縮刷版2008年月10下旬号


【10月31日】 「つんつんでれつんでれつんつん、つんつんでれつんでれつんつん」。なんて朝っぱら夕方っぴきから流れる街に住んでみたいか? 住んでみたいかも。というかどういう狙いでこの歌を町歌にしてしまったのかヒメちゃんの意図のまるで分からないっていうか、これってそもそも原作にも出てくるものなのかどうなのか、気になるけれどもとりあえず流れてくる暢気な歌声に夜の疲れ果てた体も癒えるのであった。とか言ってたら冬のお小遣いに激変の模様。大丈夫か? 大丈夫じゃねえか。

 そんな「夜桜四重奏」は心を読めるアオちゃんが心を読んで欲しくない子の拒絶にあって落ち込む話。そりゃあそういう妖怪がいるって知ってる人たちの中にあったとしても、そういうのを認める妖怪ばかりじゃないから仕方がない。そういうのが当たり前の中で育ってくると時としてぶつかるギャップって奴で乗り越えてこその一人前。になれるんだけれどなった果てがギンではやりきれないか。ってことでご対面、さてどうなる。

 それにしても相変わらずにアイドルノンアイドルとか無関係に声に色気のある声優さんを引っ張ってくるのが得意な松尾衡監督ってことで、「紅 −Kurenai−」では村上銀子役の升望さんが可愛らしいようで耳にねっとりと響く声を出して眼鏡っ娘なビジュアルと相まってとてつもない存在感を出していたけど「夜桜四重奏」だとアオちゃん役の藤田咲さんがキャラっとした声とどこかトボけた演技で耳を向かせて目を引かせる。沢城みゆきさんは巧いんだけど巧すぎて何でもやれてしまって突飛にならないのが悩ましいというか。ぷちこがだから代表的な声になってしまうんだよなあ。天才って悲しい。ともあれ見ていて楽しい番組。早くでないか町歌CD。放送部員さんは登下校時間にこっそり流してお目玉食らってくださいな。

 タカラトミーのジェニーがハチャメチャなストーリーの上で破天荒な演技を見せる「kawaii! JeNny」も大概にしろってな感じの爆裂番組だったけれどもテレビ神奈川で知らないうちにスタートしていた「ドーリイ☆バラエティ」もなかなかになかなか。見かけはボークスさんとかそのあたりで売っているよーな耽美なドールたちに声は梶裕貴さんとか寺島拓篤さんとか森久保祥太郎さんとかいった二枚目声がついていて、とあとフワフワな頭のお嬢様とかいたりして声は寿美菜子さん豊崎愛生といった女性陣が担当していてそれで優雅に雅やかなドラマが繰り広げられればまるで違和感はない。

 ないんだけれども実際に展開されるのは「kawaii! JeNny」もかくやといった感じのドタバタ劇。見ればそのギャップにこいつは何だとひっくり返ること請け負いだと思うけれども実はまだ見たことがないのです。「東京コンテンツマーケット」ってのに出展していた「弥栄堂フィルム」が関わっているとか。でもって「たまごっち」に「ケータイ捜査官7」のウィズも絡んでいるとか。いったいどんな展開を見せるんだ。そしてどこまで爆発していくんだ。東京を越えた千葉より成り行きを観察だ。

 いたいけな女の子の中身に危ない本が詰まってる、って設定は「とある魔術の禁書目録」あたりも同様だけれどそこはベテランな三雲岳斗さんだけあって詰まってる女の子の衣装はゴスにして胸元に錠前をつけて鍵をあけると調伏の呪文が流れ出すって設定をおいて、それを操る貴族の子息を脇に廃して各地を巡らせ起こる事件の謎を解決していくミステリー仕立ての連作集へと仕立て上げている「ダンタリアンの書家1」(角川スニーカー文庫)。最初のは書架から究極の美食の本を貸し出してあったのを期限が来て10数年ぶりに回収に行くって話で誰が本の借り主だったのかって謎があってそれから究極の美食は何かって明示があって戦慄できる、かもしれない。いや映画では見たことのあるシーンだったんでそれをモチーフにしつつ恐怖のシーンに仕立てたものだと感心。

 新たな生物を生み出す本だの急速に知性を高める本だの人間の欲望をかなえてくれそうな本を並べて見せつつそんな欲望がかなうと人間はいったいどうなるのか? といった結果を見せてこんなもんだぞと警句を発する寓話的なストーリーが並ぶ辺りは時雨沢恵一さん「キノの旅」にも相通じるところか。しゃべるバイクと違ってこっちは見目麗しい少女が相棒というか実はメインで本好きで揚げパンが大好きでそれも砂糖がたっぷりかかった甘い奴が大好きって属性を持たせてあるところにほだされる男子とか出そう。でもって引っかかって大変な目に会う、と。ラストのエピソードは主人公を変えてあってこちらはつまり別働隊がいるって設定なのか。それとも一種のライバルか。対決が楽しみ。揚げパンはやっぱり砂糖がたっぷりが美味しい。


【10月30日】 そして「ファミリーマート」で3回目、っていうか毎回2枚づつ引いているから5枚目と6枚目のくじを引いてもやっぱり金髪さんことセイラ・マスのクッションは当たらず。またしてもタオルとそれからこれは初になるメモスタンドが当たったんで何かお習字しているみたいなデザインのタオルを1枚と、ザクかズゴックか選べるメモスタンドの中からズゴックを頂戴して帰途に着く。巨大なシャアの胸像は未だ残って誰にも当たらず。タオルは前にズゴックだかのデザインのを持ち帰っているんでそれとは違う奴が出るうちは気持ちも前向きにしてくじを引き続けよう。次こそは金髪さんを。

 チラリと表紙に金髪が見えたんで誰かメジャーリーガーでも特集しているのかとてにした「ナンバー」の715号は何と我らがイビチャ・オシム監督が久々の表紙。遠くオーストリアはグラーツまで田村修一さんが出かけたみたいでリハビリセンターに滞在しているオシムさんを相手に3日にまたがったインタビューを敢行している。それだけ話せば本の1冊だって書けちゃいそうだけれどもページの都合か全面写真の3ページと半分写真の1ページを含めた7ページ立てはまあ仕方がない。それでも他の特集に比べて多めの分量はそれだけオシムにバリューがあると認めた証拠。それも単に客寄せ的なアイドルではなく話す内容においてスポーツに、サッカーにとって有意義であると編集部が未だにオシムを認めている証拠だろう。

 んで内容はといえばやぱり確かに重要過ぎ。サイドの重要性からトップのパワフルさ、そして中盤の飛び込みを連動して行えるようにするための布石を着々と打ってそのための人選も進めていたことをつまびらかにしていて、なるほどあれがあのまま行ったならこんなチームになっていたのかってことを教えてれる。でも読んでもう胸はわくわくとはしない。しづらい。だってオシムさんは監督じゃないんだから。監督は岡田サンなんだから。これを読んで岡田サンが何かを思いサイドに加地さんを戻し駒野選手を戻しトップを巻選手矢野選手で固め中村憲剛選手を置き遠藤選手と中村俊輔選手を絡ませ連動させつつサイドに山岸智選手も置いてみたりするとはとてもじゃないけど思えない。だから泣くしかないんだけれども泣いてどうなるものでもない。だからやっぱりここはいつの日か、それも遠くない日にオシムさんの復帰を願いたいんだけれど、どうかなあ。どうにもならないかなあ。

 そんな当人へのインタビューに留まらないところで引き合いに出されたりするオシムさん。まずは西部謙司さんによるドラガン・ストイコビッチ監督にアレックス・ミラー監督の2人について書いた記事の末尾で2人が組織化をまず成し遂げたことを上げながらも「イビチャ・オシムが監督として別格視されているのは、チームを組織化し、選手の能力を開花させたのではなく、個々の能力そのものを上げてチーム全体、組織をスケールアップする手法で一定の成果を収めた点にある」と指摘して、オシムのさらなる進化に向けたメソッドを持ち実行できる手腕を讃えている。さらにジェレミー・ウォーカーさんはオシムさんが巻選手を「優れたテクニックはない。だが、すばらしい闘争心が彼にはある。どのチームにも巻のような選手は必要だ」と評した言葉を添えながら、「いまの岡田ジャパンに必要なのは、巻誠一郎のように大柄で、肉弾戦を厭わないタイプのFW だと私は強く思う」と断言している。オシムだったら、ってあるいは憧憬でもあるこれらの言葉が示すものはやっぱり再びの登板なんだろう。聞こえているかなあ、協会に。届いているかなあ、犬飼さんに。

 「SP−2」と呼ぶからにはそこに何らかの思想なり意味性を持っているのだろうと何故かあの平沢進さんがタイのいわゆるニューハーフについて書いてそして写真も載せた本をめくりながら考える。日本だとどことなく蔑みというか、そこまでいかなくても別の世界の存在として幕を通して視るような雰囲気の残る存在で、たぶん当人たちもそうした立場に身を置き差異化されていることをトレードマークと認めて生きる上での糧にしようとしている感じがあったりする。対するにおそらく「SP−2」はあくまで心底からの女性であって精神は紛う事なき女性なんだけれどもただ肉体だけがやや違っていたためそれを治して今は正真正銘の女性、「第2の女性」とと任じて生きているのだってことを言っているのだろう。美しさの理由もそこにあるってことだと思うんだけれど問題はだから平沢さんがどうしてそこに興味を抱いたか、って辺りか。ってな訳でじっくり読んで理由を考えよう。「SP−2」(平沢進、ケイオスユニオン、河出書房新社、3500円)。やっぱりしかし謎だなあ。

 そうか年内で引退かパノラマカー。名古屋鉄道を走っている前面が展望できる列車で名古屋から豊橋まで4年に渡って通っていた時には何度も載って最前列なり最後尾に陣取り迫り来るなり流れる去っていく車窓をパンとか悔いながら楽しんだっけ。昔はそこに速度計なんかもついてて走りの具合も楽しめたみたいだけれども特急券が必要な特級から快速なり急行へと格下げされて走り始めた時代には取り外されていたか動かなくされていてそれは楽しめなかった。でも見晴らしの良さはなかなかのもので、これが列車の主流になれば子供たちもきっと乗るのが楽しくなるだろうと思っていたけどその後にあんまり似た感じの列車が出てこなかったのはむやみに運転台が高くなると支障も出るとかいった問題があったのかも。あの独特のミュージックホーンも無くなるのかな。新しい車両でも鳴らしているのかな。それにしても芥川賞作家の諏訪哲史さんが名鉄で車掌をやっていてパノラマカーのミュージックホーンを鳴らしていたとは。 ポンパがウリな受賞作だったけどそのうちにパペポパペポパペポペーって感じの音も取り入れ小説を書いて昔を懐かしむのかも。あるいはカラオケで自ら歌うとか。授賞式でやって欲しかったなあ。


【10月29日】 「ふもっふ」は妙にテンション高い婦人警官が登場して大暴れ。謹慎中の交通課巡査がいくら捜査で頑張ったからって刑事課にゃあ行けないと思うけれどもまあその辺はアニメーションだってことで。相良宗介相手にあそこまで対マン張れるんだから刑事課に行ってもSWATに入ってもそれなりにやって行けそうな気はするけれど。普通hあ10秒で殲滅だ。あと地雷に待ち伏せにトラップに比べりゃあ、そこにいるだけの幽霊なんてまるで怖くもないってのも分かる気が。問題は最後に病院に残った息子と婆さんの正体が今ひとつ判然としなかったことか。あれって幽霊だったの? それとも火事で死んだ院長の身内が病院を出るに出られず居座っているだけなの。うーん。

 ムックムクにしてあげる。意味不明。でもってムックは「コードギアス 反逆のルルーシュR2」のを買ってみたけどまあ普通。版権物をまとめてあるかと期待したけどそれはなくもっぱらストーリー紹介とあとメカ紹介。でもってメカはモノクロが大半で設定資料っぽくって格好良さの一部分しか伝えられていないような感じが。インタビューとかが乗っているのは吉。けどストーリーとか演出とかそっち方面がないのは何だろう、別に何か作っているからなのかどうなのか。キャラクターも全体にバラけている感じ。ルルーシュスザクC.C.あたりを除けばあとはサイトにある紹介を2倍くらいにした感じ? もっと絵が欲しかった。くるくる回ってるマリアンヌとか。コーネリアだけはいっぱいのっていたのはうれしいな。ヴィレッタはグラビアでドーンと行け。ってことでビジュアル中心のムックの発売に期待だ。期待しまくりだ。

 一方の「マクロスF」のムックは範型も小さく厚さもそれほどないけれども妙に細かくって充実。キャラもメリハリがきいてるし各話の紹介も巻末に河森さんのコメントとか載せつつ割にしっかり紹介してる。設定の並べ具合もカユい所に手が届いているっていうか。なかなかのもの。グラビアっぽくでっかくランカちゃんを並べているページも良かったなあ。できればあとはシェリルさんのコンサート衣装をボンデージから軍服風からいろいろと取りそろえてでっかく並べて欲しかった。まあその変はコンサートシーンだけ集めた音楽クリップDVDなりブルーレイが出てくれると期待しよう。出ないかなあ。ライブのDVDとかも含めて。武道館も行けないんだよなあ。

 「トライガンマキシマム」はもうとっくの昔に載らなくなったし「ヘルシング」もやっぱり載らないことになってしまった「ヤングキングアワーズ」で過去から営々と続く連載ではもう「ジオブリーダーズ」と「エクセルサーガ」くらいしかなくなってしまっている状況でもしもこの2作品が掲載されていなかったとしたらそれは「BLACK LAGOON」と「ワイルダネス」の2作品が欠けていた先月あたりの「サンデーGX」なみに哀しい号だってことにあるけど「GX」はまだ「ヨルムンガンド」が残っていたから良かったかも。じゃあ「ヤングキングアワーズ」の「ジオブリーダーズ」と「エクセルサーガ」が共に載っていないのかっていうと幸いにも幸運にもラッキーにも2008年12月号にこの2作品はしっかりと掲載。でもって「ジオブリーダーズ」では絶望の縁にしっかりと2本の足で経っては黒服軍団を迎え撃つ梅崎真紀ちゃんの大活躍ぶりが載っているから超最高。相手のマシンガンだかをよくぞ2丁のマウザーで迎え撃つもんだと感心するけどそこはそれ、紅の流れ星ってことで親父如きにゃ負けません。負けないと思う。信じたいけどでもなあ。姫萩夕は出番がなかなか来ないなあ。運転しようがないもんなあ。

 さらに「エクセルサーガ」はエクセル社長みたいな格好になってる1号がエクセルに奪還されては川原で釣り堀。いやあ良く働く。でも超絶強力なアンドロイドすら撃退可能な1号が、どーしてエクセルごときに蹴り飛ばされて気絶させられたんだろう。それくらいに凄まじい生き物ってことかエクセル。あれだけ飛ばされて流されて虐げられても傷一つ負わないで生きているんだから凄まじさって意味ではやっぱり相当なものなのかも。でもって川から血まみれのハイアットちゃんも登場でエルガーラも含めて揃い踏みのすっとこ3人組。メンチも加えて秘密結社アクロスの面子が勢揃いした訳だけれど肝心のイルパラッツィオがどこかに行ってしまったままだ。蒲腐博士は逆に元気満々。このままだと崩壊の危機だけれどもそこはしたたかでしぶといエクセル一派。きっと一気に立て直しては市街安全保障局の面々を相手に立派に戦ってみせてくれるだろう。その先はどーなるかは不明。落としどころが見えないんだよなあ。その分どこまでも続けられるから別に良いのか。

 みっうみうにしてやんよ。意味まあ不明。つか仲村みうさんの写真集が出てたんで買ってみたけど割におとなしめで魅力が全開にされているって感じはしないなあ。まあ貴重なものだし眺めておこう。そういいやいつだったっけ、もう随分と昔になる「東京国際映画祭」でのイベントで「もやしもん」の声優をやるって発表会があってそこに登壇した仲村みうさんを生で間近で見たことがあったんだ。随分とすらりとして長身の人だなあって思ったけれどもプロフィルによれば155センチくらいだからそんなに長身じゃあないみたい。ムーディ勝山さんが近所にいたからそう見えただけなのかな。そんな「もやしもん」からは長谷川研究員のフィギュアがもーすぐ発売か。いろいろなポーズをさせたいけれども耳かみ切られるかもしれないんで普通に立たせるだけにしておこう。しかしなぜ長谷川研究員? オリゼーじゃあさすがにリボルテックにはなりにくい?

 なんか出て欲しいといわれて携帯電話からラジオに出て「トラどら!」について喋る。実はあんまり読んでないし流行っているっていったって150万部だからランク的にはそれほどでもないんだけれども、中波のラジオの一般向けの番組を作っている人たちにはこれがものすごくすごいことに思えるらしいってんで出てライトノベル事情について適当に喋る。問題は「トラどら!」だ。どうしてこれが人気なのかが今ひとつ理解が及んでいなくて読み直して普通だなあ、って感じてそうかなるほど普通だからこその人気なのかもと思い及ぶ。どっかから来たお姫様でも悪魔でも、狸でもドルイドでもなく普通の気が強くって純情でドジっなだけの女の子が言いたい気持ちを言えずにうろうろしているその仕草。でもって男もやっぱり言えない気持ちを抱えてうろうろしているその2人が、共闘しつつやがて共感していくストーリーってのに異能異世界なラブを食べ過ぎてた人はすぽっとハマってしまった、とまあそんなことも考えたけれども真相は不明。ただ読み進めていくと相当にシリアスな貧乏話とかもあって割に身近な所で起こりそうなリアルっぽさが隣り合わせの青春ってことで共感も呼んでいるのかも。要研究。んでラジオはしどろもどろ。もうきっとないね次の出演。


【10月28日】 誰も知らないけれども実はこっそりと「ザ・スニーカー」あたりで一般文芸の紹介なんかをやっていたりする関係で、一般文芸もあれやれこやと「日販週報」をめくりながらめぼしい本を探しているだけれども、11月に締め切りとなりそうな本に幾つか出物がありそうでうれしい悲鳴。すでに紹介した人はもうやらないってとりあえずの内部基準に照らすなら「少女七竈と七人の可愛そうな大人」で紹介済みの桜庭一樹さんは遠慮する予定ながらも20日くらいに講談社から出る「ファミリーポートレイト」(1700円)はタイトルだけだとちょっと面白そう。どっかで連載されていたものなのか。

 同じく「風が強く吹いている」で紹介済みの三浦しをんさんも新潮社から26日に「光」(1500円))が刊行の模様。「小説新潮」に連載されていたものなのかな。もちろん読む。「SPA!」ではそういえば三浦さんの本が回ってきたことはないなあ。直木賞作家は大きめに行くから下っ端には来ないのかなあ。そんな人たちを除いて気になるのが里見蘭って人の「彼女の知らない彼女」(新潮社、1200円)って本で紹介だと「ど素人の私が平行世界の『私』のために女子マラソン東京五輪選考レースに出場する。選考委員大絶賛のさわやかな読後感がきらめく青春小説の新しい波」ってあるから新人賞の受賞作か。

 雰囲気だけだと小林信彦さんの「イエスタデイ・ワンス・モア」と重なるところがあるけどあっちは音楽でこっちはスポーツ。その違いがどう出ていて、あと1964年頃の高度成長下にある日本の様子が「ALWAYS 三丁目の夕日」とはまた違った形でどう表現されているかを読んでみたい。生まれてないんだけど、自分。さらにきっと同じ賞か何かで出てきた中村弦って人の「天使の歩廊 ある建築家をめぐる物語」(新潮社、1500円)も注目。「死者とともに暮らせる別荘、永遠に飽きない家。『住む者の心を狂わせる』建築家とは何者か」って惹句が良いねえ。館物ミステリー?

 ファンタジーっぽさでは永瀬さやかさんって人の「象獣詩」(東京書籍)がちょっと気になる。「幻の都市に生きる草食人間と肉食人間の戦い。群のリーダー『アルファ』と永遠の少女『マリー』の愛を描く幻想文学大作」 ってあるからきっと耽美に甘いラブストーリーかと思うけれどもさて。でもって双葉社からは木村航さん「愛とカルシウム」って本も登場。木村さんってて「ぺとぺとさん」の木村さん? なるほどそうか出てくるか。「介護施設で暮らす環は体が石化していく難病と闘う18歳。そんな彼女が雀の雛を育てるはめに。熱い涙の青春小説」。SFでも伝奇でもないけど感動できそう。

 さらに将吉さん「ハルベリー・メイの十二歳の誕生日」って本が講談社から出て沢村凛さん「笑うヤシュ・クック・モ」って本が双葉社から出てやぱり双葉社から渡辺容子さん「いん・ぱらだいす楽園にて」が出るんだけれどタイトル内容とも強烈なのが奥田鉄人さん「改造人間エルヴィス」(光文社)か。「エルヴィス・プレスリーとブルース・リーの特徴を備え持つサイボーグ『エルヴィス・リー』。その能力は軍事産業にも目を付けられる」。わはははは。SFの人、よろしくに。ちなみに間もなく発売の「ザ・スニーカー」では池上永一「テンペスト」をご紹介。でもみんな読まずにハルヒの胸像に夢中なんだ。そういうもんだ言葉って。

 あまりに格好良かったんで「キャシャーンsins」のオープニングになっている「カラーボトル」って仙台で活動しているバンドが唄っている「青い花」を購入、やっぱり格好良い。でもって声が良い。ちょいかすれあがった、けれども底の太い声がずいんと響いてあふれ出す感じはどこまでも深淵な「キャシャーンsins」の本編と絡まないっていえば絡まないけど、でもあの深くて暗い世界へと向かう直前に、心を本編へと向かわせてくれる軽快さが「青い花」にはあってこれを聞いて気持ちをまずは高めておくことで、滅びていく世界へと引きずり込まれず冷静に作品の世界とそこから繰り出されるメッセージを観察できる。声に関する印象はレミオロメンから寂しさをやや下げて前向きさを足したって感じ。曲調の良さに対する感慨は大昔にスキマスイッチhの多分「螺旋」って曲をラジオで聴いてファンになって追いかけ始めた時に並ぶ感じ。ってことは「カラーボトル」もレミロメンやスキマスイッチみたく一気にメジャーへと道を歩むのか? ちょいと遡ってCDとか聞いてみようっと。

 欲しいのはセイラさんのクッションなのに当たったのはザクの角とガウのメジャーとロングタオルとシャアのお面。胸像はさすがに手が届かないとしてやっぱり欲しいよ水着のセイラさんが描かれたクッションは。そんな「ファミリーマート」の「機動戦士ガンダム」に関連したシャア関連グッズのスピードくじを2日で4枚ばかり引く。近所にはあるんだけれども都内のファミリーマートだと見かけないのはテンポが小さいところではやらないことになっているのか、それとも千葉だけのものなのか。すぐに品切れになってしまったって可能性もないでもないけど、その割に千葉だと粛々と進んで未だ商品も残っているんで場所によって入れるかどうかを決めているんだろう。ならば残っている間は頑張って一日に2本のペースで引いてあてようセイラさんクッション。セイラさんの立体マウスは流石に作ってくれないか。小説版でアムロがさわって感動したというあの丸みを是非に再現を。

 傑作。さもなくば大傑作。って言い過ぎって言われそうだけれども読んで意外な面白さにライトノベルって奴の底知れ無さを改めて実感する。MF文庫Jで新人賞の佳作を受賞した志瑞祐さんって人の「やってきたよ、ドルイドさん!」は遠くアイルランドから動物を操る森の守り手ドルイドの一族に生まれた少女が、動物たちを引き連れ日本にある学園へと転校して来て起こる大騒動。聞くと何ともありがちな設定だけれど文章の組み上げ方がなかなかに達者で読んでいてまるで飽きが来ない。学級委員長の少女が走っていたらいきなりクマが現れた。んでもって教室に場面を転じてクマが現れたんだよね、って言おうとしたらそこに転校生がクマとか狼とか引き連れて入ってきた。ドルイドさんだ。

 怒り心頭の委員長は拒絶しようと歩み寄るけど目に涙を浮かべて両手を広げ拒絶しようとするドルイドさんとそれを後ろから見守る動物たちにほだされ転校を認め始まった学園生活は、凶悪な兎を御してもらって凶暴な鶏とは痛み分けになってとドルイドさんならではの設定を活かしたバトルがあり、森でドングリとか食べてた生活が一変して都会での暮らしになってドルイドさんが直面するカルチャーギャップの面白さを示す描写があって目にもなかなかに新しい。そんなズレから生まれるおかしさを味わった果てに登場する許嫁とライバルが起こす騒動に対峙していく盛り上がり。けどしっかり合間にギャグも挟んで飽きさせないままラストシーンへと向かいちょっぴりのオチをつける、その展開力はもはやプロでもベテランの領域。読めば納得のデビューだろー。

 割にリアルなドルイドって設定をシリアスに繰り込みながらキャラの面白い造型に会話の妙でグイグイっと読ませるハイブリッドな物語。この巧みさは金原瑞人さんからゼミで教わったのかな。ファンタジーに造型の深い金原さんのアドバイスに自身が持ってるモノカキとしての技量を混ぜ込んで成しえた成功例。ってことは他にもゼミから同様の才能が生まれてくるってこともあったりして。瑞の字があるのは金原ゼミの出身って意味だとしたら、秋山瑞人さんに続く瑞の字を拝領した作家ってことで秋山さんを超える活躍なんてものにも期待したいし、次なる瑞の字を持つ作家の登場にも期待が膨らむ。いっそ古橋秀之さんも古橋瑞之さんに変えれば分かりやすいのになあ。金原瑞とみ、じゃあ何が何やら。


【10月27日】 そして出会いから成長を経て離別へと突き進む通常運行のシナリオへと入った「喰霊−零−」は黄泉が姉さんっていうより母さんな感じで神楽に接して2人でいちゃいちゃ。車の中で桜庭一樹じゃなかった桜庭一騎を蹴り飛ばすシーンの黄泉の脚の伸び方がとってもキュートだったけどお風呂の中では神楽の胸元に真横に不自然なスモークが。あそこにつまり空気の温度の境目があって温かい湯気が上にのぼらず雲となって漂うよーな仕掛けがあのお風呂にはあるんだろーか。ある訳ない。

 でもって裸侍なマイケル・小原が現れ刀にシュシュッとCRC5−56を吹きかける神楽に哀しげな雄叫び。刀に5−56って初めて見る描写だけど刀な人って割とやっていたりするんだろうか。金属の武器なら何でもオッケー、エクスカリバーだろうとロンギヌスの槍だろと戦士の銃だろうとエミリーの重甲冑だろうとお手入れにはCRC5−56が1番。剣に刀に鎧に銃に戦車に大砲にミサイルと、金属が使われた武器が出てくるファンタジーなりSFなり伝奇世界で実は5−56こそが影の重要アイテムとして黄金にも勝る価値で取り引きされていた、なんて話があったら面白いかも。サイボーグにも人造人間にも自動人形にももちろん5−56。「キャシャーン sins」の世界にもCREがあったらアンドロ軍団も滅びずに済むのに。

 いやいやあの世界にはソフィータがいる。人間なのかロボットなのかは傍目では判断つかないけれども細い体に長い剣を持って振り回してはロボットたちに戦ってと迫る謎の美少女。その動きの溜めて跳ねて捻って突き進む感じに「ノエイン」のアクションをふと思いだしたけれども関わっている人、いるのかなあ。あと顔とかクローズアップした時の切り取り方が独特というか。動きとビジュアルを見ているだけでも30分がとっても楽しい。モブとか多用されててぐにょぐにょと動くアニメのたっぷりな情報量を追いかけ繰り返し見たくなる画面ってのはあったけれど、そんなに情報量は多くないのにジッと見入らされる画面ってのは久々。やっぱり「ノエイン」以来かなあ。

 そんな「キャシャーン sins」でアンドロイドに敵はなくなったソフィータが目をつけたのが放浪中のキャシャーン。戦おうってつきまとって刃を向けるけれどもそれを攻撃だと認めれば回路か何かが発動してジェノサイドモードに移行するはずが、すんなりと剣を受け入れ貫かせる。言葉を暴力でしか伝えられない少女の暴力にこめられた思い、誰もが滅びていく世界で生き続けなくてはならないキャシャーンの哀しみを知って止めてあげたいと願った優しさをその刃に感じたから、なんだろう。殴り合いの対話は果たされ理解し合ってそして分かれる2人。永遠に? けどだったらあの少女はいったい何者だったんだろう? どうして滅びの災厄を身に受けていないんだろう? 分からないけどその抱え込んだ気持ちは十分に伝わった。あとはあの世界がどこへと向かいキャシャーンが何を得るのかをじっとしっかり見守ろう。次第に寒さを増す中で凍てつく手足をさすりながら見る滅びへの道程。面白い経験になりそうだ。

 長く続いて今まだ続いている「JAPAN国際コンテンツフェスティバル(コ・フェスタ)」のトリを飾るべく「六本木ヒルズ」で始まった「東京コンテンツマーケット」へ。のぞくのはもう5回目くらい? 記憶にないけど毎回たのしいクリエーターがわんさか出ては未来をわくわくさせてくれる一方で、次代のコンテンツを探しに来る企業がわんさかと訪れるようには今だなっていないこのギャップは何から生まれているのかと考える。麻生力(あそう・ちから)の不足かやっぱり。麻生総理とまではいかないけれども目玉な企画があればそれに煽られ紹介するメディアもあるってことなんだろうけど、そこまでの騒動を起こすには仕込みも大変。でもって肝心のイベントに支障が出る可能性もあったりするから、今はむしろ地道ながらも認知度をあげつつ次代のスターをそこかだ出すことに力を入れるのが大切なのかも。

 そんな中でこれからを期待したいと去年思った「ニブンノイチケイカク」が今年は完成した「不思議の国とアリス」を引っさげ出展、していたけれどもむしろ目を引いたのはBSジャパンがやってる「天下統一CG将軍2」ってコンテストで「アリス」を作ったそうまあきらさんが何とあのとり・みきさんと組んで「遠くへいきたい」のCGアニメーション化を行っていたってこと。見ると3DCGで描かれながらも2Dっぽい雰囲気にされたたきたかんせいキャラがゆるゆると歩いては不条理なシチュエーションをこなしていく、いかにも「遠くへいきたい」なアニメが流れてた。こんなメジャーな人と組んで仕事をするくらいの人だったんだ。っていうかこれ、とり・みき作品にとって初のアニメーション化じゃない? 「くるくるクリン」だってアニメ化されていない中で、ベテラン漫画家の初のアニメがひっそりと流れていたりするからこのイベントをのぞくのって止められない。

 驚いたっていえばもうとてつもないほど随分と前に世間にあったマルチメディアブームの中で、「銀河の魚」とか「ファンタスマゴリア」ってたむらしげるさんの原作を映像化した作品を引っさげ世にその存在を知らしめた愛があれば大丈夫って会社にすっげえ久々に見えたことで、あるいは違う会社がその名を使っているのかもっておそるおそる訪ねると、ちゃんと前と同じ会社と判明。ただし出しているのは映像作品ではなく「夕暮れのの部屋」ってウェブコンテンツで、自分に近いアバターめいた不思議なキャラを作りそれに動作や会話なんかをさせられるようにした上で自分の部屋においておいて、訪ねてくる人に持てもらい触れてもらおうって内容は、仮想のキャラクターを媒介にしたソーシャル・コミュニティ・サービスの一種って言えそう。携帯電話でもそういえば似たサービスをやっていたところがあったっけ。リアルなSNSでは気疲れするからってことで仮想のSNSを媒介に、緩いコミュニケーションを楽しみたい意向が生まれて来ているのかな。

 作った人と昔懐かしい「GADGET」とか「Alice」とかってマルチメディアチアタイトルの話をして「フロッケ展」って懐かしいタームも聞いて、あの時代の熱気が頭をよぎる。今はまるで欠片ものこっていないマルチメディアのムーブメント。そこから生まれたマルチメディア・タイトル製作者連盟(AMD)も半ば引っ張られ気味にデジタルメディア協会って名前を変えて総務省の影も色濃く保った団体になってて、クリエーターの地位向上って当初の設立の趣旨がいったいどこまで保たれているんだおう? って懐疑も起こるけれども一方でそういう場所から出てくるクリエーターもいたりするから評価も半々ってところか。「夕暮れの部屋」はちょっぴりダークさも持ったコンテンツ。どんな評判が生まれることやら。正式サービスの時を待とう。

 ほかにもいろいろ見たけれどもそんなところからわき上がった将来への期待を頭っから叩きつぶす御大2人の講演を聴いて、首筋に冷水どころか絶対零度の氷塊を投げつけられた気分。クリエーターじゃない身でそーなんだから現場に出展していた人たちにはさぞや厳しい激励になったんじゃなかろーか。ひとつは漫画原作の道でもはや日本のキングとも言える小池一夫さんの言。キャラクターなんてひょいっと出てくるもんじゃなくって今時のゆるキャラブームなんてものも単なるブームで、瞬間にはやっても続くものはほとんどない。だいたいが100つくって1つ当たれば良いってな姿勢じゃあその1すら生み出せないってな感じの厳しさで、とにかくキャラクターを立てろと言い続けた小池さんならではのキャラクター論が開陳されて耳に響く。

 「ゴルゴ13」と「島耕作」に囲まれて漫画を知った気になっているような態度はいずれ見透かされるだけだって、彼のお人に警鐘を鳴らし国としてちゃんと支援する体制を整えないと外国に全部持って行かれるぞってその彼の人に言ったこともあるけどどうも馬耳東風だった模様。そんな人が外務大臣の時に音頭を取って作った、外国の漫画家に賞を与える賞についても悪口雑言。外国人の誰も知らない漫画家にあげるくらいだったらちゃんと国内で頑張っていて世界に名を轟かせている日本の漫画家を、どうして表彰しないんだと起こってた。至極納得。まあほかに賞を与える仕組みもあるからここはむしろ日本にシンパシーを持っていただく戦略としての国際漫画賞って言えば言えるのかもしれないけれど、国内で報われない漫画家たちがこのままだと大挙して国外のもっと認めてくれる国に行ってしまうぞとも話してたのにも強く納得。ノーベル賞絡みで頭脳流出が叫ばれているけれども知財を尊ぶ姿勢の無さは今もこの国は変わってないっていうことか。

 そんな小池さんを上回って爆発してたのが富野悠由季さん。何しろ集まっているだろうプロになりたいクリエーターの作品にどれも同じじゃん、隣と自分は違うって思ってたって旗からみりゃあみんな同じ、とくにCGになってからは同じツールを使っているってこともあるのかどれも同じで個性がない、違う自分たちには個性があるって主張したっておまえさんたち程度の個性を個性なんて言っちゃあいないってことを速射砲のように話してた。笑って聞いてる人もいたけどこれ、絶対に笑って聴ける話じゃない。個人クリエーターがいっぱい生まれる環境になって新海誠さんをあと数人しかメジャーに近い人は出ていない現状を噛みしめるんなら、富野さんの言葉は頭を垂れて歯を食いしばって聞くべき類のもの。そう受け止められた人だけは、次に向かって脚を踏み出せるのだ。きっと。

 デジタルワークで動きはちゃんと見せられるけれどもそれで誤魔化されてしまってはいけない。生身が見えていなくっちゃ、くさくなくっちゃ客はつかないよ、ってコメントはいかにも富野さん。きれいで気持ちの良いものをつくったって1回は見てもらえても2回3回は繰り返しみてもらえない。それでなけれや商売にならないんだからプロとしてやっていこうとするならまず個性を見せる努力をこつこつと積み重ねていくしかない。ないんだけれどもしかしその間をたべずにやるのははなはだ困難。だからこそ国なり企業なりが育てる意識も持ってあげないといずれ廃れていくんだけれど、そこまでの危機意識をお上が抱き共有しているかっていうとどうなんだろう? 敢えて富野さんに小池さんを招いて厳しい言説でパンチをかましてみせた「東京コンテンツマーケット」にはそんな気骨がまだあるって言えるのかな。

 興味深かったのは大学とか大人になって覚えた技術にたよって何かを作っても面白いものにはならない、小学生とか中学生で果てしなく熱中したものにこだわってつくって、それの延長線上に今の仕事があればフィットするって言っていたこと。自身の経験から宇宙にこだわり宇宙旅行に関して考え読みふけったことから今があるって言ったのには、とても説得力があるよなあ。あとはひとりよがりにならず良いところを高め悪いところを削いでくれるパートナーを見つける大切さも、鈴木敏夫さんと宮崎駿さんのペアが生みだしたことの大きさも絡めて話してた。あの2人が組んで長くつづくはずがないと思っていたことも話していたけどお互いがお互いを理解し、何かを生み出すために同じ方向を向けたからこそ今のスタジオジブリがあり、宮崎監督のオスカーもある。それを見れば話が合わなかろうとも嫌いだろうとも認めるぶぶんを認めて受け入れ伸ばし合う態度をたとえ個人クリエーターでも持って、誰かとの共同作業に向かうべきだってことなのかも。

 富野さんの場合は人格の面でははそりがあわないけれども技量は抜群な安彦良和さんがいて、描く絵は苦手だけれどもデザインはすごいと認める大河原邦男さんもいて、そして富野さんがあって「ガンダム」が出来て、それが30年も続くコンテンツになった。引きこもってないでひとりで納得してないで誰かと組んで高め合え。その言葉を聞いてならばと組むなりできれば世話がないけど、元が引っ込み思案だからこその独自作業。そこを抜けないといけないんだとしたらやっぱり国なり会社なり、プロデューサーといった抜けさせる回路が必要なのかもしれないなあ。いやあ参考になったなりまくった。大人の話はやっぱりちゃんと聞くべきだ。紹介できればしたいけれども果たして世間的に受けるかなあ。受けなきゃ日本の未来はないと信じて突っ走ろう。


【10月26日】 こいつが実写映画化されたらきっと世界が仰天し、映画館では最前列からスクリーンを見上げる人がきっと続出するだろうことは確実。あまつさえ現実化したならやっぱりわらわらと集まってきては、空を見上げてその形状を確かめようとして踏みつぶされたり、崩れ落ちて来たビルの瓦礫の下敷きになって命を失うことも確かだろうけど、それでも見たいのが世の男子の倣いってものだから仕方がない。ってことで高遠るいさんの超絶悶絶巨大変身ヒーローならぬ巨大変態全裸ヒロインが地球を訪れる凶悪な新霊長たちを相手に戦う「ミカるんX」(秋田書店)に待望の第2巻。次々に襲来する宇宙からの適正宇宙人を倒してはいたものの、実はこっそりと地球人に紛れ込んでいる輩もいたりして、そんな面々の仲間割れに半ば踊らされ引っ張り回せるように変身しては巨大な百足や猫又や、新霊長の宇宙人そのものとのバトルを繰り広げる。

 そんな戦いの最中にどうやら地球でも大昔に一悶着があって、そこから生まれ出た新霊長たちが回帰して来ては巨大変態全裸ヒロイン「みかるんX」に挑戦の模様。そして合体して巨大化するミカとるんな2人のうちの福井県出身なるんなが夢の中でもらったブレスレットの恐るべき秘密も明らかになって、さても地球はいったいどうなるのか、そして2人はどうなるのかってな興味もわいてくるけどでもやっぱり、巨大変態全裸ヒロインの隠さずむしろ見せまくる暴れっぷりがどうなるかってところがやっぱり重要かなあ。でも高遠るいさん、割に平気で全滅残酷シナリオなんかを繰り出してくるから、2人のどちらかがデスエンドを迎えたりしてそして新たなパートナーを得て別の巨大変態全裸ヒロインが現れたりする展開も、あって不思議はないかもなあ。巨大変態全裸ヒーローだけは勘弁な。

 まあアイディアとしては会田誠さんの「巨大フジ隊員vsキングギドラ」のあたりから美少女美女が巨大化しては街を人々を蹂躙するってアイディアはあってとりわけアートな界隈で何かのオブセッションめいたものもを感じさせる作品として描かれていたりして、それがひとつの形になって現れたのが「機動戦士ガンダム」を題材にしてアーティストたちが作品を寄せあった展覧会で西尾康之さんによる巨大セイラ・マスでもあったりしたんだけれど、その西尾さんがそれより以前から絵が来ていた巨大美女シリーズの展覧会「西尾康之[健康優良児]」が今日まで東京は恵比須に移転した「Nadiff」で開かれていたんで見物に。表参道とはまた雰囲気の違った街並みを抜け手作りワークブーツを売ってる気になるショップの前を抜けて路地に入って奥に位置するギャラリーに、張り出されていたポスターサイズの作品にリアルじゃないけど絵画にされた「ミカるんX」の迫力を見る。いやこっちの方が着想としては早いのか。

 全体に着衣でアメリカンなボンデージっていうかピチピチで露出の激しい衣装に身と包んだゴージャスな美女たちがビルの建ち並ぶ街の上に屹立しては手足で建物を破壊し尻で屋上を押しつぶしている光景は、そうした強くて美しくってゴージャスでグラマラスな美女たちに圧倒されたいって男の奥底にある願望を露わにして見せたっていう感じか。あるいは地母神としての女性が顕在化して審判を下しに訪れる未来への憧憬って奴の現れか。これが例えばマッチョな男子だったら成立し得る構図かっていうと難しいのは、巨大な女性に憧れる男性に比べて巨大な男性に燃え上がる女性ってのがどれだけいるのか、どうしう心性なのかをちょっと思い浮かべられないから。つまるところ男は全員が開けっぴろげな助平で女は慎みの奥で妄想にもだえる生き物ってことなのかも。とりあえず画集をゲット。25万円とかの豪華な本もあるけど手が出ない。代わりに再刊が決まった細江英公さんの「薔薇刑」を買おうかな、5万円だけど10年後くらいには倍になっていそうだし。ならないかなあ。

 んで恵比須から今日もきょうとて青海にある「日本科学未来館」の「デジタルコンテンツエキスポ」へと向かって竹熊健太郎さんと映像作家でそれから新しい映像作家を発掘紹介する活動もしているルンパロ・チータさんが「Flashアニメ台頭後のクリエイター事情/個人制作作品から見える新たなチャンネル」ってテーマで行ったトークショーを聞く。もう杖もなく普通に歩いてた竹熊さんの回復力はなかなかなものでこれなら日本代表監督だって十分に勤まりそうだって思えてくる、ってオシムと混同しているぞ。でもオシムも大丈夫そう。2部降格がまたぞろ見えてきたジェフユナイテッド市原・千葉に復帰してくれないかなあ、でもアレックス・ミラーも十分だしなあ、やっぱりオシムには日本代表監督でそのPR担当に竹熊さんをってまた話がこんがらがった。

 それはさておきルンパロ・チータさんが持ち寄った4人のクリエーターを紹介するってのが趣旨のコーナーは既に大御所なFROGMANさんラレコさんとはまた違ったクリエーターでなおかつファンワークスやDLEといった所がプレゼンテーションに頑張っている人とも違ってyoutubeだとかニコニコ動画といったチャネルを使い作品を発表してはそれなりにアクセスも稼いでる人たち。中にはすでに映像作家として引っ張りだこの人もいるし別に有名CGクリエーターとして活動しながら自主アニメも作っている人もいて、パソコンが普及しネットが生まれツールが開発されてチャネルも浸透した今、個人が台頭していく仕組みは出来上がっているからあとはやる気があればどこだって飛んでいけるんだってことを竹熊さんもルンパロ・チータさんもしきりに強調していた。

 問題はただそうしたクリエーターを使う側の勇気が今だ遠いことか。でも富山の兄弟ユニットみたく「スペースシャワーTV」で人気を集めてチャットモンチーまで応援に駆けつけるクリエーターもいるから、安全に安心するより冒険に興奮する楽しさって奴を使う側がもっと味わおうって風を作ってあげることが重要か。シンポジウムはそんな一助だしこっちもこっちで可能な限りのことはしよう。でもマイナーだしなあ。

 それでもこの人にはもうちょっと世に出てきて欲しいと思ったのが活動漫画館のすふぇらとぅさん、か。淡路島の八百屋のかたわらで作品を作り続けてはや5年とか? その間に格段の進歩を遂げた技術はしばらく前の「海からの使者・前編」ですでに発揮されているんだけれど、それから3年にわたり作り続けて未だ完成を見ていないとゆー「海からの使者・後編」はアニメーションとしての技術がさらにさらに進歩して見ていてもう目の離せないクオリティを誇っていて完成した暁には21世紀の「DAICON FILM」として世に末永く語り継がれることになりそー。上映されたそれには西尾康之さんみたく美女ではないけどのすふぇらとぅさんおキャラクター「のんちゃん」が巨大化してはビルを踏みつぶしながら戦うシーンが満載で、その迫力そのスピード感は普通に放送されているアニメすら上回って目に感動を与えてくれる。

 ランドセルを背負った少女が放つ板野サーカスなミサイルとか、「新世紀絵ヴァンゲリオン」よろしく巨人の顔に円柱状のものがぶちあたるシーンとか、見ておおっとうなる場面も満載な上にそれが単なる真似ではなくってしっかり絵に、動画になっている。凄まじく素晴らしい。カットをあと少し溜めて間合いを作ってくれると身もぐっと乗り出していきそうな感じもあるけどそうした動画の間合いはプロが何十年の作業のうちに実を付けていくもの。そこへと迫る腕を八百屋業のかたわら数年で身に着けられることの凄さに素直に感動するのがここは正しい受け止め方なんだろー。直後に上映された伊勢田勝行さんの逆に進歩を拒絶し延々と自分の世界を作り続ける態度にも感嘆。ヘンリー・ダーガーにも似て独自なワールドを持った作品を淡々と世に出し続けた果てに訪れるアウトサイダー・アート的な文脈での評価がちょっと楽しみ。斎藤環さんに是非に評論してもらいた作品だなあ。どんな人なんだろう。

 挨拶もそこそこに「ゆりかもめ」に乗って秋葉原へと向かい群衆の間を縫ってUDXへと向かいチェックイン。「ゴルゴ13」のさいとうたかをさんと「島耕作シリーズ」の弘兼憲史さんとゆー漫画界の大御所2人がなぜか「秋葉原エンタまつり」の会場で喋るってんでこりゃあ何かあるって予感してたらやっぱりあった。ってかおそらくはそういう仕込みだったんだろうけれども駅前の群衆が目当てにしていた麻生太郎総理大臣がそのまま駆けつけトークショーに参加するって段取りで、今をときめく麻生さんが漫画について語るってゆー、美味しさが3枚重ねになって生クリームまでどっぷりとかけられたイベントにメディアも色めき立ってかけつけては、喧伝してそのついでに「エンタまつり」のことも合わせて紹介してくれるってアングル。全体にトーンが今ひとつだった「コ・フェスタ」も最後の最後で大業を仕掛けられたって感じで仕掛けた人にはよく頑張りましたって心からの拍手を贈りたい。

 ただなあ。昼間まで声優さんが登壇しては萌えなアニメのイベントなんかが繰り広げられていたその場所で、秋葉原に群れ集う人たちとは正反対にありそーな「ゴルゴ」「島耕作」のイベントを開くってあたりがどこか秋葉原発で世界を漫画やアニメの空気で彩ろうってムーブメントと離れている感じがあって煮え切らない。麻生さんを招くことが可能な葉なら麻生さんに相応しい大人の漫画の重鎮2人を揃えてみせるのがベストだってことも分かるけど、それがあたかも秋葉的なものを代表しているよーにフレームアップされてしまうことに引っかかる。つまるところはメディア的なバリューに乗せて理解可能なパッケージを見せているだけで、既存の権威を上塗りする効果はあっても、そこからはメディア的なバリューを塗り替えるよーなムーブメントは生まれて来ない。会場に着座していたのは出版社の関係者ばかりで秋葉原に群れ集う若い人たちはガラスの壁の向こう側からのぞき見るだけ。存在する隔壁と温度差がつまりはメディアと社会の乖離を示しているよーな気がして将来にちょっぴり不安を覚えた。既存の価値観だけを後生大事に猛進した挙げ句にそろって討ち死にの未来。あり得るなあ。

 もっともそんな周りのお膳立てをよそに麻生さん、 オタクっていう言葉について「狭く暗いイメージが世間一般にはあるけれど オタクをやれればある程度それで飯が食える。好きなことを一所懸命やって飯が食えればこんな良い人生はない」ってオタクに対する割にしっかりとして前向きなイメージを持っていて「オタクは明るいイメージ、前向きなイメージに作り替える方がいいよ」って話してくれた。これは的確。「日本に来る外国人を案内する時に生きたい場所というと、今はほとんど秋葉原って言うんだよね。議員がそれに詳しくないといけないよ。もっとサブカルチャー、ポップカルチャーのセンターとして秋葉原を売っていった方が良いよ」とも言っていたのは秋葉原を妙に小ぎれいな街にしてしまおうって動きへの牽制にも使えるんじゃなかろうか。

 さらに「最近の人って、おすすめのレストランしか行かない。自分で探して行けよ。自分ならではのオリジナルをやらないと、ほんちゃんのオタクにはなれないよ。そんな感じがしますね」ってどちらかといえば消費偏重になりつつあるオタクの動静にも釘を刺してくれた。レストラン云々てのはまたメディアに取り上げられそうなコメントだけれどそういう所に含みなんてなくって本当に、自分の価値観を大事にしたいって意識を持っている人なんだろう。「なんとなくっていうのはものすごく漠然としてて、やっぱり先があんまり見えてないんだよね。そういう時は思ったことをやらないとだめなんだよね」なんてことも。自分でアニメを作り始めてひとりで「DAICON FILM」すら超えそうなのすふぇらとぅさんを見せられた後だけに説得力も十分な言葉。だからあとはそうした麻生総理の意識と、現場で頑張っている人たちの努力から生まれたコンテンツを結びつける政策が、それから企業の意識が必要なんだけれどもここがやっぱりネックなんだよなあ、何十年にも渡って。どうにかならないもんかなあ。


【10月25日】 渡辺明乃さんが「コードギアス 反逆のルルーシュ」で演じた千草になっていた時のヴィレッタ・ヌウは、記憶を失い右も左も分からない中で、助けてくれて面倒を見てくれている扇に頼りすがる弱い人間って性格になっていただけに、しっかりと心からの儚げな女声になっていた感じがあって、それが平生の勝ち気で強きで向上心のカタマリのようなヴィレッタ・ヌウの声との対比になっていたけど、比べてどっちも同じヴィレッタ=千草って人間の声でそれを演じた渡辺明乃さんの使い分けっぷりに感心したっけか。

 でもまあ考えようによては声そのものを代えるんじゃなくって、主体となる人間の性格を変えればいいだけのこと。これが「黒執事」のシエル・ファントムファイヴを演じている坂本真綾さんの場合だと、日常は何かを失って絶望しつつもしたかに世を渡り歩こうとする伯爵家の坊ちゃんを、少年っぽさを出して演じなくちゃならない上に、その少年がゴスロリな格好をしてパーティに潜り込んだ時には少年が女装した上で無理して女の子っぽく喋っているんだってことを感じさせなきゃならないから、渡辺さんのヴィレッタとはちょっと演技の種類が違うか。

 まあ普通は大人の女性が作って少年になっているのを女装したからってもとの女性の声を出したら少女にはならないんだけど、坂本さんって演じるのはふだんは勝ち気でも大人しめでも基本は女の子。それがファントムファイヴ伯爵ってどこか底意地の悪そうな少年を演じて、そしてその少年が少女を無理に嫌々演じている感じを出しているからすごいというか面白いというか「黒執事」。声優さんっていろいろなタイプがいるしそして演技の幅は果てしなく広いんだってことを強く実感されられた昨今。

 作品はといえば相変わらず喋りのテンポが微妙で間のとり方とか発音とで耳に引っかかるところもあるし、何よりストーリーがノワールなのかギャグなのかって境目がどうにも薄ぼんやりとしているけれど、疲れ果てた週末の夜中の薄ぼんやりとした頭にはこれがなかなに耽美に見えて来るから不思議というか幸いというか。どんよりとした中に小野大輔さんのシュガーな声が鳴っていい感じに気分を夜明けの明星へと誘ってくれる。とりあえず見続けようっと。そのうち妙さが快感になっていった「怪物王女」みたいな雰囲気に化けてくれるかもしれないし。

 仕事に使うかもしれないと上井草まで出かけていってガンダム像を撮影しに向かう途中の西武新宿線で向かいに座った女子中学生だか高校生が一心不乱に「華鬼」ってタイトルの小説を読んでいた。そのビジュアルが何というかそれなりに顔立ちは整っているんだけれど髪型はほぼストレートでセンターよりちょい向かって左に分け目がズレている曖昧さがあってまるで化粧っ気のない顔にはセルじゃなくって細い上だけのフレームの眼鏡がかけられていてスカートは長めでボディは痩せ気味という、これからを大いに期待した雰囲気があってそんな少女が貪り読んでる「華鬼」ってのの内容が気になった。

 もしかしてバリバリなボーイズラブだったらあれでなかなか空想に生きたい乙女心の悩ましさ、ってことになるんだけれども調べたら過酷な運命に翻弄されながらも愛を探し求める少女の物語、って感じでこれなら乙女にピッタリと納得。そういうお年頃なのね。とはいえネット初で単行本化されて割と人気な感じ。一応はファンタジーに伝奇って感じは当方が読んでおくべき範疇っぽいんで、ここは眼鏡の少女に倣って心を乙女にして読んでみて、描かれている絶望から光明を見出し未来を拓いて進んでいく、ってな感じになっているのかは知らないけれどもそれだけ乙女を夢中にさせる内容に、触れて学んでみるか、乙女心とやらの甘酸っぱさを。

 そんな電車でこちらはを言えば「しゃばけ」が大ベストセラーになってる畠中恵さんの「アイスクリン強し」(講談社)をいそいそと読んで知る。明治の乙女は強くてしたたか。時はだいたい明治23年。ご一新から二昔が経って武士は存在しなくなっても武士の魂というかプライドとあと武家の家格というものは残っているからその血を引く男子には結構な負担がのしかかっている。

 仕官しようにも朝敵な訳だったから良い口はなくそれでも教養はあって体力も保った武家の子弟は警察官の採用試験を受けて入って平ながらも警官の身に。そうした旗本の息子たちが寄り合って「若様組」なんてグループを作っては、境遇への不満を言い合ったりしつつ一方で武家に長く仕えてくれた家臣たちの面倒も見ていたから安月給ではなかなか足りず、警官の身をちょっとは利用して稼いで糊口をしのいでいた。

 そんな若様組とはやや距離を置いていたのが皆川真次郎という男。やはり武家の出で通詞の父親を持っていたものの今は母とともに無く、築地にあった居留地にいた外国人宣教師に面倒を見てもらって長じてそこで倣い覚えた料理の腕を活かして東京に当時はとても珍しい西洋菓子の店を出していた。まだ作り置いては売るほどの財力はなく頼まれれば作って届ける程度。そこに長瀬や園山といった昔なじみで士族から警官になった「若様組」が出入りしては試作品の菓子を貪りくうような関係が出来ていた。

 そこに舞い込む様々な事件。松平家の末裔を捜して盛り立てつつすがりたいと画策する旧家臣たちが末裔につながる品を持つと見込んだ男を追いかけていたのを真次郎や長瀬が助けたり、貧民達が暮らす場所にひとり取り残された少女が持っているらしいお宝を狙った騒動を治めて少女を助けたり、ちょっと前まで天下国家を論じていた新聞が妙に下世話な話を載せるようになってその矛先が真次郎とか周辺にも及んで迷惑を被ったりした、その真相を突き止めたりしていた。

 一方でワッフルを作りシュークリームを作りアイスクリームを作りといった具合に真次郎は洋菓子を作って身代を作ろうと頑張っている。そんな真次郎に興味を持ったのが小泉商会という商社の一人娘の沙羅。菓子の腕前に惚れたのかそれとも顔立ち心根に惚れたのかは分からないけど気はあるようでお金も時には貸すし真次郎が新聞のあることないこと書かれた記事で女学生の敵だと中傷されたときにはそれを信じて性根を糺そうと商談の席に乗り込みホウキで脳天をぶったたく。

 果ては華族から婿を迎えて商店を任せようとする父の思惑に逆らって、自ら父の後を継いで商店を切り盛りしたいと言い出す始末。その心底に真次郎への懸想があるかどうかまでは判然とはしないけれども傍目にはそう移ったらしく、やっぱり真次郎が気になる華族の別のお嬢様にハメられたりもしてなかなかに大変。けれども屈せずそして真次郎や長瀬らが見せる推理の力で事態を収めて突き進む。

 そんな沙羅といい、彼女を填めようとした志奈子嬢といい士族の男たちを翻弄する明治の乙女の何という強さ、したたかさ。強兵はともかく明治の富国の裏側にはきっと江戸の大奥で政治を仕切った女性たちにも通じる強さ激しさを綿々と受け継ぎなおかつ自由を手に入れた乙女たちの力があったに違いない。乙女の舌をとろけさせるアイスクリンは確かに強い。けどそれを味わってなおかつすべてを己の手にしようと企む乙女の方がさらに強いのだ。明治に生まれなくて良かったなあ。昭和でも平成でもそんな強さに敷かれる経験すらないんだけど。

 そんなこんなでたどり着いた「デジタルコンテンツグランプリ」の表彰式の段取りの悪さと、授賞式に出席した人のゴージャスさからやや落ちた代理っぷりに「マルチメディアグランプリ」の時代から日本のデジタルコンテンツの発展を支えた伝統ある賞が、どーしてこーも落剥してしまったのかとやや呆然。なるほど総務省なんかがデジタルメディア協会(AMD)を支援して賞を立ち上げたってこともあるし、文化庁が「メディア芸術祭」ってのの運営を始めたこともあるんだけれども、こっちはノートリアスだの何だとの海外からも畏れられた産業の中心、経済産業省が所管している賞だ。大企業だって翼賛し、受賞者だって出世の糧になると喜び勇んでかけつけて当然だ。

 なのに「Wii Fit」で受賞した宮本茂さんは来ず、「iPhone」のソフトバンクモバイルも孫正義さんは来なかった。「スカイ・クロラ」の受賞に石川光久さんくらいは来て欲しかったけど恐ろしいというかその時間に石川さんは同じ「デジタルコンテンツエキスポ」の中でシンポジウムに出席中。急に言われたってスケジュールもあるから駆けつけられないってこともあるけど、それなら間をおいて余裕も持たせて出席を仰ぐのが受賞者への配慮ってもの。それえも無理な時なこともあるけれど、だったらせめて経済産業大臣賞の授与に大臣くらいは出席しようよ。AMDはあれで結構郵政大臣だったり総務大臣がやって来て表彰状とか授与してた。ここんところを見るだけで、経済産業省が日本のコンテンツをもっと振興しなきゃって振る旗にどこまで真剣さがこもっているのかに疑問の気分がわき上がる。

 所管しているコンピュータ・エンターテインメント協会の「東京ゲームショウ」と「日本ゲーム大賞」にだって大臣なんかは来やしない。経済産業省が日本のコンテンツ力を世界にアピールするために、数あるイベントを束ねて立ち上げた「コ・フェスタ」って奴のオープニングには出席したのかな? 知らないけれどもそんな形式だけのセレモニーに顔を出すより、あちらこちら散々っぱら繰り広げられている、コンテンツ大国・日本の構築に向けた様々な取り組みって奴を細かく見ては、先頭に立って旗を振るのがその立場にある者の務めって奴じゃないのか。「コ・フェスタ」を立ち上げました。経済産業省が中心になりました。コンテンツ大国を目指します。世界に向けてアピールします。そりゃあ結構。だったら中身もぎっしり詰めてくれ。しっかり世の中にアピールしてくれ。

 だいだいが誰も「コ・フェスタ」なんて知りもしない。メディアの中にだって伝わっていない。だからなのかいったいどれだけのメディアが「コ・フェスタ」を「コ・フェスタ」として報じたか。映画祭にゲームショウにCEATECにつていては確かに報道されたけど、それだって昔からある個別の行事として。「TIFFCOM」だとか「JAM」とかいったイベントについて言及したメディアなんて大手じゃほとんどありゃしない。存在だって多分ほとんど知られてない。予算をぶんどり雰囲気だけを作って人がいっぱい働いて、やり遂げました良かったね、ってじゃあ後に形が残る公共事業より始末が悪い。

 だいたいのイベントを見たけど現場は本当に一所懸命で成功させようと頑張っている。「劇的3時間SHOW」なんて「コ・フェスタ」って看板が立ち上がったからこそ生まれたイベントもあってその中身の充実ぶりには頭が下がる。これを生んだだけでも「コ・フェスタ」が創設された意義はあるって気もするけれど、シンボルマークにインフォメーションセンターに各イベントへのブースの出展にそのた諸々の費用に見合った効果があるのか、あるいは効果を将来に期待できるのか、ってところにやっぱりちょっと引っかかる。内向きに実績として示すだけのイベントだったらもうたくさん。続けることに意味があるってのも十分に分かるけど、それなら続けて効果が染み出るような運営って奴を3年目になる来年くらいは見せて欲しい。でもってお膝元で頑張る団体にはしっかりと支援を行い傍目にも経済産業省とやらがコンテンツ立国のためにしっかり仕事をしているってところを見せて欲しい。

 CEATECには行けなかったけれども劇的3時間SHOWに東京ゲームショウにジャパン・アニメ・コラボマーケットに東京国際映画祭にTIFFCOMにデジタルコンテンツエキスポに東京アジアミュージックマーケットに秋葉原エンタまつりにジャパンロケーションマーケットに出て、月曜日からの東京コンテンツマーケットにも行く予定な僕からのお願い。これだけ出たって経済産業大臣の顔なんて見なかったよなあ。見たくもないけど。数ある「コ・フェスタ」関係のイベントのうち5つのイベントに出るとハンコが5つたまって記念の鉛筆とか、イメージキャラクターの杏さんのサイン色紙ががもらえる仕組みとかがあったらもっと励みになるのに。役所広司さんからのキス? それはちょっと勘弁な。


【10月24日】 年増(ってほどじゃないけど)の魔女と少女の入れ替わり物があれば男と女の入れ替わりものもある。っていうかそっちの形式が割にわんさとあってあんまり新鮮さが薄れていたりするんだけれど林直孝さんの「鏡原れぼりゅーしょん」(一迅社文庫)は3つ巴の入れ替わりってところが新味。特に持ち味もない平凡な男子の来摩久司が憧れているけど仲までは出来ていない鏡原奈結といっしょに出かけた先で気を失って、気がつくと自分が鏡原奈結になっていた。てんこーせー。

 だったら鏡原は自分になっていたかというとさにあらず。彼女は寡黙で胸とか割に薄べったい津吹あいらという少女になっていてそして津吹あいらが久司の中に入っていた。どうやら鏡原家につたわる呪いなんかが原因のよーで、解くにはいろいろと手続きが必要だったけれどもすぐには行かずしばらくは3人が入れ替わった状態で過ごすことになった。ここに問題。津吹あいらにはとある事情があってそれが時間に制約をかけていた。入れ替わった先でそれぞれが見つけた入れ替わり相手の秘密のユニークさも楽しいけれども、単にジェンダーが錯綜するだけじゃない、入れ替わってはじめて分かる自分じゃない人にそれぞれある事情の大変さって奴が人間への理解の度合いを深めてくれる、かもしれない。とりあえずシャイニングウィザードは最強ってことで。

 郵便受けをのぞいたら枡野浩一さんセットが届いてた。律儀な方だ。最近の活動なんかがぐばっとフライヤーとかポストカードに書かれて透明な袋にまとめられているもので、あけるとしっかりちゃんと短歌な(それ以外もだけれど)活動をしているんだと分かってちょっと安心した。いろいろあるけどたぶん1番のメインはふな虫さんってシンガーの方とのコラボレーション? 枡野さんの「ショートソング」って長編小説にたぶん出てくる短歌なんかをカフェ・ミュージックにしたってものがあってそのCD「虹を見た もっと見ようと思ったら消えていたけど二人で見てた」が11月5日にユニバーサルミュージックからリリースされることになっている。

 枡野さんと音楽って言ったらもう随分と前になるけど東芝EMIだったかな、枡野さんの短歌をモチーフにした楽曲を割に知られているミュージシャンたちが音楽にして唄ったものを収録した「君の鳥は歌を歌える」ってものが出て確か買って静かなんだけれどもじんわりと滲む歌詞をしんみりと聞き入った記憶がある。この前に部屋を大掃除していたらそのCDがちゃんと存命だったことが判明。良かったけれどもそれから9年は経っていることに気がついて、そのリリースに関連して「ロフトプラスワン」で開かれたイベントをのぞいてから後現在まで、何回くらい本人を見たことがあったっけ、って指折り数えてみたけれどもちょっとあんまり思い出せない。

 それなのに、っていうかだからこその枡野セットの到着へのびっくりなんだけれども読めば読むほどの活躍ぶり。新聞の切り抜きは「ショートソング」が今年の頭で7万8000部とか売れてるって記事だったり、それを受けて「若者にひそかな短歌ブーム」が起こってるって話だったりとなっかなかの後継機。さらに「ALONE AGAIN」ってタイトルの近況ポストカードを読むと微妙な印税が入ってセレクトショップを立ち上げ抜けて家具デザインをやって映画を撮って11月5日にCD発売に関連したイベントを阿佐ヶ谷のロフトAで開いてそれから11月9日に「文学フリマ」に「枡野書店」として出るといった具合にイベントお仕事目白押し。「骨董通りデザイン展 Part−5 “環”」なんかにも関わっているみたいで30日までの期間中にのぞけば活動の一端に触れられそうだけれど、そうでなくても来月の「文学フリマ」をのぞけばその長身痩躯なもち肌ぶりが見られそう。「ゼロアカ道場」に乗っ取られ気味の「文学フリマ」だけれどそっちはそっち、こっちはこっちでファンを巻き込みお洒落な少女による長蛇の列と、洒落込んでやって下さいな。

 今日もきょうとて鷲宮町商工会の話を聞きに行く途中で「東京アニメセンター」に立ち寄ると何とありましたよランカパンにシェリルパンにランカの杏仁豆腐。缶入りパンの冠に「星間飛行」と「ダイヤモンドクレバス」のジャケットが貼ってあるだけっちゃーあるだけなパンだけれどもその絵の良さもあってついつい2個づつ買ってしまった。たべるかは不明。保つものだったっけ? 非常食にキープ。杏仁豆腐はイラストはオリジナルっぽい。手で持つとやたらと軽くっていったい中に何が入っているのか確かめたくなったけれどもきっと粉か何かが入ってて、それをつかって作れってことみたいなんでこれは作らず箱ごとキープして10年後くらいに取りだしてこんな時代もあったなあと笑おう。村上隆さんの食玩もガムはもうきっと大変なことになっているだろーし。食べ物系のグッズは難しいなあ。

 んでもって近所のホールをのぞいたらそっちには例の鷲宮町での祭りに担ぎ出された御輿が展示されてて目の保養。そうかこんなに立派な御輿だったんだ。絵なんかはもーちょっと適当なものが使われているかと思ったら案外に本気でおまけにプリントもしっかり。ブラザーのプリンタが置いてあったからそれで刷りだしたものなのかな。雨ん中を担ぎ出した割にはあんまり汚れてないのは絵を張り替えたからなのかそれとももともと汚れに強いタイプのものだったのか。ともあれこういうものが作られ担がれるまでになったってところに着目。秋田の方が一過性の賑わいを見せているけどキャラを使ってグッズなり商品を作る、ってところに未だ縛られているからいずれ飽きられた時にどうなるかってことを考えていくのが必要になって行きそう。鷲宮町はその部分でどれだけ来てもらえるかにシフトしているんだけれどそれだって企画が途絶えれば同じこと。それも寂しい話なんでこれから年末とゆー書き入れ時にどんな企画を打ち出せるのか。成功体験ばかりを振り返っていないで前を向いて未来に向かって何かをやってくれることを期待しよー。何をするんだろう?


【10月23日】 エロいぞ杏藤委員長。バイな割には婦女子にしか興味を示さないのはその方が見た目に麗しいからなんだろうけどしかし、虎子に向かってあれはまるで「ふぅーじこちゃぁぁぁーん」ってな漢字の叫びで飛びかかるシーンで、股間にモンキーパンチ先生謹製のつんくさんマークが描かれていたらちょっとは真夜中アニメらしさを感じたかもしれないなあ、って生えてるのか? 無理矢理大盛りってのは誰もがやりそーないたずらで、そのあたり小学生ならではの日常を描いた「今日の5の2」の大人版な学園あるある物語って言えそうなアニメーション版「ヒャッコ」。また出てくれた大場湊兎の見かけに寄らない気弱なつぶやきがエロ可愛い。そうか声は「ぱにぽにだっしゅ」の来栖柚子か。そういや虎子が誰かに喋りがそっくりだと思ったら「ぱにぽにだっしゅ」の片桐姫子にそっくりなんだ。まあ中は同じ人だもんなあ、折笠富美子さん。龍姫があんまり目立ってなかったんで次回は倍にしての登場を。

 目覚め起きて電車を乗り継ぎ「日本科学未来館」へ。と向かう途中で妙にお腹が空いたんで新木場にある吉野家で超久々に牛丼を食う。玉付き。美味いもんだよなあ。本当はすき家の方が好みなんだけれどもどっか最近は敬遠気味。味がちょい濃すぎるか。でもって「日本科学未来館」で始まった「デジタルコンテンツエキスポ」へ。新機軸の技術を使った展示なんかがあれこれあったんだけれど観た印象はこれってどっかで観たことあるような、ってもの。ふと振り返ると入り口の脇に「攻殻機動隊」と「電脳コイル」のポスターなんかが掲げられててそうかつまりはそーしたフィクションに出てくる楽しくって夢のある技術を現実にして見せたもの、って切り口なのかと理解する。オタク立国な日本でフィクションから先行した未来技術が現実化して技術立国の日本を引っ張るってことですね。

 じっさいに「攻殻機動隊」で誰もが欲しいと憧れこれがあれば温泉だって銭湯だってのぞき放題見放題だと夢に見た光学迷彩みたいなものがあって仰天。ガラスっぽいものを好かしてのぞくと向こうに立っている妙なロングコートを着た人の背中に張ってあるポスターが、立っている人の手前にも出てきていてあたかも立っている人が透き通っているよーに見える。完全に消えるところまではいかないけれども保護色程度にはなっている。もっとも聞くと手前に見えるポスターはあらかじめ撮影されたものを投影しているだけ。ただし着ているコートには仕掛けがあって投影された画像をそのまま真っ直ぐに反射するようなコーティングがしてあるんで、乱反射して薄くならずに背後のリアルなポスターと同程度のくっきりさをもって見る人の目に映り込む。だから人間が透き通っているよーに見えるって寸法。なあるほど。

 それがインチキかどーかは漫画の光学迷彩の仕組みを知らないんで何とも言えないけれども例えば車の前後左右とかにカメラを取り付けそこで撮影した映像を室内に投影し、見る人の目に真っ直ぐ入るよーなコーティングを施すことによって、今まではピラーだのドアだのに遮られていた外の空間の光景が、まるで車に乗っていないかのよーな感じに見えるよーになって、車の間近に寄ってきた人間だとか障害物をいち早く察知できるよーになるんだとか。それってつまりは「Zガンダム」の360度全天シースルーなコックピットだって出来るってことか。どれだけの費用と設備が必要なのか分からないけどでも実用化されればいろいろと面白いビジョンを見られるのかも。

 ビジョンと言えば球体のスクリーンに内側から投影するモニターみたいなのもあって、地球儀が月球儀になり惑星になり星座になったりする様が面白くってこれを歯医者の待合室とかに置いておけば、昔懐かしい「魚八景」みたいに待っている人を心落ち着かせることになるのかも。あと絵を描ける人がいれば世界初の球体スクリーン向けアニメーションなんてものも出来るかも。円形の中にどう人を配置してどう動かせば球体になった時に違和感がなくそして横長のスクリーンとは違う動きを出せるのか。挑戦したいけど絵が描けない人間には無理なで是非に誰かそーした新たな表現に、挑戦してみるのも面白いかも。絵心の皆無な僕にはどんな映像が作れるのか、まるで想像もつかないよ。それだけに誰かトップクリエーターの挑戦を切望。

 「攻殻機動隊」があるならと探した「電脳コイル」もやっぱりあったキヤノンの展示ブースは握ってのぞく双眼鏡みたいなものを顔に当てるとそこには正面の実写映像と重なって中空を泳ぐ亀やら魚のCGが。単に重ねて流しているだけじゃないのは体の向きを変えると正面から迫って着ていた魚の大群が前を通り過ぎていく動画に変わることでつまりは立ち位置にたいして空間的に魚は存在していることになる。詳しいことは分からないけど本体のジャイロセンサーで動きを感知し送出する映像の向きを変えているっぽい。あとセンサーだけでは感度が劣るんでちょっと大きめなコードっぽい四角い板を置いてそこを起点に絵を出すようにもなっているらしい。だから歩き進めば魚の群に分け入り振り返れば去っていく群を見れたりするっぽい。うーんあんまり説明になっていないか。でも面白い。

 エンターテインメントな需要ももちろんありそーだけれど位置と映像をぴたりと重ねる技術がもっと確立すればたとえば外からは見えない構造をあらかじめCGとしてデータ化しておいて眼鏡をのぞくと内側の構造が重なって見えて図面とかから探し当てなくてもそこへと辿り着けるようになるとか。建物のメンテナンスなんかに使えそう。エンターテインメントなら美術館の展示物の説明をCGでさせたり電子立体絵本を作ったり。まあ浮かべばいろいろ浮かぶけれどもちょっと大型のポラロイドカメラのよーなカメラとあとは大がかりなシステムをもっと小型化するなりしないと実用化にはやや遠いか。さすがにゴーグル1つって訳にはいかないか。「電脳コイル」の世界未だ通し。「電脳フィギュアARis」を動かせるシステムを早く導入しなきゃ。

 子供の自分には出来ないことでも大きくなったら出来てしまう。でもその経験を子供の頃に伝えるのは絶対に無理。人は過去をのぞけない、未来からも声を受け取れない。だから頑張るしかないんだけれどそれでも少しでもあったら素晴らしい導きの可能性。それとは気付かなくっても聡し導いてくっる存在の登場に胸を馳せたくなる物語が古戸マチコさんの「ワルプルギスの夜、黒猫をダンスを。」(一迅社アイリス)だ。何をやるにも自身なあげな少女がダンスの余興で脇役を踊るのにすら躊躇しながらもシューズを求めて入った靴屋でみかけた古そうな赤い靴。大魔女ベファーナが作らせたものだと店主はさも曰くありげに話すけれども少女が知るベファーナはアニメの主人公。そんなのいるはずないからきっと店主の冗談なのだろうと思いながらも靴から目が離せない。

 だから買ってしまった帰途。現れた豊満な肢体を持つ女の前で気を失い、目覚めると自分がその豊満で肉感的な女性になっていた。でっかい胸に張ったヒップにすらりと伸びた肢体なんだから悪くはないのかもしれないけれども少女だった自分が大人の女性になったのはちょっとショック。なおかつそこが普通の世界ではなく魔女たちが暮らす閉ざされた森で自分はそこでも最も力を持った魔女ベファーナとして住民たちから畏れられていた。これは困った。戻らなきゃ。魔女なんだから魔法が使える? でもそれはベファーナの話で自分は魔法を知らない。そこでベファーナが暮らしていたネズミとあと猫が人間化した少年の助けなんかも借りながら、人間界に戻るために必要なことだと告げられた、ワルプルギスの夜に黒猫とダンスを踊ることにした。

 凶悪そうで意地悪そうな魔女は外からラジカセだのテレビだの電動車椅子だの拡声器だのを持ち込んでは暮らしを壊すと非難する長老はしっかりと電動車椅子に乗ってテレビを楽しんでいたりする。幼い娘をさらってどこかにやってしまったと町民たちは非難するけどそれにもちゃんと理由がある。ああみえて大魔女ベファーナには凶悪さとは違った心があるみたいってことがだんだん見えてくる。そして人間になった黒猫がベファーナに向ける熱い思い。必要とされ慕われるベファーナの姿から少女は学んでそして未来へと目を向けるようになる。くるりっ、と回ってそうだったんだって分かるエンディングに導かれると同時に導く行為の崇高さも見えてくる。コミカルな所もあるけどシリアスなテーマもあって読み終えて楽しさを確かさを得られる物語。「やおろず」でも感じられた力が存分に発揮されてるって言えそう。それにしてもグラマラスなベファーナ。こっちで良いじゃんって思わないのかなあ、少女。それとも1歳でも歳を取るのが女性にとっては重大事項なのかなあ。


【10月22日】 老人に敬意を。音楽に喝采を。「のぼうの城」あたりから、というかそれ以前の藤谷治さんや桂望実さんあたりから奇妙でけれども面白すぎる小説をガンガンと出している小学館から真打ちにして最大級の爆笑感動ストーリーが現れた。「ふしぎの国の安兵衛」も愉快でそしてピリッとしたメッセージを得られた荒木源さんの最新作はその名も「オケ老人」。これだけで何かピクっと来る愉快さがあるけれど内容の方はさらに輪をかけ愉快で軽快。読み始めたら次はいったいどうなるんだという好奇心からページをひたすらにめくらされ続けること間違い無しの大絶対。ああ思いだしても興奮が蘇る。

 大学時代にオーケストラに参加してバイオリンを弾いていたかど今はすっかり止めてしまってしがない高校の数学教師。毎日をぼんやりと過ごしていたけど新たに赴任した学校のある町でふらりとはいったホールで聴いた交響曲に感動した。巧い。そして楽しい。昔の興奮が蘇ってバイオリンを弾いてみたいと思い始めてさらに何とオーケストラに加わりたいと、探して見つけた交響楽団に訪ねたところそりゃあ結構、是非来てくださいと誘われた。大感動。そして勇んで出かけていった練習場で男はとんでもないものを観る。老人。老人。老人。老人。大老人。老人ばかりの楽団で体力がなく100小節すら続かないような人々で、聴くとコンサートなんてもう何年もやっていないという。どういうことだ。訪ねて分かった。町にはもう1つオーケストラがあった。それは交響楽団から分離して出来たものだった。なおかつ交響楽団のリーダーが営む家電店を脅かす家電チェーンの社長がやっているオーケストラだった。

 これは困った。辞めてそっちに移りたいけど辞めたら卑怯だと思われそう。なおかつ学校で教えた女生徒の祖父が所属している交響楽団のリーダーだと分かった。事情を話して頼んでもらおうとしたら逆にハメられ逃げられなくなってしまった。悶々とする日々。苛々とする日々。もうだめだとオーケストラに潜り込んで始めた二重生活で男は知った。競争社会で油断すれば蹴落とされる場所だった。それでも食らいついていこうとして、けれどもついていけなくなって男は絶望する。そこに大きな光明がともってリベンジに向けた努力と精進の日々がスタートする。

 って感じの展開は下手くそなチームが頑張って強敵を倒す「がんばれベアーズ」フォーマットならではの楽しさがまずあって、なおかつ音楽という者が持つ魅力が満面に湛えられていて、読むほどに驚け楽しめ興奮できる。さらに絡んでくる国家的謀略。蛇足かなって気もしないでもないけれど、単に「ベアーズ」はフォーマットなら他にある。ピリリッとしたスパイスになって見えない謎に迫る好奇心を満たしてくれる。映画で見たい。ドラマで観たい。それよりやっぱり読み返したい傑作小説。売れるぜこれは。

 あれは最初の時だったっけ2回目だったっけ、新潟での地震の余震が朝方あってたどり着いた六本木ヒルズはエレベーターが完全に止まって40階へとあがれず開幕した「TIFFCOM」の会場へとたどり着くのに1時間半くらい時間を費やした記憶が今もあるけどその後毎年通って同じ目に会ったことはないから六本木も反省して地震を寄せ付けない強固な体質になったんだろう、ってどうやって鍛えるんだ六本木が。ともあれ到着した「TIFFCOM」の会場で英語のアニメのパンフレットなんかをあれこれ査収。元が英語なタイトルだったら分かるだろうけど「A Guardian for Evryone!」なんてタイトルだけをいきなり聴かされたらそれ一体何のアニメだ、ガーディアンだから「みんなの守護神」とかって作品か、でもそんなのあったっけって気になりそう。

 答えは、っていうかパンフレットにでっかく天狐空幻が描かれているように「我が家のお稲荷さま」がそのまま正解。ガーディアンでお稲荷様って言って良いのか迷うけれどもフォックスゴッドじゃあないからなあ、というか稲荷大明神は狐じゃなくって狐はいわゆる祭神だから違うのだ。ならライスゴッド? うーん日本語って漢字って豊饒だなあ。うろうろと回って円谷プロダクションとか有名所をのぞきデジタルコンテンツ神託さんとかでデルモンテ平山さんじゃなかった平山夢明さんの何とかメルカトルを原作にしたそれほど長くない3DCGのアニメーションを眺めつつ近況を伺う。頑張っているなあ。六本木から下った麻布あたりで開催されたアイドルファンドの記者会見が懐かしいなあ。

 プロジェクトギャザリングって企画をプレゼンテーションするイベントは去年あたりまでの壇上でのアピールタイムって感じが変わってブースに雪隠詰めになって希望する人を時間指定で待つ歯医者さん的な仕組みになっていた。ブースにいくと対面表がおいてあってどこの企画に人気が集まっているのか、どこは不人気なのかが瞭然なのが傍目には分かりやすくって良いんだけれども当事者にとっては鍼のむしろかまな板の鯉か。面白いのがアジアの企画に欧州の参加者が予定をいれていたりするような外と外との結びつきが行われていたことで、日本から世界へとか世界から日本へといった狭い了見から脱して、アジアの中心的なマーケットとしてアジアからコンテンツが集まり世界からも集まってそれが世界に言ったりアジアに入ったりするような商談も行われるよーな、国際的なコンテンツマーケットへの脱皮をそれとはなしに見せてきている、ってことみたい。映画業界的には外様なチェアマンもビジネスに関しては百戦錬磨。そのセンスで海外を回ってセールスした成果が現れているってことでコンペ部門はともかくマーケット部門の拡充には、適材だったのかもしれない。その成果がコンペ部門にも繁栄されて世界から作品が集まることを期待しよう。しても良いかな。

 外国からの来訪者ってことで言うなら秋葉原には一昨年あたりで50万人を超える外国人がやって来ているらしくって、昨今のブームを受けた秋葉原の状況を見るとさらに増加しているってことがはっきりと分かる。数えるとどうなんだろう、60万人は来ているかもしれないなあ。70万人80万にの線もある? だって本当に大勢の外国人から平日の昼間でも朝でも構わず秋葉原を闊歩しているもんなあ。でもってその秋葉原がある千代田区の人口はだいたい4万5000人。これを元に計算すると秋葉原にが人口の10倍を楽に超える(周辺住民に限れば30倍は行くかも)外国人がやって来ているってことで秋葉原が外国人に乗っ取られてしまう心配なんかを、するかっていうとしやしねえ。むしろ来ていただいて大歓迎、それで潰れる店が減って秋葉原に通う楽しみを維持発展させてくれているから。むしろ前向きにとらえるニュースななけれどもこの秋葉原をとある島に置き換えると、途端に侵略の恐怖が背筋を走りパトリオットな気分がわき上がる人が大勢いたりするから不思議というか、誰も秋葉原が乗っ取られてしまうなんて思ってもいないというか。うーん。政治って難しいなあ。


【10月21日】 ミステリー系ライトノベルの強化週間も追い込みにかかっていよいよ尻に火が着き始めたけれども半分くらいは自業自得なんて仕方がない。あとの半分は職場環境の変動がもたらした時間の差配の難しさか。んで早見裕司さんの「メイド刑事7」(GA文庫)は「スケバン刑事」よろしく潜入しては巨悪を暴き悪党どもを退治てくれよう桃太郎、ってな感じの勧善懲悪ストーリーが通常なところを趣向をかえて警察庁長官の家の執事が名探偵となって頭取殺害の現場に赴きミステリマニアを任じる容疑者たちにミステリマニアなら分かって当然の質問をぶつけては間違いを広い真犯人にたどり着くとゆーミステリもミステリなエピソードが入っていてこれなら紹介も可能と喜ぶ。無駄撃ちは出来んのだよ今のこの段階で。

 さらに全身をレクター教授された新しい敵も登場してきてメイド刑事や長官の周辺にも危機とか迫りそう。圧倒的な強さを見せてたと思ってた葵ちゃんも最近は集団でかかられ抑えつけられることもあるみたいなんで、悪党一家にあって悪党として飛び抜けていた存在が解放されて向かって来た日にゃあきっとズダボロにされてしまうんだろー。それもまた見目で良し、か。1巻を読んだ時には1発芸の余技かと思っていたけどここまで来ると早見裕司さんの代表作って言って言いすぎじゃないくらいの人気かも。漫画化はされ始めているけどここは一気にテレビドラマ化なんてお願いしちゃいたいところ。長官は阿部寛さんあたりでオッケー。でもって主役は誰が良いかなあ、優しそうだけれどテキパキしていて啖呵も切れる演技派女優。谷村美月さん、かなあ。ちょっと観てみたいなあ。

 さらに「ポリ黒」を遡って「神曲奏界ポリフォニカ リライアンス・ブラック」(GA文庫)も。よく読む暇があるもんだと我ながら感心。いやそれはそれとしてインディーズ音楽祭の前夜にステージで単身楽団を練習していた若者が感電して死去。でも背負っていた単身楽団では感電することはありえない。どういうこと? 一緒に練習していた演出家が怪しいけれどもどうやって殺害したかが見えないし、凶器となっただろう単身楽団の行方もつかめない。そんな中でマナガとマティアも知り合いの音楽学校生に嫌疑が及んで誰も彼もが悩み疲れる。けれどもそこは粘りと聡明さが肩を組んで歩いている2人組。マナガのコロンボもかくやと思わせる尋問の上手さとマティアの鋭い推察が重なって犯人をじわりじわりと追いつめていく。次の巻がマティア1人で事件に挑む特別なプロットだっただけに「ポリ黒」本来の楽しさはこっちの方が上かも。けどここでもマティアの独立独歩さが見え隠れ。やっぱり最後は2人の離別と行くのかなあ。

 「東京国際映画祭」で沸き立っていると思われる「六本木ヒルズ」へと行ったけれどもまあだいだいがいつもと同じ感じの賑わい。「TOHOシネマズ六本木ヒルズ」へと出向けばもーちょっとは映画祭っぽい雰囲気もあるかもしれないけれどもカンヌみたくスターがそぞろ歩き認められたい女性がヌードになって誘うよーな華やかさはまるでないからなあ。釜山とかってどーなんだろう? もーちょっとお祭り気分が漂っているのかな。でもってTIFFそのものには行かないでジャパンロケーションマーケットってロケ地を世話するフィルムコミッションの集団が企画しているイベントを見物。何とそこであの「らき☆すた」で世間が大注目した鷲宮町の商工会の人たちがどうやって段取りをつけどうやって運営してどうやって成功へと導いたのかを語ってくれるのだ。

 ってまあだいたいが世に出ているし発売されたばかりの「週刊SPA!」でも特集されていたりするから目新しさはないだろう、って思っていたらこれが意外に収穫のイベント。最初に「河童のクゥと夏休み」の原恵一監督が登壇してまだ映画化の企画が動き出す前からいつか作るんだって思いを抱いて東久留米市をロケハンして歩いた話とかしてくれて、思いを形にする大変さって奴を噛みしめつつ人気漫画やゲームとは離れた場所に原作を持っていたりオリジナルだったりするアニメがもはやなかなか企画され得ない状況を見て寂しさも募る。結局はだからスタジオジブリの一人勝ちなのか? いやいや作品の見る目を持たずに人気のあるところだけを取り上げその人気に便乗しようとしているメディアの問題もそこにきっとあるんだろー。今ならオリジナルだって取り上げられるぞ。話を持って来て欲しいぞ。でもマイナーだしなあ。気付かれてないもんなあ。

 そうだ鷲宮町の商工会だ。どっかの3Kあたりがネガティブな地元(ですらなかったみたいだけど)の反応を紹介して視覚化された聖地巡礼に気付いて商工会は即座にこれを活かせないかと発想し、角川書店に持ちかけ企画書を出し了解を得て最初のイベントにこぎ着けた。その間って数ヶ月。グッズを作ろうにもアイディアがないんでネットとかでファンに呼びかけファンが欲しがるものを作ったフットワークの軽さ、胸襟の広がり具合も成功を招いた要因みたい。角川の了解については最初の段階で街に迷惑をかけているかも、って版元側の意識があって贖罪っぽい感覚で版権を認めたんじゃないのかなあ、なんて分析もあったけれどもその辺りの真偽は不明。企画自体が真っ当で筋が通ったものだったってことの方が大きいんじゃなのかな。

 その版権も最初は半ば厚意だったものをこの4月から正式な契約に切り替えて商工会と版権元とでちゃんと金銭のやりとりも行っているみたい。でなきゃグッズを出している他の会社が拗ねるもんなあ。でもって商工会とか住民票を発行した町なんかは上がりをちゃんと街に還元して街灯とかを付け替える費用に宛てているらしい。大勢来てくれた人の落としたお金で町が良くなるんだったら例え漫画みたいな絵馬を描きに来てくれる風変わりな人でも認めるしかないよねえ。金儲けのためじゃなくって地元もともに盛り上げていくスタンスを保ち続けたってことが地元と版元と消費者の関係を円滑で円満なものにして鷲宮町を大成功に導いた。真似をするなだそこんところをちゃんと考えないと誰かが不幸になるどころか、成功モデルすら覆しかねないんで聖地巡礼で町おこし、なんて考えている方々はしっかりと調整を、研究をお願いいたします。そういや町おこしコミケ。場所とかもう決まったんだっけ?


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