縮刷版2008年12月上旬号


【12月10日】 加藤夏希さんか堀井雄二さんかを選んで業界的なバリューの大きさから堀井さんを選んでそれはそれで当然だったのかもしれないけれど、発表の内容がとりあえず発売日が決まったってことと、あと何時出るのかがまるで見てない第10作目が「Wii」向けになったって話をだいたい40分くらいかけて発表した会見に比べるならば、加藤夏希さんが「ミラーズエッジ」のアジアンテイスト炸裂なヒロインの「フェイス」に扮した発表会をのぞいた方が、ビジュアル的に有意義だったかもって今にして思ってみたりみなかったり。でもまあ「ドラゴンクエスト9」に出てくるキャラクターに扮したコスプレイヤーがいたり、任天堂から岩田聡さんがやって来て喋ったりしたからこっちはこっちでネタの収拾にはなったかな、とにかく毎週来るページのためにパーツとなる情報を集めておかないといけないんだよなあ、困ったなあ。

 そんな「ドラゴンクエスト9」の発売日と価格決定の会見へと向かう途中でカメラを忘れたことに気づいてネタの収拾のためにはやっぱり画像は手元に置いておきたいと、新宿西口にある「マップカメラ」に飛び込んでキヤノンの「パワーショットG10」を購入。なけなしとはいえキャッシュが手元にあると使ってしまう悪い癖が出た感じだけれどもこれも仕事の為だと自分に言い訳。でもってあとで寂しさに悩むと。いわゆる高級コンデジってカテゴリーではリコーの「GRデジタル」とか「GX200」の系列なんかが人気みたいで、あとはニコンにパナソニックにシグマなんかもあったりするけど手にずっしりとした感じがキヤノンにはあったのと、あと感度をくりくりとダイヤルで指示するスタイルがカメラっぽいのに引かれて靡いてしまった。小ささならリコーだけれど割りにしっかり撮りたい時に、両手で握れる大きさがないのはちょっと大変。その点で「G10」ならぐいっと握って脇を固めれば手振れ補正なんかも加わり結構キレのある画像を撮影できる、みたいだけれどさてはて。

 とりあえず遠目から壇上の岩田さんとか撮影してのばしてそれなりにくっきり。動いている人でもぶれずに撮れているのはなかなかだけれど連写となるとやっぱり一眼レフに軍配があがりそう。露出とかシャッター速度とかストロボの使用不使用も即座に切り替えられるんで暗いな、明るいなって思ったときに対応できるの一眼レフの利点で、そっちに慣れると画面とかでいちいち切り替えなきゃいけないコンデジはどうにもまだるっこしい。ただしやっぱり軽さはこっち。決して小さいものではないけれど、普段持ち歩いている「K20D」とかに比べるとレンズ1本分の重さすらなさそうなのは有り難い。スナップとかそんなに枚数を撮らない場面では使えそうなんでとりあえず週末の「クラブワールドカップ」の国立競技場での試合へと持っていっていろいろ撮ろう、っても撮って楽しい被写体もないけれど。夏場なら薄着の人とかいても冬のまっただ中じゃあ防寒着で見ていてもまるで楽しくないからなあ。

 こぼれそうなC.C.の谷間に惹かれて「月刊アニメージュ」の2009年1月号を購入、そうかまだ「コードギアス 反逆のルルーシュR2」で引っ張るか、「マクロスF」はDVDとかブルーレイディスクの売上的には人気だけれど表紙にしたときのキャッチィさだとやっぱり「ギアス」に譲るかな。付録はそんな「ギアス」トランプ。ノベルティならこれぐらいの大きさの方が家とかに置いておく時に有り難い。でもきっと置いておいたら行方不明になるんだろうなあ。「ぱにぽにだっしゅ」のトランプとかどこ行った? 記事ではちょっと勉強中の「タイタニア」に関連して石黒昇監督のインタビューを熟読。昨今の動きの派手なアニメとかキャラクターが特徴的なアニメに比べると「タイタニア」ってとてもとてもオーソドックスなんだけれども原作が持つストーリーの良さに新たな展開なんかも加わって、次にいったい何が起こるのかってついつい先を見たくなる。でもって驚いて慌ててさらに次が見たくなる、と。原作は3巻までみたいだけれどもアニメは2クール。どんな展開にするのかなあ。聞いてみたいなあ。

 けどしかしこれはちょっぴり不思議な紙面だ82ページと83ページの見開きの、82ページでは「タイタニア」から「ヴァンパイア騎士」「とらドラ!」と続く放送中作品の流れのラストを飾って「喰霊−零−」が取り上げられてて神楽と黄泉が2人並んで向こうへと歩いていくカットが使われているんだけれどそのすぐ横の83ページにやっぱり同じ「喰霊−零−」の黄泉と神楽の並んであるくカットが。下にはDVDの発売日とかが書かれてあってつまりは普通にパッケージの広告なんだけれどもそれが右ページの記事とほとのど似た雰囲気になってしまっていて、遠目に見ると立体視用のページって気分も浮かんでくる。

 もしかしたらこれを交差法で見ると立体として浮かび上がって平面で見られない黄泉のスカートの奥がのぞけます、って意図でも込めてあったんならマニアも歓喜感涙雨霰、だけれども微妙にサイズが違って重ね合わせられないのが残念、というか描いてないものはそもそも見えないのがニジゲンの掟。下から仰ごうとも目を近づけようとも見えません。それにしても台割りで気づかなかったのかなあ。スポーツ誌の「ナンバー」だと左に記事でイチロー選手を取り上げた右にイチロー選手がCMをやっている「ユンケル」の広告が出る、ってパターンも割とあるけど同じ画像は使わないし、体裁だってそれと分かるように変えてあるからなあ。ちょっと不思議な誌面。「ニュータイプ」だとどうなっているんだろう?

 「ふもっふ」は最終回だけあってよく動くし絵柄も良くって肉感が出てた。けど肝心な場所は見られない。ニジゲンの掟。なんか不思議と録画しちゃあ見ている「BLEACH」はクロツチの声が中尾隆聖さんでとっても飄々。はせさんじさん亡きいまこういった声を充てられる人ってずいぶんと少なくなってしまったような気がするよなあ、二枚目声はわんさかいてもキャラクターボイスアクターって少ないよなあ、ハマればそれで一生だって食べられるのになあ。それにしても何が誰とどう戦っているのかまるで分からないのは連載も連続アニメも見てなかった人間にとってはなかなかの辛さ。「ワンピース」はそれでもキャラの配置さえ理解すれば見ていられてブルックの仲間の最期に号泣できた訳だからやっぱりそこは一見さんにも親切か否かの差か。まあ「BLEACH」ならいまから読んでも追いつける、のかどうなのか。何巻まで出てたっけ。


【12月9日】 あの手この手の美術展。作品だけで人を集めるのが本筋だし、「フェルメール展」なんて良い作品を揃えたことで連日超満員ってな大盛況だった訳なんだけれど、それじゃあ世間の耳目には届かないって強迫観念が主催者の側にあるんだろーか、やれタレントを呼んで展覧会を見ましたよ、見てくれましたよとか仕掛けてそれを主催者が経営しているメディアで大量に流して、評判を取ろうと涙ぐましい努力をしても、だったら行こうかなんて考えるほど世の中の人は甘くはない。意図に反して入らない客に、だったらいったい何をどうすればお客は来るんだろうかって、あれやこれやと知恵を絞っている。

 たとえば国立西洋美術館で来年の2月から始まる「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」って展覧会じゃあ日本テレビ放送網が主催ってことだからなのか、日テレの看板キャラクターにして美術といえば、パリといえばなルパン三世が登場する「お宝チケット」なんてものをネットショップ限定で販売するとか。美術品を盗む大泥棒を美術展のキャラクターに使うなんて反体制的も甚だしいし、縁起だってあんまり良くなさそうなんだけれどそこは天下の大泥棒にして愛すべきキャラクターのルパン三世、むしろ美術品へのはてしない愛を象徴する存在ってことで、そこに現れルーヴル見ようぜって呼びかけるに相応しいって思われたんだろー。でもって期間中に予告状が日テレに送られ「フェルメール」とかが盗み出されるイベントなんてもの行われたりして。それってギャグにならないんだけれど昨今のテレビ局、それくらいのことは平気でやりかねないからなあ、数字のためなら何とかって言って。

 でもってご近所の東京国立博物館で来年の3月から始まる「阿修羅展」ってのでは、仏像マニアなみうらじゅんさんを筆頭に芸能人やらミュージシャンやらが名前を連ねる「阿修羅ファンクラブ」ってのができてはあれこれPR活動を展開中。会長秘書だの広報大使だのファンクラブマネージャーだのといった役職を持った輩がぞろぞろ名前を連ねているけれど、1番不思議な肩書きは「ミスター阿修羅」。それってどこかのプロレスラー? って思ったけれども当該の人物が高見沢俊彦さんな所に2度吃驚。どうして阿修羅なんだ、顔立ちは般若みたいだけれど阿修羅って感じじゃあないよなあ、それとも何か縁があるんだろうか、どうせだったら右に桜井左に坂崎の顔をとりつけ三面六臂の阿修羅となって挑めば分かりやすいのに。それだとただのジ・アルフィーか。めりあーん!

 「週刊サッカーダイジェスト」に「週刊サッカーマガジン」はセットでお買い求めが千葉県民の義務。といっても京葉湾岸あたりの文化で、常磐沿線はちょっと違っているのかも。んまあ優勝争いに加わったって訳でもなくって「奇蹟」と評される大逆転での残留がどう報じられているかを確かめたい犬心って奴であって、だからページの前半を締める鹿島アントラーズに関連した記事なんざあすっとばして、後ろの方の残留争いについての記事から熟読。載ってる載ってる谷澤達也選手に「サカダイ」なんかが8・5点とかつけていたりしてもう大盤振る舞いぶりが伝わってくる記事が載っいて、現場にいけなかった身を悔しさに震わせるとともに、それでも居残れた喜びに溢れさせてくれる。あんまり嬉しかったんでついついシーズンチケットを買っちまったいSA自由席。もっぱらアウェイ側で見るから急がなくってもいいんだけれど、期末に買えなくなるのはちょっと辛いからそのためにも早めに確保、でも残留争いを見守りたくないなあ来年は。

 そんなジェフユナイテッド市原・千葉の歓喜とは対称的に「サカダイ」のページをぺらりとめくって載っている、東京ヴェルディのリポートに感じる担当記者の憤怒の念。「築けなかった共闘関係」ってタイトルで柱谷哲二監督がフロントと良い関係を築けなかったことをまずあげて、フロントの対応が後手後手どころか無策に等しいものだったってな感じで激しく糾弾している。記事によると柱谷監督は「ある若手選手を無償レンタルで借り受ける話をまとめた。が、段取りまで整えた要望に対し田中強化本部長(12月1日からBS日テレに異動)は首を縦に振らなかった。『これ以上の補強比は出せない。何より、クラブの存続が優先される』。要する費用は月々の基本給20数万円のみである。資金が涸渇していたのは事実だろうが、強化部主動で行われた外国人選手の補強をはじめ、フロントが実験を握りたい姿勢が見える」。もう笑うに笑えず泣くに泣けない現場の人たち。やってられっかって気にもなろう。

 筆はそして荻原社長へも当然及ぶ。「試合開催時の荻原社長のポジションは実行委員だ。Jリーグ規約・規定集の試合実施要項第37条には<試合の運営にあたっては、ホームクラブの実行委員が一切の責任を負う>と明記されている。ところが、スタジアムに残って抗議を続けるサポーター、頭を下げて対応する部下たちを尻目に、自身は足早に引き上げている」。まるで無責任の権化のようなこの態度を持って「職務怠慢も甚だしい。この一事をもっても、荻原社長にトップの資格はない」。いやあ激しい。そして厳しい。でも当然の指摘に答えるどころか今もって立場を大事と考え、強化に関する現場の要望に耳なんて傾けるそぶりを見せないところに、何か得体の知れない不気味さを感じる。朝日新聞なんかで失言をフォローする言葉を発し始めた、というかそんな阿(おもね)りを見せるメディアを使い始めた犬飼基昭会長も不気味っちゃー不気味だけれど荻原社長も負けてない。でもそんな2人が仕切るチームにサッカー界が向かう先は? 片やJ2落ちが決定した。でもってこなたどこへと落ちていく? せめて真冬の2月の試合は昼間にやろうぜ。

 気がつくとオートレースの森且行選手が飯塚で開催の「オーバルチャンピオンカップ」で優勝してG2戦で2勝目。10年のキャリアでグレードレースをまだ2つしか勝っていないってのはちょっぴり寂しいけれども、今期も含め所属の川口オートーレスではだいたいトップのS級にいるし、2008年度の下半期については川口でトップ、全国でも14位って高い位置にいて年末のSG第32回スーパースター王座決定戦にも初出場と昇り調子を極めてる。これまでの10年では勝てない時期もあったし怪我もした。G1の決勝に出る前のレースで落車して出場権を剥奪されたのはつい最近のことだったけれど、それでも立派にオートの世界でトップクラスを極め続けている森選手を見たら、ただその立場にいるってだけで映画とかに役をもらって出てそして、賞とか頂戴している身を気恥ずかしいって思う人もいるんじゃなかろーか。とはいえそんな元のお仲間も未だにトップクラスなのは変わりがない。ともに極めた頂点をあとはどこまで続けていられるか。今は森選手がちょっぴりリード。だって元いた世界に戻ったってやっぱりトップを晴れそうな格好良さ、だもんなあ。


【12月8日】 桜庭一騎のこれといった圧倒感の無さから真っ先に乱紅蓮に囓られたって不思議はないんだけれどもそんな様を見てなお諫山黄泉を撃てない飯綱紀之の反応が意外というか弱すぎるというか、仮にも退魔師の家系に嫡男として生まれ育てられた人間が、たとえ許嫁だったとしても今は歴とした悪霊の類と化していることが分かる黄泉に向かって剣を振るえないなんてことがあって良いはずがないにも関わらず、凍り付いて動けないまま一騎は全身を貫かれて絶命し、おそらくは紀之自身も命を奪われ管狐の消滅を招いた。

 緊急の時に非情になれない退魔師なんかがトップを張ってるんじゃあ、日本が侵略されたって当然というか仕方がないというか。町の危険を承知で円陣を討てなかった秋名なり、町の混乱が近いにも関わらず住民の避難を後回しにしたヒメなりの「夜桜四重奏」の面々もそうだったけれど、プロフェッショナルなき現実の世界をも映しているようでどうにも居心地が悪いったらありゃしない。そこはそれ、神楽の父親の土宮雅楽は黄泉が相手でも躊躇しそうもないところが実にプロフェッショナル。その冷徹さを発揮して黄泉をぐっちゃんぐっちゃんにして欲しいんだけれどこれまらアマチュアな神楽が邪魔に入りそうだしなあ。って感じでようやく本筋に回帰した「喰霊−零−」はここからが新展開でさてどうなる。

 猫と犬とじゃあだんぜん猫派なのは放っておいても結構てきとうに育ってくっるし触ればふわふわとして暖かで顔の上に立たせると肉級が顔面にあたってぷにぷにと気持ちいいからだったりするんだけれど、世の中には猫のまるで人間になつこうとしない気ままさよりも犬の人間になついてエサとかねだったり芸を覚えてくれる方を尊ぶ人も結構な数いたりして勢力を二分しているっぽい。だいたいが猫じゃあ誰かに襲われた時にまるで役に立たないじゃん、犬なら吠えてかみついて守ってくれるじゃんって意見もあってそれはそれで重んじたい気もしないでもないけれど、中には寝たまんまで役に立たない犬もいるからなあ。あるいは小さすぎて脅威にならない犬とか。

 だからむしろ犬の大切さってのは人間にとって友達になってくれるってところで、何かを与えれば返してくれるし、そのため向こうが与えてくれることに対して返してあげようって気にもさせられる。相互依存が可能な生き物。だから犬は人間の人生に深く絡んだ存在としてドラマとか小説なんかにも登場する。そんな小説の最新作とも言えそうなのが久保寺健彦さんの「空とセイとぼくと」(幻冬舎)ってことになるのかな。父親とホームレスをしていた少年は、父が死んでちょっぴりだけど孤児院に入れられたもののなじめず逃亡。公園に戻って前にいたときに世話をしていた子犬といっしょに暮らすようになって、そのまま日本中を渡り歩く。

 何年も経ってやってきたたぶん新宿あたりの公園で、少年はギャング団を率いていたリョウという男に気に入られて、リョウがギャング団をやめて歌舞伎町あたりでホストになるって言った時に、誘われていっしょにホストを始めるようになる。犬といっしょに暮らしていたから「ポチ」って名をつけられた少年。教養もなければ字だって満足に書けないため最初は苦労するものの、犬のような従順さとあと女性の発情期を察する犬のような嗅覚で一躍人気者になってホストクラブでも幹部クラスにまで出世。加えてブレイクダンスの才能にも目覚めて、仲間たちと出た大会で目立って雑誌の取材も受けるようになる。もっともそれがよからぬ事態を招くことになるんだけれど。

 ポチをひいきにしていた女性をつけねらう男にみつかり襲われ逃亡。そんな間も犬のセイとは別れることなくお互いをいたわり合って生きている。どっちが依存するってんじゃなくお互いがお互いを求めて必要としているような関係は、猫とじゃ構築はまず不可能。クライマックスでポチがダンスをした時に、いっしょに踊った犬の姿なんかを見るともはや2匹は、というか2人は絶対的なパートナーなんだって思えてきて、そういう関係を気づけたことへの羨ましさが湧いてくる。もちろん人間よりもはやく老いる犬とは、ぜったいに別れを避けられない。でも注いだ愛に見合った喜びを犬は人間にもたらしてくれるし、人間だって犬の一生に何かを与えているのだ。

 ホームレスとして毎日をどうやって生きていくのか、何をどこでどうすれば食べ物にありつけるのかってあたりの解説もあるし、ホストとして激しい競争を勝ち抜いて女性たちから人気者になるノウハウってのも書かれてあっていろいろと勉強になる小説。よくぞこれあけ調べたものだって感心するし、これから大不況になろうかって時に失職したらホームレスとなって暮らすなり、ホストになって稼ぐなりするための指南書にもなっていて1冊手元に置いておこうかって気にもさせられる。ついでに利口な犬が1匹いれば夜も温かくって生活にも潤いが出るんだけれど、でも食べさせるのとか大変そうだからなあ、やっぱり飼うなら猫がいいなあ。

 ポスターにポストカードにアニメ雑誌を散々っぱら買いまくってはC.C.の丸いまるいお尻の形をながめカレンの細い腰をながめていたものだったけれどもそんな苦労も一気に解消、っていうかまるで無駄にさせられる「コードギアス 反逆のルルーシュ」のイラスト集が登場。たぶんポスターになってた体育座りのC.C.とかもあったり、あとルルーシュに抱きかかえられているホットパンツのC.C.なんかもあったりともう選り取り緑の目白押し。欲を言うならもっと「R2」バージョンのコーネリア殿下を見たかった気もするけれども版権イラストとかが少ないから仕方がない。これだけ満載ならしばらく前に出たムックがストーリー紹介のみでクリエーターへのインタビューもやや薄だったのも我慢しよう。いちおうこれでイラスト関係も打ち止めってことになるのかな。あとはがんばって一番くじのC.C.フィギュア獲得だ。またゼロ仮面とか出たらどうしよう。


【12月7日】 押井守さんがなぜか演出することになった舞台版「鉄人28号」にちなんで「鉄人」のフィギュアを探して歩いた秋葉原でやっぱり挑んだ「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の一番くじ。今度こそは「C.C.」をと2枚をひいて1枚をめくると出てきたのが「ゼロ仮面」。またでっかいのが当たっちまったよともう1枚をめくると驚くことなかれ、こちらも「ゼロ仮面」が出てしまってレジの人にも驚かれる。そりゃそうだよなあ。かといってくじなんで他のと取り替える訳にもいかないんで2つを手に下げえっちらおっちら。家に飾る訳にもいかないし、かといって被って歩く訳にもいかない微妙な品だけれどもまあ、縁起物なんでとりあえず手元において何かに使おう、コスプレとか変装とか。

 室町も末期となって各地に戦乱が起こり、野盗の類も跳梁していた時代、下克上によって主君が打たれ、浪人となってさまよい追い剥ぎへと身を落とし、悪行を繰り返した挙げ句に追われ山へと逃げ込んだ男が、追っ手をどうにか振りきって、川辺の木陰で足を休めていると何やら得体の知れない生き物が近寄ってきた。黄緑がかったぬめぬめとした肌を持ち、顔には嘴が付きだし背には甲良を追った、蛙のようで鳥のようでそのどれでもない生き物。脳天に平たく木漏れ日を浴びて光っていたそれはまさしく皿。河童だ。俺を食いに来たのかと手に刀を持って男は身構えた。

 そんな殺気をまるで気にせず近寄ってきた河童は、男に言った。「蹴鞠しよう」。平安の世に生まれ、公家の嗜みとされた蹴鞠のことは聞いていた。けれども男は武士。公家の嗜みなど興じたこともないし、なにより辺りに蹴鞠に使えそうな鞠などない。「どうするのだ」。男がたずねると河童は「おいらの頭を使えばいいよ」と答えて水掻きのついた手をひょいと首に回し、くいっと頭を持ち上げると摩訶不思議、河童の頭が持ち上がって外れてしまった。「じゃあおいらからだ」。外れた頭から声を出して河童が合図し、そのまま頭をぽんと投げて足下へと落として、地面すれすれのところで今度は水掻きのついた足をもちあげ頭をぽん、と空中に蹴り上げる。

 巧い。目は鞠がわりの頭についているから、足先のどの辺りに鞠が落ちてきているかなど分かるはずがない。にも関わらず河童は2度、3度と落ちてくる頭を足先でとらえて空中に浮かしてみせてから「さあこんどはおまえだ」と頭を男の方へと蹴り出した。「負けたらもらうからな」。尻子玉を抜くということか。「人間の肝なんで久しぶりだ」。どうやら河童は男を食おうとしているらしい。ここまで逃げてきて、河童なんかに食われてたまるかと男は足を出し、爪先で河童の頭をすくいあげるとこちらも起用に空中へを蹴り上げ、3度、4度と繰り返しながら思案をめぐらせる。

 相手は河童だ。妖怪だ。人間が力で及ぶはずもない。おまけに起用だ。見えていないにも関わらず、足先が頭をのがすことはない。蹴り戻してもまた幾度かの蹴り上げを経て戻される繰り返し。自分はといえば長駆、逃げてきて疲れている。今だって足が地面からあがらず重たい頭を爪先で支えるだけで精一杯。遠からず疲れて落としてしまうことになるだろう。そうなれば河童はいっきに爪を剥き、襲いかかってくるに違いない。どうすべきか。助かる方法はあるのか。そこに光りが射す。木漏れ日でも強力な夏の日差し。河原まで降りればさらに日差しも強まるに違いない。

 男は河童の頭を蹴り上げながら、じりじりと後じさって河原へと体を運び、そして頭を運ぶ。ぎらり。射す日差しが服をぬいで剥き出しにした男の肌を焼く。汗が噴き出て体力を奪うが、男は木陰へと戻らずそのまま10度、20度と必至に河童の頭を蹴り上げ続ける。「おいおいそのまんまじゃあたおれちまうぜ」。そう言って囃していた河童の声が途中から変わった。「そろそろ代わっておくれよ」。だが男は譲らない。汗もできって乾き始めた背を日差しに焼かれながらも河童の頭を太陽に向かって蹴り上げ続ける。「やめたほうが身のためだぜ、あんたひからびちまうぜ」。そう言う河童の声に前のような力はない。爪先にまとわりついていた粘りも消えて頭が乾き始めた。もちろん頭の皿も。

 「ひゅうひゅう」。話す声もほとんど言葉にならなくなった河童に、男は頃合いと見てひときわ大きく頭を蹴り上げると、落ちてきた頭が地面に跳ねる寸前になぐようにして頭を河の向こう岸へと蹴り出した。「ほひいいいいい」。乾きしぼんでしっかり小さくなった頭は、空気が抜けるような音を出して飛んでいった。これでしばらくは戻って来れまい。木陰に戻るとそこには動きを止めた河童の胴体が残されていた。男はその胴体を小わきに抱えると、一目さんに森を走り、1山越えて人里へと降り都から来ていた行商人に「こいつは蹴鞠が巧みな河童だ、欲しがる公家もいっぱいいるはずだ」と言って売り渡そうとした。訝る行商人に男は、転がっていた瓜をひょいと河童の胴体に投げてみせるとどうしたことか、ぴくりともしなかった胴体がぎいっと動いては瓜を爪先で受け止め、空中に蹴り上げ始めたではないか。

 こいつはすごいと行商人は金を払い、胴体を都へと持ち帰って出入りしている公家の屋敷へと売り渡した。蹴鞠が下手で、貴族仲間の間でいつも形見の狭い思いをしていた公家は、河童を相手に鍛錬を重ねていつしか都で1番の蹴鞠上手と呼ばれるようになり、出世も果たして身代も得た。河童の体は家宝となって館の中に設えられた社に祀られるようになった。やがて老齢となった公家の耳に、遠くから響く声が聞こえるようになった。「からだをかえせ、からだをかえせ」。浪人が遠くへとけ飛ばしてから、行方知れずとなっていた頭は、そのまま干からびて塵となって消えたのではなかった。樹上で鳥につかまれ、遠くへと運ばれ目玉をくりぬかれ皿をつつかれても死ななかった。

 「もらいにいくぞ、もらいにいくぞ」。このままでは家宝を奪われてしまう。それどころか河童に皆殺しに合うかもしれない。公家は都で評判の陰陽師を雇うと、河童の胴体を祀った社に結界を張って河童に見えないようにしてもらった。やがてごう、と風がふいて黒雲が公家の館へと迫り、陰のようなものが館の中へと入ってこようとしたが、張られた結界がさえぎって、塀を越えては入ってこられない。ならばと門をどんどんと叩いて、家人のふりをして入り込もうとしたが、これもあらかじめ言い含められていた家来たちが門を開かず通れない。「やれくやしや、くちおしや」。退散しながら河童は館に向かって呪言を放った。「崇めれば厄なし。されど虐すれば禍あり」。

 公家は河童の胴体を前にも増して祀るようになり、蹴鞠の上達を願う他の公家も詣るようになった。時代が下がり、江戸も半ばとなって公家の暮らし向きが衰えると、子孫は河童にあやかろうと、河童の肌に似せて体にまとわりつくような衣装をつくり、河童とかいた靴をつくって蹴鞠の道具として売り出した。こうして生まれた「KAPPA」ブランは、世界へと広がりフットボール、サッカーと呼ばれるようになった蹴鞠の現場で重用されるようになったが、河童が好んだ蹴鞠の神髄を蔑ろにするような手合いには、未だに激しい祟りをもたらすようで、今年もJリーグのディビジョン1で、「KAPPA」ブランドを身にまといながらも戦力を整えず、選手を虐げそれでいて勝とうなどという惰弱なチームを1つならず2つもディビジョン2へとたたき落とした。

 途中で悔い改めたチームにも、最後の最後まで塗炭の苦しみを与えたほど。300年以上を経てなお残る河童の霊験、存分に味わってさて来年、それでも「KAPPA」をまとうのならばチームは胡瓜を手に持ち、頭に水を張った皿を載せ、ボールを蹴り上げる儀式を毎試合前に欠かさずに行い河童の霊を鎮め見方につけるべし。以上、蹴球河童伝説の段、これにて。ってそんな伝説はないけれどもしかしやっぱり不思議だなあ、「KAPPA」を着ている3チームがいずれも降格か、降格争いをしたっていうのはやっぱり何かがあるような気がするなあ。お祓いしておいた方がいいのかなあ。くわばらくわばら。

 訳あって新国立劇場までオペラの「ドンジョヴァンニ」を見に行く。オペラなんざあテレビで「魔笛」と2度ばかり見た程度のど素人。分かるんだろうかと心配したけどモーツァルトのなかでも比較的筋立ての分かりやすい演目で、なおかつ舞台の袖に字幕も出るんで内容的にはほぼ理解。つまりは女性を見れば声をかけるのが礼儀と思いこんでる諸星あたるが、ラムちゃん家へと乗り込んだものの親父の反対にあったんでこれを刺殺。ラムは面堂と連れだって父親の敵を捜して尋ね、途中であたるの恋女房のしのぶと落ち合っていっしょにあたるを追いつめようと画策する。

 一方のあたるは女の子を追い回すことを止めようとせず、従者の白井コースケを連れてあっちこっちへとナンパしまくっていた所で行き当たった農家の結婚式。村の娘のランちゃんがレイと結婚しようとしている横から声をかけ、ランをかっさらおうとして悪巧みをめぐらせる。身分違いを埋めようと白井コースケと服を取り替え入れ替わったりしつつ女性に声をかけまくったものの、森で出会ったラムの親父の亡霊によって地獄へと引っ張り込まれ、金棒でぶたれ釜ゆでにされてさしものあたるもヘロヘロに。生きるんだったらやっぱり誠実に生きなきゃねって教訓も得られておしまいという、そんな話だったって言えば言えるのかな。いつの時代も諸星あたるは凄まじいってことで。次はドンナ・アンナには虎縞ビキニでの登場を希望。


【12月6日】 何が残念かってこれで応援経費とかでもリストラが始まったら、味の素スタジアム名物の「ヴェルディ・チアーズ」の演技がもう見られなくなるんじゃないかってことで、アルビレックス新潟とかのプロなチアリーダーみたいな激しいダンスとか、派手なパフォーマンスとかは見せてくれないけれども、学生さんを雇っているっぽい感じな初々しさでもってタワーを作ったり回転したりして、その太かったり細かったりするおみ足をかを拝ませてくれた「ヴェルディ・チアーズ」までもがいなくなってしまった時、試合開始までの時間をこれが残留に向けた大一番だってのにゴール裏の全員が立ち上がるようなことはなく、バックスタンドの2階に人が入ることもないどこか優しげな雰囲気の中で、ゆったりと読書でもしながら待つくらいのことしかできなくなってしまいそうなんだけれども、果たしてどう出るんだろーか日本テレビ放送網。

 ってことでフクダ電子アリーナでの「ジェフユナイテッド市原・千葉vsFC東京」って大一番のチケットを取り損ねたものの、最終節の雰囲気をどこかのスタジアムで味わっていたいと思って出向いた味の素スタジアムは、「絶対残留」の文字も白く染め抜かれたTシャツとかが売っていて、どこも気持ちは同じなんだなあと遠く東京を飛び越したフクアリへと気持ちを向けつつも、目の前の試合がどうなるかってところに注目。こりゃだめだ、って感じにのっけから川崎フロンターレの怒濤の攻撃が東京ヴェルディのゴールを脅かして、このまま5点6点を献上して川崎に勝利を与え、そして鹿島アントラーズが敗れ、名古屋グランパスも敗れて得失点さで川崎が優勝しちゃうなんてこともあったりするのか、って想像したけど迫っても迫っても得点は入らず。福西崇史選手の不可解な退場なんてのがあってもこれでしっかり守り抜いて前半を共に無得点で折り返す。

 そして映し出された電光掲示板にフクアリでの試合でFC東京が1点をリードしたとの報。こりゃもうだめだ、ヴェルディはもう2度とあのJ2での苦闘を味わいたくないって不屈さでもって守備を固めて逃げ切るだろうし、底力のあるジュビロ磐田も引き分けでジェフ千葉だけが敗れ降格だって思いにとらわれ後半キックオフもそこそこに味スタを出て電車を乗り継ぎふらふらと、あちらこちらを巡り歩いてから帰宅してネットで確認したら! 何と!! ジェフ千葉が大逆転で勝利を収めてヴェルディが敗れジュビロ磐田も敗れてジェフ千葉の入れ替え戦回りどころか残留そのものが決まってた!!! これが奇蹟か。いや違う、すべてが実力、そして努力の賜であってそうした力を信じないで心を虚ろにしていた我が身を海よりも深く反省する。

 いやあさすがはJチーム屈指の残留力(ざんりゅう・ちから)を持つジェフ千葉。これがあればヴェルディだって最終節を逃げ切れたんだろうけれども落ちそうで落ちないからこそ溜まった力は、1度でも落ちてしまうと失われてしまうもの。踏ん張れず逃げ切れないで今回もまた落ちていく。前に落ちた時のような大敗を何度も喫しての降格って感じじゃなく、それなりにがんばっていたのに積み上げられないまま策を打たず、その結果として最後の最後で岩の出っ張りにかかっていた指が滑ってしまった感じがあって、ヴェルディの身に立てば残念なことこの上ない。お陰でジェフ千葉は、って気分もあるけどこれとて紙一重。フロントが有効な手だてを講じたことが最後に奏功したって言えたりする訳で、そう思うと試合終了後も長く居残って言葉を欲したサポーターたちの気持ちにも理解が及ぶ。

 サニーサイドアップを経営陣に参画させるとかいろいろと動きも取りざたされてはいたけれど、重要なのは何よりサッカーをちゃんとやることで、それでもってサッカーをちゃんとやれる環境を整えることでスポーツ選手としての価値そのものではなく、偶像としての価値をどうふくらませるかを1番において活動しているようにしか見えないマネジメント会社、というよりはPR会社が入ったところで、打ち出されるのは見かけの改善でしかなく、本質としてのサッカーそのものの強化につながるのかっていった疑問が残る。まあJ2に落ちてしまって露出も下がるだろうチームを、とりあえず人気面からサポートしてお金を集め、そこから選手層の強化に乗り出すって選択もない訳じゃあないけれど。

 でもやっぱりサッカーチームの存在価値はサッカーそのもので勝負すること。たとえ一時は人気が下がっても、下地を作って選手層を厚くしてから、っていうかユースジュニアユースにいっぱい人材を抱えていたりする訳だから、そこをしっかり確保しつつ、足場を固めそして地域にも根ざして活動していくことによって10年後の栄光を取り戻す、戻せなくても必要とされるクラブになるって選択だってあったりする訳で、そのあたり、割り切って運営にあたってもらいたいものだと願うけれども、そうも言ってられないんだろうなあ日本テレビ、赤字だし。まあ良いJ2に落ちてた時代にはフクアリと被らない日曜の試合なんかを良く見せてもらってたし、女子はジェフユナイテッド市原・千葉レディースが1部昇格してこっちを本尊にしたいものの日テレ・ベレーザも応援したい蝙蝠男。東京を挟んで行ったり来たりしながら男子女子とも両方への目配せをしていこう。町田にそういやJFLが来るんだよなあ。追い上げられて追い抜かれるなんてことはないよなあ。


【12月5日】 「つんつんでれつんでれつんつん」と陽気に歌っていたのが懐かしいくらいにシリアス&ハードな展開が続く「夜桜四重奏」。桜の木を切り倒すとか何とか言いだした元老院に逆らい気味で突っ走るヒメちゃんだけれど槍を振りまわすくらいしか能がないのかそれとも八重に抑えられているからなのか、現れたナマズみたいな敵を倒せずつかまり秋名のチューニングの力で敵を常世送りにしてもらってかろうじて生き延びる。大変なピンチにあるのに町民よりも敵の殲滅を優先してしまう辺りは町長としちゃあダメダメだけれど物わかりの良さが必ずしも幸福にはならないものだから、きっと巧い手でもって街もそして桜の木も助かる道ってのがあるんだろうと信じて視ていこう。あと何話だ?

 オランダばやりは江戸末期の蘭学事始な時代だとか、ヨハン・クライフが選手として暴れ回ったりルート・フリットにフランツ・ライカールトにマルコ・ファンバステンといったオランダ人トリオがACミランに結集したりといった時代に限った話だと思っていたらどうやら今の日本の展覧会業界はオランダ絵画がブームみたいで上野の東京都美術館ではフェルメールが何点かをまとめて展示して連日長蛇の列を作り、ご近所の国立西洋美術館ではハンマースホイってフェルメールよりやや時代の下がったオランダの画家による展覧会が開かれフェルメール流れの人とか、ちょっぴりシュールっぽい絵に興味のある人なんかを招き寄せてこちらもそれなりに賑わっている。

 さらに年明けにはパリからルーブル美術館がやって来てオランダ絵画なんかを展示するみたいだけれどもそれに向けて東京は五反田にある大日本印刷のルーブル・DNPミュージアムラボってところがフェルメールとだいたい時代的に同じらしいファン・ホーホストラーテンって人の絵を1枚、展示してはあっちの角度にこっちの角度といった処から“解剖”して見せてくれる展覧会を開いている。例のマルチメディア技術を使って美術をいろいろと見せてしまおうぜプロジェクトの流れで、1回目のジェリコから2回目のタナグラ3回目のティッツィアーノ4回目のイスラム陶器と視てきた展覧会で設えられた装置の集大成っぽい展示が行われていて、いよいよもって商売方面への展開なんかが見えてきた模様。

 たとえば「電脳コイル」に最近だと「電脳フィギュアARis」なんかで世に広まったAR(拡張現実)を使った展示では手にしたモバイル端末のカメラで四角いコードを映すと画面にキャラクターが立ち上がって何かを喋る、ってのは「ARis」と同じか、あと前のイスラム陶器ん時にも使っていた、両手でもってかざすタイプのモニターにカメラを介して映し出された映像の上に文字やらキャラクターが重なるって展示もあってイスラムん時からの進歩をうかがわせる。展示室の風景も覚え込ませることが可能らしくってその辺を映すと文字が流れ始めたけれども人が多くなるとパターンを認識できずに文字が消えてしまうのがちょっと難。だってルーブルっていつも混んでるじゃん、そこで使えないんじゃあ意味がない。まあコードを使って支持するようにすればそれはそれで良いんだけれど。

 都合4枚のドアを隔てて奥にある部屋にスポットがあてられたファン・ホーホストラーテンの「室内履き」って絵の奥へと歩いていけるような装置もあってこれは遠景に入り込めるようになっていたティッツィアーノの「うさぎの聖母」の展示の応用、あと遠目から指をさすとそこの部分が拡大されるって装置も。いずれも前のどこか実験装置っぽかった雰囲気が一新されて綺麗になっていたから美術館に展示ガイド装置として入れられるのも近そう。っていうか来年のルーブル展にも使われたりするのかな。奥へと入り込める装置は途中までいくと元の遠目からの絵にもどってしまうのは今一度、絵の持つパースペクティブを感じさせようって配慮らしい。ハンマースホイの展示だとパソコンがあってモニター内でハンマースホイが描いた家の中を自在に歩き回れるようになっていて、それはそれでゲームみたいで面白かったけれども、その空間がどういう意図で絵に切り取られて描かれたのか、って意味を感じされるんだったらやはり、立ち止まり振り返り引かせて見せるファン・ホーホストラーテンの展示の方が良いのかな。視て感じてみて頂戴な。

 ネグロポンテなMITのメディアラボからも1品が到来。大きなハイビジョンモニターにずらずら並んだ絵に指で触れるとそれがピックアップされて周辺の時代性なりモチーフ成り画家の系譜なりといった枝が伸びて関連した絵画が展示されたりするっていった仕掛けがあって、そこに出て来た絵に触れるとまたその絵から伸びる系統を視られるって寸法。ウェブのハイパーリンクを視覚化してみせた、って感じでなおかつウェブだと1枚づつなのが横長の大きな画面で一望できるってあたりはリアルな装置ならではのメリットか。思想としての超目新しさ、って点では10年一日って気もしないでもないけれど、DBをぶん回しす仕組みとか、1枚1枚の絵を理解して関連づけていくキュレーター的作業なんかを考えると結構な手間暇がかかってそう。あるいは素人には見えない深淵なる思想と技術があるのかもしれないんでそのあたり、視た人の感想を待とう。行く人とかいるのかなあ、五反田まで。

 やっぱりオープニングじゃあ瑠妃さんの描きっぷりが他の面々と比べて上回っているなあ「ロザリオとヴァンパイア CAPU2」。でもって本編でもコウちゃんが化けたイケメンのジュテーム攻撃に洗脳されて月音を虐げる役を与えられては中空からまくれあがって見えてしまうのも厭わず落下して来て激しく鞭とか振りまわす。ポーズをとったり踊っているだけの他の面々とは違った描かれっぷりにスタッフの人たちの瑠妃さん愛、って奴を感じてしまうんだけれどもまあきっと単に話の流れってだけだろう。チャイナドレスでも萌香さんはバンパイア化した時にちゃんとキックを決めてくれる。このあたりのお約束も嬉しい番組。でもDVDは買わないかなあ。そのあたりの矛盾が今のアニメのビジネスって奴に陰を落としているんだろうなあ。

 茄子の棒が立ったものの手元に来た分では東海道の宿場の数に及ばず全体でも古希をちょっぴり越えたあたりで青息吐息のお年頃。マイナスになっていた残高を埋め合わせたら手元に残る分なんてわずかでそこから「ルパン三世」の劇場版第1作と第2作のブルーレイディスクを買ったらもう打ち止め、って程ではないにしても来夏のさらなる停滞って奴を想像するともうこれ以上は繰り出せない。せめて「薔薇刑」の復刻版を買って抑えておく程度? 5万円といった値段で販売が始まってどれくらいまで売れたのかが見えないけれども写真の偉い人に聞いたらきっと値段は上がるとか。売る気はないけど抑えておくのがここは吉か、それとも単なる気休めか。どっちにしたって部屋に置き場がないんだよなあ。片づけたい。


【12月4日】 やおいな疑惑が浮かび上がってへたれ攻めだの土下座攻めだの何だのと、イケナイ噂も広がる仁と大鉄の関係を真っ当に戻そうと立ち上がったつばきだけれど、秋葉の見せたアブナイ同人誌にはいたく興味を惹かれたご様子。そうかそこから同人誌作りへの道が開かれていくのか。知らないけれど。部長の高子はおでこが相変わらずに美しい。副部長の紫乃はいったいいつになったら目が開くのか。

 ってな感じで美術部員から全校へと広がり深まった仁への疑惑もどうにか晴れて、ざんげちゃんとつばきが両手に花を寄り添い弁当を食べさせる昼下がり。羨ましいなあ。たとえ一方がご飯にお浸しに卵焼きでも。そしてナギが遠目に観察。ヒロインなのに目立ってないのう。うわっと後じさりする場面とかの動きの描き方はやっぱりなかなか。見えそうで見えないところも。こうして「かんなぎ」の秋は深まる、ってもう冬か。寒いはずだよフトコロともども。

 こっちは割にシンプルなファンタジー。「ホワイトハート新人賞」を受賞した琉架さんの「白銀の民」(講談社X文庫ホワイトハート)は、商船を駆って各地をめぐっていたキャプテンの下で働いていたイオに襲いかかる悲劇。嵐の過ぎ去った間隙をついて海賊船が襲ってきてはキャプテンを殺害し、乗組員を皆殺しにしてイオともう一人の少年を子供だから奴隷として売れると見て連れ去った。そのまま港まで戻って競売にかけられようとしたところを、海賊撲滅を目指す海兵隊が現れ助けられて解放される。もっともイオは船長の仇を討ちたいと海兵隊に志願。その腕を見込まれ海賊のアジトを探す力も認められて、海兵隊を率いるジクルスの屋敷へと招かる。

 イオには船長の復讐とは別に約束があって、奴隷に売られようとして捕まったた時に、海賊に引き立てられて来た「白銀の民」の末裔を助けてあげると言い残していた。未来を読み、風を操り体を癒す不思議な力を持った「白銀の民」は、かつて人間たちによって狩り立てられて数が激減。その血をうっすらと引く者だけが残っていた。世界はそんな「白銀の民」の大切さにようやく気付いて保護を決定。違反した者には厳罰が下されることになっていたけれど、海賊はそんな命令を無視して、こっそりと捕らえた「白銀の民」の末裔に未来を読ませて悪事を行っていた。

 これは許せないと動き出したジクルスたち海兵隊とイオ。そして「白銀の民」の末裔を捕らえているらしい貴族の夜会に乗り込んでいくことになってイオにジクルスはひとつの頼み事をする。それは! ってあたりはまあ想像もつかない訳ではなかったけれども、そうした露見の部分でビジュアル的にキュンとさせられるようなむにょむにょっと来るような描写がちょっとなかったのが残念というか、まあそれは男子向けのライトノベルで男子側の目線から書かれていることであって、少女向けでは男子側の戸惑いなんかを書いてもあんまり共感は誘えないのかも。むしろ自分を偽ってでも強さに憧れる少女の世代の共感を、この方が招きやすいのかな。ともあれ覚醒したイオとジクルスたちにこれからはあるのか。その辺りを気にしつつ作者の人のこれからを見守ろう。

 上巻下巻と読んで来た妹尾ゆふ子さん「翼の帰る処」(幻狼ファンタジアノベルズ)もやっぱり古の能力を受け継ぐ面々が登場するけど、そうした人たは虐げられ囲われているなじゃんくって竜種として王族を形成している点が「白銀の民」とは違うところか。それに力といっても予言や念動力といった派手なものとはちょっと違って、一種のテレパシーでもって遠隔地にいる人の口を通して自分の声を伝えられたりするくらい。それでも王族は王族として君臨していて、北嶺をしばらく前に占拠して配下に組み入れ、そして今は娘を太守として派遣したりしている。

 そんな辺境の地にしばらく前からいたのがとある尚書官のヤエト。彼自身も皇族に負けない過去を視る力を持っているものの、それを大っぴらに披瀝することはなく、歴史の学者として育ち、赴任してからもああだこうだとごたつく北嶺の地の民に助言しつつ、とりまとめていたところにやって来た皇女が話をややこしくするかと心配したけれど、皇女も幼さの割りに聡明で周囲を納得させて慕われるようになってそしてヤエトを療養と称して都へと送り返すまでが上の巻。そして下巻では都に戻ったヤエトが権力争いの陰謀に巻き込まれながらも脱出し、北嶺の皇女を守りそして次代へとつながるだろう道を指し示されて終わる。

 大きな戦争もなく派手な異能バトルもないけれども、世界に染みた王権の硬くて確かな様が分かり、それを狙ってうごめく者たちの心理がうかがえ、そんな中で幼いながらもがんばる少女の姿が響いて心を勇気づけられる。文庫のライトノベルではなかなか出しがたい重厚でシリアスなファンタジー。こういうのをどんどんと出して欲しいな幻狼ファンタジアノベルスには。メガネっ娘のミニスカメイドがチラ見せしながら屹立しているミステリーでも良いけれど。どんな話なんだ舞阪洸さん「万年島殺人事件」って。

 酷く疲れて起きられない体をむち打って京成に飛び乗り都営線へと入って浅草からメガハウスやらシーシーピーやらの新商品展示会を見物。今度はプリン作り機か。丸くてちっちゃいプリンがたこ焼きのよーに出来上がる。楽しそうだけれど我が家にはレンジも冷蔵庫もないから作れないのだ。残念。ホビー系ではバニーのカレンにメイドのシャーリーに水着のヴィレッタ先生のフィギュアが。どれも良い出来。願うなら次は扇の子供を宿したヴィレッタ先生のフィギュアなんてのも。そういうのが好きな人もいそうだし。安産のお守りとして。ドアラは今度は座りバージョンか。人気だなあ。人気はまだ続くのかなあ。

 でもってシーシーピーでは痛ラジコンの新作をあれこれ。すでにしてクラン・クランのスープラは発表になっているけど今度は再びシェリル・ノームとランカ・リーの痛ラジコンも登場の予定。デザインがより痛まっていて実車にしたら大変に恥ずかしい思いを味わえそう。やってみたいけど我が家には車もやっぱりないのだ。そういやあ「痛Gフェスタ」の様子を収録したムックも発売になってたんだ。自転車はやっぱりビアンキの初音ミクが受賞か。あのチェレステグリーンがミクの色にぴったりマッチしていたもんなあ。素材選んだ段階で勝利確定。いっそだったらビアンキがオフィシャルで出してくれれば有り難いんだけど。でもってツール・ド・フランスを走らせたら楽しいんだけど。それが無理ならせめてツール・ド・北海道あたりでも。パンターニ亡き今、初音ミクがビアンキを盛り上げる。なんつって。

 会場を出て近所のコンビニにも入っていた一番くじプレミアムの「コードギアス 反逆のルルーシュR2」にチャレンジ。1枚目はまたしてもファイルでそろそろカバンがファイルでいっぱいになりそうだって萎えたところに当選したのがブリタニア皇帝の胸像型貯金箱。いやあデカい。デカくってコンビニに用意されていた袋にも入らず仕方がなしに浅草から次の仕事場の五反田までを手にシャルルの胸像を提げて歩く羽目となる。いっそ頭に掲げて通り過ぎる人たちに向かって「オールハイルブリタァァァニィアァァァ!!」って叫んでみたら何と返ってくるか興味があったけれども、返ってくるのは冷たい視線だろうって想像もついたんで止めにする。あとで霞ヶ関とか皇居前とかに担いでいって偉い人たちとのご対面でも果たさせるか。しかし家のどこに置けば良いのだこんなもの。


【12月3日】 いちにいさんの日。プレイステーションでも発売されそうな感じだけれどそれも昔の話か。久多良木健さん無きソニー・コンピュータエンタテインメントにそんな雅やかな施策を求めるのが間違っている、と。ってことで静かに秋葉原あたりで豚ばら青菜炒飯を所望。最近はいろいろと炒飯を試してて神保町の「コミック高岡」の裏手あたりにある量が評判の中華屋にも入ったけれども量はたしかにいっぱいあってもご飯がべっとりとしていて家で食べてるのと似た感じ。カラリっとなってパラリって来ないそこん家と比べれば「ヨドバシカメラ」の8階にある万豚なんとかはまだちゃんとパラリっとしているのが食べてて嬉しい。ただ値段がなあ。まあ最近は妙に胃腸の調子が低下してるんで前だと大盛もペロリだったのが最近は普通盛りでもふうふう。値段も抑えられて良いってことで週末あたりにもまた行こう。それとも別に炒飯の真っ当でなおかつ安い店を探すか。あるかなあ。

 でもってまたしてもバンプレストの一番くじの「コードギアス 反逆のルルーシュR2」。あれだけ山積みだったC.C.がさっぱりと消えているのは集団がおしよせ出るまでくじをひきまくった名残か。でもしっかりとゼロの仮面とブリタニア皇帝の胸像は残っているから当たれば嬉しいと思っていひいたらファイルだった。3枚目。使い道がだんだんとなくなって来た。パソコン入れるのにはちょっと弱いし、かとって紙類を綴じ込むには大きいんだよなあ、これ。どうしよう。しばらくは記事が掲載されてる新聞とかを入れて持ち歩いてはいろいろとあちらこちらに見せて歩こう。カフェ・サイファイティークの記事だって載ってまっせ、世界の新聞でほとんんど唯一くらいに。

 ただでさえ精神がしんどいときにダメージを増幅させるような記事なんぞ載せないでくれって「エル・ゴラッソ」には言いたいけれどもこれが今のスタンスらしいんで仕方がないと犬飼基昭・日本サッカー協会会長のインタビューを読んで精神状態をぐぐぐっと低下させる。意味不明。「日本人がヨーロッパに移籍しようとすると、シーズンがずれているため『もうチームができているから』と相手に断れることもある」って言うけど移籍していった人って日本がシーズンの途中だろうと及びがかかったって感じに飛び出していったじゃん。日本がオフになる1月は向こうでもカルチョメルカトーレの真っ最中で移籍は可能。むしろ補強に勤しんでいる時期な訳でそこにぶちこめばいくらだって移籍できる。けどあんまりないのはつまりシーズンの問題ってよりも実力に見合わず高すぎる移籍金だとか、逆に実力が無さ過ぎるかっていった問題の方なんだろうけれど、まずシーズン移行ありきな立場で語っているからそーした問題についてはカケラも触れてない。

 「例えばタイとかマレーシから、あるいは中東の国から選手を獲得すれば、彼らの出身国でJリーグが放送される可能性が高い」って意見も外国人枠の問題であってシーズンの問題とはまるで違う。日本と同じ春秋制でやってる現在だって移籍がバンバンとできるはずなのにそうならないのは日本がタイとかマレーシアの選手に魅力を感じていないからで、それをJリーグのアジアでの価値をあげるためにそうした場所から選手を取れっていう方が、リーグのレベルっていう犬飼会長の大好きな「興行価値」って意味でもっとのネガティブに働くんじゃなかろーか。まず移行ありき、で喋るものだから何を言っても矛盾が出る。それなのに気付いていない振りをしているのか、本当に気付いていないのか、まくしたてては矛盾を露わにして失笑を買う繰り返し。それに荷担する「エルゴラ」も不思議だけれど考えようによってはそうして矛盾を視覚化してみせて、こりゃだめだってことを婉曲的に締めそうとしていたりするのかも。だとしたら感心。果たしてどっちだ。

 ここにもいじめの問題とはやっぱり日本の教育の現場は相当にいろいろな鬱屈が溜まっているってことなんだろうなあ。MF文庫Jライトノベル新人賞で佳作となった二階堂紘嗣さんって人の「ナインの契約書」(MF文庫J)はゴスいかっこうの美少女悪魔とその使い魔で見た目は痩身の兄ちゃんがペアになってココロのスキマに手をつっこんでいろいろ煽ってみせる話。いっしょに水族館へと出向いて別れた少女が消えて残された少女はずっと悩んでいたけれど、その裏には実はいろいろあったという話があって行き過ぎた情愛から女性に監禁されてしまった男の手記って感じでつづられる展開が行き当たった先は行き過ぎた情愛が謎めいた存在を生んでしまったという話があって、そして学校内でいじめられている少女を助けて友達になってはみたものの、そこで示した優越感が尾を引いて逆恨み気味に跳ね返って来るって話があってそれぞれに悪魔との契約話が打ち出され、人間の心の奥底に潜む妬みや顰みといった感情の救われ無さが浮かび上がる。そうまでして人を恨む気持ちって? 山本ケイジさん描く九(いちじく)って少女がなかなかの可愛さ。だけど手を出すと地獄まで引っ張り込まれるんで要注意。

 こっちは虐待か。とある王国があってとても強い少年の剣士が闘技場に現れ凶悪な犯罪者と戦ってはすべてを血祭りにあげていた。あまりに強いものだから重犯罪者に戦うだけの人がいなくなり、かといって動物と戦わせるのもコストがかかってなかなか大変、ってことで以前は見逃されていた軽い犯罪までもが闘技場送りの重罪とされて、そして送り込まれればイヴァンって少年剣士に切り刻まれる運命をたどることになるからいつしか街には犯罪が消えてしまった。とはいえ人がすべて正義に目覚めるはずもなく、カンダタという58歳の男は今も泥棒をして糊口を凌いでいた。そんなカンダタが入った屋敷がなぜかイヴァンの家で、そこで聡明さを発揮して自分に親切にしてくれて、なおかつ酷く悲惨な目にあっていたことを目の当たりにしてカンダタはイヴァンを屋敷から救い出そうと画策する。

 講談社X文庫ホワイトハートで新人賞を獲得したぽぺちさんって人の「カンダタ」(講談社)って話のタイトルロールは何と58歳。ライトノベルの歴史でもあんまりなさそうな中年おっさんの活躍話に当たるっていえば当たるけれども、メーンはそうした大人の情を感じて行き場のなさに戸惑い悩んでいた少年イヴァンがちょっぴり成長していくって可能性への共感か。聡明さを発揮して誰にも迷惑をかけない形で自分に手を差し伸べてくれた人たちの元から離れても、一方に身を汚され続けているという事実は残る。これをどうするのかってところで再びの58歳ヒーローが見せる行動が、しっかりと世の中を変える方向に動いてくれれば良いんだけれど、出しゃばった果てに討ち取られ、背後関係を探られさらに大勢に迷惑をかける可能性なんかも考えられるだけにちょっと迷う。そこで勇気を振り絞ったイヴァンの屹立を見たいんだけれど、どーなんだろう。続編とかはあり得ないだろうけど続く世界を見てみたい。


【12月2日】 っていうか見渡せば女性ばかりの文化系部活動なら男子として入って別に嫌ってことはなくむしろ心底より入りたいって思えたりするんだけれどそれが妙に気恥ずかしいのは若さって奴なんだろうなあ、おかげで「とめはねっ!」の第4巻で鈴里高校書道部は部員の数が規定に満たないっていうか柔道部と掛け持ちの望月結希が0・5人だなんて木みょうん亜数え方をされてしまって半人分が不足という事態。あわてて募集をかけようにも場所はないから文化系も参加して行われる運動会に参加して、文化系だけが競い合うリレーの中で部活動をアピールしようとする。その手法とは。

 ってあたりが読み所か、あとは各文化系の部活がリレーで何をバトン代わりにするかって辺りとか。鈴里高校には遺跡発掘部なんてものがあって前の年は遺跡を掘るためのつるはしなんかをバトン代わりにしたものだから重くて運べず惨敗。その轍はふまじと今年は発掘した遮光器土偶をバトン代わりに……ってそりゃあ犯罪じゃないのか? そこはご安心、土偶に見えても実はレプリカ。おまけにゴム製だから落としたって壊れません。そんなものあるかいな。投げても大丈夫ってことらしいけどバトンを投げるのは反則ってことで。茶道部は茶碗だったけどこれが漫画研究会あたりだと何になるんだろう、Gペン? ちょっと軽すぎ。「こち亀」全巻? それは良いかも。何キロぐらいになるんだろう?

 エーネウス・ザ・バージェストと美宇羅が戦って勝つのはどっちだ。ってなことを録画したアニメーションなんかを見ながらつらりつらり。「まかでみ・WAっしょい」はエーネさん家に魔界あたりから妹分が尋ねてきては大騒ぎ。けどハプシエルのラブアタックを何発も食らって失神状態。そしてエーネに焼き入れられて沈黙へ。さすがは魔獣だ見かけに寄らず強力だ。対して美宇羅。「ケメコデラックス!」のリゾート地にひそむガードメイドは三平太にエムエムを手にしたクイックルワイパーみたいな奴で迎え撃つものの覚醒というか寝ている間に強くなった三平太に撃沈。いくら三咲の姉でも人間だからなあ。ってことでメイド対決はエーネさんの勝ちってことで。「ハヤテのごとく」のマリアさんにはきっとどちらも叶わないんだろうけれど。

 もらったところですでに置き場所なんかないのにやってしまうバンプレストの1番くじは「コードギアス 反逆のルルーシュR2」が登場してC.C.がどのフィギュアよりも艶めかしいポーズでもってブリスターの向こうから囁きかけてくるもんだからやらねばならぬ、やらねばならぬと千円札を束にしてカウンターに叩きつけてくじをひいたらマグカップ。あとファイル。カップはオレンジ&アーニャのペアにしてそしてファイルは「紅蓮弐式」と書かれた方をもらいつつも後ろ髪ひかれたところをこれ幸いと言い訳にしてもう1枚、ひいたらやっぱりファイルで今度は「斬月」と書かれた方を頂きとりあえずは打ち止め。けどでもやっぱり欲しくなるのが人情って奴で1割2割はあたりまえー、ってな感じなカットの臨時収入を原資に挑んで確保だブリタニア皇帝の胸像を、ってそっちかよ。いやこれはこれで。ルルーシュのマスクはなあ、使い道がなさそうだからなあ。

 んでもって「娘たま」。悪くはない。悪くはないけどすでにして2枚のアルバムを買いシングルも買い集めている身にはどれもまあ聞いたことがある曲ばっかりって感じで、初期の感動がどっか薄い。たぶんそれはテレビで毎週のよーにアニメをみていてあの場面あのシーンがくっきりと頭の中にイメージできて、その楽しさと音楽の良さがシンクロしていたからでそれを歌だけ抜き出してさあおきき、って言われた時にイメージを引っ張り出すのがやや大変で、想い出として浮かび上がってきた感動と歌をシンクロさせるのに一手間かかってしまっているからなのかもしれない。ライブはたぶん別腹で目の前で唄っている人の姿が感動を呼ぶ、ってことなのか、いや武道館も横浜アリーナも行かなかったけど、でもきっとライブDVDとか出たとして見れば感動はできるかも。ってことで超時空シンデレラのランカちゃんが惑星に舞い降りたシーンをビデオから見返すとやっぱりこれは感動できる。というわけで「娘たま」のために血中マクロス濃度を上げる必要があるってことで、買うぞバルキリーの超合金。買えるかな?

 せっかくだからと見送っていた「かんなぎ」のオープニングとエンディングも仕入れてみてこっちはこっちで戸松遥の幅の広さを実感。アイドルっぽく唄ってあれはわざと新人アイドルっぽくぎこちなく唄っているんだと勝手に思ってはいるもののそうではないのかもしれないけれどもまあ、そんな感じにふわふわ唄っている姿を思い浮かべたら「アニメージュオリジナル」の山本寛さんと東浩紀さんの対談が浮かんできた。いやそのポーズについては直前の門脇聡さんがドキッとしたシーンとしてあげているだけなんだけれど直後の対談がアニメ批評家宣言的にいろいろと刺激がありそうな内容なんでそっちの力学的影響力についてつい、想像が及んでしまった。東さんにアニメ評論とかしないようにと言った人って誰だろう。どこかのAさんかいずこかのCさんか。井上喜久子さんにおいおいとお約束している人なのか。


【12月1日】 あたしはコーティカルテ・アパ・ラグランジェス。トルバス音楽学校に通う女子高生。ふだんは可愛い女の子なんだけど、ピンチの時にはセクシーな大人の女性に大変身。超能力を使って敵と戦うのよ。っていったいどこの戦闘美少女アニメなんだよNHK教育「ETV特集」は。フィギュアスケートのエキシビションが行われているその裏側でフィギュアはフィギュアでもお人形のフィギュアに関しての大特集。夏の「ワンダーフェスティバル」でどーしてNHKがしっかりとエスカレーターの逆送を捕らえてて、その場に朝早くから岡田斗司夫さんがいたのかってことがようやく分かったけれどもそんな事件についてはまるで触れなかったのは、フィギュアの今を語るって番組の趣旨からすればもっともなこと。関連づけないだけの矜持があったからそうアドバイスを受けたかって所なんだろー。

 番組はボーメさんをメインにフィーチャーして美少女フィギュアってのが生まれそれを村上隆さんが見てあれやこれやいじったりした一方で、アクションフィギュアが生まれ食玩なんてのも出て裾野がひろがっていったってことを概略的に語ってた。歴史に登場するのが海洋堂のみってあたりは何だろう、あんまり広げると収拾がつかなくなるって判断だったのか、それとも協力してくれた海洋堂に敬意を払ったってことなのか。岡田さん出身のゼネラルプロダクツについてまるで触れられていなかったのがやや不思議。「アニメック」とか読んでた人間にゃあ海洋堂の筋が良い特撮フィギュアよりもゼネプロあたりのどこか得体の知れないマイナーさがキャッチィで、そんなアンダーグラウンド的匂いからマニアに広まっていったって印象があったからなあ。ワンフェスだってゼネプロが発祥だし。

 まあ良いや。とりあえずボーメさんの色塗りのテクニックを動画で拝めたのがとっても貴重。重ねて吹いていくだけであんなに深みがあって透明感もある色に仕上がるのか。どんな角度から吹いて立体感を出しているのかにも注目。録画を見直して考えよう。でもまあ家でエアブラシを吹くなんて機会は一生ないんだろうけど。あとは村上隆さん率いるkaikaikikiでまたぞろ「村上隆×BOME」の等身大フィギュアプロジェクトが動いているって話。でもなあ。アートの世界で目立ってやろう、のしあがってやろうとしていた村上隆さんが、僕たちにとって一種の嗜みでもあった美少女フィギュアを取り込んで、現代アートにもオタクの世界にもどちらにもある種の波風を立てようとして、それがとっても刺激的で楽しかったかつてのプロジェクトとは違って、現代美術で権威化された村上隆さんと、彼のメディア的なネームバリューで存在が顕在化されたボーメさんとの新たなコラボレーションに、制度的な完結って奴は見えてもアートとしての先鋭性を期待できるかってゆーとちょっと難しい。

 何を作ったところでよくやった、って程度。オタク的に知られてはいても世間的には知られていないフォルムとそして、等身大フィギュアっていうこれまたペーパームーンあたりが世に問うて異形性で受けていた文化がアートっていう文脈でもって世の中にあからさまにされたからこその賞賛と同じ評価が今さら起こるはずもない。フォルム以外ならモチーフかっていうとそれも今さら。メイド? メガネっ娘? オタク的イコンの女神像化ってことでもやっぱり月並み感は拭えない。ミケランジェロのダビデをオタクフィギュア化する? それだって「マイ・ロンサム・カウボーイ」は越えられない。何をやっても手詰まりな雰囲気が漂う中で、それでも挑むって以上はきっと何かしらの勝算があるって思いたいけれども果たして。いっそ本当に中身にリアルな人間を埋め込むくらいのことをしないと話題性はとれないよなあ。話題性意外の何かもとれちゃいそうだけど。

 ライトノベルメッタ読み。ってことで平坂読さん「ねくろま」の第6巻はシリーズ最終巻ってことでいよいよ大復活した魔王トワ・エターニアなんだけれどもその意図を組もうとがんばった少女がいたけどその意はどっちかっていうと空滑り。いろいろあって自ら悪人になろうとしたトワ・エターニアだった訳でそれゆえに友人たちから低調に葬られて遺体が残ってしまってマシロちゃんみたく半復活。けど賢者の石が全部そろわにあ状態では長居はできずにソリスくんにいろいろ託して世から消えたと思いきや! ってな訳でシリアス全開で進み途中でラブコメの逆襲が入ってすべてがハッピーエンドに終わってめでたしめでたし。マシロちゃんもトワ・エターニアもともにめでだしめであし、ってそれで良いのか? これで良いのだ!

 それから六塚光さん「レンズと悪魔9 魔神劫罰」(角川スニーカー文庫)はテッキちゃんが高熱を出して伏せる床でナマコの大量発生について頭を痛めている間に、父の敵のシローを探してエルバ・ナイトロンドは探索活動。テッキのもとで暮らしてきながら兄のシローの元へと去ったサクラを連れ戻そうとするものの、兄を信じて疑わないサクラはたとえエルバの父親を殺したのがシローだと分かってもなかなか兄を見捨てられずにいた。そしてシローがナイトロンドを恨む理由が逆恨みだと分かって、それなのにシローがエルバを相手に挑んで討たれてしまった場面に遭遇したサクラは全霊でもって恨みをエルバにぶつけるべく八眼戦争に参戦する、と。いやあまたどんでん返しの大連続。あちらが引っ込んでもこちらが浮かび上がって来る展開に終わりはあるのか。どうしてテッキはナマコが気になっていたのかも含めて気になるなあ。続きをせっせと。

 角川スニーカー文庫では同様に続きが気になる「円環少女」の最新刊は「鬼火」と呼ばれる専任係官の東郷永光が同じ公館の仲間である十崎京香を傷つけ配下の魔法使いを引き連れ脱走。公館と組んでいたはずの魔導師協会が守る扉をぶち破ろうと地下に進撃するのを止めるために、公館を離れていた武原仁が鴉木メイゼルともども引っ張り込まれて派遣される。ところが「鬼火」は仁にとっても師匠で強靱。挑んでは退けられてそして再び挑んだところに絡む協会の思惑。最悪の敵の出現に絶体絶命のところまで追い込まれていく展開はスリリングだけれども、それをどうにかしのいだところで公館の勢力は極めて微少。それで裏切った協会や攻めてくる騎士団に果たして対抗できるのか。とりあえず瀬利ニガッタの頑張りに、喝采。

 聞くんならまず最初に退魔師でもトップ級の凄腕の黄泉を倒し、全身の腱という腱、神経という神経に至るまでバラバラにしてしまうだけの攻撃をいったいどこの誰が放ったのかってことで、それに応えて黄泉は殺生石を持つ強大な敵が現れたと告げてそしてすべてが結束して事にあたるようになるってのが真っ当な流れであるべきなのに、なぜか聞いたのは冥を殺したのは誰なんだってことで、それを黄泉がやったと知ってみな引き畏れ怒って生まれた憎しみが逆に黄泉を孤立させ、史上最悪の悪霊への道をひた走らせた。初動の大切さを強く感じさせられるエピソード。っていうか例えストーリーの上でもやっぱり妙な展開だなあ。冥の親バカな父親も退魔の家系に生まれた者らしからぬ俗物さ。兄なき今でも一族が排除に動いてしかるべきなのにそうはならない、そんな家系に退魔の仕事を任せる日本って……。まあいいやおかげて黄泉のボディを拝めた訳だし次あたりかはら本気のバトルも始まりそう。その果てに来るものは。見守ろう。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る