縮刷版2006年月9上旬号


【9月10日】 放映されてる「おねがいマイメロディ! くるくるシャッフル」もそっちのけで「e+」へのアクセス準備を行い、10時の時報を確認してから幾度かリロードの繰り返しをして、10月に横浜で開かれる(遠いなあ)サッカー日本代表とガーナ代表とのチケットを1枚抑え、それから外に出ると9月も重陽の節句を過ぎたとは思えない暑さに季節感も吹き飛ぶ。もっともまあ旧暦で言うなら重用は今の10月10日前後と1ヶ月先のこと。そのころになりゃあ菊も咲いて風も涼しくなって遠来より幽霊になった友人が約束だからと駆けつけたって不思議じゃない。梅雨の残る新暦7月7日の七夕といい、季節感の絡んだ年中行事はやっぱ旧暦で開くのが筋だよなあ。そうすれば2月にもーいっぺん、正月休みをもらえるし。

 とりあえず暑さに電車へと避難してからうえお久光さんの「悪魔のミカタ」でも「シフト」でもない新シリーズ「ジャストボイルド・オ’クロック」(電撃文庫、590円)を読み始めたら無茶苦茶面白かった。こんなの書けるんだあと驚嘆。時はたぶんそれなりな未来。憎悪ばかりを膨らませる人類がいったん滅亡しかかってから「マザーB」ってたぶんマザーコンピュータみたいなのの管理によって再生された地球。っていことは山本弘さん「アイの物語」に描かれた世界の未来って感じ? そんな世界で人類には、頭の中に珪素脳ってのが出来るよーになって、そこから生み出される”家電”とペアを組まされることを半ば強制されるよーになった。

 ”家電”を失ってはガラス化してしまうらしー人類は、”家電”と共生し生きた”家電”とリンクして生きている。生み出された”家電”も掃除機だったり冷蔵庫だたりバズーカだったり電磁刀だったりと様々な能力を発揮しながらも日常的には人型になったり猫型になったりタコ型になったりして人間に寄り添い存在を続けている。そんな世界に国家はなく、さまざまな企業がサービスとして統治する街の単位の連なりでもって構成されていて、人々はそのサービスの善し悪しでもって移り住んだり出ていったりする。時折犯罪も起こって住民たちを不安がらせるけれど、企業はそんな不安を取り除いてずっと住んでもらうべく、ヒーローチームを組織して正義の味方よろしく出動させては、悪の組織を対峙して住民の喝采を浴びていた。

 主人公のジュードもかつてはそんなヒーローの1人だったけど、同じヒーローで双子の弟を殺害した容疑でチームを放逐され街も追い出され、今は別の街へと移り住んで目覚まし時計の”家電”らしいアルって黒猫といっしょに、しがない探偵稼業を営んでいる。そんなジュードに舞い込んできた依頼が何と、かつてジュードが所属していた企業に新たに組織されたヒーローチームのリーダーからのもの。奇妙なナノマシン・ウィルスが出現 していてそれを開発した人物を探して欲しいというものだった。

 人類が滅びてからコンピュータによって管理され復活した世界ってベースとなる設定に、人間が珪素脳を通じて”家電”とリンクしながら生きているって設定が載り醸し出されるサイバーな雰囲気の上で、探偵による謎解きってコミカルさとハードボイルドさの入り交じったストーリーが繰り広げられる。そこにヒーローとは何かってテーマも載り、さらに人工知能が示す感情とは、愛と憎悪の違いとは、って感じにさまざまなテーマが重なって来て、あれやこれやと考えさせられる。

 最初はそんな設定を理解するのに骨も折れるけど、読んでいるうちに何とはなしに世界の情勢とキャラたちが置かれた状況が浮かび上がってくるから心配は無用。それにそんな小難しい設定なんて踏んづけて屹立する、白いスーツに白いボルサリーノのジュード、ならぬジュウドウ・アカノの立ち居振る舞いの実に格好良いことよ。捨てたトレンチコートを引っ張り出しては身にまとい、弱いようで臆病に見えて、その内に秘めた優しさと悲しみと類希なる正義の心が発動する時、世界は救われ読者はその復活に心の底から歓喜させられるはずだ。

 冴えないヒーローと猫型家電の関係は神林長平さんの「敵は海賊」シリーズのラテルとアプロのよう。ラジェンドラみたいな存在も仄めかされているし。あとトレンチコートやらスーツやらソフト帽やらってレトロフューチャーなファッションで繰り出されるアクションってビジョンは、アニメの「THE ビッグオー」なんかに通じるところも。そういやロジャーには無口なアンドロイドのドロシーちゃんがいたけれど、こっちのジュードにもアンドロイドじゃないけど冴え冴えとした発言が末恐ろしい11歳の探偵見習い美少女・ミカルが付いている。謎の美女エンジェルに匹敵する役所のレイディ・ドラゴンって女ボスもいるし。

 ってな具合にあれこれ感じさせつつ考えさせられつつ読ませられる物語。「マザーB」ってものの正体とか、世界が誰かの手のひらの上で踊らされている感じとか、掘っていけばいろいろと出てきそうな設定が背後にあるし、何より決着の付かなかった戦いが本格化していった暁に繰り広げられる善と悪、白と黒って裏と表との関係にある者たちによる、自らの存在意義を存在をかけたバトルって奴の帰結に興味惹かれるところ大。だからうえお久光さんにとっとと続編を書いて頂きたいもの。もしも電撃的にかなわないなら早川書房で引っ張り続きを書かせない。

 そんなこんなで到着した秋葉原に麻生太郎の影もなく、買うべきDVDやCDも見あたらなかったんでうらうらと神保町まで歩いて書店を散策。三省堂神田本店で伊藤たかみさんのサイン会をやっていたけど整理券は満員札止めだったんでもらうのを諦める。芥川賞ともなると凄いもんだ。東京堂書店へと立ち寄りあれこれと平積みされてる本の中から千葉成夫さんって人の「未生の日本美術史」(晶文社)をペラペラと立ち読み。とくに現代美術の所で村上隆さんへの言及があって美術界の「制度」に挑むパフォーマンスをいくら見せたところでそれは「美術」を何も変えることなく、己と周辺の人たちのみを持ち上げて終わるって指摘があったのに興味。

 小沢剛さん中ザワヒデキさんたちと展開していた「スモール・ビレッジ・センター」の活動からおそらく10余年の後に小沢さん中ザワさんが作品そのもので勝負していることとの対比をしつつ現代美術の状況を論評しようとしている点が面白かった。けど本はまだ買ってない。ちょい高いし。こいつも刺激的な発言集「オサマ・ビン・ラディン 発言」(河出書房新社)を買ってしまたし。ただしようやくにして「世界文化賞」を受賞し80年代からずっと支えてきたフジテレビギャラリーも喜んだだろー草間彌生さんとそれから「具体」でもって電気服とか作ってた田中敦子さん(声優の田中敦子さんとはまったくまるで無関係)を並べた論考には興味もあるんで、暑さもおさまり家の中で本をじっくりと読める余裕が出来たら買って読み込もう。好きな彫刻家の遠藤利克さん戸谷成雄さんも取り上げられてるし。


【9月9日】 救急の日。菊の節句。それにしても暑い。暑さで目ざめてそのまま「おとぎ銃士赤ずきん」を見たら久々にグレ子ことグレーテルの登場。何か本当にグレていた。兄のヘンゼルに冷たい仕打ちを浴びながら、それでも兄に認められたいって想いから、草太と赤ずきんたちおとぎ銃士の一行を探して遍歴の旅へ。すっかり落ちぶれた風体に初期のヒロインも用済みにしていく制作スタッフの容赦の無さを見る。舞台の上だけでも輝かせてあげよーとした心遣いには感謝。でも直ぐに敗北にまみれさせたけど。やっぱり容赦がない。

 まあ過去にも負けまくった挙げ句に黒い仮面をつけて復活しては、最後の最後でヒーローと拮抗する闘いを見せたバーン・バニングスの例もあるから、グレーテルにもそんな感じに連続しての敗北に涙し歯がみし土を舐め、ダークサイドへと転落しては精神力を果てしなくアップさせ、ビジュアル面での凄絶さも増して復活しては草太を惹きつけ、赤ずきんも白雪姫もいばら姫もまとめて蹴散らす大活躍を望みたい。ってかそれくらいしないとただのやられキャラで終わってしまうよ勿体ない。お話の方は、肉じゃが作り以外は無能なりんごが自分の置かれた立場に対して抱く不安を描き、そんなりんごを気遣い裏からりんごを支えるおとぎ銃士たちに感謝する草太の優しさを描く脚本がなかなか。良いアニメになって行きそうな予感があるんで、後は作画を頑張って。

子パンダはどこだ? 子パンダも立つのか?   そのままちょっとだけ横になったら正午を過ぎてて猿島行きは断念。代わりに猿山を見に行くことにする。んじゃなくって本当は「フクダ電子アリーナ」へと「ジェフユナイテッド市原・千葉vs清水エスパルス」の試合を見に行ったんだけど、途中で時間もあったんで千葉駅からモノレールに乗って千葉市動物公園へと出向いて、世界的に有名となった立つレッサーパンダこと風太くんとは無関係なレッサーパンダが生んだとゆー、それも銀河の歴史においてもっとも偉大な人物が誕生したと推定される日と同じ7月10日に生まれた赤ちゃんレッサーパンダを見に行ったら寝てやがった。まあいい子供は風の子昼寝の子。そーして休んですくすくと育ってはいずれ天下を取るであろー7月10日生まれの偉人を守る霊獣となって活躍してもらおーじゃないか。それまでは、お休み。

 ついでだからと別の場所に移された風太を見に行ったら動かしたばっかりで場所に慣れていなんで外には出せないとかで部屋の中にいるところをガラス越しに観察。うん風太だった、って実は覚えてないんだけど、風太の顔。全部同じに見えるんだよなーレッサーパンダって。ってゆーかパンダに限らずゴリラもヤギも羊もゾウガメもフンボルトペンギンも同じ表情同じ体型。なのにそれをちゃんと風太と見分けて新しい住まいへと移せるんだから飼育係って、偉い。夜中にこっそりと入れ替えておいてもちゃんと見分けるのかな。やってみたい。もちろん世界の名著と讃えられ、入り口の売店でも一種オフィシャル扱いで売られていた「すたんだっぷ風太くん!」を著した桜庭一樹さんなら一目で見分け向こうも母と慕いて駆け寄って来るんだろーけれど。

 こども動物園はヒツジもヤギも触り放題だったんで触りまくったけど草を食い糞を転がすことに忙しそうで相手をしてくれなくってちょっと寂しい。ウサギも触ったけど触られまくりで飽きていたのか動かず噛み付いても来ず拍子抜け。でも久々に動物に触れられてちょっと嬉しい。だいたいが人間にだって満員電車で接する以外は手で誰かに触れることだってもう何年もないんだから。肌と肌との直接的な密着? そんなこと生まれてこのかた有りません。せめて動物くらいは。今度言ったらシャツを脱いでヤギに抱きつこう。蹴られて角で突かれたところとヒツジに踏まれて病院送り。それもまた人生。

触り心地はウールのようでした、ってウールじゃん   だって生きていられるんだから。近くにいたミニブタなんて04年に生まれてまだ2歳なのに既に運命が決まっている。何しろ付けられた名前が「マーボー」に「シューマイ」。つまりは挽肉として調理されることが決まっているってことで、何も知らずに子供たちに愛想を振りまくブタたちの姿に涙もしみ出る。しかし何でこんな名前を付けたんだろー。生まれたばかりの牛の赤ちゃんにステーキとか、ヒツジの赤ちゃんにジンギスカンとか付けるよーなものだから。そーいや福岡方面に住む女性が拾った犬にメンチって付けてたっけか。いずれ危急の際にはメンチにするって覚悟をそこに込めて。つまりは千葉市動物公園もいずれ2頭を……その際には呼んで下さい好物なんで麻婆も焼売も。

 モノレールでとって返して「フクアリ」へと向かい丸こんにゃくをイカで煮た「Jボール」をつまみながら入場して席を取って読書。富士見ミステリー文庫から出た萩原麻里さんって人の「トキオカシ」(富士見書房、600円)はイザナギノミコトの頃より存在する時の神様の末裔たちの物語。本当だったら女系で伝わる能力で、母からその能力を受け継いだ娘はある年頃になると自分の時間が逆に回り始めて子供となり赤ん坊になり雲散霧消しては時の流れから消えてしまうらしー。そーならないためには誰かの記憶をちょい食べ時間を取り戻すか、対となる運命の男性と子を成し娘に運命を引き継がせるしかないんだけど観池って時置師の家には本当だったら1人しか生まれない女の子が双子で産まれてしまったことから運命の歯車に乱れた生じる。

 双子の1人は子供の頃から指に時を溜める指輪を持っていて、それを幼い頃に見つけた対となる男性に引き継がせてとりあえずは安泰なよーだけど姉の眞名には運命の人がおらず自分はいったい何者なんだって悩みを抱えて生きて高校生になった時。転校した先で記憶力のとても良い誠一って少年を見つけ彼の指に「時の輪」がはまっていることを知って彼こそが対の相手と確信して急接近するどころか、半ば押し掛け女房的に迫って誠一に心を寄せていた少女の反発も喰らって三角関係の恋愛コメディが始まる……と思ったらそうはならず誠一と眞名は何故か明治の過去へと飛ばされて、そこで時置師の絡んだ事件に巻き込まれる。

 なるほどミステリー文庫ってことでミステリー的な事件があって解決があってって展開へと向かいそれはそれで楽しませてはくれるけど、肝心要となる時置師がなぜに存在を許されているのか、世界にとってどんな意味を持っているのかがあまり説明されていないのが気にかかる。時間を食べなければ子に帰って消滅してしまう運命が待っているのは分かるけど、消えてだから世界にどれだけの得があるのかあるいは損になるのかが分からない。神から生まれた存在ならば、世界にとって何らかの意味があって良い。けれどもその力の行き過ぎが世界のバランスを崩す可能性があって、だからこそ神は時を逆流させる試練を時置師に与えたんだって設定でもあれば、その活動にも何らかの根拠が生まれただろー。

 今のところは時間を遡るって”病気”に冒された少女が、消えたくないって個人的な事情から少年を巻き込み記憶をちょい食べて日々をどうにか生きているだけにしか見えない。一種の難病になった人たちが限られた数のワクチンをめぐり、自分だけは消えなくないってエゴから内輪で争っているだけの物語って思われかねない。そうならないためにも世界が時を操る力を持った時置師たちの存在を認めている理由を明かし、眞名たちの気づかないところで時置師の能力が実は世界にとって大きな意味を持っていて、力をめぐって争いが繰り広げられていたりするって壮大なストーリーなんかを紡いでいってくれれば面白いかも。どうかなあ。

 んで試合は……水野選手と楽山選手と、あとクルプニコビッチ選手を先発で使わないといけない所が苦戦の理由かなあ。何しろ走らない。サイドラインに張り付いてボールが来るのを待って受けて突破するかと思ったらバックラインに戻してそこから走るかと思ったら走らず止まったまま足下で受け取り突っかけ奪われる水野選手の、21歳には見えない老成したプレーぶりがどうにも観ていてかったるい。なおかつサイドを破られ危険になっているのに、センターライン付近からちんたら戻って守備せず敵に1対1を作られゴールを奪われる体たらく。楽山選手も似たよーなもので軽い守備と危険性のない攻撃で自らをピンチに陥れる。

 羽生選手が入ってサイドラインを駆け上がったり中央から突破したりといった素早い攻撃も観られるよーなったけど、水野選手のサイドは変わらず攻撃が沈滞してえぐれず、上げるクロスもゴール前にいる見方の選手に渡らず敵に恐怖感を与えられない。逆にエスパルスの方はつなぎ前へと走るプレーに迫力があって得点の匂いが強く漂い、実際に得点を追加して試合を決めてしまった。前掛かりだったとは言え危険な場面では中盤からもっと大勢が戻り守備を固めていたのがかつてのジェフ。それが最終ラインと善戦との間が開いてしまって攻められっぱなしになり、逆に攻めようとしても中盤から先へと進めない。こんなに人の動かないチームだったかなあ。走らない選手が2人いればこれも当然かなあ。今必要なのは走る選手、飛び込む選手の起用。なんだけど出来ないんだよなあ、今の選手層では。


【9月8日】 「SOS団」はやっぱり凄かった。宇宙人や未来人や超能力者が怯え驚き観察し接触しSATUGAIしたくなるくらいに凄まじい、涼宮ハルヒの世界を己が臨みどおりに変えてしまう能力は、小説やアニメや漫画といったメディアを超えるどころか仮構の世界を抜け出して、現実世界にまで影響を及ぼすんだと改めて思い知らされた。

 竹熊健太郎さんと相原コージさんの著書「サルまん21世紀愛蔵版」のサイン会があるってんで池袋へと向かう際に、手近にあった「SOS団」のロゴ入りTシャツを着て行った。1時間近く並んでサインを頂いた帰り道、池袋駅の宝くじ売り場で6億円に積み上がった「LOTO6」をひとつ買ってみるかと冷やかし半分でシートを手にとり、思い浮かんだジェフユナイテッド市原・千葉の選手の背番号を書きつつ残りを適当に埋めて窓口に出してプリントを受け取り財布に眠らせ1週間。

 当選番号が新聞に掲載されていたのでどれどれと見ると。3つ的中が1つあった。5等。1000円。1等の2奥5109万5100円に比べれば、金額はそりゃたいしたことはないけれど、5つしかマークしなかったんだから支払ったのはわずかに1000円で、その分をあっさりと取り返してしまったんだからこいつはやっぱり何かの御利益と考えるよりほかにない。だって初めてなんだよ、「LOTO6」を買ったのって。それで当選。ジェフ千葉の恩恵もちょい入っているかもしれないけれど、やっぱりハルヒの力って考えるのが妥当かも。それに「サルまん」の御利益もちょい載ってるって感じに。

 ちょっと前に買ったジャンボでも、9000円買った中に下2ケタが合致する3000円の当たりくじが入っていた。300円の当たり3枚と含めれば3900円。半分には届かなかったけどそれなりな金額は取り返せた。それを購入した時に着て行ったたのが「SOS団」のロゴ入りTシャツだ。偶然? だってそのさらに1つ前のジャンボでも3000円を当てているんだよ。購入時に「SOS団」のTシャツは着ていなかったからそれは純粋に運なんだろー。そんな運が2回も連続する訳がない。

 従って直近のジャンボでの当選は、やっぱり「SOS団」の御利益なんだと考えるしかないし、加えて「LOTO6」の当選だ。やっぱりあのロゴには秘密がある。力がある。ようしそれなら明日もまた着て「LOTO6」を買いに行こう。今度はオシム率いる日本代表の背番号も取り入れよう。巻誠一郎・阿部勇樹・羽生直剛・佐藤寿人の千葉勢に地元・名古屋の中村直志に若さの梅崎司を入れた数字だ。デカすぎてマークできねえ(涙)。

 ”考える”サッカーの実践が選手のみならず評論家スポーツライターの経験とプライドに凝り固まって動かなくなった脳細胞にも刺激をあたえて活性化させているのは周知で既に、先週あたりからカネタツ金子達仁さんの書くコラムにここ何年か頻繁に出てきた、国民性だの歴史だのといった曖昧模糊として抽象的な言葉が引っ込んで戦術や技術への言及が増えて来ているよーに見えたけど、高地でのイエメンを相手にした激闘から開けて8日付け「スポーツニッポン」に掲載されたコラムでも、引っ込み思案だった坪井選手が「『挑戦』する気概」をオシム監督によって引き出され、前へと攻め上がっては巻選手にピンポイントのクロスを入れたことを讃えこれを「オシムの功績」だって評価している。「功績」。褒めてるよ金子さんが。

 なるほど「センタリングになると極端にいいかげんなボールが増えてしまうのは、技術ではなく精神の問題である」と精神について触れているけどこれとてベースいある技術の確かさを認めての言葉。その技術がどうしてクロスの場面で発揮されないのか、誰もいないファーとかゴールラインを超えたピッチの外とかにクロスを入れてしまうのか、プレミアで見られるよーな鋭くてそして正確なクロスが日本のゴール前には入らないのか、といった懐疑を考える上でひとつ、精神というキーワードを持ち出しそこからなにゆえにクロスの場面では精神が弱まるのかを考えていけるきかっけを与えてくれている。理由もなく島国だから、農耕民族だからなんて帰結に持って行こうとしていない。

 「中東遠征の2試合を見て気になったのは、対戦相手が以前ほど日本のセットプレーを警戒しなくなってきているのではないか、とうこと」という指摘もごもっとも。ゴール前にただ蹴りこむ、それも日本でのイエメン戦のよーに監督のゴールに向かうボールを入れろってゆー指令にそむいてまで人に合わせようとして狙い外して遠くへ転がるか、固めた相手守備陣に跳ね返される場面が今も続いている。警戒する必要なんてないって敵が思い始めている。だから「FKスペシャリストの出現、もしくは復帰がない限り、この傾向はさらに強まっていく気がする」とゆー言葉も当然だろー。

 それがだったら中村俊輔選手かってゆーと使いづらさもあって悩ましいけど、なあに代表にだってFKのスペシャリストは居るわけで、おまけに中盤だってセンターバックだってこなせるマルチなタレントの持ち主・阿部勇樹が自我を出してはボールに歩み寄り、FKと見るや現れそしてゴールをはずすボールを蹴って憮然としているアレックス選手を押しのけ蹴れば良いだけのこと。ジェフじゃあ巻選手のほかにターゲットがないんでコーナーは蹴らないけれど代表なら多くのターゲットがいるんだからそっちも蹴ってスペシャリストの名を轟かせよう。阿部ジャパン。良い響きだ。

すいませんもう買いませんコピーしませんだからせめてポスターをコピーさせてくださいダメですか   「ファミ通えんため大賞」の受賞パーティーに1時間ほど遅れていった理由を、不正商品対策協議会の創立20周年を祝うパーティーの前に行われた、代表幹事を務める角川歴彦さんの記者会見があったからだと言えばそれなら仕方がないと、エンターテインメント業界に関わる大半の人に納得して頂けるかもしれないけれど、実は西山茉希さんを見ていたからだと本当の所を答えれば、ああそれなら絶対に仕方がない、ってゆーかその後の不正商品対策協議会のパーティーも出席して挨拶をした西山ちゃんをどうして見ていかないのかって、全世界の男性諸氏からお怒りの声を浴びせかけられそー。

 映画館で流される、黒い涙を流す女の子のグロテスクきわまりないCMにコピー商品を買わない使わないってゆー不正商品対策協議会の活動への反発を芽生えさせる人も少なくなかったけれど、あの西山ちゃんが笑顔でコピー商品はダメッ! って言ってくれれば分かりましたすいませんもうしませんやりませんって素直に従える。喋らず黙っていると憮然とした表情だけどカメラが向けられると途端に笑顔を取り戻す。その笑顔が実にキュートで愛くるしいところに人気モデルならではのオーラを見た。

 それはポスターにも健在。笑顔じゃないけどその表情からは君たちコピー商品なんてダメよと諭し哀願するパワーが放たれる。分かりましたすいませんもうしませんやりませんって言うより他にない。最初っからだからこーゆー人を起用すれば反発も喰らわなかったんだ。だから黒い涙のフィルムもすぐに替えてほしのあきさんがコピー商品をその谷間に挟み込んではギュッと押しつぶす内容にして劇場にかけること。効果は覿面。コピー商品を手に持ち行列してはその谷間へと放り込んで日本からコピー商品は程なく消滅するはずだ。いやいや谷間に近寄りたいばっかりにコピーを持ち込む人が増える可能性も。うーんやっぱり別なのを考えよー。

 んで「えんため大賞」は1回目からおそらく皆勤賞で出席しているにも関わらず、ほとんどの作家さんの顔も名前も分からず誰からも「おみゃーさんひっでーことかきゃーしてあかんがね」って責められ踏んづけられることもなく済んだ。ああ良かった。まあ例え名札を付けていたってこっちの名前を知ってる人もそんなにいるはずがないから別に良いんだけど、読んで面白かった作品を書いた人が誰かくらいは知りたいって気分もある。せめて作家の人が小説の表紙に描かれている格好をしてくれていればなあ。野村美月さんはスイート・パティシエールの格好で。桜庭一樹さんとか従えて。田口仙年堂さんは……ガーゴイルとか。


カウパレゲットだぜ。丸ビル公認だぜ 【9月7日】 なおも牛追いの日々。大手町へと立ち寄ったついでにサンケイビルの前で「三代目魚武濱田成夫」のマルシー入り牛をゲットしそれからぐるりと回って大手町ビルやらファーストスクエアやら東京海上火災ビルやらの前で次々に牛ゲット。ファーストクスエアの前にいたスピーカーの付いた牛はアーティスト一覧によると「プロジェクトパポ」って「GONZO」の親会社の「GDH」が仕掛けているプロジェクトの一環らしい。そんなプロジェクトがあったのか。でも面白いのか。

 「丸ビル」の周辺には総本山らしく結構な数の牛がいるらしーけど1匹しか捕まえられず。その首に「丸ビル」なんて下げた赤い牛も横腹に宣伝文句が書かれてて商売っ気が漂ってる。アーティストが新しいアートに挑みつつもチャリティに貢献するってゆー「カウパレード」の趣旨にこれってマッチしてるのかなあ、だって誰も買わないよ、丸ビル宣伝カウなんて。GDHのもプロジェクトのPRって言えば言えるけどGDH自体がクリエイティブを生業としている会社でそんなクリエイティブワークの1つとしての牛だからまだ納得できるんだ。他にもCM牛っているのかなあ。前回よりも増えているのかなあ。探してみよう。

 天下の三菱商事前に鎮座まします牛とかかつて爆弾によって被害を被った三菱重工本社ビルの下に佇む牛とか資本主義の総本山に散らばる牛ってシチュエーションは内か意味深。例えるなら聖獣でありながらもこの国では資本家の走狗となって身を粉にして働いては搾取される労働者たちからさらにこき使われる道具、あるいは政治の思惑に翻弄されて輸入されたり輸入が止められたりする意志の持てない生もの、とか。この辺の解釈はコンマ1秒での思いつきなんで哲学政治学文学社会学数学の得意な人が知識と経験から丸の内大手町有楽町に佇む牛の意味って奴を、考え発表してくれい。

カウパレゲットだぜ。おばさんたちの人気者だぜ  アベール王子に謁見する。アベール王子はドラフトワン公国の王子で美味いドラフトワンにマッチする食材を探して世界を旅する享楽の徒。そして最初に巡り会った餃子を口に運んで美味いと言い、ドラフトワンをぐびぐび飲んでは美味いと言って餃子をドラフトワンにピッタリのフードすなわち「ドラフード001」と認定した。恵比寿にあるサッポロビールに現れたアベール王子はそんな旅の途中だったらしー。

 ステージに上ったアベール王子をひれ伏した姿勢から顔を上げ、おそるおそると見ると阿部寛さんにそっくりの顔立ち。スラリとした長身をまさに王子様、それも昔風の白馬の王子って感じじゃなくって、現代の公国に育った現代風の王子って出で立ちに包んでは巨大な「ドラフトワン」の缶の横に屹立し、手にしたドラフトワンをぐびぐびと飲みテーブルの上の餃子を1つ2つと1口で頬張ってはスッキリ美味いを連発していた。サービス精神の旺盛な王子様に拍手。しかし本当に阿部寛さんにそっくりだったなあ。横に仲間由紀恵さんはいなかったけど。

 また久保か。いや違う、またまた久保か。オレンジ色のニクニクしげな夕刊紙に掲載される、サッカー日本代表を率いるオシム監督へのひねくれまくった視点からの記事を書く記者を讃える言葉は、今や万国共通のスラングとなっている模様。今日も今日とて激しい環境におかれながらも、最後に勝利をもぎ取り選手の底上げを計りながらもアジアカップ本戦への出場権を獲得するとゆー、ウサギ3匹に加えてキジを5羽にシカを3頭クマを10頭は一気に手に入れたくらいの凄まじい成果を上げたイエメン戦の翌日に「辛勝オシム、これでいいわけ!?」なんて世界の60億人がハテナと首を傾げる記事を出しては意外性の迷宮へと読者を引きずり込む。

 何しろ並の常識では理解ができないくらいにロジックが高級。「確かに技術的には日本が何枚も上だ。2300メートルの高地で試合時の湿度は20%。どの選手も『息苦しさはあった』と話していたが、その代表メンバーについて、イエメンの報道陣から『なぜ、日本はアジア杯予選という公式戦なのにベストメンバーを連れて来ないのか?』と疑問の声が挙がっていたほどだった」って一文だけを抜いても、そこに繰り広げられた宇宙規模の思考の広がりに今そこで起こっている現象の簡素な解決だけを望んでいる目はついていけなくなる。

 技術的には素晴らしいって日本の優位性に触れるかと思ったら、次に場所が高地だという悪条件を指摘しそんな所で苦労したけど頑張ったってあって、これを賛辞につなげるのかと読むと次に湿度20%とさも好条件だったかのような描写が待っている。そうかだったらやっぱり好条件でも力を発揮できない代表を誹る記事かな、って考えたらその次に選手が息苦しさを訴えていたって感じに悪条件だったことを指摘している。そうかやっぱりいくら技術的に優れていても悪条件が重なる地では選手も全力が発揮できなかったんだよねって同情に繋げていくんだろうって、考えた自分が甘かった。

 なぜかそこで話は大きくワープして、イエメンの現地記者の話題を枕に日本はベストメンバーじゃなかったんじゃないって指摘に向かう。ベストメンバーじゃないことと技術的には素晴らしいことと場所が高地なことと湿度が低かったこととやっぱり高地なんで息苦しかったことの間の繋がりが、国語の授業で僕の教わった読解力や本を読みまくって覚えたロジックの理解力がまるで通じないこの1文。ここまで高度にして難解な文章を書かないとオレンジ色のニクい夕刊紙の看板は張れないのか。いつかその論陣に加わり世界をシンカンさせたいって思っていたけどどーやら僕には無理なよーだ。たとえ同じフロアでも壁となっているロッカーは分厚くて高い、ってことなんだな。

 「オシム監督が在籍したジェフ千葉の関係者からは、『オシムは小さなクラブだからこそ生きた監督。代表、特に日本代表では難しいのか』という声も漏れてきた。もちろん本人は、『辞任』する気などさらさらない」って凡人の耳には決してきこえて来ない声って奴を聞き分ける能力も僕にはない。ほかにも代表関係者とか協会関係者といった”関係者声”を聞く耳って奴を持っているよーで、政治記者にまわれば官邸関係者とか自民党関係者とかって関係者からタメになる声を居ながらにして聞き取り画期的な記事を書いてはピューリッツァー賞を獲得するんだろー。さすがはエース。あやかりたいねえ。


【9月6日】 慶事に仕事もドタバタするかと身を取り繕って家を出て向かうは日本橋高島屋。こういう場合に何かしているに違いないと信じてて地下鉄東西線の日本橋駅を降りて上にある百貨店の壁面に、しっかりと親王殿下の誕生を祝福する垂れ幕が下がっていたんで写真に撮る。

 噂では漏れ聞こえて来ても実際には誕生するまで親王なのか内親王なのかは分からなかったはず。それでしっかり親王を当日に下げられるとは用意の言い話だと日本橋高島屋に訪ねたところ、あらかじめ両方の垂れ幕を用意しておいて一方を聞いてから親王殿下を残して下げたとのこと。大変だけどそれをすることによって与えるイメージの向上は他に代えられないんだろー。

 しかし41年ぶりの男子とはつまり秋篠宮さまの誕生以来ということですなわち秋篠宮さまもそんな歳になったってことで、仮に当方が学習院なんてところにはいっていればご学友になったかもしれない身とすれば、男子は初でも上に2人の女子がいて奥さんがいて仕事もしっかりこなしている秋篠宮さまと、未だ独り身で仕事は適当で済む家は狭く且つ本とガラクタに埋もれて身動きのとれれない当方との違いって奴をあらためて想い嘆息する。

 それが格差社会かって言うとそうでもないのは生年月日が同じ僕の弟が、妻もいれば小学生になる子もいて一軒家も持ち車だって頃がしているという事実があるからで、つまるところは個人の問題。根底にある人間的な欠如って奴を何とかしない限り秋篠宮さまとの差は広がるばかりってことになる。実家にますます帰りづらくなったなあ。旅にでも出るか。旅先で何か見つかるかもしれない。嫁とか。婿とか。

カウパレゲットだぜ。オフィス街再生には良い試みとなったなあ  その足で仕事場へと向かう途中に通りがかったPCCWビルのロビーに牛発見。そうかまた来たかの「カウパレード」。えっとあれは2003年だったかにも大手町から丸の内有楽町日比谷界隈の路上やえらビルの中やらに、色もとりどりなら形もさまざまな牛の置物が出現して目を楽しませてくれたけど、1年を置いてまたまた日本でも開催されることになった模様。いつから開幕だっか覚えてなかったけど前回も牛のいたPCCWビルのロビーに金銅色の牛が鎮座ましましている姿を見て、ああ始まったんだんだと知り身構え丸の内へ突入するといるわいるわの牛祭り。前回は1部の牛を捕らえ損ねて心残りがあっただけに、今回はコンプリートを目指すつもりでとりあえず「東京国際フォーラム」あたりの牛をまとめてゲットする。

 配られていたパンフレットによると今回も日比谷公園の中に1匹いるよーで、こついはいけばすぐに見つかりそーだけど、それよりさらに遠い霞ヶ関にある農林水産省の建物に1匹いるみたいなのがゲットの上で難題となりそー。まさか省庁の中に入ってはいないだろーけど、妖しげな風体で地下より写真なんか撮影していたらすぐに捕まりそー。ここは背広とか着ていくか。でも背広にカメラで牛撮ってたら余計に妖しいか。あと何故か竹橋にあるパレスサイドビルにまで1匹配置されているのが面倒とゆーか。

 つか竹橋って大手町じゃないじゃん丸の内でもないじゃんましては有楽町ですらないじゃん。それとも何だろーサンケイビルの前にいて日経や読売の側にもいるのに自分たちのところにいないのは企業としての沽券に関わると誘致したのか。どんな牛がいるかは知らないけれど升目が切ってあって将棋の駒とか張り付いているよーな牛なら時期的に楽しいかも。でもって更に蚊帳の外におかれた築地から朝日新聞が真夜中にこっそり奪いに来ると。18日から築地吉野家で出る牛丼の肉はきっとその牛だな。

カウパレまたまたゲットだぜ。  ふと思い出したのは前回03年に「カウパレード」が行われた直後から起こった会社のぐっちゃんぐっちゃんで、編集の人員が削られ営業に回され紙面が弱体化して結果として数が減るデフレスパイラルが発生し、賞与は半減され子持ち家持ちの阿鼻叫喚が響き渡ったって記憶があってそれから3年、刷新もあってとりあえず水面上は安定しているように見えても水面下では水鳥なみの自転車操業的な苦労が未だに続いている。その意味では幸福の牛というより引導の牛。導かれ突きつけられる運命や如何に。回復して来た景気をキャッチアップするため産業専門紙へと回帰するってんなら好みかはどうあれ理屈は分かるけど、団塊とジュニアのための情報紙化とか言い出すようなら渡される引導はきっと煉獄巡りの片道鈍行切符、かな。

 んでサッカー日本代表。アレックスと遠藤保仁のテストシリーズとなったアウェイでの対中東戦はサイドで張ってはもらい仕掛けて奪われたり、届かなかったり行き過ぎたりと精度の欠けるクロスをそれも絶好のタイミングをはずして入れては相手にプレゼントする格好になったりして仕事にならず、だったらと期待されたフリーキックも枠内にとばせず相手にプレッシャーを与えることすらできない体たらくをまた見せてしまったことで、続く親善試合のガーナ戦から以降、呼ばれる可能性が大きく減じられたって見方が広まりそう。

 国内にいてコンディションも確かな実績も海外経験もある2人を置き石にして若い選手未経験な選手を引っ張っていってもらおーとしたのに、その任を果たせず手前勝手なプレーぶりだけを示してしまったことをオシム監督がどう見ているのか。最前線のフォワードをフォローし転がる球を受けて散らすなり、持ち込んで放つなりするのも役目だったのに動かず張り付きもらって出して終わりとゆー、20年前かと思わせるよーなプレーを続けざまにしてしまって次があるって考える方が難しいか。けど試合後の会見だと人生で1番走ったって褒めてるし。あるいはこれまで走ってなかったって叱咤か。その程度で一生分かよって諦めか。

 最初にあったフリーからのヘッドを巻誠一郎選手が決めていればその後の展開も変わったかもしれないけれど、見てみると荒れたピッチに足下をとられ体勢を崩しながらのヘッドだったよーで、それが決まればプレミア級だけど残念ながら巻選手にはそこまでの凄みはないんで外してしまった模様。疲れもきっとあったんだろー。けど後半ロスタイムでの坪井慶介選手が放ったクロスをちゃんと横を見ながら落として賀那覇選手につなげたプレーは流石巻。そうなんだよ周囲に走り動く選手がいれば実に訳に経つ頼もしい選手なのだよ巻誠一郎は。

 それを知っているはずなのに使えないアレックス選手に遠藤選手が今後オシムからどんなお小言を言われるのか、ちょと楽しみ。まあともかくも勝ったんだから素直に喜ぼう。続くガーナとの親善試合で誰を試すのか、インドにサウジアラビアと続くアジアカップ予選の消化試合でどんな選手を選んで圧倒的な戦いぶりを見せるのかってところで日本代表の将来も決まりそー。中村直志選手に本田圭祐選手に水本水野山岸の千葉勢に未だ呼ばれずの鹿島勢、さらにはJ2得点王の新居選手やヴェルディの平本一樹選手といったところも、是非に試して欲しいなあ。頑張れニッポン。


【9月5日】 ほしのあきさんが見られるってんなら早起きだって辞さない辞すはずもない。今日が発刊の「隔週刊 ハローキティ・アクセサリーコレクション」をプロモーションするイベントが西銀座デパートで開催されてハローキティと一緒にほしのあきさんが登場。しばらく前に「パラパラ漫画」の発表会で間近に拝みそのふくらみが作る峡谷の深さを頂きの高さ豊かさともども拝謁してはいたけれど、改めて見せられるとやっぱりなかなかのもの。なおかつそんななかなかぶりを惜しげもなく、むしろ積極的にアピールしてくれるジャーナリスト思いの優しさに、打たれ涙もこぼれてくる。その胸で泣いても良いですか?

 肝心の「ハローキティ・アクセサリーコレクション」は毎号にシルバー925の小さなアクセサリーがついて来るってファンにはたまらない逸品。創刊号の990円はともかく2号移行の1890円だってアクセサリーの値段とデアゴスティーニ限定っていゆーデザイン、そしてキティに関する情報の詰まった冊子も含めて考えれば決して高い値段じゃない。全50号の予定を全部揃えれば得られるコレクションもなかなかにゴージャス。それをまとめてもらったほしのあきさんが「かわいい!」を連発した気分もよく分かる。ところで30周年を去年迎えたキティに向かって「ほとんど同じ歳」って言ったほしのあきさんって、今幾つ? それでその格好? やっぱり優しさに溢れてます。メイド服だってアリエルの衣装だって着てしまえる永遠の17歳な喜久子姉にも並ぶ優しさに打たれこぼれる涙を是非にその胸で、受け止めてやって下さいませ。

 「生けるオシム、死せるカネタツ・イマチュウを蘇らせる」とでも言うのかな。2006年9月5日付けの「サンケイスポーツ」は、ヤキュウ脳的思考が深く根付いているのか、サッカーについて書くと何とも微妙な論考が渦巻きファンならずとも不思議な気持ちにさせられていたイマチュウ今村忠さんによるコラム「甘口辛口」が、サウジアラビア戦で破れたサッカー日本代表に対して「だがオシム監督は、それだけこけにされても発奮して付いてくる強い精神力や、忠誠心を見極めているのかもしれない」なんて妙に理解を、それもヤキュウ脳的にひねくれておらず純粋な思考からその言動を見極め理解を示そうとしているところがあってこそばゆい。

 「いくら頑張っても『どうせ選ばれない』とあきらめていた若手にも、『あいつが選ばれるなら』と発奮材料になる」「だからこそ選んだ若手は多少無茶をしても、嫌みな言葉を並べても、みんな付いてくるだろうと強い自信をもっているのだろう」とも。”嫌味”って言葉にまだどこか、オシム監督のスタイルに対する懐疑的な気分も混じっていそーだけど続けて「単なる嫌みおじさんと違うのは深謀遠慮で、嫌みに“一貫性”があるということかもしれない」といって、オシムの言葉が単なる場当たり的で無責任なものではなく、筋の1本通ったものなんだってことにようやく気づいたのかもしれない。あるいは気づいていてもこれまではサッカーの見方面することに躊躇があってセーブしていた気持ちを解放したとか。真面目で純粋な相手にはスタイルだけの辛口なんて通用しないってことで。

 一方のカネタツ金子達仁さんも「スポーツニッポン」の2006年9月5日付掲載コラムで「負けて気分のいいはずもないが、敗れてなお安堵した、というのが正直な感想である」って書き出しから今回のサウジアラビア戦の敗北が持つ意味を、斜め下からイジったり上空3万メートルから俯瞰したりしようとはしないで等身大の視点からしっかり見極め、分析しよーとしている。ここんとこ妙に精神論的な話が多くなっていて、もはやスポーツとしてのサッカーの持つ面白さ、大変さをスポーツ的な視点すなわち戦術戦略の面から語るスポーツジャーナリスト的な仕事は出来なくなっているのかって心配もあったけど、コラムでは「最終ラインが各駅停車から準急に昇格したことで、準急だった中盤より前が急行に昇格したのは収穫だった」「ただ、中盤に核となる選手のいない弊害が目についたのも事実である」と試合そのもの、戦術そのものについて語っている。こりゃ吃驚。

 「いままでは、サイドバックの攻撃参加が絶対条件となり、このポジションの選手の負担が極めて大きなものになってしまう。ボールを持ったら取られない選手、相手からするとつぶしにいかなければ急所をつくパスを出してくる選手が加われば、状況はもっとラクになってくるのだが」とは言いえて妙。それが中村俊輔選手あるいは小野伸二選手のことを指しているのかもしれないとしても、中央でのボールを収めて広い視野からボールを左右にさばける落ち着きを持った選手の不足を指摘している。ちょっと前までだったら単に勇気がない、成熟していないって抽象的精神的な表現でぼかしていたのにこの変わり様は、オシム監督の繰り出すサッカーがそれだけサッカーとしての本質を見せようとして、それについて何か語りたいって気持ちにさせてくれるものだから、なんだろー。

 その意味でカネタツ・クボチュウの御仁はまだスポーツジャーナリストとしてのマインドをしっかり残していたって言えるけど、こちらの御仁は相変わらずなひねくれっぷり。言わずとしれたオレンジ色のニクい新聞が誇る大編集委員様のことで、サウジ戦の後に敗因を逐一分析しつつサッカーのどこが難しいのか、それをどう改善すれば良くなるのかを懇切丁寧に説明しているにも関わらず、「それを言ったらおしまいだ」なんて書き出しからひとつひとつの分析を単なる言い訳だと捉え、誹りコキ下ろそうとしている。何ともまあ了見の狭いことよ。

 「これまで絶賛の嵐だったオシム語録も、結果が出なければ、ただの言い訳だ」なんて言うけど、就任からここまでのタイトなスケジュールに対サウジ戦では初となる完全適地でのアウェー戦。擁するのは前任者が最大の成果を得ようとして特定の世代にこだわったことで置き去りにされ、けれども4年後のワールドカップ南ア大会出場を考えれば急ぎ経験を積ませなければならない選手たち。これで勝てという方が無茶で、引き分けでも讃えられる試合を1点の最小失点で乗り切った試合を指して「なんとも後味の悪い初黒星となった」なんて書けるとは、いったい何を見ているんだろー。きっと凡人とは違う何かが見えているに違いない。さすがは「真実を伝える」だの何だとの銘打ったリニューアルを敢行した新聞のエース様なだけのことはある。泡沫なメディアで誰にも読まれない記事を砂漠にスポイトで水を蒔くよーに書いてる人間とは格が違う。あやかりたい。

 そーいや会見でオシム監督、「残念ながらジャーナリストの皆さんは、最終的には勝ったか負けたかということを基準に考える。ここで『結果も内容も』という話をすると、将来内容の話は忘れられて『結果を追求した』、あるいは『しなかった』ということだけが記事として残る」って指摘している。これを聞いた後でなお、結果にのみ注目してプロセスを一切無視できる記事を書けるなんて大物以外の何物でもありません。オシム監督も指摘している。「結果は報道されるが、内容についてはどんなに良い内容であっても明後日には忘れられてしまう。もっともジャーナリストの中には、試合が終わった瞬間に内容を忘れる能力を持った方もいるようだが」。

 まさに預言。そこまで言われてなお、預言にピッタリとあてはまる振る舞いを出来るなんて並の神経の持ち主じゃない。例えるなら最後の晩餐でイエス・キリストが預言したとおりの行動をとった使徒たちのよう。すなわちクボタケ先生はサッカーに革命を起こす教祖オシムの教えを後に世界にひろめる伝道の徒ってことで、そんなやんちゃな振る舞いを見通したオシム監督によって悔い改めさせられ、導かれては歴史に名を残す偉大なサッカージャーナリストへと進歩していくことになるんだろー。ああ羨ましい。心底から羨ましいぞ。


【9月4日】 そうかパスとは手を相手に委ねて出方を待つことだったのか。その意味ならばサッカー日本代表がサウジアラビアを当てに戦ったアジアカップの予選で、中盤から入れるボールのことごくと同じ青いユニフォームではなく敵の白いユニフォームに向かって蹴りだし渡してしまうってのもアリだったんだろー。それくらいに中盤でボールが収まらなかった今朝の試合。

 ゆるやかな場面ではダイレクトにはたいて繋がることもあったけど、最終的な部分でポストにくさびのパスを入れようとしても収まらず、読まれ奪われ反撃を喰らう繰り返し。一方で向こうは3人4人がブロックになって順繰りにボールを渡しながら攻めて来るから滅多に奪われることがない。それでも頑張った最終ラインが攻撃の瀬戸際でチャンスを摘んでいたけれど、瞬間に集中力が切れた場面で不運な転がりもあってオフサイド気味にいたサウジアラビアの選手に渡って失点。そのまま0対1で試合を終えてオシムになって初の敗戦を喫した。

 チャンスは幾度となくあってほぼ正面から抜けだした田中達也選手が打ったシュートはタイミングとしてばっちりだったのにコースを読み過ぎたのかゴールを外れて枠の外へ。続いてはゴール前で巻誠一郎選手が頑張りアレックス選手に渡って入れたクロスに田中選手が反応して押し込もうとしたけどキーパー正面で入らず。ほか遠藤保仁選手のミドルもあったけど外れたり止められたりでなかなか得点を奪えない。終了間際に途中から入っていた羽生直剛選手が素早い動きから強いシュートを放ったけれどこれもキーパーの反応が良く外へとはじき出されてしまった。サウジアラビアのキーパー、実に素晴らしかった。彼じゃなかったら日本代表だって結構な得点を奪っていたんじゃなかろーか。

 けどそればっかりじゃなくチャンスがあっても自ら潰してしまった場面も多々あったところにオシム監督の怒りの原因があるんだろう。ゴール前で重なり合ったりフリーから入れたクロスが選手を超えてタッチラインすら超えて出ていったり。直前にイングランドの試合なんかを見ていたけれどサイドからのクロスがちゃんとゴール前へとそれも速いボールとして入り合わせるだけって場面が何度もあった。遠投クロスなんて皆無だし山成クロスだって滅多にない。それが日本ではクロスはゴール前に行かなくって当たり前になっているこの哀しさ。後半に入って右から攻めた加地選手のクロスが良かっただけに左サイドの攻撃面での拙さが余計に目立ってしまった。これがあったからジーコ監督もアレックスを使わざるを得なかったんだろうなあ。

 中盤のポカッと開いてけり出したセカンドを拾われ再攻撃を受けるパターンはいつか見た光景。そこでサイドから攻め上がって中央を開けてもらいまたサイドを使うとかいった、工夫もあれば安心も出来たんだけどやろうとしても出来ないのが今の代表選手たち。自分にとってのリスクを軽減してもチームとしてのリスクを減らしアドバンテージを積み上げるような行動に迅速に移れない、視野の狭さをここから広げて行かなくちゃいけないってことなんだろー。ハマればダイレクトにパスが回ってシュートまで持っていける俊敏さはちらりと見せてくれたんで、あとはしっかりゴールを決める力を高めることが重要か、ってこれ、もう何十年言い続けているんだろう? ともあれイエメン戦、勝とう。

 それにしても日本代表の公式戦とは言えローカルなアジア杯の予選を、真夜中ってゆーか早朝に生中継してもらえるとは何と素晴らしいことか。サッカーってコンテンツが持つ価値の他のスポーツに比しての高さ故。そんな高さをサッカーが持ち得るに至るまでの努力って奴には素直に感謝したい。だってほら、20年前を思い浮かべればサッカーがテレビで放映されることすらなかなか考えられなかった訳で、それをJリーグによってまずテレビでサッカーを見る行為への違和感を取り除いた。

 次いで加茂監督だった時代に日本代表のブランド力を上げて代表選は生中継されて当然のコンテンツなんだって認識を世間に広め、その上で並行して行って来たコンテンツの中身自体の価値向上、すなわちワールドカップに出場を狙えるチーム力を持ち得るところまで引き上げて来たことが、日本人のこと日本代表に対する認識を、試合が生中継されないことは極めて異例な状況なんだって思わせるよーになった。あんまりブランド力を高めすぎたがために、肝心のリーグ戦が霞んで地上波ではまるで放映されないって悲しむべき事態を引き起こしてしまったのは問題だけど、それでもローカルな放送局では地元にファンが多いって理由で、割に放映されていることもある訳で、サッカーってコンテンツにとって重要な地域性ってものを堅持し打ち出すよーに指示し、指導したJリーグ草創期の人たちの未来を見据えた方針って奴にも、やっぱり感謝すべきなんだろー。

 とりわけこの8月に開催されていた「世界バスケットボール選手権大会」のテレビにおける扱いの酷さを見るにつけ、サッカーの置かれた環境の贅沢さって奴がくっきりと浮かび上がってきた。だって世界選手権だよ。オリンピックに次ぐ大会だよ。「ワールドベースボールクラシック」なんかと違って、NBAでも現役のバリバリがしっかり出場しているんだよ。ポスト・ジョーダンの最右翼とされるレブロン・ジェームズだって来日して、日々スーパーなプレーを見せているってゆーのに、地上波で生で、あるいはゴールデンで「世界バスケ」が放映されることは最後までなかった。

 ボクサーの世界タイトルマッチでもないよく分からない相手との試合を、延々と生で放映するだけに留まらず、事前事後の番組でも取り上げ盛り上げるテレビ局なのに、世界最高峰が集まるバスケットの大会をまるで雑魚のように扱うこの不思議。なるほどバスケの世界選手権の生放送はスカパーが独占放送するってゆー契約があったから、TBSとしても生では放送できなかったって事情はあるんだけど、だとしたらそれより以前、どーして地上波としてバスケの世界選手権を生で放送する権利を、全社的な命運をかけて取りに行かなかったのか、って残念さも含めた気持ちが起こる。バスケじゃ視聴率が取れない? そんなことはない。あり得ない。

 そこいらのボクサー、そこいらの大家族の話を感動のストーリーに仕立て上げては高視聴率を叩き出すコンテンツへと育て上げるパワーを持ったテレビ局、世界レベルでみたらまるで大したことのないバレーボールを、高い視聴率の取れるコンテンツに変えてしまえるパワーを持つテレビ局が、世界でもトップクラスにいる本物たちが集まり本物のプレーを見せるバスケットボールの大会を、盛り上げ高視聴率を獲得できるコンテンツに出来ないはずがない。でもやらなかった。結果どうなったのか。

 バレーボールのそれも女子の、五輪でも世界選手権でもない大会が繰り広げられていたことを多くの日本人は知っていても、この半月のうちにバスケットボールのトップ選手が日本へとやって来ていて、世界最高峰の闘いを繰り広げていたたことを、日本人のほとんどが知らないままで終わってしまった。バスケットボールというスポーツが持つ価値を、多くの日本人に知らしめることが出来なかった。同じような機会は、もうおそらくは50年は訪れないだろう。2016年に東京五輪がやって来るとも思えない中で、日本はバスケットボールの凄さを、日本人に広く知らしめる絶好にして最大の機会を無為に取り逃がしてしまった。

 ここでもし、頑張って地上波でしっかりと放映していれば、大勢が最先端の試合を見て、バスケの面白さを知りやってみようって子供が増え、それが大人になってNBAに行くよーになって更なる盛り上がりを見せ、サッカーに並ぶスポーツコンテンツへと、バスケをの価値を高められたかもしれない。そんな将来への布石として、今はサッカーほどの視聴率がとれなくっても放送権を獲得しておく投資的な感覚って奴は、今のテレビの現場にはないんだろうし、あってもそれを発揮することを、収益的な観点から許さない雰囲気が蔓延っていたりするんだろー。

 日本バスケットボール協会だって、ここは是非に地上波で、それも生でと伏して願うべきだったけど、頑張ったよーな形跡はあんまり見られない。スカパーが放映してくれて有り難いってことなのか? けどそれだと世間にはバスケの凄さは伝わらないんだよ、残念ながら。協会じゃあ何だかリーグのプロ化だなんて言っているけど、どう広めどう価値を高めるのかって意識のないままプロ化したって早晩行き詰まるのがおち。いち早くプロ化を打ち出し地元密着を意識したフランチャイズ制を敷き、観客動員に頑張っている「bjリーグ」をいたずらに敵視するばかりで、日本代表からもパージしているよーでは未来に希望なんて持てるはずがない。この夏で日本のバスケは死んだ、なんて50年の後に言われないためにもここは内紛とか止め体面なんてかなぐりすてて、08年の北京五輪に何としてでも男女揃って出場するって奮闘を見せてもらいたいもの。だけどなあ。無理かなあ新代表監督の人事とか見ていると。

 人間て因業な生き物なんだなあ。ってか染みついたものを消すのってとてつもなく難しいっていうか。赤城毅さんの「ノルマルク戦記」(集英社スーパーダッシュ文庫)が中断から河岸を変えて再会されて遂に最終巻が刊行。そこで復権した王子様が功労者で主人公の弟を誅殺してまで権力い縋ろうってしている様が描かれるんだけどそこまで弟を憎む理由が何とも見えないなあって思っていたらどーやら理由は弟が採用した万人平等の施策がどうにも受け入れがたかったとか。それが世にかなっているか、そしてなし得ることなのかってことを聡明さで成る人たちなら肌で感じ最善手を打てるはずなんだろーけど、弟の王子以外は敵対していた国の王も含めて旧来からの身分制度にこだわり自由平等を受け入れられない。これってやっぱり人間って奴の愚かさを示すもなんだろーか。

 けど人民の方は割と平気で受け入れちゃったりするのはつまり、それが生きていく上で妥当なことなんだって肌身で感じているからなんだろー。聡明な王様なり権力者って奴はそれゆえに民の暮らしから遠く離れた場所に置かれて頭の中のロジックだけで世の中を見ようとするから最終的には乖離が生まれてそして数に頼める人民に敗北していく。あるいは虐げられた経験を持つ権力側にいた人間がこれはやっぱりいけないことだと立ち上がって人民にとっての英雄となる。とはいえなあ、そんな経験が心情に歪みを与え反動的な言動為政をとらせちゃったりする場合もあるし。ってかあったし。うーんやっぱ人間って業が深い。特に男はプライドとか立場ってものがあるだけにさらに因業。最後に残ったのが男たちではなかったってあたりが象徴していたりするのかな。まあともかく完結を祝福。他社でストップしていた企画を再開させ完結させた編集部には拍手。この勢いであの未完の作品この未完のファンタジーも出しちゃえ。その前に「双色の瞳」の完結が先だけど。


【9月3日】 池袋のジュンク堂で開かれたサイン会で、竹熊健太郎さんと相原コージさんによる「サルまん 21世紀愛蔵版」へのサインを待っている間に眺めていた、壁に貼ってあった漫画の原稿が美麗で端整で繊細で、とりわけ「ピンク・チョコレート」ってタイトルが書かれた原稿に描かれていたショートヘアの眼鏡娘の表情とかが良くって、どことなく「赤々丸」の時代の内田美奈子さんを思わせるところがあって気になって、これは誰だろうってサイン会を終わった後に店頭を探しては、当該の入江亜季さんって作者の2冊同時に出ていた単行本を購入。まずはその「ピンクチョコレート」が入った「群青学舎」(エンターブレイン、640円)ってのを読んでみたら希にみる当たり漫画家だった。

 連作でもない短編集で、いろんな場所を舞台にいろんな人たちのエピソードを拾って並べてあるだけなんだけど、貼ってあったいろいろな作品の原稿に書かれてあったネームと、それかキャラクターの表情なんかから感じられたそこはことないユーモアが、実際の漫画にもちゃんとあって、読んでてどれも愉快でそして懐かしかった。最初のは小学校の教室に1人いる座敷童みたいにちゃんとは気づかれない、けれども存在感だけは漂わせる尻尾のついた少年の話で、それに気づいた同級生が尻尾を触ろうとして触れないストーリーが、常識を知ってしまった大人の今では不可能な、子供だからこそ得られる未知なるものとの邂逅がもたらす興奮ってものを思い出させてくれる。

 強情そうな女生徒が、女性にだらしない自分は誰からももてると確信している男子生徒恋心を抱きながらも、ストレートに表現できずにらみ付けては逆に興味をもたれ寄って来られ、どぎまぎしながらも突っ張り通してあとで後悔する様が描かれた「とりこの姫」もなかなか。それから、低学年の小学生がパソコンを教えにやって来た女教師がノーブラかもしれないと、他の教室の生徒に教えられて一所懸命に触って確かめようと奮闘する「先生、僕は」も実に愉快。どの作品も、ありそうなシチュエーションって奴を切り取り、繊細な絵で引きつけ楽しげなネームで引っ張っていってくれる。

 男の子みたいな顔立ちスタイルのお姫様が、コンプレックスに思っていたその事実を抉られ大爆発する「花と騎士」なんて、長いストーリーだって描けそうな題材。これで終わるのはちょっともったいない。眼鏡っ娘が気になった「ピンク・チョコレート」も、際だつキャラクターと飄々とした展開が楽しげで、やっぱりシリーズにして欲しい気もしたけれど、そーゆー可能性ってあるんだろーか。あって欲しいなあ。発明先生のトンデモ発明に振り回される男とそれから眼鏡っ娘。見たいなあ。

 上中下で描かれた「白い火」だけは、ユーモアよりもシリアスさが前面に出た傷みを伴う青春ストーリー。70年代劇画のシチュエーションが、内田美奈子で萩尾望都でTeam猫十字社で竹宮恵子な感じの絵(例は適当)で紡がれ、気持ちにズキッと刺さる。酔っぱらうばかりで妹から金をむしり取る兄貴と、そいつが暮らすゴミが山となった部屋の最低ぶりたるや。いい歳をして自身を律せない男の様が鏡を見ているように我が身へと跳ね返る。長編化だって可能な題材だけど、そーすると切実さがリアルさを持ちすぎて傷みも増すんで、少女が救いを見つけるまでの断片を、3話の話にに切り取ったくらいがちょうど良いのかも。

 そんな「コミックビーム」に掲載された商業誌向け作品も良かったけれど、同時に発売された、個人出版物として刊行されたものを改めてまとめた「コダマの谷 王立大学騒乱劇」(エンターブレイン、640円)の方が、絵はやや簡略化されていながらもストーリー物としては秀逸で、断片を切り取り紡ぐ短編だけじゃなくって、ちゃんと骨格を持った長編だって描ける人なんだって分かる。王立学園に1番で入学して奨学金を得ながらも、あとは適当にやって卒業すらしようとしないライダーって生徒が軸となり、そんなライダーをライバル視するアーナスタ家って貴族の息子がいて、彼のウーナって妹が兄を上まわる奴がどんな奴かを確かめに男装して学園に侵入したところ、自分が嫁に行くかも知れなかった王子のアーサー殿下が城を抜けだし学園に潜入しては、ライダーと連んでいる所にでくわす。

 最初は何だこんな王子、この女って反発しつつも惹かれ合うウーナとアーサー。そのかたわらでライダーはといえば、出入りしている食堂に拾われ働いている少年みたいな少女と絡みながら、出自がもたらす運命に抗おうとしている。ライダーの父親という男が何をしでかし、それがライダーの人生とどう関わっているのかが今ひとつ見えなかったりして、主役っぽいはずだったライダーをバイプレーヤー的な場所へと押し下げ、代わって決められた運命に抗う意志を見せつつも、ぐるりと回って決められた相手との関係に活路を見出すウーナの生き方、そんなウーナの超然とした様に行為を寄せつつ自らも、貴族に支配された王宮でどう生きていくかを模索するアーサー殿下の話の方が、ぐんと浮かび上がって来てしまう。

 それが作者の意図だったのか。それとも描いているうちにそうなったのか。分からないけどそれでもウーナのお嬢様的な高慢さではなく、責任ある立場に置かれたものならではの高踏ぶりに惹かれてししまう自分がいる。描いてて作者もそう思ったのかな。表紙でも1番目立つところにウーナがいるし。いずれにしてもしっかりと世界観を持っていてキャラクターも立っている長編が、商業誌ではない場所で紡がれていたとは。見つけなかった商業誌がいけないのか、商業誌などなくても素晴らしい漫画を発表し続けられる日本の環境が素晴らしいのか。

 いずれにしてもこうして商業誌から作品が出て、商業出版社から単行本が出てくれたからこそ末席にいる漫画好きにも存在が伝わって来たっていうもの。エンターブレインと「コミックビーム」にはまず御礼。それを繊細さとは正反対な「サルまん」サイン会の時に壁に並べた書店にも。「サルまん」サイン会に来たどれだけの人が興味を持ったかは微妙だけど、「サルまん」が好きな漫画好きなら原稿を見れば絶対に何かを感じるはず。それだけの才能を持った人。続く活動がとても楽しみ。

 んで商業誌に作品を描き単行本まで出しながらも、今はメーンが同人誌という不思議なキャリアの粟岳高弘さんの何と4年ぶりになるとゆー単行本が出て、ビックリというか有り難いというか。その名も「鈴木式電磁気的国土拡張機」は、版元がコスミック出版で、収録作品に河出書房新社から刊行されてたエッジの効いた漫画家へのインタビューと、エッジの立った漫画作品を紹介していた「九龍」って雑誌に連載されたものが入っているところを見ると、編集したのは元「九龍」編集長だった島田一志さんか。いやあ素晴らしい。有り難い。たぶんとっても凄い編集者のはずなんだけど、「IKKI」の江上英樹さんほど目立ってない。やっぱり雑誌を持っていないと、世に存在を知らしめるチャネルが開かれないのかなあ。

 つか過去に主にフィーチャーして来た漫画家は、タカノ綾さんにしたって五十嵐大介さんにしたって浅田弘幸さん田島昭宇さん西島大介さんにしたって、絵的にエッジ立ちまくりな人が大半。そんな中にあって、絵はぽよよんとしてストーリーはのほほんとした粟岳さんを手がける趣味嗜好が見えにくい。もっともほとんどすっぽんぽんの女の子が、ふんどし姿で歩いている姿を官能的じゃなく、例えていうなら入浴中のしずかちゃんみたいにそこはかとないエッチ感を出しながらも、あっけらかんと健康的に描いてしまえる粟岳さんの現代には逆に少ないアナーキーさを買っているって線もある。得体のしれない生き物たちがうごきまわっては得体の知れない機械を使って、得体の知れないことをしでかす展開の奥深さってものを買ってるって可能性も。

 吾妻ひでおさんが描けば、ロリータ的に官能の漂う美少女がぬとぬととした謎めいた生き物の間で陵辱される展開になって、それはそれで喝采を浴びるだろうし、鬼頭莫宏さんだったら、繊細すぎる少女たちが化け物によって切り刻まれ引きちぎられる残酷な描写で戦慄を与えただろーところを粟岳さん、どこまでも健康感にあふれた女の子たちが、苦難を苦難と思わず怪物たちにもひるむどころかいっしょになってたわむれ怪物たちも、そんな女の子たちを時に鬱陶しくも思いながらも敵視せず、むしろ歓待している風に描いてある所が、読んでいてストレスを感じさせない。キャラクターの顔が似すぎていていつの誰の話か定着に時間がかかるのが高齢者には辛いけど、読み込めばお話の間につながりも見えて世界も縦に横に広がって、断片をつなぎ合わせて大きな世界を認識する楽しさを得られそー。今年出たSF系漫画の中もで屈指の傑作かも。ただしコスプレは不可能か。いや別にやってくれても構わないんだけど。やってくれないかなあ。長澤まさみさんとか上戸綾さんとかゆうこりんとかほしのあきとか(例は適当)。

 折角だからと最終日となったokamaさんの展覧会「okamagic」を表参道にあるギャラリー「Gofa」まで見物に行く。「コミックフラッパー」の表紙絵とか「月刊アニメージュ」で春にokamaさんが大特集された時の号の表紙絵とかいっぱいあって画集以上に目移り。倉田英之さん原作の漫画「クロスロオド」のサイン入り単行本も1巻と2巻があってちょっと欲しくなる。でもジューン・メイの凄みたっぷりな顔が素晴らしい第3巻がなかったのが残念。それにしても色んな作品を見て感じたのは極めて異色の才能だってこと。萌えっとはちょい違うけど、アニメに出てくるよーな可愛い女の子も描ければ、村田蓮爾さんや安倍吉俊さんが描く水彩風で丸っとして眼がくりっとした女の子の絵も描ける。平べったい二次元から骨も肉もある三次元までキャラで描けるってのは基礎がしっかりしているからなのか。

 それから衣装や小物の凝りようが半端じゃない。花がついていたりオブジェがデザイン化されてついていたりとアイディアが多彩。でもって異形さを感じさせつつもすっぽりと収まってしまう構成力。なおかつ衣装だって小物だって平面的なデザインとして配置されているんじゃなく、フィギュアが立体化されてもちゃんとそこに立体のオブジェクトとして添えられるような形に描かれている描画力。空間把握の力にもきっと卓越したものがあるんだろー。これを天才って言うんだろうなあ。サイン会に行っておけば良かったかなあ、「めぐりくるはる」以来のファンとしては、やっぱり。

 それにしても村田に安倍にokamaっていうGofaで展覧会とかやったりやってる3人だけでも世界相手に存分に戦えるのに、加えて五万八百万の才能がひしめいている日本って国は何なんだ。そんな才能を引っ張り出してアピールする場を設ければきっと世界からマニアが集まり凄いことになるんだろーけど、国の偉い人にはそれが分からないよーで相も変わらずプロデューサを育てろとか、ファンドを組成して金回りを良くしろとかバイヤーが買い付けに来るイベントを立ち上げろとか(極東まで来させるんじゃなく行って売れば良いのに)ってことにばかり血道をあげている。それも既存のイベントなんかと縄張り争いをして。まったくもっていらだたしい。

 それでも才能は生まれ育ち世界へと羽ばたいていくってことで、okamaさんも含めてその才能が多方面で活躍していく様を見つつ新しい才能がどっかにいないものかと眼を更にして見ていこう。とりあえずギャラリーで放映されてた「ガラスの艦隊」のダイジェストでキャラクターの、顔立ちはともかくとして衣装が極めてokamaチックだったことに気づいたのも見物で得た収穫。こりゃやっぱり録画していある奴を見返さないといけないなあ。1巻に付いていたハーモニカも吹くか。プカー。

 そしてやって来た等々力陸上競技場は、はるばる彼方からジェフユナイテッド千葉を応援に来た人も結構いたりしてアウェイ側のゴール裏はほぼ満席。2階のアウェー側半分を仕切って誰も入れない仕打ちはあんまり来て欲しくないって川崎フロンターレ側の歓迎の意と認め笑って見逃して差し上げたけど、こと試合ではフロントに立つ選手が散々っぱらストヤノフ選手に攻撃を加えていたよーで、最後には1人川崎から誰か退場になったみたいだけどちょうどその瞬間は立石選手からトップにマリオ・ハース選手と代わって入った要田選手にボールが渡った瞬間だったから溜まらない。そのまま攻めていれば或いはって思ったんだけど、ジェフのゴール前で始まった乱戦にボールを扱うのを止めてしまって試合がストップ。いったいどうしてくれるんだって気になった。

 おまけにすでにロスタイムに入っていたため、その乱戦が収まった段階で試合終了となり、くんずほぐれつだった両チームの選手がセンターサークルへと集められては、観客に挨拶をして終了。それでもなお突っかかってくるフロンターレの選手がいたりと、妙に後味の悪い試合となってしまった。そこで試合が勝って終わっていられれば気にもならなかったんだけど、ロスタイムに入った所で与えたコーナーキックで1点を奪われ2対2の同点に追いつかれていただけに、要田選手の最後のプレーに期するところも結構あった。追いつかれなければそんなことも起きなかったって? うーん、まあそうななんだけどでも終わるまでが試合ってことで、それを別の形で終わらせられたのは釈然としない。ともあれアウェーで2点を取っての引き分けは上出来。迎えるホームでは是非にも勝て。そして再びの国立へ、ゴー。

 試合の方は、前半から後半途中まで入っていたクルプニコビッチがあんまり機能しなかったのが痛いというか相変わらずというか。時々猛烈に走るんだけどほかは立ったまんまでボールをもらい、出しては見送る典型的なパサーを演じるものだから、周囲も固まってしまってボールは動いても人が動かない。だからパスのコースも読まれてしまい、すぐに切られてしまって反撃をくらう繰り返し。後半に代わって工藤浩平選手と水野晃樹選手が入った途端に攻め手が活性化し人もボールも動くよーになった所をみると、やっぱり使い場所を誤っていたって判断が成り立つ。羽生直剛選手が戻ってくればベンチかなあ。楽山選手は今日は頑張った。後から入った水野選手も最高だった。あのゴールはプレミア級。あるいはリーガ級。これがあるから外せないんだよなあ、コーキ。

 それにしても分裂応援は聞いてて心がジクジクと痛む。チームを愛しているサポーターの人たちが、アウェーで絶対勝ちたい試合にどーして分裂応援なんか出来るかねえ。ホームでだって嫌だけど、人のそんなに入らないアウェーで2分割されたら届く声も届かなくらんるってゆーのに。そこんところを配慮してか、先走るゴール裏からグラウンドに向かって右側に陣取った面々のコールに左側も極力合わせるよーにしていたみたいだけど、時折ズレる応援が、聞いてる人たちに何があったんだろうって不安な気持ちを起こさせる。ピッチの選手ならなおさらだろー。どーにかならないものかなー。ならないんだろーなー、歴史って奴を振り返ると。

 思い出すのは東京ヴェルディ1969が、J2降格の瀬戸際まで来ても分裂応援をし続けていたこと。J2への自動降格が確定する柏レイソルとの試合ってゆー崖っぷちになってどーにか統一感を出そうとしてたけど結果は大敗、そして降格。間に合わせではやっぱり勝たせられなかった。そんな様を去年に見ていたりすると、分裂応援がもたらすネガティブな効果って奴は決して侮れない。止めさせられるものなら早急に止めさせなければいけない。幸いにして今年の成績なら即降格の憂き目にだけは合わないで済みそうだけど、それも今年の話で来年は分からない。その期に及んでもなお分裂が続きさらに四分五裂とかになっていたら果たしてチームはどうなる。そして選手は。さらに観客は。まだ間に合う。チームも応援も立て直すんなら今だ。


【9月2日】 書き方の勝利かそれとも。第10回スニーカー大賞で奨励賞を受賞した神崎リンさん「イチゴ色禁区 1 夏の鳥居のむこうがわ」(角川書店、552円)は神社仏閣を組織し神様仏様たちがザワつかないよう管理している”玉城一族”の少年・正樹が主人公。その日も仕事ということで、同じ玉城の亜美という小学生くらいの少女を連れて神社へと向かうと神気の流れに乱れが生じて妙な具合に。原因は近所にある神社からご神体が消えてしまったことにあるらしい。

 何が起こっているのかと探りにいった途中で化け物が現れ、退けたものの亜美を怒らせドロップキックをくらって倒れた正樹は1人の少女が倒れているのを発見する。連れて帰って調べるとどうやら彼女こそが消えた神様らしいと分かるが、記憶を失っていてどうして行方不明になったのかが分からない。見るもの聞くものが新鮮な女神は正樹を兄と慕ってあちらこちらを歩き回り、お風呂にまで侵入して来る。ああ羨ましい。

 そんな姿に感情を揺さぶられる亜美。さらには幼い頃から正樹の許嫁と決められていた3歳上のこまさんの存在も加わった恋のバトルロイヤルが、軽口で冗談口にあふれた正樹の1人称視点からつづられる。迫り迫られ蹴られ叩かれそれでも諦めない恋の戦士といった赴きの正樹だけど、その能力にはどこか秘められたものがあるらしく、亜美がつきまとっている理由も含めて散りばめられた謎がこれから明らかになって行きそう。

 冗談口を多用する書き方が、読む人によっては気を散らされるって拒絶を受ける可能性もあるけれど、心底からの軽薄さではなく自らの能力と、周囲への気配りがさせる防衛としての軽薄さかもしれないって部分も垣間見える所があるから、読み切ればなるほどって思えてくる。そんな主人公の複雑な心理状態を描き込みつつ読んで楽しいストーリーへと作り上げた作者に拍手。このバランスを下手にコメディへと引っ張らずシリアスさをチラっとのぞかせていけば大化けした椎名美由紀さん「バイトでウィザード」のようになれるかも。期待。

 行き倒れの神様もいればソフビの虎人形に入った神様もいるってことで、やっぱり名前に神の字が入った神野オキナさんによる「うらにわのかみさま1」(HJ文庫)が登場。スラリとした美少女で眼鏡も似合う主人公が家族に頼まれ掃除をしていた家の裏のプレハブで、祭られていた神棚から昔遊んでいたソフビのとらくんフィギュアを発見する。懐かしいなあ、と煤を払うと動き出し、あまつさえ喋り始めたとらくんフィギュア。実は神様で、すでに目一杯な八百万の神のリストに加わりたいと画策する猫神ほかと戦うべく、少女を戦闘ヒロインへと仕立て上げる。

 とてとてと歩くとらくんの可愛さと、そんなとらくんから現れる本体”ちとらくん”のいたいけさ。対抗する猫神が変身した猫姉のグラマラス差と彼女に引っ張り込まれてとらくんたちと戦う羽目になる少年が戦闘時にとる姿の素晴らしさ。もう読みどころが満載でここまで畳みかけて来るのかって読んでいて心が熱くなる。生身のバトルを避けるためにフィギュアに乗り移って戦う設定、武器や部下にするため戦艦や兵隊のプラモを組み立て魂を吹き込み動かす設定もホビーマニアの心をくすぐる。

 沖縄の持つ伝統とか、沖縄がかかえた社会的な事情といった神野さんならではの視点も盛り込まれていて考えさせられる部分も多々。そんな社会派的なメッセージも盛り込ませつつ、表では楽しくも美しいバトルが繰り広げられるストーリー。龍炎狼牙さんの描くバトルスーツの素晴らしさにも目を奪われて一気にラストまで読み切れます。イラストはお尻とか良い感じに描かれているけど、個人的にはUボートの甲板にうにゃっと載った神様手前の物の怪たちの表情が好き。あんなに愛らしいのに神様になれないの? ちょっと可愛そうかも。だから次こそは。ってどっちを応援しているんだ。でもなあ、敵方は猫神も手下となって働く霧人も素晴らしいからなあ。頑張れとらくん。

 そして駆けつけたジュンク堂池袋店にはおおむね40人とかそんな行列が出来ていて、後について待つことえっと40分から50分? 回ってきた順番に「サルまん21世紀愛蔵版」に相原コージさんと竹熊健太郎さんと、そして支配者専務の白井勝也さんからサインを戴く。いやあ白井さん。本物だよ白井さん。つか本業の方で何かの会見だか懇親会だかに出席されている姿を見たことがあって、ああこれがその昔「ビッグコミックスピリッツ」で連載されてた「サルまん」に登場していた白井さんだなあって見て知っていたから、実物を見てうわっ似てるとか驚きはしなかったけど。

 とはいえ連載当時はまだ編集長でしかなかったから、漫画でイジられることがあっても、お仕事の範疇だって思えたけれど、今は小学館の専務で取締役の筆頭役。相賀一族の経営する同族会社ってことを考えれば社員ではトップに極めて近い位置にいる人が、漫画でイジられ「IKKI」って雑誌の表紙で顔をとんでもない場所に張り付けられ、なおかつサイン会に現れてはテーブルに腰掛けにこやかにサインを応じるとは。流石は破天荒な企画と統率力で「スピリッツ」を今に至る人気漫画誌へと引っ張り上げた人だけのことはあると心で足下にひれ伏す。この人がいたからそうか、初期「スピリッツ」が生まれ「軽井沢シンドローム」も「めぞん一刻」も生まれたんだよなあ。

 サイン会はその後も行列が増えて最終的には90人くらいにまで達した模様。来ていた人は総じて若者男子? 連載をリアルタイムで読んでいたって思える35歳から上の世代はそんなにいなくて、最近の竹熊健太郎さんのネットも使った精力的な活動からファンになった人とか相原コージさんのファンが大半だったって感じ? 現場に行くとこーゆー所が分かるからサイン会通いは止められません。

 女性比率は低かったけどそれだけに熱烈なファンが来ていた模様で、あの「ちんぴょろすぽーん」のポーズを抜いてTシャツに仕立て上げていた、楳図かずおさんか誰かのサインが入った目玉付きヘルメットを被った女性が僕の真後ろに並んでいて、連れの男子といかに自分が「サルまん」ファンか、でもって「サルまん」がバイブルになってるかを話してた。どーやら金子デメリンさんといって楳図マニアで漫画も描く人だったらしー。見かけまだ若いの人でも引きつける楳図さんに「サルまん」。世代を越えて影響力を持ち続けているクリエーターたちの凄さに改めて感嘆。


【9月1日】 プロになって1年目をよーやく過ごしてさあこれから2年目だ、体も鍛えて1年を戦えるスタミナを作っておくぞって誰もが考える時期に、雑誌でご大層にもフル代表のワールドカップでの戦いぶりについて、僭越さも垣間見える言葉を発表していただけのことはあって開幕前の合宿に、ユルんだ体を持っていっては監督から誹られ、オーナーからも呆れられた平山相太選手。そこで気持ちを入れ替え1ヶ月を体作りに当てるのかと思いきや、シーズンが開けても絞れない体でよったよったと走っていたからスミット会長も「誰にでもチャンスはある。相太はやる気を見せて、成長しないといけない」(スポーツナビ)って怒ったんだろー。

 それがそのまま出て行けって意味だったのか、単なる叱咤だったのかは伺い知れないけれど、浮かぶのはひとつにはまだ21歳で決して結果も満足の行くものを残していないにも関わらず、がむしゃらさにひたむきさを常日頃から見せようとはしないのは何故なんだろうって疑問。根が淡泊なのかそれとも不遜なのか、ちょっと分からないけど練習のハードさで鳴る国見高校を出ているんだからそれくらい出来ないはずはないのに、実際にやっておらず従って監督やチームや会長からサボってるって見られた所に、個人的な資質に属する部分にプロとして至らない面があるんじゃないかって思えてしまう。

 それとも締め付けの厳しい国見を出た反動が怠惰さにつながっていたりするのかな。まあ試合ではひたすらにがむしゃらさを見せて、挙げ句に空回りしを繰り返してスペインのチームから三行半を突きつけられた大久保嘉人選手の例もあるから、学校の教え方だけに問題があるってことではないんだろー。だとすればやっぱり個人の資質か。会長とのちょっとした会話の行き違いが、その直後にでっかく日本の新聞に記事となって出てくる所なんかを見ると、平山選手の周囲に張り付いているメディアの中には、向こうの頼る気持ちに付け入ってはポロリとこぼれて来た話を、ニュースになるよーややこしくしては紙面での扱いを大きくし、結果として筆者の能力も大きく見せることには長けていても、選手にとって今なにが必要で、そのためには何をどうすればいいのかをサジェスチョンできる人徳を持ったメディアはいないってことなんだろー。

 そんなメディアの舌なめずりに飛び込んでいっては翻弄される平山選手もちょっと可愛そう。不摂生には同情は出来ないけれど。まあ海外の事情に通じた代理人も得て話しの行き違いによる誤解が生まれる可能性はぐっと減り、これからはちゃんとした話し合いの中で何が必要なのかを自覚し実践していくことによって、今再びの価値向上へと向かっていってくれると信じたい。したいけどでも何かやっぱり勘違いからとんでもない場所へと自分を追い込んでいってしまいそーなのが怖いところ。どーなるのかなー平山選手。電柱系だったらハーフナー・マイク選手の方が大きいし最前列だって小兵中堅が揃ってる。ゆらゆらと自分探しをシーズン中もやっているよーだと、どっかのチームが呼んでくれたり代表に呼ばれるなんて事態は当面起こらなさそー。それもちょっと寂しい話だけど……とりあえず電柱は巻誠一郎選手に任せたんでごゆっくり。

 超絶的に分厚い文庫がどかどかと出てハードカバーもズゴズゴと出て海外SFの人も大変だとか笑い混じりに冗談めかして言っていたけどそんな場合じゃなかったよ。新レーベルもわんさと増えたライトノベルの新刊チェックの大変さといったら新刊漫画のチェックにも並ぶくらいな大変さ。漫画ならまだ絵柄の好き嫌いからパッと見での取捨選択も可能だけれど小説は読んでみないと分からないところがあってとりあえず買うしかない。且つ読み終えるのにいくら薄くたって30分から1時間はかかるから、それが月に何十冊ともなると持って行かれる時間は結構なものになる。そしてお金も。

 今日も今日とてハードジュネ文庫、ではなくホビージャパンのHJ文庫を3冊ばかり買いスニーカーも3冊ばかり仕入れ、ファミ通文庫も我慢の上で逃せない1冊を買って計7冊をレジに持っていってら4500円ばかりむしり取られた。これで各レーベルの新刊の半分にも届かないんだから、オールレーベルを入れて買いまくったらいったいどれくらのお金が吹き飛ぶのか。5倍と見積もると2万5000円とかそんなものか。新作のアニメDVD5枚分? なんだたいしたことないじゃん。本ってそう思えば安いなあ。つまりは入る印税も安いってことか。作家って大変なんだなあ。

 そんな新刊からとりあえず浅井ラボさん「TOY JOY POP」(HJ文庫)を読了。ラノベじゃねえ。いや面白いんだけど。でもティーンに健全な娯楽を届けるライトノベルと言うにはちょっと、ハード過ぎるエロティック過ぎるバイオレンス過ぎる。大学に7年生といsて居残る口の達者な劇作が趣味のデブちんと、大学は出てミニコミで働いているデブちんとは同窓の女性と、物静かだったりきゃぴきゃぴしていたりする2人の高校生の女の子たちと、デブちんと同じ大学の2年生で格闘の経験がある長身の少女が出会い戯れファミレスでダベるってゆー「げんしけん」的学園青春ストーリー。

 かと思ったら女子高生2人は援交系で精神がとんでもなくって、生々しくも痛々しい描写が続出。一方で格闘女子は否応なしに叩き込まれた格闘の技量とそして持ち前のセンスをフルに発揮して、関節ババアと呼ばれ都市伝説と化した不死身の婆さんとグラップラーバキか桃魂ユーマかってなくらいに毛の筋1本を紙一重で争うよーなリアルファイトを繰り広げる。街でが人がよく死にその影に蠢く陰謀めいたものも示唆される。骨がひしゃげ血が吹き出るわくわえて放出されたものを飲み込むわともうエログロバイオレンスも頻出するのに、上っ面な部分では相変わらずに仲間で集まりサークルごっこが繰り広げられる。

 視点をさまざまに変えながら進む実にひねくれたストーリーは、例えるなら成田良悟さんの「デュラララ」あたりと重なるけれどあっちは設定こそハードでバイオレンスながらも印象としてはあっけらかんとして人死にもなくいい加減。こっちは人は死ぬし性行は日常茶飯事で格闘シーンの迫力たるや読んでて自分の手足が折れるよう。ライトノベルって枠組みにかけられていたリミッターを外して描かれた描写の数々は、描かれた世界を客観視できずのめり込んで読む小学生にはちょっとあぶなっかしくって読ませられない。PG12確定。

 だったら中学生は大丈夫? アクションはともかく性描写とか信じていたものから受ける裏切りって部分が精神的にキツいかなあ。いずれにしてもラノベのマーケットとして外せないローティーンの読者層には届けるにはばかれるストーリー。HJ文庫が高校大学から一般層を対象にしたレーベルだったらそれでも別にいんだけど、ローティーンにも読ませたかったらこれはやっぱり普通に一般書で出すべき内容だったって気もするなあ。面白いんだけどね。


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