースへと移って叩きまくる動作までよく見えたんだけれど60歳近いのにまるで衰えず2時間近いライブの間を叩きっぱなして叩いてた。細く見えてあの腕、案外に太いのか。「キング・オブ・ペイン」の後ろで鉄琴だかをかんかんやって、そしてドラムセットに移って「ッタン!」とやってビートを聴かせていくのを生で見られるとは。生きてて良かった。できればさらにもう1度見たいもんだが。見るんだけど。


【2月12日】 なるほど媚薬として珍重されているのかセンザンコウ。だからミヤミヤほどの美少女も振り向き慕ってすがり付くんだな栄花段十郎くんに。ってな感じでどーしてあの凸凹としたカップルが成り立っているかの説明から始まった「バンブーブレード」はセンザンコウではなくアルマジロだと主張する外国人の剣士が現れ段くんを奪おうと巨大な胸をこすりつけるも段くん、とりたてて頬を赤らめることなく自分の魅力が怖いとか何とかいって虎侍先生や勇次くんから突っ込まれている。当然だ。でも突っ込まれたって現実に右から左から引っ張られているのは段くんな訳で何というかつまりは女心は欧州状勢より複雑怪奇ってことで。キャリー西川はアニメ版オリジナルだけど今後もまだ出てくるのかな。オリジナル展開に入ったってことはそろそろ単行本を買っても良いのかな。

 前回今回と続いた「破天荒遊戯」は破天荒さがどシリアスな方向に突き抜けていてこの1月からスタートしたアニメーションの中でも屈指の出来映えに。これほど恐ろしくも哀しいストーリーを深夜とはいえ放送して良いのかって気にもなったけれども午後の6時から何の罪もない民間人がガンダムに爆撃されて美少女の左手が吹き飛ばされてしまうアニメが放送されている状況を見れば、とくに大きく心配することもないんだろー。とある町のとある宿屋にとまったラゼルちゃんとアルセイドとバロックヒートのご一行。不慮の事故とか殺人とかで死んだ人を町はずれに吊す習慣のある街で止まった宿屋は何人もの人が死んでいるということで街の住民たちから恐れられ、ラゼルちゃんたちも早く出ていくようにと忠告されたけれどもそこは騒動好きなご一行。止まり宿屋の主人と娘の話に耳を傾ける。ところが。

 またしても起こった少年の死に街の住民達は大爆発。そして自らが犯人だったと明かして首をナイフで切り裂き宿屋の主人が自殺し一見落着……かと思いきやそうはならずどうにもいたたまれずやりきれない気分にさせられる事態が浮かび上がって来る。なるほどそーゆー性格の人間、どこか請われてしまっている人間ってのはいるけどそれがその人である必要はない。なのにそうなってしまったのはどうしてなのか。せめて踏み外しかけた所で道を戻せなかったのか、なんて思いに他人事ながらも苛まれる。加えて明らかになったラゼルの過去と罪、そして罰。かくして再び始まった旅が向かう場所へと今は興味が尽きない。天国よりも地獄に近い場所だろうなあ。それにしても途中で出てきた名字トランプ。長嶋のフォーカードが最強なのはどーゆー理屈からだ。長嶋だからか。王ではダメなのか。

 書店を回ったら軒並み品切れになっているってことは何だろう絶版状態ってことなのか吉田秋生さんの「カリフォルニア物語」。同じ文庫じゃあ「BANANAFISH」が平積みになっていたりするところを見ると巡り合わせの問題なのかもしれないけれども2月末から「銀河劇場」でいよいよ「劇団スタジオライフ」のプロデュース公演による初の舞台化「カリフォルニア物語」が始まるタイミングなだけに、どばっと書店には平積みが登場して欲しいところ。でないと読んでストーリーを思い出せないよ、ってかそもそも読んでなかったよ「カリフォルニア物語」。同じ吉田さんでも「吉祥天女」と「河よりも長くゆるやかに」は好きで読んだんだがなあ、あと「HANAKO」に連載されてたかした家庭内コメディ。タイトルは忘れた。

 70年代テイストあふれるニューヨークが舞台の青春群像って奴をあの「劇団スタジオライフ」がプロデュースするだけに登場する俳優さんは当然男性ばかりでそしてイケメン揃い。製作発表会にもそんな面々が揃って目にもまぶしかったけれどもそこは耐えて話を拝聴。ヒース役を演じるひとりの林剛史さんは「特捜戦隊デカレンジャー」にデカブルーだか何かで出演していた人らしく、イケメンな上に背もすらりと高くってこれからの時代に一気に人気を高めそう。それからイーヴを演じるひとりの中川真吾さんも同じイーヴ役でこちらはライファー(劇団スタジオライフのファン)にはお馴染みの松本慎也さんにも増して小さくって可愛らしくって、ヒースとの絡みではお姉さま方にいろいろと妄想をさせてくれそー。ちなみに中川さんはワタナベエンターテインメントの男優ユニット「D−BOYS」のメンバー。Jな事務所が占有しているイケメン男優の世界に割ってはたして入れるかってところで、今公演での人気がひとつのバロメーターになるのかも。そんな意味でも見たい舞台。

 今年は「櫻の園」の再映画化があって去年だかは「吉祥天女」の映画化だかドラマ化もあって映像づいている吉田秋生さんの珍しい舞台化を確認するって意味でも注目したい舞台だけれどもうひとつ、興味を向けるところが70年代ミュージックが舞台で繰り出されるってこと。聞くとツェッペリンの「天国への階段」だったりジャクソン5の「アイル・ビー・ゼア」だったりドナ・サマーの「ホット・スタッフ」だったりマイケル・ジャクソン「ベンのテーマ」だったりショッキング・ブルーの「ヴィーナス」だったりと70年代テイストにあふれる、ちょいダンス寄りかもしれないナンバーが繰り出されてはイケメン男優たちによて唄われるとか。

 「レッド・ツェッペリン」が復活し「ポリス」が来日中で「ゴダイゴ」も復活コンサートをして「フラワー・トラベリン・バンド」や「クリエーション」やカルメン・マキも胎動している音楽業界に吹く70年代ストリーム。それすらも要素として取り入れている舞台版「カリフォルニア物語」は昨今のエンターテインメントの流行のさながら見本市ってことで、そっちの観点からもやっぱり見ておきたい舞台になりそー。でもきっと行くと観客は女性ばかり。浮きそうだなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」のルルーシュくらいに強情で強引で傲慢だったらドカンと中央にこしかけ見ても良いんだろうけど当方、気弱な不惑過ぎ。せめて「ポリス」に行くのが精一杯な人間に70年代ブームだからといってイケメンな舞台はちょっとキツいなあ。70年代ノスタル爺さん向け公演日ってのがあれば良いのになあ。


【2月11日】 でもって13年目に突入だったりする訳だけど13年経っても内容的にも進歩がなければ立場的にも変化のないこの人生。虚空に向かって叫んだところで何の答えも見つからないけどそれでも残る記録って奴はある訳で、そうやって刻み続けた日常が誰の役に立つことなんて絶対になく、自分にとっても同様なのは承知を踏まえつつ、それでもいつか何かに役立つかもしれないとかすかな期待を抱きながら、今日も冴えない日々を記すのであった。せめて続けよう「ほぼ日刊イトイ新聞」よりは長く。メジャー度でもお金に成り度でもケタが10ケタくらい違うけど。考えたらやっぱりちょっぴり虚しさが。

 しかし焼けちゃったか崇礼門。未だ行ったことはないけどソウルっていうと必ず出てくる名所にして国宝第1号が、出火時より消防にわんさか集まられてなお燃え尽きてしまうこの状況の、原因がどこにあるのかがちょっと気になる。日本じゃあ京都北山鹿苑寺こと金閣寺が1950年に放火によって焼失した事件があったけれども、当時と今じゃあ消防の体制だって桁違い。前に訪ねた被害者間の銀閣寺あたりだと周囲にずらりとスプリンクラーがめぐらされては、建物の方へと向かい射出口を見せていて、事あれば一斉に噴水して火を消し止めるだとう体制が整っている。ましてや崇礼門は韓国でも最初に認定された国宝でソウルじゃあ1番古い木造建築な訳で、守る体制も万全だったはずなのに、燃え落ちてしまったのは何故なのか。古さ故に中が入り組んでいて奥に入った火が消せなかったのか。いずれ進むだろう調査に注目。

 そんな記事を見ていたら、中央日報のサイトで「ジャミラの写真集が人気」って記事を見つけていったい何故にウルトラマンに出てきた宇宙飛行士が変身して怪物化し、そして水鉄砲でやられてしまった怪獣の写真集がお隣の国で人気になるのかと見たら水着の女性だった。こりゃあ水には強そうだ。どーやら人気番組に出演している女優さんかモデルさんかで、スリムな肢体がなかなかだけど、朝鮮日報のサイトにある写真だと顔立ちがちょい違ってて、どこかコミカルさも含んだ感じでいったいどんな喋りをする人なのかが気になった。日本で「ウルトラマン」の復活だなんて話もあるし、ここで誘ってご出演あそばせば話題性も抜群でアジア的なヒットもねらえそうだけど、さてはて。役柄はジャミラかやっぱり。水着姿で巨大化してウルトラマンと戦うという、ってそりゃあどこの「大美人」だ。

 隣家の1歳上で幼なじみの少女は実は異国から来たお姫様。世界の存亡に関わる力を持った存在なんだけど訳あって現代の日本で暮らしてる。そんな少女を狙う勢力が出てきて慌てて守ろうとする勢力が立ち上がっては現代の日本にトカゲみたいな姿で現れ、通りがかった少年を騎士に任じて力を与ようとしたら何でトカゲが喋るんだと驚かれ、認められたら認められたで頭に乗っている所を邪険にされたりする哀れっぷり、ってそりゃあどこの「惑星のさみだれ」か、って疑問に答えるならばこれは立派にライトノベル、柴村仁さんの新刊「ぜふぁがるど」(電撃文庫)のストーリー。

 だから襲ってくる敵も別に泥人形みたく凶悪じゃあなくって、むしろ目的は同じなんだけれど対立しているみたいな感じな所があって、あと姫を守る見方も別に増えはせずとりあえずは宙って少年ただひとり。そのままの姿じゃあなくかけ声とともに変身しては向かってくる得体のしれない敵を撃退していくってストーリーだから、馬だの鶏だのと数ばっかり集まる騎士の多さに何が何だか分からなくなって来た「惑星のさみだれ」とは雰囲気が今のところはやや違う。将来どーなるかまでは知らないけれど。あと段取りを踏んで力を授かるんじゃあなくっていきなりすでに力を授かりトカゲを頭に乗せて学校に通っている主人公が、実はちょっと前にこんなことがありましたって感じに力を授かる場面へとつながる倒置の構成も目新しい。とりあえずやって来ては化け物を送り出すイグルドって学者先生ののほほんぶりと仕える美少女戦士のクナ・ラーが宙や姫にどう絡んでくるかに期待しつつ流れを見ていこう。

 テッキちゃん危うし! な六塚光さん「レンズと悪魔 6 魔神応報」(角川スニーカー文庫)は炎の魔神ネア姉さんを操るパルフィーヨが英雄であり政治家の仮面をかなぐりすてて暴力に突っ走り、テッキちゃんやエルバやサクラを博物館から追い立てたところに真実を知りながらパルフィーヨの陰謀で刑務所へと送り込まれていたクラヴリーも合流して反撃へ。徴税の鬼みたいな3人娘も頑張ってかわしパルフィーヨの攻撃もしのぎ復活した竜も沈めた果てに来たのは大団円に見えながら、残る八眼戦争の参加者がいよいよその動きを強めさらには別口の暗躍もあってこれからの巻では予定調和では終わらない事態が起こりそう。危うかったテッキちゃんが本当の意味で危うくならないかが心配だあ。ツンケンとした可愛らしさは今んところスニーカー文庫でも「アンダカの怪造学」の戦橋舞弓ちゃんと1、2を争うくらいだし。最新刊だと舞弓ちゃんは水着になっていたけどテッキちゃん、水着になってもやっぱり片手は万力? 錆びるから水には入れないなあ。つか沈むよなあ。

 ブリタニアに占領されて「エリア11」と名を変えられた日本の住民達が権利も奪われ蹂躙されていく様に憤りを覚えた「コードギアス 反逆のルルーシュ」だけれど、それは決して架空の世界の絵空事ではなそそーで、経営難から独立した媒体としての地位を奪われ吸収されたメディアにおいては、従前よりの慣習もすべてがひっくり返されてしまった模様。題字が違えばそれは独立したメディアだって考えも少しはあって、夕刊紙ほどじゃあないけどアバンギャルドな記事もそれなりに載せていたものが、隷属化を経てどうやらメーンとなるメディアの主義主張から外れているっぽいものは排除していくって方向に変わったみたい。

 というかきっとそーゆーのって誰も気にしておらず、だからこそこれまでだって特に問題化しなかったけれど、気にする人が気にしだした挙げ句にそれがどういうロジックで気になるかってことよりも、気になるんだから気にしたいってな感じで気にされてしまった模様。その結果起こったことは今は小さい焔でも、ネットの中をやがて燃え広がらないとも限らないだけに成り行きに興味津々。っていうか発信力を持った個人の増えた現代に何が起こり得るかをもっと人は考えた方が良いんじゃんかろーか。ネットの力を考え過ぎて美人市議のビキニとかって記事をトップに持ってくる下劣さ全開なメディアも出てきてしまうんだけれど。


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