縮刷版2007年月1下旬号


【1月31日】 おおエロい。でもってとっても新しい。「神様家族」がアニメにもなって漫画にもなってヒット中なはずなのに、その原作者の桑島由一さんがなぜか自前で立ち上げたレコードを売らないレコードレーベルつまりは自費出版のレーベル「ノーディスクレコーズ(NDiL)」から「文学フリマ」に合わせて刊行されては、即日というより午前中にほぼ完売となった4冊の本が1冊にまとまってアルバムとして再登場。いよいよ2月に刊行の運びとなって出来上がって来た表紙はタイトルも作者名も含めて一切の文字が入らないとゆーデザインで、何なのかが分からないってゆー不親切さがある一方で目にできるモデルの範囲が広がったって意味でそっち方面のマニアから大いに支持を集めそう。

 漏れ伝わってきた情報によれば別に透明のバッグが用意されててそれに入れると文字が重なり収録作品とかが分かるよーになっているらしーけど売る場所によってはバッグがつけられないこともあるみたい。代わりに帯はつくけれど。つかどこで売るのかどうやって売るのか値段はいったい幾らなのかがまだちょっと分からないんで「文学フリマ」で買い逃して悔しい思いをしている人とかネットオークションで見かけたけれど落とせなかった人とかは、これから出てくる情報なんかを逃さずしっかりとウォッチせよ。とはいえしかしどこで売るのか気になるなあ。池袋のジュンク堂とか青山ブックセンターとか、置いてくれるかなあ。エロ過ぎるかなあ。

 同じ「文学フリマ」で売ってた柴崎友香さん長嶋有さん名久井直子さん福永信さん法貴信也さんによる「メルボルン1」は、我が家の近所のときわ書房本店(船橋市)をはじめ実にさまざまな書店で取り扱ったみたいだけど、芥川賞受賞者に候補者もなった人とかが連なっている同人誌と違って桑島さんが知人方面から集めた人と本人の作品集では果たして置いてくれるものなのか。青山ブックセンターならどうかなあ。南青山少女ブックセンターだったら置いてもらえたかもしれないけれど、置いて頂戴と訪ねて行った瞬間にシュシュッとファブリーズ攻撃、浴びちゃいそーだからなあ。いっそレコードレーベルらしくHMVなりタワレコのインディーズ棚の上とかに、並べてもらうとかしたら何だと間違えて買っていく音楽ファンとか……いないか。ともあれ完成が待ち遠しい。

 来るのかネナド・ジョルジェビッチ選手。マリオ・ハース選手とクルプニコビッチ選手が抜けて埋まっていないジェフユナイテッド市原・千葉の新外国人についてスポーツニッポンあたりがセルビア代表(元かどーかは分からないよなこれから呼ばれるかもしれないし)ディフェンダーの獲得を報じ始めていて期待も膨らむ。レッドスター・ベオグラードと並ぶパルチザン・ベオグラードに所属ってことは遠くイビチャ・オシム日本代表監督の教えを受け継いでいるってことか。いやさすがに15年も経っては遺訓も残ってないだろーけど少なくともオシムが育てたジェフ千葉への敬意ははらってくれそー。まだ27歳と若いのも嬉しい。日本で活躍すればその様を見たイビチャ・オシム監督がセルビアに伝えて代表復帰って可能性もあることだし、是非に当来しては水本裕樹選手にイリヤン・ストヤノフ選手と並んで強力無比なディフェンス陣を構築してほしいなあ。斎藤大介結城浩造がサブで固めてこれで完璧。あとは10番を受け継げる中盤かあ。ニコ・クラニチャールがルカ・モドリッチをとって来い。

 えっと中華ファンタジー? まあ何か悪魔っぽいのもラスボスに出てくるからファンタジーなのかもしれないけれども「紫鳳伝」(トクマノベルズエッジ)はおおむね武侠小説って感じでかつて父母を殺された恨みを晴らすべく修行し必殺の暗殺剣を身に着けた少女・紫鳳が出会うのもそれなりに名の通った殺し屋であったり武闘家であったりするんだけれど、丁々発止で艱難辛苦の果てに討ち果たすんじゃなくってもう瞬間の勝負は決着して紫鳳があっさり勝利をおさめたり、別の闘いでも片方がさっくり相手を倒していく様が何ともあっけらかん。情念とか血涙とか無縁のバトルは読んでいて楽しいんだけれども剣にかけては最高位ってゆーダグラス・カイエンみたいなおっちゃんが、闘いもせずに毒でもってあっさりやられてしまったりと、キャラの無駄遣いの甚だしさには勿体ない気もひしっ。それでも悲劇を超えて落ち着くところに落ち着くクライマックスは感動的。素晴らしい時間を過ごさせてくれる1冊って言えるかも。でもやっぱりこれってファンタジーなのかなあ。悩ましい。

 もう12回目とはつまり干支が一回りするくらいにこの賞と付き合ってしまったのかを「AMDアワード」の表彰式を見ながら嘆息。発足時はCD−ROMをメディアにしたいわゆるマルチメディアタイトルって奴を盛り上げるための賞ってことだったけれど途中、インターネットが生まれCD−ROMが廃れ家庭用ゲームに吸収されアニメがデジタルで作られるようになり音楽がICチップに収録されるよーになって今は、発足時には考えられない顔ぶれが居並ぶ賞へと変貌を遂げた。それが成長なのかどうかって言われるとちょっと難しいのは多分、「GADGET」とかデジタローグの一連のタイトルが持ってたデジタルの可能性を探求しての表現への挑戦ってスピリットが薄れ、デジタルがツールとして当たり前に使われる中でビジネスモデル的なものに受賞の大賞が移ってしまったから、なのかもしれない。

 たとえば部門賞の何かを受賞した「スーパーエッシャー展」は任天堂の「ニンテンドーDS」を使った鑑賞ガイドのシステムが認められたものだけど、そこにモデルとしての目新しさはあっても表現上の驚きはない。大賞の「時をかける少女」についても同様で、デジタルだからこその表現的な驚きって奴はない。あるんだろーけど表には見えない。そんあ疑問は参加している人たちの中に漂っていて不思議さに首を傾げる向きもあったけれどそれを察してのことなのか、授賞式に臨んだ監督の細田守さんはブログなりネットといったものが口コミのネットとなって大勢の人に作品への関心を抱かせ、夏に始まった映画をこの春までのロングラン作品に押し上げたことはすなわちデジタルの持つ力であって、それを含んでの受賞なのではないかと挨拶していた。

 なるほど至言。デジタル時代ならではのコンテンツって言って「時かけ」は良いのかもしれないなあ。でもだったら「やわらか戦車」方がよっぽどって気もするけれど。ちなみに「やわらか戦車」もビジュアル面での賞を受賞。居並ぶすっげえゲームとかアニメとかの中にあっての受賞をファンワークスの人は悩んでいたけど「やわらか戦車」は絵としても完璧だからこれで良いのだ。


【1月30日】 そうだ届いていたんだと状差しから月蝕歌劇団の次回公演案内状を確かめたら、もう明後日の2月1日からスタートと分かり慌てて近所のローソンへと行って、ロッピーでもって前売りチケットを確保する。演目はかの団鬼六先生の「花と蛇」。ちょっと前に杉本彩さんも映画にしていた淫靡妖艶な作品をいったいどんな舞台にして見せてくれるんだろーと観劇前から期待が膨らむ他も膨らむ。

 それにしても凄いなあと驚くこと幾つか。パンフレットやウェブサイトによれば役者のトップに掲げられているのが案内を送ってくれた三坂知絵子さん。前に見ていたころはどちらかと言えば客演っぽかったのがいつも間にやら大役を務めるまでになっていた。そんな演歴を重ねる間に学歴もすっげえのを積み重ねているんだから頭が下がる。超才媛による超スキャンダラスな演目のすべてを眼に焼き付けよう。S席は売り切れだったからA席にしたけどきっとS席だったら迫るぬらぬらに鼻から血が噴き出すから調度良い。

 あと場所が小演劇の殿堂・本多劇場ってのもちょっと驚き。キャリアから言えば別に不思議ではないんだけれどそーした場所よりアングラな所を狙ってやって来たって気もしてたから、ここでひとつ大きな演目を得て檜舞台へと乗り出したいって劇団側の思惑でもあるのかな。次いで8月には紀伊國屋ホールなんて所でも公演するんだから凄いというか、メジャー化への道ってのを着実に歩み始めた感じ。男性版宝塚と一部に評判の「スタジオライフ」も東京近郊で1公演1万人をアベレージにするくらいになってるし、暗黒の宝塚だってそろそろそれくらいの規模まで行っても、良いんじゃない?

 本気出して来たなイビチャ・オシム。「週刊サッカーダイジェスト」の2007年2月13日号に掲載されているインタビューははるばるガルフカッップが開催中のアブダビまで乗り込み森本高史さんがインタビュー。どっかのなんだろうなテレビ局がオーストリアのザルツブルクに移籍した宮本恒靖選手と三都主アレサンドロ選手に関してオーストリアにとても詳しいオシムの目により止まりやすくなる、なんて解説していたけれどとんでもない。聞かれてオシム監督「コマーシャルとスポーツを上手く融合させた話だ」と一刀両断。「レッドブルの名前は日本市場で広く認知されることになり、各方面の人間が利益を被ることになる」と事情を明快に喝破する。

 そんなオーストリアのサッカーレベルに関して「以前はヨーロッパにおいて重要なポジションを占めていたが、今は当時の面影はない」と指摘。そんな場所でプレーすることを特に特別視している様子もなく、たとえドバイでレッドブルのキャンプが行われていよーとも「宮本と三都主ともよく知っている選手であり、改めて見る必要はない」と気にもとめない。よく言えば信頼しているってことにもなるけれど、少なくともオーストリアへの移籍が即、海外組への移籍となってどっかの監督みたいにいきなり眼中のそれも中心に入ってくるってことはなさそー。その意味で汐留にあるテレビ局の解説はまるで外れてるってことになる。

 極めつけは「私の辞書に『若い』という言葉は存在しない。そおn選手が良いか良くないかのふたつのみだ」って指摘。五輪代表チームとフル代表チームを試合させればなんて話が仮にあったとしてもそんなものが代表の強化に繋がるとは思っておらずむしろ「わざわざ現時点でのベストプレーヤーのチャンスを奪うのは筋が通っていない」とカテゴリー別での選手のフィックスを否定する。良い選手がいれば若くても、逆に歳をとっていてもA代表に入れるってゆー明快な方針は、これもどっかの代表監督が好んで用いたファミリーによる固定化とは正反対の競争意識を日本のサッカー界に植え付けそう。

 前々から選手のポジションなんてものに固執せずその場で最良の選択をして守り攻めるサッカーを追求しているオシム監督が目指しているのは、トータルフットボールじゃないかって指摘も上がっていたけどインタビューではその口から、理想のスタイルとして「74年、ワールドカップでオランダが披露したトータルフットボール」って言葉を引きだした。「現代サッカーでそれを求めるのはユートピアであり、実現不可能な話」としながらも「ユートピアの一歩手前までは到着したい」と言い切ったからには、きっとやってくれるだろー。見ればその美しさ、面白さが分かるサッカーをしてくれるんだったら、スターなんていなくたって大丈夫。引退すれば離れるスターのファンではなく、サッカーそのもののファンを増やして100年の繁栄を約束してくれるだろー。だから脇から余計なことはしてくれるなよキャプテン。そしてセルジオ越後さん。相変わらずぶつぶつ言ってるもんなあ。だったら前ん時にもっと大声、出してほしかったよなあ。

 金もはや尽きかけているところに角川スニーカー文庫の新刊が並んでいたので全部は無理でもめぼしいところをと冲方丁さんの「オイレンシュピーゲル」とそれから六塚光さん「レンズと悪魔2 魔人跳梁」を買い、さらに冲方丁さんの富士見ファンタジア文庫の方で並行して進んでいる「スプライトシュピーゲル」も買ってついでに角川ビーンズ文庫から出た若木未生さん「メガロ・オーファン ≪遺世界≫のものがたり」も買う。角川に貢いでるなあ。いつか取り返そう。でもどうやって。うむ。それらを読むのはちょい先に延ばしてとりあえずファミ通文庫から出た「ファミ通えんため大賞」絡みの最後の1冊、佳作となった本木雅弘さんではない木本雅彦さんの「声で魅せてよベイビー」(ファミ通文庫、580円)を読んだらとてつもなしに面白かった。もう滅茶苦茶に面白かったので拍手する。

 始まりはサンシャインでの同人誌即売会。同じサークルのパートナーが作った腐女子向けのやおい本と並べてハッカー本を売ってるおっさんのブースにやって来た高校生の少年・広野が目的のハッカー本を手に入れ一息ついているところに現れたのが腐女子向け本目当ての女の子。声優の専門学校に通っているとゆー沙奈歌は恋愛の勉強をしたいとかいった理由で広野を彼氏に抜擢してはデートに誘い電話もかけて来るけどそれが本気で好きなのかそれとも単に構ってほしいだけなのか分からず広野は戸惑う。

 何しろ相手は声優志望の腐女子でこっちはコンピュータプログラムが得意な男子高校生。共通する所はまるでなく、最初は単に誘われるまま成り行きで付き合っていただけだったのに、声優になりたいと一所懸命な沙奈歌の姿と、毎晩のよーに電話して来て聞かせてくれるその声が広野は気になって気になって仕方がなくなって来る。自分の才能に今ひとつ自信がもてず悩む沙奈歌が迷い思い悩んだ時、広野は腰のPDAをキュイーンと鳴らし、気持ちだけ変身ヒーローになって沙奈歌を支えてその迷っている心を前に向かせる。

 夢はあっても自信がもてない沙奈歌の誰かにすがりたいって気持ちが、斜に構えてへらへらと生きている身にツンと来る。そんな沙奈歌をなあなあで慰めたりせず、かといって熱く説教するでもなくシンプルに、けれども強い想いを見せて導く広野が眩しいくらいに格好良い。頼られたってデレとせず、怒られたって引かず、かといって冷めてはおらずしっかりと現実を語り、導こうとするその態度。これまでに読んだどの本のキャラクターとも違ったヒーロー像って奴がそこにある。展開も巧で真剣に演技を学びどちらかと言えば洋画の吹き替えみたいな声優になりたい女性を相手に置いてアイドル声優が夢っていう沙奈歌と対比させつつ、どっちがより切実なのかを考えさせ、そしてどっちもそれぞれに切実なんだと思わせる。夢に高級も低級もないんだよ。

 そんな2人が同じ舞台で演技の中で素をさらけ出し合うクライマックスの強烈なこと。読めばそう、迷いなんて吹き飛びやらなきゃねって気にさせられる。素晴らしい。パッと見だとハッカー少年と声優志望の女の子による業界ラブコメにしか見えないけれどもなかなかどうして、しっかりと芯を持ったストーリー。それがどこまでリアルなのかは分からないけど、声優業界に入る大変さってのも伺え勉強になる。沙奈歌の背中から湧き出る黒いもやもやとしてぶつぶつと沙奈歌の内面を吐露するような妙な存在も、男の子と女の子が面と向かってやると読んでて気恥ずかしいラブラブだったりツンツンだったりする言葉の応酬を避けるクッション役になってる感じ。キャラにも描き方にも工夫があって目新しい。次に何をどう描くのかって興味も湧いて煮えたぎっているけど次がなかなか出ない所、だからなあ。どうなるかなあ。僕は応援します。ファミ通文庫相手じゃあ、何の役にも立たないけどね。


【1月29日】 すげえよ森本貴幸。カターニアなんてシチリア島にあるチームに入ってからしばらく、トップに出場せず名前も聞こえてこなかったけれどいよいよとなったデビュー戦のアタランタ戦でもって出場4分で初得点。それもチームを終了間際の土壇場に同点へと導き勝ち点1をもたらす貴重なゴールで得失点差からいえば5位にチームを押しとどめた。あるいは上位を狙ってチャンピオンズリーグ出場へと導くかもしれないこの1点。下のプリマべーラではすでに8点だかを得点している活躍を見せていたらしーんだけど、トップに上がってもその実力をちゃんと見せてしっかり得点してしまう所に選手として持ってる何かがあるんだろー。これで調子に乗って一気に高原直泰選手の今ん所の11点も抜いてしまえばオシム監督とて呼ばざるを得なくなるかもなあ。巻危うし。

 お座敷のかかる本読みになるべく修行の日々。とりえずファミ通えんため大賞の受賞関連作がぞらぞらと出てきたんでごばっと買ってペラペラと読む。うひゃあ。 「バカとテストと召喚獣」が面白いぞ。編集部特別賞を獲得した井上堅二さんって人の本。学校のテストの成績が召喚獣を呼ぶMPになっているって設定で、クラスを振り分けるテストで最低のランクに位置づけされて、ちゃぶ台に座布団のクラスへと入れられたFクラスの面々が、個々人の学力こそ低いながらもそれぞれに特徴を出しつつ、上位の頭が良いクラスを撃破し最上位のクラスに挑むというストーリー。

 と聞くと何だか落ちこぼれ部隊のがんばれベアーズ的躍進向上物語って印象が浮かぶけど、「バカとテストと召喚銃」は別段努力もしないし根性も見せないで、指揮する野郎の巧みさとちょっぴり卑怯な手を使っては上位を撃破し突き進む。とにかく登場するキャラがどいつもこいつもへんてこりんで、学力は平均以下でやや召喚獣の扱いに長けた主人公やムッツリスケベで保健体育の点数だけやたらと凄い少年とか、女の子みたいな美貌の持ち主とか漢字は読めないけれど理系は得意な少女とかいった感じに、それぞれに特徴があって面白い。

 振り分け試験の時に体調不良で得点をとれずFクラス行きになった美少女までもが、学力じゃないところで特殊技能を発揮してくれたりと愉快至極。そんな奴らのバカまるだしな戦いぶりに、最後まで一気に連れていかれた挙げ句にやっぱりバカな結末に大笑いをさせられる。つーか1人も幸せな奴がいねーじゃん。成績優秀な美少女だってFから脱出できないじゃん。でもまあそれで一緒にいられるんだから本人的には良いのかな。ともあれ楽しい物語。これが編集部特別賞ってことは本線の優秀賞作はさぞや面白いに違いないと末永外徒さんの「108年目の初恋」も読む。うーむ。

 100年目を迎えた古い校舎が付喪神みたくなって命を持ったものの、取り壊しに遭いそうになってた所にやって来た新入生の少年が、校舎に現れる少女の姿をした付喪神に関心を抱いて彼女の夢を叶えてあげようと頑張る話。それはそれでとっても心に響くんだけれど、まだ旧校舎が閉鎖されず校舎として使われていた時分に、既に手すりが虫食いでボロボロになってて死亡事故が起こるなんて管理上あり得ないとか、人死にが絡む話はやっぱり痛々しいとか、少女姿で現れる校舎の付喪神に迫る少年の主人公が場をわきまえず手前勝手に突っ走ってはピンチを自ら招いて助けられても反省しない野郎で実に鬱陶しいとか、引っかかるところも幾つかある。

 あるけれども昨今のライトノベルは、女性ばかりがしゃかりきで、男の子は優しくって弱々しいのが多かったりするから、そんな中で猪突猛進で突っ走る強い性格の男子ってのは珍しく、場をわきまえない猪突猛進も最終的にはひとつの善行にも繋がっているから読後感もそんなに悪くない。結論的には良作。思い出すのは校舎の妖怪って話があった漫画の「HAUNTEDじゃんくしょん」。あるいは生徒たちをそっと見守ってくれている校舎てことで紺野キタさん「ひみつの階段」なんかも重なりそう。

 他の校舎や建物に住まう付喪神を助けに行ったりとか、続編とか作れそうなエンディングだけど出来ればこれで完結としてくれれば、良い話だったって落ち着けそう。でもやっぱり続けるんだろうなあ。あとは東放学園特別賞の鯛津ゆうたの「ほぉむステイ☆でぃーもン!」(ファミ通文庫)も読了。壺から美貌の魔神が現れ願いを叶えた上に居着くってストーリー。ふーん。妖怪変化の同居ラブコメは余程の変化球でもない限り別腹に入らないかもなあ。まあ読んでいる間は楽しめる本ではある。あとはどこまでキャラクターの言動に爆裂っぷりを出せるか、かな。「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん」なんて今時の少年少女に通じるのかねえ。それとも既に一般用語になっているのかねえ。

 早売りの「ヤングキングアワーズ」を読んだら「トライガンマキシマム」が大長編だった。でもって「ヘルシング」は短かったけど密度は充分あるから満足だった。そよれり冒頭に掲載されてたお知らせにあらあら。2月の原作版DVD発売はいつかに延期とか。浅井真紀さんの原型によるおまけのレリーフの制作が遅れているのが理由なのかどうなのか。分からないけどこれもまあいつもの事で、気長に発売を待つことにしよー。「アニメがお仕事」は動画から原画に行って悩んで自殺してしまった先輩が心にひっかかって動画から抜けようとしない美人アニメーターの話。イチノの悩んでいるんだろうけどそれを見せない頑張りっぷりが最初はウザかったのにだんだんと感化されていく展開が心に響く。「エクセルサーガ」はますます見えない方向へ。どこへ落とす気なんだろー。


【1月28日】 早起きして録画したての「月面兎兵器ミーナ」を見る。安定。出自こそオタクの恋愛なんてものを描いたドラマのオープニングでその根源はオタクの神髄ともいえるSF大会のオープニングアニメにあるとは言え、そーした匂いをまるで感じさせないお話になってて見て普通の人でも面白がれるし、アクションだって萌えだのエロだのに媚びておらず普通に可愛くちょっぴり色気もあるって程度で女の子が見ても楽しめそう。だから普通に夕方から放映したって大丈夫そうなものを真夜中の誰も見そうもない時間に放映しなくちゃならない昨今のアニメーション事情の複雑さって奴をそんなこんなで垣間見る。まあ録画装置がこれだけ普及してるんだから時間なんて関係ないってこともあるけどね。大月ミーナが出なかったのはちょい残念。他のミーナはいつからどんな感じに出てくるんだろう。

 んで起き出して郵便局へと届いていた郵便物の回収に赴き改めると中に朝日ソノラマから1969年に刊行された辻真先さんによる「小説どろろ」の復刻版が。映画も公開になったってことでそれに合わせての刊行らしーんだけどどーやらアニメの本放送終了前にメディアミックスで売るぞって感じに出版されることが決まったため、アニメ版はもちろん当然のよーに手塚治虫さんによる原作の漫画版のラストも知らずに書かれたそーで、ラストが実に雄壮なものになっている。曰く「潮のにおいに胸ふくらませ、逆まく波をふんまえて、少年ふたりは甲板で、遠くはるかな水平線をみつめている。どろろ、百鬼丸、どこへ行く? 知らず、力のかぎり根かぎり、どこまでも行け、少年たち!」。漫画を読んだ人は勿論映画を見た人だって分かる人は分かるこの不思議。ノベライズって大変です。

 読むと筆も良く滑り講談調を現代に置き換えたよーに読みやすくって場面が目にくっきりと浮かぶ描写の冴えも素晴らしい。子供に何かを読ませるのって大変で、そーしたことを考え練られ紡がれた文章がこれってことだとしたらなかなかに勉強になる。あと巻末に「ヤング」シリーズの広告があってそれが実に時代を映してる。例えば「学園青春ヤング」を銘打たれた(ちなみに「どろろ」は「戦乱妖怪ヤング」)神保史郎さん作の「あの子は委員長」は絵が石井いさみさん。とある学校に転校したガキ大将の中学生が委員長の女の子に惚れるって展開が実に昭和してる。今だと転校する生徒はか弱い幼年ってのが定石だから。「宇宙奇怪ヤング」って銘打たれた「月世界大戦争」は作が宮崎惇さんで絵が小松崎茂さんと岡崎甫さん。ソノラマ文庫もひとつの起源になってるライトノベル的な絵付き文庫ってこんな所から派生して来たのかなあ。井上ひさしさん「ブンとフン」も出てたんだ。けど何だ「1億ゲバヤング」って惹句は。「ゲバ」って「ゲバゲバ」だよね「ゲバルト」じゃないよね。

 集団の埒外に置かれる鬱々感を引きずりつつ東京国立近代美術館へと出向いて横山大観の大作「生々流転」を見て人生至る所に青山あり、たとえ七難八苦紆余曲折に苛まれたとしてもそれは己が修行の至らなさと知りひたすらに努力すればいずれ無我の境地へと至るのだと、知って心を落ち着けラウンジより臨む皇居に向かって敬礼する41歳厄年。鳥の調教師ではない。それにしても凄かった「生々流転」は長さ40メートルに及ぶ巻物に、大観が会得したさまざまな技法で山紫水明が描かれていて追っていくことにより日本画の凄さとそして流転する人生の深さを知ることができる。山から始まり森にもまれ人里にして知り海原を漕ぎ知る世界の広大さ、人生の奥深さ。やがて霧と雲の中より浮かぶ昇竜の荘厳さを見て解脱の歓喜を身へと入れ、キリスト教的な天国の煌めく光とはまた違う、涅槃の境地を感じさせる柔らかい白に包まれるクライマックスで無へと融けていく感覚を味わえる。2002年の近代美術館」のリニューアル以降で初めてとなる40メートル一気公開。見ておかなきゃあ損する逸品。

 近代美術館では没した昭和7年だから1932年以来実に75年ぶりとなるらしー都路華香(つじ・かこう)さんて日本画家の展覧会を見学。京都画壇を中心に活動した人で作品も多くが京都にあるため東京近郊ではなかなかお目にかかれない人らしーけど、初期に緻密な絵を描き中期の寂寥感と静寂感に溢れた波の描写への傾倒を経て後期のどこか寓意的で童話的な柔らかさと楽しさを感じさせる作品へと至る画業がそれほど多くはない点数ながらもほお網羅されていて、華香って画家の人となりを辿ることが出来る。屏風に大きく描かれた水中を泳ぐ魚たちの正確さにも驚いたけれど圧巻は中盤に描かれた波の絵たち。とりわけ千鳥が舞う海の絵は屏風のほとんどに「ヘヘヘヘヘへへヘ」と山を連続させて描いた線がびっしりと描かれていて、よくもまあ描いたもんだと画家の周年みたいなものに頭が下がる。

 それが波っぽいかといえばあんまり波っぽくないんだけど、これもひとつの表現を求める修行の途中だったんだろーか。他に描かれ色も塗られた波の絵は「ヘヘヘヘヘヘ」の連続に留まらない陰影があったり強弱があってより波らしさを感じさせる。天下の帝展審査員でも常に模索し努力し続けるその心意気には大いに学ぶところあり。若輩者であることを認め奢らず世評など気にせず己が信じるところを今はひたすら探求すべきってことなんだろー。ってよく見たら華香がそんな波を描いていたのって40歳の時でそして帝展審査員になったのって42歳の時じゃん一緒じゃん。あっちは審査員様でこっちは下っ端ですらない身のもの悲しさよ。何だか落ち込む日曜日。いかん悟ろう生々流転生々流転生々流転生々流転……。

 これも「小説どろろ」といっしょに届いていた日下部匡俊さん「ガーオイズの宴」(朝日ソノラマ、1000円)を一気読み。すっげえ壮大な設定を持ってる話の最初と最後をつまんで載せたって感じがあって勿体ない気がする話。合衆国でも実力者の上院議員の娘シンディが宇宙への想い捨てがたく月面にある基地の駐在員の試験に合格して父親の制止も振り切り乗り込んだまでは良いものの、そこで事故が起こり何事かと見ると得体の知れない金属塊が現れ襲ってきた。まさに絶体絶命のところを救ったのがゴコウ・テンガイなる男。ヒーローみたいなスーツを着て金属塊の「ティン=ドール」を退けたテンガイはシンディに地球は外敵に狙われていると話し、その外敵と戦っているのが自分たちだと教えられる。

 かくして「ガーオイズ」の一員となったシンディの苦労を乗り越え失敗もして仲間なんかを失っちゃったりしながら敵と戦い退けていく戦いの果てに、敵の正体なんかが明らかになるアニメだったら全26話くらいで描かれそーな壮大極まりないストーリーが繰り広げられるのかと思ったけれどもそこは新書ノベルズ1巻本で、ほとんどがガーオイズなる組織はどうして生まれることになったのか、でもって如何にしてテンガイがガーオイズに加わったかに割かれそして始まった戦いの1部が描かれてそして、最後に唐突に敵の正体と目的が明かされけれども戦いは続くのだ、って感じに締められる。僕らはみんな生きている的な概念から派生した相克が根底にあって解決が難しそうな設定だけに描かず想像させて終わるってのもひとつの手だけれど、困難だからこそ示してほしい未来って気もして悩ましい。それとも続刊があれば描いていくんだろーか。ほとんど出番のなかったシンディに活躍の場もあげたいところではあるし、日下部さんには是非にここから1つのシリーズを紡ぎだしていって頂きたいもの。139ページのカオリちゃんだけ目立ってるんじゃあ他のヒロインたちも怒りまっせ。


【1月27日】 いや、だからそれは無理がありすぎるってルルーシュとシャーリーがまるで初対面みたいな会話をしている様を何かのプレイって言うのは。2人が面と向かい合っている時は双方に遠慮しているミレイもシャーリーが一人になったら一体何があったか聞くって絶対。それでまるで誰それってな反応があったらやっぱり訝るって。それともそーした隙を与えないよーにルルーシュも一気に行動を起こすつもりなのかなあ、次週の予告だと何か大事が起こるみたいだし。前週から本格登場したマオも主要キャラっぽく見せてあっさりと退場させてしまう辺りも、テンポ良く話を進めようって制作者の考えの現れか。3月末までだとあと8回くらいで一気に日本奪還、帝国への反攻開始くらいへと持って行く気なのかなあ。それか帝国まで落としてルルーシュを皇帝につけてそれにスザクが挑むとか。

 ビジュアル的にはやっぱりあれかあ、C.Cキック。撃たれても切られてもすぐに快復する肉体は持っていても、戦えばか弱いお嬢さんかと想っていたら意外に格闘技も強そう。上段に蹴りを放ってそこで止めるなんざあブルース・リーでもないと出来ないって。あとはヴィレッタの艶姿。撃たれたくらいでご都合よろしく記憶喪失になるもんだって野暮は言いっこなし。おかげで「コードギアス 反逆のルルーシュ」のキャラクターでも1番くりあに立派なバディを拝むことができました。それにしても自分が誰かはともかく自分が日本人大嫌いな純血派だって記憶も忘れてしまうものなのか。そういうものなのか記憶喪失って。それはそれとして弱々しげになって魅力3倍増のヴィレッタ嬢のこれからにビジュアル面からの期待を抱きたい。C.Cも負けないよーに。

 それから録画してあった番組をあれやこれや。安定してるなあ「のだめカンタービレ」は川澄綾子さんの演技も目茶はまりでまるで生きているよー。漫画をずっと読んで来た人には果たしてって気もしないでもないけれど、漫画をまるで読んで来なかった僕が「ハチミツとクローバー」のはぐちゃんに抱かなかった違和感を、漫画の熱烈なファンが強く抱いたよーにのだめにも同様の違和感を抱いているのか興味のあるところ。見渡すとそれほど厳しい声への意見はないから大丈夫ってことなのか。すでにテレビドラマの上野樹理さんが間に挟まっているから絵がいっしょなアニメーション版ははるかにマシって諦念か。あとAオケをクビになるって所の意味が原作読んでなかったり音大に馴れてない人だとちょっと分からない。つまりは学校には正規のオーケストラがあってそれに所属しているエリートってのがいる訳? いずれ原作を読んでその辺を確かめたいけど今読むとアニメを見る楽しみが減るから終わってから。

 んで「セイントオクトーバー」は宍戸留美さん復活で可愛らしい声に気持ちもほころぶ。だけど当人が務める役柄はなかなかに大変そう。幹部だけど現場を見なきゃいけないんで責任も重大みたいだし、おまけに成果もあんまり上がってないみたいだし。その他の声はすっかり馴れた。それがたとえいきなり「マイメロぅ」って言っても別に気にならないぞ。テンポもユルユルとしていてまったりと見るに相応しく、跳ばないけれど滑らないギャグも夜に冷え気味な気持ちをほぐしてくれる。もしかするとクオリティでは「のだめ」「まなびストレート」とかに継ぐくらいの冬アニメの当たり作品か。結論はでも期待の赤ロリが出てきてからだ。いつ出るんだ何ものなんだ。聖三咲って名前らしーけどもしかして特撮評論の聖咲奇さんがモデル、じゃないよねえ、ありえないよねえ、あったら恐いよねえ。

 ちょいと寝て起きて新幹線で三島へ。「ヴァンジ彫刻庭園美術館」って所で始まった古屋誠一さんの写真展見物が目的だけど早く着いたんで「クレマチスの丘」から1つバス停を乗り越して同じ地域にあるベルナール・ビュッフェの作品を収めた「ビュッフェ美術館」から見物する。をを藤田嗣治さんだ。同じフランスつながりってことなのか藤田さんの作品が最初の部屋に飾ってあって例の乳白色が出た美女に美少女とかがまずあって堪能。それからこれも藤田さんお得意の猫の絵を沢山見て気分をなごませる。猫って良いねえ、絵を見るだけでも気持ちが丸くなる。あとジャン・コクトーが来日した時の手記の一部に藤田が絵をつけた冊子も飾ってあってそこに添えられたイラスト調の藤田の絵が漫画っぽい線を持ってて顔立ちも漫画っぽくってその日本画的なデフォルメ技術と日本の漫画が持っている線との繋がりみたいなものを感じてしまう。アニメの源流を巻物に求める権威的な伝統を尊重する主張には辟易とするけれど、浮世絵やら日本画やらの線で現す技術と伝統は今の漫画にたぶんどっかで繋がっているんだろーなあ。それくらいに良い絵でした。画集とか出てないのかな。「海龍」って本。

 んでもってビュッフェはやぱりビュッフェでシンプルで硬質な線でもってぐいっぐいっと描かれた人物やら建物やらの絵がいっぱい。ただ世界でも認められたコレクションだけあって1950年前後とゆー初期のグレート黒が中心になったビュッフェでも割と高い評価を得ている絵がいっぱい並んでた。線のはっきりしたルオーってゆーか絵画としてのまとまりぶりもあるし、伝わって来るメッセージも分かりやすくって、後の色彩が出てきたりガジェットが増えて来たりした絵に比べてなるほど評価が高いのも納得といった印象。あとは奥さんを描いた絵か。写真なんかもいっしょに並んでてそのフランス風な美人ぶりに目も嬉しく恋情も沸いたけど、テラスに飾ってあったおそらくは1990年代に入って夫妻で来日した時分の写真はさすがに歳も嵩み肉も嵩んだおばあちゃんで恋も瞬間に冷めてしまう。時間って奴は残酷だ。

 比べるとクリスティーネって1978年に結婚したものの1985年に自殺してしまった妻の写真が今なお写真家としてのキャリアで大きな位置を占めている古屋誠一さんは、作品を見る側にとって病的な雰囲気は高まって来てはいてもその容色は凄絶さを増して輝く若きクリスティーネをずっと見られる訳で喜ばしいと言えば言える。ただし写真家にとってはいつまでも、20年以上も前に死別した奥さんがいてその写真が何ともいえない凄絶さを印画紙の上に残し続けているが故に広く知られ関心を持たれ続けていることって、どーゆー気持ちなんだろうってちょっと知りたくなった。荒木経惟さんが1990年に死別した陽子さんをその時は写真に撮って篠山紀信から「お涙ちょうだいだ」と言われ論争しても、今となってはその後に堰を切ったよーに刊行された女に街に風景に猫に鼻の写真でもって覆い尽くされ、アラーキーのプロフィルを語る上では重要でも作品を説明する際には多彩なモチーフの1つにしかなっていない。

 対してクリスティーネの場合は未だに重要すぎるくらいに重要なモチーフとなっていて、今回の写真展に際して行われたトークセッションでも「どこにいてもついてくる」とキュレーターの小原真史さんが言ったくらいの存在として古屋さんのキャリアの大きな部分を染めている。批判めいた言説がそこに浮かぶとしたら、女房の自殺をネタに20年以上も喰ってるってことになるんだろーけどそれはあくまでも外野の邪推であって、古屋さん自身は自分が「写真家」という「職業」にあるってゆー意識もなく、写真がそれほど巧い訳でもなくモチーフが劇的でもないのに、何故に今もってこれほどまでにあちらから声がかかるのかを真面目に不思議がっている節がある。

 興味深かったのは、撮影してもそれをすぐに現像してプリントして印画紙に定着させたいって想わず、冷蔵庫につっこんで放っておくってことで、その瞬間に抱いた違和感なり直感なりに従いファインダー越しにのぞいた風景を、シャッターを切ることによって切り取ると、もはやその場での違和感は消え去って、次に抱く何かへ向かってカメラを向けたくなるらしー。商業写真家だったらそこからもっとも美麗な1枚を選び出してプリントし渡してそして印刷物になってはじめてお仕事が完結するんだけど、古屋さんの場合はそうしたお仕事感がまるでなく、純粋に瞬間を切り取ることが自分にとっての存在証明。あとは結果として生まれた写真を誰かが興味を持てば、それが出版されるなりして対価となって帰ってくる。芸術家、ってゆーのはたぶんこーゆー人種を言うんだろー。

 言葉で表せないからの写真行為であって、そんな古屋さんの活動が持つ特徴なり意義なりを言葉に還元して語らなければいけない批評家の人は大変そー。何よりクリスティーネって情実的に語りやすいモチーフが屹立していることもあって安易に流してしまいたい衝動もきっと浮かぶんだろーけれどその当たりを果たして批評家はどう理解して言葉にしているのか。新しい写真集が2月くらいに出てそれに今回の展覧会のキュレーターを務めた小原さんが評論を書いているそーなんで、何をどう言っているのか買って読んでみよう。収録されている写真もこれまで発表されていない静物なり植物なり庭なりを撮影した、静謐な作品が入ってて、色鮮やかな世界だけど荒木さんの毒々しさとはまた違う怜悧さを放つ色彩の世界を見せてくれているんじゃなかろーか。いやカラーがあるかは知らないけれど。

デカい目が真正面をぎょろりと向くヴァンジ彫刻の粋。道端であったら圧倒されそう  折角だからとクリスティーネを撮影した写真を主に集めた昨年発売の写真集を買ってサインを頂戴する。「デ・ジャ・ヴュ」で特集をされていた頃から知っててファンですとゆーと驚かれたのはそんな以前はまだあんまり日本では知られていなかったってことなのか。ちなみにその特集された号は外のミュージアムショップに売ってて開くとユーゴスラヴィアの内戦に関連したテーマでもって人の顔が真正面からとらえられた写真が掲載されていた。あの時代にオーストリアに生きていればそーゆーことを否応でも見せられたんだろーなー。読んでた当時はそこまで深刻な話だってゆーことに気づかなかった。そうそう古屋さんといえば拠点がオーストリアのグラーツってことでグラーツと言えば現サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムの家がある街。時間があればどんな感じに讃えられてるのかを聞きたかったけれどシャトルバスの時間もあって退散。主題にあんまりサッカー絡みのモチーフがないから興味ない人なのかも。実は家近所、とかってんだったら面白かったけど。

 そうそう肝心のヴァンジの彫刻もちゃんと見物。岐阜県立美術館で1体だか2体を見てプリミティブな作品の得意な人かと想ったけれどほかに例えば舟越桂さんが作るよーなスタイリッシュなフォルムを持った彫刻も作ればジャコメッティほどではないけど前衛がかった彫刻も作っていたりと割りに多彩な人だった。真正面から見ると象嵌された眼が真っ直ぐじゃなくってやや左右に広がって向いていたりしたのが舟越さん的。キャリアから言えばはるかにヴァンジの方が長いんであるいは影響なんかも受けているのかなあ。逆にヴァンジの初期の作品が舟越桂の父親の舟越保武さんが作る彫刻に似ているって所もあったけど。男性の像はどこかネアンテルダールっぽいのに女性はヴィーナスっぽいのはそれだけ男は原始的ってことなのか。1体女性像でお尻が張り出していた像があってその丸みにC.Cを思い触りたくなったけど、手をねじ上げられると困るんで我慢する。触ったところで彫刻なんで固いんだけどでも見た目は柔らかそう。これが芸術の力って奴だ。


【1月26日】 そうだ三島に行こう。27日から静岡県にある「ヴァンジ彫刻庭園美術館」って所で開かれる「古屋誠一展 Aus den Fugen」を見に行こう。その昔に行き着けた「岐阜県立美術館」ってオディロン・ルドンのコレクションで有名な、こぢんまりとしながらも綺麗で展示室も見やすくって、どこかの黒川紀章とかなんとかって有名建築家が設計した「名古屋市美術館」の入り組んだ展示室の鬱陶しさとか、やっぱり同じ黒川なんとかの設計した見かけ倒しでコレクションもキュレーションも空っぽ(それは黒川さんの責任じゃないけれど)な「国立新美術館」に比べて1万倍くらいの価値を持ってる美術館に、ポモドーロってイタリアの彫刻家が作った金色の円盤彫刻と一緒に飾ってあったのが、ネアンデルタールっぽいプリミティブさを持ったジュリアーノ・ヴァンジの彫刻作品だったっけ。

 「世界文化賞」こそ受賞はしていても、ロダンやらムーアやらに比べれば1万分の1ほどの知名度もないヴァンジの名前が冠された「ヴァンジ美術館」なんてものがあったのかって方が実は驚きだったけれども今回はそれが目的じゃない。古屋誠一さんって専らオーストリアで活躍している写真家の人がいて、精神を壊してしまった果てに自殺してしまったクリスティーネって痩身で美人の奥さんの肖像を生前からずっと撮ってて、その痛々しさににじむ情愛の影めいたものが見る人に「愛」ってものの厳しさって奴を感じさせる作品群がずっと気になっていたけれど、いよいよもって日本で本格的な個展が開かれるってんでこいつは駆けつけなければと思った次第。

 キュレーションは中平卓馬ってこれもかつて時代をアジるよーな作品と評論で大活躍しながら、アルコールによって記憶を落としてしまってそこから思想とか反逆といったものを一切失った独り身となって再生した写真家のドキュメンタリー「カメラになった男 写真家−中平卓馬」を撮った小原真史さん。今は古屋さんのドキュメンタリーを撮ってるそーだけど、痛みを今なお身に刻み続ける古屋さんなだけに迫ればそれだけ返り血も浴びそう。どんな作品になるのか。2人の対談もあるんでそこでのやりとりから想像してみよー。

 少女漫画にゃ別に詳しい訳じゃなくって最近でも「のだめカンタービレ」は読んでない「NANA」も読んでない「ハチミツとクローバー」はアニメ化されてよーやく読んだ岡崎京子好きじゃない安野モヨコ好みじゃない桜沢エリカ追い掛けてない今市子西炯子は好きだけど少女漫画って範疇じゃないって人間にとって「イーブックイニシアティブジャパン」が始めた「少女マンガ検定」はなかなかの難物。30問ある問題に挑んだけれど最初は21問しか当たらず70点で見事不合格の憂き目にあった。「桜高校ホスト部」もアニメ見てなかったしなあ。

 それでもいろいろ調べつつ2回目で97点を取りとりあえず合格。印象としては1990年代以降もあれば80年代の松苗あけみさん一条ゆかりさんの質問もあれば、水野英子さん手塚治虫さん萩尾望都さんといった70年代60年代の質問もあってとかなり広範囲。最近の作品だけを読んでいる10代の子とかがいきなりやったら僕以上に苦労するかもしれない。耳でそんな作品があるって聞いていたって「ベルサイユのバラ」とか「アリエスの乙女たち」とか「純情クレイジーフルーツ」とかを読んでいる女子高生って今時いないよねえ。

 むしろ気になったのは検定サイトの「May検定.com」を運営しているデジタルエリートって会社の方。見るとやたらと検定を行っているみたいで、恐らくは共通の話題ごとにメンバーを集めてコミュニティを運営しつつ広告だかで稼いだり、今回のイーブックみたいに少女漫画コンテンツを売るためのツールとして検定を付属のサービスとして導入したい企業にシステムをAPS的に貸してみたりってビジネスを行っているんだろー。なかなかに面白い。有象無象なSNSが立ち上がってはミクシィに挑み破れていく構図の中で、やってみたくなる上に自慢してみたくなる「検定」ってコンテンツを持ってきたアイディアに拍手。儲かっているかは分からないけど。

 生きていたのか海猫沢めろん。つかナカガワヒデユキに名前を変えたんじゃなかったっけ。それがやっぱりメジャーに通りが良いってことなのか今ふたたびの海猫沢めろん名義でもってハヤカワ文庫JAから「零式」を発売。リアルフィクションが現代用語の基礎知識だった時代に「SFマガジン」に掲載された上下の中編をまとめた上にぐわっと引き延ばした長編は、冒頭から1945年の実際とは違う歴史の上にある世界を舞台に行われている日本とブリタニア、ではないけどまあそれに近い帝国との戦争が描かれ改変された歴史SFならではのドキドキ感に溢れてる。そして幕を開ける本編も中編では節穴を通して覗くよーだった設定がぶわっと広がって来る感じがあって、圧巻の物語を楽しませてくれそー。野阿梓さんの「バベルの薫り」とはまた違ったネオジャパネスク的要素を持ったSFとして広く読まれることを願おう。そうなれば髪も戻るから。

 なんか「日本SF評論賞」っていうものの授賞式がどっかであったみたいだけど、ライトノベルでもSFじゃなくって萌えキャラ系セカイ系ネオ伝綺系を担当するレビュアーでは、どこで何時から行われるんですかと尋ねる相手もおらず無理に押し掛ける勇気もないんで見送って、秋葉原へと出向いてブロッコリーが開いたトレーディングカードゲームの戦略発表会を見物、いろいろあるんだなあ。パソコンゲームのキャラクター系カードなんてどこまで市場があるのか外から見てるとまるで分からないんだけど、続々と発売されているところをみると狭いながらも深いところにファンがいて買って集めて遊んでいるってことなんだろー。そこに狙いを定めて商品を作る目利きぶり。且つ深くて濃いファンでも納得させれる商品作りの巧みぶり。学べば他の企業でもいろいろチャンスを見いだせるかも。

 発表会ではいろいろ声優さんっぽい人も登場したけれど目玉は「はりけーんず」の前田登さんによる「アクエリアンエイジコント」か。胸に「プチキャラット」の絵が描かれたTシャツでネタがネタなんでカードゲームネイティブじゃない身には半分も分からなかったけれど、それくらいに濃いネタを演じて集まったカードゲームのファンからちゃんと受けをとっていたてことは前田さん、相当なマニアに違いない。「おねがいマイメロディ」でバクの声まで演じてしまう人だからアニメについては相当だってことなんだけどカードゲームまで抑えているとは。これが芸人魂ってやつか単なるオタクってだけなのか。ともあれ貴重な芸を見られました。「R−1」でやったって誰も付いてこれないだろうなあ、誰々君が授業中に何かやってます告発ネタで誰々くんは漢字カードで国語の勉強なんかしてません誰誰ちゃんは数学のカードで九九なんか勉強してませんだって「妹」のカードと「セーラー服女子高生」のカードを掛けたら何になるんですか「ダ・カーポ」ですか、なんて。


【1月25日】 もちろん当然のように「機動戦士ガンダム DVD−BOX2」は買った。段ボールにフィギュアとセットで収まっていた1巻き目に比べるとフィギュアがセットじゃない分赤い化粧箱(ジオン色)が外に剥き出しになって綺麗ではあるんだけれど、遠目にはただの赤い箱にしか見えないところが他の描き下ろしイラストでもって美麗に飾られたガンダム関連のDVDボックスに比べて、楽しみの1部分が削られてしまったよーで少し残念。もっとも逆にそーしたアニメのキャラクターやらメカやらがぶわっと描かれた箱だと、手に取りづらい一般層にはシンプルでスタイリッシュってことで手に取ってもらえる可能性はありそー。

 とはいえそーした層がよく行く店で目立つ所に置いてあるかってゆーとそーじゃない。店頭なんかで積み上げプロモーションをしているのはもっぱら誰でも放っておいても買う秋葉原とかそんなとこ。誰もが集まる繁華街の店とかに置いて映像なんかも並べつつ、通りがかった人に「これ見てたよね懐かしいじゃんちょっと見てみよーかな」、ってな感じに手に取りてもらいレジへと運んでもらわなきゃあ、一般層にはなかなか広まらない。せっかく一般に売れるデザインにしたんだからここはひとつ、六本木ヒルズの前庭にあるルイーズ・ブルジョアの巨大な蜘蛛の彫刻をアッザムリーダーに見立てて下に現代アートされたガンダムを置いてみたりとか、例の巨大セイラさんを「国立新美術館」の巨大な吹き抜けに置いてみたりして話題を喚起し、懐かしいけど格好良いかもなんて誤解を惹起してみては、いかが。

 一緒に「涼宮ハルヒの憂鬱」DVD第7巻の限定版も買った。「サムデイ・イン・ザ・レイン」1話しか入っていなくて4600円もしやあるのは、妖怪がガメラか犬神の祟りで「ハルヒ」でもって回収しないと決算が引き締まらないなんてお上の妙な思惑なんかが渦巻いた挙げ句のことなのかってちょいムカつくけれどもそれでも買ってしまうんだから仕方がない。良い物を作れば高くったって売れるんだってことか。んで前評判の高かったテレビ版エンディングのダンスのフルバージョン。なるほどこいつは素晴らしい。

 ポーズから横ステップで動き出したテレビ版の冒頭からちょい変えてあってハルヒお得意の地団駄、じゃなく足踏みしてから横スライドを始めてそして長門にみくるが加わってからが見物。なるほどああ動きああポーズしてそこに繋がるってことか、うーん難しそう。でもすでに世界に広まったハルヒダンスだから、遠からずネットにさまざまな人がめいめいの解釈でもって振り付けを見事に完コピしたダンスの映像が、出回って来ることだろー。

 猫が踊る。ガンプラも踊る。アメリカオタクも踊る。おフランスのマドモワゼルも踊ってニュージーランドのオールブラックスも踊る…ってことはないけどちょと見たい気がするんでカーワンに頼んでオールブラックスが来日した時にやってもらうとして、ともかくもこーしたカユい所をかいてなでて舐めてくれるよーなサービスが、評判を呼んで売れ行きにつながった好例を見て他の所もいろいろと、フィギュアなんかじゃなくってアニメななから映像そのもののお楽しみを、いろいろと模索してくれるよーになると嬉しいかも。映像得点ならかさばらないし。もう我が家にフィギュアなんぞ置く場所はないのだ。

 あとはとりあえずやっぱり「コードギアス 反逆のルルーシュ」のDVD第1巻を購入。1話だけ収録でピクチャードラマやら小冊子やらポストカードやらCDやらがついて3000円。まあ適正。とするとやっぱり「ハルヒ」には「時かけ」の呪いが……いやまあ「時をかける少女」はヒットはしたものの上映した規模が規模なだけに利益面となるとまだまだなんだけど、4月発売のDVDで取り返すから足を引っ張ってはいないでしょー。デジタルメディア協会って昔のマルチメディアタイトル製作者連盟が創設した「AMDアワード」のグランプリも「時をかける少女」で、これで文化庁メディア芸術祭のグランプリと合わせて2冠でこれに経済産業省系の「デジタルコンテンツグランプリ」が加われば役所系3賞を独占って話題も上乗せ出来るから。あっと「東京国際アニメフェア」の「東京アニメアワード」もあるか。取れば4冠。パーフェクト。可能性は高いかも。

 ただ個人的にはデジタルってゆーテクノロジーが持つ機能なり能力があってこその作品かってゆーと「時をかける少女」は違うかもって印象で、ツールとしては使われているけれどセルの時代に培われた技法を使ってできない表現じゃない。作品としての素晴らしさを讃える「メディア芸術祭」に「東京アニメアワード」での受賞は適切でも「AMDアワード」なり「デジタルコンテンツグランプリ」となると他の、例えば「鉄コン筋キンクリート」なり「FREEDOM」なり「ノエイン」なりといった作品のほうがデジタルの技術があったればこそって感じがより強い分、賞の趣旨に相応しいって気がしてる。でも人気がないからなあ。選ぶ審査員にノスタルな爺さんが溢れていりゃあ「時かけ」に票が流れても仕方がないのかなあ。

 そんな新発売DVD漁りの途中でふと見上げた目が1点に突き刺さって離れなくなってしまったのはそこに「Aika リマスターBOX」ってのがあったから。逡巡したもののこれは買わねばと手に取りそのままレジへと運んで購入してしまう。お布施だからと「ガンダム」を買い人気だからと「ハルヒ」を買いC.Cが丸いからと「コードギアス」を買って釈ちゃんがはんにゃかしているからと「009−1」も買ってとそれなりに普通のラインアップに混じると違和感もあるけれどこれはこれでちゃんとした理由があるのだ。それは宇宙への夢を見せてくれた「ストラトス・フォー」を手がけた山内則康さんがキャラクターを描いているから、では当然なくって「ナジカ電撃作戦」の西島克彦さんが監督だから。西島さんが監督だとどうして買うのかといえばそれはいっぱい見られるからで、だったら何が見られるのかというとそれは公然の秘密だから言わない。これからしばらくの間我が家のテレビにはチラではなくモロな白が溢れることでありましょう。春が来た。


【1月24日】 「琥珀の心臓」の頃に持ってたテーマを訴求し物語りを組み上げようって意欲が、昨今の記号的キャラクターによるお約束的展開をこそ愛でる風潮の中でスポイルされやしないかって心配してたけど、瀬尾つかさんの「クジラのソラ02」(富士見ファンタジア文庫)はシリーズ2作目で世界が、ってゆーか宇宙がぶわっと広がって深淵なテーマが見えてきて、そしてそんなテーマを描こうとキャラクターたちの物語にも厚みが見えて来てこれからどうなるのかって好奇心が膨らんできた。こーなるとシリーズ物は買ったも同然。あとはそんな期待を裏切らない着地点をどうやって見つけるかだ。途中で中断ってのだけは勘弁。

 何とかって宇宙人が寄こした宇宙を舞台に戦艦を操りバトルする「ゲーム」ってイベントが、単なる地球人から優れた人材を見つけて高みへと引っ張り上げるオーバーロード的な好意ではないってゆー予想はあったけど、第2巻ではゲームそのものがリアルな宇宙と関連しているんだってことが判明。でもってゲームの意図が好意ではなく逆に残酷な刑罰的なニュアンスも持っていて、それを乗り越えたところで更なる広大にして演題な戦いが待っているかもっていった想像も浮かんでそんなゲームを何故にそんなに一所懸命こなすのか、ってゆー個人的な動機の部分で疑問が湧いてくる。

 国がゲームをさせたい理由は分かる。宇宙のテクノロジーを得られるんだから。でも個人にそれが恩恵となってはねかえる訳じゃない。大金をせしめることもない。宇宙へ連れていかれてしまうんだから地上的な幸福は得られない。にもかかわらず挑むプレーヤーたちの心にあるのはやっぱり宇宙への探求心、未知なものへの好奇心って奴なんだろーなー、あとは肉親への情愛とか。とりあえずクジラなるものの正体も分かり戦う意味も見えてきたこの先、なおもゲームでの優勝目指してゲームなんだけど危険と背中合わせの戦いを続ける少女の行き着く先はどこなのか。そしてその先に待ち受けるものは。発売が楽しみ。それにしてもまーねえ、凶悪だあ。

 そんな瀬尾つかささんに続く今年の新人も悪くない。「太陽戦士サンササン」の準入選に継ぐ富士見ファンタジア長編小説大賞の佳作の位置を占めた細音啓さん「黄昏色の詠使い イヴは夜明けに微笑んで」(富士見ファンタジア文庫)」は炎の赤や水の青といった具合に色の属性で何かを呼び出して使う能力が存在する世界が舞台。そんな力を扱えるよーにする学校で少女は一般には知られていない黒をベースにして何かを呼び寄せる詠唱を独自に開拓しよーとする少女がいて、一方に5つの色のすべての詠唱をマスターしようとゆー無茶に挑む男子がいて、それぞれに夢を語り合い実現を誓い合って卒業していく。それから10余年。同じ詠唱を学ぶ学校にいた少女は小さい子供が迷っている所に行き会う。

 聴くと若いのに転入を許されていて同じ学校で学ぶことになったけど、少年は同級生たちがやっぱり知らない夜の黒をベースに呼び出す名詠式を極めようとしていた。いったい彼は何もので、彼にその方法を教え導きながらも死んでしまった女性はいったい誰なのか。5つの色を本当にマスターしてしまったかつての少年がかつての思いでの学校を訪ねて来る中で、かつての約束が浮かび上がりそして驚きの出会いが訪れる。名詠式ってゆー概念を作りその外側にある概念も作って世界に謎を持ち込み厚みを持たせ、現在を生きる少女たちに夢を抱かせ過去を想う大人たちに未来へと向かう力を与える。後半にバトルが重なりガチャガチャっとなるけどそれも迫力。謎も残り課題も突きつけられたエンディングからは続刊への期待も大きく膨らむ。間をおかずに是非に続きを。

 帝国ホテルのフランス料理となだ万の和食と伊勢長の京料理と吉兆の懐石と鮨源の巻き寿司と北京の中華を梯子する。しめて10万円は使った……使ってなかったロハだった。何故って自分で作ったから、って訳ではなくってちゃんとそれぞれの料理長が作った料理だけれど次回かはら自分で作ろうと想えば作れちゃう。コーエーが春に発売するお料理レシピの「ニンテンドーDS」向けソフトには帝国ホテルのレストランと入店している名店の料理長たちが作った家庭で作れる料理のレシピ、約200収録していて声でページをめくったりしなあら食材を揃え調理していけば帝国ホテルの味が家庭でも再現できるらしー。

 その発表会が帝国ホテルで開催されて収録されている店の料理長が勢揃いして腕によりをかけた料理を披露してくれたって次第。帝国ホテルのレストランが提供している名物のシャリアピンステーキこそ長蛇の列で近寄れなかったけれど巻き寿司とか中華炒めとか芋と海老を合わせた小鉢とか豆腐と鰻を挟んだ小鉢なんかには、家庭料理とはまた違った名店ならではの味付けがしてあって実に美味。これがまんま再現されるんだとしたら凄いけれど再現するとなるとやっぱり食材にも手近に買えるものだとはいえ最高峰のものが求められるんだろーなー。帝国ホテルの食事はやっぱり帝国ホテルに食べに行くのが正解か。金がない。やっぱり最後まで発表会に陣取ってひたすら喰いまくって来ればよかったなあ。

 タカラトミーの展示会では「チャンネル代える気?」って突っ込む音声ガイド付きのワンセグ小型テレビが話題沸騰だけれどその影で、ってゆーか本来的にはメーン商品として目を集めていたのが「トランスフォーマー」関連の品々。とりわけナイキのランニングシューズをモチーフにした製品は最新型のシューズからロボットへと変形する上に変形した後がとっても格好良い。これだったら本当の靴のサイズで作ってほしいって気にさせられる。割れたシューズの側面が片当てっぽくなるスタイルだけど大きすぎずバランスも絶妙。見ればトランスフォーマーのファンじゃないナイキのシューズファンもほしくなる。春頃からナイキとのコラボで登場の予定だけどどこで売るんだろう? 注意しておかなくちゃ。


【1月23日】 おお、お富あねごが金平糖錨地からお出ましだぁ。例の「あるある大辞典」捏造問題で制作を担当した日本テレワークの古矢直義社長が辞任。新聞とかによると「古矢社長は同問題が明らかになった20日に、同社幹部らに辞意を伝えたという。後任の社長には末冨明子・代表取締役特命事項担当が就任する予定」で御歳えっと77歳? あの野田宏一郎さん、ペンネームでは野田昌宏・宇宙軍大元帥ですら頭の上がらないフジテレビ時代からの先輩で、かの文豪・海音寺潮五郎さんの次女が星海企業のピンチにお出ましなすったよ。大元帥にも増して不義不正を許さないお富あねが社長に立って引っ張れば、ユルんだ小僧やおネジっ子たちの頭だってピシャッと引き締まることだろー。

 周囲への睨みだって完璧だぁ。星系軍の幕僚長ことフジテレビジョンの日枝久会長だってこの人にかかりゃあ後輩の小僧なんだから。さらにやっぱり先輩のロケ松こと野田さんも復帰すればご一新への気分も盛り上がるんだけどなあ。しばらく前にフジテレビのホームページでまだ社長だった野田さんがフジテレビ系の番組をいっぱい任されていることについて、インタビューに登場してこう言っている。「それだけ信用されているから、いいかげんな番組はできないわけね。だからダメな奴はバンバン切るし、優秀な奴だけ育てて、なんとかいい番組を作らないことにはどうしようもない」。実に真っ当。極めて明快。

 この意気が残っていりゃあ今回だって、納得いかねえものは作れねえ、そんなもん作ったって放送なんか出来やしねえと待ったをかけただろー。そーならなかったのはどこかにやっぱりデカくなっちまった星海企業のどこかに、奢りって奴が出ちまってたんだろうなあ。まあ起こっちまったことは仕方がねえ、謝って謝って謝るしかねえけどでも、いっぱいの苦労があって立ち上がった会社をここで潰しちまっちゃあ御先祖さまに申し訳ねえ。幸いにしてお富あねごが立ち上がった。ロケ松だって捨てちゃあおかねえ。ムックホッファ頭目だって見ているさ。もとより小さな星海企業。身を雪いで汚れを落としたその後で、曲がったことはだい嫌い、えばってる奴ぁ許さねえって任侠なところをまっぺん取り戻してやっちゃぁ、くれねえか。

 「mihimaruGT」のアルバム「mihimagic」に入っている「Drum−Line」って曲のバックに流れるズダダダダダダッってドラムのブラスな音色が気に入って、マーチングバンドが聴きたくなって曲のタイトルと同じ「ドラムライン」って映画のDVDを買って見る。ニューヨークの母子家庭に育った少年はスネアドラムの天才で、アトランタにある大学のマーチングバンドの監督に直々に誘われその大学に入学するけど天才ゆえの我が儘勝手さもあってかどちらかといえばピシッとした音楽を好む監督の下で、ドラムのラインをまとめるリーダーに疎まれる。それでも改まらない態度は周囲も巻き込み懲罰をもたらすものだからいつしか天才少年は四面楚歌。放逐の憂き目にあいそうになる。

 けれどもそこはアメリカンな青春ストーリー。我が儘さは疎んじていても才能は認めていたリーダーに救われ監督にも認められ、自らも「ドラムがしたいです」と三井が安齋先生のところに言って謝ったみたく心を入れ替え現場に戻ってそしてクライマックス。その年はもはやレギュラーではなかった身に幸運が舞い戻る。ストーリーは単純だし反目し合っていたリーダーとの和解のシーンもどこか唐突。心理描写に関してはあんまり上手くいっていない気もするけれど、それを上回って素晴らしいのがマーチングバンドが奏でる音楽と見せる演技のシーン。時に整然と、そして時にアクロバティックに太鼓や管楽器やシンバルを操りそして圧倒的な技量で演奏をして場を盛り上げるバンドの凄さが余すところ無くカメラに収められている。

 幾つかある周辺の大学のバンドが集まり競技をする所はそれぞれにいろいろな特徴が出ていて流行り廃りが分かって面白い。ファンクでヒップな感じにアレンジをして動きもつけて場を楽しませるライバルチームが観客には受けているけれど、それが果たして音楽なのかって考えさせられる部分もあって安きに流れ民に阿る良さと悪さって奴のバランスの必要性が頭をよぎる。主人公がいっぺんは堅苦しいチームを抜けて楽しげなライバルチームに移ろうとして、けれども見合わせたのややっぱり“音楽”が好きだったから、なのかもしれないなあ。とにかく圧巻の音楽シーン。そこだけ見ればとりあえずは充分。

 あと面白かったのは、4軍まであるチームのどこかに所属していて練習の合間に上のチームの誰かに挑戦状をたたき付け、衆人環視の中で2人が競い合うシーン。負けた方に監督が歩み寄り耳元でささやく描写が、残酷だけれどもそれが実力主義の潔さなんだって分からせる。メンバーのそれぞれがそれぞれの実力を認め合い、競い合う。縁故だの恋情だのは関係なし。そんな中から選りすぐられたものたちだからこそ、音楽も映画もスポーツも、凄いものが生まれて来るんだろー、アメリカでは。なるほど「生まれも育ちも才能も人間はみな、違っておるのだ。だからこそ人は争い、競い合い、そこに進化が生まれる。不平等は悪ではない。平等こそが悪なのだ。人は平等ではないからこそ、競い合い高め合って強国への道を歩む」ってブリタニア皇帝の演説も、まんざら間違いではないのだなあ。

 ふと「激突カンフーファイター」の再来かとタイトルだけ見て思ってしまった「富士見ファンタジア長編小説大賞」の準入選作、坂照鉄平さんの「太陽戦士サンササン」(富士見書房)はヒーロー部分だけなら異世界から魔王を追ってやって来た勇者が身をフルフェイスのヘルメットにやつして地球にいた日本人の男性をよりしろに、かけ声も高らかに変身しては熱血変身ヒーロー的なかけ声でもって技を放ってみせたりと、パロディっぽい雰囲気を醸し出しているんだけど一方でそんな羽目に陥ってしまった男性が、かつて姉としたいながらも訳あって犯罪者となり身を「咎人」におとされ犯罪者を狩る危ない仕事に就かされた女性を使用人として従えて、街に蔓延る陰謀に立ち向かうとゆーシリアスなストーリーがあって妙にバランスが悪い。

 一方のシリアスさを一方の熱血ぶりがカバーしている、って言うことだって出来ない訳じゃないし、ありがちな展開に目新しさを与えてくれているって言えば言えるけれどもやっぱり邪道は邪道。「ドラムライン」の華やかさばかりを負うバンドじゃないけど心底よりの感動って所には至らない。可能ならば異世界から折ってきた勇者を古風な存在にして戦隊ヒーロー的ではなくって古風にアナクロなかけ声やら格好やらに男性をさせるとかいった正統的な展開でもって「咎人」にされた姉とのドラマの痛みをギャグで減殺させるんじゃなく、くっきりと浮かび上がらせてほしかったかも。それをのぞけば結構に重層的な物語。魔王にも事情があってそれが青年と姉との関係にも繁栄されてて善悪とは、思いとはってことを考えさせてくれる。なかなかに良作。だけどこれって続くのかなあ。


【1月22日】 読めば号泣は必至のSF漫画「流星たちに伝えてよ」(幻冬舎コミックス、590)の大井昌和さんが大喜び。何でも「SFマガジン」の2007年1月発売号に「流星たちに伝えてよ」が紹介されいるらしく、長年のSF読みとして「あの」SFマガジンに大井の名前が出るのが嬉しいのです」とまで言って喜んでいる。そういう存在なのだよなあ、やっぱり特定の世代の人たちにとって「SFマガジン」って。

 ライトノベル系だと紹介して反応があるのは割に少数だったりするけれど、それでも喜んでくれている人はいたりして、ましてやロイス・マクスター・ヴィジョルドのシリーズをずっと読んでるSFファンならやっぱり「SF」の総本山で作品が「SF」として紹介されるのはSF描き冥利に尽きるってことなんだろー。どのコーナーに出るのか、福井健太さんの漫画紹介コーナーなのかそれとも別の人のレビューなのかは分からないけどでもあの傑作が、SF読みの人たちの間に伝わってくれればファンとして、そしてSF読みとしてこれほど嬉しいことはない。発売日が待ち遠しい。このまま連載なんて話は……さすがに行かないか。

 そうそう大井昌和さんと言えば「幻蔵 2007年1月号」から連載の始まった「女王蟻」が、「流星たちに伝えてよ」とも「あいこでしょ」とも違ったハードでスタイリッシュでエロティックなアクションSF。話もカッコよさげだけど何よりキャラクターの絵が良い。もう見えて見せて仕方がないって感じでおまけに無料でダウンロードできる漫画はデジタルの強みを生かしてそこだけクローズアップも可能だから、レンジをそこに合わせてプラスのボタンをおすとほうら白い三角だとかがぐんぐんとこっちに迫ってくる。まああんまり大きくしてもボケるだけなんだけど、それでものぞき見できる感覚を味わえるのは男の子たちには嬉しい仕掛けなんじゃなかろうか。単行本になるのはまだ先っぽいんでここはダウンロードした漫画を時折眺めて三角だ丸だとほくそ笑みつつ目を凝らして愛でることにしよー。

 噂に聞いてた角川書店の出す新漫画誌「コミックチャージ」の情報が「日販週報」に掲載されていて読んでうーむ。「いま、真の大人たちが本当に求めているものは何か。日々の仕事に追われて、今の自分に足りないものを感じることはないか。コミック世代として育った30代〜40代の読者たちに向けた良質な作品を数多く掲載する新青年コミック誌。作品に今の自分を投影したり、生活に刺激を与えてくれる、真の大人が本当に楽しめるコミック誌を目指す。読むと『やる気が出る』『勇気が湧く』『好奇心が満たされる』。最近、マンガを読まなくなった大人たちに、もう一度マンガの楽しみを味わってほしい」ってのが特色らしーけど、そーゆー“生き方漫画”ですらもはや世の中に飽和状態だからなあ。

 「ビジネスジャンプ」と「コミックバンチ」がありゃ良いっていうーか。「イブニング」と「ビッグコミック」がカバーするっていうか。趣味は麻雀漫画とパチンコ・パチスロ漫画で満たされるというか。そんな飽和状態のところにもって来るラインアップがきたがわ翔さん「デス・スイーパー」に本そういちさん「神の手を持つ男」に高田靖彦さん「HOVER!」とあと、ネットで人気になり本も出た「うちのネコが訴えられました」のコミカライズと、昔懐かしい筒井康隆さん「家族八景」の清原なつのさんによるコミカライズ。他に貞本義行さんも執筆するみたいだけれど「勇気」と「好奇心」の漫画に貞本さんが何を描けるんだろう? って気もしないでもない。「コミック新現実」に掲載された奴みたいのでもテーマは青春だったし。謎。とりあえずは「家族八景」の「水蜜桃」がどんな風に漫画化されるのかを期待しつつ発売を待とう。清原さんではエロくはなんなさそーだけど。

 同じ「日販週報」で「ファミ通えんため大賞」出身の森橋ビンゴのさんの新刊「チョコレートゴシップ」の案内を発見。「女の子と出会い別れるたびに、チョコレートケーキを焼く。これはボクと女の子とチョコレートケーキを4つ作るだけのお話。とびきり甘いラブストーリー」だそーで、ライトノベル系から出た作家の一般文芸書への進出を系列のメディアワークスに限らず角川本体でもいよいよ始めたってことになるのかな。読むとチョコレートケーキのチョコが別れた女の子の生き血を絞って作られたものだったってホラーだったりしたらちょっと愉快かも。まあ「三月、七日」みたいなラブストーリーになるんだろーけれど。3月2日発売で税込み1365円。そーいや桜庭一樹さんの「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」もハードカバーか何かで再刊か。こーした路線に続く作家は誰なんだろー。ラブ系? 青春系? 扇智史さんか枯野瑛さんにお願いしたいよなあ。

何と斬新な。未来から来た時空監査員が一仕事終えて未来に連絡をとろうとしたら、もと居た未来が消えててどうやら自分の仕事が原因らしいと言われて焦ったりする新作小説の凄さって奴は、だったらその時空監査がどうして消えていないのかという疑問に対して、時間の流れの影響をうけにくい体質だからと時空監査員が応えてなあるほどと聞いた側も納得してしまう部分にあるのだろうかと考えてみる今日この頃。シュウレディンガーなら確定していない状況で猫の生存可能性がゆらぐんだってことになっているけど親殺しのパラドックスはそーした可能性の2択じゃ効かないからこそのパラドックス。それを揺らぎで説明して体質で納得させる理論を前にいかなSF読みでも反論の口を塞がれてしまうことだろー。

 とまあそんなリアルでシリアスなことを考えつつも一方では、あっけらかんとして強くて可愛くって居丈高な美少女の時空監査員ってキャラクターはなかなかで、そんなキャラを中心にぐいぐいっと引っ張っていく筆の腕前もなかなかなもの。細かく悩んで考えないで読む層にとっては面白いって映る小説で、だからこその「第6回富士見ヤングミステリー大賞」で栄えある大賞を受賞したのかも。その名も厚木隼さん「僕たちのパラドクス」は富士見ミステリー文庫から絶賛発売中。表紙も可愛いけれどめくった口絵で白の三角が見えているのがもうとてつもなしに素晴らしい。あとは未来に戻ろうとポーズを決める少女のスタイルとか。割と大きめ。人気出ちゃいそーだよなあ。


【1月21日】 2週目も悪くないなあ「月面兎兵器ミーナ」。大月ミーナの正体についてはエンディングのバックに流れるイラストなんかでバレバレなんだけれどそこの間にあるギャップを思うだけでなかなにいろいろと想像できて面白い。月島ミーナが変身の際にもこもことしていく様を見れば大月ミーナだって土台からぽこぽことしていくんだろーその上に、前のチャックが下腹部あたりまでばかっと開いている衣装に替わるんだからきっと、膨れて弾けてあふれ出すに違いない。見たいなあ変身シーン。

 「あるある大辞典」が何といおうと納豆は旨い。ってことでご近所のスーパーでこいしやって会社の「平家大粒納豆」を買ってきて貪り喰う。旨い。ここん家のは粒の豆がでっかくっておまけに中までふっくらとしていて噛めば口の中でとろける感じ。例えるならマグロのトロ? それは大げさかもしれないけれども広がる味は納豆に対するネガティブな常識をひっくり返すくらいに大豆の持つ美味さと、それを納豆にしたことによる滋養ぶりを教えてくれる。噛んで固さが歯に当たって口をしかめることもなし。混ぜ混ぜしてタレと芥子を加えた「平家大粒納豆」があれば生きていけるって、思うけれどもでもハンバーグとかステーキの方がやっぱり好きかな、あとトロの寿司。まあ良い騒動も収まり巷に溢れる納豆をここしばらくは食べて近づく崩壊へと備えてお金を貯めよう。

 家にいても眠り続けるだけなんでとっとと出て神保町の「VELOCHE」で仕事。かちゃかちゃと草案を仕上げてから近所であれやこれやと本を仕入れる。とりあえずホイチョイプロダクションの「気まぐれコンセプト」の編集版が分厚くって素敵。わずか20年前には携帯電話どころかコードレスホンだって珍しくってネタになっていたんだなあと遠い目。その当時に今の「気まぐれコンセプト」が読めたらきっといろいろお金儲けだって出来ただろー。IT革命とか先取りして。でも誰もが携帯電話を持っていたりアップルが携帯音楽プレーヤーを作っていたりする未来なんて、信じられない可能性が高いかな。インターネットどころかパソコンだってまだ全然、普及してなかったんだもんなあ、「気まぐれコンセプト」が始まった1981年には。

 毎週こまめにリアルタイムのネタを集めた漫画は5年くらい後なら妙に陳腐で読んでも苦笑しか浮かばないだろーけど、10年20年が経つとそれは立派に歴史になる。こーやって日々の他愛のない話を記録していくだけでも、100年後にはきっと何かの意味を持つかもしれないって気持ちにさせてくれる本だったかも。何を迷ったか派手にオブジェをくっつけ恥をかいた「TBS」のロゴみたく、後世に永遠に恥をさらし続けるって可能性も一方にはあるけれど。あれはいったい何だったんだろー。一方の目ん玉マークは20年くらい経つ今も立派にロゴとして通用している。搭乗時は淫靡な感じもあって悪評も芬々だったのに。時間ってこれだから面白い。

 読書など。細江ひろみさん「マルアークの種 片翼の記憶」(GA文庫、600円)はなかなかに残酷な話。幼い頃に死んで兄の記憶をたどって山奥の病院跡を訪ねようとした主人公の少年は、事故で怪我をして何かの施設へと運び込まれる。父親の製薬会社が関わっているらしいその施設には目が赤く髪が銀色になった少女がいて、それから背中になにかふくらみをもった少女がいて少年を世話する。どうも赤い目の少女には持病があってその治療の結果目が赤くなり髪が白くなったらしい。そして少年にも同じ病の因子があり、且つ兄もその病気に苦しめられていたと知って病気について調べていくうちに、地域につたわる翼を持った種族と人間との交流話が浮かびあがる。

 病の発症を抑えるために必要となる存在が、その力を使うことによって至る悲劇的な最後。だけれど相手を思う気持ちが終末のかわりに力を使わせてしまう残酷さに、自らの死かそれとも誰かの死か、どちらを求めるべきなのかという迷いが生まれて頭を悩ませる。ひとつのハッピーエンドが訪れるかわりに、ひとつの悲劇的な終わりが生まれているかもしれない可能性を思うと、すっきりとは受け入れられない物語だけれどそれでも1つだけ、救われる命があったんだと思えば少しは気持ちも休まりそう。消えた2人もどこかで長らえているのだと信じてページを閉じることにしよー。三條亜星さんの「楽/園」にもそーいや片翼を持った少女が出てきたなあ、何か流行かそれともシンクロニシティーか。


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