縮刷版2007年1月中旬号


【1月20日】 新しい歌に差し代わったのに絵は使い回しで違和感のあった「コードギアス 反逆のルルーシュ」のオープニングだったけど、2回目にして既に馴れた感じ。歌のビートに合わせて差し変わるタイミングもマッチしているし、絵もそれほど違和感がない。C.Cが飛んできて去っていく場面も歌のテンポに合わせてキレを良くしている印象で、このまま見続けていればこっちがスタンダードって思ってしまいそーだけど、26日に発売になるDVDの第1巻を見てFLOWの「COLORS」を見るとやっぱりそっちが頭に上書きされてしまうんだよなあ、スタイリッシュすぎて。でもまあいいや、どっちもどっちと馴れるとしよう。半年後の再開時も別の曲で同じ映像を使っていたらその時はその時だ。

 お話の方はルルーシュとは違うギアスを持ったマオ登場。ガキっぽいけどC.Cと何か過去に因縁があったのかな。先週の終わりでばれそうになってたゼロの正体は見事に露見していたんだけどそれといっしょに正体の記憶まで消してしまってこれからの学校生活とかで出会った時にどーゆー言い訳をするんだろー。一気に蓄電してしまうったって妹を学校に残したまんまじゃ拙いだろー。どーゆー展開に持っていくのかちょっと心配。

 あとニーナがユフィに会ってみたいと言い出した時にナナリーも会ってみたいとか言っていたのも気になる部分。だってルルーシュもその妹も日本送りとなって死んだことになってたんじゃなかったっけ。そこに直接の面識はなくてもルルーシュ・ブリタニアの妹が現れたんじゃあユフィだって驚くだろーに。シナリオのデコボコがここに来て目立ってきた感じ。先週だって厳戒態勢の場所にシャーリーが入り込んでいたし。あるいはヴィレッタが手引きしたって設定なのかな。

 そのヴィレッタも手ひどい反撃に傷つきテトラポッドに引っかかって半死半生。だけど存命だったことでその口からゼロの正体が「黒の騎士団」に伝わることは確実。危うしルルーシュ。ヴィレッタは既に使用済みだから口は塞げないからなあ。関係ないけど丁髷を下ろしたヴィレッタはなかなかに見目麗しい。恰好もミニスカでややゴス入ってたし。ゴスといえばC.Cもルルーシュと成田に行く電車でゴスいファッション。流行っているのか「コードギアス」のワールドでは。

 飛べ、紙ヒコーキっ、て歌が昔あったっけ、なかったっけ、どっちでも良いけど何だか玩具の世界では折り紙飛行機が復活の兆し。「幕張メッセ」で始まった冬好例の「次世代ワールドホビーフェア」に朝から出向いてうろうろしていたらコナミが前から出してた「オリグライド」ってゆー折り紙飛行機をさらにグレードアップさせて展開していて見物する。紙に折り線を入れて印刷しただけの商品なんだけど、折り方に工夫があって織り上げると印刷された面がちゃんと外側に来るようにもなっているから、ただのチラシを織り上げただけの紙飛行機とは見た目が違う。

 飛び形の方も前におもりみたいな部分が来るようになっているからちゃんと飛ばせばちゃんと飛ぶ。けど今時の子供たちはあんまり折り紙飛行機って作ったことがないのか、目一杯に降り出してしまい上とか下に回ってしまって正面の的をなかなかくぐらせることができない。その辺は一日の長があるお父さんたちがすーっと押し出すよーに紙飛行機を飛ばして正面にあるゲートをくぐらせてみせて、それに子供が感心すればお父さんの面目躍如、紙飛行機ってのはこう折ればちゃんと飛ぶんだよって親子のコミュニケーションも成立する。ってうまく行けば良いんだけれど今時のお父さんだって40歳前ならやっぱりあんまり紙飛行機なんて遊んだことのない世代。テレビゲームに浸って過ごしたデジタル野郎にアナログの楽しさを分かってもらうには、まだまだアピールが必要かも。

 さて「次世代ワールドホビーフェア」ではやっぱりとゆーか「Wii」が圧倒的な人気ぶり。任天堂のブースでは1時間待ち1時間半待ちが当たり前になってて長い行列が出来、ハドソンの釣りを楽しんだりするゲームでもやっぱりそれなりに待つ人の列が伸びていた。対して「プレイステーション3」はソニー・コンピュータエンタテインメントのブースに数台があって近くまで寄り自在に触れられる感じ。遊んで楽しいゲームがまだないのがやっぱり痛いよなあ、子供にはいくら凄い画像だって遊んで面白くなけりゃ無意味なんだよなあ。久多良木健会長兼CEOが話してた隠し球、言えば驚く秘密兵器の登場を待とう。あればだけど。

 とりあえずはハドソンの釣りゲームが面白そう。細長いコントローラーはロッドでぬんちゃくはリール。コントローラーを降り出し釣り糸を飛ばした後は左手に持ったヌンチャクをリールのハンドルのよーに回転させて魚を釣る。形こそ棒きれに卵なんだけどそれがちゃんとロッドとリールに感じられるくらいに画面とシンクロしているのには驚いた。釣りコントローラーじゃなくてもちゃんと体感させられる「Wii」コントローラーの凄み。突き詰めればさらに色々なコントローラーの代替をさせられそー。拍子木とか。

 国が国内最大級の貸画廊を作ったんで乃木坂まで「国立新美術館」を見物に行く。南瓜みたいなもこもことしたガラス細工の建物に入るとそこはぼかん、ぼかんと巨大なスペースがあるばかり。風情もなにもないけれど何が来たってパーティションを組み替え並べて見せられるって意味では貸画廊に必須の条件を備えている。問題はこれだけのスペースが何に使われるのかってところだけどこけら落としの展覧会が「機動戦士ガンダム」に「親戚エヴァンゲリオン」に「ゴジラ」のフィギュアとメディアアートが並ぶ文化庁メディア芸術祭の10周年記念企画展と、日本の美術館が収蔵しているそれなりな作品を駆り出し集めた展覧会と、日本の建築家の黒川紀章さんの作品展で「国立」の「新美術館」が最初に組んだプログラムにしてはちょっとインパクトが弱いかも。

 そもそも美術館ってのは方針のもとに建てられ方針に合わせて作品が収蔵されていくもので、コレクションを作ることによって存在する価値を得てその価値に賛同した人たちから運営のお金が出る。だけれどここん家はそーしたコレクションを持たない美術館。キュレーターがいるのかいないのかは知らないけれど、いるんだったらその人が、いないんだったら外部の企画者が立てた企画に沿って作品を集めて並べて見てもらい、その収益とあとはスポンサーのフィーなんかで運営を行うことになる。だから1回ごとの企画、ってゆーか興業が何より大事になるんだけれどそのこけら落としがこれじゃあちょっと先が思いやられます。

 「ガンダム」たって映像が流されバンダイから出た12分の1の人間大「ガンダム」&「ザク」が並べられているだけで、それがアニメ史においてどんな意味を持つのかなんて語られてない。「ゴジラ」も大きな人形が置いてあるだけ。漫画も原稿のコピーが張ってあるだけ。毎年の「文化庁メディア芸術祭」は前年の最先端を表彰する制度って意味があるけれど、10年をまとめて俯瞰するんだったらそれらが状況に、あるいは後世にもたらした意味を説明しなきゃ意味がない。その辺は図録とかでちゃんと解説されているんだろーか。図録は誰が書いたんだろー。開館したら行って見てみよう。


【1月19日】 新居辰基選手に続いて黒部光昭選手もご来千葉となって枚数不足が嘆かれていたジェフユナイテッド市原・千葉の最前線の巻誠一郎選手青木孝太選手の2枚から一気に倍増と喜ばしい。退団したマリオ・ハース選手に要田勇一選手の2枚とはタイプがちょっとずいぶん違うけれど、J2得点王に元日本代表とゆーひっさげた看板は元豪州代表にフォースのご加護を足したパワーに並ぶかそれとも及ばないか。同じ日本人なだけにセレクトがちょっと難しそう。出られなくなる選手のモチベーションをどうやって維持させるか、相手によってどんな2枚を選ぶのかって辺りでアマル・オシム監督の見る目が試されそう。贅沢な悩み?

 声には馴れた。展開にも馴れた。となると実はこの1月スタートのアニメでは正統派「のだめカンタービレ」に並ぶお気に入り作品なのかもしれない「セイントオクトーバー」。どこまでも純真無垢な小十乃ちゃんが黒ロリで、そんな小十乃ちゃんを愛するあまりにユアンくんをトイレに流そうとしたり穴蔵に落とそうと企む菜月ちゃんが白ロリとは、人間イメージで黒は暗黒白は純白と、決めてはいけないんだって諭すコナミデジタルエンタテインメントの教育的メッセージって奴か。猫を退治せず「ジャッジメント」で元に戻したところも博愛的。夜中に放映するアニメじゃないなあ。でも真っ昼間から「黒ロリ」「白ロリ」でもないか。

 見栄えも良さげで性格も楽しげな赤ロリは未だ出ず。変身した姿は次回予告のバックでの徒手体操で分かっているけど変身前はエンディングにチラっと出るボーイッシュな姿をしたあの娘? 登場までは見よう。でもそのまま見続けそう。宍戸留美さんの演じるソフィアさんが出なかったのは残念。リバース社はクルツとアッシュのコンビ漫才がメーンになるのかな。それはちょっと嫌かも。願う再登場。調べたら音響監督が「怪物ランド」の平光琢也さんだった。というか今は音響監督の仕事が本業か。「マイメロ」もそーだし。お仲間だった郷田ほづみさんも音響監督の仕事を沢山してるんだなあ。時は流れる。

 メーンでカチッとしたジャーナリスティックな記事があった脇の添え物的なコラムだったら、茶化そうと捻ろうと筆者の自由だと思う。その方がメーン記事では見られない裏側って奴を伺えて、勉強になる所も多いんだけどそれしかない記事で斜に構えてみたり、己を出しまくってみたり笑いを混ぜようとしてみたりって戯れを見せられるのは、なかなかに鬱陶しいものだたりする。例えばサッカー専門紙「エルゴラッソ」の2007年1月19日・20日号に掲載されてる女子サッカーに関すするコラム。日テレ・ベレーザに素yぞくしていた川上直子選手の引退について取り上げているんだけど、4年前のワールドカップ予選に出場して今も日本代表に残っている酒井與惠選手や澤穂希選手や磯崎浩美選手や宮本ともみ選手を挙げて「同年代である川上のような成長はあまり感じられない」なんて書いている。

 「06年度は予測に磨きがかかり、こぼれ球を拾いまくってベレーザのリーグ制覇に貢献していた」なんて川上選手のことを褒め称えているけれど、去年のシーズンで見た試合ではこぼれ球を中盤の底で拾いまくっていたのはどちらかと言えば酒井選手で、そこから左右の川上選手とか中地選手とかにボールが渡って攻撃再開、クロスといった展開になることが多かった。とりたてて川上選手だけが成長したって感じはなく、むしろ移籍から2年目に入ってベレーザのパスサッカーにようやく溶け込んだかなって印象でしかなかったんだけど、筆者の目にはそれが“成長”って映ったらしー。これが贔屓目って奴か。同じ目は浦和レッズレディースの安藤梢選手にも発揮されていて、「アスリートとして急成長した安藤に与えられるポジションがSBしかなかったり」といった感じに代表でのポジションへの違和感を剥き出しにしている。

 でもなあ、安藤選手をリーグと同じよーにトップ下で使っても代表ではあんまり生きないんだよなあ、凄いスルーパスを出す訳じゃないしポストになって左右にさばくって風もない。なまじ自分で得点できるテクニシャンだけに頑張ってしまうあまり、代表だとトップに入るフォワードとの連携がどうにもぎくしゃくしてしまう。澤穂希選手と比べるとやっぱり下がる。アスリートとして成長したってそれは別の話で、だったらそのアスリートとしての才能を、スピードとテクニックを活かせるサイドに使いましょうって大橋浩二監督が、安藤選手の代表でのサイドバック起用を決めたもの。適材適所であって皮肉でもなんでもない。

 酒井選手や澤選手、磯崎選手は4年前からトップクラスにあってそれを4年経った今も維持しているって見方も出来る。豪州でのアジアカップだとサブに回されることもあった酒井選手が、アジア大会だとほぼレギュラーで先発し続けたってことが今なお代表のボランチとしてトップクラスにあるってことを証明している。小林弥生選手が怪我とモチベーションの低下で代表から消えてしまい、宮本ともみ選手が出産で抜けたあとも最前線で頑張り続けた酒井選手や、米国から帰国して気持ちも盛り下がる中を女子サッカーの“顔”として活躍し続けている澤選手への敬意を見せることなく、「センターラインの高齢化」なんて書いてしまえる記者の気持ちに女子サッカーへの“愛”って奴がどうにも見つけだしにくい。川上選手安藤選手への愛はあっても。

 まあ裏返せば当方の酒井選手澤選手への評価も、ただの贔屓目でしかないのかもしれないから、川上選手安藤選手への偏愛はそれで認めよう。でもなあ、結語はちょっと頂けない。「もしかしたら今、なでしこジャパンは“クオリティーが(Q)、暴落する(B))、危機にある(K)”のかもしれない。それがW杯本大会を迎える“9月に(9)、バレても(B)”、困る(K)”んだよなー」なんて、読んで呆れるというか哀しくなるというか。流行った言葉をそれれば何やら恰好良いとでも思っているんだろーか。唯一のサッカー専門紙で女子サッカーについて書く機会を与えられいて、こんな愚にもつかない言葉を描いて悦に入っているんじゃあ、勿体なさすぎる。どうだ巧く着地させたぜってひとりほくそ笑んでる様なんて読みたくない。真面目で前向きで辛口でも意義のある言葉を、例えば西森彰さんがネットや雑誌で展開しているよーな記事を「エルゴラッソ」にはもっと書いて頂きたいものだけど。無理かなあ。江橋だもんなあ。


【1月18日】 日向まさみちさんの「本格推理委員会」の文庫版に重版がかかった様子でまずは善哉、解説のせいで売れなかったとか心配したけど作家の魅力と表紙の可愛さの前には誰の解説かなんて塵芥。気にする人なんていないということでともあれ足を引っ張らなかったことだけは良かった。明石散人さんの「謎・ジパング」は結構な刷を重ねているからそれくらいにまで行ってくれると有り難い。桑田乃梨子さんの「おそろしくて言えない」の第2巻も店頭に並んでいるところを見ると絶版にはなってない模様だし、役には立たなくっても置いて別に害はない奴だと認めて頂ければこれ幸い。この勢いで「ノーディスクレコーズ」の方もまっすぐゴー! だ。

 超絶久しぶりくらいに「サイゾー」の2007年2月号を買う。もちろん目的は掲載されたコメントに対して訴えたコメンテーターの方に対して起こされたことの詳報を読むため、ではなくって表紙にとてつもない美人が掲載されていたためで、こいつはいったい誰だと手に取り中のグラビアも見て脳天に衝撃。脚が長い体が細い顔が綺麗で髪長い。色だって立派に白いこの美女の名前は長谷川潤さんで、「ViVi」とかでモデルとして活躍しているらしーけどそーゆー場所ではどちらかといえばファッショナブルなスタイルでいるところを「サイゾーで」は体にフィットするショートパンツやらショーツやらを履かせているから脚の長さ綺麗さがさらに際だつ。

 間のページではレオタードスタがなんかも披露。これはバックを黒にして一部が浮かび上がる感じになってて全身がよく分からないけれど、その分お尻のラインの丸さがくっきりと浮かび上がっていて想像力を激しくくすぐる。どの衣装も長谷川潤さんのスタイルにエキゾチックな風貌が持つ魅力って奴を余すところ無く、それどころか倍加して引き出し見せてくれている。選んだスタイリストの人、偉い。けれどこれを着て表紙になでなってみせた長谷川潤さん、さらに偉いです素晴らしいです蹴られたいです痛そうです。踏んづけられるくらいならいいかなあ。できればミニスカートで。

 長谷川潤さんがあんまり綺麗だったんで、その綺麗さが脳に焼き付いてしまってページを1ページめくった所に現れた辛酸なめ子さんも、とっても綺麗に見えてしまって気持ちがヨロめいたとゆーのは内緒だ。ってこれはあれかあ、辛酸なめ子さんが綺麗になろうと頑張り果たした成果が本になるって宣伝のページか。いやあしかしこれはこれおで綺麗じゃないか辛酸なめ子さん、化粧の力か実は土台か。いつかどこかで見た時はどんな顔をしていたのか覚えてないんだけど、パソコン上で修正してないんだとしたらなかなかです。人ってどこまでも美しくなれるのだなあ。

 その「サイゾー」に「サイゾー1月号の記事に関する松本零士氏、関係者へのお詫び・訂正」なるコーナーが。宇宙を走る鉄道ってゆービジュアル的なルーツが1972年に発表された貴志元則さんの「恋獄漂流」にあって77年の「銀河鉄道999」はそれより後じゃないのって話が確か掲載されてたって記憶があるけれど、調べたら何と松本先生は宮沢賢治「銀河鉄道の夜」そのもののコミカライズか何かを71年にやっていて、そこに宇宙を行く鉄道の絵を描いている。まあ原作をそのまま絵にしたんだから当たり前といえば当たり前なんだけど、少なくとも記事から邪推が可能だった「恋獄漂流」からインスパイアされた「999」って図式だけは完全に否定されてしまったってことで、「最初にこの記事を見たとき、『これは悪意に満ちた誹謗中傷記事だ』と思ったのは事実です」って松本さんのコメントが出るのも仕方がない。

 しかしそこは御大だけあって「でも今は、それをどうこう言うつもりはありません」「貴志氏が私の真似をしたとは思っていませんし、そう考えたこともありません」と太っ腹。話せばちゃんと分かる人、ってところを見せている。そーいえば例のマッキーの詞についてもその後に何か係争が本格的に立ち上がったって話を聞かないのは、「もし似ていたそていも、そんなことは気にもしませんよ」「自分の中にある、希望への『想い』が作品となっていくのです」って考えをそこにも敷延させて共に頑張ろうマッキーって境地を獲得したからなのか。だとしたらそーした境地へと松本さんを至らしめた「サイゾー」の企画はある意味で意義のあったものって言えるのかも。

 伊藤忠商事へと行って「シルバニアファミリー」のアニメ化発表会に行く。開会の30分前に到着してもまだリハーサルをやっている段取りの慎重さはまあよくあることだけど、配られた資料に販売されるビデオの時間や価格といったデータがなかったり、CGで作られるアニメーションの制作スタジオがどこで監督は誰で脚本が誰ってデータもなかったのにはちょっと参った。普通のアニメ関係の発表だったらその辺りがとっても重要になるんだけれど、元が玩具でそれをキッズ向けに半ばプロモーションも兼ねて映像化するものだからスタッフは気にすることじゃないってゆー判断なのかなー。

 ビデオグラムを販売するレコード会社と雑誌展開する出版社と版権をやりとりする商社が目立てばそれで良いってことなのかなー。でも見られるのは作品そのもので、それを作ったのが誰ってのは結構重要な情報なんだけど、買い手にも、そして作り手にも。自分たちの仕事が自分たちの仕事としてアピールしてもらえない理不尽さが、この構造の中であるんだとしたら何か哀しい。

 ちなみにちらっと口頭で出た話ではCGアニメを手がけるのはダイナメソッドって会社で調べるとCGであちらこちらに参加している会社らしーんだけど実力はあるのかな。あの吉川惣司さんがシニア・ディレクターとしている「株式会社ダイナメソッド」と同じ会社なのかな。見せてもらったプロモーション映像はシルバニアが持つ起毛感のある素材の雰囲気はアニメのキャラクターにも現れていてなかなかなもの。動きは大きいキャラが両腕をぶぶんと振って胸板を左右にゆさゆさと振って歩いている場面にちょい、動きすぎかもって思ったけれど走るシーンは子供に女性に大人とそれなりに分けて描いてて、作り手が馴れ見る目も慣れればそれぞれがしっかりとキャラクター性を踏まえた動きをしてくれそー。

 声優には川上とも子さんほかが参加していて目の前でミトでウテナが見られて個人的にはラッキー。だけどそんな声優陣とシルバニアの着ぐるみのフォトセッションを真っ当に出来る場所を用意せず仕切りもしないまま、社長連中が座っていた椅子の後ろに並べ手前に机のあるまんまでさせるのはちょっと、ねえ。マイクだって立ったまんまだったのを僕あ下ろして見えやすくしたんだけどそーゆー所を見てれば誰か、担当者が机を脇にずらそうとかするのが普通の記者発表だろー。なのに誰も来ず見目麗しい声優さんに可愛らしいシルバニアのファミリーは全員がバストショットになってしまいましたとさ。つまりはそれで良いってことなのか。一事が万事じゃないけれど、仕切る人たちは尊ばれても最前線のスタッフタッフへの愛にやや、渋みの見られる会見から生まれるコンテンツに見る側として愛を注いで良い物か。6月に登場するDVDをまずは見てから考えよー。

 孤高の存在となってしまった「ナンバー」はいきなりのラグビー特集で売上がこれでは果たしてって心配したけれど、巻末に編集長の河野一郎さん自らが寄せたコラムによると「06年度上半期は前年対比で1万部以上実売部数を伸ばした。そもそも休・廃刊した他誌とは部数がひと桁違い、ナンバーが部数的に低迷しているという事実はない」そうで、孤高となってもじり貧ではないと分かってまずは安心。これで「ナンバー」までなくなってしまってはスポーツがスポーツとして真っ当に語られる場がなくなってしまうから。

 さて何故に編集長自らがこんなコメントを発したかとゆーとすべては朝日新聞が掲載した「スポーツ総合誌苦境」って記事への異論反論抗議異議。前に玉木正之さんも朝日の記者から取材を受けて、そのあまりにも形にはめようとする聞き方に違和感を覚えメディアのスポーツ報道のあり方そのものに問題があるってゆー論陣を張ったら、嫌われたのかすべて没にされていたって嘆いてた。「ナンバー」の場合はさらに悲惨とうーか卑怯とゆーか、面会に来た記者に対して数字を示し低迷していることはないと言い切ったにも関わらず、「老舗ナンバーも『苦戦気味』」という活字が踊り、休・廃刊した他誌と同じように少誌も例外ではないと報道され」てしまったらしー。「取材に際し手示したナンバーの堅調ぶりを示す数字は明記されず、コメントについては、あくまで一般論として述べた部分のみが掲載され」たとか。

 捏造じゃん。これって。鋳型にあてはまらないからと掲載を玉木さんのコメントを掲載しなかったことよりタチが悪い。編集部では記事を受けて抗議をしているよーだけど、掲載からもう2週間くらい経っていて何かリアクションがあったって話も見えてこないところを見るといつもの「取材に基づくもので正確性に自信を持っている」ってゆー回答を出しておわりってことなのかな。「ナンバー」が抗議してるってことが表だって明らかになったのはこの編集長のコラムが最初だからこれから何らかのリアクションを返すってことなのかな。

 興味あるのはどこでこーした取り乱しが起こったかってことで、取材して執筆した記者はちゃんと「ナンバー」側の意見も汲んで記事に盛り込んだのに、それを最初に立てた「スポーツ総合誌は苦境」ってストーリーに合わないからと、デスクあたりが切り取りねじ曲げ載せたのかな。いずれにしてもスポーツに愛無き記事。だけどこの話題になった記事を書いたとこの横浜総局の記者は本社へと迎え入れられ出世していくんだろーなー。運動部に行ったりして。おお玉木正之さんも「ナンバー」のコラムを見てやっぱりとうなずいている。でもしっかり「ナンバー」にも苦言。その苦言が活かせる場が用意されていないのは残念とゆーか。スポーツ関連に入り込んでいるエンターブレインが「スポーツ・ヤア」を引き継いで出せば良かったのに。


【1月17日】 開けて明かとなる直木賞の選考経過によると最後に残った2作は池井戸潤さん「空飛ぶタイヤ」とそれから何と三崎亜記さん「失われた町」だったとか。ぎゃぴー。すいませんちょっとだけのだめになってしまいました。しかしよりによって「失われた町」を残したか。朝日新聞の1月17日付け夕刊によると「最後まで残った2作のうち『空飛ぶタイヤ』は[多くのサラリーマンが実感をもって読めるが、もう少し新しく時代に訴えるものがほしい]と評された。もう一作の『失われた町』は逆に[とんでる小説]で、新しい小説の提示と評価する声があった。しかし話題を呼んだデビュー作『となり町戦争』との比較から受賞は見送られた」とか何とか。

 主題をはずした所でゴテゴテと塗り固めてそれっぽさを出すことが「とんでる」って評価されるんだったら、新人賞の応募原稿なんて大半が直木賞を受賞できちゃうんじゃなかろーか。それとも直木賞は本来は新人のための賞だってゆー原点に立ち返ったってこと? とりあえずいつかの「文藝春秋」に出るだろー選評を読んで誰が推していたのか要確認。推してる人のセンスをそこから吟味しよー。まあそもそもが選考委員が選考委員だから最初っから気になんてしてないんだけど。ちなみにめったギラーたちが推していた北村薫さん「ひとがた流し」は池井戸さん三崎さんに続いて残っていたらしーけれど「本筋に入るのが遅いとも指摘された」そーな。それが持ち味と理解できないか落とすための理屈付けか。後者だろーなー。そんなに三崎亜記さんが好きか直木賞。次に文春から出た本が候補に挙がったら確実二重丸、だろーなー。

 しかし事務方が挙げてきた作品だけを読んでどれどれこれじゃあ水準に達していないよと賞を出さない選考委員のあり方ってのも、何だか気持ち悪いよなあ。それが昔からの仕組みだとは言え、上がってきたものが水準に達していないんだったら別に自分たちが本屋で見つけて読んでみて、これは直木賞ものだよってゆー作品を出してこれを俺は推す、とかくらい行ってみたらどーなんだ。文学がどうだこうだと語るんだったらそれくらいのアピールをしてみろってんだ。候補にはなってないけど俺が読んだこれが面白かった。これを超えなきゃ賞はやらん、くらいの事を言えばなるほどこいつは本を沢山読んでいる、だからあれこれ語る資格があるって納得できる。

 けどかつてそんな真似をした人なんていやしない。どこかの誰かが選んで残った5冊とか6冊の候補作とやらを諾々と読んで、そして○×を付けるだけ。なのに手前のつけた○は俺が命をかけて付ける×とは価値が違うから差し引きなんかじゃ語れないだって? 何百冊と出版された本の上澄みだけをちょろりと眺めるだけのお仕事ごときで、文学観なんて語るなっつーの。候補作になるのが決してそのシーズンの最高峰何冊って訳じゃない。だからそこから直木賞に価する作品が出なかったからといって、そのシーズンの小説がすべて低調だった訳じゃない。ほんお上澄みを舐めてその歳のワインがすべて駄目だって言うよーな行為なのに、それがまかり通ってしまう。選考委員が「文学は衰退した」と言い、それを伝える学芸部的な筆も「文学の危機」めいたものに傾いていく。それこそ表現の危機だってことに気付よ作家、そしてメディア。

 「女の子ってフクザツね」と言ったのはギリシャの哲学者、ではなくって名古屋あたりに根を張っていた靴のチェーン店「マルトミ」のCMだけどでも、実際に複雑怪奇な女の子の心の模様。松村栄子さんの「Talkingアスカ」(ジャイブ、520円)って本読むと小学生から30を前にした女性まで、世代は離れていてもそれぞれに複雑にして怪奇な心理をかかえて生きているんだってことが良く分かる。例えば冒頭に収録の「悩める女王様」は小学4年生のサヤカちゃんが主人公。それなりに美少女だって周囲に言われていて、同級生のミキちゃんてあんまり目立とうとしない子とつるんで自分は女王様になってミキちゃんを小間使いにして遊んでいるんだけど、一方には大人になったらミキちゃんはキレイになって自分は今ひとつってゆー自覚もあってそんな矛盾に悩んでいる。

 サヤカちゃんは同級生の村井くんが気になって仕方がないけれど、彼は別にサヤカが好きだってそぶりはみせない。かといって別の鈴木くんから好きだって言われた時にはそれをミキちゃんに自慢するフリをしつつも本当に自分はみんなに好かれているんだろうかと考えミキちゃんと話している時に、ミキちゃんも実は村井くんのことが気になっていると分かってそこで女王様然として「おーっほっほ」と高笑いすべきところをなぜか「うふふ」って小さい声が漏れるだけになってしまう。諦めと執着と友情と嫉妬が入り交じった複雑な声。10才にしてそんな声を出せるんだから女の子って実にフクザツな生き物だ。

 予備校に通っていてふと見た窓の外にある屋上から飛び降りようとしていた青年が気になって、やがて屋上に行って知り合いになって安心したと思ったある日、青年がふわりと宙を舞う姿を見てしまった少女の予備校生として大学を夢見つつ屋上の青年の現在を気にしてしまう心の迷いぶり。誰も彼もが自分を好きだといっていた昔を思い出して、それなのに誰も自分とは結婚しなかった現在を論って同窓会で暴れていた自分を唯一過去に好きだといってくれなかった男がたしなめ酒場に引っ張り実は昔っから女に気があって、それゆえに軽口で好きだとは言えなかったことを明かして来たのを聞いてだったら結婚すると言い切る女の男には理解できない割り切りぶり。一筋縄ではいかない女の子のフクザツさって奴を感じられる。

 タイトルになってる「Talkingアスカ」は友人のマミと電話であれやこれやと話すアスカって女の子の10本のおしゃべりで構成された中編だけど、そこには東大に合格したのに行かず自分でネット家庭教師の仕事を始めた兄のこととか、そんな兄の行動から来る自分へのプレッシャーのこととか、そんなプレッシャーをかけられても将来に何がしたいのかが見えないぼんやりとした不安とか、学校に来た教育実習の先生のこととかがとりとめもなく語られていて、女の子の現在ってやつが浮かび上がって来る。まだ20才にもなっていないのに人生の可能性の半分くらいは失われてしまったかも、なんて悩む様を目上が阿呆と言うのは簡単だけど、当人たちにとってはそれなりに楽しい現在から見えない将来を伺うのってとてもとても不安なこと。笑いながら悩んでいる複雑な心が見えて来ていじらしさ、いたいけさにジンと来る。150ページとかで520円とはまた篦棒な値段だけど短いながらもいろいろ詰まった短編集。92年の芥川賞受賞から15年が経ってもまだまだ現役で瑞々しい松村栄子さんに拍手。今回の受賞者にそれだけの息の長さはあるかなあ。


【1月16日】 そしてやっとこさ見た「がくえんゆーとぴあ まなびストレート!」ななるほどユーフォーテーブル制作だけあって噂に違わずよく動く。でもって動かし方が実にカワユい。高校生なんだからもうちょい大人っぽくても良いはずなのに妙にちんちくりんで真っ直ぐゴーと純情なのは、時代が高校生にモラトリアムを求めるよーになった現れか。それは分からないけどともあれまるで「苺ましまろ」みたいな幼稚園児にも似たぷにぷいっとした女の子たちがわんさと出てきて戯れる姿はそれだけで良い物。その上にスカート姿で椅子の背もたれをまたいでみたり椅子の上であぐらをかかせたりするものだから、奥が見えそうで目が画面に釘付けに。素晴らしい。実に素晴らしい。

 もちろんそこは見せないテクニックが駆使されているんだけど、たわば先輩がいたら大声で叫び怒るんじゃないかってくらいのアラレもない恰好が、いっぱい出てきて真夜中の眠りかけた眼を爆発させてくれる。ストーリーはよつばがまんま大きくなった感じに猪突猛進な学美の頑張りがメーンにあって、それに悪のりする周囲と、それから遠巻きにしつつも気になって仕方がないハルヒ、ではなく芽生のドギマギとする感情の揺れを楽しめる。「あずまんが大王」とはまた違った意味でほのぼのとして生活に近くてそれでいて夢と笑いを与えてくれるアニメ。「ぱにぽにだっしゅ」といい、こーゆーの作らせるとスターチャイルドは良い仕事をするんなあ。間に「ロストユニバース」のDVDボックスのCMが流れていたのは何かのご愛敬って奴か。

 我が母校にはかつて「法経学部」というのがあって後に法学部と経済学部と経営学部に別れたけれどもそれまでは、卒業生なんかが出会って出身を明かし合う時なんかに「ぼくはほうけいです」「そうかおれもほうけいだよ」といった実に耳に鋭く突き刺さる会話が繰り広げられたそうな。もちろんその場に女性がいれば「そうなの? あたしもほうけいだったの」って言葉が発せられてそうれはもう、何とも言えず謎めいて妖しい空気が漂ったんじゃないかと想像できるけれども今となっては昔の話。唯一残る千葉大学法経学部には末永くその名を引き継ぎ卒業生たちの会話に華を添えて欲しいものだと深く願うものである。

 そんな法経学部の学生がもしも何らの事件に巻き込まれた時、民放のうら若き女性アナウンサーの口から果たして学部の名前が発せられるのかって所にちょっとした興味が及ぶけれど、そうした沖縄にあるとある湖の名前について浮かぶものと同様の興奮とはまた違って、「京都精華大マンガ部大学生殺人」という事件は、被害者の悲惨さにまず哀悼の意を捧げた上で1歩下がって見た時に、どことなく緩んだ空気が漂って来て頭を惑わせる。これが医学部法学部の学生だったら医者になる夢弁護士になる夢がたたれた悲劇なんてメディアも盛り上がるんだけど、マンガ学部ではいったいどんな夢を学生が抱いていたんだってメディアは想像するんだおる。マンガ家になる夢? マンガ博士になる夢? そんなもん大学でやることか、っていった声が一般には広まりそう。

 もちろんマンガについて歴史的表現的市場的な面から学ぶ必要性はあって、だからこその「マンガ学部」設立だったんだろーけれど、それがまた端緒についた段階でのこーした露出は、かえって誤解を引き起こしそう。亡くなられた方の名前もまるで漫画の主人公、というか劇画のヒーローのよーだしなあ。どんな人生を歩み何を思って20歳にしてマンガ学部に入ったのか。その人生を振り返るストーリーがこれから暴かれていってしまうんだろう。京都精華大マンガ学部の人たちが追悼集でも出さないかな。おお教授には板橋しゅうほう大先生がおられるではないか。ならば先生が久々に連載を持ったフリー漫画誌「COMIC GAMBO」にて追悼漫画を描いみては話題性にものって良い追悼になるかも。

 んでその「COMIC GAMBO」だけれどうーん、謎。何が謎って収益モデルが今ひとつ見えないってところでフリーペーパーって魅力あるコンテンツを載せて配ってそれを読ませつつ広告も読ませることにして、企業から広告を募ってその広告料で食べていくってのが常套なんだけど、チラ見た「COMIC GAMBO」ってあんまり広告が入っているっぽくない。っていうか漫画誌ってその大昔から部数に対して広告があんまり入りづらい媒体で、なおかつ値段もそんなに高く出来ないってこともあって出版社は原稿料を抑えつつ漫画を掲載した後で、それを単行本化することによって利益を出すモデルをずっと続けてきた。けど今はその単行本すらあんまり売れず、1本2本の人気連載に集中する時代。配る場所が限られていてあまり大勢の眼に届かない、つまりはプロモーションされる機会の少ない作品が単行本化されてそれほど売れるとはちょっと思えない。

 あるいはネットへと誘導してそこでバナー広告を見てもらう成り、雑誌で読めない漫画を見てもらうことで収益を広告主なり読者から得ようって算段なのかもしれないけれど、今度はネットって壁がそこに立ちふさがる。ウェブで漫画を配信する事業ってのはもうずいぶん前から繰り広げられているけれど、独立系で成功したところって記憶する限り無いんだよね。ネットでページを開くのが面倒くさいし面白さに難があってわざわざ見たいとは思わないのがその理由。仮に大勢に関心を持って見られる作品があるとしたら本屋では買えないようなアダルト系とかネットユーザーと親和性の高い人たちとかになってしまう。

 けど「COMIC GAMBO」が前面に押し立てているのは、江川達也さんに板橋しゅうほうさんっていった名前は通っているけれど、わざわざネットで見たいかって点では首を傾げさせる人たちばかり。それで会員を集めてコミュニティを立ち上げ広告を見せてマーケティングを行って収益を確保する、なんてモデルが成り立つのか。成り立つんなら人気作家を山と抱える大手の漫画出版社がとっくにやっているけどやっていないってことはやっぱりどこかに無理があるんだろー。その無理をどーやって乗り越えていくのか。役員の人たちの経歴とか見ると電通でトランスコスモスだったりインデックスだったりとコンテンツ処理にネット周りの経験は持ってそー。肝心の漫画作品集めに関しては内情が分からないんで不明だけど、今もって編集を集めているってことはそれなりに事業の拡大を見込んでいるんだろー。さてもどんな結果になるのか。メディアが話題にして盛り上げてくれているうちに、会員をつかみ作家をつかめれば勝てる、かな。甘くはない、かな。

 イルカのショーを見に行ったらエンターブレインの新年会が付いてきた、いや逆だけどサプライズだからって待っていたら現れた久多良木健SCEI会長の登場をこれがサプライズかと思ったらさにあらず、隣のプールで特別のイルカショーを見せてくれた。最前列は水かかかるっていうから前から4列目くらいで見ていたけれどそんな中を最前列へと向かう勇気あるマンガ家さん作家さんあり。いずれリポートが「ファミ通」に載ることでありましょう。とってもグラマラスな方だった柴田亜美さんも前の方へと行かれたのかな。だったら期待だ「ファミ通」のど迫力漫画を。パーティ会場ではビーズログ文庫の方にご挨拶。最新刊「刻の王国 試される絆」(540円)はゴスでロリでツンツンしている女の子が登場して小悪魔ぷりを見せてくれるんで注目だ。天使の魂を持って生まれて時を戻せる能力を持った少年の中から天使の魂を取り戻そうと企む奴らの攻撃に、時を戻す力を使って立ち向かう設定が今回もなかなかに生きている。面白いシリーズになって来たなあ。


【1月15日】 気が付くと田中淳也選手がサガン鳥栖へと引っ張られているじゃないかジェフユナイテッド市原・千葉。去年のホーム「フクダ電子アリーナ」での最終戦で買った福袋に堂々のサインが入ってて、今年大活躍してJ1でも屈指のストッパーと認められ代表にまで引っ張られればこれは貴重な1枚になるって信じていたけどこれで夢は先へと伸びた。でもまあJEFクラブでの試合ぶりでも最終ラインに立って跳ね返してはいてもそこが起点となっての攻撃には至らず、セットプレーなんかで上がっても相手に抑えられるケースが多々あって、ポジション取りとかジャンプのタイミングにややズレが見られたのも事実。そんなJFLよりはまだシビアなJ2で、それなりな所を見せてからでもJ1での活躍は遅くないんで揉まれながらも頑張って這い上がって来て欲しいもの。何だかんだ言っても188センチは貴重なんだから、ジェフ千葉にとっても日本代表にとっても。

 そのサガン鳥栖からは代わりに新居辰其選手が当来。やったぜフォワードだ。それもスピードがあって得点をちゃんと取る。もとより国内選手の移籍が少ないジェフなだけにJ2ではあっても日本人の得点王なんて実績を持った選手の当来は実にとてつもなく喜ばしい。タイミング良くゴール前に現れるタイプなんでそんな新居選手に必要なのは前線での溜めや後ろからのパス出しか。阿部勇樹選手がいなくなるのはその意味ではきついけれど巻誠一郎選手のポストを広い中央で頑張る羽生直剛選手からのスルーとか、左右の水野晃樹選手山岸智選手のクロスに対して反応できれば何とか点もとってくれるんじゃなかろーか、なんて皮算用。あとは外国人選手なんだけどまるで話を聞かないよなあ、どうなっているのかなあ、デビッド・ベッカム選手がアメリカ行く前に半年だけ、立ち寄ってくれればそれだけで年間の入場料が稼げるのに。売上の10倍持って行かれる可能性もあるけれど。

 ミーナ良いよ大月ミーナの方は短髪で乱暴者っぽくって胸から腹までスーツがぱっくりと開いていて隙間からばるんと両方の房がのぞいてて、動きにあわせてわさっと揺れるとことがちゃんと描かれていて目を画面から離せない。月城ミーナの方も普段は学生で薄べったいのに変身するとちゃんと底上げされていて揺れること丸いこと。そんな2人の織りなすアクションシーンに加えて六棟エスカルティンもそれなりにあって横から見た姿の麗しいこと丸いこと。かくも豪華なビジュアル面での特徴に加えてお話の方も分かりやすくて楽しくて、のんびりとしつつそれでも目をそらさせることなく最後まで連れて行ってくれる。1話だけなら傑作。だけど途端にガタッとクオリティの落ちることもあるのがこの世界。おまけに手がけているのがGONZOなだけにどこで何が起こるか分からない。ので期待しつつも予断を持たず、目の前に繰り広げられる大月&月城のダブルな活躍とそれから今はまだ明らかにされていない大月ミーナの正体ばらしに注目しつつ眺めていこう。大丈夫かなあ。

 対するプロダクションI.Gの方は中間決算説明会が行われて売上高は07年5月期も含めて右肩上がりでさらに09年5月期には前年度の59億円から一気に68億円まで上積みさせる模様。バンダイとタカラトミーしかなくなっているからどっちかに違いない大手玩具メーカーとの共同原作企画による版権収入とそれから08年5月期までの劇場公開作品にともなう版権収入が、乗っかってくるってことになるらしーけど映画って何だろう、「テニスの王子様」の劇場版? フランスで作られる「ブラッド・ザ・ラストヴァンパイア」の実写版? 「エヴァ」の新劇場版? 制作中だけで3本あるらしーけどどんなのが出てくるのかに期待。「時をかける少女」を超えられるかな。

 マッグガーデンへの出資については石川光久社長が自ら解説。まあ有り体に言えば連載漫画を含めた原作権の囲い込みであり、またI.Gが作るアニメをコミック化して連載することによるプロモーション効果の向上が大きな理由で、あとはI.Gが立てている企画のうち、放送枠がないとかスタッフが以内とか映像化が難しいといった理由で埋もれている原作をマッグガーデン発行の漫画誌なんかで展開していくって考えもあるらしー。まさか「月刊コミックブレイド」に「立喰師列伝」のエピソードを天野こずえさんの絵で掲載、なんてことになったら読むかも「ブレイド」。 押井塾なんかから生まれつつ埋もれている企画なんかも漫画化されたらちょっと楽しいけれど押井さん好みの企画が果たしてマッグガーデンのカラーに合うのかどうなのか。いずれ出てくる結果を待とう。

 プロモーション映像では「RIDEEN」をチラッと見せてもらって何だこの金アクエリオンあるいは金ラーゼフォンと思ったかは秘密だ。けどでもロボットのシーンがCGで金ぴかに光っているのって見ていて目にチラチラしそーだなあ。一方の「精霊の守り人」は美麗でよく動いて期待大。主人公のヒロインが寺田克也さん描く「ブラッド・ザ・ラストヴァンパイア」の小夜をちょい大人にしたっぽい雰囲気があって色っぽい。好みかも。お話の方も面白そうだけどでも最初の放送がNHKのBS2なんで家じゃあ見られず地上波落ちを待つしかないのが残念無念。つかとっとと教育テレビとかで放送した方が一般にも広まりDVDも売りやすいんだと思うんだけれど原作権を持ちたがるI.Gと著作制作NHKを銘打ちたいNHKとじゃあどっかに相容れない部分なんかもあるのかな。単に放送枠の問題かな。


【1月14日】 松田聖子がデビューから数年を経てやや飽きられつつあった80年頃から「チェッカーズ」の人気爆発があった85年頃を経て、「おニャン子クラブ」も一大ブームを過ぎて誰が誰やら分からなくなる中で解散し「CoCO」がデビューしそして「南青山少女歌劇団」なんかが出てくる90年頃までの10年をひとくくりにして、「80年代」と言ってしまって良いのかどうかって悩まましさ1つとっても、「80年代とは?」なんて軽々と規定できないことは充分に伺える。加えてこちらは、そんな80年代に10代半ばから20代半ばまでを過ごした人間だ。リアルタイムで経験した「80年代」は長くて雑多でめくるめく様々なことがあったりした訳で、それらが10年とゆー時空から断片として、表層的な部分だけが抜き出されて同じ「80年代」とゆーキーワードに括られてしまうことには、どうにも釈然としないものを覚えてしまう。

 なんてことをペラペラと眺めながら思った「スタジオボイス」の2007年2月号の80年代大特集。なるほど網羅的ではあるけれどもそれらが単なるキリスト生誕を起点にして10年事に区切られているだけの、とりたてて意味もないキーワードによって一緒くたにまとめられてしまう違和感ってのが、やっぱり微妙に付きまとう。79年から80年になって変わった何かよりも、80年から89年になって変わった何かの方が圧倒的に多いはず。なのにともに等しく「80年代」とってしまう乱暴さは、同様に「70年代」「60年代」「50年代」「90年代」といったものを設定する時にも当てはまることではあるんだけど、ことさらに密度の濃い時間を経験した「80年代」なだけに、浮かぶ違和感にも大きいものがある。まあおそらくは50才前後の人が下の世代から「70年代ってしらけてたよね」とか「70年代ってキャンディーズだよね」って言われた時に、憤りとともに抱く違和感ってのもこれを似たものがあるんだろーけれど。

 もっともインタビューを受けている音楽評論の湯浅学さんも「80年代は60年代同様一年ごとに傾向が更新される時代だった」って振り返っているよーに、ごろごろと変わり生まれ消えていく時代でその中から自分の好みに合ったものが現れたらそれに食いつき、あとは放っておくっってことになった。詳しいところは目茶詳しいけどあとは何それってジャンルと情報の断絶、今でいうところの蛸壺化が起こり始めていて、アニメは語れても音楽は、とか音楽は語れてもアートは、ってことになってたくさんの情報に接してはいたけれど、それらをすべて網羅的に俯瞰するなんてことはできなくなっていた。冷静には見られない癖に語るとなると難しい。だからやっぱり時代の空気に溺れた当事者たちが語るよりは、子供としてうっすらと経験しただけの若い人たちが記憶と資料から浮かび上がらせた「80年代」ってものの方が実は10年ってタームを見る上で、より性格に状況を現しているのかもしれない。

 文化人は糸井重里さんで雑誌は「ホットドッグプレス」で漫画は「ホットロード」で音楽は山下達郎。乱暴極まりないけれどなるほど確かにそんな気分だよ80年代。それよりなにより「スタジオボイス」って雑誌自体がややエッジのたってたり微妙にアンダーグラウンドでインディペンデントだったカルチャーを先進的に取り上げ、お洒落なパッケージにくるんで都会の人と都会に憧れる田舎物に届けては情報の一極集中的状況を生みだし、思考の全国的な均質化へを招いたって意味で存分に80年代的な存在って気もするけれど。って80年代の「スタジオボイス」って実はあんまり読んでない。どんな雑誌だったのかなあ。佐山一郎編集長時代。そうか松田聖子に風船食わせていたのか。やっぱり凄かったんだ佐山一郎。今はサッカーおやじなのに。

 情報は均質化しても暮らしまではさすがに均質化とはいかなかった模様で写真家の北井一夫さんって人がしばらく前に書いていた物語に写真も付けて再刊された「80年代フナバシストーリー」(冬草社)って本には東京からわずか30キロくらいしか離れていない千葉県船橋市も、駅前にはバラック上がりの焼肉屋があってちょっと歩くと田んぼが広がっていて草ぼうぼうで、その向こうを作りかけではあったけれど開通までに後10年くらいはかかった「東葉高速鉄道」の高架がよぎる光景が、広がっていたんだってことがよく分かる。移り住んだのが90年だからそれは知らない船橋ではあるんだけど、90年の前半だとまだ海老川をちょっと遡れば草が茂っていて田んぼが広がっていて、写真のまんまの光景を見ることが出来た。今は駅前にもマンションがばんばんと立ちバラックの焼肉屋は消えストリップ小屋も1軒だけ。写真にも1枚、ストリップ小屋の様子が映し出されているけれどこれはどこの劇場なんだろう。17年住んでいるけど実はまだ行ったことがないのせす。行こうかなあ。誰か行く?

さすが大会1位の青山学院チアリーダーは巧いし高いしかわい……いや可愛かったですとっても  高校サッカーの決勝をパスしてサッカー成分がずいぶんと足りなくなって来たんで大学サッカーの頂点を決める「全日本大学サッカー選手権大会」を国立まで見に行く。まずは女子サッカーの決勝があって日本体育大学と大阪体育大学の東西体育大決戦が。ふだんから「なでしこリーグ」を見慣れていると女子も巧くなったよなあって思い込みが染みついているけれど、大学生ともなるとテクニックで飛び抜けた人はおらず戦術も今ひとつ。突っ込んでは奪われ蹴り返してはとられって一進一退の戦いで見ていてあんまり面白くない。でも時には良いプレーもあって大体大が相手ゴール前に浮かんだボールを横っ飛びしてオーバーヘッド気味に蹴り込んだボールがふわっと浮いてインゴール。「なでしこ」でだってお目にかかれない超美技で、結局それが決勝点になって西が女子ナンバーワンに輝いた。

 続く男子は駒沢大学対早稲田大学で、巻佑樹選手に原一樹選手とプロに行く人気選手を抱える駒沢と、兵藤慎吾選手をはじめ人気選手がいるうえにOBの数も半端じゃない早稲田の登場とあって観客もぞろぞろと集まってきたのに阿呆なのか主催者はバックスタンドしか開けずそれも聖火台がある最上段を閉じたままにしているものだから人が直ぐにあふれかえって阿鼻叫喚。試合が始まってからも通路を人がぞろぞろと歩く事態によーやく早稲田川のゴール裏をちょろっと開放したけどそれもすぐに埋まってしまってまた広げるって戦力の逐次投入を繰り返す。最終的に駒沢側のゴール裏隅もあけたけれどそれとて後半が始まってから。見ればすぐ分かる状況を見て即時対応できないのは何だろー、あらかじめ決められたことを頑なに守ろうとする官僚的な体質故か。いやいや川淵三郎キャプテンが来ているんだからあふれかえった状態を見て「開けろ!」と言えばすぐ開いただろーに。まあそれもトップダウンを検証もせず下へとおろす官僚的な組織の特徴。1人キャプテンの問題ではないのです。

 試合は駒沢が圧倒的。高さも速さも早稲田を凌駕していて開始からすぐに巻弟が頭ではなく足でゴールを奪いそしてふたたび巻弟が今度は頭で叩き込んで2点。背は兄の巻誠一郎選手より低いそーだけど周囲の選手との差もあってか大柄に見えたし、何より体が太く頑丈に見えた。それでいて足も使えるその柔軟さ。もしかしたら名古屋グランパスエイト、すごいことになるかもなあ、でもヨンセン選手と被るかなあ。頭で押し込むところは空中でのポーズも顔も兄貴そっくり。その奮闘ぶりを見て解説に来ていた兄貴も奮起して欲しいけれど。でも契約更改はまだなのか。大丈夫か。

 早稲田は後半に兵藤選手がドリブルで切りこみ叩き込むテクニックに優れたところを見せてはくれたけれどそれだけで、中盤を大きく開けてしまったところをボールを奪われ反撃される不味い守備を見せて崩壊。抜けられ挙げられたクロスを巻選手が折り返してそこに突っ込んだ選手が頭で決めるといった具合に、前えと向かう気持ちが多かった駒沢に比べてやっぱり見劣りが激しかった。兵藤選手も実効性では今ひとつ。1人ではやっぱりサッカーは出来ないってことで。まあでも去年は2部だったチームが1部に上がりリーグ戦を3位で終えインカレでも決勝まで出てきたってことはチーム力だけならやっぱり大学でも抜きんでている現れで、あとは体力が付き選手もさらに揃ってくれば駒沢だって流通経済大学だって破り関西大福岡大の西の強豪にも打ち勝って、かつての栄光を取り戻すんじゃなかろーか。来年のインカレにはちょっと期待。ってかそこで川淵キャプテンからカップを渡させてあげないと、来年こそはって頑張って居残っちゃうから早稲田のア式蹴球部の責任は極めて重大。頑張れ兵藤、日本のために。


【1月13日】 青登場。今度はコメディだ。というなら「赤」の「神曲奏界ポリフォニカ」だってじゅうぶんにラブコメ的ではあるんだけれど、起こる事件はハードで展開にはシリアスなところもあるからまだ分かる。「神曲奏界ポリフォニカ」の赤黒白の短編に加えて築地俊彦さんを新たに迎えて立ち上げる「青」も含めた4作品が入った短編集の「神曲奏界ポリフォニカ まぁぶる」(GA文庫、600円)の冒頭に堂々収録の「だいぐれっしょん・ぶるう」は登場するのが真っ当ではない神奏楽士もどきの男・クルナで、それなのに何故か精霊が付き従って甲斐甲斐しく世話をしている。

 貧乏暮らしの中から工夫して食事を作って出してからさあ一勝負。精霊雷をどんぴかさせるルーファに対してクルナは手元の三味線をならし黒板を爪でひっかくよーな不協和音を奏でては、ルーファを体力を奪って消耗させて勝負あり。哀れ今朝も破れたルーファは精霊のプライドにかけて男の不協和音を耐え忍び乗り切るまで、クルナの下で研鑽を積むとゆー設定って、唯一無二に絶対的な力の持ち主であるところの、神曲楽士の価値を貶めているよーな気がしないでもない。

 けれども後で出てくる天才の弟が認め復帰を願う人物だったってあたりに、始まった本編では見かけは怠惰でも実はってところを見せてくれ、喜ばせてくれるんだろー。とはいえ精霊の地位向上を訴え活動するハイディのキャラとか、金のためには泥棒だって平気なクルナの行動パターンを組み合わせると、やっぱりコメディにしかならないよなあ。来月発売「えきさいと・ぶるう」を待とう。「赤」の「ポゼッション・クリムゾン」は基本的にはノロけ話でコーティとフォロンの美味しいところが浴びるよーに食べられお腹いっぱい。「白」の「ダンシング・ホワイト・ナイト」は音楽のあるなしに関わらず精霊って人好きっで思えてくるから案外に「たいぐれっしょん・ぶるぅ」みたいな付きまといもあるのかも。「ぶれっしんぐ・ぶらっく」は長編のパターンをしっかり踏襲。巧いなあ。

 いきなりオープニングの歌だけ代わって絵はまるで代わってないからいったいどこのマッドビデオかと思った「コードギアス 反逆のルルーシュ」。だったら同じFLOWの「DAYS」をはめておけばその逆もピッタリってこの裏返して、どんぴしゃりなはまり具合を見せたんじゃなかろーか。時間が間に合わなかったのかなあ。あと数ヶ月をつないで休憩に入るから作らなくっても良いやって思ったのかなあ。

 まあ3カ月毎に確実に変えたって番組自体の認知度アップにはあんまり役立たなかった「交響詩篇エウレカセブン」の例もあるから変えれば良いって訳ではないんだろーけれど、でも「エウレカ」の場合はオープニングだけはちゃんと評判になってて、だからCDもそれなりに人気になった訳で、それでも評判にならなかったのは本編にかかる責任の比重の大きさ故。本編で評判になっている作品が更なる飛躍を狙いつつ今の評判を保ちたかったら、細かいとこにも目を配ってオープニングを差し替える手間くらい掛けて欲しかった。もっとも代わるとC.C.の丸いまるいヒップが引っ込んじゃうから今のまんまで良いという意見も僕の中にあったりして悩ましい。これが愛。

 ところでC.C.とルルーシュはいったいどーなんったんだろーあの場面。ルルーシュが迫って来る場面でC.C.が抱えていた妙な縫いぐるみは、ルルーシュがシャワーを浴びている間も抱えたまんまだったらあの場面は結局イタせずに終わったと見るのは希望的観測も込みで普通の思考か。でも間に何がはさまっていたってやるときゃやるって可能性もあるし。ニーナん時よりゃ分かりにくい。ルルーシュは成長したんだろーか。それとも未だにC.C.から嘲笑される桜な身なのか。

 ただこれだけは言える。帝国にとって目下の最大の敵である人間を追いつめ急襲しようって作戦の時に普通は周囲を厳重に警戒してそこに元いる人は追いだし外から誰も入らないよーにするのが常道。それこそアリ1匹すら入れないくらいの厳重な警戒網を敷いて当然な場所にたった1人でのこのこと、女子高生が紛れ込んでは最大のホットゾーンともいえる、皇女殿下が鎮座ましましておられる場所の側まで近づけるもんじゃないだろう。

 なのにあの瞬間のあの場所にご都合よろしく女子高生がいて、それが皇女の命を救いゼロを窮地へと追い込んでしまうのは展開としてやや都合が宜し過ぎるよーな気もしないでもない。全体として合理的な説明の成り立つ行動状況を積み上げ来ていただけにやや残念。でもまあそーゆーこともありえるんだとここは認めつつ次週、ちょっと大きな転機となりそーな展開を心待ちにして放映に臨もう。

 んでもって再編集により再放送の「カレイドスター」を鑑賞、面白いなあ、この面白さなら普通に夕方5時とかに再放送されたら子供は釘付けだよきっと、って言ったって今時の夕方5時とか6時にアニメが再放送されるなんてこと事態がなくなっているのが残念。昔ってそーした時間帯に再放送されるアニメを見てアニメの面白さを知ってアニメ好きになったものあけど今は夕方がニュース番組とかになってしまってて、テレビ東京が新作を放映しているくらいでアニメが再放送されることなんてあんまりないからなあ。

 過去に幾ら名作があったって、放映当時に見逃してしまえば後は知られず埋もれて消えてしまうのが今。DVDを買ってもらって回収のサイクルが閉じてしまい記憶が後につながっていかない状況を、変えて名作を放映から何年も時間が経つ中で育て上げていく為には何が必要なんだろー。過去のものでも放映するテレビ局の施策か。そりゃ無理か。放映させて頂くんじゃなくって放映してやるってスタンスでコンテンツを集める頭の高い商売しているメディアだから。免許業種の癖をして。あと新作を作らないと事業が回らないアニメ会社の事情か。結局は自業自得気味に業界の活力を減退されているんだなあ。あと何年くらい保つのかなあ。「赤ずきん」は来週はエプロン娘グレーテルが大活躍? 見なきゃ。


【1月12日】 ニュースがないからってフリートークを始める女子アナウンサーってあり得るのか。詰め物をして胸を大きくする科学を素晴らしいと感動する子供って良いのか。トマトのタルトって何だ。黒猫のっけた方が悪役っぽいって言い出す首領ってどんなだ。子供の目の前で飼ってる鳥をつかまえ焼き鳥は好きかと聞くおじさんはどうしたものだ。社員が空から振ってくる会社って変じゃないのか。所属タレントと胸の大きさを来そう芸能プロダクションの女社長って大丈夫か。とかとか不思議に不可思議なシチュエーションがテンコ盛り。「セイントオクトーバー」ってやっぱり変だ。変だけどでも妙に面白い。このバランス。計算かそれとも天然か。

 声にも馴れた。キャラクターも性格はともかく絵はちゃんとしてる。眼鏡の先生が実に可愛い。うそちち呼ばわりされた女優の怪人も胸の形はしっかりしていておまけに揺れてて見る目に感動。設定も何となく見えて来て今回はストーリーも割りにしっかりしていて時間が経つのも早かった。結論として面白そう。さらにまだ出てない赤くて粗野っぽく乱暴っぽい女の子が絡んでくればボケにツッコミの勢揃いしていた敵方に対抗して正義の味方側も楽しい漫才を繰り広げられるよーになるだろー。期待して毎週を見ていこう。それにしてもやっぱり変だ次回予告のバックの徒手体操。動きが完璧に近いだけになお変だ。

 えっとこれは「セイントオクトーバー」が「BLACK LAGOON」している話? って冒頭を見てふっと思った「ヴィーナスヴァーサスヴァイアラス」。もう1度書いてみよう「ヴィーナスヴァーサスヴァイアラス」。ちゃんと書けた、かな。でも1度では覚えきれなかったよどーゆー意味だよ略称は「VVV」か。子供が舌を噛むよーなタイトルをアニメにつけてはいけません。絵はまあこんなもんかなあ。「セイントオクトーバー」より立体感はあるよーな。でも「セイントオクトーバー」は展開の不条理不可思議さも込みで一種の様式なんであれはあれで良いのだ。「ヴィーナスヴァーサスヴァイアラス」はリアル&シリアスの半歩手前くらいで踏みとどまった絵って感じ。華美に傾かずコミカルに留まらない微妙な立ち位置が面白い。あと色彩が独特っていうか味があるっていうか。「セイントオクトーバー」みたいな阿呆さを笑うことは出来なさそうだけど、こっちはこれで味わいつつ見ていこう。眼帯少女以外と胸あるじゃん。

 腐女子も演れば腐れ女子大生も演じる川澄綾子さんに、敬礼。いよいよアニメーション版も始まった「のだめカンタービレ」は未だ読んでいない原作の雰囲気がおそらくは色濃く出まくっていて原作に思い入れのある人には、自分が漫画を読んでいるテンポとは違った感じに流れセリフも喋られるアニメ版に曰く言い難いものを感じて戸惑っているんじゃなかろーか。それは「ハチミツとクローバー」のアニメ版が始まった時ともきっと同じだったんだろーけれど、「ハチクロ」と同様に原作への深い思い入れを持っていない身にはとてもとても楽しく面白く見られました。

 どこまでも天真爛漫、ってよりはずぼら前回なのだめ最高。それを演じきる川澄さんも。「星界の紋章」のラフィールが実は1番、健気で純情な少女だったんじゃないかと思えるくらいに「げんしけん」の大野加奈子やら「銀盤カレイドスコープ」の桜野タズサやらと、癖のあるキャラクターばかりをここ最近は演じて来ていたけれど、そーした押し出しの強いキャラとはまた違ったほんわか&ぴぎゃー系の役柄に挑戦して、易々とこなしてみせてくれるところにベテランの凄みを覚える。それとも訳になり切るために部屋の中をゴミだらけにしてベランダにもポリ袋をやまと積み上げた中に暮らして精神を限界まで追いつめそして遂に限界を突破させることによって、心底よりの達観楽観なのだめ的境地に達したんだろーか。もしかすると実生活ものだめに近かった? ともあれ適役はまり役。安心できる配役に漫画ファンお墨付きのストーリーの相乗効果がもたらす至福の時間をしばし過ごさせていただこう。

 桜庭一志と秋山成勲の戦いは体にクリームを塗っていたことが判明して秋山の勝利が取り消される事態となったけれど、桜庭一樹さんの方は書いている本の数ですでに秋山瑞人さんを追い越しトップ集団を文学通りに向けて疾走中。見渡せば周囲を有川浩さんに橋本紡さんが併走し、芥川直木の金時計を誰が最初に手にするかを競い合っている。そんなうちの1人、桜庭一樹さんが新宿でサイン会を開くってんで見物に行ったらこれがなかなかに盛況で、ライトノベルとはカテゴリーのやや異なる「赤朽葉家の伝説」であっても読みたいってファンの多さにちょっと驚く。

 でも見るとティーンから20代半ばあたりにさしかかった黒っぽいジャンパーの男子が割りに多く「GOSICK」シリーズのファンがそのままサイン会に駆けつけたって印象。「赤×ピンク」とか「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」とか「荒野の恋」とかが主力の読者として引きつけただろー女性陣の姿が、サイン会にはあまり見えないのは単純に売上規模として「GOSICK」シリーズが圧倒的ってことの現れか。それだけ富士見ブランドが凄いってことか。でもなあ、「赤朽葉家」だって読んで欲しいのは女性の方。「GOSICK」人気とはまた違うところに桜庭一樹のファンを育てていくにはもう1つ2つ、そーした層に届くメディアでの活躍が欲しいところだなあ。「野生時代」での特集は効果があるかなあ。

 そんな男子8割な行列に混じって僕のすぐ後ろに見た目高校生か中学生って感じの女の子がいて、暑かったのかほっぺたを真っ赤にしながらサインしてもらえる時間までずっと待っていたのが印象に残った。時折近寄ってきた母親らしー人と話してて、聞くとサイン会ってものに出るのはこれが始めてらしくって、そんな記念すべきイベントの相手に桜庭さんを選んだ人がいたって所に、ライトノベル好き男子とは違った層へと波及していく可能性の一端を見た思い。しかし最初にサインをもらった本が「赤朽葉家」とは女の子、読んで感銘を受けて暴走族に入って関東一円を締めるなんて言い出したら母親はいったいどーする気なんだろー。漫画家になるんだって言い出しても同様。せめて「荒野の恋」いしておけば…女好きお父さんの姿に男性不信を募らせられても困るか。


【1月11日】 4話入りで税抜き8800円だから1話2200円ってことでこりゃお買い得、なのかな「乙女はお姉さまに恋してる」DVD第1巻。名作との誉れも高い(とこっちが勝手に思い込んでる)エンディングがノンクレジットで収録されている上に、トランプも付きストラップもついての値段だからなおのことお買い得気分も募ります。これが普通になって欲しいよなあ、アニメーションのDVD価格。ここまでしなきゃ売れないって作品でもないのに、思い切った値段をつけてくれたスターチャイルドの感謝。でも第2巻からは3話入りで税抜き7500円だからなあ。やっぱり1巻は釣り値段? でも揃えます最後まで。トランプ欲しいしデフォルメ顔の。

 目下の関心は今月末に発売となる「コードギアス 反逆のルルーシュ」のDVD第1巻がどれくらい出るのかな? ってあたりで「機動戦士ガンダムSEED」と「DESTINY」がだいたい1巻あたりで10万枚、売れていたりすることからそれと同じくらいは売れるんじゃないかってのがとりあえずの皮算用。もしもムーブメントに火が着いて世間の一般層で「コードギアス」「ルルーシュ」「ぬるいな」等々の言葉が口にされ始めるよーになれば、30万枚越えって線もあるかもしれないけれどその為にはあと何が必要なんだろー。

 「新世紀エヴァンゲリオン」が投げっ放しの展開に大勢の眼が向き盛り上がったって経緯をたどったことを踏まえれば、「コードギアス」もそんな話題の口コミを招くフックが必要そー。あんな超大国がEUはEUとして残しながらも中東とか、日本列島とかはどこからも非難されることなく占領してしまえるのは何故なのか、とか特殊な鉱物を産出していた日本がその有利な立場をどーして保ち続けられなかったのか、軍隊はあったみたいだけどそれは機能していたのか機能していなかったのか、機能していなかったとしたら過去にどーゆー経緯があったのか等々、地政学的な部分も含めて考えれば面白そうなこともあるんだけど、衒学的に宗教哲学のキーワードを散りばめSFのガジェット特撮のシーンも織り交ぜたミクスチャー作品だった「エヴァ」のよーな、さまざまな角度からいろんな人が論じるにはちょっと範囲が狭いのが難点か。

 まあそれでも考える材料は豊富なんで例えば2050年の日本がどーなってるかを考えている哲学者とSF作家と経済学者のチームなんかが、そっちを放ってこっちにかかれば世間の注目度も高いんで関心が向いて作品の評判アップにつながるかも。あるいは「SFセミナー」なり「世界SF大会」の席上で監督なりスタッフなりを招いたトークセッションでも繰り広げれば、そーした方面からファンが増えて半年後とかに予定されているらしー後編の再会に向けた認知度アップも図れるんだけど。「SFセミナー」ではかつて放映が終わった直後に「エヴァ」の庵野秀明監督を招いて、作っている間に自殺したくなったとかってコメントを引き出し話題に火を着けた実績もあるから可能性があるなら是非に。セミナーが無理でもアニメ様の仕切るイベントなんかで是非に取り上げて頂きたいものだけどさて。

 15歳ってだけでも正義なんだけど加えて可愛いんだからもう絶対的に正義だって諸手を挙げて万歳したい北乃きいちゃんに、見える機会を頂戴できて今年もはや1年が終わったよーな気になれた。何とハッピーな後厄年か。「キットカット」て過去に宮沢りえさんやら菅野美穂さんやらを送り出してきたチョコレート菓子のイメージキャラクターに新たに第7代目として「純情きらり」やら「14才の母」やらに出演していた北乃きいちゃんがご就任ってことで会見があって、行くとまずは先代の鈴木杏ちゃんが現れ相変わらずにくりくりとした目で場内を睥睨。それだけでも充分だったのに杏ちゃんに続いて登壇したきいちゃんはくりくりっとした目に楚々とした口が特徴の美少女で、2人が並んだ壇上からは神々しいばかりの光が立ち上がっては場内を明るく照らしてた。ちょっと大げさか。

 いやしかしそれくらいの形容詞だってオーバーとは思えないくらいに可愛らしかった北乃きいちゃん。静かにしているとクールで知的なところもある美少女で、それが笑うととたんにキュートで愛くるしい美少女になるところが様々な顔を持つ女優って仕事に相応しいキャラクターだって言えそう。背はそれほど高くはなくって鈴木杏ちゃんよりやや低めだったけれど顔ちっちゃくってバランスはよくってこれで成長期から背が伸び160センチを越えてくれば、神々しさも加わって女優らしに溢れていきそう。とりあえずは瀬尾まい子さんの映画「幸福な食卓」での演技に注目。あと「キットカット」のサイトだかで公開されるショートムービーでの演技にも。何よりテレビCMで勝地涼さん相手に受験頑張ってと受験のお守りになっているらしー「キットカット」を手渡すCMの純情可憐ぶりに注目だ。

 ってか何時から「キットカット」が受験のお守りになったんだ? 語呂で「きっと勝っと」って九州弁のトーンで喋った言葉が「キットカット」に重なりそれが負けない落ちない合格だってことで受験のお守りになったらしー。「絶対」ではなく「きっと」って所が何とも控えめで、100%とはいえない効能を果たして信じて良いのかって疑問もあるけどそれでも何もないよりは「きっと」くらいでもあった方が良いってのが受験生の心情。すがれるものにはすがりたいって気持ちが実に4分の1の受験生に「キットカット」を持たせて受験に臨ませる原動力になっているんだろー。おりしも程なく大学センター試験がスタート。監督のアルバイトなんかしている人は会場で「キットカット持ってるかー?」って呼びかけてみると面白いかも。出来ないけれど。受験中に「キットカット」食うのって、違反?

 何とゆーか悩ましいとゆーか。マクドナルドが新しい朝食メニューを立ち上げたってんでサンケイビルの前にある広場を使ってキャンペーンの試食会を10日からスタートさせたんだけど、朝食メニューなだけあってイベントが行われるのが午前の7時くらいからと早くそして10時にはすでに終わっているため残りの時間、サンケイビル前の広場は空くってことになる。けれども屋台をしつらえテーブルと座席を居てマクドナルドの試食を味わうよーに作られたスペースに、試食会を開いている間以外の時間は誰も立ち入ることができず、日中の日が出ている時間を誰もいない状態が続いて妙に薄気味悪い。

 普通だったら昼時にはニュー屋台が来て昼ご飯を売り、それを買った近所の会社員がスペースにおかれたテーブルで食べているんだけど、キャンペーン期間中は使われていないにも関わらず締め出しを食らった格好。何かプライベートビーチだからと仕切り誰もいないにも関わらず誰もいれない浜辺って感じ。そんな仕打ちを受けて果たしてマクドナルドに好感を抱けるのか。あんまり抱きたくないってのが本音だろー。そーした感情にまるで配慮しないでスペースを占領し続けるマクドナルドが今は過去最高の売上高でも将来は果たしてどーなるか。奢れば足下、救われるぞ。


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