縮刷版2006年9月下旬号


【9月30日】 「もう会えないかもしれない」ってセリフがもしもマイメロの声だった、あの名場面がどんな印象になったんだろうって想像するのも一興だけど、でもそんな声の上がり下がり如きでは、与えられる感動も、そしてコーチとアマノカズミの間に流れる信頼と情愛の固い繋がりも壊せなどしない。これに止まらないくらいに全編が、はベタだけど密な感情の描写の積み重ねによって形作られていて、揺さぶろうにも斜めから切り崩そうにも感動させられた心が微動だにしない程に、「トップをねらえ!」って作品はしっかりとした物語と演出と演技が出来ていたんだなあってことを、「アキバ3Dシアター」で行われた「トップをねらえ2! & トップをねらえ! 合体劇場版」の試写を見終わって思う。顔までマイメロになっていたらちょっと考え直すかも。

 出版映像な世界に携わる人たちにとって、おそらくは早朝も深夜0時くらいの体感かもしれない午前11時って爽やかな時間からスタートした試写はおよそ3時間。「タイタニック」には及ばないまでも「もののけ姫」より長い時間に途中でほとんど徹夜のクリエーターさんとかいたら倒れるかもなんて、心配もあったけど実際に始まってみれば3時間なんてあっという間に過ぎていくからご安心。最初の「トップ」とそれから「トップ2」とでそれぞれに3時間づつある本編を、いずれも1時間半づつに縮めてるんだからテンポは上がるのも当然。それでいてちゃんと抑える部分は抑えてあって、最初のだと泣かせる部分の描写の積み重ねだとか、2だとノノの正体をめぐる驚かせの畳みかけだとかが残っているから感動し、驚きそして圧倒されている間に気が付くと午後の2時過ぎ。そうかお腹も好くわけだ。

 「トップ2」が「トップ」をカバーしたシーンとか、セリフとかストーリー的設定的につながっている部分をそれぞれにちゃんと抑えてあるから、「トップ」上映後に始まる「トップ2」を見てこれは1でああだったところだなってわかる親切設計。「トップ」も「トップ2」もビデオやDVDで全編を事前に見てはいるけど、細かい部分とか余さず覚えるほどではなかった人にはそうかそうだったなあと思い出させたり、新しい発見をさせたりして帰って家のDVDを見直させるきっかけになりそう。あるいは買い直させるきっかけになるとか。今が「トップをねらえ!」のボックス再発の時だ。

 これが初見って人はいきなり始まる宇宙でのバトルに戸惑うかも。艦隊が宇宙で何かと戦いロボットが校庭で腕立て伏せをする描写がが”お約束”であり”パロディ”だった時代を生きた人なら「来た来た」って思える。けど初めて見る人たちにはタカヤ提督たちはいったい何と戦っていたのか、でもってマシンが腕立てってどういう訳って感じに捉えたりするんだろうか。それとも知識としての”お約束”だと認め笑いながら見流すんだろうか。70年代のスポコン的な”お約束”をラブコメの時代にやってのけて笑わせた遊び心、あるいは大映テレビの世界をアニメ化してみせた”パロディ心”とかをどう受け止めるんだろうか。ちょっと興味。同時代的な感性を持った世代にしか通用しないものなのかそれとも、普遍の感動をもたらすドラマだったのか。やはりマイメロとちよ父とデ・ジ・キャラットのママに絵を代えて見てみるしかないのか。

 「トップ2」の方は銀河中心まで膨らんスケールのハイパーインフレーションが起こり見る人を唖然とさせた「トップ」の設定の合間を埋めつつ設定を再構築しつつ、絵的ストーリー的に新しげなことをして楽しませてくれる作品だったのだなあと1時間半バージョンを見て改めて。これも食い入るよーに見た訳じゃないんでどの辺りが新作だったのか分からないけど、最終の第6巻へと至って大きくクローズアップされたラルクの存在感、というか真のヒロインぶりを改めて最初っから描いてまとめなおしたって印象。人によっては出番も少なくなっているけどノノが最初に勤めたカフェのママさんとか、トップレスにいた委員長風眼鏡っ娘とか切られず残っていて良かった。ともあれ「トップ」「トップ2」を足せば12話分、計6時間に及ぶDVDを半分の時間でちゃんと両作品のストーリーも理解できるようにしてくれている映画なんで、DVDを買おうか迷っている人はとりあえず劇場で見てそれから近所のアニメショップで買いそろえて帰るってのが吉。アキバ3Dシアターだったら隣が「東京アニメセンター」。Tシャツもノノドールも売ってます。人形似てねえ。

 見知った人とかいたけど見知っているくらいなんで遠目に見つつ西島大介さんに挨拶しつつ下の「アキバ海岸」でカレーを食べゆで玉子を2つかじり、それから地下鉄の駅の上にある宝くじ屋でロト6を購入。前週は「SOS団」のTシャツを着ていたおかげで1000円が当たったけど今日は「トップ」試写に併せて調達した、訳じゃないけど手に入った「トップガン」仕様のMA−1を来ていたからきっとヒットするだろー。して欲しい。それから電車を乗り継ぎ蘇我へと向かって「フクダ電子アリーナ」でサッカーJリーグの「ジェフユナイテッド市原・千葉対大分トリニータ」戦を見物。千葉やっぱりパスがなかなかつながらないなあ。追い越す走りもあんまりない。疲れってよりも戦術そのものが代わってしまったのか。

 いやいやそれでも終盤にかけては結構な攻め手も出ていたんで今は微妙なズレがタイミングを外してしまって攻め上がるきかっけを後ろの選手たちに与えていないだけなのかも。あと意識に守備の強化もあるよーで、水本選手ストヤノフ選手にここんところ先発の続く結城選手の3枚が、しっかりとマークし跳ね返しその前で阿部佐藤のダブルボランチも山岸坂本水野といったサイドの選手も戻り頑張る動きを見せていて、そこから切り替え攻撃に移るのがまだ上手くいっていないだけなのかも。1点は奪われたけれどほとんどワンチャンスの1点。それを決めた高松大樹選手は凄いけどそれだけに抑えたジェフ守備陣を今日も褒めたい。

 攻撃は巻選手がやや棒立ち? なるほどワントップでゴールキーパーからのフィードを当てて落としてはいるんだけど当て方が悪いのか跳ね上がって相手へのパスになってしまったりするケースもあって、2の手3の手につながらない。マークをはずす動きもあんまり見られず自分の役目は飛んできたボールを頭に当てることに限定してしまっているよーに端からは見える。下がりさばいて走り込み受け取りサイドに流し待ち受け頭で叩き込む、なんて連続した動きが見られないのは周囲がついていけないのかそれとも。後半途中から登場したマリオ・ハース選手のキープ力が入ると途端に前へ前へと向かい始めたところを見るとやっぱり巻ハースのツートップに羽生坂本と山岸あるいはクルプニコビッチといった前線が最適なのかも。

 そんな攻め手に掛ける試合でもフリーキックを叩き込み、巻選手がもらったPKをこれで3試合連続阿部選手が決めて逆転。ホーム3連勝にリーグ戦2連勝を達成して上位へと向かう足固めが出来てきた。リーグでの優勝はもはや無理だろうけど優勝候補のチームを苦しめながらチームを固めて11月3日の「ナビスコカップ」で2年連続の優勝を、ここは是非に成し遂げて頂きたいもの。天皇杯はオシム監督下でもなかなか上位にいけなかったけど「カップ戦は決勝に出るのが当たり前」だと言い切るアマル・オシム監督の勝負強さにかけてこれまた是非に優勝を狙っていただきたいところ。元旦の国立で迎える黄色い軍団を見たいですか? 見たいです。


【9月29日】 郵便受けの配達物に埋もれてしまった案内状を見過ごし、知らないうちに授賞式も終わっていたみたいで、かつてない賞金の2000万円を見事に獲得した人の顔もこれで見る機会もないんだろうなあと思いつつ、「第1回ポプラ社小説大賞受賞作」を受賞した方波見大志さんの「削除ボーイズ0326」(ポプラ社、1400円)をつらつら。なるほど巧い。巧いけど雰囲気としては何だろう、はやみねかおる的? 内容がっていうより狙っている層が割にティーンかそれより下だったりする感じ。児童書で有名なポプラ社が始めた一般向けの小説賞とはいってもやっぱり、集まって来たのも選ばれたのも割に低年齢層から楽しめるエンターテインメントってことになるのかな。

 内容はといえば放課後の実験室で時を遡れるアイテムを手に入れた少女が……じゃなくってあったことをなかったことにできる力を持ったデジタルカメラ風の機会を手に入れた小学6年生たちが、それを使って最初は怪我を治したりしていただけだったのがやがて死んだウサギを生き返らせたい、起こった事件をなかったことにしたいと発展。やがて起こった主人公の少年の引きこもり気味だった兄が自殺するという事態に、兄がそうなってしまった原因となった、街で起こっていた誘拐事件をなかったことにしたいという想いが高じていく。

 振り返れば1本に続く時間も前を向けば無数に分岐していて、無限の可能性がひろがっていたりする。過去にもどって1点をなかったことにすれば起こるのはそれこそ北京の蝶。ちょっとしたゆらぎが大きな波となって生きている人類全体に影響を及ぼしかねない。なおかつ少年はカメラが壊れてしまったため、記憶が操作されていることをちゃんと認識したまま、新しい時間線の上を走っている。あったことがなかったことにされて生じる違いを理解できてしまう。そして思う。こうじゃなかったと。こんなはずじゃなかったと。

 起こってしまったことの取り返しのつかなさを知り、苦みを覚えながらも進む勇気を与える物語。その意味では未来が豊富な子供達だけでなく、過去に拘泥する大人たちも今から先を想い何かをすべきだって思わされる。なるほどその意味では立派に大人のためのエンターテインメントに成り得ている。トーンとしてはやっぱりアニメーション映画の「時をかける少女」と重なる部分もあるのかな。いずれも分岐してしまった未来のヤバさを感じさせ、かけがえのない今を過ごす大切さを教えてくれるストーリー。同様に今の自分をしっかり生きろを教える「ゲド戦記」も含め、不安に溢れた社会で後悔に満ちた暮らしをしている人たちの多さが、こんな作品群をシンクロニシティ的に生み出したのかも。「ブレイブ・ストーリー」だけはちょっと違うか。なるほどだから話題にも上らなかったのか。

 ピンクの動物に扮したイケメンがいるって話にてっきり「うさみみ仮面」が現れて、仮面をはずし置鮎声でイケメンビームと叫び怪光線を発射しているんだと思って原宿へと出向いたら、なるほどイケメンはイケメンだったけどビームは放ってなかったし、ピンクはピンクだったけどウサギじゃなくってモンキーだった。「Pinky」って例のキャンディー菓子の新製品に遭わせたサンプリング。普通は女性が行うところをターゲットが女性ってことで若い男の子たちばかりのサンプリングボーイズを結成しては、今日は原宿と表参道に出没させたみたい。当然ながら仮面は付けておらずイケメンビームも放ちません。

 あと動物の方は例の「ピンキーモンキー」の顔と尻尾がデザインされたカバーがかけられた日産のマーチが5台、表参道ヒルズのちょい表参道よりに並んでしばらく駐車されただけでひつじ仮面の運転のもと、ど派手な音楽を奏でながら走るってこともなくってマイメロちょっぴり哀しかった。しかしてっきりピンク色に塗った車を運んでくるんだと思っていたら本当に”着ぐるみ”ならぬ”カーぐるみ”だったとは。わさっとフワフワしたカバーをかけるだけでこれなら今日に続いて明日は名古屋で展示できる訳だ。新幹線でカバーだけかついで運べば良いだけだから。登場はえっとどこだって、栄町? 近くの人は行ってもよう。5台のうちの1つは尻尾がハート型。これぞラッキーアイテム。見たら触ってあげようね。

 しかしウザったいのが森ビルで、もちろん企画した方でも話題の「表参道ヒルズ」にちょいかかる場所を選んだのは人が集まりやすく話題にもしやすいと踏んでのことだったんだろうけど、撮影していると守衛が飛んできてはバックに表参道ヒルズを入れた写真とか映像を流してもらっては困るみたいなことを企画した会社の担当者に話しているのが横耳で聞こえて来た。つまりは一種の意匠であってトレードマークであってそれがひとつのコンテンツであって、許可無く広告とか宣伝とか広報めいた場所で利用するのはケシカランって考え方が森ビル側にあるみたい。でもだってそこにある建物でしょ。つまりはもはや景色でしょ。東京タワーをバックに写真を撮ったってエッフェル塔をバックに広告を作ったって東京電波塔もエッフェル氏も何かを言って来るとは思えない。

 でも表参道ヒルズはダメみたい。たぶんお台場にあるフジテレビの本社もダメだろう。それ自体が著作物。なおかつ知名度も高く宣伝効果を向上させるパワーを持った建物で、その知名度を借りて宣伝めいたことを行うのは虎の威を駆る狐とゆーか盗人猛々しいっていうか、ともかくゲスな振る舞いだってことになるらしー。自分たちの知名度を使いたければ許可をとり、しかじかの対価を支払えっていう訳か。なるほど天下御免の企業らしいよ、自分たちが表参道を再び盛り上げたって優越感に浸っているって寸法か。

 でもそれほどまでに高邁な精神を持って意匠を守ろうとしている「表参道ヒルズ」がだぜ、壁面を広告媒体として提供しているのが薄型液晶テレビだから藁ってしまう。VIERA。そして使われているのはビキニ姿の小雪さんだ。「ハリー・ウィンストン」だの何だのと高級ブランドを入れ、意匠権をたてにその知名度をタダでは利用させないようにしている建物が、おそらくは広告媒体としてビジネス的に受け入れいる広告が半裸の女性をデカデカと張り出し旗にも飾って、たかだかテレビをPRするものだから可笑しいというか何というか。電気屋にいけばズラリと並んで買おうと思えば誰だって買える商品の、先鋭的でも美的でもデザイン的でもない広告を掲げて平気な神経、というより無神経こそが己の存在を崇高なものだと自認させ、自惚れを起こさせるんだろー。分かったそれなら結構だ。どんどんと主張しなさい。いずれ時が来れば流行も過ぎた商業ビルとして何かに取り上げてもらい喧伝してもらうことすらおぼつかなくなるだろうから。東京タワーにはなれないってこった。

 いやあ化けたねえ岡崎裕信さん。「滅びのマヤウェル」を手に取った時は集英社スーパーダッシュ文庫新人賞の大賞作品とはいえどうしたものかって悩んだけれど、新作の「『フレイアになりたい」(集英社)は実に良い。素晴らしい。ちゃんと書けてそれでいて他とは違うところを持った人なんだってことがよく分かった。驚いた。物語ではいきないマヤウェルがちょっぴり残虐さを強調させた女教師の姿で現れて、風間瞳って少女を遅い反抗した彼女の手足をもぎ取るけれど、次の場面では瞳の手足は無事に。どうやら何か取引があったっぽいんだけど、その取引の場面は描かれないまま、何か能力者の一族で若菜ミサキって少女を守るのが役目らしい瞳が、今は学園内にあらわれ異能の力を発揮する神格能力者を見つける仕事を請け負わされてる展開へと進んでいく。

 ゲゲゲの鬼太郎みたいな髪形で女番長然として学校内を闊歩していた所に、サッカー部を1人で応援する桜井夕陽って女の子が出現。どーやらなにやら力があるらしく、その力を使えばミサキに降りかかっている運命を変えられるらしいけど、本当に夕陽は神格能力の持ち主なのかが確かめられない。あるいは別に神格能力者はいるのだろうか。判然としないながらも近づき仲良くなっていき、そして始まった瞳とミサキと夕陽の関係はやがてひとつの終焉へと向かっていく。落涙。浮かぶ悲しみ。滲む後悔。やるせなさ。だけれどもそんな悲しみを超えて進む力をこれまた与えられる。

 キャラが爆裂している物語。ゲゲゲの女番長は直情径行で気っ風が良くって力持ち。不良も手なずけサッカーチームを作りプレーをさせたりするけれど、時にはミサキのボケに激しい跳び蹴りを見舞う苛烈さも持つ。そのミサキ。細身で病弱。というより常に頭痛をかかえていてしゃべり方も微妙に変。それには理由があってだから瞳はミサキを守ろうとする。でもやっぱりキックも叩き入れる。守りたいのかそれとも攻めたいのか。どっちもどっち。つまりは真っ直ぐだったり裏返しだったりする愛情の現れって奴だろう。

 夕陽は巨乳。サイズはどうやらGらしい。G。グレイト。だけれど奢らず明るくて素直で応援好き。チアリーダーには入らず校庭の隅でたった1人で選手を、部活を応援している。これにも理由があって、ラストの悲しみへとつながっていくんだけど、そんな背景を微塵も感じさせない底抜けな明るさの夕陽に、いつしか瞳もミサキもとりこまれ、ほだされ何としてでもと走りどうにもならないと知る。残酷な運命。けれども充実した人生。

 いずれ来るそれぞれの運命に向かい、時間を否応なく進まされる瞳とミサキに残った夕陽の影響。それは間違いなく読む人の前へと向かう気持ちにも働きかけ、前へと足を踏み出させる。ギャグっぽいキャラに不条理っぽい展開だけど、ストーリーに芯はしっかりとあってメッセージも強い。何よりページをめくらせる手を止めさせないワクワク感にあふれてる。面白かった。楽しかった。だから次があれば是非に読みたい。読めるかな。


【9月28日】 こいつぁ良い。最高に良い。佳作だから大賞作品に劣ると思われたんだろーけれど、蘊蓄まみれでなおかつその蘊蓄が物語りを駆動させてくれず物語好きの心を苛立たせて止まない大賞作品に比べれば(それが好きという人がいることは認めるけれど)、一部に蘊蓄が散りばめられていてもそれが本筋において重要なファクターとなっていて、物語を大きく駆動させる原動力になっているという点で極めて高い評価を下せる。集英社スーパーダッシュ文庫小説新人賞の佳作を受賞した藍上陸さんの「ブール・ノアゼット 世界一孤独なボクとキミ」(集英社、619円)のこと。

 虐められ無視され疎まれていると感じ学校を辞めた主人公のボクこと乱場小唄だったけど、もう1度やり直してみたいと思い1年後に別の学校へと再入学。そこで息をひそめつつ派手な言動をせずにとりあえず普通の生活を送ろうと心に決めていた。そんな矢先。お嬢様ながらも退屈な日常を嫌い年子の妹と「弓月学園ますらお同盟」なる反共組織を学校内に立ち上げ執事然とした老人を運転手に軽トラックを街宣車として校庭を乗り回しては、生徒に参加を呼びかけていた森中林檎に引っ張られた小唄は、「ますらお同盟」に勧誘されるものの一方では登校してすぐに出会ったお菓子が大好きという不思議な少女・神無月みだらが気になり、彼女も参加しているという学校内に蔓延る宗教組織への参加に心惹かれる。

 クラスメートになった情報通の少女・桜井サクラと女性のような美貌を持ちながらも喋りは古風で代々剣術を嗜んで来たという山田朝右衛門という少年と多少の仲を深めつつも、積極的に触れあうことをどこか敬遠していた小唄。積極的にアプローチして来る森中姉妹にも強い拒絶を示して自分を孤独の淵へと追い込んでいく。唯一自らが心を向ける対象に神無月みだらを選ぶけれど、どこかとりとめのない所のあるみだらは小唄と恋人のような関係にはなってくれず、おまけにどこか遠くへ行ってしまうような言動を繰り返す。やがて訪れたエピファーの時。何が起ころうとしているのかを理解した小唄は、自分がどうして虐められ遠ざけられていたのかも含めて自覚し落ち込み、それでも神無月みだらを救いたいという気持ちから朝右衛門に、林檎と梨の森中姉妹に助けを仰いでみだらのいる場所へと乗り込んでいく。

 まるで鳥肌実かって思わせられるくらいに過激な右翼的演説を繰り広げる美人でお金持ちの姉妹とか、その執事みたいな爺さんとか朝右衛門とか癖のたっぷりなキャラクターたちの存在感がまず凄い。でもって彼ら彼女たちの言動に芯があって揺らぎがなくってそれぞれをまるで生きているかのよーに感じながらページを追っていけるところもまた凄い。ケーキやお菓子の作り方講座みたいな部分もあるけどそれは決して無駄ではなく、神無月みだらも所属する宗教組織の行おうとしている儀式ともシンクロして1つの構図を描き出す。その構図のなかにお菓子が好きな神無月みだらという少女と、宗教組織における神無月みだらという存在が重なって収まり光を放つ。いやあ鮮やか。

 無関係にみえた登場人物たちがつながりその振る舞いの裏にあった驚くべき事実も明らかになったりとフックも沢山あって楽しめるけれど、そんなキャラやら伏線の回収といった楽しみどころを超えて突きつけられるのは傷つきたくないからといって誰とも触れあわないでいることがかえって他人を傷つけ自らを追い込むんだという事実。近づきたいのに自分を防御した棘が相手を傷つけてしまうかもしれないと悩み結果近づけないでいる”ヤマアラシのジレンマ”に近い状況を、どうすればうち破れるんだと考えさせてくれる。つか折角の美貌にナイスバディに豊富な資産を持った森中林檎を、ちょっぴり言動が鳥肌中将だからといって忌避するのは勿体なさすぎるぞ乱場小唄。ともあれピタリと着地も決まって読み終えて心が1枚、薄着になった気分を味わえる青春ストーリー。年間のベストにだって入れたくなるなあ。

 サイン会の整理券をもらおうと立ち寄り馳星周さんの「ブルー・ローズ」を買った丸の内のOAZOにある丸善で奇妙なものを見つけて購入。その名も「小松左京全集完全版」はSFのとりわけ日本SFで育った人たちの誰もが待ち望んでいたはずのものなのに、世間的に広く知れ渡っておらず僕自身も店頭で見て腰を抜かした1人だったりして、いったいいつの間に決まったんたなと調べてなるほどと理解。オンデマンド版が店頭に流れたものだったのか。刊行しているのは城西国際大学出版会で、コニカミノルタビジネスソリューションってところのオンデマンド出版システムを使い500部限定で刷っては予約した人とかに頒布しているらしー。

 だからって言うんだろーけれど、印字の品質が無茶苦茶に悪い。普通の印刷ではあり得ないよーに、漢数字の「一」とか漢字の「口」とか「目」といった文字の横線がシャギシャギになって酷いものだととぎれとぎれになっていたりする。文字サイズが小さいってこともあるんだろうけど印刷された文庫本はさらに小さな文字が使われている訳で、それでも横棒がかすれるなんてことはない。過去にもいろいろとオンデマンド出版の刊行物を目にして来たけれど、大日本印刷の「リキエスタ」の場合は文字に関してはボヤッとした感じはあっても横線はちゃんと印字されていた。ゼロックスのだってもうちょっとマシだろー。

 函も適当。コート紙が貼られた白函を巻くようにタイトルとかがプリントされた紙がかけられているだけ。函の口を折り曲げ端を中に入れてあるだけで、引っ張り出せば帯のように抜けてしまう。っていうか帯を箱の高さまで拡大しただけだ。角なんかを引っかけたらビリッと破れて剥がれてしまいかねない。そうなれば残るのは真っ白な函。そこにマジックで「小松左京全集完全版」とでも書くかねえ。それはそれでオリジナリティもあるけれど。どうしてこんな事態になってしまったんだろう。誰あろう小松左京さんだよ。世界の小松だよ。その膨大な著作がみっともない活字とみっともない装丁でもって”全集”として刊行されていく。

 1人の偉大な才能が70余年にわたって積み上げてきた叡智が、それに相応しい体裁をとらず単なる”情報”として排出されていくこの愚挙。何という冒涜か。何という理不尽か。山藤章二さんの装丁が素晴らしく、おまけに値段も安く月報も楽しかった「筒井康隆全集」とこうまで違った扱いを受けるとは。そんなに小松左京では商売にならないのか出版社。あれだけ儲けさせてもらって真っ当な全集を刊行して感謝に報いることもできないのか出版社。それともちゃんと打診はしていて、けれども何かの理由から全集刊行に至らなかったのか。

 分からないけどとにかく「完全版」と打たれている以上はこれが存命中のスタンダードな全集になるんだろう。ならば買うしかない。悔しいけれど揃えるより他にない。値段は4572円で収録されているのは「日本アパッチ族」と「エスパイ」。文庫を古本屋で買えば200円で買えそうな作品で、解説も石川喬司さんの焼き直しを4572円で買うのがやっぱり小松さんにすべてを教わってきた人間の義務ってことか。嫌な義務だが義務は義務。ならば付き合おうお金尽きるまで。全48巻だ? お金尽きました。気持ちも折れそうです。責任者出てこーい。

 そして呼んだ河屋一さん「輝石の花」(富士見ファンタジア文庫、580円)。うーん完璧。素晴らしい。そして美しい。富士見ファンタジア大賞のこれがどうして「努力賞」止まりなんだ? 去年の受賞作では審査委員賞に止まった瀬尾つかささんの「琥珀の心臓」と同様に、最高位ではない作品が妙に気に入ってしまうのは僕の癖なんだろーけれど、それでもやっぱりこっちが努力賞止まりってのはやや意外。まあ確かに「戦鬼」も「死神とチョコレート・パフェ」も面白かったからなあ。それだけ粒ぞろいだったってことか、今回の富士見ファンタジア大賞は。

 「黙(しじま)」なる人外の存在によって襲われた村をかろうじて逃げ出した少年と少女だったけど、その時に少年が受けた”呪い”は少年を「黙(しじま)」へと変えようとしていた。母親から輝石使いとしての知識と、瓶に詰められた液状化したりヒト型になる妖精を受け継いだ少女は、少年を治すには雪月花があれば良いと聞かされ採集に向かう途中で、「黙」と戦える力を持った歌い手とその守り人にめぐりあって仲間に入れてもらい旅をする。そうして雪月花を得たものの、新たな脅威が身近な所から起こりそして皆は大切なものを守るために戦う決意を固めたのだった。

 とまあ流れはシンプルだけどシンプルな故に読みやすく、そしてテーマも伝わりやすい物語。自分を犠牲にして少女を守ろうとした少年の優しさと、少年の想いを受け止め彼を救おうと頑張る少女の強さが心を打つし、邪悪な存在と虐げられる場面の虐げられる側の痛々しさと、虐げる側の至らなさに心突き刺される。伏線が活かされラストに生きそして未来へとつながる展開は、別離こそあれ永遠の出会いが一方にあって安心さをもたらす。結果はどうなったかは分からないけど、希望を感じさせるエンディングもなかなか。このまとまりで努力賞ってことはつまりまとまり具合を超えた強烈さが大賞には必要ってことなんだろうなあ。あとイラストがなかなかに可愛らしい。これまたベスト候補。今年は豊作だ。


【9月27日】 そして午前3時半過ぎに目を覚まして録画スタートと同時にチャンネルも着いていたUEFAチャンピオンズリーグの「セルティック対FCコペンハーゲン」の試合をつらつら。なるほど中村俊輔選手は持てばパスも巧みに出すしキープも素晴らしいけど持つまでの動きの部分とか、持ってから出すまでの速さとかが他の選手たちに比べて微妙に、ほんとうに微妙に遅れているよーな気がしてならなかったのは逆贔屓目って奴だろーか。けど実際にセットプレーをのぞけば俊輔選手から何か決定的なプレーが出たかっていうとあんまり印象に残ってない。そのあたりに欧州のメディアが見てどこか物足りなさを覚える原因があるのかも。

 とはいえ奪われれば守備へとかけ戻るのは元気がある時の俊輔選手ならではだし、ペナルティエリアへと入り込んで切り返そうとして妨害に遭ってPKを獲得したのも中村俊輔選手。キックこそ他の選手に譲ったけれど実質的な1点であり虎の子の1点を獲得して勝利に1番貢献した選手ってことには違いない。前節でのフリーキックからの1点よりもずっと大きくて重たいPK獲得のアシスト。そのまま次のホームでのベティス戦でも活躍してホームに迎えたマンチェスター・ユナイテッド戦でまたしても1点を獲得するよーなことになれば、本格的に欧州のそれなりなチームからの誘いも出てきそう。やっぱりスペインイタリアプレミアブンデスリーグアンのトップチームから声がかかってこのそ1流、だもんなあ。どうなるか。

 少し寝て起きて「東京ビッグサイト」で開幕した「国際福祉機器展」を見物。体の不自由な人とか高齢になって衰えた人たちに必要な機器やサービスの総合見本市って訳で会場を歩くとそこらじゅうに車椅子で来場した人がいたりして、たんに足の悪い人から脳性マヒか何かで介助の必要な人もいたりと様々。ともすれば介護とか障害とか高齢って後ろ向きになりがちな状況なのに、総じて会場中に明るい活気と前向きな熱気が溢れているのは何だろー、それだけ生きることにポジティブな人たちとそんな人たちを支えたいって意欲に溢れた企業なりの人たちが、会場を埋め尽くしていたからなんだろーか。生きることの素晴らしさって奴を妙に感じさせられた。

 とにかく賑やかな展示会でスペースも東館(ひがし・やかた)の1から6まで全てを使っていたりして、この市場が今そうとうに活気づいてて将来にさらに拡大する可能性をうかがわせる。自動車メーカーもフィットネスクラブもIT企業もさまざまな形で介護や障害者支援に関連した商品やサービスを提案していたりして、あらゆるビジネスがそこへと展開されて行きそうな可能性を感じさせる。新聞だって老人向けの方がかえって受けるかもしれないんだけど、どっかの会社が出すのはタダだって新聞なんて読まない若者層だったりするからないー。美麗で情報も豊富でスターが1面を飾って格好良い「トウキョウヘッドライン」ですら今の20代、30代はスタンドからもらって帰らないんだぜ。そんな奴らにどうやって買わせるよ? 誰もが納得するロジックって奴を聞かせて欲しいものだけど、そんなものがあったら今頃某ビジネス誌は日経を凌駕しててボーナスだってグループ各と同水準に戻ってるって。そうじゃないってことは……そういうことなんだろうなあ。悲哀。

 あと気になったのは、どう見てもヤンキー系だったりチーマー系だったりする若くて格好の良い男の子とかスリムなジーンズからお尻を半分くらい見せている女の子とかが来場していたり、制服姿の女子高生とか歩いていたりしたことか。何か他のイベントと間違えてるんじゃないの? って疑問も浮かんだけれど場内を歩いているそんな人たちもサービスの概要を熱心に聞いたり、道具の使いかを訪ねたりと展示にとっても興味深げ。あるいはアルバイトか何かで介護施設で働いている人たちで、いわゆる秋葉系な方々とは違った屈託のなさと前向きさでもって、不自由になった人を世話する仕事にやりがいを覚えていたりするのかも。コミュニケーションにストレスを感じないタイプっていうか。高校生は看護か養護か何かの課程を持った学校の生徒さん? いずれにしても若い人がこーした分野に関心を持ってくれているのは遠くない将来に介護され看護されるだろー身としては心強い。でもそれだってお金がなければ受けられないんだけど。辛いなあ沈没船の乗組員は。

来年もその次の年も帰って来ておくれよ国立に  カズカズカズカズゴール、カズゴール、カズゴーオール。そんなコールが聖地・国立霞ヶ丘競技場に響き渡るのもあと何度あることか。年齢的にもそろそろって時を考えなくちゃいけなくなって来ている三浦和良選手が久々に国立のピッチに立ち、それも先発で立ってプレーするとあってサッカーJ2の「横浜FC対ベガルタ仙台」の試合をちょっとだけ見物しに行ったら流石はカズ、三浦和良選手だけあって城彰二選手のヘッドによる1点に続く追加点をコーナーキックで滝澤邦彦選手にピタリを併せて奪取。見事なアシストを見せてくれた。どフリーになったタッキーも偉いけどそこにピンポイントで蹴り込むカズのテクニックも未だ衰えを知らず。その前にもクロスバーにあてるフリーキックを蹴っていたし、再三にわたってゴール前へと駆け込みギリギリのシュートを放っていた姿を見ると来年もしもJ1にチームが上がっても、そのままプレーを続行させて大丈夫って思えてきた。そうもいかないんだろーけれど。

 とにかく走るカズ選手。前線からチェックに行き後列から放り込まれれば駆け込んで受け取り攻め立てる。途中後退までまるで衰えない運動量のいったいどこに源がるんだ。デカビタCのおかげなのか。だったら僕も毎日飲むぞデカビタC。そして叫ぶぞ「バモラ」って。ピッチにはほかに山口素弘選手がいて小村徳男選手がいてとまるで98年フランスワールドカップを前に戦う日本代表のよう。率いる監督もアジアの大砲・喬木琢哉選手とあってドーハからジョホールバルへと至る時代を築いた伝説たちの揃い踏みに心震わせる秋の夜。代表引退を仄めかしつつも説得されて会見をやらないでいるボンバーヘッドのディフェンダーに見せてあげたいゲームだよなあ。これ見て中山隊長の未だ前身でボールに飛び込むプレーを見て、それでもしょぼくれたことが言えるのか。つか何でそんなに引退を発表したいんだろー中澤選手。そこに何が違うベクトルが働いているのかなあ。いっぺん呼んでみたらオシム監督。でもってベンチに塩漬けにして感想を聞く、と。どんな言葉が出て来るんだろう。

 試合は追加点を上げて3点とした横浜FCが相手の反撃を1点に抑えて見事な勝利。4位狙いで来ていた仙台をここでたたき落としたことで上位3強はほぼ固まって、あとは無条件で昇格できる2位以内を柏レイソルとヴィッセル神戸のどこが取るかにかかって来た。今日の勝ちでも横浜FCは勝った柏レイソルを抜けず勝った神戸も抜けないまま3位をキープ。トゥイード選手が抜けて心配された守備陣は、ベテラン小村選手の加入で引き締まって来た感じもあって残る試合もそれほど失点をせず勝ちか悪くて引き分けを重ねて行けそう。そんな中で上2つが調子を崩せばすぐいでも自動昇格圏内に。

 かくして獲得するJ1入りの影響をさて、カズ選手は我が事として聞くのかそれとも、乞われ今年の昇格を逃した古巣の東京ヴェルディ1969に戻りラモス監督を支えるのか。J2ですらこれだけの話題があるのにオレンジ色のニクたらしいタブロイド紙はjなんてまるで報ぜず代表のそれもプレーのことではなく周辺のゴシップばかりを漁り脳内の声を添えて記事にして掲載しては失笑を苦笑を浴びているんだからなあ。そんな行為が格好良いて思っている記者にデスクの横行が新聞メディアを衰退から滅亡へと追い込んでいるって分からないのか? 分からないから今がある。来年の声を果たして聴けるのか。


【9月26日】 サークルKサンクスが新しい業態の店を作るってんで八重洲に行ったらあったよ「フォークトーク」って店が。構えはまるでコンビニって雰囲気じゃなく入り口脇にはテーブルもあって食事がとれるよーになったイートイン形式のお店。パンも豊富に50種類くらいがその場で焼かれて出されて来るんで選び放題な上にいつでも焼きたてのほかほかとしたパンを食べられる。なるほど近所の女性従業員とかが通って来そう。それを狙って週刊誌とか成人誌とかおかず女性向けのファッション誌とか情報誌ばかりが置いてある。「SPA!」も「少年マガジン」も読めないこんびになんて……。「週刊女性」も「女性自身」も読めないけど。それで良いのかOLさん。別にいいのかネットもあるし。

 すごかったのが出てくるパスタの実に味わい深いこと。まるでゆでたてのよーに歯ごたえがあってなおかつ水っぽくないパスタが頼んでから2分くらいで出てくるから驚くばかり。聞くと蒸気でいっきに戻る特別なパスタが使われていてそれをフライパンでソースに絡めて出来上がり。なるほどこれなら2分から長くで4分くらいで出せるよね。ポモドーロは刻みニンニクが利いて香ばしくクリームソースとベーコンであえたものはこってりとしてクリーミー。それが実に200グラムの量でもって500円から650円くらいの値段で食べられるんだから嬉しい限り。そこだけ抜き出してパスタのファストフードだって出来そうな気もしないでもない。とはいえ女性向けだけあって開店したら女性がわんさで男性ではちょっと入れなさそう。パスタは夜までやっているんで時間を見計らって食べに行こうっと。

 出し入れの間合い。って奴がきっと大切なんだろうなあと思いつつ富士見ファンタジア長編大賞で去年、審査委員賞を受賞した瀬尾つかささんの「クジラのソラ01」(富士見書房)を読み終える。舞台は宇宙人とやらに侵略されてしまった地球。だけどその侵略の過程は描かれない。国会議事等とかがめちゃめちゃに破壊されて機能的にマヒし騒乱も起こった中を地上に舞い降りたオーバーロード然と宇宙人が統治したのか。最初っから圧倒的な存在感で一切の反撃を許さず無血のまま制覇したのか。状況は分からないけど侵略とやらの直後から、宇宙人が与えた宇宙船どうしを戦わせて勝敗を競う「ゲーム」が起こり、それに対処できる人材が揃っていたことを考えると無血に近い征服だったって考えるのが妥当かも。

 物語はそんな宇宙人から与えられた「ゲーム」を嬉々として楽しむ少女の描写からスタートする。桟敷原雫って名の少女は小池智香に関口準太って仲間とチームを組み、艦隊を操作して敵を殲滅するか降参させれば勝ちってゲームに勤しんでいる。勝ち抜けば日本チャンピオンとなりワールドグランプリへと出かけそこでも勝てば世界チャンピオンの座に。そして世界チャンピオンになったチームには宇宙人の所に迎え入れられる栄誉が強制的に与えられ、一方で宇宙人からは地球に存在しないテクノロジーがチャンピオンを輩出した国へと与えられる。

 そうなのだ。たかがゲームではないのだ。だから国は有能はプレーヤーを支えもするし、宇宙人から与えられたデータを使って素晴らしい艦隊を設計してしまった少年を24時間監視下に置きもする。過去に2年連続して優勝チームの艦隊を設計した角倉聖一は、今は名を代え監視下におかれながら高校へと通っていた。そこに同じよーに通っていた雫から、自分たちのチーム「ジュライ」の艦隊の設計を依頼される。かつて彼女の兄・桟敷原恭介が聖一の設計した艦隊で戦い世界チャンピオンになって宇宙へと旅だった。その後を追いかけたいという想いにとらわれた雫は、何としても世界チャンピオンになるために聖一の力を必要としていた。けれども聖一は受け入れない。過去、2度にわたって戦ったかけがえのない仲間たちの幾人かは宇宙へと旅だった。そして幾人かは……。

 いっしょに暮らしている枕井冬胡という少女も、両親が聖一の作った艦隊で戦いそしてチャンピオンになって”旅だって”しまい、その悲しみからひきこもり気味になっている。聖一は雫に冬胡と戦い勝てば受け入れると話すが、聖一のつてで世界トップレベルのプレーヤーと対戦した経験を持つ冬胡に最初は勝てなかった。そこで諦めると思いきや、兄への思いを諦められない雫は冬胡を説得して仲間nに引き入れ、その延長線上で聖一を遂に見方に付けてしまう。以前からのチームメートの智香も入れた4人による新生「ジュライ」がここに誕生。まずは日本チャンピオンを目指してゲームへと臨むのであった。

 いったい「ゲーム」とは何なのか。それはあくまでバーチャルな世界での戦いなのか。あるいは何かとダイレクトにつながっていたりするのか。宇宙から響くという声が届く特別なプレーヤーの存在をほのめかせる中、「ゲーム」の持つ人間にとっての問題点も浮かび上がって宇宙人たちの目的に得体のしれない不気味さも浮かんでくる。一方でプレーヤーたちを酷使してでも、その感情や権利を踏みにじってでも世界チャンピオンを輩出して宇宙人からの”おみやげ”を手にしたい政府の思惑も絡み、表面的には明るい青春ストーリーのその影で、深淵な設定と渦巻く陰謀が顔をのぞかせてくる。

 ただそーした引き出しの開け方、手の内のさらし方に今ひとつスムース感がなくってぎこちなくって、驚きを与え目を見開かせるといったことにあんまりならないのが勿体ない。一気に雫の覚醒にまで持っていかず、まずは雫の頑張りとそれにほだされる聖一たちの描写を入れつつ、裏に蠢く陰謀を仄めかし、最後に驚嘆の事実をつきつけハッと息を呑ませて次へと引けば、続刊への楽しみも増えたんだけど。もっともそれだとお預け感が強すぎるか。

 やっぱり1巻で一気にとりあえずのエンディングまで持っていきたいってのが版元の意向だったのかな。それならちょっぴり分厚くなってしまったのも仕方がないってことで。中盤から後半にかけて恐るべき事実が明らかになっていくテンポはなかなか。自身を失う危険も省みず、また友人を失う悲しみを振り切って突き進むチームの行く末に待ち受けるのはいったい何か。宇宙へと呼ばれた恭介たちは今、いったい何をさせられているのか。いっきに広がるだろースケールへの興味も持ちつつ展開へのドキドキ感を抱きつつ今は続く巻の刊行を待とう。1年は待たせないよね。

 何か突然に呼ばれて行ったビクタービルで見せられた「ときめきメモリアルOnly Love」が美しくって引っ張り込まれてしまった。ストーリーは単純明快。転校してきた少年の青葉陸が胸もぼよよんな理事長秘書のレクを受け椎名へきるさんが声をあててる艶っぽい担任に引っ張られて赴いた教室で出会った美少女が1人。誰だろうって思っていたのも束の間に生徒会長に呼び出されその美少女のメルアドがもらえるイベントの鬼にされてしまって学校中をかけずり回るってのが第1話のあらすじで、途中に水泳部の美少女と出会ったり謎のヒヨコに助けられたりとエピソードも挟みながらとりあえずはヒロインの天宮小百合とちょっとだけ近づくきっかけが生まれる。当然ながれ小百合の声は生天目仁美さんではないし陸の手にプッチャンもハマっていない。

 何か良いことをしたり良い成績をとったりすると猫耳だの何だのとアイテムがあたえられるところは発生がオンラインゲーム版「ときめきメモリアル」だって感じ。とはいえ誰と仲良くなるのかストーリーのないゲームと違ってとりあえずは天宮小百合をメインヒロインにすえつつバレーボール部に所属してブルマ姿も肉感的な絵が登場して官能をくすぐる春日つかさに図書館で陸と知り合い楚々な印象ながらも芯に強さがあるって声優の藤田咲さんが可愛らしい顔で説明してた弥生水奈の水着姿も心に響く。

 なにより天宮小百合の楚々とした表情に口調を描く技術が素晴らしく、疲れ果てた陸が見上げた先にいて足下から頭までをカメラがなめた天宮小百合のポーズも実に衝撃的。赤ずきんじゃないのにずっきゅーんと叫びだしたくなるくらいの美しさで、そのシーンを見るためだけにDVDを買っても良いかもって思えて来た。そんなヒロインたちを含めて絵は全体に美麗で微塵も崩れないところは過去にコナミが手がけた「極上生徒会」とか「おとぎ銃士赤ずきん」とは正反対。AICも頑張ったってところで望むならそのクオリティが最後まで続いてくれればお話はともかく絵だけでも充分に価値あるアニメになってくれそー。さてはてどうなるか。プッチャンも出て来てくれるかなあ。


【9月25日】 とりあえずスーパーダッシュ新人賞の大賞を受賞したアサウラさんて人の「黄色い花の紅」(集英社)を読んでうーん。僕に阿部和重さん的感性がなかったことくらいは判明する。なるほど書きたいことを書いたって点には同意するけどその書きたいことってのが何とゆーか、とりあえず銃器マニアが銃器マニア的蘊蓄を思う存分に書き連ねられて良かったねってゆーか。バレルがどうとかグリップがどうとかサイトがどうとかホローポイントがどうとかこうとか。延々と。そんな描写を成り立たせるために、日本を半ば銃解禁にしてしまい探偵からヤクザから美少女から中年のおっさんからが、すっげえ銃を手にしてどんじゃんと撃ちまくる。いやあ爽快だ。三合会はチョーサイコーだ。

 だけどそんな社会に日本がなっているんだとしたら、暮らしってもっと殺伐としたものになっているんじゃなかろーか。チンピラに襲われたからってその復讐を銃で果たすことが可能な社会。法律ではなく銃の力が決して完全に合法的とは言えないけれど何とはなしに可能な世界が今と同じよーに動く社会なんかであるはずがない。あるんだとしたら銃を扱う輩を縛る法体系なり、銃による暴力に立ち向かう自警組織なりを普通の人たちだって構築しなきゃ。そこの部分が見えて来ないこともあって、単に銃の知識を披露し銃撃戦の面白さを描きたいって目的のためだけに、日本を銃解禁にしたんだって思われてしまう。実際にそうなのかもしれないところが香って読んでいてとても引っかかる。

 冒頭からしばらくが、警備会社みたいなところで働く過去にいろいろあった三十路前の銃使いの女性のエピソードになっていて、途中から彼女が助けに行ったヤクザ組織のお嬢様が守られるばかりの境遇に憤り立ち上がては、銃を取って立ち向かう話にすり変わるところも謎。おまけにどちらのエピソードもそれぞれの一人称で描かれているから混乱を来す。どうしてどちらかの人物に主人公を絞って真っ直ぐな話しとして書かなかったんだろう。1人称だと難しいなら完全に30歳前の女性から観た話しにするなり、完全に少女の葛藤と成長の物語にすれば良いのに、もしくは俯瞰しつつ流していく3人称。最後の最後でまたまた三十路女性の吐露とそして屹立するイラストで終わるんだからますます混乱してしまう。

 それでもキャラクターはなかなか良いし、三十路女性も成長していくヤクザの娘もそれぞれにしっかりと自分を持っている。さらには警備会社の社長の工藤。中年で太ってているけど筋肉質で腕は丸太くらいで190センチの背丈があって50口径の大砲みたいなハンドガンを手にのっしのっしと歩き回るキャラクターの存在感はページの向こうからでも迫ってくるものがある。とはいてやっぱり出現は唐突。必要あったのかって気分は否めない。書きたかったんだろうって誰もが思うくらいに銃器についての描写は圧巻なんで次はそっちを存分に書いて書いて書き込めるジャンルに挑んでみてはどーだろー。無理に社会をねじ曲げなくたってハードボイルドあるいはヤクザな小説だったら可能だし、銃器をバンバンと女の子が撃っても大丈夫な世界を社会法律文化も含めて練り構築してから再び挑むってのは如何。

 こっちも大賞だけどコバルト小説大賞、ではなくファンタジア長編小説大賞の大賞作品「戦鬼−イクサオニー」(川口士、富士見書房)は読んで圧巻の1冊。なんだけどやっぱりどこかコバルトっぽさを覚えてしまうのは、物語が出雲から大和へ政権が移る前後の古代が舞台になっているにも関わらず、登場するキャラクターたちの会話する口調や思考が現代人っぽいことと、あとは絵の影響ってこともあるけれど、描かれているキャラのビジュアルがどことなく耽美がかっていたりするせいか。とりあえず敵となる桃生っなんてロンゲだよロンゲ、それもロックスターみたいな。そんな奴ぁいねえって古代には。それともいたのかな。何しろ桃生って……だから。

でかい面すんなとガンダムが言ってます  それも含めて設定はなかなかに面白い。人間がいてそれぞれに異なる神を崇める出雲と大和とがあって、それとは別に渡来して来た鬼の一族がいて桃生って舶来っぽい別の鬼がいて、さらには黄泉の世界があってそこにイザナミがいて地上の世界に対して超越的な力でもって介入するって感じに多層的な世界のレイヤーがしっかりと作られている。そんなレイヤーのあっちで人間どうしの諍いがあり、こっちで鬼と人間の対立があり、そんな中で鬼と人の間に生まれ黄泉の力も持たされた主人公が登場しては、重なるレイヤーを突き抜けて振る舞うってスケール感もなかなかに迫力。そんな主人公がいずれ妖になるかもしれない運命に抗いがらも屹立し、縁のある少女を守り戦うって主軸が強烈に読む人を惹きつける。なるほど大賞受賞も納得。でもやっぱりコバルトっぽいんだよなあ。コバルトで出たら超人気シリーズになったかな。富士見でどれだけのシリーズ物に発展させられるかな。

 ヒーローになれるんってんで川崎駅前にオープンする「ラゾーナ川崎」って大型商業施設の中にナムコが開設する「ナムコ ワンダーパーク ヒーローズベース」に行ったけど身長140センチ以下じゃないとヒーローにはしてあげないよって言われてすごすごと退散する。来年までには身長を縮めて僕もウルトラ防衛隊員にしてもらおう。そんな「ウルトラマンCLUB」のプレーゾーンを別にすれば「ヒーローズベース」はゲームセンターにDVD&ライトノベルのショップにガチャポンセンターが集積した巨大なアミューズメント施設。とりわけガンダム関連のゲームは充実していてあの筐体に入ってジオン軍なり連邦軍となって徒党を組み、敵と戦う「戦場の絆」が何と16台も設置してあって他の店よりは並ばずに体験できる。でも立地が良いからその分行列も凄くなるかなあ。3時間待ち、とか。

舞浜のよう。だけど川崎。だからきっと……。  ガンダムのカードをテーブルに載せて操作するゲーム機も1揃いがあってなかなかにご立派。それより何よりおそらくは等身大に設計されたシャア専用ザクの頭とそれからガンダムの頭が入り口付近に転がっていてその大きさに圧倒される。よくよく観るとザクの方がガンダムより大きいのはそれだけ設計が古くて頭に仕込むコンピューターとかモノアイとかが大きくなってしまったからなのか単なる頭でっかち仕様だったのか。ガンダムの頭はなかなかに込み入った造型で松戸の「ガンダムミュージアム」にあった奴より作りが細かいよーな気が。比べてみた訳じゃないし目も光らないから個人的には松戸の方が好きだったけど。今はどこに行ったんだろう。バーミヤンの石窟に代わりに収まっていたりして。隣の石窟には当然に赤いザクが立つと。このプロジェクトどう。バンダイ。お金出してやりません?

 ほかにも浅草のロックス脇に立っていた奴くらいに大きなウルトラマンとかもいてモケイ好きなら見上げて楽しめる施設。もちろんゲーム好きなら1日いたって飽きそうにもない。そんな施設の他に「ラゾーナ川崎」はユニクロがあり無印良品がありビックカメラがあり赤チャンホンポがありとチェーン店のテナントもいればコーチにバナナリパブリックにユナイテッドアロウズにZARAにGAPに何だかんだとファッション関係も勢揃い。食べる店味わう店もわんさとあって東で例えるなら「ららぽーと船橋」くらいの歩き甲斐って奴を堪能出来そー。中央に出来た広場は結構広くてそして綺麗。すぐ隣に雑踏と喧噪の川崎駅があるとは思えないくらいにお洒落。なんだけど正式にオープンしたら駅を降りてすぐの広場にわんさと人波が押し寄せて、行楽地くらいの賑わいを見せそう。それもそれで良いのかな。所詮は川崎だし。


【9月24日】 天気も良いにこそ観るに相応しいかもと丸の内まで出かけて出光美術館「国宝 風神雷神図屏風」を鑑賞しようかと思い、二重橋駅から歩いてたどりついた劇場の前には午前11時ですでに長蛇の列。1ブロック先まで伸びてて入場までに結構時間がかかりそうだと目算して諦め、上野へと転戦して「上野の森美術館」で「ダリ回顧展」を観る。ダリってダリ? ってギャグはなしだ。ギャグですらねえ。

 入ろうとしてチケットを観て首を傾げたくなる記述を発見。主催がフジテレビジョンと朝日新聞社になっている。フジテレビが主催で共催に日本美術協会と上野の森美術館とゆー共にフジサンケイグループと密接な関係を持つ団体が入っていれば、新聞側の主催は産経新聞になって当然。そこにニッポン放送とサンケイスポーツと夕刊フジとフジサンケイビジネスアイとサンケイリビング新聞社あたりが共催で入るパターンが、こーした大型の文化事業の場合は普通なのに、「ダリ回顧展」って今季の看板中の看板イベントでパートナーが朝日新聞社になっているのがちょっと解せない。

 NHKが主催のイベントに朝日新聞社が絡むんだったら甲子園の例をはじめ他にもありそーだけど、メディアが半ば宣伝活動として行う文化事業にこーしてメディアの系列を超えたパートナーシップが成立した背景って何だろー? ダリにルートを持っているのが朝日新聞だったらパートナーには当然にテレビ朝日を持って来るだろーし、場所に上野の森美術館をセレクトすることもあんまりなさそー。かといってフジテレビがメーンだったとしたら相手に産経を選ぶはずなのに、そうじゃないのは産経がダリ展に相乗りの価値なしと判断して主催の座を降りたのか、それとも主催に伴うコストがリターンに見合わないと考えたのか。フジテレビ側が収益を考え広く広く喧伝するためには部数で4倍の朝日が相応と考え、全国を巡回する上で全国的に知名度の高い朝日の方が有利と考えたのか。

 理由はまるで不明だし、想像すらおぼつかないけどともあれ展覧会の方は決して広くもない会場を人がぎっしりと埋め尽くして居て、絵に近づくことすら難しい賑わいで、開幕2日目にしてのこの混雑ぶりから成功は約束されたって言えそう。あるいはそれだけダリの人気が凄まじいってことなのか。印象としてはダリの中でも著名な「記憶の固執」に代表される幻想的で不可思議なシュールレアリスムの作品は来ておらず何となくダリっぽい作品が中心で、面白かったかって言われるとウーンと頭をひねりたくなる内容だったけど、そんな中でも「記憶の固執」こと通称「ぐにゃ時計」を発展させた「記憶の固執の崩壊」って珍しい作品が来ていたのと、ガラが女神になって降臨してくる様をダリが描いている大作「世界教会会議」が観られたのが収穫、か。出来ればキリンにいっぱい燃えていて欲しかったなあ。そっちは上野動物園で実演してもらうか。

 混雑ぶりにこれはじっくり観ていられないと素通り気味に抜けだして国立西洋美術館で始まった「ベルギー王立美術館展」を見物。こっちは読売新聞社が主催か。日本テレビ放送網はついてないけど他にテレビ局もついてないから単独の主催か。それならあり得る。んで内容はといえば、「バベルの塔」とかで有名なピーター・ブリューゲル(父)の絵もあればネロがパトラッシェとともに見物しながら眠ったルーベンスの絵もありジェームズ・アンソールがありフェルナン・クノップフがありアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデがあり、そして闇に浮かぶ白い肌の女性や暗がりに輝く鉄道を描いたポール・デルヴォーああってさらにはダリの観る者を圧倒する爆発する妄執とは対局を成すよーに、日常のズレを示唆した作品で観る者の心をザワつかせるルネ・マグリットといった、ベルギーの歴史に連なる人たちの作品を一堂に、それも落ち着いた環境の中でじっくりと観られてなかなかの感動を味わえた。

 話題性とか知名度でダリに引っ張られがちになるのは仕方がないとしても、ルーベンスの割に大きな作品を真正面からじっくり見られるこっちの方が個人的にはお勧め。観たくて観られなくってようやく観られた時にはすでに……ってネロの気持ちを思えば涙なくしては観られません。でも犬は連れて行っちゃだめだよ。ポール・デルヴォーは佐倉市美術館で97年頃に個展をやっててたっぷりと観てファンになった画家だけど、改めて観て静まりかえった夜に浮かび上がる女や鉄道といったモチーフのノスタルジックだったりエロティックだったりする雰囲気がやっぱり良い。改めてまとまった展覧会を観たいもの。マグリットも何度か観ているけれど暗闇に光る家屋のバックに広がる青空ってゆー、あり得ない風景があり得てしまう不思議な描写がやっぱり凄い。意味不明。だけど来るものがある画家。また観たいなあ鳥籠男とか岩城とか。

 そして迎えた最終回の「ゼロの使い魔」はゼロ戦を駆りレコンキスタとの戦いに臨む才人を傍らにルイズの虚無がいよいよ発動。あれだけの破壊力なら下の村々もきっとクレーター化してるんじゃないかって異論はさておき、現代へと戻れる可能性を捨ててまでルイズの世界に踏みとどまったのはやっぱり毎日のパンツ洗いが楽しかったからなのか。そりゃ楽しいだろうけど。でもたまには中身の方も洗わせて欲しいと以下略。文庫の方でもここまでがひとつの山場だったんでアニメもここで終わっておくのがとりあえずは落ち着きも良かったか。第2期があったらそれはそれで深刻さを増す世界の混乱の中で才人とルイズの着いたり離れたりする関係を描いていって欲しいもの。原作もそろそろまとまるのかな。それともまだまだ続くのか。落としどころの見つからないまま中断だけは止めて頂きたいもの。アニメもそんなタイミングを見計らって是非に第2期を。


【9月23日】 そして雅音は光となった。「ウィッチブレイド」最終回は体の限界を知ってそれでもなお”娘”のためにウィッチブレイドを滅すべく戦う雅音の姿が何とも実に神々しい。迫るまりあたちも物ともしないで蹴散らし迫るアイウェポンの群れを眼下にしつつ遠くに梨穂子の存在を感じて気づく”母”の意味。自身は物理的な意味での母親であったことはなかった訳だけど、6年の月日をともに苦労もしながら過ごしたかけがえのない”娘”の存在に”母”の力を知りそして、その力であらゆる存在を浄化し更正させそして未来へと送り出す。

 優しくはないけれど素晴らしい最終回。そして感涙の最終回。こーゆーのだってちゃんと作れるのに何でこーじゃないのまで作ってしまうんだろーなー、GONZOって所は。ともあれ「スピードグラファー」に続いてスタイリッシュでエキサイティングでアバンギャルドで、そして温もりに溢れたアニメーションをありがとう。TBSじゃあ提供クレジットもはいらない環境なのによくぞ放映してくれました。全部の録画に成功し、衣装が過激だろーと過激じゃなかろーと本筋の感動的な部分にはいささかも関係ないだけにDVDの購入をためらっていたけど、これならお布施と想い買わせて頂くことに決定。「ゼロの使い魔」には泣いてもらうか。あと「N.H.Kにようこそ」にも。「ようこそは」しかし。うーん金が。

 やっぱり圧力なんてなかったじゃないか「週刊サッカーダイジェスト」編集長交代。「エルゴラッソ」の2006年9月22日号にこの前まで編集長を務めていた山内雄司さんが登場して「圧力というものは正直、ないです」と断言している。なおも追撃するえのきどいちろうさんに対して「ないと言っちゃうと何だって話になるでしょうけど、そういうふうに思われた方々にとっても、何だと思われるでしょうけど、そうしたものは別にありません」と重ねて否定。ここまで言い切る以上はこれからの仕事なんかを考えて黙っておきたいとかっていった理由を勘ぐり”密約”の存在を仄めかすのもちょっと無理。サッカー協会云々以上に山内さんを愚弄することになりかねない。だからやっぱりなかったとここは信じるべきだろー。

 そんな山内さんが言ってて面白いのはジーコジャパンを報じる上でのやるせなさ。「あんなネタのないチームはないですよね」ってえのきどさんの問いに「解説者にお話を聞くったって、お会いすると『ええっ!」って始まって、『うーん』って黙っちゃう」と答える山内さん。「いつも『前にも言ったことだけど』って話になって」と進歩のなさを指摘してる。決め手が「無力感はありましたよね。それは、加われない無力感なんじゃないか」って言葉。すべてが予定調和の世界に留まりなおかつ、その世界が端からみていて実に理不尽であるにも関わらず、指摘しても届かず通じずやっぱり変わらない世界が続けばジャーナリストの誰だって無力感に苛まれるんじゃなかろーか。

 「僕らの代表なのに、加われない、一緒になって僕らの代表だとは思えない」って言葉はあの当時、ってゆーかジーコ監督が就任した直後あたりからずっとサッカーに関心を持つ人なら感じていた気持ちなんだけど、そうした空気を大手のメディアだけは感じずひたすらに持ち上げ讃える報道を、いや報道ってよりも宣伝を繰り返した。結果はご存じ。だからこそ今、メディアもサッカー界も含めて変わろうとしている時、変わらないと未来はないって考えている時にオレンジ色のニクい夕刊紙のあの野郎はしつこくも鬱陶しい記事を書き連ねる。そして起こる呻きは「また久保か」。

 そうあの久保武司記者がまたやってる。「ガーナ戦チケット売れず…招集選手は名前と顔一致せず」って記事は10月4日の日本代表とガーナの試合のチケットが今ひとつ売れていないって話で、その理由を”人気”のある海外選手を呼ばないオシム監督のせいだって感じに腐してる。「『まだ2万枚台しか、チケットが売れないんです。ヤバイです。満員の半分も売れていないですから』(関係者)」っていったいどこの関係者ですか日産関係者ですか協会関係者ですか報道関係ですかそれは脳内にお住まいの方ですか? って恒例の突っ込みは別にして、売れていない理由をメンバーの選考に求めるロジックがまず理解できない。

 この4年間にわんさと人が来たのはひとつには2002年のワールドカップで日本代表が躍進して日本代表への認知度があがったから。それに乗っかりメディアがスターを作りあげて4年間を盛り上げて来たからこそ、観客も入ってスタジアムも賑わった。チケットもとれない状態が続いた。でも4年後の本番を観て気が付いた。名前だけのスターでは勝てなかったと。そんなスターばかりが集まったサッカーはとてもつまらないものだったと。自分たちは騙されていたんだと。そして離れていった。がらんどうの日本代表なんて観るものかと。

 そうやって離れていった人は、メンバーが替わって、もしかするとって期待を濃い人たちに感じさせる選考が行われるようになってからも、なかなか戻っては来てくれない。テレビだって見ようとはしない。だからチケットが余るし、視聴率だって上がらない。悪いのは誰? 責任はどこにある? 考えれば2秒で気づくだろうことに、このオレンジ色のタブロイドで素晴らしい肩書きを持って誰からも憧れられる日本代表担当のポジションを得ている、エリート中のエリートサッカー記者様は気づいていないか、気づいていないふりをしている。その理由はいったいなんだろう。これこそが圧力か。それともやっぱり気づいていないだけなのか。僕とはおよそ4万キロとゆー地球を1周してしまくらい遠い場所で働いている人だけに、当人に面と向かって訪ねることもかなわないけど、せめて周囲にいる心底からサッカーを愛し、そして媒体の矜持を守りたい人はそろそろ考えてみては如何。

 しかしそんなとてつもない人を連載コラムに起用してしまう山内編集長の外れた後の「週刊サッカーダイジェスト」も分からない。2006年10月3日号から掲載された「丸秘報告裏コラム」ってタイトルからして上品さに欠けるコラムは書きっぷりもやっぱり上品の反対。オシム監督を孤立させるなってゆー主張そのものには賛同できるんだけどそーゆー当たり前のことを当たり前に書くメッソドをもしかしたら持ち合わせていないのか、ことあるごとにオシム監督のコミュニケーションをとろうとしない態度を腐し、ベンチから巻選手らに向かって叫ぶ言葉を「念仏のように」と例えてその態度の不思議っぷりを際だたせよーとする。

 そう書くのがもしかしたらスタイリッシュって考えているのかもしれないけれど、それはオレンジ色のニクい夕刊紙の中で、世間に対して斜に構えた団塊おっさんたちにだけ通じる方法論。真面目にスポーツのことを考えスポーツの発展に何が必要なのかを考えている人たちにとって、裏をとり影を踏み背中をぐさっと刺してから謝り、居直って真面目さを見せようとするスタンスはただただ胡散臭いものでしかない。ましてや評判の「また久保か」さんだ。ここではひとつ徹底しての真面目っぷり、10年近くサッカーを取材して来た博識っぷりを見せて実は凄いんだってことを見せつければ良いのに。それとも根っからのサービス精神旺盛な人で、腐したり捻ったりして読み手の溜飲を下げさせることに情熱を燃やしているんだろーか。ある意味で素晴らしい記者魂の持ち主かも。あやかりたいけど何しろ4万キロ離れた場所にお勤めなんで、ロッカーの彼方からその健筆ぶりを見守ることにしよー。

 「東京ゲームショウ2006」に言ったら人ぎっしりで歩けずプレスルームに避難する。とりわけソニー・コンピュータエンタテインメントのあるあたりがぎっしりで向かいのカプコンとか隣のスクウェア・エニックスあたりも含めて通りが人で埋め尽くされてまるで元旦の明治神宮のよーだった。明治神宮なんて言ったことがないけど。例年だと普通に素通りできるくらいの混みようなのに今年はいったいどーゆー訳だ。ゲームの活況が戻ってきているのか。それはたぶん違ってて金額的に盛り上がっているのはひとえに「ニンテンドーDS」のおかげであって家庭用ゲーム機やソフトについてはやっぱりしょっぱい状態が続いている。そんな中でも久方ぶりのメーンなハードが登場ってこととそして当日になっての値下げの報にこいつは視ておくかって人が溢れて来たんじゃなかろーか。

 だからこの人出がそのまま市場の拡大につながるとはちょっと思えない。人気タイトルもすでに出ているものの続編とか人気キャラクターを使ったシリーズ作品とかそんな辺りで新たなムーブメントを起こしそうなタイトルが、出ていて人気をさらうって状況にはまだ来てないみたい。それでも2作目くらいで人気爆発な「龍が如く」みたいなソフトもあて底上げにつながる筋道が見えていない訳ではなさそー。若い女の子とかゲームショウにあんまり来てなかった層もキャラクター目当てで来ていたりしてそーいった層を確実につかむ努力をしていけば、大きく伸びないまでも落ち込まないよーには出来るんじゃなかろーか。でもなあ、作っている人たちがゲーマーな男の子上がりばっかりだからなあ。作り手の意識改善世代交代もそろそろ必要なのかなあ。

 話題豊富なだけあって外国人の数が異様に多い印象の今回の「東京ゲームショウ2006」。プレスに混じっている外国人の数も半端じゃなく、それが例年だったらごそっといなくなる一般公開日にも居残って仕事をしているものだから、例年だとガランとして人気のない土曜日のプレスルームが人でいっぱいだった。こいつはいったいどーゆーことだ。それだけやっぱり「PS3」への期待が高いってことなのかな。これで「E3」が弱体化してくればやっぱりゲームのショーは日本ってことで盛り上がるんだろーけれど、新ハードって弾もなくなる来年以降も同じ状況を期待するのは欲張りか。けど経済産業省あたりは本気だし。日本のショーに外国人が来て新ハード以外に視るものがなくって何か良いことってあるのかなあ。そこんところをしっかり作り込まないといつかの「えんたま」みたいな憂き目を視ることになるぞ。きっと視るんだろーけれど。

 んでもって「フクアリ」にいったらワラシがかけずりまわってた。やっぱり巧いは林丈統選手。トラップもぴたりと決まるしそこからするりと抜けていく技量も逸品。イビチャ・オシム前監督が話したがらなかったのも分かるけど、でもやっぱり途中で変えられてしまったのは何かしかの問題を、サブの起用が多かったオシム前監督と同様に柱谷幸一監督も感じているってことなんだろー。そこが直れば代表にだって言って不思議のない逸材なんだけどなー。

 試合はそんな京都パープルサンガを相手にジェフユナイテッド市原・千葉が2点を取ってリーグでは久々の勝利。水曜日のナビスコで勝って焦りが薄れたのか動きも良くって相手のしたいよーにはさせなかった。とはいえ前半からスタメンの水野晃樹選手が後半にやや軽くなって替えられてしまったのには少々がっかり。これさえなければ代表なのになあ。あと後半終了間際になるまでパスをつないで前に運ぶサッカーがあまり出来ていなかったことも気がかり。プレッシャーのきつくないパープルサンガが相手でこれでは組織的に守りに来るチームだとさらに中盤を支配されてしまいかねないからなあ。次節の大分トリニータ戦がそのあたりを視る試金石となるか。1週間が久々にあいてリフレッシュされた選手たちの活躍に、期待。


【9月22日】 モーミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモーミ! やりました日本テレビ放送網のフナコシアナがついに相手胸部をモーミしました驚愕ですかつてない驚きの所業であります。系列放送局の女子アナウンサーが相手ではなるほど最初から力関係は決まっておりましたがそこを抑えて冷静に振る舞うのがベテランの味というものであるにも関わらずフナコシアナ、格上を良いことに時に誘いかけ時に脅かしては相手女子アナの強固な守備を貫いて遂にその頂上へと手を到達させたのでありました。

 まさに凄絶ですセクハラであり且つパワハラでありますこの挙に浮かぶ憤りを伝える言葉も容易には浮かびません。ただひたすらに状況を叫ぶのみでありますモーミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモミモーミ! って感じに飛び込んできたこの何ともみっともないニュースを実況するアナウンサーがいたら神。日テレ局内にいたらなお大神。いずみじゃない。

 早起きして西の大手町へとは向かわず東の幕張本郷へと向かいバスでNTT前まで行ってそこからてくてくと歩いて「東京ゲームショウ2006」の会場へ。いつもだったらオープニングにずらりと並ぶコンパニオンを視ているところだけど、開場と同じ午前10時から久多良木健ソニー・コンピュータエンタテインメント社長の基調講演があって、そっちの席取りをしなくちゃいけないんで泣く泣くコンパニオンを諦め国際会議場へと向かうとすでに長蛇の列。それもいつになく外国人が多く来ていたみたいで「E3」で発表になってはいたものの、どれくらいの完成度なのか今ひとつ分からなかった「プレイステーション3」の発売前の状況をその眼で確かめたい、ついでに欧州での発売延期が発表されて初の公式な場への登場に、またしてもよくない話をするんじゃないかって興味もあったのかも。

 そんな聴衆の期待を余所に久多良木さんが延々と話すのは、とてつもなく高い処理性能を持つMPUとネットワークへの接続機能を使うことで生まれるネットワークコンピューティング、分散コンピューティングの新しい可能性。たとえばネットワークコンピューティングでは「グーグルマップ」みたいなものを例にあげて、地図データがサーバー側にあってそこにユーザー側が新しいマップを追加したりして共に世界を創造していく一方で、新たなコンテンツを共有されているデータをもとに作り出すことによって安価でそして誰もが参加している意識を持てるエンターテインメントを作れないかってな感じの話をしてた。

 すでにSCEJが「グランツーリスモ」のシリーズでやっているよーな、企業が持つ自動車のCADデータなんかを活用して開発費を無茶苦茶かけずそれでいて面白いゲームを作り出す方法論を、ほかのセクターにも広げて考えようって発想。リアルな世界が持つリアルな世界ならではの親近感なり既視感なりを、デジタルの世界に取り込むことでユーザーには従来にはない現実とシームレスでそれでいて架空の楽しみもあるゲームを与え、企業にはデータを提供する見返りとしてのゲームを楽しむユーザー層ってな感じのギブアンドテイクな関係が、そこに生まれビジネスの種も育っていくって指摘していた。なるほどちょっと目新しい。実現するのはそれこそ10年のスパンが必要だけど、ハードディスクの値下がりと容量のアップをそれこどPS2の前から見越していたりした人だけに、描くビジョンの到来もそれほど遠い未来ではないのかも。そんな布石としての「PS3」があるってことなんだろー。

 あと分散コンピューティングってことではセルが持つハイスピードな処理性能を、全世界のネットワークにつながっているコンピュータのうち手の空いている奴が例えばゲノムの解析だとか、宇宙人が発しているかもしれない電波の解析だとかに当てて社会や科学や医学や何やらかにやらの発展に、寄与していく活動に当てることも可能だって指摘していた。実際にアルツハイマーの原因を探るプロジェクトに、セルを搭載した「PS3」が参加しているとかでそーしたリアル社会に対する社会貢献を、出来るんだったら買って悪いものじゃないって思わせられる。その辺のパソコンよりも凄い能力を持っている「PS3」が、パソコンとは桁違いの普及台数でもってネットにつながり、SETIとか始めたら宇宙人だってあっという間に見つかるかも。

 そんな未来のビジョンについての説明があり、高いリアルさを持つが故に本物とのわずかな差異が気になってしまう典型のような「アフリカ」っておそらくはサバナに生息する動物たちを視てレンジャーとして世話しるよーなソフトが放つ、どことなく人工的な(人工的そのものなんだけど)自然の描写に眉を顰めつつさて会場へと向かうかと腰を上げるも折角だから質疑応答も聞いていこうと着席し、再び登壇の久多良木社長が日経BPの質問に答えるセッションを聞いて、当たり前な質問に対する当たり前な答えの応酬に、これならやっぱりさっさと出れば良かったかもと嘆息していたその瞬間。最初のサプライズが訪れた。

 廉価版では省かれていた、高品質の映像を映し出す上で不可欠となる「HDMI」端子を廉価版にも付けてしまいましょうって内容で、折角の最新機能がついてないなら高いけど8万円以上する、60ギガバイトのHDDが搭載された上位機種を買うことにしようかって思っていた人の気持ちを廉価版へと向かわせる。それでもやっぱり6万2790円だか何だかって値段は「Wii」の2万5000円と比べても「Xbox360」の廉価版の2万9800円と比べてもちょっと割高。海外ではあまり言われないのに国内ではメディアもユーザーも「高い」と言い募る状況をいけないと思ったんだろーか。最後の最後になて49980円への発売前の引き下げを発表して来場者を驚かせた。浜村弘一さんも驚いていたくらいだから相当にサプライズな発表だったんだろー。対談相手ももちろん知らなかったとか。知ってたら親会社の日経に抜けてたのかな。ともかく完璧に秘匿し続けた所はさすが。決まったのも2日前くらいだって話もあるからとにかく急の決定だったんだろー。

 こーなると年末商戦でも行方がまるで見えなくなった。戦前だとやっぱり「Wii」が強いかなって感じがあったけど、「ブルーレイプレーヤー」としても破格過ぎる低価格なマシンの登場が、HDMI端子で綺麗な画像を見られるとかいった要因も加わってどこまで記録を伸ばしていけるのかに興味がある。「Wii」を2台買うつもりで「PS3」を買う人もこれで一気に増えるのかも。明日からの一般公開日にも会場へと出向いて、価格とそれから「PS3」ならではのハイスペックを一般の人がどう想い感じるのかをこの目でしっかり見て来よう。コンパニオンもしっかと瞼に焼き付けよう。


【9月21日】 そして買った「ナンバー」の最新号でも浅尾美和ちゃんは大人気らしくビーチバレーが行われている場所へと潜入しては、そこは秋葉原かよってな風体の輩がわんさと詰めかけていたって話を書いたコラムがあったり、巻末の見開き4つ割スポーツコラムの一角で、国内では大人気となっている浅尾選手が真正面から捉えてあって、下腹部なんかがぷっくりとした素晴らしい写真ともども近況なんかを紹介していたりと浅尾づくし。もしも表紙がオシム御大じゃなくって浅尾選手だったら売れ行きだって3倍、いや5倍くらいに跳ね上がったかもって思えて来る。対抗してオシム監督がビーチバレーのウェアを着てコラムに登場したら? 3分の1から5分の1に落ちるかな。いやそれはそれで見応えがあったりするのかも。

 「スーパーサッカー」を視る流れで土曜の深夜に「カウントダウンTV」をしばらくぶりにじっくりと視るよーになって良い歌耳に残る歌が割に多くってCDなんかを買い込んだり、CDを買おうかと迷う日々。とりあえず最近では杏子さんにスガシカオさんに山崎まさよしさんとメーンにスキマスイッチとかも加わった「福耳」のベストなんかを買って、付属のDVDでマキシシングル「惑星タイマー」に主題曲とカップリングで入ってた「星のかけらを探しに行こう 〜Augusta Camp2004〜」を映像付きで視たりして、杏子さんがPAの上をあっちこっち粋ならが「チュルルル」を唄っていたことを発見。あとドラムのあらきゆうこさんが格好良い。

 そんなこんなで「星のかけらを探しに行こう」を頭に入れ込みこれでカラオケでも万全と確信したもののカラオケなんて推定で8年くらいは行ってないような気もするしこれから7年くらいは行かないような気もするんで披露する機会は2000ヒトケタ年代中はないでしょう。あるとしたら南アフリカにワールドカップを見に行ってケープタウンで入る場末のスナックくらいか。そんな店があるのか。店員はペンギンか。さらに間もなく発売されるベストCDとかってコーナーで紹介されてた「mihimaruGT」のベストアルバム「mihimagic」も購入してこっちはとっととitunesに写しヘッドホンで視聴。「さよならのうた」がメロウで心にしっとり。「ツヨクツヨク」もなかなか。

 「帰ろう歌」で話題になった当時はソニンとゴマキ弟のユウキとが結成していた「EE JUMP」のパチもんかって印象もふっと浮かんだけれど楽曲の確かさアレンジの面白さからこいつは本物かもって感じたのも束の間に、CDとかあんまり追わずにいたんだけどベスト盤が紹介されていたのを視て改めて楽曲の良さに気づいてベストを購入。並べて聞いてやっぱり良かった本物だった。「部屋とワイシャツと私」のカバーがちょっと意味不明だけどまあ、カラオケの定番なんで昔唄った杵柄で入れてみたりしたのかな。岡本真夜さんとかも入っていたら完璧だたかも、って時代がちょっとズレてるか。

 買ったのはそんなものだけど買ってないタイトルでSEAMOの出たばかりのベストアルバムがちょっと気になっているところ。「ルパン・ザ・ファイヤー」の扮装ぶりとプロモーションビデオの楽しげな雰囲気に引かれたってこともあるし名古屋(というか一宮)出身ってキャリアに同情したってこともあるけれど、「CDTV」の何位かで未だに入っている「マタアイマショウ」ってスローなバラード風楽曲の、メロディの良さが耳について離れないのが気になっている最大の理由か。これも頭に入れておきたい1曲だけど、それを披露する機会は2014年の東京オリンピックまで訪れそうもないのであった。

 さらにはツンとした雰囲気で浪々と唄う中村由利さんのビジュアルと声とそしてなによりメロディの美しさに惹かれるところ大な「まぼろし」がチャートインしている「GARNET CROW」も気になる方々。キャリアは長いんだけどこれまであんまり重ならずちょっとずっと見過ごしてた。最新曲のPVがとにかく美しくってこれがあるいは入っているならDVD付きで10月4日にリリースされるニューアルバム「THE TWILIGHT VALLEY」を手に入れずにはいられない。他の曲も「まぼろし」みたいに格好良いのかな。だったら沢山出ているライブのDVDも欲しいなあ。

 さらにさらにチラっとテレビでPVが流れて中に後天性な眼鏡っ娘を混ぜた上に水着姿で勝負に出てきた「ハレンチパンチ」も気になっていたりして何が何だか分からない状態に。アニメのDVDも新譜が山積みな上にライトノベルの新刊も追いきれない身でCDに手を出すのは危険なんでここは様子をみつつとりあえず「GARNET CROW」だけは抑えておこう。とか言いつつ「ハレパン」のイベント参加券につられて石丸で新譜を買っていたりして。いやいやそんな。だがしかし。うーん「ハレパン」。どうしたら良いですか?

 目の前で「マンモスうれピー」と酒井法子さん本人から行ってもらえる幸せを、幸せと感じられる世代の人ってのはいったいどれくらいなんだろう。少なくとも僕の場合はちょっとズレててむしろ河合奈保子さんがぶるんぶるんとさせながらプールサイドを水着で箸ってくれたり、柏原芳恵さんが後ろに手を組み左右に体を伸ばしたり縮めたりしながら紅茶の美味しい喫茶店で注文を取りに来てくれた方が嬉しかったりするんだけど、今の河合さんや柏原さんにそれをされてもちょっと困るかも。

 それを思うと未だにフリヒラな衣装を付けてディナーショーで踊りながら唄う松田聖子さんは偉大だし、スパコールも鮮やかな衣装で「サウスポー」とか踊って唄う「ピンクレディー」は凄まじくも素晴らしい。36歳とかになって子供もそれなりな年齢になったところで、堂々と酒井さんには「マンモスうれピー」をあらゆる場所で使って欲しいものなんだけど、果たしてそんな気持ちが当人にあるのかな。

 少なくともサンリオの名キャラクター「ハローキティ」と自分がプロデュースするブランドの「ピーピー リコリノ」とのコラボレーションが実現した記者発表では、記者の人から憧れのキティちゃんとのコラボをどう思うかと聞かれて「言っちゃいますよ」と前置きしつつ「マンモスうれピー」と言ったところを視ると、たとえアイドル時代に事務所がそう言いなさいって躾ていたものだったとしても、自分のひとつのトレードマークとして認め受け入れるくらいには大人になってはいたみたい。

 何より一切のわだかまりも気恥ずかしさも吹き飛ばすくらいにキティとのコラボレーション実現が嬉しく、そして記者発表会で隣にキティを侍らせられたことを真剣に嬉しく感じていて、気恥ずかしさも奥ゆかしさも後ろに押しやり、嬉しさを最大限に現した「マンモスうれピー」を発して平気どころかその言葉こそが相応しいって感じていたのかも。先だってはほしのあきさんもファンだと言ったハローキティ。のりピーに「マンモスうれピー」を言わせてしまうハローキティ。その偉大さを改めて感じた1日でした。メガザウルスうれピー。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る