縮刷版2007年10月下旬号


【10月31日】 そして3度目くらいに挑んだ「コードギアス 反逆のルルーシュ」は真面目にナイトメアの強化と進化に取り組んだ甲斐あって敵の攻撃をしのぎきり扇チームもどうにか全滅を免れてミッションをクリアしラストシーンへと進むことが出来た模様。ここまで来ればあとは大きな戦闘はないんで一気にエンディングへと向かいそして7月の末と同じく向かい合い撃ち合ったスザクとルルーシュはいったいどーなってしまったんだ、って疑問と懸念を抱えて次のシリーズが始まるのを待つ羽目になるとゆー、続編のプロモーションとしても1期目のストーリーのおさらいとしても良く出来たソフトだったと分かって作った会社に喝采を贈りたくなる。あの入り組んでスピーディーな展開をよくぞここまで再現したもんだ。

 一部にやっぱり設定で端折られたところとかあってニーナは水爆だか原爆だかを抱えてナイトメアのガニメデで現れることはなかったし、ヴィレッタと扇の仲むつまじい同棲シーンもなかったけれどもジェレミアが復活しては珍妙な言葉を破裂させつつルルーシュを追いかけるシーンなんかはちゃんとあって言語感覚の愉快さを堪能する。あとテレビではさらりと流されたC.C.と得体の知れない何者かとの会話のシーンでさらりと貴婦人の絵が挟まれていたりするところにそうかやっぱりどこかにいる彼女と会話してたんだってことが判明。サンライズとか監修してるだろーからそーゆー設定がオフィシャルなものだって分かって発売の終わったDVDを今さらだけど見返し確認をとりたい気にもなって来た。そうか販促効果も持っているのか。2周目に入り知らないキャラが出てあと1周目では端折られたシーンが裏表紙のように出てきて間を埋めつつ改めて、ストーリーを確認していくことになりそー。終わるまでにはまた10時間くらいかかりそーだけどせっかくなんであと1周はつきあおう。同じくアニメのゲーム化として出た「天元突破グレンラガン」はどんな具合なんだろう?

 むくむくと起き出してこの時期恒例の「ライセンシング・アジア2007」を見物。「東京コンテンツマーケット」がどちらかといえば中小企業や個人がキャラクターを持ち寄り見せ合うイベントだとしたらこっちはプロのキャラクター関連企業がプロを相手にビジネスを展開する場。出ている企業も電通がいたりフジテレビジョンがいたりと大手がぞろりと揃ってて、見知ったキャラクターがいっぱいあってなかなかに目に楽しい。とはいえそんな既に有名なキャラでは商売にはなわない訳でメーンはこれから売り出したいキャラクター。それは新作でもいいし昔流行ったけれども最近はちょっとだったものを改めて広めたいってものでも良くってこれからのトレンドがどこへと向かいそうなのか、ってことが会場を眺めていると何となく見えてきて面白い。

 傾向として顕著だったのはやっぱり懐かしキャラの”復活”って奴でその筆頭がタツノコプロが出してた「ヤッターマン」。77年から2年くらいにわたって放送されてその後も幾度となく再放送されたギャグアニメの傑作だから知られている世代も拾いけれどもあまりに有名になり過ぎた挙げ句に特定の思い入れを持った人たちに伝統芸能的に受け入れられ、それがめぐって伝統芸能で良いんだって作り手の思いを惹起した結果「きらめきマン」とかいったものを生み出してはその限界性を露呈して、以後ちょっぴり路線として沈滞気味になっていたしタツノコ自体もどちらかといえば停滞気味になっていた。「鴉 KARAS」とか作っていたけどこれだって途中で止まっていた訳だし。

 んでもめぐる時代は王道復古以上の復古を求めるよーになっていたみたいで来年1月からのアニメーションはキャラクターのデザインがオリジナルのテイストを改変せずに受け継ぎ実に目に素晴らしく、これで今の動きが載ればいったいどれだけの作品にしあがるかって期待も膨らんでいるんだけれどさてはて、総監督の笹川ひろしさんの冴えにとりあえず期待かな。あとはやっぱりドロンジョさまの声が誰になるかってところだけれどもツンツン美少女はいっぱいいてもケンケンお姉さまってのがなかなか居がたい昨今。艶があって毒があって背中にジンと来る声の持ち主ってのを考えるとうーん、難しいよなあやっぱり、榊原良子さんでは知性が前に立ちすぎるし戸田恵子さんでは色気がやや下がる。根谷美智子さんじゃあ若すぎる? いっそ平野綾さんくらいをもって来て若いファンをもひきつけるぐらいの冒険があったら楽しいんだけれど。その場合だとトンズラーにボヤッキーは誰が良い? どちらも山寺でオッケー?

 そっちが30年ならこっちは40年ってことでホリプロのブースでは「バハハーイ」の「ケロヨン」が復活中。すでにDVDなんかも出ているみたいだけれども来年あたりからぬいぐるみとかにして展開していくらしー。いやあ懐かしいなあ。けど実んところほとんど具体的な記憶がない。カエルのキャラクターだったということは覚えているけど、後に登場してきた様々なカエルのキャラクターが混在してこういう姿だったって印象が実は乏しくなっていた。改めて見た「ケロヨン」はなかなかにスマートでダンディ。さすがは藤城清治さんが作り上げたキャラクターだけのことはある。これをさてはていったいどーゆー風に広めていくのか。ダテキョーとの競演? いやそれはさすがに。「お茶犬」でキャラクタービジネスに割って入ってそれなりな実績も挙げているだけに、きっといろいろ展開してみせるんだろー。まずはホリプロのタレント全員がお別れの挨拶を統一だ「バハハーイ」に。

 個人での参加も割といて「東京コンテンツマーケット2007」なんかとも重なっていたりする人がいてあああちらでも見たとかご挨拶。そんな中で「六本木ヒルズ」では場所が奥まっていたこともあって目に付かなかったらたこさんって人のイラストや造型をベースにして物語を作り上げようとしている「ホールマン・スタジオ」が平場にいた関係もあって目によくついて近寄ってまずはフィギュアを観察。人物だけじゃなくって動物も含めてオリジナリティを持った造型なのがすごいというか才能で、それを今はディオラマ的に飾って写真をとったりイラストへと仕上げたりしているんだけれどオリジナルの世界観をもっと広めたいってことで、アニメ作りなんかにも挑戦しているんだって言っていた。猫のおじさんが2本脚ですくっと立ったフィギュアがあってそれを動かしてアニメにしたいって言っていたけど時間も手間もかかりそー。でも出来上がったら「こまねこ」みたいにほのぼのとして味わい深い映像に仕上がりそう。いつ頃お目にかかれるかな。「東京アニメアワード」の一般公募部門に応募してくれるかな。

 んで地元の名古屋からやって来ていた「おもちの天使 オグラ・ラ」とかゆーキャラクターも見物。つまりはお餅の天使なんだけれどもそれを引っさげまずは「ライセンシングアジア」なんて企業相手のキャラクタービジネスの場へと乗り込んできた勇気に喝采。「東京コンテンツマーケット2007」には出ていなかったんですか? と尋ねたら存在すら知らなかったんでこれからビジネスを始めたいってゆー意気込みでまずはそれっぽいイベントに出てみたって感じ。それでもある程度は形になっていたりすれば使う方も分かりやすいんだけれどもとりあえず、キャラクターがあって設定があるだけなのをさてはてどーやって使おうか、ってところまで来場者の人はなかなか考えてくれない。

 でもそーゆー中から見つけたキャラクターがひょんなことからヒットすることだってあるのがこの世界。「タイツくん」だてかれこれ5年くらい前から出し続けてよーやくここまで来た訳だし、無名なキャラでもまずは出して反応を伺いつつ直すべきところは直し、来年に挑んで印象をつかんでそして広げていくってのが良いのかも。「タイツくん」のスイスイが去年から出してる「obetomo」だって今まで具体的な商品化にはなかなか結びついてなさそーだしなあ。難しい。けどだからこそ面白いのだキャラクタービジネスって奴は。


【10月30日】 だめだ弱すぎだ扇これまで2回ともこてんぱんにやられてゲームオーバーになってしまったいったいどーやったら勝ち抜けるんだ「コードギアス 反逆のルルーシュ」の東京租界攻略編。藤堂がギルフォードくらいに負けようともあんまり関係ないんだけれど扇がやられて全滅をくらうとそこでゲームオーバーになってしまって先に進めない。もっと強くしておくかそれともどんどんと行き帰りの術を使って無理にでも突破するべきか。分からないけどまあいずれ遠からず攻略をして2周目へと行きたいけれども行けるのはいつ。

 んで「バンブーブレード」はいよいよ始まる練習試合でたまちゃんがとりあえず大活躍。それはもう分かり切っているから残るミヤミヤが黒さで敵の安藤とかゆー反則大好きな腹黒娘とブラック対決をするのかと思ったけれども順番的には違うみたい。むしろ見目麗しさでの対決か。未だ5人目の眼鏡娘が登場して来ないけれども彼女ってどの辺りから出てくるんだろー、このままだと単行本を買っちゃいそー、アニメ化された時点で未読なのはとりあえずアニメが終わるまで読まない主義だったけれどもそれとて「もやしもん」で破られてしまっているしなあ。「スケッチブック」はほのぼのとはしていたけれどもキャラの登場が少なくってちょっとパス。やっぱり掛け合いまくりの中で1人ぽつねんとほのぼのをやっている構図が好きなんだ。来週以降の復活に期待。

   親和性、って意味でさてはてどこまで「iPod」のユーザーとアニメ関連の楽曲を好んで聴く層との間に重なっている部分があるかは分からないけれども昨今の誰でも「iPod」持ってるぜ的風潮から言えば多分に重なっていたりするのかもしれず、秋葉原あたりで手に持つ「iPod」を暴けばそこにはずらりと居並ぶランティスにスターチャイルドにビクターにジェネオンにアニプレックスといったレーベルの作品群。CDを買ってはせっせと移してシャッフルしながら聞き入っていたりするのかもしれないけれどもここでひとつ、悩みがあるとしたらアニメ関係のCDの高さってことになるのかも。シングルって言ってもマキシが大半で2曲にプラスカラオケで1000円超。聴ける楽曲につまりは1曲500円は払っている寸法だけれどキャラクターグッズとして捉えるとやっぱり買わずにはいられない。うーん悩ましい。

 ってことで天下のランティスがいよいよもって「iTunes Sotre Japan」に楽曲提供。1曲のお値段は200円。高いか、って言われればまあそれなりではあるけれどもマキシシングルで使っていた値段を思えばジャケットとかいったブツは手に入らなくても曲だけは聴けてオッケーって人もそれなりに開拓できるかも。いきなり同発ではやっぱり影響も出るのか10月31日からすたーとさせるのは「ALI PROJECT」の「薔薇架刑」とか栗林みな実さんの「Yell!」とか美郷あきさんの「BLOOD QUEEN」といった既にCDで発売からしばらく経ったものが中心。その数なんと241曲ってんだから調べれば相当にいろいろと入っているかもしれない。

 さらに11月7日には待望の「冒険でしょでしょ?」「ハレ晴れユカイ」といった「涼宮ハルヒ」関連の楽曲がいっせいに登場するとかどうとか。これも発売から軽く1年以上は経っているから今さらCDの売り上げに影響は出ず、けれども第2期とかいろいろあるしゲームの発売もあってそれだったらちょっと聞いてみたいって人にちょろっとつまんでもらえるかも。ここで追加されるのは566曲だからやっぱり相当にいろいろな楽曲が含まれていそー。未発表曲とかオリジナル楽曲も追加されるってリリースにはあったけれどもいったいどんな楽曲が出て来るんだろー。1000曲まで年内に追加されるってんだからその頃に調べてあれもあるこれもあるって買っていたりするんだろーなー。ジャケットのデータなんかも一緒に配信されたら嬉しいな。「iPod」のデカい奴を買っちゃうかもしれないな。

 文体とそれから漂う達観気味の雰囲気とそして最後にわいてくる切なさって意味では比嘉智康さんの「ギャルゴ!!!!! 地方都市伝説大全」(MF文庫J)は悪くない。会えているならそのタイトルの軽さが作品の本来持っているそこはかとない重さって奴を覆い隠して単なる少年の美少女(ただし人外)ハーレム物ってイメージばかり浮かび上がらせているけれど、そこで間違えて手に取り読んだ人がじっとりと迫る重みを感じてこれはと思ってくれる方が、感じる物もより切実になるだろうって計算なんかが働いている、訳はないか、たんに売れそうな雰囲気をまぶしてみせたってゆー、それが商業出版の鉄の掟。エクスクラメーションマークの羅列が如実に物語る。そこまで強調する話でもないのにねえ。

 歳を食いながらも見かけのまるで変化しなかった婆さんは物干し竿を放り投げては占う占い方法を得意として街の人から頼られていたけれどもある時にポックリと逝ってしまって後に遺言。孫息子は女性にはまるでもてないけれども人外の女からだけはやたらともてるってこととあと、婆さんの跡を継いで物干し竿を使いいろいろやってくれってことで言葉のとおりに少年は、普通の女性からはまるでもてなかったのになぜかギャルゲーをプレーすれば百戦百勝百発百中。どんなに難解な相手であっても攻略してしまうその腕前から「ギャルゲーゴッド」とこ「ギャルゴ」と呼ばれるよーになり、人間の女性からはますます敬遠されるよーになって今に至っていたそんなある時。

 近所のコンビニに買われているドーベルマンの雌にやたらとなつかれるよーになりさらに妹の部屋にあったナイスバディな人形からも慕われるよーになったりと身の回りに不思議なことが次々と。そしてなぜか人間の少女にも慕われ彼女がダルマののろいだか何かにとりつかれたのを助けてあげてさらに深まる親交。ところはそれはそれ、理由があったりしてラストにぐわっと浮かび上がって少年の気分をずっしりと想い物にさせる。途中に出てきた白い缶の飲み物を飲むと肉体がパワフルになるって事件はそれとして解決しつつも現れた敵と残された難問にいったい少年はどう対峙していくのか。結果として見える悲しい別離への想像もかきたてられるけれどもその辺り、果たしてどうやって描き出してくれるのか、それともギャルゴの名に恥じないコミカルな展開へと逃げてしまうのか。注目しつつ続きを待とう。


【10月29日】 中途半端に25分押しで始まったもんだから最初の30分は冒頭だけが入って次の30分はお尻が余ってつなげればまあ見られないこともなかった「みなみけ」では、叔父さんとやらがおしかけ落ち込む傍らで千秋が脱いで着替える様が微妙に陰になって見えず残念。といってもそのまま見せたらそれこそ目に毒だったんで微妙な隠しは仕方がない。可能ならばDVDではずらして是非にまんまのすっぽんぽんを。ついでに脱げたスカートの下にあったものも叔父さんの頭が邪魔で見えなかったんでこれも是非にDVDで。復活を。

 学校じゃあ眼鏡の100点少女が捕まえられる時にいっつもスカートのすそを掴まれてたけど女子って普通にそーゆーことをするのかなあ。でも実際問題にふわっと開いたスカートの裾でそれも最近の割に腰に近いところで広がった裾は手に掴みやすそーだもんなあ。1人ならまだしも最後に2人につかまれて、それでもまくれあがらなかった裾にちょっと嫉妬。天才少女は下にいったい何を掃いていたのか。白かったのか黒かったのか大きかったのか小さかったのか。白でも黒でも目に見えるそれは良いそれだと中国の偉い人も言っていた。そこんところもDVDでは是非に、ちらりとでもいいから、頼みますたのみます。

 まあ想定の範囲内というか、事前に予想していたまんまというか、おそらくはそうなるんだろうって考えていたことがことごとく当たってしまっている現状に、計画を練り上げ道筋を立てて下々を引っ張る方々の思考のストレートぶりっていうか、下々が考えの及ばない雲上ぶりっていうのが分かって何とも気ぜわしい。或いは経営者とかそうなるんだって気持ちでは分かってはいても転がり始めた巨大な球はもはや止められないっていうか、いろいろな物が邪魔して身動きとれないまま隘路へと突き進んでは自爆してしまう、太平洋戦争時あたりの軍隊っぽい体質が見えて悩ましさに心沈むこの1カ月。

 あまりにアレなんで更に酷い状況を想定してみて気持ちを楽にしよーと思考実験を試みる。とあるグループ。商品に特徴はあるものの売り方がまずくって経営が何ともかんともな子会社から親会社へと人員を移し、経営を見かけ上スリム化した上に親会社で弱体化も甚だしい営業部門にに厚みを持たせつつ、そこで子会社の面倒も見させてトータルでのシナジー効果を狙い、なおかつ新しく始める事業を迅速に処理する上で、そっちも見かけ上増えた人員でもって対処させようってゆー三方両得をにらんだ施策が打ち出されたとしよう。それを合理的だ効率的だと諸手を挙げて歓迎する偉い人たちや偉くなりたい人たちの姿が見られたとしても、下っ端の方では子会社から回って来た人材は親会社がいいように使い、それまでの至らなかった部分を埋めて楽になろうとする一方で、子会社の方はまあ適当にやっておいてよって事態になるって予想浮かんで当然だ。

 結果、起こるのは親会社の評価を気にしてそちらの品物ばかり売り、子会社の品物なんて目もくれない輩の大量発生。衰えたとはいえ存続している以上は子会社にだって届く注文はあるのに、それは後回しにして親会社の営業に精を出しては良い目を見ようとする。それまで1日で届いていた品物が2日かかり3日かかるようになってはお客さんだって離れていく。それでも色や形や味に違いがあったならば多少の遅れは目をつぶって買っていたものが、作り分けて売り分ける約束で統合された営業本部の面々が、そんなことは手間だと商品を親会社のものに統一してしまったからもはや子会社で2日3日遅れて同じ品物を買う人はおらず、かくして子会社は沈滞から一気に破綻の道をたどり残された面々はともに沈没するという、そんなシナリオが浮かんだりしたけどそれが自分とどう関わりがあるかは自分でもあんまり分からないんで、ここは無関係を装いそんな会社なんてないと良いなあと祈る秋の夜。眠れない。

 空想に遊ぶのは心の健康にも芳しくないんで止めて上野公園へと散策に行けたら良かったけれども仕事で東京国立博物館に新しく出来たミュージアムシアターの見学会に行く前に、上野の森美術館で開催中の「大シャガール展」とやらを見たけど「大」ってついている割にはメーンは版画だったり写真家が撮ったシャガールの創作風景ってあたりが何とも不思議なネーミング。それとも「大」とはすなわち肖像写真でありキャラクターグッズを意味する言葉ってことにいつの間にかなったのか。まあそれでも油絵とかグァッシュでの作品といった直筆のものも難点か並んでいたんで、言ってフェルメールが1枚しかないとかいったフェルメールの名を冠した展覧会よりはまだ良心への敬意が見られるかも。

 もっとも版画ばかりとはいっても逆にこれだけのシャガールの版画作品を一気に見られる機会もなかなかなくって、「ダフネスとクローエ」とか「聖書」とかいった題材にシャガールがつけた絵が、ずらりと勢揃いしてなかなかに壮観。ベタベタと塗り重ねられた直筆の絵とは違ってシンプルな線と色彩でもって表現されたモチーフが持つフォルムは、その構成も含めてシャガールの神髄を実にくっきりと現していて目に見るだけでそうかそういう線なのか、そういう配置なのかと勉強になる。簡単な線なのに出せない女性の色香。そして空間の不思議さ。入場料金もそれなりだしシャガールを撮影した写真の背後に写っている女の子とかにも可愛い子がいたりしたんでこれは良い展覧会だったと見終わってそんな評価に至る。フェルメールの方はどーなんだろー。

 んでもって凸版印刷が東京国立博物館に作ったバーチャルリアリティのシアターを見物。法隆寺に伝えられてきた「聖徳太子 絵伝」を取り込み4Kってハイビジョンの4倍はある高精細のプロジェクターでもって映し出してみせる試みだけど、バーチャルリアリティだけあって角度を変えてみたり寄って拡大してみたりが自由自在。それでいて崩れず色もくっきりとしていることろにスキャナーで取り込みテクスチャーとして張り付けるだけとは違った凸版印刷ならではのノウハウがあるみたい。印刷会社がどーして映像を? ってことになるけど印刷ってDTPよりさらに昔から印刷物のデジタル処理に取り組んで来た経緯があってコンピューター業界よりもテレビや映画業界よりもむしろ高いノウハウを持っている。そーして出来た「聖徳太子 絵伝」は隣で公開されている実物よりも実物らしさがあったりするから驚きかも。今が両方を見て比べられるチャンスなんで関心のある人は是非に。魔女おばさんはいないけど。

 美術と印刷会社といったら大日本印刷も去年の今頃に五反田のビルに「ルーヴルDNPミュージアムラボ」ってのを付くってルーヴル美術館から1点づつ、作品を持ってきて展示しつつそれをマルチメディアの技術を使って様々な角度から見せる実験ってのを続けていて1回目はジェリコの「銃騎士」が来てそれから春にタナグラってギリシアの小さい人形がやって来たけど今回は大物、ルネッサンス期のヴェネチアで活躍したティツィアーノって画家でも名作と名高い、らしい「うさぎの聖母」ってのがやって来ては現在日本で初めて公開されている。というかティツィアーノの作品を常設している美術館が日本にはないらいしから現在日本で唯一のティツィアーノ作品って訳でそーゆーのが好きな人ならまずは通ってその目でしっかとフィレンツッェあたりのフォルムがしっかりしている絵とはまた違った、空気感もたっぷりで色彩も鮮やかなヴェネツィア派の作風って奴を見ておくべきだろー。

 でもってその後は今回も登場のマルチメディア美術館。例えば絵が映し出されたモニターを指さすとその先にある宇分だけがちょろっと拡大されて単眼鏡とか使わず絵を間近に見られる装置とか、遠近感を出すために手前から奥へと小さく風景上のオブジェクトが配置された絵を分解して前へと歩み出すと手前のオブジェクトが拡大されては送り出されて奥にあるオブジェクトが迫りさらに進むとそれが後方に下がってさらに奥のオブジェクトが立ち上がるって感じに、絵の中を進んでいける装置とかがあってなかなか楽しめる。愁眉が目線を追う装置で絵のどこをじっくり見ているのかってのが線で描き出されて例えば聖母の顔ばっかり見ているとか、ウサギばっかり見ているってのが他人にバレバレになってしまう。

 これがもしも「ウルビノのヴィーナス」ってゴヤの「裸のマハ」とかマネの「オランピア」って裸体画の傑作の元になったとも言われる絵だったら目線はまずは盛り上がったバストなり、手の添えられた脚と脚の間なりに向かって他人に気恥ずかしい想いをしかたもしれない。「聖母」で良かった。この技術ってあるいは広告ポスターの開発なにかにも使えそう、っていうか実際に使われているそーで、その辺り広告ポスターも手がける印刷会社の技術って奴が美術鑑賞に活かされているって言えるのかも。ほしのあきさんのグラビアだったら目は向かうは谷間かなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」のC.C.だったややっぱりお尻? 差し替えて試してみたいなあ。


【10月28日】 とりあえず今秋期のオープニングでは「ef」が1番好きかもしれないけれども本編の方は最新の奴を実はまだ見てなかったりして、だんだんとリアルタイムでの試聴が落ちて来ていて貯まる一方でこのままきっと見ないでDVD−RAMに移して終わりってのが山と出るんだろーなと予想。だいたい必ず見るのは「レンタルマギカ」「みなみけ」「バンブーブレード」「スケッチブック」「げんしけん2」「BLUE DROP」「もやしもん」「スカイガールズ」「しおんの王」「ハヤテのごとく」あたりか。何か脈絡ないなあ。「電脳コイル」は全部録画もしていてDVDだって買っているのに未だ第1話しか見ていない。そろそろ見返すか。「ガンダム00」は2話くらいまで見たけどその後どーなった? 中華娘の活躍だけに期待。

 「ミスマガ」(ミスマガジンとは無関係)な「ミスよみ」(「あずまんが大王」のよみがミスだという話ではない」絡みのお仕事の締め切りも近いんでやっぱり挙げておくかと樺薫さんの「めいたん メイドvs名探偵」(ガガガ文庫)をぺららぽらら。まあそれなりに書けてはいて愉快、かな、名探偵が事件を解決するたびにお屋敷が零落しては雇われていたメイドたちが解雇の憂き目に遭うんで名探偵とメイドは敵対関係にあるんだってゆー設定とか。そこにメイド道の神髄をはるか東洋の島国で近代まれにみる政変が起こった際に旧体制についてテロ活動を行った組織の副隊長に求める設定とか、楽園の泉がランデブーするSF作品を書いてたスリランカ在住の爺さんの若かりし日々とかを混ぜ込んで楽しみ所は増しているけどvs名探偵な本筋とあんまり絡まないっていうか、名探偵と別にほとんど戦ってないじゃんって所がやや気になったかも。その巨躯で天然理心流剣術を使い名探偵をことごとくなぎ倒していく格闘メイドもの、だったらというのはただのマニア的願望か。

 もののついでとこっちはミスとは無関係な「にこは神様に○○される?」(ガガガ文庫)も読了、時事的なネタを混ぜ込むのはその瞬間は楽しくっても何年か経つと陳腐化するからあんまりやんない方がいいかなあ、とは思ったもののすでにして「でんこ」は10年くらいは存在しているよーな感じもするんで別に良いのか。落ちてきた神様になつかれ起こる大騒動、ってのはまあよくありがちでそこに神様を慕う集団が乗り込んで来るってのもよくあって、それでもおもしろいのはそういう設定が面白がられてよく書かれていることが証明してたりはするけれども主人公の父親がどーして失踪してしまったか、ってあたりに関する仄めかしがあんまりなくってどこか尻切れ蜻蛉。続くのを前提として書かれているんだろーけれどとりあえず1段落させるか強烈な引きを残さないと続けて読もうって奇特な人を減らしてしまうんで要注意。自分にはなんにもないんだと気づき落ち込む主人公の性格設定はやや好み。そーゆー気分って、よくなるもんなあ。どこに行っても目立たないっていうか。関心を持たれることが少ないっていうか。誘われたりする機会が極端に言えばゼロだとか。持たれすぎても面倒だけれどなあんにもないと流石に悩ましい。人徳の無さに呆然としてじっと手を見る秋の真夜中。

 せっかくだからと神保町まで出たものの古本まつりを散策はしないで「タリーズ」に籠もって仕事をかたづけつつ大リーグのワールドシリーズの進行をチェックしたらレッドソックスが圧勝してた。いつかの時まで「バンビーノの呪い」とかって言われてまるでワールドシリーズに無縁だった球団がほとんど常連と化してしまったのは何だろー、やっぱり呪いが解けたのかそれとも確かフロリダあたりの球団を放り投げて名門の経営へと参画して来たオーナーのジョン・ヘンリーが持っている資金力か彼が引っ張ってきたゼネラルマネジャーのエプスタインがやり手なのか。まあ最大の理由はやっぱりエプスタインの手腕 なんだろーけれど、それを見出したオーナーの凄さもあってのもの。ともあれ現場とトップがともに聡明でなけりゃあ痛んだ組織はそれが名門であればあるほど立ち直れないままずるずると命脈だけ保って醜態をさらすんだ。名門ですらないのに上はぐらぐら下はきょろきょろの醜態でもって浮上どころか泥沼に沈みつつある組織が近所にあると余計に想いも強くなる。

 だらだらと「コードギアス 反逆のルルーシュ」のゲームを進める。だいたい本筋と同じか。選び方によって藤堂救出はあっても日本解放戦線を港ではめて撃滅する戦いへと行かないのがちょっと不思議というか、あそこでヴィレッタが負傷して扇の所に身を寄せることになるんだけれどもそれがなかったからヴィレッタがナリタ以降出て来なくなったのか、単純に脇役扱いだったからなのかは不明。シャーリーも父親は死んでも別に記憶をいじくられてないし。んで例の行政特区日本でのシーンは本編まんまでやっぱり見ていて悲しいなあ。あの激動の展開の中で見たからこそ絶望感もひとしおだったってのはあって、携帯型ゲーム機の画面でぱらぱらと進む展開だけ見ると何だこのルルーシュの間抜けぶりはって思えないこともないけれど、本編を知ってて幾度となく見返して慟哭した身ではもう条件反射的に涙がじんわりと浮かんで来る。ただでも血染めのユフィを抱えながらゼロの操るガウェインに戦いを挑んでくるスザクはどうかと思うぞ。そんな展開からいよいよ東京租界攻略戦となって全滅の憂き目に遭いゲームオーバーの連続。クリアするための条件が他にあるんだろーか。まあ良いやここで一気に進めてももったいないんでいろいろ考えながら進めて行こう。来年春の新シリーズスタートまでまだ間もあるし。


【10月27日】 「東京国際映画祭」では半分で止まった「もやしもん」の第3話をよーやくやっと全部見たけどまあ原作どおりでつまらないかというとそうでもなくってやっぱり愉快。ここからいくらドライブをかけても11話とゆー放送話数で届くのはどーだろー、学園祭のあたりかそれとも沖縄で古酒を探すあたりまでか。ゴスっ娘登場まで行ってくれないと楽しみがちょっと薄いんだけれどそっちは「げんしけん」での高坂くんの秋山時乃の真似でもって代替することにして「もやしもん」には第2期なんかの制作でもってしっかりと深い世界を描いていってもらうことにしよー。「菌劇場」だけで作るのに3週間はかかるってんだから無理して急いで劣化したものになっても困る。ゆっくりと。確実に。それが出来るからこその「ノイタミナ」。

 そうだ「ノイタミナ」といえば「のだめカンタービレ」に出てきたのだめっぽかった裏「ノイタミナ」枠の「スカイガールズ」でヒロイン張ってる音羽ちゃん。南の島に流れ着いてはキャンプ生活に入って救助を待つ4人娘でも出身が海辺で生活力に溢れた野生児だけあって1人魚釣りに水浴びに元気いっぱいなところを見せて幼いエリーゼを苛立たせる。瑛花も食料の調達が苦手で家もろくすっぽ造れないお嬢様な出身故の妙な劣等感から音羽にリーダーを譲ろうか、なんて言い出してしまうけれどもそんな生活に世界が逆戻りする時ってのはワームがはびこり文明が破壊されてしまった時。スカイガールズだってお役ご免な訳でリーダーもへったくれもないんでここはやっぱりビシッと締めて4人をまとめて世界を退行の危機から救って頂きたいところ。おっとりしている可憐が別に役立たずでもないってのはちょっと意外。具体的に何をしたかは不明だけど。

 雨のじとじとと降り始める中を家にいたって黴びるだけだと起き出し秋葉原へと向かい「秋葉原エンタまつり」をさらりと見物。とりあえず抽選をしてなにやらごちゃごちゃもらった後でホールで始まった「プレイステーションまつり」だか何かを見たけどうーん、何とゆーか地味とゆーかタイトルは忘れたけれどもCGのフィギュアっぽいキャラクターを使いアクションゲームの障害物みたいなのを自分で組み立ててコースを造っていくゲームだかがしつらえられて家族連れとかカップルなんかが楽しんでいたけれども行列が出来るほどじゃなし。今んところ最大の期待が持たれている「グランツーリスモ5プロローグ」はレカロシートにロジクールのハンドルがセットになったコックピットが「東京モーターショー」に出払っているため基本コントローラーでの操作するパターンのみ。せっかく秋葉原でアピールできるチャンスを思いっきりふいにしてしまってる。

 カメラでカードを読み込むと画面にカードが題材となったキャラクターが現れる「アイオブザジャッジメント」はデモプレーを写真に撮ろうとしたら近寄ってきたおねいさんが画面を写真に撮るなとこうるさい。だってもう売ってるソフトじゃん。んでもってカードの絵柄がCG化されるとこんなになるんだぜってことを同時に見せてこそ凄みが伝わるゲームじゃん。それを画面は撮るな、遊んでいるっぽい遠景だけにしろって言われてそんな風景だけでこのゲームの面白さをどーやって伝えられるんだ? それとも伝えてもらわなくって結構ってことなのか?

 そうかそれならそれで上等だ、その新しさを伝えて今の苦境よりも未来の可能性に期待をかけてあげたい気持ちもするっと萎えた。どうぞご自由に広めてください、上の空で応援しますから。しかし分からないよなあ、そのあたりの仕切りっぷり。未発売ならまだしも発売済みならパクられる心配なんてないのに。そもそもが3つくらいしかタイトルを並べない展示といい、イベント作りに力がまるで入ってない。昔ほど話題になる「PS」関連のCMも少なくなってるし、たまにあるCMも10年前とセンスが同じ。それで乗り切れるって偉い人たち、思い込んでいるのかなあ、そんな所からほころびが出て割れ目が広がりそして今、ってことになってしまっているのかなあ。無理にでもほころびを埋めて未来を嘘でも伺わせたドリーマー不在でよけいに目立って来ているなあ。拙いよなあ。いや別に知ったこっちゃないけれど。

 藍上陸さんのサイン会とかのぞこうかと思ったけれども雨で殺気立ってる行列をかきわけ編集の人に挨拶に行くのもはばかられたんでスルーして末広町へと向かう途中にある「すき家」で話題の「メガ牛丼」を注文、なるほど確かに量は多いけれどもそれでも驚くほどじゃあなかったな。これなら池袋の地下鉄丸の内線からパルコへと向かう途中にある地下の飲食スタンドで出してる牛丼の大森の方がご飯も多いし肉の量だってひけをとらないんじゃなかろーか。こっちは徹底して甘くしてあって腹への貯まりっぷりが凄いし。もちろん「すき家」の牛丼も「松屋」の牛めしに比べればまだ牛丼っぽさが強くって味も濃く、うま味もなかなかなんで総じて高い評価を下せそう。卵だけじゃなくってチーズとか、トッピング可能だったらやればさらに味にバリエーションが付きそう。トッピングとか店で出来たっけ? 出来なくっても持ち帰って家でハーブチーズを振りかけて食べてみたい気が。650円とやや安い期間が続いているうちにまた行こう。

 日日日さんにしてはまあ普通かな、設定もキャラクターも想定の範囲内におさまっていて普通に読んで楽しめる。「魔女の生徒会長」(MF文庫J)は子供の頃に男の子を殺してしまって自分は魔女になったと思い込んでる少女が大人になって学園の生徒会長として君臨しては悪い生徒を蹴り蹴り蹴りまくっては支配するくらいの強さを持つに至ったけれども実際ん所男の子はまだ生きていて、いっしょの学校に通ってたりして、けれども殺してしまったと思い込んでいる女の子の目には一切存在が映らないとゆー悲劇。それでも健気に生徒会長を支える少年やほかの生徒会役員の前に新たな騒動が巻き起こる。隻腕隻眼の少女を手に剣を持った少女が襲いそれを虚無僧のような男が止めようとしているというバトルの図。乗り込みケンカは両成敗だと諫めようとしたものの、隻腕隻眼の少女がただいじめられているよーには見えなかった。

 そして明らかになる彼女の正体。そして戦っていた相手との因縁。なるほどそこからはじまる血が吹き出て命すら吹き飛ぶ残酷描写は小説としてもなかなかに冒険的ではあるけれど、すでにして「ギロチンマシン中村奈々子」なんかを描いていたりする日日日さんにとっちゃあさしてエグくもない。解きほぐされて浮かび上がった真相も誤解が行き違った挙げ句の悲劇がもたらしたもので、そこに少年を殺めてしまったと信じ込んで、魔女に成らなくちゃいけないと思い込んでる生徒会長の少女の心情も重なって、想いをうまく伝えられない不器用な人間への同情が浮かんでジンとなる。人間努力すりゃあとてつもなくなれるってことでもあるのかな。日本が3分割されてるって設定もあってこのあたりがどう絡んで来るか、それとも絡まずやや異能気味な面子による学園バトルラブストーリーに終始するのか、ちょっと様子を見たい。いつもニコニコしている淀川ドロシーがするりとみせる凄みの正体にも興味。やっぱり彼女も強いのかなあ。

 「コードギアス 反逆のルルーシュ」のゲームをちょっとづつ。基本はだからロボットバトルで、3人をパーティーにして敵を撃破しつつミッションをクリアしていくって展開で、時々気を付けておかないと見方のポイントが下がって1撃で破壊されてしまいそーになるんで、アイテムからエリクシールでもポーションでもない何かを与えて回復させておかないと、あとで攻撃の手数が足りなくなるんで用心が必要ってあたりがRPGっぽいっていうのかな、いや別にRPGではないか、役割を演じている訳じゃないし。格闘アドベンチャーって言った方がやっぱり良さそう。そんなこんなでナリタ連山をゲームオーバーにならずにクリア。ランスロットはだから相手にするなってことか。強すぎるもんなあ。いつかでも倒せるのかな。本編ですら未だ無敵だからやっぱり最後まで直接対決はないのかな。仕事が山積みで未読の本も多々ある上に会社の方で間抜けさが炸裂していたりするんで先が面倒っぽいけど、せっかくだからちょっとづつでも頑張って先に進めていこう。


【10月26日】 んでつかつかと「コードギアス 反逆のルルーシュ」のゲームをプレー。RPG、って銘打ってあるけど別にパーティ組んでブリタニア帝国を攻略していくって感じじゃなくってシナリオに沿って進んでいって時々戦闘を操作していくアドベンチャーといった風情。「サクラ大戦」ほどストーリー部分がしっかりとしていないのは原作をある程度知っている人が振り返りながらプレーしてくってことを想定しているからなのかな、つまりは一種のキャラクター商品。その割には別にC.C.のサービスシーンが張っている訳じゃないしそもそもC.C.がまだ喋ってない。いったいいつ出てくるんだあのお尻。代わりにミレイ会長が「ガァァァァッッッッッッツ!」をデカい画面でやってくれたんでまあ良いか。

 そんなこんなでだいたい3話くらいまで進行。いよいよコーネリア様が日本上陸ってところで終えてあとは後日。強いんだろーなーやっぱり。ランスロットも目茶くちょくってカレンだかルルーシュの乗機が瞬殺された。このまま強くなったら勝てないんじゃなかろーか。でもまあそこそこにプレーできるのがこーゆーゲームの良いところか。2周目に入るといろいろオリジナルなキャラも出てくるみたいなんでそこまでは頑張ってプレーだ。音声操作も出来るみたいだけど夜中に台所でDSに向かって「ゼロ」「扇さん」って叫んでいるのも何か空しいなあ。もっといろいろ楽しめたら良いのに。カレンに向かって服を脱げとかC.C.に向かって腰を振れとか言ったらそのまんまに動くとか。おまけのディスクはまだ未聴。スクリーンセーバーには誰が出てきて何をしてくれるんだろー。帰ったら試してみよう。キーボードを叩くたびに「ぬるいな」とか言われるとさすがにいやかも。

 全部知っている。最初っから最後まで、ストーリーも設定もセリフも何もかも分かっているのに見始めたらもう目が離せない。夜の公園に佇む少女。現れる怪物。戦う少女。そして俺。始まったボーイ・ミーツ・ガールがどこへと向かい何が起こってそしてどうなるのか。分かっていたって関係ない。味わう感動はいささかも変化ない。むしろ増している? それはひるがえるスカートからのぞく脚が感じさせてくれるちょっぴりの官能分。滝本達彦の小説「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」から溢れ出ていた、寂しさを埋め虚ろさを払って未来へと向かおうと足掻く少女と少年たちの心の叫びが劇場映画となった「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」にもちゃんといっぱいに満ちている。そしてスクリーンから溢れ出して見ている者たちを既知か未知かは関係なく、男性かも女性かも日本人か外国人かも無関係に振るわせる。と思う。

 「東京国際映画祭」でもとりたてて見たい作品がなかったりした中で多分唯一絶対に見たいと思っていた「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」のスクリーニングが、朝からあるって「TIFFCOM007」の日活ブースに出ていた張り紙で知って申し込んでかけつけ鑑賞。有名人が出ている訳でもなければ名監督がメガホンを取ったわけでもなく、驚異のベストセラーってよりは知る人ぞ知るって未だそんな感じの作家の原作ではやっぱり超満員にはなっていなかったけれども、日本人だけじゃなくって外国のプレスもちらほら混じって始まった上映会。繰り広げられる原作の味をしっかりくみ取り笑いも織り交ぜそして感動させる味付けもしっかり行われた映画に内外を問わず適度な笑いが漏れ、そして誰も最後まで席を立たなかった。映画祭で誰も席に立たれない。多分これってとっても重要なこと。朝で他に行くところがなかったのかもしれないけれど、つまらなければお茶で飲んでた方がマシって考えがちな合理的なプレスに席を立たせないだけの内容を、力を映画が持っていたんだってここは誇って良いだろう。多分。

 もっと普通の木訥で冴えないお調子者ってイメージが小説版にはあってずるりと下げたズボンで頭はドレッドではないにしてもふくらんだパーマ頭の市原隼人に、最初ちょっぴり違和感も浮かぶかもしれないけれども今って時代にはこれがリアルな高校生。突っ張ってるって感じでもなく日々をヘラヘラと生きていたりするその虚ろな感じは「ネガティブハピー・チェーンソーエッヂ」のまさしく山本って感じに見ているうちに見えてきた。それから渡辺。飽きっぽくってこれまたお調子者だけれども決める時には決めるそのキャラクター性が話を前へとドライブさせる。何より能登。格好良いよ能登。三浦春馬さんって俳優が演じているんだけれど美形で長身で寡黙なよーできれると突っ走ってその挙げ句にどっかん。見るからにイケメンな彼の急ぎ過ぎな生き様に考え感じて山本が迷い渡辺が代わってそして3人で繰り広げる饗宴に、じんわりと涙が浮かんできた。最高のシーン。見逃すな。

 絵理ちゃんは「笑う大天使」のオスカル和音様で「ハチミツとクローバー」のあゆといった具合に美丈夫な役柄が多かったけれどもこっちでは割と普通の女の子。強気に見えてアクションもするけど止むに止まれずって張りつめた雰囲気をその端正な顔立ちに込めてちゃんとしっかり出していた。170センチ近い長身だから学校の同級生たちなんかに混じるときっと頭1個抜けちゃっただろーけどそこは山本とかチェーンソー男とかと絡む場面しかなかったんで目立たなかった。スラリとした美人って印象。アクションよくぞ頑張った。まあ肝心な所はスタントだろーけど。チェーンソー男。誰が入っているんだろう? ってクレジットには書いてあったけれどもまあ良いや誰だって。舟木とかが素面で演ってたりしたらどーしよーかと思ったけれどもフードの怪しげな感じでなかなか良かった。怖かった。

 これが初監督ってことらしーけど原作の持つ雰囲気を壊さずテイストも残しメッセージもしっかりと込めた良い作品に仕上がっていた。デジタル・フロンティアお得意にCGIも完璧な感じで散る雪とか薔薇の花びらとかは画面にしっかりと溶け込み良い効果を上げていた。アクションシーンの合成も見て違和感なし。なるほどちゃちな造型よりもCGの方が良いんじゃないのってグループトップが喋っていたその自信にもちゃんとした根拠がありそー。ってな感じにとにかくそのまんま「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」。市原隼人さんのモノローグ部分がぼそぼそとした感じで棒読みだって話が伝わっているけどこれって本物の滝本竜彦さんの喋りにそっくりじゃん。だから気にならなかったし本編に入るとセリフはちゃんと出ていたんでますます気にならなくなった。だからみんな劇場で見よう。見ればファンでも絶対に納得の1本。ファンでなくても今に戸惑い何かを探す気力もなくしている人なら見ていろいろ考えさせられる1本。公開されたらまた行こう。行って泣こうあのシーンで。そして見つめよう白が見えているかいないかを。

 本がかけがえのないもので、欠片ですら高値で取引されているって設定はどこか山形石押さんの「戦う司書」シリーズに重なるけれどもそこは「煌夜祭」でもって異形の世界を描いてみせた多崎礼さんだけあって最新シリーズ「<本>の<姫>は謳う1」(C・NOVELS)は本が発掘されて取引される世界を一方に置きつつ本ってものに思念を込めて作り上げる力を持っているだろう近未来的な人種が揃う世界の物語が順繰りに進んでいく「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」フォーマット。荒野を荒くれどもが行き交うメーンストーリーと天使たちが束ねる世界で進むサブストーリーには一見関係がないよーで、繰り出されるモチーフに重なるところがあったり一方での明示が一方でのアンサーになっていたりと割に恣意的。計算されて描かれているなってことが感じられる。ただそれが純粋に裏表なのか時系列的にずれているのかはちょっと不明。まあ4巻有る中でいずれ明らかにされていくんだろー。

 本の発掘を生業にしている褐色の肌を持って顔立ちは女性のよーだけれども片目を「レンタルマギカ」の樹みたく覆っている少年がいてその彼が手にしている本がちょっと他とは違ってる。何しろお姫様ってのが中に入って開くとぬおっと立ち上がってやあれやこれやと強気の口をきいて眼帯少年のアンガス・ケネスを振り回す。イラスト的には極めて巨大な山と谷を胸元にもったお姫様だけれど記憶がなくって体を探して少年を動かし世界に散らばっている文字(スペル)を集めて旅してる。1つ集まると本に張り付くって寸法で46だか貯まるとコンプリート。すでにいくつか貯まっていて、今も見つけて集めに行った先で出会ったのがお尋ね者の山賊とうり二つのお兄さん。どこか弱々しげな彼も加えた珍道中でもって埋もれた文字を探す旅がいったいどこへ向かうのか。文字を全部コンプリートした果てに世界は、お姫様は、アンガス・ケネスはどーなるのかって興味がまずはつながれる。

 一方で天上界、みたいなところでは感応力に優れた存在が天使でも上位に尊ばれて世を治めていて、そんな中に生まれた男は、心臓に弱さを抱えた赤ん坊の時に間引かれようとしても赤ん坊でありながら抵抗した挙げ句に生まれ出で、成長していくもののそこは欠陥がネックとなって上位に天使の仲間にはなれずにいた。ただしやっぱり持てる力の凄さもあって目を付けられていて、天使の間でだんだんと進む他を犠牲にしてでもエネルギーを確保し生き延びようとする動きが、アウトローながらも強い力を秘めた男へと向かっていく。そして起こるひとつの事件があるいは本筋になってるアンガス・ケネスの世界と絡むのかどーなのか。分からないけれどもそんな感じに絡み合って紡がれる世界はまだ4分の1が終わったばかりで、まるで見えない先に広がる壮大な世界創造の物語に今から期待がわっさわっさと膨らむ。ネイティブアメリカンを模したよーな一族の暮らしぶりとか、そんな彼らとタメを張ろうとする保安官の筋肉で語り合うよーな仕草とか、キャラ的にも設定的にも面白いところ多々あって、次ぎに繰り出される世界なりキャラにも興味津々。なんで早く次を。んでもって完結も早いといーな。とりあえずイラストではお姫さまを中心に。眼福とはこれを言う。


【10月25日】 昨日は昨日とて「幕張メッセ」へと「東京モーターショー」を見物に行って今日は今日とて「六本木ヒルズ」へと「東京国際映画祭」関連のイベントを見に行く野郎ってのもまあ世界にそんなにいないかも。つか「CEATEC」を「JAPAN国際コンテンツフェスティバル」の1つに取り上げてしまうんだったらカーデザインってゆー分野も日本が世界に誇れるコンテンツなんだと無理矢理にでも「コ・フェスタ」に混ぜ込んでしまえば「東京国際映画祭」に来ながらもろくすっぽ見たい映画もなくって戸惑っている人たちが大挙して幕張へと押し掛け時間を有意義に過ごせる一方で日本のアピールにもつながったのに。

 ってまあ日本のカーデザインで世界に誇れるものなんて「TOYOTA2000GT」と「スカイラインGC10(箱スカ)」と「スカイラインCG110(ケンメリ)」と初代セリカとくらいしかない(独断)から駄目か。最近だったら「RX−7」の最終形がすきだった。あと光岡の大蛇。いやしかしそれだと栄えある「コ・フェスタ」のフィナーレが看板にしている「東京国際映画祭」で終われなくなるから主催者もオッケーは出しづらいか。だいたいがもっとコンテンツ寄りの「ライセンシングアジア2007」ってイベントが来週にも「東京ビッグサイト」で始まるのにそれは「コ・フェスタ」に入ってないからなあ、業界団体じゃなくって企業が企画して新聞社が自社のイベントとして展開している私的なイベントだからってこともあるのかな。

 どっちにしたって今週末で終わりの「コ・フェスタ」が果たして成功したかどーかはいずれ明らかになるんだろーけど「劇的3時間SHOW」みたいな企画性のあるイベントは観衆として興味深かったけれども記録として残して出版とかする感じでもないところがもったいないというか、無駄遣いというか。それでどこかが儲ける、ってのが趣旨と合わないってんなら冊子にまとめて聴けなかった学生さんたちに配るくらいのことをすれば読んで目指そうって人材も増えるのに。いやいやそーゆー”夢”だけでは語れないってことが「日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の設立発表会見で明らかにされてしまったからなあ、”夢”より先に”お腹”を一杯にさせてくれ、いやせめて5分までは満たして頂きたいって、末端の声が「コ・フェスタ」のお偉いさんたちにどこまで届いたことやら。追随する記事もあんまり出ないし。

 いやそれをいうなら「コ・フェスタ」全体が大手とか言われるメディアから黙殺気味って言った方が現実的か。経済的ビジネス的な観点から日本のコンテンツ産業を盛り上げたいって意気込みから経済産業省が音頭をとってもあそこの情報を受け手として仕切っていたりする経済部はうちん所の範疇じゃないからとまるで無視。かといって文化部学芸部じゃあビジネス的な観点からの記事なんて書きたくないし書けやしないし経済様のショバを荒らすのもはばかられるってスタンスから「コ・フェスタ」を「コ・フェスタ」としては取り上げず、「東京国際映画祭」なら「映画祭」として取り上げ作品がどーの俳優がどーのと喋って終わり。ドラマフェスティバルも同様。これじゃあ連携感なんて出やしない。縦割り部署のまさに弊害って奴だけれどもかといってどうしよーもないからなあ、今の縦割り紙面じゃあ。

 モーターショーも行けば映画祭も行けば秋葉原も出入りすればJAniCAにだってMIAUにだって行く出没野郎がいてそれを全部載っけて紙面を埋める泡沫メディアは珍しいけど有り難いけど泡沫なんで世界に届かないというこのギャップ。親会社と部署的に統合したって子会社の泡沫ビジネス紙に書いてあることなんて泡沫だからと振り向きもせず、現実的には準でも名目的には全国津々浦々への浸透を標榜する親会社にまず載せるのが先決だとお昼くらいの発表でも子会社の早い締め切りはすっ飛ばし、遅い親会社にまず合わせることをこそ本望とする実に合理的というか、資本主義的にも立身出世的にも正しい態度で臨む方々ばかりなので仕方がない。それが社会って奴だ。あるいは会社って奴か。おかげで子会社の締め切りが早い版は1日遅れの記事が溢れて新製品なのに半分くらいは古新聞と化している。ちょっと早いだけの紙面ファーストすらやらないのにウェブファーストだって? まあいいやお手並み拝見と行こうかい。

 んでもって「東京国際映画祭」でにぎわう(?)六本木へと出かけて映画はみないで「東京コンテンツマーケット2007」を見物。「TIFFCOM」が大きくてお偉い会社のコンテンツを世界に売り込むマーケットならこっちは個人とか中小企業が持ってるコンテンツを企業とかに売り込むためのイベントで、雰囲気を言うなら「デザインフェスタ」とか「東京国際アニメフェア」のクリエーターズワールドに近い物があるけれども有料の「デザインフェスタ」と違って無料で出展できるとゆーのがクリエーターには有り難い模様。その代わりに審査もあって合格しないと出られないから出ればまあそれなりに優れた作品だって言えそーなんだけれども場所がロッポンギルズの地上40階なんてゴージャスな場所に去年から移って、来る人の脚もやや遠のいてしまったのか「デザインフェスタ」みたく人がわんさかって感じにならないのが微妙な所。スターが1人でも出れば知名度もぐっと上がってこいつは見逃せないってことになるんだろーけど果たして。

ピ正義のPマン、婦女子を連れてダンボー(違う)と対決!  ざっと見て去年に「TCMアワード」を受賞したTAKORASUさんが今年も出展していてキャラクターを作ったり作品に色を着けたりと新展開をプレゼンテーション。すでにその完成度はファインアートの域に来ているって思えるんだけれども1枚売れれば50万円が100万円になるファインアートも売れるまでが大変で、ご飯が食べられないんでイラスト方面からウェブコンテンツへと展開したくなる気もよく分かる。画廊なんて最初っから「東京コンテンツマーケット」なんて来ないし。ましてや美術館の学芸員なんて。ああここにも縦割り&ヒエラルキーが。似た作風では「りはめより恐ろしい」って角川で青春文学の賞を受賞した本の表紙を描いてた「水江未来・LOST UTOPIA」って人の作品が実に草間彌生的っていうかできやよい的っていうか、オブセッションが効いてて迫力があってTAKORASUさんの空想世界とはまた違った妄想世界を見せてくれていたけれども、ブースにいた作者っぽい人は話すと普通に好青年で、どこにいったいここまでの強迫観念があるのかと細胞を顕微鏡で調べたくなった。つかこれを商品化するタカラトミーっていったい。何をどうする考えなのか。ぬいぐるみ? 抱きまくら? ちょっと楽しみ。

 見て1番愉快だったのは絶滅動物をキャラクター化した上でフィギュア化して出展していたエフ・ティー・ビーって会社のブースで宮川アジュさんって人をフィーチャーしていろいろろ展開を計ろうとしていたみたい。着想もユニークな上に完成度も高く、すでにガチャガチャ化されていたりもするんだけれどバンダイだとかユージンといったメジャー所からじゃないから見かける機会は少なさそー。平面のイラストも描けるみたいでその上立体物の造型もオーケー。ファミ通の表紙を長く手がけてたりする上に、デザインしたキャラクターが野球とかサッカーのチームに採用されまくりな松下進さんみたいな活躍も期待出来そーだけれども、マスコットがドードーとかマンモスとかサーベルタイガーじゃあチームの絶滅も確約されたも同然なんでちょっと拙いか。でも面白そう。期待大。

 あとは「不思議の国のアリス」を日本のデパートなんかを舞台にしてフルCGで映像化している「〇 1/2計画」が気になったかなあ、センスも良いしなによりアリスだ、それもオリジナルに近い黒髪の。ディズニーの映画が強烈なだけにどこまで対抗できるイメージを繰り出せるかが課題になりそーだけれどデパートの中のガチャガチャとした雰囲気なんかよく描けているんでデパート好きでアリス好きには受けそう、ってそんな趣味の人間が世界にどれだけいるのやら。あとはやっぱり「創映会」ですか、「Pマン」の、去年も見たし「世界SF大会」の会場でも散々っぱら見たけど六本木ヒルズで見る「Pマン」はまた格別、おまけに今年は婦女子連れ。下のこじゃれた前庭なんかで格闘の1つでも見せてくれれば映画祭に来ている人たちに大受けするんだろーけれど、それが許されるほどお祭り気分な場所でもなければイベントでもないからなあ、そんな融通の利かなって奴もまた日本的。これじゃあコンテンツなんて世界に売れないよなあ。帰りがけに「コードギアス 反逆のルルーシュ」のゲーム(略称ゲームギアス)を購入、やっている暇はあるのか。


【10月24日】 高坂の格好が違う高坂の格好が違う高坂の格好が違う。んまあ「月刊アニメージュ」での設定資料を見て同人誌即売会でのコスプレは制服姿になるって分かってはいたけれども、漫画の方で見せてくれた脚にょっきりでお臍も見えててしゃがむとヤバいものまで見えてしまったあの衝撃がアニメ版の「げんしけん2」ではまるで感じられなかったのはどこかへの配慮かそれとも。っても開場前の会場内行列はしっかりルポルタージュしているからなあ、現実問題としてあるそーした事例のコメントを添えての紹介と、過激な衣装を煽る描写はやっぱり分けて考えた結果なのか。まあいいや見られなかった分は脳内で補完だ。

 んで「ナイトウィザード」はもう80年代90年代テイストな場当たり猛進展開も既に気にならなくなって月へと行ったらウサギがいて顔面百裂攻撃をかまして来る様を笑い美女が巨大化して戦う、かと思ったら側だけで内部ではせこせこと首切りショウが行われている様をほくそ笑みつつ登場した新たなキャラクターがもたらす混沌への期待を募らせる。いや期待もそんなにしないで惰性で見続けるんだろーけど。さらに「BLUE DROP」はあの戦闘スーツの下によくもまあセーラー服を着込んでいたものだと感心。きっと暑かっただろーなあ。どーやらコマンダーな面々は何かと戦っているみたいだけれども未だ全体像が見えず。まあこれも80年代風な学園ドラマを味わいながらゆくゆくの種明かしを驚く準備を積み上げておこー。

 あのこをペットにしたいとニッサンするかは分からないけど初日なんでとりあえず「プレイステーション3」の「グランツーリスモ5 プロローグ」を見物に「幕張メッセ」で始まった「日本モーターショー」へとゴー。「東京ゲームショウ」が結構な規模で展示ホールを使っているのを見てもはや「モーターショー」も印象としての巨大艦はないかもなあ、なんて思いも浮かんでいたけど北にある展示ホールも含めて周辺をぐるりと柵で囲んで入れないよーにして自在に行き来できるよーにしてあったりする点はさすが「メッセ」最大にして日本最大の展示会。3日で50万人の「コミックマーケット」に密度ではかなわないかもしれないけれど期間中に150万人はやって来て、「幕張メッセ」を埋め尽くしては新車にコンパニオンへと迫る様はなるほど自動車産業ってものの規模のすさまじさって奴を感じさせる。ゲームなんてせいぜいが1兆円。トヨタなんてその金額を利益として叩き出すんだからなあ。たまりません。

 ホールの中じゃなくって2階の通路にしつらえられたソニー・コンピュータエンタテインメントのブースにはレカロのシートたしつらえられたGT5のコックピットがずらりと居並びなかなかに壮観。外国人プレスもなかなかに興味深げだったよーで中で順繰りに行われているプレスブリーフィングなんかをそっちのけて”誌上”しているメディアも割といた。んまあすでに海外のモーターショーで結構な車がお披露目されてて、日本がプレミアって車種がそれほどないってこともあって半分は観光モードなのかもしれないけれど、これって裏返せば工場としての価値はあってもそれがそのまま情報発信拠点とは成り得ない日本って国の地理的政治的経済的位置づけを現しているとも言えそう。マーケットとしても魅力たっぷりな上海あたりへと今後はシフトしていく端緒が見えているんだろー。

 それは目下開催中の「東京国際映画祭」なんかにも言えることで世界からだれ1人としてスターが来ない事実をもって、今回の「東京国際映画祭」の弱体っぷりは明々白々。その責任はプログラムを立案して世界と交渉してJAPANプレミアな作品を集め出演スターを集める作業をしている所にあるんだろーけど浜野保樹さんが「JAniCA」のパーティー前に話していたよーに、エンターテインメントの世界に強いネットワークを持つユダヤ系の人たちに割って入って交渉したりぶんどったりすることを、ぽっと出の日本の業界が出来るはずもないってこと。いっそだったら日本発で世界に通用するアニメーションとかで勝負をかければ良いのに今年のアニメ関係の上映は新作映画なんてなくってテレビのすでに放映話数をお金を取って見せる体たらく。これで「コ・フェスタ」だなんてよくも言えたもんだと思うけれども映画祭そのものは映画祭の事務局が仕切りそこを動かすのは旧来からの映画会社。吉永小百合さんが邪馬台国の卑弥呼を演じる映画を作ってまるで平気な業界なだけに今の空気を読んで世界に訴えることなんて、無理も無理ってことなんだろー。来年も果たして行われるのか「東京国際映画祭」。

 会場では肝心の車も見ようととりあえずフェラーリのブースに行って赤い服を着たおねいちゃんたちを観察、つんとすましてファッションモデルのよーであんまりモーターショーのコンパニオンって雰囲気はしない。っていうか80年代末期のバブル全盛期にはコンパニオンっていうとレースクイーンみたいなど派手でイケイケな人が多かったけれども昨今は車より目立たず脇に経ってまさに華を添えるといった程度。見れば綺麗だって思えるけれども近寄って下から煽りたいとかいった官能をそそられることはあまりない。メーカー系はみんなそんな感じだったけれどもオーディオとかタイヤとか関連商品にいくとホットパンツでお臍丸出しな人とかいたりしてこれはこれでなかなかに眼福。バイクのコーナーにも「コードギアス 反逆のルルーシュ」でリヴァルが乗ってるよーなバイクはなかったけれどもそれなりなスタイルのコンパニオンがそこかしこに。探せば水着とかいたかもしれないけれどもまあ、そっちは改造車とかがいっぱい集まる年明けのオートサロンでたっぷり楽しめるからそっちに任せて、モーターショーでは普段は出来ない新車に手をペタペタやって脂をつける遊びに邁進しよー。ペタペタ。

 適当な時間になったんでプレスセンターへと行き弁当をもらって食べてんでもってちょろりと観察してから幕張引き上げ。プレスセンターへの出入りも弁当の配布もプレスカードに仕込まれたミューチップをリーダーにかざして処理するあたりが先進性を感じさせるけれども出入りはともかく1人1個に限定されてた弁当の配布は1回チェックした人だともう渡さないようにちゃんと分類されているのかは未確認。されていたんだとしたらすごい技術だけれども別に弁当券を配っておけば済む話でもあってその場合だとまとめもらいもできて便利だったりするから悩ましい。科学の進歩と融通はやっぱり反比例している。帰りがけに幕張ガーデンウォークにあるアウトレットでクリケットのジャケットとタートルネックを購入。アウトレットだけあってウールのジャケットなのにタグでは綿100%になっていたりとむちゃくちゃなところが面白い。ピーコートもあったけど赤い柔らかいのと茶色いショットの分厚いのがあるからもう十分。あるいは短いステンカラーコートなんかも欲しいけれどもかける場所とかないんでここは我慢だ。


【10月23日】 そういう立場になったことがないから分からないけど3000年とか昔に占領を喰らって虐げられていた民族がするりと時空を抜けて3000年の後へとたどり着き、見て未だ占領状態が続きながらも3000年が経ってそれなりに平穏で安定した日々が続いているのを、やっぱり占領は許さないからとひっくり返した挙げ句に平穏無事に暮らしているかつての同胞の恨みを買いたがるのかどうなのか。まあ3000年とまではいかないまでも2000年近くを経てなお恨みを忘れず主張を貫きイスラエルを建国した民族だっている訳だから、たとえ慰撫されよーとも許されざるべき者は許されないのだって見方も可能なのかもしれないなあ。ちょっと難しい。

 イスラエルの場合は2000年もの間ずーっと迫害が続き直前には数百万人がホロコーストに遭ったってこともあるから恨みの純度が増していたってこともありそーだけれど嬉野秋彦さんが「さよならストレイウルフ1 あの歌はもう聞こえない」(徳間書店)に描いたよーな、3000年前に竜というか蜥蜴みたいなのが始祖の一族によって奪われ占領された都から魔力によっってだいたい3000年の未来へと飛ばされた勇者6人の場合は、その世界をまずはがっちりと固める魔族の力の強さと、それから虐げられてはいても迫害までは受けておらずそれなりな日々を送っている人間たちの姿にいろいろと考えるところもあったみたい。とりわけ1番最後に姿を現すことになったジュノーには悩ましい問題で、しばらく前に現れ歳を重ねて剣を錆びさせてしまった仲間や、とうの昔に現れそして死んでしまった仲間のうらぶれた姿に憤りはしたものの、一方で平穏を臨むかつての仲間の娘の姿や街の人間たちの姿に、ひっくり返すのが正しいことなのかと自問する。

 とはいえそうは考えないかつての勇者もいて山賊となりジュノーが親しくしていた女性の勇者が一足早く現れたのを誘って仲間に加えて反抗の時を狙っていた。かつて相手にしながら目前で逃がした魔女は日々を達観していて権勢を誇るような感じじゃなく、その娘も人間味がついているのか堂々たる戦いを挑んみせる。息子だけはどーにも戦争好きなところがありそーでこいつがジュノーたちの前に立ちふさがることになりそーだけれど登場すればしたで案外に正々堂々とした奴かもしれず、そんな相手に対して3000年前の価値観を未だ引きずりぶつけることの正当性って奴を考えさせられることになるのかも。それでも貫きイスラエルを建国すべきか、流浪の民として揉まれ溶け込んでいくべきか。現在の政治情勢なんかとも関わりそーな問題にどんな答えを示してくれるのかを楽しみにしつつ続刊を待とう。

 午前三時五分、とはいったい何だって気もする午前三時五分って名の人の「りっぱな部員になる方法」(集英社スーパーダッシュ文庫)をちらほら。ミステリー研究会が舞台だからミステリー物かと思ったけれどもミステリーって言えば言えないことはないものの論拠がみょうにこユルかったりしてすかっとした気分には至らないのがやや難点。まあそーした部分よりもミステリー部の破天荒な部長に幽霊だって名乗る少女に悪魔だと聞くと豹変する少女に和風な巫女少女といった部員たちのキャラクターが織りなすドタバタと、その挙げ句に立ち現れる奇怪な出来事への決着といった部分を楽しむのがこの場合は良いのかも。できればあともーちょっとだけキャラクターが破天荒なら良かったかなあ、科学部の眼鏡で人間を愚民呼ばわりするマドカちゃんが爆裂している野中亮さんのシリーズはそれでなくともハチャメチャ度合がすごいんだから、最新刊なんか先生がゾンビ呼ばわりされてるし。

 昨日が仲村みうみうちゃんなら今日は中村メイメイちゃん、なんて読んだら何か化けて出そうなんでここはフルネームで中村メイ子様とお呼びするのが重畳か、って比べるなよみうみうとメイメイを。いやしかし30年はとうに経ってる大昔に「てんぷく笑劇場」で大笑いしながら見ていた人が今目の前にいるってのはまるでタイムカプセルに乗った気分でこちらに経った時間の重さをかみしめつつ、印象としてさほど変わっていないメイ子さんの立ち居振る舞いに女優って商売の凄みって奴を強く深く実感させられる。まあでもやっぱり年相応の顔立ちにはなっていたけれど。同席した日野皓正さんとかも。

 そりゃ一体何だってーのはつまりバンダイが「リトルジャマープロ」につなげて楽しむボーカルのプレーヤーとしてあの美空ひばりさんを模したフィギュアを作りなおかつひばりさんのライブ音源を収録したカートリッジもセットにして売り出したってことで、西麻布の会見場にはこれぞタイムカプセルって感じに人形となって蘇ったひばりさんが手を振り口をパクパクさせるその動きにシンクロして、ジャズのスタンダードナンバーが流れひばりさんの数々の名曲が流れて気分を一気に昭和へと連れていってくれる。

 似てるか、って言われると超リアルじゃあないけれど「リトルジャマー」にまっちした雰囲気にデフォルメしつつも眉毛とか顔の感じとかボディラインにしっかりと、ひばりさんの面影を遺しているのは原型の人の腕の巧みさって奴の現れか。そーいやかつてバンダイじゃあ釈由美子さんがお酌するマシンを作ったけれどもあの釈ちゃんもリアルさよりは可愛らしさに振られていたっけ。実在の人物をリアルに作るとどーしても無理が出るのを半歩手前でスン止めする。キャラクター系のフィギュアとはまた違ったノウハウってのがあるんだろーなー。勉強したい。ちなみにメイ子さんの評価は「似てるとか旨いとかじゃなくって心がある」。歌声が被さり動きがつけばそこに生まれる歌心。なるほど良い歌とそして素晴らしい歌手は記憶に永遠に刻まれていて、依代さえあればすぐに復活するのだなあ。

 袋に包まれた木刀を突っ返されたらそいつがただ者じゃないってバレて大変なことになったんじゃないかと心配したけどサヤのクラスにずけずけと入ってきた段階で、顔には陰があり背後にはきっとブラックのオーラも立ち上ってクラスの全員から何だこれはいったい何だと訝られていたみたいなんで、別にそんなに関係なかったのかも。ここまで裏表のあるキャラってそーいや「コードギアス 反逆のルルーシュ」にはいなかったなあ、カレンも猫は被っていたけどダークってよりは熱血を猫で隠してただけだし。そんな「バンブーブレード」のみやみやはサヤの自転車を川にたたき込んむくらいにいろいろと違う顔を持っているってことをコーチに知られ、戸惑い慌てつつもコーチはだからどうしたって顔で接してくれたんで部活に残りつつ、杞憂だったサヤとの仲も取り戻してさあこれからどんな二面ぶりを見せてくれるのか。ダンくんの前での可愛らしさも棄てがたいけどやっぱり黒くて怖くて面倒くさげなみやみやも棄てがたい。でも殴られるのは竹刀が精一杯。あの木刀はちょっと痛そう。つか折れるってどっかが確実に。「スケッチブック」はメルヘンな空気に晴ボンを思い出したよ。四半世紀が経っても美術部って変わらないなあ。


【10月22日】 現役のSF作家あたりからはやっぱりどーして今最近の活字SFがどーなっているんだってゆー紹介がなされていないのはどうもなあ、って意見も起こっていそーな雰囲気だけれど1夜明けて考えてみてNHK教育テレビの「その時SFの歴史が動いた(仮題)」。その中で紹介されていた60年代70年代のSF作家たちの活動ぶりと、それに対する世間の認知ぶりを今になぞらえ匹敵する大きさのものがそんなにないって現実を鑑みるに、あの時代のあの雰囲気を伝えてそして浸透と拡散が進んだってゆー指摘はある意味で妥当性のあるものって気もしないでもない。「日本沈没」ほど売れて「時をかける少女」ほど大勢の読者を熱中させて「復活の日」ほど世間を震撼させて「なぞの転校生」ほど少年少女をわくわくさせたSFが、この数年にあったかっていうと……ほらやっぱり「涼宮ハルヒ」か「ヱヴァンゲリヲン」に行ってしまう。それが状勢ってものだ。

 もちろんレベルの高低なんかとは無関係で世間がそれだけ他のことに関心を向けるよーになっているってだけのことなんだろーし、意識せざるともSFは文学なら川上弘美さんとか笙野頼子さんの書く作品の中にマインドとして入り込んで文壇なり読者を感心させていたりする訳で、小説としてのSFは消えてしまったなんて嘆くことじゃあない。プロパーなSF小説がNHKに紹介されるくらいには目立っていないことだって、小説とゆーカテゴリーが持つ比重が下がっているだけってことでわざとオミットされたとか言って嘆く筋の話でもない。嘆かわしいならそれこそ「日本沈没」くらい売れてみろって話になる訳で、せめて梶尾真治さんの「黄泉がえり」くらいの認知度を得られればNHKだって小説にだって今を代表するものがあるんだって気にもとめただろー。重ねていうけどメディアの注目の有無と作品の価値は別。注目され得るインパクトを持つなり時代が注目せざるを得ないよー変化するなりしないと、いつまで経ってもNHK教育に現役SF小説家は出ないと思って精進精進。

 100点連発ったぁ天才じゃないか同級生のケイコちゃん。対して南夏奈の体たらく。いくら改竄してもその上を番長・藤岡にいかれて意気沈滞。つかその点数を中学でとってちゃあ上への高望みはまず無理だし、気があるのかないのか不明な番長とだって同じ学校にゃあ進めない。まあそこは好いてる番長が譲ってランクを下げて夏奈と同じ学校に行けば済む話ななけれどもそーゆー関係を認めたくない夏奈がもしも同じ高校に番長を発見したら、きっと訝り悩んだ果てに千秋に尋ねて「好きだ」を「スキだらけだ」と解釈したよーなアクロバティックな思考でもって番長をストーカー呼ばわりしただろーから、無理にランクを下げる必要なんてないんじゃなかろーか。でもそれでも行ってしまうのが男心って奴で。弱い生き物だよなあ、男って。

 オープニングは格好良いなあ「レンタルマギカ」のアニメーション版はお札に手形をぽこぽこと押す猫屋敷の使う猫たちが可愛かったけれども本編の方はタケミカズチを相手にどついたりどつかれたりする描写が何ともワイルドっていうか分かりやすすぎるとゆーか。呪波汚染を引き起こすくらいに強大な神様が人間の格好をしてちょっぴり巨大ですっくと立って剣をぶんぶんと振り回したりして、けれどもそんな神罰を人間如きがよけられるって部分になるほど魔法使い派遣会社の面々ってのは神にも匹敵する存在なのか、って誤解を世間に与えそう。まあ便宜的表現って奴で。ついでに録画してあったのを見直した「ef」はオープニングがやっぱりスタイリッシュ。影絵になったスカートがぱさっとひるがえったりする絵の動きのそこはかとないエロティックさを描いた作画監督の人をしばらく気にしたいけれど遠目で画面があれてて誰だか分からない。まあDVDを買ったらそっちで見よう、って買う気なのかこれを。

 デスクがデスクが仕事を振ってくる、それを僕は左へ受け流す、いきなり振って来たデスクが振ってきた、僕はそれを左へ受け流す、って歌を大声で歌って社内を練り歩いたら明日から椅子がなくなるんだろーなー、でも唄いたいなあ。なんてことを眼前でムーディ勝山さんの美声を聴いたら思ってしまった「もやしもん」の「東京国際映画祭」における舞台挨拶は、待望の仲村みうさんが眼前に位置してその歳に似合わず発達してすらりと伸びた肢体を存分に披露してくれて週明けから今週の運の大半を使い果たした気分。もちろんセーラー服なんかじゃないし水着でもあく白見せなんて絶無だけれどもいるだけれ何とはなしに漂う色香と清純さ。それらがない交ぜになった空気を味わいつつその雰囲気を持ち帰って写真集を見ながら振り返り、そこに生々しさを投影したらいったいどんな気持ちになれるんだろーと想像する。まあ写真は所詮は写真なんだろーけれど。

 そんな舞台挨拶以上に興味深かったのはアニメの「もやしもん」に出てくる菌が基本3DCGで全部描かれているってことで、画面の中に見事に2Dでとけ込んでいながらもしっかり漂い増えてわき上がるその合成ぶりに日本のアニメの進歩って奴を伺い知る。そーいや発売間近の「装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ」もアーマードトルーパーが3DCGになっていたんだっけ、菌ほどとけ込んではいないけれどもこっちもこっちでなかなかの重量感。軽いといった評判が長くあったCGだけれど「創聖のアクエリオン」なんかで巨大感も重量感もそしてスピード感まで存分に表現できていたりしたのを見るにつけ、もはや欠かせないアイテムになっているんだって認識を持ちつつ一方で「天元突破グレンラガン」もたく手書きながらも重さ速さとそして複雑さまで描き切られたロボットがいたりして、クリエーターにとっては、あるいは日本のアニメの将来にとってはどちらが良いんだろうって未だ悩む。ようは使い方ってことか。「ガンダム」シリーズで3DCGになったらやっぱり、だもんなあ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」のランスロットはどっちでも良いのかな。


【10月21日】 近く何か出てくる会見があったように記憶してたんで朝っぱらから秋葉原へと出て“みうみう”こと仲村みうさんの写真集とか買ってみる、横長の、制服姿の、清楚で、可憐で、清純……かと思っていたらそうではなくって白いっぱいピンクいっぱいな百花繚乱の写真集でありました、ってことは半分くらいは知っていた。これくらいならオッケーなのか、これ以上でもオッケーなのかは分からないけどまあ別に普通に16歳の日常で現実の16歳はもっともっと過激だったりする訳でそれをことらさに取り上げ法律で縛るのは正直とっても無理なこと。なのに17歳の映像作品で敢えてやったってことはそれだけ中身が凄かったのかそれとも別の狙いがあったのか。あったんだろうけれどもやっぱり恣意的に法が運用されるってことの恐怖感を世間はもっと感じた方が良いんじゃなかろーか。ゴルフ場で偽名を使った元の防衛事務次官だってやろうと思えば私文書偽造だかで摘発できちゃうんだから、確か。

 久方ぶり、でもないけどまあ1カ月ぶりくらいに「ゴーゴーカレー」で豚カツにソーセージをトッピングした大盛りをかき込み山手線で巣鴨まで行き三田線で本蓮沼へと出て女子サッカーの「なでしこリーグ 日テレ・ベレーザvs浦和レッドダイヤモンズレディース」を見物、ちょっと前に「埼玉スタジアム2007」で「なでしこリーグカップ」の決勝を戦ったのと同じカードであの時はベレーザがどうにか勝ったって感じだったけれども気温が下がって動きも上がってきたのか今日はしょっぱなからベレーザがパスをつなぐ間に人もめまぐるしく動いて攻撃していく戦いぶりで浦和を圧倒。1点、また1点と奪って終わったら3対0とまあ女子サッカーではそんなに大差ではないにしても、トップクラスにあるチームにしてはな差がつく試合になってしまった。

 土橋選手がサイドを崩したりして浦和も攻め手がなかった訳じゃないんだけれどもトップに人が入らずボールが収まらず、かといって安藤梢選手1人じゃあベレーザの守備陣を抜ける訳もなくってフィニッシュへと至らず。珍しく四方須藤というセンターバックの2枚看板が出て居泣くって中地舞選手と岩清水梓選手だったっけ、2人をセンターバックに配する布陣で臨みながらも浦和の攻めを許さなかったのは収穫か。右サイドで使われることの多かったものの近賀ゆかり選手が代表とおなじサイドバックのポジションまで下がってきてはじき出されてしまった中地選手がセンターバックとしても機能するんだってわかってどんどんと試合に出してもらえるよーになれば全日本女子サッカー選手権の決勝、元日の国立でも氷点下のピッチに立つ緑の半袖が見られたりするのかも、いやその前に選手権を勝たなきゃいけないんだけれど。

 最後に出てきた中学生フォワードの岩渕真名選手はリーグカップにも出ていた娘かな、ちっこいけれどちょこちょこ動いてなかなかパワフル。ゴールシーンとかはまだ見てないけれども荒川大野永里の3人がやや固定化していたフォワード陣に新しい刺激となるのかも、永里妹だってうかうかしてらんねえ。そーいや荒川恵理子選手はちゃんと中国から帰国できたんだっけ、気胸か何かでまだ復活できないのかなあ、終盤戦で上を追わなきゃいけない時だけに復活に期待。上海じゃあ今ひとつボールの収まりがよくなかった大野忍選手は無理にポストとかせず走って飛び込むプレーぶりで復活気味。昔に比べて目立たなくなっているけど澤穂希選手はボールを受けてはたきつなぐ役目をちゃんと果たしてさすがなもの。そして小林弥生選手。やっぱり巧いよ受けると迫られてもかわしてパス。決定的なのも何本か出してた。削られたりして脚を痛めたみたいだけれど大丈夫かな。完全復活となれば来年の五輪にだって選ばれそそて再びのロングパス。見たいなあ。

 走りながら書いてきた。あるいは書きながら走ってきた。村上春樹にとってだから走ることと書くことは同じくらいに人生において大きな意味を持っている。「走ることについて語るときに僕の語ること」(文藝春秋社)は村上春樹があっちゃこっちゃを走ってきたことについてあれやこれやと書きためていた文章をまとめたもの。大半が未発表なもので世界的に知られて書けばすぐにお金になる作家でもこーして発表するあてどもないままいろいろ書いていたりするのかとやや驚き。あとは冒頭にも書いたよーに走ることが書くことと密接に結びついていて、走りながら考える、というか走りきるとゆー1つのプロジェクトの有り様が小説ってものを書ききる上で大いに参考になっていて、ここでこう考えここでこう力をためてここでこうスパートをかけるってあたりの機微なんかを、小説を書くときにも使って来たんだってことを言っている。そうか走れば書けるよーになるのか、ってのはまあ早計だけれど走りきれば何かは掴めそうな気はしてる。でも走らないけど、寒いし、疲れるし。

 小説については「風の歌を聴け」から「1973年のピンボール」と続いた2本でまあそれなりの評判を得ながらも本人的には今ひとつで、気合いを入れなきゃとほぼ専業になって書いたのが「羊をめぐる冒険」で、これが自分の出発点だったと話しているのがきっと古手で「風」「ピンボール」の持つ空気感が好きな村上春樹さんのファンにはそうなの? って違和感を引き起こしそうだけれども遅れて「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」あたりから遡っていった人間には、重厚でダークな部分もあって心に響いた「羊をめぐる冒険」の傑作ぶりに比べるとなるほど冒頭2作の観念が先走った作風の方が逆に違和感を覚えたりして、ここでだから「羊」が実質的な出発点だったとゆー意味も実に素直に納得できる。その延長線上にある「ダンスダンスダンス」がだから1つの頂点で、以降は微妙にどうだかねえ、って感慨もまた同時にあるんだけれど当人がどう思っているかは知らない。作家ってのはその時に書いているのがきっと最高傑作だと思っているから。

 ひとねむりして目覚めたらNHKの教育番組で栗山千明さんがコスプレしながら秋葉原を闊歩していた。ああこれが日本SF作家クラブの40周年記念パーティーか何かで取材していた奴かと見ていたけれどもその場面の放送は一切無し。且つ終わったばかりの「世界SF大会」の紹介もなくってただそこに出席していたデビッド・ブリンが、あれはきっと早川書房の応接か会議室かでバックに自分の方を並べつつ、日本の特撮とかアニメとかに流れるSF的なマインドについて前触れとして喋った程度。同じ日に封切りが始まった「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」についてはあんなにたっぷり紹介していたのに、ってところが実はひとつの番組づくりの上のキーになっていたみたい。つまりはだからSFの浸透と拡散。というか拡散して浸透し切った世界の中心に溶けてたSF、みたいな。

 大伴昌司さんの家を訪ねてそこにある資料からヴェルヌとウェルズにSFの源流を求めつつ日本SF作家クラブが立ち上がって活動を始め小説に始まりアニメーションや特撮やマンガや万博といったものにどんどんと携わって基礎を築いたってストーリーは、80年代にSFを読み始めながらその立ち位置を文学の中でも先鋭的で格好良いものだと自認しつつその格好良さを作った人たちが実は子供の頃から大好きだったマンガにアニメに特撮といったものも作ったんだ、だからこれらも含めて全部格好良いんだってロジックを組み立て自分的に納得し、周囲も納得させようとしていた自分の経験ともシンクロして既視感というか懐かしさも覚えたけれども一方で、そうした浸透と拡散の果てに生まれたSF的な発想すなわちガスパッチョのCMで箪笥がタイムマシンになっていたって「コードギアス 反逆のルルーシュ」で日本がブリタニアに占領されていたって、誰もそれを意外な発想による新発見だとは思わないこの現在において、だったら日本SF作家クラブが作家として活動の中心にやっぱりおいていただろー小説がどーなっているのかがまるで紹介されていないのが気になった。

 高度経済成長の歪みが生まれてSFが描く未来像にダークなものが混じった果てに小説家たちは何をどうしたのか、第1世代に続く第2世代が第1世代を開拓者たちだと讃えたコメントは鏡明さんによって発せられたけれどもその後に続く作家たちは当時何を想い今をどう見ているのか、そもそもが現在も日本SF作家クラブは存在していてそれがどんなメンバーによって構成されててどんな活動をしているのかってところがまるで伝わって来なかったのがとてもとても気になった。日本SF小説の現在、とかあの番組を見た人はまるで分からなかったんじゃなかろーか。

 何とはなしに伺い知ることはあっても、メンバーじゃないしファンダムあがりでもないんでSFの界隈に知人も少なく、具体的に作家クラブがどんな活動をしているのかは知らないんだけれども、メンバーのリストを見るとまるで知らない人の名もあって調べると漫画とかイラストとか多方面で活躍している人とか多数。最近じゃあ評論のコンテストで受賞した人もすぐ名を連ねたりしているんで幅は広がっていて、まさしく浸透と拡散を体現しているんだけれどもそれについてまるで触れられなかった、ってところを見てSF作家の人たちはどう感じたか。小説だけじゃなくってビジュアルまでもが最初っからSFと認識されていたことの正しさではあるんだけれども、一方ばかりが持ち上げられるのはやっぱり微妙。なればこそ小説で「日本沈没」に次ぐ一大ベストセラーを送り出して活字SFの存在感を満天下に……「涼宮ハルヒの憂鬱」があるって? まあ確かに。累計であっても500万部って「沈没」超えてるし。


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