縮刷版2007年9月下旬号


【9月30日】 超合金魂の完全変形アクエリオンに倣って是非にコナミでもバンダイでも良いから完全変形合体版「グレンラガン」を作って頂きたいものだけれども、シモンの駆るラガンから最後のアンチスパイラルと戦った何とかグレンラガンとの間にどれだけのサイズの差があるかがちょっと不明。最大の奴に会わせてつくるとそれが1メートルであってもラガンは芥子粒より小さくなってしまうとしたらさすがに商品化も難しいか。しかしまるでマトリョーシカだよ開いても開いても下に小さなグレンラガンが入っているって構図は。それが止められても阻まれても小さくなってぐいぐいとアンチスパイラルの親玉へと突貫していく流れるような映像の妙。インフレ的な巨大化がアイディアとして出た時に逆インフレ的なこの展開も頭にきっとひらめいて、そして最高の形で見せるクライマックスへの適用がはかられたんだろーなー、使わない手はないって。

 そんな唖然呆然のインフレ&デフレぶりをのぞけば構図としては「青の6号」でゾーンダイクが人類の悪辣さに絶望して滅亡させるべく海をあふれさせたり「ブルーシティー」で名前を忘れた敵の科学者が人類を最近で絶滅させたりしたのとそんなに変わらないって印象、つまりはSFの定番。たどり着いた先にあったその構図に、今もって設定の秘密がよく分からず展開が見えない「コードギアス 反逆のルルーシュ」とか、最終回にはなったけれども空気投げ炸裂だった「DARKER THAN BLACK 黒の契約者」とは違って、物語的で設定的な部分での驚きはすっーっと退いたけれどもそれを超えてあまりあった戦闘シーンの迫力と外連見たっぷりなキャラクターたちのセリフとあとはとにかく一気呵成な勢いが、見ていて何もかも忘れさせてのめりこませてくれた。ニアとの別離も綺麗にまとまっていて哀しいけれども憤りは浮かばない。たくさんの犠牲の上に得た平和にご都合主義的な展開は持ち込んだら罰があたるってものだから。

 エンディング後は一気に20年の時を隔ててロシウがおっさんになって声まで中田譲治化していてキャルの嘆きが聞こえそう、こんなはずじゃなかったと。ヨマコ先生も一気に老け込んでたなあ、顎の回りとかややたるんでて。しわの1つでも描き足すだけで良いって気もするけれど、でも40才から50才くらいだからそれじゃあ足りないか、由美かおるさんじゃあないんだし。ギミーとダリーは幾つくらい? 40前の壮年だけれどまだまだ現役。シモンの跡を継ぐ存在だからそれも仕方がないか。ビラルは獣人でそして不死化が施されているから永久にあのまんま。語り部として数千年の時を生き延びシモンたちの戦いを伝えていくんだろー。それとリーロンも。さすがはそっち系な人だけあってお肌の健康には気を遣っているみたい。シモンは……おっさんだやっぱりおっさんだ。声まで変わってて年齢って奴の重さを容赦なく突きつける。自分も下の世代から見りゃああんな感じに見えるのかなあ。そろそろ遊びも終わりかなあ。

 とりあえずスケールアップにともないシモンたちが穴蔵に閉じこめられていた理由も見えた「天元突破グレンラガン」とは違って化け物めいた存在がなぜ生まれ、そしてなぜ急に知恵を付けて人間たちを遅い虐げるようになったのかが未だ見えない宝珠なつめさんの「異形を狩る者」(中央公論新社、900円)は舞台的にはどっかの星で人間たちが暮らしているけど時々化け物も現れるものだから銃の扱いに長けた奴らが賞金稼ぎとしてチームをつくって金をもらいながら化け物退治に勤しんでいる。まあよくある設定。レーンもそんな1人で町を襲った化け物をコルト・ピースメーカーで討ち果たして意気揚々と引き上げようとした所で、1人の少年が化け物に襲われているのを助ける。聞くと姉が化け物に連れ去られたらしい。喰われもしないで。いったいどうして?

 それは何だか化け物が変化をはじめていたから。女王様ってのがいてそれを崇める四天王? めいた優れた化け物たちが周りを家族と思い人間を家畜と虐げることを覚えたから。レーンが助けた少年の姉もそんな怪物に次期女王の器としてさらわれてしまったってことらしーけどしかし多分営々と、繰り返されていた化け物と人間たちの対立の構図にどうして変化が起こったのかがよく分からない。テレパシーを使ったり気配を消したりとまるで「トライガン」のガン・ホー・ガンズみたいな異能力者が賞金稼ぎたちにはいるのに、そんな奴らでさえもてあます化け物がずっといたんじゃあそもそもが世界が成り立たない。だからやぱりどーして急に? まあそのあたりも含めて続きに何か示唆されるんだと考え待とう。レーンが英雄殺しとさげすまれていることの理由とか、化け物たちに知恵を付けた何かがいる可能性とかを想像しながら。

 それを画期的と呼ぶなら画期的だし驚異的と呼ぶなら驚異的かもしれない。良い意味にも、悪い意味にも。新聞記者が1人もいない新聞社、って奴が10月にこの日本に誕生する。どうやってだったら記事を作るのか、っていうと親会社の編集部門が請負で作って“配信”することになるらしー。つまりは再建してはみたもののなかなかパッしないなかでどういう考えがあってのことかは不明ながらもその新聞社の記者たちを、親会社の大きな新聞社へと形式的に出向させて編集部門を実質閉鎖。そして記事は出向した記者たちが出向先の禄をはみつつ出向先にまずは書きつつ元いた場所にも書いて寄せるってことになったもの。何だ形式的なことかって言えば言えないこともないけれど、1つの法人として独立している報道機関が肝心要の報道スタッフをまるまる“外注”する、なんてことが果たしてジャーナリズム的に認められるのかどうなのか、って問題もはらむと言えばなるほどと言えそう。だから画期的で驚異的。

 日本経済新聞社に所属の記者が発行している経済新聞と産業新聞と流通新聞と金融新聞に記事を出す、ってんなら分かる。同じ法人の中での融通だから。でもこのケースは別法人。完全子会社とはいえ主義も主張も異なってしかるべきなのに、そうした言論を構築する部分がもはや内部に存在せずして、、はたして1個の報道機関と言えるのか。それぞれが独立しているからこそ多様性を認められている別々での記者クラブ等への加盟問題がどうなるか? なんて懐疑もはらんでいたりして、スタートしてからいろいろと悩ましい声とか出てきそう。一方になるほど効率化って問題もあるんだろうけど、何故効率化が必要なのか、って検証もなく耳障りに良い言葉だけが上を被ってレッツゴーとなっている状況が突き進む先や如何に? まあそうなる前に空っぽにされてしまった子会社がまずは道を考えさせるんだろう。年を越せるか。越したいなあ。

 誘われ興味をそそられたんで「東京ほとんど大阪」って芸人さんのライブを歌舞伎町まで見に行く。どれだけの人が来るのか今ひとつ掴みにくかったけれども、歩いている途中で若い2人組が開場の「新宿Fuってどこ?」って歩いているおばさんに尋ねている姿を見て、これでなかなか人気のあるイベントなのかもって感じつつすぐそこだよって教えてあげる自分は実は初来場、いや遠目にそこが見えたんで。入るとこれまたなかなかな入り。夜の部があってそこを見る人は無料ってこともあるけど雨の降る昼日中からお笑いのライブをそれもメジャーな渋谷とか新宿駅上とか神保町の大資本ホールではない歌舞伎町っていうより大久保に近い手狭なホールまで見に来る人のこの多さ。ブームなのかそれともメジャーな開場にはない原石がいるってちゃんと知っているからなのか。

 値段は昼間だけなら500円って安いこともあるよなあ。でも中身は500円じゃあ勿体ないくらいの高密度。2時間ほどにゲストも含めて22組のネタが披露されたけれども有名無名を含めて8割くらいの打率で僕的にはヒットした。いやあお笑いって面白いんだ。テレビだと「どうだ面白いだろ?」って押しつけがましさがどうにも出てしまってうっとうしさを覚えるんだけれど、ライブに出てくる人たちは生だからってだけじゃない、ネタもしっかり作り込んでて流すことなく演じて見せてくれて、面白くなくっても何か笑ってあげたくなる。というより面白くないのがそんなになかったからなあ。名前を忘れた気象予報のネタくらいか、合わなかったのは。

 題名にもあるように地元東京よりも大阪から乗り込んだ芸人さんたちが数で圧倒した内容で、先陣を切った東京組は初っぱな登場の「ツインズ」が双子だけど「THE タッチ」と違ってややイケメン。でもって喋りで聞かせる正統派。しょこたんへのラブレターの一方が真っ当でもう一方は不穏当な内容を読み上げるネタは言葉のズレをしっかりと楽しませてくれる。落ち着けばなかなかなものになるかな。間2組を飛ばして「ライフライン」はデブと無表情のコンビのギャップ。無表情が徹底して無表情なのがデブの高揚感への哀れみを誘って愉快痛快。そして大阪へ。記憶のある奴だけ並べると「Dr.ハインリッ」が唯一の女性2人組で絶景見に行こうと誘うそれ事態が不条理な上にそれをさらに不条理な理由でことわりならばとさらに不条理な用事に向かう別れの繰り返しが愉快。ネタの作り込みが勝負か。

 「ななまがり」は顔が怖かったけどその怖さを不条理な格闘技解説ネタのエスカレートで強調させる構成が見事。存在感あるんでいずれ上へと向かうだろう。「ガリガリガリクソンズ」はデブなイタさがおかしみを誘うけれどもライバル多し。大阪にもいた「マシンガンズ」は“ワル”を切り口にワルぶっている2人が悪いことを自慢しあう中に携帯の電波が悪いといった話が紛れ込んで何か可笑しい面白い。会話芸がなかなか。「王(キング)」は4人組でやっぱりデブがいて体悪いんじゃないのネタが突き刺さってた。イジられやすいキャラは得だなあ。でも実はちっこい眼鏡の奴も味。そしてゲストの「髭男爵」は貴族キャラの作り込みがされててネタとのギャップに笑いその後のおきまりなワイングラスをカチャンのポーズで着地する積み重ねが良いなあ。だから男爵には徹底しての修練を。噛むと1発でキャラ度が下がる。来場者のいじりはキャラが立っているうちは大丈夫。

 MCも勤めた「流れ星」。寺島進みたいな野郎と超イケメンの2人組はところどころイケメンの方でハマちゃんみたいに地が出るけれどもそれが味になっている。顔で人気で愉快さで人気。先に行ってしまった小島よしおが賞味期限切れとなって戻ってきたその時にはこっちが行ってる可能性、あり? しかし何よりインパクトでは最大だったのが大阪組で登場の「さるつかい」。呼ばれた名前で登場して見た瞬間に爆笑があがるコンビはもはや反則の域。それでいてそれをネタにせずに喋る内容も面白い。東京のテレビが捕まえれば話題にはなりそうだけれど東京だとまず顔をイジられ倒されそうだからなあ。そうじゃないギャップを楽しむべきものなのに。これからどう出てくるかに興味。ともあれじっくりたっぷり楽しめて500円は超お得。またやるんなら行きたいけれどもこれじゃあ芸人、食えないよなあ。

 そしてやって来た「フクダ電子アリーナ」は相手が順位で前後にある「FC東京」ってこともあって是非に勝てよいやいやうちが勝つんだよって両チームのサポーターが詰めかけ1万5000人を超える満員に。そんな中で始まった試合はジェフユナイテッド市原・千葉が相手のプレスをかわすかのようにキーパーから前線へとボールが放り込まれる戦術がとられて前回の、迫られ慌てて失い奪われる反省が活かされてた模様。あの時は4点ばかり失ったけれども今回は前でしっかりキープもできてそして飛び出し飛び込みも機能し新居選手に工藤選手の強引気味なシュートが決まって2点をリード。折り返した後半も抜け出した新居選手が倒されて得たPKを水野晃樹選手が決めて3点を奪いほぼ安全圏へと突入する。

 そこからセットプレーとPKで2点を返されたもののリチェーリのスピードには池田昇平選手をマークにつけて仕事をさせないようにし、終盤には青木孝太選手にレイナウド選手と引っかき回せてキープもできる選手を入れてプレッシャーを押し返し、終盤間際の危ないプレーもかろうじて乗り切り見事に1点差で逃げ切り5連勝を収める。5連勝。すごいよなあ。この得点力があれば前半戦でも結構上に行けたんだけれどそれだとそれを言っても詮無いだけ。阿部坂本ハースと抜けてストヤノフ選手もケガから離反となってチームが大きく変わった中で、新顔の下村東美選手をなじませトップの新居選手のことろ理解するまでかかったんだと考えここからの巻き返しとそして、天皇杯での優勝を狙って突っ走って頂きたい。ともあれ勝利に乾杯。次も勝てれば嬉しいな。


【9月29日】 空気投げ、みたいな放りだしっぷりで何も明かさず悟らせないまま終了となった「DARKER THAN BLACK 黒の契約者」は、ちっこくなったアンバーから南米みたく日本列島を物理的なアプローチの不可能な物質でもって被い、ゲートに手出しできないようにしようって誘われながらも、一般人だって契約者だって助けたい、なんてアニメのヒーローみたいなことを言って後込みした黒(ヘイ)の迷いが東京を救い、契約者を生き延びさせてそして物語から主役たちは一斉退場。後に残された霧原美咲と仲間たちによる契約者退治の警察物語がスタートするのかしないのか。したってそれじゃあ形を変えた刑事物だから面白くはなりそーもない。だからこれまで。2期はとりあえずいらないってことで。

 放り出されたのはストーリーばかりじゃなくって、設定に関する説明も同様で、そもそもがどーしてゲートが地球をぶち抜くよーな形で生まれ、それに付随して契約者なる異能の存在が発生したのか、って説明は一切なし。あって何年か何十年何百年何万年か先に起こるかもしれない何かのためなんだろうねえ、ってちっこいアンバーが喋った程度だけれど、それじゃあまるで説明にはなってない。まあ説明しないのも美学であって現実にはあり得ない何かが起こった、それによって世界に影響が出てそしてそこで人間たちの非現実にどうやって対応していくのかってゆー、想像と創造の成果とも言える物語が繰り広げられているってゆー状況を、楽しむのもまたSFチックな作品の醍醐味でもある。この場合はゲートがあって契約者がいてってシチュエーションから紡がれた、異能の者どもの凄さとそんな者どもと共存せざるを得ない人間たちの懊悩、対価なり組織といった柵に縛られる契約者の悲哀といったドラマが堪能出来たんで良しとしよー。跳躍する度にすっぽんぽんになる女性キャラなんて、このアニメじゃなきゃ出せないもんなあ。

 最終的にはゲートは残った? のかどうかは分からないけど契約者はまだ存在して空には偽物の星が満ち、そして黒(ヘイ)は消息を絶ち銀(イン)も無事なんだろーけどどこかへと行ってしまって煙草屋にはもういなさそう。猫(マオ)は組織のバックアップを切られたためか猫に同化してしまってそのまんま。回線を復活させれば戻ってこれるのかな、分からないけどとりあえず誰かに抱きかかえられていたから、きっと幸せな暮らしをしているんだろー。そしてアンバー。服だけ残して消滅した彼女はこの世界での営みをやり遂げひとつの答えを得てそして、別の時間線へと映って南米のゲートを、あるいは東京のゲートをどうやって維持して契約者たちを守ろうかって取り組みをはじめているのかな。

 どこまでも黒(ヘイ)への思いが最優先だったのだとしたら、ある意味でベストな結末だったよーにも思える本編だけどそれをそのまま繰り返したってラストで、アンバーは能力を使い果たして退場を余儀なくされてしまう。一緒にいられて誰もが幸せ、なんて時間線を築くためにいろいろ実験をしているのかな。でも最終回でのバージョンもちょっと小さすぎ。できればせめて10歳は超えていてくれた方がありがたいけど、そんなロリータ的魅力も黒(ヘイ)の激しく妹を思うシスコン的マインドの前では無力に等しかったから、やっぱりアンバーは黒(ヘイ)を手に入れられないまま、時間を渡り歩いて実験を繰り返す道をひたすらに歩み続けるんだろー。可愛そうに。そんな冒険の旅路の途中で立ち寄ったのが「コードギアス 反逆のルルーシュ」の時間軸で、そこではC.C.と名乗り黒(ヘイ)ならぬ「黒の騎士団」に肩入れをして世界を変えようと目録のであった。なあるほどつながった。来年4月っぽい2期でC.C.の声が川上とも子さんになっていたらちょっと愉快。

 思わせぶり過ぎて黒(ヘイ)の反感を買ってしまったからなかなか仲直りが出来なかったアンバーは、平坂読さん「ねくろま2」(MF文庫J、580円)に登場のシェンファの積極性を見習うべきだよなあ、まったく。自称17歳ながらも実質は11歳だか12歳の天才児。生徒会長の職にあって傍若無人な言動で学園を右往左往させているけど魔法の能力はピカイチで、それは主人公で魔法の強い力を持ってるソリスだってかなわない。どうしてシェンファがそれほどまでの力を持っているかが第2巻では明かされ、それとも絡むかつてソリスの近所に住んでいながら病死した少女マシロを、ソリスが復活させようとして魔法を使ったもののその時は利かず、10年近い時を隔てて蘇ったマシロが純白の裸体でソリスの前に現れて、そして起こった大騒動の原因が浮かび上がってソリスを懊悩の世界へと誘う。

 銭湯の男湯に子供だからと入り込んでソリスに迫るシェンファの前に、ソリスじゃなければ転んだ所だろーけどそこはマシロ一筋なだけあってシェンファの誘いに乗らず諫めも聞かずに挑みシェンファに圧倒されて危機一髪。けれども昨日の敵は今日の友、敵の敵は味方ってことで前巻で敵対していたやっぱり幼女のゲルニカの助けもあって、シェンファを力押しとはちょっぴり違った攻撃でもって可笑しくもいやらしい姿にして撃沈する。参加したかったなあ、その攻撃に。放り投げたパンツを爆発させるシェンファの攻撃も受けたかったけど、好奇心と命を引き替えにする気もないんでそこは断念。とりあえず当面の課題が浮き彫りになって問題点も見えた中で、浮かんできた敵がどういった行動をとって来るのか、そこでソリスやシェンファがどういう態度をとるのかが今後の展開の中心になりそー。加えてソリスを慕うツンケンしつつデレデレしまくって子分たちを苛立たせるキャロルの健気さがどこまで貫かれるのかも。シェンファよりは立派なボディを見てあまつさえ触れたソリスにはとりあえず逝って頂こう。

 起きて川崎へと出向いて「ラゾーナ川崎プラザ」にある「ナムコ ワンダーパーク ヒーローズベース」の1周年記念イベントを見物。シャアにアムロにララアの中の人たちが出てくるトークショーもあったけれどもそこまでは居られず、「戦場の絆」の大会が行われる様を観察するに留める。どう見たって最初の「機動戦士ガンダム」が放映されていた時には生まれてなかっただろー若い子たち、が選手として登場して来ているのはそれだけ世代を越えてファーストの認知が行き渡っているってことの現れか。普通は自分たちが見てないアニメのゲームになんて興味を持たないもんなあ。それが「ガンダム」のとりわけファーストの場合はゲームも売れれば芸人の逆も支持される。不思議だけれどもそれが恒久化するってことなんだろー。偉大なり「ガンダム」。後に続くキャラはまだいない。

 なかなかにむっちりとナイスなバディのまんがめがね的風貌をしたおねいさんの司会者を遠巻きにして引き上げ、仕事をしてからTBSへと向かいまた仕事。ヤン・リーピンさんてゆー中国を代表するダンサーが来年の3月に日本で公演するって発表で、「シャングリラ」ってタイトルに何だろー一種の雑伎団的ステージでもって中国版「シルク・ド・ソレイユ」が繰り広げられるのかと思ったら違ってた。もっとプリミティブ。雲南省とかそのあたりにたくさんいる少数民族に伝わっている舞踊を集め、民族衣装も集めて舞台に仕立て上げるってコンセプトで、ただそれだけれど盆踊り大会みたいにしかならないところを世界のヤン・リーピンさんが整然としてスタイリッシュな演出にあてはめ、激しくて神秘的で感動的なステージを作り上げた。

 それが「シャングリラ」。土俗的な熱情とバレエのようなスタイリッシュさが重なった舞台は、民族衣装のカラフルさとも相まって絢爛にして豪華な雰囲気。そこに現れ踊るヤン・リーピンさんの美しさたるや、見れば誰もが圧倒されて少数民族の持つ文化に興味を抱くよーになるんじゃなかろーか。すでに本国じゃあ踊りはしないでもっぱら演出に力をいれているヤン・リーピンさんだけど、日本ではTBSの強い要請(当たり前だよ看板なんだから)もあってヤン・リーピンさん自身が踊るとのこと。あるいは日本で最初で最後となるダンスを目の当たりに出来るチャンスかもしれないんで、前からのファンは当然行くだろーしそうでない人も歴史が刻まれる瞬間って奴を、見に行っても決して損はしないかも。どんな舞台になるのかなあ。ちょっと楽しみ。


【9月28日】 「ふが」はたくさん聴きたいけれども、それは何も考えていないようでちょっぴり疑問の声音を交えた「ふが」であって、怒りや狂乱の心証をこめて叫ぶ「ふがー」では絶対になく、その意味では「怪物王女」の最終回はフランちゃんのファンだから「ふが」がいっぱい聴けて良かったんじゃないの、っていう意見は当たらない。だいたいが口をへの字に結んだフランちゃんなんてフランちゃんじゃない。最後に治って小さくポカンと開けた口から発せられた「ふが」こそが唯一にして絶対の「ふが」。1つだけでも聴けたのはまあありがたいけど、諸手を挙げては歓迎できない最終回でありました、ってか録画に失敗した先週が実質的な最終回だった訳か。見逃したのはちょっと残念。でもまあDVDを買いそろえてまで見たいものでもないしなあ。あるいはDVDだと令裡の黒い下着がちゃんと見えるようになっているとか?

 んでもって「スカイガールズ」はエリーゼちゃんが動き出した戦闘艦の中にある部屋を飾り立ててぬいぐるみを置きまくって自分の城にしたところを咎められてむくれ顔。というよりあれだけのぬいぐるみをどーやって持ち込んだんだ、でもってどこに閉まったんだんた、前に海上自衛隊の護衛官なんかを見学させてもらった時に見た船の中ってどこも狭くてよけいなものなんて置くスペースは皆無だったぞ。「攻龍」だって別に豪華客船ほどの大きさはなさそーだし、エンジンだの武器だのソニックダイバーの格納庫だのを置けば居住スペースなんてそんなに広くは取れないはず。でもまあそんな密室みたいな部屋に乙女が4人も雑魚寝していたら、散らかって乙女の香りもあふれて男子以上に凄まじいことになるから地上とさほど違わない居住スペースに留め置いておくのが良いのかも。さすがにお風呂はないよなあ。それだけは残念。

 「トイレの花子さん」みたいな学校の怪談だとか「口裂け女」のような都市伝説だとかを土台にした話はライトノベルでも割とあって、それぞれに愉快だったり健気だったり恐ろしかったりするんだけれども舞台から怪談や伝説を新しく作ってみせて、なおかつ記憶や経験に頼らせないで恐ろしさを感じさせる話は他になかなかないかも。ゆうきりんさんの「煙突町の赤魔と絶望少年」(ファミ通文庫、560円)は舞台からして煙突が建ち並ぶ工場ばかりの町といった感じになかなか異様。だいたいが町といっても普通の人では立ち入り出来ない広大な私有地の上に立てられた巨大な工場がそのまま町になっている感じで、そこに左遷された父親に連れられ新しく転入して来ることになった愁太の目に、怪物のように映っても不思議はない。

 とはいえ稼働している工場なんだから活気とエネルギーがあふれ出ているはずなのに、嫌々ながら連れてこられたからなのか、それとも町になにかがあるからなのか陰気で不気味な雰囲気が拭えない。住む団地は箱が並んでいるようで無機的。学校に行っても教師は顔のどこから声を出しているのか分からず生徒たちも全員が同じ風貌服装をして並んでいるように見えてしまう。そんな中にあって杏次というひょろりと背の高い少年と、彼の腰にしがみついて離れようとしない眼帯をした水鳥という少女だけは顔の区別も付けば心も感じられる存在。もっとも愁太はそんな2人すら嫌っていたけど勝手の分からない町にあって妙に世話を焼いてくる2人につき合い慣れない町を案内してもらっていた途中。「血錆び男」なる存在が跳梁しているとの話を聞き、さらにその「血錆び男」に似た存在と遭遇して愁太の運命は大きく変化を余儀なくされる。

 親の都合で理不尽にも将来の希望を変更させられた怒りを沸々とたぎらせ悶々としている少年の気持ちは大人の目にはやや鬱陶しくは映るものの、当人にとっては世界が終わってしまったかのような気持ちになって自暴自棄へと走りたくなるのも仕方がない。そんな雰囲気が出ている上に覆い被さってくるさらに理不尽な運命に、あらがい逃げようとして逃げられないと知って戸惑いながらも、他に道はないんだと知り立ち向かっていこうとする変転が描かれてあって、単に右から左へと流されながら運命をだくだくと受け入れるヒーローにヒロインが多い中にあって人間っぽさ、少年っぽさを感じさせられる。

 あとはオリジナルの妖怪変化の不気味さか。「血錆び男」とは違う愁太たちを狙う怪物の、正体とそして外見は供に恐ろしくって哀しくってやるせなくって地団駄踏んで叫びたくなる。どうしてなんだよ、と。眼帯をしっぱなしだけれどその眼帯がスペード型とかいろいろ変わり服装もゴスが入ったりする千鳥のキャラクターは単にそれだけのものなのか、あるいは何か秘密があるのか、ちょっと興味。対照的に妙に明るい姉の白鳥にも明るいなりの秘密とかあるのかな、ないんだったらあまりに薄っぺらい。そして町自体。工場に住んでいるようなこの町に不気味な怪物が跋扈する背景には町そのものが持つ秘密があって不思議じゃない。それは何なのか。すぐに明らかにされるかどうかは分からないけどしばらく続くだろう戦いの中で、示される時を期待しながら読んで行こう。しかし千鳥でもしがみつかれればちょっとは胸の柔らかさを感じられるのかな。締められ過ぎて肋骨の痛みしか感じられないのかな。

 やっぱり今回も黒のギアスしか出なかった「コードギアス 反逆のルルーシュ」のドラマCDは、中身こそまだ聴いてないけれども情報だと閃光のマリアンヌに関する話がいろろと聴けそうで死んだことにされながらも未だその言説がチラつく彼女の正体にあるいは迫っていたりするのかも。ジャケットはナナリーをメインにしつつC.C.が子供っぽい顔で出てたり神楽耶がセーラー服を着ていたりミレイがレオタード姿だったりニーナが赤毛のアンみたいだったりセシルがフォークロアなドレスを着ていたりとなかなかにはっちゃけていて最終巻らしいバラエティぶり。でもコーネリア様が小さすぎて恰好にもあんまり驚きがないのがやや残念、もっと盛大に珍妙な恰好をさせてやって欲しかった、バニーとか。6巻分から黒のギアスを切り取り集めて送れば何かがもらえるんだけれど、過去の5巻分がすぐに出てこないのが目下の悩みで、そうこうしているうちに締め切りが過ぎてしまう可能性が今は大。終末に探したいけど仕事にサッカーだしなあ。まあ数ヶ月と経たずに暇が来るだろうことを勝手に妄想、大丈夫じゃなさそうだもんなあ。


【9月27日】 時代が第二次世界大戦終結前で舞台が南米のギアナ高地ってだけで魅力たっぷりな上に、キャラクターたちも本当はとてつもない年齢なのに見た目は小さい男の子ってオカルト研究家と、魔法の勉強をしていてちょっとは使える少女ミッケラと、あと労働者階級の出で食べるものがなく行き倒れていたところを研究家に助けられた少年ライティスの3人の立ちっぷりから、こいつはなかなかの面白さだと感じさせてくれた香月紗江子さん「カラブルワールド 緑の闇」(小学館ガガガ文庫)は、実際に読んでもなかなかな面白さ。南米に伝わる王女の伝説を土台に探したものからわき出す世界の危機の、何ともいえない不気味さと戦う展開は他のライトノベル作品にはない冒険心を満たしてくれる。

 吸血鬼や獣人が因子持ちとして差別されながらも普通に存在しているって設定も興味深いし、そうした異人たちが絡んでいろいろと展開を面白くしてくれそー。蘇りながらも封印された王女とか、いったんは死にかけたのを吸血鬼の因子かなにかを注入されて復活した少年とかが将来においてどんな動きを見せるのか、そんな興味を抱かされつつ見た目少年のオカルト研究かの正体なんかも含めて次のストーリーが楽しみ。英国の軍隊に所属する女性軍人でなかなかに強気なヒュー・ロックラインの再登場を切に願う。罵倒されたい踏まれたい。

 第4コーナーから一気に追い込みをかけて抜き去った「機神大戦ギガンティック・フォーミュラ」がそのまま一気にゴールを駆け抜けた模様で抜かれた「アイドルマスターXENOGLOSSIA」との差はだいたい1馬身くらい? 出だしに感じた「アイマス」のいかにもサンライズらしくよく動いて一切の崩れがない絵と、「ギガフォ」の後藤圭二さんものとは思えない不思議なテイストのキャラクターとの差異からこりゃあ「アイマス」が4月スタートじゃあ1押しだって誰もが確信してたに違いない。途中の美少女勢揃いなエピソードも「アイマス」の優位を支えていたけどその影で、物語面の弱さがだんだんと生まれていたようで、絵に目が慣れてからクライマックスへと向かう大事なところで物語を盛り上げられず共感をつかめないまま、投げっぱなしの放りっぱなしで終局を迎えてしまったって印象が今はとっても強い。

 とにかくラスボス弱すぎ。というよりラスボスみたいな明確な敵をおけないままずるずると最後まで引っ張ってしまった感じでアイドルとマスターたちが戦う、その意義がなかなか打ち出されないものだから、マスターたちの頑張りに見ている人を引き込めない。なるほど最初はトゥリアビータって組織があってモンデンキントが行う活動を邪魔してたけどどうして邪魔してたの? って理由が響いてこない。アウリンを復活させる? それで世界はどうなる? トゥリアビータはどうしてそれを行いたい? 上は示さず下は千早は単なるインベルへの片思いから偏執的に活動し、雪歩もそんな千早に引きずられるばかり。リファにいたっては楽しいけりゃ良いってだけの無原理な行動パターンで、そんな面子ばかりなものだから受けて立つモンデンキント側にも正義の御旗が立ちづらい。

 じゃあだったらモンデンキントを操ろうとしていた猫ちゃんたちが本当の敵か? っていうとどうも違って別に猫ちゃんたちは世界を崩壊させようとも、世界を支配し独裁しようともしれおらむむしろアウリン復活を目論むトゥリアビータに武力で対抗しようとしている傍目にゃあ人間の見方ってポジション。少々陰謀めいていたって許容範囲でモンデンキントとは鷹派と鳩派の違いくらいしかない。だから敵とは意識しづらい。さらに言うなら下っ端面しつつ偶然から上に立った朔響ってキャラクターが俗物過ぎ。信念がまるでなく悪役ぶりではデュランダル議長だのシャア・アズナブルだのの足下にも及ばず、最後まであわてふためいては結局放心状態となって崩れ落ちる。その弱腰っぷりは所信表明演説の直後に座を放り出したどっかの国の首相のよう。まあ最後まで指揮所で奮闘していた分だけ朔の方がましかもしれないけれど。

 最終的にはストーカー気味にマスターたちを見つめるアイドルがアウリンに飲み込まれて世界を崩壊へと導くことを拒否してアイドルを守ろうとはりきって、そして世界は救われるというどんでん返し。ハッピーエンドにゃあそれで良いけどだったらどーしてそこまでの関心をアイドルたちがマスターたちに示したのか、って所を見せて欲しかった。もしかしたら生まれてはじめての女の子だった? だから執着心がわいて離れられなかった? いやいや研究自体はずっと進められていたし春香の前には千原もインベルに乗っていた訳で、にもかかわらず千早は振られて春香は見初められた。違いはいったいなんなんだ? リボンが好きだった? そいつぁあアイドル、なかなかのフェティシズム。ってことはデコちゃんはデコの輝きっぷり、真はぺたんこなその胸板、真美と亜美はそのまんまの幼女っぷりに惹かれたってことか。なかなか趣味が深いぞアイドルたち。

 対して「ギガフォ」は神々を代理に立てた世界平和への取り組みが米国主導による再生へとすり替わってそして最終決戦でスサノオを米国が倒して終わりだったはずが米国のゼウスから枝分かれした得体のしれない偽スサノオが現れ米国をうち倒し、そしてスサノオもうち倒して世界をその手に支配しようと企んで慎吾と真名に挑むもののそこはそれ、これまでに倒した搭乗者たちの応援を受けうっちぃをはじめ世界中の子供たちも見方に付き、そして慎吾と真名たちも仲間たちへの情愛を沸き立たせてプレッシャーを跳ね返し、見事に偽スサノオを討ち果たして世界をひとつ旗の下に統一する。それが米国と同じ覇権だったらいっしょじゃない、ってことになるんだけれど友愛をポリシーにして戦った姿が世界に報じられて感動を呼んだためか、日本政府も無理な圧力をかけずそして世界はそれぞれが最大限の努力をしつつ前向きに平和に挑もうっていうある意味で理想の姿へと誘われる。ちょっと格好良すぎ。

 最終回でもクローズアップされたのは家族ってものへの渇望で、たぶん遺伝子操作的に生み出されたうっちぃがあの面々を家族と感じて守ろうと頑張ったのは当然として、米国でコンピュータのハッキングを任されていた子供たちが、国の要求を退けてうっぃちに見方したのも存在しない家族を求める心理が働いてのことだったんだろー。見守るギガンティック乗りたちも最愛の存在を傍らに置き、あるいは失いながら戦った果てのより増した家族への渇望をスサノオにぶつけ、さらに家族への思いを誰よりも感じていた慎吾や真名たちの背中を押して強敵を倒すに至った、そんな展開の中から守るべき最愛の存在の必要性って奴がメッセージとして浮かび上がってきては見る人たちを感動させる。

 感動的な物語を浴びすぎて擦れた人だとそーした教条的なメッセージに拒否反応を抱きたくなるかもしれないけれど、あまりに投げっぱなしだった「アイマス」を見た後だと、あるいは願っても果たせず別離へと至った「キスダム」を見た後だと幸せに終わった「ギガフォ」ってものが貴重であり、且つ嬉しいものに見えて来る。ぷくっとふくれるうっちぃの顔とか可愛いし、中華な嫁さんもあいかわらずにグラマラス。最初は違和感もあったキャラクタービジュアルがいとおしく思えて来たこともあっても最終回への盛り上がりを存分に堪能できた。今ではDVDを買っても良いかなって思えるほど。「コードギアス 反逆のルルーシュ」は目茶売れしたって他にいっぱい出してるバンダイビジュアル的にはどうも苦戦しているみたいだけれど、この帰結だったら是非に揃えて見返し感動を味わいたいもの。途中に録画ミスして見られなかった回もあることだし、揃えはじめようかな、売れ行きの鈍さ故に初回の特典付きとかまだ店頭に残っているし。

 薄いタイツ姿で抱きつかれりゃあそりゃあアスパラガスだってでっかく育つわな。んでもって周囲の女性陣から非難囂々の理不尽さに嘆く跡部遼太郎くんの哀しくも痛ましいんもの語りが繰り広げられた五代ゆうさん「パラケルススの娘7 ラーオ博士のサーカス」はフィレンツェからやってきたらしいサーカスにいるフェリーチェという美少女の軽業可憐さが評判に。それを日本から遼太郎たちの様子を見に送り込まれた男に誘われ見に行ったところ謎の巨人が乱入してきて美少女をさらおうとする。暴力はダメだと後先考えずに飛び込んだ二本男児の遼太郎、かろうじて少女の救出に成功したところ楽屋でしっかと抱きつかれてその肌のぬくもりをうすぎぬを通して感じることになる。ああうらやましい。そしてジンジャーによってバラされジンジャーに許嫁と義妹からそれぞれ激しく非難されるという寸法。良い思いをしたんだから諦めろ。

 とはいえ可愛いんだけれども妙に言動が不思議なフェリーチェ。死んでしまった奇術師の鳩を見てまた作り直せばと言って周囲を驚かせる。離れた場所から遼太郎の目を通して一行を見ていたジンジャーにはなぜか一緒にいるはずのフリーチェが感じられない。彼女は何者? そして明らかになるラーオ博士のサーカスの正体はそれとして、お話自体も聖杯であるところのクリスティーナを狙う動きが活発化 。そんな中で能力を発揮できず本家を放逐されている遼太郎にはなにやら秘められている物がありそうだって話になって否定しつつも認めざるを得なくなっているクリスティーナが次に取るのはどんな行動か。そして遼太郎はどうなるのか。クライマックスが近づいているよーな予感もあるけどまあそう急がないで「カラブルワールド」からはちょい遡る19世紀のロンドンを舞台にした少年と少女たちの腐れ縁的ドタバタを描いて見せてやって下さいな。選ぶんだったらやっぱり誰が酔いかなあ、美弥子かなあ、和音かなあ、あれでジンジャーもなかなか可愛いんだけれどなあ。


【9月26日】 そうか有名なのか青物横丁は「キムラヤ」にあるパンダのパンは。調べると幾つも体験談が出て来て年月も数年前からあったりするから、あの界隈を通る人にとっては目にして1度は食べてみたい食べ物の1つとなっているんだろー。何しろ迫力。おそらくは丸いあんパンだからメロンパンだかが中に入っているんだろーけどその周りを真っ白いチョコレートでコーティングした上に目の周りとか耳とかは、茶色のチョコレートでデコレーションしてあって目にも甘そうな仕上がりになっている。そして巨大。手にしたら完全に手のひらからこぼれおちそうなサイズのこれを食べたらきっと、甘さで天にも昇る心地を味わえるんじゃなかろーか。

 幸いというか残念というか手に荷物が多くって今回は買わなかったけれどもまた行ったら是非に試してみたい逸品。最近はあの近辺にバンダイナムコゲームスとか引っ越していったみたいだし、背後には楽天って看板の書かれたビルも建ってて社員なんかがいっぱい青物横丁の駅からそっちへと向かって歩いていそう。当然ながら右手に見かけるショーウィンドー越しのパンダパン。試して口にして昇天した最先端のエンターテイメントやITの企業の人たちが、いったいどんな感慨を抱きそれを仕事にどう反映させるのかに注目。ゲームに巨大パンダパンが登場するか。仮想商店街にキムラヤの出店が誕生するか。真似て「コードギアス 反逆のルルーシュ」のルルーシュパンとか作ってくれたら毎日にだって買いに通うぞ。肌はホワイトチョコで神はビターチョコ。中身は腹黒なだけにイカスミパスタか黒ごま餡か。

 そんな青物横丁ではコナミスポーツが大阪電気通信大学ってところと産学連携を行うって発表会。大阪電通大ってったら確か岡田斗司夫さんが出た学校だったって記憶しているけれどそこがどーしてコナミとってこれも調べたら上月景正さんが高校まで通ってその後もホールなんかを寄贈した、割と関係の深い学校だったみたい。だからそうかデジタルゲームの学科があるのかここには。今回はでもそーしたゲーム関係じゃなくって医療福祉工学とか何とかってゆー医療や福祉のノウハウを電通大ならではの工学に取り入れたカリキュラムを全国でも珍しく持っているこの学校に、コナミスポーツが作っているフィットネス機器だとか福祉機器なんかのデータを提供してより画期的な製品を作るアイディアづくりを行ってもらうとか、電通大で育成している人材をコナミスポーツの現場でインターンシップとして試用して育成に勤めるってゆー連携。

 なるほどこれは実用的。いくら技術屋が頑張っても現場の機微は分からないし、逆に現場の感性だけではどこか無理が出るってこともある。お互いがお互いのノウハウを持ち寄ることによって生まれる人に優しく技術的にも進んだ機器なら、きっと安心して安全に使ってもらえることだろー。巧いなあ。それにしてもかつて大昔には「チルコポルト」なんてゲームセンターも展開していたコナミが心機一転、ロケーション事業を引き上げ何を思ってかフィットネスのピープルを買収。スポーツ関連事業に乗り出した時には誰もが唖然としたものだけれど当時からスポーツが持つ一般からの共感を得やすい特質と、そして高齢化対策や健康増進といったスポーツの必要性が増すだろーシチュエーションを考えれば、いずれ意味を持って来るだろーと想像してたら割にドンぴしゃ。ゲームファンならいざしらず、街の普通のスポーツ好きには「KONAMI」ったら街のスポーツクラブチェーンだって印象の方が強くなっているかもしれない。者がスポーツなだけに地方の自治体なんかも理解と関心を示してフィットネス施設の運営委託なんかも行っている。残念ではあるけれどもゲーム会社だったらあり得なかった事業の獲得とそして広がり。経営ってのはやっぱり相当に先を読まないとやっていけないんだなあ。本当にそこまで読んでいたのかは知らないけれど。

 AMD、ってもインテルに並ぶ半導体のメーカーじゃなくってデジタルメディア協会ってゆー総務省系の業界団体でそいつがなにやら会見をやるってんで明治記念会館まで出かけていったらあのえりりん襟川恵子さんが山科誠さんに代わって理事長になったって発表があって、そして団体の内容についても大きな変更が行われたってことを知る。半分はえーって驚きで、半分は仕方がないのかなあって嘆息。なぜってAMDったらもともとはマルチメディア・タイトル制作者連盟っていってCD−ROMを中心としたマルチメディアコンテンツを作っているクリエーターが、パブリッシャーとかハードメーカーなんかのプレッシャーに負けないよう、存在感を得るために結成した組織だから。

 発足時は名も地位もあった山科さんをトップに仰ぎながらも、下はシナジー幾何学のデジタローグにインフォシティにオラシトン、あとアダルトの九鬼といったCD−ROMコンテンツのパブリッシャーが中核を締めていたし、アカデミー賞に並ぶ賞にしようとはじめた「AMDアワード」もメーカーやプロデューサーではなくって、クリエーター本人を表彰する賞ってことになっていた。それが似たことをやってる、歴史ではずいぶんと古い今のデジタルコンテンツ協会との大きな違いでもあり、デジタルにフロンティアを感じドリームを夢見たい身をくすぐられる部分でもあった。

 でも1人消え2人いなくなったりしつつCD−ROMって媒体が消え、代わってインターネットってメディアとコンテンツも登場はして来たけれどもそこで誕生するコンテンツがエンターテインメントや表現の世界を大きく変えるまでには至らないま、AMDの活動も徐々にアジ的な部分が後ろへと引っ込み、生まれてくる新しいメディアとコンテンツを取り込みつつ、ゲームだとかiPodといったシステムなりサービスも管轄に入れつつ表彰の大賞にもしつつ推移して来た。初期の頃のクリエーターたちの互助組織って理念は薄れ業界団体っぽさを増して来た、その果てに今回の大幅な組織改定は結果として経済産業省が所管するコンテンツ行政に総務省として対抗していくための尖兵に、AMDって団体を使っていこうってゆー動きを助長させそー。

 それが果たしていけないことか、それともコンテンツのためにどしどし行われるべきかは分からないけどネットだ何だって縦割りを省内でなくしたところで経済産業省との縦割りの壁は厳然として残ったままでの船出。そこで企業の奪い合いを行ったところで双方並び立たず共倒れって事態へと至りかねないんでここはむしろ業としてのデジタルコンテンツを鑑賞し発展を推進する総合団体に、デジタルコンテンツ協会とデジタルメディア協会が合体して生まれ変わった方が見た目もすっきりするし企業側でも活動への理解を示しやすいだろー。でもそーなる可能性は今の時点じゃあ限りなくゼロに近い。それがお役所って奴だ。理想に燃えてCD−ROM屋が集まり生まれてから10余年。AMDの最大の岐路はすなわち日本のコンテンツ力を上に向かわせるか下におとしめるかの分岐点でもありそー。答えはいつ頃出るのかな。2011年までには出るだろーな。


【9月25日】 派閥ってものが政党内に出来ている一種の政策集団であってその長が単なる世話役ではなく政策をとりまとめる責任者なのだとするなら派閥が寄り集まって出来ている党の大役にそれぞれのトップが就任して何が不思議なんだろうというのが多分、過去に累々と言われてきた派閥によるかけひきが結果政策を停滞させてしまうっていう弊害の可能性を良く知らない人の率直な意見で、けどでも実際に政策を運営する閣僚だったらまだしも派閥の寄り合い所帯の政党なんだから、領袖がトップになって派閥政治の復活だ、なんてそんなに騒ぐことかいって気分もあったりする訳で実際問題民主党だって小沢一郎鳩山幸夫菅直人といった“領袖”が揃い踏みして引っ張っていたこともあったのにそれを派閥談合の現れだって非難する所もそんなになかった。

 ようするに物事を報じる時の切り口が狭くなっていて、ある程度フレーム化されていてそこにあてはまるかどうか、はまらなくたって無理にでもあてはめて報じることが大事だっていう思考がメディアの中にできあがってしまっていて、条件反射のごとく事態から決められている、自分たちにとって分かりやすいストーリーを見つけだしあてはめ流してそして、やっぱり決められたよーな異論をはいてそれっぽく見せることしか出来なくなってしまっているんだろー。自民党の4役に派閥領袖が座ったという、そのこと事態がニュースで散々っぱら騒がれても、それがもたらす何か弊害みたいなものが指摘された場面には終ぞ行き当たらなかったし。でもって組閣され前の安倍総理の“偉業”をほとんど引き継いだら途端に拳を持っていけなくなって、些末な所をつついて独自性がないだの何だのとこきおろす。本質よりも上っ面。それしかできずまた受け手もそれにしか反応できなくなっている世界の向かう行く先や如何に。

 神様なんていない。それはもう厳然とした事実なんだけれどもそれでも神様を求めたがるのは人に心があって、その心が困難とかに出会って受ける苦しみなんかを和らげようと外に救いを見出そうとするからだったりするだけのこと。もっともそんな気持ちが心を人間が得て数千年とかを経た今で、は立派に神様は認識の上に存在してしまっていてそうした存在が、逆に人間にいろいろと影響を及ぼすことだって起きている。まあそれだって原因の根っこは人間の側にあるんだけれど、無意識のうちの発せられた欲求への答えが返ってくる時には神様を間に挟んでしまっているから、存在しているんだっていった気にさせられてしまう。人間の心って複雑です。

 まあ考えてみればそれも心を持ってしまった人間ならではの適応って奴で、進化ってものも考えようによっては果てしない適応の繰り返しがもたらす途中経過のようなもの。原因があって結果がある単純な構図でしかないんだけれども、神様のように原因と結果が知らず逆転しまって進化した形を、むしろ原因ととらえて遡って結果をそこに見出し神様の思し召しに至らなかった結果を覆し、新たな未来へと至る原因と現状を認識することで、単純な因果の繰り返しから人間を脱却させたいなんて思惑もあったりするのかもしれない。つまりは神様はいて人間に恩恵を与えてくれているんだというか。そんな訳はないのにそんなことを思いたがる一派はだから適応なんて場当たりな展開を認めずなすがままって態度を嫌って攻撃をしかけてくる。林譲治さんの「進化の設計者」(ハヤカワJノベルズ)に登場するユーレカって組織みたく。

 神の意志による進化があるなら、神に成り代わって進化を司る意志があっても良いってことなのか、このユーレカが世界で繰り広げる闘争にはなかなか鬱陶しいものがあって世界はすべて計算尽くの上に成り立っているんだっていった姿勢の者たちを排除しようと企む。物語はそんなユーレカの暗躍とは最初は絡み合わないまま、台風がスーパーコンピュータすら上回る計算能力を持った気象予想シミュレーションですら計算を間違え、異常な発達をした台風が北海道に上陸して被害をもたらしたことを訝る女性エンジニアの話があり、彼女の離婚した夫がインドネシアあたりに作られているメガフロートの工事現場で潜航艇に乗り、化石の発掘をしていた生物学者が消えてしまった事件に何かあるのではと乗り込んできた女性研究者の話があり、その女性研究者の姉で心臓外科のエキスパートだった女性の夫が、自治体の福祉担当官としてジャーナリストが失踪した事件を追う話があって、それらを発端にした3つの物語が絡み合い重なり合って進んでいく。

 そのいずれにもユーレカの影がちらつきはじめてそして浮かび上がるのは神の手など進化にいっさい関わっていないという厳然とした事実があり、また適応するのは人間たちばかりではなくすべてが自動化された環境の中で単なる動物であっても意識を持つならそれがキーとなって変化が生まれ適応が起こった果てに従来では考えられないシチュエーションが到来するって可能性があり、動き始めた適応は人間の思惑なんてものは無関係に膨張し暴走することだってあり得るんだという予測があるんだってこと。読み始めたらサスペンス調で進む展開についついページをめくらされて果てに、神などおらず適応の果てに様々な未来が待っているんだという絶望と希望の入り交じった複雑な感情を浮かばせられる。エンターテインメントとしても人類の未来を科学で類推するハードSFとしても高い完成度を持った本。よくぞ書いて頂けました。

 とはいえ急ぎ校正したからなのか130ページの下段最後の行からはじまる吾妻のセリフの冒頭にカギカッコが付いていなかったり、132ページの下段の最初のセリフで「この荷物、亡くなった前夫人から送られてきたんです」って女性のセリフなのにおやと思わせる「前夫人」って言葉になっていたりといろいろ悩ましい所もありそー。極めつけが290ページの吾妻のセリフの「救急医療の現場にはトリロジーという考え方がある」って部分でいつから救急現場にスターウォーズの考え方がはびこるようになったんだ、って抱いた疑問はつまりは違和感であって、それが何に起因するものかを知っている人ならすぐさま「トリロジーじゃなくトリアージ」って訂正が口を衝いて出るはずなんだけれども校正はくぐり抜けたみたい。本づくりって大変だなあ。

 とりあえずやっぱり未放送分が見たいと「天元突破グレンラガン」の第6話が入ったDVDの第3巻を購入。てこ入れの温泉話っぽく見せて総集編っぽいものを作ったんだと思っていたら実は違って未放送パートがいっぱいあった第6話のテレビでの放送版も入っているから、収録は「あばよ、ダチ公」までの3話分なんだけれど総収録時間は75分とかじゃなくって96分と長め。それを視聴者は得したと見るんだろーけど放送されない無駄なフィルムを作ってしまって製作側は無駄金を積んだと損した気分を味わっているのか、それとも未放送分が出てしまったことによるDVD購買アップの発生をむしろ得したととるのか迷うところ。まあグレンラガンなら良いけれどこれが高じてあらゆるアニメで未放映エピソードがあったり差し替えがあったりしてDVDを買わざるを得なくなるとさすがに眉も白むんで「もえたん」「スクールデイズ」程度に留めておいて欲しいなあ。そういや「コードギアス 反逆のルルーシュ」は未放送総集編はあってもアニメに定番の温泉テコ入れエピソードがなかったなあ。第2期では是非に。でもってブリタニア皇帝のすっぽんぽんぶりが放送コードにひっかかって放送中止、と。


【9月24日】 才人が喜びルイズが嫉妬で怒りまくるくらい“でっかいおちち”を持った妖精さんってことだから、「キスダム」のヴァルダやヴァイレやヴァラールとは違っていることは確かなんだけれどもちょっぴり唐突すりぐ登場(でもあいか、直前にギーシュも救われていたような)は、最近原作から遠ざかっている人間にはご都合展開にしか見えなくって12話でもって一気にまとめようとした弊害しか感じられずとまどいの「ゼロの使い魔 双月の騎士」。泣きじゃくるルイズの描写は力が入っていたし一騎当千どころか当七万を地でいく才人の活躍ぶりもしっかり描かれていた所も最終回ならでは。ただやっぱりいかにも唐突な絶対者の登場は話の興を削ぐんで次のシリーズではその辺りを描き込んでやって欲しいもの、ってやっぱりあるのか第3期。

 うーん微妙。肌触りとしてもどこかザラ付きを覚えるのが、ネットでもって呼びかけられた麻生太郎・自民党前幹事長を支持しようって声に若い世代とやらが集まり自民党本部前で「YES!麻生」って歓声を上げたって展開で、そりゃあま別に誰が誰を支持しようと自由なんだろうけれどこの一件にアキバとか好きそうなイマドキの若い人たちがいっぱい参加しているんだ、って感じにひとくくりにされて報道されている点には正直うっとうしさを覚える。支持なんかしてないよ別に。だってほら、麻生太郎さんが何をしてくれた? 国際的な漫画の賞とか創設したなんて話も伝わっていたけど、外務省がやったからって外務大臣が何もかも取り仕切るような国じゃあないし、だいたいがどこの誰ともしらない外国のお勉強的漫画に賞を与えるよりも、この国で大変な思いをしながら創作して海外に進出していっている人たちを支えるのが先だろう。なのに国じゃあ締め付けばかりを強くして、それに麻生太郎さんが身を挺して逆らっているなんて話は終ぞ聞かない。

 それでも麻生人気がアキバな方面とやらで盛り上がったのは、「ローゼンメイデン」を空港で読んでいた、という噂がどこからか流れそれは一風変わった政治家かんもしれないねえ、なんて揶揄もやや混じった愛着でしかなかったシンパシーが、情報がぐるぐる回る中で意図が削がれシチュエーションだけがクローズアップされ、そうした情報が周囲の面白がったりする人と、生真面目に考えたがる人たちを垣根を超えて巻き込み、さらに増幅される特性があるネットの中でぶわっと広がってしまったから。それでもアキバっぽいもの、オタクっぽいものに理解があるっぽいという麻生太郎さんのイメージの、それ自体を愛で笑いつつ、強面で右よりな安倍ちゃんに対してカウンターになり得るかも、なんてちょっぴり期待の気分を醸しだしつつ、でもまじめな話どうなのよ麻生太郎さんの政策は、って辺りで留め置いてやや離れた場所から眺めているうちは良かったんだけれど、ここに情報を切り取りフレームにおしこめつつ一気に広げるテレビなんかのメディアが絡みだしてから、妙に鬱陶しい空気になって来た。

 すれた大人はああテレビがまた軽薄なフレームアップをやっているなって斜に構えて見ていられるけど、あまりに量が増えると若さ故の前向きさなんかを未だ持った人たちの気分は煽られ、自分たちのスタンスが公然化され承認されているよな感覚が芽生えて来るもの。だんだんと麻生太郎さんを持ち上げ麻生太郎さんじゃじゃなければならないって気になって応援しつつ、政治に脚を突っ込む微妙な抵抗感を自分たちの為になるんだと押さえ込み、自己承認のために陶酔感を盛り上げていってそれをまたメディアが面白がって報道するなかで、同調圧力ってよりは空気に乗り遅れたくないっていう半ば強迫観念じみた気分を内部からわき上がらせてしまった人たちが参じて集まって、目に見える集団になっていったって印象を受ける。

 はやりの言葉で言うなら空気を深読みしたいというか、政局って非日常的な事態に起こりがちな陶酔と酩酊の入り交じりやすいドーピング気味の空気を、遅れずに味わいたいって人たちがわしゃわしゃと増えて来ては、前向きの気持ちから生まれる熱のこもった言葉を発してそれがどこかまっすぐ過ぎると斜に構えていたり、遠巻きに見ていた人たちをぐっと退かせる逆さまのスパイラル。結局は敗北した麻生太郎さんを自分たちの気分にそぐうからを支持していた、ちょっぴり利己的な方々って印象だけを残してしまったんじゃないかって不安がある。1人くらい「コードギアス 反逆のルルーシュ」のゼロの恰好をしてくれていりゃあまだギャグ混じりだって受け止められたんだけど。みんな何だかとっても真面目。それだけに共感よりも愁眉が先に立ってしまう普通の人も少なくなさそう。

 それでもアキバ的でオタク的な人たちがこんなにもたくさん支持しているんだから、下手を打つとこれが一気に非難に回ることもあり得るんでよくよく注意して活動しなさいよって、麻生太郎さんへのプレッシャーになれば意味もあったかもしれない。けれどもそもそもが都市伝説から始まった印象でしかない自分たちのヒーローなんて幻想に、従ってくれるほど政治家は甘くはない。もっと大きな動きの中で切り捨てられ放り投げられ、逆に利己的で陶酔的な集団だってイメージを逆手にとられて囲われ排除される方向へと、進んでいかないとも限らない。そうなった時にフジテレビで麻生太郎さんを僕らの見方だ的な発言をして讃えていたアソビットシティの店長さんは、何か訴えてくれるんだろうか。店頭で麻生饅頭を不味い不味いと良いながら一気食いして憂さを晴らすとか。

 結局のところは、柄にもなく政治なんてものに関わろうとしたって所から始まったボタンの掛け違いが果たしてどこまで続くのか、いつか来るだろう麻生総理の誕生時にも蒸し返されては引きずり込まれ翻弄された果てに排除される憂き目を味わうんだろうか。そうならないためにもここはいったん引き下がり、半身になって冷静な部分を保持しつつ状況を楽しむ、高踏で優雅なオタク趣味へと戻って事態を眺めて欲しいんだけれど、最近はこうした思考的な嗜みなんかを吹っ飛ばして、右から左、上から下へと受け流さないで受け止め一気呵成に突っ走ってしまう所もあるからなあ。デモとか。それとも今回の「YES!麻生」の動きって、後ろであれこれ仕切っている存在があって生まれたものなんだろうか。だとしたらなおのこと薄ら寒いなあ。

 ってなことを考えながら武蔵野線とさいたま高速鉄道を乗り継ぎ浦和美園へ。ジャスコでロコモコ丼をかき込んで時間を過ごしてから延々と歩いて「埼玉スタジアム2002」へとたどり着いて今年から始まった女子サッカーの「なでしこリーグカップ」の決勝戦「日テレ・ベレーザvs浦和レッドダイヤモンズレディース」を見る。女子サッカーがまだ企業によって支えられていた90年代には確か沖電気のスポンサーによる「OKIカップ」ってのがあったって記憶があるけど、企業チームの撤退に次ぐ撤退の中で沖電気自体が女子サッカーのチームを閉じ、カップ戦も中止になったんだっけ。それが「なでしこジャパン」の頑張りで女子サッカーへの関心が高まる中で復活。栄えある第1回目のチャンピオンを東のトップ2チームが戦うことになってスタジアムには地元の浦和レッズを女子であっても応援するんだって人たちが詰めかけ、2800人なんて大人数の観客が集まった。

 同じ「埼玉スタジアム2002」でまだ「L・リーグ」だった時代に300人くらい来ればたくさん集まったなって印象だったのがわずかに数年前。それがここまでこれたのも一重に看板となって奮闘ぶりを見せた代表選手のみなさんたちの頑張りだと今日の試合にも出ていた代表選手の面々を讃えたくなったけれどもアメリカワールドカップへの出場をかけあアステカでのプレーオフに始まった奮闘から、4年が経って疲れも見えるのか牽引役となってた澤穂希選手の動きが妙に固い。というか決定的って仕事が少ない印象でトップ下に入ってボールを受けても左右を上がる選手を感じで出すってゆー、展開力が前に比べてあんまり見られない気がした。かといってそこから突破して打つ訳でもない。研究されマークされているのかもしれないけれどもそこで魅せるのが代表選手。なのにあんまり魅せてくれなかった。

 大野忍選手も持ってから抜こうとして取られる場面が続出。上海でも見せていた歯車のズレをここに来てもまだ引きずっている感じで最前線にいながらなかなか決定的な場面を作れない。オフサイドではあっても抜けて蹴ったシュートがキーパー正面に行ってしまうくらいだからなあ、あそこでとりあえずゴールに流し込めればまだ良かったんだけど。そんな中でもやっぱり代表組の近賀ゆかり選手は絶好調な様子で右サイドを駆け上がっては切れ込み中央に早いクロスを入れたりと大活躍。さらに復調成ったのか後半途中から入った小林弥生選手がトップ下でボールをさばいて右を駆け上がってきた近賀選手へとつなぎ蹴り込んだ近賀選手のシュートが決まって1対1から2対1へと1点リード。それが決勝点となって日テレ・ベレーザが初代王者に輝き近賀選手もMVPを獲得した。ようやくリーグの顔になって来たなあ近賀選手。同じ右サイドの“男前”として水野晃樹選手との対談が読みたいなあ。

 若手では左サイドに入った宇津木留美選手の速さと頑丈さにも改めて注目。何ていうか下半身の安定ぶりでもってずしずしと突き進んでいく姿は女子にはない力強さで、これがあればドイツやアメリカといった巨躯でもって押してくるチームにだってフィジカルで負けないチームを作れそう。それにはあと5人は170センチ台の選手が欲しいよなあ。あとベレーザで先発に岩渕真名選手って知らない名前の人が出ていてだれだってプログラムを見たらまだ14歳の中学生だった。試合ではそれほど目立っていた訳じゃないけどかといって脚を引っ張ってもおらず、最高峰に近い戦いでそれだけのプレーが出来るんだったらと将来に期待がわく。代表選手が抜けた中でリーグカップの予選を勝ち上がって来たサブの選手たち新鋭の選手たちに対するご褒美であり、頑張ればちゃんと上は見ているっていう姿勢を示した起用だったのかな。これからの残るリーグ戦に出場して来るかに注目。試合には出ておらずベンチにも入っていなかったけれど表彰式には並んでた、1人だけ身長が抜けていた選手にも。誰なんだろう、171センチの佐藤芽衣選手? 割と美少女だったけど芽衣ちゃんだけにやっぱりツンデレ?


【9月23日】 おそらくは人間的に重複しまくっていてるだろう延べ300万アクセスとやらをバックに、媒体きっての書き手を衒いつつその妥協なき徹底した賞賛で権力中枢より仲間と認められたのを幸いと、ひたすらに突っ走っていたら梯子をはずされ、にも関わらず敵前逃亡の将を悪いのは逃亡させた周辺だとなおも言い抜け改めない、ある意味では1本筋の通りまくった国士無双の肥大しきった自我が、果たしていついかなる形で次のフェイズへと進むのかと傍目には興味津々ながらも、それが回り回って媒体の価値に対する様々な影響となった果てに起こるかもしれない事態を考えた時に、もはや未来は乏しいと感じて身震いをしつつそれでは冬が寒くなるばかりだと一念発起し、年末までの目標を設定、頑張って「キャナァーリ倶楽部」のメンバーの名前とニックネームと顔を一致させようと誓う。とりあえずおがまな最高。

 加えればえりーなも可愛いけれども可愛さが危ない領域に未だあるので遠慮、というならおがまなだって同様か、でも成長著しくって見た目だけなら中高の領域にさしかかっているんで親愛を表明したって危険領域とは思われない、と思っているのは自分だけ、か。眼鏡キャラでいくんだろーかおがまなは。あと余裕があったら「SWEET&TOUGNESS」の振り付けも覚えたいところだけれどもそれは本当に余裕があったらだ。時間的な余裕だったら遠からず出来ちゃうかもしれなくってもその時は金銭的な余裕がなくなるし。「青春万歳!」のDVDはメイキングにつんくさんが参上してほとんど丸1日をつきあっていろいろと支持したり応援したりしている。本気でやっているんだなあ、まあTXNって自分の会社で出してるってこともあるし。プロジェクトとしてデカくなり過ぎたモー娘ハロプロに代わって自前でゼロからいじって叩いて伸ばせるチームを今また育てようって考えているのかな、どん欲でまじめで前向き、だから残れているんだろう「シャ乱Q」としての活動が滞っている今なお最先端に。

 ぽてまよ死亡。に瞬間立ち上がりそうになったけれどもそこはそれ、ほんわかほのぼのとした作品なだけにちゃんと後が用意してあっておまけもくっついて来ていてまた楽しくも穏やかな日々が続きそうで何より。直前の素直と病弱な母親との決して永遠ではない日々を折り重ねて積み上げていく描写が淡々としつつも美しくって哀しかっただけにぽてまよとそれからぐちゅ子が見せた行動と直後の状態に、瞬間でも別離の悲しさって奴が極まって泣き出しそうになった。そこで還らずとも何にだって絶対に訪れる別離を受け入れる覚悟って奴がまあ得られるんじゃないかと我に返って思ったもののそこはやっぱり明るく愉快なエンディングの方が嬉しいもの。得られた2つの新たな命が果たしてどう絡んでいくのかを、第2期があったら是非に見せてもらいたいなあ、アニメじゃあ名も出なかったぐちゅ子から出たっぽいまめ。可愛いよなあ。対してたまチー。まだちびすけ。成長するとどんな感じになるんだろー。ああ楽しみ。そろそろ単行本も読んでみるか。

 企画的にはたぶんあんまり目立たないまま静かに流れて終わり消えていくアニメ、って印象だけれど脚本的にも作画的にも音楽的にも他のあらゆるすべてにわたって徹底して丁寧な作りだった「ぽてまよ」。同じくバンダイビジュアルから出たもののやっぱりそれほど大きな話題ににはならず悔しい思いに歯がみしている「びんちょうタン」と同様に、時間帯とか放送されるチャネルとかをもーちょっと考えて欲しかったって気がして仕方がない。「コードギアス 反逆のルルーシュ」だって時間帯から苦戦しているって見て取られるんだから、いわんや一般性の高いアニメで深夜プラスローカルではなあ。出来れば夕方とか。なおかつNHKの教育とか。見れば教えられ諭される内容も豊富なアニメがUHF局だったり全国でも超深夜だったりするこの矛盾を解決しない限り、アニメにもテレビにも未来はないぞ。補完するメディアが出てくれば良いんだけれど。CSなんてだから責任も大きいし期待も強い。でもそこでやられると我が家的にはまるでお手上げなのが哀しいなあ。早く環境、整えたいなあ。暇が出来ないかなあ。金も出来ればやりたいなあ。

 起き出して「天元突破グレンラガン」を見てビラルの不可能な家族と子への願望を知りつつ「幕張メッセ」へと向かい最終日の「東京ゲームショウ」を見物、ああやっぱり今年はソフトの展示会、ゲームショウ本来の目的とも言えるソフトの見本市にちゃんとなっていたって印象で、あれやこれやと投入されるソフトの体験をしたり体験版をもらおうって人で長い行列がどこも出来ていたことからも再びソフトに関心が集まって来ているんだって実感を持つ。まあ人気の集中はやむを得ないのかもしれないけれど。それでもいつになく年齢層が広がっていたって感じで、例年だったら閑散とまではいかないものの半ばアリバイ的にもうけられてた感もあったキッズコーナーが今年は充実してた。

 集まった子供たちがたとえば業務用のドラクエとかポケモンとかワンタメといったキッズカードゲームに行列を成していて、「ムシキング」や「ラブベリ」を作ったセガの植村比呂志さんが話していたよーにここでゲームに触れた子供が10年後、20年後になった時にゲームに対して抱く正の感情が、マーケットにプラスになってくれる可能性に思いをはせて顔もほころぶ。先鋭化して究極を求めた果てにマーケットが縮小、なんて事態も考える必要はあるけど「インベーダー」が突き詰められたシューティングや格闘とは違いキッズカードゲーム機が究極へと向かったって、せいぜいがカードが模型になったり人間のゲノムを読み込むよーになったりする程度。難しさより幅を広げる方へと進化していけば市場も縮小しなくですむだろー。問題は相次ぐ参入に気分あ飽きてしまうことか。そうならないためのアイディアの百花繚乱に期待。だからキャラにはあんまり頼らないでね。

 「情熱大陸」にスキマスイッチが登場、常田真太郎さんがただのアフロでもピアノ弾きでもないって所を存分に見せてくれててて驚き。昭和高校って学校群で行けなかった方の学校を出ている(母親の母校でもある)ことからいろいろ気にはなっていた人だけれど何しろあのアフロ、きっとバンカラで見た目も歌声も繊細な大橋卓弥さんをけしかけ後押ししているだけなんだろうって見ていたらこれが実にまじめというか文系でも体育会系でもなく理系肌っていうか、部屋にずらりと並べた機材でもって大橋さんから上がってきた楽曲や適当につけられた音楽に乗りやすい中身は適当な詞を手直しして、アレンジもして作品として仕上げる作業を全部やっていのが常田さん。あの作業があってはじめて耳に心地よく響き渡るサウンドになっていたのかと知ればやっぱりただのアフロだとは侮れない。

 具体例としてあげられていた「アーセンの憂鬱」の詞の改変が素晴らしくって、ソーセージが脳で湘南がハンサムだとかいった詞がちゃんと意味もストーリーも持ったものになて出てきたのには驚いた。もちろんそれ以前にギター1本とあとは声だけでMDに吹き込まれたメロディーがありビートがあり、そしてそのリズムや旋律に乗りやすい、乗せて欲しい抑揚や韻を持った詞があってこそのアレンジであって大橋さんの才能の凄さはだから天才と言って良いレベルにある。でもその天才も生ではやっぱり響かない。そこを直し導き叩いて伸ばす常田さんの秀才的な、高校を出てようやく理論から音楽に入っていったとゆー生真面目さがあてこそ成り立つ「スキマスイッチ」。2つの才能がめいっぱいに手を組んで作り出した音楽だもの、秋葉原のラジオ会館の中にあったヘッドホン屋で流れてきた「螺旋」のアレンジとビートに1発でやられたのも仕方がない。けどあの時はここまで来るとは思わなかったなあ、サンボマスターばかりが讃えられてスキマスイッチはないがしろ。主張し続けた甲斐もあったけれどもそれより先にサンボマスター好きな推定空手少女がスタアの階段を駆け上がっておりました。年限は努力する者たちを変える。怠惰な中年は地べたで未来に不安を抱きつつ「キャナァーリ倶楽部」をひとり聴く。人生っていろいろだ。


【9月22日】 アンバー小さいよアンバー。いよいよクライマックスへと突入して腹に鉄砲玉を抱えながらも黒(ヘイ)に銀(イン)に猫(マオ)を乗せてゲート近くへと向かった黄(ホワン)だったけれども2人と1匹を降ろしてそして1人逃走したはてに追ってを巻き込みドッカン! あっけない最期となりました。別れ際にインに抱きかかえられてうらやましい。頭に当たる胸はインなだけに板。それでもやっぱりうらやましい。覚えた笑顔を見せてやれば良かったのに。指で口元を押し上げる、あれ。

 んでもってゲート内へと潜入した2人と1匹のうち猫がリンクが切れてバックアップを受けられなくなったのか本物の猫と化して現場から脱落。最期ややっぱりインの腕の中で最期を迎えたか。それがひとつの定番になっているのかな。そして現れたアンバー。さっきまでゲートの外のマンションの中にいたのに。どーやって入り込んだんだ。例のテレポーターに運んでもらった? でもあれは本体しか運べずすっぽんぽんになるはずで、現に直前に運ばれた念力野郎も女性ともどもすっぽんぽんだった。力を出す瞬間の手のひらがちょうど女性の露わになったVゾーンを隠すレイアウトを考え出した原画の人はどういう思いで描いたんだろー。本当は書きたかったのか。実は直前の見えてるカットが存在するのか。それがDVDには入るのか。んなわきゃあないよなあ。

 そうだアンバーは例の伸縮自在な服でも間にあわなくなるくらいの姿でゲート最奥部まで来たヘイとインの前に登場してあの笑顔。服を着ていたけれどもそこいらで調達したものには見えなかったしそもそもそこいらで調達できるはずもないんで着てきたんだとしたらやっぱりどーやってそこまで来たのかが謎。それとも不確定原理的に観測されさえすればどこにでも偏在出来るのが彼女の能力か。未来とか見てこれるとか言うし。でも見られるんなら結論も分かってる? いやいやいったんは助かった念力男もやっぱりやられちゃったし。相手の契約者はいったいどこの何者だ。クールな美少女。ちなみにイブニングプリムローズで戦っていた中にもレヴィみたいな恰好の美女がいたなあ。ドールもろともどっかんかなあ。サブキャラたちは辛いなあ。

 などといろいろ考えさせつつ以下次回。さてどうなる世界はゲートはヘイはインはアンバーは。インが無事ならそれで良いか。寝て起きてそして浦和方面へと出かける準備をして秋葉原へと立ち寄って「コードギアス 反逆のルルーシュ」のDVD第9巻を購入。でっかいボックスがついてきたけど初回限定の特典も含めて放り込めるサイズじゃないしそもそも初回特典がバッジやらポストカードやらとバラバラなんではずすと保存に難渋しそうで外せないんでボックスへの収容は断念。となるとボックスそのものが邪魔っけになるという悪循環。特典はだからブツじゃなくって別のディスクに入る映像だとか音声だとかパッケージにおさまるイラストだとかにして欲しかったなあ、「ハルヒ」シリーズみたく。石丸電気の全巻購入得点はクオカードだけどC.C.は表情こそ素晴らしいけどボディが、お尻が、描かれてないのがやや残念。かといってルルーシュとスザクは小さいし。男性にも女性にも中途半端は良くないから次の第2期では水着のC.C.か裸のルルーシュのどちらかにすること。無理なら仏頂面ではなくってアンバー笑いをするC.C.を。見分け付くかな。

 ついでに「電脳コイル」の第1巻限定版も買いさらにキャナァーリ倶楽部のDVDなんかも拾いつつ時東ぁみさんのライブDVDはイベントで買えば握手できるかもと見送りつつ京浜東北線で浦和へと向かう途中で「第3回MF文庫Jライトノベル新人賞」を獲得した七位連一さんって人の「地を駆ける虹」(メディアファクトリー)を読んだけれどもうーん、コミカルとシリアスの配分がどうにも気持ちにひっかかるなあ、いやそれをいうなら「鉄球姫エミリー」だって似たよーなものだけれどもこっちは冒頭からのコミカルも一種極限状態に置かれた者たちの見せる精神的な暴走とも恐怖を抑制しようとする空疎な笑いとも見て取れないこともない。対して「地を駆ける虹」は導入部分の青春している部分のコミカルさが後半になってすっかり引っ込んでしまって意味をなさないところが気にかかる。

 体に能力の卵を取り入れることで異能の力を得て底辺からはい上がろうとする平民農民たちがあふれだして、貴族とそれ以外との力関係が崩れかかっている世界で先達の能力使いとなった同郷の女性に憧れつつ、いつか自分たちもと目論む4人組が卵をもらいうち3人が孵化に成功。エレメントを得たものの1人が出遅れてしまった関係で傭兵にはなれず、街でしがない賞金稼ぎをしていたところに起こった事件が出遅れた少年の心を揺さぶる。ここで頑張れば先に卵をかえした仲間を見返せる。自分を英雄だと慕う妹にもいい顔を見せられる。そんな無鉄砲きわまりない行動から仲間たちだけでなく妹までをも巻き込んだ騒動となって少年の身を深く苛む。

 仲良し4人組の笑いもあるけど喜びもある成長物語としてだって描けたはずなのにそーはせず、優しくってちょっぴり間の抜けたことを言って時々険悪にもなる仲間たちの関係を保っていた少女も力を誇って力を出せない少年をバカにしているようで実はかばっていた少女も兄貴肌で皆をひっぱっていた少年も、皆が力をなかなか発動できなかった少年の手前勝手な振る舞いによって被害を被る。そんな少年の後先を考えない行動ぶりが鬱陶しくって腹立たしい。なおかつ手前勝手で自己中心的なその行動の結果起こった悲劇に対して与えられる“罰”のバランスが取れていないのも気に障る。最愛の存在を失うことになったとしてもそれは半ば自業自得であって、他の存在が失われてしまったことへの贖罪はちょっとやそっとじゃ果たせないんだけれども、そのあたりをどー考えて描いているんだろーか。よほど凄絶な生き様にしないと読んで納得は出来ないけれども少年たちの師匠で朝が苦手な女戦士とかのコミカルな描写を混ぜつつ愉快な珍道中にしてしまった方が読者的には受けるんだろーなー。悩ましい。

 そして到着した久々の駒場競技場。えっといったい何時以来なんだろうと考えて女子サッカーを何時か見に来たのが最後だろーかと振り返ってやっぱり思い出せないくらいに久しぶりなんだけれども昨今の割とこぎれいな競技場を見慣れた目にはメインスタンドの設備の古さがどうにも気になる。椅子はセパレートだけれども背もたれとかなくメーンなんかは屋根もなく天辺から降り注ぐ日に体が焼かれて汗だくだく。チープなスタジアムで日曜の真っ昼間によく開催される女子サッカーの「なでしこリーグ」を見ているよーな気分になる。観客も1時間前くらいまでは「なでしこ」なみだったし。

 あの日本代表の羽生直剛選手が座っていたってそうとは感じさせないくらいに高校選手権的でなでしこリーグ的なまったりとしてゆったりとしつつげんなりとしそうな空気は試合が始まればとりあえずは消えたけれども、観客はそれほど多くなくってキックオフ時間が過ぎてもバックの2階席とかは埋まらず最終的には8000人くらいとJ2並。つまりはそんな大宮アルティージャにとっての未来を先取りしているのか? って言うとお前らだってそうならないとも限らないって言われそう。連敗したらそうなりかねないもんなあ。

 ってことで暑さにもピッチコンディションにも悩まされながらキックオフ当初の相手の出足を抑えて耐えつつ切れ込んだ深い位置から工藤浩平選手だかに戻したボールを工藤選手がゴール前に放り入れた所にあわせた斉藤大輔選手の1点を最後まで守りきってジェフユナイテッド市原・千葉が勝利。いくら相手が中堅以下とはいえやっぱり4連勝は嬉しいし大きい。ゴールデンウィークの強豪相手の3連戦をオール引き分けに終えた時はそれで波に乗れるかと思ったけれども乗れずズルズルと順位を下げたこの夏の辛さも、一気に払拭されてどうにか無事に歳を越せそうって気になって来た。安心は出来ないけれども次のFC東京戦に勝てでもしたら安心感も一気に強まりそう。やっぱり行くしかないかなあ。チケットまだあるかなあ。


【9月21日】 絶景かな絶景かな。社会的な電網の奉仕を行う最大手の会社が原宿あたりに引っ越したってんで見学会。ただでさえ高台にある建物の受付がある階はさらに上階なだけあって、ロビーより背後に見える景色は眼下に代々木の街を見下ろしつつ明治神宮から新宿の高層ビル群を経て新宿御苑を遠くに眺めそして国立競技場から神宮球場秩父宮ラグビー場へといっさいの遮蔽をなしに眺められる。晴れていれば遠くに群馬栃木茨木といった方面の山々も見えるだろー。下手したら六本木ヒルズの最上階にある展望台よりも眺めとして良いかもしれない。さすがは急成長企業の新オフィス。眺望だけでも金になる。

 それだけじゃなくって1つフロアを下がった休憩ルームにはソファがならび卓球台が置かれエレクトリックダーツもあって時間に余裕があったら楽しめる。ビリヤード台とかいったオサレなものじゃなくって卓球台ってあたりが逆にウォーミング。受付と同様の眺望を得つつかこんかこんとラケットを振って球を打ち合っていればきっと気分もさわやかになって抑圧だとか何だとかいったものからとっとと抜け出せるだろー。大手企業からこっちへと移って来る人の割と居そーなのもよく分かる。このオフィスならさらに増えそう。

 渋谷駅前のビルなんかとは違って、千代田線の明治神宮駅からもJRの原宿駅からも代々木駅や千駄ヶ谷駅からもまあそれなりに距離もあるけど、明治神宮からだと原宿のファッション街を抜けてこれるから気分も楽しい。歩いている間に見られるモデル然とした美女とか竹下通りに集まってくる女子中高生だとかも途中に見放題。見過ぎて心惹かれた果てに途中で脚が止まって遅刻続出、なんてことにもなりかねないけどまあそこはそれ、気力でカバーして見るに留めておくのが重畳かと。

 1000万を超えてもまだまだユーザー数に頭打ちの見えないサービスなだけあって未来も明るそう。海外展開だって可能っぽい。となるとさらに拡大してフロアも満杯になっていずれ出ていくことになるのかな。でもこの風景に慣れると六本木ヒルズとか東京ミッドタウンだって今ひとつ。そこそこの規模でそれなりに利益を出しつつ原宿維持へとモチベーションが向かうなんてことになったら新オフィスもなかなか罪かもなあ。でもそれだけのリスクをはらっても維持したい眺望だよなあ。ちなみにゲーム中のサッカー選手とかはスタンドの影になって見えません。最上階からだと見えるかな。そうかだったらフロアを広げれば良いんだ。いずれはまとめて1棟買い。成長ペースだけ見ればまんざら夢じゃなから凄いよなあ。

 バリボバリボバリボー! って何のことかと思ったけれども瀧川武司さんの「イガジョ!」(富士見ファンタジア文庫)は表紙のブルマー姿の女の子が現しているよーにバレーボールがテーマのスポーツ青春ストーリー。だけどそこはファンタジア文庫だけあって「風が強く吹いている」とか「一瞬の風になれ」みたいな感動のストーリーとはちょっと違って荒唐無稽な技と技とのぶつかり合いが繰り広げられては超人たちの圧巻さに強く心をゆさぶられる。バレーボールだけあってイナズマサーブか殺人アタックくらいだろう? なんて揶揄など無意味。放たれれば選手が1人また1人と倒れ起きあがれなくなる呪いめいたサーブを放つ狐娘がいれば当たれば人間くらい彼方へと吹き飛ばす大砲サーブを放つジャイアントもいたりとスケール感が半端じゃない。

 何しろ「イガジョ!」だけあってそこは伊賀のくノ一を養成する女子校で、選手たちもみなが女忍者の端くれたち。どうみたって巨大な皇帝ペンギンっとか某バレーボールイベントのマスコットとかいった、激しく人間離れした選手もいたりしてそれがそれぞれに必殺の技を繰り出して戦う様はどこの「アストロ球団」ですか? といった面もち。なおかつそんな技のぶつかり合いが中盤以降は最後まで続いてあり得ない展開あり得ない描写にあり得ない心の高ぶりを覚える人も割と多そう。そんな中でも頭になぜか葉っぱをのせた多々良多々良ちゃんの正体なんかにも何かありそう、って読んで読み続けてしまうくらいに面白さと謎めいた所があるストーリー。読めば自分もバレーボールが強くなれるって思える……訳はないか。

 新型PSPをいろいろ。ワンセグは映れば画面も大きく綺麗でおまけに横長なもんで昔ながらの6:4だかのテレビだと切れてしまっていた討論会での麻生太郎幹事長の手の先なんかがPSPだとばっちり映ってる。まあ見て嬉しいものじゃないけれど。これでこうならアニメなんかでも上下を切ってワイドにしてない奴なんかだと左右で見切れている絵もたくさんあったんだろーなー。両脇においしい絵を配置するほどイケズなアニメの制作者もいないだろーけど、見られるべきものが見られないってのはやっぱりちょっと悲しい。家のテレビもそろそろ横長のにしたいなあ。でも横長にすると潜望鏡で本の谷間を縫って見てよーやく全部が入る画面の両脇が結局本の壁に切られてしまうから一緒なんだよなあ。だから引っ越せと。

 まあいずれ起こっただろー議論だよなあ、「インターネット上で、著作権者の許諾を得ずに流通している音楽や映画などの作品を、一般の人がパソコンなどにダウンロードする行為が違法」と見なされるようになるかもしれないってのは。私的な録画がとりあえず容認されていることを根拠に、違法にアップされてるコンテンツでも「個人が家庭内で楽しむ範囲であれば違法でない」んだけれどもそれだとやられ放題なんでダウンロードそのものを違法にするよう、文化庁の文化審議会の著作権分科会・私的録音録画小委員会が著作権法の改正を目論んでいるんだとか。

 でもこれって法律がもし通った場合に違法ダウンロードされたものなのか、それとも家で私的に録音録画されたものかをどうやって切り分けるんだろう? さすがにプレーヤーどうしを家の中で直接つないで情報をやりとりするのを取り締まるのは困難だろうけど、法律がダウンロードをネットなんかを介在してやりとりするものだとかって規定したら、いろいろと面倒なことが起こりそう。いったんは家の中のサーバーに蓄積しておいて、ネットで遠くから取り出し見るような行為なんかもダウンロードだからダメだって? それじゃあソニーだかどっかが作ってる「まねきTV」なんかもダメになる。無線LAN搭載の携帯機器でネットを介して自宅のパソコンに蓄積してある音楽を取り出し聞いてもアウト? アップルなんかが文句を言い出しそう。というか可能性を考えて今からいろいろ文句を言って欲しいよなあ。

 それが著作権者の許諾を得ないで流通しているものかどうかを、個人がどこまで見分けられるのかも謎。明らかなものが多いんだけれど、中には曖昧なものもある。大丈夫だと思ってダウンロードして持ち歩いていたら調べられて違法なファイルだから君犯罪者、なんて引っ張られてぶち込まれるなんて暗い話も出てきそう。そこまではやらないって? でもすでに10徳ナイフを持ち歩いているだけで引っ張られるんだぜ、この国じゃあ。ドライバーとワインオープナーと鉛筆削りとはさみは別々に買って持ち歩けってことか。ああ面倒くさい。

 というよりはそもそもの原因である違法アップロードを徹底的に取り締まる方法を考える方が先だろう。あれはすでにして送信可能か権の侵害だ。だけども大量にアップされて確認が追いつかないのかそっち方面から網をかけようって動きにはならずいきなりダウンロードした方を取り締まろうとする。分かりやすいし抑止にもつながるだろーけどでもやっぱりいろいろ面倒そう。まあでもユーザー側にだっていろいろ悩ましいところがあるもので、動画アップサイトに上がっている違法ファイルに著作権者が気づいてないはずはないのに、削除とか要求してないのはすなわち黙認なんだから、どんだけ見ようがダウンロードしようが構わないんだって、堂々と宣言してしまっている人があちらこちらにわしわしといたりする。

 なるほど販促のためには良いかなって“お目こぼし”している著作権者もいるだろーけど、下手に騒いだらあーだこーだと難癖つけられ、イメージダウンになるのも怖いって“泣き寝入り”している人だっているだろー。個人なんて特にそうかも。主張しないのは権利意識が乏しいため? そこまでクリエーターに求めるってのは酷な話で、中には忙しくって確認なんてできない人だっているかもしれない。なのに異論が起こらないのはすなわち黙認であるのだから、見ようが上げようが構わないんだと断じてしまえる妙な利用者側の権利者意識の拡大が、だったらとりあえず上げちまえって大量の違法アップを生んでそして著作権者を刺激しかくしてこーゆー奇妙な法律が生み出される。

 そこで騒いだって遅いんだからそうならないよう、慎ましやかに後ろめたさを覚えつつ行動するのがとりあえずの道なんだろーけどどうにもふくらんだ著作者、利用者双方の権利意識はぶつかりあうしか道はなさそー。悲しい時代になったなあ。なかにはそーした葛藤もなく「ニコ動」でアニメ見ましたって枕に降る新聞社の記者とかもいるからなあ。世間の安倍不支持ぶりを叩くよりも身内の粗相をたたけよなあ。まあとりあえず「コードギアス 反逆のルルーシュ」は放送分のDVDも出そろったんだから地方で見られない、だからネットで確認するんだなんて時には納得したくなる言い訳は、もはや不可能だと知ろう。「スクールデイズ」の未放映分とかが流れていたりしたら別の意味で凄いかも。


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