縮刷版2008年10月中旬号


【10月20日】 27歳ってんだからムンムンに熟れ熟れな年上の女性と逢瀬を重ねまくって大学にも通わなくなっていたけど振られてその振られ方も未練を残さないで済むよう手酷い振る舞いに及ばれ更正の機会を得たってのに主人公。どうにか大学を出て入った家電量販店ではじめは真面目に働き彼女も出来たのがだんだんと酒に溺れるよーになって記憶を失う中で大暴れ。嫌われ初めて落ち込んでさらに酒が進んで会社に行けなくなって退職して、実家に戻ってもやっぱり暴れてもはや死ぬだけってところまで落ち込んだのが過去の縁で踏みとどまって医者通いをして、それでも残った不安を酒に逃げようとして瀬戸際で耐えて耐えた先に舞っていたかつての27歳が今だとどれくらいになるんだろう? でもそんなには言っていない女性と再会して再生へと向かい始める絲山秋子さんの「ばかもの」(新潮社)はニート文学の最高峰ってより幸福すぎる純愛ストーリーなんじゃないかと思った独り者。

 出合う機会もなければその先にある逢瀬なんで期待も埒外。せめて似非でもいいから救いの手が伸びて欲しいって思ってもそんな誘いすらまたいで通っていく疎外感に打ちひしがれながら悶々として淡々とただ生きている奴らにとっちゃあぶきらぼうで居丈高な姉御肌の女性と出会い会話し手をふれ合って肌を寄せ合う関係なんて、遥かアンドロメダの彼方で起こっている出来事に等しい遠さなんだよ多分きっと。我が身を重ねて耽溺する前にちょい身を引いて眺めてぼそっと一言「ありえねえ」とつぶやきつつ、通り過ぎそうな話って気もしないでもないけれど、もしかしたらあるいは紙一重のところで起こり得る出来事なのかもって印象を覚えて手を伸ばし、切なさにむせびつつささやかな夢をそこに観る、なんて人も案外にいたりするのかどうなのか。底辺の構造をフレームアップし渦巻く悪意を選んで描く戸梶圭太さんとは違った意味で底辺の関係をのぞき見て願望を描く同時代作家。次も切なくさせてくれい。

 過去バナ。だから先にどうなったかは不明だけれどもそこに至るまでの端緒の部分は判明した「喰霊−零−」の第3話。主家の娘で退魔の力を持って育った神楽って幼い少女が母の死で忙しくなった父の元を離され居候した先にいた黄泉って少女。姉として慕いあいても妹と接してやがて2人仲良く退魔の仕事に就くよーになってさあこれからってところで多分、きっと何かが起こって2人の間を引き裂いたんだろー。殺生石ってガジェットは原作でもたぶん重要な意味を持っているんだろうけどそれが関わったのみならず、黄泉お姉ちゃんと慕ってくれる神楽を姉と呼ぶなと両断できるくらいの恨みを滾らせるだけの過去があってそれが心を揺らし、黄泉を魔へと引きずり込んだ、ってことになるのかな。分からないけど筋が見えないって意味で毎週みたくなる面白さではやっぱりこの秋トップかも。

 負けずと「スキップ・ビート」も先を観たくなる面白さ。原作があって大筋は分かっているんだけれど直面する困難を叩き伏せねじ伏せて進む少女の燃えっぷりとそれを描写するビジュアルが愉快でついつい本放送で観てしまう。恨みだけで芸能界に入る虚しさを知り愛し愛される関係を築くことの大切さを知ってさてはてヒロインがどう変わるのかぬぐえない恨みをぬぐった先に待つ対決と栄光のシーンを想像して得られるだろう爽快感を先取りしつつほくそ笑もう。「今日の5の3」はだらだらとした小学生の日常が続く。小学生には面白いんじゃなかろーか。雪山に岡持もって登って笑ったり外国品の得体の知れないジュースを一気のみさせたりする変態キャラの乏しさがやっぱり起伏を富ませない原因になっているよーな。かがみこんだ鎖骨の下に見えた闇。あれは良かった。深夜なんだからせめてあと少しの媚を。

 やっぱり読まねばと「K−BOOKS」でもって「SHI−NO」をまとめ買いしてもらったチラシの中に「絵本カフェ」なるものが11月11日にオープンするってニュースを発見。場所は銀座の京橋よりの昭和通沿いで置いてある本は仕掛け絵本が1000冊とか全部で2000冊とかいった規模。国内最大級って触れ込みもまんざら嘘じゃないくらいの充実ぶりで、その中身もチェコの仕掛け絵本作家として有名らしーヴォイチェフ・クバシュタの作品だとか、19世紀にいた巨匠らしーローター・メッゲンドルファーにアーネスト・ニスターの復刻版とかも並んでいたりするそーで、仕掛け絵本が好きな人なら言って観て触りたくなること請け負いっぽいんだけれど謎なのはそこがカフェってことと、あと「執事喫茶」に関連しているってことか。

 カフェってことはお茶にお菓子が供される訳でそれらとめちゃもちゃしながら仕掛け絵本なんかを手にとった日にゃあいろいろと大変なことが起こりそう。子供はまずもって厳禁にしないと本が何冊あっても足りやしないし大人だって人によってはヤバいかも。開くのにだって苦労がつきまとうのが仕掛け絵本。開いたら綴じて次のページをまた開くという繰り返しをやらないと壊れるて前に三村美衣さんが言っていた。あと執事喫茶の流れで店員さんがみんなアリスがグリムな格好をして接客をしてくれるって部分。そういう部分が前面に押し出されるとメイドとは違ったコスプレ喫茶と間違えて絵本に嗜みのない人が集まって大騒ぎになる心配があるけどそのあたり、どーゆー運営にするのかにちょっと注目。志はとっても買いたい企画なんで日が近づいて来たら取材に行って観ようかな。

 んで「SHI−NO」を最初のと後の方のを何冊か。重複雑に入り組んだ事件を小学5年生にして超天才の美少女がばったばったと解決していく推理活劇、って感じではなくってもっと心に暗さを湛えた少女がその暗さ故に覚える人々の罪悪を感じ取っては起こる事件の真相に迫っていくといったダークさが特徴。大学生の青年が保護者然としてついているけど彼はいわば社会的な良識を保たせる一種の基準線であってその言動の真っ当さがあってはじめえ周囲に現れる面々の暗さ、突飛さも浮き上がる。最新刊あたりだとやや暗さに引きずり込まれつつある感じもあるけどそれも男の甲斐性か。行く末に空恐ろしさしか見えないこの歳の離れたカップルがどかへとたどり着くまで描くかそれとも時間の闇へと沈ませるか。富士見ミステリー文庫自体が闇に沈みかかっているからなあ。先行きに関心。


【10月19日】 故あって訳あって「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」をまとめ読み。無印の1冊目でほぼ完結している話をどーして続けていられるのかが疑問ではあったけれども1巻で見せた主人公の少年の乾いた叡智を探偵役に据えてその不穏な境遇から起こる事件に挑ませるミステリーなシリーズとして書き続けられているっぽいんだと判明、ってか想像していたらそのとおりだったんでこれも加えることにする。何に? それはさておきなるほどそうか、この作品は名古屋系でもあったのか。

 何がって登場人物のネーミングが名古屋系。枇杷島に八事に伏見に一宮に河名(本当は川名だけど)に大江と来て平針まででてきたぞ。一宮大江伏見はほかにあって不思議はない地名だけれども八事平針はなかなかないもんなあ。鶴舞線とか出てきたし。楠桂さんの「サンデーGX」の連載に登場する塩釜口さん並にあり得ない。いったい名古屋とどーゆー関係があるんだろう入間人間さん。ただのドラゴンズファンかそれとも。いつかお目にかかる機会があったら訪ねてみよう、赤池原植田に入中御器所はまだかも含めて。以上名古屋東部ローカルな話題でした。伊藤明弘さんには通じるのかな。

 んで「みーくんまーちゃん」。1冊目はミスディレクションな叙述トリック(って表現でいいのかな)だったけど2巻は病院内で起こった失踪事件の周辺にいた人物像から真相を割り出し3巻では街に起こる犬猫撲殺から人間の撲殺まで含めた事件の真相を関係性から暴き立てる。フェイクとして主人公の少年の周辺に過去におこった事件が暴かれ真相が示されその境遇の複雑さがなおいっそう浮かび上がるけれどもそうした興味と平行させて、周囲にいる人たちの心に蠢く闇めいたものを暴いていく手腕はなかなかなもの。人間てなるほどドロドロとした生き物なんだなあ。これのラストでにもうとちゃんがどーなったのかが不明。やっぱり?

 4巻5巻は何っていうか閉ざされた館が舞台になった連続殺人。すなわちクローズドサークル物の変奏で誰がどーやって殺したか、ってあたりがまず謎でかつそこに主人公の家族がたどった運命までもが大きな意味を持って真相に絡んで来たりして、1巻目では決して癒されず満たされない主人公やその周辺にいた人たちの未だに尾を引くトラウマめいたものが外圧的に暴かれ刺激されて立ち上っては痛みとなって迫ってくる。中にあって超然として飄々と生きる長女の美貌と性格が際だつ。果たしてこれからも登場しては主人公に絡むのか、絡んで欲しいけれども命だけは大切に。

 んで6巻目も突如起こった銃撃事件に挑む主人公。シチュエーションから外れた行動を読んで真相を暴く推理が冴える。そんな感じにミステリーとして屹立しつつ異常な家族と人間たちの生き様って奴も描いて見せた物語。狂気をはらんでいるからこそ成り立つ幸福の見えない関係が果たしてどうなるのか、不幸に終焉するのか停滞した微睡みに溺れ続けるのか。先に期待しつつ広げた風呂敷をどう綴じるのかに注目しつつ名古屋ネタがどんな形で次は盛り込まれるのかも観察しながらとりあえず読み継いでいくシリーズに入れ込もう。だからきっかけって題字かも。とはいえアニメを観たって「とらドラ!」はなかなかシリーズ完読に食指が動かないんだけれど。読むと面白いのかなあ。

 とろとろと早稲田まで。デカいように見えるけれども敷地にぎっしりと建物が建っているだけでグラウンドとか森とかがある訳じゃないんで距離的には入り口からそんなになかった井深大ホールとやらで行われた劇的10時間SHOWならぬ早稲田文学主催の10時間連続トークセッションの1時間目と2時間目をのぞく。誰か「井深大」を「いぶか・ひろし」と言ったような気がしたけれども「いぶか・まさる」が実は正解。雑はいけない、って確認していないことがらをこう書くのも雑ではあるけどしかし登壇していた宇野常寛さんの編集としてのセンスはともかく論評を雑だといった佐々木敦さんとこの「エクス・ポ」で編集やっているという人の質問にさてもはじまる論壇バトルロイヤル、って空気も漂ったけれどもその場では如何ともしがたいことなのでとりあえず収拾する。

 雑というより歴史や内容への敬意を抑えつつ現状を指摘するパーツとして駒を並べる手法への愁眉ってものの方を覚える人の割と居そうな問題ではあるんだけれども、言いたいことはそれほど違ってないところに勘の良さも見えたりするから困惑する。つか好きだと並べるものの8割くらいが共通しているんだよなあ、そこがまた悩ましい。そんな宇野さんも登壇した1時間目はえっと何が話として出たんだろう、評論やるにゃあ10年かけて信頼関係をつくってオルグしながら場を作りそこで立ち後を作って盛り上げようぜ、でないとみんなまとめてポイだぜっていった状況への危機意識が示されたってことか。狭い世界で需要はあっても世の中的にそれがどうしたってのが作品批評に文化批評。得体の知れない政治評論家が政局なんてただのゲームの行方をしたり顔で語って当たりはずれを競ったって、それが日本って国が抱える問題の解決にまるで訳に立たないこと以上に存在感を持っていないからなあ、今って。

 んで2時間目は大森望さんも登壇しての文学って何だ話だったけれど、これもやっぱりそれで何がどうなるのかって辺りの堂々巡り。一言で言ってしまえば面白ければ良いんだって小説作品への検証を、文体が語りがといじくり回していかなくちゃいけない人たちの立ち位置ってものが見えてきて、そういう世界で名を上げる大変さって奴を噛みしめる。面白いから面白いんだと言って言い切ってそれで完結できるレビュアーの立場のユルさをこれで良いんだと思いつつ、それで得られる世間的な認知度の少なさって奴にも寂寥感を覚えつつ遠くに見える川上未映子さんの美貌に嘆息しつつ会場を後にんする。御著書を「SPA!」で紹介させていただきました、って言ったってそれで歓心を得られるものでもないし。10年以上やってたってそんなケースはまるでほとんどなかったし。まあいいや好きでやってることなんでこれからも地味に小さく紹介していこう。

 高田馬場から秋葉原へと廻って例の「電脳フィギュアARis」の販売記念イベントを九十九電機で見物。をを生ARisが立ってたぞ。その大きめのキューブを床に置いてウェブカメラで写すと周囲に立っている人間とほとんど変わらない大きさのアリスがモニターの中に現れ、眺めると自分たちと同居しているような感じを受ける。そうか別に机の周辺だけを歩き回らせるのが「ARis」の限界じゃないもんなあ。大きいキューブならそれに見合った大きさになるってことでここは渋谷のスクランブル交差点にさらに大きめのキューブを置いてTSUTAYAの上あたりから映してパソコンを通して上のモニターに、渋谷の交差点に屹立するアリスを描き出したらビジュアル的に面白いんだけどなあ。どっかのテレビ局が遊んでくれないかなあ。せっかくだからと1本購入。でもノートパソコンのスペックが足らないんで今は封印。部屋をでかくしたら大きめのキューブを中央においてパソコンの中だけでも同居している雰囲気を味わおう。暗いなあ。


【10月18日】 わがままボディっていうよりはもはや猛獣。あるいは怪獣。高橋慶太郎さん「ヨルムンガンド」第5巻で仕事の合間の休暇っぽいシーンで、海辺に佇む水着姿のバルメのぼっこぼこに割れた腹筋とか観ると、女性であっても兵士や軍人には迂闊に近づかない方が良いのかもって思えて来る。自衛隊の美人自衛官特集なんかに出ている人たちもきっと普段は激しい訓練に明け暮れ腕には筋肉腹にも筋肉でもって肩へと不用意に伸ばした手をつかみひねってねじり挙げ、叩き伏せては気絶させるくらいの体術の持ち主に違いない。

 いややっぱりバルメが特別か。最新の「サンデーGX」だと祖父は救国の英雄で父親も国防司令部参謀総長で兄も大隊長とゆー軍人一家に生まれて自身も若くして少佐の地位までたどり着いた超エリートな上に派遣された国連平和維持軍だかで見方を二丁拳銃+銃剣のゲリラだかに全滅させられた汚名を浴び、軍を抜けてココの傭兵になってからさらに凄腕のメンバーに交じって鍛錬を重ねたからこそのわがままボディ。今また仇を捜して部隊を抜け出し単身でアフリカを移動する中で人一倍の強靱さを身に着けさらなりボディのわがまま化を押し進めていくことだろー。そんなバルメに全力で殴られひるまないヨナもなかなかのタマだねえ。

 高度に発達した幽霊は人間と区別が付かない、といったのはSF作家だったか霊媒師だったかは知らないけれどもとりあえず、鷹野佑希さんの「S.P.A.T! スパット」(GA文庫)のひまりちゃんにとって幽霊は、それと認識されない限りにおいて人間と変わらないから普段はスルー。でも幽霊だと知るととたんに恐怖がわき出て身をぶるぶると震わせるから困ったもの。だから本当は交番のお巡りさんになりたかったのに、適正を認められて警視庁の本庁にある幽霊に関わる事態を担当する「警視庁特務課・Gクライシス対策室」に配属になってそれから仕事の内容を知って仰天する。

 Gクライシスとは5年前に突然起こった現象。つまりは誰の目にも幽霊が見えるよーになってしまう現象で見渡すとそこかしこに漂う幽霊たちが生きている人たちに視覚的聴覚的な影響を与える。物理的な影響はないんだから放っておけばどうということはないはずなんだけれどもひまりのよーに恐がり慌てる人間が起こす事故とか事件は後を絶たず、幽霊が入ってこないよーな結界を作る機械を発明したり、頼まれて除霊する仕事が生まれたりしていた。

 警視庁のGクライシス対策室もそんな事故の後始末をする部署かっていうとそうではなくって、むしろ幽霊を積極的に活用して事件の解決に繋げようとするチーム。見えるよーになったといっても能力によって差があって、うすぼんやりとだけ見える人もいれば開いての声が聞こえる人もいる。ひまりの場合はそれが度を過ぎていて幽霊であっても会話は可能で気づかなければ人間とまるで同じに感じてしまう。ただし気づくともうパニック。拝み屋だった祖母が幼かったひまりに幽霊話をさんざんっぱらして脅かしたものだから、すっかり恐怖症が身についてしまっていた。

 それなのにGクライシス対策室では殺人事件が起こるとかけつけ、幽霊を相手に聞き込みの仕事をやらされた。周辺にいる幽霊から、被害者自身の幽霊まで。血まみれの姿で恨みに呻く幽霊もいたしりてもう恐ろしくって怖くって、ひまりは臆して逃げだそうとしたものの、キャリアのエリートなのになぜかGクライシス対策室にいる伊崎に冷たい目で見られ、仲間たちに支えられながらどうにか仕事をこなしていく。ちょっと変わった新人ポリスの奮闘記、ってとこですか。

 幽霊との付き合いもあっただろう祖母が何でこうまでひまりを幽霊恐怖症にしたのかが分からないけどたぶんひまりがくっきりと“見えて”しまう体質だと知って、人間と幽霊の区別がつかずのめりこんでは引きずり込まれないよう釘を刺しておきたかったからなのかも。一方で幽霊を沈める歌も教えていたしりて、それが捜査の時に役立ったからいつかはその道に進むて予感があったんだろー。

 死人に口なしなどころか死人が積極的に喋る時代は犯罪者にとっては悪夢、ってことで死人の口を封じるべく、強制的に除霊する消し屋の仕事が生まれたりするのは面白い状況。1巻目でも姿は見せないで何人かの幽霊を消した強力な消し屋が現れていたりして、それとの対決なんかも描かれていくんだろーけど最大の敵は伊崎の妹。冷徹な男がその妹の前だとデレデレになるのはそれとして、兄をデレデレにさせては高い品物をきっちりせしめる妹からちょろりとのぞくダークな顔が、伊崎といっしょに捜査するひまりへと向かって起こるバトルに注目。幽霊よりも人間よりも手強いぞ、きっと。

 とりあえず口絵の梅ノ宮千世は何とかした方が良いんじゃないかと思った松智洋さん「迷い猫オーバーラン!」(集英社スーパーダッシュ文庫)。本文は梅ノ森。人物紹介も梅ノ森。どこでどう行き違ってしまったのか。まあ時々あることだから増刷分からはしっかりと。んでもって話はなかなかに炸裂的。商店街で人気の洋菓子店は見目麗しい乙女って女性が作って売ってときりもりしているんだけれどどこか浮世離れしたこの乙女。世界で困った人がいたり間違った事態が起こると行って何とかしてあげる正義の味方でもあって度々店を開けては弟の巧に任せてしまう。任せられた巧はアルバイトに来ている幼なじみの芹沢文乃と店番をしていたけれどもそこに新たな闖入者。乙女がどこかから少女を拾ってきて家に住まわせた。

 暴君的だけど実は巧が気になる文乃とそれに気づかない巧との間に割って入って生まれる三角関係の物語? っていうとそうでもなくってむしろすでに三角になってて2人が通う学校の理事長の娘の梅ノ森千世が巧に気があって、それをいえずに巧を下僕扱いして文乃もまとめて面倒みていたりするドタバタ学園ストーリーがある中に割って入った乙女が連れ帰った少女なだけに居場所もなく見せ場も少ないまま街を出ていこうとして居場所なんて見つければ良いんだと止められる。たぶんそんな主張がテーマになっているんだろうけれど、謎めいた少女の存在と、爆裂的過ぎる乙女の存在感が平凡な学園ラブコメを別次元へと引っ張り込もうとして、けれどもどうしてそうなのかって理由が見えないあたりで別次元に行きそびれてしまった感じがしてやや戸惑う。迷い猫にはもっとオーバーランを期待。乙女には正体の開示をお願い。

 まあ妥当かジェフユナイテッド市原・千葉。勝てなかったけれどもあれだけカウンターを喰らって失点しなかったんだから岡本選手やボスナー選手の奮闘を讃えて勝ち点1を積み上げられた僥倖を喜ぼう。どーして青木良太選手はサイドをオーバーラップしないんだろう。前で谷澤選手が受けても戻すしかなくなってしまうよ。そっちが活性化しないからサイドチェンジの時にせっかく谷澤選手がフリーになっていても反対の人がそれに気づかないことが多すぎる。根本裕一選手を置いてオーバーラップをさせて中央に素早くクロスを入れて巻選手、ってパターンを観たいなあ。あと深井選手。チャンスはいっぱいつくってくれたんだけれどアシストとなるとクロスの精度が……。それは全員に言えることか。まあでも1はとれたんだから次だ次、勝ち点3を下から奪って差を付けよう。大宮。行くか久々に。


【10月17日】 犬が可愛そう。頭が良さそうだっただけになおさら可愛そう。助けたつもりになって可愛がってあげたけれどもそれが勘違いを招いて事件を起こしたら一変、叩いて非難する手のひら返しをくらえばそりゃあ犬だって拗ねるさ。振り回された挙げ句に妖怪にされては常世送りの憂き目に。あそこでもーちょっと自制してたらこんな不幸は招かなかったと思うと町長姉ちゃんはもっと反省するべきだ。衣装はだからビキニにすべきだ罰として。ってな感じの「夜桜四重奏」。会話の頓狂なシーンにプレスコの雰囲気が出ているっぽいなあ。だからもっと日常会話のシーンが欲しいなあ。

 長門の次は赤城かハセガワ。350分の1の戦艦シリーズでもって超精密にして超リアルな模型をずっと出しているけど去年だかにその精緻さでもって造型された戦艦長門の偉容に驚かされたと思ったら、今年は真珠湾からミッドウェーまでの太平洋戦争における日本海軍の要として活躍したらしー空母赤城を超精密なプラモデル化。ディテールは言うに及ばずオプションながら木製の飛行甲板を要してあって取り付けたらもう気分は水兵さん。毎朝6時に起床ラッパとともに起きてはミニチュアのブラシを取りだし磨くのがきっと楽しみになるんじゃなかろーか。ワックスとかかけていたのかな。でもそれやると艦載機が滑るか。どんな感じだったんだろー空母の木製甲板の上って。

 そんな展示がまず目に入った「全日本模型ホビーショー」はロボット系の出展が直前の「ROBO_JAPAN2008」が開かれたって関係からまるでいなくなっててプラモデルとあとラジコンのショーに戻ってた。寂しい? って言ってもでもあそこに集まるバイヤーさんにロボットの受注があったともあんまり思えないから再びの分離は仕方がないかな。そのラジコンも飛行機とか派手に飛ばすブースはなくってこぢんまり。「ヘリQ」みたいな玩具としてのラジコンは隆盛でもデカく飛ばして走らせる大人のホビーとしてのラジコンは、やっぱり時間とあと場所の関係から退潮に向かっているのかな。田舎にいるときゃあんまり考えなかったけど、都会に住んでるとやっぱ無理だもんなあ、ラジコン遊び。

 でもって駆けつけたバンダイのブースで紅月カレンのバニー姿とヴィレッタ・ヌウのマイクロビキニ姿に脳天から鼻血が噴き出す。いや脳天からは噴き出さないか。「コードギアス 反逆のルルーシュR2」でも艶姿ではトップの2つを締める2人がそのまんまのポーズでもってフィギュアに。完成度は極めて高くってそのなかなかにたわわなヒップもバストもしっかり際限されては目に迫る弾力性を感じさせてくれる。触ればそりゃあ堅いけど。6825円はどうだろう、高い? でも普通にコールドキャストの人形とか買ったりガレージキットを組み立てて彩色する手間を思えばこれだけのディテールの2人が1万円を切る値段で手に入れられるんだからむしろ得した気分じゃなかろーか。12月発売予定だからクリスマスプレゼントと思い財布をゆるめよう。クリスマスには2人とも随分と涼しげだけど。あとはやっぱりコーネリア様が欲しいけれどもあんまり艶姿、見せてないもんなあ。

 バンダイだとあとは「ガンダムUC」からユニコーンガンダムに続くモデルの登場か。シャアならぬフルフロンタルが乗る赤い彗星もどきな「シナンジュ」byカトキハジメさんで全体にシャープで開くといろいろ開いて赤さがのぞく「ユニコーン」とは違い最初っから西洋甲冑っぽく曲面の多いデザインになっててどこか凶悪。喋っている人の話を聞いていたらイメージとしては「聖戦士ダンバイン」のオーラバトラーなんかがあってどこか生物的な雰囲気を持たせてみたとか。でもってパーツも分割せずに一体成形でもって曲面のボリューム感を出しているとか。全体はまっ赤なんだけれども胸元あたりは黒くなっててそこに金色の浮き彫りなんかがあてなかなかにゴージャス。そんな機体に迫られたら誰だって身を縮めたくなるんじゃなかろーか。素組みでどこまで雰囲気を出せるかは分からないけど挑戦のし甲斐はありそー。ただ値段が7350円ってのはなあ。高くなったなあプラモデル。

 むしろ個人的には「ガンダムMK−2」のHDカラーバージョンって奴が欲しいかも。何だHDって? って言われてあんまり説明できないけれどもどーやら冬に発売になる「ブルーレイディスク」版の「Zガンダム」がはっきりくっきりとした映像になっていることを記念して、ペイントなんかをより細かく再現できるシールがいっしょに付いているってものらしー。エッジがより際だっている、ってことはないんだろーけど昔むかしに正月休みに3日かけて作った「MK−2」とは違ってバージョンも上がっているからディテールはよりリアルになっているはず。それに加わるHDマーキング。完成したらそのくっきりさを昔作った奴と並べて比べてみるか、でも部屋のどここに行ったんだ。

 ベースは音楽を糧にしている精霊たちと精霊が好む音楽を奏でる神曲楽士の関係を中心にして起こる事件を解決していく「神曲奏界ポリフォニカ」シリーズ。大元になってる榊一郎さんが立ち上げたコーティカルテってとてつもない力を姫ながらも今は幼い少女の姿をした精霊が、まだ若い神曲楽士とペアになって進む赤ポリシリーズなんだけれどもそこからすぐに枝分かれしたのがマナガって巨躯のおっさん精霊とマチュアって見かけは幼い少女の神曲使いがともに精霊課の刑事として精霊が関わった事件を解決していくてバディ物の「ポリ黒」シリーズ。実はおそらく強大な力を持っていながら訳あって力を隠しているのか奪われたかしたマナガが、その巨躯を折り曲げ頭を下げつつ操作していく中で、ちょっとしたヒントから真犯人を割り出しそしてコロンボばりに誘導し矛盾をついて真相を暴き出す展開を楽しめる。

 けどでも最新刊の「神曲奏界ポリフォニカ アイソレーション・ブラック(GA文庫)は趣向を変えてマナガが街に残りマチュアだけが有人といっしょに南のリゾートへと行って、そこで起こった殺人事件の謎に挑むっていう変化球の1冊。いつも推理はマナガに頼ってばかりなはずだったのに、ちゃんとしっかり成長していたマチュアは一人で考え抜いては真相へとたどり着く。シャンパンを仰いで女性が死んだ。たぶん毒殺。でもシャンパンに毒なんて入れている隙はない。シャンパンを開栓して注いだ男が多分犯人、というより確定した犯人。だけれども毒を入れた気配はない。いったいどうやって? って疑問を抱き仕掛けられたトリックを見抜き犯人を誘い出す展開はスリリング。本格の味を堪能できる。

 同時に大きくて優しい精霊にまだ幼い少女が頼っていたように見えていた構図が、実はマチュアという存在にマナガが総統に依存していたってことが浮かび上がって、2人の関係が今後どう進んでいくのかに興味が及ぶ。長い年月を生きてきたマナガにとてマチュアはようやく得られたパートナーだけれど、マチュアはこれからどんどん成長していつかマナガの庇護を脱して旅立つ。というより既に脱しかけている。

 研究職にある男性の配下に入って事務とゆーか雑用の仕事をしながら学んで研究で成果を上げてそして研究所の幹部に抜擢されることが決まっていた女性の巣立ちを、世話していた男性が理解できず己が手元に留めようとし、叶わないなら永遠に奪ってしまおうと考える関係から事件を起こした情けなさ、みっともなさを一方に置いて、マナガとマチュアはだったらこれからどこへと向かうべきなのかを考えさせられる。いつかマチュアはマナガを捨てるか。それともマナガがマチュアの自立を理解し身を引くか。マチュアが存命なうちは続いても長命の精霊にとってそのまま滅びるのは至難の業。調律し直されなければ苦悩から狂気に陥るって設定も確かあったけどそれをマナガでやられると世界が滅びる。いつか来る別離をどう迎えるのかって辺りもこれは全シリーズに共通して考えながら、次に起こる事件は何かを楽しもう。


【10月16日】 「ヒャッコ」。絵がまあ戻った。クラスメートが一気に出てきた。風紀委員で服装チェックしている奴がファーを首に巻いてやがった。「手前だけには言われたくねえ!」。同感。ゴージャスっぽい背の高い人は気が弱かった。やっぱり背が高い人は顔が不気味だった。眼鏡はやぱりツンケンしてた。何でだ。ヤンキーが壊そうだった。関西は食券配ってた。見逃すよりほかあるまい。アンダーフレームの眼鏡はロボットだった。違うロボット屋だった。でもって龍姫がお嬢様だと判明した。ふーん。ってことでどうにか回り始めたストーリー。とりあえずヘンなクラス委員にもっと出て頂こう。「トラどら」も見たが中の良さげな2人がそれぞれに好きな人がいるという設定はやっぱり傍目に妙だなあ。んで男が好きな女の子がやたらと元気というのは何だ。思わせぶりなのかそれとも無意識なのか。不思議な設定の物語。でも人気らしい。何故だ。研究しよう。

 ジャムに行く。ジャムおじさんはいなかった。戦闘妖精雪風はいた。戦ってはいなかった。あたりまえだ。「JAM」とは「ジャパン・アニメコラボ・マーケット」の略ですなわちアニメーションのキャラクターを自由に使って良いから何か作ってみませんかって一般に広く呼びかけて、既存の企業なんかじゃああんまり出てこないか出ても製品化の難しいキャラクター商品を作ってもらっちゃおうって企画。あわよくば製品化もってことで07年に第1回目が開かれた時は「装甲騎兵ボトムズ」のたぶんキリコなんかが身に着けているドッグタグをそのまんま形にしたものと、あと誰でも知ってる「鉄腕アトム」にやっぱりみんなしってる「やわらか戦車」を組み合わせた「やわらかアトム」が見初められて商品として登場していた。「やわらかアトム」はまあだいたいそういう方向だったからドッグタグが初めてくらいの成果って感じか。どこかやってて不思議じゃないのに、なかったんだなあドッグタグ。

 続く2回目からはいったい何が出てくるってことで見渡すとまず目に入ったのが「火の鳥」の鳥をアレンジして図案っぽくしたものが染め抜かれたTシャツ群。有限会社ザジの品物で「エミナカヤマ」さんってハワイな感じのイラストを描く人がハワイなプリミティブ性と「火の鳥」の持つ生命観をミックスさせたデザインはナチュラルな雰囲気があって気持ちが良さそう。巻スカートっぽいものが面白そうだったけれどもこれって男子でも巻き付けたら格好良くならないかなあ。完璧に近い製品に仕上がっていたんでうまくディストリビューションのチャネルが決まればすぐにも商品化されたらちょっと面白いかも。他にどんなアレンジが可能かも見てみたい。アトム、ってイメージじゃあないよなあ、「ジャングル大帝」あたりかなあ。「どろろ」……これも面白いかも。

 でもって回って「メルモちゃん提灯」が目にずっきゅん。でもって置かれた名刺の「創業安政元年」にどっかん。老舗も老舗の提灯屋さんで拠点も秋葉原から徒歩で数分って場所にある吉野屋商店さんが普段は手書きの祭りだとかに使われる提灯を作っているのがこのイベントにはメルモにレオにトリトンにサファイアといった手塚キャラをプリントした提灯を出していた。なかなかの可愛らしさ。天井付近をディスプレーしてた、今回の「JAM2008」に権利を寄越してくれたキャラクターなんかが描かれた提灯も手がけたそーでともとも伝統があって技術もあるところが作るとキャラ提灯もチープさがなくそれなりな工芸品的面もちを持っているよーに見えるからちょっと不思議。ちなみに岐阜の会社が販売している「ドラえもん」の形をした提灯もベースはここん家だとか。キャラを持っているところは出向いて作ってもらうとなかなかなノベルティになるかも。っていうか天井に並んでいた提灯、欲しいよ特にサファイアとか。

 むこうが老舗の提灯ならこっちは店頭ディスプレーのバルーン人形だってことで愛知県大口町にあるクエストアンドトライって会社がエアでふくらんで立ち上がるヒョウタンツギとかサファイアとか火の鳥なんかを出していた。もらったデータを風船化する技術もなかなかで遠目にも火の鳥に見えるしサファイアに見える。それが風を送り込んでいる間は立ち上がって揺れつつアピールするからなかなかの迫力。写真をもとにした風船も作れるそーでアニメのほかのキャラクターとか、秋葉原なんかでてチラシをくばっているメイドさんを巨大化させた風船を作って店頭におけば大受けすること間違いなし、ではあるけれども果たして置く場所はあるんだろーか。ともあれこういう品物があってそれがアニメと絡んでも面白いってことを、提灯と風船が示してくれた感じ。ビジネスに広がると愉快だなあ。

 一般からだとまだ学生って北村胡桃木さんのはこキャラに商品化の可能性高し。ようはペーパークラフトの人形で展開図を切り抜き組み立てると箱を積み重ねたよーなキャラクターのフィギュアになるってものなんだけれども顔立ちなんかがちゃんとしっかり描かれているから例えば「鉄腕アトム」を題材にしてもアトムにウランちゃんといった顔になって違和感を感じさせない。同人誌的な活動として過去にギアスやらハルヒやらも手がけてそれらがなかかなの仕上がりで、箱に描いて違和感を感じさせないキャラ絵の技術とそれから立体化可能な展開図を作る技術を持った人として、キャラクターグッズの業界なんかで重宝されそーなんだけれど果たして。個人的には「アニメージュ」とか「ニュータイプ」で付録のハルヒやギアスを作って欲しいなあ。放送中のだと何だろう、「CLANNAD」? 広がりに期待だ。

 「ケイコとマナブ」は学習帳だけれどこっちの「keiko+manabu」は世界を相手にデザインをするユニットみたいで遠くサウジだかでも仕事を始めるらしーけれども「JAM2008」には「鉄腕アトム」と「火の鳥」をモチーフにした椅子を出品。アトムの方はあの頭の形を半円に見立てて椅子にしてあったけれども「火の鳥」は方法のくるくるってまいた尾羽あたりのイメージを抜いて、雲のような形の椅子を作り上げていた。座り心地はどうなのかな? チタンを素材にしてカラーリングはグラデになってて当人達曰わく火の鳥の変転する様子を際限したとか。金色っぽいものと青いものがあって見た目もスタイリッシュ。問題はだから座り心地なんだけれど、少なくとも裸のお尻で座らない方が良いかも。切れはしないけど線がくっきり。

 あとは「デトロイトメタルシティー」の目覚まし時計で根岸の甘い甘い歌声が最初に流れるんだけれど起きられないと文字盤がくるりと裏返ってクラウザーさんが現れサツガイサツガイと怒鳴って起こしてくれる仕組みのなんかが商品化近そう。カラクリ時計の構造なんかは面倒だけれど日本の技術だったら可能だろう。常葉学園大学はデザイン関連のゼミが登場してアトムのアイコンを様々な場所の公共デザインに使ってみせるアイディアを提供。学校で資料を作るために申請したら「JAM」に出してみてって言われたそーでひっそりと静岡で発表したより広い反響を得られるんじゃなかろーか。個人的には病院の手すりにアトムをデザインしたのが前向きっぽい雰囲気を醸し出してくれていて、好き。コンテンツプロデューサーズ・ラボは「パンダコパンダ」を使った竹製品。「パンコパ」はまあ入り口で、国内にあふれて収拾がつかない竹を再利用した商品を作って「パンコパ」を通して売れば、それなりに知れ渡るって目算を抱いている模様。コンテンツプロデューサーズ・ラボってもっと電子寄りかと思ったら案外にベタなマーチャンダイジングもやるんだなあ。実践的。

 アニソンは世界をかけめぐる、のか? ってことで「コ・フェスタ」の一環に混ぜられている「アジア東京ミュージックマーケット」だかのアニメソング歌手ばかりを集めた回に言ったらアニソンオタクで「ステラボール」は目一杯。振られるサイリュームに飛ぶかけ声はアニソンイベントとまるで同じ。後ろで各国のレコード会社の人が見ていようとファンとして集まった奴らにそんなことは関係ないのだ。でも唄っている間に叫ぶ奴らはやっぱりうざいなあ。声がそれでも美声なら良いけどただガナっているだけなのは周囲に騒音でしかないし。オタ芸はまあ認めよう、それらも含めて日本のアニソン文化なんだから。でもさすがに井上あずみさんの「トトロ」や「ラピュタ」でオタ芸は無理だったみたい。どーしてこれを5人の最後に持ってきたかなあ。且つラストの曲が「kaikaikiki」ってのもアジアにタカシムラカミは絶大だって思われていると思ったのかなあ。いちおうアニソンだけどでもなあ。

 その他に関しては申し分なし。冒頭からタイナカサチさんの「Fate/Stay Night」の「disillusion」が始まりタイナカさんが気に入っている「ラビンユー」とテレサ・テンさんの歌とあと韓国の歌を唄い「彩雲国物語」の歌を唄って次に登場は我らがMay’nさんが出てきてビデオの「射手座☆午後九時Don’t be late」が流れ「ノーザンクロス」に「インフィニティ」から再び「射手座☆午後九時…」へと至るハードロックのミルフィーユ。重ねられたサウンドと押し出しの強そうなボディはとても18歳とは思えない迫力で、このパワーなら遠からずアニソンの枠を超えてでっかく羽ばたけるって思えて来たけど果たして。「もってっけー」「とんでっけー」を叫べて良かった。

 んで「秘密」のオープニングとかをやってる「アルビノ」が出てきてアニソンライブに慣れてないのか輝くサイリュームに叫びへの感動を露わにしてもっとおくれとアプローチ。その丁寧さにみんなも乗って声が飛んで良い感じに盛り上がった。そして美郷あきさん。「舞−HiME」のエンディングとかを歌って懐かしさを覚え「怪物王女」のオープニングとかで姫の美しさに久々に接してDVDがふと欲しくなった後でたぶん本命な栗林みな美さんが「君が望む永遠」の歌から出世作の「舞−HiME」へと向かい「舞乙−HiME」へと流れるコンボを浴びて心を踊ったあとが何故か井上あずみさん。たしかに先駆者で国民的なアニメの歌も唄っているからトリというのはとっても落ち着きが良いし聞いてて楽しかったんだけれどノリの流れはちょっとユルまってしまった感じ。でも逆に子供心はくすぐられたかな。海外にも通じるジブリアニメに村上隆を通してのプレゼンってのも戦略としては正解。だからまあこれはこれで良かったんだろー。NHKの「みんなのうた」のテーマソングは良い曲だった。テレビで流れたら聴こう。


【10月15日】 よーやくやっと「鉄腕バーディー」の20巻目を購入。須藤うらやまし過ぎ。どっかの宇宙船にとっつかまって拷問されかかったところを逃げ出したものの服を奪われ下着も剥がされスモックみたいなのを着ているだけなところに千川つとむはバーディーへと変身。前屈みになって障害の上を乗り越えようとしていくものだから後ろにぴったり付いてた須藤にはまあるいお尻が見えていて、でもってお尻だけじゃないところも見えてしまって思わず鼻を押さえましたとさ。アルタ人のそれがいったいどーなっているかは知らないけれども人間と同じだとしたらうーん。須藤やっぱりうらやまし過ぎ。ニエトだったら見慣れてる、って訳でもないけど散歩している奴とかいるからあんまりうれしくなかったのかな、それともヒューマノイドに近い形態なりに似た形状になっているのかな。教えてゆうきまさみ先生。

 でもってショバを移した「ビッグコミックスピリッツ」の方では名前に「EVOLUTION」がくっついた「鉄腕バーディー」がスタート。ちょい間をおいて落ち着いたところから新たな敵を相手に戦っていくって感じになるのかな。でも続きは続きだよなあ。版元もいっしょなんで「マキシマム」がくっついた「トライガン」ほどには分断はしていないんで普通の「21巻目」として読んでいけば良いんじゃかなろーか。巻末のバーディー役者さんが登場してくれるかは分からないけど、ほらDVDでバーディー役者というか役者しているバーディーな有田しをんが登場していたりするし。アニメ版だけで漫画版には出てこない? そりゃそうだよなあ。とりあえず続くことを喜び読もう「MOON」を。あと佐々木規子さんのテレビ局物も。

 よーやくやっと「ケメコデラックス」を見る。外のメタボと中のグラマの声を変えてるってのが何か豪華だ。豪快に強面と楚々としてツンデレの両方ってそりゃあ演ってやれないことはないんじゃないかと外のメタボの斎藤千和さんに思わないでもないけれども、前へと張り出す声の直後にやや溜めつつも強気な少女を演じるってのは大変なのかやっぱりメリハリをつけたかったのか、中は中で戸松遥さんが演じてる。「神曲奏界ポリフォニカ」の大人コーティカルテを外で中を子供コーティカルテにする、ってだけじゃあやっぱり端なる年齢差を見た演じわけ、明確に別人格だということを打ち出すにはそれぞれに人を宛てるのが正解、ってことなのか。でも豪華だ。

 声も豪華なら動きもゴージャスでなおかつネタも超ヤバげ。古来よりあった兄弟のいがみ合い、その最後に繰り出されてきた富士見の版元のご大変にいっしゅんこれはどこが版元になった原作なんだを見てしまったよ、ってかご大変の片方のステップボードぢゃありませんか! これが音羽か一ツ橋ならからかい半分だと見てとれるけれども地元も地元、ホームグラウンドから出た原作のアニメでピー音入れてもくっきりと分かるその内容に昨今の引き離したぜって余裕を感じるべきなのか、水島努監督のやっちまったぜってタクラミを覚えるべきなのか。母親な漫画化のゾンビぶりが良い描写。妹は健気だけれどもケメコ好きに急変した心理的なスライド具合がちと分からなかった。ストックホルム症候群?

 世間的には「コ・フェスタ」とやらが続いているはずなんだけれど相変わらずに世間的な露出が足りないこの2週間。「CEATEC」は「CEATEC」として薄型液晶テレビが出てましたぜって取り上げ方をされ「東京ゲームショウ」は「ゲームショウ」で「モンスターハンター」がすっげえ人気で「芸者東京エンターテインメント」が妙だったって反応。でもって「劇的3時間SHOW」は松任谷ユーミンが飛び入りゲストで唄ったってくらいの報じられ方で週末から始まるはずの「東京国際映画祭」は遠く彼方で開かれる「カンヌ」「ベネチア」「ベルリン」ほどにも盛り上がらない、ってのは「東京国際映画祭」自身の抱える問題なんで仕方がないとしても、それらを束ねさえすりゃあ目立つだろうってお上のお役人のお考えも、それらを束ねていることを見せる技術の至らなさでもってシンボルマーク代がまるで無用に思えるくらいに知られずひっそりと行われている。

 石の上にも3年だから少しづつでも露出をはかって来年あたりに一気に目立てるようになれば良い、ってことなのかもしれないけれどもその露出の少しっぷりがすごすぎて、世間のメディアで働く人ですら今が「コ・フェスタ」中だってことを知らないから何というか奇妙というか。だいたいが9月末から始まっているのにオープニングを明日やるってのはどういうわけだ、それはオープニングじゃなくって幕間じゃねーのか、って感想は無理からぬこと。かといって冒頭に「東京国際フォーラム」でずらりクリエーター+ピカチュウを並べたオープニングだってあんまり目立ってなかったからなあ。

 まあいいや世間に対するアピールよりも国内のコンテンツ業界が一枚岩になって世界を相手に何とか戦える体質を作ろう、ってのとを一義と考えるならそのシンボルとなる仕組みは必要。本当だったら民間でもって互いに手と手を取って未来を考えなくちゃいけないんだけれどゲームにアニメにコミックと、映画にドラマに音楽じゃあお互いに見下ろしつつ卑下しつつ遠ざけつつ伺いながらも混じり合わない空気があるからなあ。それをまずはぶち壊す。その上でつながりを積み上げる。その成果が来年あたりに出てくることに期待だ。来年じゃあもう遅いかもしれないけれど。

 をを日本代表。なんかほんとうにどうでもよくなって来た。ワントップで玉田って信じられない。もらって走りかっさらって叩き込むタイプをトップに入れていったい後ろは何をしろっていうんだ。パスだして終わりか。それじゃあ潰されるだけ。ポストにならない。サイドから入れたって玉田じゃあ背が。でもサイド攻撃を重視しているちぐはぐさ。やっぱ普通に巻誠一郎選手だろう。あてて落として後ろから大久保がどっかん。クロスに巻が潰れたところを入り込んできてシュート。できなかったらサイドが切れ込んできてフォロー。とにかく前で為をつくって攻撃陣を分厚くしなきゃあチャンスも生まれないのに放り込んで渡してあとは頼んだグッドラック! じゃあ奪われ攻められ果てに決壊ってパターンに陥りかねない、ってか陥ってるぞ。うっちーを攻撃に使い逆サイドの阿部選手は守備専心、じゃあ前の香川選手が孤立するだけでうっちーの裏は狙われ放題。そんなちぐはぐさをでもずっと繰り返している岡田ジャパンの未来に南アフリカは見えるのか? 砂漠しか見えねえ。帰って来てくれよう爺ちゃん。ブチのことじゃねえぞ。


【10月14日】 双子といっても二卵性だから鏡を見るような毎日を過ごすなかでお互いがお互いを峻別できなくなるような感覚を味わうどころか、歳を重ねるほどに現れてくる差異を痛感させられコンプレックスに苛まれることの方が多かった。これが歳の離れた兄弟だったら成長の差だの経験の差だと自らを納得させられるものを、同じ日のほとんど同じ時刻に生まれてどーしてこれほどまでにとかえって差を痛感させられた。校長のいらぬ配慮でクラスをいっしょにさせられた小学校5年6年の頃などもう毎日が比較の連続。長じて離れて暮らすようになってようやく並の兄弟くらいの懐かしさを覚えるようになった程度で、欠けた片割れを追い求めるような内側を向き合った感情なんてものとは今も無縁だし、きっとこれからも縁遠いだろう。

 だから果たして遠く離れていた一卵性双生児の姉妹が、再会して心を通い合わせるストーリーの「ブリュレ」という映画を見たときに、そこにどれだけ感情を添えられるのかが分からない。むしろどうしてそんな感情を抱くのかって反発心を抱くかもしれない。双子という環境に生まれて育ったそれが宿命というものだから。でも半歩引いて考えた時、二卵性であっても同居し同時代を生きて得られた複雑で膨大な感情なり経験が、引き離された期間の分だけ積み重なって再会した瞬間にまとめて押し寄せる可能性なんかが思い浮ばないでもない。それはなるほど凄まじくも激しくそして深いものになって不思議はないのかもしれない。まるで同じ顔。そして同じDNA。いるはずがない存在が突如として現れた時に浮かび上がる情動の激しさが、反発へと向かわず内へと向かって起こるかもしれない関係。それを「ブリュレ」という映画は感じさせてくれるのかもしれない。公開は10月25日。ユーロスペースにてレイトショー。臆しつつ気にしつつ待とう。

 石川光久さんのどうやったらプロデューサーになれるか話を聞きに行ったら三池崇史監督はビンゴで穴がいっぱい開いてもそれを声高に言い出せないくらいにシャイな人だって意外すぎる性格を聞かされた「劇的3時間SHOW」。集まった人の多くはきっとあの押井守監督をプロデューサーとしてどう御して傑作を次々と産みだしているんだろうか、そんな世界を相手に活躍できるプロデューサーになるには、どんな勉強をしてどんな仕事を経たら良いんだろうかってことを聞きたかったんだろうけれども、なかなかどーしてそーゆー誰にでも役立つマニュアル的なことをやらず、場を混乱させるのも一種のプロデュース術。驚き訝る中から生まれる興味や反応って奴を伺い取り込んでは場を意外な方向へと持っていくことで、在り来たりではない新しい作品がきっと生まれて来るんだろう。

 普通になりたかったという少年時代。周りが自分より才能があるように見えて仕方がなかった。けれども才能があると自負しているからその限界にぶちあたった時にあっさり挫折する。才能がないと思いつつ与えられた仕事はきっちりとこなしていく、その積み重ねだけが自分を遠くにあった夢へと近づけてくれるのだという。「目標は小さく、夢は大きく」。なるほど至言。このあたり、まずできることをコツコツとこなしながらやがて認められる存在になっていった昨日登場のFROGMANさんと重なるところがとてもある。もっとも2部から登場した三池監督は、FROGMANさんと違って映画監督になれた。なろうとした訳じゃなくて現場で代打から始まってそうなっていった。なろうとしなくちゃなれないって言ったFROGMANさんとはちょっと違う。

 ただそこが才能の違いって奴なのかもしれないし、あとはなりたいなりたいと口にするんじゃなくって目して語らないでもそう感じてくれる誰かが現れるのを待っていた三池監督の想いがFROGMANさんのそれを超えて図抜けていたからかもしれない。口で言うくらいならやればいいし、言わないくらいなら黙って待っていろっていう熱意と節度の裏表のような関係を、ともに守ることこそがなるほど映画監督への道ってものなのかもしれない。口先だけが1番ダメってことですね。しかし顔立ちは渋すぎるのに三池監督、喋ると明るくて楽しくて面白い。そんな三池監督がこれほどやっちゃったって手応えは生まれて初めだと断言した実写版「ヤッターマン」だから、きっとものすごい作品になるんだろー。CGIの合成を着々とこなしてしっかりと予定どおりに公開して欲しいもの。ドロンジョ様の衣装はどんなかな。12月くらいに出てくるタカラトミーのドールに注目だあ。

 あと三池監督で愉快だったのが脚本家との関係で、書かれてあるセリフを使わなかったりする場合もあるんだけれどそれは別に脚本がダメだってことじゃなく、そう書いてきたニュアンスを映像作家としてどう表現するかにかけているからだって説明に納得、していいのかほくそ笑むところなのかは不明ながらも決してないがしろにするんじゃなく、そう書いてあったらなぜそう書いたかを相談なんかしないで考え答えを出して、観てもらって納得してもらえれば良いんだという割り切り方が興味深い。相談したたところで出てくるのは中庸ですなわち凡庸。話し合ったという満足感が残るだけで、他人にとって良い物なんて間をとったからといって決して生まれてこない。まとめるところはまとめつつあとはバラバラに最善を尽くした集大成。なるほどだから三池作品は常に破天荒なんだなあ。

 ってなかんじに三池デイになりかかっていたところを最後はしっかりしめた石川さん。監督に憧れいっしょにしごとしたいと業界に入ってもその憧れが邪魔になることもあるんだとファン気質の業界志望者に釘を刺し、今すぐに格好良さを目指せなくっても40歳50歳で格好良くなっていたいと思い着々と積み重ねていけば、いずれ必ずそうなれるんだってことを身をもって示してた。さらに家族について衝撃の発言もあって聴衆を凍り付かせる場面もあったけれども、それだって決して後ろ向きのものじゃない。他人を慮り自らを貫く姿勢をなくさずすす見続ける気概こそが、プロデューサーとして成功しさらに成長していく上で必要なのかもしれない。今を妥協して生きている自分には遠い世界だけれどもまあ、せっかくなんで頑張ろうっと。


【10月13日】 恐ろしいものの片鱗を今再び味わった人が千葉方面に多数出た夜。第1話からヒーローもヒロインも萌えっ娘オペレーターも癖はあるけど有能な指揮官もまとめて怨霊やらの攻撃を喰らって全滅してしまってさていったい次はどう始めるのって注目を集めた「喰霊−零−」は、あっさりと主人公たちを総とっかえして防衛省でもはみ出しものの一団っていかにも主役然とした初回の面子ですらザコ扱いして本命とも言える防衛省とは対抗している環境省から凄腕の一団を召還しては暴れ回る怨霊の鎮圧にあたらせさあいよいよ本編の始まりだ!

 って思わせておいてそれですら叶わないかもしれない敵を持ち出し、絶体絶命の瀬戸際まで追いつめそこでトゥー・ビー・コンティニュー。どう見たってバッサリやられてて当然な美少女が果たして生き延びて今後の主役を張るのは、それとも管狐を操る二枚目ともどもご退場と相成って、さらなるはみ出し者たちが現れ本当に本当の主役を張るのか。「キスダム」以上に先の読めない展開の先を楽しみにして来週も見てやっぱり気分はポルナレフ? 環境省よりさらに強力な退魔集団となるとやっぱり化け猫大作の厚生労働省か。それとも外注へと持っていって神楽総合警備か。神楽ならそれも初期の神楽ならどんな敵だって最後には退けそして定番の田波洋一による「こんな仕事辞めてやるー」に行くんだけれど、最近の神楽は「喰霊」以上に瀬戸際だからなあ。

 んでもって「キャシャーン」。格好良すぎるオープニングに暗すぎる本編。人類は見えずロボットがはびこって生存している世界なのにそのロボットが永遠の命をもはや失い朽ち果てていく存在となっていたりする未来。理由はおそらくキャシャーンの活動にあるんだろうけどそれがどう働いているかが見えない中で朽ちていくことに得心したはずのロボットたちが、その体を喰らえば命を長らえられると噂されるキャシャーンの登場によって心揺り動かして迷い悩んで暴走する。滅ぼした上にさらなる絶望を与える罪作りな存在。ヒーローですらないキャシャーンを主軸にいったいどんなドラマを描いていくのか。滅びからの再生かそれとも滅びへの鎮魂か。1話を見逃したのが辛いけれどもこれから見ていくしボックスのブルーレイも買う。「喰霊−零−」とは違ってストーリー的な意味で今秋最大の問題作かも。

 いやいやこちらも問題多々。そもそも何で真夜中にやっているのかが分からない「スキップ・ビート」なんだけれども演出の面白さについつい釣られて見てしまう。幼なじみのアイドルに虚仮にされて一念発起、ライバル事務所に乗り込みオーディションにもぐりこんだもののそこで面接で余計なセリフを吐き、さらに特技で包丁を持ち出し大根を手にしてやるのはかつらむきか一刀両断か。そして見初められ入所して始まる苦労の連続からやがて事務所のトップスターとの因縁が発覚しライバルとの戦いも始まるんだろうけどそうだと分かっていてもこーゆー成り上がり者って見ていてとっても勇気づけられるんだよなあ。自分にはあり得ないけどあって欲しいって願望なも喚起されて。だから来週も頑張って見よう。本当に見せたい女子中高生に届いているのかって疑問を片隅に抱きつつ。

 成り上がり、って面ではまさしく現代最高の成り上がりクリエーターって言っても決して外れていないFROGMANさん。遠く島根からネットを介してしこしことFLASHの映像をおくり続けていたらいつの間にやら世間の目にとまってあれよあれよという間にテレビシリーズを手がけ映画まで2本作り更には「ピューと吹くジャガー」の劇場アニメーション版まで手がけてしまうというから驚きの出世ぶり。映画業界に入りたくって入りたくって高校を出たらすぐに就職してプロダクションやらで仕事をしたのに遂になれなかった映画監督の座をちょっぴり回り道しただけで掴んでしまったその成功の裏に何があったのかを、クリエーター志望者だったら絶対に聞き逃せないだろうってことで例の「JAPAN国際コンテンツフェスティバル」のオリジナルイベント「劇的3時間SHOW」に居並ぶ業界の大立て者達に挟まれフィーチャー。その講演が開かれるってんで「青山スパイラル」へと駆けつける。

 去年から始まったこのイベントは名前のとーりに3時間ってゆー劇場映画より長く単独インタビューしたってもらえない時間をまるまる喋りに充てて語り倒すとゆー、勿体ないやらゴージャスやらといった形容詞を着けても着けたりない内容を持っているんだけれどメンバーがまた輪をかけてすごくって、初日の佐藤可士和さんから幻冬舎の見城徹さんに芥川賞作家の川上未映子さんと来てユーミンまで登場した松任谷正隆さんのトークなんかも繰り広げられては連日超満員の大盛況を続けてる。そんな面子にあって果たしていったいどんな客層が集まるのか、そもそも客は来るのかっていった不安もきっとあったんだろーけどなかなどーして、会場にはしっかり埋め尽くすだけの人が訪れ3時間にも及びデラックスファイターそっくりの声で語るFROGMANさんの講演に聴き入っていた。

 声もなるほど渋くて最高なんだけれどもその成り上がりっぷり下克上っぷりがやっぱり誰しもの関心事。どんな生い立ちでどんな道筋をたどって今の成功を手に入れたのかって辺りを語ってくれたけれどもそこにはひとつにどうしても映画監督になりたい、成功したいっていう向上心がありそして逃げる場所を埋めて前に進むしかないような立場に自分を置いたことがありさらに自分には何が出来なくて何が出来てそれをどう組み合わせれば他に負けない何かになるのかに気づいて実践したことがあるとゆー。嫉妬心というか負けたくないという気持ちもあってFLASHで格好良い作品を作ってた青池良輔さんを意識しつつもあれほどまでの格好良いFLASHは作れない、絵は描けないし脚本だって巧くないし演出もなかなかだし声優だってプロに比べれば今ひとつなんだけれどもそれらを組み合わせて1人でやることは世間に対してとっても大きなアドバンテージになる。且つそれらを組み合わせて出てきた作品が持つ雰囲気が他に類を見ないものだったこともあって世間が喜び認め引っ張り出して今のFROGMANへとたどり着いた。

 やる気だけは失わず島根に“都落ち”したってそこから何かを届けてやろうという意欲だけは満々で、行きつけの床屋の待合室で親父とダベって自分は絵が描けると言いデザインは得意だと言いウェブデザインだって請け負えるとか言って仕事をもらってそれからいろいろと考え勉強もして納品してあれっと思われても逃げずしたたかに次の仕事をもらうような段取りで食べていたらしー。何しろイラストレーターを知らずワードのフォーマットで絵を描きデザインを組んでそれを印刷所に納品していたってんだから世間知らずも良いところ。けどだからといって恥じず学び進んでいくしたたかさがやがて出世作となった「菅井君と家族石」へとつながりそして「鷹の爪」へと発展していった。

 諦めない。そして己を知る。そこから出来ることを見つけて実行する。当たり前のよーなんだけれど夢多くプライドの高い10代20代にはなかなか辿り着けない達観を、語ってくれた講演を聴いてさても20代の人たちは何を思ったか。そうか出来ないことでも請け負う調子の良さが成功か、って思ったのならそれは違うと言っておこう。請け負ったなら石にかじりついてでもやり遂げる信念。遠回りしてでもたどり着こうと足を止めない持続力。投げだし逃げては周辺をうろうろしてその気になっているだけでは成功なんて出来ないんだって、そんなことを聞けば聞くほど現状に甘んじて宙ぶらりんを続ける我が身が恥ずかしくなって来た。Wise UP。気づくとしたら僕は何に気づけば良いんだろう。そして何を目指すのが良いんだろう。今いちど足下を見つめ直す時かもしれないなあ。

 天使と悪魔がそれぞれに世界を統べる権限を争いたいんだけれどもそれぞれが直接ぶつかり合ったらハルマゲドン、世界が大変なことになってしまうからと手下を使って人間界でせせこましくも競わせ優劣を決めるっていう、ライトノベルだったらいくらだってありそーな設定がフランスのベストセラー作家にかかると正義と悪の非なるよーで裏表だったりする関係について考えさせつつ、対立する存在どうしが互いを慮り心を通わせあっては神も悪魔も出し抜くよーにそれぞれの幸福に向かって走り出すとゆー、ある意味で世界よりも己の幸せが大事な人間の業にも近い思考を描いたファンタジックなラブストーリーになるから面白い。

 マルク・レヴィって人の「永遠の七日間」(PHP研究所)は神の子飼いの女性が善行に励み悪魔の子飼いの男性が悪行の横行を画策してぶつかり合うって物語。最初はそれとは知らず関わり合っていたのがやがて当事者どうしと知って相手をどうにか自分の見方にしたいと画策しやがてその感情が更正の促進というか同化への渇望となて身を苛み、仕える存在への絶対さを失った懐疑となってそれぞれを包み込む。真っ白な善だって立場を変えれば悪になるし、悪に見えることでも当事者にとっては善だといったことはこの価値観が多様化した世界では普通にあること。その狭間にあって己のみが善だということの虚しさに気づいた後で、だったら何を成すべきかを考える上で2人の神も悪魔も出し抜こうとする行動はとっても参考になる。善だ悪だと非難し合う前に自分にとっての最善を想い他人にとっての最悪を感じて選ぼう、取るべき行動を、進むべき道を。


【10月12日】 んじゃまあそろそろライトノベルのミステリでも探すかと横浜の「ROBO_JAPAN2008」帰りに買った夏寿司さんって人の「トリック・ソウルラヴァーズ」を1巻から3巻目まで読むより先に一緒に買った江口寿史さんのイラスト集を開いたら冒頭から岡村靖幸さんのCDジャケットの仕事が並んでた。何しろいろいろとある岡村ちゃんだけに大人の配慮って奴をするならそういうのって選ばないだろうところを堂々と選び且つコメントに大好きだって書いている当たりに江口さんの江口さん的なコダワリぶりが見え隠れ。このコダワリがたぶん仕事の完成度へとつながって漫画の仕事を大変なことにしてしまっているんだろう。イラストの方だけでもせめてたくさん続けていって欲しいもの。掲載されている奴だと「すすめ!!パイレーツ」のカードイラストのキャラクターたちが懐かしくって涙。そういやあいたなあ梶尾望都って。当時だって不謹慎過ぎるお名前。それを新人がよくぞ使ったもんだなあ。ジャンプってすごかったんだなあ。

 でもって「トリック・ソウルラヴァーズ」は校歌に見立てた連続死に鳥籠館っていかにもな館が舞台となった密室殺人に遊園地が舞台となった一種の復讐劇といった事件を桜咲きっていう名の父親に仮面ライダーもどきな番組の初代「ライバー」を演じた役者を持つ少女があふれる正義感でもって解決していくという内容。もともとは演劇部のエースとしてたぐいまれなる演技力を評価され認められ多々えられていたんだけれどその勝ち気な性格と正義感を見込まれ、何処からともなく現れた自らを“名助手”と名乗る小林新って少年から“名探偵”にならないかって誘われ引っ張り込まれた挙げ句に、普段はまるで無口な灯(あかし)という名の少年が持つたぐいまれなる推理力と組み合わせられて事件に挑まされる羽目となる。何で少年がひとりでは事件に挑めないか、ってところもある意味読みどころ。この設定れが後々にどういう影響を及ぼすかってあたりも想像してみて結果をながめて面白がれる。

 けどしかし何でまた小林少年は2人を引っ張り込んだかというあたりが設定的な大仕掛け。何やら世間には恨みを抱く人を焚きつけトリックを教え込んでは復讐なんかを成し遂げさせる「トリック・アーティスターズ」って面々が暗躍しているとかで校歌の見立て殺人事件でも鳥籠館の事件でも、そんな誰かの意志を受けてやって来てはあれやこれやと仕掛けを施し咲や灯や鳥籠館の事件から新たに加わった普段はアイドルをやっている紅条リカやらを相手に挑戦状を叩きつけて来る。事はなかなかに壮大で言うなれば国家レベルで時の総理大臣までもが事態を憂慮し咲に会っては激励するというからなかなかなの大事。なおかつそれほどまでの大事なら国家が本気でかかればつぶせて不思議じゃないにも関わらず、衰えることなく続いている辺りににも何やら秘密がありそーで、どこからともなく現れては事件を止めることより実行させた上で解決させるどうにもまどろっこしいことを平気で行う小林少年への懐疑なんかも膨らんでいく。

 そう、人の生死に関わる事件が予告されても予防よりも実行させるあたりがどこか嘘っぽくって居心地が悪い。裏でこっそり押しとどめたって相手はだったらと裏でこっそりと確実に、事件を起こしてしまうそーだからそれだったら表沙汰にした方が犯人の手がかりもつかめるっていう理屈も分からない訳じゃないけどそれならそれでやりようがあるんじゃなかろーか。事件のための事件って部分にリアルさの探求とは正反対の形式への耽溺が見えるけれども、ライトノベルってのがある意味形式への耽溺を喚起する表現方式でもあったりする訳で、そこにやっぱり形式が尊ばれる本格推理の物語をあてはめてみせるのはより正しい振る舞いなのかもしれない。そんな物語の上で繰り出されるミステリ的な案件とその解決はしっかりフェアで且つ挑戦的。ユニークなキャラクターたちの言動を楽しみつつ形式に溺れそして己を試す作品としてはなかなかの水準にあるんじゃなかろーか。とりあえず見え隠れするラスボスが誰で目的が何なのかを知りたいなあ。続刊は何時だ。

 今日もきょうとて「東京ゲームショウ2008」の会場を見物、ビジネスデーにいくら行ったところで一般の熱気って奴はとんと感じられないんで1日くらいは一般公開日をのぞいてみるのが儀式っていうか義務になっているんだけれどなるほど「海浜幕張」の駅からゾロリゾロリと向かう人の波は誰も無口なんかじゃなくってそれなりに楽しげ。会場へと入る場所も2階からじゃなくって1階を奥へと回して1ホールへとダイレクトに入れる形になっていて、混雑への対応はちゃんととられてた。実際に入場者数は1日で7万人規模と去年を上回ってはいるんだけれど中にはいってあんまり過熱した雰囲気じゃないのは出展者のブースとブースの間が割に広くなってて通路に人がギッシリって感じじゃなかったのと、行列が出来ていたのが1部のタイトルくらいだったことで見物には来て遊べるものは遊んだけれどもそれで終わってさあ帰ろう、って感じの人が割に多かったからなのかもしれない。その意味でカジュアルな暇つぶしとしてのゲームであって、かつてのよーに熱を込めてやり込むものっていったものではなくなって来たって言えば言えたりするのかも。

 人数だけをもって大盛況でした熱気が充満してましたと言うのはたぶん容易いけれど、一方でこの上半期のゲーム市場が1割2割細っていたりする現実もあったりするし、海外での日本算ゲームのプライオリティも任天堂の奴をのぞけば昔ほ一色って感じでもない。内弁慶的な盛り上がりを喜んで喧伝しているうちに世界から置いてけぼりにされてそれこそ邦画みたくこぢんまりと賑わってそれでオシマイってことになりかねない。まあそれはそれで大艦巨砲主義みたいなハリウッド映画的ゲームばかりがはびこって、裾野が細ってクリエーターが世に出るチャンスがなくなるってことには至らず、こぢんまりとした中で己がアイディアって奴を形にしていく中でそれがより大きく発展してく階段を作っておくチャンスでもあるんでいたずらに欧米に追従せず、かといって沈黙もしないであらゆるレベルがともに上を目指せるような環境を作って欲しいもの。そんな下克上的シチュエーションを体現できるスターが1人、いれば目標にもなるのになあ。いなくなったよなあ。トリック混じりのゲームスター。


【10月11日】 妄念凄まじ。相生生音さんってもしかしてこれが初読? な人の「泣空ヒツギの死者蘇生学」(電撃文庫)は少年がラブレターに釣られていった校舎裏で撲殺されて死亡、したと思ったらドゥエル教授じゃないけど首だけ抜かれてそしてつぎはぎな体に取り付けられて生き長らえることに。敷くんだのは死体を蘇生させる技術を持った少女なんだけれども彼女、どうやらあれこれ人を殺めてはパーツを奪う「破砕破片(ピースメーカー)」とかいう怪人だったらしくって少年は怯えつつそれでも如何ともしがたく少女とあとどこか言動が不思議なメイドの冥土さんのお世話になるのかお世話をするのか、ともかくまあそんなこんなで一緒に暮らし始める。

 でもってそんな少女をおいかけお腹をぺこぺこにさせた少女が到来。少年を見つけそこに蘇生少女のにおいをかぎつけ絡んでステーキを貪り挑んで来たけどそんなライバルすら上回る存在の登場が話を一気に加速させる。いったい何やつ? つまりはだから恋って奴? 恋の力はすべてに勝るってことでその妄執にも近い恋心によって繰り広げられる圧巻のバトルが後半の山。読んでこれだけ思われるんだったら男として本望と喜ぶか、それとも逆に恐れおののき引き下がるか。引き下がったら下がったで追いつめられてコレクションにされるだけなんでここは真正面から恋心を受け止めついでに粉砕バットも受け止めるのがそう思わせてしまった男としての責任なんじゃなかろーか。いやでも真似はしない、したくない。するほど思われてすらいないけど。哀しいぜ。

 悪魔で執事がどうとかいうのをまだ見ないまま明けて駆けつけた横浜は「みなとみらい」の「パシフィコ横浜」で始まった「ROBO_JAPAN2008」とやらは、特別協力している割に扱いがぞんざいだったりする態度のこれが正しいとは想いながらもネタとして愉快な内容を持っているならそれなりに扱った方が良いんじゃないかと思わせながらもそれを愉快と把握し得ないシチュエーションに忙殺されているかもしれない可能性を、感じてやれやれって他人事のように思ってはみたもののいずれ遠からず跳ね返ってくるんだろうなあ、米国のサブプライム崩壊が金融不安へとつながっていった速度よりも速く。

 んで「ROBO_JAPAN2008」だ。前にラーメンのイケメン度合いを測ってる人が宣伝していたのを取材したけどその本番ってことで入ったら人だかり。「ASIMO」だ「ASIMO」のステージだ。もう出てから10年? は大げさだけれども結構な長い時間が経っているにも関わらず、ステージに客をこれだけ集める人気ってのはもしかしたら「モーニング娘。」とか「AKB48」なんかよりも息の長いアイドルなのかもしれないって思わせる。そういやこのイベント「アイドリング」が応援してたんだっけ。いないじゃん「アイドリング」。思うにそれなりなお金もかけている「ASIMO」だけれどもやり続けることによって本田技研工業はしっかり世間に対してどこか親しみを感じさせる企業だって印象を植え付けることに成功している。

 対して「AIBO」を止めてしまったソニーはハイテクの最先端を行く企業ってイメージからやや脱落。AVではブルーレイに薄型テレビでやや取り戻しつつはあるけれど、「プレイステーション」と「AIBO」が引っ張っていたころのようなデジタルでドリームな企業ってイメージはもはやない。かといって製品のバリエーションじゃあパナソニックの方が案外に上。YAZAWAなAV系のイメージで格好はつけているけどいずれ遠からず再び来るだろう荒波の中でどんなイメージを出していけるのか。あるいは製品で堅実に生き延びていけるのか。振り返れば「AIBO」って単なるイメージだけに留まらず、これだけの余裕があるんだぜって象徴だったんだなあ。それが失われてしまって続く背水の陣の向こう側に、落ちてしまう可能性って奴を含み置き、みつめて行こうソニーの未来。

 でもって居並ぶのは大学とか企業とかが研究しているロボット群。中でもやっぱり東京理科大学工学部小林研究室というところが出している「マッスルスーツ」は、その“さいばあ”な感じで一目をひきつける。割に歳行ってそうな人がお米の10キロ袋を3つ抱えて軽々と歩いている様に、速くこーゆーのが普及してくれれば体が不自由でも歳をとった人が増えても日本は安心って思えるのになあ、って近づいて見たら永瀬唯さんじゃないですか! さすがは「肉体のヌートピア」の著者の人でもって「ガンダム」にだって関わっていた人、パワードスーツについては研究している人以上に詳しい人だけれどもやっぱりこういう場では実践あるのみ、吶喊して試してみせるフットワークの軽さにジャーナリストの末端として学ばねばって覚悟したけど並ぶのが面倒なんでスルー。だってお米3袋くらいならまだ担げるし。そういう問題ではない。

 あとはこれも発表会見で見せていた三菱重工業の「wakamaru」のデモか。遠く離れた場所で人が動くとその通りに「wakamaru」が動くって奴。つまりは「ジャンボーグA」。って古すぎ? でも個人的には体の動きをトレースして動くロボットってのはこれが最初でそして最高、なんだよなあ。どっかの子供がバンザイじゃなくってシェーのポーズをさせててやっぱり赤塚不二夫は偉大だったと再確認、って別に子供がやってたんじゃなくって横に付いてた担当者がそういうポーズを見せて真似させただけなんだけど。でもやらせてみたくなんだよなあ「シェー」。赤塚不二夫は永遠に。企業系ではあとデンソーの工業用ロボットアームがなかなかの見物。だってこれ本物じゃん、工場なんかでミリ単位でピタリととめて溶接だか何かをやっている奴じゃん、それをゲームセンターよろしく「ハイチュウ」を掴ませるクレーンゲームのクレーンにしている。精度高すぎ。だけどそれだけにやっぱり難しい?

 あとは人気はやっぱり「PLEO」か、ビジネスデザイン研究所がアメリカだかから持ってきた赤ちゃん恐竜のロボット。見た目のグロテスクさに日本じゃあ無理だろうってリリースん時は思ったけれども店頭なんかでデモンストレーションしている時に見かけた仕草の可愛らしさがことのほか素晴らしくって、触るとこれもなかなかのぷにぷにぶり。抱えると蠢くその動きにお世話をしてあげている感がぶわっとわき上がって欲しくなったけれども5万円オーバーじゃあ流石に無理だし、我が家では物に押しつぶされて息絶えた「プリモプエル」」や「ファービー」「ウヴラブ」の二の舞になること確実なんで諦め子供が遊ぶ姿を観察する。いやあ本当に子供に可愛がられてる。まるで全然怖がられてない。不思議というかやっぱり作りが良かったというか。製品企画のあり方って奴を考えさせられた1場面、でありました。

 となりではビキニ姿の女性を観察、ではなくそんな女性が案内するタカラトミーの「ROBO−Q」を観察。また「Q」か、ってのはそれとして「チョロQ」から「ヘリQ」へと連なる超小型リモコン玩具の延長線上にあるこいつは名前の通りにロボットの「チョロQ」なんだけれどもちゃんと2本の足でもってとことこと歩いてそして左右に振れるのがすごいところ。それだけならまだ普通なんだけれども前に何かがあるのを知覚して、除け足る追随したりする能力まで備えているのが目新しい。競争させても良いし迷路の中なんかを歩かせても大丈夫。30分の充電で5分くらいしか動かないのがやや難だけれど4人同時の操作も可能みたいなんで、お正月なんかに卓上レースとかを楽しんだら賑やかかも、ってお正月には出ないのか、来年か。

 ってな感じにあれやこれやを観察。とりあえず子供はロボットが大好きだってことが判明。タカラトミーの「i−sobot」も長蛇の列だし京商の「マノイ」の操縦体験も早々と整理券が切れてしまってやっぱり順番待ち。自分で歩かせ動かす喜びってのはいつの時代も失われない感情なんだろうなあ、それが昔はリモコンの車だったけれども今はロボットってことで、そうして育まれた感情は果たしてロボットアニメやロボット漫画の新たな地平を切り開くのか、電子工学機械工学へと向かい日本にロボット技術の革新をもたらすのか。どっちにしたってそういう最初が何より肝心。だから世間はもっとこういうイベントを紹介すべきなんだけれども大人って頭、カタいから。未来の先取りなんてまるで頭にないから。予見性ねえ。まあ良いや。おおこれは岸和田から戻ってきていた「まるいち」だ。動いていなかったけれども日々改良も進んでいるそうで、遠からずご家庭へとお届けされては「んぱあっ」って感じのポーズを決めて……はくれないか。

 行き帰りの電車ん中で志摩友紀さんの「神父と悪魔 神の城のしびと使い」(ビーズログ文庫)を読了、やっぱり面白いねえこのシリーズ、とくにアンアンの可愛らしさが、って中身はアレだけど。でもそんな中身に大変な事態。いよいよもって天界でもトップクラスにあった天使のなれの果てがアンシャールだと判明して来たけれどもそのアンシャールにいた対の存在が天使すら従わせる超存在の思惑も受けて地上へと降臨。そして起こるだろう新たなドタバタに期待がかかるし一方で神父のヴェドリックにも奥深いっていうか底の知れない謎が浮かび上がっていったこいつは何なんだ? って懐疑からその先へと向かう展開に期待が及ぶ。四大天使たちですらひれ伏させるその正体とは。超越した存在の分身かそれとも二元論的に立った対抗勢力か。そんなのがどーして地上にいて破戒坊主をやっているのか。深まり重なる謎の解明に期待。でもってアンアンにはずっとメイド姿でいて欲しいとお願い。

 さらにビーズログ文庫から山咲黒さんの「姫君達の晩餐 食前酒は赤い森で」を読了、ある意味で童話の大統一理論みたいな物語。シンデレラの継母が出奔したのは北の王国でそこで王に取り入り権勢を得て娘の白雪姫を森へと追い出す。なおかつそのはるか以前に姫を一人、眠らせ茨に囲ませた過去ももっているといった具合に童話の姫君たちと悪の魔女とを連携させつつそこに王子さまたちを絡めてお姫様王子様連合軍対魔女、って構図を描き出している。とにかく人が良く親切心の固まりのようなシンデレラに、絶対的な美を自尊したプライドの固まりのような白雪姫に、体を抜け出て鏡に入ってお姫様たちを導く茨姫。三者三様のお姫様たちに心を寄せたり一目惚れしたり前世からの因縁で心を向けたりする王子様の存在は、童話のパロディに留まらない楽しさを醸し出してくれる。絶対無敵の魔女を彼ら彼女たちは倒せるのか。次巻に大注目。好みはやっぱり白雪姫、かなあ。


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