縮刷版2007年4月中旬号


【4月20日】 真夜中なんでワイヤレスのヘッドホンを着けて聴いていることもあって、虫の声が手前で響く感じがして田舎っぽさが出ていた「おおきく振りかぶって」の音響の確かさは、声優たちによる演技にも出ていてかけあいのタイミングも言葉の重みもちゃんとあって、上っ面だけでガチャガチャとしがちな割に印象に残らない青春の群像劇を、見ていて絵だけじゃんかうって声も瞬時たりとも聞きのがせない作品に仕立て上げている。

 見ていて思ったのはキャッチャーの阿部が意外におしゃべりで感情も態度にあらわにするタイプだったってことで、漫画だとその立ち位置からもーちょっと寡黙で冷静な人間だって観念を頭の中に作ってしまいがちだったけれど、しょせんは三橋と同じ高校1年生。且つピッチャーの横暴が嫌で入った学校で自己主張しないピッチャーに出会えたことを喜ぶ、どちらかといえばジコチューな人間な訳で、そんな感じが親切心からってんじゃなくって計算尽くで三橋を納得させようとして果たせず、苛立ちグラウンドを後にする演技によく出てた。音響監督のプランか演技者の研究の成果か瓢箪から駒的効果か。いずれにしても丁寧な作りで毎回ちゃんと楽しませてくれそー。早くモモカンの迫力のユニフォーム姿が見たいなあ。

 「東京ドームシティ」にある「ジオポリス」に屋内型のアトラクション「コードギアス ザ・ダークヒーローアドベンチャー」ってのが出来たって噂を風の便りに聞いたんで見物に行く。去年あたりに日本を巡業した「マーベル ザ・ヒーローアドベンチャー」の「コードギアス」版ってことらしく、場内にはマーベルヒーローならぬコードギアスのキャラクターになった気分を味わえるアトラクションが備えてあって、たとえば「スザク オーバーハング」は子供のスザクとルルーシュが遊ぶ画面に出てきた崖と同じものが再現してあって、そこを勢いをつけて駆け上がるってアトラクションなんだけどそれなりな高さがあってスザクみたいな体力莫迦ならあっさりあがれても、ルルーシュみたいな虚弱体質だとなかなか上がれず苦労する。

 そこを2人で挑戦することによって上がりきった1人が上がれない1人に手を差しだして引き上げ友情を育むって寸法。見ていると空気に薔薇の香りが混じって漂う。「ユーフェミア イレブンスーサイド」ってアトラクションはユーフェミアの拳銃に見立てた銃で居並ぶ日本人の人形を撃つってアトラクションで100人くらい並んでいるのをどれだけ短時間で倒せるかを競う内容。1発撃つごとに「虐殺です」って声も響いてなかなかにシュール。「スザク ダッシュ」って大型のアトラクションもあって四方が壁の通路の中を高速で走り壁を駆け上り天井すら逆さに駆けてぶらさがっている風船を取ってタイムを競う。失敗すると真っ逆様でちょっと痛いけど成功できれば名誉ながらもブリタニア人として認めて貰えるから挑戦のし甲斐もあるって言えそう。

 ほかに「コーネリア スラッシュハーケンシューティング」とかあって楽しそう。グッズ売り場じゃTシャツやタンブラーやらキーホルダーが並んでミュージアムでは「黒の騎士団」の歴史をゼロの珍妙なポーズで振り返れる。なんてものが出来たら果たして人は大勢集まるのか。本当に「ジオポリス」にオープンした「マーベル ザ・ヒーローアドベンチャー2」は金曜日ってこともあって来場者もまだおらずちょっと寂しかったけど、スパイダーマンみたく壁を登ったりX−MENらしくバルーン製の通路を突っ走ってタイムを競うアトラクションは見栄えもなかなかでちょっと挑戦してみたくなる。5月いん「スパイダーマン3」の公開を控えた絶好のタイミングってこともあるから週末とか、ゴールデンウィークにはまあそれなりな人出も期待できるんじゃなかろーか。数じゃあ横浜に出来た「横浜アンパンマンこどもミュージアム」には負けるだろーけど。立地で21日スタートの「那須ハイランドパーク」における「ガンダムワールド2007」には勝てるかな。

 真理が2つあってひとつは女は化けるってことで、もうひとつは人間慎ましくやってりゃ人生なんとかなるってこと。長野まゆみさんの書き下ろし新刊「メルカトル」(大和書房)はタイトルからも分かるよーに地図が重要なモチーフとして登場する話。地図ばかりを集めた一種の図書館みたいなところで働くリュスは、赤ん坊の頃に水路で船首の女神像の虚に入って漂っていたところを拾われ孤児院で育ち、高校を出ると大学に入る学資を稼ぐために育った場所から遠く離れた街へと出て地図収集館で働きはじめた。どうにか借りられた部屋から通い周囲の視線の中で目立たず隠れず育つなかで得た歳に似合わない大人びた性格でそつなく仕事をこなしていたある日。人気女優と同じ名前を持った女性がやって来てリュスに妙な関心を寄せる。

 そこは情に流されることもなく淡々とやり過ごしてしばらくして、女優の人気を奪うように台頭して来た若いモデルのイベントに出られるチケットが当たるキャンペーンのためにガムの包み紙が欲しいと娘にいわれた上司に頼まれ、近所の店にガムを買いに行ってそこにいた若い女性の店員からやっぱり関心を抱かれ、そしてやっぱり淡々とやり過ごして家へと帰りサブレとお茶の慎ましい食事をして仕事に行き学資を稼ぐ日々が続いていくのかと思っていたところに、今度は本物の人気女優が部屋へとやって来てリュスに頼み事をして去っていき、さらに女優と同じ名前を持つ女までやって来てリュスのクラス部屋を自分が借りることになったと言いだす。

 そこで怒りもせず慌てもせずにそれなら仕方がないと出ていこうとするのを女は止めて自分がよそに行くと言って出ていく。あまつさえリュス自身が女の示したように、何ものかに渡された地図のある地点にピンを打てばそこが自分の新しい住まいになる、たとえ誰が住んでいても自分の住まいになるんだという誘いを受けて戸惑う。そうこうするうちに頼まれ老婦人の話し相手になっただけて巨額の小切手を渡されたり、その小切手を服を汚してしまった女性にあっさり手渡そうとしてしまったり、道で会った女性に陥れられて警察に連れて行かれたりという事件に次々と出会うリュスが最後にたどりついた場所。そこにいた女性の姿が、町に来て出会った様々な女性達と重なって読む人を驚かせる。

 さらにもうひとりの少女とも出会がリュスの日々にいっそうの幸せをもたらす。なるほど女はよく化ける。けれどもそれに気づいたからといって口にしては不作法というもの。相手を慮り分別をわきまえその時にできる最善のことを続けていけばいつか寂しい生活にも潤いがあふれ、天涯孤独だった身が大勢の人たちのぬくもりによって満たされるんだという可能性を「メルカトル」は見せてくれているけれど、しかし現実世界はそんなに甘くはないからなあ。誘われついていったら罠だったとか化かされた果てに素寒貧とか。だからこそ「メルカトル」に描かれる物語が強く気持ちに響いて来るんだけれど。とりあえず女優はすごいってことで。


【4月19日】 怠け者ばかりとブリタニア皇帝に揶揄され日本からの亡命者を傀儡に仕立て上げて進出しようと目論んだりして失敗したりと「コードギアス 反逆のルルーシュ」に描かれる中華帝国って奴はどうにも食えない印象があってそれがまあ、何とはなしに昨今の空気とシンクロしていたりするんだけれど対称的に「機神大戦ギガンティック・フォーミュラ」の人民共和国はギガンティックに登場している人たちも職務に忠実で尊厳も持つ人たちなら、付き従って来た人もかげでこそこそ話してはいるものの基本的には自分たちへの侮辱があれば許さないってゆープライドを持った人たちで、誤解さえとければ共に戦うことを辞さない。

 主席からして孤児を救い世界の危機には一致団結して立ち向かうんだという態度を貫き非業の最期を遂げたもよう。その様を阿り過ぎだの何だのって声が遠からず起こりそうだけれども現実がどーより理想としてどーあるべきかを見せることによって、そこへと近づきたいって意志も生まれるもの。「ギガンティック」のだからそーした描写を僕は決して嫌いじゃない。人民共和国のパイロットの人のスタイルが抜群なのも理由のちょっぴり(たっぷり)を占めているけど。戻って「コードギアス」の中華連邦は23話で背中をちらりと見せた人物がいずれストーリーに大きくからんで来るとかで、立場はどーで顔はどんなで性格はどーゆー感じなのかを見据え、その上でかの国が怠け者ばかりなのかそれとも尊厳を持ち人としてプライドを持った、人民共和国に負けない国なのかを確かめよー。

 義務であり、責任なので石丸電器に走り「時をかける少女」のDVDを正式発売日前日に購入。豪華版。1万円? 収録されている特典映像とか諸々のおまけがあるとはいえ、純粋な価格から考えれば高い部類に入るけれども作品が与えてくれた感動へのお礼と考えればそれくらいは何でもない。

 だいたいが都内でも劇場へと5回見に行ってお茶とか飲んで交通費も支払えばそれくらいはかかるもの。千葉とそして埼玉の田舎へと見に行った僕だってトータルで半分くらいは使っている訳で、見られなかった人が10回20回と見られる価格と考えれば1万円、決して高くはないぞと言っておこう。劇場から出て見上げた空に入道雲、って感動だけは味わえないけどそれは我慢だ。「鹿男あをによし」の人はアマゾンか何かで頼んで今日にも届くと話していたから、きっと今頃は家で「いっけーっ!」三昧?

 坊主頭にしてカメラに向かい、トゥーハンドのポーズを決めて犯行予告とは「タクシードライバー」の昔から変わってないという堺三保さんの指摘になるほど。そーいや1981年に起こったレーガン大統領の銃撃事件も「、タクシードライバー」に感化された青年による犯行だったからいつの時代にも世間に拗ねて、何かしらしでかしたくなる人間にとってあの映画はエバーグリーン的な意味を持っているんだろー。あんまり幸せじゃない常緑樹。

 そのレーガン大統領銃撃事件で半身不随になる重傷を負ったブレイディ報道官の名前をとって1992年頃に成立した銃規制法案がブレイディ法だったんだけど、販売時の資格厳密化にとどまっていて所持についての規制ではなく、あまつさえ半自動小銃の所持を禁止する法律の延長を無視して失効させたお国柄。「タクシードライバー」の感化が生んだ悲劇は結局、効果を発揮せずに更なる悲劇を生んでしまったことになる。ここから果たして反転へと向かうのか、何も生まずに更なる悲劇を生むだけなのか。見られていることに気づくことが出来るかにかかっているんだろー。

 誰とも交流をもたずひとりひここもり悶々とし鬱々とした果てにネガティブな妄想をふくらまし、挙げ句に爆発させてしまった彼の姿を見るに付け、そこに強くひらきこもりを薦め人生をポジティブにとらえ得意なことを伸ばし取り組んでいけば何とかなるよって呼びかけてくれる言葉があればと思った本日、まさにその「ひらきこもり」を新著「ひらきこもりのすすめ2.0」で提言している渡辺浩弐さんが登場するトークショーがジュンク堂で開催。席に余裕もあったんで入り込んで渡辺さんの真正面で見物する。ゲストに出すお茶をストローの位置も含めて逡巡しつつ並べても、そのゲスト2人の椅子に別の椅子が重ねられていたのを開幕まで片づけようとしなかった店員さんの剛胆さにちょっと苦笑い。これが若さか。

 さて「ひらきこもりのすすめ2.0」を刊行している「講談社BOX」の編集長であり「ファウスト」の編集長でもあるJこと太田克史さんと渡辺さんお対談は、講談社という巨大な出版社の中で紆余曲折をしながらも辞めず引きこもることもせず、己が才覚をはそこでしか発揮できないと挑み道を切りひらいて「メフィスト」編集から「ファウスト」編集長の座をつかみ、更に「講談社BOX」を立ち上げ社内でも屈指の売上を達成するに至ったひらきこもりの代表格とも言える太田さんに、もっぱら渡辺さんがあれこれ聞いていくインタビューっぽい展開で進んでいく。

 東浩紀さんとかを相手に太田さんが聞き役となる対談はあっても、太田さんが持論を語るイベントは珍しく、それだけに興味深い話も続々。なるほど渡辺さんが「ひらきこもり」を講談社新書からBOXへと移管し再刊する際に、太田さんへのインタビューを望んで所収しただけのことはある。その詳細は「ひらきこもりのすすめ2.0」を読んでいただくとして、J’sコメントから幾つか抜粋すれば「メフィスト」の副編集長から編集長へと向かう企業人的な道もあるにはあるけど、それだと舞城西尾佐藤といったこれからの時代を開く作家たちと、べったりつき合っていくことは難しい。

 何かを選べば何かを捨てなきゃいけないのは当然で、だから社内で独自の路線をとって雑誌を立ち上げ、今また「講談社BOX」を立ち上げオフィスも社内ではなく誰もが気安く群れ集いやすい外に持つに至ったらしー。確かにあのそびえ立つビルへと向かい受け付け、守衛のガードを超えて編集部までたどり着こうとおもったら、なかなかの気合いを必要とするからなあ、入り込むのがお仕事の新聞屋だって臆します。

 そーしてつかんだその座だけれど、決して日本での成功に安住していないところが太田さんってことで、先だっての台湾の編集者との対談でも話していた海外への進出について改めて話してくれて、そこに冷静な渡辺さんの分析も入ってなおいっそうの興味深さと、そしてやっぱり安穏としていられないかもって気分を抱かされた。ミリオン連発の作家でもあるイケメン編集長が立ち上げ、自身をグラビアに起用する露出っぷりと、これまでにないセンスのレイアウトやイラストで衝撃を与えてくれた上海の小説誌「最小説」について話したんだけれど、50万部くらい売れているって太田さんの紹介に渡辺さん、単に10億人の市場があるから50万部くらい行って当然って態度ではなくその50万にが読者となって育った果てに訪れる、次代のクリエーターの束になっての登場がもたらす更なる豊穣を指摘していた。

 なるほどかくも果てなる未来を透徹する力の強さが、若さこそ勝利の絶対条件みたいに言われているデジタルクリエーションの分野において、なおも渡辺さんを第1線に起き続けているんだと理解。そんな渡辺さんが対談を望み今回も聞き役に回っていろいろと情報を引き出そうとする太田さんの面白さも改めて実感。そーいえば先だっての「ファウスト」のメールマガジンで佐藤友哉さんの結婚話ばかりが日本じゃ話題になったけれども、太田さん的には米国での「ファウスト」刊行がどうしてあんまり話題にならなかったのかが不思議らしくって、今回はいろいろと計画を話してくれて、それによれば過去に出した「ファウスト」の中から幾つか作品をピックアップしてベスト盤的な形にしてまず出したいとか。何が載るかはお楽しみ。

 それはそれとして、日本の国が国の予算であれこれ作家を選び翻訳をして刊行するってプロジェクトをやって、目立った成果が何もあがっておらず個人で頑張り10年をかけて認知度を高めた村上春樹さん1人の足下にも及んでいない状況下で、政府とかあてにせず独自に話をすすめ刊行の段取りまでつけてしまう凄さを、渡辺さんが感心するのもよく分かる。そこに渡辺さんの作品も英語で掲載されれば、ひょっとしてヒューゴー賞にノミネート、なんてこともあるのかな。

 SF専門誌限定なら駄目だけど、英語で出版されたものならオッケーってことなら、まずは「ファウスト」にSFを載せそれを英語版「ファウスト」に転載してもらうって手段もありなのかな。太田さん曰く「ファミ通」で毎週すぐれたショートショートを連載し続けた渡辺さんは、星新一さんくらいに注目されても良い存在だとか。ならば星さんの「ボッコちゃん」みたく英訳されて海外進出を果たし、「ボッコちゃん」も成し遂げなかったヒューゴー賞を獲得なんてことになったらちょっと面白いかも。

 対談ではグーグルが機能の開発に特化しポータルとしての性能を研ぎ澄ませる一方で、コンテンツ的なもののクリエーションは外部に出していく方向にあるって話をしつつ、クリエーティブなことをする企業もこれからは変質していかざるを得ないかもって話をしていたけれどそれを考えると新聞社ってセクターの、いかに時代とは真反対へと向かおうとしているのかもうかがえる。かつては紙がすべてだった時代に新聞社はコンテンツの収集も行えばコンテンツの配給というポータル的なことも行ってそして収益をあげていた。

 けど紙の媒体が売れなくなって代わりにネットが台頭して来た現在、新聞は情報を集めそれを売る方向へとは向かわず、集めた情報を媒体を変えてネットでも売ろうとして、結果的に単独のコンテンツでは総合的なコンテンツを自在に選び配信できる大手ポータルにおよばずかといって大手ポータルに対抗するんだと情報を出し惜しみした結果、大手ポータルから大勢の人に情報の存在が伝わらず情報元としての認知度を下げ、ポータルとしての価値も下げる負のスパイラルへと陥っている。

 情報こそすべてであり財産であり価値であるんだと任じ、その精度を高め価値をアップする方向へとまずは向かうのが最良なのに、そこは横並び的な旧態依然とした体制が色濃く残った業界。過去の枠組みから出ないまま、独自性の薄い発表ものやら何やらを横並び的、総花的に載せて体裁を取り繕っている。魚住昭さんが「官僚とメディア」(角川ONEテーマ21、686円)で指摘しているよーに、他と違わないものを他よりちょっとでも早く、といったってネットにはとうてい適わない印刷媒体のスピードで載せることに汲々としているのが今の新聞の実状。かといって独自性を尊び自由を与えてそこから何かすごいものを出てくることを願う姿勢はなかなか見えない。

 むしろコストが嵩むとそーした独自性を薄れさせ、権力なり資本の歓心を買って部数と収益を伸ばす方向へと傾いている。もしかしたら営業部門なり広告部門がこれお願いと持ってきた情報を、はい分かりましたと即処理する部署が編集の中に堂々とおかれ、情報が吟味もされず記事となって堂々掲載の運びとなりようやく1部新聞が売れ、安い広告が入って営業あるいは広告の担当者が1人成果をあげたと喜んでも、トータルとしては記事への信頼性を衰えさせ、且つコストに見合ったリターンを得られてない、じり貧って言葉をそのまま表すよーなケースってのが遠からず現実のものになったりするのかもしれない。

 読む方は記事と信じているのに実は広告。裁判員制度のPRを一般記事と混同させるよーな形で掲載させたことの問題点が「官僚とメディア」でも指摘されていたけれど、それより酷いケースてのが大手をふってまかり通るメディアがもしもあったら。いやああるはずがない。ないとは思うけれどももしも。何か背筋も凍って来るよなあ。そーでなくてもネットでいち早い情報が得られ、紙の新聞の価値を云々されている昨今、駅のキオスクの大量閉鎖で新聞もおかれなくなっていたりして、新聞離れに加速もかかりそーな状況なだけに未来を容易には明るく想像できない。どーするか。うーん。せっかくだから「ひらきこもりのすすめ2.0」を読んで、今からひらきこもる方法を考えようっと。


【4月18日】 ついにというかやっぱりというか当然というか「コミックガンボ」で個人的には1番人気と確信しているヨコシマンさんの「パート怪人悪キューレ」が第14号にして初の表紙をゲット。題字を横において絵も横長に収める雑誌としては異例なレイアウトだけど、街で配布するのがメーンなら別に書店のラックとか気にせずに自由にデザインできるってことなんだろー。中央には堂々に奥様怪人がレオタード姿で鎮座ましまし手にお玉を振りかざし、買い物かごにがま口を入れたいつもの仮構でポーズを決めてくれている姿にイエローのお父ちゃんならずともクラクラ来ます。いつか「パンシャーヌ」と対決させたいなあ。

 本編は巻頭からーでいつもの4コマとは違った普通の漫画で登場。したものののっけから新ヒーローの犬に悪キューレが大ピンチとなっていてその苦悩する姿に再び脳天を刺激される。その場は引いたものの家に帰れば主婦となり、イエローの連れ帰ったヒーロー犬を世話する立場となって犬に対して強い力を持つに至って続く戦いではあっけなく勝利。主婦に勝る存在なし。某「コミックチャージ」なんかで爆発している鬼嫁よりも悪キューレの方が実は強いのかもしれないなあ、笑顔で殺すっていうか。さらにいつもの4コマタイプで悪キューレに迫るストーカーが登場。実は熱心なファンで悪キューレを独自にフィギュアにしていてそれがなかなか良い出来で、ちょっと欲しくなったけれどもどこに頼めば良いんだろー。早く商品化してくれないかな「コミックガンボ」。でないと悪の組織が粗悪な悪キューレフィギュアを出してしまうぞ。

 フィギュアと言えば某「テレビチャンピオン」で栄えあるフィギュア王に輝いたリアルモデル系フィギュアでは第一人者の寒河江弘さんが5月3日に遠く大阪の「インテックスオ大阪」で開催せあれるイベント「モンスタービバ!!」に登場してホビー専門ライターにしてプロモデラーってことらしーオオゴシ・トモエさんを相手にトークショーを繰り広げるとか。キャラクターのフィギュアを造型する人は世に多くいるけれど、実在するアイドルとかタレントとか歌手を本人に似せて作るってのは、相手もあることでなかなかに難しいみたいだけれどそれを寒河江さんはずっとやり続けて商品化されたものも沢山って、それらが一堂に会するみたいなんで大阪の人はゴー、だ。

 ほかに恐竜の荒木一成さんとか出たり玩具の物販があったりNゲージの銀河鉄道999の先行販売があったりとなかなか楽しげ。そもそも「大阪国際見本市委員会」ってところが主催する観光に職にキャラクターショーに他諸々がごっちゃになったイベントみたいで、外務省に経済産業省に国土交通省も後援についているあたりが結構ゴージャス且つ真面目。グルメのコーナーで東京は日本橋にある洋食屋の「たいめいけん」がでばって作るオムライスを食い大阪はなんばの「北極星」が出す大正ロマンオムライスと食い比べ、札幌から来るラーメンを食べジンギスカンを食いステージで繰り広げられるケロロ軍曹を見て、そしてフィギュアも楽しむゴールデンウィークってのを、過ごせるみたいでちょっと大阪、羨ましいかも。こっちは東京でサッカー三昧なんだけど。

 「CONTINUE」の第33号は待望の「コードギアス 反逆のルルーシュ」特集で、表紙にゼロの仮面を脱ごうとしているルルーシュが描かれていて正面からルルーシュが描かれた「オトナアニメ」と並ぶとちょっと壮観。ってか区別のつかなさにゲーム誌として「CONTINUE」を読んでいる人から何だか評判がとっても評判が悪い。まあそうかもね。けど元からあんまり「CONTINUE」をゲーム誌として意識してない人間にとっては去年の同じ時期の「エウレカセブン」に続くアニメの大特集は大歓迎。買って平気で電車で表紙を見せびらかしながら読んでいたけどあんまり周囲の視線が刺さらなかったのは未だそれだけ「コードギアス」が、一般に浸透していないことの現れか。あるいはいい歳をしてアニメ誌(じゃないけど)なんか読んでいる男への憐れみか。

 中は各話解説が複数の担当で回していてそれぞれに色があって面白い。あれだけ起伏に富んでそれぞれに面白さ興味深さ奥深さ怪しさがある話数を担当者の間でどうやって割り振ったのかに興味。学園祭のノリが楽しかった21話とか、その楽しさから一変して悲劇も極まりない状態が繰り広げられる22話とかについて誰もが何かを言いたいだろーし。人によってはその21話とあと仮面が盗まれるエピソードに登場したナナリーの「にゃー」について是非書きたいって思った人もいただろーし。現実的には果たせてないけど。なぜ触れない。用語集にも入ってない。うーん謎。

 もしも自分だったらどこを選んだだろう。ネコ祭りのミレイのコスプレ? オープニングのC.C.の尻? 言いだしたら止まらない。けど結局のところどれを選んでもそれぞれに書き甲斐があってそしてそれぞれに難しさがつきまとうのが「コードギアス」の特色。濃縮され詰め込まれた情報と光速で進む展開をとらえ、全体の流れのなかでどう位置づけるのかを悩みそう。その場でそう解釈しても後でいひっくり返る可能性もあるだけに、最終回まで見ないとやっぱり書きづらいよなあ。その意味で皆さん頑張ってます。

 読んで思ったのは、すべてを真正面から真剣に解説しても堅苦しくなるけれど、かといってやや斜め方向から見て読む人に分かっているんだ感を共有させようとする解説が並んでも、作品に対しての真摯な思いをいじられているようで身が固まるってことか。CONTINUE」の場合は文化を割にナナメ上方向からとらえてさぐり揶揄しつつ称揚するって独特のスタンスがあったりする関係もあって、後者が多くなっている感じ。まあ雑誌の特性として仕方がない。ただ現段階でこれだけまとまった作品解説が読める媒体が少ない以上はこれがスタンダードとなって読まれる訳で、純粋で真面目に作品のことを知りたい考えたいって人にとっては苦さを味わうことになるかも。

 谷口悟朗監督や河口佳高プロデューサーへのインタビューは真っ当なんで良いんで「CONTINUE」が今は1冊あれば中間段階での総括は出来そーだけど、一段落ついた暁には、例えば「アニメック」の大辞典みたく真正面からとらえストーリーも紹介を中心にあと評論を加えたムックなんかが欲しいかな。ちょっと前に出た薄いムックみたいなのはもう勘弁。谷口監督へのインタビューでは高橋良輔監督の「にょろにょろ」についての言及があったけれどもこれって何だろー。監督当人は犬の散歩をさせていても知らず周囲が高橋監督の色を持った作品を仕立て上げるという状況を、示して高橋監督の「にょろにょろ」と言うらしい。その極意、「SFセミナー」に登場する高橋監督に是非に誰か聞いてみてやって下さいな。


【4月17日】 こんな歌を考えた。「何も聞こえない。誰も言ってあげない。彼の頭が昔より、爺になったからなのだ。机においていた、初めて買ったダイジェスト。『天国と地獄』のコーナーが、いっときは時代を走ってた。壮年期に大人から賢人に変わる、道を誤った、惑わされるままに。吐き出される謂われのない、理不尽な言いがかりに、本当のサッカーは教えられない、壊れ果てたセルジオ」。って訳で「週刊サッカーダイジェスト」の2007年5月1日号に掲載の「セルジオ越後の天国と地獄」は鹿島アントラーズが小笠原選手に中田浩二選手を呼び戻したいなんって言ってることにフロントは責任を取れって言って怒っている、その怒り自体は真っ直ぐ正しい。

 でも「その意味では、Jで実績のある選手が海外クラブへ移籍し、現地で出場機会を失っている場合に、なぜ所属元以外のクラブが獲得に動かないのかも解せない」って言ってるあたりから妖しくなる。だって完全移籍じゃないじゃん。レンタルじゃん。貸し出されている選手を貸出元がまず引き取るのは道理であって、所属元以外が口を出せる話じゃない。「日本ではこれを人情に厚いと評価するかもしれない。しかし、プロスポーツの視点で見れば、単なるアマチュアリズムの名残でしかないよ」って言うけど契約でもって貸し出されているから契約でもって元に戻ることこそがプロ。それを飛び越え違う所に行く方がよっぽどアマチュアっぽいんじゃなかろーか。

 さらにオシム監督が率いる代表のことになるとさらに曇る越後の目。「Jリーグには、Jリーグとその将来のためにも、各代表への協力体制が欠かせないと認識してもらいたいね」と言うのは正しいし「しかし、実際にはどのクラブもそれほど協力的ではない」と言うのもそれが事実としたらやぱり正しい。けど続けて読むと妙に不思議な理論展開が待っている。「今回、U−22代表へは選手を出しているけれど、A代表へのトレーニングキャンプには難色を示している」ってそうだったっけ、難色を示してたっけ、よしんば示したとしてもそれはオフィシャルな五輪予選と単なるトレーニングの違いと見ればクラブの態度にも一抹の納得は浮かぶ。けどセルジオ越後さんは違うところに理由を求める。「これは国内組と欧州組で扱い方を変えているオシム監督のダブルスタンダードにも問題があるからだろう」。

 はあ? ダブルスタンダード? 意味が分からない。たぶん言いたいのは欧州組は試合があって行き帰りに時間がかかるからトレーニングには呼ばないのに、同じように海外に出てアジアチャンピオンズリーグを戦っている浦和レッドダイヤモンズと川崎フロンターレの選手を呼ぶのはおかしいって話なんだろうけれど、週の合間の試合もないトレーニングに海外組を呼ぶってことはあり得ないから国内組と同列に語ることはまず除外。さらに浦和と川崎は確かにACLで戦っているけれど代わりにナビスコカップの予選は免除されているから試合数では同等。且つ直近のACLの試合はともに国内でホームだった訳で、移動の疲れとかはむしろナビスコで遠征したチームの方が上だったりする。

 なのにそーした事情をまるで勘案せず、いつか思いついたACLチームへの“無配慮”を金科玉条の如くに振り回してはオシム監督をダブルスタンダードと非難するその理論が果たして真っ当か。「(ACLに出場する)彼らを招集するなら、欧州組も呼べるよう所属クラブと徹底的に交渉すべきだろう」って珍奇なロジックが世間を納得させられると信じているのか。信じ切っているんだろうなあ。だから何度も同じことをグチグチと書いてオシム監督の非難を続けるんだろうなあ。そんなに嫌いかオシムの手法が。批判のための批判でしかないと気づかないのか。気づかないんだとしたらやっぱりもはや「壊れ果てた」としか言いようがないなあ。せっかく他の記事では「マガジン」を上回って突っ走っている「ダイジェスト」だけに、何だから勿体ないよなあ。「マガジン」へのそれともハンディなのかなあ。

 サッカーでふと思ったけれど「コードギアス 反逆のルルーシュ」の世界ってサッカーって存在するんだろーか。「STAGE.6」の「奪われた仮面」でミレイがルルーシュの秘密を手に入れるべく学内に動員をかけて猫を追わせようとした時に、幾つかのクラブが登場したけど運動系ではシャーリーのいた水泳部があり円陣を組んでるアメリカンフットボールらしきクラブがあり、あと部費の認可がどうのこうのって話の時に馬術部が出てきたもののサッカー部らしきものは見えなかった。ってか現実世界のアメリカ合衆国が存在せず、おそらくはグレートブリテンから移りアメリカ大陸で発展し栄華を極めた神聖ブリタニア帝国で、果たしてアメリカンフットボールが生まれ育つってことがあったんだろーか。

 あの貴族趣味に溢れ、豪華絢爛な意匠に溢れた神聖ブリタニア帝国でアッシュフォード学園でプレーされていたよーなプロテクターを着け競うアメフット的なスポーツがどういう感じに生まれ、発展していったのかには興味があるけれども、現にアメフット的なスポーツがあると認めてそこから逆算すれば、アメフットの土台には球を蹴ってプレーするフットボールがあった訳で、そのフットボールが英国で分化しサッカーとラグビーになった歴史を鑑みればEUあたりでサッカーが営まれていてもおかしくはないか。現実世界のアメリカ発祥だとあとバレーボールやバスケットボールなんかが「コードギアス」の世界に存在するのかどうかに興味。そーいや喫煙もアメリカ大陸起源だけれど「コードギアス」で煙草を吸ってるキャラって見たこと無いなあ、見落としているだけなのかなあ。そんなあたりと総合的に勘案してあの世界の文化を俯瞰した解説って奴を読みたいなあ。

 「ウインターガーデン」のDVDを拾いに寄った「ゲーマーズ」で買い忘れていた「セイントオクトーバー」のムックを見つけて購入。「TVアニメ版セイントオクトーバー ロリ集結! 超公式ファンブック」とはまた「セイントオクトーバー」らしいタイトルだけと「TV版」って付いてるってことはほかに「劇場版」とか「ゲーム版」とか「漫画版」とか「小説版」の「セイントオクトーバー」が存在するってことなのか。「小説版」くらいはあっても悪くないかもしれないけれど「劇場版」はあのクオリティでスクリーンいっぱいに広がった様を想像するとなかなか厳しいものがありそー。あるいは出演声優陣が直接演じる実写版「セイントオクトーバー」なんてものがあったらどうしよー、きっと見に行くんだろーな、片岡あずささん福井裕佳梨さん小林ゆうさんがそれぞれに液体まみれになってのたうちまわる変身シーンとか見に。


【4月16日】 とりたてて進展もなく淡々とした日常が描かれるだけのアニメーション版「らき☆すた」はたぶん、原作を読んでいればそこでの楽しげな会話がイントネーションを持ってセリフとして語られる楽しさを味わえる一方で、漫画として読んで身の中に作っていたテンポとのギャップが居心地の悪さを与えてくれて悩ましさに頭を痛めつけられるんだろうけれど、これが初見の人間にとってはセリフとか展開への思い入れがない分、聞いててどれも新鮮に聞こえる半面、だらだらとしてありきたりな日常の繰り返しに来週は別に見なくてもたいして違いはないかもって気持ちを起こさせかねない印象がじわり。

 かろうじてドラマCDの声とアニメ版の声が違うことがあるのは背後に政治か金が絡んでいるかなんじゃないかって、危ない話を堂々のアニメで放送してしまうところに価値を見出すことも可能だし、だいたいにおいて「らき☆すた」自体がドラマCDとテレビアニメでまるでキャストが違っている、政治的だか金銭的だかスケジュール的だか制作会社的だか何かに曰く因縁がありそーな作品だったりするところに自虐めいた楽しみを覚え、夜中にほくそ笑むことも可能だったりするんだけれどもそれで喜んでいるのも切ない話。やっぱりもうちょっと動きとか、演出とかって部分で目を釘付けにするよーな派手さが時々は欲しいなあ。エンディングだけは愉快。でも「アクマイザー3」ではちょっとありきたり。例えば「超神ビビューン」か「有言実行三姉妹シュシュトリアン」あたりだったら喜べたかも。石森シリーズでいくのかな。

 恐くて未だに読めない鬼頭莫宏さんの「ぼくらの」はアニメーション版については放送局の関係で見られず見て恐ろしさと哀しさに震えることから逃げられとりあえずは安心。巷間伝わる評判は上々で「猫の恩返し」の森田宏幸監督ひさびさの作品として大いにその経歴に輝きを遺しそうだけど、一方では業績的にいろいろあって一部の作品から撤退も発表したGONZOにとって改めて、その実力を世間に見せつける機会となったって言えそう。なおかつGONZOはやっぱり4月スタートの「ロミオ×ジュリエット」も作っていてこちらも第1話を見る限りはなかなかのハイクオリティ。「カレイドスター」の面々が再結集して作った話はストーリーも見ていて中だるみがなく次の場面を気にさせるし、絵もどの場面をとってもしっかりしていて崩れがない。この画像ストーリー両方のハイクオリティをずっと維持できるんだったら「厳窟王」に勝るとも劣らない歴史に残る文芸アニメになるかも。ジュリエットは長髪も可愛いけど短髪姿も愛くるしいなあ。ってかあの長い髪をどーやったらあの短髪の鬘に押し込められるんだ?

食べても悲鳴はあげない、と思う、けどでも  もしも目の前に現れた「アンパンマン」がそのそっ首を差し出して「食べろ」と迫ってきたら、あれこれ気を回しやすい大人として果たして平気で食べられるだろうか、食べた途端に口中に脳漿が広がらないだろうかって悩みに苛まれるかもしれないけれども、テレビでそーした光景を日常的に見ている子供だったら平気でありがとうアンパンマンと受け取りムシャムシャと食べて元気に帰っていくんだろー。さすがは02年から5年連続でバンダイが実施しているこどもアンケートの人気キャラクター総合1位を獲得し続けているだけのことはあって浸透度合いは半端じゃない。ましてや顔から外したものじゃなくって歴としたパンとしてやかれたアンパンマンなら囓ろうと貪ろうと平気の平左って奴だろー。

 ってことで20日にみなとみらいにオープンする「横浜アンパンマンこどもミュージアム」に出来る「ジャムおじさんのパン屋さん」で販売されるアンパンマンやらメロンパンナちゃんやらその他いろいろ15種類のキャラクターパンもその造型の完璧さから手を伸ばし囓るに躊躇する、なんてナイーヴなこどもはおそらく皆無。値段が1つ300円ってところが普通のパンに比べて倍以上して高いって気にさせそうだけれどなあにキャラクターが出てくるガチャポンだって最近は300円のものが出回っている。それを思えばサイズではるかに大きくおまけに食べられるパンに300円を払ってそれほど無駄って気は起こるまい。飾れない? だったら持ち帰って真空パックにして飾れば良いさ。んでもって非常の時には取り出し食べると。食べられるのか?

 それにしても立派だった「横浜アンパンマンこどもミュージアム」。1000円払って入るアトラクション部分は玩具や遊具がそろってて楽しめそうだしモール部分はフリーで入れて自由に買い物が出来るのがありがたい。場所が横浜駅からも桜木町駅からも遠いって不便はあるけれど、高島町とか新高島から歩いて5分くらいだしクイーンズクエアからだって歩いて歩けない訳じゃない。それこそ横浜駅からだって歩いて15分くらいあれば着きそう。ちょっとした運動をした後で散策してそこだけの品物を買い食べ物を食べパンを囓って帰ってもしかしたら歩いているアンパンマンにも会えるかも知れない夢の国。内装とか接客の面でやなせたかしさんならではのこだわりも反映されているよーだし、オープンしたら入りきれないくらいの子供とその親とか詰めかけそうだなあ。

 個人的に感心したのがバンダイの作った「アンパンマンヘアサロン」で椅子にすわって頼むと自動的にアンパンマンの髪形にしてくれる、ってことがあったら子供の心にトラウマを遺しそうだからそれはなくって普通にセットしてくれるヘアサロンなんだけど、椅子が空を飛ぶアンパンマンで座り前を向くと鏡の横に液晶テレビが据え付けてあって、そこでアンパンマンを見ながらサービスを受けられる。子供って気が散りやすくってじっと座って頭を刈られることが少ないんだけれど、ここんちはホント目がピタッと画面を向いて動かないから美容師さんもセットがしやすいらしー。うーん新発見。価格がカット&ブローにセットで4500円とお高いけれども腕は確かっぽいし場所も悪くはないんで普通に連れて行って利用する横浜セレブな方々とか出てきそう。アンパンマンにメロンパンナちゃんはスタイル的に無理だけどドキンちゃん型には出来そーだな。

 そーいや「ギアスターボ」で買ったアンソロジーに入ってた4コマ漫画の中に「ゼロランド」を黒の騎士団として建設するかどーかって話が出ていたっけ。「ゼロランド」は無理でも「横浜コーゴギアスおとなミュージアム」とか出来た時にはやっぱり当然のよーにオレンジジューススタンドとかオレンジケーキショップとか出来てそこで全力で飲んだり食べたりするオレンジ君のファンとか集まるんだろーな。あとはナナリーが手ずから淹れてくれる紅茶の店とか、ミレイ会長がガッツを入れてくれるフィットネススタジオとか。焼かれるピザは毎日がギネス級の巨大ピザでそれをナイトメアフレームでくるくるまわして伸ばして焼くと。提供はもちろんビザハットだ。

 ほかにはセシルさんの創作おにぎり屋とかどーなんだろー、やっぱり恐いもの食べたさで客とか群がるんだろーか。マオが真っ当だったらが心を読んで話すカウンセラーとか開けば繁盛しそーだけれど、当人が相当に拗くれているから無理か。ディートハルトによる自分を大きく見せるためのプロパガンダ教室なんてのには営業マンとかサラリーマンとか来るかも。クロヴィスによる絵画教室、ニーナによる原爆製造教室はどっちが人気になるのかな。アトラクションの射的ゲームは手にマシンガンで人型のパネルを撃ち当たると可愛い声で「虐殺です」。うーんトラウマになりそー。おみやげはアンソロジーにも登場していた「ゼロまんじゅう」で。横浜は無理だけれど来年あたりに「那須ハイランドパーク」に登場したりして。


【4月15日】 起き出して出かける前に「天元突破グレンラガン」の第3話を見て敵のボスっぽい獣人ではなく人間みたいな所もあって、知性も技術も人間以上でおまけに人間を地下へと押し込めておく役目を負っている存在が登場してぐわわわっと広がる世界観に目が眩む。人類は彼らを避けて地下に潜ったのかそれとも彼らは単なる敵ではなく、地下へと逃げた人類を地上にある何かから守るために地上への回帰を邪魔しているのか。きっとの辺も含めていろいろとこれから明らかにされていくんだろうけれどもそのテンポの速さからすると1話でも見逃せば付いていけなくなりそうなんで頑張って日曜日は早起きだ。午前7時に起きてたことを思えば平気。っていうか午前7時の奴は全部見たのに分からないことだらけだったんだけど。

 そして頑張って起き出してJRに乗り浜松町でモノレールに乗り換えて向かうは「東京流通センター」で開催の「ギアスターボ」。その原作的な人気ぶり騒がれっぷりから浜松町の駅ですでにそれっぽい青少年を見かけて夏を感じさせられるのかと危ぶんだけれども案外に見えずむしろこざっぱりした人が大勢。大半は羽田からフライトする旅行客なんだけどそれらを除いても見えるのは妙齢の女性ばかりできっとTRCでは他のイベントも開催されててそっちに向かう人たちで、「ギアス」に関しては深夜ってこともあってまだ人気がそれほど盛り上がっていないのかもと想像して駅を降り、一緒にどっと降りた女性たちに混じって階段を下り開場の正面に立ち驚いた。

 モノレールから降りた女子のすべてが「ギアスターボ」への来場者。そして行列に並んで来場を待つ人の9割8分か女子。冗談ではなく嘘でもなくほとんどが女子。女子の群れ。もはや幸せだ何だと感銘に耽る余裕なんて与えられないくらいの女子に激流に沿って並び、前後左右を女子に囲まれながら10分くらいかけてまずカタログを買いそれから一般入場列の最後尾へと並んで見渡してもやっぱり女子ばかり。カタログを開いてさらに驚愕。2フロアを使っているうちの1階がすべて「スザク×ルルーシュ」によって埋め尽くされている。でもって2階も「ルルーシュ×スザク」に「ロイド受」に「ロイド中心」に「ジェレミア中心」に「シュナイゼル」「クロヴィス」といった名前ばかりでユフィもコーネリアもC.C.もカレンもヴィレッタも、ナナリーもシャーリーもちょっとしかいなかったりまるでいない。

 沸き上がる「僕はここにいてはいけないんじゃないか」感。とはいえそこには決して女子専用車に入り込んでしまった男子に対するような視線はなく、誰も何も気にしていない空気があって一安心。且つ「スザク×ルルーシュ」もその逆も他いろいろも嫌いではなくむしろ全力的にのぞいてみたい気があってそのまま並び続けてほどなく入場。2階へとあがりそこでも行列を作って記念アンソロジーとポストカードとあと特製「全力で運べ! オレンジ急便」の段ボール箱をセットで買ってさらに中へと入り、女子ばかりの中でほとんど唯一と言って良い男性向けエロを出してたサークルを横目で舐めて心で励ましつつ、歩いていたユフィやコーネリア様や、その他諸々のコスプレイヤーを遠目で眺めつつ開場を後にする。ああ面白かった。血まみれバージョンのユフィとか、ゴスロリバージョンのC.C.は目にしなかったけれど、午後とかには現れたのかな。

 それにしても圧倒的な女子率でありそっち系のジャンル率ってことは何だろう、たぶんイベントの性格自体が専ら女子対象のものだったんだろうけど、男の子のキャラに真っ先に反応するのが女子ならそれでオンリーを開けば出すのも女子の人たちで、それを求めて集まるのも女子たちで、それが連鎖的に膨らんで女子ばっかりのイベントへと至っているのかも。あとストーリーが持つ奥深さへの解釈なり登場するナイトメアフレームへの偏愛なり女性キャラクターたちへの深くて濃い熱情なりへと反応した男子がまだ現れていないってこともあるのな。もう少し経てばそうした男子も増えて双方にそれぞれの愛し方で盛り上がって巨大なジャンルを形作っていくのかな。こうなると男子が男子の求める作品を出すのも憚られるってことで、そうしたものはオンリーではなく総合イベントへと集まり他のエロい奴と並んで売られることになる、と。

 もっともそうした女子男子の官能を誘うキャラクターたちとは別に、設定なりストーリーが持つ深さ複雑さはさまざまな解釈の余地を視聴者に与え考えさせるし、メカも同様にメカ好きな人たちの関心を招く可能性が低くはない。それだけに、しばらくの休養の間に渇望して自ら情報を求め空想を膨らませ始める人たちの総体が、大きなムーブメントを作り出して2007年のみならず2010年を超えて世界を席巻するものと信じよう。とりあえずは夏の有明での状況と、あと10月にまた開催予定の「ギアスターボ」での雰囲気を見て判断。9割8分が9割9分9厘女子になったって関係無しに行くけどね。

 モノレールで浜松町へととってかえして「ライトノベルフェスティバル」をちょっとだけ見物。よく入っているなあ。一息ついて引き上げ眠って起きて録画してあった「ハヤテのごとく」とか「大江戸ロケット」とかを見る。「大江戸ロケット」は仕事が丁寧な上に先が見えず毎週をおいかけていくのが楽しみになりそう。蒼いショートヘアのエウレカちゃん、じゃないソラちゃんの正体って何なんだろー、原作の舞台とどれだけキャラとかストーリーとか重なっているんだろうー。銀次も何やら秘密がありそう。バトルしている獣って何? 内藤泰弘さんデザインのイリュージョニストの出番が少なく残念。謎の大家登場。合格の時に鳴ってたサウンドってどっかで聞いたことあるけれど、どこでだったっけ?

 気が付くとサッカー日本女子代表が2008年の北京五輪に出場するための予選をタイで戦っていて酒井與惠選手が大台の100試合に出場を達成、澤穂希選手ばかりがクローズアップされるしメディアのもの珍しいものばっかりに偏り報じる間抜けさから結婚していて子供もいる宮本ともみ選手とかに注目が集まるけれど、リーグでもベストイレブンに長く入り続け代表でもほとんどの試合でレギュラーとして出場しては中盤の底で頑張り続けて来た酒井與惠選手の凄さは見る人が見ればわかるしちゃんと見ている人なら知っている。日テレ・ベレーザの選手に対して何か含むとこがあるわけじゃないんだけれども出てくる記事ではどことなく厳しい視線が伺えるサッカー専門紙でもこうなるとちゃんと評価せざるを得ないと信じたい。試合も荒川選手に澤選手に大野選手のベレーザ陣で4点。この勢いでなでしこカップとそれから開幕するなでしこリーグでも突っ走って頂きたい。もちろんMVPは酒井與惠選手だ。


【4月14日】 ジェレミア卿を讃える日。ではなくオレンジを贈り合う「オレンジデー」だとオレンジの総本山サンキストが言って新宿でオレンジを配るイベントがあったんで取材がてら見物。ちょっと前に今さら感もありながら、それでもビジュアル的には素晴らしいラムちゃんの格好をしてメディアにでまくっていた山本梓さんも登場して、道行く人に日付にちなんだ414個のオレンジを配布してた。しかしどうしてオレンジの日なのか。理由は適当で2月14日にチョコを贈った女性に3月14日、プレゼントが男性から返されたことで芽生えた愛を4月14日、オレンジ色のものを贈りあうことで深め合う日にするんだぜって風習を根付かせようと、94年に愛媛のオレンジ農家あたりが始めたらしい。

ルルーシュが命じる、ジェレミア・ゴットバルトよ、全力でオレンジを配るのだ!  だったらどれだけオレンジが贈られあっているかというと、そんな場面を見たこともなければ聞いたことがないってのが実際だけど、「コードギアス 反逆のルルーシュ」に颯爽と登場しつつもルルーシュのかけたブラフ「オレンジ疑惑」で失脚した挙げ句、カレンにズダボロにされて彷徨っていたところをバトレーの一味に助けられ、改造されて復活した我らがジェレミア“おはようございました”ゴッドバルト卿が、オレンジ君として世間に知られ始めている折でもあり、その華麗でバカげた活躍の果て、番組も含めたオレンジ君の一段のブーム化が期待される2007年を経て08年4月14日の「オレンジデー」には、道ゆく人たちが午前も遅くなった昼前に「おはようございました」の挨拶をかけあいながら、オレンジを交換しあう光景が、きっとたくさん見られることだろう。サンキストもだから来年のイベントには山本さんではなくって成田剣さんを「オレンジプリンス」に認定して招き、ジェレミアの格好で配らせたらファンが詰めかけて大騒動が起こると思うぞ。

 新宿へと出たついでに紀伊國屋のDVD売り場で「エコール」を探したけれども見つからず。4月4日に発売されたばっかりなのに楽天ブックスに頼んだ時も在庫切れで届かずアマゾンとか他のサイトを見ても軒並み品切れ状態ってのは何だろう、それだけ日本に呂で李なまるで中国の姓から引っ張ったような嗜好を持った人間が多いって現れか。普通はこーゆーアーティスティックな映画なんてDVDが売り切れることないんだけどなあ。棺桶に入って届けられてきた少女が起きあがる場面を再現したフィギュアが初回限定版に付いてたってんならまだしもさあ。とりあえず危険だからと発禁処分になった訳ではなさそうなんで、見計らって探すかジェネオンに注文をしておいて届くのを待とう。

 その脚で初めて新宿に長くある沖縄料理の「やんばる」へと入って、何を食べようかと迷いながらもゴーヤチャンプルー定食は上級過ぎるとポーク玉子定食をもしゅもしゅとかき込む。ランチョンミートみたいな薄切りのハムが入った卵焼きと小盛りのラフティーそばとご飯がセットでいたってシンプル。ポーク玉子については家でだ作れそうな気がしたけれど沖縄そばってスープも麺も独特で、あと添える肉なんかもそれだけでは売ってなさそうなんでやっぱり専門店で食べるしかなさそう。店はいつも近所を通りつつ10余年、なかなか入る機会がなかったけれど時間帯を見計らえば空いてるし味も確かなんでこれからいろいろメニューを試してみよう。

 やっと見た「のだめカンタービレ」は1話とばしたこともあって巨匠がいなくなった後で千秋とのだめとの間にどんな進展があったかも分からないまま何やら2人でラフマニノフを連弾。その動きだけが妙に凝っててキャプチャーしてCG化したみたいな動きだったけど、本当に譜面どおりに動いているのかは音楽を知らないから分からない。とりあえず才能を持ちながら何も考えていないのだめの鬱陶しさが3割増しくらいになっていて、それでも幼稚園か何かの先生になりたいって進路だけははっきりしているのだめに対し、飛行機に乗れない海を渡れないって理由にかこつけ国内にとどまり大学院へと進むものの、その果てにいったい何をやりたいのかが分からないと千秋が気づくところに重点が置かれているんで、のだめの鬱陶しさをヒロインの言動として正面から受け止めずに済むのは有り難い。っ

 てかこの「のだめカンタービレ」ってもしかして千秋が主人公だったの? でもって今は原作のどの辺り? 6月いっぱいまで放送してどこまで進むか分からないけどアニメの放送終了と前後して原作も終了したんで続きが気にならなかった「ハチミツとクローバー」とは違い、いたずらに本編い手を出したあげくにあと10年20巻くらいはつき合う羽目となってはこっちも大変だから。そうでなくてもあと10年は終わりそうもない小説やら漫画やらが山とある中で、50歳過ぎまで知力体力精神力を維持してつき合っていけるのかに悩む昨今。描く方も大変だけれど読む方も大変なの、ご長寿作品って奴は。還暦を迎えても「グインサーガ」とか手にして読んでいそうだよなあ、ってか30歳くらいで「グインサーガ」とか「こちら葛飾区亀有公園前派出所」を読み始めた人って実際に還暦前後になっているんだよなあ。さらに恐ろしいことに10年後もどっちも続いていそうなんだよなあ。

 ジャンヌ・エビュテルヌ、という画家がいて20世紀の初頭のほんの短い間だけ活動していたけれども、衝撃の死を経ておよそ1世紀の間、画家として省みられることはほとんどなかった。というよりもむしろ夫だった男の放つ輝きの前ではジャンヌでなくても往時の画家の業績は、余程でなければ霞んでしまうもの。男の名はアメディオ・モディリアーニ。楕円の顔に伸びた首、そしてさがったなだらかな体を描いた肖像画が今もそしてこれからも傑作と讃えられるだろう彼の妻として子を産み病と貧困に苦しむ夫を支えたものの甲斐なく夫は病死。その2日後に身ごもった体で飛び降りわずか21歳でこの世を去った。

 「Bunkamuraザ・ミュージアム」で開催中の「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」は個展としては幾度となく開かれて毎度の評判を得るモディリアーニに加えて、妻だったジャンヌの作品も並べた異例でありまた2人の創作の関係を知る上で、とてつもなく意義深い展覧会。見ればモディリアーニについては流石と思わせられる心が沢山あって素描1つとっても彼のフォルムが現れていて目に響く。対してジャンヌもモディリアーニ風のシンプルな線とフォルムで人物なんかを描いていて、顔の形や表情のつけかたなんかに共通するところも見られて2人が影響しあっていた感じなんかが浮かんで来る。

 ただやっぱり並べて見ればモディリアーニが描く1枚1枚の絵には、線の取り方から表情の描き方、構成の仕方に至るまでジャンヌとは明らかに違う、見る者に響くものがあってだからこそ100年近くを経てなお至高の画家と讃えられているんだと納得できる。ただ晩年(といってもまだ20歳21歳だけど)にはジャンヌもモディリアーニ風のフォルムから離れ色使いにも独特のものを出していたし、静物に関してはモディリアーニがまったく挑まなかった分野だっただけに、2人の命が更に続いていればジャンヌもマリー・ローランサンのようなパリ画壇の華として、活躍して後世に作品が残り讃えられる画家になっていたかもしれないなあ。モディリアーニの絵にモデルとして登場するように顔立ちもとてつもなく美しかったから。それにしてもモディリアーニ、32歳だかになっていて18歳のジャンヌと知り合いすぐ同棲とは傍目にも羨ましい限り。才能って奴はつまりそれだけ人を引きつけるってことか。才能乏しき自分には遠い世界だ。


【4月13日】 オープニングからモモカンが揺れていて目が覚めた「おおきく振りかぶって」は本編に入っても素直に原作の良いところをちゃんと吸い上げドラマにしてあって、三橋の自信なさげでそれでいてこだわりもある不思議な性格を描き阿部の優しげで頑固なところも描いてあって見ていてなるほど野球選手の心理ってこう推移するんだってことが分かって面白い。投げるボールの1球1球に意味があってそれを描いてこその「おお振り」な訳で時間に制約のあるアニメでどこまで出来るか分からないけど1話はとりあえず三橋が花井に投げる球のすべてをちゃんと描いてあったことに賞賛。でもこのペースで放送したら原作も進まないけどアニメももっと進まなそう。1試合描くのに1試合分以上の時間がかかる訳だから。その辺をどう端折りどう抽出するのか。黒田洋介さんの脚本に注目、って何か久々に名前を聞くよなあ黒田さん。

 モモカンは記者発表会で見た中の人の割に美麗でおとなしげなイメージからまるで外れて原作どりに最初は可愛げだけどすぐさま本性を出すところをちゃんと演じ分けていてなかなかの巧さ。ほかにマッチする声優さんもいるんだろうけどとりあえず問題はなし。ビジュアル的にも立派に突き出たモモカンがちゃんと描かれているし。三橋の声もまずまずピッタリ。つか声優さん本人が実に三橋的にくねくねしながら喋る人だったから1人だけ実写で出てもあるいは良い感じの絵になったかも、ってまるで「バンパイア」みたいだなあそれ。マネジャーはネットの後ろでビクビクしているだけで出番が少なかったのがちょっと可愛そうだったけどその分次回予告にたっぷり登場していたから差し引きで了解。部長が抱いてた犬が可愛かったけどあれコーギー? モモカンの絞った夏みかんジュースを平気で舐めてたなあ、やっぱり良い匂いがするのかなあ。

 そうか「怪物くん」だったんだ「怪物王女」って。原作読んでないから分からなかったけれどリアカーに荷物を積んで引っ張る幼女が「ふんがあ」としか言わないところから判明した。それで分かる人が今時どれくらいいるのかは知らないけれど。80年代に再度アニメ化になってるから20代でもついて来れるのかな。きっとこのあと「ザマス」と言う吸血鬼の美少女とそれから「ガンス」が口癖の狼男の少女が出てきて日々大騒動を繰り広げんだ。違うのかなあ。絵は美麗ななけど妙にテンポが間延びしていて、シリアスなところにちらほら混じるギャグのタイミングが体のリズムに合わずやや苦行。気分的にはギャグ展開のなかでちょいシリアスが混じる方が好みなんだけれどきっと原作がシリアス大半にギャグ少々な味付けになっているんだろう。それでアニメ化になるくらいなんだからきっと見て馴れれば面白みも分かってくるに違いないんでしばらくは頑張って見よう。

 半蔵門へと行ったついでに来週立ち寄る予定の取材先がどこにあるかを確認してから目的地へと歩いていく途中に得体の知れないのぼりを発見。赤地に白抜きだかで「ラーメン缶」と書かれてあって近寄り見ると自販機の中に当該の品物が。ようするに缶に入ったラーメンで、秋葉原あたりから全国区になった「おでん缶」のバリエーションとも言えそうな品物だけれど、おでんだったら煮れば煮るほど味が染みこんで美味くなるのに対してラーメンはスープに浸けて時間が経てば当然のびる。だからコンビニのラーメンだってスープを分離し入れて温める方式になっているけど、缶詰めは開いてそのまま食べられなければ意味がない。かといってのびたラーメンなんて食べられないからとてもじゃないけど商品にならないはずの「ラーメン缶」がなんで商品化されたのかを調べるべく、買って缶を見て納得。麺が蒟蒻で出来ていた。

 ってことはヘルシー麺にありがちな蒟蒻特有の臭みもやっぱり引き継いでいるのかとゆーとこれが違った。その名も「札幌ラーメン缶」は簡単に言えば美味かった。歯ごたえこそなるほど白滝っぽい感じもあったけれども噛んで含んだ味はラーメンに近く香りも同様。スープ自体の香りと相まってなかなかの雰囲気を醸し出している。ちなみに食べたのはしょうゆ味。別に味噌味ってのもあってそっちは最初に買ってもてあまして立ち寄った先にいた知り合いに渡して喰ってもらったけれどもまあそれなりだったみたい。さすがは新宿の麺屋武藏が被災地の人もで暖かいラーメンを手軽に食べられるものはないかと考え発案して、商品化に至っただけのことはあるけど、具体的に発売している会社が今ひとつ不明。電話番号もないんで話を聞けない。直接乗り込むか。調べると4月に入って全国的にいっせいに登場したみたいだけど商社か自販機ベンダーも絡んでいるのかなあ。いずれにしても夏にかけてのトレンドとなりそう。原宿の竹下通りあたりにフォークを持ちラーメン缶をすするヤングとかわんさか出てくるかな。来ないよな。

 「PASHU」って言ったら80年代に大学の同期がよく好んで来ていた細川伸さんの作る服で、豊橋駅からアーケードへと向かった途中にあるファッションビルに入っていた「PASHU」の店で良く買っていたのにつき合って見てたっけ。その後しばらくブランド自体の消息を聞かなかったけれども最近雑誌になって復活したって風の頼りに聞いて書店で探したらるにはあったけれどもちょっと違う。まずタイトルが「PASHU!」だ。でもって表紙はファッションモデルなんかじゃなくってルルーシュとスザクだ。そうか最近のファッション界はアニメの超絶美形キャラクターをモデルに起用するのか、って瞬間考えた次の瞬間に違うと否定。つまりはただのアニメ雑誌でそれも女性読者に特化したアニメ雑誌で主婦と生活から堂々の創刊だった訳。開いてもファッションのファの字も出てこない。

 代わりにサンライズの河口プロデューサーへのインタビューが掲載されてて例のユーフェミアの携帯電話からガウェインに搭乗しているルルーシュにスザクが電話をかけて会話するシーンについての言及もあって、果たしてスザクはルルがゼロだと知って喋っていたかについては「どうなんでしょうね…」とかって返事で曖昧にしてあって悩ましさが増加。どうしてユーフェミアがルルの携帯番号を知っていたかについては神の島でルルとユフィが電話番号を高官したからじゃないですか、ってな説明がしてあったけれどまあこれは本気じゃないだろうなあ、でも本気かもなあ、どっちだ。

 あと、本当の友達は自分たちのことを本当に友達だ、なんて言わないって話もあってあの会話で2人の間に微妙な意識の違いがあったんだってことを理解。なるほどだから直後にユフィを蹂躙した哀しみを飲み込む描写ではなく笑い高らかに吼えながらスザクとの決戦にルルは臨めたんだろうなあ。湿った感情など沈め乾いた判断で突き進む果てに来る勝負の行方。それについても河口さんは続編は1話目からとばしていく、みたいなことを言っててますますもって再会の時期が気になって来る。これだけ内容面でも詰まっているなら秋からの放送で是非にお願いしたいところ、でないと保たないよ1日1ルルーシュが。明日はどんなネタを持って来ようか。


【4月12日】 大手町の地下鉄半蔵門線乗降口脇に設置されたガチャポンに「サウンドドロップ 涼宮ハルヒの音声」が入ったんで200円して回したら壊れて金だけガメられた。でも言うのも恥ずかしいので沈黙、これが大人になるということなのか。ちなみにちょっと前に「ゲーマーズ」で回した時はぎゅうぎゅう詰めになってたからか回しても落ちて来ず、早速そばの店員さんに行ってひらいてもらい「好きなのあります?」と聞かれたけれどそこは適当にもらって当たりはずれ感覚を楽しむのがガチャポン道って奴で「どれでも適当に」と言ってもらって明けたら朝比奈みくるの「み、みくるビーム」だった。みくるさんが近くに来たら押してあげよう。

 実を言えば本当は同じ朝比奈みくるでも「禁則事項です。」が欲しかったんだけど別の日に別のガチャを回して出てきたのを聞いたら微妙にアクセントが違う。それはたぶん僕が同じ「禁則事項です。」でもお茶目に言うのを好んでいたり大人になったみくるさんが重ねて言うシーンのを耳に覚えていたりしたからなんだろうけどまあ100回くらい聞けば耳に馴染むだろうから、毎晩布団に入ってひたすらに押し続けて耳に馴染ませよう。これっていったい何回くらい再生可能なんだろう? あと回して出たのが長門有希の「眼鏡属性って…何?」って奴だけどうーんテレビでどんなシーンで言ったか記憶にないからあんまりピンと来ない。シリーズだとほかにハルヒとかもあるんだけどでも、残る奴で本当に欲しいのは鶴屋さんの「めがっさ」で時々「にょろ」と喋る奴。出たら持ち歩いて喋った後に鳴らし受けを狙う、のは無理だよなあ。

 調べたらガチャポンでは「コードギアス 反逆のルルーシュ ルルーシュスイング」ってのが4月下旬に出るみたいだけど絵柄とかどこにもないんでどんな感じになっているかは不明。ちびチャラ系なんだろうなあ。仮にボイスドロップに入るんだったどんなセリフの奴が欲しいか考えたけれどルルーシュだとやっぱり「ぬるいな」か。いやいややっぱり「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」か。「合衆国、ニッポン!」では意味わかんないし。スザクは何だろう、セリフにこれといって印象がない。カレンは「病弱なんて設定にしなきゃよかった」でナナリーは「にゃあ」をひたすら連呼。C.C.は「男は床で寝ろ」でコーネリアは「脆弱物がっ!」でジェレミアは「オレンジじゃないんです、ゼロッ!」と「おはようございました」をセットで。そしてユフィは「虐殺です」。いつか出るかなあ。

 もしかしたら今はやりのセレブ感って奴なんだろうか。昨今なぜか大隆昌を極めているロボットアニメ。そのキモとなるのが主人公となる少年なり少女がロボットに乗り込むまでのドラマなり理由付けって奴で、昔だったら俺が選ばれたのかってことをそれほを感動もせずにすんなり乗っていたし「機動戦士ガンダム」はほぼ偶然といった感じで搭乗してそれが結果として連邦に勝利をもたらす。そんな通例を逆手に取ったのが「新世紀エヴァンゲリオン」で、選ばれました乗りましょう戦ってくださいと言われても恐いからいやですと逃げ、でも選ばれたんです戦わないとみんな死んでしまいますって責められたって、れがどうした恐いの嫌だと最後には逃げまくった姿が斬新だった。

 これって何だろう、高度経済成長以降バブルの最中まで、みんなやれやれ俺もやるやる的な気分があった時代が続いていたのがバブル崩壊で権威が崩れ、お先まっくらな中でもおう言われたことなんてやってられないし、未来に前向きな気持ちなんておこらない、自分の好き勝手にやるんだって気分を現したって考えて考えられないこともないけれど、4月から始まった「アイドルマスター XENOGLOSSIA」も「機神大戦ギガンティック・フォーミュラ」も、最初は嫌がっていた割には友だちがやるよと言ったり彼女と約束したからと言って恐怖とか考えずあっさりと搭乗を決めてしまうところが、このフラット化しつつも階層をどんどんと下げて底辺に近づく一方で一部は突出して高くそびえて手が届かなくなって来ている格差的社会の中で、自分もいつか引っ張り上げられたい、認められて上にいきたいって願う人間のセレブ志向を、妙にくすぐり煽っている感じがあって居心地が芳しくない。

 確かに今目の前にロボットが出てきて綺麗なお姉さんからあなたは選ばれたのよと言われ、みんなのために戦ってと言われたらほいほいついて行きそう。だってだ国のため、人民のために戦って死ねと言われるよりは全然、心理的な壁も低いし。もしかしたらそういう効果を狙って悪の広告帝国が国家的サブリミナルをかけようと、今にそんな感じのロボットアニメを集めたとか。ありえねえそんなに都合良くアニメが始まる訳ねえ今の制作状況で。だから偶然でありそれも時代的気分をどこかに嗅いでの偶然って奴なんだろう。

 そう考えると「天元突破グレンラガン」は1人が葛藤もなしにとっとと搭乗する昨今のタイプとはやや違い、ロボットなんていやいやと逃げる少年と、折角のロボットなんだから俺がやったるぜと意欲的少年の組合せで、バランスをとりつつ方向を前へと向かわせる配慮があって好感。人間の中の葛藤を2つに分けて比べさせつつ、さあ貴方ならどうするって考えさせる余地がある。やっぱ考えなくっちゃね。でないとふわふわとした気分にくるまれ漂った挙げ句、気が付くと戦場のまっただ中ってことになりかねないよこれからの世界。

 ハガレン系? 「シェオル・レジーナ」の村田栞さんが新しく角川ビーンズ文庫で始めた「光の精煉師ディオン 旅立ちの朝は君と」(角川ビーンズ文庫、457円)は光る宝石みたいなものを触媒かなにかにして薬でも物質でも時には生命さえも精煉して作り出せる能力を持った精煉師でも優秀だった父親が戦場へととられ行方不明になった過去を持つ少年が、山奥で母方の祖父と猟師のような暮らしをしていたけれどもそこは父親譲りの好奇心と才能で、独学的に精煉師の能力を磨いていた。願いは父親が精煉で作り出した犬みたいな狼みたいな人語を解し話せるアッシュのぼろぼろになりかけた心臓を精煉によって直すこと。そのためには精煉師にならなきゃいけなかったけれども祖父は娘の夫だった少年にとっての父親が行方不明になってしまたことも手伝って、精煉師になることを許そうとしなかった。そんなある日。

 都の方から貴族の少年が訪ねてきて祖父に何かを預ける。そしてそれを狙う不穏な集団が現れ祖父を箱毎さらってしまう。少年はどうやら誰かを追って来たらしい軍人ながら精煉の力も持っている部隊「蒼い鷹」と合流して祖父と消えた箱を追いそしてそこに入っているものの凄まじさを知りおどろく。世界をふたたび滅亡の縁へと追い込みかねないその中身を果たして少年たちは取り戻せるのか、って感じで幼いながらも錬成、じゃない精煉の力を駆使して軍人顔負けの活躍をみせる少年がいてその少年が助けたいと願う存在が傍らにあって少年を導き支える美形で有能な軍人のリーダーがいて精煉の力を悪しきことに使おうと企む一味があってって配置はなるほどハガレン系。人を殺さず何とか頑張り世界を救おうとする所は優しさも漂っていてハガレンよりは気分爽快に読める。イラストは岩崎美奈子さんでなかなかに美麗。軍人となり父を追い求める日々に突入した少年がどんな活躍とそして成長を見せるのかってところで次巻への興味をつないでいこう。女っ気が少ないのはビーンズ文庫だからか?


【4月11日】 鹿ってポッキーを食べるのか? という命題を投げかけられていつかは試してみたいと思わされたけれどもそれをやって鹿に印をつけられても困ってしまうから考え中。そんな不思議なことを考えさせられる「鹿男あをによし」(幻冬舎、1500円)は森見登美彦さんからやわらかパンチを食らうくらいの人気ぶりを見せている万城目学さんが「鴨川ホルモー」に続いて発表した本。舞台が京都から奈良へと移り大学の研究室に居づらくなった青年が、奈良の女子高で常勤講師をすることになり赴いた先で日本を守る役目を負わされる。

 古代より連なる神々の儀式に、知らず人間の間に語り伝えられた習慣として引っ張り込まれる現代人って展開は、前作の「鴨川ホルモー」とも共通。でもって見かけはツンツンとしているようで、心根は純な少女が出てきて主人公に絡んで来るって展開も同様。ただし「鴨川ホルモー」のように恋仲になるかというとそこは28歳の教師と16歳の女子高生だけあって一挙には縮まらず、ほんのりと淡く酸っぱい恋っぽい香りが沸きたっては大人のおっさんの心をキュンとさせ、少女の優しい大人へのあこがれをつつっとくすぐる。2段3段のどんでん返しもあって先が見えないところがなかなかに巧い。すべてが終わった後で家へと帰る主人公の未来が救われ、幸せが訪れたかどうかが見えないところが気になるなあ。でも続く話でもないし、そこは想像に任せよう。金原瑞人さんが「この作家は、いずれ直木賞を獲るだろう」と帯に書いているってことはこの作品は直木賞水準じゃないってこと? いやあなかなかに良い話。山本周五郎賞は確実だね。

 「ネガティブハッピーチェーンソーエッヂ」の映画化も実はしっかり発表されていた日活のラインアップ発表会だったけれども注目はやっぱり「ヤッターマン」に「科学忍者隊ガッチャマン」の実写映画化に集まった模様。「ヤッターマン」に関してはドロンジョの役をアンジェリーナ・ジョリーにオファーして速攻断られたって三池崇監督だかのコメントなんかも出回っているけどそれなら「キャットウーマン」でボンデージに身を包んだハル・ベリー」にも是非にオファーを。ボヤッキーをジョニー・デップでトンズラをブラッド・ピットにしたらもう絶対にヒットは間違いないけどそれだとヤッターマン側がオダギリジョーと長澤まさみでも霞むからなあ。そんな配役あり得ません。

 仮にオール日本人キャストでいくとしてヤッターマン側はオダジョーに新垣由衣さん(希望的妄想)としてドロンジョ側はやっぱり困りそう。杉本彩さんでは艶っぽすぎるし佐藤江梨子さんだとキューティハニーだしエビちゃんでは迫力がないし小原乃梨子さん本人ではいろいろな意味で泣く子が出そう。若かったなら鳳蘭さん大地真央さんといった宝塚系の人なんかが迫力で迫れそうなんだけど。天海祐希さんでも良いなあ「女王の教室」のあの冷酷そうな感じで。でもボンデージは着てくれそうもないか。インリン・オブ・ジョイトイなら大丈夫だけれど常にM字ビターンでは話が進まないから無理か。

 ボヤッキーは「ゲゲゲの鬼太郎」のネズミ男役がハマっていると評判の大泉洋さんあたりが起用されても不思議はないけど果たして全国の女子高生の皆さん今週のビックリドッキリメカぽちっとな、って言ってハマるかというと……ハマるか。トンズラは安易に体型で角田信朗さんか。「北斗の拳」の新作映画でやってた赤鯱もまあまあだったし。いやそれならラオウ役の宇梶剛士さんも1作目の時よりラオウっぽさが増してたぞ。きっとど迫力のトンズラになるぞ。いやあふくらむなあ想像が。でも安易にどっかの漫才コンビが勤めて終わりになるんだろうなあ。ペナルティーとか。オリラジとか。

 その勢いで「コードギアス 反逆のルルーシュ」の実写版キャストを妄想、WaTで決定、かなあ今だとルルーシュをウェンツ瑛士が演じてスザクを小池撤平、と。見てくれだけならまあそれなりにピッタリな気が。シャーリーは水着のシーンがあるから長澤まさみさんでニーナは眼鏡だから時東ぁみちゃん、は無理だけどしょせんは実写版キャストなんて無理ばかりなんだから別に良いのだ。その勢いでロイドは変態だからやっぱりオダジョーでユフィは趣味でガッキーでコーネリアは誰が良い? ブリタニア皇帝は重厚感から仲代達矢さんか貫禄を見込んでかつてのライバル筒井康隆さん。いやいややっぱり若本規夫さん本人が鬘を着けての登場だ。うーん。でもそれぐらいやって一般の人もそれなりに番組の名前が知られるんだろーなー。「SMAP×SMAP」でキムタクがルルーシュで慎吾がスザクで剛がデュバルで吾郎ちゃんがシャーリーで中井がナナリーを演れば……見たくねえ。「SMAP」はだから実写版「ガッチャマン」にどうぞ。

 どうして壁をくぐり抜ける時は裸になるんだコーティカルテ、抜けたあとで服も再生されるんだったら別に服ごと抜けることだって出来るだろうにと問いかければきっと答えてくれるだろう「視聴者サービスだ」って。いや知らないけれどともあれ第2話となったテレビアニメ版「神曲奏界ポリフォニカ」はところどころ会話のテンポがずれて妙な間が空くのが気になったけれども、絵はまあ中割が少なく唐突な動きがあっても崩れは少なくまずまず見られ、話も唐突に妙な精霊が現れたりはしても全体としては納得の範囲。精霊の中でもその力を畏れられているコーティが廃ビルを壊す仕事に就いてぶんぶんと手足を振り回している不思議さも、それだけフォロンを慕い一緒にいたい現れだって思えば思えると思うから気にしない気にするもんか。来週は谷間も立派な大人コーティが登場でこれは嬉しい。動きがまたまた微妙に気になりそうだけれどもそこは大人コーティに免じて見よう、録画で。

 秋葉原の「ゲーマーズ」に「まなびストレート」のエンディングに使われていた人形の本物がユーフォーテーブルから貸し出されて来て並んでいて写真撮影も「可」だっていうのにそんな時に限ってカメラを持っていない不幸を嘆こう。たかが人形でもやっぱりめいちゃんは可愛いなあ。でもDVDを買うかどうかは悩み中。録画してるのと変わらないからなあ。ってところがDVDの売上不審に繋がっているのか。品質をいくら向上させても違うところで購入するかどうかが決まるんだろう、それが心理の不思議って奴。たとえばバンダイビジュアルの関連会社のドットアニメがサイト限定で作った「アイドルマスター XENOGLOSSIA」のDVDの水着バージョンとか。こいつはそそられるぜまったくよう。


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