縮刷版2007年月2上旬号


【2月10日】 やっぱりとっつぁんだったか。アルバトロスフィルムから出る日本代表のイビチャ・オシム監督を取り上げたオランダ制作のドキュメンタリーでオシム監督の吹き替えを担当する人をスポーツニッポンが納谷悟朗さんと紹介。やっぱり悟朗さんだけに銭形のとっつぁんだとゆー形の見出しになっているんだけれど記事によれば声はどちからとえばとっつぁんのような強情だけれど人情味もあるオヤジではなくチャールトン・ヘストンのよーな重みがあって強さもある世界の父、って感じで出しているらしー。個人的には包容感がありリーダーシップもある沖田十三艦長で行って欲しかったけれどまあ、ヘストンなら許せるか、モーセだしアントニウスだしベン・ハーだしテイラーだし全米ライフル協会会長だし、ってこれはちょっと。

 人の記憶というものは実に不思議なものらしい。自分がブリタニア帝国の騎士でブリタニア人しか認めない純血派で、仇敵「黒の騎士団」を率いるゼロの正体を目の当たりにしてこれで昇進間違い無しとほくそ笑んだことはすっかりと忘れても、お弁当に入れるタコさんウインナーの切り方はちゃんとしっかり覚えているのはつまり、出世栄達なり組織への帰属なりといった社会的な要素が背景にあって生まれる理知的な感情よりも、より美味い物を食いたいという食への衝動とそして子孫を残すにあたって男女を結びつける原始的な情動であるところの愛とゆー奴が、生物としての本能に近い脳の深いところに刻み込まれているってことの現れで、だから上っ面の知識が吹っ飛んでもちゃんと残っていて現れヴィレッタ・ヌゥにタコさんウィンナーのお弁当を作らせたんだろー。畏るべしタコさんウインナー。お陰で扇もメロメロだ。

 そんな「コードギアス 反逆のルルーシュ」は捕まってしまった(どうして捕まる羽目になったのかはよく分からないけど)藤堂を救い出そうと周囲を固める四聖剣たちが「黒の騎士団」に頼りついでに京都から新型のナイトメアを運んで藤堂の捉えられている拘置所へと殴り込む久々のアクションストーリー。ずっと出てはいてもあんまり喋らず動いてもいなかった四聖剣の1人、千葉凪沙がその涼やかな眼差しと凛とした顎の形をたっぷりと拝ませてくれた上に、ロイドとおそらくは並ぶだろー科学者のラクシャータが運んできた「生存率を高める」とかゆー謎のピチピチスーツを身にまとってくれたものだからもう目にもグッドな搭乗姿。軍服では判然としなかった体のラインがくっきりと出てやはりそれなりに素晴らしいものだったってことが判明。ファンもこれで一気に増加することだろー。いや別に薄べったくたってそれはそれで構わないんだけど。

 そして藤堂を引き入れ反攻への戦力を固めた一方で最大の敵であり排除すべき存在と認めていたランスロットの搭乗者が朽木スザクと判明したことで起こるルルーシュの葛藤。否応なく対決するだろー2人のドラマはやはり一方の死となるのかそれとも平行線を辿るのか。見守るしかないけどちょっと恐い。それにしても藤堂の処刑をスザクにやらせようとさせたのは誰なんだろー。コーネリアあたりはそんな些事に関わっている風はないし、クロヴィス暗殺の犯人としてスザクを捉えて処刑する効果に比べれば、藤堂の処刑をスザクにやらせる意味なんてたいしてないんだけどまあ、あの時点であの場にいさせなきゃいけないって展開上の配慮も働いてのことなんだろー。お陰でユーフェミアに活躍を見初められて騎士として大抜擢。そして始まるゼロ=ルルーシュの戦いにユーフェミアも巻き込まれて相克の絵図が繰り広げられることになるんだろー。何かコーネリアに退場の予感も出てきたなあ。新キャラだとラクシャータが以外にお茶目。もーちょっと“弔詞の詠手”っぽいかと思ってた。キャラ的にミレイ・アシュフォードと重なってる感じ。おじさんっぽいってゆーか。ロイド的に重みを増してくるのかどうかに注目。

 新譜も出たことだしそろそろかと思い調べて見つけた時東ぁみさんのイベントを見物に豊洲の「ララポート豊洲」へと出向く。何か久々だなあ。昨年の大晦日前以来だからほとんど1カ月半ぶりかあ。ってそれは久々なのか? 何かしょっちゅうそこかしこで握手会とかイベントとか開いているんで見ないと体内のぁみにぃ成分が不足してくるのである。んで足りなくなると枕元の写真集で補充する、と。うーん動かないとぁみにぃ鼻丸い。ともかく到着した「ララポート」でまずはHMVへと出向き新譜の「愛ヤイ愛ヤイ」を購入、秋葉原の石丸とかだったらいざしらず、一般大衆も多く訪れるオシャレなHMVで買うのって妙な気恥ずかしさも漂うけれどもそこはぁみにぃ会いたやな気持ちが勝ってレジへと運ぶと前に同じCDを持った女子がいた。女子でぁみにぃファン。ちょい珍しい。それとも増えてきているか。あるいはこれが腐女子って奴か(違うと思う)。

 だいたい72番くらいの整理券だったけど入場ん時はほら、1人でCDに入っているトレカ3種類を集めたいからって3枚くらい買って整理券も3枚もらっている熱烈な男子とかいるんで割ととっとと入れて前から2列目あたりに鎮座。すると周囲をいかにもなピンク色のサッカージャージに蒼い法被を着た面々に囲まれてしまっう。当然にして踊る奴らで始まったら踊らないとヤバいかもとか心配になり、実際に始まるともう踊る飛ぶ叫ぶといった感じになったけれどもそこは歳に免じて許してもらい、せめてこれくらいはと手拍子とあと冒頭の何とかってゆーぁみにぃが扮したキャラクターの名前のコールくらいには参加する。それにしても「愛アイアイアイ」の限定版のジャケットのイラスト、いい感じに爛れてます。描いたのって誰?

 そしてスタートしたライブはジャケットの限定版とも通常版とも違うコスプレ姿で登場してまずカップリングの「恋のハニースイートエンジェル」を披露するとドック跡に作られてやや低くなった会場を囲むように一般の買い物客が見物に来てそんな視線の下で踊り飛び叫ぶ面々に囲まれている自分を振り返り気鬱になるかってゆーとそうはならないでひとつの目標に向かいみんなで頑張る姿をどうだ見たか美しいだろうと誇らしげに思う。というより思い込む。目標ってのは何だろう、やっぱり紅白歌合戦への出場か、したらやっぱり熱烈なファンを呼んで周囲を固めさせて叫ばせ踊らせるのが肝要かと。

 一般の人も多いってことで一般の人にもこれが1番分かりやすいと思える「せんちめんたるじぇねれーしょん」を唄いそれからラストにタイトル曲の「愛アイ愛アイ」を披露してそれから握手会。またもや20歳前の女子と握手してしまってとっても嬉しい。このまま夜の石丸でのイベントへとなだれこむのも1つの算段だったけれども流石に体力も落ちてきたんで断念して有楽町線で池袋へと出てジュンク堂でokamaさんのイラスト集で「コミックフラッパー」の表紙絵を集めた「okamarbke」(メディアファクトリー)を買ってパラパラ。ちょい前に表参道のギャラリーで見た原画なんかも含めて大量の表紙絵が収録されててその絢爛さとアイディアの多彩さ、何よりキャラクターの表情や動きの豊かさにビジュアルコンセプターとしてのokamaさんの凄さを改めて実感する。アニメでも今だと「ミーナ」に「ひまわりっ!」に「セイントオクトーバー」が動いているからな。仕事多すぎ。「クロスロオド」は次いつ出るんだろう?


【2月9日】 黒い球体をぶっさして漏れる粘液に身を染めて変身するヒロインってのも異例だったけど、両の手に巨大な葡萄だかを1粒づつ握って握りつぶして飛散した果汁を身になすり着けて変身するヒロインってのもやっぱり異例だよなあ「セイントオクトーバー」。よーやく登場となった赤ロリこと聖三咲ちゃんはスポーツ少女どころか野生児で、誰もいない場所まで来ると木を駆け上り枝から枝へと飛び回ってははい回っている蜥蜴だかイモリだかを捕まえて、火をおこしこんがりと焼いてむさぼり食うのであった。それが好きだからなのかそうしなくちゃいけないくらいに財政が厳しいからなのかは謎だけど、学校に入って来れるんだからきっと住居は街のどこかに持っているだろー。

 問題は彼女がどーしてそんな暮らしをするに至ったかで過去の回想では何やら攻めてくる怪物を相手に住んでいた街が破壊され身内が殺害されたらしー。メーンの舞台となっているアルカナシティは平和でのんびりとしているだけに、外でそーゆー飛散な出来事があるなんてまるで分からなかったよ。ってか平和な街に起こるセコい騒動を美少女探偵団が解決していくコメディかと思っていたら世界がぞわっと広がり設定にシリアスな部分が付け加わって一気に深みが増してきた。

 先週のセルロックが2度目のジャッジメントで消滅してしまったこともあったしクルツ社長の唐変木に見えて実は残酷な策謀家だったりする所も含めてこれで、なかなかに重みを持った物語へと発展していってくれそうな予感。あとは三咲の街を襲った怪物たちを操っているのがリバース社なのかそれともリバース社すら傀儡で上に更に巨大な組織があるのか、ってところが展開の大きさを見る上での鍵、かな。それにしても今回は絵も美麗で動きも活発でテンポも完璧だったりして驚き。中途半端でもセリフの劇と展開の頓狂さで魅せて来たアニメに絵と動きも加わったらもう最強じゃん。「ときめきメモリアル」も順調だし「おとぎ銃士赤ずきん」は静かにしっかり人気だし。コナミのアニメが3本とも真っ当ってこりゃあアニメの世界に何か天変地異の起こる前触れって奴? それとも経験がようやく実った?

 まあ久保だしな。「MATAKUBOKA(また久保か)」と呆れ慌てる気力も失せたよオシム監督による代表発表延期の報に際しての「夕刊フジ」での記事の中身の無さも「やっぱり久保だ」って程度の感慨。そこに前向きな提言も見いだせなけりゃあ軽妙洒脱な筆の冴えなんてのも感じられねえ。「やはり、オシムジャパンはイエスマンばかりの仲良し内閣だった」って言うけどその根拠は延期は良くないって提言できる人がいないから。いるのかいないのか分からないサッカー協会関係者とやらの口を借りる形で「こういうことをして、後の影響を少しは考えて欲しい」と書いているけどだったら後の影響っていったい何だ? どんな影響が出るってんだ。予定していた新聞の紙面がずっぽりと空いてしまう? それはメディアの勝手な事情。会見場の費用が無駄におわる? 別にホテルとか借りてる訳じゃないんだからそれはない。

 メンバーの主要なところはチームに内々に伝わっているだろーし、それがなくてもいついかなり時に呼ばれたって行くのが代表選手の心意気。日本サッカーを強くするってゆー、本質的な部分に対して影響なんてないにも関わらず「影響を考えろ」と言うならそれを開陳し論じるべきなのに我らが久保武司記者、そんなことはしやしない。まあ記事のトーンはオシムの言うことだったら何でも聞いてしまう周囲の歯止めの利かなさに対する警鐘って意味で、それはジーコジャパンが暴走の果てに爆散した経験を鑑みれば実に重要なことなんだけれど、今回の代表メンバーの発表時期にかこつけて言うべきことではない。ここであれこれ茶々をいれた結果、肝心なところでオシムの真っ当な意見がひっくり返される愚が起こらないとも限らないだけに、メディアにはタイミングとかを図って批判をしてもらいたいもの。つか内閣の軽量差を言うならジーコジャパンの時に怒鳴りまくって欲しかったよ。んまあ出来るわきゃなかっただろうけどさ。イエスマンばかりの番記者様には。

 そんなオシム監督も週末には来日してまたいつもの難解な言葉を聞かせてくれそう。いかにしてかくも深い見識を持った人物が出来上がったかは3月21日に発売される、オランダのテレビ局だかが作った番組「引き裂かれたイレブン 〜オシムの涙〜」を見るだけでも存分に伝わってくるんで何を思っていろいろと、理解不能なことをオシム監督がしでかすのか分からない人たちは見てこういう下地があるんだと理解に務めるのが肝要かと。しかし凄い吹き替え陣だよ順列から見てオシム監督を当てるのは銭形のとっつぁんでありチャールトン・ヘストンでもある納谷悟朗さん。この場合は老練にして強いリーダーシップを持つ沖田十三艦長といった方が適切かな。深みと含蓄のある声でオシムの言葉を語ってくれるだろー。デヤン・サビチェビッチも出ているけれど声は不明。あの髪形とニヒルな顔立ちから考えるにここは山田康雄さんに担当して欲しかったなあ。ストイコビッチ選手はうーん、江原正士さん? ちょっと軽いか。野沢那智さん? うーんバタっぽい。難しいなあ。

 有川浩さんは綿矢りささんだった。ちょっと端折りすぎ。ちゃんと説明すれば有川浩さんは綿矢りささんに負けないくらいの人気さっただったってことで紀伊國屋書店の新宿本店で2月12日に行われるとか聞いてた有川さんのサイン会の整理券を、まあ当日でだって大丈夫だろーと思いつつも新宿まで出向く用事があったんで立ち寄り「図書館危機」か「クジラの彼」のどっちかを買ってもらおうかと考えて入ったらすでに予定枚数配布終了のソールドアウト。ちょっと前に行われた桜庭一樹さんのサイン会が金曜日の開催だったってこともあったんだろーけど当日まで大丈夫だったことと比べてこの違いは、それだけ「図書館」シリーズにファンが付いてたってことの現れ。これがいわゆるブレイクって奴なんだろー。凄いなあ。

 イベント情報を見たら同じく紀伊國屋で行われる綿矢りささんのサイン会も既に予定枚数の配布が終了。芥川賞から3年くらいかけてよーやく出た、当代1のアイドル作家のソールドアウトには納得だけどそれと同じ状況にある有川さんはつまり綿矢さんに負けないアイドル作家としてこれから文壇を賑わしメディアを騒がせ自衛隊を動かしメディア良化方を潰してついでにガメラもラドンもバルゴンも倒してくれるに違いない。こんなに凄い作家になると分かっているんだったらとっとと挨拶をしておけば良かったなあ。時々どっかですれ違うことはあっても未だ面識がないんだよなあ。サイン会当日は遠目にその綿矢りささん的な人気の凄さを集まるファンの層ともども、拝みに行くかどーするか。どんんな層が並んでいるかに興味津々。中高生が大好きな「ゴシック」シリーズを持つ桜庭さんとは違うからなあ有川さん。陸海空の自衛隊員が制服姿で並んでいたりして。いやいや自分たちはまだですと陸自が幕僚連れて陳情に訪れていたりして。「地の果て」とか書いてよとかって。どんな話だ。北海道の原生林に原人を追う話? うぱー。


【2月8日】 デジタル万歳。東京国立博物館には年に5、6回は行くけれどそれも本館と平成館(へいせい・やかた)までで裏手にある日本庭園には脚を踏み入れたことがなかった。そこには端整に手入れされた庭園とそして日本家屋があるっぽかったんだけどそのうちの1つ、「応挙館」と呼ばれる書院に描かれている、館の名にもなった円山応挙の絵が200年の歳月を経て再現されるってゆーことでえっちらおっちら上野の山を越えて博物館へとたどり着いてちょい、時間があったもんだから中国の出土文物を展示してある展覧会をずらっと回って金印だのサイだの馬だの銅鐸だの鏡だのをまずは見物。

 大昔に名古屋市博物館が瑞穂に開館した折だったか、それより以前の金城埠頭に立てられたホールで開かれたイベントだったかにやって来た、金縷玉衣って四角くタイル状になった玉を金の糸でつないで人間の全身を覆う形にして遺体を中にいれた副葬品があったりして、この中に入ったら果たしてどんな気分なんだろうと思いつつも前に入っていたのは死体だったと気づいてあんまり良い気分じゃないかもと考え直したりして時間を潰す。金印は福岡で出た例の金印との相似性が強調されていたけれど三浦佑之さん的には福岡のって偽物じゃなかったっけ。三浦さんに見せたい。

 それから迎で開かれていたマオーリ族に関連した民芸品やら祭器やら楽器やら衣類やらをながめ決して緻密だったり端整だったりする仕事じゃないけれど、暮らしの中で刻まれた祈りの心や感謝の気持ちが表れていて長きにわたって人々が生き積み上げてきたものの重さを知る。外に出ると売店でオールブラックス関連のグッズを売っていたのはなるほどたとえ英連邦ではあっても、ニュージーランドのアイデンティティーにマオーリが大きな意味を持っている現れって奴なのかも。リアル「ハカ」とか見たいよなあ。でもあれは民族舞踊じゃないから普段は見られないのか。最終日くらいにはやってくれるかな。

 そこからいったん外へと出てぐるりと周り、「ゲルマニウムの夜」が上映されてた「一角座」を横目に「平成館」の裏手へと回ってまずは九条邸に入りあれやこれや説明を聞く。愛知県海部郡大治町にある明眼院って寺院に立てられていた書院があって応挙はその明眼院で名前の由来になっていた眼の治療を受けたお礼に絵を描いて寄贈したとか。それが1700年代半ばの頃だったんだけど明治に入って廃仏毀釈でお寺の経営が厳しくなった折り、やりくりのための書院を売り出したところ三井財閥を大番頭として立ち上げ支えた益田孝こと鈍翁が買って品川の御殿山にある邸宅に移築し愛でていた。それが1933年に東京国立博物館に寄贈されて飾られている絵にちなんで「応挙館」として今に至っているのだという。なるほど財閥って金持ちだったんだなあ。

 んでもってそんな貴重な書院を博物館ではお茶会なんかの席として開放していたんだけれど絵を外せば風情が薄れるってことでそのまんまにしていたもののやっぱり痛みが目立ってきた。さてどうしたものかということで、大日本印刷と組んで印刷技術でもって複製をつくり書院に張り出し原画は保存し時々閲覧に供することにしたのが今回のプロジェクト。ふすま絵とか床の間の床の奥にある絵は外してスキャナーで取り込みデジタル化して修復とかし、山本守礼の描いた違い棚の上にある裏に金箔が張られた絵はフィルムの写真として撮影してからデジタル化してやっぱり修復なんかを行った上で特性の和紙にふすま絵なんかはインクジェット、裏箔の絵はオフセットで印刷して仕上げたとゆー。

 その成果は文字通りに本物と見間違えるほど。200年前に描かれた絵だだから当然のよーに経年劣化があって日当たりの良い部分は日焼けしていたりするしにじみなんかが出てしまっている部分もある。それをDNPではすっきりと綺麗にして描かれた当時のまんまにするんじゃなくって現時点でそれなりに綺麗に残っている部分を基準にして、200年を経た風合いを再現してみせた。だからにじんでいる部分はそのまま残っているし真っ白に墨痕鮮やかって感じじゃない。だから200年を経た建物に飾られても派手派手しさを放たずしっくりとマッチする。もちろん新品のまんまにしよーとすれば出来るんだろーけれど、そーせず案配しながら適正な所を再現してみせる技術の冴えって奴にただただ簡単。この技術を使えば例の「東日流外三郡誌」だって描かれた当時の雰囲気で作れたに違いない。まあ描かれている内容とか文字まで細工しないと質感をいくら遡っても見破られるだろーけれど。

 「雲の向こう、約束の場所」の公開前後に見かけて以来だからほとんど2年ぶり? になる新海誠さんはまるで変わってなかったけれど新作「秒速5センチメートル」は「ほしのこえ」とそして「雲の向こう、約束の場所」と続いたSF設定のストーリーではなくって「彼女と彼女の猫」なんかと同じ現代の日常が舞台。小学校の時に仲の良かった男の子と女の子が卒業と同時に女の子の転校によってちょい離れてしまってそこから文通が始まったものの今度は男の子がさらに遠くへと転校することになってしまうってゆーシチュエーションから幕を開け、もっぱら男の子の方を中心に描いた3本の短編が連作として上映される。それは最初こそ切なさの中に甘さと愛おしさが混じって未来に希望を感じさせてくれるけれども時を経て、経験を重ねる中で愛おしさを追おう現実が浮かび上がってきて切実さに身をキュッと引き締めさせる。

 果たしてカップルで見に行くべきかそれともカップルだとあれやこれやと難しいことになるのか悩ましく、あるいは1種のリトマス試験紙のよーな作品として2人で見てそしてそこから顔を向け合うも背を向け合うも選べば良いってことになるのかな。遠くて大きな状況を見据えつつ狭い範囲でちょこちょこやってる過去のシチュエーションとはがらりとかわった身近な世界でちょこちょこできなくなって惑いもだえる現実の人間たちの物語。それだけに心地よさを求めて訪れる過去2作の新海さんファンからは驚きをもって迎え入れられそう。一方で絵の気持ちよさは新海さんならではで地面から見上げ気味のレイアウトに映る街並みや種子島の丘から見る広大な空とそこを流れる雲たちがとてつもなく美しい。家でテレビで見るより大きなスクリーンで見てこそ生きる絵。なので公開されたらまた行こう。まあ僕の場合はどう足掻いても1人で行くんで不安も何もないけれど。強がりじゃないぞ。

 さすがだ辛酸なめ子さん。めざといなあ。昨年の12月に北千住で行われた劇団「スタジオライフ」の公演「銀のキス」を見物してはその鑑賞記を「週刊文春」の連載「ヨコモレ通信」で描いている。冒頭の男の子役者たちが扮した女子高生たちがキャピキャピとして登場しては「仲良しの女子二人が抱き合うシーンは二重の意味で倒錯感がありドキドキします。でもここで萌えている場合ではありません」と描いてその後に続く「乙女心をかき見出す萌えシーンの連続」を紹介してる。そうかあれが乙女にとっても“萌え”だったのか。なあるほど。

 「プラチナブロンドのワンレンヘアで、色も透き通るように白く、完全な王子キャラ」だって書いてる吸血鬼のサイモンはワンレンってことで僕の見た山本芳樹さんではなく曽世海児さんの方かな。「オレは光の中に溶けていく」ってスモークの中に消えていったそーだからダンスしつつ消えた山本さんではなくやっぱり曽世さんか。「皆がハアハア過呼吸気味だったせいか会場の酸素が薄くなり、頭痛がしてきましたが、こめかみを押さえながら自分も耽美な軟弱キャラ気分に浸れました」とは別に劇を見て頭痛がしたってんじゃなくそれだけ盛り上がっていたってことを評したもの、かな。それでも美形の吸血鬼が出てくる「銀のキス」ならまだしも舞台が女子高となる次回公演の「Daisy pulls it off」を見たら何と言うのかちょっと興味。是非に行って何かに書いてくださいな。

 これが送られてきたとしたら「文藝賞」はもちろん自費出版者系のなんとか小説大賞とかも通りそうもない感じが滲んでじぐじぐしている綿矢りささんんの新作「夢を与える」(河出書房新社)。フランス人と日本人のハーフの父と何としてでも結婚したい年上の母が画策して逃げないように引っ張り込んで結婚にこぎ着けそして生まれた子供が夕子という女の子。父母の血を受け美少女になり子供の時分からファッションモデルとして活躍しCMにも出るようになっていつしか芸能界入りしてドラマにテレビに引っ張りだこ。ちやほやされながらも根が真面目で事務所に逆らったり遊び回ったりしていなかったのに、ふと見かけたダンサーの少年が好きになってしまって状況が一変する。

 真面目さは頑固さに変わり色恋沙汰が週刊誌やら何やらで叩かれかかっているのも気にせず諦めず、説得されても聞かずそして絶頂から転げ落ちていく。それはそれで立派にドラマになり得るものなんだけれど構成に工夫をもたせるとかせず父母の結婚から以降、時系列にそって生い立ちから何から展開をずるずると描いていくだけで読みやすいんだけれど盛り上がらない。描かれる芸能界の様子もステージママの意地っぱりな所に周囲の妬みやそねみ、そして支える大人たちの芸能界然とした振る舞いっぷりのどれもが何とも類型的で書き割り的。読んで響いてくる切実さがない。

 救いは学校での友達とかとの会話や描写で、そこんところは生き生きとしているんだけど芸能界とか社会のことになるとお勉強しましたね感が溢れ出てきてやれやれって気にさせられる。おまけに何だあのラストは。主体的な語り部であり導き手であるべき主役が、次の道を切り開くなり壁に当たって壊れるなりする姿に読み手は感動なり感涙なりを覚えるもの。なのにこの話では傍観者的な誰かを出して幕を下ろさせる。そこから浮かぶのは夕子の生きてきた18年間の虚ろさばかり。それはこの話が空虚さにあふれて何も主体的に語ろうとしておらず導こうとも誹ろうともしていないことにも繋がっている気がしてならない。空っぽな気持ちを型どおりの物語にありがちな道具立て固めただけの本。それは持てはやされ持ち上げられながらもこの何年間をまるで描けないままただただ虚ろさの中に籠もり漂っていた作者の、そんな空虚さを仮面で隠して煌びやかな場で如才なく語っている今を端的に表しているってことなのか。いずれにしても悩ましい1冊。世界がどうこれを持ち上げるかに注目だ。


【2月7日】 やっとこさメガマックとやらを食べては見たけどうーん、パテが4枚あったって1枚が50グラムとかそんなもんがマクドナルドの標準な訳で掛けて200グラムってことは「ウェンディーズ」が誇るクラシック100グラムのパテが2枚挟まったダブルと変わらない。値段はクラシックダブルが450円でメガマックは350円だからマクドナルドの方が得っぽいけどクラシックダブルはチーズがはさまりトマトも入ってレタスもたっぷり。バンズも分厚く歯ごたえがあってマクドナルドの顎が小さいアメリカ人だってむしゃむしゃ行ける柔らいバンズとは美味さが違う。ってことで軍配を上げるとしたらウェンディーズなんだけど近所にないのが寂しいところ。船橋は最近よく行く「ペッパーランチ」もないしなあ。ウェンディーズがあってペッパーランチがあってすき家もあってCoCo壱番屋もある街ってないものか。引越考える時に探してみよう。

 しかし興味深かったのが米国人の消費者が調査したってゆー珈琲の味でスターバックスよりマクドナルドの方が美味いってゆー結果について。情報だとマクドナルドの「プレミアムロースト」って日本じゃあんまり聞かない種類の珈琲とスターバックスの同価格帯の珈琲を比較したそーで、「プレミアムロースト」が幾らなのかは知らないけれども所詮はアメリカンコーヒーって浅煎りの豆で煎れた珈琲を好む人たちの嗜好なだけに、果たしてそのまま信じて良いのかが分からない。まあ個人的にはスターバックスの珈琲だってやっぱりアメリカ生まれの珈琲で深く煎られた豆で出される濃い味の珈琲を好む人間から見れば今ひとつだったりするから調査結果も五十歩百歩、どちらが上に来たって関係ないんだろーけど一応は本格を唄ったスターバックスにとってはお膝元でマクドナルド如きに破れたのは腹立たしいことこの上ない出来事かも。果たしてどんな司令が飛ぶか。その結果味がどーなるか。要経過観察。

 だめだサッカー成分が不足しているんだけど我が家ではBSもCSも見られないんで海外の試合は当然みられず「エル・ゴラッソ」を読んだりスポーツ新聞のニュースを読んでお茶を濁す程度。18日になればしあわせさんが住むという柏の日立台でもって「ちばぎんカップ」の試合「柏レイソル対ジェフユナイテッド市原・千葉」があって今年の布陣がお披露目になるんだけれどそれまでまだ10日以上をリアルサッカーなしで過ごすかと思うと心がしょっぱくなる。せめてフジテレビが日曜夜に放映してくれれば良いんだけど今週頭はセリエAが休止になってしまった関係で中村俊輔選手が所属するセルティックがハイランドの海沿いにある潮の香りもきつそうなスタジアムで行った試合を見せられ負けそうではなくても勝てなさそうな肉弾相打つ試合に眠気を堪えつつ「まなびストレート」が始まるまでを待ったっけ。今週はAマッチの「イングランド対スペイン」があるからこれを堪能しつつ残る1週間を堪え忍ぶことにしよー。まだ売ってるジェフ千葉のシーズンシーををうーん買うべきか否か。残る10番枠の決定を待ちたいなあ。誰を取るかなあ。

 書店にも出回り始めた電撃大賞受賞の紅玉いつきさんの「ミミズクと夜の王」(電撃文庫)をパッケージとして確認、なるほど表紙はアフリカや南米なんかを旅行して自然や動物なんかを描いてきた画家の作品で挿し絵はなく帯も表紙と同じトーンにした上に、一般小説へと進出してめきめきばりばり成功を収めつつある有川浩さんが寄せててこれなら電撃文庫とかが並ぶ棚から外して1冊、普通の文庫本が並ぶ場所へと置いてもそんなに違和感を持たれず手にとってもらえそーな感じがした。ってゆーか発行元もそれをねらってこーゆー装丁にしたんだろ。

 問題はこれ1冊だけ一般の書店が仕入れられるかって所で、人気の電撃文庫を配本してもらうには従前からの付き合いが必要だって話も伝わる中で「ミミズクと夜の王」だけ別に分けて一般の書店にも配本するって芸当を、メディアワークスってゆーか角川グループパブリッシングがとれかどーかがまずは普及・浸透への分かれ目になりそー。んでもって電撃文庫なんかをいっぱい仕入れている書店がこれだけ別に一般の文庫のコーナーへと持っていく度胸があるかも。ジュンク堂の池袋店だと地下1階と3階の両方に置くみたいな。船橋のときわ書房本店だと2階のライトノベルコーナーに胸元のはちきれんばかりの「なつき☆フルスイング! ケツバット女、笑う夏希。」(電撃文庫)あたりと並べられていたから違和感ばりばりで沈みまくり。絵を見て買う人には絶対に受け入れられなさそうだったからなあ。版元や書店の度胸と思考が問われます。

 背筋とかが痛んで胸苦しくもあってひょっとして新型インフルエンザかもって恐れ特集してあった「週刊SPA」の2月13日号を郵便受けから抜き開いて「グラビアン魂」の松本さゆきさんが見せてくれる「サトエリを排気量上げた感じ」byリリー・フランキーさんなボディの張り出しっぷり肢体の伸びっぷりに唇のふくらみっぷりを堪能したら気分は爽快。病はやっぱり気からなのだなあ。近くにいればさらに気持ちも高揚するんだろうなあ。見てみたいなあ。それはそれとして記事は読むとなかなかに劇ヤバな状況だってことが伺え再び恐怖に背筋もツン。まあ40歳を超えると観戦しても劇症になりにくく死にもしないそーではあるけどそれでも半分くらいは死んじゃう病気は恐ろしいし、周囲でバタバタと死んでいく様を見るのもあんまり気持ちの良いものじゃないんでここは用心のためにタミフルでも備蓄しておくかと薬の個人輸入代行を回る夜。プロペシアもそろそろ切れかかってるしなあ。命も髪も大事なのだよ。


【2月6日】 実はあんまりほとんど見た記憶がなかったりする「超獣機神ダンクーガ」だけどその伝説はいろいろ聞いてて、ロボットが凄かったとかメカがすさまじかったとかいった話がそれらを手がけた大張正己さんって人の今へと至る評価の根源になっている、とか。だから昨今にスーパーロボット系のアニメーションが作られるときには引っ張り出されて、いろいろ描き演出なんかも手がけて見上げる迫力たっぷりの巨大な持つロボットが重量感を保ちながらも、キレのある動きをしてみせたりする絵を世に送り出してくてそれに大喜びできるんだけどそんな大張さんが齢18にして関わり出世作となった「ダンクーガ」が大張さん監督のもとで22年の時を経て大復活するってんで聖路加タワーにあるソニー・ピクチャーズエンタテインメントの試写室までかけつける。

 んで始まったその名も「獣装機攻ダンクーガノヴァ」は……まだ完成していなかった。来週から放映なのに。大丈夫か? でもまあ某「ヘルシング」みたく発売延期が決まっても試写会を止められず絵コンテだか原画だかを撮影してつないで1本に仕立て上げたものを見せるんじゃなくって動く場面はそれなりに動きキャラも顔アップとか胸ぶるんとか、キャッチーな部分はちゃんと紹介されていたから雰囲気は分かる。なるほど今風になったキャラが燃えるスーパーロボットの世界にそぐわないって思う古手のファンとかいそーだけれど20余年のうちにそーゆーキャラに感化された目にはまあ、こんなもんだって了解できるから気にならない。

 本当を言うならメカ以上にパースが独特で動きもすさまじく最初は違和感めちゃ浮かぶけれども見ているうちに癖になる、大張さんのキャラで見たかった気もしないでもないけれど一般受けがまるでしそーもないからそれは無理だと諦める。「VIRUS」は今や幻だし「ヴギズエンジェル」なんでDVDすら出てなさそうだし。それでも大張んはメカがある。試写では4体のそれぞれが獣型になり人型になるところまでは分かってなるほど昔ながらの迫力に、現代ならではの絵の美麗さが重なり目に迫る。もっとも肝心のそれら4体がどー合体して巨大になるかまでは分からなかったんで、大張さんならではの醍醐味は本放送で確認するしかなさそー。問題は「アニマックス」だら家じゃあ見られないってことなんだけど。おっかけで千葉テレビとかでやんないかああ。

 一家全員が正義の味方で世界の敵とやらと闘っているんだけど問題は実は家族の間がぎくしゃくし始めていることだったりするってゆー、新しめの設定でのぞんで見事に「電撃小説大賞」の金賞を受賞した「世界平和は一家団欒のあとに」(電撃文庫、530円)。何でも異世界へと召喚され猪突猛進で王国を脅かす存在を倒し魔法の得意な姫も手に入れながら元いた世界へと姫ごと送り返された父親と姫との間にぞろぞろと生まれた星弓家の4女2男のそれぞれに破壊したり再生したりする力が備わっていて世界に、というより宇宙になにか危険がおこるとマッチする能力の持ち主が関わり事件を解決することになっている。

 でもって上に2人の姉を持って生まれた長男の軋斗は素早い動きが得意みたいで何やら絡まれていた女の子を助けるんだけどそこから始まる父母にも似た冒険の物語になるかと思いきや、話はそーした雄壮なバトルへとはいかず何とも世知辛い、けれども家族にとっては世界の危機よりも大切なことをどうにかする方向へと走っていく。なるほどそりゃあそうかもなあ。世界の危機より朝の食卓夜の団欒。家族って奴が持つ意味を考えさせてくれます。あとは世界の危機に対峙し退けるくらいの力そのものが世界の危機となり得る可能性についての考察があってそーなった場合に世界の危機と闘う家族の誰かと闘わなくっちゃいけなくなるのかどーなのか、考えるほどに悩ましい。

 あるいは続刊があればそーした方向をよりシリアスにえぐっていくのか団欒は団欒のまま別の世界の敵、なんだけど実はそいつらにとっては自分たちが世界の敵だったりする相対するシチュエーションの中でどう状況を解消していくのかって話に進んでいくのか。ちょっと興味。でもって相手のメンバーの誰か美少女が軋斗なり弟の刻人と“家族”になてしまえばみんなが一家で団欒が大事になって万事解決って寸法? それだと安易か。まあお手並み拝見と。ケツバット女の方はペラペラと途中まで。どうもただのインチキ魔法少女ではなさそうだなあ。こいつにも家族の問題が絡んでる。そうかライトノベルは家族の時代か。「神様家族」に「狂乱家族日記」に「吉永さん家のガーゴイル」等々の家族物が流行っているのもそんな時代の先駆けか。来年あたりに「寺内貫太郎一家」のラノベ的パスティーシュとか登場して来そーだな。

 さらに一枝唯さん「アーレイド物語 失せ物探しの鏡」(ジグザグノベルズ、950円)をペラペラ。盗賊団にこきつかわれていた少年が救出されいついた宿屋で調理の腕を見せてそのまま調理人修行を始めることになりそーで、逆境だった人生が一気に順風へと向かい掛けたところで起こる事件。街で起こった殺人事件の犯人に仕立て上げられ過去も過去だったことからそのまま処刑されてしまうんじゃないかって所に街へと旅をして来て少年と知り合った魔術使いのリンや街に暮らす軽薄に見えて義侠心に厚いヴァンタンが助けに入って活躍する。

 身よりがなく育った環境も良いとはいえない少年を引き取った宿屋の主人に思惑があったのかそれとも街にやって来て奇妙な芸を見せる芸人一座の団長の魔法使いが何か企んだのか。交錯する疑念を乗り越え力と知恵を合わせて1人の少年を救い出す話が関わる人たちの前向きな心根とも重なって心地良い。居場所を見つけた少年がそれでも新しい世界を見ることに興味を抱き、何より自分を導いてくれたリンへの興味から街の外へと脚を踏み出そうとするシーンは、安寧に留まり義理に縛られ身動きがとれないでいる人たちの背中を前向きの力で押してくれそー。派手なバトルとかないけれど人間の迷う気持ちが描かれたファンタジーの佳作。イラストのリンの目つきがちょい恐いのはやっぱり分からないよーにしているから、なのかなあ。


【2月5日】 しまった見逃していた小石川にある凸版印刷運営の印刷博物館で開催中の展覧会「モード・オブ・ザ・ウォー」は、第1次世界大戦の時のプロパガンダポスターがわんさと集まった世にも貴重なイベントで、アメリカの象徴にもなってる「アイウォンチュー」のアンクルサムによる徴兵ポスターなんかを初めいろんな戦争を賛美し闘いを讃え協力を呼びかけるポスターが展示されている、みたい。日本だったらたとえば第2次世界大戦時の「欲しがりません勝つまでは」といったポスターなんかが一種のプロパガンダポスターって言えるけれど、そーした勇ましいスローガンに加えて欧米なんかだときっと美麗でウィットも効いた絵が着けられているだろーから見て楽しく、そしてそーすれば人々を楽しく戦争へと誘えるメソッドなんかも目の当たりにできていろいろと勉強になるかも。3月25日まで開催中なんで遠いけど頑張って行こう。これからの日本をどっかへと誘うべく国の人とかが勉強に来ていたら嫌だなあ。

 ライトノベルとかアニメーションとかエロゲーとか本田透とか佐藤ケイとかにあってありまくってる設定ってのが女子高に1人男子が紛れ込んではウハウハだったりヒヤヒヤだったりしつつも中の誰かといい仲になるってラブコメディ。現実にはまず不可能だからこそフィクションの世界でわんさと生まれては持てはやされているんだと思っていたらこれがどーした、そんな夢が叶う可能性を持った学校が熊本県に実在していると聞いて驚いた。熊本県にある県立第一高校は何と『「共学」なのに29年間、男子生徒不在』だそーでかつて女子高だった名残で男子が敬遠して受験せず、しても女子の方が成績がいいのか合格しない状況が続いているんだそーな。

 これが名実ともに女子高だったら男子は瑞穂ちゃんみたく女装でもしなけりゃ入学できないけれど、この学校については一応は共学校な訳だから公明正大正々堂々と受験し成績が良ければ入学できる。見渡せば女子女子女子の山。実に素晴らしい環境が待っているんだからちょっと頭がよくって別に高校の勉強なんでしなくっても大学くらい行けちゃうイケメンな男子が受験して、ライトノベルやアニメや漫画やエロゲーにお定まりのハーレムシチュエーションを実践すれば良いのにしないのはそーした作品が未だ熊本県には届いておらず感化されて入学を目指す男子がいないからなのか。それとも熊本県って風土が女子でいっぱいの学校を目指す男子の存在を認めないのか。いずれにしても勿体ない。男子の格好が浮くとゆーなら他の生徒に会わせるって名目で堂々と女装して通って迷惑をかけなさそーな学校でもあるし、そーした趣向の人が今回の報道を受けて全国から熊本県を目指したりするのかな。瑞穂ちゃんがいっぱい。

 ハンバーガーを食べに言ったらUSJのアトラクション発表がついてきた。じゃないUSJが3月に園内に1300メートルもあるジェットコースターをオープンさせるとかでその発表会が都内で開催。何でも1人ひとりが好きずきな楽曲を聴きながらハリウッドパークだかの上を走るジェットコースターに載って周囲を睥睨できるゴージャスなライドになるとかで、なおかつその楽曲にボンジョヴィ、エミネム、ビートルズに混じってドリームズ・カム・トゥルーも選ばれたとかでそれ専用に作られたドリカムの新曲「大阪LOVER」もテープながらお披露目された。ハンバーガーはその発表会で出たおやつ。だけど分厚いハンバーグだったなあ。これでメガ作ったら確実に顎が破裂するね。

 さてちょい前のEURO2004だかで使われていたドンドンドンとベースのビートが鳴る上でメロディアスなドリカム節が炸裂してる「大阪LOVER」って楽曲は、大阪と東京に別れて恋愛している男女のことが唄われていて内容的にもリズム的にもゴインゴインと走るジェットコースターにマッチしそー。ないかつUSJでは限定バージョンがかかるとか。そこでしか聴けない曲を聴きにいくドリカムファン、いるのかな。ちなみにビートルズは「ゲットバック」だそーでこれもなかなかにゴージャス。エミネムにボンジョヴィは推して知るべし。問題は残る1つのチャネルにウェブ投票で1位となった曲を流すらしーんだけどそこで今んところトップに選ばれているのがコブクロの曲。聞いてないけどコブクロだけにビートってよりはムーディーな感じになっていそーでそれがジェットコースターに合うのかどーなのか悩ましい。どーなんだろー。ビートだったらアニソンとか最高なんだけどなあ。ジンとか。クローバーとか。

 そのクローバーとやらが唄う「マスター・オブ・エピック」の主題歌の冒頭で合いの手のよーに挟まれる「カモン」「ヤー」「イッツマジック」「レッツゴー」って合いの手が可愛いくって聞き惚れてつなり見た本編でいきなり前説の漫才がはじまりのけぞる。「まなびストレート」を見てもこっちはほったらかしていたからほとんど初見。とはいえ噂には聞いていたオンラインゲームのガイド的な話でなおかつ同人誌アンソロジー的なノリだってゆー評価はまさしくピッタリで、他愛のないエピソードとかオンラインゲームならではのネタ(スキルアップだの何だの)が繰り広げられて当該の「マスター・オブ・エピック」ではなくてもオンラインゲームに何となく馴染みのある頭に強く響いてくる。これはこれで面白いかも。ただしアニメとしてはなあ。まあ良い来週は時間が30分ずれ込むみたいだけど忘れず見よう。そして唄おうミラクルエピ、ソードッ!


【2月4日】 そうそう思い出した「月蝕歌劇団」の本多劇場での公演は月蝕なのに血糊が跳ばずマッチも擦られず最前列で見ていた人は跳ぶ血糊に服を汚しマッチから出る煙に目をショボつかせる、いつもながらの月蝕観劇時の“返り血”がなく寂しい思いをしていたかも。さすがに本多じゃできなかったか。夏の紀伊國屋ホールでもそーした派手派手しい演出はきっと不可能だろーし舞台の大きさも「ザムザ阿佐ヶ谷」とかに比べて軽く倍にはなるだろー中でどんな演出を見せるのか。

 狭い場所だからこそ折り重なっての自在な群舞が生きても広い場所で同じ人数では1人1人が分裂して蠢くだけの不統一感しか出なさそう。そこで人を増やして舞台を埋め尽くすのかそれとも配置を考え動きをシンクロさせて見た目で引きつけるのか。近くなら迫力があり最後列から見ればそこにタペストリーが描かれるよーな演出をさて、高取英さんは出来るんだろーか。まあ本多劇場でもあれだけの広さを生かし遠目に見ても映える舞台にしたてあげていたんでここでの経験を咀嚼してきっと、それなりの舞台に仕上げて来ることだろー。信じて待とう。しかしさすがに紀伊國屋ですっぽんぽんは無理か。いや見たいけど。無理かなあ。

 つー訳で昨日は展覧会を見ていた会場からガラス越しにしか見えなかった「ランドウォーカー」の地面をのし歩く様を今日は間近で見るべく六本木の「国立新美術館」へと連続ゴー。途中の六本木駅からちょい歩いた所にある「かつや」でカツ丼の松を貪り喰って相変わらずの分厚さに顎を鍛えつつ、食べ終わって斜めに伸びる道を歩きそして到着した「ランドウォーカー」の展示場には警備している人のほかには誰もいなかった。

ヴィレッタたんが載っていたら踏まれてあげたのに  みんな興味がないんだろーかと想いつつ足下まで地下より写真を撮り裏に回って写真を撮りしていたら三々五々と人が集まってきてそしていよいよ「ランドウォーカーァーー、ショーウターイム!」のかけ声も鮮やかではなかったけれど人が乗り込みハッチを閉じてエンジン始動。ガチャ、っと1歩を踏み出した瞬間に周囲を囲んでいた人たちの背中がビクッとしたのはやっぱり、あれほどまでの巨体が動く質量って奴に圧倒されたのとそして、アニメーションとか映画なんかでは見慣れていてもそれが現実に存在してそして自在に動き回るビジョンに触れて感動したからなんじゃなかろーか。

 歩いても非常にゆっくりしたペースだから闘えば勝てないって訳じゃないだろーけどそれほど大きくもない「ランドウォーカー」にして迫るこの質量感から鑑みるに、ナイトオブゴールドだとかシュペルターとかいったモーターヘッドがのっしのっしと歩いては、大剣を振るいビームをまき散らして迫って来るよーな戦場でただの歩兵はやっぱり雑魚に過ぎず、その足下にひれ伏さざるを得ないって状況にもうなずける。そんなモーターを才能によって操る「ファイブスター物語」の騎士たちや、ナイトメアを生まれながらの血筋や努力の結果で操るにいたった「コードギアス 反逆のルルーシュ」の騎士たちが崇められ恐れられ、反動で騎士も尊大になるってのも当然か。

 同じ意味合いで言うなら戦場で無敵の戦車乗りって奴らもそれこそモーターヘッドを操る騎士くらいに崇められ讃えられ恐れられても不思議はなかったんだけれど存外にそーなっていないのは戦車が1人の才能じゃ操縦不可能なこととそして特別な才能がなくても人数さえ集まれた操縦できてしまうって所にあったから、なのかな。まあ「パンプキンシザーズ」の世界観みたく、戦車乗りってのは無敵の存在と恐れられててそれゆえに戦車を相手に1人で闘い撃破するアンチタンクトルーパーなんって異形の奴らが生み出されこれまた畏怖されたって例もあるからやりよーによっては戦車乗りがブリキの棺桶の運び人にならない状況ってもの生まれてくるのかも。それが「ランドウォーカー」の実戦投入だったらうーん、興味深いけどでも嫌かも。

 御茶ノ水で本を読み込みそれから秋葉原へと回って石丸電器のソフト2でゴールデンにゴージャスな黄金咲ちひろさんが出演しているビデオとか探したけれど見つからずあきらめ下に降りると何やらインストアライブの準備中。しばらく前から1階で新発売のDVDなんかが流れていた里アンナさんって人のライブがあるってんで待っていると登場した里アンナさんがまずはリハーサルを目の前で何曲か。全部じゃないけど最初っから半分くらいは唄ってくれるその声の通りっぷりと澄みっぷりに耳を奪われこいつは最後まで聴いていかなくっちゃをフロアにたって開演を待つ。そして登場の、ってゆーかリハーサルからまんま流れて唄った里さんはジーンズに薄でのカーディガンといった服装で体のラインがくっきりと出ていてスリム&ナイスな感じ。それだけでも充分な上に歌い始めた声がまたリハーサル以上に澄み渡っていてもう目が離せなくなる、胸元から、じゃないステージから。

 奄美大島の出身ってことで島唄の勉強もしているらしく時々に奄美っぽい旋律が混じり発声が混じる歌声はとってもエスニック。沖縄に奄美に石垣といった地域の唄が心を揺さぶる感じがその声音から感じられて心癒される。3枚目のアルバム「水無月」は島唄っぽさを出しつつスローな感じに歌い上げる曲が多くってそれはそれで好みだけれど1枚目の「恋しや恋しや」はポップス調のアレンジの中にちょい島唄っぽい発声がにじんで不思議な融合を感じさせてくれて個人的にはそっちが好きかも。3枚目からだと「まつりの夜」が島唄にフォルクローレが混じって不思議さ炸裂。良い曲だあ。CDよりも生で聴いた声の量とそれから澄みっぷりの方が凄い感じがしたんでいつかまたどっかでライブがあったら聴きに行こう。ナイスを拝みに。目先だと2月11日の石丸電器横浜店か。すぐじゃん楽しみ。


【2月3日】 もはやリアルタイムで展開を見極めないと気が休まらない「コードギアス 反逆のルルーシュ」はC.Cが眼鏡っ娘で歩いているは、ヴィレッタ・ヌウが裸セーターで家庭的になっているは、コーネリアが妙にルルーシュとナナリーのことを気にしていて、母を暗殺して自分たちを追い込んだ原因とコーネリアを見ているルルーシュの思い込みと違っているは、ミレイ・アシュフォードがほしのあきさんも負けそうな気合いたっぷりの衣装で見合いに赴いた先が、スザクを囲ってランスロットに乗せているロイドの研究施設なんて殺風景なところだったりするわともう、それだけで存分に楽しめるネタが満載だったりしてこれからそれらがどう回収されていくんだって気になって仕方がないけど、残る話数も少なくほとんどがお預けにされたまま、DVDを眺めつつ再開を待ちわびることになりそー。罪なアニメだまったく。

 しかしやっぱり気になったのはコーネリアのルルーシュへの思慕。それが最愛のユフィの前だからって感じじゃなく2人とも同じ皇族としてルルーシュとナナリーを想っている節があって、だとしたら誰がいったいルルーシュの母親を殺害して追い込んだのかって所が気にかかる。まだ出てきていない策略家がいるのか。あとはスザクの過去か。でも前にC.Cによってえぐられてもしっかりと復活しては仲良くやっている訳だし、案外に立ち直りの早い奴なのかも。「黒の騎士団」も着々と整備が進んでいるよーで旧来からの面子ははじき出されてゼロことルルーシュの号令でもって戦闘集団と化すよーになって来て、そこにインドらしー所にいるラクシャーシャって紅蓮の開発に携わったっぽいロイドとはライバルみたいな研究者が加わって、いよいよもってブリタニアへの反攻が始まると見るとしたらとりあえず3月の末あたりでイレブンは解放されてそこから、世界を舞台にした闘いへと突入していくのかそれともブリタニアまで選挙し王となったルルーシュに、今度はスザクが挑もうとして第2部へと向かうのか。「ファンタジックチルドレン」といー「ノエイン」といー、見えない展開を想像できる楽しいアニメって本当に良いなあ。これだからオジナルってだから素晴らしい。

 んでもって「カレイドスター」はレイラさんのお誕生日。大人に見えてまだまだ幼いレイラにとってやっぱり父親って大きな力の源なんだなあ。ってゆーかこの作品、前にもそらの父親が出てきて2人の関係を描きセレクトとなる今シリーズの次回ではコメディ好きな女の子の父親が出てきて落剥した姿を見せて憧れていた父親を悩ませる展開と、親子の関係を妙にこってりと描く節がある。脚本家の趣味か監督の意向か。でも悪と闘い勝利を重ねるだけの話よりも己が努力し頑張るその道しるべなり反面教師なりに親が位置づけられているってのは、誰かから生まれ誰かによって育てられる人間にとって絶対に避けては通れない事柄だったりする訳で、それをちゃんと描きそして決して安易な和解とか妥協ではなく苦みも混ぜつつ描くあたりにこの作品の放った輝きがあったんだろー。人気になった訳も。でも玩具屋が何かを売る材料には乏しいんで延々と作られ続けなかったのは仕方がないとは言え残念なところ。今の復活が人気の再燃をもたらしせめて死ぬほど高いDVDのセットが半額くらいで出回るよーになってほしいものだけど、無理かなあ。

 そんなに欲しかったら無駄なDVDなんか買ってないで貯めて揃えれば良いものをついつい店頭で「仕入れたのに売れないのでタスケテ」なんて札が貼られているのを見て買ってしまった「MUSASHI GUN道」のオリジナル=テレビ放映盤DVDのボックス。何か作った会社が新作の放映中であるにもかかわらずぶっとんで放映がうち切られるなんて「ドン・ドラキュラ」みたいなことになってしまって、これはもう「ガンドレス」のよーには修正版が発売されることは永久にないって可能性が高いだけに、後世の記録としてDVDを買っておくのも仕方がないと考えた次第。でも永久に見ないんだろーなー。「ガンドレス」だって買ったは良いけどまだ見てないし。「銀盤カレイドスコープ」の最終話もどーなっているのか確認してないし。「夜明け前より瑠璃色な」は当然のよーに買ってないし。いつか仕事が途絶えて家に引きこもるよーになって使い切れない暇が出来たらまとめて見よう。毒気にあてられて2、3日寝込んだって平気だから。

 ついでだからと六本木にある「国立新美術館」を改めて見物。20世紀美術を国内外の美術館から徴用して来て並べた展覧会は探して来た人は頑張ったって感じだけれど既に見たものがあったり別に見なくたってたいしたことないものだったりするのがやや難点。他ではスペースがなく死蔵されているコレクションを探し出し、1つのテーマのもとに並べて見せるのは悪いことではないし、そこから新たな評価が始まるってことだってある訳だけれど「国立新美術館」の展示はあれもこれも集めすぎたって感じで見ていてただただ疲れるばかり。キュビズムがありダダイズムがありフルクサスがありバウハウスがあり具体があり現代美術がありプロダクトデザインがありあれもありこれもありじゃあ見ていて圧倒はされておそこに1つの主題を見つけて学ぶって所へはなかなか至れない。次からはもう少し、絞った上で明快にして詳細なテクストも込みで見せて欲しいものだけれどそれをやるにはあのスペースはデカすぎるんだよなあ。埋まらない。それだと無駄遣いだと言われるからでかいのをやるしかない。でもそれだと散漫になり過ぎる。うーん困った。

 やっぱりそもそもいらないじゃん、って結論に陥りそうで実際にガラスも煌びやかな建物の前では老若男女が記念撮影をしていたり、扉を開けて入ると美術館なのになぜかデパートの地下食品売り場とか上階の食堂みたく料理の匂いがロビーに漂っていたりとまるで美術館らしくない。人の多さはオープンしたばかりだから仕方がないとしてもせめて飲食って生臭い部分だけは奥へと引っ込め純真に美を、アートを楽しめる空間にして欲しかった。設計した時にいったい黒川紀章先生、そーゆー弊害を考えていたんだろーか。美女に挟まれ大衆に囲まれ何か自分の展覧会でくっちゃべていたけど遠かったんでさすがにちょっと聞けませんでした。ちょっと驚いたのはあの世界も認める「豊田スタジアム」が黒川さんの作品だったってことでうーん、美術館の設計は名古屋市美術館もここん家も僕の感性とは相容れないのに、空港とかスタジアムとかはバッチリなものを作る人なんだなあと感慨。向き不向きがやっぱり建築家にもあるんだなあ。本人はそうは想ってないんだろーけれど。

 そして下北沢へと出て久々の月蝕歌劇団。かの団鬼六先生の縛りも垂らしもありありなSM小説の金字塔「花と蛇」を演るってことでそれも主演は三坂知絵子さんってことでいったいどんな舞台になるんだと期待しつつでも、前に「家畜人ヤプー」を演った時だってさすがに恥ずかしい部分は微塵も見せなかった劇団だからうまく暗転とかでごまかされるんだろーと想っていたら甘かった。いやあもうサッカリンがチクロでパルスィートくらいに甘かった。見せまくりで広げまくりの約2時間。ビジュアル的にもポロポロと出る上にストーリー的にもぶっこまれたり剃り上げられたりいじくられたりと性に絡んだ淫靡な演出がいっぱいで、最前列とかで見ていたらきっと目も泳ぎまくっただろーから後列に近い席で見ていて正解だった。でも双眼鏡をもっていかなかったことをちょっと激しく後悔している。明日も行ければヨドバシでビクセンの8×25の双眼鏡を買って行くかどーしよーか。

 実は原作を読んだことがなく映画も見たことがないんでそれがどこまでアレンジされているのかは分からないけど江戸時代っぽい世界で剣術道場の師範が殺されその娘たちが犯人を追う話と、おそらくは戦後すぐの日本で資産家の後妻となった主人公の女性がグレる娘を人質にとられてヤクザにつかまり陵辱されていく話が時空を超えて重なっていて、時に戦後の話でヤクザにとらえられた女性が芸として過去の仇討ちにいって捕まり陵辱される剣術家の娘を演じたりしてなかなかに多層的。そーした交差がやがて1枚に合わさって見える共に悲劇的な結末って奴が女の業の深さとそして、女の強さって奴を浮かび上がらせる。それがあるからたとえ陵辱されて縛られむち打たれる場面を女性が見せられても、眉を顰めず真正面から受け止め続けられるんだろー。

 しかし凄かった三坂知絵子さん。胸はだけふくらみを先端までさらけ出し、後ろ姿だけながらも全裸を見せそして褌姿で長襦袢から胸のぞかせながら宙づりにされ片足あげた格好でぐるぐると回される役柄を最後まで演じきったことも凄いけれど、そーした露出じゃなくって演技がちゃんとしていて素晴らしかった。楚々として貞淑な妻が陵辱され虐げられても凛とした姿勢を保とうとあがきけれども堕ちていく様を、実に見事に演じ切っていた三坂さん。発声も通り耳に聞こえやすく感情もしっかりとこもった演技は、ベテランも含めた舞台の上でも1、2を争う素晴らしさ。この演技力がありかつ脱がされ吊され回されるのも辞さない体当たりっぷりが、団鬼六の原作で本多劇場なんて晴れやかな場所での初の舞台での栄えある主演を射止めさせたんだろう。

 そりゃあスタイルならチャイナなヤクザの一員で金粉ショーをさせられようとしていた黄金咲ちひろさんって人の方が凄かったけど(これまたすっぽんぽんで花道で踊り唄うから両脇の人は大変だったかも)、全編を通して緩みを見せず詰まりもせずに演じ切った様にただただ感服。映画の「VERSUS」からずっと見ているけれど、映画と舞台じゃあまた違ったスキルが求められるもの。間に大学を出て最高学府の大学院にも通ってなおかつ様々な仕事をこなして来た経験が、すごいすごい役者へと成長させたんだろー。人間、やる気になれば何だって出来るってことを身をもってて、もう本当に文字通りに身をもって教えてくれました。頑張らねば僕も。縛られ吊されてみるか。


【2月2日】 土曜日が節分だとみせびらかせないんで1日早く立ち寄った先のセブンイレブンで「恵方巻」を買おうと考えてはみたものの1日早い海苔巻きでは意味がないんだから形だけで良いんだと、セブンイレブンが今年から売り出した「丸かぶりロールケーキ」とやらを買って無言で北北西を向いてむさぼり食う。何でもありだなあ。巻いてありゃあ何だって良いのかよ。

 もっともまあ、恵方巻って風習なんて関東じゃ無縁で名古屋でだってやってなかったことなのに、この5年くらいコンビニエンストアの新商品をめざとく見つけては旬を作ろうって策略に載せられ、蔓延り始めた感じで今やコンビニに限らずスーパーやデパートの地下の寿司屋までもがが恵方だ何だと商品を店頭に並べては、客を煽り買わせてあちらこちらで1本食いをさせているけど、暮らしに根ざしていない風習など所詮は形ばかりの空虚なパフォーマンス。おまけに1日早い実施なんだからロールケーキくらいが調度良いってことなんだろー。

 日本再発見みたくいろいろと材料をひっくり返して廃れた風習を再発見させる動きは悪いものじゃないけれど、そーやって見つけてきた材料を大宣伝と莫迦騒ぎでもってわずか数年で陳腐化させてしまう商業的などん欲さはなんだかとっても居心地が悪い。おまけにそんな“発見者”自身が「恵方ロールケーキ」なんてあり得ない商品を引っ張り出してトドメを刺しにかかって来るんだから自作自演なパッチポンプもここに極まれりってことか。この勢いで来年はアスパラガスの牛肉巻きとおでんのごぼう巻きとロールキャベツとクロワッサンと春巻きに恵方とでも着けて売ってくれれば1日でいろんな味が楽しめて嬉しいね。でも金太郎飴だけはやめてくれ。あれを丸かぶりすると歯が折れる。

 異世界へとつれてこられた現代人が人型のロボットに乗せられ闘わされる、って話はそれこそ「聖戦士ダンバイン」やら「魔法騎士レイアース」やらと挙げる例に不足はないし、小説でだったら瀬尾つかささんの「琥珀の心臓」が関わる人たちの痛みに揺れて苦しむ心理状態とラストの衝撃でもって強い印象を与えてくれた訳でそんな所に挑む以上は相当な工夫も必要なんじゃないかって気がしていたら、若木未生さんが「メガロ・オーファン」(角川ビーンズ文庫)でキャラクターの描写の巧さでもってそーした設定のストーリーに新しいラインアップを加えてくれた。1人は女教師に惚れるムサシという名の少年で2人して異世界へと呼ばれもう1人は名門高校に通っていた生真面目な少年ヨシツネでやっぱり異世界に呼ばれては、武者をロボットにしたよーな喋る機械に搭乗させられ世界に散らばる拠点を取り合うゲームに参加させられる。

 別にロボットどうしでだって戦って構わないゲームなんだけどそこに人間を加えると強くなったりするらしく時折何某かの能力があると想われる人間が呼ばれて搭乗させられる。闘い合えば当然にして相手を殺すことになるこの闘いにもう1人、割と名門の学校に通いながらも家では父親がアルコールに溺れ家族に暴力を加えるため心が怯えてしまいその反動から学校の外では男性を誘って援助交際を繰り返す少女のネネが引っ張られて闘いに加わる。

 鬱屈した心を暴発させながらも置かれた新たな状況を受け入れ願いをかなえるために闘いへと身を投じるネネ。楽天的に見えて一緒に落ちてきた女教師とともに帰りたいと願うムサシと孤高の闘いに生を見出そうとしているヨシツネという3者3様のキャラクターの描き方が人間にある様々な面を象徴させているようで、そんな様々な面がぶつかりあって生まれる勝敗の行方が示す人間の“正しさ”って奴に興味を引かれる。願いをかなえるためには誰かを殺さなくてはいけないシビアな条件を前に彼らと彼女たちがどんな行動をとるのか。「琥珀の心臓」のような痛みに溢れた話になるのかそれともハッピーエンドが待っているのか。ベテランならではの手さばきに期待。超越者として現れ3人をそれぞれに導くのかそれとも邪魔をするのか分からない存在の3者に対して3様な扮装ぶりも面白い。自分の所だったらどんな格好をしてくるんだろー。

 こっちも基本的には「Fate/Stay night」的な殺し合いによる聖杯獲得のストーリーだったりする六塚光さん「レンズと悪魔」(角川スニーカー文庫)は1歩進んで第2巻が登場。魔王の残滓が復活をねらい8つに別れてレンズって魔力を呼び出すアイテムを8人の人間に与えて闘わせては自分の依り代にふさわしい強い人間を選び出すって設定で、そんな1人となった少年の前に前作で少女が現れとりあえず共闘を決めつつ現れた敵を撃退して1人退場となって迎えた第2巻でも新たな聖杯戦争……じゃない八眼争覇への参加者が現れ主人公のエルバに挑んでくる。なかなかに強い相手に最初は逃げ出すもののどうせ闘わなくちゃいけない相手にエルバは手に万力を埋め込んだ美少女のアルテキア・バベルヘイズなんかとも協力して立ち向かっていく。

 んでもってお約束どーりの展開となって最後に新たな参加者が判明してエルバたちを愕然とさせ、そして迎える次巻では残る参加者も分かっていよいよ本格的な聖杯……じゃなくって八眼争覇が始まるんだろーけれどこーやって知人隣人が増えていく闘いで殺し合いじゃない解決策ってのを果たして見いだせるのか。それともやっぱり最後は殺し合わせるのか。いやいや前の八眼争覇を監視する言峰綺礼みたいな奴も出てきたし、アニメの「Fate」みたくダークホースが現れてエルバの仲間たちを追いつめすべてをかっさらおうとした挙げ句に覚醒したエルバに撃退されて終わるんだ。しかしそれにしても目立ってないなあ、エルバの使う「氷結の魔神」ことルナ・ルガ。セイバーとの関係が一方にあって主役を張れた衛宮士郎エルバのキャラが今ひとつ立ち上がってこないのもそれが理由かなあ。


【2月1日】 幾つか浮かんでは脳裏から離れない疑問というものがあってそれは、広江礼威さんの「BLACK LAGOON」に出てくるトゥー・ハンドことレベッカすなわりレヴィは果たして履いているのか、そして着けているのかってことなんだけどいよいよもって登場した待望の広江礼威さんのアートワーク集「バラージ」(小学館、2000円)をペラペラと見ると少なくとも、上は着けてなさそーな印象でそれが証拠に「少年サンデーGX」の表紙とか、「BLACK LAGOON」の単行本の表紙とかに向けて描かれたレヴィはタンクトップから肩ひもがのぞいていないし、前は前で盛り上がったふたつの山のてっぺんにそれぞれ突起が布を通してのぞいている。あれでよくもまあ派手なアクションが出来るもんだと感心するけどそこはそれ、重たい2挺の拳銃をさばけるだけの大胸筋が裏側で支えて上下左右への揺れを抑え、加えて2挺の拳銃を差すストラップが襷(たすき)のよーに両脇から引っ張り支えているんだろー。なあるほど。

 下については暑さに茹だる下宿をロックが訪ねてダッチが呼んでいるとレヴィを起こした場面がカラーで採録されていて、それを見れば寝る時には可愛らしさはないもののシンプルなデザインのものをちゃんと履いているのが分かるんだけどでもその上からあのV字にカットされたジーンズを履いたら、大きく足を広げたりするレヴィのことなんで隙間に覗いたって不思議じゃない。でもこれまでのストーリーの中でジーンズの下からのぞいたって場面は見た記憶がないんであるいはカットジーンズを履く際にはその下に何も着けないことをポリシーにしていたりするのかも。なるほどそれなら作者の広江さんが「ベストオブケツ」と評するレヴィが後ろ向きでしゃがんでいる絵でも、隙間にチラとものぞいていなくたって不思議じゃない。布地の固めなジーンズだからデリケートな場所に接してこすれたりしていないかって心配も浮かぶけれど日本編は別にして、ロアナプラにいる時は他に何かを履いているのを見たことがないんで常にはき続けて汗も染みこんでいい具合に柔らかくなって肌にソフトな感じに仕上がっているんだろー。どんな香りがするのか気になるなあ。

 んでもってセカンドシリーズの「BLACK LAGOON」DVDの第1巻を確保。箱付きで表はたわわにぶらさげながらも両腕でしっかとソードカトラスを握りコンバットブーツを前へと出してしゃがんだレヴィが格好良い。これどこのブーツなんだろう? 頑丈だけど軽そう。裏は登場人物が大集合だけどもっぱらヤラれ系。ヘンゼルとグレーテルの双子に雪緒と銀さんの鷲峯組ペアにシェンホアに掃除屋ソーヤに偽札作りのジェーンといった感じで大物はいないはずなんだけどそこに1人混じって三合会の張さんがいたりするのはつまりあんまり重く見られてないのかそれとももうすぐ退場なのか。だとしたらちょっと可愛そう。生きのびてくれよベイビー。ともあれ放送もおわって寂しくなっていた所に間髪をいれずのDVDリリースは嬉しいところ。これで半年楽しませてくれた暁に第3期の制作決定とか映画化なんて話が飛び込んでくると嬉しいなあ。ハリウッドで。ジョリ姐で……やちょっといやかも。

 オシムを見るとサッカーを語りたくなる、のかもしれない。「ナンバー」の2007年2月15日号に掲載されたイビチャ・オシム日本代表監督へのインタビューは聞きに言ったのがあのお杉さんこと杉山茂樹さん。まるで中世の魔術師のように数法を操り4231だの4141だのといった呪文を口にしてはその理に適っていない局面を一刀両断にするって雰囲気が漂っていたけれど、ボスニアまで出向いてオシム監督に体面して懐から秘術を行う魔法盤、ではなく戦術盤を取り出しオシムを相手に戦術論議を吹っかけると、まずはしきりにガーナ戦でのサイドのケアやら何やらの理由を語った後でオシム監督、「それとも君は、こんな盤を持ち出して私が戦術がわかっているかを試しているのか。きちんと戦術の学校に通っていたかどうかを」と切り返す。

 もちろん杉山さんだってオシムがすべてにおいてロジカルであることを承知しての吹っかけで、理詰めな戦術の根底にある理論というよりオシムの理想を引っ張り出して「対戦相手は試合ごとに異なる。いつも同じスタイルでプレーしてくるとは限らない。だから最終ラインの選手には、何より高度なインテリジェンスが求められる」と言わせ、本職ではないと非難されがちな阿部勇樹選手や今野泰行選手をディフェンスに入れる理由を満天下に示させる。一方でインテリジェンスと言えば筆頭に上がりそうな宮本恒靖選手に触れて「レアル・マドリーのカンナバーロにもそうした傾向がある。抜群のタイミングでジャンプする選手だが、1対1で負けてしまう。宮本もそうした選手の1人になる。だから今は闘莉王が必要なんだ」と言わせて何故に呼ばないのかをオシムの口を通して教えてくれようとしている。ここまで言われてしまっては世間も納得するよりほかにない。

 中村俊輔選手についても地元だからなのかオシム監督の口は饒舌にして的確。「他の選手が、中村のために走るという事実を受け入れることができるのか。もし、ポジティブな材料が多いと判断されれば、中村はチームの一員に加われるだろう」と言いつつオシム監督、こうも言って牽制する。「中村が絶好調でも、チーム全体が悪いプレーをしたなら、当然結果は出ない。その場合、中村のポジションは失われることになるだろう」。サッカーは1人じゃできない、ってゆー厳然たる事実を突きつけられてさて、杉山さんは中村待望論を張るのかそれとも不要論に傾くのか。ちょっと言動を注目してみたい。もし聞かされたのが永井洋一さんだったら何と返したのかなあ。中村の絶好調を活かせない選手を選んだのが拙いとでも言ったかな。言いそうだなあ。

 えっ、何でこれで完結なのってあとがきを読んでちょい驚いた貝花大介さん「佐藤家の選択」シリーズ第2弾「ルイスとネピア 〜佐藤家の選択〜」(HJ文庫、619円)。和算を極めた主人公の少年が瞬間に計算して動きも思考も予測しながら活躍する話で異能力物の中でも異色さを際だたせていた上に、コンピュータが得意な妹がいて和算の極みともいえる秘伝を手に入れさあいよいよこれからどんな敵を迎え撃つんだって印象を持たせて終わった1巻目から続いた「ルイスとネピア」では、やっぱり何かの技をつかうルイスって子供と彼を支えるこれまた秘密を持ったメイドがはるばる日本へとやって来ては秘伝を狙って佐藤家へと近づいてくる。

 その傍らで別のやっぱり佐藤家を狙う勢力が迫っていたりしてルイスとの戦いをいったん棚上げした主人公の佐藤玲は得意の和算を発動させては敵を迎え撃ち、そしてルイスを助けネピアを救おうと頑張るんだけどそーやってたどり着いたクライマックス。ネピアの秘密が何ものかによって盗まれさらに佐藤家を狙う敵もますます勢いを増していよいよ更なる闘いの幕が切っておろされそうって引きになっているにも関わらず全二巻完結。また、どこか、別の場所で会いましょうっておいおいそれは僕たちにおあずけを喰わせるのか? って憤りも沸いてくる。冗談じゃない。面白くなりかかって来たところでもう終わりって理由が作者にあるのか版元にあるのか分からないけどまだ2冊目、それも上向きのベクトルを示す2冊目の次がないってのは勿体ないのでここは是非に続きをせめてあと1冊でも、出してやってはくれませんか。直ったネピアにも活躍の場を。平にお願いいたします。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る